その 明け方 の 空 の 下 、 ひる の 鳥 で も ゆか ない 高い ところ を するどい 霜 の かけ ら が 風 に 流さ れ て サラサラ サラサラ 南 の ほう へ とん で ゆき まし た 。 
じつに その かすか な 音 が 丘 の 上 の 一 本 いちょう の 木 に 聞こえる くらい すみきっ た 明け方 です 。 
いちょう の 実は みんな いちどに 目 を さまし まし た 。 そして ドキッと し た の です 。 きょう こそ は たしかに 旅だち の 日 でし た 。 みんな も 前 から そう 思っ て い まし た し 、 きのう の 夕方 やってき た 二 わ の カラス も そう いい まし た 。 
「 ぼく なんか 落ちる とち ゅうで 目 が まわら ない だろ う か 。 」 一つ の 実 が いい まし た 。 
「 よく 目 を つぶっ て いけ ば いい さ 。 」 も 一つ が 答え まし た 。 
「 そう だ 。 わすれ て い た 。 ぼく 水 とうに 水 を つめ て おく ん だっ た 。 」 
「 ぼく はね 、 水 とう の ほか に はっか 水 を 用意 し た よ 。 すこし やろ う か 。 旅 へ 出 て あんまり 心持ち の わるい とき は ちょっと 飲 むといいっておっかさんがいったぜ 。 」 
「 なぜ おっかさん は ぼく へ は くれ ない ん だろ う 。 」 
「 だから 、 ぼく あげる よ 。 おっかさん を わるく 思っ ちゃ すま ない よ 。 」 
そう です 。 この いちょう の 木 は おかあさん でし た 。 
ことし は 千 人 の 黄金 色 の 子ども が 生まれ た の です 。 
そして きょう こそ 子ども ら が みんな いっしょ に 旅 に たつ の です 。 おかあさん は それ を あんまり 悲しん で おう ぎ 形 の 黄金 の 髪の毛 を きのう まで に みんな 落とし て しまい まし た 。 
「 ね 、 あたし どんな とこ へ いく の かしら 。 」 ひとり の いちょう の 女の子 が 空 を 見 あげ て つぶやく よう に いい まし た 。 
「 あたし だって わから ない わ 、 どこ へ も いき たく ない わ ね 。 」 も ひとり が いい まし た 。 
「 あたし どんな め に あっ て も いい から 、 おっかさん とこ に い たい わ 。 」 
「 だって いけ ない ん です って 。 風 が 毎日 そういった わ 。 」 
「 いや だ わ ね 。 」 
「 そして あたし たち も みんな ばらばら に わか れ て しまう ん でしょ う 。 」 
「 ええ 、 そう よ 。 もう あたし な ん に も いら ない わ 。 」 
「 あたし も よ 。 今 まで いろいろ わがまま ばっか し いっ て ゆるし て ください ね 。 」 
「 あら 、 あたし こそ 。 あたし こそ だ わ 。 ゆるし て ちょうだい 。 」 
東 の 空 の き きょう の 花びら は もう いつか しぼん だ よう に 力 なくなり 、 朝 の 白 光り が あらわれ はじめ まし た 。 星 が 一つ ずつ きえ て ゆき ます 。 
木 の いちばん いちばん 高い ところ に い た ふたり の いちょう の 男の子 が いい まし た 。 
「 そら 、 もう 明るく なっ た ぞ 。 うれしい なあ 。 ぼく は きっと 黄金 色 の お 星 さま に なる ん だ よ 。 」 
「 ぼく も なる よ 。 きっと ここ から 落ちれ ば すぐ 北風 が 空 へ つれ て っ て くれる だろ う ね 。 」 
「 ぼく は 北風 じゃ ない と 思う ん だ よ 。 北風 は しん せつ じゃ ない ん だ よ 。 ぼく は きっと から すさん だろ う と 思う ね 。 」 
「 そう だ 。 きっと から すさん だ 。 から すさん は えらい ん だ よ 。 ここ から 遠く て まるで 見え なく なる まで ひと息 に 飛ん で ゆく ん だ から ね 。 たのん だら 、 ぼく ら ふたり ぐらい きっと いっぺんに 青 ぞ ら まで つれ て いっ て くれる ぜ 。 」 
「 たのん で みよ う か 。 はやく 来る と いい な 。 」 
その すこし 下 で もう ふたり が いい まし た 。 
「 ぼく は いちばん はじめ に あんず の 王様 の お 城 を たずねる よ 。 そして お ひめ 様 を さらっ て いっ た ば け もの を 退治 する ん だ 。 そんな ばけ もの が きっと どこ か に ある ね 。 」 
「 うん 。 ある だろ う 。 けれども あぶない じゃ ない か 。 ばけ もの は 大きい ん だ よ 。 ぼく たち なんか 、 鼻 で ふきとばさ れ ちまう よ 。 」 
「 ぼく ね 、 いい もの 持っ て いる ん だ よ 。 だから だいじょうぶ さ 。 見せよ う か 。 そら 、 ね 。 」 
「 これ おっかさん の 髪 で こさえ た 網 じゃ ない の 。 」 
「 そう だ よ 。 おっかさん が くだ すっ た ん だ よ 。 なに か おそろしい こと の あっ た とき は この なか に かくれる ん だって 。 ぼく ね 、 この 網 を ふところ に いれ て ばけ もの に 行っ て ね 。 もしもし 。 こんにちは 、 ぼく を のめ ます か のめ ない でしょ う 。 とこう いう ん だ よ 。 ばけ もの は おこっ て すぐ のむ だろ う 。 ぼく は その とき ばけ もの の 胃 ぶ くろ の なか で この 網 を だし て ね 、 すっかり かぶっ ちまう ん だ 。 それから おなか じ ゅうをめっちゃめちゃにこわしちまうんだよ 。 そら 、 ばけ もの は チブス に なっ て 死ぬ だろ う 。 そこで ぼく は で て き て あんず の お ひめ 様 を つれ て お 城 に 帰る ん だ 。 そして お ひめ 様 を もらう ん だ よ 。 」 
「 ほんとう に いい ね 。 そん なら その とき ぼく は お客様 に なっ て いっ て も いい だろ う 。 」 
「 いい とも さ 。 ぼく 、 国 を 半分 わけ て あげる よ 。 それから おっかさん へ は 毎日 おかし や なんか たくさん あげる ん だ 。 」 
星 が すっかり きえ まし た 。 東 の 空 は 白く もえ て いる よう です 。 木 が にわかに ざわざわ し まし た 。 もう 出発 に 間 も ない の です 。 
「 ぼく 、 くつ が 小さい や 。 めんどうくさい 。 はだし で いこ う 。 」 
「 そん なら ぼく の と かえよ う 。 ぼく の は すこし 大きい ん だ よ 。 」 
「 かえよ う 。 あ 、 ちょうど いい ぜ 。 ありがとう 。 」 
「 わたし こまっ て しまう わ 、 おっかさん に もらっ た 新しい 外套 が 見え ない ん です もの 。 」 
「 はや くお さ が し なさい よ 。 どの え だに おい た の 。 」 
「 わすれ て しまっ た わ 。 」 
「 こまっ た わ ね 。 これから ひじょうに 寒い ん でしょ う 。 どうしても 見つけ ない と いけ なくっ て よ 。 」 
「 そら 、 ね 。 いい ぱんだろう 。 ほし ぶどう が ちょっと 顔 を だし てる だろ う 。 はやく かばん へ 入れ た ま え 。 もう お 日 さま が お で まし に なる よ 。 」 
「 ありがとう 。 じゃ もらう よ 。 ありがとう 。 いっしょ に いこ う ね 。 」 
「 こまっ た わ 、 わたし 、 どうしても ない わ 。 ほんとう に わたし どう し ましょ う 。 」 
「 わたし と ふたり で いき ましょ う よ 。 わたし の を ときどき かし て あげる わ 。 こごえ たら いっしょ に 死に ましょ う よ 。 」 
東 の 空 が 白く もえ 、 ユラリユラリ と ゆれ はじめ まし た 。 おっかさん の 木 は まるで 死ん だ よう に なっ て じっと 立っ て い ます 。 
とつぜん 光 の たば が 黄金 の 矢 の よう に 一 度 に とん で き まし た 。 子ども ら は まるで とびあがる くらい かがやき まし た 。 
北 から 氷 の よう に つめ たい すきとおっ た 風 が ゴーッ と ふい て き まし た 。 
「 さよなら 、 おっかさん 。 」 「 さよなら 、 おっかさん 。 」 子ども ら は みんな 一 度 に 雨 の よう に え だから とびおり まし た 。 
北風 が わらっ て 、 
「 ことし も これ で まず さよなら さよなら っていう わけ だ 。 」 と いい ながら つめたい ガラス の マント を ひらめかし て むこ う へ いっ て しまい まし た 。 
お日様 は もえる 宝石 の よう に 東 の 空 に かかり 、 あら ん か ぎりのかがやきを 悲しむ 母親 の 木 と 旅 に で た 子ども ら と に 投げ て お やり なさい まし た 。 
そら の てっぺん なんか 冷たく て 冷たく て まるで カチカチ の 灼き を かけ た 鋼 です 。 
そして 星 が 一 杯 です 。 けれども 東 の 空 は もう 優しい 桔梗 の 花びら の やう に あやしい 底光り を はじめ まし た 。 
その 明け方 の 空 の 下 、 ひる の 鳥 でも 行か ない 高い 所 を 鋭い 霜 の かけ ら が 風 に 流さ れ て サラサラ サラサラ 南 の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 
実に その 微か な 音 が 丘 の 上 の 一 本 い て ふ の 木 に 聞える 位 澄み切っ た 明け方 です 。 
い て ふ の 実は みんな 一 度 に 目 を さまし まし た 。 そして ドキッと し た の です 。 今日 こそ は たしかに 旅立ち の 日 でし た 。 みんな も 前 から さ う 思っ て ゐ まし た し 、 昨日 の 夕方 やって来 た 二 羽 の 烏 も さ う 云 ひ まし た 。 
「 僕 なんか 落ちる 途中 で 眼 がま はら ない だら う か 。 」 一つ の 実 が 云 ひ まし た 。 
「 よく 目 を つぶっ て 行け ばい ゝ さ 。 」 も 一つ が 答 へ まし た 。 
「 さ う だ 。 忘れ て ゐ た 。 僕 水筒 に 水 を つめ て 置く ん だっ た 。 」 
「 僕 はね 、 水筒 の 外 に 薄荷 水 を 用意 し た よ 。 少し やら う か 。 旅 へ 出 て あんまり 心持ち の 悪い 時 は 一寸 飲 むといゝっておっかさんが 云っ た ぜ 。 」 
「 なぜ おっかさん は 僕 へ は 呉れ ない ん だら う 。 」 
「 だから 、 僕 あげる よ 。 お母さん を 悪く 思っ ちゃ すま ない よ 。 」 
さ う です 。 この 銀杏 の 木 は お母さん でし た 。 
今年 は 千 人 の 黄金 色 の 子供 が 生れ た の です 。 
そして 今日 こそ 子供 ら が みんな 一緒 に 旅 に 発つ の です 。 お母さん は それ を あんまり 悲しん で 扇形 の 黄金 の 髪の毛 を 昨日 まで に みんな 落し て しまひ まし た 。 
「 ね 、 あたし どんな 所 へ 行く の かしら 。 」 一 人 の い て ふ の 女の子 が 空 を 見 あげ て 呟 やく やう に 云 ひ まし た 。 
「 あたし だって わから ない わ 、 どこ へ も 行き たく ない わ ね 。 」 も 一 人 が 云 ひ まし た 。 
「 あたし どんな め に あっ て も い ゝ から お母さん の 所 に 居 たい わ 。 」 
「 だって いけ ない ん です って 。 風 が 毎日 さ う 云っ た わ 。 」 
「 いや だ わ ね 。 」 
「 そして あたし たち も みんな ばらばら に わか れ て しまふ んで せ う 。 」 
「 え ゝ 、 さ う よ 。 もう あたし な ん に も いら ない わ 。 」 
「 あたし も よ 。 今 まで いろいろ わが 儘 ばっか し 云っ て 許し て 下さい ね 。 」 
「 あら 、 あたし こそ 。 あたし こそ だ わ 。 許し て 頂戴 。 」 
東 の 空 の 桔梗 の 花びら は もう いつか しぼん だ やう に 力 なくなり 、 朝 の 白 光り が あら はれ はじめ まし た 。 星 が 一つ づつ 消え て 行き ます 。 
木 の 一番 一番 高い 処 に 居 た 二 人 の い て ふ の 男の子 が 云 ひ まし た 。 
「 そら 、 もう 明るく なっ た ぞ 。 嬉しい なあ 。 僕 は きっと 黄金 色 の お 星 さま に なる ん だ よ 。 」 
「 僕 も なる よ 。 きっと こ ゝ から 落ちれ ば すぐ 北風 が 空 へ 連れ て っ て 呉れる だら う ね 。 」 
「 僕 は 北風 ぢ ゃないと 思ふ ん だ よ 。 北風 は 親切 ぢ ゃないんだよ 。 僕 は きっと 烏 さん だら う と 思ふ ね 。 」 
「 さ う だ 。 きっと 烏 さん だ 。 烏 さん は 偉い ん だ よ 。 こ ゝ から 遠く て まるで 見え なく なる まで 一息 に 飛ん で 行く ん だ から ね 。 頼ん だら 僕ら 二 人 位 きっと 一 遍 に 青 ぞ ら 迄 連れ て 行っ て 呉れる ぜ 。 」 
「 頼ん で 見よ う か 。 早く 来る とい ゝ な 。 」 
その 少し 下 で もう 二 人 が 云 ひ まし た 。 
「 僕 は 一番 はじめ に 杏 の 王様 の お 城 を たづ ねる よ 。 そして お姫様 を さらっ て 行っ た ばけ 物 を 退治 する ん だ 。 そんな ばけ 物 が きっと どこ か に ある ね 。 」 
「 うん 。 ある だら う 。 けれども あぶない ぢ ゃないか 。 ばけ 物 は 大きい ん だ よ 。 僕 たち なんか 鼻 で ふっと 吹き飛ばさ れ ち ま ふよ 。 」 
「 僕 ね 、 い ゝ もの 持っ てる ん だ よ 。 だから 大丈夫 さ 。 見せよ う か 。 そら 、 ね 。 」 
「 これ お母さん の 髪 で こ さ へた 網 ぢ ゃないの 。 」 
「 さ う だ よ 。 お母さん が 下 すっ た ん だ よ 。 何 か 恐ろしい こと の あっ た とき は 此 の 中 に かくれる ん だって 。 僕 ね 、 この 網 を ふところ に 入れ て ばけ 物 に 行っ て ね 。 もしもし 。 今日 は 、 僕 を 呑め ます か 呑め ない で せ う 。 と かう 云 ふん だ よ 。 ばけ 物 は 怒っ て すぐ 呑む だら う 。 僕 は その 時 ばけ 物 の 胃袋 の 中 で この 網 を 出し て ね 、 すっかり 被っ ち ま ふん だ 。 それから おなか 中 を めっちゃ め ち ゃにこはしちまふんだよ 。 そら 、 ばけ 物 は チブス に なっ て 死ぬ だら う 。 そこで 僕 は 出 て 来 て 杏 の お姫様 を 連れ て お 城 に 帰る ん だ 。 そして お姫様 を 貰 ふん だ よ 。 」 
「 本当に い ゝ ね 、 そん なら その 時 僕 は お客様 に なっ て 行っ て も い ゝ だら う 。 」 
「 い ゝ とも さ 。 僕 、 国 を 半分 わけ て あげる よ 。 それから お母さん へ は 毎日 お菓子 や なんか 沢山 あげる ん だ 。 」 
星 が すっかり 消え まし た 。 東 の そら は 白く 燃え て ゐる やう です 。 木 が 俄 か に ざわざわ し まし た 。 もう 出発 に 間 も ない の です 。 
「 僕 、 靴 が 小さい や 。 面倒くさい 。 はだし で 行か う 。 」 
「 そん なら 僕 の と 替 へよ う 。 僕 の は 少し 大きい ん だ よ 。 」 
「 替 へよ う 。 あ 、 丁度 い ゝ ぜ 。 ありがたう 。 」 
「 わたし 困っ て しまふ わ 、 おっかさん に 貰っ た 新しい 外套 が 見え ない ん です もの 。 」 
「 早く お さ が し なさい よ 。 どの 枝 に 置い た の 。 」 
「 忘れ て しまっ た わ 。 」 
「 困っ た わ ね 。 これから 非常 に 寒い ん で せ う 。 どうしても 見 附け ない と いけ なくっ て よ 。 」 
「 そら 、 ね 。 い ゝ ぱんだらう 。 ほし 葡萄 が 一寸 顔 を 出し てる だら う 。 早く かばん へ 入れ 給 へ 。 もう お 日 さま が お出まし に なる よ 。 」 
「 ありがたう 。 ぢ ゃ 貰 ふよ 。 ありがたう 。 一緒 に 行か う ね 。 」 
「 困っ た わ 、 わたし 、 どうしても ない わ 。 ほん た うに わたし どう し ませ う 。 」 
「 わたし と 二 人 で 行き ませ う よ 。 わたし の を 時々 貸し て あげる わ 。 凍え たら 一緒 に 死に ませ う よ 。 」 
東 の 空 が 白く 燃え 、 ユラリユラリ と 揺れ はじめ まし た 。 おっかさん の 木 は まるで 死ん だ やう に なっ て じっと 立っ て ゐ ます 。 
突然 光 の 束 が 黄金 の 矢 の やう に 一 度 に 飛ん で 来 まし た 。 子供 ら は まるで 飛び あがる 位 輝 やき まし た 。 
北 から 氷 の やう に 冷たい 透き と ほっ た 風 が ゴーッ と 吹い て 来 まし た 。 
「 さよなら 、 おっかさん 。 」 「 さよなら 、 おっかさん 。 」 子供 ら は みんな 一 度 に 雨 の やう に 枝 から 飛び下り まし た 。 
北風 が 笑っ て 、 
「 今年 も これ で ま づさよならさよならって 云 ふ わけ だ 。 」 と 云 ひ ながら つめたい ガラス の マント を ひらめかし て 向 ふ へ 行っ て しまひ まし た 。 
お日様 は 燃える 宝石 の やう に 東 の 空 に かかり 、 あら ん か ぎりのかゞやきを 悲しむ 母親 の 木 と 旅 に 出 た 子供 ら と に 投げ て お やり なさい まし た 。 
そら いち めん に 青白い うろこ 雲 が 浮かび 月 は その 一 切れ に 入っ て 鈍い 虹 を 掲げる 。 
町 の 曲り角 の 屋敷 に ある 木 は 脊高 の 梨の木 で 高く その 柔らか な 葉 を 動かし て ゐる の だ 。 
雲 の きれ 間 に せ は しく 青く またたく やつ は それ も 何だか わから ない 。 
今夜 は ほん た うに どう し た か な 。 八 時 頃 から どこ でも みんな 戸 を 閉め て 通り を 一 人 も 歩か ない 。 
お 城 の 下 の 麥 を 干し た らしい 空く ひ の 列 に 沿っ て 小さな 犬 が 馳 け て 來 る 。 重く 流れる 月光 の 底 を その 小さな 犬 が 尾 を ふっ て 來 る 。 
夜 の 赤 砂利 、 陰影 だけ で 出 來 あがっ た 赤 砂利 の 層 。 櫻 の 梢 は 立派 な 寄木 を 遠い 南 の 空 に 組み上げ 私 は たばこ より も 寂しく 煙る 地平線 に かすか な 泪 を ながす 。 
町 は まことに 諒闇 の 龍 宮城 また 東京 の 王子 の 夜 で あり ます 。 
北上 岸 の 製 板 所 の 立て 並べ られ た 板 の 前 を 小さな 男の子 が ふい と 歩く 。 
それから 鐵 橋 の 石 で 疊 ん だ 橋 臺 が 白く ほ の びかりしてならび 私 の 心 は どこ か ず うっ と 遠く の 方 を 慕っ て ゐる 。 
もう 爪 草 の 花 が 咲い た 。 さ う だ 。 一 面 の 爪 草 の 花 、 青白い と もし びを 點 じ 微か な 悦び を くゆらし それ から 月光 を 吸 ふつ めく さ の 原 。 
小さな 甲 蟲 が まっすぐ に 飛ん で 來 て 私 の 額 に 突き 當 り ヒョロヒョロ 危く 墮 ち よう として 途方 も ない 方 へ 飛び 戻る 。 
原 の むか ふ に 小さな 男 が 立っ て ゐる 。 銀 の 小人 が 立っ て ゐる 。 よ こめ で こっち を 見 ながら 立っ て ゐる 。 にやにや わらっ て ゐる 。 にやにや 笑っ て うたっ て ゐる 。 銀 の 小人 。 
「 なんば ん 鐵 の かぶとむし 
月 の あかり も 　 つめ く さ の 
ともす あかり も 　 眼 に 入ら ず 
草 の に ほ ひ を とび 截っ て 
ひと の ひ た ひ に 突きあたり 
あわて て よろよろ 
落ちる を やっと ふみ とまり 
いそ んで か ぢ を 立て な ほし 
月 の あかり も 　 つめ く さ の 
ともす あかり も 眼 に 入ら ず 
途方 も ない 方 に 　 飛ん で 行く 。 」 
原 の むか ふ に 銀 の 小人 が 消え て 行く 。 よ こめ で こっち を 見 ながら 腕 を 組ん だ まま 消え て 行く 。 
アカシヤ の 梢 に 綿雲 が 一 杯 に かかる 。 
その はらわ た の 鈍い 月光 の 虹 、 それから 小 學 校 の 窓 ガラス が さびしく 光り 、 ひるま 算術 に 立たさ れ た 子供 の 小さな 執念 が 、 可愛い 黒い 幽 靈 に なっ て じっと 窓 から 外 を 眺め て ゐる 。 
空 が はれ て 、 その みがか れ た 天 河 石 の 板 の 上 を 貴族 風 の 月 と 紅い 火星 と が 少し の 軋り の 聲 も なく 滑っ て 行く 。 めぐっ て 行く 。 
うず の し ゅげを 知っ て い ます か 。 
うず の し ゅげは 、 植物 学 で は おき なぐ さ と 呼ば れ ます が 、 おき なぐ さ という 名 は なんだか あの やさしい 若い 花 を あらわさ ない よう に おもい ます 。 
そん なら うず の し ゅげとはなんのことかと 言わ れ て も 私 に は わかっ た よう な また わから ない よう な 気 が し ます 。 
それ は たとえば 私 ども の 方 で 、 ねこ や なぎ の 花芽 を べ ん べろ と 言い ます が 、 その べ ん べろ が なん の こと か わかっ た よう な わから ない よう な 気 が する の と 全く おなじ です 。 とにかく べ ん べろ という 語 の ひびき の 中 に 、 あの 柳 の 花芽 の 銀 びろう どの こころ もち 、 なめらか な 春 の はじめ の 光 の ぐあいが 実に はっきり 出 て いる よう に 、 うず の し ゅげというときは 、 あの 毛 科 の おき なぐ さ の 黒 朱子 の 花びら 、 青じろい やはり 銀 びろう どの 刻み の ある 葉 、 それから 六月 の つやつや 光る 冠 毛 が みな はっきり と 眼 に うかび ます 。 
まっ 赤 な アネモネ の 花 の 従兄 、 きみ かげ そう やかた くり の 花 の ともだち 、 この うず の し ゅげの 花 を きらい な もの は あり ませ ん 。 
ごらん なさい 。 この 花 は 黒 朱 子 で でも こしらえ た 変わり 型 の コップ の よう に 見え ます が 、 その 黒い の は 、 たとえば 葡萄 酒 が 黒く 見える と 同じ です 。 この 花 の 下 を 始終 往 っ たり 来 たり する 蟻 に 私 は たずね ます 。 
「 おまえ は うず の し ゅげはすきかい 、 きらい かい 」 
蟻 は 活発 に 答え ます 。 
「 大 すき です 。 誰 だって あの 人 を きらい な もの は あり ませ ん 」 
「 けれども あの 花 は まっ黒 だ よ 」 
「 いいえ 、 黒く 見える とき も それ は あり ます 。 けれども まるで 燃え あがっ て まっ 赤 な 時 も あり ます 」 
「 はてな 、 お前 たち の 眼 に は そんな ぐあいに 見える の かい 」 
「 いいえ 、 お 日 さま の 光 の 降る 時 なら 誰 に だって まっ 赤 に 見える だろ う と 思い ます 」 
「 そう そう 。 もう わかっ た よ 。 お前 たち は いつ でも 花 を すかし て 見る の だ から 」 
「 そして あの 葉 や 茎 だって 立派 でしょ う 。 やわらか な 銀 の 糸 が 植え て ある よう でしょ う 。 私 たち の 仲間 で は 誰 か が 病気 に かかっ た とき は あの 糸 を ほんの す こう し もらっ て 来 て しずか に からだ を さすっ て やり ます 」 
「 そう かい 。 それで 、 結局 、 お前 たち は うず の し ゅげは 大 すき な ん だろ う 」 
「 そう です 」 
「 よろしい 。 さよなら 。 気 を つけ て おい で 」 
この 通り です 。 
また 向こう の 、 黒い ひのき の 森 の 中 の あき 地 に 山男 が い ます 。 山男 は お 日 さま に 向い て 倒れ た 木 に 腰掛け て 何 か 鳥 を 引き裂い て たべよ う と し て いる らしい の です が 、 なぜ あの 黝 ん だ 黄金 の 眼 玉 を 地面 に じっと 向け て いる の でしょ う 。 鳥 を たべる こと さえ 忘れ た よう です 。 
あれ は 空地 の かれ 草 の 中 に 一 本 の うず の し ゅげが 花 を つけ 風 に かすか に ゆれ て いる の を 見 て いる から です 。 
私 は 去年 の ちょうど 今 ごろ の 風 の すきとおっ た ある 日 の ひるま を 思い出し ます 。 
それ は 小岩井 農場 の 南 、 あの ゆるやか な 七つ 森 の いちばん 西 の はずれ の 西 が わ でし た 。 かれ 草 の 中 に 二 本 の うず の し ゅげが 、 もう その 黒い やわらか な 花 を つけ て い まし た 。 
まばゆい 白い 雲 が 小さな 小さな きれ に なっ て 砕け て みだれ て 、 空 を いっぱい 東 の 方 へ どんどん どんどん 飛び まし た 。 
お 日 さま は 何 べ ん も 雲 に かくさ れ て 銀 の 鏡 の よう に 白く 光っ たり 、 また かがやい て 大きな 宝石 の よう に 蒼 ぞ ら の 淵 に かかっ たり し まし た 。 
山脈 の 雪 は まっ白 に 燃え 、 眼 の 前 の 野原 は 黄いろ や 茶 の 縞 に なっ て あちこち 掘り起こさ れ た 畑 は 鳶 いろ の 四角 な きれ を あて た よう に 見え たり し まし た 。 
おき なぐ さ は その 変幻 の 光 の 奇術 の 中 で 夢 より も しずか に 話し まし た 。 
「 ねえ 、 雲 が また お 日 さん に かかる よ 。 そら 向こう の 畑 が もう 陰 に なっ た 」 
「 走っ て 来る 、 早い ねえ 、 もう から 松 も 暗く なっ た 。 もう 越え た 」 
「 来 た 、 来 た 。 おお くらい 。 急 に あたり が 青く しん と なっ た 」 
「 うん 、 だけど もう 雲 が 半分 お 日 さん の 下 を くぐっ て しまっ た よ 。 すぐ 明るく なる ん だ よ 」 
「 もう 出る 。 そら 、 ああ 明るく なっ た 」 
「 だめ だい 。 また 来る よ 、 そら 、 ね 、 もう 向こう の ポプラ の 木 が 黒く なっ たろ う 」 
「 うん 。 まるで まわり 燈籠 の よう だ ねえ 」 
「 おい 、 ごらん 。 山 の 雪 の 上 でも 雲 の かげ が すべっ てる よ 。 あすこ 。 そら 。 ここ より も 動き よう が おそい ねえ 」 
「 もう おり て 来る 。 ああ こんど は 早い 早い 、 まるで 落ち て 来る よう だ 。 もう ふもと まで 来 ちゃっ た 。 おや 、 どこ へ 行っ た ん だろ う 、 見え なく なっ て しまっ た 」 
「 不思議 だ ねえ 、 雲 なんて どこ から 出 て 来る ん だろ う 。 ねえ 、 西 の そら は 青じろく て 光っ て よく 晴れ てる だろ う 。 そして 風 が どんどん 空 を 吹い てる だろ う 。 それ だ のに いつ まで たっ て も 雲 が なくなら ない じゃ ない か 」 
「 いい や 、 あすこ から 雲 が 湧い て 来る ん だ よ 。 そら 、 あすこ に 小さな 小さな 雲 きれ が 出 たろ う 。 きっと 大きく なる よ 」 
「 ああ 、 ほんとう に そう だ ね 、 大きく なっ た ねえ 。 もう 兎 ぐらい ある 」 
「 どんどん かけ て 来る 。 早い 早い 、 大きく なっ た 、 白熊 の よう だ 」 
「 また お 日 さん へ かかる 。 暗く なる ぜ 、 奇麗 だ ねえ 。 ああ 奇麗 。 雲 の へり が まるで 虹 で 飾っ た よう だ 」 
西 の 方 の 遠く の 空 で さっき まで 一生けん命 啼い て い た ひばり が この 時 風 に 流さ れ て 羽 を 変 に かしげ ながら 二 人 の そば に 降り て 来 た の でし た 。 
「 今日 は 、 風 が あっ て いけ ませ ん ね 」 
「 おや 、 ひばり さん 、 いらっしゃい 。 今日 なんか 高 いとこ は 風 が 強い でしょ う ね 」 
「 ええ 、 ひどい 風 です よ 。 大きく 口 を あく と 風 が 僕 の からだ を まるで 麦酒 瓶 の よう に ボウ と 鳴らし て 行く くらい です から ね 。 わめく も 歌う も 容易 のこっ ちゃ あり ませ ん よ 」 
「 そう でしょ う ね 。 だけど ここ から 見 て いる と ほんとう に 風 は おもしろ そう です よ 。 僕たち も 一 ぺん 飛ん で み たい なあ 」 
「 飛べる どこ じゃ ない 。 もう 二 か月 お待ち なさい 。 いや でも 飛ば なく ちゃ なり ませ ん 」 
それから 二 か月 め でし た 。 私 は 御明神 へ 行く 途中 もう 一 ぺん そこ へ 寄っ た の でし た 。 
丘 は すっかり 緑 で ほた る か ずら の 花 が 子供 の 青い 瞳 の よう 、 小岩井 の 野原 に は 牧草 や 燕麦 が きんきん 光っ て おり まし た 。 風 は もう 南 から 吹い て い まし た 。 
春 の 二つ の うず の し ゅげの 花 は すっかり ふさふさ し た 銀 毛 の 房 に かわっ て い まし た 。 野原 の ポプラ の 錫 いろ の 葉 を ちらちら ひるがえし 、 ふもと の 草 が 青い 黄金 の かがやき を あげ ます と 、 その 二つ の うず の し ゅげの 銀 毛 の 房 は ぷるぷるふるえて 今にも 飛び立ち そう でし た 。 
そして ひばり が ひくく 丘 の 上 を 飛ん で やって来 た の でし た 。 
「 今日 は 。 いい お天気 です 。 どう です 。 もう 飛ぶ ばかり でしょ う 」 
「 ええ 、 もう 僕 たち 遠い とこ へ 行き ます よ 。 どの 風 が 僕 たち を 連れ て 行く か さっき から 見 て いる ん です 」 
「 どう です 。 飛ん で 行く の は いや です か 」 
「 なんとも あり ませ ん 。 僕 たち の 仕事 は もう 済ん だ ん です 」 
「 こわ か あり ませ ん か 」 
「 いいえ 、 飛ん だ って どこ へ 行っ たって 野 は ら は お 日 さん の ひかり で いっぱい です よ 。 僕 たち ばらばら に なろ う たって 、 どこ か の たまり 水の上 に 落ちよ う たって 、 お 日 さん ちゃんと 見 て いらっしゃる ん です よ 」 
「 そう です 、 そう です 。 なんにも こわい こと は あり ませ ん 。 僕 だって もう いつ まで この 野原 に いる か わかり ませ ん 。 もし 来年 も いる よう だっ たら 来年 は 僕 は ここ へ 巣 を つくり ます よ 」 
「 ええ 、 ありがとう 。 ああ 、 僕 まるで 息 が せいせい する 。 きっと 今度 の 風 だ 。 ひばり さん 、 さよなら 」 
「 僕 も 、 ひばり さん 、 さよなら 」 
「 じゃ 、 さよなら 、 お 大事 に おい で なさい 」 
奇麗 な すきとおっ た 風 が やっ て 参り まし た 。 まず 向こう の ポプラ を ひるがえし 、 青 の 燕麦 に 波 を たて それ から 丘 に のぼっ て 来 まし た 。 
うず の し ゅげは 光っ て まるで 踊る よう に ふらふら し て 叫び まし た 。 
「 さよなら 、 ひばり さん 、 さよなら 、 みなさん 。 お 日 さん 、 ありがとう ござい まし た 」 
そして ちょうど 星 が 砕け て 散る とき の よう に 、 から だ が ばらばら に なっ て 一 本 ずつ の 銀 毛 は まっしろ に 光り 、 羽虫 の よう に 北の方 へ 飛ん で 行き まし た 。 そして ひばり は 鉄砲玉 の よう に 空 へ とびあがっ て 鋭い みじかい 歌 を ほんの ちょっと 歌っ た の でし た 。 
私 は 考え ます 。 なぜ ひばり は うず の し ゅげの 銀 毛 の 飛ん で 行っ た 北の方 へ 飛ば なかっ た か 、 まっすぐ に 空 の 方 へ 飛ん だ か 。 
それ は たしかに 、 二つ の うず の し ゅげのたましいが 天 の 方 へ 行っ た から です 。 そして もう 追いつけ なく なっ た とき ひばり は あの みじかい 別れ の 歌 を 贈っ た の だろ う と 思い ます 。 そん なら 天上 へ 行っ た 二つ の 小さな たま しい は どう なっ た か 、 私 は それ は 二つ の 小さな 変光星 に なっ た と 思い ます 。 なぜ なら 変光星 は ある とき は 黒く て 天文台 から も 見え ず 、 ある とき は 蟻 が 言っ た よう に 赤く 光っ て 見える から です 。 
清作 は 、 さあ 日暮れ だ ぞ 、 日暮れ だ ぞ と 云 ひ ながら 、 稗 の 根 もと に せ つ せ と 土 を かけ て ゐ まし た 。 
その とき は もう 、 銅 づくり の お 日 さま が 、 南 の 山裾 の 群 青い ろ を し た とこ に 落ち て 、 野 は ら は へん に さびしく なり 、 白樺 の 幹 など も なにか 粉 を 噴い て ゐる やう でし た 。 
いきなり 、 向 ふ の 柏 ばやし の 方 から 、 まるで 調子 は づれの 途方 も ない 変 な 声 で 、 
「 欝 金 し やつ ぽ の カンカラカン の カアン 。 」 と どなる の が きこえ まし た 。 
清作 は びつくり し て 顔 いろ を 変 へ 、 鍬 を なげすて て 、 足音 を たて ない やう に 、 そつ と そつ ち へ 走 つ て 行き まし た 。 
ちやう どかし は ばやし の 前 まで 来 た とき 、 清作 は ふい に 、 うし ろ から えり 首 を つかま れ まし た 。 
びつくり し て 振り むい て み ます と 、 赤い トルコ帽 を かぶり 、 鼠 いろ の へん な だぶだぶ の 着 もの を 着 て 、 靴 を はい た 無 暗に せい の 高い 眼 の するどい 画か き が 、 ぷんぷん 怒 つて 立つ て ゐ まし た 。 
「 何 といふ ざま を し て ある くん だ 。 まるで 這 ふ やう な あんばい だ 。 鼠 の やう だ 。 どう だ 、 弁解 の ことば が ある か 。 」 
清作 は もちろん 弁解 の ことば など は あり ませ ん でし た し 、 面倒臭く な つ たら 喧嘩 し て やら う と お もつ て 、 いきなり 空 を 向い て 咽喉 い つ ぱい 、 
「 赤い し やつ ぽ の カンカラカン の カアン 。 」 と どなり まし た 。 すると その せ 高 の 画 かき は 、 に は かに 清作 の 首 す ぢ を 放し て 、 まるで 咆 える やう な 声 で 笑 ひだ し まし た 。 その 音 は 林 に こんこん ひ ゞ い た の です 。 
「 うまい 、 じつに うまい 。 どう です 、 すこし 林 の なか を ある かう ぢ や あり ませ ん か 。 さ うさ う 、 どちら も まだ 挨拶 を 忘れ て ゐ た 。 ぼく から さき に やら う 。 い ゝ か 、 いや 今晩 は 、 野 は ら に は 小さく 切 つ た 影法師 が ばら 播き です ね 、 と 。 ぼく の あいさつ は かう だ 。 わかる かい 。 こんど は 君 だ よ 。 え へん 、 え へん 。 」 と 云 ひ ながら 画か き は また 急 に 意地 悪い 顔つき に な つて 、 斜め に 上 の 方 から 軽べつ し た やう に 清作 を 見おろし まし た 。 
清作 は す つかり どぎまぎ し まし た が 、 ちやう ど 夕 が たで おなか が 空い て 、 雲 が 団子 の やう に 見え て ゐ まし た から あわて て 、 
「 えつ 、 今晩 は 。 よい お 晩 で ござい ます 。 えつ 。 お 空 は これから 銀 の きな粉 で まぶさ れ ます 。 ごめんなさい 。 」 
と 言 ひ まし た 。 
ところが 画か き は もうす つかり よろこん で 、 手 を ぱちぱち 叩い て 、 それから はねあが つて 言 ひ まし た 。 
「 おい 君 、 行か う 。 林 へ 行か う 。 おれ は 柏 の 木 大王 の お客 さま に なつ て 来 て ゐる ん だ 。 おもしろい もの を 見せ て やる ぞ 。 」 
画か き は に はか に まじめ に なつ て 、 赤 だの 白 だの ぐち や ぐち や つい た 汚 ない 絵の具 箱 を かつい で 、 さ つ さ と 林 の 中 に は ひり まし た 。 そこで 清作 も 、 鍬 を もた ない で 手 が ひま な ので 、 ぶらぶら 振 つて ついて行き まし た 。 
林 の なか は 浅 黄いろ で 、 肉桂 の やう な に ほ ひ が い つ ぱいでした 。 ところが 入口 から 三 本 目 の 若い 柏 の 木 は 、 ちやう ど 片 脚 を あげ て を どり の まね を はじめる ところ でし た が 二 人 の 来 た の を 見 て まるで びつくり し て 、 それ から ひどく は づか し が つて 、 あげ た 片 脚 の 膝 を 、 間 が わる さ うに べろべろ 嘗め ながら 、 横目 で じ つと 二 人 の 通り すぎる の を み て ゐ まし た 。 殊に 清作 が 通り過ぎる とき は 、 ちよ つと あざ 笑 ひ まし た 。 清作 は どうも 仕方 ない といふ やう な 気 が し て だま つて 画 かき に ついて行き まし た 。 
ところが どうも 、 どの 木 も 画か き に は 機嫌 の い ゝ 顔 を し ます が 、 清作 に は いや な 顔 を 見せる の でし た 。 
一 本 の ごつごつ し た 柏 の 木 が 、 清作 の 通る とき 、 うすく ら がり に 、 いきなり 自分 の 脚 を つき 出し て 、 つま づか せよ う と し まし た が 清作 は 、 
「 よ つと し よ 。 」 と 云 ひ ながら それ を はね 越え まし た 。 
画か き は 、 
「 どうか し た かい 。 」 と い つ て ちよ つと ふり向き まし た が 、 また すぐ 向 ふ を 向い て どんどん ある い て 行き まし た 。 
ちやう ど その とき 風 が 来 まし た ので 、 林 中 の 柏 の 木 は いつ しよ に 、 
「 せら せら せ ら 清作 、 せら せ ら せら ば あ 。 」 と うす 気味 の わるい 声 を 出し て 清作 を おどさ う と し まし た 。 
ところが 清作 は 却 つて じ ぶん で 口 を すてき に 大きく し て 横 の 方 へ まげ て 
「 へら へらへら 清作 、 へらへら へら 、 ばば あ 。 」 と どなりつけ まし た ので 、 柏 の 木 は みんな 度 ぎもをぬかれてしいんとなつてしまひました 。 画か き は あつ は ゝ 、 あつ は ゝ とび つ この やう な 笑 ひ かた を し まし た 。 
そして 二 人 はず うつ と 木の間 を 通 つて 、 柏 の 木 大王 の ところ に 来 まし た 。 
大王 は 大小 とりまぜ て 十 九 本 の 手 と 、 一 本 の 太い 脚 と を もつ て 居り まし た 。 ま はり に はし つかり し たけ らい の 柏 ども が 、 まじめ に たくさん がん ばつ て ゐ ます 。 
画か き は 絵の具 ば こ を カタン と おろし まし た 。 すると 大王 はま が つた 腰 を のばし て 、 低い 声 で 画か き に 云 ひ まし た 。 
「 もう お 帰り か の 。 待つ て まし た ぢ や 。 そちら は 新 らしい 客人 ぢ や な 。 が 、 その 人 は よし なされ 。 前科 者 ぢ や ぞ 。 前科 九 十 八 犯 ぢ や ぞ 。 」 
清作 が 怒 つて どなり まし た 。 
「 うそ を つけ 、 前科 者 だ と 。 おら 正直 だ ぞ 。 」 
大王 も ごつごつ の 胸 を 張 つて 怒り まし た 。 
「 なに を 。 証拠 は ちや ん と ある ぢ や 。 また 帳面 に も 載 つ とる ぢ や 。 貴 さま の 悪い 斧 の あと の つい た 九 十 八 の 足 さき が いま でも この 林 の 中 に ちや ん と 残 つて ゐる ぢ や 。 」 
「 あつ はつ は 。 を かし な はなし だ 。 九 十 八 の 足 さき といふ の は 、 九 十 八 の 切株 だら う 。 それ が どう し た といふ ん だ 。 おれ は ちや ん と 、 山主 の 藤 助 に 酒 を 二 升 買 つて ある ん だ 。 」 
「 そん なら おれ に は なぜ 酒 を 買 はん か 。 」 
「 買 ふい はれ が ない 」 
「 いや 、 ある 、 沢山 ある 。 買 へ 」 
「 買 ふい はれ が ない 」 
画か き は 顔 を しかめ て 、 しよ ん ぼり 立つ て この 喧嘩 を きい て ゐ まし た が この とき 、 俄 か に 林 の 木の間 から 、 東 の 方 を 指さし て 叫び まし た 。 
「 おいおい 、 喧嘩 は よせ 。 ま ん 円い 大将 に 笑 はれる ぞ 。 」 
見る と 東 の とつ ぷりとした 青い 山脈 の 上 に 、 大きな やさしい 桃 いろ の 月 が の ぼつ た の でし た 。 お 月 さま の ちかく は うすい 緑 いろ に な つて 、 柏 の 若い 木 は みな 、 まるで 飛び あがる やう に 両手 を そつ ち へ 出し て 叫び まし た 。 
「 おつき さん 、 おつき さん 、 お つつき さ ん 、 
つい お 見 外れ し て 　 すみません 
あんまり お なり が 　 ち が ふ ので 
つい お 見 外れ し て 　 すみません 。 」 
柏 の 木 大王 も 白 いひ げ を ひね つ て 、 しばらく うむ うむ と 云 ひ ながら 、 じ つと お 月 さま を 眺め て から 、 しづか に 歌 ひだ し まし た 。 
「 こよ ひ あなた は 　 とき いろ の 
むかし の きもの 　 つけ なさる 
かし は ばやし の 　 この よ ひ は 
なつの を どり の 　 だい さん や 
やがて あなた は 　 みづい ろ の 
け ふ の きもの を 　 つけ なさる 
かし は ばやし の 　 よろこび は 
あなた の そら に 　 か ゝ る ま ゝ 。 」 
画か き が よろこん で 手 を 叩き まし た 。 
「 うまい うまい 。 よし よし 。 夏 の を どり の 第 三 夜 。 みんな 順々 に こ ゝ に 出 て 歌 ふん だ 。 じ ぶん の 文句 で じ ぶん の ふし で 歌 ふん だ 。 一等 賞 から 九 等 賞 まで は ぼく が 大きな メタル を 書い て 、 明日 枝 に ぶらさげ て やる 。 」 
清作 も す つかり 浮かれ て 云 ひ まし た 。 
「 さあ 来い 。 へた な 方 の 一等 から 九 等 まで は 、 あした おれ が スポン と 切 つて 、 こ は いとこ へ 連れ て つて やる ぞ 。 」 
すると 柏 の 木 大王 が 怒り まし た 。 
「 何 を 云 ふか 。 無礼 者 。 」 
「 何 が 無礼 だ 。 もう 九 本 切る だけ は 、 とうに 山主 の 藤 助 に 酒 を 買 つて ある ん だ 。 」 
「 そん なら おれ に は なぜ 買 はん か 。 」 
「 買 ふい はれ が ない 。 」 
「 いや ある 、 沢山 ある 。 」 
「 ない 。 」 
画か き が 顔 を しかめ て 手 を せ は しく 振 つて 云 ひ まし た 。 
「 また はじ まつ た 。 まあ ぼく が い ゝ やう に する から 歌 を はじめよ う 。 だんだん 星 も 出 て き た 。 い ゝ か 、 ぼく が うた ふよ 。 賞品 の うた だ よ 。 
一 と うし やう は 　 白金 メタル 
二 と うし やう は 　 きん いろ メタル 
三 と うし やう は 　 す ゐ ぎん メタル 
四 と うし やう は 　 ニツケルメタル 
五 と うし やう は 　 とたん の メタル 
六 と うし やう は 　 にせ が ね メタル 
七 と うし やう は 　 なまり の メタル 
八 と うし やう は 　 ぶり き の メタル 
九 と うし やう は 　 マツチ の メタル 
十 と うし やう から 百 と うし やう まで 
ある やら ない やら わから ぬ メタル 。 」 
柏 の 木 大王 が 機嫌 を 直し て わ は は わ は はと 笑 ひ まし た 。 
柏 の 木 ども は 大王 を 正面 に 大きな 環 を つくり まし た 。 
お 月 さま は 、 いま ちやう ど 、 水 いろ の 着 もの と 取り か へ た ところ でし た から 、 そこら は 浅い 水 の 底 の やう 、 木 の かげ は うすく 網 に な つて 地 に 落ち まし た 。 
画か き は 、 赤い し やつ ぽ も ゆらゆら 燃え て 見え 、 まつ すぐ に 立つ て 手帳 を もち 鉛筆 を なめ まし た 。 
「 さあ 、 早く はじめる ん だ 。 早い の は 点 がい ゝ よ 。 」 
そこで 小さな 柏 の 木 が 、 一 本 ひ よい つと 環 の なか から 飛びだし て 大王 に 礼 を し まし た 。 
月 の あかり が ぱつと 青く なり まし た 。 
「 お ま へ の うた は 題 は なん だ 。 」 画か き は 尤も らしく 顔 を しかめ て 云 ひ まし た 。 
「 馬 と 兎 です 。 」 
「 よし 、 はじめ 、 」 画か き は 手帳 に 書い て 云 ひ まし た 。 
「 兎 のみ ゝ はな が … … 。 」 
「 ちよ つと 待つ た 。 」 画か き は とめ まし た 。 「 鉛筆 が 折れ た ん だ 。 ちよ つと 削る うち 待つ て くれ 。 」 
そして 画か き はじ ぶん の 右足 の 靴 を ぬい で その 中 に 鉛筆 を 削り はじめ まし た 。 柏 の 木 は 、 遠く から みな 感心 し て 、 ひそひそ 談 し 合 ひ ながら 見 て 居り まし た 。 そこで 大王 も た うとう 言 ひ まし た 。 
「 いや 、 客人 、 ありがたう 。 林 を きたなく せ まい と の 、 その おこ ゝ ろ ざし は じつに 辱 け ない 。 」 
ところが 画か き は 平気 で 
「 い ゝ え 、 あと で この け づり 屑 で 酢 を つくり ます から な 。 」 
と 返事 し た もの です から さすが の 大王 も 、 すこし 工合 が 悪 さ うに 横 を 向き 、 柏 の 木 も みな 興 を さまし 、 月 の あかり も なんだか 白 つ ぽく なり まし た 。 
ところが 画か き は 、 削る の が すん で 立ちあがり 、 愉快 さ うに 、 
「 さあ 、 はじめて 呉れ 。 」 と 云 ひ まし た 。 
柏 は ざわめき 、 月光 も 青く すき と ほり 、 大王 も 機嫌 を 直し て ふん ふん と 云 ひ まし た 。 
若い 木 は 胸 を は つて あたらしく 歌 ひ まし た 。 
「 うさ ぎのみゝはながいけど 
うま のみ ゝ より ながく ない 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 あゝ は ゝ 、 あゝ は ゝ 。 」 みんな は わら つ たり はやし たり し まし た 。 
「 一 と うし やう 、 白金 メタル 。 」 と 画か き が 手帳 に つけ ながら 高く 叫び まし た 。 
「 ぼく の は 狐 の うた です 。 」 
また 一 本 の 若い 柏 の 木 が で て き まし た 。 月光 は すこし 緑 いろ に なり まし た 。 
「 よろしい はじめ つ 。 」 
「 きつね 、 こんこん 、 きつね の こ 、 
月 よ に し つ ぽ が 燃え だし た 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 わ つ は ゝ 、 わ つ は ゝ 。 」 
「 第 二 と うし やう 、 きん いろ メタル 。 」 
「 こんど は ぼく やり ます 。 ぼく の は 猫 の うた です 。 」 
「 よろしい はじめ つ 。 」 
「 や まねこ 、 に や あご 、 ごろごろ 
さ と ねこ 、 たつ こ 、 ごろごろ 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 わ つ は ゝ 、 わ つ は ゝ 。 」 
「 第 三 と うし やう 、 水銀 メタル 。 おい 、 みんな 、 大きい やつ も 出る ん だ よ 。 どうして そんなに ぐずぐず し てる ん だ 。 」 画か き が 少し 意地 わるい 顔つき を し まし た 。 
「 わたし の は くるみ の 木 の うた です 。 」 
すこし 大きな 柏 の 木 が は づか しさ う に 出 て き まし た 。 
「 よろしい 、 みんな しづか に する ん だ 。 」 
柏 の 木 は うた ひ まし た 。 
「 くるみ は みどり の きん いろ 、 な 、 
風 に ふか れ て 　 　 すいすい すい 、 
くるみ は みどり の 天狗 の あ ふぎ 、 
風 に ふか れ て 　 　 ばら ん ばら ん ば らん 、 
くるみ は みどり の きん いろ 、 な 、 
風 に ふか れ て 　 　 さん さん さん 。 」 
「 い ゝ テノール だ ねえ 。 うまい ねえ 、 わあわあ 。 」 
「 第 四 と うし やう 、 ニツケルメタル 。 」 
「 ぼく の は さる の こしかけ です 。 」 
「 よし 、 はじめ 。 」 
柏 の 木 は 手 を 腰 に あて まし た 。 
「 こ ざる 、 こ ざる 、 
お ま へ の こしかけ ぬれ てる ぞ 、 
霧 、 ぽ つ し やん 　 ぽ つ し やん 　 ぽ つ し やん 、 
お ま へ の こしかけ くされる ぞ 。 」 
「 い ゝ テノール だ ねえ 、 い ゝ テノール だ ねえ 、 うまい ねえ 、 うまい ねえ 、 わあわあ 。 」 
「 第 五 と うし やう 、 とたん の メタル 。 」 
「 わたし の はし やつ ぽ の うた です 。 」 それ は あの 入口 から 三 ばん 目 の 木 でし た 。 
「 よろしい 。 はじめ 。 」 
「 うこ ん し やつ ぽ の カンカラカン の カアン 
あかい し やつ ぽ の カンカラカン の カアン 。 」 
「 うまい うまい 。 すてき だ 。 わあわあ 。 」 
「 第 六 と うし やう 、 にせ が ね メタル 。 」 
この とき まで 、 しかた なく おとなしく きい て ゐ た 清作 が 、 いきなり 叫び だし まし た 。 
「 なん だ 、 この 歌 に せ もの だ ぞ 。 さつき ひと の うた つた の まね し た ん だ ぞ 。 」 
「 だまれ 、 無礼 も の 、 その 方 など の 口 を 出す ところ で ない 。 」 柏 の 木 大王 が ぶりぶり し て どなり まし た 。 
「 なん だ と 、 にせもの だ から にせもの と 云 つ た ん だ 。 生意気 いふ と 、 あした 斧 を もつ て き て 、 片 つ ぱしから 伐つ て しまふ ぞ 。 」 
「 なに を 、 こし やく な 。 その 方 など の 分際 で ない 。 」 
「 ばか を 云 へ 、 おれ は あした 、 山主 の 藤 助 に ちや ん と 二 升 酒 を 買 つて くるん だ 」 
「 そん なら なぜ おれ に は 買 はん か 。 」 
「 買 ふい はれ が ない 。 」 
「 買 へ 。 」 
「 いは れ が ない 。 」 
「 よせ 、 よせ 、 にせもの だ から にせ が ね の メタル を やる ん だ 。 あんまり さ う 喧嘩 する な よ 。 さあ 、 その つぎ は どう だ 。 出る ん だ 出る ん だ 。 」 
お 月 さま の 光 が 青く すき と ほ つて そこら は 湖 の 底 の やう に なり まし た 。 
「 わたし の は 清作 の うた です 。 」 
また ひとり の 若い 頑丈 さうな 柏 の 木 が 出 まし た 。 
「 何 だ と 、 」 清作 が 前 へ 出 て なぐりつけよ う と し まし たら 画か き が とめ まし た 。 
「 まあ 、 待ち たま へ 。 君 の うた だ つて 悪口 と も かぎら ない 。 よろしい 。 はじめ 。 」 柏 の 木 は 足 を ぐらぐら し ながら うた ひ まし た 。 
「 清作 は 、 一等 卒 の 服 を 着 て 
野原 に 行 つて 、 ぶ だ う を たくさん とつ て き た 。 
と 斯 う だ 。 だれ か あと を つ ゞ け て くれ 。 」 
「 ホウ 、 ホウ 。 」 柏 の 木 は みんな あらし の やう に 、 清作 を ひやかし て 叫び まし た 。 
「 第 七 と うし やう 、 なまり の メタル 。 」 
「 わたし が あと を つけ ます 。 」 さつき の 木 の となり から すぐ また 一 本 の 柏 の 木 が とびだし まし た 。 
「 よろしい 、 はじめ 。 」 
かし は の 木 は ちら つと 清作 の 方 を 見 て 、 ちよ つと ばか に する やう に わら ひ まし た が 、 す ぐまじめになつてうたひました 。 
「 清作 は 、 葡萄 を みんな しぼりあげ 
砂糖 を 入れ て 
瓶 に たくさん つめこん だ 。 
おい 、 だれ か あと を つ ゞ け て くれ 。 」 
「 ホツホウ 、 ホツホウ 、 ホツホウ 、 」 柏 の 木 ども は 風 の やう な 変 な 声 を だし て 清作 を ひやかし まし た 。 
清作 は もう と びだしてみんなかたつぱしからぶんなぐつてやりたくてむずむずしましたが 、 画か き がち やん と 前 に 立ち ふさ が つて ゐ ます ので 、 どうしても 出 られ ませ ん でし た 。 
「 第 八 等 、 ぶり き の メタル 。 」 
「 わたし が つぎ を やり ます 。 」 さつき の となり から 、 また 一 本 の 柏 の 木 が とびだし まし た 。 
「 よし 、 はじめ つ 。 」 
「 清作 が 　 納屋 に し まつ た 葡萄 酒 は 
順序 た ゞ しく 
みんな はじけ て なく な つ た 。 」 
「 わ つ はつ はつ は 、 わ つ はつ はつ は 、 ホツホウ 、 ホツホウ 、 ホツホウ 。 がやがや が や … … 。 」 
「 やかましい 。 き さま ら 、 なん だ つて ひと の 酒 の こと など おぼえ て や がる ん だ 。 」 清作 が 飛び出さ う と し まし たら 、 画か き に し つかり つかまり まし た 。 
「 第 九 と うし やう 。 マツチ の メタル 。 さあ 、 次 だ 、 次 だ 、 出る ん だ よ 。 どしどし 出る ん だ 。 」 
ところが みんな は 、 もう しん として しま つて 、 ひとり も でる もの が あり ませ ん でし た 。 
「 これ は いか ん 。 でろ 、 でろ 、 みんな で ない と いか ん 。 でろ 。 」 画か き は どなり まし た が 、 もう どうしても 誰 も 出 ませ ん でし た 。 
仕方 なく 画か き は 、 
「 こんど は メタル の うん とい ゝ やつ を 出す ぞ 。 早く 出ろ 。 」 と 云 ひ まし たら 、 柏 の 木 ども は はじめて ざわつとしました 。 
その とき 林 の 奥 の 方 で 、 さらさら さらさら 音 が し て 、 それから 、 
「 のろ づき お ほん 、 のろ づき お ほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 
ご ぎのごぎのおほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 」 
と たくさん の ふく ろ ふ ども が 、 お 月 さま の あかり に 青じろく はね を ひる が へし ながら 、 するする するする 出 て き て 、 柏 の 木の頭 の 上 や 手 の 上 、 肩 や むね に いち めん に とまり まし た 。 
立派 な 金モール を つけ た ふく ろ ふ の 大将 が 、 上手 に 音 も たて ない で 飛ん で き て 、 柏 の 木 大王 の 前 に 出 まし た 。 その まつ 赤 な 眼 の くま が 、 じつに 奇 体 に 見え まし た 。 よほど の 年 老 り らしい の でし た 。 
「 今晩 は 、 大王 どの 、 また 高貴 の 客人 がた 、 今晩 は ちやう ど われわれ の 方 で も 、 飛び 方 と 握 み 裂き 術 と の 大 試験 で あ つた の ぢ や が 、 た ゞ いま やつ と 終り まし た ぢ や 。 
ついては これから 聯合 で 、 大 乱舞 会 を はじめて は どう ぢ やら う 。 あまりに もた へ なる うた の しらべ が 、 われ ら の ま ど ゐ の なか に まで 響い て 来 た によ つ て 、 この やう に まかり出 まし た の ぢ や 。 」 
「 たへ なる うた の しらべ だ と 、 畜生 。 」 清作 が 叫び まし た 。 
柏 の 木 大王 が きこえ ない ふり を し て 大きく うなづき まし た 。 
「 よろし う ござる 。 しごく 結構 で ござら う 。 いざ 、 早速 とり はじめる と いたさ う か 。 」 
「 され ば 、 」 梟 の 大将 は みんな の 方 に 向い て まるで 黒砂糖 の やう な 甘 つた るい 声 で うた ひ まし た 。 
「 からす かん ざゑもんは 
くろい あ たま を くう ら りく ら り 、 
とん びとうざゑもんは 
あぶら 一 升 で と うろ り とろり 、 
その くら やみ は ふく ろ ふ の 
いさみ に い さ むものゝふが 
み ゝ ず を つかむ とき なる ぞ 
ねとり を 襲 ふとき なる ぞ 。 」 
ふく ろ ふ ども は もう みんな ばか の やう に なつ て どなり まし た 。 
「 のろ づき お ほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 
ご ぎのごぎおほん 、 
お ほん 、 お ほん 。 」 
かし は の 木 大王 が 眉 を ひそめ て 云 ひ まし た 。 
「 どうも きみ たち の うた は 下等 ぢ や 。 君子 の きく べき もの で は ない 。 」 
ふく ろ ふ の 大将 は へん な 顔 を し て しまひ まし た 。 すると 赤 と 白 の 綬 を かけ た ふく ろ ふ の 副官 が 笑 つて 云 ひ まし た 。 
「 まあ 、 こん や は あんまり 怒ら ない やう に いたし ませ う 。 うた も こんど は 上等 の を やり ます から 。 みんな 一 しよ に を どり ませ う 。 さあ 木 の 方 も 鳥 の 方 も 用意 い ゝ か 。 
おつき さん おつき さん 　 ま ん まるまる ゝ ゝ ん 
お ほしさ ん お ほしさ ん 　 ぴかりぴりるゝん 
かし は はか ん か の 　 　 　 かん から から ゝ ゝ ん 
ふく ろ は のろ づき 　 　 　 お つ ほ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ん 。 」 
かし は の 木 は 両手 を あげ て そり か へ つ たり 、 頭 や 足 を まるで 天上 に 投げ あげる やう に し たり 、 一生けん命 踊り まし た 。 それに あ はせ て ふく ろ ふ ども は 、 さ つ さ つと 銀 いろ の はね を 、 ひらい たり と ぢ たり し まし た 。 じつに それ が うまく 合 つたの でし た 。 月 の 光 は 真珠 の やう に 、 すこし おぼろ に なり 、 柏 の 木 大王 も よろこん で すぐ うた ひ まし た 。 
「 雨 は ざあざあ 　 ざつざゞゞゞゞあ 
風 は どうどう 　 ど つど ゞ ゞ ゞ ゞ う 
あら れ ぱらぱら ぱらぱら つた ゝ あ 
雨 は ざあざあ 　 ざつざゞゞゞゞあ 」 
「 あつ だめ だ 、 霧 が 落ち て き た 。 」 と ふく ろ ふ の 副官 が 高く 叫び まし た 。 
なるほど 月 は もう 青白い 霧 に かくさ れ て しま つて ぼ お つと 円く 見える だけ 、 その 霧 は まるで 矢 の やう に 林 の 中 に 降り て くる の でし た 。 
柏 の 木 は みんな 度 を うし な つて 、 片 脚 を あげ たり 両手 を そつ ち へ のばし たり 、 眼 を つりあげ たり し た ま ゝ 化石 し た やう に つつ 立つ て しまひ まし た 。 
冷たい 霧 が さ つと 清作 の 顔 に か ゝ り まし た 。 画か き は もう どこ へ 行 つ た か 赤い し やつ ぽ だけ が は ふり 出し てあつ て 、 自分 は かげ も かたち も あり ませ ん でし た 。 
霧 の 中 を 飛び 術 の まだ でき て ゐ ない ふく ろ ふ の 、 ばたばた 遁 げ て 行く 音 が し まし た 。 
清作 は そこ で 林 を 出 まし た 。 柏 の 木 は みんな 踊 の ま ゝ の 形 で 残念 さ うに 横 眼 で 清作 を 見送り まし た 。 
林 を 出 て から 空 を 見 ます と 、 さつき まで お 月 さま の あつ た あたり は やつ と ぼんやり あかるく て 、 そこ を 黒い 犬 の やう な 形 の 雲 が かけ て 行き 、 林 の ず うつ と 向 ふ の 沼森 の あたり から 、 
「 赤い し やつ ぽ の カンカラカン の カアン 。 」 と 画か き が 力 い つ ぱい 叫ん で ゐる 声 が かすか に きこえ まし た 。 
清作 は 、 さあ 日暮れ だ ぞ 、 日暮れ だ ぞ と 云い ながら 、 稗 の 根 もと に せっせと 土 を かけ て い まし た 。 
その とき は もう 、 銅 づくり の お 日 さま が 、 南 の 山裾 の 群 青い ろ を し た とこ に 落ち て 、 野 は ら は へん に さびしく なり 、 白樺 の 幹 など も なにか 粉 を 噴い て いる よう でし た 。 
いきなり 、 向う の 柏 ばやし の 方 から 、 まるで 調子はずれ の 途方 も ない 変 な 声 で 、 
「 欝 金 し ゃっぽの カンカラカン の カアン 。 」 と どなる の が きこえ まし た 。 
清作 は びっくり し て 顔 いろ を 変え 、 鍬 を なげすて て 、 足音 を たて ない よう に 、 そっと そっち へ 走っ て 行き まし た 。 
ちょうど かしわ ばやし の 前 まで 来 た とき 、 清作 は ふい に 、 うし ろ から えり 首 を つかま れ まし た 。 
びっくり し て 振り むい て み ます と 、 赤い トルコ帽 を かぶり 、 鼠 いろ の へん な だぶだぶ の 着 もの を 着 て 、 靴 を はい た 無 暗に せい の 高い 眼 の するどい 画か き が 、 ぷんぷん 怒っ て 立っ て い まし た 。 
「 何 という ざま を し て ある くん だ 。 まるで 這う よう な あんばい だ 。 鼠 の よう だ 。 どう だ 、 弁解 の ことば が ある か 。 」 
清作 は もちろん 弁解 の ことば など は あり ませ ん でし た し 、 面倒臭く なっ たら 喧嘩 してやろ う と おもっ て 、 いきなり 空 を 向い て 咽喉 いっぱい 、 
「 赤 いしゃ っぽ の カンカラカン の カアン 。 」 と どなり まし た 。 すると その せ 高 の 画 かき は 、 にわかに 清作 の 首すじ を 放し て 、 まるで 咆 える よう な 声 で 笑い だし まし た 。 その 音 は 林 に こんこん ひびい た の です 。 
「 うまい 、 じつに うまい 。 どう です 、 すこし 林 の なか を ある こう じゃ あり ませ ん か 。 そう そう 、 どちら も まだ 挨拶 を 忘れ て い た 。 ぼく から さき に やろ う 。 いい か 、 いや 今晩 は 、 野 は ら に は 小さく 切っ た 影法師 が ばら 播き です ね 、 と 。 ぼく の あいさつ は こう だ 。 わかる かい 。 こんど は 君 だ よ 。 え へん 、 え へん 。 」 と 云い ながら 画か き は また 急 に 意地 悪い 顔つき に なっ て 、 斜め に 上 の 方 から 軽べつ し た よう に 清作 を 見おろし まし た 。 
清作 は すっかり どぎまぎ し まし た が 、 ちょうど 夕 が たで おなか が 空い て 、 雲 が 団子 の よう に 見え て い まし た から あわて て 、 
「 えっ 、 今晩 は 。 よい お 晩 で ござい ます 。 えっ 。 お 空 は これから 銀 の きな粉 で まぶさ れ ます 。 ごめんなさい 。 」 
と 言い まし た 。 
ところが 画か き は もう すっかり よろこん で 、 手 を ぱちぱち 叩い て 、 それ から はねあがっ て 言い まし た 。 
「 おい 君 、 行こ う 。 林 へ 行こ う 。 おれ は 柏 の 木 大王 の お客 さま に なっ て 来 て いる ん だ 。 おもしろい もの を 見せ て やる ぞ 。 」 
画か き は にわかに まじめ に なっ て 、 赤 だの 白 だの ぐちゃぐちゃ つい た 汚 ない 絵の具 箱 を かつい で 、 さっさと 林 の 中 に はいり まし た 。 そこで 清作 も 、 鍬 を もた ない で 手 が ひま な ので 、 ぶらぶら 振っ て ついて行き まし た 。 
林 の なか は 浅 黄いろ で 、 肉桂 の よう な におい が いっぱい でし た 。 ところが 入口 から 三 本 目 の 若い 柏 の 木 は 、 ちょうど 片 脚 を あげ て おどり の まね を はじめる ところ でし た が 二 人 の 来 た の を 見 て まるで びっくり し て 、 それ から ひどく はずかし がっ て 、 あげ た 片 脚 の 膝 を 、 間 が わる そう に べろべろ 嘗め ながら 、 横目 で じっと 二 人 の 通り すぎる の を み て い まし た 。 殊に 清作 が 通り過ぎる とき は 、 ちょっと あざ笑い まし た 。 清作 は どうも 仕方 ない という よう な 気 が し て だまっ て 画か き について 行き まし た 。 
ところが どうも 、 どの 木 も 画か き に は 機嫌 の いい 顔 を し ます が 、 清作 に は いや な 顔 を 見せる の でし た 。 
一 本 の ごつごつ し た 柏 の 木 が 、 清作 の 通る とき 、 うすく ら がり に 、 いきなり 自分 の 脚 を つき 出し て 、 つまずか せよ う と し まし た が 清作 は 、 
「 よっ と しょ 。 」 と 云い ながら それ を はね 越え まし た 。 
画か き は 、 
「 どうか し た かい 。 」 と いっ て ちょっと ふり向き まし た が 、 また すぐ 向う を 向い て どんどん ある い て 行き まし た 。 
ちょうど その とき 風 が 来 まし た ので 、 林 中 の 柏 の 木 は いっしょ に 、 
「 せら せら せ ら 清作 、 せら せ ら せら ば あ 。 」 と うす 気味 の わるい 声 を 出し て 清作 を おどそ う と し まし た 。 
ところが 清作 は 却って じ ぶん で 口 を すてき に 大きく し て 横 の 方 へ まげ て 
「 へら へらへら 清作 、 へらへら へら 、 ばば あ 。 」 と どなりつけ まし た ので 、 柏 の 木 は みんな 度 ぎもをぬかれてしいんとなってしまいました 。 画か き は あっ は は 、 あっ は は と びっこのような 笑い かた を し まし た 。 
そして 二 人 はず うっ と 木の間 を 通っ て 、 柏 の 木 大王 の ところ に 来 まし た 。 
大王 は 大小 とりまぜ て 十 九 本 の 手 と 、 一 本 の 太い 脚 と を もっ て 居り まし た 。 まわり に は しっかり し た け らい の 柏 ども が 、 まじめ に たくさん がんばっ て い ます 。 
画か き は 絵の具 ば こ を カタン と おろし まし た 。 すると 大王 は まがっ た 腰 を のばし て 、 低い 声 で 画か き に 云い まし た 。 
「 もう お 帰り か の 。 待っ て まし た じゃ 。 そちら は 新 らしい 客人 じゃ な 。 が 、 その 人 は よし なされ 。 前科 者 じゃ ぞ 。 前科 九 十 八 犯 じゃ ぞ 。 」 
清作 が 怒っ て どなり まし た 。 
「 うそ を つけ 、 前科 者 だ と 。 おら 正直 だ ぞ 。 」 
大王 も ごつごつ の 胸 を 張っ て 怒り まし た 。 
「 なに を 。 証拠 は ちゃんと ある じゃ 。 また 帳面 に も 載っ とる じゃ 。 貴 さま の 悪い 斧 の あと の つい た 九 十 八 の 足 さき が いま でも この 林 の 中 に ちゃんと 残っ て いる じゃ 。 」 
「 あっ はっ は 。 おかしな はなし だ 。 九 十 八 の 足 さき という の は 、 九 十 八 の 切株 だろ う 。 それ が どう し た という ん だ 。 おれ は ちゃんと 、 山主 の 藤 助 に 酒 を 二 升 買っ て ある ん だ 。 」 
「 そん なら おれ に は なぜ 酒 を 買わ ん か 。 」 
「 買う いわれ が ない 」 
「 いや 、 ある 、 沢山 ある 。 買え 」 
「 買う いわれ が ない 」 
画か き は 顔 を しかめ て 、 しょんぼり 立っ て この 喧嘩 を きい て い まし た が この とき 、 俄 か に 林 の 木の間 から 、 東 の 方 を 指さし て 叫び まし た 。 
「 おいおい 、 喧嘩 は よせ 。 ま ん 円い 大将 に 笑われる ぞ 。 」 
見る と 東 の とっぷり と し た 青い 山脈 の 上 に 、 大きな やさしい 桃 いろ の 月 が のぼっ た の でし た 。 お 月 さま の ちかく は うすい 緑 いろ に なっ て 、 柏 の 若い 木 は みな 、 まるで 飛び あがる よう に 両手 を そっち へ 出し て 叫び まし た 。 
「 おつき さん 、 おつき さん 、 おっ つき さん 、 
つい お 見 外れ し て 　 すみません 
あんまり お なり が 　 ちがう ので 
つい お 見 外れ し て 　 すみません 。 」 
柏 の 木 大王 も 白 いひ げ を ひねっ て 、 しばらく うむ うむ と 云い ながら 、 じっと お 月 さま を 眺め て から 、 しずか に 歌い だし まし た 。 
「 こ よい あなた は 　 とき いろ の 
むかし の きもの 　 つけ なさる 
かしわ ばやし の 　 この よい は 
なつ の おどり の 　 だい さん や 
やがて あなた は 　 み ずい ろ の 
きょう の きもの を 　 つけ なさる 
かしわ ばやし の 　 よろこび は 
あなた の そら に 　 かかる まま 。 」 
画か き が よろこん で 手 を 叩き まし た 。 
「 うまい うまい 。 よし よし 。 夏 の おどり の 第 三 夜 。 みんな 順々 に ここ に 出 て 歌う ん だ 。 じ ぶん の 文句 で じ ぶん の ふし で 歌う ん だ 。 一等 賞 から 九 等 賞 まで は ぼく が 大きな メタル を 書い て 、 明日 枝 に ぶらさげ て やる 。 」 
清作 も すっかり 浮かれ て 云い まし た 。 
「 さあ 来い 。 へた な 方 の 一等 から 九 等 まで は 、 あした おれ が スポン と 切っ て 、 こわい とこ へ 連れ て っ て やる ぞ 。 」 
すると 柏 の 木 大王 が 怒り まし た 。 
「 何 を 云う か 。 無礼 者 。 」 
「 何 が 無礼 だ 。 もう 九 本 切る だけ は 、 とうに 山主 の 藤 助 に 酒 を 買っ て ある ん だ 。 」 
「 そん なら おれ に は なぜ 買わ ん か 。 」 
「 買う いわれ が ない 。 」 
「 いや ある 、 沢山 ある 。 」 
「 ない 。 」 
画か き が 顔 を しかめ て 手 を せわしく 振っ て 云い まし た 。 
「 また はじまっ た 。 まあ ぼく が いい よう に する から 歌 を はじめよ う 。 だんだん 星 も 出 て き た 。 いい か 、 ぼく が うたう よ 。 賞品 の うた だ よ 。 
一 とう しょうは 　 白金 メタル 
二 とう しょうは 　 きん いろ メタル 
三 とう しょうは 　 すい ぎん メタル 
四 とう しょうは 　 ニッケル メタル 
五 とう しょうは 　 とたん の メタル 
六 とう しょうは 　 にせ が ね メタル 
七 とう しょうは 　 なまり の メタル 
八 とう しょうは 　 ぶり き の メタル 
九 とう しょうは 　 マッチ の メタル 
十 とう しょ う から 百 とう しょ う まで 
ある やら ない やら わから ぬ メタル 。 」 
柏 の 木 大王 が 機嫌 を 直し て わ は は わ は は と 笑い まし た 。 
柏 の 木 ども は 大王 を 正面 に 大きな 環 を つくり まし た 。 
お 月 さま は 、 いま ちょうど 、 水 いろ の 着 もの と 取りかえ た ところ でし た から 、 そこら は 浅い 水 の 底 の よう 、 木 の かげ は うすく 網 に なっ て 地 に 落ち まし た 。 
画か き は 、 赤い し ゃっぽもゆらゆら 燃え て 見え 、 まっすぐ に 立っ て 手帳 を もち 鉛筆 を なめ まし た 。 
「 さあ 、 早く はじめる ん だ 。 早い の は 点 が いい よ 。 」 
そこで 小さな 柏 の 木 が 、 一 本 ひ ょいっと 環 の なか から 飛びだし て 大王 に 礼 を し まし た 。 
月 の あかり が ぱっと 青く なり まし た 。 
「 おまえ の うた は 題 は なん だ 。 」 画か き は 尤も らしく 顔 を しかめ て 云い まし た 。 
「 馬 と 兎 です 。 」 
「 よし 、 はじめ 、 」 画か き は 手帳 に 書い て 云い まし た 。 
「 兎 のみ み はな が … … 。 」 
「 ちょっと 待っ た 。 」 画か き は とめ まし た 。 「 鉛筆 が 折れ た ん だ 。 ちょっと 削る うち 待っ て くれ 。 」 
そして 画か き はじ ぶん の 右足 の 靴 を ぬい で その 中 に 鉛筆 を 削り はじめ まし た 。 柏 の 木 は 、 遠く から みな 感心 し て 、 ひそひそ 談 し 合い ながら 見 て 居り まし た 。 そこで 大王 も とうとう 言い まし た 。 
「 いや 、 客人 、 ありがとう 。 林 を きたなく せ まい と の 、 その お こころざし は じつに 辱 け ない 。 」 
ところが 画か き は 平気 で 
「 いいえ 、 あと で この けずり 屑 で 酢 を つくり ます から な 。 」 
と 返事 し た もの です から さすが の 大王 も 、 すこし 工合 が 悪 そう に 横 を 向き 、 柏 の 木 も みな 興 を さまし 、 月 の あかり も なんだか 白っぽく なり まし た 。 
ところが 画か き は 、 削る の が すん で 立ちあがり 、 愉快 そう に 、 
「 さあ 、 はじめて 呉れ 。 」 と 云い まし た 。 
柏 は ざわめき 、 月光 も 青く すきとおり 、 大王 も 機嫌 を 直し て ふん ふん と 云い まし た 。 
若い 木 は 胸 を はっ て あたらしく 歌い まし た 。 
「 うさ ぎのみみはながいけど 
うま のみ み より ながく ない 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 ああ は は 、 ああ は は 。 」 みんな は わらっ たり はやし たり し まし た 。 
「 一 とう しょ う 、 白金 メタル 。 」 と 画か き が 手帳 に つけ ながら 高く 叫び まし た 。 
「 ぼく の は 狐 の うた です 。 」 
また 一 本 の 若い 柏 の 木 が で て き まし た 。 月光 は すこし 緑 いろ に なり まし た 。 
「 よろしい はじめ っ 。 」 
「 きつね 、 こんこん 、 きつね の こ 、 
月 よ に しっぽ が 燃え だし た 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 わっ は は 、 わっ は は 。 」 
「 第 二 とう しょ う 、 きん いろ メタル 。 」 
「 こんど は ぼく やり ます 。 ぼく の は 猫 の うた です 。 」 
「 よろしい はじめ っ 。 」 
「 や まねこ 、 にゃ あご 、 ごろごろ 
さ と ねこ 、 たっ こ 、 ごろごろ 。 」 
「 わあ 、 うまい うまい 。 わっ は は 、 わっ は は 。 」 
「 第 三 とう しょ う 、 水銀 メタル 。 おい 、 みんな 、 大きい やつ も 出る ん だ よ 。 どうして そんなに ぐずぐず し てる ん だ 。 」 画か き が 少し 意地 わるい 顔つき を し まし た 。 
「 わたし の は くるみ の 木 の うた です 。 」 
すこし 大きな 柏 の 木 が はずかし そう に 出 て き まし た 。 
「 よろしい 、 みんな しずか に する ん だ 。 」 
柏 の 木 は うたい まし た 。 
「 くるみ は みどり の きん いろ 、 な 、 
風 に ふか れ て 　 　 すいすい すい 、 
くるみ は みどり の 天狗 の おう ぎ 、 
風 に ふか れ て 　 　 ばら ん ばら ん ば らん 、 
くるみ は みどり の きん いろ 、 な 、 
風 に ふか れ て 　 　 さん さん さん 。 」 
「 いい テノール だ ねえ 。 うまい ねえ 、 わあわあ 。 」 
「 第 四 とう しょ う 、 ニッケル メタル 。 」 
「 ぼく の は さる の こしかけ です 。 」 
「 よし 、 はじめ 。 」 
柏 の 木 は 手 を 腰 に あて まし た 。 
「 こ ざる 、 こ ざる 、 
おまえ の こしかけ ぬれ てる ぞ 、 
霧 、 ぽ っし ゃん 　 ぽ っし ゃん 　 ぽ っし ゃん 、 
おまえ の こしかけ くされる ぞ 。 」 
「 いい テノール だ ねえ 、 いい テノール だ ねえ 、 うまい ねえ 、 うまい ねえ 、 わあわあ 。 」 
「 第 五 とう しょ う 、 とたん の メタル 。 」 
「 わたし の はし ゃっぽのうたです 。 」 それ は あの 入口 から 三 ばん 目 の 木 でし た 。 
「 よろしい 。 はじめ 。 」 
「 うこ ん し ゃっぽの カンカラカン の カアン 
あ かいしゃ っぽ の カンカラカン の カアン 。 」 
「 うまい うまい 。 すてき だ 。 わあわあ 。 」 
「 第 六 とう しょ う 、 にせ が ね メタル 。 」 
この とき まで 、 しかた なく おとなしく 聞い て い た 清作 が 、 いきなり 叫び だし まし た 。 
「 なん だ 、 この 歌 に せ もの だ ぞ 。 さっき ひと の うたっ た の まね し た ん だ ぞ 。 」 
「 だまれ 、 無礼 も の 、 その 方 など の 口 を 出す ところ で ない 。 」 柏 の 木 大王 が ぶりぶり し て どなり まし た 。 
「 なん だ と 、 にせもの だ から にせもの と 云っ た ん だ 。 生意気 いう と 、 あした 斧 を もっ て き て 、 片っぱし から 伐っ て しまう ぞ 。 」 
「 なに を 、 こしゃく な 。 その 方 など の 分際 で ない 。 」 
「 ばか を 云え 、 おれ は あした 、 山主 の 藤 助 に ちゃんと 二 升 酒 を 買っ て くる ん だ 」 
「 そん なら なぜ おれ に は 買わ ん か 。 」 
「 買う いわれ が ない 。 」 
「 買え 。 」 
「 いわれ が ない 。 」 
「 よせ 、 よせ 、 にせもの だ から にせ が ね の メタル を やる ん だ 。 あんまり そう 喧嘩 する な よ 。 さあ 、 その つぎ は どう だ 。 出る ん だ 出る ん だ 。 」 
お 月 さま の 光 が 青く すきとおっ て そこら は 湖 の 底 の よう に なり まし た 。 
「 わたし の は 清作 の うた です 。 」 
また ひとり の 若い 頑丈 そう な 柏 の 木 が 出 まし た 。 
「 何 だ と 、 」 清作 が 前 へ 出 て なぐりつけよ う と し まし たら 画か き が とめ まし た 。 
「 まあ 、 待ち たまえ 。 君 の うた だって 悪口 と も かぎら ない 。 よろしい 。 はじめ 。 」 
柏 の 木 は 足 を ぐらぐら し ながら うたい まし た 。 
「 清作 は 、 一等 卒 の 服 を 着 て 
野原 に 行っ て 、 ぶどう を たくさん とっ て き た 。 
と 斯 う だ 。 だれ か あと を つづけ て くれ 。 」 
「 ホウ 、 ホウ 。 」 柏 の 木 は みんな あらし の よう に 、 清作 を ひやかし て 叫び まし た 。 
「 第 七 とう しょ う 、 なまり の メタル 。 」 
「 わたし が あと を つけ ます 。 」 さっき の 木 の となり から すぐ また 一 本 の 柏 の 木 が とびだし まし た 。 
「 よろしい 、 はじめ 。 」 
かしわ の 木 は ちらっと 清作 の 方 を 見 て 、 ちょっと ばか に する よう に わらい まし た が 、 すぐ まじめ に なっ て うたい まし た 。 
「 清作 は 、 葡萄 を みんな しぼりあげ 
砂糖 を 入れ て 
瓶 に たくさん つめこん だ 。 
おい 、 だれ か あと を つづけ て くれ 。 」 
「 ホッホウ 、 ホッホウ 、 ホッホウ 、 」 柏 の 木 ども は 風 の よう な 変 な 声 を だし て 清作 を ひやかし まし た 。 
清作 は もう と びだしてみんなかたっぱしからぶんなぐってやりたくてむずむずしましたが 、 画か き が ちゃんと 前 へ 立ちふさがっ て い ます ので 、 どうしても 出 られ ませ ん でし た 。 
「 第 八 等 、 ぶり き の メタル 。 」 
「 わたし が つぎ を やり ます 。 」 さっき の となり から 、 また 一 本 の 柏 の 木 が とびだし まし た 。 
「 よし 、 はじめ っ 。 」 
「 清作 が 　 納屋 に しまっ た 葡萄 酒 は 
順序 ただしく 
みんな はじけ て なくなっ た 。 」 
「 わっ はっ はっ は 、 わっ はっ はっ は 、 ホッホウ 、 ホッホウ 、 ホッホウ 。 がやがや が や … … 。 」 
「 やかましい 。 き さま ら 、 なん だって ひと の 酒 の こと など おぼえ て や がる ん だ 。 」 清作 が 飛び出 そう としましたら 、 画か き に しっかり つかまり まし た 。 
「 第 九 とう しょ う 。 マッチ の メタル 。 さあ 、 次 だ 、 次 だ 、 出る ん だ よ 。 どしどし 出る ん だ 。 」 
ところが みんな は 、 もう しん と し て しまっ て 、 ひとり も でる もの が あり ませ ん でし た 。 
「 これ は いか ん 。 でろ 、 でろ 、 みんな で ない と いか ん 。 でろ 。 」 画か き は どなり まし た が 、 もう どうしても 誰 も 出 ませ ん でし た 。 
仕方 なく 画か き は 、 
「 こんど は メタル の うんと いい やつ を 出す ぞ 。 早く 出ろ 。 」 と 云い まし たら 、 柏 の 木 ども は はじめて ざわっとしました 。 
その とき 林 の 奥 の 方 で 、 さらさら さらさら 音 が し て 、 それから 、 
「 のろ づき お ほん 、 のろ づき お ほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 
ご ぎのごぎのおほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 」 
と たくさん の ふくろう ども が 、 お 月 さま の あかり に 青じろく はね を ひるがえし ながら 、 するする するする 出 て き て 、 柏 の 木の頭 の 上 や 手 の 上 、 肩 や むね に いち めん に とまり まし た 。 
立派 な 金モール を つけ た ふくろう の 大将 が 、 上手 に 音 も たて ない で 飛ん で き て 、 柏 の 木 大王 の 前 に 出 まし た 。 その まっ 赤 な 眼 の くま が 、 じつに 奇 体 に 見え まし た 。 よほど 年 老 り らしい の でし た 。 
「 今晩 は 、 大王 どの 、 また 高貴 の 客人 がた 、 今晩 は ちょうど われわれ の 方 で も 、 飛び 方 と 握 み 裂き 術 と の 大 試験 で あっ た の じゃが 、 ただいま やっと 終わり まし た じゃ 。 
ついては これから 連合 で 、 大 乱舞 会 を はじめて は どう じゃろ う 。 あまりに も たえ なる うた の しらべ が 、 われ ら の まどい の なか に まで 響い て 来 た によって 、 この よう に まかり出 まし た の じゃ 。 」 
「 たえ なる うた の しらべ だ と 、 畜生 。 」 清作 が 叫び まし た 。 
柏 の 木 大王 が きこえ ない ふり を し て 大きく うなずき まし た 。 
「 よろしゅう ござる 。 しごく 結構 で ござろ う 。 いざ 、 早速 とり はじめる と いたそ う か 。 」 
「 され ば 、 」 梟 の 大将 は みんな の 方 に 向い て まるで 黒砂糖 の よう な 甘ったるい 声 で うたい まし た 。 
「 からす かん ざえもんは 
くろい あ たま を くう ら りく ら り 、 
とん びとうざえもんは 
あぶら 一 升 で と うろ り とろり 、 
その くら やみ は ふくろう の 
いさみ に いさむ もののふ が 
みみず を つかむ とき なる ぞ 
ねとり を 襲う とき なる ぞ 。 」 
ふくろう ども は もう みんな ばか の よう に なっ て どなり まし た 。 
「 のろ づき お ほん 、 
お ほん 、 お ほん 、 
ご ぎのごぎおほん 、 
お ほん 、 お ほん 。 」 
かしわ の 木 大王 が 眉 を ひそめ て 云い まし た 。 
「 どうも きみ たち の うた は 下等 じゃ 。 君子 の きく べき もの で は ない 。 」 
ふくろう の 大将 は へん な 顔 を し て しまい まし た 。 すると 赤 と 白 の 綬 を かけ た ふくろう の 副官 が 笑っ て 云い まし た 。 
「 まあ 、 こん や は あんまり 怒ら ない よう に いたし ましょ う 。 うた も こんど は 上等 の を やり ます から 。 みんな 一 しょ に おどり ましょ う 。 さあ 木 の 方 も 鳥 の 方 も 用意 いい か 。 
おつき さん おつき さん 　 ま ん まるまる るる ん 
お ほしさ ん お ほしさ ん 　 ぴかりぴりるるん 
かしわ は かん か の 　 　 　 かん からから ら らん 
ふく ろ は のろ づき 　 　 　 おっ ほほ ほほ ほほ ん 。 」 
かしわ の 木 は 両手 を あげ て そりかえっ たり 、 頭 や 足 を まるで 天上 に 投げ あげる よう に し たり 、 一生けん命 踊り まし た 。 それ に あわせ て ふくろう ども は 、 さっ さっと 銀 いろ の はね を 、 ひらい たり とじ たり し まし た 。 じつに それ が うまく 合っ た の でし た 。 月 の 光 は 真珠 の よう に 、 すこし おぼろ に なり 、 柏 の 木 大王 も よろこん で すぐ うたい まし た 。 
「 雨 は ざあざあ 　 ざっざざざざざあ 
風 は どうどう 　 どっ どど どど どう 
あら れ ぱらぱら ぱらぱら っ たた あ 
雨 は ざあざあ 　 ざっざざざざざあ 」 
「 あっ だめ だ 、 霧 が 落ち て き た 。 」 と ふくろう の 副官 が 高く 叫び まし た 。 
なるほど 月 は もう 青白い 霧 に かくさ れ て しまっ て ぼ おっ と 円く 見える だけ 、 その 霧 は まるで 矢 の よう に 林 の 中 に 降り て くる の でし た 。 
柏 の 木 は みんな 度 を うしなっ て 、 片 脚 を あげ たり 両手 を そっち へ のばし たり 、 眼 を つりあげ たり し た まま 化石 し た よう に つっ 立っ て しまい まし た 。 
冷たい 霧 が さっと 清作 の 顔 に かかり まし た 。 画か き は もう どこ へ 行っ た か 赤い し ゃっぽだけがほうり 出し て あっ て 、 自分 は かげ も かたち も あり ませ ん でし た 。 
霧 の 中 を 飛ぶ 術 の まだ でき て い ない ふくろう の 、 ばたばた 遁 げ て 行く 音 が し まし た 。 
清作 は そこ で 林 を 出 まし た 。 柏 の 木 は みんな 踊 の まま の 形 で 残念 そう に 横 眼 で 清作 を 見送り まし た 。 
林 を 出 て から 空 を 見 ます と 、 さっき まで お 月 さま の あっ た あたり は やっと ぼんやり あかるく て 、 そこ を 黒い 犬 の よう な 形 の 雲 が かけ て 行き 、 林 の ず うっ と 向う の 沼森 の あたり から 、 
「 赤 いしゃ っぽ の カンカラカン の カアン 。 」 と 画か き が 力いっぱい 叫ん で いる 声 が かすか に きこえ まし た 。 
八月 十 三 日 
さいかち 淵 なら 、 ほんとう に おもしろい 。 
しゅっこ だって 毎日 行く 。 しゅっこ は 、 舜 一 な ん だ けれども 、 みんな は いつ でも しゅっこ と いう 。 そう いわ れ て も 、 しゅっこ は 少し も 怒ら ない 。 だから みんな は 、 いつ でも しゅっこ しゅっこ と いう 。 ぼく は 、 しゅっ こと は 、 いちばん 仲 が いい 。 きょう も いっしょ に 、 出かけ て 行っ た 。 
ぼく ら が 、 さいかち 淵 で 泳い で いる と 、 発破 を かけ に 、 大人 も 来る から おもしろい 。 今日 の ひるま も やって来 た 。 
石神 の 庄助 が さき に 立っ て 、 その あと から 、 練 瓦場 の 人 たち が 三 人 ばかり 、 肌 ぬぎ に なっ たり 、 網 を 持っ たり し て 、 河原 の ねむの木 の とこ を 、 こっち へ 来る から 、 ぼく は 、 きっと 発破 だ と おもっ た 。 しゅっこ も 、 大きな 白い 石 を もっ て 、 淵 の 上 の さいかち の 木 に のぼっ て い た が 、 それ を 見る と 、 すぐ に 、 石 を 淵 に 落し て 叫ん だ 。 
「 おお 、 発破 だ ぞ 。 知ら ない ふり し てろ 。 石 とりやめ て 、 早く みんな 、 下流 へ さ がれ 。 」 そこ で みんな は 、 なるべく そっち を 見 ない よう に し ながら 、 いっしょ に 下流 の 方 へ 泳い だ 。 しゅっこ は 、 木 の 上 で 手 を 額 に あて て 、 もう一度 よく 見きわめ て から 、 ど ぶん と 逆 ま に 淵 へ 飛びこん だ 。 それから 水 を 潜っ て 、 一 ぺん に みんな へ 追いつい た 。 
ぼく ら は 、 淵 の 下流 の 、 瀬 に なっ た ところ に 立っ た 。 
「 知ら ない ふり し て 遊ん で ろ 。 みんな 。 」 しゅっこ が 云っ た 。 ぼく ら は 、 砥石 を ひろっ たり 、 せき れい を 追っ たり し て 、 発破 の こと なぞ 、 すこし も 気がつか ない ふり を し て い た 。 
向う の 淵 の 岸 で は 、 庄助 が 、 しばらく あちこち 見 まわし て から 、 いきなり あぐら を かい て 、 砂利 の 上 へ 座っ て しまっ た 。 それ から ゆっくり 、 腰 から たばこ 入れ を とっ て 、 きせる を くわ い て 、 ぱくぱく 煙 を ふきだし た 。 奇 体 だ と 思っ て い たら 、 また 腹 かけ から 、 何 か 出し た 。 「 発破 だ ぞ 、 発破 だ ぞ 。 」 と ぺ 吉 や みんな 叫ん だ 。 しゅっこ は 、 手 を ふっ て それ を とめ た 。 庄助 は 、 きせる の 火 を 、 しずか に それ へ うつし た 。 うし ろ に 居 た 一 人 は 、 すぐ 水 に 入っ て 、 網 を かまえ た 。 庄助 は 、 まるで 電車 を 運転 する とき の よう に 落ちつい て 、 立っ て 一 あし 水 に は いる と 、 すぐ その 持っ た もの を 、 さいかち の 木の下 の ところ へ 投げこん だ 。 すると まもなく 、 ぼ ぉというようなひどい 音 が し て 、 水 は むくっ と 盛りあがり 、 それ から しばらく 、 そこら あたり が き ぃんと 鳴っ た 。 練 瓦場 の 人 たち は 、 みんな 水 へ 入っ た 。 
「 さあ 、 流れ て 来る ぞ 。 みんな とれ 。 」 と しゅっこ が 云っ た 。 まもなく 、 小指 ぐらい の 茶 いろ な かじ か が 、 横向き に なっ て 流れ て 来 た ので 、 取ろ う と し たら 、 うし ろ の ほう で 三 郎 が 、 まるで 瓜 を すする とき の よう な 声 を 出し た 。 六 寸 ぐらい ある 鮒 を とっ て 、 顔 を まっ 赤 に し て よろこん で い た の だっ た 。 「 だまっ てろ 、 だまっ てろ 。 」 しゅっこ が 云っ た 。 
その とき 、 向う の 白い 河原 を 、 肌 ぬぎ に なっ たり 、 シャツ だけ 着 たり し た 大人 や 子ども ら が 、 たくさん かけ て 来 た 。 その うし ろ から は 、 ちょうど 活動 写真 の よう に 、 一 人 の 網 シャツ を 着 た 人 が 、 は だ か 馬 に 乗っ て 、 まっしぐら に 走っ て 来 た 。 みんな 発破 の 音 を 聞い て 、 見 に 来 た の だ 。 
庄助 は 、 しばらく 腕 を 組ん で 、 みんな の とる の を 見 て い た が 、 「 さっぱり 居 な ぃな 。 」 と 云っ た 。 けれども 、 あんなに とれ たら たくさん だ 。 練 瓦場 の 人 たち なんか 、 三 十 疋 ぐらい も とっ た ん だ から 。 ぼく ら も 、 一疋 か 二 疋 なら 誰 だって 拾っ た 。 庄助 は 、 だまっ て 、 また 上流 へ 歩き だし た 。 練 瓦場 の 人 たち も つい て いっ た 。 網 シャツ の 人 は 、 馬 に 乗っ て 、 また かけ て 行っ た し 、 子ども ら は 、 ぼく ら の 仲間 に はいろ う と 、 岸 に 座っ て 待っ て い た 。 
「 発破 かけ だら 、 雑魚 撒か せ 。 」 三郎 が 、 河原 の 砂 っ ぱの 上 で 、 ぴょんぴょん はね ながら 、 高く 叫ん だ 。 
ぼく ら は 、 とっ た 魚 を 、 石 で 囲ん で 、 小さな 生 洲 を こしらえ て 、 生き返っ て も 、 もう 遁 げ て 行か ない よう に し て 、 また 石 取り を はじめ た 。 ほんとう に 暑く なっ て 、 ねむの木 も ぐったり 見え た し 、 空 も まるで 、 底なし の 淵 の よう に なっ た 。 
その ころ 誰か が 、 
「 あ 、 生 洲 、 打壊す とこ だ ぞ 。 」 と 叫ん だ 。 見る と 、 一 人 の 変 に 鼻 の 尖っ た 、 洋服 を 着 て わらじ を はい た 人 が 、 鉄砲 で も ない 槍 で も ない 、 おかしな 光る 長い もの を 、 せ なか に しょっ て 、 手 に は ステッキ みたい な 鉄槌 を もっ て 、 ぼく ら の 魚 を 、 ぐちゃぐちゃ 掻き まわし て いる の だ 。 みんな 怒っ て 、 何 か 云お う と し て いる うち に 、 その 人 は 、 びちゃびちゃ 岸 を あるい て 行っ て 、 それから 淵 の すぐ 上流 の 浅瀬 を こっち へ わたろ う と し た 。 ぼく ら は みんな 、 さいかち の 樹 に のぼっ て 見 て い た 。 ところが その 人 は 、 すぐ に 河 を わたる で も なく 、 いかにも わらじ や 脚絆 の 汚 なく なっ た の を 、 そのまま 洗う という ふう に 、 もう 何 べ ん も 行っ たり 来 たり する もん だ から 、 ぼく ら は いよいよ 、 気持ち が 悪く なっ て き た 。 そこで 、 とうとう 、 しゅっこ が 云っ た 。 
「 お 、 おれ 先 に 叫ぶ から 、 みんな あと から 、 一 二 三 で 叫ぶ こ だ 。 いい か 。 
あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 云う で な ぃか 。 一 、 二 ぃ 、 三 。 」 
「 あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 云う で な ぃか 。 」 その 人 は 、 びっくり し て こっち を 見 た けれども 、 何 を 云っ た の か 、 よく わから ない という よう すだっ た 。 そこで ぼく ら は また 云っ た 。 
「 あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 、 云う で な ぃか 。 」 鼻 の 尖っ た 人 は 、 すぱすぱ と 、 煙草 を 吸う とき の よう な 口つき で 云っ た 。 
「 この 水 呑む の か 、 ここら で は 。 」 
「 あんまり 川 を にごす な よ 、 
いつ でも 先生 云う で な ぃか 。 」 鼻 の 尖っ た 人 は 、 少し 困っ た よう に し て 、 また 云っ た 。 
「 川 を あるい て わるい の か 。 」 
「 あんまり 川 を にごす な よ 、 
いつ でも 先生 云う で な ぃか 。 」 その 人 は 、 あわて た の を ごまかす よう に 、 わざと ゆっくり 、 川 を わたっ て 、 それから 、 アルプス の 探険 みたい な 姿勢 を とり ながら 、 青い 粘土 と 赤 砂利 の 崖 を ななめ に のぼっ て 、 せ なか に しょっ た 長い もの を ぴかぴか さ せ ながら 、 上 の 豆 畠 へ はいっ て しまっ た 。 ぼく ら も 何だか 気の毒 な よう な 、 おかしな がらん と し た 気持ち に なっ た 。 そこで 、 一 人 ずつ 木 から はね 下り て 、 河原 に 泳ぎ つい て 、 魚 を 手拭 に つつん だり 、 手 に もっ たり し て 、 家 に 帰っ た 。 
八月 十 四 日 
しゅっこ は 、 今日 は 、 毒 もみ の 丹 礬 を もっ て 来 た 。 あの トラホーム の 眼 の ふち を 擦る 青い 石 だ 。 あれ を 五 かけ 、 紙 に 包ん で 持っ て 来 て 、 ぼく を さそっ た 。 巡査 に 押え られる よ と 云っ たら 、 田 から 流れ て 来 た と 云え ば いい と 云っ た 。 けれども 毒 もみ は 卑怯 だ から 、 ぼく は 厭 だ と 答え たら 、 しゅっこ は 少し 顔 いろ を 変え て 、 卑怯 で ない よ 、 みみず なんか で 、 だまし て 取る より いい と 云っ て 、 あと は あんまり 、 ぼく と は 口 を 利か なかっ た 。 その 代り しゅっこ は 、 そこら 中 を 、 一 軒 ごと に さそっ て 歩い て 、 いい こと を し て 見せる から あつまれ と 云っ て 、 まるで 小さな こども ら まで 、 たくさん 集め た 。 
ぼく ら は 、 蝉 が 雨 の よう に 鳴い て いる いつも の 松林 を 通っ て 、 それから 、 祭 の とき の 瓦斯 の よう な 匂 の むっと する 、 ねむ の 河原 を 急い で 抜け て 、 いつも の さいかち 淵 に 行っ た 。 今日 なら 、 もう ほんとう に 立派 な 雲 の 峰 が 、 東 で むくむく 盛りあがり 、 みみずく の 頭 の 形 を し た 鳥ヶ森 も 、 ぎらぎら 青く 光っ て 見え た 。 しゅっこ が 、 あんまり 急い で 行く もん だ から 、 小さな 子ども ら は 、 追いつく ため に 、 まるで 半分 馳 けた 。 みんな 急い で 着物 を ぬい で 、 淵 の 岸 に 立つ と 、 しゅっこ が 云っ た 。 
「 ちゃんと 一 列 に なら べ 。 いい か 。 魚 浮い て き たら 、 泳い で 行っ て とれ 。 とっ た くらい 与る ぞ 。 いい か 。 」 小さな こども ら は 、 よろこん で 顔 を 赤く し て 、 押し あっ たり し ながら 、 ぞ ろ っと 淵 を 囲ん だ 。 ぺ 吉 だの 三 、 四 人 は 、 もう 泳い で 、 さいかち の 木の下 まで 行っ て 待っ て い た 。 
しゅっこ が 、 大 威張り で 、 あの 青い たん ぱんを 、 淵 の 中 に 投げ込ん だ 。 それから 、 みんな し ぃんとして 、 水 を みつめ て 立っ て い た 。 ぼく は 、 から だ が 上流 の 方 へ 動い て いる よう な 気持ち に なる の が いや な ので 、 水 を 見 ない で 、 向う の 雲 の 峰 の 上 を 通る 黒い 鳥 を 見 て い た 。 ところが それ から よほど たっ て も 、 魚 は 浮い て 来 なかっ た 。 しゅっこ は 大 へん まじめ な 顔 で 、 きちんと 立っ て 水 を 見 て い た 。 昨日 発破 を かけ た とき なら 、 もう 十 疋 も とっ て い た ん だ と 、 ぼく は 思っ た 。 また ずいぶん しばらく みんな し ぃんとして 待っ た 。 けれども やっぱり 、 魚 は 一 ぴき も 浮い て 来 なかっ た 。 
「 さっぱり 魚 、 浮ば な ぃよ 。 」 三郎 が 叫ん だ 。 し ゅっこはびくっとしたけれども 、 まだ 一 しん に 水 を 見 て い た 。 
「 魚 さっぱり 浮ば な ぃよ 。 」 ぺ 吉 が 、 また 向う の 木の下 で 云っ た 。 する と もう 子ども ら は 、 がやがや 云い 出し て 、 みんな 水 に 飛び込ん で しまっ た 。 
しゅっこ は 、 しばらく きまり 悪 そう に 、 しゃがん で 水 を 見 て い た けれど 、 とうとう 立っ て 、 
「 鬼 っ こし ない か 。 」 と 云っ た 。 「 する 、 する 。 」 みんな は 叫ん で 、 じゃん け ん を する ため に 、 水 の 中 から 手 を 出し た 。 泳い で い た もの は 、 急い で せい の 立つ ところ まで 行っ て 手 を 出し た 。 しゅっこ が 、 ぼく に も はいら ない か と 云っ た から 、 もちろん ぼく は 、 はじめ から 怒っ て い た の で も ない し 、 すぐ 手 を 出し た 。 しゅっこ は 、 はじめ に 、 昨日 あの 変 な 鼻 の 尖っ た 人 の 上っ て 行っ た 崖 の 下 の 、 青い ぬるぬる し た 粘土 の ところ を 根っこ に きめ た 。 そこ に 取りつい て いれ ば 、 鬼 は 押える こと が でき ない 。 それから 、 はさみ 無し の 一 人 まけ かち で 、 じゃん け ん を し た 。 ところが 、 悦治 は ひとり はさみ を 出し た ので 、 みんな に うんと はやさ れ た ほか に 鬼 に なっ た 。 悦治 は 、 唇 を 紫いろ に し て 、 河原 を 走っ て 、 喜作 を 押え た もん だ から 、 鬼 は 二 人 に なっ た 。 それから ぼく ら は 、 砂 っ ぱの 上 や 淵 を 、 あっち へ 行っ たり 、 こっち へ 来 たり 、 押え たり 押え られ たり 、 何 べ ん も 鬼 っ こ を し た 。 
しまいに とうとう 、 しゅっこ 一 人 が 鬼 に なっ た 。 しゅっこ は まもなく 吉郎 を つかまえ た 。 ぼく ら は みんな 、 さいかち の 木の下 に 居 て それ を 見 て い た 。 すると しゅっこ が 、 吉郎 、 汝 、 上流 から 追っ て 来い 、 追え 、 追え 、 と 云い ながら 、 じ ぶん は だまっ て 立っ て 見 て い た 。 吉郎 は 、 口 を あい て 手 を ひろげ て 、 上流 から 粘土 の 上 を 追って 来 た 。 みんな は 淵 へ 飛び込む 仕度 を し た 。 ぼく は 楊 の 木 に のぼっ た 。 その とき 吉郎 が 、 たぶん あの 上流 の 粘土 が 、 足 に つい た ため だっ たろ う 、 みんな の 前 で すべっ て ころん で しまっ た 。 みんな は 、 わあわあ 叫ん で 、 吉郎 を はね こえ たり 、 水 に 入っ たり し て 、 上流 の 青い 粘土 の 根 に 上っ て しまっ た 。 
「 しゅっこ 、 来 。 」 三郎 は 立っ て 、 口 を 大きく あい て 、 手 を ひろげ て 、 しゅっこ を ばか に し た 。 すると しゅっこ は 、 さっき から よっぽど 怒っ て い た と みえ て 、 「 ようし 、 見 て ろ 」 と 云い ながら 、 本気 に なっ て 、 ざぶんと 水 に 飛び込ん で 、 一生けん命 、 そっち の 方 へ 泳い で いっ た 。 子ども ら は 、 すっかり 恐がっ て しまっ た 。 第 一 、 その 粘土 の ところ は せまく て 、 みんな が はいれ なかっ た し 、 それに 大 へん つるつる すべる 傾斜 に なっ て い た もの だ から 、 下 の 方 の 四 、 五 人 など は 上 の 人 に つかまる よう に し て 、 やっと 川 へ すべり 落ちる の を ふせい で い た 。 三郎 だけ が 、 いちばん 上 で 落ち着い て 、 さあ 、 みんな 、 とか 何とか 相談 らしい こと を はじめ た 。 みんな も そこで 、 頭 を あつめ て 聞い て いる 。 しゅっこ は 、 ぼ ちゃぼ ちゃ 、 もう 近く まで 行っ て い た 。 みんな は 、 ひそひそ はなし て いる 。 すると しゅっこ は 、 いきなり 両手 で 、 みんな へ 水 を かけ 出し た 。 みんな が ばたばた 防い で い たら 、 だんだん 粘土 が すべっ て 来 て 、 なんだか すこ う し 下 へ ずれ た よう に なっ た 。 しゅっこ は よろこん で 、 いよいよ 水 を はねとばし た 。 すると みんな は 、 ぼ ち ゃんぼちゃんと 一 度 に 水 に すべっ て 落ち た 。 しゅっこ は 、 それ を 片っぱし から つかまえ た 。 三郎 ひとり 、 上 を まわっ て 泳い で 遁 げ たら 、 しゅっこ は すぐ に 追い付い て 、 押え た ほか に 、 腕 を つかん で 、 四 、 五 へん ぐるぐる 引っぱり まわし た 。 三郎 は 、 水 を 呑ん だ と みえ て 、 霧 を ふい て 、 ご ほ ご ほ むせ て 、 泣く よう に し ながら 、 
「 おいら もう やめ た 。 こんな 鬼 っ こも う し ない 。 」 と 云っ た 。 子ども ら は みんな 砂利 に 上っ て しまっ た 。 三郎 も あがっ た 。 しゅっこ は 、 そっと 、 あの 青い 石 を 投げ た ところ を のぞき ながら 、 さいかち の 樹 の 下 に 立っ て い た 。 
ところが 、 その とき は もう 、 そら が いっぱい の 黒い 雲 で 、 楊 も 変 に 白っぽく なり 、 蝉 が が あ が あ 鳴い て い て 、 そこら は 何 と も 云わ れ ない 、 恐ろしい 景色 に かわっ て い た 。 
その うち に 、 いきなり 林 の 上 の あたり で 、 雷 が 鳴り出し た 。 と 思う と 、 まるで 山 つ なみ の よう な 音 が し て 、 一 ぺん に 夕立 が やってき た 。 風 まで ひ ゅうひゅう 吹きだし た 。 淵 の 水 に は 、 大きな ぶち ぶち が たくさん でき て 、 水 だ か 石 だ か わから なく なっ て しまっ た 。 河原 に あがっ た 子ども ら は 、 着物 を かかえ て 、 みんな ねむの木 の 下 へ 遁 げ こん だ 。 ぼく も 木 から おり て 、 しゅっこ と いっしょ に 、 向う の 河原 へ 泳ぎ だし た 。 その とき 、 あの ねむの木 の 方 か どこ か 、 烈しい 雨 の なか から 、 
「 雨 は ざあざあ 、 ざっこざっこ 、 
風 は しゅうしゅう 、 しゅっこ しゅっこ 。 」 
という よう に 叫ん だ もの が あっ た 。 しゅっこ は 、 泳ぎ ながら 、 まるで あわて て 、 何 か に 足 を ひっぱら れる よう に し て 遁 げた 。 ぼく も じっさい こわかっ た 。 ようやく 、 みんな の いる ね むのはやしについたとき 、 しゅっこ は がたがた ふるえ ながら 、 
「 いま 叫ん だ の は おまえ ら だ か 。 」 と きい た 。 
「 そ で ない 、 そ で ない 。 」 みんな は 一 しょ に 叫ん だ 。 ぺ 吉 が また 一 人 出 て 来 て 、 「 そ で ない 。 」 と 云っ た 。 しゅっこ は 、 気味悪 そう に 川 の ほう を 見 た 。 けれども ぼく は 、 みんな が 叫ん だ の だ と おもう 。 
楢 夫 は 夕方 、 裏 の 大きな 栗 の 木の下 に 行き まし た 。 その 幹 の 、 丁度 楢 夫 の 目 位 高い 所 に 、 白い きのこ が 三つ でき て い まし た 。 まん中 の は 大きく 、 両 が わ の 二つ は ずっと 小さく 、 そして 少し 低い の でし た 。 
楢 夫 は 、 じっと それ を 眺め て 、 ひとり ごと を 言い まし た 。 
「 は はあ 、 これ が さる の こしかけ だ 。 けれども こいつ へ 腰 を かける よう な やつ なら 、 すい ぶん 小さな 猿 だ 。 そして 、 まん中 に かける の が きっと 小 猿 の 大将 で 、 両わき に かける の は 、 ただ の 兵隊 に ちがい ない 。 いくら 小 猿 の 大将 が 威張っ たって 、 僕 の にぎり こぶし の 位 も ない の だ 。 どんな 顔 を し て いる か 、 一 ぺん 見 て やり たい もん だ 。 」 
そしたら 、 きのこ の 上 に 、 ひょっこり 三 疋 の 小 猿 が あらわれ て 腰掛け まし た 。 
やっぱり 、 まん中 の は 、 大将 の 軍服 で 、 小さい ながら 勲章 も 六つ ばかり 提げ て い ます 。 両わき の 小 猿 は 、 あまり 小さい ので 、 肩章 が よく わかり ませ ん でし た 。 
小 猿 の 大将 は 、 手帳 の よう な もの を 出し て 、 足 を 重ね て ぶらぶら さ せ ながら 、 楢 夫 に 云い まし た 。 
「 おまえ が 楢 夫 か 。 ふん 。 何 歳 に なる 。 」 
楢 夫 は ばかばかしく なっ て しまい まし た 。 小さな 小さな 猿 の 癖 に 、 軍服 など を 着 て 、 手帳 まで 出し て 、 人間 を さも 捕虜 か 何 か の よう に 扱う の です 。 楢 夫 が 申し まし た 。 
「 何 だい 。 小 猿 。 もっと 語 を 丁寧 に し ない と 僕 は 返事 なんか し ない ぞ 。 」 
小 猿 が 顔 を しかめ て 、 どうも 笑っ た らしい の です 。 もう 夕方 に なっ て 、 そんな 小さな 顔 は よく わかり ませ ん でし た 。 
けれども 小 猿 は 、 急い で 手帳 を しまっ て 、 今度 は 手 を 膝 の 上 で 組み合せ ながら 云い まし た 。 
「 仲 々 強情 な 子供 だ 。 俺 は もう 六 十 に なる ん だ ぞ 。 そして 陸軍 大将 だ ぞ 。 」 
楢 夫 は 怒っ て しまい まし た 。 
「 何 だい 。 六 十 に なっ て も 、 そんなに ちいさい なら 、 もう さき の 見込 が 無い やい 。 腰掛け の まま 下 へ 落す ぞ 。 」 
小 猿 が 又 笑っ た よう でし た 。 どうも 、 大変 、 これ が 気 に かかり まし た 。 
けれども 小 猿 は 急 に ぶらぶら さ せ て い た 足 を きちんと そろえ て おじぎ を し まし た 。 そして いや に 丁寧 に 云い まし た 。 
「 楢 夫 さん 。 いや 、 どうか 怒ら ない で 下さい 。 私 は いい 所 へ お 連れ しよ う と 思っ て 、 あなた の お年 まで お尋ね し た の です 。 どう です 。 おいで に なり ませ ん か 。 いや に なっ たら すぐ お 帰り に なっ たら いい でしょ う 。 」 
家来 の 二 疋 の 小 猿 も 、 一生けん命 、 眼 を パチ パチ さ せ て 、 楢 夫 を 案内 する よう に ま ごころ を 見せ まし た ので 、 楢 夫 も 一寸 行っ て 見 たく なり まし た 。 なあに 、 いや に なっ たら 、 すぐ 帰る だけ だ 。 
「 うん 。 行っ て も いい 。 しかし お前 ら は もう少し 語 に 気 を つけ ない と いか ん ぞ 。 」 
小 猿 の 大将 は 、 むやみ に 沢山 うなずき ながら 、 腰掛け の 上 に 立ちあがり まし た 。 
見る と 、 栗 の 木 の 三つ の きのこ の 上 に 、 三つ の 小さな 入口 が でき て い まし た 。 それから 栗 の 木の根 もと に は 、 楢 夫 の 入れる 位 の 、 四角 な 入口 が あり ます 。 小 猿 の 大将 は 、 自分 の 入口 に 一寸 顔 を 入れ て 、 それ から 振り向い て 、 楢 夫 に 申し まし た 。 
「 只今 、 電 燈 を 点け ます から どうか そこ から お はいり 下さい 。 入口 は 少し 狭う ござい ます が 、 中 は 大 へん 楽 で ござい ます 。 」 
小 猿 は 三 疋 、 中 に は いっ て しまい 、 それ と 一緒 に 栗 の 木 の 中 に 、 電 燈 が パッ と 点き まし た 。 
楢 夫 は 、 入口 から 、 急い で 這い 込み まし た 。 
栗 の 木 なんて 、 まるで 煙突 の よう な もの でし た 。 十 間 置き 位 に 、 小さな 電 燈 が つい て 、 小さな 小さな はしご段 が まわり の 壁 に そっ て 、 どこ まで も 上 の 方 に 、 のぼっ て 行く の でし た 。 
「 さあ さあ 、 こちら へ おい で 下さい 。 」 小 猿 は もう どんどん 上 へ 昇っ て 行き ます 。 楢 夫 は 一 ぺん に 、 段 を 百 ばかり ずつ 上っ て 行き まし た 。 それでも 、 仲 々 、 三 疋 に は 敵 い ませ ん 。 
楢 夫 は つか れ て 、 はあ はあ し ながら 、 云い まし た 。 
「 ここ は もう 栗 の 木 の てっぺん だろ う 。 」 
猿 が 、 一 度 に き ゃっきゃっ 笑い まし た 。 
「 まあ いい から つい て おい で なさい 。 」 
上 を 見 ます と 、 電 燈 の 列 が 、 まっすぐ に だんだん 上っ て 行っ て 、 し まい は もう あんまり 小さく 、 一つ 一つ の 灯 が 見 わか ず 、 一 本 の 細い 赤い 線 の よう に 見え まし た 。 
小 猿 の 大将 は 、 楢 夫 の 少し 参っ た 様子 を 見 て いかにも 意地 の 悪い 顔 を し て 又 申し まし た 。 
「 さあ も 少し 急ぐ の です 。 よう ござい ます か 。 私 共 に 追いつい て おい で なさい 。 」 
楢 夫 が 申し まし た 。 
「 此処 へ しるし を 付け て 行こ う 。 うち へ 帰る 時 、 まごつく と いけ ない から 。 」 
猿 が 、 一 度 に 、 き ゃっきゃっ 笑い まし た 。 生意気 に も 、 ただ の 兵隊 の 小 猿 まで 、 笑う の です 。 大将 が 、 やっと 笑う の を やめ て 申し まし た 。 
「 いや 、 お 帰り に なり たい 時 は 、 いつ でも お送り いたし ます 。 決して ご 心配 は あり ませ ん 。 それ より 、 まあ 、 駈ける 用意 を なさい 。 ここ は 最大 急行 で 通ら ない と いけ ませ ん 。 」 
楢 夫 も 仕方 なく 、 駈け 足 の し たく を し まし た 。 
「 さあ 、 行き ます ぞ 。 一 二 の 三 。 」 小 猿 は もう 駈け 出し まし た 。 
楢 夫 も 一生けん命 、 段 を かけ 上り まし た 。 実に 小 猿 は 速い の です 。 足音 が ぐゎんぐゎん 響き 電 燈 が 矢 の 様 に 次 から 次 と 下 の 方 へ 行き まし た 。 もう 楢 夫 は 、 息 が 切れ て 、 苦しく て 苦しく て たまり ませ ん 。 それでも 、 一生けん命 、 駈け あがり まし た 。 もう 、 走っ て いる か どう か も わから ない 位 です 。 突然 眼 の 前 が パッ と 青白く なり まし た 。 そして 、 楢 夫 は 、 眩しい ひるま の 草原 の 中 に 飛び出し まし た 。 そして 草 に 足 を からま れ て ばったり 倒れ まし た 。 そこ は 林 に 囲ま れ た 小さな 明地 で 、 小 猿 は 緑 の 草 の 上 を 、 列ん で だんだん ゆるやか に 、 三 べ ん ばかり 廻っ て から 、 楢 夫 の そば へ やって来 まし た 。 大将 が 鼻 を ちぢめ て 云い まし た 。 
「 ああ ひどかっ た 。 あなた も お 疲れ でしょ う 。 もう 大丈夫 です 。 これから は こんな 切ない こと は あり ませ ん 。 」 
楢 夫 が 息 を はずま せ ながら 、 ようやく 起き 上っ て 云い まし た 。 
「 ここ は どこ だい 。 そして 、 今頃 お 日 さま が あんな 空 の まん中 に お出で に なる なんて 、 おかしい じゃ ない か 。 」 
大将 が 申し まし た 。 
「 いや 、 ご 心配 あり ませ ん 。 ここ は 種山 ヶ 原 です 。 」 
楢 夫 が びっくり し まし た 。 
「 種山 ヶ 原 ？ 　 とんでも ない 処 へ 来 た な 。 すぐ うち へ 帰れる かい 。 」 
「 帰れ ます と も 。 今度 は 下り です から 訳 あり ませ ん 。 」 
「 そう か 。 」 と 云い ながら 楢 夫 は そこら を 見 まし た が 、 もう 今 やって来 た トンネル の 出口 は なく 、 却って 、 向う の 木 の かげ や 、 草 の しげみ の うし ろ で 、 沢山 の 小 猿 が 、 きょろきょろ こっち を のぞい て いる の です 。 
大将 が 、 小さな 剣 を キラリ と 抜い て 、 号令 を かけ まし た 。 
「 集れ っ 。 」 
小 猿 が 、 バラバラ 、 その 辺 から 出 て 来 て 、 草原 一 杯 もち ゃもちゃはせ 廻り 、 間もなく 四つ の 長い 列 を つくり まし た 。 大将 に つい て い た 二 疋 も 、 その 中 に まじり まし た 。 大将 は からだ を 曲げる くらい 一生けん命 に 号令 を かけ まし た 。 
「 気 を 付け っ 」 「 右 いお い 。 」 「 なおれ っ 。 」 「 番号 。 」 実に みんな うまく やり ます 。 
楢 夫 は 愕 い て それ を 見 まし た 。 大将 が 楢 夫 の 前 に 来 て 、 まっすぐ に 立っ て 申し まし た 。 
「 演習 を これから やり ます 。 終り っ 。 」 
楢 夫 は すっかり 面白く なっ て 、 自分 も 立ちあがり まし た が 、 どうも 余り せい が 高 過ぎ て 、 調子 が 変 な ので 、 又 座っ て 云い まし た 。 
「 宜しい 。 演習 はじめ っ 。 」 
小 猿 の 大将 が みんな へ 云い まし た 。 
「 これから 演習 を はじめる 。 今日 は 参観 者 も ある の だ から 、 殊に 注意 し ない と いけ ない 。 左 向け の 時 、 右 向け を し た 者 、 前 へ 進め を 右足 から はじめ た 者 、 かけ 足 の 号令 で 腰 に 手 を あげ ない 者 、 みんな 後 で 三つ ずつ せ 中 を つねる 。 いい か 。 わかっ た か 。 八 番 。 」 
八 番 の 小 猿 が 云い まし た 。 
「 判り まし た 。 」 
「 よろしい 。 」 大将 は 云い ながら 三 歩 ばかり 後ろ に 退い て 、 だしぬけ に 号令 を かけ まし た 。 
「 突貫 」 
楢 夫 は 愕 い て しまい まし た 。 こんな 乱暴 な 演習 は 、 今 まで 見 た こと も あり ませ ん 。 それ 所 で は なく 、 小 猿 が みんな 歯 を むい て 楢 夫 に 走っ て 来 て 、 みんな 小さな 綱 を 出し て 、 すばやく きりきり 身体 中 を 縛っ て しまい まし た 。 楢 夫 は 余程 撲っ て やろ う と 思い まし た が 、 あんまり みんな 小さい ので 、 じ つと 我慢 を し て 居 まし た 。 
みんな は 縛っ て しまう と 、 互に 手 を とりあっ て 、 き ゃっきゃっと 笑い まし た 。 
大将 が 、 向う で 、 腹 を かかえ て 笑い ながら 、 剣 を かざし て 、 
「 胴上げ い 、 用意 っ 。 」 と いい まし た 。 
楢 夫 は 、 草 の 上 に 倒れ ながら 、 横目 で 見 て い ます と 、 小 猿 は 向う で 、 みんな 六 疋位 ずつ 、 高い 高い 肩車 を こしらえ て 、 塔 の よう に なり 、 それ が あっち から も こっち から も 集っ て 、 とうとう 小 猿 の 林 の よう な もの が でき て しまい まし た 。 
それ が 、 ずんずん 、 楢 夫 に 進ん で 来 て 、 沢山 の 手 を 出し 、 楢 夫 を 上 に 引っ張り あげ まし た 。 
楢 夫 は 呆れ て 、 小 猿 の 列 の 上 で 、 大将 を 見 て い まし た 。 
大将 は 、 ますます 得意 に なっ て 、 爪 立て を し て 、 力一杯 延び あがり ながら 、 号令 を かけ ます 。 
「 胴上げ い 、 はじめ っ 。 」 
「 よっ しょい 。 よっ しょい 。 よっ しょい 。 」 
もう 、 楢 夫 の からだ は 、 林 より も 高い 位 です 。 
「 よっ しょい 。 よっ しょい 。 よっ しょい 。 」 
風 が 耳 の 処 で ひ ゅうと 鳴り 、 下 で は 小 猿 共 が 手 を うようよ し て いる の が 実に 小さく 見え ます 。 
「 よっ しょい 。 よっ しょい 。 よっ しょい 。 」 
ず うっ と 向う で 、 河 が きらり と 光り まし た 。 
「 落せ っ 。 」 「 わあ 。 」 と 下 で 声 が し ます ので 見る と 小 猿 共 が もう ちり ぢ り に 四方 に 別れ て 林 の へり に ならん で 草原 を かこみ 、 楢 夫 の 地べた に 落ち て 来る の を 見よ う と し て いる の です 。 
楢 夫 は もう 覚悟 を きめ て 、 向う の 川 を 、 もう 一 ぺん 見 まし た 。 その 辺 に 楢 夫 の 家 が ある の です 。 そして 楢 夫 は 、 もう 下 に 落ち かかり まし た 。 
その 時 、 下 で 、 「 危 いっ 。 何 を する 」 という 大きな 声 が し まし た 。 見る と 、 茶色 の ばさばさ の 髪 の 巨 き な 赤い 顔 が 、 こっち を 見 あげ て 、 手 を 延ばし て いる の です 。 
「 ああ 山男 だ 。 助かっ た 。 」 と 楢 夫 は 思い まし た 。 そして 、 楢 夫 は 、 忽ち 山男 の 手 で 受け 留め られ て 、 草原 に おろさ れ まし た 。 その 草原 は 楢 夫 の うち の 前 の 草原 でし た 。 栗 の 木 が あっ て 、 たしかに 三つ の 猿のこしかけ が つい て い まし た 。 そして 誰 も 居 ませ ん 。 もう 夜 です 。 
「 楢 夫 。 ごはん です 。 楢 夫 。 」 と うち の 中 で お母さん が 叫ん で い ます 。 
ぼく ら の 方 の 、 ざし き 童子 の はなし です 。 
あかるい ひるま 、 みんな が 山 へ はたらき に 出 て 、 こども が ふたり 、 庭 で あそん で おり まし た 。 大きな 家 に だれ も おり ませ ん でし た から 、 そこら は しん と し て い ます 。 
ところが 家 の 、 どこ か の ざし き で 、 ざわっざわっと 箒 の 音 が し た の です 。 
ふたり の こども は 、 お たがい 肩 に しっかり と 手 を 組みあっ て 、 こっそり 行っ て み まし た が 、 どの ざし き に も たれ も い ず 、 刀 の 箱 も ひっそり と し て 、 かき ね の 檜 が 、 いよいよ 青く 見える きり 、 たれ も どこ に も い ませ ん でし た 。 
ざわっざわっと 箒 の 音 が きこえ ます 。 
とおく の 百舌 の 声 な の か 、 北上川 の 瀬 の 音 か 、 どこ か で 豆 を 箕 に かける の か 、 ふたり で いろいろ 考え ながら 、 だまっ て 聴い て み まし た が 、 やっぱり どれ で も ない よう でし た 。 
たしかに どこ か で 、 ざわっざわっと 箒 の 音 が きこえ た の です 。 
も 一 ど こっそり 、 ざし き を のぞい て み まし た が 、 どの ざし き に も たれ も い ず 、 ただお 日 さま の 光 ばかり そこら いち めん 、 あかるく 降っ て おり まし た 。 
こんな の が ざし き 童子 です 。 
「 大道 めぐり 、 大道 めぐり 」 
一生けん命 、 こう 叫び ながら 、 ちょうど 十 人 の 子供 ら が 、 両手 を つない で まるく なり 、 ぐるぐる ぐるぐる 座敷 の なか を まわっ て い まし た 。 どの 子 も みんな 、 その うち の お 振舞 に よば れ て 来 た の です 。 
ぐるぐる ぐるぐる 、 まわっ て あそん で おり まし た 。 
そしたら いつか 、 十 一 人 に なり まし た 。 
ひとり も 知ら ない 顔 が なく 、 ひとり も おんなじ 顔 が なく 、 それでも やっぱり 、 どう 数え て も 十 一 人 だけ おり まし た 。 その ふえ た 一 人 が ざし き ぼっ こ な の だ ぞ と 、 大人 が 出 て 来 て 言い まし た 。 
けれども たれ が ふえ た の か 、 とにかく みんな 、 自分 だけ は 、 どうしても ざし き ぼっ こ で ない と 、 一生けん命 眼 を 張っ て 、 きちんと すわっ て おり まし た 。 
こんな の が ざし き ぼっ こ です 。 
それから また こういう の です 。 
ある 大きな 本家 で は 、 いつも 旧 の 八月 の はじめ に 、 如来 さま の お まつり で 分家 の 子供 ら を よぶ の でし た が 、 ある 年 その 一 人 の 子 が 、 はしか に かかっ て やすん で い まし た 。 
「 如来 さん の 祭り へ 行き たい 。 如来 さん の 祭り へ 行き たい 」 と 、 その 子 は 寝 て い て 、 毎日 毎日 言い まし た 。 
「 祭り 延ばす から 早く よく なれ 」 本家 の おばあさん が 見舞い に 行っ て 、 その 子 の 頭 を なで て 言い まし た 。 
その 子 は 九月 に よく なり まし た 。 
そこで みんな は よば れ まし た 。 ところが ほか の 子供 ら は 、 いま まで 祭り を 延ばさ れ たり 、 鉛 の 兎 を 見舞い に とら れ たり し た ので 、 なんとも おもしろく なく て たまり ませ ん でし た 。 
「 あいつ の ため に ひどい め に あっ た 。 もう 今日 は 来 て も 、 どう し た って あそば ない ぞ 」 と 約束 し まし た 。 
「 おお 、 来 た ぞ 、 来 た ぞ 」 みんな が ざし き で あそん で い た とき 、 にわかに 一 人 が 叫び まし た 。 
「 ようし 、 かくれろ 」 みんな は 次 の 、 小さな ざし き へ かけ込み まし た 。 
そしたら どう です 。 その ざし き の まん中 に 、 今や っと 来 た ばっかり の はず の 、 あの はしか を やん だ 子 が 、 まるっきり やせ て 青ざめ て 、 泣き だし そう な 顔 を し て 、 新しい 熊 の おもちゃ を 持っ て 、 きちんと すわっ て い た の です 。 
「 ざし き ぼっ こ だ 」 一 人 が 叫ん で にげだし まし た 。 みんな も わ あっと にげ まし た 。 ざし き ぼっ こ は 泣き まし た 。 
こんな の が ざし き ぼっ こ です 。 
また 、 北上川 の 朗 妙寺 の 淵 の 渡し守 が 、 ある 日 わたし に 言い まし た 。 
「 旧暦 八月 十 七 日 の 晩 、 おら は 酒 の ん で 早く 寝 た 。 おおい 、 おおい と 向こう で 呼ん だ 。 起き て 小屋 から 出 て み たら 、 お 月 さま は ちょうど そら の てっぺん だ 。 おら は 急い で 舟 だし て 、 向こう の 岸 に 行っ て み たら ば 、 紋付 を 着 て 刀 を さし 、 袴 を はい た きれい な 子供 だ 。 たった 一 人 で 、 白 緒 の ぞうり も はい て い た 。 渡る か と 言っ たら 、 たのむ と 言っ た 。 子ども は 乗っ た 。 舟 が まん中 ごろ に 来 た とき 、 おら は 見 ない ふり し て よく 子供 を 見 た 。 きちんと 膝 に 手 を 置い て 、 そら を 見 ながら すわっ て い た 。 
お前 さん 今 から どこ へ 行く 、 どこ から 来 た って きい たら ば 、 子供 は か あ いい 声 で 答え た 。 そこ の 笹田 の うち に ずいぶん な が くい た けれど 、 もう あき た から 他 へ 行く よ 。 なぜ あき た ね って きい たら ば 、 子供 は だまっ て わらっ て い た 。 どこ へ 行く ね って また きい たら ば 、 更木 の 斎藤 へ 行く よ と 言っ た 。 岸 に つい たら 子供 は もう い ず 、 おら は 小屋 の 入口 に こしかけ て い た 。 夢 だ か なんだか わから ない 。 けれども きっと 本当 だ 。 それ から 笹田 が おちぶれ て 、 更木 の 斎藤 で は 病気 も すっかり 直っ た し 、 むすこ も 大学 を 終わっ た し 、 めきめき 立派 に なっ た から 」 
こんな の が ざし き 童子 です 。 
お とら 狐 の はなし は 、 どなた も よく ご存じ でしょ う 。 お とら 狐 に も 、 いろいろ あっ た の でしょ う か 、 私 の 知っ て いる の は 、 「 とっ こ べ 、 とら 子 」 という の です 。 
「 とっ こ べ 」 という の は 名字 でしょ う か 。 「 とら 」 という の は 名前 です か ね 。 そう する と 、 名字 が さまざま で 、 名前 が みんな 「 とら 」 という 狐 が 、 あちこち に 住ん で い た の でしょ う か 。 
さて 、 むかし 、 とっ こ べ とら 子 は 大きな 川 の 岸 に 住ん で い て 、 夜 、 網打ち に 行っ た 人 から 魚 を 盗っ たり 、 買物 を し て 町 から 遅く 帰る 人 から 油揚げ を 取りかえ し たり 、 実に 始末 に おえ ない もの だっ た そう です 。 
慾 ふか の じいさん が 、 ある 晩 ひどく 酔っぱらっ て 、 町 から 帰っ て 来る 途中 、 その 川岸 を 通り ます と 、 ピカピカ し た 金 らん の 上下 の 立派 な さむ らい に 会い まし た 。 じいさん は 、 ていねい に おじぎ を し て 行き過ぎよ う と し まし たら 、 さむ らい が ピタリ と とまっ て 、 ちょっと そら を 見上げ て 、 それから あご を 引い て 、 六平 を 呼び 留め まし た 。 秋 の 十五夜 でし た 。 
「 あい や 、 しばらく 待て 。 そち は 何 と 申す 」 
「 へいへい 。 私 は 六平 と 申し ます 」 
「 六平 と な 。 そち は 金貸し を 業 と 致し おる な 」 
「 へいへい 。 御意 の 通り で ござい ます 。 手元 の 金子 は 、 すべて 、 只今 ご用 立 致し て おり ます 」 
「 いやいや 、 拙者 が 借りよ う と 申す の で は ない 。 どう じゃ 。 金貸し は 面白かろ う 」 
「 へ い 、 御 冗談 、 へいへい 。 御意 の 通り で 」 
「 拙者 に 少しく 不用 の 金子 が ある 。 それ に 遠国 に 参る 所 じゃ 。 預かっ て おい て もらえ まい か 。 もっとも 拙者 も 数々 敵 を 持つ 身 じゃ 。 万一 途中 相 果て た なれ ば 、 金子 は そのまま そち に 遣わす 。 どう じゃ 」 
「 へい 。 それ は きっと お 預かり い た しま する で ござい ます 」 
「 左様 か 。 あ いや 。 金子 は これ に じゃ 。 そち 自ら 蓋 を 開い て 一応 改め くれ い 。 エイヤ 。 はい 。 ヤッ 」 さむ らい は ふところ から 白い たすき を 取り出し て 、 たちまち 十字 に たすき を かけ 、 ご わり と 袴 の もも 立ち を 取り 、 とんとん とんと 土手 の 方 へ 走り まし た が 、 ちょっと かがん で 土手 の かげ から 、 千両 ば こ を 一つ 持っ て 参り まし た 。 
は はあ 、 こいつ は きっと 泥棒 だ 、 そう で なけれ ば にせ 金 使い 、 しかし 何 でも かまわ ない 、 万一 途中 相 果て た なれ ば 、 金 は ごろりと こっち の もの と 、 六平 は ひとり で 考え て 、 それから ほくほく する の を 無理 に かくし て 申し まし た 。 
「 へい 。 へい 。 よろし ゅうござります 。 御意 の 通り 一応 お改め いたし ます で ご ざり ます 」 
蓋 を 開く と 中 に 小判 が 一ぱい つまり 、 月 に ぎらぎら かがやき まし た 。 
ハイ 、 ヤッ と さむ らい は 千 両 函 を 又 一つ 持っ て 参り まし た 。 六平 は もっとも らしく 又 あらため まし た 。 これ も 小判 が 一ぱい で 月 に ぎらぎら です 。 ハイ 、 ヤッ 、 ハイヤッ 、 ハイヤッ 。 千両 ば こ は みな で 十 ほど そこ に 積ま れ まし た 。 
「 どう じゃ 。 これ だけ を そち 一 人 で 持ち 参れる の か の 。 もっとも そち の 持てる だけ 預ける こと と いたそ う ぞ よ 」 
どうも さむ らい の ことば が 少し 変 でし た し 、 そして たしかに 変 です が 、 まあ 六平 に は そんな こと は どう で も よかっ た の です 。 
「 へい 。 へい 。 何 の 千両 ば この 十 や そこ ば こ 、 きっと きっと 持ち 参る で ご ざり ましょ う 」 
「 うむ 。 左様 か 。 しから ば 。 いざ 。 いざ 、 持ち 参れ い 」 
「 へいへい 。 ウントコショ 、 ウントコショ 、 ウウントコショ 。 ウウウントコショ 」 
「 豪儀 じゃ 、 豪儀 じゃ 、 そち は 左 程 に なけれ ども 、 そち の 身 に 添う 慾 心 が 実に 大力 じゃ 。 大力 じゃ のう 。 ほめ 遣わす 。 ほめ 遣わす 。 さらば しかと 預け た ぞ よ 」 
さむ らい は 銀扇 を パッ と 開い て 感服 し まし た が 、 六平 は 余り の 重 さ に 返事 も 何 も 出来 ませ ん でし た 。 
さむ らい は 扇 を かざし て 月 に 向っ て 、 
「 それ 一芸 ある もの は す がた みにくし 」 と 何だか 謡曲 の よう な 変 な もの を 低く うなり ながら 向う へ 歩い て 行き まし た 。 
六平 は 十 の 千両 ば こ を よろよろ しょっ て 、 もう お 月 さま が 照っ てる やら 、 路 が どう 曲っ て どう 上っ てる やら 、 まるで 夢中 で 自分 の 家 まで やっ て まいり まし た 。 そして 荷物 を どっかり 庭 に おろし て 、 おかしな 声 で 外 から 怒鳴り まし た 。 
「 開けろ 開けろ 。 お 帰り だ 。 大尽 さま の お 帰り だ 」 
六平 の 娘 が 戸 を ガタッ と 開け て 、 
「 あれ まあ 、 父さん 。 そっ た に 砂利 しょ て 何 し ただす 」 と 叫び まし た 。 
六平 も おどろい て おろし た ばかり の 荷物 を 見 まし たら 、 おや おや 、 それ は ど て の 普請 の 十 の 砂利 俵 でし た 。 
六平 は クウ 、 クウ 、 クウ と 鳴っ て 、 白い 泡 を はい て 気絶 し まし た 。 それから もう ひどい 熱病 に なっ て 、 二 か月 の 間 という もの 、 
「 とっ こ べ とら 子 に 、 だまさ れ だ 。 ああ 欺 さ れ だ 」 と 叫ん で い まし た 。 
みなさん 。 こんな 話 は 一体 ほんとう でしょ う か 。 どうせ 昔 の こと です から 誰 も よく わかり ませ ん が 多分 偽 で は ない でしょ う か 。 
どうして って 、 私 は その 偽 の 方 の 話 を も 一つ ちゃんと 知っ てる ん です 。 それ は あんまり ちかごろ 起っ た こと で もう それ が うそ な こと は 疑い も なに も あり ませ ん 。 実は ゆうべ 起っ た こと な の です 。 
さあ 、 ご覧 なさい 。 やはり あの 大きな 川 の 岸 で 、 狐 の 住ん で い た 処 から 半町 ばかり 離れ た 所 に 平 右 衛門 という 人 の 家 が あり ます 。 
平 右 衛門 は 今年 の 春 村 会議 員 に なり まし た 。 それ です から 今夜 は その お祝い で 親類 は みな 呼ば れ まし た 。 
もう みんな 大 よろこび 、 ワッハハ 、 アッハハ 、 よう 、 おら おととい 町 さ 行っ たら 魚屋 の 店 で 章魚 と いか と が 立ちあがっ て 喧嘩 し た 、 ワッハハ 、 アッハハ 、 それ は ほん とか 、 それ がら どう し た 、 うん 、 かつお ぶし が 仲裁 に 入っ た 、 ワッハハ 、 アッハハ 、 それ から どう し た 、 ウン 、 すると かつお ぶし が ウウゥイ 、 ころ は 元禄 十 四 年 ん ん 、 おいおい 、 それ は 何 だい 、 うん 、 なに さ 、 かつお ぶし だ も ふし ば がり 、 ワッハハアッハハ 、 まあ のめ 、 さあ 一 杯 、 なんて 大 さわぎ でし た 。 ところが その 中 に 一 人 一向 笑わ ない 男 が あり まし た 。 それ は 小吉 という 青い 小さな 意地悪 の 百姓 でし た 。 
小吉 は さっき から 怒っ て ばかり い た の です 。 （ 第 一 おら 、 下座 だ ち ゅうはずぁあんまい 、 ふん 、 お 椀 の ふ ぢ ぁ 欠 げ でる 、 油煙 は ば や ば や 、 さ が な の 眼 玉 は 白く て ぎろぎろ 、 誰 って も 盃 よごさ ない えい 糞 面白 ぐもなぃ ） とうとう 小吉 が ぷっと 座 を 立ち まし た 。 
平 右 衛門 が 、 
「 待て 、 待て 、 小吉 。 もう 一 杯 やれ 、 待 てっ たら 」 と 言っ て い まし た が 小吉 は ぷいっと 下駄 を はい て 表 に 出 て しまい まし た 。 
空 が よく 晴れ て 十 三 日 の 月 が その 天辺 に かかり まし た 。 小吉 が 門 を 出よ う として ふと 足もと を 見 ます と 門 の 横 の 田 の 畔 に 疫病 除け の 「 源 の 大将 」 が 立っ て い まし た 。 
それ は 竹 へ 半紙 を 一 枚 はりつけ て 大きな 顔 を 書い た もの です 。 
その 「 源 の 大将 」 が 青い 月 の あかり の 中 で こと 更 顔 を 横 に まげ 眼 を 瞋 ら せ て 小吉 を にらん だ よう に 見え まし た 。 小吉 も 怒っ て すぐ それ を 引っこ抜い て 田 の 中 に 投げ て しまお う と し まし た が 俄 か に 何 を 考え た の か にやりと 笑っ て それ を 路 の まん中 に 立て直し まし た 。 
そして 又 ひとり で ぷんぷん ぷんぷん 言い ながら 二つ の 低い 丘 を 越え て 自分 の 家 に 帰り 、 おみやげ を 待っ て い た 子供 を 叱りつけ て だまっ て 床 に もぐり込ん で しまい まし た 。 
ちょうど その 頃 平 右 衛門 の 家 で は もう 酒盛り が 済み まし た ので 、 お客様 は みんな で ご馳走 の 残り を 藁 の つとに 入れ て 、 ぶらり ぶらりと 提げ ながら 、 三 人 ずつ ぶっつかっ たり 、 四 人 ずつ ぶっつかり 合っ たり し て 、 門 の 処 まで 出 て 参り まし た 。 
縁側 に 出 て それ を 見送っ た 平 右 衛門 は 、 みんな に わかれ の 挨拶 を し まし た 。 
「 それでは お気 を つけ て 。 おみやげ を とっ こ べ とら こ に 取ら れ な ぃように アッ ハッハッハ 」 
お客 さま の 中 の 一 人 が だらり と 振り向い て 返事 し まし た 。 
「 ハッハッハ 。 とっ こ べ とら こ だら おれ の 方 で 取っ て 食っ て やる べ 」 
その 語 が まだ 終ら ない うち に 、 神出鬼没 の とっ こ べ とら こ が 、 門 の 向う の 道 の まん中 に まっ白 な 毛 を さか 立て て 、 こっち を にらん で 立ち まし た 。 
「 わあ 、 出 た 出 た 。 逃げろ 。 逃げろ 」 
もう 大 へん な さわぎ です 。 みんな 泥足 で ヘタ ヘタ 座敷 へ 逃げ込み まし た 。 
平 右 衛門 は 手早く なげし から 薙刀 を おろし 、 さや を 払い 物凄い 抜身 を ふり 廻し まし た ので 一 人 の お客 さま は あぶなく 赤い はな を 切ら れよ う と し まし た 。 
平 右 衛門 は ひらり と 縁側 から 飛び下り て 、 はだし で 門前 の 白狐 に 向っ て 進み ます 。 
みんな も これ に 力 を 得 て かさかさ し た とき の 声 を あげ て 景気 を つけ 、 ぞろぞろ 随 い て 行き まし た 。 
さて 平 右 衛門 も あまり と いえ ば ありあり と し た その 白狐 の 姿 を 見 て は 怖 さ が 咽喉 まで こみあげ まし た が 、 みんな の 手前 も あり ます ので 、 やっと 一声 切り込ん で 行き まし た 。 
たしかに 手ごたえ が あっ て 、 白い もの は 薙刀 の 下 で 、 プルプル 動い て い ます 。 
「 仕留め た ぞ 。 仕留め た ぞ 。 みんな 来い 」 と 平 右 衛門 は 叫び まし た 。 
「 さすが は 畜生 の 悲し さ 、 もろい もん だ 」 と みんな は 悦び 勇ん で 狐 の 死骸 を 囲み まし た 。 
ところが どう です 。 今度 は みんな は 却って ぎっくりしてしまいました 。 そう でしょ う 。 
その 古い 狐 は 、 もう 身代り に 疫病 よ け の 「 源 の 大将 」 など を 置い て 、 どこ か へ 逃げ て いる の です 。 
みんな は 口々 に 言い まし た 。 
「 やっぱり 古い 狐 だ な 。 まるで 眼 玉 は 火 の よう だっ た ぞ 」 
「 おまけ に 毛 と いっ たら 銀 の 針 だ 」 
「 全く 争わ れ ない もん だ 。 口 が 耳 まで 裂け て い た から な 。 崇 られ ま ぃが 」 
「 心配 する な 。 あした は みんな で 川岸 に 油揚 を 持っ て 行っ て 置い て 来る と しよ う 」 
みんな は 帰る 元気 も なくなっ て 、 平 右 衛門 の 所 に 泊り まし た 。 
「 源 の 大将 」 は お 顔 を 半分 切ら れ て 月光 に キリキリ 歯 を 喰い しばっ て いる よう に 見え まし た 。 
夜中 に なっ て から 「 とっ こ べ 、 とら 子 」 と その 沢山 の 可愛らしい 部下 と が 又 出 て 来 て 、 庭 に 抛り出さ れ た あの おみやげ の 藁 の 苞 を 、 かさかさ 引い た 、 たしかに その 音 が し た と みんな が さっき も 話し て い まし た 。 
を かし な はがき が 、 ある 土曜日 の 夕 がた 、 一郎 の うち に き まし た 。 
かね た 一郎 さま 　 九月 十 九 日 
あなた は 、 ご き げん よろしい ほ で 、 けつ こ です 。 
あした 、 めんど なさい ばん し ます から 、 おいで 
ん なさい 。 と びどぐもたないでくなさい 。 
山 ねこ 　 拝 
こんな の です 。 字 は まるで へた で 、 墨 も がさ が さして 指 に つく くら ゐ でし た 。 けれども 一郎 は うれしく て うれしく て たまり ませ ん でし た 。 はがき を そつ と 学校 の かばん に し まつ て 、 うち ぢ ゆう と ん だり はね たり し まし た 。 
ね 床 に もぐ つて から も 、 山猫 のに やあ と し た 顔 や 、 その めん だ う だ といふ 裁判 の けしき など を 考へ て 、 おそく まで ねむり ませ ん でし た 。 
けれども 、 一郎 が 眼 を さまし た とき は 、 もうす つかり 明るく な つて ゐ まし た 。 お もて に で て みる と 、 ま はり の 山 は 、 みんな たつ たい まで き た ばかり の やう に うるうる もりあが つ て 、 まつ 青 な そら の し た に ならん で ゐ まし た 。 一郎 は いそい で ごはん を たべ て 、 ひとり 谷川 に 沿 つ たこ みち を 、 かみ の 方 へ の ぼつ て 行き まし た 。 
すき と ほ つた 風 が ざあつと 吹く と 、 栗 の 木 は ばらばら と 実 を おとし まし た 。 一郎 は 栗 の 木 を みあげ て 、 
「 栗 の 木 、 栗 の 木 、 や ま ねこ が ここ を 通ら なかつ た かい 。 」 と きき まし た 。 栗 の 木 はちよ つと しづか に な つて 、 
「 や まねこ なら 、 けさ はやく 、 馬車 で ひがし の 方 へ 飛ん で 行き まし た よ 。 」 と 答 へ まし た 。 
「 東 なら ぼく の いく 方 だ ねえ 、 を かしい な 、 とにかく もつ と い つ て みよ う 。 栗 の 木 ありがたう 。 」 
栗 の 木 は だま つて また 実 を ばらばら と おとし まし た 。 
一郎 が すこし 行き ます と 、 そこ は もう 笛 ふき の 滝 でし た 。 笛 ふき の 滝 といふ の は 、 まつ 白 な 岩 の 崖 の なか ほど に 、 小さな 穴 が あい て ゐ て 、 そこ から 水 が 笛 の やう に 鳴 つ て 飛び出し 、 すぐ 滝 に な つて 、 ご う ご う 谷 に おち て ゐる の を いふ の でし た 。 
一郎 は 滝 に 向い て 叫び まし た 。 
「 おいおい 、 笛 ふき 、 や ま ねこ が ここ を 通ら なかつ た かい 。 」 
滝 が ぴーぴー 答 へ まし た 。 
「 やま ねこ は 、 さつき 、 馬車 で 西 の 方 へ 飛ん で 行き まし た よ 。 」 
「 を かしい な 、 西 なら ぼく の うち の 方 だ 。 けれども 、 まあ も 少し 行 つ て みよ う 。 ふえ ふき 、 ありがたう 。 」 
滝 は また もと の やう に 笛 を 吹き つ ゞ け まし た 。 
一郎 が また すこし 行き ます と 、 一 本 のぶ な の 木 の し た に 、 たくさん の 白い きのこ が 、 ど つて こ ど つ て こ ど つて こと 、 変 な 楽隊 を やつ て ゐ まし た 。 
一郎 は からだ を かがめ て 、 
「 おい 、 きのこ 、 や ま ねこ が 、 こ ゝ を 通ら なかつ た かい 。 」 
と きき まし た 。 すると きのこ は 
「 や まねこ なら 、 けさ はやく 、 馬車 で 南 の 方 へ 飛ん で 行き まし た よ 。 」 とこ た へ まし た 。 一郎 は 首 を ひねり まし た 。 
「 みなみ なら あつ ちの 山 の なか だ 。 を かしい な 。 まあ も すこし 行 つ て みよ う 。 きのこ 、 ありがたう 。 」 
きのこ は みんな いそがし さ うに 、 ど つて こ ど つて こと 、 あの へん な 楽隊 を つづけ まし た 。 
一郎 は また すこし 行き まし た 。 すると 一 本 の くるみ の 木 の 梢 を 、 栗鼠 が ぴよんととんでゐました 。 一郎 は すぐ 手まね ぎし て それ を とめ て 、 
「 おい 、 りす 、 や ま ねこ が ここ を 通ら なかつ た かい 。 」 と たづ ね まし た 。 すると りす は 、 木 の 上 から 、 額 に 手 を かざし て 、 一郎 を 見 ながら こ た へ まし た 。 
「 や まねこ なら 、 けさ まだ くらい うち に 馬車 で みなみ の 方 へ 飛ん で 行き まし た よ 。 」 
「 みなみ へ 行 つた なんて 、 二 とこ で そんな こと を 言 ふ の は を かしい なあ 。 けれども まあ も すこし 行 つ て みよ う 。 りす 、 ありがたう 。 」 りす は もう 居 ませ ん でし た 。 た ゞ くるみ の いちばん 上 の 枝 が ゆれ 、 と なり のぶ な の 葉 が ちら つと ひか つ た だけ でし た 。 
一郎 が すこし 行き まし たら 、 谷川 に そつ た みち は 、 もう 細く な つて 消え て しまひ まし た 。 そして 谷川 の 南 の 、 まつ 黒 な 榧の木 の 森 の 方 へ 、 あたらし いち ひ さ な みち が つい て ゐ まし た 。 一郎 は その みち を の ぼつ て 行き まし た 。 榧 の 枝 は ま つくろ に 重なり あつ て 、 青 ぞ ら は 一 きれ も 見え ず 、 みち は 大 へん 急 な 坂 に なり まし た 。 一郎 が 顔 を まつ か に し て 、 汗 を ぽとぽと おとし ながら 、 その 坂 を のぼり ます と 、 に はか に ぱつと 明るく な つて 、 眼 がち くつ と し まし た 。 そこ は うつくしい 黄金 いろ の 草地 で 、 草 は 風 に ざわざわ 鳴り 、 ま はり は 立派 な オリーヴ いろ の かやの木 の もり で かこま れ て あり まし た 。 
その 草地 の まん中 に 、 せい の 低い を かし な 形 の 男 が 、 膝 を 曲げ て 手 に 革 鞭 を もつ て 、 だま つ て こ つ ち を み て ゐ た の です 。 
一郎 は だんだん そば へ 行 つて 、 びつくり し て 立ちどま つ て しまひ まし た 。 その 男 は 、 片 眼 で 、 見え ない 方 の 眼 は 、 白く びく びく うごき 、 上着 の やう な 半纏 の やう な へん な もの を 着 て 、 だいいち 足 が 、 ひどく ま が つて 山羊 の やう 、 ことに その あし さき とき たら 、 ごはん を もる へ ら の かたち だ つたの です 。 一郎 は 気味が悪 かつ た の です が 、 なるべく 落ちつい て たづ ね まし た 。 
「 あなた は 山猫 を しり ませ ん か 。 」 
すると その 男 は 、 横 眼 で 一 郎 の 顔 を 見 て 、 口 を まげて に やつ と わら つて 言 ひ まし た 。 
「 山 ねこ さま は いま すぐ に 、 こ ゝ に 戻 つ て お 出 やる よ 。 お ま へ は 一郎 さん だ な 。 」 
一郎 は ぎよつとして 、 一 あし うし ろ に さ が つて 、 
「 え 、 ぼく 一 郎 です 。 けれども 、 どうして それ を 知 つ て ます か 。 」 と 言 ひ まし た 。 すると その 奇 体 な 男 は いよいよ にやにや し て しまひ まし た 。 
「 そん だら 、 はがき 見 だ べ 。 」 
「 見 まし た 。 それ で 来 た ん です 。 」 
「 あの ぶん し やう は 、 ず ゐ ぶん 下手 だ べ 。 」 と 男 は 下 を むい て かなし さ うに 言 ひ まし た 。 一郎 はきの ど くに な つて 、 
「 さあ 、 なかなか 、 ぶん し やう が うまい やう でし た よ 。 」 
と 言 ひ ます と 、 男 は よろこん で 、 息 を は あ はあ し て 、 耳 の あたり まで まつ 赤 に なり 、 きもの の えり を ひろげ て 、 風 を からだ に 入れ ながら 、 
「 あの 字 も なかなか うまい か 。 」 とき ゝ まし た 。 一郎 は 、 おも はず 笑 ひだ し ながら 、 へんじ し まし た 。 
「 うまい です ね 。 五 年生 だ つて あの くら ゐ に は 書け ない で せ う 。 」 
すると 男 は 、 急 に また いや な 顔 を し まし た 。 
「 五 年生 つて いふ の は 、 尋常 五 年生 だ べ 。 」 その 声 が 、 あんまり 力 なく あはれ に 聞え まし た ので 、 一郎 は あわて て 言 ひ まし た 。 
「 い ゝ え 、 大 学校 の 五 年生 です よ 。 」 
すると 、 男 は また よろこん で 、 まるで 、 顔 ぢ ゆう 口 の やう に し て 、 にたにた にたにた 笑 つて 叫び まし た 。 
「 あの はがき は わし が 書い た の だ よ 。 」 
一郎 は を かしい の を こら へ て 、 
「 ぜんたい あなた は なに です か 。 」 と たづ ね ます と 、 男 は 急 に まじめ に なつ て 、 
「 わし は 山 ねこ さま の 馬車 別当 だ よ 。 」 と 言 ひ まし た 。 
その とき 、 風 が どう と 吹い て き て 、 草 はいち めん 波だち 、 別当 は 、 急 に ていねい な おじぎ を し まし た 。 
一郎 は を かし いとお もつ て 、 ふり か へ つて 見 ます と 、 そこ に 山猫 が 、 黄いろ な 陣羽織 の やう な もの を 着 て 、 緑 いろ の 眼 を ま ん 円 に し て 立つ て ゐ まし た 。 やつ ぱり 山猫 の 耳 は 、 立つ て 尖 つ て ゐる な と 、 一郎 が お も ひ まし たら 、 山 ねこ は ぴよこつとおじぎをしました 。 一郎 も ていねい に 挨拶 し まし た 。 
「 いや 、 こんにちは 、 きのふ は はがき を ありがたう 。 」 
山猫 は ひ げ を ぴんと ひつ ぱつて 、 腹 を つき 出し て 言 ひ まし た 。 
「 こんにちは 、 よく いら つ し やい まし た 。 じつは を と ゝ ひ から 、 めん だ う な あらそ ひ が おこ つて 、 ちよ つと 裁判 に こまり まし た ので 、 あなた の お 考 へ を 、 う か が ひたい とお も ひ まし た の です 。 まあ 、 ゆ つくり 、 お やすみ ください 。 ぢ き 、 どん ぐりどもがまゐりませう 。 どうも まい 年 、 この 裁判 で くるしみ ます 。 」 山 ねこ は 、 ふところ から 、 巻煙草 の 箱 を 出し て 、 じ ぶん が 一 本 く は へ 、 
「 いか ゞ です か 。 」 と 一郎 に 出し まし た 。 一郎 は びつくり し て 、 
「 い ゝ え 。 」 と 言 ひ まし たら 、 山 ねこ は お ほや うに わら つて 、 
「 ふ ゝ ん 、 まだ お 若い から 、 」 と 言 ひ ながら 、 マツチ を し ゆ つと 擦 つ て 、 わざと 顔 を しかめ て 、 青い け むりをふうと 吐き まし た 。 山 ねこ の 馬車 別当 は 、 気 を 付け の 姿勢 で 、 し やん と 立つ て ゐ まし た が 、 いかにも 、 たばこ の ほしい の を むりにこらへてゐるらしく 、 なみ だ を ぼろぼろ こぼし まし た 。 
その とき 、 一郎 は 、 足もと で パチパチ 塩 の はぜる やう な 、 音 を き ゝ まし た 。 びつくり し て 屈ん で 見 ます と 、 草 の なか に 、 あつ ち に も こ つ ち に も 、 黄金 いろ の 円い もの が 、 ぴかぴか ひか つ て ゐる の でし た 。 よく みる と 、 みんな それ は 赤い ず ぼん を はい た どんぐり で 、 もう その 数 とき たら 、 三 百 でも 利か ない やう でし た 。 わあわあ わあわあ 、 みんな なにか 云 つて ゐる の です 。 
「 あ 、 来 た な 。 蟻 の やう に やつ て くる 。 おい 、 さあ 、 早く ベル を 鳴らせ 。 今日 は そこ が 日当り がい ゝ から 、 そこ の とこ の 草 を 刈れ 。 」 や ま ねこ は 巻 たばこ を 投げ すて て 、 大 いそぎ で 馬車 別当 に いひ つけ まし た 。 馬車 別当 も たいへん あわて て 、 腰 から 大きな 鎌 を とりだし て 、 ざつくざつくと 、 やま ね この 前 の とこ の 草 を 刈り まし た 。 そこ へ 四方 の 草 の なか から 、 どんぐり ども が 、 ぎらぎら ひか つ て 、 飛び出し て 、 わあわあ わあわあ 言 ひ まし た 。 
馬車 別当 が 、 こんど は 鈴 を がらん が らん が らん がらんと 振り まし た 。 音 は かや の 森 に 、 がらん が らん が らん がらんと ひ ゞ き 、 黄金 の どんぐり ども は 、 すこし しづか に なり まし た 。 見る と 山 ねこ は 、 もう いつか 、 黒い 長い 繻子 の 服 を 着 て 、 勿体らしく 、 どんぐり ども の 前 に すわ つ て ゐ まし た 。 まるで 奈良 の だい ぶつ さま に さんけい する みんな の 絵 の やう だ と 一 郎 は お も ひ まし た 。 別当 が こんど は 、 革 鞭 を 二三 べ ん 、 ひ ゆう ぱちつ 、 ひ ゆう 、 ぱちつと 鳴らし まし た 。 
空 が 青く すみわたり 、 どん ぐりはぴかぴかしてじつにきれいでした 。 
「 裁判 も もう 今日 で 三 日 目 だ ぞ 、 い ゝ 加減 に なか な ほり を し たら どう だ 。 」 山 ねこ が 、 すこし 心配 さ う に 、 それでも むりに 威張 つて 言 ひ ます と 、 どんぐり ども は 口々 に 叫び まし た 。 
「 いえいえ 、 だめ です 、 なんと いつ たつ て 頭 の とが つ てる の が いちばん えらい ん です 。 そして わたし が いちばん と が つて ゐ ます 。 」 
「 い ゝ え 、 ち が ひ ます 。 まるい の が えらい の です 。 いちばん まるい の は わたし です 。 」 
「 大きな こと だ よ 。 大きな の が いちばん えらい ん だ よ 。 わたし が いちばん 大きい から わたし が えらい ん だ よ 。 」 
「 さ う で ない よ 。 わたし の はう が よほど 大きい と 、 きのふ も 判事 さん が お つ し やつ た ぢ や ない か 。 」 
「 だめ だい 、 そんな こと 。 せい の 高い の だ よ 。 せい の 高い こと な ん だ よ 。 」 
「 押し つ この えらい ひと だ よ 。 押し つ こ を し て きめる ん だ よ 。 」 もう みんな 、 がやがや がやがや 言 つて 、 なに が なんだか 、 まるで 蜂の巣 を つ ゝ つい た やう で 、 わけ が わから なく なり まし た 。 そこで や ま ねこ が 叫び まし た 。 
「 やかましい 。 こ ゝ を なんと こ ゝ ろ える 。 しづ まれ 、 しづ まれ 。 」 
別当 が むちをひゆうぱちつとならしましたのでどんぐりどもは 、 やつ と し づまりました 。 や ま ねこ は 、 ぴんと ひ げ を ひね つ て 言 ひ まし た 。 
「 裁判 も もうけ ふ で 三 日 目 だ ぞ 。 い ゝ 加減 に 仲 な ほり し たら どう だ 。 」 
すると 、 もう どんぐり ども が 、 くち ぐち に 云 ひ まし た 。 
「 いえいえ 、 だめ です 。 なんと いつ たつ て 、 頭 の と が つて ゐる の が いちばん えらい の です 。 」 
「 い ゝ え 、 ち が ひ ます 。 まるい の が えらい の です 。 」 
「 さ う で ない よ 。 大きな こと だ よ 。 」 がやがや がやがや 、 もう なに が なんだか わから なく なり まし た 。 山猫 が 叫び まし た 。 
「 だまれ 、 やかましい 。 こ ゝ を なんと 心得る 。 し づまれしづまれ 。 」 
別当 が 、 むちをひゆうぱちつと 鳴らし まし た 。 山猫 が ひ げ を ぴんと ひね つ て 言 ひ まし た 。 
「 裁判 も もうけ ふ で 三 日 目 だ ぞ 。 い ゝ 加減 に なか な ほり を し たら どう だ 。 」 
「 いえ 、 いえ 、 だめ です 。 あ たま の とが つ た もの が … … 。 」 がやがや がやがや 。 
山 ねこ が 叫び まし た 。 
「 やかましい 。 こ ゝ を なんと こ ゝ ろ える 。 しづ まれ 、 しづ まれ 。 」 
別当 が 、 むちをひゆうぱちつと 鳴らし 、 どん ぐりはみんなしづまりました 。 山猫 が 一 郎 に そつ と 申し まし た 。 
「 この と ほり です 。 どう し た らい ゝ で せ う 。 」 
一郎 は わら つ て こ た へ まし た 。 
「 そん なら 、 かう 言 ひ わたし たらい ゝ で せ う 。 この なか で いちばん ばか で 、 め ちや くち や で 、 まるで な つて ゐ ない やう な の が 、 いちばん えらい と ね 。 ぼく お 説教 で きい た ん です 。 」 
山猫 は なる ほど といふ ふう に うなづい て 、 それから いかにも 気取 つ て 、 繻子 の きもの の 胸 を 開い て 、 黄いろ の 陣羽織 を ちよ つと 出し て どんぐり ども に 申し わたし まし た 。 
「 よろしい 。 しづか に しろ 。 申し わたし だ 。 この なか で 、 いちばん えらく なく て 、 ばか で 、 め ちや くち や で 、 てんで な つて ゐ なく て 、 あ たま の つぶれ た やう な やつ が 、 いちばん えらい の だ 。 」 
どんぐり は 、 しいんと し て しまひ まし た 。 それ は それ は しいんと し て 、 堅 まつ て しまひ まし た 。 
そこで 山猫 は 、 黒い 繻子 の 服 を ぬい で 、 額 の 汗 を ぬぐ ひな がら 、 一郎 の 手 を とり まし た 。 別当 も 大 よろこび で 、 五 六 ぺん 、 鞭 を ひ ゆう ぱちつ 、 ひ ゆう ぱちつ 、 ひ ゆう ひ ゆう ぱちつと 鳴らし まし た 。 や ま ねこ が 言 ひ まし た 。 
「 どうも ありがたう ござい まし た 。 これ ほど の ひどい 裁判 を 、 まるで 一 分 半 で かたづけ て ください まし た 。 どう か これから わたし の 裁判所 の 、 名誉 判事 に なつ て ください 。 これから も 、 葉書 が 行 つ たら 、 どうか 来 て ください ませ ん か 。 その たび に お礼 は いたし ます 。 」 
「 承知 し まし た 。 お礼 なんか いり ませ ん よ 。 」 
「 い ゝ え 、 お礼 は どうか とつ て ください 。 わたし の じん か くに か ゝ はり ます から 。 そして これから は 、 葉書 に かね た 一郎 どの と 書い て 、 こちら を 裁判所 と し ます が 、 よう ござい ます か 。 」 
一郎 が 「 え ゝ 、 かま ひ ませ ん 。 」 と 申し ます と 、 や ま ねこ は まだ なにか 言 ひたさ う に 、 しばらく ひ げ を ひね つ て 、 眼 を ぱちぱち さ せ て ゐ まし た が 、 た うとう 決心 し た らしく 言 ひ 出し まし た 。 
「 それから 、 はがき の 文句 です が 、 これから は 、 用事 これ あり に 付き 、 明日 出頭 す べし と 書い て どう で せ う 。 」 
一郎 は わら つて 言 ひ まし た 。 
「 さあ 、 なんだか 変 です ね 。 そいつ だけ は やめ た 方 が い ゝ で せ う 。 」 
山猫 は 、 どうも 言 ひ やう がま づか つ た 、 いかにも 残念 だ といふ ふう に 、 しばらく ひ げ を ひね つ たま ゝ 、 下 を 向い て ゐ まし た が 、 やつ と あきらめ て 言 ひ まし た 。 
「 それでは 、 文句 は いま まで の と ほり に し ませ う 。 そこで 今日 の お礼 です が 、 あなた は 黄金 の どんぐり 一 升 と 、 塩鮭 の あ たま と 、 ど つ ち を お すき です か 。 」 
「 黄金 の どんぐり が すき です 。 」 
山猫 は 、 鮭 の 頭 で なく て 、 まあ よ かつ た といふ やう に 、 口早 に 馬車 別当 に 云 ひ まし た 。 
「 どんぐり を 一 升 早く もつ て こい 。 一 升 に たり なかつ たら 、 め つき の どんぐり も まぜ て こい 。 はやく 。 」 
別当 は 、 さつき の どんぐり を ます に 入れ て 、 は かつて 叫び まし た 。 
「 ちやう ど 一 升 あり ます 。 」 
山 ねこ の 陣羽織 が 風 に ばたばた 鳴り まし た 。 そこで 山 ねこ は 、 大きく 延 びあがつて 、 め を つぶ つて 、 半分 あくび を し ながら 言 ひ まし た 。 
「 よし 、 はやく 馬車 の し たく を しろ 。 」 白い 大きな きのこ で こし ら へ た 馬車 が 、 ひつ ぱりだされました 。 そして なんだか ねずみ いろ の 、 を かし な 形 の 馬 が つい て ゐ ます 。 
「 さあ 、 お うち へ お送り いたし ませ う 。 」 山猫 が 言 ひ まし た 。 二 人 は 馬車 に のり 別当 は 、 どんぐり の ます を 馬車 の なか に 入れ まし た 。 
ひ ゆう 、 ぱちつ 。 
馬車 は 草地 を はなれ まし た 。 木 や 藪 がけ むりのやうにぐらぐらゆれました 。 一郎 は 黄金 の どんぐり を 見 、 や ま ねこ は とぼけ た か ほ つきで 、 遠く を み て ゐ まし た 。 
馬車 が 進む に し た が つて 、 どんぐり は だんだん 光 が うすく な つて 、 まもなく 馬車 が と まつ た とき は 、 あたり ま へ の 茶 いろ の どんぐり に 変 つて ゐ まし た 。 そして 、 山 ね この 黄いろ な 陣羽織 も 、 別当 も 、 きのこ の 馬車 も 、 一 度 に 見え なく な つて 、 一郎 はじ ぶん の うち の 前 に 、 どんぐり を 入れ た ます を 持つ て 立つ て ゐ まし た 。 
それから あと 、 山 ねこ 拝 といふ はがき は 、 もう き ませ ん でし た 。 やつ ぱり 、 出頭 す べし と 書い て も い ゝ と 言 へ ば よ かつ た と 、 一郎 は ときどき 思ふ の です 。 
なめ とこ 山 の 熊 の こと なら おもしろい 。 なめ とこ 山 は 大きな 山 だ 。 淵 沢川 は なめ とこ 山 から 出 て 来る 。 なめ とこ 山 は 一 年 の うち 大 てい の 日 は つめたい 霧 か 雲 か を 吸っ たり 吐い たり し て いる 。 まわり も みんな 青黒い なまこ や 海坊主 の よう な 山 だ 。 山 の なか ごろ に 大きな 洞穴 が がらんと あい て いる 。 そこ から 淵 沢川 が いきなり 三 百 尺 ぐらい の 滝 に なっ て ひのき や いたや の しげみ の 中 を ご う と 落ち て 来る 。 
中山 街道 は このごろ は 誰 も 歩か ない から 蕗 や いたどり が いっぱい に 生え たり 牛 が 遁 げ て 登ら ない よう に 柵 を みち に たて たり し て いる けれども そこ を がさがさ 三里 ばかり 行く と 向う の 方 で 風 が 山 の 頂 を 通っ て いる よう な 音 が する 。 気 を つけ て そっち を 見る と 何だか わけ の わから ない 白い 細長い もの が 山 を うごい て 落ち て けむり を 立て て いる の が わかる 。 それ が なめ とこ 山 の 大空滝 だ 。 そして 昔 は その へん に は 熊 が ごちゃごちゃ 居 た そう だ 。 ほんとう は なめ とこ 山 も 熊の胆 も 私 は 自分 で 見 た の で は ない 。 人 から 聞い たり 考え たり し た こと ばかり だ 。 間 ちがっ て いる かも しれ ない けれども 私 は そう 思う の だ 。 とにかく なめ とこ 山 の 熊の胆 は 名高い もの に なっ て いる 。 
腹 の 痛い の に も きけ ば 傷 も なおる 。 鉛 の 湯 の 入口 に なめ とこ 山 の 熊の胆 あり という 昔 から の 看板 も かかっ て いる 。 だから もう 熊 は なめ とこ 山 で 赤い 舌 を べろべろ 吐い て 谷 を わたっ たり 熊 の 子供 ら が すもう を とっ て おしまい ぽかぽか 撲り あっ たり し て いる こと は たしか だ 。 熊 捕り の 名人 の 淵 沢 小 十 郎 が それ を 片っぱし から 捕っ た の だ 。 
淵 沢 小 十 郎 は すがめ の 赭黒 い ごりごり し た おやじ で 胴 は 小さな 臼 ぐらい は あっ た し 掌 は 北島 の 毘沙門 さん の 病気 を なおす ため の 手形 ぐらい 大きく 厚かっ た 。 小 十 郎 は 夏 なら 菩提樹 の 皮 で こさえ た けら を 着 て は むばきをはき 生蕃 の 使う よう な 山刀 と ポルトガル 伝来 という よう な 大きな 重い 鉄砲 を もっ て たくましい 黄いろ な 犬 を つれ て なめ とこ 山 から し どけ 沢 から 三つ又 から サッカイ の 山 から マミ 穴 森 から 白沢 から まるで 縦横 に あるい た 。 木 が いっぱい 生え て いる から 谷 を 溯っ て いる と まるで 青黒い トンネル の 中 を 行く よう で 時 に は ぱっと 緑 と 黄金 いろ に 明るく なる こと も あれ ば そこら 中 が 花 が 咲い た よう に 日光 が 落ち て いる こと も ある 。 そこ を 小 十 郎 が 、 まるで 自分 の 座敷 の 中 を 歩い て いる という ふう で ゆっくり のっしのっし と やっ て 行く 。 犬 は さき に 立っ て 崖 を 横這い に 走っ たり ざぶんと 水 に かけ込ん だり 淵 の のろのろ し た 気味 の 悪 いとこ を もう 一生けん命 に 泳い で やっと 向う の 岩 に のぼる と からだ を ぶるぶる っと し て 毛 を たて て 水 を ふるい落し それ から 鼻 を しかめ て 主人 の 来る の を 待っ て いる 。 小 十 郎 は 膝 から 上 に まるで 屏風 の よう な 白い 波 を たて ながら コンパス の よう に 足 を 抜き差し し て 口 を 少し 曲げ ながら やって来る 。 そこで あんまり 一 ぺん に 言っ て しまっ て 悪い けれども なめ とこ 山 あたり の 熊 は 小 十 郎 を すき な の だ 。 その 証拠 に は 熊 ども は 小 十 郎 が ぼ ちゃぼ ちゃ 谷 を こい だり 谷 の 岸 の 細い 平ら な いっぱい に あざみ など の 生え て いる とこ を 通る とき は だまっ て 高 いとこ から 見送っ て いる の だ 。 木 の 上 から 両手 で 枝 に とりつい たり 崖 の 上 で 膝 を かかえ て 座っ たり し て おもしろ そう に 小 十 郎 を 見送っ て いる の だ 。 まったく 熊 ども は 小 十 郎 の 犬 さえ すき な よう だっ た 。 けれども いくら 熊 ども だって すっかり 小 十 郎 と ぶっつかっ て 犬 が まるで 火 の つい た まり の よう に なっ て 飛びつき 小 十 郎 が 眼 を まるで 変 に 光らし て 鉄砲 を こっち へ 構える こと は あんまり すき で は なかっ た 。 その とき は 大 てい の 熊 は 迷惑 そう に 手 を ふっ て そんな こと を さ れる の を 断わっ た 。 けれども 熊 も いろいろ だ から 気 の 烈しい やつ なら ご う ご う 咆 えて 立ちあがっ て 、 犬 など は まるで 踏みつぶし そう に し ながら 小 十 郎 の 方 へ 両手 を 出し て かかっ て 行く 。 小 十 郎 は ぴったり 落ち着い て 樹 を たて に し て 立ち ながら 熊 の 月の輪 を めがけ て ズドン と やる の だっ た 。 すると 森 まで が が あっと 叫ん で 熊 は ど たっ と 倒れ 赤黒い 血 を どくどく 吐き 鼻 を くん くん 鳴らし て 死ん で しまう の だっ た 。 小 十 郎 は 鉄砲 を 木 へ たてかけ て 注意深く そば へ 寄っ て 来 て こう 言う の だっ た 。 
「 熊 。 おれ はて まえ を 憎く て 殺し た の で ねえ ん だ ぞ 。 おれ も 商売 なら てめえ も 射 た な け ぁならねえ 。 ほか の 罪 の ね え 仕事 し て い ん だ が 畑 は なし 木 は お上 の もの に きまっ た し 里 へ 出 て も 誰 も 相手 に し ねえ 。 仕方 なし に 猟師 なんぞ しる ん だ 。 てめえ も 熊 に 生れ た が 因果 なら おれ も こんな 商売 が 因果 だ 。 やい 。 この 次 に は 熊 なんぞ に 生れ な よ 」 
その とき は 犬 も すっかり しょげかえっ て 眼 を 細く し て 座っ て い た 。 
何せ この 犬 ばかり は 小 十 郎 が 四 十 の 夏 うち 中 みんな 赤痢 に かかっ て とうとう 小 十 郎 の 息子 と その 妻 も 死ん だ 中 に ぴんぴん し て 生き て い た の だ 。 
それから 小 十 郎 は ふところ から とぎ すまさ れ た 小刀 を 出し て 熊 の 顎 の とこ から 胸 から 腹 へ かけ て 皮 を すうっ と 裂い て いく の だっ た 。 それから あと の 景色 は 僕 は 大 きらい だ 。 けれども とにかく おしまい 小 十 郎 が まっ 赤 な 熊の胆 を せ なか の 木 の ひつ に 入れ て 血 で 毛 が ぼとぼと 房 に なっ た 毛皮 を 谷 で あらっ て くるくる まるめ せ なか に しょっ て 自分 も ぐんなりした 風 で 谷 を 下っ て 行く こと だけ は たしか な の だ 。 
小 十 郎 は もう 熊 の ことば だって わかる よう な 気 が し た 。 ある 年 の 春 はやく 山 の 木 が まだ 一 本 も 青く なら ない ころ 小 十 郎 は 犬 を 連れ て 白沢 を ず うっ と のぼっ た 。 夕方 に なっ て 小 十 郎 は ばっか ぃ 沢 へ こえる 峯 に なっ た 処 へ 去年 の 夏 こさえ た 笹 小屋 へ 泊ろ う と 思っ て そこ へ のぼっ て 行っ た 。 そしたら どういう 加減 か 小 十 郎 の 柄 に も なく 登り 口 を まちがっ て しまっ た 。 
なん べ ん も 谷 へ 降り て また 登り 直し て 犬 も へとへと に つか れ 小 十 郎 も 口 を 横 に まげ て 息 を し ながら 半分 くずれ かかっ た 去年 の 小屋 を 見つけ た 。 小 十 郎 が すぐ 下 に 湧 水 の あっ た の を 思い出し て 少し 山 を 降り かけ たら 愕 い た こと は 母親 と やっと 一 歳 に なる か なら ない よう な 子 熊 と 二 疋 ちょうど 人 が 額 に 手 を あて て 遠く を 眺める といった ふう に 淡い 六 日 の 月光 の 中 を 向う の 谷 を しげしげ 見つめ て いる の に あっ た 。 小 十 郎 は まるで その 二 疋 の 熊 の からだ から 後光 が 射す よう に 思え て まるで 釘付け に なっ た よう に 立ちどまっ て そっち を 見つめ て い た 。 すると 小熊 が 甘える よう に 言っ た の だ 。 
「 どうしても 雪 だ よ 、 おっかさん 谷 の こっち 側 だけ 白く なっ て いる ん だ もの 。 どうしても 雪 だ よ 。 おっかさん 」 
すると 母親 の 熊 は まだ しげしげ 見つめ て い た が やっ と 言っ た 。 
「 雪 で ない よ 、 あすこ へ だけ 降る はず が ない ん だ もの 」 
子 熊 は また 言っ た 。 
「 だから 溶け ない で 残っ た の でしょ う 」 
「 いいえ 、 おっかさん は あざみ の 芽 を 見 に 昨日 あすこ を 通っ た ばかり です 」 
小 十 郎 も じっと そっち を 見 た 。 
月 の 光 が 青じろく 山 の 斜面 を 滑っ て い た 。 そこ が ちょうど 銀 の 鎧 の よう に 光っ て いる の だっ た 。 しばらく たって 子 熊 が 言っ た 。 
「 雪 で なけ ぁ 霜 だ ねえ 。 きっと そう だ 」 
ほんとう に 今夜 は 霜 が 降る ぞ 、 お 月 さま の 近く で 胃 も あんなに 青く ふるえ て いる し 第 一 お 月 さま の いろ だって まるで 氷 の よう だ 、 小 十 郎 が ひとり で 思っ た 。 
「 おか あさま は わかっ た よ 、 あれ ねえ 、 ひき ざく ら の 花 」 
「 なぁ ん だ 、 ひき ざく ら の 花 だい 。 僕 知っ てる よ 」 
「 いいえ 、 お前 まだ 見 た こと あり ませ ん 」 
「 知っ てる よ 、 僕 この 前 とっ て 来 た もの 」 
「 いいえ 、 あれ ひき ざく ら で あり ませ ん 、 お前 とっ て 来 た の きささげ の 花 でしょ う 」 
「 そう だろ う か 」 子 熊 は とぼけ た よう に 答え まし た 。 小 十 郎 は なぜ かも う 胸 が いっぱい に なっ て もう 一 ぺん 向う の 谷 の 白い 雪 の よう な 花 と 余念 なく 月光 を あび て 立っ て いる 母子 の 熊 を ちらっと 見 て それ から 音 を たて ない よう に こっそり こっそり 戻り はじめ た 。 風 が あっち へ 行く な 行く な と 思い ながら そろそろ と 小 十 郎 は 後退り し た 。 くろ も じ の 木 の 匂 が 月 の あかり と いっしょ に すうっ と さし た 。 
ところが この 豪儀 な 小 十 郎 が まち へ 熊 の 皮 と 胆 を 売り に 行く とき の みじめ さ と いっ たら 全く 気の毒 だっ た 。 
町 の 中 ほど に 大きな 荒物屋 が あっ て 笊 だの 砂糖 だの 砥石 だの 金 天狗 や カメレオン 印 の 煙草 だの それ から 硝子 の 蠅 とり まで ならべ て い た の だ 。 小 十 郎 が 山 の よう に 毛皮 を し ょってそこのしきいを 一 足 またぐ と 店 で は 又 来 た か という よう に うす わらっ て いる の だっ た 。 店 の 次の間 に 大きな 唐金 の 火鉢 を 出し て 主人 が どっかり 座っ て い た 。 
「 旦那 さん 、 先 ころ は どうも あり が どう ご あん し た 」 
あの 山 で は 主 の よう な 小 十 郎 は 毛皮 の 荷物 を 横 に おろし て 叮 ねい に 敷板 に 手 を つい て 言う の だっ た 。 
「 はあ 、 どうも 、 今日 は 何 の ご用 です 」 
「 熊 の 皮 また 少し 持っ て 来 た ます 」 
「 熊 の 皮 か 。 この 前 の も まだ あの まま しまっ て ある し 今日 ぁまんついいます 」 
「 旦那 さん 、 そう 言わ な ぃでどうか 買っ て 呉ん な さ ぃ 。 安く て も いい ます 」 
「 なんぼ 安く て も 要ら な ぃます 」 主人 は 落ち着き はらっ て きせる を たんたんと て の ひ ら へ たたく の だ 、 あの 豪気 な 山 の 中 の 主 の 小 十 郎 は こう 言わ れる たび に も うまる で 心配 そう に 顔 を しかめ た 。 何せ 小 十 郎 の とこ で は 山 に は 栗 が あっ た し うし ろ の まるで 少し の 畑 から は 稗 が とれる の で は あっ た が 米 など は 少し も でき ず 味噌 も なかっ た から 九 十 に なる と しよ り と 子供 ばかり の 七 人 家内 に もっ て 行く 米 は ごく わずか ずつ でも 要っ た の だ 。 
里 の 方 の もの なら 麻 も つくっ た けれども 、 小 十 郎 の とこ で は わずか 藤 つる で 編む 入れ物 の 外 に 布 に する よう な もの は なんにも 出来 なかっ た の だ 。 小 十 郎 は しばらく たって から まるで しわがれ た よう な 声 で 言っ た もん だ 。 
「 旦那 さん 、 お 願 だ ます 。 どう が 何 ぼ でも いい はん て 買っ て 呉 な ぃ 」 小 十 郎 は そう 言い ながら 改めて おじぎ さえ し た もん だ 。 
主人 は だまっ て しばらく けむり を 吐い て から 顔 の 少し で に かに か 笑う の を そっと かくして 言っ た もん だ 。 
「 いい ます 。 置い で お 出れ 。 じゃ 、 平助 、 小 十郎 さん さ 二 円 あげろ じゃ 」 
店 の 平助 が 大きな 銀貨 を 四 枚 小 十 郎 の 前 へ 座っ て 出し た 。 小 十 郎 は それ を 押し いただく よう に し て に か に かし ながら 受け取っ た 。 それから 主人 は こんど は だんだん 機嫌 が よく なる 。 
「 じゃ 、 おき の 、 小 十郎 さん さ 一 杯 あげろ 」 
小 十 郎 は この ころ は もう うれしく て わくわく し て いる 。 主人 は ゆっくり いろいろ 談 す 。 小 十 郎 は かしこまっ て 山 の も よう や 何 か 申しあげ て いる 。 間もなく 台所 の 方 から お 膳 でき た と 知らせる 。 小 十 郎 は 半分 辞退 する けれども 結局 台所 の とこ へ 引っぱら れ て っ て また 叮寧 な 挨拶 を し て いる 。 
間もなく 塩引 の 鮭 の 刺身 や いか の 切り込み など と 酒 が 一 本 黒い 小さな 膳 に のっ て 来る 。 
小 十 郎 は ちゃんと かしこまっ て そこ へ 腰掛け て いか の 切り 込み を 手の甲 に のせ て べろりと なめ たり うやうやしく 黄いろ な 酒 を 小さな 猪口 に つい だり し て いる 。 いくら 物価 の 安い とき だって 熊 の 毛皮 二 枚 で 二 円 は あんまり 安い と 誰 でも 思う 。 実に 安い し あんまり 安い こと は 小 十 郎 でも 知っ て いる 。 けれども どうして 小 十 郎 は そんな 町 の 荒物屋 なんか へ で なし に ほか の 人 へ どしどし 売れ ない か 。 それ は なぜ か 大 てい の 人 に は わから ない 。 けれども 日本 で は 狐 けん という もの も あっ て 狐 は 猟師 に 負け 猟師 は 旦那 に 負ける と きまっ て いる 。 ここ で は 熊 は 小 十 郎 に やら れ 小 十 郎 が 旦那 に やら れる 。 旦那 は 町 の みんな の 中 に いる から なかなか 熊 に 食わ れ ない 。 けれども こんな いや な ずるい やつ ら は 世界 が だんだん 進歩 する と ひとり で 消え て なくなっ て いく 。 僕 は しばらく の 間 で も あんな 立派 な 小 十 郎 が 二度と つら も 見 たく ない よう な いや な やつ に うまく やら れる こと を 書い た の が 実に しゃくにさわっ て たまらない 。 
こんな ふう だっ た から 小 十 郎 は 熊 ども は 殺し て は い て も 決して それ を 憎ん で は い なかっ た の だ 。 ところ が ある 年 の 夏 こんな よう な おかしな こと が 起っ た の だ 。 
小 十 郎 が 谷 を ば ちゃ ば ちゃ 渉 って 一つ の 岩 に のぼっ たら いきなり すぐ 前 の 木 に 大きな 熊 が 猫 の よう に せ なか を 円く し て よじ登っ て いる の を 見 た 。 小 十 郎 は すぐ 鉄砲 を つきつけ た 。 犬 は もう 大 悦び で 木の下 に 行っ て 木 の まわり を 烈しく 馳せ めぐっ た 。 
すると 樹 の 上 の 熊 は しばらく の 間 おり て 小 十 郎 に 飛びかかろ う か そのまま 射た れ て やろ う か 思案 し て いる らしかっ た が いきなり 両手 を 樹 から はなし て ど たり と 落ち て 来 た の だ 。 小 十 郎 は 油断 なく 銃 を 構え て 打つ ばかり に し て 近寄っ て 行っ たら 熊 は 両手 を あげ て 叫ん だ 。 
「 おまえ は 何 が ほしく て おれ を 殺す ん だ 」 
「 ああ 、 おれ は お前 の 毛皮 と 、 胆 の ほか に は なん に も いら ない 。 それ も 町 へ 持っ て 行っ て ひどく 高く 売れる という の で は ないし ほんとう に 気の毒 だ けれども やっぱり 仕方 ない 。 けれども お前 に 今 ごろ そんな こと を 言わ れる と もう おれ など は 何 か 栗 か しだ のみ でも 食っ て い て それ で 死ぬ なら おれ も 死ん で も いい よう な 気 が する よ 」 
「 もう 二 年 ばかり 待っ て くれ 、 おれ も 死ぬ の は もう かまわ ない よう な もん だ けれども 少し し 残し た 仕事 も ある し ただ 二 年 だけ 待っ て くれ 。 二 年 目 に は おれ も おまえ の 家 の 前 で ちゃんと 死ん で い て やる から 。 毛皮 も 胃袋 も やっ て しまう から 」 
小 十 郎 は 変 な 気 が し て じっと 考え て 立っ て しまい まし た 。 熊 は その ひま に 足 う ら を 全体 地面 に つけ て ごく ゆっくり と 歩き 出し た 。 小 十 郎 は やっぱり ぼんやり 立っ て い た 。 熊 は もう 小 十 郎 が いきなり うし ろ から 鉄砲 を 射っ たり 決して し ない こと が よく わかっ てる という ふう で うし ろ も 見 ない で ゆっくり ゆっくり 歩い て 行っ た 。 そして その 広い 赤黒い せ なか が 木 の 枝 の 間 から 落ち た 日光 に ちらっと 光っ た とき 小 十 郎 は 、 う 、 うと せつな そう に うなっ て 谷 を わたっ て 帰り はじめ た 。 それから ちょうど 二 年 目 だっ た が ある 朝 小 十 郎 が あんまり 風 が 烈しく て 木 も かき ね も 倒れ たろ う と 思っ て 外 へ 出 たら ひのき の かき ね は いつも の よう に かわり なく その 下 の ところ に 始終 見 た こと の ある 赤黒い もの が 横 に なっ て いる の でし た 。 ちょうど 二 年 目 だ し あの 熊 が やって来る か と 少し 心配 する よう に し て い た とき でし た から 小 十 郎 は どき っと し て しまい まし た 。 そば に 寄っ て 見 まし たら ちゃんと あの この 前 の 熊 が 口 から いっぱい に 血 を 吐い て 倒れ て い た 。 小 十 郎 は 思わず 拝む よう に し た 。 
一月 の ある 日 の こと だっ た 。 小 十 郎 は 朝 うち を 出る とき いま まで 言っ た こと の ない こと を 言っ た 。 
「 婆 さま 、 おれ も 年 老 っ た で ば な 、 今朝 まず 生れ で 始め で 水 へ 入る の 嫌 ん た よ な 気 する じゃ 」 
すると 縁側 の 日なた で 糸 を 紡い で い た 九 十 に なる 小 十 郎 の 母 は その 見え ない よう な 眼 を あげ て ちょっと 小 十 郎 を 見 て 何 か 笑う か 泣く か する よう な 顔つき を し た 。 小 十 郎 は わらじ を 結え て うんと こ さ と 立ちあがっ て 出かけ た 。 子供 ら は かわるがわる 厩 の 前 から 顔 を 出し て 「 爺さん 、 早 ぐお 出 や 」 と 言っ て 笑っ た 。 小 十 郎 は まっ青 な つるつる し た 空 を 見 あげ て それ から 孫 たち の 方 を 向い て 「 行っ て 来る じゃ ぃ 」 と 言っ た 。 
小 十 郎 は まっ白 な 堅 雪 の 上 を 白沢 の 方 へ のぼっ て 行っ た 。 
犬 は もう 息 を は あ は あし 赤い 舌 を 出し ながら 走っ て は とまり 走っ て は とまり し て 行っ た 。 間もなく 小 十 郎 の 影 は 丘 の 向う へ 沈ん で 見え なく なっ て しまい 子供 ら は 稗 の 藁 で ふじ つき を し て 遊ん だ 。 
小 十 郎 は 白沢 の 岸 を 溯っ て 行っ た 。 水 は まっ青 に 淵 に なっ たり 硝子 板 を しい た よう に 凍っ たり つらら が 何 本 も 何 本 も じゅず の よう に なっ て かかっ たり そして 両 岸 から は 赤 と 黄いろ の まゆみ の 実 が 花 が 咲い た よう に のぞい たり し た 。 小 十 郎 は 自分 と 犬 と の 影法師 が ちらちら 光り 樺 の 幹 の 影 と いっしょ に 雪 に かっきり 藍 いろ の 影 に なっ て うごく の を 見 ながら 溯っ て 行っ た 。 
白沢 から 峯 を 一つ 越え た とこ に 一疋 の 大きな やつ が 棲ん で い た の を 夏 の うち に たずね て おい た の だ 。 
小 十 郎 は 谷 に 入っ て 来る 小さな 支流 を 五つ 越え て 何 べ ん も 何 べ ん も 右 から 左 左 から 右 へ 水 を わたっ て 溯っ て 行っ た 。 そこ に 小さな 滝 が あっ た 。 小 十 郎 は その 滝 の すぐ 下 から 長根 の 方 へ かけ て のぼり はじめ た 。 雪 は あんまり まばゆく て 燃え て いる くらい 。 小 十 郎 は 眼 が すっかり 紫 の 眼鏡 を かけ た よう な 気 が し て 登っ て 行っ た 。 犬 は やっぱり そんな 崖 でも 負け ない という よう に たびたび 滑り そう に なり ながら 雪 に かじりつい て 登っ た の だ 。 やっと 崖 を 登り きっ たら そこ は まばら に 栗 の 木 の 生え た ごく ゆるい 斜面 の 平ら で 雪 は まるで 寒 水石 という 風 に ギラギラ 光っ て い た し まわり を ず うっ と 高い 雪 のみ ね が に ょきにょきつったっていた 。 小 十 郎 が その 頂上 で やすん で い た とき だ 。 いきなり 犬 が 火 の つい た よう に 咆 え 出し た 。 小 十 郎 が びっくり し て うし ろ を 見 たら あの 夏 に 眼 を つけ て おい た 大きな 熊 が 両足 で 立っ て こっち へ かかっ て 来 た の だ 。 
小 十 郎 は 落ちつい て 足 を ふんばっ て 鉄砲 を 構え た 。 熊 は 棒 の よう な 両手 を びっこにあげてまっすぐに 走っ て 来 た 。 さすが の 小 十 郎 も ちょっと 顔 いろ を 変え た 。 
ぴしゃというように 鉄砲 の 音 が 小 十 郎 に 聞え た 。 ところが 熊 は 少し も 倒れ ない で 嵐 の よう に 黒く ゆらい で やって来 た よう だっ た 。 犬 が その 足もと に 噛み付い た 。 と 思う と 小 十 郎 は が あん と 頭 が 鳴っ て まわり が いち めん まっ青 に なっ た 。 それから 遠く で こう 言う ことば を 聞い た 。 
「 おお 小 十郎 おまえ を 殺す つもり は なかっ た 」 
もう おれ は 死ん だ と 小 十 郎 は 思っ た 。 そして ちらちら ちらちら 青い 星 の よう な 光 が そこら いち めん に 見え た 。 
「 これ が 死ん だ しるし だ 。 死ぬ とき 見る 火 だ 。 熊 ども 、 ゆるせよ 」 と 小 十 郎 は 思っ た 。 それから あと の 小 十 郎 の 心持 は もう 私 に は わから ない 。 
とにかく それ から 三 日 目 の 晩 だっ た 。 まるで 氷 の 玉 の よう な 月 が そら に かかっ て い た 。 雪 は 青白く 明るく 水 は 燐光 を あげ た 。 すばる や 参 の 星 が 緑 や 橙 に ちらちら し て 呼吸 を する よう に 見え た 。 
その 栗 の 木 と 白い 雪 の 峯 々 に かこま れ た 山の上 の 平ら に 黒い 大きな もの が たくさん 環 に なっ て 集っ て 各々 黒い 影 を 置き 回 々 教徒 の 祈る とき の よう に じっと 雪 に ひれふし た まま いつ まで も い つ まで も 動か なかっ た 。 そして その 雪 と 月 の あかり で 見る と いちばん 高い とこ に 小 十 郎 の 死骸 が 半分 座っ た よう に なっ て 置か れ て い た 。 
思いなし か その 死ん で 凍え て しまっ た 小 十 郎 の 顔 は まるで 生き てる とき の よう に 冴え 冴え し て 何 か 笑っ て いる よう に さえ 見え た の だ 。 ほんとう に それら の 大きな 黒い もの は 参 の 星 が 天 の まん中 に 来 て も もっと 西 へ 傾い て も じっと 化石 し た よう に うごか なかっ た 。 
一 、 山小屋 
鳥 の 声 が あんまり やかましい ので 一 郎 は 眼 を さまし まし た 。 
もう すっかり 夜 が あけ て ゐ た の です 。 
小屋 の 隅 から 三 本 の 青い 日光 の 棒 が 斜め に まっすぐ に 兄弟 の 頭 の 上 を 越し て 向 ふ の 萱 の 壁 の 山刀 や は むばきを 照らし て ゐ まし た 。 
土間 の まん中 で は 榾 が 赤く 燃え て ゐ まし た 。 日光 の 棒 も その けむり の ため に 青く 見え 、 また その け むりはいろいろなかたちになってついついとその 光 の 棒 の 中 を 通っ て 行く の でし た 。 
「 ほう 、 すっかり 夜 ぁ 明 げ だ 。 」 一郎 は ひとり ごと を 云 ひ ながら 弟 の 楢 夫 の 方 に 向き直り まし た 。 楢 夫 の 顔 は りんご の やう に 赤く 口 を すこし あい て まだ すやすや 睡っ て 居 まし た 。 白い 歯 が 少し ばかり 見え て ゐ まし た ので 一 郎 は いきなり 指 で カチン と その 歯 を はじき まし た 。 
楢 夫 は 目 を つぶっ た ま ゝ 一寸 顔 を しかめ まし た が またす うすう 息 を し て ねむり まし た 。 
「 起 ぎろ 、 楢 夫 、 夜 ぁ 明 げ だ 、 起 ぎろ 。 」 一郎 は 云 ひ ながら 楢 夫 の 頭 を ぐらぐら ゆすぶり まし た 。 
楢 夫 は いやさ う に 顔 を しかめ て 何 か ぶつぶつ 云っ て ゐ まし た がた うとう うすく 眼 を 開き まし た 。 そして いかにも びっくり し た らしく 
「 ほ 、 山 さ 来 てら た も な 。 」 と つぶやき まし た 。 
「 昨夜 、 今 朝方 だ が な 、 火 ぁ 消 で ら た な 、 覚 だ が 。 」 
一郎 が 云 ひ まし た 。 
「 知ら な ぃ 。 」 
「 寒く て さ 。 お父さん 起 ぎて 又 燃やし た やう だ っけ ぁ 。 」 
楢 夫 は 返事 し ない で 何 か ぼんやり ほか の こと を 考え て ゐる やう でし た 。 
「 お父さん 外 で 稼 ぃでら 。 さ 、 起 ぎべ 。 」 
「 うん 。 」 
そこで 二 人 は 一所 に くるまっ て 寝 た 小さな 一 枚 の 布団 から 起き出し まし た 。 そして 火 の そば に 行き まし た 。 楢 夫 は けむ さ うに め を こすり 一 郎 は じっと 火 を 見 て ゐ た の です 。 
外 で は 谷川 が ごうごうと 流れ 鳥 が ツン ツン 鳴き まし た 。 
その 時 に は かに まぶしい 黄金 の 日光 が 一 郎 の 足もと に 流れ て 来 まし た 。 
顔 を あげ て 見 ます と 入口 が パッ と あい て 向 ふ の 山 の 雪 が つんつん と 白く か ゞ やき お父さん が まっ黒 に 見え ながら 入っ て 来 た の でし た 。 
「 起 ぎだのが 。 昨 夜寒 ぐなぃがったが 。 」 
「 い ゝ え 。 」 
「 火 ぁ 消 で ら た も な 。 おれ ぁ 二 度 起 ぎで 燃やし た 。 さあ 、 口 漱げ 、 飯 で げ で ら 、 楢 夫 。 」 
「 うん 。 」 
「 家 ど 山 ど どっち ぁ 好い 。 」 
「 山 の 方 ぁい 、 いとも 学校 さ 行 がれ な ぃもな 。 」 
すると お父さん が 鍋 を 少し あげ ながら 笑 ひ まし た 。 一郎 は 立ちあがっ て 外 に 出 まし た 。 楢 夫 も つづい て 出 まし た 。 
何 といふ きれい で せ う 。 空 が まるで 青 びかりで ツルツル し て その 光 は ツン ツン と 二 人 の 眼 に しみ込み また 太陽 を 見 ます と それ は 大きな 空 の 宝石 の やう に 橙 や 緑 や か ゞ やき の 粉 を ちらし まぶし さ に 眼 を つむり ます と 今度 は その 蒼 黒 いくら やみ の 中 に 青 あ を と 光っ て 見える の です 、 あたらしく 眼 を ひらい て は 前 の 青 ぞ ら に 桔梗 いろ や 黄金 や たくさん の 太陽 の かげ ぼ ふし が くらくら と ゆれ て か ゝ って ゐ ます 。 
一郎 は かけ ひ の 水 を 手 に うけ まし た 。 かけ ひ から は つらら が 太い 柱 に なっ て 下 まで と ゞ き 、 水 は すき と ほっ て 日 に か ゞ やき また ゆ げ を たて て いかにも 暖か さ うに 見える の でし た が ま こと は つめたく 寒い の でし た 。 一郎 は すばやく 口 を そ ゝ ぎそ れ から 顔 も あら ひ まし た 。 
それから あんまり 手 が つめたい ので お 日 さま の 方 へ 延ばし まし た 。 それでも 暖まり ませ ん でし た から のど に あて まし た 。 
その 時 楢 夫 も 一郎 の と ほり まね を し て やっ て ゐ まし た が 、 た うとう つめたく て やめ て しまひ まし た 。 まったく 楢 夫 の 手 は 霜 やけ で 赤く ふくれ て ゐ まし た 。 一郎 は いきなり 走っ て 行っ て 
「 冷 だ ぁが 。 」 と 云 ひ ながら その ぬれ た 小さな 赤い 手 を 両手 で 包ん で 暖め て やり まし た 。 
さ うし て 二 人 は 又 小屋 の 中 に は ひり まし た 。 
お父さん は 火 を 見 ながら じっと 何 か 考 へ 、 鍋 は こと こと 鳴っ て ゐ まし た 。 
二 人 も 座り まし た 。 
日 は もう よほど 高く 三 本 の 青い 日光 の 棒 も だいぶ 急 に なり まし た 。 
向 ふ の 山 の 雪 は 青 ぞ ら に くっきり と 浮き あがり 見 て ゐ ます と 何だか こ ゝ ろ が 遠く の 方 へ 行く やう でし た 。 
に はか に その い た ゞ き に パッ と けむり か 霧 の やう な 白い ぼんやり し た もの が あら はれ まし た 。 
それから しばらく たっ て フィー と するどい 笛 の やう な 声 が 聞え て 来 まし た 。 
すると 楢 夫 が しばらく 口 を ゆがめ て 変 な 顔 を し て ゐ まし た がたう とう どう し た わけ か しくしく 泣き はじめ まし た 。 一郎 も 変 な 顔 を し て 楢 夫 を 見 まし た 。 
お父さん が そこで 
「 何 し た 、 家 さ 行 ぐだぐなったのが 、 何 し た 。 」 と たづ ね まし た が 楢 夫 は 両手 を 顔 に あて て 返事 も し ない で 却って ひどく 泣く ばかり でし た 。 
「 何 し た 、 楢 夫 、 腹痛 ぃが 。 」 一郎 も た づねましたがやっぱり 泣く ばかり でし た 。 
お父さん は 立っ て 楢 夫 の 額 に 手 を あて て 見 て それ から しっかり 頭 を 押 へ まし た 。 
すると だんだん 泣き やん で つ ひ に はた ゞ しくしく 泣きじゃくる だけ に なり まし た 。 
「 何 し て 泣 ぃだ 。 家 さ 行 ぐだぃぐなったべぁな 。 」 お父さん が 云 ひ まし た 。 
「 うん にゃ 。 」 楢 夫 は 泣きじゃくり ながら 頭 を ふり まし た 。 
「 ど ご が 痛く て が 。 」 
「 うん にゃ 。 」 
「 そ だら なし て 泣 ぃだりゃ 、 男 など ぁ 泣 が な ぃだな 。 」 
「 怖 っ か な ぃ 。 」 まだ 泣き ながら やっと 答 へる の でし た 。 
「 なし て 怖 っ か な ぃ 。 お父さん も 居る し 兄 な も 居る し 昼 まで 明り く て 何 って も 怖 っ か な ぃごとぁ 無い ぢ ゃぃ 。 」 
「 うん う 、 怖 っ か な ぃ 。 」 
「 何 ぁ 怖 っ か な ぃ 。 」 
「 風 の 又 三郎 ぁ 云っ た か 。 」 
「 何 て 云っ た 。 風 の 又 三郎 など 、 怖 っ か な ぐなぃ 。 何 て 云っ た 。 」 
「 お父さん おりゃ さ 新 らしき もの 着せる って 云っ た か 。 」 楢 夫 は また 泣き まし た 。 一郎 も なぜ か ぞっと し まし た 。 けれども お父さん は 笑 ひ まし た 。 
「 ああ は は は 、 風 の 又 三郎 ぁ 、 い ゝ 事 云っ た な 。 四月 に なっ たら 新 らし 着物 買っ て けら な 。 一向 泣 ぐごとぁなぃぢゃぃ 。 泣 ぐな 泣 ぐな 。 」 
「 泣 ぐな 。 」 一郎 も 横 から のぞき込ん で なぐさめ まし た 。 
「 もっと 云っ た か 。 」 楢 夫 は まるで 眼 を こすっ て まっか に し て 云 ひ まし た 。 
「 何 て 云っ た 。 」 
「 それ がら お母さん 、 おりゃ の ごと 湯 さ 入れ で 洗 ふて 云っ た か 。 」 
「 ああ は は 、 そい づぁ 嘘 ぞ 。 楢 夫 など ぁいっつも 一 人 し て 湯 さ 入る も な 。 風 の 又 三郎 など ぁ 偽 こぎ さ 。 泣 ぐな 、 泣 ぐな 。 」 
お父さん は 何だか 顔色 を 青く し て それ に 無理 に 笑っ て ゐる やう でし た 。 一郎 も なぜ か 胸 が つまっ て 笑 へ ませ ん でし た 。 楢 夫 は まだ 泣き やみ ませ ん でし た 。 
「 さあ お 飯 食べ し 泣 ぐな 。 」 
楢 夫 は 眼 を こすり ながら 変 に 赤く 小さく なっ た 眼 で 一 郎 を 見 ながら 又 言 ひ まし た 。 
「 それ がら みんな し て おりゃ の ごと 送っ て 行 ぐて 云っ た か 。 」 
「 みんな し て 汝 の ごと 送 て ぐど 。 そい づぁなぁ 、 う な 立派 に なっ て ど ご さ が 行 ぐ 時 ぁみんなして 送っ て ぐづごとさ 。 みんな い ゝ ごと ば がり だ 。 泣 ぐな 。 な 、 泣 ぐな 。 春 に なっ たら 盛岡 祭 見 さ 連 で ぐはんて 泣 ぐな 。 な 。 」 
一郎 は まっ青 に なっ て だまっ て 日光 に 照らさ れ た たき火 を 見 て ゐ まし た が 、 この 時 やっと 云 ひ まし た 。 
「 なあに 風 の 又 三郎 など 、 怖 っ か な ぐなぃ 。 いっつも 何 だり か だり って 人 だます ぢ ゃぃ 。 」 
楢 夫 も やう やく 泣きじゃくる だけ に なり まし た 。 けむり の 中 で 泣い て 眼 を こすっ た もん です から 眼 の ま はり が 黒く なっ て ちょっと 小さな 狸 の やう に 見え まし た 。 
お父さん は なんだか 少し 泣く やう に 笑っ て 
「 さあ もう 一 が へり 面 洗 な ぃやなぃ 。 」 と 云 ひ ながら 立ちあがり まし た 。 
二 、 峠 
ひる すぎ に なっ て 谷川 の 音 も だいぶ か はり まし た 。 何だか あたたかく そして どこ か おだやか に 聞える の でし た 。 
お父さん は 小屋 の 入口 で 馬 を 引い て 炭 を おろし に 来 た 人 と 話し て ゐ まし た 。 ず ゐ ぶん 永い こと 話し て ゐ まし た 。 それから その 人 は 炭 俵 を 馬 に つけ はじめ まし た 。 二 人 は 入口 に 出 て 見 まし た 。 
馬 は もりもり か ひ ば を たべ て その たてがみ は 茶色 で ばさばさ しそ の 眼 は 大きく て 眼 の 中 に は さまざま の を かし な 器械 が 見え て 大 へん に 気の毒 に 思は れ まし た 。 
お父さん が 二 人 に 言 ひ まし た 。 
「 そい で ぁうなだ 、 この 人 さ 随 ぃで 家 さ 戻れ 。 この 人 ぁ 楢 鼻 まで 行 が はん て 。 今度 の 土曜日 に 天気 ぁ 好 がっ たら 又 おれ ぁ 迎 ぃに 行 が はん て な ぃ 。 」 
あした は 月曜日 です から 二 人 とも 学校 へ 出る ため に 家 へ 帰ら なけれ ば なら ない の でし た 。 
「 そ だら 行 がん す 。 」 一郎 が 云 ひ まし た 。 
「 うん 、 それ がら 家 さ 戻っ たら お母さん さ 、 ついで の 人 さ たのん で 大きな 方 の 鋸 を よごし て 呉 ろ って 云 へ や ぃな 、 い ゝ が 。 忘れ な よ 。 家 まで 丁度 一 時半 か ゞ ら はて ゆっくり 行っ て も 三 時間 半 に あ 戻れる 。 のど ぁ 乾 ぃでも 雪 たべ な や ぃ 。 」 
「 うん 。 」 楢 夫 が 答 へ まし た 。 楢 夫 は もう すっかり 機嫌 を 直し て ピョンピョン 跳ん だり し て ゐ まし た 。 
馬 を ひい た 人 は 炭 俵 を すっかり 馬 に つけ て つ な を 馬 の せ なか で 結ん で から 
「 さ 、 そい で ぃ 、 行 ぐまちゃ 。 わら し 達 ぁ 先 に 立っ たら 好 が べ が な 。 」 と 二 人 の お父さん に たづ ね まし た 。 
「 なぁ に 随 で 行 ぐごたんす 。 どう が お 願 ぁ 申さ ん す ぢ ゃ 。 」 お父さん は 笑っ て おじぎ を し まし た 。 
「 さ 、 そい で ぁ 、 ま ん つ 、 」 その 人 は 牽 づなを 持っ て ある き 出し 鈴 は ツァリンツァリン と 鳴り 馬 は 首 を 垂れ て ゆっくり あるき まし た 。 
一郎 は 楢 夫 を さき に 立て て その あと に 跡 い て 行き まし た 。 みち が よく かたまっ て じっさい 気持ち が よく 、 空 は まっ青 に はれ て 、 却って 少し こ は いくら ゐ でし た 。 
「 房 下がっ てる ぢ ゃぃ 。 」 に はか に 楢 夫 が 叫び まし た 。 一郎 は うし ろ から よく 聞え なかっ た ので 「 何 や 。 」 と たづ ね まし た 。 
「 あの 木 さ 房 下がっ てる ぢ ゃぃ 。 」 楢 夫 が 又 云 ひ まし た 。 見る と すぐ 崖 の 下 から 一 本 の 木 が 立っ て ゐ て その 枝 に は 茶 いろ の 実 が いっぱい に 房 に なっ て 下っ て 居り まし た 。 一郎 は しばらく それ を 見 まし た 。 それ から 少し 馬 に おくれ た ので 急い で 追 ひ つき まし た 。 馬 を 引い た 人 は この 時 ち ょっとうしろをふりかへってこっちをすかすやうにして 見 まし た が また 黙っ て あるき だし まし た 。 
みち の 雪 は かたまっ て は ゐ まし た が でこぼこ でし た から 馬 は た びたびつまづくやうにしました 。 楢 夫 も あたり を 見 て ある い て ゐ まし た ので やはり た びたびつまづきさうにしました 。 
「 下見 で 歩 げ 。 」 と 一郎 が たびたび 云っ た の でし た 。 
みち は いつか 谷川 から は なれ て 大きな 象 の やう な 形 の 丘 の 中腹 を ま はり はじめ まし た 。 栗 の 木 が 何 本 か 立っ て 枯れ た 乾い た 葉 を いっぱい 着け 、 鳥 が ちょん ちょん と 鳴い て うし ろ の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 そして 日 の 光 が なんだか 少し うすく なり 雪 が いま まで より 暗く そして 却って 強く 光っ て 来 まし た 。 
その とき 向 ふか ら 一 列 の 馬 が 鈴 を チリンチリン と 鳴らし て やっ て 参り まし た 。 
みち が 一 むら の 赤い 実 を つけ た まゆみ の 木 の そば まで 来 た とき 両方 の 人 たち は 行き あ ひま し た 。 兄弟 の 先 に 立っ た 馬 は 一寸 みち を よ け て 雪 の 中 に 立ち まし た 。 兄弟 も 膝 まで 雪 に は ひっ て みち を よ け まし た 。 
「 早 ぃな 。 」 
「 早 がっ た な 。 」 挨拶 を し ながら 向 ふ の 人 たち や 馬 は 通り過ぎ て 行き まし た 。 
ところが 一 ばん おし まひ の 人 は 挨拶 を し た なり 立ちどまっ て しまひ まし た 。 馬 は ひとり で 少し 歩い て 行っ て から うし ろ から 「 どう 。 」 と 云 はれ た ので とまり まし た 。 兄弟 は 雪 の 中 から みち に あがり 二 人 と ならん で 立っ て ゐ た 馬 も みち に あがり まし た 。 ところが 馬 を 引い た 人 たち は いろいろ 話 を はじめ まし た 。 
兄弟 は しばらく は 、 立っ て 自分 たち の 方 の 馬 の 歩き 出す の を 待っ て ゐ まし た が あまり 待ち遠しかっ た の で た うとう 少し づつあるき 出し まし た 。 あと は もう 峠 を 一つ 越えれ ば すぐ 家 でし た し 、 一 里 も ない の でし た から それ に 天気 も 少し は 曇っ た って みち は まっ す ぐにつゞいてゐるのでしたから 何 でも ない と 一 郎 も 思ひ まし た 。 
馬 を ひい た 人 は 兄弟 が 先 に 歩い て 行く の を 一寸 よ こめ で 見 て ゐ まし た が すぐ あと から 追 ひ つく つもり らしく だまっ て 話 を つ ゞ け まし た 。 
楢 夫 は もう 早く うち へ 帰り たい らしく どんどん 歩き 出し 一郎 も た びたびうしろをふりかへって 見 まし た が 馬 が 雪 の 中 で 茶 いろ の 首 を 垂れ 二 人 の 人 が 話し合っ て 白い 大きな 手甲 が ちらっと 見え たり する だけ でし た から やっぱり 歩い て 行き まし た 。 
みち は だんだん のぼり に なり つ ひ に は すっかり 坂 に なり まし た ので 楢 夫 は たびたび 膝 に 手 を つっぱっ て 「 うん うん 」 と ふざける やう に し ながら のぼり まし た 。 一郎 も その うし ろ から は あ はあ 息 を つい て 
「 よう 、 坂道 、 よう 、 山道 」 なんて 云 ひ ながら 進ん で 行き まし た 。 
けれども た うとう 楢 夫 は 、 つかれ て くるり と こっち を 向い て 立ちどまり まし た ので 、 一郎 は いきなり ひどく ぶっつかり まし た 。 
「 疲 いが 。 」 一郎 も はあ はあ し ながら 云 ひ まし た 。 来 た 方 を 見る と 路 は 一 す ぢ ず うっ と 細く つい て 人 も 馬 も もう 丘 の かげ に なっ て 見え ませ ん でし た 。 いち めん まっ白 な 雪 、 （ それ は 大 へん くらく 沈ん で 見え まし た 。 空 が すっかり 白い 雲 で ふさがり 太陽 も 大きな 銀 の 盤 の やう に くもっ て 光っ て ゐ た の です ） が なだらか に 起伏 し その ところどころ に 茶 いろ の 栗 や 柏 の 木 が 三 本 四 本 づつちらばってゐるだけじつにしぃんとして 何 ともい へ ない さびしい の でし た 。 けれども 楢 夫 は その 丘 の 自分 たち の 頭 の 上 から まっすぐ に 向 ふ へ かけ おり て 行く 一疋 の 鷹 を 見 た とき 高く 叫び まし た 。 
「 しっ 、 鳥 だ 。 しゅう 。 」 
一郎 は だまっ て ゐ まし た 。 けれども しばらく 考え て から 云 ひ まし た 。 
「 早 ぐ 峠 越える べ 。 雪 降っ て 来る ぢ ょ 。 」 
ところが 丁度 その とき です 。 まっしろ に 光っ て ゐる 白い そら に 暗く ゆるやか に つらなっ て ゐ た 峠 の 頂 の 方 が 少し ぼんやり 見え て 来 まし た 。 そして まもなく 小さな 小さな 乾い た 雪 の こ な が 少し ばかり ちらっ ちらっと 二 人 の 上 から 落ち て 参り まし た 。 
「 さあ 楢 夫 、 早 ぐのぼれ 、 雪 降っ て 来 た 。 上 さ 行 げ ば 平ら だ はん て 。 」 一郎 が 心配 さ う に 云 ひ まし た 。 
楢 夫 は 兄 の 少し 変わっ た 声 を 聞い て に はか に あわて まし た 。 そして まるで せかせか と のぼり まし た 。 
「 あんまり 急ぐ な 。 大丈夫 だ はん て 、 なあに あど 一 里 も 無 ぃも 。 」 一郎 も 息 を は づませながら 云 ひ まし た 。 けれども じっさい 二 人 と も 急が ず に 居 られ なかっ た の です 。 め の 前 も くらむ やう に 急ぎ まし た 。 あんまり 急ぎ す ぎたのでそれはながくつゞきませんでした 。 雪 が まったく ひどく なっ て 来 た 方 も 行く 方 も まるで 見え ず 二 人 の からだ も まっ白 に なり まし た 。 そして 楢 夫 が 泣い て いきなり 一郎 に しがみつき まし た 。 
「 戻る が 、 楢 夫 。 戻る が 。 」 一郎 も 困っ て さ う 云 ひ ながら 来 た 下 の 方 を 一寸 見 まし た が とても もう 戻ろ う と は 思は れ ませ ん でし た 。 それ は 来 た 方 が まるで 灰 いろ で 穴 の やう に くらく 見え た の です 。 それ に くらべ て は 峠 の 方 は 白く 明るく おまけ に 坂 の 頂上 だって もう ぢ き でし た 。 そこ まで さ へ 行け ば あと は もう 十 町 も ず うっ と 丘 の 上 で 平ら でし た し 来る とき は 山鳥 も 何 べ ん も 飛び立ち 灌木 の 赤 や 黄いろ の 実 も あっ た の です 。 
「 さあ もう 一 あし だ 。 歩 べ 。 上 まで 行 げ ば 雪 も 降っ て な ぃしみぢも 平ら に なる 。 歩 べ 、 怖 っ か な ぐなぃはんて 歩 べ 。 あど がら あの 人 も 馬 ひで 来る し それ 、 泣 が な ぃで 、 今度 ぁゆっくり 歩 べ 。 」 一郎 は 楢 夫 の 顔 を のぞき込ん で 云 ひ まし た 。 楢 夫 は 涙 を ふい て わら ひ まし た 。 楢 夫 の 頬 に 雪 の かけ ら が 白く つい て すぐ 溶け て なくなっ た の を 一 郎 は なんだか 胸 が せまる やう に 思ひ まし た 。 一郎 が 今度 は 先 に 立っ て のぼり まし た 。 みち も もう そんなに け は しく は あり ませ ん でし た し 雪 も すこし 薄く なっ た やう でし た 。 それでも 二 人 の 雪 沓 は 早く も 一寸 も 埋まり まし た 。 
だんだん い た ゞ き に 近く なり ます と 雪 を かぶっ た 黒い ゴリ ゴリ の 岩 が たびたび みち の 両 が は に 出 て 来 まし た 。 
二 人 は だまっ て なるべく 落ち着く やう に し て 一足 づつのぼりました 。 一郎 は ばたばた 毛布 を うごかし て から だ から 雪 を はらっ たり し まし た 。 
そして い ゝ こと は もう そこ が 峠 の い た ゞ き でし た 。 
「 来 た 来 た 。 さあ 、 あど ぁ 平ら だ ぞ 、 楢 夫 。 」 
一郎 は ふり か へ って 見 まし た 。 楢 夫 は 顔 を まっか に し て はあ はあ し ながら やっと 安心 し た やう に わら ひ まし た 。 けれども 二 人 の 間 に も こまか な 雪 が いっぱい に 降っ て ゐ まし た 。 
「 馬 も きっと 坂 半分 ぐらゐ 登っ た な 。 叫ん で 見 べ が 。 」 
「 うん 。 」 
「 い ゝ が 、 一二三 、 ほお お 。 」 
声 が しんと 空 へ 消え て しまひ まし た 。 返事 も なく こだま も 来 ず か へ って そら が 暗く なっ て 雪 が どんどん 舞 ひ おりる ばかり です 。 
「 さあ 、 歩 べ 。 あと 三 十 分 で 下りる に い 。 」 
一郎 は また あるき だし まし た 。 
に はか に 空 の ほう で ヒィウ と 鳴っ て 風 が 来 まし た 。 雪 は まるで 粉 の やう に けむり の やう に 舞 ひあがり くるしく て 息 も つか れ ず きもの の すき ま から は ひやひや と からだ に は ひり まし た 。 兄弟 は 両手 を 顔 に あて て 立ちどまっ て ゐ まし た が やっと 風 が すぎ た ので 又 あるき 出さ う と する とき こんど は 前 より 一 そう ひどく 風 が やって来 まし た 。 その 音 は おそろしい 笛 の やう 、 二 人 の からだ も 曲げ られ 足もと を さらさら 雪 の 横 に ながれる の さ へ わかり まし た 。 
た う げ の い た ゞ き は まったく さっき 考へ た の と は ちがっ て ゐ た の です 。 楢 夫 は あんまり こ ゝ ろ ぼ そく なっ て 一 郎 に すがら う と し まし た 。 また うし ろ を ふり か へ って も 見 まし た 。 けれども 一郎 は 風 が やむ と すぐ 歩き 出し まし た し 、 うし ろ は まるで 暗く 見え まし た から 楢 夫 は ほん た うに 声 を 立て ない で 泣く ばかり よちよち 兄 に 追 ひ 付い て 進ん だ の です 。 
雪 が もう 沓 の か ゝ と 一 杯 でし た 。 ところどころ に は 吹き溜り が 出来 て やっ と あるける ぐらゐでした 。 それでも 一郎 は ずんずん 進み まし た 。 楢 夫 も その あし あと を 一生けん命 ついて行き まし た 。 一郎 は た びたびうしろをふりかへってはゐましたがそれでも 楢 夫 は おくれ がち でし た 。 風 が ひ ゅうと 鳴っ て 雪 が ぱっと つめたい け むりをあげますと 、 一郎 は 少し 立ちどまる やう に し 楢 夫 は 小刻み に 走っ て 兄 に 追 ひす がり まし た 。 
けれども まだ その 峯 みち を 半分 も 来 て は 居り ませ ん でし た 。 吹きだまり が ひどく 大きく なっ て たびたび 二 人 は つま づき まし た 。 
一郎 は 一つ の 吹きだまり を 越える とき 、 思っ た より 雪 が 深く て た うとう 足 を さら はれ て 倒れ まし た 。 一郎 は からだ や 手 や すっかり 雪 に なっ て 軋る やう に 笑っ て 起きあがり まし た が 楢 夫 は うし ろ に 立っ て それ を 見 て こ はさ に 泣き まし た 。 
「 大丈夫 だ 。 楢 夫 、 泣 ぐな 。 」 一郎 は 云 ひ ながら 又 あるき まし た 。 けれども こんど は 楢 夫 が ころび まし た 。 そして 深く 雪 の 中 に 手 を 入れ て しまっ て 急 に 起きあがり も でき ず おじぎ の とき の やう に 頭 を さげ て その ま ゝ 泣い て ゐ た の です 。 一郎 は すぐ 走り 戻っ て だき 起し まし た 。 そして その 手 の 雪 を はらっ て やり それ から 、 
「 さあ も 少し だ 。 歩 げ る が 。 」 と たづ ね まし た 。 
「 うん 」 と 楢 夫 は 云っ て ゐ まし た が その 眼 はなみ だ で 一 杯 に なり じっと 向 ふ の 方 を 見 、 口 は ゆがん で 居り まし た 。 
雪 が どんどん 落ち て 来 ます 。 それ に 風 が 一 そう はげしく なり まし た 。 二 人 は 又 走り出し まし た けれども もう つま づく ばかり 一 郎 が ころび 楢 夫 が ころ びそれにいまはもう 二 人 とも みち を あるい てる の か どう か 前 無かっ た 黒い 大きな 岩 が いきなり 横 の 方 に 見え たり し まし た 。 
風 が また やって来 まし た 。 雪 は 塵 の やう 砂 の やう けむり の やう 楢 夫 は ひどく せき込ん で しまひ まし た 。 
そこ は もう みち で は なかっ た の です 。 二 人 は 大きな 黒い 岩 に つきあたり まし た 。 
一郎 は ふり か へ って 見 まし た 。 二 人 の 通っ て 来 た あと は まるで 雪 の 中 に ほり の やう について ゐ まし た 。 
「 路 まちがっ た 。 戻ら な ぃばわがなぃ 。 」 
一郎 は 云っ て いきなり 楢 夫 の 手 を とっ て 走り出さ う と し まし た が も うた ゞ の 一足 で すぐ 雪 の 中 に 倒れ て しまひ まし た 。 
楢 夫 は ひどく 泣き だし まし た 。 
「 泣 ぐな 。 雪 はれる う ぢ 此処 に 居る べし 泣 ぐな 。 」 一郎 は しっかり と 楢 夫 を 抱い て 岩 の 下 に 立っ て 云 ひ まし た 。 
風 が もう まるで きち が ひ の やう に 吹い て 来 まし た 。 いき も つけ ず 二 人 は どんどん 雪 を かぶり まし た 。 
「 わが な ぃ 。 わが な ぃ 。 」 楢 夫 が 泣い て 云 ひ まし た 。 その 声 も まるで ちぎる やう に 風 が 持っ て 行っ て しまひ まし た 。 一郎 は 毛布 を ひろげ て マント の ま ゝ 楢 夫 を 抱きしめ まし た 。 
一郎 は この とき は もう ほん た うに 二 人 とも 雪 と 風 で 死ん で しまふ の だ と 考え て しまひ まし た 。 いろいろ な こと が まるで ま はり 燈籠 の やう に 見え て 来 まし た 。 正月 に 二 人 は 本家 に 呼ば れ て 行っ て みんな が みかん を たべ た とき 楢 夫 が すばやく 一つ たべ て しまっ て も 一つ を 取っ た ので 一 郎 は いけ ない といふ やう に ひどく 目 で 叱っ た の でし た 、 その とき の 楢 夫 の 霜 やけ の 小さな 赤い 手 など が はっきり 一郎 に 見え て 来 まし た 。 いき が 苦しく て まるで えら えら する 毒 を のん で ゐる やう でし た 。 一郎 は いつか 雪 の 中 に 座っ て しまっ て ゐ まし た 。 そして 一 そう 強く 楢 夫 を 抱きしめ まし た 。 
三 、 うす あかり の 国 
けれども けれども そんな こと は まるで まるで 夢 の やう でし た 。 いつか つめたい 針 の やう な 雪 の こ な も なんだか なまぬるく なり 楢 夫 も そば に 居 なく なっ て 一 郎 は た ゞ ひとり ぼんやり くらい 藪 の やう な ところ を あるい て 居り まし た 。 
そこ は 黄色 に ぼやけ て 夜 だ か 昼 だ か 夕方 か も わから ず よも ぎのやうなものがいっぱいに 生え あちこち に は 黒い やぶ らしい もの が まるで いき もの の やう に いき を し て ゐる やう に 思は れ まし た 。 
一郎 は 自分 の からだ を 見 まし た 。 そんな こと が 前 から あっ た の か 、 いつか から だ に は 鼠 いろ の きれ が 一 枚 まきつい て ある ばかり おどろい て 足 を 見 ます と 足 は はだし に なっ て ゐ て 今 まで も よほど 歩い て 来 たらしく 深い 傷 が つい て 血 が だらだら 流れ て 居り まし た 。 それ に 胸 や 腹 が ひどく 疲れ て 今にも から だ が 二つ に 折れ さ うに 思は れ まし た 。 一郎 は に はか に こ はく なっ て 大声 に 泣き まし た 。 
けれども そこ は どこ の 国 だっ た ので せ う 。 ひっそり と し て 返事 も なく 空 さ へ も なんだか がらん として 見れ ば 見る ほど 変 な おそろしい 気 が する の でし た 。 それに に はか に 足 が 灼く やう に 傷ん で 来 まし た 。 
「 楢 夫 は 。 」 ふっと 一郎 は 思ひ 出し まし た 。 
「 楢 夫 ぉ 。 」 一郎 は くらい 黄色 な そら に 向っ て 泣き ながら 叫び まし た 。 
しいんと し て 何 の 返事 も あり ませ ん でし た 。 一郎 は たまらなく なっ て もう 足 の 痛い の も 忘れ て はしり 出し まし た 。 すると 俄 か に 風 が 起っ て 一郎 の から だ について ゐ た 布 は まっすぐ に うし ろ の 方 へ なびき 、 一郎 は その 自分 の 泣き ながら はだし で 走っ て 行っ て ぼろぼろ の 布 が 風 で うし ろ へ なびい て ゐる 景色 を 頭 の 中 に 考へ て 一 そう 恐ろしく かなしく て たまらなく なり まし た 。 
「 楢 夫 ぉ 。 」 一郎 は 又 叫び まし た 。 
「 兄 。 」 かすか な かすか な 声 が 遠く の 遠く から 聞え まし た 。 一郎 は そっち へ かけ 出し まし た 。 そして 泣き ながら 何 べ ん も 「 楢 夫 ぉ 、 楢 夫 ぉ 。 」 と 叫び まし た 。 返事 は かすか に 聞え たり 又 返事 し た の か どう か 聞え なかっ たり し まし た 。 
一郎 の 足 は まるで まっ 赤 に なっ て しまひ まし た 。 そして もう 痛い か どう か も わから ず 血 は 気味悪く 青く 光っ た の です 。 
一郎 は はしっ て はしっ て 走り まし た 。 
そして 向 ふ に 一 人 の 子供 が 丁度 風 で 消えよ う と する 蝋燭 の 火 の やう に 光っ たり 又 消え たり ぺかぺかしてゐるのを 見 まし た 。 
それ が 顔 に 両手 を あて て 泣い て ゐる 楢 夫 でし た 。 一郎 は そば へ かけより まし た 。 そして に はか に 足 が ぐらぐら し て 倒れ まし た 。 それから 力いっぱい 起きあがっ て 楢 夫 を 抱か う と し まし た 。 楢 夫 は 消え たり ともっ たり し きり に し て ゐ まし た が だんだん それ が 早く なり た うと う その 変り も わから ない やう に なっ て 一 郎 は しっかり と 楢 夫 を 抱い て ゐ まし た 。 
「 楢 夫 、 僕 たち どこ へ 来 たら う ね 。 」 一郎 は まるで 夢 の 中 の やう に 泣い て 楢 夫 の 頭 を なで て やり ながら 云 ひ まし た 。 その 声 も 自分 が 云っ て ゐる の か 誰 か の 声 を 夢 で 聞い て ゐる の か わから ない やう でし た 。 
「 死ん だ ん だ 。 」 と 楢 夫 は 云っ て また はげしく 泣き まし た 。 
一郎 は 楢 夫 の 足 を 見 まし た 。 やっぱり はだし で ひどく 傷 が つい て 居り まし た 。 
「 泣か なくっ て も い ゝ ん だ よ 。 」 一郎 は 云 ひ ながら あたり を 見 まし た 。 ず うっ と 向 ふ に ぼんやり し た 白 びかりが 見える ばかり しいんと し て なんにも 聞え ませ ん でし た 。 
「 あすこ の 明るい ところ まで 行っ て 見よ う 。 きっと うち が ある から 、 お前 あるける かい 。 」 
一郎 が 云 ひ まし た 。 
「 うん 。 おっかさん が そこ に 居る だろ う か 。 」 
「 居る と も 。 きっと 居る 。 行か う 。 」 
一郎 は さき に なっ て あるき まし た 。 そら が 黄いろ で ぼんやり くらく て いまにも そこ から 長い 手 が 出 て 来さ う でし た 。 
足 が たまらなく 痛み まし た 。 
「 早く あすこ まで 行か う 。 あすこ まで さ へ 行け ば い ゝ ん だ から 。 」 一郎 は 自分 の 足 が あんまり 痛く て バリバリ 白く 燃え てる やう な の を こら へ て 云 ひ まし た 。 けれども 楢 夫 は もう とても たまらない らしく 泣い て 地面 に 倒れ て しまひ まし た 。 
「 さあ 、 兄さん に しっかり つかまる ん だ よ 。 走っ て 行く から 。 」 一郎 は 歯 を 喰 ひ しばっ て 痛み を こら へ ながら 楢 夫 を 肩 に かけ まし た 。 そして 向 ふ の ぼんやり し た 白光 を めがけ て まるで から だ も ちぎれる ばかり 痛い の を 堪へ て 走り まし た 。 それでも もう とても たまらなく なっ て 何 べ ん も 倒れ まし た 。 倒れ て も また 一生懸命 に 起きあがり まし た 。 
ふと 振り か へ って 見 ます と 来 た 方 は いつか ぼんやり 灰色 の 霧 の やう な もの に かくれ て その 向 ふ を 何 か うす 赤い やう な もの が ひらひら し ながら 一目散 に 走っ て 行く らしい の です 。 
一郎 は あんまり の 怖 さ に 息 も つまる やう に お も ひ まし た 。 それでも こら へ て むりに 立ちあがっ て また 楢 夫 を 肩 に かけ まし た 。 楢 夫 は ぐったり と し て 気 を 失っ て ゐる やう でし た 。 一郎 は 泣き ながら その 耳 もと で 、 
「 楢 夫 、 しっかり おし 、 楢 夫 、 兄さん が わから ない かい 。 楢 夫 。 」 と 一生けん命 呼び まし た 。 
楢 夫 は かすか に かすか に 眼 を ひらく やう に は し まし た けれども その 眼 に は 黒い 色 も 見え なかっ た の です 。 一郎 は もう あら ん かぎり の 力 を 出し て そこら 中 いち めん ちらちら ちらちら 白い 火 に なっ て 燃える やう に 思ひ ながら 楢 夫 を 肩 に し て さっき めざし た 方 へ 走り まし た 。 足 が うごい て ゐる か どう か も わから ず から だ は 何 か 重い 巌 に 砕か れ て 青 びかりの 粉 に なっ て ちら ける やう 何 べ ん も 何 べ ん も 倒れ て は 又 楢 夫 を 抱き 起し て 泣き ながら しっかり とか ゝ へ 夢 の やう に 又 走り出し た の でし た 。 それでも いつか 一 郎 は はじめ に めざし た うす あかるい 処 に 来 て は 居 まし た 。 けれども そこ は 決して い ゝ 処 で は あり ませ ん でし た 。 却って 一郎 は から だ 中 凍っ た やう に 立ちすくん で しまひ まし た 。 すぐ 眼 の 前 は 谷 の やう に なっ た 窪地 でし た が その 中 を 左 から 右 の 方 へ 何とも いへ ず いたましい なり を し た 子供 ら が ぞろぞろ 追 はれ て 行く の でし た 。 わ づか ばかり の 灰 いろ の きれ を からだ に つけ た 子 も あれ ば 小さな マント ばかり は だ か に 着 た 子 も あり まし た 。 瘠せ て 青ざめ て 眼 ばかり 大きな 子 、 髪 の 赭 い 小さな 子 、 骨 の 立っ た 小さな 膝 を 曲げる やう に し て 走っ て 行く 子 、 みんな から だ を 前 に まげ て おどおど 何 か を 恐れ 横 を 見る ひま も なく た ゞ ふかく ふかく ため息 を つい たり 声 を 立て ない で 泣い たり 、 ぞろぞろ 追 はれる やう に 走っ て 行く の でし た 。 みんな 一 郎 の やう に 足 が 傷 い て ゐ た の です 。 そして 本 た うに 恐ろしい こと は その 子供 ら の 間 を 顔 の まっ 赤 な 大きな 人 の かたち の もの が 灰 いろ の 棘 の ぎざぎざ 生え た 鎧 を 着 て 、 髪 など は まるで 火 が 燃え て ゐる やう 、 た ゞ れ た やう な 赤い 眼 を し て 太い 鞭 を 振り ながら 歩い て 行く の でし た 。 その 足 が 地面 に あたる とき は 地面 は がりがり 鳴り まし た 。 一郎 は もう 恐ろし さ に 声 も 出 ませ ん でし た 。 
楢 夫 ぐらゐの 髪 のち ゞ れ た 子 が 列 の 中 に 居 まし た が あんまり 足 が 痛む と 見え て た うとう よろよろ つま づき まし た 。 そして 倒れ さ うに なっ て 思は ず 泣い て 
「 痛い よう 。 おっかさん 。 」 と 叫ん だ やう でし た 。 すると すぐ 前 を 歩い て 行っ た あの 恐ろしい もの は 立ちどまっ て こっち を 振り向き まし た 。 その 子 は よろよろ し て 恐ろし さ に 手 を あげ ながら うし ろ へ 遁 げ よう と し まし たら 忽ち その 恐ろしい もの の 口 が ぴくっとうごきばっと 鞭 が 鳴っ て その 子 は 声 も なく 倒れ て もだえ まし た 。 あと から 来 た 子供 ら は それ を 見 て も た ゞ ふらふら と 避け て 行く だけ 一 語 も 云 ふも の が あり ませ ん でし た 。 倒れ た 子 は しばらく もだえ て ゐ まし た が それでも いつか さっき の 足 の 痛み など は 忘れ た やう に 又 よろよろ と 立ちあがる の でし た 。 
一郎 は もう 行く に も 戻る に も 立ちすくん で しまひ まし た 。 俄 か に 楢 夫 が 眼 を 開い て 
「 お父さん 。 」 と 高く 叫ん で 泣き 出し まし た 。 すると 丁度 下 を 通り かかっ た 一 人 の その 恐ろしい もの は その ゆがん だ 赤い 眼 を こっち に 向け まし た 。 一郎 は 息 も つまる やう に 思ひ まし た 。 恐ろしい もの は むちをあげて 下 から 叫び まし た 。 
「 そこら で 何 を し てる ん だ 。 下り て 来い 。 」 
一郎 は まるで その 赤い 眼 に 吸 ひ 込ま れる やう な 気 が し て よろよろ 二 三 歩 そっち へ 行き まし た が やっと ふみ とまっ て しっかり 楢 夫 を 抱き まし た 。 その 恐ろしい もの は 頬 を ぴくぴく 動かし 歯 を むき出し て 咆 える やう に 叫ん で 一 郎 の 方 に 登っ て 来 まし た 。 そして いつか 一 郎 と 楢 夫 と は つかま れ て 列 の 中 に 入っ て ゐ た の です 。 ことに 一郎 の かなしかっ た こと は どう し た の か 楢 夫 が 歩ける やう に なっ て はだし で その 痛い 地面 を ふん で 一 郎 の 前 を よろよろ 歩い て ゐる こと でし た 。 一郎 は みんな と 一緒 に 追 はれ て ある き ながら 何 べ ん も 楢 夫 の 名 を 低く 呼び まし た 。 けれども 楢 夫 は もう 一郎 の こと など は 忘れ た やう でし た 。 た ゞ たびたび お びえるやうにうしろに 手 を あげ ながら 足 の 痛 さ に よろめき ながら 一生けん命 歩い て ゐる の でし た 。 一郎 は この 時 はじめて 自分 たち を 追って ゐる もの は 鬼 といふ もの な こと 、 又 楢 夫 など に 何 の 悪い こと が あっ て こんな つらい 目 に あふ の か といふ こと を 考へ まし た 。 その とき 楢 夫 がた うとう 一つ の 赤い 稜 の ある 石 に つま づい て 倒れ まし た 。 鬼 の むちがその 小さな からだ を 切る やう に 落ち まし た 。 一郎 は ぐるぐる し ながら その 鬼 の 手 に すがり まし た 。 
｢ 私 を 代り に 打っ て 下さい 。 楢 夫 は なんにも 悪い こと が ない の です 。 」 
鬼 は ぎょっと し た やう に 一郎 を 見 て それ から 口 が しばらく ぴくぴく し て ゐ まし た が 大きな 声 で 斯 う 云 ひ まし た 。 その 歯 が ギラギラ 光っ た の です 。 
「 罪 は こんど ばかり で は ない ぞ 。 歩け 。 」 
一郎 は せ なか が シィン として ま はり が くるくる 青く 見え まし た 。 それから から だ 中 から つめたい 汗 が 湧き まし た 。 
こんなに し て 兄弟 は 追 はれ て 行き まし た 。 けれども だんだん なれ て 来 た と 見え て 二 人 と も なんだか 少し 楽 に なっ た やう に も 思ひ まし た 。 ほか の 人 たち の 傷つい た 足 や 倒れる から だ を 夢 の やう に 横 の 方 に 見 た の です 。 に は かに あたり が ぼんやり くらく なり まし た 。 それ から 黒く なり まし た 。 追 はれ て 行く 子供 ら の 青じろい 列 ばかり その 中 に 浮い て 見え まし た 。 
だんだん 眼 が 闇 に なれ て 来 た 時 一 郎 は その 中 の ひろい 野原 に たくさん の 黒い もの が じっと 座っ て ゐる の を 見 まし た 。 微か な 青 びかりもありました 。 それら は みな から だ 中 黒い 長い 髪の毛 で 一 杯 に 覆 はれ て まっ白 な 手足 が 少し 見える ばかり でし た 。 その 中 の 一つ が どう いふ わけ か 一 寸 動い た と 思ひ ます と 俄 かに から だ も ちぎれる やう な 叫び声 を あげ て もだえ ま はり まし た 。 そして まもなく その 声 も なくなっ て 一 かけ の 泥 の かたまり の やう に なっ て ころがる の を 見 まし た 。 そして だんだん 眼 が なれ て 来 た とき その 闇 の 中 の いき もの は 刀 の 刃 の やう に 鋭い 髪の毛 で からだ を 覆 はれ て ゐる こと 一 寸 でも 動け ば すぐ から だ を 切る こと が わかり まし た 。 
その 中 を しばらく しばらく 行っ て から また あたり が 少し 明るく なり まし た 。 そして 地面 は まっ 赤 でし た 。 前 の 方 の 子供 ら が 突然 烈しく 泣い て 叫び まし た 。 列 も とまり まし た 。 鞭 の 音 や 鬼 の 怒り 声 が 雹 や 雷 の やう に 聞え て 来 まし た 。 一郎 の すぐ 前 を 楢 夫 が よろよろ し て ゐる の です 。 まったく 野原 の その 辺 は 小さな 瑪瑙 の かけ ら の やう な もの で でき て ゐ て 行く もの の 足 を 切る の でし た 。 
鬼 は 大きな 鉄 の 沓 を はい て ゐ まし た 。 その 歩く たび に 瑪瑙 は ガリガリ 砕け た の です 。 一郎 の ま はり から も 叫び声 が 沢山 起り まし た 。 楢 夫 も 泣き まし た 。 
「 私 たち は どこ へ 行く ん です か 。 どうして こんな つらい 目 に あふん です か 。 」 楢 夫 は となり の 子 に たづ ね まし た 。 
「 あたし は 知ら ない 。 痛い 。 痛い なぁ 。 おっかさん 。 」 その 子 は ぐらぐら 頭 を ふっ て 泣き 出し まし た 。 
「 何 を 云っ てる ん だ 。 みんな き さま たち の 出 か し た こっ た 。 どこ へ 行く あて も ある もん か 。 」 
うし ろ で 鬼 が 咆 え て 又 鞭 を ならし まし た 。 
野 は ら の 草 は だんだん 荒く だんだん 鋭く なり まし た 。 前 の 方 の 子供 ら は 何 べ ん も 倒れ て は 又 力 なく 起きあがり 足 も からだ も 傷つき 、 叫び声 や 鞭 の 音 は もう それ だけ でも 倒れ さ うだっ た の です 。 
楢 夫 が いきなり 思ひ 出し た やう に 一郎 に すがりつい て 泣き まし た 。 
「 歩け 。 」 鬼 が 叫び まし た 。 鞭 が 楢 夫 を 抱い た 一郎 の 腕 を うち まし た 。 一郎 の 腕 は しびれ て わから なく なっ て ただ びく びく うごき まし た 。 楢 夫 が まだ すがりつい て ゐ た ので 鬼 が 又 鞭 を あげ まし た 。 
「 楢 夫 は 許し て 下さい 。 楢 夫 は 許し て 下さい 。 」 一郎 は 泣い て 叫び まし た 。 
「 歩け 。 」 鞭 が 又 鳴り まし た ので 一 郎 は 両 腕 で あら ん 限り 楢 夫 を か ば ひ まし た 。 か ば ひ ながら 一 郎 は どこ から か 
「 に ょらいじゅりゃうぼん 第 十 六 。 」 といふ やう な 語 が かすか な 風 の やう に 又 匂 の やう に 一郎 に 感じ まし た 。 する と 何だか ま はり が ほっと 楽 に なっ た やう に 思っ て 
「 に ょらいじゅりゃうぼん 。 」 と 繰り返し て つぶやい て み まし た 。 すると 前 の 方 を 行く 鬼 が 立ちどまっ て 不思議 さ うに 一 郎 を ふり か へ って 見 まし た 。 列 も とまり まし た 。 どう 云 ふ わけ か 鞭 の 音 も 叫び声 も やみ まし た 。 し ぃんとなってしまったのです 。 気 が つい て 見る と その うす くらい 赤い 瑪瑙 の 野原 の は づれがぼうっと 黄金 いろ に なっ て その 中 を 立派 な 大きな 人 が まっすぐ に こっち へ 歩い て 来る の でし た 。 どう 云 ふ わけ か みんな は ほっと し た やう に 思っ た の です 。 
四 、 光 の す あし 
その 人 の 足 は 白く 光っ て 見え まし た 。 実に はやく 実に まっすぐ に こっち へ 歩い て 来る の でし た 。 まっ白 な 足 さき が 二 度 ばかり 光り も うそ の 人 は 一 郎 の 近く へ 来 て ゐ まし た 。 
一郎 は まぶしい やう な 気 が し て 顔 を あげ られ ませ ん でし た 。 その 人 は はだし でし た 。 まるで 貝殻 の やう に 白く ひかる 大きな す あし でし た 。 く びすのところの 肉 はか ゞ やい て 地面 まで 垂れ て ゐ まし た 。 大きな まっ白 なす あし だっ た の です 。 けれども その 柔らか な す あし は 鋭い 鋭い 瑪瑙 の かけ ら を ふみ 燃え あがる 赤い 火 を ふん で 少し も 傷つか ず 又 灼け ませ ん でし た 。 地面 の 棘 さ へ 又 折れ ませ ん でし た 。 
「 こ は いこ と は ない ぞ 。 」 微か に 微か に わら ひ ながら その 人 は みんな に 云 ひ まし た 。 その 大きな 瞳 は 青い 蓮 の はな びら の やう に りん と みんな を 見 まし た 。 みんな は どう 云 ふわ け と も なく 一 度 に 手 を 合わせ まし た 。 
「 こ は いこ と は ない 。 お ま へ たち の 罪 は この 世界 を 包む 大きな 徳 の 力 に くらべれ ば 太陽 の 光 と あざみ の 棘 の さき の 小さな 露 の やう な もん だ 。 なんにも こ はい こと は ない 。 」 
いつの間にか みんな は その 人 の ま はり に 環 に なっ て 集っ て 居り まし た 。 さっき まで あんなに 恐ろしく 見え た 鬼 ども が いま は みなす なほ に その 大きな 手 を 合せ 首 を 低く 垂れ て みんな の うし ろ に 立っ て ゐ た の です 。 
その 人 は しづか に みんな を 見 ま は し まし た 。 
「 みんな ひどく 傷 を 受け て ゐる 。 それ は お ま へ たち が 自分 で 自分 を 傷つけ た の だ ぞ 。 けれども それ も 何 で も ない 、 」 その 人 は 大きな まっ白 な 手 で 楢 夫 の 頭 を なで まし た 。 楢 夫 も 一郎 も その 手 の かすか に ほほ の 花 の に ほ ひ の する の を 聞き まし た 。 そして みんな の からだ の 傷 は すっかり 癒 って ゐ た の です 。 
一 人 の 鬼 が いきなり 泣い て その 人 の 前 に ひざ ま づき まし た 。 それから 頭 を け は しい 瑪瑙 の 地面 に 垂れ その 光る 足 を 一寸 手 で い た ゞ き まし た 。 
その 人 は 又 微か に 笑 ひ まし た 。 すると 大きな 黄金 いろ の 光 が 円い 輪 に なっ て その 人 の 頭 の ま はり に か ゝ り まし た 。 その 人 は 云 ひ まし た 。 
「 こ ゝ は 地面 が 剣 で でき て ゐる 。 お前 たち は それ で 足 や からだ を やぶる 。 さ う お前 たち は 思っ て ゐる 、 けれども この 地面 は まるっきり 平ら な の だ 。 さあ ご覧 。 」 
その 人 は 少し か ゞ んで その まっ白 な 手 で 地面 に 一つ 輪 を かき まし た 。 みんな は 眼 を 擦っ た の です 。 又 耳 を 疑 がっ た の です 。 今 まで の 赤い 瑪瑙 の 棘 で でき 暗い 火 の 舌 を 吐い て ゐ た かなしい 地面 が 今 は 平ら な 平ら な 波 一つ 立た ない まっ青 な 湖水 の 面 に 変り その 湖水 は どこ まで つづく の か はて は 孔雀石 の 色 に 何 条 も の 美しい 縞 に なり 、 その 上 に は 蜃気楼 の やう に そして もっと はっきり と 沢山 の 立派 な 木 や 建物 が じっと 浮ん で ゐ た の です 。 それら の 建物 はず うっ と 遠く に あっ た の です けれども 見上げる ばかり に 高く 青 や 白 びかりの 屋根 を 持っ たり 虹 の やう ない ろ の 幡 が 垂れ たり 、 一つ の 建物 から 一つ の 建物 へ 空中 に 真珠 の やう に 光る 欄干 の つい た 橋 廊 が かかっ たり 高い 塔 は たくさん の 鈴 や 飾り 網 を 掛け その さき の 棒 は まっすぐ に 高く そら に 立ち まし た 。 それら の 建物 は しん として 音 なく そびえ その 影 は 実に はっきり と 水面 に 落ち た の です 。 
また たくさん の 樹 が 立っ て ゐ まし た 。 それ は 全く 宝石 細工 と しか 思は れ ませ ん でし た 。 はん の 木 の やう な かたち で まっ青 な 樹 も あり まし た 。 楊 に 似 た 木 で 白金 の やう な 小さな 実に なっ て ゐる の も あり まし た 。 みんな その 葉 が チラチラ 光っ て ゆすれ 互いに ぶっつかり 合っ て 微妙 な 音 を たてる の でし た 。 
それから 空 の 方 から は いろいろ な 楽器 の 音 が さまざま の いろ の 光 の こ な と 一所 に 微か に 降っ て くる の でし た 。 もっと もっと 愕 い た こと は あんまり 立派 な 人 たち の そこ に も こ ゝ に も 一 杯 な こと でし た 。 ある 人人 は 鳥 の やう に 空中 を 翔け て ゐ まし た が その 銀 いろ の 飾り の ひも は まっすぐ に うし ろ に 引い て 波 一つ たた ない の でし た 。 すべて 夏 の 明方 の やう ない ゝ 匂 で 一 杯 でし た 。 ところが 一郎 は 俄 か に 自分 たち も 又 その まっ青 な 平ら な 平ら な 湖水 の 上 に 立っ て ゐる こと に 気がつき まし た 。 けれども それ は 湖水 だっ た ので せ う か 。 い ゝ え 、 水 ぢ ゃなかったのです 。 硬かっ た の です 。 冷たかっ た の です 、 なめらか だっ た の です 。 それ は 実に 青い 宝石 の 板 でし た 。 板 ぢ ゃない 、 やっぱり 地面 でし た 。 あんまり それ が なめらか で 光っ て ゐ た ので 湖水 の やう に 見え た の です 。 
一郎 は さっき の 人 を 見 まし た 。 その 人 は さっき と は 又 まるで 見 ち が へる やう でし た 。 立派 な 瓔珞 を かけ 黄金 の 円光 を 冠 りか すか に 笑っ て みんな の うし ろ に 立っ て ゐ まし た 。 そこ に 見える どの人 より も 立派 でし た 。 金 と 紅 宝石 を 組ん だ やう な 美しい 花 皿 を 捧げ て 天人 たち が 一 郎 たち の 頭 の 上 を すぎ 大きな 碧 や 黄金 の はな びら を 落し て 行き まし た 。 
その はな びら は しづか に しづか に そら を 沈ん で ま ゐ り まし た 。 
さっき の うす くらい 野原 で 一緒 だっ た 人 たち は いま みな 立派 に 変っ て ゐ まし た 。 一郎 は 楢 夫 を 見 まし た 。 楢 夫 が やはり 黄金 いろ の きもの を 着 、 瓔珞 も 着け て ゐ た の です 。 それから 自分 を 見 まし た 。 一郎 の 足 の 傷 や 何 か は すっかり なほ って いま は まっ白 に 光り その 手 は まばゆく い ゝ 匂 だっ た の です 。 
みんな は しばらく た ゞ よろこび の 声 を あげる ばかり でし た が その うち に 一 人 の 子 が 云 ひ まし た 。 
「 此処 は まるで い ゝ ん だ なあ 、 向 ふ に ある の は 博物館 かしら 。 」 
その 巨 き な 光る 人 が 微笑 って 答 へ まし た 。 
「 うむ 。 博物館 も ある ぞ 。 あらゆる 世界 の でき ごと が みんな 集まっ て ゐる 。 」 
そこで 子供 ら は 俄 か に いろいろ な こと を 尋ね 出し まし た 。 一 人 が 云 ひ まし た 。 
「 こ ゝ に は 図書館 も ある の 。 僕 アンデルゼン の お はなし や なんか もっと 読み たい なあ 。 」 
一 人 が 云 ひ まし た 。 
「 こ ゝ の 運動 場 なら 何 でも 出来る なあ 、 ボール だって 投げ た って きっと どこ まで も 行く ん だ 。 」 
非常 に 小さな 子 は 云 ひ まし た 。 
「 僕 は チョコレート が ほしい なあ 。 」 
その 巨 き な 人 は しづか に 答 へ まし た 。 
「 本 は こ ゝ に は いくらでも ある 。 一 冊 の 本 の 中 に 小さな 本 が たくさん は ひっ て ゐる やう な もの も ある 。 小さな 小さな 形 の 本 に あらゆる 本 の みな 入っ て ゐる やう な 本 も ある 、 お前 たち は よく 読む がい ゝ 。 運動 場 も ある 、 そこ で かける こと を 習 ふも の は 火 の 中 でも 行く こと が できる 。 チョコレート も ある 。 こ ゝ の チョコレート は 大 へん に い ゝ の だ 。 あげよ う 。 」 その 大きな 人 は 一寸 空 の 方 を 見 まし た 。 一 人 の 天人 が 黄いろ な 三角 を 組みたて た 模様 の つい た 立派 な 鉢 を 捧げ て まっすぐ に 下り て 参り まし た 。 そして 青い 地面 に 降り て 虔 しく その 大きな 人 の 前 に ひざ ま づき 鉢 を 捧げ まし た 。 
「 さあ たべ て ごらん 。 」 その 大きな 人 は 一つ を 楢 夫 に やり ながら みんな に 云 ひ まし た 。 みんな は いつか 一つ づつその 立派 な 菓子 を 持っ て ゐ た の です 。 それ は 一寸 嘗め た とき から だ 中 すうっ と 涼しく なり まし た 。 舌 の さき で 青い 蛍 の やう な 色 や 橙 いろ の 火 やら きれい な 花 の 図案 に なっ て チラチラ 見える の でし た 。 たべ て しまっ た とき から だ が ピン と なり まし た 。 しばらく たって から だ 中 から 何とも 云 へ ない い ゝ 匂い が ぼうっと 立つ の でし た 。 
「 僕 たち の お母さん は どっち に 居る だら う 。 」 楢 夫 が 俄 か に 思ひ だし た やう に 一郎 に たづ ね まし た 。 
すると その 大きな 人 が こっち を 振り向い て やさしく 楢 夫 の 頭 を なで ながら 云 ひ まし た 。 
「 今に お前 の 前 の お母さん を 見せ て あげよ う 。 お前 は もうこ ゝ で 学校 に 入ら なけれ ば なら ない 。 それから お前 は しばらく 兄さん と 別れ なけれ ば なら ない 。 兄さん は もう一度 お母さん の 所 へ 帰る ん だ から 。 」 
その 人 は 一 郎 に 云 ひ まし た 。 
「 お前 は も 一度 あの もと の 世界 に 帰る の だ 。 お前 は す なほ ない ゝ 子供 だ 。 よく あの 棘 の 野原 で 弟 を 棄て なかっ た 。 あの 時 やぶれ た お前 の 足 は いま は もう はだし で 悪い 剣 の 林 を 行く こと が できる ぞ 。 今 の 心持 を 決して 離れる な 。 お前 の 国 に は こ ゝ から 沢山 の 人 たち が 行っ て ゐる 。 よく 探し て ほん た うの 道 を 習 へ 。 」 その 人 は 一 郎 の 頭 を 撫で まし た 。 一郎 はた ゞ 手 を 合せ 眼 を 伏せ て 立っ て ゐ た の です 。 それから 一郎 は 空 の 方 で 力一杯 に 歌っ て ゐる い ゝ 声 の 歌 を 聞き まし た 。 その 歌 の 声 は だんだん 変り すべて の 景色 は ぼうっと 霧 の 中 の やう に 遠く なり まし た 。 た ゞ その 霧 の 向 ふ に 一 本 の 木 が 白く か ゞ やい て 立ち 楢 夫 が まるで 光っ て 立派 に なっ て 立ち ながら 何 か 云 ひたさ う に かすか に わらっ て こっち へ 一寸 手 を 延ばし た の でし た 。 
五 、 峠 
「 楢 夫 」 と 一郎 は 叫ん だ と 思ひ まし たら 俄 か に 新しい まっ白 な もの を 見 まし た 。 それ は 雪 でし た 。 それから 青空 が まばゆく 一郎 の 上 に かかっ て ゐる の を 見 まし た 。 
「 息 吐 だ ぞ 。 眼 開 ぃだぞ 。 」 一郎 の となり の 家 の 赤 髯 の 人 が すぐ 一郎 の 頭 の とこ に 曲ん で ゐ て しきりに 一郎 を 起さ う として ゐ た の です 。 そして 一郎 は はっきり 眼 を 開き まし た 。 楢 夫 を 堅く 抱い て 雪 に 埋まっ て ゐ た の です 。 まばゆい 青 ぞ ら に 村 の 人 たち の 顔 や 赤い 毛布 や 黒 の 外套 が くっきり と 浮ん で 一 郎 を 見下し て ゐる の でし た 。 
「 弟 ぁなぢょだ 。 弟 ぁ 。 」 犬 の 毛皮 を 着 た 猟師 が 高く 叫び まし た 。 となり の 人 は 楢 夫 の 腕 を つかん で 見 まし た 。 一郎 も 見 まし た 。 
「 弟 ぁわがなぃよだ 。 早 ぐ 火 焚 げ 」 と なり の 人 が 叫び まし た 。 
「 火 焚 ぃでわがなぃ 。 雪 さ 寝せろ 。 寝せろ 。 」 
猟師 が 叫び まし た 。 一郎 は 扶 けら れ て 起さ れ ながら も 一度 楢 夫 の 顔 を 見 まし た 。 その 顔 は 苹果 の やう に 赤く その 唇 は さっき 光 の 国 で 一郎 と 別れ た とき の ま ゝ 、 かすか に 笑っ て ゐ た の です 。 けれども その 眼 は と ぢ その 息 は 絶 え そして その 手 や 胸 は 氷 の やう に 冷え て しまっ て ゐ た の です 。 
ひ なげし は みんな まっ 赤 に 燃え あがり 、 めいめい 風 に ぐらぐら ゆれ て 、 息 も つけ ない よう でし た 。 その ひな げ し のう しろ の 方 で 、 やっぱり 風 に 髪 も からだ も 、 いち めん もま れ て 立ち ながら 若い ひのき が 云い まし た 。 
「 おまえ たち は みんな まっ 赤 な 帆船 で ね 、 いま が あらし の とこ な ん だ 」 
「 いやあ だ 、 あたし ら 、 そんな 帆船 や なんか じゃ ない わ 。 せ だけ 高く て ばか あな ひのき 。 」 ひな げ し ども は 、 みんな いっしょ に 云い まし た 。 
「 そして 向う に 居る の は な 、 もう みがき たて 燃え たて の 銅 づくり の いき もの な ん だ 。 」 
「 いやあ だ 、 お 日 さま 、 そんな あか が ね なんか じゃ ない わ 。 せ だけ 高く て ばか あな ひのき 。 」 ひな げ し ども は みんな いっしょ に 叫び ます 。 
ところが この ときお 日 さま は 、 さっ さっ さっと 大きな 呼吸 を 四 五 へん つい て るり 色 を し た 山 に 入っ て しまい まし た 。 
風 が 一 そう はげしく なっ て ひのき も まるで 青黒 馬 の しっぽ の よう 、 ひ なげし ども は みな 熱病 に かかっ た よう 、 てんでに 何 か うわ ごと を 、 南 の 風 に 云っ た の です が 風 は てんから 相手 に せ ず どしどし 向う へ かけぬけ ます 。 
ひ なげし ども は そこで すこ う し しずまり まし た 。 東 に は 大きな 立派 な 雲 の 峰 が 少し 青ざめ て 四つ なら んで 立ち まし た 。 
いちばん 小さい ひな げ し が 、 ひとり で こそこそ 云い まし た 。 
「 ああ つまらない つまらない 、 もう 一生 合唱 手 だ わ 。 いちど 女王 に し て くれ たら 、 あした は 死ん で も いい ん だ けど 。 」 
となり の 黒 斑 の はいっ た 花 が すぐ 引き とっ て 云い まし た 。 
「 それ は もちろん あたし も そう よ 。 だって スター に なら なく たって どうせ あした は 死ぬ ん だ わ 。 」 
「 あら 、 いくら スター で なくっ て も あなた の 位 立派 なら もう それ だけ で 沢山 だ わ 。 」 
「 うそうそ 。 とても つまんない 。 そり ゃあたしいくらかあなたよりあたしの 方 が いい わ ねえ 。 わたし も やっぱり そう 思っ て よ 。 けど テクラ さん どう でしょ う 。 まるで 及び も つか ない わ 。 青い チョッキ の 虻 さん で も 黄 の だ ん だら の 蜂 め まで みな まっさきに あっち へ 行く わ 。 」 
向う の 葵 の 花壇 から 悪魔 が 小さな 蛙 に ばけ て 、 ベートーベン の 着 た よう な 青い フロック コート を 羽織り それ に 新月 より も けだかい ばら 娘 に 仕立て た 自分 の 弟子 の 手 を 引い て 、 大変 あわて た 風 を し て やって来 た の です 。 
「 や 、 道 を まちがえ た か な 。 それとも 地図 が 違っ てる か 。 失敗 。 失敗 。 はて 、 一寸 聞い て 見よ う 。 もしもし 、 美容 術 の うち は どっち でし た か ね 。 」 
ひ なげし は あんまり 立派 な ばら の 娘 を 見 、 又 美容 術 と 聞い た ので 、 みんな ドキッと し まし た が 、 誰 も はずかし がっ て 返事 を し ませ ん でし た 。 悪魔 の 蛙 が ばら の 娘 に 云い まし た 。 
「 は はあ 、 この 辺 の ひな げ し ども は みんな つん ぼ か 何 か だ な 。 それ に 全然 無学 だ な 。 」 
娘 に ばけ た 悪魔 の 弟子 は お 口 を ちょっと 三角 に し て いかにも す なお に うなずき まし た 。 
女王 の テクラ が 、 もう 非常 な 勇気 で 云い まし た 。 
「 何 か ご用 で いらっしゃい ます か 。 」 
「 あ 、 これ は 。 ええ 、 一寸 お たずね いたし ます が 、 美容 院 は どちら でしょ う か 。 」 
「 さあ 、 あいにく と そういう ところ 存じ ませ ん で ござい ます 。 一体 それ が この 近所 に でも ござい ましょ う か 。 」 
「 それ は もちろん 。 現に 私 の この むす め など 、 前 は 尖っ た おかしな もん で ずいぶん 心配 し まし た が かれこれ 三 度 助手 の お方 に 来 て いただい て すっかり 術 を ほどこし まし て とにかく 今 は あなた 方 とも ご 交際 なぞ 願え ば ねがえる よう な わけ 、 あす 紐 育 に 連れ て で ます ので ちょっと お礼 に 出 まし た ので 。 で は 。 」 
「 あ 、 一寸 。 一寸 お待ち 下さい ませ 。 その 美容 術 の 先生 は どこ へ で も ご 出張 なさい ます かしら 。 」 
「 し ましょ う な 」 
「 それでは 誠に な ん です が お 序で の 節 、 こちら へ も お 廻り ねがえ ませ ん でしょ う か 。 」 
「 そう 。 しかし 私 は その 先生 の 書生 と いう で も あり ませ ん 。 けれども 、 しかし とにかく そう 云い ましょ う 。 おい 。 行こ う 。 さよなら 。 」 
悪魔 は 娘 の 手 を ひい て 、 向う のど て の かげ まで 行く と 片 眼 を つぶっ て 云い まし た 。 
「 お前 は これ で 帰っ て よし 。 そして キャベジ と 鮒 と を な 灰 で 煮込ん で おい て くれ 。 では おれ は 今度 は 医者 だ から 。 」 と いい ながら すっかり 小さな 白い 鬚 の 医者 に ばけ まし た 。 悪魔 の 弟子 は さっそく 大きな 雀 の 形 に なっ て ぼろ ん と 飛ん で 行き まし た 。 
東 の 雲 のみ ね は だんだん 高く 、 だんだん 白く なっ て 、 いま は 空 の 頂上 まで 届く ほど です 。 
悪魔 は 急い で ひ なげし の 所 へ やっ て 参り まし た 。 
「 え えと 、 この 辺 じゃ と 云わ れ た が 、 どうも 門 へ 標札 も 出し て ない という よう な あんばい だ 。 一寸 たずね ます が 、 ひ なげし さん たち の おす まい は どの 辺 です か な 。 」 
賢い テクラ が ドキドキ し ながら 云い まし た 。 
「 あの 、 ひ なげし は 手前 ども で ござい ます 。 どなた で いらっしゃい ます か 。 」 
「 そう 、 わし は 先刻 伯爵 から ご 言伝 に なっ た 医者 です が ね 。 」 
「 それ は 失礼 いたし まし た 。 椅子 も ござい ませ ん が まあ どうぞ こちら へ 。 そして 私 共 は 立派 に なれ ましょ う か 。 」 
「 なり ます ね 。 まあ 三 服 で ち ょっとさっきのむすめぐらいというところ 。 しかし 薬 は 高い から 。 」 
ひ なげし は みんな 顔色 を 変え て ためいき を つき まし た 。 テクラ が たずね まし た 。 
「 一体 どれ 位 で ござい ましょ う 。 」 
「 左様 。 お 一 人 が 五 ビル です 。 」 
ひ なげし は しいんと し て しまい まし た 。 お 医者 の 悪魔 も あご の ひ げ を ひねっ た まましい ん として 空 を みあげ て い ます 。 雲 のみ ね は だんだん 崩れ て しずか な 金 いろ に かがやき 、 そお っと 、 北の方 へ 流れ出し まし た 。 
ひ なげし は やっぱり しいんと し て い ます 。 お 医者 も じっと やっ ぱりおひげをにぎったきり 、 花壇 の 遠く の 方 など は もう ぼんやり と 藍 いろ です 。 その とき 風 が 来 まし た ので ひ なげし ども は ちょっと ざわっとなりました 。 
お 医者 も ちらっと 眼 を うごかし た よう でし た が まもなく やっぱり 前 の よう しいんと 静まり返っ て い ます 。 
その 時 一番 小さい ひな げ し が 、 思い切っ た よう に 云い まし た 。 
「 お 医者 さん 。 わたくし お あし なんか 一文 も ない の よ 。 けども 少し たて ば あたし の 頭 に 亜 片 が できる の よ 。 それ を みんな あげる こと に し て は いけ なくっ て 。 」 
「 ほう 。 亜 片 か ね 。 あんまり 間 に は 合わ ない けれども とにかく その 薬 は わし の 方 で は 要る ん で ね 。 よし 。 いかにも 承知 し た 。 証文 を 書き なさい 。 」 
すると みんな が まるで 一 ぺん に 叫び まし た 。 
「 私 も どう か そう お願い いたし ます 。 どうか 私 も そう お願い 致し ます 。 」 
お 医者 は まるで 困っ た という よう に 額 に 皺 を よせ て 考え て い まし た が 、 
「 仕方 ない 。 よかろ う 。 何もかも みな 慈善 の ため じゃ 。 承知 し た 。 証文 を 書き なさい 。 」 
さあ 大変 だ あたし 字 なんか 書け ない わ と ひ なげし ども が みんな 一 諸に 思っ た とき 悪魔 の お 医者 は もう 持っ て 来 た 鞄 から 印刷 に し た 証書 を 沢山 出し まし た 。 そして 笑っ て 云い まし た 。 
「 では その わし が この 紙 を ひとつ ぱらぱら めくる から みんな いっしょ に こう 云い なさい 。 
亜 片 は みんな 差しあげ 候 と 、 」 
まあ よかっ た と ひ なげし ども は みんな いちど に ざわつき まし た 。 お 医者 は 立っ て 云い まし た 。 
「 では 」 ぱらぱら ぱらぱら 、 
「 亜 片 は みんな 差しあげ 候 。 」 
「 よろしい 。 早速 薬 を あげる 。 一服 、 二 服 、 三 服 と な 。 まず わたし が ここ で 第 一服 の 呪文 を うたう 。 すると ここら の 空気 に な 。 きらきら 赤い 波 が たつ 。 それ を みんな で 呑む ん だ な 。 」 
悪魔 の お 医者 は とても ふしぎ な いい 声 で おかしな 歌 を やり まし た 。 
「 まひる の 草木 と 石 土 を 　 照らさ ん こと を 怠り し 　 赤き ひかり は 集い 来 て なす すべ しら に 漂え よ 。 」 
すると ほんとう に そこら の もう 浅 黄いろ に なっ た 空気 の なか に 見える か 見え ない よう な 赤い 光 が かすか な 波 に なっ て ゆれ まし た 。 ひな げ し ども はじ ぶん こそ いちばん 美しく なろ う と 一生けん命 その 風 を 吸い まし た 。 
悪魔 の お 医者 は きっと 立っ て これ を 見渡し て い まし た が その 光 が 消え て しまう と また 云い まし た 。 
「 では 第 二 服 　 まひる の 草木 と 石 土 を 　 照らさ ん こと を 怠り し 　 黄 なる ひかり は 集い 来 て なす すべ しら に 漂え よ 」 
空気 へ うすい 蜜 の よう な 色 が ちらちら 波 に なり まし た 。 ひ なげし は また 一生けん命 です 。 
「 では 第 三 服 」 と お 医者 が 云お う と し た とき でし た 。 
「 おおい 、 お 医者 や 、 あんまり 変 な 声 を 出し て くれる な よ 。 ここ は 、 セントジョバンニ 様 の お 庭 だ から な 。 」 ひのき が 高く 叫び まし た 。 
その 時 風 が ザァッ と やって来 まし た 。 ひのき が 高く 叫び まし た 。 
「 こう ら に せ 医者 。 ま てっ 。 」 
すると 医者 は たいへん あわて て 、 まるで のろし の よう に 急 に 立ちあがっ て 、 滅法界 も なく 大きく 黒く なっ て 、 途方 も ない 方 へ 飛ん で 行っ て しまい まし た 。 その 足 さき は まるで 釘抜き の よう に 尖り 黒い 診察 鞄 も けむり の よう に 消え た の です 。 
ひ なげし は みんな あっけ に とら れ て ぽかっと そら を ながめ て い ます 。 
ひのき が そこ で 云い まし た 。 
「 もう 一足 で おまえ たち みんな 頭 を ばりばり 食わ れる とこ だっ た 。 」 
「 それ だって いい じゃあ ない の 。 おせっかい の ひのき 」 
もう まっ黒 に 見える ひな げ し ども は みんな 怒っ て 云い まし た 。 
「 そう じゃあ ない て 。 おまえ たち が 青い けし 坊主 の まんま で がりがり 食わ れ て しまっ たら もう 来年 は ここ へ は 草 が 生える だけ 、 それ に 第 一 スター に なり たい なんて おまえ たち 、 スター て 何だか 知り も し ない 癖 に 。 スター という の は な 、 本当は 天井 の お 星 さま の こと な ん だ 。 そら あすこ へ もう お 出 に なっ て いる 。 も すこし たて ば そら いち めん に お で まし だ 。 そう そう オールスターキャスト と いう だろ う 。 オールスターキャスト という の が つまり それ だ 。 つまり 双子 星座 様 は 双子 星座 様 の ところ に レオーノ 様 は レオーノ 様 の ところ に 、 ちゃんと 定まっ た 場所 で めいめい の きまっ た 光り よう を なさる の が オールスターキャスト 、 な 、 ところが ありがたい もん で スター に なり たい なり たい と 云っ て いる おまえ たち が そのまま そっくり スター で な 、 おまけ に オールスターキャスト だ という こと に なっ て ある 。 それ は こう だ 。 聴け よ 。 
あめ なる 花 を ほし と 云い 
この世 の 星 を 花 と いう 。 」 
「 何 を 云っ てる の 。 ばか ひのき 、 けし 坊主 なんか に なっ て あたし ら 生き て いたく ない わ 。 おまけ に いま の おかしな 声 。 悪魔 の お方 の とても 足もと に も より つけ ない わ 。 わあ い 、 わあ い 、 おせっかい の 、 おせっかい の 、 せい 高 ひのき 」 
けし は やっぱり 怒っ て い ます 。 
けれども 、 もう その 顔 も みんな まっ黒 に 見える の でし た 。 それ は 雲 の 峯 が みんな 崩れ て 牛 みたい な 形 に なり 、 そら の あちこち に 星 が ぴかぴか しだし た の です 。 
ひ なげし は 、 みな 、 しいんと し て 居り まし た 。 
ひのき は 、 また だまっ て 、 夕 がた の そら を 仰ぎ まし た 。 
西 の そら は 今 は かがやき を 納め 、 東 の 雲 の 峯 は だんだん 崩れ て 、 そこ から もう 銀 いろ の 一つ 星 も またたき 出し まし た 。 
くだもの の 畑 の 丘 の いただき に 、 ひま はり ぐらゐせいの 高い 、 黄色 な ダァリヤ の 花 が 二 本 と 、 まだ たけ 高く 、 赤い 大きな 花 を つけ た 一 本 の ダァリヤ の 花 が あり まし た 。 
この 赤い ダァリヤ は 花 の 女王 に ならう と 思っ て ゐ まし た 。 
風 が 南 から あばれ て 来 て 、 木 に も 花 に も 大きな 雨 の つぶ を 叩きつけ 、 丘 の 小さな 栗 の 木 から さ へ 、 青い いが や 小 枝 を むしっ て けたたましく 笑っ て 行く 中 で 、 この 立派 な 三木 の ダァリヤ の 花 は 、 しづか に からだ を ゆすり ながら 、 か へ って いつも より か ゞ やい て 見え て 居り まし た 。 
それから 今度 は 北風 又 三郎 が 、 今年 はじめて 笛 の やう に 青 ぞ ら を 叫ん で 過ぎ た 時 、 丘 の ふもと の やま なら し の 木 は せ は しく ひらめき 、 果物 畑 の 梨 の 実は 落ち まし た が 、 此 の たけ 高い 三 本 の ダァリヤ は 、 ほんの わ づか 、 きらびやか な わら ひ を 揚げ た だけ でし た 。 
黄色 な 方 の 一 本 が 、 こ ゝ ろ を 南 の 青白い 天 末 に 投げ ながら 、 ひとり ごと の やう に 云っ た の でし た 。 
「 お 日 さま は 、 今日 は コバルト 硝子 の 光 の こ な を 、 すこ う し よけい に お 播き なさる やう です わ 。 」 
しみじみ と 友達 の 方 を 見 ながら 、 もう 一 本 の 黄色 な ダァリヤ が 云 ひ まし た 。 
「 あなた は 今日 は いつも より 、 少し 青ざめ て 見える の よ 。 きっと あたし も さ う だ わ 。 」 
「 え ゝ 、 さ う よ 。 そして まあ 」 赤い ダァリヤ に 云 ひ まし た 「 あなた の 今日 の お 立派 な こと 。 あたし なんだか あなた が 急 に 燃え 出し て しまふ やう な 気 が する わ 。 」 
赤い ダァリヤ の 花 は 、 青 ぞ ら を ながめ て 、 日 に かがやい て 、 かすか に 笑っ て 答 へ まし た 。 
「 これ ばっか し ぢ ゃ 仕方 ない わ 。 あたし の 光 で そこら が 赤く 燃える やう に なら ない くら ゐ なら 、 まるで つまらない の よ 。 あたし もう ほん た うに 苛々 し て しまふ わ 。 」 
やがて 太陽 は 落ち 、 黄 水晶 の 薄明 穹 も 沈み 、 星 が 光り そめ 、 空 は 青 黝 い 淵 に なり まし た 。 
「 ピートリリ 、 ピートリリ 。 」 と 鳴い て 、 その 星あかり の 下 を 、 ま な づるの 黒い 影 が かけ て 行き まし た 。 
「 ま な づるさん 。 あたし ず ゐ ぶん きれい で せ う 。 」 赤い ダァリヤ が 云 ひ まし た 。 
「 あゝ きれい だ よ 。 赤くっ て ねえ 。 」 
鳥 は 向 ふ の 沼 の 方 の くら やみ に 消え ながら そこ に つ ゝ まし く 白く 咲い て ゐ た 一 本 の 白い ダァリヤ に 声 ひくく 叫び まし た 。 
「 今 ばん は 。 」 
白い ダァリヤ はつ ゝ まし く わらっ て ゐ まし た 。 
山山 に パラフン の 雲 が 白く 澱み 、 夜 が 明け まし た 。 黄色 な ダァリヤ は びっくり し て 、 叫び まし た 。 
「 まあ 、 あなた の 美しく なっ た こと 。 あなた の ま はり は 桃色 の 後光 よ 。 」 
「 ほん た う よ 。 あなた の ま はり は 虹 から 赤い 光 だけ 集め て 来 た やう よ 。 」 
「 あら 、 さ う 。 だって やっぱり つまらない わ 。 あたし あたし の 光 で そら を 赤く しよ う と 思っ て ゐる の よ 。 お 日 さま が 、 いつも より 金粉 を いくらか よけい に 撒い て いらっしゃる の よ 。 」 
黄色 な 花 は 、 どちら も だまっ て 口 を つぐみ まし た 。 
その 黄金 いろ の まひる に ついで 、 藍 晶 石 の さ は や か な 夜 が 参り まし た 。 
いち めん のき ら 星 の 下 を 、 もじ ゃもじゃのまなづるがあわたゞしく 飛ん で 過ぎ まし た 。 
「 ま な づるさん 。 あたし か なり 光っ て ゐ ない ？ 」 
「 ず ゐ ぶん 光っ て ゐ ます ね 。 」 
ま な づるは 、 向 ふ の ほ の じ ろ い 霧 の 中 に 落ち て 行き ながら また 声 ひくく 白い ダァリヤ へ 声 を かけ て 行き まし た 。 
「 今晩 は 。 ご 機嫌 は いか ゞ です か 。 」 
星 は めぐり 、 金星 の 終り の 歌 で 、 そら は すっかり 銀色 に なり 、 夜 が あけ まし た 。 日光 は 今朝 はか ゞ やく 琥珀 の 波 です 。 
「 まあ 、 あなた の 美しい こと 。 後光 は 昨日 の 五 倍 も 大きく なっ てる わ 。 」 
「 ほん た うに 眼 も さめる やう な の よ 。 あの 梨の木 まで あなた の 光 が 行っ て ます わ 。 」 
「 え ゝ 、 それ は さ う よ 。 だって つまらない わ 。 誰 も まだ あたし を 女王 さま だ と は 云 は ない ん だ から 。 」 
そこで 黄色 な ダァリヤ は 、 さびしく 顔 を 見合せ て 、 それから 西 の 群青 の 山脈 に その 大きな 瞳 を 投げ まし た 。 
かんばしく きらびやか な 、 秋 の 一 日 は 暮れ 、 露 は 落ち 星 は めぐり 、 そして あの ま な づるが 、 三つ の 花 の 上の空 を だまっ て 飛ん で 過ぎ まし た 。 
「 ま な づるさん 。 あたし 今夜 どう 見え て ？ 」 
「 さあ 、 大した もん です ね 。 けれども もう 大分 くらい から な 。 」 
ま な づるはそして 向 ふ の 沼 の 岸 を 通っ て あの 白い ダァリヤ に 云 ひ まし た 。 
「 今晩 は 、 い ゝ お 晩 です ね 。 」 
夜 が あけ か ゝ り 、 その 桔梗 色 の 薄明 の 中 で 、 黄色 な ダァリヤ は 、 赤い 花 を 一寸 見 まし た が 、 急 に 何 か 恐 さ うに 顔 を 見合せ て しまっ て 、 一 こと も 物 を 云 ひ ませ ん でし た 。 赤い ダァリヤ が 叫び まし た 。 
「 ほん た うに いらいら する って ない わ 。 今朝 は あたし は どんなに 見え て ゐる の 。 」 
一つ の 黄色 の ダァリヤ が 、 お づおづしながら 云 ひ まし た 。 
「 きっと まっ 赤 な んで せ う ね 。 だけど あたし ら に は 前 の やう に 赤く 見え ない わ 。 」 
「 どう 見える の 。 云っ て 下さい 。 どう 見える の 。 」 
も 一つ の 黄色 な ダァリヤ が 、 も ぢ も ぢ し ながら 云 ひ まし た 。 
「 あたし たち に だけ さ う 見える の よ 。 ね 。 気 に かけ ない で 下さい ね 。 あたし たち に は 何だか あなた に 黒い ぶち ぶち が でき た やう に 見え ます わ 。 」 
「 あらっ 。 よし て 下さい よ 。 縁起 で も ない わ 。 」 
太陽 は 一 日 か ゞ やき まし た ので 、 丘 の 苹果 の 半分 は つやつや 赤く なり まし た 。 
そして 薄明 が 降り 、 黄昏 が こめ 、 それから 夜 が 来 まし た 。 
ま な づるが 
「 ピートリリ 、 ピートリリ 。 」 と 鳴い て そら を 通り まし た 。 
「 ま な づるさん 。 今晩 は 、 あたし 見える ？ 」 
「 さや う 。 むづかしいですね 。 」 
ま な づるはあわたゞしく 沼 の 方 へ 飛ん で 行き ながら 白い ダァリヤ に 云 ひ まし た 。 
「 今晩 は 少し あたたか です ね 。 」 
夜 が あけ はじめ まし た 。 その 青白い 苹果 の 匂 の する う す あかり の 中 で 、 赤い ダァリヤ が 云 ひ まし た 。 
「 ね 、 あたし 、 今日 は どんなに 見え て 。 早く 云っ て 下さい な 。 」 
黄色 な ダァリヤ は 、 いくら 赤い 花 を 見よ う として も 、 ふらふら し た うすぐろい もの が ある だけ でし た 。 
「 まだ 夜 が あけ ない から わかり ませ ん わ 。 」 
赤い ダァリヤ は まるで 泣き さ うに なり まし た 。 
「 ほん た う を 云っ て 下さい 。 ほん た う を 云っ て 下さい 。 あなた が た 私 に かくし て ゐる んで せ う 。 黒い の 。 黒い の 。 」 
「 え ゝ 、 黒い やう よ 。 だけど ほん た う は よく 見え ませ ん わ 。 」 
「 あらっ 。 何 だって あたし 赤 に 黒 の ぶち なんて いや だ わ 。 」 
その とき 顔 の 黄いろ に 尖っ た せい の 低い 変 な 三角 の 帽子 を かぶっ た 人 が ポケット に 手 を 入れ て やつ て 来 まし た 。 そして ダァリヤ の 花 を 見 て 叫び まし た 。 
「 あっ これ だ 。 これ が おれ たち の 親方 の 紋 だ 。 」 
そして ポ キリ と 枝 を 折り まし た 。 赤い ダァリヤ は ぐったり と なっ て その 手 の なか に 入っ て 行き まし た 。 
「 どこ へ いらっしゃる の よ 。 どこ へ いらっしゃる の よ 。 あたし に つかまっ て 下さい な 。 どこ へ いらっしゃる の よ 。 」 二つ の ダァリヤ も 、 たまら ず し くりあげ ながら 叫び まし た 。 
遠く から かすか に 赤い ダァリヤ の 声 が し まし た 。 
その 声 も はるか に はるか に 遠く なり 、 今 は 丘 の ふもと の やま なら し の 梢 の さ やぎ に まぎれ まし た 。 そして 黄色 な ダァリヤ の 涙 の 中 で ギラギラ の 太陽 は のぼり まし た 。 
キッコ の 村 の 学校 に は たまり が あり ませ ん でし た から 雨 が ふる と みんな は 教室 で 遊び まし た 。 です から 教室 は あの 水車 小屋 みたい な 古臭い 寒天 の よう な 教室 でし た 。 みんな は 胆 取り と 巡査 に わか れ て あばれ て い ます 。 
「 遁 げ だ 、 遁 げ だ 、 押えろ 押えろ 。 」 「 わぁ い 、 指 噛 じ る こなし だ で ぁ 。 」 
がやがや がたがた 。 
ところが キッコ は 席 も 一番 前 の はじ で 胆 取り に し て は あんまり 小さく 巡査 に も 弱かっ た もの です から その 中 に はいり ませ ん でし た 。 机 に 座っ て 下 を 向い て 唇 を 噛ん で に かに か 笑い ながら しきりに 何 か 書い て いる よう でし た 。 
キッコ の 手 は 霜 やけ で 赤く ふくれ て い まし た 。 五月 に なっ て も まだ なおら なかっ た の です 。 右手 の ほう の せ なか に は あんまり 泣い て 潰れ て しまっ た 馬 の 目玉 の よう な 赤い 円い かた が つい て い まし た 。 
キッコ は 一寸 ばかり の 鉛筆 を 一生けん命 に ぎってひとりでにかにかわらいながら ８ の 字 を 横 に たくさん 書い て い た の です 。 （ めがね 、 めがね 、 めがね の 横 めがね 、 めがね パン 、 くさり の めがね 、 ） ところが みんな は ずいぶん ひどく はね あるき まし た 。 キッコ の 机 は たびたび 誰 か に ぶっつから れ て 暗礁 に 乗り あげ た 船 の よう に がたっと ゆれ まし た 。 その たび に キッコ の ８ の 字 は 変 な 洋傘 の 柄 の よう に 変っ たり し まし た 。 それでも やっぱり キッコ は に かに か 笑っ て 書い て い まし た 。 
「 キッコ 、 汝 の 木 ペン 見せろ 。 」 にわかに 巡査 の 慶 助 が 来 て キッコ の 鉛筆 を とっ て しまい まし た 。 「 見 なく て も い 、 よごせ 。 」 キッコ は 立ちあがり まし た けれども 慶 助 は せい の 高い やつ で それ に 牛 若 丸 の よう に うし ろ の 机 の 上 に はねあがっ て しまい まし た から キッコ は 手 が とどき ませ ん でし た 。 「 ほ 、 この 木 ペン 、 この 木 ペン 。 」 慶 助 は いかにも おかし そう に 顔 を まっか に し て 笑っ て 自分 の 眼 の 前 で うごかし て い まし た 。 「 よごせ 慶 助 わ あい 。 」 キッコ は 一生けん命 のびあがっ て 慶 助 の 手 を おろそ う と し まし た が 慶 助 は それ を はなし て 一つ うし ろ の 机 に にげ て しまい まし た 。 そして 「 いが キッコ この 木 ペン 耳 さ 入る じゃ ぃ 。 」 と 云い ながら ほんとう に キッコ の 鉛筆 を 耳 に 入れ て しまっ た よう でし た 。 キッコ は 泣い て 追いかけ まし た けれども 慶 助 は もう ひら っと 廊下 へ 出 て それ から どこ か へ かくれ て しまい まし た 。 キッコ は すっかり 気持 を わるく し て だまっ て 窓 へ 行っ て 顔 を 出し て 雨だれ を 見 て い まし た 。 そのうち 授業 の かね が なっ て 慶 助 は 教室 に 帰っ て 来 遠く から キッコ を ちらっと み まし た が 、 また どこ か で あばれ て 来 た と みえ て 鉛筆 の こと など は 忘れ て しまっ た という 風 に 顔 を まっか に し て ふうふう 息 を つい て い まし た 。 
「 わあ い 、 慶 助 、 木 ペン 返せ じゃ 。 」 キッコ は 叫び まし た 。 「 知ら な ぃじゃ 、 う な の 机 さ 投げ て た じゃ 。 」 慶 助 は 云い まし た 。 キッコ は かがん で 机 の まわり を さがし まし た が あり ませ ん でし た 。 その うち に 先生 が 入っ て 来 まし た 。 
「 三郎 、 この 時間 う な 木 ペン 使っ て がら 、 おれ さ 貸せ な 。 」 キッコ が となり の 三郎 に 云い まし た 。 
「 うん 、 」 三郎 が 机 の 蓋 を あけ て 本 や 練習 帖 を 出し ながら 上 の そら で 答え まし た 。 
課業 が すん で キッコ が うち へ 帰る とき は 雨 は すっかり 晴れ て い まし た 。 
あちこち の 木 が みな きれい に 光り 山 は 群青 で まぶしい 泣き笑い の よう に 見え た の でし た 。 けれども キッコ は 大 へん に 心もち が ふさい で い まし た 。 慶 助 は あんまり いばっ て いる し ひどい 。 それ に 鉛筆 も 授業 が すんで から いくら さがし て も もう 見え なかっ た の です 。 どの 机 の 足もと に も あの みじかい 鼠 いろ の ゴム の つい た 鉛筆 は ころがっ て い ませ ん でし た 。 新 学期 から ず うっ と 使っ て い た 鉛筆 です 。 おじいさん と 一緒 に 町 へ 行っ て 習字 手本 や 読方 の 本 と 一緒 に 買っ て 来 た 鉛筆 でし た 。 いくら みじかく なっ たって まだまだ 使え た の です 。 使え ない から って それでも 面白い いい 鉛筆 な の です 。 
キッコ は 樺 の 林 の 間 を 行き まし た 。 樺 は みな 小さな 青い 葉 を 出し すきとおっ た 雨 の 雫 が 垂れ いい 匂 が そこら いっぱい でし た 。 お ひ さま が その 葉 を すかし て 古めかしい 金 いろ に し た の です 。 
それ を 見 て いる うち に 、 
（ 木 ペン 樺の木 に 沢山 ある じゃ ） キッコ は ふっと こう 思い まし た 。 けれども 樺の木 の 小さな 枝 に は 鉛筆 ぐらい の 太 さ の は いくらでも あり ます けれども 決して 黒い 心 が はいっ て は い ない の です 。 キッコ は また 泣き たく なり まし た 。 
その とき キッコ は 向う から 灰 いろ の ひだ の たくさん ある ぼろぼろ の 着物 を 着 た 一 人 の おじいさん が 大 へん 考え込ん で こっち へ 来る の を 見 まし た 。 （ あの おじいさん は きっと 鼠 捕り だ な 。 ） キッコ は 考え まし た 。 おじいさん は 変 な 黒い 沓 を はい て い まし た 。 そして キッコ と 行き ちがう とき いきなり 顔 を あげ て キッコ を 見 て わらい まし た 。 「 今日 学校 で 泣い た な 。 目 の まわり が 狸 の よう に なっ て いる ぞ 。 」 する と 頭 の 上 で 鳥 が ピー と なき まし た 。 キッコ は 顔 を 赤く し て 立ちどまり まし た 。 
「 何 を 泣い た ん だ 。 正直 に 話し て ごらん 。 聞い て あげる から 。 」 
鳥 が また 頭 の 上 で ピー と なき まし た 。 すると おじいさん は 顔 を しかめ て 上 を 向い て 「 おまえ じゃ ない よ 、 やかましい 、 だまっ て おい で 」 と どなり まし た 。 
すると 鳥 は にわかに しいんと なっ て それ から 飛ん で 行っ た らしく ぼろ ん という 羽 の 音 も 聞え 樺の木 から は 雫 が きらきら 光っ て 降り まし た 。 「 いっ て ごらん 。 なぜ 泣い た の 。 」 
おじいさん は やさしく 云い まし た 。 「 木 ペン 失 ぐし た 。 」 キッコ は 両手 を 目 に あて て また しくしく 泣き まし た 。 「 木 ペン 、 なくし た 。 そう か 。 そいつ は か あい そう だ 。 まあ 泣く な 、 見ろ 手 が まっ 赤 じゃ ない か 。 」 
おじいさん は ごそごそ の 着物 の たもと を 裏返し に し て ぼろぼろ の 手帳 を 出し て それ に はさん だ みじかい 鉛筆 を 出し て キッコ の 手 に 持た せ まし た 。 キッコ は まだ 涙 を ぼろぼろ こぼし ながら 見 まし たら その 鉛筆 は 灰色 で ごそごそ し て おまけ に 心 の 色 も 黒 で なく て いかにも 変 な 鉛筆 でし た 。 キッコ は そこ で やっぱり しくしく 泣い て い まし た 。 「 は は あ あんまり 面白く も ない の か な 。 まあ 仕方 ない 、 わし は 外 に 持っ て い ない から な 。 」 おじいさん は すっと 行っ て しまい まし た 。 
風 が 来 て 樺の木 は チラチラ 光り まし た 。 ふりかえっ て 見 まし たら おじいさん は もう 林 の 向う に まがっ て しまっ た の か 見え ませ ん でし た 。 キッコ は その 枝 きれ みたい な 変 な 鉛筆 を 持っ て だまっ て かくし に 入れ て うち の 方 へ 歩き 出し まし た 。 
次 の 日 学校 の 一 時間 目 は 算術 でし た 。 キッコ は ふと ああ 木 ペン を 持っ て い ない な と 思い まし た 。 それ から そう だ 昨日 の 変 な 木 ペン が ある 。 あれ を 使お う 一 時間 ぐらい なら もつ だろ う から と 考えつき まし た 。 
そこで キッコ は その 鉛筆 を 出し て 先生 の 黒板 に 書い た 問題 を ごそごそ の 藁紙 の 運算 帳 に 書き取り まし た 。 
48 × 62 ＝ 　 「 みなさん 一 けた 目 の から さき にかけて 。 」 と 先生 が 云い まし た 。 「 一 けた 目 から だ 。 」 と キッコ が 思っ た とき でし た 。 不思議 な こと は 鉛筆 が まるで ひとり で うごい て 96 と 書い て しまい まし た 。 キッコ は 自分 の 手首 だ か 何 だ か も わから ない よう な 気 が し て 呆れ て しばらく ぼんやり 見 て い まし た 。 「 一 けた 目 が すん だら こんど は 二 けた 目 を 勘定 し て 。 」 と 先生 が 云い まし た 。 すると また 鉛筆 が うごき 出し て するする っと 288 と 二 けた 目 まで の とこ へ 書い て しまい まし た 。 キッコ は もう あんまり びっくり し て 顔 を 赤く し て 堅く なっ て だまっ て い まし たら 先生 が また 「 さあ でき たら 寄せ 算 を し て 下さい 。 」 と 云い まし た 。 また はじまる な と 思っ て い まし たら やっぱり 、 もう ただ 一 いき に 一 本 の 線 も ひっぱっ て 2976 と 書い て しまい まし た 。 
さあ もう キッコ の よろこん だ こと それから びっくり し た こと 、 何 と 云っ て いい か わから ない で ただ もう お湯 へ 入っ た とき の よう に じっと し て い まし たら 先生 が むちを 持っ て 立っ て 「 では 吉 三郎 さん と 慶 助 さん と 出 て 黒板 へ 書い て 下さい 。 」 と 云い まし た 。 そして 教壇 へ 行っ て テーブル の 上 の 白墨 を とっ て いま の 運算 を 書きつけ た の です 。 その とき 慶 助 は 顔 を まっ 赤 に し て 半分 立っ た まま 自分 の 席 で もじもじ し て い まし た 。 キッコ は 9 の 字 など は どうも 少し なまず の ひ げ の よう に なっ て うまく ない と 思い ながら おり て 来 た とき ようやく 慶 助 が 立っ て 行き まし た けれども 問題 を 書い た だけ で あと は もう もじもじ し て い まし た 。 
先生 は しばらく たっ て 「 よし 」 と 云い まし た ので 慶 助 は 戻っ て 来 まし た 。 先生 は むちで キッコ の を 説明 し まし た 。 
「 よろしい 、 大 へん よく でき まし た 。 」 キッコ は も うに が にが にが に が わらっ て 戻っ て 来 まし た 。 （ もう 算術 だって いっこう ひどく ない 。 字 だって 上手 に 書ける 。 算術 帳 と だって 国語 帳 と だって 雑作 なく 書ける ） 
キッコ は 思い ながら そっと 帳面 を みんな 出し まし た 。 そして 算術 帳 国語 帳 理科 帳 と みんな 書きつけ まし た 。 すると 鉛筆 は まだ キッコ が 手 も うごかさ ない うち に じつに 早く じつに 立派 に それ を 書い て しまう の でし た 。 キッコ は もう 大 悦 びでそれをにがにがならべて 見 て い まし た が ふと 算術 帳 と 理科 帳 と 取り ちがえ て 書い た のに 気 が つき まし た 。 この 木 ペン に は ゴム も つい て い た と 思い ながら 尻 の 方 の ゴム で 消そ う と し まし たら もう 今度 は 鉛筆 が まるで 踊る よう に 二 、 三 べ ん 動い て 間もなく 表紙 は あと も 残さ ず きれい に なっ て しまい まし た 。 さあ 、 キッコ の よろこん だ こと こんな いい 鉛筆 を もっ て い たら もう 勉強 も 何 も いら ない 。 ひとり で どんどん できる ん だ 。 僕 は まず 家 へ 帰っ たら おっ 母さん の 前 へ 行っ て 百 けた ぐらい の 六 かしい 勘定 を 一 ぺん に やっ て 見せる ん だ 、 それから きっと 図画 だって うまく できる に ちがい ない 。 僕 は まず 立派 な 軍艦 の 絵 を 書く それ から 水車 の けしき も 書く 。 けれども 早く 耗 って しまう と 困る なあ 、 こう 考え た とき でし た 鉛筆 が 俄 か に 倍 ばかり の 長 さ に 延び て しまい まし た 。 キッコ は まるで 有頂天 に なっ て 誰 が どこ で 何 を し て いる か 先生 が いま 何 を 云っ て いる かも まるっきり わから ない という 風 でし た 。 
その 日 キッコ が 学校 から 帰っ て から の はしゃぎ よう と 云っ たら 第 一 に おっかさん の 前 で 十 けた ばかり の 掛算 と 割算 を すらすら やっ て 見せ て よろこば せ それ から 弟 を ひっぱり 出し て 猫 の 顔 を 写生 し たり 荒木 又 右 エ 門 の 仇討 の とこ を 描い て 見せ たり そして おしまい もう お話 を 自分 で どんどん こさえ ながら ずんずん それ を 絵 に し て 書い て いき まし た 。 その 絵 が まるで ほん もの の よう でし た から キッコ の 弟 の よろこび よう と 云っ たら あり ませ ん でし た 。 
「 さあ いい が 、 その 山猫 は この 栗 の 木 がら ひら っと こっち さ 遁 げ だ 。 鉄砲 打 ぢ は こう ぼ かげ だ 。 山猫 は とうとう つかまっ て 退治 さ れ た 。 耳 の 中 に こう 云う 玉 入っ て い た 。 」 なんて やっ て い まし た 。 
そのうち キッコ は 算術 も 作文 も いちばん 図画 も うまい ので 先生 は 何 べ ん も キッコ さん は ほんとう に このごろ 勉強 の ため に 出来る よう に なっ た と 云っ た の でし た 。 二 学期 に は 級長 に さえ なっ た の でし た 。 その 代り もう キッコ の 威張り よう と 云っ たら あり ませ ん でし た 。 学校 へ 出る とき は もう 村中 の 子供 ら を みんな 待た せ て 置く の でし た し 学校 から 帰っ て 山 へ 行く に も きっと みんな を つれ て 行く ので うち の 都合 や 何 か で 行か なかっ た 子 は 次 の 日 みんな に 撲ら せ まし た 。 ある 朝 キッコ が 学校 へ 行こ う と 思っ て うち を 出 まし たら ふと あの 鉛筆 が なくなっ て いる の に 気がつき まし た 。 さあ キッコ の あわて 方 っ たら あり ませ ん 。 それでも 仕方 なし に 学校 へ 行き まし た 。 みんな は キッコ の 顔 いろ が 悪い の を 大 へん 心配 し まし た 。 
算術 の 時間 でし た 。 「 一 ダース 二 十 銭 の 鉛筆 を 二 ダース 半 で は いくら です か 。 」 先生 が 云い まし た 。 みんな ちょっと 運算 し て それ から だんだん さっと 手 を あげ まし た 。 とうとう みんな あげ まし た 。 キッコ も 仕方 なく あげ まし た 。 「 キッコ さん 。 」 先生 が 云い まし た 。 
キッコ は 勢 よく 立ち まし た が あ ともう 云え なくなっ て 顔 を 赤く し て ただ もう 
城 あと の おおばこ の 実は 結び 、 赤 つめ 草 の 花 は 枯れ て 焦茶 色 に なり 、 畑 の 粟 は 刈ら れ まし た 。 
「 刈ら れ た ぞ 」 と 言い ながら 一 ぺん ちょっと 顔 を 出し た 野鼠 が また 急い で 穴 へ ひっこみ まし た 。 
崖 や ほり に は 、 まばゆい 銀 の すすき の 穂 が 、 いち めん 風 に 波立っ て い ます 。 
その 城 あと の まん中 に 、 小さな 四 っ 角山 が あっ て 、 上 の やぶ に は 、 めくら ぶどう の 実 が 虹 の よう に 熟れ て い まし た 。 
さて 、 かすか な かすか な 日照り雨 が 降り まし た ので 、 草 は きらきら 光り 、 向こう の 山 は 暗く なり まし た 。 
その かすか な かすか な 日照り雨 が 霽 れ まし た ので 、 草 は きらきら 光り 、 向こう の 山 は 明るく なっ て 、 たいへん まぶし そう に 笑っ て い ます 。 
そっち の 方 から 、 も ず が 、 まるで 音譜 を ばらばら に し て ふりまい た よう に 飛ん で 来 て 、 みんな 一 度 に 、 銀 の すすき の 穂 に とまり まし た 。 
めくら ぶどう は 感激 し て 、 すきとおっ た 深い 息 を つき 、 葉 から 雫 を ぽたぽた こぼし まし た 。 
東 の 灰色 の 山脈 の 上 を 、 つめたい 風 が ふっと 通っ て 、 大きな 虹 が 、 明るい 夢 の 橋 の よう に やさしく 空 に あらわれ まし た 。 
そこで めくら ぶどう の 青じろい 樹液 は 、 はげしく はげしく 波うち まし た 。 
そう です 。 今日 こそ ただ の 一言 で も 、 虹 と ことば を かわし たい 、 丘 の 上 の 小さな めくら ぶどう の 木 が 、 よる の そら に 燃える 青い ほ の おより も 、 もっと 強い 、 もっと かなしい おもい を 、 はるか の 美しい 虹 に ささげる と 、 ただ これ だけ を 伝え たい 、 ああ 、 それ から なら ば 、 それ から なら ば 、 実 や 葉 が 風 に ちぎら れ て 、 あの 明るい つめたい まっ白 の 冬 の 眠り に は いっ て も 、 あるいは そのまま 枯れ て しまっ て も いい の でし た 。 
「 虹 さん 。 どう か 、 ちょっと こっち を 見 て ください 」 めくら ぶどう は 、 ふだん の 透きとおる 声 も どこ か へ 行っ て 、 しわがれ た 声 を 風 に 半分 とら れ ながら 叫び まし た 。 
やさしい 虹 は 、 うっとり 西 の 碧 いそ ら を ながめ て い た 大きな 碧 い 瞳 を 、 めくら ぶどう に 向け まし た 。 
「 何 か ご用 で いらっしゃい ます か 。 あなた は めくら ぶどう さん でしょ う 」 
めくら ぶどう は 、 まる でぶ な の 木の葉 の よう に プリプリ ふるえ て 輝い て 、 いき が せわしく て 思う よう に 物 が 言え ませ ん でし た 。 
「 どう か 私 の うやまい を 受けとっ て ください 」 
虹 は 大きく と いき を つき まし た ので 、 黄 や 菫 は 一つ ずつ 声 を あげる よう に 輝き まし た 。 そして 言い まし た 。 
「 うやまい を 受ける こと は 、 あなた も おなじ です 。 なぜ そんなに 陰気 な 顔 を なさる の です か 」 
「 私 は もう 死ん で も いい の です 」 
「 どうして そんな こと を 、 おっしゃる の です 。 あなた は まだ お 若い で は あり ませ ん か 。 それ に 雪 が 降る まで に は 、 まだ 二 か月 ある で は あり ませ ん か 」 
「 いいえ 。 私 の 命 なんか 、 なん で も ない ん です 。 あなた が 、 もし 、 もっと 立派 に おなり に なる ため なら 、 私 なんか 、 百 ぺん でも 死に ます 」 
「 あら 、 あなた こそ そんなに お 立派 で は あり ませ ん か 。 あなた は 、 たとえば 、 消える こと の ない 虹 です 。 変わら ない 私 です 。 私 など は それ は まことに たより ない の です 。 ほんの 十分 か 十 五 分の いのち です 。 ただ 三 秒 の とき さえ あり ます 。 ところが あなた に かがやく 七色 は いつ まで も 変わり ませ ん 」 
「 いいえ 、 変わり ます 。 変わり ます 。 私 の 実 の 光 なんか 、 もうすぐ 風 に 持っ て 行か れ ます 。 雪 に うずまっ て 白く なっ て しまい ます 。 枯れ草 の 中 で 腐っ て しまい ます 」 
虹 は 思わず 微 笑い まし た 。 
「 ええ 、 そう です 。 本 とう は どんな もの で も 変わら ない もの は ない の です 。 ごらん なさい 。 向こう の そら は まっさお でしょ う 。 まるで いい 孔雀石 の よう です 。 けれども まもなく お 日 さま が あすこ を お 通り に なっ て 、 山 へ お はいり に なり ます と 、 あすこ は 月見草 の 花びら の よう に なり ます 。 それ も まもなく しぼん で 、 やがて たそがれ 前 の 銀色 と 、 それから 星 を ちりばめ た 夜 と が 来 ます 。 
その ころ 、 私 は 、 どこ へ 行き 、 どこ に 生まれ て いる でしょ う 。 また 、 この 眼 の 前 の 、 美しい 丘 や 野原 も 、 みな 一 秒 ずつ けずら れ たり くずれ たり し て い ます 。 けれども 、 もしも 、 まこと のち から が 、 これら の 中 に あらわ れる とき は 、 すべて の おとろえる もの 、 しわむ もの 、 さだめ ない もの 、 はかない もの 、 みな か ぎりないいのちです 。 わたくし で さえ 、 ただ 三 秒 ひらめく とき も 、 半 時空 に かかる とき も いつも おんなじ よろこび です 」 
「 けれども 、 あなた は 、 高く 光 の そら に かかり ます 。 すべて 草 や 花 や 鳥 は 、 みな あなた を ほめ て 歌い ます 」 
「 それ は あなた も 同じ です 。 すべて 私 に 来 て 、 私 を かがやかす もの は 、 あなた を も きらめかし ます 。 私 に 与え られ た すべて の ほめ ことば は 、 そのまま あなた に 贈ら れ ます 。 ごらん なさい 。 まこと の 瞳 で もの を 見る 人 は 、 人 の 王 の さかえ の 極み を も 、 野 の 百 合 の 一つ に くらべよ う と は し ませ ん でし た 。 それ は 、 人 の さかえ を ば 、 人 の たくらむ よう に 、 しばらく まこと のち から 、 か ぎりないいのちからはなしてみたのです 。 もし その ひかり の 中 で なら ば 、 人 の おごり から あやしい 雲 と 湧き のぼる 、 塵 の 中 の ただ 一抹 も 、 神 の 子 の ほめ た も うた 、 聖なる 百 合 に 劣る もの で は あり ませ ん 」 
「 私 を 教え て ください 。 私 を 連れ て 行っ て ください 。 私 は どんな こと で も いたし ます 」 
「 いいえ 私 は どこ へ も 行き ませ ん 。 いつ でも あなた の こと を 考え て い ます 。 すべて ま こと の ひかり の なか に 、 いっしょ に すむ 人 は 、 いつ でも いっしょ に 行く の です 。 いつ まで も ほろびる という こと は あり ませ ん 。 けれども 、 あなた は 、 もう 私 を 見 ない でしょ う 。 お日様 が あまり 遠く なり まし た 。 も ず が 飛び立ち ます 。 私 は あなた に お 別れ し なけれ ば なり ませ ん 」 
停車場 の 方 で 、 鋭い 笛 が ピー と 鳴り まし た 。 
も ず は みな 、 一 ぺん に 飛び立っ て 、 気違い に なっ た ばらばら の 楽譜 の よう に 、 やかましく 鳴き ながら 、 東 の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 
めくら ぶどう は 高く 叫び まし た 。 
「 虹 さん 。 私 を つれ て 行っ て ください 。 どこ へ も 行か ない で ください 」 
虹 は かすか に わらっ た よう でし た が 、 もう よほど うすく なっ て 、 はっきり わかり ませ ん でし た 。 
そして 、 今 は もう 、 すっかり 消え まし た 。 
空 は 銀色 の 光 を 増し 、 あまり 、 も ず が やかましい ので 、 ひばり も しかた なく 、 その 空 へ のぼっ て 、 少し ばかり 調子はずれ の 歌 を うたい まし た 。 
小さな 谷川 の 底 を 写し た 二 枚 の 青い 幻 燈 です 。 
一 、 五月 
二 疋 の 蟹 の 子供 ら が 青じろい 水 の 底 で 話し て い まし た 。 
『 クラムボン は わらっ た よ 。 』 
『 クラムボン は か ぷかぷわらったよ 。 』 
『 クラムボン は 跳ね て わらっ た よ 。 』 
『 クラムボン は か ぷかぷわらったよ 。 』 
上 の 方 や 横 の 方 は 、 青く くらく 鋼 の よう に 見え ます 。 その なめらか な 天井 を 、 つぶつぶ 暗い 泡 が 流れ て 行き ます 。 
『 クラムボン は わらっ て い た よ 。 』 
『 クラムボン は か ぷかぷわらったよ 。 』 
『 それなら なぜ クラムボン は わらっ た の 。 』 
『 知ら ない 。 
つぶつぶ 泡 が 流れ て 行き ます 。 蟹 の 子供 ら も ぽっぽ っぽ っと つづけ て 五 六 粒 泡 を 吐き まし た 。 それ は ゆれ ながら 水銀 の よう に 光っ て 斜め に 上 の 方 へ のぼっ て 行き まし た 。 
つう と 銀 の いろ の 腹 を ひるがえし て 、 一疋 の 魚 が 頭 の 上 を 過ぎ て 行き まし た 。 
『 クラムボン は 死ん だ よ 。 』 
『 クラムボン は 殺さ れ た よ 。 』 
『 クラムボン は 死ん で しまっ た よ … … … 。 』 
『 殺さ れ た よ 。 』 
『 それなら なぜ 殺さ れ た 。 』 兄さん の 蟹 は 、 その 右側 の 四 本 の 脚 の 中 の 二 本 を 、 弟 の 平 べ っ たい頭 に のせ ながら 云い まし た 。 
『 わから ない 。 』 
魚 が また ツウ と 戻っ て 下流 の ほう へ 行き まし た 。 
『 クラムボン は わらっ た よ 。 』 
『 わらっ た 。 』 
にわかに パッ と 明るく なり 、 日光 の 黄金 は 夢 の よう に 水 の 中 に 降っ て 来 まし た 。 
波 から 来る 光 の 網 が 、 底 の 白い 磐 の 上 で 美しく ゆらゆら のび たり ちぢん だり し まし た 。 泡 や 小さな ごみ から は まっすぐ な 影 の 棒 が 、 斜め に 水 の 中 に 並ん で 立ち まし た 。 
魚 が こんど は そこら 中 の 黄金 の 光 を まるっきり くちゃくちゃ に し て おまけ に 自分 は 鉄 いろ に 変 に 底 びかりして 、 又 上流 の 方 へ のぼり まし た 。 
『 お 魚 は なぜ ああ 行っ たり 来 たり する の 。 』 
弟 の 蟹 が まぶし そう に 眼 を 動かし ながら たずね まし た 。 
『 何 か 悪い こと を し てる ん だ よ とっ てる ん だ よ 。 』 
『 とっ てる の 。 』 
『 うん 。 』 
その お 魚 が また 上流 から 戻っ て 来 まし た 。 今度 は ゆっくり 落ちつい て 、 ひれ も 尾 も 動かさ ず ただ 水 に だけ 流さ れ ながら お 口 を 環 の よう に 円く し て やって来 まし た 。 その 影 は 黒く しずか に 底 の 光 の 網 の 上 を すべり まし た 。 
『 お 魚 は … … 。 』 
その 時 です 。 俄 に 天井 に 白い 泡 が たっ て 、 青 びかりのまるでぎらぎらする 鉄砲 弾 の よう な もの が 、 いきなり 飛込ん で 来 まし た 。 
兄さん の 蟹 は はっきり と その 青い もの の さき が コンパス の よう に 黒く 尖っ て いる の も 見 まし た 。 と 思う うち に 、 魚 の 白い 腹 が ぎらっと 光っ て 一 ぺん ひるがえり 、 上 の 方 へ のぼっ た よう でし た が 、 それ っきり もう 青い もの も 魚 の かたち も 見え ず 光 の 黄金 の 網 は ゆらゆら ゆれ 、 泡 は つぶつぶ 流れ まし た 。 
二 疋 は まるで 声 も 出 ず 居すくまっ て しまい まし た 。 
お父さん の 蟹 が 出 て 来 まし た 。 
『 どう し たい 。 ぶるぶる ふるえ て いる じゃ ない か 。 』 
『 お父さん 、 いま おかしな もの が 来 た よ 。 』 
『 どんな もん だ 。 』 
『 青く て ね 、 光る ん だ よ 。 はじ が こんなに 黒く 尖っ てる の 。 それ が 来 たら お 魚 が 上 へ のぼっ て 行っ た よ 。 』 
『 そいつ の 眼 が 赤かっ た かい 。 』 
『 わから ない 。 』 
『 ふうん 。 しかし 、 そいつ は 鳥 だ よ 。 かわせみ と 云う ん だ 。 大丈夫 だ 、 安心 しろ 。 おれ たち は かまわ ない ん だ から 。 』 
『 お父さん 、 お 魚 は どこ へ 行っ た の 。 』 
『 魚 かい 。 魚 は こわい 所 へ 行っ た 』 
『 こわい よ 、 お父さん 。 』 
『 いい いい 、 大丈夫 だ 。 心配 する な 。 そら 、 樺 の 花 が 流れ て 来 た 。 ごらん 、 きれい だろ う 。 』 
泡 と 一緒 に 、 白い 樺 の 花びら が 天井 を たくさん すべっ て 来 まし た 。 
『 こわい よ 、 お父さん 。 』 弟 の 蟹 も 云い まし た 。 
光 の 網 は ゆらゆら 、 のび たり ちぢん だり 、 花びら の 影 は しずか に 砂 を すべり まし た 。 
二 、 十二月 
蟹 の 子供 ら は もう よほど 大きく なり 、 底 の 景色 も 夏 から 秋 の 間 に すっかり 変り まし た 。 
白い 柔 か な 円 石 も ころがっ て 来 、 小さな 錐 の 形 の 水晶 の 粒 や 、 金 雲母 の かけ ら も ながれ て 来 て とまり まし た 。 
その つめたい 水 の 底 まで 、 ラムネ の 瓶 の 月光 が いっぱい に 透 とおり 天井 で は 波 が 青じろい 火 を 、 燃し たり 消し たり し て いる よう 、 あたり は しん として 、 ただ いかにも 遠く から という よう に 、 その 波 の 音 が ひびい て 来る だけ です 。 
蟹 の 子供 ら は 、 あんまり 月 が 明るく 水 が きれい な ので 睡ら ない で 外 に 出 て 、 しばらく だまっ て 泡 を はい て 天上 の 方 を 見 て い まし た 。 
『 やっぱり 僕 の 泡 は 大きい ね 。 』 
『 兄さん 、 わざと 大きく 吐い てる ん だい 。 僕 だって わざと なら もっと 大きく 吐ける よ 。 』 
『 吐い て ごらん 。 おや 、 たった それ きり だろ う 。 いい かい 、 兄さん が 吐く から 見 て おい で 。 そら 、 ね 、 大きい だろ う 。 』 
『 大き か ない や 、 おんなじ だい 。 』 
『 近く だ から 自分 の が 大きく 見える ん だ よ 。 そん なら 一緒 に 吐い て みよ う 。 いい かい 、 そら 。 』 
『 やっぱり 僕 の 方 大きい よ 。 』 
『 本当 かい 。 じゃ 、 も 一つ はく よ 。 』 
『 だめ だい 、 そんなに のびあがっ て は 。 』 
また お父さん の 蟹 が 出 て 来 まし た 。 
『 もう ねろ ね ろ 。 遅い ぞ 、 あした イサド へ 連れ て 行か ん ぞ 。 』 
『 お父さん 、 僕 たち の 泡 どっち 大きい の 』 
『 それ は 兄さん の 方 だろ う 』 
『 そう じゃ ない よ 、 僕 の 方 大きい ん だ よ 』 弟 の 蟹 は 泣き そう に なり まし た 。 
その とき 、 トブン 。 
黒い 円い 大きな もの が 、 天井 から 落ち て ず うっ と しずん で 又 上 へ のぼっ て 行き まし た 。 キラキラッ と 黄金 の ぶち が ひかり まし た 。 
『 かわせみ だ 』 子供 ら の 蟹 は 頸 を すくめ て 云い まし た 。 
お父さん の 蟹 は 、 遠 めがね の よう な 両方 の 眼 を あら ん 限り 延ばし て 、 よく よく 見 て から 云い まし た 。 
『 そう じゃ ない 、 あれ は やま なし だ 、 流れ て 行く ぞ 、 ついて行っ て 見よ う 、 ああ いい 匂い だ な 』 
なるほど 、 そこら の 月あかり の 水 の 中 は 、 やま なし の いい 匂い で いっぱい でし た 。 
三 疋 は ぼ か ぼ か 流れ て 行く や ま なし の あと を 追い まし た 。 
その 横 ある き と 、 底 の 黒い 三つ の 影法師 が 、 合せ て 六つ 踊る よう に し て 、 やま なし の 円い 影 を 追い まし た 。 
間もなく 水 は サラサラ 鳴り 、 天井 の 波 は いよいよ 青い 焔 を あげ 、 やま なし は 横 に なっ て 木 の 枝 に ひっかかっ て とまり 、 その 上 に は 月光 の 虹 が も かも か 集まり まし た 。 
『 どう だ 、 やっぱり やま なし だ よ 、 よく 熟し て いる 、 いい 匂い だろ う 。 』 
『 おいし そう だ ね 、 お父さん 』 
『 待て 待て 、 もう 二 日 ばかり 待つ と ね 、 こいつ は 下 へ 沈ん で 来る 、 それから ひとりでに おいしい お 酒 が できる から 、 さあ 、 もう 帰っ て 寝よ う 、 おいで 』 
親子 の 蟹 は 三 疋自分 等 の 穴 に 帰っ て 行き ます 。 
波 は いよいよ 青じろい 焔 を ゆらゆら と あげ まし た 、 それ は 又 金剛石 の 粉 を はい て いる よう でし た 。 
私 の 幻 燈 は これ で おしまい で あり ます 。 
清夫 は 今日 も 、 森 の 中 の あき 地 に ばら の 実 を とり に 行き まし た 。 
そして 一足 冷たい 森 の 中 に は ひり ます と 、 つぐみ が すぐ 飛ん で 来 て 言 ひ まし た 。 
「 清夫 さん 。 今日 も お 薬 取り です か 。 
お母さん は 　 どう です か 。 
ばら の 実は 　 まだ あり ます か 。 」 
清夫 は 笑っ て 、 
「 いや 、 つぐみ 、 お早う 。 」 と 言 ひ ながら 其処 を 通り まし た 。 
其の 声 を 聞い て 、 ふく ろ ふ が 木 の 洞 の 中 で 太い 声 で 言 ひ まし た 。 
「 清夫 どの 、 今日 も 薬 を お 集め か 。 
お 母 は 　 すこし はい ゝ か 。 
ばら の 実は 　 まだ 無くなら ない か 。 
ゴギノゴギオホン 、 
今日 も 薬 を お 集め か 。 
お 母 は 　 すこし はい ゝ か 。 
ばら の 実は 　 まだ 無くなら ない か 。 」 
清夫 は 笑っ て 、 
「 いや 、 ふく ろ ふ 、 お早う 。 」 と 言 ひ ながら 其処 を 通り すぎ まし た 。 
森 の 中 の 小さな 水 溜り の 葦 の 中 で 、 さっき から 一生けん命 歌っ て ゐ た よし 切り が 、 あわて て 早口 に 云 ひ まし た 。 
「 清夫 さん 清夫 さん 、 
お 薬 、 お 薬 お 薬 、 取り です かい ？ 
清夫 さん 清夫 さん 、 
お母さん 、 お母さん 、 お母さん は どう です かい ？ 
清夫 さん 清夫 さん 、 
ばら の 実 ばら の 実 、 ばら の 実は まだ あり ます かい ？ 」 
清夫 は 笑っ て 、 
「 いや 、 よし きり 、 お早う 。 」 と 云 ひ ながら 其処 を 通り過ぎ まし た 。 
そして もう 森 の 中 の 明地 に 来 まし た 。 
そこ は 小さな 円い 緑 の 草原 で 、 まっ黒 な かやの木 や 唐 檜 に 囲ま れ 、 その 木 の 脚 もと に は 野ばら が 一 杯 に 茂っ て 、 丁度 草原 に へり を 取っ た やう に なっ て ゐ ます 。 
清夫 は お 日 さ まで 紫色 に 焦げ た ばら の 実 を ポツン ポツン と 取り はじめ まし た 。 空 で は 雲 が 旗 の やう に 光っ て 流れ たり 、 白い 孔雀 の 尾 の やう な 模様 を 作っ て か ゞ やい たり し て ゐ まし た 。 
清夫 は お母さん の こと ばかり 考へ ながら 、 汗 を ポタポタ 落し て 、 一生けん命 実 を あつめ まし た が どう 云 ふ 訳 か その 日 は いつ まで 経っ て も 籠 の 底 が かくれ ませ ん でし た 。 その うち に もう お 日 さま は 、 空 の まん中 まで おいで に なっ て 、 林 は ツーンツーン と 鳴り出し まし た 。 
（ 木 の 水 を 吸 ひ あげる 音 だ ） と 清夫 は お も ひ まし た 。 
それでも まだ 籠 の 底 は かくれ ませ ん でし た 。 
かけす が 、 
「 清夫 さん もう お ひる です 。 弁当 お あがり なさい 。 落し ます よ 。 そら 。 」 と 云 ひ ながら 青い どんぐり を 一 粒 ぽ たっ と 落し て 行き まし た 。 
けれども 清夫 は それ 所 で は ない の です 。 早く いつも の 位 取っ て 、 お うち へ 帰ら ない と なら ない の です 。 もう 、 お ひる すぎ に なっ て 旗雲 が みんな 切れ切れ に 東 へ 飛ん で 行き まし た 。 
まだ 籠 の 底 は かくれ ませ ん 。 
よし きり が 林 の 向 ふ の 沼 に 行か う として 清夫 の 頭 の 上 を 飛び ながら 、 
「 清夫 さん 清夫 さん 。 まだ です か 。 まだ です か 。 まだまだ まだまだ まぁ だ 。 」 と 言っ て 通り まし た 。 
清夫 は 汗 を ポタポタ こぼし ながら 、 一生けん命 とり まし た 。 いつ まで たっ て も 籠 の 底 は かくれ ませ ん 。 た うとう すっかり つかれ て しまっ て 、 ぼんやり と 立ち ながら 、 一 つぶ の ばら の 実 を 唇 に あて まし た 。 
すると どう で せ う 。 唇 が ピリッ と し て から だ が ブルブルッ と ふるひ 、 何 か きれい な 流れ が 頭 から 手 から 足 まで 、 すっかり 洗っ て しまっ た やう 、 何とも 云 へ ず すがすがしい 気分 に なり まし た 。 空 まで はっきり 青く なり 、 草 の 下 の 小さな 苔 まで はっきり 見える やう に 思ひ まし た 。 
それに 今 まで 聞え なかっ た かすか な 音 も みんな はっきり わかり 、 いろいろ の 木 の いろいろ な 匂 まで 、 実に 一 一 手 に とる やう です 。 おどろい て 手 に もっ た その 一 つぶ の ばら の 実 を 見 まし たら 、 それ は 雨 の 雫 の やう に きれい に 光っ て すき と ほっ て ゐる の でし た 。 
清夫 は 飛び あがっ て よろこん で 早速 それ を 持っ て 風 の やう に お うち へ 帰り まし た 。 そして お母さん に 上げ まし た 。 お母さん は こ は ご は それ を 水 に 入れ て 飲み まし たら 今 まで の 病気 も もう どこ へ やら 急 に から だ が ピン と なっ て よろこん で 起きあがり まし た 。 それから もう すっかり たっ し ゃになってしまひました 。 
ところが その 話 は だんだん ひろまり まし た 。 あっち でも こっち でも 、 その 不思議 な ばら の 実 について 評判 し て ゐ まし た 。 大 かた それ は 神様 が 清夫 に お 授け に なっ た もん だら う と いふ の でし た 。 
ところが 近く の 町 に 大 三 と いふ もの が あり まし た 。 この 人 は から だ が まるで 象 の やう に ふとっ て 、 それ に にせ 金 使 ひ でし た から 、 にせ 金 と とり か へた ほん た う の お金 も 沢山 持っ て ゐ まし た し 、 それに 誰 も にせ 金 使 ひだ といふ こと を 知り ませ ん でし た から 、 自分 だけ で は まあ これ が 人間 の さい は ひと いふ もの で おれ といふ もの も ず ゐ ぶん えらい もん だ と 思っ て 居 まし た 。 ところが た ゞ 一つ 、 どうも ちかごろ 頭 が ぼんやり し て いけ ない 息 が はあ はあ 云っ て 困る といふ の でし た 。 お 医者 たち は これ は 少し 喰 べ すぎ です よ 、 も 少し ごちそう を 少く さ へ なされ ば 頭 の ぼんやり し た の も から だ の だるい の も みんな 直り ます と かう 云 ふ の でし た が 、 大三 は いつ でも 、 い ゝ や これ は 何 か から だ に 不足 な もの が ある 為 な ん だ 、 それ だ から 、 見ろ 、 むかし は 脚気 など で も 米 の 中 に 毒 が ある ため だ から 米 さ へ 食 は なけ ぁなほるって 云っ た もん だ が 今 は どう だ 、 それ は ビタミン といふ もの が たべ もの の 中 に 足り ない 為 だ と かう 云 ふん だら う 、 お前 たち は 医者 なら そんな こと 位 知っ て さうな もん だ といふ やう な 工合 に 却って 逆 に お 医者 さん を い ぢ め たり する の でし た 。 
そして しきりに 、 頭 の 工合 の よく なっ て 息 の はあ はあ や 、 からだ の だるい の が 治っ て そして もっと 物 を 沢山 おいしく たべる やう な 薬 を さがし て ゐ まし た が なかなか 容易 に 見つかり ませ ん でし た 。 そこ へ 丁度 この 清夫 の すき と ほる ばら の 実 の はなし を 聞い た もん です から たまり ませ ん 。 早速 人 を 百 人 ほど 頼ん で 、 林 へ さがし に やっ て 参り まし た 。 それ も 折角 さがし た やつ を 、 すぐ その 人 に 呑ま れ て しまっ て は 困る と いふ ので 、 暑い の を 馬車 に 乗っ て 、 自分 で 林 に やっ て 参り まし た 。 それから 林 の 入口 で 馬車 を 降り て 、 一足 つめたい 森 の 中 に は ひり ます と 、 つぐみ が すぐ 飛ん で 来 て 、 少し 呆れ た やう に 言 ひ まし た 。 
「 おや 、 おや 、 これ は 全体 人 だら う か 象 だら う か とにかく ひどく 肥っ た もん だ 。 一体 何 し に 来 た の だら う 。 」 
大三 は 怒っ て 、 
「 何 だ と 、 今に 薬 さ へ さがし たら この 森 ぐらゐ 焼 っ ぷくってしまふぞ 。 」 と 云 ひ まし た 。 
その 声 を 聞い て ふく ろ ふ が 木 の 洞 の 中 で 太い 声 で 云 ひ まし た 。 
「 おや 、 おや 、 つ ひぞ 聞い た こと も ない 声 だ 。 ふい ご だら う か 。 人間 だら う か 。 もしも ふい ごと すれ ば 、 ゴギノゴギオホン 、 銀 を ふく ふい ご だ ぞ 。 すてき に 壁 の 厚い やつ らしい ぜ 。 」 
さあ 大 三 は 自分 の 職業 の こと まで 云 はれ た もの です から 、 まっ 赤 に なっ て 頬 を ふくらせ て どなり まし た 。 
「 何 だ と 。 人 を ふい ご だ と 。 今 に 薬 さ へ さがし て しまっ たら この 林 ぐらゐ 焼 っ ぷくってしまふぞ 。 」 と 云 ひ まし た 。 
すると 今度 は 、 林 の 中 の 小さな 水 溜り の 蘆 の 中 に 居 た よし きり が 、 急い で 云 ひ まし た 。 
「 おや おや おや 、 これ は 一体 大きな 皮 の 袋 だら う か 、 それとも やっぱり 人間 だら う か 、 愕 い た もん だ ねえ 、 愕 い た もん だ ねえ 。 びっくり びっくり 。 くりくり くり くりくり 。 」 
さあ 大 三 は いよいよ 怒っ て 、 
「 何 だ と 畜生 。 薬 さ へ 取っ て しまっ たら この 林 ぐらゐ 、 くるくる ん に 焼 っ ぷくって 見せる ぞ 。 畜生 。 」 
それから 百 人 の 人 たち を 連れ て 大三 は 森 の 空地 に 来 まし た 。 
「 い ゝ か 、 さあ 。 さがせ 。 しっかり さがせ 。 」 大三 は まん中 に 立っ て 云 ひ まし た 。 
みんな ガサガサ ガサガサ さ が し まし た が 、 どうしても そんな もの は あり ませ ん 。 
空 で は 雲 が 白 鰻 の やう に 光っ たり 、 白 豚 の やう に 這っ たり し て ゐ ます 。 
大三 は 早く その 薬 を のん で から だ が ピン と なる こと ばかり 一生けん命 考へ ながら 、 汗 を ポタポタ 滴らし 息 を は あ は あつい て 待っ て ゐ まし た 。 
みんな は ガサガサガサガサ やり ます けれども どうも なかなか 見つかり ませ ん 。 
その うち に もう お 日 さま は 空 の まん中 まで おいで に なっ て 、 林 は ツーンツーン と 鳴り出し まし た 。 あゝ なるほど 、 脚気 の 木 が ビタミン を ほしい よ ほしい よ と 云っ てる わい と 、 大三 は 思ひ まし た 。 それでも まだ すき と ほる ばら の 実は みつかり ませ ん 。 
かけす が 、 
「 やあ 象 さん 、 もう お ひる です 。 弁当 お あがり なさい 。 落し ます よ 。 そら 。 」 
と 云 ひ ながら 、 栗 の 木 の 皮 を 一 切れ ポタッ と 落し て 行き まし た 。 
「 えい 畜生 。 あと で 鉄砲 を 持っ て 来 て ぶっ 放す ぞ 。 」 大三 は はぎ しり し て くやし がり まし た 。 
空 で は 白 鰻 の やう な 雲 も 、 みんな 飛ん で 行き 、 大三 は 汗 を たらし まし た 。 まだ 見つかり ませ ん 。 よし きり が 林 の 向 ふ の 沼 の 方 に 逃げ ながら 、 
「 ふい ご さん 。 ふい ご さん 。 まだ です か 。 まだ です か 。 まだ まだまだ まぁ だ 。 」 
と 云っ て 通り まし た 。 
もう 夕方 に なり まし た 。 そこで みんな は もう とても だめ だ と 思っ て さがす の を やめ て しまひ まし た 。 大 三 も しばらく は 困っ て 立っ て ゐ まし た が 、 やがて ポ ン と 手 を 叩い て 云 ひ まし た 。 
「 ようし 。 おれ も 大 三 だ 。 その すき と ほっ た ばら の 実 を 、 おれ が 拵 へ て 見せよ う 。 おい 、 みんな ばら の 実 を 十 貫目 ばかり 取っ て 呉れ 。 」 
そこで 大 三 は 、 その 十 貫目 の ばら の 実 を 持っ て 、 お うち へ 帰っ て 参り まし た 。 
それから にせ 金 製造 場 へ 自分 で 降り て 行っ て 、 ばら の 実 を る つ ぼ に 入れ まし た 。 それから すき と ほら せる 為 に 、 ガラス の かけ ら と 水銀 と 塩酸 を 入れ て 、 ブウブウ と ふい ご にかけ 、 まっ 赤 に 灼き まし た 。 そしたら どう です 。 る つ ぼ の 中 に すき と ほっ た もの が 出来 て ゐ まし た 。 大三 は よろこん で それ を 呑み まし た 。 すると アプッ と 云っ て 死ん で しまひ まし た 。 それ が 丁度 その ばん の 八 時半 ごろ 、 る つ ぼ の 中 に でき た すき と ほっ た もの は 、 実は 昇汞 といふ いちばん ひどい 毒薬 でし た 。 
よ だ か は 、 実に みにくい 鳥 です 。 
顔 は 、 ところどころ 、 味噌 を つけ た よう に まだ ら で 、 くちばし は 、 ひらたく て 、 耳 まで さけ て い ます 。 
足 は 、 まるで よぼよぼ で 、 一間 と も 歩け ませ ん 。 
ほか の 鳥 は 、 もう 、 よ だ か の 顔 を 見 た だけ でも 、 いや に なっ て しまう という 工合 でし た 。 
たとえば 、 ひばり も 、 あまり 美しい 鳥 で は あり ませ ん が 、 よ だ か より は 、 ずっと 上 だ と 思っ て い まし た ので 、 夕方 など 、 よ だ か に あう と 、 さも さ も いや そう に 、 しんねりと 目 を つぶり ながら 、 首 を そっ 方 へ 向ける の でし た 。 もっと ちいさな おしゃべり の 鳥 など は 、 いつ でも よ だ か の まっ こう から 悪口 を し まし た 。 
「 ヘン 。 又 出 て 来 た ね 。 まあ 、 あの ざま を ごらん 。 ほんとう に 、 鳥 の 仲間 の つら よごし だ よ 。 」 
「 ね 、 まあ 、 あの くち の おおきい こと さ 。 きっと 、 かえる の 親類 か 何 か なん だ よ 。 」 
こんな 調子 です 。 おお 、 よ だ か で ない ただ の たか なら ば 、 こんな 生 はん か の ちいさい 鳥 は 、 もう 名前 を 聞い た だけ でも 、 ぶるぶる ふるえ て 、 顔色 を 変え て 、 からだ を ちぢめ て 、 木の葉 の かげ に でも かくれ た でしょ う 。 ところが 夜 だ か は 、 ほんとう は 鷹 の 兄弟 で も 親類 で も あり ませ ん でし た 。 かえって 、 よ だ か は 、 あの 美しい かわせみ や 、 鳥 の 中 の 宝石 の よう な 蜂 すずめ の 兄さん でし た 。 蜂 すずめ は 花 の 蜜 を たべ 、 かわせみ は お 魚 を 食べ 、 夜 だ か は 羽虫 を とっ て たべる の でし た 。 それに よ だ か に は 、 するどい 爪 も するどい くちばし も あり ませ ん でし た から 、 どんなに 弱い 鳥 で も 、 よ だ か を こわがる 筈 は なかっ た の です 。 
それなら 、 たか という 名 の つい た こと は 不思議 な よう です が 、 これ は 、 一つ は よ だ か の はね が 無 暗に 強く て 、 風 を 切っ て 翔ける とき など は 、 まるで 鷹 の よう に 見え た こと と 、 も 一つ は なきごえ が するどく て 、 やはり どこ か 鷹 に 似 て い た 為 です 。 もちろん 、 鷹 は 、 これ を ひじょうに 気 にかけて 、 いやがっ て い まし た 。 それ です から 、 よ だ か の 顔 さえ 見る と 、 肩 を いからせ て 、 早く 名前 を あらためろ 、 名前 を あらためろ と 、 いう の でし た 。 
ある 夕方 、 とうとう 、 鷹 が よ だ か の うち へ やっ て 参り まし た 。 
「 おい 。 居る かい 。 まだ お前 は 名前 を かえ ない の か 。 ずいぶん お前 も 恥知らず だ な 。 お前 と おれ で は 、 よっぽど 人格 が ちがう ん だ よ 。 たとえば おれ は 、 青い そら を どこ まで でも 飛ん で 行く 。 おまえ は 、 曇っ て うすぐらい 日 か 、 夜 で なく ちゃ 、 出 て 来 ない 。 それから 、 おれ の くちばし や つめ を 見ろ 。 そして 、 よく お前 の と くらべ て 見る が いい 。 」 
「 鷹 さん 。 それ は あんまり 無理 です 。 私 の 名前 は 私 が 勝手 に つけ た の で は あり ませ ん 。 神さま から 下さっ た の です 。 」 
「 いい や 。 おれ の 名 なら 、 神さま から 貰っ た の だ と 云っ て も よかろ う が 、 お前 の は 、 云わ ば 、 おれ と 夜 と 、 両方 から 借り て ある ん だ 。 さあ 返せ 。 」 
「 鷹 さん 。 それ は 無理 です 。 」 
「 無理 じゃ ない 。 おれ が いい 名 を 教え て やろ う 。 市蔵 という ん だ 。 市蔵 と な 。 いい 名 だろ う 。 そこで 、 名前 を 変える に は 、 改名 の 披露 という もの を し ない と いけ ない 。 いい か 。 それ は な 、 首 へ 市蔵 と 書い た ふ だ を ぶらさげ て 、 私 は 以来 市蔵 と 申し ます と 、 口上 を 云っ て 、 みんな の 所 を おじぎ し て まわる の だ 。 」 
「 そんな こと は とても 出来 ませ ん 。 」 
「 いい や 。 出来る 。 そう しろ 。 もし あさって の 朝 まで に 、 お前 が そう し なかっ たら 、 もうすぐ 、 つかみ 殺す ぞ 。 つかみ 殺し て しまう から 、 そう 思え 。 おれ は あさって の 朝 早く 、 鳥 の うち を 一 軒 ずつ まわっ て 、 お前 が 来 た か どう か を 聞い て あるく 。 一 軒 でも 来 なかっ た という 家 が あっ たら 、 もう 貴様 も その 時 が おしまい だ ぞ 。 」 
「 だって それ は あんまり 無理 じゃ あり ませ ん か 。 そんな こと を する 位 なら 、 私 は もう 死ん だ 方 が まし です 。 今 すぐ 殺し て 下さい 。 」 
「 まあ 、 よく 、 あと で 考え て ごらん 。 市蔵 なんて そんなに わるい 名 じゃ ない よ 。 」 鷹 は 大きな はね を 一 杯 に ひろげ て 、 自分 の 巣 の 方 へ 飛ん で 帰っ て 行き まし た 。 
よ だ か は 、 じっと 目 を つぶっ て 考え まし た 。 
（ 一 たい 僕 は 、 なぜ こう みんな に いやがら れる の だろ う 。 僕 の 顔 は 、 味噌 を つけ た よう で 、 口 は 裂け てる から なあ 。 それ だって 、 僕 は 今 まで 、 なんにも 悪い こと を し た こと が ない 。 赤ん坊 の めじろ が 巣 から 落ち て い た とき は 、 助け て 巣 へ 連れ て 行っ て やっ た 。 そしたら めじろ は 、 赤ん坊 を まるで ぬ す 人 から でも とりかえす よう に 僕 から ひきはなし た ん だ なあ 。 それから ひどく 僕 を 笑っ た っけ 。 それに ああ 、 今度 は 市蔵 だ なんて 、 首 へ ふ だ を かける なんて 、 つらい はなし だ なあ 。 ） 
あたり は 、 もう うすく らく なっ て い まし た 。 夜 だ か は 巣 から 飛び出し まし た 。 雲 が 意地 悪く 光っ て 、 低く たれ て い ます 。 夜 だ か は まるで 雲 と すれすれ に なっ て 、 音 なく 空 を 飛びまわり まし た 。 
それから にわかに よ だ か は 口 を 大きく ひらい て 、 はね を まっすぐ に 張っ て 、 まるで 矢 の よう に そら を よこぎり まし た 。 小さな 羽虫 が 幾 匹 も 幾 匹 も その 咽喉 に はいり まし た 。 
から だ が つ ち に つく か つか ない うち に 、 よ だ か は ひらり と また そら へ はねあがり まし た 。 もう 雲 は 鼠色 に なり 、 向う の 山 に は 山 焼け の 火 が まっ 赤 です 。 
夜 だ か が 思い切っ て 飛ぶ とき は 、 そら が まるで 二つ に 切れ た よう に 思わ れ ます 。 一疋 の 甲虫 が 、 夜 だ か の 咽喉 に は いっ て 、 ひどく もがき まし た 。 よ だ か は すぐ それ を 呑みこみ まし た が 、 その 時 何 だか せ なか が ぞっと し た よう に 思い まし た 。 
雲 は もう まっくろく 、 東 の 方 だけ 山 やけ の 火 が 赤く うつっ て 、 恐ろしい よう です 。 よ だ か は むね が つかえ た よう に 思い ながら 、 又 そら へ のぼり まし た 。 
また 一疋 の 甲虫 が 、 夜 だ か の のど に 、 はいり まし た 。 そして まるで よ だ か の 咽喉 を ひっかい て ばたばた し まし た 。 よ だ か は それ を 無理 に のみこん で しまい まし た が 、 その 時 、 急 に 胸 が どき っ として 、 夜 だ か は 大声 を あげ て 泣き 出し まし た 。 泣き ながら ぐるぐる ぐるぐる 空 を めぐっ た の です 。 
（ ああ 、 かぶとむし や 、 たくさん の 羽虫 が 、 毎晩 僕 に 殺さ れる 。 そして その ただ 一つ の 僕 が こんど は 鷹 に 殺さ れる 。 それ が こんなに つらい の だ 。 ああ 、 つらい 、 つらい 。 僕 は もう 虫 を たべ ない で 餓え て 死の う 。 いや その 前 に もう 鷹 が 僕 を 殺す だろ う 。 いや 、 その 前 に 、 僕 は 遠く の 遠く の 空 の 向う に 行っ て しまお う 。 ） 
山 焼け の 火 は 、 だんだん 水 の よう に 流れ て ひろがり 、 雲 も 赤く 燃え て いる よう です 。 
よ だ か は まっすぐ に 、 弟 の 川 せみ の 所 へ 飛ん で 行き まし た 。 きれい な 川 せみ も 、 丁度 起き て 遠く の 山 火事 を 見 て い た 所 でし た 。 そして よ だ か の 降り て 来 た の を 見 て 云い まし た 。 
「 兄さん 。 今晩 は 。 何 か 急 の ご用 です か 。 」 
「 いい や 、 僕 は 今度 遠い 所 へ 行く から ね 、 その 前 一寸 お前 に 遭い に 来 た よ 。 」 
「 兄さん 。 行っ ちゃ いけ ませ ん よ 。 蜂 雀 も あんな 遠く に いる ん です し 、 僕 ひとり ぼっ ち に なっ て しまう じゃ あり ませ ん か 。 」 
「 それ は ね 。 どうも 仕方 ない の だ 。 もう 今日 は 何 も 云わ ない で 呉れ 。 そして お前 も ね 、 どうして も とら なけれ ば なら ない 時 の ほか は いたずら に お 魚 を 取っ たり し ない よう に し て 呉れ 。 ね 、 さよなら 。 」 
「 兄さん 。 どう し た ん です 。 まあ もう 一寸 お待ち なさい 。 」 
「 いや 、 いつ まで 居 て も おんなじ だ 。 は ち すずめ へ 、 あと で よろしく 云っ て やっ て 呉れ 。 さよなら 。 もう あわ ない よ 。 さよなら 。 」 
よ だ か は 泣き ながら 自分 の お家 へ 帰っ て 参り まし た 。 みじかい 夏 の 夜 は もう あけ かかっ て い まし た 。 
羊歯 の 葉 は 、 よ あけ の 霧 を 吸っ て 、 青く つめたく ゆれ まし た 。 よ だ か は 高く きし きし きし と 鳴き まし た 。 そして 巣 の 中 を きちんと かたづけ 、 きれい に から だ 中 の はね や 毛 を そろえ て 、 また 巣 から 飛び出し まし た 。 
霧 が はれ て 、 お 日 さま が 丁度 東 から のぼり まし た 。 夜 だ か は ぐらぐら する ほど まぶしい の を こらえ て 、 矢 の よう に 、 そっち へ 飛ん で 行き まし た 。 
「 お 日 さん 、 お 日 さん 。 どうぞ 私 を あなた の 所 へ 連れ て っ て 下さい 。 灼け て 死ん で も かまい ませ ん 。 私 の よう な みにくい からだ で も 灼け る とき に は 小さな ひかり を 出す でしょ う 。 どうか 私 を 連れ て っ て 下さい 。 」 
行っ て も 行っ て も 、 お 日 さま は 近く なり ませ ん でし た 。 かえって だんだん 小さく 遠く なり ながら お 日 さま が 云い まし た 。 
「 お前 は よ だ か だ な 。 なるほど 、 ずいぶん つらかろ う 。 今度 そら を 飛ん で 、 星 に そう たのん で ごらん 。 お前 は ひる の 鳥 で は ない の だ から な 。 」 
夜 だ か は おじぎ を 一つ し た と 思い まし た が 、 急 に ぐらぐら し て とうとう 野原 の 草 の 上 に 落ち て しまい まし た 。 そして まるで 夢 を 見 て いる よう でし た 。 から だ が ず うっ と 赤 や 黄 の 星 の あいだ を のぼっ て 行っ たり 、 どこ まで も 風 に 飛ばさ れ たり 、 又 鷹 が 来 て から だ を つかん だり し た よう でし た 。 
つめたい もの が にわかに 顔 に 落ち まし た 。 よ だ か は 眼 を ひらき まし た 。 一 本 の 若い すすき の 葉 から 露 が したたっ た の でし た 。 もう すっかり 夜 に なっ て 、 空 は 青 ぐろく 、 一 面 の 星 が またたい て い まし た 。 よ だ か は そら へ 飛び あがり まし た 。 今夜 も 山 やけ の 火 は まっか です 。 よ だ か は その 火 の かすか な 照り と 、 つめたい ほし あかり の 中 を とび めぐり まし た 。 それから もう 一 ぺん 飛び めぐり まし た 。 そして 思い切っ て 西 の そら の あの 美しい オリオン の 星 の 方 に 、 まっすぐ に 飛び ながら 叫び まし た 。 
「 お 星 さん 。 西 の 青じろい お 星 さん 。 どうか 私 を あなた の ところ へ 連れ て っ て 下さい 。 灼け て 死ん で も かまい ませ ん 。 」 
オリオン は 勇ましい 歌 を つづけ ながら よ だ か など は てんで 相手 に し ませ ん でし た 。 よ だ か は 泣き そう に なっ て 、 よろよろ と 落ち て 、 それから やっと ふみ とまっ て 、 もう 一 ぺん とび めぐり まし た 。 それから 、 南 の 大 犬 座 の 方 へ まっすぐ に 飛び ながら 叫び まし た 。 
「 お 星 さん 。 南 の 青い お 星 さん 。 どうか 私 を あなた の 所 へ つれ て っ て 下さい 。 やけ て 死ん で も かまい ませ ん 。 」 
大 犬 は 青 や 紫 や 黄 や うつくしく せわしく またたき ながら 云い まし た 。 
「 馬鹿 を 云う な 。 おまえ なんか 一体 どんな もの だい 。 たかが 鳥 じゃ ない か 。 おまえ の はね で ここ まで 来る に は 、 億 年 兆 年 億 兆 年 だ 。 」 そして また 別 の 方 を 向き まし た 。 
よ だ か は がっかり し て 、 よろよろ 落ち て 、 それから 又 二 へ ん 飛び めぐり まし た 。 それから 又 思い切っ て 北 の 大熊 星 の 方 へ まっすぐ に 飛び ながら 叫び まし た 。 
「 北 の 青い お 星 さま 、 あなた の 所 へ どうか 私 を 連れ て っ て 下さい 。 」 
大熊 星 は しずか に 云い まし た 。 
「 余計 な こと を 考える もの で は ない 。 少し 頭 を ひやし て 来 なさい 。 そう 云う とき は 、 氷山 の 浮い て いる 海 の 中 へ 飛び込む か 、 近く に 海 が なかっ たら 、 氷 を うかべ た コップ の 水 の 中 へ 飛び込む の が 一等 だ 。 」 
よ だ か は がっかり し て 、 よろよろ 落ち て 、 それから 又 、 四 へん そら を めぐり まし た 。 そして もう一度 、 東 から 今 のぼっ た 天の川 の 向う岸 の 鷲 の 星 に 叫び まし た 。 
「 東 の 白い お 星 さま 、 どうか 私 を あなた の 所 へ 連れ て っ て 下さい 。 やけ て 死ん で も かまい ませ ん 。 」 
鷲 は 大風 に 云い まし た 。 
「 いい や 、 とても とても 、 話 に も 何 に も なら ん 。 星 に なる に は 、 それ 相応 の 身分 で なく ちゃ いか ん 。 又 よほど 金 も いる の だ 。 」 
よ だ か は もう すっかり 力 を 落し て しまっ て 、 はね を 閉じ て 、 地 に 落ち て 行き まし た 。 そして もう 一 尺 で 地面 に その 弱い 足 が つく という とき 、 よ だ か は 俄 か に のろし の よう に そら へ とびあがり まし た 。 そら の なか ほど へ 来 て 、 よ だ か は まるで 鷲 が 熊 を 襲う とき する よう に 、 ぶる っと からだ を ゆすっ て 毛 を さかだて まし た 。 
それから キシキシキシキシキシッ と 高く 高く 叫び まし た 。 その 声 は まるで 鷹 でし た 。 野原 や 林 に ねむっ て い た ほか の とり は 、 みんな 目 を さまし て 、 ぶるぶる ふるえ ながら 、 いぶかし そう に ほし ぞ ら を 見 あげ まし た 。 
夜 だ か は 、 どこ まで も 、 どこ まで も 、 まっすぐ に 空 へ のぼっ て 行き まし た 。 もう 山 焼け の 火 は たばこ の 吸殻 の くらい に しか 見え ませ ん 。 よ だ か は のぼっ て のぼっ て 行き まし た 。 
寒 さ に いき は むね に 白く 凍り まし た 。 空気 が うすく なっ た 為 に 、 はね を それ は それ は せわしく うごかさ なけれ ば なり ませ ん でし た 。 
それ だ のに 、 ほし の 大き さ は 、 さっき と 少し も 変り ませ ん 。 つく いき は ふい ご の よう です 。 寒 さ や 霜 が まるで 剣 の よう に よ だ か を 刺し まし た 。 よ だ か は はね が すっかり しびれ て しまい まし た 。 そして なみだぐん だ 目 を あげ て もう 一 ぺん そら を 見 まし た 。 そう です 。 これ が よ だ か の 最後 でし た 。 もう よ だ か は 落ち て いる の か 、 のぼっ て いる の か 、 さ かさ に なっ て いる の か 、 上 を 向い て いる の かも 、 わかり ませ ん でし た 。 ただ こころ もち は や すら かに 、 その 血 の つい た 大きな くちばし は 、 横 に まがっ て は 居 まし た が 、 たしかに 少し わらっ て 居り まし た 。 
それから しばらく たっ て よ だ か は はっきり まなこ を ひらき まし た 。 そして 自分 の からだ が いま 燐 の 火 の よう な 青い 美しい 光 に なっ て 、 しずか に 燃え て いる の を 見 まし た 。 
すぐ と なり は 、 カシオピア 座 でし た 。 天の川 の 青じろい ひかり が 、 すぐ うし ろ に なっ て い まし た 。 
そして よ だ か の 星 は 燃え つづけ まし た 。 いつ まで も い つ まで も 燃え つづけ まし た 。 
今 でも まだ 燃え て い ます 。 
夏休み の 十 五 日 の 農場 実習 の 間 に 、 私 ども が イギリス 海岸 と あだ名 を つけ て 、 二 日 か 三 日 ごと 、 仕事 が 一 きり つく たび に 、 よく 遊び に 行っ た 処 が あり まし た 。 
それ は 本 とう は 海岸 で は なく て 、 いかにも 海岸 の 風 を し た 川 の 岸 です 。 北上川 の 西岸 でし た 。 東 の 仙人 峠 から 、 遠野 を 通り 土沢 を 過ぎ 、 北上 山地 を 横 截っ て 来る 冷たい 猿ヶ石川 の 、 北上 川 へ の 落合 から 、 少し 下流 の 西岸 でし た 。 
イギリス 海岸 に は 、 青白い 凝 灰 質 の 泥 岩 が 、 川 に 沿っ て ずいぶん 広く 露出 し 、 その 南 の はじ に 立ち ます と 、 北 の はずれ に 居る 人 は 、 小指 の 先 より もっと 小さく 見え まし た 。 
殊に その 泥 岩 層 は 、 川 の 水 の 増す たんび 、 奇麗 に 洗わ れる もの です から 、 何とも 云え ず 青白く さっぱり し て い まし た 。 
所々 に は 、 水増し の 時 でき た 小さな 壺 穴 の 痕 や 、 また それ が いくつ も 続い た 浅い 溝 、 それから 亜炭 の かけ ら だの 、 枯れ た 蘆 きれ だ の が 、 一 列 に ならん で い て 、 前 の 水増し の 時 に どこ まで 水 が 上っ た か も わかる の でし た 。 
日 が 強く 照る とき は 岩 は 乾い て まっ白 に 見え 、 たて 横 に 走っ た ひび割れ も あり 、 大きな 帽子 を 冠 って その 上 を うつむい て 歩く なら 、 影法師 は 黒く 落ち まし た し 、 全く もう イギリス あたり の 白堊 の 海岸 を 歩い て いる よう な 気 が する の でし た 。 
町 の 小学校 で も 石 の 巻 の 近く の 海岸 に 十 五 日 も 生徒 を 連れ て 行き まし た し 、 隣り の 女学校 で も 臨海 学校 を はじめて い まし た 。 
けれども 私 たち の 学校 で は それ は でき なかっ た の です 。 です から 、 生れる から 北上 の 河谷 の 上流 の 方 に ばかり 居 た 私 たち にとって は 、 どうしても その 白い 泥 岩 層 を イギリス 海岸 と 呼び たかっ た の です 。 
それに 実際 そこ を 海岸 と 呼ぶ こと は 、 無法 な こと で は なかっ た の です 。 なぜなら そこ は 第 三紀 と 呼ば れる 地質 時代 の 終り 頃 、 たしかに たびたび 海 の 渚 だっ た から でし た 。 その 証拠 に は 、 第 一 に その 泥 岩 は 、 東 の 北上 山地 の へり から 、 西 の 中央 分水嶺 の 麓 まで 、 一 枚 の 板 の よう に なっ て ず うっ と ひろがっ て い まし た 。 ただ その 大 部分 が その 上 に 積 っ た 洪 積 の 赤 砂利 や 、 それから 沖積 の 砂 や 粘土 や 何 か に 被わ れ て 見え ない だけ の はなし でし た 。 それ は あちこち の 川 の 岸 や 崖 の 脚 に は 、 きっと この 泥 岩 が 顔 を 出し て いる の で も わかり まし た し 、 また 所々 で 掘り抜き 井戸 を 穿っ たり し ます と 、 じき この 泥 岩 層 に ぶっつかる の で も しれ まし た 。 
第 二 に 、 この 泥 岩 は 、 粘土 と 火山灰 と まじっ た もの で 、 しかも その 大 部分 は 静か な 水 の 中 で 沈ん だ もの な こと は 明らか でし た 。 たとえば その 岩 に は 沈ん で でき た 縞 の ある こと 、 木 の 枝 や 茎 の かけ ら の 埋もれ て いる こと 、 ところどころ に いろいろ な 沼地 に 生える 植物 が 、 もう よほど 炭化 し て はさまっ て いる こと 、 また 山 の 近く に は 細かい 砂利 の ある こと 、 殊に 北上 山地 の へり に は 所々 この 泥 岩 層 の 間 に 砂丘 の 痕 らしい もの が はさまっ て いる こと など でし た 。 そう し て みる と 、 いま 北上 の 平原 に なっ て いる 所 は 、 一 度 は 細長い 幅 三 里 ばかり の 大きな たまり 水 だっ た の です 。 
ところが 、 第 三 に 、 その たまり 水 が 塩 からかっ た 証拠 も あっ た の です 。 それ は やはり 北上 山地 の へり の 赤 砂利 から 、 牡蠣 や 何 か 、 半 鹹 の ところ に でなければ 住ま ない 介 殻 の 化石 が 出 まし た 。 
そう し て み ます と 、 第 三紀 の 終り 頃 、 それ は 或は 今 から 五 、 六 十 万 年 或は 百 万 年 を 数える かも 知れ ませ ん 、 その 頃 今 の 北上 の 平原 にあたる 処 は 、 細長い 入海 か 鹹湖 で 、 その 水 は 割合 浅く 、 何 万 年 の 永い 間 に は 処々 水面 から 顔 を 出し たり また 引っ込ん だり 、 火山灰 や 粘土 が 上 に 積 っ たり また それ が 削ら れ たり し て い た の です 。 その 粘土 は 西 と 東 の 山地 から 、 川 が 運ん で 流し込ん だ の でし た 。 その 火山灰 は 西 の 二 列 か 三 列 の 石英 粗 面 岩 の 火山 が 、 やっと しずまっ た 処 で は あり まし た が 、 やっぱり 時々 噴火 を やっ たり 爆発 を し たり し て い まし た ので 、 そこ から 降っ て 来 た の でし た 。 
その 頃 世界 に は 人 は まだ 居 なかっ た の です 。 殊に 日本 は ごくごく この間 、 三 、 四 千 年 前 まで は 、 全く 人 が 居 なかっ た と 云い ます から 、 もちろん 誰 も それ を 見 て は い なかっ た でしょ う 。 その 誰 も 見 て い ない 昔 の 空 が やっぱり 繰り返し 繰り返し 曇っ たり また 晴れ たり 、 海 の 一 とこ が だんだん 浅く なっ て とうとう 水の上 に 顔 を 出し 、 そこ に 草 や 木 が 茂り 、 こと に も 胡桃 の 木 が 葉 を ひらひら さ せ 、 ひのき や いちい が まっ黒 に しげり 、 しげっ た か と 思う と 忽ち 西 の 方 の 火山 が 赤黒い 舌 を 吐き 、 軽石 の 火山 礫 は 空 も まっ くら に なる ほど 降っ て 来 て 、 木 は 圧し 潰さ れ 、 埋め られ 、 まもなく また 水 が 被さっ て 粘土 が その 上 に つもり 、 全く まっ くら な 処 に 埋め られ た の でしょ う 。 考え て も 変 な 気 が し ます 。 そんな こと は ほんとう だろ う か と しか 思わ れ ませ ん 。 ところが どうも 仕方 ない こと は 、 私 たち の イギリス 海岸 で は 、 川 の 水 から よほど はなれ た 処 に 、 半分 石炭 に 変っ た 大きな 木 の 根株 が 、 その 根 を 泥 岩 の 中 に 張り 、 その みき と 枝 を 軽石 の 火山 礫 層 に 圧し 潰さ れ て 、 ぞ ろ っと ならん で い まし た 。 尤も それ は 間もなく 日光 にあたって ぼろぼろ に 裂け 、 度々 の 出水 に 次 から 次 と 削ら れ て 行き まし た が 、 新 らしい もの も また 出 て 来 まし た 。 そして その 根株 の まわり から 、 ある 時 私 たち は 四 十 近く の 半分 炭化 し た くるみ の 実 を 拾い まし た 。 それ は 長 さ が 二 寸 ぐらい 、 幅 が 一 寸 ぐらい 、 非常 に 細長く 尖っ た 形 でし た ので 、 はじめ は 私 ども は 上 の 重い 地層 に 押し 潰さ れ た の だろ う と も 思い まし た が 、 縦 に 埋まっ て いる の も あり まし た し 、 やっぱり はじめ から そんな 形 だ と しか 思わ れ ませ ん でし た 。 
それから はん の 木の実 も 見附 かり まし た 。 小さな 草 の 実 も たくさん 出 て 来 まし た 。 
この 百 万 年 昔 の 海 の 渚 に 、 今日 は 北上川 が 流れ て い ます 。 昔 、 巨 き な 波 を あげ たり 、 じっと 寂 まったり 、 誰 も 誰 も 見 て い ない 所 で いろいろ に 変っ た その 巨 き な 鹹水 の 継承 者 は 、 今日 は 波 に ちらちら 火 を 点じ 、 ぴたぴた 昔 の 渚 を うち ながら 夜昼 南 へ 流れる の です 。 
ここ を 海岸 と 名 を つけ た って どう し て いけ ない と いわ れ ましょ う か 。 
それ に も 一つ ここ を 海岸 と 考え て いい わけ は 、 ごく わずか です けれども 、 川 の 水 が 丁度 大きな 湖 の 岸 の よう に 、 寄せ たり 退い たり し た の です 。 それ は 向う側 から 入っ て 来る 猿ヶ石川 と こちら の 水 が ぶっつかる ため に できる の か 、 それとも 少し 上流 が かなり けわしい 瀬 に なっ て それ が この 泥 岩 層 の 岸 に ぶっつかっ て 戻る ため に できる の か 、 それとも 全く ほか の 原因 による の でしょ う か 、 とにかく 日 によって 水 が 潮 の よう に 差し 退き する とき が ある の です 。 
そう です 。 丁度 一 学期 の 試験 が 済ん で その 採点 も 終り あと は 三 十 一 日 に 成績 を 発表 し て 通信 簿 を 渡す だけ 、 私 の ほう から 云え ば まあ そう です 、 農場 の 仕事 だって その 日 の 午前 で 麦 の 運搬 も 終り 、 まあ 一段落 という その ひる すぎ でし た 。 私 たち は 今年 三 度目 、 イギリス 海岸 へ 行き まし た 。 瀬川 の 鉄橋 を 渡り 牛蒡 や 甘藍 が 青白い 葉 の 裏 を ひるがえす 畑 の 間 の 細い 道 を 通り まし た 。 
みち に は すずめ の かたびら が 穂 を 出し ていっぱい に かぶさっ て い まし た 。 私 たち は そこ から 製 板所 の 構内 に 入り まし た 。 製 板所 の 構内 だ という こと は もくもく し た 新 らしい 鋸屑 が 敷か れ 、 鋸 の 音 が 気まぐれ に そこ を 飛ん で い た ので わかり まし た 。 鋸屑 に は 日 が 照っ て 恰度砂 の よう でし た 。 砂 の 向う の 、 青い 水 と 救助 区域 の 赤い 旗 と 、 向う の ブリキ 色 の 雲 と を 見 た とき 、 いきなり 私 ども は スウェーデン の 峡湾 に でも 来 た よう な 気 が し て どき っと し まし た 。 たしかに みんな そう 云う 気もち らしかっ た の です 。 製 板 の 小屋 の 中 は 藍 いろ の 影 に なり 、 白く 光る 円 鋸 が 四 、 五 梃 壁 に ならべ られ 、 その 一 梃 は 軸 に とりつけ られ て 幽霊 の よう に まわっ て い まし た 。 
私 たち は その 横 を 通っ て 川 の 岸 まで 行っ た の です 。 草 の 生え た 石垣 の 下 、 さっき の 救助 区域 の 赤い 旗 の 下 に は 筏 も ちょうど 来 て い まし た 。 花城 や 花巻 の 生徒 が たくさん 泳い で おり まし た 。 けれども 元来 私 ども は イギリス 海岸 に 行こ う と 思っ た の でし た から だまっ て そこ を 通り すぎ まし た 。 そして そこ は もう イギリス 海岸 の 南 の はじ な の でし た 。 私 たち で なく たって 、 折 角川 の 岸 まで やって来 ながら その 気持ち の いい 所 に 行か ない 人 は あり ませ ん 。 町 の 雑貨 商店 や 金物 店 の 息子 たち 、 夏やすみ で 帰っ た あちこち の 中等 学校 の 生徒 、 それ から ひる やすみ の 製 板 の 人 たち など が 、 あるいは 裸 に なっ て 二 人 、 三 人 ずつ その まっ白 な 岩 に 座っ たり 、 また 網 シャツ や ゆるい 青 の 半 ず ぼん を はい たり 、 青白い 大きな 麦稈 帽 を かぶっ たり し て 歩い て いる の を 見 て いく の は 、 ほんとう に いい 気持 でし た 。 
そして その 人 たち が 、 みな 私 ども の 方 を 見 て すこし わらっ て いる の です 。 殊に 一番 いい こと は 、 最 上等 の 外国 犬 が 、 向う から 黒い 影法師 と 一緒 に 、 一目散 に 走っ て 来 た こと でし た 。 実に それ は ロバート と で も 名 の 附き そう な もじゃもじゃ し た 大きな 犬 でし た 。 
「 ああ 、 いい な 。 」 私 ども は 一 度 に 叫び まし た 。 誰 だって 夏 海岸 へ 遊び に 行き たい と 思わ ない 人 が ある でしょ う か 。 殊 に も 行け たら 、 そして さらわ れ て 紡績 工場 など へ 売ら れ て あんまり ひどい 目 に あわ ない なら 、 フランス か イギリス か 、 そう 云う 遠い 所 へ 行き たい と 誰 も 思う の です 。 
私 たち は 忙しく 靴 や ず ぼん を 脱ぎ 、 その 冷たい 少し 濁っ た 水 へ 次 から 次 と 飛び込み まし た 。 全く その 水 の 濁り よう と き たら 素敵 に 高尚 な もん でし た 。 その 水 へ 半分 顔 を 浸し て 泳ぎ ながら 横目 で 海岸 の 方 を 見 ます と 、 泥 岩 の 向う の はずれ は 高い 草 の 崖 に なっ て 木 も ゆれ 雲 も まっ白 に 光り まし た 。 
それから 私 たち は 泥 岩 の 出張っ た 処 に 取りつい て だんだん 上り まし た 。 一 人 の 生徒 は スイミング ワルツ の 口笛 を 吹き まし た 。 私 たち の なか で は 、 ほんとう の オーケストラ を 、 見 た もの も 聴い た こと の ある もの も 少なかっ た の です から 、 もちろん それ は 町 の 洋品 屋 の 蓄音器 から 来 た の です けれども 、 恰度 その よう に 冷 い 水 は 流れ た の です 。 
私 たち は 泥 岩 層 の 上 を あちこち あるき まし た 。 所々 に 壺 穴 の 痕 が あっ て 、 その 中 に は 小さな 円い 砂利 が 入っ て い まし た 。 
「 この 砂利 が この 壺 穴 を 穿 る の です 。 水 が この 上 を 流れる でしょ う 、 石 が 水 の 底 で ザラザラ 動く でしょ う 。 まわっ たり も する でしょ う 、 だんだん 岩 が 穿 れ て いく の です 。 」 
また 、 赤い 酸化 鉄 の 沈ん だ 岩 の 裂け目 に 沿っ て 、 層 が ず うっ と 溝 に なっ て 窪ん だ ところ も あり まし た 。 それ は 沢山 の 壺 穴 を 連結 し て ちょうど ひょうたん を つない だ よう に 見え まし た 。 
「 こう 云う 溝 は 水 の 出る たんび に だんだん 深く なる ばかり です 。 なぜ なら 流さ れ て 行く 砂利 は あまり この 高い 所 を 通り ませ ん 。 溝 の 中 ばかり ころん で 行き ます 。 溝 は 深く なる 一方 でしょ う 。 水 の 中 を ごらん なさい 。 岩 が たくさん 縦 の 棒 の よう に なっ て い ます 。 みんな これ です 。 」 
「 ああ 、 騎兵 だ 、 騎兵 だ 。 」 誰 か が 南 を 向い て 叫び まし た 。 
下流 の まっ青 な 水 の 上 に 、 朝日 橋 が くっきり 黒く 一 列 浮び 、 その らん かん の 間 を 白い 上着 を 着 た 騎兵 たち が ぞ ろ っと 並ん で 行き まし た 。 馬の足 なみ が かげろう の よう に ちらちら ちらちら 光り まし た 。 それ は 一 中隊 ぐらい で 、 鉄橋 の 上 を 行く 汽車 より は もっと ゆるく 、 小学校 の 遠足 の 列 より は も 少し 早く 、 たぶん は 中隊 長 らしい 人 を 先頭 に だんだん 橋 を 渡っ て 行き まし た 。 
「 ど ご さ 行 ぐのだべ 。 」 
「 水 馬 演習 でしょ う 。 白い 上着 を 着 て いる し 、 きっと 裸馬 だろ う 。 」 
「 こっち さ 来る ど いい な 。 」 
「 来る よ 、 きっと 。 大 てい 向う岸 の あの 草 の 中 から 出 て 来 ます 。 兵隊 だって 誰 だって 気持ち の いい 所 へ は 来 たい ん だ 。 」 
騎兵 は だんだん 橋 を 渡り 、 最 后 の 一 人 が ぽ ろ っと 光っ て 、 それから みんな 見え なく なり まし た 。 と 思う と 、 また こっち の 袂 から 一 人 が だく で かけ て 行き まし た 。 私 たち は だまっ て それ を 見送り まし た 。 
けれども 、 全く 見え なく なる と 、 その こと も だんだん 忘れる もの です 。 私 たち は また 冷たい 水 に 飛び込ん で 、 小さな 湾 に なっ た 所 を 泳ぎ まわっ たり 、 岩 の 上 を 走っ たり し まし た 。 
誰 か が 岩 の 中 に 埋もれ た 小さな 植物 の 根 の まわり に 、 水酸化 鉄 の 茶 いろ な 環 が 、 何 重 も めぐっ て いる の を 見 附け まし た 。 それ は はじめ から あちこち 沢山 あっ た の です 。 
「 どうして この 環 、 出来 だの す 。 」 
「 この 出来 かた は むずかしい の です 。 膠質 体 の こと を も 少し 詳しく やっ て から で なけれ ば わかり ませ ん 。 けれども とにかく これ は 電気 の 作用 です 。 この 環 は リーゼガング の 環 と 云い ます 。 実験 室 でも こさえ られ ます 。 あと で 土壌 の ほう で も 説明 し ます 。 腐植 質 磐 層 という もの も 似 た よう な わけ で できる の です から 。 」 私 は 毎日 の 実習 で 疲れ て い まし た ので 、 長い 説明 が 面倒くさく て こう 答え まし た 。 
それから しばらく たっ て 、 ふと 私 は 川 の 向う岸 を 見 まし た 。 せい の 高い 二 本 の でん しん ば しらが 、 互に より かかる よう に し て 一 本 の 腕木 で つらね られ て あり まし た 。 その すぐ 下 の 青い 草 の 崖 の 上 に 、 まさしく 一 人 の カアキイ 色 の 将校 と 大きな 茶 いろ の 馬 の 頭 と が 出 て 来 まし た 。 
「 来 た 、 来 た 、 とうとう やって来 た 。 」 みんな は 高く 叫び まし た 。 
「 水 馬 演習 だ 。 向う側 へ 行こ う 。 」 こう 云い ながら 、 その まっ白 な イギリス 海岸 を 上流 に のぼり 、 そこ から 向う側 へ 泳い で 行く 人 も たくさん あり まし た 。 
兵隊 は 一 列 に なっ て 、 崖 を ななめ に 下り 、 中 に は さき に 黒い 鉤 の つい た 長い 竿 を 持っ た 人 も あり まし た 。 
間もなく 、 みんな は 向う側 の 草 の 生え た 河原 に 下り 、 六 列 ばかり に 横 に ならん で 馬 から 下り 、 将校 の 訓示 を 聞い て い まし た 。 それ が 中 々 永かっ た ので こっち 側 に 居る 私 たち は 実際 あき て しまい まし た 。 いつ に なっ たら 兵隊 たち が みな 馬 の たてがみ に 取りつい て 、 泳い で こっち へ 来る の やら すっかり 待ち あぐね て しまい まし た 。 さっき 川 を 越え て 見 に 行っ た 人 たち も 、 浅瀬 に 立っ て 将校 の 訓示 を 聞い て い まし た が 、 それ も どうも 面白く て 聞い て いる よう に も 見え 、 また つまらな そう に も 見える の でし た 。 うるん だ 夏 の 雲 の 下 です 。 
そのうち とうとう 二 隻 の 舟 が 川下 から やって来 て 、 川 の まん中 に とまり まし た 。 兵隊 たち は いちばん はじ の 列 から 馬 を ひい て だんだん 川 へ 入り まし た 。 馬 の 蹄 の 底 の 砂利 を ふむ 音 と 水 の ば ち ゃばちゃはねる 音 と が 遠く の 遠く の 夢 の 中 から でも 来る よう に 、 こっち 岸 の 水 の 音 を 越え て やって来 まし た 。 私 たち は いま に だんだん 深い 処 へ さえ 来れ ば 、 兵隊 たち は たてがみ に とりつい て 泳ぎ 出す だろ う と 思っ て 待っ て い まし た 。 ところが 先頭 の 兵隊 さん は 舟 の ところ まで やって来る と 、 ぐるっと まわっ て 、 また 向う へ 戻り まし た 。 みんな も それ に 続き まし た ので 列 は 一つ の 環 に なり まし た 。 
「 なん だ 、 今日 は ただ 馬 を 水 に ならす ため だ 。 」 私 たち は なんだか つまらない よう に も 思い まし た が 、 また 、 あんな 浅い 処 まで しか 馬 を 入れ させ ず それに 舟 を 二 隻 も 用意 し た の を 見 て どこ か 大 へん 力強い 感じ も し まし た 。 それから 私 たち は 養蚕 の 用 も あり まし た ので 急い で 学校 に 帰り まし た 。 
その 次 に は 私 たち は ただ 五 人 で 行き まし た 。 
はじめ は この 前 の 湾 の ところ だけ 泳い で い まし た が そのうち だんだん 川 に も なれ て き て 、 ず うっ と 上流 の 波 の 荒い 瀬 の ところ から 海岸 の いちばん 南 の いかだ の ある あたり へ まで も 行き まし た 。 そして 、 疲れ て 、 おまけ に 少し 寒く なり まし た ので 、 海岸 の 西 の 堺 の あの 古い 根株 や その 上 に つもっ た 軽石 の 火山 礫 層 の 処 に 行き まし た 。 
その 日 私 たち は 完全 な くるみ の 実 も 二つ 見 附け た の です 。 火山 礫 の 層 の 上 に は 前 の 水増し の 時 の 水 が 、 沼 の よう に なっ て 処々 溜っ て い まし た 。 私 たち は その 溜り 水 から 堰 を こしらえ て 滝 に し たり 発電 処 の まね を こしらえ たり 、 ここ は オーバアフロウ だの 何 の 永い こと 遊び まし た 。 
その 時 、 あの 下流 の 赤い 旗 の 立っ て いる ところ に 、 いつも 腕 に 赤 いきれ を 巻き つけ て 、 は だ か に 半天 だけ 一 枚 着 て みんな の 泳ぐ の を 見 て いる 三 十 ばかり の 男 が 、 一 梃 の 鉄 梃 を もっ て 下流 の 方 から 溯っ て 来る の を 見 まし た 。 その 人 は 、 町 から 、 水泳 で 子供 ら の 溺れる の を 助ける ため に 雇わ れ て 来 て いる の でし た が 、 何 ぶん ひま に 見え た の です 。 今日 だって 実際 ひま な もん だ から 、 ああ やっ て 用 も ない 鉄 梃 なんか かつい で 、 動かさ なく て も いい 途方 も ない 大きな 石 を 動かそ う と し て み たり 、 丁度 私 ども が 遊び に し て いる 発電 所 の まね など を 、 鉄 梃 まで 使っ て 本 統 に ごつごつ 岩 を 掘っ て 、 浮岩 の 層 の たまり 水 を 干そ う と し たり し て いる の だ と 思う と 、 私 ども は 実は 少し おかしく なっ た の でし た 。 
ですから わざと 真面目 な 顔 を し て 、 
「 ここ の 水 少し 干し た ほう いい な 、 鉄 梃 を 貸し ませ ん か 。 」 と 云う もの も あり まし た 。 
すると その 男 は 鉄 梃 で とんとん あちこち 突い て み て から 、 
「 ここら 、 岩 も 柔 いよ う だ な 。 」 と 云い ながら す なお に 私 たち に 貸し 、 自分 は また 上流 の 波 の 荒い ところ に 集っ て いる 子供 ら の 方 へ 行き まし た 。 すると 子供 ら は 、 その 荒い ブリキ 色 の 波 の こっち 側 で 、 手 を あげ たり 脚 を 俥屋 さん の よう に し たり 、 みんな ちり ぢ り に 遁 げ る の でし た 。 私 ども は は はあ 、 あの 男 は やっぱり どこ か 足り ない な 、 だから 子供 ら が 鬼 の よう に こわがっ て いる の だ と 思っ て 遠く から 笑っ て 見 て い まし た 。 
さて その 次 の 日 も 私 たち は イギリス 海岸 に 行き まし た 。 
その 日 は 、 もう 私 たち は すっかり 川 の 心持ち に なれ た つもり で 、 どんどん 上流 の 瀬 の 荒い 処 から 飛び込み 、 すっかり 疲れる まで 下流 の 方 へ 泳ぎ まし た 。 下流 で あがっ て は また 野蛮 人 の よう に その 白い 岩 の 上 を 走っ て 来 て 上流 の 瀬 に とびこみ まし た 。 それでも すっかり 疲れ て しまう と 、 また 昨日 の 軽石 層 の たまり 水 の 処 に 行き まし た 。 救助 係 は その 日 は もう ちゃんと そこ に 来 て い た の です 。 腕 に は 赤い 巾 を 巻き 鉄 梃 も 持っ て い まし た 。 
「 お 暑う ご ざす 。 」 私 が 挨拶 し まし たら その 人 は 少し きまり 悪 そう に 笑っ て 、 
「 なあに 、 お うち の 生徒 さん ぐらい 大きな 方 なら あぶない こと も ない の です が 一寸 来 て み た ところ です 。 」 と 云う の でし た 。 なるほど 私 たち の 中 で たしかに 泳げる もの は ほんとう に 少かっ た の です 。 もちろん 何 か の 張 合 で 誰 か が 溺れ そう に なっ た とき 間違い なく それ を 救える と いう くらい の もの は 一 人 も あり ませ ん でし た 。 だんだん 談 し て みる と 、 この 人 は ずいぶん よく 私 たち を 考え て い て くれ た の です 。 救助 区域 はず うっ と 下流 の 筏 の ところ な の です が 、 私 たち が この 気もち よい イギリス 海岸 に 来る の を 止める わけ に も いか ず 、 時々 別 の 用 の ある ふり を し て 来 て 見 て い て くれ た の です 。 もっと 談 し て いる うち に 私 は すっかり きまり 悪く なっ て しまい まし た 。 なぜなら 誰 でも 自分 だけ は 賢く 、 人 の し て いる こと は 馬鹿げ て 見える もの です が 、 その 日 その イギリス 海岸 で 、 私 は つくづく そんな 考 の いけ ない こと を 感じ まし た 。 からだ を 刺さ れる よう に さえ 思い まし た 。 は だ か に なっ て 、 生徒 と いっしょ に 白い 岩 の 上 に 立っ て い まし た が 、 まるで 太陽 の 白い 光 に 責め られる よう に 思い まし た 。 全く この 人 は 、 救助 区域 が あんまり 下流 の 方 で 、 とても この イギリス 海岸 まで 手 が 及ば ず 、 それ に も かかわら ず 私 たち を はじめ みんな こっち へ も 来る し 、 殊に 小さな 子供 ら まで が 、 何 べ ん 叱ら れ て も あの あぶない 瀬 の 処 に 行っ て い て 、 この 人 の 形 を 遠く から 見る と 、 遁 げ て ど て の 蔭 や 沢 の はん の きのう しろ に かくれる もの です から 、 この 人 は 町 へ 行っ て 、 もう 一 人 、 人 を 雇う か そう で なかっ たら 救助 の 浮標 を 浮べ て もらい たい と 話し て いる という の です 。 
そう し て みる と 、 昨日 あの 大きな 石 を 用 も ない のに 動かそ う と し た の も その 浮標 の 重り に 使う 心 組 から だっ た の です 。 おまけ に あの 瀬 の 処 で は 、 早く に も 溺れ た 人 も あり 、 下流 の 救助 区域 で さえ 、 今年 に なっ て から 二 人 も 救っ た という の です 。 いくら 昨日 まで よく 泳げる 人 で も 、 今日 の からだ 加減 で は 、 いつ 水 の 中 で 動け ない よう に なる か わから ない という の です 。 何気なく 笑っ て 、 その 人 と 談 し て は い まし た が 、 私 は ひとり で 烈しく 烈しく 私 の 軽率 を 責め まし た 。 実は 私 は その 日 まで もし 溺れる 生徒 が でき たら 、 こっち は とても 助ける こと も でき ない し 、 ただ 飛び込ん で いっ て 一緒 に 溺れ て やろ う 、 死ぬ こと の 向う側 まで 一緒 に つい て いっ て やろ う と 思っ て い た だけ でし た 。 全く 私 たち に は その イギリス 海岸 の 夏 の 一刻 が そんなに まで 楽しかっ た の です 。 そして 私 は 、 それ が 悪い こと だ と は 決して 思い ませ ん でし た 。 
さて その 人 と 私 ら は 別れ まし た けれども 、 今度 は もう 要心 し て 、 あの 十 間 ばかり の 湾 の 中 で しか 泳ぎ ませ ん でし た 。 
その 時 、 海岸 の いちばん 北 の はじ まで 溯っ て 行っ た 一 人 が 、 まっすぐ に 私 たち の 方 へ 走っ て 戻っ て 来 まし た 。 
「 先生 、 岩 に 何 か の 足 痕 あら ん す 。 」 
私 は すぐ 壺 穴 の 小さい の だろ う と 思い まし た 。 第 三紀 の 泥 岩 で 、 どうせ 昔 の 沼 の 岸 です から 、 何 か 哺乳類 の 足 痕 の ある こと も いかにも あり そう な こと だ けれども 、 教室 で だって 手 獣 の 足 痕 の 図 まで 黒板 に 書い た の だ し 、 どうせ それ が 頭 に ある から 壺 穴 まで そんな 工合 に 見え た ん だ と 思い ながら 、 あんまり 気乗り も せ ず に そっち へ 行っ て み まし た 。 ところが 私 は ぎくりと し て つっ 立っ て しまい まし た 。 みんな も 顔色 を 変え て 叫ん だ の です 。 
白い 火山灰 層 の ひと ところが 、 平ら に 水 で 剥がさ れ て 、 浅い 幅 の 広い 谷 の よう に なっ て い まし た が 、 その 底 に 二つ ずつ 蹄 の 痕 の ある 大 さ 五 寸 ばかり の 足 あと が 、 幾つ か 続い たり ぐるっと まわっ たり 、 大きい の や 小さい の や 、 実に めちゃくちゃ に つい て いる で は あり ませ ん か 。 その 中 に は 薄く 酸化 鉄 が 沈澱 し て あたり の 岩 から 実に はっきり し て い まし た 。 たしかに 足 痕 が 泥 に つく や 否 や 、 火山灰 が やって来 て それ を そのまま 保存 し た の です 。 私 は はじめ は 粘土 で その 型 を とろ う と 思い まし た 。 一 人 が その 青い 粘土 も 持っ て 来 た の でし た が 、 蹄 の 痕 が あんまり 深 過ぎる ので 、 どうも うまく いき ませ ん でし た 。 私 は 「 あした 石膏 を 用意 し て 来よ う 」 と も 云い まし た 。 けれども それ より いちばん いい こと は やっぱり その 足 あと を 切り取っ て 、 そのまま 学校 へ 持っ て 行っ て 標本 に する こと でし た 。 どうせ また 水 が 出れ ば 火山灰 の 層 が 剥げ て 、 新 らしい 足 あと の 出る の は たしか でし た し 、 今 の は 構わ ない で おい て も すぐ 壊れる こと が 明らか でし た から 。 
次 の 朝 早く 私 は 実習 を 掲示 する 黒板 に こう 書い て おき まし た 。 
八月 八 日 
農場 実習 　 午前 八 時半 より 正午 まで 
除草 、 追肥 　 　 　 第 一 、 七 組 
蕪菁 播種 　 　 　 　 第 三 、 四 組 
甘藍 中耕 　 　 　 　 第 五 、 六 組 
養蚕 実習 　 　 　 　 第 二 組 
（ 午后 イギリス 海岸 に 於 て 第 三紀 偶蹄類 の 足跡 標本 を 採 収 す べき により 希望 者 は 参加 す べし 。 ） 
そこで 正直 を 申し ます と 、 この 小さな 「 イギリス 海岸 」 の 原稿 は 八月 六 日 あの 足 あと を 見つける 前 の 日 の 晩 宿直 室 で 半分 書い た の です 。 私 は あの 救助 係 の 大きな 石 を 鉄 梃 で 動かす あたり から 、 あと は 勝手 に 私 の 空想 を 書い て いこ う と 思っ て い た の です 。 ところが 次 の 日 救助 係 が まるで ちがっ た 人 に なっ て しまい 、 泥 岩 の 中 から は 空想 より も もっと 変 な あし あと など が 出 て き た の です 。 その 半分 書い た 分 だけ を 実習 が すんで から 教室 で みんな に 読み まし た 。 
それ を 読ん で しまう か しまわ ない うち 、 私 たち は 一 ぺん に 飛び出し て イギリス 海岸 へ 出かけ た の です 。 
丁度 この 日 は 校長 も 出張 から 帰っ て 来 て 、 学校 に 出 て い まし た 。 黒板 を 見 て わらっ て い まし た 、 それから 繭 を 売る の が 済ん だら 自分 も 行こ う と 云う の でし た 。 私 たち は 新 らしい 鋼鉄 の 三 本 鍬 一 本 と 、 ものさし や 新聞紙 など を 持っ て 出 て 行き まし た 。 海岸 の 入口 に 来 て み ます と 水 は ひどく 濁っ て い まし た し 、 雨 も 少し 降り そう でし た 。 雲 が 大 へん けわしかっ た の です 。 救助 係 に 私 は 今日 は 少し の お礼 を しよ う と 思っ て その 支度 も し て 来 た の でし た が その 人 は いつも の 処 に 見え ませ ん でし た 。 私 たち は まっすぐ に その イギリス 海岸 を 昨日 の 処 に 行き まし た 。 それから ていねい に あの あやしい 化石 を 掘り はじめ まし た 。 気 が つい て みる と 、 みんな 大抵 ポケット に 除草 鎌 を 持っ て き て いる の でし た 。 岩 が 大 へん 柔らか でし た から 大丈夫 それ で 削れる 見当 が つい て い た の でし た 。 もう あちこち で 掘り出さ れ まし た 。 私 は せわしく それ を とめ て 、 二つ の 足 あと の 間隔 を はかっ たり 、 スケッチ を とっ たり し なけれ ば なり ませ ん でし た 。 足 あと を 二つ つづけ て 取ろ う と し て いる 人 も あり まし た し 、 も 少し の ところ で こわし た 人 も あり まし た 。 
まだ 上流 の 方 に また 別 の が ある と 、 一 人 の 生徒 が 云っ て 走っ て 来 まし た 。 私 は 暑い ので 、 すっかり は だ か に なっ て 泳ぐ 時 の よう な かたち を し て い まし た が 、 すぐ その 白い 岩 を 走っ て 行っ て み まし た 。 その あし あと は 、 いま まで の と は まるで 形 も ちがい 、 よほど 小さかっ た の です 、 ある もの は 水 の 中 に あり まし た 。 水 が もっと 退い たら まだまだ 沢山 出る だろ う と 思わ れ まし た 。 その 上流 の 方 から 、 南 の イギリス 海岸 の まん中 で 、 みんな の 一生けん命 掘り 取っ て いる の を 見 ます と 、 こんど は そこ は 英国 で なく 、 イタリヤ の ポンペイ の 火山灰 の 中 の よう に 思わ れる の でし た 。 殊に 四 、 五 人 の 女 たち が 、 けばけばしい 色 の 着物 を 着 て 、 向う を 歩い て い まし た し 、 おまけ に 雲 が だんだん うすく なっ て 日 が まっ白 に 照っ て き た から でし た 。 
いつか 校長 も 黄いろ の 実習 服 を 着 て 来 て い まし た 。 そして 足 あと は もう 四つ まで 完全 に とら れ た の です 。 
私 たち は それ を 汀 まで 持っ て 行っ て 洗い それ から そっと 新聞紙 に 包み まし た 。 大きな の は 三 貫目 も あっ た でしょ う 。 掘り 取る の が 済ん で あの 荒い 瀬 の 処 から 飛び込ん で 行く もの も あり まし た 。 けれども 私 は その 溺れる こと を 心配 し ませ ん でし た 。 なぜ なら 生徒 より 前 に 、 もう 校長 が 飛び込ん で い て ごく ゆっくり 泳い で 行く の でし た から 。 
しばらく たっ て 私 たち は みんな で それ を 持っ て 学校 へ 帰り まし た 。 そして さっき も 申し まし た よう に これ は 昨日 の こと です 。 今日 は 実習 の 九 日 目 です 。 朝 から 雨 が 降っ て い ます ので 外 の 仕事 は でき ませ ん 。 うち の 中 で 図 を 引い たり し て 遊ぼ う と 思う の です 。 これから 私 たち に は まだ 麦 こなし の 仕事 が 残っ て い ます 。 天気 が 悪く て よく 乾か ない で 困り ます 。 麦 こなし は 芒 が えら えらから だに 入っ て 大 へん つらい 仕事 です 。 百姓 の 仕事 の 中 で は いちばん いや だ と みんな が 云い ます 。 この 辺 で は この 仕事 を 夏 の 病気 と さえ 云い ます 。 けれども 全く そんな 風 に 考え て は すみません 。 私 たち は どうにか し て できる だけ 面白く それ を やろ う と 思う の です 。 （ 一 九 二 三 、 八 、 九 、 ） 
その とき 私 は 大 へん ひどく 疲れ て い て たしか 風 と 草 穂 と の 底 に 倒れ て い た の だ と おもい ます 。 
その 秋風 の 昏倒 の 中 で 私 は 私 の 錫 いろ の 影法師 に ずいぶん 馬鹿 ていねい な 別れ の 挨拶 を やっ て い まし た 。 
そして ただ ひとり 暗い こけ もも の 敷物 を 踏ん で ツェラ 高原 を あるい て 行き まし た 。 
こけ もも に は 赤い 実 も つい て い た の です 。 
白い そら が 高原 の 上 いっぱい に 張っ て 高陵 産 の 磁器 より もっと 冷たく 白い の でし た 。 
稀薄 な 空気 が みん みん 鳴っ て い まし た が それ は 多分 は 白磁 器 の 雲 の 向う を さびしく 渡っ た 日輪 が もう 高原 の 西 を 劃 る 黒い 尖 々 の 山稜 の 向う に 落ち て 薄明 が 来 た ため に そんなに 軋ん で い た の だろ う と おもい ます 。 
私 は 魚 の よう に あえぎ ながら 何 べ ん も あたり を 見 まわし まし た 。 
ただ 一 かけ の 鳥 も 居 ず 、 どこ に も やさしい 獣 の かすか な け はい さえ なかっ た の です 。 
（ 私 は 全体 何 を たずね て こんな 気圏 の 上 の 方 、 きんきん 痛む 空気 の 中 を あるい て いる の か 。 ） 
私 は ひとり で 自分 に たずね まし た 。 
こけ もも が いつか なく なっ て 地面 は 乾い た 灰 いろ の 苔 で 覆わ れ ところどころ に は 赤い 苔 の 花 も さい て い まし た 。 けれども それ は いよいよ つめたい 高原 の 悲痛 を 増す ばかり でし た 。 
そして いつか 薄明 は 黄昏 に 入りかわら れ 、 苔 の 花 も 赤 ぐろく 見え 西 の 山稜 の 上 の そら ばかり かすか に 黄いろ に 濁り まし た 。 
その とき 私 は はるか の 向う に まっ白 な 湖 を 見 た の です 。 
（ 水 で は ない ぞ 、 また 曹達 や 何 か の 結晶 だ ぞ 。 いま の うち ひどく 悦ん で 欺 さ れ た とき 力 を 落し ちゃ いか ない ぞ 。 ） 私 は 自分 で 自分 に 言い まし た 。 
それでも やっぱり 私 は 急ぎ まし た 。 
湖 は だんだん 近く 光っ て き まし た 。 間もなく 私 は まっ白 な 石英 の 砂 と その 向う に 音 なく 湛える ほんとう の 水 と を 見 まし た 。 
砂 が きし きし 鳴り まし た 。 私 は それ を 一 つまみ とっ て 空 の 微光 に しらべ まし た 。 すきとおる 複 六 方 錐 の 粒 だっ た の です 。 
（ 石英 安山岩 か 流 紋 岩 から 来 た 。 ） 
私 は つぶやく よう に また 考える よう に し ながら 水際 に 立ち まし た 。 
（ こいつ は 過 冷却 の 水 だ 。 氷 相当 官 な の だ 。 ） 私 は も 一度 こころ の 中 で つぶやき まし た 。 
全く 私 の て の ひ ら は 水 の 中 で 青じろく 燐光 を 出し て い まし た 。 
あたり が 俄 に きい ん と なり 、 
（ 風 だ よ 、 草 の 穂 だ よ 。 ご う ご う ご う ご う 。 ） こんな 語 が 私 の 頭 の 中 で 鳴り まし た 。 まっ くら でし た 。 まっ くら で 少し うす 赤かっ た の です 。 
私 は また 眼 を 開き まし た 。 
いつの間にか すっかり 夜 に なっ て そら は まるで すきとおっ て い まし た 。 素敵 に 灼き を かけ られ て よく 研か れ た 鋼鉄 製 の 天 の 野原 に 銀河 の 水 は 音 なく 流れ 、 鋼玉 の 小 砂利 も 光り 岸 の 砂 も 一 つぶ ずつ 数え られ た の です 。 
また その 桔梗 いろ の 冷たい 天 盤 に は 金剛石 の 劈開片 や 青 宝玉 の 尖っ た 粒 や あるいは まるで けむり の 草 の たね ほど の 黄 水晶 の かけ ら まで ごく 精巧 の ピンセット で きちんと ひろわ れ きれい に ちりばめ られ それ は めいめい 勝手 に 呼吸 し 勝手 に ぷりぷり ふるえ まし た 。 
私 は また 足もと の 砂 を 見 まし たら その 砂粒 の 中 に も 黄いろ や 青 や 小さな 火 が ちらちら またたい て いる の でし た 。 恐らくは その ツェラ 高原 の 過 冷却 湖畔 も 天 の 銀河 の 一部 と 思わ れ まし た 。 
けれども この 時 は 早く も 高原 の 夜 は 明ける らしかっ た の です 。 
それ は 空気 の 中 に 何かしら そらぞらしい 硝子 の 分子 の よう な もの が 浮ん で き た の で も わかり まし た が 第 一 東 の 九つ の 小さな 青い 星 で 囲ま れ た そら の 泉水 の よう な もの が 大 へん 光 が 弱く なり そこ の 空 は 早く も 鋼 青 から 天 河 石 の 板 に 変っ て い た こと から 実に あきらか だっ た の です 。 
その 冷たい 桔梗 色 の 底光り する 空間 を 一 人 の 天 が 翔け て いる の を 私 は 見 まし た 。 
（ とうとう まぎれ込ん だ 、 人 の 世界 の ツェラ 高原 の 空間 から 天 の 空間 へ ふっと まぎれこん だ の だ 。 ） 私 は 胸 を 躍ら せ ながら 斯 う 思い まし た 。 
天人 は まっすぐ に 翔け て いる の でし た 。 
（ 一瞬 百 由旬 を 飛ん で いる ぞ 。 けれども 見ろ 、 少し も 動い て い ない 。 少し も 動か ず に 移ら ず に 変ら ず に たしかに 一瞬 百 由旬 ずつ 翔け て いる 。 実に うまい 。 ） 私 は 斯 う つぶやく よう に 考え まし た 。 
天人 の 衣 は けむり の よう に うすく その 瓔珞 は 昧爽 の 天 盤 から かすか な 光 を 受け まし た 。 
（ は はあ 、 ここ は 空気 の 稀薄 が 殆 ん ど 真空 に 均しい の だ 。 だから あの 繊細 な 衣 の ひだ を ちらっと 乱す 風 も ない 。 ） 私 は また 思い まし た 。 
天人 は 紺 いろ の 瞳 を 大きく 張っ て またたき 一つ し ませ ん でし た 。 その 唇 は 微か に 哂 い まっすぐ に まっすぐ に 翔け て い まし た 。 けれども 少し も 動か ず 移ら ず また 変り ませ ん でし た 。 
（ ここ で は あらゆる 望み が みんな 浄 め られ て いる 。 願い の 数 は みな 寂 め られ て いる 。 重力 は 互に 打ち消さ れ 冷たい まるめろ の 匂い が 浮動 する ばかり だ 。 だから あの 天 衣 の 紐 も 波立た ず また 鉛直 に 垂れ ない の だ 。 ） 
けれども その とき 空 は 天 河 石 から あやしい 葡萄 瑪瑙 の 板 に 変り その 天人 の 翔ける 姿 を もう 私 は 見 ませ ん でし た 。 
（ やっぱり ツェラ の 高原 だ 。 ほんの 一時 の まぎれ込み など は 結局 あて に なら ない の だ 。 ） 斯 う 私 は 自分 で 自分 に 誨 える よう に し まし た 。 けれども どうも おかしい こと は あの 天 盤 の つめたい まるめろ に 似 た かおり が まだ その 辺 に 漂っ て いる の でし た 。 そして 私 は また ちらっと さっき の あやしい 天 の 世界 の 空間 を 夢 の よう に 感じ た の です 。 
（ こいつ は やっぱり おかしい ぞ 。 天 の 空間 は 私 の 感覚 の すぐ 隣り に 居る らしい 。 みち を あるい て 黄金 いろ の 雲母 の かけ ら が だんだん たくさん 出 て 来れ ば だんだん 花崗岩 に 近づい た な と 思う の だ 。 ほんの まぐれ あたり で も あんまり 度々 に なる と とうとう それ が ほんとに なる 。 きっと 私 は もう一度 この 高原 で 天 の 世界 を 感ずる こと が できる 。 ） 私 は ひとり で 斯 う 思い ながら そのまま 立っ て おり まし た 。 
そして 空 から 瞳 を 高原 に 転じ まし た 。 全く 砂 は もう まっ白 に 見え て い まし た 。 湖 は 緑青 より も もっと 古び その 青 さ は 私 の 心臓 まで 冷たく し まし た 。 
ふと 私 は 私 の 前 に 三 人 の 天 の 子供 ら を 見 まし た 。 それ は みな 霜 を 織っ た よう な 羅 を つけ すきとおる 沓 を はき 私 の 前 の 水際 に 立っ て しきりに 東 の 空 を のぞみ 太陽 の 昇る の を 待っ て いる よう でし た 。 その 東 の 空 は もう 白く 燃え て い まし た 。 私 は 天 の 子供 ら の ひだ の つけ よう から その ガンダーラ 系統 な の を 知り まし た 。 また その たしか に 于大寺 の 廃 趾 から 発掘 さ れ た 壁画 の 中 の 三 人 な こと を 知り まし た 。 私 は しずか に そっち へ 進み 愕 かさ ない よう に ごく 声 低く 挨拶 し まし た 。 
「 お早う 、 于大寺 の 壁画 の 中 の 子供 さん たち 。 」 
三 人 一緒 に こっち を 向き まし た 。 その 瓔珞 の かがやき と 黒い 厳 めし い 瞳 。 
私 は 進み ながら また 云い まし た 。 
「 お早う 。 于大寺 の 壁画 の 中 の 子供 さん たち 。 」 
「 お前 は 誰 だい 。 」 
右 はじ の 子供 が まっすぐ に 瞬 も なく 私 を 見 て 訊ね まし た 。 
「 私 は 于大寺 を 沙 の 中 から 掘り出し た 青木 晃 という もの です 。 」 
「 何 し に 来 た ん だい 。 」 少し の 顔色 も うごかさ ず じっと 私 の 瞳 を 見 ながら その 子 は また こう 云い まし た 。 
「 あなた たち と 一緒 に お 日 さま を おがみ たい と 思っ て です 。 」 
「 そう です か 。 もう じき です 。 」 三 人 は 向う を 向き まし た 。 瓔珞 は 黄 や 橙 や 緑 の 針 の よう な みじかい 光 を 射 、 羅 は 虹 の よう に ひるがえり まし た 。 
そして 早く も その 燃え立っ た 白金 の そら 、 湖 の 向う の 鶯 いろ の 原 の はて から 熔け た よう な もの 、 なまめかしい もの 、 古び た 黄金 、 反射 炉 の 中 の 朱 、 一 きれ の 光る もの が 現われ まし た 。 
天 の 子供 ら は まっすぐ に 立っ て そっち へ 合掌 し まし た 。 
それ は 太陽 でし た 。 厳か に その あやしい 円い 熔け た よう な からだ を ゆすり 間もなく 正しく 空 に 昇っ た 天 の 世界 の 太陽 でし た 。 光 は 針 や 束 に なっ て そそぎ そこら いち めん かちかち 鳴り まし た 。 
天 の 子供 ら は 夢中 に なっ て はねあがり まっ青 な 寂静 印 の 湖 の 岸 硅砂 の 上 を かけまわり まし た 。 そして いきなり 私 に ぶっつかり びっくり し て 飛び のき ながら 一 人 が 空 を 指し て 叫び まし た 。 
「 ごらん 、 そら 、 インド ラ の 網 を 。 」 
私 は 空 を 見 まし た 。 いま は すっかり 青 ぞ ら に 変っ た その 天頂 から 四方 の 青白い 天 末 まで いち めん は られ た インドラ の スペクトル 製 の 網 、 その 繊維 は 蜘蛛 の より 細く 、 その 組織 は 菌糸 より 緻密 に 、 透明 清澄 で 黄金 で また 青く 幾 億 互に 交錯 し 光っ て 顫 えて 燃え まし た 。 
「 ごらん 、 そら 、 風 の 太鼓 。 」 も 一 人 が ぶっつかっ て あわて て 遁 げ ながら 斯 う 云い まし た 。 ほんとう に 空 の ところどころ マイナス の 太陽 と も いう よう に 暗く 藍 や 黄金 や 緑 や 灰 いろ に 光り 空 から 陥 ち こん だ よう に なり 誰 も 敲か ない のに ちからいっぱい 鳴っ て いる 、 百千 の その 天 の 太鼓 は 鳴っ て い ながら それで 少し も 鳴っ て い なかっ た の です 。 私 は それ を あんまり 永く 見 て 眼 も 眩く なり よろよろ し まし た 。 
「 ごらん 、 蒼 孔雀 を 。 」 さっき の 右 はじ の 子供 が 私 と 行き すぎる とき しずか に 斯 う 云い まし た 。 まことに 空 の インドラ の 網 の むこ う 、 数 しら ず 鳴りわたる 天 鼓 の かなた に 空 一ぱい の 不思議 な 大きな 蒼い 孔雀 が 宝石 製 の 尾 ばね を ひろげ かすか に クウクウ 鳴き まし た 。 その 孔雀 は たしかに 空 に は 居り まし た 。 けれども 少し も 見え なかっ た の です 。 たしか に 鳴い て おり まし た 。 けれども 少し も 聞え なかっ た の です 。 
そして 私 は 本 統 に も うそ の 三 人 の 天 の 子供 ら を 見 ませ ん でし た 。 
却って 私 は 草 穂 と 風 の 中 に 白く 倒れ て いる 私 の かたち を ぼんやり 思い出し まし た 。 
太陽 マジック の うた は もう 青 ぞ ら いっぱい 、 ひっきりなしに ご う ご う ご う ご う 鳴っ て い ます 。 
わたし たち は 黄いろ の 実習 服 を 着 て 、 くずれ かかっ た 煉瓦 の 肥 溜 の とこ へ あつまり まし た 。 
冬 中 いつも 唇 が 青ざめ て 、 がたがた ふるえ て い た 阿部 時夫 など が 、 今日 は まるで いきいき し た 顔 いろ に なっ て に かに か に かに か 笑っ て い ます 。 ほんとう に 阿部 時夫 なら 、 冬 の 間 から だ が 悪かっ た の で は なく て 、 シャツ を 一 枚 しか もっ て い なかっ た の です 。 それに せい が 高い ので 、 教室 で も いちばん 火 に 遠い こわれ た 戸 の すき ま から 風 の ひ ゅうひゅう 入っ て 来る 北東 の 隅 だっ た の です 。 
けれども 今日 は 、 こんなに そら が まっ青 で 、 見 て いる と まるで わくわく する よう 、 かれ く さ も 桑 ばやし の 黄いろ の 脚 も まばゆい くらい です 。 おまけ に 堆肥 小屋 の 裏 の 二 きれ の 雲 は 立派 に 光っ て い ます し 、 それに ちかく の 空 で は ひばり が まるで 砂糖 水 の よう に ふるえ て 、 すきとおっ た 空気 いっぱい やっ て いる の です 。 もう 誰 だって 胸中 から もくもく 湧い て くる うれし さ に 笑い 出さ ない で い られる でしょ う か 。 そう で なけれ ば 無理 に 口 を 横 に 大きく し たり 、 わざと 額 を しかめ たり し て それ を ごまかし て いる の です 。 
（ コロナ は 六 十 三 万 二 百 
‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 
ああ きれい だ 、 まるで まっ 赤 な 花火 の よう だ よ 。 ） 
それ は リシウム の 紅 焔 でしょ う 。 ほんとう に 光 炎 菩薩 太陽 マジック の 歌 は そら に も 地面 に も ちからいっぱい 、 日光 の 小さな 小さな 菫 や 橙 や 赤 の 波 と いっしょ に 一生けん命 に 鳴っ て い ます 。 カイロ 男爵 だって 早く 上等 の 絹 の フロック を 着 て 明るい とこ へ 飛びだす が いい でしょ う 。 
楊 の 木 の 中 でも 樺の木 で も 、 また かれ く さ の 地下茎 で も 、 月光 いろ の 甘い 樹液 が ちらちら ゆれ だし 、 早い 萱草 や つめ く さ の 芽 に は もう 黄金 いろ の ちいさな 澱粉 の 粒 が つうつう 浮い たり 沈ん だり し て い ます 。 
（ ‥ ‥ ‥ 
コロナ は 三 十 七 万 十 九 
‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 ） 
くずれ かかっ た 煉瓦 の 肥 溜 の 中 に は ビール の よう に 泡 が もりあがっ て い ます 。 さあ 順番 に 桶 に 汲み込も う 。 そこら いっぱい こんなに ひどく 明るく て 、 ラジウム より も もっと はげしく 、 そして やさしい 光 の 波 が 一生けん命 一生けん命 ふるえ て いる のに 、 いったい どんな もの が きたなく て どんな もの が わるい の でしょ う か 。 もう どんどん 泡 が あふれ 出し て も いい の です 。 青 ぞ ら いっぱい 鳴っ て いる あの りん と し た 太陽 マジック の 歌 を お 聴き なさい 。 
（ コロナ は 六 十 七 万 四 千 
‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 ） 
さあ 、 では みんな で こいつ を 下台 の 麦 ば たけ まで 持っ て 行こ う 、 こっち の 崖 は あんまり 急 です から やっぱり 女学校 の 裏 を まわっ て 楊 の 木 の ある と この 坂 を おり て 行き ましょ う 。 大丈夫 二 十 分 かかり ませ ん 。 なるべく せい の 似 た よう な 人 と 、 二 人 で 一つ ずつ かつい で 下さい 。 そう です 、 町 の 裏 を 通っ て 行く の です 。 阿部 君 は いっしょ に 行く ひと が ない 、 それ は ぼく と いっしょ に 行こ う 。 ああ 鳴っ て いる 、 鳴っ て いる 、 そこら いち めん 鳴っ て いる 太陽 マジック の 歌 を ごらん なさい 。 
（ ‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 
コロナ は 八 十 三 万 五 百 
‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 ） 
まぶしい 山 の 雪 の 反射 です 。 わたくし が はたらき ながら 、 また 重い もの を はこび ながら 、 手 で 水 を すくう こと も 考える こと の でき ない とき は 、 そこ から 白 びかりが 氷 の よう に わたくし の 咽喉 に 寄せ て き て 、 こくっ と わたくし の 咽喉 を 鳴らし 、 すっかり なおし て しまう の です 。 それ に いま なら ぼく たち の 膝 は まるで 上等 の ばね の よう です 。 去年 の 秋 の よう に あんな つめたい 風 の なか なら 仕事 も ずいぶん ひどかっ た の です けれども 、 いま なら あんまり 楽 で ただ 少し 肩 の 重苦しい の を こらえる だけ です 。 それ だって 却って 胸 が あつく なっ て いい 気持 な くらい です 。 
（ コロナ は 六 十 三 万 十 五 
‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 ） 
おお こまどり 、 鳴い て 行く 鳴い て 行く 、 音譜 の よう に 飛ん で 行き ます 。 赤い 上着 で どこ まで 今日 は かけ て 行く の 。 いい ねえ 、 ほんとう に 、 
かえれ 、 こまどり 、 アカシヤ づくり 。 
赤 の 上着 に 野 や ま を 越え て 
（ ‥ ‥ ‥ 
‥ ‥ ‥ 
コロナ は 三 十 七 万 二 千 
‥ ‥ ‥ 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 　 ） 
そこ の 角 から 赤 髪 の 子供 が ひとり 、 こっち を のぞい て わらっ て い ます 。 おい 、 大将 、 証書 は ちゃんと しまっ た かい 。 筆記 帳 に は 組 と 名前 を 楷書 で 書い て しまっ た の 。 
さあ 、 春 だ 、 うたっ たり 走っ たり 、 と びあがったりするがいい 。 風 野 又 三 郎 だって 、 もう ガラス の マント を ひらひら さ せ 大 よろこび で 髪 を ぱちゃぱちゃやりながら 野 は ら を 飛ん で ある き ながら 春 が 来 た 、 春 が 来 た を うたっ て いる よ 。 ほんとう に もう 、 走っ たり うたっ たり 、 飛 びあがったりするがいい 。 ぼく たち は いま いそがしい ん だ よ 。 
（ コロナ は 八 万 三 千 十 九 
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砂 土 が やわらかい 匂 の 息 を はい て い ます 。 いま まで やすん で い た 虫 ども が 、 ぼんやり と いま 眼 を さまし 、 しずか に 息 を する らしい の です 。 麦 は つやつや 光っ て い ます 。 雪の下 から うまく とけ て 出 て 青い 麦 です 。 早く 走っ て 行こ う 、 かけ さえ し たら すぐ に 麦 は 吸い込む の だ 。 
（ コロナ は 八 万 三 千 十 九 ） 
わたくし たち が 柄杓 で 肥 を 麦 に かけれ ば 、 水 は どうして そんなに まだ 力 も 入れ ない うち に 水銀 の よう に 青く 光り 、 たま に なっ て 麦 の 上 に 飛びだす の でしょ う 、 また 砂 土 が どうして あんなに の どの 乾い た 子ども の 水 を 呑む よう に 肥 を 吸い込む の でしょ う 。 もう ほんとう に そう で なけれ ば なら ない から 、 それ が ただ ひとつ の みち だ から ひとり で どんどん そう なる の です 。 
（ コロナ は 十 万 八 千 二 百 
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こんど は 帰り は わたくし たち は 近 みち を し て あの 急 な 坂 を のぼり ましょ う 。 あすこ の 坂 なら 杉 の 木 が 昆布 か びろう どの よう です 。 阿部 君 、 だまっ て そら を 見 ながら あるい て い て 一体 何 を 見 て いる の 。 そう そう 、 青 ぞ ら の あんな 高い とこ 、 巻雲 さえ 浮び そう に 見える とこ を 、 三 羽 の 鷹 か なにか の 鳥 が 、 それとも 鶴 か スワン でしょ う か 、 三 また の 槍 の 穂 の よう に はね を のばし て 白く 光っ て とん で 行き ます 。 
（ コロナ は 三 十 七 万 二 百 
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おや 、 この せき の 去年 の ちいさな 丸太 の 橋 は 、 雪 代 水 で 流れ た な 、 からだ だけ なら すぐ 跳べる ん だ が 肥 桶 を どう しよ う な 。 阿部 君 、 まず 跳び 越え て ください 。 うまい 、 少し ぐち ゃっと 苔 に はいっ た けれども 、 まあ いい ねえ 、 それでは ぼく は いま こっち で 桶 を つるす から 、 そっち で とっ て くれ 給え 。 そら 、 重い 、 ぼく は 起重機 の 一種 だ よ 。 重い 、 ほう 、 天びん 棒 が ひとりでに 、 磁石 の よう に 君 の 手 へ 吸い 着い て 行っ た 。 太陽 マジック な ん だ ほんとう に 。 うまい 。 
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楊 の 木 で も 樺の木 で も 、 燐光 の 樹液 が いっぱい 脈 を うっ て い ます 。 
… … ある 牛 飼い が ものがたる 
第 一 日曜 
オツベル とき たら 大した もん だ 。 稲 扱器械 の 六 台 も 据えつけ て 、 の ん の ん の ん の ん の ん の ん と 、 大 そろ し ない 音 を たて て やっ て いる 。 
十 六 人 の 百姓 ども が 、 顔 を まるっきり まっ 赤 に し て 足 で 踏ん で 器械 を まわし 、 小山 の よう に 積ま れ た 稲 を 片っぱし から 扱い て 行く 。 藁 は どんどん うし ろ の 方 へ 投げ られ て 、 また 新 らしい 山 に なる 。 そこら は 、 籾 や 藁 から 発っ た こまか な 塵 で 、 変 に ぼうっと 黄いろ に なり 、 まるで 沙漠 の けむり の よう だ 。 
その うす くらい 仕事場 を 、 オツベル は 、 大きな 琥珀 の パイプ を くわえ 、 吹殻 を 藁 に 落さ ない よう 、 眼 を 細く し て 気 を つけ ながら 、 両手 を 背中 に 組みあわせ て 、 ぶらぶら 往 っ たり 来 たり する 。 
小屋 は ずいぶん 頑丈 で 、 学校 ぐらい も ある の だ が 、 何せ 新式 稲 扱器械 が 、 六 台 も そろっ て まわっ てる から 、 の ん の ん の ん の ん ふるう の だ 。 中 に は いる と その ため に 、 すっかり 腹 が 空く ほど だ 。 そして じっさい オツベル は 、 そいつ で 上手 に 腹 を へらし 、 ひるめ し どき に は 、 六 寸 ぐらい の ビフテキ だの 、 雑巾 ほど ある オムレツ の 、 ほくほく し た の を たべる の だ 。 
とにかく 、 そうして 、 の ん の ん の ん の ん やっ て い た 。 
そしたら そこ へ どういう わけ か 、 その 、 白 象 が やって来 た 。 白い 象 だ ぜ 、 ペンキ を 塗っ た の で ない ぜ 。 どういう わけ で 来 た か って ？ 　 そいつ は 象 の こと だ から 、 たぶん ぶら っと 森 を 出 て 、 ただ なに と なく 来 た の だろ う 。 
そいつ が 小屋 の 入口 に 、 ゆっくり 顔 を 出し た とき 、 百姓 ども は ぎょっと し た 。 なぜ ぎょっと し た ？ 　 よく きく ねえ 、 何 を しだす か 知れ ない じゃ ない か 。 かかり合っ て は 大 へん だ から 、 ど いつも みな 、 いっしょ う けんめい 、 じ ぶん の 稲 を 扱い て い た 。 
ところが その とき オツベル は 、 ならん だ 器械 の うし ろ の 方 で 、 ポケット に 手 を 入れ ながら 、 ちらっと 鋭く 象 を 見 た 。 それ から すばやく 下 を 向き 、 何 で も ない という ふう で 、 いま まで どおり 往 っ たり 来 たり し て い た もん だ 。 
すると こんど は 白 象 が 、 片 脚 床 に あげ た の だ 。 百姓 ども は ぎょっと し た 。 それでも 仕事 が 忙しい し 、 かかり合っ て は ひどい から 、 そっち を 見 ず に 、 やっぱり 稲 を 扱い て い た 。 
オツベル は 奥 の うす くらい ところで 両手 を ポケット から 出し て 、 も 一度 ちらっと 象 を 見 た 。 それから いかにも 退屈 そう に 、 わざと 大きな あくび を し て 、 両手 を 頭 の うし ろ に 組ん で 、 行っ たり 来 たり やっ て い た 。 ところが 象 が 威勢 よく 、 前肢 二 つつき だし て 、 小屋 に あがっ て 来よ う と する 。 百姓 ども は ぎく っと し 、 オツベル も すこし ぎょっと し て 、 大きな 琥珀 の パイプ から 、 ふっと けむり を はきだし た 。 それでも やっぱり しら ない ふう で 、 ゆっくり そこら を あるい て い た 。 
そしたら とうとう 、 象 が のこのこ 上っ て 来 た 。 そして 器械 の 前 の とこ を 、 呑気 に あるきはじめ た の だ 。 
ところが 何せ 、 器械 は ひどく 廻っ て い て 、 籾 は 夕立 か 霰 の よう に 、 パチ パチ 象 に あたる の だ 。 象 は いかにも うるさい らしく 、 小さな その 眼 を 細め て い た が 、 また よく 見る と 、 たしかに 少し わらっ て い た 。 
オツベル は やっと 覚悟 を きめ て 、 稲 扱器械 の 前 に 出 て 、 象 に 話 を しよ う と し た が 、 その とき 象 が 、 とても きれい な 、 鶯 みたい な いい 声 で 、 こんな 文句 を 云っ た の だ 。 
「 ああ 、 だめ だ 。 あんまり せわしく 、 砂 が わたし の 歯 に あたる 。 」 
まったく 籾 は 、 パチ パチ パチ パチ 歯 にあたり 、 また まっ白 な 頭 や 首 に ぶっつかる 。 
さあ 、 オツベル は 命懸け だ 。 パイプ を 右手 に もち 直し 、 度胸 を 据え て 斯 う 云っ た 。 
「 どう だい 、 此処 は 面白い かい 。 」 
「 面白い ねえ 。 」 象 が からだ を 斜め に し て 、 眼 を 細く し て 返事 し た 。 
「 ず うっ と こっち に 居 たら どう だい 。 」 
百姓 ども は はっ として 、 息 を 殺し て 象 を 見 た 。 オツベル は 云っ て しまっ て から 、 にわかに がたがた 顫 え 出す 。 ところが 象 は けろりと し て 
「 居 て も いい よ 。 」 と 答え た もん だ 。 
「 そう か 。 それでは そう しよ う 。 そういう こと に しよ う じゃ ない か 。 」 オツベル が 顔 を くしゃくしゃ に し て 、 まっ 赤 に なっ て 悦び ながら そう 云っ た 。 
どう だ 、 そうして この 象 は 、 もう オツベル の 財産 だ 。 いま に 見 た まえ 、 オツベル は 、 あの 白 象 を 、 はたらかせる か 、 サーカス 団 に 売りとばす か 、 どっち に し て も 万 円 以上 も うける ぜ 。 
第 二 日曜 
オツベル とき たら 大した もん だ 。 それに この 前 稲 扱小屋 で 、 うまく 自分 の もの に し た 、 象 も じっさい 大した もん だ 。 力 も 二 十 馬力 も ある 。 第 一 みかけ が まっ白 で 、 牙 は ぜんたい きれい な 象牙 で でき て いる 。 皮 も 全体 、 立派 で 丈夫 な 象 皮 な の だ 。 そして ずいぶん はたらく もん だ 。 けれども そんなに 稼ぐ の も 、 やっぱり 主人 が 偉い の だ 。 
「 おい 、 お前 は 時計 は 要ら ない か 。 」 丸太 で 建て た その 象 小屋 の 前 に 来 て 、 オツベル は 琥珀 の パイプ を くわえ 、 顔 を しかめ て 斯 う 訊い た 。 
「 ぼく は 時計 は 要ら ない よ 。 」 象 が わらっ て 返事 し た 。 
「 まあ 持っ て 見ろ 、 いい もん だ 。 」 斯 う 言い ながら オツベル は 、 ブリキ で こさえ た 大きな 時計 を 、 象 の 首 から ぶらさげ た 。 
「 なかなか いい ね 。 」 象 も 云う 。 
「 鎖 も なく ちゃ だめ だろ う 。 」 オツベル とき たら 、 百 キロ も ある 鎖 を さ 、 その 前肢 に くっつけ た 。 
「 うん 、 なかなか 鎖 は いい ね 。 」 三 あし 歩い て 象 が いう 。 
「 靴 を はい たら どう だろ う 。 」 
「 ぼく は 靴 など はかない よ 。 」 
「 まあ は い て みろ 、 いい もん だ 。 」 オツベル は 顔 を しかめ ながら 、 赤い 張子 の 大きな 靴 を 、 象 の うし ろ の かかと に はめ た 。 
「 なかなか いい ね 。 」 象 も 云う 。 
「 靴 に 飾り を つけ なく ちゃ 。 」 オツベル は もう 大急ぎ で 、 四 百 キロ ある 分銅 を 靴 の 上 から 、 穿 め 込ん だ 。 
「 うん 、 なかなか いい ね 。 」 象 は 二 あし 歩い て み て 、 さも うれし そう に そう 云っ た 。 
次 の 日 、 ブリキ の 大きな 時計 と 、 やくざ な 紙 の 靴 と は やぶけ 、 象 は 鎖 と 分銅 だけ で 、 大 よろこび であるい て 居っ た 。 
「 済まない が 税金 も 高い から 、 今日 は すこ う し 、 川 から 水 を 汲ん で くれ 。 」 オツベル は 両手 を うし ろ で 組ん で 、 顔 を しかめ て 象 に 云う 。 
「 ああ 、 ぼく 水 を 汲ん で 来よ う 。 もう 何 ばい でも 汲ん で やる よ 。 」 
象 は 眼 を 細く し て よろこん で 、 その ひる すぎ に 五 十 だけ 、 川 から 水 を 汲ん で 来 た 。 そして 菜っ葉 の 畑 に かけ た 。 
夕方 象 は 小屋 に 居 て 、 十 把 の 藁 を たべ ながら 、 西 の 三 日 の 月 を 見 て 、 
「 ああ 、 稼ぐ の は 愉快 だ ねえ 、 さっぱり する ねえ 」 と 云っ て い た 。 
「 済まない が 税金 が また あがる 。 今日 は 少 うし 森 から 、 た きぎ を 運ん で くれ 」 オツベル は 房 の つい た 赤い 帽子 を かぶり 、 両手 を かくし に つっ込ん で 、 次 の 日 象 に そう 言っ た 。 
「 ああ 、 ぼく た きぎ を 持っ て 来よ う 。 いい 天気 だ ねえ 。 ぼく は ぜんたい 森 へ 行く の は 大 すき な ん だ 」 象 は わらっ て こう 言っ た 。 
オツベル は 少し ぎょっと し て 、 パイプ を 手 から あぶなく 落とし そう に し た が もう あの とき は 、 象 が いかにも 愉快 な ふう で 、 ゆっくり あるき だし た ので 、 また 安心 し て パイプ を くわえ 、 小さな 咳 を 一つ し て 、 百姓 ども の 仕事 の 方 を 見 に 行っ た 。 
その ひる すぎ の 半日 に 、 象 は 九 百 把 た きぎ を 運び 、 眼 を 細く し て よろこん だ 。 
晩方 象 は 小屋 に 居 て 、 八 把 の 藁 を たべ ながら 、 西 の 四 日 の 月 を 見 て 
「 ああ 、 せいせい し た 。 サンタマリア 」 と 斯 う ひとり ごと し た そう だ 。 
その 次 の 日 だ 、 
「 済まない が 、 税金 が 五 倍 に なっ た 、 今日 は 少 うし 鍛冶 場 へ 行っ て 、 炭火 を 吹い て くれ ない か 」 
「 ああ 、 吹い て やろ う 。 本気 で やっ たら 、 ぼく 、 もう 、 息 で 、 石 も なげとばせる よ 」 
オツベル は また ど きっと し た が 、 気 を 落ち 付け て わらっ て い た 。 
象 は のそのそ 鍛冶 場 へ 行っ て 、 べた ん と 肢 を 折っ て 座り 、 ふい ご の 代り に 半日 炭 を 吹い た の だ 。 
その 晩 、 象 は 象 小屋 で 、 七 把 の 藁 を たべ ながら 、 空 の 五 日 の 月 を 見 て 
「 ああ 、 つかれ た な 、 うれしい な 、 サンタマリア 」 と 斯 う 言っ た 。 
どう だ 、 そうして 次 の 日 から 、 象 は 朝 から かせぐ の だ 。 藁 も 昨日 は ただ 五 把 だ 。 よく まあ 、 五 把 の 藁 など で 、 あんな 力 が でる もん だ 。 
じっさい 象 は けいざい だ よ 。 それ という の も オツベル が 、 頭 が よく て えらい ため だ 。 オツベル とき たら 大した もん さ 。 
第 五 日曜 
オツベル か ね 、 その オツベル は 、 おれ も 云お う として たん だ が 、 居 なく なっ た よ 。 
まあ 落ちつい て きき たまえ 。 前 に はなし た あの 象 を 、 オツベル は すこし ひどく し 過ぎ た 。 しかた が だんだん ひどく なっ た から 、 象 が なかなか 笑わ なく なっ た 。 時には 赤い 竜 の 眼 を し て 、 じっと こんなに オツベル を 見おろす よう に なっ て き た 。 
ある 晩 象 は 象 小屋 で 、 三 把 の 藁 を たべ ながら 、 十 日 の 月 を 仰ぎ 見 て 、 
「 苦しい です 。 サンタマリア 。 」 と 云っ た という こと だ 。 
こいつ を 聞い た オツベル は 、 こと ごと 象 に つらく し た 。 
ある 晩 、 象 は 象 小屋 で 、 ふらふら 倒れ て 地べた に 座り 、 藁 も たべ ず に 、 十 一 日 の 月 を 見 て 、 
「 もう 、 さようなら 、 サンタマリア 。 」 と 斯 う 言っ た 。 
「 おや 、 何 だって ？ 　 さよなら だ ？ 」 月 が 俄 か に 象 に 訊く 。 
「 ええ 、 さよなら です 。 サンタマリア 。 」 
「 何だ い 、 なり ばかり 大きく て 、 からっきし 意気地 の ない やつ だ なあ 。 仲間 へ 手紙 を 書い たら いい や 。 」 月 が わらっ て 斯 う 云っ た 。 
「 お 筆 も 紙 も あり ませ ん よう 。 」 象 は 細 うい きれい な 声 で 、 しくしく しくしく 泣き 出し た 。 
「 そら 、 これ でしょ う 。 」 すぐ 眼 の 前 で 、 可愛い 子ども の 声 が し た 。 象 が 頭 を 上げ て 見る と 、 赤い 着物 の 童子 が 立っ て 、 硯 と 紙 を 捧げ て い た 。 象 は 早速 手紙 を 書い た 。 
「 ぼく は ずいぶん 眼 に あっ て いる 。 みんな で 出 て 来 て 助け て くれ 。 」 
童子 は すぐ に 手紙 を もっ て 、 林 の 方 へ あるい て 行っ た 。 
赤 衣 の 童子 が 、 そうして 山 に 着い た の は 、 ちょうど ひる めし ごろ だっ た 。 この とき 山 の 象 ども は 、 沙羅 樹 の 下 の くら がり で 、 碁 など を やっ て い た の だ が 、 額 を あつめ て これ を 見 た 。 
「 ぼく は ずいぶん 眼 に あっ て いる 。 みんな で 出 て き て 助け て くれ 。 」 
象 は 一 せい に 立ちあがり 、 まっ黒 に なっ て 吠え だし た 。 
「 オツベル を やっつけよ う 」 議長 の 象 が 高く 叫ぶ と 、 
「 おう 、 でかけよ う 。 グララアガア 、 グララアガア 。 」 みんな が いちどに 呼応 する 。 
さあ 、 もう みんな 、 嵐 の よう に 林 の 中 を なき ぬけ て 、 グララアガア 、 グララアガア 、 野原 の 方 へ とん で 行く 。 ど いつも みんな き ちがい だ 。 小さな 木 など は 根こぎ に なり 、 藪 や 何 か も めちゃめちゃ だ 。 グワア 　 グワア 　 グワア 　 グワア 、 花火 みたい に 野原 の 中 へ 飛び出し た 。 それから 、 何 の 、 走っ て 、 走っ て 、 とうとう 向う の 青く かすん だ 野原 の はて に 、 オツベル の 邸 の 黄いろ な 屋根 を 見 附ける と 、 象 は いちどに 噴火 し た 。 
グララアガア 、 グララアガア 。 その 時 は ちょうど 一 時半 、 オツベル は 皮 の 寝台 の 上 で ひる ね の さかり で 、 烏 の 夢 を 見 て い た もん だ 。 あまり 大きな 音 な ので 、 オツベル の 家 の 百姓 ども が 、 門 から 少し 外 へ 出 て 、 小手 を かざし て 向う を 見 た 。 林 の よう な 象 だろ う 。 汽車 より 早く やってくる 。 さあ 、 まるっきり 、 血の気 も 失せ て かけ込ん で 、 
「 旦那 あ 、 象 です 。 押し寄せ やし た 。 旦那 あ 、 象 です 。 」 と 声 を かぎり に 叫ん だ もん だ 。 
ところが オツベル は やっぱり えらい 。 眼 を ぱっちり と あい た とき は 、 もう 何もかも わかっ て い た 。 
「 おい 、 象 の やつ は 小屋 に いる の か 。 居る ？ 　 居る ？ 　 居る の か 。 よし 、 戸 を しめろ 。 戸 を しめる ん だ よ 。 早く 象 小屋 の 戸 を しめる ん だ 。 ようし 、 早く 丸太 を 持っ て 来い 。 とじこめ ちまえ 、 畜生 め じたばた し や がる な 、 丸太 を そこ へ しばりつけろ 。 何 が できる もん か 。 わざと 力 を 減らし て ある ん だ 。 ようし 、 もう 五 六 本 持っ て 来い 。 さあ 、 大丈夫 だ 。 大丈夫 だ と も 。 あわてる なっ たら 。 おい 、 みんな 、 こんど は 門 だ 。 門 を しめろ 。 かんぬき を かえ 。 つっぱり 。 つっぱり 。 そう だ 。 おい 、 みんな 心配 する なっ たら 。 しっかり しろ よ 。 」 オツベル は もう 支度 が でき て 、 ラッパ みたい な いい 声 で 、 百姓 ども を はげ まし た 。 ところが どうして 、 百姓 ども は 気 が 気 じゃ ない 。 こんな 主人 に 巻き 添い なんぞ 食い たく ない から 、 みんな タオル や はん けち や 、 よごれ た よう な 白い よう な もの を 、 ぐるぐる 腕 に 巻き つける 。 降参 を する しるし な の だ 。 
オツベル は いよいよ やっ き と なっ て 、 そこら あたり を かけまわる 。 オツベル の 犬 も 気 が 立っ て 、 火 の つく よう に 吠え ながら 、 や しき の 中 を はせまわる 。 
間もなく 地面 は ぐらぐら と ゆら れ 、 そこら は ば し ゃばしゃくらくなり 、 象 は や しき を とりまい た 。 グララアガア 、 グララアガア 、 その 恐ろしい さわぎ の 中 から 、 
「 今 助ける から 安心 しろ よ 。 」 やさしい 声 も きこえ て くる 。 
「 ありがとう 。 よく 来 て くれ て 、 ほんとに 僕 は うれしい よ 。 」 象 小屋 から も 声 が する 。 さあ 、 そう する と 、 まわり の 象 は 、 一 そう ひどく 、 グララアガア 、 グララアガア 、 塀 の まわり を ぐるぐる 走っ て いる らしく 、 度々 中 から 、 怒っ て ふりまわす 鼻 も 見える 。 けれども 塀 は セメント で 、 中 に は 鉄 も 入っ て いる から 、 なかなか 象 も こわせ ない 。 塀 の 中 に は オツベル が 、 たった 一 人 で 叫ん で いる 。 百姓 ども は 眼 も くらみ 、 そこら を うろうろ する だけ だ 。 そのうち 外 の 象 ども は 、 仲間 の からだ を 台 に し て 、 いよいよ 塀 を 越し かかる 。 だんだん に ゅうと 顔 を 出す 。 その 皺くちゃ で 灰 いろ の 、 大きな 顔 を 見 あげ た とき 、 オツベル の 犬 は 気絶 し た 。 さあ 、 オツベル は 射ち だし た 。 六 連発 の ピストル さ 。 ドーン 、 グララアガア 、 ドーン 、 グララアガア 、 ドーン 、 グララアガア 、 ところが 弾丸 は 通ら ない 。 牙 に あたれ ば はねかえる 。 一疋 なぞ は 斯 う 言っ た 。 
「 なかなか こいつ は うるさい ねえ 。 ぱちぱち 顔 へ あたる ん だ 。 」 
オツベル は いつか どこ か で 、 こんな 文句 を きい た よう だ と 思い ながら 、 ケース を 帯 から つめかえ た 。 そのうち 、 象 の 片 脚 が 、 塀 から こっち へ はみ出し た 。 それ から も 一つ はみ出し た 。 五 匹 の 象 が 一 ぺん に 、 塀 から どっと 落ち て 来 た 。 オツベル は ケース を 握っ た まま 、 もう くしゃくしゃ に 潰れ て い た 。 早く も 門 が あい て い て 、 グララアガア 、 グララアガア 、 象 が どしどし なだれ込む 。 
「 牢 は どこ だ 。 」 みんな は 小屋 に 押し寄せる 。 丸太 なんぞ は 、 マッチ の よう に へし折ら れ 、 あの 白 象 は 大 へん 瘠せ て 小屋 を 出 た 。 
「 まあ 、 よかっ た ね やせ た ねえ 。 」 みんな は しずか に そば により 、 鎖 と 銅 を はずし て やっ た 。 
「 ああ 、 ありがとう 。 ほんとに ぼく は 助かっ た よ 。 」 白 象 は さびしく わらっ て そう 云っ た 。 
おや 、 川 へ はいっ ちゃ いけ な いっ たら 。 
ある とき 、 三 十 疋 の あま が える が 、 一緒 に 面白く 仕事 を やっ て 居り まし た 。 
これ は 主 に 虫 仲間 から たのま れ て 、 紫蘇 の 実 や けし の 実 を ひろっ て 来 て 花 ば たけ を こしらえ たり 、 かたち の いい 石 や 苔 を 集め て 来 て 立派 な お 庭 を つくっ たり する 職業 でし た 。 
こんな よう に し て 出来 た きれい な お 庭 を 、 私 ども は たびたび 、 あちこち で 見 ます 。 それ は 畑 の 豆 の 木の下 や 、 林 の 楢 の 木の根 もと や 、 又 雨垂れ の 石 の かげ など に 、 それ は それ は 上手 に 可愛らしく つくっ て ある の です 。 
さて 三 十 疋 は 、 毎日 大 へん 面白く やっ て い まし た 。 朝 は 、 黄金 色 の お 日 さま の 光 が 、 とうもろこし の 影法師 を 二 千 六 百 寸 も 遠く へ 投げ出す ころ から さっぱり し た 空気 を すぱすぱ 吸っ て 働き 出し 、 夕方 は 、 お 日 さま の 光 が 木 や 草 の 緑 を 飴色 に うきうき さ せる まで 歌っ たり 笑っ たり 叫ん だり し て 仕事 を し まし た 。 殊に あらし の 次 の 日 など は 、 あっち から も こっち から も どうか 早く 来 て お 庭 を かくし て しまっ た 板 を 起し て 下さい とか 、 うち の す ぎごけの 木 が 倒れ まし た から 大 いそぎ で 五 六 人 来 て み て 下さい とか 、 それ は それ は いそがしい の でし た 。 いそがしけれ ば いそがしい ほど 、 みんな は 自分 たち が 立派 な 人 に なっ た よう な 気 が し て 、 もう 大 よろこび でし た 。 さあ 、 それ 、 しっかり ひっぱれ 、 いい か 、 よい と こしょ 、 おい 、 ブチュコ 、 縄 が たるむ よ 、 いい とも 、 そら ひっぱれ 、 おい 、 おい 、 ビキコ 、 そこ を はなせ 、 縄 を 結ん で 呉れ 、 よう いや さ 、 そら もう 一 いき 、 よお いやしゃ 、 なんて まあ こんな 工合 です 。 
ところが ある 日 三 十 疋 の あま が える が 、 蟻 の 公園 地 を すっかり 仕上げ て 、 みんな よろこん で 一 まず 本部 へ 引きあげる 途中 で 、 一 本 の 桃 の 木の下 を 通り ます と 、 そこ へ 新 らしい 店 が 一 軒 出 て い まし た 。 そして 看板 が かかっ て 、 
「 舶来 ウェスキイ 　 一杯 、 二 厘 半 。 」 と 書い て あり まし た 。 
あま が える は 珍 らしい もの です から 、 ぞろぞろ 店 の 中 へ はいっ て 行き まし た 。 すると 店 に は うすぐろい と の さま が える が 、 のっそり と すわっ て 退く つ そう に ひとり で べろべろ 舌 を 出し て 遊ん で い まし た が 、 みんな の 来 た の を 見 て 途方 も ない いい 声 で 云い まし た 。 
「 へ い 、 いらっしゃい 。 みなさん 。 一寸 おやすみなさい 。 」 
「 なん です か 。 舶来 の ウェクー という もの が ある そう です ね 。 どんな もん です か 。 ためし に 一杯 呑ま せ て 下さい ませ ん か 。 」 
「 へ い 、 舶来 の ウェスキイ です か 。 一杯 二 厘 半 です よ 。 よう ござん すか 。 」 
「 ええ 、 よ ご ざんす 。 」 
と の さま が える は 粟 つぶ を くり抜い た コップ に その 強い お 酒 を 汲ん で 出し まし た 。 
「 ウーイ 。 これ は どうも ひどい もん だ 。 腹 が やける よう だ 。 ウーイ 。 おい 、 みんな 、 これ は き たい な もん だ よ 。 咽喉 へ はいる と 急 に 熱く なる ん だ 。 ああ 、 いい 気分 だ 。 もう 一 杯 下さい ませ ん か 。 」 
「 はい はい 。 こちら が 一 ぺん すんで から さしあげ ます 。 」 
「 こっち へ も 早く 下さい 。 」 
「 はい はい 。 お 声 の 順 に さしあげ ます 。 さあ 、 これ は あなた 。 」 
「 いや ありがとう 、 ウーイ 。 ウフッ 、 ウウ 、 どうも うまい もん だ 。 」 
「 こっち へ も 早く 下さい 。 」 
「 はい 、 これ は あなた です 。 」 
「 ウウイ 。 」 
「 おい もう 一杯 お 呉れ 。 」 
「 こっち へ 早く よ 。 」 
「 もう 一 杯 早く 。 」 
「 へ い 、 へい 。 どうぞ お 急き に なら ない で 下さい 。 折角 、 はかっ た の が こぼれ ます から 。 へい と 、 これ は あなた 。 」 
「 いや 、 ありがとう 、 ウーイ 、 ケホン 、 ケホン 、 ウーイ うまい ね 。 どうも 。 」 
さて こんな 工合 で 、 あま が える は お代り お代り で 、 沢山 お 酒 を 呑み まし た が 、 呑め ば 呑む ほど もっと 呑み たく なり ます 。 
もっとも 、 と の さま が える の ウィスキー は 、 石油 缶 に 一ぱい あり まし た から 、 粟 つぶ を くりぬい た コップ で 一 万 べ ん はかっ て も 、 一 分 も へり は し ませ ん でし た 。 
「 おい もう 一杯 おくれ 。 」 
「 も 一杯 お 呉れ っ たら よう 。 早く よう 。 」 
「 さあ 、 早く お 呉れよ う 。 」 
「 へいへい 。 あなた さま は もう 三 百 二 杯 目 で ござい ます が よろしゅう ござい ます か 。 」 
「 い いよ う 。 お 呉れ っ たら お 呉れよ う 。 」 
「 へいへい 。 よけれ ば さし 上げ ます 。 さあ 、 」 
「 ウーイ 、 うまい 。 」 
「 おい 、 早く こっち へ も お 呉れ 。 」 
その うち に あま が える は 、 だんだん 酔 が まわっ て 来 て 、 あっち でも こっち でも 、 キーイキーイ と いびき を かい て 寝 て しまい まし た 。 
と の さま が える は そこ で にやりと 笑っ て 、 いそい で すっかり 店 を しめ て 、 お 酒 の 石油 缶 に は きちんと 蓋 を し て しまい まし た 。 それから 戸棚 から くさり かたびら を 出し て 、 頭 から 顔 から 足 の さき まで ちゃんと 着込ん で しまい まし た 。 
それから テーブル と 椅子 を もっ て 来 て 、 きちんと すわり込み まし た 。 あま が える は みんな 、 キーイキーイ と いびき を かい て い ます 。 と の さま が える は そこ で 小さな こしかけ を 一つ 持っ て 来 て 、 自分 の 椅子 の 向う側 に 置き まし た 。 
それから 棚 から 鉄 の 棒 を おろし て 来 て 椅子 へ どっかり 座っ て 一 ばん はじ の あま が える の 緑色 の あ たま を こ つんと たたき まし た 。 
「 おい 。 起き な 。 勘定 を 払う ん だ よ 。 さあ 。 」 
「 キーイ 、 キーイ 、 クヮア 、 あ 、 痛い 、 誰 だい 。 ひと の 頭 を 撲る やつ は 。 」 
「 勘定 を 払い な 。 」 
「 あっ 、 そう そう 。 勘定 は いくら に なっ て い ます か 。 」 
「 お前 の は 三 百 四 十 二 杯 で 、 八 十 五 銭 五 厘 だ 。 どう だ 。 払える か 。 」 
あま が える は 財布 を 出し て 見 まし た が 、 三 銭 二 厘 しか あり ませ ん 。 
「 何 だい 。 おまえ は 三 銭 二 厘 しか ない の か 。 呆れ た やつ だ 。 さあ どう する ん だ 。 警察 へ 届ける よ 。 」 
「 許し て 下さい 。 許し て 下さい 。 」 
「 いい や 、 いかん 。 さあ 払え 。 」 
「 ない ん です よ 。 許し て 下さい 。 その かわり あなた の けら い に なり ます から 。 」 
「 そう か 。 よかろ う 。 それ じゃ お前 は おれ の けら い だ ぞ 。 」 
「 へい 。 仕方 あり ませ ん 。 」 
「 よし 、 この 中 に はいれ 。 」 
と の さま が える は 次 の 室 の 戸 を 開い て その 閉口 し た あま が える を 押し込ん で 、 戸 を ぴたんとしめました 。 そして にやりと 笑っ て 、 又 どっしり と 椅子 へ 座り まし た 。 それから 例 の 鉄 の 棒 を 持ち直し て 、 二 番目 の あま 蛙 の 緑 青い ろ の 頭 を こ つんと たたい て 云い まし た 。 
「 おいおい 。 起きる ん だ よ 。 勘定 だ 勘定 だ 。 」 
「 キーイ 、 キーイ 、 クワ ァ 、 う うい 。 もう 一杯 お 呉れ 。 」 
「 何 を ねぼけ て ん だ よ 。 起きる ん だ よ 。 目 を さます ん だ よ 。 勘定 だ よ 。 」 
「 う うい 、 ああ あっ 。 う うい 。 何 だい 。 なぜ ひと の 頭 を たたく ん だい 。 」 
「 いつ まで ねぼけ て ん だ よ 。 勘定 を 払え 。 勘定 を 。 」 
「 あっ 、 そう そう 。 そう でし た ね 。 いくら に なり ます か 。 」 
「 お前 の は 六 百 杯 で 、 一 円 五 十 銭 だ よ 。 どう だい 、 それ 位 ある かい 。 」 
あま が える は すきとおる 位 青く なっ て 、 財布 を ひっくりかえし て 見 まし た が 、 たった 一 銭 二 厘 しか あり ませ ん でし た 。 
「 ある 位 みんな 出し ます から どうか これ だけ に 負け て 下さい 。 」 
「 うん 、 一 円 二 十 銭 も ある かい 。 おや 、 これ は たった 一 銭 二 厘 じゃ ない か 。 あんまり 人 を ばか に する ん じゃ ない ぞ 。 勘定 の 百 分の 一 に 負けろ と は よくも 云え た もん だ 。 外国 の ことば で 云え ば 、 一 パーセント に 負け て 呉れ と 云う ん だろ う 。 人 を 馬鹿 に する な よ 。 さあ 払え 。 早く 払え 。 」 
「 だって 無い ん だ もの 。 」 
「 なき ゃおれのけらいになれ 。 」 
「 仕方 ない 。 そい じゃ そう し て 下さい 。 」 
「 さあ 、 こっち へ 来い 。 」 と の さま が える は あま が える を 又 次 の 室 に 追い込み まし た 。 それから 又 どっかり と 椅子 へ かけよ う と し まし た が 何 か 考えつい た らしく 、 いきなり キー キー いびき を かい て いる あま が える の 方 へ 進ん で 行っ て 、 かたっぱし から みんな の 財布 を 引っぱり 出し て 中 を 改め まし た 。 どの 財布 も みんな 三 銭 より 下 でし た 。 ただ 一つ 、 いかにも 大きく ふくれ た の が あり まし た が 、 開い て 見る と 、 お金 が 一 つぶ も 入っ て い ない で 、 椿 の 葉 が 小さく 折っ て 入れ て ある だけ でし た 。 と の さま が える は 、 よろこん で 、 にこにこ にこにこ 笑っ て 、 棒 を 取り直し 、 片っぱし から あま が える の 緑色 の 頭 を ポンポン ポンポン たたきつけ まし た 。 さあ 、 大 へん 、 みんな 、 
「 あ 痛 っ 、 あ 痛 っ 。 誰 だい 。 」 なんて 云い ながら 目 を さまし て 、 しばらく きょろきょろ きょろきょろ し て い まし た が 、 いよいよ それ が 酒屋 の おやじ の と の さま が える の 仕業 だ と わかる と 、 もう みな 一 ぺん に 、 
「 何 だい 。 おやじ 。 よくも ひと を なぐっ た な 。 」 と 云い ながら 、 四方八方 から 、 飛びかかり まし た が 、 何分 と の さま が える は 三 十 が える 力 ある の です し 、 くさり かたびら は 着 て い ます し 、 それ に あま が える は みんな 舶来 ウェスキー で ひょろひょろ し て ます から 、 片っぱし から ストンストン と 投げつけ られ まし た 。 おしまい に は と の さま が える は 、 十 一疋 の あま が える を 、 もじゃもじゃ 堅め て 、 ぺちゃんと 投げつけ まし た 。 あま が える は すっかり 恐れ入っ て 、 ふるえ て 、 すきとおる 位 青く なっ て 、 その 辺 に 平伏 いたし まし た 。 そこで と の さま が える が おごそか に 云い まし た 。 
「 お前 たち は わし の 酒 を 呑ん だ 。 どの 勘定 も 八 十 銭 より 下 の は ない 。 ところが お前 ら は 五 銭 より 多く 持っ て いる やつ は 一 人 も ない 。 どう じゃ 。 誰 か ある か 。 無かろ う 。 うん 。 」 
あま が える は 一同 ふう ふう と 息 を つい て 顔 を 見合せる ばかり です 。 と の さま が える は 得意 に なっ て 又 はじめ まし た 。 
「 どう じゃ 。 無かろ う 。 ある か 。 無かろ う 。 そこで お前 たち の 仲間 は 、 前 に 二 人 お金 を 払う かわり に 、 おれ の けら い に なる という 約束 を し た が お前 たち は どう じゃ 。 」 この 時 です 、 みなさん も ご存じ の 通り 向う の 室 の 中 の 二 疋 が 戸 の すき ま から 目 だけ 出し て キー と 低く 鳴い た の は 。 
みんな は 顔 を 見合せ まし た 。 
「 どうも 仕方 ない 。 そう しよ う か 。 」 
「 そう お願い しよ う 。 」 
「 どう か そう お願い いたし ます 。 」 
どう です 。 あま が える なんと いう もの は 人 の いい もの です から す ぐとのさまがえるのけらいになりました 。 そこで と の さま が える は 、 うし ろ の 戸 を あけ て 、 前 の 二 人 を 引っぱり 出し まし た 。 そして 一同 へ おごそか に 云い まし た 。 
「 いい か 。 この 団体 は カイロ 団 という こと に しよ う 。 わし は カイロ 団長 じゃ 。 あした から は みんな 、 おれ の 命令 に したがう ん だ ぞ 。 いい か 。 」 
「 仕方 あり ませ ん 。 」 と みんな は 答え まし た 。 する と 、 と の さま が える は 立ちあがっ て 、 家 を ぐるっと 一 まわし まわし まし た 。 すると 酒屋 は たちまち カイロ 団長 の 本宅 に かわり まし た 。 つまり 前 に は 四角 だっ た の が 今度 は 六角形 の 家 に なっ た の です な 。 
さて 、 その 日 は 暮れ て 、 次 の 日 に なり まし た 。 お 日 さま の 黄金 色 の 光 は 、 うし ろ の 桃 の 木 の 影法師 を 三 千 寸 も 遠く まで 投げ出し 、 空 は まっ青 に ひかり まし た が 、 誰 も カイロ 団 に 仕事 を 頼み に 来 ませ ん でし た 。 そこで と の さま が える は みんな を 集め て 云い まし た 。 
「 さっぱり 誰 も 仕事 を 頼み に 来ん な 。 どうも こう 仕事 が なく ちゃ 、 お前 たち を 養っ て おい て も 仕方 ない 。 俺 も とうとう 飛ん だ こと に なっ た よ 。 それ に つけ て も 仕事 の ない 時 に 、 いそがしい 時 の 仕度 を し て 置く こと が 、 最 必要 だ 。 つまり その 仕事 の 材料 を 、 こんな 時 に 集め て 置か ない と いか ん な 。 ついては まず 第 一 が 木 だ が な 。 今日 は みんな 出 て 行っ て 立派 な 木 を 十 本 だけ 、 十 本 じゃ すく ない 、 ええ と 、 百 本 、 百 本 でも すく ない な 、 千本 だけ 集め て 来い 。 もし 千 本 集まら なかっ たら すぐ 警察 へ 訴える ぞ 。 貴様 ら は みんな 死刑 に なる ぞ 。 その 太い 首 を スポン と 切ら れる ぞ 。 首 が 太い から スポン と は いか ない 、 シュッポォン と 切ら れる ぞ 。 」 
あま が える ども は 緑色 の 手足 を ぶるぶる ぶる っと けいれん さ せ まし た 。 そして こそこそ こそこそ 、 逃げる よう に お もて に 出 て ひとり が 三 十 三 本 三 分 三 厘 強 ずつ という 見当 で 、 一生けん命 いい 木 を さがし まし た が 、 大体 もう 前々 から さがす 位 さ が し て しまっ て い た の です から 、 いくら そこら を みんな が ひょいひょい かけまわっ て も 、 夕方 まで に たった 九 本 しか 見つかり ませ ん でし た 。 さあ 、 あま が える は みんな 泣き顔 に なっ て 、 うろうろ うろうろ やり まし た が ますます どうも いけ ませ ん 。 そこ へ 丁度 一 ぴき の 蟻 が 通りかかり まし た 。 そして みんな が 飴色 の 夕日 に まっ青 に すきとおっ て 泣い て いる の を 見 て 驚い て たずね まし た 。 
「 あま が える さん 。 昨日 は どうも ありがとう 。 一体 どう し た の です か 。 」 
「 今日 は 木 を 千本 、 と の さま が える に 持っ て いか ない と いけ ない の です 。 まだ 九 本 しか 見つかり ませ ん 。 」 
蟻 は これ を 聞い て 「 ケッケッケッケ 」 と 大笑い に 笑い はじめ まし た 。 それから 申し まし た 。 
「 千 本 持っ て 来い という の なら 、 千 本 持っ て 行っ たら いい じゃ あり ませ ん か 。 そら 、 そこ に ある その け むりのようなかびの 木 など は 、 一 つかみ 五 百 本 に も なる じゃ あり ませ ん か 。 」 
なる ほど と みんな は よろこん で その け むりのようなかびの 木 を 一 人 が 三 十 三 本 三 分 三 厘 ずつ 取っ て 、 蟻 に お礼 を 云っ て 、 カイロ 団長 の ところ へ 帰っ て 来 まし た 。 すると 団長 は 大 機嫌 です 。 
「 ふん ふん 。 よし 、 よし 。 さあ 、 みんな 舶来 ウィスキー を 一 杯 ずつ 飲ん で やすむ ん だ よ 。 」 
そこで みんな は 粟 つぶ の コップ で 舶来 ウィスキー を 一 杯 ずつ 呑ん で 、 くらくら 、 キーイキーイ と 、 ねむっ て しまい まし た 。 
次 の 朝 また お 日 さま が お のぼり に なり ます と 、 と の さま が える は 云い まし た 。 
「 おい 、 みんな 。 集れ 。 今日 も どこ から も 仕事 を たのみ に 来 ない 。 いい か 、 今日 は な 、 あちこち 花畑 へ 出 て 行っ て 花 の 種 を ひろっ て 来る ん だ 。 一 人 が 百 つぶ ずつ 、 いや 百 つぶ で は すくない 。 千 つぶ ずつ 、 いや 、 千 つぶ も こんな 日 の 長い 時 に あんまり 少い 。 万 粒 ずつ が いい か な 。 万 粒 ずつ ひろっ て 来い 。 いい か 、 もし 、 来 なかっ たら すぐ お前 ら を 巡査 に 渡す ぞ 。 巡査 は 首 を シュッポン と 切る ぞ 。 」 
あま が える ども は みんな 、 お 日 さま に まっさお に すきとおり ながら 、 花畑 の 方 へ 参り まし た 。 ところが 丁度 幸 に 花 の たね は 雨 の よう に こぼれ て い まし た し 蜂 も ぶんぶん 鳴い て い まし た ので あま が える は みんな しゃがん で 一生けん命 ひろい まし た 。 ひろい ながら こんな こと を 云っ て い まし た 。 
「 おい 、 ビチュコ 。 一 万 つぶ ひろえ そう かい 。 」 
「 いそ が ない と だめ そう だ よ 、 まだ 三 百 つぶ に しか なら ない ん だ もの 。 」 
「 さっき 団長 が 百 粒 って はじめ に 云っ た ね い 。 百 つぶ なら よかっ た ね い 。 」 
「 うん 。 その 次に 千 つぶっ て 云っ た ね い 。 千 つぶ で も よかっ た ね い 。 」 
「 ほんとう に ねい 。 おいら 、 お 酒 を なぜ あんなに の ん だろ う なあ 。 」 
「 おいら も そいつ を 考え て いる ん だ よ 。 どうも 一ぱい 目 と 二 杯 目 、 二 杯 目 と 三 杯 目 、 みんな 順ぐり に 糸 か 何 か つい て い た よ 。 三 百 五 十 杯 つながっ て 居 た と おいら 今 考え てる ん だ 。 」 
「 全く だ よ 。 おっ と 、 急が ない と 大 へ ん だ 。 」 
「 そう そう 。 」 
さて 、 みんな は ひろっ て ひろっ て ひろっ て 、 夕方 まで に やっと 一 万 つぶ ずつ あつめ て 、 カイロ 団長 の ところ へ 帰っ て 来 まし た 。 
すると と の さま が える の カイロ 団長 は よろこん で 、 
「 うん 。 よし 。 さあ 、 みんな 舶来 ウェスキー を 一 杯 ずつ の ん で 寝る ん だ よ 。 」 と 云い まし た 。 
あま が える ども も 大 よろこび で みんな 粟 の こっ ぷで 舶来 ウィスキイ を 一 杯 ずつ 呑ん で 、 キーイキーイ と 寝 て しまい まし た 。 
次 の 朝 あま が える ども は 眼 を さまし て 見 ます と 、 もう 一 ぴき の と の さま が える が 来 て い て 、 団長 と こんな はなし を し て い まし た 。 
「 とにかく 大いに 盛ん に やら ない と いか ん ね 。 そう で ない と 笑いもの に なっ て しまう だけ だ 。 」 
「 全く だ よ 。 どう だろ う 、 一人前 九 十 円 ずつ という こと に し たら 。 」 
「 うん 。 それ 位 なら まあ よかろ う か な 。 」 
「 よかろ う よ 。 おや 、 みんな 起き た ね 、 今日 は 何 の 仕事 を さ せよ う か な 。 どうも 毎日 仕事 が なく て 困る ん だ よ 。 」 
「 うん 。 それ は 大いに 同情 する ね 。 」 
「 今日 は 石 を 運ば せ て やろ う か 。 おい 。 みんな 今日 は 石 を 一 人 で 九 十 匁 ずつ 運ん で 来い 。 いや 、 九 十 匁 じゃ あまり 少い か な 。 」 
「 うん 。 九 百 貫 という 方 が 口調 が いい ね 。 」 
「 そう だ 、 そう だ 。 どれ だけ いい か 知れ ない ね 。 おい 、 みんな 。 今日 は 石 を 一 人 につき 九 百 貫 ずつ 運ん で 来い 。 もし 来 なかっ たら 早速 警察 へ 貴様 ら を 引き渡す ぞ 。 ここ に は 裁判 の 方 の お方 も お出で に なる の だ 。 首 を シュッポオン と 切っ て しまう 位 、 実に わけ ない はなし だ 。 」 
あま が える は みな すきとおっ て まっ青 に なっ て しまい まし た 。 それ は その 筈 です 。 一 人 九 百 貫 の 石 なんて 、 人間 で さえ 出来る もん じゃ あり ませ ん 。 ところが あま が える の 目方 が 何 匁 ある か と 云っ たら 、 たかが 八 匁 か 九 匁 でしょ う 。 それ が 一 日 に 一 人 で 九 百 貫 の 石 を 運ぶ など は もう みんな 考え た だけ で めまい を 起し て クゥウ 、 クゥウ と 鳴っ て ば たり ば たり 倒れ て しまっ た こと は 全く 無理 も あり ませ ん 。 
と の さま が える は 早速 例 の 鉄 の 棒 を 持ち出し て あま が える の 頭 を コツンコツン と 叩い て まわり まし た 。 あま が える は まわり が 青く くるくる する よう に 思い ながら 仕事 に 出 て 行き まし た 。 お 日 さま さえ 、 ず うっ と 遠く の 天 の 隅 の あたり で 、 三角 に なっ て くるり くるり と うごい て いる よう に 見え た の です 。 
みんな は 石 の ある 所 に 来 まし た 。 そして てんでに 百 匁 ばかり の 石 に つ な を つけ て 、 エンヤラヤア 、 ホイ 、 エンヤラヤアホイ 。 と ひっぱり はじめ まし た 。 みんな あんまり 一生けん命 だっ た ので 、 汗 が から だ 中 チクチク チクチク 出 て 、 からだ は まるで へたへた 風 の よう に なり 、 世界 は ほとんど まっ くら に 見え まし た 。 とにかく それでも 三 十 疋 が 首尾 よく めいめい の 石 を カイロ 団長 の 家 まで 運ん だ とき は もう お ひる に なっ て い まし た 。 それに みんな は つか れ て ふらふら し て 、 目 を あい て いる こと も 立っ て いる こと も でき ませ ん でし た 。 あーあ 、 ところが 、 これから 晩 まで に もう 八 百 九 十 九 貫 九 百 匁 運ば ない と 首 を シュッポオン と 切ら れる の です 。 
カイロ 団長 は 丁度 この 時 うち の 中 で いびき を かい て 寝 て 居り まし た が やっと 目 を さまし て 、 ゆっくり と 外 へ 出 て 見 まし た 。 あま が える ども は 、 はこん で 来 た 石 に こしかけ て ため息 を つい たり 、 土 の 上 に 大の字 に なっ て 寝 たり し て い ます 。 その 影法師 は 青く 日 が すきとおっ て 地面 に 美しく 落ち て い まし た 。 団長 は 怒っ て 急い で 鉄 の 棒 を 取り に 家 の 中 に はいり ます と 、 その間 に 、 目 を さまし て い た あま が える は 、 寝 て い た もの を ゆり 起し て 、 団長 が 又 出 て 来 た とき は 、 もう みんな ちゃんと 立っ て い まし た 。 カイロ 団長 が 申し まし た 。 
「 何 だ 。 のろま ども 。 今 まで かかっ て たった これ だけ しか 運ば ない の か 。 何 という 貴様 ら は 意気地 なし だ 。 おれ など は 石 の 九 百 貫 や そこら 、 三 十 分 で 運ん で 見せる ぞ 。 」 
「 とても 私 ら に は でき ませ ん 。 私 ら は もう 死に そう な ん です 。 」 
「 えい 、 意気地 な しめ 。 早く 運べ 。 晩 まで に 出来 なかっ たら 、 みんな 警察 へ やっ て しまう ぞ 。 警察 で は シュッポン と 首 を 切る ぞ 。 ばか め 。 」 
あま が える は みんな や け 糞 に なっ て 叫び まし た 。 
「 どうか 早く 警察 へ やっ て 下さい 。 シュッポン 、 シュッポン と 聞い て いる と 何だか 面白い よう な 気 が し ます 。 」 
カイロ 団長 は 怒っ て 叫び 出し まし た 。 
「 えい 、 馬鹿 者 め 意気地 な しめ 。 
えい 、 ガーアアアアアアアアア 。 」 カイロ 団長 は 何だか 変 な 顔 を し て 口 を パタン と 閉じ まし た 。 ところが 「 ガーアアアアアアア 」 と 云う 音 は まだ つづい て い ます 。 それ は 全く カイロ 団長 の 咽喉 から 出 た の で は あり ませ ん でし た 。 かの 青空 高く ひびきわたる かたつむり の メガ ホーン の 声 でし た 。 王さま の 新 らしい 命令 の さき ぶれ でし た 。 
「 そら 、 あたらしい ご 命令 だ 。 」 と 、 あま が える もと の さま が える も 、 急い で しゃんと 立ち まし た 。 かたつむり の 吹く メガ ホーン の 声 は いとも ほ がら か に ひびきわたり まし た 。 
「 王さま の 新 らしい ご 命令 。 王さま の 新 らしい ご 命令 。 一 個条 。 ひと に 物 を 云い つける 方法 。 ひと に 物 を 云い つける 方法 。 第 一 、 ひと に もの を 云い つける とき は その いいつけ られる もの の 目方 で 自分 の からだ の 目方 を 割っ て 答 を 見つける 。 第 二 、 云い つける 仕事 に その 答 を かける 。 第 三 、 その 仕事 を 一 ぺん 自分 で 二 日間 やっ て 見る 。 以上 。 その 通り やら ない もの は 鳥 の 国 へ 引き渡す 。 」 
さあ あま が える ども は よろこん だ の なんの って 、 チェッコ という 算術 の うまい かえる など は 、 もうすぐ 暗算 を はじめ まし た 。 云い つけ られる われわれ の 目方 は 拾 匁 、 云い つける 団長 の め がた は 百 匁 、 百 匁 割る 十 匁 、 答 十 。 仕事 は 九 百 貫目 、 九 百 貫目 掛ける 十 、 答 九 千 貫目 。 
「 九 千 貫 だ よ 。 おい 。 みんな 。 」 
「 団長 さん 。 さあ これから 晩 まで に 四 千 五 百 貫目 、 石 を ひっぱっ て 下さい 。 」 
「 さあ 王様 の 命令 です 。 引っぱっ て 下さい 。 」 
今度 は 、 と の さま が える は 、 だんだん 色 が さめ て 、 飴色 に すきとおっ て 、 そして ブルブル ふるえ て 参り まし た 。 
あま が える は みんな で と の さま が える を 囲ん で 、 石 の ある 処 へ 連れ て 行き まし た 。 そして 一 貫目 ばかり ある 石 へ 、 綱 を 結びつけ て 
「 さあ 、 これ を 晩 まで に 四 千 五 百 運べ ば いい の です 。 」 と 云い ながら カイロ 団長 の 肩 に 綱 の さき を 引っかけ て やり まし た 。 団長 も やっと 覚悟 が きまっ た と 見え て 、 持っ て い た 鉄 の 棒 を 投げ すて て 、 眼 を ちゃんと きめ て 、 石 を 運ん で 行く 方角 を 見定め まし た が まだ どうも 本当に 引っぱる 気 に は なり ませ ん でし た 。 そこで あま が える は 声 を そろえ て はやし て やり まし た 。 
「 ヨウイト 、 ヨウイト 、 ヨウイト 、 ヨウイトショ 。 」 
カイロ 団長 は 、 はやし に つりこま れ て 、 五 へん ばかり 足 を テクテク ふんばっ て つ な を 引っ張り まし た が 、 石 は びく と も 動き ませ ん 。 
と の さま が える は チクチク 汗 を 流し て 、 口 を あら ん かぎり あけ て 、 フウフウ と いき を し まし た 。 全く あたり が みんな くらくら し て 、 茶色 に 見え て しまっ た の です 。 
「 ヨウイト 、 ヨウイト 、 ヨウイト 、 ヨウイトショ 。 」 
と の さま が える は 又 四 へん ばかり 足 を ふんばり まし た が 、 おしまい の 時 は 足 が キクッ と 鳴っ て くに ゃりと 曲っ て しまい まし た 。 あま が える は 思わず どっと 笑い 出し まし た 。 が どう 云う わけ か それ から 急 に しいんと なっ て しまい まし た 。 それ は それ は しいんと し て しまい まし た 。 みなさん 、 この 時 の さびしい こと と 云っ たら 私 は とても 口 で 云え ませ ん 。 みなさん は お わかり です か 。 ドッ と 一緒 に 人 を あざけり 笑っ て それ から 俄 か に しいんと なっ た 時 の この さびしい こと です 。 
ところが 丁度 その 時 、 又もや 青 ぞ ら 高く 、 かたつむり の メガ ホーン の 声 が ひびきわたり まし た 。 
「 王様 の 新 らしい ご 命令 。 王様 の 新 らしい ご 命令 。 すべて あらゆる いき もの は みんな 気 の いい 、 か あい そう な もの で ある 。 けっして 憎ん で は なら ん 。 以上 。 」 それ から 声 が 又 向う の 方 へ 行っ て 「 王様 の 新 らしい ご 命令 。 」 と ひびきわたっ て 居り ます 。 
そこで あま が える は 、 みんな 走り 寄っ て 、 と の さま が える に 水 を やっ たり 、 曲っ た 足 を なおし て やっ たり 、 とんとん せ なか を たたい たり いたし まし た 。 
と の さま が える は ホロホロ 悔悟 の なみ だ を こぼし て 、 
「 ああ 、 みなさん 、 私 が わるかっ た の です 。 私 は もう あなた 方 の 団長 で も なん でも あり ませ ん 。 私 は やっぱり ただ の 蛙 です 。 あした から 仕立 屋 を やり ます 。 」 
あま が える は 、 みんな よろこん で 、 手 を パチ パチ たたき まし た 。 
次 の 日 から 、 あま が える は もと の よう に 愉快 に やり はじめ まし た 。 
みなさん 。 あ まあ がり や 、 風 の 次 の 日 、 そう で なく て も お 天気 の いい 日 に 、 畑 の 中 や 花壇 の かげ で こんな よう な さらさら さらさら 云う 声 を 聞き ませ ん か 。 
「 おい 。 ベッコ 。 そこ ん 処 を も 少し よく ならし て 呉れ 。 いい とも さ 。 おいおい 。 ここ へ 植える の は すずめ の かたびら じゃ ない 、 すずめ の て っぽう だ よ 。 そう そう 。 どっち も すずめ な もん だ から つい 間違え て ね 。 ハッハッハ 。 よう 。 ビチュコ 。 おい 。 ビチュコ 、 そこ の 穴 うめ て 呉れ 。 いい かい 。 そら 、 投げる よ 。 ようし 来 た 。 ああ 、 しまっ た 。 さあ ひっぱっ て 呉れ 。 よいしょ 。 」 
● 入力 者 注 
１ 　 ハックニー ＝ 馬 の 種類 。 イギリス 原産 で 、 主 に 馬車 用 に 使わ れ た 。 
２ 　 顔料 ＝ 亜砒酸 を 使っ た 、 毒性 の 強い パリ グリーン （ エメラルド グリーン ） を 指す 。 
３ 　 黒 電気 石 ＝ 鉱石 の １つ 、 「 鉄 電気 石 」 を 指す 。 ただし 、 角 は 六 角 。 
４ 　 舎利 ＝ 本来 は 釈迦 の 骨 。 ここ で は 仏舎利 塔 を 指す 。 
５ 　 フラン ＝ 織物 の １つ 、 フランネル 。 
６ 　 菫 外線 ＝ 紫外線 。 
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ク という 名前 の ねずみ が あり まし た 。 たいへん 高慢 で それ に そねみ 深くっ て 、 自分 を ねずみ の 仲間 の 一番 の 学者 と 思っ て い まし た 。 ほか の ねずみ が 何 か 生意気 な こと を 言う と エヘンエヘン と 言う の が 癖 でし た 。 
ク ねずみ の うち へ 、 ある 日 、 友だち の タ ねずみ が やって来 まし た 。 
さて タ ねずみ は ク ねずみ に 言い まし た 。 
「 今日 は 、 ク さん 。 いい お天気 です 。 」 
「 いい お天気 です 。 何 か いい もの を 見つけ まし た か 。 」 
「 いいえ 。 どうも 不景気 です ね 。 どう でしょ う 。 これから の 景気 は 。 」 
「 さあ 、 あなた は どう 思い ます か 。 」 
「 そう です ね 。 しかし だんだん よく なる の じゃ ない でしょ う か 。 オウベイ の キンユウ は しだいに ヒッパク を テイ し た そう … … 。 」 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 いきなり ク ねずみ が 大きな せき ば らい を し まし た ので 、 タ ねずみ は びっくり し て 飛び あがり まし た 。 ク ねずみ は 横 を 向い た まま 、 ひ げ を 一つ ぴんと ひねっ て 、 それから 口 の 中 で 、 
「 ヘイ 、 それから 。 」 と 言い まし た 。 
タ ねずみ は やっと 安心 し て また お ひざ に 手 を 置い て すわり まし た 。 
ク ねずみ も やっと まっすぐ を 向い て 言い まし た 。 
「 先 ころ の 地震 に は おどろき まし た ね 。 」 
「 全く です 。 」 
「 あんな 大きい の は 私 も はじめて です よ 。 」 
「 ええ 、 ジョウカドウ でし た ねえ 。 シン ゲン は なん で も トウ ケイ 四 十 二 度 二 分 ナンイ … … 。 」 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 
ク ねずみ は また どなり まし た 。 
タ ねずみ は また 面くらい まし た が 、 さっき ほど で は あり ませ ん でし た 。 
ク ねずみ は やっと 気 を 直し て 言い まし た 。 
「 天気 も よく なり まし た ね 。 あなた は 何 か うまい 仕掛け を し て おき まし た か 。 」 
「 いいえ 、 なんにも し て おき ませ ん 。 しかし 、 今度 天気 が 長く つづい たら 、 私 は 少し 畑 の 方 へ 出 て みよ う と 思う ん です 。 」 
「 畑 に は 何 か いい こと が あり ます か 。 」 
「 秋 です から とにかく 何 か こぼれ て いる だろ う と 思い ます 。 天気 さえ よけれ ば いい の です が ね 。 」 
「 どう でしょ う 。 天気 は いい でしょ う か 。 」 
「 そう です ね 、 新聞 に 出 て い まし た が 、 オキナワレットウ に ハッ セイ し た テイキアツ は 次第に ホクホクセイ の ほう へ シンコウ … … 。 」 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 ク ねずみ は また いや な せき ば らい を やり まし た ので 、 タ ねずみ は こんど という こんど は すっかり びっくり し て 半分 立ちあがっ て 、 ぶるぶる ふるえ て 目 を パチ パチ さ せ て 、 黙り こん で しまい まし た 。 
ク ねずみ は 横 の 方 を 向い て 、 お ひ げ を ひっぱり ながら 、 横目 で タ ねずみ の 顔 を 見 て い まし た が 、 ず うっ と しばらく たって から 、 あら ん かぎり 声 を ひくく し て 、 
「 へい 。 そして 。 」 と 言い まし た 。 ところが タ ねずみ は もう すっかり こわく なっ て 物 が 言え ませ ん でし た から 、 にわかに 一つ ていねい に おじぎ を し まし た 。 そして まるで 細い かすれ た 声 で 、 
「 さよなら 。 」 と 言っ て ク ねずみ の お うち を 出 て 行き まし た 。 
ク ねずみ は 、 そこで あおむけ に ねころん で 、 
「 ねずみ 競争 新聞 」 を 手 にとって ひろげ ながら 、 
「 ヘッ 。 タ など は なっ て ない ん だ 。 」 と ひとり ごと を 言い まし た 。 
さて 、 「 ねずみ 競争 新聞 」 という の は 実に いい 新聞 です 。 これ を 読む と 、 ねずみ 仲間 の 競争 の こと は なん で も わかる の でし た 。 ペ ねずみ が 、 たくさん とうもろこし の つぶ を ぬすみ ため て 、 大 砂糖 持ち の パ ねずみ と 意地 ばり の 競争 を し て いる こと で も 、 ハ ねずみ ヒ ねずみ フ ねずみ の 三 匹 の むす め ねずみ が 学問 の 競争 を やっ て 、 比例 の 問題 まで 来 た とき 、 とうとう 三 匹 とも 頭 が ペ チン と 裂け た こと で も 、 なん でも すっかり 出 て いる の でし た 。 
さあ 、 さあ 、 みなさん 。 失礼 です が 、 ク ねずみ の きょう の 新聞 を 読む の を 、 お 聞き なさい 。 
「 え えと 、 カマ ジン 国 の 飛行機 、 プハラ を 襲う と 。 なるほど えらい ね 。 これ は たいへん だ 。 まあ しかし 、 ここ まで は 来 ない から 大丈夫 だ 。 え えと 、 ツェ ねずみ の 行く え 不明 。 ツェ ねずみ という の は あの 意地 わる だ な 。 こいつ は おもしろい 。 
天井 裏 街 一 番地 、 ツェ 氏 は 昨夜 行く え 不明 と なり たり 。 本社 の いちはやく 探知 する ところ に よれ ば ツェ 氏 は 数 日 前 より はり が ねせ い 、 ねずみ とり 氏 と 交際 を 結び おり し が 一 昨夜 に 至り て 両氏 の 間 に 多少 感情 の 衝突 あり たる もの の ごとし 。 台所 街 四 番地 ネ 氏 の 談 に よれ ば 昨夜 も ツェ 氏 は 、 はり が ねせ い 、 ねずみ とり 氏 を 訪問 し たる が ごとし 、 と 。 なお 床下 通り 二 十 九 番地 ポ 氏 は 、 昨夜 深更 より 今朝 にかけて 、 ツェ 氏 並びに はり が ねせ い 、 ねずみ とり 氏 の 激しき 争論 、 時に 格闘 の 声 を 聞き たり と 。 以上 を 総合 する に 、 本 事件 に は 、 はり が ねせ い 、 ねずみ とり 氏 、 最も 深き 関係 を 有する が ごとし 。 本社 は さらに 深く 事件 の 真相 を 探知 の 上 、 大いに はり が ねせ い 、 ねずみ とり 氏 に 筆誅 を 加えん と 欲す 。 と 。 は は は 、 ふん 、 これ は もう 疑い も ない 。 ツェ の やつ め 、 ねずみ とり に 食わ れ た ん だ 。 おもしろい 。 その つぎ は と 。 なん だ 、 ええ と 、 新任 ねずみ 会議 員 テ 氏 。 エヘン 、 エヘン 。 エン 。 エッ ヘン 。 ヴェイヴェイ 。 なん だ ちく しょ う 。 テ など が ねずみ 会議 員 だ なんて 。 えい 、 おもしろく ない 。 おれ で も すれ ば いい ん だ 。 えい 。 おもしろく も ない 、 散歩 に 出よ う 。 」 
そこで ク ねずみ は 散歩 に 出 まし た 。 そして プンプン おこり ながら 、 天井 裏 街 の 方 へ 行く 途中 で 、 二 匹 の むかで が 親孝行 の 蜘蛛 の 話 を し て いる の を 聞き まし た 。 
「 ほんとう に ね 、 そう は でき ない もん だ よ 。 」 
「 ええ 、 ええ 、 全く です よ 。 それに あの 子 は 、 自分 も どこ か から だ が 悪い ん です よ 。 それ だ のに ね 、 朝 は 二 時 ごろ から 起き て 薬 を 飲ま せ たり 、 おかゆ を たい て やっ たり 、 夜 だって 寝る の は いつも おそい でしょ う 。 たいてい 三 時 ごろ でしょ う 。 ほんとう に から だ が やすまる って ない ん でしょ う 。 感心 です ねえ 。 」 
「 ほんとう に あんな 心がけ の いい 子 は 今 ごろ あり … … 。 」 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 と 、 いきなり ク ねずみ は どなっ て 、 お ひ げ を 横 の 方 へ ひっぱり まし た 。 
むかで は びっくり し て 、 はなし も なに も そこそこ に 別れ て 逃げ て 行っ て しまい まし た 。 
ク ねずみ は それ から だんだん 天井 裏 街 の 方 へ のぼっ て 行き まし た 。 天井 裏 街 の ガラン と し た 広い 通り で は 、 ねずみ 会議 員 の テ ねずみ が もう 一 ぴき の ねずみ と は なし て い まし た 。 
ク ねずみ は こわれ た ちり 取り の かげ で 立ち ぎきをしておりました 。 
テ ねずみ が 、 
「 それで 、 その 、 わたし の 考え で はね 、 どうしても これ は 、 その 、 共同 一致 、 団結 、 和睦 の 、 セイシン で 、 やら ん と 、 いか ん ね 。 」 と 言い まし た 。 
ク ねずみ は 、 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 と 聞こえ ない よう に せ き ば らい を し まし た 。 相手 の ねずみ は 、 「 へい 。 」 と 言っ て 考え て いる よう です 。 
テ ねずみ は はなし を つづけ まし た 。 
「 もし そう で ない と する と 、 つまり その 、 世界 の シンポハッタツ 、 カイゼンカイリョウ が その つまり テイタイ する ね 。 」 
「 エン 、 エン 、 エイ 、 エイ 。 」 ク ねずみ は また ひくく せ き ば らい を し まし た 。 
相手 の ねずみ は 、 「 へい 。 」 と 言っ て 考え て い ます 。 
「 そこで 、 その 、 世界 文明 の シンポハッタツ 、 カイリョウカイゼン が テイ タイ する と 、 政治 は もちろん ケイザイ 、 ノウギョウ 、 ジツギョウ 、 コウギョウ 、 キョウイク 、 ビジュツ それ から チョウコク 、 カイガ 、 それから ブンガク 、 シバイ 、 ええ と 、 エン ゲキ 、 ゲイジュツ 、 ゴラク 、 その ほか タイイク など が 、 ハッハッハ 、 たいへん その どうも わるく なる ね 。 」 テ ねずみ は むつかしい こと を あまり たくさん 言っ た ので 、 もう 愉快 で たまらない よう でし た 。 ク ねずみ は それ が また むやみ に しゃくにさわっ て 、 「 エン 、 エン 。 」 と 聞こえ ない よう に 、 そして できるだけ 高く せ き ば らい を やっ て 、 にぎり こぶし を かため まし た 。 
相手 の ねずみ は やはり 「 へい 。 」 と 言っ て おり ます 。 
テ ねずみ は また はじめ まし た 。 
「 そこで その ケイザイ や ゴラク が 悪く なる と いう と 、 不平 を 生じ て ブンレツ を 起こす という ケッカ に ホウチャク する ね 。 そう なる の は 実に その われわれ の シンガイ で フホンイ で ある から 、 やはり その 、 もの ごと は 共同 一致 団結 和睦 の セイシン で やら ん と いか ん ね 。 」 
ク ねずみ は あんまり テ ねずみ の ことば が 立派 で 、 議論 が うまく でき て いる の が しゃくにさわっ て 、 とうとう あら ん かぎり 、 
「 エヘン 、 エヘン 。 」 と やっ て しまい まし た 。 すると テ ねずみ はぶ るる っと ふるえ て 、 目 を 閉じ て 、 小さく 小さく ちぢまり まし た が 、 だんだん そろ り そろりと 延び て 、 そお っと 目 を あい て 、 それから 大声 で 叫び まし た 。 
「 こいつ は 、 ブンレツ だ ぞ 。 ブンレツ 者 だ 。 しばれ 、 しばれ 。 」 と 叫び まし た 。 すると 相手 の ねずみ は 、 まるで つぶ て の よう に ク ねずみ に 飛びかかっ て ねずみ の 捕り 繩 を 出し て 、 クルクル しばっ て しまい まし た 。 
ク ねずみ は くやしく て くやしく て なみ だ が 出 まし た が 、 どうしても かない そう が あり ませ ん でし た から 、 しばらく じっと し て おり まし た 。 すると テ ねずみ は 紙切れ を 出し て するする する っと 何 か 書い て 捕り 手 の ねずみ に 渡し まし た 。 
捕り 手 の ねずみ は 、 しばら れ て ごろごろ ころがっ て いる ク ねずみ の 前 に 来 て 、 すてき に おごそか な 声 で それ を 読み はじめ まし た 。 
「 ク ねずみ は ブンレツ 者 により て 、 みんな の 前 にて 暗殺 す べし 。 」 ク ねずみ は 声 を あげ て チュウチュウ 泣き まし た 。 
「 さあ 、 ブンレツ 者 。 あるけ 、 早く 。 」 と 、 捕り 手 の ねずみ は 言い まし た 。 さあ 、 そこで ク ねずみ は すっかり 恐れ入っ て しおしお と 立ちあがり まし た 。 あっち から も こっち から も ねずみ が みんな 集まっ て 来 て 、 
「 どうも いい 気味 だ ね 。 いつ でも エヘンエヘン と 言っ て ばかり い た やつ な ん だ 。 」 
「 やっぱり 分裂 し て い た ん だ 。 」 
「 あいつ が 死ん だら ほんとう に せいせい する だろ う ね 。 」 という よう な 声 ばかり です 。 
捕り 手 の ねずみ は 、 いよいよ 白い たすき を かけ て 、 暗殺 の し たく を はじめ まし た 。 
その 時 みんな の うし ろ の 方 で 、 フウフウ と 言う ひどい 音 が 聞こえ 、 二つ の 目玉 が 火 の よう に 光っ て 来 まし た 。 それ は 例 の 猫 大将 でし た 。 
「 ワーッ 。 」 と ねずみ は みんな ちり ぢ り 四方 に 逃げ まし た 。 
「 逃がさ ん ぞ 。 コラッ 。 」 と 猫 大将 は その 一 匹 を 追いかけ まし た が 、 もう せまい すき ま へず う っと 深く もぐり込ん で しまっ た ので 、 いくら 猫 大将 が 手 を のばし て も とどき ませ ん でし た 。 
猫 大将 は 「 チェッ 。 」 と 舌打ち を し て 戻っ て 来 まし た が 、 ク ねずみ の ただ 一 匹 しばら れ て 残っ て いる の を 見 て 、 びっくり し て 言い まし た 。 
「 貴様 は なんと 言う もの だ 。 」 ク ねずみ は もう 落ち着い て 答え まし た 。 
「 ク と 申し ます 。 」 
「 フ 、 フ 、 そう か 、 なぜ こんなに し て いる ん だ 。 」 
「 暗殺 さ れる ため です 。 」 
「 フ 、 フ 、 フ 。 そう か 。 それ は か あい そう だ 。 よし よし 、 おれ が 引き受け て やろ う 。 おれ の うち へ 来い 。 ちょうど おれ の うち で は 、 子供 が 四 人 でき て 、 それ に 家庭 教師 が なく て 困っ て いる ところ な ん だ 。 来い 。 」 
猫 大将 は のそのそ 歩き だし まし た 。 
ク ねずみ は こわごわ あと に ついて行き まし た 。 猫 の お うち は どうも それ は 立派 な もん でし た 。 紫色 の 竹 で 編ん で あっ て 中 は わら や 布き れ で ホクホク し て い まし た 。 おまけ に ちゃあ ん と ご飯 を 入れる 道具 さえ あっ た の です 。 
そして その 中 に 、 猫 大将 の 子供 が 四 人 、 やっと 目 を あい て 、 に ゃあにゃあと 鳴い て おり まし た 。 
猫 大将 は 子供 ら を 一つ ずつ なめ て やっ て から 言い まし た 。 
「 お前 たち は もう 学問 を し ない と いけ ない 。 ここ へ 先生 を たのん で 来 た から な 。 よく 習う ん だ よ 。 決して 先生 を 食べ て しまっ たり し て は いか ん ぞ 。 」 
子供 ら は よろこん で ニヤニヤ 笑っ て 口々 に 、 
「 おとうさん 、 ありがとう 。 きっと 習う よ 。 先生 を 食べ て しまっ たり し ない よ 。 」 と 言い まし た 。 
ク ねずみ は どうも 思わず 足 が ブルブル し まし た 。 
猫 大将 が 言い まし た 。 
「 教え て やっ て くれ 。 おもに 算術 を な 。 」 
「 へい 。 しょ う 、 しょ う 、 承知 いたし まし た 。 」 と ク ねずみ が 答え まし た 。 
猫 大将 は き げん よく ニャー と 鳴い て するりと 向こう へ 行っ て しまい まし た 。 
子供 ら が 叫び まし た 。 
「 先生 、 早く 算術 を 教え て ください 。 先生 。 早く 。 」 
ク ねずみ は さあ 、 これ は いよいよ 教え ない と いかん と 思い まし た ので 、 口早 に 言い まし た 。 
「 一 に 一 を たす と 二 です 。 」 
「 そう だ よ 。 」 子供 ら が 言い まし た 。 
「 一 から 一 を 引く と なんにも なくなり ます 。 」 
「 わかっ た よ 。 」 
子供 ら が 叫び まし た 。 
「 一 に 一 を かける と 一 です 。 」 
「 きまっ てる よ 。 」 と 猫 の 子供 ら が 目 を りん と 張っ た まま 答え まし た 。 
「 一 を 一 で 割る と 一 です 。 」 
「 それ で いい よ 。 」 と 猫 の 子供 ら が よろこん で 叫び まし た 。 そこで ク ねずみ は すっかり のぼせ て しまい まし た 。 
「 一 に 二 を たす と 三 です 。 」 
「 合っ てる よ 。 」 
「 一 から 二 を 引く と … … 」 と 言お う として ク ねずみ は 、 はっと つまっ て しまい まし た 。 
すると 猫 の 子供 ら は 一 度 に 叫び まし た 。 
「 一 から 二 は 引か れ ない よ 。 」 
ク ねずみ は あんまり 猫 の 子供 ら が かしこい ので 、 すっかり むしゃくしゃ し て 、 また 早口 に 言い まし た 。 そう でしょ う 。 ク ねずみ は いちばん はじめ の 一 に 一 を たし て 二 を おぼえる の に 半年 かかっ た の です 。 
「 一 に 二 を かける と 二 です 。 」 
「 そう と もさ 。 」 
「 一 を 二 で 割る と … … 。 」 ク ねずみ は また つまっ て しまい まし た 。 すると 猫 の 子供 ら は また 一 度 に 声 を そろえ て 、 
「 一 割る 二 で は 半分 だ よ 。 」 と 叫び まし た 。 
ク ねずみ は あんまり 猫 の 子供 ら の 賢い の が しゃくにさわっ て 、 思わず 「 エヘン 。 エヘン 。 エイ 。 エイ 。 」 
と やり まし た 。 すると 猫 の 子供 ら は 、 しばらく びっくり し た よう に 、 顔 を 見合わせ て い まし た が 、 やがて みんな 一 度 に 立ちあがっ て 、 
「 なん だい 。 ね ず め 、 人 を そねみ や がっ た な 。 」 と 言い ながら ク ねずみ の 足 を 一 ぴき が 一つ ずつ かじり まし た 。 
ク み ずみ は 非常 に あわて て ばたばた し て 、 急い で 「 エヘン 、 エヘン 、 エイ 、 エイ 。 」 と やり まし た が もう いけ ませ ん でし た 。 
ク ねずみ は だんだん 四方 の 足 から 食わ れ て 行っ て 、 とうとう おしまい に 四 ひき の 子猫 は 、 ク ねずみ の 胃の腑 の ところ で 頭 を コツ ン と ぶっつけ まし た 。 
そこ へ 猫 大将 が 帰っ て 来 て 、 
「 何 か 習っ た か 。 」 と きき まし た 。 
「 ねずみ を とる こと です 。 」 と 四 ひき が いっしょ に 答え まし た 。 
一 　 　 森 
グスコーブドリ は 、 イーハトーヴ の 大きな 森 の なか に 生まれ まし た 。 おとうさん は 、 グスコーナドリ という 名高い 木こり で 、 どんな 大きな 木 で も 、 まるで 赤ん坊 を 寝かしつける よう に わけ なく 切っ て しまう 人 でし た 。 
ブドリ に は ネリ という 妹 が あっ て 、 二 人 は 毎日 森 で 遊び まし た 。 ご しっ ご しっと おとうさん の 木 を 挽く 音 が 、 やっと 聞こえる くらい な 遠く へ も 行き まし た 。 二 人 は そこ で 木いちご の 実 を とっ て わき水 に つけ たり 、 空 を 向い て かわるがわる 山鳩 の 鳴く まね を し たり し まし た 。 すると あちら でも こちら でも 、 ぽう 、 ぽう 、 と 鳥 が 眠 そう に 鳴き 出す の でし た 。 
おかあさん が 、 家 の 前 の 小さな 畑 に 麦 を 播い て いる とき は 、 二 人 は みち に むしろ を しい て すわっ て 、 ブリキ かん で 蘭 の 花 を 煮 たり し まし た 。 すると こんど は 、 もう いろいろ の 鳥 が 、 二 人 の ぱさぱさ し た 頭 の 上 を 、 まるで 挨拶 する よう に 鳴き ながら ざあざあざあざあ 通り すぎる の でし た 。 
ブドリ が 学校 へ 行く よう に なり ます と 、 森 は ひる の 間 たいへん さびしく なり まし た 。 その かわり ひる すぎ に は 、 ブドリ は ネリ と いっしょ に 、 森 じゅう の 木 の 幹 に 、 赤い 粘土 や 消し炭 で 、 木 の 名 を 書い て ある い たり 、 高く 歌っ たり し まし た 。 
ホップ の つる が 、 両方 から のび て 、 門 の よう に なっ て いる 白 樺の木 に は 、 
「 カッコウドリ 、 トオルベカラズ 」 と 書い たり も し まし た 。 
そして 、 ブドリ は 十 に なり 、 ネリ は 七つ に なり まし た 。 ところが どういう わけ です か 、 その 年 は 、 お 日 さま が 春 から 変 に 白く て 、 いつも なら 雪 が とける と まもなく 、 まっしろ な 花 を つける こぶし の 木 も まるで 咲か ず 、 五月 に なっ て も たびたび 霙 が ぐしゃぐしゃ 降り 、 七月 の 末 に なっ て も いっこうに 暑 さ が 来 ない ため に 、 去年 播い た 麦 も 粒 の 入ら ない 白い 穂 しか でき ず 、 たいてい の 果物 も 、 花 が 咲い た だけ で 落ち て しまっ た の でし た 。 
そして とうとう 秋 に なり まし た が 、 やっぱり 栗 の 木 は 青い から の いが ばかり でし た し 、 みんな で ふだん たべる いちばん たい せつな オリザ という 穀物 も 、 一 つぶ も でき ませ ん でし た 。 野原 で は もう ひどい さわぎ に なっ て しまい まし た 。 
ブドリ の おとうさん も おかあさん も 、 たびたび 薪 を 野原 の ほう へ 持っ て 行っ たり 、 冬 に なっ て から は 何 べ ん も 大きな 木 を 町 へ そり で 運ん だり し た の でし た が 、 いつも がっかり し た よう に し て 、 わずか の 麦 の 粉 など もっ て 帰っ て くる の でし た 。 それでも どうにか その 冬 は 過ぎ て 次 の 春 に なり 、 畑 に はたい せつに しまっ て おい た 種 も 播か れ まし た が 、 その 年 も また すっかり 前 の 年 の とおり でし た 。 そして 秋 に なる と 、 とうとう ほんとう の 饑饉 に なっ て しまい まし た 。 もう その ころ は 学校 へ 来る こども も まるで あり ませ ん でし た 。 ブドリ の おとうさん も おかあさん も 、 すっかり 仕事 を やめ て い まし た 。 そして たびたび 心配 そう に 相談 し て は 、 かわるがわる 町 へ 出 て 行っ て 、 やっと すこし ばかり の 黍 の 粒 など 持っ て 帰る こと も あれ ば 、 なんにも 持た ず に 顔 いろ を 悪く し て 帰っ て くる こと も あり まし た 。 そして みんな は 、 こ なら の 実 や 、 葛 や わらび の 根 や 、 木 の 柔らか な 皮 や いろんな もの を たべ て 、 その 冬 を すごし まし た 。 
けれども 春 が 来 た ころ は 、 おとうさん も おかあさん も 、 何 か ひどい 病気 の よう でし た 。 
ある 日 おとうさん は 、 じっと 頭 を かかえ て 、 いつ まで も い つ まで も 考え て い まし た が 、 にわかに 起きあがっ て 、 
「 おれ は 森 へ 行っ て 遊ん で くる ぞ 。 」 と 言い ながら 、 よろよろ 家 を 出 て 行き まし た が 、 まっ くら に なっ て も 帰っ て 来 ませ ん でし た 。 二 人 が おかあさん に 、 おとうさん は どう し たろ う と きい て も 、 おかあさん は だまっ て 二 人 の 顔 を 見 て いる ばかり でし た 。 
次 の 日 の 晩方 に なっ て 、 森 が もう 黒く 見える ころ 、 おかあさん は にわかに 立っ て 、 炉 に 榾 を たくさん くべ て 家 じゅう すっかり 明るく し まし た 。 それから 、 わたし は おとうさん を さがし に 行く から 、 お前 たち は うち に い て あの 戸棚 に ある 粉 を 二 人 で すこし ずつ たべ なさい と 言っ て 、 やっぱり よろよろ 家 を 出 て 行き まし た 。 二 人 が 泣い て あと から 追って 行き ます と 、 おかあさん は ふり向い て 、 
「 なん たら いう こと を きか ない こども ら だ 。 」 と しかる よう に 言い まし た 。 
そして まるで 足早 に 、 つまずき ながら 森 へ はいっ て しまい まし た 。 二 人 は 何 べ ん も 行っ たり 来 たり し て 、 そこら を 泣い て 回り まし た 。 とうとう こらえ 切れ なく なっ て 、 まっ くら な 森 の 中 へ はいっ て 、 いつか の ホップ の 門 の あたり や 、 わき水 の ある あたり を あちこち うろうろ 歩き ながら 、 おかあさん を 一 晩 呼び まし た 。 森 の 木の間 から は 、 星 が ちらちら 何 か 言う よう に ひかり 、 鳥 は たびたび おどろい た よう に 暗 の 中 を 飛び まし た けれども 、 どこ から も 人 の 声 は し ませ ん でし た 。 とうとう 二 人 は ぼんやり 家 へ 帰っ て 中 へ はいり ます と 、 まるで 死ん だ よう に 眠っ て しまい まし た 。 
ブドリ が 目 を さまし た の は 、 その 日 の ひる すぎ でし た 。 
おかあさん の 言っ た 粉 の こと を 思い出し て 戸棚 を あけ て 見 ます と 、 なか に は 、 袋 に 入れ た そば 粉 や こ なら の 実 が まだ たくさん は いっ て い まし た 。 ブドリ は ネリ を ゆり 起こし て 二 人 で その 粉 を なめ 、 おとうさん たち が い た とき の よう に 炉 に 火 を たき まし た 。 
それから 、 二 十 日 ばかり ぼんやり 過ぎ まし たら 、 ある 日 戸口 で 、 
「 今日 は 、 だれ か いる か ね 。 」 と 言う もの が あり まし た 。 おとうさん が 帰っ て 来 た の か と 思っ て 、 ブドリ が はね 出し て 見 ます と 、 それ は 籠 を しょっ た 目 の 鋭い 男 でし た 。 その 男 は 籠 の 中 から 丸い 餅 を とり 出し て ぽん と 投げ ながら 言い まし た 。 
「 私 は この 地方 の 飢饉 を 助け に 来 た もの だ 。 さあ なん でも 食べ なさい 。 」 二 人 は しばらく あきれ て い まし たら 、 
「 さあ 食べる ん だ 、 食べる ん だ 。 」 と また 言い まし た 。 二 人 が こわごわ たべ はじめ ます と 、 男 は じっと 見 て い まし た が 、 
「 お前 たち は いい 子供 だ 。 けれども いい 子供 だ と いう だけ で は なん に も なら ん 。 わし と いっしょ について おいで 。 もっとも 男の子 は 強い し 、 わし も 二 人 は つれ て 行け ない 。 おい 女の子 、 おまえ は ここ に い て も もう たべる もの が ない ん だ 。 おじさん と いっしょ に 町 へ 行こ う 。 毎日 パン を 食べ さし て やる よ 。 」 そして ぷいっと ネリ を 抱き あげ て 、 せ なか の 籠 へ 入れ て 、 そのまま 、 
「 おお ほ い ほ い 。 おお ほ い ほ い 。 」 と どなり ながら 、 風 の よう に 家 を 出 て 行き まし た 。 ネリ は お もて ではじめ て わっ と 泣き 出し 、 ブドリ は 、 
「 ど ろ ぼう 、 ど ろ ぼう 。 」 と 泣き ながら 叫ん で 追いかけ まし た が 、 男 は もう 森 の 横 を 通っ て ず うっ と 向こう の 草原 を 走っ て い て 、 そこ から ネリ の 泣き声 が 、 かすか に ふるえ て 聞こえる だけ でし た 。 
ブドリ は 、 泣い て どなっ て 森 の はずれ まで 追いかけ て 行き まし た が 、 とうとう 疲れ て ばったり 倒れ て しまい まし た 。 
二 　 てぐす 工場 
ブドリ が ふっと 目 を ひらい た とき 、 いきなり 頭 の 上 で 、 いや に 平 べ っ たい 声 が し まし た 。 
「 やっと 目 が さめ た な 。 まだ お前 は 飢饉 の つもり かい 。 起き て おれ に 手伝わ ない か 。 」 見る と それ は 茶 いろ なき のこし ゃっぽをかぶって 外套 に すぐ シャツ を 着 た 男 で 、 何 か 針金 で こさえ た もの を ぶらぶら 持っ て いる の でし た 。 
「 もう 飢饉 は 過ぎ た の ？ 　 手伝え って 何 を 手伝う の ？ 」 
ブドリ が きき まし た 。 
「 網 掛け さ 。 」 
「 ここ へ 網 を 掛ける の ？ 」 
「 掛ける の さ 。 」 
「 網 を かけ て 何 に する の ？ 」 
「 てぐす を 飼う の さ 。 」 見る と すぐ ブドリ の 前 の 栗 の 木 に 、 二 人 の 男 が はしご を かけ て のぼっ て い て 、 一生けん命 何 か 網 を 投げ たり 、 それ を 操っ たり し て いる よう でし た が 、 網 も 糸 も いっこう 見え ませ ん でし た 。 
「 あれ で てぐす が 飼える の ？ 」 
「 飼える の さ 。 うるさい こども だ な 。 おい 、 縁起 で も ない ぞ 。 てぐす も 飼え ない ところ に どうして 工場 なんか 建てる ん だ 。 飼える とも さ 。 現に おれ を はじめ たくさん の もの が 、 それで くらし を 立て て いる ん だ 。 」 
ブドリ は かすれ た 声 で 、 やっと 、 
「 そう です か 。 」 と 言い まし た 。 
「 それに この 森 は 、 すっかり おれ が 買っ て ある ん だ から 、 ここ で 手伝う なら いい が 、 そう で も なけれ ば どこ か へ 行っ て もらい たい な 。 もっとも お前 は どこ へ 行っ たって 食う もの も なかろ う ぜ 。 」 
ブドリ は 泣き 出し そう に なり まし た が 、 やっと こらえ て 言い まし た 。 
「 そん なら 手伝う よ 。 けれども どうして 網 を かける の ？ 」 
「 それ は もちろん 教え て やる 。 こいつ を ね 。 」 男 は 、 手 に 持っ た 針金 の 籠 の よう な もの を 両手 で 引き伸ばし まし た 。 
「 いい か 。 こういう 具合 に やる と はしご に なる ん だ 。 」 
男 は 大 また に 右手 の 栗 の 木 に 歩い て 行っ て 、 下 の 枝 に 引っ掛け まし た 。 
「 さあ 、 今度 は おまえ が 、 この 網 を もっ て 上 へ のぼっ て 行く ん だ 。 さあ 、 のぼっ て ごらん 。 」 
男 は 変 な まり の よう な もの を ブドリ に 渡し まし た 。 ブドリ は しかた なく それ を もっ て はしご に とりつい て 登っ て 行き まし た が 、 はしご の 段々 が まるで 細く て 手 や 足 に 食い こん で ちぎれ て しまい そう でし た 。 
「 もっと 登る ん だ 。 もっと 、 もっと さ 。 そしたら さっき の まり を 投げ て ごらん 。 栗 の 木 を 越す よう に さ 。 そいつ を 空 へ 投げる ん だ よ 。 なん だい 、 ふるえ てる の かい 。 いくじ なし だ なあ 。 投げる ん だ よ 。 投げる ん だ よ 。 そら 、 投げる ん だ よ 。 」 
ブドリ は しかた なく 力いっぱい に それ を 青空 に 投げ た と 思い まし たら 、 にわかに お 日 さま が まっ黒 に 見え て 逆しま に 下 へ おち まし た 。 そして いつか 、 その 男 に 受けとめ られ て い た の でし た 。 男 は ブドリ を 地面 に おろし ながら ぶりぶり おこり 出し まし た 。 
「 お前 も いくじ の ない やつ だ 。 なんと いう ふにゃふにゃ だ 。 おれ が 受け止め て やら なかっ たら お前 は 今 ごろ は 頭 が はじけ て い たろ う 。 おれ は お前 の 命 の 恩人 だ ぞ 。 これから は 、 失礼 な こと を 言っ て は なら ん 。 ところで 、 さあ 、 こんど は あっち の 木 へ 登れ 。 も 少し たっ たら ごはん も たべ させ て やる よ 。 」 男 は また ブドリ へ 新しい まり を 渡し まし た 。 ブドリ は はしご を もっ て 次 の 木 へ 行っ て まり を 投げ まし た 。 
「 よし 、 なかなか じょうず に なっ た 。 さあ 、 まり は たくさん ある ぞ 。 なまける な 。 木 も 栗 の 木 なら どれ でも いい ん だ 。 」 
男 は ポケット から 、 まり を 十 ばかり 出し て ブドリ に 渡す と 、 すたすた 向こう へ 行っ て しまい まし た 。 ブドリ は また 三つ ばかり それ を 投げ まし た が 、 どうしても 息 が はあ はあ し て 、 から だ が だるく て たまらなく なり まし た 。 もう 家 へ 帰ろ う と 思っ て 、 そっち へ 行っ て 見 ます と 、 おどろい た こと に は 、 家 に は いつか 赤い 土管 の 煙突 が つい て 、 戸口 に は 、 「 イーハトーヴ てぐす 工場 」 という 看板 が かかっ て いる の でし た 。 そして 中 から たばこ を ふかし ながら 、 さっき の 男 が 出 て 来 まし た 。 
「 さあ こども 、 たべ もの を もっ て き て やっ た ぞ 。 これ を 食べ て 暗く なら ない うち に もう少し かせぐ ん だ 。 」 
「 ぼく は もう いや だ よ 、 うち へ 帰る よ 。 」 
「 うち っていう の は あすこ か 。 あすこ は おまえ の うち じゃ ない 。 おれ の てぐす 工場 だ よ 。 あの 家 も この 辺 の 森 も みんな おれ が 買っ て ある ん だ から な 。 」 
ブドリ は もう やけ に なっ て 、 だまっ て その 男 の よこし た 蒸し パン を むしゃむしゃ たべ て 、 また まり を 十 ばかり 投げ まし た 。 
その 晩 ブドリ は 、 昔 の じ ぶん の うち 、 いま は てぐす 工場 に なっ て いる 建物 の すみ に 、 小さく なっ て ねむり まし た 。 
さっき の 男 は 、 三 四 人 の 知ら ない 人 たち と おそく まで 炉 ば たで 火 を たい て 、 何 か 飲ん だり しゃべっ たり し て い まし た 。 次 の 朝 早くから 、 ブドリ は 森 に 出 て 、 きのう の よう に はたらき まし た 。 
それから 一月 ばかり たっ て 、 森 じゅう の 栗 の 木 に 網 が かかっ て しまい ます と 、 てぐす 飼い の 男 は 、 こんど は 粟 の よう な もの が いっぱい つい た 板 きれ を 、 どの 木 に も 五 六 枚 ずつ つるさ せ まし た 。 その うち に 木 は 芽 を 出し て 森 は まっ青 に なり まし た 。 する と 、 木 に つるし た 板 きれ から 、 たくさん の 小さな 青じろい 虫 が 糸 を つたっ て 列 に なっ て 枝 へ はいあがっ て 行き まし た 。 
ブドリ たち は こんど は 毎日 薪 とり を さ せ られ まし た 。 その 薪 が 、 家 の まわり に 小山 の よう に 積み重なり 、 栗 の 木 が 青じろい ひも の かたち の 花 を 枝 いち めん に つける ころ に なり ます と 、 あの 板 から はいあがっ て 行っ た 虫 も 、 ちょうど 栗 の 花 の よう な 色 と かたち に なり まし た 。 そして 森 じゅう の 栗 の 葉 は 、 まるで 形 も なく その 虫 に 食い荒らさ れ て しまい まし た 。 
それから まもなく 、 虫 は 大きな 黄いろ な 繭 を 、 網 の 目 ごと に かけ はじめ まし た 。 
すると てぐす 飼い の 男 は 、 狂気 の よう に なっ て 、 ブドリ たち を しかり とばし て 、 その 繭 を 籠 に 集め させ まし た 。 それ を こんど は 片っぱし から 鍋 に 入れ て ぐらぐら 煮 て 、 手 で 車 を まわし ながら 糸 を とり まし た 。 夜 も 昼 も がらがら がらがら 三つ の 糸車 を まわし て 糸 を とり まし た 。 こうして こしらえ た 黄いろ な 糸 が 小屋 に 半分 ばかり たまっ た ころ 、 外 に 置い た 繭 から は 、 大きな 白い 蛾 が ぽろぽろ ぽろぽろ 飛びだし はじめ まし た 。 てぐす 飼い の 男 は 、 まるで 鬼 みたい な 顔つき に なっ て 、 じ ぶん も 一生けん命 糸 を とり まし た し 、 野原 の ほう から も 四 人 の 人 を 連れ て き て 働かせ まし た 。 けれども 蛾 の ほう は 日 まし に 多く 出る よう に なっ て 、 しまいに は 森 じゅう まるで 雪 でも 飛ん で いる よう に なり まし た 。 すると ある 日 、 六 七 台 の 荷馬 車 が 来 て 、 いま まで に でき た 糸 を みんな つけ て 、 町 の ほう へ 帰り はじめ まし た 。 みんな も 一 人 ずつ 荷馬 車 に ついて行き まし た 。 いちばん し まい の 荷馬 車 が たっ た とき 、 てぐす 飼い の 男 が 、 ブドリ に 、 
「 おい 、 お前 の 来春 まで 食う くらい の もの は 家 の 中 に 置い て やる から な 。 それ まで ここ で 森 と 工場 の 番 を し て いる ん だ ぞ 。 」 
と 言っ て 、 変 に にやにや し ながら 荷馬 車 について さっさと 行っ て しまい まし た 。 
ブドリ は ぼんやり あと へ 残り まし た 。 うち の 中 は まるで きたなく て あらし の あと の よう でし た し 、 森 は 荒れ はて て 山 火事 に でも あっ た よう でし た 。 ブドリ が 次 の 日 、 家 の なか や まわり を 片付け はじめ まし たら 、 てぐす 飼い の 男 が いつも すわっ て い た 所 から 古い ボール紙 の 箱 を 見つけ まし た 。 中 に は 十 冊 ばかり の 本 が ぎっしり はいっ て おり まし た 。 開い て 見る と 、 てぐす の 絵 や 機械 の 図 が たくさん ある 、 まるで 読め ない 本 も あり まし た し 、 いろいろ な 木 や 草 の 図 と 名前 の 書い て ある もの も あり まし た 。 
ブドリ は いっしょ う けんめい 、 その 本 の まね を し て 字 を 書い たり 、 図 を うつし たり し て その 冬 を 暮らし まし た 。 
春 に なり ます と 、 また あの 男 が 六 七 人 の あたらしい 手下 を 連れ て 、 たいへん 立派 な なり を し て やって来 まし た 。 そして 次 の 日 から すっかり 去年 の よう な 仕事 が はじまり まし た 。 
そして 網 は みんな かかり 、 黄いろ な 板 も つるさ れ 、 虫 は 枝 に は い 上がり 、 ブドリ たち は また 、 薪 作り に かかる こと に なり まし た 。 ある 朝 ブドリ たち が 薪 を つくっ て い まし たら 、 にわかに ぐらぐら っと 地震 が はじまり まし た 。 それ から ず うっ と 遠く で どー ん という 音 が し まし た 。 
しばらく たつ と 日 が 変 に くらく なり 、 こまか な 灰 が ばさばさ ばさばさ 降っ て 来 て 、 森 はいち めん に まっ白 に なり まし た 。 ブドリ たち が あきれ て 木の下 に しゃがん で い まし たら 、 てぐす 飼い の 男 が たいへん あわて て やって来 まし た 。 
「 おい 、 みんな 、 もう だめ だ ぞ 。 噴火 だ 。 噴火 が はじまっ た ん だ 。 てぐす は みんな 灰 を かぶっ て 死ん で しまっ た 。 みんな 早く 引き揚げ て くれ 。 おい 、 ブドリ 、 お前 ここ に い たかっ たら い て も いい が 、 こんど は たべ 物 は 置い て やら ない ぞ 。 それに ここ に い て も あぶない から な 。 お前 も 野原 へ 出 て 何 か かせぐ ほう が いい ぜ 。 」 
そう 言っ た か と 思う と 、 もう どんどん 走っ て 行っ て しまい まし た 。 ブドリ が 工場 へ 行っ て 見 た とき は 、 もう だれ も おり ませ ん でし た 。 そこで ブドリ は 、 しょんぼり と みんな の 足跡 の つい た 白い 灰 を ふん で 野原 の ほう へ 出 て 行き まし た 。 
三 　 沼 ば たけ 
ブドリ は 、 いっぱい に 灰 を かぶっ た 森 の 間 を 、 町 の ほう へ 半日 歩き つづけ まし た 。 灰 は 風 の 吹く たび に 木 から ばさばさ 落ち て 、 まるで けむり か 吹雪 の よう でし た 。 けれども それ は 野原 へ 近づく ほど 、 だんだん 浅く 少なく なっ て 、 ついに は 木 も 緑 に 見え 、 みち の 足跡 も 見え ない くらい に なり まし た 。 
とうとう 森 を 出切っ た とき 、 ブドリ は 思わず 目 を みはり まし た 。 野原 は 目 の 前 から 、 遠く の まっしろ な 雲 まで 、 美しい 桃 いろ と 緑 と 灰 いろ の カード で でき て いる よう でし た 。 そば へ 寄っ て 見る と 、 その 桃 いろ な の に は 、 いち めん に せい の 低い 花 が 咲い て い て 、 蜜蜂 が いそがしく 花 から 花 を わたっ て ある い て い まし た し 、 緑 いろ な の に は 小さな 穂 を 出し て 草 が ぎっしり は え 、 灰 いろ な の は 浅い 泥 の 沼 でし た 。 そして どれ も 、 低い 幅 の せまい 土手 で くぎら れ 、 人 は 馬 を 使っ て それ を 掘り起こし たり かき回し たり し て はたらい て い まし た 。 
ブドリ が その間 を 、 しばらく 歩い て 行き ます と 、 道 の まん中 に 二 人 の 人 が 、 大声 で 何 か けんか でも する よう に 言い合っ て い まし た 。 右側 の ほう の ひ げ の 赭 い 人 が 言い まし た 。 
「 なん でも かん で も 、 おれ は 山師 張る と きめ た 。 」 
すると も 一 人 の 白い 笠 を かぶっ た 、 せい の 高い おじいさん が 言い まし た 。 
「 やめろ って 言っ たら やめる もん だ 。 そんなに 肥料 うんと 入れ て 、 藁 は とれる たって 、 実は 一 粒 も とれる もん で ない 。 」 
「 うん にゃ 、 おれ の 見込み で は 、 ことし は 今 まで の 三 年 分 暑い に 相違 ない 。 一 年 で 三 年 分 とっ て 見せる 。 」 
「 やめろ 。 やめろ 。 やめろ っ たら 。 」 
「 うん にゃ 、 やめ ない 。 花 は みんな 埋め て しまっ た から 、 こんど は 豆 玉 を 六 十 枚 入れ て 、 それから 鶏 の 糞 、 百 駄 入れる ん だ 。 急 が しっ たら なん の 、 こう 忙しく なれ ば ささげ の つる でも いい から 手伝い に 頼み たい もん だ 。 」 
ブドリ は 思わず 近寄っ て おじぎ を し まし た 。 
「 そん なら ぼく を 使っ て くれ ませ ん か 。 」 
すると 二 人 は 、 ぎょっと し た よう に 顔 を あげ て 、 あご に 手 を あて て しばらく ブドリ を 見 て い まし た が 、 赤ひげ が にわかに 笑い 出し まし た 。 
「 よし よし 。 お前 に 馬 の 指 竿 とり を 頼む から な 。 すぐ おれ に ついて行く ん だ 。 それでは まず 、 のる か そる か 、 秋 まで 見 て て くれ 。 さあ 行こ う 。 ほんとに 、 ささげ の つる でも いい から 頼み たい 時 で な 。 」 赤ひげ は 、 ブドリ と おじいさん に かわるがわる 言い ながら 、 さっさと 先 に 立っ て 歩き まし た 。 あと で は おじいさん が 、 
「 年寄り の 言う こと 聞か ない で 、 いま に 泣く ん だ な 。 」 と つぶやき ながら 、 しばらく こっち を 見送っ て いる よう す でし た 。 
それから ブドリ は 、 毎日 毎日 沼 ば たけ へ はいっ て 馬 を 使っ て 泥 を かき回し まし た 。 一 日 ごと に 桃 いろ の カード も 緑 の カード も だんだん つぶさ れ て 、 泥沼 に 変わる の でし た 。 馬 は たびたび ぴしゃっと 泥水 を はねあげ て 、 みんな の 顔 へ 打ちつけ まし た 。 一つ の 沼 ば たけ が すめ ば すぐ 次 の 沼 ば たけ へ はいる の でし た 。 一 日 が とても 長く て 、 しまいに は 歩い て いる の か どう か も わから なく なっ たり 、 泥 が 飴 の よう な 、 水 が スープ の よう な 気 が し たり する の でし た 。 風 が 何 べ ん も 吹い て 来 て 、 近く の 泥水 に 魚 の うろこ の よう な 波 を たて 、 遠く の 水 を ブリキ いろ に し て 行き まし た 。 そら では 、 毎日 甘く すっぱい よう な 雲 が 、 ゆっくり ゆっくり ながれ て い て 、 それ が じつに うらやまし そう に 見え まし た 。 
こうして 二 十 日 ばかり たち ます と 、 やっと 沼 ば たけ は すっかり どろどろ に なり まし た 。 次 の 朝 から 主人 は まるで 気 が 立っ て 、 あちこち から 集まっ て 来 た 人 たち と いっしょ に 、 その 沼 ば たけ に 緑 いろ の 槍 の よう な オリザ の 苗 を いち めん 植え まし た 。 それ が 十 日 ばかり で 済む と 、 今度 は ブドリ たち を 連れ て 、 今 まで 手伝っ て もらっ た 人 たち の 家 へ 毎日 働き に でかけ まし た 。 それ も やっと 一 まわり 済む と 、 こんど は また じ ぶん の 沼 ば たけ へ 戻っ て 来 て 、 毎日 毎日 草取り を はじめ まし た 。 ブドリ の 主人 の 苗 は 大きく なっ て まるで 黒い くらい な のに 、 となり の 沼 ば たけ は ぼんやり し た うすい 緑 いろ でし た から 、 遠く から 見 て も 、 二 人 の 沼 ば たけ は はっきり 境 まで 見 わかり まし た 。 七 日 ばかり で 草取り が 済む と また ほか へ 手伝い に 行き まし た 。 
ところが ある 朝 、 主人 は ブドリ を 連れ て 、 じ ぶん の 沼 ば たけ を 通り ながら 、 にわかに 「 あっ 」 と 叫ん で 棒立ち に なっ て しまい まし た 。 見る と くちびる の いろ まで 水 いろ に なっ て 、 ぼんやり まっすぐ を 見つめ て いる の です 。 
「 病気 が 出 た ん だ 。 」 主人 が やっ と 言い まし た 。 
「 頭 で も 痛い ん です か 。 」 ブドリ は きき まし た 。 
「 おれ で ない よ 。 オリザ よ 。 それ 。 」 主人 は 前 の オリザ の 株 を 指さし まし た 。 ブドリ は しゃがん で しらべ て み ます と 。 なるほど どの 葉 に も 、 いま まで 見 た こと の ない 赤い 点々 が つい て い まし た 。 主人 は だまっ て しおしお と 沼 ば たけ を 一 まわり し まし た が 、 家 へ 帰り はじめ まし た 。 ブドリ も 心配 し て ついて行き ます と 、 主人 は だまっ て 巾 を 水 で しぼっ て 、 頭 に のせる と 、 そのまま 板の間 に 寝 て しまい まし た 。 すると まもなく 、 主人 の お かみさん が 表 から かけ込ん で 来 まし た 。 
「 オリザ へ 病気 が 出 た という の は ほんとう かい 。 」 
「 ああ 、 もう だめ だ よ 。 」 
「 どうにか なら ない の かい 。 」 
「 だめ だろ う 。 すっかり 五 年 前 の とおり だ 。 」 
「 だから 、 あたし は あんた に 山師 を やめろ と いったん じゃ ない か 。 おじいさん も あんなに とめ た ん じゃ ない か 。 」 
お かみさん は おろおろ 泣き はじめ まし た 。 すると 主人 が にわかに 元気 に なっ て むっくり 起き上がり まし た 。 
「 よし 。 イーハトーヴ の 野原 で 、 指折り 数え られる 大 百姓 の おれ が 、 こんな こと で 参る か 。 よし 。 来年 こそ やる ぞ 。 ブドリ 、 おまえ おれ の うち へ 来 て から 、 まだ 一 晩 も 寝 たい くらい 寝 た こと が ない な 。 さあ 、 五 日 でも 十 日 でも いい から 、 ぐうというくらい 寝 て しまえ 。 おれ は その あと で 、 あすこ の 沼 ば たけ で おもしろい 手品 を やっ て 見せる から な 。 その 代わり ことし の 冬 は 、 家 じゅう そば ばかり 食う ん だ ぞ 。 おまえ そば は すき だろ う が 。 」 それ から 主人 は さっさと 帽子 を かぶっ て 外 へ 出 て 行っ て しまい まし た 。 
ブドリ は 主人 に 言わ れ た とおり 納屋 へ はいっ て 眠ろ う と 思い まし た が 、 なんだか やっぱり 沼 ば たけ が 苦 に なっ て しかた ない ので 、 また のろのろ そっち へ 行っ て 見 まし た 。 すると いつ 来 て い た の か 、 主人 が たった 一 人 腕組み を し て 土手 に 立っ て おり まし た 。 見る と 沼 ば たけ に は 水 が いっぱい で 、 オリザ の 株 は 葉 を やっと 出し て いる だけ 、 上 に は ぎらぎら 石油 が 浮かん で いる の でし た 。 主人 が 言い まし た 。 
「 いま おれ 、 この 病気 を 蒸し 殺し て みる ところ だ 。 」 
「 石油 で 病気 の 種 が 死ぬ ん です か 。 」 と ブドリ が きき ます と 、 主人 は 、 
「 頭 から 石油 に つけ られ たら 人 だって 死ぬ だ 。 」 と 言い ながら 、 ほう と 息 を 吸っ て 首 を ちぢめ まし た 。 その 時 、 水下 の 沼 ば たけ の 持ち主 が 、 肩 を いからし て 、 息 を 切っ て かけ て 来 て 、 大きな 声 で どなり まし た 。 
「 なん だって 油 など 水 へ 入れる ん だ 。 みんな 流れ て 来 て 、 おれ の ほう へ は いっ てる ぞ 。 」 
主人 は 、 やけくそ に 落ちつい て 答え まし た 。 
「 なん だって 油 など 水 へ 入れる っ たって 、 オリザ へ 病気 が つい た から 、 油 など 水 へ 入れる の だ 。 」 
「 なん だって そん なら おれ の ほう へ 流す ん だ 。 」 
「 なん だって そん なら おまえ の ほう へ 流 すっ た って 、 水 は 流れる から 油 も つい て 流れる の だ 。 」 
「 そん なら なん だって おれ の ほう へ 水 こ ない よう に 水口 とめ ない ん だ 。 」 
「 なん だって おまえ の ほう へ 水 行か ない よう に 水口 とめ な いかっ たって 、 あすこ は おれ の みな 口 で ない から 水 とめ ない の だ 。 」 
となり の 男 は 、 かんかん おこっ て しまっ て もう 物 も 言え ず 、 いきなり がぶがぶ 水 へ はいっ て 、 自分 の 水口 に 泥 を 積み あげ はじめ まし た 。 主人 は にやりと 笑い まし た 。 
「 あの 男 むずかしい 男 で な 。 こっち で 水 を とめる と 、 とめ た と いっ て おこる から わざと 向こう に とめ させ た の だ 。 あすこ さえ とめれ ば 今夜 じゅう に 水 は すっかり 草 の 頭 まで かかる から な 、 さあ 帰ろ う 。 」 主人 は さき に 立っ て すたすた 家 へ あるきはじめ まし た 。 
次 の 朝 ブドリ は また 主人 と 沼 ば たけ へ 行っ て み まし た 。 主人 は 水 の 中 から 葉 を 一 枚 とっ て しきりに しらべ て い まし た が 、 やっぱり 浮か ない 顔 でし た 。 その 次 の 日 も そう でし た 。 その 次 の 日 も そう でし た 。 その 次 の 日 も そう でし た 。 その 次 の 朝 、 とうとう 主人 は 決心 し た よう に 言い まし た 。 
「 さあ ブドリ 、 いよいよ ここ へ 蕎麦 播き だ ぞ 。 おまえ あすこ へ 行っ て 、 となり の 水口 こわし て 来い 。 」 
ブドリ は 、 言わ れ た とおり こわし て 来 まし た 。 石油 の はいっ た 水 は 、 恐ろしい 勢い で となり の 田 へ 流れ て 行き ます 。 きっと また おこっ て くる な と 思っ て い ます と 、 ひる ごろ 例 の となり の 持ち主 が 、 大きな 鎌 を もっ て やっ て き まし た 。 
「 やあ 、 なん だって ひと の 田 へ 石油 な が すん だ 。 」 
主人 が また 、 腹 の 底 から 声 を 出し て 答え まし た 。 
「 石油 ながれれ ば なん だって 悪い ん だ 。 」 
「 オリザ みんな 死ぬ で ない か 。 」 
「 オリザ みんな 死ぬ か 、 オリザ みんな 死な ない か 、 まず おれ の 沼 ば たけ の オリザ 見 な よ 。 きょう で 四 日 頭 から 石油 かぶせ た ん だ 。 それでも ちゃんと この とおり で ない か 。 赤く なっ た の は 病気 の ため で 、 勢い の いい の は 石油 の ため な ん だ 。 おまえ の 所 など 、 石油 が ただ オリザ の 足 を 通る だけ で ない か 。 かえって いい かも しれ ない ん だ 。 」 
「 石油 こやし に なる の か 。 」 向こう の 男 は 少し 顔 いろ を やわらげ まし た 。 
「 石油 こやし に なる か 、 石油 こやし に なら ない か 知ら ない が 、 とにかく 石油 は 油 で ない か 。 」 
「 それ は 石油 は 油 だ な 。 」 男 は すっかり き げん を 直し て わらい まし た 。 水 は どんどん 退き 、 オリザ の 株 は 見る 見る 根 もと まで 出 て 来 まし た 。 すっかり 赤い 斑 が でき て 焼け た よう に なっ て い ます 。 
「 さあ おれ の 所 で は もう オリザ 刈り を やる ぞ 。 」 
主人 は 笑い ながら 言っ て 、 それから ブドリ と いっしょ に 、 片っぱし から オリザ の 株 を 刈り 、 跡 へ すぐ 蕎麦 を 播い て 土 を かけ て 歩き まし た 。 そして その 年 は ほんとう に 主人 の 言っ た とおり 、 ブドリ の 家 で は 蕎麦 ばかり 食べ まし た 。 次 の 春 に なる と 主人 が 言い まし た 。 
「 ブドリ 、 ことし は 沼 ば たけ は 去年 より は 三 分の 一 減っ た から な 、 仕事 は よほど らくだ 。 その かわり おまえ は 、 おれ の 死ん だ 息子 の 読ん だ 本 を これから 一生けん命 勉強 し て 、 いままで おれ を 山師 だ と いっ て わらっ た やつ ら を 、 あっ と 言わ せる よう な 立派 な オリザ を 作る く ふう を し て くれ 。 」 
そして 、 いろいろ な 本 を 一山 ブドリ に 渡し まし た 。 ブドリ は 仕事 の ひま に 片っぱし から それ を 読み まし た 。 ことに その 中 の 、 クーボー という 人 の 物 の 考え方 を 教え た 本 は おもしろかっ た ので 何 べ ん も 読み まし た 。 また その 人 が 、 イーハトーヴ の 市 で 一 か月 の 学校 を やっ て いる の を 知っ て 、 たいへん 行っ て 習い たい と 思っ たり し まし た 。 
そして 早く も その 夏 、 ブドリ は 大きな 手柄 を たて まし た 。 それ は 去年 と 同じ ころ 、 また オリザ に 病気 が でき かかっ た の を 、 ブドリ が 木 の 灰 と 食塩 を 使っ て 食い とめ た の でし た 。 そして 八月 の なかば に なる と 、 オリザ の 株 は みんな そろっ て 穂 を 出し 、 その 穂 の 一枝 ごと に 小さな 白い 花 が 咲き 、 花 は だんだん 水 いろ の 籾 に かわっ て 、 風 に ゆらゆら 波 を たてる よう に なり まし た 。 主人 は もう 得意 の 絶頂 でし た 。 来る 人 ごと に 、 
「 なん の 、 おれ も 、 オリザ の 山師 で 四 年 しくじっ た けれども 、 ことし は 一 度 に 四 年 分 とれる 。 これ も また なかなか いい もん だ 。 」 など と 言っ て 自慢 する の でし た 。 
ところが その 次 の 年 は そう は 行き ませ ん でし た 。 植え付け の ころ から さっぱり 雨 が 降ら なかっ た ため に 、 水路 は かわい て しまい 、 沼 に は ひび が 入っ て 、 秋 の とりいれ は やっと 冬 じゅう 食べる くらい でし た 。 来年 こそ と 思っ て い まし た が 、 次 の 年 も また 同じ よう な ひで り でし た 。 それ から も 、 来年 こそ 来年 こそ と 思い ながら 、 ブドリ の 主人 は 、 だんだん こやし を 入れる こと が でき なく なり 、 馬 も 売り 、 沼 ば たけ も だんだん 売っ て しまっ た の でし た 。 
ある 秋 の 日 、 主人 は ブドリ に つら そう に 言い まし た 。 
「 ブドリ 、 おれ も もと は イーハトーヴ の 大 百姓 だっ た し 、 ずいぶん かせい で も 来 た の だ が 、 たびたび の 寒 さ と 旱魃 の ため に 、 いま で は 沼 ば たけ も 昔 の 三 分の 一 に なっ て しまっ た し 、 来年 は もう 入れる こやし も ない の だ 。 おれ だけ で ない 。 来年 こやし を 買っ て 入れ れる 人 っ たら もう イーハトーヴ に も 何 人 も ない だろ う 。 こういう あんばい で は 、 いつ に なっ て おまえ に はたらい て もらっ た 礼 を する という あて も ない 。 おまえ も 若い 働き 盛り を 、 おれ の とこ で 暮らし て しまっ て は あんまり 気の毒 だ から 、 済まない が どう か これ を 持っ て 、 どこ へ でも 行っ て いい 運 を 見つけ て くれ 。 」 そして 主人 は 、 一 ふく ろ の お金 と 新しい 紺 で 染め た 麻 の 服 と 赤 皮 の 靴 と を ブドリ に くれ まし た 。 
ブドリ は いま まで の 仕事 の ひどかっ た こと も 忘れ て しまっ て 、 もう 何 も いら ない から 、 ここ で 働い て い たい と も 思い まし た が 、 考え て みる と 、 い て も やっぱり 仕事 も そんなに ない ので 、 主人 に 何 べ ん も 何 べ ん も 礼 を 言っ て 、 六 年 の 間 はたらい た 沼 ば たけ と 主人 に 別れ て 、 停車場 を さして 歩き だし まし た 。 
四 　 クーボー 大 博士 
ブドリ は 二 時間 ばかり 歩い て 、 停車場 へ 来 まし た 。 それから 切符 を 買っ て 、 イーハトーヴ 行き の 汽車 に 乗り まし た 。 汽車 は いくつ も の 沼 ば たけ を どんどん どんどん うし ろ へ 送り ながら 、 もう 一散 に 走り まし た 。 その 向こう に は 、 たくさん の 黒い 森 が 、 次 から 次 と 形 を 変え て 、 やっぱり うし ろ の ほう へ 残さ れ て 行く の でし た 。 ブドリ は いろいろ な 思い で 胸 が いっぱい でし た 。 早く イーハトーヴ の 市 に 着い て 、 あの 親切 な 本 を 書い た クーボー という 人 に 会い 、 できる なら 、 働き ながら 勉強 し て 、 みんな が あんなに つらい 思い を し ない で 沼 ば たけ を 作れる よう 、 また 火山 の 灰 だの ひで り だの 寒 さ だ の を 除 くく ふう を し たい と 思う と 、 汽車 さえ ま ど ろ こくっ て たまらない くらい でし た 。 汽車 は その 日 の ひる すぎ 、 イーハトーヴ の 市 に 着き まし た 。 停車場 を 一足 出 ます と 、 地面 の 底 から 、 何 か の ん の ん わく よう な ひびき や どん より と し た くらい 空気 、 行っ たり 来 たり する たくさん の 自動車 に 、 ブドリ は しばらく ぼう として つっ 立っ て しまい まし た 。 やっと 気 を とりなおし て 、 そこら の 人 に クーボー 博士 の 学校 へ 行く みち を たずね まし た 。 すると だれ へ きい て も 、 みんな ブドリ の あまり まじめ な 顔 を 見 て 、 吹き出し そう に し ながら 、 
「 そんな 学校 は 知ら ん ね 。 」 とか 、 
「 もう 五 六 丁 行っ て きい て みな 。 」 とかいう の でし た 。 そして ブドリ が やっと 学校 を さがしあて た の は もう 夕方 近く でし た 。 その 大きな こわれ かかっ た 白い 建物 の 二 階 で 、 だれ か 大きな 声 で しゃべっ て い まし た 。 
「 今日 は 。 」 ブドリ は 高く 叫び まし た 。 だれ も 出 て き ませ ん でし た 。 
「 今日 はあ 。 」 ブドリ は あら ん 限り 高く 叫び まし た 。 すると すぐ 頭 の 上 の 二 階 の 窓 から 、 大きな 灰 いろ の 顔 が 出 て 、 めがね が 二つ ぎらり と 光り まし た 。 それから 、 
「 今 授業 中 だ よ 、 やかましい やつ だ 。 用 が ある なら はいっ て 来い 。 」 と どなりつけ て 、 すぐ 顔 を 引っ込め ます と 、 中 で は おお ぜ いで どっ と 笑い 、 その 人 は かまわ ず また 何 か 大声 で しゃべっ て い ます 。 
ブドリ は そこ で 思い切っ て 、 なるべく 足音 を たて ない よう に 二 階 に あがっ て 行き ます と 、 階段 の つき 当たり の 扉 が あい て い て 、 じつに 大きな 教室 が 、 ブドリ の まっ 正面 に あらわれ まし た 。 中 に は さまざま の 服装 を し た 学生 が ぎっしり です 。 向こう は 大きな 黒い 壁 に なっ て い て 、 そこ に たくさん の 白い 線 が 引い て あり 、 さっき の せい の 高い 目 が ね を かけ た 人 が 、 大きな 櫓 の 形 の 模型 を あちこち 指さし ながら 、 さっき の まま の 高い 声 で 、 みんな に 説明 し て おり まし た 。 
ブドリ は それ を 一目 見る と 、 ああ これ は 先生 の 本 に 書い て あっ た 歴史 の 歴史 という こと の 模型 だ な と 思い まし た 。 先生 は 笑い ながら 、 一つ の とっ て を 回し まし た 。 模型 は が ちっと 鳴っ て 奇 体 な 船 の よう な 形 に なり まし た 。 また が ちっと とっ て を 回す と 、 模型 は こんど は 大きな むかで の よう な 形 に 変わり まし た 。 
みんな は しきりに 首 を かたむけ て 、 どうも わから ん という ふう に し て い まし た が 、 ブドリ に は ただ おもしろかっ た の です 。 
「 そこで こういう 図 が できる 。 」 先生 は 黒い 壁 へ 別 の 込み入っ た 図 を どんどん 書き まし た 。 
左手 に も チョーク を もっ て 、 さっさと 書き まし た 。 学生 たち も みんな 一生けん命 その まね を し まし た 。 ブドリ も ふところ から 、 いま まで 沼 ば たけ で 持っ て い た きたない 手帳 を 出し て 図 を 書きとり まし た 。 先生 は もう 書い て しまっ て 、 壇 の 上 に まっすぐ に 立っ て 、 じろじろ 学生 たち の 席 を 見 まわし て い ます 。 ブドリ も 書い て しまっ て 、 その 図 を 縦横 から 見 て い ます と 、 ブドリ の となり で 一 人 の 学生 が 、 
「 あ ああ 。 」 と あくび を し まし た 。 ブドリ は そっと きき まし た 。 
「 ね 、 この 先生 は なんて 言う ん です か 。 」 
すると 学生 は ばか に し た よう に 鼻 で わらい ながら 答え まし た 。 
「 クーボー 大 博士 さ 、 お前 知ら なかっ た の かい 。 」 それ から じろじろ ブドリ の よう す を 見 ながら 、 
「 はじめ から 、 この 図 なんか 書ける もん か 。 ぼく で さえ 同じ 講義 を もう 六 年 も きい て いる ん だ 。 」 
と 言っ て 、 じ ぶん の ノート を ふところ へ しまっ て しまい まし た 。 その 時 教室 に 、 ぱっと 電 燈 が つき まし た 。 もう 夕方 だっ た の です 。 大 博士 が 向こう で 言い まし た 。 
「 いまや 夕べ は はるか に き たり 、 拙 講 も また 全課 を おえ た 。 諸君 の うち の 希望 者 は 、 けだし いつも の 例 により 、 その ノート を ば 拙者 に 示し 、 さらに 数 箇 の 試問 を 受け て 、 所属 を 決す べき で ある 。 」 学生 たち は わあ と 叫ん で 、 みんな ばたばた ノート を とじ まし た 。 それから そのまま 帰っ て しまう もの が 大 部分 でし た が 、 五 六 十 人 は 一 列 に なっ て 大 博士 の 前 を とおり ながら ノート を 開い て 見せる の でし た 。 すると 大 博士 は それ を ちょっと 見 て 、 一言 か 二言 質問 を し て 、 それから 白墨 で えり へ 、 「 合 」 とか 、 「 再来 」 とか 、 「 奮励 」 とか 書く の でし た 。 学生 は その間 、 いかにも 心配 そう に 首 を ちぢめ て いる の でし た が 、 それから そっと 肩 を すぼめ て 廊下 まで 出 て 、 友だち に その しるし を 読ん で もらっ て 、 よろこん だり しょげ たり する の でし た 。 
ぐんぐん 試験 が 済ん で 、 いよいよ ブドリ 一 人 に なり まし た 。 ブドリ が その 小さな きたない 手帳 を 出し た とき 、 クーボー 大 博士 は 大きな あくび を やり ながら 、 かがん で 目 を ぐっと 手帳 に つける よう に し まし た ので 、 手帳 は あぶなく 大 博士 に 吸い込ま れ そう に なり まし た 。 
ところが 大 博士 は 、 うま そう に こくっ と 一つ 息 を し て 、 「 よろしい 。 この 図 は 非常 に 正しく でき て いる 。 その ほか の ところ は 、 なん だ 。 は はあ 、 沼 ば たけ の こやし の こと に 、 馬 の たべ 物 の こと か ね 。 では 問題 に 答え なさい 。 工場 の 煙突 から 出る けむり に は 、 どういう 色 の 種類 が ある か 。 」 
ブドリ は 思わず 大声 に 答え まし た 。 
「 黒 、 褐 、 黄 、 灰 、 白 、 無色 。 それから これら の 混合 です 。 」 
大 博士 は わらい まし た 。 
「 無色 の けむり は たいへん いい 。 形 について 言い たまえ 。 」 
「 無風 で 煙 が 相当 あれ ば 、 たて の 棒 に も なり ます が 、 さき は だんだん ひろがり ます 。 雲 の 非常 に 低い 日 は 、 棒 は 雲 まで のぼっ て 行っ て 、 そこ から 横 に ひろがり ます 。 風 の ある 日 は 、 棒 は 斜め に なり ます が 、 その 傾き は 風 の 程度 に 従い ます 。 波 や いくつ も きれ に なる の は 、 風 の ため に も より ます が 、 一つ は けむり や 煙突 の もつ 癖 の ため です 。 あまり 煙 の 少ない とき は 、 コルク 抜き の 形 に も なり 、 煙 も 重い ガス が まじれ ば 、 煙突 の 口 から 房 に なっ て 、 一方 ないし 四方 に おちる こと も あり ます 。 」 
大 博士 は また わらい まし た 。 
「 よろしい 。 きみ は どういう 仕事 を し て いる の か 。 」 
「 仕事 を みつけ に 来 た ん です 。 」 
「 おもしろい 仕事 が ある 。 名刺 を あげる から 、 そこ へ すぐ 行き なさい 。 」 博士 は 名刺 を とり 出し て 、 何 か するする 書き込ん で ブドリ に くれ まし た 。 ブドリ は おじぎ を し て 、 戸口 を 出 て 行こ う と し ます と 、 大 博士 は ちょっと 目 で 答え て 、 
「 なん だ 、 ごみ を 焼い てる の か な 。 」 と 低く つぶやき ながら 、 テーブル の 上 に あっ た 鞄 に 、 白墨 の かけ ら や 、 はん けち や 本 や 、 みんな いっしょ に 投げ込ん で 小わき に かかえ 、 さっき 顔 を 出し た 窓 から 、 プイッ と 外 へ 飛び出し まし た 。 びっくり し て ブドリ が 窓 へ かけよっ て 見 ます と 、 いつか 大 博士 は 玩具 の よう な 小さな 飛行船 に 乗っ て 、 じ ぶん で ハンドル を とり ながら 、 もう うす 青い も や の こめ た 町 の 上 を 、 まっすぐ に 向こう へ 飛ん で いる の でし た 。 ブドリ が いよいよ あきれ て 見 て い ます と 、 まもなく 大 博士 は 、 向こう の 大きな 灰 いろ の 建物 の 平 屋根 に 着い て 、 船 を 何 か かぎ の よう な もの に つなぐ と 、 そのまま ぽ ろ っと 建物 の 中 へ はいっ て 見え なく なっ て しまい まし た 。 
五 　 イーハトーヴ 火山 局 
ブドリ が 、 クーボー 大 博士 から もらっ た 名刺 の あて名 を たずね て 、 やっと 着い た ところ は 大きな 茶 いろ の 建物 で 、 うし ろ に は 房 の よう な 形 を し た 高い 柱 が 夜 の そら に くっきり 白く 立っ て おり まし た 。 ブドリ は 玄関 に 上がっ て 呼び鈴 を 押し ます と 、 すぐ 人 が 出 て 来 て 、 ブドリ の 出し た 名刺 を 受け取り 、 一目 見る と 、 すぐ ブドリ を 突き当たり の 大きな 室 へ 案内 し まし た 。 
そこ に は いま まで に 見 た こと も ない よう な 大きな テーブル が あっ て 、 その まん中 に 一 人 の 少し 髪 の 白く なっ た 人 の よ さ そう な 立派 な 人 が 、 きちんと すわっ て 耳 に 受話器 を あて ながら 何 か 書い て い まし た 。 そして ブドリ の はいっ て 来 た の を 見る と 、 すぐ 横 の 椅子 を 指さし ながら 、 また 続け て 何 か 書きつけ て い ます 。 
その 室 の 右手 の 壁 いっぱい に 、 イーハトーヴ 全体 の 地図 が 、 美しく 色 どっ た 大きな 模型 に 作っ て あっ て 、 鉄道 も 町 も 川 も 野原 も みんな 一目 で わかる よう に なっ て おり 、 その まん中 を 走る せ ぼ ね の よう な 山脈 と 、 海岸 に 沿っ て 縁 を とっ た よう に なっ て いる 山脈 、 また それ から 枝 を 出し て 海 の 中 に 点々 の 島 を つくっ て いる 一 列 の 山々 に は 、 みんな 赤 や 橙 や 黄 の あかり が つい て い て 、 それ が かわるがわる 色 が 変わっ たり ジー と 蝉 の よう に 鳴っ たり 、 数字 が 現われ たり 消え たり し て いる の です 。 下 の 壁 に 添っ た 棚 に は 、 黒い タイプライター の よう な もの が 三 列 に 百 でも きか ない くらい 並ん で 、 みんな しずか に 動い たり 鳴っ たり し て いる の でし た 。 ブドリ が われ を 忘れ て 見とれ て おり ます と 、 その 人 が 受話器 を こと っと 置い て 、 ふところ から 名刺 入れ を 出し て 、 一 枚 の 名刺 を ブドリ に 出し ながら 「 あなた が 、 グスコーブドリ 君 です か 。 私 は こういう もの です 。 」 と 言い まし た 。 見る と 、 と 書い て あり まし た 。 その 人 は ブドリ の 挨拶 に なれ ない で もじもじ し て いる の を 見る と 、 重ね て 親切 に 言い まし た 。 
「 さっき クーボー 博士 から 電話 が あっ た ので お待ち し て い まし た 。 まあ これから 、 ここ で 仕事 を し ながら しっかり 勉強 し て ごらん なさい 。 ここ の 仕事 は 、 去年 はじまっ た ばかり です が 、 じつに 責任 の ある もの で 、 それ に 半分 は い つ 噴火 する か わから ない 火山 の 上 で 仕事 する もの な の です 。 それ に 火山 の 癖 という もの は 、 なかなか 学問 で わかる こと で は ない の です 。 われわれ は これから よほど しっかり やら なけれ ば なら ん の です 。 では 今晩 は あっち に あなた の 泊まる ところ が あり ます から 、 そこで ゆっくり お 休み なさい 。 あした この 建物 じゅう を すっかり 案内 し ます から 。 」 
次 の 朝 、 ブドリ は ペンネン 老 技師 に 連れ られ て 、 建物 の なか を 一々 つれ て 歩い て もらい 、 さまざま の 機械 や しかけ を 詳しく 教わり まし た 。 その 建物 の なか の すべて の 器械 は みんな イーハトーヴ じゅう の 三 百 幾つ か の 活火山 や 休火山 に 続い て い て 、 それら の 火山 の 煙 や 灰 を 噴い たり 、 熔岩 を 流し たり し て いる よう す は もちろん 、 みかけ は じっと し て いる 古い 火山 で も 、 その 中 の 熔岩 や ガス の も よう から 、 山 の 形 の 変わり よう まで 、 みんな 数字 に なっ たり 図 に なっ たり し て 、 あらわれ て 来る の でし た 。 そして はげしい 変化 の ある たび に 、 模型 は みんな 別々 の 音 で 鳴る の でし た 。 
ブドリ は その 日 から ベンネン 老 技師 について 、 すべて の 器械 の 扱い 方 や 観測 の しかた を 習い 、 夜 も 昼 も 一心 に 働い たり 勉強 し たり し まし た 。 そして 二 年 ばかり たち ます と 、 ブドリ は ほか の 人 たち と いっしょ に あちこち の 火山 へ 器械 を 据え付け に 出さ れ たり 、 据え付け て ある 器械 の 悪く なっ た の を 修繕 に やら れ たり も する よう に なり まし た ので 、 もう ブドリ に は イーハトーヴ の 三 百 幾つ の 火山 と 、 その 働き 具合 は 掌 の 中 に ある よう に わかっ て 来 まし た 。 
じつに イーハトーヴ に は 、 七 十 幾つ の 火山 が 毎日 煙 を あげ たり 、 熔岩 を 流し たり し て いる の でし た し 、 五 十 幾つ か の 休火山 は 、 いろいろ な ガス を 噴い たり 、 熱い 湯 を 出し たり し て い まし た 。 そして 残り の 百 六 七 十 の 死火山 の うち に も 、 い つ また 何 を はじめる か わから ない もの も ある の でし た 。 
ある 日 ブドリ が 老 技師 と ならん で 仕事 を し て おり ます と 、 にわかに サンムトリ という 南 の ほう の 海岸 に ある 火山 が 、 むくむく 器械 に 感じ 出し て 来 まし た 。 老 技師 が 叫び まし た 。 
「 ブドリ 君 。 サンムトリ は 、 けさ まで 何 も なかっ た ね 。 」 
「 はい 、 いま まで サンムトリ の はたらい た の を 見 た こと が あり ませ ん 。 」 
「 ああ 、 これ は もう 噴火 が 近い 。 けさ の 地震 が 刺激 し た の だ 。 この 山 の 北 十 キロ の ところ に は サンムトリ の 市 が ある 。 今度 爆発 すれ ば 、 たぶん 山 は 三 分の 一 、 北側 を はねとばし て 、 牛 や テーブル ぐらい の 岩 は 熱い 灰 や ガス と いっしょ に 、 どしどし サンムトリ 市 に おち て くる 。 どう でも 今 の うち に 、 この 海 に 向い た ほう へ ボーリング を 入れ て 傷口 を こさえ て 、 ガス を 抜く か 熔岩 を 出さ せる か し なけれ ば なら ない 。 今 すぐ 二 人 で 見 に 行こ う 。 」 二 人 は すぐ に し たく し て 、 サンムトリ 行き の 汽車 に 乗り まし た 。 
六 　 サンムトリ 火山 
二 人 は 次 の 朝 、 サンムトリ の 市 に 着き 、 ひる ごろ サンムトリ 火山 の 頂 近く 、 観測 器械 を 置い て ある 小屋 に 登り まし た 。 そこ は 、 サンムトリ 山 の 古い 噴火口 の 外輪山 が 、 海 の ほう へ 向い て 欠け た 所 で 、 その 小屋 の 窓 から ながめ ます と 、 海 は 青 や 灰 いろ の 幾つ も の 縞 に なっ て 見え 、 その 中 を 汽船 は 黒い けむり を 吐き 、 銀 いろ の 水脈 を 引い て いくつ も すべっ て いる の でし た 。 
老 技師 は しずか に すべて の 観測 機 を 調べ 、 それから ブドリ に 言い まし た 。 
「 きみ は この 山 は あと 何 日 ぐらい で 噴火 する と 思う か 。 」 
「 一月 は もた ない と 思い ます 。 」 
「 一月 は もた ない 。 もう 十 日 も もた ない 。 早く 工作 し て しまわ ない と 、 取り返し の つか ない こと に なる 。 私 は この 山 の 海 に 向い た ほう で は 、 あすこ が いちばん 弱い と 思う 。 」 老 技師 は 山腹 の 谷 の 上 の うす緑 の 草地 を 指さし まし た 。 そこ を 雲 の 影 が しずか に 青く すべっ て いる の でし た 。 
「 あすこ に は 熔岩 の 層 が 二つ しか ない 。 あと は 柔らか な 火山灰 と 火山 礫 の 層 だ 。 それ に あすこ まで は 牧場 の 道 も 立派 に ある から 、 材料 を 運ぶ こと も 造作 ない 。 ぼく は 工作 隊 を 申請 しよ う 。 」 
老 技師 は 忙しく 局 へ 発信 を はじめ まし た 。 その 時 足 の 下 で は 、 つぶやく よう な かすか な 音 が し て 、 観測 小屋 は しばらく ぎしぎし きしみ まし た 。 老 技師 は 器械 を はなれ まし た 。 
「 局 から すぐ 工作 隊 を 出す そう だ 。 工作 隊 と いっ て も 半分 決死 隊 だ 。 私 は いま まで に 、 こんな 危険 に 迫っ た 仕事 を し た こと が ない 。 」 
「 十 日 の うち に できる でしょ う か 。 」 
「 きっと できる 。 装置 に は 三 日 、 サンムトリ 市 の 発電 所 から 、 電線 を 引い て くる に は 五 日 かかる な 。 」 
技師 は しばらく 指 を 折っ て 考え て い まし た が 、 やがて 安心 し た よう に また しずか に 言い まし た 。 
「 とにかく ブドリ 君 。 一つ 茶 を わかし て 飲も う で は ない か 。 あんまり いい 景色 だ から 。 」 
ブドリ は 持っ て 来 た アルコール ランプ に 火 を 入れ て 、 茶 を わかし はじめ まし た 。 空 に は だんだん 雲 が 出 て 、 それ に 日 も もう 落ち た の か 、 海 は さびしい 灰 いろ に 変わり 、 たくさん の 白い 波 が しら は 、 いっせいに 火山 の すそ に 寄せ て 来 まし た 。 
ふと ブドリ は すぐ 目 の 前 に 、 いつか 見 た こと の ある おかしな 形 の 小さな 飛行船 が 飛ん で いる の を 見つけ まし た 。 老 技師 も はねあがり まし た 。 
「 あ 、 クーボー 君 が やって来 た 。 」 ブドリ も 続い て 小屋 を とび出 し まし た 。 飛行船 は もう 小屋 の 左側 の 大きな 岩 の 壁 の 上 に とまっ て 、 中 から せい の 高い クーボー 大 博士 が ひらり と 飛び おり て い まし た 。 博士 は しばらく その 辺 の 岩 の 大きな さけ 目 を さがし て い まし た が 、 やっと それ を 見つけ た と 見え て 、 手早く ねじ を しめて 飛行船 を つなぎ まし た 。 
「 お茶 を よば れ に 来 た よ 。 ゆれる かい 。 」 大 博士 は にやにや わらっ て 言い まし た 。 老 技師 が 答え まし た 。 
「 まだ そんな で ない 。 けれども 、 どうも 岩 が ぼろぼろ 上 から 落ち て いる らしい ん だ 。 」 
ちょうど その 時 、 山 は にわかに おこっ た よう に 鳴り出し 、 ブドリ は 目 の 前 が 青く なっ た よう に 思い まし た 。 山 は ぐらぐら 続け て ゆれ まし た 。 見る と クーボー 大 博士 も 老 技師 も しゃがん で 岩 へ しがみつい て い まし た し 、 飛行船 も 大きな 波 に 乗っ た 船 の よう に ゆっくり ゆれ て おり まし た 。 
地震 は やっと やみ 、 クーボー 大 博士 は 起きあがっ て すたすた と 小屋 へ はいっ て 行き まし た 。 中 で は お茶 が ひっくり返っ て 、 アルコール が 青く ぽかぽか 燃え て い まし た 。 クーボー 大 博士 は 器械 を すっかり 調べ て 、 それから 老 技師 と いろいろ 話し まし た 。 そして しまいに 言い まし た 。 
「 もう どうしても 、 来年 は 潮汐 発電 所 を 全部 作っ て しまわ なけれ ば なら ない 。 それ が できれ ば 今度 の よう な 場合 に も その 日 の うち に 仕事 が できる し 、 ブドリ 君 が 言っ て いる 沼 ば たけ の 肥料 も 降ら せ られる ん だ 。 」 
「 旱魃 だって ちっとも こわく なく なる から な 。 」 ペンネン 技師 も 言い まし た 。 ブドリ は 胸 が わくわく し まし た 。 山 まで 踊り あがっ て いる よう に 思い まし た 。 じっさい 山 は 、 その 時 はげしく ゆれ 出し て 、 ブドリ は 床 へ 投げ出さ れ て い た の です 。 大 博士 が 言い まし た 。 
「 やる ぞ 、 やる ぞ 。 いま の は サンムトリ の 市 へ も 、 かなり 感じ た に ちがい ない 。 」 
老 技師 が 言い まし た 。 
「 今 の は ぼく ら の 足もと から 、 北 へ 一 キロ ばかり 、 地表 下 七 百 メートル ぐらい の 所 で 、 この 小屋 の 六 七 十 倍 ぐらい の 岩 の 塊 が 熔岩 の 中 へ 落ち込ん だ らしい の だ 。 ところが ガス が いよいよ 最後 の 岩 の 皮 を はね 飛ばす まで に は 、 そんな 塊 を 百 も 二 百 も 、 じ ぶん の からだ の 中 に とら なけれ ば なら ない 。 」 
大 博士 は しばらく 考え て い まし た が 、 
「 そう だ 、 僕 は これ で 失敬 しよ う 。 」 と 言っ て 小屋 を 出 て 、 いつか ひらり と 船 に 乗っ て しまい まし た 。 老 技師 と ブドリ は 、 大 博士 が あかり を 二 三 度 振っ て 挨拶 し ながら 、 山 を まわっ て 向こう へ 行く の を 見送っ て また 小屋 に はいり 、 かわるがわる 眠っ たり 観測 し たり し まし た 。 そして 明け方 ふもと へ 工作 隊 が つき ます と 、 老 技師 は ブドリ を 一 人 小屋 に 残し て 、 きのう 指さし た あの 草地 まで 降り て 行き まし た 。 みんな の 声 や 、 鉄 の 材料 の 触れ合う 音 は 、 下 から 風 の 吹き上げる とき は 、 手 に とる よう に 聞こえ まし た 。 ペンネン 技師 から は ひっきりなしに 、 向こう の 仕事 の 進み 具合 も 知ら せ て よこし 、 ガス の 圧力 や 山 の 形 の 変わり よう も 尋ね て 来 まし た 。 それ から 三 日 の 間 は 、 はげしい 地震 や 地鳴り の なか で 、 ブドリ の ほう も ふもと の ほう も ほとんど 眠る ひま さえ あり ませ ん でし た 。 その 四 日 目 の 午前 、 老 技師 から の 発信 が 言っ て 来 まし た 。 
「 ブドリ 君 だ な 。 すっかり し たく が でき た 。 急い で 降り て き た ま え 。 観測 の 器械 は 一 ぺん 調べ て そのまま に し て 、 表 は 全部 持っ て くる の だ 。 もう その 小屋 は きょう の 午後 に は なく なる ん だ から 。 」 
ブドリ は すっかり 言わ れ た とおり に し て 山 を 降り て 行き まし た 。 そこ に は いま まで 局 の 倉庫 に あっ た 大きな 鉄材 が 、 すっかり 櫓 に 組み 立っ て い て 、 いろいろ な 器械 は もう 電流 さえ 来れ ば すぐ に 働き 出す ばかり に なっ て い まし た 。 ペンネン 技師 の 頬 は げっそり 落ち 、 工作 隊 の 人 たち も 青ざめ て 目 ばかり 光ら せ ながら 、 それでも みんな 笑っ て ブドリ に 挨拶 し まし た 。 
老 技師 が 言い まし た 。 
「 では 引き上げよ う 。 みんな し たく し て 車 に 乗り たまえ 。 」 みんな は 大急ぎ で 二 十 台 の 自動車 に 乗り まし た 。 車 は 列 に なっ て 山 の すそ を 一散 に サンムトリ の 市 に 走り まし た 。 ちょうど 山 と 市 と の まん中 どこ で 、 技師 は 自動車 を とめ させ まし た 。 「 ここ へ 天幕 を 張り たまえ 。 そして みんな で 眠る ん だ 。 」 みんな は 、 物 を ひとこと も 言え ず に 、 その とおり に し て 倒れる よう に ねむっ て しまい まし た 。 その 午後 、 老 技師 は 受話器 を 置い て 叫び まし た 。 
「 さあ 電線 は 届い た ぞ 。 ブドリ 君 、 始める よ 。 」 老 技師 は スイッチ を 入れ まし た 。 ブドリ たち は 、 天幕 の 外 に 出 て 、 サンムトリ の 中腹 を 見つめ まし た 。 野原 に は 、 白百合 が いち めん に 咲き 、 その 向こう に サンムトリ が 青く ひっそり 立っ て い まし た 。 
にわかに サンムトリ の 左 の すそ が ぐらぐら っと ゆれ 、 まっ黒 な けむり が ぱっと 立っ た と 思う と まっすぐ に 天 まで のぼっ て 行っ て 、 おかしな きのこ の 形 に なり 、 その 足もと から 黄金 色 の 熔岩 がん きらきら 流れ出し て 、 見る ま に ず うっ と 扇形 に ひろがり ながら 海 へ はいり まし た 。 と 思う と 地面 は はげしく ぐらぐら ゆれ 、 百 合 の 花 も いち めん ゆれ 、 それから ご うっ という よう な 大きな 音 が 、 みんな を 倒す くらい 強く やってき まし た 。 それから 風 が どう っと 吹い て 行き まし た 。 
「 やっ た やっ た 。 」 と みんな は そっち に 手 を 延ばし て 高く 叫び まし た 。 この 時 サンムトリ の 煙 は 、 くずれる よう に そら いっぱい ひろがっ て 来 まし た が 、 たちまち そら は まっ暗 に なっ て 、 熱い こいし が ばらばら ばらばら 降っ て き まし た 。 みんな は 天幕 の 中 に は いっ て 心配 そう に し て い まし た が 、 ペンネン 技師 は 、 時計 を 見 ながら 、 
「 ブドリ 君 、 うまく 行っ た 。 危険 は もう 全く ない 。 市 の ほう へ は 灰 を すこし 降らせる だけ だろ う 。 」 と 言い まし た 。 こいし は だんだん 灰 に かわり まし た 。 それ も まもなく 薄く なっ て 、 みんな は また 天幕 の 外 へ 飛び出し まし た 。 野原 は まるで 一 めん ねずみ いろ に なっ て 、 灰 は 一寸 ばかり 積もり 、 百 合 の 花 は みんな 折れ て 灰 に 埋まり 、 空 は 変 に 緑 いろ でし た 。 そして サンムトリ の すそ に は 小さな こ ぶ が でき て 、 そこ から 灰 いろ の 煙 が 、 まだ どんどん のぼっ て おり まし た 。 
その 夕方 、 みんな は 灰 や こいし を 踏ん で 、 もう一度 山 へ のぼっ て 、 新しい 観測 の 器械 を 据え 着け て 帰り まし た 。 
七 　 雲 の 海 
それから 四 年 の 間 に 、 クーボー 大 博士 の 計画 どおり 、 潮汐 発電 所 は 、 イーハトーヴ の 海岸 に 沿っ て 、 二 百 も 配置 さ れ まし た 。 イーハトーヴ を めぐる 火山 に は 、 観測 小屋 と いっしょ に 、 白く 塗ら れ た 鉄 の 櫓 が 順々 に 建ち まし た 。 
ブドリ は 技師 心得 に なっ て 、 一 年 の 大 部分 は 火山 から 火山 と 回っ て ある い たり 、 あぶなく なっ た 火山 を 工作 し たり し て い まし た 。 
次 の 年 の 春 、 イーハトーヴ の 火山 局 で は 、 次 の よう な ポスター を 村 や 町 へ 張り まし た 。 
「 窒素肥料 を 降ら せ ます 。 
ことし の 夏 、 雨 と いっしょ に 、 硝酸 アムモニヤ を みなさん の 沼 ば たけ や 蔬菜 ば たけ に 降ら せ ます から 、 肥料 を 使う かた は 、 その 分 を 入れ て 計算 し て ください 。 分量 は 百 メートル 四方 につき 百 二 十 キログラム です 。 
雨 も すこし は 降ら せ ます 。 
旱魃 の 際 に は 、 とにかく 作物 の 枯れ ない ぐらい の 雨 は 降らせる こと が でき ます から 、 いま まで 水 が 来 なく なっ て 作付 し なかっ た 沼 ば たけ も 、 ことし は 心配 せ ず に 植え付け て ください 。 」 
その 年 の 六月 、 ブドリ は イーハトーヴ の まん中 にあたる イーハトーヴ 火山 の 頂上 の 小屋 に おり まし た 。 下 はいち めん 灰 いろ を し た 雲 の 海 でし た 。 その あちこち から イーハトーヴ じゅう の 火山 の いただき が 、 ちょうど 島 の よう に 黒く 出 て おり まし た 。 その 雲 の すぐ 上 を 一 隻 の 飛行船 が 、 船尾 から まっ白 な 煙 を 噴い て 、 一つ の 峯 から 一つ の 峯 へ ちょうど 橋 を かける よう に 飛びまわっ て い まし た 。 その けむり は 、 時間 が たつ ほど だんだん 太く はっきり なっ て しずか に 下 の 雲 の 海 に 落ち かぶさり 、 まもなく 、 いち めん の 雲 の 海 に は うす 白く 光る 大きな 網 が 山 から 山 へ 張り わたさ れ まし た 。 いつか 飛行船 は けむり を 納め て 、 しばらく 挨拶 する よう に 輪 を 描い て い まし た が 、 やがて 船首 を たれ て しずか に 雲 の 中 へ 沈ん で 行っ て しまい まし た 。 
受話器 が ジー と 鳴り まし た 。 ペンネン 技師 の 声 でし た 。 
「 飛行船 は いま 帰っ て 来 た 。 下 の ほう の し たく は すっかり いい 。 雨 は ざあざあ 降っ て いる 。 もう よかろ う と 思う 。 はじめて くれ た ま え 。 」 
ブドリ は ぼ たん を 押し まし た 。 見る 見る さっき の けむり の 網 は 、 美しい 桃 いろ や 青 や 紫 に 、 パッ パッ と 目 も さめる よう に かがやき ながら 、 つい たり 消え たり し まし た 。 ブドリ は まるで うっとり と し て それ に 見とれ まし た 。 その うち に だんだん 日 は 暮れ て 、 雲 の 海 も あかり が 消え た とき は 、 灰 いろ かね ず みいろ か わから ない よう に なり まし た 。 
受話器 が 鳴り まし た 。 
「 硝酸 アムモニヤ は もう 雨 の 中 へ で て き て いる 。 量 も これ ぐらい なら ちょうど いい 。 移動 の ぐあいもいいらしい 。 あと 四 時間 やれ ば 、 もうこ の 地方 は 今月 中 は たくさん だろ う 。 つづけ て やっ て くれ た ま え 。 」 
ブドリ は もう うれしくっ て はね上がり たい くらい でし た 。 
この 雲 の 下 で 昔 の 赤ひげ の 主人 も 、 となり の 石油 が こやし に なる か と 言っ た 人 も 、 みんな よろこん で 雨 の 音 を 聞い て いる 。 そして あす の 朝 は 、 見違える よう に 緑 いろ に なっ た オリザ の 株 を 手 で なで たり する だろ う 。 まるで 夢 の よう だ と 思い ながら 、 雲 の まっ くら に なっ たり 、 また 美しく 輝い たり する の を ながめ て おり まし た 。 ところが 短い 夏 の 夜 は もう 明ける らしかっ た の です 。 電光 の 合間 に 、 東 の 雲 の 海 の はて が ぼんやり 黄ばん で いる の でし た 。 
ところが それ は 月 が 出る の でし た 。 大きな 黄いろ な 月 が しずか に のぼっ て くる の でし た 。 そして 雲 が 青く 光る とき は 変 に 白っぽく 見え 、 桃 いろ に 光る とき は 何 か わらっ て いる よう に 見える の でし た 。 ブドリ は 、 も うじ ぶん が だれ な の か 、 何 を し て いる の か 忘れ て しまっ て 、 ただ ぼんやり それ を みつめ て い まし た 。 
受話器 は ジー と 鳴り まし た 。 
「 こっち で は だいぶ 雷 が 鳴りだし て 来 た 。 網 が あちこち ちぎれ た らしい 。 あんまり 鳴らす と あした の 新聞 が 悪口 を 言う から もう 十分 ばかり で やめよ う 。 」 
ブドリ は 受話器 を 置い て 耳 を すまし まし た 。 雲 の 海 は あっち でも こっち でも ぶつぶつ ぶつぶつ つぶやい て いる の です 。 よく 気 を つけ て 聞く と やっ ぱりそれはきれぎれの 雷 の 音 でし た 。 
ブドリ は スイッチ を 切り まし た 。 にわかに 月 の あかり だけ に なっ た 雲 の 海 は 、 やっぱり しずか に 北 へ 流れ て い ます 。 ブドリ は 毛布 を からだ に 巻い て ぐっすり 眠り まし た 。 
八 　 秋 
その 年 の 農作物 の 収穫 は 、 気候 の せい も あり まし た が 、 十 年 の 間 に も なかっ た ほど 、 よく でき まし た ので 、 火山 局 に は あっち から も こっち から も 感謝 状 や 激励 の 手紙 が 届き まし た 。 ブドリ は はじめて ほんとう に 生きがい が ある よう に 思い まし た 。 
ところが ある 日 、 ブドリ が タチナ という 火山 へ 行っ た 帰り 、 とりいれ の 済ん で がらんと し た 沼 ば たけ の 中 の 小さな 村 を 通りかかり まし た 。 ちょうど ひる ころ な ので 、 パン を 買お う と 思っ て 、 一 軒 の 雑貨 や 菓子 を 買っ て いる 店 へ 寄っ て 、 
「 パン は あり ませ ん か 。 」 と きき まし た 。 すると そこ に は 三 人 の はだし の 人 たち が 、 目 を まっ 赤 に し て 酒 を 飲ん で おり まし た が 、 一 人 が 立ち上がっ て 、 
「 パン は ある が 、 どうも 食わ れ ない パン で な 。 石盤 だ も な 。 」 と おかしな こと を 言い ます と 、 みんな は おもしろ そう に ブドリ の 顔 を 見 て どっと 笑い まし た 。 ブドリ は いや に なっ て 、 ぷいっと 表 へ 出 まし たら 、 向こう から 髪 を 角刈り に し た せい の 高い 男 が 来 て 、 いきなり 、 
「 おい 、 お前 、 ことし の 夏 、 電気 で こやし 降ら せ た ブドリ だ な 。 」 と 言い まし た 。 
「 そう だ 。 」 ブドリ は 何 げ なく 答え まし た 。 その 男 は 高く 叫び まし た 。 
「 火山 局 の ブドリ が 来 た ぞ 。 みんな 集まれ 。 」 
すると 今 の 家 の 中 や そこら の 畑 から 、 十 八 人 の 百姓 たち が 、 げらげら わらっ て かけ て 来 まし た 。 
「 この 野郎 、 き さま の 電気 の おかげ で 、 おいら の オリザ 、 みんな 倒れ て しまっ た ぞ 。 何 し て あんな まね し た ん だ 。 」 一 人 が 言い まし た 。 
ブドリ は しずか に 言い まし た 。 
「 倒れる なんて 、 きみ ら は 春 に 出し た ポスター を 見 なかっ た の か 。 」 
「 何 この 野郎 。 」 いきなり 一 人 が ブドリ の 帽子 を たたき落とし まし た 。 それから みんな は 寄っ て たかっ て ブドリ を なぐっ たり ふん だり し まし た 。 ブドリ は とうとう 何 が なんだか わから なく なっ て 倒れ て しまい まし た 。 
気がつい て みる と ブドリ は どこ か の 病院 らしい 室 の 白い ベッド に 寝 て い まし た 。 枕 もと に は 見舞い の 電報 や 、 たくさん の 手紙 が あり まし た 。 ブドリ の からだ じゅう は 痛く て 熱く 、 動く こと が でき ませ ん でし た 。 けれども それ から 一 週間 ばかり たち ます と 、 もう ブドリ は もと の 元気 に なっ て い まし た 。 そして 新聞 で 、 あの とき の 出来事 は 、 肥料 の 入れ よう を まちがっ て 教え た 農業 技師 が 、 オリザ の 倒れ た の を みんな 火山 局 の せい に し て 、 ごまかし て い た ため だ という こと を 読ん で 、 大きな 声 で 一 人 で 笑い まし た 。 
その 次 の 日 の 午後 、 病院 の 小使 が はいっ て 来 て 、 
「 ネリ という ご 婦人 の お かた が たずね て おいで に なり まし た 。 」 と 言い まし た 。 ブドリ は 夢 で は ない か と 思い まし たら 、 まもなく 一 人 の 日 に 焼け た 百姓 の お かみさん の よう な 人 が 、 おずおず と はいっ て 来 まし た 。 それ は まるで 変わっ て は い まし た が 、 あの 森 の 中 から だれ か に つれ て 行か れ た ネリ だっ た の です 。 二 人 は しばらく 物 も 言え ませ ん でし た が 、 やっと ブドリ が 、 その後 の こと を たずね ます と 、 ネリ も ぼつぼつ と イーハトーヴ の 百姓 の ことば で 、 今 まで の こと を 話し まし た 。 ネリ を 連れ て 行っ た あの 男 は 、 三 日 ばかり の 後 、 めんどうくさく なっ た の か 、 ある 小さな 牧場 の 近く へ ネリ を 残し て 、 どこ か へ 行っ て しまっ た の でし た 。 
ネリ が そこら を 泣い て 歩い て い ます と 、 その 牧場 の 主人 が かわいそう に 思っ て 家 へ 入れ て 、 赤ん坊 の お守 を さ せ たり し て い まし た が 、 だんだん ネリ は なん でも 働ける よう に なっ た ので 、 とうとう 三 四 年 前 に その 小さな 牧場 の いちばん 上 の 息子 と 結婚 し た という の でし た 。 そして ことし は 肥料 も 降っ た ので 、 いつも なら 厩肥 を 遠く の 畑 まで 運び出さ なけれ ば なら ず 、 たいへん 難儀 し た の を 、 近く の かぶら 畑 へ みんな 入れ た し 、 遠く の 玉蜀黍 も よく でき た ので 、 家 じゅう みんな よろこん で いる という よう な こと も 言い まし た 。 また あの 森 の 中 へ 主人 の 息子 と いっしょ に 何 べ ん も 行っ て 見 た けれども 、 家 は すっかり こわれ て い た し 、 ブドリ は どこ へ 行っ た か わから ない ので 、 いつも がっかり し て 帰っ て い たら 、 きのう 新聞 で 主人 が ブドリ の けが を し た こと を 読ん だ ので 、 やっと こっち へ たずね て 来 た という こと も 言い まし た 。 ブドリ は 、 なおっ たら きっと その 家 へ たずね て 行っ て お礼 を 言う 約束 を し て ネリ を 帰し まし た 。 
九 　 カルボナード 島 
それ から の 五 年 は 、 ブドリ に は ほんとう に 楽しい もの でし た 。 赤ひげ の 主人 の 家 に も 何 べ ん も お礼 に 行き まし た 。 
もう よほど 年 は とっ て い まし た が 、 やはり 非常 な 元気 で 、 こんど は 毛 の 長い うさぎ を 千 匹 以上 飼っ たり 、 赤い 甘藍 ばかり 畑 に 作っ たり 、 相変わらず の 山師 は やっ て い まし た が 、 暮らし はず うっ と いい よう でし た 。 
ネリ に は 、 かわいらしい 男の子 が 生まれ まし た 。 冬 に 仕事 が ひま に なる と 、 ネリ は その 子 に すっかり こども の 百姓 の よう な かたち を さ せ て 、 主人 と いっしょ に 、 ブドリ の 家 に たずね て 来 て 、 泊まっ て 行っ たり する の でし た 。 
ある 日 、 ブドリ の ところ へ 、 昔 てぐす 飼い の 男 に ブドリ と いっしょ に 使わ れ て い た 人 が たずね て 来 て 、 ブドリ たち の おとうさん の お 墓 が 森 の いちばん はずれ の 大きな 榧 の 木の下 に ある という こと を 教え て 行き まし た 。 それ は 、 はじめ 、 てぐす 飼い の 男 が 森 に 来 て 、 森 じゅう の 木 を 見 て ある い た とき 、 ブドリ の おとうさん たち の 冷たく なっ た から だ を 見つけ て 、 ブドリ に 知らせ ない よう に 、 そっと 土 に 埋め て 、 上 へ 一 本 の 樺 の 枝 を たて て おい た という の でし た 。 ブドリ は 、 すぐ ネリ たち を つれ て そこ へ 行っ て 、 白い 石灰岩 の 墓 を たて て 、 それ から も その 辺 を 通る たび に いつも 寄っ て くる の でし た 。 
そして ちょうど ブドリ が 二 十 七 の 年 でし た 。 どうも あの 恐ろしい 寒い 気候 が また 来る よう な 模様 でし た 。 測候所 で は 、 太陽 の 調子 や 北 の ほう の 海 の 氷 の 様子 から 、 その 年 の 二月 に みんな へ それ を 予報 し まし た 。 それ が 一足 ずつ だんだん ほんとう に なっ て 、 こぶし の 花 が 咲か なかっ たり 、 五月 に 十 日 も みぞ れ が 降っ たり し ます と 、 みんな は もう この 前 の 凶作 を 思い出し て 、 生き た そら も あり ませ ん でし た 。 クーボー 大 博士 も 、 たびたび 気象 や 農業 の 技師 たち と 相談 し たり 、 意見 を 新聞 へ 出し たり し まし た が 、 やっぱり この 激しい 寒 さ だけ は どう と も でき ない よう す でし た 。 
ところが 六月 も はじめ に なっ て 、 まだ 黄いろ な オリザ の 苗 や 、 芽 を 出さ ない 木 を 見 ます と 、 ブドリ は もう い て も 立っ て も いら れ ませ ん でし た 。 この まま で 過ぎる なら 、 森 に も 野原 に も 、 ちょうど あの 年 の ブドリ の 家族 の よう に なる 人 が たくさん できる の です 。 ブドリ は まるで 物 も 食べ ず に 幾 晩 も 幾 晩 も 考え まし た 。 ある 晩 ブドリ は 、 クーボー 大 博士 の うち を たずね まし た 。 
「 先生 、 気 層 の なか に 炭酸 ガス が ふえ て 来れ ば 暖かく なる の です か 。 」 
「 それ は なる だろ う 。 地球 が でき て から いま まで の 気温 は 、 たいてい 空気 中 の 炭酸 ガス の 量 で きまっ て い た と 言わ れる くらい だ から ね 。 」 
「 カルボナード 火山 島 が 、 いま 爆発 し たら 、 この 気候 を 変える くらい の 炭酸 ガス を 噴く でしょ う か 。 」 
「 それ は 僕 も 計算 し た 。 あれ が いま 爆発 すれ ば 、 ガス は すぐ 大 循環 の 上層 の 風 に まじっ て 地球 ぜんたい を 包む だろ う 。 そして 下層 の 空気 や 地表 から の 熱 の 放散 を 防ぎ 、 地球 全体 を 平均 で 五 度 ぐらい 暖かく する だろ う と 思う 。 」 
「 先生 、 あれ を 今 すぐ 噴か せ られ ない でしょ う か 。 」 
「 それ は できる だろ う 。 けれども 、 その 仕事 に 行っ た もの の うち 、 最後 の 一 人 は どうしても 逃げ られ ない ので ね 。 」 
「 先生 、 私 に それ を やらし て ください 。 どうか 先生 から ペンネン 先生 へ お許し の 出る よう お ことば を ください 。 」 
「 それ は いけ ない 。 きみ は まだ 若い し 、 いま の きみ の 仕事 に かわれる もの は そう は ない 。 」 
「 私 の よう な もの は 、 これから たくさん でき ます 。 私 より もっと もっと なん でも できる 人 が 、 私 より もっと 立派 に もっと 美しく 、 仕事 を し たり 笑っ たり し て 行く の です から 。 」 
「 その 相談 は 僕 は いか ん 。 ペンネン 技師 に 話し た ま え 。 」 
ブドリ は 帰っ て 来 て 、 ペンネン 技師 に 相談 し まし た 。 技師 は うなずき まし た 。 
「 それ は いい 。 けれども 僕 が やろ う 。 僕 は ことし もう 六 十 三 な の だ 。 ここ で 死ぬ なら 全く 本望 という もの だ 。 」 
「 先生 、 けれども この 仕事 は まだ あんまり 不確か です 。 一 ぺん うまく 爆発 し て も まもなく ガス が 雨 に とら れ て しまう かも しれ ませ ん し 、 また 何もかも 思っ た とおり いか ない かも しれ ませ ん 。 先生 が 今度 おいで に なっ て しまっ て は 、 あと な ん ともく ふう が つか なく なる と 存じ ます 。 」 
老 技師 は だまっ て 首 を たれ て しまい まし た 。 
それから 三 日 の 後 、 火山 局 の 船 が 、 カルボナード 島 へ 急い で 行き まし た 。 そこ へ いくつ もの や ぐらは 建ち 、 電線 は 連結 さ れ まし た 。 
すっかり し たく が できる と 、 ブドリ は みんな を 船 で 帰し て しまっ て 、 じ ぶん は 一 人 島 に 残り まし た 。 
そして その 次 の 日 、 イーハトーヴ の 人 たち は 、 青 ぞ ら が 緑 いろ に 濁り 、 日 や 月 が 銅 いろ に なっ た の を 見 まし た 。 
けれども それ から 三 四 日 たち ます と 、 気候 は ぐんぐん 暖かく なっ て き て 、 その 秋 は ほぼ 普通 の 作柄 に なり まし た 。 そして ちょうど 、 この お話 の はじまり の よう に なる はず の 、 たくさん の ブドリ の おとうさん や おかあさん は 、 たくさん の ブドリ や ネリ と いっしょ に 、 その 冬 を 暖かい た べ もの と 、 明るい 薪 で 楽しく 暮らす こと が でき た の でし た 。 
「 何 の 用 で ここ へ 来 た の 、 何 か しらべ に 来 た の 、 何 か しらべ に 来 た の 。 」 
西 の 山地 から 吹い て 来 た まだ 少し つめたい 風 が 私 の 見 す ぼ らしい 黄いろ の 上着 を ぱたぱたかすめながら 何 べ ん も 通っ て 行き まし た 。 
「 おれ は 内地 の 農林 学校 の 助手 だ よ 、 だから 標本 を 集め に 来 た ん だい 。 」 私 は だんだん 雲 の 消え て 青 ぞ ら の 出 て 来る 空 を 見 ながら 、 威張っ て そう 云い まし たら もう その 風 は 海 の 青い 暗い 波 の 上 に 行っ て い て いま の 返事 も 聞か ない よう あと から あと から 別 の 風 が 来 て 勝手 に 叫ん で 行き まし た 。 
「 何 の 用 で ここ へ 来 た の 、 何 か しらべ に 来 た の 、 しらべ に 来 た の 、 何 か しらべ に 来 た の 。 」 もう 相手 に なら ない と 思い ながら 私 は だまっ て 海 の 方 を 見 て い まし たら 風 は 親切 に また 叫ぶ の でし た 。 
「 何 し てる の 、 何 を 考え てる の 、 何 か 見 て いる の 、 何 か しらべ に 来 た の 。 」 私 は そこ で とうとう また 言っ て しまい まし た 。 
「 そんなに どんどん 行っ ちまわ ない で せっかく ひと へ 物 を 訊い たら しばらく 返事 を 待っ て い たら いい じゃ ない か 。 」 けれども それ も また 風 が みんな 一 語 ずつ 切れ切れ に 持っ て 行っ て しまい まし た 。 もう ほんとう に だめ な やつ だ 、 はなし に も なんにも なっ た もん じゃ ない 、 と 私 が ぷいっと 歩き 出 そう と し た とき でし た 。 向う の 海 が 孔雀石 いろ と 暗い 藍 いろ と 縞 に なっ て いる その 堺 の あたり で どうも すきとおっ た 風 ども が 波 の ため に 少し ゆれ ながら ぐるっと 集っ て 私 から とっ て 行っ た きれ ぎれの 語 を 丁度 ぼろぼろ に なっ た 地図 を 組み合せる 時 の よう に 息 を こらし て じっと 見つめ ながら いろいろ に はぎ合せ て いる の を ちらっと 私 は 見 まし た 。 
また 私 は そこ から 風 ども が 送っ て よこし た 安心 の よう な 気持 も 感じ て 受け取り まし た 。 そしたら 丁度 あし もと の 砂 に 小さな 白い 貝殻 に 円い 小さな 孔 が あい て 落ち て いる の を 見 まし た 。 つめ た がい に やら れ た の だ な 朝 から こんな いい 標本 が とれる なら ひる すぎ は 十字 狐 だって とれる に ちがい ない と 私 は 思い ながら それ を 拾っ て 雑嚢 に 入れ た の でし た 。 そしたら 俄 か に 波 の 音 が 強く なっ て それ は 斯 う 云っ た よう に 聞こえ まし た 。 「 貝殻 なんぞ 何 に する ん だ 。 そんな 小さな 貝殻 なんど 何 に する ん だ 、 何 に する ん だ 。 」 
「 おれ は 学校 の 助手 だ から さ 。 」 私 は つい また つりこま れ て どなり まし た 。 すると すぐ 私 の 足もと から 引い て 行っ た 潮水 は また 巻き返し て 波 に なっ て さっと しぶき を あげ ながら また 叫び まし た 。 「 何 に する ん だ 、 何 に する ん だ 、 貝殻 なんぞ 何 に する ん だ 。 」 私 は むっと し て しまい まし た 。 
「 あんまり 訳 が わから ない な 、 もの と 云う もの は そんなに 何でもかでも 何 か に し な け ぁいけないもんじゃないんだよ 。 そんな こと おれ より おまえ たち が もっと よく わかっ て そう な もん じゃ ない か 。 」 
すると 波 は すこし たじろい だ よう に からっぽ な 音 を たて て から ぶつぶつ 呟く よう に 答え まし た 。 「 おれ は また 、 おまえ たち なら きっと 何 か に し な け ぁ 済まない もの と 思っ て た ん だ 。 」 
私 は どき っ として 顔 を 赤く し て あたり を 見 まわし まし た 。 
ほんとう に その 返事 は 謙遜 な 申し訳 け の よう な 調子 でし た けれども 私 は まるで 立っ て も 居 て も い られ ない よう に 思い まし た 。 
そして それ っきり 浪 は もう 別 の ことば で 何 べ ん も 巻い て 来 て は 砂 を たて て さびしく 濁り 、 砂 を 滑らか な 鏡 の よう に し て 引い て 行っ て は 一 きれ の 海藻 を ただよわ せ た の です 。 
そして 、 ほんとう に 、 こんな オホーツク 海 の なぎさ に 座っ て 乾い て 飛ん で 来る 砂 や はまなす の いい 匂 を 送っ て 来る 風 の きれ ぎれのものがたりを 聴い て いる と ほんとう に 不思議 な 気持 が する の でし た 。 それ も 風 が 私 に はなし た の か 私 が 風 に はなし た の か あと は もう さっぱり わかり ませ ん 。 また それら の はなし が 金字 の 厚い 何 冊 も の 百科辞典 に ある よう な しっかり し た つかまえ どこ の ある もの か それとも 風 や 波 と いっしょ に 次 から 次 と 移っ て 消え て 行く もの か それ も 私 に は わかり ませ ん 。 ただ そこ から 風 や 草 穂 の いい 性質 が あなた がた の こころ に うつっ て 見える なら どんなに うれしい か しれ ませ ん 。 
タネリ が 指 を くわい て はだし で 小屋 を 出 た とき タネリ の おっかさん は 前 の 草 は ら で 乾かし た 鮭 の 皮 を 継ぎ合せ て 上着 を こさえ て い た の です 。 「 おれ 海 へ 行っ て 孔 石 を ひろっ て 来る よ 。 」 と タネリ が 云い まし たら おっかさん は 太い 縫糸 を 歯 で ぷつっと 切っ て その きれ はし を ぺっと 吐い て 云い まし た 。 
「 ひとり で 浜 へ 行っ て も いい けれど 、 あすこ に は くらげ が たくさん 落ち て いる 。 寒天 みたい な すき と おして そら も 見える よう な もの が たくさん 落ち て いる から それ を ひろっ て は いけ ない よ 。 それから それ で 物 を すかし て 見 て は いけ ない よ 。 おまえ の 眼 は 悪い もの を 見 ない よう に すっかり はらっ て ある ん だ から 。 くらげ は それ を 消す から 。 おまえ の 兄さん も いつか ひどい 眼 に あっ た から 。 」 「 そんな もの おれ とら ない 。 」 タネリ は 云い ながら 黒く 熟し た こけ もも の 間 の 小さな みち を 砂 はま に 下り て 来 まし た 。 波 が ちょうど 減 い た とこ でし た から 磨か れ た きれい な 石 は 一 列 に ならん で い まし た 。 「 こん なら もう 穴 石 は いくらでも ある 。 それ より あの おっ 母 の 云っ た おかしな もの を 見 て やろ う 。 」 タネリ は にが に が 笑い ながら はだし で その ぬれ た 砂 を ふん で 行き まし た 。 する と 、 ちゃんと あっ た の です 。 砂 の 一 とこ が 円く ぽ とっ と ぬれ た よう に 見え て そこ に 指 を あて て み ます と にく にく 寒天 の よう な つめたい もの でし た 。 そして 何だか 指 が しびれ た よう でし た 。 びっくり し て タネリ は 指 を 引っ込め まし た けれども 、 どうも もう それ を つまみあげ て み たく て たまらなく なり まし た 。 拾っ て しまい さえ し なけれ ば いい だろ う と 思っ て それ を すばやく つまみ上げ まし たら 砂 が すこし つい て 来 まし た 。 砂 を あらっ て やろ う と 思っ て タネリ は 潮水 の 来る とこ まで 下り て 行っ て 待っ て い まし た 。 間もなく 浪 が ど ぼん と 鳴っ て それ から すうっ と 白い 泡 を ひろげ ながら 潮水 が やって来 まし た 。 タネリ は すばやく それ を 洗い まし たら ほんとう に きれい な 硝子 の よう に なっ て 日 に 光り まし た 。 タネリ は また おっかさん の ことば を 思い出し て もう 棄て て しまお う として あたり を 見 まわし まし たら 南 の 岬 はいち めん うすい 紫いろ の や な ぎらんの 花 で ちょっと 燃え て いる よう に 見え その 向う に は とど 松 の 黒い 緑 が きれい に 綴ら れ て 何 と も 云え ず 立派 でし た 。 あんな きれい な とこ を この めがね で すかし て 見 たら ほんとう に もう どんなに 不思議 に 見える だろ う と 思い ます と タネリ は もう 居 て も たっ て も い られ なく なり まし た 。 思わず くらげ を ぷらんと 手 で ぶら下げ て そっち を すかし て 見 まし たら さあ どう でしょ う 、 いま まで の 明るい 青い そら が がらん と し た まっ くら な 穴 の よう な もの に 変っ て しまっ て その 底 で 黄いろ な 火 が どんどん 燃え て いる よう でし た 。 さあ 大変 と 思っ て タネリ が 急い で 眼 を はなし まし た が もう その とき は いけ ませ ん でし た 。 そら が すっかり 赤 味 を 帯び た 鉛 いろ に 変っ て い 海 の 水 は まるで 鏡 の よう に 気味 わるく しずまり まし た 。 
おまけ に 水平 線 の 上 の むくむく し た 雲 の 向う から 鉛 いろ の 空 の こっち から 口 の むくれ た 三 疋 の 大きな 白 犬 に 横っちょ に またがっ て 黄いろ の 髪 を ばさばさ さ せ 大きな 口 を あけ たり 立て たり し 歯 を がちがち 鳴らす 恐ろしい ば け もの が だんだん せり出し て 昇っ て 来 まし た 。 もう タネリ は 小さく なっ て 恐れ入っ て い まし たら そら は すっかり 明るく なり その ギリヤーク の 犬 神 は 水平 線 まで すっかり せり出し 間もなく 海 に 犬 の 足 が ちらちら 映り ながら こっち の 方 へ やって来 た の です 。 
「 おっかさん 、 おっかさん 。 おっかさん 。 」 タネリ は 陸 の 方 へ 遁 げ ながら 一生けん命 叫び まし た 。 すると 犬 神 は まるで こわい 顔 を し て 口 を ぱくぱく うごかし まし た 。 もう まるで タネリ は 食わ れ て しまっ た よう に 思っ た の です 。 「 小僧 、 来い 。 いま おれ の とこ の ちょう ざめの 家 に 下男 が なく て 困っ て いる とこ だ 。 ご ち 走 してやる から 来い 。 」 云っ た か と 思う と タネリ は もう しっかり 犬 神 に 両足 を つかま れ て ちょぼ ん と 立ち 、 陸地 は ずんずん うし ろ の 方 へ 行っ て しまっ て 自分 は 青い くらい 波 の 上 を 走っ て 行く の でし た 。 その 遠ざかっ て 行く 陸地 に 小さな 人 の 影 が 五つ 六つ うごき 一 人 は 両手 を 高く あげ て まるで 気違い の よう に 叫び ながら 渚 を かけまわっ て いる の でし た 。 
「 おっかさん 。 もう さよなら 。 」 タネリ も 高く 叫び まし た 。 すると 犬 神 は ぎゅっと タネリ の 足 を 強く 握っ て 「 ほざく な 小僧 、 いる かの子 が びっくり し てる じゃ ない か 。 」 と 云っ た か と 思う と ぽっと あたり が 青 ぐらくなりました 。 「 ああ おいら は もう いる かの子 なんぞ の 機嫌 を 考え なけれ ば なら ない よう に なっ た の か 。 」 タネリ は ほんとう に 涙 を こぼし まし た 。 
その とき いきなり タネリ は 犬 神 の 手 から 砂 へ 投げつけ られ まし た 。 肩 を ひどく 打っ て タネリ が 起きあがっ て 見 まし たら そこ は もう 海 の 底 で 上 の 方 は 青く 明く ただ 一 とこ お 日 さま の ある ところ らしく 白く ぼんやり 光っ て い まし た 。 
「 おい 、 ちょう ざめ 、 いい もの を やる ぞ 。 出 て 来い 。 」 犬 神 は 一つ の 穴 に 向っ て 叫び まし た 。 
タネリ は 小さく なっ て しゃがん で い まし た 。 気 が つい て 見る と ほんとう に タネリ は 大きな 一 ぴき の 蟹 に 変っ て い た の です 。 それ は 自分 の 両手 を ひろげ て 見る と 両側 に 八 本 に なっ て 延びる こと で わかり まし た 。 「 ああ なさけない 。 おっかさん の 云う こと を 聞か ない もん だ から とうとう こんな こと に なっ て しまっ た 。 」 タネリ は 辛い 塩水 の 中 で ぼろぼろ 涙 を こぼし まし た 。 犬 神 は おかし そう に 口 を まげ て にやにや 笑っ て また 云い まし た 。 「 ちょう ざめ 、 どう し たい 。 」 すると ご ほ ご ほ いや な せき を する 音 が し て それ から 「 どうも きのこ に あて られ て ね 。 」 と とても 苦し そう な 声 が し まし た 。 「 そう か 。 そいつ は 気の毒 だ 。 実は ね 、 おまえ の とこ に 下男 が なかっ た もん だ から 今日 一 人 見 附け て 来 て やっ た ん だ 。 蟹 に し て おい た が ね 、 ぴしぴし 遠慮なく 使う が いい 。 おい 。 き さ ま この 穴 に は いっ て 行け 。 」 タネリ は こわく て もう ぶるぶる ふるえ ながら その まっ暗 な 孔 の 中 へ はい 込ん で 行き まし たら 、 ほんとう に 情けない と 思い ながら はい 込ん で 行き まし たら 犬 神 は うし ろ から 砂 を 吹き つけ て 追い込む よう に し まし た 。 にわかに がらんと 明るく なり まし た 。 そこ は 広い 室 で あかり も つき 砂 が きれい に ならさ れ て い まし た が その 上 に それ は もう とても 恐ろし いちょう ざめが 鉢巻 を し て 寝 て い まし た 。 （ こいつ の つら は まるで 黒 と 白 の 棘 だらけ だ 。 こんな やつ に 使わ れる なんて 、 使わ れる なんて ほんとう に こわい 。 ） タネリ は ぶるぶる し ながら 入口 に とまっ て い まし た 。 すると ちょう ざめがううと 一つ うなり まし た 。 タネリ は どき っ として はねあがろ う と し た くらい です 。 「 うう 、 お前 かい 、 今度 の 下男 は 。 おれ は いま 病気 で ね 、 どうも 苦しく て いけ ない ん だ 。 （ 以下 原稿 空白 ） 
「 ガタンコガタンコ 、 シュウフッフッ 、 
さそり の 赤 眼 が 　 見え た ころ 、 
四 時 から 今朝 も 　 やって来 た 。 
遠野 の 盆地 は 　 まっ くら で 、 
つめたい 水 の 　 声 ばかり 。 
ガタンコガタンコ 、 シュウフッフッ 、 
凍え た 砂利 に 　 湯 げ を 吐き 、 
火花 を 闇 に 　 まき ながら 、 
蛇紋 岩 の 　 崖 に 来 て 、 
やっと 東 が 　 燃え だし た 。 
ガタンコガタンコ 、 シュウフッフッ 、 
鳥 が なき だし 　 木 は 光り 、 
青々 川 は 　 ながれ た が 、 
丘 も はざま も 　 いち めん に 、 
まぶしい 霜 を 　 載せ て い た 。 
ガタンコガタンコ 、 シュウフッフッ 、 
やっぱり かける と 　 あっ た か だ 、 
僕 は ほう ほう 　 汗 が 出る 。 
もう 七 、 八 里 　 はせ たい な 、 
今日 も 一 日 　 霜 ぐもり 。 
ガタン ガタン 、 ギー 、 シュウシュウ 」 
軽便鉄道 の 東 から の 一番 列車 が 少し あわて た よう に 、 こう 歌い ながら やって来 て とまり まし た 。 機関 車 の 下 から は 、 力 の ない 湯 げ が 逃げ出し て 行き 、 ほそ 長い おかしな 形 の 煙突 から は 青い けむ り が 、 ほんの 少 うし 立ち まし た 。 
そこで 軽便鉄道 づき の 電信柱 ども は 、 やっと 安心 し た よう に 、 ぶんぶん とう なり 、 シグナル の 柱 は かたん と 白い 腕木 を 上げ まし た 。 この まっすぐ な シグナル の 柱 は 、 シグナレス でし た 。 
シグナレス は ほっと 小さな ため息 を つい て 空 を 見上げ まし た 。 空 に は うすい 雲 が 縞 に なっ て いっぱい に 充ち 、 それ は つめたい 白光 を 凍っ た 地面 に 降ら せ ながら 、 しずか に 東 に 流れ て い た の です 。 
シグナレス は じっと その 雲 の 行く 方 を ながめ まし た 。 それ から やさしい 腕木 を 思い切り そっち の 方 へ 延ばし ながら 、 ほんの かすか に 、 ひとり ごと を 言い まし た 。 
「 今朝 は 伯母 さん たち も きっと こっち の 方 を 見 て いらっしゃる わ 」 
シグナレス は いつ まで も い つ まで も 、 そっち に 気 を とら れ て おり まし た 。 
「 カタン 」 
うし ろ の 方 の しずか な 空 で 、 いきなり 音 が し まし た ので シグナレス は 急い で そっち を ふり向き まし た 。 ず うっ と 積ま れ た 黒い 枕木 の 向こう に 、 あの 立派 な 本線 の シグナル 柱 が 、 今 はるか の 南 から 、 かがやく 白 けむり を あげ て やっ て 来る 列車 を 迎える ため に 、 その 上 の 硬い 腕 を 下げ た ところ でし た 。 
「 お早う 今朝 は 暖か です ね 」 本線 の シグナル 柱 は 、 キチン と 兵隊 の よう に 立ち ながら 、 いや に まじめくさっ て あいさつ し まし た 。 
「 お早う ござい ます 」 シグナレス は ふし 目 に なっ て 、 声 を 落とし て 答え まし た 。 
「 若さま 、 いけ ませ ん 。 これから は あんな もの に やたら に 声 を 、 おかけ なさら ない よう に ねがい ます 」 本線 の シグナル に 夜 電気 を 送る 太い 電信柱 が さも もったいぶっ て 申し まし た 。 
本線 の シグナル は きまり 悪 そう に 、 もじもじ し て だまっ て しまい まし た 。 気 の 弱い シグナレス は まるで もう 消え て しまう か 飛ん で しまう か し たい と 思い まし た 。 けれども どうにも しかた が あり ませ ん でし た から 、 やっぱり じっと 立っ て い た の です 。 
雲 の 縞 は 薄い 琥珀 の 板 の よう に うるみ 、 かすか な かすか な 日光 が 降っ て 来 まし た ので 、 本線 シグナル つき の 電信柱 は うれし がっ て 、 向こう の 野原 を 行く 小さな 荷馬 車 を 見 ながら 低い 調子はずれ の 歌 を やり まし た 。 
「 ゴゴン 、 ゴーゴー 、 
うすい 雲 から 
酒 が 降り だす 、 
酒 の 中 から 
霜 が ながれる 。 
ゴゴン 、 ゴーゴー 、 
ゴゴン 、 ゴーゴー 、 
霜 が とけれ ば 、 
つ ち は まっくろ 。 
馬 は ふん ごみ 、 
人 も ぺちゃぺちゃ 。 
ゴゴン 、 ゴーゴー 」 
それから もっと もっと つづけ ざま に 、 わけ の わから ない こと を 歌い まし た 。 
その間 に 本線 の シグナル 柱 が 、 そっと 西風 に たのん で こう 言い まし た 。 
「 どうか 気 に かけ ない で ください 。 こいつ は もう まるで 野蛮 な ん です 。 礼式 も 何 も 知ら ない の です 。 実際 私 は いつ でも 困っ てる ん です よ 」 
軽便鉄道 の シグナレス は 、 まるで ど ぎまぎしてうつむきながら 低く 、 
「 あら 、 そんな こと ござい ませ ん わ 」 と 言い まし た が なにぶん 風下 でし た から 本線 の シグナル まで 聞こえ ませ ん でし た 。 
「 許し て くださる ん です か 。 本当 を 言っ たら 、 僕 なんか あなた に 怒ら れ たら 生き て いる かい も ない ん です から ね 」 
「 あらあら 、 そんな こと 」 軽便鉄道 の 木 で つくっ た シグナレス は 、 まるで 困っ た という よう に 肩 を すぼめ まし た が 、 実は その 少し うつむい た 顔 は 、 うれし さ に ぽっと 白光 を 出し て い まし た 。 
「 シグナレス さん 、 どうか まじめ で 聞い て ください 。 僕 あなた の ため なら 、 次 の 十 時 の 汽車 が 来る 時 腕 を 下げ ない で 、 じっと がんばり 通し て でも 見せ ます よ 」 わずか ばかり ヒュウヒュウ 言っ て い た 風 が 、 この 時 ぴたり と やみ まし た 。 
「 あら 、 そんな 事 いけ ませ ん わ 」 
「 もちろん いけ ない です よ 。 汽車 が 来る 時 、 腕 を 下げ ない で がんばる なんて 、 そんな こと あなた の ため に も 僕 の ため に も なら ない から 僕 はやり は し ませ ん よ 。 けれども そんな こと でも しよ う と 言う ん です 。 僕 あなた くらい 大事 な もの は 世界中 ない ん です 。 どうか 僕 を 愛し て ください 」 
シグナレス は 、 じっと 下 の 方 を 見 て 黙っ て 立っ て い まし た 。 本線 シグナル つき の せい の 低い 電信柱 は 、 まだ でたらめ の 歌 を やっ て い ます 。 
「 ゴゴンゴーゴー 、 
やま のい わや で 、 
熊 が 火 を たき 、 
あまり けむく て 、 
ほら を 逃げ出す 。 ゴゴンゴー 、 
田螺 は のろのろ 。 
うう 、 田螺 は のろのろ 。 
田螺 の し ゃっぽは 、 
羅紗 の 上等 、 ゴゴンゴーゴー 」 
本線 の シグナル は せっかち でし た から 、 シグナレス の 返事 の ない のに 、 まるで あわて て しまい まし た 。 
「 シグナレス さん 、 あなた は お 返事 を し て くださら ない ん です か 。 ああ 僕 は もう まるで くら やみ だ 。 目 の 前 が まるで まっ黒 な 淵 の よう だ 。 ああ 雷 が 落ち て 来 て 、 一 ぺん に 僕 の からだ を くだけ 。 足もと から 噴火 が 起こっ て 、 僕 を 空 の 遠く に ほうり なげろ 。 もう なにもかも みんな おしまい だ 。 雷 が 落ち て 来 て 一 ぺん に 僕 の からだ を 砕け 。 足もと … … 」 
「 いや 若様 、 雷 が 参り まし た 節 は 手前 一身 に おん わ ざわいをちょうだいいたします 。 どうか ご 安心 を ねがい とう 存じ ます 」 
シグナル つき の 電信柱 が 、 いつか でたらめ の 歌 を やめ て 、 頭 の 上 の はり が ね の 槍 を ぴんと 立て ながら 眼 を パチ パチ さ せ て い まし た 。 
「 えい 。 お前 なんか 何 を 言う ん だ 。 僕 は それ どこ じゃ ない ん だ 」 
「 それ は また どう し た こと で ご ざり まする 。 ちょっと やつ がれ まで お 申し聞け に なり とう 存じ ます 」 
「 いい よ 、 お前 は だまっ て おい で 」 
シグナル は 高く 叫び まし た 。 しかし シグナル も 、 もう だまっ て しまい まし た 。 雲 が だんだん 薄く なっ て 柔らか な 陽 が 射し て 参り まし た 。 
五 日 の 月 が 、 西 の 山脈 の 上 の 黒い 横雲 から 、 もう 一 ぺん 顔 を 出し て 、 山 に 沈む 前 の ほんの しばらく を 、 鈍い 鉛 の よう な 光 で 、 そこら を いっぱい に し まし た 。 冬 がれ の 木 や 、 つみ 重ね られ た 黒い 枕木 は もちろん の こと 、 電信柱 まで みんな 眠っ て しまい まし た 。 遠く の 遠く の 風の音 か 水 の 音 が ご う と 鳴る だけ です 。 
「 ああ 、 僕 は もう 生き てる かい も ない ん だ 。 汽車 が 来る たび に 腕 を 下げ たり 、 青い 眼鏡 を かけ たり いったい なん の ため に こんな こと を する ん だ 。 もう なんにも おもしろく ない 。 ああ 死の う 。 けれども どうして 死ぬ 。 やっぱり 雷 か 噴火 だ 」 
本線 の シグナル は 、 今夜 も 眠ら れ ませ ん でし た 。 非常 な はんもん でし た 。 けれども それ は シグナル ばかり で は あり ませ ん 。 枕木 の 向こう に 青白く しょんぼり 立っ て 、 赤い 火 を かかげ て いる 軽便鉄道 の シグナル 、 すなわち シグナレス とても 全く その とおり でし た 。 
「 ああ 、 シグナル さん も あんまり だ わ 、 あたし が 言え ない で お 返事 も でき ない の を 、 すぐ あんなに 怒っ て おしまい に なる なんて 。 あたし もう 何もかも みんな おしまい だ わ 。 おお 神様 、 シグナル さん に 雷 を 落とす 時 、 いっしょ に 私 に も お 落とし ください ませ 」 
こう 言っ て 、 しきりに 星空 に 祈っ て いる の でし た 。 ところが その 声 が 、 かすか に シグナル の 耳 に はいり まし た 。 シグナル は ぎょっと し た よう に 胸 を 張っ て 、 しばらく 考え て い まし た が 、 やがて ガタガタ ふるえ だし まし た 。 
ふるえ ながら 言い まし た 。 
「 シグナレス さん 。 あなた は 何 を 祈っ て おら れ ます か 」 
「 あたし 存じ ませ ん わ 」 シグナレス は 声 を 落とし て 答え まし た 。 
「 シグナレス さん 、 それ は あんまり ひどい お 言葉 でしょ う 。 僕 は もう 今 すぐ でも お 雷 さん に つぶさ れ て 、 または 噴火 を 足もと から 引っぱり 出し て 、 または いさぎよく 風 に 倒さ れ て 、 または ノア の 洪水 を ひっかぶっ て 、 死ん で しまお う と 言う ん です よ 。 それ だ のに 、 あなた は ちっとも 同情 し て くださら ない ん です か 」 
「 あら 、 その 噴火 や 洪水 を 。 あたし の お祈り は それ よ 」 シグナレス は 思い切っ て 言い まし た 。 シグナル は もう うれしく て 、 うれしく て 、 なおさら ガタガタ ガタガタ ふるえ まし た 。 
その 赤い 眼鏡 も ゆれ た の です 。 
「 シグナレス さん 、 なぜ あなた は 死な なけ ぁならないんですか 。 ね 。 僕 へ お話 し ください 。 ね 。 僕 へ お話 し ください 。 きっと 、 僕 は その いけ ない やつ を 追っぱらっ て しまい ます から 、 いったい どう し た ん です ね 」 
「 だって 、 あなた が あんなに お 怒り なさる ん です もの 」 
「 ふ ふん 。 ああ 、 その こと です か 。 ふん 。 いいえ 。 その こと なら ば ご 心配 あり ませ ん 。 大丈夫 です 。 僕 ちっとも 怒っ て なんか いは し ませ ん から ね 。 僕 、 もう あなた の ため なら 、 眼鏡 を みんな 取ら れ て 、 腕 を みんな ひっぱ なさ れ て 、 それから 沼 の 底 へ たたき込ま れ た って 、 あなた を うらみ は し ませ ん よ 」 
「 あら 、 ほんとう 。 うれしい わ 」 
「 だから 僕 を 愛し て ください 。 さあ 僕 を 愛する って 言っ て ください 」 
五 日 の お 月 さま は 、 この 時 雲 と 山の端 と の ちょうど まん中 に い まし た 。 シグナル は もう まるで 顔色 を 変え て 灰色 の 幽霊 みたい に なっ て 言い まし た 。 
「 また あなた は だまっ て しまっ た ん です ね 。 やっぱり 僕 が きらい な ん でしょ う 。 もう いい や 、 どうせ 僕 なんか 噴火 か 洪水 か 風 か に やられる に きまっ てる ん だ 」 
「 あら 、 ちがい ます わ 」 
「 そん なら どう です どう です 、 どう です 」 
「 あたし 、 もう 大昔 から あなた の こと ばかり 考え て い まし た わ 」 
「 本当 です か 、 本当 です か 、 本当 です か 」 
「 ええ 」 
「 そん なら いい でしょ う 。 結婚 の 約束 を し て ください 」 
「 でも 」 
「 でも なん です か 、 僕 たち は 春 に なっ たら 燕 に たのん で 、 みんな に も 知ら せ て 結婚 の 式 を あげ ましょ う 。 どう か 約束 し て ください 」 
「 だって あたし は こんな つまらない ん です わ 」 
「 わかっ て ます よ 。 僕 に は その つまらない ところ が 尊い ん です 」 
すると 、 さあ 、 シグナレス は あら ん かぎり の 勇気 を 出し て 言い出し まし た 。 
「 でも あなた は 金 で でき てる でしょ う 。 新式 でしょ う 。 赤 青眼 鏡 を 二 組み も 持っ て いらっしゃる わ 、 夜 も 電 燈 でしょ う 。 あたし は 夜 だって ランプ です わ 、 眼鏡 も ただ 一つ きり 、 それ に 木 です わ 」 
「 わかっ て ます よ 。 だから 僕 は すき な ん です 」 
「 あら 、 ほんとう 。 うれしい わ 。 あたし お 約束 する わ 」 
「 え 、 ありがとう 、 うれしい なあ 、 僕 も お 約束 し ます よ 。 あなた は きっと 、 私 の 未来 の 妻 だ 」 
「 ええ 、 そう よ 、 あたし 決して 変わら ない わ 」 
「 結婚 指 環 を あげ ます よ 、 そら 、 ね 、 あすこ の 四つ ならん だ 青い 星 ね 」 
「 ええ 」 
「 あの いちばん 下 の 脚 もと に 小さな 環 が 見える でしょ う 、 環状 星雲 です よ 。 あの 光 の 環 ね 、 あれ を 受け取っ て ください 。 僕 の ま ごころ です 」 
「 ええ 。 ありがとう 、 いただき ます わ 」 
「 ワッハッハ 。 大笑い だ 。 うまく やっ て や がる ぜ 」 
突然 向こう の まっ黒 な 倉庫 が 、 空 に も はばかる よう な 声 で どなり まし た 。 二 人 は まるで しん と なっ て しまい まし た 。 
ところが 倉庫 が また 言い まし た 。 
「 いや 心配 しなさ ん な 。 この 事 は 決して ほか へ は もらし ませ ん ぞ 。 わし が しっかり のみ込み まし た 」 
その 時 です 、 お 月 さま が カブ ン と 山 へ お はいり に なっ て 、 あたり が ポ カッ と 、 うすぐらく なっ た の は 。 
今 は 風 が あんまり 強い ので 電信柱 ども は 、 本線 の 方 も 、 軽便鉄道 の 方 も まるで 気 が 気 で なく 、 ぐうん 　 ぐうん 　 ひ ゅうひゅう 　 と 独楽 の よう に うなっ て おり まし た 。 それでも 空 は まっ青 に 晴れ て い まし た 。 
本線 シグナル つき の 太っちょ の 電信柱 も 、 もう でたらめ の 歌 を やる どころ の 話 で は あり ませ ん 。 できるだけ から だ を ちぢめ て 眼 を 細く し て 、 ひと なみ に 、 ブウウ 、 ブウウ と うなっ て ごまかし て おり まし た 。 
シグナレス は この 時 、 東 の ぐらぐら する くらい 強い 青 びかりの 中 を 、 びっこをひくようにして 走っ て 行く 雲 を 見 て おり まし た が 、 それ から チラッ と シグナル の 方 を 見 まし た 。 シグナル は 、 今日 は 巡査 の よう に しゃんと 立っ て い まし た が 、 風 が 強く て 太っちょ の 電柱 に 聞こえ ない の を いい こと に し て 、 シグナレス に 話しかけ まし た 。 
「 どうも ひどい 風 です ね 。 あなた 頭 が ほてっ て 痛み は し ませ ん か 。 どうも 僕 は 少し くらくら し ます ね 。 いろいろ お話し し ます から 、 あなた ただ 頭 を ふっ て うなずい て だけ い て ください 。 どうせ お 返事 を し た って 僕 の ところ へ 届き は し ませ ん から 、 それから 僕 の 話 で おもしろく ない こと が あっ たら 横 の 方 に 頭 を 振っ て ください 。 これ は 、 本当は 、 ヨーロッパ の 方 の やり方 な ん です よ 。 向こう で は 、 僕 たち の よう に 仲 の いい もの が ほか の 人 に 知れ ない よう に お話 を する 時 は 、 みんな こう する ん です よ 。 僕 それ を 向こう の 雑誌 で 見 た ん です 。 ね 、 あの 倉庫 の やつ め 、 おかしな やつ です ね 、 いきなり 僕 たち の 話し てる ところ へ 口 を 出し て 、 引き受け た の なんの って 言う ん です もの 、 あいつ は ずいぶん 太っ て ます ね 、 今日 も 眼 を パチパチ やらかし て ます よ 、 僕 の あなた に 物 を 言っ てる の は わかっ て い て も 、 何 を 言っ てる の か 風 で いっこう 聞こえ ない ん です よ 、 けれども 全体 、 あなた に 聞こえ てる ん です か 、 聞こえ てる なら 頭 を 振っ て ください 、 ええ そう 、 聞こえる でしょ う ね 。 僕 たち 早く 結婚 し たい もん です ね 、 早く 春 に なれ ぁいいんですね 、 僕 の ところ の ぶっ きり こ に 少し も 知らせ ない で おき ましょ う 。 そして おい て 、 いきなり 、 ウヘン ！ 　 ああ 風 で のど が ぜ い ぜ いする 。 ああ ひどい 。 ちょっと お話 を やめ ます よ 。 僕 のど が 痛く なっ た ん です 。 わかり まし た か 、 じゃ ちょっと さようなら 」 
それから シグナル は 、 うう う う と 言い ながら 眼 を ぱちぱち さ せ て 、 しばらく の 間 だまっ て い まし た 。 
シグナレス も おとなしく 、 シグナル の のど の なおる の を 待っ て い まし た 。 電信柱 ども は ブンブンゴンゴン と 鳴り 、 風 は ひ ゅうひゅうとやりました 。 
シグナル は つば を のみこん だり 、 ええ 、 ええ と せ き ば らい を し たり し て い まし た が 、 やっと の どの 痛い の が なおっ た らしく 、 もう 一 ぺん シグナレス に 話しかけ まし た 。 けれども この 時 は 、 風 が まるで 熊 の よう に 吼え 、 まわり の 電信柱 ども は 、 山 いっぱい の 蜂の巣 を いっぺんに こわし でも し た よう に 、 ぐゎんぐゎんとうなっていましたので 、 せっかく の その 声 も 、 半分 ばかり しか シグナレス に 届き ませ ん でし た 。 
「 ね 、 僕 は もう あなた の ため なら 、 次 の 汽車 の 来る 時 、 がんばっ て 腕 を 下げ ない こと で も 、 なん でも する ん です から ね 、 わかっ た でしょ う 。 あなた も その くらい の 決心 は ある でしょ う ね 。 あなた は ほんとう に 美しい ん です 、 ね 、 世界 の 中 に だって おれ たち の 仲間 は いくら も ある ん でしょ う 。 その 半分 は まあ 女 の 人 でしょ う が ねえ 、 その 中 で あなた は いちばん 美しい ん です 。 もっとも ほか の 女 の 人 僕 よく 知ら ない ん です けれど ね 、 きっと そう だ と 思う ん です よ 、 どう です 聞こえ ます か 。 僕 たち の まわり に いる やつ は みんな ばか です ね 、 のろ まで すね 、 僕 の とこ の ぶっ きり こ が 僕 が 何 を あなた に 言っ てる の か と 思っ て 、 そら ごらん なさい 、 一生けん命 、 目 を パチ パチ やっ て ます よ 、 こいつ とき たら 全く チョーク より も 形 が わるい ん です から ね 、 そら 、 こんど は あんなに 口 を 曲げ て い ます よ 。 あきれ た ばか です ねえ 、 僕 の 話 聞こえ ます か 、 僕 の … … 」 
「 若さま 、 さっき から 何 を べ ちゃ べ ちゃ 言っ て いらっしゃる の です 。 しかも シグナレス 風情 と 、 いったい 何 を にやけ て いらっしゃる ん です 」 
いきなり 本線 シグナル つき の 電信柱 が 、 むしゃくしゃ まぎれ に 、 ご う ご うの 音 の 中 を 途方 も ない 声 で どなっ た もん です から 、 シグナル は もちろん シグナレス も 、 まっ青 に なっ て ぴたっと こっち へ 曲げ て い た から だ を 、 まっすぐ に 直し まし た 。 
「 若さま 、 さあ おっしゃい 。 役目 として 承ら なけれ ば なり ませ ん 」 
シグナル は 、 やっと 元気 を 取り直し まし た 。 そして どうせ 風 の ため に 何 を 言っ て も 同じ こと な の を いい こと に し て 、 
「 ばか 、 僕 は シグナレス さん と 結婚 し て 幸福 に なっ て 、 それから お前 に チョーク の お 嫁さん を くれ て やる よ 」 と 、 こう まじめ な 顔 で 言っ た の でし た 。 その 声 は 風下 の シグナレス に は すぐ 聞こえ まし た ので 、 シグナレス は こわい ながら 思わ ず 笑っ て しまい まし た 。 さあ それ を 見 た 本線 シグナル つき の 電信柱 の 怒り よう と 言っ たら あり ませ ん 。 さっそく ブルブルッ と ふるえあがり 、 青白く 逆上せ て しまい 唇 を きっと かみ ながら すぐ ひどく 手 を まわし て 、 すなわち 一 ぺん 東京 まで 手 を まわし て 風下 に いる 軽便鉄道 の 電信柱 に 、 シグナル と シグナレス の 対話 が いったい なん だっ た か 、 今 シグナレス が 笑っ た こと は 、 どんな こと だっ た か たずね て やり まし た 。 
ああ 、 シグナル は 一生 の 失策 を し た の でし た 。 シグナレス より も 少し 風下 に すてき に 耳 の いい 長い 長い 電信柱 が い て 、 知らん顔 を し て すまし て 空 の 方 を 見 ながら さっき から の 話 を みんな 聞い て い た の です 。 そこで さっそく 、 それ を 東京 を 経 て 本線 シグナル つき の 電信柱 に 返事 を し て やり まし た 。 本線 シグナル つき の 電信柱 は キリキリ 歯 が み を し ながら 聞い て い まし た が 、 すっかり 聞い て しまう と 、 さあ 、 まるで ばか の よう に なっ て どなり まし た 。 
「 く そっ 、 え いっ 。 いまいましい 。 あんまり だ 。 犬 畜生 、 あんまり だ 。 犬 畜生 、 ええ 、 若さま 、 わたし だって 男 です ぜ 。 こんなに ひどく ばか に さ れ て だまっ て いる と お 考え です か 。 結婚 だ なんて やれる なら やっ て ごらん なさい 。 電信柱 の 仲間 は もう みんな 反対 です 。 シグナル 柱 の 人 たち だって 鉄道 長 の 命令 に そむける もん です か 。 そして 鉄道 長 は わたし の 叔父 です ぜ 。 結婚 なり なん なり やっ て ごらん なさい 。 えい 、 犬 畜生 め 、 えい 」 
本線 シグナル つき の 電信柱 は 、 すぐ 四方 に 電報 を かけ まし た 。 それ から しばらく 顔色 を 変え て 、 みんな の 返事 を きい て い まし た 。 確か に みんな から 反対 の 約束 を もらっ た らしい の でし た 。 それから きっと 叔父 の その 鉄道 長 とか に も うまく 頼ん だ に ちがい あり ませ ん 。 シグナル も シグナレス も 、 あまり の こと に 今さら ポ カン として あきれ て い まし た 。 本線 シグナル つき の 電信柱 は 、 すっかり 反対 の 準備 が できる と 、 こんど は 急 に 泣き声 で 言い まし た 。 
「 あ ああ 、 八 年 の 間 、 夜 ひる 寝 ない で めんどう を 見 て やっ て その お礼 が これ か 。 ああ 情けない 、 もう 世の中 は みだれ て しまっ た 。 ああ もう おしまい だ 。 なさけない 、 メリケン 国 の エジソン さま も この あさましい 世界 を お 見 すて なされ た か 。 オンオンオンオン 、 ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー 」 
風 は ますます 吹き つのり 、 西 の 空 が 変 に 白く ぼんやり なっ て 、 どうも あやしい と 思っ て いる うち に 、 チラチラ チラチラ とうとう 雪 が やっ て 参り まし た 。 
シグナル は 力 を 落とし て 青白く 立ち 、 そっ とよこ 眼 で やさしい シグナレス の 方 を 見 まし た 。 シグナレス は しくしく 泣き ながら 、 ちょうど やって来る 二 時 の 汽車 を 迎える ため に しょんぼり と 腕 を さげ 、 その いじらしい なで肩 は かすか に かすか に ふるえ て おり まし た 。 空 で は 風 が フイウ 、 涙 を 知ら ない 電信柱 ども は ゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー 。 
さあ 今度 は 夜 です よ 。 シグナル は しょんぼり 立っ て おり まし た 。 
月 の 光 が 青白く 雲 を 照らし て い ます 。 雲 は こう こう と 光り ます 。 そこ に は すきとおっ て 小さな 紅 火 や 青 の 火 を うかべ まし た 。 しいんと し て い ます 。 山脈 は 若い 白熊 の 貴族 の 屍体 の よう に しずか に 白く 横たわり 、 遠く の 遠く を 、 ひるま の 風 の なごり が ヒュウ と 鳴っ て 通り まし た 。 それでも じつに しずか です 。 黒い 枕木 は みな 眠り 、 赤 の 三角 や 黄色 の 点々 、 さまざま の 夢 を 見 て いる 時 、 若い あ われ な シグナル は ほっと 小さな ため息 を つき まし た 。 そこで 半分 凍え て じっと 立っ て い た やさしい シグナレス も 、 ほっと 小さな ため息 を し まし た 。 
「 シグナレス さん 、 ほんとう に 僕 たち は つらい ねえ 」 
たまら ず シグナル が そっと シグナレス に 話しかけ まし た 。 
「 ええ 、 みんな あたし が いけ なかっ た の です わ 」 シグナレス が 青じろく うなだれ て 言い まし た 。 
諸君 、 シグナル の 胸 は 燃える ばかり 、 
「 ああ 、 シグナレス さん 、 僕 たち たった 二 人 だけ 、 遠く の 遠く の みんな の い ない ところ に 行っ て しまい たい ね 」 
「 ええ 、 あたし 行け さえ する なら 、 どこ へ でも 行き ます わ 」 
「 ねえ 、 ず うっ と ず うっ と 天上 に あの 僕 たち の 婚約 指 環 より も 、 もっと 天上 に 青い 小さな 小さな 火 が 見える でしょ う 。 そら 、 ね 、 あすこ は 遠い です ねえ 」 
「 ええ 」 シグナレス は 小さな 唇 で 、 いまにも その 火 に キッス し た そう に 空 を 見 あげ て い まし た 。 
「 あすこ に は 青い 霧 の 火 が 燃え て いる ん でしょ う ね 。 その 青い 霧 の 火 の 中 へ 僕 たち いっしょ に すわり たい です ねえ 」 
「 ええ 」 
「 けれど あすこ に は 汽車 は ない ん です ねえ 、 そん なら 僕 畑 を つくろ う か 。 何 か 働か ない と いけ ない ん だ から 」 
「 ええ 」 
「 ああ 、 お 星 さま 、 遠く の 青い お 星 さま 、 どうか 私 ども を とっ て ください 。 ああ なさけぶかい サンタ マリヤ 、 また めぐみ ふかい ジョウジ 　 スチブンソン さま 、 どうか 私 ども の かなしい 祈り を 聞い て ください 」 
「 ええ 」 
「 さあ いっしょ に 祈り ましょ う 」 
「 ええ 」 
「 あわれみ ふかい サンタ マリヤ 、 すきとおる 夜 の 底 、 つめたい 雪 の 地面 の 上 に かなしく いのる わたくし ども を みそ なわ せ 、 めぐみ ふかい ジョウジ 　 スチブンソン さま 、 あなた の しも べ の また しも べ 、 かなしい この たま しい の 、 まこと の 祈り を みそ なわ せ 、 ああ 、 サンタ マリヤ 」 
「 ああ 」 
星 は しずか に めぐっ て 行き まし た 。 そこで あの 赤 眼 の さそり が 、 せわしく またたい て 東 から 出 て 来 、 そして サンタ マリヤ の お 月 さま が 慈愛 に みち た 尊い 黄金 の まなざし に 、 じっと 二 人 を 見 ながら 、 西 の まっくろ の 山 に お はいり に なっ た 時 、 シグナル 、 シグナレス の 二 人 は 、 祈り に つかれ て もう 眠っ て い まし た 。 
今度 は ひるま です 。 なぜ なら 夜昼 は どうしても かわるがわる です から 。 
ぎらぎら の お 日 さま が 東 の 山 を のぼり まし た 。 シグナル と シグナレス は ぱっと 桃色 に 映え まし た 。 いきなり 大きな 幅広い 声 が そこら じゅう に はびこり まし た 。 
「 おい 。 本線 シグナル つき の 電信柱 、 おまえ の 叔父 の 鉄道 長 に 早く そう 言っ て 、 あの 二 人 は いっしょ に してやっ た 方 が よかろ う ぜ 」 
見る と それ は 先ごろ の 晩 の 倉庫 の 屋根 でし た 。 倉庫 の 屋根 は 、 赤い うわ ぐす り を かけ た 瓦 を 、 まるで 鎧 の よう に キラキラ 着込ん で 、 じ ろ っと あたり を 見 まわし て いる の でし た 。 
本線 シグナル つき の 電信柱 は 、 がた が たっ と ふるえ て 、 それから じっと 固く なっ て 答え まし た 。 
「 ふん 、 なん だ と 、 お前 は なん の 縁故 で こんな こと に 口 を 出す ん だ 」 
「 おいおい 、 あんまり 大きな つら を する な よ 。 ええ おい 。 おれ は 縁故 と 言え ば 大 縁故 さ 、 縁故 で ない と 言え ば 、 いっこう 縁故 で も なん で も ない ぜ 、 が 、 しかし さ 、 こんな こと に は てめえ の よう な 変 ちきり ん は あんまり いろいろ 手 を 出さ ない 方 が 結局 てめえ の ため だろ う ぜ 」 
「 なん だ と 。 おれ は シグナル の 後見人 だ ぞ 。 鉄道 長 の 甥 だ ぞ 」 
「 そう か 。 おい 立派 な もん だ なあ 。 シグナル さま の 後見人 で 鉄道 長 の 甥 かい 。 けれども そん なら おれ なんて どう だい 。 おれ さま は な 、 ええ 、 めくら とんび の 後見人 、 ええ 風引き の 脈 の 甥 だ ぞ 。 どう だ 、 どっち が 偉い 」 
「 何 を っ 、 コリッ 、 コリコリッ 、 カリッ 」 
「 まあ まあ そう 怒る な よ 。 これ は 冗談 さ 。 悪く 思わ ん で くれ 。 な 、 あの 二 人 さ 、 か あい そう だ よ 。 いいかげん に まとめ て やれ よ 。 大人 らしく も ない じゃ ない か 。 あんまり 胸 の 狭い こと は 言わ ん で さ 。 あんな 立派 な 後見人 を 持っ て 、 シグナル も ほんとう に しあわせ だ と 言わ れる ぜ 。 まとめ て やれ 、 まとめ て やれ 」 
本線 シグナル つき の 電信柱 は 、 物 を 言お う と し た の でし た が 、 もう あんまり 気 が 立っ て しまっ て パチパチ パチ パチ 鳴る だけ でし た 。 倉庫 の 屋根 も あんまり の その 怒り よう に 、 まさか こんな はず で は なかっ た と 言う よう に 少し あきれ て 、 だまっ て その 顔 を 見 て い まし た 。 お 日 さま はず うっ と 高く なり 、 シグナル と シグナレス と は ほっと また ため息 を つい て お互い に 顔 を 見合わせ まし た 。 シグナレス は 瞳 を 少し 落とし 、 シグナル の 白い 胸 に 青々 と 落ち た 眼鏡 の 影 を チラッ と 見 て 、 それから にわかに 目 を そらし て 自分 の あし もと を みつめ 考え込ん で しまい まし た 。 
今夜 は 暖か です 。 
霧 が ふかく ふかく こめ まし た 。 
その 霧 を 徹し て 、 月 の あかり が 水色 に しずか に 降り 、 電信柱 も 枕木 も 、 みんな 寝 しずまり まし た 。 
シグナル が 待っ て い た よう に ほっと 息 を し まし た 。 シグナレス も 胸 いっぱい の おもい を こめ て 、 小さく ほっと いき し まし た 。 
その 時 シグナル と シグナレス と は 、 霧 の 中 から 倉庫 の 屋根 の 落ちつい た 親切 らしい 声 の 響い て 来る の を 聞き まし た 。 
「 お前 たち は 、 全く きの どく だ ね 、 わたし たち は 、 今朝 うまく やっ て やろ う と 思っ た ん だ が 、 かえって いけ なく し て しまっ た 。 ほんとに きの どく な こと に なっ た よ 。 しかし わたし に は 、 また 考え が ある から 、 そんなに 心配 し ない で も いい よ 。 お前 たち は 霧 で お互い に 顔 も 見え ず さびしい だろ う 」 
「 ええ 」 
「 ええ 」 
「 そう か 、 では おれ が 見える よう に してやろ う 。 いい か 、 おれ の あと について 二 人 いっしょ に まね を する ん だ ぜ 」 
「 ええ 」 
「 そう か 。 では アル ファー 」 
「 アル ファー 」 
「 ビーター 」 「 ビーター 」 
「 ガムマー 」 「 ガムマーアー 」 
「 デルター 」 「 デールータァーアアア 」 
実に 不思議 です 。 いつか シグナル と シグナレス と の 二 人 は 、 まっ黒 な 夜 の 中 に 肩 を ならべ て 立っ て い まし た 。 
「 おや 、 どう し た ん だろ う 。 あたり 一 面 まっ黒 びろう どの 夜 だ 」 
「 まあ 、 不思議 です わ ね 。 まっ くら だ わ 」 
「 いい や 、 頭 の 上 が 星 で いっぱい です 。 おや 、 なんと いう 大きな 強い 星 な ん だろ う 。 それ に 見 た こと も ない 空 の 模様 で は あり ませ ん か 、 いったい あの 十 三 連なる 青い 星 は どこ に あっ た の でしょ う 、 こんな 星 は 見 た こと も 聞い た こと も あり ませ ん ね 、 僕 たち ぜんたい どこ に 来 た ん でしょ う ね 」 
「 あら 、 空 が あんまり 速く めぐり ます わ 」 
「 ええ 、 ああ 、 あの 大きな 橙 の 星 は 地平線 から 今 上り ます 。 おや 、 地平線 じゃ ない 。 水平 線 かしら 。 そう です 。 ここ は 夜 の 海 の 渚 です よ 」 
「 まあ 奇麗 だ わ ね 、 あの 波 の 青 びかり 」 
「 ええ 、 あれ は 磯 波 の 波 が しら です 、 立派 です ねえ 、 行っ て み ましょ う 」 
「 まあ 、 ほんとう に お 月 さま の あかり の よう な 水 よ 」 
「 ね 、 水 の 底 に 赤い ひとで が い ます よ 。 銀 水 の なまこ が い ます よ 。 ゆっくり ゆっくり 、 這っ て ます ねえ 、 それから あの ユラユラ 青 びかりの 棘 を 動かし て いる の は 、 雲丹 です ね 。 波 が 寄せ て 来 ます 。 少し 遠のき ましょ う 」 
「 ええ 」 
「 もう 、 何 べ ん 空 が めぐっ た でしょ う 。 たいへん 寒く なり まし た 。 海 が なんだか 凍っ た よう です ね 。 波 は もう 、 うた なくなり まし た 」 
「 波 が やん だ せい でしょ う かしら 。 何 か 音 が し て い ます わ 」 
「 どんな 音 」 
「 そら 、 夢 の 水車 の きしり の よう な 音 」 
「 ああ そう だ 。 あの 音 だ 。 ピタゴラス 派 の 天球 運動 の 諧音 です 」 
「 あら 、 なんだか まわり が ぼんやり 青白く なっ て き まし た わ 」 
「 夜 が 明ける の でしょ う か 。 いや はてな 。 おお 立派 だ 。 あなた の 顔 が はっきり 見える 」 
「 あなた も よ 」 
「 ええ 、 とうとう 、 僕 たち 二 人 きり です ね 」 
「 まあ 、 青白い 火 が 燃え て ます わ 。 まあ 地面 と 海 も 。 けど 熱く ない わ 」 
「 ここ は 空 です よ 。 これ は 星 の 中 の 霧 の 火 です よ 。 僕 たち の ねがい が かなっ た ん です 。 ああ 、 さん たまり や 」 
「 ああ 」 
「 地球 は 遠い です ね 」 
「 ええ 」 
「 地球 は どっち の 方 でしょ う 。 あたり いち めん の 星 、 どこ が どこ か もう わから ない 。 あの 僕 の ブッキリコ は どう し たろ う 。 あいつ は 本当は か あい そう です ね 」 
「 ええ 、 まあ 、 火 が 少し 白く なっ た わ 、 せわしく 燃え ます わ 」 
「 きっと 今秋 です ね 。 そして あの 倉庫 の 屋根 も 親切 でし た ね 」 
「 それ は 親切 とも 」 いきなり 太い 声 が し まし た 。 気 が つい て みる と 、 ああ 、 二 人 とも いっしょ に 夢 を 見 て い た の でし た 。 いつか 霧 が はれ て そら 一 めん の 星 が 、 青 や 橙 や せわしく せわしく またたき 、 向こう に は まっ黒 な 倉庫 の 屋根 が 笑い ながら 立っ て おり まし た 。 
二 人 は また ほっと 小さな 息 を し まし た 。 
ゴーシュ は 町 の 活動 写真 館 で セロ を 弾く 係り でし た 。 けれども あんまり 上手 で ない という 評判 でし た 。 上手 で ない どころ で は なく 実は 仲間 の 楽 手 の なか で は いちばん 下手 でし た から 、 いつ でも 楽長 に いじめ られる の でし た 。 
ひる すぎ みんな は 楽屋 に 円く なら んで 今度 の 町 の 音楽 会 へ 出す 第 六 交響 曲 の 練習 を し て い まし た 。 
トランペット は 一生けん命 歌っ て い ます 。 
ヴァイオリン も 二 いろ 風 の よう に 鳴っ て い ます 。 
クラリネット も ボー ボー と それ に 手伝っ て い ます 。 
ゴーシュ も 口 を りん と 結ん で 眼 を 皿 の よう に し て 楽譜 を 見つめ ながら もう 一心 に 弾い て い ます 。 
にわかに ぱたっと 楽長 が 両手 を 鳴らし まし た 。 みんな ぴたり と 曲 を やめ て しん と し まし た 。 楽長 が どなり まし た 。 
「 セロ が おくれ た 。 トォテテ 　 テテテイ 、 ここ から やり直し 。 はいっ 。 」 
みんな は 今 の 所 の 少し 前 の 所 から やり直し まし た 。 ゴーシュ は 顔 を まっ 赤 に し て 額 に 汗 を 出し ながら やっと いま 云わ れ た ところ を 通り まし た 。 ほっと 安心 し ながら 、 つづけ て 弾い て い ます と 楽長 が また 手 を ぱっと 拍 ち まし た 。 
「 セロ っ 。 糸 が 合わ ない 。 困る なあ 。 ぼく は きみ に ドレミファ を 教え て まで いる ひま は ない ん だ が なあ 。 」 
みんな は 気の毒 そう に し て わ ざとじぶんの 譜 を のぞき込ん だり じ ぶん の 楽器 を はじい て 見 たり し て い ます 。 ゴーシュ は あわて て 糸 を 直し まし た 。 これ は じつは ゴーシュ も 悪い の です が セロ も ずいぶん 悪い の でし た 。 
「 今 の 前 の 小節 から 。 はいっ 。 」 
みんな は また はじめ まし た 。 ゴーシュ も 口 を まげ て 一生けん命 です 。 そして こんど は かなり 進み まし た 。 いい あんばい だ と 思っ て いる と 楽長 が おどす よう な 形 を し て また ぱたっと 手 を 拍 ち まし た 。 また か と ゴーシュ は どき っと し まし た が ありがたい こと に は こんど は 別 の 人 でし た 。 ゴーシュ は そこ で さっき じ ぶん の とき みんな が し た よう に わ ざとじぶんの 譜 へ 眼 を 近づけ て 何 か 考える ふり を し て い まし た 。 
「 では すぐ 今 の 次 。 はいっ 。 」 
そら と 思っ て 弾き出し た か と 思う と いきなり 楽長 が 足 を どんと 踏ん で どなり 出し まし た 。 
「 だめ だ 。 まるで なっ て い ない 。 この へん は 曲 の 心臓 な ん だ 。 それ が こんな がさがさ し た こと で 。 諸君 。 演奏 まで もう あと 十 日 しか ない ん だ よ 。 音楽 を 専門 に やっ て いる ぼく ら が あの 金 沓 鍛冶 だの 砂糖 屋 の 丁稚 なんか の 寄り 集り に 負け て しまっ たら いったい われわれ の 面目 は どう なる ん だ 。 おい ゴーシュ 君 。 君 に は 困る ん だ が なあ 。 表情 という こと が まるで でき て ない 。 怒る も 喜ぶ も 感情 という もの が さっぱり 出 ない ん だ 。 それに どうしても ぴたっと 外 の 楽器 と 合わ ない も なあ 。 いつ でも きみ だけ とけ た 靴 の ひも を 引きずっ て みんな の あと を つい て あるく よう な ん だ 、 困る よ 、 しっかり し て くれ ない と ねえ 。 光輝 ある わが 金星 音楽 団 が きみ 一 人 の ため に 悪評 を とる よう な こと で は 、 みんな へ も まったく 気の毒 だ から な 。 では 今日 は 練習 は ここ まで 、 休ん で 六 時 に は かっきり ボックス へ 入っ て くれ 給え 。 」 
みんな は おじぎ を し て 、 それから たばこ を くわえ て マッチ を すっ たり どこ か へ 出 て 行っ たり し まし た 。 ゴーシュ は その 粗末 な 箱 みたい な セロ を かかえ て 壁 の 方 へ 向い て 口 を まげ て ぼろぼろ 泪 を こぼし まし た が 、 気 を とり 直し て じ ぶん だけ たっ た ひとり いま やっ た ところ を はじめ から しずか に も いちど 弾き はじめ まし た 。 
その 晩 遅く ゴーシュ は 何 か 巨 き な 黒い もの を し ょってじぶんの 家 へ 帰っ て き まし た 。 家 と いっ て も それ は 町はずれ の 川 ば た に ある こわ れ た 水車 小屋 で 、 ゴーシュ は そこ に たった 一 人 です んで い て 午前 は 小屋 の まわり の 小さな 畑 で トマト の 枝 を きっ たり 甘藍 の 虫 を ひろっ たり し て ひる すぎ に なる と いつも 出 て 行っ て い た の です 。 ゴーシュ が うち へ 入っ て あかり を つける と さっき の 黒い 包み を あけ まし た 。 それ は 何 で も ない 。 あの 夕方 の ごつごつ し た セロ でし た 。 ゴーシュ は それ を 床 の 上 に そっと 置く と 、 いきなり 棚 から コップ を とっ て バケツ の 水 を ごくごく のみ まし た 。 
それから 頭 を 一つ ふっ て 椅子 へ かける と まるで 虎 みたい な 勢 で ひる の 譜 を 弾き はじめ まし た 。 譜 を めくり ながら 弾い て は 考え 考え て は 弾き 一生けん命 し まい まで 行く と また はじめ から なん べ ん も なん べ ん もご う ご う ご う ご う 弾き つづけ まし た 。 
夜中 も とうに す ぎてしまいはもうじぶんが 弾い て いる の か も わから ない よう に なっ て 顔 も まっ 赤 に なり 眼 も まるで 血走っ て とても 物凄い 顔つき に なり いま に も 倒れる か と 思う よう に 見え まし た 。 
その とき 誰 か うし ろ の 扉 を とんとん と 叩く もの が あり まし た 。 
「 ホーシュ 君 か 。 」 ゴーシュ は ねぼけ た よう に 叫び まし た 。 ところが すう と 扉 を 押し て はいっ て 来 た の は いま まで 五 六 ぺん 見 た こと の ある 大きな 三 毛 猫 でし た 。 
ゴーシュ の 畑 から とっ た 半分 熟し た トマト を さも 重 そう に 持っ て 来 て ゴーシュ の 前 に おろし て 云い まし た 。 
「 ああ くたびれ た 。 なかなか 運搬 は ひどい や な 。 」 
「 何 だ と 」 ゴーシュ が きき まし た 。 
「 これ お みや です 。 たべ て ください 。 」 三 毛 猫 が 云い まし た 。 
ゴーシュ は ひる から の むしゃくしゃ を 一 ぺん に どなりつけ まし た 。 
「 誰 が き さま に トマト など 持っ て こい と 云っ た 。 第 一 おれ が き さま ら の もっ て き た もの など 食う か 。 それから その トマト だって おれ の 畑 の やつ だ 。 何 だ 。 赤く も なら ない やつ を むしっ て 。 いま まで も トマト の 茎 を かじっ たり けち らし たり し た の は おまえ だろ う 。 行っ て しまえ 。 ねこめ 。 」 
すると 猫 は 肩 を まるく し て 眼 を すぼめ て は い まし た が 口 の あたり で にやにや わらっ て 云い まし た 。 
「 先生 、 そう お 怒り に なっ ちゃ 、 おから だに さわり ます 。 それ より シューマン の トロメライ を ひい て ごらん なさい 。 きい て あげ ます から 。 」 
「 生意気 な こと を 云う な 。 ねこ の くせ に 。 」 
セロ 弾き はし ゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく 考え まし た 。 
「 いや ご 遠慮 は あり ませ ん 。 どうぞ 。 わたし は どうも 先生 の 音楽 を きか ない と ねむら れ ない ん です 。 」 
「 生意気 だ 。 生意気 だ 。 生意気 だ 。 」 
ゴーシュ は すっかり まっ 赤 に なっ て ひるま 楽長 の し た よう に 足ぶみ し て どなり まし た が にわかに 気 を 変え て 云い まし た 。 
「 では 弾く よ 。 」 
ゴーシュ は 何 と 思っ た か 扉 に かぎ を かっ て 窓 も みんな しめ て しまい 、 それから セロ を とりだし て あかし を 消し まし た 。 すると 外 から 二 十 日 過ぎ の 月 の ひかり が 室 の なか へ 半分 ほど は いっ て き まし た 。 
「 何 を ひけ と 。 」 
「 トロメライ 、 ロマチックシューマン 作曲 。 」 猫 は 口 を 拭い て 済まし て 云い まし た 。 
「 そう か 。 トロメライ という の は こういう の か 。 」 
セロ 弾き は 何 と 思っ た か まずは ん けち を 引きさい て じ ぶん の 耳 の 穴 へ ぎっしり つめ まし た 。 それから まるで 嵐 の よう な 勢 で 「 印度 の 虎 狩 」 という 譜 を 弾き はじめ まし た 。 
すると 猫 は しばらく 首 を まげ て 聞い て い まし た が いきなり パチパチパチッ と 眼 を し た か と 思う と ぱっと 扉 の 方 へ 飛び のき まし た 。 そして いきなり どんと 扉 へ からだ を ぶっつけ まし た が 扉 は あき ませ ん でし た 。 猫 は さあ これ は もう 一生 一 代 の 失敗 を し た という 風 に あわて だし て 眼 や 額 から ぱちぱち 火花 を 出し まし た 。 すると こんど は 口 の ひ げ から も 鼻 から も 出 まし た から 猫 はくす ぐったがってしばらくくしゃみをするような 顔 を し て それ から また さあ こうして は い られ ない ぞ という よう に はせ あるき だし まし た 。 ゴーシュ は すっかり 面白く なっ て ますます 勢 よく やり 出し まし た 。 
「 先生 もう たくさん です 。 たくさん です よ 。 ご 生 です から やめ て ください 。 これから もう 先生 の タクト なんか とり ませ ん から 。 」 
「 だまれ 。 これから 虎 を つかまえる 所 だ 。 」 
猫 は くるし がっ て はねあがっ て まわっ たり 壁 に からだ を くっつけ たり し まし た が 壁 に つい た あと は しばらく 青く ひかる の でし た 。 し まい は 猫 は まるで 風車 の よう に ぐるぐる ぐるぐる ゴーシュ を まわり まし た 。 
ゴーシュ も すこし ぐるぐる し て 来 まし た ので 、 
「 さあ これ で 許し て やる ぞ 」 と 云い ながら ようよう やめ まし た 。 
すると 猫 も けろりと し て 
「 先生 、 こん や の 演奏 は どうか し て ます ね 。 」 と 云い まし た 。 
セロ 弾き は また ぐっと しゃくにさわり まし た が 何気ない 風 で 巻 たばこ を 一 本 だし て 口 に くわえ それ から マッチ を 一 本 とっ て 
「 どう だい 。 工合 を わるく し ない かい 。 舌 を 出し て ごらん 。 」 
猫 は ばか に し た よう に 尖っ た 長い 舌 を ベロリ と 出し まし た 。 
「 は はあ 、 少し 荒れ た ね 。 」 セロ 弾き は 云い ながら いきなり マッチ を 舌 で シュッ と すっ て じ ぶん の たばこ へ つけ まし た 。 さあ 猫 は 愕 い た の 何 の 舌 を 風車 の よう に ふりまわし ながら 入り口 の 扉 へ 行っ て 頭 で どんと ぶっつかっ て は よろよろ として また 戻っ て 来 て どんと ぶっつかっ て は よろよろ また 戻っ て 来 て また ぶっつかっ て は よろよろ にげ みち を こさえよ う と し まし た 。 
ゴーシュ は しばらく 面白 そう に 見 て い まし た が 
「 出し て やる よ 。 もう 来る な よ 。 ばか 。 」 
セロ 弾き は 扉 を あけ て 猫 が 風 の よう に 萱 の なか を 走っ て 行く の を 見 て ちょっと わらい まし た 。 それから 、 やっと せいせい し た という よう に ぐっすり ねむり まし た 。 
次 の 晩 も ゴーシュ が また 黒い セロ の 包み を かつい で 帰っ て き まし た 。 そして 水 を ごくごく の むとそっくりゆうべのとおりぐんぐん セロ を 弾き はじめ まし た 。 十 二 時 は 間もなく 過ぎ 一 時 も すぎ 二 時 も すぎ て も ゴーシュ は まだ やめ ませ ん でし た 。 それから もう 何時 だ か も わから ず 弾い て いる か も わから ず ご う ご う やっ て い ます と 誰 か 屋根裏 を こっ こっ と 叩く もの が あり ます 。 
「 猫 、 まだ こり ない の か 。 」 
ゴーシュ が 叫び ます と いきなり 天井 の 穴 から ぽ ろ ん と 音 が し て 一疋 の 灰 いろ の 鳥 が 降り て 来 まし た 。 床 へ とまっ た の を 見る と それ は かっこう でし た 。 
「 鳥 まで 来る なんて 。 何 の 用 だ 。 」 ゴーシュ が 云い まし た 。 
「 音楽 を 教わり たい の です 。 」 
かっこう 鳥 は すまし て 云い まし た 。 
ゴーシュ は 笑っ て 
「 音楽 だ と 。 おまえ の 歌 は 、 かっこう 、 かっこう と いう だけ じゃあ ない か 。 」 
すると かっこう が 大 へん まじめ に 
「 ええ 、 それ な ん です 。 けれども むずかしい です から ねえ 。 」 と 云い まし た 。 
「 むずかしい もん か 。 おまえ たち の は たくさん 啼く の が ひどい だけ で 、 なき よう は 何 で も ない じゃ ない か 。 」 
「 ところが それ が ひどい ん です 。 たとえば かっこう と こう なく の と かっこう と こう なく の と で は 聞い て い て も よほど ちがう でしょ う 。 」 
「 ちがわ ない ね 。 」 
「 では あなた に は わから ない ん です 。 わたし ら の なか ま なら かっこう と 一 万 云え ば 一 万 みんな ちがう ん です 。 」 
「 勝手 だ よ 。 そんなに わかっ てる なら 何 も おれ の 処 へ 来 なく て も いい で は ない か 。 」 
「 ところが 私 は ドレミファ を 正確 に やり たい ん です 。 」 
「 ドレミファ も くそ も ある か 。 」 
「 ええ 、 外国 へ 行く 前 に ぜひ 一 度 いる ん です 。 」 
「 外国 も くそ も ある か 。 」 
「 先生 どうか ドレミファ を 教え て ください 。 わたし は つい て うたい ます から 。 」 
「 うるさい なあ 。 そら 三 べ ん だけ 弾い て やる から すん だら さっさと 帰る ん だ ぞ 。 」 
ゴーシュ は セロ を 取り上げ て ボロンボロン と 糸 を 合わせ て ドレミファソラシド と ひき まし た 。 すると かっこう は あわて て 羽 を ばたばた し まし た 。 
「 ちがい ます 、 ちがい ます 。 そんな ん で ない ん です 。 」 
「 うるさい なあ 。 では おまえ やっ て ごらん 。 」 
「 こう です よ 。 」 かっこう は からだ を まえ に 曲げ て しばらく 構え て から 
「 かっこう 」 と 一つ なき まし た 。 
「 何 だい 。 それ が ドレミファ かい 。 おまえ たち に は 、 それでは ドレミファ も 第 六 交響楽 も 同じ な ん だ な 。 」 
「 それ は ちがい ます 。 」 
「 どう ちがう ん だ 。 」 
「 むずかしい の は これ を たくさん 続け た の が ある ん です 。 」 
「 つまり こう だろ う 。 」 セロ 弾き は また セロ を とっ て 、 かっこう かっこう かっこう かっこう かっこう と つづけ て ひき まし た 。 
すると かっこう は たいへん よろこん で 途中 から かっこう かっこう かっこう かっこう と つい て 叫び まし た 。 それ も もう 一生けん命 から だ を まげ て いつ まで も 叫ぶ の です 。 
ゴーシュ は とうとう 手 が 痛く なっ て 
「 こら 、 いいかげん に し ない か 。 」 と 云い ながら やめ まし た 。 すると かっこう は 残念 そう に 眼 を つりあげ て まだ しばらく ない て い まし た が やっと 
「 … … かっこう かく うかっ かっか っ かっか 」 と 云っ て やめ まし た 。 
ゴーシュ が すっかり おこっ て しまっ て 、 
「 こら とり 、 もう 用 が 済ん だら かえれ 」 と 云い まし た 。 
「 どう かも う いっぺん 弾い て ください 。 あなた の は いい よう だ けれども すこし ちがう ん です 。 」 
「 何 だ と 、 おれ が き さま に 教わっ てる ん で は ない ん だ ぞ 。 帰ら ん か 。 」 
「 どう か たった もう 一 ぺん おねがい です 。 どう か 。 」 かっこう は 頭 を 何 べ ん も こんこん 下げ まし た 。 
「 では これ っきり だ よ 。 」 
ゴーシュ は 弓 を かまえ まし た 。 かっこう は 「 くっ 」 と ひとつ 息 を し て 
「 では なるべく 永く おねがい いたし ます 。 」 と いっ て また 一つ おじぎ を し まし た 。 
「 いや に なっ ちまう なあ 。 」 ゴーシュ は に が 笑い し ながら 弾き はじめ まし た 。 すると かっこう は また まるで 本気 に なっ て 「 かっこう かっこう かっこう 」 と からだ を まげ て じつに 一生けん命 叫び まし た 。 ゴーシュ は はじめ は むし ゃくしゃしていましたがいつまでもつづけて 弾い て いる うち に ふっ と 何だか これ は 鳥 の 方 が ほんとう の ドレミファ に はまっ て いる か な と いう 気 が し て き まし た 。 どうも 弾け ば 弾く ほど かっこう の 方 が いい よう な 気 が する の でし た 。 
「 えい こんな ばか な こと し て い たら おれ は 鳥 に なっ て しまう ん じゃ ない か 。 」 と ゴーシュ は いきなり ぴたり と セロ を やめ まし た 。 
すると かっこう は どし ん と 頭 を 叩か れ た よう に ふらふら っと し て それ から また さっき の よう に 
「 かっこう かっこう かっこ うかっ かっか っ かっか っ 」 と 云っ て やめ まし た 。 それから 恨めし そう に ゴーシュ を 見 て 
「 なぜ やめ た ん です か 。 ぼく ら なら どんな 意気地 ない やつ でも のど から 血 が 出る まで は 叫ぶ ん です よ 。 」 と 云い まし た 。 
「 何 を 生意気 な 。 こんな ばか な まね を いつ まで し て い られる か 。 もう 出 て 行け 。 見ろ 。 夜 が あける ん じゃ ない か 。 」 ゴーシュ は 窓 を 指さし まし た 。 
東 の そら が ぼうっと 銀 いろ に なっ て そこ を まっ黒 な 雲 が 北の方 へ どんどん 走っ て い ます 。 
「 では お 日 さま の 出る まで どうぞ 。 もう 一 ぺん 。 ちょっと です から 。 」 
かっこう は また 頭 を 下げ まし た 。 
「 黙れ っ 。 いい 気 に なっ て 。 この ばか 鳥 め 。 出 て 行か ん と むしっ て 朝飯 に 食っ て しまう ぞ 。 」 ゴーシュ は どんと 床 を ふみ まし た 。 
すると かっこう は にわかに びっくり し た よう に いきなり 窓 を めがけ て 飛び立ち まし た 。 そして 硝子 に はげしく 頭 を ぶっつけ て ば たっと 下 へ 落ち まし た 。 
「 何だ 、 硝子 へ ばか だ なあ 。 」 ゴーシュ は あわて て 立っ て 窓 を あけよ う と し まし た が 元来 この 窓 は そんなに いつ でも するする 開く 窓 で は あり ませ ん でし た 。 ゴーシュ が 窓 の わく を しきりに がたがた し て いる うち に また かっこう が ばっ と ぶっつかっ て 下 へ 落ち まし た 。 見る と 嘴 の つけ ねから すこし 血 が 出 て い ます 。 
「 いま あけ て やる から 待っ て いろ っ たら 。 」 ゴーシュ が やっと 二 寸 ばかり 窓 を あけ た とき 、 かっこう は 起きあがっ て 何 が 何 で も こんど こそ という よう に じっと 窓 の 向う の 東 の そら を みつめ て 、 あら ん 限り の 力 を こめ た 風 で ぱっと 飛びたち まし た 。 もちろん こんど は 前 より ひどく 硝子 に つきあたっ て かっこう は 下 へ 落ち た まま しばらく 身動き も し ませ ん でし た 。 つかまえ て ドア から 飛ばし て やろ う と ゴーシュ が 手 を 出し まし たら いきなり かっこう は 眼 を ひらい て 飛び のき まし た 。 そして また ガラス へ 飛びつき そう に する の です 。 ゴーシュ は 思わず 足 を 上げ て 窓 を ばっ と けり まし た 。 ガラス は 二 三 枚 物すごい 音 し て 砕け 窓 は わく の まま 外 へ 落ち まし た 。 その がらん と なっ た 窓 の あと を かっこう が 矢 の よう に 外 へ 飛びだし まし た 。 そして もう どこ まで も どこ まで も まっすぐ に 飛ん で 行っ て とうとう 見え なく なっ て しまい まし た 。 ゴーシュ は しばらく 呆れ た よう に 外 を 見 て い まし た が 、 そのまま 倒れる よう に 室 の すみ へ ころがっ て 睡っ て しまい まし た 。 
次 の 晩 も ゴーシュ は 夜中 すぎ まで セロ を 弾い て つか れ て 水 を 一杯 のん で い ます と 、 また 扉 を こつこつ 叩く もの が あり ます 。 
今夜 は 何 が 来 て も ゆうべ の かっこう の よう に はじめ から おどかし て 追い払っ て やろ う と 思っ て コップ を もっ た まま 待ち構え て 居り ます と 、 扉 が すこし あい て 一疋 の 狸 の 子 が はいっ て き まし た 。 ゴーシュ は そこ で その 扉 を もう少し 広く ひらい て 置い て どんと 足 を ふん で 、 
「 こら 、 狸 、 おまえ は 狸 汁 という こと を 知っ て いる かっ 。 」 と どなり まし た 。 すると 狸 の 子 は ぼんやり し た 顔 を し て きちんと 床 へ 座っ た まま どうも わから ない という よう に 首 を まげて 考え て い まし た が 、 しばらく たっ て 
「 狸 汁 って ぼく 知ら ない 。 」 と 云い まし た 。 ゴーシュ は その 顔 を 見 て 思わず 吹き出 そう と し まし た が 、 まだ 無理 に 恐い 顔 を し て 、 
「 では 教え て やろ う 。 狸 汁 という の は な 。 おまえ の よう な 狸 を な 、 キャベジ や 塩 と まぜ て くたくた と 煮 て おれ さま の 食う よう に し た もの だ 。 」 と 云い まし た 。 すると 狸 の 子 は また ふしぎ そう に 
「 だって ぼく の お父さん が ね 、 ゴーシュ さん は とても いい 人 で こわく ない から 行っ て 習え と 云っ た よ 。 」 と 云い まし た 。 そこで ゴーシュ も とうとう 笑い 出し て しまい まし た 。 
「 何 を 習え と 云っ た ん だ 。 おれ は いそがしい ん じゃ ない か 。 それ に 睡 いん だ よ 。 」 
狸 の 子 は 俄 に 勢 が つい た よう に 一足 前 へ 出 まし た 。 
「 ぼく は 小太鼓 の 係り で ねえ 。 セロ へ 合わせ て もらっ て 来い と 云わ れ た ん だ 。 」 
「 どこ に も 小太鼓 が ない じゃ ない か 。 」 
「 そら 、 これ 」 狸 の 子 は せ なか から 棒 きれ を 二 本 出し まし た 。 
「 それで どう する ん だ 。 」 
「 では ね 、 『 愉快 な 馬車 屋 』 を 弾い て ください 。 」 
「 なん だ 愉快 な 馬車 屋 って ジャズ か 。 」 
「 ああ この 譜 だ よ 。 」 狸 の 子 は せ なか から また 一 枚 の 譜 を とり 出し まし た 。 ゴーシュ は 手 にとって わらい 出し まし た 。 
「 ふう 、 変 な 曲 だ なあ 。 よし 、 さあ 弾く ぞ 。 おまえ は 小太鼓 を 叩く の か 。 」 ゴーシュ は 狸 の 子 が どう する の か と 思っ て ちらちら そっち を 見 ながら 弾き はじめ まし た 。 
すると 狸 の 子 は 棒 を もっ て セロ の 駒 の 下 の ところ を 拍子 を とっ て ぽんぽん 叩き はじめ まし た 。 それ が なかなか うまい ので 弾い て いる うち に ゴーシュ は これ は 面白い ぞ と 思い まし た 。 
おしまい まで ひい て しまう と 狸 の 子 は しばらく 首 を まげて 考え まし た 。 
それから やっと 考えつい た という よう に 云い まし た 。 
「 ゴーシュ さん は この 二 番目 の 糸 を ひく とき は き たい に 遅れる ねえ 。 なんだか ぼく が つまずく よう に なる よ 。 」 
ゴーシュ は はっと し まし た 。 たしかに その 糸 は どんなに 手早く 弾い て も すこし たって から で ない と 音 が 出 ない よう な 気 が ゆうべ から し て い た の でし た 。 
「 いや 、 そう かも しれ ない 。 この セロ は 悪い ん だ よ 。 」 と ゴーシュ は かなし そう に 云い まし た 。 すると 狸 は 気の毒 そう に し て また しばらく 考え て い まし た が 
「 どこ が 悪い ん だろ う なあ 。 では もう 一 ぺん 弾い て くれ ます か 。 」 
「 いい と も 弾く よ 。 」 ゴーシュ は はじめ まし た 。 狸 の 子 は さっき の よう に とんとん 叩き ながら 時々 頭 を まげ て セロ に 耳 を つける よう に し まし た 。 そして おしまい まで 来 た とき は 今夜 も また 東 が ぼう と 明るく なっ て い まし た 。 
「 ああ 夜 が 明け た ぞ 。 どうも ありがとう 。 」 狸 の 子 は 大 へん あわて て 譜 や 棒 きれ を せ なか へ しょっ て ゴム テープ で ぱちんととめておじぎを 二つ 三つ する と 急い で 外 へ 出 て 行っ て しまい まし た 。 
ゴーシュ は ぼんやり し て しばらく ゆうべ の こわれ た ガラス から はいっ て くる 風 を 吸っ て い まし た が 、 町 へ 出 て 行く まで 睡っ て 元気 を とり 戻そ う と 急い で ねどこ へ もぐり込み まし た 。 
次 の 晩 も ゴーシュ は 夜通し セロ を 弾い て 明方 近く 思わず つかれ て 楽譜 を もっ た まま うとうと し て い ます と また 誰 か 扉 を こつこつ と 叩く もの が あり ます 。 それ も まるで 聞える か 聞え ない か の 位 でし た が 毎晩 の こと な ので ゴーシュ は すぐ 聞きつけ て 「 お はいり 。 」 と 云い まし た 。 すると 戸 の すき ま から はいっ て 来 た の は 一 ぴき の 野ねずみ でし た 。 そして 大 へん ちいさな こども を つれ て ちょろちょろ と ゴーシュ の 前 へ 歩い て き まし た 。 その また 野ねずみ の こども とき たら まるで けし ご むのくらいしかないので ゴーシュ は おもわず わらい まし た 。 すると 野ねずみ は 何 を わらわ れ たろ う という よう に きょろきょろ し ながら ゴーシュ の 前 に 来 て 、 青い 栗 の 実 を 一 つぶ 前 において ちゃんと おじぎ を し て 云い まし た 。 
「 先生 、 この 児 が あんばい が わるく て 死に そう で ござい ます が 先生 お 慈悲 に なおし て やっ て ください まし 。 」 
「 おれ が 医者 など やれる もん か 。 」 ゴーシュ は すこし むっと し て 云い まし た 。 すると 野ねずみ の お母さん は 下 を 向い て しばらく だまっ て い まし た が また 思い切っ た よう に 云い まし た 。 
「 先生 、 それ は うそ で ござい ます 、 先生 は 毎日 あんなに 上手 に みんな の 病気 を なおし て おいで に なる で は あり ませ ん か 。 」 
「 何 の こと だ か わから ん ね 。 」 
「 だって 先生 先生 の おかげ で 、 兎 さん の おばあさん も なおり まし た し 狸 さん の お父さん も なおり まし た し あんな 意地悪 の みみずく まで なおし て いただい た のに この 子 ばかり お 助け を いただけ ない と は あんまり 情ない こと で ござい ます 。 」 
「 おいおい 、 それ は 何 か の 間 ちがい だ よ 。 おれ は みみずく の 病気 なんど なおし て やっ た こと は ない から な 。 もっとも 狸 の 子 は ゆうべ 来 て 楽隊 の まね を し て 行っ た が ね 。 は はん 。 」 ゴーシュ は 呆れ て その 子 ねずみ を 見おろし て わらい まし た 。 
すると 野鼠 の お母さん は 泣き だし て しまい まし た 。 
「 ああ この 児 は どうせ 病気 に なる なら もっと 早く なれ ば よかっ た 。 さっき まで あれ 位 ごうごうと 鳴らし て おいで に なっ た のに 、 病気 に なる と いっしょ に ぴたっと 音 が とまっ て もう あと は いくら おねがい し て も 鳴らし て くださら ない なんて 。 何 て ふし あわせ な 子ども だろ う 。 」 
ゴーシュ は びっくり し て 叫び まし た 。 
「 何 だ と 、 ぼく が セロ を 弾け ば みみずく や 兎 の 病気 が なおる と 。 どういう わけ だ 。 それ は 。 」 
野ねずみ は 眼 を 片手 で こすり こすり 云い まし た 。 
「 はい 、 ここら の もの は 病気 に なる と みんな 先生 の お うち の 床下 に は いっ て 療 す の で ござい ます 。 」 
「 すると 療 る の か 。 」 
「 はい 。 から だ 中 とても 血 の まわり が よく なっ て 大 へん いい 気持ち で すぐ 療 る 方 も あれ ば うち へ 帰っ て から 療 る 方 も あり ます 。 」 
「 ああ そう か 。 おれ の セロ の 音 が ご う ご う ひびく と 、 それ が あんま の 代り に なっ て おまえ たち の 病気 が なおる という の か 。 よし 。 わかっ た よ 。 やっ て やろ う 。 」 ゴーシュ は ちょっと ギウギウ と 糸 を 合せ て それ から いきなり の ねずみ の こども を つまん で セロ の 孔 から 中 へ 入れ て しまい まし た 。 
「 わたし も いっしょ に ついて行き ます 。 どこ の 病院 で も そう です から 。 」 おっかさん の 野ねずみ は きち がい の よう に なっ て セロ に 飛びつき まし た 。 
「 おまえ さん も はいる か ね 。 」 セロ 弾き は おっかさん の 野ねずみ を セロ の 孔 から くぐ してやろ う と し まし た が 顔 が 半分 しか はいり ませ ん でし た 。 
野ねずみ は ばたばた し ながら 中 の こども に 叫び まし た 。 
「 おまえ そこ は いい かい 。 落ちる とき いつも 教える よう に 足 を そろえ て うまく 落ち た かい 。 」 
「 いい 。 うまく 落ち た 。 」 こども の ねずみ は まるで 蚊 の よう な 小さな 声 で セロ の 底 で 返事 し まし た 。 
「 大丈夫 さ 。 だから 泣き声 出す な と いう ん だ 。 」 ゴーシュ は おっかさん の ねずみ を 下 に おろし て それ から 弓 を とっ て 何とか ラプソディ とかいう もの を ご う ご う が あ が あ 弾き まし た 。 すると おっかさん の ねずみ は いかにも 心配 そう に その 音 の 工合 を きい て い まし た が とうとう こらえ 切れ なく なっ た ふう で 
「 もう 沢山 です 。 どうか 出し て やっ て ください 。 」 と 云い まし た 。 
「 なあんだ 、 これ で いい の か 。 」 ゴーシュ は セロ を まげ て 孔 の ところ に 手 を あて て 待っ て い まし たら 間もなく こども の ねずみ が 出 て き まし た 。 ゴーシュ は 、 だまっ て それ を おろし て やり まし た 。 見る と すっかり 目 を つぶっ て ぶるぶる ぶるぶる ふるえ て い まし た 。 
「 どう だっ た の 。 いい かい 。 気分 は 。 」 
こども の ねずみ は すこし も へんじ も し ない で まだ しばらく 眼 を つぶっ た まま ぶるぶる ぶるぶる ふるえ て い まし た が にわかに 起きあがっ て 走り だし た 。 
「 ああ よく なっ た ん だ 。 ありがとう ござい ます 。 ありがとう ござい ます 。 」 おっかさん の ねずみ も いっしょ に 走っ て い まし た が 、 まもなく ゴーシュ の 前 に 来 て しきりに おじぎ を し ながら 
「 ありがとう ござい ます ありがとう ござい ます 」 と 十 ばかり 云い まし た 。 
ゴーシュ は 何 が なか あい そう に なっ て 
「 おい 、 おまえ たち は パン は たべる の か 。 」 と きき まし た 。 
すると 野鼠 は びっくり し た よう に きょろきょろ あたり を 見 まわし て から 
「 いえ 、 もう お パン という もの は 小麦 の 粉 を こね たり むし たり し て こしらえ た もの で ふく ふく 膨らん で い て おいしい もの な そう で ござい ます が 、 そう で なく て も 私 ども は お うち の 戸棚 へ など 参っ た こと も ござい ませ ん し 、 まして これ 位 お世話 に なり ながら どうして それ を 運び に なんど 参れ ましょ う 。 」 と 云い まし た 。 
「 いや 、 その こと で は ない ん だ 。 ただ たべる の か と きい た ん だ 。 で は たべる ん だ な 。 ちょっと 待て よ 。 その 腹 の 悪い こども へ やる から な 。 」 
ゴーシュ は セロ を 床 へ 置い て 戸棚 から パン を 一 つまみ むしっ て 野ねずみ の 前 へ 置き まし た 。 
野ねずみ は もう まるで ばか の よう に なっ て 泣い たり 笑っ たり おじぎ を し たり し て から 大 じそ う に それ を くわえ て こども を さき に 立て て 外 へ 出 て 行き まし た 。 
「 あ ああ 。 鼠 と 話 する の も なかなか つかれる ぞ 。 」 ゴーシュ は ねどこ へ どっかり 倒れ て すぐ ぐうぐうねむってしまいました 。 
それから 六 日 目 の 晩 でし た 。 金星 音楽 団 の 人 たち は 町 の 公会堂 の ホール の 裏 に ある 控室 へ みんな ぱっと 頭 を ほてら し て めいめい 楽器 を もっ て 、 ぞろぞろ ホール の 舞台 から 引きあげ て 来 まし た 。 首尾 よく 第 六 交響曲 を 仕上げ た の です 。 ホール で は 拍手 の 音 が まだ 嵐 の よう に 鳴っ て 居り ます 。 楽長 は ポケット へ 手 を つっ込ん で 拍手 なんか どう でも いい という よう に のそのそ みんな の 間 を 歩き まわっ て い まし た が 、 じつは どうして 嬉し さ で いっぱい な の でし た 。 みんな は たばこ を くわえ て マッチ を すっ たり 楽器 を ケース へ 入れ たり し まし た 。 
ホール は まだ ぱちぱち 手 が 鳴っ て い ます 。 それどころ で は なく いよいよ それ が 高く なっ て 何だか こわい よう な 手 が つけ られ ない よう な 音 に なり まし た 。 大きな 白い リボン を 胸 に つけ た 司会 者 が はいっ て 来 まし た 。 
「 アンコール を やっ て い ます が 、 何 か みじかい もの で も きかせ て やっ て ください ませ ん か 。 」 
すると 楽長 が きっと なっ て 答え まし た 。 「 いけ ませ ん な 。 こういう 大物 の あと へ 何 を 出し た って こっち の 気 の 済む よう に は 行く もん で ない ん です 。 」 
「 では 楽長 さん 出 て 一寸 挨拶 し て ください 。 」 
「 だめ だ 。 おい 、 ゴーシュ 君 、 何 か 出 て 弾い て やっ て くれ 。 」 
「 わたし が です か 。 」 ゴーシュ は 呆気 に とら れ まし た 。 
「 君 だ 、 君 だ 。 」 ヴァイオリン の 一番 の 人 が いきなり 顔 を あげ て 云い まし た 。 
「 さあ 出 て 行き たまえ 。 」 楽長 が 云い まし た 。 みんな も セロ を むりに ゴーシュ に 持た せ て 扉 を あける と いきなり 舞台 へ ゴーシュ を 押し出し て しまい まし た 。 ゴーシュ が その 孔 の あい た セロ を もっ て じつに 困っ て しまっ て 舞台 へ 出る と みんな は そら 見ろ という よう に 一 そう ひどく 手 を 叩き まし た 。 わあ と 叫ん だ もの も ある よう でし た 。 
「 どこ まで ひと を ばか に する ん だ 。 よし 見 て いろ 。 印度 の 虎 狩 を ひい て やる から 。 」 ゴーシュ は すっかり 落ちつい て 舞台 の まん中 へ 出 まし た 。 
それから あの 猫 の 来 た とき の よう に まるで 怒っ た 象 の よう な 勢 で 虎 狩り を 弾き まし た 。 ところが 聴衆 は しいんと なっ て 一生けん命 聞い て い ます 。 ゴーシュ は どんどん 弾き まし た 。 猫 が 切な がっ て ぱちぱち 火花 を 出し た ところ も 過ぎ まし た 。 扉 へ からだ を 何 べ ん も ぶっつけ た 所 も 過ぎ まし た 。 
曲 が 終る と ゴーシュ は もう みんな の 方 など は 見 も せ ず ちょうど その 猫 の よう に すばやく セロ を もっ て 楽屋 へ 遁 げ 込み まし た 。 すると 楽屋 で は 楽長 はじめ 仲間 が みんな 火事 に でも あっ た あと の よう に 眼 を じっと し て ひっそり と すわり込ん で い ます 。 ゴーシュ は やぶれ かぶれ だ と 思っ て みんな の 間 を さっさと ある い て 行っ て 向う の 長椅子 へ どっかり と からだ を おろし て 足 を 組ん で すわり まし た 。 
すると みんな が 一 ぺん に 顔 を こっち へ 向け て ゴーシュ を 見 まし た が やはり まじめ で べつに わらっ て いる よう で も あり ませ ん でし た 。 
「 こん や は 変 な 晩 だ なあ 。 」 
ゴーシュ は 思い まし た 。 ところが 楽長 は 立っ て 云い まし た 。 
「 ゴーシュ 君 、 よかっ た ぞ お 。 あんな 曲 だ けれども ここ で は みんな かなり 本気 に なっ て 聞い て た ぞ 。 一 週間 か 十 日 の 間 に ずいぶん 仕上げ た なあ 。 十 日 前 と くらべ たら まるで 赤ん坊 と 兵隊 だ 。 やろ う と 思え ば いつ でも やれ た ん じゃ ない か 、 君 。 」 
仲間 も みんな 立っ て 来 て 「 よかっ た ぜ 」 と ゴーシュ に 云い まし た 。 
「 いや 、 から だ が 丈夫 だ から こんな こと も できる よ 。 普通 の 人 なら 死ん で しまう から な 。 」 楽長 が 向う で 云っ て い まし た 。 
その 晩 遅く ゴーシュ は 自分 の うち へ 帰っ て 来 まし た 。 
そして また 水 を がぶがぶ 呑み まし た 。 それから 窓 を あけ て いつか かっこう の 飛ん で 行っ た と 思っ た 遠く の そら を ながめ ながら 
「 ああ かっこう 。 あの とき は すま なかっ た なあ 。 おれ は 怒っ た ん じゃ なかっ た ん だ 。 」 と 云い まし た 。 
ホロタイタネリ は 、 小屋 の 出口 で 、 でまかせ の うた を うたい ながら 、 何 か 細かく むしっ た もの を 、 ばたばた ばたばた 、 棒 で 叩い て 居り まし た 。 
「 山 の うえ から 、 青い 藤蔓 とっ て き た 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
崖 の うえ から 、 赤い 藤蔓 とっ て き た 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
森 の なか から 、 白い 藤蔓 とっ て き た 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
洞 の なか から 、 黒い 藤蔓 とっ て き た 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
山 の うえ から 、 … 」 
タネリ が 叩い て いる もの は 、 冬 中 かかっ て 凍ら し て 、 こまかく 裂い た 藤蔓 でし た 。 
「 山 の うえ から 、 青い け むりがふきだした 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
崖 の うえ から 、 赤い け むりがふきだした 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
森 の なか から 、 白い け むりがふきだした 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 
洞 の なか から 、 黒い け むりがふきだした 
… 西風 ゴスケ に 北風 カスケ … 。 」 
ところが タネリ は 、 もう やめ て しまい まし た 。 向う の 野 は ら や 丘 が 、 あんまり 立派 で 明るく て 、 それ に かげろう が 、 「 さあ 行こ う 、 さあ 行こ う 。 」 という よう に 、 そこら いち めん 、 ゆらゆら のぼっ て いる の です 。 
タネリ は とうとう 、 叩い た 蔓 を 一 束 もっ て 、 口 で も にちゃにちゃ 噛み ながら 、 そっち の 方 へ 飛びだし まし た 。 
「 森 へ は 、 はいっ て 行く ん で ない ぞ 。 なが ね の 下 で 、 白樺 の 皮 、 剥い で 来 よ 。 」 うち の なか から 、 ホロタイタネリ の お母さん が 云い まし た 。 
タネリ は 、 その とき は もう 、 子鹿 の よう に 走り はじめ て い まし た ので 、 返事 する 間 も あり ませ ん でし た 。 
枯れ た 草 は 、 黄いろ に あかるく ひろがっ て 、 どこ も かしこ も 、 ごろごろ ころがっ て みたい くらい 、 その はて で は 、 青 ぞ ら が 、 つめたく つるつる 光っ て い ます 。 タネリ は 、 まるで 、 早く 行っ て その 青 ぞ ら を 少し 喰 べ る の だ という ふう に 走り まし た 。 
タネリ の 小屋 が 、 兎 ぐらい に 見える ころ 、 タネリ は やっと 走る の を やめ て 、 ふざけ た よう に 、 口 を 大きく あき ながら 、 頭 を がたがた ふり まし た 。 それから 思い出し た よう に 、 あの 藤蔓 を 、 また 五 六 ぺん にちゃにちゃ 噛み まし た 。 その 足もと に 、 去年 の 枯れ た 萱 の 穂 が 、 三 本 倒れ て 、 白く ひかっ て 居り まし た 。 タネリ は 、 も が も が つぶやき まし た 。 
「 こいつ ら が 
ざわざわ ざわざわ 云っ た の は 、 
ちょうど 昨日 の こと だっ た 。 
何 し て 昨日 の こと だっ た ？ 
雪 を 勘定 し なけれ ば 、 
ちょうど 昨日 の こと だっ た 。 」 
ほんとう に 、 その 雪 は 、 まだ あちこち の わずか な 窪 みや 、 向う の 丘 の 四 本 の 柏 の 木の下 で 、 まだ ら に なっ て 残っ て い ます 。 タネリ は 、 大きく 息 を つき ながら 、 まばゆい 頭 の うえ を 見 まし た 。 そこ に は 、 小さな すきとおる 渦巻き の よう な もの が 、 ついつい と 、 のぼっ たり おり たり し て いる の でし た 。 タネリ は 、 また 口 の なか で 、 きゅう くつ そう に 云い まし た 。 
「 雪 の かわり に 、 これから 雨 が 降る もん だ から 、 
そう ら 、 あんなに 、 雨 の 卵 が でき て いる 。 」 
その なめらか な 青 ぞ ら に は 、 まだ 何 か 、 ちらちら ちらちら 、 網 に なっ たり 紋 に なっ たり 、 ゆれ てる もの が あり まし た 。 タネリ は 、 柔らか に 噛ん だ 藤蔓 を 、 いきなり ぷっと 吐い て しまっ て 、 こんど は 力いっぱい 叫び まし た 。 
「 ほう 、 太陽 の 、 きもの を そら で 編ん でる ぞ 
いや 、 太陽 の 、 きもの を 編ん で いる だけ で ない 。 
そん なら 西 の ゴスケ 風 だ か ？ 
いい や 、 西風 ゴスケ で ない 
そん なら ホースケ 、 蜂 だ か ？ 
うん にゃ 、 ホースケ 、 蜂 で ない 
そん なら 、 トースケ 、 ひばり だ か ？ 
うん にゃ 、 トースケ 、 ひばり で ない 。 」 
タネリ は 、 わから なく なっ て しまい まし た 。 そこで 仕方 なく 、 首 を まげ た まま 、 また 藤蔓 を 一 つまみ とっ て 、 にちゃにちゃ 噛み はじめ ながら 、 かれ 草 を あるい て 行き まし た 。 向う に は さっき の 、 四 本 の 柏 が 立っ て い て つめたい 風 が 吹き ます と 、 去年 の 赤い 枯れ た 葉 は 、 一 度 に ざらざら 鳴り まし た 。 タネリ は おもわ ず 、 やっと 柔らか に なり かけ た 藤蔓 を 、 そこら へ ふっと 吐い て しまっ て 、 その 西風 の ゴスケ と いっしょ に 、 大きな 声 で 云い まし た 。 
「 おい 、 柏 の 木 、 おいら おまえ と 遊び に 来 た よ 。 遊ん で おくれ 。 」 
この 時 、 風 が 行っ て しまい まし た ので 、 柏 の 木 は 、 もうこ そっと も 云わ なく なり まし た 。 
「 まだ 睡 てる の か 、 柏 の 木 、 遊び に 来 た から 起き て くれ 。 」 
柏 の 木 が 四 本 とも 、 やっぱり だまっ て い まし た ので 、 タネリ は 、 怒っ て 云い まし た 。 
「 雪 の ない とき 、 ね て いる と 、 
西風 ゴスケ が ゆすぶる ぞ 
ホースケ 蜂 が 巣 を 食う ぞ 
トースケ ひばり が 糞 ひる ぞ 。 」 
それでも 柏 は 四 本 とも 、 やっぱり 音 を たて ませ ん でし た 。 タネリ は 、 こっそり 爪 立て を し て 、 その 一 本 の そば へ 進ん で 、 耳 を ぴったり 茶 いろ な 幹 に あてがっ て 、 なか の よう す を うかがい まし た 。 けれども 、 中 は しん として 、 まだ 芽 も 葉 も うごき はじめる も よう が あり ませ ん でし た 。 
「 来 た しるし だけ つけ て く よ 。 」 タネリ は 、 さ びしそうにひとりでつぶやきながら 、 そこら の 枯れ た 草 穂 を つかん で 、 あちこち に 四つ 、 結び目 を こしらえ て 、 やっと 安心 し た よう に 、 また 藤 の 蔓 を すこし 口 に 入れ て あるき だし まし た 。 
丘 の うし ろ は 、 小さな 湿地 に なっ て い まし た 。 そこ で は まっくろ な 泥 が 、 あたたか に 春 の 湯気 を 吐き 、 その あちこち に は 青じろい 水 ば しょ う 、 牛 の 舌 の 花 が 、 ぼんやり なら んで 咲い て い まし た 。 タネリ は 思わ ず 、 また 藤蔓 を 吐い て しまっ て 、 勢 よく 湿地 の へり を 低い 方 へ つたわり ながら 、 その 牛 の 舌 の 花 に 、 一つ ずつ 舌 を 出し て 挨拶 し て あるき まし た 。 そら はい よい よ 青く ひかっ て 、 そこら は し ぃんと 鳴る ばかり 、 タネリ は とうとう 、 たまらなく なっ て 、 「 おーい 、 誰 か 居 た か あ 。 」 と 叫び まし た 。 すると 花 の 列 の うし ろ から 、 一 ぴき の 茶 いろ の 蟇 が 、 のそのそ 這っ て で て き まし た 。 タネリ は 、 ぎく っと し て 立ちどまっ て しまい まし た 。 それ は 蟇 の 、 這い ながら かんがえ て いる こと が 、 まるで 遠く で 風 で も つぶやく よう に 、 タネリ の 耳 に きこえ て き た の です 。 
（ どう だい 、 おれ の 頭 の うえ は 。 
い つ から 、 こんな 、 
ぺらぺら 赤い 火 に なっ たろ う 。 ） 
「 火 なんか 燃え て ない 。 」 タネリ は 、 こわごわ 云い まし た 。 蟇 は 、 やっぱり のそのそ 這い ながら 、 
（ そこら は みんな 、 桃 いろ を し た 木耳 だ 。 
ぜんたい 、 い つ から 、 
こんなに ぺらぺら しだし た の だろ う 。 ） と いっ て い ます 。 タネリ は 、 俄 か に こわく なっ て 、 いち も くさん に 遁 げ 出し まし た 。 
しばらく 走っ て 、 やっと 気がつい て とまっ て みる と 、 すぐ 目 の 前 に 、 四 本 の 栗 が 立っ て い て 、 その 一 本 の 梢 に は 、 黄金 いろ を し た 、 やどり木 の 立派 な まり が つい て い まし た 。 タネリ は 、 やどり木 に 何 か 云お う と し まし た が 、 あんまり 走っ て 、 胸 が どかどか ふい ご の よう で 、 どうしても もの が 云え ませ ん でし た 。 早く 息 を みんな 吐い て しまお う と 思っ て 、 青 ぞ ら へ 高く 、 ほう と 叫ん で も 、 まだ なおり ませ ん でし た 。 藤蔓 を 一 つまみ 噛ん で み て も 、 まだ なおり ませ ん でし た 。 そこで こんど は ふっと 吐き出し て み まし たら 、 ようやく 叫べる よう に なり まし た 。 
「 栗 の 木 　 死ん だ 、 何 し て 死ん だ 、 
子ども に あ たま を 食わ れ て 死ん だ 。 」 
すると 上 の 方 で 、 やどり ぎが 、 ちらっと 笑っ た よう でし た 。 タネリ は 、 面白 が って 節 を つけ て また 叫び まし た 。 
「 栗 の 木 食っ て 　 栗 の 木 死ん で 
かけす が 食っ て 　 子ども が 死ん で 
夜鷹 が 食っ て 　 　 かけす が 死ん で 
鷹 は 高く へ 飛ん で っ た 。 」 
やどり ぎが 、 上 で べそ を かい た よう な ので 、 タネリ は 高く 笑い まし た 。 けれども 、 その 笑い声 が 、 潰れ た よう に 丘 へ ひびい て 、 それから 遠く へ 消え た とき 、 タネリ は 、 しょんぼり し て しまい まし た 。 そして さびし そう に 、 また 藤 の 蔓 を 一 つまみ とっ て 、 にちゃにちゃ と 噛み はじめ まし た 。 
その 時 、 向う の 丘 の 上 を 、 一疋 の 大きな 白い 鳥 が 、 日 を 遮 ぎって 飛びたち まし た 。 はね のう ら は 桃 いろ に ぎらぎら ひかり 、 まるで 鳥 の 王さま と で も いう ふう 、 タネリ の 胸 は 、 まるで 、 酒 で いっぱい の よう に なり まし た 。 タネリ は 、 いま 噛ん だ ばかり の 藤蔓 を 、 勢 よく 草 に 吐い て 高く 叫び まし た 。 
「 おまえ は 鴇 という 鳥 かい 。 」 
鳥 は 、 あたりまえ さ という よう に 、 ゆっくり 丘 の 向う へ 飛ん で 、 まもなく 見え なく なり まし た 。 タネリ は 、 まっしぐら に 丘 を かけ のぼっ て 、 見え なく なっ た 鳥 を 追いかけ まし た 。 丘 の 頂上 に 来 て 見 ます と 、 鳥 は 、 下 の 小さな 谷間 の 、 枯れ た 蘆 の なか へ 、 いま 飛び込む ところ です 。 タネリ は 、 北風 カスケ より 速く 、 丘 を 馳 け 下り て 、 その 黄いろ な 蘆 むら の まわり を 、 ぐるぐる まわり ながら 叫び まし た 。 
「 おおい 、 鴇 、 
おいら は ひとり な ん だ から 、 
おまえ は おいら と 遊ん で おくれ 。 
おいら は ひとり な ん だ から 。 」 
鳥 は 、 つい て おいで という よう に 、 蘆 の なか から 飛びだし て 、 南 の 青い そら の 板 に 、 射 られ た 矢 の よう に かけ あがり まし た 。 タネリ は 、 青い 影法師 と いっしょ に 、 ふらふら それ を 追い まし た 。 かたく り の 花 は 、 その 足もと で 、 たびたび ゆらゆら 燃え まし た し 、 空 は ぐらぐら ゆれ まし た 。 鳥 は 俄 か に 羽 を すぼめ て 、 石ころ みたい に 、 枯草 の 中 に 落ち て は 、 また まっすぐ に 飛び あがり ます 。 タネリ も 、 つまずい て 倒れ て は また 起きあがっ て 追いかけ まし た 。 鳥 は はるか の 西 に 外れ て 、 青じろく 光り ながら 飛ん で 行き ます 。 タネリ は 、 一つ の 丘 を かけ あがっ て 、 ころぶ よう に また かけ 下り まし た 。 そこ は 、 ゆるやか な 野原 に なっ て い て 、 向う は 、 ひどく 暗い 巨 き な 木立 でし た 。 鳥 は 、 まっすぐ に その 森 の 中 に 落ち込み まし た 。 タネリ は 、 胸 を 押え て 、 立ちどまっ て しまい まし た 。 向う の 木立 が 、 あんまり 暗く て 、 それに 何 の 木 か わから ない の です 。 ひ ば より も 暗く 、 榧 より も もっと 陰気 で 、 なか に は 、 どんな もの が かくれ て いる か 知れ ませ ん でし た 。 それ に 、 何 かき たい な 怒鳴り や 叫び が 、 中 から 聞え て 来る の です 。 タネリ は 、 いつ でも 遁 げ られる よう に 、 半分 うし ろ を 向い て 、 片足 を 出し ながら 、 こわごわ そっち へ 叫ん で 見 まし た 。 
「 鴇 、 鴇 、 おいら と あそん で おくれ 。 」 
「 えい 、 うるさい 、 すき な くらい そこら で あそん で け 。 」 たしか に さっき の 鳥 で ない ちがっ た もの が 、 そんな 工合 に へんじ し た の でし た 。 
「 鴇 、 鴇 、 だから 出 て き て おくれ 。 」 
「 えい 、 うるさ いっ たら 。 ひとり で そこら で あそん で け 。 」 
「 鴇 、 鴇 、 おいら は もう 行く よ 。 」 
「 行く の かい 。 さよなら 、 えい 、 畜生 、 その 骨 汁 は 、 空虚 だっ た の か 。 」 
タネリ は 、 ほんとう に さびしく なっ て 、 また 藤 の 蔓 を 一 つまみ 、 噛み ながら 、 も いちど 森 を 見 まし たら 、 いつの間にか 森 の 前 に 、 顔 の 大きな 犬 神 みたい な もの が 、 片 っ 方 の 手 を ふところ に 入れ て 、 山梨 の よう な 赤い 眼 を きょろきょろ さ せ ながら 、 じっと 立っ て いる の でし た 。 タネリ は 、 まるで 小さく なっ て 、 一目 さん に 遁 げ だし まし た 。 そして いな ず ま の よう に つづけ ざま に 丘 を 四つ 越え まし た 。 そこ に 四 本 の 栗 の 木 が 立っ て 、 その 一 本 の 梢 に は 、 立派 な やどり ぎのまりがついていました 。 それ は さっき の やどり ぎでした 。 いかにも タネリ を ばか に し た よう に 、 上 で きらきら ひかっ て い ます 。 タネリ は 工合 の わるい の を ごまかし て 、 
「 栗 の 木 、 起きろ 。 」 と 云い ながら 、 うち の 方 へ あるき だし まし た 。 日 は もう 、 よっぽど 西 に かたよっ て 、 丘 に は 陰影 も でき まし た 。 かたく り の 花 は ゆらゆら と 燃え 、 その 葉 の 上 に は 、 いろいろ な 黒 いも よう が 、 次 から 次 と 、 出 て き て は 消え 、 で て き て は 消え し て い ます 。 タネリ は 低く 読み まし た 。 
「 太陽 は 、 
丘 の 髪 毛 の 向う の ほう へ 、 
かくれ て 行っ て また のぼる 。 
そして かくれ て また のぼる 。 」 
タネリ は 、 つかれ 切っ て 、 まっ す ぐにじぶんのうちへもどって 来 まし た 。 
「 白樺 の 皮 、 剥がし て 来 た か 。 」 タネリ が うち に 着い た とき 、 タネリ の お母さん が 、 小屋 の 前 で 、 こ なら の 実 を 搗き ながら 云い まし た 。 
「 うん にゃ 。 」 タネリ は 、 首 を ちぢめ て 答え まし た 。 
「 藤蔓 みんな 噛 じ って 来 た か 。 」 
「 うん にゃ 、 どこ か へ 無くし て しまっ た よ 。 」 タネリ が ぼんやり 答え まし た 。 
「 仕事 に 藤蔓 噛み に 行っ て 、 無くし て くる もの ある ん だ か 。 今年 は おいら 、 おまえ の きもの は 、 一つ も 編ん で やら ない ぞ 。 」 お母さん が 少し 怒っ て 云い まし た 。 
「 うん 。 けれども おいら 、 一 日 噛ん で い た よう だっ た よ 。 」 
タネリ が 、 ぼんやり また 云い まし た 。 
「 そう か 。 そん だら いい 。 」 お母さん は 、 タネリ の 顔付き を 見 て 、 安心 し た よう に 、 また こ なら の 実 を 搗き はじめ まし た 。 
この 農園 の すもも の かき ね は いっぱい に 青じろい 花 を つけ て い ます 。 
雲 は 光っ て 立派 な 玉髄 の 置物 です 。 四方 の 空 を 繞 り ます 。 
すもも の かき ね の はずれ から 一 人 の 洋傘 直し が 荷物 を しょっ て 、 この 月光 を ちりばめ た 緑 の 障壁 に 沿っ て やって来 ます 。 
てくてく ある い て くる その 黒い 細い 脚 は たしかに 鹿 に 肖 て い ます 。 そして 日 が 照っ て いる ため に 荷物 の 上 に かざさ れ た 赤 白 だ ん だら の 小さな 洋傘 は 有平糖 で でき てる よう に 思わ れ ます 。 
（ 洋傘 直し 、 洋傘 直し 、 なぜ そう ちらちら かき ね の すき から 農園 の 中 を のぞく の か 。 ） 
そして てくてく やって来 ます 。 有平糖 の その 洋傘 は いよいよ ひかり 洋傘 直し の その 顔 は いよいよ 熱っ て 笑っ て い ます 。 
（ 洋傘 直し 、 洋傘 直し 、 なぜ 農園 の 入口 で おまえ は きく っと 曲る の か 。 農園 の 中 など に おまえ の 仕事 は ある まい よ 。 ） 
洋傘 直し は 農園 の 中 へ 入り ます 。 しめっ た 五月 の 黒 つ ち に チュウリップ は 無 雑作 に 並べ て 植え られ 、 一 めん に 咲き 、 かすか に かすか に ゆらい で い ます 。 
（ 洋傘 直し 、 洋傘 直し 。 荷物 を おろし 、 おまえ は 汗 を 拭い て いる 。 そこら に 立っ て しばらく 花 を 見よ う という の か 。 そう で ない なら そこら に 立っ て いけ ない よ 。 ） 
園丁 が こ て を さげ て 青い 上着 の 袖 で 額 の 汗 を 拭き ながら 向う の 黒い 独 乙 唐 檜 の 茂み の 中 から 出 て 来 ます 。 
「 何 の ご用 です か 。 」 
「 私 は 洋傘 直し です が 何 か ご用 は あり ませ ん か 。 若し また 何 か 鋏 でも 研ぐ の が あり まし たら そちら の ほう も いたし ます 。 」 
「 ああ そう です か 。 一寸 お待ち なさい 。 主人 に 聞い て あげ ましょ う 。 」 
「 どう か お願い いたし ます 。 」 
青い 上着 の 園丁 は 独 乙 唐 檜 の 茂み を くぐっ て 消え て 行き 、 それから ぽっと 陽 も 消え まし た 。 
よっぽど 西 に その 太陽 が 傾い て 、 いま 入っ た ばかり の 雲 の 間 から 沢山 の 白い 光 の 棒 を 投げ それ は 向う の 山脈 の あちこち に 落ち て さびしい 群青 の 泣き笑い を し ます 。 
有平糖 の 洋傘 も いま は 普通 の 赤 と 白 と の キャラコ です 。 
それから 今度 は 風 が 吹き たちまち 太陽 は 雲 を 外れ チュウリップ の 畑 に も 不意 に 明るく 陽 が 射し まし た 。 まっ 赤 な 花 が ぷらぷらゆれて 光っ て い ます 。 
園丁 が いつか 俄 か に やって来 て ガチャッ と 持っ て 来 た もの を 置き まし た 。 
「 これ だけ お願い する そう です 。 」 
「 へい 。 え えと 。 この 剪定 鋏 は ひどく 捩れ て おり ます から 鍛冶 に 一 ぺん おかけ なさら ない と 直り ませ ん 。 こちら の ほう は みんな 出来 ます 。 はじめ に お 値段 を 決め て おい て よろしかっ たら お 研ぎ いたし ましょ う 。 」 
「 そう です か 。 どれ だけ です か 。 」 
「 こちら が 八 銭 、 こちら が 十 銭 、 こちら の 鋏 は 二 丁 で 十 五 銭 に いたし て おき ましょ う 。 」 
「 よう ござん す 。 じゃ 願い ます 。 水 が あり ます か 。 持っ て 来 て あげ ましょ う 。 その 芝 の 上 が いい です か 。 どこ でも あなた の すき な 処 で お やり なさい 。 」 
「 ええ 、 水 は 私 が 持っ て 参り ます 。 」 
「 そう です か 。 そこ の かき ね の こっち 側 を 少し 右 へ つい て おい で なさい 。 井戸 が あり ます 。 」 
「 へい 。 それでは お 研ぎ いたし ましょ う 。 」 
「 ええ 。 」 
園丁 は また 唐 檜 の 中 に はいり 洋傘 直し は 荷物 の 底 の 道具 の はいっ た 引き出し を あけ 缶 を 持っ て 水 を 取り に 行き ます 。 
その あと で 陽 が また ふっと 消え 、 風 が 吹き 、 キャラコ の 洋傘 は さびしく ゆれ ます 。 
それから 洋傘 直し は 缶 の 水 を ぱちゃぱちゃこぼしながら 戻っ て 来 ます 。 
鋼 砥 の 上 で 金 鋼 砂 が じゃり じゃり 云い チュウリップ は ぷらぷらゆれ 、 陽 が また 降っ て 赤い 花 は 光り ます 。 
そこで 砥石 に 水 が 張ら れ す っす と 払わ れ 、 秋 の 香魚 の 腹 に ある よう な 青い 紋 が もう 刃物 の 鋼 に あらわれ まし た 。 
ひばり は いつか 空 に のぼっ て 行っ て チーチクチーチク やり 出し ます 。 高い 処 で 風 が どんどん 吹き はじめ 雲 は だんだん 融け て いっ て いつか すっかり 明るく なり 、 太陽 は 少し の 午睡 の あと の よう に どこ か 青く ぼんやり かすん で は い ます が たしか に かがやく 五月 の ひる すぎ を 拵え まし た 。 
青い 上着 の 園丁 が 、 唐 檜 の 中 から 、 また いそがしく 出 て 来 ます 。 
「 お 折角 です ね 、 いい 天気 に なり まし た 。 もう 一つ お願い し たい ん です が ね 。 」 
「 何 です か 。 」 
「 これ です よ 。 」 若い 園丁 は 少し 顔 を 赤く し ながら 上着 の かくし から 角柄 の 西洋 剃刀 を 取り出し ます 。 
洋傘 直し は それ を 受け取っ て 開い て 刃 を よく 改め ます 。 
「 これ は どこ で お 買い に なり まし た 。 」 
「 貰っ た ん です よ 。 」 
「 研ぎ ます か 。 」 
「 ええ 。 」 
「 それ じゃ 研い で おき ましょ う 。 」 
「 すぐ 来 ます から ね 、 じきに 三 時 の やすみ です 。 」 園丁 は 笑っ て 光っ て また 唐 檜 の 中 に はいり ます 。 
太陽 は いま は すっかり 午睡 の あと の 光 の も や を 払い まし た ので 山脈 も 青く かがやき 、 さっき まで 雲 に まぎれ て わから なかっ た 雪 の 死火山 も はっきり 土 耳 古玉 の そら に 浮き あがり まし た 。 
洋傘 直し は 引き出し から 合せ砥 を 出し 一 寸 水 を かけ 黒い 滑らか な 石 で しずか に 練り はじめ ます 。 それから パチッ と 石 を とり ます 。 
（ おお 、 洋傘 直し 、 洋傘 直し 、 なぜ その 石 を そんなに 眼 の 近く まで 持っ て 行っ て じっと ながめ て いる の だ 。 石 に 景色 が 描い て ある の か 。 あの 、 黒い 山 が むくむく 重なり 、 その 向う に は 定め ない 雲 が 翔け 、 渓 の 水 は 風 より 軽く 幾 本 の 木 は 険しい 崖 から からだ を 曲げ て 空 に 向う 、 あの 景色 が 石 の 滑らか な 面 に 描い て ある の か 。 ） 
洋傘 直し は 石 を 置き 剃刀 を 取り ます 。 剃刀 は 青 ぞ ら を うつせ ば 青く ぎらっと 光り ます 。 
それ は 音 なく 砥石 を すべり 陽 の 光 が 強い ので 洋傘 直し は ポタポタ 汗 を 落し ます 。 今 は 全く 五月 の まひる です 。 
畑 の 黒土 は わずか に 息 を はき 風 が 吹い て 花 は 強く ゆれ 、 唐 檜 も 動き ます 。 
洋傘 直し は 剃刀 を ていねい に 調べ それ から 茶 いろ の 粗布 の 上 に できあがっ た 仕事 を みんな 載せ ほっと 息 し て 立ちあがり ます 。 
そして 一足 チュウリップ の 方 に 近づき ます 。 
園丁 が 顔 を まっ 赤 に ほてら し て 飛ん で 来 まし た 。 
「 もう 出来 た ん です か 。 」 
「 ええ 。 」 
「 それでは 代 を 持っ て 来 まし た 。 そっち は 三 十 三 銭 です ね 。 お 取り 下さい 。 それから 私 の 分 は いくら です か 。 」 
洋傘 直し は 帽子 を とり 銀貨 と 銅貨 と を 受け取り ます 。 
「 ありがとう ござい ます 。 剃刀 の ほう は 要り ませ ん 。 」 
「 どうして です か 。 」 
「 お 負け いたし て おき ましょ う 。 」 
「 まあ 取っ て 下さい 。 」 
「 いいえ 、 いただく ほど じゃ あり ませ ん 。 」 
「 そう です か 。 ありがとう ござい まし た 。 そん なら 一寸 向う の 番小屋 まで おい で 下さい 。 お茶 で も さしあげ ましょ う 。 」 
「 いいえ 、 もう 失礼 いたし ます 。 」 
「 それでは あんまり です 。 一寸 お待ち 下さい 。 え えと 、 仕方 ない 、 そん なら まあ 私 の 作っ た 花 で も 見 て 行っ て 下さい 。 」 
「 ええ 、 ありがとう 。 拝見 し ましょ う 。 」 
「 そう です か 。 で は 。 」 
その 気紛れ の 洋傘 直し と 園丁 と は うっ こんこう の 畑 の 方 へ 五 、 六 歩 寄り ます 。 
主人 らしい 人 の 縞 の シャツ が 唐 檜 の 向う で チラッ と し ます 。 園丁 は そっち を 見 かすか に 笑い 何 か 云い かけよ う と し ます 。 
けれども シャツ は 見え なく なり 、 園丁 は 花 を 指さし ます 。 
「 ね 、 此 の 黄 と 橙 の 大きな 斑 は アメリカ から 直 か に 取り まし た 。 こちら の 黄いろ は 見 て いる と 額 が 痛く なる でしょ う 。 」 
「 ええ 。 」 
「 この 赤 と 白 の 斑 は 私 は いつ で も 昔 の 海賊 の チョッキ の よう な 気 が する ん です よ 。 ね 。 
それから これ は まっ 赤 な 羽二重 の コップ でしょ う 。 この 花びら は 半 ぶん すきとおっ て いる ので 大 へん 有名 です 。 です から こいつ の 球 は ずいぶん みんな で 欲し がり ます 。 」 
「 ええ 、 全く 立派 です 。 赤い 花 は 風 で 動い て いる 時 より も じっと し て いる 時 の ほう が いい よう です ね 。 」 
「 そう です 。 そう です 。 そして 一寸 あいつ を ごらん なさい 。 ね 。 そら 、 その 黄いろ の 隣り の あいつ です 。 」 
「 あの 小さな 白い の です か 。 」 
「 そう です 、 あれ は 此処 で は 一番 大切 な の です 。 まあ しばらく じっと 見詰め て ごらん なさい 。 どう です 、 形 の いい こと は 一等 でしょ う 。 」 
洋傘 直し は しばらく その 花 に 見入り ます 。 そして だまっ て しまい ます 。 
「 ずいぶん 寂 か な 緑 の 柄 でしょ う 。 風 に ゆらい で 微か に 光っ て いる よう です 。 いかにも その 柄 が 風 に 靱 って いる よう です 。 けれども 実は 少し も 動い て おり ませ ん 。 それに あの 白い 小さな 花 は 何 か 不思議 な 合図 を 空 に 送っ て いる よう に あなた に は 思わ れ ませ ん か 。 」 
洋傘 直し は いきなり 高く 叫び ます 。 
「 ああ 、 そう です 、 そう です 、 見え まし た 。 
けれども 何だか 空 の ひばり の 羽 の 動かし よう が 、 いや 鳴き よう が 、 さっき と 調子 を ちがえ て き た で は あり ませ ん か 。 」 
「 そう でしょ う とも 、 それ です から 、 ごらん なさい 。 あの 花 の 盃 の 中 から ぎらぎら 光っ て すきとおる 蒸気 が 丁度 水 へ 砂糖 を 溶 し た とき の よう に ユラユラ ユラユラ 空 へ 昇っ て 行く でしょ う 。 」 
「 ええ 、 ええ 、 そう です 。 」 
「 そして 、 そら 、 光 が 湧い て いる でしょ う 。 おお 、 湧き あがる 、 湧き あがる 、 花 の 盃 を あふれ て ひろがり 湧き あがり ひろがり ひろがり もう 青 ぞ ら も 光 の 波 で 一ぱい です 。 山脈 の 雪 も 光 の 中 で 機嫌 よく 空 へ 笑っ て い ます 。 湧き ます 、 湧き ます 。 ふう 、 チュウリップ の 光 の 酒 。 どう です 。 チュウリップ の 光 の 酒 。 ほめ て 下さい 。 」 
「 ええ 、 この エステル は 上等 です 。 とても 合成 でき ませ ん 。 」 
「 おや 、 エステル だって 、 合成 だって 、 そいつ は 素敵 だ 。 あなた は どこ か の 化学 大 学校 を 出 た 方 です ね 。 」 
「 いいえ 、 私 は エステル 工 学校 の 卒業生 です 。 」 
「 エステル 工 学校 。 ハッハッハ 。 素敵 だ 。 さあ どう です 。 一杯 やり ましょ う 。 チュウリップ の 光 の 酒 。 さあ 飲み ませ ん か 。 」 
「 いや 、 やり ましょ う 。 よう 、 あなた の 健康 を 祝し ます 。 」 
「 よう 、 ご 健康 を 祝し ます 。 いい 酒 です 。 貧乏 な 僕 の お 酒 は また 一層 に 光っ て おまけ に 軽い の だ 。 」 
「 けれども ぜんたい これ で いい ん です か 。 あんまり 光 が 過ぎ は し ませ ん か 。 」 
「 いいえ 心配 あり ませ ん 。 酒 が あんなに 湧き あがり 波 を 立て たり 渦 に なっ たり 花弁 を あふれ て 流れ て も あの チュウリップ の 緑 の 花 柄 は 一寸 も ゆらぎ は し ない の です 。 さあ も 一つ お やり なさい 。 」 
「 ええ 、 ありがとう 。 あなた も どう です 。 奇麗 な 空 じゃ あり ませ ん か 。 」 
「 やり ます とも 、 おっ と 沢山 沢山 。 けれども いくら こぼれ た ところ で そこら 一 面 チュウリップ 酒 の 波 だ もの 。 」 
「 一 面 どころ じゃ あり ませ ん 。 そら の はずれ から 地面 の 底 まで すっかり 光 の 領分 です 。 たしかに 今 は 光 の お 酒 が 地面 の 腹 の 底 まで しみ まし た 。 」 
「 ええ 、 ええ 、 そう です 。 おや 、 ごらん なさい 、 向う の 畑 。 ね 。 光 の 酒 に 漬 って は 花椰菜 で も アスパラガス で も 実に 立派 な もの で は あり ませ ん か 。 」 
「 立派 です ね 。 チュウリップ 酒 で 漬け た 瓶詰 です 。 しかし 一体 ひばり は どこ まで 逃げ た でしょ う 。 どこ まで 逃げ て 行っ た の かしら 。 自分 で 斯 ん な 光 の 波 を 起し て おい て あと は どこ か へ 逃げる と は 気取っ て や がる 。 あんまり 気取っ て や がる 、 畜生 。 」 
「 まったく そう です 。 こら 、 ひばり め 、 降り て 来い 。 は はぁ 、 やつ 、 溶け た な 。 こんなに 雲 も ない 空 に かくれる なんて でき ない はず だ 。 溶け た の です よ 。 」 
「 いいえ 、 あいつ の 歌 なら 、 あの 甘ったるい 歌 なら 、 さっき から 光 の 中 に 溶け て い まし た が ひばり は まさか 溶け ます まい 。 溶け た と し たら その 小さな 骨 を 何 か の 網 で 掬い 上げ なく ちゃ なり ませ ん 。 そいつ は あんまり 手数 です 。 」 
「 まあ そう です ね 。 しかし ひばり の こと など は まあ どう なろ う と 構わ ない で は あり ませ ん か 。 全体 ひばり という もの は 小さな もの で 、 空 を チーチクチーチク 飛ぶ だけ の もん です 。 」 
「 まあ 、 そう です ね 、 それ で いい でしょ う 。 ところが 、 おや おや 、 あんな で も やっぱり いい ん です か 。 向う の 唐 檜 が 何だか ゆれ て 踊り 出す らしい の です よ 。 」 
「 唐 檜 です か 。 あいつ は みんな で 、 一 小隊 は あり ましょ う 。 みんな 若い し 擲弾兵 です 。 」 
「 ゆれ て 踊っ て いる よう です が 構い ませ ん か 。 」 
「 なあに 心配 あり ませ ん 。 どうせ チュウリップ 酒 の 中 の 景色 です 。 いくら 跳ね て も いい じゃ あり ませ ん か 。 」 
「 そいつ は 全く そう です ね 。 まあ 大目 に 見 て おき ましょ う 。 」 
「 大目 に 見 ない と いけ ませ ん 。 いい 酒 だ 。 ふう 。 」 
「 すもも も 踊り 出し ます よ 。 」 
「 すもも は 墻壁仕 立 です 。 ダイアモンド です 。 枝 が ななめ に 交叉 し ます 。 一 中隊 は あり ます よ 。 義勇 中隊 です 。 」 
「 やっぱり あんな で いい ん です か 。 」 
「 構い ませ ん よ 。 それ より まあ あの 梨の木 ども を ご覧 なさい 。 枝 が 剪 られ た ばかり な ので 身体 が 一向 釣り合い ませ ん 。 まるで 蛹 の 踊り です 。 」 
「 蛹 踊 と は そいつ は あんまり 可哀そう です 。 すっかり 悄気 て 化石 し て しまっ た よう じゃ あり ませ ん か 。 」 
「 石 に なる と は 。 そいつ は あんまり ひど すぎる 。 おおい 。 梨の木 。 木 の まんま で いい ん だ よ 。 けれども 仲 々 人 の 命令 を す なお に 用いる やつ ら じゃ ない ん です 。 」 
「 それ より 向う の くだもの の 木 の 踊り の 環 を ごらん なさい 。 まん中 に 居 て き ゃんきゃん 調子 を とる の が あれ が 桜桃 の 木 です か 。 」 
「 どれ です か 。 ああ あれ です か 。 いいえ 、 あいつ は 油 桃 です 。 やっぱり 巴 丹 杏 や まるめろ の 歌 は 上手 です 。 どう です 。 行っ て 仲間 に はいり ましょ う か 。 行き ましょ う 。 」 
「 行き ましょ う 。 おおい 。 おいら も 仲間 に 入れろ 。 痛い 、 畜生 。 」 
「 どうか なさっ た の です か 。 」 
「 眼 を やら れ まし た 。 ど いつか に ひどく 引っ掻か れ た の です 。 」 
「 そう でしょ う 。 全体 駄目 です 。 ど いつも 満足 の 手 の ある やつ は あり ませ ん 。 みんな ガリガリ 骨 ばかり 、 おや 、 いけ ない 、 いけ ない 、 すっかり 崩れ て 泣い たり わめい たり むしり あっ たり なぐっ たり 一体 あんまり 冗談 が 過ぎ た の です 。 」 
「 ええ 、 斯 う 世の中 が 乱れ て は 全く どうも 仕方 あり ませ ん 。 」 
「 全く そう です 。 そう ら 。 そら 、 火 です 、 火 です 。 火 が つき まし た 。 チュウリップ 酒 に 火 が はいっ た の です 。 」 
「 いけ ない 、 いけ ない 。 はたけ も 空 も みんな けむり 、 しろ けむり 。 」 
「 パチ パチ パチ パチ やっ て いる 。 」 
「 どうも 素敵 に 強い 酒 だ と 思い まし た よ 。 」 
「 そう そう 、 だから これ は あの 白い チュウリップ でしょ う 。 」 
「 そう でしょ う か 。 」 
「 そう です 。 そう です と も 。 ここ で 一番 大事 な 花 です 。 」 
「 ああ 、 もう よほど 経っ た でしょ う 。 チュウリップ の 幻術 に かかっ て いる うち に 。 もう 私 は 行か なけれ ば なり ませ ん 。 さようなら 。 」 
「 そう です か 、 では さようなら 。 」 
洋傘 直し は 荷物 へ よろよろ 歩い て 行き 、 有平糖 の 広告 つき の その 荷物 を 肩 に し 、 もう一度 あの あやしい 花 を ちらっと 見 て それ から すもも の 垣根 の 入口 に まっすぐ に 歩い て 行き ます 。 
園丁 は 何だか 顔 が 青ざめ て しばらく それ を 見送り やがて 唐 檜 の 中 へ はいり ます 。 
太陽 は いつか また 雲 の 間 に はいり 太い 白い 光 の 棒 の 幾 条 を 山 と 野原 と に 落し ます 。 
ある 古い 家 の 、 まっ くら な 天井 裏 に 、 「 ツェ 」 という 名 まえ の ねずみ が すん で い まし た 。 
ある 日 ツェ ねずみ は 、 きょろきょろ 四方 を 見 まわし ながら 、 床下 街道 を 歩い て い ます と 、 向こう から い たち が 、 何 か いい もの を たくさん もっ て 、 風 の よう に 走っ て 参り まし た 。 そして ツェ ねずみ を 見 て 、 ちょっと たちどまっ て 早口 に 言い まし た 。 
「 おい 、 ツェ ねずみ 。 お前 ん と この 戸棚 の 穴 から 、 金米糖 が ばらばら こぼれ て いる ぜ 。 早く 行っ て ひろい な 。 」 
ツェ ねずみ は 、 もう ひ げ も ぴくぴく する くらい よろこん で 、 い たち に は お礼 も 言わ ず に 、 いっ さん に そっち へ 走っ て 行き まし た 。 ところが 戸棚 の 下 まで 来 た とき 、 いきなり 足 が チクリ と し まし た 。 そして 、 「 止まれ 、 だれ かっ 。 」 と 言う 小さな 鋭い 声 が し ます 。 
ツェ ねずみ は びっくり し て よく 見 ます と 、 それ は 蟻 でし た 。 蟻 の 兵隊 は 、 もう 金米糖 の まわり に 四 重 の 非常 線 を 張っ て 、 みんな 黒い ま さかり を ふりかざし て い ます 。 二 三 十 匹 は 金米糖 を 片っぱし から 砕い たり 、 とかし たり し て 、 巣 へ はこぶ し たく です 。 ツェ ねずみ は ぶるぶる ふるえ て しまい まし た 。 
「 ここ から 内 へ はいっ て なら ん 。 早く 帰れ 。 帰れ 、 帰れ 。 」 蟻 の 特務 曹長 が 、 低い 太い 声 で 言い まし た 。 
ねずみ は くるっ と 一つ まわっ て 、 いち も くさん に 天井 裏 へ かけ あがり まし た 。 そして 巣 の 中 へ はいっ て 、 しばらく ねころん で い まし た が 、 どうも おもしろく なく て 、 おもしろく なく て 、 たまり ませ ん 。 蟻 は まあ 兵隊 だ し 、 強い から しかた も ない が 、 あの おとなしい い たち め に 教え られ て 、 戸棚 の 下 まで 走っ て 行っ て 蟻 の 曹長 に けんつく を 食う と は 、 なん たる しゃく に さわる こと だ と ツェ ねずみ は 考え まし た 。 そこで ねずみ は 巣 から また ちょろちょろ はい出し て 、 木 小屋 の 奥 の い たち の 家 に やっ て 参り まし た 。 
い たち は ちょうど 、 とうもろこし の つぶ を 、 歯 で こつこつ かん で 粉 に し て い まし た が 、 ツェ ねずみ を 見 て 言い まし た 。 
「 どう だ 。 金米糖 が なかっ た かい 。 」 
「 い たち さん 。 ずいぶん お前 も ひどい 人 だ ね 。 私 の よう な 弱い もの を だます なんて 。 」 
「 だましゃ せ ん 。 たしかに あっ た の や 。 」 
「 ある に は あっ て も 、 もう 蟻 が 来 て まし た よ 。 」 
「 蟻 が 、 へい 。 そう かい 。 早い やつ ら だ ね 。 」 
「 みんな 蟻 が とっ て しまい まし た よ 。 私 の よう な 弱い もの を だます なんて 、 償う て ください 。 償う て ください 。 」 
「 それ は しかた ない 。 お前 の 行き よう が 少し おそかっ た の や 。 」 
「 知ら ん 、 知ら ん 。 私 の よう な 弱い もの を だまし て 。 償う て ください 。 償う て ください 。 」 
「 困っ た やつ だ な 。 ひと の 親切 を さ か さま に うらむ と は 。 よし よし 。 そん なら おれ の 金米糖 を やろ う 。 」 
「 償う て ください 。 償う て ください 。 」 
「 えい 、 それ 。 持っ て 行け 。 てめえ の 持てる だけ 持っ て うせ ちまえ 。 てめえ みたい な 、 ぐにゃぐにゃ し た 男らしく も ねえ やつ は 、 つら も 見 たく ねえ 。 早く 持てる だけ 持っ て どっか へ うせろ 。 」 い たち は プリプリ し て 、 金米糖 を 投げ出し まし た 。 ツェ ねずみ は それ を 持てる だけ たくさん ひろっ て 、 おじぎ を し まし た 。 い たち は いよいよ おこっ て 叫び まし た 。 
「 えい 、 早く 行っ て しまえ 。 てめえ の 取っ た 、 のこり なんか うじ むし に でも くれ て やら あ 。 」 
ツェ ねずみ は 、 いち も くさん に 走っ て 、 天井 裏 の 巣 へ もどっ て 、 金米糖 を コチコチ 食べ まし た 。 
こんな ぐあいですから 、 ツェ ねずみ は だんだん きらわ れ て 、 たれ も あんまり 相手 に し なく なり まし た 。 そこで ツェ ねずみ は しかた なし に 、 こんど は 、 柱 だの 、 こわれ た ちりとり だの 、 バケツ だの 、 ほうき だ の と 交際 を はじめ まし た 。 中でも 柱 と は 、 いちばん 仲よく し て い まし た 。 
柱 が ある 日 、 ツェ ねずみ に 言い まし た 。 
「 ツェ ねずみ さん 、 もう じき 冬 に なる ね 。 ぼく ら は また かわい て ミリ ミリ 言わ なく ちゃ なら ない 。 お前 さん も 今 の うち に 、 いい 夜具 の し たく を し て おい た 方 が いい だろ う 。 幸い ぼく の すぐ 頭 の 上 に 、 すずめ が 春 持っ て 来 た 鳥 の 毛 や いろいろ 暖かい もの が たくさん ある から 、 いま の うち に 、 すこし おろし て 運ん で おい たら どう だい 。 僕 の 頭 は 、 まあ 少し 寒く なる けれど 、 僕 は 僕 で また く ふう を する から 。 」 
ツェ ねずみ は もっとも と 思い まし た ので 、 さっそく 、 その 日 から 運び 方 に かかり まし た 。 
ところが 、 途中 に 急 な 坂 が 一つ あり まし た ので 、 ねずみ は 三 度目 に 、 そこ から スト ン と ころげ 落ち まし た 。 
柱 も びっくり し て 、 
「 ねずみ さん 、 けが は ない かい 。 けが は ない かい 。 」 と 一生けん命 、 からだ を 曲げ ながら 言い まし た 。 ねずみ は やっと 起き上がっ て 、 それから かお を ひどく しかめ ながら 言い まし た 。 
「 柱 さん 。 お前 も ずいぶん ひどい 人 だ 。 僕 の よう な 弱い もの を こんな 目 に あわす なんて 。 」 
柱 は いかにも 申しわけ が ない と 思っ た ので 、 
「 ねずみ さん 、 すま なかっ た 。 ゆるし て ください 。 」 と 一生けん命 わび まし た 。 
ツェ ねずみ は 図 に のっ て 、 
「 許し て くれ も ない じゃ ない か 。 お前 さえ あんな こしゃく な さし ず を し なけれ ば 、 私 は こんな 痛い 目 に も あわ なかっ た ん だ よ 。 償っ て おくれ 。 償っ て おくれ 。 さあ 、 償っ て おくれよ 。 」 
「 そんな こと を 言っ たって 困る じゃ あり ませ ん か 。 許し て ください よ 。 」 
「 いい や 、 弱い もの を いじめる の は 私 は きらい な ん だ から 、 償っ て おくれ 。 償っ て おくれ 。 さあ 、 償っ て おくれ 。 」 
柱 は 困っ て しまっ て 、 おいおい 泣き まし た 。 そこで ねずみ も 、 しかた なく 、 巣 へ かえり まし た 。 それ から は 、 柱 は もう こわがっ て 、 ねずみ に 口 を きき ませ ん でし た 。 
さて その のち の こと です が 、 ちりとり は ある 日 、 ツェ ねずみ に 半分 に なっ た 最中 を 一つ やり まし た 。 する と ちょうど その 次 の 日 、 ツェ ねずみ は おなか が 痛く なり まし た 。 さあ 、 いつも の とおり ツェ ねずみ は 、 まどっ て おくれ を 百 ばかり も 、 ちりとり に 言い まし た 。 ちりとり も あきれ て 、 もう ねずみ と の 交際 は やめ まし た 。 
また 、 その のち の こと です が 、 ある 日 バケツ は ツェ ねずみ に 、 せ ん たく ソーダ の かけ ら を すこし やっ て 、 
「 これ で 毎朝 お 顔 を お 洗い なさい 。 」 と 言い まし たら 、 ねずみ は よろこん で 次 の 日 から 、 毎日 それ で 顔 を 洗っ て い まし た が 、 その うち に ねずみ の お ひ げ が 十 本 ばかり 抜け まし た 。 さあ ツェ ねずみ は 、 さっそく バケツ へ やって来 て 、 償っ て おくれ 償っ て おくれ を 、 二 百 五 十 ばかり 言い まし た 。 しかし あいにく バケツ に は お ひ げ も あり ませ ん でし た し 、 償う わけ に も 行か ず 、 すっかり 参っ て しまっ て 、 泣い て あやまり まし た 。 そして 、 もう それ から は 、 ちょっと も 口 を きき ませ ん でし た 。 
道具 仲間 は 、 みんな 順 ぐりにこんなめにあって 、 こり て しまい まし た ので 、 ついに は だれ も ツェ ねずみ の 顔 を 見る と いそい で わき の 方 を 向い て しまう の でし た 。 
ところが その 道具 仲間 に 、 ただ 一 人 だけ 、 まだ ツェ ねずみ と つきあっ て み ない もの が あり まし た 。 
それ は 針 が ね を 編ん で こさえ た ねずみ 捕り でし た 。 
ねずみ 捕り は 全体 、 人間 の 味方 な はず です が 、 ちかごろ は 、 どうも 毎日 の 新聞 に さえ 、 猫 と いっしょ に お払い物 という 札 を つけ た 絵 に まで し て 、 広告 さ れる の です し 、 そう で なく て も 、 元来 人間 は 、 この 針金 の ねずみ 捕り を 、 一 ぺん も 優待 し た こと は あり ませ ん でし た 。 ええ 、 それ は もう たしかに あり ませ ん と も 。 それ に 、 さも さわる の さえ きたない よう に みんな から 思わ れ て い ます 。 それ です から 実は 、 ねずみ 捕り は 人間 より は ねずみ の 方 に 、 よけい 同情 が ある の です 。 けれども 、 たいてい の ねずみ は なかなか こわがっ て 、 そば へ やっ て 参り ませ ん 。 ねずみ 捕り は 、 毎日 やさしい 声 で 、 
「 ね ず ちゃん 、 おいで 。 今夜 の ごちそう は あじ の おつむ だ よ 。 お前 さん の 食べる 間 、 わたし は しっかり 押え て おい て あげる から 。 ね 、 安心 し て おい で 。 入り口 を パタン と しめる よう な そんな こと を する もん か ね 。 わたし も 人間 に は もう こりこり し てる ん だ から 。 おいで よ 。 そら 。 」 
なんて ねずみ を 呼びかけ ます が 、 ねずみ は みんな 、 
「 へん 、 うまく 言っ てら あ 。 」 とか 、 
「 へ い 、 へい 。 よく わかり まし て ござい ます 。 いずれ 、 おやじ や 、 せがれ とも 相談 の 上 で 。 」 とか 言っ て そろそろ 逃げ て 行っ て しまい ます 。 
そして 朝 に なる と 、 顔 の まっ 赤 な 下男 が 来 て 見 て 、 
「 また はいら ない 。 ねずみ も もう 知っ てる ん だ な 。 ねずみ の 学校 で 教える ん だ な 。 しかし まあ もう 一 日 だけ かけ て みよ う 。 」 と 言い ながら 、 新しい えさ と とりかえる の でし た 。 
今夜 も 、 ねずみ 捕り は 叫び まし た 。 
「 おいで おいで 。 今夜 は やわらか な 半 ぺん だ よ 。 えさ だけ あげる よ 。 大丈夫 さ 。 早く おいで 。 」 
ツェ ねずみ が 、 ちょうど 通りかかり まし た 。 そして 、 
「 おや 、 ねずみ 捕り さ ん 、 ほんとう に えさ だけ を くださる ん です か 。 」 と 言い まし た 。 
「 おや 、 お前 は 珍しい ねずみ だ ね 。 そう だ よ 。 えさ だけ あげる ん だ よ 。 そら 、 早く お 食べ 。 」 
ツェ ねずみ は プイッ と 中 に は いっ て 、 むちゃ むちゃ むちゃ っと 半 ぺん を 食べ て 、 また プイッ と 外 へ 出 て 言い まし た 。 
「 おいしかっ た よ 。 ありがとう 。 」 
「 そう かい 。 よかっ た ね 。 また あす の 晩 おいで 。 」 
次 の 朝 、 下男 が 来 て 見 て おこっ て 言い まし た 。 
「 えい 。 えさ だけ とっ て 行き や がっ た 。 ずるい ねずみ だ な 。 しかし とにかく 中 に はいっ た という の は 感心 だ 。 そら 、 きょう は 鰯 だ ぞ 。 」 
そして 鰯 を 半分 つけ て 行き まし た 。 
ねずみ 捕り は 、 鰯 を ひっかけ て 、 せっかく ツェ ねずみ の 来る の を 待っ て い まし た 。 
夜 に なっ て 、 ツェ ねずみ は すぐ 出 て 来 まし た 。 そして いかにも 恩 に 着せ た よう に 、 
「 今晩 は 、 お 約束 どおり 来 て あげ まし た よ 。 」 と 言い まし た 。 
ねずみ 捕り は 少し むっと し た が 、 無理 に こらえ て 、 
「 さあ 、 食べ なさい 。 」 と だけ 言い まし た 。 
ツェ ねずみ は プイッ と はいっ て 、 ピチャピチャピチャッ と 食べ て 、 また プイッ と 出 て 来 て 、 それから 大風 に 言い まし た 。 
「 じゃ 、 あした 、 また 、 来 て 食べ て あげる から ね 。 」 
「 ブウ 。 」 と ねずみ 捕り は 答え まし た 。 
次 の 朝 、 下男 が 来 て 見 て 、 ますます おこっ て 言い まし た 。 
「 えい 。 ずるい ねずみ だ 。 しかし 、 毎晩 、 そんなに うまく えさ だけ 取ら れる はず が ない 。 どうも 、 この ねずみ 捕り め は 、 ねずみ から わいろ を もらっ た らしい ぞ 。 」 
「 もらわ ん 。 もらわ ん 。 あんまり 人 を 見そこなう な 。 」 と ねずみ 捕り は どなり まし た が 、 もちろん 、 下男 の 耳 に は 聞こえ ませ ん 。 きょう も 腐っ た 半 ぺん を くっつけ て いき まし た 。 
ねずみ 捕り は 、 とんだ 疑い を 受け た ので 、 一 日 ぷんぷん おこっ て い まし た 。 夜 に なり まし た 。 ツェ ねずみ が 出 て 来 て 、 さも 大儀 らしく 言い まし た 。 
「 あ ああ 、 毎日 ここ まで やって来る の も 、 並み たいてい のこっ ちゃ ない 。 それ に ごちそう と いっ たら 、 せいぜい 魚 の 頭 だ 。 いや に なっ ちまう 。 しかし まあ 、 せっかく 来 た ん だ から しかた ない 。 食っ て やる と しよ う か 。 ねずみ 捕り さ ん 。 今晩 は 。 」 
ねずみ 捕り は 、 はり が ね を ぷりぷり さ せ て おこっ て い まし た ので 、 ただ 一 こと 、 
「 お 食べ 。 」 と 言い まし た 。 ツェ ねずみ は すぐ プイッ と 飛びこみ まし た が 、 半 ぺん の くさっ て いる の を 見 て 、 おこっ て 叫び まし た 、 。 
「 ねずみ とり さん 。 あんまり ひどい や 。 この 半 ぺん は くさっ て ます 。 僕 の よう な 弱い もの を だます なんて 、 あんまり だ 。 償っ て ください 。 償っ て ください 。 」 
ねずみ 捕り は 、 思わず 、 はり 金 を りゅう りゅうと 鳴らす くらい 、 おこっ て しまい まし た 。 その りゅう りゅう が 悪かっ た の です 。 
「 ピシャッ 。 シインン 。 」 えさ に つい て い た かぎ が はずれ て 、 ねずみ 捕り の 入り口 が 閉じ て しまい まし た 。 さあ もう たいへん です 。 
ツェ ねずみ は きち がい の よう に なっ て 、 
「 ねずみ 捕り さ ん 。 ひどい や 。 ひどい や 。 うう 、 くやしい 。 ねずみ 捕り さ ん 。 あんまり だ 。 」 と 言い ながら 、 はり が ね を かじる やら 、 くるくる まわる やら 、 地 だ ん だ ふむ やら 、 わめく やら 、 泣く やら 、 それ は それ は 大 さわぎ です 。 それでも 、 償っ て ください 、 償っ て ください は 、 もう 言う 力 が あり ませ ん でし た 。 
ねずみ 捕り の 方 も 、 痛い やら 、 しゃく に さわる やら 、 ガタガタ 、 ブルブル 、 リュウ リュウ と ふるえ まし た 。 一晩 そう やっ て とうとう 朝 に なり まし た 。 
顔 の まっ 赤 な 下男 が 来 て 見 て 、 こおどり し て 言い まし た 。 
「 しめ た 。 しめ た 。 とうとう 、 かかっ た 。 意地 の 悪 そう な ねずみ だ な 。 さあ 、 出 て 来い 。 こぞう 。 」 
「 ああ そう です か 、 バキチ を ご存じ な ん です か 。 」 
「 知っ て ます とも 、 知っ て ます よ 。 」 
「 バキチ を ご存じ な ん です か 。 
小学校 で ご 一緒 です か 、 中学校 で ご 一緒 です か 。 いい や あいつ は 中学校 なんど 入り や し ない 。 やっぱり 小学校 です か 。 」 「 兵隊 で 一緒 です 。 」 
「 ああ 兵隊 で 、 そう です か 、 あいつ も 一等 卒 で さ ね 、 どう やっ てる か ご存じ です か 。 」 「 さあ 知り ませ ん 。 隊 で 分れ た きり です から 。 」 
「 ああ 、 そう です か 、 そい じゃ 私 の ほう が やっぱり 詳しく 知っ て ます 。 この間 まで 馬喰 を やっ て まし た が ね 。 今 ごろ は 何 を し て いる か 全く 困っ た もん です よ 。 」 
「 どうして 馬喰 を やめ た でしょ う 。 」 
「 だめ で さあ 、 わっ しも ずいぶん 目 を かけ まし た 。 でも どうしても だめ な ん です 。 あいつ は 隊 を さ がっ て から もと の 大工 に なら ない で 巡査 を 志願 し た の です 。 」 「 そして 巡査 を やっ た ん です か 。 」 
「 それ ぁやりました 。 けれども 間もなく やめ た ん です 。 」 
「 どうして やめ た ん だろ う なあ 、 何 でも 隊 に 来る 前 は 、 大工 で とにかく 暮し て い た と 云う ん です が 。 」 
「 それ ゃうそでさあ 大工 も ほんの ちょっと です 。 土方 を やめ て なっ た ん です 。 その 土方 も また ちょっと です 。 それから 前 は 知り ませ ん 。 土方 ばかり じゃ あり ませ ん 、 飴屋 も やっ た て 云い ます よ 。 」 
「 巡査 を どうして やめ た ん です 。 」 「 あんな 巡査 じゃ だめ で さあ 、 あの お 神明 さん の 池 ね 、 あすこ に 鯉 が 居る でしょ う 、 県 の 規則 で 誰 に も とら せ ない ん です 。 ところが 、 やっぱり 夜 の うち に 、 こっそり 行く もの が ある ん です 。 それ ぁきっとよく 捕れる ん でしょ う 。 バキチ は それ を きい た の です 。 毎晩 お 神明 さん の 、 杉 の うし ろ に かくれ て い て 、 来る やつ を 見 て い た そう です 、 そして いよいよ 網 を 入れ て 鯉 が 十 疋 も とれ た とき 、 誰 だっ こら って 出る ん でしょ う 、 魚 も 網 も 置い た まま 一目散 に 逃げる でしょ う バキチ は 笑っ て そいつ を 持っ て 警察 の 小使 室 へ 帰る ん です 。 」 「 変 だ ねえ 、 なるほど ねえ 。 」 「 何 でも 五 回 か 六 回 か そんな こと が あっ た そう です 。 そしたら ある 日 署長 の とこ へ 差出人 の 名 の 書い て ない 変 な 手紙 が 行っ た ん です 。 署長 が 見 たら 今 の こと でしょ う 、 けれども 署長 は 笑っ て まし た 。 なぜ って 巡査 なんて もの は 実際 月給 も 僅か です し ね 、 くらし に 困る もの な ん です 。 」 「 なるほど ねえ 、 そりゃ そう だ ねえ 。 」 
「 ところが ねえ 、 次 が 大 へん な ん です よ 、 耕 牧舎 の 飼牛 が ね 、 結核 に かかっ て い た ん です が ある 日 とうとう 死ん だ ん です 。 ところが 病気 のけ だ もの は 死ん だら 棄て なく ちゃ いけ ない でしょ う 。 けれども 何せ 売れ ば 二 、 三 百 に は なる ん です 。 誰 だって 惜しい と は 思い ます 。 耕 牧舎 で も こっそり それ を 売っ て いる らしい と いう ん です 。 行っ て 見 て 来い って う わけ で バキチ が 剣 を が ちゃ つか せ 、 耕 牧舎 へ やって来 た でしょ う 。 耕 牧舎 で も じっさい 困っ て しまっ た の です 。 バキチ が 入っ て 行き まし たら いきなり 一疋 の 牛 を 叩い て あばれ させ まし た 。 牛 も びっくり し まし た ね 、 いきなり 外 に 飛び出し て バキチ に 突い て かかっ た ん です 。 
バキチ は すっかり まごつい て 一目散 に 警察 へ 遁 げ て 帰っ た ん です 。 そして 署長 の ところ へ 行っ て 耕 牧舎 で は 牛 の 皮 だけ はい で 肉 と 骨 は たしかに 土 に 埋め て い まし た って 報告 し た ん です 。 ところが それ が 知れ た でしょ う 。 
町 の もの も みんな 笑い まし た 。 署長 も すっかり 怒っ て しまい ある 朝 役所 へ 出る と すぐ いきなり バキチ を 呼び出し て 斯 う 申し渡し た と 云い ます 。 バキチ 、 き さま も だめ な やつ だ 、 よく よく だめ な やつ な ん だ 。 もう少し 見所 が ある と 思っ た のに 牛 に つっかかれ た くらい で 職務 も 忘れ て 遁 げ る なんて もう 今日 限り 免官 だ 。 すぐ 服 を ぬげ 。 と 来 た でしょ う 。 バキチ の ほう で も もう 大抵 巡査 が あき て い た ん です 。 へえ 、 そう です か 、 やめ ましょ う 。 永 々 お世話 に なり まし た って 斯 う 云う ん です 。 そして すぐ 服 を ぬい だ は いい ん です が 実は みじめ な もん でし た 。 着物 も シャツ と ず ぼん だけ 、 もちろん 財布 も あり ませ ん 。 小使 室 から 出さ れ て は 寝 む 家 さえ ない ん です 。 その 昼間 の うち は シャツ と ズボン下 だけ で 頭 を かかえ て 一 日 小使 室 に 居 まし た が 夜 に なっ て から とうとう 警部補 に たたき出さ れ て しまい まし た 。 バキチ は すっかり 悄気切 って ぶらぶら 町 を 歩き まわっ て とうとう 夜中 の 十 二 時 に タスケ の 厩 に もぐり込ん だ って 云う ん です 。 
馬 も びっくり し まし た ぁね 、 （ おいど い つ だい 、 何 の 用 だい 。 ） おどおど し ながら はね 起き て 身構え を し て 斯 う バキチ に 訊い た って ん です 。 
（ 誰 で も ない よ 、 バキチ だ よ 、 もと 巡査 だ よ 、 知ら ん かい 。 ） バキチ が 横木 の 下 の 所 で 腹這い の まま 云い まし た 。 （ さあ 、 知ら ない よ 、 バキチ だ なんて 。 おれ は 一向 知ら ない よ 。 ） と 馬 が 云い まし た 。 」 「 馬 が そう 云っ た ん です か 。 」 「 馬 が そう 云っ た そう です よ 。 わっ しゃ 馬 から 聞き やし た 。 （ おい 、 情けない こと 云う じゃ ない か 、 おいら は ひどく 餓え て ん だ 。 ちっと オート でも 振る舞え よ 。 ） ところが タスケ の 馬 も 馬 で さあ 、 面白 が って オペラ の よう に ふし を つけ て （ なかなか やれ ない わたし の オート 。 ） だ なんて やっ た もん です 。 バキチ も そこ は のんき です 。 やっぱり ふし を つけ ながら 、 （ お 呉れよ 、 お 呉れよ 、 お前 の オート わたし に お 呉れ よ 。 ） と うなっ て い まし た 。 そこ へ 丁度 わたし が 通りかかり まし た 。 おい 、 おい 、 バキチ 、 あんまり みっともない ざま は よせ よ 。 一体 馬 を 盗も う って の か 。 
それとも 宿 が なくなっ て 今夜 一 晩 とめ て もらい たい と 云う の か 。 バキチ が 頭 を 掻き やし た 。 いや どっち も だ 、 けれども 馬 を 盗む より とまる より まず 第 一 に 、 おれ は 何 か が 食い たい ん だ 。 （ 以下 原稿 空白 ） 
私 は 昨年 九月 四 日 、 ニュウファウンドランド 島 の 小さな 山村 、 ヒルテイ で 行わ れ た 、 ビジテリアン 大祭 に 、 日本 の 信者 一同 を 代表 し て 列席 し て 参り まし た 。 
全体 、 私 たち ビジテリアン という の は 、 ご存知 の 方 も 多い でしょ う が 、 実は 動物 質 の もの を 食べ ない という 考 の もの の 団結 で あり まし て 、 日本 で は 菜食 主義 者 と 訳し ます が 主義 者 と いう より は 、 も 少し 意味 の 強い こと が 多い の で あり ます 。 菜食 信者 と 訳し たら 、 或は 少し 強 すぎる かも 知れ ませ ん が 、 主義 者 と いう より は 、 よく 実際 に 適っ て いる と 思い ます 。 もっとも その 中 に も いろいろ 派 が あり ます が 、 まあ その 精神 について 大きく わけ ます と 、 同情 派 と 予防 派 と の 二つ に なり ます 。 
この 名前 は 横 から ひやかし に つけ た の です が 、 大 へん うまく 要領 を 云い あらわし て い ます から 、 かまわ ず 私 ども も 使う の です 。 
同情 派 と 云い ます の は 、 私 たち も その 方 で あり ます が 、 恰度仏 教 の 中 で の よう に 、 あらゆる 動物 は みな 生命 を 惜 むこ と 、 我々 と 少し も 変り は ない 、 それ を 一 人 が 生きる ため に 、 ほか の 動物 の 命 を 奪っ て 食べる それ も 一 日 に 一つ どころ で は なく 百 や 千 の こと も ある 、 これ を 何とも 思わ ない で いる の は 全く 我々 の 考 が 足ら ない ので 、 よく よく 喰 べ られる 方 に なっ て 考え て 見る と 、 とても か あい そう で そんな こと は でき ない と こう 云う 思想 な の で あり ます 。 ところが 予防 派 の 方 は 少し ちがう の で あり まし て 、 これ は 実は 病気 予防 の ため に 、 なるべく 動物 質 を たべ ない という の で あり ます 。 則 ち 肉類 や 乳汁 を 、 あんまり たくさん たべる と 、 リウマチス や 痛風 や 、 悪性 の 腫脹 や 、 いろいろ いけ ない 結果 が 起る から 、 その 病気 の いや な もの 、 又 その 病気 の 傾向 の ある もの は 、 この 団結 の 中 に 入る の で あり ます 。 それ です から この 派 の 人 たち は バター や チーズ も 豆 から こしらえ たり 、 又 菜食 病院 という もの を 建て たり 、 いろいろ な こと を し て い ます 。 
以上 は 、 まあ 、 ビジテリアン を その 精神 から 大きく 二つ に わけ た の で あり ます が 、 又 一方 これ を その 実行 の 方法 から 分類 し ます と 、 三つ に なり ます 。 第 一 に 、 動物 質 の もの は 全く 喰 べ て は いけ ない と 、 則 ち 獣 や 魚 や すべて 肉類 は もちろん 、 ミルク や 、 また それ から こしらえ た チーズ や バター 、 お菓子 の 中 でも 鶏卵 の 入っ た カステーラ など 、 一切 いけ ない という 考 の 人 たち 、 日本 なら ば まあ 、 一寸 鰹 の だし の 入っ た もの も いけ ない という 考 の で あり ます 。 この 方法 は 同情 派 に も 予防 派 に も あり ます けれども 大 部分 は 予防 派 の 人 たち が やり ます 。 第 二 の は 、 チーズ や バター や ミルク 、 それから 卵 など なら ば 、 まあ もの の 命 を とる という わけ で は ない から 、 さし 支え ない 、 また 大して から だ に 毒 に なる まい と いう ので 、 割合 穏健 な 考 で あり ます 。 第 三 は 私 たち も この 中 で あり ます が 、 いくら 物 の 命 を とら ない 、 自分 ばかり さっぱり し て いる と 云っ た ところ で 、 実際 に ほか の 動物 が 辛く て は 、 何 に も なら ない 、 結局 は ほか の 動物 が か あい そう だ から たべ ない の だ 、 小さな 小さな こと まで 、 一 一 吟味 し て 大 へん な 手数 を し たり 、 ほか の 人 に まで 迷惑 を かけ たり 、 そんなに まで し なく て も いい 、 もし たくさん の いのち の 為 に 、 どうしても 一つ の いのち が 入用 な とき は 、 仕方 ない から 泣き ながら でも 食べ て いい 、 その かわり も しそ の 一 人 が 自分 に なっ た 場合 でも 敢 て 避け ない と こう 云う の です 。 けれども そんな 非常 の 場合 は 、 実に 実に 少い から 、 ふだん は もちろん 、 なるべく 植物 を とり 、 動物 を 殺さ ない よう に し なけれ ば なら ない 、 くれぐれも 自分 一 人 気持ち を さっぱり する こと に ばかり かかわっ て 、 大切 の 精神 を 忘れ て は いけ ない と 斯 う 云う の で あり ます 。 
そこで 、 大体 ビジテリアン という もの の 性質 は お わかり でしょ う から 、 これから 昨年 の その 大祭 の とき の も よう を お話 いたし ます 。 
私 が ニュウファウンドランド の 、 トリニテイ の 港 に 着き まし た の は 、 恰度大 祭 の 前々 日 で あり まし た 。 事 に よる と 、 間に合わ ない と 思っ た の が 、 うまい 工合 に 参り まし た ので 、 大 へ ん よろこび まし た 。 トルコ から の 六 人 の 人 たち と 、 船 の 中 で 知り合い に なり まし た 。 その 団長 は 、 地学 博士 でし た 。 大祭 に 参加 後 、 すぐ 六 人 とも カナダ の 北境 を 探険 する という 話 でし た 。 私 たち は 、 船 を 下りる と 、 すぐ 旅装 を 調え て 、 ヒルテイ の 村 に 出発 し た の で あり ます 。 実は 私 は 日本 から 出 まし た 際 に は 、 ニュウファウンドランド へ さえ 着い たら 、 誰 の 眼 も みな その ヒル テイ という 村 の 方 へ 向い てる だろ う 、 世界中 から 集っ た 旅人 が 、 ぞろぞろ そっち へ 行く の だろ う から 、 もうすぐ 路 なんか わかる だろ う と 思っ て 居り まし た 。 ところが 、 船 の 中 で こそ 、 遇 然 トルコ 人 六 人 とも 知り合い に なっ た よう な もの 、 実際 トリニテイ の 町 に 下り て 見る と 、 どこ に も そんな ビラ が 張っ て ある で も なし 、 ヒルテイ という 名 を 云う 人 も 一 人 だって ある で なし 、 実は 私 も 少し 意外 に 感じ た ので 
は 町 を はなれ て 、 海岸 の 白い 崖 の 上 の 小さな みち を 行き まし た 、 そら が 曇っ て 居り まし た ので 大西洋 が うすく さび た ブリキ の よう に 見え 、 秋風 は 白い なみ が しら を 起し 、 小さな 漁船 は たくさん なら んで 、 その 中 を 行く の でし た 。 落葉松 の 下枝 は 、 もう 褐色 に 変っ て い た の です 。 
トルコ 人 たち は 、 みち に 出 て いる 岩 に かなづち を あて たり 、 がやがや 話し合っ たり し て 行き まし た 。 私 は その あと から ひとり 空虚 の トランク を 持っ て 歩き まし た 。 一 時間 半 ばかり 行っ た とき 、 私 たち は 海 に 沿っ た 一つ の 峠 の 頂上 に 来 まし た 。 
「 もう ヒルテイ の 村 が 見える 筈 です 。 」 団長 の 地学 博士 が 私 の 前 に 来 て 、 地図 を 見 ながら 英語 で 云い まし た 。 私 たち は 向う を 注意 し て ながめ まし た 。 ひのき の 一 杯 に しげっ て いる 谷 の 底 に 、 五つ 六つ 、 白い 壁 が 見え その 谷 に は 海 が 峡湾 の よう な 風 に まっ 蒼 に 入り込ん で い まし た 。 
「 あれ が ヒルテイ の 村 でしょ う か 。 」 私 は 団長 に たずね まし た 。 団長 は 、 しきりに 地図 と 眼 の 前 の 地形 と くらべ て い まし た が 、 しばらく たっ て 眼鏡 を ちょっと 直し ながら 、 
「 そう です 。 あれ が ヒルテイ の 村 です 。 私 たち の 教会 は 、 多分 あの 右 から 三 番目 に 見える 平 屋根 の 家 でしょ う 。 旗 か 何 か 立っ て いる よう です 。 あすこ に デビス さん が 、 住ん で い られる ん です ね 。 」 
デビス という の は 、 ご存知 の 方 も あり ましょ う が 、 私 たち の 派 の まあ 長老 です 、 ビジテリアン 月報 の 主筆 で 、 今度 の 大祭 で は 祭司 長 に なっ た 人 で あり ます 。 そこで 、 私 たち は 、 俄 か に 元気 が つい て 、 まるで 一息 に その 峠 を かけ 下り まし た 。 トルコ 人 たち は 脚 が 長い し 、 背嚢 を 背負っ て 、 まるで 磁石 に 引か れ た 砂鉄 とい 
そう に あたり の 風物 を ながめ ながら 、 三 人 や 五 人 ずつ 、 ステッキ を ひい て いる の でし た 。 婦人 たち も 大分 あり まし た 。 又 支那人 か と 思わ れる 顔 の 黄いろ な 人 とも 会い まし た 。 私 は じっと その 顔 を 見 まし た 。 向う でも 立ちどまっ て しまい まし た 。 けれども その 日 は とうとう 話しかける で も なく 、 別れ て しまい まし た が 、 その 人 が やはり ビジテリアン で 、 大祭 に 来 た もの な こと は 疑 も あり ませ ん でし た 。 私 たち は 教会 に 来 まし た 。 教会 は 粗末 な 漆喰 造り で 、 ところどころ 裂罅 割れ て い まし た 。 多分 は デビス さん の 自分 の 家 だっ た の でしょ う が 、 ずいぶん 大きい こと は 大きかっ た の です 。 旗 や 電 燈 が 、 ひのき の 枝 や やどり木 など と 、 上手 に 取り合せ られ て 装飾 さ れ 、 まだ 七 八 人 の 人 が 、 せっせと 明後日 の 仕度 を し て 居り まし た 。 
私 たち は 教会 の 玄関 に 立っ て 、 ベル を 押し まし た 。 
すぐ 赭 ら 顔 の 白髪 の 元気 の よ さ そう な おじいさん が 、 かなづち を 持っ て よ この 室 から 顔 
が 、 桃 いろ の 紙 に 刷ら れ た 小さな パンフレット を 、 十 枚 ばかり 持っ て 入っ て 来 まし た 。 
「 お早う ござい ます 。 なあに 却って 御 愛嬌 です よ 。 」 
「 お早う ござい ます 。 どうか 一 枚 拝見 。 」 
私 は パンフレット を 手 に とり まし た 。 それ は 今 も もっ て い ます が 斯 う 書い て あっ た の です 。 
「 ◎ 偏狭 非 文明 的 なる ビジテリアン を 排す 。 
マルサス の 人口 論 は 、 今日 定性的 に は 誰 も 疑う もの が ない 。 その 要領 は 人類 の 居住 す べき 世界 の 土地 は 一定 で ある 、 又 その 食料 品 は 等差級数 的 に 増加 する だけ で ある 、 然るに 人口 は 等比 級数 的 に 多く なる 。 則 ち 人類 の 食料 は だんだん 不足 に なる 。 人類 の 食料 と 云え ば 蓋し 動物 植物 鉱物 の 三種 を 出 で ない 。 そのうち 鉱物 で は 水 と 食塩 と だけ で ある 。 残り は 植物 と 動物 と が 約 半々 を 占める 。 ところが 茲 に ごく 偏狭 な 陰気 な 考 の 人間 の 一群 が あっ て 、 動物 は 可哀そう だ から たべ て は なら ん と いい 、 世界中 に これ を 強いよ う と する 。 これ が ビジテリアン で ある 。 この 主張 は 、 実に 、 人類 の 食物 の 半分 を 奪お う と 企てる もの で ある 。 換言 すれ ば 、 この 主張 者 たち は 、 世界 人類 の 半分 、 則 ち 十 億 人 を 饑餓 によって 殺そ う と 計画 する もの で は ない か 。 今日 いずれ の 国 の 法律 を以て し て も 、 殺人 罪 は 一番 重く 罰せ られる 。 間接 で は ある けれども 、 ビジテリアン たち も 又 この 罪 を 免れ ない 。 近き 将来 、 各国 から 委員 が 集っ て 充分 商議 の 上 厳重 に 処罰 さ れる の は わかり 切っ た こと で ある 。 又 この 事実 は 、 ビジテリアン たち の 主張 が 、 畢竟 自家撞着 に 終る こと を 示す 。 則 ち ビジテリアン は 動物 を 愛する が 故に 動物 を 食べ ない の で あろ う 。 何 が 故に その 為 に 食物 を 得 ない で 死亡 する 、 十 億 の 人類 を 見殺し に する の で ある か 。 人類 も 又 動物 で は ない か 。 」 
「 こいつ は 面白い 。 実に 名論 だ 。 文章 も 実に 珍無類 だ 。 実に 面白い 。 」 トルコ の 地学 博士 は その 肥っ た 顔 を 、 まるで 張り裂ける よう に し て 笑い まし た 。 みんな も 笑い まし た 。 とにかく みんな 寝巻 を ぬい で 、 下 に 降り て 、 口 を 漱い だり 顔 を 洗っ たり し まし た 。 
それから 私 たち は 、 簡単 に 朝飯 を 済まし て 、 式 が 九 時 から 始まる の でし た から 、 しばらく バルコン で やすん で 待っ て い まし た 。 
不意 に 教会 の 近く から 、 のろし が 一 発 昇り まし た 。 そら が まっ青 に 晴れ て 、 一 枚 の 瑠璃 の よう に 見え まし た 。 その 冴 みきっ た よく 磨か れ た 青 ぞ ら で 、 まっ白 な けむり が パッ と たち 、 それから 黄いろ な 長い け むりがうねうね 下っ て 来 まし た 。 それ は たしかに 、 日本 で やる 下り 竜 の 仕掛け 花火 です 。 そこで 私 は はっと 気 が つき まし た 。 この のろし は 陳 氏 が あげ て いる の だ 、 陳 氏 が 支那式 黄 竜 の 仕掛け 花火 を やっ た の だ と 気がつき まし た ので 、 大 悦び で みんな に も 説明 し まし た 。 
その 時又 、 今朝 の すてき な ラッパ の 声 が 遠く から 響い て 参り まし た 。 
「 来 た 来 た 。 さあ どんな 顔ぶれ だ か 、 一つ 見 て やろ う じゃ ない か 。 」 地学 博士 を 先登 に 、 私 たち は 、 どやどや 、 玄関 へ 降り て 行き まし た 。 たちまち 一 台 の 大きな 赤い 自 働車 が やって来 まし た 。 それ に は 白い 字 で シカゴ 畜産 組合 と 書い て あり まし た 。 六 人 の 、 髪 を まるで 逆立て た 人 たち が 、 シャツ だけ に なっ て 、 顔 を まっ 赤 に し て 、 何 か 叫び ながら 鼠色 や 茶 いろ の ビラ を 撒い て 行き まし た 。 その 鼠 いろ の を 私 は 一 枚 手 に とり まし た 。 それ に は 赤い 字 で 斯 う 書い て あり まし た 。 
「 ◎ 偏狭 非 学術 的 なる ビジテリアン を 排せ 。 
ビジテリアン の 主張 は 全然 誤謬 で ある 。 今 この 陰気 な 非 学術 的 思想 を 動物 心理 学 的 に 批判 し て 見よ う 。 
ビジテリアン たち は 動物 が 可哀そう だ から 食べ ない と いう 。 動物 が 可哀そう だ という こと が どうして わかる か 。 ただ こっち が 可哀そう だ と 思う だけ で ある 。 全体 豚 など が 死 という よう な 高等 な 観念 を 持っ て いる もの で は ない 。 あれ は ただ 腹 が 空 っ た 、 かぶら の 茎 、 噛みつく 、 うまい 、 厭き た 、 ねむり 、 起きる 、 鼻 が つまる 、 ぐうと 鳴らす 、 腹 が へっ た 、 麦 糠 、 たべる 、 うまい 、 つかれ た 、 ねむる 、 という 工合 に 一つ ずつ の 小さな 現在 が 続い て 居る だけ で ある 。 殺す 前 に キー キー 叫ぶ の は 、 それ は 引っぱら れ たり 、 たたか れ たり する から だ 、 その 証拠 に は 、 殺す つもり で なし に 、 何 か 鶏卵 の 三 十 も 少し 遠く の 方 で ご馳走 を する つもり で 、 豚 の 足 に 縄 を つけ て 、 ひっぱっ て 見る が いい やっぱり 豚 は キー キー 云う 。 こんな 訳 だ から 、 ほんとう に 豚 を 可哀そう と 思う なら 、 そうっと 怒ら せ ない よう に 、 うまい もの を たべ させ て 置い て 、 にわかに 熱湯 に でも たたき込ん で しまう が いい 、 豚 は 大 悦び だ 、 くるっ と 毛 まで 剥け て しまう 。 われわれ の 組合 で は 、 この 方法 によって 、 沢山 の 豚 を 悦ば せ て いる 。 ビジテリアン たち は 、 それ を 知ら ない 。 自分 が 死ぬ の が いや だ から 、 ほか の 動物 も みんな そう だろ う と 思う の だ 。 あんまり 子供 らしい 考 で ある 。 」 
私 は 無理 に 笑お う と 思い まし た が 何だか 笑え ませ ん でし た 。 地学 博士 も 黄いろ な パンフレット を 読ん で しまっ て 少し 変 な 顔 を し て い まし た 。 私 たち は 目 を 見合せ まし た 。 それ から だまっ て お 互 の パンフレット を とりかえ まし た 。 黄色 な パンフレット に は 斯 う 書い て あっ た の です 。 
「 ◎ 偏狭 非 学術 的 な ビジテリアン を 排せ 。 
ビジテリアン の 主張 は 全然 誤謬 で ある 。 今 これ を 生物 分類 学 的 に 簡単 に 批判 し て 見よ う 。 ビジテリアン たち は 、 動物 が 可哀そう だ という 、 一体 どこ 迄 が 動物 で どこ から が 植物 で ある か 、 牛 や アミーバー は 動物 だ から か あい そう 、 バク テリヤ は 植物 だ から 大丈夫 という の で ある か 。 バク テリヤ を 植物 だ 、 アミーバー を 動物 だ と する の は 、 ただ 研究 の 便宜 上 、 勝手 に 名 を つけ た もの で ある 。 動物 に は 意識 が あっ て 食う の は 気の毒 だ が 、 植物 に は ない から 差し支え ない という の か 。 なるほど 植物 に は 意識 が ない よう に も 見える 。 けれども ない か どう か わから ない 、 ある よう だ と 思っ て 見る と 又 実に ある よう で ある 。 元来 生物 界 は 、 一つ の 連続 で ある 、 動物 に 考 が あれ ば 、 植物 に も きっと それ が ある 。 ビジテリアン 諸君 、 植物 を たべる こと も やめ 給え 。 諸君 は 餓死 する 。 又 世界中 に も それ を 宣伝 し た ま え 。 二 十 億 人 が みんな 死ぬ 。 大 へん さっぱり し て 諸君 の 御 希望 に 叶う だろ う 。 そして 、 その あと で 動物 や 植物 が 、 お 互同志 食っ たり 食わ れ たり し て い たら 、 丁度 いい で は ない か 。 」 
私 は なおさら 変 な 気 が し まし た 。 
もう 一 枚 茶 いろ の も あっ た の です 。 
「 ごらん に なっ たら とりかえ ましょ う か 。 」 
私 は 隣り の 人 に 云い まし た 。 
「 ええ 、 」 その 人 は あわただしく 茶 いろ の パンフレット を よこし まし た 。 私 も 私 の を やっ た の です 。 それ に は 黒く こう 書い て あり まし た 。 
「 ◎ 偏狭 非 学術 的 なる ビジテリアン を 排せ 。 
ビジテリアン の 主張 は 全然 誤謬 で ある 、 今 これ を 比較 解剖 学 の 立場 から ごく 通俗 的 に 説明 しよ う 。 人類 は 動物 学 上 混食 に 適する よう に でき て いる 。 歯 の 形状 から 見 て も わかる 。 草食 獣 に ある 臼歯 も あれ ば 肉食 類 の 犬歯 も ある 。 混食 を し て いる の が 人類 に は 一番 自然 で ある 。 そう 出来 てる の だ から 仕方 ない 。 それ を どう 斯 う 云う の は 恩恵 深き 自然 に対して 正しく 叛旗 を ひるがえす もの で ある 。 よし たまえ 、 ビジテリアン 諸君 、 あんまり 陰気 な おまけ に 子供 くさい 考 は 。 」 
「 ふん 。 今度 の パンフレット は どれ も かなり しっかり し てる ね 。 いかにも 誰 も やり そう な 議論 だ 。 しかし どっか やっぱり 調子 が 変 だ ね 。 」 地学 博士 が 少し 顔色 が 青ざめ て 斯 う 云い まし た 。 
「 調子 が 変 な ばかり じゃ ない 、 議論 が みんな 都合 の いい よう に ばかり 仕組ん で ある よ 。 どうせ 畜産 組合 の 宣伝 書 だ 。 」 と 一 人 の トルコ 人 が 云い まし た 。 
その とき 又 向う から ラッパ が 鳴っ て 来 まし た 。 ガソリン の 音 も 聞え ます 。 正直 を 云い ます と 私 も この 時 は 少し 胸 が どきどき し まし た 。 さっそく 又 一 台 の 赤 自動車 が やって来 て 小さな 白い 紙 を 撒い て 行っ た の です 。 
その パンフレット を 私 たち は せわしく 読み まし た 。 それ に は 赤い 字 で 斯 う 書い て あっ た の です 。 
「 ビジテリアン 諸氏 に 寄 す 。 
諸君 が どんなに 頑張っ て 、 馬鈴薯 と キャベジ 、 メリケン粉 ぐらい を 食っ て いよ う と 、 海岸 で は あんまり たくさん 魚 が とれ て 困る 。 折角 死ん で も 、 それ を 食べ て 呉れる 人 も なし 、 可哀そう に 、 魚 は みんな シャベル で 釜 に なげ 込ま れ 、 煮える と すくわ れ て 、 締 木 にかけて 圧搾 さ れる 。 釜 に 残っ た 油 の 分 は 魚油 です 。 今 は 一 缶 十 セント です 。 鰯 なら 一 缶 が まあ ざっと 七 百 疋分 です ねえ 、 締 木 に かけ た 方 は 魚 粕 です 、 一 キログラム 六 セント です 、 一 キログラム は 鰯 なら まあ 五 百 疋 です ねえ 、 みなさん 海岸 へ 行っ て めまい を し て は いけ ませ ん 。 また 農場 へ 行っ て めまい を し て も いけ ませ ん 、 なぜ なら 、 その 魚 粕 を つかう と キャベジ で も 麦 で も ずいぶん よく 穫れ ます 。 おまけ に キャベジ 一つ こさえる に は 、 百 疋 から の 青虫 を 除 ら なけれ ば なら ない の です ぜ 。 それから みなさん この 町 で 何 か 煮 た もの を めしあがっ たり 、 お湯 を お 使い に なる とき に 、 めまい を 起さ ない よう に 願い ます 。 この 町 の ガス は ご存知 の 通り 、 石炭 で なし に 、 魚油 を 乾溜 し て つくっ て いる の です から 。 いずれ 又 お目にかかっ て 詳しく 申しあげ ましょ う 。 」 
この 宣伝 書 を 読ん で しまっ た とき は 、 白状 し ます が 、 私 たち は しばらく しん と し て しまっ た の です 。 どうも 理論 上 この 反対 者 の 主張 が 勝っ て いる よう に 思わ れ た の で あり ます 。 それと て 、 私 も 、 又 トルコ から 来 た その 六 人 の 信者 たち も 、 ビジテリアン を やめよ う とか 、 全く 向う の 主張 に 賛成 だ とかいう の で も なく 、 ただ 何となく この 大祭 の はじまり に 、 けち を つけ られ た の が 不愉快 だっ た の で あり ます 。 余興 として 笑っ て しまう に は 、 あんまり 意地 が 悪かっ た の で あり ます 。 
ところが 、 又もや のろし が 教会 の 方 で あがり まし た 。 まっ青 な そら で 、 白い けむり が パッ と 開き 、 それから トントン と 音 が 聞え まし た 。 けむり の 中 から 出 て 来 た の は 、 今度 こそ 全く 支那風 の 五色 の 蓮華 の 花 でし た 。 なるほど やっぱり 陳 氏 だ 、 お 経 に ある 青色 青 光 、 黄色 黄 光 、 赤色 赤 光 、 白色 白光 を やっ た ん だ な と 、 私 は つくづく 感心 し て それ を 見上げ まし た 。 全く その 蓮華 の はな びら は 、 ニュウファウンドランド 島 、 ヒルテイ 村 ビジテリアン 大祭 の 、 新鮮 な 朝 の そら を 、 かすか に 光っ て 舞い降り て 来る の でし た 。 
それから 教会 の 方 で 、 賑やか な バンド が 始まり まし た 。 それ が 風下 でし た から 、 手 に とる よう に 聞え まし た 。 それ が いかにも 本式 な の です 。 私 たち は 、 はじめ は これ は よほど 費用 を かけ て 大陸 から 頼ん で 来 た ん だ な と 思い まし た が 、 あと で 聞き まし たら 、 あの 有名 な スナイダー が 私 たち の 仲間 だっ た ん です 。 スナイダー は 、 自分 の バンド （ 尤も その 半数 は 、 みんな ビジテリアン だっ た の です 、 ） を 、 そっくり つれ て やはり 一昨日 、 ここ へ 着い た の だ そう です 。 とにかく 、 式 の 始まる まで は 、 まだ 一 時間 も あり まし た けれども 、 斯 う にぎやか に やら れ て は 、 とても じっと し て 居ら れ ませ ん 、 私 たち は 、 大急ぎ で 二 階 に 帰っ て 、 礼装 を し た の です 。 土 耳 古人 たち は 、 みんな まっ 赤 な ターバン と 帯 と を かけ 、 殊に 地学 博士 は あちこち から の 勲章 や メタル を 、 その 漆黒 の 上着 に かけ まし た ので 全く まばゆい 位 でし た 。 私 は 三越 で こさえ た 白い 麻 の フロック コート を 着 まし た が 、 これ は 勿論 、 私 の 好み で 作法 で は あり ませ ん 。 けれども 元来 きもの という もの は 、 東洋 風 に 寒 さ を しのぐ という 考 も 勿論 です が 、 一方 また 、 カーライル の 云う 通り 、 装飾 が 第 一 な ので 結局 その 人 に あっ た 相当 の もの を きちんと つけ て いる の が 一等 です から 、 私 は 一向 何とも 思い ませ ん でし た 。 実際 きもの は 自分 の ため で なく 他人 の 為 です 。 自分 に は 自分 の 着 て いる もの が 全体 見え は し ませ ん から ほか の 人 が それ を 見 て 、 さっぱり し た 気持ち が すれ ば いい の で あり ます 。 
さて 私 たち は 宿 を 出 まし た 。 すると 式 の 時間 を 待ち兼ね た の は 、 あながち 私 たち だけ で は あり ませ ん でし た 。 教会 へ 行く 途中 、 あっち の 小路 から も 、 こっち の 広場 から も 、 三 人 四 人 ずつ いろいろ な 礼装 を し た 人 たち に 、 私 たち は 会い まし た 。 燕尾服 も あれ ば 厚い 粗 羅紗 を 着 た 農夫 も あり 、 綬 を かけ た 人 も あれ ば 、 スラッ と 瘠せ た 若い 軍医 も あり まし た 。 すべて これら は 、 私 たち の 兄弟 で あり まし た から 、 もう 私 たち は 国 と 階級 、 職業 と その 名 と を とわ ず 、 ただ 一つ の 大きな ビジテリアン の 同朋 として 、 「 お早う 、 」 と 挨拶 し 「 おめでとう 、 」 と 答え た の です 。 そして 私 たち は 、 いつか ぞろぞろ 列 に なっ て い まし た 。 列 に なっ て 教会 の 門 を 入っ た の です 。 一昨日 別段 気 に もとめ なかっ た 、 小さな その 門 は 、 赤 いい ろ の 藻類 と 、 暗 緑 の 栂 と で 飾ら れ て 、 すっかり 立派 に 変っ て い まし た 。 門 を はいる と 、 すぐ 受付 が あっ て 私 たち は みんな 求め られ て 会員 証 を 示し まし た 。 これ は いかにも 偏狭 な やり方 の よう に どなた も お 考え でしょ う が 、 実際 今朝 の 反対 宣伝 の よう な 訳 で 、 どんな もの が まぎれ込ん で 来 て 、 何 を する か も わから なかっ た の です から 、 全く 仕方 なかっ た の で あり ましょ う 。 
式場 は 、 教会 の 広 庭 に 、 大きな 曲馬 用 の 天幕 を 張っ て 、 テニス コート など も そのまま 中 に 取り込ん で い た よう でし た 。 とても その 人数 の 入る よう な 広間 は 、 恐らく ニュウファウンドランド 全島 に も なかっ た でしょ う 。 
もう 気 の 早い 信徒 たち が 二 百 人 ぐらい 席 について 待っ て い まし た 。 笑い声 が 波 の よう に 聞え まし た 。 やっぱり 今朝 の パンフレット の 話 など が 多かっ た の でしょ う 。 
その 式場 を 覆う 灰色 の 帆布 は 、 黒い 樅 の 枝 で 縦横 に 区切ら れ 、 所々 に は 黄 や 橙 の 石楠花 の 花 を はさん で あり まし た 。 何せ そう 云う いい 天気 で 、 帆布 が 半 透明 に 光っ て いる の です から 、 実に その 調和 の いい こと 、 もう ここ こそ やがて 完成 さる べき 、 世界 ビジテリアン 大会 堂 の 、 陶製 の 大 天井 か と 思わ れ た の で あり ます 。 向う に は 勿論 花 で 飾ら れ た 高い 祭壇 が 設け られ て い まし た 。 その とき 、 私 は 又 、 あの 狼煙 の 音 を 聞き まし た 。 はっと 気がつい て 、 私 は 急い で その 音 の 方 教会 の 裏手 へ 出 て 行っ て 見 まし た 。 やっぱり 陳 氏 でし た 。 陳 氏 は 小さな 支那 の 子供 の 狼煙 の 助手 も 二 人 も 連れ て 来 て いる の でし た 。 そして 三 人 とも 、 今日 は すっかり 支那服 でし た 。 私 は 支那服 の 立派 さ を 、 この 朝 ぐらい 感じ た こと は あり ませ ん 。 陳 氏 は すっかり 黒 の 支度 を し て 、 袖口 と 沓 だけ 、 まばゆい くらい まっ白 に 、 髪 は 昨日 の 通り でし た が 、 支那 の 勲章 を 一つ つけ て い まし た 。 
それから 助手 の 子供 ら は 、 まるで 絵 に ある 唐 児 です 。 あ たま を まん中 だけ 残し て 、 くりくり 剃っ て 、 恭しく 両手 を 拱い て 、 陳 氏 の うし ろ に 立っ て い まし た 。 陳 氏 は 私 の 行っ た の を 見る と 本当に 嬉しかっ た と 見え て 、 いきなり 手 を 出し て 、 
「 おめでとう 。 お早う 。 いい お天気 です 。 天 の 幸 、 君 に あら ん こと を 。 」 と つづけ ざま に べらべら 挨拶 し まし た 。 
「 お早う 。 」 私 たち は 手 を 握り まし た 。 二 人 の 子供 の 助手 も 、 両手 を 拱い た まま 私 に 一揖 し まし た 。 私 も 全く 嬉しかっ た ん です 。 ニュウファウンドランド 島 の 青 ぞ ら の 下 で 、 この 叮重 な 東洋 風 の 礼 を 受け た の です 。 
陳 氏 は 云い まし た 。 
「 さあ 、 もう 一 発 やり ます よ 。 あと は 式 が すんで から です 。 今度 の は 、 私 の 郷国 の 名前 で は 、 柳 雲 飛鳥 と いい ます 。 柳 は サリックス 、 バビロニカ 、 です 。 飛鳥 は 燕 です 。 日本 で も 、 柳 と 燕 を 云い ます か 。 」 
「 云い ます 。 そして よく 覚え ませ ん が 、 たしか 私 の 方 に も 、 その 狼煙 は あっ た 筈 です よ 。 いや 花火 だっ た か な 。 それとも 柳 に けまり だっ た か な 。 」 
「 日本 の 花火 の 名所 は 、 東京 両国橋 です ね 。 」 
「 ええ その ほか 岩国 とか 石 の 巻 とか 、 あちこち に も あり ます 。 」 
「 なるほど 。 さあ 、 支度 。 」 陳 氏 は 二 人 の 子供 に 向き まし た 。 一 人 の 子 は 恭しく バスケット から 、 狼煙 玉 を 持ち出し まし た 。 陳 氏 は それ を 受けとっ て よく 調べ て から 、 
「 よろしい 。 口火 。 」 と 云い まし た 。 も 一 人 の 子 は 、 もう 手 に 口火 を 持っ て 待っ て い まし た 。 陳 氏 は それ を 受けとり まし た 。 はじめ の 子 は 、 シュッ と マッチ を すり まし た 。 陳 氏 は それ に 口火 を あて て 、 急い で のろし 筒 に 投げ込み まし た 。 しばらく たっ て 、 「 ドーン 」 けむり と 一緒 に 、 さっき の 玉 は 、 汽車 ぐらい の 速 さ で 青 ぞ ら に のぼっ て 行き まし た 。 二 人 の 子供 も 、 恭しく 腕 を 拱い て 、 それ を 見上げ て い まし た 。 たちまち 空 で 白い けむり が 起り 、 ポンポン と 音 が 下っ て 来 それ から 青い 柳 の けむり が 垂れ 、 その間 を 燕 の 形 の 黒い もの が 、 ぐるぐる 縫っ て 進み まし た 。 
「 さあ 式場 へ 参り ましょ う 。 お前 たち 此処 で 番 を し て おい で 。 」 陳 氏 は 英語 で 云っ て 、 それから 私 ら は 、 その 二 人 の 子供 ら の 敬礼 を うし ろ に 式場 の 天幕 へ 帰り まし た 。 
もう 式 の 始まる に 、 六 分 しか あり ませ ん でし た 。 天幕 の 入口 で 、 私 たち は プログラム を 受け取り まし た 。 それ に は 表 に 
ビジテリアン 大祭 次第 
挙 祭 挨拶 
論難 反駁 
祭 歌 合唱 
祈祷 
閉式 挨拶 
会食 
会員 紹介 
余興 　 　 　 　 以上 
と 刷っ て あり 私 たち が それ を 受け取っ た 時 丁度 九 時 五 分 前 でし た 。 
式場 の 中 は ぎっしり でし た 。 それ に 人数 も よく 調べ て あっ た と 見え て 、 空い た 椅子 とても あんまり なく 、 勿論 腰かけ ない で 立っ て いる 人 など は 一 人 も あり ませ ん でし た 。 みんな で 五 百 人 は あっ た でしょ う 。 その 中 に は 婦人 たち も 三 分の 一 は あっ た でしょ う 。 いろいろ な 服装 や 色彩 が 、 処々 に 配置 さ れ た 橙 や 青 の 盛花 と 入りまじり 、 秋 の 空気 は すきとおっ て 水 の よう 、 信者 たち も 又 さっき と は 打っ て 変っ て 、 しいんと し て 式 の 始まる の を 待っ て い まし た 。 
アーチ に なっ た 祭壇 の すぐ 下 に は 、 スナイダー を 楽長 と する オーケストラ バンド が 、 半円 陣 を 採り 、 その 左 に は 唱歌 隊 の 席 が あり まし た 。 唱歌 隊 の 中 に は カナダ の グロッコ も 居 た そう です が 、 どの人 か わかり ませ ん でし た 。 
ところが 祭壇 の 下 オーケストラ バンド の 右側 に 、 「 異教徒 席 」 「 異 派 席 」 という 二つ の 陶製 の 標札 が 出 て 、 どちら に も 二 十 人 ばかり の 礼装 を し た 人 たち が 座っ て 居り まし た 。 中 に は 今朝 の 自 働車 で 見 た よう な 人 も 大分 あり まし た 。 
私 も そこ で 陳 氏 と 並ん で 一番 うし ろ に 席 を とり まし た 。 陳 氏 は しきりに 向う の 異教徒 席 や 異 派 席 と プログラム と を 比較 し ながら よほど 気 に かかる 模様 でし た 。 とうとう 、 そっと 私 に ささやき まし た 。 
「 この プログラム の 論難 という の は 向う の あの 連中 が やる の です ね 。 」 
「 きっと そう でしょ う ね 。 」 
「 どう です 、 異 派 席 の 連中 は 、 私 たち の 仲間 に くらべ て は 少し 風采 で も 何 でも 見劣り する よう です ね 。 」 
私 も 笑い まし た 。 
「 どうも そう の よう です よ 。 」 
陳 氏 が 又 云い まし た 。 
「 けれども 又 異教 席 の やつ ら と 、 異 派 席 の 連中 と くらべ て 見 た ん じゃ 又 ずっと 違っ て ます ね 。 異教 席 の やつ ら と き たら 、 実際 どうも 醜悪 です ね 。 」 
「 全く です 。 」 私 は とうとう 吹き出し まし た 。 実際 異教 席 の 連中 とき たら どれ も みんな 醜悪 だっ た の です 。 
俄 か に 澄み切っ た 電鈴 の 音 が 式場 一 杯 鳴りわたり まし た 。 
拍手 が 嵐 の よう に 起り まし た 。 
白髯 赭顔 の デビス 長老 が 、 質素 な 黒 の ガウン を 着 て 、 祭壇 に 立っ た の です 。 そして 何 か 云お う と し た よう でし た が 、 あんまり 嬉しかっ た と 見え て 、 もう なんにも 云え ず 、 ただ おろおろ と 泣い て しまい まし た 。 信者 たち は まるで 熱狂 し て 、 歓呼 拍手 し まし た 。 デビス 長老 は 、 手 を 大きく 振っ て 又 何 か 云お う と し まし た が 、 今度 も 声 が 咽喉 に つまっ て 、 まるで 変 な 音 に なっ て しまい 、 とうとう 又 泣い て しまっ た の です 。 
みんな は 又 熱狂 的 に 拍手 し まし た 。 長老 は やっと 気 を 取り直し た らしく 、 大きく 手 を 三 度 ふっ て 、 何 か 叫び かけ まし た けれども 、 今度 だって やっぱり その 通り 、 崩れる よう に 泣い て しまっ た の です 。 祭司 次長 、 ウィリアム ・ タッピング という 人 で 、 爪 哇 の 宣教師 な そう です が 、 せい の 高い 立派 な じいさん でし た 、 が 見兼ね て 出 て 行っ て 、 祭司 長 に ならん で 立ち まし た 。 式場 は しいんと 静まり まし た 。 
「 諸君 、 祭司 長 は 、 只今 既に 、 無言 を以て 百 千 万言 を 披瀝 し た 。 是 れ 、 げに も 尊き 祭 始 の 宣言 で ある 。 然しながら 、 未だ 祭司 長 の 云わ ざる 処 も ある 。 これ 実に 祭司 長 が 述べん と 欲する もの の 中 の 糟粕 で ある 。 これ を し も 、 祭司 次長 が 諸君 に 告げん と 欲 し て 、 敢 て 咎め ら る べき で ない 。 諸君 、 吾 人 は 内外 多数 の 迫害 に 耐え て 、 今日 迄 ビジテリアン 同情 派 の 主張 を 維持 し て 来 た 。 然 も これ 未だ 社会 的 に 無力 なる 、 各 個人 個人 に 於 て で ある 。 然るに 今日 は 既に ビジテリアン 同情 派 の 堅き 結束 を 見 、 その 光輝 ある 八 面体 の 結晶 と も 云う べき ビジテリアン 大祭 を 、 この 清澄 なる ニュウファウンドランド 島 、 九月 の 気圏 の 底 に 於 て 析出 し た 。 殊に この 大祭 に 於 て 、 多少 の 愉快 なる 刺戟 を 吾 人 が 所有 する という こと は 、 最 天意 の ある 所 で ある 。 多少 の 愉快 なる 刺戟 と は 何 で ある か 、 これ プログラム 中 に ある 異教 及異派 の 諸氏 の 論難 で ある 。 是 等 諸氏 は みな 信者 諸氏 と 同じく 、 各自 の 主義 主張 の 為 に 、 世界 各地 より 集り 来っ た 真理 の 友 で ある 。 恐らく 諸氏 の 論難 は 、 最 痛烈 辛辣 な もの で あろ う 。 その 愈々 鋭利 なる ほど 、 愈 々 公明 に 我 等 は これ に 答えん と 欲する 。 これ 大祭 開 式 の 辞 、 最後 糟粕 の 部分 で ある 。 祭司 次長 ウィリアム・タッピング 祭司 長 ヘンリー・デビス に 代っ て これ を 述べる 。 」 
拍手 は 天幕 も ひるがえる ばかり 、 この間 デ ビス は ただ よろよろ と 感激 し て 頭 を ふる ばかり で あり まし た 。 
その 拍手 の 中 で デビス 長老 は 祭司 次長 に 連れ られ て 壇 を 下り 透明 な 電鈴 が 式場 一 杯 に 鳴り まし た 。 祭司 次長 が 又 祭壇 に 上っ て 壇 の 隅 の 椅子 に かけ 、 それ から 一 寸 立っ て 異教徒 席 の 方 を 軽く さし 招き まし た 。 
異教徒 席 の 中 から せい の 高い 肥っ た フロック の 人 が 出 て 卓子 の 前 に 立ち 一 寸 会釈 し て それ からき ぱきぱした 口調 で 斯 う 述べ まし た 。 
「 私 は ビジテリアン 諸氏 の 主張 に対して 二 個条 の 疑問 が ある 。 
第 一 植物 性 食品 の 消化 率 が 動物 性 食品 に 比し て 著しく 小さい こと 。 尤も 動物 性 食品 に は 含水炭素 が 殆 ん ど ない から これ は 当然 植物 から 採ら なけれ ば なら ない 。 然しながら もし 蛋白 質 と 脂肪 と について 考える なら ば 何 と いっ て も 植物 性 の もの は 消化 が 悪い 。 単に 分析 表 を 見 て 牛肉 と 落花生 と 営養 価 が 同じ だ と 云っ て 牛肉 の 代り に そっくり 豆 を 喰 べ る という わけ に は いか ない 。 人 によって は 植物 蛋白 を 殆 ん ど 消化 し ない じゃ ない か と 思わ れる こと も ある の だ 。 ビジテリアン 諸氏 は これら の こと は 充分 ご 承知 で あろ う が 尚 これ を以て 多く の 病弱 者 や 老衰 者 並 に 嬰児 に まで 及ぼそ う と する の は どう 云う もの で あろ う か 。 
第 二 は 植物 性 食品 は どう 考え て も 動物 性 食品 より 美味しく ない 。 これ は 何 と し て も 否定 する こと が でき ない 。 元来 食事 は ただ 営養 を とる 為 の もの で なく 又 一種 の 享楽 で ある 。 享楽 と 云う より は 欠く べから ざる 精神 爽快 剤 で ある 。 労働 に 疲れ 種々 の 患難 に 包ま れ て 意気 銷沈 し た 時 に は 或は 小さな 歌謡 を 口 吟 む 、 談笑 する 音楽 を 聴く 観劇 や 小 遠足 に も 出る こと が 大 へん 効果 ある よう に 食事 も 又 一 の 心身 回復 剤 で ある 。 この 快楽 を 菜食 なら ば 著しく 減ずる と 思う 。 殊に 愉快 に 食べ た もの なら ば 実際 消化 も いい の だ 。 これ を ビジテリアン 諸氏 は どう お 考 で ある か 伺い たい 。 」 
大 へん 温和 しい 論旨 でし た ので 私 たち は 実際 本気 に 拍手 し まし た 。 すると 私 たち の 席 から 三 人 ばかり 祭司 次長 の 方 へ 手 を あげ て 立っ た 人 が あり まし た が 祭司 次長 は 一番 前 の 老人 を 招き まし た 。 その 人 は 白髯 で やはり 牧師 らしい 黒い 服装 を し て い まし た が 壇 に 昇っ て 重い 調子 で 答え た の でし た 。 
「 只今 の 御 質疑 に 答え たい と 存じ ます 。 
植物 性 の 脂肪 や 蛋白 質 の 消化 が あまり よく ない こと は 明か で あり ます 。 され ば と いっ て 甚不良 な の で は なく 、 ただ 動物 質 の 食品 に 比し て 幾分 劣る という の で あり ます 。 全然 植物 性 蛋白 や 脂肪 を 消化 し ない という 人 は まあ あり ます まい 、 ある と すれ ば その 人 は 又 動物 性 の 蛋白 や 脂肪 も 消化 し ない の です 。 さて どう 云う わけ で 植物 性 の もの が 消化 が よく ない か と 云え ば 蛋白 質 の 方 は どうも やっぱり その 蛋白 質 分子 の 構造 による よう で あり ます が 脂肪 の 消化 率 の 少い の は それ が 多く 繊維素 の 細胞 壁 に 包ま れ て いる 関係 の よう で あり ます 。 どちら も 次第に 菜食 に なれ て 参り ます と 消化 も だんだん 良く なる の で あり ます 。 色々 実験 の 成績 も ござい ます から 後で ご覧 を 願い ます 。 又 病弱 者 老衰 者 嬰児 等 の 中 に は 全く 菜食 で は いけ ない 人 も あり ましょ う 、 私 ども の 派 で は それら に対して まで 菜食 を 強いよ う と 致す の で は あり ませ ん 。 ただ なるべく 動物 互に 相 喰 むのは 決して 当然 の こと で ない 何とか し て そう で なく し たい という 位 の 意味 で あり ます 。 尤も 老人 病弱 者 にて も 若し 肉食 を 嫌う もの が あれ ば これ に 適する よう な 消化 の いい 食品 を つくる 事 に 就 て は 私 共 只今 充分 努力 を 致し て 居る の で あり ます 。 仮令 ば 蛋白 質 を ば 少しく 分解 し て 割合 簡単 な 形 の 消化 し 易い もの を 作る 等 で あり ます 。 
第 二 に 食事 は 一つ の 享楽 で ある 菜食 によって その 多分 は 奪わ れる と これ は やはり 肉食 者 より の お 考 で あり ます 。 なるほど 普通 混食 を し て いる とき は 野菜 は 肉類 より 美味しく ない の です が 、 けれども もし 肉類 を 食べる とき その 動物 の 苦痛 を 考える なら ば 到底 美味しく は なく なる の で あり ます 。 従って 無理 に 食べ て も 消化 も 悪い の で あり ます 。 勿論 菜食 を 一 年 以上 も し ます なれ ば 仲 々 肉類 は 不愉快 な 臭 や 何 か あり まし て 好ましく ない の で あり ます 。 元来 食物 の 味 という もの は これ は 他 の 感覚 と 同じく 対象 より は その 感官 自身 の 精粗 による もの で あり まし て 、 精粗 と いう より は 善悪 による もの で あり まし て 、 よい 感官 は よい もの を 感じ 悪い 感官 は いい もの も 悪く 感ずる の で あり ます 。 同じ 水 を 呑ん で も 徳 の ある 人 と ない 人 と で は 大 へん に ちがっ て 感じ ます 。 パン と 塩 と 水 と を たべ て いる 修道院 の 聖者 たち に は パン の 中 の 糊 精 や 蛋白 質 酵素 単 糖類 脂肪 など みな 微妙 な 味覚 と なっ て 感ぜ られる の で あり ます 。 もし パン が ライ麦 の ならば ライ麦 の いい 所 を 感じ て 喜び ます 。 これら は 感官 が 静寂 に なっ て いる から です 。 水 を 呑ん で も 石灰 の 多い 水 、 炭酸 の 入っ た 水 、 冷たい 水 、 又 川 の 柔らか な 水 みな しずか に それ を 享楽 する こと が できる の で あり ます 。 これら は 感官 が 澄ん で 静まっ て いる から です 。 ところが 感官 が 荒 さん で 来る と どこ 迄 で も 限り なく 粗く 悪く なっ て 行き ます 。 まあ 大抵 パン の 本当 の 味 など は わから なく なっ て 非常 に 多く の 調味 料 を 用い たり し ます 。 則 ち 享楽 は 必 ら ず 肉食 に ばかり ある の で は ない 。 寧ろ 清らか な 透明 な 限り の ない 愉快 と 安静 と が 菜食 に ある という こと を 申しあげる の で あり ます 。 」 老人 は 会釈 し て 壇 を 下り 拍手 は 天幕 も ひるがえる よう でし た 。 祭司 次長 は 立っ て 異教 席 の 方 を 見 まし た 。 異教 席 から 瘠せ た 顔色 の 悪い ドイツ 刈り の 男 が 立ち まし た 。 祭司 次長 は 軽く 会釈 し まし た 。 その 人 も 答礼 し て 壇 に 上っ た の です 。 その 人 は 大 へん 皮肉 な 目付き を し て 式場 全体 を きろ きろ 見下し て から 云い まし た 。 
「 今朝 私 ども が みなさん に さしあげ て 置い た 五 六 枚 の パンフレット は どなた も 大抵 お 読み 下 すっ た 事 と 思う 。 私 は たしかに 評判 の 通り シカゴ 畜産 組合 の 理事 で 又 屠 畜会社 の 技師 です 。 ところが 正直 の ところ シカゴ 畜産 組合 が この ビジテリアン 大祭 を 決して 苦 に する わけ は ない 。 何と なれ ば 只今 前 論者 の 云わ れ た よう な トラピスト 風 の 人間 という もの は 今日 全 人類 の 一 万 分 一 も ある もん じゃ ない 。 やっぱり あたり前 の 人間 に は 肉類 は 食料 として 滋養 も 多く 美味 で ある 。 ビジテリアン 諸氏 が 折角 菜食 を 実行 し 又 宣伝 する の を 見 た 処 で 感服 は し て も 容易 に 真似 は し ない 。 則 ち 肉類 の 需要 が 減ずる もの で も なし 又 私 たち の 組合 が こわれ たり 会社 が 破産 し たり する もの で は ない 。 だから 一向 反対 宣伝 も 要ら なけれ ば この 軽業 テント の 中 に 入っ て 異教 席 という この 光栄 ある 場所 に 私 が 数 時間 窮屈 を する 必要 も ない 。 然しながら 実は 私 は 六月 から こちら へ 避暑 に 来 て 居り まし た 。 そして この 大祭 に ぶっつかっ た の です から 職業 柄 私 の 方 で は ほんの 余興 の つもり でし た が 少し 邪魔 を 入れ て 見よ う か と 本社 へ 云っ て やり まし たら 社長 や 何 か みな 大 へん 面白 がっ て 賛成 し て 運動 費 など も よこし 慰労 旁 々 技師 も 五 人 寄越し まし た 。 そこで 私 たち は 大急ぎ で 銘々 一つ ずつ パンフレット も 作り 自 働車 など まで 雇っ て それ を 撒き ちらし まし た が 実は 、 なあに 、 一向 あなた 方 が 菜っ葉 や 何 か ばかり お 上がり に なろ う と 痛く も かゆく も ない の です 。 然し まあ やり かけ た 事 です から これから も 一度 あの パンフレット を 銘々 一 人 ずつ ご 説明 し て 苦しい ご 返答 を 伺お う と 思い ます 。 実は 私 の 方 で も あの 通り 速記 者 も たのん で あり ます 、 ご 答弁 は 私 の 方 の 機関 雑誌 畜産 之 友 に 載せ ます から ご 承知 を 願い ます 。 で 私 の お たずね 致し たい こと は パンフレット に も あり まし た 通り 動物 が か あい そう だ から たべ ない と あなた 方 は 仰っ し ゃるが 動物 という もの は 一種 の 器械 です 。 消化 吸収 排泄 循環 生殖 と 斯 う 云う こと を やる 器械 です 。 死ぬ の が 恐い とか 明日 病気 に なっ て 困る とか 誰 それ と 絶交 しよ う とか そんな 面倒 な こと を 考え て は 居り ませ ん 。 動物 の 神経 だ なんと いう もの は ただ 本能 と 衝動 の ため に ある です 。 神経 なんと いう の は ほんの 少し しか 働き ませ ん 。 その 証拠 に は ご覧 なさい 鶏 で は 強制 肥育 という こと を やる 、 鶏 の 咽喉 に ゴム 管 を あて て 食物 を ぐんぐん 押し込ん で やる 。 ふだん の 五 倍 も 十 倍 も 押し込む 、 それで ちゃんと 肥る の です 、 面白い 位 肥る の です 。 又 犬 の 胃液 の 分泌 や 何 か の 工合 を 見る に は 犬 の 胸 を 切っ て 胃 の 後部 を 露出 し て 幽門 の 所 を 腸 と 離し て ゴム 管 に 結ぶ そして 食物 を やる 、 どう です 犬 は 食べる と 思い ます か 食べ ない と 思い ます か 。 あっ 、 どうか し まし た か 。 」 
実際 どうか し た の でし た 。 あんまり 話 が ひどかっ た 為 に 婦人 の 中 で 四 五 人 卒倒 者 が あり 他 の 婦人 たち も 大抵 歯 を 食いしばっ て 泣い たり 耳 を ふさい で 縮まっ たり し て い た の です 。 式場 は 俄 に 大騒ぎ に なり シカゴ の 畜産 技師 も 祭壇 の 上 で 困っ て 立っ て い まし た 。 正気 を 失っ た 人 たち は みんな の 手 で 私 たち の そば を 通っ て 外 に 担ぎ出さ れ 職業 の 医者 な 人 たち は 十 二 三 人 も 立っ て 出 て 行き まし た 。 しばらく たっ て 式場 は しいんと なり まし た 。 婦人 たち は みんな ひどく 激昂 し て い まし た が 何分 相手 が 異教 の 論難 者 でし た ので 卑怯 に 思わ れ ない 為 に 誰 も 異議 を 述べ ませ ん でし た 。 シカゴ の 技師 は はん けち で 叮寧 に 口 を 拭っ て から 又 云い まし た 。 
「 なるほど 実に ビジテリアン 諸氏 の 動物 に対する 同情 は 大きな もの で あり ます 。 も 少し 言辞 に 気 を つけ て 申し上げ ます 。 ええ 、 犬 は それ を 食べ ます 。 ぐんぐん 喰 べ ます 。 お 判り です か 。 又 家畜 を 去勢 し ます 。 則 ち 生殖 に対する 焦燥 や 何 か の 為 に 費さ れる 勢力 を 保存 する よう に し ます 。 さあ 、 家畜 は 肥り ます よ 、 全く 動物 は 一つ の 器械 で その 脚 を 疾く する に は 走ら せる 、 肥ら せる に は 食べ させる 、 卵 を とる に は つるま せる 、 乳汁 を とる に は 子 を 近く に 置い て 子 に 呑ま せ ない よう に する 、 どう でも 勝手次第 な もん です 。 決して 心配 は あり ませ ん 。 まだまだ 述べ たい の です が 又 卒倒 さ れる と 困り ます から ここ まで に 致し て 置き ます 。 」 
その 人 は 壇 を 下り まし た 。 拍手 と 一 処 に 六 七 人 の 人 が 私 ども の 方 から 立ち まし た が 祭司 次長 が 割合 前 の 方 の モオニング の 若い 人 を さしまねき まし た 。 その 人 は 落ち着い た 風 で 少し 微 笑い ながら 演説 し まし た 。 
「 只今 の ご 質問 は いかにも ご 尤 で あり ます 。 多少 御 実験 など も お話 に なり まし た が 実は 遺憾 乍 ら それ は みな 実験 に なっ て 居り ませ ん 。 
動物 は 衝動 と 本能 ばかり だ と 仰っ し ゃいましたがまあそうして 置き ます 。 その 本能 や 衝動 が 生き たい という こと で 一 杯 です 。 それ を 殺す の は いけ ない と これ だけ で お 答 に は 充分 で あり ます 。 然しながら 更に 詳しい こと は 動物 心理 学 の 沢山 の 実験 が これ を 提供 致す だろ う と 思い ます 。 又 実は 動物 は 本能 と 衝動 ばかり で は ない の で あり ます 。 今朝 の パンフレット で 見 まし て も 生物 は 一つ の 大きな 連続 で ある と 申さ れ まし た 。 人間 の 心もち が だんだん 人間 に 近い もの から 遠い もの に 行わ れ て 居り ます 。 人間 の 苦しい こと は 感覚 の ある もの は やっぱり みんな 苦しい 人間 の 悲しい こと は 強い 弱い の 区別 は あっ て も やっぱり どの 動物 も 悲しい の です 。 仲 々 あの パンフレット に ある 豚 の よう に 愉快 に は 行か ない の で あり ます 。 飼犬 が 主人 の 少年 の 病死 の 時 その 墓 を 離れ ず 食物 も とら ず とうとう 餓死 し た 有名 な 例 、 鹿 や 猿 の 子 が 殺さ れ た とき それ を 慕っ て 親 も わざと 殺さ れる こと など 誰 でも 知っ て い ます 。 馬 が 何 年 も その 主人 を 覚え て い て 偶 に 会っ た とき 涙 を 流し たり する の です 。 前 論者 の 、 ビジテリアン は 人間 の 感情 を以て 強 て 動物 を 律し よう と する という の に対して 、 私 は 実に 反対 者 たち は 動物 が 人間 と 少し ばかり 形 が 違っ て いる のに 眼 を 欺か れ て その 本心 から 起っ て 来る 哀憐 の 感情 を なくし て いる と ご 忠告 申し上げ たい の で あり ます 。 誰 だって 自分 の 都合 の いい よう に 物事 を 考え たい もの で は あり ます が どこ 迄 も それ で 通る もの で は あり ませ ん 。 元来 私 ども の 感情 は そう 無茶苦茶 に 間違っ て いる もの で は ない の で あり まし て どうしても 本心 から 起っ て 来る 心持 は 全く 客観 的 に 見 て その 通り な の で あり ます 。 動物 は 全く 可哀そう な もん です 。 人 も ほんとう に 哀れ な もの です 。 私 は 全 論 士 に も 少し 深く 上調子 で なし に 世界 を ごらん に なる こと を 望み ます 。 」 
拍手 が 強く 起り まし た 。 拍手 の 中 から 髪 を 長く し た せい の 低い 男 が いきなり 異教 席 を 立っ て 壇 に 登り まし た 。 
「 私 は やはり シカゴ 畜産 組合 の 技師 です 。 諸君 、 今朝 の マルサス 人口 論 を 基 と し た 議論 は 読ん で 下 すっ た でしょ う 。 どう です それ に ちがい あり ます まい 。 地球 上 の 人類 の 食物 の 半分 は 動物 で 半分 は 植物 です 。 そのうち 動物 を 喰 べ ない じゃ 食物 が 半分 に なる 。 ただ さえ 食物 が 足り なく て 戦争 だの いろいろ 騒動 が 起っ てる の に 更に それ を 半分 に 縮減 しよ う という の は どんな ほか に 立派 な 理 くつ が あっ て も 正気 の 沙汰 と 思わ れ ない 。 人間 の 半分 十 億 人 が 食物 が なく て 死ん で しまう 、 死ぬ 前 に は いろいろ 大騒ぎ が 起る その 時 ビジテリアン たち は どう し ます 。 自分 たち の 起し た 戦争 の 中 へ はいっ て われ ら の 敵国 を 打ち 亡ぼせ と 云っ て 鉄砲 や 剣 を 持っ て 突貫 し ます か 。 それとも ああ こんな 筈 じゃ なかっ た 神 よ と 云っ て みんな 一緒 に ナイヤガラ か どこ か へ 飛び込み ます か 。 そんな こと を し た って 追い付き ませ ん 。 いや 、 それ より も こんな こと に なる の は どこ の 国 の 政治 家 で も すぐ わかる 、 これ は いか ん と 云う わけ で お 気の毒 ながら 諸君 を みんな 終身 懲役 に し ちまい ます 。 まさか 死刑 に は なり ます まい が 終身 懲役 だって そんな いい もん じゃ あり ませ ん よ 。 どう です 。 今 の うち 懺悔 し て やめ て しまっ て は 。 」 
拍手 も 笑声 も 起り まし た 。 私 たち の 方 から 若い 背広 の 青年 が 立っ て 行き まし た 。 
「 あの 人 は 私 は 知っ て ます よ 。 ニュウヨウク で 二 三 遍 話し た ん です 。 大学生 です 。 」 
その 青年 は 少し 激昂 し た 風 で 演説 し 始め まし た 。 
「 ご 質問 に対して できるだけ 簡単 に お答え しよ う と 思い ます 。 
人類 の 食料 は 動物 と 植物 と 約 半々 だ 。 そのうち 動物 を 食べ ない じゃ 食料 が 半分 に 減る 。 いかにも ご 尤 なお 考 で は あり ます が 大分 乱暴 な 処 も ある 様 で あり ます 。 動物 と 植物 と 半々 だ 、 これ が まず いけ ませ ん 。 半々 という の は 何 が 半々 です か 。 多分 は 目方 で お 測り に なる おつもり か 知れ ませ ん が 目方 で 比較 なさる の は 大 へん ご 損 です 。 食物 の 中 で 消化 さ れる 分 の 熱量 で でも ご 比較 に なっ たら 割合 正確 だろ う と 存じ ます 。 そう 云う ふう に し ます と 一般に 動物 質 の 方 が 消化 率 も 大きい の で あり ます から よほど お 得 に なり ます 。 お 得 に は なり ます が とても とても 半々 なんと いう わけ に は 参り ます まい 。 こんな 珍 らしい 議論 の 必要 が 従来 あんまり あり ませ ん でし た ので 恐らく この 計算 は まだ 誰 も 致し ます まい が 計算 法 だけ 申し上げ て 置き ましょ う 。 どうぞ シカゴ 畜産 組合 の 事務所 で ゆっくり 御 計算 を 願い ます 。 即ち 世界中 の 小麦 と 大麦 米 や 燕麦 蕪菁 や 甘藍 あらゆる 食品 の 産額 を 発見 し て 先ず 第 一 に その 中 から 各々 家畜 の 喰 べ る 分 を さし 引き ます 。 その 際 あんまり びっくり なさい ませ ん よう に 。 次に その 残り の 各々 から 蛋白 質 脂肪 含水炭素 の 可 消化 量 を 計算 し て それ から 各 の 発する 熱量 を 計算 し て 合計 し ます 。 四 千 三 百 兆 大 カロリー とか 何とか 大体 出 て 参り ましょ う 。 今度 は 牛 羊 、 豚 、 馬 、 鶏 鯨 という 工合 に 今 の 通り やり ます 。 合計 二 千 三 百 兆 大 カロリー とか 何とか 出 て 来 ましょ う 。 両方 合せ て それ を ざっと 二 十 億 で 割っ て 三 百 六 十 五 で 割っ て 営養 研究所 の 方 に でも 見 て お 貰い なさい 。 計算 が ちがっ て いる か どう か 多分 ご 返事 なさる でしょ う 。 
さて 、 ところが 只今 まで の 議論 は 一向 私 に は 何 で も ない の で あり まし て 第 一 の ご 質問 の 答弁 の 要点 は この 次 です 。 則 ち 論難 者 は 、 そのうち 動物 を 食べ ない じゃ 食料 が 半分 に 減ずる という こいつ です 。 冗談 じゃ あり ませ ん ぜ 。 一体 その 動物 は 何 を 食っ て 生き て い ます か 。 空気 や 岩石 や 水 を 食べ て いる の じゃ ない の です 。 牛 や 馬 や 羊 は 燕麦 や 牧草 を たべる 。 その 為 に 作っ た 南瓜 や 蕪菁 も たべる 。 ごらん なさい 。 人間 が 自分 の たべる 穀物 や 野菜 の 代り に 家畜 の 喰 べ る もの を 作っ て いる の です 。 牛 一 頭 を 養う に は 八 エーカー の 牧草 地 が 要り ます 。 そこ に 一番 計算 の 早い 小麦 を 作っ て 見 ましょ う か 。 十 人 の 人 の 一 年 の 食糧 が 毎年 とれ ます 。 牛 なら どう です 。 一 年 の 間 に 肥る 分 左様 百 六 十 キログラム の 牛肉 で 十 人 の 人 が 一 年 生き て い られ ます か 。 一 人 一 日 五 十 グラム です よ 。 親指 三 本 の 大 さ です よ 。 腹 が 空 り は し ませ ん か 。 
よく お わかり に なら ない よう です が もっと 手短 か に 云い ます と もし 人間 が 自然 と 相談 し て 牛肉 や 豚肉 の 代り に 何 か 損 に なら ない もの を よこし て 呉れ と 云え ば 今 より もっと たくさん の 人間 が 生き て 行か れる 位 多く の 喰 べ もの を 向う で は よこす と 斯 う 云う こと です 。 但し これ は 海産物 と 廃物 によって 養う 分 の 家畜 は 論外 で あり ます 。 然しながら それ を 計算 に 入れ て も 又 大丈夫 です 。 家畜 だって みんな 喰 べ る もの ばかり で なく 羊 の よう に 毛 を 貰う もの 馬 や 牛 の よう に 労働 を し て 貰う もの いろいろ あり ます 。 
次に 食料 が 半分 に なっ ちゃ 人間 も 半分 に なる 、 いかにも 面白い です が 仲 々 その 食料 が 半分 に なら ない 。 減る どころか 事 に よる と 少し 増える かも 知れ ませ ん 。 です から 大丈夫 戦争 も 起ら なけれ ば 無期 徒刑 を ご 心配 し て 下さら なく て も 大丈夫 です 。 却って 菜食 は みんな の 心 を 平和 に し 互に 正しく 愛し合う こと が できる の です 。 多く の 宗教 で 肉食 を 禁ずる こと が 大切 の 儀式 に は つきもの に なっ て いる の で も わかり ましょ う 。 戦争 どこ じゃ ない 菜食 は あなた 方 に も 永遠 の 平和 を 齎し て せっかく 避暑 に 来 て い ながら 自 働車 まで 雇っ て 変 な 宣伝 を やっ たり 大祭 へ 踏み込ん で 来 て いや な 事 を 云っ て 婦人 たち を 卒倒 さ せ たり し なく て も いい よう に なり ます 。 又 我々 だって 無期 徒刑 じゃ ない 、 人類 の 仲間 から と 哺乳 動物 組合 、 鳥類 連盟 、 魚類 事務所 など から まで 勲章 や 感謝 状 を 沢山 贈ら れる 訳 です 。 どう です 。 お わかり に なっ たら あなた も ビジテリアン に お なり なさい 。 」 
すると 前 の 論 士 が 立ちあがり まし た 。 大 へん 悔悟 し た よう な 顔 は し て い まし た が 何だか どこ か 噴き出し たい の を 堪え て い た よう に も 見え まし た 。 しょんぼり 壇 に 登っ て 来 て 
「 悔悟 し ます 。 今日 から 私 も ビジテリアン に なり ます 。 」 と 云っ て 今 の 青年 の 手 を とっ た の でし た 。 みんな は 実に ひどく 拍手 し まし た 。 二 人 は 連れ立っ て 私 たち の 方 へ 下り 技師 も その 空い た 席 へ 腰かけ て 肩 です うすう 息 を し て い まし た 。 ところが 勿論 この 事 の 為 に 異教 席 の 憤懣 は ひどい もの でし た 。 一 人 の やっぱり 技師 らしい 男 が ずいぶん 粗暴 な 態度 で 壇 に 昇り まし た 。 
「 諸君 、 私 の 疑問 に 答え た ま え 。 
動物 と 植物 と の 間 に は 確たる 境界 が ない 。 パンフレット に も 書い て 置い た 通り それ は 人類 の 勝手 に 設け た 分類 に 過ぎ ない 。 動物 が か あい そう なら いつの間にか 植物 も か あい そう に なる 筈 だ 。 動物 の 中 の 原生 動物 と 植物 の 中 の 細菌 類 と は 殆 ん ど 相 密接 せる もの で ある 。 又 動物 の 中 に だって ヒドラ や 珊瑚 類 の よう に 植物 に 似 た やつ も あれ ば 植物 の 中 に だって 食虫植物 も ある 、 睡眠 を 摂る 植物 も ある 、 睡る 植物 など は 毎晩 邪魔 し て 睡ら せ ない と 枯れ て しまう 、 食虫植物 に は 小鳥 を 捕る の も あり 人間 を 殺す やつ さえ ある ぞ 。 殊に バクテリア など は 先頃 まで 度々 分類 学者 が 動物 の 中 へ 入れ た ん だ 。 今 は まあ 植物 の 中 へ 入れ て ある が それ は ほんの はずみ な の だ 。 そんな 曖昧 な 動物 かも 知れ ない もの は 勿論 仁慈 に 富める ビジテリアン 諸氏 は 食べ たり 殺し たり し ない だろ う 。 ところが どう だ 諸君 諸君 が 一寸 菜っ葉 へ 酢 を かけ て たべる 、 その とき 諸君 の 胃袋 に 入っ て 死ん で しまう バクテリア の 数 は 百 億 や 二 百 億 じゃ 利け ゃしない 。 諸君 が 一寸 葡萄 を たべる その 一 房 に いくら の 細菌 や 酵母 が つい て いる か 、 もっと 早い とこ 諸君 が 町 の 空気 を 吸う 一 回 に 多い とき なら 一 万 ぐらい の 細菌 が 殺さ れる 。 そんな 工合 で 毎日 生き て い ながら 私 は ビジテリアン です から 牛肉 は たべ ませ ん 、 なんて 、 牛肉 は いくら 喰 べた って 一つ の 命 の 百 分の 一 に も なら ない の だ 、 偽善 と 云お う か 無 智 と 云お う か とても 話 に なら ない 。 本 とうに 動物 が 可 あい そう なら 植物 を 喰 べ たり 殺し たり する の も 廃し 給え 。 動物 と 植物 と を 殺す の を やめる ため に まず 水 と 食塩 だけ 呑み 給え 。 水 は ごく いい 湧 水 に かぎる 、 それ も 新鮮 な 処 に かぎる 、 すこし 置い た ん じゃ もう バクテリア が 入る から ね 、 空気 は 高山 や 森 の だけ 吸い 給え 、 町 の は だめ だ 。 さあ 諸君 みんな どこ か しん と し た 山 の 中 へ 行っ て いい 空気 と いい 水 と 岩塩 で も たべ ながら この ビジテリアン 大祭 を やる よう に し 給え 。 ここ の 空気 は 吸っ ちゃ いけ ない よ 。 吸っ ちゃ いけ ない よ 。 」 
拍手 は 起り 、 笑声 も 起り まし た が 多く の 人 は だまっ て 考え て い まし た 。 その 男 は もう 大 得意 で チラッ と さっき 懺悔 し て ビジテリアン に なっ た 友人 の 方 を 見 て 自分 の 席 へ 帰り まし た 。 すると 私 の 愕 い た こと は この 時 まで 腕 を 拱い て じっと 座っ て い た 陳 氏 が いきなり 立っ て 行っ た こと でし た 。 支那服 で 祭壇 に 立っ て はじめ て 私 の 顔 を 見 て 一寸 かすか に 会釈 し まし た 。 それ から 落ち着い て 流暢 な 英語 で 反駁 演説 を はじめ た の です 。 
「 只今 の ご 論旨 は 大 へん 面白い ので 私 も 早速 空気 を 吸う の を やめ たい と 思い まし た が その 前 に 一寸 一言 ご 返事 を し たい と 存じ ます 。 どうぞ その間 空気 を 吸う こと を お許し 下さい 。 
さて 只今 の ご 論旨 で は ビジテリアン たる もの すべからく 無菌 の 水 と 岩石 ぐらい を 喰 べ て 海抜 二 千 尺 以上 ぐらい の 高い 処 に 生活 す べし という の で あり まし た が 、 なるほど 私 共 の 中 に は 一酸化 炭素 と 水 と から 砂糖 を 合成 する 事 を しきりに 研究 し て いる 人 も あり ます 。 けれども 茲 で は まず 生物 連続 が 面白かっ た よう です から それ を 色々 応用 し て 見 ます 。 則 ち 人類 から 他 の 哺乳類 鳥類 爬虫類 魚類 それ から 節足動物 とか 軟体動物 とか 乃至 原生 動物 それ から 一転 し て 植物 、 の 細菌 類 、 それから 多 細胞 の 羊歯 類 顕花植物 と 斯 う 連続 し て いる から もし 動物 が か あい そう なら 生物 みんな 可哀そう に なれ 、 顕花植物 など も 食べ て も 切っ て も いか ん という の です が 、 連続 を し て いる もの は まだ いろいろ あり ます 。 仮令 ば 人間 の 一生 は 連続 し て いる 、 嬰児 期 幼児 期 少年 少女 期 青年 処女 期 壮年 期 老年 期 と まあ 斯 う でしょ う 、 ところが 実は これ は 便宜上 勝手 に 分類 し た ので 実は 連続 し て いる はっきり し た 堺 は ない 、 です から 、 若し 四 十 に なる 人 が 代議士 に 出る なら ば 必ず 生れ た ばかり の 嬰児 も 代議士 を 志願 し て フロック コート を 着 て 政見 を 発表 し たり 燕尾服 を 着 て 交際 し たり し なけれ ば いけ ない 、 又 小学校 の 一 年生 に エービースィー を 教える なら 大 学校 で も なぜ 文学 より 見 たる 理論 化学 とか 、 相対 性 学説 の 難点 とか そんな こと ばかり やっ て エービースィー を 教え ない か 、 と 斯 う 云う こと に なり ます 。 或は 他 の 例 を以て する なら ば 元来 変態 心理 と 正常 な 心理 と は 連続 的 で あり ます から 人類 は 須 く 瘋癲 病院 を 解放 する か 或は みんな 瘋癲 病院 に 入ら なけれ ば いけ ない と 斯 うなる の で あり ます 。 この 変 てこ な 議論 が 一見 菜食 に だけ 適用 する よう に 思わ れる の は それ は 思う 人 が まだ この 問題 を 真剣 に 考え 真実 に 実行 し なかっ た 証拠 で あり ます 。 斯 ん な こと は よく ある の です 。 
いくら 連続 し て い て も その 両端 で は 大分 ちがっ て い ます 。 太陽 スペクトル の 七色 を ごらん なさい 。 これ など は 両端 に 赤 と 菫 と が あり まん中 に 黄 が あり ます 。 ちがっ て い ます から どうも 仕方 ない の です 。 植物 に対して だって それ を あわれみ いたましく 思う こと は 勿論 です 。 印度 の 聖者 たち は 実際 故 なく 草 を 伐り 花 を ふむ こと も 戒め まし た 。 然しながら これ は 牛 を 殺す の と 大 へん な 距離 が ある 。 それ は 常識 で わかり ます 。 人間 から 身体 の 構造 が 遠ざかる に従って だんだん 意識 が 薄く なる か どう か それ は 少し も わかり ませ ん が とにかく われわれ は 植物 を 食べる とき そんなに ひどく 煩悶 し ませ ん 。 そこ は それ 相応 に うまく でき て いる の で あり ます 。 バク テリヤ の 事 が 大 へん やかましい よう でし た が 一体 バク テリヤ が そこ に ある の を 殺す という よう な こと は 馬 を 殺す という よう な の と 非常 な ちがい です 。 バク テリヤ は 次 から 次 と 分裂 し 死滅 し まるで 速 かに 速 か に 変化 し てる の です 。 それ を 殺す と 云っ た ところ で 馬 を 殺す という よう の と は 大分 ちがい ます 。 又 バク テリヤ の 意識 だって よく は わかり ませ ん が とにかく 私 共 が 生れつき バク テリヤ について は 殺す とか か あい そう だ と か あんまり ひどく 考え ない 。 それで いい の です 。 又 仕方 ない の です 。 但し これ も 人類 の 文化 が 進み 人類 の 感情 が 進ん だ とき どう 変る か それ は わかり ませ ん 。 印度 の 聖者 たち は 濾さ ない 水 は 呑み ませ ん 。 普通 の 布 の 水 濾し で は 原生 動物 は 通り ます まい が バク テリヤ は 通り ましょ う 。 まあ これら について は いくら 理論 上 何 と 云わ れ て も 私 たち に そう 思え ない と お答え 致す より 仕方 あり ませ ん 。 やがて 理論 的 に も 又 その 通り 証明 さ れる に ちがい あり ませ ん 。 私 の 国 の 孟子 と 云う 人 は 徳 の 高い 人 は 家畜 の 殺さ れる 処 又 料理 さ れる 処 を 見 ない と 云い まし た 。 ごく 穏健 な 考 で あり ます 。 自然 は そんな おとし あな みたい な こと は し ませ ん から 。 私 共 は 私 共に 具わっ た 感官 の 状態 私 共 を めぐっ た 条件 に 於 て 菜食 を し たい と 斯 う 云う の で あり ます 。 ここ に 於 て 私 は 敢 て 高山 に 遁 げ ませ ん 。 」 陳 氏 は 嵐 の よう な 拍手 と 一緒 に 私 の 処 へ 帰っ て 来 まし た 。 私 が 陳 氏 に 立っ て 敬意 を 示し て いる 間 に 演壇 に は もう 次 の 論 士 が 立っ て い まし た 。 
「 諸君 、 しずか に し 給え 。 まだ そんなに よろこぶ に は 早い 。 なぜ なら ビジテリアン 諸君 の 主張 は 比較 解剖 学 の 見地 から し て 正に 根底 から 顛覆 する から で ある 。 見 給え 諸君 の 歯 は 何 枚 あり ます 。 三 十 二 枚 、 そう です 。 で その 中 四 枚 が 門歯 四 枚 が 犬歯 それ から 残り が 臼歯 と 智歯 です 。 で そん なら 門歯 は 何 の ため 、 門歯 は 食物 を 噛み 取る 為 臼歯 は 何 の ため 植物 を 擦り 砕く ため 、 犬歯 は そん なら 何 の ため これ は 肉 を 裂く ため です 。 これ で お 判り でしょ う 。 臼歯 は 草食 動物 に あり 犬歯 は 肉食 類 に ある 。 人類 に 混食 が 一番 適当 な こと は これ で 見 て も わかる の です 。 則 ち 人類 は 混食 し て いる の が 一番 自然 な の です 。 です から 我々 は 肉食 を やめる なんて 考え て は いけ ませ ん 。 」 
ずいぶん みんな 堪え た の でし た が あんまり その 人 の 身振り が 滑稽 で おまけ に いかにも 小学校 の 二 年生 に 教える よう に 云う もん です から とうとう みんな どっと 吹き出し まし た 。 私 共 の 席 から 一 人 が すぐ 出 て 行き まし た 。 
「 只今 の 比較 解剖 学 から の ご 説 は どうも 腑 に 落ち ない の で あり ます 。 まず 第 一 に 人類 の 歯 に 混食 が 丁度 適当 だ と いう のに いろいろ 議論 も 起り ましょ う が まあ これ は 大体 その 通り として いかが です 、 その 次に 、 人類 に 混食 が 一番 自然 だ から 菜食 し て は いか ん という の は 。 
自然 だ から その 通り で いい という こと は よく 云い ます が これ は 実は いい こと も 悪い こと も あり ます 。 たとえば 我々 は 畑 を つくり ます 。 そして ある 目的 の 作物 を 育てる の で あり ます が この 際 一番 自然 な こと は 畑 一 杯 草 が 生え て 作物 が 負け て しまう こと です 。 これ は 一番 自然 です 。 前 論 士 が もし 農場 を 経営 なすっ た 際 に は 参観 さして 戴き たい 。 又 人間 に は 盗む という よう な 考 が あり ます 。 これ は 極めて 自然 の こと で あり ます 。 そん なら そのまま で いい で は ない か 。 と 斯 うなり ます 。 又 異 教派 の 方 に も 大分 諸方 から 鉄道 など で お出で に なっ た 方 も ある よう で あり ます が 鉄道 で 一番 自然 な こと 則 ち なるべく 人力 を 加え ない よう に しま する なら ば 衝突 や 脱線 や 人 を 轢い たり する など が いい よう で あり ます 。 そん なら それで いい で は ない か ポイント マン だの タブレット だの 面倒臭い こと やめ て しまえ と 斯 う 云う こと に なり ます が どなた も ご 異議 は あり ませ ん か 。 」 斯 う 云っ て その 人 は さっ さっと 席 に 戻っ て しまい まし た 。 すると 異教 席 から すぐ 又 一 人 立ち まし た 。 
「 私 は 実は 宣伝 書 に も 云っ て 置い た 通り 充分 詳しく 論じよ う と 思っ た が さっき から の くしゃくしゃ し た つまらない 議論 で 頭 が 痛く なっ た から ほんの 一言 申し上げる 、 魚 など は 諸君 が 喰 べ ない たって 死ぬ 、 鰯 なら 人間 に 食わ れる か 鯨 に 呑ま れる か どっち か だ 。 つぐみ なら 人 に 食べ られる か 鷹 に とら れる か どっち か だ 。 その とき 鰯 も つぐみ も まっ黒 な 鯨 や くちばし の 尖っ た キス も 出来 ない よう な 鷹 に 食べ られる より も 仁慈 ある ビジテリアン 諸氏 に 泪 を ほろほろ そそが れ て 喰 べ られ た 方 が いい と 云わ ない だろ う か 。 それから 今度 は 菜食 だ から って 一向 安心 に なら ない 。 農業 の 方 で は 害虫 の 学問 が あっ て 薬 を かけ たり 焼い たり 潰し たり し て 虫 を 殺す こと を 考え て いる 。 百姓 は みんな それ を やる 。 鯨 を 食べる なら ば 一疋 を 一 万 人 でも 食べ られ 、 又 その 為 に 百 万 疋 の 鰯 を 助ける こと に なる の だ が 甘藍 を 一つ たべる と その 為 に 青虫 を 百 疋 も 殺し て いる こと に なる 。 まるで 諸君 の 考 と 反対 の こと ばかり 行わ れ て いる の です 。 いかが です 。 」 
すぐ 又 一 人 立ち まし た 。 
「 私 は ただ 一 分 で お答え する 。 第 一 に 魚 が どんなに 死ぬ から って それ が 私 たち の 必ず それ を 喰 べ る 理由 に は なら ない 。 又 私 たち が 魚 を たべ た から って 魚 が 喜ぶ か どう か そんな こと も わから ない 。 どうせ 何 か に 殺さ れる だろ う から って こっち が 殺し て やろ う と 云う 訳 に は 参り ませ ん 。 人間 が 魚 を とら なけれ ば 海 が 魚 で 埋まっ て しまう という 勘定 さえ ある が そんな め の こ 勘定 で 往く もん じゃ ない 。 結局 こんな 間接 の こと まで 論じ て いたん じゃ きり が ない 、 ただ われわれ は まっすぐ に どうも いけ ない と 思う こと を し ない だけ だ 。 野菜 も 又 犠牲 を 払う と いう が それ は われわれ は よく 知っ て いる 。 だから 物 を 浪費 し ない こと は 大切 な こと な の だ 。 但し 穀 作 や 何 か なら ば そんなに ひどく 虫 を 殺し たり も し ない の だ 。 極端 な 例 で だけ 比較 を すれ ば いくらでも こんな 変 な 議論 は 立つ の です 。 結局 我々 は どうしても 正しい と 思う こと を する だけ な の だ 。 」 
拍手 が 起り まし た 。 その 人 は 壇 を 下り まし た 。 
異教徒 席 の 中 から 赭 い 髪 を 立て た 肥っ た 丈 の 高い 人 が 東洋 風 に 形容 し まし たら 正に 怒髪 天 を 衝く という 風 で 大股 に 祭壇 に 上っ て 行き まし た 。 私 たち は 寛大 に 拍手 し まし た 。 
祭司 が 一 人 出 て その 人 と 並ん で 紹介 し まし た 。 
「 この お方 は 神学 博士 ヘルシウス・マットン 博士 で あり まし て カナダ 大学 の 教授 で あり ます 。 この 度 は シカゴ 畜産 組合 の 顧問 として 本 大祭 に 御 出席 を 得 只今 より 我々 の 主張 の 不備 の 点 を 御 指摘 下さる 次第 で あり ます 。 一寸 紹介 申しあげ ます 。 」 と こう 云う ので あり まし た 。 私 たち は 寛大 に 拍手 し まし た 。 
マットン 博士 は しずか に フラスコ から 水 を 呑み 肩 を ぶるぶる っと ゆすり 腹 を 抱え それ から 極めて 徐 ろ に 述べ 始め まし た 。 
「 ビジテリアン 同情 派 諸君 。 本日 は この 光彩 ある 大祭 に 出席 の 栄 を 得 まし た こと は 私 の 真実 光栄 と する 処 で あり ます 。 
就 て は これ より 約 五 分間 私 の 奉ずる 神学 の 立場 より 諸氏 の 信条 を 厳正 に 批判 し て 見 たい と 思う の で あり ます 。 然るに 私 の 奉ずる 神学 と は 然 く 狭隘 なる もの で は ない 。 私 の 奉ずる 神学 は ただ 二言 に し て 尽す 。 ただ 一 なる ま こと の 神 は い まし 給う 、 それから 神 の 摂理 は はかる べから ず と 斯 う で ある 。 これ に 賛 せ ざる 諸君 よ 、 諸君 は 尚 か の 中世 の 煩瑣 哲学 の 残骸 を以て この 明るく 楽しく 流動 止ま ざる 一 千 九 百 二 十 年代 の 人心 に 臨ま ん と する の で ある か 。 今日 宗教 の 最大 要件 は 簡潔 で ある 。 吾 人 の 哲学 は この 二 語 を以て 既に 千 六 百 万 人 の 世界 各地 に 散在 する 信徒 を 得 た 。 否 、 凡そ 神 を 信ずる 者 に し て この 二 語 を 奉ぜ ざる もの あり や 、 細部 の 諍 論 は 暫 らく 措け 、 凡そ 何 人 か 神 を 信ずる もの に し て この 二 語 を 否定 する もの あり や 。 」 咆哮 し 終っ て マットン 博士 は 卓 を 打ち 式場 を 見廻し まし た 。 満場 森 として 声 も なかっ た の です 。 博士 は 続け まし た 。 
「 讃 う べき かな 神 よ 。 神 は まことに し て 変り 給わ ない 、 神 は すべて を 創り 給う た 。 美しき 自然 よ 。 風 は 不断 の オルガン を 弾 じ 雲 は トマト の 如く 又 馬鈴薯 の 如く で ある 。 路 の かたわら なる 草花 は 或は 赤く 或は 白い 。 金剛石 は 硬く 滑石 は 軟らか で ある 。 牧場 は 緑 に 海 は 青い 。 その 牧場 に は うるわしき 牛 佇立 し 羊 群 馳 ける 。 その 海 に は 青く 装える 鰯 も 泳ぎ 大 なる 鯨 も 浮ぶ 。 いみじくも 造ら れ たる 天地 よ 、 自然 よ 。 どう です 諸君 ご 異議 が あり ます か 。 」 
式場 は しい ん として 返事 が あり ませ ん でし た 。 博士 は 実に 得意 に なっ て かかと で 一つ のびあがり 手 で 円く ぐるっと 環 を 描き まし た 。 
「 その 中 の 出来事 は みな 神 の 摂理 で ある 。 総て は 総て は みこ ころ で ある 。 誠に 畏き 極み で ある 。 主 の 恵み 讃 う べく 主 のみ こころ は 測る べから ざる 哉 。 われ ら この 美しき 世界 の 中 に パン を 食み 羊毛 と 麻 と 木綿 と を 着 、 セルリイ と 蕪菁 と を 食み 又 豚 と 鮭 と を たべる 。 すべて これ 摂理 で ある 。 み 恵み で ある 。 善 で ある 。 どう です 諸君 。 ご 異議 が あり ます か 。 」 
博士 は 今度 は 少し 心配 そう に 顔色 を 悪く し て そっと 式場 を 見 まわし まし た 。 それから 、 まるで 脱兎 の よう な 勢 で 結論 に はいり まし た 。 
「 私 は シカゴ 畜産 組合 の 顧問 で も 何 で も ない 。 ただ 神 の 正義 を 伝え ん が 為 に 茲 に 来 た 。 諸君 、 諸君 は 神 を 信ずる 。 何 が 故に 神 に 従わ ない か 。 何故 に 神 の 恩恵 を 拒む の で ある か 。 速 に これ を 悔悟 し て 従順 なる 神 の 僕 と なれ 。 」 
博士 は 最後 に 大 咆哮 を 一つ やっ て 電光 の よう に 自分 の 席 に 戻り そこ から 横目 で じっと 式場 を 見 まわし まし た 。 拍手 が 起り まし た が 同時に 大笑い も 起り まし た 。 という の は 私 たち は 式場 の 神聖 を 乱す まい と 思っ て できるだけ こらえ て い た の でし た が あんまり 博士 の 議論 が 面白い ので しまいに は とうとう こらえ 切れ なく なっ た の でし た 。 一番 前列 に 居 た 小さな 信者 が 立ちあがっ て 祭司 次長 に 何 か 云い まし た 。 次長 は 大きく うなずき まし た 。 
その 人 は この 村 の 小学校 の 先生 な よう でし た 。 落ちつい て 祭壇 に 立っ て それ から 叮寧 に さっき の マットン 博士 に 会釈 し まし た 。 博士 は たしかに 青く なっ て ぶるぶる 顫 え て い まし た 。 その 信者 は 次に 式場 全体 に 挨拶 し まし た 。 拍手 は 強く 起り まし た 。 その 人 は 少し ニュウファウンド の なまり を 入れ て 演説 を はじめ まし た 。 
「 異教 論難 に対し 私 は プログラム に 許さ れ て ある 通り 宗教 演説 を以て 答えよ う と 思う の で あり ます 。 
ヘルシウム・マットン 博士 の 御 所説 は 実に 三段論法 の 典型 で あり ます 。 まず 博士 の 神学 を 挙げ て 二 度 これ を 満場 に 承認 せしめ これ を以て 大前提 と し 次に ビジテリアン が これ に 背く こと を 述べ て 小前提 と し 最後 に ビジテリアン が 故に 神 に 背く こと を 断定 し 菜食 なる 小善 の 故に 神 に 背く の 大罪 を 犯す こと を 暗示 致さ れ まし た 。 実に 簡潔 明瞭 なる 所論 で あり ます 。 
然るに この 典型 的 論理 に 私 が 多少 疑問 ある こと は 最 遺憾 に 存ずる 次第 で あり ます 。 
第 一 に 博士 の 一 九 二 〇 年代 に 適する よう に クリ スト 教 旧 神学 中 より 抽出 さ れ まし た 簡潔 の 神学 は ただ この 語 だけ で 見 ますれ ば これ いかにも 適当 で あり ます 。 今日 此処 に 集まり まし た 人人 は あながち クリ スト 教徒 ばかり で は あり ませ ん 、 されど いずれ の 宗教 に 於 て も これ を 云わ ん と 欲する もの で あり ます 。 但し これ 敢 て 博士 の 神学 で も あり ませ ん 。 これ 最 普通 の こと で あり ます 。 
第 二 に その 神学 の 解釈 に 至っ て は 私 の 最 疑義 を 有する 所 で あり ます 。 殊 に も 摂理 の 解釈 に 至っ て は 到底 博士 は 信者 と は 云わ れ ませ ぬ 。 摂理 なる 観念 は 敢 て キリスト 教 に 限ら ず これ 一般 宗教 通有 の もの で あり ます が その 解釈 を 誤る こと 我が 神学 博士 の ごとき もの 孰 れ の 宗教 に 於 て も 又 実に 多々 ある の で あり ます 。 今 一 度 博士 の 所説 を 繰り返す なら ば 私 は 筆記 し て 置き まし た が 、 読ん で 見 ます 、 その 中 の 出来事 は みな 神 の 摂理 で ある 。 総て は 総て は みこ ころ で ある 。 誠に 畏き 極み で ある 。 主 の 恵み 讃 う べく 主 のみ こころ は 測る べから ざる 哉 、 すべて これ 摂理 で ある 。 み 恵み で ある 。 善 で ある 。 と 斯 う です 。 これ を 更に 約言 する とき は 斯 うなり ます 。 現象 は 総て 神 の 摂理 中 なる が 故に 善 なり と 、 まあ よろしい よう で あり ます が 又 ごく あぶない の で あり ます 。 ここ の 善 という の は 神 より 見 たる 善 で あり ます 。 絶対 善 で あり ます 。 それ を もし 私 たち から 見 た 善 と 解釈 する とき 始め て 先刻 の マットン 博士 の 所説 を 生じ ます 。 現象 は みな 善 で ある 、 私 が 牛 を 食う 、 摂理 で 善 で ある 、 私 が 怒っ て マットン 博士 を なぐる 、 摂理 で 善 で ある 、 なぜなら これ は 現象 で 摂理 の 中 の でき 事 で 神 のみ 旨 は 測る べから ざる 哉 と 、 斯 うなる 、 私 が 諸君 に ピストル を 向け て 諸君 の 帰国 の 旅費 を みんな 巻き あげる 、 大 へん よろしい 、 私 が 誰 か に おどさ れ て 旅費 を 巻き あげ 損ね そう に なる 、 一 発 やる 、 その 人 が 死ぬ 、 摂理 で 善 で ある 。 もっと 面白い の は ここ に ビジテリアン という 一類 が 動物 を たべ ない と 云っ て いる 。 神 の 摂理 で ある 善 で ある 然るに 何故 に マットン 博士 は 東洋 流 に 形容 する なら ば 怒髪 天 を 衝い て これ を 駁撃 する か 。 ここ に 至っ て 畢竟 マットン 博士 の 所説 は 自家撞着 に 終る もの なる こと を 示す 。 この 結論 は 実に いい 語 で あり ます 。 これ 然しながら 不肖 私 の 語 で は ない 、 実に シカゴ 畜産 組合 の 肉食 宣伝 の パンフレット 中 に 今朝 拝見 し た もの で ある 。 終に 臨ん で 勇敢 なる マットン 博士 に 深甚 なる 敬意 を 寄せ ます 。 」 
拍手 は 天幕 を ひるがえし そう で あり まし た 。 
「 大分 露骨 です ね 、 あんまり 教育 家 らしく も ない ビジテリアン です ね 。 」 と 陳 さん が 大笑い を し ながら 申し まし た 。 
ところが その 拍手 の まだ 鳴り やま ない うち に もう 異教徒 席 の 中 から 瘠せ ぎす の 神経質 らしい 人 が 祭壇 に かけ 上り まし た 。 その 人 は 手 を ぶるぶる 顫 わせ 眼 も ひきつっ て いる よう に 見え まし た 。 それでも コップ の 水 を 呑ん で 少し 落ち着い た らしく 一足 進ん で 演説 を はじめ まし た 。 
「 マットン 博士 の 神学 は クリ スト 教 神学 で ある 。 且つ その 摂理 の 解釈 に 於 て 少しく 遺憾 の 点 の あっ た こと は 全く 前 論 士 の 如く で ある 。 然しながら 茲 に 集ら れ た ビジテリアン 諸氏 中 約 一 割 の 仏教徒 の ある こと を 私 は 知っ て いる 。 私 も 又 実は 仏教徒 で ある 。 クリ スト 教 国 に 生れ て 仏教 を 信ずる 所以 は どうしても 仏教 が 深遠 だ から で ある 。 自分 は 阿弥陀 仏 の 化身 親鸞 僧正 によって 啓示 さ れ たる 本願寺 派 の 信徒 で ある 。 則 ち 私 は 一 仏教徒 として 我が 同朋 たる ビジテリアン の 仏教徒 諸氏 に 一語 を 寄せ たい 。 この 世界 は 苦 で ある 、 この 世界 に 行わ るる もの に し て 一 として 苦 なら ざる もの ない 、 ここ は これ みな 矛盾 で ある 。 みな 罪悪 で ある 。 吾 等 の 心象 中 微塵 ばかり も 善 の 痕跡 を 発見 する こと が でき ない 。 この 世界 に 行わ るる 吾 等 の 善 なる もの は 畢竟 根 の ない 木 で ある 。 吾 等 の 感ずる 正義 なる もの は 結局 自分 に 気持 が いい と いう だけ の 事 で ある 。 これ は 斯 う で なけれ ば いけ ない とか これ は 斯 うなれ ば よろしい とか みんな そんな もの は 何 に も なら ない 。 動物 が か あい そう だ から 喰 べ ない なんと いう こと は 吾 等 に は 云え た こと で は ない 。 実に それどころ で は ない の で ある 。 ただ 遥か に か の 西方 の 覚 者 救済 者 阿弥陀 仏 に 帰し て この 矛盾 の 世界 を 離 る べき で ある 。 それ 然 る 後 に 於 て 菜食 主義 も よろしい の で ある 。 この 事柄 は 敢 て 議論 で は ない 、 吾 等 の 大 教師 に し て 仏 の 化身 たる 親鸞 僧正 が まのあたり 肉食 を 行い 爾来 わが 本願寺 は 代々 これ を 行っ て いる 。 日本 信者 の 形容 を以て すれ ば 一つ の 壺 の 水 を 他 の 一つ の 壺 に 移す が 如く に 肉食 を 継承 し て いる の で ある 。 次に また 仏教 の 創設 者 釈迦牟尼 を 見よ 。 釈迦 は 出離 の 道 を 求め ん が 為 に 檀特山 と 名 くる 林 中 に 於 て 六 年 精進 苦行 し た 。 一 日 米 の 実 一 粒 亜麻 の 実 一 粒 を 食 し た の で ある 。 さ れ ども 遂に その 苦行 の 無益 を 悟り 山 を 下り て 川 に 身 を 洗い 村 女 の 捧げ たる クリーム を とり て 食し 遂に 法悦 を 得 た の で ある 。 今日 牛乳 や 鶏卵 チーズ バター を さえ とら ざる ビジテリアン が ある 。 これら は 若し 仏教徒 なら ば 論 を 俟 た ず 、 仏教徒 なら ざる も 又 大 に 参考 に 資す べき で ある 。 更に 釈迦 は 集り 来れる 多数 の 信者 に対して 決して 肉食 を 禁じ なかっ た 。 五 種 浄 肉 と なづけ て あまり 残忍 なる 行為 に よら ず し て 得 たる 動物 の 肉 は これ を 食する こと を 許し た の で ある 。 今日 の ビジテリアン は 実に 印度 の 古 の 聖者 たち より も 食物 の ある 点 に 就 て 厳格 で ある 。 されど これ 畢竟 不具 で ある 畸形 で ある 、 食物 のみ 厳格 なる も 釈迦 の 制定 し たる 他 の 律 法 に 一 も 従っ て い ない 。 特に ビジテリアン 諸氏 よく これ を 銘記 せよ 。 釈迦 は その 晩年 、 その 思想 いよいよ 円熟 する に 従 て 全く 菜食 主義 者 で は なかっ た よう で ある 。 見よ 、 釈迦 は 最後 に 鍛工 チェンダ という もの の 捧げ たる 食物 を 受け た 。 その 食物 は 豚肉 を 主として いる 、 釈迦 は この 豚肉 の 為 に 予め 害し たる 胃腸 を 全く 救う べから ざる もの に し た らしい 。 その 為 に とうとう 八 十 一 歳 に し て クシナガラ という 処 に 寂滅 し た の で ある 。 仏教徒 諸君 、 釈迦 を 見 ならえ 、 釈迦 の 行為 を 模範 と せよ 。 釈迦 の 相似 形 と なれ 、 釈迦 の 諸 徳 を みなそ の 二 万 分 一 、 五 万 分 一 、 或は 二 十 万 分 一 の 縮尺 に 於 て これ を 習修 せよ 。 然 る 後 に 菜食 主義 も よろしかろ う 。 諸君 の 如き 畸形 の 信者 は 恐らく 地下 の 釈迦 も 迷惑 で あろ う 。 」 
拍手 は テント も ひるがえる ばかり でし た 。 
私 は この 時 あんまり ひどい 今 の 語 に 頭 が フラッ と し まし た 。 そして まるで よろよろ 出 て 行き まし た 。 
何 を 云う ん だっ た と 思っ た とき は もう 演壇 に 立っ て みんな を 見下し て い まし た 。 
陳 氏 が 一番 向う で しきりに 拍手 し て い まし た 。 みんな は まるで 野原 の 花 の よう に 見え た の です 。 私 は 云い まし た 。 
「 前 論 士 は 仏教徒 として 菜食 主義 を 否定 し 肉食 論 を 唱え た の で あり ます が 遺憾 乍 ら 私 は 又 敬虔 なる 釈尊 の 弟子 として 前 論 士 の 所説 の 誤謬 を 指摘 せ ざる を 得 ない の で あり ます 。 先ず 予め 茲 で 述べ なけれ ば なら ない こと は 前 論 士 は 要するに 仏教 特に 腐敗 せる 日本 教権 に対して 一 種 骨董 的 好奇 心 を 有する だけ で 決して 仏弟子 で も なく 仏教徒 で も ない という こと で あり ます 。 これ その 演説 中 数多 如来 正 知 に対して ある べから ざる 言辞 を 弄 し たる によって 明らか で ある 。 特に その 最後 の 言 を 見よ 、 地下 の 釈迦 も 定めし 迷惑 で あろ う と 、 これ 何たる 言 で ある か 、 何 人 か 如来 を 信ずる もの に し て これ を 地下 に あり という もの あり や 、 我 等 は 決して 斯 の 如き 仏弟子 の 外皮 を 被り 貢 高 邪曲 の 内心 を 有する 悪魔 の 使徒 を 許す こと は でき ない の で ある 。 見よ 、 彼 は 自ら の 芥子 の 種子 ほど の 智識 を以て か の 無上 土 を 測ろ う と する 、 その 論 を 更に 今 私 は 繰り返す だ も 恥ずる 処 で ある が 実証 の 為 に これ を 指摘 する なら ば 彼 は 斯 う 云っ て いる 。 クリ スト 教 国 に 生れ て 仏教 を 信ずる 所以 は どうしても 仏教 が 深遠 だ から で ある と 。 クリ スト 教 信者 諸氏 、 処 を 換え て 次 の 如き 命題 を 諸氏 は 許容 する か 、 仏教 国 に 生れ て クリ スト 教 を 信ずる 所以 は どうしても クリ スト 教 が 深遠 だ から で ある と 。 諸君 は その 軽薄 に 不快 を 禁じ 得 ない だろ う 。 私 から 云う なら ば 前 論 士 の 如き に いずれ の 教理 が 深遠 なる や 見当 も 何 も つく もの で は ない の で ある 。 次に 前 論 士 は 吾 等 の 世界 に 於け る 善 について 述べ られ た 。 この 世界 に 行わ るる 吾 等 の 善 なる もの は 畢竟 根 の ない 木 で ある と 、 これ は 恐らくは 如来 のみ 力 を 受け ず し て 善 は ある こと ない という 意味 で あろ う 私 も そう 信ずる 。 その 次に これ は 斯 うなれ ば よろしい とか これ は こう で なけれ ば いけ ない とか そんな もの は 何 に も なら ない 、 と これ も 私 は 如来 のみ 旨 に よら ず し て 我 等 のみ の 計 らい にて は そう で ある と 思う 。 前 論 士 も 又 その 意味 で 云わ れ た よう で ある 。 但し ただ 速 かに か の 西方 の 覚 者 に 帰せよ と 、 これ は 仏教 の 中 に 於 て 色々 諍 論 の ある 処 で ある 。 今 は これ を 避ける 。 ただ 我 等 仏教徒 は まず 釈尊 の 所説 の 記録 仏経 に 従う という こと だけ を 覚悟 しよ う 。 仏経 に 従う なら ば 五 種 浄 肉 は 修業 未熟 の もの に のみ 許さ れ た こと 楞迦経 に 明か で ある 。 これ とても 最後 涅槃 経 中 に は 今 より 以後 汝 等 仏弟子 の 肉 を 食う こと を 許さ れ ず と さ れ て いる 。 その 五 種 浄 肉 とても 前 論 士 の 云わ れ た 如き 余り 残忍 なる 行為 に よら ず し て と いう ごとき 簡単 なる もの で は ない 。 仏教 中 の 様々 の 食 制 に関する 考 は 他 に 誰 か 述べ られる 予定 が あっ た よう で ある から 茲 に は これ を 略する 。 但し 最後 に 前 論 士 は 釈尊 の 終り に 受け られ た 供養 が 豚肉 で ある という 、 何 という 間違い で ある か 豚肉 で は ない 蕈 の 一 種 で ある 。 サンスクリット の 両 音 相 類似 する 所 から 軽卒 に も あの よう な 誤り を 見 た の で ある 。 茲 に 於 てか 私 は 前 論 士 の 結論 を以て 前 論 士 に 酬 える 。 仏教徒 諸君 、 釈迦 を 見 ならえ 、 釈迦 の 相似 形 と なれ 、 釈迦 の 諸 徳 を みなそ の 二 万 分 一 、 五 万 分 一 、 或は 二 十 万 分 一 の 縮尺 に 於 て これ を 習修 せよ 。 ああ この 語気 の 軽薄 なる こと よ 。 私 は これ を 自ら 言い て 更に そ を 口 に し た 事 を 恥じる 。 
私 は 次に 宗教 の 精神 より 肉食 し ない こと の 当然 を 論じよ う と 思う 。 キリスト 教 の 精神 は 一言 に し て 云わ ば 神 の 愛 で あろ う 。 神 天地 を つくり 給う た と の つくる という よう な 語 は 要するに われわれ に対する 一つ の 譬喩 で ある 、 表現 で ある 。 マットン 博士 の よう に 誤っ た 摂理 論 を 出さ なく て も よろしい 。 畢竟 は 愛 で ある 。 あらゆる 生物 に対する 愛 で ある 。 どうして それ を 殺し て 食べる こと が 当然 の こと で あろ う 。 
仏教 の 精神 に よる なら ば 慈悲 で ある 、 如来 の 慈悲 で ある 完全 なる 智慧 を 具え たる 愛 で ある 、 仏教 の 出発 点 は 一切 の 生物 が この よう に 苦しく この よう に かなしい 我 等 と これら 一切 の 生物 と 諸共 に この 苦 の 状態 を 離れ たい と 斯 う 云う の で ある 。 その 生物 と は 何 で ある か 、 その こと あまりに 深刻 に し て 諸氏 の 胸 を 傷つける で あろ う が これ 真理 で ある から 避け 得 ない 、 率直 に 述べよ う と 思う 。 総て の 生物 は みな 無量 の 劫 の 昔 から 流転 に 流転 を 重ね て 来 た 。 流転 の 階段 は 大きく 分け て 九つ ある 。 われ ら は まのあたり その 二つ を 見る 。 一つ の たま しい は ある 時 は 人 を 感ずる 。 ある 時 は 畜生 、 則 ち 我 等 が 呼ぶ 所 の 動物 中 に 生れる 。 ある 時 は 天上 に も 生れる 。 その間 に は いろいろ の 他 の たま し い と 近づい たり 離れ たり する 。 則 ち 友人 や 恋人 や 兄弟 や 親子 や で ある 。 それら が 互に は なれ 又 生 を 隔て て は もう お 互に 見知ら ない 。 無限 の 間 に は 無限 の 組合せ が 可能 で ある 。 だから 我々 の まわり の 生物 は みな 永い 間 の 親子 兄弟 で ある 。 異教 の 諸氏 は この 考 を あまり 真剣 で 恐ろしい と 思う だろ う 。 恐ろしい まで この 世界 は 真剣 な 世界 な の だ 。 私 は これ だけ を 述べよ う と 思っ た の で ある 。 」 
私 は 会釈 し て 壇 を 下り 拍手 も かなり 起り まし た 。 異教徒 席 の 神学 博士 たち も もう これ 以上 論じ たい よう な 景色 も 見え ませ ん でし た 。 けれども 異教徒 席 の 中 に だって みんな 神学 博士 ばかり で は あり ませ ん でし た 。 丁度 ヘッケル の よう な 風 を し た 眉間 に 大きな 傷あと の ある 人 が 俄 か に 椅子 を 立ち まし た 。 私 は 今朝 の パンフレット から 考え て きっと あれ は 動物 学者 だろ う と 考え た の です 。 
その 人 は まるで 顔 を まっ 赤 に し て せかせか と 祭壇 に のぼり まし た 。 我々 は 寛大 に 拍手 し まし た 。 その 人 は ぶるぶる ふるえる 手 で コップ に 水 を ついで のみ まし た 。 コップ の 外 へ も 水 が すこし こぼれ まし た 。 その ふるえよ う が あんまり ひどい ので 私 は 少し 神経 病 の 疑 さえ も もち まし た 。 ところが 水 を のむ と その 人 は 俄 か に ピタッ と 落ち着き まし た 。 それから ごく しずか に 何 か 云い そう に 口 を し まし た が その 語 は なかなか 出 て 来 ませ ん でし た 。 みんな は しんと なり まし た 。 その 人 は 突然 爆発 する よう に 叫び まし た 。 二 三 度 どもり まし た 。 
「 な 、 な 、 な 何 が 故に 、 何 が 故に 、 君たち は ど 、 ど 、 動物 を 食わ ない と 云い ながら 、 ひ 、 ひ 、 ひ 、 羊 、 羊 の 毛 の シャッポ を かぶる か 。 」 その 人 は 興奮 の 為 に ガタガタ ふるえ て それ から やけに 水 を のみ まし た 。 さあ 大 へん です 。 テント の 中 は 割ける ばかり の 笑い声 です 。 
陳 氏 も もう 手 を 叩い て ころげ まわっ て から 云い まし た 。 
「 まるで ジョン ・ ヒル ガード そっくり だ 。 」 
「 ジョン ・ ヒル ガード って 何 です 。 」 私 は 訊ね まし た 。 
「 喜劇 役者 です よ 。 ニュウヨーク 座 の 。 けれども ヒル ガード に は 眉間 に あんな 傷痕 が あり ませ ん 。 」 
「 なるほど 。 」 
その あと は もう 異教徒 席 も 異 派 席 も しいんと し て しまっ て 誰 も 演壇 に 立つ もの が あり ませ ん でし た 。 祭司 次長 が しばらく 式場 を 見 まわし て 今 の ざわめき が 静まっ て から 落ちつい て 異教徒 席 へ 行き まし た 。 ほか に お立ち の 方 は あり ませ ん か と でも 云っ た よう でし た が 誰 も しん として 答える もの が あり ませ ん でし た ので 次長 は 一寸 礼 を し て 引き下がり まし た 。 
「 すっかり 参っ た よう です ね 。 」 陳 氏 が 私 に 云い まし た 。 私 も 実際 嬉しかっ た の です 。 あんなに 頑強 に 見え た シカゴ 軍 が あんまり もろく 粉砕 さ れ た から です 。 斯 う 云っ て は なんだか 野球 の よう です が 全く そう でし た 。 そこで 電鈴 が ずいぶん 永く 鳴り まし た 。 その すきとおっ た 音 に 私 の 興奮 し た 心 は もう 一 ぺん 透明 な ニュウファウンドランド の 九月 という よう な 気分 に 戻り まし た 。 みんな も そう らしかっ た の です 。 陳 氏 は 
「 私 は もう 一 発 やって来 ます から 。 」 と 云い ながら 立ちあがっ て 出 て 行き まし た 。 
その 時 です 。 神学 博士 が また しおしお と 壇 に 立ち まし た 。 そして しょんぼり と 礼 を し て 云っ た の です 。 
「 諸君 、 今日 私 は 神 の 思召 の いよいよ 大きく 深い こと を 知り まし た 。 はじめ 私 は 混食 の キリスト 信者 として この 式場 に 臨ん だ の で あり まし た が 今や 神 は 私 に 敬虔 なる ビジテリアン の 信者 たる こと を 命じ た まい まし た 。 ねがわくは 先輩 諸氏 愚昧 小 生 の 如き を も 清き 諸氏 の 集会 の 中 に 諸氏 の 同朋 として 許し たまえ 。 」 
そして 壇 を 下っ て 頭 を 垂れ て 立ち まし た 。 
祭司 次長 が すぐ 進ん で 握手 し まし た 。 みんな は 歓呼 の 声 を あげ 熱心 に 拍手 し て この 新 らしい 信者 を 迎え た の です 。 
すると 異教 席 は もう めちゃめちゃ でし た 。 まっ黒 に なっ て 一 ぺん に 立ちあがり 一 ぺん に 壇 に のぼっ て 
「 悔い改め ます 。 許し て 下さい 。 私 ども も みんな ビジテリアン に なり ます 。 」 と 声 を そろえ て 云っ た の です 。 
祭司 次長 が すぐ 進ん で 一 人 ずつ 握手 し まし た 。 そして 一 人 ずつ 壇 を 下っ て こっち の 椅子 に 座り まし た 。 歓呼 と 拍手 と で 一 杯 でし た 。 椅子 が 丁度 うまい 工合 に あっ た の です 。 何だか あんまり みんな うまい 工合 でし た 。 その とき 外 で は ど うんと 又 一 発 陳 氏 の のろし が あがり まし た 。 その 陳 氏 が もう 入っ て 来 て 私 に 軽く 会釈 し て まだ 立ち ながら 向う を 見 て 云い まし た 。 
「 おや おや みんな 改宗 し まし た ね 、 あんまり あっけない 、 おや 椅子 も 丁度 いい 、 はてな 一つ あい てる 、 そう だ 、 さっき の ヒル ガード に 似 た 人 だけ まだ 頑張っ てる 。 」 
なるほど さっき の おしまい の 喜劇 役者 に 肖 た 人 は たった 一 人 異教徒 席 に 座っ て 腕 を 組ん だり 髪 を 掻きむしっ たり いかにも 仰山 な ので みんな は とうとう ひどく 笑い まし た 。 
「 あの 男 の 煩悶 なら 一体 何だか わから ない です な 。 」 陳 氏 が 云い まし た 。 
ところが とうとう その 人 は 立ちあがり まし た 。 そして 壇 に のぼり まし た 。 
「 諸君 、 私 は 誤っ て い た 。 私 は 迷っ て い た の です 。 私 は 今日 から ビジテリアン に なり ます 。 いや 私 は 前 から ビジテリアン だっ た よう な 気 が し ます 。 どうも さっき まちがえ て 異教徒 席 に 座り その ため に あんな 反対 演説 を し た らしい の です 。 諸君 許し たまえ 。 且つ 私 考える に 本日 異教徒 席 に 座っ た 方 は みんな 私 の よう に 席 を ちがえ た の だろ う と 思う 。 どうも そう らしい 。 その 証拠 に は 今 は みんな 信者 席 に 座っ て いる 。 どう です 、 前 異教徒 諸氏 そう でしょ う 。 」 
私 の 愕 い た こと は 神学 博士 を はじめ みんな 一 ぺん に 立ちあがっ て 
「 そう です 。 」 と 答え た こと です 。 
「 そう でしょ う 。 し て 見る と 私 は いよいよ 本心 に 立ち 帰ら なけれ ば なら ない 。 私 は 或は ご 承知 でしょ う 、 ニュウヨウク 座 の ヒル ガード です 。 今日 は 私 は この お祭 を 賑やか に する 為 に 祭司 次長 から 頼ま れ て 一つ し ばい を やっ た の です 。 この われわれ の やっ た 大 し ばい について 不愉快 な お方 は どうか 祭司 次長 に その 攻撃 の 矢 を 向け て 下さい 。 私 は ごく 気 の 弱い 一 信者 です から 。 」 
ヒル ガード は 一礼 し て 脱兎 の よう に 壇 を 下り ただ 一つ あいた 席 に ぴたっと 座っ て しまい まし た 。 
「 やら れ た な 、 すっかり やら れ た 。 」 陳 氏 は 笑いころげ 哄笑 歓呼 拍手 は 祭場 も 破れる ばかり でし た 。 けれども 私 は あんまり この あっけな さ に ぼんやり し て しまい まし た 。 あんまり ぼんやり し まし た ので 愉快 な ビジテリアン 大祭 の 幻想 は もう こわれ まし た 。 どうか あと の 所 は みなさん で 活動 写真 の おしまい の ありふれ た 舞踏 か 何 か を 使っ て ご 勝手 に ご 完成 を ねがう しだい で あり ます 。 
以外 の 物質 は 、 みな すべて 、 よく これ を 摂取 し て 、 脂肪 若く は 蛋白 質 と なし 、 その 体内 に 蓄積 す 。 」 と こう 書い て あっ た から 、 農 学校 の 畜産 の 、 助手 や 又 小使 など は 金石 で ない もの なら ば どんな もの で も 片っ端 から 、 持っ て 来 て ほうり出し た の だ 。 
尤も これ は 豚 の 方 で は 、 それ が 生れつき な の だ し 、 充分 に よく なれ て い た から 、 けし て いや だ と も 思わ なかっ た 。 却って ある 夕方 など は 、 殊に 豚 は 自分 の 幸福 を 、 感じ て 、 天上 に 向い て 感謝 し て い た 。 という わけ は その 晩方 、 化学 を 習っ た 一 年生 の 、 生徒 が 、 自分 の 前 に 来 て いかにも 不思議 そう に し て 、 豚 の からだ を 眺め て 居 た 。 豚 の 方 で も 時々 は 、 あの 小さな そら豆 形 の 怒っ た よう な 眼 を あげ て 、 そちら を ちらちら 見 て い た の だ 。 その 生徒 が 云っ た 。 
「 ずいぶん 豚 という もの は 、 奇 体 な こと に なっ て いる 。 水 や スリッパ や 藁 を たべ て 、 それ を いちばん 上等 な 、 脂肪 や 肉 に こしらえる 。 豚 の からだ は まあ たとえば 生き た 一つ の 触媒 だ 。 白金 と 同じ こと な の だ 。 無 機体 で は 白金 だ し 有機 体 で は 豚 な の だ 。 考えれ ば 考える 位 、 これ は 変 に なる こと だ 。 」 
豚 は もちろん 自分 の 名 が 、 白金 と 並べ られ た の を 聞い た 。 それから 豚 は 、 白金 が 、 一 匁 三 十 円 する こと を 、 よく 知っ て い た もの だ から 、 自分 の から だ が 二 十 貫 で 、 いくら に なる という こと も 勘定 が すぐ 出来 た の だ 。 豚 は ぴたっと 耳 を 伏せ 、 眼 を 半分 だけ 閉じ て 、 前肢 を きく っと 曲げ ながら その 勘定 を やっ た の だ 。 
20 × 1000 × 30 ＝ 600000   実に 六 十 万 円 だ 。 六 十 万 円 といった なら その ころ の フラン ドン あたり で は 、 まあ 第 一流 の 紳士 な の だ 。 いま だって そう かも 知れ ない 。 さあ 第 一流 の 紳士 だ もの 、 豚 が すっかり 幸福 を 感じ 、 あの 頭 の かげ の 方 の 鮫 に よく 似 た 大きな 口 を 、 にやにや 曲げ て よろこん だ の も 、 けし て 無理 と は 云わ れ ない 。 
ところが 豚 の 幸福 も 、 あまり 永く は 続か なかっ た 。 
それから 二 三 日 たっ て 、 その フラン ドン の 豚 は 、 ど さり と 上 から 落ち て 来 た 一 かたまり の たべ 物 から 、 （ 大学生 諸君 、 意志 を 鞏固 に もち 給え 。 いい か な 。 ） たべ 物 の 中 から 、 一寸 細長い 白い もの で 、 さき に みじかい 毛 を 植え た 、 ごく 率直 に 云う なら ば 、 ラクダ 印 の 歯磨 楊子 、 それ を 見 た の だ 。 どうも いや な 説教 で 、 折角 洗礼 を 受け た 、 大学生 諸君 に すま ない が 少し こらえ て くれ 給え 。 
豚 は 実に ぎょっと し た 。 一体 、 その 楊子 の 毛 を みる と 、 自分 の からだ 中 の 毛 が 、 風 に 吹か れ た 草 の よう 、 ザラッザラッ と 鳴っ た の だ 。 豚 は 実に 永い 間 、 変 な 顔 し て 、 眺め て い た が 、 とうとう 頭 が くらくら し て 、 いや な いや な 気分 に なっ た 。 いきなり 向う の 敷 藁 に 頭 を 埋め て くる っと 寝 て しまっ た の だ 。 
晩方 に なり 少し 気分 が よく なっ て 、 豚 は しずか に 起きあがる 。 気分 が いい と 云っ たって 、 結局 豚 の 気分 だ から 、 苹果 の よう に さ くさく し 、 青 ぞ ら の よう に 光る わけ で は もちろん ない 。 これ 灰色 の 気分 で ある 。 灰色 に し て やや つめたく 、 透明 なる ところ の 気分 で ある 。 され ば まことに 豚 の 心もち を わかる に は 、 豚 に なっ て 見る より 致し方 ない 。 
外来 ヨークシャイヤ で も 又 黒い バアクシャイヤ で も 豚 は 決して 自分 が 魯鈍 だ とか 、 怠惰 だ と か は 考え ない 。 最も 想像 に 困難 な の は 、 豚 が 自分 の 平ら な せ なか を 、 棒 で どし ゃっとやられたとき 何 と 感ずる か という こと だ 。 さあ 、 日本語 だろ う か 伊太利 亜 語 だろ う か 独 乙 語 だろ う か 英語 だろ う か 。 さあ どう 表現 し たら いい か 。 さり ながら 、 結局 は 、 叫び声 以外 わから ない 。 カント 博士 と 同様 に 全く 不 可知 な の で ある 。 
さて 豚 は ずんずん 肥り 、 なん べ ん も 寝 たり 起き たり し た 。 フラン ドン 農 学校 の 畜産 学 の 先生 は 、 毎日 来 て は 鋭い 眼 で 、 じっと その 生体 量 を 、 計算 し て は 帰っ て 行っ た 。 
「 も 少し きちんと 窓 を しめ て 、 室 中 暗く し なく て は 、 脂 が うまく かから ん じゃ ない か 。 それに もう そろそろ と 肥育 を やっ て も よかろ う な 、 毎日 阿 麻 仁 を 少し ずつ やっ て 置い て 呉れ ない か 。 」 教師 は 若い 水色 の 、 上着 の 助手 に 斯 う 云っ た 。 豚 は これ を すっかり 聴い た 。 そして 又 大 へんい や に なっ た 。 楊子 の とき と 同じ だ 。 折角 の その 阿 麻 仁 も 、 どうも うまく 咽喉 を 通ら なかっ た 。 これら は みんな 畜産 の 、 その 教師 の 語気 について 、 豚 が 直覚 し た の で ある 。 （ とにかく あいつ ら 二 人 は 、 おれ に たべ もの は よこす が 、 時々 まるで 北極 の 、 空 の よう な 眼 を し て 、 おれ の からだ を じっと 見る 、 実に 何とも たまらない 、 とりつき ば も ない よう な きびしい こころ で 、 おれ の こと を 考え て いる 、 その こと は 恐い 、 ああ 、 恐い 。 ） 豚 は 心 に 思い ながら 、 もう たまらなく なり 前 の 柵 を 、 むちゃくちゃ に 鼻 で 突っ突い た 。 
ところが 、 丁度 その 豚 の 、 殺さ れる 前 の 月 に なっ て 、 一つ の 布告 が その 国 の 、 王 から 発令 さ れ て い た 。 
それ は 家畜 撲殺 同意 調印 法 と いい 、 誰 でも 、 家畜 を 殺そ う という もの は 、 その 家畜 から 死亡 承諾 書 を 受け取る こと 、 又 その 承諾 証書 に は 家畜 の 調印 を 要する と 、 こう 云う 布告 だっ た の だ 。 
さあ そこで その 頃 は 、 牛 で も 馬 で も 、 もう みんな 、 殺さ れる 前 の 日 に は 、 主人 から 無理 に 強い られ て 、 証文 に ペタリ と 印 を 押し た もん だ 。 ごく としより の 馬 など は 、 わざわざ 蹄鉄 を はずさ れ て 、 ぼろぼろ なみ だ を こぼし ながら 、 その 大きな 判 を ぱたっと 証書 に 押し た の だ 。 
フラン ドン の ヨークシャイヤ も 又 活版 刷り に 出来 て いる その 死亡 証書 を 見 た 。 見 た という の は 、 或 る 日 の こと 、 フラン ドン 農 学校 の 校長 が 、 大きな 黄色 の 紙 を 持ち 、 豚 の ところ に やって来 た 。 豚 は 語学 も 余程 進ん で い た の だ し 、 又 実際 豚 の 舌 は 柔らか で 素質 も 充分 あっ た ので ごく 流暢 な 人間 語 で 、 しずか に 校長 に 挨拶 し た 。 
「 校長 さん 、 いい お天気 で ござい ます 。 」 
校長 は その 黄色 な 証書 を だまっ て 小わき に はさん だ まま 、 ポケット に 手 を 入れ て 、 に が わらい し て 斯 う 云っ た 。 
「 うん まあ 、 天気 は いい ね 。 」 
豚 は 何だか 、 この 語 が 、 耳 に は いっ て 、 それから 咽喉 に つかえ た の だ 。 おまけ に 校長 が じろじろ と 豚 の からだ を 見る こと は 全く あの 畜産 の 、 教師 と おんなじ こと な の だ 。 
豚 は かなしく 耳 を 伏せ た 。 そして こわごわ 斯 う 云っ た 。 
「 私 は どうも 、 このごろ は 、 気 が ふさい で 仕方 あり ませ ん 。 」 
校長 は 又 に が わらい を 、 し ながら 豚 に 斯 う 云っ た 。 
「 ふん 。 気 が ふさぐ 。 そう かい 。 もう 世の中 が いや に なっ た かい 。 そういう わけ で も ない の かい 。 」 豚 が あんまり 陰気 な 顔 を し た もの だ から 校長 は 急い で 取り消し まし た 。 
それから 農学 校長 と 、 豚 と は しばらく し いん として にらみ合っ た まま 立っ て い た 。 ただ 一言 も 云わ ない で じいっと 立っ て 居っ た の だ 。 その うち に とうとう 校長 は 今日 は 証書 は あきらめ て 、 
「 とにかく よく やすん で おいで 。 あんまり 動き まわら んで ね 。 」 例 の 黄いろ な 大きな 証書 を 小わき に かいこん だ まま 、 向う の 方 へ 行っ て しまう 。 
豚 は その あと で 、 何 べ ん も 、 校長 の 今 の 苦笑 や いかにも 底意 の ある 語 を 、 繰り返し 繰り返し し て 見 て 、 身ぶるい し ながら ひとり ごと し た 。 
『 とにかく よく やすん で おいで 。 あんまり 動き まわら んで ね 。 』 一体 これ は どう 云う 事 か 。 ああ つらい つらい 。 豚 は 斯 う 考え て 、 まるで あの 梯形 の 、 頭 も 割れる よう に 思っ た 。 おまけ に その 晩 は 強い ふぶき で 、 外 で は 風 が すさまじく 、 乾い た カサカサ し た 雪 の かけ ら が 、 小屋 の すき ま から 吹き こん で 豚 の たべ もの の 余り も 、 雪 で まっ白 に なっ た の だ 。 
ところが 次 の 日 の こと 、 畜産 学 の 教師 が 又 やって来 て 例 の 、 水色 の 上着 を 着 た 、 顔 の 赤い 助手 と いつも の するどい 眼 付し て 、 じっと 豚 の 頭 から 、 耳 から 背中 から 尻尾 まで 、 まるで まるで 食い込む よう に 眺め て から 、 尖っ た 指 を 一 本 立て て 、 
「 毎日 阿 麻 仁 を やっ て ある か ね 。 」 
「 やっ て あり ます 。 」 
「 そう だろ う 。 もう 明日 だって 明後日 だって 、 いい ん だ から 。 早く 承諾 書 を とれ ぁいいんだ 。 どう し た ん だろ う 、 昨日 校長 は 、 たしかに 証書 を わき に 挟ん で こっち の 方 へ 来 た ん だ が 。 」 
「 はい 、 お 入り の よう でし た 。 」 
「 それでは もう でき てる かしら 。 出来れ ば すぐ よこす 筈 だ が ね 。 」 
「 はあ 。 」 
「 も 少し 室 を くらく し て 、 置い たら どう だろ う か 。 それ から やる 前 の 日 に は 、 なんにも 飼料 を やら ん で くれ 。 」 
「 はあ 、 きっと そう 致し ます 。 」 
畜産 の 教師 は 鋭い 目 で 、 もう 一遍 じいっと 豚 を 見 て から 、 それから 室 を 出 て 行っ た 。 
その あと の 豚 の 煩悶 さ 、 （ 承諾 書 という の は 、 何 の 承諾 書 だろ う 何 を 一体 しろ と 云う の だ 、 やる 前 の 日 に は 、 なんにも 飼料 を やっ ちゃ いけ ない 、 やる 前 の 日 って 何 だろ う 。 一体 何 を さ れる ん だろ う 。 どこ か 遠く へ 売ら れる の か 。 ああ これ は つらい つらい 。 ） 豚 の 頭 の 割れ そう な 、 こと は この 日 も 同じ だ 。 その 晩 豚 は あんまり に 神経 が 興奮 し 過ぎ て よく 睡る こと が でき なかっ た 。 ところが 次 の 朝 に なっ て 、 やっと 太陽 が 登っ た 頃 、 寄宿舎 の 生徒 が 三 人 、 げたげた 笑っ て 小屋 へ 来 た 。 そして 一 晩 睡ら ない で 、 頭 の しんしん 痛む 豚 に 、 又もや 厭 な 会話 を 聞か せ た の だ 。 
「 いつ だろ う なあ 、 早く 見 たい なあ 。 」 
「 僕 は 見 たく ない よ 。 」 
「 早い と いい なあ 、 囲っ て 置い た 葱 だって 、 あんまり 永い と 凍っ ちまう 。 」 
「 馬鈴薯 も しまっ て ある だろ う 。 」 
「 しまっ て ある よ 。 三 斗 しまっ て ある 。 とても 僕 たち だけ で 食べ られる もん か 。 」 
「 今朝 は ずいぶん 冷たい ねえ 。 」 一 人 が 白い 息 を 手 に 吹きかけ ながら 斯 う 云い まし た 。 
「 豚 の やつ は 暖か そう だ 。 」 一 人 が 斯 う 答え たら 三 人 共 どっと ふき 出し まし た 。 
「 豚 の やつ は 脂肪 で でき た 、 厚 さ 一 寸 の 外套 を 着 てる ん だ もの 、 暖かい さ 。 」 
「 暖か そう だ よ 。 どう だ 。 湯気 さえ ほやほや と 立っ て いる よ 。 」 
豚 は あんまり 悲しく て 、 辛く て よろよろ し て しまう 。 
「 早く やっ ちまえ ば いい な 。 」 
三 人 は つぶやき ながら 小屋 を 出 た 。 その あと の 豚 の 苦し さ 、 （ 見 たい 、 見 たく ない 、 早い と いい 、 葱 が 凍る 、 馬鈴薯 三 斗 、 食い きれ ない 。 厚 さ 一 寸 の 脂肪 の 外套 、 おお 恐い 、 ひと の からだ を まるで 観 透し てる おお 恐い 。 恐い 。 けれども 一体 おれ と 葱 と 、 何 の 関係 が ある だろ う 。 ああ つらい なあ 。 ） その 煩悶 の 最中 に 校長 が 又 やって来 た 。 入口 で ばたばた 雪 を 落し て 、 それから 例 の あいまい な 苦笑 を し ながら 前 に 立つ 。 
「 どう だい 。 今日 は 気分 が いい かい 。 」 
「 はい 、 ありがとう ござい ます 。 」 
「 いい の かい 。 大 へん 結構 だ 。 たべ 物 は 美味しい かい 。 」 
「 ありがとう ござい ます 。 大 へん に 結構 で ござい ます 。 」 
「 そう かい 。 それ は いい ね 、 ところで 実は 今日 は お前 と 、 内内 相談 に 来 た の だ が ね 、 どう だ 頭 は はっきり かい 。 」 
「 はあ 。 」 豚 は 声 が かすれ て しまう 。 
「 実は ね 、 この 世界 に 生き てる もの は 、 みんな 死な なけ ぁいかんのだ 。 実際 もう どんな もん でも 死ぬ ん だ よ 。 人間 の 中 の 貴族 で も 、 金持 で も 、 又 私 の よう な 、 中産 階級 で も 、 それから ごく つまらない 乞食 でも ね 。 」 
「 はあ 、 」 豚 は 声 が 咽喉 に つまっ て 、 はっきり 返事 が でき なかっ た 。 
「 また 人間 で ない 動物 でも ね 、 たとえば 馬 で も 、 牛 で も 、 鶏 で も 、 なまず で も 、 バク テリヤ で も 、 みんな 死な なけ ぁいかんのだ 。 蜉蝣 の ごとき は あした に 生れ 、 夕 に 死する 、 ただ 一 日 の 命 な の だ 。 みんな 死な なけ ぁならないのだ 。 だから お前 も 私 も いつか 、 きっと 死ぬ の に きまっ てる 。 」 
「 はあ 。 」 豚 は 声 が かすれ て 、 返事 も なに も でき なかっ た 。 
「 そこで 実は 相談 だ が ね 、 私 たち の 学校 で は 、 お前 を 今日 まで 養っ て 来 た 。 大した こと も なかっ た が 、 学校 として は 出来る だけ 、 ずいぶん 大事 に し た はず だ 。 お前 たち の 仲間 も あちこち に 、 ずいぶん ある し 又 私 も 、 まあ よく 知っ て いる の だ が 、 で そう 云っ ちゃ 可笑しい が 、 まあ 私 の 処 ぐらい 、 待遇 の よい 処 は ない 。 」 
「 はあ 。 」 豚 は 返事 しよ う と 思っ た が 、 その 前 に たべ た もの が 、 みんな 咽喉 へ つかえ て て どうしても 声 が 出 て 来 なかっ た 。 
「 で ね 、 実は 相談 だ が ね 、 お前 が もしも 少し でも 、 そんな よう な こと が 、 ありがたい と 云う 気 が し たら 、 ほんの 小さな た のみ だ が 承知 を し て は 貰え まい か 。 」 
「 はあ 。 」 豚 は 声 が かすれ て 、 返事 が どうしても でき なかっ た 。 
「 それ は ほんの 小さな こと だ 。 ここ に 斯 う 云う 紙 が ある 、 この 紙 に 斯 う 書い て ある 。 死亡 承諾 書 、 私儀 永 々 御恩顧 の 次第に 有 之 候 儘 、 御 都合 により 、 何時 にて も 死亡 仕る べく 候 年月日 フラン ドン 畜舎 内 、 ヨークシャイヤ 、 フラン ドン 農 学校 長殿 　 と これ だけ の こと だ が ね 、 」 校長 は もう 云い 出し た ので 、 一瀉千里 に まく しかけ た 。 
「 つまり お前 は どうせ 死な なけ ぁいかないからその 死ぬ とき は もう 潔く 、 いつ でも 死に ます と 斯 う 云う こと で 、 一向 何 で も ない こと さ 。 死な なく て も いい うち は 、 一向 死ぬ こと も 要ら ない よ 。 ここ の 処 へ ただ ちょっと お前 の 前肢 の 爪印 を 、 一つ 押し て おい て 貰い たい 。 それだけ の こと だ 。 」 
豚 は 眉 を 寄せ て 、 つき つけ られ た 証書 を 、 じっと しばらく 眺め て い た 。 校長 の 云う 通り なら 、 何 で も ない が つくづく と 証書 の 文句 を 読ん で 見る と 、 まったく 大 へん に 恐かっ た 。 とうとう 豚 は こらえ かね て まるで 泣声 で こう 云っ た 。 
「 何 時 にて も という こと は 、 今日 でも という こと です か 。 」 
校長 は ぎく っと し た が 気 を とりなおし て こう 云っ た 。 
「 まあ そう だ 。 けれども 今日 だ なんて 、 そんな こと は 決して ない よ 。 」 
「 でも 明日 でも という ん でしょ う 。 」 
「 さあ 、 明日 なんて いう よう 、 そんな 急 でも ない だろ う 。 いつ でも 、 いつか という よう な 、 ごく あいまい な こと な ん だ 。 」 
「 死亡 を する という こと は 私 が 一 人 で 死ぬ の です か 。 」 豚 は 又 金切声 で 斯 うき い た 。 
「 うん 、 すっかり そう で も ない な 。 」 
「 いや です 、 いや です 、 そん なら いや です 。 どうしても いや です 。 」 豚 は 泣い て 叫ん だ 。 
「 いや かい 。 それでは 仕方 ない 。 お前 も あんまり 恩知らず だ 。 犬 猫 に さえ 劣っ た やつ だ 。 」 校長 は ぷんぷん 怒り 、 顔 を まっ 赤 に し て しまい 証書 を ポケット に 手早く し まい 、 大股 に 小屋 を 出 て 行っ た 。 
「 どうせ 犬 猫 なんか に は 、 はじめ から 劣っ て い ます よう 。 わあ 」 豚 は あんまり 口惜し さ や 、 悲し さ が 一時 に こみあげ て 、 もう あら ん かぎり 泣き だし た 。 けれども 半日 ほど 泣い たら 、 二 晩 も 眠ら なかっ た 疲れ が 、 一 ぺん に どっと 出 て 来 た ので つい 泣き ながら 寝込ん で しまう 。 その 睡り の 中 でも 豚 は 、 何 べ ん も 何 べ ん も おびえ 、 手足 を ぶる っと 動かし た 。 
ところが その 次 の 日 の こと だ 。 あの 畜産 の 担任 が 、 助手 を 連れ て 又 やって来 た 。 そして 例 の たまらない 、 目付き で 豚 を ながめ て から 、 大 へん 機嫌 の 悪い 顔 で 助手 に 向っ て こう 云っ た 。 
「 どう し た ん だい 。 すてき に 肉 が 落ち た じゃ ない か 。 これ じゃ まるきり 話 に なら ん 。 百姓 の うち で 飼っ たって これ 位 に は できる ん だ 。 一体 どうし たて ん だろ う 。 心当り が つか ない かい 。 頬 肉 なんか あんまり 減っ た 。 おまけ に ショウルダア だって 、 こんなに 薄く ちゃ なっ て ない 。 品評 会 へ も 出せ ぁしない 。 一体 どうし たて ん だろ う 。 」 
助手 は 唇 へ 指 を あて 、 しばらく じっと 考え て 、 それから ぼんやり 返事 し た 。 
「 さあ 、 昨日 の 午后 に 校長 が 、 おいで に なっ た だけ でし た 。 それだけ だっ た と 思い ます 。 」 
畜産 の 教師 は 飛び 上る 。 
「 校長 ？ 　 そう かい 。 校長 だ 。 きっと 承諾 書 を 取ろ う として 、 すてき な ぶま を やっ た ん だ 。 おじけ させ ちゃっ た ん だ な 。 それで こいつ は ぐるぐる し て 昨夜 一 晩 寝 ない ん だ な 。 まずい こと に なっ た なあ 。 おまけ に きっと 承諾 書 も 、 取り 損ね た に ちがい ない 。 まずい こと に なっ た なあ 。 」 
教師 は 実に 口惜し そう に 、 しばらく キリキリ 歯 を 鳴らし 腕 を 組ん で から 又 云っ た 。 
「 えい 、 仕方 ない 。 窓 を すっかり 明け て 呉れ 。 それから 外 へ 連れ出し て 、 少し 運動 さ せる ん だ 。 む 茶 くち ゃにたたいたり 走らし たり し ちゃ いけ ない ぞ 。 日 の 照ら ない 処 を 、 厩舎 の 陰 の あたり の 、 雪 の ない 草 は ら を 、 そろそろ 連れ て 歩い て 呉れ 。 一 回 十 五 分 位 、 それから 飼料 を やら ない で 少し 腹 を 空か せ て やれ 。 すっかり 気分 が 直っ たら キャベジ の いい 処 を 少し やれ 。 それ から だんだん 直っ たら 今 まで 通り に すれ ば いい 。 まるで 一 ヶ月 の 肥育 を 、 一 晩 で 台 なし に し ちまっ た 。 いい かい 。 」 
「 承知 いたし まし た 。 」 
教師 は 教員 室 へ 帰り 豚 は もう すっかり 気落ち し て 、 ぼんやり と 向う の 壁 を 見る 、 動き も 叫び も し たく ない 。 ところ へ 助手 が 細い 鞭 を 持っ て 笑っ て 入っ て 来 た 。 助手 は 囲い の 出口 を あけ ごく 叮寧 に 云っ た の だ 。 
「 少し ご 散歩 は いかが です 。 今日 は 大 へん よく 晴れ て 、 風 も しずか で ござい ます 。 それでは お供 いたし ましょ う 、 」 ピシッ と 鞭 が せ なか に 来る 、 全く こいつ は たまらない 、 ヨークシャイヤ は 仕方 なく のそのそ 畜舎 を 出 た けれど 胸 は 悲し さ で いっぱい で 、 歩け ば 裂ける よう だっ た 。 助手 は のんき に うし ろ から 、 チッペラリー の 口笛 を 吹い て ゆっくり やって来る 。 鞭 も ぶらぶら ふっ て いる 。 
全体 何 が チッペラリー だ 。 こんなに わたし は かなしい のに と 豚 は 度々 口 を まげる 。 時々 は 
「 ええ もう少し 左 の 方 を 、 お 歩き なさい まし て は 、 いかが で ござい ます か 。 」 なんて 、 口 ばかり うまい こと を 云い ながら 、 ピシッ と 鞭 を 呉れ た の だ 。 （ この世 は ほんとう に つらい つらい 、 本当に 苦 の 世界 な の だ 。 ） こ てっ と ぶた れ て 散歩 し ながら 豚 は つくづく 考え た 。 
「 さあ いかが です 、 そろそろ お 休み なさい ませ 。 」 助手 は 又 一つ ピシッ と やる 。 ウルトラ 大学生 諸君 、 こんな 散歩 が 何で 面白い だろ う 。 からだ の 為 も 何 も あっ た もん じゃ ない 。 
豚 は 仕方 なく 又 畜舎 に 戻り ごろ っと 藁 に 横 に なる 。 キャベジ の 青い いい 所 を 助手 は わずか 持っ て 来 た 。 豚 は 喰 べ たく なかっ た が 助手 が 向う に 直立 し て 何 と も 云え ない 恐い 眼 で 上 から じっと 待っ て いる 、 ほんとう に もう 仕方 なく 、 少し それ を 噛 じ る ふり を し たら 助手 は やっと 安心 し て 一つ 「 ふん 。 」 と 笑っ て から チッペラリー の 口笛 を 又 吹き ながら 出 て 行っ た 。 いつか 窓 が すっかり 明け放し て あっ た ので 豚 は 寒く て 耐 ら なかっ た 。 
こんな 工合 に ヨークシャイヤ は 一 日 思い に 沈み ながら 三 日 を 夢 の よう に 送る 。 
四 日 目 に 又 畜産 の 、 教師 が 助手 と やって来 た 。 ちらっと 豚 を 一眼 見 て 、 手 を 振り ながら 助手 に 云う 。 
「 いけ ない いけ ない 。 君 は なぜ 、 僕 の 云っ た 通り し なかっ た 。 」 
「 いいえ 、 窓 も すっかり 明け まし た し 、 キャベジ の いい の も やり まし た 。 運動 も 毎日 叮寧 に 、 十 五 分 ずつ やらし て い ます 。 」 
「 そう かね 、 そんなに まで も してやっ て 、 やっぱり うまく いか ない か ね 、 じゃ もう こいつ は 瘠せる 一方 な ん だ 。 神経 性 営養 不良 な ん だ 。 わき から どうも 出来 やし ない 。 あんまり 骨 と 皮 だけ に 、 なら ない うち に きめ なく ちゃ 、 どこ まで 行く か わから ない 。 おい 。 窓 を みな しめて 呉れ 。 そして 肥育 器 を 使う と しよ う 、 飼料 を どしどし 押し込ん で 呉れ 。 麦 の ふす ま を 二 升 と ね 、 阿 麻 仁 を 二 合 、 それから 玉蜀黍 の 粉 を 、 五 合 を 水 で こね て 、 団子 に こさえ て 一 日 に 、 二 度 か 三 度 ぐらい に 分け て 、 肥育 器 にかけて 呉れ 給え 。 肥育 器 は あっ たろ う 。 」 
「 はい 、 ござい ます 。 」 
「 こいつ は 縛っ て 置き 給え 。 いや 縛る 前 に 早く 承諾 書 を とら なく ちゃ 。 校長 も さっぱり 拙い なぁ 。 」 
畜産 の 教師 は 大急ぎ で 、 教 舎 の 方 へ 走っ て 行き 、 助手 も あと から 出 て 行っ た 。 
間もなく 農学 校長 が 、 大 へん あわて て やって来 た 。 豚 は 身体 の 置き場 も なく 鼻 で 敷 藁 を 掘っ た の だ 。 
「 おおい 、 いよいよ 急が なきゃ なら ない よ 。 先頃 の 死亡 承諾 書 ね 、 あいつ へ 今日 は どうしても 、 爪判 を 押し て 貰い たい 。 別に 大した 事 じゃ ない 。 押して 呉れ 。 」 
「 いや です いや です 。 」 豚 は 泣く 。 
「 厭 だ ？ 　 おい 。 あんまり 勝手 を 云う ん じゃ ない 、 その 身体 は 全体 みんな 、 学校 の お陰 で 出来 た ん だ 。 これから だって 毎日 麦 の ふす ま 二 升 阿 麻 仁 二 合 と 玉蜀黍 の 、 粉 五 合 ずつ やる ん だ ぞ 、 さあ いい加減 に 判 を つけ 、 さあ つか ない か 。 」 
なるほど 斯 う 怒り 出し て 見る と 、 校長 なんと いう もの は 、 実際 恐い もの な ん だ 。 豚 は すっかり おびえ て 了 い 、 
「 つき ます 。 つき ます 。 」 と 、 かすれ た 声 で 云っ た の だ 。 
「 よろしい 、 では 。 」 と 校長 は 、 やっと の こと に 機嫌 を 直し 、 手早く あの 死亡 承諾 書 の 、 黄いろ な 紙 を とり 出し て 、 豚 の 眼 の 前 に ひろげ た の だ 。 
「 どこ へ つけ ばいいん です か 。 」 豚 は 泣き ながら 尋ね た 。 
「 ここ へ 。 おまえ の 名前 の 下 へ 。 」 校長 は じっと 眼鏡 越し に 、 豚 の 小さな 眼 を 見 て 云っ た 。 豚 は 口 を びくびく 横 に 曲げ 、 短い 前 の 右 肢 を 、 きく っと 挙げ て それ から ピタリ と 印 を おす 。 
「 う はん 。 よろしい 。 これ で いい 。 」 校長 は 紙 を 引っぱっ て 、 よく その 判 を 調べ て から 、 機嫌 を 直し て こう 云っ た 。 戸口 で 待っ て い た らしく あの 意地 わるい 畜産 の 教師 が いきなり やって来 た 。 
「 いかが です 。 うまく 行き まし た か 。 」 
「 うん 。 まあ でき た 。 では これ は 、 あなた に あげ て 置き ます から 。 ええ 、 肥育 は 何 日 ぐらい かね 、 」 
「 さあ いずれ 模様 を 見 まし て 、 鶏 や あひる など です と 、 きっと 間違い なく 肥り ます が 、 斯 う 云う 神経 過敏 な 豚 は 、 或は 強制 肥育 で は 甘く 行か ない かも 知れ ませ ん 。 」 
「 そう か 。 なるほど 。 とにかく しっかり やり 給え 。 」 
そして 校長 は 帰っ て 行っ た 。 今度 は 助手 が 変 てこ な 、 ねじ の つい た ズック の 管 と 、 何 か の バケツ を 持っ て 来 た 。 畜産 の 教師 は 云い ながら 、 その バケツ の 中 の もの を 、 一寸 つまん で 調べ て 見 た 。 
「 そい じゃ 豚 を 縛っ て 呉れ 。 」 助手 は マニラ ロープ を 持っ て 、 囲い の 中 に 飛び込ん だ 。 豚 は ばたばた 暴れ た が とうとう 囲い の 隅 に ある 、 二つ の 鉄 の 環 に 右側 の 、 足 を 二 本 共 縛ら れ た 。 
「 よろしい 、 それでは この 端 を 、 咽喉 へ 入れ て やっ て 呉れ 。 」 畜産 の 教師 は 云い ながら 、 ズック の 管 を 助手 に 渡す 。 
「 さあ 口 を お 開き なさい 。 さあ 口 を 。 」 助手 は しずか に 云っ た の だ が 、 豚 は 堅く 歯 を 食いしばり 、 どうしても 口 を あか なかっ た 。 
「 仕方 ない 。 こいつ を 噛ま し て やっ て 呉れ 。 」 短い 鋼 の 管 を 出す 。 
助手 は ぎしぎし その 管 を 豚 の 歯 の 間 に ねじ込ん だ 。 豚 は もう あら ん かぎり 、 怒鳴っ たり 泣い たり し た が 、 とうとう 管 を はめ られ て 、 咽喉 の 底 だけ で 泣い て い た 。 助手 は その 鋼 の 管 の 間 から 、 ズック の 管 を 豚 の 咽喉 まで 押し込ん だ 。 
「 それ で よろしい 。 で は やろ う 。 」 教師 は バケツ の 中 の もの を 、 ズック 管 の 端 の 漏斗 に 移し て 、 それから 変 な 螺旋 を 使い 食物 を 豚 の 胃 に 送る 。 豚 は いくら 呑む まい として も 、 どうしても 咽喉 で 負け て しまい 、 その 練っ た もの が 胃 の 中 に 、 入っ て だんだん 腹 が 重く なる 。 これ が 強制 肥育 だっ た 。 
豚 の 気持ち の 悪い こと 、 まるで 夢中 で 一 日 泣い た 。 
次 の 日 教師 が 又 来 て 見 た 。 
「 うまい 、 肥っ た 。 効果 が ある 。 これから 毎日 小使 と 、 二 人 で 二 度 ずつ やっ て 呉れ 。 」 
こんな 工合 で それ から 七 日 という もの は 、 豚 は まるきり 外 で 日 が 照っ て いる やら 、 風 が 吹い てる やら 見当 も つか ず 、 ただ 胃 が 無 暗に 重苦しく それから いや に 頬 や 肩 が 、 ふくらん で 来 て おしまい は 息 を する の も つらい くらい 、 生徒 も 代る代る 来 て 、 何 か いろいろ 云っ て い た 。 
ある とき は 生徒 が 十 人 ほど やって来 て がやがや 斯 う 云っ た 。 
「 ずいぶん 大きく なっ た なあ 、 何 貫 ぐらい ある だろ う 。 」 
「 さあ 先生 なら 一目 見 て 、 何 百 目 まで 云う ん だ が 、 おれ たち じゃ ちょっと わから ない 。 」 
「 比重 が わから ない から なあ 。 」 
「 比重 は わかる さ 比重 なら 、 大抵 水 と 同じ だろ う 。 」 
「 どうして それ が わかる ん だい 。 」 
「 だって 大抵 そう だろ う 。 もしも こいつ を 水 に 入れ たら 、 きっと 沈み も 浮び も し ない 。 」 
「 いい や たしかに 沈ま ない 、 きっと 浮ぶ に きまっ てる 。 」 
「 それ は 脂肪 の ため だろ う 、 けれど 豚 に も 骨 は ある 。 それから 肉 も ある ん だ から 、 たぶん 比重 は 一 ぐらい だ 。 」 
「 比重 を そん なら 一 として 、 こいつ は 何 斗 ある だろ う 。 」 
「 五 斗 五 升 は ある だろ う 。 」 
「 いい や 五 斗 五 升 など じゃ ない 。 少く 見 て も 八 斗 ある 。 」 
「 八 斗 なんか じゃ き か ない よ 。 たしかに 九 斗 は ある だろ う 。 」 
「 まあ 、 七 斗 と しよ う 。 七 斗 なら 水 一 斗 が 五 貫 だ から 、 こいつ は 丁度 三 十 五 貫 。 」 
「 三 十 五 貫 は ある な 。 」 
こんな はなし を 聞き ながら 、 どんなに 豚 は 泣い たろ う 。 なん でも これ は あんまり ひどい 。 ひと の からだ を 枡 で はかる 。 七 斗 だの 八 斗 だ の と いう 。 
そうして 丁度 七 日 目 に 又 あの 教師 が 助手 と 二 人 、 並ん で 豚 の 前 に 立つ 。 
「 もう いい よう だ 。 丁度 いい 。 この 位 まで 肥っ たら まあ 極度 だろ う 。 この 辺 だ 。 あんまり 肥育 を やり 過ぎ て 、 一度 病気 に かかっ て も また あと まわり に なる だけ だ 。 丁度 あした が いい だろ う 。 今日 は もう 飼 を やら ん で くれ 。 それから 小使 と 二 人 し て から だ を すっかり 洗っ て 呉れ 。 敷 藁 も 新 らしく し て ね 。 いい か 。 」 
「 承知 いたし まし た 。 」 
豚 は これら の 問答 を 、 もう 全身 の 勢力 で 耳 を すまし て 聴い て 居 た 。 （ いよいよ 明日 だ 、 それ が あの 、 証書 の 死亡 という こと か 。 いよいよ 明日 だ 、 明日 な ん だ 。 一体 どんな 事 だろ う 、 つらい つらい 。 ） あんまり 豚 は つらい ので 、 頭 を ゴツゴツ 板 へ ぶっつけ た 。 
その ひる すぎ に 又 助手 が 、 小使 と 二 人 やって来 た 。 そして あの 二つ の 鉄 環 から 、 豚 の 足 を 解い て 助手 が 云う 。 
「 いかが です 、 今日 は 一つ 、 お 風呂 を お召 し なさい ませ 。 すっかり お 仕度 が でき て 居 ます 。 」 
豚 が まだ 承知 とも 、 何 と も 云わ ない うち に 、 鞭 が ピシッ と やって来 た 。 豚 は 仕方 なく 歩き 出し た が 、 あんまり 肥っ て しまっ た ので 、 もう うごく こと の 大儀 な こと 、 三 足 で 息 が はあ はあ し た 。 
そこ へ 鞭 が ピシッ と 来 た 。 豚 は まるで 潰れ そう に なり 、 それでも ようよう 畜舎 の 外 まで 出 たら 、 そこ に 大きな 木 の 鉢 に 湯 が 入っ た の が 置い て あっ た 。 
「 さあ 、 この 中 に お 入り なさい 。 」 助手 が 又 一つ パチッ と やる 。 豚 は もう やっと の こと で 、 ころげ 込む よう に し て その 高い 縁 を 越え て 、 鉢 の 中 へ 入っ た の だ 。 
小使 が 大きな ブラッシ を かけ て 、 豚 の からだ を きれい に 洗う 。 その ブラッシ を チラッ と 見 て 、 豚 は 馬鹿 の よう に 叫ん だ 。 という わけ は その ブラッシ が 、 やっぱり 豚 の 毛 で でき た 。 豚 が わめい て いる うち に から だ が すっかり 白く なる 。 
「 さあ 参り ましょ う 。 」 助手 が 又 、 一つ ピシッ と 豚 を やる 。 
豚 は 仕方 なく 外 に 出る 。 寒 さ が ぞくぞく から だ に 浸 みる 。 豚 は とうとう くしゃみ を する 。 
「 風邪 を 引き ます ぜ 、 こいつ は 。 」 小使 が 眼 を 大きく し て 云っ た 。 
「 いい だろ う さ 。 腐り がたく て 。 」 助手 が 苦笑 し て 云っ た 。 
豚 が 又 畜舎 へ 入っ たら 、 敷 藁 が きれい に 代え て あっ た 。 寒 さ は からだ を 刺す よう だ 。 それ に 今朝 から まだ 何 も 食べ ない ので 、 胃 も もうから に なっ た らしく 、 あらし の よう に ゴウゴウ 鳴っ た 。 
豚 は もう 眼 も あけ ず 頭 が しんしん 鳴り出し た 。 ヨークシャイヤ の 一生 の 間 の いろいろ な 恐ろしい 記憶 が 、 まるきり 廻り 燈籠 の よう に 、 明るく なっ たり 暗く なっ たり 、 頭 の 中 を 過ぎ て 行く 。 さまざま な 恐ろしい 物音 を 聞く 。 それ は 豚 の 外 で 鳴っ てる の か 、 あるいは 豚 の 中 で 鳴っ てる の か 、 それ さえ わから なく なっ た 。 そのうち もう いつか 朝 に なり 教 舎 の 方 で 鐘 が 鳴る 。 間もなく がやがや 声 が し て 、 生徒 が 沢山 やって来 た 。 助手 も やっぱり やって来 た 。 
「 外 で やろ う か 。 外 の 方 が やはり いい よう だ 。 連れ出し て 呉れ 。 おい 。 連れ出し て あんまり ギーギー 云わ せ ない よう に ね 。 まずく なる から 。 」 
畜産 の 教師 が いつの間にか 、 ふだん と ちがっ た 茶 いろ な ガウン の よう な もの を 着 て 入口 の 戸 に 立っ て い た 。 
助手 が まじめ に 入っ て 来る 。 
「 いかが です か 。 天気 も 大変 いい よう です 。 今日 少し ご 散歩 なすっ て は 。 」 又 一つ 鞭 を ピチッ と あて た 。 豚 は 全く 異議 も なく 、 はあ はあ 頬 を ふくらせ て 、 ぐたっぐたっと 歩き 出す 。 前 や 横 を 生徒 たち の 、 二 本 ずつ の 黒い 足 が 夢 の よう に 動い て い た 。 
俄 か に カッ と 明るく なっ た 。 外 で は 雪 に 日 が 照っ て 豚 は まぶし さ に 眼 を 細く し 、 やっぱり ぐたぐた 歩い て 行っ た 。 
全体 どこ へ 行く の やら 、 向う に 一 本 の 杉 が ある 、 ちらっと 頭 を あげ た とき 、 俄 か に 豚 は ピカッ という 、 はげしい 白光 の よう な もの が 花火 の よう に 眼 の 前 で ちらばる の を 見 た 。 そいつ から 億 百 千 の 赤い 火 が 水 の よう に 横 に 流れ出し た 。 天上 の 方 で は キーン という 鋭い 音 が 鳴っ て いる 。 横 の 方 で はご う ご う 水 が 湧い て いる 。 さあ それから あと の こと なら ば 、 もう 私 は 知ら ない の だ 。 とにかく 豚 の す ぐよこにあの 畜産 の 、 教師 が 、 大きな 鉄槌 を 持ち 、 息 を は あ はあ 吐き ながら 、 少し 青ざめ て 立っ て いる 。 又 豚 は その 足もと で 、 たしかに クンクン と 二つ だけ 、 鼻 を 鳴らし て じっと うごか なく なっ て い た 。 
生徒 ら は もう 大 活動 、 豚 の 身体 を 洗っ た 桶 に 、 も 一度 新 らしく 湯 が くま れ 、 生徒 ら は みな 上着 の 袖 を 、 高く まくっ て 待っ て い た 。 
助手 が 大きな 小刀 で 豚 の 咽喉 を ザクッ と 刺し まし た 。 
一体 この 物語 は 、 あんまり 哀れ 過ぎる の だ 。 もうこ の あと は やめ に しよ う 。 とにかく 豚 は すぐ あと で 、 からだ を 八つ に 分解 さ れ て 、 厩舎 の うし ろ に 積み あげ られ た 。 雪 の 中 に 一 晩 漬け られ た 。 
さて 大学生 諸君 、 その 晩 空 は よく 晴れ て 、 金 牛 宮 も きらめき 出し 、 二 十 四 日 の 銀 の 角 、 つめたく 光る 弦月 が 、 青じろい 水銀 の ひかり を 、 そこら の 雲 に そそぎ かけ 、 その つめたい 白い 雪 の 中 、 戦場 の 墓地 の よう に 積み あげ られ た 雪 の 底 に 、 豚 は きれい に 洗わ れ て 、 八 きれ に なっ て 埋まっ た 。 月 は だまっ て 過ぎ て 行く 。 夜 は いよいよ 冴え た の だ 。 
一 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 独立 
の でし た 。 実際 、 東 の そら は 、 お 「 キレ 」 さま の 出る 前 に 、 琥珀 色 の ビール で 一 杯 に なる の でし た 。 ところが 、 そのまま 夏 に なり まし た が 、 ばけ もの たち は みんな 騒ぎ はじめ まし た 。 
その わけ ばけ も の 麦 も 一向 みのら ず 、 大 が 咲い た だけ で 一 つぶ も 実に なり ませ ん でし た 。 秋 に なっ て も 全く その 通 栗 の 木 さえ 、 ただ 青い いが ばかり 、 飢饉 に なっ て しまい まし た 。 
その 年 は 暮れ まし た が 、 次 の 春 に なり ます と 飢饉 は もう とても ひどく なっ て しまい まし た 。 
ネネム の お父さん 、 森 の 中 の 青 ばけ もの は 、 ある 日 頭 を かかえ て いつ まで も い つ まで も 考え て い まし た が 、 急 に 起きあがっ て 、 
「 おれ は 森 へ 行っ て 何 か さがし て 来る ぞ 。 」 と 云い ながら 、 よろよろ 家 を 出 て 行き まし た が 、 それなり もう いつ まで 待っ て も 帰っ て 来 ませ ん でし た 。 たしかに ばけ も の 世界 の 天国 に 、 行っ て しまっ た の でし た 。 
ネネム の お母さん は 、 毎日 目 を 光らせ て 、 ため息 ばかり 吐い て い まし た が 、 ある 日 ネネム と マミ ミ と に 、 
「 わたし は 野原 に 行っ て 何 か さがし て 来る から ね 。 」 と 云っ て 、 よろよろ 家 を 出 て 行き まし た が 、 やはり それ きり いつ まで 待っ て も 帰っ て 参り ませ ん でし た 。 たしかに お母さん も その 天国 に 呼ば れ て 行っ て しまっ た の でし た 。 
ネネム は 小さな マミ ミ と ただ 二 人 、 寒 さ と 飢え と に ガタガタ ふるえ て 居り まし た 。 
すると ある 日 戸口 から 、 
「 いや 、 今日 は 。 私 は この 地方 の 飢饉 を 救け に 来 た もの です が ね 、 さあ 何 でも 喰 べ なさい 。 」 と 云い ながら 、 一 人 の 目 の 鋭い せい の 高い 男 が 、 大きな 籠 の 中 に 、 ワップル や 葡萄 パン や 、 その ほか うまい もの を 沢山 入れ て 入っ て 来 た の でし た 。 
二 人 は まるで 籠 を 引っ たくる よう に し て 、 ムシャムシャムシャムシャ 、 沢山 喰 べ て から 、 やっと 、 
「 おじさん ありがとう 。 ほんとう に ありがとう よ 。 」 なんて 云っ た の でし た 。 
男 は 大 へん 目 を 光らせ て 、 二 人 の たべる 処 を じっと 見 て 居り まし た が その 時 やっと 口 を 開き まし た 。 
「 お前 たち は いい 子供 だ ね 。 しかし いい 子供 だ と いう だけ で は 何 に も なら ん 。 わし と 一緒 に おいで 。 いい とこ へ 連れ て っ て やろ う 。 尤も 男の子 は 強い し 、 それに どうも 膝 や かかと の 骨 が 固まっ て しまっ て いる よう だ から 仕方 ない が 、 おい 、 女の子 。 おじさん とこ へ 来 ない か 。 一 日 いっぱい 葡萄 パン を 喰 べ さし て やる よ 。 」 
ネネム も マミ ミ も 何とも 返事 を し ませ ん でし た が 男 は ふい っと マミ ミ を お菓子 の 籠 の 中 へ 入れ て 、 
「 おお 、 ホイホイ 、 おお 、 ホイホイ 。 」 と 云い ながら 俄 か に あわて だし て 風 の よう に 家 を 出 て 行き まし た 。 
何 の こと だ か わけ が わから ず きょろきょろ し て い た マミ ミ 、 戸口 を 出 て から はじめて わっ と 泣き 出し ネネム は 、 
「 ど ろ ぼう 、 ど ろ ぼう 。 」 と 泣き ながら 叫ん で 追いかけ まし た が もう 男 は 森 を 抜け て ず うっ と 向う の 黄色 な 野原 を 走っ て 行く の が ちらっと 見える だけ でし た 。 マミ ミ の 声 が 小さな 白い 三角 の 光 に なっ て ネネム の 胸 に しみ込む ばかり でし た 。 
ネネム は 泣い て どなっ て 森 の 中 を うろうろ うろうろ はせ 歩き まし た が とうとう 疲れ て ば たっ と 倒れ て しまい まし た 。 
それから 何 日 経っ た か わかり ませ ん 。 
ネネム は ふっと 目 を あき まし た 。 見る と すぐ 頭 の 上 の ばけ も の 栗 の 木 が ふっ ふっと 湯気 を 吐い て い まし た 。 
その 幹 に 鉄 の はしご が 両方 から 二つ かかっ て 二 人 の 男 が 登っ て 何 か しきりに つ な を たぐる よう な 網 を 投げる よう な かたち を やっ て 居り まし た 。 
ネネム は 起きあがっ て 見 ます と お 「 キレ 」 さま は すっかり ふだん の 様 に なっ て おまけ に テカテカ し て 何 で も 今朝 あたり 顔 を きれい に 剃っ た らしい の です 。 
それ に かれ 草 が ほか ほかし て ばけ も の わらび など も ふらふら と 生え 出し て い ます 。 ネネム は 飛ん で 行っ て それ を むしゃむしゃ たべ まし た 。 すると ネネム の 頭 の 上 で いや に 平 べ っ たい 声 が し まし た 。 
「 おい 。 子供 。 やっと 目 が さめ た な 。 まだ お前 は 飢饉 の つもり かい 。 もう じき 夏 に なる よ 。 すこし おれ に 手伝わ ない か 。 」 
見る と それ は 実に 立派 な ばけ も の 紳士 でし た 。 貝殻 で こしらえ た 外套 を 着 て 水煙 草 を 片手 に 持っ て 立っ て いる の でし た 。 
「 おじさん 。 もう 飢饉 は 過ぎ た の 。 手伝い って 何 を 手伝う の 。 」 
「 昆布 取り さ 。 」 
「 ここ で 昆布 が とれる の 。 」 
「 取れる と も 。 見ろ 。 折角 やっ てる じゃ ない か 。 」 
なるほど さっき の 二 人 は 一生けん命 網 を なげ たり それ を 繰っ たり し て いる よう でし た が 網 も 糸 も 一向 見え ませ ん でし た 。 
「 あれ でも 昆布 が とれる の 。 」 
「 あれ でも 昆布 が とれる の か って 。 いや な 子供 だ な 。 おい 、 縁起 で も ない ぞ 。 取れ も し ない ところ に どうして 工場 なんか 建てる ん だ 。 取れる とも さ 。 現に おれ はじめ 沢山 の もの が それ で くらし を 立て て いる ん じゃ ない か 。 」 
ネネム は かすれ た 声 で やっと 
「 そう です か 。 おじさん 。 」 と 云い まし た 。 
「 それに この 森 は すっかり おれ の 森 な ん だ から さっき の よう に 勝手 に わらび なんぞ 取る こと は 疾 うに 差し止め て ある ん だ ぞ 。 」 
ネネム は 大変 いや な 気 が し まし た 。 紳士 は 又 云い まし た 。 
「 お前 も おれ の 仕事 に 手伝え 。 一 日 一 ドル ずつ 手間 を やる ぜ 。 そう でも し なかっ たら お前 は 飯 を 食え まい ぜ 。 」 
ネネム は 泣き 出し そう に なり まし た が やっと こらえ て 云い まし た 。 
「 おじさん 。 そん なら 僕 手伝う よ 。 けれども どうして 昆布 を 取る の 。 」 
「 ふん 。 そいつ は 勿論 教え て やる 。 いい か 、 そら 。 」 紳士 は ポケット から 小さく 畳ん だ 洋傘 の 骨 の よう な もの を 出し まし た 。 
「 いい か 。 こいつ を 延ばす と 子供 の 使う はしご に なる ん だ 。 いい か 。 そら 。 」 
紳士 は だんだん それ を 引き延ばし まし た 。 間もなく 長 さ 十 米 ばかり の 細い 細い 絹糸 で こさえ た よう な はしご が 出来 あがり まし た 。 
「 いい かい 。 こいつ を ね 。 あの 栗 の 木 に 掛ける ん だ よ 。 ああ 云う 工合 に ね 。 」 紳士 は さっき の 二 人 の 男 を 指さし まし た 。 二 人 は 相 かわら ず 見え ない 網 や 糸 を まっさお な 空 に 投げ たり 引い たり し て い ます 。 
紳士 は はしご を 栗 の 樹 に かけ まし た 。 
「 いい かい 。 今度 は おまえ が こいつ を のぼっ て 行く ん だ よ 。 そら 、 登っ て ごらん 。 」 
ネネム は 仕方 なく はしご に とりつい て 登っ て 行き まし た が はしご の 段々 が まるで 針金 の よう に 細く て 手 や 、 足 に 喰い 込ん で ちぎれ て しまい そう でし た 。 
「 もっと 登る ん だ よ 。 もっと 。 そら 、 もっと 。 」 下 で は 紳士 が 叫ん で い ます 。 ネネム は すっかり 頂上 まで 登り まし た 。 栗 の 木 の 頂上 という もの は どうも 実に 寒い の でし た 。 それ に 気がつい て 見る と 自分 の 手 から まるで 蜘蛛 の 糸 で こしらえ た よう な あやしい 網 が ぐらぐら ゆれ な がら ず うっ と 青空 の 方 へ ひろがっ て いる の です 。 その ぐらぐら は だんだん 烈しく なっ て ネネム は 危なく 下 に 落ち そう に さえ なり まし た 。 
「 そら 、 網 が あっ たろ う 。 そいつ を 空 へ 投げる ん だ よ 。 手 が ぐらぐら 云う だろ う 。 そいつ はね 、 風 の 中 の ふか や さめ が つきあたっ てる ん だ 。 おや 、 お前 は ふるえ てる ね 。 意気地 なし だ なあ 。 投げる ん だ よ 、 投げる ん だ よ 。 そら 、 投げる ん だ よ 。 」 
ネネム は 何とも 云え ず 厭 な 心持 が し まし た 。 けれども 仕方 なく 力 一 杯 に それ を たぐり 寄せ て それ から あら ん かぎり 上 の 方 に 投げつけ まし た 。 すると 目 が ぐるぐる っと し て 、 ご 機嫌 の いい お キレ さま まで が まるで 黒い 土 の 球 の よう に 見え それから シュウ と はしご の てっぺん から 下 へ 落ち まし た 。 もう 死ん だ と ネネム は 思い まし た が その 次に もう 耳 が 抜け た と ネネム は 思い まし た 。 という わけ は ネネム は きちんと 地面 の 上 に 立っ て い て 紳士 が ネネム の 耳 を つかん で ぶりぶり 云い ながら 立っ て い まし た 。 
「 お前 も いくじ の ない やつ だ 。 何 という ふにゃふにゃ だ 。 俺 が 今 お前 の 耳 を つかん で 止め て やら なかっ たら お前 は 今 ごろ は 頭 が パチ ン と はじけ て い たろ う 。 おれ は お前 の 大 恩人 という こと に なっ て いる 。 これから 失礼 を し て は なら ん 。 ところで さあ 、 登れ 。 登る ん だ よ 。 夕方 に なっ たら たべ もの も 送っ て やろ う 。 夜 に なっ たら 綿 の はいっ た チョッキ も やろ う 。 さあ 、 登れ 。 」 
「 夕方 に なっ たら 下 へ 降り て 来る ん でしょ う 。 」 
「 いい や 。 そんな こと が ある もん か 。 とにかく 昆布 が とれ なく ちゃ だめ だ 。 どれ 一寸 網 を 見せろ 。 」 
紳士 は ネネム の 手 に くっつい た 網 を たぐり 寄せ て 中 を あらため まし た 。 網 の ず うっ と はじ の 方 に 一寸 四方 ばかり の 茶色 な ヌラヌラ し た もの が つい て い まし た 。 紳士 は それ を 取っ て 
「 ふん 、 たった これ だけ か 。 」 と 云い ながら それでも 少し 笑っ た よう でし た 。 そして ネネム は 又 はしご を 上っ て 行き まし た 。 
やっと 頂上 へ 着い て 又 力一杯 空 に 網 を 投げ まし た 。 それ から わくわく する 足 を ふみしめ ふみしめ 網 を 引き寄せ て 見 まし た が 中 に は なんにも はいっ て い ませ ん でし た 。 
「 それ 、 しっかり 投げろ 。 なまける な 。 」 下 で は 紳士 が 叫ん で い ます 。 ネネム は そこ で 又 投げ まし た 。 やっぱり なんにも あり ませ ん 。 又 投げ まし た 。 やっぱり 昆布 は はいり ませ ん 。 
つかれ て ヘトヘト に なっ た ネネム は もう 何 でも 構わ ない から 下り て 行こ う と し まし た 。 すると 愕 い た こと に は はしご が あり ませ ん でし た 。 
そして もう 夕方 に なっ た と 見え て ばけ もの ぞ ら は 緑色 に なり 変 な ばけ も の パン が 下 の 方 から ふらふら のぼっ て 来 て ネネム の 前 に とまり まし た 。 紳士 は どこ へ 行っ た か 影 も かたち も あり ませ ん 。 
向う の 木 の 上 の 二 人 も しょんぼり と 頭 を 垂れ て パン を 食べ ながら 考え て いる よう す でし た 。 その 木 に も 鉄 の はしご が もう 見え ませ ん でし た 。 
ネネム も 仕方 なく ばけ も の パン を 噛 じ り はじめ まし た 。 
その 時 紳士 が 来 て 、 
「 さあ 、 たべ て しまっ たら みんな 早く 網 を 投げろ 。 昆布 を 一 斤 とら ない うち は 綿 の はいっ た チョッキ を やら ん ぞ 。 」 と どなり まし た 。 
ネネム は 叫び まし た 。 
「 おじさん 。 僕 もう だめ だ よ 。 おろし て お 呉れ 。 」 
紳士 が 下 で どなり まし た 。 
「 何 だ と 。 パン だけ 食っ て しまっ て あと は おろし て お 呉れ だ と 。 あんまり 勝手 な こと を 云う な 。 」 
「 だって もう うごけ ない ん だ もの 。 」 
「 そう か 。 それ じゃ 動ける まで やすむ さ 。 」 と 紳士 が 云い まし た 。 ネネム は 栗 の 木 の てっぺん に 腰 を かけ て つくづく と やすみ まし た 。 
その 時 栗 の 木 が 湯気 を ホッ ホッ と 吹き出し まし た ので ネネム は 少し 暖まっ て 楽 に なっ た よう に 思い まし た 。 そこで 又 元気 を 出し て 網 を 空 に 投げ まし た 。 空 で は 丁度 星 が 青く 光り はじめ た ところ でし た 。 
ところが 今度 の 網 が どうも 実に 重い の です 。 ネネム は よろこん で たぐり 寄せ て 見 ます と たしかに 大きな 大きな 昆布 が 一 枚 ひらり と はいっ て 居り まし た 。 
ネネム は よろこん で 
「 おじさん 。 さあ 投げる よ 。 とれ た よ 。 」 
と 云い ながら それ を 下 へ 落し まし た 。 
「 うまい 、 うまい 。 よし 。 さあ 綿 の チョッキ を やる ぜ 。 」 
チョッキ が ふらふら のぼっ て 来 まし た 。 ネネム は 急い で それ を 着 て 云い まし た 。 
「 おじさん 。 一 ドル 呉れる の 。 」 
紳士 が 下 の 浅黄 色 の も や の 中 で 云い まし た 。 
「 うん 。 一 ドル やる 。 しかし パン が 一 日 一 ドル だ から な 。 一 日 十 斤 以上 こんぶ を 取っ たら あと は 一 斤 十 セント で 買っ て やろ う 。 その よけい の 分 が おまえ の もうけ さ 。 ため て 置い て いつ でも 払っ て やる よ 。 その 代り 十 斤 に 足り なかっ たら 足り ない 分 が お前 の 損 さ 。 その 分 かし に し て 置く よ 。 」 
ネネム は 実に がっかり し まし た 。 向う の 木 の 二 人 の 男 は もう いくら 星あかり に すかし て 見 て も 居 ない よう でし た 。 きっと あんまり 仕事 が つらく て 消滅 し て しまっ た の でしょ う 。 さて ネネム は 決心 し まし た 。 それ から よる も ひる も 栗 の 木 の 湯気 と ばけ も の パン と 見え ない 網 と 紳士 と 昆布 と 、 これ だけ を 相手 に し て 実に 十 年 という もの この 仕事 を つづけ まし た 。 これら の 対 手 の 中 でも パン と 昆布 と が まず 大将 でし た 。 はじめ の 四 年 は 毎日 毎日 借り ばかり 次 の 五 年 で それ を 払い おしまい の 三 ヶ月 で お金 が たまり まし た 。 そこで 下 に 降り て たまっ た 三 百 ドル を ふところ に し て ばけ も の 世界 の まち の 方 へ 歩き 出し まし た 。 
二 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 立身 
ペンネンネンネンネン・ネネム は 十 年 の あいだ 木 の 上 に 直立 し 続け た 為 に しきりに 痛む 膝 を 撫で ながら 、 森 を 出 て 参り まし た 。 森 の 出口 に 小さな 雑貨 商 が あり まし た ので 、 ネネム は 店 に は いっ て 、 まっ黒 な 上着 と ズボン を 一つ 買い まし た 。 それ から 急い で それ を 着 ながら 考え まし た 。 
「 何 か 学問 を し て 書記 に なり たい もん だ な 。 もう 投げる よう な たぐる よう な こと は 考え た だけ でも 命 が 縮まる 。 よし きっと 書記 に なる ぞ 。 」 
ペンネンネンネンネン・ネネム は お銭 を 払っ て 店 を 出る 時 ちらっと 向う の 姿見 に うつっ た 自分 の 姿 を 見 まし た 。 
着物 が 夜 の よう に まっ黒 、 縮れ た 赤毛 が 頭 から 肩 に ふさふさ 垂れ まっ青 な 眼 は かがやき それ が 自分 だ か と 疑っ た 位 立派 でし た 。 
ネネム は 嬉しく て 口笛 を 吹い て ただ 一息 に 三 十 ノット ばかり 走り まし た 。 
「 ハンムンムンムンムン・ムムネ の 市 まで 、 もう どれ 位 あり ましょ う か 。 」 と ペンネンネンネンネン・ネネム が 、 向う から ふらふら やって来 た 黄色 な 影法師 の ばけ 物 に たずね まし た 。 
「 そう だ ね 。 一寸 ここ まで おいで 。 」 その 黄色 な 幽霊 は 、 ネネム の 四角 な 袖 の はじ を つまん で 、 一 本 の ばけ も の りんご の 木の下 まで 連れ て 行っ て 、 自分 の 片足 を りんご の 木の根 に そろえ て 置い て 云い まし た 。 
「 あなた も 片足 を ここ まで 出し なさい 。 」 
ネネム は 急い で その 通り し ます と その 黄色 な 幽霊 は 、 屈ん で 片 っ 方 の 目 を つぶっ て 、 足さ き が りんご の 木の根 と よく そろっ て いる か 検査 し た あと で 云い まし た 。 
「 いい か 。 ハンムンムンムンムン・ムムネ 市 の 入口 まで は 、 丁度 この 足 さき から 六 ノット 六 チェーン ある よ 。 それでは 途中 気 を つけ て おい で 。 」 そして くるっ と まわっ て 向う へ 行っ て しまい まし た 。 
ネネム は その うし ろ から 、 ていねい に お辞儀 を し て 、 
「 ああ ありがとう ござい ます 。 六 ノット 六 チェーン なら ば 、 私 が 一 時間 一 ノット 一 チェーン ずつ あるき ます と 六 時間 で 参れ ます 。 一 時間 三 ノット 三 チェーン ずつ あるき ます と 二 時間 で 参れ ます 。 すっかり 見当 が つき まし て 、 こんな うれしい こと は あり ませ ん 。 」 と 云い ながら 、 もう 一つ 頭 を 下げ まし た 。 赤毛 は じゃ らん と 下 に 垂 がり まし た けれども 、 実は 黄色 の 幽霊 は も うず うっ と 向う の ばけ も の 世界 の かげろう の 立つ 畑 の 中 に でも はいっ た らしく 、 影 も かたち も あり ませ ん でし た 。 
そこで ネネム は 又 あるき 出し まし た 。 する と 又 向う から 無 暗に ぎらぎら 光る 鼠色 の 男 が 、 赤い ゴム 靴 を はい て やっ て 参り まし た 。 そして ネネム を じろじろ 見 て い まし た が 、 突然 そば に 走っ て 来 て 、 ネネム の 右 の 手首 を しっかり つかん で 云い まし た 。 
「 おい 。 お前 は 森 の 中 の 昆布 採り が いや に なっ て こっち へ 出 て 来 た 様子 だ が 、 一体 これから 何 が 目的 だ 。 」 
ネネム は これ は きっと 探偵 に ちがい ない と 思い まし た ので 、 堅く なっ て 答え まし た 。 
「 はい 。 私 は 書記 が 目的 で あり ます 。 」 
すると その 男 は 左手 で 短 いひ げ を ひねっ て 一寸 考え て から 云い まし た 。 
「 は はあ 、 書記 が 目的 か 。 し て 見る と 何 だ な 。 お前 は 森 の 中 で あんまり ばけ も の パン ばかり 喰っ た な 。 」 
ネネム は すっかり 図星 を ささ れ て 、 面くらっ て 左手 で 頭 を 掻き まし た 。 
「 はい 実は 少少 たべ すぎ た か と 存じ ます 。 」 
「 そう だろ う 。 きっと そう に ちがい ない 。 よろしい 。 お前 の 身分 や 考え は よく 諒解 し た 。 行き なさい 。 わし は ムムネ 市 の 刑事 だ 。 」 
ネネム は そこ で やっと 安心 し て ていねい に おじぎ を し て 又 町 の 方 へ 行き まし た 。 
丁度 一 時間 と 六 分 かかっ て 、 三 ノット 三 チェーン を 歩い た とき 、 ネネム は 一 人 の 百姓 の お かみさん ばけ もの と 会い まし た 。 その 人 は 遠く から いかにも 不思議 そう な 顔 を し て 来 まし た が 、 とうとう 泣き 出し て かけ 寄り まし た 。 
「 まあ 、 クエク や 。 よく 帰っ て おいで だ ね 。 まあ 、 お前 は わたし を 忘れ て しまっ た の かい 。 ああ なさけない 。 」 
ネネム は 少し 面くらい まし た が 、 は はあ 、 これ は きっと 人 ちがい だ と 気がつき まし た ので 急い で 云い まし た 。 
「 いいえ 、 お かみさん 。 私 は クエク という 人 で は あり ませ ん 。 私 は ペンネンネンネンネン・ネネム という の です 。 」 
すると その 橙色 の 女 の ばけ もの は やっと 気がつい た と 見え て 俄 か に 泣き顔 を やめ て 云い まし た 。 
「 これ は どうも とんだ 失礼 を いたし まし た 。 あなた の おなり が あんまり せがれ そっくり な もん です から 。 」 
「 いいえ 。 どう 致し まし て 。 私 は 今度 はじめて ムムネ の 市 に 出る 処 です 。 」 
「 まあ 、 そう でし た か 。 うち の せがれ も 丁度 あなた と 同じ 年 ころ でし た 。 まあ 、 お 髪 の ちぢれ 工合 から 、 お 耳 の キラキラ する 工合 、 何 から 何 まで そっくり です 。 それに まあ 、 なめくじ ばけ もの の よう な 柔らか な お あし に 、 硬い は が ね の わらじ を はい て 、 なに が 御 志願 で いら し ゃるのやら 。 おお 、 うち の せがれ も こんな わらじ で どこ を 今 ごろ 、 ポオ 、 ポオ 、 ポオ 、 ポオ 。 」 と その おかみ さん ばけ もの は 泣き 出し まし た 。 ネネム は 困っ て 、 
「 ね 、 お かみさん 。 あなた の むすこ さん は 、 もう きっと どこ か の 書記 に なっ てる ん でしょ う 。 きっと じき お 迎い を よこす に ちがい あり ませ ん 。 そんなに お 泣き なさら なく て も いい でしょ う 。 私 は 急ぎ ます から これ で 失礼 いたし ます 。 」 と 云い ながら クラリオネット の よう な すすり泣き の 声 を あと に 、 急い で そこ を 立ち去り まし た 。 
さて それ から 十 五 分 で ネネム は ムムネ の 市 まで もう 三 チェーン の 所 まで 来 まし た 。 ネネム は そこ で 髪 を すっかり 直し て 、 それから 路 ば た の 水銀 の 流れ で 顔 を 洗い 、 市 に は いっ て 行く 支度 を し まし た 。 
それから なるべく 心 を 落ちつけ て だんだん 市 に 近づき ます と 、 さすが は ばけ も の 世界 の 首府 のけ はい は 、 早く も ネネム に 感じ まし た 。 
ノンノンノンノンノン という うなり は 地 の 
「 今 授業 中 だ よ 。 やかましい やつ だ 。 用 が ある なら はいっ て 来い 。 」 と どなり まし た ので 、 学校 の 建物 は ぐらぐら し まし た 。 
ネネム は そこ で 思い切っ て 、 なるべく 足音 を 立て ない よう に 二 階 に あがっ て その 教室 に はいり まし た 。 教室 の 広い こと は まるで 野原 です 。 さまざま の 形 、 とう が らし や 、 臼 や 、 鋏 や 、 赤 や 白 や 、 実に さまざま の 学生 の ばけ もの が ぎっしり です 。 向う に は 大きな 崖 の くらい ある 黒板 が つるし て あっ て 、 せ の 高 さ 百 尺 あまり の さっき の 先生 の ばけ もの が 、 講義 を やっ て 居り まし た 。 
「 それで その 、 もしも 塩素 が 赤い 色 の もの なら ば 、 これ は 最も 明らか な 不合理 で ある 。 黄色 で なく て は なら ん 。 し て 見る と 黄色 という 事 は ずいぶん 大切 な もん だ 。 黄 という 字 は こう 書く の だ 。 」 
先生 は 黒板 を 向い て 、 両手 や 鼻 や 口 や 肱 や カラア や 髪の毛 や なに か で 一 ぺん に 三 百 ばかり 黄 という 字 を 書き まし た 。 生徒 は みんな 大急ぎ で 筆記 帳 に 黄 という 字 を 一杯 書き まし た が とても 先生 の よう に うまく は 出来 ませ ん 。 
ネネム は そっと 一番 うし ろ の 席 に 座っ て 、 隣り の 赤 と 白 の まだ ら の ばけ も の 学生 に 低く たずね まし た 。 
「 ね 、 この 先生 は 何 て 云う ん です か 。 」 
「 お前 知ら なかっ た の かい 。 フゥフィーボー 博士 さ 。 化学 の 。 」 と その 赤い ば け もの は 馬鹿 に し た よう に 目 を 光らせ て 答え まし た 。 
「 あっ 、 そう でし た か 。 この 先生 です か 。 名高い 人 な ん です ね 。 」 と ネネム は そっと つぶやき ながら 自分 も ふところ から 鉛筆 と 手帳 を 出し て 筆記 を はじめ まし た 。 
その 時 教室 に パッ と 電 燈 が つき まし た 。 もう 夕方 だっ た の です 。 博士 が 向う で 叫ん で い ます 。 
「 しから ば 何 が 故に 夕方 緑色 が 判然 と する か 。 けだし これ は プウルウキインイイ の 現象 による の で ある 。 プウルウキインイイ と は こう 書く 。 」 
博士 は みみず の よう な 横文字 を 一 ぺん に 三 百 ばかり 書き まし た 。 ネネム も 一生けん命 書き まし た 。 それから 博士 は 俄 か に 手 を 大きく ひろげ て 
「 げに も 、 かの 天 に あり て 濛々 たる 星雲 、 地 に あり て は あいまい たる ばけ 物 律 、 これ は これ 宇宙 を 支配 す 。 」 と 云い ながら テーブル の 上 に 飛び あがっ て 腕 を 組み 堅く 口 を 結ん で きっと あたり を 見 まわし まし た 。 
学生 ども は みんな 興奮 し て 
「 ブラボオ 。 フゥフィーボー 先生 。 ブラボオ 。 」 と 叫ん で それから バタバタ 、 ノート を 閉じ まし た 。 ネネム も すっかり 釣り込ま れ て 、 
「 ブラボオ 。 」 と 叫ん で 堅く 堅く 決心 し た よう に 口 を 結び まし た 。 この 時 先生 は やっと ほんの すこ う し 笑っ て 一段 声 を 低く し て 云い まし た 。 
「 みなさん 。 これから すぐ 卒業 試験 に かかり ます 。 一 人 ずつ 私 の 前 を お 通り なさい 。 」 と 云い まし た 。 
学生 ども は 、 そこで 一 人 ずつ 順々 に 、 先生 の 前 を 通り ながら ノート を 開い て 見せ まし た 。 
先生 は それ を 一寸 見 て それ から 一言 か 二言 質問 を し て 、 それから 白墨 で せ なか に 「 及 」 とか 「 落 」 とか 「 同情 及 」 とか 「 退校 」 とか 書く の でし た 。 
書か れる 間 学生 は いかにも くすぐった そう に 首 を ちぢめ て いる の でし た 。 書か れ た 学生 は 、 いかにも 気がかり らしく 、 そっと 肩 を すぼめ て 廊下 まで 出 て 、 友達 に 読ん で 貰っ て 、 よろこん だり 泣い たり する の でし た 。 ぐんぐん ぐんぐん 、 試験 が すん で 、 いよいよ ネネム 一 人 に なり まし た 。 ネネム が ノート を 出し た 時 、 フゥフィーボー 博士 は 大きな あくび を やり まし た ので 、 ノート は スポリ と 先生 に 吸い込ま れ て しまい まし た 。 先生 は それ を 別段 気 に かける で も ない らしく 、 コクッ と 呑ん で しまっ て 云い まし た 。 
「 よろしい 。 ノート は 大 へん に よく 出来 て いる 。 そん なら 問題 を 答え なさい 。 煙突 から 出る けむり に は 何 種類 ある か 。 」 
「 四 種類 あり ます 。 もし その 種類 を 申し ます なら ば 、 黒 、 白 、 青 、 無色 です 。 」 
「 うん 。 無色 の 煙 に 気がつい た 所 は 、 実に どうも 偉い 。 そん なら 形 は どう で ある か 。 」 
「 風 の ない 時 は たて の 棒 、 風 の 強い 時 は 横 の 棒 、 その他 は みみず など の 形 。 あまり 煙 の 少ない 時 は コルク 抜き の よう に も なり ます 。 」 
「 よろしい 。 お前 は 今日 の 試験 で は 一等 だ 。 何 か 望み が ある なら 云い なさい 。 」 
「 書記 に なり たい の です 。 」 
「 そう か 。 よろしい 。 わし の 名刺 に 向う の 番地 を 書い て やる から 、 そこ へ すぐ 今夜 行き なさい 。 」 
ネネム は 名刺 を 呉れる か と 思っ て 待っ て い ます と 、 博士 は いきなり 白墨 を とり 直し て ネネム の 胸 に 、 「 セム 二 十 二 号 。 」 と 書き まし た 。 
ネネム は よろこん で 叮寧 に おじぎ を し て 先生 の 処 から 一足 退き ます と 先生 が 低く 、 
「 もう 藁 の オムレツ が 出来 あがっ た 頃 だ な 。 」 と 呟 やい て テーブル の 上 に あっ た 革 の カバン に 白墨 の かけ ら や 講義 の 原稿 やら を 、 みんな 一緒 に 投げ込ん で 、 小脇 に かかえ 、 さっき 顔 を 出し た 窓 から ホイッ と 向う の 向う の 黒い 家 を めがけ て 飛び出し まし た 。 そして ネネム は まち を こめ た 黄色 の 夕暮 の 中 の 物 干 台 に フゥフィーボー 博士 が 無事 に 到着 し て 家 の 中 に 入っ て 行く の を たしかに 見 まし た 。 
そこで ネネム は 教室 を 出 て はしご段 を 降り ます と 、 そこ に は 学生 が 実に 沢山 泣い て い まし た 。 全く 三 千 六 百 五 十 三 回 、 則 ち 閏年 も 入れ て 十 年 という 間 、 日曜 も 夏休み も なし に 落第 ばかり し て い て は 、 これ が 泣か ない で い られ ましょ う か 。 けれども ネネム は 全く それ と は 違い ます 。 
元気 よく 大 学校 の 門 を 出 て 、 自分 の 胸 の 番地 を 指さし て 通りかかっ た くらげ の よう な ば け もの に 、 どう 行っ たら いい か を たずね まし た 。 
すると その ばけ もの は 、 ひどく 叮寧 に おじぎ を し て 、 
「 ええ 。 それ は 世界 裁判 長 の お 邸 で ござい ます 。 ここ から 二 チェーン ほど おいで に なり ます と 、 大きな 粘土 で かため た 家 が ござい ます 。 すぐ お わかり で ござい ましょ う 。 どうか 私 も よろしく お引き立て を ねがい ます 。 」 と 云っ て 又 叮寧 に おじぎ を し まし た 。 
ネネム は そこ で 一 時間 一 ノット 一 チェーン の 速 さ で 、 そちら へ 進ん で 参り まし た 。 たちまち 道 の 右側 に 、 その 粘土 作り の 大きな 家 が しゃんと 立っ て 、 世界 裁判 長官 邸 と 看板 が かかっ て 居り まし た 。 
「 ご免 なさい 。 ご免 なさい 。 」 と ネネム は 赤い 髪 を 掻き ながら 云い まし た 。 
すると 家 の 中 から ペタペタペタペタ 沢山 の 沢山 の ばけ もの ども が 出 て 参り まし た 。 
みんな まっ黒 な 長い 服 を 着 て 、 恭 々 しく 礼 を いたし まし た 。 
「 私 は 大 学校 の フゥフィーボー 先生 の ご 紹介 で 参り まし た が 世界 裁判 長 に 一寸 お目にかかれ ましょ う か 。 」 
すると みんな は 口 を そろえ て 云い まし た 。 
「 それ は あなた で ござい ます 。 あなた が その 裁判 長 で ござい ます 。 」 
「 なるほど 、 そう です か 。 すると あなた 方 は 何 です か 。 」 
「 私 ども は あなた の 部下 です 。 判事 や 検事 や なん か です 。 」 
「 そう です か 。 それでは 私 は ここ の 主人 です ね 。 」 
「 さよう で ござい ます 。 」 
こんな よう な 訳 で ペンネンネンネンネン・ネネム は 一 ぺん に 世界 裁判 長 に なっ て 、 みんな に 囲ま れ て 裁判 長 室 の 海綿 で こしらえ た 椅子 に どっかり と 座り まし た 。 
すると 一 人 の 判事 が 恭 々 しく 申し まし た 。 
「 今晩 開廷 の 運び に なっ て いる 件 が 二つ ござい ます が 、 いかが で ござい ましょ う お 疲れ で いらっしゃい ましょ う か 。 」 
「 いい や 、 よろしい 。 やり ます 。 しかし 裁判 の 方針 は どう です か 。 」 
「 はい 。 裁判 の 方針 は こちら の 世界 の 人民 が 向う の 世界 に なるべく 顔 を 出さ ぬ よう に 致し たい の で ござい ます 。 」 
「 わかり まし た 。 それでは すぐ やり ます 。 」 
ネネム は まっ白 な ちぢれ毛 の かつら を 被っ て 黒い 長い 服 を 着 て 裁判 室 に 出 て 行き まし た 。 部下 が もう 三 十 人 ばかり 席 に つい て い ます 。 
ネネム は 正面 の 一番 高い 処 に 座り まし た 。 向う の 隅 の 小さな 戸口 から 、 ばけ もの の 番兵 に 引っぱら れ て 出 て 来 た の は せい の 高い 眼 の 鋭い 灰色 の やつ で 、 片手 に ほうき を 持っ て 居り まし た 。 一 人 の 検事 が 声 高く 書類 を 読み上げ まし た 。 
「 ザシキワラシ 。 二 十 二 歳 。 アツレキ 三 十 一 年 二月 七 日 、 表 、 日本 岩手 県 上閉伊 郡 青笹 村 字 瀬戸 二 十 一 番 戸 伊藤 万 太 の 宅 、 八 畳 座敷 中 に 故 なく し て 擅 に 出現 し て 万 太 の 長男 千 太 、 八 歳 を 気絶 せしめ たる 件 。 」 
「 よろしい 。 わかっ た 。 」 と ネネム の 裁判 長 が 云い まし た 。 
「 姓名 年齢 、 その 通り に 相違 ない か 。 」 
「 相違 あり ませ ん 。 」 
「 その 方 は アツレキ 三 十 一 年 二月 七 日 、 伊藤 万 太 方 の 八 畳 座敷 に 故 なく し て 擅 に 出現 し たる こと は 、 しかと その 通り に 相違 ない か 。 」 
「 全く 相違 あり ませ ん 。 」 
「 出現 後 は 何 を 致し た 。 」 
「 ザシキ を ザワッザワッ と 掃い て 居り まし た 。 」 
「 何 の 為 に 掃い た の だ 。 」 
「 風 を 入れる 為 です 。 」 
「 よろしい 。 その 点 は 実に 公益 で ある 。 本官 に 於 て 大いに 同情 を 呈する 。 しかしながら すでに 妄り に 人 の 居 ない 座敷 の 中 に 出現 し て 、 箒 の 音 を 発し た 為 に 、 その 音 に 愕 ろ い て 一寸 のぞい て 見 た 子供 が 気絶 を し た と なれ ば 、 これ は 明らか な 出現 罪 で ある 。 依っ て 今日 より 七 日間 当 ムムネ 市 の 街路 の 掃除 を 命ずる 。 今後 は ばけ も の 世界長 の 許可なく し て 、 妄り に 向う側 に 出現 する こと は なら ん 。 」 
「 かしこまり まし た 。 ありがとう ござい ます 。 」 
「 実に 名 断 だ ね 。 どうも 実に 今度 の 長官 は 偉い 。 」 と 判事 たち は 互に ささやき 合い まし た 。 
ザシキワラシ は おじぎ を し て よろこん で 引っ込み まし た 。 
次に 来 た の は 鳶色 と 白 と の 粘土 で 顔 を すっかり 隈取 って 、 口 が 耳 まで 裂け て 、 胸 や 足 は は だ か で 、 腰 に 厚い 簑 の よう な もの を 巻い た ば け もの でし た 。 一 人 の 判事 が 書類 を 読み あげ まし た 。 
「 ウウウウエイ 。 三 十 五 歳 。 アツレキ 三 十 一 年 七月 一 日 夜 、 表 、 アフリカ 、 コンゴオ の 林 中 の 空地 に 於 て 故 なく し て 擅 に 出現 、 舞踏 中 の 土地 人 を 恐怖 散乱 せしめ たる 件 。 」 
「 よろしい 、 わかっ た 。 」 と ネネム は 云い まし た 。 
「 姓名 年齢 その 通り に 相違 ない か 。 」 
「 へい 。 その 通り です 。 」 
「 その 方 は アツレキ 三 十 一 年 七月 一 日 夜 、 アフリカ 、 コンゴオ の 林 中空 地 に 於 て 、 故 なく し て 擅 に 出現 、 折 柄 月明 によって 歌舞 、 歓 を な せる 所 の 一群 を 恐怖 散乱 せしめ た こと は 、 しかと その 通り に ちがい ない か 。 」 
「 全く その 通り です 。 」 
「 よろしい 。 何 の 目的 で 出現 し た の だ 。 既に 法律 上 故 なく 擅 と なっ て ある が 、 その 方 の 意中 を 今 一応 尋ねよ う 。 」 
「 へい 。 その 実は 、 あまり 面白かっ た もん です から 。 へい 。 どうも 相 済み ませ ん 。 あまり 面白かっ た んで 。 ケロ 、 ケロ 、 ケロ 、 ケロロ 、 ケロ 、 ケロ 。 」 
「 控えろ 。 」 
「 へい 。 全く どうも 相 済み ませ ん 。 恐れ入り まし た 。 」 
「 うん 。 お前 は 、 最 明らか な 出現 罪 で ある 。 依っ て 明日 より 二 十 二 日間 、 ムッ セン 街道 の 見 まわり を 命ずる 。 今後 ばけ ものの 世界長 の 許可なく し て 、 妄り に 向 側 に 出現 いたし て は なら ん ぞ 。 」 
「 かしこまり まし た 。 ありがとう ござい ます 。 」 その ばけ もの も 引っ込み まし た 。 
「 実に 名 断 だ 。 いい 判決 だ ね 。 」 と みんな ささやき 合い まし た 。 その 時 向う の 窓 が ガタリ と 開い て 
「 どう だ 、 いい 裁判 長 だろ う 。 みんな 感心 し た かい 。 」 と 云う 声 が し まし た 。 それ は さっき の 灰色 の 一 メートル ある 顔 、 フゥフィーボー 先生 でし た 。 
「 ブラボオ 。 フゥフィーボー 博士 。 ブラボオ 。 」 と 判事 も 検事 も みんな 怒鳴り まし た 。 その 時 は もう 博士 の 顔 は 消え て 窓 は ガタン と しまり まし た 。 
そこで ネネム は 自分 の 室 に 帰っ て 白い ちぢれ毛 の かつら を 除 り まし た 。 それから 寝 まし た 。 
あと は あした の こと です 。 
三 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 巡視 
ばけ も の 世界 裁判 長 に なっ た ペンネンネンネンネン・ネネム は 、 次 の 朝 六 時 に 起き て 、 すぐ 部下 の 検事 を 一 人 呼び まし た 。 
「 今日 は 何 時 に 公判 の 運び に なっ て いる か 。 」 
「 本日 も やはり 晩 の 七 時 から 二 件 だけ ござい ます 。 」 
「 そう か 。 よろしい 。 それでは 今朝 は 八 時 から 世界長 に 挨拶 に 出よ う 。 それ から すぐ 巡視 だ 。 みんな その 支度 を しろ 。 」 
「 かしこまり まし た 。 」 
そこで ペンネンネンネンネン・ネネム は 、 燕麦 を 一 把 と 、 豆汁 を 二 リットル で 軽く 朝飯 を すまし て 、 それ から 三 十 人 の 部下 を つれ て 世界長 の 官邸 に 行き まし た 。 
ばけ も の 世界長 は 、 もう 大広間 の 正面 に 座っ て 待っ て い ます 。 世界長 は 身 の たけ 百 九 十 尺 も ある 中世代 の 瑪瑙 木 でし た 。 
ペンネンネンネンネン・ネネム は 、 恭 々 しく 進ん で 片 膝 を 床 に つけ て 頭 を 下げ まし た 。 
「 ペンネンネンネンネン・ネネム 裁判 長 は おまえ で ある か 。 」 
「 さよう で ござい ます 。 永久 に 忠勤 を 誓い 奉り ます 。 」 
「 うん 。 しっかり やっ て 呉れ 。 ゆうべ の 裁判 の こと は もう 聞い た 。 それ に 今朝 は これから 巡視 に 出る そう だ な 。 」 
「 はい 。 恐れ入り ます 。 」 
「 よろしい 。 どう か しっかり やっ て 呉れ 。 」 
「 かしこまり まし た 。 」 
そこで ペンネンネンネンネン・ネネム は 又 うやうやしく 世界長 に 礼 を し て 、 後戻り し て 退き まし た 。 三 十 人 の 部下 は もう 世界長 の 首尾 が いい ので 大 喜び です 。 
ペンネンネンネンネン・ネネム も 大 機嫌 で それ から 町 を 巡視 し はじめ まし た 。 
ばけ も の 世界 の ハンムンムンムンムン・ムムネ 市 の 盛ん な こと は 、 今日 と て 少し も 変り ませ ん 。 億 百 万 の ばけ もの ども は 、 通り過ぎ 通りかかり 、 行きあい 行き過ぎ 、 発生 し 消滅 し 、 聨合 し 融合 し 、 再現 し 進行 し 、 それ は それ は 、 実に どうも 見事 な もん です 。 ネネム も いまさら ながら 、 つくづく と 感服 いたし まし た 。 
その 時 向う から 、 トッテントッテントッテンテン と 、 チャリネル という 楽器 を 叩い て 、 小さな 赤い 旗 を たて た 車 が 、 ほんの 少し ずつ こっち へ やって来 まし た 。 見物 の ばけ もの が まるで 赤山 の よう に その まわり について 参り ます 。 
ペンネンネンネンネン・ネネム は 、 行きあい ながら ふと 見 ます と 、 その 赤い 旗 に は 、 白く フクジロ と 染め抜い て あっ て 、 その 横 に せい の 高 さ 三 尺 ばかり の 、 顔 が まるで じじい の よう に 皺くちゃ な 殊に 鼻 が 一 尺 ばかり も ある 怖い 子供 の よう な もの が 、 小さな 半 ず ぼん を はい て 立ち 、 車 を 引っ張っ て いる 黒い 硬い ば け もの から 、 「 フクジロ 印 」 という 商標 の マッチ を 、 五つ ばかり 受け取っ て い まし た 。 ネネム は 何 を する の か と 思っ て もっと 見 て い ます と 、 その いや な もの は マッチ を 持っ て よちよち 歩き 出し まし た 。 
赤山 の よう な ば け ものの 見物 は 、 わいわい それ に ついて行き ます 。 一 人 の 若い ば け もの が 、 うし ろ から 押さ れ て ちょっと その いや な もの に さわり まし たら 、 その フクジロ という いや な もの は くるり と 振り向い て 、 いきなり ピシャリ と その 若 ばけ もの の 頬 ぺたを 撲りつけ まし た 。 
それから いや な もの は 向う の 荒物屋 に 行き まし た 。 その 荒物屋 という の は 、 ばけ も の 歯みがき や 、 ばけ も の 楊子 や 、 手拭 や ず ぼん 、 前 掛 など まで 、 すべて ばけ も の 用具 一式 を 売っ て いる の でし た 。 
フクジロ が よちよち はいっ て 行き ます と 、 荒物屋 の お かみさん は 、 怖がっ て 逃げよ う と し まし た 。 お かみさん だって 顔 が まるで 獏 の よう で 、 立派 な ば け もの でし た が 、 小さく て しわくちゃ な フクジロ を 見 て は 、 もう すっかり おびえ あがっ て しまっ た の でし た 。 
「 おかみ さん 。 フクジロ・マッチ 買っ て お 呉れ 。 」 
お かみさん は やっと 気 を 落ちつけ て 云い まし た 。 
「 いくら です か 。 ひとつ 。 」 
「 十 円 。 」 
お かみさん は 泣き そう に なり まし た 。 
「 さあ 買っ て お 呉れ 。 買わ なかっ たら 踊 を やる ぜ 。 」 
「 買い ます 、 買い ます 。 踊 の 方 はいり ませ ん 。 そら 、 十 円 。 」 お かみさん は 青く なっ て ブルブル し ながら 銭函 から お金 を 集め て 十 円 出し まし た 。 
「 ありがとう 。 ヘン 。 」 と 云い ながら その いや な もの は 店 を 出 まし た 。 
そして 今度 は 、 となり の ばけ も の 酒屋 に はいり まし た 。 見物 は わいわい ついて行き ます 。 酒屋 の はげ頭 の おじいさん ばけ もの も 、 やっぱり ぶるぶる し ながら 十 円 出し まし た 。 
その 隣 は タン 屋 という 店 でし た が 、 ここ でも 主人 が 黄色 な 顔 を 緑色 に し て ふるえ ながら 、 十 円 で マッチ 一つ 買い まし た 。 
「 これ は いか ん 。 実に けしからん 。 こう 云う いや な もの が 町 の 中 を 勝手 に 歩く という こと は おれ の 恥辱 だ 。 いい から ひっくくっ て しまえ 。 」 と ペンネンネンネンネン・ネネム は 部下 の 検事 に 命令 し まし た 。 一 人 の 検事 が すぐ 進ん で 行っ て タン 屋 の 店 から 出 て 来る ばかり の その いや な もの を くるくる 十 重 ばかり に ひっくくっ て しまい まし た 。 ペンネンネンネンネン・ネネム が みんな を 押し分け て 前 に 出 て 云い まし た 。 
「 こら 。 その 方 は 自分 の 顔 や かたち の いや な こと を いい こと に し て 、 一つ 一 銭 の マッチ を 十 円 ずつ に 家 ごと 押しつけ て あるく 。 悪い やつ だ 。 監獄 に 連れ て 行く から そう 思え 。 」 
すると その いや な もの は 泣き 出し まし た 。 
「 巡査 さん 。 それ は ひどい よ 。 僕 は いくら お金 を 貰っ たって 自分 で 一 銭 も とり は し ない ん だ 。 みんな 親方 が しまっ て しまう ん だ よ 。 許し て お 呉れ 。 許し て お 呉れ 。 」 
ネネム が 云い まし た 。 
「 そう か 。 すると お前 は 毎日 ただ 引っぱり 廻さ れ て 稼が せ られる 丈 け だ な 。 」 
「 そう だ よ 、 そう だ よ 。 僕 を 太夫 さん だ なんて 云い ながら 、 ひどい 目 に ばかり あわす ん だ よ 。 ご飯 さえ 碌 に 呉れ ない ん だ よ 。 早く 親方 を つかまえ て お 呉れ 。 早く 、 早く 。 」 今度 は その いや な もの が 俄 か に 元気 を 出し まし た 。 
そこで 
「 あの 車 の とこ に 居る もの を 引っくくれ 。 」 と ネネム が 云い まし た 。 丁度 出 て 来 た 巡査 が 三 人 ばかり 飛ん で 行っ て 、 車 に ポ カン と 腰掛け て 居 た 黒い 硬い ば け もの を 、 くるくる くるっ と 縛っ て しまい まし た 。 ネネム は いや な もの と 一緒 に そっち へ 行き まし た 。 
「 こら 。 き さま は こんな かた わ なあ われ な もの を だし に し て 、 一銭 の マッチ を 十 円 ずつ に 売っ て いる 。 さあ 監獄 へ 連れ て 行く ぞ 。 」 
親方 が 泣き 出し そう に なっ て 口早 に 云い まし た 。 
「 お 役人 さん 。 そいつ ぁあんまり 無理 です ぜ 。 わし ぁ 一 日 一 杯 あるい て ます が やっと 喰う だけ しか 貰わ ない ん です 。 あと は みんな 親方 が とっ て しまう ん です 。 」 
「 ふん 、 そう か 。 その 親方 は どこ に 居る ん だ 。 」 
「 あすこ に 居 ます 。 」 
「 どれ だ 。 」 
「 あの まがり角 で そら を 向い て あくび を し て いる 人 です 。 」 
「 よし 。 あいつ を しばれ 。 」 まがり角 の 男 は 、 しばら れ て びっくり し て 、 口 を パクパク やり まし た 。 ネネム は 二 人 を 連れ て そっち へ 歩い て 行っ て 云い まし た 。 
「 こら き さま は 悪い やつ だ 。 何 も 文句 を 云う こと は ない 。 監獄 に はいれ 。 」 
「 これ は ひどい 。 一体 どう し た の です 。 は はあ 、 フクジロ も タン イチ も しばら れ た な 。 その 事 なら なあに 私 は ただ こう やっ て 監督 に 云い つかっ て 車 を 見 て いる 丈 で ござい ます 。 私 は 日給 三 十 銭 の 外 に 一 銭 だって 貰 や し ませ ん 。 」 
「 ふん 。 どうも 実に いや な 事件 だ 。 よし 、 お前 の 監督 は どこ に 居る か 、 云え 。 」 
「 向う の 電信柱 の 下 で 立っ た まま 居 睡り を し て いる あの 人 です 。 」 
「 そう か 。 よろしい 。 向う の 電信 ば しら の 下 の やつ を 縛れ 。 」 巡査 や 検事 が すぐ 飛ん で 行こ う と し まし た 。 その 時 ネネム は 、 ふと もっと 向う を 見 ます と 、 大抵 五 間隔 き ぐらい に 、 あく びをしたりうでぐみをしたり 、 ぼんやり 立っ て いる もの が まだまだ たくさん 続い て い ます 。 そこで ネネム が 云い まし た 。 
「 一寸 待て 。 まだ 向う に も 監督 が 沢山 居る よう だ 。 よろしい 。 順ぐり に みんな しばっ て 来い 。 一番 おしまい の やつ を 逃がす な よ 。 さあ 行け 。 」 
十 人 ばかり の 検事 と 十 人 ばかり の 巡査 が ふう と けむり の よう に 向う へ 走っ て 行き まし た 。 見る 見る 監督 ども が 、 みんな ペタペタ しばら れ て 十 五 分 も たた ない うち に 三 十 人 という ばけ もの が 一 列 に ず うっ と つづい て ひっぱら れ て 来 まし た 。 
「 一番 おしまい の やつ は こいつ か 。 」 と ネネム が 緑色 の 大 へん ハイカラ な ば け もの を ゆびさし まし た 。 
「 そう です 。 」 みんな は 声 を そろえ て 云い ます 。 
「 よろしい 。 こら 。 その 方 は 、 あんな あわ れ なか た わ を 使っ て 一 銭 の マッチ を 十 円 に 売っ て いる と は 一体 どう 云う わけ だ 。 それに 三 十 二 人 も 人 を 使っ て 、 あくまで 自分 の 悪い こと を かくそ う と は 実に けしからん 。 さあ どう だ 。 」 
ところが 緑色 の ハイカラ な ば け もの は 口 を 尖らし て 、 一向 恐れ入り ませ ん 。 
「 これ は けしからん 。 私 は そんな こと を し た 覚え は ない 。 私 は 百 二 十 年 前 に この方 に 九 円 だけ 貸し が ある ので 今 は もう 五 千 何 円 に なっ て いる 。 わし は この 方 の あと を つけ て 歩い て 毎日 、 日 プ で 三 十 円 ずつ とる 商売 な ん だ 。 」 と 云い ながら 自分 の 前 の まっ 赤 な ハイカラ な ば け もの を 指さし まし た 。 
すると その 赤色 の ハイカラ が 云い まし た 。 
「 その 通り だ 。 私 は この 人 に 毎日 三 十 円 ずつ 払う 。 払っ て も 払っ て も 元金 は 殖える ばかり だ 。 それ は とにかく 私 は 又 この 前 の お方 に 百 四 十 年 前 に 非常 な 貸し が ある ので それ を もと で に 毎日 この 人 について 歩い て 実は 五 十 円 ずつ とっ て いる の だ 。 マッチ の 罪 とか なんとか 一向 私 は しら ない 。 」 と 云い ながら 自分 の 前 の 青い 色 の ハイカラ な ば け もの を 指さし まし た 。 すると 青い の が 云い まし た 。 
「 その 通り だ 。 わし は 毎日 五 十 円 ずつ 払う 。 そして わし は この 前 の お方 に 二 百 年 前 かなり の 貸し が ある ので それ を もと で に 毎日 つい て 歩い て 百 円 ずつ とる だけ な の だ 。 」 
指さ れ た その 前 の 黄色 な ハイカラ が 云い まし た 。 
「 そう だ 。 その 通り だ 。 そして わし は この 前 の お方 に 昔 すてき な かし が ある ので 、 毎日 つい て 歩い て 三 百 円 ずつ とる の だ 。 」 
「 ふうん 。 大分 わかっ て 来 た ぞ 。 あと は もう 貸し た 年 と 今 とる 金 だ か だけ を 云え 。 」 と ネネム が 申し まし た 。 
「 二 百 五 十 年 五 百 円 」 「 三 百 年 、 千 円 」 「 三 百 一 年 、 千 七 円 」 「 三 百 二 年 、 千 八 円 」 「 三 百 三 年 、 千 九 円 」 「 三 百 四 年 、 千 十 円 。 」 
ネネム は すばやく 勘定 し まし た 。 
「 もう わかっ た 。 第 三 十 番 。 電信柱 の 下 の 立ち ねむり 。 おまえ は 千 三 十 円 とっ て いる だろ う 。 」 
「 全く さよう で ござい ます 。 ご 明察 恐れ入り ます 。 」 
その 時 さっき の 角 の ところ に 立っ て 、 あくび を し て い た 監督 が 云い まし た 。 
「 どう です 。 そう でしょ う 。 私 は 毎日 千 三 十 円 三 十 銭 だけ とっ て 、 千 三 十 円 だけ この 人 に 納める の です 。 」 
ネネム が 云い まし た 。 
「 そう か 。 する と 一体 誰 が フクジロ を 使っ て 歩か せ て いる の だ 。 」 
「 私 に は わかり ませ ん 。 私 に は わかり ませ ん 。 」 と みんな が 一 度 に 云い まし た 。 そこで ネネム も 一寸 困り まし た が しばらく たって から 申し まし た 。 
「 よし 。 そん なら フクジロ の マッチ を 売っ て いる こと を 知っ て いる もの は 手 を あげ 。 」 
硬い 黒い タンイチ はじめ 順ぐり に 十 人 だけ 手 を あげ まし た 。 
「 よろしい 。 すると 十 人 目 の 貴 さま が 一番 悪い 。 監獄 に はいれ 。 」 
「 いいえ 。 どういたしまして 。 私 は ただ フクジロ の マッチ を 売っ て いる こと を 遠く から 見 て いる だけ で ござい ます 。 それ を 十 円 に 売る なんて 、 め っ そう な 、 私 は 一向に 存じ ませ ん 。 」 
「 どうも これ は ずいぶん 不愉快 な 事件 だ ね 。 よろしい 。 そん なら フクジロ が マッチ を 十 円 で 売る という こと を 知っ て いる もの は 手 を あげ 。 」 
硬い 黒い タンイチ から ただ 三 人 でし た 。 
「 すると お前 だ 。 監獄 に はいれ 。 」 と ネネム が 云い まし た 。 
「 それ は さっき も 申しあげ まし た 。 私 は ただ 命令 で 見 て い た だけ です 。 」 
「 すると お前 は 十 円 に 売る こと は 知っ て いる 、 けれども ただ 云い つかっ て いる だけ だ という の だ な 、 それから 次 の お前 は 云い つけ て は いる 。 けれども 十 円 に 売れ なんて 云っ た おぼえ も なし 又 十 円 に 売っ て いる と も 思わ ない 、 ただ まあ 、 フクジロ が よちよち 家 を 出 たり は いっ たり し て 、 それで よく こんなに もうかる もん だ と 思っ て い た と 、 こう だろ う 。 」 
「 全く ご 名 察 の 通り 。 」 と 二 人 が 一緒 に 云い まし た 。 
「 よろしい 。 もう わかっ た 。 お前 がた に 云い 渡す 。 これ は 順ぐり に 悪い こと が たまっ て 来 て いる の だ 。 百 年 も 二 百 年 も の 前 に 貸し た 金 の 利息 を 、 そんな ハイカラ な なり を し て 、 毎日 つい て ある い て とる という こと は 、 けしからん 。 殊に それ が 三 十 人 も 続い て いる という の は 実に いけ ない こと だ 。 おまえ たち は あく びをしたりいねむりをしたりしながら 毎日 を 暮し て 食事 の 時間 だけ すぐ 近く の 料理 屋 に は いる 、 それ から 急い で 出 て 来 て 前 の 者 が まだ あまり 遠く へ 行っ て い ない の を 見 て やっ と 安心 する なんと いう 実に どうも 不届き だ 。 それから おれ が もうける ん じゃ ない と 云う ので 、 悪い こと を ぐんぐん やる の も あまり よく ない 。 だから みんな 悪い 。 みんな を 罪 に し なけれ ば なら ない 。 けれども それでは あんまり か あい そう だ から 、 どう だ 、 みんな 一 ぺん に 今 の 仕事 を やめ て しまえ 。 そこで フクジロ は おれ が どこ か の 玩具 の 工場 の 小さな 室 で 、 ただ 一 人 仕事 を し て 、 時々 お菓子 でも たべ られる よう に してやろ う 。 あと の もの は みんな 頑丈 そう だ から 自分 で 勝手 に 仕事 を さがせ 。 もし どうしても 自分 で さがせ なかっ たら おれ の 所 に 相談 に 来い 。 」 
「 かしこまり まし た 。 ありがとう ござい ます 。 」 みんな は フクジロ を のこし て 赤山 の よう な 人 を わけ て ちり ぢ り に 逃げ て しまい まし た 。 そこで ネネム は 一 人 の 検事 を つけ て フクジロ を 張子 の 虎 を こさえる 工場 へ 送り まし た 。 
見物人 は よろこん で 、 
「 えらい 裁判 長 だ 。 えらい 裁判 長 だ 。 」 と ときの声 を あげ まし た 。 そこで ネネム は 又 巡視 を はじめ まし た 。 
それから 少し 行き ます と 通り の 右側 に 大きな 泥 で かため た 家 が あっ て 世界 警察 長官 邸 と 看板 が 出 て 居り まし た 。 
「 一寸 は いっ て 見よ う 。 」 と 云い ながら ネネム は 玄関 に 立ち まし た 。 その 家中 が 俄 か に ザワザワ し て それ から 警察 長 が さき に 立っ て 案内 し まし た 。 一通り 中 の 設備 を 見 て から ネネム は 警察 長 と 向い 合っ て 一つ の テーブル に 座り まし た 。 警察 長 は 新聞 の くらい ある 名刺 を 出し て ひろげ て ネネム に 恭 々 しく よこし まし た 。 見る と 、 
ケンケンケンケンケンケン・クエク 警察 長 
と 書い て あり ます 。 ネネム は 
「 はてな 、 クエク と 、 どうも 聞い た よう な 名 だ 。 一寸 突然 です が あなた は この 近在 の 農家 の ご 出身 です か 。 」 と 云い まし た 。 
すると 警察 長 は びっくり し た らしく 、 
「 全く ご 明察 の 通り です 。 」 と 答え まし た 。 
「 それでは あなた は 無断 で 家 から 逃げ て おいで に なり まし た ね 。 お母さん が 大 へん 泣い て おい で です よ 。 」 と ネネム が 云い まし た 。 
「 いや 、 全く 。 実は 昨晩 も 電報 を 打ち まし た よう な わけ で 、 実は その 、 逃げ た という わけ で も あり ませ ん 。 丁度 一昨昨日 の 朝 、 一寸 し た 用事 で 家 から 大 学校 の 小使 室 まで 参り まし た の です が 、 つい その フゥフィーボー 博士 の 講義 に つり 込ま れ まし て 昨日 まで 三 日 という もの 、 聴い たり 落第 し たり 、 考え たり いたし まし た 。 昨晩 やっと 及第 いたし まし て こちら に 赴任 いたし まし た 。 」 
「 ハッハッハ 。 そう です か 。 それ は 結構 でし た 。 もう 電報 を おかけ でし た か 。 」 
「 はい 。 」 
そこで ネネム も 全く 感服 し て それ から 警察 長 の 家 を 出 て それ から 又 グルグルグルグル 巡視 を し て 、 お ひる ごろ 、 ばけ も の 世界 裁判 長 の 官邸 に 帰り まし た 。 お ひる の ごちそう は 藁 の オムレツ でし た 。 
四 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 安心 
ばけ も の 世界 裁判 長 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 評判 は 、 今 は もう 非常 な もの に なり まし た 。 この 世界 が 、 はじめ 一疋 の みじん こから 、 だんだん 枝 が つい たり 、 足 が 出来 たり し て 発達 し はじめ て 以来 、 こんな 名 判官 は 実に はじめて だ と みんな が 申し まし た 。 
シャァロン という ばけ もの の 高利貸 で さえ 、 ああ 実に ペンネンネンネンネン・ネネム さま は 名 判官 だ 、 ダニー さま の 再来 だ 、 いや ダニー さま の 発達 だ と ほめ た 位 です 。 
ばけ も の 世界長 から は 、 毎日 一つ ずつ 位 を つけ て 来 まし た し 、 勲章 を 贈っ て よこし まし た ので 、 今 は その 位 を 読み あげる だけ に 二 時間 かかり 、 勲章 は ネネム の 室 の 壁 一 杯 に なり まし た 。 それ です から 、 何 か の 儀式 で ネネム が 式辞 を 読ん だり する とき は 、 その 位 を 読む の が つらい ので 、 それ を あらかじめ 三 十 に 分け て 置い て 、 三 十 人 の 部下 に 一 ぺん に がやがや と 読み上げ て 貰う よう に し て い まし た が 、 それ で さえ やはり 四 分 は かかり まし た 。 勲章 だって その 通り です 。 どうして ネネム の 胸 に つけ 切れる もん で は あり ませ ん でし た から 、 ネネム の 大 礼服 の 上着 は 、 胸 の 処 から 長 さ 十 米 ばかり の 切れ が ず う と 続い て 、 それ に 勲章 を ぞ ろ っと つけ て 、 その 帯 の よう な もの を 、 三 十 人 の 部下 の 人 たち が ぞろぞろ 持っ て 行く の でし た 。 さて ネネム は 、 この 様 な 大 へん な 名誉 を 得 て 、 その ほか に 、 みなさん も もう ご存知 でしょ う が 、 フゥフィーボー 博士 の ほか に 、 誰 も 決して 喰 べ て なら ない 藁 の オムレツ まで 、 ネネム は 喰 べ る こと を 許さ れ て い まし た 。 それ です から 、 誰 が 考え て も こんな 幸福 な こと が ない 筈 だっ た の です が 、 実は ネネム は 一向 面白く あり ませ ん でし た 。 それ という の は 、 あの ネネム が 八つ の 飢饉 の 年 、 お菓子 の 籠 に 入れ られ て 、 「 おお ホイホイ 、 おお ホイホイ 。 」 と 云い ながら さらっ て 行か れ た ネネム の 妹 の マミ ミ の こと が 、 一寸 も 頭 から 離れ なかっ た 為 です 。 
そこで ネネム は 、 ある 日 、 テーブル の 上 の 鈴 を チチン と 鳴らし て 、 部下 の 検事 を 一 人 、 呼び まし た 。 
「 一寸 君 に たずね たい こと が ある の だ が 。 」 
「 何 で ござい ます か 。 」 
「 膝 や かかと の 骨 の 、 まだ 堅 ま ら ない 小さな 女の子 を つかう 商売 は 、 一体 どんな 商売 だろ う 。 」 
検事 は しばらく 考え て から 答え まし た 。 
「 それ は ばけ も の 奇術 で ござい ましょ う 。 ばけ も の 奇術 師 が 、 よく 十 二 三 位 まで の 女の子 を 、 変身 術 だ と 申し て 、 え え こんど は 犬 の 形 、 え え 今度 は 兎 の 形 など と 、 ばけ もの を しんこ 細工 の よう に 延ばし たり 円 め たり 、 耳 を 附け たり 又 とっ たり 致す の を よく 見受け ます 。 」 
「 そう か 。 そして 、 そんな やつ ら は 一体 世界中 に 何 人 位 ある の か な 。 」 
「 左様 。 一昨年 の 調べ で は 、 奇術 を 職業 に し ます もの は 、 五 十 九 人 と なっ て 居り ます が 、 只今 は 大分 減っ た か と 存ぜ られ ます 。 」 
「 そう か 。 どうも そんな しんこ 細工 の よう な こと を する という の は 、 この 世界 が まだ なめくじ で でき て い た ころ の 遺風 だ 。 一寸 視察 に 出よ う 。 事 に よる と 禁止 を し なけれ ば なる まい 。 」 
そこで ネネム は 、 部下 の 検事 を 随 え て 、 今日 も まち へ 出 まし た 。 そして 検事 の 案内 で 、 まっすぐ に 奇術 大 一座 の ある 処 に 参り まし た 。 奇術 は 今や 丁度 まっ最中 です 。 
ネネム は 、 検事 と 一緒 に 中 へ はいり まし た 。 楽隊 が 盛ん に やっ て い ます 。 ギラギラ する 鋼 の 小手 だけ つけ た 青 と 白 と の 二 人 の ばけ もの が 、 電気 決闘 という もの を やっ て いる の でし た 。 剣 が カチャンカチャン と 云う たび に 、 青い 火花 が 、 まるで 箒 の よう に 剣 から 出 て 、 二 人 の 顔 を 物凄く 照らし 、 見物 の もの は みんな はらはら し て い まし た 。 
「 仲 々 勇壮 だ ね 。 」 と ネネム は 云い まし た 。 
その うち に とうとう 、 一 人 は バア と 音 が し て 肩 から 胸 から 腰 へ かけ て すっぽり と 斬ら れ て 、 からだ が まっ 二つ に 分れ 、 バランチャン と 床 に 倒れ て しまい まし た 。 
斬っ た 方 は 肩 を 怒ら せ て 、 三 べ ん 刀 を 高く ふり 廻し 、 紫色 の 烈しい 火花 を 揚げ て 、 楽屋 へ はいっ て 行き まし た 。 
すると 倒れ た 方 の まっ 二つ に なっ た から だ が バタッ と 又 一つ に なっ て 、 見る 見る 傷口 が すっかり くっつき 、 ゲラゲラゲラッ と 笑っ て 起きあがり まし た 。 そして 頭 を ほんの すこし 下げ て お辞儀 を し て 、 
「 まだ 傷口 が よく くっつき ませ ん から 、 粗末 な おじぎ で ごめんなさい 。 」 と 云い ながら 、 又 ゲラゲラゲラッ と 笑っ て 、 これ も 楽屋 へ はいっ て 行き まし た 。 
ボロ ン 、 ボロン 、 ボロロン 、 と どら が 鳴り まし た 。 一つ の 白 いきれ を 掛け た 卓子 と 、 椅子 と が 持ち出さ れ まし た 。 眼 の まわり を まっ黒 に 塗っ た 若い ば け もの が 、 わざと 少し 口 を 尖らし て 、 テーブル に 座り まし た 。 白い 前 掛 を つけ た ば け ものの 給仕 が 、 さし わたし 四 尺 ばかり ある まっ白 の 皿 を 、 恭 々 しく 持っ て 来 て 卓子 の 上 に 置き まし た 。 
「 フォーク ！ 」 と 椅子 に かけ た 若 ばけ もの が テーブル を 叩きつけ て どなり まし た 。 
「 へい 。 これ は とんだ 無調法 を 致し まし た 。 ただ今 、 すぐ 持っ て 参り ます 。 」 と 云い ながら 、 その 給仕 は 二 尺 ばかり ある ホーク を 持っ て 参り まし た 。 
「 ナイフ ！ 」 と 又 若 ばけ もの は テーブル を 叩い て どなり まし た 。 
「 へい 。 これ は とんだ 無調法 を 致し まし た 。 ただ今 、 すぐ 持っ て 参り ます 。 」 と 云い ながら その 給仕 は 、 幕 の うし ろ に は いっ て 行っ て 、 長 さ 二 尺 ばかり ある ナイフ を 持っ て 参り まし た 。 ところが その ナイフ を テーブル の 上 に 置き ます と 、 すぐ 刃 が くに ゃんとまがってしまいました 。 
「 だめ だ 、 こんな もの 。 」 と その 椅子 に かけ た ば け もの は 、 ナイフ を 床 に 投げつけ まし た 。 
ナイフ は ひらひら と 床 に 落ち て 、 パッ と 赤い 火 に 燃え あがっ て 消え て しまい まし た 。 
「 へい 。 これ は 無調法 致し まし た 。 ただ今 の は ナイフ の 広告 で ござい まし た 。 本物 の いい の を 持っ て 参り ます 。 」 と 云い ながら 給仕 は 引っ込ん で 行き まし た 。 
すると どうも ネネム も 検事 も だれ も かれ も みんな 愕 い て しまっ た こと は 、 いつの間にか 、 どうして 出 て 来 た の か 、 すてき に 大きな 青い ば け もの が テーブル に 置か れ た 皿 の 上 に 、 あぐら を かい て 、 椅子 に 座っ た 若 ばけ もの を 見おろし て すまし 込ん で いる の でし た 。 青い ば け もの は 、 しずか に みんな の 方 を 向き まし た 。 眼 の まわり が まっ 赤 です 。 俄 に 見物 が どっと 叫び まし た 。 
「 テン ・ テンテンテン・テジマア ！ 　 うまい ぞ 。 」 
「 ほう 、 素敵 だ ぞ 。 テジマア ！ 」 
テジマア と 呼ば れ た 皿 の 上 の 大きな ばけ もの は 、 顔 を しずか に 又 廻し て 、 椅子 に 座っ た わか ばけ もの の 方 を 向き まし た 。 そして 二 人 は まるで 二 匹 の 獅子 の よう に 、 じっと にらみ合い まし た 。 見物 は もう みんな 総立ち です 。 
「 テジマア ！ 　 負ける な 。 しっかり やれ 。 」 
「 しっかり やれ 。 テジマア ！ 　 負ける と 食わ れる ぞ 。 」 こんな よう な 大 さわぎ の あと で 、 こんど は ひっそり と なり まし た 。 その うち に 椅子 に 座っ た 若 ばけ もの は 眼 が 痛く なっ た らしく 、 とうとう まばたき を 一つ やり まし た 。 皿 の 上 の テジマア は じりじり と 顔 を そっち へ 寄せ て 行き ます 。 若 ばけ もの は 又 五つ ばかり つづけ て まばたき を し て 、 とうとう たまらなく なっ た と 見え て 、 両手 で 眼 を 覆い まし た 。 皿 の 上 の テジマア は 落ちつい て に ゅうと 顔 を 差し出し まし た 。 若 ばけ もの は 、 が たり と 椅子 から 落ち まし た 。 テジマア は すっ くり と 皿 の 上 に 立ちあがっ て 、 それ から ひらり と 皿 を はね 下り て 、 自分 が 椅子 に どっかり 座り それ から 床 の 上 に 倒れ て いる 若 ばけ もの を 、 雑作 も なく 皿 の 上 に つまみ上げ まし た 。 
その 時 給仕 が 、 たしかに 金 で でき た らしい ナイフ を 持っ て 来 て 、 テーブル の 上 に 置き まし た 。 テジマア は 一寸 うなずい て 、 ポッケット から 財布 を 出し 、 半紙 判 の 紙幣 を 一 枚 引っぱり 出し て 給仕 に それ を 握ら せ まし た 。 
「 今度 の 旦那 は 気前 が 実に いい なあ 。 」 と つぶやき ながら 、 ばけ も の 給仕 は 幕 の 中 に は いっ て 行き まし た 。 そこで テジマア は 、 ナイフ を とり上げ て 皿 の 上 の ばけ もの を 、 も に ゃもにゃもにゃっと 切っ て 、 ホーク に 刺し て 、 むにゃむにゃ むにゃっと 喰っ て しまい まし た 。 
その 時 「 バア 」 と 声 が し て 、 その 食わ れ た 筈 の 若 ばけ もの が 、 床 の 下 から 躍り だし まし た 。 
「 君 よく たっ しゃ で 居 て 呉れ た ね 。 」 と 云い ながら 、 テジマア は その わか ばけ もの の 手 を 取っ て 、 五 六 ぺん ぶらぶら 振り まし た 。 
「 テジマア 、 テジマア ！ 」 
「 うまい ぞ 、 テジマア ！ 」 みんな は どっと はやし まし た 。 
舞台 の 上 の 二 人 は 、 手 を 握っ た まま 、 ふい っと おじぎ を し て 、 それから 、 
「 バラ コック 、 バララゲ 、 ボラン 、 ボラン 、 ボラン 」 と 変 な 歌 を 高く 歌い ながら 、 幕 の 中 に 引っ込ん で 行き まし た 。 
ボロ ン 、 ボロン 、 ボロロン と 、 どら が 又 鳴り まし た 。 
舞台 が 月光 の よう に さっと 青く なり まし た 。 それ から だんだん のんびり し たい か に も 春 らしい 桃色 に 変り まし た 。 
まっ黒 な 着物 を 着 た ば け もの が 右左 から 十 人 ばかり 大きな シャベル を 持っ たり きらきら する フォーク を かつい だり し て 出 て 来 て 
「 お キレ の 角 は カンカン カン 
ばけ も の 麦 は ベラ ン べ ランベラン 
ひばり 、 チッチクチッチクチー 
フォーク の ひかり は サンサンサン 。 」 
と ばけ も の 世界 の 農業 の 歌 を 歌い ながら 畑 を 耕し たり 種子 を 蒔い たり する よう な まね を はじめ まし た 。 たちまち 床 から ベランベランベラン と 大きな 緑色 の ばけ も の 麦 の 木 が 生え 出し て 見る 間 に 立派 な 茶色 の 穂 を 出し 小さな 白い 花 を つけ まし た 。 舞台 は 燃える よう に 赤く 光り まし た 。 
「 お キレ の 角 は ケンケンケン 
ばけ も の 麦 は ザランザララ 
とんび トーロロトーロロトー 、 
鎌 の ひかり は 　 シンシン シン 。 」 
と みんな は 足踏み を し て 歌い まし た 。 たちまち 穂 は 立派 な 実に なっ て 頭 を ず うっ と 垂れ まし た 。 黒い きもの の ばけ もの ども は いつの間にか 大きな 鎌 を 持っ て い て それ を サクサク 刈り はじめ まし た 。 歌い ながら 踊り ながら 刈り まし た 。 見る 見る 麦 の 束 は 山 の よう に 舞台 の まん中 に 積み あげ られ まし た 。 
「 お キレ の 角 は クンクンクン 
ばけ も の 麦 は ザック 、 ザック 、 ザ 、 
からす カーララ 、 カーララ 、 カー 、 
唐箕 の うなり は フウララフウ 。 」 
みんな は いつの間にか 棒 を 持っ て い まし た 。 そして 麦 束 は ポンポン 叩か れ た と 思う と 、 もう みんな 粒 が 落ち て い まし た 。 麦稈 は 青い ほ の お を あげ て めらめら と 燃え 、 あと に は 黄色 な 麦 粒 の 小山 が 残り まし た 。 みんな は いつの間にか それ を 摺 臼 に かけ て い まし た 。 大きな 唐箕 が もう 据えつけ られ て フウフウフウ と 廻っ て い まし た 。 
舞台 が 俄 か に すきとおる よう な 黄金 色 に なり まし た 。 立派 な ひまわり の 花 が うし ろ の 方 に ぞろりと なら んで 光っ て い ます 。 それから 青 や 紺 や 黄 や いろいろ の 色 硝子 で こしらえ た 羽虫 が 波 に なっ たり 渦巻 に なっ たり きらきら きらきら 飛び めぐり まし た 。 
うし ろ の まっ黒 な びろう どの 幕 が 両方 に さっと 開い て 顔 の 紺色 な 髪 の 火 の よう な きれい な 女の子 が まっ白 な ひらひら し た きもの に 宝石 を 一 杯 に つけ て まるで 青 や 黄色 の ほ の おの よう に 踊っ て 飛び出し まし た 。 見物 は もう みんな きち が い 鯨 の よう な 声 で 
「 ケテン ！ 　 ケテン ！ 」 と どなり まし た 。 
女の子 は 笑っ て うなずい て みんな に 挨拶 を 返し ながら 舞台 の 前 の 方 へ 出 て 来 まし た 。 
黒い ば け もの は みんな で 麦 の 粒 を つかみ まし た 。 
女の子 も 五 六 つぶ それ を つまん で みんな の 方 に 投げ まし た 。 それ が 落ち て 来 た とき は みんな まっ白 な 真珠 に 変っ て い まし た 。 
「 さあ 、 投げ 。 」 と 云い ながら 十 人 の 黒い ば け もの が みな 真似 を し て 投げ まし た 。 バラバラ バラバラ 真珠 の 雨 は 見物 の 頭 に 落ち て 来 まし た 。 
女の子 は 笑っ て 何 か かすか に 呪い の よう な 歌 を やり ながら みんな を 指図 し て い ます 。 
ペンネンネンネンネン・ネネム は その 女の子 の 顔 を じっと 見 まし た 。 たしかに たしかに それ こそ は 妹 の ペンネンネンネンネン・マミミ だっ た の です 。 ネネム は とうとう 堪え 兼ね て 高く 叫び まし た 。 
「 マミ ミ 。 マミ ミ 。 おれ だ よ 。 ネネム だ よ 。 」 
女の子 は ぎょっと し た よう に ネネム の 方 を 見 まし た 。 それから 何 か 叫ん だ よう でし た が 声 が かすれ て こっち まで 届き ませ ん でし た 。 ネネム は 又 叫び まし た 。 
「 おれ だ 。 ネネム だ 。 」 
マミ ミ は まるで 頭 から 足 から 火 が つい た よう に はねあがっ て 舞台 から 飛び下りよ う と し まし たら 、 黒い 助手 の ばけ もの ども が 麦 を なげる の を やめ て ばらばら 走っ て 来 て しっかり と 押え まし た 。 
「 マミ ミ 。 おれ だ 。 ネネム だ よ 。 」 ネネム は 舞台 へ はねあがり まし た 。 
幕 の うし ろ から さっき の テジマア が 黄色 な ゆるい ガウン の よう な もの を 着 て いかにも 落ち着い て 出 て 参り まし た 。 
「 さわがしい な 。 どう し た ん だ 。 はてな 。 この お方 は どうして 舞台 へ お あがり に なっ た の か な 。 」 
ネネム は その 顔 を じっと 見 まし た 。 それ こそ は あの 飢饉 の 年 マミ ミ を さらっ た 黒い 男 でし た 。 
「 黙れ 。 忘れ た か 。 おれ は あの 飢饉 の 年 の 森 の 中 の 子供 だ ぞ 。 そして おれ は 今 は 世界 裁判 長 だ ぞ 。 」 
「 それ は 大 へん よろしい 。 それ だ から わし も あの 時 男の子 は 強い し 大丈夫 だ と 云っ た の だ 。 女の子 の 方 は 見ろ 。 この 位 立派 に なっ て いる 。 もう スタア と 云う もの に なっ てる ぞ 。 お前 も 裁判 長 なら よく 裁判 し て 礼 を よこせ 。 」 
「 しかし お前 は 何故 しんこ 細工 を 興業 する か 。 」 
「 いや 。 いやいや やや 。 それ は 実に 野蛮 の 遺風 だ な 。 この 世界 が まだ なめくじ で でき て い た ころ の 遺風 だ 。 」 
「 すると お前 の 処 じゃ しんこ 細工 の 興業 は やら ん な 。 」 
「 勿論 さ 。 おれ の と この は みんな 美学 に かなっ て いる 。 」 
「 いや 。 お前 は 偉い 。 それでは マミ ミ を 返し て 呉れ 。 」 
「 いい と も 。 連れ て 行き なさい 。 けれども 本人 が 望み なら また 寄越し て 呉れ 。 」 
「 うん 。 」 
どう です 。 とうとう こんな 変 な こと に なり まし た 。 これ という の も テジマア の ばけ も の 格 が 高い から です 。 
とにかく そこ で ペンネンネンネンネン・ネネム は すっかり 安心 し まし た 。 
五 、 ペンネンネンネンネン・ネネム の 出現 
ペンネンネンネンネン・ネネム は 独立 も し まし た し 、 立身 も し まし た し 、 巡視 も し まし た し 、 すっかり 安心 も し まし た から 、 だんだん から だ も 肥り 声 も 大 へん 重く なり まし た 。 
大抵 の 裁判 は ネネム が 出 て 行っ て 、 どしり と 椅子 に すわっ て 物 を 云お う と 一寸 唇 を うごかし ます と 、 もう ちゃんと きまっ て しまう の でし た 。 
さて 、 ある 日曜日 、 ペンネンネンネンネン・ネネム は 三 十 人 の 部下 を つれ て 、 銀色 の 袍 を ひるがえし ながら 丘 へ 行き まし た 。 
クラレ という 百 合 の よう な 花 が 、 まっ白 に まぶしく 光っ て 、 丘 に も はざま に も いち めん 咲い て 居り まし た 。 ネネム は 草 に 座っ て 、 つくづく と まっ青 な 空 を 見 あげ まし た 。 
部下 の 判事 や 検事 たち が 、 その 両側 から ぐるっと 環 に なっ て ならび まし た 。 
「 どう だい 。 いい 天気 じゃ ない か 。 
ここ へ 来 て 見る と われわれ の 世界 も ずいぶん しずか だ ね 。 」 ネネム が 云い まし た 。 
みんな の 影法師 が 草 に まっ黒 に 落ち まし た 。 
「 ちかごろ は 噴火 も あり ませ ん し 、 地震 も あり ませ ん し 、 どうも 空 は 青い 一方 です な 。 」 
判事 たち の 中 で 一番 位 の 高い まっ 赤 な 、 ばけ もの が 云い まし た 。 
「 そう だ ね 全く そう だ 。 しかし 昨日 サンムトリ が 大分 鳴っ た そう じゃ ない か 。 」 
「 ええ 新報 に 出 て 居り まし た 。 サンムトリ という の は あれ です か 。 」 
二 番目 に えらい 判事 が 向う の 青く 光る 三角 な 山 を 指し まし た 。 
「 うん 。 そう さ 。 僕 の 計算 に よる と 、 どうしても 近い うち に 噴き出さ ない と いかん の だ が な 。 何せ 、 サンムトリ の 底 の 瓦斯 の 圧力 が 九 十 億 気圧 以上 に なっ てる ん だ 。 それ に サンムトリ の 一番 弱い 所 は 、 八 十 億 気圧 に しか 耐え ない 筈 な ん だ 。 それ に 噴火 を やら ん という の は おかしい じゃ ない か 。 僕 の 計算 に まちがい が ある と は どうも そう 思え ん ね 。 」 
「 ええ 。 」 
上席 判事 や みんな が 一緒 に うなずき まし た 。 その 時 向う の サンムトリ の 青い 光 が ぐらぐら っと ゆれ まし た 。 それから よ この 方 へ 少し まがっ た よう に 見え まし た が 、 忽ち 山 が 水 瓜 を 割っ た よう に まっ 二つ に 開き 、 黄色 や 褐色 の 煙 が ぷうっと 高く 高く 噴き あげ まし た 。 
それから 黄金 色 の 熔岩 が きらきら き ら と 流れ出し て 見る 間 に ずっと 扇形 に ひろがり まし た 。 見 て い た もの は 
「 ああ やっ た やっ た 。 」 
と そっち に 手 を 延し て 高く 叫び まし た 。 
「 やっ た やっ た 。 とうとう 噴い た 。 」 
と ペンネンネンネンネン・ネネム は けだかい 紺青 色 に かがやい て しずか に 云い まし た 。 
その 時 はじめて 地面 が ぐらぐら ぐら 、 波 の よう に ゆれ 
「 ガーン 、 ドロドロドロドロドロ 、 ノンノンノンノン 。 」 と 耳 も やぶれる ばかり の 音 が やって来 まし た 。 それから 風 が どう っと 吹い て 行っ て 忽ち サンムトリ の 煙 は 向う の 方 へ 曲り 空 は ますます 青く クラレ の 花 は さん さん と かがやき まし た 。 上席 判事 が 云い まし た 。 
「 裁判 長 は どうも 実に 偉い 。 今や 地殻 まで が 裁判 長 の 神聖 な 裁断 に 服する の だ 。 」 
二 番目 の 判事 が 云い まし た 。 
「 実に ペンネンネンネンネン・ネネム 裁判 長 は 超 怪 で ある 。 私 は ニイチャ の 哲学 が 恐らくは 裁判 長 から 暗示 を 受け て いる もの で ある こと を 主張 する 。 」 
みんな が 一 度 に 叫び まし た 。 
「 ブラボオ 、 ネネム 裁判 長 。 ブラボオ 、 ネネム 裁判 長 。 」 
ネネム は しずか に 笑っ て 居り まし た 。 その 得意 な 顔 は まるで 青空 より も かがやき 、 上等 の 瑠璃 より も 冴え まし た 。 それ ばかり で なく 、 みんな の ブラボオ の 声 は 高く 天地 に ひびき 、 地殻 が ノンノンノンノン と ゆれ 、 やがて その 波 が サンムトリ に 届い た ころ 、 サンムトリ が その 影響 を 受け て 火柱 高く 第 二 の 爆発 を やり まし た 。 
「 ガーン 、 ドロドロ ドロドロ 、 ノンノンノンノン 。 」 
それから 風 が どう っと 吹い て 行っ て 、 火山 弾 や 熱い 灰 や すべて あぶない もの が この 立派 な ネネム の 方 に 落ち て 来 ない よう に 山 の 向う の 方 へ 追い払っ た の でし た 。 ネネム は この 時 は 正に よろこび の 絶頂 でし た 。 とうとう 立ちあがっ て 高く 歌い まし た 。 
「 おれ は 昔 は 森 の 中 の 昆布 取り 、 
その 昆布 網 が 空 に ひろがっ た とき 
風 の 中 の ふか や さめ が つきあたり 
おれ の 手 が ぐらぐら と ゆれ た の だ 。 
おれ は フウフィーヴオ 博士 の 弟子 
博士 は おれ の 出し た 筆記 帳 を 
あくび と 一 しょ に スポリ と 呑みこん だ 。 
それから 博士 は 窓 から 飛ん で 出 た 。 
おれ は むかし 奇術 師 の テジマア に 
おれ の 妹 を さらわ れ て い た 。 
その 奇術 師 の テジマア の ところ で 
おれ の 妹 は スタア に なっ て い た 。 
いま で は おれ は 勲章 が 百 ダアス 
藁 の オムレツ も もう たべ あき た 。 
おれ の 裁断 に は 地殻 も 服する 
サンムトリ さえ 西瓜 の よう に 割れ た の だ 。 」 
さあ 三 十 人 の 部下 の 判事 と 検事 は すっかり つり 込ま れ て 一緒 に 立ち上がっ て 、 
「 ブラボオ 、 ペンネンネンネンネン・ネネム 
ブラボオ 、 ペンペンペンペンペン・ペネム 。 」 
と 叫び ながら 踊り はじめ まし た 。 
「 フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 」 
クラレ の 花 が きらきら 光り 、 クラレ の 茎 が パチンパチン と 折れ 、 みんな の 影法師 は まるで 戦 の よう に 乱れ て 動き まし た 。 向う で は サンムトリ が 第 三 回 の 爆発 を やっ て い ます 。 
「 ガアン 、 ドロドロ ドロドロ 、 ノンノンノンノン 。 」 
黄金 の 熔岩 、 まっ黒 な けむり 。 
「 フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 
ペンネンネンネンネン・ネネム 裁判 長 
その 威 オキレ の 金 角 と ならび 
まひる クラレ の 花 の 丘 に 立ち 
遠い 青 びかりの サンムトリ に 命令 する 。 
青 びかりの 三 角 の サンムトリ が 
たちまち 火柱 を 空 に ささげる 。 
風 が 来 て クラレ の 花 が ひかり 
ペンネンネンネンネン・ネネム は 高く 笑う 。 
ブラボオ 。 ペンネンネンネンネン・ネネム 
ブラボオ 、 ペンペンペンペンペン・ペネム 。 」 
その 時 サンムトリ が 丁度 第 四 回 の 爆発 を やり まし た 。 
「 ガアン 、 ドロドロ ドロドロ 、 ノンノンノンノンノン 。 」 
ネネム を はじめ ばけ もの の 検事 も 判事 も みんな 夢中 に なっ て 歌っ て はね て 踊り まし た 。 
「 フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 
風 が 青 ぞ ら を 吼え て 行け ば 
その なごり が 地面 に 下っ て 
クラレ の 花 が さん さん と 光り 
おれ たち の 袍 は ひるがえる 。 
さっき かけ て 行っ た 風 が 
いま サンムトリ に 届い た の だ 。 
その まっ黒 な けむり の 柱 が 
向う の 方 に 倒れ て 行く 。 
フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 
ブラボオ 、 ペンネンネンネンネン・ネネム 
ブラボオ 、 ペンペンペンペンペン・ペネム 。 
おれ たち の 叫び声 は 地面 を ゆすり 
その 波 は 一 分 に 二 十 五 ノット 
サンムトリ の 熱い 岩漿 に とどい て 
とうとう も 一度 爆発 を やっ た 。 
フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 
フィーガロ 、 フィガロト 、 フィガロット 。 」 
ネネム は 踊っ て あばれ て どなっ て 笑っ て はせまわり まし た 。 
その 時 どう し た はずみ か 、 足 が 少し 悪い 方 へ それ まし た 。 
悪い 方 という の は クラレ の 花 の 咲い た ばけ も の 世界 の 野原 の 一寸 うし ろ の あたり 、 う しろ と 云う より は 少し 前 の 方 で それ は 人間 の 世界 な の でし た 。 
「 あっ 。 裁判 長 が しくじっ た 。 」 
と 誰 か が けたたましく 叫ん で いる よう でし た が 、 ネネム は もう 頭 が カアン と 鳴っ た まま まっ黒 な ガツガツ し た 岩 の 上 に 立っ て い まし た 。 
すぐ 前 に は 本当に 夢 の よう な 細い 細い 路 が 灰色 の 苔 の 中 を ふらふら と 通っ て いる の でし た 。 そら が まっ白 で ず うっ と 高く 、 うし ろ の 方 は けわしい 坂 で 、 それ も 間もなく いち めん の まっ白 な 雲 の 中 に 消え て い まし た 。 
どこ に たった今 歌っ て い た あの ばけ も の 世界 の クラレ の 花 の 咲い た 野原 が あっ た でしょ う 。 実に それ は ネパール の 国 から チベット へ 入る 峠 の 頂 だっ た の です 。 
ネネム の すぐ 前 に 三 本 の 竿 が 立っ て その 上 に 細長い 紐 の よう な ぼろ 切れ が 沢山 結び付け られ 、 風 に パタパタ パタパタ 鳴っ て い まし た 。 
ネネム は それ を 見 て 思わず ぞっと し まし た 。 
それ こそ は たびたび 聞い た 西蔵 の 魔 除け の 幡 な の でし た 。 ネネム は 逃げ出し まし た 。 まっ黒 な けわしい 岩 の 峯 の 上 を どこ まで も どこ まで も 逃げ まし た 。 
ところが すぐ 向う から 二 人 の 巡礼 が 細い 声 で 歌 を 歌い ながら やっ て 参り ます 。 ネネム は あわて て バタバタバタ バタ もがき まし た 。 何とか し て 早く ばけ も の 世界 に 戻ろ う と し た の です 。 
巡礼 たち は 早く も ネネム を 見つけ まし た 。 そして びっくり し て 地 に ひれふし て 何だか わけ の わから ない 呪文 を となえ 出し まし た 。 
ネネム は まるで から だ が しびれ て 来 まし た 。 そして だんだん 気 が 遠く なっ て とうとう ガーン と 気絶 し て しまい まし た 。 
ガーン 。 
それから しばらく たっ て ネネム は すぐ 耳 の ところ で 
「 裁判 長 。 裁判 長 。 しっかり なさい 、 裁判 長 。 」 という 声 を 聞き まし た 。 おどろい て 眼 を 明い て 見る と そこ は さっき の クラレ の 野原 でし た 。 
三 十 人 の 部下 たち が まわり に 集まっ て 実に 心配 そう に し て い ます 。 
「 ああ 僕 は どう し た ん だろ う 。 」 
「 只今 空 から 落ち て おいで で ござい まし た 。 ご 気分 は いかが です か 。 」 
上席 判事 が 尋ね まし た 。 
「 ああ 、 ありがとう 。 もう どうも ない 。 しかし とうとう 僕 は 出現 し て しまっ た 。 
僕 は 今日 は 自分 を 裁判 し なけれ ば なら ない 。 
ああ 僕 は 辞職 しよ う 。 それから あした から 百 日 、 ばけ もの の 大 学校 の 掃除 を しよ う 。 ああ 、 何 も かに も おしまい だ 。 」 
ネネム は 思わず 泣き まし た 。 三 十 人 の 部下 も 一緒 に 大声 で 泣き まし た 。 その 声 は ノンノンノンノン と 地面 に 波 を たて 、 それ が 向う の サンムトリ に 届い た ころ サンムトリ が 赤い 火柱 を あげ て 第 五 回 の 爆発 を やり まし た 。 
「 ガアン 、 ドロドロドロドロ 。 」 
風 が どっと 吹い て 折れ た クラレ の 花 が プルプル と ゆれ まし た 。 
一 、 ペンネンノルデ が 七つ の 歳 に 太陽 に たくさん の 黒い 棘 が でき た 。 赤 、 黒い 棘 、 父 赤い 眼 、 ば くち 。 
二 、 ノルデ は それから また 十 二 年 、 森 の なか で 昆布 とり を し た 。 
三 、 ノルデ は 書記 に なろ う と 思っ て モネラ の 町 へ 出かけ て 行っ た 。 氷 羊歯 の 汽車 、 恋人 、 アルネ 。 
四 、 フウケーボー 大 博士 は あくび と いっしょ に ノルデ の 筆記 帳 を す ぽ り と のみ込ん で しまっ た 。 
五 、 噴火 を 海 へ 向ける の は なかなか 容易 な こと で ない 。 
化物 丁場 、 おかしな なら の 影 、 岩 頸問答 、 大 博士 発明 の めがね 。 
六 、 さすが の フウケーボー 大 博士 も 命からがら にげだし た 。 
恐竜 、 化石 の 向こう から 。 
大 博士 に 疑問 を いだく 。 噴火 係 の 職 を はがれ 、 その 火山灰 の 土壌 を 耕す 。 部下 みな 従う 。 
七 、 ノルデ は 頭 から すっかり 灰 を かぶっ て しまっ た 。 
サンムトリ の 噴火 。 ノルデ 海岸 で つかれ て ねむる 。 ナスタ 現 わる 。 夢 の なか で うたう 。 
八 、 ノルデ は 野原 に いくつ も 茶 いろ な トランプ の カード を こしらえ た 。 
ノルデ 奮起 す 。 水 の 不足 。 
九 、 ノルデ が こさえ た トランプ の カード を 、 みんな は 春 は 桃 いろ に 夏 は 青く し た 。 
恋人 アルネ と の 結婚 … … 夕方 。 
十 、 ノルデ は みんな の 仕事 を もっと らく に しよ う と 考え た 。 そんな こと を し なくっ て も いい よ 。 
おれ は 南 の 方 で やっ て 見せる よ 。 大 雷雨 。 桜 の 梢 から セントエルモ の 火 。 暗 の なか 。 
十 一 、 ノルデ は 三 べ ん 胴上げ の まま 地べた に べ ちゃんと 落とさ れ た 。 
どう だい 。 ひどく いたい かい 。 どう ？ 　 あなた ひどく いたい ？ 　 ノルデ つかれ て ねむる 。 
十 二 、 ノルデ は 太陽 から 黒い 棘 を とる ため に でかけ た 。 
太陽 が また ぐらぐら おどり だし た なあ 。 困る なあ 。 おい 断わっ ちまえ よ 。 奮起 す 。 おーい 、 火山 だ なんて まるで 別 だ よ 。 ちゃんと 立派 な ビルデング に なっ てる ん だ ぜ 。 
時 、 一 千 九 百 二 十 年代 、 六月 三 十 日 夜 、 
処 、 イーハトヴ 地方 、 
人物 、 キュステ 　 博物 局 十 六 等 官 
ファ ゼロ 　 ファリーズ 小学校 生徒 
山猫 博士 
牧者 
葡萄 園 農夫 
衣裳 係 
オーケストラ 指揮 者 
弦楽 手 
鼓 器楽 手 
給仕 
其他 　 曠原紳 士 、 村 の 娘 　 多勢 、 
ベル 、 
人数 の 歓声 、 Hacienda ,   the   society   Tango   の レコード 、 オーケストラ 演奏 、 甲虫 の 翅音 、 
幕 あく 。 
舞台 は 、 中央 より も 少し 右手 に 、 赤 楊 の 木 二 本 、 電 燈 や モール で 美しく 飾ら れる 。 
その 左 に 小さな 演壇 、 
右手 に オーケストラ バンド 、 指揮 者 と 楽 手 二 名 だけ 見える 。 その こっち 側 　 右手 前列 に 　 白布 を かけ た 卓子 と 椅子 、 給仕 が 立ち 、 山猫 博士 が コップ を なめ ながら 腰掛け て 見 て ゐる 。 
曠原紳 士 、 村 の 娘 たち 、 牧者 、 葡萄 園 農夫 等 　 円舞 。 
衣裳 係 は 六 七 着 の 上着 を 右手 にかけて 、 後向き に 左手 を 徘徊 し て 新 らしい 参加 者 を 待つ 。 
背景 は まっくろ な 夜 の 野原 と 空 、 空 に はしらし ら と 銀河 が 亘っ て ゐる 。 
すべて しろ つめ く さ の いち めん に 咲い た 野原 の まん中 の 心持 、 
円舞 終る 。 コンフェットー 。 歓声 。 甲虫 の 羽音 が 一 さ う 高く なる 。 衣裳 係 暗 を すかし 見 て 左手 から 退場 。 
みんな せ は しく コップ を とる 、 給仕 酒 を 注い で ま はる 。 山猫 博士 ばかり 残る 。 
山猫 博士 （ 立ち上がり ながら ） 「 おいおい 、 給仕 、 なぜ おれ に は 酒 を 注が ん か 。 」 
給仕 、 （ 周章て ゝ 来る ） 「 はい はい 、 相 済み ませ ん 。 座っ て おいで だっ た もん です から つい 。 」 
山猫 博士 、 「 座っ て おいで に なっ て も 立っ て おいで に なっ て も 我輩 は 我輩 ぢ ゃないか 。 おっ と 、 よろしい 。 諸君 は 乾杯 し やう といふ ん だ な 。 よし よし 。 ブ 、 ブ 、 ブロージット 。 」 
乾杯 。 山猫 博士 首 を 動かし ながら 歩き 廻る 。 
ファ ゼロ 続い て キュステ 登場 。 
ファ ゼロ 、 「 あ 、 山猫 博士 も 来 て ゐる よ 。 」 
キュステ 「 あれ かい 。 山猫 博士 といふ の は 何 だい 。 」 
ファ ゼロ 、 「 あの 人 は 山 へ 行っ て 山猫 を 釣っ て 来 て 、 ならし て アメリカ に 売る 商売 な ん だ 、 こわい さ う だ よ 。 」 
田園 紳士 　 一 、 山猫 博士 と 握手 する 。 
「 いや 、 今晩 は 。 先日 は 失礼 いたし まし た 。 」 
山猫 博士 、 「 どう です 、 カンヤヒャウ 問題 も いよいよ 落着 です な 。 」 
紳士 「 え ゝ 、 どうも 大 へん に 不利 な こと に なり まし た 。 」 
（ 紳士 云 ひ ながら ガラス の コップ を 二つ 取っ て ファ ゼロ と キュステ に 渡す 。 
紳士 教師 の コップ に 藁 酒 を つぐ 。 ） 
「 あなた に は 何 を あげ ませ う 。 」 
キュステ 、 「 さ う だ ね 、 葡萄 水 を おくれ 。 」 
給仕 「 さ う です か 、 坊ちゃん も 。 」 
ファ ゼロ 「 うん 。 」 給仕 注ぐ 。 
（ 山猫 博士 、 紳士 と 盃 を 合せ 、 酒 を なめ 横 眼 で 二 人 を 見 ながら 云 ふ ） 「 どうも 水 を 呑む やつ ら が 来る と 広場 も 少し しら ぱっくれるね 。 」 
紳士 四 「 え ゝ 、 何せ まだ 子供 です から 、 それに そちら は たぶん カトリック の 信者 で いらっしゃい ます から 。 」 
山猫 博士 、 「 あゝ 、 カトリック です か 。 私 も 祖父 が きつい カトリック でし た が ね 。 どうも いか ん ね 、 カトリック は 。 おい 注い で くれ 。 」 
（ オーケストラ はじまる 。 ） 
山猫 博士 「 おいおい そいつ で なし に キャッツホヰスカア といふ やつ を やっ て もら ひ たい な 。 」 
楽長 「 冗談 ぢ ゃない 、 猫 の ダンス なんて 。 」 
山 「 やれ 、 やれ 、 やら ん か 。 」 
（ オーケストラ はじまる ） 
みんな コップ を おい て 踊る 。 キュステ も 入る 。 山猫 博士 、 調子 は づれの 声 で オーケストラ に 合せ ながら 、 みんな の 間 を 邪魔 する やう に 歩き ま はる 。 猫 の 声 の 時 はねあがる 。 近く の もの にげる 。 ファ ゼロ 立っ て 口笛 を 吹く 。 衣裳 係 、 帰っ て 来る 。 キュステ の 脚絆 解ける 誰か が 云 ふ 。 
「 もしも し 脚絆 が 解け まし た よ 。 」 
（ キュステ 列 を 離れる 。 衣裳 係 が 走っ て 行っ て それ を 巻き ながら 云 ふ 。 ） 
「 どうも 困り ます ぜ 、 こんな 工合 ぢ ゃ 。 それでも 衣裳 の 整 は ない の が あっ ちゃ 、 こっち の 失態 です し ね 、 え ゝ 、 どうも こんな こっ ちゃ 困り ます ぜ 。 」 
（ 曲 変る 。 みんな 踊り を やめる 。 コンフェットウ を なげる もの 、 盃 を あげる もの 。 ） 
牧者 （ 一 歩 出る ） 「 レディ スアン 、 ゼントルメン 、 わたくし が 一つ 唱 ひ ます 。 え えと 、 楽長 さん 。 フローゼントリー の ふし を 一つ ね が ひ ませ ん か な 。 」 
指揮 者 「 フローゼントリー なんて そんな 古くさい もの 知り ませ ん な 。 」 
楽 手 たち 「 そんな もの 古くさい な 。 」 
牧者 「 困っ た なあ 。 」 
鼓 器楽 手 、 「 わたし は 知っ て ます が ね 、 どうも 鼓 器 だけ ぢ ゃ 仕方 ない で せ う 。 」 
牧者 、 「 あゝ 、 沢山 です 。 で は どう か で リヅム だけ とっ て 下さい ませ ん か 。 」 
鼓 器楽 手 「 リヅム と いっ て た ゞ かう です よ 。 」 
（ 鳴らす 。 みんな 笑 ふ ） 
牧者 、 「 ああ それで 結構 です 。 （ 唱 ふ ） 
けさ の 六 時 ころ 　 ワルトラワラ の 
峠 を わたし が 　 　 　 越え やう と し たら 
朝霧 が その とき に 　 ちゃう ど 消え かけ て 
一 本 の 栗 の 木 は 　 　 後光 を 出し て ゐ た 、 
わたし は い た ゞ きの 石 に こしかけ て 
朝めし の 堅パン を 噛 ぢ り はじめ たら 
その 栗 の 木 が に は かに 　 ゆすれ だし て 
降り て 来 た の は 　 二 疋 の 電気 栗鼠 
わたし は 急い で … … … 　 　 　 　 　 。 」 
山猫 博士 「 おいおい 間違っ ちゃ いか ん よ 。 」 
牧者 「 何 だって 。 」 
山猫 博士 「 今朝 ワルトラワラ の 峠 に 、 電気 栗鼠 の 居 た 筈 は ない 。 それ は カマ イタチ の 間 違 ひ だら う 。 も 少し 精密 に 観察 し て 貰 ひたい ね 。 」 
牧者 「 さ う でし た か 。 」 （ 首 を ち ゞ め て みんな の 中 に 入る 。 ） 
山猫 博士 「 今度 は 僕 が うた ふよ 。 
つめ く さ の 花 の 　 咲く 晩 に 
ポラン の 広場 の 　 夏 まつり 
ポラン の 広場 の 　 夏 の まつり 
酒 を 呑ま ず に 　 　 水 を 呑む 
そんな やつ ら が 　 でかけ て 来る と 
ポラン の 広場 も 　 朝 に なる 
ポラン の 広場 も 　 白 ぱっくれる 。 」 
（ みんな 気の毒 さ うに 二 人 の 方 を 見る ） 
キュステ 「 おい 、 ファ ゼロ 、 もう 行か う 。 」 
フゼロ （ 泣き 出し さ うに なり な が 演壇 に のぼり 、 唱 ふ ） 
「 つめ く さ の 花 の 　 かほる 夜 は 
ポラン の 広場 の 　 夏 まつり 
ポラン の 広場 の 　 夏 の まつり 
酒 くせ の わるい 　 山猫 が 
黄いろ の シャツ で 出かけ て くる と 
ポラン の 広場 に 　 雨 が ふる 
ポラン の 広場 に 　 雨 が 落ちる 」 
山猫 博士 （ 憤然 として ） 「 何だ 失敬 な 。 決闘 を しろ 、 決闘 を 。 」 
キュステ 「 馬鹿 を 言 へ 。 貴 さま が さき に 悪口 を 言っ て 置い て 、 こんな 子供 に 決闘 だ なんて こと が ある もん か 。 おれ が 相手 に なっ て やら う 。 」 
山猫 博士 、 「 へん 、 貴 さま の 出る 幕 ぢ ゃない 。 引っ込ん で ゐろ 。 こいつ が 我輩 を 辱 し た から 我輩 は こいつ へ 決闘 を 申し込ん だ の だ 。 」 
キュステ 、 （ ファ ゼロ を うし ろ に か ば ふ 。 ） 「 い ゝ や 、 貴 さま は おれ の 悪口 を 言っ た の だ 、 おれ は 貴 さま に 決闘 を 申し込む の だ 。 全体 き さま は さっき から 見 て ゐる と 、 さも き さ ま 一 人 の 野原 の やう に 威張り 返っ て ゐる 。 さあ ピストル か 刀 か どっち か を 撰べ 。 」 
山猫 博士 （ たじろい で 酒 を 一杯 のむ 。 ） 「 黙れ 、 き さま は 決闘 の 法式 も 知ら ん な 。 」 
キュステ 「 よし 、 酒 を 呑ま なけ ぁ 物 を 言 へ ない やう な 、 そんな 卑怯 な やつ の 相手 は 子供 で たくさん だ 。 おい 　 ファ ゼロ 、 しっかり やれ 、 こんな やつ は 野原 の 松 毛虫 だ 。 おれ が 介添 を やら う 。 めちゃくちゃ に ぶん 撲っ て しまへ 。 」 
山猫 博士 、 「 よし 、 おい 、 誰 か おれ の 介添 人 に なれ 。 」 
田園 紳士 二 、 「 まあ まあ 、 あんな 子供 の こと です から どうか 大目 に 見 て やっ て 下さい 。 今夜 は たのしい 夏 まつり の 晩 です から 。 」 
山猫 博士 （ なぐりつける 。 ） 「 やかましい 。 そんな こと は わかっ て ゐる 。 黙っ て 居れ 。 おい 、 誰 か おれ の 介添 を しろ 。 おい 、 ミラア き さま やれ 。 」 
葡萄 園 農夫 「 おいら あや だ よ 。 」 
山猫 博士 、 「 病者 、 い 、 ケルン 、 き さ ま やれ 。 」 
田園 紳士 三 、 「 おいら ぁやだよ 。 」 
山猫 博士 「 おい て めい やれ 。 」 
田園 紳士 四 、 「 おいら ぁやだよ 。 」 
山猫 博士 、 「 よし 介添 人 など いら ない 。 さあ 仕度 しろ 。 」 
キュステ 、 「 き さま も 仕度 しろ 。 」 （ ファ ゼロ に 仕度 さ せる ） 
山猫 博士 「 剣 か ピストル か どっち か を えらべ 。 」 
キュステ 、 「 どっち でも き さま の い ゝ 方 を とれ 。 」 
山猫 博士 、 「 よし 、 おい 給仕 、 剣 を 二 本 持っ て 来い 。 」 
給仕 「 こんな 野原 剣 が あり ませ ん 。 ナイフ で いけ ませ ん か 。 」 
山猫 博士 「 ナイフ で い ゝ 。 」 
給仕 「 承知 し まし た 。 」 （ 退場 　 洋食 用 の ナイフ を 二 本 持っ て 来 て 　 渡す 。 ） 
山猫 博士 「 さあ どっち でも い ゝ 方 を とれ 。 」 
ファ ゼロ 、 （ 一 本 を とり 一 本 を 山猫 博士 に 投げ て 渡す 。 ） 
山猫 博士 、 「 さあ 来い 。 」 
キュステ 、 「 よし 、 ファ ゼロ 、 さあ しっかり やれ 。 」 
（ 闘 ふ 、 ファ ゼロ 山猫 博士 の 胸 を つく 。 山猫 博士 、 周章 し て かけ ま はる 。 ） 
「 おいおい 、 やら れ た よ 。 誰 か 沃度ホルム が ない か 。 過酸化水素 を もっ て ゐ ない か 。 誰 か ない か 。 やら れ た よ 。 やら れ た 。 」 （ 気絶 する ） 
キュステ 、 「 よく いろいろ の 薬 の 名前 を 知っ て や がる な 。 なあに 　 傷 も つけ ぁしないよ 。 」 
牧夫 「 水 を かけ て やら う 。 」 （ 如露 で 顔 に 水 を そ ゝ ぐ 。 ） 
山猫 博士 （ 起きあがる ） 「 あゝ 、 こ ゝ は 地獄 か ね 、 おや 、 ポラン の 広場 へ 逆戻り か 。 いや 、 こいつ は いけ ない 。 え ゝ と 、 レデース 　 アンヂェントルメン 、 諸君 の 忠告 によって 僕 は 退場 し ます 。 さよなら 。 」 （ すばやく 退場 、 みんな ひどく 笑 ふ 。 拍手 、 コンフェットウ 、 ） 
葡萄 園 農夫 （ 演壇 に 立つ 。 ） 「 諸君 、 黄いろ な シャッツ を 着 た 山猫 釣り の 野郎 は 、 正に しっぽ を まい て 遁 げ て 行っ た 。 つめ く さ の 花 が ともす 小さな あかり は いよいよ 数 を 増し 　 その かほり は 空気 いっぱい だ 。 見 たま へ 。 天の川 は おれ は よく は 知ら ない が 、 何 でも ｘ といふ 字 の 形 に なっ て しらじら と そら に かかっ て ゐる 。 かぶとむし や びら うど こがね は 列 に なっ て ぶんぶん その 下 を ま はっ て ゐる 。 愉快 な 愉快 な 夏 の まつり だ 。 誰 も もう 今夜 は くらし の こと や 、 誰 が 誰 より も どう だ といふ やう な 、 そんな みっともない こと は 考へる な 。 お ゝ 、 おれ たち は この 夜 一 ばん 、 東 から 勇ましい オリオン 星座 が のぼる まで 、 この つめ く さ の あかり 照らさ れ 、 銀河 の 微光 に 洗 はれ ながら 、 愉快 に 歌 ひ あかさ う ぢ ゃないか 。 黄いろ な 藁 の 酒 は 尽き やう が 、 もっと きれい な すき と ほっ た 露 は 一 ばん そら から 降り て くる 。 お ゝ 娘 たち 、 （ 町 の 人形 ども の やう に 、 手数 を 食っ た 馬鹿げ た 着物 を 着 ない でも 、 ） お前 たち は ひと きれ の 白い 切 を かぶれ ば 、 あと は 葡萄 いろ の 宵やみ や 銀河 から 来る 鈍い 水銀 、 さまざま の 木 の 黒い 影 やら が ひとりでに お ま へ たち を 飾る の だ 。 
あゝ 、 山猫 の 云 ひ ぐさではないが 、 
ポラン の 広場 の 夏 まつり 
ポラン の 広場 の 夏 まつり 　 とか う だ 。 」 
（ 壇 を 下る 　 拍子 、 歓声 、 オーケストラ 、 を 奏する 　 円舞 はじまる 。 
幕 ） 
前 十 七 等 官 　 レオーノ・キュースト 誌 
宮沢 賢治 　 訳述 
その ころ わたくし は 、 モリーオ 市 の 博物 局 に 勤め て 居り まし た 。 
十 八 等 官 でし た から 役所 の なか でも 、 ず うっ と 下 の 方 でし た し 俸給 も ほんの わずか でし た が 、 受持ち が 標本 の 採集 や 整理 で 生れ 付き 好き な こと でし た から 、 わたくし は 毎日 ずいぶん 愉快 に はたらき まし た 。 殊に その ころ 、 モリーオ 市 で は 競馬 場 を 植物 園 に 拵え 直す と いう ので 、 その 景色 の いい まわり に アカシヤ を 植え込ん だ 広い 地面 が 、 切符 売場 や 信号 所 の 建物 の つい た まま 、 わたくし ども の 役所 の 方 へ まわっ て 来 た もの です から 、 わたくし は すぐ 宿直 という 名前 で 月賦 で 買っ た 小さな 蓄音器 と 二 十 枚 ばかり の レコード を もっ て 、 その 番小屋 に ひとり 住む こと に なり まし た 。 わたくし は そこ の 馬 を 置く 場所 に 板 で 小さな し きい を つけ て 一疋 の 山羊 を 飼い まし た 。 毎朝 その 乳 を しぼっ て つめたい パン を ひたし て た べ 、 それ から 黒い 革 の かばん へ すこし の 書類 や 雑誌 を 入れ 、 靴 も きれい に みがき 、 並木 の ポプラ の 影法師 を 大股 にわたって 市 の 役所 へ 出 て 行く の でし た 。 
あの イーハトーヴォ の すきとおっ た 風 、 夏 で も 底 に 冷た さ を もつ 青い そら 、 うつくしい 森 で 飾ら れ た モリーオ 市 、 郊外 の ぎらぎら ひかる 草 の 波 。 
また その なか で いっしょ に なっ た たくさん の ひと たち 、 ファゼーロ と ロザーロ 、 羊 飼 の ミーロ や 、 顔 の 赤い こども たち 、 地主 の テーモ 、 山猫 博士 の ボーガント・デストゥパーゴ など 、 いま この 暗い 巨 き な 石 の 建物 の なか で 考え て いる と 、 みんな むかし 風 の なつかしい 青い 幻 燈 の よう に 思わ れ ます 。 で は 、 わたくし は いつか の 小さな み だし を つけ ながら 、 しずか に あの 年 の イーハトーヴォ の 五月 から 十月 まで を 書きつけ ましょ う 。 
一 、 遁 げた 山羊 
五月 の しまい の 日曜 でし た 。 わたくし は 賑やか な 市 の 教会 の 鐘 の 音 で 眼 を さまし まし た 。 もう 日 は よほど 登っ て 、 まわり は みんな きらきら し て い まし た 。 時計 を 見る と ちょうど 六 時 でし た 。 わたくし は すぐ チョッキ だけ 着 て 山羊 を 見 に 行き まし た 。 すると 小屋 の なか は しん として 藁 が 凹ん で いる だけ で 、 あの みじかい 角 も 白い 髯 も 見え ませ ん でし た 。 
「 あんまり いい 天気 な もん だ から 大将 ひとり で でかけ た な 。 」 
わたくし は 半分 わらう よう に 半分 つぶやく よう に し ながら 、 向う の 信号 所 から いつも 放し て 遊ば せる 輪 道 の 内側 の 野原 、 ポプラ の 中 から 顔 を だし て いる 市 はずれ の 白い 教会 の 塔 まで ぐるっと 見 まわし まし た 。 けれども どこ に も あの 白い 頭 も せ なか も 見え て い ませ ん でし た 。 うま やを 一 まわり し て み まし た が やっぱり どこ に も 居 ませ ん でし た 。 
「 いったい 山羊 は 馬 だの 犬 の よう に 前 居 た ところ や 来る 道 を おぼえ て い て 、 そこ へ 戻っ て いる という こと が ある の か なあ 。 」 
わたくし は ひとり で 考え まし た 。 さあ 、 そう 思う と 早く それ を 知り たく て たまらなく なり まし た 。 けれども 役所 の なか と ちがっ て 競馬 場 に は 物知り の 年 とっ た 書記 も 居 なけれ ば 、 そんな こと を 書い た 辞書 も そこら に あり ませ ん でし た から 、 わたくし は 何 という こと なし に 輪 道 を 半分 通っ て 、 それから この 前 山羊 が 村 の 人 に 連れ られ て 来 た 路 を そのまま 野原 の 方 へ あるき だし まし た 。 
そこら の 畑 で は 燕麦 も ライ麦 も もう 芽 を だし て い まし た し 、 これから 何 か 蒔く とこ らしく あたらしく 掘り起こさ れ て いる ところ も あり まし た 。 
そして いつか わたくし は 町 から 西南 の 方 の 村 へ 行く みち へ はいっ て しまっ て い まし た 。 
向う から は 黒い 着物 に 白い きれ を かぶっ た 百姓 の お かみさん たち が たくさん 歩い て くる よう す な の です 。 わたくし は 気がつい て 、 もう 戻っ て しまお う と 思い まし た 。 全く の 起き た まま チョッキ だけ 着 て 顔 も あらわ ず 帽子 も かむら ず 山羊 が 居る か どう か も わから ない 広い 畑 の まんなか へ 飛びだし て 来 て いる の です 。 けれども その とき は もう 戻る の も 工合 が 悪く なっ て しまっ て い まし た 。 向う の 人 たち が じき 顔 の 見える ところ まで 来 て いる の です 。 わたくし は 思い切っ て 勢 よく 歩い て 行っ て おじぎ を し て 尋ね まし た 。 
「 こっち へ 山羊 が 迷っ て 来 て い ませ ん でし た でしょ う か 。 」 
女 の 人 たち は みんな 立ちどまっ て しまい まし た 。 教会 へ 行く ところ らしく バイブル も 持っ て い た の です 。 
「 こっち へ 山羊 が 一疋 迷っ て 来 た ん です が 、 ご覧 に なり ませ ん でし た でしょ う か 。 」 
みんな は 顔 を 見合せ まし た 。 それ から 一 人 が 答え まし た 。 
「 さあ 、 わたくし ども は まっすぐ に 来 た だけ です から 。 」 
そう だ 、 山羊 が 迷っ て 出 た とき に 人 の よう に みち を 歩く の で は ない の です 。 わたくし は おじぎ し まし た 。 
「 いや 、 ありがとう ござい まし た 。 」 女 たち は 行っ て しまい まし た 。 もう 戻ろ う 、 けれども いま 戻る と あの 女 の 人 たち を 通り越し て 行か なけれ ば なら ない 、 まあ 散歩 の つもり で も すこし 行こ う 、 けれども さっぱり たより ない 散歩 だ なあ 、 わたくし は ひとりでに が わらい し まし た 。 その とき 向う から 二 十 五 六 に なる 若者 と 十 七 ばかり の こども と スコップ を かつい で やって来 まし た 。 もう 仕方 ない 、 みかけ だけ に たずね て 見よ う 、 わたくし は また おじぎ し まし た 。 
「 山羊 が 一疋 迷っ て こっち へ 来 た の です が 、 ごらん に なり ませ ん でし た でしょ う か 。 」 
「 山羊 です って 、 いいえ 。 連れ て ある い て 遁 げた の です か 。 」 
「 いいえ 、 小屋 から 遁 げた ん です 。 いや 、 ありがとう ござい まし た 。 」 
わたくし は おじぎ を し て また あるき だし まし た 。 すると その こども が うし ろ で 云い まし た 。 
「 ああ 、 向う から 誰 か 来る なあ 。 あれ そう で ない か なあ 。 」 
わたくし は ふりかえっ て 指 ざさ れ た ほう を 見 まし た 。 
「 ファゼーロ だ な 、 けれども 山羊 か なあ 。 」 
「 山羊 だ よ 。 ああ きっと あれ だ 。 ファゼーロ が いまごろ 山羊 なんぞ 連れ て あるく 筈 ない ん だ から 。 」 
たしかに それ は 山羊 でし た 。 けれども それ は 別 ので 売り に 町 へ 行く の かも しれ ない 、 まあ あの 指導 標 の ところ まで 行っ て 見よ う 、 わたくし は そっち へ 近づい て 行き まし た 。 一 人 の 頬 の 赤い チョッキ だけ 着 た 十 七 ばかり の 子ども が 、 何だか わたくし の らしい 雌 の 山羊 の 首 に 帯皮 を つけ て 、 はじ を 持っ て わらい ながら わたくし に 近 よって 来 まし た 。 どうも わたくし の らしい けれども 何と 云お う と 思い ながら 、 わたくし は たちどまり まし た 。 すると 子ども も 立ちどまっ て わたくし に おじぎ し まし た 。 
「 この 山羊 は おまえ ん だろ う 。 」 
「 そう らしい ねえ 。 」 
「 ぼく 出 て き たら たった 一疋 で 迷っ て い た ん だ 。 」 
「 山羊 も やっぱり 犬 の よう に 一 ぺん あるい た 道 を おぼえ て いる の か ねえ 。 」 
「 おぼえ てる と も 。 じゃ 。 やる よ 。 」 
「 ああ 、 ほんとう に ありがとう 。 わたし は ねえ 、 顔 も 洗わ ない で 探し に 来 た ん だ 。 」 
「 そんなに 遠く から 来 た の 。 」 
「 ああ 、 わたし は 競馬 場 に 居る から ねえ 。 」 
「 あすこ から ？ 」 
子ども は 山羊 の 首 から 帯皮 を とり ながら 畑 の 向う で かげろう に ぎらぎら ゆれ て いる 、 やっと 青みがかっ た アカシヤ の 列 を 見 まし た 。 
「 すい ぶん 遠く まで 来 た ん だ ねえ 。 」 
「 ああ 、 じゃ 、 僕 こっち へ 行く ん だ から 。 さよなら 。 」 
「 あ 、 ちょっと 待っ て 。 ぼく なにか あげ たい ん だ けれども なんにも なく て ねえ 。 」 
「 いい や 、 ぼく な ん に も いら ない ん だ 。 山羊 を 連れ て くる の は 面白かっ た 。 」 
「 だ けれど ねえ 、 それでは わたし が 気 が 済まない ん だ よ 。 そう だ 、 あなた は 鎖 は いら ない の 。 」 
わたくし は 時計 の 鎖 なら 、 なく て も 済む と 思い ながら 銀 の 鎖 を はずし まし た 。 
「 いい や 。 」 
「 磁石 も ついてる よ 。 」 
すると 子ども は 顔 を ぱっと 熱ら せ まし た が 、 また あたりまえ に なっ て 、 
「 だめ だ 、 磁石 じゃ 探せ ない から 。 」 と ぼんやり 云い まし た 。 
「 磁石 で 探せ ない って ？ 」 私 は びっくり し て たずね まし た 。 
「 ああ 。 」 子ども は 何 か 心もち の なか に かくし て い た こと を 見 られ た という よう に 少し あわて まし た 。 
「 何 を 探す っていう の 。 」 
子ども は しばらく ちゅうちょ し て い まし た が 、 とうとう 思い切っ た らしく 云い まし た 。 
「 ポラーノ の 広場 。 」 
「 ポラーノ の 広場 ？ 　 はてな 、 聞い た こと が ある よう だ なあ 。 何 だっ たろ う ねえ 、 ポラーノ の 広場 。 」 
「 昔ばなし な ん だ けれども 、 このごろ また ある ん だ 。 」 
「 ああ そう だ 、 わたし も 小さい とき 何 べ ん も 聞い た 。 野 は ら の まんなか の 祭 の ある とこ だろ う 。 あの つめ く さ の 花 の 番号 を 数え て 行く という の だろ う 。 」 
「 ああ 、 それ は 昔ばなし な ん だ 。 けれども 、 どうも この 頃 も ある らしい ん だ よ 。 」 
「 どうして 。 」 
「 だって ぼく たち が 夜 野原 へ 出 て いる と 、 どこ か で そんな 音 が する ん だ もの 。 」 
「 音 の する 方 へ 行っ たら いい ん で ない か 。 」 
「 みんな で 何 べ ん も 行っ た けれども 、 わから なく なる ん だ よ 。 」 
「 だって 、 聞える くらい なら そんなに 遠い 筈 は ない ねえ 。 」 
「 いい や 、 イーハトーヴォ の 野原 は 広い ん だ よ 。 霧 の ある 日 なら ミーロ だって 迷う よ 。 」 
「 そう さ ねえ 、 だけど 地図 も ある から ねえ 。 」 
「 野原 の 地図 が でき てる の 。 」 
「 ああ 、 きっと 四 枚 ぐらい に またがっ てる ねえ 。 」 
「 その 地図 で 見る と 路 で も 林 で も みんな わかる の 。 」 
「 いくらか 変っ て いる かも しれ ない が 、 まあ 大体 は わかる だろ う 。 じゃ 、 お礼 に その 地図 を 買っ て 送っ て あげよ う か 。 」 
「 うん 。 」 子ども は 顔 を 赤く し て 云い まし た 。 
「 きみ は ファゼーロ って 云う ん だ ね 。 宛名 を どう 書い たら いい か ねえ 。 」 
「 ぼく 、 ひま を 見付け て 、 おまえ ん うち へ 行く よ 。 」 
「 ひま って 、 今日 でも いい よ 。 」 
「 ぼく 仕事 が ある ん だ 。 」 
「 今日 は 日曜 じゃ ない か 。 」 
「 いいえ 、 ぼく に は 日曜 は ない ん だ 。 」 
「 どうして 。 」 
「 だって 仕事 を し な け ぁ 。 」 
「 仕事 って きみ の かい 。 」 
「 旦那 ん さ 。 みんな もう 行っ て 畦 へ は いっ てる ん だ 。 小麦 の 草 を とっ て いる よ 。 」 
「 じゃ きみ は 主人 の とこ に 雇わ れ て いる ん だ ね 。 」 
「 ああ 。 」 
「 お父さん たち は 。 」 
「 ない 。 」 
「 兄さん か 誰 か は 。 」 
「 姉さん が いる 。 」 
「 どこ に 。 」 
「 やっぱり 旦那 ん とこ に 。 」 
「 そう か ねえ 。 」 
「 だけど 姉さん は 山猫 博士 の とこ へ 行く かも 知れ ない よ 。 」 
「 何 だい 。 その 山猫 博士 という の は 。 」 
「 あだ名 な ん だ 。 ほん た う は デストゥパーゴ って 云う ん だ 。 」 
「 デストゥパーゴ ？ 　 ボーガント・デストゥパーゴ かい 。 県 の 議員 の 。 」 
「 ええ 。 」 
「 あいつ は 悪い やつ だ ぜ 。 あいつ の うち が こっち の 方 に ある の かい 。 」 
「 ああ 、 ぼく の 旦那 の うち から 見え … … 。 」 
「 おい 、 こら 、 何 を ぐずぐず し てる ん だ 。 」 うし ろ で 大きな 声 が し まし た 。 見る と 一 人 の 赤い 帽子 を かぶっ た 年 老 り の 頑丈 そう な 百姓 が 革 むちをもって 怒っ て 立っ て い まし た 。 
「 もう 一 くぎり も 働い た か と 思っ て 来 て 見る と 、 まだ こんな ところ に 立っ て し ゃべくってやがる 。 早く 仕事 へ 行け 。 」 
「 はい 、 じゃ さよなら 。 」 
「 ああ さよなら 、 ぼく は 役所 から いつ でも 五 時半 に は 帰っ て いる から ね 。 」 
「 ええ 。 」 
ファゼーロ は 水 壺 と ホー を もっ て 急い で 向う の 路 へ はいっ て 行き まし た 。 百姓 は こんど は わたくし に 云い まし た 。 
「 あなた は どこ の お方 だ か 知ら ない が 、 これから わし の 仕事 に いら ない お世話 を し て 貰い たく ない もん です な 。 」 
「 いや 、 わたし はね 、 山羊 に 遁 げ られ て それ を たずね て 来 たら 、 あの 子ども さん が 連れ て 来 て い た もん だ から お礼 を 云っ て い た ん です 。 」 
「 いや 、 結構 です よ 。 山羊 という やつ は どうも 足 が あっ て 歩 くん で ね 。 やい ファゼーロ 、 かけ て 行け 、 馬鹿 、 かけ て 行け っ たら 。 」 
百姓 は 顔 を まっ 赤 に し て 手 を あげ て 革 むちを パチッ と 鳴らし まし た 。 
「 人 を 使う のに 革 むちを 鳴らす なんて 乱暴 じゃ ない です か 。 」 
百姓 は わざと 顔 を 前 に つき 出し て 云い まし た 。 
「 この むちですかい 。 あなた は この 鞭 の こと を 仰っ し ゃったんですか 。 この 鞭 は ねえ 、 人 を 使う 鞭 で は あり ませ ん よ 。 馬 を 追う 鞭 です よ 。 あっち へ 馬 が 四 疋 も 行っ て ます から ねえ 。 そら ね 、 こんなふうに 。 」 
百姓 は わたくし の 顔 の 前 で パチッパチッ と はげしく 鞭 を 鳴らし まし た 。 わたくし は さ あっと 血 が 頭 に のぼる の を 感じ まし た 。 けれども また 、 いま 争う とき で ない と 考え て 山羊 の 方 を 見 まし た 。 山羊 は あちこち 草 を たべ ながら 向う に 行っ て い まし た 。 百姓 は ファゼーロ の 行っ た 方 へ 行き 、 わたくし も 山羊 の 方 へ 歩き だし まし た 。 山羊 に 追いつい て から ふりかえっ て 見 ます と 畑 いち めん 紺 いろ の 地平線 まで ぎらぎら の かげろう で 百姓 の 赤い 頭巾 も みんな ごちゃごちゃ に ゆれ て い まし た 。 その 向う の 一 そう 烈しい かげろう の 中 で ピカッ と 白く ひかる 農具 と 黒い 影法師 の よう に あるい て いる 馬 と 、 ファゼーロ か それとも ほか の こども か 、 しきりに 手 を ふっ て 馬 を うごかし て いる の を わたくし は 見 まし た 。 
二 、 つめ く さ の あかり 
それから ちょうど 十 日 ばかり たっ て 、 夕方 、 わたくし が 役所 から 帰っ て 両手 で カフス を はずし て い まし たら 、 いきなり あの ファゼーロ が 、 戸口 から 顔 を 出し まし た 。 そして わたくし が 、 まだ びっくり し て いる うち に 、 
「 とうとう 来 た よ 、 今晩 は 。 」 と 云い まし た 。 
「 ああ 、 先頃 は ありがとう 。 地図 は ちゃんと 仕度 し て おい た よ 。 この 前 の 音 は 今 でも する の 。 」 
「 する とも 、 昨夜 なんか とても ひどい ん だ 。 今夜 は もう ぼく どうしても 探そ う と おもっ て 羊 飼 の ミーロ と 二 人 で 出 て 来 た ん だ 。 」 
「 うち の 方 は 大丈夫 かい 。 」 
「 うん 。 」 ファゼーロ は 何だか 少し あいまい に 返事 し まし た 。 
「 きみ の 旦那 は なかなか 恐い 人 だ ねえ 、 何 て 云う ん だ 。 」 
「 テーモ だ よ 。 」 
「 テーモ 、 やっぱし 何だか 聞い た よう な 名 だ なあ 。 」 
「 聞い た かも 知れ ない 。 あちこち 役所 へ 果物 だの 野菜 だの 納め て いる ん だ から 。 」 
「 そう か ねえ 。 とにかく 地図 は これ だ よ 。 」 
わたくし は 戸口 に 買っ て 置い た 地図 を ひろげ まし た 。 
「 ミーロ も 呼ん で も いい かい 。 」 
「 誰 か 来 てる の か 、 いい と も 。 」 
「 ミーロ 、 おいで 、 地図 を 見よ う 。 」 
すると 山羊 小屋 の 中 から ファゼーロ より も 三つ ばかり 年上 の 、 ちゃんと き ゃはんをはいて 、 ぼろぼろ に なっ た 青い 皮 の 上着 を 着 た 顔 いろ の いい わか 者 が 出 て き て 、 わたくし に おじぎ し まし た 。 
「 おや 、 ぼく は 地図 を よく わから ない なあ 、 どっち が 西 だろ う 。 」 
「 上 の 方 が 北 だ よ 。 そう 置い て ごらん 。 」 ファゼーロ は お もて の 景色 と 合せ て 地図 を 床 に 置き まし た 。 
「 そら 、 こっち が 東 で こっち が 西 さ 。 いま ぼく ら の いる の は ここ だ よ 。 この 円く なっ た 競馬 場 の ここ の とこ さ 。 」 
「 乾溜 工場 は どれ だろ う 。 」 ミーロ が 云い まし た 。 
「 乾溜 工場 って 、 この 地図 に は ない ね 、 こっち かしら 。 」 
わたくし は 別 の を ひろげ まし た 。 
「 ない なあ 、 いつ ごろ から ある ん だい 。 」 
「 去年 から だ よ 。 」 
「 それ じゃ ない ん だ 。 この 地図 は もっと 前 に 測量 し た ん だ から 。 その 工場 は どんな とこ に ある の 。 」 
「 ムラード の 森 の はずれ だ よ 。 」 
「 ああ 、 これ かしら 、 何 の 木 だい 、 楢 か 樺 だら う 。 唐 檜 や サイプレス で は ない ね 。 」 
「 楢 と 樺 だ よ 。 ああ これ か 。 ぼく は ねえ 、 どうも 昨夜 の 音 は ここ から 聞え た と 思う ん だ 。 」 
「 行こ う 行こ う 、 行っ て 見よ う 。 」 ファゼーロ は もう 地図 を もっ て はねあがり まし た 。 
「 わたし も 行っ て いい かい 。 」 
「 いい とも 、 ぼく そう 云い たく て い た ん だ 。 」 
「 じゃ わたし も 行こ う 。 ちょっと 待っ て 。 」 
わたくし は 大急ぎ で 仕度 を し まし た 。 どうせ 月 は 出る けれども 地図 が 見え ない と いけ ない と 思っ て 、 ガラス 函 の ちょう ちん も 持ち まし た 。 
「 さあ 行こ う 。 」 わたくし は 、 ば たんと 戸 を しめて ファゼーロ と ミーロ の あと に 立ち まし た 。 
日 は もう 落ち て 空 は 青く 古い 池 の よう に なっ て い まし た 。 そこら の 草 も アカシヤ の 木 も 一 日 の なか で いちばん 青く 見える とき でし た 。 
わたくし ども は もう 競馬 場 の まん中 を 横 截っ て しまっ て まっすぐ に 野原 へ 行く 小さな みち へ かかっ て い まし た 。 ふりかえっ て みる と 、 わたくし の 家 が かなり 小さく 黄いろ に ひかっ て い まし た 。 
「 ポラーノ の 広場 へ 行け ば 何 が ある って 云う の ？ 」 
ミーロ に ついて行き ながら わたくし は ファゼーロ に たずね まし た 。 
「 オーケストラ で も お 酒 で も 何でも ある って 。 ぼく お 酒 なんか 呑み たく は ない けれど 、 みんな を 連れ て 行き たい ん だ よ 。 」 
「 そう だって 云っ た ねえ 、 わたし も 小さい とき 、 そんな こと 聞い た よ 。 」 
「 それに 第 一 に ね 、 そこ へ 行く と 誰 でも 上手 に 歌える よう に なる って 。 」 
「 そう そう 、 そう 云っ た 。 だけど そんな こと が いま でも ほんとう に ある か ねえ 。 」 
「 だって 聞える ん だ もの 。 ぼく は 何 も いら ない けれども 上手 に うたい たい ん だ よ 。 ねえ 。 ミーロ だって そう だろ う 。 」 
「 うん 。 」 ミーロ も うなずき まし た 。 
元来 ミーロ なんか よほど 歌 が うまい の だろ う と わたくし は 思い まし た 。 
「 ぼく は 小さい とき は いつ でも いまごろ 野原 へ 遊び に 出 た 。 」 ファゼーロ が 云い まし た 。 
「 そう か ねえ 。 」 
「 すると お母さん が 、 行っ て おい で 、 ふくろう に だまさ れ ない よう に おし って 云う ん だ 。 」 
「 何 て 云う って 。 」 
「 お母さん が ね 、 行っ て おい で 、 ふくろう に だまさ れ ない よう に おし って 云う ん だ よ 。 」 
「 ふくろう に ？ 」 
「 うん 、 ふくろう に さ 。 それ はね 、 僕 もっと 小さい とき 、 それ は もう こんなに 小さい とき な ん だ 、 野原 に 出 たろ う 。 すると 遠く で 、 誰 だ か 食べ た 、 誰 だ か 食べ た 、 という もの が あっ た ん だ 。 それ が ふくろう だっ た の よ 。 僕 ばか な 小さい とき だ から 、 ずんずん 行っ た ん だ 。 そして 林 の 中 へ はいっ て みち が わから なく なっ て 泣い た 。 それから いつ でも 、 お母さん そう 云っ た ん だ 。 」 
「 お母さん は いま どこ に いる の 。 」 わたくし は この 前 の こと を 思いだし ながら 、 そっと たずね まし た 。 
「 居 ない 。 」 ファゼーロ は かなし そう に 云い まし た 。 
「 この 前 きみ は 姉さん が デストゥパーゴ の とこ へ 行く かも しれ ない って 云っ た ねえ 。 」 
「 うん 、 姉さん は 行き たく ない ん だ よ 。 だけど 旦那 が 行け って 云う ん だ 。 」 
「 テーモ が かい 。 」 
「 うん 、 旦那 は 山猫 博士 が こわい ん だ から ねえ 。 」 
「 なぜ 山猫 博士 って 云う ん だ 。 」 
「 ぼく よく わから ない 。 ミーロ は 知っ てる の ？ 」 
「 うん 。 」 ミーロ は こっち を ふりむい て 云い まし た 。 
「 あいつ は 山猫 を 釣っ て ある い て 外国 へ 売る 商売 な ん だ って 。 」 
「 山猫 を ？ 　 じゃ 動物 園 の 商売 かい 。 」 
「 動物 園 じゃ ない なあ 。 」 ミロー も わから ない という ふう に だまっ て しまい まし た 。 
その とき は もう 、 あたり は とっぷり くらく なっ て 西 の 地平線 の 上 が 古い 池 の 水 あかり の よう に 青く ひかる きり 、 そこら の 草 も 青 黝 く かわっ て い まし た 。 
「 おや 、 つめ く さ の あかり が つい た よ 。 」 ファゼーロ が 叫び まし た 。 
なるほど 向う の 黒い 草むら の なか に 小さな 円い ぼんぼり の よう な 白い つめ く さ の 花 が あっち に も こっち に も ならび 、 そこら は むっと し た 蜂蜜 の かおり で いっぱい でし た 。 
「 あの あかり は ねえ 、 そば で よく 見る と まるで 小さな 蛾 の 形 の 青じろい あかり の 集り だ よ 。 」 
「 そう か ねえ 、 わたし は たった 一つ の あかし だ と 思っ て い た 。 」 
「 そら 、 ね 、 ごらん 、 そう だろ う 、 それ に 番号 が ついてる ん だ よ 。 」 
わたし たち は しゃがん で 花 を 見 まし た 。 なるほど 一つ 一つ の 花 に は そう 思え ば そう と いう よう な 小さな 茶 いろ の 算用 数字 みたい な もの が 書い て あり まし た 。 
「 ミーロ 、 いくら だい 。 」 
「 一 千 二 百 五 十 六 か な 、 いや 一 万 七 千 五 十 八 か なあ 。 」 
「 ぼく の は 三 千 四 百 二 十 … … 六 だ よ 。 」 
「 そんなに はっきり 書い て ある か ねえ 。 」 
わたくし に は どうしても 、 そんなに はっきり は 読む こと が でき ませ ん でし た 。 けれども 花 の あかり は 、 あっち に も こっち に も もう そこら いっぱい でし た 。 
「 三 千 八 百 六 十 六 、 五 千 まで 数えれ ば いい ん だ から 、 ポラーノ の 広場 は もう じき そこら な 筈 な ん だ けれども 。 」 
「 だって さっぱり きみ ら の 云う よう な 、 いい 音 は し ない じゃ ない か 。 」 
「 いま に 聞える よ 。 こいつ は 二 千 五 百 五 十 六 だ 。 」 
「 その 数字 を 数える という の は きっと だめ だ よ 。 」 
とうとう わたくし は 云い まし た 。 
「 どうして ？ 」 ファゼーロ も ミーロ も まっすぐ に 立っ て わたくし を 見 て い ます 。 
「 なぜ って 第 一 わたし は 花 に そんな 数字 が 書い て ある の で なく て 、 それ は こっち の 目 の まちがい だろ う と 思う ん だ 。 もし ほんとう に いま に その 音 が 聞え て き たら 、 まっすぐ に そっち に 行く の が いちばん いい だろ う と 思う ん だ 。 とにかく もっと さき へ 行っ て よう じゃ ない か 。 ここら なら わたし だって 度々 来 て いる ん だ から 。 ここら は まだ あの 岐 れ みち の まっ 北 ぐらい に しか なっ て ない ん だ 。 ムラード の 森 なんか 、 まだ よっぽど ある だろ う 。 ねえ 、 ミーロ 君 。 」 
「 よっぽど ある と も 。 」 
「 じゃ 、 行こ う 、 まあ もっと 行っ て 花 の 番号 を 見 て ごらん 。 やっぱり 二 千 とか 三 千 とか だから 。 」 
ミーロ は うなずい て あるき だし まし た 。 ファゼーロ も だまっ て ついて行き まし た 。 わたくし ども は 、 じつに いっぱい に 青じろい あかり を つけ て 、 向う の 方 は まるで 不思議 な 縞物 の やう に 幾 条 に も 縞 に なっ た 野原 を 、 だまっ て どんどん あるき まし た 。 その 野原 の はずれ の まっ黒 な 地平線 の 上 で は 、 そら が だんだん にぶい 鋼 の いろ に 変っ て 、 いくつ か の 小さな 星 も うかん で き まし た し 、 そこら の 空気 も いよいよ 甘く なり まし た 。 そのうち 何だか わたくし ども の 影 が 前 の 方 へ 落ち て いる よう な ので 、 うし ろ を 振り向い て 見 ます と 、 おお 、 はるか な モリーオ の 市 のぼ ぉっとにごった 灯 照り の なか から 、 十 六 日 の 青い 月 が 奇 体 に 平 べ っ たく なっ て 半分 のぞい て いる の です 。 わたくし ども は 思わず 声 を あげ まし た 。 ファゼーロ は 、 そっち へ 挨拶 する よう に 両手 を あげ て はねあがり まし た 。 
にわかに ぼんやり 青白い 野原 の 向う で 、 何 か セロ か バス の やう な 顫 いが しずか に 起り まし た 。 
「 そら 、 ね 、 そら 。 」 ファゼーロ が わたくし の 手 を 叩き まし た 。 
わたくし も まっすぐ に 立っ て 耳 を すまし まし た 。 音 は しずか に しずか に 呟 やく よう に ふるえ て い ます 。 けれども いったい どっち の 方 か 、 わたくし は 呆れ て つっ 立っ て しまい まし た 。 もう 南 で も 西 で も 北 で も わたくし ども の 来 た 方 で も 、 そう 思っ て 聞く と 、 地面 の 中 でも 、 高く なっ たり 、 低く なっ たり 、 たのし そう に 、 たのし そう に 、 その 音 が 鳴っ て いる の です 。 
それ は また 一つ や 二つ で は ない よう でし た 。 消え たり もつれ たり 、 一所 に なっ たり 、 何 と も 云わ れ ない の です 。 
「 まるで 昔 から の はなし の 通り だ ねえ 。 わたし は もう わから なく なっ て しまっ た 。 」 
「 番号 は ここら も やっぱり 二 千 三 百 ぐらい だ よ 。 」 ファゼーロ が 月 が 出 て 一 そう 明るく なっ た 、 つめ く さ の 灯 を しらべ て 云い まし た 。 
「 番号 なんか 、 あて に なら ない よ 。 」 わたくし も 屈み まし た 。 
その とき わたくし は 一つ の 花 の あかし から 、 も 一つ の 花 へ 移っ て 行く 黒い 小さな 蜂 を 見 まし た 。 
「 ああ 、 蜂 が 、 ごらん 、 さっき から ぶんぶん ふるえ て いる の は 、 月 が 出 た ので 蜂 が 働き だし た の だ よ 。 ごらん 、 もう 野原 いっぱい 蜂 が いる ん だ 。 」 
これ で わかっ たろ う と わたくし は 思い まし た が 、 ミーロ も ファゼーロ も だまっ て しまっ て なかなか 承知 し ませ ん でし た 。 
「 ねえ 、 蜂 だろ う 。 だから あんなに 野原 中 どこ から 来る か 知れ なかっ た ん だ よ 。 」 
ミーロ が やっ と 云い まし た 。 
「 そう で ない よ 。 蜂 なら ぼく は ずっと 前 から 知っ て いる ん だ 。 けれども 昨夜 は もっと はっきり 人 の 笑い声 など まで 聞え た ん だ 。 」 
「 人 の 笑い声 、 太い 声 でかい 。 」 
「 いい や 。 」 
「 そう か ねえ 。 」 
わたくし は また わから なく なっ て 腕 を 組ん で 立ちあがっ て しまい まし た 。 
その とき でし た 。 野原 の ず うっ と 西北 の 方 で 、 ぼ お 、 と たしかに トローンボーン か バス の 音 が きこえ まし た 。 わたくし は きっと そっち を 向き まし た 。 すると また 西 の 方 でも きこえる の です 。 わたくし は おもわず 身ぶるい し まし た 。 野原 ぜんたい に 誰 か 魔術 で も かけ て いる か 、 そう で なけれ ば 昔 から の 云い 伝え 通り 、 ひる に は 何 も ない 野原 の まんなか に 不思議 に 楽しい ポラーノ の 広場 が できる の か 、 わたくし は 却って ひる の 間 役所 で 標本 に 札 を つけ たり 書類 を 所長 の ところ へ 持っ て 行っ たり し て い た こと が 、 別 の 世界 の こと の よう に 思わ れ て き まし た 。 
「 やっぱり 何 か ある の か ねえ 。 」 
「 ある よ 。 だって まだ これ どこ で は ない ん だ もの 。 」 
「 こんなに 方角 が わから ない と すれ ば 、 やっぱり 昔 の 伝説 の よう に あかし の 番号 を 読ん で 行か なけれ ば なら ない ん だ が 、 ぜんたい 、 いくら まで 数え て 行け ば ポラーノ の 広場 に 着く って ？ 」 
「 五 千 だ よ 。 」 
「 五 千 ？ 　 ここ は いくら と 云っ た ねえ 。 」 
「 三 千 ぐらい だ よ 。 」 
「 じゃ 、 北 へ 行け ば 数 が ふえる か 西 へ 行け ば ふえる か 、 しらべ て 見よ う か 。 」 
その 時 でし た 。 
「 ハッハッハ 。 お前 たち も ポラーノ の 広場 へ 行き てえ の か 。 」 うし ろ で 大きな 声 で 笑う もの が い まし た 。 
「 何だ い 、 山猫 の 馬車 別当 め 。 」 ミーロ が 云い まし た 。 
「 三 人 で 這い まわっ て 、 あかり の 数 を 数え てる ん だ な 。 ハッハッハ 。 」 足 の まがっ た 片 眼 の その 爺さん は 上着 の ポケット に 手 を 入れ た まま 、 また 高く わらい まし た 。 
「 数え てる さ 、 そん なら 、 じいさん は 知っ てる かい 。 いま でも ポラーノ の 広場 は ある かい 。 」 ファゼーロ が 訊き まし た 。 
「 ある さ 。 ある に は ある けれども お前 ら の たずね て いる よう な 、 這いつくばっ て 花 の 数 を 数え て 行く よう な 、 そんな ポラーノ の 広場 は ねえ よ 。 」 
「 そん なら どんな ん が ある ん だい 。 」 
「 もっと いい の が ある よ 。 」 
「 どんな ん だい 。 」 
「 まあ 、 お前 たち に は 用 が なかろ う ぜ 。 」 じいさん は のど を く びっと 鳴らし まし た 。 
「 じいさん は しじゅう 行く かい 。 」 
「 行か ねえ 訳 でも ねえ よ 、 いい とこ だ から なあ 。 」 
「 じいさん は 今夜 は 酔っ てる ねえ 。 」 
「 ああ 上等 の 藁 酒 を やっ た から な 。 」 じいさん は また のど を く びっと 鳴らし まし た 。 
「 ぼく たち は 行け ない だろ う か ねえ 。 」 
「 行け ねえ よ 、 あっ いけ ねえ 、 とうとう 悪魔 に やら れ た 。 」 じいさん は 額 を 押え て よろよろ し まし た 。 甲 むし が 飛ん で 来 て 、 ぶっつかっ た よう す でし た 。 
ミーロ が 云い まし た 。 
「 じいさん 、 ポラーノ の 広場 の 方角 を 教え て くれ たら 、 おいら あ 、 じいさん に 悪魔 の 歌 を うたっ て きかせる ぜ 。 」 
「 縁起 でも ねえ 、 まあ もっと 這い まわっ て 見 ねえ 。 」 
じいさん は ぷりぷり 怒っ て ぐんぐん つめ 草 の 上 を わたっ て 南 の 方 へ 行っ て しまい まし た 。 
「 じいさん 。 お待ち よ 。 また 馬 を 冷し に 連れ て っ て やる から さ 。 」 ファゼーロ が 叫び まし た が 、 じいさん は どんどん 行っ て しまい まし た 。 ミーロ は しばらく だまっ て い まし た が 、 とうとう こらえ きれ ない らしく 、 
「 おい 、 おれ 歌う から な 。 」 と 云い だし まし た 。 
ファゼーロ は それどころ で は ない よう す でし た が 、 わたくし は 前 から ミーロ は 歌 が うまい だろ う と 思っ て い た ので 手 を 叩き まし た 。 ミーロ は 上着 や シャツ の 上 のぼ たん を はずし て 息 を すこし 吸い まし た 。 
「 い の しし むしゃ の かぶとむし 
つき の あかり も つめ くさ の 
ともす あかり も 眼 に 入ら ず 
め くらめ っぽ に 飛ん で 来 て 
山猫 馬丁 に つきあたり 
あわて て ひょろひょろ 
落ちる を やっと ふみ とまり 
いそい で か ぶと を しめ なおし 
月 の あかり も つめ くさ の 
ともす あかり も 目 に 入ら ず 
飛ん で も ない 方 に 飛ん で 行く 。 」 
ところが 、 その じいさん の 行っ た 方 から 細い 高い 声 で 、 
「 ファゼーロ 、 ファゼーロ 。 」 と 呼ん で いる よう す です 。 
「 ああ 、 姉さん 、 いま 行く よ 。 」 ファゼーロ が そっち へ 向い て 高く 叫び まし た 。 向う の 声 は やみ まし た 。 
「 だめ だ なあ 、 きっと 旦那 が 呼ん でる ん だ 。 早く 森 まで 行っ て みれ ば よかっ た ねえ 。 」 
ミーロ が 俄 かに 勢 が つい て 早口 に 云い まし た 。 
「 大丈夫 だ よ 。 おれ はね 、 どうも あの 馬車 別当 だの 町 の 乾物 屋 の おやじ だの 、 あやしい と 思っ て い た ん だ 。 このごろ は いつ でも 酔っ て いる ん だ 、 きっと あいつ ら が ポラーノ の 広場 を 知っ てる ぜ 。 それに おれ は 野原 で おかしな 風 に 枯草 を 積ん だ 荷馬 車 に 何 べ ん も あっ てる ん だ 。 ファゼーロ 、 お前 ね 、 なん に も 知ら ない ふり し て 今夜 は うち へ 帰っ て 寝ろ 。 おれ は きっと 五 六 日 の うち に ポラーノ の 広場 を さがす から 。 」 
「 そう かい 。 ぼく に は よく わから ない なあ 。 」 
その とき また 声 が し まし た 。 
「 ファゼーロ 、 おいで 。 お 使い に 町 へ 行く ん だ って 。 」 
「 ああ いま 行く よ 。 ぼく は 旦那 の とこ へ まっすぐ に 行く ん だ が 、 おまえ は ひとり で 競馬 場 へ 帰れる かい 。 」 
「 帰れる とも 、 ここら は ひるま なら たびたび 来る とこ な ん だ 。 じゃ 、 地図 は あげる よ 。 」 
「 うん 、 ミーロ へ やってこ う 。 ぼく ひる は 野原 へ 来る ひま が ない ん だ から 。 」 
その とき 向う の つめ く さ の 花 と 月 の あかり の なか に 、 うつくしい 娘 が 立っ て い まし た 。 ファゼーロ が 云い まし た 。 
「 姉さん 、 この 人 だ よ 。 ぼく 地図 を もらっ た よ 。 」 
その 娘 は こっち へ 出 て こ ない で 、 だまっ て おじぎ を し まし た 。 わたくし も だまっ て おじぎ を し まし た 。 
「 じゃ 、 さよなら 、 早く 行か なく ちゃ 。 」 
ファゼーロ は 走り出し まし た 。 ロザーロ は 、 も いちど わたくし ども に 挨拶 し て 、 その あと から 急い で 行き まし た 。 ミーロ は だまっ て 北の方 を 向い て 耳 に たなご ころ を あて て い まし た 。 わたくし は ポラーノ の 広場 という の は こういう 場所 を そのまま 云う の だ 、 馬車 別当 だの ミーロ だの まだ 夢 から さめ ない ん だ と 思い ながら 云い まし た 。 
「 ミーロ 、 おまえ の 歌 は 上手 だ よ 。 わざわざ 、 ポラーノ の 広場 まで 習い に 行か なく て も いい や 。 じゃ さよなら 。 」 
ミーロ は 、 ていねい に おじぎ を し まし た 。 わたくし は そして その うつくしい 野原 を 、 胸 いっぱい に 蜂蜜 の かおり を 吸い ながら 、 わたくし の 家 の 方 へ 帰っ て き まし た 。 
三 、 ポラーノ の 広場 
それから ちょうど 五 日 目 の 火曜日 の 夕方 でし た 。 その 日 は わたくし は 役所 で 死ん だ 北極熊 を 剥製 に する か どう か について ひどく 仲間 と 議論 を し て 大 へん むしゃくしゃ し て い まし た から 、 少し 気 を 直す つもり で 酒石酸 を つめたい 水 に 入れ て 呑ん で い まし たら 、 ず うっ と 遠く で すきとおっ た 口笛 が 聞え まし た 。 その 調子 は たしかに あの ファゼーロ の 山羊 を つれ て 来 たり 野原 を 急い で 行っ たり する 気持 そっくり な ので 、 わたくし は 思わ ず 、 とうとう 来 た な 、 と つぶやき まし た 。 
やっぱり ファゼーロ でし た 。 まだ わたくし が その 酒石酸 の コップ を 呑み ほさ ない うち に 、 もう 顔 を まっ 赤 に し て 戸口 に 立っ て い まし た 。 
「 わかっ た よ 、 とうとう 。 僕 ゆうべ 行く みち へ すっかり 方角 の しるし を つけ て 置い た 。 地図 で 見 て も わかる ん だ 。 今夜 なら もう 間違い なく ポラーノ の 広場 へ 行ける 。 ミーロ は ひる の うち から 行っ て い て ぼく ら を 迎え に 出る 約束 な ん だ 。 ぼく 行っ て 見 て 、 ほんとう だっ たら 、 あした は もう みんな つれ て 行く ん だ 。 」 
わたくし も 釣り込ま れ て 胸 を 躍ら せ まし た 。 
「 そう かい 、 わたし も 行こ う 。 どんな なり し て 行っ たら いい か ねえ 。 どんな 人 が 来 てる だろ う ねえ 。 」 
「 どんな なり でも いい じゃ ない か 。 早く 行こ う 。 来 てる 人 が 誰 だ か 、 ぼく も わから ない ん だ 。 」 
わたくし は 大急ぎ で ネクタイ を 結ん で 新 らしい 夏 帽子 を 被っ て 外 へ 出 まし た 。 わたくし ども が この 前 別れ た ところ へ 来 た ころ は 丁度 夕方 の 青い あかり が 、 つめ く さ に ぼんやり 注い で い て 、 その 葉 の 爪 の 痕 の やう な 紋 も 、 もう 見え なく なり かかっ た とき でし た 。 ファゼーロ は 爪 立て を し て しばらく あちこち 見 まわし て い まし た が 、 俄 か に 向う へ 走っ て 行き まし た 。 ファゼーロ は しばらく 経っ て ぴたり と 止まり まし た 。 
「 あ 、 こいつ だ 、 そら ね 。 」 
見る と そこ に は ファゼーロ が 作っ た らしく 、 一 本 の 棒 を 立て て その 上 に ボール紙 で 矢 の 形 を 作っ て 北西 の 方 を 指す よう に し て あり まし た 。 
「 さあ 、 こっち へ 行く ん だ 。 向う に 小さな 樺の木 が 二 本 ある だろ う 。 あすこ が 次 の 目標 な ん だ よ 。 暗く なら ない うち に 早く 行こ う 。 」 ファゼーロ は どんどん 走り出し まし た 。 
ほんとう に そこら で は もう つめ く さ の あかり が つき はじめ て い まし た 。 わたくし は また ファゼーロ の あと について 走り まし た 。 
「 早く 行こ う 、 早く 行こ う 、 山猫 の 馬車 別当 なんか に 見付かっ ちゃ うるさい や 。 」 ファゼーロ は ふりかえっ て 、 そんな こと を 云い ながら 走り つづけ まし た 。 
けれども さっき 見 た 二 本 の 樺の木 まで は なかなか すぐ で は あり ませ ん でし た 。 
ファゼーロ は よく 走り まし た 。 
わたくし も ずいぶん 本気 に 走り まし た 。 
やっと そこ に 着い て ファゼーロ が 立ちどまっ た とき は 、 あたり は もう すっかり 夜 に なっ て い て 、 樺の木 も まっ黒 に そら に すかし 出さ れ て い まし た 。 
つめ く さ の 花 は ちょうど その 反対 に 明るく 、 まるで 本当 の 石英 ランプ で でき て いる よう でし た 。 
そして よく 見 ます と 、 この 前 の 晩 みんな で 云っ た よう に 、 一々 の あかし は 小さな 白い 蛾 の かたち の あかし から 出来 て 、 それ が 実に 立派 に かがやい て 居り まし た 。 処々 に は 、 せい の 高い 赤い あかり も りん と 灯り 、 その 柄 の 所 に は 緑 いろ の しゃんと し た 葉 も つい て い た の です 。 ファゼーロ は すばやく その 樺の木 に のぼっ て い まし た 。 そして しばらく 野原 の 西 の 方 を ながめ て い まし た が 、 いきなり ぶらさがっ て はね て おり て 来 まし た 。 
「 次 の しるし は もう 見え ない ん だ 。 けれども 広場 は ちょうど ここ から まっすぐ 西 に なっ て いる 筈 だ から 、 あの 雲 の 少し 明るい ところ を 目あて に し て 歩い て 行こ う 。 もう そんなに 遠く ない ん だ から 。 」 
わたくし ども は また あるき だし まし た 。 俄 か に どこ から か 甲虫 の 鋼 の 翅 がり いん り いん と 空中 に 張る よう な 音 が たくさん 聞え て き まし た 。 
その 音 に まじっ て たしかに 別 の 楽器 や 人 の がやがや 云う 声 が 、 時々 ちらっと きこえ て また わから なく なり まし た 。 
しばらく 行っ て ファゼーロ が いきなり 立ちどまっ て 、 わたくし の 腕 を つかみ ながら 、 西 の 野原 の はて を 指し まし た 。 わたくし も そっち を すかし て 見 て よろよろ し て 眼 を こすり まし た 。 そこ に は 何 の 木 か 七 八 本 の 木 が じ ぶん の からだ から ひとり で 光 でも 出す よう に 青く かがやい て 、 そこら の 空 も ぼんやり 明るく なっ て いる の でし た 。 
「 ファゼーロ かい 。 」 いきなり 向う から 声 が し まし た 。 
「 ああ 、 来 た よ 。 やっ て いる かい 。 」 
「 やっ てる よ 。 とても にぎやか な ん だ 。 山猫 博士 も 来 て いる よう だ ぜ 。 」 
「 山猫 博士 ？ 」 ファゼーロ は ぎく っと し た よう でし た 。 
「 けれども いっしょ に 行こ う 。 ポラーノ の 広場 は 誰 だって 見 附け た 人 は 行っ て いい ん だ から 。 」 
「 よし 行こ う 。 」 ファゼーロ は はっきり 云い まし た 。 
わたくし ども は その あかり を め あて に あるい て 行き まし た 。 
ミーロ も ファゼーロ も 何 か 大 へん 心配 な よう でし た 。 さっぱり 物 も 云わ なく なっ て しまっ た の です 。 そうなると こんど は わたくし が 元気 が つい て 来 まし た 。 一体 昔ばなし の 通り の こと が 本当に ある の だろ う か 、 それとも 何 か ほか の こと だろ う か 、 山猫 博士 が ここ へ 来 て 何 を し て いる の だろ う か 。 もう どうしても 行っ て 見 たく て たまらなく なり まし た 。 殊に その 日 は わたくし は まだ 俸給 の 残り を 半分 以上 もっ て い まし た し 、 もし お金 を 払わ なけれ ば なら ない として も ファゼーロ と ミーロ に ご馳走 する ぐらい 大丈夫 だ と 考え た の です 。 
「 いい よ 、 こんど はね 、 わたし について 来る ん だ よ 。 山猫 博士 なんか 少し も こわい こと は ない ん だ から 。 」 
わたくし は もう まっさきに 立っ て どんどん 急ぎ まし た 。 甲虫 の 翅 の 音 は いよいよ 高く なり 青い 木 は その 一つ 一つ の 枝 まで はっきり 見え て 来 まし た 。 木の下 で は 白い シャツ や 黒い 影 や みんな が ちらちら 行っ たり 来 たり し て い ます 。 誰か の 片手 を あげ て 何 か 云っ て いる の も 見え まし た 。 
いよいよ 近く なっ て わたくし は 、 これ こそ はも う ほん もの の ポラーノ の 広場 だ と 思っ て しまい まし た 。 さっき の 青い の は 可 成 大きな はん の 木 でし た が 、 その 梢 から は たくさん の モール が 張ら れ て その 葉 まで きらきら ひかり ながら ゆれ て い まし た 。 その 上 に は いろいろ な 蝶 や 蛾 が 列 に なっ て ぐるぐる ぐるぐる 輪 を かい て い た の です 。 
うつくしい 夏 の そら に は 銀河 が いま わたくし ども の 来 た 方 から だんだん そっち へ まわり かけ て 、 南 の まっくろ な 地平線 の 上 の あたり で は ぼんやり 白く 爆発 し た よう に なっ て い まし た 。 つめ く さ の かおり やら 何 か さまざま の 果物 の かおり 、 みんな の 笑い声 、 その うち に とうとう みんな は 組 に なっ て 踊り だし まし た 。 七 八 人 の よう で は あり まし た が 、 たしかに もう ほん もの の オーケストラ が 愉快 そう な ワルツ を やり はじめ まし た 。 一 まわり 踊り が すむ と みんな は ばらばら に なっ て コップ を とり まし た 。 そして わあわあ 叫び ながら 呑み ほし て い ます 。 その 叫び は 気 の せい か 、 デストゥパーゴ 万 歳 という よう に も きこえ まし た 。 
「 あれ が 山猫 博士 だ な 。 」 ファゼーロ が 向う の 卓 に ひとり 坐っ て 、 がぶがぶ 酒 を 呑ん で いる 黄いろ の 縞 の シャツ と 赤 皮 の 上着 を 着 た 肩 は ば の ひろい 男 を 指さし まし た 。 
誰 か 六 七 人 コンフェットウ や 紐 を 投げ まし た ので 、 それ は 雪 の よう に 花 の よう に きらきら 光り ながら そこら に 降り まし た 。 
わたくし ども は もう 広場 の 前 まで 来 て 立ちどまり まし た 。 
ちょうど その とき デストゥパーゴ が コップ を もっ て 立ちあがり まし た 。 
「 おいおい 給仕 、 なぜ おれ に は 酒 を 注が ん か 。 」 
すると 白い 服 を 着 た 給仕 が 周章て て 走り 寄り まし た 。 
「 はい はい 相 済み ませ ん 。 坐っ て おいで だっ た もん です から つい 。 」 
「 坐っ て おいで に なっ て も 立っ て おいで に なっ て も 、 我輩 は 我輩 じゃ ない か 。 おっ と よろしい 。 諸君 は 我輩 の ため に 乾杯 しよ う という ん だ な 。 よし よし 、 プ 、 プ 、 プロージット 。 」 
そこで みんな は 呑み ほし まし た 。 
わたくし は 臆 し て しまっ て 、 もう 帰ろ う か と も 思い まし た が 、 さっき ファゼーロ たち に あんな こと を 云っ た もの です から 立っ て いる こと も 遁 げ る こと も でき ませ ん でし た 。 どう なる か なる よう に なれ と 思い切っ て 二 人 を つれ て 帽子 を とり ながら 、 あかり の 中 へ はいり まし た 。 すると みんな は 一 ぺん に さわぎ を やめ て 怪 げん そう な 顔つき で わたくし ども を 見 まし た 。 それから デストゥパーゴ の 方 を 見 まし た 。 
すると デストゥパーゴ は ちょっと 首 を まげて 考え まし た 。 どうも わたくし の こと を 見 た こと は ある が 考え出せ ない という 風 でし た 。 すると そば へ 一 人 の 夏 フロック コート を 着 た 男 が 行っ て 何 か 耳 うち し まし た 。 デストゥパーゴ は 不機嫌 そう な 一べつ を わたくし に 与え て から 仕方 な さ そう に うなずき まし た 。 
すると やはり フロック を 着 て テーモ が 来 て い まし た 。 その テーモ が 柄 の つい た ガラス の 杯 を 三つ もっ て 来 て 、 だまっ て わたくし から ミーロ 、 ファゼーロ と 渡し まし た 。 ファゼーロ に 渡し ながら だまっ て にらみつけ まし た 。 ファゼーロ は たじたじ 後退り し まし た 。 給仕 が そば から レッテル の ない 大きな 瓶 から いま まで みんな の 呑ん で い た 酒 を 注ご う と し まし た 。 わたくし は そこ で 云い まし た 。 
「 いや 、 わたし たち はね 、 酒 は 呑ま ない ん だ から 炭酸 水 で も おくれ 。 」 
「 炭酸 水 は あり ませ ん 。 」 給仕 が 云い まし た 。 
「 それなら ただ の 水 を おくれ 。 」 わたくし は 云い まし た 。 
どういう わけ か みんな し いん として 穴 の 明く ほど わたくし ども の こと ばかり 見 て い ます 。 わたくし も 少し 照れ て しまい まし た 。 
「 いや 、 デストゥパーゴ さま は 人 に 水 を ごちそう は なさい ませ ん よ 。 」 テーモ が 云い まし た 。 
「 ごちそう に なろ う という ん で ない ん です 。 野原 の まんなか で 、 つめ く さ の あかり を 数え て 来 た ポラーノ の 広場 で 、 わたくし は 渇い て 水 が 呑み たい の です 。 」 
もう ゆき がかり で 仕方 ない と 私 は 思っ て はっきり 云い まし た 。 
「 つめ く さ の あかり 、 わっ はっ は 。 」 テーモ は わらい だし まし た 。 デストゥパーゴ も わらい まし た 。 みんな も その あと について わらい まし た 。 
「 ポラーノ の 広場 も な 、 お 気の毒 だ が デストゥパーゴ さま の もん だ よ 。 」 テーモ が しずか に 云い まし た 。 その とき 山猫 博士 が 云い まし た 。 
「 よし 、 よし 、 まあ すき なら 水 を やっ て おけ 。 しかし どうも 水 を 呑む やつ ら が 来る と ポラーノ の 広場 も 少し しら ぱっくれるね 。 」 
「 はい 。 」 テーモ は おじぎ を し て それ から そっと ファゼーロ に 云い まし た 。 
「 ファゼーロ 、 何 だって 出 て 来 た ん だ 。 早く 失せろ 。 帰っ たら 立て ない くらい 引っぱたく から そう 思え 。 」 ファゼーロ は また 後退り し まし た 。 
「 その 子ども は 何 だ 。 」 デストゥパーゴ が きき まし た 。 
「 ロザーロ の 弟 で ござい ます 。 」 テーモ が おじぎ を し て 答え まし た 。 すると デストゥパーゴ は 返事 を し ない で 向う を 向い て しまい まし た 。 その とき 楽隊 が 何 か 民謡 風 の もの を やり はじめ まし た 。 みんな は また 輪 に なっ て 踊り はじめよ う と し まし た 。 すると デストゥパーゴ が 、 
「 おいおい 、 そいつ で なし に あの キャッツホイスカー という やつ を やっ て もらい たい ね 。 」 
すると 楽隊 の セロ を もっ た 人 が 、 
「 あの 曲 は いま 譜 が あり ませ ん ので 。 」 する と デストゥパーゴ は 、 もう よほど 酔っ て い まし た が 、 
「 や 、 れ 、 やれ 、 やれ と 云っ たら やら ん か 。 」 と 云い まし た 。 
楽隊 は 仕方 なく みんな 同じ 譜 で 、 キャッツホイスカー を やり はじめ まし た 。 
みんな も 仕方 なく 踊り はじめ まし た 。 すると デストゥパーゴ も 踊り だし まし た 。 それ が みんな と いっしょ に 踊る の で は なく て 、 わざと みんな の 邪魔 を する よう に うごき まわる の です 。 
みんな は 呆れ て だんだん やめ て 、 ぐるっと デストゥパーゴ の まわり に 立っ て しまい まし た 。 すると デストゥパーゴ は たった 一 人 で ふざけ て 踊り はじめ まし た 。 しまいに は みんな の 前 を 踏む よう な かたち を し て 行っ たり 、 いきなり 喧嘩 で も 吹っかける とき の よう に 、 はねあがっ たり 、 みんな は その たんび に ざわざわ 遁 げ る よう に なり まし た 。 さっき の 夏 フロック を 着 た 紳士 が 心配 そう に もみ手 を し ながら 何 か 云お う と する の です が デストゥパーゴ は それ さえ おどし て 引っ こま せ て しまい まし た 。 楽隊 は しばらく しかた なく やっ て い まし た が とうとう 呆れ て やめ て しまい まし た 。 すると デストゥパーゴ も 労 れ た よう に 椅子 へ 坐っ て 、 
「 おい 、 注げ 。 」 と 云い ながら また つづけ ざま に 二 杯 ひっかけ まし た 。 
すると ミーロ の 仲間 らしい もの が 二 人 で 出 て 来 て ミーロ に 云い まし た 。 
「 おい ミーロ 、 お前 も せっかく 来 た ん だ から 一つ うたっ て 聞かし て 呉ん な 。 」 
「 みんな さっき から 、 うたっ たり 踊っ たり し て 、 つかれ てる ん だ から 。 」 
ミーロ は 、 
「 だめ だ よ 。 」 と 云っ て その 手 を ふりはらい まし た が 、 実は 、 はじめ から 歌い たく て 来 た の です から 、 ことに 楽隊 の 人 たち が 歌う なら 伴奏 しよ う という よう に 身構え し た ので 、 ミーロ は 顔 いろ が すっかり 薔薇 いろ に なっ て しまっ て 眼 も ひかり 息も せわしく なっ て しまい まし た 。 
わたくし も 思わ ず 、 
「 やれ 、 やれ 、 立派 に やる ん だ 。 」 と 云い まし た 。 
すると ミーロ は とうとう 決心 し た よう に いきなり 咽喉 掻き はだけ て 、 はん の 木の下 の 空 箱 の 上 に 立っ て しまい まし た 。 
「 何 を やり ましょ う 。 」 セロ の 人 が わらっ て きき まし た 。 
「 フローゼントリー を やっ て ください 。 」 
「 フローゼントリー 、 譜 も ない し なあ 、 古い 歌 だ なあ 。 」 
楽員 たち は わらっ て 顔 を 見合せ て しばらく 相談 し て い まし た が 、 
「 そい じゃ ね 、 クラリネット の 人 しか 知っ て ませ ん から 、 クラリネット と ね 、 それから 鼓 で 調子 だけ とり ます から 、 それ で よかっ たら 二 節目 から つい て 歌っ て ください 。 」 
みんな は パチ パチ 手 を 叩き まし た 。 テーモ も 首 を まげ て 聞い て やろ う という よう に し まし た 。 楽隊 が やり まし た 。 ミーロ は 歌い だし まし た 。 
「 けさ の 六 時 ころ 　 　 　 　 ワルトラワーラ の 
峠 を わたし が 　 　 　 　 　 越えよ う と し たら 
朝霧 が その とき に 　 　 　 ちょうど 消え かけ て 
一 本 の 栗 の 木 は 　 　 　 　 後光 を だし て い た 
わたし は いただき の 　 　 石 に こしかけ て 
朝めし の 堅 ぱんを 　 　 　 かじり はじめ たら 
その 栗 の 木 が にわかに 　 ゆすれ だし て 
降り て 来 た の は 　 　 　 　 二 疋 の 電気 栗鼠 
わたし は 急い で … … 」 
「 おいおい 間違っ ちゃ いか ん よ 。 」 山猫 博士 が いきなり どなり だし まし た 。 
「 何 だって 。 」 ミーロ は あっけ に とら れ て 云い まし た 。 
「 今朝 ワルトラワーラ の 峠 に 電気 栗鼠 など 居 た 筈 は ない 、 それ は い たち の 間違い だろ う 。 もっと よく 考え て 歌っ て もらい たい ね 。 」 
「 そんな こと どう だって いい ん だい 。 」 ミーロ は 怒っ て 壇 を 下り まし た 。 すると 山猫 博士 が 立ちあがり まし た 。 
「 今度 は 我輩 うたっ て 見せよ う 。 こら 楽隊 、 In   the   good   summer   time   を やれ 。 」 
楽隊 の 人 たち は 何 べ ん も この 節 を やっ た と 見え て すぐ いっしょ に はじめ まし た 。 山猫 博士 は 案外 うまく 歌い だし まし た 。 
「 つめ く さ の 花 の 　 咲く 晩 に 
ポラン の 広場 の 　 夏 まつり 
ポラン の 広場 の 　 夏 の まつり 
酒 を 呑ま ず に 　 　 水 を 呑む 
そんな やつ ら が 　 でかけ て 来る と 
ポラン の 広場 も 　 朝 に なる 
ポラン の 広場 も 　 白 ぱっくれる 。 」 
ファゼーロ は 泣き だし そう に なっ て だまっ て きい て い まし た が 、 歌 が す むとわたくしがつかまえるひまもなく 壇 に かけ のぼっ て しまい まし た 。 
「 ぼく も うたい ます 。 いま の ふし です 。 」 
楽隊 は また はじめ まし た 。 山猫 博士 は 、 
「 いや 、 これ は めずらしい こと に なっ た ぞ 。 」 と 云い ながら 又 大きな コップ で 二つ ばかり 引っかけ まし た 。 
ファゼーロ は 力いっぱい うたい だし まし た 。 
「 つめ く さ の 花 の 　 　 かおる 夜 は 
ポラン の 広場 の 　 　 夏 まつり 
ポラン の 広場 の 　 　 夏 の まつり 
酒 くせ の わるい 　 　 山猫 が 
黄いろ の シャツ で 　 出かけ て くる と 
ポラン の 広場 に 　 　 雨 が ふる 
ポラン の 広場 に 　 　 雨 が 落ちる 。 」 
デストゥパーゴ が もう 憤然 として 立ちあがり まし た 。 
「 何だ 失敬 な 、 決闘 を しろ 、 決闘 を 。 」 
わたくし も 思わず 立っ て ファゼーロ を うし ろ に かばい まし た 。 
「 馬鹿 を 云え 、 貴 さま が さき に 悪口 を 言っ て 置い て 。 こんな 子供 に 決闘 だ なんて こと が ある もん か 。 おれ が 相手 に なっ て やろ う 。 」 
「 へん 、 貴 さま の 出る 幕 じゃ ない 。 引っ こん で いろ 。 こいつ が 我輩 、 名誉 ある 県 会議 員 を 侮辱 し た 。 だから 我輩 は こいつ へ 決闘 を 申し込ん だ の だ 。 」 
「 いや 、 貴 さま が おれ の 悪口 を 言っ た の だ 。 おれ は き さま に 決闘 を 申し込む の だ 、 全体 き さま は さっき から 見 て いる と 、 さも き さ ま 一 人 の 野原 の よう に 威張り 返っ て いる 。 さあ 、 ピストル か 刀 か どっち か を 撰べ 。 」 
すると デストゥパーゴ は いきなり 酒 を がぶっ と 呑み まし た 。 
ああ ファゼーロ で 大丈夫 だ 。 こいつ は よほど 弱い ん だ 。 
わたくし は 心 の なか で 、 そっと わらい まし た 。 
はたして デストゥパーゴ は 空っぽ な 声 で どなり だし まし た 。 
「 黙れ っ 。 き さま は 決闘 の 法式 も 知ら ん な 。 」 
「 よし 。 酒 を 呑ま なけ ぁ 物 を いえ ない よう な 、 そんな 卑怯 な やつ の 相手 は 子ども で たくさん だ 。 おい ファゼーロ しっかり やれ 。 こんな やつ は 野原 の 松 毛虫 だ 。 おれ が うし ろ で 見 て いる から 、 めちゃくちゃ に ぶん 撲っ て しまえ 。 」 
「 よし 、 おい 、 誰 か おれ の 介添 人 に なれ 。 」 
その とき さっき の 夏 フロック が 出 て き まし た 。 
「 まあ 、 まあ 、 あんな 子供 を あんた が 相手 に なさる こと は あり ませ ん 。 今夜 は 大切 の 場合 な の です から 、 どう か 。 」 
すると 山猫 博士 は いきなり その 男 を 撲りつけ まし た 。 
「 やかましい 。 そんな こと は わかっ て いる 。 黙っ て 居れ 。 おい 誰 か おれ の 介添 を しろ 。 テーモ 。 」 
「 はい 。 どうぞ 、 お ゆるし を 。 あと で わたくし が よく 仕置き いたし ます 。 」 
「 やかましい 。 おい 、 クローノ 、 き さ ま やれ 。 」 
クローノ と 呼ば れ た 百姓 らしい 男 が 、 
「 さあ 、 おいら じゃあ ね 。 」 と 云っ て みんな の うし ろ へ 引っ込ん で しまい まし た 。 
「 臆病者 、 おい ポーショ 、 き さ ま やれ 。 」 
「 おいら あ とても だめ だ よ 。 」 
デストゥパーゴ は いよいよ 怒っ て しまい まし た 。 
「 よし 介添 人 など いら ない 。 さあ 仕度 しろ 。 」 
「 き さま も 早く 仕度 しろ 。 」 わたくし は ファゼーロ に 上着 を ぬが せ ながら 云い まし た 。 
「 剣 で も 大砲 でも すき な もの を 持っ て こい よ 。 」 
「 どっち でも き さま の すき な 方 に しろ 。 」 どこ に そんな もの が ある ん だい 、 と 思い ながら わたくし は 云い まし た 。 
「 よし 、 おい 給仕 、 剣 を 二 本 持っ て こい 。 」 
すると 給仕 が 待っ て い た よう に 云い まし た 。 
「 こんな 野原 で 剣 は ござい ませ ん 。 ナイフ で いけ ませ ん か 。 」 
すると デストゥパーゴ は 安心 し た よう に し ながら 、 
「 よし 、 持っ て こい 。 」 と 声 だけ 高く 云い まし た 。 
「 承知 し まし た 。 」 
給仕 が 食事 に つかう ナイフ を 二 本 持っ て 来 て 、 うやうやしく デストゥパーゴ に わたし まし た 。 まるで 芝居 だ と わたくし は 思い まし た 。 ところが デストゥパーゴ は ていねい に この 両方 の 刃 を しらべ て いる の です 。 それから 、 
「 さあ どっち でも いい 方 を とれ 。 」 と いっ て 二 本 とも ファゼーロ に 渡し まし た 。 
ファゼーロ は すぐ その 一 本 を デストゥパーゴ の 足もと に 投げ て 返し まし た 。 デストゥパーゴ は 拾い まし た 。 
そこで わたくし は まん中 に 出 まし た 。 
「 いい か 。 決闘 の 法式 に 従う ぞ 。 組打ち は なら ん ぞ 。 一 、 二 、 三 、 よし 。 」 
すると 何 の こと は ない 、 デストゥパーゴ は その みじかい ナイフ を 剣 の よう に 持っ て 一生 けんめい ファゼーロ の 胸 を つき ながら 後退り し まし た し ファゼーロ は 短刀 を もつ よう に 柄 を にぎっ て デストゥパーゴ の 手首 を ねらい まし た ので 、 三 度 ばかり ぐるぐる まわっ て から デストゥパーゴ は いきなり ナイフ を 落し て 左 の 手 で 右 の 手 く びを 押え て しまい まし た 。 
「 おい 、 おい 、 やら れ た よ 。 誰 か 沃度ホルム を もっ て い ない か 。 過酸化水素 は ない か 。 やら れ た 、 やら れ た 。 」 
そして べったり 椅子 へ 坐っ て しまい まし た 。 わたくし は わらい まし た 。 
「 よく いろいろ の 薬 の 名前 を ご存知 です な 。 だれ か 水 を 持っ て き て ください 。 」 
ところが その 水 を ミーロ が もっ て き まし た 。 そして 如露 で シャー と かけ まし た ので デストゥパーゴ は 膝 から 胸 から ずぶ ぬれ に なっ て 立ちあがり まし た 。 
そして 工合 の わるい の を ごまかす よう に 、 
「 え えと 、 我輩 は これ で 失敬 する 。 みんな 充分 やっ て くれ 給え 。 」 と 勢 よく 云い ながら 、 すばやく 野原 の なか へ 走り まし た 。 
すると テーモ も 夏 フロック も その ほか 四 五 人 急い で あと を 追いかけ て 行っ て しまい まし た 。 行っ て しまう と 、 にわかに みんな が 元気 よく なり まし た 。 
「 やい 、 ファゼーロ 、 うまい こと を やっ た なあ 。 この 旦那 は いったい 誰 だい 。 」 
「 競馬 場 に 居る 人 な ん だ よ 。 」 
「 いったい 今夜 は どういう ん です か 。 」 わたくし は やっと たずね まし た 。 
「 いい や 、 山猫 の 野郎 、 来年 の 選挙 の 仕度 な ん です よ 。 ただ で 酒 を 呑ま せる ポラーノ の 広場 と は うまく 考え た なあ 。 」 
「 この 春 から かわるがわる こう やっ て みんな を 集め て 呑ま せ た ん です 。 」 
「 その 酒 も なあ 。 」 
「 そいつ は 云う な 。 さあ 一杯 やり ませ ん か 。 」 
「 いいえ 、 わたし ども は 呑み ませ ん 。 」 
「 まあ 、 お やん なさい 。 」 
わたくし は もう たまらなく いや に なり まし た 。 
「 おい 、 ファゼーロ 行こ う 。 帰ろ う 。 」 
わたくし は いきなり 野原 へ 走り だし まし た 。 ファゼーロ が すぐ つい て 来 まし た 。 みんな は あと で まだ がやがや がやがや 云っ て い まし た 。 新 らしく 楽隊 も 鳴り まし た 。 誰か の 演説 する 声 も きこえ まし た 。 わたくし たち は 二 人 、 モリーオ の 市 の 方 の ぼんやり 明るい の を 目あて に つめ く さ の あかり の なか を 急ぎ まし た 。 その とき 青く 二 十 日 の 月 が 黒い 横雲 の 上 から しずか に のぼっ て き まし た 。 ふりかえっ て みる と 、 もう あの はん の 木 も あかり も 小さく なっ て 銀河 はず うっ と 西 へ まわり 、 さそり 座 の 赤い 星 が すっかり 南 へ 来 て い まし た 。 
わたくし ども は 間もなく この 前 三 人 で 別れ た あたり へ 着き まし た 。 
「 きみ は テーモ の ところ へ 帰る かい 。 」 わたくし は ふと 気がつい て 云い まし た 。 
「 帰る よ 。 姉さん が 居る もの 。 」 ファゼーロ は 大 へん かなし そう な せまっ た 声 で 云い まし た 。 
「 うん 。 だ けど いじめ られる だろ う 。 」 わたくし は 云い まし た 。 
「 ぼく が 行か なかっ たら 姉さん が もっと いじめ られる よ 。 」 ファゼーロ は とうとう 泣き だし まし た 。 
「 わたし も いっしょ に 行こ う か 。 」 
「 だめ だ よ 。 」 ファゼーロ は まだ しばらく 泣い て い まし た 。 
「 わたし の うち へ 来る かい 。 」 
「 だめ だ よ 。 」 
「 そん なら どう する の 。 」 
ファゼーロ は しばらく だまっ て い まし た が 、 俄 かに 勢 よく なっ て 云い まし た 。 
「 いい よ 。 大丈夫 だ よ 。 テーモ は ぼく を そんなに いじめ や し ない から 。 」 
わたくし は 、 それ が 役人 を し て いる もの など の 癖 な の です 、 役所 で の あした の 仕事 など ぼんやり 考え ながら ファゼーロ が そう いう なら よかろ う と 思っ て しまい まし た 。 
「 そん なら いい だろ う 。 何 か あっ たら しらせ に おいで よ 。 」 
「 うん 、 ぼく ね 、 ねえさん の こと で た のみ に 行く かも しれ ない 。 」 
「 ああ いい と も 。 」 
「 じゃ 、 さよなら 。 」 
ファゼーロ は つめ く さ の なか に 黒い 影 を 長く 引い て 南 の 方 へ 行き まし た 。 わたくし は ふりかえり ふりかえり 帰っ て 来 まし た 。 
うち へ はいっ て みる と 、 机 の 上 に は 夕方 の 酒石酸 の コップ が そのまま 置か れ て 電 燈 に 光り 枕 時計 の 針 は 二 時 を 指し て い まし た 。 
四 、 警察 署 
ところが その 次 の 次 の 日 の ひる すぎ でし た 。 わたくし が 役所 の 机 で 古い 帳簿 から 写しもの を し て い ます と 給仕 が 来 て わたくし の 肩 を つっつい て 、 
「 所長 さん が すぐ 来い って 。 」 と 云い まし た 。 
わたくし は すぐ ペン を 置い て みんな の 椅子 の 間 を 通り 、 間 の 扉 を あけ て 所長 室 に はいり まし た 。 
すると 所長 は 一 枚 の 紙きれ を 持っ て 扉 を あける 前 から 恐い 顔つき を し て 、 わたくし の 方 を 見 て い まし た が 、 わたくし が 前 に 行っ て 恭しく 礼 を する と 、 また じっと わたくし の 様子 を 見 て から だまっ て その 紙切れ を 渡し まし た 。 見る と 、 
イ 警第三 二 五 六 号 　 聴取 の 要 有 之 本日 午後 三 時 本 警察 署 人事 係 まで 出頭 致さ れ 度 し 
イーハトーヴォ 警察 署 
一 九 二 七 年 六月 廿 九 日 
第 十 八 等 官 レオーノ・キュースト 殿 
と あっ た の です 。 
ああ 、 あの デストゥパーゴ の こと だ な 、 これ は おもしろい と 、 わたくし は 心 の なか で わらい まし た 。 すると 所長 は まだ わたくし の 顔付き を だまっ て み て い まし た が 、 
「 心当り が ある か 。 」 と 云い まし た 。 
「 はい 、 ござい ます 。 」 わたくし は まっすぐ 両手 を 下げ て 答え まし た 。 
所長 は 安心 し た よう に やっと 顔つき を ゆるめ て 、 ちらっと 時計 を 見上げ まし た が 、 
「 よし 、 すぐ 行く よう に 。 」 と 云い まし た 。 
わたくし は また うやうやしく 礼 を し て 室 を 出 まし た 。 それから 席 へ 戻っ て 机 の 上 を かたづけ て 、 そっと 役所 を 出かけ まし た 。 巨 き な 桜 の 街路 樹 の 下 を あるい て 行っ て 、 警察 の 赤い 煉瓦 造り の 前 に 立ち まし たら 、 さすが に わたくし も すこし どきどき し まし た 。 けれども 何 も 悪い こと は ない の だ から と 、 じ ぶん で じ ぶん を はげまし て 勢 よく 玄関 の 正面 の 受付 に たずね まし た 。 
「 お呼び が あり まし た ので 参り まし た が 、 レオーノ・キュースト で ござい ます 。 」 
すると 受付 の 巡査 は だまっ て 帳面 を 五 六 枚 繰っ て い まし た が 、 
「 ああ 失踪 者 の 件 だ ね 、 人事 係 の とこ へ 、 その 左 の 方 の 入口 から はいっ て 待っ て い た ま え 。 」 と 云い まし た 。 
失踪 者 の 件 という の は 何 の こと だろ う 、 決闘 の 件 と で も 云う なら わかっ て いる し 、 その 決闘 なら 刃 の 円く なっ た 食卓 ナイフ で やっ た こと な の だ 、 デストゥパーゴ が 血 を 出し た か どう か も わから ない 、 まあ 何 か の 間違い だろ う と 思い ながら 、 わたくし は 室 へ 入っ て 行き まし た 。 そこ は がらん と し た 、 窓 の 七つ ばかり ある 広い 室 でし た が 、 その 片隅 み に あの 山猫 博士 の 馬車 別当 が 、 からだ を 無 暗に こわばら し て 、 じつに 青ざめ た 変 な 顔 を し ながら 腰かけ て 待っ て 居り まし た 。 
「 やあ 、 じいさん 、 今日 は 、 あなた も 呼ば れ た ん です か 。 」 わたくし は そば へ 行っ て わらい ながら 挨拶 し まし た 。 
すると じいさん は 、 こんな 悪者 と 話し合っ て は どんな 眼 に あう か わから ない という よう に 、 うろうろ どこ か 遁 げ 口 で も さがす よう に 立ちあがっ て 、 また べったり 坐り まし た 。 
「 あなた の ご 主人 は いらっしゃら ない の です か 。 」 わたくし は また たずね まし た 。 
「 いらっしゃら ない とも さ 。 」 じいさん は やっ と 云い まし た が 、 それから がたがた ふるえ まし た 。 
「 いったい どう し た ん です か 。 」 わたくし は まだ わらっ て きき まし た 。 
「 いま 調べ られ てる ん だ よ 。 」 
「 誰 が 。 」 わたくし は びっくり し て たずね まし た 。 
「 ロザーロ が さ 。 」 
「 ロザーロ 、 どうして ？ 」 もう わたくし は すっかり 本気 に なっ て しまい まし た 。 
「 ファゼーロ が 居 なく なっ た から さ 。 」 
「 ファゼーロ ？ 」 思わず わたくし は 高く 叫び まし た 。 
ああ 、 あの 晩 ファゼーロ が 帰る 途中 で 何 か あっ た の だ な 、 … … 。 
「 話し する こと は なら ん 。 」 
いきなり 奥 の 扉 が 、 がたっと あき まし た 。 
「 召喚 人 は お 互話 しする こと は なら ん 。 おい 、 おまえ は こっち へ はいっ て 居ろ 。 」 
じいさん は 呼ば れ て よろよろ 立っ て 次 の 室 へ 行き まし た 。 そう 云わ れ て 見る と 、 なるほど 次 の 室 で は ロザーロ が 誰 か に 調べ られ て いる らしく 、 さっき から しずか に 何 か 繰り返し 繰り返し 云っ て 居る よう な 気 も し まし た 。 わたくし は まるで 胸 が 迫っ て しまい まし た 。 
ファゼーロ が 居 ない 、 ファゼーロ が 居 ない 、 あの 青い 半分 の 月 の あかり の なか で 争っ て 勝っ た あと の あの 何 と も 云わ れ ない きびしい 気持 を いだき ながら 、 ファゼーロ が つめ くさ の あおじろい あかり の 上 に 影 を 長く 長く 引い て 、 しょんぼり と 帰っ て 行っ た 、 そこ に は 麻 の 夏 外套 の えり を 立て た デストゥパーゴ が 三 四 人 の 手下 を 連れ て 待ち伏せ し て いる 、 ファゼーロ が それ を 見 て 立ちどまる と 向う は 笑い ながら しずか に そば へ 追っ て 来る 、 いきなり 一 人 が ファゼーロ を 撲りつける 、 みんな たかっ て 来 て 、 むだ に 手 を ふりまわす ファゼーロ を ふん だり けっ たり する 、 ファゼーロ は 動か なく なる 、 デストゥパーゴ が それ を また めちゃくちゃ に ふみつける 、 ええ 、 もう 仕方 ない 持っ て け 持っ て け と デストゥパーゴ が 云う 、 みんな は それ を 乾溜 工場 の かま の 中 に 入れる 、 わたくし は ひとり で かんがえ て ぞっと し て 眼 を ひらき まし た 。 
（ ああ 、 あの とき なぜ わたくし は そのまま うち へ 帰っ て ねむっ たろ う 、 なぜ そんな わたくし が 立っ て も 居 て も い られ ない はず の 時刻 に 、 わけ も わから ない 眠り かた など し て い たろ う 。 それに あの やさしい うつくしい ロザーロ が いま 隣り の 室 で おどさ れ たり 鎌 を かけ られ たり し て いる の だ 。 ） 
わたくし は たまらなく なっ て その 室 の なか を ぐるぐる 何 べ ん も あるき まし た 。 窓 の 外 の 桜 の 木 の 向う を いろいろ の 人 が 行っ たり 来 たり し まし た 。 わたくし は その 一 人 一 人 が デストゥパーゴ か ファゼーロ の よう な 気 が し て たまり ませ ん でし た 。 鳥打帽 子 を 深く かぶっ た 少年 が 通る と ファゼーロ が 遁 げ て ここ を そっと 通る の か と 思い 、 肥っ た 人 を 見る と デストゥパーゴ が わざと そんな 形 に ばけ て 、 様子 を さぐっ て いる の だ と 思い まし た 。 突然 わたくし は 頭 が しいんと なっ て しまい まし た 。 隣り の 室 で かすか な すすり泣き の 声 が し て 、 それから それ は 何とか だっ と 叫び ながら おどかす よう に 足 を どんと ふみつけ て いる の です 。 わたくし は あぶなく 扉 を あけ て 飛び込も う と し まし た 。 すると また しばらく しずか に なっ て い まし た が 間もなく 扉 の とっ て が 力 なく が ちっと まわっ て 、 ロザーロ が 眼 を 大きく あい て よろめく よう に で て き まし た 。 
わたくし は 何 と いっ て いい か わから なく て どぎまぎ し て しまい まし た 。 すると ロザーロ が だまっ て しずか に おじぎ を し て 私 の 前 を 通り抜け て 外 へ 出 て 行き まし た 。 気 が つい て 見る と ロザーロ の あと から さっき の 警部 か 巡査 から しい 人 が 扉 から 顔 を 出し て 出 て 行く の を 見 て い た の です 。 わたくし が そっち を 見 ます と 、 その 顔 は ひっこん で 扉 は しまっ て しまい まし た 。 中 で は こんど は 山猫 博士 の 馬車 別当 が 何 か 訊か れ て いる よう す で 、 たびたび 、 何 か 高 声 で どなりつける たび に 馬車 別当 の おろおろ し た 声 が きこえ て い まし た 。 わたくし は その間 に すっかり 考え を まとめよ う と 思い まし た が 、 何もかも ごちゃごちゃ に なっ て どうしても でき ませ ん でし た 。 とにかく すっかり 打ち明け て 係り へ 話す の が いちばん だ と 考え て 、 もう じっと すわっ て 落ち着い て 居り まし た 。 すると 間もなく さっき の 扉 が 、 が じゃっ と あい て 馬車 別当 が まっ青 に なっ て よろよろ し ながら 出 て き まし た 。 
「 第 十 八 等 官 、 レオーノ・キュースト 氏 は あなた です か 。 」 さっき の 人 が また 顔 を 出し て 云い まし た 。 
「 そう です 。 」 
「 では 、 こっち へ 。 」 
わたくし は はいっ て 行き まし た 。 そこ に は 、 も 一 人 正面 の 卓 に 書類 を 載せ て 鬚 の 立派 な 一 人 の 警部 らしい 人 が 、 たった いま あくび を し た ところ だ という ふう に 目 を ぱちぱち し ながら 、 こっち を 見 て い まし た 。 
「 そこ へ お 掛け なさい 。 」 
わたくし は 警部 の 前 に 会釈 し て 坐り まし た 。 
「 君 が レオーノ・キュースト 君 か 。 」 警部 は 云い まし た 。 
「 そう です 。 」 
「 職業 、 官吏 、 位階 十 八 等 官 、 年齢 、 本籍 、 現住 、 この 通り か ね 。 」 警部 は わたし の 名 や いろいろ 書い た 書類 を 示し まし た 。 
「 そう です 。 」 
「 では 訊ねる が 、 君 は テーモ 氏 の 農夫 ファゼーロ を どこ へ かくし た か 。 」 
「 農夫 の ファゼーロ ？ 」 わたくし は 首 を ひねり まし た 。 
「 農夫 だ 。 十 六 歳 以上 は 子ども で も 農夫 だ 。 」 警部 は 面倒くさ そう に 云い まし た 。 
「 君 は ファゼーロ を どこ か へ かくし て いる だろ う 。 」 
「 いいえ 、 わたくし は 一 昨夜 競馬 場 の 西 で 別れ た きり です 。 」 
「 偽 を 云う と それ も 罪 に 問う ぞ 。 」 
「 いいえ 。 その とき は 二 十 日 の 月 も 出 て い まし た し 野原 は つめ く さ の あかり で いっぱい でし た 。 」 
「 そんな こと が 証拠 に なる か 。 そんな こと まで おれ たち は 書い て い られん の だ 。 」 
「 偽 だ と お 考え に なる なら どこ なり と お 探し くだされ ば わかり ます 。 」 
「 さがす さ が さん は こっち の 考え だ 。 お前 が かくし たろ う 。 」 
「 知り ませ ん 。 」 
「 起訴 する ぞ 。 」 
「 どう でも 。 」 二 人 は 顔 を 見合せ まし た 。 
「 では 訊ねる が 君 は どういう こと で ファゼーロ と 知り合い に なっ た か 。 」 
「 ファゼーロ が わたくし の 遁 げた 山羊 を つかまえ て くれ まし た ので 。 」 
「 うん 。 それ は い つ 、 どこ で だ 。 」 
「 五月 の しまい の 日曜 、 二 十 七 日 でし た か な 。 」 
「 うん 。 二 十 七 日 。 どこ で だ 。 」 
「 あれ は 何 という 道路 です か 。 教会 の 横 から 、 村 へ 出る 道路 を 一 キロ ばかり 行っ た 辺 です 。 」 
「 うん 。 おまえ は 二 十 七 日 の 晩 ファゼーロ と 連れ だって 村 の 園遊会 へ 闖入 し た なあ 。 」 
「 闖入 という わけ で は あり ませ ん でし た 。 明るく て いろいろ の 音 が し ます ので 行っ て 見 た の です 。 」 
「 それから どう し た 。 」 
「 それから わたくし ども が 酒 を 呑ま ん と 云い ます と テーモ が 怒っ た の です 。 」 
「 テーモ は お前 と は い つ から 知り合い か 。 」 
「 ファゼーロ と 知り合い に なっ た とき です 。 その とき テーモ は ファゼーロ が 仕事 に 行く 時間 を わたくし が 邪魔 し た と いっ て 革 むちをわたくしの 顔 の 前 で 鳴らし まし た 。 」 
「 それだけ か 。 」 
「 はい 。 」 
「 園遊会 で それ から どういう こと に なっ た か 。 」 
わたくし は そこ で あの ポラーノ の 広場 で の 出来事 を 全部 話し まし た 。 一 人 は それ を どんどん 書きとり まし た 。 警部 が 云い まし た 。 
「 きみ は ファゼーロ の 居 ない こと を さっき まで 知ら なかっ た か 。 」 
「 はい 。 」 
「 何 か 証拠 を 挙げ られる か 。 」 
「 はい 、 ええ 、 昨日 と 今日 役所 で の 仕事 を ごらん 下され ば わかり ます 。 わたくし は あれ で すっかり かた が 着い た と 思っ て せいせい し て 働い て い た の で あり ます 。 」 
「 それ も 証拠 に は なら ん 。 おい 、 君 、 白 っ ぱく れる の も いい 加減 に し た ま え 。 テーモ 氏 から 捜索 願 が 出 て いる の だ 。 いま 君 が あり か を 云え ば 内分 で 済む の だ 。 で なけ ぁ 、 きみ の 為 に なら ん ぜ 。 」 
「 どうも 全く 知ら ない の です 。 まあ 、 あなた がた も ご 商売 でしょ う が 、 わたくし の 声 や 顔付き を よく ごらん ください 。 これ で お わかり に なら ん の です か 。 」 わたくし は 少し しゃくにさわっ て 一息 に 云い まし た 。 
すると 二 人 は また 顔 を 見合せ まし た 。 ええ もう なる よう に なれ と わたくし は また 云い まし た 。 
「 なぜ わたくし より 前 に デストゥパーゴ を 呼び出し て くださら ん の です 。 誰 が 考え て も ファゼーロ の 居 ない の は デストゥパーゴ の し わざ です 。 まさか 殺し は し ます まい が 。 」 
「 デストゥパーゴ 氏 は 居ら ん 。 」 
わたくし は どき っと し まし た 。 ああ ファゼーロ は 本気 か あるいは 間 ちがっ て 殺さ れ た の かも しれ ない 。 警部 が 云い まし た 。 
「 お前 の 申し立て は いろいろ の 点 で テーモ 氏 の 申し立て と ちがっ て いる 。 しかし われわれ は それ は 当然 だろ う と 考える 。 いま 調書 を 読む から 君 の 云っ た ところ と ちがっ た 所 が ない か よく きき たまえ 。 」 一 人 は 読み はじめ まし た 。 
「 ちがい あり ませ ん 。 」 私 は ファゼーロ の こと を 考え ながら 上の空 で 答え まし た 。 
「 ここ へ 署名 し た ま え 。 」 
わたくし は 書類 の はじ へ 書き まし た 。 もう どうしても 心配 で 心配 で たまらなく なっ た の です 。 
「 では 帰っ て よろしい 。 明日 また 呼ぶ から 。 」 警部 は 云い まし た 。 
わたくし は たまらなく なり まし た 。 
「 ファゼーロ は どう し た ん です 。 なぜ デストゥパーゴ を つかまえん の です 。 」 
「 それ を 君 が 云う こと は なら ん 。 」 
「 だって ファゼーロ は どう し た ん です 。 」 
「 そんなに 心配 なら 君 も さがし た ま え 。 さあ 帰り 給え 。 」 
二 人 は もう 疲れ て 早く やめ たい という 風 でし た 。 わたくし は もう あかり の つい て い た 警察 署 を 夢中 で 飛びだし まし た 。 すると 出口 の 桜 の 幹 に 、 その 青い 夕方 のも や の なか に 、 ロザーロ が しょんぼり より かかっ て 、 かなし そう に 遠い そら を 見 て い まし た 。 わたくし は 思わず かけより まし た 。 
「 あなた は ロザーロ さん です ね 。 わたくし は どこ へ さがし に 行っ たら いい でしょ う 。 」 
ロザーロ が 下 を 見 ながら 云い まし た 。 
「 きっと 遠く で ござい ます わ 。 もし 生き て いれ ば 。 」 
「 わたくし が いけ なかっ た ん です 。 けれども きっと さがし ます から 。 」 
「 ええ 。 」 
「 デストゥパーゴ は い ない ん です か 。 」 
「 い ない ん です 。 」 
「 馬車 別当 は ？ 」 
「 見 ませ ん でし た 。 」 
「 あなた の ご 主人 は 知っ て い ない ん です か 。 」 
「 ええ 。 」 
「 捜索 願 を わざと 出し た の でしょ う 。 」 
「 いいえ 。 警察 から も 人 が 来 て しらべ た の です 。 」 
「 あなた は これから 主人 の とこ へ お 帰り に なる ん です か 。 」 
「 ええ 。 」 
「 そこ まで ご 一緒 いたし ましょ う 。 」 
わたくし ども は あるき だし まし た 。 わたくし は いろいろ 話しかけ て 見 まし た が 、 ロザーロ は どうしても かなし そう で 一言 か 二言 しか 返事 し ませ ん ので 、 わたくし は どうしても もっと 立ち入っ て ファゼーロ と 二 人 の こと に 立ち入る こと が でき ませ ん でし た 。 そして この 前 山羊 を つかまえ た 所 まで 来 ます と 、 ロザーロ は 、 
「 もう じき です から 。 」 と 云っ て じ ぶん から おじぎ を し て 行っ て しまい まし た 。 
わたくし は さびし さ や 心配 で 胸 が いっぱい でし た 。 そして その 晩 から 毎晩 毎晩 野原 に ファゼーロ を さがし に 出 まし た 。 日曜日 に は ひる も 出 まし た 。 ことに この 前 ファゼーロ と 別れ た 辺 から テーモ の 家 まで の 間 に 何 か 落ち て ない か と 思っ て さがし たり 、 つめ く さ の 花 に デストゥパーゴ や ファゼーロ の あし あと が つい て い ない か と 思っ て 見 て まわっ たり 、 デストゥパーゴ の 家 から 何 か 物音 が きこえ ない か と 思っ て 幾 晩 も 幾 晩 も その まわり を あるい たり し まし た 。 
前 の 二 本 の 樺の木 の あたり から ポラーノ の 広場 へ も 何 べ ん も 行き まし た 。 その うち に つめ く さ の 花 は だんだん 枯れ て 茶 いろ に なり 、 ポラーノ の 広場 の はん の 木 に は 、 ちぎれ て 色 の さめ た モール が 幾 本 か かかっ て いる だけ 、 ミーロ に さえ も 会い ませ ん でし た 。 警察 から は あと 呼び出し が あり ませ ん でし た ので 、 こっち から 出 て 行っ て どう なっ た か きい たり し まし た が 警察 で は ファゼーロ も デストゥパーゴ も 、 まだ 手がかり は ない が 心配 も なかろ う という よう な こと ばかり 云う の でし た 。 そして わたくし も 、 どういう わけ か 、 なれ た の です か 、 つかれ た の です か 、 ファゼーロ は ファゼーロ で 、 ちゃんと どこ か に いる という よう な 気 が し て き た の です 。 
五 、 センダード 市 の 毒蛾 
そして だんだん 暑く なっ て き まし た 。 役所 で は 窓 に 黄いろ な 日覆 も でき まし た し 隣り の 所長 の 室 に は 電気 会社 から 寄贈 に なっ た 直径 七 デシ も ある 大きな 扇風機 も 据えつけ られ まし た 。 あまり 暑い 日 の 午後 など は 所長 が 自分 で 立っ て 間 の 扉 を あけ て 、 
「 さあ 諸君 、 少し 風 にあたり たまえ 。 」 なんて 云っ た もの です 。 
すると 大 扇風機 から 風 が どうどう やって来 まし た 。 尤も 私 の 席 は その 風 の 通り路 から すこし 外れ て い まし た から 格別 涼しかっ た わけ で も あり ませ ん でし た が 、 それでも 向う の 書類 や テーブル かけ が 、 ぱたぱた 云っ て いる の を 見る の は 実際 愉快 な こと でし た 。 それでも そんな 仕事 の あいま に 、 ふっと ファゼーロ の こと を 思いだす と 、 胸 が どかっと 熱く なっ て もう どう し たら いい か わから なく なる の でし た 。 とにかく その 七月 いっぱい に 私 の し た 仕事 は 、 
一 、 北極熊 剥製 方 を テラキ 標本 製作所 に 照会 の 件 
一 、 ヤークシャ 山頂 火山 弾 運搬 費用 見積 の 件 
一 、 植物 標本 褪色 調査 の 件 
一 、 新 番号 札 二 千 三 百 枚 調製 の 件 
など でし た 。 
そして 八月 に 入り まし た 。 その 八月 二 日 の 午 すぎ 、 わたくし が 支那漢 時代 の 石 に 刻ん だ 画 の 説明 を うつらうつら 写し て い まし たら 、 給仕 が うし ろ から いきなり わたくし の 首すじ を 突っつい て 、 
「 所長 さん が 来い って 。 」 と いい まし た 。 
わたくし は すこし むっと し て ふり 返り まし たら 給仕 は また 威張っ て 云い まし た 。 
「 所長 さん が すぐ 来い って 。 」 
わたくし は 返事 も し ない で だまっ て みんな の 椅子 の うし ろ を 通り 、 例 の 扉 を あけ て 恭しく は いっ て 行き まし た 。 
所長 は 肥っ た 白い 手首 に を もたせ て 扇風機 に あたり ながら 新聞 を 見 て い まし た が 、 わたくし が 行く と だる そう に ちょっと 眼 を あげ て 、 それから 机 の 上 の 紙 挾み から 一 枚 の 命令 書 を わたくし に よこし まし た 。 それ に は 、 
「 海岸 鳥類 の 卵 採集 の 為 に 八月 三 日 より 二 十 八 日間 イーハトーヴォ 海岸 地方 に 出張 を 命ず 。 」 
と 書い て あり まし た 。 わたくし は まるで ほくほく し て しまい まし た 。 
あの イーハトーヴォ の 岩礁 の 多い 奇麗 な 海岸 へ 行っ て 今ごろ あり も し ない 卵 を さがせ と いう の は これ は 慰労 休暇 の つもり な の だ 。 それほど わたくし が 所長 に も みんな に も 働い て いる と 思わ れ て い た の か 、 ありがたい ありがたい と 心 の 中 で 雀躍 し まし た 。 すると 所長 は 私 の 顔 は 少し も 見 ない で 、 やっぱり 新聞 を 見 ながら 、 
「 会計 へ まわっ て 見積 旅費 を 受けとる よう に 。 」 と 一言 だけ 云い まし た 。 
わたくし は 叮嚀 に 礼 を し て 室 を 出 まし た 。 それから その 辞令 を みんな に 一 人 ずつ 見せ て 挨拶 し て ある き 、 おしまい に 会計 に 行き まし たら 、 会計 の 老人 は ちょっと 渋い 顔付き は し て い まし た が 、 だまっ て わたくし の 印 を 受け取っ て 大きな 紙幣 を 八 枚 も 渡し て くれ まし た 。 ほか に 役所 の 大きな 写真 器械 や 双眼鏡 も 借り まし た 。 うち へ 帰る と 、 わたくし は 持っ て い た レコード を みんな 町 の 古 時計 屋 へ 売っ て しまい まし た 。 そして 大きな へり の つい た パナマ の 帽子 と 卵 いろ の リンネル の 服 を 買い まし た 。 
次 の 朝 わたくし は 番小屋 に すっかり かぎ を おろし 、 一番 の 汽車 で イーハトーヴォ 海岸 の 一番 北 の サーモ の 町 に 立ち まし た 。 その 六 十 里 の 海岸 を 町 から 町 へ 、 岬 から 岬 へ 、 岩礁 から 岩礁 へ 、 海藻 を 押葉 に し たり 、 岩石 の 標本 を とっ たり 、 古い 洞穴 や 模型 的 な 地形 を 写真 や スケッチ に とっ たり 、 そして それ を 次々 に 荷造り し て 役所 へ 送り ながら 、 二 十 幾 日 の 間 に だんだん 南 へ 移っ て 行き まし た 。 海岸 の 人 たち は わたくし の よう な 下 給 の 官吏 で も 大 へん 珍 らし がっ て 、 どこ へ 行っ て も 歓迎 し て くれ まし た 。 沖 の 岩礁 へ 渡ろ う と する と 、 みんな は 船 に 赤 や 黄 の 旗 を 立て て 十 六 人 も かかっ て 櫓 を そろえ て 漕い で くれ まし た 。 夜 に は わたくし の 泊っ た 宿 の 前 で かがり を たい て 、 いろいろ な 踊り を 見せ たり し て くれ まし た 。 たびたび わたくし は もう これ で 死ん で いい と 思い まし た 。 けれども ファゼーロ 、 あの 暑い 野原 の まんなか で いま も 毎日 はたらい て いる うつくしい ロザーロ 、 そう 考え て 見る と いま わたくし の 眼 の まえ で 一 日 一 ぱいはたらいてつかれたからだを 、 踊っ たり うたっ たり し て いる 娘 たち や 若者 たち 、 わたくし は 何 べ ん も 強く 頭 を ふっ て 、 さあ 、 われわれ は やら なけれ ば なら ない ぞ 、 しっかり やる ん だ ぞ 、 みんな の ため に 、 と ひとり で こころ に 誓い まし た 。 
そして 八月 三 十 日 の 午 ごろ 、 わたくし は 小さな 汽船 で となり の 県 の シオーモ の 港 に 着き 、 そこ から 汽車 で センダード の 市 に 行き まし た 。 三 十 一 日 わたくし は そこ の 理科 大学 の 標本 を も 見せ て 貰う よう に 途中 から 手紙 を だし て あっ た の です 。 わたくし が 写真 器 と 背嚢 を たくさん もっ て センダード の 停車場 に 下り た の は 、 ちょうど 灯 が やっと つい た 所 でし た 。 わたくし は 大学 の すぐ 近く の ホテル から の 客 を 迎える 自動車 へ ほか の 五 六 人 と いっしょ に 乗り まし た 。 採っ て 来 た たくさん の 標本 を もっ て その 巨 き な 建物 の 間 を 自動車 で 走る とき 、 わたくし は まるで 凱旋 の 将軍 の よう な 気 が し まし た 。 ところが ホテル へ 着い て 見る と 、 この 暑い のに 窓 が すっかり 閉め て ある の です 。 室 へ 通さ れ て みる と 仲 々 むし暑い ので 、 わたくし は 給仕 に 、 
「 おい 、 どう し た ん だ 。 窓 を あけ たら いい じゃ ない か 。 」 と 云い まし た 。 
すると 給仕 は てかてか の 髪 を ちょっと 撫で て 、 
「 はい 、 誠に お 気の毒 で ござい ます が 、 当 地方 に は 、 毒蛾 が ひどく 発生 し て 居り まし て 、 夕刻 から は 窓 を あけ られ ませ ん ので ござい ます 。 只今 、 扇風機 を 運ん で 参り ます 。 」 と 云っ た の でし た 。 
なるほど 、 そう 云っ て 出 て 行く 給仕 を 見 ます と 、 首 に まるで 石 の 環 を はめ た よう な 厚い 繃帯 を し て 、 顔 も だいぶ はれ て い まし た から 、 きっと 、 その 毒蛾 に 噛ま れ た ん だ と 、 私 は 思い まし た 。 ところが 、 間もなく 隣り の 室 で 、 給仕 が 客 と 何 か 云い 争っ て いる よう でし た 。 それ が 仲 々 長い し 烈しい の です 。 私 は 暑い やら 疲れ た やら 、 すっかり むしゃくしゃ し て しまい まし た ので 、 今 の うち 一 寸 床屋 へ でも 行っ て 来よ う と 思っ て 室 を 出 まし た 。 そして 隣り の 室 の 前 を 通りかかり まし たら 、 扉 が 開け放し て あっ て 、 さっき の 給仕 が ひどく 悄気 て 頭 を 垂れ て 立っ て い まし た 。 向う に は 、 髪 も ひ げ も まるで 灰 いろ の 、 肥っ た ふくろう の よう な おじいさん が 、 安楽椅子 に ぐったり 腰かけ て 、 扇風機 に ぶうぶう 吹か れ ながら 、 
「 給仕 を やっ て い ながら 、 一 通り の ホテル の 作法 も 知ら ん の か 。 」 と 頬 を ふくらし て 給仕 を 叱りつけ て い まし た 。 
私 は 、 は は あ 扇風機 の こと だ な と 思い ながら 、 苦笑い を し て そこ を 通り過ぎよ う と し ます と 、 給仕 が ちょっと こっち を 向い て 、 いかにも 申し訳 ない という よう に 眼 を つぶっ て 見せ まし た 。 私 は それ で すっかり 気分 が よく なっ た の です 。 そして 、 どしどし 階段 を 踏ん で 、 通り に 下り まし た 。 
なるほど 、 毒蛾 の こと が わかっ て 町 を あるく と 、 さっき 停車 場 から ホテル へ 来る 途中 、 いろいろ 変 に 見え た けしき も 、 すっかり もっとも と 思わ れ た の です 。 人道 に は たくさん たき火 の あと が あり まし た し 、 みんな は 繃帯 を し たり 白 いきれ で 顔 を 擦っ たり し ながら 歩い て い まし た 。 また 並木 の や な ぎにいちいち 石油 ランプ が ぶらさがっ て い た の です 。 私 は 一 軒 の 床屋 に 入り まし た 。 それ は 仲 々 大きな 床屋 でし た 。 向 側 の 鏡 が 、 九 枚 も 上手 に 継い で あっ て 、 店 が 丁度 二 倍 の 広 さ に 見える よう に なっ て 居り 、 糸杉 や こめ 栂 の 植木鉢 が ぞ ろ っと ならび 、 親方 らしい 隅 の ところ で 指図 を し て いる 人 の ほか に 職人 が みな で 六 人 も い た の です 。 すぐ 上 の 壁 に 大きな がく が かかっ て 、 そこ に そのうち の 四 人 の 名前 が 理髪 アーティスト として 立派 に ならび 、 二 人 は 助手 として 書か れ て い まし た 。 
「 お 髪 は この 通り の 型 で よろしゅう ござい ます か 。 」 私 が 鏡 の 前 の 白 いきれ を かけ た 上等 の 椅子 に 坐っ た とき 、 その うち の 一 人 が 私 に たずね まし た 。 
「 ええ 。 」 私 は もう 明日 は 帰る イーハトーヴォ の 野原 の こと を 考え ながら ぼんやり 返事 を し まし た 。 
すると その 人 は 向う で 手 の あい て いる もう 二 人 の 人 たち を 指 で 招き ながら 云い まし た 。 
「 どう だろ う 。 お客 さま は この 通り の 型 で いい と 仰っ し ゃるが 、 君たち の 意見 は どう だい 。 」 
二 人 は 私 の うし ろ に 来 て 、 しばらく じっと 鏡 に うつる 私 の 顔 を 見 て い まし た が 、 そのうち 一 人 の アーティスト が 、 白 服 の 腕 を 組ん で 答え まし た 。 
「 さあ 、 どう かね 、 お客 さま の お が 白く て 、 それ に 円く て 、 大 へん 温和 しく いらっしゃる ん だ から 、 やはり オールバック より は ネオグリーク の 方 が いい じゃ ない か なあ 。 」 
「 うん 。 僕 も そう 思う ね 。 」 も 一 人 も 同意 し まし た 。 私 の 係り の アーティスト が 、 おれ も そう おもっ て い た という よう に うなずい て 、 私 に 云い まし た 。 
「 いかが で ござい ます 、 ただ いま の お 髪 の 型 より は 、 ネオグリーク の 方 が お 顔 と 調和 いたし ます よう で ござい ます が 。 」 
「 そう です ね 、 じゃ そう 願い ましょ う か 。 」 私 も 丁寧 に 云い まし た 。 なぜ なら この 人 たち は みんな 立派 な 芸術 家 だ と おもっ た から です 。 
さて 、 私 の 頭 は ずんずん 奇麗 に なり 、 疲れ も 大 へん 直り まし た 。 これ なら 、 今夜 よく 寝 んで 、 あした は 大学 の あの 地下 に なっ て いる 標本 室 で 、 向う の 助手 と いち に ち 暮し て も 大丈夫 だ と 思っ て 、 気持ちよく 青い 植木鉢 や 、 アーティスト の 白い 指 の 動く の や 、 チャキチャキ 鳴る 鋏 の 影 を ながめ て 居り まし た 。 
すると 俄 か に 私 の 隣り の 人 が 、 
「 あ 、 いけ ない 、 いけ ない 、 押え て くれ た ま え 。 畜生 、 畜生 。 」 と ひどく 高い 声 で 叫ん だ の です 。 
びっくり し て 私 は そっち を 見 まし た 。 アーティスト たち も みな 馳せ 集っ た の です 。 その 叫ん だ 人 は 、 それ こそ は ひ げ を 片 っ 方 だけ 剃っ た まま で 大 へん 瘠せ て は 居り まし た が 、 しかし たしかに それ は デストゥパーゴ です 。 わたくし は 占め た と おもい まし た 。 デストゥパーゴ は わたくし なぞ 気がつか ず に 、 まだ 怖 ろ し そう に 顔 を ゆがめ て い まし た 。 
「 どこ へ さわり まし た の です か 。 」 
さっき の 親方 の アーティスト が 麻 の モーニング を 着 て 、 大きな フラスコ を 手 に し て みんな を 押し分け て 立っ て い まし た 。 その うち に 二 三 人 の アーティスト たち は 、 押虫網 で その 小さな 黄色 な 毒蛾 を つかまえ て しまい まし た 。 
「 ここ だ よ 、 ここ だ よ 。 早く 。 」 と 云い ながら 、 デストゥパーゴ は 左 の 眼 の 下 を 指し まし た 。 
親方 の アーティスト は 、 大急ぎ で 、 フラスコ の 中 の 水 を 綿 に しめし て その 眼 の 下 を こすり まし た 。 
「 何 だい この 薬 は 。 」 デストゥパーゴ が 叫び まし た 。 
「 アンモニア 二 ％ 液 。 」 と 親方 が 落ち着い て 答え まし た 。 
「 アンモニア は 効か ない って 、 今朝 の 新聞 に あっ た じゃ ない か 。 」 
デストゥパーゴ は 椅子 から 立ちあがり まし た 。 デストゥパーゴ は 桃 いろ の シャツ を 着 て い まし た 。 
「 どの 新聞 で ご覧 です 。 」 親方 は 一層 落ちつい て 答え まし た 。 
「 セン ダート 日日 新聞 だ 。 」 
「 それ は 間違い です 。 アンモニア の 効く こと は 県 の 衛生 課長 も 声明 し て い ます 。 」 
「 あて に なら ん 。 」 
「 そう です か 。 とにかく 、 だいぶ 腫れ て 参っ た よう です 。 」 
親方 の アーティスト は 、 少し しゃくにさわっ た と 見え て 、 プイッ とうしろ を 向い て 、 フラスコ を 持っ た まま 向う へ 行っ て しまい まし た 。 デストゥパーゴ は 、 ぷんぷん 怒り だし まし た 。 
「 失敬 じゃ ない か 、 あした は 僕 は 陸軍 の 獣医 官 たち と 大事 な 交際 が ある ん だ ぞ 。 こんな こと に なっ ちゃ 、 まるで 向う の 感情 を 害する ばかり だ 。 き さま の 店 を 訴える ぞ 。 」 と 云い ながら 、 ずんずん 赤く はれ て 行く 頬 を 鏡 で 見 て い まし た 。 
親方 も 、 むかっ腹 を 立て て 云い まし た 。 
「 なあに 毒蛾 なんか 、 市中 到る 処 に 居る ん だ 。 町 を あるい て さわら れ たら 市長 で も 訴え たら よかろ う さ 。 」 
デストゥパーゴ は 、 渋々 、 又 椅子 に 坐っ て 、 
「 おい 、 早く あと を やっ て しまっ て 呉れ 。 早く 。 」 と 云い まし た 。 そして 、 しきりに 変 な 形 に なっ て 行く 顔 を 気 に し ながら 、 残り の 半分 の ひ げ を 剃ら せ て い まし た 。 
わたくし も 急ぎ まし た 。 けれども たしかに わたくし の 方 が 早く 済む の です 。 それでも 向う が さき に 済ん だら 、 こっち も すぐ 立と う と 思っ て そっと 財布 を さぐっ て 、 大きな 銀貨 を 一 枚 もっ て 握っ て い まし た 。 ところが どういう わけ か 、 私 より 私 の アーティスト が もっと 急い で 居り まし た 。 そして しきりに 時計 を 見 まし た 。 
まるで 私 の 顔 など は 、 三 十 五 秒 ぐらい で 剃っ て しまっ た の です 。 
「 さあ お 洗い いたし ましょ う 。 」 
私 は デストゥパーゴ に 知れ ない よう に 、 手 で 顔 を かくし ながら 大理石 の 洗面 器 の 前 に 立ち まし た 。 
アーティスト は 、 つめたい 水 で シャアシャア と 私 の 頭 を 洗い 時々 は 指 で 顔 も 拭い まし た 。 
それから 、 私 は 、 自分 で 勝手 に 顔 を 洗い まし た 。 そして 、 も 一度 椅子 に こしかけ た の です 。 
その 時 親方 が 、 
「 さあ もう 一 分 だ ぞ 。 電気 の ある うち に 大事 な ところ は 済まし ちまえ 。 それから アセチレン の 仕度 は いい か 。 」 
「 すっかり 出来 て い ます 。 」 小さな 白い 服 の 子供 が 云い まし た 。 
「 持っ て 来い 。 持っ て 来い 。 あかり が 消え て から じゃ 遅い や 。 」 親方 が 云い まし た 。 
そこで その 子供 の 助手 が 、 アセチレン 燈 を 四つ 運び出し て 、 鏡 の 前 に ならべ 、 水 を 入れ て 火 を つけ まし た 。 烈しく 鳴っ て 、 アセチレン は 燃え はじめ た の です 。 その 時 です 。 あちこち の 工場 の 笛 は 一斉 に 鳴り 、 子供 ら は 叫び 、 教会 や お寺 の 鐘 まで 鳴り出し て 、 それから 電 燈 が すっと 消え た の です 。 電 燈 の かわり の アセチレン で 、 あたり が すっかり 青く 変り まし た 。 
それから 私 は 、 鏡 に 映っ て いる 海 の 中 の よう な 、 青い 室 の 黒く 透明 な ガラス 戸 の 向う で 、 赤い 昔 の 印度 を 偲ば せる よう な 火 が 燃さ れ て いる の を 見 まし た 。 一 人 の アーティスト が 、 そこで しきりに 薪 を 入れ て い た の です 。 
「 今夜 は 、 毒蛾 も 全滅 だ な 。 」 誰 か 向う で 云い まし た 。 
「 さあ どう か ねえ 。 」 私 の とこ の アーティスト は 、 私 の 頭 に 、 金口 の 瓶 から 香水 を かけ ながら 答え まし た 。 
それから アーティスト は 、 私 の 顔 を も 一度 よく 拭っ て 、 それから 戸口 の 方 を ふり向い て 、 
「 ちょっと 見 て 呉れ 。 」 と 云い まし た 。 アーティスト たち は 、 あるいは 戸口 に 立ち 、 あるいは たき火 の そば まで 行っ て 、 外 の 景色 を ながめ て い まし た が 、 この 時 大急ぎ で みんな 私 の うし ろ に 集まり まし た 。 そして 鏡 の 中 の 私 の 顔 を 、 それ は それ は 真面目 な 風 で 検 べ て から 、 
「 いい よう だ ね 。 」 と 云い まし た 。 
私 は そこ で 椅子 から 立ち まし た 。 しっかり 握っ て い て 温く なっ た 銀貨 を 一 枚 払い まし た 。 そして その 大きな ガラス の 戸口 を 出 て 通り に 立ち まし た 。 デストゥパーゴ の あと を つけよ う と おもっ た の です 。 
そこ へ 立っ て 私 は 、 全く 変 な 気 が し て 、 胸 の 躍る の を やめる こと が でき ませ ん でし た 。 それ は あの センダード の 市 の 大きな 西洋 造り の 並ん だ 通り に 、 電気 が 一つ も なく て 、 並木 の や なぎ に は 、 黄いろ の 大きな ランプ が つるさ れ 、 みち に は まっ 赤 な 火 が ならび 、 その けむり は やさしい 深い 夜 の 空 に のぼっ て 、 カシオピイア も ぐらぐら ゆすれ 、 琴 座 も 朧 に またたい た の です 。 どうしても これ は 遙 か の 南国 の 夏 の 夜 の 景色 の よう に 思わ れ た の です 。 私 は 、 店 の なにか のぞき ながら 待っ て い まし た 。 いろいろ な 羽虫 が 本当に その 火 の 中 に 飛ん で 行く の も 私 は 見 まし た 。 向う で も こっち でも 繃帯 を し たり 、 きれ を 顔 に あて たり し ながら 、 まち の 人 たち が 火 を たい て い まし た 。 
その うち に 、 私 は 向う の 方 から 、 高い 鋭い 、 そして 少し 変 な 力 の ある 声 が 、 私 の 方 に やって来る の を 聞き まし た 。 だんだん 近く なり ます と 、 それ は 頑丈 そう な 変 に 小さな 腰 の 曲っ た おじいさん で 、 一 枚 の 板 きれ の 上 に 四 本 の 鯨油 蝋燭 を ともし た の を 両手 に 捧げ て しきりに 斯 う 叫ん で 来る の でし た 。 
「 家 の 中 の 燈火 を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を 点け ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 」 
あかり を つけ て いる 家 が ある と 、 その おじいさん は いちいち その 戸口 に 立っ て 叫ぶ の でし た 。 
「 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を つけ ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 」 
その 声 は ガラン と し た 通り に 何 べ ん も 反響 し て それ から 闇 に 消え まし た 。 
この 人 は よほど みんな に 敬わ れ て いる よう でし た 。 どの人 も どの人 も みんな 丁寧 に おじぎ を し まし た 。 おじいさん は いよいよ 声 を ふりしぼっ て 叫ん で 行く の でし た 。 
「 家 の なか の あかり を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を つけ ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 いや 、 今晩 は 。 」 
叫び ながら 右左 の 人 に 挨拶 を 返し て 行く の でし た 。 
「 あの 人 は 何 です か 。 」 私 は 火 に あたっ て いる アーティスト に たずね まし た 。 
「 撃剣 の 先生 です 。 」 
ところが その 撃剣 の 先生 は つかつか と 歩い て 来 まし た 。 
「 うち の 中 の あかり を 消せ い 、 電 燈 を 消し て も べつ の あかり を つけ ちゃ なん に も なら ん 。 はやく 消せ い 。 おや 、 今晩 は 。 なるほど 、 こちら の 商売 で は 仕方 ない か ね 。 」 
「 ええ 、 先生 、 今晩 は 、 ご苦労 さま で ござい ます 。 」 
親方 が で て き て 挨拶 し まし た 。 
「 いや 今晩 は 、 どうも ひどい 暑気 です ね 。 」 
「 へ い 、 全く 、 虫 で しめっ 切り です から やり きれ ませ ん や 。 」 
「 そう ねえ 、 いや 、 さよなら 。 」 撃剣 の 先生 は また だんだん 向う へ 叫ん で 行き まし た 。 
この 声 が だんだん 遠く なっ て 、 どこ か の 町 の 角 でも まがっ た らしい とき 、 この 青い 海 の 中 の よう な 床屋 の 店 の なか から 、 とうとう デストゥパーゴ が 出 て 来 て しばらく 往来 を 見 まわし て から 、 すたすた 南 の 方 へ あるき だし まし た 。 わたくし は 後向き に なっ て 火 の 中 へ 落ちる 蛾 を 見 て いる ふり を し て い まし た が 、 すぐ あと を つけ まし た 。 デストゥパーゴ は 毒蛾 に さわら れ た ため に たいへん 落ち着か ない よう す でし た 。 それに どこ か よ ほど しょげ て い まし た 。 わたくし は あと を つけ ながら 、 なんだか か あい そう な よう な 気もち に なり まし た 。 もちろん ひとり も デストゥパーゴ に 挨拶 する もの も あり ませ ん でし た し 、 また デストゥパーゴ は なるべく みんな に 眼 の つか ない よう に 車道 と の 堺 の 並木 の し た の 陰影 に なっ た ところ を あるい て いる の でし た 。 
どうも デストゥパーゴ が 大 びら に 陸軍 の 獣医 たち など と 交際 する なんて 偽 らしい と わたくし は 思い まし た 。 とうとう デストゥパーゴ は 立ちどまっ て 、 しばらく あちこち 見 まわし て から 、 大通り から 小さな 小路 に はいり まし た 。 わたくし は 知ら ない ふり し て ぐんぐん 歩い て 行き まし た 。 その 小路 を はいる と まもなく 、 一つ の 前庭 の つい た 小さな 門 を デストゥパーゴ は はいっ て 行き まし た 。 わたくし は すっかり 事情 を 探っ て から デストゥパーゴ に 会お う か 、 警察 へ 行っ て 、 イーハトーヴォ で さがし て いる デストゥパーゴ だ と 云っ て 押え て しまっ て もらお う か と 、 その とき まで 考え て い まし た が 、 いま デストゥパーゴ の 家 の なか へ はいる の を 見る と もう 前後 を 忘れ て 走り 寄り まし た 。 
「 デストゥパーゴ さん 。 しばらく でし た な 。 」 
デストゥパーゴ は ぎく っと し て 棒立ち に なり まし た が 、 わたくし を 見る と 遁 げ も し ない で しょんぼり そこ へ 立っ て しまい まし た 。 
「 ファゼーロ を たずね て まいっ た の です が 、 どうか お 渡し を ねがい ます 。 」 
デストゥパーゴ は はげしく 両手 を ふり まし た 。 
「 それ は 誤解 です 、 誤解 です 。 あの 子ども は 、 わたくし は 知り ませ ん 。 」 
「 いったい そん なら あなた は 、 なぜ こんな ところ へ かくれ た の です か 。 」 
デストゥパーゴ は まっ青 に なり まし た 。 
「 イーハトーヴォ の 警察 で は ファゼーロ と いっしょ に あなた を さがし て いる の です 。 もう すっかり 手配 が つい て い ます 。 今夜 は どう なっ て も あなた は 捕まり ます 。 ファゼーロ は どこ に いる の です 。 」 わたくし は 思わ ず 、 うそ を つい て しまい まし た 。 
デストゥパーゴ は 、 毒蛾 の ため に ふくれ て おかしな 格好 に なっ た 顔 で ななめ に わたくし を 見 ながら 、 ぶるぶる ふるえ て 、 まるで 聞き とれ ない くらい 早口 に 云い まし た 。 
「 そんな 筈 は ない 、 そんな 筈 は ない 。 名誉 にかけて 、 紳士 の 名誉 に かけ て 。 」 
「 なぜ そん なら あなた は こんな ところ へ かくれ た の です 。 」 
デストゥパーゴ は ようやく ふるえる の を やめ て 、 しばらく 考え て い まし た が 、 ようやく 少し ゆっくり 云い まし た 。 
「 わたくし は 警察 から は 召喚 さ れ た だけ で 、 それ は 旅行 届 を 出し て 代人 を 出し て ある 筈 です 。 それ に 就 て は 署長 に 充分 諒解 を 得 て あり ます 。 警察 で は 、 わたくし に 何 の 嫌疑 も かけ て い ない 筈 です 。 」 
「 それなら なぜ 旅行 届 を 出し たり し て 遁 げた の です 。 」 
デストゥパーゴ は やっと 落ち着き まし た 。 
「 いや 、 お はいり ください 。 詳しく お話 し ましょ う 。 」 
デストゥパーゴ は さき に 立っ て 小さな 玄関 の 戸 を 押し まし た 。 すると さっき から 内側 で 立っ て 見 て い た と 見え て 一 人 の おばあさん が 出迎え まし た 。 
「 お茶 を あげ て くれ 。 」 
デストゥパーゴ は すぐ 右側 の 室 へ はいっ て 行き まし た 。 わたくし は もう 多分 大丈夫 だ けれども 遁 げ る と いけ ない と 思っ て 戸口 に 立っ て い まし た 。 デストゥパーゴ は 何 か 瓶 を かちかち 鳴らし て から 白 いきれ で 顔 を 押え ながら 出 て 来 まし た 。 
「 さあ 、 どうぞ こちら へ 。 」 
わたくし は 応接 室 に 通さ れ まし た 。 デストゥパーゴ は ようやく 落ち着き まし た 。 
「 わたくし が ここ へ 人 を 避け て 来 て いる の は 全く ちがっ た 事情 です 。 じつは あなた も ご 承知 でしょ う が 、 あの 林 の 中 で わたくし が 社長 に なっ て 木材 乾溜 の 会社 を たて た の です 。 ところが それ が この 頃 の 薬品 の 価格 の 変動 で だんだん 欠損 に なっ て 、 どうにも しかた なく なっ た の です 。 わたくし は いろいろ やっ て 見 まし た が どうしても いけ なかっ た の です 。 もちろん あの 事業 に は わたくし の 全 財産 も 賭し て あり ます 。 すると 重役 会 で 、 ある 重役 が それ を あの まま 醸造 所 に しよ う という こと を 発議 し まし た 。 そこで わたくし ども も 賛成 し て 試験 的 に ごく わずか 造っ て 見 た の です が 、 それ を 税務署 へ 届け出 なかっ た の です 。 ところが それ を だし に し て 、 わたくし の ある 部下 の もの が わたくし を 脅迫 し まし た 。 あの 晩 は じつに 六 ヵ し い 場合 でし た 。 あすこ に 来 て い た の は みんな 株主 でし た 。 わざと あすこ を えらん だ の です 。 ところが 株主 の 反感 は 非常 だっ た の です 。 わたくし も もう やけくそ に なっ て 、 ああ いう 風 に 酔っ て い た の です 。 そこ へ あなた が 出 て 来 た の です から なあ 。 」 
わたくし は はじめて あの 頃 の こと が はっきり し て 来 まし た 。 それ と いっしょ に 眼 の 前 に いる デストゥパーゴ が か あい そう に も なり まし た 。 
「 いや 、 わかり まし た 。 けれども 、 ああ 、 ファゼーロ は どう し たろ う なあ 。 」 
デストゥパーゴ が 云い まし た 。 
「 わたくし は あの 子ども を 憎ん で 居り ませ ん 。 わたくし に 前 の よう な いい 条件 が あれ ば 世話 し て 学校 に さえ 入れ たい の です 。 けれども あの 子ども は きっと どこ か で 何 か し て い ます ぞ 。 警察 で も そう 見 て い ます 。 」 
わたくし は いきなり 立っ て デストゥパーゴ に 別れ を 告げ まし た 。 
「 では わたくし は 帰り ます 。 あなた は ここ を どうか お 立ち退き ください 。 わたくし は 帰っ て この 事情 を 云わ ない わけ に も 参り ませ ん から 。 」 
デストゥパーゴ は しょんぼり として 云い まし た 。 
「 いま わたくし は 全く 収入 の みち も ない の です 。 どう か 諒解 し て ください 。 」 
わたくし は 礼 を し まし た 。 
「 ロザーロ は 変り あり ませ ん か 。 」 デストゥパーゴ が 大 へん 早口 に 云い まし た 。 
「 ええ 、 働い て いる よう です 。 」 わたくし も なぜ か 、 ふだん と ちがっ た 声 で 云い まし た 。 
六 、 風 と 草 穂 
九月 一 日 の 朝 わたくし は 、 旅程 表 や いろいろ な 報告 を 持っ て 、 きまっ た 時間 に 役所 に 出 まし た 。 わたくし は みんな に も 挨拶 し て 廻り 、 所長 が 出 て 来る や 否 や 、 その 扉 を ノック し て はいっ て 行き まし た 。 
「 あ 帰っ た か ね 。 どう だっ た 。 」 所長 は 左手 で はずれ た カラー のぼ たん を はめ ながら 云い まし た 。 
「 はい 、 お陰 で 昨晩 戻っ て 参り まし た 。 これ は 報告 で ござい ます 。 集め た 標本 類 は 整理 いたし まし て から 目録 を つくっ て 後ほど 持っ て 参り ます 。 」 
「 うん 、 そう 急が ない でも よろしい 。 」 所長 は カラー を はめ て しまっ て しゃんと なり まし た 。 
わたくし は 礼 を し て 室 を 出 まし た 。 そして その 日 は 一 日 、 来 て い た 荷物 を ほどい たり 机 の 上 に たまっ て い た 書類 を 整理 し たり し て いる うち に 、 いつか 夕方 に なっ て しまい まし た 。 わたくし も みんな の あと から 役所 を 出 て 、 いま まで の 通り 公衆 食堂 で 食事 を し て 競馬 場 へ 帰っ て 来 まし た 。 する と やっぱり よほど 疲れ て い た と 見え て 、 ちょっと 椅子 へ かけ た と 思っ たら 、 いつか もう とろとろ 睡っ て しまっ て い まし た 。 その 甘ったるい 夕方 の 夢 の なか で 、 わたくし は まだ あの 茶 いろ な なめらか な 昆布 の 干さ れ た 、 イーハトーヴォ の 岩礁 の 間 を 小舟 に 乗っ て 漕ぎ まわっ て い まし た 。 俄 か に 舟 が ぐらぐら ゆれ 、 何 でも 恐ろしく むかし 風 の 竜 が 出 て き て 、 わたくし は はねとばさ れ て 岩 に 投げつけ られ た と 思っ て 眼 を さまし まし た 。 誰 か わたくし を ゆすぶっ て い た の です 。 
わたくし は 何 べ ん も 瞳 を 定め て その 顔 を 見 まし た 。 それ は ファゼーロ でし た 。 
「 あっ 、 どう し た ん だ 、 きみ は 、 ず うっ と 前 から 居 た の かい 。 」 わたくし は びっくり し て 云い まし た 。 
「 ぼく はね 、 八月 の 十 日 に 帰っ て き た よ 。 おまえ は いま まで 居 なかっ た じゃ ない か 。 」 
「 居 なかっ た さ 。 海岸 へ 出張 し て い た ん だ 。 」 
「 今夜 ね 、 ぼく ら の 工場 へ 来 て おくれ 。 」 
「 きみ ら の 工場 ？ 　 何 が どう し た ん だ 。 全体 きみ は どこ へ 行っ て たん だ 。 」 
「 ぼく は ねえ 、 センダード の まち の 革 を 染める 工場 へ はいっ て い た よ 。 」 
「 センダード 。 どうして あんな とこ まで 行っ た ん だ 。 そして 今夜 また ぼく に センダード へ 行け と いう の かい 。 」 
「 そう じゃ ない よ 。 」 
「 では どう な ん だ 。 第 一 どうして あんな とこ まで 行っ た ん だ 。 」 
「 ぼく 、 どうしても 、 うち へ はいれ なかっ た ん だ 。 そして うち を 通り越し て もっと 歩い て 行っ た 。 すると 夜 が 明け た 。 ぼく が 困っ て 坐っ て いる と 革 を 買う 人 が 通っ て その 車 に ぼく を のせ て たべ もの を くれ た 。 それから ぼく は だんだん 仕事 も 手伝っ て とうとう センダード へ 行っ た ん だ 。 」 
「 そう か 。 ほんとう に それ は よかっ た なあ 。 ぼく は また きみ が あの 醋酸 工場 の 釜 の 中 へ で も 入れ られ て 蒸し焼き に さ れ た か と 思っ た ん だ 。 」 
「 ぼく は ねえ 、 あっち で 技師 の 助手 を し た ん だ 。 すると その 人 が 何 でも 教え て くれ た 。 薬 も みんな 教え て くれ た 。 ぼく は もう 革 の こと なら 、 なめす こと で も 色 を 着ける こと で も なん でも できる よ 。 」 
「 そして どうして 帰っ て き た 。 」 
「 警察 から 探さ れ た ん だ よ 。 けれども そんなに 叱ら れ なかっ た 。 」 
「 きみ の 主人 は 何 と 云っ た 。 」 
「 もう どこ へ 行っ て も いい から 勝手 に しろ って 。 」 
「 そして どう する の 。 」 
「 年 より たち が ねえ 、 ムラード の 森 の 工場 に 居 て 、 ぼく に 革 の 仕事 を しろ と いう ん だ 。 」 
「 できる かい 。 」 
「 できる さ 。 それ に ミーロ は ハム を 拵え れる から な 。 みんな で やる ん だ よ 。 」 
「 姉さん は ？ 」 
「 姉さん も 工場 へ 来る よ 。 」 
「 そう か ねえ 。 」 
「 さあ 行こ う 、 今夜 も 確か 来 て いる から 。 」 
わたくし は 俄 か に 疲れ を 忘れ て 立ちあがり まし た 。 
「 じゃ 行こ う 。 だ けど 遠い かい 。 」 
「 この 前 の ポラーノ の 広場 の ちょっと 向う さ 。 」 
「 少し 遠い ねえ 。 けれど 行こ う 。 」 わたくし は すばやく 旅行 の とき の まま の なり を し て 、 いっしょ に うち を 出 まし た 。 ファゼーロ は また 走り だし まし た 。 
雲 が 黄ばん で けわしく ひかり ながら 南 から 北 へ ぐんぐん 飛ん で 居り まし た 。 けれども 野原 は ひっそり と し て 風 も なく 、 ただ いろいろ の 草 が 高い 穂 を 出し たり 変 に もつれ たり し て いる ばかり 、 夏 の つめ く さ の 花 は みんな 鳶 いろ に 枯れ て しまっ て 、 その 三つ葉 さえ 大 へん 小さく 縮まっ て しまっ た よう に 思わ れ まし た 。 
わたくし ども は どんどん 走り つづけ まし た 。 
「 そら 、 あすこ に 一つ あかし が ある よ 。 」 
ファゼーロ が ちょっと 立ちどまっ て 右手 の 草 の 中 を 指さし まし た 。 そこ の 草 穂 の かげ に 小さな 小さ なつめく さ の 花 が 、 青白く さびし そう に ぽっと 咲い て い まし た 。 
俄 か に 風 が 向う から どう っと 吹い て 来 て 、 いち めん の 暗い 草 穂 は 波だち 、 私 の きもの の すき ま から は 、 その 冷たい 風 が からだ 一 杯 に 浸 み て き まし た 。 
「 ふう 。 秋 に なっ た ねえ 。 」 わたくし は 大きく 息 を し まし た 。 
ファゼーロ が いつか 上着 は 脱い で わき に 持ち ながら 、 
「 途中 の あかり は みんな 消え た けれども … … 。 」 
おしまい 何 と 云っ た か 、 風 が ざあっとやって 来 て 声 を もっ て 行っ て しまい まし た 。 
その とき 、 わたくし は 二 人 の 大きな 鎌 を もっ た 百姓 が 、 わたくし ども の 前 を 横 ぎるように 通っ て 行く の を 見 まし た 。 その 二 人 も こっち を ちらっと 見 た よう でし た が 、 それから 何 か は なし 合っ て 、 とまっ て 、 わたくし ども の 行く の を 待っ て いる よう す です 。 わたくし ども も 急い で 行き まし た 。 
「 やあ 、 お前 さん 帰っ て 来さ し ゃったね 。 まず ご 無事 で 結構 でし た 。 」 一 人 が わたくし に 挨拶 し まし た 。 
この 前 ポラーノ の 広場 で デストゥパーゴ に 介添 を しろ と 云わ れ て 遁 げた 男 の よう でし た 。 
「 ええ 、 ありがとう 。 ファゼーロ も 帰っ て 来 て すっかり もと の 通り です ね 。 」 
「 山猫 博士 が 居 ませ ん や 。 」 
「 山猫 博士 ？ 　 デストゥパーゴ ？ 　 デストゥパーゴ に わたし は センダード で 会い まし た よ 。 大 へん おちぶれ て 気の毒 な くらい だっ た 。 」 
「 いいえ 、 デストゥパーゴ が 落ちぶれる もん です か 。 大将 、 センダード の まち に たくさん 土地 を 持っ て い ます よ 。 」 
「 はてな 、 財産 は みんな あの 乾溜 会社 に かけ て しまっ た と 云っ て い た が 。 」 
「 どうして 、 どうして 、 あの 山猫 が そんな こと を する もん です か 。 会社 の 株 が 、 ただ みたい に なっ た から 大将 遁 げ て しまっ た ん です 。 」 
「 いや 、 何 か 重役 の 人 が 醸造 の 方 へ かかろ う として 手続 を 欠い て 責任 を 負っ た とか 云っ て い た が 。 」 
「 どうして どうして 。 酒 を つくる こと なんか みんな 大将 の 考え な ん です よ 。 」 
「 だって 試験 的 に わずか つくっ た だけ だ そう じゃ ない です か 。 」 
「 あなた は よっぽど うまく だまさ れ て おい で です よ 。 あの 工場 から アセトン だ と 云っ て 樽 詰め に し て 出し た の は みんな 立派 な 混成 酒 で さあ 。 悪い の に は 木精 も まぜ た ん です 。 その 密造 なら 二 年 も やっ て い た ん です 。 」 
「 じゃ ポラーノ の 広場 で 使っ た の も それ か 。 」 
「 そう です と も 。 いや 何 と 云っ て も 大将 は ずるい もん です よ 。 みんな に も 弱味 が ある から 、 まあ この まま 泣寝入 で さあ 。 ただ まあ あの 工場 を こんど は みんな で いろいろ に 使っ て 、 できるだけ お互い の いる もの は 拵えよ う という ん です 。 」 
「 そう か ねえ 。 」 「 ファゼーロ が 何 か する の かい 。 」 
「 ええ 、 まあ 別に 新 らしい 資本 が かかる わけ で も なし 、 革 を なめし たり ハム を 拵え たり 、 栗 を 蒸し て 乾かし たり 、 そんな こと を いろいろ やろ う という ん です 。 」 
「 さあ もう 行こ う 。 」 ファゼーロ が わたくし を つっつき まし た 。 
「 それ じゃ また 。 」 
「 お 休み なさい 。 」 
どうも デストゥパーゴ の 云っ た の が 本当 か 、 みんな の 云う の が 本当 か 、 これ は どうも よく わから ない と 、 わたくし は あるき だし ながら おもい まし た 。 
「 まっすぐ だ よ 、 まっすぐ だ よ 。 わたくし は あれ から もう 何 べ ん も 来 て わかっ て いる から 。 」 
わたくし は ファゼーロ の 近く へ 行っ て 風 の 中 で 聞える よう に 云い まし た 。 ファゼーロ は かすか に うなずい て 、 また 走り だし まし た 。 夕 暗 の なか に その 白い シャツ ばかり ぼんやり ゆれ ながら 走り まし た 。 
間もなく わたくし は はるか な 野原 の はて に 青白い 五つ ばかり の あかり と 、 その 上 に 青く 傘 の よう に なっ て ぼんやり ひかっ て いる 、 この 前 の はん の き を 見 まし た 。 だんだん 近づい て 行く と 、 その 葉 が 風 に もま れ て 次 から 次 と 湧い て いる よう 、 枝 と 枝 と が ぶっつかり 合っ て 、 じ ぶん から 青白い 光 を 出し て いる よう な の も わかる よう に なり 、 また その 下 に 五 人 ばかり の 黒い 影 が 魚 を とっ たり する とき つかう 、 アセチレン 燈 を もっ て 立っ て いる の も 見 まし た 。 今日 は 広場 に は テーブル も 椅子 も 箱 も あり ませ ん でし た 。 ただ 一つ の から 箱 が ある きり でし た 。 その なか から 見覚え の ある 、 大きな 帽子 、 円い 肩 、 ミーロ が こっち へ 出 て 来 まし た 。 
「 とうとう 来 た な 。 今晩 は 、 いい お 晩 で ござい ます 。 」 
ミーロ は わたくし に 挨拶 し まし た 。 みんな も 待っ て い た らしく 口々 に 云い まし た 。 わたくし ども は 、 そのまま 広場 を 通り こし て どんどん 急ぎ まし た 。 
の はら は だんだん 草 が あらく なっ て 、 あちこち に は 黒い 藪 も 風 に 鳴り 、 たびたび 柏 の 木 か 樺の木 か が 、 まっ黒 に そら に 立っ て 、 ざわざわ ざわざわ ゆれ て いる の でし た 。 そして いつか 私 ども は 細い みち を 一 列 に ならん で ある い て い た の です 。 
「 もう じき だ よ 。 」 ファゼーロ が 一番 前 で 高く 叫び まし た 。 
みち の 両側 は いつか すっかり 林 に なっ て い た の です 。 そして 三 十 分 ばかり だまっ て 歩く と 、 なにか ぷうんと 木屑 の よう な もの の 匂 が し て 、 すぐ 眼 の 前 に 灰 いろ の 細長い 屋根 が 見え まし た 。 
「 誰 か 来 て いる な 。 」 ファゼーロ が 叫び まし た 。 
その 大きな 黒い 建物 の 窓 に 、 ちらちら あかり が 射し て いる の です 。 
「 おおい 、 キュー スト さん が 来 た ぞ 。 」 ミーロ が 高く 叫び まし た 。 
「 おおい 。 」 中 から も 誰か が 返事 を し まし た 。 
私 ども は その 建物 の 中 へ 入っ て 行き まし た 。 そこ に 巨 き な 鉄 の 罐 が 、 スフィンクス の よう に 、 こっち に 向い て 置い て あっ て 、 土間 に は 沢山 の 大きな 素焼 の 壺 が 列ん で い まし た 。 
「 いや 今晩 は 。 」 ひとり の はだし の 年 老 っ た 人 が 土間 で 私 に 挨拶 し まし た 。 
「 これ が 乾燥 罐 だ よ 。 」 ファゼーロ が 云い まし た 。 
「 ここ で 何 人 稼い で い た って 。 」 私 は たずね まし た 。 
「 そう ねえ 、 盛ん に もうかっ た とき は 三 十 人 から 居 たろ う 。 」 ミーロ が 答え まし た 。 
「 どうして だめ に なっ た ん だ 。 」 
みんな が 顔 を 見合せ まし た 。 さっき の 年 老 っ た 人 が 云い まし た 。 
「 薬 の ね だ ん が 下っ た ため です 。 」 
「 そう です か ねえ 。 そんなに 間に合わ ない の か なあ 。 ところが 、 ねえ おい 。 ファゼーロ 、 おれ は この 釜 で やっぱり 醋酸 を つくっ た 方 が いい と 思う 。 あの とき は 会社 だ なんて 、 あんまり みんな で やっ た から 損 に なっ た ん だ けれども 、 おれ たち だけ で やる ん なら 、 手間 に は きっと なる から な 。 十 瓶 だって 二 十 瓶 だって 引き受ける と 町 の 薬屋 で も 云っ て くる から な 。 」 
「 そう だ 。 」 ファゼーロ が 云い まし た 。 
「 ここ の 下 へ たい た 煙 を 、 となり の 酒 を つくっ たむろ に 通し て 、 あすこ で ハム を つくる と いい な 。 」 
「 それ は サート も そう 云っ てる よ 。 とにかく この 罐 へ 入れ て やれ ば 、 木炭 は そっくり とれる し さ 、 ハム も すぐ に は 売れ なく たって 仲間 へ だけ は 頒 けら れる から な 。 」 
「 さあ よし 、 やろ う 。 キュー スト は たびたび 来 て 見 て くれる だろ う 。 」 
「 ああ 、 ぼく は 畜産 の 方 に も 林産 製造 の 方 に も 友だち が ある から 、 みんな さそっ て 来 て やる よ 。 ポラーノ の 広場 の はなし を し て ね 。 」 
「 そう だ 、 ぼく ら は みんな で 一生けん命 ポラーノ の 広場 を さがし た ん だ 。 けれども 、 やっと の こと で それ を さがす と 、 それ は 選挙 に つかう 酒盛り だっ た 。 けれども 、 むかし の ほんとう の ポラーノ の 広場 は まだ どこ か に ある よう な 気 が し て ぼく は 仕方 ない 。 」 
「 だから ぼく ら は 、 ぼく ら の 手 で これから それ を 拵えよ う で ない か 。 」 
「 そう だ 、 あんな 卑怯 な 、 みっともない 、 わ ざとじぶんをごまかすような 、 そんな ポラーノ の 広場 で なく 、 そこ へ 夜行 って 歌え ば 、 また そこ で 風 を 吸え ば 、 もう 元気 が つい て あした の 仕事 中 から だ いっぱい 勢 が よく て 面白い よう な 、 そういう ポラーノ の 広場 を ぼく ら は みんな で こさえよ う 。 」 
「 ぼく は きっと できる と おもう 。 なぜなら ぼく ら が それ を いま かんがえ て いる の だ から 。 」 
「 何 を しよ う と いっ て も ぼく ら は もっと 勉強 し なく て は なら ない と 思う 。 こう すれ ば ぼく ら の 幸 に なる という こと は わかっ て い て も 、 そん なら どうして それ を はじめ たら いい か 、 ぼく ら に は まだ わから ない の だ 。 町 に は たくさん の 学校 が あっ て 、 そこ に は たくさん の 学生 が いる 。 その 人 たち は みんな 一 日 一ぱい 勉強 に 時間 を つかえる し 、 いい 先生 は 覚え たい くらい 教え て くれる 。 ぼく ら に は 一 日 に 三 時間 の 勉強 の 時間 も ない 。 それ も 大 てい は つか れ て ねむい の だ 。 先生 と いっ たら 講義 録 しか ない 。 わから ない ところ が でき て 質問 し て やっ て も なかなか 返事 が 来 ない 。 けれども ぼく たち は 一生けん命 に 勉強 し て 行か なけれ ば なら ない 。 ぼく は どうか し て もっと 勉強 の できる よう な しかた を みんな で やり たい と 思う 。 」 
その 子ども は 坐り まし た 。 
わたくし は 思わず はねあがり まし た 。 
「 諸君 、 諸君 の 勉強 は きっと できる 。 きっと できる 。 町 の 学生 たち は 仕事 に 勉強 は し て いる 。 けれども 何 の ため に 勉強 し て いる か もう 忘れ て いる 。 先生 の 方 で も なるべく たくさん 教えよ う として 、 まるで 生徒 の 頭 を つからし て ぐったり さし て いる 。 そして テニス だの ランニング も 必要 だ と 云っ て 盛ん に やっ て いる 。 諸君 は テニス だの 野球 の 競争 だ なんて こと は やら ない 。 けれども 体 の こと なら もう やり すぎる くらい やっ て いる 。 けれども どっち が さき に 進む だろ う 。 それ は 何 と いっ て も 向う の 方 が 進む だろ う 。 その とき ぼく ら は ひどい 仕事 を し た ほか に 、 どうして それ に 追い付く か 。 さっき 諸君 の 云う 通り だ 。 向う は 何 年 か 専門 で 勉強 すれ ば あと は ゆっくり それ で くらし て 、 酒 を 呑ん だり うち を もっ たり 、 だんだん 勉強 し なく なる 。 こっち は いつ まで も いま の 勢 で 一生 勉強 し て 行く の だ 。 
諸君 、 酒 を 呑ま ない こと で 酒 を 呑む もの より 一 割 余計 の 力 を 得る 。 たばこ を のま ない こと から 二 割 余計 の 力 を 得る 。 まっすぐ に 進む 方向 を きめ て 、 頭 の なか の あらゆる 力 を 整理 する こと から 、 乱雑 な もの に くらべ て 二 割 以上 の 力 を 得る 。 そう だ あの 人 たち が 女 の こと を 考え たり 、 お 互 の 間 の 喧嘩 の こと で つかう 力 を みんな ぼく ら の ほんとう の 幸 を もっ て くる こと に つかう 。 見 た まえ 、 諸君 は まもなく あれらの 人 たち へ くらべ て 倍 の 力 を 得る だろ う 。 けれども こういう やり かた を いま まで の ほか の 人 たち に 強いる こと は いけ ない 。 あの 人 たち は 、 ああ いう 風 に 酒 を 呑ま なけれ ば 、 淋しく て 寒く て 生き て い られ ない よう な とき に 生れ た の だ 。 
ぼく ら は だまっ て やっ て 行こ う 。 風 から も 光る 雲 から も 諸君 に は あたらしい 力 が 来る 。 そして 諸君 は まもなく ここ へ 、 ここ の この 野原 へ むかし の お伽噺 より もっと 立派 な ポラーノ の 広場 を つくる だろ う 。 」 
みんな は よろこん で 叫び だし まし た 。 ファゼーロ が 云い まし た 。 
「 ぼく ら は ねえ 、 冬 の 間 に 勉強 しよ う 。 みんな で 同じ 本 を 読ん で 置い て 、 五 日 に 一 晩 あすこ の 工場 に 集っ て 、 かわるがわる たずね たり 教え たり する こと を しよ う 。 ねえ 、 キュー スト 。 あなた は 何 か 教え て くれる だろ う 。 」 
「 ああ 、 ぼく は ねえ 、 前 に 植物 の 先生 を し た から 、 植物 の 生理 の こと や 、 ほか に も 何 か 三つ ぐらい は 教え て あげる よ 。 それ は ねえ 。 いま まで の よう に ごたごた 要ら ない こと まで おぼえ て 物知り に なる こと は いら ない ん だ 。 ほんとう に 骨組み と 要る とこ だけ やれ ば いい ん だ から 。 あと は 仕事 が ひとり で それ を 教える し 、 だんだん じ ぶん で 読ん で 行ける から 。 」 
「 ぼく ら は 冬 に あの 工場 へ 集っ たり し て いろいろ こさえよ う じゃ ない か 。 ファゼーロ が 皮 を 染め たり する だろ う 、 ぼく は へた だ けれども チョッキ は つくれる よ 。 ミーロ は いつ でも 上手 に 帽子 を こしらえ て いる ん だ から 、 仕事 に やっ たら もっと 上手 に できる だろ う 。 」 
「 そう だ そう だ 。 ぼく ら は 冬 に つくっ た もの を お 互 で 取り換えよ う ねえ 。 ぼく は 木 を くっ て こしらえる もの なら すき だ よ 。 」 
「 やろ う やろ う 。 夏 に は はたけ や 野原 で はたらい て 食べる もの を とる し 、 冬 に は お 互 で 要る もの を こしらえ て 取りかえれ ば … … 。 」 
ミーロ が にわかに 風 が あんまり 烈しく 吹い て き た ので 眼 を 細く し ながら 坐り まし た 。 はん の 木 も まるで 弓 の よう に なり まし た 。 
その 風 の なか で わたくし は また 立ち まし た 。 
「 そう だ 、 諸君 、 あたらしい 時代 は もう 来 た の だ 。 この 野原 の なか に まもなく 千 人 の 天才 が いっしょ に 、 お 互に 尊敬 し 合い ながら 、 めいめい の 仕事 を やっ て 行く だろ う 。 ぼく も もう きみ ら の 仲間 に はいろ う か なあ 。 」 
「 ああ はいっ て おくれ 。 おい 、 みんな 、 キュー スト さん が ぼく ら の なか ま へ はいる と 。 」 
「 ロザーロ 姉さん を もらっ たら いい や 。 」 だれ か が 叫び まし た 。 
わたくし は 思わず ぎく っと し て しまい まし た 。 
「 いや 、 わたくし は まだまだ 勉強 し なけれ ば なら ない 。 この 野原 へ 来 て しまっ て は 、 わたくし に は それ は いい こと で ない 。 いや 、 わたくし は はいら ない よ 。 はいれ ない よ 。 なぜなら 、 もう わたくし は 何もかも できる という 風 に は なっ て い ない ん だ 。 わたくし は びん ぼう な 教師 の 子ども に うまれ て 、 ず うっ と 本 ばかり 読ん で 育っ て き た の だ 。 諸君 の よう に 雨 に うた れ 風 に 吹か れ 育っ て き て い ない 。 ぼく は 考え は まったく きみ ら の 考え だ けれども 、 からだ は そう は いか ない ん だ 。 けれども ぼく は ぼく で きっと 仕事 を する よ 。 ず うっ と 前 から ぼく は 野原 の 富 を いま 三 倍 も できる よう に する こと を 考え て い た ん だ 。 ぼく は それ を やっ て 行く 。 
（ 原稿 約 一 枚 分 空白 ） 
そして わたくし ども は 立ちあがり まし た 。 
風 が どう っと 吹い て 来 まし た 。 みんな は 思わず 風 に うし ろ 向き に なっ て かがみ 、 わたくし は さっき から あんまり 叫ん だ ので 風 で いっぱい に むせ まし た 。 はん の き も 梢 が まるで 地面 まで 届く よう でし た 。 
「 さあ よし 、 やる ぞ 。 ぼく は もう 皮 を 十 一 枚 あすこ へ 漬け て 置い た し 、 一 かま 分 の 木 は もう そこ に でき て いる 。 こん や は 新 らしい ポラーノ の 広場 の 開場 式 だ 。 」 
「 それでは 酒 を 呑ま ず に 水 を 呑む ぅとやるか 。 」 その 年 より が 云い まし た 。 
みんな は どっと わらい まし た 。 
「 よし やろ う 。 表 へ 出 て 。 おい ミーロ 、 おれ が 水 を 汲ん で くる から 、 きみ は 戸棚 から コップ を だせ 。 」 
ファゼーロ は バケツ を さげ て 外 へ 出 て 行き まし た 。 
みんな は アセチレン 燈 を もっ て 工場 の 外 の 芝生 に 出 まし た 。 
みんな は 草 に 円く なっ て 坐り まし た 。 ミーロ は みんな に コップ を わたし まし た 。 ファゼーロ が バケツ を 重 そう に さげ て 来 て 、 
「 さあ コップ を 洗う ん だ ぜ 。 」 と 云い ながら みんな の コップ に ひしゃく で 水 を つぎ まし た 。 
私 は その 水 の つめたい の に ふるえあがる よう に 思い まし た 。 みんな は こちこち 指 で コップ を あらい まし た 。 
「 さあ また 洗う ん だ ぜ 。 」 ファゼーロ が 云っ て また 水 を つぎ まし た 。 
みんな は 前 の 水 を 草 に すて て また 水 を そそぎ まし た 。 
「 もう 一 ぺん 洗う ん だ ぜ 。 前 の 酒 の 匂 が ついてる から な 。 」 ファゼーロ が また 水 を つぎ まし た 。 
「 ファゼーロ 、 今夜 一 ばん コップ を 洗っ て いる の かい 。 」 
醋酸 を つくっ て い た さっき の 年 老 っ た 人 が 、 云い まし た 。 みんな は また どっと 笑い まし た 。 
「 こんど は 呑む ん だ 。 冷たい ぞ 。 」 ファゼーロ は また みんな に つぎ まし た 。 コップ は つめたく 白く ひかり 風 に 烈しく 波だち まし た 。 
「 さあ 呑む ぞ 。 一 二 三 。 」 みんな は ぐっと 呑み まし た 。 私 も 呑ん で 、 がたっと ふるえ まし た 。 
「 では 僕 が うたう ぞ 。 ポラーノ の 広場 の うた 。 
つめ く さ の はな の 　 終る 夜 は 
ポラン の 広場 の 　 　 秋まつり 
ポラン の 広場 の 　 　 秋 の まつり 
水 を 呑ま ず に 　 　 　 酒 を 呑む 
そんな やつ ら が 　 　 威張っ て いる と 
ポラン の 広場 の 　 　 夜 が 明け ぬ 
ポラン の 広場 も 　 　 朝 に なら ぬ 。 」 
みんな は パチ パチ 手 を 叩い て わらい まし た 。 その 声 も すぐ 風 が どう っと 来 て 、 むかし の ポラーノ の 広場 の 方 へ 持っ て 行っ て しまい まし た 。 
「 おれ も うたう ぞ 。 」 ミーロ が たち まし た 。 
「 つめ く さ の 花 の 　 　 しぼむ 夜 は 
ポラン の 広場 の 　 　 秋まつり 
ポラン の 広場 の 　 　 秋 の まつり 
酒 くせ の 悪い 　 　 　 山猫 は 
黄いろ の シャツ で 　 遠く へ 遁 げ て 
ポラン の 広場 は 　 　 朝 に なる 
ポラン の 広場 は 　 　 夜 が 明ける 。 」 
「 さあ ぼく も 歌う ぞ 。 」 
（ 原稿 数行 空白 ） 
「 さあ 叫ぼ う 。 あたらしい ポラーノ の 広場 の ため に 。 ばん ざ ー い 。 」 わたくし は 帽子 を 高く ふっ て 叫び まし た 。 
「 ばん ざあい 。 」 
そして 私 たち は まっ黒 な 林 を 通り ぬけ て 、 さっき の 柏 の 疎林 を 通り 古い ポラーノ の 広場 に つき まし た 。 
そこ に は いつも の はん の きが 風 に もま れる たび に 青く ひかっ て い まし た 。 
わたくし ども の 影 は アセチレン の 灯 に 黒く 長く みだれる 草 の 波 の なか に 落ち て 、 まるで わたくし ども は 一 人 ずつ 巨 き な 川 を 行く 汽船 の よう な 気 が し まし た 。 
いつも の ところ へ 来 て わたくし ども は 別れ まし た 。 そこ に ほんの 小さ なつめく さ の あかり が 一つ また と もっ て い まし た 。 わたくし は それ を 摘ん で 、 えり に はさみ まし た 。 
「 それでは さよなら 。 また 行き ます よ 。 」 ファゼーロ は 云い ながら 、 みんな と いっしょ に 帽子 を ふり まし た 。 みんな も 何 か 叫ん だ よう でし た が 、 それ は もう 風 に もっ て 行か れ て きこえ ませ ん でし た 。 そして わたくし も あるき 、 みんな も 向う へ 行っ て 、 その 青い 、 風 の なか の アセチレン の 灯 と 黒い 影 が だんだん 小さく なっ た の です 。 
それから ちょうど 七 年 たっ た の です 。 ファゼーロ たち の 組合 は 、 はじめ は なかなか うまく 行か なかっ た の でし た が 、 それでも どうにか 面白く 続ける こと が でき た の でし た 。 
私 は それ から 何 べ ん も 遊び に 行っ たり 相談 の ある たび に 友だち に きい たり し て 、 それ から 三 年 の 後 に は 、 とうとう ファゼーロ たち は 立派 な 一つ の 産業 組合 を つくり 、 ハム と 皮 類 と 醋酸 と オートミール は モリーオ の 市 や センダード の 市 は もちろん 、 広く どこ へ も 出る よう に なり まし た 。 そして 私 は その 三 年 目 、 仕事 の 都合 で とうとう モリーオ の 市 を 去る よう に なり 、 わたくし は それ から 大学 の 副手 に も なり まし た し 農事 試験場 の 技手 も し まし た 。 そして 昨日 この 友だち の ない 、 にぎやか ながら 荒さ ん だ トキーオ の 市 の はげしい 輪転 機 の 音 の となり の 室 で 、 わたくし の 受持ち に なる 五 十 行 の 欄 に 、 なにか ものめずらしい 博物 の 出来事 を うずめ ながら 一 通 の 郵便 を 受けとり まし た 。 
それ は 一つ の 厚い 紙 へ 刷っ て みんな で 手 に 持っ て 歌える よう に し た 楽譜 でし た 。 それ に は 歌 が つい て い まし た 。 
ポラーノ の 広場 の うた 
つめ くさ 灯 ともす 　 夜 の ひろば 
むかし の ラルゴ を 　 うたい か わし 
雲 を も どよもし 　 　 夜 風 に わすれ て 
とりいれ まぢか に 　 年 よ うれ ぬ 
まさ しき ねがい に 　 いさ かう とも 
銀河 の かなた に 　 　 ともに わらい 
なべて の なやみ を 　 たき ぎともしつつ 
はえ ある 世界 を 　 　 ともに つくら ん 
わたくし は その 譜 は たしかに ファゼーロ が つくっ た の だ と おもい まし た 。 
なぜなら 、 そこ に は いつも ファゼーロ が 野原 で 口笛 を 吹い て い た 、 その 調子 が いっぱい に は いっ て い た から です 。 けれども その 歌 を つくっ た の は ミーロ か ロザーロ か 、 それとも 誰 か 、 わたくし に は 見 わけ が つき ませ ん でし た 。 
霧 が じめじめ 降っ て い た 。 
諒 安 は 、 その 霧 の 底 を ひとり 、 険しい 山谷 の 、 刻み を 渉 って 行き まし た 。 
沓 の 底 を 半分 踏み抜い て しまい ながら その いちばん 高い 処 から いちばん 暗い 深い ところ へ また その 谷 の 底 から 霧 に 吸いこま れ た 次 の 峯 へ と 一生 けんめい 伝っ て 行き まし た 。 
もしも ほんの 少し の はり 合 で 霧 を 泳い で 行く こと が でき たら 一つ の 峯 から 次 の 巌 へ ずいぶん 雑作 も なく 行ける の だ が 私 は やっぱり この 意地 悪い 大きな 彫刻 の 表面 に 沿っ て けわしい 処 で は から だ が 燃える よう に なり 少し の 平ら な ところ で は ほっと 息 を つき ながら 地面 を 這わ なけれ ば なら ない と 諒 安 は 思い まし た 。 
全く 峯 に は まっ黒 の ガツガツ し た 巌 が 冷たい 霧 を 吹い て そらうそぶき 折角 いっしん に 登っ て 行っ て も まるで よる べ も なく さびしい の でし た 。 
それから 谷 の 深い 処 に は 細か な うすぐろい 灌木 が ぎっしり 生え て 光 を 通す こと さえ も 慳貪 そう に 見え まし た 。 
それでも 諒 安 は 次 から 次 と その ひどい 刻み を ひとり わたっ て 行き まし た 。 
何 べ ん も 何 べ ん も 霧 が ふっと 明るく なり また うすく らく なり まし た 。 
けれども 光 は 淡く 白く 痛く 、 いつ まで たっ て も 夜 に なら ない よう でし た 。 
つやつや 光る 竜 の 髯 の いち めん 生え た 少し の な だら に 来 た とき 諒 安 は からだ を 投げる よう に し て とろとろ 睡っ て しまい まし た 。 
（ これ が お前 の 世界 な の だ よ 、 お前 に 丁度 あたり 前 の 世界 な の だ よ 。 それ より もっと ほんとう は これ が お前 の 中 の 景色 な の だ よ 。 ） 
誰 か が 、 或いは 諒 安 自身 が 、 耳 の 近く で 何 べ ん も 斯 う 叫ん で い まし た 。 
（ そう です 。 そう です 。 そう です と も 。 いかにも 私 の 景色 です 。 私 な の です 。 だから 仕方 が ない の です 。 ） 諒 安 は うとうと 斯 う 返事 し まし た 。 
（ これ は これ 
惑う 木立 の 
中 なら ず 
しのび を なら う 
春 の 道場 ） 
どこ から か こんな 声 が はっきり 聞え て 来 まし た 。 諒 安 は 眼 を ひらき まし た 。 霧 が からだ に つめたく 浸 み 込む の でし た 。 
全く 霧 は 白く 痛く 竜 の 髯 の 青い 傾斜 は その 中 に ぼんやり かすん で 行き まし た 。 諒 安 は とっとと かけ 下り まし た 。 
そして たちまち 一 本 の 灌木 に 足 を つかま れ て 投げ出す よう に 倒れ まし た 。 
諒 安 は に が 笑い を し ながら 起きあがり まし た 。 
いきなり 険しい 灌木 の 崖 が 目 の 前 に 出 まし た 。 
諒 安 は その くろ も じ の 枝 に とりつい て のぼり まし た 。 くろ も じ は かすか な 匂 を 霧 に 送り 霧 は 俄 か に 乳 いろ の 柔らか な やさしい もの を 諒 安 に よこし まし た 。 
諒 安 は よじのぼり ながら 笑い まし た 。 
その 時 霧 は 大 へん 陰気 に なり まし た 。 そこで 諒 安 は 霧 に その かすか な 笑い を 投げ まし た 。 そこで 霧 は さっと 明るく なり まし た 。 
そして 諒 安 は とうとう 一つ の 平ら な 枯草 の 頂上 に 立ち まし た 。 
そこ は 少し 黄金 いろ で ほっと あたたか な よう な 気 が し まし た 。 
諒 安 は 自分 の からだ から 少し の 汗 の 匂い が 細い 糸 の よう に なっ て 霧 の 中 へ 騰っ て 行く の を 思い まし た 。 その 汗 という 考 から 一疋 の 立派 な 黒い 馬 が ひら っと 躍り出 し て 霧 の 中 へ 消え て 行き まし た 。 
霧 が 俄 か に ゆれ まし た 。 そして 諒 安 は そら いっぱい に きんきん 光っ て 漂う 琥珀 の 分子 の よう な もの を 見 まし た 。 それ は さっと 琥珀 から 黄金 に 変り また 新鮮 な 緑 に 遷 って まるで 雨 より も 滋 く 降っ て 来る の でし た 。 
いつか 諒 安 の 影 が うすく かれ 草 の 上 に 落ち て い まし た 。 一 きれ の いい かおり が きらっ と 光っ て 霧 と その 琥珀 と の 浮遊 の 中 を 過ぎ て 行き まし た 。 
と 思う と 俄 か に ぱっと あたり が 黄金 に 変り まし た 。 
霧 が 融け た の でし た 。 太陽 は 磨き たて の 藍 銅鉱 の そら に 液体 の よう に ゆらめい て かかり 融け のこり の 霧 は まぶしく 蝋 の よう に 谷 の あちこち に 澱み ます 。 
（ ああ こんな けわしい ひどい ところ を 私 は 渡っ て 来 た の だ な 。 けれども 何 という この 立派 さ だろ う 。 そして はてな 、 あれ は 。 ） 
諒 安 は 眼 を 疑い まし た 。 その いち めん の 山谷 の 刻み に いち めん まっ白 に マグノリア の 木 の 花 が 咲い て いる の でし た 。 その 日 の あたる ところ は 銀 と 見え 陰 に なる ところ は 雪 の きれ と 思わ れ た の です 。 
（ けわしく も 刻む こころ の 峯 々 に 　 いま 咲き そむ る マグノリア かも 。 ） 斯 う 云う 声 が どこ から か はっきり 聞え て 来 まし た 。 諒 安 は 心 も 明るく あたり を 見 まわし まし た 。 
すぐ 向う に 一 本 の 大きな ほおの木 が あり まし た 。 その 下 に 二 人 の 子供 が 幹 を 間 に し て 立っ て いる の でし た 。 
（ ああ さっき から 歌っ て い た の は あの 子供 ら だ 。 けれども あれ は どうも ただ の 子供 ら で は ない ぞ 。 ） 諒 安 は よく そっち を 見 まし た 。 
その 子供 ら は 羅 を つけ 瓔珞 を かざり 日光 に 光り 、 すべて 断食 の あけ がた の 夢 の よう でし た 。 ところが さっき の 歌 は その 子供 ら で も ない よう でし た 。 それ は 一 人 の 子供 が さっき より ず うっ と 細い 声 で マグノリア の 木 の 梢 を 見 あげ ながら 歌い 出し た から です 。 
「 サンタ 、 マグノリア 、 
枝 に いっ ぱいひかるはなんぞ 。 」 
向う側 の 子 が 答え まし た 。 
「 天 に 飛びたつ 銀 の 鳩 。 」 
こちら の 子 が また うたい まし た 。 
「 セント 、 マグノリア 、 
枝 に いっ ぱいひかるはなんぞ 。 」 
「 天 から おり た 天 の 鳩 。 」 
諒 安 は しずか に 進ん で 行き まし た 。 
「 マグノリア の 木 は 寂静 印 です 。 ここ は どこ です か 。 」 
「 私 たち に は わかり ませ ん 。 」 一 人 の 子 が つつましく 賢 こそ う な 眼 を あげ ながら 答え まし た 。 
「 そう です 、 マグノリア の 木 は 寂静 印 です 。 」 
強い はっきり し た 声 が 諒 安 の うし ろ でし まし た 。 諒 安 は 急い で ふり向き まし た 。 子供 ら と 同じ なり を し た 丁度 諒 安 と 同じ くらい の 人 が まっすぐ に 立っ て わらっ て い まし た 。 
「 あなた です か 、 さっき から 霧 の 中 やら で お 歌い に なっ た 方 は 。 」 
「 ええ 、 私 です 。 また あなた です 。 なぜなら 私 という もの も また あなた が 感じ て いる の です から 。 」 
「 そう です 、 ありがとう 、 私 です 、 また あなた です 。 なぜなら 私 という もの も また あなた の 中 に ある の です から 。 」 
その 人 は 笑い まし た 。 諒 安 と 二 人 は はじめて 軽く 礼 を し まし た 。 
「 ほんとう に ここ は 平ら です ね 。 」 諒 安 は うし ろ の 方 の うつくしい 黄金 の 草 の 高原 を 見 ながら 云い まし た 。 その 人 は 笑い まし た 。 
「 ええ 、 平ら です 、 けれども ここ の 平らか さ は けわし さ に対する 平ら さ です 。 ほんとう の 平ら さ で は あり ませ ん 。 」 
「 そう です 。 それ は 私 が けわしい 山谷 を 渡っ た から 平ら な の です 。 」 
「 ごらん なさい 、 その けわしい 山谷 に いまいち めん に マグノリア が 咲い て い ます 。 」 
「 ええ 、 ありがとう 、 ですから マグノリア の 木 は 寂静 です 。 あの 花びら は 天 の 山羊 の 乳 より しめやか です 。 あの かおり は 覚 者 たち の 尊い 偈 を 人 に 送り ます 。 」 
「 それ は みんな 善 です 。 」 
「 誰 の 善 です か 。 」 諒 安 は も 一度 その 美しい 黄金 の 高原 と けわしい 山谷 の 刻み の 中 の マグノリア と を 見 ながら たずね まし た 。 
「 覚 者 の 善 です 。 」 その 人 の 影 は 紫いろ で 透明 に 草 に 落ち て い まし た 。 
「 そう です 、 そして また 私 ども の 善 です 。 覚 者 の 善 は 絶対 です 。 それ は マグノリア の 木 に も あらわれ 、 けわしい 峯 の つめたい 巌 に も あらわれ 、 谷 の 暗い 密林 も この 河 が ず うっ と 流れ て 行っ て 氾濫 を する あたり の 度々 の 革命 や 饑饉 や 疫病 や みんな 覚 者 の 善 です 。 けれども ここ で は マグノリア の 木 が 覚 者 の 善 で また 私 ども の 善 です 。 」 
諒 安 と その 人 と 二 人 は また 恭しく 礼 を し まし た 。 
城 あと の おおばこ の 実は 結び 、 赤 つめ 草 の 花 は 枯れ て 焦茶 色 に なっ て 、 畑 の 粟 は 刈りとら れ 、 畑 の すみ から 一寸 顔 を 出し た 野鼠 は びっくり し た よう に 又 急い で 穴 の 中 へ ひっこむ 。 
崖 や ほり に は 、 まばゆい 銀 の すすき の 穂 が 、 いち めん 風 に 波立っ て いる 。 
その 城 あと の まん中 の 、 小さな 四 っ 角山 の 上 に 、 めくら ぶどう の やぶ が あっ て その 実 が すっかり 熟し て いる 。 
ひとり の 少女 が 楽譜 を もっ て ためいき し ながら 藪 の そば の 草 に すわる 。 
かすか な かすか な 日照り雨 が 降っ て 、 草 は きらきら 光り 、 向う の 山 は 暗く なる 。 
その あり なし の 日照り の 雨 が 霽 れ た ので 、 草 は あらた に きらきら 光り 、 向う の 山 は 明るく なっ て 、 少女 は まぶしく お もて を 伏せる 。 
そっち の 方 から 、 も ず が 、 まるで 音譜 を ばらばら に し て ふりまい た よう に 飛ん で 来 て 、 みんな 一 度 に 、 銀 の すすき の 穂 に とまる 。 
めくら ぶどう の 藪 から は きれい な 雫 が ぽたぽた 落ちる 。 
かすか な け はい が 藪 の かげ から のぼっ て くる 。 今夜 市庁 の ホール で うたう マリヴロン 女史 が ライラック いろ の もすそ を ひい て みんな を のがれ て 来 た の で ある 。 
いま 、 その うし ろ 、 東 の 灰色 の 山脈 の 上 を 、 つめたい 風 が ふっと 通っ て 、 大きな 虹 が 、 明るい 夢 の 橋 の よう に やさしく 空 に あらわれる 。 
少女 は 楽譜 を もっ た まま 化石 の よう に すわっ て しまう 。 マリヴロン は ここ に も 人 の 居 た こと を むしろ 意外 に おもい ながら わずか に まなこ に 会釈 し て しばらく 虹 の そら を 見る 。 
そう だ 。 今日 こそ 、 ただ の 一言 で も 天 の 才 あり うるわしく 尊敬 さ れる この 人 と ことば を かわし たい 、 丘 の 小さな ぶどう の 木 が 、 よ ぞ ら に 燃える ほ の おより 、 もっと あかるく 、 もっと かなしい おもい を ば 、 はるか の 美しい 虹 に 捧げる と 、 ただ これ だけ を 伝え たい 、 それ から なら ば 、 それ から なら ば 、 あの … … 
「 マリヴロン 先生 。 どう か 、 わたくし の 尊敬 を お 受け ください ませ 。 わたくし は あす アフリカ へ 行く 牧師 の 娘 で ござい ます 。 」 
少女 は 、 ふだん の 透きとおる 声 も どこ か へ 行っ て 、 しわがれ た 声 を 風 に 半分 とら れ ながら 叫ぶ 。 
マリヴロン は 、 うっとり 西 の 碧 いそ ら を ながめ て い た 大きな 碧 い 瞳 を 、 そっち へ 向け て すばやく 楽譜 に 記さ れ た 少女 の 名前 を 見 て とっ た 。 
「 何 か ご用 で いらっしゃい ます か 。 あなた は ギルダ さん でしょ う 。 」 
少女 の ギルダ は 、 まる でぶ な の 木の葉 の よう に プリプリ ふるえ て 輝い て 、 いき が せわしく て 思う よう に 物 が 云 え ない 。 
「 先生 どうか 私 の こころ から うやまい を 受けとっ て 下さい 。 」 
マリヴロン は かすか に と いき し た ので 、 その 胸 の 黄 や 菫 の 宝石 は 一つ ずつ 声 を あげる よう に 輝き まし た 。 そして 云う 。 
「 うやまい を 受ける こと は 、 あなた も おなじ です 。 なぜ そんなに 陰気 な 顔 を なさる の です か 。 」 
「 私 は もう 死ん で も いい の で ござい ます 。 」 
「 どうして そんな こと を 、 仰っ し ゃるのです 。 あなた は まだまだ お 若い で は あり ませ ん か 。 」 
「 いいえ 。 私 の 命 なんか 、 なん で も ない の で ござい ます 。 あなた が 、 もし 、 もっと 立派 に おなり に なる 為 なら 、 私 なんか 、 百 ぺん でも 死に ます 。 」 
「 あなた こそ そんなに お 立派 で は あり ませ ん か 。 あなた は 、 立派 な おし ごと を あちら へ 行っ て なさる でしょ う 。 それ は わたくし など より は はるか に 高 いし ごと です 。 私 など は それ は まことに たより ない の です 。 ほんの 十分 か 十 五 分 か 声 の ひびき の ある うち の いのち です 。 」 
「 いいえ 、 ちがい ます 。 ちがい ます 。 先生 は ここ の 世界 や みんな を もっと きれい に 立派 に なさる お方 で ござい ます 。 」 
マリヴロン は 思わず 微 笑い まし た 。 
「 ええ 、 それ を わたくし は のぞみ ます 。 けれども それ は あなた は いよいよ そう でしょ う 。 正しく 清く はたらく ひと は ひとつ の 大きな 芸術 を 時間 の うし ろ に つくる の です 。 ごらん なさい 。 向う の 青い そら の なか を 一 羽 の 鵠 が とん で 行き ます 。 鳥 は うし ろ に みな その あと を もつ の です 。 みんな は それ を 見 ない でしょ う が 、 わたくし は それ を 見る の です 。 おんなじ よう に わたくし ども は みな その あと に ひとつ の 世界 を つくっ て 来 ます 。 それ が あらゆる 人々 の いちばん 高い 芸術 です 。 」 
「 けれども 、 あなた は 、 高く 光 の そら に かかり ます 。 すべて 草 や 花 や 鳥 は 、 みな あなた を ほめ て 歌い ます 。 わたくし は たれ に も 知ら れ ず 巨 き な 森 の なか で 朽ち て しまう の です 。 」 
「 それ は あなた も 同じ です 。 すべて 私 に 来 て 、 私 を かがやかす もの は 、 あなた を も きらめかし ます 。 私 に 与え られ た すべて の ほめ ことば は 、 そのまま あなた に 贈ら れ ます 。 」 
「 私 を 教え て 下さい 。 私 を 連れ て 行っ て つかっ て 下さい 。 私 は どんな こと で も いたし ます 。 」 
「 いいえ 私 は どこ へ も 行き ませ ん 。 いつ でも あなた が 考える そこ に 居り ます 。 すべて ま こと の ひかり の なか に 、 いっし ょにすんでいっしょにすすむ 人人 は 、 いつ でも いっしょ に いる の です 。 けれども 、 わたくし は 、 もう 帰ら なけれ ば なり ませ ん 。 お日様 が あまり 遠く なり まし た 。 も ず が 飛び立ち ます 。 で は 。 ごきげんよう 。 」 
停車場 の 方 で 、 鋭い 笛 が ピー と 鳴り 、 も ず は みな 、 一 ぺん に 飛び立っ て 、 気違い に なっ た ばらばら の 楽譜 の よう に 、 やかましく 鳴き ながら 、 東 の 方 へ 飛ん で 行く 。 
「 先生 。 私 を つれ て 行っ て 下さい 。 どうか 私 を 教え て ください 。 」 
うつくしく けだかい マリヴロン は かすか に わらっ た よう に も 見え た 。 また 当惑 し て かしら を ふっ た よう に も 見え た 。 
そして あたり は くらく なり 空 だけ 銀 の 光 を 増せ ば 、 あんまり 、 も ず が やかましい ので 、 し まい の ひばり も 仕方 なく 、 も いちど 空 へ のぼっ て 行っ て 、 少 うし ばかり 調子はずれ の 歌 を うたっ た 。 
火皿 は 油煙 を ふりみだし 、 炉 の 向 ふ に は この 家 の 主人 の 膝 が 大黒柱 を 切っ て 投げ出し どっしり が たり と 座っ て ゐる 。 
その 息子 ら は 外 の 闇 から 帰っ て 来 た 。 肩 は ば が ひろく けら を 着 て 馬 を 廐 へ 引い て 入れ 、 土間 で こっそり 飯 を たべ その ま ゝ ころころ 寝 て しまっ た 。 
もし 私 が 何 か まちがっ た こと を 云っ たら その むすこ ら の 一 人 でも すぐ に 私 を 外 の くら やみ に 連れ出す だら う 。 
火皿 は 黒い 油煙 を 揚げ その 下 で 一 人 の 女 が 何 か しきりに 仕度 を し て ゐる 。 どうも 私 の を つくっ て ゐる らしい 。 それなら さっき も こと はっ た の だ 。 
ガタリ と 音 が し て 皿 が 一 枚 床板 の 上 に 落ち た 。 
主人 は だまっ て 立っ て そっち へ 行っ た 。 
三 秒 ばかり しん と し た 。 
主人 は 座 へ 帰っ て どしり と 座っ た 。 
どうも あの 女 は なぐら れ た らしい 。 
音 も さ せ ず に 撲っ た の だ な 。 その 証拠 に は 土間 が いや に 寂 か だし 主人 の め だま は 黄金 の やう だし さ 。 
その 頃 の 風 穂 の 野 は ら は 、 ほんとう に 立派 でし た 。 
青い 萱 や 光る 茨 や けむり の よう な 穂 を 出す 草 で 一ぱい 、 それに あちこち に は 栗 の 木 や はん の 木 の 小さな 林 も あり まし た 。 
野原 は 今 は 練兵 場 や 粟 の 畑 や 苗圃 など に なっ て それでも 騎兵 の 馬 が 光っ たり 、 白い シャツ の 人 が 働い たり 、 汽車 で 通っ て も なかなか 奇麗 です けれども 、 前 は まだまだ 立派 でし た 。 
九月 に なる と 私 ども は 毎日 野原 に 出掛け まし た 。 殊に 私 は 藤原 慶 次郎 と いっしょ に 出 て 行き まし た 。 町 の 方 の 子供 ら が 出 て 来る の は 日曜日 に 限っ て い まし た から 私 ども は どんな 日 でも 初 蕈 や 栗 を たくさん とり まし た 。 ずいぶん 遠く まで も 行っ た の でし た が 日曜 に は 一層 遠く まで 出掛け まし た 。 
ところが 、 九月 の 末 の ある 日曜 でし た が 、 朝 早く 私 が 慶 次 郎 を さそっ て いつも の よう に 野原 の 入口 に かかり まし たら 、 一 本 の 白い 立札 が みち ば た の 栗 の 木 の 前 に 出 て い まし た 。 私 ども は もう 尋常 五 年生 でし た から すらすら 読み まし た 。 
「 本日 は 東北 長官 一 行 の 出 遊 につき これ より 中 に は 入る べから ず 。 東北 庁 」 
私 は がっかり し て しまい まし た 。 慶 次 郎 も 顔 を 赤く し て 何 べ ん も 読み直し て い まし た 。 
「 困っ た ねえ 、 えらい 人 が 来る ん だ よ 。 叱ら れる と いけ ない から もう 帰ろ う か 。 」 私 が 云い まし たら 慶 次 郎 は 少し 怒っ て 答え まし た 。 
「 構う もん か 、 入ろう 、 入ろう 。 ここ は 天子 さん の とこ で そんな 警部 や 何 か の とこ じゃ ない ん だい 。 ず うっ と 奥 へ 行こ う よ 。 」 
私 も にわかに 面白く なり まし た 。 
「 おい 、 東北 長官 という もの を 見 たい な 。 どんな 顔 だろ う 。 」 
「 鬚 も めがね も ある の さ 。 先頃 来 た 大臣 だって そう だ 。 」 
「 どこ か に かくれ て 見 てよ う か 。 」 
「 見 てよ う 。 寺林 の とこ は どう だい 。 」 
寺林 という の は 今 は 練兵 場 の 北 の はじ に なっ て い ます が 野原 の 中 で いちばん 奇麗 な 所 でし た 。 はん の きの 林 が ぐるっと 輪 に なっ て い て 中 に は みじかい やわらか な 草 が いち めん 生え て まるで 一つ の 公園 地 の よう でし た 。 
私 ども は その はん の きの 中 に かくれ て いよ う と 思っ た の です 。 
「 そう しよ う 。 早く 行か ない と 見つかる ぜ 。 」 
「 さあ 走っ て こ う 。 」 
私 ども は そこ で まるで 一目散 に その 野原 の 一 本 みち を 走り まし た 。 あんまり 苦しく て 息 が つけ なく なる と とまっ て 空 を 向い て ある き また うし ろ を 見 て は かけ 出し 、 走っ て 走っ て とうとう 寺林 に つい た の です 。 そこで みち から は なれ て はん の きの 中 に かくれ まし た 。 けれども 虫 が しんしん 鳴き 時 々 鳥 が 百 疋 も 一 かたまり に なっ て ざあと 通る ばかり 、 一向 人 も 来 ない よう でし た から だんだん 私 たち は 恐く なく なっ て はん の きの 下 の 萱 を がさがさ わけ て 初茸 を さがし はじめ まし た 。 いつも の よう に たくさん 見附 かり まし た から 私 は いつか 長官 の こと も 忘れ て しきりに とっ て おり まし た 。 
すると 俄 か に 慶 次 郎 が 私 の ところ に やって来 て しがみつき まし た 。 まるで 私 の 耳 の そば で そっと 云っ た の です 。 
「 来 た よ 、 来 た よ 。 とうとう 来 た よ 。 そら ね 。 」 
私 は 萱 の 間 から すかす よう に し て 私 ども の 来 た 方 を 見 まし た 。 向う から 二 人 の 役人 が 大急ぎ で 路 を やって来る の です 。 それ も 何だか みち から 外れ て 私 ども の 林 へ やって来る らしい の です 。 さあ 、 私 ども は もう 息 も つまる よう に 思い まし た 。 ずんずん 近づい て 来 た の です 。 
「 この 林 だろ う 。 たしかに これ だ な 。 」 
一 人 の 顔 の 赤い 体格 の いい 紺 の 詰 えり を 着 た ほう の 役人 が 云い まし た 。 
「 うん 、 そう だ 。 間違い ない よ 。 」 も 一 人 の 黒い 服 の 役人 が 答え まし た 。 さあ 、 もう 私 たち は きっと 殺さ れる に ちがい ない と 思い まし た 。 まさか こんな 林 に は 気 も 付か ず に 通り過ぎる だろ う と 思っ て い たら 二 人 の 役人 が どこ か で 番 を し て 見 て い た の です 。 万一 殺さ れ ない に し て も もう 縛ら れる と 私 ども は 覚悟 し まし た 。 慶 次 郎 の 顔 を 見 まし たら やっぱり まっ青 で 唇 まで 乾い て 白く なっ て い まし た 。 私 は 役人 に 縛ら れ た とき とっ た 蕈 を 持た せ られ て 町 を 歩き たく ない と 考え まし た 。 そこで そっと 慶 次 郎 に 云い まし た 。 
「 縛ら れる よ 。 きっと 縛ら れる 。 きのこ を すてよ う 。 きのこ を さ 。 」 
慶 次 郎 は なんにも 云わ ない で だまっ て きのこ を はき ご の まま 棄て まし た 。 私 も 籠 の ひも から そっと 手 を はなし まし た 。 ところが 二 人 の 役人 は べつに 私 ども を つかまえ に 来 た の で も ない よう でし た 。 
うろうろ 木 の 高い ところ を 見 て い まし た し それ に 林 の 前 で ぴたっと 立ちどまっ た らしい の でし た 。 そして しばらく 何 か し て い まし た 。 私 は 萱 の 葉 の 混ん だ 所 から 無理 に のぞい て 見 まし たら 二 人 とも メリケン粉 の 袋 の よう な もの を 小わき に かかえ て その 口 の 結び目 を 立っ た まま 解い て いる の でし た 。 
「 この 辺 で よかろ う な 。 」 一 人 が 云い まし た 。 
「 うん 、 いい だろ う 。 」 も 一 人 が 答え た と 思う と バラッバラッ と 音 が し まし た 。 たしかに 何 か 撒い た の です 。 私 は 何 を 撒い た か 見 たく て 命 も いら ない よう に 思い まし た 。 こわい こと は やっぱり こわかっ た の です けれども 。 
役人 ども は だんだん 向う の 方 へ はん の 木の間 を 歩き ながら ずいぶん しばらく 撒い て い まし た が 俄 か に 一 人 が 云い まし た 。 
「 おい 、 失敗 だ よ 。 失敗 だ 。 ひどく しくじっ た 。 君 の 袋 に は まだ 沢山 ある か 。 」 
「 どうして ？ 　 林 が ちがっ た かい 。 」 も 一 人 が 愕 い て たずね まし た 。 
「 だって 君 、 これ は 何 という 木 か しらん が 、 栗 の 木 じゃ ない ぜ 、 途方 も ない とこ に 栗 の 実 が 落ち て ちゃ 、 ばれる よ 。 」 
も 一 人 が 落ちつい た 声 で 答え まし た 。 
「 ふん 、 そんな こと は 心配 ない よ 、 はじめ から 僕 は 気 が ついてる ん だ 。 そんな こと まで 何のかんの 云う もん か 。 どっか ら 来 たろ う って 云っ たら 風 で 飛ばさ れ て 参り まし た でしょ う て 云 や いい や 。 」 
「 そんな わけ に も 行く まい ぜ 。 困っ た な 、 どこ か 栗 の 木の下 で まこ う 。 あ 、 うまい 、 こいつ は うまい 。 栗 の 木 だ 。 こいつ から 落ち た という こと に すりゃ いい な 。 ああ 助かっ た 。 おい 、 ここ へ 沢山 まい て おこ う 。 」 
「 もちろん だ よ 。 」 
それから ばら っ ばらっと 栗 の 実 が 栗 の 木 の 幹 に ぶっつかっ たり はね 落ち たり する 音 が しばらく し まし た 。 私 ども は 思わず 顔 を 見合せ まし た 。 もう 大丈夫 役人 ども は 私 たち を 殺し に 来 た の で も なく 、 私 ども の 居る こと さえ も 知ら ない こと が わかっ た の です 。 まるで 世界 が 明るく なっ た よう に 思い まし た 。 
遁 げ る なら いま の うち だ と 私 たち は 二 人 一緒 に 思っ た の です 。 その 証拠 に は 私 たち は 一寸 眼 を 見合せ まし たら もう 立ちあがっ て い まし た 。 それから そお っと 萱 を わけ て 林 の うし ろ の 方 へ 出よ う と し まし た 。 すると 早く も 役人 の 一 人 が 叫ん だ の です 。 
「 誰 か 居る ぞ 。 入る なっ て 云っ た のに 。 」 
「 誰 だ 。 」 も 一 人 が 叫び まし た 。 私 たち は すっかり 失策 って しまっ た の です 。 ほんとう に ばか な こと を し た と 私 ども は 思い まし た 。 
役人 は もう がさがさ と 向う の 萱 の 中 から 出 て 来 まし た 。 その とき 林 の 中 は 黄金 いろ の 日光 で 点々 に なっ て い まし た 。 
「 おい 、 誰 だ 、 お前 たち は どこ から 入っ て 来 た 。 」 紺 服 の ほう の 人 が 私 ども に 云い まし た 。 
私 ども は はじめ まるで 死ん だ よう に なっ て い まし た が だんだん 近く なっ て 見 ます と その 役人 の 顔 は まっ 赤 で まるで 湯気 が 出る ばかり 殊に 鼻 から は ぷつぷつ 油 汗 が 出 て い まし た ので 何だか 急 に こわく なく なり まし た 。 
「 あっち から です 。 」 私 は みち の 方 を 指し まし た 。 すると その 役人 は まじめ な 風 で 云い まし た 。 
「 ああ 、 あっち に も みち が ある の か 。 そっち へ も 制札 を し て おか なかっ た の は 失敗 だっ た 。 ねえ 、 君 。 」 と 云い ながら あと から しなび た メリケン粉 の 袋 を かつい で 来 た 黒 服 に 云い まし た 。 
「 うん 、 やっぱり 子供 ら は 入っ てる ねえ 、 しかし 構わ ん さ 。 この 林 から さえ 追い出し とけ ぁいいんだ 。 おい 。 お前 たち ね 、 今日 は ここ へ 非常 な えらい お方 が 入 らっしゃる ん だ から 此処 に 居 て は いけ ない よ 。 野原 に 居 たかっ たら 居 て も いい から ず うっ と 向う の 方 へ 行っ て しまっ て ここ から 見え ない よう に する ん だ ぞ 。 声 を たて て も いけ ない ぞ 。 」 
私 たち は 顔 を 見合せ まし た 。 そして だまっ て 籠 を 提げ て 向う へ 行こ う と し まし た 。 
慶 次 郎 が ぽい っと おじぎ を し まし た から 私 も し まし た 。 紺 服 の 役人 は メリケン粉 の から ふく ろ を 手 に 団子 の よう に 捲き つけ て い まし た が 少し 屈む よう に し まし た 。 
私 たち は 行こ う と し まし た 。 すると 黒 服 の 役人 が うし ろ から いきなり 云い まし た 。 
「 おいおい 。 おまえ たち は ここ で その 蕈 を とっ た の か 。 」 
また か と 私 は ぎく っと し まし た 。 けれども この 時 も どうしても 「 いいえ 。 」 と 云え ませ ん でし た 。 慶 次 郎 が かすれ た よう な 声 で 「 はあ 。 」 と 答え た の です 。 すると 役人 は 二 人 とも 近く へ 来 て 籠 の 中 を のぞき まし た 。 
「 まだ ある だろ う な 。 どこ か ここら で 、 沢山 ある 所 を さがし て くれ ない か 。 ご ほうび を あげる から 。 」 
私 たち は すっかり 面白く なり まし た 。 
「 まだ 沢山 あり ます よ 。 さがし て あげ ましょ う 。 」 私 が 云い まし たら 紺 服 の 役人 が あわて て 手 を ふっ て 叫び まし た 。 
「 いやいや 、 とっ て しまっ ちゃ いけ ない 、 ただ ある 場所 を さがし て 教え て さえ くれれ ば いい ん だ 。 さがし て ごらん 。 」 
私 と 慶 次 郎 と は まるで 電気 に かかっ た よう に 萱 を わけ て あるき まし た 。 そして 私 は すぐ 初 蕈 の 三つ なら ん でる 所 を 見 附け まし た 。 
「 あり まし た 。 」 叫ん だ の です 。 
「 そう か 。 」 役人 たち は 来 て のぞき まし た 。 
「 何だ 、 ただ 三つ じゃ ない か 。 長官 は 六 人 も ご 家族 を つれ て いらっしゃる ん だ 。 三つ じゃ 仕方 ない 、 お 一 人 十 ずつ として も 六 十 なく ちゃ だめ だ 。 」 
「 六 十 ぐらい 大丈夫 あり ます 。 」 慶 次 郎 が 向う で 袖 で 汗 を 拭き ながら 云い まし た 。 
「 いや 、 あちこち ちらばっ た ん じゃ さがし 出せ ない 。 二 とこ ぐらい に 集まっ て なく ちゃ 。 」 
「 初 蕈 は そんなに 集まっ て ない ん です 。 」 私 も 勢 が つい て 言い まし た 。 
「 ふうん 。 そん なら かまわ ない から おまえ たち の とっ た 蕈 を そこら へ 立て て おこ う か な 。 」 
「 それ で いい さ 。 」 黒 服 の ほう が 薄 いひ げ を ひねり ながら 答え まし た 。 
「 おい 、 お前 たち の 籠 の 蕈 を みんな よこせ 。 あと で ご ほうび は やる から な 。 」 紺 服 は 笑っ て 云い まし た 。 私 たち は だまっ て 籠 を 出し た の です 。 二 人 は しゃがん で 籠 を 倒 に し て 数 を 数え て から 小さい の は みんな また 籠 に 戻し まし た 。 
「 丁度 いい よ 、 七 十 ある 。 こいつ を ここら へ 立て て こ う 。 」 
紺 服 の 人 は きのこ を 草 の 間 に 立てよ う と し まし た が すぐ 傾い て しまい まし た 。 
「 ああ 、 萱 で 串 に し て おけ ば いい よ 。 そら 、 こんな 工合 に 。 」 黒 服 は 云い ながら 萱 の 穂 を 一寸 ばかり に ちぎっ て 地面 に 刺し て その 上 に きのこ の 脚 を まっすぐ に 刺し て 立て まし た 。 
「 うまい 、 うまい 、 丁度 いい 、 おい 、 おまえ たち 、 萱 の 穂 を これ ぐらい の 長 さ に ちぎっ て くれ 。 」 
私 たち は とうとう 笑い まし た 。 役人 も 笑っ て い まし た 。 間もなく 役人 たち は 私 たち の やっ た 萱 の 穂 を すっかり その 辺 に 植え て 上 に みんな 蕈 を つき 刺し まし た 。 実に 見事 に は なり まし た が また おかしかっ た の です 。 第 一 萱 が 倒れ て い まし た しき の この ちぎれ た 脚 も 見え て い まし た 。 私 ども は 笑っ て 見 て い ます と 黒 服 の 役人 が むずかしい 顔 を し て 云い まし た 。 
「 さあ 、 お前 たち もう 行っ て くれ 、 この 袋 は やる よ 。 」 
「 うん 、 そう だ 、 そら 、 ご ほうび だ よ 。 」 二 人 は メリケン粉 の 袋 を 私 たち に 投げ まし た 。 
そんな もの 要ら ない と 私 たち は 思い まし た が 役人 が また まじめ に なっ て 恐く なり まし た から だまっ て 受け取り まし た 。 そして 林 を 出 まし た 。 林 を 出る とき ちょっと ふりかえっ て 見 まし たら 二 人 が まっすぐ に 立っ て しきりに その こしらえ た 蕈 の 公園 を ながめ て いる よう でし た が 間もなく 、 
「 だめ だ よ 、 きのこ の ほう は やっぱり だめ だ 。 もし 知れ たら 大 へん だ 。 」 
「 うん 、 どうも あぶない と 僕 も 思っ た 。 こっち は 止そ う 。 とっ て しまお う 。 その 辺 へ かくし て おい て あと で 我 われ が とっ た という こと に し て お嬢さん に でも 上げれ ば いい じゃ ない か 。 その ほう が 安全 だ よ 。 」 という の が はっきり 聞え まし た 。 私 たち は また 顔 を 見合せ まし た 。 
そして 思わず ふき 出し て しまい まし た 。 
それから 一目散 に 遁 げ まし た 。 
けれども もう 役人 は 追っ て 来 ませ ん でし た 。 その 日 の 晩方 おそく 私 たち は ひどく まわり みち を し て うち へ 帰り まし た が 東北 長官 は ひる ころ 野原 へ 着い て 夕方 まで 家族 と 一緒 に 大 へん 面白く 遊ん で 帰っ た という こと を 聞き まし た 。 その 次 の 年 私 ども は 町 の 中学校 に 入り まし た が あの 二 人 の 役人 に も 時々 あい まし た 。 二 人 は ステッキ を ふっ たり 包み を かかえ たり また 競馬 など で 酔っ て 顔 を 赤く し て 叫ん だり し て い まし た 。 私 たち は ちゃんと おぼえ て い た の です 。 けれども 向う で は いつも 、 どうも 見 た こと の ある 子供 だ が 思い出せ ない という よう な 顔 を する の でし た 。 
旧暦 の 六月 二 十 四 日 の 晩 でし た 。 
北上川 の 水 は 黒 の 寒天 より も もっと なめらか に すべり 獅子鼻 は 微か な 星 の あかり の 底 に まっくろ に 突き出 て い まし た 。 
獅子鼻 の 上 の 松林 は 、 もちろん もちろん 、 まっ黒 でし た が それでも 林 の 中 に 入っ て 行き ます と 、 その 脚 の 長い 松の木 の 高い 梢 が 、 一 本 一 本 空 の 天の川 や 、 星座 に すかし 出さ れ て 見え て い まし た 。 
松かさ だ か 鳥 だ か わから ない 黒い もの が たくさん その 梢 に とまっ て いる よう でし た 。 
そして 林 の 底 の 萱 の 葉 は 夏 の 夜 の 雫 を もう ポトポト 落し て 居り まし た 。 
その 松林 の ず うっ と ず うっ と 高い 処 で 誰 か ゴホゴホ 唱え て い ます 。 
「 爾 の 時 に 疾翔大 力 、 爾 迦夷 に 告げ て 曰く 、 諦 に 聴け 、 諦 に 聴け 、 善く これ を 思念 せよ 、 我 今 汝 に 、 梟 鵄諸 の 悪 禽 、 離 苦 解脱 の 道 を 述べん 、 と 。 
爾 迦夷 、 則 ち 、 両翼 を 開張 し 、 虔 しく 頸 を 垂れ て 、 座 を 離れ 、 低く 飛揚 し て 、 疾翔大 力 を 讃 嘆 する こと 三 匝 に し て 、 徐に 座 に 復し 、 拝跪 し て 唯 願う らく 、 疾翔大 力 、 疾翔大 力 、 ただ 我 等 が 為 に 、 これ を 説き たまえ 。 ただ 我 等 が 為 に 、 これ を 説き 給 えと 。 
疾翔大 力 、 微笑 し て 、 金色 の 円光 を以て 頭 に 被れる に 、 その 光 、 遍く 一座 を 照 し 、 諸 鳥 歓喜 充満 せり 。 則 ち 説い て 曰く 、 
汝 等 審 に 諸 の 悪業 を 作る 。 或は 夜陰 を以て 、 小禽 の 家 に 至る 。 時に 小禽 、 既に 終日 日光 に 浴 し 、 歌 唄 跳躍 し て 疲労 を なし 、 唯唯 甘美 の 睡眠 中 に あり 。 汝 等 飛躍 し て これ を 握 む 。 利 爪 深く その 身 に 入り 、 諸 の 小禽 、 痛苦 又 声 を 発する なし 。 則 ち これ を 裂き て 擅 に 食す 。 或は 沼田 に 至り 、 螺 蛤 を 啄む 。 螺 蛤 軟泥中 に あり 、 心 柔 に し て 、 唯 温水 を 憶 う 。 時に 俄 に 身 、 空中 に あり 、 或は 直ちに 身 を 破る 、 悶乱声 を 絶す 。 汝 等 これ を 食する に 、 又 懺悔 の 念 ある こと なし 。 
斯 の 如き の 諸 の 悪業 、 挙げ て 数 うる なし 。 悪業 を以て の 故に 、 更に 又 諸 の 悪業 を 作る 。 継起 し て 遂に 竟 る こと なし 。 昼 は 則 ち 日光 を 懼 れ 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 心 暫く も 安らか なる なし 、 一度 梟 身 を 尽し て 、 又新 に 梟 身 を 得 、 審 に 諸 の 苦患 を 被り て 、 又 尽 る こと なし 。 」 
俄 か に 声 が 絶え 、 林 の 中 は し ぃんとなりました 。 ただ かすか な かすか な すすり泣き の 声 が 、 あちこち に 聞える ばかり 、 たしかに それ は 梟 の お 経 だっ た の です 。 
しばらく たっ て 、 西 の 遠く の 方 を 、 汽車 の ご う と 走る 音 が し まし た 。 その 音 は 、 今度 は 東 の 方 の 丘 に 響い て 、 ご とんご とんと こだま を かえし て 来 まし た 。 
林 は また しずまりかえり まし た 。 よく よく 梢 を すかし て 見 まし たら 、 やっぱり それ は 梟 でし た 。 一疋 の 大きな の は 、 林 の 中 の 一番 高い 松の木 の 、 一番 高い 枝 に とまり 、 その まわり の 木 の あちこち の 枝 に は 、 大きな の や 小さい の や 、 もう たくさん の ふくろう が 、 じっと とまっ て だまっ て い まし た 。 ほんの ときどき 、 かすか な かすか な ため息 の 音 や 、 すすり泣き の 声 が する ばかり です 。 
ゴホゴホ 声 が 又 起り まし た 。 
「 ただ今 の ご 文 は 、 梟 鵄守護 章 と いう て 、 誰 も 存知 の 有り難い お 経 の 中 の 一 とこ じゃ 。 ただ今 から 、 暫時 の 間 、 その ご 文 の 講釈 を 致す 。 みなの衆 、 よ うく 心 を 留め て 聞かしゃ れ 。 折角 鳥 に 生れ て 来 て も 、 ただ 腹 が 空い た 、 取っ て 食う 、 睡 く なっ た 、 巣 に 入る で は なん の 所詮 も ない こと じゃ ぞ よ 。 それ も 鳥 に 生れ て ただ やすやす と 生きる と いう て も 、 まこと は ただ の 一 日 とても 、 ただ ごと で は ない の ぞ よ 、 こちら が 一 日 生きる に は 、 雀 や つぐみ や 、 た に し や みみず が 、 十 や 二 十 も 殺さ れ ね ば なら ぬ 、 ただ今 の ご 文 に あら し ゃるとおりじゃ 。 ここ の 道理 を よく 聴き わけ て 、 必 ら ず うかうか 短い 一生 を あ だに すごす で は ない ぞ よ 。 これから ご 文 に 入る じゃ 。 子供 ら も 、 こらえ て 睡る で は ない ぞ 。 よし か 。 」 
林 の 中 は 又 しいんと なり まし た 。 さっき の 汽車 が 、 まだ 遠く の 遠く の 方 で 鳴っ て い ます 。 
「 爾 の 時 に 疾翔大 力 、 爾 迦夷 に 告げ て 曰く と 、 ま づ 疾翔大 力 と は 、 いかなる お方 じゃ か 、 それ を 話さ なけれ ば ならん じゃ 。 
疾翔大 力 と 申しあげる は 、 施身大 菩薩 の こと じゃ 。 もと 鳥 の 中 から 菩提心 を 発し て 、 発願 し た 大力 の 菩薩 じゃ 。 疾翔 と は 早く 飛ぶ という こと じゃ 。 捨身 菩薩 が もと の 鳥 の 形 に 身 を なし て 、 空 を お 飛び に なる とき は 、 一 揚 と いう て 、 一 はばたき に 、 六 千 由旬 を 行き なさる 。 その いわれ より 疾翔 と 申さ るる 、 大力 という は 、 お 徳 によって 、 たとえ 火 の 中 水 の 中 、 ただ この 菩薩 を 念ずる もの は 、 捨身 大 菩薩 、 必 ら ず 飛び込ん で 、 お 救い に なり 、 その 浄 明 の 天上 に お 連れ なさる 、 その 時 火 に 入っ て 身の毛 一つ も 傷 か ず 、 水 に 潜っ て 、 羽 、 塵 ほど も ぬれ ぬ という 、 その お 徳 を ば 、 大力 とこう 申しあげる の じゃ 。 され ば 疾翔大 力 と は 、 捨身 大 菩薩 を 、 鳥 より 申しあげる 別 号 じゃ 、 まあ そう 申し て は 失礼 なれ ど 、 鳥 より 仰ぎ 奉る 一つ の あだ名 じゃ と 、 斯 う 考え て よろしかろ う 。 」 
声 が しばらく とぎれ まし た 。 林 は しいんと なり まし た 。 ただ 下 の 北上川 の 淵 で 、 鱒 か 何 か の はねる 音 が 、 バチャン と 聞え た だけ でし た 。 
梟 の 、 きっと 大僧正 か 僧正 でしょ う 、 坊さん の 講義 が 又 はじまり まし た 。 
「 さらば 疾翔大 力 は 、 いか なれ ば と て 、 われわれ 同様 賤 しい 鳥 の 身分 より 、 その 様 なる 結構 の お 身 と なら れ た か 。 結構 の こと じゃ 。 ご 自分 も 又 ほか の 一切 の もの も 、 本願 の ご とく に お 救い なさ れる こと な の じゃ 。 さほど 尊い ご 身分 に いか な こと で なら れ た か と なれ ば 、 なかなか 容易 の こと で は あら ぬ ぞ よ 。 疾翔大 力 さま は もと は 一疋 の 雀 で ござら し ゃったのじゃ 。 南 天竺 の 、 ある 家 の 棟 に 棲ま われ た 。 ある 年 非常 な 饑饉 が 来 て 、 米 も とれ ね ば 木の実 も なら ず 、 草 さえ 枯れ た こと が ござっ た 。 鳥 も け もの も 、 みな 飢え死に じゃ 人 も ばたばた 倒れ た じゃ 。 もう 炎天 と 飢渇 の 為 に 人 に も 鳥 に も 、 親 兄弟 の 見 さかい なく 、 この世 から なる 餓鬼 道 じゃ 。 その 時 疾翔大 力 は 、 まだ 力 ない 雀 で ござら し ゃったなれど 、 つくづく これ を ご覧 じ て 、 世 の 浅間 し さ はかな さ に 、 泪 を ながし て いら しゃれ た 。 中 に も その 家 の 親子 二 人 、 子 は まだ 六つ に なる なら ず 、 母親 とても その 大 飢渇 に 、 どこ から 食 を 得る で なし 、 もう あす あす に 二 人 もろ とも 見す見す 餓死 を 待っ た の じゃ 。 この 時 、 疾翔大 力 は 、 上 より これ を ながめ られ あまり の こと に しばし は 途方 に くれ なさ れ た が 、 日ごろ の 恩 を 報ずる は 、 ただ この 時 と 勇み たち 、 つかれ た 羽 を うち のばし 、 はるか 遠く の 林 まで 、 親子 の 食 を たずね たげ な 。 一念 天 に 届い た か 、 ある 大林 の その 中 に 、 名 さえ も 知ら ぬ 木 なれ ども 、 色 も におい も いと 高き 、 十 の 木の実 を お 見附 けなさ れ た じゃ 。 され ば もはや 疾翔大 力 は 、 われ を 忘れ て 、 十 たび その 実 を おの が あるじ の 棟 に 運び 、 親子 の 上 より 落さ れ た じゃ 。 その 十 たび 目 は 、 あまり の 飢え と 身 に あまる 、 その 実 の 重 さ に まなこ も くらみ 、 五 たび 土 に 落ち たれ ど 、 ただ 報恩 の 一念 に 、 つい ご 自分 に は その 実 を 啄み なさら な ん だ 、 おもい と どい て その 十 番目 の 実 を 、 無事 に 親子 に 届け た とき 、 あまり の 疲れ と 張りつめ た 心 の ゆるみ に 、 つい そのまま に お 倒れ なされ た じゃ 。 さ れ ども やや あっ て 正気 に 復し 下 の 模様 を 見 て あれ ば 、 いかにも その 子 は 勢 も 増し 、 ただ い た け なく 悦ん で いる 如く なれ ども 、 親 は かの 実 も 自ら は 口 に せ な ん じゃ 、 いよいよ 餓え て 倒れる よう す 、 疾翔大 力 これ を 見 て 、 はや この 上 は この 身 を以て 親 の 餌食 と なら ん もの と 、 いきなり 堅く 身 を ちぢめ 、 息 を 殺し て はり より 床 へ と 落ち なされ た の じゃ 。 その 痛 さ より 、 身 は 砕く る か と 思え ども 、 なおも 命 は あら し ゃった 。 さ れ ども 慈悲 も ある 人 の 、 生き た と 見 て は とても 食べ は せ まい と て 、 息 を 殺し 眼 を つぶっ て い られ た じゃ 。 そして とうとう 願 かなっ て その 親子 を ば 養わ れ た じゃ 。 その 功徳 より 、 疾翔大 力 様 は 、 ついに 仏 に あわ れ た じゃ 。 そして 次第に 法力 を 得 て 、 やがて は さき に も 申し た 如く 、 火 の 中 に 入れ ども その 毛 一つ も 傷つか ず 、 水 に 入れ ども その 羽 一つ ぬれ ぬ という 、 大力 の 菩薩 と なら れ た じゃ 。 今 この ご 文 は 、 この 大 菩薩 が 、 悪業 の われ ら を あわれみ て 、 救護 の 道 を ば 説か しゃれ た 。 その 始め の 方 じゃ 。 しばらく 休ん で 次 の 講座 で 述べる と いたす 。 
南無 疾翔大 力 、 南無 疾翔大 力 。 
みなの衆 しばらく ゆるり と やすみ なされ 。 」 
いちばん 高い 木 の 黒い 影 が 、 ばたばた 鳴っ て 向う の 低い 木 の 方 へ 移っ た よう でし た 。 やっぱり ふくろう だっ た の です 。 
それ と 同時に 、 林 の 中 は 俄 か に ばさばさ 羽 の 音 が し たり 、 嘴 の カチカチ 鳴る 音 、 低く ごろごろ つぶやく 音 など で 、 一 杯 に なり まし た 。 天の川 が 大分 まわり 大熊 星 が チカチカ またたき 、 それから 東 の 山脈 の 上の空 は ぼ おっ と 古めかしい 黄金 いろ に 明るく なり まし た 。 
前 の 汽車 と 停車場 で 交換 し た の でしょ う か 、 こんど は 南 の 方 へ ごと ごと 走る 音 が し まし た 。 何だか 車 の ひびき が 大 へん 遅く 貨物 列車 らしかっ た の です 。 
その とき 、 黒い 東 の 山脈 の 上 に 何 か ちらっと 黄いろ な 尖っ た 変 な かたち の もの が あらわれ まし た 。 梟 ども は 俄 に ざわっとしました 。 二 十 四 日 の 黄金 の 角 、 鎌 の 形 の 月 だっ た の です 。 忽ち すうっ と 昇っ て しまい まし た 。 沼 の 底 の 光 の よう な 朧 な 青い あかり が ぼ おっ と 林 の 高い 梢 に そそぎ 一疋 の 大きな 梟 が 翅 を ひるがえし て いる の も ひらひら 銀 いろ に 見え まし た 。 さっき の 説教 の 松の木 の まわり に なっ た 六 本 に は どれ に も 四 疋 から 八 疋 ぐらい まで 梟 が とまっ て い まし た 。 低く 出 た 三 本 の ならん だ 枝 に 三 疋 の 子供 の 梟 が とまっ て い まし た 。 きっと 兄弟 だっ た でしょ う が どれ も 銀 いろ で 大 さ は みな 同じ でし た 。 その 中 で こちら の 二 疋 は 大分 厭き て いる よう でし た 。 片 っ 方 の 翅 を ひらい たり 、 片 脚 で ぶるぶる 立っ たり 、 枝 へ 爪 を 引っかけ て くる っと 逆さ に なっ て 小笠原 島 の こうもり の まね を し たり し て い まし た 。 
それから 何 か 云っ て い まし た 。 
「 そら 、 大の字 やっ て 見せよ う か 。 大の字 なんか 何 で も ない よ 。 」 
「 大の字 なんか 、 僕 だって でき ら あ 。 」 
「 できる かい 。 できる なら やっ て ごらん 。 」 
「 そら 。 」 その 小さな 子供 の 梟 は ほんの 一寸 の 間 、 消防 の やる よう な 逆さ 大の字 を やり まし た 。 
「 何 だい 。 それ ばっか し かい 。 それ ばっか し かい 。 」 
「 だって 、 やっ た ん なら いい ん だろ う 。 」 
「 大の字 に なら なかっ たい 。 ただ の 十 の 字 だったい 、 脚 が 開か ない じゃ ない か 。 」 
「 おい 、 おとなしく しろ 。 みんな に 笑われる ぞ 。 」 すぐ 上 の 枝 に 居 た お父さん の ふくろう が その 大きな ぎらぎら 青 びかりする 眼 で こっち を 見 ながら 云い まし た 。 眼 の まわり の 赤い 隈 も はっきり 見え まし た 。 
ところが なかなか 小さな 梟 の 兄弟 は 云う こと を きき ませ ん でし た 。 
「 十 の 字 、 ほう 、 たて の 棒 の 二つ ある 十 の 字 が ある だろ う か 。 」 
「 二つ に 開か なかっ たい 。 」 
「 開い た よ 。 」 
「 何だ 生意気 な 。 」 もう 一疋 は 枝 から とび 立ち まし た 。 もう 一疋 も とび 立ち まし た 。 二 疋 は ばたばた 、 けり 合っ て はね が 月 の 光 に 銀色 に ひるがえり ながら 下 へ 落ち まし た 。 
おっかさん の ふくろう らしい さっき の お父さん の と ならん で い た 茶 いろ の 少し 小型 の が すうっ と 下 へ おり て 行き まし た 。 それから 下 の 方 で 泣声 が 起り まし た 。 けれども 間もなく おっかさん の 梟 は もと の 処 へ とびあがり 小さな 二 疋 も のぼっ て 来 て 二 疋 とも もと の ところ へ とまっ て 片 脚 で 眼 を こすり まし た 。 お母さん の 梟 が も 一度 叱り まし た 。 その 眼 も 青く ぎらぎら し まし た 。 
「 ほんとう に お前 た ちっ たら 仕方 ない ねえ 。 みなさん の 見 て いらっしゃる 処 で もうすぐ きっと 喧嘩 する ん だ もの 。 なぜ 穂 吉 ちゃん の よう に 、 じっと おとなしく し て い ない ん だろ う ねえ 。 」 
穂 吉 と 呼ば れ た 梟 は 、 三 疋 の 中 で は 一番 小さい よう でし た が 一番 温和 しいよ う でし た 。 じっと まっすぐ を 向い て 、 枝 に とまっ た まま 、 はじめ から おしまい まで 、 しん として い まし た 。 
その 木 の 一番 高い 枝 に とまり から だ 中 銀 いろ で 大きく 頬 を ふくらせ 今 の 講義 の やすみ の ひま を 水銀 の よう な 月光 を あ びてゆらりゆらりといねむりしているのはたしかに 梟 の おじいさん でし た 。 
月 は もう 余程 高く なり 、 星座 も ずいぶん めぐり まし た 。 蝎座 は 西 へ 沈む とこ でし た し 、 天の川 も すっかり 斜め に なり まし た 。 
向う の 低い 松の木 から 、 さっき の 年 老 り の 坊さん の 梟 が 、 斜 に 飛ん で さっき の 通り 、 説教 の 枝 に とまり まし た 。 
急 に 林 の ざわざわ が やん で 、 しずか に しずか に なり まし た 。 風 の ため か 、 今 まで 聞え なかっ た 遠く の 瀬 の 音 が 、 ひびい て 参り まし た 。 坊さん の 梟 は ゴホンゴホン と 二つ 三つ せ き ば らい を し て 又 はじめ まし た 。 
「 爾 の 時 に 、 疾翔大 力 、 爾 迦夷 に 告げ て 曰く 、 諦 に 聴け 、 諦 に 聴け 。 善く これ を 思念 せよ 。 我 今 汝 に 、 梟 鵄諸 の 悪 禽 、 離 苦 解脱 の 道 を 述べん と 。 
爾 迦夷 、 則 ち 両翼 を 開張 し 、 虔 しく 頸 を 垂れ て 座 を 離れ 、 低く 飛揚 し て 疾翔大 力 を 讃 嘆 する こと 三 匝 に し て 、 徐に 座 に 復し 、 拝跪 し て 唯 願う らく 、 疾翔大 力 、 疾翔大 力 、 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給え 。 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給 えと 。 
疾翔大 力 微笑 し て 、 金色 の 円光 を以て 頭 に 被れる に 、 その 光 遍く 一座 を 照 し 、 諸 鳥 歓喜 充満 せり 。 則 ち 説い て 曰く 、 
汝 等 審 に 諸 の 悪業 を 作る 。 或は 夜陰 を以て 小禽 の 家 に 至る 。 時に 小禽 既に 終日 日光 に 浴 し 、 歌 唄 跳躍 し て 疲労 を なし 、 唯唯 甘美 の 睡眠 中 に あり 。 汝 等 飛躍 し て これ を 握 む 。 利 爪 深く その 身 に 入り 、 諸 の 小禽 痛苦 又 声 を 発する なし 。 則 ち これ を 裂き て 擅 に 食す 。 或は 沼田 に 至り 、 螺 蛤 を 啄む 。 螺 蛤 軟泥中 に あり 、 心 柔 に し て 、 唯 温水 を 憶 う 。 時に 俄 に 身空 中 に あり 、 或は 直ちに 身 を 破る 、 悶乱声 を 絶す 。 汝 等 これ を 食する に 、 又 懺悔 の 念 ある こと なし 。 
斯 の 如き の 諸 の 悪業 、 挙げ て 数 うる なし 。 悪業 を以て の 故に 、 更に 又 諸 の 悪業 を 作る 。 継起 し て 遂に 竟 る こと なし 。 昼 は 則 ち 日光 を 懼 れ 、 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 心 暫 らく も 安らか なる こと なし 、 一度 梟 身 を 尽し て 、 又新 に 梟 身 を 得 。 審 に 諸 の 苦患 を 被り て 又 尽く る こと なし 。 で 前 の 座 で は 、 捨身 菩薩 を 疾翔大 力 と 呼 びあげるわけあい 又 、 その 願 成 の 因縁 を お話 いたし た じゃが 、 次に 爾 迦夷 に 告げ て 曰く と ある 。 爾 迦夷 という は この とき 我 等 と 同様 梟 じゃ 。 われ ら の ご 先祖 と 、 一緒 に お 棲 いなさ れ た お方 じゃ 。 今 でも 爾 迦夷上 人 と 申しあげ て 、 毎日 十 三 日 が ご 命日 じゃ 。 いずれ の 家 で も 、 梟 の 限り は 、 十 三 日 に は 楢 の 木の葉 を 取 て 参 て 、 爾 迦夷上 人さま に さしあげる という こと を やる じゃ 、 これ は 爾 迦夷 さま が 楢 の 木 に お 棲 いなさ れ た から じゃ 。 この 爾 迦夷 さま は 、 早くから 梟 の 身 の あさましい こと を ご 覚悟 遊ばさ れ 、 出離 の 道 を 求め られ た じゃ げ な が 、 とうとう その 一心 の 甲斐 あっ て 、 疾翔大 力 さま に めぐりあい 、 ついに その 尊い 教 を 聴聞 あっ て 、 天上 へ 行か しゃれ た 。 その 爾 迦夷 さま へ の ご 説法 じゃ 。 諦 に 聴け 、 諦 に 聴け 。 善く これ を 思念 せよ と 。 心 を しずめ て よく 聴けよ 、 心 を しずめ て よく 聴けよ と 斯 う じゃ 。 いずれ の 説法 の 座 で も 、 よく よく 心 を しずめ 耳 を すまし て 聴く こと は 大切 な の じゃ 。 上の空 で 聞い て い た で は 何 に も なら ぬ じゃ 。 」 
ところが この とき 、 さっき の 喧嘩 を し た 二 疋 の 子供 の ふくろう が もう 説教 を 聴く の は 厭き て お 互に ら め くら を はじめて い まし た 。 そこ は 茂り あっ た 枝 の かげ で 、 まっ くら でし た が 、 二 疋 は どっち も あら ん かぎり りん と 眼 を 開い て い まし た ので 、 ぎろぎろ 燐 を 燃し た よう に 青く 光り まし た 。 そこで とうとう 二 疋 とも 一 ぺん に 噴き出し て 一緒 に 、 
「 お前 の 眼 は 大きい ねえ 。 」 と 云い まし た 。 
その 声 は 幸 に 少し つん ぼ の 梟 の 坊さん に は 聞え ませ ん でし た が 、 ほか の 梟 たち は みんな こっち を 振り向き まし た 。 兄弟 の 穂 吉 という 梟 は 、 そこで 大 へん きまり 悪く 思っ て もじもじ し ながら 頭 だけ は じっと 垂れ て い まし た 。 二 疋 は みんな の こっち を 見る の を 枝 の かげ に なっ て かくれる よう に し ながら 、 
「 おい 、 もう 遁 げ て 遊び に 行こ う 。 」 
「 どこ へ 。 」 
「 実相寺 の 林 さ 。 」 
「 行こ う か 。 」 
「 うん 、 行こ う 。 穂 吉 ちゃん も 行か ない か 。 」 
「 ううん 。 」 穂 吉 は 頭 を ふり まし た 。 
「 我 今 汝 に 、 梟 鵄諸 の 悪 禽 、 離 苦 解脱 の 道 を 述べ ん という こと は 。 」 説教 が 又 続き まし た 。 二 疋 は もう そっと 遁 げ 出し 、 穂 吉 は いよいよ 堅く なっ て 、 兄弟 三 人 分 一 人 で 聴こ う という 風 でし た 。 
その 次 の 日 の 六月 二 十 五 日 の 晩 でし た 。 
丁度 ゆうべ と 同じ 時刻 でし た のに 、 説教 は まだ 始まら ず 、 あの 説教 の 坊さん は 、 眼 を 瞑っ て だまっ て 説教 の 木 の 高い 枝 に とまり 、 まわり に ゆうべ と 同じ に とまっ た 沢山 の 梟 ども は なぜ か 大 へん みな 興奮 し て いる 模様 でし た 。 女 の ふくろう に は おろおろ 泣い て いる の も あり まし た し 、 男 の ふくろう は もう とても 斯 うし て い られ ない という よう に プリプリ し て い まし た 。 それに あの ゆうべ の 三 人 兄弟 の 家族 の 中 で は 一番 高い 処 に 居る おじいさん の 梟 は もう すっかり 眼 を 泣きはらし て 頬 が 時々 びく びく 云い 、 泪 は 声 なく その 赤く ふくれ た 眼 から 落ち て い まし た 。 
もちろん ふくろう の お母さん は しくしく しくしく 泣い て い まし た 。 乱暴 もの の 二 疋 の 兄弟 も 不思議 に その 晩 は きちんと 座っ て 、 大きな 眼 を じっと 下 に 落し て い まし た 。 又 ふくろう の お父さん は 、 しきりに 西 の 方 を 見 て い まし た 。 けれども 一体 どう し た の か あの 温和 しい 穂 吉 の 形 が 見え ませ ん でし た 。 風 が 少し 出 て 来 まし た ので 松 の 梢 は みな しずか に ゆすれ まし た 。 
空 に は 所々 雲 も うかん で いる よう でし た 。 それ は 星 が あちこち め くら に でも なっ た よう に 黒く て 光っ て い なかっ た から です 。 
俄 か に 西 の 方 から 一疋 の 大きな 褐色 の 梟 が 飛ん で 来 まし た 。 そして みんな の 入口 の 低い 木 に とまっ て 声 を ひそめ て 云い まし た 。 
「 やっぱり 駄目 だ 。 穂 吉 さん も もう あきらめ て いる よう だ よ 。 さっき まで は ばたばた ばたばた 云っ て い た けれども 、 もう 今 は おとなしく 臼 の 上 に とまっ て いる よ 。 それから 紐 が 何だか 変っ た よう だ よ 。 前 は 右足 だっ た が 、 今度 は 左 脚 に 結い つけ られ て 、 それ に 紐 の 色 が 赤い ん だ 。 けれども ただ ひとつ いい こと は 、 みんな 大抵 寝 て しまっ た ん だ 。 さっき まで 穂 吉 さん の 眼 を 指 で 突っつこ う と し た 子供 など は 、 腹 かけ だけ し て 、 大の字 に なっ て 寝 て いる よ 。 」 
穂 吉 の お母さん の 梟 は 、 まるで 火 が つい た よう に 声 を あげ て 泣き まし た 。 それ につれて 林 中 の 女 の ふくろう が みなし いん しいんと 泣き まし た 。 
梟 の 坊さん は 、 じっと 星 ぞ ら を 見 あげ て 、 それから しずか に たずね まし た 。 
「 この 世界 は 全く この 通り じゃ 。 ただ もう みんな かなしい こと ばかり な の じゃ 。 どうして 又 あんな おとなしい 子 が 、 人 に つかまる よう な 処 に 出 た もん じゃろ う なあ 。 」 
説教 の 木 の となり に 居 た 鼠 いろ の 梟 は 恭 々 しく 答え まし た 。 
「 今朝 あけ 方 近く なっ て から 、 兄弟 三 人 で 出掛け た そう で ござい ます 。 いつも 人 の 来る よう な 処 で は なかっ た の で ござい ます 。 そのうち 朝日 が 出 まし た ので 、 眩し さ に 三 疋 とも 、 しばらく 眼 を 瞑っ て い た そう で ござい ます 。 する と 、 丁度 子供 が 二 人 、 草刈り に 来 て 居 まし た そう で 、 穂 吉 も それ を 知ら ない うち に 、 一 人 が そっと のぼっ て 来 て 、 穂 吉 の 足 を 捉 まえ て しまっ た と 申し ます 。 」 
「 ああ あ われ な こと じゃ 、 ふびん な はなし じゃ 、 あんな おとなしい いい 子 で も 、 何 の 因果 じゃ やら 。 できる なれ ば わし など で 代っ て やり たい じゃ 。 」 
林 は また しいんと なり まし た 。 しばらく たっ て 、 また ばたばた と 一疋 の 梟 が 飛ん で 戻っ て 参り まし た 。 
「 穂 吉 さん はね 、 臼 の 上 を あるい て い た よ 。 あの 赤 の 紐 を 引き裂こ う と し て い た よう だっ た けれど 、 なかなか 容易 じゃ ない ん だ 。 私 は もう 、 どこ か 隙間 から 飛び込ん で 行っ て 、 手伝っ て あげよ う と 、 何 べ ん も 何 べ ん も 家 の まわり を 飛ん で 見 た けれど 、 どこ に も あい てる 所 は ない ん だろ う 。 ほんとう に 可哀そう だ ねえ 、 穂 吉 さん は 、 けれども 泣い ちゃ い ない よ 。 」 
梟 の お母さん が 、 大きな 眼 を 泣い て まぶし そう に しょぼしょぼ し ながら 訊ね まし た 。 
「 あの 家 に 猫 は 居 ない よう で ござい まし た か 。 」 
「 ええ 、 猫 は 居 なかっ た よう です よ 。 きっと 居 ない ん です 。 ずいぶん 暫 らく 、 私 は のぞい て い た ん です けれど 、 とうとう 見え なかっ た の です から 。 」 
「 そん なら まあ 安心 で ござい ます 。 ほんとう に みなさま に 飛ん だ ご 迷惑 を かけ て お 申し訳 け も ござい ませ ん 。 みんな 穂 吉 の 不注意 から で ござい ます 。 」 
「 いいえ 、 いいえ 、 そんな こと は あり ませ ん 。 あんな 賢い お子さん で も 災難 という もの は 仕方 あり ませ ん 。 」 
林 中 の 女 の ふくろう が まるで 口口 に 答え まし た 。 その 音 は 二 町 ばかり 西 の 方 の 大きな 藁 屋根 の 中 に 捕われ て いる 穂 吉 の 処 まで 、 ほんの かすか に でし た けれども 聞え た の です 。 
ふくろう の おじいさん が 度々 声 が かすれ ながら ふくろう の お父さん に 云い まし た 。 
「 もう そう なっ て は 仕方 ない 。 お前 は 行っ て 穂 吉 に そっと 教え て やっ たら よかろ う 、 もうこ の 上 は 決して ばたばた もがい たり 、 怒っ て 人 に 噛み付い たり し て は いけ ない 。 今日 中 誰 も お前 を 殺さ ない 処 を 見る と 、 きっと 田螺 か 何 か で 飼っ て 置く つもり だろ う から 、 今 まで の よう に 温和 し くし て 、 決して 人 に 逆 う な 、 と な 。 斯 う 云っ て 教え て 来 たら よかろ う 。 」 
梟 の お父さん は 、 首 を 垂れ て だまっ て 聴い て い まし た 。 梟 の 和尚 さん も 遠く から これ に できる だけ 耳 を 傾け て い まし た が 大体 その わけ が わかっ た らしく 言い 添え まし た 。 
「 そう じゃ 、 そう じゃ 。 いい 分別 じゃ 。 序 に 斯 う 教え て 来 なされ 。 この よう な ひどい 目 に おう て 、 何 悪い こと し た むくい じゃ と 、 恨む よう な こと が あっ て は なら ぬ 。 この世 の 罪 も 数 知ら ず 、 さき の 世 の 罪 も 数 かぎり ない 事 じゃ ほど に 、 この 災難 も ある の じゃ と 、 よく あきらめ て 、 あんまり ひとり 嘆く で ない 、 あんまり 泣け ば 心 も 沈み 、 からだ も とかく 損ねる じゃ 、 たとえ 足 に は 紐 が ある とも 、 今 ここ へ 来 て 、 はじめて とまっ た 処 じゃ と 、 いつも 気軽 で いね ば なら ぬ 、 と な 、 斯 う 云う て 下され 。 ああ 、 さ れ ども 、 さ れ ども 、 とら れ た 者 は 又 別 じゃ 。 何 の さわり も 無い もの が 、 と や 斯 う 言う て も 、 何 に も なら ぬ 。 ああ 可哀そう な こと じゃ 不愍 な こと じゃ 。 」 
お父さん の 梟 は 何 べ ん も 頭 を 下げ まし た 。 
「 ありがとう ござい ます 。 ありがとう ござい ます 。 もう きっと そう 申し伝え て 参り ます 。 斯 ん なお 語 を 伝え聞い たら 、 もう 死ん で も よい と 申し ます で ござい ましょ う 。 」 
「 いや 、 いや 、 そう じゃ 。 斯 う も 云う て 下され 。 いくら 飼わ れる とき まっ て も 、 子供 心 は もとより 一向 たより ない もの 、 又 近く に は 猫 犬 など も 居る こと じゃ 、 もし 万一 の 場合 は 、 ただ あの 疾翔大 力 の おん 名 を 唱え なされ と な 。 そう 云う て 下され 。 おお 不愍 じゃ 。 」 
「 ありがとう ござい ます 。 で は 行っ て 参り ます 。 」 
梟 の お母さん が 、 泣き むせび ながら 申し まし た 。 
「 ああ 、 もし どうぞ 、 いのち の ある 間 は 朝夕 二 度 、 私 に 聞える よう 高く 啼い て 呉れ と おっしゃっ て 下さい ませ 。 」 
「 いい よ 。 では みなさん 、 行っ て 参り ます 。 」 
梟 の お父さん は 、 二 三 度 羽ばたき を し て 見 て から 、 音 も なく 滑る よう に 向う へ 飛ん で 行き まし た 。 梟 の 坊さん が それ を じっと 見送っ て い まし た が 、 俄 かに から だ を りん と し て 言い まし た 。 
「 みなの衆 。 いつ まで 泣い て も はて ない じゃ 。 ここ の 世界 は 苦界 という 、 又 忍 土 と も 名づける じゃ 。 みんな せつない こと ばかり 、 涙 の 乾く ひま は ない の じゃ 。 ただ この 上 は 、 われ ら と 衆生 と 、 早く この 苦 を 離れる 道 を 知る の が 肝要 じゃ 。 この 因縁 で みなの衆 も 、 よく よく 心 を ひそめ て 聞き なされ 。 ただ 一 人 でも 穂 吉 の こと から 、 まことに 菩提 の 心 を 発す なれ ば 、 穂 吉 の 功徳 又 この 座 の みなの衆 の 功徳 、 かぎり も あら ぬ こと なれ ば 、 必 ら ず とくと 聴聞 なさ れ や 。 昨夜 の 続き を 講じ ます 。 
爾 の 時 に 疾翔大 力 、 爾 迦夷 に 告げ て 曰く 、 諦 に 聴け 、 諦 に 聴け 。 善く これ を 思念 せよ 。 我 今 汝 に 、 梟 鵄諸 の 悪 禽 、 離 苦 解脱 の 道 を 述べん と 。 
爾 迦夷 、 則 ち 両翼 を 開張 し 、 虔 しく 頸 を 垂れ て 座 を 離れ 、 低く 飛揚 し て 疾翔大 力 を 讃 嘆 する こと 三 匝 に し て 、 徐に 座 に 復し 、 拝跪 し て 唯 願う らく 、 疾翔大 力 、 疾翔大 力 、 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給え 。 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給 えと 。 
疾翔大 力 微笑 し て 、 金色 の 円光 を以て 頭 に 被れる に 、 その 光 遍く 一座 を 照 し 、 諸 鳥 歓喜 充満 せり 。 則 ち 説い て 曰く 、 
汝 等 審 に 諸 の 悪業 を 作る 。 或は 夜陰 を以て 小禽 の 家 に 至る 。 時に 小禽 既に 終日 日光 に 浴 し 、 歌 唄 跳躍 し て 疲労 を なし 、 唯唯 甘美 の 睡眠 中 に あり 、 汝 等 飛躍 し て これ を 握 む 。 利 爪 深く その 身 に 入り 、 諸 の 小禽 痛苦 又 声 を 発する なし 。 則 ち これ を 裂き て 擅 に 食す 。 或は 沼田 に 至り 螺 蛤 を 啄む 。 螺 蛤 軟泥中 に あり 、 心 柔 に し て 唯 温水 を 憶 う 。 時に 俄 に 身空 中 に あり 、 或は 直ちに 身 を 破る 、 悶乱声 を 絶す 。 汝 等 これ を 食する に 、 又 懺悔 の 念 ある こと なし 。 
斯 の 如き の 諸 の 悪業 、 挙げ て 数 うる なし 。 
悪業 を以て の 故に 、 更に 又 諸 の 悪業 を 作る 。 継起 し て 遂に 竟 る こと なし 。 昼 は 則 ち 日光 を 懼 れ 、 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 心 暫 らく も 安らか なる こと なし 。 一度 梟 身 を 尽し て 、 又新 に 梟 身 を 得 、 審 に 諸 の 患難 を 被り て 、 又 尽く る こと なし 。 
で 前 の 晩 は 、 諸 鳥 歓喜 充満 せり まで 、 文 の 如く に 講じ た が 、 此 の 席 は その 次 じゃ 。 則 ち 説い て 曰く と 、 これ は 疾翔大 力 さま が 、 爾 迦夷上 人 の ご 懇請 によって 、 直ちに 説法 を なさ れ た と 斯 う じゃ 。 汝 等 審 に 諸 の 悪業 を 作る と 。 汝 等 という は 、 元来 は われわれ 梟 や 鵄 など に対して 申さ るる の じゃ が 、 ご 本意 は 梟 に ある の じゃ 、 あと の ご 文 の 罪 相 を 拝 する に 、 みな われわれ の こと じゃ 。 悪業 という は 、 悪 は 悪い じゃ 、 業 と は 梵語 で カルマ と いう て 、 すべて 過去 に なし たる こと の まだ 報 と なっ て あらわれ ぬ を 業 という 、 善 業 悪業 ある じゃ 。 ここ で は 悪業 と いう 。 その 事柄 を 次に あげ なされ た じゃ 。 或は 夜陰 を以て 、 小禽 の 家 に 至る と 。 みなの衆 、 他 人事 で は ない ぞ よ 。 よく よく 自ら の 胸 に たずね て 見なさ れ 。 夜陰 と は 夜 の くら やみ じゃ 。 以 て と は 、 これ に 乗じ て と いう が よう の 意味 じゃ 。 夜 の くら やみ に 乗じ て と 、 斯 う じゃ 。 小禽 の 家 に 至る 。 小禽 と は 、 雀 、 山雀 、 四十雀 、 ひ わ 、 百舌 、 みそさざい 、 かけす 、 つぐみ 、 すべて 形 小 に し て 、 力 ない もの は 、 みな 小禽 じゃ 。 その 形 小さく 力 無い 鳥 の 家 に 参る という の じゃ が 、 参る と いう て も ただ 訪ね て 参る で も なけれ ば 、 遊び に 参る で も ない じゃ 、 内 に 深く 残忍 の 想 を 潜め 、 外 又 恐る べく 悲しむ べき 夜叉 相 を 浮べ 、 密やか に 忍ん で 参る と 斯 う 云う こと じゃ 。 この ご 説法 の ころ は 、 われ ら の 心 も 未だ 仲 々 善心 も あっ た じゃ 、 小禽 の 家 に 至る と お 説き なされ ば 、 はや 聴法 の 者 、 みな 慄然 として 座 に 耐え なかっ た じゃ 。 今 は 仲 々 そう で ない 。 今 なら ば 疾翔大 力 さま 、 まだまだ 強く 烈しく ご 説法 で あろ う ぞ よ 。 みなの衆 、 よく よく 心 に しみ て 聞い て 下され 。 
次 の ご 文 は 、 時に 小禽 既に 終日 日光 に 浴 し 、 歌 唄 跳躍 し て 、 疲労 を なし 、 唯々 甘美 の 睡眠 中 に あり 。 他 人事 で は ない ぞ よ 。 どう じゃ 、 今朝 も 今朝 と て 穂 吉 どの 処 を 替え て この 身の上 じゃ 、 」 
説教 の 坊さん の 声 が 、 俄 に おろおろ し て 変り まし た 。 穂 吉 の お母さん の 梟 は まるで 帛 を 裂く よう に 泣き 出し 、 一座 の 女 の 梟 は 、 たちまち それ に 従い て 泣き まし た 。 
それから 男 の 梟 も 泣き まし た 。 林 の 中 は ただ むせび泣く 声 ばかり 、 風 も 出 て 来 て 、 木 は みな ぐらぐら ゆれ まし た が 、 仲 々 誰 も 泣き やみ ませ ん でし た 。 星 は だんだん めぐり 、 赤い 火星 も もう 西 ぞ ら に 入り まし た 。 
梟 の 坊さん は しばらく ゴホゴホ 咳嗽 を し て い まし た が 、 やっと 心 を 取り直し て 、 又 講義 を つづけ まし た 。 
「 みなの衆 、 まず 試し に 、 自分 が みそさざい に でも なっ た と 考え て ご覧 じ 。 な 。 天道 さま が 、 東 の 空 へ 金色 の 矢 を 射 なさる じゃ 、 林 樹 は 青く 枝 は 揺る る 、 楽しく 歌 を ば うたう の じゃ 、 仲よく お うた 友だち と 、 枝 から 枝 へ 木 から 木 へ 、 天道 さま の 光 の 中 を 、 歌っ て 歌っ て 参る の じゃ 、 ひる ごろ なら ば 、 涼しい 葉陰 に しばし やすん で 黙る の じゃ 、 又 ちちと 鳴い て 飛び立つ じゃ 、 空 の 青 板 を めざす の じゃ 、 又 小 流れ に 参る の じゃ 、 心 の 合 うた 友だち と 、 ただ 暫 らく も 離れ ず に 、 歌っ て 歌っ て 参る の じゃ 、 さて お 天道 さま が 、 お かくれ なさ れる 、 からだ は つか れ て とろり と なる 、 油 の ごとく 、 溶ける ごとく じゃ 。 いつか まぶた は 閉じる の じゃ 、 昼 の 景色 を 夢見る じゃ 、 からだ は 枝 に 留まれ ど 、 心 は なおも 飛び めぐる 、 たのしく 甘い つかれ の 夢 の 光 の 中 じゃ 。 その とき 俄 か に ひやりと する 。 夢 かう つつ か 、 愕 き 見れ ば 、 わが身 は 裂け て 、 血 は 流れる じゃ 。 燃える よう なる 、 二つ の 眼 が 光っ て われ を 見 詰む る じゃ 。 どう じゃ 、 声 さえ 発と う に も 、 咽喉 が 狂う て 音 が 出 ぬ じゃ 。 これ が 則 ち 利 爪 深く その 身 に 入り 、 諸 の 小禽 痛苦 又 声 を 発する なし の 意 な の じゃ ぞ 。 さ れ ども これ は 、 取ら るる 鳥 より 見 たる もの じゃ 。 捕る 此方 より 眺 むれ ば 、 飛躍 し て これ を 握 むと 斯 う じゃ 。 何 の 罪 なく 眠れる もの を 、 ただ 一打 と とびかかり 、 鋭い 爪 で その 柔 な 身体 を ちぎる 、 鳥 は 声 さえ よう 発て ぬ 、 こちら は それ を 嘲笑い つつ 、 引き裂く じゃ 。 何たる あ われ の こと じゃ 。 この 身 と て 、 今 は 法師 にて 、 鳥 も 魚 も 襲わ ね ど 、 昔 おもえ ば 身 も 世 も あら ぬ 。 ああ 罪業 の この から だ 、 夜毎 夜毎 の 夢 と て は 、 同じく 夜叉 の 業 を なす 。 宿業 の 恐ろし さ 、 ただただ 呆 るる ばかり な の じゃ 。 」 
風 が ザアッ と やって来 まし た 。 木 は みな 波 の よう に ゆすれ 、 坊さん の 梟 も 、 その 中 に 漂う 舟 の よう に うごき まし た 。 
そして 東 の 山 の はか ら 、 昨日 の 金 角 、 二 十 五 日 の お 月 さま が 、 昨日 より は 又 ず うっ と 瘠せ て 上り まし た 。 林 の 中 は うすい うすい 霧 の よう な もの で いっぱい に なり 、 西 の 方 から あの 梟 の お父さん が しょんぼり 飛ん で 帰っ て 来 まし た 。 
旧暦 六月 二 十 六 日 の 晩 でし た 。 
そら が あんまり よく 霽 れ て もう 天の川 の 水 は 、 すっかり すきとおっ て 冷たく 、 底 の す なごも 数え られる よう 、 また じっと 眼 を つぶっ て いる と 、 その 流れ の 音 さえ も 聞える よう な 気 が し まし た 。 けれども それ は 或は 空 の 高い 処 を 吹い て い た 風の音 だっ た かも 知れ ませ ん 。 なぜなら 、 星 が かげろう の 向う側 に でも ある よう に 、 少し ゆれ たり 明るく なっ たり 暗く なっ たり し て い まし た から 。 
獅子鼻 の 上 の 松林 に は 今夜 も 梟 の 群 が 集まり まし た 。 今夜 は 穂 吉 が 来 て い まし た 。 来 て は い まし た が 一昨日 の 晩 の 処 に で なし に 、 おじいさん の とまる 処 より も もっと 高い ところ で 小さな 枝 の 二 本 行きちがい 、 それから もっと 小さな 枝 が 四 五 本 出 て 、 一寸 盃 の よう な 形 に なっ た 処 へ 、 どこ から 持っ て 来 た か 藁 屑 や 髪の毛 など を 敷い て 臨時 に 巣 が つくら れ て い まし た 。 その 中 に 穂 吉 が 半分 横 に なっ て 、 じっと 目 を つぶっ て い まし た 。 梟 の お母さん と 二 人 の 兄弟 と が 穂 吉 の まわり に 座っ て 、 穂 吉 の からだ を 支える よう に し て い まし た 。 林 中 の ふくろう は 、 今夜 は 一 人 も 泣い て は い ませ ん でし た が 怒っ て いる こと は みんな 、 昨夜 どころ で は あり ませ ん でし た 。 
「 傷み は どう じゃ 。 いくらか 薄らい だ か の 。 」 
あの 坊さん の 梟 が いつも の 高い 処 から やさしく 訊ね まし た 。 穂 吉 は 何 か 云お う と し た よう でし た が 、 ただ 眼 が パチ パチ し た ばかり 、 お母さん が 代っ て 答え まし た 。 
「 折角 こらえ て いる よう で ござい ます 。 よく 物 が 申 せ ない の で ござい ます 。 それでも どうしても 、 今夜 の お 説教 を 聴聞 いたし たい という よう で ござい まし た ので 。 もう どうか かまわ ず ご 講義 を ねがい とう 存じ ます 。 」 
梟 の 坊さん は 空 を 見上げ まし た 。 
「 殊勝 な お 心掛け じゃ 。 それ なれ ば こそ 、 たとえ 脚 を ば 折ら れ て も 、 二度と 父母 の 処 へ も 戻っ た の じゃ 。 なれ ども 健か な 二 本 の 脚 を 、 何 面白い こと も ない に 、 捩っ て 折っ て 放す と は 、 何 という 浅間 しい 人間 の 心 じゃ 。 」 
「 放さ れ まし て も 二 本 の 脚 を 折ら れ て どうして まあ すぐ 飛べ ましょ う 。 あの 萱原 の 中 に 落ち て ひい ひい 泣い て い た の で ござい ます 。 それでも 昼 の 間 は 、 誰 も 気付か ず やっと 夕刻 、 私 が 顔 を 見よ う と 出 て 行き まし たら この ていた らく で ござい ます る 。 」 
「 うん 。 尤 じゃ 。 なれ ども 他人 は 恨む もの で は ない ぞ よ 。 みな 自ら が もと な の じゃ 。 恨み の 心 は 修羅 と なる 。 かけ て も 他人 は 恨む で ない 。 」 
穂 吉 は これ を ぼんやり 夢 の よう に 聞い て い まし た 。 子供 が もう 厭き て 「 遁 が してやる よ 」 と いっ て 外 へ 連れ て 出 た の でし た 。 その とき 、 ポ キッ と 脚 を 折っ た の です 。 その 両脚 は 今 でも まだ しんしん と 痛み ます 。 眼 を 開い て も あたり が みんな ぐらぐら し て 空 さえ 高く なっ たり 低く なっ たり わくわく ゆれ て いる よう 、 みんな の 声 も 、 ただ ぼんやり と 水 の 中 から でも 聞く よう です 。 ああ 僕 は きっと もう 死ぬ ん だ 。 こんなに つらい 位 なら ほんとう に 死ん だ 方 が いい 。 それでも お父さん や お母さん は 泣く だろ う 。 泣く たって 一体 お父さん たち は 、 まだ 僕 の 近く に 居る だろ う か 、 ああ 痛い 痛い 。 穂 吉 は 声 も なく 泣き まし た 。 
「 あんまり ひどい やつ ら だ 。 こっち は 何一つ 向う の 為 に 悪い よう な こと を し ない ん だ 。 それ を こんな こと を し て 、 よこす 。 もう だまっ て は い られ ない 。 何 か し 返し してやろ う 。 」 一疋 の 若い 梟 が 高く 云い まし た 。 すぐ 隣り の が 答え まし た 。 
「 火 を つけよ う じゃ ない か 。 今度 屑 焼き の ある 晩 に 燃え てる 長い 藁 を 、 一 本 あの 屋根 まで くわえ て 来よ う 。 なあに 十 本 も 二 十 本 も 運ん で いる うち に は どれ か すぐ 燃えつく よ 。 けれども 火事 で 焼ける の は あんまり 楽 だ 。 何 か も 少し ひどい こと が ない だろ う か 。 」 
又 その 隣り が 答え まし た 。 
「 戸 の あい てる 時 を ねらっ て 赤子 の 頭 を 突い て やれ 。 畜生 め 。 」 
梟 の 坊さん は 、 じっと みんな の 云う の を 聴い て い まし た が この 時 しずか に 云い まし た 。 
「 いやいや 、 みなの衆 、 それ は いか ぬ じゃ 。 これ ほど 手ひどい 事 なれ ば 、 必 ら ず 仇 を 返し たい は もちろん の 事 ながら 、 それでは 血 で 血 を 洗う の じゃ 。 こ な た の 胸 が 霽 れる とき は 、 かなた の 心 は 燃える の じゃ 。 いつか は また もっと 手ひどく 仇 を 受ける じゃ 、 この 身 終っ て 次 の 生 まで 、 その 妄執 は 絶え ぬ の じゃ 。 遂に は 共に 修羅 に 入り 闘諍 しばらく も ひま は ない じゃ 。 必 ら ず ともに さ よう の たくみ は なら ぬ ぞ や 。 」 
けたたましく ふくろう の お母さん が 叫び まし た 。 
「 穂 吉 穂 吉 しっかり おし 。 」 
みんな びく っと し まし た 。 穂 吉 の お父さん も あわて て 穂 吉 の 居 た 枝 に 飛ん で 行き まし た が とまる 所 が あり ませ ん でし た から すぐ その 上 の 枝 に とまり まし た 。 穂 吉 の おじいさん も 行き まし た 。 みんな も まわり に 集り まし た 。 穂 吉 は どう し た の か 折ら れ た 脚 を ぷるぷる 云わ せ その 眼 は 白く 閉じ た の です 。 お父さん の 梟 は 高く 叫び まし た 。 
「 穂 吉 、 しっかり する ん だ よ 。 今 お 説教 が はじまる から 。 」 
穂 吉 は パチッ と 眼 を ひらき まし た 。 それ から 少し 起きあがり まし た 。 見え ない 眼 で むりに 向う を 見よ う と し て いる よう でし た 。 
「 まあ よかっ た ね 。 やっぱり つかれ て いる ん だろ う 。 」 女 の 梟 たち は 云い 合い まし た 。 
坊さん の 梟 は そこ で 云い まし た 。 
「 さあ 、 講釈 を はじめよ う 。 みなの衆 座 に お 戻り なされ 。 今夜 は 二 十 六 日 じゃ 、 来月 二 十 六 日 は みなの衆 も 存知 の 通り 、 二 十 六 夜 待ち じゃ 。 月 天子 山 の は を 出 で ん として 、 光 を 放ち たまう とき 、 疾翔大 力 、 爾 迦夷波 羅 夷 の 三 尊 が 、 東 の そら に 出現 まし ます 。 今宵 は 月 は 異なれ ど 、 まこと の 心 に は 又 あら はれ 給わ ぬ こと で ない 。 穂 吉 どの も 、 ただ 一途 に 聴聞 の 志 じゃ げ なで 、 これから さっそく 講ずる と いたそ う 。 穂 吉 どの 、 さぞ 痛かろ う 苦しかろ う 、 お 経 の 文 と て 仲 々 耳 に は 入る まい なれ ど 、 その いたみ 悩み の 心 の 中 に 、 いよいよ 深く 疾翔大 力 さま の お 慈悲 を 刻みつける じゃ ぞ 、 いい かや 、 まことに それ こそ 菩提 の たね じゃ 。 」 
梟 の 坊さん の 声 が 又 少し 変り まし た 。 一座 は しいんと なり まし た 。 林 の 中 に もう 鳴き 出し た 秋 の 虫 が あり ます 。 坊さん は しばらく 息 を こらし て 気 を 取り直し それ から 厳 めし い 声 で 願 を たて て から 昨夜 の 続き を はじめ まし た 。 
「 梟 鵄救護 章 　 梟 鵄救護 章 
諸 の 仁者 掌 を 合せ て 至心 に 聴き 給え 。 我 今 疾翔大 力 が 威 神力 を 享 け て 梟 鵄救護 章 の 一節 を 講ぜ ん と す 。 唯 願う らく は かの 如来 大慈大悲 我が 小 願 の 中 に 於 て 大神 力 を 現 じ 給い 妄言 綺語 の 淤泥 を 化し て 光明 顕 色 の 浄瑠璃 と なし 、 浮華 の 中 より 清浄 の 青 蓮華 を 開か しめ 給わ ん こと を 。 至心 欲 願 、 南無 仏 南 無 仏 南 無 仏 。 
爾 の 時 に 疾翔大 力 、 爾 迦夷 に 告げ て 曰く 、 諦 に 聴け 諦 に 聴け 。 善く これ を 思念 せよ 。 我 今 汝 に 梟 鵄諸 の 悪 禽離苦 解脱 の 道 を 述べん と 。 
爾 迦夷則 ち 両翼 を 開張 し 、 虔 しく 頸 を 垂れ て 座 を 離れ 、 低く 飛揚 し て 疾翔大 力 を 讃 嘆 する こと 三 匝 に し て 、 徐に 座 に 復し 、 拝跪 し て 願う らく 疾翔大 力 、 疾翔大 力 、 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給え 。 ただ 我 等 が 為 に これ を 説き 給 えと 。 
疾翔大 力 、 微笑 し て 金色 の 円光 を以て 頭 に 被れる に 、 諸 鳥 歓喜 充満 せり 。 則 ち 説い て 曰く 、 
汝 等 審 に 諸 の 悪業 を 作る 。 或は 夜陰 を以て 小禽 の 家 に 至る 。 時に 小禽 既に 終日 日光 に 浴 し 、 歌 唄 跳躍 し て 疲労 を なし 、 唯唯 甘美 の 睡眠 中 に あり 、 汝 等 飛躍 し て これ を 握 む 。 利 爪 深く その 身 に 入り 、 諸 の 小禽 痛苦 又 声 を 発する なし 、 則 ち これ を 裂き て 擅 に 食す 。 或は 沼田 に 至り 、 螺 蛤 を 啄む 。 螺 蛤 軟泥中 に あり 、 心 柔 に し て 唯 温水 を 憶 う 。 時に 俄 に 身空 中 に あり 、 或は 直ちに 身 を 破る 、 悶乱声 を 絶す 。 汝 等 これ を 食する に 、 又 懺悔 の 念 ある こと なし 。 
悪業 を以て の 故に 、 更に 又 諸 の 悪業 を 作る 。 継起 し て 遂に 竟 る こと なし 。 昼 は 則 ち 日光 を 懼 れ 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 心 暫 らく も 安らか なる こと なし 。 一度 梟 身 を 尽し て 、 又新 に 梟 身 を 得 。 審 に 諸 の 患難 を 被り て 、 又 尽く る こと なし 。 
で 前 の 晩 は 、 斯 の 如き の 諸 の 悪業 、 挙げ て 数 うる こと なし 、 まで 講じ た が 、 今夜 は その 次 じゃ 。 
悪業 を以て の 故に 、 更に 又 諸 の 悪業 を 作る と 、 これ は 誠に 短い ながら 、 強い お 語 じゃ 。 先刻 人間 に 恨み を 返す と の 議 が あっ た 節 、 申し た 如く じゃ 、 一 の 悪業 によって 一 の 悪 果 を 見る 。 その 悪 果 故に 、 又新 なる 悪業 を 作る 。 斯 の 如く 展 転 し て 、 遂に やむ とき ない じゃ 。 車輪 の めぐれ ども めぐれ ども 終ら ざる が 如く じゃ 。 これ を 輪廻 と いい 、 流転 と いう 。 悪 より 悪 へ と めぐる こと じゃ 。 継起 し て 遂に 竟 る こと なし と 云う が それ じゃ 。 いつ まで たっ て も 終り に なら ぬ 、 どこ どこ まで も 悪因悪果 、 悪 果 によって 新 に 悪因 を つくる 。 な 。 斯 う じゃ 、 浮 む 瀬 とても ある まい じゃ 。 昼 は 則 ち 日光 を 懼 れ 、 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 心 暫 らく も 安らか なる こと なし 。 これ は 流転 の 中 の 、 つらい 模様 を われ ら に わかる よう 、 直 か に 申さ れ た の じゃ 。 勿体なく も 、 我 等 は 光明 の 日 天子 を ば 憚 かり 奉る 。 いつも 闇 と みち づれじゃ 。 東 の 空 が 明るく なり て 、 日 天子 さま の 黄金 の 矢 が 高く 射出 さ るれ ば 、 われ ら は 恐れ て 遁 げ る の じゃ 。 もし 白昼 に まなこ を 正しく 開く なら ば 、 その 日 天子 の 黄金 の 征矢 に 伐た れる じゃ 。 それほど まで に 我 等 は 悪業 の 身 じゃ 。 又 人 及諸 の 強 鳥 を 恐る 。 な 。 人 を 恐 るる こと は 、 今夜 今 ごろ 講ずる こと の 限り で ない 。 思い合せ て よろしかろ う 。 諸 の 強 鳥 を 恐る 。 鷹 や は やぶ さ 、 又 さほど 強く は なけれ ども 日 中 なれ ば 烏 など まで 恐れ ね ば なら ぬ 情ない 身 じゃ 。 はや ぶさ なれ ば 空 より すぐ に 落ち て 来 て 、 こ な た が 小鳥 を つかむ とき と 同じ よう なる あり さ ま じゃ 、 たちまち 空 で 引き裂か れる じゃ 、 少し の さからい を し た と て 、 何 に も なら ぬ 、 げに もげ に も 浅間 しく なさけない われ ら の 身 じゃ 。 」 
梟 の 坊さん は 一寸 声 を 切り まし た 。 今夜 も もう 一時 の 上り の 汽車 の 音 が 聞え て 来 まし た 。 その 音 を 聞く と 梟 ども は 泣き ながら も 、 汽車 の 赤い 明るい ならん だ 窓 の こと を 考える の でし た 。 講釈 が また 始まり まし た 。 
「 心 暫 らく も 安らか なる こと なし と 、 どう じゃ 、 みなの衆 、 ただ の 一時 でも 、 ゆっくり と 何 の 心配 も なく 落ち着い た こと が ある か の 。 もう いつ でも いつ でも びく びく もの じゃ 。 一度 梟 身 を 尽し て 又新 に 梟 身 を 得 と 斯 う じゃ 。 泣い て 悔やん で 悲しん で 、 ついに は 年 老 る 、 病気 に なる 、 あら ん かぎり の 難儀 を し て 、 それ で 死ん だら 、 もう この 様 な 悪 鳥 の 身 を 離れる か と なら ば 、 仲 々 そう は 参ら ぬ ぞ や 。 身 に 染み込ん だ 罪業 から 、 又 梟 に 生れる じゃ 。 斯 の 如く に し て 百 生 、 二 百 生 、 乃至 劫 を も 亘る まで 、 この 梟 身 を 免れ ぬ の じゃ 。 審 に 諸 の 患難 を 蒙り て 又 尽く る こと なし 。 もう 何もかも 辛い こと ばかり じゃ 。 さて 今 東 の 空 は 黄金 色 に なら れ た 。 もう 月 天子 が お出まし な の じゃ 。 来月 二 十 六 夜 なら ば 、 この お 光 に 疾翔大 力 さま を 拝み 申す じゃ なれ ど 、 今宵 と て 又 拝み 申さ ぬ こと で ない 、 みなの衆 、 よう くま ごころ を以て 仰ぎ 奉る じゃ 。 」 
二 十 六 夜 の 金 いろ の 鎌 の 形 の お 月 さま が 、 しずか に お 登り に なり まし た 。 そこら は ぼ おっ と 明るく なり 、 下 で は 虫 が 俄 か に し いん しいんと 鳴き 出し まし た 。 
遠く の 瀬 の 音 も はっきり 聞え て 参り まし た 。 
お 月 さま は 今 は すうっ と 桔梗 いろ の 空 に お のぼり に なり まし た 。 それ は 不思議 な 黄金 の 船 の よう に 見え まし た 。 
俄 か に みんな は 息 が つまる よう に 思い まし た 。 それ は その お 月 さま の 船 の 尖っ た 右 の へ さき から 、 まるで 花火 の よう に 美しい 紫いろ の けむり の よう な もの が 、 ばり ばりばり と 噴き 出 た から です 。 けむり は 見る 間 に たなびい て 、 お 月 さま の 下 すっかり 山の上 に 目 も さめる よう な 紫 の 雲 を つくり まし た 。 その 雲の上 に 、 金 いろ の 立派 な 人 が 三 人 まっすぐ に 立っ て い ます 。 まん中 の 人 は せい も 高く 、 大きな 眼 で じっと こっち を 見 て い ます 。 衣 の ひだ まで 一 一 はっきり わかり ます 。 お 星 さま を ちりばめ た よう な 立派 な 瓔珞 を かけ て い まし た 。 お 月 さま が 丁度 その 方 の 頭 の まわり に 輪 に なり まし た 。 
右 と 左 に 少し 丈 の 低い 立派 な 人 が 合掌 し て 立っ て い まし た 。 その 円光 は ぼんやり 黄金 いろ に かすみ うし ろ に ある 青い 星 も 見え まし た 。 雲 が だんだん こっち へ 近づく よう です 。 
「 南無 疾翔大 力 、 南無 疾翔大 力 。 」 
みんな は 高く 叫び まし た 。 その 声 は 林 を とどろかし まし た 。 雲 が いよいよ 近く なり 、 捨身 菩薩 の おから だ は 、 十 丈 ばかり に 見え その かがやく 左手 が こっち へ 招く よう に 伸び た と 思ふ と 、 俄 に 何とも 云え な いい い かおり が そこら いち めん に し て 、 もう その 紫 の 雲 も 疾翔大 力 の 姿 も 見え ませ ん でし た 。 ただ その 澄み切っ た 桔梗 いろ の 空 に さっき の 黄金 いろ の 二 十 六 夜 の お 月 さま が 、 しずか に かかっ て いる ばかり でし た 。 
「 おや 、 穂 吉 さん 、 息 つか なく なっ た よ 。 」 俄 に 穂 吉 の 兄弟 が 高く 叫び まし た 。 
ほんとう に 穂 吉 は もう 冷たく なっ て 少し 口 を あき 、 かすか に わらっ た まま 、 息 が なくなっ て い まし た 。 そして 汽車 の 音 が また 聞え て 来 まし た 。 
九 時 六 分の かけ 時計 
その 青じろき 盤面 に 
に はか に 雪 の 反射 来 て 
パン の かけ ら は 床 に 落ち 
インク の 雫 か わき たり 
星 の けむり の 下 に し て 
石組 黒く ひそめる を 
さも あしざま に 鳴き 棄て つ 
く わく こう 一 羽 北 に 過ぎ たり 
夜 の もみ ぢ の 木 も そびえ 
御堂 の 屋根 も 沈める を 
さらに 一 羽 の 鳥 あり て 
寒天 質 の 闇 に 溶け たり 
地球 照 ある 七 日 の 月 が 、 
海峡 の 西 に かかっ て 、 
岬 の 黒い 山々 が 
雲 を かぶっ て た ゞ ず め ば 、 
その うら 寒い 螺鈿 の 雲 も 、 
また おぞましく 呼吸 する 
そこ に 喜 歌劇 オルフィウス 風 の 、 
赤い 酒精 を 照明 し 、 
妖蠱奇 怪 な 虹 の 汁 を そ ゝ いで 、 
春 と 夏 と を 交雑 し 
水 と 陸 と の 市場 を つくる 
… … … … … … … … き た わい な 
つ じ うら はっけ が き た わい な 
オダルハコダテガスタルダイト 、 
ハコダテネムロインデコライト 
マオカヨコハマ 船 燈 みどり 、 
フナカハロモエ 汽笛 は 八 時 
うんと そん き の はや わかり 、 
かい りく いっしょ に わかり ます 
海 ぞ この マクロフィスティス 群 に も ま が ふ 、 
巨桜 の 花 の 梢 に は 、 
いちいち に 氷質 の 電 燈 を 盛り 、 
朱 と 蒼白 の うっ こん かう に 、 
海 百 合 の 椀 を 示せ ば 
釧路 地引 の 親方 連 は 、 
ま なじり 遠く 酒 を 汲み 、 
魚 の 歯 し た ワッサーマン は 、 
狂 ほしく 灯影 を 過ぎる 
… … 五 が つ は はこ だ て こうえん ち 、 
え ん だ ん まち びとねがひごと 、 
うみ は うち そ と 日本 うみ 、 
り ゃうばのあたりもわかります … … 
夜 ぞ ら に ふるふ ビオロン と 銅鑼 、 
サミセン に もつれる 笛 や 、 
繰り か へす 螺 の スケルツォ 
あはれ マドロス 田谷 力三 は 、 
ひとり セ ビラ の 床屋 を 唱 ひ 、 
高田 正夫 は その 一 党 と 、 
紙 の 服 着 て タンゴ を 踊る 
この とき 海 霧 は ふたたび 襲 ひ 
はじめ は 翔ける 火 蛋白石 や 
やがて は 丘 と 広場 を つ ゝ み 
月 長石 の 映え する 雨 に 
孤 光 わびしい 陶磁 とか はり 、 
白 の テント も つめたく ぬれ て 、 
紅 蟹 ま ど ふ バナナ の 森 を 、 
辛く つぶやく クラリオネット 
風 は バビロン 柳 を はら ひ 、 
また ときめかす 花 梅 の かほり 、 
青い えり し た フランス 兵 は 
桜 の 枝 を さ ゝ げ て わら ひ 
船渠 会社 の 観桜 団 が 
瓶 を かざし て 広場 を 穫れ ば 
汽笛 は ふるひ 犬 吠え て 
地 照 かぐろい 七 日 の 月 は 
日本海 の 雲 に かくれる 
五 六 日 続い た 雨 の 、 やっと あがっ た 朝 でし た 。 黄金 の 日光 が 、 青い 木 や 稲 を 、 照 し て は ゐ まし た が 、 空 に は 、 方角 の 決まら ない 雲 が ふらふら 飛び 、 山脈 も 非常 に 近く 見え て 、 なんだか まだ ほん た うに 霽 れ た といふ やう な 気 が し ませ ん でし た 。 
私 は 、 西 の 仙人 鉱山 に 、 小さな 用事 が あり まし た ので 、 黒沢尻 で 、 軽便鉄道 に 乗り か へ まし た 。 
車 室 の 中 は 、 割合 空い て 居り まし た 。 それでも やっぱり 二 十 人 ぐらゐはあったでせう 。 がやがや 話し て 居り まし た 。 私 の あと から 入っ て 来 た 人 も あり まし た 。 
話 は ここ でも 、 本線 の 方 と 同じ やう に 、 昨日 まで の 雨 と 洪水 の 噂 でし た 。 大抵 南 の 方 の こと でし た 。 狐禅寺 で は 、 北上川 が 一 丈 六 尺 増し た と 誰 か が 云 ひ まし た 。 宮城 の 品井沼 の 岸 で は 、 稲 が もう 四 日 も 泥水 を 被っ て ゐる 、 どうしても 今年 は あの 辺 は 半作 だら う と 又 誰 か 言っ て ゐ まし た 。 
ところが 私 の うし ろ の 席 で 、 突然 太い 強い 声 が し まし た 。 
「 雫石 、 橋場 間 、 まるで 滅茶苦茶 だ 。 レール が 四 間 も 突き出さ れ て ゐる 。 枕木 も 何 も でこぼこ だ 。 十 日 や 十 五 日 で ぁ 、 一寸 六 ヶ 敷 ぃな 。 」 
は はあ 、 あの 化物 丁場 だ な 、 私 は 思ひ ながら 、 急い で そっち を 振り向き まし た 。 その 人 は 線路 工夫 の 半 纒 を 着 て 、 鍔 の 広い 麦藁 帽 を 、 上 の 棚 に 載せ ながら 、 誰 に 云 ふと なく 大きな 声 で さ う 言っ て ゐ た の です 。 
「 あゝ 、 あの 化物 丁場 です か 、 壊れ た の は 。 」 私 は 頭 を 半分 そっち へ 向け て 、 笑 ひ ながら 尋ね まし た 。 鉄道 工夫 の 人 は ちらっと 私 を 見 て すぐ 笑 ひ まし た 。 
「 さ う です 。 どうして 知っ て ゐ ます か 。 」 少し 改 っ た 兵隊 口調 で 尋ね まし た 。 
「 はあ 、 なあに 、 あの 頃 一 寸 あすこ ら を 歩い た もん です から 。 今度 は 大分 ひどく やら れ まし た か 。 」 
「 やら れ まし た 。 」 その 人 は やっと 席 へ 腰 を おろし ながら 答 へ まし た 。 
「 やっぱり 今 でも 化物 だって 云 ひ ます か 。 」 
「 うん は 。 」 その 人 は 大 へん 曖昧 な 調子 で 答 へ まし た 。 これ が 、 私 を 、 どうしても 、 もっと 詳しく 化物 丁場 の 噂 を 聴き たく し た の です 。 そこで 私 は 、 向 ふ に 話 を やめ て しまは れ ない 為 に 、 又 少し 遠 ま はり の こと から 話し掛け まし た 。 
「 鉄道 院 へ 渡し て から 、 壊れ た の は 今度 始め て です か 。 」 
「 はあ 、 鉄道 院 で も 大損 す 。 」 
「 渡す 前 に も 三 四 度 壊れ た ん です ね 。 」 
「 はあ 、 大きな の は 三 度 です 。 」 
「 請負 の 方 で も 余程 の 損 だっ た で せ う 。 」 
「 はあ 、 やっぱり 損 だって まし た 。 あゝ 云 ふ 難渋 な 処 に ぶっつかっ て は 全く 損する より 仕方 あり ませ ん 。 」 
「 どうして さ う 度々 壊れ た で せ う 。 」 
「 なあに 、 私 ぁ 行っ て から 二 度 崩れ まし た が 雨 降る ど 崩れる ん だ 。 さ う だ が ら って 水 の 為 で も ない ん だ 、 全く を かしい です 。 」 
「 あなた も 行っ て 働い て ゐ た の です か 。 」 
「 私 の 行っ た の は 十一月 でし た が 、 丁度 砂利 を 盛っ て 、 そいつ が 崩れ た ばかり の 処 でし た 。 全体 、 あれ は 請負 の 岩間 組 の 技師 が 少し 急い だ ん です 。 ああ 云 ふ 場所 だ がら 思ひ 切っ て 下 の 岩 から コンクリー 使 へ ば 善かっ た ん です 。 それでも やっぱり 崩れ た かも 知れ ませ ん が 。 」 
「 大した 谷川 も 無かっ た やう でし た が ね 。 」 
「 い ゝ え 、 水 は 、 いくら か 、 下 の 岩 から も 、 横 の 山 の 崖 から も 、 湧く ん です 。 土 も 黒く て しめっ て ゐ た の です 。 その 土 の 上 に 、 すぐ 砂利 を 盛り まし た から 、 一層 いけ なかっ た の です 。 」 
その 時 汽笛 が 鳴っ て 汽車 は 発ち まし た 。 私 は 行手 の 青く 光っ て ゐる 仙人 の 峡 を 眺め 、 それから ふと 空 を 見 て 、 思は ず 、 こいつ は ひどい 、 と 、 つぶやき まし た 。 雲 が 下 の 方 と 上 の 方 と 、 すっかり 反対 に 矢 の やう に 馳せ ちがっ て ゐ た の です 。 
「 また 嵐 に なり ます よ 。 風 が まったく 変 です 。 」 私 は 工夫 に 云 ひ まし た 。 
その 人 も 一 寸 立っ て 窓 から 顔 を 出し て それ から 、 
「 まだまだ 降り ます 、 今日 は 一寸 あらし の 日曜 といふ 訳 だ 。 」 と 、 つぶやく やう に 云 ひ ながら 、 又 席 に 戻り まし た 。 電信柱 の 瀬戸 の 碍子 が 、 きらっ と 光っ たり 、 青く 葉 を ゆすり ながら 楊 が だんだん めぐっ たり 、 汽車 は 丁度 黒沢尻 の 町 を はなれ て 、 まっすぐ に 西 の 方 へ 走り まし た 。 
「 で その 崩れ た 砂利 を 、 あなた も 積み 直し た の です か 。 」 
「 さ う です 。 」 その 人 は 笑 ひ まし た 。 たしかに この 人 は 化物 丁場 の 話 を する の が 厭 ぢ ゃないのだと 私 は 思ひ まし た 。 
「 それ が 、 又 、 崩れ た の です か 。 」 私 は 尋ね まし た 。 
「 崩れ た の です 。 それ も 百 人 から の 人夫 で 、 八 日 か ゝ って やっ た やつ です 。 積み 直し と いっ て も 大 部分 は 雫石 の 河原 から 、 トロ で 運ん だ ん です 。 前 に 崩れ た 分 も そっくり 使っ て 。 だから ず うっ と 脚 が ひろがっ て いかにも 丈夫 さ うに なっ た ん です 。 」 
「 中 々 容易 ぢ ゃなかったんでせう 。 」 
「 え ゝ 、 とても 。 鉄道 院 から 進行 検査 が ある ので 請負 の 方 の 技師 の あせり 様 っ たら あり ませ ん や 、 従って 監督 は 厳しく 急ぎ ます し ね 、 毎日 天気 で カラッ と し て 却って 風 は 冷たい し 、 朝 など は 霜 が 雪 の やう でし た 。 そこ を 砂利 を 、 掘っ て は 、 掘っ て は 、 積ん で は 、 トロ を 押し た もん です 。 」 
私 は 、 あの すき と ほっ た 、 つめたい 十一月 の 空気 の 底 で 、 栗 の 木 や 樺の木 も すっかり 黄いろ に なり 、 四方 の 山 に は まっ白 に 雪 が 光り 、 雫石川 が まるで 青 ガラス の やう に 流れ て ゐる 、 その まっ白 な 広い 河原 を 小さな トロ がせ は しく 往 っ たり 来 たり し 、 みんな が 鶴嘴 を 振り上げ たり 、 シャベル を うごかし たり する 景色 を 思ひ うかべ まし た 。 それから その 人 たち が 赤い 毛布 で こ さ へ た シャツ を 着 たり 、 水 で 凍え ない ため に 、 茶色 の 粗 羅紗 で 厚く 足 を 包ん だり し て ゐる 様子 を 眼 の 前 に 思ひ 浮べ まし た 。 
「 ほん た うに お 容易 ぢ ゃありませんね 。 」 
「 なあに 、 さ う やっ て 、 やっと 積み 上っ た ん です 。 進行 検査 に も 間に合っ た てん で 、 監督 たち も ほっと し て ゐ た やう でし た 。 私 ども も その ひどい 仕事 で 、 いくらか 割増 も 貰 ふ 筈 でし た し 、 明日 から の 仕事 も 割合 楽 に なる といふ 訳 でし た から 、 その 晩 は 実は 、 春木場 で 一 杯 やっ た ん です 。 それから 小 舎 に 帰っ て 寝 まし た が ね 、 い ゝ 晩 な ん です 、 すっかり 晴れ て 庚申 さん など も 実に はっきり 見え てる ん です 。 あした は 霜 が ひどい ぞ 、 砂利 も 悪く する と 凍る ぞ って 云 ひ ながら 、 寝 た ん です 。 すると 夜中 に なっ て 、 さ う 、 二 時 過ぎ です な 、 ゴーッ と 云 ふ やう な 音 が 、 夢 の 中 で 遠く に 聞え た ん です 。 眼 を さまし た の が 私 たち の 小屋 に 三 四 人 あり まし た 。 ぼんやり し た 黄いろ の ランプ の 下 へ 頭 を あげ た ま ゝ 誰 も 何とも 云 は ない ん です 。 だまっ て その 音 の し た 方 へ 半分 から だ を 起し て ほか の もの の 顔 ばかり 見 て ゐ た ん です 。 すると 俄 か に 監督 が 戸 を ガタッ と あけ て 走っ て 入っ て 来 まし た 。 
『 起きろ 、 みんな 起きろ 、 今日 の とこ 崩れ た ぞ 。 早く 起きろ 、 みんな 行っ て 呉れ 。 』 って 云 ふん です 。 誰 も 不承不承 起き まし た 。 まだ 眼 を さまさ ない もの は 監督 が 起し て 歩い た ん です 。 なん だ 、 崩れ た 、 崩れ た 処 へ 夜中 に 行っ たって 何 ぢ ょするんだ 、 なんて 睡 く て 腹立ち まぎれ に 云 ふも の も あり まし た が 、 大抵 は みな 顔色 を 変 へ て 、 うす 暗い ランプ の あかり で 仕度 を し た の です 。 間もなく 、 私 たち は 、 アセチレン を 十 ばかり つけ て 出かけ まし た 。 水 を かけ られ た やう に 寒かっ た ん です 。 天の川 が すっかり ま はっ て しまっ て ゐ まし た 。 野原 や 木 は まっくろ で 、 山 ばかり ぼんやり 白かっ た ん です 。 場 処 へ 着い て 見 ます と 、 もう すっかり 崩れ て ゐる らしい ん です 。 その アセチレン の 青 の 光 の 中 を みんな の 見 て ゐる 前 で まだ 石 が コロコロ 崩れ て ころがっ て 行く ん です 。 気味 の 悪 いっ たら 。 」 その 人 は 一 寸話 を 切り まし た 。 私 も その 盛ら れ た 砂利 を みんな が 来 て も まだ い た づら に 押し て ゐる すき と ほっ た 手 の やう な もの を 考へ て 、 何だか 気味が悪く 思ひ まし た 。 それでも やっと 尋ね まし た 。 
「 それから 又 工事 を やっ た ん です か 。 」 
「 やっ た ん です 。 すぐ その 場 から です 。 技師 が まるで 眼 を 真赤 に し て 、 別段 な 訳 も ない の に 怒鳴っ たり 、 叱っ たり し て 歩い た ん です 。 滑っ た 砂利 を 積み 直し た ん です 。 けれども どう し た って 誰 も 仕事 に 実 が 入り ませ ん や 。 さ う で せ う 。 一度 別段 の 訳 も なく 崩れ た の なら いづれ 又 格別 の 訳 も なし に 崩れる かも しれ ない 、 それでも まあ 仕事 さ へ し て ゐ れ ゃ 賃金 は 向 ふ ぢ ゃ 払 ひ ます から ね 、 いくら つまらない と 思っ て も 、 技師 が さ う しろ って 云 ふ こと を 、 その 通り やる より 仕方 あり ませ ん や 。 ハッハッハ 。 一寸 。 」 
その 工夫 の 人 は 立ちあがっ て 窓 から 顔 を 出し手 を かざし て 行手 の 線路 を じっと 見 て ゐ まし た が 、 俄 か に 下 の 方 へ 「 よう 、 」 と 叫ん で 、 挙手 の 礼 を し まし た 。 私 も 、 窓 から 顔 を 出し て 見 まし たら 、 一 人 の 工夫 が シャベル を 両手 で 杖 に し て 、 線路 に まっすぐ に 立ち 、 笑っ て こっち を 見 て ゐ まし た 。 それ も ずんずん うし ろ の 方 へ 遠く なっ て しまひ 、 向 ふ に は 栗駒山 が 青く 光っ て 、 カラッ と し た そら に 立っ て ゐ まし た 。 私 たち は 又 腰掛け まし た 。 
「 今度 の 積み 直し も 又 八 日 も か ゝ つた ん です か 。 」 私 は 尋ね まし た 。 
「 い ゝ え 、 その 時 は 前 の 半分 も か ゝ ら なかっ た の です 。 砂利 を 運ぶ 手数 が なかっ た もの です から 。 その 代り 乱杭 を 二 三 十 本 打ちこみ まし た が ね 、 昼 に なっ て その 崩れ た 工合 を 見 まし たら まるで まん中 から 裂け た やう な あんばい だっ た の です 。 県 から も 人 が 来 て しきりに 見 て ゐ まし た が ね 、 どうも その 理由 が よく わから なかっ た やう でし た 。 それでも 四 日 で とにかく もと の 通り 出来 あがっ た ん です 。 その 出来 あがっ た 晩 は 、 私 たち は 十 六 人 、 たき火 を 三つ 焚い て 番 を し て ゐ まし た 。 尤も 番 を する っ たって 何 を め あて って 云 ふこ と も なし 、 変 な もん でし た が 、 酒 を 呑ん で 騒い で ゐ まし た から 、 大して 淋しい こと は あり ませ ん でし た 。 それに 五 日 の 月 も あり まし た し ね 。 た ゞ 寒い の に は 閉口 し まし た よ 。 それでも 夜中 に なっ て 月 も 沈み 話 が とぎれる と しいんと なる ん です ね 、 遠く で 川 が ざあと 流れる 音 ばかり 、 俄 に 気味が悪く なる こと も あり まし た 。 それでも た うとう 朝 まで なん に も 起ら なかっ た ん です 。 次 の 晩 も 外 の 組 が 十 五 人 ばかり 番 し まし た が やっぱり 何 も あり ませ ん でし た 。 そこで 工事 は だんだん 延び て 行っ て 、 尤も そこ を やっ て ゐる うち に 向 ふ の 別 の 丁場 で は 別 の 組 が どんどん やっ て ゐ まし た から ね 、 レール だけ は 敷か なく て も まあ 敷地 だけ は 橋場 に 届い た ん です 。 その うち た うとう 十二月 に 入っ た で せ う 。 雪 も 二 遍 か 降り まし た 。 降っ て も 又 すぐ 消え た ん です 。 ところが 、 十二月 の 十 日 でし た が 、 まるで 春 降る やう な ポシャポシャ 雨 が 、 半日 ばかり 降っ た ん です 。 なあに 河 の 水 が 出る で も なし 、 ほんの 土 を しめら し た だけ です よ 。 それ で ゐ て 、 その 夕方 に 又 あの 丁場 が ざあっと 来 た もん です 。 折角 入れ た 乱杭 も あっち へ 向い たり こっち へ まがっ たり です 。 もうこ の 時 は みんな すっかり 気落ち し まし た 。 それでも 又 か といふ やう な 気分 で 前 の 時 ぐらゐではなかったのです 。 その 時 は もう だんだん 仕事 が 少く なっ て 、 又 来春 といふ 約束 で 人夫 も どんどん 雫石 から 盛岡 を かかっ て 帰っ て 行っ た あと でし た し 、 第 一 これから 仕事 なかば で い つ 深い 雪 が やって来る か わから なかっ た ん です から 何だか 仕事 する って も 張り が あり ませ ん や 。 それでも 云 ひ つけ られ た 通り 私 たち は みんな 、 さ う 、 みんな で 五 十 人 も 居 た で せ う か 、 あちこち の 丁場 から 集め た ん です 。 崩れ た 処 を 掘り 起す 、 それから トロ で 河原 へ も 行き まし た が 次 の 日 など は 砂利 が 凍っ て もう 鶴嘴 が 立た ない ん です 。 いくら 賃銀 は 貰っ たって 、 こんな あて の ない 仕事 は 厭 だ 、 今年 は もう だめ な ん だ 、 来年 神官 でも 呼ん で 、 よく お祭 を し て から 、 コンクリー で 底 から やり直せ と 、 まあ 私 たち は 大丈夫 の やう な こと を 云 ひ ながら 働い た もん です 。 それでも た うとう 、 十二月 中 に は 、 雪 の 中 で 何とか かん とか 、 もと の やう な 形 に なっ た ん です 。 おまけ に 安心 な こと は その 上 に 雪 が すっかり 被さっ た ん です 。 堅 まっ て 二 尺 以上 も あっ た で せ う 。 」 
「 あゝ さ う です 。 その頃 です 。 私 の 行っ た の は 。 」 私 は 急い で 云 ひ まし た 。 
「 化物 丁場 の 話 を どこ で お 聞き でし た 。 」 
「 春木場 です 。 」 
「 では あなた の いら し ゃったのは 、 鉄道 院 の 検査官 の 来 た 頃 です 。 」 
「 いや 、 その 検査官 かも 知れ ませ ん よ 、 私 が 橋場 から 戻る 途中 で 、 せい の 高い 鼠色 の 毛糸 の 頭巾 を 被っ て 、 黒い オーバア を 着 た 老人 技師 風 の 人 たち や 何かと 十 五 六 人 に 会っ た ん です 。 」 
「 天気 の い ゝ 日 でし た か 。 」 
「 天気 が よく て 雪 が ぎらぎら し て まし た 。 橋場 で は 吹雪 も 吹い た ん です が 。 一月 の 六 七 日 頃 です よ 。 」 
「 では それ だ 。 その 検査官 が 来 まし て ね 、 この 化物 丁場 は よく あちこち に ある 、 山 の 岩 の 層 が 釣合 が とれ ない 為 に 起る って 云っ たさ う です が ね 、 誰 も あんまり ほんとに は し ませ ん や 。 」 
「 なるほど 。 」 
汽車 が 、 藤根 の 停車場 に 近く なり まし た 。 
工夫 の 人 は 立っ て 、 棚 から 帽子 を とり 、 道具 を 入れ た 布 の 袋 を 持っ て 、 扉 の 掛金 を 外し て 停 まる の を 待っ て ゐ まし た 。 
「 こ ゝ で お 下り に なる ん です か 。 いろいろ どうも ありがたう 。 私 は 斯 う 云 ふも ん です 。 」 
と 云 ひ ながら 、 私 は 処 書 の ある 名刺 を 出し まし た 。 
「 さ う です か 。 私 は 名刺 を 持っ て 来 ませ ん で 。 」 その 人 は 云 ひ ながら 、 私 の 名刺 を 腹 掛 の かくし に 入れ まし た 。 汽車 が とまり まし た 。 
「 さよなら 。 」 すばやく その 人 は 飛び下り まし た 。 
「 さよなら 。 」 私 は 見送り まし た 。 その 人 は 道具 を 肩 にかけ 改札 の 方 へ 行か ず 、 すぐ に 線路 を 来 た 方 に 戻り まし た 。 その 線路 は 、 青い 稲 の 田 の 中 に 白く 光っ て ゐ まし た 。 そら では 風 も 静まっ た らしく 、 大した あらし に も なら ない で その ま ゝ 霽 れる やう に 見え た の です 。 
一 、 三 人 兄弟 の 医者 
むかし ラユー といふ 首都 に 、 兄弟 三 人 の 医者 が ゐ た 。 いちばん 上 の リンパー は 、 普通 の 人 の 医者 だ つ た 。 その 弟 の リンプー は 、 馬 や 羊 の 医者 だ つ た 。 いちばん 末 の リンポー は 、 草 だの 木 だ の の 医者 だ つ た 。 そして 兄弟 三 人 は 、 町 の いちばん 南 にあたる 、 黄いろ な 崖 の とつ ぱなへ 、 青い 瓦 の 病院 を 、 三つ ならべ て 建て て ゐ て 、 てんでに 白 や 朱 の 旗 を 、 風 に ぱたぱた 云 はせ て ゐ た 。 
坂 の ふもと で 見 て ゐる と 、 漆 に かぶれ た 坊さん や 、 少し びつこをひく 馬 や 、 萎れ かか つ た 牡丹 の 鉢 を 、 車 に つけ て 引く 園丁 や 、 いん こ を 入れ た 鳥 籠 や 、 次 から 次 と の ぼつ て 行 つて 、 さて 坂上 に 行き着く と 、 病気 の 人 は 、 左 の リンパー 先生 へ 、 馬 や 羊 や 鳥類 は 、 中 の リンプー 先生 へ 、 草木 を もつ た 人 たち は 、 右 の リン ポー 先生 へ 、 三つ に わか れ て は ひる の だ つ た 。 
さて 三 人 は 三 人 とも 、 実に 医術 も よく でき て 、 また 仁 心 も 相当 あ つて 、 たしかに もはや 名医 の 類 で あつ た の だ が 、 まだ い ゝ 機会 が なかつ た ため に 別に 位 も なかつ た し 、 遠く へ 名前 も 聞え なかつ た 。 ところが た うとう ある 日 の こと 、 ふしぎ な こと が 起つ て き た 。 
二 、 北 守将 軍 ソンバーユー 
ある 日 の ちやう ど 日の出 ごろ 、 ラユー の 町 の 人 たち は 、 はるか な 北 の 野原 の 方 で 、 鳥 か 何 か が たくさん 群れ て 、 声 を そろ へ て 鳴く やう な 、 を かし な 音 を 、 ときどき 聴い た 。 はじめ は 誰 も 気 に かけ ず 、 店 を 掃い たり し て ゐ た が 、 朝めし すこし すぎ た ころ 、 だんだん それ が 近づい て 、 みんな 立派 な チヤルメラ や 、 ラツパ の 音 だ と わかつ て くる と 、 町 ぢ ゆうに はか に ざわざわ し た 。 その間 に は ぱたぱたいふ 、 太鼓 の 類 の 音 も する 。 もう 商人 も 職人 も 、 仕事 が すこしも 手 に つか ない 。 門 を 守 つた 兵隊 たち は 、 ま づ 門 を みなし つかり とざし 、 町 を め ぐつた 壁 の 上 に は 、 見張り の 者 を ならべ て 置い て 、 それから お宮 へ 知らせ を 出し た 。 
そして その 日 の 午 ちかく 、 ひ づめの 音 や 鎧 の 気配 、 また 号令 の 声 も し て 、 向 ふ はす つかり 、 この 町 を 、 囲ん で しま つた 模様 で あつ た 。 
番兵 たち や 、 あらゆる 町 の 人 たち が 、 まるで どきどき やり ながら 、 矢 を 射る 孔 から のぞい て 見 た 。 壁 の 外 から 北の方 、 まるで 雲霞 の 軍勢 だ 。 ひらひら ひかる 三角 旗 や 、 ほこ が さながら 林 の やう だ 。 ことに なんとも 奇 体 な こと は 、 兵隊 たち が 、 みな 灰 いろ で ぼさぼさ し て 、 なんだか けむり の やう な の だ 。 するどい 眼 を し て 、 ひ げ が 二 いろ まつ 白 な 、 せ なか の ま が つた 大将 が 、 尻尾 が 箒 の かたち に な つて 、 うし ろ に ぴんと のび て ゐる 白馬 に 乗 つて 先頭 に 立ち 、 大きな 剣 を 空 に あげ 、 声高 々 と 歌 つて ゐる 。 
「 北 守将 軍 ソンバーユー は 
いま 塞外 の 砂漠 から 
やつ と の こと で 戻 つ て き た 。 
勇ましい 凱旋 だ と 云 ひ たい が 
実は す つかり 参 つ て 来 た の だ 
とにかく あすこ は 寒い 処 さ 。 
三 十 年 といふ 黄いろ な むかし 
おれ は 十 万 の 軍勢 を ひき ゐ 
この 門 を くぐつ て 威 張 つて 行 つ た 。 
それから どう だ もう 見る もの は 空 ばかり 
風 は 乾い て 砂 を 吹き 
雁 さ へ 干せ て たびたび 落ち た 
おれ は その間 馬 で かけ 通し 
馬 が つかれ て たびたび ペ タン と 座り 
涙 を ため て はじ つ と 遠く の 砂 を 見 た 。 
その 度 ごと に おれ は 鎧 の かくし から 
塩 を すこ う し 取り出し て 
馬 に 嘗め させ て は 元気 を つけ た 。 
その 馬 も 今 で は 三 十 五 歳 
五 里 かける に も 四 時間 か ゝ る 
それから おれ は もう 七 十 だ 。 
とても 帰れ まい と 思 つて ゐ た が 
ありがた や 敵 が 残ら ず 脚気 で 死ん だ 
今年 の 夏 は へん に 湿気 が 多 かつ たで な 。 
それに 脚気 の 原因 が 
あんまり こ つ ち を 追 ひ かけ て 
砂 を 走 つ た ため な ん だ 
さ うし て みれ ば どう だ やつ ぱり 凱旋 だら う 。 
殊 に も 一つ ほめ られ て い ゝ こと は 
十 万 人 も でかけ た もの が 
九 万 人 まで 戻 つて 来 た 。 
死 だ やつ ら は 気の毒 だ が 
三 十 年 の 間 に は 
たと へ いく さ に 行か なく たつ て 
一 割 ぐらゐは 死ぬ ん ぢ や ない か 。 
そこで ラユー の むかし の とも よ 
また こども ら よき やう だ いよ 
北 守将 軍 ソンバーユー と 
その 軍勢 が 帰 つたの だ 
門 を あけ て も い ゝ で は ない か 。 」 
さあ 城壁 の こ つ ち で は 、 沸き たつ やう な 騒動 だ 。 うれし まぎれ に 泣く もの や 、 両手 を あげ て 走る もの 、 じ ぶん で 門 を あけよ う として 、 番兵 たち に 叱ら れる もの 、 もちろん 王 の お宮 へ は 使 が 急い で 走 つ て 行き 、 城門 の 扉 は ぴしやんと 開い た 。 お もて の 方 の 兵隊 たち も 、 もう うれしく て 、 馬 に す が つて 泣い て ゐる 。 
顔 から 肩 から 灰 いろ の 、 北 守将 軍 ソンバーユー は 、 わ ざとくしやくしや 顔 を しかめ 、 しづか に 馬 の た づなをとつて 、 まつ すぐ を 向い て 先登 に 立ち 、 それから ラッパ や 太鼓 の 類 、 三角 ば た の つい た 槍 、 まつ 青 に 錆び た 銅 の ほこ 、 それ から 白い 矢 を しよ つ た 、 兵隊 たち が 入 つて くる 。 馬 は 太鼓 に 歩調 を 合せ 、 殊 に も さき の ソン 将軍 の 白馬 は 、 歩く たんび に 膝 が ぎちぎち 音 が し て 、 ちやう ど ひ や うし を とる やう だ 。 兵隊 たち は 軍歌 を うた ふ 。 
「 みそ か の 晩 と ついたち は 
砂漠 に 黒い 月 が 立つ 。 
西 と 南 の 風 の 夜 は 
月 は 冬 でも まつ 赤 だ よ 。 
雁 が 高み を 飛ぶ とき は 
敵 が 遠く へ 遁 げ る の だ 。 
追 はう と 馬 に またがれ ば 
に はか に 雪が どし やぶり だ 。 」 
兵隊 たち は 進ん で 行 つ た 。 九 万 の 兵 といふ もの は た ゞ 見 た だけ でも ぐつたりする 。 
「 雪 の 降る 日 は ひる まで も 
そら はいち めん まつ くら で 
わ づか に 雁 の 行く みち が 
ぼんやり 白く 見える の だ 。 
砂 が こごえ て 飛ん で き て 
枯れ た よ も ぎをひつこぬく 。 
抜け た よ もぎ は 次次 と 
都 の 方 へ 飛ん で 行く 。 」 
みんな は 、 みち の 両側 に 、 垣 を きづい て 、 ぞ ろ つと ならび 、 泪 を 流し て これ を 見 た 。 
かく て 、 バーユー 将軍 が 、 三 町 ばかり 進ん で 行 つて 、 町 の 広場 に つい た とき 、 向 ふ の お宮 の 方角 から 、 黄いろ な 旗 が ひらひら し て 、 誰 かこつ ち へ やつ て くる 。 これ は たしかに 知らせ が 行 つて 、 王 から 迎 ひ が 来 た の で ある 。 
ソン 将軍 は 馬 を とめ 、 ひ た ひ に 高く 手 を かざし 、 よく よく それ を 見 き はめ て 、 それから 俄 か に 一礼 し 、 急い で 、 馬 を 降りよ う と し た 。 ところが 馬 を 降り れ ない 、 もう 将軍 の 両足 は 、 し つかり 馬 の 鞍 に つき 、 鞍 は こんど は 、 が つ しり と 馬 の 背中 に くつ つい て 、 もう どうしても はなれ ない 。 さすが 豪気 の 将軍 も 、 す つかり あわて て 赤く なり 、 口 を びくびく 横 に 曲げ 、 一生けん命 、 はね 下りよ う と する の だ が 、 どうにも から だ が うごか なかつ た 。 あゝ これ こそ じつに 将軍 が 、 三 十 年 も 、 国境 の 空気 の 乾い た 砂漠 の なか で 、 重い つとめ を 肩 に 負 ひ 、 一 度 も 馬 を 下り ない ため に 、 馬 と ひとつ に なつ た の だ 。 おまけ に 砂漠 の まん中 で 、 どこ に も 草 の 生える ところ が なかつ た ため に 、 多分 は それ が 将軍 の 顔 を 見付け て 生え た の だら う 。 灰 いろ を し た ふしぎ な もの が もう 将軍 の 顔 や 手 や 、 まるで いち めん 生え て ゐ た 。 兵隊 たち に も 生え て ゐ た 。 そのうち 使 ひ の 大臣 は 、 だんだん 近く やつ て 来 て 、 もう まつ さき の 大きな 槍 や 、 旗 の しるし も 見え て 来 た 。 
将軍 、 馬 を 下り なさい 。 王様 から の お 迎 ひ です 。 将軍 、 馬 を 下り なさい 。 向 ふ の 列 で 誰 か 云 ふ 。 将軍 は また 手 を ばたばた し た が 、 やつ ぱりからだがはなれない 。 
ところが 迎 ひ の 大臣 は 、 鮒 より ひどい 近眼 だ つ た 。 わざと 馬 から 下り ない で 、 両手 を 振 つ て 、 みんな に 何 か 命令 し てる と 考へ た 。 
「 謀叛 だ な 。 よし 。 引き上げろ 。 」 さ う 大臣 は みんな に 云 つ た 。 そこで 大臣 一 行 は 、 くる つと 馬 を 立て直し 、 黄いろ な 塵 を あげ ながら 、 一目散 に 戻 つ て 行く 。 ソン 将軍 は これ を 見 て 肩 を すぼめ て ため息 を つき 、 しばらく ぼんやり し て ゐ た が 、 俄 か に うし ろ を 振り向い て 、 軍師 の 長 を 呼び寄せ た 。 
「 お ま へ は すぐ に 鎧 を 脱い で 、 おれ の 刀 と 弓 を もち 、 早く お宮 へ 行 つ て くれ 。 それから 誰 か に かう 云 ふ の だ 。 北 守将 軍 ソンバーユー は 、 あの 国境 の 砂漠 の 上 で 、 三 十 年 の ひる も 夜 も 、 馬 から 下りる ひま が なく 、 た うとう から だ が 鞍 に つき 、 その また 鞍 が 馬 について 、 どうにも お前 へ 出 られ ませ ん 。 これから お 医者 に 行き まし て 、 やがて 参内 いたし ます 。 かう ていねい に 云 つ て くれ 。 」 
軍師 の 長 は うなづい て 、 すばやく 鎧 と 兜 を 脱ぎ 、 ソン 将軍 の 刀 を もつ て 、 一目散 に かけ て 行く 。 ソン 将軍 は みん に 云 つ た 。 
「 全 軍 しづか に 馬 を おり 、 兜 を ぬい で 地 に 座れ 。 ソン 大将 は た ゞ 今 から 、 ちよ つと お 医者 へ 行 つて くる 。 そのうち 音 を たて ない で 、 じい つと やすん で ゐ て くれ い 。 わかつ た か 。 」 
「 わかり まし た 。 将軍 」 兵隊 共 は 声 を そろ へ て 一 度 に 叫ぶ 。 将軍 は それ を 手 で 制し 、 急い で 馬 に 鞭 うつ た 。 たびたび ペ たんと 砂漠 に 寝 た 、 この 有名 な 白馬 は 、 こ ゝ で 最後 の 力 を 出し 、 がたがた がたがた 鳴り ながら 、 風 より 早く かけ 出し た 。 さて 将軍 は 十 町 ばかり 、 夢中 で 馬 を 走ら せ て 、 大きな 坂 の 下 に 来 た 。 それから 俄 か に かう 云 つ た 。 
「 上手 な 医者 は い つ たい 誰 だ 。 」 
一 人 の 大工 が 返事 し た 。 
「 それ は リンパー 先生 です 。 」 
「 その リンパー は どこ に 居る 。 」 
「 すぐ この 坂 の ま 上 です 。 あの 三つ ある 旗 の うち 、 一番 左 で ござい ます 。 」 
「 よろしい 、 し ゆう 。 」 と 将軍 は 、 例 の 白馬 に 一 鞭 くれ て 、 一気に 坂 を かけ あがる 。 大工 は あと で ぶつぶつ 云 つ た 。 
「 何だ 、 あいつ は 野蛮 な やつ だ 。 ひと から もの を 教 は つて 、 よろしい 、 し ゆう 　 と は い つ た いなん だ 。 」 
ところが バーユー 将軍 は 、 そんな こと に は 構 は ない 。 そこら を うろうろ ある い て ゐる 、 病人 たち を はね 越え て 、 門 の 前 まで 上 つて ゐ た 。 なるほど 門 の はし ら に は 、 小 医 リンパー 先生 と 、 金看板 が かけ て ある 。 
三 、 リンパー 先生 
さて ソンバーユー 将軍 は 、 いまや リンパー 先生 の 、 大 玄関 を 乗り切 つ て 、 どしどし 廊下 へ 入 つて 行く 。 さすが は リンパー 病院 だ 、 どの 天井 も 室 の 扉 も 、 高 さ が 二丈 ぐらゐある 。 
「 医者 は どこ か ね 。 診 て もら ひ たい 。 」 ソン 将軍 は 号令 し た 。 
「 あなた は 一体 何 です か 。 馬 の まんま で 入る と は 、 あんまり 乱暴 すぎ ませ う 。 」 萌黄 の 長い 服 を 着 て 、 頭 を 剃 つた 一 人 の 弟子 が 、 馬 の くつ わ を つかま へ た 。 
「 お ま へ が 医者 の リンパー か 、 早く わが輩 の 病気 を 診ろ 。 」 
「 い ゝ え 、 リンパー 先生 は 、 向 ふ の 室 に 居ら れ ます 。 けれども ご用 が お あり なら 、 馬 から 下り て い た ゞ き たい 。 」 
「 い ゝ や 、 そいつ が できん の ぢ や 。 馬 から すぐ に 下り れ たら 、 今 ごろ は もう 王様 の 、 前 へ 行 つて た 筈 な ん ぢ や 。 」 
「 は はあ 、 馬 から 降り られ ない 。 そいつ は 脚 の 硬直 だ 。 そんな らい ゝ です 。 おいで なさい 。 」 
弟子 は 向 ふ の 扉 を あけ た 。 ソン 将軍 は ぱかぱかと 馬 を 鳴らし て は ひつ て 行 つ た 。 中 に は 人 が い つ ぱいで 、 その まん中 に 先生 らしい 、 小さな 人 が 床几 に 座り 、 しきりに 一 人 の 眼 を 診 て ゐる 。 
「 ひと つこ つ ち を たのむ の ぢ や 。 馬 から 降り られ ない で なう 。 」 さ う 将軍 は やさしく 云 つ た 。 ところが リンパー 先生 は 、 見向き も し ない し 動き も し ない 。 やつ ぱりじつと 眼 を 見 て ゐる 。 
「 おい 、 きみ 、 早く こ つ ち を 見 ん か 。 」 将軍 が 怒鳴り 出し た ので 、 病人 たち は びく つと し た 。 ところが 弟子 が しづか に 云 つ た 。 
「 診る に は 番 が あり ます から な 。 あなた は 九 十 六 番 で 、 いま は 六 人 目 です から 、 もう 九 十 人 お待ち なさい 。 」 
「 黙れ 、 き さま は 我輩 に 、 七 十 二 人 待て つ と 云 ふか 。 おれ を 誰 だ と 考へる 。 北 守将 軍 ソンバーユー だ 。 九 万 人 も の 兵隊 を 、 町 の 広場 に 待た せ て ある 。 おれ が 一 人 を 待つ こと は 七 万 二 千 の 兵隊 が 、 向 ふ の 方 で 待つ こと だ 。 すぐ 見 ない なら けちら す ぞ 。 」 将軍 は もう 鞭 を あげ 馬 は 一 いき はねあがり 、 病人 たち は 泣き だし た 。 ところが リンパー 先生 は 、 やつ ぱりびくともしてゐない 、 てんで こ つ ち を 見 も し ない 。 その 先生 の 右手 から 、 黄 の 綾 を 着 た 娘 が 立つ て 、 花瓶 に さし た 何 か の 花 を 、 一枝 と つて 水 につけ 、 やさしく 馬 に つきつけ た 。 馬 は ぱく つと それ を 噛み 、 大きな 息 を 一つ し て 、 ぺたんと 四つ 脚 を 折り 、 今度 はご う ご う いびき を かい て 、 首 を 落し て ねむ つ て しまふ 。 ソン 将軍 は まごつい た 。 
「 あ 、 馬 の やつ 、 又 参 つたな 。 困 つ た 。 困 つ た 。 困 つ た 。 」 と 云 つて 、 急い で 鎧 の かくし から 、 塩 の 袋 を とりだし て 、 馬 に 喰 べ さ せよ う と する 。 
「 おい 、 起き ん かい 。 あんまり 情けない やつ だ 。 あんなに ひどく 難儀 し て 、 やつ と 都 に 帰 つて 来る と 、 すぐ 気 が ゆるん で 死ぬ なんて 、 ぜんたい どう いふ 考 な の か 。 こら 、 起き ん かい 。 起き ん かい 。 し つ 、 ふう 、 どう 、 おい 、 この 塩 を 、 ほんの 一 口 たべ ん かい 。 」 それでも 馬 は 、 やつ ぱりぐうぐうねむつてゐる 。 ソン 将軍 は た うとう 泣い た 。 
「 おい 、 きみ 、 わし は とにかく に 、 馬 だけ どうか み て くれ たま へ 。 こいつ は 北 の 国境 で 、 三 十 年 も はたらい た の だ 。 」 
むす め は だま つて 笑 つて ゐ た が 、 この とき リンパー 先生 が 、 いきなり こ つ ち を 振り向い て 、 まるで 将軍 の 胸底 から 、 馬 の 頭 も 見 徹す やう な 、 するどい 眼 を し て しづか に 云 つ た 。 
「 馬 は まもなく 治り ます 。 あなた の 病気 を しらべる ため に 、 馬 を 座ら せ た だけ です 。 あなた は それで 向 ふ の 方 で 、 何 か 病気 を し まし た か 。 」 
「 い ゝ や 、 病気 は し なかつ た 。 病気 は 別 に し なかつ た が 、 狐 の ため に 欺 さ れ て 、 どうも ときどき 困 つ た ぢ や 。 」 
「 それ は 、 どう いふ 風 です か 。 」 
「 向 ふ の 狐 は いかん の ぢ や 。 十 万 近い 軍勢 を 、 た ゞ 一 ぺん に 欺 すん ぢ や 。 夜 に 沢山 火 を ともし たり 、 昼間 いきなり 破 漠 の 上 に 、 大きな 海 を こし ら へ て 、 城 や 何 か も 出し たり する 。 全く たち が 悪い ん ぢ や 。 」 
「 それ を 狐 が し ます の です か 。 」 
「 狐 と それ から 、 砂 鶻 ぢ や ね 、 砂 鶻 と いう て 鳥 な ん ぢ や 。 こいつ は 人 の 居ら ない とき は 、 高い 処 を 飛ん で ゐ て 、 誰 か を 見る と 試し に 来る 。 馬 の し つ ぽ を 抜い たり ね 。 目 を ねら つ たり する もん で 、 こいつ が で たら もう 馬 は 、 がたがた ふるへ てよ う あるか ん ね 。 」 
「 そん なら 一 ペ ん 欺 さ れる と 、 何 日 ぐらゐでよくなりますか 。 」 
「 まあ 四 日 ぢ や ね 。 五 日 の とき も ある やう ぢ や 。 」 
「 それで あなた は 今 まで に 、 何 べ ん ぐらゐ 欺 さ れ まし た ？ 」 
「 ごく 少く て 十 ぺん ぢ やら う 。 」 
「 それでは お尋ね いたし ます 。 百 と 百 と を 加 へる と 答 は いくら に なり ます か 。 」 
「 百 八 十 ぢ や 。 」 
「 それでは 二 百 と 二 百 で は 。 」 
「 さ やう 、 三 百 六 十 だら う 。 」 
「 そん なら も 一つ 伺ひ ます が 、 十 の 二 倍 は 何 ほど です か 。 」 
「 それ は もちろん 十 八 ぢ や 。 」 
「 なるほど 、 す つかり わかり まし た 。 あなた は 今 でも まだ 少し 、 砂漠 の ため に つかれ て ゐ ます 。 つまり 十 パーセント です 。 それでは なほ し て あげ ませ う 。 」 
パー 先生 は 両手 を ふつ て 、 弟子 に し たく を 云 ひ 付け た 。 弟子 は 大きな 銅 鉢 に 、 何 か の 薬 を い つ ぱい 盛 つて 、 布巾 を 添 へ て 持つ て 来 た 。 ソン 将軍 は 両手 を 出し て 鉢 を きちんと 受け とつ た 。 パー 先生 は 片 袖 まくり 、 布巾 に 薬 を い つ ぱいひたし 、 か ぶと の 上 から ざぶざぶかけて 、 両手 で それ を ゆすぶる と 、 兜 は す ぐにすぱりととれた 。 弟子 が も 一 人 、 も ひとつ 別 の 銅 鉢 へ 、 別 の 薬 を もつ て き た 。 そこで リンパー 先生 は 、 別 の 薬 で じ やぶ じ やぶ 洗 ふ 。 雫 は まるで まつ 黒 だ 。 ソン 将軍 は 心配 さ う に 、 うつむい た ま ゝ 訊い て ゐる 。 
「 どう かね 、 馬 は 大丈夫 か ね 。 」 
「 もう ぢ き です 。 」 と パー 先生 は 、 つ ゞ け て じ やぶ じ やぶ 洗 つて ゐる 。 雫 が だんだん 茶 いろ に な つて 、 それ から うすい 黄いろ に なつ た 。 それから た うとう もう 色 も なく 、 ソン 将軍 の 白髪 は 、 熊 より 白く 輝い た 。 そこで リンパー 先生 は 、 布巾 を 捨て て 両手 を 洗 ひ 、 弟子 は 頭 と 顔 を 拭く 。 将軍 は ぶる つと 身 ぶる ひし て 、 馬 に きちんと 起きあがる 。 
「 どう です 、 せいせい し た で せ う 。 ところで 百 と 百 と を たす と 、 答 は いくら に なり ます か 。 」 
「 もちろん それ は 二 百 だら う 。 」 
「 そん なら 二 百 と 二 百 と たせ ば 。 」 
「 さ やう 、 四 百 に ち が ひ ない 。 」 
「 十 の 二 倍 は どれ だけ です か 。 」 
「 それ は もちろん 二 十 ぢ や な 。 」 さつき の こと は 忘れ た 風 で 、 ソン 将軍 は けろりと 云 ふ 。 
「 す つかり お な ほり なり まし た 。 つまり 頭 の 目 が ふさ が つて 、 一 割 いけ なかつ た の です な 。 」 
「 いやいや 、 わし は 勘定 など の 、 十 や 二 十 は どう でも いい ん ぢ や 。 それ は 算 師 が やる で なう 。 わし は 早速 この 馬 と 、 わし を はなし て もら ひ たい ん ぢ や 。 」 
「 なるほど それ は あなた の 足 を 、 あなた の 服 と 引き は なす の は 、 すぐ 私 に 出来る です 。 いや もう 離れ て ゐる 筈 です 。 けれども 、 ず ぼん が 鞍 に つき 、 鞍 が また 馬 に つい た の を 、 はなす といふ の は 別 です な 。 それ は となり で 、 私 の 弟 が やつ て ゐ ます から 、 そつ ち へ おい で いただき ます 。 それ に い つ たい この 馬 も ひどい 病気 に か かつて ゐ ます 。 」 
「 そん なら わし の 顔 から 生え た 、 この もじ やも じ や は どう ぢ やら う 。 」 
「 そちら も やつ ぱり 向 ふ です 。 とにかく ひとつ と なり の 方 へ 、 弟子 を お供 に 出し ませ う 。 」 
「 それでは そつ ち へ 行く と しよ う 。 では さ やう なら 。 」 
さつき の 白い きもの を つけ た 、 むす め が 馬 の 右 耳 に 、 息 を 一つ 吹き込ん だ 。 馬 は が ばつ と はねあがり 、 ソン 将軍 は 俄 か に 背 が 高く なる 、 将軍 は 馬 の たづ な を とり 、 弟子 と ならん で 室 を 出る 。 それから 庭 を よこぎ つて 厚い 土塀 の 前 に 来 た 。 小さな 潜り が あい て ゐる 。 
「 いま 裏門 を あけ させ ませ う 。 」 助手 は 潜り を 入 つて 行く 。 
「 い ゝ や 、 それ に は 及ば ない 。 わたし の 馬 は これ ぐらゐ 、 まるで 何とも 思 つて や し ない 。 」 
将軍 は 馬 に むちをやる 。 
ぎつ 、 ばつ 、 ふう 。 馬 は 土塀 を はね 越え て 、 となり の リンプー 先生 の 、 けし の はたけ を め ちや くち や に 、 踏みつけ ながら 立つ て ゐ た 。 
四 、 馬 医 リンブー 先生 
ソン 将軍 が 、 お 医者 の 弟子 と 、 けし の 畑 を ふみつけ て 向 ふ の 方 へ 歩い て 行く と 、 もう あつ ちか ら も こ つ ちか ら も 、 ぶる るる ふう といふ やう な 、 馬 の 仲間 の 声 が する 。 そして 二 人 が 正面 の 、 巨 き な 棟 に は ひつ て 行く と 、 もう 四方 から 馬 ども が 、 二 十 疋 も かけ て 来 て 、 蹄 を こと こと 鳴らし たり 、 頭 を ぶらぶら し たり し て 、 将軍 の 馬 に 挨拶 する 。 
向 ふ で リンプー 先生 は 、 首 の ま が つた 茶 いろ の 馬 に 、 白い 薬 を 塗 つて ゐる 。 さつき の 弟子 が 進ん で 行 つて 、 ちよ つと 何 か を さ ゝ やく と 、 馬 医 の リンプー 先生 は 、 わら つ て こ つ ち を ふりむい た 。 巨 き な 鉄 の 胸 甲 を 、 が つ しり はめ て ゐる こと は 、 ちやう ど やつ ぱり 鎧 の やう だ 。 馬 に けら れ ぬ ため らしい 。 将軍 は すぐ その 前 へ 、 じ ぶん の 馬 を 乗りつけ た 。 
「 あなた が リンプー 先生 か 。 わし は 将軍 ソンバーユー ぢ や 。 何分 ひとつ たのみ たい 。 」 
「 いや 、 その 由 を 伺ひ まし た 。 あなた の お 馬 は たしか 三 十 九 ぐらゐですな 。 」 
「 四捨五入 し て 、 さ う ぢ や 、 やつ ぱり 三 十 九 ぢ や な 。 」 
「 は はあ 、 た ゞ いま 手術 いたし ます 。 あなた は 馬 の 上 に 居 て 、 すこし 煙い か しれ ませ ん 。 それ を ご 承知 ください ます か 。 」 
「 煙い ？ 　 なん の どうして 煙 ぐらゐ 、 砂漠 で 風 の 吹く とき は 、 一 分間 に 四 十 五 以上 、 馬 を 跳躍 さ せる ん ぢ や 。 それ を 三つ も 、 やすん だら 、 もう 頭 まで 埋まる ん ぢ や 。 」 
「 は はあ 、 それでは やり ませ う 。 おい 、 フーシユ 。 」 プー 先生 は 弟子 を 呼ぶ 。 弟子 は おじぎ を 一つ し て 、 小さな 壺 を もつ て 来 た 。 プー 先生 は 蓋 を とり 、 何 か 茶 いろ な 薬 を 出し て 、 馬 の 眼 に 塗りつけ た 。 それから 「 フーシユ 」 と また 呼ん だ 。 弟子 は おじぎ を 一つ し て 、 となり の 室 へ 入 つて 行 つて 、 しばらく ごと ごとし て ゐ た が 、 まもなく 赤い 小さな 餅 を 、 皿 に の つけ て 帰 つて 来 た 。 先生 は それ を つまみあげ 、 しばらく 指 で はさん だり 、 匂 を かい だり し て ゐ た が 、 何 か 決心 し た らしく 、 馬 に ぱくりと 喰 べ さ せ た 。 ソン 将軍 は 、 その 白馬 の 上 に 居 て 、 待ちくたびれ て あくび を し た 。 すると 俄 か に 白馬 は 、 がたがた がたがた ふるへ 出し それ から から だ 一 面 に 、 あせ と けむり を 噴き出し た 。 プー 先生 は こ は さ うに 、 遠く へ 行 つて ながめ て ゐる 。 がたがた がたがた 鳴り ながら 、 馬 はけ むりをつゞけて 噴い た 。 その また 煙 が 無 暗に 辛い 。 ソン 将軍 も 、 はじめ は 我慢 し て ゐ た が 、 た うとう 両手 を 眼 に あて て 、 ご ほん ご ほん と せき を し た 。 そのうち だんだん けむり は 消え て こんど は 、 汗 が 滝 より ひどく ながれだす 。 プー 先生 は 近く へよ つ て 、 両手 を ちよ つと 鞍 に あて 、 二 つつ ばかり ゆすぶ つ た 。 
たちまち 鞍 は す ぱりとはなれ 、 はずみ を 食 つた 将軍 は 、 床 に す とんと 落さ れ た 。 ところが さすが 将軍 だ 。 いつか きちんと 立つ て ゐる 。 おまけ に 鞍 と 将軍 も 、 もうす つかり と は なれ て ゐ て 、 将軍 はま が つた 両足 を 、 両手 で ぱしやぱしや 叩い た し 、 馬 は 俄 か に 荷 が なく な つて 、 さも 見当 が つか ない らしく 、 せ なか を ゆらゆら ゆすぶ つ た 。 すると バーユー 将軍 は こんど は 馬 の はう き の やう なし つ ぽ を 持つ て 、 いきなり ぐつと 引つ 張 つた 。 する と 何やら まつ 白 な 、 尾 の 形 し た 塊 が 、 ご とり と 床 に ころがり 落ち た 。 馬 は いかにも 軽 さ うに 、 いま は 全く 毛 だけ に なつ たし つ ぼ を 、 ふさふさ 振 つ て ゐる 。 弟子 が 三 人 集 つて 、 馬 の からだ を す つかり ふい た 。 
「 も うい ゝ だら う 。 歩い て ごらん 。 」 
馬 は しづか に 歩き だす 。 あんなに ぎちぎち 軋ん だ 膝 が いま で は す つかり 鳴ら なく なつ た 。 プー 先生 は 手 を あげ て 、 馬 を こ つ ち へ 呼び戻し 、 おじぎ を 一つ 将軍 に し た 。 
「 いや 謝 し ます ぢ や 。 それでは これ で 。 」 将軍 は 、 急い で 馬 に 鞍 を 置き 、 ひらり と それ に またがれ ば 、 そこら あたり の 病気 の 馬 は 、 ひん ひん 別れ の 挨拶 を する 。 ソン 将軍 は 室 を 出 て 塀 を ひらり と 飛び越え て 、 となり の リン ポー 先生 の 、 菊 の はたけ に 飛び込ん だ 。 
五 、 リン ポー 先生 
さて も リン ポー 先生 の 、 草木 を 治す その 室 は 、 林 の やう な もの だ つ た 。 あらゆる 種類 の 木 や 花 が 、 そこら い つ ぱいならべてあつて 、 どれ に も みんな 金 だの 銀 の 、 巨 き な 札 が つい て ゐる 。 そこ を 、 バーユー 将軍 は 、 馬 から 下り て 、 ゆ つくり と 、 ポー 先生 の 前 へ 行く 。 さつき の 弟子 が さき ま はり し て 、 す つかり 談 し て ゐ た らしく 、 ポー 先生 は 薬 の 函 と 大きな 赤い 団扇 を もつ て 、 ごく うやうやしく 待つ て ゐ た 。 ソン 将軍 は 手 を あげ て 、 
「 これ ぢ や 。 」 と 顔 を 指さし た 。 ポー 先生 は 黄いろ な 粉 を 、 薬 函 から 取り出し て 、 ソン 将軍 の 顔 から 肩 へ 、 もう い つ ぱいにふりかけて 、 それから 例 の うち は を もつ て 、 ばたばた ばたばた 扇ぎ 出す 。 すると たちまち 、 将軍 の 、 顔 ぢ ゆう の 毛 は まつ 赤 に 変り 、 みんな ふ は ふ は 飛び出し て 、 見 て ゐる うち に 将軍 は 、 す つかり 顔 が つるつる なつ た 。 じつに この とき 将軍 は 、 三 十 年 ぶり に つこ り し た 。 
「 それでは これ で 行き ます ぢ や 。 からだ も かるく な つた で なう 。 」 もう 将軍 は うれしく て 、 はや て の やう に 室 を 出 て 、 お もて の 馬 に 飛び乗れ ば 、 馬 は たちまち 病院 の 、 巨 き な 門 を 外 に 出 た 。 あと から 弟子 が 六 人 で 、 兵隊 たち の 顔 から 生え た 灰 いろ の 毛 を とる ため に 、 薬 の 袋 と うち は を もつ て 、 ソン 将軍 を 追 ひ かけ た 。 
六 、 北 守将 軍 仙人 と なる 
さて ソンバーユー 将軍 は 、 ポー 先生 の 玄関 を 、 光 の やう に 飛び出し て 、 となり の リンプー 病院 を 、 はや て の ごとく 通り過ぎ 、 次 の リンパー 病院 を 、 斜め に 見 ながら もう 一散 に 、 さつき の 坂 を かけ 下りる 。 馬 は 五 倍 も 速い ので 、 もう 向 ふ に は 兵隊 たち の 、 やすん で ゐる の が 見え て き た 。 兵隊 たち は 心配 さ う に こ つ ちの 方 を 見 て ゐ た の だ が 、 思は ず 歓呼 の 声 を あげ 、 みんな 一緒 に 立ちあがる 。 その とき お宮 の 方 から はさ つき の 使 ひ の 軍師 の 長 が 一目散 にかけて 来 た 。 
「 あゝ 、 王様 は 、 す つかり お わかり なり まし た 。 あなた の こと を お きき に な つて 、 おん 涙 さ へ 浮べ られ 、 お出で を お待ち で ござい ます 。 」 
そこ へ さつき の 弟子 たち が 、 薬 を もつ て やつ て き た 。 兵隊 たち は よろこん で 、 粉 を ふつ て は ばたばた 扇ぐ 。 そこで 九 万 の 軍隊 は 、 もう 輪廓 も はつ きり な つ た 。 
将軍 は 高く 号令 し た 。 
「 馬 に またがり 、 気 を つけ い つ 。 」 
みんな が 馬 に またがれ ば 、 まもなく そこら は しん として 、 たつ た 二 疋 の 遅れ た 馬 が 、 鼻 を ぶる つ と 鳴らし た だけ だ 。 
「 前 へ 進め つ 。 」 太鼓 も 銅鑼 も 鳴り出し て 、 軍 は 粛々 行進 し た 。 
やがて 九 万 の 兵隊 は 、 お宮 の 前 の 一 里 の 庭 に 縦横 ちや うど 三 百 人 、 四角 な 陣 を こし ら へ た 。 
ソン 将軍 は 馬 を 降り 、 しづか に 壇 を の ぼつ て 行 つて 床 に 額 を すりつけ た 。 王 は しづか に 斯 うい つ た 。 
「 じつに 永らく ご苦労 だ つ た 。 これから は もうこ ゝ に 居 て 、 大将 たち の 大将 として 、 なほ 忠勤 を はげん で くれ 。 」 
北 守将 軍 ソンバーユー は 涙 を 垂れ て お 答 へ し た 。 
「 お ことば まことに 畏く て 、 何と お 答 へ いたし て い ゝ か 、 とみに 言葉 も 出 で ませ ぬ 。 と は 云 へ いまや 私 は 、 生き た 骨 と も いふ やう な 、 役に立た ず で ござい ます 。 砂漠 の 中 に 居 まし た 間 、 どこ から 敵 が 見 て ゐる か 、 あなどら れ まい と 考へ て 、 いつ でも りん と 胸 を 張り 、 眼 を 見開い て 居り まし た の が 、 いま 王様 の お前 に 出 て 、 お ほめ の 詞 を い た ゞ き ます と 、 俄 か に 眼 さ へ 見え ぬ やう 。 背骨 も 曲 つ て しまひ ます 。 何卒 これ で お 暇 を 願 ひ 、 郷里 に 帰り た う ござい ます 。 」 
「 それでは 誰 か お ま へ の 代り 、 大将 五 人 の 名 を 挙げよ 。 」 
そこで バーユー 将軍 は 、 大将 四 人 の 名 を あげ た 。 そして 残り の 一 人 の 代り 、 リン 兄弟 の 三 人 を 国 の お 医者 に お ね が ひし た 。 王 は 早速 許さ れ た ので 、 その 場 で バーユー 将軍 は 、 鎧 も ぬげ ば 兜 も ぬい で 、 かさかさ 薄い 麻 を 着 た 。 そして じ ぶん の 生れ た 村 の ス 山 の 麓 へ 帰 つて 行 つて 、 粟 を すこ う し 播い たり し た 。 それから 粟 の 間引き も やつ た 。 けれども そのうち 将軍 は 、 だんだん もの を 食 は なく な つて せ つ か くじ ぶん で 播い たり し た 、 粟 も 一 口 たべ た だけ 、 水 を がぶがぶ 呑ん で ゐ た 。 ところが 秋 の 終り に なる と 、 水 も さ つ ぱり 呑ま なく な つて 、 ときどき 空 を 見上げ て は 何 か し や つくり する やう なき たい な 形 を たびたび し た 。 
そのうち いつか 将軍 は 、 どこ に も 形 が 見え なく なつ た 。 そこで みんな は 将軍 さま は 、 もう 仙人 に なつ た と 云 つて 、 ス 山 の 山 の い た ゞ き へ 小さな お 堂 を こし ら へ て 、 あの 白馬 は 神馬 に 祭り 、 あかし や 粟 を さ ゝ げ たり 、 麻 の のぼり を たて たり し た 。 
けれども この とき 国手 に なつ た 例 の リンパー 先生 は 、 会 ふ 人 ごと に 斯 うい つ た 。 
「 どうして 、 バーユー 将軍 が 、 雲 だけ 食 つ た 筈 は ない 。 おれ は バーユー 将軍 の 、 からだ を よく み て 知 つて ゐる 。 肺 と 胃の腑 は 同じ で ない 。 きつ と どこ か の 林 の 中 に 、 お 骨 が ある に ち が ひ ない 。 」 なるほど さ う かも しれ ない と 思 つた 人 も たくさん あつ た 。 
よく 晴れ て 前 の 谷川 も いつも とまる で ちがっ て 楽しく ごろごろ 鳴っ た 。 盆 の 十 六 日 な ので 鉱山 も 休ん で 給料 は 呉れ 畑 の 仕事 も 一段落 つい て 今日 こそ 一 日 そこら の 木 や とうもろこし を 吹く 風 も 家 の なか の 煙 に 射す 青い 光 の 棒 も みんな 二 人 の もの だっ た 。 
お みち は 朝 から 畑 に ある もの で 食べ られる もの を 集め て いろいろ に 取り合せ て み た 。 嘉吉 は 朝 いつも の 時刻 に 眼 を さまし て から 寝そべっ た まま 煙草 を 二 、 三 服 ふかし て またす うすう 眠っ て しまっ た 。 
この 一 年 に 二 日 しか ない 恐らくは 太陽 から も 許さ れ そう な 休み の 日 を 外 で は 鳥 が 針 の よう に 啼き 日光 が しんしん と 降っ た 。 嘉吉 が もう ひる 近い から と 起さ れ た の は もう 十 一 時 近く で あっ た 。 
お みち は 餅 の 三 いろ 、 あん の と 枝豆 を すっ て くる ん だ の と 汁 の と を 拵え て しまっ て 膳 の 支度 も し て 待っ て い た 。 嘉吉 は 楊子 を くわい て 峠 へ の みち を よこぎっ て 川 に おり て 行っ た 。 それ は 白 と 鼠 いろ の 縞 の ある 大理石 で 上流 に 家 の ない その きれい な 流れ が ざあざあ 云っ たり ご ぼ ご ぼ 湧い たり し た 。 嘉吉 は すぐ 川下 に 見える 鉱山 の 方 を 見 た 。 鉱山 も 今日 は ひっそり し て 鉄索 も うごい て い ず 青 ぞ ら に うすく けむっ て い た 。 嘉吉 は せいせい し て それでも まだ どこ か に 溶け ない 熱い かた まり が ある よう に 思い ながら 小屋 へ 帰っ て 来 た 。 嘉吉 は 鉱山 の 坑木 の 係り で は もう 頭株 だっ た 。 それ に 前 は 小林 区 の 現場 監督 も し て い た ので 木 の こと で は いちばん 明るかっ た 。 そして 冬 撰 鉱 へ 来 て い た この 村 の 娘 の お みち と 出来 て から とうとう その 一本調子 で 親 たち を 納得 さ せ て お みち を 貰っ て しまっ た 。 親 たち は 鉱山 から 少し 離れ て は い た けれども じ ぶん の 栗 の 畑 も わずか の 山林 も くっつい て いる いま の ところ に 小屋 を たて て やっ た 。 そして お みち は その わずか の 畑 に 玉蜀黍 や 枝豆 や ささげ も 植え た けれども 大抵 は 嘉吉 を 出し て やっ て から 実家 へ 手伝い に 行っ た 。 そうして まだ 子供 が なく 三 年 経っ た 。 
嘉吉 は 小屋 へ 入っ た 。 
（ お前 さま 今夜 ほう の き さ 仏 さん 拝み さ 行 ぐべ 。 ） お みち が 膳 の 上 に 豆 の 餅 の 皿 を 置き ながら 云っ た 。 （ うん 、 うな 行っ ただ がら 今年 ぁいいだなぃがべが 。 ） 嘉吉 が 云っ た 。 
（ そ だら 踊り さ で も 出 はる ます か 。 ） 俄 か に ぱっと 顔 を ほてら せ ながら お みち は 云っ た 。 （ ふん 見 さ 行 ぐべさ 。 ） 嘉吉 は すこし わらっ て 云っ た 。 膳 が でき た 。 いくつ も の 峠 を 越え て 海藻 の を 着せ た 馬 に 運ば れ て 来 た てんぐ さ も 四角 に 切ら れ て 朧 ろ に ひかっ た 。 嘉吉 は 子供 の よう に 箸 を とり はじめ た 。 
ふと 表 の 河岸 で カーン カーン と 岩 を 叩く 音 が し た 。 二 人 は ぎょっと し て 聞き耳 を たて た 。 
音 は なくなっ た 。 （ 今頃 探鉱 など 来る はず あな ぃな 。 ） 嘉吉 は 豆 の 餅 を 口 に 入れ た 。 音 が こちこち また 起っ た 。 
（ この 餅 拵える の は 仙台 領 ばかり だ も な 。 ） 嘉吉 は もう そっち を 考える の を やめ て 話しかけ た 。 （ はあ 。 ） お みち は けれども 気 の 無 さ そう に 返事 し て まだ お もて の 音 を 気 に し て い た 。 
（ 今日 は ちょっと お 訪ね いたし ます が 。 ） 門口 で 若い 水 々 しい 声 が 云っ た 。 （ は あい 。 ） 嘉吉 は 用 が あっ た から こっち へ 廻れ といった 風 で 口 を もぐもぐ し ながら 云っ た 。 けれども その 眼 は じっと お みち を 見 て い た 。 
（ あっ 、 こっち です か 。 今日 は 。 ご飯 中 を どうも 失敬 し まし た 。 ちょっと お尋ね し ます が 、 この 上流 に 水車 が あり ましょ う か 。 ） 若い かばん を 持っ て 鉄槌 を さげ た 学生 だっ た 。 （ さあ 、 お前 さん どこ から 来 なすっ た 。 ） 嘉吉 は 少し むかっ ぱらをたてたように 云っ た 。 
（ 仙台 の 大学 の もん です が ね 。 地図 に は この 家 が なく 水車 が ある ん です 。 ） （ は はあ 。 ） 嘉吉 は 馬鹿 に し た よう に 云っ た 。 青年 は すっかり 照れ て しまっ た 。 
（ まあ 地図 を お 見せ なさい 。 お 掛け なさい 。 ） 嘉吉 は 自分 も 前 小林 区 に 居 た ので 地図 は 明るかっ た 。 学生 は 地図 を 渡し ながら 云わ れ た 通り し きい に 腰掛け て しまっ た 。 お みち は すぐ 台所 の 方 へ 立っ て 行っ て 手早く 餅 や 海藻 と ささげ を 煮 た 膳 を こしらえ て 来 て 、 
（ お あがなえ ） と 云っ た 。 
（ こいつ あ 水車 じゃ あり ませ ん や 。 前 じき そこ に あっ た ん です が 掛 手 金山 の 精錬 所 で さ 。 ） （ ああ 、 金鉱 を 搗く あいつ です ね 。 ） （ ええ 、 そう 、 そう 、 水車 って 云え ば 水車 で さあ 。 ただ 粟 や 稗 を 搗く ん で ない 金 を 搗く だけ で 。 ） （ そして お家 は まだ 建た なかっ た ん です ね 、 いや お 食事 の ところ を お 邪魔 し まし た 。 ありがとう ござい まし た 。 ） 
学生 は 立と う と し た 。 嘉吉 は お みち の 前 で もう少し てきぱき 話 を つづけ たかっ た し 、 学生 が すこしも こっち を 悪く 受け ない の が 気に入っ て あわて て 云っ た 。 （ まあ 、 ひとつ お つき合い なさい 。 ここら は 今日 盆 の 十 六 日 で こうして 遊ん で いる ん です 。 かか あ も せっ 角 拵え た の お客 さん に 食べ て いただか な ぃと 恥 かき ます から 。 ） （ お あ がん な え 。 ） お みち も 低く 云っ た 。 
学生 は しばらく 立っ て い た が 決心 し た よう に 腰 を おろし た 。 （ そい じゃ 頂き ます よ 。 ） （ はっ は 、 なあに 、 こごら の ご馳走 て ば こっ た な もん で は 。 そう する ど あな だ は 大学 で は 何 の ほう で 。 ） （ 地質 です 。 もうから ない 仕事 で 。 ） 餅 を 噛み 切っ て 呑み 下し て また 云っ た 。 （ 化石 を さがし に 来 た ん です 。 ） 化石 も 嘉吉 は 知っ て い た 。 （ そこ の 岩 に あり し た か 。 ） （ ええ 海 百 合 です 。 外 で も とり まし た 。 この 岩 は まだ 上流 に も 二 、 三 ヶ所 出 て い ましょ う ね 。 ） （ はあ はあ 、 出 て ます 出 て ます 。 ） 学生 は 何 でも もう 早く 餅 を げろ 呑み に し て 早く 生き たい よう に も 見え また やっぱり 疲れ て も いれ ば こういう 款待 に 温 さ を 感じ て まだ 止まっ て い たい よう に も 見え た 。 
（ 今日 は そう せ ば と どこ まで 。 ） （ ええ 、 峠 まで 行っ て 引っ返し て 来 て 県道 を 大船渡 へ 出よ う と 思い ます 。 ） 
（ 今晩 の お 泊り は 。 ） （ 姥石 まで 行け ましょ う か 。 ） （ はあ 、 ゆっくり で ご あす 。 ） （ いや 、 どうも 失礼 し まし た 。 ほんとう に いろいろ ご馳走 に なっ て 、 これ は ほんの 少し です が 。 ） 学生 は 鞄 から 敷島 を 一つ と キャラメル の 小さな 箱 を 出し て 置い た 。 （ なあに す 、 そ たなご と お前 さん 。 ） お みち は 顔 を 赤く し て それ を 押し戻し た 。 
（ もう ほんの 。 ） 学生 は さっさと 出 て 行っ た 。 （ なあんだ 。 あと 姥石 まで 煙草 売る どこ な ぃも 。 ぼ かげ で 置い で 来 。 ） お みち は 急い で 草履 を つっ かけ て 出 た けれども 間もなく 戻っ て 来 た 。 （ 脚 早く て 。 とっても 。 ） （ 若い がら 律儀 だ も な 。 ） 嘉吉 は また ゆっくり くつろい で うすぐろい てん を 砕い て 醤油 に つけ て 食っ た 。 
お みち は 娘 の よう な 顔 いろ で まだ ぼんやり し た よう に 座っ て い た 。 それ は 嘉吉 が お みち を 知っ て から わずか に 二 度 だけ 見 た 表情 で あっ た 。 
（ おら に も ああ いう 若 ぃづぎあったんだがな 、 ああ いう 面白い 目 見る 暇 な ぃがったもな 。 ） 嘉吉 が 云っ た 。 
（ あん 。 ） お みち は まだ ぼんやり し て 何 か 考え て い た 。 
嘉吉 は かっと なっ た 。 
（ じゃ ぃ 、 はきはき ど 返事 せ じゃ 。 何で ぁ 、 あ た な 人形 こ さ 奴 さ ぁすぐにほれやがて 。 ） 
（ 何 云う べ この 人 ぁ 。 ） お みち は さぁ っと 青じろく なっ て また 赤く なっ た 。 
（ ええ 糞 その つら 付 。 見 だ ぐなぃ 。 どこ さ でも け づがれ 。 びっき 。 ） 嘉吉 は まるで 落ち はじめ た なだれ の よう に 膳 を 向う へ け飛ばし た 。 お みち は とうとう うつぶせ に なっ て 声 を あげ て 泣き 出し た 。 
（ 何だ ぃ 。 あっ た な 雨 降れ ば 無 ぐなるような 奴凧 こ さ 、 食え の 申し訳 げ な ぃの 機嫌 取り やがて 。 ） 嘉吉 は また そう 云っ た けれども すこしも それ に 逆 う で も なく ただ 辛 そう に しくしく 泣い て いる お みち の よごれ た 小倉 の 黒い えり や 顫 うせ なか を 見 て いる と 二 人 とも 何 年 ぶり か の ただ の 子供 に なっ て この 一 日 を ままごと の よう に し て 遊ん で い た の を めちゃめちゃ に こわし て しまっ た よう で から だ が 風 と 青い 寒天 で ごちゃごちゃ に さ れ た よう な 情ない 気 が し た 。 
（ お みち 何で ぁその 年 し て で わら すみ だ ぃに 。 起 ぎろったら 。 起 ぎで 片 付 げろ っ たら 。 ） 
お みち は 泣きじゃくり ながら 起きあがっ た 。 そして じ ぶん は まだ ろくに 食べ も し なかっ た 膳 を 片付け はじめ た 。 
嘉吉 は マッチ を すっ て たばこ を 二つ 三つ の ん だ 。 それから 横 から じっと お みち を 見る と まだ 泣き たい の を 無理 に こらえ て 口 を びく びく し ながら ぼんやり 眼 を 赤く し て いる の が 酔っ た 狸 の よう に でも 見え た 。 嘉吉 は 矢 も たて も たまら ず 俄 か に お みち が 可哀そう に なっ て き た 。 
嘉吉 は じっと 考え た 。 お みち が さっき の あの 顔 いろは こっち の 邪推 かも しれ ない 。 
及び も し ない あんな 男 を いきなり 一言 二 言 は なし て そんな こと を 考える なんて ある こと で ない 。 そう だ と する と おれ が あんな 大学生 と で も 引け目 なし に ぱりぱり 談 し た 。 その おれ の 力 を 感じ て い た の かも 知れ ない 。 それに おれ に は 鉱夫 ども に さえ 馬鹿 に は さ れ ない 肩 や 腕 の 力 が ある 。 あんな ひょろひょろ し た 若造 に くらべ て は 何 と 云っ て も お みち に は おれ の ほう が 勝ち 目 が ある 。 
（ お みち 、 ちょっと こ さ 来 。 ） 嘉吉 が 云っ た 。 
お みち は だまっ て 来 て 首 を 垂れ て 座っ た 。 
（ う なまる で 冗談 づごと 判ら な ぃで 面白 ぐなぃもな 。 盆 の 十 六 日 ぁ 遊ば な ぃばつまらなぃ 。 おれ 云っ た な みんな うそ さ 。 な 。 それでも ああ いう きれい な 男 う な だ て 好 ぎだべ 。 ） （ 好 かな ぃ 。 ） お みち が 甘える よう に 云っ た 。 
（ 好 ぎたって 云っ たら おれ ご し ゃぐど 思う が 。 その こら ぃなごと 云っ て ごし ゃぐような 水臭 ぃおらだなぃな 。 誰 だって きれい な もの すぎ さ な 。 おれ だって 伊手 で でも いい あ ねこ 見れ ば その 話 だ て する さ 。 あの あんこ だ て 好 ぎだべ 。 好 ぎだて 云え 。 こう 云う ごと ほん と 云う ご そ 実 ぁあるづもんだ 。 な 。 好 ぎだべ 。 ） お みち は 子供 の よう に うなずい た 。 嘉吉 は まだ くしゃくしゃ 泣い て おどけ た よう な 顔 を し た お みち を 抱い て こっそり 耳 へ ささやい た 。 （ そ だ が ら さ 、 あの あんこ 肴 に し て 今日 ぁ 遊ぶ べ じゃい 。 いい が 。 おれ あの あんこう な さ 取り 持 づ 。 大丈夫 だ で ば よ 。 おれ これ がら 出 掛 げ て 峠 さ 行 ぐまでに 行 ぎあって 今夜 の 踊り 見る べし て すすめる がら よ 、 なあに ど ごま で 行 が な ぃやなぃようだなぃがけな 。 そして 踊り 済 まっ て がら 家 さ 連れ で 来 て おれ 実家 さ 行っ て 泊っ て 来る がら う な こっち で 泣い て 頼ん で みな よ 。 おれ の 妹 だって 云え ば いい がら よ 。 そして さ 出来れ ば よ 、 うな も 町 さ 出 はて も うんと いい 女子 だ づごともわがら 。 ） 
お みち の 胸 は この 悪魔 の ささやき に どかどか 鳴っ た 。 それ から いきなり 嘉吉 を とび 退い て 、 
（ 何 云う べ 、 この 人 あ 、 人 ば が に し て 。 ） そして 爽 か に 笑っ た 。 嘉吉 も ごろりと 寝そべっ て 天井 を 見 ながら 何 べ ん も 笑っ た 。 そこで お みち は はじめて 晴れ晴れ じ ぶん の 拵え た 寒天 も たべ た 。 餅 も たべ た 。 キャラメル の 箱 と 敷島 は 秋 らしい 日光 の なか に しずか に 横 わっ た 。 
嘉 ッコ は 、 小さな わらじ を はい て 、 赤い げんこ を 二つ 顔 の 前 に そろえ て 、 ふっ ふっと 息 を ふきかけ ながら 、 土間 から 外 へ 飛び出し まし た 。 外 は つめたく て 明るく て 、 そして しん と し て い ます 。 
嘉 ッコ の お母さん は 、 大きな けら を 着 て 、 縄 を 肩 にかけて 、 その あと から 出 て 来 まし た 。 
「 母 、 昨夜 、 土 ぁ 、 凍み だ じゃ ぃ 。 」 嘉 ッコ は しめっ た 黒い 地面 を 、 ばたばた 踏み ながら 云い まし た 。 
「 うん 、 霜 ぁ 降っ た の さ 。 今日 は 畑 ぁ 、 土 ぁぐじゃぐじゃづがべもや 。 」 と 嘉 ッコ の お母さん は 、 半分 ひとり ごと の よう に 答え まし た 。 
嘉 ッコ の おばあさん が 、 やっぱり けら を 着 て 、 すっかり 支度 を し て 、 家 の 中 から 出 て 来 まし た 。 
そして 一寸 手 を かざし て 、 明るい 空 を 見 まわし ながら つぶやき まし た 。 
「 爺 ご ぁ 、 今朝 も 戻 て 来 な ぃがべが 。 家 で ぁこったに 忙 が し で ば 。 」 
「 爺 ご ぁ 、 今朝 も 戻 て 来 な ぃがべが 。 」 嘉 ッコ が いきなり 叫び まし た 。 
おばあさん は わらい まし た 。 
「 うん 。 け づな 爺 ご だ も な 。 酔 たぐれ で ば がり 居 で 、 一向 仕事 助ける もさ ない で 。 今日 も 町 で 飲ん で ら べ ぁな 。 う な は 爺 ご に 肖る や な ぃじゃぃ 。 」 
「 ダゴダア 、 ダゴダア 、 ダゴダア 。 」 嘉 ッコ は もう 走っ て 垣 の 出口 の 柳 の 木 を 見 て い まし た 。 
それ は ツン ツン 、 ツン ツン と 鳴い て 、 枝 中 はね あるく 小さな みそさざい で 一 杯 でし た 。 
実に 柳 は 、 今 は その 細長い 葉 を すっかり 落し て 、 冷たい 風 に ほんの すこし ゆれ 、 その てっぺん の 青 ぞ ら に は 、 町 の お 祭り の 晩 の 電気 菓子 の よう な 白い 雲 が 、 静 に 翔け て いる の でし た 。 
「 ツツンツツン 、 チ 、 チ 、 ツン 、 ツン 。 」 
みそさざい ども は 、 とん だり はね たり 、 柳 の 木 の なか で 、 じつに おもしろ そう に やっ て い ます 。 柳 の 木 の なか という わけ は 、 葉 の 落ち て カラッ と なっ た 柳 の 木 の 外側 に は 、 すっかり ガラス が 張っ て ある よう な 気 が する の です 。 それ です から 、 嘉 ッコ は ますます 大 よろこび です 。 
けれども とうとう 、 その すきとおる ガラス 函 も こわれ まし た 。 それ は お母さん や おばあさん が こっち へ 来 まし た ので 、 嘉 ッコ が 「 ダア 。 」 と いい ながら 、 両手 を あげ た もの です から 、 小さな みそさざい ども は 、 みんな まるで ま ん 円 に なっ て 、 ぼろ ん と 飛ん で しまっ た の です 。 
さて みそさざい も 飛び まし た し 、 嘉 ッコ は 走っ て 街道 に 出 まし た 。 
電信 ば しらが 、 
「 ゴーゴー 、 ガーガー 、 キイミイガアアヨオワア 、 ゴゴー 、 ゴゴー 、 ゴゴー 。 」 と うなっ て い ます 。 
嘉 ッコ は 街道 の まん中 に 小さな 腕 を 組ん で 立ち ながら 、 松 並木 の あっち こっち を よく よく 眺め まし た が 、 松 の 葉 が パサパサ 続く ばかり 、 その ほか に はず うっ と はずれ の はずれ の 方 に 、 白い 牛 の よう な もの が 頭 だ か 足 だ か 一 寸 出し て いる だけ です 。 嘉 ッコ は 街道 を 横 ぎって 、 山 の 畑 の 方 へ 走り まし た 。 お母さん たち も あと から 来 ます 。 けれども 、 この 路 なら ば 、 お母さん より おばあさん より 、 嘉 ッコ の 方 が よく 知っ て いる の でし た 。 路 の まん中 に 一寸 顔 を 出し て いる 円い あばた の 石ころ さえ も 、 嘉 ッコ は ちゃんと 知っ て いる の でし た 。 厭きる 位 知っ て いる の でし た 。 
嘉 ッコ は 林 に はいり まし た 。 松の木 や 楢 の 木 が 、 つんつん と 光 の そら に 立っ て い ます 。 
林 を 通り抜ける と 、 そこ が 嘉 ッコ の 家 の 豆 畑 でし た 。 
豆 ば たけ は 、 今 は もう 、 茶色 の 豆 の 木 で ぎっしり です 。 
豆 は みな 厚い 茶色 の 外套 を 着 て 、 百 列 に も 二 百 列 に も なっ て 、 サッサッ と 歩い て いる 兵隊 の よう です 。 
お 日 さま は そら のう すぐ も に はいり 、 向う の 方 の すすき の 野原 が うすく 光っ て い ます 。 
黒い 鳥 が その 空 の 青じろい はて を 、 ななめ に かけ て 行き まし た 。 
お母さん たち が やっと 林 から 出 て 来 まし た 。 それから 向う の 畑 の へり を 、 もう 二 人 の 人 が 光っ て こっち へ やっ て 参り ます 。 一 人 は 大きく 一 人 は 黒く て 小さい の でし た 。 
それ は たしかに 、 隣り の 善 コ と 、 その お母さん と に ちがい あり ませ ん 。 
「 ホー 、 善 コォ 。 」 嘉 ッコ は 高く 叫び まし た 。 
「 ホー 。 」 高く 返事 が 響い て 来 ます 。 そして 二 人 は どっち から も かけ 寄っ て 、 ちょうど 畑 の 堺 で 会い まし た 。 善 コ の 家 の 畑 も 、 茶色 外套 の 豆 の 木 の 兵隊 で 一 杯 です 。 
「 汝 ぃの 家 さ 、 今朝 、 霜 降っ た が 。 」 と 嘉 ッコ が たずね まし た 。 
「 霜 ぁ 、 おれ ぁの 家 さ 降っ た 。 う な ぃの 家 さ 降っ た が 。 」 善 コ が いい まし た 。 
「 うん 、 降っ た 。 」 
それから 二 人 は 善 コ の お母さん が 持っ て 来 た 蓆 の 上 に 座り まし た 。 お母さん たち は うし ろ で 立っ て 談 し て い ます 。 
二 人 は むしろ に 座っ て 、 
「 わあ ああ ああ ああ ああ 。 」 と 云い ながら 両手 で 耳 を 塞い だり あけ たり し て 遊び まし た 。 ところが 不思議 な こと は 、 「 わあ あ ああ ああ ああ 。 」 と 云わ ない で も 、 両手 で 耳 を 塞い だり あけ たり し ます と 、 
「 カーカーココーコー 、 ジャー 。 」 という 水 の 流れる よう な 音 が 聞える の でし た 。 
「 じゃ 、 汝 、 あの 音 ぁ 何 の 音 だ が 覚 だ が 。 」 
と 嘉 ッコ が 云い まし た 。 善 コ も しばらく やっ て 見 て い まし た が 、 やっぱり どうしても それ が わから ない らしく 困っ た よう に 、 
「 奇 体 だ な 。 」 と 云い まし た 。 
その 時 丁度 嘉 ッコ の お母さん が 畦 の 向う の 方 から 豆 を 抜き ながら だんだん こっち へ 来 まし た ので 、 嘉 ッコ は 高く 叫び まし た 。 
「 母 、 こう 云 に し て ガアガア ど 聞える もの ぁ 何 だ べ 。 」 
「 西根 山 の 滝 の 音 さ 。 」 お母さん は 豆 の 根 の 土 を ばたばた 落し ながら 云い まし た 。 二 人 は 西根 山 の 方 を 見 まし た 。 けれども そこ から 滝 の 音 が 聞え て 来る と は どうも 思わ れ ませ ん でし た 。 
お母さん が 向う へ 行っ て 今度 は おばあさん が 来 まし た 。 
「 ば さん 。 こう 云 に し て ガアガアコーコー ど 鳴る もの ぁ 何 だ べ 。 」 
おばあさん は やれやれ と 腰 を のばし て 、 手の甲 で 額 を 一寸 こすり ながら 、 二 人 の 方 を 見 て 云い まし た 。 
「 天の邪鬼 の 小便 の 音 さ 。 」 
二 人 は 変 な 顔 を し ながら 黙っ て しばらく その 音 を 呼び寄せ て 聞い て い まし た が 、 俄 か に 善 コ が びっくり する 位 叫び まし た 。 
「 ほう 、 天の邪鬼 の 小便 ぁ 永 ぃな 。 」 
そこで 嘉 ッコ が 飛び あがっ て 笑っ て おばあさん の 所 に 走っ て 行っ て いい まし た 。 
「 アッハッハ 、 ば さん 。 天の邪鬼 の 小便 ぁたまげだ 永 ぃな 。 」 
「 永 ぃてさ 、 天の邪鬼 ぁいっつも 小便 、 垂れ 通し さ 。 」 と おばあさん は すまし て 云い ながら 又 豆 を 抜き まし た 。 嘉 ッコ は 呆れ て ぼんやり と むしろ に 座り まし た 。 
お 日 さま は うすい 白雲 に はいり 、 黒い 鳥 が 高く 高く 環 を つくっ て い ます 。 その 雲 の こっち 、 豆 の 畑 の 向う を 、 鼠色 の 服 を 着 て 、 鳥 打 を かぶっ た せい の むやみ に 高い 男 が 、 なにか たくさん 肩 に かつい で 大股 に 歩い て 行き ます 。 
「 兵隊 さん 。 」 善 コ が 叫び ながら そっち へ かけ 出し まし た 。 
「 兵隊 さ だ な ぃ 。 鉄砲 持 ってな ぃぞ 。 」 嘉 ッコ も 走り ながら 云い まし た 。 
「 兵隊 さん 。 」 善 コ が 又 叫び まし た 。 
「 兵隊 さん だ な ぃ 。 鉄砲 持 ってな ぃぞ 。 」 けれども その 時 は 二 人 は もう 旅人 の 三 間 ばかり こっち まで 来 て い まし た 。 
「 兵隊 さん 。 」 善 コ は 又 叫ん で から おかしな 顔 を し て しまい まし た 。 見る と その 人 は 赤ひげ で 西洋 人 な の です 。 おまけ に その 男 が 口 を 大きく し て 叫び まし た 。 
「 グルルル 、 グルウ 、 ユー 、 リトル 、 ラズカルズ 、 ユー 、 プレイ 、 トラウント 、 ビ 、 オッフ 、 ナウ 、 スカッド 、 アウエイ 、 テゥ 、 スクール 。 」 
と 雷 の よう な 声 で どなり まし た 。 そこで 二 人 は もう グー と も 云わ ず 、 ま ん 円 に なっ て 一目散 に 逃げ まし た 。 する とうしろ で は いかにも 面白 そう に 高く 笑う 声 が し ます 。 向う の 方 で は お母さん たち が 心配 そう に 手 を かざし て こっち を 見 て い まし た が 、 やがて 一寸 おじぎ を し まし た 。 二 人 は 振り返っ て 見 ます と その 鼠色 の 旅人 も 笑い ながら 帽子 を とっ て おじぎ を し て 居り まし た 。 そして 又 大股 に 向う に 歩い て 行っ て しまい まし た 。 
お 日 さま が 又 かっと 明るく なり 、 二 人 は むしろ に 座っ て ひばり も い ない のに 、 
「 ひばり 焼 げ こ 、 ひばり こんぶ りこ 、 」 なんて 出鱈目 な ひばり の 歌 を 歌っ て い まし た 。 
その うち に 嘉 ッコ が ふと 思い出し た よう に 歌 を やめ て 、 一寸 顔 を しかめ まし た が 、 俄 か に 云い まし た 。 
「 じゃ 、 う な ぃの 爺 ご ぁ 、 酔っ た ぐれ だ が 。 」 
「 うん にゃ 、 おれ ぁの 爺 ご ぁ 酔っ た ぐれ だ な ぃ 。 」 善 コ が 答え まし た 。 
「 そ だら 、 う な ぃの 爺 ご ど 俺 ぁの 爺 ご ど 、 爺 ご 取っ 換 ぇだらいがべじゃぃ 。 取っ 換 ぇなぃどが 。 」 嘉 ッコ が これ を 云う か 云わ ない に ウン と 云う くらい ひどく 耳 を ひっぱら れ まし た 。 見る と 嘉 ッコ の おじいさん が けら を 着 て 章魚 の よう な 赤い 顔 を し て 嘉 ッコ を 上 から 見おろし て いる の でし た 。 
「 なに し た ど 。 爺 ご 取っ 換 ぇるど 。 それ より も う な の ごと 山山 の へっ ぴり 伯父 さ 呉 で やる べ が 。 」 
「 じさ ん 、 許せ ゆるせ 、 取っ 換 ぇなぃはんて 、 ゆるせ 。 」 嘉 ッコ は 泣き そう に なっ て あやまり まし た 。 そこで じいさん は 笑っ て 自分 も 豆 を 抜き はじめ まし た 。 
火 は 赤く 燃え て い ます 。 けむり は 主 に おじいさん の 方 へ 行き ます 。 
嘉 ッコ は 、 黒 猫 を しっぽ で つかまえ て 、 ギッ と 云う くらい に 抱い て い まし た 。 向う側 で は もう 学校 に 行っ て いる 嘉 ッコ の 兄さん が 、 鞄 から 読本 を 出し て 声 を 立て て 読ん で い まし た 。 
「 松 を 火 に たく いろり の そば で 
よる は よもやま は なし が はずむ 
母 が 手ぎわ の だいこん な ます 
これ が いなか の としこ し ざかな 。 第 十 三 課 … … 。 」 
「 何 し た ど 。 大根 な ます だ ど 。 としこ し ざが な だ ど 。 あんまり け づな 書物 だ な 。 」 と おじいさん が いきなり 云い まし た 。 そこで 嘉 ッコ の お父さん も 笑い まし た 。 
「 なあに この 書物 ぁ 倹約 教え だ の だ べ も 。 」 
ところが 嘉 ッコ の 兄さん は 、 すっかり 怒っ て しまい まし た 。 そして まるで 泣き 出し そう に なっ て 、 読本 を 鞄 に しまっ て 、 
「 嘉 ッコ 、 猫 ぉおれさ 寄越せ じゃ 。 」 と 云い まし た 。 
「 わが な ぃんちゃ 。 厭 ん たちゃ 。 」 と 嘉 ッコ が 云い まし た 。 
「 寄越せ っ たら 、 寄越せ 。 嘉 ッコ ぉ 。 わあ い 。 寄越せ じゃぁ 。 」 
「 厭 た ぁ 、 厭 た ぁ 、 厭 たっ たら 。 」 
「 そ だら 撲 だ ぐじゃぃ 。 いい が 。 」 嘉 ッコ の 兄さん が 向う で 立ちあがり まし た 。 おじいさん が それ を とめ 、 嘉 ッコ が すばやく 逃げ かかっ た とき 、 俄 に 途方 も ない 、 空 の 青 セメント が 一 ぺん に 落ち た という よう な ガタアッ という 音 が し て 家 は ぐらぐら っと ゆれ 、 みんな は ぼ かっと し て 呆れ て しまい まし た 。 猫 は 嘉 ッコ の 手 から 滑り落ち て 、 ぶる る っと からだ を ふるわせ て 、 それから 一目散 に どこ か へ 走っ て 行っ て しまい まし た 。 「 ガリガリッ 、 ゴロゴロ ゴロゴロ 。 」 音 は 続き 、 それから バァッ と 表 の 方 が 鳴っ て 何 か 石ころ の よう な もの が 一散 に 降っ て 来 た よう す です 。 
「 お 雷 さん だ 。 」 おじいさん が 云い まし た 。 
「 雹 だ 。 」 お父さん が 云い まし た 。 ガアガアッ という その 雹 の 音 の 向う から 、 
「 ホーォ 。 」 と となり の 善 コ の 声 が 聞え ます 。 
「 ホーォ 。 」 と 嘉 ッコ が 答え まし た 。 
「 ホーォォ 。 」 と なり で 又 叫ん で い ます 。 
「 ホーォォー 。 」 嘉 ッコ が 咽喉 一 杯 笛 の よう に し て 叫び まし た 。 
俄 に 外 の 音 は やみ 、 淵 の 底 の よう に しずか に なっ て しまっ て 気味が悪い くらい です 。 
嘉 ッコ の 兄さん は 雹 を 取ろ う と 下駄 を はい て 表 に 出 まし た 。 嘉 ッコ も 続い て 出 まし た 。 空 は まるで 新 らしく 拭い た 鏡 の よう に なめらか で 、 青い 七 日 ごろ の お 月 さま が その まん中 に かかり 、 地面 は ぎらぎら 光っ て 嘉 ッコ は 一寸 氷砂糖 を ふりまい た の だ と さえ 思い まし た 。 
南 の ず うっ と 向う の 方 は 、 白い 雲 か 霧 か が かかり 、 稲 光り が 月あかり の 中 を たびたび 白く 渡り ます 。 二 人 は 雀 の 卵 ぐらい ある 雹 の 粒 を ひろっ て 愕 ろ き まし た 。 
「 ホーォ 。 」 善 コ の 声 が し ます 。 
「 ホーォ 。 」 嘉 ッコ と 嘉 ッコ の 兄さん と は 一所 に 叫び ながら 垣根 の 柳 の 木の下 まで 出 て 行き まし た 。 となり の 垣根 から も 小さな 黒い 影 が プイッ と 出 て こっち へ やっ て 参り ます 。 善 コ です 。 嘉 ッコ は 走り まし た 。 
「 ほお 、 雹 だ じゃ ぃ 。 大き じゃ ぃ 。 こっ た に 大 きじ ゃぃ 。 」 
善 コ も 一杯 つかん で い まし た 。 
「 俺 家 の な も この 位 ある じゃ ぃ 。 」 
稲 ず ま が 又 白く 光っ て 通り過ぎ まし た 。 
「 あ 、 山山 の へっ ぴり 伯父 。 」 嘉 ッコ が いきなり 西 を 指さし まし た 。 西根 の 山山 の へっ ぴり 伯父 は 月光 に 青く 光っ て 長々 と からだ を 横たえ まし た 。 
双子 の 星 　 一 
天の川 の 西 の 岸 に すぎ な の 胞子 ほど の 小さな 二つ の 星 が 見え ます 。 あれ は チュンセ 童子 と ポウセ 童子 という 双子 の お 星 さま の 住ん で いる 小さな 水 精 の お宮 です 。 
この すきとおる 二つ の お宮 は 、 まっすぐ に 向い 合っ て い ます 。 夜 は 二 人 とも 、 きっと お宮 に 帰っ て 、 きちんと 座り 、 空 の 星 めぐり の 歌 に 合せ て 、 一 晩 銀笛 を 吹く の です 。 それ が この 双子 の お 星 様 の 役目 でし た 。 
ある 朝 、 お日様 が カツカツカツ と 厳か に お 身体 を ゆすぶっ て 、 東 から 昇っ て おいで に なっ た 時 、 チュンセ 童子 は 銀笛 を 下 に 置い て ポウセ 童子 に 申し まし た 。 
「 ポウセ さん 。 もう いい でしょ う 。 お日様 も お 昇り に なっ た し 、 雲 も まっ白 に 光っ て い ます 。 今日 は 西 の 野原 の 泉 へ 行き ませ ん か 。 」 
ポウセ 童子 が 、 まだ 夢中 で 、 半分 眼 を つぶっ た まま 、 銀笛 を 吹い て い ます ので 、 チュンセ 童子 は お宮 から 下り て 、 沓 を はい て 、 ポウセ 童子 の お宮 の 段 に のぼっ て 、 もう一度 云い まし た 。 
「 ポウセ さん 。 もう いい でしょ う 。 東 の 空 は まるで 白く 燃え て いる よう です し 、 下 で は 小さな 鳥 なんか もう 目 を さまし て いる 様子 です 。 今日 は 西 の 野原 の 泉 へ 行き ませ ん か 。 そして 、 風車 で 霧 を こしらえ て 、 小さな 虹 を 飛ばし て 遊ぼ う で は あり ませ ん か 。 」 
ポウセ 童子 は やっと 気がつい て 、 びっくり し て 笛 を 置い て 云い まし た 。 
「 あ 、 チュンセ さん 。 失礼 いたし まし た 。 もう すっかり 明るく なっ た ん です ね 。 僕 今 すぐ 沓 を はき ます から 。 」 
そして ポウセ 童子 は 、 白い 貝殻 の 沓 を はき 、 二 人 は 連れ だって 空 の 銀 の 芝原 を 仲よく 歌い ながら 行き まし た 。 
「 お 日 さま の 、 
お 通りみち を 　 はき 浄 め 、 
ひかり を ちら せ 　 あま の 白雲 。 
お 日 さま の 、 
お 通りみち の 　 石 かけ を 
深く うずめよ 、 あま の 青雲 。 」 
そして もう いつか 空 の 泉 に 来 まし た 。 
この 泉 は 霽 れ た 晩 に は 、 下 から はっきり 見え ます 。 天の川 の 西 の 岸 から 、 よほど 離れ た 処 に 、 青い 小さな 星 で 円く かこま れ て あり ます 。 底 は 青い 小さな つぶ 石 で たい ら に うずめ られ 、 石 の 間 から 奇麗 な 水 が 、 ころころ ころころ 湧き出 し て 泉 の 一方 の ふち から 天の川 へ 小さな 流れ に なっ て 走っ て 行き ます 。 私 共 の 世界 が 旱 の 時 、 瘠せ て しまっ た 夜鷹 や ほととぎす など が 、 それ を だまっ て 見上げ て 、 残念 そう に 咽喉 を く びく びさせているのを 時々 見る こと が ある で は あり ませ ん か 。 どんな 鳥 で も とても あそこ まで は 行け ませ ん 。 けれども 、 天 の 大 烏 の 星 や 蠍 の 星 や 兎 の 星 なら もちろん すぐ 行け ます 。 
「 ポウセ さん まず ここ へ 滝 を こしらえ ましょ う か 。 」 
「 ええ 、 こしらえ ましょ う 。 僕 石 を 運び ます から 。 」 
チュンセ 童子 が 沓 を ぬい で 小 流れ の 中 に 入り 、 ポウセ 童子 は 岸 から 手ごろ の 石 を 集め はじめ まし た 。 
今 は 、 空 は 、 りんご の いい 匂い で 一 杯 です 。 西 の 空 に 消え残っ た 銀色 の お 月 様 が 吐い た の です 。 
ふと 野原 の 向う から 大きな 声 で 歌う の が 聞え ます 。 
「 あま の が わ の 　 にし の きし を 、 
すこし は なれ た そら の 井戸 。 
み ず は ころ ろ 、 そこ も きらら 、 
まわり を かこ むあおいほし 。 
夜鷹 ふくろう 、 ちどり 、 かけす 、 
来よ と すれ ども 、 でき も せ ぬ 。 」 
「 あ 、 大 烏 の 星 だ 。 」 童子 たち は 一緒 に 云い まし た 。 
もう 空 の すすき を ざわざわ と 分け て 大 烏 が 向う から 肩 を ふっ て 、 のっしのっし と 大股 に やっ て 参り まし た 。 まっくろ な びろう どの マント を 着 て 、 まっくろ な びろう どの 股引 を はい て 居り ます 。 
大 烏 は 二 人 を 見 て 立ちどまっ て 丁寧 に お辞儀 し まし た 。 
「 いや 、 今日 は 。 チュンセ 童子 と ポウセ 童子 。 よく 晴れ て 結構 です な 。 しかし どうも 晴れる と 咽喉 が 乾い て いけ ませ ん 。 それ に 昨夜 は 少し 高く 歌い 過ぎ まし て な 。 ご免 下さい 。 」 と 云い ながら 大 烏 は 泉 に 頭 を つき 込み まし た 。 
「 どうか 構わ ない で 沢山 呑ん で 下さい 。 」 と ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
大 烏 は 息 も つか ず に 三 分 ばかり 咽喉 を 鳴らし て 呑ん で から やっと 顔 を あげ て 一寸 眼 を パチ パチ 云わ せ て それ から ブルルッ と 頭 を ふっ て 水 を 払い まし た 。 
その 時 向う から 暴い 声 の 歌 が 又 聞え て 参り まし た 。 大 烏 は 見る 見る 顔色 を 変え て 身体 を 烈しく ふるわせ まし た 。 
「 みなみ の そら の 、 赤 眼 の さそり 
毒 ある 鉤 と 　 大きな はさみ を 
知ら ない 者 は 　 阿呆 鳥 。 」 
そこで 大 烏 が 怒っ て 云い まし た 。 
「 蠍 星 です 。 畜生 。 阿呆 鳥 だ なんて 人 を あてつけ て や がる 。 見ろ 。 ここ へ 来 たら その 赤 眼 を 抜い て やる ぞ 。 」 
チュンセ 童子 が 
「 大 烏 さん 。 それ は いけ ない でしょ う 。 王様 が ご存じ です よ 。 」 という 間もなく もう 赤い 眼 の 蠍 星 が 向う から 二つ の 大きな 鋏 を ゆらゆら 動かし 長い 尾 を カラカラ 引い て やっ て 来る の です 。 その 音 は しずか な 天 の 野原 中 に ひびき まし た 。 
大 烏 は もう 怒っ て ぶるぶる 顫 え て 今にも 飛びかかり そう です 。 双子 の 星 は 一生けん命 手まね で それ を 押え まし た 。 
蠍 は 大 烏 を 尻 眼 にかけて もう 泉 の ふち 迄 這っ て 来 て 云い まし た 。 
「 ああ 、 どうも 咽喉 が 乾い て しまっ た 。 やあ 双子 さん 。 今日 は 。 ご免 なさい 。 少し 水 を 呑ん で やろ う か な 。 はてな 、 どうも この 水 は 変 に 土臭い ぞ 。 どこ か の まっ黒 な 馬鹿 ァ が 頭 を つっ込ん だ と 見える 。 えい 。 仕方 ない 。 我慢 し て やれ 。 」 
そして 蠍 は 十分 ばかり ご くり ご くり と 水 を 呑み まし た 。 その間 も 、 いかにも 大 烏 を 馬鹿 に する 様 に 、 毒 の 鉤 の つい た 尾 を そちら に パタパタ 動かす の です 。 
とうとう 大 烏 は 、 我慢 し 兼ね て 羽 を パッ と 開い て 叫び まし た 。 
「 こら 蠍 。 貴様 は さっき から 阿呆 鳥 だの 何 だ の と 俺 の 悪口 を 云っ た な 。 早く あやまっ たら どう だ 。 」 
蠍 が やっと 水 から 頭 を はなし て 、 赤い 眼 を まるで 火 が 燃える よう に 動かし まし た 。 
「 へん 。 誰 か 何 か 云っ てる ぜ 。 赤い お方 だろ う か 。 鼠色 の お方 だろ う か 。 一つ 鉤 を お見舞 し ます か な 。 」 
大 烏 は かっと し て 思わず 飛び あがっ て 叫び まし た 。 
「 何 を 。 生意気 な 。 空 の 向う側 へ まっ さ か さま に 落し て やる ぞ 。 」 
蠍 も 怒っ て 大きな からだ を すばやく ひねっ て 尾 の 鉤 を 空 に 突き上げ まし た 。 大 烏 は 飛び あがっ て それ を 避け 今度 は くちばし を 槍 の よう に し て まっすぐ に 蠍 の 頭 を めがけ て 落ち て 来 まし た 。 
チュンセ 童子 も ポウセ 童子 も とめる すき が あり ませ ん 。 蠍 は 頭 に 深い 傷 を 受け 、 大 烏 は 胸 を 毒 の 鉤 で ささ れ て 、 両方 とも ウン とう なっ た まま 重なり合っ て 気絶 し て しまい まし た 。 
蠍 の 血 が どくどく 空 に 流れ て 、 いや な 赤い 雲 に なり まし た 。 
チュンセ 童子 が 急い で 沓 を はい て 、 申し まし た 。 
「 さあ 大変 だ 。 大 烏 に は 毒 が はいっ た の だ 。 早く 吸い とっ て やら ない と いけ ない 。 ポウセ さん 。 大 烏 を しっかり 押え て い て 下さい ませ ん か 。 」 
ポウセ 童子 も 沓 を はい て しまっ て いそい で 大 烏 の うし ろ に まわっ て しっかり 押え まし た 。 チュンセ 童子 が 大 烏 の 胸 の 傷口 に 口 を あて まし た 。 ポウセ 童子 が 申し まし た 。 
「 チュンセ さん 。 毒 を 呑ん で は いけ ませ ん よ 。 すぐ 吐き出し て しまわ ない と いけ ませ ん よ 。 」 
チュンセ 童子 が 黙っ て 傷口 から 六 遍 ほど 毒 の ある 血 を 吸っ て はき出し まし た 。 すると 大 烏 が やっと 気がつい て 、 うすく 目 を 開い て 申し まし た 。 
「 あ 、 どうも 済み ませ ん 。 私 は どう し た の です か な 。 たしか 野郎 を し 止め た の だ が 。 」 
チュンセ 童子 が 申し まし た 。 
「 早く 流れ で その 傷口 を お 洗い なさい 。 歩け ます か 。 」 
大 烏 は よろよろ 立ちあがっ て 蠍 を 見 て 又 身体 を ふるわせ て 云い まし た 。 
「 畜生 。 空 の 毒虫 め 。 空 で 死ん だ の を 有り難い と 思え 。 」 
二 人 は 大 烏 を 急い で 流れ へ 連れ て 行き まし た 。 そして 奇麗 に 傷口 を 洗っ て やっ て 、 その 上 、 傷口 へ 二 三 度 香しい 息 を 吹きかけ て やっ て 云い まし た 。 
「 さあ 、 ゆるゆる 歩い て 明るい うち に 早く お うち へ お 帰り なさい 。 これから こんな 事 を し て は いけ ませ ん 。 王様 は みんな ご存じ です よ 。 」 
大 烏 は すっかり 悄気 て 翼 を 力 なく 垂れ 、 何 遍 も お辞儀 を し て 
「 ありがとう ござい ます 。 ありがとう ござい ます 。 これから は 気 を つけ ます 。 」 と 云い ながら 脚 を 引きずっ て 銀 の すすき の 野原 を 向う へ 行っ て しまい まし た 。 
二 人 は 蠍 を 調べ て 見 まし た 。 頭 の 傷 は かなり 深かっ た の です が もう 血 が とまっ て い ます 。 二 人 は 泉 の 水 を すくっ て 、 傷口 にかけて 奇麗 に 洗い まし た 。 そして 交 る 交 る ふっ ふっと 息 を そこ へ 吹き込み まし た 。 
お日様 が 丁度 空 の まん中 に おいで に なっ た 頃 蠍 は かすか に 目 を 開き まし た 。 
ポウセ 童子 が 汗 を ふき ながら 申し まし た 。 
「 どう です か 気分 は 。 」 
蠍 が ゆるく 呟き まし た 。 
「 大 烏 め は 死に まし た か 。 」 
チュンセ 童子 が 少し 怒っ て 云い まし た 。 
「 まだ そんな 事 を 云う ん です か 。 あなた こそ 死ぬ 所 でし た 。 さあ 早く うち へ 帰る 様 に 元気 を お 出し なさい 。 明るい うち に 帰ら なかっ たら 大変 です よ 。 」 
蠍 が 目 を 変 に 光らし て 云い まし た 。 
「 双子 さん 。 どうか 私 を 送っ て 下さい ませ ん か 。 お世話 の 序 です 。 」 
ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
「 送っ て あげ ましょ う 。 さあ お つかまり なさい 。 」 
チュンセ 童子 も 申し まし た 。 
「 そら 、 僕 に も お つかまり なさい 。 早く し ない と 明るい うち に 家 に 行け ませ ん 。 そうすると 今夜 の 星 めぐり が 出来 なく なり ます 。 」 
蠍 は 二 人 に つかまっ て よろよろ 歩き 出し まし た 。 二 人 の 肩 の 骨 は 曲り そう に なり まし た 。 実に 蠍 の からだ は 重い の です 。 大き さ から 云っ て も 童子 たち の 十 倍 位 は ある の です 。 
けれども 二 人 は 顔 を まっ 赤 に し て こらえ て 一足 ずつ 歩き まし た 。 
蠍 は 尾 を ギーギー と 石ころ の 上 に 引きずっ て いや な 息 を は あ はあ 吐い て よろ り よろ り と あるく の です 。 一 時間 に 十 町 と も 進み ませ ん 。 
もう 童子 たち は 余り 重い 上 に 蠍 の 手 が ひどく 食い込ん で 痛い ので 、 肩 や 胸 が 自分 の もの か どう か も わから なく なり まし た 。 
空 の 野原 は きらきら 白く 光っ て い ます 。 七つ の 小 流れ と 十 の 芝原 と を 過ぎ まし た 。 
童子 たち は 頭 が ぐるぐる し て もう 自分 が 歩い て いる の か 立っ て いる の か わかり ませ ん でし た 。 それでも 二 人 は 黙っ て やはり 一足 ずつ 進み まし た 。 
さっき から 六 時間 も たっ て い ます 。 蠍 の 家 まで は まだ 一 時間 半 は かかり ましょ う 。 もう お日様 が 西 の 山 に お 入り に なる 所 です 。 
「 もう少し 急げ ませ ん か 。 私 ら も 、 もう 一 時間 半 の うち に お うち へ 帰ら ない と いけ ない ん だ から 。 けれども 苦しい ん です か 。 大変 痛み ます か 。 」 と ポウセ 童子 が 申し まし た 。 
「 へい 。 も 少し で ござい ます 。 どうか お 慈悲 で ござい ます 。 」 と 蠍 が 泣き まし た 。 
「 ええ 。 も 少し です 。 傷 は 痛み ます か 。 」 と チュンセ 童子 が 肩 の 骨 の 砕け そう な の を じっと こらえ て 申し まし た 。 
お日様 が もう サッサッサッ と 三 遍 厳か に ゆらい で 西 の 山 に お 沈み に なり まし た 。 
「 もう 僕ら は 帰ら ない と いけ ない 。 困っ た な 。 ここら の 人 は 誰 か 居 ませ ん か 。 」 ポウセ 童子 が 叫び まし た 。 天 の 野原 は しん として 返事 も あり ませ ん 。 
西 の 雲 は まっか に かがやき 蠍 の 眼 も 赤く 悲しく 光り まし た 。 光 の 強い 星 たち は もう 銀 の 鎧 を 着 て 歌い ながら 遠く の 空 へ 現われ た 様子 です 。 
「 一つ 星 め つけ た 。 長者 に な あれ 。 」 下 で 一 人 の 子供 が そっち を 見上げ て 叫ん で い ます 。 
チュンセ 童子 が 
「 蠍 さん 。 も 少し です 。 急げ ませ ん か 。 疲れ まし た か 。 」 と 云い まし た 。 
蠍 が 哀れ な 声 で 、 
「 どうも すっかり 疲れ て しまい まし た 。 どう か 少し です から お許し 下さい 。 」 と 云い ます 。 
「 星 さん 星 さん 一つ の 星 で 出 ぬ もん だ 。 
千 も 万 も で でる もん だ 。 」 
下 で 別 の 子供 が 叫ん で い ます 。 もう 西 の 山 は まっ黒 です 。 あちこち 星 が ちらちら 現われ まし た 。 
チュンセ 童子 は 背中 が まがっ て まるで 潰れ そう に なり ながら 云い まし た 。 
「 蠍 さん 。 もう 私 ら は 今夜 は 時間 に 遅れ まし た 。 きっと 王様 に 叱ら れ ます 。 事 に よっ たら 流さ れる かも 知れ ませ ん 。 けれども あなた が ふだん の 所 に 居 なかっ たら それ こそ 大変 です 。 」 
ポウセ 童子 が 
「 私 は もう 疲れ て 死に そう です 。 蠍 さん 。 もっと 元気 を 出し て 早く 帰っ て 行っ て 下さい 。 」 
と 云い ながら とうとう バッタリ 倒れ て しまい まし た 。 蠍 は 泣い て 云い まし た 。 
「 どうか 許し て 下さい 。 私 は 馬鹿 です 。 あなた 方 の 髪の毛 一 本 に も 及び ませ ん 。 きっと 心 を 改めて この おわび は 致し ます 。 きっと いたし ます 。 」 
この 時 水色 の 烈しい 光 の 外套 を 着 た 稲妻 が 、 向う から ギラッ と ひらめい て 飛ん で 来 まし た 。 そして 童子 たち に 手 を つい て 申し まし た 。 
「 王様 の ご 命 で お 迎い に 参り まし た 。 さあ ご 一緒 に 私 の マント へ お つかまり 下さい 。 もうすぐ お宮 へ お 連れ 申し ます 。 王様 は どう 云う 訳 か さっき から ひどく お 悦び で ござい ます 。 それから 、 蠍 。 お前 は 今 まで 憎まれ 者 だっ た な 。 さあ この 薬 を 王様 から 下 すっ た ん だ 。 飲め 。 」 
童子 たち は 叫び まし た 。 
「 それでは 蠍 さん 。 さよなら 。 早く 薬 を のん で 下さい 。 それから さっき の 約束 です よ 。 きっと です よ 。 さよなら 。 」 
そして 二 人 は 一緒 に 稲妻 の マント に つかまり まし た 。 蠍 が 沢山 の 手 を つい て 平伏し て 薬 を のみ それから 丁寧 に お辞儀 を し ます 。 
稲妻 が ぎらぎら っと 光っ た と 思う と もう いつか さっき の 泉 の そば に 立っ て 居り まし た 。 そして 申し まし た 。 
「 さあ 、 すっかり お からだ を お 洗い なさい 。 王様 から 新 らしい 着物 と 沓 を 下さい まし た 。 まだ 十 五 分間 が あり ます 。 」 
双子 の お 星 様 たち は 悦ん で つめたい 水晶 の よう な 流れ を 浴び 、 匂 の いい 青 光り の うす もの の 衣 を 着け 新 らしい 白 光り の 沓 を はき まし た 。 する と もう 身体 の 痛み も つかれ も 一遍 に とれ て すがすがし て しまい まし た 。 
「 さあ 、 参り ましょ う 。 」 と 稲妻 が 申し まし た 。 そして 二 人 が 又 その マント に 取りつき ます と 紫色 の 光 が 一遍 ぱっと ひらめい て 童子 たち は もう 自分 の お宮 の 前 に 居 まし た 。 稲妻 は もう 見え ませ ん 。 
「 チュンセ 童子 、 それでは 支度 を し ましょ う 。 」 
「 ポウセ 童子 、 それでは 支度 を し ましょ う 。 」 
二 人 は お宮 に のぼり 、 向き合っ て きちんと 座り 銀笛 を とりあげ まし た 。 
丁度 あちこち で 星 めぐり の 歌 が はじまり まし た 。 
「 あかい め だま の 　 さそり 
ひろげ た 鷲 の 　 　 つばさ 
あおい め だま の 　 小 いぬ 、 
ひかり の へび の 　 とぐろ 。 
オリオン は 高く 　 うたい 
つゆ と しもと を 　 おとす 、 
アンドロメダ の 　 くも は 
さかな の くち の 　 かたち 。 
大 ぐまのあしを 　 きた に 
五つ のばし た 　 　 ところ 。 
小熊 の ひたい の 　 うえ は 
そら の めぐり の 　 め あて 。 」 
双子 の お 星 様 たち は 笛 を 吹き はじめ まし た 。 
双子 の 星 　 二 
（ 天の川 の 西 の 岸 に 小さな 小さな 二つ の 青い 星 が 見え ます 。 あれ は チュンセ 童子 と ポウセ 童子 という 双子 の お 星 様 で めいめい 水 精 で でき た 小さな お宮 に 住ん で い ます 。 
二つ の お宮 は まっすぐ に 向い 合っ て い ます 。 夜 は 二 人 と も きっと お宮 に 帰っ て きちんと 座っ て そら の 星 めぐり の 歌 に 合せ て 一 晩 銀笛 を 吹く の です 。 それ が この 双子 の お 星 様 たち の 役目 でし た 。 ） 
ある 晩 空 の 下 の 方 が 黒い 雲 で 一 杯 に 埋まり 雲 の 下 で は 雨 が ザアッザアッ と 降っ て 居り まし た 。 それでも 二 人 は いつも の よう に めいめい の お宮 に きちんと 座っ て 向い あっ て 笛 を 吹い て い ます と 突然 大きな 乱暴 もの の 彗星 が やって来 て 二 人 の お宮 に フッ フッ と 青白い 光 の 霧 を ふきかけ て 云い まし た 。 
「 おい 、 双子 の 青 星 。 すこし 旅 に 出 て 見 ない か 。 今夜 なんか そんなに し なく て も いい ん だ 。 いくら 難船 の 船乗り が 星 で 方角 を 定めよ う たって 雲 で 見え は し ない 。 天文台 の 星 の 係り も 今日 は 休み で あくび を し てる 。 いつも 星 を 見 て いる あの 生意気 な 小学生 も 雨 で すっかり へこたれ て うち の 中 で 絵 なんか 書い て いる ん だ 。 お前 たち が 笛 なんか 吹か なく たって 星 は みんな くるくる まわる さ 。 どう だ 。 一寸 旅 へ 出よ う 。 あした の 晩方 まで に は ここ に 連れ て 来 て やる ぜ 。 」 
チュンセ 童子 が 一寸 笛 を やめ て 云い まし た 。 
「 それ は 曇っ た 日 は 笛 を やめ て も いい と 王様 から お許し は ある と も 。 私 ら は ただ 面白く て 吹い て い た ん だ 。 」 
ポウセ 童子 も 一寸 笛 を やめ て 云い まし た 。 
「 けれども 旅 に 出る なんて そんな 事 は お許し が ない はず だ 。 雲 が いつ はれる か も わから ない ん だ から 。 」 
彗星 が 云い まし た 。 
「 心配 する な よ 。 王様 が この 前 俺 に そう 云っ た ぜ 。 いつか 曇っ た 晩 あの 双子 を 少し 旅 さ せ て やっ て 呉れ ってな 。 行こ う 。 行こ う 。 俺 なんか 面白い ぞ 。 俺 の あだ名 は 空 の 鯨 と 云う ん だ 。 知っ てる か 。 俺 は 鰯 の よう な ヒョロヒョロ の 星 や めだか の よう な 黒い 隕石 は みんな パクパク 呑ん で しまう ん だ 。 それから 一番 痛快 な の は まっすぐ に 行っ て そのまま まっすぐ に 戻る 位 ひどく カーブ を 切っ て 廻る とき だ 。 まるで 身体 が 壊れ そう に なっ て ミシミシ 云う ん だ 。 光 の 骨 まで カチカチ 云う ぜ 。 」 
ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
「 チュンセ さん 。 行き ましょ う か 。 王様 が いい って おっしゃっ た そう です から 。 」 
チュンセ 童子 が 云い まし た 。 
「 けれども 王様 が お許し に なっ た なんて 一体 本当 でしょ う か 。 」 
彗星 が 云い まし た 。 
「 へん 。 偽 なら 俺 の 頭 が 裂け て しまう が いい さ 。 頭 と 胴 と 尾 と ばらばら に なっ て 海 へ 落ち て 海鼠 に でも なる だろ う よ 。 偽 なんか 云う もん か 。 」 
ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
「 そん なら 王様 に 誓 える かい 。 」 
彗星 は わけ も なく 云い まし た 。 
「 うん 、 誓う と も 。 そら 、 王様 ご 照覧 。 え え 今日 、 王様 の ご 命令 で 双子 の 青 星 は 旅 に 出 ます 。 ね 。 いい だろ う 。 」 
二 人 は 一緒 に 云い まし た 。 
「 うん 。 いい 。 そん なら 行こ う 。 」 
そこで 彗星 が いや に 真面目くさっ て 云い まし た 。 
「 それ じゃ 早く 俺 の しっぽ に つかまれ 。 しっかり と つかまる ん だ 。 さ 。 いい か 。 」 
二 人 は 彗星 の しっぽ に しっかり つかまり まし た 。 彗星 は 青白い 光 を 一つ フウ と は い て 云い まし た 。 
「 さあ 、 発つ ぞ 。 ギイギイギイフウ 。 ギイギイフウ 。 」 
実に 彗星 は 空 の くじら です 。 弱い 星 は あちこち 逃げ まわり まし た 。 もう 大分 来 た の です 。 二 人 の お宮 も はるか に 遠く 遠く なっ て しまい 今 は 小さな 青白い 点 に しか 見え ませ ん 。 
チュンセ 童子 が 申し まし た 。 
「 もう 余程 来 た な 。 天の川 の 落ち 口 は まだ だろ う か 。 」 
すると 彗星 の 態度 が ガラリ と 変っ て しまい まし た 。 
「 へん 。 天の川 の 落ち 口 より お前 ら の 落ち 口 を 見ろ 。 それ 一 ぃ 二 の 三 。 」 
彗星 は 尾 を 強く 二 三 遍 動かし おまけ に うし ろ を ふり向い て 青白い 霧 を 烈しく かけ て 二 人 を 吹き 落し て しまい まし た 。 
二 人 は 青 ぐろい 虚空 を まっしぐら に 落ち まし た 。 
彗星 は 、 
「 あっ はっ は 、 あっ はっ は 。 さっき の 誓い も 何もかも みんな 取り消し だ 。 ギイギイギイ 、 フウ 。 ギイギイフウ 。 」 と 云い ながら 向う へ 走っ て 行っ て しまい まし た 。 二 人 は 落ち ながら しっかり お 互 の 肱 を つかみ まし た 。 この 双子 の お 星 様 は どこ 迄 で も 一緒 に 落ちよ う と し た の です 。 
二 人 の から だ が 空気 の 中 に は いっ て から は 雷 の よう に 鳴り 赤い 火花 が パチ パチ あがり 見 て い て さえ めまい が する 位 でし た 。 そして 二 人 は まっ黒 な 雲 の 中 を 通り 暗い 波 の 咆 え て い た 海 の 中 に 矢 の よう に 落ち込み まし た 。 
二 人 は ずんずん 沈み まし た 。 けれども 不思議 な こと に は 水 の 中 でも 自由 に 息 が でき た の です 。 
海 の 底 は やわらか な 泥 で 大きな 黒い もの が 寝 て い たり もやもや の 藻 が ゆれ たり し まし た 。 
チュンセ 童子 が 申し まし た 。 
「 ポウセ さん 。 ここ は 海 の 底 でしょ う ね 。 もう 僕 たち は 空 に 昇れ ませ ん 。 これから どんな 目 に 遭う でしょ う 。 」 
ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
「 僕ら は 彗星 に 欺 さ れ た の です 。 彗星 は 王さま へ さえ 偽 を つい た の です 。 本当に 憎い やつ で は あり ませ ん か 。 」 
すると すぐ 足もと で 星 の 形 で 赤い 光 の 小さな ひとで が 申し まし た 。 
「 お前 さん たち は どこ の 海 の 人 たち です か 。 お前 さん たち は 青い ひと で の しるし を つけ て い ます ね 。 」 
ポウセ 童子 が 云い まし た 。 
「 私 ら は ひとで で は あり ませ ん 。 星 です よ 。 」 
すると ひとで が 怒っ て 云い まし た 。 
「 何 だ と 。 星 だって 。 ひと で は もと は みんな 星 さ 。 お前 たち は それ じゃ 今 やっと ここ へ 来 た ん だろ う 。 何 だ 。 それ じゃ 新米 の ひとで だ 。 ほやほや の 悪党 だ 。 悪い こと を し て ここ へ 来 ながら 星 だ なんて 鼻 に かける の は 海 の 底 で は はやら ない さ 。 おいら だって 空 に 居 た 時 は 第 一等 の 軍人 だ ぜ 。 」 
ポウセ 童子 が 悲し そう に 上 を 見 まし た 。 
もう 雨 が やん で 雲 が すっかり なくなり 海 の 水 も まるで 硝子 の よう に 静まっ て そら が はっきり 見え ます 。 天の川 も そら の 井戸 も 鷲 の 星 や 琴 弾き の 星 や みんな はっきり 見え ます 。 小さく 小さく 二 人 の お宮 も 見え ます 。 
「 チュンセ さん 。 すっかり 空 が 見え ます 。 私 ら の お宮 も 見え ます 。 それ だ のに 私 ら は とうとう ひとで に なっ て しまい まし た 。 」 
「 ポウセ さん 。 もう 仕方 あり ませ ん 。 ここ から 空 の みなさん に お 別れ し ましょ う 。 また おす がた は 見え ませ ん が 王様 に おわび を し ましょ う 。 」 
「 王様 さよなら 。 私 共 は 今日 から ひとで に なる の で ござい ます 。 」 
「 王様 さよなら 。 ばか な 私 共 は 彗星 に 欺 さ れ まし た 。 今日 から は くらい 海 の 底 の 泥 を 私 共 は 這い まわり ます 。 」 
「 さよなら 王様 。 又 天上 の 皆さま 。 お さかえ を 祈り ます 。 」 
「 さよなら みな 様 。 又 すべて の 上 の 尊い 王さま 、 いつ まで も そう し て おい で 下さい 。 」 
赤い ひとで が 沢山 集っ て 来 て 二 人 を 囲ん で がやがや 云っ て 居り まし た 。 
「 こら 着物 を よこせ 。 」 「 こら 。 剣 を 出せ 。 」 「 税金 を 出せ 。 」 「 もっと 小さく なれ 。 」 「 俺 の 靴 を ふけ 。 」 
その 時 みんな の 頭 の 上 を まっ黒 な 大きな 大きな もの が ゴーゴーゴー と 哮 えて 通りかかり まし た 。 ひと で は あわて て みんな お辞儀 を し まし た 。 黒い もの は 行き過ぎ よう として ふと 立ちどまっ て よく 二 人 を すかし て 見 て 云い まし た 。 
「 は はあ 、 新兵 だ な 。 まだ お辞儀 の しかた も 習わ ない の だ な 。 この くじら 様 を 知ら ん の か 。 俺 の あだな は 海 の 彗星 と 云う ん だ 。 知っ てる か 。 俺 は 鰯 の よう な ひょろひょろ の 魚 や めだか の 様 な め くら の 魚 は みんな パクパク 呑ん で しまう ん だ 。 それから 一番 痛快 な の は まっすぐ に 行っ て ぐるっと 円 を 描い て まっすぐ に かえる 位 ゆっくり カーブ を 切る とき だ 。 まるで から だ の 油 が ねとねと する ぞ 。 さて 、 お前 は 天 から の 追放 の 書き付け を 持っ て 来 たろ う な 。 早く 出せ 。 」 
二 人 は 顔 を 見合せ まし た 。 チュンセ 童子 が 
「 僕ら は そんな もの 持た ない 。 」 と 申し まし た 。 
すると 鯨 が 怒っ て 水 を 一つ ぐうっと 口 から 吐き まし た 。 ひと で は みんな 顔色 を 変え て よろよろ し まし た が 二 人 は こらえ て しゃんと 立っ て い まし た 。 
鯨 が 怖い 顔 を し て 云い まし た 。 
「 書き付け を 持た ない の か 。 悪党 め 。 ここ に 居る の は どんな 悪い こと を 天上 でし て 来 た やつ でも 書き付け を 持た なかっ た もの は ない ぞ 。 貴様 ら は 実に けしからん 。 さあ 。 呑ん で しまう から そう 思え 。 いい か 。 」 鯨 は 口 を 大きく あけ て 身構え し まし た 。 ひとで や 近所 の 魚 は 巻き添え を 食っ て は 大変 だ と 泥 の 中 に もぐり込ん だり 一 も くさん に 逃げ たり し まし た 。 
その 時 向う から 銀色 の 光 が パッ と 射し て 小さな 海蛇 が やって来 ます 。 くじら は 非常 に 愕 ろ い た らしく 急い で 口 を 閉め まし た 。 
海蛇 は 不思議 そう に 二 人 の 頭 の 上 を じっと 見 て 云い まし た 。 
「 あなた 方 は どう し た の です か 。 悪い こと を なさっ て 天 から 落とさ れ た お方 で は ない よう に 思わ れ ます が 。 」 
鯨 が 横 から 口 を 出し まし た 。 
「 こいつ ら は 追放 の 書き付け も 持っ て ませ ん よ 。 」 
海蛇 が 凄い 目 を し て 鯨 を にらみつけ て 云い まし た 。 
「 黙っ て おい で 。 生意気 な 。 この お方 がた を こいつ ら なんて お前 が どうして 云 える ん だ 。 お前 に は 善い 事 を し て い た 人 の 頭 の 上 の 後光 が 見え ない の だ 。 悪い 事 を し た もの なら 頭 の 上 に 黒い 影法師 が 口 を あい て いる から すぐ わかる 。 お 星 さま 方 。 こちら へ お出で 下さい 。 王 の 所 へ ご 案内 申しあげ ましょ う 。 おい 、 ひとで 。 あかり を ともせ 。 こら 、 くじら 。 あんまり 暴れ て は いか ん ぞ 。 」 
くじら が 頭 を かい て 平伏し まし た 。 
愕 ろ いた事 に は 赤い 光 の ひとで が 幅 の ひろい 二 列 に ぞ ろ っと ならん で 丁度 街道 の あかり の よう です 。 
「 さあ 、 参り ましょ う 。 」 海蛇 は 白髪 を 振っ て 恭 々 しく 申し まし た 。 二 人 は それ に 続い て ひと で の 間 を 通り まし た 。 まもなく 蒼 ぐろい 水 あかり の 中 に 大きな 白い 城 の 門 が あっ て その 扉 が ひとりでに 開い て 中 から 沢山 の 立派 な 海蛇 が 出 て 参り まし た 。 そして 双子 の お 星 さま だ ち は 海蛇 の 王さま の 前 に 導か れ まし た 。 王様 は 白い 長い 髯 の 生え た 老人 で にこにこ わらっ て 云い まし た 。 
「 あなた 方 は チュンセ 童子 に ポウセ 童子 。 よく 存じ て 居り ます 。 あなた 方 が 前 に あの 空 の 蠍 の 悪い 心 を 命がけ で お 直し に なっ た 話 は ここ へ も 伝わっ て 居り ます 。 私 は それ を こちら の 小学校 の 読本 に も 入れ させ まし た 。 さて 今度 は とんだ 災難 で 定めし びっくり なさっ た でしょ う 。 」 
チュンセ 童子 が 申し まし た 。 
「 これ は お 語 誠に 恐れ入り ます 。 私 共 は もう 天上 に も 帰れ ませ ん し でき ます 事 なら こちら で 何 なり みなさま の お 役に立ち たい と 存じ ます 。 」 
王 が 云い まし た 。 
「 いやいや 、 その ご 謙遜 は 恐れ入り ます 。 早速 竜巻 に 云い つけ て 天上 に お送り いたし ましょ う 。 お 帰り に なり まし たら あなた の 王様 に 海蛇 め が 宜しく 申し上げ た と 仰っ しゃ っ て 下さい 。 」 
ポウセ 童子 が 悦ん で 申し まし た 。 
「 それでは 王様 は 私 共 の 王様 を ご存じ で いらっしゃい ます か 。 」 
王 は あわて て 椅子 を 下っ て 申し まし た 。 
「 いいえ 、 それどころ で は ござい ませ ん 。 王様 は この 私 の 唯一 人 の 王 で ござい ます 。 遠い むかし から 私 め の 先生 で ござい ます 。 私 は あの お方 の 愚か な しも べ で ござい ます 。 いや 、 まだ お わかり に なり ます まい 。 けれども やがて お わかり で ござい ましょ う 。 それでは 夜 の 明け ない うち に 竜巻 に お伴 致さ せ ます 。 これ 、 これ 。 支度 は いい か 。 」 
一疋 の けら い の 海蛇 が 
「 はい 、 ご 門 の 前 に お待ち いたし て 居り ます 。 」 と 答え まし た 。 
二 人 は 丁寧 に 王 に お辞儀 を いたし まし た 。 
「 それでは 王様 、 ご き げん よろしゅう 。 いずれ 改めて 空 から お礼 を 申しあげ ます 。 この お宮 の いつ まで も 栄え ます よう 。 」 
王 は 立っ て 云い まし た 。 
「 あなた 方 も どう か ますます 立派 に お 光り 下さい ます よう 。 それでは ご き げん よろしゅう 。 」 
けら い たち が 一 度 に 恭 々 しく お辞儀 を し まし た 。 
童子 たち は 門 の 外 に 出 まし た 。 
竜巻 が 銀 の とぐろ を 巻い て ね て い ます 。 
一 人 の 海蛇 が 二 人 を その 頭 に 載せ まし た 。 
二 人 は その 角 に 取りつき まし た 。 
その 時 赤い 光 の ひとで が 沢山 出 て 来 て 叫び まし た 。 
「 さよなら 、 どうか 空 の 王様 に よろしく 。 私 ども も いつか 許さ れ ます よう おねがい いたし ます 。 」 
二 人 は 一緒 に 云い まし た 。 
「 きっと そう 申しあげ ます 。 やがて 空 で また お目にかかり ましょ う 。 」 
竜巻 が そろ り そろりと 立ちあがり まし た 。 
「 さよなら 、 さよなら 。 」 
竜巻 は もう 頭 を まっくろ な 海 の 上 に 出し まし た 。 と 思う と 急 に バリバリバリッ と 烈しい 音 が し て 竜巻 は 水 と 一所 に 矢 の よう に 高く 高く はせ のぼり まし た 。 
まだ 夜 が あける のに 余程 間 が あり ます 。 天の川 が ずんずん 近く なり ます 。 二 人 の お宮 が もう はっきり 見え ます 。 
「 一寸 あれ を ご覧 なさい 。 」 と 闇 の 中 で 竜巻 が 申し まし た 。 
見る と あの 大きな 青白い 光り の ほうき ぼ し は ばらばら に わか れ て しまっ て 頭 も 尾 も 胴 も 別々 に きち がい の よう な 凄い 声 を あげ ガリガリ 光っ て まっ黒 な 海 の 中 に 落ち て 行き ます 。 
「 あいつ は なまこ に なり ます よ 。 」 と 竜巻 が しずか に 云い まし た 。 
もう 空 の 星 めぐり の 歌 が 聞え ます 。 
そして 童子 たち は お宮 に つき まし た 。 
竜巻 は 二 人 を おろし て 
「 さよなら 、 ご き げん よろしゅう 」 と 云い ながら 風 の よう に 海 に 帰っ て 行き まし た 。 
双子 の お 星 さま は めいめい の お宮 に 昇り まし た 。 そして きちんと 座っ て 見え ない 空 の 王様 に 申し まし た 。 
「 私 ども の 不注意 から しばらく 役目 を 欠かし まし て お 申し訳 け ござい ませ ん 。 それ に も かかわら ず 今晩 は お めぐみ によりまして 不思議 に 助かり まし た 。 海 の 王様 が 沢山 の 尊敬 を お伝え し て 呉れ と 申さ れ まし た 。 それから 海 の 底 の ひとで が お 慈悲 を ねがい まし た 。 又 私 ども から 申しあげ ます が なまこ も もし でき ます なら お許し を 願い とう 存じ ます 。 」 
そして 二 人 は 銀笛 を とりあげ まし た 。 
東 の 空 が 黄金 色 に なり 、 もう 夜明け に 間 も あり ませ ん 。 
たしかに 光 が うごい て みんな 立ちあがる 。 腰 を おろし た みじかい 草 。 かげろう か 何 か ゆれ て いる 。 かげろう じゃ ない 。 網膜 が 感じ た だけ の その 光 だ 。 
まだ 来 ない もの は 仕方 ない 。 さっき から もう 二 十 分 も 待っ た ん だ 。 もっとも この みち ば た の 青 いい ろ の 寄宿舎 は ゆっくり し て 爽 か で よかっ た が 。 
これから また ここ へ 一 遍 帰っ て 十 一 時 に は 向う の 宿 へ つか なけれ ば いけ ない ん だ 。 「 何処 さ 行 ぐのす 。 」 そう だ 、 釜淵 まで 行く という の を 知ら ない もの も ある ん だ な 。 
おとなしい 新 らしい 白 、 緑 の 中 だ から 、 そして 外 光 の 中 だ から 大 へんい いん だ 。 天竺 木綿 、 その 菓子 の 包み は 置い て 行っ て も いい 。 雑嚢 や 何 か も ここ の 芝 へ おろし て おい て いい 行か ない もの も ある だろ う から 。 
「 私 は ここ で 待っ て ます から 。 」 校長 だ 。 校長 は 肥っ て まっ黒 に いで 立ち たしかに ゆっくり みち ば た の 草 、 林 の 前 に 足 を 開い て 投げ出し て いる 。 
木 の 青 、 木 の 青 、 空 の 雲 は 今日 も 甘酸っぱく 、 足 なみ の ゆれ と 光 の 波 。 足 なみ の ゆれ と 光 の 波 。 
粘土 の みち だ 。 乾い て いる 。 黄色 だ 。 みち 。 粘土 。 
小松 と 林 。 林 の 明暗 いろいろ の 緑 。 それ に 生徒 は みんな 新鮮 だ 。 
そして そう だ 、 向う の 崖 の 黒い の は あれ だ 、 明らか に あの 黒曜石 の   dyke   だ 。 ここ から こんなに はっきり 見える と は 思わ なかっ た ぞ 。 
よし うまい 。 
ダイク と 云お う か な 。 いい や 岩 脈 が いい 。 わかっ た か な 。 
〔 わかり まし た か 。 向う の 崖 に 黒い 岩 が 縦 に 突き出 て いる でしょ う 。 
あれ は 水成岩 の なか に ふき 出し た 火成岩 です よ 。 岩 脈 です よ 。 あれ は 。 〕 
ゆれ てる ゆれ てる 。 光 の 網 。 
わかる だろ う さ 。 けれども みんな 黙っ て 歩い て いる 。 これ が いつ でも こう な ん だ 。 さびしい ん だ 。 けれども 何 で も ない ん だ 。 
後ろ で 誰 か こごん で 石ころ を 拾っ て いる もの も ある 。 小松 ばやし だ 。 混ん で いる 。 この みち はず うっ と 上流 まで 通っ て いる ん だ 。 造林 の とき は 苗 や 何 か を 一杯 つけ た 馬 が ぞろぞろ ここ を 行く ん だ ぞ 。 
うし ろ で ふん ふん うなずい て いる の は 藤原 清作 だ 。 あいつ は 太田 だ から よく わかっ て いる の だ 。 
いい や 駄目 だ 。 おしまい の こと を 云っ た の は 結局 混雑 さ せ た だけ だ 。 云わ ない で おけ ば よかっ た 。 それでも あの 崖 は ほんとう の 嫩 い 緑 や 、 灰 いろ の 芽 や 、 樺の木 の 青 や ずいぶん 立派 だ 。 佐藤 箴 が となり に 並ん で 歩い てる な 。 桜 羽 場 が また 凝灰岩 を 拾っ た な 。 頬 が まっ 赤 で 髪 も 赭 いそ の 小さな 子供 。 
雲 が きれ て 陽 が 照る し もう 雨 は 大丈夫 だ 。 さっき も 一遍 云っ た の だ が もう一度 あの 禿 の 所 の 平 べ っ たい 松 を 説明 しよ う か な 。 平 っ たく て 黒い 。 影 も 落ち て いる 。 どこ か で あんな コロタイプ を 見 た 。 及川 や なんか 知っ てる ん だ 。 よす か な 。 いい や 。 やろ う 。 
「 そん だ 。 林学 で おら 習っ た 。 」 何 と 云っ た か な 。 この せい の 高い 眼 の 大きな 生徒 。 
坂 に なっ た な 。 ごろごろ 石 が 落ち て いる 。 
「 先生 この 石 何 て 云う のす 。 」 どうせ きまっ てる 。 
光 が 網 に なっ て ゆらゆら する 。 みんな の 足並 。 小松 の 密林 。 
「 釜淵 だら 俺 ぁ 前 に なんぼ が えり も 見 だ 。 それでも 今日 も 来 た 。 」 
うし ろ で 云っ て いる 。 あの 顔 の 赤い 、 そして いつ でも 少し 眼 が 血走っ て どうか する と 泣い て いる よう に 見える 、 あの 生徒 だ 。 五 内川 で も ない し 、 何 と 云っ た か な 。 
けれども その 語 は よく 分っ て いる ぞ 。 よく わかっ て いる と も 。 
巨礫 が ごろごろ し て いる 。 一つ 欠い て 見せる か な 。 うまく いっ た 。 パチ ン と いっ た 。 
すっと 歩き 出せ 。 関 さん だ 。 「 この 石 は 安山岩 で あり ます 。 上流 から 流れ て き た の です 。 」 まね を し て いる 。 堀田 だ な 。 堀田 は 赤い 毛糸 の ジャケツ を 着 て いる ん だ 。 物 を 言う 口 付き が 覚 束 なく て 眼 は どこ を 見 て いる か はっきり し ない で 黒く て うるん で いる 。 今 は それ が うし ろ の 横 で ちらっと 光る 。 
そこ の 松林 の 中 から 黒い 畑 が 一 枚 出 て き ます 。 
（ ああ 畑 も 入り ます 入り ます 。 遊園 地 に は 畑 も ちゃんと 入り ます ） なんて 誰 だっ た か な 、 云っ て い た 、 あて に なら ない 。 こんな 畑 を 云う ん だろ う 。 おれ の は もっと ずっと 上流 の 北上川 から 遠く の 東 の 山地 まで 見 はらせる よう に あの 小桜山 の 下 の 新 らしく 墾 い た 広い 畑 を 云っ た ん だ 。 
「 全体 ど ご さ 行 ぐのだべ 。 」 
「 なあに 先生 さ 従い で さ ぃ 行 げ ばいいん だ じゃ 。 」 また 堀田 だ な 。 前 の 通り だ 。 うし ろ で 黄いろ に 光っ て いる 。 みんな 躊躇 し て みち を あけ た 。 おれ が 一番 さき に なる 。 こっち も みち は よく 知ら ない が なあに すぐ そこ な ん だ 。 路 から 見え たら 下りる だけ だ 。 防火 線 も ず うっとうし ろ に なっ た 。 
けわしい 二つ の 稜 を 持ち 、 暗く て 雲 かげ に いる 。 少し 名前 に 合わ ない 。 けれども どこ か しん として 春 の 底 の 樺の木 の 気分 は ある けれども それ は 偶然 性 だ 。 よく わから ない 。 みち が 二つ に 岐 れ て いる 。 この 下 の みち が きっと 釜淵 に 行く ん だ 。 もう きっと 間違い ない 。 
小松 だ 。 密 だ 。 混ん で いる 。 それから 巨礫 が ごろごろ し て いる 。 うすぐろく て 安山岩 だ 。 地質 調査 を する とき は こんな どこ から 来 た か わから ない あいまい な 岩石 に 鉄槌 を 加え て は いけ ない と 教えよ う か な 。 すぐ 眼 の 前 を 及川 が 手拭 を 首 に 巻い て 黄色 の 服 で 急い で いる し 、 云お う か な 。 けれども これ は 必要 が ない 。 却って 混雑 する だけ だ 。 とにかく ひどく 坂 に なっ た 。 こんな 工合 で 丁度 よく 釜淵 に 下りる ん だ 。 遠く で 鳥 も 鳴い て いる し 。 下 の 方 で 渓 が ひどく 鳴っ て いる 。 ことに よる と ここら の 下 が 釜淵 だ 。 一寸 のぞい て みよ う 。 
黒い 松 の 幹 と かれ く さ 。 みんな ぞろぞろ 従い て くる 。 渓 が 見える 。 水 が 見える 。 波 や 白い 泡 も 見える 。 ああ まだ 下 だ 。 ず うっ と 下 だ 。 釜淵 は 。 ふち の 上 の 滝 へ 平ら に なっ て 水 が するする 急い で 行く 。 それ さえ ず うっ と 下 な の だ 。 
この 崖 は 急 で とても 下り られ ない 。 下 に 降りよ う 。 松林 だ 。 みち らしく 踏ま れ た ところ も ある 。 下り て 行こ う 。 藪 だ 。 日陰 だ 。 山吹 の 青 いえ だ や 何 か もじゃもじゃ し て いる 。 さき に 行く の は 大内 だ 。 大内 は 夏服 の 上 に 黄色 な 実習 服 を 着 て 結び を 腰 に さげ て ずんずん 藪 を こい で 行く 。 よく こい で 行く 。 
急 に けわしい 段 が ある 。 木 に つかま れ 木 は 光る 。 雑木 は 二 本 雑木 が 光る 。 
「 じゃ 木 さば 保 ご 附く こなし だ じゃ ぃ 。 」 誰 か が うし ろ で 叫ん で いる 。 どういう 意味 か な 。 木 に とりつく と 弾 ね 返っ て うし ろ の もの を 叩く という の だろ う か 。 
光っ て 木 が はねかえる 。 おれ は そんな こと を し た か な 。 いや それ は もう よく 気 を つけ た ん だ 。 藪 だ 。 もじゃもじゃ し て いる 。 大内 は よく あるく 。 
崖 だ 。 滝 は すぐ そこ だ し 、 ここ を 下りる より 仕方 ない 。 さあ 降りよ う 。 大内 は よく 降り て 行く 。 急 だ ぞ 。 この 木 は 少し 太 すぎる 。 灰 いろ だ 。 急 だ ぞ 、 草 、 この 木 は 細い ぞ 、 青い ぞ あぶない ぞ 。 なかなか 急 だ 。 大丈夫 だ 。 この 木 は 切っ て ある ぞ 。 そこ は あんまり 急 だ 。 
おりる の か 。 仕方 ない 。 木 が めまぐるしい ぞ 。 「 一 人 落 ぢ れ ば みんな 落 ぢ る ぞ 。 」 誰 か うし ろ で 叫ん で いる 。 落ち て き たら 全く みんな 落ちる 。 大内 が ず うっ と 落ち た 。 
河原 まで 行っ て やっと とまっ た 。 
おれ は とにかく 首尾 よく 降り た 。 
少し 下 へ さ がり 過ぎ た 。 瀑 まで 行く みち は ない 。 
凝灰岩 が 青じろく 崖 と 波 と の 間 に 四 、 五 寸 続い て は いる けれども とても あすこ は 伝っ て 行け ない 。 それ より は やっぱり 水 を 渉 って 向う へ 行く ん だ 。 向う の 河原 は 可 成 広い し 滝 まで ず うっ と 続い て いる 。 
けれども 脚 は やっぱり ぬれる 。 折角 ぬらさ ない ため に まわり道 し て 上 から 来 た の だ 、 飛石 を 一つ こさえ て やる か な 。 二つ は そのまま 使える し もう 四つ だけ ころがせ ば いい 、 まず おれ は 靴 を ぬご う 。 ゴム 靴 に よごれ た 青 の 靴下 か 。 
この 石 は 動かせる か な 。 流 紋 岩 だ か なり の 比重 だ 。 動く だろ う 。 水 の 中 だ し 、 アルキメデス 、 水 の 中 だ し 、 動く 動く 。 うまく いっ た 。 波 、 これ も 大丈夫 だ 。 大丈夫 。 引率 の 教師 が 飛石 を つくる の も おかしい が また えらい 。 やっぱり おかしい 。 ありがたい 。 うまく いっ た 。 
ひとり が 渡る 。 ぐらぐら する 。 あぶなく 渡る 、 二 人 が わたる 。 
もう 一つ は どれ に する か な 　 もう 四 人 だけ 渡っ て いる 。 飛石 の 上 に 両 あし を 揃え て きちんと 立っ て 四 人 つづい て 待っ て いる の は 面白い 。 向う の 河原 の を 動かそ う 。 影 の ある 石 だ 。 
持てる か な 。 持てる 。 けれども 一番 波 の 強い ところ だ 。 恐らく 少し 小さい ぞ 。 小さい 。 波 が 昆布 だ 、 越し て 行く 。 もう 一つ 持っ て 来よ う 。 こいつ は 苔 で ぬるぬる し て いる 。 これ で 二つ だ 。 まだ ぐらぐら だ 。 も 一つ 要る 。 小さい けれども 台 に は なる 。 大丈夫 だ 。 おれ は はだし で 行こ う か な 。 いい や やっぱり 靴 は はこ う 。 面倒くさい 靴下 は ポケット へ 押し込め 、 ポケット が ふくれ て 気持ち が いい ぞ 。 
素 あし に ゴム 靴 で ぴちゃぴちゃ 水 を わたる 。 これ は よっぽど いい こと に なっ て いる 。 前 に も 一 ぺん どこ か で こんな こと が あっ た 。 去年 の 秋 だ 。 腐植 質 の 野原 の たまり 水 だっ た かも しれ ない 。 向う に 黒い みち が ある 。 崖 の 茂み に は いっ て 行く 。 これ が 羽山 を 越え て 台 に 出る の か も わから ない 。 帰り に 登る と しよ う か な 。 いい や 。 だめ だ 。 曖昧 だ し それ に みんな も 越えれ まい 。 
「 先生 、 この 石 何 す 。 」 一 かけ ひろっ て 持っ て いる 。 「 何 だ べ な 。 」 
みんな さっき は あし を ぬらす まい と し た ん だ が 日 が 照る し 水 は きれい だ し 自分 で も 気がつか ず 川 に は いったん だ 。 
もう ずんずん 瀑 を のぼっ て 行く 。 cascade   だ 。 こんな 広い 平ら な 明るい 瀑 は ありがたい 。 上 へ 行っ たら もっと 平ら で 明るい だろ う 。 けれども 壺 穴 の 標本 を 見せる つもり だっ た が 思っ た くらい はっきり は し て い ない な 。 多少 失望 だ 。 岩 は 何 という 円く なめらか に 削ら れ た もん だろ う 。 水 苔 も 生え て いる 。 滑る だろ う か 。 滑ら ない 。 ゴム 靴 の 底 の ざり ざり の 摩擦 が はっきり 知れる 。 滑ら ない 。 大丈夫 だ 。 さらさら 水 が 落ち て いる 。 靴 は ビチャビチャ 云っ て いる 。 みんな いい 。 それに みんな は 後 から つい て 来る 。 
苔 が きれい に はえ て いる 。 実に 円く 柔らか に 水 が この 瀑 の ところ を 削っ た もん だ 。 この 浸蝕 の 柔らか さ 。 
もう 平ら だ 。 そう だ 。 いつか も ここ を 溯っ て 行っ た 。 いい や 、 此処 じゃ ない 。 けれども ずいぶん よく 似 て いる ぞ 。 川 の 広 さ も 両 岸 の 崖 、 ところどころ の 洲 の 青草 。 もう 平ら だ 。 みんな 大分 溯っ た な 。 
だまっ て いる 。 波 が うごき 波 が 足 を たたく 。 日光 が 降る 。 この 水 を 渉 る こと の 快 さ 。 菅 木 が いる な 。 いつも の よう に じっと ひと の 目 を 見つめ て いる 。 
ずいぶん 上流 まで 行っ た 。 実際 こんなに 川床 が 平ら で 水 も きれい だ し 山 の 中 の 第 一流 の 道路 だ 。 どこ まで も のぼり たい の は あたりまえ だ 。 
向う の 岸 の 方 に うつろう 。 
「 先生 この 岩 何 す 。 」 千葉 だ な 。 お父さん に よく 似 て いる 。 だまっ て いる 。 及川 だ な 。 
みんな わかる ん だ な 。 これ は 。 向う に も 一つ 滝 が ある らしい 。 うすぐろい 岩 の 。 みんな そこ まで 行こ う と 云う の か 。 草原 が あっ て 春木 も 積ん で ある 。 ずいぶん 溯っ た ぞ 。 ここ は 小さな 段 だ 。 
「 ああ 云う 岩 の すき間 の ごと 何 て 云う の だ た べ な 。 習っ た たん とも 。 」 
習っ た という の は 節理 だ な 。 節理 なら 多面 節理 、 これ を 節理 と 云う わけ に は いか ない 。 裂罅 だ 。 やっぱり 裂け目 で いい ん だ 。 壺 穴 の いい の が なく て 困る な 。 少し 細長い けれども これ で 説明 しよ う か 。 elongatedpot - hole 
日光 の 波 、 日光 の 波 、 光 の 網 と 、 水 の 網 。 
「 ほこ の 穴 こまん 円 け じゃ 。 先生 。 」 
ああ いい 、 これ は いい 標本 だ 。 こいつ なら 持っ て こい だ 。 
実に いい 礫 だ 。 まっ白 だ 。 ま ん 円 だ 水 で ぬれ て いる 。 取っ て しまっ た 。 誰か が また 掻き 廻す 。 もう ない 。 あと は 茶色 だ し 少し 角 も ある 。 ああ いい な 。 こんな ありがたい 。 あんまり 溯る 。 もう 帰ろ う 。 校長 も あの 路 の 岐 れ 目 で 待っ て いる 。 
向う の 崖 は 明るい し 声 は よく 出 ない 。 聞え ない よう だ 。 市野川 や ぐんぐん のぼっ て 行く 。 「 戻れ ど 。 お 。 」 「 戻れ 。 」 
向い た 向い た 。 一 人 向け ば もう いい 。 川 を 戻る より は ここ から さっき の 道 へ のぼっ た ほう が いい 、 傾斜 も ゆるく 丁度 のぼれ そう だ 。 
手 を 振っ た ほう が わかる な 。 わかっ た わかっ た わかっ た よう だ 。 市野川 が 崖 の 上 の みち を 見 て いる 。 
うし ろ の 滝 の 上 で 誰 か 叫ん で いる 。 大竹 だ 。 「 おら 荷物 置い て き た がら こっち がら 行 ぐ 。 」 よかろ う 。 もう 大竹 が 滝 を おり て 行く 。 すばやい やつ だ 。 二 、 三 人 また ついて行く 。 それ から も 一 人 おくれ て ひどく 心配 そう に 背中 を かがめ て 下り て いく 。 斉藤 貞一 か な 。 一寸 こっち を 見 た ところ に は 栗鼠 の 軽 さ も ある 。 ほんとう に 心配 な ん だ 。 か あいそ う 。 
市野川 や みんな が ぞろぞろ 崖 を みち の 方 へ 上っ て 行く らしい 。 
そう すれ ば おれ は やっぱり 川 を 下っ た ほう が いい ん だ 。 もしも 誰 か 途中 で 止っ て い て は わるい 。 尤も 靴下 も ポケット に 入っ て いる し 必ず 下ら なけれ ば なら ない という こと は ない 、 けれども やっぱり こっち を 行こ う 。 ああ いい 気持 だ 。 鉄槌 を こんなに 大きく 振っ て 川 を あるく こと は もう 何 年 ぶり だろ う 。 波 が 足 を あらい 水 は つめたく 陽 は 射し て いる 。 
「 先生 ぁ 、 ずいぶん 足 ぁ 早 ぃな 。 」 富手 かな 、 菅 木 か な 、 あんな こと を 云っ て いる 。 足 が 早い という の は 道 を あるく とき の 話 だ 。 ここ も 平ら で 上等 の 歩道 な の だ 。 ただ 水 が ある ばかり 。 
「 先生 、 あの 崖 の ど ご 色 変っ てる の ぁ 何 し て す 。 」 簡 だ 。 崖 の 色 か 。 
うん 。 ある ある 。 これ が 裂罅 を 温泉 の 通っ た 証拠 だ 。 玻璃 蛋白石 の 脈 だ 。 
みんな が 囲む 。 水 の 中 だ 。 
「 取ら え な ぃがべが 。 」 「 いい や 、 此処 この まんま の 標本 だ 。 」 
「 それでも 取ら え な ぃがべが 。 」 
中 々 面倒 だ 。 
「 先生 こっち に もっと 大きな の ある ん す 。 」 ある ある 。 これ なら ネスト と 云っ て も いい 。 これ なら 取れる 。 ハムマア の 尖っ た 方 で は だめ だ 。 平たい 方 は … … 。 
水 が ぴちゃぴちゃ はねる 。 そっち の 方 の もの が 逃げる 、 ふん 。 
白く 岩 に 傷 が つい た 。 二 所 つい た 。 
とれる 。 とれ た 。 うまい 。 新鮮 だ 。 青白い 。 
緑 簾 石 も つい て いる 。 そう じゃ ない これ は 苔 だ 。 
誰 だ 崖 の 上 で 叫ん で いる の は 。 
「 先生 。 おら 河童 捕り し た も や 。 河童 捕り 。 」 藤原 健太郎 だ 。 黒 の 制服 を 着 て 雑嚢 を さげ 、 ひどく はしゃい で 笑っ て いる 。 どうして いま ごろ あんな 崖 の 上 など に 顔 を 出し た の だ 。 
「 先生 。 下り で 行 ぐべがな 。 先生 。 よし 、 下り で 行 ぐぞ 。 」 
おりる おりる 。 がりがり やって来る ん だ な 。 ただ その おしまい の 一足 だけ が あぶない ぞ 。 裸 の 青い 岩 だ し 急 だ 。 
おりる おりる 。 どんどん 下りる 。 もう 水 へ 入っ た 。 「 先生 。 河童 捕り あす た 。 ガバン も 何 も 、 すっかり ぬらす た も 。 」 
もう 下ろ う 。 滝 に 来 た 。 下り て いる もの も ある 。 水 の 流れる 所 は 苔 は 青く 流れ ない 所 は 褐色 だ 。 みんな こわごわ 下り て 来る 。 水 の 流れる 所 は 大丈夫 滑ら ない ん だ 。 
あれ は 葛 丸川 だ 。 足 を さらわ れ て 淵 に 入っ た の は 。 いい や 葛 丸川 じゃ ない 。 空想 の とき の 暗い 谷 だ 。 どっち でも いい 。 水 が さあ さあ 云っ て いる 。 「 いい な 。 あ そご の 水 の 跳ね返る 処 よ 。 」 
うん 、 いい 早 池 峯山 の 七 折 の 滝 だって こんな の の 大きな だけ だろ う 。 
もう みんな おりる 。 おれ も おりる 。 たった 一 人 あと から やって来る 人 が ある 。 こわ そう だ 。 
そう だ 。 そう だ 。 いい 気持ち だ 。 
アリイルスチュアール 
一 九 二 七 
（ 房 中 寒く むなしく て 
灯 は 消え 月 は 出 で ざる に 
大 なる 恐怖 の 声 なし て 
いま 起ち たる は そも 何ぞ ！ … … 
わが 知る もの の 霊 よ 
何とて なれ は 来り し や ？ ） 
（ 君 は 云 へ りき 　 わが 待た ば 
君 も 必ず 来ら ん と … … ） 
（ 愛しき されど 愚かしき 
遙 け く なれ の 死 しける を 
亡き と 生ける は もろ 共 に 
行き 交 ふ こと の 許さ れ ね 
い ざはやなれはくらやみに 
われ は 愛 に ぞ 行く べ かり ） 
（ ゆ ふ べ はまこ と しかる らん 
今宵 は しかく あら ぬ なり ） 
（ と は 云 へ なれ は 何 を もて 
ひと と われと を さま たぐる 
その ひと まこと その むかし 
汝 が あり し ごと 愛しき に 
しかも 汝 は いま 亡き もの を ！ ） 
（ しかも 汝 と て いま は 亡 し ） 
「 正 知 は あした の 朝 の 七 時 ごろ ヒームキャ の 河 を おわ たり に なっ て この 町 に いらっしゃる そう だ 」 
こう 言う 語 が すきとおっ た 風 と いっしょ に ハームキャ の 城 の 家々 に しみわたり まし た 。 
みんな は まるで 子供 の よう に いそいそ し て しまい まし た 。 なぜ なら 町 の 人 たち は 永い 間 どんなに 正 知 の その 町 に 来る の を 望ん で い た か しれ ない の です 。 それに また 町 から たくさん の 人 たち が 正 知 の とこ へ 行っ て お 弟子 に なっ て い た の です 。 
「 正 知 は あした の 朝 の 七 時 ごろ ヒームキャ の 河 を おわ たり に なっ て この 町 に いらっしゃる そう だ 」 
みんな は 思い まし た 、 正 知 は どんな お 顔 いろ で その お 眼 は どんな だろ う 、 噂 の 通り 紺 いろ の 蓮華 の はな びら の よう な 瞳 を し て い なさる だろ う か 、 お 指 の 爪 は ほんとう に 赤銅 いろ に 光る だろ う か 、 また 町 から 行っ た 人 たち が 正 知 と どんな こと を 言い どんな なり を し て いる だろ う 、 もう みんな は まるで 子供 の よう に いそいそ し て 、 まず 自分 の 家 を きちんと ととのえ 、 それから 表 へ 出 て 通り を きれい に 掃除 し まし た 。 あっち の 家 から も こっち の 家 から も 人 が 出 て 通り を 掃い て おり ます 。 水 が まか れ 牛糞 や 石ころ は きれい に とりのけ られ 、 また 白い 石英 の 砂 が 撒か れ まし た 。 
「 正 知 は あした の 朝 の 七 時 ごろ ヒームキャ の 河 を おわ たり に なっ て この 町 に いらっしゃる そう だ 」 
もちろん この 噂 は 早く も 王宮 に 伝わり まし た 。 
「 申し上げ ます 。 如来 正 知 は あした の 朝 の 七 時 ごろ ヒームキャ の 河 を おわ たり に なっ て この 町 に いらっしゃる そう で ござい ます 」 
「 そう か 、 たしかに そう か 」 王さま は われ を 忘れ て 瑪瑙 で 飾ら れ た 王座 を 立た れ まし た 。 
「 たしかに さ よう と 存ぜ られ ます 。 今朝 ヒームキャ の 向こう岸 で ご 説法 の を ハムラ の 二 人 の 商人 が 拝ん で 参っ た と 申し ます 」 
「 そう か 、 それでは まちがい ある まい 。 ああ 、 どんなに お待ち し た だろ う 。 すぐ 町 を 掃除 する よう 布令 を 出せ 」 
「 申し上げ ます 。 町 は もう すっかり 掃除 が でき て ござい ます 。 人民 ども は もう 大 悦び で お 布令 を 待た ず きれい に 掃除 を いたし まし た 」 
「 うう 」 王さま は うなる よう に し まし た 。 
「 なお 参っ て よく 粗 匆 の ない よう 注意 いたせ 。 それ から 千 人 の 食事 の し たく を 申し伝え て くれ 」 
「 かしこまり まし た 。 大膳 職 は さっき から その ご 命 を 待ちかね て うろうろ うろうろ 廚 の 中 を 歩き まわっ て おり ます 」 
「 ふう 。 そう か 」 王さま は しばらく 考え て い られ まし た 。 
「 すると 次 は 精舎 だ 。 城 外 の 柏 林 に 千 人 の 宿 を つくる よう 工作 の もの へ 言っ て くれ ない か 」 
「 かしこまり まし た 。 ありがたい 思召 で ござい ます 。 工作 の 方 の もの ども は もう 万一 ご 命令 も ある か と 柏 林 の 測量 に とり かかっ て おり ます 」 
「 ふう 。 正 知 の お 徳 は 風 の よう に みんな の 胸 に 充ちる 。 あした の 朝 は ヒームキャ の 河 の 岸 まで わし が お迎え に 出よ う 。 みな に そう 伝え て くれ 。 お前 は 夜明 の 五 時 に 参れ 」 
「 かしこまり まし た 」 白髯 の 大臣 は よろこん で 子供 の よう に 顔 を 赤く し て 王さま の 前 を 退 がり まし た 。 
次 の 夜明 に なり まし た 。 
王様 は 帳 の 中 で 総理 大臣 の しずか に は いっ て 来る 足音 を 聴い て もう 起きあがっ て い られ まし た 。 
「 申し上げ ます 。 ただいま ちょうど 五 時 で ござい ます 」 
「 うん 、 わし は ゆうべ 一 晩 ねむら なかっ た 。 けれども 今朝 わし の からだ は 水晶 の よう に さわやか だ 。 どう だろ う 、 天気 は 」 王さま は 帳 を 出 て まっすぐ に 立た れ まし た 。 
「 大 へん に いい 天気 で ござい ます 。 修 彌 山 の 南側 の 瑠璃 も まるで すきとおる よう に 見え ます 。 こんな 日 如来 正 知 は どんなに お 立派 に 見え ましょ う 」 
「 いい あんばい だ 。 街 は 昨日 の 通り さっぱり し て いる か 」 
「 はい 、 阿 耨達湖 の 渚 の よう で ござい ます 」 
「 斎 食 の し たく は いい か 」 
「 もう すっかり でき て おり ます 」 
「 柏 林 の 造営 は どう だ 」 
「 今朝 の うち に は 大丈夫 で ござい ます 。 あと は ただ 窓 を ととのえ て 掃除 する だけ で ござい ます 」 
「 そう か 。 で は し たく しよ う 」 
王さま は みんな を 従え て ヒームキャ の 川岸 に 立た れ まし た 。 
風 が サラサラ 吹き 木の葉 は 光り まし た 。 
「 この 風 は もう 九月 の 風 だ な 」 
「 さよう で ござい ます 。 これ は すきとおっ た するどい 秋 の 粉 で ござい ます 。 数 知れ ぬ 玻璃 の 微塵 の よう で ござい ます 」 
「 百 合 は もう 咲い た か 」 
「 蕾 は みんな できあがり まし て ござい ます 。 秋風 の 鋭い 粉 が その 頂上 の 緑 いろ の かけ 金 を 削っ て 減し て しまい ます 。 今朝 一斉 に どの 花 も 開く か と 思わ れ ます 」 
「 うん 。 そう だろ う 。 わし は 正 知 に 百 合 の 花 を ささげよ う 。 大蔵 大臣 。 お前 は 林 へ 行っ て 百 合 の 花 を 一 茎 見つけ て 来 て くれ ない か 」 
王さま は 黒 髯 に 埋まっ た 大蔵 大臣 に 言わ れ まし た 。 
「 はい 。 かしこまり まし た 」 
大蔵 大臣 は ひとり 林 の 方 へ 行き まし た 。 林 は しん として 青く 、 すかし て 見 て も 百 合 の 花 は 見え ませ ん でし た 。 
大臣 は 林 を まわり まし た 。 林 の 陰 に 一 軒 の 大きな うち が あり まし た 。 日 が まっ白 に 照っ て 家 は 半分 あかるく 夢 の よう に 見え まし た 。 その 家 の 前 の 栗 の 木の下 に 一 人 の はだし の 子供 が まっ白 な 貝 細工 の よう な 百 合 の 十 の 花 の つい た 茎 を もっ て こっち を 見 て い まし た 。 
大臣 は 進み まし た 。 
「 その 百 合 を おれ に 売れ 」 
「 うん 売る よ 」 子供 は 唇 を まるく し て 答え まし た 。 
「 いくら だ 」 大臣 が 笑い ながら たずね まし た 。 
「 十 銭 」 子供 が 大きな 声 で 勢 よく 言い まし た 。 
「 十 銭 は 高い な 」 大臣 は ほんとう に 高い と 思い ながら 言い まし た 。 
「 五 銭 」 子供 が また 勢 よく 答え まし た 。 
「 五 銭 は 高い な 」 大臣 は まだ ほんとう に 高い と 思い ながら 笑っ て 言い まし た 。 
「 一 銭 」 子供 が 顔 を まっ 赤 に し て 叫び まし た 。 
「 そう か 。 一銭 。 それでは これ で いい だろ う な 」 大臣 は 紅 宝玉 の 首 かざり を はずし まし た 。 
「 いい よ 」 子供 は 赤い 石 を 見 て よろこん で 叫び まし た 。 大臣 は 首 かざり を 渡し て 百 合 を 手 に とり まし た 。 
「 何 に する ん だい 。 その 花 を 」 子供 が ふと 思いつい た よう に 言い まし た 。 
「 正 知 に あげる ん だ よ 」 
「 あっ 、 そん なら やら ない よ 」 子供 は 首 かざり を 投げ出し まし た 。 
「 どうして 」 
「 僕 が やろ う と 思っ た ん だい 」 
「 そう か 。 じゃ 返そ う 」 
「 やる よ 」 
「 そう か 」 大臣 は また 花 を 手 に とり まし た 。 
「 お前 は いい 子 だ な 。 正 知 が いらっしゃっ たら あと について お 城 へ おいで 。 わし は 大蔵 大臣 だ よ 」 
「 うん 、 行く よ 」 子供 は よろこん で 叫び まし た 。 
大臣 は 林 を まわっ て 川 の 岸 へ 来 まし た 。 
「 立派 な 百 合 だ 。 ほんとう に 。 ありがとう 」 王様 は 百 合 を 受けとっ て それ から うやうやしく いただき まし た 。 
川 の 向こう の 青い 林 の こっち に かすか な 黄金 いろ が ぽっと 虹 の よう に のぼる の が 見え まし た 。 みんな は 地 に ひれふし まし た 。 王 も また 砂 に ひざまずき まし た 。 
二 億 年 ばかり 前 どこ か で あっ た こと の よう な 気 が し ます 。 
おれ は やっと の こと で 十 階 の 床 を ふん で 汗 を 拭っ た 。 
そこ の 天井 は 途方 も なく 高かっ た 。 全 體 その 天井 や 壁 が 灰色 の 陰影 だけ で 出 來 て ゐる の か 、 つめたい 漆喰 で 固め あげ られ て ゐる の か わから なかっ た 。 
（ さ う だ 。 この 巨 き な 室 に ダルゲ が 居る ん だ 。 今度 こそ 會 へる ん だ 。 ） と おれ は 考へ て 一寸 胸 の どこ か が 熱く なっ た か 熔け た か の やう な 氣 が し た 。 
高 さ 二 丈 ばかり の 大きな 扉 が 半分 開い て ゐ た 。 おれ は するりと はいっ て 行っ た 。 
室 の 中 は ガラン として つめたく 、 せい の 低い ダルゲ が 手 を 額 に かざし て そこ の 巨 き な 窓 から 西 の そら を じっと 眺め て ゐ た 。 
ダルゲ は 灰色 で 腰 に は 硝子 の 蓑 を 厚く まとっ て ゐ た 。 そして じっと 動か なかっ た 。 
窓 の 向 ふ に は くしゃくしゃ に 縮れ た 雲 が 痛々しく 白く 光っ て ゐ た 。 
ダルゲ が 俄 か に つめたい すき と ほっ た 聲 で 高く 歌 ひ 出し た 。 
西 ぞ ら の 
ちぢれ 羊 から 
おれ の 崇敬 は 照り返さ れ 
（ 天 の 海 と 窓 の 日覆 ひ 。 ） 
おれ の 崇敬 は 照り返さ れ 。 
おれ は 空 の 向 ふ に ある 氷河 の 棒 を おもっ て ゐ た 。 
ダルゲ は 又 じっと 額 に 手 を かざし た まま 動か なかっ た 。 
おれ は 堪へ かね て 一足 そっち へ 進ん で 叫ん だ 。 
「 白堊 系 の 砂岩 の 斜 層 理 について 。 」 
ダルゲ は 振り向い て 冷やか に わらっ た 。 
（ 一 ） 
一本木 の 野原 の 、 北 の はずれ に 、 少し 小高く 盛りあがっ た 所 が あり まし た 。 い の ころ ぐさがいっぱいに 生え 、 その まん中 に は 一 本 の 奇麗 な 女 の 樺の木 が あり まし た 。 
それ は そんなに 大きく は あり ませ ん でし た が 幹 は てかてか 黒く 光り 、 枝 は 美しく 伸び て 、 五月 に は 白い 花 を 雲 の よう に つけ 、 秋 は 黄金 や 紅 や いろいろ の 葉 を 降ら せ まし た 。 
ですから 渡り鳥 の かっこう や 百舌 も 、 又 小さな みそさざい や 目白 も みんな この 木 に 停 まり まし た 。 ただ もしも 若い 鷹 など が 来 て いる とき は 小さな 鳥 は 遠く から それ を 見付け て 決して 近く へ 寄り ませ ん でし た 。 
この 木 に 二 人 の 友達 が あり まし た 。 一 人 は 丁度 、 五 百 歩 ばかり 離れ た ぐちゃぐちゃ の 谷地 の 中 に 住ん で いる 土 神 で 一 人 は いつも 野原 の 南 の 方 から やって来る 茶 いろ の 狐 だっ た の です 。 
樺の木 は どちら か と 云え ば 狐 の 方 が すき でし た 。 なぜ なら 土 神 の 方 は 神 という 名 こそ ついては い まし た が ごく 乱暴 で 髪 も ぼろぼろ の 木綿 糸 の 束 の よう 眼 も 赤く きもの だって まるで わかめ に 似 、 いつも はだし で 爪 も 黒く 長い の でし た 。 ところが 狐 の 方 は 大 へん に 上品 な 風 で 滅多 に 人 を 怒ら せ たり 気 に さわる よう な こと を し なかっ た の です 。 
ただ もし よく よく この 二 人 を くらべ て 見 たら 土 神 の 方 は 正直 で 狐 は 少し 不正直 だっ た かも 知れ ませ ん 。 
（ 二 ） 
夏 の はじめ の ある 晩 でし た 。 樺 に は 新 らしい 柔らか な 葉 が いっ ぱいについていいかおりがそこら 中 いっぱい 、 空 に は もう 天の川 が しらし ら と 渡り 星 はいち めん ふるえ たり ゆれ たり 灯っ たり 消え たり し て い まし た 。 
その 下 を 狐 が 詩集 を もっ て 遊び に 行っ た の でし た 。 仕立 おろし の 紺 の 背広 を 着 、 赤 革 の 靴 も キッ キッ と 鳴っ た の です 。 
「 実に しずか な 晩 です ねえ 。 」 
「 ええ 。 」 樺の木 は そっと 返事 を し まし た 。 
「 蝎 ぼ し が 向う を 這っ て い ます ね 。 あの 赤い 大きな やつ を 昔 は 支那 で は 火 と 云っ た ん です よ 。 」 
「 火星 と は ちがう ん でしょ う か 。 」 
「 火星 と は ちがい ます よ 。 火星 は 惑星 です ね 、 ところが あいつ は 立派 な 恒星 な ん です 。 」 
「 惑星 、 恒星 って どういう ん です の 。 」 
「 惑星 という の は です ね 、 自分 で 光ら ない やつ です 。 つまり ほか から 光 を 受け て やっと 光る よう に 見える ん です 。 恒星 の 方 は 自分 で 光る やつ な ん です 。 お 日 さま なんか は 勿論 恒星 です ね 。 あんなに 大きく て まぶしい ん です が もし 途方 も ない 遠く から 見 たら やっぱり 小さな 星 に 見える ん でしょ う ね 。 」 
「 まあ 、 お 日 さま も 星 の うち だっ た ん です わ ね 。 そう し て 見る と 空 に は ずいぶん 沢山 の お 日 さま が 、 あら 、 お 星 さま が 、 あら やっぱり 変 だ わ 、 お 日 さま が ある ん です ね 。 」 
狐 は 鷹揚 に 笑い まし た 。 
「 まあ そう です 。 」 
「 お 星 さま に は どうして ああ 赤い の や 黄 の や 緑 の や ある ん でしょ う ね 。 」 
狐 は 又 鷹揚 に 笑っ て 腕 を 高く 組み まし た 。 詩集 は ぷらぷらしましたがなかなかそれで 落ち ませ ん でし た 。 
「 星 に 橙 や 青 や いろいろ ある 訳 です か 。 それ は 斯 う です 。 全体 星 という もの は はじめ は ぼんやり し た 雲 の よう な もん だっ た ん です 。 いま の 空 に も 沢山 あり ます 。 たとえば アンドロメダ に も オリオン に も 猟犬 座 に も みんな あり ます 。 猟犬 座 の は 渦巻き です 。 それから 環状 星雲 という の も あり ます 。 魚 の 口 の 形 です から 魚 口 星雲 とも 云い ます ね 。 そんな の が 今 の 空 に も 沢山 ある ん です 。 」 
「 まあ 、 あたし いつか 見 たい わ 。 魚 の 口 の 形 の 星 だ なんて まあ どんなに 立派 でしょ う 。 」 
「 それ は 立派 です よ 。 僕 水沢 の 天文台 で 見 まし た が ね 。 」 
「 まあ 、 あたし も 見 たい わ 。 」 
「 見せ て あげ ましょ う 。 僕 実は 望遠鏡 を 独 乙 の ツァイス に 注文 し て ある ん です 。 来年 の 春 まで に は 来 ます から 来 たら すぐ 見せ て あげ ましょ う 。 」 狐 は 思わず 斯 う 云っ て しまい まし た 。 そして すぐ 考え た の です 。 ああ 僕 は たった 一 人 の お 友達 に また つい 偽 を 云っ て しまっ た 。 ああ 僕 は ほんとう に だめ な やつ だ 。 けれども 決して 悪い 気 で 云っ た ん じゃ ない 。 よろこば せよ う と 思っ て 云っ た ん だ 。 あと で すっかり 本当 の こと を 云っ て しまお う 、 狐 は しばらく しん と し ながら 斯 う 考え て い た の でし た 。 樺の木 は そんな こと も 知ら ない で よろこん で 言い まし た 。 
「 まあ うれしい 。 あなた 本当に いつ でも 親切 だ わ 。 」 
狐 は 少し 悄気 ながら 答え まし た 。 
「 ええ 、 そして 僕 は あなた の 為 なら ば ほか の どんな こと で も やり ます よ 。 この 詩集 、 ごらん なさい ませ ん か 。 ハイネ という 人 の です よ 。 翻訳 です けれども 仲 々 よく でき てる ん です 。 」 
「 まあ 、 お 借り し て いい ん でしょ う かしら 。 」 
「 構い ませ ん と も 。 どう か ゆっくり ごらん なすっ て 。 じゃ 僕 もう 失礼 し ます 。 はてな 、 何 か 云い 残し た こと が ある よう だ 。 」 
「 お 星 さま の いろ の こと です わ 。 」 
「 ああ そう そう 、 だけど それ は 今度 に し ましょ う 。 僕 あんまり 永く お 邪魔 し ちゃ いけ ない から 。 」 
「 あら 、 いい ん です よ 。 」 
「 僕 又 来 ます から 、 じゃ さよなら 。 本 は あげ て き ます 。 じゃ 、 さよなら 。 」 狐 は いそがしく 帰っ て 行き まし た 。 そして 樺の木 は その 時 吹い て 来 た 南風 に ざわざわ 葉 を 鳴らし ながら 狐 の 置い て 行っ た 詩集 を とりあげ て 天の川 や そら いち めん の 星 から 来る 微か な あかり に すかし て 頁 を 繰り まし た 。 その ハイネ の 詩集 に は ロウレライ や さまざま 美しい 歌 が いっぱい に あっ た の です 。 そして 樺の木 は 一 晩 中 よみ 続け まし た 。 ただ その 野原 の 三 時 すぎ 東 から 金 牛 宮 の のぼる ころ 少し とろとろ し た だけ でし た 。 
夜 が あけ まし た 。 太陽 が のぼり まし た 。 
草 に は 露 が きらめき 花 は みな 力いっぱい 咲き まし た 。 
その 東北 の 方 から 熔け た 銅 の 汁 を から だ 中 に 被っ た よう に 朝日 を いっぱい に 浴び て 土 神 が ゆっくり ゆっくり やって来 まし た 。 いかにも 分別 くさ そう に 腕 を 拱き ながら ゆっくり ゆっくり やって来 た の でし た 。 
樺の木 は 何だか 少し 困っ た よう に 思い ながら それでも 青い 葉 を きらきら と 動かし て 土 神 の 来る 方 を 向き まし た 。 その 影 は 草 に 落ち て ちらちら ちらちら ゆれ まし た 。 土 神 は しずか に やって来 て 樺の木 の 前 に 立ち まし た 。 
「 樺の木 さん 。 お早う 。 」 
「 お早う ござい ます 。 」 
「 わし はね 、 どうも 考え て 見る と わから ん こと が 沢山 ある 、 なかなか わから ん こと が 多い もん だ ね 。 」 
「 まあ 、 どんな こと で ござい ます の 。 」 
「 たとえば だ ね 、 草 という もの は 黒い 土 から 出る の だ が なぜ こう 青い もん だろ う 。 黄 や 白 の 花 さえ 咲く ん だ 。 どうも わから ん ねえ 。 」 
「 それ は 草 の 種子 が 青 や 白 を もっ て いる ため で は ない で ござい ましょ う か 。 」 
「 そう だ 。 まあ そう 云え ば そう だ が それでも やっぱり わから ん な 。 たとえば 秋 の きのこ の よう な もの は 種子 も なし 全く 土 の 中 から ばかり 出 て 行く もん だ 、 それ に も やっぱり 赤 や 黄いろ や いろいろ ある 、 わから ん ねえ 。 」 
「 狐 さん に でも 聞い て 見 まし たら いかが で ござい ましょ う 。 」 
樺の木 は うっとり 昨夜 の 星 の はなし を おもっ て い まし た ので つい 斯 う 云っ て しまい まし た 。 
この 語 を 聞い て 土 神 は 俄 か に 顔 いろ を 変え まし た 。 そして こぶし を 握り まし た 。 
「 何 だ 。 狐 ？ 　 狐 が 何 を 云い 居っ た 。 」 
樺の木 は おろおろ 声 に なり まし た 。 
「 何 も 仰っ し ゃったんではございませんがちょっとしたらご 存知 か と 思い まし た ので 。 」 
「 狐 なんぞ に 神 が 物 を 教わる と は 一体 何たる こと だ 。 えい 。 」 
樺の木 は もう すっかり 恐く なっ て ぷりぷり ぷりぷり ゆれ まし た 。 土 神 は 歯 を きし きし 噛み ながら 高く 腕 を 組ん で そこら を あるきまわり まし た 。 その 影 は まっ黒 に 草 に 落ち 草 も 恐れ て 顫 え た の です 。 
「 狐 の 如き は 実に 世 の 害悪 だ 。 ただ 一言 も ま こと は なく 卑怯 で 臆病 で それに 非常 に 妬み 深い の だ 。 う ぬ 、 畜生 の 分際 として 。 」 
樺の木 は やっと 気 を とり 直し て 云い まし た 。 
「 もう あなた の 方 の お祭 も 近づき まし た ね 。 」 
土 神 は 少し 顔色 を 和げ まし た 。 
「 そう じゃ 。 今日 は 五月 三 日 、 あと 六 日 だ 。 」 
土 神 は しばらく 考え て い まし た が 俄 か に 又 声 を 暴 ら げ まし た 。 
「 しかしながら 人間 ども は 不 届 だ 。 近頃 は わし の 祭 に も 供物 一つ 持っ て 来ん 、 おのれ 、 今度 わし の 領分 に 最初 に 足 を 入れ た もの は きっと 泥 の 底 に 引き 擦り込ん で やろ う 。 」 土 神 は また きりきり 歯噛み し まし た 。 
樺の木 は 折角 なだめよ う と 思っ て 云っ た こと が 又もや 却って こんな こと に なっ た ので もう どう し たら いい か わから なく なり ただ ちらちら と その 葉 を 風 に ゆすっ て い まし た 。 土 神 は 日光 を 受け て まるで 燃える よう に なり ながら 高く 腕 を 組み キリキリ 歯噛み を し て その 辺 を うろうろ し て い まし た が 考えれ ば 考える ほど 何もかも しゃくにさわっ て 来る らしい の でし た 。 そして とうとう こらえ 切れ なく なっ て 、 吠える よう に うなっ て 荒々しく 自分 の 谷地 に 帰っ て 行っ た の でし た 。 
（ 三 ） 
土 神 の 棲ん で いる 所 は 小さな 競馬 場 ぐらい ある 、 冷たい 湿地 で 苔 や から くさや みじかい 蘆 など が 生え て い まし た が 又 所々 に は あざみ や せい の 低い ひどく ねじれ た 楊 など も あり まし た 。 
水 が じめじめ し て その 表面 に は あちこち 赤い 鉄 の 渋 が 湧き あがり 見る から どろどろ で 気味 も 悪い の でし た 。 
その まん中 の 小さな 島 の よう に なっ た 所 に 丸太 で 拵え た 高 さ 一 間 ばかり の 土 神 の 祠 が あっ た の です 。 
土 神 は その 島 に 帰っ て 来 て 祠 の 横 に 長々 と 寝そべり まし た 。 そして 黒い 瘠せ た 脚 を がりがり 掻き まし た 。 土 神 は 一 羽 の 鳥 が 自分 の 頭 の 上 を まっすぐ に 翔け て 行く の を 見 まし た 。 すぐ 土 神 は 起き直っ て 「 しっ 」 と 叫び まし た 。 鳥 は びっくり し て よろよろ っと 落ち そう に なり それ から まるで はね も 何 も しびれ た よう に だんだん 低く 落ち ながら 向う へ 遁 げ て 行き まし た 。 
土 神 は 少し 笑っ て 起きあがり まし た 。 けれども 又 すぐ 向う の 樺の木 の 立っ て いる 高み の 方 を 見る と はっと 顔色 を 変え て 棒立ち に なり まし た 。 それから いかにも むしゃくしゃ する という 風 に その ぼろぼろ の 髪 毛 を 両手 で 掻きむしっ て い まし た 。 
その 時 谷地 の 南 の 方 から 一 人 の 木 樵 が やって来 まし た 。 三つ 森山 の 方 へ 稼ぎ に 出る らしく 谷地 の ふち に 沿っ た 細い 路 を 大股 に 行く の でし た が やっぱり 土 神 の こと は 知っ て い た と 見え て 時々 気づかわし そう に 土 神 の 祠 の 方 を 見 て い まし た 。 けれども 木 樵 に は 土 神 の 形 は 見え なかっ た の です 。 
土 神 は それ を 見る と よろこん で ぱっと 顔 を 熱ら せ まし た 。 それから 右手 を そっち へ 突き出し て 左手 で その 右手 の 手首 を つかみ こっち へ 引き寄せる よう に し まし た 。 すると 奇 体 な こと は 木 樵 は みち を 歩い て いる と 思い ながら だんだん 谷地 の 中 に 踏み込ん で 来る よう でし た 。 それから びっくり し た よう に 足 が 早く なり 顔 も 青ざめ て 口 を あい て 息 を し まし た 。 土 神 は 右手 の こぶし を ゆっくり ぐるっと まわし まし た 。 すると 木 樵 は だんだん ぐるっと 円く まわっ て 歩い て い まし た が いよいよ ひどく 周章て だし て まるで はあ はあ はあ はあ し ながら 何 べ ん も 同じ 所 を まわり 出し まし た 。 何 でも 早く 谷地 から 遁 げ て 出よ う と する らしい の でし た が あせっ て も あせっ て も 同じ 処 を 廻っ て いる ばかり な の です 。 とうとう 木 樵 は おろおろ 泣き 出し まし た 。 そして 両手 を あげ て 走り出し た の です 。 土 神 は いかにも 嬉し そう に にやにや にやにや 笑っ て 寝そべっ た まま それ を 見 て い まし た が 間もなく 木 樵 が すっかり 逆上せ て 疲れ て ば たっ と 水 の 中 に 倒れ て しまい ます と 、 ゆっくり と 立ちあがり まし た 。 そして ぐちゃぐちゃ 大股 に そっち へ 歩い て 行っ て 倒れ て いる 木 樵 の からだ を 向う の 草 は ら の 方 へ ぽん と 投げ出し まし た 。 木 樵 は 草 の 中 に どしり と 落ち て ううん と 云い ながら 少し 動い た よう でし た が まだ 気 が つき ませ ん でし た 。 
土 神 は 大声 に 笑い まし た 。 その 声 は あやしい 波 に なっ て 空 の 方 へ 行き まし た 。 
空 へ 行っ た 声 は まもなく そっち から はねかえっ て ガサリ と 樺の木 の 処 に も 落ち て 行き まし た 。 樺の木 は はっと 顔 いろ を 変え て 日光 に 青く すきとおり せわしく せわしく ふるえ まし た 。 
土 神 は たまらな そう に 両手 で 髪 を 掻きむしり ながら ひとり で 考え まし た 。 おれ の こんなに 面白く ない という の は 第 一 は 狐 の ため だ 。 狐 の ため より は 樺の木 の ため だ 。 狐 と 樺の木 と の ため だ 。 けれども 樺の木 の 方 は おれ は 怒っ て は い ない の だ 。 樺の木 を 怒ら ない ため に おれ は こんなに つらい の だ 。 樺の木 さえ どう でも よけれ ば 狐 など は なおさら どう でも いい の だ 。 おれ は いやしい けれども とにかく 神 の 分際 だ 。 それ に 狐 の こと など を 気 に かけ なけれ ば なら ない という の は 情ない 。 それでも 気 に かかる から 仕方 ない 。 樺の木 の こと など は 忘れ て しまえ 。 ところが どうしても 忘れ られ ない 。 今朝 は 青ざめ て 顫 え た ぞ 。 あの 立派 だっ た こと 、 どうしても 忘 られ ない 。 おれ は むし ゃくしゃまぎれにあんなあわれな 人間 など を いじめ た の だ 。 けれども 仕方 ない 。 誰 だって むしゃくしゃ し た とき は 何 を する か わから ない の だ 。 
土 神 は ひとり で 切 な がっ て ばたばた し まし た 。 空 を 又 一疋 の 鷹 が 翔け て 行き まし た が 土 神 は こんど は 何 と も 云わ ず だまっ て それ を 見 まし た 。 
ず うっ と ず うっ と 遠く で 騎兵 の 演習 らしい パチパチ パチ パチ 塩 の はぜる よう な 鉄砲 の 音 が 聞え まし た 。 そら から 青 びかりがどくどくと 野原 に 流れ て 来 まし た 。 それ を 呑ん だ ため か さっき の 草 の 中 に 投げ出さ れ た 木 樵 は やっと 気がつい て おずおず と 起きあがり し きり に あたり を 見廻し まし た 。 
それから 俄 か に 立っ て 一目散 に 遁 げ 出し まし た 。 三つ 森山 の 方 へ まるで 一目散 に 遁 げ まし た 。 
土 神 は それ を 見 て 又 大きな 声 で 笑い まし た 。 その 声 は 又 青 ぞ ら の 方 まで 行き 途中 から 、 バサリ と 樺の木 の 方 へ 落ち まし た 。 
樺の木 は 又 はっと 葉 の 色 を かえ 見え ない 位 こまかく ふるい まし た 。 
土 神 は 自分 の ほこ ら の まわり を うろうろ うろうろ 何 べ ん も 歩き まわっ て から やっと 気 が しずまっ た と 見え て すっと 形 を 消し 融ける よう に ほこ ら の 中 へ 入っ て 行き まし た 。 
（ 四 ） 
八月 の ある 霧 の ふかい 晩 でし た 。 土 神 は 何とも 云え ず さ びしくてそれにむしゃくしゃして 仕方 ない ので ふらっと 自分 の 祠 を 出 まし た 。 足 は いつの間にか あの 樺の木 の 方 へ 向っ て い た の です 。 本当に 土 神 は 樺の木 の こと を 考える と なぜ か 胸 が どき っと する の でし た 。 そして 大 へん に 切なかっ た の です 。 このごろ は 大 へん に 心持 が 変っ て よく なっ て い た の です 。 ですから なるべく 狐 の こと など 樺の木 の こと など 考え たく ない と 思っ た の でし た が どうしても それ が おもえ て 仕方 あり ませ ん でし た 。 おれ は いやしくも 神 じゃ ない か 、 一 本 の 樺の木 が おれ に 何 の あたい が ある と 毎日 毎日 土 神 は 繰り返し て 自分 で 自分 に 教え まし た 。 それでも どうしても かなしく て 仕方 なかっ た の です 。 殊に ちょっと でも あの 狐 の こと を 思い出し たら まるで から だ が 灼け る くらい 辛かっ た の です 。 
土 神 は いろいろ 深く 考え込み ながら だんだん 樺の木 の 近く に 参り まし た 。 そのうち とうとう はっきり 自分 が 樺の木 の とこ へ 行こ う と し て いる の だ という こと に 気が付き まし た 。 すると 俄 か に 心持 が おどる よう に なり まし た 。 ずいぶん しばらく 行か なかっ た の だ から ことに よっ たら 樺の木 は 自分 を 待っ て いる の かも 知れ ない 、 どうも そう らしい 、 そう だとすれば 大 へん に 気の毒 だ という よう な 考 が 強く 土 神 に 起っ て 来 まし た 。 土 神 は 草 を どしどし 踏み 胸 を 踊ら せ ながら 大股 に あるい て 行き まし た 。 ところが その 強い 足 なみ も いつか よろよろ し て しまい 土 神 は まるで 頭 から 青い 色 の かなしみ を 浴び て つっ 立た なけれ ば なり ませ ん でし た 。 それ は 狐 が 来 て い た の です 。 もう すっかり 夜 でし た が 、 ぼんやり 月 の あかり に 澱ん だ 霧 の 向う から 狐 の 声 が 聞え て 来る の でし た 。 
「 ええ 、 もちろん そう な ん です 。 器械 的 に 対称 の 法則 に ばかり 叶っ て いる から って それ で 美しい という わけ に は いか ない ん です 。 それ は 死ん だ 美 です 。 」 
「 全く そう です わ 。 」 しずか な 樺の木 の 声 が し まし た 。 
「 ほんとう の 美 は そんな 固定 し た 化石 し た 模型 の よう な もん じゃ ない ん です 。 対称 の 法則 に 叶う って 云っ たって 実は 対称 の 精神 を 有っ て いる と いう ぐらい の こと が 望ましい の です 。 」 
「 ほんとう に そう だ と 思い ます わ 。 」 樺の木 の やさしい 声 が 又 し まし た 。 土 神 は 今度 は まるで べらべら し た 桃 いろ の 火 で から だ 中 燃さ れ て いる よう に おもい まし た 。 息 が せかせか し て ほんとう に たまらなく なり まし た 。 なに が そんなに おまえ を 切なく する の か 、 高 が 樺の木 と 狐 と の 野原 の 中 で の みじかい 会話 で は ない か 、 そんな もの に 心 を 乱さ れ て それでも お前 は 神 と 云 える か 、 土 神 は 自分 で 自分 を 責め まし た 。 狐 が 又 云い まし た 。 
「 ですから 、 どの 美学 の 本 に も これ くらい の こと は 論じ て ある ん です 。 」 
「 美学 の 方 の 本 沢山 お もち です の 。 」 樺の木 は たずね まし た 。 
「 ええ 、 よけい も あり ませ ん が まあ 日本語 と 英語 と 独 乙 語 の なら 大抵 あり ます ね 。 伊太利 の は 新 らしい ん です が まだ 来 ない ん です 。 」 
「 あなた の お 書斎 、 まあ どんなに 立派 でしょ う ね 。 」 
「 いいえ 、 まるで ちらばっ て ます よ 、 それ に 研究 室 兼用 です から ね 、 あっち の 隅 に は 顕微鏡 こっち に は ロンドン タイムス 、 大理石 の シィザア が ころがっ たり まるっきり ご っ た ご た です 。 」 
「 まあ 、 立派 だ わ ねえ 、 ほんとう に 立派 だ わ 。 」 
ふん と 狐 の 謙遜 の よう な 自慢 の よう な 息 の 音 が し て しばらく しいんと なり まし た 。 
土 神 は もう 居 て も 立っ て も 居ら れ ませ ん でし た 。 狐 の 言っ て いる の を 聞く と 全く 狐 の 方 が 自分 より は えらい の でし た 。 いやしくも 神 で は ない か と 今 まで 自分 で 自分 に 教え て い た の が 今度 は でき なく なっ た の です 。 ああ つらい つらい 、 もう 飛び出し て 行っ て 狐 を 一 裂き に 裂い て やろ う か 、 けれども そんな こと は 夢にも おれ の 考える べき こと じゃ ない 、 けれども その おれ という もの は 何 だ 結局 狐 に も 劣っ た もん じゃ ない か 、 一体 おれ は どう すれ ば いい の だ 、 土 神 は 胸 を かきむしる よう に し て もだえ まし た 。 
「 いつか の 望遠鏡 まだ 来 ない ん です の 。 」 樺の木 が また 言い まし た 。 
「 ええ 、 いつか の 望遠鏡 です か 。 まだ 来 ない ん です 。 なかなか 来 ない です 。 欧州 航路 は 大分 混乱 し て ます から ね 。 来 たら すぐ 持っ て 来 て お 目 に かけ ます よ 。 土星 の 環 なんか それ ぁ 美しい ん です から ね 。 」 
土 神 は 俄 に 両手 で 耳 を 押え て 一目散 に 北の方 へ 走り まし た 。 だまっ て い たら 自分 が 何 を する か わから ない の が 恐ろしく なっ た の です 。 
まるで 一目散 に 走っ て 行き まし た 。 息 が つづか なく なっ て ばったり 倒れ た ところ は 三つ 森山 の 麓 でし た 。 
土 神 は 頭 の 毛 を かきむしり ながら 草 を ころげ まわり まし た 。 それから 大声 で 泣き まし た 。 その 声 は 時 で も ない 雷 の よう に 空 へ 行っ て 野原 中 へ 聞え た の です 。 土 神 は 泣い て 泣い て 疲れ て あけ 方 ぼんやり 自分 の 祠 に 戻り まし た 。 
（ 五 ） 
そのうち とうとう 秋 に なり まし た 。 樺の木 は まだ まっ青 でし た が その 辺 の い の ころ ぐさはもうすっかり 黄金 いろ の 穂 を 出し て 風 に 光り ところどころ すずらん の 実 も 赤く 熟し まし た 。 
ある すきとおる よう に 黄金 いろ の 秋 の 日土 神 は 大 へん 上機嫌 でし た 。 今年 の 夏 から の いろいろ な つらい 思い が 何だか ぼうっと みんな 立派 な も や の よう な もの に 変っ て 頭 の 上 に 環 に なっ て かかっ た よう に 思い まし た 。 そして もう あの 不思議 に 意地 の 悪い 性質 も どこ か へ 行っ て しまっ て 樺の木 など も 狐 と 話し たい なら 話す が いい 、 両方 とも うれしく て はなす の なら ほんとう に いい こと な ん だ 、 今日 は その こと を 樺の木 に 云っ て やろ う と 思い ながら 土 神 は 心 も 軽く 樺の木 の 方 へ 歩い て 行き まし た 。 
樺の木 は 遠く から それ を 見 て い まし た 。 
そして やっぱり 心配 そう に ぶるぶる ふるえ て 待ち まし た 。 
土 神 は 進ん で 行っ て 気軽 に 挨拶 し まし た 。 
「 樺の木 さん 。 お早う 。 実に いい 天気 だ な 。 」 
「 お早う ござい ます 。 いい お天気 で ござい ます 。 」 
「 天道 という もの は ありがたい もん だ 。 春 は 赤く 夏 は 白く 秋 は 黄いろく 、 秋 が 黄いろ に なる と 葡萄 は 紫 に なる 。 実に ありがたい もん だ 。 」 
「 全く で ござい ます 。 」 
「 わし は な 、 今日 は 大 へん に 気ぶん が いい ん だ 。 今年 の 夏 から 実に いろいろ つらい 目 に あっ た の だ が やっと 今朝 から にわかに 心持ち が 軽く なっ た 。 」 
樺の木 は 返事 しよ う と し まし た が なぜ か それ が 非常 に 重苦しい こと の よう に 思わ れ て 返事 し かね まし た 。 
「 わし は いま なら 誰 の ため に でも 命 を やる 。 みみず が 死な なけ ぁならんならそれにもわしはかわってやっていいのだ 。 」 土 神 は 遠く の 青い そら を 見 て 云い まし た 。 その 眼 も 黒く 立派 でし た 。 
樺の木 は 又 何とか 返事 しよ う と し まし た が やっぱり 何 か 大 へん 重苦しく て わずか 吐息 を つく ばかり でし た 。 
その とき です 。 狐 が やって来 た の です 。 
狐 は 土 神 の 居る の を 見る と はっと 顔 いろ を 変え まし た 。 けれども 戻る わけ に も 行か ず 少し ふるえ ながら 樺の木 の 前 に 進ん で 来 まし た 。 
「 樺の木 さん 、 お早う 、 そちら に 居ら れる の は 土 神 です ね 。 」 狐 は 赤 革 の 靴 を はき 茶 いろ の レーンコート を 着 て まだ 夏 帽子 を かぶり ながら 斯 う 云い まし た 。 
「 わし は 土 神 だ 。 いい 天気 だ 。 な 。 」 土 神 は ほんとう に 明るい 心持 で 斯 う 言い まし た 。 狐 は 嫉ま し さ に 顔 を 青く し ながら 樺の木 に 言い まし た 。 
「 お客 さま の お出で の 所 に あがっ て 失礼 いたし まし た 。 これ は この間 お 約束 し た 本 です 。 それから 望遠鏡 は いつか はれ た 晩 に お 目 に かけ ます 。 さよなら 。 」 
「 まあ 、 ありがとう ござい ます 。 」 と 樺の木 が 言っ て いる うち に 狐 は もう 土 神 に 挨拶 も し ない で さっさと 戻り はじめ まし た 。 樺の木 は さっと 青く なっ て また 小さく ぷりぷり 顫 い まし た 。 
土 神 は しばらく の 間 ただ ぼんやり と 狐 を 見送っ て 立っ て い まし た が ふと 狐 の 赤 革 の 靴 の キラッ と 草 に 光る の に びっくり し て 我 に 返っ た と 思い まし たら 俄 か に 頭 が ぐらっとしました 。 狐 が いかにも 意地 を はっ た よう に 肩 を いからせ て ぐんぐん 向う へ 歩い て いる の です 。 土 神 は むらむら っと 怒り まし た 。 顔 も 物凄く まっ黒 に 変っ た の です 。 美学 の 本 だの 望遠鏡 だ の と 、 畜生 、 さあ 、 どう する か 見ろ 、 と いきなり 狐 の あと を 追いかけ まし た 。 樺の木 は あわて て 枝 が 一 ぺん に がたがた ふるえ 、 狐 も その け はい に どうか し た の か と 思っ て 何気なく うし ろ を 見 まし たら 土 神 が まるで 黒く なっ て 嵐 の よう に 追っ て 来る の でし た 。 さあ 狐 は さっと 顔 いろ を 変え 口 も まがり 風 の よう に 走っ て 遁 げ 出し まし た 。 
土 神 は まるで そこら 中 の 草 が まっ白 な 火 に なっ て 燃え て いる よう に 思い まし た 。 青く 光っ て い た そら さえ 俄 か に ガラン と まっ暗 な 穴 に なっ て その 底 で は 赤い 焔 が どうどう 音 を 立て て 燃える と 思っ た の です 。 
二 人 はご う ご う 鳴っ て 汽車 の よう に 走り まし た 。 
「 もう おしまい だ 、 もう おしまい だ 、 望遠鏡 、 望遠鏡 、 望遠鏡 」 と 狐 は 一心に 頭 の 隅 の とこ で 考え ながら 夢 の よう に 走っ て い まし た 。 
向う に 小さな 赤 剥げ の 丘 が あり まし た 。 狐 は その 下 の 円い 穴 に はいろ う と し て くる っと 一つ まわり まし た 。 それから 首 を 低く し て いきなり 中 へ 飛び込も う として 後 あし を ちらっと あげ た とき もう 土 神 は うし ろ から ぱっと 飛びかかっ て い まし た 。 と 思う と 狐 は もう 土 神 に からだ を ねじら れ て 口 を 尖らし て 少し 笑っ た よう に なっ た まま ぐんにゃりと 土 神 の 手 の 上 に 首 を 垂れ て い た の です 。 
土 神 は いきなり 狐 を 地べた に 投げつけ て ぐちゃぐちゃ 四 五 へん 踏みつけ まし た 。 
それから いきなり 狐 の 穴 の 中 に とび 込ん で 行き まし た 。 中 は がらん として 暗く ただ 赤土 が 奇麗 に 堅め られ て いる ばかり でし た 。 土 神 は 大きく 口 を まげて あけ ながら 少し 変 な 気 が し て 外 へ 出 て 来 まし た 。 
それから ぐったり 横 に なっ て いる 狐 の 屍骸 の レーンコート の かくし の 中 に 手 を 入れ て 見 まし た 。 その かくし の 中 に は 茶 いろ な かも が や の 穂 が 二 本 は いっ て 居 まし た 。 土 神 は さっき から あい て い た 口 を そのまま まるで 途方 も ない 声 で 泣き 出し まし た 。 
その 泪 は 雨 の よう に 狐 に 降り 狐 は いよいよ 首 を ぐんにゃりとしてうすら 笑っ た よう に なっ て 死ん で 居 た の です 。 
（ 一 ） 
一本木 の 野原 の 、 北 の は づれに 、 少し 小高く 盛りあがっ た 所 が あり まし た 。 い の ころ ぐさがいっぱいに 生え 、 その まん中 に は 一 本 の 奇麗 な 女 の 樺の木 が あり まし た 。 
それ は そんなに 大きく は あり ませ ん でし た が 幹 は てかてか 黒く 光り 、 枝 は 美しく 伸び て 、 五月 に は 白き 雲 を つけ 、 秋 は 黄金 や 紅 や いろいろ の 葉 を 降ら せ まし た 。 
ですから 渡り鳥 のく ゎくこうや 百 舌 も 、 又 小さな みそ さ ゞ いや 目白 も みんな この 木 に 停 まり まし た 。 た ゞ もしも 若い 鷹 など が 来 て ゐる とき は 小さな 鳥 は 遠く から それ を 見付け て 決して 近く へ 寄り ませ ん でし た 。 
この 木 に 二 人 の 友達 が あり まし た 。 一 人 は 丁度 、 五 百 歩 ばかり 離れ た ぐちゃぐちゃ の 谷地 の 中 に 住ん で ゐる 土 神 で 一 人 は いつも 野原 の 南 の 方 から やって来る 茶 いろ の 狐 だっ た の です 。 
樺の木 は どちら か と 云 へ ば 狐 の 方 が すき でし た 。 なぜ なら 土 神 の 方 は 神 といふ 名 こそ ついては ゐ まし た が ごく 乱暴 で 髪 も ぼろぼろ の 木綿 糸 の 束 の やう 眼 も 赤く きもの だって まるで わかめ に 似 、 いつも はだし で 爪 も 黒く 長い の でし た 。 ところが 狐 の 方 は 大 へん に 上品 な 風 で 滅多 に 人 を 怒ら せ たり 気 に さ はる やう な こと を し なかっ た の です 。 
た ゞ もし よく よく この 二 人 を くらべ て 見 たら 土 神 の 方 は 正直 で 狐 は 少し 不正直 だっ た かも 知れ ませ ん 。 
（ 二 ） 
夏 の はじめ の ある 晩 でし た 。 樺 に は 新 らしい 柔らか な 葉 が いっ ぱいについていゝかをりがそこら 中 いっぱい 、 空 に は もう 天の川 が しらし ら と 渡り 星 はいち めん ふるへ たり ゆれ たり 灯っ たり 消え たり し て ゐ まし た 。 
その 下 を 狐 が 詩集 を もっ て 遊び に 行っ た の でし た 。 仕立 おろし の 紺 の 背広 を 着 、 赤 革 の 靴 も キッ キッ と 鳴っ た の です 。 
「 実に しづか な 晩 です ねえ 。 」 
「 え ゝ 。 」 樺の木 は そっと 返事 を し まし た 。 
「 蝎 ぼ し が 向 ふ を 這っ て ゐ ます ね 。 あの 赤い 大きな やつ を 昔 は 支那 で は 火 と 云っ た ん です よ 。 」 
「 火星 と は ち が ふん で せ う か 。 」 
「 火星 と は ち が ひ ます よ 。 火星 は 惑星 です ね 、 ところが あいつ は 立派 な 恒星 な ん です 。 」 
「 惑星 、 恒星 って どう いふ ん です の 。 」 
「 惑星 といふ の は です ね 、 自分 で 光ら ない やつ です 。 つまり ほか から 光 を 受け て やっと 光る やう に 見える ん です 。 恒星 の 方 は 自分 で 光る やつ な ん です 。 お 日 さま なんか は 勿論 恒星 です ね 。 あんなに 大きく て まぶしい ん です が もし 途方 も ない 遠く から 見 たら やっぱり 小さな 星 に 見える んで せ う ね 。 」 
「 まあ 、 お 日 さま も 星 の うち だっ た ん です わ ね 。 さ うし て 見る と 空 に はず ゐ ぶん 沢山 の お 日 さま が 、 あら 、 お 星 さま が 、 あら やっぱり 変 だ わ 、 お 日 さま が ある ん です ね 。 」 
狐 は 鷹揚 に 笑 ひ まし た 。 
「 ま あさう です 。 」 
「 お 星 さま に は どうして あゝ 赤い の や 黄 の や 緑 の や ある んで せ う ね 。 」 
狐 は 又 鷹揚 に 笑っ て 腕 を 高く 組み まし た 。 詩集 は ぷらぷらしましたがなかなかそれで 落ち ませ ん でし た 。 
「 星 に 橙 や 青 や いろいろ ある 訳 です か 。 それ は 斯 う です 。 全体 星 といふ もの は はじめ は ぼんやり し た 雲 の やう な もん だっ た ん です 。 いま の 空 に も 沢山 あり ます 。 たとへば アンドロメダ に も オリオン に も 猟犬 座 に も みんな あり ます 。 猟犬 座 の は 渦巻き です 。 それから 環状 星雲 といふ の も あり ます 。 魚 の 口 の 形 です から 魚 口 星雲 とも 云 ひ ます ね 。 そんな の が 今 の 空 に も 沢山 ある ん です 。 」 
「 まあ 、 あたし いつか 見 たい わ 。 魚 の 口 の 形 の 星 だ なんて まあ どんなに 立派 で せ う 。 」 
「 それ は 立派 です よ 。 僕 水沢 の 天文台 で 見 まし た が ね 。 」 
「 まあ 、 あたし も 見 たい わ 。 」 
「 見せ て あげ ませ う 。 僕 実は 望遠鏡 を 独 乙 の ツァイス に 注文 し て ある ん です 。 来年 の 春 まで に は 来 ます から 来 たら すぐ 見せ て あげ ませ う 。 」 狐 は 思は ず 斯 う 云っ て しまひ まし た 。 そして すぐ 考へ た の です 。 あゝ 僕 は たった 一 人 の お 友達 に また つい 偽 を 云っ て しまっ た 。 あゝ 僕 は ほん た うに だめ な やつ だ 。 けれども 決して 悪い 気 で 云っ た ん ぢ ゃない 。 よろこば せ やう と 思っ て 云っ た ん だ 。 あと で すっかり 本当 の こと を 云っ て しまは う 、 狐 は しばらく しん と し ながら 斯 う 考へ て ゐ た の でし た 。 樺の木 は そんな こと も 知ら ない で よろこん で 言 ひ まし た 。 
「 まあ うれしい 。 あなた 本当に いつ でも 親切 だ わ 。 」 
狐 は 少し 悄気 ながら 答 へ まし た 。 
「 え ゝ 、 そして 僕 は あなた の 為 なら ば ほか の どんな こと で も やり ます よ 。 この 詩集 、 ごらん なさい ませ ん か 。 ハイネ といふ 人 の です よ 。 翻訳 です けれども 仲 々 よく でき てる ん です 。 」 
「 まあ 、 お 借り し て い ゝ ん で せ う かしら 。 」 
「 構 ひ ませ ん と も 。 どう か ゆっくり ごらん なすっ て 。 ぢ ゃ 僕 もう 失礼 し ます 。 はてな 、 何 か 云 ひ 残し た こと が ある やう だ 。 」 
「 お 星 さま の いろ の こと です わ 。 」 
「 あゝ さ うさ う 、 だけど それ は 今度 に し ませ う 。 僕 あんまり 永く お 邪魔 し ちゃ いけ ない から 。 」 
「 あら 、 い ゝ ん です よ 。 」 
「 僕 又 来 ます から 、 ぢ ゃさよなら 。 本 は あげ て き ます 。 ぢ ゃ 、 さよなら 。 」 狐 は いそがしく 帰っ て 行き まし た 。 そして 樺の木 は その 時 吹い て 来 た 南風 に ざわざわ 葉 を 鳴らし ながら 狐 の 置い て 行っ た 詩集 を とりあげ て 天の川 や そら いち めん の 星 から 来る 微か な あかり に すかし て 頁 を 繰り まし た 。 その ハイネ の 詩集 に は ロウレライ や さまざま 美しい 歌 が いっぱい に あっ た の です 。 そして 樺の木 は 一 晩 中 よみ 続け まし た 。 た ゞ その 野原 の 三 時 すぎ 東 から 金 牛 宮 の のぼる ころ 少し とろとろ し た だけ でし た 。 
夜 が あけ まし た 。 太陽 が のぼり まし た 。 
草 に は 露 が きらめき 花 は みな 力いっぱい 咲き まし た 。 
その 東北 の 方 から 熔け た 銅 の 汁 を から だ 中 に 被っ た やう に 朝日 を いっぱい に 浴び て 土 神 が ゆっくり ゆっくり やって来 まし た 。 いかにも 分別 くささ う に 腕 を 拱き ながら ゆっくり ゆっくり やって来 た の でし た 。 
樺の木 は 何だか 少し 困っ た やう に 思ひ ながら それでも 青い 葉 を きらきら と 動かし て 土 神 の 来る 方 を 向き まし た 。 その 影 は 草 に 落ち て ちらちら ちらちら ゆれ まし た 。 土 神 は しづか に やって来 て 樺の木 の 前 に 立ち まし た 。 
「 樺の木 さん 。 お早う 。 」 
「 お早う ござい ます 。 」 
「 わし はね 、 どうも 考へ て 見る と わから ん こと が 沢山 ある 、 なかなか わから ん こと が 多い もん だ ね 。 」 
「 まあ 、 どんな こと で ござい ます の 。 」 
「 たとへば だ ね 、 草 といふ もの は 黒い 土 から 出る の だ が なぜ かう 青い もん だら う 。 黄 や 白 の 花 さ へ 咲く ん だ 。 どうも わから ん ねえ 。 」 
「 それ は 草 の 種子 が 青 や 白 を もっ て ゐる ため で は ない で ござい ませ う か 。 」 
「 さ う だ 。 ま あさう 云 へ ば さ う だ が それでも やっぱり わから ん な 。 たとへば 秋 の きのこ の やう な もの は 種子 も なし 全く 土 の 中 から ばかり 出 て 行く もん だ 、 それ に も やっぱり 赤 や 黄いろ や いろいろ ある 、 わから ん ねえ 。 」 
「 狐 さん に でも 聞い て 見 まし たら いか ゞ で ござい ませ う 。 」 
樺の木 は うっとり 昨夜 の 星 の はなし を おもっ て ゐ まし た ので つい 斯 う 云っ て しまひ まし た 。 
この 語 を 聞い て 土 神 は 俄 か に 顔 いろ を 変 へ まし た 。 そして こぶし を 握り まし た 。 
「 何 だ 。 狐 ？ 　 狐 が 何 を 云 ひ 居っ た 。 」 
樺の木 は おろおろ 声 に なり まし た 。 
「 何 も 仰っ し ゃったんではございませんがちょっとしたらご 存知 か と 思ひ まし た ので 。 」 
「 狐 なんぞ に 神 が 物 を 教 はる と は 一体 何たる こと だ 。 えい 。 」 
樺の木 は もう すっかり 恐く なっ て ぷりぷり ぷりぷり ゆれ まし た 。 土 神 は 歯 を きし きし 噛み ながら 高く 腕 を 組ん で そこら を ある きま はり まし た 。 その 影 は まっ黒 に 草 に 落ち 草 も 恐れ て 顫 へ た の です 。 
「 狐 の 如き は 実に 世 の 害悪 だ 。 た ゞ 一言 も ま こと は なく 卑怯 で 臆病 で それに 非常 に 妬み 深い の だ 。 う ぬ 、 畜生 の 分際 として 。 」 
樺の木 は やっと 気 を とり 直し て 云 ひ まし た 。 
「 もう あなた の 方 の お祭 も 近づき まし た ね 。 」 
土 神 は 少し 顔色 を 和げ まし た 。 
「 さ う ぢ ゃ 。 今日 は 五月 三 日 、 あと 六 日 だ 。 」 
土 神 は しばらく 考へ て ゐ まし た が 俄 か に 又 声 を 暴 ら げ まし た 。 
「 しかしながら 人間 ども は 不 届 だ 。 近頃 は わし の 祭 に も 供物 一つ 持っ て 来ん 、 おのれ 、 今度 わし の 領分 に 最初 に 足 を 入れ た もの は きっと 泥 の 底 に 引き 擦り込ん で やら う 。 」 土 神 は また きりきり 歯噛み し まし た 。 
樺の木 は 折角 なだめよ う と 思っ て 云っ た こと が 又もや 却って こんな こと に なっ た ので もう どう し た らい ゝ か わから なく なり た ゞ ちらちら と その 葉 を 風 に ゆすっ て ゐ まし た 。 土 神 は 日光 を 受け て まるで 燃える やう に なり ながら 高く 腕 を 組み キリキリ 歯噛み を し て その 辺 を うろうろ し て ゐ まし た が 考へれ ば 考へる ほど 何もかも しゃく に さ はっ て 来る らしい の でし た 。 そして た うとう こら へ 切れ なく なっ て 、 吠える やう に うなっ て 荒々しく 自分 の 谷地 に 帰っ て 行っ た の でし た 。 
（ 三 ） 
土 神 の 棲ん で ゐる 所 は 小さな 競馬 場 ぐらゐある 、 冷たい 湿地 で 苔 や から くさや みじかい 蘆 など が 生え て ゐ まし た が 又 所々 に は あざみ や せい の 低い ひどく ね ぢ れ た 楊 など も あり まし た 。 
水 が じめじめ し て その 表面 に は あちこち 赤い 鉄 の 渋 が 湧き あがり 見る から どろどろ で 気味 も 悪い の でし た 。 
その まん中 の 小さな 島 の やう に なっ た 所 に 丸太 で 拵 へ た 高 さ 一 間 ばかり の 土 神 の 祠 が あっ た の です 。 
土 神 は その 島 に 帰っ て 来 て 祠 の 横 に 長々 と 寝そべり まし た 。 そして 黒い 瘠せ た 脚 を がりがり 掻き まし た 。 土 神 は 一 羽 の 鳥 が 自分 の 頭 の 上 を まっすぐ に 翔け て 行く の を 見 まし た 。 すぐ 土 神 は 起き直っ て 「 しっ 」 と 叫び まし た 。 鳥 は びっくり し て よろよろ っと 落ち さ うに なり それから まるで はね も 何 も しびれ た やう に だんだん 低く 落ち ながら 向 ふ へ 遁 げ て 行き まし た 。 
土 神 は 少し 笑っ て 起きあがり まし た 。 けれども 又 すぐ 向 ふ の 樺の木 の 立っ て ゐる 高み の 方 を 見る と はっと 顔色 を 変 へ て 棒立ち に なり まし た 。 それから いかにも むしゃくしゃ する といふ 風 に その ぼろぼろ の 髪 毛 を 両手 で 掻きむしっ て ゐ まし た 。 
その 時 谷地 の 南 の 方 から 一 人 の 木 樵 が やって来 まし た 。 三つ 森山 の 方 へ 稼ぎ に 出る らしく 谷地 の ふち に 沿っ た 細い 路 を 大股 に 行く の でし た が やっぱり 土 神 の こと は 知っ て ゐ た と 見え て 時々 気づか は しさ う に 土 神 の 祠 の 方 を 見 て ゐ まし た 。 けれども 木 樵 に は 土 神 の 形 は 見え なかっ た の です 。 
土 神 は それ を 見る と よろこん で ぱっと 顔 を 熱ら せ まし た 。 それから 右手 を そっち へ 突き出し て 左手 で その 右手 の 手首 を つかみ こっち へ 引き寄せる やう に し まし た 。 すると 奇 体 な こと は 木 樵 は みち を 歩い て ゐる と 思ひ ながら だんだん 谷地 の 中 に 踏み込ん で 来る やう でし た 。 それから びっくり し た やう に 足 が 早く なり 顔 も 青ざめ て 口 を あい て 息 を し まし た 。 土 神 は 右手 の こぶし を ゆっくり ぐるっと ま は し まし た 。 すると 木 樵 は だんだん ぐるっと 円 くま は って 歩い て ゐ まし た が いよいよ ひどく 周章て だし て まるで はあ はあ はあ はあ し ながら 何 べ ん も 同じ 所 を ま はり 出し まし た 。 何 でも 早く 谷地 から 遁 げ て 出よ う と する らしい の でし た が あせっ て も あせっ て も 同じ 処 を 廻っ て ゐる ばかり な の です 。 た うとう 木 樵 は おろおろ 泣き 出し まし た 。 そして 両手 を あげ て 走り出し た の です 。 土 神 は いかにも 嬉し さ うに にやにや にやにや 笑っ て 寝そべっ た ま ゝ それ を 見 て ゐ まし た が 間もなく 木 樵 が すっかり 逆上せ て 疲れ て ば たっ と 水 の 中 に 倒れ て しまひ ます と 、 ゆっくり と 立ちあがり まし た 。 そして ぐちゃぐちゃ 大股 に そっち へ 歩い て 行っ て 倒れ て ゐる 木 樵 の からだ を 向 ふ の 草 は ら の 方 へ ぽん と 投げ出し まし た 。 木 樵 は 草 の 中 に どしり と 落ち て う うんと 云 ひ ながら 少し 動い た やう でし た が まだ 気 が つき ませ ん でし た 。 
土 神 は 大声 に 笑 ひ まし た 。 その 声 は あやしい 波 に なっ て 空 の 方 へ 行き まし た 。 
空 へ 行っ た 声 は まもなく そっち から はね か へ って ガサリ と 樺の木 の 処 に も 落ち て 行き まし た 。 樺の木 は はっと 顔 いろ を 変 へ て 日光 に 青く すき と ほり せ はし くせ は しく ふるへ まし た 。 
土 神 は たまらな さ うに 両手 で 髪 を 掻きむしり ながら ひとり で 考へ まし た 。 おれ の こんなに 面白く ない といふ の は 第 一 は 狐 の ため だ 。 狐 の ため より は 樺の木 の ため だ 。 狐 と 樺の木 と の ため だ 。 けれども 樺の木 の 方 は おれ は 怒っ て は ゐ ない の だ 。 樺の木 を 怒ら ない ため に おれ は こんなに つらい の だ 。 樺の木 さ へ どう でも よけれ ば 狐 など は なほ さら どう でも い ゝ の だ 。 おれ は いやしい けれども とにかく 神 の 分際 だ 。 それ に 狐 の こと など を 気 に かけ なけれ ば なら ない といふ の は 情ない 。 それでも 気 に か ゝ る から 仕方 ない 。 樺の木 の こと など は 忘れ て しまへ 。 ところが どうしても 忘れ られ ない 。 今朝 は 青ざめ て 顫 へ た ぞ 。 あの 立派 だっ た こと 、 どうしても 忘 られ ない 。 おれ は むし ゃくしゃまぎれにあんなあはれな 人間 など を い ぢ め た の だ 。 けれども 仕方 ない 。 誰 だって むしゃくしゃ し た とき は 何 を する か わから ない の だ 。 
土 神 は ひとり で 切 な がっ て ばたばた し まし た 。 空 を 又 一疋 の 鷹 が 翔け て 行き まし た が 土 神 は こんど は 何とも 云 はず だまっ て それ を 見 まし た 。 
ず うっ と ず うっ と 遠く で 騎兵 の 演習 らしい パチパチ パチ パチ 塩 の はぜる やう な 鉄砲 の 音 が 聞え まし た 。 そら から 青 びかりがどくどくと 野原 に 流れ て 来 まし た 。 それ を 呑ん だ ため か さっき の 草 の 中 に 投げ出さ れ た 木 樵 は やっと 気がつい て お づおづと 起きあがり し きり に あたり を 見廻し まし た 。 
それから 俄 か に 立っ て 一目散 に 遁 げ 出し まし た 。 三つ 森山 の 方 へ まるで 一目散 に 遁 げ まし た 。 
土 神 は それ を 見 て 又 大きな 声 で 笑 ひ まし た 。 その 声 は 又 青 ぞ ら の 方 まで 行き 途中 から 、 バサリ と 樺の木 の 方 へ 落ち まし た 。 
樺の木 は 又 はっと 葉 の 色 を か へ 見え ない 位 こまかく ふるひ まし た 。 
土 神 は 自分 の ほこ ら の ま はり を うろうろ うろうろ 何 べ ん も 歩き ま はっ て から やっと 気 が し づまったと 見え て すっと 形 を 消し 融ける やう に ほこ ら の 中 へ 入っ て 行き まし た 。 
（ 四 ） 
八月 の ある 霧 の ふかい 晩 でし た 。 土 神 は 何とも 云 へ ず さ びしくてそれにむしゃくしゃして 仕方 ない ので ふらっと 自分 の 祠 を 出 まし た 。 足 は いつの間にか あの 樺の木 の 方 へ 向っ て ゐ た の です 。 本当に 土 神 は 樺の木 の こと を 考へる と なぜ か 胸 が どき っと する の でし た 。 そして 大 へん に 切なかっ た の です 。 このごろ は 大 へん に 心持 が 変っ て よく なっ て ゐ た の です 。 ですから なるべく 狐 の こと など 樺の木 の こと など 考へ たく ない と 思っ た の でし た が どうしても それ が お も へ て 仕方 あり ませ ん でし た 。 おれ は いやしくも 神 ぢ ゃないか 、 一 本 の 樺の木 が おれ に 何 の あ た ひ が ある と 毎日 毎日 土 神 は 繰り返し て 自分 で 自分 に 教 へ まし た 。 それでも どうしても かなしく て 仕方 なかっ た の です 。 殊に ちょっと でも あの 狐 の こと を 思ひ 出し たら まるで から だ が 灼け る くら ゐ 辛かっ た の です 。 
土 神 は いろいろ 深く 考 へ 込み ながら だんだん 樺の木 の 近く に 参り まし た 。 その うち た うとう はっきり 自分 が 樺の木 の とこ へ 行か う として ゐる の だ と いふ こと に 気が付き まし た 。 すると 俄 か に 心持 が を どる やう に なり まし た 。 ず ゐ ぶん しばらく 行か なかっ た の だ から ことに よっ たら 樺の木 は 自分 を 待っ て ゐる の かも 知れ ない 、 どう もさ う らしい 、 さ う だとすれば 大 へん に 気の毒 だ といふ やう な 考 が 強く 土 神 に 起っ て 来 まし た 。 土 神 は 草 を どしどし 踏み 胸 を 踊ら せ ながら 大股 に あるい て 行き まし た 。 ところが その 強い 足 なみ も いつか よろよろ し て しまひ 土 神 は まるで 頭 から 青い 色 の かなしみ を 浴び て つっ 立た なけれ ば なり ませ ん でし た 。 それ は 狐 が 来 て ゐ た の です 。 もう すっかり 夜 でし た が 、 ぼんやり 月 の あかり に 澱ん だ 霧 の 向 ふか ら 狐 の 声 が 聞え て 来る の でし た 。 
「 え ゝ 、 もちろん さうな ん です 。 器械 的 に 対称 の 法則 に ばかり 叶っ て ゐる から って それ で 美しい といふ わけ に は いか ない ん です 。 それ は 死ん だ 美 です 。 」 
「 全く さ う です わ 。 」 しづか な 樺の木 の 声 が し まし た 。 
「 ほん た うの 美 は そんな 固定 し た 化石 し た 模型 の やう な もん ぢ ゃないんです 。 対称 の 法則 に 叶 ふっ て 云っ たって 実は 対称 の 精神 を 有っ て ゐる といふ ぐらゐのことが 望ましい の です 。 」 
「 ほん た う に さ う だ と 思ひ ます わ 。 」 樺の木 の やさしい 声 が 又 し まし た 。 土 神 は 今度 は まるで べらべら し た 桃 いろ の 火 で から だ 中 燃さ れ て ゐる やう に お も ひ まし た 。 息 が せかせか し て ほん た うに たまらなく なり まし た 。 なに が そんなに お ま へ を 切なく する の か 、 高 が 樺の木 と 狐 と の 野原 の 中 で の みじかい 会話 で は ない か 、 そんな もの に 心 を 乱さ れ て それでも お前 は 神 と 云 へる か 、 土 神 は 自分 で 自分 を 責め まし た 。 狐 が 又 云 ひ まし た 。 
「 ですから 、 どの 美学 の 本 に も これ くら ゐ の こと は 論じ て ある ん です 。 」 
「 美学 の 方 の 本 沢山 お もち です の 。 」 樺の木 は たづ ね まし た 。 
「 え ゝ 、 よけい も あり ませ ん が まあ 日本語 と 英語 と 独 乙 語 の なら 大抵 あり ます ね 。 伊 大利 の は 新 らしい ん です が まだ 来 ない ん です 。 」 
「 あなた の お 書斎 、 まあ どんなに 立派 で せ う ね 。 」 
「 い ゝ え 、 まるで ちらばっ て ます よ 、 それ に 研究 室 兼用 です から ね 、 あっち の 隅 に は 顕微鏡 こっち に は ロンドン タイムス 、 大理石 の シィザア が ころがっ たり まるっきり ご っ た ご た です 。 」 
「 まあ 、 立派 だ わ ねえ 、 ほん た うに 立派 だ わ 。 」 
ふん と 狐 の 謙遜 の やう な 自慢 の やう な 息 の 音 が し て しばらく しいんと なり まし た 。 
土 神 は もう 居 て も 立っ て も 居ら れ ませ ん でし た 。 狐 の 言っ て ゐる の を 聞く と 全く 狐 の 方 が 自分 より は えらい の でし た 。 いやしくも 神 で は ない か と 今 まで 自分 で 自分 に 教 へ て ゐ た の が 今度 は でき なく なっ た の です 。 あゝ つらい つらい 、 もう 飛び出し て 行っ て 狐 を 一 裂き に 裂い て やら う か 、 けれども そんな こと は 夢にも おれ の 考へる べき こと ぢ ゃない 、 けれども その おれ といふ もの は 何 だ 結局 狐 に も 劣っ た もん ぢ ゃないか 、 一体 おれ は どう すれ ば い ゝ の だ 、 土 神 は 胸 を かきむしる やう に し て もだえ まし た 。 
「 いつか の 望遠鏡 まだ 来 ない ん です の 。 」 樺の木 が また 言 ひ まし た 。 
「 え ゝ 、 いつか の 望遠鏡 です か 。 まだ 来 ない ん です 。 なかなか 来 ない です 。 欧州 航路 は 大分 混乱 し て ます から ね 。 来 たら すぐ 持っ て 来 て お 目 に かけ ます よ 。 土星 の 環 なんか それ ぁ 美しい ん です から ね 。 」 
土 神 は 俄 に 両手 で 耳 を 押 へ て 一目散 に 北の方 へ 走り まし た 。 だまっ て ゐ たら 自分 が 何 を する か わから ない の が 恐ろしく なっ た の です 。 
まるで 一目散 に 走っ て 行き まし た 。 息 が つ ゞ か なくなっ て ばったり 倒れ た ところ は 三つ 森山 の 麓 でし た 。 
土 神 は 頭 の 毛 を かきむしり ながら 草 を ころげ ま はり まし た 。 それから 大声 で 泣き まし た 。 その 声 は 時 で も ない 雷 の やう に 空 へ 行っ て 野原 中 へ 聞え た の です 。 土 神 は 泣い て 泣い て 疲れ て あけ 方 ぼんやり 自分 の 祠 に 戻り まし た 。 
（ 五 ） 
その うち た うとう 秋 に なり まし た 。 樺の木 は まだ まっ青 でし た が その 辺 の い の ころ ぐさはもうすっかり 黄金 いろ の 穂 を 出し て 風 に 光り ところどころ すゞ らん の 実 も 赤く 熟し まし た 。 
ある すき と ほる やう に 黄金 いろ の 秋 の 日土 神 は 大 へん 上機嫌 でし た 。 今年 の 夏 から の いろいろ な つらい 思ひ が 何だか ぼうっと みんな 立派 な も や の やう な もの に 変っ て 頭 の 上 に 環 に なっ て かかっ た やう に 思ひ まし た 。 そして もう あの 不思議 に 意地 の 悪い 性質 も どこ か へ 行っ て しまっ て 樺の木 など も 狐 と 話し たい なら 話す がい ゝ 、 両方 とも うれしく て はなす の なら ほん た うに い ゝ こと な ん だ 、 今日 は その こと を 樺の木 に 云っ て やら う と 思ひ ながら 土 神 は 心 も 軽く 樺の木 の 方 へ 歩い て 行き まし た 。 
樺の木 は 遠く から それ を 見 て ゐ まし た 。 
そして やっぱり 心配 さ う に ぶるぶる ふるへ て 待ち まし た 。 
土 神 は 進ん で 行っ て 気軽 に 挨拶 し まし た 。 
「 樺の木 さん 。 お早う 。 実に い ゝ 天気 だ な 。 」 
「 お早う ござい ます 。 い ゝ お 天気 で ござい ます 。 」 
「 天道 といふ もの は ありがたい もん だ 。 春 は 赤く 夏 は 白く 秋 は 黄いろく 、 秋 が 黄いろ に なる と 葡萄 は 紫 に なる 。 実に ありがたい もん だ 。 」 
「 全く で ござい ます 。 」 
「 わし は な 、 今日 は 大 へん に 気ぶん がい ゝ ん だ 。 今年 の 夏 から 実に いろいろ つらい 目 に あっ た の だ が やっと 今朝 から に はか に 心持ち が 軽く なっ た 。 」 
樺の木 は 返事 しよ う と し まし た が なぜ か それ が 非常 に 重苦しい こと の やう に 思は れ て 返事 し かね まし た 。 
「 わし は いま なら 誰 の ため に でも 命 を やる 。 みみず が 死な なけ ぁならんならそれにもわしはかはってやっていゝのだ 。 」 土 神 は 遠く の 青い そら を 見 て 云 ひ まし た 。 その 眼 も 黒く 立派 でし た 。 
樺の木 は 又 何とか 返事 しよ う と し まし た が やっぱり 何 か 大 へん 重苦しく て わ づか 吐息 を つく ばかり でし た 。 
その とき です 。 狐 が やって来 た の です 。 
狐 は 土 神 の 居る の を 見る と はっと 顔 いろ を 変 へ まし た 。 けれども 戻る わけ に も 行か ず 少し ふるへ ながら 樺の木 の 前 に 進ん で 来 まし た 。 
「 樺の木 さん 、 お早う 、 そちら に 居ら れる の は 土 神 です ね 。 」 狐 は 赤 革 の 靴 を はき 茶 いろ の レーンコート を 着 て まだ 夏 帽子 を かぶり ながら 斯 う 云 ひ まし た 。 
「 わし は 土 神 だ 。 い ゝ 天気 だ 。 な 。 」 土 神 は ほん た うに 明るい 心持 で 斯 う 言 ひ まし た 。 狐 は 嫉ま し さ に 顔 を 青く し ながら 樺の木 に 言 ひ まし た 。 
「 お客 さま の お出で の 所 に あがっ て 失礼 いたし まし た 。 これ は この間 お 約束 し た 本 です 。 それから 望遠鏡 は いつか はれ た 晩 に お 目 に かけ ます 。 さよなら 。 」 
「 まあ 、 ありがたう ござい ます 。 」 と 樺の木 が 言っ て ゐる うち に 狐 は もう 土 神 に 挨拶 も し ない で さっさと 戻り はじめ まし た 。 樺の木 は さっと 青く なっ て また 小さく ぷりぷり 顫 ひ まし た 。 
土 神 は しばらく の 間 た ゞ ぼんやり と 狐 を 見送っ て 立っ て ゐ まし た が ふと 狐 の 赤 革 の 靴 の キラッ と 草 に 光る の に びっくり し て 我 に 返っ た と 思ひ まし たら 俄 か に 頭 が ぐらっとしました 。 狐 が いかにも 意地 を はっ た やう に 肩 を いからせ て ぐんぐん 向 ふ へ 歩い て ゐる の です 。 土 神 は むらむら っと 怒り まし た 。 顔 も 物凄く まっ黒 に 変っ た の です 。 美学 の 本 だの 望遠鏡 だ の と 、 畜生 、 さあ 、 どう する か 見ろ 、 と いきなり 狐 の あと を 追 ひ かけ まし た 。 樺の木 は あわて て 枝 が 一 ペ ん に がたがた ふるへ 、 狐 も その け は ひ に どうか し た の か と 思っ て 何気なく うし ろ を 見 まし たら 土 神 が まるで 黒く なっ て 嵐 の やう に 追っ て 来る の でし た 。 さあ 狐 は さっと 顔 いろ を 変 へ 口 も まがり 風 の やう に 走っ て 遁 げ 出し まし た 。 
土 神 は まるで そこら 中 の 草 が まっ白 な 火 に なっ て 燃え て ゐる やう に 思ひ まし た 。 青く 光っ て ゐ た そら さ へ 俄 か に ガラン と まっ暗 な 穴 に なっ て その 底 で は 赤い 焔 が どうどう 音 を 立て て 燃える と 思っ た の です 。 
二 人 はご う ご う 鳴っ て 汽車 の やう に 走り まし た 。 
「 もう おし まひ だ 、 もう おし まひ だ 、 望遠鏡 、 望遠鏡 、 望遠鏡 」 と 狐 は 一心に 頭 の 隅 の とこ で 考へ ながら 夢 の やう に 走っ て ゐ まし た 。 
向 ふ に 小さな 赤 剥げ の 丘 が あり まし た 。 狐 は その 下 の 円い 穴 に は ひら う と し て くる っと 一 つま はり まし た 。 それから 首 を 低く し て いきなり 中 へ 飛び込ま う として 後 あし を ちらっと あげ た とき もう 土 神 は うし ろ から ぱっと 飛びかかっ て ゐ まし た 。 と 思ふ と 狐 は もう 土 神 に からだ を ね ぢ られ て 口 を 尖らし て 少し 笑っ た やう に なっ た ま ゝ ぐんにゃりと 土 神 の 手 の 上 に 首 を 垂れ て ゐ た の です 。 
土 神 は いきなり 狐 を 地べた に 投げつけ て ぐちゃぐちゃ 四 五 へん 踏みつけ まし た 。 
それから いきなり 狐 の 穴 の 中 に とび 込ん で 行き まし た 。 中 は がらん として 暗く た ゞ 赤土 が 奇麗 に 堅め られ て ゐる ばかり でし た 。 土 神 は 大きく 口 を まげて あけ ながら 少し 変 な 気 が し て 外 へ 出 て 来 まし た 。 
それから ぐつたり 横 に なっ て ゐる 狐 の 屍骸 の レーンコート の かくし の 中 に 手 を 入れ て 見 まし た 。 その かくし の 中 に は 茶 いろ な かも が や の 穂 が 二 本 は ひっ て 居 まし た 。 土 神 は さっき から あい て ゐ た 口 を その ま ゝ まるで 途方 も ない 声 で 泣き 出し まし た 。 
その 泪 は 雨 の やう に 狐 に 降り 狐 は いよいよ 首 を ぐんにゃりとしてうすら 笑っ た やう に なっ て 死ん で 居 た の です 。 
こつこつ と 扉 を 叩い た ので さっき から 大 礼服 を 着 て 二 階 の 式場 で 学生 たち の 入っ たり 整列 し たり する 音 を 聞き ながら ストウヴ の 近く でき う くつ に 待っ て ゐ た 校長 は 　 低く 　 よし 　 と 答 へ た 。 
旗手 が 新 らしい 白い 手袋 を はめ て その あと から 剣 を つけ た 鉄砲 を 持っ て 三 人 の 級長 が はいっ て 来 た 。 校長 は 雪 から 来る 強い 反射 を 透し て 鋭く まっ さき の 旗手 の 顔 を 見 た 。 それ は 数 週 前 いきなり 掲示 場 に はりつけ られ た われ ら は われ ら の 信ぜ ざる こと を なさ ず 　 といった 風 の 宣言 めい た ものの 十 幾 人 か の 聯 名 の その 最 后 に 記さ れ た 富沢 で あっ た 。 
それ について の ごたごた や 調査 で 校長 は ひどく 頭 を 悩まし た 。 
ところが いま 富沢 は 大 へん まじめ な 様子 で ある 。 それ は 校旗 を 剣 つき の 鉄砲 で 護る わけ が ちゃんと わかっ た やう で も あり また 宣言 通り 式場 へ 行っ て から いきなり 校旗 を 抛 げ 出し て 何 か 叫び 出す つもり の やう で も あり どうも 見当 が つか なかっ た 。 
みんな は まっすぐ に ならん で 礼 を し た 。 
校長 は ちょっと うなづい て だまっ て 室 の 隅 に 書記 が 出し て 立て て 置い た 校旗 を 指し た 。 
富沢 は それ を とっ て 手 で 房 を さばい た 。 校長 は まだ ぢ っと 富沢 を 見 て ゐ た 。 富沢 が いきなり 眼 を あげ て 校長 を 見 た 。 校長 は きまり 悪 さ うに ちょっと うつむい て 眼 を そらし ながら 自分 の 手袋 を かけ はじめ た 。 その 手 は ぶるぶる ふるえ た 。 校長 さん が 仰る やう で ない もっと ごまかし の ない 国体 の 意義 を 知り たい の です 　 と 前 の 徳育 会 で その 富沢 が 云っ た こと を また 校長 は 思ひ 出し た 。 それ も 富沢 が 何 か しっかり し た さ う いふ こと の 研究 で も し て ゐ て じ ぶん の 考 へ に 引き込む ため に さ う 云っ て ゐる の か 全く 本音 で 云っ て ゐる の か 、 或は 早く も あの 恐ろしい 海外 の 思想 に 染み て ゐ た の か どれ か も わから なかっ た 。 卒業 の 証書 も 生活 の 保証 も 命 さ へ も 要ら ない と 云っ て ゐる この 若者 の 何 と 美しく しかも 扱 ひ にくい こと よ 　 扉 が また こと こと と 鳴っ た 。 
古い その 学校 の 卒業生 の 教授 が 校旗 を 先導 し に 入っ て 来 た 。 校長 は 大丈夫 か といふ やう に じっと その 眼 を 見 た 。 教授 は その 眼 を 読み 兼ね た やう に 礼 を し て 「 お 仕度 は よろし う ござい ま か 。 」 と 云っ た 。 「 よし 」 校長 は 云 ひ ながら ぶるぶる ふるえ た 。 教授 はじ ぶん も 手袋 を はめ て ない のに 気 が つい て 　 あ 失礼 と 云 ひな がら 室 を 出 て 行っ た 。 
校長 は 心配 さ う に 眼 を あげ て その あと を 見送っ た 。 
校長 の 大 礼服 の こまやか な 金彩 は 明るい 雪 の 反射 の なか で ちらちら ちらちら 顫 へ た 。 何 といふ この 美し さ だ 。 この 人 は この 正直 さ で こ ゝ まで 立身 し た の だ 　 と 富沢 は 思ひ ながら 恍惚 として 旗 を もっ た ま ゝ 校長 を 見 て ゐ た 。 
そら の ふち は 沈ん で 行き 、 松 の 並木 の はて ばかり 黝 ん だ 琥珀 を さびしく くゆらし 、 
その 町 の は づれのたそがれに 、 大きな ひのき が 風 に 乱れ て ゆれ て ゐる 。 気圏 の 松 藻 だ 、 ひのき の 髪 毛 。 
まっ黒 な 家 の 中 に は 黄いろ な ラムプ が ぼんやり 点い て 顔 の まっか な 若い 女 が ひとり で せわしく 飯 を かきこん で ゐる 。 
かきこん で ゐる 。 その 澱粉 の 灰色 。 
ラムプ の あかり に 暗 の 中 から 引きずり出さ れ た 梢 の 緑 、 
実に 恐ろしく 青く 見える 。 恐ろしく 深く 見える 。 恐ろしく ゆらい で 見える 。 
学者 の アラムハラド は ある 年 十 一 人 の 子 を 教え て おり まし た 。 
みんな 立派 な うち の 子ども ら ばかり でし た 。 
王さま の すぐ 下 の 裁判官 の 子 も あり まし た し 農 商 の 大臣 の 子 も 居 まし た 。 また 毎年 じ ぶん の 土地 から 十 石 の 香油 さえ 穫る 長者 の いちばん 目の子 も 居 た の です 。 
けれども 学者 の アラムハラド は 小さな セララバアド という 子 が すき でし た 。 この 子 が 何 か 答える とき は 学者 の アラムハラド は どこ か 非常 に 遠く の 方 の 凍っ た よう に 寂 か な 蒼 黒い 空 を 感ずる の でし た 。 それでも アラムハラド は そんなに 偉い 学者 でし た から え こ ひいき など は し ませ ん でし た 。 
アラムハラド の 塾 は 街 の はずれ の 楊 の 林 の 中 に あり まし た 。 
みんな は 毎日 その 石 で 畳ん だ 鼠 いろ の 床 に 座っ て 古く から の 聖歌 を 諳誦 し たり 兆 より も もっと 大きな 数 まで 数え たり また 数 を 互に 加え たり 掛け合せ たり する の でし た 。 それから いちばん おしまい に は 鳥 や 木 や 石 や いろいろ の こと を 習う の でし た 。 
アラムハラド は 長い 白い 着物 を 着 て 学者 の しるし の 垂れ 布 の つい た 帽子 を かぶり 低い 椅子 に 腰掛け 右手 に は 長い 鞭 を もち 左手 に は 本 を 支え ながら ゆっくり と 教え て 行く の でし た 。 
そして 空気 の しめり の 丁度 いい 日 また むずかしい 諳誦 で ひどく つかれ た 次 の 日 など は よく アラムハラド は みんな を つれ て 山 へ 行き まし た 。 
この お はなし は 結局 学者 の アラムハラド が ある 日 自分 の 塾 で また ある 日山 の 雨 の 中 で ちらっと 感じ た 不思議 な 着物 に つい て で あり ます 。 
アラムハラド が 言い まし た 。 
「 火 が 燃える とき は 焔 を つくる 。 焔 という もの は よく 見 て いる と 奇 体 な もの だ 。 それ は いつ でも 動い て いる 。 動い て いる が やっぱり 形 も きまっ て いる 。 その 色 は ずいぶん さまざま だ 。 普通 の 焚火 の 焔 なら 橙 いろ を し て いる 。 けれども 木 により また その 場 処 によって は 変 に 赤い こと も あれ ば 大 へん 黄いろ な こと も ある 。 硫黄 を 燃せ ば ちょっと 眼 の くるっ と する よう な 紫いろ の 焔 を あげる 。 それから 銅 を 灼く とき は 孔雀石 の よう な 明るい 青い 火 を つくる 。 こんなに いろは さまざま だ が それ は みんな ある 同じ 性質 を もっ て いる 。 さっき 云っ た いつ でも 動い て いる という こと も そう だ 。 それ は 火 という もの は 軽い もの で いつ でも 騰ろ う 騰ろ う と し て いる 。 それから それ は 明るい もの だ 。 硫黄 の よう な お 日 さま の 光 の 中 で は よく わから ない 焔 で も まっ くら な 処 に 持っ て 行け ば 立派 に そこら を 明るく する 。 火 という もの は いつ でも 照らそ う 照らそ う と し て いる もの だ 。 それ から も 一つ は 熱い という こと だ 。 火 なら ば なんでも 熱い もの だ 。 それ は いつ でも 乾かそ う 乾かそ う と し て いる 。 斯 う 云う 工合 に 火 に は 二つ の 性質 が ある 。 なぜ そう な の か 。 それ は 火 の 性質 だ から 仕方 ない 。 そう 云う 、 熱い もの 、 乾かそ う と する もの 、 光る もの 、 照らそ う と する もの 軽い もの 騰ろ う と する もの それ を 焔 と 呼ぶ の だ から 仕方 ない 。 
それから また みんな は 水 を よく 知っ て いる 。 水 も やっぱり 火 の よう に ちゃんと きまっ た 性質 が ある 。 それ は 物 を つめたく する 。 どんな もの で も 水 に あっ て は つめたく なる 。 からだ を あつい 湯 で ふい て も 却って あと で は すずしく なる 。 夏 に 銅 の 壺 に 水 を 入れ 壺 の 外側 を 水 で ぬらし たき れ で 固く つつん で おく なら ば きっと それ は 冷える の だ 。 なん べ ん も きれ を とりかえる と しまいに は まるで 氷 の よう に さえ なる 。 この よう に 水 は 物 を つめたく する 。 また 水 は もの を しめら す の だ 。 それから 水 は いつ でも 低い 処 へ 下ろ う と する 。 鉢 の 中 に 水 を 入れる なら まもなく それ は しずか に なる 。 阿 耨達池 や すべて 葱 嶺 から 南東 の 山の上 の 湖 は 多く は 鏡 の よう に 青く 平ら だ 。 なぜ そう 平ら だ か と なら ば 水 は みんな 下 に 下ろ う として お互い 下 れる とこ まで 落ち着く から だ 。 波 が でき たら 必ず それ が なおろ う と する 。 それ は 波 の あがっ た とこ が 下ろ う と する から だ 。 この よう に 水 の つめたい こと 、 しめす こと 下 に 行こ う と する こと は 水 の 性質 な の だ 。 どうして そう か と 云う なら ば それ は そう 云う 性質 の もの を 水 と 呼ぶ の だ から 仕方 ない 。 
それから また みんな は 小鳥 を 知っ て いる 。 鶯 や みそさざい 、 ひ わや また かけす など から だ が 小さく 大 へん 軽い 。 その 飛ぶ とき は ほんとう に よく 飛ぶ 。 枝 から 枝 へ うつる とき は その 羽 を ひらい た の さえ わから ない くらい 早く 、 青 ぞ ら を 向う へ 飛ん で 行く とき は 一つ の ふるえる 点 の よう だ 。 それほど これら の 鶯 や ひ わ など は 身軽 で よく 飛ぶ 。 また 一生けん命 に 啼く 。 うぐいす なら ば 春 に はっきり 啼く 。 みそ さ ざいならばからだをうごかすたびにもうきっと 啼い て いる の だ 。 
これら の 鳥 の たくさん 啼い て いる 林 の 中 へ 行け ば まるで 雨 が 降っ て いる よう だ 。 おまえ たち は みんな 知っ て いる 。 この よう に 小さな 鳥 は よく 飛び また よく 啼く もの だ 。 それ は たべ 物 を とっ て しまっ て も 啼く の を やめ ない 。 また やすま ない 。 どうして 疲れ ない か と 思う ほど よく 飛び また よく 啼く もの だ 。 
そん なら なぜ 鳥 は 啼く の か また 飛ぶ の か 。 おまえ たち に は わかる だろ う 。 鳥 は みな 飛ば ず に い られ ない で 飛び 啼か ず に 居 られ ない で 啼く 。 それ は 生れつき な の だ 。 
さて 斯 う 云う ふう に 火 は あつく 、 乾かし 、 照らし 騰る 、 水 は つめたく 、 しめら せ 、 下る 、 鳥 は 飛び 、 また なく 。 魚 について 獣 について おまえ たち は もう みんな その 性質 を 考える こと が できる 。 けれども 一体 どう だろ う 、 小鳥 が 啼か ない で い られ ず 魚 が 泳が ない で い られ ない よう に 人 は どういう こと が し ない で い られ ない だろ う 。 人 が 何 と し て も そう し ない で い られ ない こと は 一体 どういう 事 だろ う 。 考え て ごらん 。 」 
アラムハラド は 斯 う 言っ て 堅く 口 を 結び 十 一 人 の 子供 ら を 見 まわし まし た 。 子供 ら は みな 一生けん命 考え た の です 。 大人 の よう に 指 を まげ て 唇 に あて たり まっすぐ に 床 を 見 たり し まし た 。 その 中 で 大臣 の 子 の タルラ が 少し 顔 を 赤く し て 口 を まげ て わらい まし た 。 
アラムハラド は すばやく それ を 見 て 言い まし た 。 
「 タルラ 、 答え て ごらん 。 」 
タルラ は 礼 を し て それ から 少し 工合 わる そう に 横 の 方 を 見 ながら 答え まし た 。 
「 人 は 歩い たり 物 を 言っ たり いたし ます 。 」 
アラムハラド が わらい まし た 。 
「 よろしい 。 よく お前 は 答え た 。 全く 人 は ある か ない で い られ ない 。 病気 で 永く 床 の 上 に 居る 人 は どんなに 歩き たい だろ う 。 ああ 、 ただ も 一 度 二 本 の 足 で ぴんぴん 歩い て あの 楽 地 の 中 の 泉 まで 行き あの 冷たい 水 を 両手 で 掬っ て 呑む こと が でき たら そのまま 死ん で も かまわ ない と 斯 う 思う だろ う 。 また お前 の 答え た よう に 人 は 物 を 言わ ない で い られ ない 。 
考え た こと を みんな 言わ ない で いる こと は 大 へん に つらい こと な の だ 。 その ため 病気 に さえ も なる の だ 。 人 が ともだち を ほしい の は 自分 の 考え た どんな こと で も かくさ ず 話し また かくさ ず に 聴き たい から だ 。 だまっ て いる という こと は 本 統 に つらい こと な の だ 。 
たしかに 人 は 歩か ない で い られ ない 、 また 物 を 言わ ない で い られ ない 。 けれども 人 に は それ より も もっと 大切 な もの が ない だろ う か 。 足 や 舌 と も 取りかえる ほど もっと 大切 な もの が ない だろ う か 。 むずかしい けれども 考え て ごらん 。 」 
アラムハラド が 斯 う 言う 間 タルラ は 顔 を まっ 赤 に し て い まし た が おしまい は 少し 青ざめ まし た 。 アラムハラド が すぐ 言い まし た 。 
「 タルラ 、 も 一度 答え て ごらん 。 お前 は どんな もの と でも お前 の 足 を とりかえ ない か 。 お前 は どんな もの と でも お前 の 足 を とりかえる の は いや な の か 。 」 
タルラ が まるで 小さな 獅子 の よう に 答え まし た 。 
「 私 は 饑饉 で みんな が 死ぬ とき 若し 私 の 足 が 無くなる こと で 饑饉 が やむ なら 足 を 切っ て も 口惜しく あり ませ ん 。 」 
アラムハラド は あぶなく 泪 を ながし そう に なり まし た 。 
「 そう だ 。 おまえ に は 歩く こと より も 物 を 言う こと より も もっと し ない で い られ ない こと が あっ た 。 よく それ が わかっ た 。 それ で こそ 私 の 弟子 な の だ 。 お前 の お父さん は 七 年 前 の 不作 の とき 祭壇 に 上っ て 九 日 祷り つづけ られ た 。 お前 の お父さん は みんな の ため に は 命 も 惜しく なかっ た の だ 。 ほか の 人 たち は どう だ 。 ブランダ 。 言っ て ごらん 。 」 
ブランダ と 呼ば れ た 子 は すばやく きちんと なっ て 答え まし た 。 
「 人 が 歩く こと より も 言う こと より も もっと し ない で い られ ない の は いい こと です 。 」 
アラムハラド が 云い まし た 。 
「 そう だ 。 私 が そう 言お う と 思っ て い た 。 すべて 人 は 善い こと 、 正しい こと を このむ 。 善 と 正義 と の ため なら ば 命 を 棄てる 人 も 多い 。 おまえ たち は いま まで に そう 云う 人 たち の 話 を 沢山 きい て 来 た 。 決して これ を 忘れ て は いけ ない 。 人 の 正義 を 愛する こと は 丁度 鳥 の うたわ ない で い られ ない と 同じ だ 。 セララバアド 。 お前 は 何 か 言い たい よう に 見える 。 云っ て ごらん 。 」 
小さな セララバアド は 少し びっくり し た よう でし た が すぐ 落ちつい て 答え まし た 。 
「 人 は ほんとう の いい こと が 何だか を 考え ない で い られ ない と 思い ます 。 」 
アラムハラド は ちょっと 眼 を つぶり まし た 。 眼 を つぶっ た くら やみ の 中 で は そこら 中 ぼうっと 燐 の 火 の よう に 青く 見え 、 ず うっ と 遠く が 大 へん 青く て 明るく て そこ に 黄金 の 葉 を もっ た 立派 な 樹 が ぞ ろ っと ならん で さん さん さん と 梢 を 鳴らし て いる よう に 思っ た の です 。 アラムハラド は 眼 を ひらき まし た 。 子供 ら が じっと アラムハラド を 見上げ て い まし た 。 アラムハラド は 言い まし た 。 
「 うん 。 そう だ 。 人 は ま こと を 求める 。 真理 を 求める 。 ほんとう の 道 を 求める の だ 。 人 が 道 を 求め ない で い られ ない こと は ちょうど 鳥 の 飛ば ない で い られ ない と おんなじ だ 。 おまえ たち は よく おぼえ なけれ ば いけ ない 。 人 は 善 を 愛し 道 を 求め ない で い られ ない 。 それ が 人 の 性質 だ 。 これ を おまえ たち は 堅く おぼえ て あと でも 決して 忘れ て は いけ ない 。 おまえ たち は みな これから 人生 という 非常 な けわしい みち を ある か なけれ ば なら ない 。 たとえば それ は 葱 嶺 の 氷 や 辛 度 の 流れ や 流 沙 の 火 や で いっぱい な よう な もの だ 。 その どこ を 通る とき も 決して 今 の 二つ を 忘れ て は いけ ない 。 それ は おまえ たち を まもる 。 それ は いつも おまえ たち を 教える 。 決して 忘れ て は いけ ない 。 
それでは もう 日 中 だ から みんな は 立っ て やすみ 、 食事 を し て よろしい 。 」 
アラムハラド は 礼 を うけ 自分 も しずか に 立ちあがり まし た 。 そして 自分 の 室 に 帰る 途中 ふと また 眼 を つぶり まし た 。 さっき の 美しい 青い 景色 が また はっきり と 見え まし た 。 そして その 中 に はね の よう な 軽い 黄金 いろ の 着物 を 着 た 人 が 四 人 まっすぐ に 立っ て いる の を 見 まし た 。 
アラムハラド は 急い で 眼 を ひらい て 少し 首 を かたむけ ながら 自分 の 室 に 入り まし た 。 
アラムハラド は 子供 ら に かこま れ ながら しずか に 林 へ はいっ て 行き まし た 。 
つめたい しめっ た 空気 が しんと みんな の からだ に せまっ た とき 子供 ら は 歓呼 の 声 を あげ まし た 。 そんなに 樹 は 高く 深く しげっ て い た の です 。 それ に いろいろ の 太 さ の 蔓 が くしゃくしゃ に その 木 を まとい みち も 大 へん に 暗かっ た の です 。 
ただ その 梢 の ところどころ 物凄い ほど 碧 いそ ら が 一 きれ 二 きれ やっ と のぞい て 見える きり 、 そんなに 林 が しげっ て いれ ば それほど みんな は よろこび まし た 。 
大臣 の 子 の タルラ は いちばん さき に 立っ て 鳥 を 見 て は ば あと 両手 を あげ て 追い 栗鼠 を 見つけ て は 高く 叫ん で おどし まし た 。 走っ たり また 停っ たり まるで 夢中 で 進み まし た 。 
みんな は かわるがわる いろいろ な こと を アラムハラド に たずね まし た 。 アラムハラド は 時々 は まだ 一つ の 答 を し ない うち に も 一つ の 返事 を し なけれ ば なり ませ ん でし た 。 
セララバアド は 小さな 革 の 水 入れ を 肩 から つるし て 首 を 垂れ て みんな の 問 や アラムハラド の 答 を きき ながら いちばん あと から 少し 笑っ て つい て 来 まし た 。 
林 は だんだん 深く なり かし の 木 やくす の 木 や 空 も 見え ない よう でし た 。 
その とき サマシャード という 小さな 子 が 一 本 の 高い な つめ の 木 を 見つけ て 叫び まし た 。 
「 なつ め の 木 だ ぞ 。 な つめ の 木 だ 。 とれ ない か なあ 。 」 
みんな も アラムハラド も 一 度 に その 高い 梢 を 見上げ まし た 。 アラムハラド は 云い まし た 。 
「 あの 木 は 高く て とどか ない 。 私 ども は その 実 を とる こと が でき ない の だ 。 けれども おまえ たち は 名高い ヴェーッサンタラ 大王 の はなし を 知っ て いる だろ う 。 ヴェーッサンタラ 大王 は 檀 波羅蜜 の 行 と 云っ て ほしい と 云わ れる もの は 何 でも やっ た 。 宝石 で も 着物 で も 喰 べ 物 で も その ほか 家 で も けら い でも 何 でも みんな 乞わ れる まま に 施さ れ た 。 そして おしまい とうとう 国 の 宝 の 白い 象 を も お 与え なされ た の だ 。 けら いや 人民 は はじめ は 堪え て い た けれども ついに は 国 も 亡び そう に なっ た ので 大王 を 山 へ 追い 申し た の だ 。 大王 は お 妃 と 王子 王女 と ただ 四 人 で 山 へ 行か れ た 。 大きな 林 に はいっ た とき 王子 たち は 林 の 中 の 高い 樹 の 実 を 見 て ああ ほしい なあ と 云わ れ た の だ 。 その とき 大王 の 徳 に は 林 の 樹 も また 感じ て い た 。 樹 の 枝 は みな 生物 の よう に 垂れ て その 美しい 果実 を 王子 たち に 奉っ た 。 
これ を 見 た もの みな 身の毛 も よだち 大地 も 感じ て 三 べ ん ふるえ た と 云う の だ 。 いま 私 ら は この 実 を とる こと が でき ない 。 けれども もし ヴェーッサンタラ 大王 の よう に 大 へん に 徳 の ある 人 なら ば そして その 人 が ひどく 飢え て いる なら ば 木 の 枝 は やっぱり ひとりでに 垂れ て くる に ちがい ない 。 それどころ で ない 、 その 人 は 樹 を ちょっと 見 あげ て よろこん だ だけ で もう 食べ た と おんなじ こと に も なる の だ 。 」 
アラムハラド は 斯 う 云っ て もう一度 林 の 高い 木 を 見 あげ まし た 。 まっ黒 な 木 の 梢 から 一 きれ の そら が のぞい て おり まし た が アラムハラド は 思わず 眼 を こすり まし た 。 さっき まで まっ青 で 光っ て い た その 空 が いつか まるで 鼠 いろ に 濁っ て 大 へん 暗く 見え た の です 。 樹 は ゆさゆさ と ゆすれ 大 へん に むしあつく どうやら 雨 が 降っ て 来 そう な の でし た 。 
「 ああ これ は 降っ て 来る 。 もう どんなに 急い で も ぬれ ない という わけ に は いか ない 。 からだ の 加減 の 悪い もの は 誰々 だ 。 ひとり も ない か 。 畑 の もの や 木 に は 大 へん いい けれども まさか 今日 こんなに 急 に 降る と は 思わ なかっ た 。 私 たち は もう 帰ら ない と いけ ない 。 」 
けれども アラムハラド は まだ 降る まで は よほど 間 が ある と 思っ て い まし た 。 ところが アラムハラド の 斯 う 云っ て しまう か しまわ ない うち に もう 林 が ぱちぱち 鳴り はじめ まし た 。 それ も 手 を ひろげ 顔 を そら に 向け て ほんとう に それ が 雨 か どう か 見よ う として も 雨 の つぶ は 見え ませ ん でし た 。 
ただ 林 の 濶 い 木の葉 が ぱちぱち 鳴っ て いる 
入れ を 右手 で つかん で 立っ て い まし た 。 
白日 雲 の 角 に 入り 
害 条 桐 を 辞し 堕ち ぬ 
黒き 豚 は 巣 を 出 で て 
キャベヂ の 茎 を 穿ち たり 
火皿 は 油煙 を ふりみだし 、 炉 の 向 ふ に は ここ の 主人 が 、 大黒柱 を 二 きれ みじかく 切っ て 投げ た といふ ふう に どっしり が たり と 膝 を そろ へ て 座っ て ゐる 。 
その 息子 ら が さっき 音 なく 外 の 闇 から 帰っ て き た 。 肩 はばひろく けら を 着 て 、 汗 で すっかり 寒天 みたい に 黒 びかりする 四 匹 か 五 匹 の 巨 き な 馬 を がらんと くらい 厩 の なか へ 引い て 入れ 、 なにか いろいろ まじ な ひ みたい な こと を し た のち 土間 で こっそり 飯 を たべ 、 その ま ゝ ころころ 藁 の なか だ か 草 の なか だ か うま や のち かく に 寝 て しまっ た の だ 。 
もし 私 が 何 か ちがっ た こと でも 云っ たら 、 その むすこ ら の どの 一 人 でも 、 すぐ に 私 を かた 手 で お もて の くら やみ に 、 連れ出す こと は わけ な ささ う だ 。 それ が だまっ て ねむっ て ゐる 。 たぶん ねむっ て ゐる らしい 。 
火皿 が 黒い 油煙 を 揚げる その 下 で 、 一 人 の 女 が 何 か しきりに こし ら へ て ゐる 。 酒 呑童子 に 連れ て 来ら れ て 洗濯 など を さ せ られ て ゐる そんな かたち で はたらい て ゐる 。 どうも 私 の 食事 の 支度 を し て ゐる らしい 。 それなら さっき も ことわっ た の だ 。 
いきなり ガタリ と 音 が する 。 重い 陶器 の 皿 など が すべっ て 床 に あたっ た らしい 。 
主人 が だまっ て 、 立っ て そっち へ あるい て 行っ た 。 
三 秒 ばかり しん と する 。 
主人 は もと の 席 へ 帰っ て どしり と 座る 。 
どうも 女 は ぶた れ た らしい 。 
音 も さ せ ず に 撲っ た の だ な 。 その 証拠 に は 土間 が まるきり 死人 の やう に 寂 か だ し 、 主人 の め だま は 古び た 黄金 の 銭 の やう だ し 、 わたし は まったく 身 も 世 も ない 。 
高橋 吉郎 が 今朝 は 殊に 小さく て 青じろく 少し けげん さ うに こっち を 見 て ゐる 。 清原 も 見 て ゐる 。 たった 二 人 で ぬれ た 運動 場 の 朝 の テニス も さびしい だら う 。 その いぶかし さ う な 眼 は どこ か へ 行く なら おれ たち も 行き たい な と 云 ふ の か 。 それとも 私 が 温床 へ 水 で も 灌 ぐとこかも 知れ ない と 考へ て ゐる の か 。 黄いろ の 上着 を 着 た って きっと 働く と 限っ た わけ ぢ ゃないんだぞ 。 私 は 今朝 は 一寸 の 間 つめたい 草 を 見 て 来 たい ん だ 。 だから 一 人 だ 。 つれ て 行か ない 。 大事 な ん だ から 。 
温床 とこ はれ た 浴槽 。 
こ ゝ の 細い 桑 も 今 は まったく や はら か な 芽 を 出し た 。 その 細 桑 の 灰 光 は 明らか で 光っ て そして そろっ て ゐる 。 
すぎ な は 青く 美しく すぎ な は 青く て 透明 な 露 も とまっ て 本当に 新 らしい の だ 。 
右手 の 奥 の 方 で は 寄宿 の 窓 の ガラス も 光る 。 黄 ばら の ひかり 、 すぎ な と 砂利 。 
これ は レール だ 。 
それから 影 だ 。 手帳 。 
ゆっくり 行け ば 朝 の レール は 白く ひかる 。 強く て 白く か ゞ やく 、 
子供 の うすい 影法師 、 私 は 線路 の 砂利 も 見る 。 
ごく あたり前 だ が ぬれ てる やう な 気 も し ます 。 
工夫 が うし ろ から いそい で 通り こす 。 横目 で こっち を 見 ながら 行く 。 少し 冷笑 し て ゐる らしい 。 それでも ずんずん 行っ て しまふ 。 万 法 流転 。 流れ と 早 さ 。 も 一 人 あと から 誰 か 来る 。 うし ろ から 手帳 を のぞき込ま う と する の か 。 それでも 一向 差 支 へ は ない 。 やっぱり 工夫 だ 。 ところが 向 ふ の あの 人 は 工夫 で は なかっ た ん だ な 。 大工 か 何 か だっ た な 、 ど て を のぼっ て 草 を こい で 行っ て しまふ 。 
この 横 が 土木 の 似鳥 さん の 泊っ て ゐる 家 だ 。 女 も ゐる 。 その うち の 前 で 手帳 なんか を ひろげ た って 一向 気取っ た わけ ぢ ゃない 。 
（ 紙 の 白 と 直立 。 ） 
一向 気取っ た わけ ぢ ゃない 。 し なけれ ば なら なく て し て ゐる ん だ 。 けれども もし これ が しん と し た 蒼 黝 い 空間 で なら ば 全く どんなに いい だら う 。 それでも 仕方 ない 。 
低い 崖 と 草 。 草 。 東 の 雲 は まっ白 で ぎらぎら 光る 。 
虎 戸 の 家 だ 。 虎 戸 が あすこ の 格子 から ちらっと こっち を 見 た かも しれ ない 。 けれども どうも 仕方 ない 。 あすこ の 池 で 魚 を 釣っ て ゐる の は 虎 戸 の 弟 だ 。 たしか に さ う だ 。 
立派 だ 。 この 雲 の ひかり   Sun - beam   が まさしく 今日 もそ ゝ いで ゐる 。 
雲 は 陽 を 濾す 、 雲 は 陽 を 濾す と しよ う か な 、 白秋 に そんな 調子 が ある 。 
向 ふか ら 女 の 人 と 子供 が やって来る 。 み た やう な 人 だ 。 純 哉 さん の うちの人 だ 。 知ら ない 風 で 行か う か 。 何 か 云 ひさ う だ 。 とまる 。 
云 ふ 云 ふ 。 
「 ま ん つ 見 申し た よ だ ど 思っ た へ ば 豊沢 小路 の あ ぃなさんでお 出 ゃんすた 。 お まめ し ご ざんし たす か 。 」 この 人 が こんなに 云っ て くれる と は 思は なかっ た 。 けれども × ×××××××××××××××××××× とき × ××××××××××××××× な ん だ 。 
「 はあ 、 お あり が ど ご ざんす 。 お蔭 で まめ しく て 居り あん す 。 」 純 哉 さん も お まめ しく て と 云 は う か な 、 いや 家 から 出 て どこ へ 行っ た か わから なかっ た と 云 ふん だ 。 この 辺 を 夕方 しょんぼり 行っ たり 来 たり し て ゐ た の を 見 た 人 も ある と 云っ た 。 台湾 、 やっぱり 云 は ない 方 が い ゝ 。 
「 お 内 の お母さん だ ぢ と 始終 ご 一緒 し て 居り あん す 。 」 純 哉 さん の 妹 は 唇 が 紫 で 心臓 が 悪かっ た 。 この 人 も 少し 紫 だ 。 
「 はあ そ で ござん すか 。 」 この 人 の 鼻 はけ は しく て 写楽 の やう に 見える けれども どこ か 立派 な ところ も ある 。 
「 それ がら おう ぢ の あ ね さん お あん ば ぃ 悪 ぃふでごぁんすたなぢょでお 出 ゃんすべなす 。 」 
「 はあ 、 あんまり 変ら な ござん す 。 」 
「 おりゃ の 米 子ども いっつも お話し 申し て あん す 。 」 
ありがたう 。 そんなに ほか の 人 まで が 考へ て ゐ て くれる の か な 、 おれ で さ へ 昼 学校 で は 大抵 まぎれ て 忘れ て ゐる の だ 。 
「 ほんとに お あり が ど ご ざんす 。 」 おじぎ を し た ので この 人 は もう 行か う と する 。 いま は お礼 を 云っ た の だ 。 もう 一 ぺん 云 は う 。 
「 ほん た うに お あり が ど ご ざんす 。 暖 ぐなったらど 思っ て ゐ あん す た ども やっぱり その 通り で 善 ぐもならなぃで 。 」 
「 ま ぁんつたびだび 米 子ども お話 し て あん すす か 。 」 
「 お あり が ど ご ざんす 。 」 
「 お あり が ど ご ざんす 。 」 
汽車 は のぼっ て 来る のぼっ て 来る と 子供 が 云っ て ゐる 。 人 は 影 と 一緒 に 向 ふ へ 行く 。 私 も 行く 。 
雲 が 白く て 光っ て ゐる 。 早 池峰 の 西 どなり の 群青 の 山 の 稜 が 一つ 澱ん だ 白雲 に 浮き出し た 。 薬師 岳 だ 。 雲 の ため に 知ら なかっ た 薬師 岳 の 稜 を 見る の だ 。 
今日 も 鳥 が 啼い て ゐる 。 お 城 の 方 へ 行か う か 。 おし ろ に は 前 の 日曜 の さみし さ が まだ 浸 み 込ん で 残っ て ゐる から だめ だ 。 さ うし て 見る と もっと 東 の 遠く の 方 まで 出かけよ う 。 
製 板 所 も 見え ます 。 向 ふか ら 工夫 が ひとり やって来る 。 ちゃう ど 私 に ぶっつかる ばかり だ 。 私 は 線路 を あるい て ゐ ます 。 一寸 で も 挨拶 しよ う 。 けれども それ も を かしい 。 た ゞ 私 は みち を 避けよ う 。 さ う だ 。 この 人 は 何とも 思っ て ゐ ない の だ 。 ず ゐ ぶん みんな 歩く の だ から すっかり なれ て しまっ て ゐる の だ 。 それ から 瀬川 の 鉄橋 の たもと から 髪 の 長い せい の 低い 太っ た 人 が 出 て 来 ます 。 黒沢 の やう に も 見える 。 黒沢 に し て は 何だか 顔 が 厳しい やう だ 。 やっぱり さ う だ 。 
「 今日 何処 まで 。 」 
「 はあ 、 すぐ そご まで 、 お通し や てく なんせ や 。 」 
「 はあ 、 い ゝ え 、 向 ふ 側 さす か 。 」 
「 はあ 。 」 
鉄橋 の こっち 岸 の 石垣 を 積み 直す の だ 。 今日 はず ゐ ぶん 人 が 来 て ゐる 。 請負 の さん も 居る だら う 。 ず うっ と 足 の 下 だ 。 こっち は 橋 の 上 を 行く の だ から 一向 かま は ない 。 南 の 方 は そら 一 杯 に 霽 れ た 。 土 耳 古 玉 だ 。 それから 東 に は 敏感 な 空 の 白髪 が 波立つ 。 光 の 雲 のう ね と 云っ た 方 が い ゝ 、 南 は ひらけ た トウクォイス 、 東 は 銀 の 雲 のう ね 、 書い て 行か う か 。 けれども どうも 斯 う 云 ふ 調子 に のっ た 語 は 軽薄 で いけ ない 。 それでも やっぱり 仕方 ない 。 
もう 鉄橋 を 渡っ て 行か う 。 鉄橋 を 渡る とき ポケット に 手 を 入れ て 行く の はい ゝ に はい ゝ ん だ 。 下 で も 人 が 見 て ゐる し 。 けれども やっぱり ごく 堅実 に 渡っ て 行く の だ 当然 だ 。 人 は ゐる ゐる 。 あの 二つ の 顔 は 知っ て ゐる 。 枕木 は うすい 灰色 曲っ たり 間隔 も ず ゐ ぶん 不同 だ 。 水 が たしかに 下 を 流れ て ゐる けれども おれ は それ を 見よ う と は し ない 。 気 に か ゝ る の は 却って 南 の トークォイス の 光 の 板 だ 。 
渡れ 渡れ 、 一体 これ で は あんまり 枕木 の 間隔 が せま すぎる の だ 。 大股 に 踏ん で 行か れ ない 。 もう 水 の 流れる 所 も 通っ た し 、 ず ゐ ぶん 早い 。 この 二 枚 の 小さな 縦 板 は 汽車 を よ ける 為 の だ な 。 こ ゝ で 首尾 よく よ けら れる だら う か 。 もし 今 汽車 が やって来 たら はね おりる かぶら 下る か だ 。 ま づすばやく 手帳 と 万年筆 を は ふり 出す こと だ 。 それから あと は もう 考へ なく て も い ゝ ぞ 。 
すぐ 向 ふ 岸 だ 。 砂利 の 白 や 新鮮 な すぎ な 。 
着い た 。 立派 な 野菜 だ ごぼう や 何 か 。 
す なつ ち 。 
馬 は 黒光り 、 はねあがる 。 はねあがれ ば 馬 は 竜 だ 。 赤い 眼 を し て 私 を 見下す 。 
山男 は 、 金 いろ の 眼 を 皿 の よう に し 、 せ なか を かがめ て 、 に しね 山 の ひのき 林 の なか を 、 兎 を ねらっ て ある い て い まし た 。 
ところが 、 兎 は とれ ない で 、 山鳥 が とれ た の です 。 
それ は 山鳥 が 、 びっくり し て 飛び あがる とこ へ 、 山男 が 両手 を ちぢめ て 、 鉄砲 だま の よう に からだ を 投げつけ た もの です から 、 山鳥 は はん ぶん 潰れ て しまい まし た 。 
山男 は 顔 を まっ 赤 に し 、 大きな 口 を にやにや まげ て よろこん で 、 その ぐったり 首 を 垂れ た 山鳥 を 、 ぶらぶら 振りまわし ながら 森 から 出 て き まし た 。 
そして 日 あたり の いい 南 向き の かれ 芝 の 上 に 、 いきなり 獲物 を 投げだし て 、 ばさばさ の 赤い 髪 毛 を 指 で かきまわし ながら 、 肩 を 円く し て ごろりと 寝ころび まし た 。 
どこ か で 小鳥 も チッチッ と 啼き 、 かれ 草 の ところどころ に やさしく 咲い た むら さき いろ の かた くり の 花 も ゆれ まし た 。 
山男 は 仰向け に なっ て 、 碧 い あ あおい 空 を ながめ まし た 。 お 日 さま は 赤 と 黄金 で ぶち ぶち の や ま なし の よう 、 かれ くさ の いい におい が そこら を 流れ 、 すぐ うし ろ の 山脈 で は 、 雪 が こんこん と 白い 後光 を だし て いる の でし た 。 
（ 飴 という もの は うまい もの だ 。 天道 は 飴 を うんと こさえ て いる が 、 なかなか おれ に は くれ ない 。 ） 
山男 が こんな こと を ぼんやり 考え て い ます と 、 その 澄み切っ た 碧 いそ ら を ふわふわ うるん だ 雲 が 、 あて も なく 東 の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 そこで 山男 は 、 のど の 遠く の 方 を 、 ごろごろ ならし ながら 、 また 考え まし た 。 
（ ぜんたい 雲 という もの は 、 風 の ぐあいで 、 行っ たり 来 たり ぽかっと 無くなっ て み たり 、 俄 か に また で て き たり する もん だ 。 そこで 雲助 と こういう の だ 。 ） 
その とき 山男 は 、 なんだか むやみ に 足 と あ たま が 軽く なっ て 、 逆さま に 空気 の なか に うかぶ よう な 、 へん な 気もち に なり まし た 。 もう 山男 こそ 雲助 の よう に 、 風 に ながさ れる の か 、 ひとりでに 飛ぶ の か 、 どこ という あて も なく 、 ふらふら ある い て い た の です 。 
（ ところが ここ は 七つ 森 だ 。 ちゃんと 七 っ つ 、 森 が ある 。 松 の いっぱい 生え てる の も ある 、 坊主 で 黄いろ な の も ある 。 そして ここ まで 来 て みる と 、 おれ は まもなく 町 へ 行く 。 町 へ はいっ て 行く と すれ ば 、 化け ない と なぐり 殺さ れる 。 ） 
山男 は ひとり で こんな こと を 言い ながら 、 どうやら 一 人 まえ の 木 樵 の かたち に 化け まし た 。 そしたら もうすぐ 、 そこ が 町 の 入口 だっ た の です 。 山男 は 、 まだ どうも 頭 が あんまり 軽く て 、 からだ の つりあい が よく ない と おもい ながら 、 のそのそ 町 に はいり まし た 。 
入口 に は いつも の 魚屋 が あっ て 、 塩鮭 の きたない 俵 だの 、 くしゃくしゃ に なっ た 鰯 の つら だ の が 台 に のり 、 軒 に は 赤 ぐろいゆで 章魚 が 、 五つ つるし て あり まし た 。 その 章魚 を 、 もう つくづく と 山男 は ながめ た の です 。 
（ あの いぼ の ある 赤い 脚 の まがり ぐあいは 、 ほんとう に りっぱ だ 。 郡 役所 の 技手 の 、 乗馬 ず ぼん を はい た 足 より まだ りっぱ だ 。 こういう もの が 、 海 の 底 の 青い くらい ところ を 、 大きく 眼 を あい て はっ て いる の は じっさい えらい 。 ） 
山男 は おもわず 指 を くわえ て 立ち まし た 。 する と ちょうど そこ を 、 大きな 荷物 を しょっ た 、 汚 ない 浅黄 服 の 支那人 が 、 きょろきょろ あたり を 見 まわし ながら 、 通りかかっ て 、 いきなり 山男 の 肩 を たたい て 言い まし た 。 
「 あなた 、 支那反 物 よろしい か 。 六 神 丸 たいさ ん やすい 。 」 
山男 は びっくり し て ふりむい て 、 
「 よろしい 。 」 と どなり まし た が 、 あんまり じ ぶん の 声 が たかかっ た ため に 、 円い 鈎 を もち 、 髪 を わけ 下駄 を はい た 魚屋 の 主人 や 、 けら を 着 た 村 の 人 たち が 、 みんな こっち を 見 て いる の に 気がつい て 、 すっかり あわて て 急い で 手 を ふり ながら 、 小声 で 言い直し まし た 。 
「 いや 、 そう だ ない 。 買う 、 買う 。 」 
すると 支那人 は 
「 買わ ない 、 それ 構わ ない 、 ちょっと 見る だけ よろしい 。 」 
と 言い ながら 、 背中 の 荷物 を みち の まんなか に おろし まし た 。 山男 は どうも その 支那人 の ぐちゃぐちゃ し た 赤い 眼 が 、 とかげ の よう で へん に 怖く て しかた あり ませ ん でし た 。 
その うち に 支那人 は 、 手ばやく 荷物 へ かけ た 黄いろ の 真田紐 を とい て ふろしき を ひらき 、 行李 の 蓋 を とっ て 反物 の いちばん 上 に たくさん ならん だ 紙 箱 の 間 から 、 小さな 赤い 薬 瓶 の よう な もの を つかみ だし まし た 。 
（ おや おや 、 あの 手 の 指 は ずいぶん 細い ぞ 。 爪 も あんまり 尖っ て いる し いよいよ こわい 。 ） 山男 は そっと こう おもい まし た 。 
支那人 は その うち に 、 まるで 小指 ぐらい ある ガラス の コップ を 二つ 出し て 、 ひとつ を 山男 に 渡し まし た 。 
「 あなた 、 この 薬 の むよろしい 。 毒 ない 。 決して 毒 ない 。 の むよろしい 。 わたし さき のむ 。 心配 ない 。 わたし ビール のむ 、 お茶 のむ 。 毒 のま ない 。 これ な が いき の 薬 ある 。 の むよろしい 。 」 支那人 は もう ひとり で か ぷっと 呑ん で しまい まし た 。 
山男 は ほんとう に 呑ん で いい だろ う か と あたり を 見 ます と 、 じ ぶん は いつか 町 の 中 で なく 、 空 の よう に 碧 い ひろい 野原 の まんなか に 、 眼 の ふち の 赤い 支那人 と たった 二 人 、 荷物 を 間 に 置い て 向かいあっ て 立っ て いる の でし た 。 二 人 の かげ が まっ黒 に 草 に 落ち まし た 。 
「 さあ 、 の むよろしい 。 な が いき の くすり ある 。 の むよろしい 。 」 支那人 は 尖っ た 指 を つき 出し て 、 しきりに すすめる の でし た 。 山男 は あんまり 困っ て しまっ て 、 もう 呑ん で 遁 げ て しまお う と おもっ て 、 いきなり ぷいっとその 薬 を のみ まし た 。 すると ふしぎ な こと に は 、 山男 は だんだん から だ の でこぼこ が なくなっ て 、 ちぢまっ て 平ら に なっ て ちいさく なっ て 、 よく しらべ て みる と 、 どうも いつか ちいさな 箱 の よう な もの に 変っ て 草 の 上 に 落ち て いる らしい の でし た 。 
（ やら れ た 、 畜生 、 とうとう やら れ た 、 さっき から あんまり 爪 が 尖っ て あやしい と おもっ て い た 。 畜生 、 すっかり うまく だまさ れ た 。 ） 山男 は 口惜し がっ て ばたばた しよ う と し まし た が 、 もう ただ 一 箱 の 小さな 六 神 丸 です から どうにも しかた あり ませ ん でし た 。 
ところが 支那人 の ほう は 大 よろこび です 。 ひょいひょい と 両脚 を かわるがわる あげ て とびあがり 、 ぽん ぽん と 手 で 足 の う ら を たたき まし た 。 その 音 はつ づみのように 、 野原 の 遠く の ほう まで ひびき まし た 。 
それから 支那人 の 大きな 手 が 、 いきなり 山男 の 眼 の 前 に で て き た と おもう と 、 山男 は ふらふら と 高い ところ に のぼり 、 まもなく 荷物 の あの 紙 箱 の 間 に おろさ れ まし た 。 
お やおや と おもっ て いる うち に 上 から ば たっ と 行李 の 蓋 が 落ち て き まし た 。 それでも 日光 は 行李 の 目 から うつくしく すきとおっ て 見え まし た 。 
（ とうとう に おれ は はいっ た 。 それでも やっぱり 、 お 日 さま は 外 で 照っ て いる 。 ） 山男 は ひとり で こんな こと を 呟 やい て 無理 に かなしい の を ごまかそ う と し まし た 。 すると こんど は 、 急 に もっと くらく なり まし た 。 
（ は はあ 、 風呂敷 を かけ た な 。 いよいよ 情けない こと に なっ た 。 これから 暗い 旅 に なる 。 ） 山男 は なるべく 落ち着い て こう 言い まし た 。 
すると 愕 ろ い た こと は 山男 の すぐ 横 で もの を 言う やつ が ある の です 。 
「 おまえ さん は どこ から 来 なすっ た ね 。 」 
山男 は はじめ ぎく っと し まし た が 、 すぐ 、 
（ は はあ 、 六 神 丸 という もの は 、 みんな おれ の よう な ぐあいに 人間 が 薬 で 改良 さ れ た もん だ な 。 よし よし 、 ） と 考え て 、 
「 おれ は 魚屋 の 前 から 来 た 。 」 と 腹 に 力 を 入れ て 答え まし た 。 すると 外 から 支那人 が 噛みつく よう に どなり まし た 。 
「 声 あまり 高い 。 しずか に する よろしい 。 」 
山男 は さっき から 、 支那人 が むやみ に しゃくにさわっ て い まし た ので 、 この とき は もう 一 ぺん に かっと し て しまい まし た 。 
「 何 だ と 。 何 を ぬかし や がる ん だ 。 ど ろ ぼう め 。 き さま が 町 へ はいっ たら 、 おれ は すぐ 、 この 支那人 は あやしい やつ だ と どなっ て やる 。 さあ どう だ 。 」 
支那人 は 、 外 でし ん と し て しまい まし た 。 じつに しばらく の 間 、 しいんと し て い まし た 。 山男 は これ は 支那人 が 、 両手 を 胸 で 重ね て 泣い て いる の か な と も おもい まし た 。 そう し て みる と 、 いま まで 峠 や 林 の なか で 、 荷物 を おろし て なに か ひどく 考え込ん で い た よう な 支那人 は 、 みんな こんな こと を 誰 か に 云わ れ た の だ な と 考え まし た 。 山男 は もう すっかり か あい そう に なっ て 、 いま の は うそ だ よ と 云お う と し て い まし たら 、 外 の 支那人 が あわ れ な しわがれ た 声 で 言い まし た 。 
「 それ 、 あまり 同情 ない 。 わたし 商売 たた ない 。 わたし お まんま たべ ない 。 わたし 往生 する 、 それ 、 あまり 同情 ない 。 」 山男 は もう 支那人 が 、 あんまり 気の毒 に なっ て しまっ て 、 おれ の からだ など は 、 支那人 が 六 十 銭 もうけ て 宿屋 に 行っ て 、 鰯 の 頭 や 菜っ葉 汁 を たべる かわり に くれ て やろ う と 思い ながら 答え まし た 。 
「 支那人 さん 、 もう いい よ 。 そんなに 泣か なく て も いい よ 。 おれ は 町 に はいっ たら 、 あまり 声 を 出さ ない よう に しよ う 。 安心 しな 。 」 する と 外 の 支那人 は 、 やっと 胸 を なでおろし た らしく 、 ほお という 息 の 声 も 、 ぽん ぽん と 足 を 叩い て いる 音 も 聞こえ まし た 。 それから 支那人 は 、 荷物 を しょっ た らしく 、 薬 の 紙 箱 は 、 互に がたがた ぶっつかり まし た 。 
「 おい 、 誰 だい 。 さっき おれ に もの を 云い かけ た の は 。 」 
山男 が 斯 う 云い まし たら 、 すぐ と なり から 返事 が き まし た 。 
「 わし だ よ 。 そこで さっき の 話 の つづき だ が ね 、 おまえ は 魚屋 の 前 から き た と する と 、 いま 鱸 が 一 匹 いくら する か 、 また ほし た ふか の ひれ が 、 十 両 に 何 片 くる か 知っ てる だろ う な 。 」 
「 さあ 、 そんな もの は 、 あの 魚屋 に は 居 なかっ た よう だ ぜ 。 もっとも 章魚 は あっ た が なあ 。 あの 章魚 の 脚 つき は よかっ た なあ 。 」 
「 へい 。 そんな いい 章魚 かい 。 わし も 章魚 は 大 すき で な 。 」 
「 うん 、 誰 だって 章魚 の きらい な 人 は ない 。 あれ を 嫌い な くらい なら 、 どうせ ろくな やつ じゃ ない ぜ 。 」 
「 まったく そう だ 。 章魚 ぐらい りっぱ な もの は 、 まあ 世界中 に ない な 。 」 
「 そう さ 。 お前 は いったい どこ から き た 。 」 
「 おれ かい 。 上海 だ よ 。 」 
「 おまえ は する と やっぱり 支那人 だろ う 。 支那人 という もの は 薬 に さ れ たり 、 薬 に し て それ を 売っ て ある い たり 気の毒 な もん だ な 。 」 
「 そう で ない 。 ここら を あるい てる もの は 、 みんな 陳 の よう な いやしい やつ ばかり だ が 、 ほんとう の 支那人 なら 、 いくらでも えらい りっぱ な 人 が ある 。 われわれ は みな 孔子 聖人 の 末 な の だ 。 」 
「 なんだか わから ない が 、 お もて に いる やつ は 陳 という の か 。 」 
「 そう だ 。 ああ 暑い 、 蓋 を とる と いい なあ 。 」 
「 うん 。 よし 。 おい 、 陳 さん 。 どうも むし暑く て いか ん ね 。 すこし 風 を 入れ て もらい たい な 。 」 
「 も すこし 待つ よろしい 。 」 陳 が 外 で 言い まし た 。 
「 早く 風 を 入れ ない と 、 おれ たち は みんな 蒸れ て しまう 。 お前 の 損 に なる よ 。 」 
すると 陳 が 外 で おろおろ 声 を 出し まし た 。 
「 それ 、 もと も 困る 、 がまん し て くれる よろしい 。 」 
「 がまん も 何 も ない よ 、 おれ たち が すき で むれる ん じゃ ない ん だ 。 ひとりでに むれ て しまう さ 。 早く 蓋 を あけろ 。 」 
「 も 二 十 分 まつ よろしい 。 」 
「 えい 、 仕方 ない 。 そん なら も 少し 急い で ある き な 。 仕方 ない な 。 ここ に 居る の は おまえ だけ かい 。 」 
「 いい や 、 まだ たくさん いる 。 みんな 泣い て ばかり いる 。 」 
「 そいつ は か あい そう だ 。 陳 は わるい やつ だ 。 なんとか おれ たち は 、 も いちど もと の 形 に なら ない だろ う か 。 」 
「 それ は できる 。 おまえ は まだ 、 骨 まで 六 神 丸 に なっ て い ない から 、 丸薬 さえ のめ ば もと へ 戻る 。 おまえ の すぐ 横 に 、 その 黒い 丸薬 の 瓶 が ある 。 」 
「 そう か 。 そいつ は いい 、 それでは すぐ 呑も う 。 しかし 、 おまえ さん たち は の ん でも だめ か 。 」 
「 だめ だ 。 けれども おまえ が 呑ん で もと の 通り に なっ て から 、 おれ たち を みんな 水 に 漬け て 、 よく もん で もらい たい 。 それから 丸薬 を のめ ば きっと みんな もと へ 戻る 。 」 
「 そう か 。 よし 、 引き受け た 。 おれ は きっと おまえ たち を みんな も と の よう に してやる から な 。 丸薬 という の は これ だ な 。 そして こっち の 瓶 は 人間 が 六 神 丸 に なる ほう か 。 陳 も さっき おれ と いっしょ に この 水薬 を の ん だ が ね 、 どうして 六 神 丸 に なら なかっ たろ う 。 」 
「 それ は いっしょ に 丸薬 を 呑ん だ から だ 。 」 
「 ああ 、 そう か 。 もし 陳 が この 丸薬 だけ 呑ん だら どう なる だろ う 。 変ら ない 人間 が また もと の 人間 に 変る と どうも 変 だ な 。 」 
その とき お もて で 陳 が 、 
「 支那 た もの よろしい か 。 あなた 、 支那 た もの 買う よろしい 。 」 
と 云う 声 が し まし た 。 
「 は はあ 、 はじめ た ね 。 」 山男 は そっと こう 云っ て おもしろ がっ て い まし たら 、 俄 か に 蓋 が あい た ので 、 もう まぶしく て たまり ませ ん でし た 。 それでも むりやり そっち を 見 ます と 、 ひとり の お かっぱ の 子供 が 、 ぽかんと 陳 の 前 に 立っ て い まし た 。 
陳 は もう 丸薬 を 一 つぶ つまん で 、 口 の そば へ 持っ て 行き ながら 、 水薬 と コップ を 出し て 、 
「 さあ 、 呑む よろしい 。 これ な が いき の 薬 ある 。 さあ 呑む よろしい 。 」 と やっ て い ます 。 
「 はじめ た 、 はじめ た 。 いよいよ はじめ た 。 」 行李 の なか で たれ か が 言い まし た 。 
「 わたし ビール 呑む 、 お茶 のむ 、 毒 のま ない 。 さあ 、 呑む よろしい 。 わたし のむ 。 」 
その とき 山男 は 、 丸薬 を 一 つぶ そっと のみ まし た 。 する と 、 めりめり めりめり っ 。 
山男 は すっかり もと の よう な 、 赤 髪 の 立派 な からだ に なり まし た 。 陳 は ちょうど 丸薬 を 水薬 と いっしょ に のむ ところ でし た が 、 あまり びっくり し て 、 水薬 は こぼし て 丸薬 だけ のみ まし た 。 さあ 、 たいへん 、 みるみる 陳 の あ たま がめら あっ と 延び て 、 いま まで の 倍 に なり 、 せい が めきめき 高く なり まし た 。 そして 「 わあ 。 」 と 云い ながら 山男 に つかみかかり まし た 。 山男 は まんま る に なっ て 一生けん命 遁 げ まし た 。 ところが いくら 走ろ う として も 、 足 が から 走り という こと を し て いる らしい の です 。 とうとう せ なか を つかま れ て しまい まし た 。 
「 助け て くれ 、 わあ 、 」 と 山男 が 叫び まし た 。 そして 眼 を ひらき まし た 。 みんな 夢 だっ た の です 。 
雲 は ひかっ て そら を かけ 、 かれ 草 は かんばしく あたたか です 。 
山男 は しばらく ぼんやり し て 、 投げ出し て ある 山鳥 の きらきら する 羽 を み たり 、 六 神 丸 の 紙 箱 を 水 に つけ て もむ こと など を 考え て い まし た が いきなり 大きな あくび を ひとつ し て 言い まし た 。 
「 ええ 、 畜生 、 夢 の なか のこっ た 。 陳 も 六 神 丸 も どう に でも なれ 。 」 
それから あくび を も ひとつ し まし た 。 
濁 み し 声 下 より 叫ぶ 
炉 は い まし 何 度 に あり や 
八 百 とい ら へ を すれ ば 
声 なく て 炭 を 掻く 音 
声 あり て 更に 叫べ り 
づく は い まし 何 度 に あり や 
八 百 とい ら へ を すれ ば 
また もち えと 舌 打つ ひ ゞ き 
灼熱 のる つ ぼ を つ ゝ み 
むら さき の 暗き 火 は 燃え 
そが なか に 水 うち 汲める 
母 の 像 恍 と うかべ り 
声 あり て 下 より 叫ぶ 
針 は いま 何 度 に あり や 
八 百 とい ら へ て 云 へ ば 
たちまち に 階 を 来る 音 
八百 は 何 の た は ごと 
汝 は こ ゝ に 睡 れる なら ん 
見よ 鉄 は いま 千 二 百 
なれ が 眼 は 何 を 読める や 
あな あやし 紫 の 火 を 
みつめ たる 眼 は うつろ にて 
熱 計 の 針 も 見 わか ず 
奇しき 汗せ なに うる ほふ 
あゝ なれ は 何 を 泣ける ぞ 
涙 もて 金 は と くる や 
千 二 百 いざ 下り 行か ん 
それ いま ぞ 鉄 は 熟し ぬ 
融 鉄 は うち と ゞ ろ き て 
火花 あげ け むりあぐれば 
紫 の 焔 は 消え て 
室 の うち に はか に くらし 
本郷 区 菊坂 町 
九 時 過ぎ た ので 、 床屋 の 弟子 の 微か な 疲れ と 睡 気 と が ふっと 青白く 鏡 に か ゝ り 、 室 は 何だか がらん として ゐる 。 
「 俺 は 小さい 時分 何 でも 馬 の バリカン で 刈ら れ た こと が ある な 。 」 
「 え ゝ 、 ござい ませ う 。 あの バリカン は 今 でも 中国 の 方 で は みな 使っ て 居り ます 。 」 
「 床屋 で ？ 」 
「 さ う です 。 」 
「 それ は はじめて 聞い た な 。 」 
「 大阪 で も 前 は 矢 張り あれ を 使 ひ まし た 。 今 でも 普通 の と 半々 位 で せ う 。 」 
「 さ う か な 。 」 
「 お 郷国 は どちら で 居 らっしゃい ます か 。 」 
「 岩手 県 だ 。 」 
「 はあ 、 やはり 前 は あいつ を 使 ひ まし た ん です か 。 」 
「 い ゝ や 、 床屋 ぢ ゃ 使 は なかっ た よ 。 俺 は 大抵 野原 で 頭 を 刈っ て 貰っ た の だ 。 」 
「 はあ 、 なるほど 。 あれ は 原理 は 普通 の と 変っ て 居り ませ ん が ね 。 一方 の 歯 しか 動か ない ので 。 」 
「 それ は さ う だら う 。 両方 動い ちゃ だめ だ 。 」 
「 え ゝ 、 噛 っ ち まひ ます 。 」 
鏡 の 睡 気 は 払 はれ て 青く 明るく なり 今度 は 香油 の 瓶 が それ を 受け取っ て ぼんやり なっ た 。 
「 失礼 です が あなた は どちら に 出 て いらっ し やい ます か 。 」 
「 図書館 だ 。 」 
「 事務 員 です か 。 」 
「 い ゝ や 、 頼ま れ て 調べ て ゐる ん だ 。 」 
「 朝 は お 早い で せ う 。 」 
「 朝 は 六 時半 に うち を 出る よ 。 」 
「 ず ゐ ぶん お 早い です ね 。 」 
「 どうせ うち に 居 た って おんなじ だ 。 」 
睡 気 が 忽ち 香油 の 瓶 を 離れ て 瓦斯 の 光 に 溶け て 了 ひ 室 が 変 に 底無し の 淵 の やう に なっ た 。 
「 丁度 五 分 か ゝ り まし た 。 あなた の 頭 を 刈り込む のに 。 」 
「 早い な 。 」 
「 い ゝ え 。 競争 の 時 なら 早い 人 は 三 分 か ゝ り ませ ん 。 」 
「 指 が 痛く なる だら う 。 そんなに し たら 。 」 
「 え ゝ 、 指 より 手首 が 苦しく て 堪ら なく なり ます 。 」 
「 さ うだら う 。 どうせ そんな ぢ ゃ 永く は 続か ない 。 」 床屋 の 弟子 は バリカン を 持っ た ま ゝ 手首 を ぶらぶら ふっ て ゐる 。 
瓦斯 の 灯 が 急 に 明るく なっ た 。 
「 僕 の ひ げ は 物 に なる だら う か 。 」 
「 なり ます と も 。 」 
「 さ う か なぁ 。 」 
「 も 少し 濃い とい ゝ ひ げ に なる ん だ が なぁ 、 かう 云 ふ 工合 に 。 剃ら ない で 置き ませ う か 。 」 
「 い ゝ や 、 だめ だ よ 。 僕 はね 、 きっと 流行る やう な 新 らしい 鬚 の 型 を 知っ てる ん だ よ 。 」 
「 どんな ん です か 。 」 
「 それ は ね 。 実は 昔 の 西域 の やり方 な ん だ よ 。 斯 う 云 ふ 工合 に 途中 で 円い 波 を 一つ うねら し て ね 、 それから はじ を 又 円く ピン と はね さ すん だ よ 。 こいつ ぁ 流行る ぜ 。 」 
「 今 どこ で 流行っ て ゐ ます か 。 」 
「 イデア 界 だ 。 きっと こっち へ も だんだん 来る よ 。 」 
「 イデア 界 。 プラトン の イデア 界 です か 。 いや 。 アッハッハ 。 」 
「 アツハッハ 。 君 。 どうせ 顔 なんか 大体 で い ゝ よ 。 」 
ぼく は 農 学校 の 三 年生 に なっ た とき から 今日 まで 三 年 の 間 の ぼく の 日誌 を 公開 する 。 どうせ ぼく は 字 も 文章 も 下手 だ 。 ぼく と 同じ よう に 本気 に 仕事 に かかっ た 人 で なかっ たら こんな もの 実に 厭 な 面白く も ない もの に ちがい ない 。 いま ぼく が 読み返し て み て さえ 実に 意気地 なく 野蛮 な よう な 気 の する ところ が たくさん ある の だ 。 ちょうど 小学校 の 読本 の 村 の こと を 書い た ところ の よう に じつに うそ らしく て わざとらしく て いや な ところ が ある の だ 。 けれども ぼく の は ほんとう だ から 仕方 ない 。 ぼく ら は 空想 で なら どんな こと でも する こと が できる 。 けれども ほんとう の 仕事 は みんな こんなに じみ な の だ 。 そして その 仕事 を まじめ に し て いる と もう 考える こと も 考える こと も みんな じみ な 、 そう だ 、 じみ と いう より は やぼ な 所 謂 田舎 臭い もの に 変っ て しまう 。 
ぼく は ひがん で 云う の で ない 。 けれども ぼく が 父 と ふたり で いろいろ な 仕事 の こと を 云い ながら はたらい て いる ところ を 読ん だら 、 ぼく を 軽べつ する 人 が きっと 沢山 ある だろ う 。 そんな やつ を ぼく は 叩きつけ て やり たい 。 ぼく は 人 を 軽べつ する か そう で なけれ ば 妬む こと しか でき ない やつ ら は いちばん 卑怯 な もの だ と 思う 。 ぼく の よう に 働い て いる 仲間 よ 、 仲間 よ 、 ぼく たち は こんな 卑怯 さ を 世界 から 無くし て しまお う で ない か 。 
一 九 二 五 、 四月 一 日 　 火曜日 　 晴 
今日 から 新 らしい 一 学期 だ 。 けれども 学校 へ 行っ て も 何だか 張合い が なかっ た 。 一 年生 は まだ はいら ない し 三 年生 は 居 ない 。 居 ない の で ない もう こっち が 三 年生 な の だ が 、 あの 挨拶 を 待っ て そっと 横 眼 で 威張っ て いる 卑怯 な 上級生 が 居 ない の だ 。 そこで 何だか 今 まで 頭 を ぶっつけ た 低い 天井 裏 が 無くなっ た よう な 気 も する けれども また 支柱 を みんな 取っ て しまっ た 桜 の 木 の よう な 気 も する 。 今日 の 実習 に は それ を やっ た 。 去年 の 九月 古い 競馬 場 の まわり から 掘っ て 来 て 植え て おい た の だ 。 今 ごろ 支柱 を 取る の は まだ 早い だろ う と みんな 思っ た 。 なぜ なら これから ちょうど 小さな 根 が でる ころ な のに 西風 は まだまだ 吹く から 幹 が てこ に なっ て それ を 切る の だ 。 けれども 菊池 先生 は みんな 除 ら せ た 。 花 が 咲く の に 支柱 が あっ て は 見 っと も ない と 云う の だ けれども 桜 が 咲く に は まだ 一月 も その 余 も ある 。 菊池 先生 は 春 に なっ た ので ただ 面白く て あれ を 取っ た の だ と おもう 。 
その 古い 縄 だの 冬 の 間 の ごみ だの 運動 場 の 隅 へ 集め て 燃やし た 。 そこで ほか の 実習 の 組 の 人 たち は 羨まし がっ た 。 午前 中 その 実習 を し て 放課 に なっ た 。 教科書 が まだ 来 ない ので 明日 も やっぱり 実習 だ と いう 。 午后 は みんな で テニス コート を 直し たり し た 。 
四月 二 日 　 水曜日 　 晴 
今日 は 三 年生 は 地質 と 土 性 の 実習 だっ た 。 斉藤 先生 が 先 に 立っ て 女学校 の 裏 で 洪 積層 と 第 三紀 の 泥 岩 の 露出 を 見 て それ から だんだん 土 性 を 調べ ながら 小船渡 の 北上 の 岸 へ 行っ た 。 河 へ 出 て いる 広い 泥 岩 の 露出 で 奇 体 な ギザ ギザ の ある くるみ の 化石 だの 赤い 高師 小僧 だの たくさん 拾っ た 。 それから 川岸 を 下っ て 朝日橋 を 渡っ て 砂利 に なっ た 広い 河原 へ 出 て みんな で 鉄 鎚 で いろいろ な 岩石 の 標本 を 集め た 。 河原 から は もう かげろう が ゆらゆら 立っ て 向う の 水 など は 何だか 風 の よう に 見え た 。 河原 で 分れ て 二 時 頃 うち へ 帰っ た 。 
そして 晩 まで 垣根 を 結っ て 手伝っ た 。 あした は やすみ だ 。 
四月 三 日 　 今日 は いい 付け られ て 一 日 古い 桑 の 根 掘り を し た ので 大 へん つかれ た 。 
四月 四 日 、 上田 君 と 高橋 君 は 今日 も 学校 へ 来 なかっ た 。 上田 君 は 師範 学校 の 試験 を 受け た そう だ けれども まだ 入っ た か どう か は わから ない 。 なぜ 農 学校 を 二 年 も やっ て から 師範 学校 なんか へ 行く の だろ う 。 高橋 君 は 家 で 稼い で い て あと は 学校 へ は 行か ない と 云っ た そう だ 。 高橋 君 の ところ は 去年 の 旱魃 が いちばん ひどかっ た そう だ から 今年 は ずいぶん 難儀 する だろ う 。 それ へ 較べ たら うち なんか は 半分 でも いくら で も 穫れ た の だ から いい 方 だ 。 今年 は 肥料 だの すっかり 僕 が 考え て きっと 去年 の 埋め合せ を 付ける 。 実習 は 苗代 掘り だっ た 。 去年 の 秋 小さな 盛り に し て い た 土 を 崩す だけ だっ た から 何 で も なかっ た 。 教科書 が たいてい 来 た そう だ 。 ただ 測量 と 園芸 が 来 ない とか 云っ て い た 。 あした は 日曜 だ けれども 無くなら ない うち に 買い に 行こ う 。 僕 は 国語 と 修身 は 農事 試験場 へ 行っ た 工藤 さん から 譲ら れ て ある から 残り は 九 冊 だけ だ 。 
四月 五 日 　 日 
南 万 丁目 へ 屋根 換え の 手伝え に やら れ た 。 なかなか ひどかっ た 。 屋根 の 上 に のぼっ て い たら 南 の 方 に 学校 が 長々 と 横 わっ て いる よう に 見え た 。 ぼく は 何だか 今日 は 一 日 あの 学校 の 生徒 で ない よう な 気 が し た 。 教科書 は 明日 買う 。 
四月 六 日 　 月 
今日 は 入学 式 だっ た 。 ぼんやり として それでいて 何だか 堅苦し そう に し て いる 新入生 は おかしな もの だ 。 ところが いま に みんな 暴れ出す 。 来年 に なる と あれ が みんな 二 年生 に なっ て いい 気 に なる 。 さ 来年 は みんな 僕ら の よう に なっ て また 新入生 を わらう 。 そう 考える と 何だか 変 な 気 が する 。 伊藤 君 と 行っ て 本屋 へ 教科書 を 九 冊 だけ とっ て おい て もらう よう に 頼ん で おい た 。 
四月 七 日 　 火 、 朝 父 から 金 を 貰っ て 教科書 を 買っ た 。 
そして 今日 から 授業 だ 。 測量 は たしかに 面白い 。 地図 を 見る の も 面白い 。 ぜんたい ここら の 田 や 畑 で ほんとう の 反別 に なっ て いる 処 が ない と 武田 先生 が 云っ た 。 それ だ から 仕事 の 予定 も 肥料 の 入れ よう も 見当 が つか ない の だ 。 僕 は もう少し 習っ たら うち の 田 を みんな 一 枚 ずつ 測っ て 帳面 に 綴じ て おく 。 そして 肥料 だの すっかり 考え て やる 。 きっと 今年 は 去年 の 旱魃 の 埋め合せ と 、 それから 僕 の 授業 料 ぐらい を 穫っ て みせる 。 実習 は 今日 も 苗代 掘り だっ た 。 
四月 八 日 　 水 、 今日 は 実習 は なく て 学校 の 行進 歌 の 練習 を し た 。 僕ら が 歌っ て 一 年生 が まね を する の だ 。 けれども ぼく は 何だか 圧し つけ られる よう で あの 行進 歌 は きらい だ 。 何だか あの 歌 を 歌う と 頭 が 痛く なる よう な 気 が する 。 実習 の ほう が 却って いい くらい だ 。 学校 から 纏め て 注文 する と いう ので 僕 は 苹果 を 二 本 と 葡萄 を 一 本 頼ん で おい た 。 
四月 九 日 
一 千 九 百 廿 五 年 五月 五 日 　 晴 
まだ 朝 の 風 は 冷たい けれども 学校 へ 上り 口 の 公園 の 桜 は 咲い た 。 けれども ぼく は 桜 の 花 は あんまり 好き で ない 。 朝日 に すかさ れ た の を 木の下 から 見る と 何だか 蛙 の 卵 の よう な 気 が する 。 それ に すぐ 古くさい 歌 や なんか 思い出す し また 歌 など 詠む のろのろ し た よう な 昔 の 人 を 考える から どうも いや だ 。 そんな こと が なかっ たら 僕 は もっと 好き だっ た かも 知れ ない 。 誰 も 桜 が 立派 だ なんて 云わ なかっ たら 僕 は きっと 大声 で その きれい さ を 叫ん だ かも 知れ ない 。 僕 は 却って たんぽぽ の 毛 の ほう を 好き だ 。 夕陽 に なんか 照らさ れ たら いくら 立派 だ か 知れ ない 。 
今日 の 実習 は 陸稲 播き で 面白かっ た 。 みんな で 二 う ね ずつ やる の だ 。 ぼく は 杭 を 借り て 来 て 定規 を あて て 播い た 。 種子 が 間隔 を 正しく まっすぐ に なっ た 時 は うれしかっ た 。 いま に 芽 を 出せ ば その 通り 青く 見える ん だ 。 学校 の 田 の なか に は きっと ひばり の 巣 が 三つ 四つ ある 。 実習 し て いる 間 に なん べ ん も 降り た の だ 。 けれども 飛 びあがるところはつい 見 なかっ た 。 ひばり は 降りる とき は わざと 巣 から は なれ て 降りる から 飛び あがる とこ を 見 なけれ ば 巣 の あり か は わから ない 。 
一 千 九 百 二 十 五 年 五月 六 日 
今日 学校 で 武田 先生 から 三 年生 の 修学旅行 の はなし が あっ た 。 今月 の 十 八 日 の 夜 十 時 で 発っ て 二 十 三 日 まで 札幌 から 室蘭 を まわっ て 来る の だ そう だ 。 先生 は 手 に 取る よう に 向う の 景色 だの 見 て 来る こと だ の 話し た 。 
津軽海峡 、 トラピスト 、 函館 、 五稜郭 、 え ぞ 富士 、 白樺 、 小樽 、 札幌 の 大学 、 麦酒 会社 、 博物館 、 デンマーク 人 の 農場 、 苫小牧 、 白老 の アイヌ 部落 、 室蘭 、 ああ 僕 は 数え た だけ で 胸 が 踊る 。 五 時間 目 に は 菊池 先生 が うち へ 宛て た 手紙 を 渡し て 、 また いろいろ 話さ れ た 。 武田 先生 と 菊池 先生 が ついて行か れる の だ そう だ 。 
行く 人 が 二 十 八 人 に なら なけれ ば やめる そう だ 。 それ は 県 の 規則 が 全 級 の 三 分の 一 以上 参加 する よう に なっ てる から だ そう だ 。 けれども 学校 へ 十 九 円 納める の だ し あと 五 円 も かかる そう だ から 。 きっと 行ける と 思う 人 は と 云っ たら 内藤 君 や 四 人 だけ 手 を あげ た 。 みんな 町 の 人 たち だ 。 うち で はやっ て くれる だろ う か 。 父 が 居 ない ので 母 へ だけ 話し た けれども 母 は 心配 そう に 眼 を あげ た だけ で 何 と も 云わ なかっ た 。 けれども きっと 父 は やっ て くれる だろ う 。 そしたら 僕 は 大きな 手帳 へ 二 冊 も 書い て 来 て 見せよ う 。 
五月 七 日 
今朝 父 へ 学校 から の 手紙 を 渡し て それ から いろいろ 先生 の 云っ た こと を 話そ う と し た 。 すると 父 は 手紙 を 読ん で しまっ て あと は なぜ か 大 へん あたり に 気兼ね し た よう す で 僕 が 半分 しか 云わ ない うち に 止め て しまっ た 。 そして よく 相談 する から と 云っ た 。 祖母 や 母 に 気兼ね を し て いる の かも しれ ない 。 
五月 八 日 　 行く 人 が 大 ぶ ある よう だ 。 けれども うち で は 誰 も 何 と も 云わ ない 。 だから 僕 は ずいぶん つらい 。 
五月 九 日 、 
三 時間 目 に 菊池 先生 が また いろいろ 話さ れ た 。 行く と きまっ た 人 は みんな 面白 そう に し て 聞い て い た 。 僕 は 頭 が 熱く て 痛く なっ た 。 ああ 北海道 、 雑嚢 を 下げ て マント を ぐるぐる 捲い て 肩 にかけて 津軽海峡 を みんな と 船 で 渡っ たら どんなに 嬉しい だろ う 。 
五月 十 日 　 今日 も だめ だ 。 
五月 十 一 日 　 日曜 　 曇 　 午前 は 母 や 祖母 と いっしょ に 田 打ち を し た 。 午后 は うち の ひ ば 垣 を はさん だ 。 何だか 修学旅行 の 話 が 出 て から 家中 へ ん に なっ て しまっ た 。 僕 は もう 行か なく て も いい 。 行か なく て も いい から 学校 で は あと 授業 の 時間 に 行く 人 を 調べ たり 旅行 の 話 を し たり し なけれ ば いい の だ 。 
北海道 なんか 何 だ 。 ぼく は 今 に 働い て 自分 で 金 を もうけ て どこ へ でも 行く ん だ 。 ブラジル へ でも 行っ て みせる 。 
五月 十 二 日 、 今日 また 人数 を 調べ た 。 二 十 八 人 に 四 人 足り なかっ た 。 みんな は 僕 だの 斉藤 君 だの 行か ない ので 旅行 が 不成立 に なる と 云っ て しきりに 責め た 。 武田 先生 まで 何だか 変 な 顔 を し て 僕 に 行け と 云う 。 僕 は ほんとう に つらい 。 明 后 日 まで に すっかり 決まる の だ 。 夕方 父 が 帰っ て 炉 ば た に 居 た から ぼく は 思い切っ て 父 に もう一度 学校 の 事情 を 云っ た 。 
すると 父 が 母 も まだ 伊勢 詣り さえ し ない の だ し 祖母 だって 伊勢 詣り 一 ぺん と ここら の 観音 巡り 一 ぺん し た だけ この 十 何 年 死ぬ まで に 善光寺 へ お 詣り し たい と それ ばかり 云っ て いる の だ 、 ことに 去年 から の ここら 全体 の 旱魃 で いま 外 へ 遊ん で 歩く なんて こと は となり や みんな へ 悪く て どうも いけ ない という こと を 云っ た 。 
僕 は いくら 下 を 向い て い て も 炉 の なか へ 涙 が こぼれ て 仕方 なかっ た 。 それでも しばらく たって から そん なら 僕 は もう 行か なく て も いい から と 云っ た 。 ぼく は みんな が 修学旅行 へ 発つ 間 休み だ と いっ て 学校 は 欠席 しよ う と 思っ た の だ 。 すると 父 が また しばらく だまっ て い た が とにかく も いちど 相談 する から と 云っ て あと は いろいろ 稲 の 種類 の こと だの ふだん きか ない よう な こと まで ぼく に きい た 。 ぼく は けれども 気持ち が さっぱり し た 。 
五月 十 三 日 　 今日 学校 から 帰っ て 田 に 行っ て み たら 母 だけ 一 人 居 て 何だか 嬉し そう に し て 田 の 畦 を 切っ て い た 。 
何 か あっ た の か と 思っ て きい たら 、 今に お父さん から 聞け と いっ た 。 ぼく は きっと 修学旅行 の こと だ と 思っ た 。 
僕 も そこで 母 が 家 へ 帰る まで 田 打ち を し て 助け た 。 
けれども 父 は まだ 帰っ て 来 ない 。 
五月 十 四 日 、 昨夜 父 が 晩 く 帰っ て 来 て 、 僕 を 修学旅行 に やる と 云っ た 。 母 も 嬉し そう だっ た し 祖母 も いろいろ 向う の こと を 聞い た こと を 云っ た 。 祖母 の 云う の は みんな 北海道 開拓 当時 の こと らしく て 熊 だの アイヌ だの 南瓜 の 飯 や 玉蜀黍 の 団子 や いま と は よほど ちがう だろ う と 思わ れ た 。 今日 学校 へ 行っ て 武田 先生 へ 行く と 云っ て 届け たら 先生 も 大 へ ん よろこん だ 。 もう あと 二 人 足り ない けれども 定員 を 超え た こと に し て 県 へ は 申請 書 を 出し た そう だ 。 ぼく は もう 行っ て きっと すっかり 見 て 来る 、 そして みんな へ 詳しく 話す の だ 。 
一 九 二 五 、 五 、 一八 、 
汽車 は 闇 の なか を どんどん 北 へ 走っ て 行く 。 盛岡 の 上 の そら が まだ ぼうっと 明るく 濁っ て 見える 。 黒い 藪 だの 松林 だの ぐんぐん 窓 を 通っ て 行く 。 北上 山地 の 上 の へり が 時々 かすか に 見える 。 
さあ いよいよ ぼく ら も 岩手 県 を はなれる の だ 。 
うち で は みんな もう 寝 た だろ う 。 祖母 さん は ぼく に お守り を 借 し て くれ た 。 さよなら 、 北上 山地 、 北上川 、 岩手 県 の 夜 の 風 、 今 武田 先生 が 廻っ て みんな の 席 の 工合 や 何 か を 見 て 行っ た 。 
一 九 二 六 、 五 、 一九 、 
五月 十 九 日 
いま 汽車 は 青森 県 の 海岸 を 走っ て いる 。 海 は 針 を たくさん 並べ た よう に 光っ て いる し 木 の いっぱい 生え た 三角 な 島 も ある 。 いま 見 て いる この 白い 海 が 太平洋 な の だ 。 その 向う に アメリカ が ほんとう に ある の だ 。 ぼく は 何だか 変 な 気 が する 。 
海 が 岬 で 見え なく なっ た 。 松林 だ 。 また 見える 。 次 は 浅虫 だ 。 石 を 載せ た 屋根 も 見える 。 何 て 愉快 だろ う 。 
青森 の 町 は 盛岡 ぐらい だっ た 。 停車場 の 前 に は バナナ だの 苹果 だ の 売る 人 が たくさん い た 。 待合室 は 大きく て たくさん の 人 が 顔 を 洗っ たり 物 を 食べ たり し て いる 。 待合室 で 白い 服 を 着 た 車掌 みたい な 人 が 蕎麦 も 売っ て いる の は おかしい 。 
船 は いま 黒い 煙 を 青森 の 方 へ 長く ひい て 下北半島 と 津軽 半島 の 間 を 通っ て 海峡 へ 出る ところ だ 。 みんな は 校歌 を うたっ て いる 。 けむり の 影 は 波 に うつっ て 黒い 鏡 の よう だ 。 津軽 半島 の 方 は まるで 学校 に ある 広重 の 絵 の よう だ 。 山 の 谷 が みんな 海 まで 来 て いる の だ 。 そして 海岸 に わずか の 砂浜 が あっ て そこ に は 巨 き な 黒松 の 並木 の ある 街道 が 通っ て いる 。 少し 大きな 谷 に は 小さな 家 が 二 、 三 十 も 建っ て い て そこ の 浜 に は 五 、 六 そう の 舟 も ある 。 
さっき から 見え て い た 白い 燈台 は すぐ そこ だ 。 ぼく は 船 が 横 を 通る 間 に だまっ て すっかり 見 て やろ う 。 絵 が 上手 だ と いい ん だ けれども 僕 は 絵 は 描け ない から 覚え て 行っ て みんな 話す の だ 。 風 は 寒い けれども いい 天気 だ 。 僕 は 少し も 船 に 酔わ ない 。 ほか に も 誰 も 酔っ た もの は ない 。 
いるか の 群 が 船 の 横 を 通っ て いる 。 いちばん はじめ に 見 附け た の は 僕 だ 。 ちょっと 向う を 見 たら 何 か 黒い もの が 波 から 抜け出 て 小さな 弧 を 描い て また 波 へ はいっ た ので どう し た の か と 思っ て み て い たら また すぐ 近く に も 出 た 。 それから あっち に も こっち に も 出 た 。 そこで ぼく は みんな に 知らせ た 。 何だか 手 を 気 を 付け の 姿勢 で 水 を 出 たり 入っ たり し て いる よう で 滑稽 だ 。 
先生 も 何だか わから なかっ た よう だ が 漁師 の 頭 らしい 洋服 を 着 た 肥っ た 人 が ああ いる か です と 云っ た 。 あんまり みんな 甲板 の こっち 側 へ ばかり 来 た もの だ から 少し 船 が 傾い た 。 
風 が 出 て き た 。 
何だか 波 が 高く なっ て き た 。 
東 も 西 も 海 だ 。 向う に もう 北海道 が 見える 。 何だか 工合 が わるく なっ て き た 。 
いま 汽車 は 函館 を 発っ て 小樽 へ 向っ て 走っ て いる 。 窓 の 外 は まっ くら だ 。 もう 十 一 時 だ 。 函館 の 公園 は たった いま 見 て 来 た ばかり だ けれども まるで 夢 の よう だ 。 
巨 き な 桜 へ みんな 百 ぐらい ずつ の 電 燈 が つい て い た 。 それ に 赤 や 青 の 灯 や 池 に は かきつばた の 形 した 電 燈 の 仕掛け も の それ に 港 の 船 の 灯 や 電車 の 火花 じつに うつくしかっ た 。 けれども ぼく は 昨夜 から よく 寝 ない ので つかれ た 。 書か ない で おい た って あんな うつくしい 景色 は 忘れ ない 。 それ から ひる は 過 燐酸 の 工場 と 五稜郭 。 過 燐酸 石灰 、 硫酸 も つくる 。 
五月 廿 日 
いま 窓 の 右手 に え ぞ 富士 が 見える 。 火山 だ 。 頭 が 平たい 。 焼い た 枕木 で こさえ た 小さな 家 が ある 。 熊笹 が 茂っ て いる 。 植民 地 だ 。 
いま 小樽 の 公園 に 居る 。 高等 商業 の 標本 室 も 見 て き た 。 馬鈴薯 から できる もの 百 五 、 六 十 種 の 標本 が 面白かっ た 。 
この 公園 も 丘 に なっ て いる 。 白樺 が たくさん ある 。 まっ青 な 小樽 湾 が 一目 だ 。 軍艦 が 入っ て いる ので 海軍 に は 旗 も 立っ て いる 。 時間 が あれ ば 見せる の だ が と 武田 先生 が 云っ た 。 ベンチ へ 座っ て やすん で いる と 赤い 蟹 を ゆで た の を 売り に 来る 。 何だか 怖い よう だ 。 よく あんな の 食べる もの だ 。 
一 千 九 百 廿 五 年 十月 十 六 日 
一 時間 目 の 修身 の 講義 が 済ん で も まだ 時間 が 余っ て い たら 校長 が 何 でも 質問 し て いい と 云っ た 。 けれども 誰 も 黙っ て い て 下 を 向い て いる ばかり だっ た 。 きき たい こと は 僕 だって みんな だって 沢山 ある の だ 。 けれども ぼく ら が ほんとう に きき たい こと を きく と 先生 は きっと 顔 を おかしく する から だめ な の だ 。 
なぜ 修身 が ほんとう に われわれ の し なけれ ば なら ない と 信ずる こと を 教える もの なら 、 どんな 質問 で も 出 さし て はっきり それ を ほんとう か うそ か 示さ ない の だろ う 。 
一 千 九 百 廿 五 年 十月 廿 五 日 
今日 は 土 性 調査 の 実習 だっ た 。 僕 は 第 二 班 の 班長 で 図 板 を もっ た 。 あと は 五 人 で ハムマア だの 検 土 杖 だの 試験 紙 だの 塩化 加里 の 瓶 だの 持っ て 学校 を 出る とき の 愉快 さ は 何 と も 云わ れ なかっ た 。 谷 先生 も ほんとう に 愉快 そう だっ た 。 六 班 が みんな 思い思い の 計画 で 別々 の コース を とっ て 調査 に かかっ た 。 僕 は 郡 で 調べ た の を ちゃんと 写し て 予察 図 に し て 持っ て い た から ほか の 班 の よう に まごつか なかっ た 。 けれども なかなか わから ない 。 郡 の も 十 万 分 一 だし ほんの 大体 しか 調 ばっ て い ない 。 猿ヶ石川 の 南 の 平地 に 十 時半 ころ まで に でき た 。 それ から は 洪 積層 が 旧 天王 の 安 山 集 塊 岩 の 丘 つづき の に も 被さっ て いる か が いちばん の 疑問 だっ た けれども ぼく たち は 集 塊 岩 の いくつ も の 露頭 を 丘 の 頂 部 近く で 見 附け た 。 結局 洪 積 紀 は 地形 図 の 百 四 十 米 の 線 以下 という 大体 の 見当 も 附け て あと は 先生 が 云っ た よう に 木 の 育ち 工合 や 何 か を 参照 し て 決め た 。 ぼく は 土 性 の 調査 より も 地質 の 方 が 面白い 。 土 性 の 方 なら ただ 土 を しらべ て その 場所 を 地図 の 上 に その 色 で 取っ て いく だけ な の だ が 地質 の 方 は 考え なけれ ば いけ ない し その 考え が なかなか うまく あたる の だ から 。 
ぼく ら は 松林 の 中 だの 萱 の 中 で 何 べ ん も ほか の 班 に 出会っ た 。 みんな ぼく ら の 地図 を のぞき た がっ た 。 
萱 の 中 から は 何 べ ん も 雉子 も 飛ん だ 。 
耕地 整理 に なっ て いる ところ が やっぱり 旱害 で 稲 は 殆 ん ど 仕付 から なかっ た らしく 赤い みじかい 雑草 が 生え て おまけ に 一ぱい に ひびわれ て い た 。 
やっと 仕付 かっ た 所 も 少し も 分蘖 せ ず 赤く なっ て 実 の はいら ない 稲 が そのまま 刈りとら れ ず に 立っ て い た 。 耕地 整理 の 先 に 立っ た 人 は みんな の 為 に し た の だ そう だ けれども ほんとう に ひどい だろ う 。 ぼく ら は そこ の 土 性 も すっかり しらべ た 。 水 さえ 来る なら きっと 将来 は 反 当 三 石 まで は とれる よう に できる と 思う 。 
午后 一 時 に 約束 の 通り 各 班 が 猿ヶ石川 の 岸 に ある きれい な 安 山 集 塊 岩 の 露出 の ところ に 集っ た 。 どこ から か 小梨 を 貰っ た と 云っ て 先生 は みんな に 分け た 。 ぼく たち は そこ で 地図 を 塗り なおし たり し た 。 先生 は その 場所 で は 誰 の も いい と も 悪い と も 云わ なかっ た 。 しばらく やすん で から 、 こんど は みんな で 先生 について 川 の 北 の 花崗岩 だの 三紀 の 泥 岩 だ の まで はいっ た 込ん だ 地質 や 土 性 の ところ を 教わっ て ある い た 。 図 は 次 の 月曜 まで に 清書 し て 出す こと に し た 。 
ぼく は あの 図 を 出し て 先生 に 直し て もらっ たら 次 の 日曜 に 高橋 君 を 頼ん で 僕 の うち の 近所 の を すっかり こしらえ て しまう ん だ 。 僕 の うち の 近く なら 洪 積 と 沖積 が ある きり だ し ずっと 簡単 だ 。 それでも 肥料 の 入れよ う や なんか まるで ちがう ん だ から 。 いま なら みんな は まるで 反対 に やっ てる ん で ない か と 思う 。 
一 九 二 五 、 十一月 十 日 。 
今日 実習 が 済ん で から 農舎 の 前 に 立っ て グラジオラス の 球根 の 旱 し て ある の を 見 て い たら 武田 先生 も 鶏 小屋 の 消毒 だ か 済ん で 硫黄 華 を ず ぼん へ いっぱい つけ て 来ら れ た 。 そして やっぱり 球根 を 見 て い られ た が そこ から 大きな の を 三つ ばかり 取っ て 僕 に 呉れ た 。 僕 が もじもじ し て いる と これ は 新 らしい 高価 い 種類 だ よ 。 君 に だけ やる から 来春 植え て み た まえ と 云っ た 。 すると 農場 の 方 から 花 の 係り の 内藤 先生 が 来 たら 武田 先生 は 大 へん あわて て ポケット へ しまっ て おき た まえ 、 と 云っ た 。 ぼく は 変 な 気 が し た けれども 仕方 なく ポケット へ 入れ た 。 すると 武田 先生 は 急い で 農舎 の 中 へ はいっ て 農具 だ か 何 だ か 整理 し 出し た 。 ぼく は いや で 仕方 なかっ た ので 内藤 先生 が 行っ て から そっと 球根 を むしろ の 中 へ 返し て 、 急い で 校舎 へ 入っ て 実習 服 を 着 換え て うち に 帰っ た 。 
一 千 九 百 二 十 六 年 三月 廿 日 、 
塩水 撰 を やっ た 。 うち の が 済ん で から 楢戸 の も やっ た 。 
本 に ある 通り の 比重 で やっ たら 亀 の 尾 は 半分 も 残ら なかっ た 。 去年 の 旱害 は いちばん よかっ た 所 でも こんな 工合 だっ た の だ 。 けれども 陸 羽 一 三 二 号 の ほう は 三 割 ぐらい しか 浮く 分 が なかっ た 。 それでも 塩水 選 を かけ た ので 恰度六 斗 あっ た から 本田 の 一 町 一反 分 に は 充分 だろ う 。 とにかく 僕 は 今日 半日 で 大丈夫 五 十 円 の 仕事 は し た 訳 だ 。 
なぜなら いま まで は 塩水 選 を し ない で やっと 反 当 二 石 そこそこ しか とっ て い なかっ た の を 今度 は あちこち の 農事 試験場 の 発表 の よう に 一 割 の 二 斗 ずつ の 増収 として も 一 町 一反 で は 二 石 二 斗 に なる の だ 。 みんな に も ほんとう に いい という こと が 判る よう に なっ たら 、 ぼく は 同じ 塩水 で 長根 ぜんたい の を やる よう に しよ う 。 一 軒 の うち で 三 十 円 ずつ 得 し て も この 部落 全体 で は 四 百 五 十 円 に なる 。 それ が 五 、 六 人 ただ 半日 の 仕事 な の だ 。 塩水 選 を する 間 は 父 は そこら の 冬 の 間 の ごみ を 集め て 焼い た 。 籾 が できる と 父 は 細長く きれい に 藁 を通して 編ん だ 俵 に つめ て 中 へ つめ た 。 あれ は 合理 的 だ と 思う 。 湧 水 が ない ので 、 あの つつみ へ 漬け た 。 氷 が まだ ど て の 陰 に は 浮い て いる から ちょうど 摂氏 零 度 ぐらい だろ う 。 十二月 に ど て の ひび を 埋め て から 水 は 六 分目 まで たまっ て い た 。 今年 こそ きっと いい の だ 。 あんな ひどい 旱魃 が 二 年 続い た こと さえ いま まで の 気象 の 統計 に は なかっ た という くらい だ もの 、 どんな 偶然 が 集っ たって 今年 まで 続く なんて こと は ない はず だ 。 気候 さえ あたり前 だっ たら 今年 は 僕 は きっと いま まで の 旱魃 の 損害 を 恢復 し て みせる 。 そして 来年 から はも う うち の 経済 も 楽 に する し 長根 ぜんたい まで きっと 生々 し た 愉快 な もの に し て みせる 。 
一 千 九 百 二 十 六 年 六月 十 四 日 　 今日 は やっと 正午 から 七 時 まで 番 水 が あたっ た ので 樋 番 を し た 。 何せ 去年 から の 巨 き な ひび も ある と みえ て 水 は なかなか たまらなかっ た 。 くろ へ 腰掛け て こ ぼ こ ぼ はっ て いく 温い 水 へ 足 を 入れ て い て ついと ろ っと し たら なんだか ぼく が 稲 に なっ た よう な 気 が し た 。 そして ぼく が 桃 いろ を し た 熱病 に かかっ て い て そこ へ いま 水 が 来 た ので ぼく は 足 から 水 を 吸い あげ て いる の だっ た 。 どき っ として 眼 を さまし た 。 水 が こ ぼ こ ぼ 裂目 の ところ で 泡 を 吹き ながら インク の よう に ゆっくり ゆっくり ひろがっ て いっ た の だ 。 
水 が 来 なく なっ て 下田 の 代 掻 が でき なく なっ て から 今日 で 恰度十 二 日 雨 が 降ら ない 。 いったい そら が どう 変っ た の だろ う 。 あんな 旱魃 の 二 年 続い た 記録 が 無い と 測候所 が 云っ た のに これ で 三 年 続く わけ で ない か 。 大堰 の 水 も まるで 四 寸 ぐらい しか ない 。 夕方 に なっ て やっと いま まで の 分 へ 一わたり 水 が かかっ た 。 
三 時 ごろ 水 が さっぱり 来 なく なっ た から どう し た の か と 思っ て 大堰 の 下 の 岐 れ まで 行っ て み たら 権 十 が こっち を とめ て じ ぶん の 方 へ 向け て い た 。 ぼく は まるで 権 十 が 甘藍 の 夜盗虫 みたい な 気 が し た 。 顔 が むくむく 膨れ て い て 、 おまけ に あんな 冠 ら なく て も いい よう な 穴 の あい た つば の 下っ た 土方 し ゃっぽをかぶってその 上 から また 頬かぶり を し て いる の だ 。 
手 も 足 も 膨れ て いる から ぼく は まるで 権 十 が 夜盗虫 みたい な 気 が し た 。 何 を する ん だ と 云っ たら 、 なん だ 、 農 学校 終っ た って 自分 だけ いい こと を する な と 云う の だ 。 ぼく も むっと し た 。 何だ 、 農 学校 なぞ 終っ て も 終ら なく て も いま は ぼく の とこ の 番 にあたって 水 を 引い て いる の だ 。 それ を 盗ん で 行く と は 何 だ 。 と 云っ たら 、 学校 へ 入っ た んで しゃべれる よう に なっ た もん な 、 と 云う 。 ぼく は もう 大きな 石 を たたきつけ て やろ う と さえ 思っ た 。 
けれども 権 十 は そのまま 行っ て しまっ た から 、 ぼく は 水 を うち の 方 へ 向け 直し た 。 やっぱり 権 十 は ぼく を 子供 だ と 思っ て ぼく だけ 居 た もの だ から あんな こと を し た の だ 。 いま に みろ 、 ぼく は 卑怯 な やつ ら は みんな 片っぱし から 叩きつけ て やる から 。 
一 千 九 百 二 十 七 年 八月 廿 一 日 
稲 が とうとう 倒れ て しまっ た 。 ぼく は もう どうして いい か わから ない 。 あれ ぐらい 昨日 まで しっかり し て い た のに 、 明方 の 烈しい 雷雨 から さっき まで に ほとんど 半分 倒れ て しまっ た 。 喜作 の も こっそり 行っ て み た けれども やっぱり 倒れ た 。 いま も まだ 降っ て いる 。 父 は わらっ て 大丈夫 大丈夫 だ と 云う けれども それ は ぼく を なだめる ため で じつは 大 へん ひどい の だ 。 母 は まるで ぼく の こと ばかり 心配 し て いる 。 ぼく は うち の 稲 が 倒れ た だけ なら 何で も ない の だ 。 ぼく が 肥料 を 教え た 喜作 の だって それだけ なら 何で も ない 。 それだけ なら ぼく は 冬 に 鉄道 へ 出 て も 行商 し て も きっと 取り返し を つける 。 けれども 、 あれ ぐらい 手 入 を し て あれ ぐらい 肥料 を 考え て やっ て それ で こんなに なる の なら もう 村 は どこ も もっと よく なる 見込 は ない の だ 。 ぼく は どこ へ も 相談 に 行く とこ が ない 。 学校 へ 行っ たって だめ だ 。 … … 先生 は ああ 倒れ た の か 、 苗 が 弱く は なかっ た か な 、 あんまり 力 を 落し て は いけ ない よ 、 ぐらい の こと を 云っ て 笑う だけ の もん だ 。 日誌 、 日誌 、 ぼく は この 書きつける 日誌 が なかっ たら 今夜 どう し て いる だろ う 。 せき は とめ た し 落し 口 は 切っ た し 田 の なか へ は まだ 入ら れ ない し どう する こと も でき ず だまっ て あの ぼ し ょぼしょしたりまたおどすように 強く なっ たり する 雨 の 音 を 聞い て い なけれ ば なら ない の だ 。 いったい この 雨 が あした の うち に 晴れる だ なんて こと が ある だろ う か 。 
ああ どう でも いい 、 なる よう に なる ん だ 。 あした 雨 が 晴れる か 晴れ ない か より も 、 今夜 ぼく が … … … … を 一足 つくれる こと の ほう が よっぽど たしか な ん だ から 。 
むかし 、 ある ところ に 一疋 の 竜 が すん で い まし た 。 
力 が 非常 に 強く 、 かたち も 大層 恐ろしく 、 それ に はげしい 毒 を もっ て い まし た ので 、 あらゆる いき もの が この 竜 に 遭え ば 、 弱い もの は 目 に 見 た だけ で 気 を 失っ て 倒れ 、 強い もの で も その 毒気 にあたって まもなく 死ん で しまう ほど でし た 。 この 竜 は ある とき 、 よい こころ を 起し て 、 これから は もう 悪い こと を し ない 、 すべて の もの を なやまさ ない と 誓い まし た 。 
そして 静か な ところ を 、 求め て 林 の 中 に 入っ て じっと 道理 を 考え て い まし た が とうとう つかれ て ねむり まし た 。 
全体 、 竜 という もの は ねむる あいだ は 形 が 蛇 の よう に なる の です 。 
この 竜 も 睡っ て 蛇 の 形 に なり 、 からだ に は きれい な るり 色 や 金色 の 紋 が あらわれ て い まし た 。 
そこ へ 猟師 共 が 来 まし て 、 この 蛇 を 見 て びっくり する ほど よろこん で 云い まし た 。 
「 こんな きれい な 珍 らしい 皮 を 、 王様 に 差しあげ て かざり に し て もらっ たら どんなに 立派 だろ う 。 」 
そこで 杖 で その 頭 を ぐっと おさえ 刀 で その 皮 を はぎ はじめ まし た 。 竜 は 目 を さまし て 考え まし た 。 
「 おれ の 力 は この 国 さえ も こわし て し まえる 。 この 猟師 なんぞ は なん で も ない 。 いま おれ が いき を ひとつ すれ ば 毒 にあたって すぐ 死ん で しまう 。 けれども 私 は さっき 、 もう わるい こと を し ない と 誓っ た し この 猟師 を ころし た ところ で 本当に か あい そう だ 。 もはや この からだ は なげすて て 、 こらえ て こらえ て やろ う 。 」 
すっかり 覚悟 が きまり まし た ので 目 を つぶっ て 痛い の を じっと こらえ 、 また その 人 を 毒 に あて ない よう に いき を こらし て 一心に 皮 を はがれ ながら くやしい という こころ さえ 起し ませ ん でし た 。 
猟師 は まもなく 皮 を はい で 行っ て しまい まし た 。 
竜 は いま は 皮 の ない 赤い 肉 ばかり で 地 に よこたわり まし た 。 
この 時 は 日 が かんかん と 照っ て 土 は 非常 に あつく 、 竜 は くるし さ に ばたばた し ながら 水 の ある ところ へ 行こ う と し まし た 。 
この とき 沢山 の 小さな 虫 が 、 その からだ を 食お う として 出 て き まし た ので 蛇 は また 、 
「 いま この からだ を たくさん の 虫 に やる の は ま こと の 道 の ため だ 。 いま 肉 を この 虫 ら に くれ て おけ ば やがて はまこ と の 道 を も この 虫 ら に 教える こと が できる 。 」 と 考え て 、 だまっ て うごか ず に 虫 に からだ を 食わ せ とうとう 乾い て 死ん で しまい まし た 。 
死ん で この 竜 は 天上 に うまれ 、 後 に は 世界 で いちばん えらい 人 、 お釈迦様 に なっ て みんな に 一番 の しあわせ を 与え まし た 。 
この とき の 虫 も みな さき に 竜 の 考え た よう に 後 に お釈迦さま から 教 を 受け て ま こと の 道 に 入り まし た 。 
この よう に し て お釈迦さま がま こと の ため に 身 を すて た 場所 は いま は 世界中 の あらゆる ところ を みたし まし た 。 
この はなし は おと ぎばなしではありません 。 
普通 中学校 など に 備え付け て ある 顕微鏡 は 、 拡大 度 が 六 百 倍 乃至 八 百 倍 ぐらい まで です から 、 蝶 の 翅 の 鱗片 や 馬鈴薯 の 澱粉 粒 など は 実に はっきり 見え ます が 、 割合 に 小さな 細菌 など は よく わかり ませ ん 。 千 倍 ぐらい に なり ます と 、 下 の レンズ の 直径 が 非常 に 小さく なり 、 従って 視野 に 光 が あまり はいら なく なり ます ので 、 下 の レンズ を 油 に 浸し て なるべく 多く の 光 を 入れ て 物 が 見える よう に し ます 。 
二 千 倍 という 顕微鏡 は 、 数 も 少く また これ を 調節 する こと が できる 人 も 幾 人 も ない そう です 。 
いま 、 一番 度 の 高い もの は 二 千 二 百 五 十 倍 或は 二 千 四 百 倍 と 云い ます 。 その 見 得る はず の 大 さ は 、 
〇 、 〇 〇 〇 一 四 粍 　 　 です が これ は 人 によって 見え たり 見え なかっ たり する の です 。 
一方 、 私 共 の 眼 に 感ずる 光 の 波長 は 、 
〇 、 〇 〇 〇 七 六 粍 　 　 （ 赤色 ） 　 　 乃至 
〇 、 〇 〇 〇 四 　 粍 　 　 （ 菫色 ） 　 　 ですから 
これ より ちいさな もの の 形 が 完全 に 私 共に 見える はず は 決して ない の です 。 
また 、 普通 の 顕微鏡 で 見え ない ほど ちいさな もの で も 、 ある 装置 を 加えれ ば 、 
約 〇 、 〇 〇 〇 〇 〇 五 粍 　 　 くらい まで の もの なら ば ぼんやり 光る 点 に なっ て 視野 に あらわれ その 存在 だけ を 示し ます 。 これ を 超絶 顕微鏡 と 云い ます 。 
ところが あらゆる もの の 分割 の 終局 たる 分子 の 大き さ は 水素 が 、 
〇 、 〇 〇 〇 〇 〇 〇 一 六 粍 　 　 砂糖 の 一種 が 
〇 、 〇 〇 〇 〇 〇 〇 五 五 粍 　 　 という よう に 
計算 さ れ て い ます から 私 共 は 分子 の 形 や 構造 は 勿論 その 存在 さえ も 見 得 ない の です 。 
しかるに 、 この よう な 、 或は 更に 小さな もの を も 明 に 見 て 、 すこし も 誤ら ない 人 は むかし から 決して 少く あり ませ ん 。 この 人 たち は 自分 の こころ を 修め た の です 。 
印度 の ガンジス 河 は ある とき 、 水 が 増し て 烈しく 流さ れ て い まし た 。 
それ を 見 て いる 沢山 の 群集 の 中 に 尊い アショウカ 大王 も 立た れ まし た 。 
大王 はけ らい に 向っ て 「 誰 か この 大河 の 水 を さ か さま に ながれ させる こと の できる もの が ある か 」 と 問わ れ まし た 。 
けら い は 皆 「 陛下 よ 、 それ は とても 出来 ない こと で ござい ます 」 と 答え まし た 。 
ところが この 河岸 の 群 の 中 に ビンズマティー と 云う 一 人 の いやしい 職業 の 女 が おり まし た 。 大王 の 問 を みんな が 口々 に 相 伝え て 云っ て いる の を きい て 「 わたくし は 自分 の 肉 を 売っ て 生き て いる いやしい 女 で ある 。 けれども 、 今 、 私 の よう な いやしい もの で さえ できる 、 まこと のち から の 、 大きい こと を 王様 に お 目 に かけよ う 」 と 云い ながら ま ごころ こめ て 河 に いのり まし た 。 
すると 、 ああ 、 ガンジス 河 、 幅 一 里 に も 近い 大きな 水 の 流れ は 、 みんな の 目 の 前 で 、 たちまち たけり くる って さ か さま に ながれ まし た 。 
大王 は この 恐ろしく うず を 巻き 、 はげしく 鳴る 音 を 聞い て 、 びっくり し て け らい に 申さ れ まし た 「 これ 、 これ 、 どう し た の じゃ 。 大 ガンジス が さ か さま に ながれる で は ない か 」 
人々 は 次第 を くわしく 申し上げ まし た 。 
大王 は 非常 に 感動 さ れ 、 すぐ に その 女 の 処 に 歩い て 行っ て 申さ れ まし た 。 
「 みんな は そち が これ を し た と 申し て いる が それ は ほんとう か 」 
女 が 答え まし た 。 
「 はい 、 さよう で ござい ます 。 陛下 よ 」 
「 どうして そち の よう な いやしい もの に こんな 力 が ある の か 、 何 の 力 による の か 」 
「 陛下 よ 、 私 の この 河 を さ か さま に ながれ させ た の は 、 まこと の 力 による の で ござい ます 」 
「 でも そち の よう に 不義 で 、 みだら で 、 罪深く 、 ばか もの を 生け どっ て くらし て いる もの に 、 どうして ま こと の 力 が ある の か 」 
「 陛下 よ 、 全く おっしゃる とおり で ござい ます 。 わたくし は 畜生 同然 の 身分 で ござい ます が 、 私 の よう な もの に さえ ま こと の 力 は この よう に おおきく はたらき ます 」 
「 では その ま こと の 力 と は どんな もの か おれ の まえ で 話し て みよ 」 
「 陛下 よ 。 私 は 私 を 買っ て 下さる お方 に は 、 おなじく つかえ ます 。 武士 族 の 尊い お方 を も 、 いやしい 穢 多 を も ひとしく うやまい ます 。 ひとり を たっとび ひとり を いやし み ませ ん 。 陛下 よ 、 この ま こと の こころ が 今日 ガンジス 河 を さ か さま に ながれ させ た わけ で ござい ます 」 
わたくし は ある ひと から 云い つけ られ て 、 この 手紙 を 印刷 し て あなた がた に お わたし し ます 。 どなた か 、 ポー セ が ほんとう に どう なっ た か 、 知っ て いる かた は あり ませ ん か 。 チュンセ が さっぱり ごはん も たべ ない で 毎日 考え て ばかり いる の です 。 
ポー セ は チュンセ の 小さな 妹 です が 、 チュンセ は いつも いじ 悪 ばかり し まし た 。 ポー セ が せっかく 植え て 、 水 を かけ た 小さな 桃 の 木 に なめくじ を たけ て おい たり 、 ポー セ の 靴 に 甲虫 を 飼っ て 、 二月 も それ を かくし て おい たり し まし た 。 ある 日 など は チュンセ が くるみ の 木 に のぼっ て 青い 実 を 落し て い まし たら 、 ポー セ が 小さな 卵 形 の あ たま を ぬれ た ハンケチ で 包ん で 、 「 兄さん 、 くるみ ちょうだい 。 」 なんて 云い ながら 大 へ ん よろこん で 出 て 来 まし た のに 、 チュンセ は 、 「 そら 、 とっ て ごらん 。 」 と まるで 怒っ た よう な 声 で 云っ て わざと 頭 に 実 を 投げつける よう に し て 泣かせ て 帰し まし た 。 
ところが ポー セ は 、 十一月 ころ 、 俄 か に 病気 に なっ た の です 。 おっかさん も ひどく 心配 そう でし た 。 チュンセ が 行っ て 見 ます と 、 ポー セ の 小さな 唇 は なんだか 青く なっ て 、 眼 ばかり 大きく あい て 、 いっぱい に 涙 を ため て い まし た 。 チュンセ は 声 が 出 ない の を 無理 に こらえ て 云い まし た 。 「 おいら 、 何 でも 呉れ て やる ぜ 。 あの 銅 の 歯車 だって 欲 しけ や やる よ 。 」 けれども ポー セ は だまっ て 頭 を ふり まし た 。 息 ばかり す うすう きこえ まし た 。 
チュンセ は 困っ て しばらく もじもじ し て い まし た が 思い切っ て もう 一 ぺん 云い まし た 。 「 雨 雪 とっ て 来 て やろ か 。 」 「 うん 。 」 ポー セ が やっと 答え まし た 。 チュンセ は まるで 鉄 砲丸 の よう に お もて に 飛び出し まし た 。 お もて は うすく らく て みぞ れ が びちょびちょ 降っ て い まし た 。 チュンセ は 松の木 の 枝 から 雨 雪 を 両手 に いっぱい とっ て 来 まし た 。 それから ポー セ の 枕 もと に 行っ て 皿 に それ を 置き 、 さじ で ポー セ に たべ させ まし た 。 ポー セ は おいし そう に 三 さじ ばかり 喰 べ まし たら 急 に ぐたっとなっていきをつかなくなりました 。 おっかさん が おどろい て 泣い て ポー セ の 名 を 呼び ながら 一生けん命 ゆすぶり まし た けれども 、 ポー セ の 汗 で しめっ た 髪 の 頭 は ただ ゆすぶら れ た 通り うごく だけ でし た 。 チュンセ は げんこ を 眼 に あて て 、 虎 の 子供 の よう な 声 で 泣き まし た 。 
それから 春 に なっ て チュンセ は 学校 も 六 年 で さがっ て しまい まし た 。 チュンセ は もう 働い て いる の です 。 春 に 、 くるみ の 木 が みんな 青い 房 の よう な もの を 下げ て いる でしょ う 。 その 下 に しゃがん で 、 チュンセ は キャベジ の 床 を つくっ て い まし た 。 そしたら 土 の 中 から 一 ぴき の うすい 緑 いろ の 小さな 蛙 が よろよろ と 這っ て 出 て 来 まし た 。 
「 かえる なん ざ 、 潰れ ちまえ 。 」 チュンセ は 大きな 稜 石 で いきなり それ を 叩き まし た 。 
それ から ひる すぎ 、 枯れ草 の 中 で チュンセ が とろとろ やすん で い まし たら 、 いつか チュンセ は ぼ おっ と 黄いろ な 野原 の よう な ところ を 歩い て 行く よう に おもい まし た 。 すると 向う に ポー セ が しも やけ の ある 小さな 手 で 眼 を こすり ながら 立っ て い て ぼんやり チュンセ に 云い まし た 。 
「 兄さん なぜ あたい の 青い お べべ 裂い た の 。 」 チュンセ は びっくり し て はね 起き て 一生けん命 そこら を さがし たり 考え たり し て み まし た が なん に も わから ない の です 。 どなた か ポー セ を 知っ て いる かた は ない でしょ う か 。 けれども 私 に この 手紙 を 云い つけ た ひと が 云っ て い まし た 「 チュンセ は ポー セ を たずねる こと は むだ だ 。 なぜ なら どんな こども で も 、 また 、 はたけ で はたらい て いる ひと で も 、 汽車 の 中 で 苹果 を たべ て いる ひと で も 、 また 歌う 鳥 や 歌わ ない 鳥 、 青 や 黒 や の あらゆる 魚 、 あらゆる け もの も 、 あらゆる 虫 も 、 みんな 、 みんな 、 むかし から の お た がい の きょう だい な の だ から 。 チュンセ が もしも ポー セ を ほんとう に か あい そう に おもう なら 大きな 勇気 を 出し て すべて の いき もの の ほんとう の 幸福 を さがさ なけれ ば いけ ない 。 それ は ナムサダルマプフンダリカサスートラ という もの で ある 。 チュンセ が もし 勇気 の ある ほんとう の 男の子 なら なぜ まっしぐら に それ に 向っ て 進ま ない か 。 」 それ から この ひと は また 云い まし た 。 「 チュンセ は いい こども だ 。 さ ァ おまえ は チュンセ や ポー セ や みんな の ため に 、 ポー セ を たずねる 手紙 を 出す が いい 。 」 そこ で 私 は いま これ を あなた に 送る の です 。 
ひかり わな なく あけ ぞ ら に 
清 麗 サフィア の さま なし て 
きみ に た ぐへるかの 惑星 の 
いま 融け 行く ぞ かなしけれ 
雪 を かぶれる びやくしんや 
百 の 海岬 いま 明け て 
あ を うなばら は 万葉 の 
古き しらべ に ひかれる を 
夜 は あやしき 積雲 の 
なか より 生れ て か の 星 ぞ 
さながら きみ の ことば も て 
われ を こと と ひ 燃え ける を 
よき ロダイト の さま なし て 
ひかり わな ゝ く かの そら に 
溶け 行く として ひる が へる 
きみ が 星 こそ かなしけれ 
目次 
岩手 公園 
選挙 
崖 下 の 床屋 
祭日 
保線 工手 
種山 ヶ 原 
ポラン の 広場 
巡業 隊 
医院 
心 相 
肖像 
暁 眠 
旱 倹 
老農 
浮世絵 
歯科 医院 
退 耕 
早春 
来 々 軒 
林 館 開業 
コバルト 山地 
旱害 地帯 
早 池 峯 山巓 
社会 主事 　 佐伯 正 氏 
市 日 
廃坑 
副業 
紀 念 写真 
塔中 秘事 
岩 頸列 
病 技師 
酸 虹 
柳 沢野 
軍事 連鎖 劇 
峡 野 早春 
短夜 
硫黄 
二月 
日の出 前 
岩手 山巓 
車中 
化物 丁場 
開墾 地 落上 
公子 
涅槃 堂 
悍馬 
巨豚 
眺望 
山 躑躅 
国土 
四 時 
羅紗 売 
臘月 
黄昏 
式場 
氷上 
電気 工夫 
中尊寺 
嘆願 隊 
庚申 
賦役 
風 底 
病 技師 
卒業 式 
雪袴 黒く うがち し 　 　 　 　 　 う な ゐ の 子 瓜 食み くれ ば 
風 澄め る よも の 山 は に 　 　 　 う づまくや 秋 の しらく も 
その 身 こそ 瓜 も 欲 り せ ん 　 　 齢 弱き 母 に し あれ ば 
手 すさび に 紅き 萱 穂 を 　 　 　 つみ つど へ 野 を よぎる なれ 
岩手 公園 
「 かなた 」 と 老い し タピング は 、 　 　 杖 を はるか に ゆびさせ ど 、 
東 はるか に 散乱 の 、 　 　 　 　 　 　 　 　 さびしき 銀 は 声 も なし 。 
な みなす 丘 は ぼうぼう と 、 　 　 　 　 　 青き りんご の 色 に 暮れ 、 
大学生 の タピング は 、 　 　 　 　 　 　 　 口笛 軽く 吹き に けり 。 
老い たる ミセスタッピング 、 　 　 　 　 「 去年 な が 姉 は こ ゝ に し て 、 
中学生 の 一 組 に 、 　 　 　 　 　 　 　 　 　 花 の ことば を 教 へ しか 。 」 
弧光 燈 に めくるめき 、 　 　 　 　 　 　 　 羽虫 の 群 の あつまり つ 、 
川 と 銀行 木 の みどり 、 　 　 　 　 　 　 　 まち は しづか に たそ がる ゝ 。 
選挙 
（ もつ て 二 十 を 贏 ち 得ん や ） 　 　 　 はじめ の 駑馬 を やら ふも の 
（ さらに 五 票 も かたから ず ） 　 　 　 雪 うち 噛める 次 の 騎 者 
（ いかに や さらば 太 兵衛 一族 ） 　 　 その 馬 弱 くま だら なる 
（ いな う べ が はじ うべ が はじ ） 　 　 懼 る ゝ 声 は そら に あり 
崖 下 の 床屋 
あかり を 外れ し 古 か ゞ み 、 　 　 客 ある さま に みまもり て 、 
唖 の 子 鳴らす 空 鋏 。 
か ゞ み は 映す 崖 の はな 、 　 　 ちさ き 祠 に 蔓 垂れ て 、 
三日月 凍る 銀 斜子 。 
沍 たつ 泥 を ほとほと と 、 　 　 かまち に けり て 支店 長 、 
玻璃 戸 の 冬 を 入り 来る 。 
のれん を あげ て 理髪 技士 、 　 　 白き 衣 を つくろ ひつ 、 
弟子 の 鋏 を とり あ ぐる 。 
祭日 
谷 権現 の 祭り と て 、 　 　 　 　 　 麓 に 白き 幟 たち 、 
むらがり 続く 丘 丘 に 、 　 　 　 　 鼓 の 音 の 数 の しどろ なる 。 
頴花青 じ ろ き 稲 むしろ 、 　 　 　 水路 の へり に た ゝ ずみ て 、 
朝 の 曇り の こん に やく を 、 　 　 さく さ くさく と 切り に けり 。 
保線 工手 
狸 の 毛皮 を 耳 に はめ 、 　 　 　 　 シャブロ の 束 に 指 組み て 、 
うつろ ふ 窓 の 雪 の さま 、 　 　 　 黄 なる まなこ に 泛 べ たり 。 
雪 を おとし て 立つ 鳥 に 、 　 　 　 妻 がけ は ひ の しるけれ ば 、 
仄か に 笑ま ふた まゆ ら を 、 　 　 松 は 畳め り 風 の そら 。 
南風 の 頬 に 酸く し て 、 　 　 シェバリエー 青し 光芒 。 
天翔る 雲 の エレキ を 、 　 　 とり も 来 て 蘇 しな ん や 、 いざ 。 
種山 ヶ 原 
春 は まだき の 朱 雲 を 
アルペン 農 の 汗 に 燃し 
繩 と 菩提樹 皮 に うち よそ ひ 
風 と ひかり に ちか ひせ り 
繞 る 八谷 に 劈櫪 の 
い しぶ み しげき おの づか ら 
種山 ヶ 原 に 燃 ゆる 火 の 
なかば は 雲 に 鎖 さる ゝ 
ポラン の 広場 
つめ くさ 灯 ともす 　 　 宵 の 広場 
むかし の ラルゴ を 　 　 うた ひか はし 
雲 を も どよもし 　 　 　 夜 風 に わすれ て 
とりいれ まぢか に 　 　 歳 よ 熟れ ぬ 
組合 理事 ら は 　 　 　 　 藁 の マント 
山猫 博士 は 　 　 　 　 　 か は の ころ も 
醸せ ぬ さ か づき 　 　 　 その 数 しら ね ば 
はるか に めぐり ぬ 　 　 射手 や 蠍 
巡業 隊 
霜 の まひる の はたご や に 、 　 　 がら す ぞ うるむ 一 瓶 の 、 
酒 の 黄 なる を わかち つ ゝ 、 　 　 そ ゞ ろ に 錫 の 笛 吹ける 。 
すがれ し 大豆 を つみ 累 げ 、 　 　 よぼよぼ 馬 の 過ぎ行く や 、 
風 は のぼり を はた めかし 、 　 　 障子 の 紙 に 影 刷 きぬ 。 
ひとり かすか に 舌 打て ば 、 　 　 ひとり は 古 きらしゃ 鞄 、 
黒き カード の 面 反り の 、 　 　 　 わ びしきものをとりいづる 。 
さらに はげしく 舌打ち て 、 　 　 長 ぞ まなこ を そらし ぬ と 、 
楽 手 は さび し だんまり の 、 　 　 投げ の 型 し て まぎらかす 。 
はたらき または いたつき て 、 　 　 もろ手 ほてり に 耐 へ ざる は 、 
お ほか た 黒 の 硅板岩 礫 を 、 　 　 　 に ぎりてこそはまどろみき 。 
医院 
陶 標 春 を つめたく て 、 　 　 　 　 水松 も 青く 冴え そめ ぬ 。 
水 うら 濁る 島 の 苔 、 　 　 　 　 　 萱 屋 に 玻璃 の あ え か なる 。 
瓶 を たもち て う な ゐ ら の 、 　 　 み たり ため ら ひ 入り くる や 。 
神 農 像 に 饌 さ さぐ と 、 　 　 　 　 学士 は つみ ぬ 蕗の薹 。 
沃度 ノニホヒフルヒ 来 ス 、 　 　 　 青 貝山 ノフモト 谷 、 
荒 レシ 河原 ニヒトモトノ 、 　 　 　 辛夷 ハナ 咲 キ 立 チニケリ 。 
モロビト 山 ニ 入 ラントテ 、 　 　 　 朝明 ヲココニ 待 チツドヒ 、 
或 イハ 鋸 ノ 目 ヲツクリ 、 　 　 　 　 アルハタバコヲノミニケリ 。 
青 キ 朝日 ハコノトキニ 、 　 　 　 　 ケブリヲノボリユラメケバ 、 
樹 ハサウサウト 燃 エイデテ 、 　 　 カナシキマデニヒカリタツ 。 
カクテアシタハヒルトナリ 、 　 　 水音 イヨヨシゲクシテ 、 
鳥 トキドキニ 群 レタレド 、 　 　 　 ヒトノケハヒハナカリケリ 。 
雲 ハ 経 紙 ノ 紺 ニ 暮 レ 、 　 　 　 　 　 樹 ハカグロナル 山山 ニ 、 
梢 螺鈿 ノサマナシテ 、 　 　 　 　 　 コトトフコロトナリニケリ 。 
ツカレノ 銀 ヲクユラシテ 、 　 　 　 モロ 人 谷 ヲイデキタリ 、 
ココニ 二 タビ 口 ソソギ 、 　 　 　 　 セナナル 荷 ヲバトトノヘヌ 。 
ソハヒマビマニトリテ 来 シ 、 　 　 木ノ芽 ノ 数 ヲトリカハシ 、 
アルイハ 百 合 ノ 五 塊 ヲ 、 　 　 　 　 ナガ 大 母 ニ 持 テトイフ 。 
ヤガテ 高木 モ 夜 トナレバ 、 　 　 　 サラニアシタヲ 云 ヒカハシ 、 
ヒトビトオノモ 松 ノ 野 ヲ 、 　 　 　 ワギ 家 ノカタヘイソギケリ 。 
みち べ の 苔 に まどろめ ば 、 　 　 日輪 そら に さむく し て 、 
わ づか に よどむ 風 くま の 、 　 　 きみ が 頬 ちかく ある ごとし 。 
ま が つ びここに 塚 あり と 、 　 　 おどろき 離 る ゝ この 森 や 、 
風 は みそ ら に 遠く し て 、 　 　 　 山 なみ 雪 に た ゞ あ え か なる 。 
二 山 の 瓜 を 運び て 、 　 　 　 　 舟 い だす 酒 のみ の 祖父 。 
たなばた の 色紙 購 ふと 、 　 　 追 ひす がる 赤 髪 のう な ゐ 。 
ま 青 なる 天 弧 の 下 を 、 　 　 　 きらら か に 町 は めぐり つ 。 
ここ に し て 集 へる 川 の 、 　 　 はて し なみ 萌 ゆるう た か た 。 
けむり は 時に 丘 丘 の 、 　 　 栗 の 赤 葉 に 立ち ま ど ひ 、 
ある とき 黄 なる やどり木 は 、 　 　 ひかり て 窓 を よぎり けり 。 
（ あはれ 土 耳 古玉 の そら の いろ 、 　 　 かしこ いづれ の 天 なる や ） 
（ かしこ に あら ず こ ゝ なら ず 、 　 　 われ ら は しかく 習 ふ のみ 。 ） 
（ 浮屠 ら も 天 を 云 ひ 伝 へ 、 　 　 三 十 三 を 数 ふ なり 、 
上 の 無色 に いたり て は 、 　 　 光 、 思想 を 食め る のみ 。 ） 
そら の ひかり の き は み なく 、 　 　 ひる の たび ぢ の 遠けれ ば 、 
を とめ は 餓 ゑてすべもなく 、 　 　 胸 なる 珞 を ゆさぶり ぬ 。 
遠く 琥珀 の いろ なし て 、 　 　 春 べ と 見え し この 原 は 、 
枯草 を ひたし て 雪げ 水 、 　 　 さ ゞ めき しげく 奔 る なり 。 
峯 に は 青き 雪けむり 、 　 　 　 裾 は 柏 の 赤 ばやし 、 
雪 げ の 水 は きらめき て 、 　 　 た ゞ ひたすら に まろ ぶ なり 。 
心 相 
こころ の 師 と は なら ん とも 、 　 　 こころ を 師 と は なさ ざれ と 、 
いましめ 古り し さながら に 、 　 　 たより なき こそ こ ゝ ろ なれ 。 
はじめ は 潜む 蒼穹 に 、 　 　 　 　 　 あはれ 鵞王 の 影 供 ぞ と 、 
面さ へ 映え て 仰ぎ し を 、 　 　 　 　 いま は 酸 え し て おぞましき 、 
澱粉 堆 と あ ざわらひ 、 
い た ゞ き すべる 雪雲 を 、 　 　 　 　 腐せ し 馬鈴薯 と さげすみ ぬ 。 
肖像 
朝 の テニス を 慨 ひ て 、 　 　 　 額 は 貢 し 　 雪 の 風 。 
入り て 原簿 を 閲すれ ば 、 　 　 その 手 砒硫 の 香 に けぶる 。 
暁 眠 
微 け き 霜 の かけ ら も て 、 　 　 　 西風 ひ ば に 鳴り くれ ば 、 
街 の 燈 の 黄 の ひとつ 、 　 　 　 　 ふるへ て 弱く 落ちん と す 。 
そ は 瞳 ゆらぐ 翁 面 、 　 　 　 　 　 おも て と なし て 世 を わたる 、 
かの うらぶれ の 贋物 師 、 　 　 　 木藤 がかり の 門 なれ や 。 
写楽 が 雲母 を 揉み 削げ 、 　 　 　 芭蕉 の 像 に けぶり し つ 、 
春 は ちかし と しかすがに 、 　 　 雪 の 雲 こそ かぐろ なれ 。 
ち ひさ き びやうや 失ひ し 、 　 　 あかり またたく この 門 に 、 
あした の 風 は とどろき て 、 　 　 ひと は はかなく なほ 眠る らし 。 
旱 倹 
雲 の 鎖 や むら 立ち や 、 　 　 　 　 　 森 は た 森 の しろ けむり 、 
鳥 は さながら 禍 津 日 を 、 　 　 　 　 は なる と ばかり 群れ 去り ぬ 。 
野 を 野 の かぎり 旱 割れ 田 の 、 　 　 白き 空穂 の なか に し て 、 
術 を も しら に 家長 たち 、 　 　 　 　 むなしく 風 を みまもり ぬ 。 
老い て は 冬 の 孔雀 守る 、 　 　 　 　 蒲 の 脛巾 とか は ごろ も 、 
園 の 広場 の 午后 二 時 は 、 　 　 　 　 湯 管 の むせび た ゞ ほのか 。 
あるいは くらみ また 燃え て 、 　 　 降り くる 雪 の 縞 なす は 、 
さ は 遠から ぬ 雲 影 の 、 　 　 　 　 　 日 を 越し 行く に 外 なら ず 。 
老農 
火 雲 むらがり 翔べ ば 、 　 　 その まなこ はばみ て うつろ 。 
火 雲 あつまり 去れ ば 、 　 　 麦 の 束 遠く 散り 映 う 。 
浮世絵 
ましろ なる 塔 の 地階 に 、 　 　 　 　 さくら ば なけ むりかざせば 、 
やるせな み プジェー 神父 は 、 　 　 とり いで ぬ に せ の 赤 富士 。 
青 瓊玉 か ゞ やく 天 に 、 　 　 　 　 　 れい ろう の 瞳 を こらし 、 
これ は これ 悪業 乎栄光 乎 、 　 　 　 かぎ すます 北斎 の 雪 。 
歯科 医院 
ま 夏 は 梅 の 枝 青く 、 　 　 　 　 　 風 なき 窓 を 往く 蟻 や 、 
碧空 の 反射 の なか に し て 、 　 　 うつつ に めぐる 鑿 ぐる ま 。 
浄 き 衣 せ し た はれ め の 、 　 　 　 ソーファ に より て まどろめ る 、 
はて も しら ね ば 磁気嵐 、 　 　 　 かぼそき 肩 を を の の かす 。 
かれ 草 の 雪 とけ たれ ば 
裾野 は ゆめ の ごとく なり 
みじかき マント 肩 はね て 
濁酒 を さぐる 税務 吏 や 
はた 兄弟 の 馬喰 の 
鶯 いろ に よそ ほ へる 
さては 「 陰気 の 狼 」 と 
あだな を もてる 三 百 も 
みな 恍惚 と のぞみ ゐる 
退 耕 
もの なべて うち 訝し み 、 　 　 　 こ ゑ 粗き 朋 ら と あり て 、 
黄 の 上着 ちぎる ゝ ま ゝ に 、 　 　 栗 の 花 降り そ め に けり 。 
演奏 会 せん と の しらせ 、 　 　 　 いで なん に はや 身 ふさ はず 、 
豚 は も 金 毛 と なり て 、 　 　 　 　 はて しら ず 西日 に 駈ける 。 
白金 環 の 天 末 を 、 　 　 　 　 　 みな か み 遠く めぐらし つ 、 
大 煙突 は ひ さび さ に 、 　 　 　 くろき け むりをあげにけり 。 
けむり 停 まる みぞ れ 雲 、 　 　 峡 を 覆 ひ て ひくけれ ば 、 
大 工業 の 光景 なり と 、 　 　 　 技師 も 出 で たち 仰ぎ けり 。 
早春 
黒雲 峡 を 乱れ飛び 　 　 技師 ら 亜炭 の 火 に 寄り ぬ 
げに も ひと びと 祟 むるは 　 　 青き   Gossan   銅 の 脈 
わが 索 むるはまことのことば 
雨 の 中 なる 真言 なり 
来 々 軒 
浙江 の 林 光 文 は 、 　 　 　 　 　 　 か ゞ や かに まなこ 瞠 き 、 
そ が 弟子 の 足 を ゆびさし 、 　 　 凛と し て みじろぎ も せ ず 。 
ち ゞ れ 雲 西 に 傷み て 、 　 　 　 　 いささか の 粉雪 ふりしき 、 
警察 の スレート も 暮れ 、 　 　 　 売り出し の 旗 も わびしき 。 
むくつけき 犬 の 入り 来 て 、 　 　 ふつふつ と 釜 は たぎれ ど 、 
額 青き 林 光 文 は 、 　 　 　 　 　 　 そばだち て まじろぎ も せ ず 。 
もろ とも に 凍 れる ごとく 、 　 　 もろ とも に 刻める ごとく 、 
雪 しろき まち に し た が ひ 、 　 　 たそがれ の 雲 に さ から ふ 。 
林 館 開業 
凝灰岩 も て 畳み 杉 植 ゑて 、 　 　 麗 六 七 なまめかし 、 
南 銀河 と 野 の 黒 に 、 　 　 　 　 　 その 々 を ひらき たり 。 
数寄 の 光 壁 更 たけ て 、 　 　 　 　 千 の 鱗翅 と 鞘 翅目 、 
直 翅 の 輩 は きたれ ども 、 　 　 　 公子 訪 へる は あら ざり き 。 
コバルト 山地 
なべて 吹雪 の たえ ま より 、 　 　 はた しらく も の きれ ま より 、 
コバルト 山地 山肌 の 、 　 　 　 　 ひらめき 酸 え て また 青き 。 
旱害 地帯 
多く は 業 に し た が ひ て 　 　 指 うちやぶれ 眉 くらき 
学び の 児 ら の 群 なり き 
花 と 侏儒 と を 語れ ども 　 　 刻める ごとく 眉 くらき 
稔ら ぬ 土 の 児 ら なり き 
… … 村 に 県 に か の 児 ら の 　 　 二 百 と すれ ば 四 万 人 
四 百 と すれ ば 九 万 人 … … 
ふり さ け 見れ ば その あたり 　 　 藍 暮れ そむ る 松 むら と 
かじろ き 雪 の けむり のみ 
鐘 うて ば 白木 の ひのき 、 　 　 ひかり ぐもそらをはせ 交 ふ 。 
凍え し や みどり の 縮 葉 甘藍 、 　 　 県 視学 はかなき もの を 。 
早 池 峯 山巓 
石 絨脈 なまぬる み 、 　 　 　 　 　 苔 しろき さ が 巌 に し て 、 
い はか ゞ み ひそか に 熟し 、 　 　 ブリューベル 露 は ひかり ぬ 。 
八 重 の 雲 遠く た ゝ へ て 、 　 　 　 西東 はて を しら ね ば 、 
白堊 紀 の 古き わだつみ 、 　 　 　 な ほこ ゝ に あり わ ぶ ごとし 。 
社会 主事 　 佐伯 正 氏 
群れ て か ゞ やく 辛夷 花 樹 、 　 　 雪 しろ た ゝ く ねこ や なぎ 、 
風 は 明るし この 郷 の 、 　 　 　 　 士 は そ ゞ ろ に 吝 け き 。 
ま ん さん として 漂 へ ば 、 　 　 　 水 いろ あ はき 日曜 の 、 
馬 を 相する 漢 子 ら は 、 　 　 　 　 こ な た に まみ を 凝 す なり 。 
市 日 
丹藤 に 越 ゆるみ かげ 尾根 、 　 　 うつろ ひかれ ば いと 近し 。 
地蔵 菩薩 の す が たし て 、 　 　 　 栗 を 食う ぶる 童 と 、 
縞 の 粗 麻布 の 胸 しぼり 、 　 　 　 鏡 欲 りす る その 姉 と 。 
丹藤 に 越 ゆる 尾根 の 上 に 、 　 　 なまこ の 雲 ぞ うかぶ なり 。 
廃坑 
春 ちかけれ ど 坑 々 の 、 　 　 　 　 祠 は 荒れ て 天 霧 し 、 
事務所 飯場 も おしなべて 、 　 　 鳥 の 宿り とか はり けり 。 
みち を な がる ゝ 雪 代 に 、 　 　 　 銹 びし ナイフ を とり い で つ 、 
しばし 閲し て まもり びと 、 　 　 さびしく 水 を は ねこ ゆる 。 
副業 
雨降り しぶく ひる すぎ を 、 　 　 青き さ ゝ げ の 籠 とり て 、 
巨利 を 獲る て ふ 副業 の 、 　 　 　 銀 毛 兎 に 餌 す なり 。 
兎 はつ ひ に つぐ の はね 、 　 　 　 ひと は 頬 あかく 美しけれ ば 、 
べつ 甲 ゴム の 長靴 や 、 　 　 　 　 緑 の シャツ も 着 くる なり 。 
紀 念 写真 
学生 壇 を 並び立ち 、 　 　 　 教授 助教授 みな 座し て 、 
つめたき 風 の 聖餐 を 、 　 　 かしこ み 呼ぶ と 見え に けり 。 
（ あな 虹 立て り 降る べし や ） 
（ さ なり かしこ は し ぐる らし ） 
… … あな 虹 立て り 降る べし や … … 
… … さ なり かしこ は し ぐる らし … … 
写真 師 台 を 見 ま は し て 、 　 　 　 ひとり に 面 を あげ しめ ぬ 。 
時 しも あれ や さん として 、 　 　 身 を 顫 は する 学 の 長 、 
雪 刷 く 山 の 目 も あや に 、 　 　 　 た ゞ さん として 身 を 顫 ふ 。 
… … それ を の の か ん その こと の 、 　 　 ゆ ゑはにはかに 推し 得 ね 、 
大 礼服 に かく ばかり 、 　 　 　 　 　 美しき 効果 を なさ ん こと 、 
いづ ちの 邦 の 文献 か 、 　 　 　 　 　 よく 録し つる もの あら ん … … 
しかも 手練 の 写真 師 が 、 　 　 三 秒 ひらく 大 レンズ 、 
千 の 瞳 の おのおの に 、 　 　 　 朝 の 虹 こそ 宿り けれ 。 
塔中 秘事 
雪 ふかき ま ぐさのはたけ 、 　 　 玉蜀黍 畑 漂雪 は 奔 り て 、 
丘 裾 の 脱穀 塔 を 、 　 　 　 　 　 　 ぼうぼう と ひらめき 被 ふ 。 
歓喜天 そら や よぎり し 、 　 　 　 そが 青き 天 の 窓 より 、 
なに ごと か 女 の わら ひ 、 　 　 　 栗鼠 の ごと 軋り ふる へる 。 
われ のみ みち に た ゞ しき と 、 　 　 ち ちの いかり を あ ざわらひ 、 
は は の な げき を さげすみ て 、 　 　 さ こそ は 得 つる や まひ ゆ ゑ 、 
こ ゑはむなしく 息 あ へぎ 、 　 　 　 春 は 来れ ども 日 に 三 たび 、 
あせ うち ながし のたうて ば 、 　 　 す がた ばかり は 録 さ れ し 、 
下品 ざんげ の さま な せり 。 
旱 割れ そめ に し 稲 沼 に 、 　 　 いま ころころ と 水 鳴り て 、 
待 宵 草 に 置く 露 も 、 　 　 　 　 睡 たき 風 に 萎む なり 。 
鬼 げ し 風 の 襖 子 着 て 、 　 　 　 児 ら 高らか に 歌 すれ ば 、 
遠き 讒誣 の 傷あと も 、 　 　 　 緑 青い ろ に ひかる なり 。 
猥 れ て 嘲笑 め る はた 寒き 、 　 　 　 凶 つ の まみ を はら はん と 
か へ さ また 経る しろ あと の 、 　 　 天 は 遷 ろ ふ 火 の 鱗 。 
つめたき 西 の 風 き たり 、 　 　 　 　 あら ら に ひと の 秘 呪 とり て 、 
粟 の 垂 穂 を うちみ だし 、 　 　 　 　 すすき を 紅く 燿 やかす 。 
岩 頸列 
西 は 箱 ヶ と 毒ヶ森 、 　 　 　 　 　 　 　 椀 コ 、 南 昌 、 東根 の 、 
古き 岩 頸 の 一 列 に 、 　 　 　 　 　 　 　 氷霧 あ え か の まひる か な 。 
からく みやこ に たどり ける 、 　 　 　 芝雀 は 旅 を ものがたり 、 
「 その 小屋掛け の うし ろ に は 、 　 　 寒 げ なる 山 に よき に よき と 、 
立ち し 」 と ばかり 口 つぐみ 、 　 　 　 とみに わら ひ に まぎらし て 、 
渋茶 を し げ に のみ し て ふ 、 　 　 　 　 その こと まこ と うべ なれ や 。 
山 よ ほのぼの ひらめき て 、 　 　 　 　 わびしき 雲 を ふり はら へ 、 
その 雪 尾根 を か ゞ やかし 、 　 　 　 　 野面 の うれ ひ を 燃し 了せ 。 
病 技師 
こよ ひ の 闇 は あたたかし 、 　 　 　 風 の なか にて なか ん など 、 
ステッキ ひ けり に せ ものの 、 　 　 黒 の ステッキ また ひ けり 。 
蝕む 胸 を まぎら ひ て 、 　 　 　 　 　 こぼと 鳴り 行く 水 の はた 、 
くらき 炭素 の 燈 に 照り て 、 　 　 　 飢饉 供養 の 巨石並 め り 。 
酸 虹 
鵞黄 の 柳 いく そ たび 、 　 　 窓 を 掃 ふと 出 で たち て 、 
片 頬 むなしき 郡 長 、 　 　 　 酸 え たる 虹 を わら ふ なり 。 
柳 沢野 
焼け の な だら を 雲 はせ て 、 　 　 海鼠 の に ほ ひ いち じ る き 。 
うれ ひ て 蒼き 柏 ゆ ゑ 、 　 　 馬 は 黒 藻 に 飾ら る ゝ 。 
軍事 連鎖 劇 
キネオラマ 、 　 　 寒天 光 の た ゞ なか に 、 　 　 ぴたと 煙草 を なげうち し 、 
上等 兵 の 袖 の 上 、 　 　 また 背景 の 暁 ぞ ら を 、 　 　 雲 どしどし と 飛び に けり 。 
その とき 角 の せ ん たく や 、 　 　 まつ たく もつ て 泪 を ながし 、 
やがて ほそぼそ なみ だ か わき 、 　 　 すがめ ひから せ 、 　 　 トンビ の えり を 直し たり けり 。 
峡 野 早春 
夜見 来 の 川 の くらく し て 、 　 　 斑 雪 しづか に けむり だ つ 。 
二 す ぢ 白き 日 の ひかり 、 　 　 　 やや に なまめく 笹 の いろ 。 
稔ら ぬ なげき いまさら に 、 　 　 春 を のぞみ て 深める を 。 
雲 は まばゆき 墨 と 銀 、 　 　 　 　 波羅蜜 山 の 松 を 越す 。 
短夜 
屋台 を 引き て 帰り くる 、 　 　 　 目 あかし 町 の 夜 なか すぎ 、 
うつ は 数 ふる その ひま に 、 　 　 も や は 浅葱 とか はり けり 。 
みづか ら 塗れる 伯 林 青 の 、 　 　 むら を さびしく 苦笑 ひ 、 
胡桃 覆 へる 石 屋根 に 、 　 　 　 　 いま ぞ ねむれ と 入り 行き ぬ 。 
「 水 楢 松 に まじら ふ は 、 　 　 　 　 クロスワード の す がた か な 。 」 
誰か やさしく も の 云 ひ て 、 　 　 　 い ら へ は なく て 風吹 けり 。 
「 かしこ に 立てる 楢 の 木 は 、 　 　 片 枝 青く しげり し て 、 
パン の 神 に も ふさ は しき 。 」 　 　 声 いらだち て さらに 云 ふ 。 
「 かの パス を 見よ 葉桜 の 、 　 　 　 列 は 氷 雲 に 浮き い で て 、 
な が 師 も 説か ん 順列 を 、 　 　 　 　 緑 の 毬 に 示し たり 。 」 
しばし むなしく 風 ふき て 、 　 　 　 声 は さびしく 吐息 し ぬ 。 
「 こ たび 県 の 負債 せる 、 　 　 　 　 われ が とが に は あら ざる を 。 」 
硫黄 
猛 しき 現場 監督 の 、 　 　 　 　 こ たび も 姿 あら ず て ふ 、 
元山 あたり 白雲 の 、 　 　 　 　 澱み て 朝 と なり に けり 。 
青き 朝日 に ふかぶかと 、 　 　 小 馬 うなだれ 汗 すれ ば 、 
硫黄 は 歪み 鳴り ながら 、 　 　 か黒き 貨車 に 移 さる ゝ 。 
二月 
みな かみ に ふと ひらめく は 、 　 　 月 魄 の 尾根 や 過 ぎけん 。 
橋 の 燈 も 顫 ひ 落ちよ と 、 　 　 　 　 まだき 吹く みなみ 風 か な 。 
あゝ 梵 の 聖衆 を 遠 み 、 　 　 　 　 　 たより なく 春 は 来ら し を 。 
電線 の 喚び の 底 を 、 　 　 　 　 　 　 うち どもり 水 は な がる ゝ 。 
日の出 前 
学校 は 、 　 　 稗 と 粟 と の 野末 にて 、 　 　 朝 の 黄 雲 に 濯 はれ て あり 。 
学校 の 、 　 　 ガラス 片 ごと か ゞ やき て 、 　 　 あるは うつろ の ごとく なり けり 。 
岩手 山巓 
外輪山 の 夜明け 方 、 　 　 　 　 息吹き も 白み 競 ひ 立ち 、 
三 十 三 の 石神 に 、 　 　 　 　 　 米 を 注ぎ て 奔 り 行く 。 
雲 の わだつみ 洞 なし て 、 　 　 青野 うるうる 川 湧け ば 、 
あな や 春日 の おん 帯 と 、 　 　 もろ びと 立ち て をろがみ ぬ 。 
車中 
稜 堀山 の 巌 の 稜 、 　 　 一木 を 宙 に 旋 る ころ 
ま なじり 深き 伯楽 は 、 　 　 しんぶん を こそ ひろげ たれ 。 
地平 は 雪 と 藍 の 松 、 　 　 氷 を 着る は 七 時 雨 、 
ばら の むす め は くつろぎ て 、 　 　 けいと の まり を とり いで ぬ 。 
化物 丁場 
すなどり びとのかたちして 、 　 　 つるはし ふるふ 山かげ の 、 
化物 丁場 しみじみ と 、 　 　 水 湧き い で て 春 寒き 。 
峡 の けむり の くらけれ ば 、 　 　 山 は に 円く 白き もの 、 
おそらく それ ぞ 日 なら ん と 、 　 　 親方 も さびしく 仰ぎ けり 。 
開墾 地 落上 
白髪 かざし て 高 清 は 、 　 　 　 　 　 ブロージット と 云 へる なり 。 
松 の 岩 頸 　 春 の 雲 、 　 　 　 　 　 　 コップ に 小 く 映る なり 。 
ゲメンゲラーゲ さながら を 、 　 　 焦げ 木 は かつ と に ほふ なり 。 
額 を 拍 ち て 高 清 は 、 　 　 　 　 　 　 また 鶯 を 聴ける なり 。 
鶯宿 は この 月 の 夜 を 雪 降る らし 。 
鶯宿 は この 月 の 夜 を 雪 降る らし 、 　 　 黒雲 そこ にて た ゞ 乱れ たり 。 
七つ 森 の 雪 に う づみしひとつなり 、 　 　 けむり の 下 を 逼 り くる もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の その ひとつ なり 、 　 　 かすか に 雪 の 皺 た ゝ むもの 。 
月 を うけ し 七つ 森 の はて の ひとつ なり 、 　 　 さびしき 谷 を うち いだく もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の その 三つ なり 、 　 　 小松 まばら に 雪 を 着る もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の その 二つ なり 、 　 　 オリオン と 白き 雲 と を い た ゞ ける もの 。 
七つ 森 の 二つ が なか の ひとつ なり 、 　 　 鉱石 など 掘り し あと の ある もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の なか の 一つ なり 、 　 　 雪白 々 と 裾 を 引く もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の その 三つ なり 、 　 　 白 々 として 起伏 する もの 。 
七つ 森 の 三つ が なか の 一つ なり 、 　 　 貝 のぼ たん を あまた 噴く もの 。 
月 の 下 なる 七つ 森 の はて の 一つ なり 、 　 　 け は しく 白く 稜 立てる もの 。 
稜 立てる 七つ 森 の その はて の もの 、 　 　 旋 り 了 り て ま こと 明るし 。 
公子 
桐 群 に 臘 の 花 洽 ち 、 　 　 　 　 　 　 雲 は はや 夏 を 鋳 そめ ぬ 。 
熱 はて し 身 を あざ ら け く 、 　 　 　 軟風 の きみ に かぐ へる 。 
しかも あれ 師 は いましめ て 、 　 　 点 竄 の 術 得よ と いふ 。 
桐 の 花 むら さき に 燃え 、 　 　 　 　 夏 の 雲 遠く な がる ゝ 。 
銅鑼 と 看 版 　 トロンボン 、 　 　 孤 光 燈 の 秋風 に 、 
芸 を 了 り て チャリネ の 子 、 　 　 その 影 小 く や すら ひ ぬ 。 
得 も 入ら ざり し 村 の 児 ら 、 　 　 叔父 また 父 の 肩 に し て 、 
乞 ふわ が 栗 を 喰う べ よ と 、 　 　 泳ぐ が ごとく 競 ひ 来る 。 
古き 勾当 貞 斎 が 、 　 　 　 　 　 　 　 い しぶ み 低く 垂れ 覆 ひ 、 
雪 の 楓 は 暮れ ぞ ら に 、 　 　 　 　 　 ひかり 妖しく 狎れ に けり 。 
連れ て 翔け こし むらす ゞ め 、 　 　 たまゆら りう と 羽 は り て 、 
沈む や 宙 を たちまち に 、 　 　 　 　 りう と 羽 はり 去り に けり 。 
涅槃 堂 
烏 ら の 羽音 重げ に 、 　 　 雪 は なほ 降り やま ぬ らし 。 
わが み ぬ ち 火 は なほ 然 へ て 、 　 　 しんしん と 堂 は 埋る ゝ 。 
風 鳴り て 松 の さざめき 、 　 　 また しばし 飛 びかふ 鳥 や 。 
雪 の 山 また 雪 の 丘 、 　 　 五輪 塔 　 数 を しら ず も 。 
悍馬 
廐肥 を はら ひ て その 馬 の 、 　 　 まなこ は 変る 紅 の 竜 、 
け いけい 碧 き びいどろの 、 　 　 天 を あがき て とら ん と す 。 
黝 き 菅 藻 の 袍 はね て 、 　 　 　 　 叩き そ だ たく 封介 に 、 
雲 の のろし は と ゞ ろ き て 、 　 　 こぶし の 花 も けむる なり 。 
巨豚 
巨豚 ヨークシャ 銅 の 日 に 、 　 　 　 金 毛 と なり てかけ 去れ ば 、 
棒 を かざし て 髪 ひかり 、 　 　 　 　 追 ふ や 里 長 の ま なむ すめ 。 
日本 里 長森 を 出 で 、 　 　 　 　 　 　 小手 を かざし て 刻 を 見る 、 
鬚 むし や むし や と 物 喰 むや 、 　 　 麻布 も 青く けぶる なり 。 
日本 の 国 の みつぎ とり 、 　 　 　 　 里 長 を 追 ひ て 出 で 来り 、 
えり を ひらき て はたはた と 、 　 　 紙 の 扇 を ひらめかす 。 
巨豚 ヨークシャ 銅 の 日 を 、 　 　 　 こま の ご とく に かたむき て 、 
旋 れ ば 降 つ 栗 の 花 、 　 　 　 　 　 　 消 ゆる 里 長 の ま なむ すめ 。 
眺望 
雲 環 か くる か の 峯 は 、 　 　 　 　 古 生 諸 層 を つらぬき て 
侏羅紀 に 凝り し 塩 岩 の 、 　 　 　 蛇紋 化 せ し と 知ら れ たり 。 
青き 陽 遠く なまめき て 、 　 　 　 右 に 亙 せる 高原 は 、 
花 崗閃緑 　 削剥 の 、 　 　 　 　 　 時代 は 諸に 論 ふ 。 
ま 白き 波 を ながし くる 、 　 　 　 かの 峡 川 と 北上 は 、 
かたみに 時 を 異に し て 、 　 　 　 ともに 一 度 老い しなれ 。 
砂 壌 かなた に 受 くる もの 、 　 　 多く は 酸 え ず 燐 多く 
洪 積 台 の 埴土 壌土 と 、 　 　 　 　 植物 群 おの づとわかたれぬ 。 
山 躑躅 
こ はやま つつじ 丘 丘 の 、 　 　 栗 また 楢 に まじ はり て 、 　 　 熱き 日 ざし に 咲きほこる 。 
なん たる 冴え ぬ な が 紅 ぞ 、 　 　 朱 も ひなび て は 酸 え はて し 、 　 　 紅土 に も まぎる なり 。 
いざ うち わたす 銀 の 風 、 　 　 無色 の 風 と ま ぐはへよ 、 　 　 世紀 の 末 の 児 ら の ため 。 
さ は 云 へ ま こと や ま つつじ 、 　 　 日影 くもり て 丘 ぬるみ 、 　 　 ね むたきひるはかくてやすけき 。 
ひかり も のす とう な ゐ ご が 、 　 　 ひそ に すがり て ゆびさせ る 、 
そ は 高 甲 の 水車 場 の 、 　 　 　 　 　 こ なに ま ぶれ し その あるじ 、 
に はか に 咳 し 身 を 折り て 、 　 　 　 水 こ ぼ こぼと ながれ たる 、 
よる の 胡桃 の 樹 を はなれ 、 　 　 　 肩 つ ゝ まし く すぼめ つ ゝ 、 
古り たる 沼 を さながら の 、 　 　 　 西 の 微光 に あゆみ 去る なり 。 
国土 
青き 草山 雑木 山 、 　 　 　 　 　 　 はた 松森 と 岩 の 鐘 、 
あり と も わか ぬ 襞 ごと に 、 　 　 白雲 よどみ か ゞ やき ぬ 。 
一 石 一 字 をろがみ て 、 　 　 　 　 そのかみ ひ そ に う づめけん 、 
寿 量 の 品 は 神さび て 、 　 　 　 　 みね に その を に 鎮まり ぬ 。 
塀 の かなた に 嘉 莵治 かも 、 　 　 　 　 　 ピアノ ぽ ろ ろ と 弾き たれ ば 、 
一 、 あかき ひのき の さなか より 、 　 　 春の は むし ら を どり いづ 。 
二 、 あ かつ ちい け に か ゞ まり て 、 　 　 烏 にごり の 水 のめり 。 
あはれ つたなき ソプラノ は 、 　 　 　 　 ゆ ふ べ の 雲 に うち ふるひ 、 
灰 まき びとはひらめきて 、 　 　 　 　 　 桐 の はたけ を 出 でき たる 。 
四 時 
時 しも 岩手 軽 鉄 の 、 　 　 待合室 の 古 時計 、 
つま づき ながら 四 時 うて ば 、 　 　 助役 たばこ を 吸 ひ やめ ぬ 。 
時 しも 赭 き ひのき より 、 　 　 農学 生 ら 奔 せい で て 、 
雪 の 紳士 の はな づら に 、 　 　 雪 の つぶ て を なげ に けり 。 
時 しも 土手 の かなた なる 、 　 　 郡 役所 に は 議員 たち 、 
視察 の 件 を 可決 し て 、 　 　 はたはた と 手 を うち に けり 。 
時 しも 老い し 小使 は 、 　 　 豚 に ゑさかふ バケツ し て 、 
農 学校 の 窓 下 を 、 　 　 足 な づみつゝ 過ぎ しなれ 。 
羅紗 売 
バビロニ 柳 掃 ひしと 、 　 　 　 　 　 あゆみ を とめ し 羅紗 売り は 、 
つる べ を とり て や ゝ しばし 、 　 　 みなみ の 風 に 息づき ぬ 。 
しらし ら 醸す 天の川 、 　 　 　 　 　 はて なく 翔ける 夜 の 鳥 、 
かすか に 銭 を 鳴らし つ ゝ 、 　 　 　 ひと は 水 繩 を 繰り あ ぐる 。 
臘月 
み ふゆ の 火 すばる を 高み 、 　 　 のど 嗽 ぎあるじ 眠れ ば 、 
千 キロ の 氷 を に な ひ 、 　 　 　 　 かう かう と 水車 は めぐる 。 
天狗 蕈 、 けとばし 了 へ ば 、 
親方 よ 、 
朝餉 と せ ず や 、 こ ゝ な 苔 むしろ 。 
… … りん と 引け 、 
りん と 引け かし 。 
＋ 二八 ！ 
その 標 うち て テープ を さめ 来 ！ … … 
山 の 雲 に 、 ラムネ 湧く らし 、 
親方 よ 、 
雨 の 中 にて い つ ぱいやらずや 。 
そ は 一 ぴき の エーシャ 牛 、 　 　 夜 の 地 靄 と かれ 草 に 、 　 　 角 を こすり て た は むるゝ 。 
窒素 工場 の 火 の 映え は 、 　 　 　 層雲 列 を 赤く 焦 き 、 
鈍き 砂丘 の かなた に は 、 　 　 　 海 わり わり と うち 顫 ふ 、 
さ も あら ば あれ 啜り て も 、 　 　 なほ 啜り 得ん 黄銅 の 
月 の あかり の その ゆ ゑに 、 　 　 こ たび は 牛 は 角 を もて 、 
柵 を 叩き て た は むるゝ 。 
秘事 念仏 の 大 師匠 、 　 　 　 　 　 元信 斎 は 妻子 もて 、 
北上 ぎし の 南風 、 　 　 　 　 　 　 け ふ ぞ 陸 穂 を 播き つくる 。 
雲 紫 に 日 は 熟れ て 、 　 　 　 　 　 青 ら みそめ し 野 いばら や 、 
川 は 川 と て ひたすら に 、 　 　 　 八 功徳 水 ながし けり 。 
たまたま その 子 口 あき て 、 　 　 楊 の 梢 に 見 と るれ ば 、 
元信 斎 は 歯軋り て 、 　 　 　 　 　 石 を 発 止 と 投げ つくる 。 
蒼 蠅 ひかり め ぐらかし 、 　 　 　 練 肥 を 捧げ て その 妻 は 、 
た ゞ 恩人 ぞ 導師 ぞ と 、 　 　 　 　 おの が 夫 を ば 拝む なり 。 
廐肥 を に な ひ て いく そ たび 、 　 　 ま なつ を けぶる 沖 積層 、 
水 の 岸 なる 新 墾畑 に 、 　 　 　 　 　 往来 も ひる と なり に けり 。 
エナメル の 雲 　 鳥 の 声 、 　 　 　 　 唐黍 焼き は み て やす ら へ ば 、 
熱く 苦しき その 業 に 、 　 　 　 　 　 遠き 情事 の お も ひ あり 。 
黄昏 
花 さける ねむ の 林 を 、 　 　 　 　 さ うさ う と 身 も か は たれ つ 、 
声 ほそく 唱歌 うた ひ て 、 　 　 　 屠殺 士 の 加 吉 さま よ ふ 。 
い づく より か 烏 の 尾 ばね 、 　 　 ひる が へり さ と 堕ち くれ ば 、 
黄 なる 雲 いま はた へ ず と 、 　 　 オクターヴォ しりぞき うた ふ 。 
式場 
氷 の 雫 の いばら を 、 　 　 液 量 計 の 雪 に 盛り 、 
鐘 を 鳴らせ ば たちまち に 、 　 　 部長 訓辞 を な せる なり 。 
翁 面 、 　 　 おも て と なし て 世 経る など 、 　 　 ひと を あざみ し その ひま に 、 
や みほ ゝ け たれ つかれ たれ 、 　 　 われ は 三 十 ぢ を なかば にて 、 
緊那羅 面 と は なり に けら しな 。 
氷上 
月 の た は むれ 薫 ゆる ころ 、 　 　 氷 は 冴え て を ち こ ち に 、 　 さ ゞ めき しげく なり に けり 。 
を さけび 走る 町 の こら 、 　 　 高張 白く つらね たる 、 　 　 明治 女 塾 の 舎 生 たち 。 
さては に はか に 現 はれ て 、 　 　 ひたすら うし ろ すべり する 、 　 黒き 毛 剃 の 庶務 課長 。 
死火山 の 列 雪 青く 、 　 　 よき 貴人 の 死 蝋 とも 、 　 　 星 の 蜘蛛 来 て 網 は けり 。 
うた が ふ を やめよ 、 　 　 林 は 寒く し て 、 
いささか の 雪 凍り しき 、 　 　 根 まがり 杉 も の びてゆるゝを 。 
胸 張り て 立てよ 、 　 　 林 の 雪 のう へ 、 
青き 杉 葉 の 落ち ちり て 、 　 　 空 に は あまた 烏 なける を 。 
そら ふかく 息 せよ 、 　 　 杉 の うれ た かみ 、 
烏 いく むれ あらそ へ ば 、 　 　 氷霧 ぞ さ つと ひかり 落つ る を 。 
電気 工夫 
（ 直 き 時計 は さま 頑 く 、 　 　 　 憎 に 鍛 へ し 瞳 は 強し ） 
さ は あれ 攀 ぢ る 電 塔 の 、 　 　 　 四方 に 辛夷 の 花 深き 。 
南風 光 の 網 織れ ば 、 　 　 　 　 　 ごろ ろ と 鳴らす 碍子 群 、 
艸火 の なか に まじら ひ て 、 　 　 蹄 の た ぐひけぶるらし 。 
すゝ きす がる ゝ 丘 なみ を 、 　 　 に はか にわたる 南 か ぜ 、 
窪 て ふ 窪 は たちまち に 、 　 　 つめたき 渦 を 噴き あげ て 、 
古き ミネルヴァ 神殿 の 、 　 　 廃 址 の さま を なし たれ ば 、 
ゲートル きり と 頬かむり の 、 　 　 闘士 嘉吉 も しばらく は 、 
萱 の つ ぼけ を 負 ひ やめ て 、 　 　 面 あやしく 立ち に けり 。 
乾か ぬ 赤き チョーク もて 、 　 　 　 文 を 抹 し て 教頭 は 、 
いら か を 覆 ふ 黒雲 を 、 　 　 　 　 　 めがね うつろ に 息づき ぬ 。 
さ びしきすさびするゆゑに 、 　 　 ぬか ほ の 青き 善吉 ら 、 
そら の 輻射 の 六月 を 、 　 　 　 　 　 声 なく 惨 と 仰ぎ たれ 。 
腐植 土 の ぬかるみ より の 照り返し 、 　 　 材木 の 上 のち ひさ き 露店 。 
腐植 土 の ぬかるみ より の 照り返し に 、 　 　 二 銭 の 鏡 あまた ならべ ぬ 。 
腐植 土 の ぬかるみ より の 照り返し に 、 　 　 すがめ の 子 一 人 りん と 立ち たり 。 
よく 掃除 せ し ラムプ を もち て 腐植 土 の 、 　 　 ぬかるみ を 駅 夫 大股 に 行く 。 
風 ふき て 広場 広場 の たまり 水 、 　 　 いち めん ゆれ て さ ゞ めき に けり 。 
こ は いかに 赤き ず ぼん に 毛皮 など 、 　 　 春木 ながし の 人 の いち れつ 。 
なめ げ に 見 高らか に 云 ひ 木流 しら 、 　 　 鳶 を かつぎ て 過ぎ行き に けり 。 
列 すぎ て また 風 ふき て ぬかり 水 、 　 　 白き 西日 に さ ゞ めき た てり 。 
西根 より みめよき 女 き たり し と 、 　 　 角 の 宿屋 に 眼 が ひかる なり 。 
かつ きり と 額 を 剃り しす がめ の 子 、 　 　 しきりに 立ち て 栗 を たべ たり 。 
腐植 土 の ぬかるみ より の 照り返し に 　 　 二 銭 の 鏡 売る ゝ と も なし 。 
中尊寺 
七 重 の 舎利 の 小 塔 に 、 　 　 蓋 なす や 緑 の 燐光 。 
大盗 は 銀 の かたびら 、 　 　 を ろ が むとまづ 膝 だ て ば 、 
赭 の まなこ た ゞ つぶら にて 、 　 　 もろ の 肱 映え か ゞ や けり 。 
手 触れ 得 ず 十字 燐光 、 　 　 大盗 は 礼 し て 没 ゆる 。 
嘆願 隊 
やがて 四 時 とも なり な ん を 、 　 　 当主 いまだに 放た れ ず 、 
外の面 は 冬 の むらがら す 、 　 　 　 山 の 片面 の か ゞ やける 。 
二 羽 の 烏 の 争 ひ て 、 　 　 　 　 　 　 さ つと 落ち 入る 杉 ばやし 、 
この とき 大気 飽和 し て 、 　 　 　 　 霧 は 氷 と 結び けり 。 
一 才 の アルプ 花崗岩 を 、 　 　 　 　 おの も 積む 孤 輪 車 。 
（ 山 は みな 湯 噴き い でし ぞ ） 　 　 髪 赭 き わらべ の ひとり 。 
（ われ ら みな 主 と なら ん ぞ ） 　 　 みな かみ は たがね うつ 音 。 
おぞ の 蟇 みち を よぎり て 、 　 　 　 にごり 谷 けぶり は 白し 。 
小 き メリヤス 塩 の 魚 、 　 　 藻草 花 菓子 烏賊 の 脳 、 
雲 の 縮れ の 重り き て 、 　 　 風 すさまじく 歳暮 る ゝ 。 
はかなき かな や 夕さり を 、 　 　 なほ ふかぶかと 物 お も ひ 、 
街 を う づめて 行き ま ど ふ 、 　 　 みのら ぬ 村 の 家長 たち 。 
日本 球根 商会 が 、 　 　 　 　 　 　 　 よき もの なり と 販 り こせ ば 、 
いたつき びとは 窓 ごと に 、 　 　 　 春 き たら ば と ね が ひ けり 。 
夜すがら 温き 春雨 に 、 　 　 　 　 　 風信子 華 の 十 六 は 、 
黒き 葡萄 と 噴き い で て 、 　 　 　 　 雫 か ゞ やき むらがり ぬ 。 
さも まが つ びのすがたして 、 　 　 あまりに くら きいろ なれ ば 、 
朝焼け うつす いちいち の 、 　 　 　 窓 は むなしく とざさ れ つ 。 
七面鳥 は さま よ ひ て 、 　 　 　 　 　 ゴブルゴブル と あげつら ひ 、 
小 き 看護 は 窓 に 来 て 、 　 　 　 　 　 あな や なに ぞ と いぶかり ぬ 。 
庚申 
歳 に 七 度 は た 五つ 、 　 　 　 庚 の 申 を 重 ぬれ ば 、 
稔ら ぬ 秋 を 恐 み て 、 　 　 　 家長 ら 塚 を 理 め に き 。 
汗 に 蝕む まなこ ゆ ゑ 、 　 　 昴 の 鎖 の 火 の 数 を 、 
七つ と 五つ ある はた ゞ 、 　 一つ の 雲 と 仰ぎ 見 き 。 
賦役 
みね の 雪 より いく そ たび 、 　 　 風 は あ を あ を 崩れ 来 て 、 
萌え し 柏 を と ゞ ろか し 、 　 　 　 きみ かげ さ う を 軋ら しむ 。 
おのれ と 影 と た ゞ ふたり 、 　 　 あれ と 云 はれ し 業 なれ ば 、 
ひねもす 白き 眼 し て 、 　 　 　 　 放牧 の 柵 を つくろ ひ ぬ 。 
商人 ら 、 やみ て いぶせき われ を あざみ 、 
川 は はるか の 峡 に 鳴る 。 
ま しろき そら の 蔓 むら に 、 　 雨 を いとなむ みそ さ ゞ い 、 
黒き 砂糖 の 樽 かげ を 、 　 　 　 ひそか にわたる 昼 の 猫 。 
病み に 恥 つむ この 郷 を 、 
つめたく すぐる 春 の 風 か な 。 
風 底 
雪けむり 閃 めき 過ぎ て 、 　 　 ひと しばし 汗 を ぬぐ へ ば 、 
布 づつみになふ 時計 の 、 　 　 リリリリ と ひ ゞ き ふる へる 。 
雪 げ の 水 に 涵 さ れ し 、 　 　 　 御料 草地 のど て の 上 、 
犬 の 皮 着 て た ゞ ひとり 、 　 　 菫 外線 を い 行く もの 。 
ひかり と ゞ ろ く 雪 代 の 、 　 　 土手 の きれ 目 を せ な 円み 、 
兎 の ごとく 跳ね たる は 、 　 　 かの 耳 し ひ の 牧夫 なる らん 。 
病 技師 
あ へぎ て くれ ば 丘 の ひら 、 　 　 　 　 地平 を のぞむ 天気 輪 、 
白き 手巾 を 草 に し て 、 　 　 　 　 　 　 を とめ ら み たり ま ど ゐ し き 。 
大寺 の みち を こと と へ ど 、 　 　 　 　 い ら へ ず 肩 を すくむ る は 、 
はやく も 死相 われ に あり や と 、 　 　 粛涼 を ちの 雲 を 見 ぬ 。 
西 の あ を じ ろ が らん 洞 、 　 　 　 　 一 むら ゆ げ を はきだせ ば 、 
ゆ げ は ひろがり 環 を つくり 、 　 　 雪 の お山 を 越し 申す 。 
わさび 田 ここ に なさ ん と て 、 　 　 枯草原 に こし おろし 、 
たばこ を 吸 へ ば この 泉 、 　 　 　 　 た ゞ ごろごろ と 鳴り 申す 。 
それ わさび 田 に 害 ある もの 、 　 　 一 に は 野 馬 　 二 に は 蟹 、 
三 に は 視察 、 四 に は 税 、 　 　 　 　 五 は 大更 の 酒屋 なり 。 
山 を 越し たる 雲 かげ は 、 　 　 　 　 雪 を そ ゞ ろ に すべりおり 、 
やがて は 藍 の 松 こめ や 、 　 　 　 　 虎 の 斑 形 を 越え 申す 。 
卒業 式 
三宝 または 水差し など 、 　 　 たと へ いく たび 紅白 の 、 
甘き 澱み に 運ぶ とも 、 　 　 　 鐘 鳴る まで は カラ ぬる ませ じ と 、 
うなじ に 副 へ し 半巾 は 、 　 　 慈鎮和 尚 の ごとく なり 。 
燈 を 紅き 町 の 家 より 、 　 　 　 　 　 　 いつ はり の 電話 来れ ば 、 
（ うみ べ より 売ら れ しそ の 子 ） 　 　 あわ た ゞ し 白木 の ひのき 。 
雪 の 面 に 低く 霧 し て 、 　 　 　 　 　 　 桑 の 群 影 ひく なか を 、 
あゝ 鈍 びし 二 重 の マント 、 　 　 　 　 銅版 の 紙片 を おも ふ 。 
いたつき て ゆめみ なやみ し 、 　 　 （ 冬 なり き ） 誰 と も しら ず 、 
そのかみ の 高麗 の 軍楽 、 　 　 　 　 うち 鼓 し て 過ぎ れる あり き 。 
その 線 の 工事 了 り て 、 　 　 　 　 　 ある もの は みち に さらば ひ 、 
ある もの は 火 を はなつ て ふ 、 　 　 かく て また 冬 は きたり ぬ 。 
水 と 濃き なだれ の 風 や 、 　 　 　 　 むら 鳥 の あやなす すだき 、 
アスティルベ きらめく 露 と 、 　 　 ひる が へる 温石 の 門 。 
海 浸す 日 より 棲み ゐ て 、 　 　 　 　 た ゝ か ひ に やぶれ し 神 の 、 
二 かしら 猛 きす がた を 、 　 　 　 　 青々 と 行衛 し られ ず 。 
雪 う づまきて 日 は 温き 、 　 　 萱 の なか なる 荼毘 壇 に 、 
県 議院 殿 大 居士 の 、 　 　 　 　 柩 は し づとおろされぬ 。 
紫 綾 の 大 法衣 、 　 　 　 　 　 　 逆光線 に 流れ しめ 、 
六道 いま は 分る らん 、 　 　 　 あるじ の 徳 を 讃 へ けり 。 
温く 妊 み て 黒雲 の 、 　 　 　 　 　 　 野ばら の 藪 を わたる あり 、 
あるいは さらに まじら ひ を 、 　 　 求む と 土 を 這 へる あり 。 
からす 麦 かも わが 播け ば 、 　 　 　 ひばり は そら に くる ほしく 、 
ひかり の そこ に もそもそ と 、 　 　 上着 は 肩 を やぶる らし 。 
さき は 夜 を 截 る ほ と ゝ ぎす 、 　 　 やがて は そら の 菫 いろ 、 
小鳥 の 群 を さきだて て 、 　 　 　 　 く わく こう 樹 々 を どよもし ぬ 。 
醒め たる ま ゝ を 封 介 の 、 　 　 　 　 憤り ほのか に 立ち い で て 、 
け じ ろ き 水 の ちり あく た 、 　 　 　 もだし て 馬 の 指 竿 とり ぬ 。 
上流 
秋 立つ け ふ を くち な は の 、 　 　 沼 面 はるか に 泳ぎ 居 て 、 
水 ぎぼうしはむらさきの 、 　 　 花穂 ひとしく つらね けり 。 
いくさ の 噂 さ しげけれ ば 、 　 　 蘆 刈 びともいまさらに 、 
暗き 岩 頸 　 風 の 雲 、 　 　 　 　 　 天 のけ は ひ を うか ゞ ひ ぬ 。 
打身 の 床 を い でき たり 、 　 　 　 箱 の 火鉢 に うち ゐれ ば 、 
人 なき 店 の ひる すぎ を 、 　 　 　 雪 げ の 川 の 音 す なり 。 
粉 の たばこ を ひねり つ ゝ 、 　 　 見 あ ぐる そら の 雨 も よ ひ 、 
蠣売町 の かなた にて 、 　 　 　 　 人 ら ほのか に 祝 ふらし 。 
氷雨 虹 すれ ば 、 　 　 時計 盤 た ゞ に 明るく 、 
病 の 今朝 や まさ れる 、 　 　 青き 套門 を 入る なし 。 
二 限 わが なさ ん 、 　 　 公 　 五 時 を 補 ひ て ん や 、 
火 を あら ぬ ひのき づくり は 、 　 　 神 祝 に どよもす べけれ 。 
砲兵 観測 隊 
（ ばかばかしき よ か の 邑 は 、 　 　 よべ 屯 せ し クゾ なる を ） 
ま しろき 指 は うち ふるひ 、 　 　 　 銀 の モナド は ひしめき ぬ 。 
（ いな 見よ 東 かれ ら こそ 、 　 　 　 古き 火薬 を 燃し 了 へ ぬ ） 
うかべる 雲 を あざけり て 、 　 　 　 ひと びと 丘 を 奔 せく だり けり 。 
盆地 に 白く 霧 よどみ 、 　 　 めぐれる 山 の うら 青 を 、 
稲田 の 水 は 冽 くし て 、 　 　 花 は いまだに を さま ら ぬ 。 
窓 五つ なる 学校 に 、 　 　 　 さびしく 学童 ら を わが まて ば 、 
藻 を 装 へる 馬 ひき て 、 　 　 ひと びと 木炭 を 積み 出 づる 。 
たそがれ 思量 惑 くし て 、 　 　 銀 屏 流 沙 と も 見 ゆる ころ 、 
堂 は 別 時 の 供養 と て 、 　 　 盤 鉦 木 鼓 しめやか なり 。 
頬 青き 僧 ら 清ら なる テノール なし 、 　 　 老い し 請僧時 々 に 、 
バス なす こと は さながら に 、 　 　 風 葱 嶺 に 鳴る が ごとし 。 
時 しも あれ や 松 の 雪 、 　 　 を ち こ ち どど と 落ち たれ ば 、 
室 ぬ ちと み に 明るく て 、 　 　 品 は 四 請 を 了 へ に けり 。 
悍馬 
毛布 の 赤 に 頭 を 縛 び 、 　 　 　 　 　 陀羅尼 を ま が ふこ とば もて 、 
罵り か は し 牧人 ら 、 　 　 　 　 　 　 貴き アラヴ の 種馬 の 、 
息 あつく し て い ば ゆる を 、 　 　 　 まもり かこみ て もろ とも に 、 
雪 の 火山 の 裾 野原 、 　 　 　 　 　 　 赭 き 柏 を 過ぎ くれ ば 、 
山 は いく たび 雲 の 、 　 　 　 　 　 藍 の なめく ぢ 角 のべ て 、 
おとし けおとし いよいよ に 、 　 　 馬 を 血 馬 と なし に けり 。 
その とき に 酒代 つくる と 、 　 　 夫 は また 裾野 に 出 でし 。 
その とき に 重 瞳 の 妻 は 、 　 　 　 はやく また 闇 を 奔 り し 。 
柏原 風 と ゞ ろ き て 、 　 　 　 　 　 さ は し ぎら 遠く よ ば ひき 。 
馬 は みな 泉 を 去り て 、 　 　 　 　 山 ちかく つど ひ て あり き 。 
月 の 鉛 の 雲 さび に 、 　 　 　 　 　 み たり あやつり 行き過ぎ し 、 
魚 や 積み けん トラック を 、 　 　 青 かり し や とうた が へ ば 、 
松 の 梢 の ほ の びかり 、 　 　 　 　 霰 に は かに そ ゝ ぎく る 。 
こら は みな 手 を 引き 交 へ て 、 　 　 巨 け く 蒼き みな か みの 、 
つつ どり 声 を あめ ふらす 、 　 　 　 水 なし の 谷 に 出 で 行き ぬ 。 
廐 に 遠く 鐘 鳴り て 、 　 　 　 　 　 　 さびしく 風 の かげろ へ ば 、 
小さき シャツ は ゆれ つ ゝ も 、 　 　 こら の おら びはいまだ 来 ず 。 
翔 けり ゆく 冬 の フエノール 、 　 　 ポプラ とる 黒雲 の 椀 。 
留学 の 序 を 憤り 、 　 　 　 　 　 　 　 中庭 に テニス 拍 つ 人 。 
退職 技手 
こぞり て ひと を 貶し つ ゝ 、 　 　 　 わか れ うた げ も すさまじき 、 
おのれ こよ ひ は 暴れ ん ぞ と 、 　 　 青き 瓶 袴 も 惜しげ なく 、 
籾 緑 金 に 生え そめ し 、 　 　 　 　 　 代 に ひたり て 田螺 ひろ へ り 。 
月 の ほ の ほ を かたむけ て 、 　 　 　 水 杵 は ひとり あり しか ど 、 
搗け る はまこ と 喰 み も 得 ぬ 、 　 　 渋き こ なら の 実 なり けり 。 
さらば と みち を 横 ぎりて 、 　 　 　 束 せ し 廐肥 の 幾 十 つら 、 
祈る が ごとき 月 しろ に 、 　 　 　 　 朽ち し とぼ そ を うか ゞ ひ ぬ 。 
まどろむ 馬 の 胸 に し て 、 　 　 　 　 おぼろ に 鈴 は 音 を ふるひ 、 
山 の 焼畑 　 石 の 畑 、 　 　 　 　 　 　 人 も はかなく うまい しき 。 
人 なき 山 彙 の 二 日 路 を 、 　 　 　 　 夜さり は せ 来し 酉蔵 は 、 
塩 の うる ひ の 茎 噛み て 、 　 　 　 　 ふた ゝ び 遠く 遁 れ けり 。 
萌 黄いろ なる その 頸 を 、 　 　 　 直 く のばし て 吊るさ れ つ 、 
吹雪き たれ ば さながら に 、 　 　 家鴨 は 船 の ごとく なり 。 
絣 合羽 の 巡礼 に 、 　 　 　 　 　 　 五 厘 報謝 の 夕まぐれ 、 
わかめ と 鱈 に 雪 つみ て 、 　 　 　 鮫 の 黒 身 も 凍り けり 。 
氷柱 か ゞ やく 窓 のべ に 、 　 　 「 獺 」 と よ ばる ゝ 主幹 ゐ て 、 
横 め きびしく 扉 を 見る 。 
赤き 九谷 に 茶 を のみ て 、 　 　 片 頬 ほ ゝ ゑむ 獺 主幹 、 
つら ゝ 雫 を ひらめかす 。 
来賓 
狩衣 黄 なる 別当 は 、 　 　 　 　 　 　 　 眉 を け は しく 茶 を のみ つ 。 
袴 羽織 の お 百姓 、 　 　 　 　 　 　 　 　 ふたり 斉 しく 茶 を のみ つ 。 
窓 を みつめ て 校長 も 、 　 　 　 　 　 　 た ゞ ひたすら に 茶 を のみ つ 。 
し や うふ を 塗れる ガラス 戸 を 、 　 　 学童 ら こもごも に のぞき たり 。 
五輪 峠 
五輪 峠 と 名づけ し は 、 　 　 　 地 輪 水 輪 また 火 風 、 
（ 巌 の むら と 雪 の 松 ） 　 　 　 峠 五つ の 故 なら ず 。 
ひかり う づまく 黒 の 雲 、 　 　 ほそぼそ めぐる 風 の みち 、 
苔 蒸す 塔 の かなた にて 、 　 　 大野 青々 みぞ れ し ぬ 。 
流氷 
はん の きの 高き 梢 より 、 　 　 　 　 き ら ゝ かに 氷 華 を おとし 、 
汽車 は いまや ゝ に たゆ た ひ 、 　 　 北上 の あした を わたる 。 
見 はるか す 段丘 の 雪 、 　 　 　 　 　 なめらか に 川 は うねり て 、 
天 青石 ま ぎらふ 水 は 、 　 　 　 　 　 百千 の 流氷 を 載せ たり 。 
あゝ きみ が まなざし の 涯 、 　 　 　 うら 青く 天 盤 は 澄み 、 
もろ とも に あら ん と 云 ひし 、 　 　 その まち のけ ぶり は 遠き 。 
南 は も 大野 の はて に 、 　 　 　 　 　 ひと ひ ら の 吹雪 わたり つ 、 
日 は 白く みな そこ に 燃え 、 　 　 　 うらら か に 氷 は すべる 。 
夜 を ま 青き 藺 むしろ に 、 　 　 　 ひと びとの 影 さ ゆらげ ば 、 
遠き 山 ば た 谷 の はた 、 　 　 　 　 たばこ のう ね の 想 ひ あり 。 
夏 の うた げ に はべる 身 の 、 　 　 声 を ち ゞ れ の 髪 を は ぢ 、 
南 かたぶく 天の川 、 　 　 　 　 　 ひとり たより と すかし 見る 。 
あかつき 眠る みどり ご を 、 　 　 　 ひそか に 去り て 小店 さき 、 
し と み 上 ぐれ ば 川音 や 、 　 　 　 　 霧 は さやか に 流れ たり 。 
よべ の 電 燈 を その ま ゝ に 、 　 　 　 ひさげ のこり し 桃 の 顆 の 、 
アムスデンジュン いろ 紅き 、 　 　 ほのか に 映え て 熟 るる らし 。 
きみ に ならび て 野 に たて ば 、 　 　 風 きらら か に 吹き き たり 、 
柏 ばやし を と ゞ ろか し 、 　 　 　 　 枯葉 を 雪 に まろ ば し ぬ 。 
げに も ひかり の 群青 や 、 　 　 　 　 山 のけ むりのこなたにも 、 
鳥 は その 巣 や つくろ はん 、 　 　 　 ちぎれ の 艸 を ついばみ ぬ 。 
初 七 日 
落雁 と 黒き 反り橋 、 　 　 　 　 　 かの 児 こそ 希 ひし もの を 。 
あゝ くらき 黄泉路 の 巌 に 、 　 　 その 小 き 掌 もて 得 なん や 。 
木綿 つけ し 白き 骨 箱 、 　 　 　 　 哭き 喚ぶ も け は ひ あら じ を 。 
日 の ひかり 煙 を 青み 、 　 　 　 　 秋風 に 児 ら は 呼び 交 ふ 。 
林 の 中 の 柴 小屋 に 、 　 醸し 成り たる 濁り 酒 、 　 一 筒 汲み て 帰り 来し 、 
むかし 誉れ の 神童 は 、 　 面 青膨れ て 眼 ひかり 、 　 秋 は かたむく 山里 を 、 
どてら 着 て 立つ 風 の 中 。 　 西 は 縮れ て 雲 傷み 、 　 青き 大野 の あちこち に 、 
雨 か とそ ゝ ぐ 日 の しめり 、 　 こ な た は 古り し 苗代 の 、 　 刈敷 朽ち ぬ と 水 黝 き 、 
なべて 丘 に も 林 に も 、 　 た ゞ 鳴る 松 の 声 なれ ば 、 　 あはれ さびし と 我家 の 、 
門 立ち入り て 白壁 も 、 　 落ち し 土蔵 の 奥 二 階 、 　 梨 の 葉 かざす 窓べ にて 、 
筒 の なかば を 傾け て 、 　 その 歯 に 風 を 吸 ひつ ゝ も 、 　 しばし を しん とも の お も ひ 、 
夜 に 日 を かけ て 工み 来し 、 　 いかさま さい を ぞ 手 に とり に ける 。 
水霜 繁く 霧 たち て 、 　 　 すすき は 濡 ぢ 幾 そ たび 、 
馬 は こ むら を ふる は し ぬ 。 
（ 荷 繩 を 投げよ はや 荷 繩 ） 
雉子鳴 く なり その 雉子 、 　 　 人 なき 家 の 暁 を 、 
歩み 漁り て 叫ぶ らし 。 
「 あな 雪 か 。 」 屠 者 の ひとり は 、 　 　 みな か みの 闇 を すかし ぬ 。 
車 押す み たり は うみ て 、 　 　 　 　 　 　 い ら へ なく 橋板 ふみ ぬ 。 
「 雉 なり き 青く 流れ し 。 」 　 　 　 　 　 声 またも わ ぶる が ごとき 。 
落合 に 水 の 声 し て 、 　 　 　 　 　 　 　 　 老い の 屠 者 た ゞ 舌打ち ぬ 。 
著者 
造園 学 の テキスト に 、 　 　 　 おのれ が 像 を 百 あまり 、 
著者 の 原図 と 銘 うち て 、 　 　 か ゝ げ しこ とも 夢 なれ や と 、 
青き 夕陽 の 寒天 や 、 　 　 　 　 Ｕ 字 の 梨 の かなた より 、 
革 の 手袋 は づしつゝ 、 　 　 　 し づにおくびし 歩み くる 。 
ほ の あかり 秋 の あぎと は 、 　 　 　 も もどり の ねぐら を めぐり 、 
官 の 手 からく のがれ し 、 　 　 　 　 社司 の 子 の あり か を 知ら ず 。 
社殿 に は ゆ ふ べ の のりと 、 　 　 　 ほのか なる 泉 の 声 や 、 
その は は は こと なき さま に 、 　 　 しら たま の もち ひ を な せる 。 
毘沙門 の 堂 は 古び て 、 　 　 　 　 梨 白く 花 咲き ちれ ば 、 
胸 疾 み て つか さ を やめ し 、 　 　 堂守 の 眼 やさしき 。 
中 ぞ ら に うかべる 雲 の 、 　 　 　 蓋 や また 椀 の さま なる 、 
川 水 は すべり て くらく 、 　 　 　 草 火 の みほ の に 燃え たれ 。 
雪 の 宿 
ぬ さ を かざし て 山 つ 祇 、 　 　 　 舞 ふ はぶ らい の 町 の 書記 、 
うなじ はかなく 瓶 とる は 、 　 　 峡 に は 一 の う ため なり 。 
を さけび た けり 足ぶみ て 、 　 　 を どり めぐれる す が たゆ ゑ 、 
老い し 博士 や 郡 長 、 　 　 　 　 　 や ゝ 凄 涼 の お も ひ なり 。 
月 や 出 で に し 雪 青み 、 　 　 　 　 を ち こ ち 犬 の 吠 ゆる ころ 、 
舞 ひ を 納め て ひれふし つ 、 　 　 罪 乞 ふさ ま に みじろが ず 。 
あな や 否 と よ 立て きみ と 、 　 　 博士 が 云 へ ば たちまち に 、 
けり はねあがり 山 つ 祇 、 　 　 　 を みな を とり て 消えうせ ぬ 。 
川 しろじろと まじ はり て 、 　 　 　 うたかた しげき この ほとり 、 
病 きつかれ わが 行け ば 、 　 　 　 　 そら の ひかり ぞ 身 を 責 むる 。 
宿世 の くるみ はん の 毬 、 　 　 　 　 干割れ て 青き 泥 岩 に 、 
はかなき かな や わが 影 の 、 　 　 　 卑しき 鬼 を うつす なり 。 
蒼茫 として 夏 の 風 、 　 　 　 　 　 　 草 の みどり を ひる が へし 、 
ちらばる 蘆 の ひら 吹き て 、 　 　 　 あやしき 文字 を 織りなし ぬ 。 
生きん に 生き ず 死に なん に 、 　 　 得 こそ 死な れ ぬ わが 影 を 、 
うら 濁る 水 はて し なく 、 　 　 　 　 さ ゝ やき しげく 洗 ふ なり 。 
風 桜 
風 に とぎ る ゝ 雨脚 や 、 　 　 　 　 　 みだら に かける 雲 の にぶ 。 
ま くろき 枝 も うねり つ ゝ 、 　 　 　 さくら の 花 の すさまじき 。 
あたふた 黄ばみ 雨 を 縫 ふ 、 　 　 　 も ず の かしら の ま どけ き を 。 
いよよ に どよみ なみだち て 、 　 　 ひかり 青 ら む 花 の 梢 。 
萎花 
酒精 の かをり 硝銀 の 、 　 　 　 　 　 　 　 肌 膚 灼く に ほ ひし かも あれ 、 
大 展覧 の 花 むら は 、 　 　 　 　 　 　 　 　 夏 夜 あ ざら に 息づき ぬ 。 
そ は 牛飼 ひ の 商 ひ の 、 　 　 　 　 　 　 　 はた 鉄 うてる もろ 人 の 、 
さ こそ つ ちか ひ はぐくみ し 、 　 　 　 　 四 百 の 花 の ラムプ なり 。 
声 さやか なる を とめ ら は 、 　 　 　 　 　 おのおの よき に 票 を 投げ 、 
高木 検事 も ホップ 噛む 、 　 　 　 　 　 　 にがき わら ひ を 頬 に なし き 。 
卓 を めぐり て 会長 が 、 　 　 　 　 　 　 　 メダル を 懸 くる 午前 二 時 、 
カクタス 、 ショウ を おしなべて 、 　 　 花 は うつ ゝ も あら ざり き 。 
秘事 念仏 の 大 師匠 、 　 　 　 　 元 真 斎 は 妻子 し て 、 
北上 岸 に いそしみ つ 、 　 　 　 いま ぞ 昼餉 を し た ゝ むる 。 
卓 の さまし て 緑 なる 、 　 　 　 小松 と 紅き 萱 の 芽 と 、 
雪 げ の 水 に さ から ひ て 、 　 　 まこと 睡 たき 南 か ぜ 。 
むしろ 帆 張り て 酒 船 の 、 　 　 ふと あら はる ゝ まみ まぢか 、 
を の こ は 三 たり 舷 に 、 　 　 　 こ ち を 見おろし 見 すくむ る 。 
元 真 斎 は やるせな み 、 　 　 　 眼 を そらす 川 の はて 、 
塩 の 高菜 を ひ た 噛め ば 、 　 　 妻子 も これ に なら ふ なり 。 
麻 打 
楊葉 の 銀 と みどり と 、 　 　 　 はる け き は 青 ら むけ ぶり 。 
よる べ なき 水素 の 川 に 、 　 　 ほとほと と 麻苧 うつ 妻 。 
驟雨 
驟雨 そ ゝ げ ば 新 墾 の 、 　 　 　 　 ま づ 立ち こ むるつちけむり 。 
湯気 の ぬるき に 人 たち て 、 　 　 故 なく 憤る 身 は 暗し 。 
すでに 野ばら の 根 を 浄 み 、 　 　 蟻 は その 巣 を めぐる ころ 。 
杉 に は 水 の 幡 か ゝ り 、 　 　 　 　 しぶき ほのか に 拡 ご り ぬ 。 
血 の いろ に ゆがめる 月 は 、 　 　 今宵 また 桜 を のぼり 、 
患者 たち 廊 の は づれに 、 　 　 　 凶事 の 兆 を 云 へ り 。 
木 が くれ の あや なき 闇 を 、 　 　 声 細く い ゆき か へり て 、 
熱 植 ゑし 黒き 綿羊 、 　 　 　 　 　 その 姿 いとも あやしき 。 
月 しろ は 鉛 糖 の ごと 、 　 　 　 　 柱 列 の 廊 を わたれ ば 、 
コカイン の 白き かをり を 、 　 　 いそがしく よぎる 医師 あり 。 
しかも あれ 春の を とめ ら 、 　 　 なべて 且つ 耐 へ ほ ゝ ゑみ て 、 
水銀 の 目盛 を 数 へ 、 　 　 　 　 　 玲瓏 の 氷 を 割き ぬ 。 
車中 
夕陽 の 青き 棒 の なか にて 、 　 　 開化 郷士 と 見 ゆる もの 、 
葉巻 の けむり 蒼茫 と 、 　 　 　 　 森 槐南 を 論じ たり 。 
開化 郷士 と 見 ゆる もの 、 　 　 　 いと 清純 とよみ しける 、 
寒天 光 の うら 青 に 、 　 　 　 　 　 お もて を かくし ひと は ねむれ り 。 
村 道 
朝日 か ゞ やく 水仙 を 、 　 　 　 　 　 に な ひ て くる は 詮 之 助 、 
あ たま ひかり て 過ぎ行く は 、 　 　 枝 を 杖 つく 村 老 ヤコブ 。 
影 と 並木 の だ ん だら を 、 　 　 　 　 犬 レオナルド 足 織れ ば 、 
売り 酒 のみ て 熊 之 進 、 　 　 　 　 　 赤 眼 に 店 を ば あくる なり 。 
さき 立つ 名誉 村長 は 、 　 　 　 寒 煙毒 を ふくめる を 、 
豪気 に より て 受けつけ ず 。 
次 なる 沙弥 は 顱 を 円き 、 　 　 猫 毛 の 帽 に 護り つ ゝ 、 
その 身 は 信 に ゆだね たり 。 
三 なる 技師 は 徳 薄く 、 　 　 　 すでに 過 冷 の シロッコ に 、 
なかば 気管 を やぶり たれ 。 
最後 に 女 訓導 は 、 　 　 　 　 　 ショール を 面 に 被 ふれ ば 、 
アラー の 守り ある ごとし 。 
僧 の 妻 面 膨れ たる 、 　 　 　 　 　 　 飯 盛り し 仏 器 さ ゝ げ くる 。 
（ 雪 や み て 朝日 は 青く 、 　 　 　 　 かう かう と 僧 は 看経 。 ） 
寄進 札 そ ゞ ろ に 誦 み て 、 　 　 　 　 僧 の 妻 庫裡 に しりぞく 。 
（ いま は と て 異 の 銅 鼓 うち 、 　 　 晨光 は みどり とか はる 。 ） 
「 玉蜀黍 を 播き やめ 環 に ならべ 、 　 　 開所 の 祭 近けれ ば 、 
さ ん さ 踊り を さら ひせ ん 。 」 　 　 　 　 技手 農 婦 ら に 令し けり 。 
野 は 野 の かぎり めくるめく 、 　 　 　 　 青き かすみ の なか に し て 、 
まひる を ひと ら うち を どる 、 　 　 　 　 袖 を かざし て うち を どる 。 
さ あれ ひん が し 一つ ら の 、 　 　 　 　 　 うこ ん ざく ら を せ なに し て 、 
所長 中佐 は 胸 たかく 、 　 　 　 　 　 　 　 野面 はるか に のぞみ ゐる 。 
「 いそ ぎひれふせ 、 ひざ ま づけ 、 　 　 みじろが ざれ 。 」 と 技手 云 へ ば 、 
種子 や まくら ん いこ ふらん 、 　 　 　 　 ひと ら かすみ に うごく と も なし 。 
うから もて 台地 の 雪 に 、 　 　 部落 な せる その 杜 黝 し 。 
曙 人 、 馮 りく る 児 ら を 、 　 　 穹窿 ぞ 光り て 覆 ふ 。 
残 丘 の 雪 の 上 に 、 　 　 　 　 　 　 　 　 二 す ぢ うかぶ 雲 あり て 、 
誰 か は 知ら ね サラア なる 、 　 　 　 　 女 の お も ひ を うつし たる 。 
信 を だに なほ 装 へる 、 　 　 　 　 　 　 より よき 生 へ の この ね が ひ を 、 
なにとて きみ は さとり 得 ぬ と 、 　 　 しばし うらみ て 消え に けり 。 
民間 薬 
たけ しき 耕 の 具 を 帯び て 、 　 　 羆 熊 の 皮 は 着 たれ ども 、 
夜 に 日 を つげる 一月 の 、 　 　 　 干 泥 の わざ に 身 を わび て 、 
しばし ましろ の 露 置ける 、 　 　 すぎ な の 畔 に まどろめ ば 、 
はじめ は 額 の 雲 ぬるみ 、 　 　 　 鳴き か ひ めぐる むら ひばり 、 
やがて は 古き 巨人 の 、 　 　 　 　 石 の 匙 も て 出 でき たり 、 
ネプウメリ て ふ 草 の 葉 を 、 　 　 薬 に 食め と を し へ けり 。 
吹雪 か ゞ やく なか に し て 、 　 　 まことに 犬 の 吠え 集り し 。 
燃 ゆる 吹雪 の さなか と て 、 　 　 妖しき を な せる もの か な 。 
あかい め だま の 　 さそり 
ひろげ た 鷲 の 　 　 つばさ 
あ を いめ だま の 　 小 いぬ 、 
ひかり の へび の 　 とぐろ 。 
オリオン は 高く 　 うた ひ 
つゆ と しもと を 　 おとす 、 
アンドロメダ の 　 くも は 
さかな の くち の 　 かたち 。 
大 ぐまのあしを 　 きた に 
五つ のばし た 　 　 ところ 。 
小熊 の ひたい の 　 う へ は 
そら の めぐり の 　 め あて 。 
七 〇 六 　 　 村 娘 
一 九 二 六 、 五 、 二 、 
畑 を 過ぎる 鳥 の 影 
青々 ひかる 山 の 稜 
雪 菜 の 薹 を 手 に くだき 
ひばり と 川 を 聴き ながら 
うつつ に ひと と ものがたる 
七 〇 九 　 　 春 
一 九 二 六 、 五 、 二 、 
陽 が 照っ て 鳥 が 啼き 
あちこち の 楢 の 林 も 、 
けむる とき 
ぎちぎち と 鳴る 　 汚 ない 掌 を 、 
おれ は これから もつ こと に なる 
七 一 一 　 　 水 汲み 
一 九 二 六 、 五 、 一 五 、 
ぎっしり 生え たち 萱 の 芽 だ 
紅く ひかっ て 
仲間 同志 に 影 を おとし 
上 を あるけ ば 距離 の しれ ない 敷物 の やう に 
うるうる ひろがる ち 萱 の 芽 だ 
… … 水 を 汲ん で 砂 へ かけ て … … 
つめたい 風 の 海蛇 が 
もう 幾 脈 も 幾 脈 も 
野ばら の 藪 を すり抜け て 
川 を ななめ に 溯っ て 行く 
… … 水 を 汲ん で 砂 へ かけ て … … 
向 ふ 岸 に は 
蒼い 衣 の ヨハネ が 下り て 
すぎ な の 胞子 を あつめ て ゐる 
… … 水 を 汲ん で 砂 へ かけ て … … 
岸 まで くれ ば 
また あたらしい サーペント 
… … 水 を 汲ん で 水 を 汲ん で … … 
遠く の 雲 が 幾 ローフ か の 
麺 麭 に か は って 売ら れる ころ だ 
七 一 四 　 　 疲労 
一 九 二 六 、 六 、 一八 、 
南 の 風 も 酸っぱい し 
穂麦 も 青く ひかっ て 痛い 
それ だ のに 
崖 の 上 に は 
わざわざ 今日 の 晴天 を 、 
西 の 山根 から 出 て 来 た といふ 
黒い 巨 き な 立像 が 
眉間 に ルビー か 何 か を はめ て 
三 っ つ も 立っ て 待っ て ゐる 
疲れ を 知ら ない あゝ いふ 風 な 三 人 と 
せいいっぱい の せりふ を やりとり する ため に 
あの 雲 に でも 手 を あて て 
電気 を とっ て やら う か な 
七 一 五 
一 九 二 六 、 六 、 二 〇 、 
道 べ の 粗朶 に 
何 か なし 立ち よって さ はり 
け 白い 風 に ふり向け ば 
あちこち 暗い 家 ぐねの 杜 と 
花 咲い た ま ゝ いち めん 倒れ 
黒雲 に 映える 雨 の 稲 
そっち は さっき するどく 斜視 し 
あるいは 嘲 けり ことば を 避け た 
陰気 な 幾 十 の 部落 な のに 
何 が こんなに おろかしく 
私 の 胸 を 鳴らす の だら う 
今朝 この みち を ひと す ぢ いだい た のぞみ も 消え 
いま は わ づか に 白く ひらける 東 の そら も 
た ゞ それだけ の こと で ある のに 
なほ も はげしく 
いかにも 立派 な 根拠 か 何 か あり さ うに 
胸 の 鳴る の は どうして だら う 
野原 の はて で 荷馬 車 は 小 く 
ひと は ほそぼそ 尖っ て けむる 
七 一 八 　 　 蛇 踊 
一 九 二 六 、 六 、 二 〇 、 
この 萌え だし た 柳 の 枝 で 
すこし あ たま を 叩い て やら う 
叩か れ て ぞろぞろ ま はる 
はなはだ 艶 で 無器用 だ 
がらがら蛇 で も ない 癖 に 
しっぽ を ざらざら 鳴らす の は 
それ 響 尾 蛇 に 非 る も 
蛇 は その 尾 を 鳴らす め り 
青い 
青い 
紋 も 青く て 立派 だ し 
りっぱ な 節奏 も ある 
さ う 　 その ポーズ 
いま の 主題 は 
「 白 びかりある 攻勢 」 と でも いふ の だら う 
し まひ に うすい 桃 いろ の 
口 を 大きく 開く の が 
役者 の こ は さ 半分 に 
所 謂 見栄 を 切る の にあたる 
も すこし ぴちゃぴちゃ 叩い て やら う 
今日 は 廐肥 を い ぢ る ので 
蛇 に も 手 など を 出す わけ だ 
けれども 蛇 よ 、 
どうも 、 お ま へ に からかっ てる と 
酸っぱい トマト を たべ てる やう だ 
お ま へ の 方 で 遁 げ る の か 
それでは ひとつ わたし も 遁 げ る 
七 一 八 　 　 井戸 
一 九 二 六 、 七 、 八 、 
こ ゝ から 草 削 を かつい で 行っ て 
玉菜 畑 へ 飛び込め ば 
宗教 で は ない 体育 で も ない 
何 か 仕事 の 推進 力 と 風 や 陽ざし の 混合 物 
熱く 酸っぱい 阿片 の ため に 
二 時間 半 が たちまち 過ぎる 
そいつ が 醒め て 
ま はり が 白い 光 の 網 で 消さ れる と 
ぼく は こ ゝ まで 戻っ て 来 て 
水 を ごくごく 呑む の で ある 
七 二 六 　 　 風景 
一 九 二 六 、 七 、 一 四 、 
松森 蒼穹 に 後光 を 出せ ば 
片 頬 黒い 県 会議 員 が 
ひとり ゆっくり ある い て くる 
羊歯 や こ なら の 丘 いち めん に 
ことし も 燃える アイリス の 花 
七 二 七 
一 九 二 六 、 七 、 一 四 、 
アカシヤ の 木 の 洋 燈 から 
風 と 睡 さ に 
朝露 も 月見草 の 花 も 萎れる ころ 
鬼 げ し 風 の きもの 着 て 
稲 沼 の くろ に あそぶ 子 
七 二 八 
一 九 二 六 、 七 、 一 五 、 
驟雨 は そそぎ 
土 のけ むりはいっさんにあがる 
あゝ もうもうと 立つ 湯気 の なか に 
わたくし は ひとり 仕事 を 忿 る 
… … 枯れ た 羊歯 の 葉 
野ばら の 根 
壊れ て 散っ た その 塔 を 
いま いそがしく めぐる 蟻 … … 
杉 は 驟雨 の ながれ を 懸け 
また ほ の 白い しぶき を あげる 
七三 〇 
一 九 二 六 、 八 、 八 、 
「 おし まひ は 
シャー マン 山 の 第 七 峰 の 別当 が 
錦 と 水晶 の 袈裟 を 着 て 
じ ぶん で 出 て き て 諫 め たさ う だ 」 
青い 光 霞 の 漂 ひと 翻る 川 の 帯 
その 骨ばっ た ツングース 型 の 赭 い 横顔 
七 三 〇 ノ 二 　 　 増水 
一 九 二 六 、 八 、 一 五 、 
悪 どく 光る 雲 の 下 に 
幅 で は 二 倍 量 で は 恐らく 十 倍 に なっ た 北上 は 
黄いろ な 波 を たて て ゐる 
鉄舟 は みな 敝舎 へ 引か れ 
モーターボート は トントン 鳴らす 
下流 から 水 が あく って 来 て 
古川 あと の 田 は もう みんな 沼 に なり 
豆 の はたけ も かくれ て しまひ 
桑 の はたけ も もう 半分 は やら れ て ゐる 
かたつむり の 痕 の やう に ひかり ながら 
島 に なっ て 残っ た 松 の 下 の 草地 と 
白菜 ば たけ を かこん で ゐる 
いつの間に どうして 行っ た の か 
その 温い 恐ろしい 磯 に 
黒く うかん で 誰 か 四 五 人 立っ て ゐる 
一 人 は 網 を もっ て ゐる 
は ゞ き を はい て 封介 も ゐる 
水 は すでに 
この 秋 の わが 糧 を 奪 ひたる か 
屋根 に のぼっ て 展望 する 
廐肥 の 束 は みな ことごとく 高み に 運び 
鍬 と 笊 と は 先刻 腰 まで 水 に ひたっ て 
辛くも 奪 ひ か へ し て 来 た 
七 三 一 
一 九 二 六 、 八 、 二 〇 、 
黄いろ な 花 も さき 
あらゆる 色 の 種類 し た 
畦 いっぱい の 地 し ばり を 
レーキ で がりがり 掻い て とる 
川 は あすこ の 瀬 の ところ で 
毎秒 九 噸 の 針 を ながす 
上 を 見ろ 
石 を 投げろ 
まっ白 な そら いっぱい に 
も ず が 矢 ばね を 叩い て 行く 
七 三 三 　 　 休息 
一 九 二 六 、 八 、 二 七 、 
あ かつ めく さ と 
き むぽうげ 
おれ は 羆 熊 だ 　 観念 しろ よ 
遠く の 雲 が 幾 ローフ か の 
麺 麭 に か は って 売ら れる ころ だ 
あ は は 　 憂 陀那 よ 
冗談 は よせ 
ひと の 肋 を 
抜身 で もっ て くすぐる なんて 
七 三 四 
一 九 二 六 、 八 、 二 七 、 
青い けむり で 唐黍 を 焼き 
ポンデローザ も 皿 に 盛っ て 
若杉 の ほ ず ゑの   chrysocolla   を 見れ ば 
たのしく 豊か な 朝餐 な 筈 で ある のに 
こんなにも 落ち着か ない の は 
今日 も 川 ば た の 荒れ た 畑 の 切り返し が 
胸 いっぱい に ある ため らしい 
… … エナメル の 雲 鳥 の 声 … … 
強 ひ て も ひとつ 
ふさふさ 紅い た う もろこし の 毛 を もぎり 
その 水 いろ の 莢 を むけ ば 
熱く 苦しい その 仕事 が 
百 年 前 の 幽か な こと の やう で も ある 
七 三 五 　 　 饗宴 
一 九 二 六 、 九 、 三 、 
酸っぱい 胡瓜 を ぽく ぽく 噛ん で 
みんな は 酒 を 飲ん で ゐる 
… … 土橋 は 曇り の 午前 に でき て 
いま うら 青い 榾 の けむり は 
稲 いち めん に 這 ひか ゝ り 
その せき ぶち の 杉 や 楢 に は 
雨 が どし ゃどしゃ 注い で ゐる … … 
みんな は 地主 や 賦役 に 出 ない 人 たち から 
集め た 酒 を 飲ん で ゐる 
… … われ に も あら ず 
ぼんやり 稲 の 種類 を 云 ふ 
こ ゝ は 天山 北 路 で ある か … … 
さっき 十 ぺん 
あの 赤 砂利 を かつが せ られ た 
顔 の むくん だ 弱 さ う な 子 が 
みんな の うし ろ の 板の間 で 
座っ て 素麺 を たべ て ゐる 
（ 紫雲英 植 れ ば 米 とれる て が 
藁 ばり とっ た て 間 に 合 ぁなぢゃ ） 
こども は むぎ を 食 ふ の を やめ て 
ちらっと こっち を ぬすみ みる 
七 三 六 
一 九 二 六 、 九 、 五 、 
濃い 雲 が 二 きれ 
シャー マン 山 を かすめ て 行く 
（ 何 を 吐 し て 行っ たって ？ ） 
（ 雷 沢 帰 妹 の 三 だ と さ ！ ） 
向 ふ は 寒く 日 が 射し て 
蛇紋 岩 の 青い 鋸 
七 三 八 　 　 はるか な 作業 
一 九 二 六 、 九 、 一 〇 、 
すゝ きの 花 や 暗い 林 の 向 ふ の は う で 
なにか ちがっ た 風 の 品種 が 鳴っ て ゐる 
ぎらぎら 縮れ た 雲 と 青 陽 の 格子 の なか で 
風 が あやしい 匂 ひ を もっ て ふるへ て ゐる 
そら を うつし て 空虚 な 川 と 
黒い け むりをわづかにあげる 
瓦 工場 の うし ろ の 台 に 
冴え 冴え として また ひ ゞ き 
ここ の 畑 で きい て ゐれ ば 
楽しく 明る さ う な その 仕事 だ けれども 
晩 に は そこ から 忠一 が 
つかれ て 憤っ て 帰っ て くる 
七 三 九 
一 九 二 六 、 九 、 一三 、 
霧 が ひどく て 手 が 凍える な 
… … 馬 も ぶる っと もも を さ せる … … 
縄 を なげ て くれ 縄 を 
… … すすき の 穂 も 水霜 で ぐっしょり 
あゝ はやく 日 が 照る とい ゝ … … 
雉子 が 啼い てる ぞ 　 雉子 が 
お ま へ の 家 の なか らしい 
… … 誰 も 居 なく なっ た 家 の なか を 
餌 を 漁っ て 大股 に ある き ながら 
雉子 が 叫ん で ゐる の だら う か … … 
七 四 〇 　 　 秋 
一 九 二 六 、 九 、 二三 、 
江釣子 森 の 脚 から 半 里 
荒 さん で 甘い 乱 積雲 の 風 の 底 
稔っ た 稲 や 赤い 萱 穂 の 波 の なか 
そこ に 鍋倉 上 組合 の 
けら を 装っ た 年 より たち が 
けさ あつまっ て 待っ て ゐる 
恐れ た 歳 の とりいれ 近く 
わたり の 鳥 は つぎつぎ 渡り 
野ばら の 藪 の ガラス の 実 から 
風 が 刻ん だ りん だ うの花 
… … 里 道 は 白く 一 す ぢ わたる … … 
やがて 幾重 の 林 の はて に 
赤い 鳥居 や 昴 の 塚 や 
おのおの の 田 の 熟 し た 稲 に 
異 る 百 の 因子 を 数 へ 
われわれ は 今日 一 日 を めぐる 
青じろい そば の 花 から 
蜂 が 終り の 蜜 を 運べ ば 
まるめろ の 香 と めぐる い 風 に 
江釣子 森 の 脚 から 半 里 
雨 つぶ 落ちる 萱野 の 岸 で 
上鍋倉 の 年 より たち が 
けさ 集っ て 待っ て ゐる 
七 四 一 　 　 煙 
一 九 二 六 、 一 〇 、 九 、 
川上 の 
煉瓦 工場 の 煙突 から 
けむり が 雲 に つ ゞ い て ゐる 
あの 脚 もと に ひろがっ た 
青じろい 頁岩 の 盤 で 
尖っ て 長い くるみ の 化石 を さがし たり 
古い け もの の 足 痕 を 
う すら 濁っ て つぶやく 水 の なか から とっ たり 
二 夏 の あ ひだ 
実習 の すん だ 毎日 の 午后 を 
生徒 ら と たのしく あそん で 過ごし た のに 
いま 山山 は 四方 に くらく 
一 ぺん すっかり 破産 し た 
煉瓦 工場 の 煙突 から は 
何 を たい て ゐる の か 
黒い け むりがどんどんたって 
そら いっぱい の 雲 に も まぎれ 
白金 いろ の 天 末 も 
だんだん 狭く ち ゞ まっ て 行く 
七 四 一 　 　 白菜 畑 
霜 が はたけ の 砂 いっぱい で 
エンタシス ある 柱 の 列 は 
みな 水 いろ の 影 を ひく 
十 いくつ か の よる と ひる 
病ん で もだえ て ゐ た 間 
こんな つめたい 空気 の なか で 
千 の 芝 罘白菜 は 
はじける まで の 砲弾 に なり 
包 頭 連 の 七 百 は 
立派 な パン の 形 に なっ た 
こ ゝ は 船場 を 渡っ た 人 が 
みんな 通っ て 行く ところ だ し 
川 に 沿っ て どっち へ も 抜け られ 
崖 の 方 へ も 出 られる ので 
どうも こ ゝ へ 野菜 を つくっ て は 
盗ら れる だら う と みんな で 云っ た 
けれども 誰 も 盗ま ない 
季節 に は ひとりでに かう いふ に 熟し て 
朝 は まっ白 な 霜 を かぶっ て ゐる し 
早 池峰 薬師 も もう 雪 で まっしろ 
川 は 爆発 する やう な 
不定 な 湯気 を ときどき あげ 
燃え たり 消え たり し つづけ ながら 
どんどん 針 を ながし て ゐる 
病ん で ゐ て も 
あるいは 死ん で しまっ て も 
残り の みんな に対して は 
やっぱり 川 は つづけ て 流れる し 
なんと いふ い ゝ こと だら う 
あゝ ひっそり と し た この はたけ 
けれども わたくし が 
レアカー を ひい て 
この 砂 つ ち に は ひっ て から 
まだ ひとつ の 音 も きい て ゐ ない の は 
それとも 聞え ない の だら う か 、 
巨 き な 湯気 の かたまり が 
いま 日 の 面 を 通る ので 
柱 列 の 青い 影 も 消え 
砂 も くらく は なっ た けれども 
七 四 二 　 　 圃道 
一 九 二 六 、 一 〇 、 一 〇 、 
水霜 が 
みち の 草 穂 に いっぱい で 
車輪 も きれい に 洗 はれ た 
ざんざんざんざん 木 も 藪 も 鳴っ て ゐる の は 
その 重い つめたい 雫 が 
いま 落ち て ゐる 最中 な の だ 
霧 が 巨 き な 塊 に なっ て 
太陽 面 を 流れ て ゐる 
さっき 川 から 炎 の やう に あがっ て ゐ た 
あの すさまじい 湯気 の あと だ 
気管 が ひどく ぜ い ぜ い 云 ふ 
かう いふ ぜ い ぜ い 鳴る 胸 へ 
焼酎 を すこし 呑み たい と 思ひ 
ふかし た 芋 を たべ たい と 思ひ 
町 に 心 を 残し ながら 
野菜 を 売っ た 年 老 り たち が 
みな この 坂 を 帰っ た の だ 
七 四 三 
一 九 二 六 、 一 〇 、 一三 、 
盗ま れ た 白菜 の 根 へ 
一つ に 一つ 萱 穂 を 挿し て 
それ が 日本 主義 な の か 
水 いろ を し て 
エンタシス ある 柱 の 列 の 
その 残さ れ た 推古時 代 の 礎 に 
一つ に 一つ 萱 穂 が 立て ば 
盗人 が ここ を 通る たび 
初冬 の 風 に なびき 日 に ひかっ て 
たしかに それ を 嘲弄 する 
さ うし て それ が 日本 思想 
弥栄 主義 の 勝利 な の か 
一 〇 〇 一 
一 九 二 七 、 二 、 一二 、 
プラットフォーム は 眩 ゆく さむく 
緑 に 塗ら れ た シグナル や 
きらら か に 飛ぶ 氷 華 の なか を 
あゝ 狷介 に 学士 は 老い て 
いま は 大 都 の 名だたる 国手 
昔 の 友 を 送る の です 
… … その きら ゝ かな 氷 華 の はて で 
小さな 布 の 行嚢 や 
魚 の 包み が おろさ れ ます と 
笛 は おぼろ に けむり は なが れ 
学士 の 影 も うし ろ に 消え て 
しづか に 鎖す その 窓 は 
鉛 の いろ の 氷 晶 です 
かがやい て 立つ 氷 の 樹 
蒼々 けぶる 山 と 雲 
一つ ら 過ぎ ゆく 町 の は づれに 
日照 は いま しづか な 冬 で 
車 室 は あえ か な ガラス の に ほ ひ 
髪 を みだし 黒い ネクタイ を つけ て 
朝 の 光 に ねむる 写真 師 
東 の 窓 は ち ひ さ な 塵 の 懸垂 と 
その うつくしい ティンダル 効果 
客 は つましく 座席 を か へ て 
双手 に 二月 の パネル を ひらく 
しづか に 東 の 窓 に うつり 
いち ゐ の 囲み 池 を そ な へた 小さな 医院 
その 陶 標 の 門 を ば 斜め 
客 は 至誠 を 面 に うかべ 
体 を 屈し て 殊遇 を 謝せ ば 
桑 に も 梨 に も いっぱい の 氷 華 
一 〇 〇 三 　 　 実験 室 小 景 
一 九 二 七 、 二 、 一八 、 
（ こんな ところ に ゐる ん だ な ） 
ビーカー 、 フラスコ 、 ブンゼン 燈 、 
（ この 漆喰 に 立ち づく め さ ） 
暖炉 は ひとり で うなっ て ゐる し 
黄いろ な 時計 は びっこをひきひきうごいてゐる 
（ ガラス の オボー が たくさん ある な ） 
（ あれ は 逆流 冷却 器 ） 
（ ず ゐ ぶん 大きな カップ だ な ） 
（ どう だ きみ は 、 苛性 加里 で も いっぱい やる か ） 
（ ふ ふん ） 
雪 の 反射 と ポプラ の 梢 
そら を 行く の は オパリン な 雲 
あるいは こまか な 氷 の かけ ら 
（ 分析 なら ば きみ は なん でも できる の かい ） 
（ あゝ 物質 の 方 なら ね ） 
（ は は は は 　 今日 は 大 へん 謙遜 だ 
まるで ニュウトン そっくり だ ） 
（ きみ ニュウトン は 物理 だ よ ） 
（ どっち に し て も もう 一 あし だ 
教授 に なっ て 博士 に なれ ば 
男爵 だって なっ て なれ ない こと も ない ） 
（ きみ きみ 助手 が 見 て ゐる よ ） 
湯気 を ふく ふく テルモスタット 
（ 春 が 来る と も 見え ない な ） 
（ いや 、 来る とき は 一 ど に 来る 
春 の 速 さ は また べつ だ ） 
（ 春 の 速 さ は を かしい ぜ ） 
（ 文学 亜流 に わかる まい 、 
ぜんたい 春 といふ もの は 
気象 因子 の 系列 だ ぜ 
はじめ は はん の 紐 を 出し 
し まひ に 八 重 の 桜 を おとす 
それ が 地点 を 通過 すれ ば 
速 さ が そこ に できる だら う ） 
（ さ う いふ こと を 云っ て たら 
論文 なんか ぐにゃぐにゃ だら う ） 
（ 論文 なんか ぱりぱり さ ） 
（ 何 時 に なれ ば いっしょ に 出 れる ？ ） 
（ 四 時 ならい ゝ よ ） 
（ もう 一 時間 ） 
（ あゝ 温室 で 遊ん で ない か 
済ん だら ぼく が のぞく から 
助手 が いろいろ 教 へ て くれる ） 
（ では さ うし よう 
あの 玄関 の わき の だ な ） 
（ あゝ さ う 
ひとり で は ひっ て い ゝ ん だ 
あけ っぱなし は ごめん だ ぜ ） 
一 〇 〇 五 
一 九 二 七 、 三 、 一 五 、 
鈍い 月あかり の 雪 の 上 に 
松並 の 影 が ひろがっ て ゐる 
ひる なら 碧 く 
いま も 螺鈿 の モザイク 風 し た 影 で ある 
こんな 巨 き な 松 の 枝 さ へ 落ち て ゐる 
このごろ の あの 雨 雪 で 折れ た の だ 
そこ は たしかに 畑 の 雪 が 溶け て ゐる 
玉葱 と 　 ペントステモン 
なにか ふしぎ な から くさ 模様 が 
苗床 いち めん つい て ゐる 
川 が 鼠 いろ の そら と 同じ で 
音 なく 南 へ 滑っ て 行け ば 
あゝ 　 その 東 は 縮れ た 風 や 五輪 峠 や 
泣き だし たい やう な 甘ったるい 雲 だ 
松 は 昆布 と アルコール 
ま だら な 草地 は ねむ さ を 噴く 
早 池峰 は も や の 向 ふ に ねむり 
ず うっ と みな か みの 
すき と ほっ て 暗い 風 の なか を 
川千鳥 が 啼い て 溯っ て ゐる 
町 の 偏 光 の 方 で は 犬 の 声 
風 が いま つめたい アイアンビック に か はる 
一 〇 〇 八 
一 九 二 七 、 三 、 一六 、 
土 も 掘る だら う 
ときどき は 食 は ない こと も ある だら う 
それ だ から と いっ て 
やっ ぱりおまへらはおまへらだし 
われわれ は われわれ だ と 
… … 山 は 吹雪 の うす 明り … … 
なん べ ん も きき 
いま も き ゝ 
やがて は まったく その 通り 
まったく さ う しか でき ない と 
… … 林 は 淡い 吹雪 の コロナ … … 
あらゆる 失意 や 病気 の 底 で 
わたくし も また うなづく こと だ 
一 〇 一 二 
一 九 二 七 、 三 、 二一 、 
甲 助 
今朝 まだ くら ぁに 、 
たった 一 人 で 綱取 さ 稼ぐ さ 行っ た で ぁ 
… … 赤 楊 に は みんな 氷 華 が つい て 
野原 は うらうら 白い 偏 光 … … 
唐獅子 いろ の 乗馬 ず ぼん は ぃでさ 
新 らし 紺 の 風呂敷 しょっ て さ 
親方 み だ ぃ 手 ぶらぶら ど 振っ て 行っ た で ぁ 
… … 雪 に 点々 けぶる の は 
三つ 沢山 の 松 の むら … … 
清水 野 がら 大 曲野 がら 後藤野 ど 
一 人 で 威張っ て 歩 って 
大股 に 行く う ぢ は いが べ ぁ 
向 ふさ 着 げ ば 撰 鉱 だ が な 運搬 だ が な 
夜 で ば 小屋 の 隅 こ さ ちょこっと 寝せ ら へ で 
た ゞ の 雑役 人夫 だ が ら な 
… … 江釣子 森 が 
ぼうぼう と 湯気 を あげ て 
氷 醋酸 の 塊 り の やう … … 
あら が だ 後藤野 さ かがっ た ころ だ 
一 〇 一 四 　 　 春 
一 九 二 七 、 三 、 二三 、 
野原 は 残り の まだ ら な 雪 と 
黝 ぶり 滑べる 夜見 来 川 
雲 が 淫ら な 尾 を 引い て 
青々 沈む 波羅蜜 山 の 、 
松 の あ たま を かすめ て 越せ ば 
山 の 向 ふ は 濁っ て くらく 
二 す ぢ しろい 光 の 棒 と 
わ づか に なまめく 笹 の いろ 
野原 はま だら な 磁製 の 雪 と 
温ん で 滑べる 夜見 来 川 
一 〇 一 五 
一 九 二 七 、 三 、 二三 、 
バケツ が のぼっ て 
鉛 いろ し た ゴーシュ 四 辺 形 の 影 の なか から 
いま うらら か な 波 を た ゝ へ て 
ひざ し の なか に で て くる と 
そこ に 　 ― ひと ひら ― 
― なまめかしい 貝 ― 
― ヘリクリサム の 花冠 … … 
一 ぴき の 蛾 が 落ち て ゐる 
滑らか に 強い 水 の 表面張力 から 
四 枚 の 翅 を 離さ う として 
蛾 は いっしんに もだえ て ゐる 
― また たくさん の 小さな 気泡 … … 
わたくし は この 早い 春 へ の 突進 者 
鱗翅 の 群 の 急 尖 鋒 を 
温ん で ひかる 気 海 の なか へ 
再び 発足 さ せ ね ば なら ぬ 
早く も 小さな 水 けむり 
鱗粉 気泡 イリデセンス 
春 の 蛾 は 
ひとり で 水 を 叩きつけ て 
飛び立つ 
飛び立つ 
飛び立つ 
もう いま 杉 の 茶 いろ な 房 と 
不 定形 な 雲 の 間 を 航行 する 
一 〇 一 七 　 　 開墾 
一 九 二 七 、 三 、 二 七 、 
野ばら の 藪 を 、 
やう やく とっ て しまっ た とき は 
日 が かう か う と 照っ て ゐ て 
そら は がらんと 暗かっ た 
おれ も 太 市 も 忠作 も 
その ま ゝ 笹 に 陥 ち 込ん で 、 
ぐうぐうぐうぐうねむりたかった 
川 が 一 秒 九 噸 の 針 を 流し て ゐ て 
鷺 が たくさん 東 へ 飛ん だ 
一 〇 一 九 　 　 札幌 市 
一 九 二 七 、 三 、 二八 、 
遠く な だれる 灰 光 と 
貨物 列車 の ふるひ の なか で 
わたくし は 湧き あがる かなし さ を 
きれ ぎれ 青い 神話 に 変 へ て 
開拓 紀 念 の 楡 の 広場 に 
力いっぱい 撒い た けれども 
小鳥 は それ を 啄ま なかっ た 
一 〇 二 二 
一 九 二 七 、 四 、 一 、 
一昨年 四 月来 た とき は 、 
きみ は 重たい 唐鍬 を ふるひ 、 
蕗 の 根 を とっ たり 
薹 を 截っ たり 
朝日 に 翔ける 雪 融 の 風 や 
そら は いっぱい の 鳥 の 声 で 
一 万 の また 千 億 の 
新 に おこし た 塊 り に は 
いちいち 黒い 影 を 添 へ 
杉 の 林 の なか から は 
房 毛 まっ白 な 聖 重 挽馬 が 
こっそり は たけ に 下り立っ て 
ふさふさ 蹄 の 毛 も ひかっ て ゐ た 
去年 の 春 に でかけ た とき は 
きみ たち は 川岸 に 居 て 
生温い 南 の 風 が 
きみ の かつ ぎをひるがへし 
また あの 人 の 頬 を 吹き 
紺 紙 の 雲 に は 日 が 熟し 
川 が 鉛 と 銀 と を ながし 
楊 の 花芽 崩れる なか に 
きみ は 次々 畦 を 掘り 
人 は 尊い 供物 の やう に 
牛糞 を 捧げ て 来れ ば 
風 は 下流 から 吹い て 吹い て 
キャベヂ の 苗 は わ づか に 萎れ 
風 は 白い 砂 を 吹い て 吹い て 
もう いくつ も の 小さな 砂丘 を 
畑 の なか に つくっ て ゐ た 
そして その 夏 あの 恐ろしい 旱魃 が 来 た 
一 〇 二 五 
一 九 二 七 、 四 、 四 、 
燕麦 の 種子 を こぼせ ば 、 
砂 が 深く くらく 、 
黒雲 は 温く 妊 んで 
一 きれ 、 一 きれ 、 
野ばら の 藪 を 渉 って 行く 
ぼろぼろ の 南京袋 で 帆 を はっ て 
船 が 一 さ う のぼっ て くる 
から の 酒樽 を いくつ か つけ 
いっぱい の 黒い 流れ を 、 
むら き な 南 の 風 に 吹か れ て 
のろのろ と のぼっ て 往け ば 
金貨 を 護送 する 兵隊 の やう に 
人 が 三 人 乗っ て ゐる 
一 人 は ともに 膝 を か ゝ へ 
二 人 は 憎悪 の まなこ し て 
岸 の はたけ や 藪 を 見 ながら 
身 構 へ を し て 立っ て ゐる 
… … あれらの 憎悪 の ひとみ から 
あらた な 文化 が うまれる の か … … 
どんより 澱む ひかり の なか で 
上着 の 肩 が もそもそ やぶけ 
どんどん 翔ける 雲の上 で 
ひばり が くる ほしく ない て ゐる 
一 〇 二 八 　 　 酒 買 船 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
四 斗 の 樽 を 五つ も つけ て 
南京袋 で 帆 を はっ て 
ねむ さ や 風 に 逆 って 
山 の 鉛 が 溶け て 来る 、 
重い いっぱい の 流れ を 溯り 
北の方 の 
泣き だし たい やう な 雲 の 下 へ 
船 は のろのろ のぼっ て 行く 
みな で 三 人 乗っ て ゐる 
一 人 は ともに 膝 を か ゝ へ て 座っ て ゐる し 
二 人 は じろじろ こっち を 見 ながら 立っ て ゐる 
じつに うまく ない その つら 
じ ぶん だけ せいぜい は うたう を し て 
それでも 不満 で しかた ない といふ 顔付き だ 
一 〇 三 〇 　 　 春 の 雲 に関する あいまい なる 議論 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
あの 黒雲 が 、 
きみ を ぎく っと さ せ た と すれ ば 
それ は 群集心理 だ な 
この 川 す ぢ の 五 十 里 に 
麦 の はたけ を さ くっ たり 
桑 を 截っ たり やっ て ゐる 
われ ら に ひとしい 幾 万 人 が 
いま まで 冬 と 戦っ て 来 た 情熱 を 
うらがなしく も なつかしい おも ひ に 変 へ 
なにか ほのか な のぞみ に 変 へれ ば 
やり場 所 の ない その 瞳 を 
みな あの 雲 に 投げ て ゐる 
それ だけ で ない 
あの どんより と 暗い もの 
温ん だ 水 の 懸垂 体 
あれ こそ 恋愛 そのもの な の だ 
炭酸 瓦斯 の 交流 や 
いかさま な 春 の 感応 
あれ こそ 恋愛 そのもの な の だ 
一 〇 三 二 
一 九 二 七 、 四 、 七 、 
あの 大 もの の ヨークシャ 豚 が 
け ふ は はげしい 金 毛 に 変り 
独楽 より ひどく 傾き ながら 
西日 を さして かけ て ゐる 
かけ て ゐる 
かけ て ゐる 
まっ黒 な 森 の へり に 沿っ て 
まだ まっしぐら にかけて ゐる 
追って ゐる の は 棒 を かざし て 髪 も ひかる 
日本 島 の 里 長 の むす め 
梢 枯れ かかっ た 槻 の 木 に 
ぐらぐら ゆれ て ゐる の は 夕日 
里 長 が 森 を ぽ ろ っと 出る 
なにか むしゃむしゃ 食 ひ ながら 
小手 を かざし て そら を 見る 
一 〇 三 三 　 　 悪意 
一 九 二 七 、 四 、 八 、 
夜 の あ ひだ に 吹き 寄せ られ た 黒雲 が 、 
山地 を 登る 日 に 焼け て 、 
凄まじく も 暗い 朝 に なっ た 
今日 の 遊園 地 の 設計 に は 、 
あの 悪魔 ふう し た 雲 の へり の 、 
鼠 と 赤 を つかっ て やら う 、 
口 を ひらい た 魚 の かたち の アンテリナム か 
いやしい ハーデイフロックス 
さ う いふ もの を 使っ て やら う 
食 ふも の も ない この 県 で 
百 万 から の 金 も 入れ 
結局 魔窟 を 拵 へ あげる 、 
そこ に は ふさ ふ 色調 で ある 
一 〇 三 六 　 　 燕麦 播き 
一 九 二 七 、 四 、 一一 、 
白い オート の 種子 を 播き 
間 に 汗 も こぼれれ ば 
畑 の 砂 は 暗く て 熱く 
藪 は 陰気 に くもっ て ゐる 
下流 は しづか な 鉛 の 水 と 
尾 を 曳く 雲 に もつれる けむり 
つかれ は 巨 き な 孔雀 に 酸 え て 
松 の 林 や 地平線 
た ゞ 青々 と 横 はる 
一 〇 三 七 　 　 宅地 
一 九 二 七 、 四 、 一三 、 
日 が 黒雲 の 、 
一つ の 棘 に かくれれ ば 
やけに 播か れ た 石灰 窒素 の 砂利 畑 に 
さびしく 桐 の 枝 が 落ち 
鼻 の 尖っ た 満州 豚 は 
小屋 の なか から 　 ぽくっ と 斜め に 
頭 に は 石灰 窒素 を くっつけ ながら はね 出し て 
玉菜 の 茎 を ほじくり あるく 
家 の なか で は ひとり 置か れ た 赤ん坊 が 
片 っ 方 の 眼 を つぶっ て ねむる 
一 〇 三 九 
一 九 二 七 、 四 、 一八 、 
うすく 濁っ た 浅葱 の 水 が 
け むりのなかをながれてゐる 
早 池峰 は 四月 に は ひっ て から 
二 度 雪 が 消え て 二 度 雪 が 降り 
いま あ はあ はと 土 耳 古玉 の そら に うかん で ゐる 
その い た ゞ き に 
二 す ぢ 翔ける 、 
うるん だ 雲 の かたまり に 
基督 教徒 だ といふ あの 女 の 
サラー に 属する 女 たち の 
なにか ふし ぎなかんがへが 
ぼんやり として うつっ て ゐる 
それ は 信仰 と 奸詐 と の 
ふしぎ な 複合 体 とも 見え 
まことに それ は 
山 の 啓示 とも 見え 
畢竟 かくれ て ゐ た こっち の 感じ を 
その 雲 を たより に 読む の で ある 
一 〇 四 〇 
一 九 二 七 、 四 、 一九 、 
日 に 暈 が でき 
風 は つめたい 西 に ま はっ た 
ああ 　 レーキ 
あんまり 睡 い 
（ 巨 き な 黄いろ な 芽 の なか を 
た ゞ ぼうぼう と 泳ぐ の さ ） 
杉 みな 昏 く 
かげろ ふ 白い 湯気 に か はる 
一 九 二 七 、 四 、 二 〇 、 
ひる に なっ た ので 
枯れ た よ もぎ の 茎 の なか に 
長い すね を 抱く やう に 座っ て 
一ぷく けむり を 吹き ながら 
こっち の 方 を 見 て ゐる やう す 
七 十 に も なっ て 丈 六 尺 に 近く 
う づまいてまっ 白 な 髪 や 鬚 は 
ま づはむかしの 大 木彫 が 
日向 へ 迷っ て 出 て 来 た やう 
日 が 高く なっ て から 
巨 き な くるみ の 被さっ た 
同心 町 の 石 を 載せ た 屋根 の 下 から 
ひとり のっそり 起き出し て 
鍬 を かつい で あちこち 見 ながら 
この 川べり を やって来 た 
お ま へ の 畑 は 甘藍 など を 植 ゑるより 
人 蔘 や ご ば う が ずっと い ゝ 
おれ が い ゝ 種子 を 下す から 
一 しょ に 組ん で 作ら ない か と 
さ う 大声 で 云 ひ ながら 
俄 か に 何 を 考へ た の か 
いま まで 大きく 張っ た 眼 が 
俄 か に 遠く へ 萎ん で しまひ 
奥 で 小さな 飴色 の 火 が 
かなり しばらく と もっ て ゐ た 
それから 深く 刻ま れ た 
顔 いっぱい の 大きな 皺 が 
氷河 の やう に 降り て 来 た 
それ こそ は 
時代 に 叩きつけ られ た 
武士 階級 の 辛苦 の 記録 、 
しかも 殷鑑 遠から ず 
た ゞ もうか はる が はる の は なし 
折角 の 有利 な 企業 へ の 加入 申込 が ない ので 
老い た 発起人 は さびしさ うに 、 
きせる は わ づか に けむり を あげ て 
やっぱり こっち を ながめ て ゐる 
一 〇 四 二 
一 九 二 七 、 四 、 二一 、 
同心 町 の 夜 あけ が た 
一 列 の 淡い 電 燈 
春めい た 浅葱 いろ した も や の なか から 
ぼんやり けぶる 東 の そら の 
海 泡 石 の こっち の 方 を 
馬 を ひい て わたくし に ならび 
町 を さし て ある き ながら 
程 吉 は また 横 眼 で みる 
わたくし の レアカー の なか の 
青い 雪 菜 が 原因 なら ば 
それ は 一種 の 嫉視 で ある が 
乾い て 軽く 明日 は 消える 
切りとっ て き た 六 本 の 
ヒアシンス の 穂 が 原因 なら ば 
それ も なかば は 嫉視 で あっ て 
わたくし は それ を 作ら なけれ ば それで 済む 
どんな 奇怪 な 考 が 
わたくし に ある か を はかり かね て 
さ う いふ ふう に 見る なら ば 
それ は 懼 れ て 見る といふ 
わたくし は もっと 明らか に 物 を 云 ひ 
あたり前 に しばらく 行動 すれ ば 
間もなく それ は 消える で あら う 
われわれ 学校 を 出 て 来 た もの 
われわれ 町 に 育っ た もの 
われわれ 月給 を とっ た こと の ある もの 
それ 全体 へ の 疑 ひ や 
漠然と し た 反感 なら ば 
容易 に これ は 抜き 得 ない 
向 ふ の 坂 の 下り 口 で 
犬 が 三 疋 じゃれ て ゐる 
子供 が 一 人 ぽ ろ っと 出る 
あすこ まで 行け ば 
あの こども が 
わたくし の ヒアシンス の 花 を 
呉れ 呉れ と いっ て 叫ぶ の は 
いつも の 朝 の 恒例 で ある 
見 給 へ 新 らしい 伯 林 青 を 
じ ぶん で こてこて 塗り あげ て 
置き すて られ た その 屋台店 の 主人 は 
あの 胡桃 の 木 の 枝 を ひろげる 
裏 の 小さな 石 屋根 の 下 で 
これから ねむる の で ない か 
一 〇 四 三 　 　 市場 帰り 
一 九 二 七 、 四 、 二一 、 
雪 と 牛酪 を 
かつい で 来る の は 詮 之 助 
やあ お早う 
あ たま ひかっ て 過ぎる の は 
枝 を 杖 つく 村 老 ヤコブ 
お 天気 です な 　 まっ青 です な 
並木 の 影 を 
犬 が 黄いろ に 走っ て 行く 
お早う よ 
朝日 の なか から 
かばん を さげ た こども ら が 
みんな 叫ん で 飛び出し て くる 
一 〇 四 六 　 　 悍馬 
一 九 二 七 、 四 、 二 五 、 
封介 の 廐肥 つけ 馬 が 、 
に はか に ぱっと はねあがる 
眼 が 紅く 　 竜 に 変っ て 
青 びいどろの 春 の 天 を 
あせっ て 掻い て とら う と する 
廐肥 が 一 っ つ ぽ ろ っと こぼれ 
封介 は 両手 で た づなをしっかり 押 へ 
半分 ど て へ 押 つける 
馬 は 二 三 度 なほ あがい て 
やう やく 巨 き な 頭 を さげ 
竜 に なる の を あきらめ た 
雲 の のろし は 四方 に 騰り 
萱草 芽 を 出す 崖 腹 に 
マグノリア の 花 と 霞 の 青 
ひと の 馬 の あばれる の を 
なに も そんなに 見 なく て も い ゝ 
お ま へ の 鍬 が ひかっ た ので 
馬 が こんなに おどろい た の だ と 
こぼれ 廐肥 に か ゞ み ながら 
封介 は しづか に うらん で 云 ふ 
封介 は 一昨日 から 
くらい 廐 で 熱く むっと する 
何 百 把 か の 廐肥 を しばっ て 
すっかり むしゃくしゃ し て ゐる の だ 
一 〇 四 八 
一 九 二 七 、 四 、 二六 、 
レアカー を 引き ナイフ を もっ て 
この 砂畑 に 来 て 見れ ば 
うら 青い 雪 菜 の 列 に 
微か な 春 の 霜 も 下り 
西 の 残り の 月 しろ の 
やさしく 刷 い た かをり も 這 ふ 
しから ば ぼく は 今日 慣例 の 購買 者 に 
これ を 配分 し 届ける にあたって 
これら の 清 麗 な 景品 を ば 
いかに いっしょ に 添 へ たらい ゝ か 
しばし 腕組み 眺める 次第 
すでに ひがし は 黄 ばら の わら ひ を けぶし 
針 を 泛 べ る 川 から は 
温い 梵 の 呼吸 が 襲 ふ 
一 〇 五 三 
一 九 二 七 、 五 、 三 、 
おい 
けとばす な 
けとばす な 
なあんだ 　 た うとう 
すっきり と し た コチニールレッド 
ぎっしり 白い 菌糸 の 網 
こんな 色彩 の 鮮明 な もの は 
この 森 ぢ ゅうにあとはない 
あゝ ムスカリン 
おーい ！ 
りん と 引っぱれ ！ 
りん と 引っ ぱれったら ！ 
山の上 に は 雲 の ラムネ 
つめたい 雲 の ラムネ が 湧く 
一 〇 五 六 
一 九 二 七 、 五 、 七 、 
秘事 念仏 の 大 元締 が 
今日 は 息子 と 妻 を 使っ て 、 
北上 ぎし へ 陸稲 播き 、 
なまぬるい 南 の 風 は 
川 を 溯っ て やっ て くる 
秘事 念仏 の かみさん は 
乾い た 牛 の 糞 を 捧げ 
もう 導師 とも 恩人 とも 
じ ぶん の 夫 を を が むばかり 
緑 青い ろ の 巨 き な 蠅 が 
牛 の 糞 を とび めぐる 
秘事 念仏 の 大 元締 は 
麦稈 帽子 を あみ だに かぶり 
黒い ず ぼん に わら ぢ を はい て 
よちよち あるく 烏 を 追 ふ 
紺 紙 の 雲 に は 日 が 熟し 
川 は 鉛 と 銀 と を ながす 
秘事 念仏 の 大 元締 は 
むすこ が ぼんやり 楊 を ながめ 
口 を あく の を 情けな がっ て 
どなっ て 石 を なげつける 
楊 の 花 は 黄いろ に 崩れ 
川 は はげしい 針 に なる 
下流 の やぶ から ぽ ろ っと 出る 
紅毛 ま が ひ の 郵便 屋 
一 〇 五 八 　 　 電車 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
銀 の モナド の ちらばる そら と 
逞 まし い 村長 の 肩 
… … ベル を 鳴らし て カーヴ を 切る 
ベル といふ より 小さな 銅鑼 だ … … 
はん の 木立 は 東邦 風 に 
水路 の へり に ならん で 立つ 
はん の 木立 の 向 ふ の 方 で 
黒衣 の こども 燐酸 を 播く 
… … ガンガン 鳴らし て 飛ばし て 行く … … 
田 を 鋤く 馬 と 白い シャツ 
胆 礬 いろ の 山 の 尾根 
町 へ 出 て 行く おかみ さん たち 
さ あっと 曇る 村長 の 顔 
… … うし ろ を 過 ぎるひばの 木 二 本 … … 
風 が 行っ て しまっ た 池 の やう に 
いま 晴れわたる 村長 の 顔 
… … ベル を 鳴らし て 一 さん 奔 る … … 
栗 の 林 の 向 ふ の 方 で 
ざぶざぶ 水 を わたる 音 
それから 何 か 光 など 
崩れる やう な わら ひ 声 
一 〇 五 九 　 　 開墾 地 検察 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
… … 墓地 が すっかり 変っ た なあ … … 
… … なあに それ すっかり 整理 し た もん で がす … … 
… … ここ に 巨 き な しだれ 桜 が あっ た が ねえ … … 
… … なあに それ 
青年 団 総出 で やっ た もん で がす 
観音 さん も 潰さ れ あした … … 
… … としより たち が 負け た ん だ ねえ … … 
… … なあに 総 一 ぁたった 一 人 でき か なぐ なっ て 
それで 誰 って も 負 げ る んで がん す … … 
… … 苗圃 の あと も ず ゐ ぶん ひどく 荒れ た ねえ … … 
… … なあに それ 
お上 で うんと 肥料 し た づんで 
これ で 六 年 無 肥料 で がす … … 
… … あちこち 茶 いろ に ぶち だし て ゐる … … 
… … はあ 、 
苹果 の 枝 　 兎 に 食 はれ あした 
桜 ん ぼ の 方 は 食 ひ あせ んで 
桃 も やっぱり 食 はれ あした … … 
… … 兎 は とら なけ あ いけ ない よ 
それでも 兎 の 食 は ない 種類 といふ ん なら 
花 に は 薔薇 に つつじ か な 
果樹 で は やっぱり 梅 だら う … … 
… … 桜 ん ぼ の 方 は 食 ひ ませ ん で 
苹果 と 桃 を たべ た ので … … 
… … そらそら 
その 苹果 の 樹 の 幽霊 だら う 
その 谷 そこ に 突っ たっ て 
いっぱい 花 を つけ てる やつ は … … 
… … はあ … … 
… … 針金 製 の 鉄索 か 
この 崖 下 で 切り出す ん だ な … … 
… … はあ 　 鉛 の 丸 五 の 仕事 で が あす … … 
… … そんなに これ が 売れる か ねえ … … 
… … はあ 
耐火 性 だって 云っ て 売っ て ます … … 
… … 耐火 性 さ な この 石 は 
あれ だ な 開墾 地 は … … 
… … はあ 
上流 の 橋 渡っ て 参り あす … … 
一 〇 六 六 
一 九 二 七 、 五 、 一二 、 
今日 こそ わたくし は 
どんなに し て あの 光る 青い 虻 ども が 
風 の なか から 迷っ て 来 て 
縄 や ガラス の しきり の なか で 
留守 中 飛ん だり はね たり する か 
すっかり 見届け た つもり で ある 
一 〇 六 八 
一 九 二 七 、 五 、 一 四 、 
エレキ や 鳥 が ば し ゃばしゃ 翔べ ば 
九 基 に 亙る 林 の なか で 
枯れ た 巨 き な 一本杉 が 
もう 専門 の 避雷針 と も 見 られる かたち 
… … け ふも まだ 熱 は さがら ず 
Nymph ,   Nymbus ,   Nymphaea ,…… 
杉 をめぐって 水 いろ な の は 
羊歯 から 花 を 借り て 来 て 
梢 いっぱい 飾り を つけ た 
やくざ な の 樹 で で も あら う 
… … 最後 に 
火山 屑 地帯 の 
小麦 に 就 て 調査 せよ … … 
雲 は 淫ら な 尾 を 曳い て 
しづか に 森 を か けち が ふ 
一 〇 七 二 　 　 県 技師 の 雲 に対する ステートメント 
一 九 二 七 、 六 、 一 、 
神話 乃至 は 擬人 的 な る説 述 は 
小官 の はなはだ 愧 づるところではあるが 
仮に しばらく 上古 歌人 の 立場 に 於 て 
黒く 淫ら な 雨雲 に 云 ふ 
小官 は この 峠 の 上 の うす びかりする 浩 気 から 
また ここ を 通る 野ばら の かをり ある つめたい 風 から 
また 山谷 の 凄まじく も 青い 刻 鏤 から 
心 塵 身 劬 ひとしく ともに 濯 はう と 
今日 の 出張 日程 に 
辛くも 得 たる 数 頃 を 
しかく 貴重 に 立つ の で ある が 
そもそも 黒い 雨雲 よ 
お ま へ は 却って 小官 に 
異常 な 不安 を 持ち 来し 
謂 は ば 殆 ん ど 古事記 に 言 へる 
そら 踏む 感 を なさ しめる 
その 故 けだし いかん と なら ば 
過ぎ 来し 五月 二 旬 の 間 
淫ら なお ま へ ら 雨雲 族 は 
西 の 河谷 を 覆っ て 去ら ず 
日照 ため に 常 位 を 欠け ば 
稲 苗 すべて 徒長 を 来し 
あるいは 赤い 病 斑 を 得 た 
お ほ よそ か ゝ る 事態 に 於 て 
県下 今期 の 稲作 は 
憂慮 なく し て 観る を 得 ず 
そら を 仰い で 烏 乎 せ し こと や 
日日 に はなはだ 数 度 で あっ た 
然るに 昨夜 
かの 練達 の 測候 長 は 
断じて 晴れ の 予報 を 通じ 
今朝 そら 青く 気 は 澄ん で 
車窓 シガー の けむり を ながし 
峡 の 二 十 里 　 平野 の 十 里 
旅程 明るく 午 を 越す いま を 
何たる 譎詐何 たる 不信 
この 山頂 の 眼路 遥か なる 展望 は 
怒り 身 を 噛む ごとく で ある 
第 一 お ま へ が ここ より 東 
鶯 いろ に 装 ほ ひ て 
連 亙 遠き 地 塊 を 覆 ひ 
はては 渺茫 視界 の き はみ 
大洋 を さ へ 犯す こと 
第 二 に はか の 層 巻雲 や 
青い 虚空 に 逆 って 
お ま へ の 北 に 馳 ける こと 
第 三 　 暗い 気 層 の 海鼠 
五 葉 の 山 の 上部 に 於 て 
あらゆる 淫卑 な ひかり と かたち 
その 変幻 と 出没 を 
お ま へ が や ゝ も は ゞ から ぬ 
これら を 綜合 し て 見る に 
あやしく や はら か な 雨雲 よ 
たと へ 数 箇 の なまめく 日射し を 許す とも 
非礼 の 香気 を 風 に 伝へ て 送る とも 
その 灰 黒 の 翼 と 触手 
大 バリトン の 流体 もっ て 
全 天 抛 げ 来す お ま へ の 意図 は 
はや 暸 として 被 ひ 得 ぬ 
しかれ ば じつに 小官 は 
公私 あらゆる 立場 より 
満腔 不満 の 一瞥 を 
最後 に しばし お ま へ に 与 へ 
すみやか に すみやか に 
この 山頂 を 去ら う と する 
一 〇 七 五 　 　 囈語 
一 九 二 七 、 六 、 一三 、 
竟 に 卑怯 で なかっ た もの は 
あすこ に うかぶ 黒 と 白 
積雲 製 の 冠 を とれ 
一 〇 七 六 　 　 囈語 
一 九 二 七 、 六 、 一三 、 
憤懣 は いま 疾 に か はり 
わたくし は たより なく 騰っ て 
河谷 の そら に 横 はる 
しかも 
水素 より も 軽い ので 
ひかっ て はて なく 青く 
雨 に 生れる こと の でき ない の は 
何 といふ いら だ ゝ し さ だ 
一 〇 七 七 　 　 金策 
一 九 二 七 、 六 、 三 〇 、 
青 びかりする 天 弧 の はて に 
うつくしく 町 が うかん で ゐる 
か あいさ う な 町 よ 
金持 とお も はれ 
一文 も なく 
一文 の 収入 も ない 
そして うらま れる 
辞職 で ござる 
そこで 世間 といふ もの は 
中間 といふ もの を ゆるさ ない 
なにもかも みんな いけ ない 
悪口 、 反感 、 
十 八 や 十 九 で おとな より も 貪慾 な こども 
なにもかも みんな いけ ない 
おれ は 今日 は もう 遊ば う 
何もかも 
みんな 忘れ て しまっ て 
ひな た の なか の こども に なら う 
甘く 熟し て ぬるん だ 風 と 
なにか 小さな モーター の 音 
この 花 さい た の 樹 だ 
梢 いっぱい 蜂 が とび 
その 膠質 な 影 の なか を 
月光 いろ の 花弁 が ふり 
向 ふ で は 町 が やっぱり 
ひかっ て そら に うかん で ゐる 
一 〇 七 九 　 　 僚友 
一 九 二 七 、 七 、 一 、 
わたくし が かつて あなた が たと 
この方 室 に 卓 を 並べ て ゐ まし た ころ 、 
たとへば 今日 の やう な 明るく しづ か な ひる すぎ に 
… … 窓 に は ゆらぐ アカシヤ の 枝 … … 
ちがっ た 思想 や ちがっ た なり で 
誰 か が 訪ね て 来 まし た とき は 
わたくし ども はた ゞ 何 げ なく 眼 を も 見合せ 
また ある かなし 何 と も しら ず 表情 し 合 ひも し た の でし た が 
… … 崩れ て ひかる 夏 の 雲 … … 
今日 わたくし が 疲れ て 弱く 
荒れ た 耕地 やけ は しい みんな の 瞳 を 避け て 
おろか に も また おろか に も 
昨日 の 安易 な 住所 を 慕 ひ 、 
この方 室 に たどっ て 来れ ば 、 
まことに あなた がた の ことば や お も もち は 
あなた がた に ある その 十 倍 の 強 さ に なっ て 
… … 風 も 燃え … … 
わたくし の 胸 を うつ の です 
… … 風 も 燃え 　 禾草 も 燃える … … 
一 〇 八 〇 
一 九 二 七 、 七 、 七 、 
さ は や か に 刈ら れる 蘆 や 
水 ぎぼうしの 紫 の 花 
赤く ただれ た 眼 を あげ て 
風 を 見つめる その 刈り 手 
一 〇 八 二 
一 九 二 七 、 七 、 一 〇 、 
あすこ の 田 は ねえ 
あの 種類 で は 窒素 が あんまり 多 過ぎる から 
もう きっぱり と 灌水 を 切っ て ね 
三 番 除草 は し ない ん だ 
… … 一 しん に 畔 を 走っ て 来 て 
青田 の なか に 汗 拭く その 子 … … 
燐酸 が まだ 残っ て ゐ ない ？ 
みんな 使っ た ？ 
それでは もしも この 天候 が 
これから 五 日 続い たら 
あの 枝垂れ 葉 を ねえ 
斯 う いふ 風 な 枝垂れ 葉 を ねえ 
むしっ て とっ て しまふ ん だ 
… … せ は しく うなづき 汗 拭く その 子 
冬 講習 に 来 た とき は 
一 年 はたらい た あと と は 云 へ 
まだ か ゞ や かな 苹果 の わら ひ を もっ て ゐ た 
いま は もう 日 と 汗 に 焼け 
幾夜 の 不眠 に やつれ て ゐる … … 
それから い ゝ かい 
今月 末 に あの 稲 が 
君 の 胸 より 延び たら ねえ 
ちゃう ど シャッツ の 上 のぼ たん を 定規 に し て ねえ 
葉 尖 を 刈っ て しまふ ん だ 
… … 汗 だけ で ない 
泪 も 拭い て ゐる ん だ な … … 
君 が 自分 で かん が へ た 
あの 田 も すっかり 見 て 来 た よ 
陸 羽 一 三 二 号 の はう ね 
あれ はず ゐ ぶん 上手 に 行っ た 
肥え も 少し も むら が ない し 
いかにも 強く 育っ て ゐる 
硫安 だって きみ が 自分 で 播い たら う 
みんな が いろいろ 云 ふ だら う が 
あっち は 少し も 心配 ない 
反 当 三 石 二 斗 なら 
もう きまっ た と 云っ て い ゝ 
しっかり やる ん だ よ 
これから の 本当 の 勉強 は ねえ 
テニス を し ながら 商売 の 先生 から 
義理 で 教 はる こと で ない ん だ 
きみ の やう に さ 
吹雪 や わ づか の 仕事 の ひま で 
泣き ながら 
からだ に 刻ん で 行く 勉強 が 
まもなく ぐんぐん 強い 芽 を 噴い て 
どこ まで の びるかわからない 
それ が これから の あたらしい 学問 の はじまり な ん だ 
では さ やう なら 
… … 雲 から も 風 から も 
透明 な 力 が 
その こども に 
うつれ … … 
一 〇 二 〇 　 　 野 の 師父 
倒れ た 稲 や 萱 穂 の 間 
白 びかりする 水 を わたっ て 
この 雷 と 雲 と の なか に 
師父 よ あなた を 訪ね て 来れ ば 
あなた は 縁 に 正しく 座し て 
空 と 原 と のけ は ひ を きい て ゐ られ ます 
日日 に 日の出 と 日 の 入 に 
小山 の やう に 草 を 刈り 
冬 も 手織 の 麻 を 着 て 
七 十 年 が 過ぎ去れ ば 
あなた の せ な は 松 より 円く 
あなた の 指 は かじかま り 
あなた の 額 は 雨 や 日 や 
あらゆる 辛苦 の 図式 を 刻み 
あなた の 瞳 は 洞 より うつろ 
この 野 と そら の あらゆる 相 は 
あなた の なか に 複本 を もち 
それら の 変化 の 方向 や 
その 作物 へ の 影響 は 
たとへば 風 の ことば の やう に 
あなた の のど に つぶやか れ ます 
しかも あなた の おも もち の 
今日 は 何たる 明る さ で せ う 
豊か な 稔り を 願 へる まま に 
二 千 の 施肥 の 設計 を 終 へ 
その 稲 いまや みな 穂 を 抽 い て 
花 を も 開く この 日ごろ 
四 日 つ ゞ い た 烈しい 雨 と 
今朝 から の この 雷雨 の ため に 
あちこち 倒れ も し まし た が 
なほ も し 明日 或は 明後 
日 を さ へ 見れ ば みな 起きあがり 
恐らく 所期 の 結果 も 得 ます 
さ う で なけれ ば 村 々 は 
今年 も また 暗い 冬 を 再び 迎 へる の です 
この 雷 と 雨 と の 音 に 
物 を 云 ふこ と の 甲斐 な さ に 
わたくし は 黙し て 立つ ばかり 
松 や 楊 の 林 に は 
幾 す ぢ 雲 の 尾 が なびき 
幾 層 の つ ゝ みの 水 は 
灰 いろ を し て あふれ て ゐ ます 
しかも あなた の おも もち の 
その 不安 ない 明る さ は 
一昨年 の 夏 ひで り の そら を 
見上げ た あなた のけ は ひも なく 
わたし は いま 自信 に 満ち て 
ふた ゝ び 村 を めぐら う と し ます 
わたくし が 去ら う として 
一瞬 あなた の 額 の 上 に 
不定 な 雲 が うかび出 て 
ふた ゝ び 明るく 晴れる の は 
それ が 何 か を 推せん として 
恐らく 百 の 種類 を 数 へ 
思ひ を 尽し てつ ひ に 知り 得 ぬ もの で は あり ます が 
師父 よ もしも や その こと が 
口 耳 の 学 を わ づか に 修め 
鳥 の ご とく に 軽佻 な 
わたくし に関する こと で あり ます なら ば 
師父 よ あなた の 目 力 を つくし 
あなた の 聴力 の かぎり を もっ て 
わたくし の まなこ を 正視 し 
わたくし の 呼吸 を お 聞き 下さい 
古い 白 麻 の 洋服 を 着 て 
やぶけ た 絹 張 の 洋傘 は もち ながら 
尚 わたくし は 
諸 仏菩薩 の 護 念 によって 
あなた が 朝 ごと 誦せ られる 
かの 法華経 の 寿 量 の 品 を 
命 を もっ て 守ら う と する もの で あり ます 
それでは 師父 よ 
何たる 天 鼓 の 轟き で せ う 
何たる 光 の 浄化 で せ う 
わたくし は 黙し て 
あなた に 別 の 礼 を ば し ます 
一 〇 二 一 　 　 和風 は 河谷 いっぱい に 吹く 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
た うとう 稲 は 起き た 
まったく の いき も の 
まったく の 精巧 な 機械 
稲 が そろっ て 起き て ゐる 
雨 の あ ひだ まっ て ゐ た 穎 は 
いま 小さな 白い 花 を ひらめかし 
しづか な 飴 いろ の 日だまり の 上 を 
赤い とんぼ も す うすう 飛ぶ 
あゝ 
南 から また 西南 から 
和風 は 河谷 いっぱい に 吹い て 
汗 に まみれ た シャツ も 乾け ば 
熱し た 額 や まぶた も 冷える 
あらゆる 辛苦 の 結果 から 
七月 稲 は よく 分蘖 し 
豊か な 秋 を 示し て ゐ た が 
この 八月 の なかば の うち に 
十 二 の 赤い 朝焼け と 
湿度 九 〇 の 六 日 を 数 へ 
茎 稈弱 く 徒長 し て 
穂 も 出 し 花 も つけ ながら 、 
つ ひ に 昨日 の はげしい 雨 に 
次 から 次 と 倒れ て しまひ 
う へ に は 雨 の しぶき の なか に 
と むら ふ やう な つめたい 霧 が 
倒れ た 稲 を 被っ て ゐ た 
あゝ 自然 は あんまり 意外 で 
そして あんまり 正直 だ 
百 に 一つ なから う と 思っ た 
あんな 恐ろしい 開花 期 の 雨 は 
も うまっ かう から やって来 て 
力 を 入れ た ほど の もの を 
みんな ばたばた 倒し て しまっ た 
その 代り に は 
十 に 一つ も 起きれ まい と 思っ て ゐ た もの が 
わ づか の 苗 の つくり 方 のち が ひ や 
燐酸 の やり方 の ため に 
今日 は そろっ て みな 起き て ゐる 
森 で 埋め た 地平線 から 
青く か ゞ やく 死火山 列 から 
風 はいち めん 稲田 を わたり 
また 栗 の 葉 を か ゞ やかし 
いま さ は や か な 蒸散 と 
透明 な 汁 液 の 移転 
あゝ われわれ は 曠野 の なか に 
蘆 と も 見える まで 逞 まし くさや ぐ 稲田 の なか に 
素朴 な むかし の 神 々 の やう に 
べ ん ぶし て も べ ん ぶし て も 足り ない 
一 〇 八 八 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
もう はたらく な 
レーキ を 投げろ 
この 半月 の 曇天 と 
今朝 の はげしい 雷雨 の ため に 
おれ が 肥料 を 設計 し 
責任 の ある みんな の 稲 が 
次 から 次 と 倒れ た の だ 
稲 が 次々 倒れ た の だ 
働く こと の 卑怯 な とき が 
工場 ばかり に ある の で ない 
ことに むちゃくちゃ はたらい て 
不安 を まぎらかさ う と する 、 
卑しい こと だ 
… … けれども あゝ また あたらしく 
西 に は 黒い 死 の 群像 が 湧き あがる 
春 に は それ は 、 
恋愛 自身 と さ へ も 云 ひ 
考へ られ て ゐ た で は ない か … … 
さあ 一 ぺん 帰っ て 
測候所 へ 電話 を かけ 
すっかり ぬれる 支度 を し 
頭 を 堅く 縛っ て 出 て 
青 ざめてこはばったたくさんの 顔 に 
一 人 づつぶっつかって 
火 の つい た やう に はげ まし て 行け 
どんな 手段 を 用 ゐ て も 
弁償 する と 答 へ て ある け 
一 〇 八 九 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
二 時 が こんなに 暗い の は 
時計 も 雨 で いっぱい な の か 
本 街道 を はなれ て から は 
みち は 烈しく 倒れ た 稲 や 
陰気 な ひ ば の 木立 の 影 を 
め ぐってめぐってこゝまで 来 た が 
里程 に し て は まだ そんなに も ある い て ゐ ない 
そして いったい おれ の たづ ね て 行く さき は 
地べた に つい た 北 のけ は しい 雨雲 だ 、 
こ ゝ の 野原 の 土 から 生え て 
こ ゝ の 野原 の 光 と 風 と 土 と に ま ぶれ 
老い て 盲 ひ た 大 先達 は 
なかば は 苔 に 埋もれ て 
そこで しづか に この 雨 を 聴く 
また い なびか り 、 
林 を 嘗め て 行き 過ぎる 、 
雷 が まだ 鳴り出さ ない に 、 
あっち も こっち も 、 
気 狂 ひ みたい に ごろごろ ま はるか ら 水車 
ハックニー 馬 の 尻 ぽ の やう に 
青い 柳 が 一 本 立つ 
一 〇 九 〇 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その ありふれ た 仲間 の ひとり 
雑誌 を 読ん で 兎 を 飼っ て 
巣箱 も みんな じ ぶん で こ さ へ 
木 小屋 の のき に 二 十 ちかく も ならべれ ば 
その 眼 が みんな うるん で 赤く 
こっち の 手 から さ ゝ げ も 喰 へ ば 
めじろ みたい に 啼き も する 
さ うし て それ も 間 に 合 は ない 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その 仲間 の ひとり 
カタログ を 見 て しるし を つけ て 
グラヂオラス を 郵便 で とり 
め う が ば たけ と 椿 の ま へ に 
名札 を つけ て 植 ゑ 込め ば 
大きな 花 が ぎらぎら 咲い て 
年寄り たち は 勿体な がり 
通り か ゝ り の みんな も ほめる 
さ うし て それ も 間 に 合 は ない 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その 仲間 の ひとり 
マッシュルーム の 胞子 を 買っ て 
納屋 を すっかり 片付け て 
小麦 の 藁 で 堆肥 も つくり 
寒暖計 も ぶらさげ て 
毎日 水 を そ ゝ いで ゐれ ば 
まもなく 白い シャムピニオン は 
次 から 次 と 顔 を 出す 
さ うし て それ も 間 に 合 は ない 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その 仲間 の ひとり 
べ っ か ふ ゴム の 長靴 も はき 
オリーヴ いろ の 縮み の シャツ も 買っ て 着る 
頬 も あかるく 髪 もち ゞ れ て うつくしく 
その か はり に は 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その 仲間 の ひとり 
その 仲間 の ひとり 
台地 
一 九 二 八 、 四 、 一二 、 
日 が 白かっ た あ ひだ 、 
赤 渋 を 載せ たり 草 の 生え たり し た 、 
一 枚 一 枚 の 田 を わたり 
まがりくねっ た 畔 から 水路 、 
沖積 の 低み を めぐり ある い て 、 
声 も かれ 眼 も ぼう として 
いま この 台地 に のぼっ て くれ ば 
紺青 の 山脈 は 遠く 
松 の 梢 は 夕陽 に ゆらぐ 
あゝ 排水 や 鉄 の ゲル 
地形 日照 酸性 度 
立地 因子 は 青ざめ て 
つかれ の なか に 乱れ て 消え 
しづか に わたくし の うし ろ を 来る 
今日 の 二 人 の 先達 は 
この 国 の 古い 神 々 の 
その 二 はし ら の す がた を つくる 
今日 は 日 の なか で しばし 高雅 の 神 で あり 
あした は 青い 山羊 と なり 
ある とき 歪ん だ 修羅 と なる 
しかも いま 
松 は 風 に 鳴り 、 
その 針 は 陽 に そよぐ とき 
その 十字路 の わかれ の 場所 で 
衷心 この 人 を 礼拝 する 
何 が その こと を さまたげよ う か 
停留所 にて スヰトン を 喫す 
一 九 二 八 、 七 、 二 〇 、 
わざわざ ここ まで 追 ひ かけ て 
せっかく 君 が もっ て 来 て くれ た 
帆立貝 入り の スヰトン で は ある が 
どうも ぼく に は かなり な 熱 が ある らしく 
この 玻璃 製 の 停留所 も 
なんだか 雲 の なか の やう 
そこで やっぱり 雲 で も たべ て ゐる やう な の だ 
この 田所 の 人 たち が 、 
苗代 の 前 や 田植 の 後 や 
からだ を いためる 仕事 の とき に 
薬 に たべる 種類 の もの 
除草 と 桑 の 仕事 の なか で 
幾日 も 前 から 心掛け て 
きみ の おっかさん が 拵 へ た 、 
雲 の 形 の 膠 朧 体 、 
それ を 両手 に 載せ ながら 
ぼく はた ゞ もう 青く くらく 
かう も はかなく ふるへ て ゐる 
きみ は ぼく の 隣り に 座っ て 
ぼく が かう し て ゐる 間 
じっと 電車 の 発着 表 を 仰い で ゐる 、 
あの 組合 の 倉庫 の うし ろ 
川岸 の 栗 や 楊 も 
雲 が あんまり ひかる ので 
ほとんど 黒く 見え て ゐる し 
いま また 稲 を 一 株 もっ て 
その 入口 に 来 た 人 は 
たしか この 前金 矢 の 方 で も いっしょ に なっ た 
きみ の いとこ にあたる 人 か と 思ふ の だ が 
その 顔 も 手 も た ゞ 黒く 見え 
向 ふも わらっ て ゐる 
ぼく も たしか に わらっ て ゐる けれども 
どうも 何だ かじ ぶん の こと で ない やう な の だ 
ああ 友だち よ 、 
空 の 雲 が たべ きれ ない やう に 
きみ の 好意 も たべ きれ ない 
ぼく は はっきり まなこ を ひらき 
その 稲 を 見 て はっきり と 云 ひ 
あと は 電車 が 来る 間 
しづか に こ ゝ へ 倒れよ う 
ぼく たち の 
何 人 も 何 人 も の 先輩 が みんな し た やう に 
しづか に こ ゝ へ 倒れ て 待た う 
穂 孕期 
一 九 二 八 、 七 、 二 四 、 
蜂蜜 いろ の 夕陽 の なか を 
みんな 渇い て 
稲田 の なか の 萱 の 島 、 
観音堂 へ 漂 ひ 着い た 
いち に ちの 行程 は 
ただ まっ青 な 稲 の 中 
眼路 を かぎり の 
その 水 いろ の 葉 筒 の 底 で 
けむり の やう な 一 ミリ の 羽 
淡い 稲穂 の 原 体 が 
いま こっそり と 形成 さ れ 
この 幾 月 の 心労 は 
ぼうぼう 東 の 山地 に 消える 
青く 澱ん だ 夕陽 の なか で 
麻 シャツ の 胸 を はだけ て しゃがん だり 
帽子 を ぬい で 小さな 石 に 腰かけ たり 
みんな 顔 中 稲 で 傷 だらけ に し て 
芬 って 酸っぱい あんず を たべる 
みんな の ことば は きれ ぎれで 
知ら ない 国 の 原語 の やう 
ぼう と まなこ を めぐらせ ば 、 
青い 寒天 の やう に もさ やぎ 
むしろ 液体 の やう に も けむっ て 
この 堂 を めぐる 萱 むら で ある 
この 一 巻 は 
わたくし が 岩手 県 花巻 の 
農 学校 に つとめ て 居り まし た 四 年 の うち の 
終り の 二 年 の 手記 から 集め た もの で ござい ます 
この 四 ヶ年 は わたくし にとって 
じつに 愉快 な 明るい もの で あり まし た 
先輩 たち 無意識 な サラリーマンスユニオン が 
近代 文明 の 勃興 以来 
或いは 多少 ペ テン も あっ た で は あり ませ う が 
とにかく 巨 き な 効果 を 示し 
絶え ざる 努力 と 結束 で 
獲得 し まし た その 結果 
わたくし は 毎日 わ づか 二 時間 乃至 四 時間 の あかるい 授業 と 
二 時間 ぐらゐの 軽い 実習 を もっ て 
わたくし にとって は 相当 の 量 の 俸給 を 保証 さ れ て 居り まし て 
近距離 の 汽車 に も 自由 に 乗れ 
ゴム 靴 や 荒い 縞 の シャツ など も 可 成 に 自由 に 撰 択 し 
すき な 子供 ら に は ごちそう も やれる 
さ う いふ 安 固 な 待遇 を 得 て 居り まし た 
しかしながら その うち に 
わたくし は だんだん それ に なれ て 
みんな が もっ て ゐる 着物 の 枚数 や 
毎食 とれる 蛋白 質 の 量 など を 多少 夥剰 に 計算 し た か の 嫌 ひ が あり ます 
そこで た ゞ いま この ぼろぼろ に 戻っ て 見れ ば 
いさ ゝ か 湯 漬け の オペラ 役者 の 気 も しま する が 
また なかなか に なつかしい ので 
ま づは 友人 藤原 嘉藤 治 
菊池 武雄 など の 勧める ま ゝ に 
この 一巻 を も いちど みなさま の お 目通り まで 捧げ ます 
たしかに 捧げ は しま する が 
今度 も たぶん この 出版 の お方 は 
多分 の ご 損 を なさる だら う と 思ひ ます 
そこで まことに ぶし つけ ながら 
わたくし の 敬愛 する パトロン 諸氏 は 
手紙 や 雑誌 を お送り くだされ たり 
何 か に いろいろ お 書き くださる こと は 
気取っ た やう で は ござい ます が 
何とか 願 ひ 下げ いたし たい と 存じ ます 
わたくし は どこ まで も 孤独 を 愛し 
熱く 湿っ た 感情 を 嫌 ひ ます ので 
もし 万 一 に も わたくし に もっと 仕事 を ご 期待 なさる お方 は 
同人 に なれ と 云っ たり 
原稿 の さい そく や 集金 郵便 を お 差し 向け に なっ たり 
わたくし を 苦しま せ ぬ やう お ね が ひし たい と 存じ ます 
けだし わたくし は いかにも けち な もの で は あり ます が 
自分 の 畑 も 耕せ ば 
冬 は あちこち に 南京 ぶ くろ を ぶらさげ た 水稲 肥料 の 設計 事務所 も 出し て 居り まし て 
おれ たち は 大いに やら う 約束 しよ う など といふ こと より は 
も 少し 下等 な 仕事 で 頭 が いっぱい な の で ござい ます から 
さ う 申し た と て 別に 何 でも あり ませ ぬ 
北上川 が 一 ぺん 氾濫 しま する と 
百 万 疋 の 鼠 が 死ぬ の で ござい ます が 
その 鼠 ら が みんな やっぱり わたくし みたい な 云 ひ 方 を 
生き てる うち は 毎日 いたし て 居り まする の で ござい ます 
二 　 　 空 明 と 傷痍 
一 九 二 四 、 二 、 二 〇 、 
気 の 海 の 青 びかりする 底 に 立ち 
いかに もさ う いふ 敬虔 な 風 に 
一 きれ 白い 紙巻 煙草 を 燃す こと は 
月 の あかり や らん かん の 陰画 
つめたい 空 明 へ の 貢献 で ある 
… … ところが おれ の 右 掌 の 傷 は 
鋼 青い ろ の 等 寒 線 に 
わくわく わくわく 囲ま れ て ゐる … … 
しかれ ば きみ は ピアノ を 獲る の 企画 を やめ て 
かの 中型 の ヴァイオル を こそ 弾く べき で ある 
燦々 として 析出 さ れる 氷 晶 を 
総身 浴びる その 謙虚 なる 直立 は 
営利 の 社団 　 賞 を 懸け て の 広告 など に 
き ほ ひ 出 づるにふさはしからぬ 
… … ところが おれ の て の ひ ら から は 
血 が まっ青 に 垂れ て ゐる … … 
月 を かすめる 鳥 の 影 
電信 ば しら の オルゴール 
泥 岩 を 噛む 水 瓦斯 と 
一 列 黒い み を つくし 
… … て の ひ ら の 血 は 
ぽ けっ と の なか で 凍り ながら 
たぶん ぼんやり 燐光 を だす … … 
しかも 結局 きみ が これら の 忠言 を 
気軽 に 採択 でき ぬ と すれ ば 
その 厳粛 な 教会 風 の 直立 も 
気 海 の 底 の 一つ の 焦慮 の 工場 に 過ぎ ぬ 
月賦 で 買っ た 緑 青い ろ の 外套 に 
しめっ た ルビー の 火 を ともし 
かすか な 青い け むりをあげる 
一つ の 焦慮 の 工場 に 過ぎ ぬ 
一 四 
一 九 二 四 、 三 、 二 四 、 
湧 水 を 呑ま う として 
犬 の 毛皮 の 手袋 など を 泥 に 落し 
あわて て ぴちゃぴちゃ 
きれい な   cress   の 波 で 洗っ たり する もの だ から 
きせる を く は へ たり 
日光 に 当っ たり し て ゐる 
小屋 葺替 へ の 村人 たち が 嗤 ふ の だ 
一六 　 　 五輪 峠 
一 九 二 四 、 三 、 二 四 、 
宇部 何 だって ？ … … 
宇部 興 左 エ 門 ？ … … 
ず ゐ ぶん 古い 名前 だ な 
何 べ ん も 何 べ ん も 降っ た 雪 を 
いつ 誰 が 踏み 堅め た でも なし に 
みち は ほそぼそ 林 を めぐる 
地主 っ たって 
君 の 部落 の うち だけ だら う 
野原 の 方 も もっ てる の か 
… … それ は 部落 の うち だけ です … … 
それでは 山林 で も ある ん だ な 
… … 十 町歩 も ある さ う です … … 
それで 毎日 糸織 を 着 て 
ゐろ り の へり でき せる を 叩い て 
政治 家 きどり で ゐる ん だ な 
それ は 間もなく 没落 さ 
いま だって もう マイナス だら う 
向 ふ は 岩 と 松 と の 高み 
その 左 に は がらんと 暗い みぞ れ の そら が ひらい て ゐる 
そこ が 二 番 の 峠 か な 
まだ 三つ など ある の か なあ 
がらんと 暗い みぞ れ の そら の 右側 に 
松 が 幾 本 生え て ゐる 
藪 が 陰気 に こもっ て ゐる 
なか に しょんぼり 立つ もの は 
まさしく 古い 五輪 の 塔 だ 
苔 に 蒸さ れ た 花崗岩 の 古い 五輪 の 塔 だ 
あゝ こ ゝ は 
五輪 の 塔 が ある ため に 
五輪 峠 といふ ん だ な 
ぼく は また 
峠 が みんな で 五 っ つ あっ て 
地 輪 峠 水 輪 峠 空 輪 峠 といふ の だら う と 
たった いま まで 思っ て ゐ た 
地図 も もた ず に 来 た から な 
その まちがっ た 五つ の 峯 が 
どこ か の 遠い 雪 ぞ ら に 
さめざめ 青く ひかっ て ゐる 
消えよ う として また ひかる 
この わけ 方 はい ゝ ん だ な 
物質 全部 を 電子 に 帰し 
電子 を 真空 異相 と いへ ば 
いま と すこしも か はら ない 
宇部 五右衛門 が 目 を つむる 
宇部 五右衛門 の 意識 は ない 
宇部 五右衛門 の 霊 も ない 
けれども もしも 真空 の 
こっち の 側 か どこ か の 側 で 
いま まで 宇部 五右衛門 が 
これ は おれ だ と 思っ て ゐ た 
さ う いふ やう な 現象 が 
ぽかっと 万一 起る と する 
そこ に は やっぱり 類似 の やつ が 
これ が おれ だ と おもっ て ゐる 
それ が たくさん ある と する 
互 ひ に おれ は おれ だ といふ 
互 ひ に あれ は 雲 だ といふ 
互 ひ に これ は 土 だ といふ 
さ う いふ こと は なく は ない 
そこ に は 別 の 五輪 の 塔 だ 
あ 何だ あいつ は 
いま 前 に 展 く 暗い もの は 
まさしく 北上 の 平野 で ある 
薄墨 いろ の 雲 に つらなり 
酵母 の 雲 に 朧 ろ に さ れ て 
海 と 湛 へる 藍 と 銀 と の 平野 で ある 
向 ふ の 雲 まで 野原 の やう だ 
あすこ ら へ ん が 水沢 か 
君 の ところ は どの 辺 だら う 
そこら の 丘 の かげ にあたって ゐる の か な 
そこ に さっき の 宇部 五 右 エ 門 が 
やはり きせる を 叩い て ゐる 
雪 が もう ここ に も どしどし 降っ て くる 
塵 の やう に 灰 の やう に 降っ て くる 
つつじ や こ なら の 灌木 も 
まっくろ な 温石 いし も 
みんな いっしょ に まだ ら に なる 
一 七 　 　 丘陵 地 を 過ぎる 
一 九 二 四 、 三 、 二 四 、 
きみ の ところ は この 前山 の つづき だら う 
やっぱり こんな ごつごつ 黝 い 岩 な ん だら う 
松 や 何 か の 生え 方 なぞ も この 式 で 
田 など も やっぱり 段 に なっ たり し て ゐる ん だ な 
い つ ころ 行け ばい ゝ か なあ 
ぼく の 都合 は まあ 来月 の 十 日 ころ 
仕事 の 方 が 済ん で から 
木 を 植 ゑる 場所 や 何 か も 決める から 
ドイツ 唐 檜 に バンクス 松 に やま なら し 
やま なら し に も すてき に ひかる やつ が ある 
白樺 は 林 の へり と 憩 みの 草地 に 植 ゑるとして 
あと は 杏 の 蒼白い 花 を 咲かせ たり 
きれい に こさえ とか ない と 
お 嫁さん に も 済まない から な 
雪 が 降り出し た もん だ から 
きみ は ストウブ の やう に 赤く なっ てる ねえ 
水 が ごろごろ 鳴っ て ゐる 
さあ 犬 が 吠え だし た ぞ 
さ う 云っ ちゃ 失敬 だ が 
ま づ 犬 の 中 の カルゾー だ な 
喇叭 の やう ない ゝ 声 だ 
ひ ば がき の なか の 
あっち の うち から も こっち の うち から も 
こども ら が 叫び だし た の は 
けしかけ て ゐる つもり だら う か 
それとも おれ たち を 気の毒 がっ て 
とめよ う として ゐる の だら う か 
は は あ きみ は 日本犬 です ね 
生 藁 の 上 に ねそべっ て ゐる 
顔 に は 茶 いろ な 縞 も ある 
どうして ぼく は この 犬 を 
こんなに ばか に する の だら う 
やっ ぱりしゃうが 合 は ない の だ な 
どう だ 雲 が 地平線 に すれすれ で 
そこ に 一 す ぢ 白金 環 さ へ つくっ て ゐる 
一 八 　 　 人 首 町 
一 九 二 四 、 三 、 二 五 、 
雪 や 雑木 に あさひ が ふり 
丘 の はざま の いっ ぽん 町 は 
あさましい まで 光っ て ゐる 
その うし ろ に は のっそり 白い 五輪 峠 
五輪 峠 の い た ゞ き で 
鉛 の 雲 が 湧き また 翔け 
南 に つ ゞ く 種山 ヶ 原 の な だら は 
渦巻く ひかり の 霧 で いっぱい 
つめたい 風 の 合間 から 
ひばり の 声 も 聞え て くる し 
やどり木 の まり に は 艸 いろ の も あっ て 
その 梢 から 落ちる やう に 飛ぶ 鳥 も ある 
一 九 　 　 晴天 恣意 
一 九 二 四 、 三 、 二 五 、 
つめたく うらら か な 蒼穹 の はて 
五輪 峠 の 上 の あたり に 
白く 巨 き な 仏 頂 体 が 立ち ます と 
数字 に つかれ た わたくし の 眼 は 
ひとたび それ を 異 の 空間 の 
高貴 な 塔 とも 愕 ろ き ます が 
畢竟 あれ は 水 と 空気 の 散乱 系 
冬 に は 稀 な 高く まばゆい 積雲 です 
と は 云 へ それ は 再考 すれ ば 
やはり 同じ い 大 塔婆 
い た ゞ き 八 千 尺 に も 充ちる 
光 厳 浄 の 構成 です 
あの 天 末 の 青 ら むま 下 
きら ゝ に 氷 と 雪 と を 鎧 ひ 
樹 や 石塚 の 数 を もち 
石灰 、 粘 板 、 砂岩 の 層 と 、 
花 崗班糲 、 蛇紋 の 諸 岩 、 
堅く 結ん だ 準 平原 は 、 
まこと 地 輪 の 外 なら ず 、 
水 風 輪 は 云 はず も あれ 、 
白く まばゆい 光 と 熱 、 
電 、 磁 、 その他 の 勢力 は 
アレニウス を ば 俟 た ずし て 
たれ か 火 輪 を うた が はん 
もし 空 輪 を 云 ふ べく ば 
これら 総じて 真空 の 
その 顕現 を 超え ませ ぬ 
斯く て ひとたび この 構成 は 
五輪 の 塔 と 称す べく 
秘奥 は 更に 二 義 あっ て 
いま は その 名 も は ゞ かる べき 
高貴 の 塔 で も あり ます ので 
もしも 誰 か が その 樹 を 伐り 
あるいは 塚 を はたけ に ひらき 
乃至 は そこら で あんまり ひどく イリス の 花 を とり ます と 
かう いふ 青く 無風 の 日 なか 
見掛け は しづか に 盛り あげ られ た 
あの 玉髄 の 八雲 の なか に 
夢幻 に 人 は 連れ 行か れ 
見え ない 数個 の 手 によって 
か ゞ やく そら に まっ さ か さま に つるさ れ て 
槍 で づぶづぶ 刺さ れ たり 
頭 や 胸 を 圧し 潰さ れ て 
醒め て は はげしい 病気 に なる と 
さ う ひと びとはいまも 信じ て 恐れ ます 
さて その こと は とにかく に 
雲量 計 の 横線 を 
ひる の 十 四 の 星 も 截 り 
アンドロメダ の 連 星 も 
しづか に 過 ぎるとおもはれる 
そんなに も うる ほ ひか ゞ やく 
碧瑠璃 の 天 で あり ます ので 
いまや わたくし の まなこ も 冴え 
ふた ゝ び 陰気 な 扉 を 排し て 
あの くしゃくしゃ の 数字 の 前 に 
か ゞ み 込ま う と し ます の です 
塩水 撰 ・ 浸 種 
一 九 二 四 、 三 、 三 〇 、 
塩水 撰 が 済ん で もう いちど 水 を 張る 
陸 羽 一 三 二 号 
これ を 最後 に 水 を 切れ ば 
穎果 の 尖 が 赤褐色 で 
うるうる として 水 に ぬれ 
一 つぶ づつが 苔 か 何 か の 花 の やう 
かすか に りんご の に ほ ひも する 
笊 に 顔 を 寄せ て 見れ ば 
もう 水 も 切れ 俵 に うつす 
日 ざし の なか の 一 三 二 号 
青 ぞ ら に 電線 は 伸び 、 
赤 楊 は あちこち ガラス の 巨 き な 籠 を 盛る 、 
山 の 尖り も 氷 の 稜 も 
あんまり 淡く けむっ て ゐ て 
まるで 光 と 香 ばかり で でき てる やう 
湿田 の 方 に は 
朝 の 氷 の 骸 晶 が 
まだ 融け ない で のこっ て ゐ て も 
高 常 水車 の 西側 から 
くるみ の ならん だ 崖 の し た 
地蔵堂 の 巨 き な 杉 まで 
乾田 の 雪 は たいてい 消え て 
青い すずめ の てっ ぱうも 
空気 と いっしょ に ちらちら 萌える 
みち は や はら か な 湯気 を あげ 
白い 割 木 の 束 を つん で 
次 から 次 と 町 へ 行く 馬 の あし なみ は ひかり 
その 一つ の 馬 の 列 について 来 た 黄いろ な 二 ひき の 犬 は 
尾 を ふさふさ し た 大きな スナップ 兄弟 で 
ここら の 犬 と 、 
はげしく 走っ て 好意 を 交 は す 
今日 を 彼岸 の 了 り の 日 
雪消 の 水 に 種籾 を ひたし 
玉 麩 を 買っ て 羹 を つくる 
こ ゝ ら の 古い 風習 で ある 
二 一 　 　 痘瘡 
一 九 二 四 、 三 、 三 〇 、 
日脚 の 急 に 伸びる ころ 
かき ね の ひ ば の 冴える ころ は 
こ ゝ ら の 乳 いろ の 春 の なか に 
奇怪 な 紅 教 が 流行 する 
二 五 　 　 早春 独白 
一 九 二 四 、 三 、 三 〇 、 
黒髪 も ぬれ 荷縄 も ぬれ て 
やう やく あなた が 車 室 に 来れ ば 
ひる の 電 燈 は 雪 ぞ ら につき 
窓 の ガラス は ぼんやり 湯気 に 曇り ます 
… … 青じろい 磐 の あかり と 
暗ん で 過 ぎるひばのむら … … 
身丈 に ちかい 木炭 すご を 
地蔵 菩薩 の 龕 か なにか の やう に 負 ひ 
山 の 襞 も けぶっ て ならび 
堰堤 もご う ご う 激し て ゐ た 
あの 山岨 の みぞ れ の みち を 
あなた が ひとり 走っ て き て 
この 町 行き の 貨物 電車 に すがっ た とき 
その 木炭 すご の 萱 の 根 は 
秋 の しぐれ の なか の やう 
も いちど 紅く 燃え た の でし た 
… … 雨 は すき と ほっ て まっすぐ に 降り 
雪 は しづか に 舞 ひ おりる 
妖しい 春 の みぞ れ です … … 
みぞ れ に ぬれ て つつまし や か に あなた が 立て ば 
ひる の 電 燈 は 雪 ぞ ら に 燃え 
ぼんやり 曇る 窓 の こっち で 
あなた は 赤い 捺染 ネル の 一 きれ を 
エヂプト 風 に かつぎ に し ます 
… … 氷 期 の 巨 き な 吹雪 の 裔 は 
ときどき 町 の 瓦斯 燈 を 侵し て 
その 住民 を 沈静 に し た … … 
わたくし の 黒 いしゃ っぽから 
つめたく あかるい 雫 が 降り 
どんより よどん だ 雪ぐ もの 下 に 
黄いろ な あかり を 点じ ながら 
電車 は いっさ ん に はしり ます 
二 九 　 　 休息 
一 九 二 四 、 四 、 四 、 
中空 は 晴れ て うらら か なのに 
西嶺 の 雪 の 上 ばかり 
ぼんやり 白く 淀む の は 
水晶 球 のり の やう 
… … さむく ね むたいひるのやすみ … … 
そこ に は 暗い 乱 積雲 が 
古い 洞窟 人類 の 
方向 の ない   Libido   の 像 を 
肖 顔 の やう に いくつ か 掲げ 
その こっち で は ひばり の 群 が 
いち めん 漂 ひ 鳴い て ゐる 
… … さむく ねむたい 光 の なか で 
古い 戯曲 の 女 主人公 が 
ひとり さ びしくまことをちかふ … … 
氷 と 藍 と の 東 橄欖 山地 から 
つめたい 風 が 吹い て き て 
つぎ から つぎ と 水路 を わたり 
また あかし や の 棘 ある 枝 や 
すがれ の 禾草 を 鳴らし たり 
三 本 立っ た よ もぎ の 茎 で 
ふしぎ な 曲線 を 描い たり する 
（ eccolo   qua !） 
風 を 無数 の 光 の 点 が 浮き沈み 
乱 積雲 の 群像 は 
いま ゆるやか に 北 へ ながれる 
三五 　 　 測候所 
一 九 二 四 、 四 、 六 、 
シャー マン 山 の 右肩 が 
に はか に 雪 で 被 はれ まし た 
うし ろ の 方 の 高原 も 
を かし な 雲 が いっぱい で 
なんだか 非常 に 荒れ て 居り ます 
… … 凶作 がたう とう 来 た な … … 
杉 の 木 が みんな 茶 いろ に か はっ て しまひ 
わたり の 鳥 は もう 幾 むれ も 落ち まし た 
… … 炭酸 表 を もってこい … … 
いま 雷 が 第 六 圏 で 鳴っ て 居り ます 
公園 は いま 
町民 たち で いっぱい です 
四 〇 　 　 烏 
一 九 二 四 、 四 、 六 、 
水 いろ の 天 の 下 
高原 の 雪 の 反射 の なか を 
風 が すき と ほっ て 吹い て ゐる 
茶 いろ に 黝 ん だ から まつ の 列 が 
めいめい に みな うごい て ゐる 
烏 が 一 羽 菫 外線 に 灼け ながら 
その 一 本 の 異状 に 延び た 心 に とまっ て 
ず ゐ ぶん 古い 水 いろ の 夢 を お も ひ ださ う と あせっ て ゐる 
風 が どんどん 通っ て 行け ば 
木 は たより なく ぐらぐら ゆれ て 
烏 は 一つ の ボート の やう に 
… … 烏 も わざと ゆすっ て ゐる … … 
冬 の かげろ ふ の 波 に 漂 ふ 
に も かか はら ず あちこち 雪 の 彫刻 が 
あんまり ひっそり し すぎる の だ 
四 五 　 　 海蝕 台地 
一 九 二 四 、 四 、 六 、 
日 が おし まひ の 六 分 圏 に は ひっ て から 
そら は すっかり 鈍く なり 
台地 は かすん で はて ない 意慾 の 海 の やう 
… … かなしく も また なつかしく 
斎 時 の 春 の 胸 を 噛む 
見 惑塵思 の 海 の いろ … … 
そこ に は 波 が しら の 模様 に 雪 も のこれ ば 
いくつ もの から まつ ばやし や 谷 は 
粛々 起伏 を つ ゞ け ながら 
あ え か な そら のけ むりにつゞく 
… … それ は ひとつ の 海蝕 台地 
古い 劫 の 紀 念 碑 で ある … … 
たより なく つけ られ た その みち を よ ぢ 
憔悴 苦行 の 梵土 を ま が ふ 
坎 な 高原 住 者 の 隊 が 
一 れつ 蔭 いろ の 馬 を ひい て 
つめたい 宙 の けむり に 消える 
四 六 　 　 山火 
一 九 二 四 、 四 、 六 、 
血 紅 の 火 が 
ぼんやり 尾根 を すべっ たり 
また まっ 黒 ない た ゞ き で 
奇怪 な 王冠 の かたち を つくり 
焔 の 舌 を 吐い たり すれ ば 
瑪瑙 の 針 はげしく 流れ 
陰気 な 柳 の 髪 も みだれる 
… … けたたましく も 吠え 立つ 犬 と 
泥 灰 岩 の 崖 の さびしい 反射 … … 
或いは コロナ や 破け た 肺 の かたち に 変る 
この 恐ろしい 巨 き な 夜 の 華 の 下 
（ 夫子 夫子 あなた の お 目 も 血 に 染み まし た ） 
酔っ て 口口 罵り ながら 
村びと たち が 帰っ て くる 
五 二 　 　 嬰児 
一 九 二 四 、 四 、 一 〇 、 
なに いろ を し て ゐる と も わから ない 
ひろ ぉいそらのひととこで 
縁 の まばゆい 黒雲 が 
つぎ から つぎ と 爆発 さ れる 
（ そら たんぽぽ だ 
しっかり と もて ） 
それ は ひとつ づついぶった 太陽 の 射 面 を 過ぎ て 
いっぺん ごと に お ま へ を 青く かなしま せる 
… … そん なら 雲 が わるい と いっ て 
雲 なら 風 に 消さ れ たり 
その ときどき に ひかっ たり 
た ゞ その こと が 雲 の こころ といふ もの な の だ … … 
そして ひと で も おんなじ こと 
鳥 は 矢 羽 の かたち に なっ て 
いくつ も 杉 の 梢 に 落ちる 
五 三 　 　 休息 
一 九 二 四 、 四 、 一 〇 、 
風 は うし ろ の 巨 き な 杉 や 
わたくし の 黄いろ な 仕事 着 の えり を 
つぎつぎ 狼 の 牙 に し て 過ぎる けれども 
わたくし は 白金 の 百 合 の やう に 
… … 三 本 鍬 の 刃 も ふる へ ろ … … 
ほのか に ねむる こと が できる 
六 九 
一 九 二 四 、 四 、 一九 、 
ど ろ の 木の下 から 
いきなり 水 を けたて て 
月光 の なか へ はねあがっ た ので 
狐 か と 思っ たら 
例 の 原始 の 水 き ね だっ た 
横 に 小さな 小屋 も ある 
粟 か 何 か を 搗く の だら う 
水 はた うたう と 落ち 
ぼそぼそ 青い 火 を 噴い て 
き ね は だんだん 下り て ゐる 
水 を 落し て また はねあがる 
き ね と いふ より 一つ の 舟 だ 
舟 といふ より 一つ の さじ だ 
ぼろぼろ 青く また やっ て ゐる 
どこ か で 鈴 が 鳴っ て ゐる 
丘 も 峠 も ひっそり と し て 
そこら の 草 は 
ねむ さ も や はら かさ も すっかり 鳥 の こ ゝ ろ もち 
ひる なら 羊歯 の や はら か な 芽 や 
桜草 も 咲い て ゐ たら う 
みち の 左 の 栗 の 林 で 囲ま れ た 
蒼鉛 いろ の 影 の 中 に 
鍵 なり を し た 巨 き な 家 が 一 軒 黒く 建っ て ゐる 
鈴 は 睡っ た 馬 の 胸 に 吊さ れ 
呼吸 につれて ふる へる の だ 
きっと 馬 は 足 を 折っ て 
蓐草 の 上 に かんばしく 睡っ て ゐる 
わたくし も また ねむり たい 
どこ か で 鈴 と おんなじ に 啼く 鳥 が ある 
たとへば それ は 青く おぼろ な 保護 色 だ 
向 ふ の 丘 の 影 の 方 でも 啼い て ゐる 
それから いくつ も の 月夜 の 峯 を 越え た 遠く で は 
風 の やう に 峡 流 も 鳴る 
一 九 二 四 、 四 、 一九 、 
いま 来 た 角 に 
二 本 の 白楊 が 立っ て ゐる 
雄花 の 紐 を ひっそり 垂れ て 
青い 氷 雲 に うかん で ゐる 
その くら がり の 遠く の 町 で 
床屋 の 鏡 がた ゞ 青ざめ て 静まる ころ 
芝居 の 小屋 が 塵 を 沈め て 落ちつく ころ 
帽子 の 影 が さ う いふ ふう だ 
シャープ 鉛筆 　 月 印 
紫蘇 の かをり の 青じろい 風 
かれ 草 が 変 に くらく て 
水銀 いろ の 小 流れ は 
蒔絵 の やう に 走っ て ゐる し 
その いちいち の 曲り目 に は 
藪 も ぼんやり けむっ て ゐる 
一 梃 の 銀 の 手斧 が 
水 の なか だ か まぶた の なか だ か 
ひどく ひかっ て ゆれ て ゐる 
太吉 が ひる ま 
この 小 流れ の どこ か の 角 で 
まゆみ の 藪 を 截っ て ゐ て 
帰り に こ ゝ へ 落し た の だら う 
なん でも そら の まんなか が 
がらんと 白く 荒 さん で ゐ て 
風 が を かしく 酸っぱい の だ … … 
風 … … と そんなに まがりくねっ た 桂 の 木 
低 原 の 雲 も 青ざめ て 
ふしぎ な 縞 に なっ て ゐる … … し 
すもも が 熟し て 落ちる やう に 
おれ も 鉛筆 を ぽ ろ っと 落し 
だまっ て 風 に 溶け て しまは う 
この うい き ゃうのかをりがそれだ 
風 … … 骨 、 青 さ 、 
どこ か で 鈴 が 鳴っ て ゐる 
どれ ぐらゐいま 睡っ たら う 
青い 星 が ひとつ きれい に すき と ほっ て 
雲 は まるで 蝋 で 鋳 た やう に なっ て ゐる し 
落葉 は みんな 落し た 鳥 の 尾羽 に 見え 
おれ は まさしく ど ろ の 木の葉 の やう に ふる へる 
七三 　 　 有明 
一 九 二 四 、 四 、 二 〇 、 
あけ がた に なり 
風 の モナド が ひしめき 
東 も けむり だし た ので 
月 は 崇 巌 な パンの木 の 実に か はり 
その 香気 も また よく 凍ら さ れ て 
はなやか に 錫 いろ の そら に か ゝ れ ば 
白い 横雲 の 上 に は 
ほろび た 古い 山 彙 の 像 が 
ね づみいろしてねむたくうかび 
ふたたび 老い た 北上川 は 
それ みづか ら の 青く かすん だ 野原 の なか で 
支流 を 納め て わ づか に ひかり 
そこ に ゆ ふ べ の 盛岡 が 
アーク ライト の 点綴 や 
また 町 なみ の 氷 燈 の 列 
ふく 郁 として ねむっ て ゐる 
滅びる 最後 の 極楽鳥 が 
尾羽 を ひろげ て 息づく やう に 
かう かう として ねむっ て ゐる 
それ こそ ここら の 林 や 森 や 
野原 の 草 を つぎつぎ に 食べ 
代り に 砂糖 や 木綿 を 出し た 
やさしい 化 性 の 鳥 で ある が 
しかも 変ら ぬ 一つ の 愛 を 
わたし は そこ に 誓 は う と する 
やぶ う ぐひすがしきりになき 
のこり の 雪 が あ え か に ひかる 
七 四 
一 九 二 四 、 四 、 二 〇 、 
東 の 雲 は はやく も 蜜 の いろ に 燃え 
丘 は かれ 草 も まだ ら の 雪 も 
あ え か に うかび はじめまして 
おぼろ に つめたい あなた の よる は 
もうこ の 山地 の どの 谷 から も 去ら う と し ます 
ひと ばん わたくし が ふり か へ り ふり か へり 来れ ば 
巻雲 の なか や あるいは けぶる 青 ぞ ら を 
しづか にわたって いらせられ 
また 四 更 とも おぼしい ころ は 
や ゝ に みだれ た 中 ぞ ら の 
二つ の 雲 の 炭素 棒 の あ ひだ に 
古び た 黄金 の 弧光 の やう に 
ふしぎ な 御座 を 示さ れ まし た 
まことに あなた を 仰ぐ ひとりひとり に 
全く ことなっ た かん が へ を あ たへ 
まことに あなた の まどか な 御座 は 
つめたい 火口 の 数 を 示し 
あなた の 御座 の 運行 は 
公式 に したがっ て た が は ぬ を 知っ て 
しかも あなた が 一つ の かんばしい 意志 で あり 
われ ら に 答 へ また はたらきかける 、 
巨 き な あやしい 生物 で ある こと 
その こと は い まし わたくし の 胸 を 
あやしく あらた に 湧き た ゝ せ ます 
あゝ あかつき 近く の 雲 が 凍れ ば 凍る ほど 
そこら が 明るく なれ ば なるほど 
あらた に あなた が お 吐き に なる 
エステル の 香 は 雲 に みち ます 
お ゝ 天子 
あなた は いま に は かに くらく なら れ ます 
七 五 　 　 北上 山地 の 春 
一 九 二 四 、 四 、 二 〇 、 
雪 沓 と ジュート の 脚絆 
白樺 は 焔 を あげ て 
熱く 酸っぱい 樹液 を 噴け ば 
こども は とんび の 歌 を うたっ て 
狸 の 毛皮 を 収穫 する 
打 製 石斧 の かたち し た 
柱 の 列 は 煤 で ひかり 
高く け は しい 屋根裏 に は 
いま 朝餐 の 青い け むりがいっぱいで 
大 迦藍 の 穹窿 の やう に 
一 本 の 光 の 棒 が 射し て ゐる 
その なまめい た 光 象 の 底 
つめたい 春 の うま や では 
かれ 草 や 雪 の 反照 
明るい 丘 の 風 を 恋 ひ 
馬 が 蹄 を ごと ごと 鳴らす 
浅黄 と 紺 の 羅紗 を 着 て 
や なぎ は 蜜 の 花 を 噴き 
鳥 は ながれる 丘 丘 を 
馬 は あやしく 急い で ゐる 
息 熱い アングロアラヴ 
光っ て 華奢 な サラーブレッド 
風 の 透明 な 楔形文字 は 
ごつごつ 暗い くるみ の 枝 に 来 て 鳴らし 
また いぬ が やや 笹 を ゆすれ ば 
ふさふさ 白い 尾 を ひらめかす 重 挽馬 
あるいは 巨 き な とかげ の やう に 
日 を 航海 する ハックニー 
馬 は つぎつぎ あら はれ て 
泥 灰 岩 の 稜 を 噛む 
おぼろ な 雪 融 の 流れ を のぼり 
孔雀 の 石 の そら の 下 
にぎやか な 光 の 市場 
種馬 検査 所 へ つれ られ て 行く 
か ぐはしい 南 の 風 は 
かげろ ふと 青い 雲 を 載せ て 
な だら の く さ を すべっ て 行け ば 
かたく り の 花 も その 葉 の 班 も 燃える 
黒い 廏肥 の 籠 を になっ て 
黄 や 橙 の かつ ぎによそひ 
いち れつ みんな は のぼっ て くる 
みんな は かぐ は しい 丘 の い た ゞ き 近く 
黄金 の ゴール を 梢 に つけ た 
大きな 栗 の 陰影 に 来 て 
その 消え残り の 銀 の 雪 から 
燃える 頬 や うなじ を ひやす 
しかも わたくし は 
この か ゞ や かな 石竹 いろ の 時候 を 
第 何 ばん 目 の 辛酸 の 春 に 数 へ たらい ゝ か 
七 八 
一 九 二 四 、 四 、 二 七 、 
向 ふも 春 の お 勤め な ので 
すっきり 青く やってくる 
町 ぜんたい にかけ わたす 
大きな 虹 を うし ろ に しょっ て 
急い で ゐる の も むじゃきだし 
鷺 の かたち に ちぢれ た 雲 の 
その まっ 下 を やってくる の も か あいさ う 
（ Bonan   Tagon ,   Sinjoro !） 
（ Bonan   Tagon ,   Sinjoro !） 
桜 の 花 が 日 に 照る と 
どこ か 蛙 の 卵 の やう だ 
八 六 　 　 山火 
一 九 二 四 、 五 、 四 、 
風 が きれ ぎれ 遠い 列車 の どよみ を 載せ て 
樹 々 に さびしく 復誦 する 
… … その 青黒い 混淆 林 の てっぺん で 
鳥 が   " Zwar "   と 叫ん で ゐる … … 
こんど は 風 のけ じ ろ い 外れ を 
蛙 が あちこち ぼそぼそ 咽び 
舎 生 が 潰れ た 喇叭 を 吹く 
古び て 蒼い 黄昏 で ある 
… … こん や も 山 が 焼け て ゐる … … 
野面 は はげしい かげろ ふ の 波 
茫 と 緑 な 麦 ば た や 
し まひ は 黝 い 乾田 の はて に 
濁っ て 青い 信号 燈 の 浮標 
… … 焼け て ゐる の は 達 曾部 あたり … … 
まあたらしい 南 の 風 が 
はやし の 縁 で 砕けれ ば 
馬 を なだめる 遥か な 最低 音 と 
つめたく ふるふ 野薔薇 の 芬気 
… … 山火 が に はか に 二つ に なる … … 
信号 燈 は 赤く 転 って すき と ほり 
いち れつ 浮ぶ 防雪 林 を 
淡い 客車 の 光 廓 が 
音 なく 北 へ かけぬける 
… … 火 は 南 で も 燃え て ゐる 
ドルメン ま が ひ の 花崗岩 を 載せ た 
千 尺 ばかり の 準 平原 が 
あっち も こっち も 燃え てる らしい 
〈 古代 神楽 を 伝へ たり 
古風 に 公事 を し たり する 
大 償 や 八木 巻 へん の 
小さな 森林 消防 隊 〉 … … 
蛙 は 遠く で かすか に さ やぎ 
も いちど ねぐら に はばたく 鳥 と 
星 の ま はり の 青い 暈 
… … 山火 は けぶり 　 山火 はけ ぶり … … 
半 霄 くらい 稲 光り から 
わ づか に 風 が 洗 は れる 
九 〇 
一 九 二 四 、 五 、 六 、 
祠 の 前 の ちしゃ の いろ し た 草 は ら に 
木 影 が まだ ら に 降っ て ゐる 
… … 鳥 は コバルト 山 に 翔け … … 
ちしゃ の いろ し た 草地 の はて に 
杉 が もくもく なら んで ゐる 
… … 鳥 は コバルト 山 に 翔け … … 
那智 先生 の 筆塚 が 
青 ぐもやまた 氷 雲 の 底 で 
鐚 の かたち の 粉 苔 を つける 
… … 鳥 は コバルト 山 に 翔け … … 
二 本 の 巨 き な と ゞ まつ が 
荒 さん で 青く 塚 の うし ろ に 立っ て ゐる 
… … 鳥 は コバルト 山 に 翔け … … 
樹 は この 夏 の 計画 を 
蒼々 として 雲 に 描く 
… … 鳥 は あっち でも こっち で も 
朝 の ピッコロ を 吹い て ゐる … … 
九 三 
一 九 二 四 、 五 、 八 、 
日脚 が ぼう と ひろがれ ば 
つめたい 西 の 風 も 吹き 
黒く いでたつ むす め が 二 人 
接骨木 藪 を ま はっ て くる 
けら を 着 　 縄 で 胸 を しぼっ て 
睡蓮 の 花 の やう に わら ひ ながら 
ふたり が こっち へ あるい て くる 
その 蓋 の ある 小さな 手桶 は 
け ふ は は たけ へ のみ 水 を 入れ て 来 た の だ 
ある 日 は 青い 蓴菜 を 入れ 
欠け た 朱 塗 の 椀 を うかべ て 
朝 が これ より 爽 か な とき 
町 へ 売り に も 来 たり する 
赤い 漆 の 小さな 桶 だ 
けら が ばさばさ し てる のに 
瓶 の かたち の 袴 を はい て 
おまけ に 鍬 を 二 梃 づつ 
けら に しばっ て ゐる もの だ から 
何 か 奇妙 な 鳥 踊り で も はじめ さ う 
大陸 から の 季節 の 風 は 
続け て 枯れ た 草 を 吹き 
に はとこ 藪 の かげ から は 
こんど は 生徒 が 四 人 来る 
赤い 顔 し て わらっ て ゐる の は 狼沢 
一 年生 の 高橋 は 　 北 清 事変 の 兵士 の やう に 
はす に 包み を しょっ て ゐる 
九 三 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二六 、 
ふたり おんなじ さ う いふ 奇 体 な 扮装 で 
はげしい かげろ ふ の 紐 を ほぐし 
しづか に ならん で 接骨 樹 藪 を ま はっ て くれ ば 
季節 の 風 に さ そ はれ て 
わざわざ ここ の 台地 の 上 へ 
ステップ 地方 の 鳥 の 踊 
それ を を どり に 来 た の か と 
誰 で もち ょっとかんがへさう 
けら が ばさばさ し てる のに 
瓶 の かたち の もんぺ を はい て 
めいめい 鍬 を 二 梃 づつ 
その 刃 を 平ら に せ なか に あて 
荷縄 を 胸 に 結 ひ ます と 
その 柄 は 二 枚 の 巨 き な 羽 
かれ 草 も ゆれ 笹 も ゆれ 
こんがらかっ た 遠く の 桑 の はたけ で は 
けむり の 青い   Lento   も ながれ 
崖 の 上 で は こども の 凧 の 尾 も ひかる 
そこ を ゆっくり ま はるの は 
もう どうしても 鳥 踊 
大陸 から の 西風 は 
雪 の 長嶺 を 越え て き て 
かげろ ふ の 紐 を ときどき 消し 
翡翠 いろ し た 天頂 で は 
ひばり も じ ゅうじゅくじゅうじゅく 鳴らす 
そこ を し づしづめぐるのは 
どうも まことに 鳥 踊 
そこら で ぴったり とまる の も 
やっぱり もっ て 鳥 踊り 
しばらく 顔 を 見合せ ながら 
赤い 手桶 を はたけ に おろし 
天使 の やう に 向き あっ て 
胸 に 手あて て 立つ といふ 
ビザンチン から 近世 まで 
大 へん 古い ポーズ です 
おや おや 胸 の 縄 を とく ！ 
お ひとり うし ろ へ ま はっ て 行っ て 
大 じ な 羽 を おろし て しまふ 
それから こちら が 縄 を とく 
そちら が 羽 を おろし て あげる 
けら を みがる に ぬぎすて て 
ま ゝ ごと みたい に 座っ て しまひ 
髪 を なで たり 
ぽ ろ っぽ ろ っと お はなし なんど はじめれ ば 
そこら あたり の 茎 ばっか し の キャベヂ から 
た ゞ もう いち めん ラムネ の やう に 
ご ぼ ご ぼ と 湧く かげろ ふ ばかり 
鳥 の 踊り も もう おし まひ 
九 九 
一 九 二 四 、 五 、 一六 、 
鉄道 線路 と 国道 が 、 
こ ゝ ら あたり は 並行 で 、 
並木 の 松 は 、 
そろっ て みち に 影 を 置き 
電信 ば しら は もう 掘りおこし た 田 の なか に 
でこぼこ 影 を なげ ます と 
い た ゞ き に 花 を ならべ て 植 ゑつ けた 
ち ひ さ な 萱 ぶ き の うま や では 
馬 が もりもり か ひ ば を 噛み 
頬 の 赤い はだし の 子ども は 
その 入口 に 稲草 の 縄 を 三 本 つけ て 
引っぱっ たり うたっ たり し て 遊ん で ゐ ます 
柳 は 萌え て 青 ぞ ら に 立ち 
田 を 犁 く 馬 は あちこち せ は しく 行き か へ り 
山 は 草 火 の けむり と いっしょ に 
青く 南 へ ながれる やう 
雲 は しづか に ひかっ て 砕け 
水 は ころころ 鳴っ て ゐ ます 
さっき の か ゞ や かな 松 の 梢 の 間 に は 
一 本 の 高い 火の見 はしご が あっ て 
その 片 っ 方 の 端 が 折れ た ので 
赭髪 の 小さな   goblin   が 
そこ に 座っ て やす んで ゐ ます 
やすん で こ ゝ ら を ながめ て ゐ ます 
ず うっ と 遠く の 崩れる 風 の あたり で は 
草 の 実 を 啄む やさしい 鳥 が 
かすか に ごろごろ 鳴い て ゐ ます 
この とき 銀 いろ の けむり を 吐き 
こ ゝ ら の 空気 を 楔 の やう に 割き ながら 
急行 列車 が 出 て 来 ます 
ず ゐ ぶん 早く 走る の です が 
車 が みんな ま はっ て ゐる の は 見え ます ので 
さっき の 頬 の 赤い はだし の 子ども は 
稲草 の 縄 を うし ろ で に もっ て 
汽車 の 足 だけ 見 て 居 ます 
その 行き すぎ た 黒い 汽車 を 
この 国 に むかし から 棲ん で ゐる 
三 本 鍬 を かつい だ 巨 き な 人 が 
に が に が 笑っ て じっと ながめ 
それから びっこをひきながら 
線路 を こっち へ よこぎっ て 
いきなり ぽっかり なくなり ます と 
あと は また 水 が ころころ 鳴っ て 
馬 が もりもり 噛む の です 
一 〇 六 
一 九 二 四 、 五 、 一八 、 
日 は トパース の かけ ら を そ ゝ ぎ 
雲 は 酸敗 し て つめたく こごえ 
ひばり の 群 は そら いち めん に 浮沈 する 
（ お ま へ は なぜ 立っ て ゐる か 
立っ て ゐ て は いけ ない 
沼 の 面 に は ひとり の アイヌ も のぞい て ゐる ） 
一 本 の 緑 天鵞絨 の 杉 の 古木 が 
南 の 風 に こごっ た 枝 を ゆすぶれ ば 
ほのか に 白い 昼 の 蛾 は 
その たより ない 気 岸 の 線 を 
さびしく ぐらぐら 漂流 する 
（ 水 は 水銀 で 
風 は かんばしい かをり を 持っ て くる と 
さ う いふ 型 の 考へ 方 も 
やっぱり 鬼神 の 範疇 で ある ） 
アイヌ は いつか 向 ふ へ うつり 
蛾 は いま 岸 の 水 ば せ う の 芽 を わたっ て ゐる 
一 一 六 　 　 津軽海峡 
一 九 二 四 、 五 、 一九 、 
南 に は 黒い 層積雲 の 棚 が でき て 
二つ の 古び た 緑 青い ろ の 半島 が 
こもごも ひる の 疲れ を 払 ふ 
… … しばしば 海 霧 を 析出 する 
二つ の 潮 の 交会点 … … 
波 は 潜まり や きらびやか な 点々 や 
反覆 さ れる 異種 の 角度 の 正 反射 
あるいは 葱 緑 と 銀 と の 縞 を 織り 
また 錫 病 と 伯 林 青 
水 が その 七 いろ の 衣裳 を か へ て 
朋 に 誇っ て ゐる とき に 
… … 喧 びやしく 澄明 な 
東方 風 の 結婚式 … … 
船 は けむり を 南 に ながし 
水脈 は 凄 美 な 砒素 鏡 に なる 
早く も 北 の 陽ざし の 中 に 
蝦夷 の 陸地 の 起伏 を ふくみ 
また 雨雲 の 渦巻く 黒い 尾 を のぞむ 
一 一 八 　 　 函館 港 春 夜光 景 
一 九 二 四 、 五 、 一九 、 
地球 照 ある 七 日 の 月 が 、 
海峡 の 西 に かかっ て 、 
岬 の 黒い 山々 が 
雲 を かぶっ て た ゝ ず め ば 、 
その うら 寒い 螺鈿 の 雲 も 、 
また おぞましく 呼吸 する 
そこ に 喜 歌劇 オルフィウス 風 の 、 
赤い 酒精 を 照明 し 、 
妖蠱奇 怪 な 虹 の 汁 を そ ゝ いで 、 
春 と 夏 と を 交雑 し 
水 と 陸 と の 市場 を つくる 
… … … … … … … … き た わい な 
つ じ うら はっけ が き た わい な 
ヲダルハコダテガスタルダイト 、 
ハコダテネムロインディコライト 
マヲカヨコハマ 船 燈 みどり 、 
フナカハロモエ 汽笛 は 八 時 
うんと そん き の はや わかり 、 
かい りく いっしょ に わかり ます 
海 ぞ この マクロフィスティス 群 に も ま が ふ 、 
巨桜 の 花 の 梢 に は 、 
いちいち に 氷質 の 電 燈 を 盛り 、 
朱 と 蒼白 の うっ こん かう に 、 
海 百 合 の 椀 を 示せ ば 
釧路 地引 の 親方 連 は 、 
ま なじり 遠く 酒 を 汲み 、 
魚 の 歯 し た ワッサーマン は 、 
狂 ほしく 灯影 を 過ぎる 
… … 五 ぐゎつははこだてこうゑんち 、 
え ん だ ん まち びとねがひごと 、 
うみ は うち そ と 日本 うみ 、 
れ うば の あたり も わかり ます … … 
夜 ぞ ら に ふるふ ビオロン と 銅鑼 、 
サミセン に もつれる 笛 や 、 
繰り か へす 螺 の スケルツォ 
あはれ マドロス 田谷 力三 は 、 
ひとり セ ビラ の 床屋 を 唱 ひ 、 
高田 正夫 は その 一 党 と 、 
紙 の 服 着 て タンゴ を 踊る 
この とき 海 霧 は ふたたび 襲 ひ 
はじめ は 翔ける 火 蛋白石 や 
やがて は 丘 と 広場 を つ ゝ み 
月 長石 の 映え する 雨 に 
孤 光 わびしい 陶磁 とか はり 、 
白 の テント も つめたく ぬれ て 、 
紅 蟹 ま ど ふ バナナ の 森 を 、 
辛く つぶやく クラリオネット 
風 は バビロン 柳 を はら ひ 、 
また ときめかす 花 梅 の かをり 、 
青い えり し た フランス 兵 は 
桜 の 枝 を さ ゝ げ て わら ひ 
船渠 会社 の 観桜 団 が 
瓶 を かざし て 広場 を 穫れ ば 
汽笛 は ふるひ 犬 吠え て 
地 照 かぐろい 七 日 の 月 は 
日本海 の 雲 に かくれる 
一 二 三 　 　 馬 
一 九 二 四 、 五 、 二 二 、 
いち に ち いっ ぱいよもぎのなかにはたらいて 
馬鈴薯 の やう に くさり かけ た 馬 は 
あかるく そそぐ 夕陽 の 汁 を 
食塩 の 結晶 し た ばさばさ の 頭 に 感じ ながら 
はたけ の へり の 熊笹 を 
ぼり ぼり ぼり ぼり 食っ て ゐ た 
それから 青い 晩 が 来 て 
やう やく 廏 に 帰っ た 馬 は 
高圧線 に かかっ た やう に 
に はか に ばたばた 云 ひだ し た 
馬 は 次 の 日 冷たく なっ た 
みんな は 松 の 林 の 裏 へ 
巨 き な 穴 を こし ら へ て 
馬 の 四つ の 脚 を まげ 
そこ へ そろそろ おろし て やっ た 
がっくり 垂れ た 頭 の 上 へ 
ぼろぼろ 土 を 落し て やっ て 
みんな も ぼろぼろ 泣い て ゐ た 
一 二 六 　 　 牛 
一 九 二 四 、 五 、 二 二 、 
一 ぴき の エーシャ 牛 が 
草 と 地 靄 に 角 を こすっ て あそん で ゐる 
うし ろ で は パルプ 工場 の 火照り が 
夜 なか の 雲 を 焦がし て ゐる し 
低い 砂丘 の 向 ふ では 
海 が どんどん 叩い て ゐる 
しかも じつに 掬っ て も 呑め さ う な 
黄銅 いろ の 月あかり な ので 
牛 は やっぱり 機嫌 よく 
こんど は 角 で 柵 を 叩い て あそん で ゐる 
一 三 三 
一 九 二 四 、 五 、 二三 、 
つめたい 海 の 水銀 が 
無数 か ゞ やく 鉄 針 を 
水平 線 に 並行 に うかべ 
ことに も 繁く 島 の 左右 に 集めれ ば 
島 は 霞ん だ 気 層 の 底 に 
ひとつ の 硅化花 園 を つくる 
銅 緑 の 色丹 松 や 
緑 礬 いろ の とど まつ ね ず こ 
また 水際 に は 鮮 ら な 銅 で 被 はれ た 
巨 き な 枯れ た いたや も あっ て 
風 の ながれ と ねむり によって 
みんな いっしょ に 酸化 さ れ また 還元 さ れる 
一 三 九 　 　 夏 
一 九 二 四 、 五 、 二三 、 
木の芽 が 油 緑 や 喪神 青 に ほころび 
あちこち 四角 な 山畑 に は 
桐 が 睡 たく 咲き だせ ば 
こども を せおっ た かみさん たち が 
毘沙門天 に たてまつる 
赤 や 黄いろ の 幡 を もち 
きみ かげ さ う の 空谷 や 
た ゞ れ た やう に 鳥 の なく 
いくつ も の 緩い 峠 を 越える 
一 四 五 　 　 比叡 （ 幻聴 ） 
一 九 二 四 、 五 、 二 五 、 
黒い 麻 の ころ も を 着 た 
六 人 の たくましい 僧 たち と 
わたくし は 山 の 平 に 立っ て ゐる 
それ は 比叡 で 
みんな の 顔 は 熱し て ゐる 
雲 も け は しく せまっ て くる し 
湖水 も 青く 湛 へ て ゐる 
（ うぬぼれ 　 うん きの ない やつ は ） 
ひとり が 所在 な ささ う に どなる 
二 七 　 　 鳥 の 遷移 
一 九 二 四 、 六 、 二一 、 
鳥 が いっ ぴき 葱 緑 の 天 を わたっ て 行く 
わたくし は 二 こ ゑのくゎくこうを 聴く 
から だ が ひどく 巨 きく て 
それに コース も 水平 な ので 
誰 か 模型 に 弾 条 でも つけ て 飛ばし た やう 
それだけ どこ か 気の毒 だ 
鳥 は 遷 り 　 さっき の 声 は 時間 の 軸 で 
青い 鏃 の グラフ を つくる 
… … きらら か に 畳む 山 彙 と 
水 いろ の そら の 縁辺 … … 
鳥 の 形 は もう 見え ず 
いま わたくし の いも う と の 
墓場 の 方 で 啼い て ゐる 
… … その 墓 森 の 松 の かげ から 
黄いろ な 電車 が すべっ て くる 
ガラス が い ちまい ふるへ て ひかる 
もう 一 枚 が ならん で ひかる … … 
鳥 は いつか ずっ とうしろ の 
煉瓦 工場 の 森 に ま はっ て 啼い て ゐる 
あるいは それ は べつ のく ゎくこうで 
さっき の やつ は まだ くち はし を つぐん だ まま 
水 を 呑み た さ うに し て そら を 見上げ ながら 
墓 の うし ろ の 松の木 など に 、 
とまっ て ゐる か も わから ない 
一 五 二 　 　 林 学生 
一 九 二 四 、 六 、 二 二 、 
ラクムス 青 の 風 だ といふ 
シャツ も 手帳 も 染まる といふ 
お ゝ 高雅 なる これら の 花 藪 と 火山 塊 と の 配列 よ 
ぼく は ふたたび ここ を 訪 ひ 
見取り を つくっ て おか う といふ 
さ う だ か へ って あと が いい 
藪 に 花 なぞ ない 方 が 、 
いろいろ 緑 の 段階 で 
舶来 風 の 粋 だ といふ 
い ゝ や ぼく の は 画 ぢ ゃないよ 
あと で どこ か の 大 公園 に 、 
そっくり 使 ふ 平面 図 だ よ 
うわ あ 測量 する の かい 
そいつ の 助手 は ごめん だ よ 
もちろん たのみ は し ない といふ 
東 の 青い 山地 の 上 で 
何 か 巨 きなか けが ね を か ふ 音 が し た 
それ は 騎兵 の 演習 だら う 
いやさ う で ない 盛岡 駅 の 機関 庫 さ 
そんな もん で は ぜんぜん ない 
すべて かう いふ 高み で は 
かならず なにか あゝ いふ ふう の 、 
得体 の しれ ない 音 を きく 
それ は 一 箇 の 神秘 だ よ 
神秘 で ない よ 気圧 だ よ 
気圧 で ない よ 耳鳴り さ 
みんな いっしょ に 耳鳴り か 
も いちど 鳴る とい ゝ な と いふ 
センチメンタル ！ 　 葉 笛 を 吹く な 
え ゝ シューベルト の セレナーデ 
これから 独奏 なさい ます 
やかましい やかましい やかまし いい 
その 葉 を だい じ に しまっ て おい て 
晩 頂上 で 吹け といふ 
先生 先生 山地 の 上 の 重たい も や のう しろから 
赤く 潰れ た を かし な もの が 昇 て くる といふ 
（ それ は 潰れ た 赤い 信頼 ！ 
天台 、 ジェームス その他 に よれ ば ！ ） 
ここら の 空気 は まるで 鉛 糖 溶液 です 
それに うし ろ も 三 合 目 まで 
た ゞ まっ白 な 雲 の 澱み に か は って ゐ ます 
月 が おぼろ な 赤い ひかり を 送っ て よこし 
遠く で 柏 が 鳴る といふ 
月 の ひかり が まるで 掬っ て 呑め さ う だ 
それから 先生 、 鷹 が どこ か で 磬 を 叩い て ゐ ます といふ 
（ あ あさう です か 　 鷹 が 磬 など 叩く と し たら 
どてら を 着 て ゐ て 叩く で せ う ね ） 
鷹 で は ない よ 　 く ひな だ よ 
く ひな で ない よ 　 し ぎだよといふ 
月 は だんだん 明るく なり 
羊歯 は はが ね に なる といふ 
み かげ の 山 も 粘板岩 の 高原 も 
もう とっぷり と 暮れ た といふ 
ああ この 風 は す な は ち ぼく 、 
且つ また ぼく が 、 
ながれる 青い 単 斜 の タッチ の 一片 といふ 
（ しかも 　 月 よ 
あなた の 鈍い 銅 線 の 
二三 は ひと も もって 居り ます ） 
あっち でも こっち で も 
鳥 は しづか に 叩く といふ 
一 五 四 　 　 亜細亜 学者 の 散策 
一 九 二 四 、 七 、 五 、 
気圧 が 高く なっ た ので 
地平 の 青い 膨らみ が 
徐々に 平 位 に 復し て 来 た 
蓋し 国土 の 質 たる や 
剛 に 過 ぐる を 尊ば ず 
地面 が 踏み に 従っ て 
小さい 歪み を なす こと は 
天竺 乃至 西域 の 
永い 夢想 で あっ た の で ある 
紫紺 の いろ に 湿っ た 雲 の こっち 側 
何 か 播か れ た 四角 な 畑 に 
かな がら 製 の 幢幡 と で も いふ べき もの が 
八つ 正しく 立て られ て ゐ て 
いろいろ の 風 に さまざま に なびく の は 
たしかに 鳥 を 追 ふた め の 装置 で あっ て 
誰 と て 異論 も ない の で ある が 
それ が ことさら あゝ いふ 風 な 
八 の 数 を そろ へ たり 
方位 を 正し て 置か れ た こと は 
ある 種 拝 天 の 余 習 で ある か 
一種 の 隔世 遺伝 で ある か 
わたし は これ を ある 契機 から 
ドルメン 周囲 の 施設 の 型 と 考へる 
日 が 青山 に 落ちよ う として 
麦 が 古金 に 熟する と する 
わたし が 名指す 古 金 と は 
今日 世上 一般 の 
暗い 黄いろ な もの で なく 
竜 樹 菩薩 の 大 論 に 
わ づか に 暗示 さ れ たる もの 、 
す な は ち その 徳 はなはだ 高く 
その 相 はるか に 旺 ん で あっ て 
むしろ   quick   gold   と も なす べき 
わくわく たる それ を 云 ふ の で ある 
水 は いつ でも 水 で あっ て 
一 気圧 下 に 零 度 で 凍り 
摂氏 四 度 の 水銀 は 、 
比重 十 三 ポイント 六 なる ごとき 
さ うし た 式 の 考へ 方 は 
現代 科学 の 域内 にて も 
俗説 たる を 免れ ぬ 
さ う 亀 茲国 の 夕日 の なか を 
やっ ぱりたぶんかういふふうに 
鳥 が す うすう 流れ た こと は 
そこ の 出土 の 壁画 から 
た ゞ ち に 指摘 できる けれども 
池地 の 青い けむり の なか を 
は ぐろとんぼがとんだかどうか 
そ は 杳 として 知る を 得 ぬ 
一 五 五 
一 九 二 四 、 七 、 五 、 
温く 含ん だ 南 の 風 が 
かたまり に なっ たり 紐 に なっ たり し て 
りう りう 夜 の 稲 を 吹き 
また まっ黒 な 水路 の へり で 
はん や くるみ の 木立 に そ ゝ ぐ 
… … 地平線 地平線 
灰 いろは が ね の 天 末 で 
銀河 の はじ が 茫乎 と けむる … … 
熟し た 藍 や 糀 の に ほ ひ 
一 き は 過ぎる 風 跡 に 
蛙 の 族 は 声 を か ぎりにうたひ 
ほた る は みだれ て いち めん とぶ 
… … 赤 眼 の 蠍 
萱 の 髪 
わ づか に 澱む 風 の 皿 … … 
螢 は 消え たり ともっ たり 
泥 は ぶつぶつ 醗酵 する 
… … 風 が 蛙 を からかっ て 、 
そんなに ぎゅっぎゅっ 云 はせる の か 
蛙 が 風 を よろこん で 、 
そんなに ぎゅっぎゅっ 叫ぶ の か … … 
北 の 十字 の ま はり から 
三 目星 の 座 の あたり 
天 は まるで いち めん 
青じろい 疱瘡 に でも かかっ た やう 
天の川 は また ぼんやり と 爆発 する 
… … ながれる といふ その こと が 
た ゞ もう 風 の こ ゝ ろ な ので 
稲 を 吹い て は 鳴らす と 云 ひ 
蛙 に 来 て は 鳴かす といふ … … 
天の川 の 見掛け の 燃え を 原因 し た 
高み の 風 の 一 列 は 
射手 の こっち で 一つ の 邪気 を そら に はく 
それ のみ なら ず 蠍 座 あたり 
西蔵 魔神 の 布 呂 に 似 た 黒い 思想 が あっ て 
南 斗 の へん に 吸 ひつ い て 
そこら の 星 を かくす の だ 
けれども 悪魔 といふ やつ は 、 
天 や 鬼神 と おんなじ やう に 、 
どんなに 力 が 強く て も 、 
やっぱり 流転 の もの だ から 
やっぱり あんなに 
やっぱり あんなに 
どんどん 風 に 溶 さ れる 
星 は もう その やさしい 面影 を 恢復 し 
そら は ふた ゝ び 古代 意慾 の 曼陀羅 に なる 
… … 螢 は 青く すき と ほり 
稲 は ざわざわ 葉擦れ する … … 
うし ろ で は また 天の川 の 小さな 爆発 
たちまち 百 の ちぎれ た 雲 が 
星 の まばら な 西 寄り で 
難 陀竜家 の 家紋 を 織り 
天 を よそ ほふ 鬼 の 族 は 
ふた ゝ び 蠍 の 大火 を を かす 
… … 蛙 の 族 は また 軋り 
大 梵天 は はるか に わら ふ … … 
奇怪 な 印 を 挙げ ながら 
ほた る の 二 疋 が もつれ て のぼり 
まっ 赤 な 星 も ながれれ ば 
水 の 中 に は 末 那 の 花 
あゝ あたたか な 憂 陀那 の 群 が 
南 から 幡 に なっ たり 幕 に なっ たり し て 
くるみ の 枝 を ざわだたせ 
また われわれ の 耳 もと で 
銅鑼 や 銅 角 に なっ て 砕けれ ば 
古 生 銀河 の 南 の はじ は 
こんど は 白い 湯気 を 噴く 
（ 風 ぐらを 増す 
風 ぐらを 増す ） 
そう ら こんど は 
射手 から 一つ 光照 弾 が 投下 さ れ 
風 に あら びるやなぎのなかを 
淫蕩 に 青く また 冴え 冴え と 
蛍 の 群 が とび めぐる 
一 五 六 
一 九 二 四 、 七 、 五 、 
この 森 を 通り ぬけれ ば 
みち は さっき の 水車 へ もどる 
鳥 が ぎらぎら 啼い て ゐる 
たしか 渡り の つぐみ の 群 だ 
夜 ど ほし 銀河 の 南 の はじ が 
白く 光っ て 爆発 し たり 
蛍 が あんまり 流れ たり 
おまけ に 風 が ひっきりなしに 樹 を ゆする ので 
鳥 は 落ちつい て 睡ら れ ず 
あんなに ひどく さわぐ の だら う 
けれども 
わたくし が 一 あし 林 の なか に はいっ た ばかり で 
こんなに はげしく 
こんなに 一 そう はげしく 
まるで に はか 雨 の やう に なく の は 
何 と いふ を かし な やつ ら だら う 
ここ は 大きな ひ ば の 林 で 
その まっ黒 な いちいち の 枝 から 
あちこち 空 の きれ ぎれが 
いろいろ に ふるへ たり 呼吸 し たり 
云 は ば あらゆる 年代 の 
光 の 目録 を 送っ て くる 
… … 鳥 が あんまり さわぐ ので 
私 は ぼんやり 立っ て ゐる … … 
みち は ほ の じ ろ く 向 ふ へ ながれ 
一つ の 木立 の 窪み から 
赤く 濁っ た 火星 が のぼり 
鳥 は 二 羽 だけ いつか こっそり やって来 て 
何 か 冴え 冴え 軋っ て 行っ た 
あゝ 風 が 吹い て あたたか さ や 銀 の 分子 
あらゆる 四 面体 の 感触 を 送り 
蛍 が 一 そう 乱れ て 飛べ ば 
鳥 は 雨 より しげく なき 
わたくし は 死ん だ 妹 の 声 を 
林 の はて の はて から きく 
… … それ は もうさ う で なく て も 
誰 でも おなじ こと な の だ から 
また あたらしく 考 へ 直す こと も ない … … 
草 の いきれ と ひのき の に ほ ひ 
鳥 は また 一 そう ひどく さわぎだす 
どうして そんなに さわぐ の か 
田 に 水 を 引く 人 たち が 
抜き足 を し て 林 の へり を あるい て も 
南 の そら で 星 が たびたび 流れ て も 
べつに あぶない こと は ない 
しづか に 睡っ て かま は ない の だ 
一 五 七 
一 九 二 四 、 七 、 
ほほ じ ろ は 鼓 の かたち に ひる が へる し 
まっすぐ にあがる ひばり も ある 
岩 頸列 は まだ 暗い 霧 に ひたさ れ て 
貢 っ た 暁 の 睡り を まもっ て ゐる が 
この 峡 流 の 出口 で は 
麻 の に ほ ひ や オゾン の 風 
もう 電動 機 も 電線 も 鳴る 
夜もすがら 
風 と 銀河 の あかり の なか で 
ガスエンヂン の 爆音 に 
灌漑水 の 急 に そ な へた わ かも の たち 、 
いま はなやか な 田園 の 黎明 の ため に 
それら の 青い 草山 の 
波立つ 萱 や 、 
古風 な 稗 の 野末 を のぞみ 
東 の そら の 黝 ん だ 葡萄 鼠 と 、 
赤 縞 入り の アラゴナイト の 盃 で 
この 清冽 な 朝 の 酒 を 
胸 いっぱい に 汲ま う で ない か 
見 たま へ あすこ ら 四 列 の 虹 の 交流 を 
水 いろ の そら の 渚 による 沙 に 
いま あたらしく 朱 金 や 風 がち ゞ れ 
ポ プルス 楊 の 幾 本 が 
繊細 な 葉 を めいめい せ は しく ゆすっ て ゐる 
湧く やう に ひる が へり 
叫ぶ やう に つた はり 
じつに われ ら の ね が ひ を ば 
いっしんに 発信 し て ゐる の だ 
一 五 八 
一 九 二 四 、 七 、 一 五 、 
（ 北上川 は 気 を ながし ィ 
山 は まひる の 思睡 を 翳す ） 
南 の 松 の 林 から 
なにか かすか な 黄いろ の けむり 
（ こっち のみ ちがい ゝ ぢ ゃあないの ） 
（ を かし な 鳥 が あすこ に 居る ！ ） 
（ どれ だい ） 
稲草 が 魔法使 ひ の 眼鏡 で 見 た といふ ふう で 
天 が あかるい 孔雀石 板 で 張ら れ て ゐる この ひな か 
川 を 見おろす 高圧線 に 
まこと 思案 の その 鳥 です 
（ は はあ 、 あいつ は か は せみ だ 
翡翠 さ 　 め だま の 赤い 
あゝ ミチア 、 今日 も ず ゐ ぶん 暑い ねえ ） 
（ 何 よ 　 ミチア って ） 
（ あいつ の 名 だ よ 
ミ の 字 は せ なか の なめらか さ 
チ の 字 は くち の とがっ た 工合 
ア の 字 は つまり 愛称 だ な ） 
（ マリア の ア の 字 も 愛称 な の ？ ） 
（ は は は 、 来 た な 
聖母 は しかく ののしり て 
クリスマス を ば 待ち たま ふ だ ） 
（ クリスマス なら 毎日 だ わ 
受難 日 だって 毎日 だ わ 
あたらしい クリ スト は 
千 人 だって きか ない から 
万 人 だって きか ない から ） 
（ は はあ 　 こいつ は … … 　 ） 
まだ 魚 狗 は じっと し て 
川 の 青 さ を にらん で ゐ ます 
（ … … で は こんな の は どう だら う 
あたい の 兄貴 は やくざ も の 　 と ） 
（ それ なに よ ） 
（ まあ 待っ て 
あたい の 兄貴 は やくざ もの と 
あし が 弱く て ある き も でき ず と 
口 を ひらい て 飛ぶ の が 手柄 
名前 を 夜鷹 と 申し ます ） 
（ おもしろい わ 　 それ なに よ ） 
（ まあ 待っ て 
それに おと とも 卑怯 も の 
花 を ま はっ て ミーミー 鳴い て 
蜜 を 吸 ふ の が … … え ゝ と 、 蜜 を 吸 ふ の が … … ） 
（ 得意 です ？ ） 
（ いや ） 
（ 何より 自慢 ？ ） 
（ いや 、 え ゝ と 
蜜 を 吸 ふ の が 日永 の 仕事 
蜂 の 雀 と 申し ます ） 
（ おもしろい わ 　 それ 何 よ ？ ） 
（ あたい といふ の が 誰 だ と おも ふ ？ ） 
（ わから ない わ ） 
（ あすこ に とまっ て いらっしゃる 
目 の りん と し た お嬢さん ） 
（ か は せみ ？ ） 
（ まあ その へん ） 
（ よ だ か が あれ の 兄貴 な の ？ ） 
（ さ う だ と さ ） 
（ 蜂 雀 か が 弟 な の ） 
（ さ う だ と さ 
第 一 それ は 女学校 だ か どこ だ か の 
お ま へ の 本 に あっ た ん だ ぜ ） 
（ 知ら ない わ ） 
さて も こんど は 獅子 独活 の 
月光 いろ の 繖形花 から 
びろう どこ が ねが 一 聯隊 
青 ぞ ら 高く 舞 ひ 立ち ます 
（ まあ 大きな バッタ カップ ！ ） 
（ ねえ あれ つき み さ う だ ねえ ） 
（ は は は は ） 
（ 学名 は 何 て いふ の よ ） 
（ 学名 なんか うるさい だら う ） 
（ だって 普通 の ことば で は 
属 や なに かも 知れ ない わ ） 
（ エノテララマーキアナ 何とか って いふ ん だ ） 
（ では ラマーク の 発見 だ わ ね ） 
（ 発見 に し ちゃ なり が すこ う し 大きい ぞ ） 
燕麦 の 白い 鈴 の 上 を 
へらさ ぎ 二 疋 わたっ て き ます 
（ どこ か です もも を 灼い てる わ ） 
（ あすこ の 松 の 林 の なか で 
木炭 か なんか を 焼い てる よ ） 
（ 木炭 窯 ぢ ゃない 瓦 窯 だ よ ） 
（ 瓦 窯 く とこ 見 て も い ゝ ？ ） 
（ い ゝ だら う ） 
林 の なか は 淡い けむり と 光 の 棒 
窯 の 奥 に は 火 が まっしろ で 
屋根 で は 一 羽 
ひよ が しきりに 叫ん で ゐ ます 
（ まあ あたし 
ラマーキアナ の 花粉 で いっぱい だ わ ） 
イリス の 花 は しづか に 燃える 
一 六 六 　 　 薤露青 
一 九 二 四 、 七 、 一 七 、 
み を つくし の 列 を なつかしく うかべ 
薤露青 の 聖 ら か な 空 明 の なか を 
たえず さびしく 湧き 鳴り ながら 
よもすがら 南 十 字 へ ながれる 水 よ 
岸 の まっくろ な くるみ ばやし の なか で は 
いま 膨大 な わかち がたい 夜 の 呼吸 から 
銀 の 分子 が 析出 さ れる 
… … み を つくし の 影 は うつくしく 水 に うつり 
プリオシンコースト に 反射 し て 崩れ て くる 波 は 
ときどき かすか な 燐光 を なげる … … 
橋板 や 空 が いきなり いま また 明るく なる の は 
この 旱天 の どこ から かく るい な びかりらしい 
水 よ わたくし の 胸 いっぱい の 
やり場 所 の ない かなし さ を 
はるか な マヂェラン の 星雲 へ と ゞ け て くれ 
そこ に は 赤 いい さ り 火 が ゆらぎ 
蝎 が うす 雲の上 を 這 ふ 
… … たえず 企画 し たえず かなしみ 
たえず 窮乏 を つ ゞ け ながら 
どこ まで も ながれ て 行く もの … … 
この 星 の 夜 の 大河 の 欄干 は もう 朽ち た 
わたくし は また 西 の わ づか な 薄明 の 残り や 
うすい 血 紅 瑪瑙 を のぞみ 
しづか な 鱗 の 呼吸 を きく 
… … なつかしい 夢 のみ を つくし … … 
声 の い ゝ 製糸 場 の 工 女 たち が 
わたくし を あざける やう に 歌っ て 行け ば 
その なか に は わたくし の 亡くなっ た 妹 の 声 が 
たしかに 二つ も 入っ て ゐる 
… … あの 力いっぱい に 
細い 弱い のど から うた ふ 女 の 声 だ … … 
杉 ばやし の 上 が いま また 明るく なる の は 
そこ から 月 が 出よ う として ゐる ので 
鳥 は しきりに さわい で ゐる 
… … み を つく しら は 夢 の 兵隊 … … 
南 から また 電光 が ひらめけ ば 
さかな は アセチレン の 匂 を はく 
水 は 銀河 の 投影 の やう に 地平線 まで ながれ 
灰 いろは が ね の そら の 環 
… … あゝ 　 いとしく おも ふも の が 
その ま ゝ どこ へ 行っ て しまっ た か わから ない こと が 
なんと いふ い ゝ こと だら う … … 
かなし さ は 空 明 から 降り 
黒い 鳥 の 鋭く 過ぎる ころ 
秋 の 鮎 の さび の 模様 が 
そら に 白く 数 条 わたる 
一 七 九 
一 九 二 四 、 八 、 一 七 、 
北 いっぱい の 星 ぞ ら に 
ぎざぎざ 黒い 嶺 線 が 
手 に とる やう に 浮い て ゐ て 
幾 す ぢ 白い パラフン を 
つぎ から つぎ と 噴い て ゐる 
そこ に もくもく 月光 を 吸 ふ 
蒼く くすん だ 海綿 体 
萱野 十 里 も を はり に なっ て 
月 は あかるく 右手 の 谷 に 南中 し 
みち は 一 す ぢ しらし ら として 
椈 の 林 に は ひら う と する 
… … あちこち 白い 楢 の 木立 と 
降る やう な 虫 の ジロフォン … … 
橙 いろ と 緑 と の 
花粉 ぐらゐの 小さな 星 が 
互に さ ゝ やき か は す が やう に 
黒い 露 岩 の 向 ふ に 沈み 
山 は つぎつぎ その でこぼこ の 嶺 線 から 
パラフン の 紐 を とばし たり 
突然 銀 の 挨拶 を 
上流 の 仲間 に 抛 げ かけ たり 
Astilbe   argentium 
Astilbe   platinicum 
いちいち の 草 穂 の 影 さ へ 落ちる 
この 清澄 な 昧爽 ちかく 
あゝ 東方 の 普賢菩薩 よ 
微か に 神威 を 垂れ 給 ひ 
曾 つて 説か れ し 華厳 の なか 
仏界 形 円き もの 
形 花台 の 如き もの 
覚 者 の 意志 に 住 する もの 
衆生 の 業 に し た が ふも の 
この 星 ぞ ら に 指し 給 へ 
… … 点々 白い 伐株 と 
まがりくねっ た 二 本 の かつら … … 
ひと す ぢ 蜘蛛 の 糸 ながれ 
ひらめく 萱 や 
月 は いたや の 梢 に くだけ 
木 影 の 窪ん で 鉛 の 網 を 
わく ら ば の やう に 飛ぶ 蛾 も ある 
一 八 一 　 　 早 池峰 山巓 
一 九 二 四 、 八 、 一 七 、 
あやしい 鉄 の 隈取り や 
数 の 苔 から 彩ら れ 
また 捕虜 岩 の 浮彫 と 
石 絨 の 神経 を 懸ける 
この 山巓 の 岩組 を 
雲 が きれ ぎれ 叫ん で 飛べ ば 
露 は ひかっ て こぼれ 
釣鐘 人 蔘 の いちいち の 鐘 も ふる へる 
みんな は 木綿 の 白衣 を つけ て 
南 は 青い は ひ 松 の な だら や 
北 は 渦巻く 雲 の 髪 
草 穂 や い は かがみ の 花 の 間 を 
ちぎら す やう な 冽 たい 風 に 
眼 も うるうる し て 息吹き ながら 
踵 を 次いで 攀 って くる 
九 旬 に あまる 旱天 つ ゞ きの 焦燥 や 
夏蚕 飼育 の 辛苦 を 了 へ て 
よろこび と 寒 さ と に 泣く やう に し ながら 
た ゞ いっしん に 登っ て くる 
… … 向 ふ で は あたらしい ぼそぼそ の 雲 が 
まっ白 な 火 に なっ て 燃える … … 
ここ は こけ も もと は な さ くう めばち さ う 
かすか な 岩 の 輻射 も あれ ば 
雲 の レモン の に ほ ひも する 
一 八 四 　 　 春 
一 九 二 四 、 八 、 二 二 、 
空気 が ぬるみ 
沼 に は 鷺 百 合 の 花 が 咲い た 
むす め たち は 
みな つややか な 黒髪 を すべら かし 
あたらしい 紺 の ペッティコート や 
また 春 らしい 水 いろ の 上着 
プラットフォーム の 陸橋 の 段 の ところ で は 
赤 縞 の ず ぼん を はい た 老 楽長 が 
そら こんな 工合 だ といふ ふう に 
楽譜 を 読ん で きかせ て ゐる し 
山脈 はけ むりになってほのかにながれ 
鳥 は 燕麦 の たね の やう に 
いく かた まり も いく かた まり も 過ぎ 
青い 蛇 は きれい な はね を ひろげ て 
そら の ひかり を とん で 行く 
ワルツ 第 CZ 号 の 列車 は 
まだ 向 ふ の ぷりぷり 顫 ふ 地平線 に 
その 白い かたち を 見せ て ゐ ない 
一 八 四 　 　 「 春 」 変奏曲 
一 九 二 四 、 八 、 二 二 、 
一 九 三 三 、 七 　 、 五 、 
いろいろ な 花 の 爵 や カップ 、 
それ が 厳 めし い 蓋 を 開け て 、 
青 や 黄いろ の 花粉 を 噴く と 、 
その ある もの は 
片っぱし から 沼 に 落ち て 
渦 に なっ たり 条 に なっ たり 
ぎらぎら 緑 の 葉 を つき 出し た 水 ぎぼうしの 株 を 
あっち へ こっち へ 避け て しづか に 滑っ て ゐる 
ところが プラットフォーム に ならん だ むす め 
そのうち ひとり が いつ まで たっ て も 笑 ひ を やめ ず 
みんな が 肩 やせ なか を 叩き 
いろいろ し て も もう どうしても 笑 ひ やめ ず 
（ ギルダ ちゃん たら いつ まで そんなに 笑 ふ の よ ） 
（ あたし … … やめよ う と おも … … ふん だ けれど … … ） 
（ 水 を 呑ん だ らい ゝ ん ぢ ゃあないの ） 
（ 誰 か せ なか を た ゝ く とい ゝ わ ） 
（ さっき の ドラゴ が 何 か 悪気 を 吐い た の よ ） 
（ 眼 が さき に を かしい の 　 お 口 が さき に を かしい の ？ ） 
（ そんな こと きい た って しかた ない わ ） 
（ のど が … … とっても … … くすぐったい … … の … … ） 
（ まあ 大 へん だ わ 　 あら 楽長 さん が やってき た ） 
（ みんな こっち へ かたまっ て 、 何 か し た かい ） 
（ ギルダ ち ゃんとてもわらってひどいのよ ） 
（ 星 葉木 の 胞子 だら う 
のど を ああ ん として ごらん 
こっち の 方 の お 日 さま へ 向い て 
さ うさ う 　 お ゝ 桃 いろ の い ゝ のど だ 
やっぱり さ う だ 
星 … … 葉木 の 胞子 だ な 
つまり 何 だ よ 　 星 葉木 の 胞子 に ね 
四 本 の 紐 が ある ん だ な 
そいつ が 息 の 出入 の たんび 
湿気 の 加減 が か はる んで 、 
のど で のび たり 、 
くるっ と 巻い たり する ん だ な 
誰 か はん けち を 、 水 で しぼっ て もっとい で 
あっ あっ 沼 の 水 で は だめ だ 、 
あすこ で こと こと 云っ て ゐる 
タンク の 脚 で しぼっ て おい で 
ぜんたい 星 葉木 なんか 
もう 絶滅 し て ゐる 筈 な ん だ が 
どこ に いったい ある ん だら う 
なん でも 風 の 上 だ から 
あっち の 方 に は ち が ひ ない が ） 
そっち の 方 に は 星 葉木 の かたち も なく て 、 
手近 に 五 本 巨 き な ドロ が 
か ゞ や かに 日 を 分 劃し 
わずか に 風 に ゆれ ながら 
枝 いっぱい に 硫黄 の 粒 を 噴い て ゐ ます 
（ 先生 、 はん けち ） 
（ ご苦労 、 ご苦労 
では これ を 口 へ あて て 
しづか に 四 五 へん 息 を し て 　 さ うさ う 
え へん と ひとつ し て ごらん 
も ひとつ え へん 　 さ う 、 どう だい ） 
（ あゝ 助かっ た 
先生 どうも ありがたう ） 
（ ギルダ ちゃん 　 おめでたう ） 
（ ギルダ ちゃん 　 おめでたう ） 
ベーリング 行 Ｘ Ｚ 号 の 列車 は 
いま 触媒 の 白金 を 噴い て 、 
線路 に 沿っ た 黄いろ な 草地 の カーペット を 
ぶすぶす 黒く 焼き 込み ながら 
梃 々 として 走っ て 来 ます 
一 九 一 　 　 風 と 杉 
一 九 二 四 、 九 、 六 、 
杉 の いちいち の 緑 褐 の 房 に 
まばゆい 白い 空 が かぶさり 
蜂 は 熱い まぶた を うなり 
風 が 吹け ば 白い 建物 
… … 一つ の 汽笛 の   Cork - screw   … … 
銀 や 痛み や さびしく 口 を つぐむ ひと 
… … それ は わたし の やう で も ある 
白金 の 毛 ある この け だ もの の まばゆい 焦点 … … 
半分 溶け て は 雀 が 通り 
思ひ 出し て は 風 が 吹く 
… … どうも ねむら れ ない … … 
（ そら お かあさん を 
ねむり の なか に 入れ て お あげ … … ） 
杉 の 葉 の まばゆい 残像 
ぽつんと 白い 銀 の 日輪 
… … まぶた は 熱く オレンヂ いろ の 火 は 燃える … … 
（ せめて 地獄 の 鬼 に なれ ） 
… … わたくし の 唇 は 花 の やう に 咲く … … 
も いちど まばゆい 白日 輪 
（ ブレンカア ） 
（ こ いづ 葡萄 だ な ） 
… … うす 赤 や 黄金 … … 
（ おい 仕事 わたせ 
おれ の 仕事 わたせ ） 
朱 塗 の らん かん 
（ 百姓 なら べつ の 仕事 も ある だら う 
君 は もう ほんとに こ ゝ に 
ひと を ばか に し て 立っ て ゐる だけ だ ） 
南 に 向い た 銅 いろ の 上半身 
髪 は ち ゞ れ て 風 に みだれる 
印度 の 力士 といふ 風 だ 
それ は その 巨 き な 杉 の 樹 神 だら う か 
あるいは 風 の ひとり だら う か 
一 九 八 　 　 雲 
一 九 二 四 、 九 、 九 、 
いっし ゃうけんめいやってきたといっても 
ね ごと みたい な 
にごり さけ みたい な こと だ 
… … ぬれ た 夜 なか の 焼き ぼっ 杭 に よっ かかり … … 
おい 　 き ゃうだい 
へんじ し て くれ 
その まっくろ な 雲 の なか から 
一 九 五 　 　 塚 と 風 
一 九 二 四 、 九 、 一 〇 、 
… … わたくし に関して 一つ の 塚 とこ ゝ を 通過 する 風 と が 
ある とき こんな やう な 存在 で ある こと を 示し た … … 
この 人 ぁくすぐらへでぁのだもなす 
たれ か が 右 の 方 で 云 ふ 
髪 を 逆立て た 印度 の 力士 ふう の もの が 
口 を ゆがめ 眼 を いからせ て 
一生 けんめい とら れ た 腕 を もぎ はなし 
東 に 走っ て 行か う と する 
その 肩 や 胸 に は 赤い 斑点 が ある 
後光 も あれ ば 鏡 も あり 
青い そら に は 瓔珞 も きらめく 
子ども に 乳 を やる 女 
その 右 乳 ぶさ あまり 大きく 角 だって 
いち めん 赤い 痘瘡 が ある 
掌 の なかば から 切ら れ た 指 
これ は やっぱり この 塚 の だら う か 
わたくし の で は ない 
柳沢 さん の で なく て ま づ 好 がっ た 
袴 を はい た 烏天狗 だ 
や 、 西行 、 
上 … … 見 … … る … … に … … は … … 及 … … ば … … な … … い … … 
や … … っ … … ぱ … … り … … 下 … … 見 … … る … … の … … だ 
呟く やう な 水 の こ ぼ こ ぼ 鳴る やう な 
私 の 考 と 阿部 孝 の 考 と を 
ちゃう ど 神楽 の 剣舞 の やう に 
対称 的 に 双方 から 合せ て 
その かっぽ れ 　 学校 へ 来 ん か な と 云っ た の だ 
こども が 二 人 母 に だか れ て ねむっ て ゐる 
い ぢ め て やり たい 
い ぢ め て やり たい 
い ぢ め て やり たい 
誰 か が 泣い て 云 ひ ながら 行き すぎる 
一 九 六 
九 、 一 〇 、 
かぜ が くれ ば 
ひと は ダイナモ に なり 
… … 白い 上着 が ぶりぶり ふるふ … … 
木 は みな 青い ラムプ を つるし 
雲 は 尾 を ひい て はせ ち が ひ 
山 は ひとつ の カメレオン で 
藍 青やか な しみ や 
いろいろ の 色素 粒 が 
そこ に せ は しく 出没 する 
三 〇 一 　 　 秋 と 負債 
一 九 二 四 、 九 、 一六 、 
半 穹二 グロス から の 電 燈 が 
お も ひ お も ひ の 焦点 を むすび 
はし ら の 陰影 を 地 に 落し 
濃淡 な 夜 の 輻射 を つくる 
… … また あま 雲 の 螺鈿 から くる 青 びかり … … 
ポラン の 広場 の 夏 の 祭 の 負債 から 
わたくし は しかた なく ここ に と ゞ まり 
ひとり まばゆく 直立 し て 
いろいろ な 目 に あふ の で ある が 
さて 徐 ろ に 四 周 を 見れ ば 
これら の 二つ の つめたい 光 の 交叉 の ほか に 
も ひとつ 見え ない 第 三種 の 照射 が あっ て 
ここ の なめらか な 白雲 石 の 床 に 
わたくし の 影 を 花 盞 の かたち に 投げ て ゐる 
し さい に 観ずれ ば 観ずる ほど 
それ が いよいよ 皎 か で 
ポラン の 広場 の 狼 避け の 柵 に も ちゃう ど あたる ので 
もう わたくし は あんな   sottise   な 灰 いろ のけ だ もの を 
二 度 お も ひ だす 要 も ない 
三 〇 四 
一 九 二 四 、 九 、 一 七 、 
落葉松 の 方陣 は 
せいせい 水 を 吸 ひ あげ て 
ピネン も 噴き リモネン も 吐き 酸素 も ふく 
ところが 栗 の 木立 の 方 は 
ま づ 一 と ほり 酸素 と 水 の 蒸気 を 噴い て 
あと は たくさん 青い ラムプ を 吊す だけ 
… … 林 いっぱい 虻 蜂 の ふるひ … … 
いずれ に し て も この へん は 
半 蔭地 の 標本 な ので 
羊歯 類 など の 培養 に は 
申し ぶん ない 条件 ぞ ろ ひ 
… … ひかっ て 華奢 に ひる が へる の は 何 鳥 だ … … 
水 いろ の そら 白い 雲 
すっかり アカシヤ づくり に なっ た 
… … こんど は 蝉 の 瓦斯 発動 機 が 林 を めぐり 
日 は 青い モザイク に なっ て 揺 めく … … 
鳥 は どこ か で 
青じろい 尖 舌 を 出す こと を かん が へ てる ぞ 
（ おお 栗 樹 　 花 謝 ち し 
なれ を あさ み て なにか せ ん ） 
… … て も 古くさい スペクトル ！ 
飾 禾草 の 穂 ！ … … 
風 が に はか に 吹きだす と 
暗い 虹 だの 顫 へる なみ が 
息 も つけ なく なる くら ゐ 
そこら いっぱい ひかり 出す 
それ は ち ひ さ な 蜘蛛 の 巣 だ 
半 透明 な 緑 の 蜘蛛 が 
森 いっぱい に ミクロトーム を 装置 し て 
虫 の くる の を 待っ て ゐる 
に も か ゝ はら ず 虫 は どんどん 飛ん で ゐる 
あの ありふれ た 百 が 単位 の 羽虫 の 輩 が 
みんな 小さな 弧光 燈 といふ やう に 
さ かさ に なっ たり 斜め に なっ たり 
自由自在 に 一生 けんめい 飛ん で ゐる 
それ も ああ まで 本気 に 飛べ ば 
公算 論 の いかもの など は 
もう 誰 に しろ 持ち出せ ない 
むしろ 情 に 富む もの は 
一 ぴき ごと に 伝記 を 書く といふ かも しれ ん 
（ お ゝ 栗 樹 　 花 去り て 
その 実は な ほし 杳 かなり ） 
鳥 が どこ か で 
また 青じろい 尖 舌 を 出す 
三 〇 七 
一 九 二 四 、 九 、 二 七 、 
しばらく ぼう と 西日 に 向 ひ 
また いそがしく からだ を まげ て 
重ね た 粟 を 束ね だす 
こども ら は 向 ふ で わら ひ 
女 たち も 一生けん命 
古金 の はたけ に 出没 する 
… … 崖 はいち めん 
すすき の 花 の まっ白 な 火 だ … … 
こんど は いきなり 身 構 へ て 
繰る やう に たぐる やう に 刈っ て 行く 
黝 ん で 濁っ た 赤い 粟 の 稈 
か べ 　 いい いい 　 い 
なら 　 いい いい 　 い 
… … あんまり 萱 穂 が ひかる ので 
こども ら まで が さわぎだす … … 
濁っ て 赤い 花 青 素 の 粟 ば たで 
ひと は しきりに はたらい て ゐる 
… … 風 に ゆす れる 蓼 の 花 
ちぢれ て 傷む 西 の 雲 … … 
女 たち も 一生けん命 
くらい 夕陽 の 流れ を 泳ぐ 
… … 萱 に とびこむ 百舌 の 群 
萱 を とびたつ 百舌 の 群 … … 
抱く やう に たぐる やう に 刈っ て 行く 
黝 んで 赤い 粟 の 稈 
… … はたけ の へり で は 
麻 の 油 緑 も 一 れつ 燃える … … 
デデッポッポ 
デデッポッポ 
… … こっち で べつ の こども ら が 
みち に 板 など 持ち だし て 
と びこえながらうたってゐる … … 
はたけ の 方 の こども ら は 
もう 風 や 夕陽 の 遠く へ 行っ て しまっ た 
三 〇 九 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二 、 
南 の はて が 
灰 いろ を し て ひかっ て ゐる 
ちぎれ た 雲 の あ ひだ から 
そら と 川 と が しばらく 闇 に 映え 合 ふ の だ 
そこ から 岸 の 林 を ふくみ 
川面 いっぱい の 液 を 孕ん で 
風 が いっさ ん 溯っ て くる 
ああ まっ 甲 に おれ を うつ 
… … ちぎれ た 冬 の 外套 を 
翼 手 の やう に ひる が へす … … 
（ われ 陀羅尼 珠 を 失ふ とき 
落魄 ひとしく 迫り 来り ぬ ） 
風 が ふた ゝ びのぼってくる 
こ はれ かかっ たら ん かん を 
嘲る やう に がたがた 鳴らす 
… … どんなに お ま へ が 潔癖 らしい 顔 を し て も 
翼 手 を もっ た 肖像 は 
もう 乾板 に は ひっ て ゐる と … … 
（ 人 も 世間 も どう とも 云 へ 
おれ は お ま へ の 行く 方角 で 
あらた な 仕事 を 見つける の だ ） 
風 が また 来れ ば 
一瞬 白い 水あか り 
（ 待て お ま へ は アルモン 黒 だ な ） 
乱れ た 鉛 の 雲 の 間 に 
ひどく 傷ん で 月 の 死骸 が あら はれる 
それ は あるいは 風 に 膨れ た 大きな 白い 星 だら う 
烏 が 軋り 
雨 は じめじめ 落ち て くる 
三 一 一 　 　 昏 い 秋 
一 九 二 四 、 一 〇 、 四 、 
黒 塚森 の 一群 が 
風 の 向 ふ に けむり を 吐け ば 
そんな つめたい 白い 火 むら は 
北 いっぱい に 飛ん で ゐる 
… … 野 は ら の ひわれ も 火 を 噴き さ う … … 
雲 の 鎖 や むら 立ち や 
白い うつ ぼ の 稲田 に たっ て 
ひと は 幽霊 写真 の やう に 
ぼんやり として 風 を 見送る 
三 一 三 　 　 産業 組合 青年 会 
一 九 二 四 、 一 〇 、 五 、 
祀ら れ ざる も 神 に は 神 の 身 土 が ある と 
あ ざけるやうなうつろな 声 で 
さ う 云っ た の は いったい 誰 だ 　 席 を わたっ た それ は 誰 だ 
… … 雪 を はらん だ つめたい 雨 が 
闇 を ぴしぴし 縫っ て ゐる … … 
ま こと の 道 は 
誰 が 云っ た の 行っ た の 
さ う いふ 風 の もの で ない 
祭祀 の 有無 を 是非 する なら ば 
卑賤 の 神 の その 名 に さ へ も ふさ は ぬ と 
応 へ た もの は いったい 何だ 　 いきまき 応 へ た それ は 何だ 
… … ときどき 遠い わ だ ちの 跡 で 
水 が かすか に ひかる の は 
東 に 畳む 夜中 の 雲 の 
わ づか に 青い 燐光 による … … 
部落 部落 の 小 組合 が 
ハム を つくり 羊毛 を 織り 医薬 を 頒 ち 
村 ごと の また その 聯合 の 大きな もの が 
山地 の 肩 を ひと とこ 砕い て 
石灰岩 末 の 幾 千 車 か を 
酸 え た 野原 に そ ゝ い だり 
ゴム から 靴 を 鋳 たり も しよ う 
… … くろく 沈ん だ 並木 の はて で 
見える と も ない 遠く の 町 が 
ぼんやり 赤い 火 照り を あげる … … 
しかも これら 熱誠 有為 な 村 々 の 処士 会同 の 夜半 
祀ら れ ざる も 神 に は 神 の 身 土 が ある と 
老い て 呟く それ は 誰 だ 
三 一 四 
一 九 二 四 、 一 〇 、 五 、 
夜 の 湿気 と 風 が さびしく いりまじり 
松 やや なぎ の 林 は くろく 
そら に は 暗い 業 の 花びら が いっぱい で 
わたくし は 神 々 の 名 を 録 し た こと から 
はげしく 寒く ふるへ て ゐる 
三 一 七 　 　 善 鬼 呪 禁 
一 九 二 四 、 一 〇 、 一一 、 
なんぼ あした は 木炭 を 荷馬 車 に 山 に 積み 
くらい うち から 町 へ 出かけ て 行く たって 
こんな 月夜 の 夜 なか すぎ 
稲 を がさがさ 高い ところ に かけ たり なんか し て ゐる と 
あんな 遠く の うす 墨 いろ の 野原 まで 
葉擦れ の 音 も 聞え て ゐ た し 
どこ から どんな 苦情 が 来 ない もん で ない 
だいいち そう ら 
そう ら 　 あんなに 
苗代 の 水 が お はぐろ みたい に 黒く なり 
畦 に 植わっ た 大豆 も どしどし 行列 する し 
十 三 日 の けぶっ た 月 の あかり に は 
十字 に なっ た 白い 暈 さ へ あら はれ て 
空 も 魚 の 眼球 に 変り 
いづれ あんまり 碌 で も ない こと が 
いくら も いくら も 起っ て くる 
お ま へ は 底 びかりする 北 ぞ ら の 
天 河 石 の ところ なんぞ に うかびあがっ て 
風 を ま 喰 ふ 野原 の 慾 と ふたり づれ 
威張っ て 稲 を かけ てる けれど 
お ま へ の だいじな 女房 は 
地べた で つかれ て 酸 乳 みたい に や はく なり 
口 を すぼめ て よろよろ し ながら 
丸太 の さき に 稲 束 を つけ て は 
も ひとつ も ひとつ お ま へ へ 送り届け て ゐる 
どうせ みんな の 穫れ ない 歳 を 
逆 に 旱魃 で みのっ た 稲 だ 
も うい ゝ 加減 区劃 り を つけ て はね おり て 
鳥 が 渡り を はじめる まで 
ぐっすり 睡る と し たら どう だ 
三 二 〇 　 　 ローマンス （ 断片 ） 
一 九 二 四 、 一 〇 、 一二 、 
ぼく は も いちど 見 て 来 ます から 
あなた は ここ で 
月 の あかり の 汞 から 
咽喉 だの 胸 を 犯さ れ ない やう 
よく 気 を 付け て 待っ て て ください 
あの 綿 火薬 の けむり の こと なぞ 
もう お 考 へ ください ます な 
最後 に ひとつ の 積乱雲 が 
ひどく ちぢれ て 砕け て しまふ 
三 三 一 　 凍 雨 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二 四 、 
つめたい 雨 も 木の葉 も 降り 
町 へ でかけ た 用足 たち も 
背 簑 を ぬらし て 帰っ て くる 
… … 凍ら す 風 に よみ が へり 
かなしい 雲 に わら ふも の … … 
牆林 は 黝 く 
上根子 堰 の 水 も せ ゝ ら ぎ 
風 の あかり や おぼろ な 雲 に 洗 はれ ながら 
き ゃらの 樹 が 塔 の かたち に つくら れ たり 
崖 いっぱい の 萱 の 根株 が 
妖しい 紅 を くゆらし たり 
… … さ ゝ やく 風 に 目 を 瞑り 
みぞ れ の 雲 に あ へぐ もの … … 
北 は 鍋倉 円満寺 
南 は 太田 飯豊 笹 間 
小さな 百 の 組合 を 
凍っ て めぐる 白 の 天涯 
三 二 九 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二六 、 
野 馬 が かって に こ さ へた みち と 
ほんと の みち と わかる か ね ？ 
なるほど お ほ ば こ セン ホイン 
その 実物 も たしか かね ？ 
おんなじ 型 の 黄いろ な 丘 を 
ずんずん 数 へ て 来れる か ね ？ 
その 地図 に ある 防火 線 と さ 
あと から でき た 防火 線 と が どうして わかる ？ 
泥 炭層 の 伏流 が 
どう いふ もの か 承知 か ね ？ 
それで 結局 迷っ て しまふ 
その とき 磁石 の 方角 だけ で 
まっ 赤 に 枯れ た 柏 の なか や 
うつ ぎやばらの 大きな 藪 を 
どんどん 走っ て 来れる か ね ？ 
そして た うとう 日 が 暮れ て 
みぞ れ が 降る かも しれ ない が 
どう だ それ でも でかける か ？ 
はあ 　 さ う か 
三 三 〇 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二六 、 
（ うとうと する と ひやりと くる ） 
（ かげろ ふ が みな 横 なぎ です よ ） 
（ 斧 劈皺雪 置く 山 と なり に けり だ ） 
（ 大人 昨夜 眠 熟 せ し や ） 
（ 唯 と や 云 はん 否 と や いは ん ） 
（ 夜半 の 雹雷知 り たま へる や ） 
（ 雷 を ば 覚ら ず 喃語 は 聴け り ） 
（ 何で せ う メチール 入り の 葡萄 酒 もっ て 
寅松 宵 に 行っ たで せ う ） 
（ おまけ に ちゃんと 徳利 へ 入れ て 
ほやほや 燗 を つけ て ゐ た 
だが メチル で は なかっ た やう だ ） 
（ いや アルコール を 獣医 と かから 
何 十 何 べ ん 買 ふさ う です 
寅松 なかなか やり ます から な ） 
（ 湧 水 に でも 行っ た だら う か ） 
（ 柏 の かげ に 寝 て ます よ ） 
（ しかし 午前 は よく うごい た ぞ 
標 石 十 も 埋め た から な ） 
（ 寅松 どうも 何 です よ 
ひとみ 黄いろ のく はしめ なんて 
ぼく ら が 毎日 云っ た ので 
刺戟 を 受け た らしい ん です ） 
（ そいつ は ちょっと どう だら う ） 
（ もっとも ゲルベアウゲ の 方 も 
いっぺん 身売り に きまっ た とこ を 
やっと ああ し て ゐる さ う です が ） 
（ あんまり 馬 が 廉 いも なあ ） 
（ ばあさん も ゆ ふ べ きのこ を 焼い て 
ぼく に は いろいろ 口説い た です よ 
何 ぼ 何 食っ て 育っ た から って 
あんまり むごい はなし だ なんて ） 
（ でも 寅松 へ 嫁 る ん だら う ） 
（ さあ 寅松 へ どう です か 
野 馬 を わざと 畑 へ 入れ て 
放牧 主 へ 文句 を つけ た こと など を 
ばあさん 云っ て ゐ まし た から ね ） 
（ それでは 嫁 る 気 も ない ん だ な ） 
（ キャベヂ の 湯 煮 に も 飽き まし た なあ ） 
（ 都 に こそ は 待ち たま ふらん ） 
（ それ は そっち の こと で せ う 
ご 機嫌 いか ゞ と あっ た で せ う ） 
（ 安息 す 鈴蘭 の 蓐 だ ） 
（ さ あれ その 蓐古 びて 黄 なり です ） 
（ 山嶺 既に 々 ） 
（ 天蓋 朱 黄 燃 ゆる は 如何 ） 
（ 爪 哇 の 僭王胡 瓜 を 啖 ふ ） 
（ 誰 か 王位 を 微風 に 承けん ） 
（ アダヂオ は 弦 に はじまる ） 
（ 柏 影 霜 葉 喃語 を 棄て ず ） 
（ 冠 毛 燈 ！ 　 ドラモンド 光 ！ ） 
三 二 四 　 　 郊外 
一 九 二 四 、 一 〇 、 二 九 、 
卑しく ひかる 乱雲 が 
ときどき 凍っ た 雨 を おとし 
野原 は 寒く あかるく て 
水路 も ゆらぎ 
穂 の ない 粟 の 塔 も 消さ れる 
鷹 は 鱗 を 片 映え さ せ て 
まひる の 雲 の 下 底 を よぎり 
ひと は ちぎれ た 海藻 を 着 て 
煮 られ た 塩 の 魚 を おも ふ 
西 はう づまく 風 の 縁 
紅く た ゞ れ た 錦 の 皺 を 
つぎつぎ 伸び たり つま づい たり 
乱 積雲 の わびしい 影 が 
まなこ の かぎり 南 へ 滑り 
山 の 向 ふ の 秋田 の そら は 
かすか に 白い 雲 の 髪 
毬 を か ゝ げた 二 本 杉 
七 庚申 の 石 の 塚 
たちまち 山 の 襞 いち めん を 
霧 が 火 むら に 燃えたて ば 
江釣子 森 の 松 むら ばかり 
黒 々 として 溶け 残り 
人 は むなしい 幽霊 写真 
た ゞ ぼんやり と 風 を 見送る 
三 一 三 　 　 命令 
一 九 二 四 、 一一 、 二 、 
マイナス 第 一 中隊 は 
午前 一 時 に 露営 地 を 出発 し 
現在 の 松 並木 を 南方 に 前進 し て 
向 ふ の 、 
あの 、 
そら 、 
あの 黒い 特立 樹 の 尖端 から 
右 方 指 二 本 の 緑 の 星 、 
あすこ の 泉 地 を 経過 し て 
市街 の コロイダーレ な 照明 を 攻撃 せよ 
第 一 小隊 長 
き さま は 途中 の 行軍 中 、 
そら の ねむ け を 噛み ながら 行け 
それから 市街地 近傍 の 、 
並木 に 沿っ た 沼沢 に は 
睡蓮 や 蓴菜 
いろいろ な 燐光 が 出没 する けれども 
すこしも それ に かまっ て は なら ない 
いい か 　 わかっ た か 
命令 　 終り 
三 〇 五 
一 九 二 四 、 一一 、 一 〇 、 
その 洋傘 だけ で どう か なあ 
虹 の 背後 が 青く 暗く て 怪しい し 
その また下 が あんな まっ 赤 な 山 と 谷 
… … こんもり と 松 の 籠っ た 岩 の 鐘 … … 
日 に だまさ れ て でかけ て 行く と 
シャツ の 底 まで 凍っ て しまふ 
… … 建物 中 の 玻璃 の 窓 が 
みんな いちどに がたがた 鳴っ て 
林 は まるで 津波 の やう … … 
ああ もう 向 ふ で 降っ て ゐる 
へん に はげしく 光っ て ゐる 
どうも 雨 で は ない らしい 
… … もう そこら へ も やってくる 
まっ 赤 な 山 も だんだん かくれ 
木の葉 は まるで 鼠 の やう に 
ぐらぐら 東 へ 流さ れる … … 
それに 上 に は 副 虹 だ 
あの 副 虹 の でる とき が 
いちばん 胸 に わるい ん だ 
… … ロンドンパープル や パリスグリン 
あらゆる 毒 剤 の に ほ ひ を 盛っ て 
青い 弧 を 虚空 いっぱい に 張り わたす … … 
まあ 掛け たま へ 
ぢ き に きれい な 天気 に なる し 
なに か 仕度 も さがす から 
… … たれ も 行か ない ひるま の 野原 
天気 の 猫 の 目 の なか を 
防水 服 や 白い 木綿 の 手袋 は 
ま づ ロビンソンクルーソー … … 
ちょっと か はっ た 葉巻 を 巻い た 
フェアスモーク といふ もん さ 
それ も いっしょ に もっ て くる 
三 三 一 　 　 孤独 と 風 童 
一 九 二 四 、 一一 、 二三 、 
シグナル の 
赤い あかり も ともっ た し 
そこら の 雲 も ちら け て しまふ 
プラットフォーム は 
Ｙ の 字 を し た 柱 だ の 
犬 の 毛皮 を 着 た 農夫 だ の 
け ふも すっかり 酸 え て しまっ た 
東 へ 行く の ？ 
白い み かげ の 胃 の 方 へ かい 
さ う 
では 　 おいで 
行きがけ に ねえ 
向 ふ の 
あの 
ぼんやり と し た 葡萄 いろ の そら を 通っ て 
大 荒沢 や あっち は ひどい 雪 です と 
ぼく が 云っ た と 云っ と くれ 
では 
さ やう なら 
三 三 八 　 　 異 途 へ の 出発 
一 九 二 五 、 一 、 五 、 
月 の 惑 みと 
巨 き な 雪 の 盤 と の なか に 
あて なく ひとり 下り立て ば 
あ しもと は 軋り 
寒冷 で まっくろ な 空虚 は 
がらんと 額 に 臨ん で ゐる 
… … 楽 手 たち は 蒼 ざめて 死 に 
嬰児 は 水 いろ の も や に うまれ た … … 
尖っ た 青い 燐光 が 
いち めん そこら の 雪 を 縫っ て 
せ は しく 浮い たり 沈ん だり 
しんしん と 風 を 集積 する 
… … ああ アカシヤ の 黒い 列 … … 
みんな に 義理 を かい て まで 
こん や 旅だつ この みち も 
じつは た ゞ し い もの で なく 
誰 の ため に も なら ない の だ と 
いま まで に しろ わかっ て ゐ て 
それで どうにも なら ない の だ 
… … 底 びかりする 水晶 天 の 
一 ひら 白い 裂罅 の あと … … 
雪 が 一 そう またたい て 
そこら を 海 より さびしく する 
三 四 三 　 　 暁 穹 へ の 嫉妬 
一 九 二 五 、 一 、 六 、 
薔薇 輝石 や 雪 の エッセンス を 集め て 、 
ひかり けだかく か ゞ やき ながら 
その 清 麗 な サファイア 風 の 惑星 を 
溶かさ う と する あけ がた の そら 
さっき は みち は 渚 を つた ひ 
波 も ねむたく ゆれ て ゐ た とき 
星 は あやしく 澄みわたり 
過 冷 な 天 の 水 そこで 
青い 合図 を いく たび いくつ も 投げ て ゐ た 
それなのに いま 
（ ところが あいつ はまん 円 な もん で 
リング も あれ ば 月 も 七 っ つもっ て ゐる 
第 一 あんな もの 生き て も ゐ ない し 
まあ 行っ て 見ろ ごそごそ だ ぞ ） と 
草刈 が 云っ た として も 
ぼく が あいつ を 恋する ため に 
この うつくしい あけ ぞ ら を 
変 な 顔 し て 　 見 て ゐる こと は 変ら ない 
変ら ない どこ か そんな こと など 云 はれる と 
いよいよ ぼく は どう し て い ゝ か わから なく なる 
… … 雪 を かぶっ た は ひび ゃくしんと 
百 の 岬 が いま 明ける 
万 葉風 の 青海原 よ … … 
滅びる 鳥 の 種族 の やう に 
星 は も いちど ひる が へる 
三 五 一 　 　 発動 機 船 
一 九 二 五 、 一 、 八 、 
水底 の 岩 層 も 見え 
藻 の 群落 も 手 に とる やう な 
アンデルゼン の 月夜 の 海 を 
船 は 真鍮 の ラッパ を 吹い て 
三 五 六 　 　 旅程 幻想 
一 九 二 五 、 一 、 八 、 
さびしい 不漁 と 旱害 の あと を 
海 に 沿 ふ 
いくつ も の 峠 を 越え たり 
萱 の 野原 を 通っ たり し て 
ひとり ここ まで 来 た の だ けれども 
いま この 荒れ た 河原 の 砂 の 、 
うす 陽 の なか に まどろめ ば 、 
肩 またせ な の うら 寒く 
何 か 不安 な この 感じ は 
たしか し まひ の 硅板岩 の 峠 の 上 で 
放牧 用 の 木柵 の 
楢 の 扉 を 開け た ま ゝ 
みち を 急い だ ため らしく 
そこ の 光っ て つめたい そら や 
やどり木 の ある 栗 の 木 など も 眼 に うかぶ 
その 川上 の 幾重 の 雲 と 
つめたい 日射し の 格子 の なか で 
何 か 知ら ない 巨 き な 鳥 が 
かすか に ごろごろ 鳴い て ゐる 
三 五 八 　 　 峠 
一 九 二 五 、 一 、 九 、 
あんまり 眩 ゆく 山 が ま はり を うねる ので 
ここら は まるで 何 か 光 機 の 焦点 の やう 
蒼穹 ばかり 、 
いよいよ 暗く 陥 ち 込ん で ゐる 、 
（ 鉄鉱 床 の ダイナマイト だ 
いま の あやしい 呟き は ！ ） 
冷たい 風 が 、 
せ は しく 西 から 襲 ふ ので 
白樺 は みな 、 
ね ぢ れ た 枝 を 東 の そら の 海 の 光 へ 伸ばし 
雪 と 露 岩 のけ は しい 二 色 の 起伏 の はて で 
二 十 世紀 の 太平洋 が 、 
青く なまめき けむっ て ゐる 
黒い 岬 の こっち に は 
釜石湾 の 一 つぶ 華奢 な エメラルド 
… … そこ で は 叔父 の こども ら が 
みんな すくすくと 育っ て ゐ た … … 
あたらしい 風 が 翔けれ ば 
白 樺の木 は 鋼 の やう に りん りん 鳴らす 
四 〇 一 　 　 氷質 の 冗談 
一 九 二 五 、 一 、 一八 、 
職員 諸兄 　 学校 が もう 砂漠 の なか に 来 て ます ぞ 
杉 の 林 が ペルシャ な つめ に 変っ て しまひ 
はたけ も 藪 も なくなっ て 
そこら はいち めん 氷 凍 さ れ た 砂けむり です 
白 淵 先生 　 北緯 三 十 九 度 辺 まで 
アラビヤ 魔神 が 出 て 来 ます のに 
大本山 から なんにも お触れ が なかっ た です か 
さっき われわれ が 教室 から 帰っ た とき は 
そこ は 賑やか な 空気 の 祭 
青く か ゞ やく 天 の 椀 から 
ね むや 鵝鳥 の 花 も 胸毛 も 降っ て ゐ まし た 
それから あなた が 進度 表 など お 綴 ぢ に なり 
わたくし が 火 を たきつけ て ゐ た その ひま に 
あの 妖質 のみ づうみが 
ぎらぎら ひかっ て よどん だ の です 
え ゝ 　 さうな ん です 
もし わたくし が あなた の 方 の 管長 なら ば 
こんな とき こそ 布教 使 がた を 
みんな 巨 き な 駱駝 に 乗せ て 
あの ほ の じ ろ く あ え か な 霧 の イリデセンス 
蛋白石 の けむり の なか に 
もう どこ まで もだし て やり ます 
そんな 砂漠 の 漂 ふ 大きな 虚像 の なか を 
あるいは ひとり 
あるいは 兵士 や 隊商 連 の なか ま に 入れ て 
熱く 息づく らくだ のせ な の 革 嚢 に 
世界 の 辛苦 を 一 杯 に つめ 
極地 の 海 に 堅く 封じ て 沈める こと を 命じ ます 
そしたら たぶん 　 それ は 強力 な 竜 に か は って 
地球 一 めん はげしい 雹 を 降らす で せ う 
その とき わたくし 管長 は 
東京 の 中 本山 の 玻璃 台 に ろ 頂 部 だけ を てかてか 剃っ て 
九 条 のけ さ を かけ て 立ち 
二 人 の 侍者 に 香炉 と 白い 百 合 の 花 と を さ ゝ げ さ せ 
空 を 仰い で ごく おもむろに 
竜 を なだめる 二 行 の 迦陀 を つくり ます 
いや ごらん なさい 
た うとう 新聞 記者 が やってき まし た 
四 〇 七 　 　 森林 軌道 
一 九 二 五 、 一 、 二 五 、 
岩手 火山 が 巨 き な 氷霧 の 套 を つけ て 
その い た ゞ き を 陰気 な 亜鉛 の 粉 に う づめ 
裾 に 岱赭 の 落葉松 の 方 林 を 
林道 白く 連結 すれ ば 
そこ から 寒い 負 性 の 雪 が 
小松 の 黒い 金米糖 を 
野原 いち めん 散点 する 
… … 川 の 音 から 風の音 から 
とろ が かすか に ひびい て くる … … 
南 は うるむ 雪ぐ も を 
盛岡 の 市 は 沈ん で 見え ず 
三つ 森山 の 西 半分 に 
雑木 が ぼう と くすぶっ て 
のこり が 鈍い ぶり きいろ 
… … 鎔岩流 の 刻み の 上 に 
二つ の 鬼 語 が 横行 する … … 
いきなり 一 す ぢ 
吹雪 が 螺旋 に 舞 ひあがり 
続い て 一 す ぢ また 立て ば 
いま は もう 野 は ら 一ぱい 
あっち も こっち も 
空気 に 孔 が あい た やう 
巌 稜 も 一斉 に 噴く 
… … 四 番 の とろ は 
ひどく 難儀 を し て ゐる らしく 
音 も 却って 遠く へ 行っ た … … 
一つ の 雪 の 欠け目 から 
白い 光 が 斜め に 射し 
山 は 灰 より 巨 きく て 
林 も はん ぶん けむり に 陥 ちる 
… … 鳥 は さっき から 一生けん命 
吹雪 の 柱 を 縫 ひ ながら 
風 の 高み に 叫ん で ゐ た … … 
四 〇 八 
一 九 二 五 、 一 、 二 五 、 
寅 吉山 の 北 の な だら で 
雪 が まばゆい タングステン の 盤 に なり 
山稜 の 樹 の 昇 羃列 が 
そこ に 華麗 な 像 を うつし 
また ふもと で は 
枝打ち さ れ た 緑 褐色 の 松並 が 
弧線 に なっ て うかん で ゐる 
恍 と し た 佇立 の うち に 
雲 は ば し ゃばしゃ 飛び 
風 は 
中世 騎士 風 の 道徳 を はこん で ゐ た 
四 〇 九 
一 九 二 五 、 一 、 二 五 、 
今日 も またし やう が ない な 
青 ぞ ら ばかり うるうる で 
窓 から 下 はた ゞ いち めん の ひかっ て 白 いのっ ぺらばう 
砂漠 みたい な 氷原 みたい な 低い 霧 だ 
雪 に かんかん 日 が 照っ て 
あと で 気温 が さがっ て くる と 
かう いふ こと に なる ん だ な 
泉沢 だの 藤原 だの 
太田 へ 帰る 生徒 ら が 
声 だけ がやがや すぐ 窓 下 を 通っ て ゐ て 
帽子 も 顔 も なんにも 見え ず 
た ゞ まっ白 に 光る 霧 が 
ぎらぎら 澱ん で ゐる ばかり 
もっとも 向 ふ の は たけ に は 
つる うめ もどき の 石 藪 が 
小さな 島 に うかん で ゐる し 
正門 ぎはの アカシヤ 列 は 
茶 いろ な 莢 を たくさん つけ て 
蜃気楼 そっくり 
脚 を ぼんやり 生え て ゐる 
さ う だからといって … … 
なん だい 泉沢 なんど が 
正門 の 前 を 通り ながら 
先生 さよなら なんと いふ 
いったい 霧 の 中 から は 
こっち が 見える わけ な の か 
さよなら なんて いは れる と 
まるで われわれ 職員 が 
タイタニック の 甲板 で 
Nearer   my   God   か 何 か うた ふ 
悲壮 な 船客 ま が ひ で ある 
むしろ この 際 進度 表 など なげ 出し て 
寒暖計 や テープ を もっ て 
霧 に じゃ ぼん と 跳び こむ こと だ 
いくら 異例 の 風景 で も 
立派 な 自然 現象 で 
活動 写真 の トリック など で は ない の だ から 
寒暖計 も 湿度 計 も … … 
… … 霧 は もちろん 飽和 だ が … … 
地表 面 から 高 さ につれて 
ちがっ た 数 を 出す 筈 だ 
四 〇 九 　 　 冬 
一 九 二 五 、 二 、 五 、 
がら に も ない 商略 なんぞ たてよ う と し た から 
そんな 嫌 人 症 に とっつかまっ た ん だ 
… … とんとん 叩い て ゐ や がる な … … 
なん だい 　 あんな 　 二つ ぽつんと 赤い 火 は 
… … 山地 は しづか に 収斂 し 
凍え て くらい 月 の あかり や 雲 … … 
八 時 の 電車 が きれい な あかり を いっぱい のせ て 
防雪 林 の て ま へ の 橋 を わたっ て くる 
… … あゝ あ 　 風 の なか へ 消え て しまひ たい … … 
蒼 ざめた 冬 の 層積雲 が 
ひがし へ ひがし へ 畳ん で 行く 
… … とんとん 叩い て ゐ や がる な … … 
世紀 末 風 の ぼんやり 青い 氷霧 だ の 
こんもり 暗い 松山 だ の か 
… … ベル が 鳴っ てる よう … … 
向日葵 の 花 の か はり に 
電 燈 が 三つ 咲い て み たり 
灌漑水 や 肥料 の 不足 な 分 で 
温泉 町 が でき て み たり だ 
… … ムーンディーアサンディーア だい … … 
巨 き な 雲 の 欠 刻 
… … いっぱい に あかり を 載せ て 電車 が くる … … 
九 〇 　 　 風 と 反感 
一 九 二 五 、 二 、 一 四 、 
狐 の 皮 なぞ のっそり 巻い て 
そんな を かし な 反感 だ か 何 だ か 
真鍮 いろ の 皿 みたい な もの を 
風 の なか から ちぎっ て 投げ て よこし て も 
ごらん の と ほり こっち は 雪 の 松 街道 を 
急い で 出掛け て 行く の だ し 
墓地 に ならん だ 赭 い ひのき も 見 て ゐる の だ し 
とても いちいち 受けつけ て ゐる ひま が ない 
は はん 
まち のう へ の つめたい そら に 
くろい け むりがながれるながれる 
四 一 〇 　 　 車中 
一 九 二 五 、 二 、 一 五 、 
ば し ゃばしゃした 狸 の 毛 を 耳 に はめ 
黒い し ゃっぽもきちんとかぶり 
まなこ に うつろ の 影 を うかべ 
… … 肥っ た 妻 と 雪 の 鳥 … … 
凜 として 
ここら の 水底 の 窓 ぎはに 腰かけ て ゐる 
ひとり の 鉄道 工夫 で ある 
… … 風 が 水 より 稠密 で 
水 と 氷 は 互に 遷 る 
稲 沼原 の 二月 ころ … … 
なめらか で でこぼこ の 窓 硝子 は 
しろく 澱ん だ 雪 ぞ ら と 
ひょろ長い 松 と を うつす 
四 一 一 　 　 未来 圏 から の 影 
一 九 二 五 、 二 、 一 五 、 
吹雪 は ひどい し 
け ふも すさまじい 落磐 
… … どうして あんなに ひっきりなし 
凍っ た 汽笛 を 鳴らす の か … … 
影 や 恐ろしい けむり の なか から 
蒼 ざめてひとがよろよろあらはれる 
それ は 氷 の 未来 圏 から なげ られ た 
戦慄 す べき おれ の 影 だ 
四 一 五 
一 九 二 五 、 二 、 一 五 、 
暮れ ちかい 
吹雪 の 底 の 店 さき に 
萌 黄いろし た きれい な 頸 を 
す なほ に 伸ばし て 吊り 下げ られる 
小さな いち は の 家鴨 の 子 
… … 屠 者 は おもむろに 呪 し 
鮫 の 黒 肉 は わびしく 凍る … … 
風 の 擦過 の 向 ふ では 
に せ 巡礼 の 鈴 の 音 
四 一 九 　 　 奏 鳴 的 説明 
一 九 二 五 、 二 、 一 五 、 
雲 も ぎらぎら に ちぢれ 
木 が 還 照 の なか から 生え たつ とき 
翻 へっ たり 砕け たり 或は 全 い 空 明 を 示し たり 
吹雪 は かがやく 流 沙 の ご とく に 
地平 はるか に 移り 行き ます 
それ は あやしい 火 に さ へ なっ て 
ひと びとの 視 官 を 眩惑 いたし ます 
或は 燃え あがる ボヘミヤ の 玻璃 
すさまじき 光 と 風 と の 奏 鳴 者 
そも 氷 片 に また 趨光 の 性 ある か 
はた 天球 の 極 を 索 むる 泳動 か 
そら の フラスコ 、 
四 万 アール の 散乱 質 は 
旋 る 日脚 に従って 
地平 はるか に 遷 り 行き ます 
その 風 の 脚 
まばゆく まぶしい 光 の なか を 
スキップ といふ かたち を なし て 
一 の 黒 影 こ な た へ 来れ ば 
いまや 日 は 乱雲 に 落ち 
その へり は 烈しい 鏡 を 示し ます 
五 〇 四 
一 九 二 五 、 四 、 二 、 
硫黄 いろ し た 天球 を 
煤け た 雲 が いく きれ か 翔け 
肥料 倉庫 の 亜鉛 の 屋根 で 
鳥 が するどく ひる が へる 
最後 に 湿っ た 真鍮 を 
二 きれ 投げ て 日 は 沈み 
おもちゃ の やう な 小さな 汽車 は 
教師 や 技手 を 四 五 人 乗せ て 
東 の 青い 古 生 山地 に 出発 する 
… … 大豆 の 玉 負 ふそ の 人 に 
希 臘古聖 の す がた あり … … 
積ま れ て 酸 える 枕木 や 
けむり の なか の 赤い シグナル 
五 〇 六 
一 九 二 五 、 四 、 二 、 
その とき 嫁い だ 妹 に 云 ふ 
十 三 も ある 昴 の 星 を 
汗 に 眼 を 蝕ま れ 
あるいは 五つ や 七つ と 数 へ 
或いは 一つ の 雲 と 見る 
老い た 野原 の 師父 たち の ため 
老い と 病 ひ に なげい て は 
その 子 と 孫 に あざけら れ 
死 に の 床 で は 誰 ひとり 
た ゞ 安らか に その道 を 
行け と 云 はれ ぬ 嫗 の ため に 
… … 水音 と ホップ の かをり 
青 ぐらい 峡 の 月光 … … 
お ま へ の いまだに 頑是 なく 
赤い 毛糸 の はっぴ を 着せ た 
まなこ つぶら な 童子 を ば 
舞台 の 雪 と 青い あかり に しばらく 貸せ と 
… … ほのか に しろい 並列 は 
達 曾部川 の 鉄橋 の 脚 … … 
そこ で は しづか に この 国 の 
古い 和讃 の 海 が 鳴り 
地蔵 菩薩 は そのかみ の 、 
母 の 死 による 発心 を 、 
眉 や はら か に 物 が たり 
孝子 は 誨 へ られ たる やう に 
無心 に 両手 を 合す で あら う 
（ 菩薩 威 霊 を 仮し たま へ ） 
ぎざぎざ の 黒い 崖 から 
雪 融 の 水 が 崩れ落ち 
種山 あたり 雲 の 蛍光 
雪 か 雲 か の 変質 が 
その 高原 の しづか な 頂 部 で 行 は れる 
… … まなこ つぶら な 童子 を ば 
しばらく われ に 貸せ といふ … … 
いま シグナル の 暗い 青 燈 
五 〇 八 　 　 発電 所 
一 九 二 五 、 四 、 二 、 
鈍っ た 雪 を あちこち 載せる 
鉄 や ギャプロ の 峯 の 脚 
二 十 日 の 月 の 錫 の あかり を 
わ づか に 赤い 落水 管 と 
ガラス づくり の 発電 室 と 
… … また 余 水 吐 の 青じろい 滝 … … 
くろい 蝸牛 水車 で 
早く も 春 の 雷 気 を 鳴らし 
鞘 翅発電 機 を もっ て 
愴 たる 夜中 の ねむ け を ふるは せ 
むら気 な 十 の 電圧 計 や 
もっと 多情 な 電流 計 で 
鉛直 フズリナ 配電 盤 に 
交通 地図 の 模型 を つくり 
大 トランス の 六つ から 
三 万 ボルト の けいれん を 
塔 の 初号 に 連結 すれ ば 
幾 列 の 清冽 な 電 燈 は 
青じろい 風 や 川 を わたり 
まっ黒 な 工場 の 夜 の 屋根 から 
赤い 傘 、 火花 の 雲 を 噴き あげる 
五 一 一 
一 九 二 五 、 四 、 二 、 
… … は つれ て 軋る 手袋 と 
盲 ひ 凍え た 月 の 鉛 … … 
県道 の よごれ た 凍み 雪 が 
西 に つ ゞ い て 氷河 に 見え 
畳ん で くらい 丘 丘 を 
春 の キメラ が しづか に 翔ける 
… … 眼 に 象っ て 
かなしい その 眼 に 象っ て … … 
北 で 一つ の 松山 が 
重く 澱ん だ 夜 なか の 雲 に 
肩 から 上 を どんより 消さ れ 
黒い 地平 の 遠く で は 
何 か 玻璃 器 を 軋ら す やう に 
鳥 が たくさん 啼い て ゐる 
… … 眼 に 象っ て 
泪 を た ゝ へた 眼 に 象っ て … … 
丘 いち めん に 風 が ご う ご う 吹い て ゐる 
ところが こ ゝ は 黄いろ な 芝 が ぼんやり 敷い て 
笹 が す こう し さ や ぐきり 
たとへば ねむたい 空気 の 沼 だ 
かう いふ ひそか な 空気 の 沼 を 
板 や わ づか の 漆喰 から 
正 方体 に こし ら へ あげ て 
ふたり だまっ て 座っ たり 
うすい 緑茶 を の ん だり する 
どうして さ う いふ やさしい こと を 
卑し むこ と も なかっ た の だ 
… … 眼 に 象っ て 
かなしい あの 眼 に 象っ て … … 
あらゆる 好意 や 戒め を 
それ が 安易 で ある ばかり に 
ことさら 嘲 けり 払っ た あと 
ここ に は 乱れる 憤り と 
病 ひ に 移 化 する 困憊 ばかり 
… … 鳥 が 林 の 裾 の 方 でも 鳴い て ゐる … … 
… … 霰 か 氷雨 を 含む らしい 
黒く 珂質 の 雲 の 下 
三郎 沼 の 岸 から かけ て 
夜 なか の 巨 き な 林檎 の 樹 に 
しきりに 鳴き か ふ 磁製 の 鳥 だ … … 
（ わたくし の つくっ た 蝗 を 見 て ください ） 
（ なるほど それ は 
ロッキー 蝗 といふ ふう です ね 
チョーク で へり を 隈 どっ た 
黒 の 模様 が おもしろい 
それ は 一疋 だけ 見本 です ね ） 
お ゝ 月 の 座 の 雲 の 銀 
巨 き な 喪服 の やう に も 見える 
五 一 五 　 　 朝餐 
一 九 二 五 、 四 、 五 、 
苔 に 座っ て たべ てる と 
麦粉 と 塩 で こし ら へ た 
この まっ白 な 鋳物 の 盤 の 
何と 立派 で おいしい こと よ 
裏 に は みんな 曲っ た 松 を 浮き出し て 、 
表 は 点 の 括り 字 で 「 大 」 といふ 字 を 鋳 出し て ある 
この 大の字 は この せんべい が 大きい といふ 広告 な の か 
あの 人 の 名 を 大蔵 と で も 云 ふ の だら う か 
さ う でなければ どこ か で 買っ た 古 型 だら う 
たしか びっこをひいてゐた 
発破 で 足 を けがし た ため に 
生れ た 村 の 入口 で 
せんべい など を 焼い て くらす といふ こと も ある 
白銅 一つ ごく ていねい に 受けとっ て 
がさがさ これ を 数 へ て ゐ たら 
赤 髪 の こども が そば から 一 枚 くれ といふ 
人 は 腹 で は くつ くつ わら ひ 
顔 は しかめ て やぶけ た やつ を 見 附け て やっ た 
林 は 西 の つめたい 風 の 朝 
頭 の 上 に も 曲っ た 松 が にょきにょき 立っ て 
白い 小麦 の この パンケーキ の おいし さ よ 
競馬 の 馬 が は うれん 草 を 食 ふ やう に 
アメリカ 人 が アスパラガス を 喰 ふ やう に 
すき と ほっ た 風 と いっしょ に むさぼり たべる 
こんな の を こそ   speisen   と し 云 ふ べき だ 
… … 雲 は まばゆく 奔騰 し 
野原 の 遠く で 雷 が 鳴る … … 
林 の バルサム の 匂 を 呑み 
あたらしい あさひ の 蜜 に すかし て 
わたくし は この 終り の 白い 大の字 を 食 ふ 
五 一 九 　 　 春 
一 九 二 五 、 四 、 一二 、 
烈しい かげろ ふ の 波 の なか を 、 
紺 の 麻 着 た 肩 は ゞ ひろい わか もの が 
何 か ゆっくり はぎ しり を し て 行き すぎる 、 
どこ か の 愉快 な 通商 国 へ 
挨拶 を し に 出掛ける と でも いふ 風 だ 
… … あ を あ を 燃える 山 の 雪 … … 
かれ く さ も ゆれ 笹 も ゆれ 
こんがらかっ た 遠く の 桑 の はたけ で は 
煙 の 青い   lento   も ながれ 
崖 の 上 で は こども の 凧 の 尾 も ひかる 
… … ひばり の 声 の 遠い の は 
そいつ が みんな 
かげろ ふ の 行く 高い ところ で 啼く ため だ … … 
ぎゅっぎゅっぎゅっぎゅっはぎしりをして 
ひと は 林 に は ひっ て 行く 
五 二 〇 
一 九 二 五 、 四 、 一八 、 
地蔵堂 の 五 本 の 巨杉 が 
まばゆい 春 の 空気 の 海 に 
もくもく もくもく 盛りあがる の は 
古い 怪 性 の 青 唐獅子 の 一族 が 
ここ で 誰 か の 呪文 を 食っ て 
仏法 守護 を 命ぜ られ た といふ かたち 
… … 地獄 の まっ黒 け の 花椰菜 め ！ 
そら を ひっかく 鉄 の 箒 め ！ … … 
地蔵堂 の こっち に 続き 
さくら も しだれ の 柳 も 匝 る 
風 に ひなび た 天台寺 は 
悧発 で 純 な 三 年生 の 寛 の 家 
寛 が いま より 小さな とき 
鉛 いろ し た 障子 だ の 
鐘 の かたち の 飾り窓 
そこら あたり で 遊ん で ゐ て 
あの 青 ぐろい 巨 き な もの を 
はっきり 樹 だ と おもっ たら う か 
… … 樹 は 中 ぞ ら の 巻雲 を 
二 本 なら んで 航行 する … … 
また その 寛 の 名高い 叔父 
いま 教授 だ か 校長 だ か の 
国士 卓 内 先生 も 
この 木 を 木 だ と おもっ たら う か 
洋服 を 着 て も 和服 を 着 て も 
それ が 法衣 に 見える といふ 
鈴木 卓 内 先生 は 
この 木 を 木 だ と おもっ たら う か 
… … 樹 は 天頂 の 巻雲 を 
悠々 として 通行 する … … 
いまや まさしく 地蔵堂 の 正面 な ので 
二 本 の 幹 の 間 に は 
き ゅうくつさうな 九 級 ばかり の 石段 と 
褪せ た 鳥居 が きちんと 嵌 まり 
樹 に は いっぱい の 雀 の 声 
… … 青 唐獅子 の ばけ もの ども は 
緑 いろ し た 気 海 の 島 と 身 を 観 じ 
その たくさん の 港湾 を 
雀 の 発動 機 船 に 貸し て 
ひたすら 出離 を ねが ふと すれ ば 
お 地蔵 さま は お 堂 の なか で 
半眼 ふかく 座っ て ゐる … … 
お 堂の前 の 広場 に は 
梢 の 影 が つめたく 落ち て 
あちこち なまめく 日射し の 奥 に 
粘板岩 の 石碑 も くらく 
鷺 も すだけ ば 
こども の ボール も ひかっ て とぶ 
三 二 六 
一 九 二 五 、 四 、 二 〇 、 
風 が 吹き 風 が 吹き 
残り の 雪 に も 風 が 吹き 
猫 の 眼 を し た 神学 士 に も 風 が 吹き 
吹き 吹き 西 の 風 が 吹き 
はん の 木 の 房 踊る 踊る 
偏 光 ！ 　 斜 方 錐 ！ 　 トランペット ！ 
はん の 木 の 花 ゆれる ゆれる 
吹き 吹き 西 の 風 が 吹き 
青い 鉛筆 に も 風 が 吹き 
か へり み られ ず 棄て られ た 
頌歌訳 詞 の その 憤懣 に も 風 が 吹き 
はん の 木 の 花 を どる を どる 
（ 塩 を たくさん た べ 
水 を たくさん 呑み 
塩 を たくさん た べ 
水 を たくさん 呑み ） 
東 は 青い 銅 の けむり と 
いち れつ ひかる 雪 の 乱 弾 
吹き 吹き 西 の 風 が 吹き 
レンズ ！ 　 ヂーワン ！ 　 グレープ ショット ！ 
はん の 雄花 は こんど は しばらく 振子 に なる 
三 二 七 　 　 清明 どき の 駅長 
一 九 二 五 、 四 、 二一 、 
こごり に なっ た 古 いひ ば だ の 
盛りあがっ た 松 ばやし だ の 
いちど に さ あっ と 青く か はる 
かう いふ 清明 どき は です 
線路 の 砂利 から 紅い 煉瓦 の ラムプ 小屋 から 
い ぢ け て 矮 い 防雪 林 の 杉並 あたり 
かげろ ふ が も うた ゞ ぎらぎら と 湧き まし て 
沼気 や 酸 を 洗 ふ の です 
… … 手袋 は やぶけ 
肺臓 は ロヂウム から 代 填 さ れる … … 
また 紺青 の 地平線 から 
六 列 展 く 電柱 列 に 
碍子 が ごろごろ 鳴り ます と 
汽車 は 触媒 の 白金 を 噴い て 
線路 に 沿っ た 黄いろ な 草地 の カーペット を 
ぶすぶす 青く 焼き 込み ながら 
なか を 走っ て くる の です 
三 三 三 　 　 遠足 統率 
一 九 二 五 、 五 、 七 、 
もう ご 自由 に 
ゆっくり ごらん ください と 
大 てい そんな ところ です 
そこ に は 四 本 巨 き な 白楊 が 
かがやか に 日 を 分 劃し 
わ づか に 風 に ゆれ ながら 
ぶつぶつ 硫黄 の 粒 を 噴く 
前 に は いちいち 案内 も だし 
博物館 も あり まし た し 
ひ じゃう に 待遇 し た もん です が 
まい 年 どしどし 押しかける 
みんな は まるで 無表情 
向 ふ に し て も たまら ん です な 
せいせい と 東北東 の 風 が ふい て 
イーハトーヴ の 死火山 は 
斧 劈 の 皺 を 示し て かすみ 
禾草 が いち めん ぎらぎら ひかる 
いつか も 騎兵 の 斥候 が 
秣 畑 を あるい た ので 
誰 か が ちょっと とがめ たら 
その 次 の 日 か 一 旅団 
もう のし の し と やってき て 
大 演習 を し た さ う です 
鶯 が ない て 
花 樹 は とき いろ の 焔 を あげ 
から 松 の 一 聯隊 は 
青く 荒ん で はるか に 消える 
え ゝ もうけ し きはい ゝ とこ です が 
冬 に 空気 が 乾く ので 
健康 地 で は ない さ う です 
中学校 の 寄宿舎 へ 
ここ から 三 人 来 て ゐ まし た が 
こども の とき の 肺炎 で 
みな 演説 を し ませ ん でし た 
七つ 森 で はつ ゝ どり ども が 
いまごろ 寝ぼけ た 機関 銃 
こんど は 一 ぴき 鶯 が 
青い 折線 の グラフ を つくる 
あゝ やって来 た やっぱり ひとり 
まあ ご 随意 といふ 方 らしい 
あ 誰 だ 
電線 へ 石 投げ た の は 
くらい 羊 舎 の なか から は 
顔 ぢ ゅう 針 の ささっ た やう な 
巨 き な 犬 が うなっ て くる し 
井戸 で は 紺 の 滑車 が 軋り 
蜜蜂 が また ぐゎんぐゎん 鳴る 
（ イーハトーヴ の 死火山 よ 
その 水 いろ とか ゞ やく 銀 と の 襞 を を さめよ ） 
三 三 五 
一 九 二 五 、 五 、 一 〇 、 
つめたい 風 は そら で 吹き 
黒 黒 そよぐ 松 の 針 
ここ は くら かけ 山 の 凄まじい 谷 の 下 で 
雪 も のぞけ ば 
銀 斜子 の 月 も 凍っ て 
さ は し ぎどもがつめたい 風 を 怒っ て ぶうぶう 飛ん で ゐる 
しかも この 風 の 底 の 
しづか な 月夜 の かれ くさ は 
みな ニッケル の あまる が むで 
あちこち 風致 よく ならぶ もの は 
ごく うつくしい りんご の 木 だ 
そんな 木立 の はるか な はて で は 
ガラス の 鳥 も 軋っ て ゐる 
さ は し ぎは 北 の でこぼこ の 地平線 で も なき 
わたくし は 寒 さ に がたがた ふる へる 
氷雨 が 降っ て ゐる の で は ない 
かし は がかれ は を 鳴らす の だ 
三 三 六 　 　 春谷 暁 臥 
一 九 二 五 、 五 、 一一 、 
酪塩 の に ほ ひ が 帽子 いっぱい で 
温く 小さな 暗室 を つくり 
谷 の かしら の 雪 を かぶっ た 円錐 の なごり 
水 の やう に 枯草 を わたる 風 の 流れ と 
まっしろ に ゆれる 朝 の 烈しい 日光 から 
薄い 睡 酸 を 護っ て ゐる 
… … その 雪山 の 裾 かけ て 
播き 散らさ れ た 銅 粉 と 
あかるく 亘る 禁 慾 の 天 … … 
佐 一 が 向 ふ に 中学生 の 制服 で 
たぶん し ゃっぽも 顔 へ かぶせ 
灌木藪 を すかし て 射す 
キネオラマ 的 ひかり の なか に 
夜通し ある い た つか れ の ため 
情操 青く 透明 らしい 
… … コバルト ガラス の かけ ら やこ な ！ 
あちこち どし ゃどしゃ 抛 げ 散らさ れ た 
安山岩 の 塊 と 
あ を あ を 燃える 山 の 岩塩 … … 
ゆ ふ べ 凍っ た 斜子 の 月 を 
茄子 焼山 から こ ゝ ら へ かけ て 
夜通し ぶうぶう 鳴らし た 鳥 が 
いま 一 ぴき も 翔け て ゐ ず 
し づまりかへってゐるところは 
やっぱり 餌 を とる の で なく て 
石竹 いろ の 動因 だっ た 
… … 佐 一 も お ほか た それら しかっ た 
育 牛 部 から 山地 へ 抜け て 
放牧 柵 を 越え た とき 
水銀 いろ の ひかり の なか で 
杖 や 窪地 や 水晶 や 
いろいろ 春 の 象徴 を 
ぼつ り ぼつ り と 拾っ て ゐ た … … 
（ 蕩児 高橋 亨 一 が 
しばし 無 雲 の 天 に 往き 
数 の 綏女 と うち 笑み て 
ふたたび 地上 に か へり し に 
この世 の を みなみ な 怪しく 
そのかみ 帯び し プラチナ と 
ひる の 夢 と を 組み なせ し 
鎖 も われ に は なにか せ ん と ぞ 嘆き ける ） 
羯阿迦 　 居る 居る 鳥 が 立派 に 居る ぞ 
羯阿迦 　 まさに ゆ ふ べ と ちがっ た 鳥 だ 
羯阿迦 　 鳥 と は 青い 紐 で ある 
羯阿迦 　 二 十 八 ポイント 五 ！ 
羯阿迦 　 二 十 七 ！ 
羯阿迦 　 二 十 七 ！ 
はじめ の 方 が 声 も たしかに みじかい のに 
二 十 八 ポイント 五 と は どう いふ わけ だ 
帽子 を なげ て 眼 を ひらけ 
もう 二 厘 半 だ 
つめたい 風 が ながれる 
三 三 七 　 　 国立 公園 候補 地 に関する 意見 
一 九 二 五 、 五 、 一一 、 
どう です か 　 この 鎔岩流 は 
殺風景 な もん です なあ 
噴き出し て から 何 年 たつ か は 知り ませ ん が 
かう 日 が 照る と 空気 の 渦 が ぐらぐら たっ て 
まるで 大きな 鍋 です な 
い た ゞ きの 雪 も あ を あ を 煮え さ う です 
まあ パン を お あがり なさい 
いったい こ ゝ を どう いふ わけ で 、 
国立 公園 候補 地 に 
みんな が 運動 せ ん です か 
いや 可能 性 
それ は 充分 あり ます よ 
もちろん 山 を ぜんたい です 
うし ろ の 方 の 火口湖 　 温泉 　 もちろん です な 
鞍掛山 も むろん です 
ぜんたい 鞍掛山 は です 
Ur - Iwate   と も 申す べく 
大 地獄 より まだ 前 の 
大きな 火口 の へり です から な 
さ うし てこ ゝ は 特に 地獄 に こし ら へる 
愛嬌 たっぷり 東洋 風 に やる です な 
鎗 の かたち の 赤い 柵 
枯木 を 凄く あし ら ひ まし て 
あちこち 花 を 植 ゑま す な 
花 と いっ て も なん です な 
きち が ひ なす び 　 まむし さ う 
それから 黒い とり か ぶと など 、 
とにかく 悪く やる こと です な 
さ うし て 置い て 、 
世界中 から 集っ た 
猾 るい やつ ら や 悪 どい やつ の 
頭 を みんな 剃っ て やり 
あちこち 石 で 門 を 組む 
死出 の 山路 の ほととぎす 
三途の川 の かち わたし 
六道 の 辻 
え ん ま の 庁 から 胎内 くぐり 
はだし で ぐるぐる ひっぱり ま はし 
それで 罪障 消滅 として 
天国 行き の にせ 免状 を 売りつける 
し まひ は そこ の 三つ 森山 で 
交響楽 を やり ます な 
第 一 楽章 　 アレグロブリオ は はねる が ごとく 
第 二 楽章 　 アンダンテ 　 や ゝ うなる が ごとく 
第 三 楽章 　 なげく が ごとく 
第 四 楽章 　 死 の 気持ち 
よく ある と ほり はじめ は 大 へん かなしく て 
それから だんだん 歓喜 に なっ て 
最後 は 山 の こっち の 方 へ 
野砲 を 二 門 かくして 置い て 
電気 で ず どんと 実弾 を やる 
Ａ ワン だ な と 思っ た とき は 
もう ほん もの の 三途の川 へ 行っ てる です な 
ところが こ ゝ で 予習 を つん で ゐ ます から 
誰 も すこし も まごつか ない 　 また わたくし も まごつか ない 
さあ パン を お あがり なさい 
向 ふ の 山 は 七 時 雨 
陶器 に 描い た 藍 の 絵 で 
あいつ が つまり 背景 です な 
三 四 〇 
一 九 二 五 、 五 、 二 五 、 
あちこち あ を じ ろ く 接骨木 が 咲い て 
鬼 ぐるみ に もさ は ぐるみ に も 
青 だの 緑 金 だ の 
まばゆい 巨 き な 房 が かかっ た 
そら では 春 の 爆鳴銀 が 
甘ったるい アルカリ イオン を 放散 し 
鷺 や いろいろ な 鳥 の 紐 が 
ぎゅっぎゅっ 乱れ て 通っ て ゆく 
ぼんやり けぶる 紫雲英 の 花 簇 と 
茂ら う として 
ま づ 赭 く 灼け た 芽 を だす 桂 の 木 
三 四 五 
一 九 二 五 、 五 、 三一 、 
Largo   や 青い 雲 や ながれ 
く ゎりんの 花 も ぼそぼそ 暗く 燃えたつ ころ 
延 びあがるものあやしく 曲り 惑 むもの 
あるいは 青い 蘿 を まと ふも の 
風 が 苗代 の 緑 の 氈 と 
はん の 木の葉 に ささやけ ば 
馬 は 水け むりをひからせ 
こども は マオリ の 呪 神 の やう に 
小手 を かざし て はねあがる 
… … あまずっぱい 風 の 脚 
あまずっぱい 風 の 呪 言 … … 
く ゎくこうひとつ 啼き やめ ば 
遠く で は また べつ のく ゎくこう 
… … 畦 は た びら こき むぽうげ 
また 田植 花 くすん で 赭 い すいば の 穂 … … 
つかれ 切っ て は 泥 を 一種 の 飴 とも お も ひ 
水 を ぬるん だ 汁 とも お も ひ 
また たくさん の 銅 の ラムプ が 
畔 で 燃える と かん が へ ながら 
また ひと ま はり ひと ま はり 
鉛 の いろ の 代 を 掻く 
… … たてがみ を 
白い 夕陽 に みだす 馬 
その 親 に 肖 た うなじ を 垂れ て 
しばらく 畦 の 草食 ふ 馬 … … 
檜葉 かげ ろ へ ば 
赤 楊 の 木 鋼 の か ゞ み を 吊し 
こども は こんど は 悟 空 を 気取り 
黒い 衣裳 の 両手 を ひろげ 
また ひとしきり 燐酸 を まく 
… … ひらめく ひらめく 水 けむり 
はるか に 遷 る 風 の 裾 … … 
湿っ て 桐 の 花 が 咲き 
そら の 玉髄 しづか に 焦げ て 盛りあがる 
三 五 〇 　 　 図案 下 書 
一 九 二 五 、 六 、 八 、 
高原 の 上 から 地平線 まで 
あ を あ を とそ ら は ぬぐ はれ 
ごりごり 黒い 樹 の 骨 傘 は 
そこ いっぱい に 
藍 燈 と 瓔珞 を 吊る 
小さな 億 千 の アネモネ の 旌 は 
野原 いち めん 
つやつや ひかっ て 風 に 流れ 
葡萄 酒 いろ の つり が ね は 
かすか に りん りん ふるへ て ゐる 
漆 づくり の 熊 蟻 ども は 
黒い ポール を かざし たり 
キチン の 斧 を 鳴らし たり 
せ は しく 夏 の 演習 を やる 
白い 二 疋 の 磁製 の 鳥 が 
ごく ぎこちなく 飛ん で き て 
いきなり 宙 に ならん で 停り 
が ちんと 嘴 を ぶっつけ て 
また べつ べつ に 飛ん で 行く 
ひと す ぢ つめたい 南 の 風 が 
なに か あやしい かをり を 運び 
その 高原 の 雲 の かげ 
青い ベール の 向 ふ では 
も うつ ゝ どり もう ぐひすも 
ごろごろ ごろ ごろ 鳴い て ゐる 
二 五 八 　 　 渇水 と 座禅 
一 九 二 五 、 六 、 一二 、 
にごっ て 泡だつ 苗代 の 水 に 
一 ぴき の ぶり き 色 し た 鷺 の 影 が 
ぼんやり として 移行 し ながら 
夜 ど ほし の 蛙 の 声 の ま ゝ 
ねむく わびしい 朝間 に なっ た 
さ うし て 今日 も 雨 は ふら ず 
みんな は あっち に も こっち に も 
植 ゑたばかりの 田 の くろ を 
じっと うごか ず 座っ て ゐ て 
めいめい 同じ 公案 を 
ここ で 二 昼夜 商量 する … … 
栗 の 木の下 の 青 いくら がり 
ころころ 鳴らす 樋 の 上 に 
出羽三山 の 碑 を しょっ て 
水下 ひと 目 に 見渡し ながら 
遅れ た 稲 の 活着 の 日数 
分蘖 の 日数 出穂 の 時期 を 
二 たび 三 たび 計算 すれ ば 
石 は つめたく 
わ づか な 雲 の 縞 が 冴え て 
西 の 岩 鐘 一 列 くもる 
三 六 六 　 　 鉱 染 と ネクタイ 
一 九 二 五 、 七 、 一九 、 
蠍 の 赤 眼 が 南中 し 
く は がた むし が うなっ て 行っ て 
房 や 星雲 の 附属 し た 
青じろい 浄 瓶 星座 が で て くる と 
そら は 立派 な 古代 意慾 の 曼陀羅 に なる 
… … 峡 いっぱい に 蛙 が すだく … … 
（ こ ゝ ら の まっくろ な 蛇紋 岩 に は 
イリドスミン が は ひっ て ゐる ） 
ところが どうして 
空 いち めん が イリドスミン の 鉱 染 だ 
世界 ぜんたい もう どうしても 
あいつ が 要る と 考へ だす と 
… … 虹 の いろ し た 野 風呂 の 火 … … 
南 は きれい な 夜 の 飾 窓 
蠍 は ひとつ の まっ 逆さま に 吊るさ れ た 、 
夏 ネクタイ の 広告 で 
落ちる か とれる か 
とにかく そいつ が か はっ て くる 
赤 眼 は くらい ネクタイピン だ 
三 六 八 　 　 種山 ヶ 原 
一 九 二 五 、 七 、 一九 、 
まっ青 に 朝日 が 融け て 
この 山上 の 野原 に は 
濃 艶 な 紫いろ の 
アイリス の 花 が いち めん 
靴 は もう 露 で ぐしゃぐしゃ 
図 板 の けい も 青く 流れる 
ところが どうも わたくし は 
みち を ち が へ て ゐる らしい 
ここ に は 谷 が ある 筈 な のに 
こんな うつくしい 広っぱ が 
ぎらぎら 光っ て 出 て き て ゐる 
山鳥 の プロペラア が 
三 べ ん もつ ゞ け て 立っ た 
さっき の 霧 の かかっ た 尾根 は 
たしかに 地図 の この 尾根 だ 
溶け 残っ た パラフン の 霧 が 
底 に よどん で ゐ た 、 谷 は 、 
たしかに 地図 の この 谷 な のに 
こ ゝ で は 尾根 が 消え て ゐる 
どこ から か 葡萄 の かをり が ながれ て くる 
あゝ 栗 の 花 
向 ふ の 青い 草地 の はて に 
月光 いろ に 盛りあがる 
幾 百 本 の 年 経 た 栗 の 梢 から 
風 に とかさ れ きれい な かげろ ふ に なっ て 
いく す ぢ も いく す ぢ も 
こ ゝ ら を 東 へ 通っ て ゐる の だ 
三 六 九 　 　 岩手 軽便鉄道 　 七月 （ ジャズ ） 
一 九 二 五 、 七 、 一九 、 
ぎざぎざ の 班 糲岩 の 岨 づたひ 
膠質 の つめたい 波 を ながす 
北上 第 七 支流 の 岸 を 
せ は しく 顫 へ たびたび ひどく はねあがり 
まっしぐら に 西 の 野原 に 奔 け おりる 
岩手 軽便鉄道 の 
今日 の 終り の 列車 で ある 
ことさら に まぶし さ う な 眼 つき を し て 
夏 らしい ラヴスィン を つくら う が 
うつうつ として イリドスミン の 鉱床 など を 考へよ う が 
木 影 も すべり 
種山 あたり 雷 の 微塵 を かがやかし 
列車 はご う ご う 走っ て ゆく 
お ほ まつ よ ひ ぐさの 群落 や 
イリス の 青い 火 の なか を 
狂気 の やう に 踊り ながら 
第 三紀 末 の 紅い 巨礫層 の 截 り 割り で も 
ディアラヂット の 崖 みち で も 
一つ や 二つ 岩 が 線路 に こぼれ てよ う と 
積雲 が 灼け よう と 崩れよ う と 
こちら は 全線 の 終列車 
シグナル も タブレット も あっ た もん で なく 
とび 乗り の でき ない やつ は 乗せ ない し 
とび 降り ぐらゐやれないものは 
もう どこ まで で も 連れ て 行っ て 
北極 あたり の 大 避暑 市 で おろし たり 
銀河 の 発電 所 や 西 の ちぢれ た 鉛 の 雲 の 鉱山 あたり 
ふしぎ な 仕事 に 案内 し たり 
谷間 の 風 も 白い 花火 も ごっちゃ ご ちゃ 
接吻 を しよ う と 詐欺 を やら う と 
ごと ごと ぶるぶる ゆれ て 顫 へる 窓 の 玻璃 
二 町 五 町 の 山 ば た も 
壊れ かかっ た 香魚 や な も 
どんどん うし ろ へ 飛ばし て しまっ て 
ただ 一 さん に 野原 を さして かけ おりる 
本社 の 西行 各 列車 は 
運行 敢 て 軌 に よら ざれ ば 
振動 けだし 常 なら ず 
されど また よく 鬱血 を もみ さ げ 
… … Prrrrr   Pirr !…… 
心肝 を もみ ほごす が 故に 
のぼせ 性 こり性 の 人 に 効 あり 
さ う だ やっぱり イリドスミン や 白金 鉱区 の 目論見 は 
鉱 染 より は 砂 鉱 の 方 で たてる の だっ た 
それとも も いちど 阿原峠 や 江刺 堺 を 洗っ て みる か 
いい や あっち は 到底 おれ の 根気 の 外 だ と 考へよ う が 
恋 は やさし 野 べ の 花 よ 
一生 わたくし か はり ませ ん と 
騎士 の 誓約 強い ベース で 鳴り ひびか う が 
そいつ も こいつ も みんな 地 塊 の 夏 の 泡 
いるか の やう に 踊り ながら はねあがり ながら 
もう 積雲 の 焦げ た トンネル も 通り抜け 
緑青 を 吐く 松 の 林 も 
続々 うし ろ へ たたん で しまっ て 
なほ いっしん に 野原 を さして かけ おりる 
わが 親愛 なる 布佐 機関 手 が 運転 する 
岩手 軽便鉄道 の 
最後 の 下り 列車 で ある 
三 七 〇 
一 九 二 五 、 八 、 一 〇 、 
… … 朝 の うち から 
稲田 いち めん 雨 の 脚 … … 
駅 の 出口 の カーヴ の へん は 
Ｘ 形 の 信号 標 や 
はしご の つい た 電柱 で 
ま づは 巨 き な 風 の 廊下 といった ふう 
ひどく 明るく こし ら へ あげ た 
… … せいせい と し た 穂孕み ごろ 
稲 に はか ゝ る 水 けむり … … 
親方 は 
信号 標 の ま 下 に 立っ て 
びしゃびしゃ 雨 を 浴び ながら 
じっと 向 ふ を 見詰め て ゐる 
… … 雨 やら 雲 やら 向 ふ は 暗い よ と … … 
その こっち で は 工夫 が 二 人 
つるはし を もち しょんぼり として 
三 べ ん 四 へん 稲 びかりから 漂白 さ れる 
… … くらい 山根 に 滝 だ の ある よ と … … 
その また こっち の プラットフォーム 
駅長 室 の はし ら に は 
夜 の つ ゞ きの 黄いろ な あかり 
… … 雨 やら 雲 やら 向 ふ は … … 
雨 の 中 から 
黒い け むりがもくもく 湧い て 
機関 車 だけ が 走っ て くる 
ず ゐ ぶん 長い 煙突 だ けれども 
まっ 正直 に 稲妻 も 浴び 
浅黄 服 着 た 火夫 も わらっ て 顔 を 出し 
雨 だの 稲 だの さっと 二つ に 分け ながら 
地響き さ せ て 走っ て くれ ば 
親方 も にん がり 笑 ひ 
工夫 も 二 人 腕 を 組む 
… … 雨 やら 雲 やら … … 
三 七 二 　 　 渓 にて 
一 九 二 五 、 八 、 一 〇 、 
うし ろ で は 滝 が 黄いろ に なっ て 
どんどん 弧 度 を 増し て ゐる し 
むじな 色 の 雲 は 
谷 いっぱい の いたや の 脚 を もう 半分 まで 降り て ゐる 
しかも こ ゝ だけ 
ちゃう ど 直径 一 米 
雲 から 掘り下げ た 石油 井戸 とも いふ 風 に 
ひどく 明るく て 玲瓏 として 
雫 に ぬれ た しら ね あふひ や ぜんまい や 
いろいろ の 葉 が 青 びかりして 
風 に ぶるぶる ふるへ て ゐる 
早く も ぴしゃっと い なびか り 
立派 に 青じろい 大 静脈 の かたち で ある 
さあ 鳴りだし た 
そこら の 蛇紋 岩 橄欖 岩 みんな びりびり やり だし た 
よく まあ こ ゝ ら の いたや の 木 が 
こんなに がりがり 鳴る なか で 
ぽたり と 雫 を 落し たり 
じっと 立っ たり し て ゐる もん だ 
早く 走っ て 下り ない と 
下流 で わたっ て 行け なく なっ て しまひ さ う 
けれども さ うい ふい た や の 下 は 
みな 黒 緑 の いぬ が や で 
それに 谷中 申し分 な いい ゝ 石 ばかり 
何たる うつくしい 漢 画 的 装 景 で ある か 
もっと こ ゝ ら で かんかん として 
山気 なり 嵐気 なり 吸っ て ゐる に は 
なかなか 精神 的 修養 など で は だめ で あっ て 
ま づ 肺炎 とか 漆かぶれ とか に プルーフ な 
頑健 な 身体 が 要る の で ある 
それにしても 
うす むら さき にべ に いろ な の を 
こんなに まっ かう から 叩きつけ て 
素人 を おどす といふ の は 
誰 の 仕事 に し て も い ゝ 事 で ない な 
三 七 四 　 　 河原 坊 （ 山 脚 の 黎明 ） 
一 九 二 五 、 八 、 一一 、 
わたくし は 水音 から 洗 はれ ながら 
この 伏流 の 巨 き な 大理石 の 転石 に 寝よ う 
それ は つめたい 卓子 だ 
じつに つめたく 斜面 に なっ て 稜 も ある 
ほう 、 月 が 象嵌 さ れ て ゐる 
せいせい 水 を 吸 ひ あげる 
楢 や いたや の 梢 の 上 に 
匂やか な 黄金 の 円蓋 を 被っ て 
しづか に 白い 下弦 の 月 が かかっ て ゐる 
空 が また 何と ふしぎ な 色 だら う 
それ は 薄明 の 銀 の 素質 と 
夜 の 経 紙 の 鼠 いろ と の 複合 だ 
さ うさ う 
わたくし は こんな 斜面 に なっ て ゐ ない 
も 少し 楽 な ね どこ を さがし 出さ う 
あるけ ば 山 の 石原 の 昧爽 
こ ゝ に 平ら な 石 が ある 
平ら だ けれども ここ から は 
月 の きれい な 円光 が 
楢 の 梢 に かくさ れる 
わたくし は また 空気 の 中 を 泳い で 
この もと の 白い ね どこ へ 漂着 する 
月 の ま はり の 黄 の 円光 が うすれ て 行く 
雲 が そいつ を 耗 ら す の だ 
いま 鉛 いろ に 錆び て 
月 さ へ 遂に 消え て 行く 
… … 真珠 が 曇り 蛋白石 が 死ぬ やう に … … 
寒 さ と ねむ さ 
もう 月 は た ゞ の 砕け た 貝 ぼ た ん だ 
さあ 　 ねむら う ねむら う 
… … め さめる こと も あら う し 
その ま ゝ 死ぬ こと も あら う … … 
誰 か ま はり を あるい て ゐる な 
誰 か ま はり を ごく ひっそり と あるい て ゐる な 
みそさざい 
みそさざい 
ぱりぱり 鳴らす 
石 の 冷た さ 
石 で は なく て 二月 の 風 だ 
… … 半分 冷えれ ば 半分 から だ が みいら に なる … … 
誰 か 来 た な 
… … 半分 冷えれ ば 半分 から だ が みいら に なる … … 
… … 半分 冷えれ ば 半分 から だ が めくら に なる … … 
… … 半分 冷えれ ば 半分 から だ が めくら に なる … … 
そこ の 黒い 転石 の 上 に 
うす 赭 い ころ も を つけ て 
裸 脚 四つ を そろ へ て 立つ ひと 
なぜ 上半身 が わたくし の 眼 に 見え ない の か 
まるで 半分 雲 を かぶっ た 鶏頭山 の やう だ 
… … あすこ は 黒い 転石 で 
みんな で 石 を つむ 場所 だ … … 
向 ふ は だんだん 崖 に なる 
あし おと が いま 峯 の 方 から おり て くる 
ゆ ふ べ 途中 の 林 の なか で 
たびたび 聞い た あの 透明 な 足音 だ 
… … わたくし は もう 仕方 ない 
誰 が 来 よう に 
こ ゝ で かう 肱 を 折り まげ て 
睡っ て ゐる より 仕方 ない 
だいいち どうにも 起き られ ない … … 
叫ん で ゐる な 
（ 南無阿弥陀仏 ） 
（ 南無阿弥陀仏 ） 
（ 南無阿弥陀仏 ） 
何 といふ ふしぎ な 念仏 の し やう だ 
まるで 突貫 する やう だ 
もう わたくし を 過ぎ て ゐる 
あゝ 見える 
二 人 の はだし の 逞 まし い 若い 坊さん だ 
黒 の 衣 の 袖 を 扛 げ 
黄金 で 唐草 模様 を つけ た 
神輿 を 一 本 の 棒 に ぶらさげ て 
川下 の 方 へ かるがる かつい で 行く 
誰 か を 送っ た 帰り だ な 
声 が 山谷 に こだま し て 
いまや 私 は やっと 自由 に なっ て 
眼 を ひらく 
こ ゝ は 河原 の 坊 だ けれども 
曾 つて は こ ゝ に 棲ん で ゐ た 坊さん は 
真言 か 天台 か わから ない 
とにかく 昔 は 谷 が も 少し こっち へ 寄っ て 
あゝ いふ 崖 も あっ た の だら う 
鳥 が しきりに 啼い て ゐる 
もう 登ら う 
三 七 五 　 　 山 の 晨明 に関する 童話 風 の 構想 
一 九 二 五 、 八 、 一一 、 
つめたい ゼラチン の 霧 も ある し 
桃 いろ に 燃える 電気 菓子 も ある 
または ひま つ の 緑茶 を つけ た カステーラ や 
なめらか で やにっこい 緑 や 茶 いろ の 蛇紋 岩 
むかし 風 の 金米糖 で も 
wavellite   の 牛酪 で も 
また こめ つ が は 青い ザラメ で でき て ゐ て 
さき に は みんな 
大きな 乾 葡萄 が つい て ゐる 
み やまう いきゃ う の 香料 から 
蜜 や さまざま の エッセンス 
そこ に は 碧眼 の 蜂 も 顫 へる 
さ うし て どう だ 
風 が 吹く と 　 風 が 吹く と 
傾斜 に なっ た いち めん の 釣鐘草 の 花 に 
か ゞ や かに 　 かがやか に 
また うつくしく 露 が きらめき 
わたくし も どこ か へ 行っ て しまひ さ うに なる … … 
蒼く 湛 へる イーハトーボ の こども たち 
みんな で いっしょ に この 天上 の 
飾ら れ た 食卓 に 着か う で ない か 
たのしく 燃え て この 聖餐 を とら う で ない か 
そん なら わたくし も たしか に 食っ て ゐる の か と いふ と 
ぼく は さっき から こ ゝ ら の つめたく 濃い 霧 の ジェリー を 
のど を ならし て の ん だり 食っ たり し てる の だ 
ぼく は じっさい 悪魔 の やう に 
きれい な もの なら 岩 で も なん でも たべる の だ 
おまけ に いま に あすこ の 岩 の 格子 から 
まるで 恐ろしく ぎらぎら 熔け た 
黄金 の 輪 宝 が のぼっ て くる か 
それとも それ が 巨 き な 銀 の ラムプ に なっ て 
白い 雲 の 中 を ころがる か 
どっち に し て も 見もの な の だ 
お ゝ 青く 展 がる イーハトーボ の こども たち 
グリム や アンデルゼン を 読ん で しまっ たら 
じ ぶん で がま の はむ ば き を 編み 
経木 の 白い 帽子 を 買っ て 
この 底なし の 蒼い 空気 の 淵 に 立つ 
巨 き な 菓子 の 塔 を 攀 ぢ よう 
三 七 七 　 　 九月 
一 九 二 五 、 九 、 七 、 
キャベジ と ケール の 校 圃 を 抜け て 
アカシヤ の 青い 火 の とこ を 通り 
燕 の 群 が 鰯 みたい に 飛 びちがふのにおどろいて 
風 に 帽子 を ぎしゃ ん と やら れ 
あわて て 東 の 山地 の 縞 を ふり か へ り 
ど て を 向 ふ へ 跳び おり て 
試験 の 稲 に た ゝ ず め ば 
ばった が 飛ん で ばった が 跳ん で 
もう 水 いろ の 乳 熟 すぎ 
テープ を 出し て この 半 旬 の 伸び を とれ ば 
稲 の 脚 から がさがさ 青い 紡錘形 を 穂先 まで 
四 尺 三 寸 三 分 を 手帳 が ぱたぱた 云 ひ 
書い て しまへ ば 
あと は 
Fox   tail   grass   の 緑 金 の 穂 と 
何で もも う ぐらぐら ゆれる すすき だい 
… … 西 の 山 で は 雨 も ふれ ば 
ぼう と 濁っ た 陽 も そ ゝ ぐ … … 
それから 風 が また 吹く と 
白い シャツ も ダイナモ に なる ぞ 
… … 高 いとこ で は 風 の フラッシュ 
燕 が みんな 灰 に なる ぞ … … 
北 は 丘 越す 電線 や 
汽笛 の   cork   screw   かね 
Fortuny   式 の 照明 か ね 
… … そら を うつし た 潦 … … 
誰 か 二 鐘 を かんかん 鳴らす 
二 階 の 廊下 を 生徒 の 走る 音 も する 
け ふ は キャベヂ の 中耕 を やる 
鍬 が 一 梃 こ はれ て ゐ た 
三 七 八 　 　 住居 
一 九 二 五 、 九 、 一 〇 、 
青い 泉 と 
たくさん の 廃屋 を もつ 
その 南 の 三日月 形 の 村 で は 
教師 あがり の 採種 者 など 
置い て やり たく ない といふ 
… … 風 の あかり と 
草 の 実 の 雨 … … 
ひる も はだし で 酒 を 呑み 
眼 を うるま せ た としより たち 
三 八 三 　 　 鬼 言 （ 幻聴 ） 
一 九 二 五 、 一 〇 、 一八 、 
三 十 六 号 ！ 
左 の 眼 は 三 ！ 
右 の 眼 は 六 ！ 
斑 石 を つかっ て やれ 
三 八 四 　 　 告別 
一 九 二 五 、 一 〇 、 二 五 、 
お ま へ の バス の 三 連 音 が 
どんな ぐあひに 鳴っ て ゐ た か を 
おそらく お ま へ は わかっ て ゐ まい 
その 純朴 さ 希 み に 充ち た たのし さ は 
ほとんど おれ を 草葉 の やう に 顫 は せ た 
もしも お ま へ が それら の 音 の 特性 や 
立派 な 無数 の 順列 を 
はっきり 知っ て 自由 に いつ でも 使 へる なら ば 
お ま へ は 辛く て そして か ゞ やく 天 の 仕事 も する だら う 
泰西 著名 の 楽人 たち が 
幼 齢 弦 や 鍵 器 を とっ て 
すでに 一家 を なし た が やう に 
お ま へ は その ころ 
この 国 に ある 皮革 の 鼓 器 と 
竹 で つくっ た 管 と を とっ た 
けれども いまごろ ち ゃうどおまへの 年 ごろ で 
お ま へ の 素質 と 力 を もっ て ゐる もの は 
町 と 村 と の 一 万 人 の なか に なら 
おそらく 五 人 は ある だら う 
それら の ひと の どの人 も また どの ひと も 
五 年 の あ ひだ に それ を 大抵 無くす の だ 
生活 の ため に け づら れ たり 
自分 で それ を なくす の だ 
すべて の 才 や 力 や 材 といふ もの は 
ひと に と ゞ まる もの で ない 
ひと さ へ ひと に と ゞ ま ら ぬ 
云 は なかっ た が 、 
おれ は 四月 は もう 学校 に 居 ない の だ 
恐らく 暗く け は しい みち を あるく だら う 
その あと で お ま へ の いま のち から が にぶり 
きれい な 音 の 正しい 調子 と その 明る さ を 失っ て 
ふたたび 回復 でき ない なら ば 
おれ は お ま へ を もう 見 ない 
なぜなら おれ は 
すこし ぐらゐの 仕事 が でき て 
そいつ に 腰 を かけ てる やう な 
そんな 多数 を いちばん いや に おも ふ の だ 
もしも お ま へ が 
よく きい て くれ 
ひとり の やさしい 娘 を おも ふ やう に なる その とき 
お ま へ に 無数 の 影 と 光 の 像 が あら はれる 
お ま へ は それ を 音 に する の だ 
みんな が 町 で 暮し たり 
一 日 あそん で ゐる とき に 
お ま へ は ひとり で あの 石原 の 草 を 刈る 
その さ びしさでおまへは 音 を つくる の だ 
多く の 侮辱 や 窮乏 の 
それら を 噛ん で 歌 ふ の だ 
もしも 楽器 が なかっ たら 
い ゝ かお ま へ は おれ の 弟子 な の だ 
ちか ら の かぎり 
そら いっぱい の 
光 で でき た パイプオルガン を 弾く がい ゝ 
四 〇 二 　 　 国道 
一 九 二 六 、 一 、 一 四 、 
風 の 向 ふ で ぼり ぼり 音 を たてる の は 
並 樹 の 松 から 薪 を とっ て ゐる とこ らしい 
いま やめ た の は 向 ふも こっち のけ は ひ を きい て ゐる の だら う 
行き 過ぎる うち わざと 呆け て 立っ て ゐる 
弟 は 頬 も 円く て まるで こども だ 
いかにも ぼんやり おれ を 見る 
いきなり 兄貴 が 竿 を かま へ て 上 を 見る 
鳥 で も ねら ふ 身 構 へ だ 
竿 の さき に は 小さな 鎌 が つい て ゐる 
そら は 寒い し 
やま は にょきにょき 
この 街道 の 巨 き な 松 も 
盛岡 に 建つ 公会堂 の 経費 の たし に 
請負 ども が ぢ き 伐る から な 
四 〇 三 　 　 岩手 軽便鉄道 の 一月 
一 九 二 六 、 一 、 一 七 、 
ぴかぴか ぴかぴか 田圃 の 雪 が ひかっ て くる 
河岸 の 樹 が みな まっ白 に 凍っ て ゐる 
うし ろ は 河 が うらら か な 火 や 氷 を 載せ て 
ぼんやり 南 へ すべっ て ゐる 
よう 　 くるみ の 木 　 ジュグランダー 　 鏡 を 吊し 
よう 　 か はや なぎ 　 サリックスランダー 　 鏡 を 吊し 
はん のき 　 アルヌスランダー 　 鏡 鏡 鏡 鏡 を つるし 
から まつ 　 ラリクスランダー 　 鏡 を つるし 
グランド 電柱 　 フサランダー 　 鏡 を つるし 
さ は ぐるみ 　 ジュグランダー 　 鏡 を 吊し 
桑 の 木 　 モルスランダー 　 　 　 鏡 を … … 
は は は 　 汽車 がた うとう な ゝ め に 列 を よこぎっ た ので 
桑 の 氷 華 は ふさふさ 風 に ひかっ て 落ちる 
一 、 
ま しろき 蘆 の 花 噴け ば 
青き 死相 を 眼 に た ゝ へ 
大 太刀 舞 は す 乱れ 髪 
二 、 
白紙 を 結ぶ す はだし や 
死 を 嘲 ける 青 の 隈 
雪 の 反射 の なか に し て 
鉄 の 鏡 を か ゝ げ たり 
十 日 の 月 が 西 の 煉瓦 塀 に かくれる まで 、 もう 一 時間 しか あり ませ ん でし た 。 
その 青じろい 月 の 明り を 浴び て 、 獅子 は 檻 の なか を のそのそ ある い て 居り まし た が 、 ほか のけ だ もの ども は 、 頭 を まげ て 前 あし に のせ たり 、 横 に ごろ っと ねころん だり しづか に 睡っ て ゐ まし た 。 夜中 まで 檻 の 中 を うろうろ うろうろ し て ゐ た 狐 さ へ 、 を かし な 顔 を し て ねむっ て ゐる やう でし た 。 
わたくし は 獅子 の 檻 の ところ に 戻っ て 来 て 前 の ベンチ に こしかけ まし た 。 
すると そこら が ぼうっと け むりのやうになってわたくしもそのけむりだか 月 の あかり だ か わから なく なっ て しまひ まし た 。 
いつのまにか 獅子 が 立派 な 黒い フロック コート を 着 て 、 肩 を 張っ て 立っ て 
「 もう よから う な 。 」 と 云 ひ まし た 。 
すると 奥さん の 獅子 が 太い 金頭 の ステッキ を 恭しく 渡し まし た 。 獅子 は だまっ て 受けとっ て 脇 に はさん で の そり の そり と こんど は 自分 が 見 ま はり に 出 まし た 。 そこら は 水 の ころころ 流れる 夜 の 野原 です 。 
ひのき 林 の へり で 獅子 は 立ちどまり まし た 。 向 ふか ら 白い もの が 大 へん 急い で こっち へ 走っ て 来る の です 。 
獅子 は めがね を 直し て きっと それ を 見 な ほし まし た 。 それ は 白熊 でし た 。 非常 に あわて て やって来 ます 。 獅子 が 頭 を 一つ 振っ て 道 に ステッキ を つき 出し て 云 ひ まし た 。 
「 どう し た の だ 。 ひどく 急い で ゐる で は ない か 。 」 
白熊 が びっくり し て 立ちどまり まし た 。 その 月 に 向い た 方 の からだ は ぼうっと 燐 の やう に 黄いろ に また 青じろく ひかり まし た 。 
「 はい 。 大王 さま で ござい ます か 。 結構 なお 晩 で ござい ます 。 」 
「 どこ へ 行く の だ 。 」 
「 少し 尋ねる 者 が ござい まし て 。 」 
「 誰 だ 。 」 
「 向 ふ の 名前 を つい 忘れ まし て 、 」 
「 どんな やつ だ 。 」 
「 灰色 の ざらざら し た 者 で は ござい ます が 、 眼 は 小さく て いつも 笑っ て ゐる やう 。 頭 に は 聖人 の やう な 立派 な 瘤 が 三つ ござい ます 。 」 
「 は はあ 、 その 代り 少し から だ が 大き 過ぎる の だら う 。 」 
「 はい 。 しかし ごく おとなし う ござい ます 。 」 
「 所 が そいつ の 鼻 とき たら ひどい もん だ 。 全体 何 の 罰 で あんなに 延び た ん だら う 。 おまけ に さき を くるっ と 曲げる と 、 まるで おれ の ステッキ の 柄 の やう に なる 。 」 
「 はい 。 それ は 全く 仰せ の 通り で ござい ます 。 耳 や 足 さき なんか は がさがさ し て 少し 汚 なう ござい ます 。 」 
「 さ う だ 。 汚い と も 。 耳 は ボロボロ の 麻 の はん けち 或は 焼い た する め の やう だ 。 足さ き など は ことに 見 られ た もの で ない 。 まるで 乾い た 牛 の 糞 だ 。 」 
「 いや 、 さ う 仰っ し ゃってはあんまりでございます 。 それで お 名前 を 何と 云 はれ まし た で ござい ませ う か 。 」 
「 象 だ 。 」 
「 いま は どちら に おいで で ござい ませ う か 。 」 
「 俺 は 象 の 弟子 で も なけれ ば 貴様 の 小使 ひで も ない ぞ 。 」 
「 はい 、 失礼 を いたし まし た 。 それでは これ で ご免 を 蒙り ます 。 」 
「 行け 行け 。 」 白熊 は 頭 を 掻き ながら 一生懸命 向 ふ へ 走っ て 行き まし た 。 象 は いまごろ どこ か で 赤い 蛇の目 の 傘 を ひろげ て ゐる 筈 だ が と わたくし は 思ひ まし た 。 
ところが 獅子 は 白熊 の あと を じっと 見送っ て 呟 やき まし た 。 
「 白熊 め 、 象 の 弟子 に ならう と いふ ん だ な 。 頭 の 上 の 方 が ひらたく て い ゝ 弟子 に なる だら う よ 。 」 そして 又 のそのそ と 歩き 出し まし た 。 
月 の 青い けむり の なか に 樹 の かげ が たくさん 棒 の やう に なっ て 落ち まし た 。 
その まっくろ な 林 の なか から 狐 が 赤 縞 の 運動 ズボン を はい て 飛び出し て 来 て いきなり 獅子 の 前 を かけぬけよ う と し まし た 。 獅子 は 叫び まし た 。 
「 待て 。 」 
狐 は 電気 を かけ られ た やう に ブルルッ と ふるへ て から だ 中 から 赤 や 青 の 火花 を そこら 中 へ ぱちぱち 散らし て はげしく 五 六 遍 ま はっ て とまり まし た 。 なぜ か 口 が 横 の 方 に 引き つっ て ゐ て 意地悪 さ うに 見え ます 。 
獅子 が 落ちつい て う で 組み を し て 云 ひ まし た 。 
「 き さま は まだ 悪い こと を やめ ない な 。 この 前 首 す ぢ の 毛 を みんな 抜か れ た の を もう 忘れ た の か 。 」 
狐 が ガタガタ 顫 へ ながら 云 ひ まし た 。 
「 だ 、 大 王様 。 わ 、 わたくし は 、 い 今 は もうしゃ う 正直 で ござい ます 。 」 歯 が カチカチ 云 ふ たび に 青い 火花 は そこら へ ちらばり まし た 。 
「 火花 を 出す な 。 銅 臭く ていかん 。 こら 。 偽 を つく な よ 。 今 どこ へ 行く つもり だっ た の だ 。 」 
狐 は 少し 落ちつき まし た 。 
「 マラソン の 練習 で ござい ます 。 」 
「 ほん た う だら う な 。 鶏 を 盗み に 行く 所 で は なから う な 。 」 
「 いえ 。 たしかに マラソン の 方 で ござい ます 。 」 
獅子 は 叫び まし た 。 
「 それ は 偽 だ 。 それ に 第 一 お ま へ ら に マラソン など は 要ら ん 。 そんな こと を し て ゐる から いつ まで も 立派 に なら ん の だ 。 いま 何 を 仕事 に し て ゐる 。 」 
「 百姓 で ござい ます 。 それから マラソン の 方 と 両方 で ござい ます 。 」 
「 偽 だ 。 百姓 なら 何 を 作っ て ゐる 。 」 
「 粟 と 稗 、 粟 と 稗 で ござい ます 。 それから 大豆 で ござい ます 。 それから キャ べ ヂ で ござい ます 。 」 
「 お前 は 粟 を 食べる の か 。 」 
「 それ は たべ ませ ん 」 
「 何 に する の だ 。 」 
「 鶏 に やり ます 。 」 
「 鶏 が 粟 を ほしい と 云 ふ の か 。 」 
「 それ は よ くさう 申し ます 。 」 
「 偽 だ 。 お前 は 偽 ばっかり 云っ て ゐる 。 おれ の 方 に は あちこち から たくさん 訴 が 来 て ゐる 。 今日 は お前 の せ なか の 毛 を みんな むしら せる からさ う 思へ 。 」 
狐 は すっかり しょげ て 首 を 垂れ て しまひ まし た 。 
「 これ で 改心 し なけれ ば この 次 は 一 ぺん に 引き裂い て しまふ ぞ 。 ガ アッ 。 」 
獅子 は 大きく 口 を 開い て 一つ どなり まし た 。 
狐 は すっかり き も が つぶれ て しまっ て た ゞ 呆れ た やう に 獅子 の 咽喉 の 鈴 の 桃 いろ に 光る の を 見 て ゐ ます 。 
その 時 林 の へり の 藪 が カサカサ 云 ひ まし た 。 獅子 が むっと 口 を 閉 ぢ て また 云 ひ まし た 。 
「 誰 だ 。 そこ に 居る の は 。 こ ゝ へ 出 て 来い 。 」 
藪 の 中 は しん と し て しまひ まし た 。 
獅子 は しばらく 鼻 を ひくひく さ せ て 又 云 ひ まし た 。 
「 狸 、 狸 。 こら 。 かくれ て も だめ だ ぞ 。 出ろ 。 陰険 な やつ だ 。 」 
狸 が 藪 から こそこそ 這 ひ 出し て 黙っ て 獅子 の 前 に 立ち まし た 。 
「 こら 狸 。 お前 は 立ち 聴き を し て ゐ た な 。 」 
狸 は 目 を こすっ て 答 へ まし た 。 
「 さ う か な 。 」 
そこで 獅子 は 怒っ て しまひ まし た 。 
「 さ う か な だって 。 ずる め 、 貴様 は いつ で もさ う だ 。 はりつけ に する ぞ 。 はりつけ に し て しまふ ぞ 。 」 
狸 は やはり 目 を こすり ながら 
「 さ う か な 。 」 と 云っ て ゐ ます 。 狐 は きょろきょろ その 顔 を 盗み見 まし た 。 獅子 も 少し 呆れ て 云 ひ まし た 。 
「 殺さ れ て も い ゝ の か 。 呑気 な やつ だ 。 お前 は 今 立ち 聴き し て ゐ たら う 。 」 
「 い ゝ や 、 おら は 寝 て ゐ た 。 」 
「 寝 て ゐ た って 。 最初 から 寝 て ゐ た の か 。 」 
「 寝 て ゐ た 。 そして 俄 に 耳 もと で ガアッ と 云 ふ 声 が する から びっくり し て 眼 を 醒まし た の だ 。 」 
「 あゝ さ う か 。 よく 判っ た 。 お前 は 無罪 だ 。 あと で ご馳走 に 呼ん で やら う 。 」 
狐 が 口 を 出し まし た 。 
「 大王 。 こいつ は 偽 つき です 。 立ち 聴き を し て ゐ た の です 。 寝 て ゐ た なんて うそ です 。 ご馳走 なんて とんでも あり ませ ん 。 」 
狸 が やっ き と なっ て 腹鼓 を 叩い て 狐 を 責め まし た 。 
「 何 だい 。 人 を 中傷 する の か 。 お前 は いつ で もさ う だ 。 」 
すると 狐 も いよいよ 本気 です 。 
「 中傷 といふ の は な 。 あり も し ない こと で 人 を 悪く 云 ふ こと だ 。 お前 が 立ち 聴き を し て ゐ た の だ から その と ほり 正直 に いふ の は 中傷 で は ない 。 裁判 といふ もん だ 。 」 
獅子 が 一寸 ステッキ を つき 出し て 云 ひ まし た 。 
「 こら 、 裁判 といふ の は いか ん 。 裁判 といふ の は もっと えらい 人 が する の だ 。 」 
狐 が 云 ひ まし た 。 
「 間 違 ひ まし た 。 裁判 で は あり ませ ん 。 評判 です 。 」 
獅子 が まるで あからん だ 栗 の いが の 様 な 顔 を し て 笑 ひ ころげ まし た 。 
「 アッハッハ 。 評判 で は 何 に も なら ない 。 アッハッハ 。 お前 たち に も 呆れ て しまふ 。 アッハッハ 。 」 
それから やっと 笑 ふ の を やめ て 云 ひ まし た 。 
「 よし よし 。 狸 は 許し て やら う 。 行け 。 」 
「 さ う か な 。 では さよなら 。 」 と 狸 は 又 藪 の 中 に 這 ひ 込み まし た 。 カサカサカサカサ 音 が だんだん 遠く なり ます 。 何 でも 余程 遠く の 方 まで 行く らしい の です 。 
獅子 は それ を きっと 見送っ て 云 ひ まし た 。 
「 狐 。 どう だ 。 これから は 改心 する か 、 どう だ 。 改心 する なら 今度 だけ 許し て やら う 。 」 
「 へいへい 。 それ は もう 改心 で も 何 でも きっと いたし ます 。 」 
「 改心 で も 何 でも だ と 。 どんな こと だ 。 」 
「 へいへい 。 その 改心 や なんか 、 いろいろ い ゝ こと を みんな し ます ので 。 」 
「 あゝ やっぱり お前 は まだ だめ だ 。 困っ た やつ だ 。 仕方 ない 、 今度 は 罰し なけれ ば なら ない 。 」 
「 大王 様 。 改心 だけ を やり ます 。 」 
「 いやいや 。 朝 まで こ ゝ に 居ろ 。 夜 あけ 迄 に 毛 を むしる 係り を よこす から 。 もし 逃げ たら 承知 せ ん ぞ 。 」 
「 今月 の 毛 を むしる 係り は どなた で ござい ます か 。 」 
「 猿 だ 。 」 
「 猿 。 へい 。 どうか ご免 を ねが ひ ます 。 あいつ は 私 と は この間 から 仲 が 悪い ので どんな ひどい こと を する か 知れ ませ ん 。 」 
「 なぜ 仲 が 悪い の だ 。 お ま へ は 何 か 欺 し たら う 。 」 
「 い ゝ え 。 さ う で は あり ませ ん 。 」 
「 そん なら どう し た の だ 。 」 
「 猿 が 私 の 仕掛け た 草 わな を こ は し まし た ので 。 」 
「 さ う か 。 その わな は 何 を とる 為 だ 。 」 
「 鶏 です 。 」 
「 あゝ 呆れ た やつ だ 。 困っ た もん だ 。 」 と 獅子 は 大きく ため息 を つき まし た 。 狐 も おいおい 泣き だし まし た 。 
向 ふか ら 白熊 が 一目散 に 走っ て 来 ます 。 獅子 は 道 へ ステッキ を つき 出し て 呼び とめ まし た 。 
「 とまれ 、 白熊 、 とまれ 。 どう し た の だ 。 ひどく あわて て ゐる で は ない か 。 」 
「 はい 。 象 め が 私 の 鼻 を 延ばさ う として あんまり 強く 引っ張り ます 。 」 
「 ふん 、 さ う か 。 けが は 無い か 。 」 
「 鼻血 を 沢山 出し まし た 。 そして 卒倒 し まし た 。 」 
「 ふん 。 さ う か 。 それ 位 なら よから う 。 しかし お前 は 象 の 弟子 に ならう といった の か 。 」 
「 はい 。 」 
「 さ う か 。 あんなに 鼻 が 延びる に は 天才 で なく て は だめ だ 。 引っぱる 位 で できる もん ぢ ゃない 。 」 
「 はい 。 全く で ござい ます 。 あ 、 追 ひ かけ て 参り まし た 。 どうか よろしく お ね が ひ 致し ます 。 」 
白熊 は 獅子 の かげ に かくれ まし た 。 
象 が 地面 を みしみし 云 はせ て 走っ て 来 まし た ので 獅子 が 又 ステッキ を 突き出し て 叫び まし た 。 
「 とまれ 、 象 。 とまれ 。 白熊 は こ ゝ に 居る 。 お前 は 誰 を さがし て ゐる ん だ 。 」 
「 白熊 です 。 私 の 弟子 に ならう と 云 ひ ます 。 」 
「 うん 。 さ う か 。 しかし 白熊 は ごく 温和 しい から お前 の 弟子 に なら なく て も よから う 。 白熊 は 実に 無邪気 な 君子 だ 。 それ より この 狐 を 少し 教育 し て やっ て 貰 ひ たい な 。 せめて うそ を つか ない 位 迄 な 。 」 
「 さ う です か 。 いや 、 承知 いたし まし た 。 」 
「 いま 毛 を みんな むしら う と 思っ た の だ が あんまり 可 哀 さ う で な 。 教育 料 は わし から 出さ う 。 一 ヶ月 八 百 円 に 負け て 呉れ 。 今月 分 丈 け はやっ て 置か う 。 」 獅子 は チョッキ の かくし から 大きな がま口 を 出し て せんべい 位 ある 金貨 を 八つ 取り出し て 象 に わたし まし た 。 象 は 鼻 で 受けとっ て 耳 の 中 に しまひ まし た 。 
「 さあ 行け 。 狐 。 よく 云 ふ こと を きく ん だ ぞ 。 それから 。 象 。 狐 は おれ から あづかっ た ん だ から 鼻 を 無 暗に 引っぱら ない で 呉れ 。 よし 。 さあ みんな 行け 。 」 
白熊 も 象 も 狐 も みんな 立ちあがり まし た 。 
狐 は 首 を 垂れ て それでも きょろきょろ あちこち を 盗み見 ながら 象 に ついて行き 、 白熊 は 鼻 を 押 へ て うち の 方 へ 急ぎ まし た 。 
獅子 は 葉巻 を く は へ マッチ を すっ て 黒い 山 へ 沈む 十 日 の 月 を じっと 眺め まし た 。 
そこで みんな は 目 が さめ まし た 。 十 日 の 月 は 本当に 今山 へ は ひる 所 です 。 
狐 も 沢山 くしゃみ を し て 起きあがっ て うろうろ うろうろ 檻 の 中 を 歩き ながら 向 ふ の 獅子 の 檻 の 中 に 居る まっくろ な 大きな け もの を 暗 を すかし て ちょっと 見 まし た 。 
ある 晩 、 恭一 は ざうりをはいて 、 すたすた 鉄道 線路 の 横 の 平ら な ところ を あるい て 居り まし た 。 
たしかに これ は 罰金 です 。 おまけ に もし 汽車 が き て 、 窓 から 長い 棒 など が 出 て ゐ たら 、 一 ぺん に なぐり 殺さ れ て し まつ たで せ う 。 
ところが その 晩 は 、 線路 見 ま はり の 工夫 も こ ず 、 窓 から 棒 の 出 た 汽車 に も あ ひ ませ ん でし た 。 その か はり 、 どうも じつに 変 てこ な もの を 見 た の です 。 
九 日 の 月 が そら に か ゝ つて ゐ まし た 。 そして うろこ 雲 が 空い つ ぱいでした 。 うろこ ぐもはみんな 、 もう 月 の ひかり が はらわ た の 底 まで も しみ と ほ つ て よろよろ する といふ ふう でし た 。 その 雲 の すき ま から ときどき 冷たい 星 が ぴつかりぴつかり 顔 を だし まし た 。 
恭一 は すたすた ある い て 、 もう 向 ふ に 停車場 の あかり が きれい に 見える とこ まで き まし た 。 ぽつんと し た まつ 赤 な あかり や 、 硫黄 の ほ の ほ の やう に ぼう と し た 紫いろ の あかり やら で 、 眼 を ほそく し て みる と 、 まるで 大きな お 城 が ある やう に お も はれる の でし た 。 
とつぜん 、 右手 の シグナル ば しらが 、 がたん と からだ を ゆす ぶつ て 、 上 の 白い 横木 を 斜め に 下 の 方 へ ぶらさげ まし た 。 これ は べつだん 不思議 でも なん でも あり ませ ん 。 
つまり シグナル が さ が つた といふ だけ の こと です 。 一晩 に 十 四 回 も ある こと な の です 。 
ところが その つぎ が 大 へん です 。 
さつき から 線路 の 左 が は で 、 ぐわあん 、 ぐわあんとうなつてゐたでんしんばしらの 列 が 大 威 張り で 一 ぺん に 北 の はう へ 歩き だし まし た 。 みんな 六つ の 瀬戸 もの の エボレツト を 飾り 、 てつ ぺん に はり が ね の 槍 を つけ た 亜鉛 の し やつ ぽ を か ぶつ て 、 片 脚 で ひ よい ひ よい やつ て 行く の です 。 そして いかにも 恭一 を ばか に し た やう に 、 じろじろ 横 め で み て 通り すぎ ます 。 
うなり も だんだん 高く な つて 、 いま は いかにも 昔 ふう の 立派 な 軍歌 に 変 つ て しまひ まし た 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
でん しん ば しら の ぐんたいは 
はやさ せ かい に た ぐひなし 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
でん しん ば しら の ぐんたいは 
きり つ せ かい に ならびなし 。 」 
一 本 の でん しん ば しらが 、 ことに 肩 を そびやかし て 、 まるで う で 木 も がりがり 鳴る くら ゐ に し て 通り まし た 。 
みる と 向 ふ の 方 を 、 六 本 う で 木 の 二 十 二 の 瀬戸 もの の エボレツト を つけ た でん しん ば しら の 列 が 、 やはり いつ しよ に 軍歌 を うた つて 進ん で 行き ます 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
二 本 う で 木 の 工兵 隊 
六 本 う で 木 の 竜騎兵 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
いち れつ 一 万 五 千 人 
はり が ね かたく むすび たり 」 
どう いふ わけ か 、 二 本 の はし ら が う で 木 を 組ん で 、 びつこを 引い て い つ し よに やつ て き まし た 。 そして いかにも つかれ た やう に ふらふら 頭 を ふつ て 、 それから 口 を まげ て ふう と 息 を 吐き 、 よろよろ 倒れ さ うに なり まし た 。 
すると すぐ うし ろ から 来 た 元気 の い ゝ は しら が どなり まし た 。 
「 おい 、 はやく ある け 。 はり が ねが たる むぢやないか 。 」 
ふたり は いかにも 辛 さ うに 、 いつ しよ に こ た へ まし た 。 
「 もう つかれ て あるけ ない 。 あし さき が 腐り 出し た ん だ 。 長靴 の タール も なに も も うめ ちや くち や に なつ てる ん だ 。 」 
う しろ の は しら は もどかし さ う に 叫び まし た 。 
「 はやく ある け 、 ある け 。 き さま ら の うち 、 ど つ ちか が 参 つて も 一 万 五 千 人 みんな 責任 が ある ん だ ぞ 。 あるけ つ たら 。 」 
二 人 は しかた なく よろよろ あるき だし 、 つ ぎからつぎとはしらがどんどんやつて 来 ます 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
やり を かざれる と たん 帽 
すね は は しら の ごとく なり 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
肩 に かけ たる エボレツト 
重き つとめ を しめす なり 。 」 
二 人 の 影 も も うず うつ と 遠く の 緑 青い ろ の 林 の 方 へ 行 つ て しまひ 、 月 が うろこ 雲 から ぱつと 出 て 、 あたり は に は かに 明るく なり まし た 。 
でん しん ば しら は もう みんな 、 非常 な ご 機嫌 です 。 恭一 の 前 に 来る と 、 わざと 肩 を そびやかし たり 、 横 め で わら つ たり し て 過ぎる の でし た 。 
ところが 愕 ろ い た こと は 、 六 本 う で 木 の また 向 ふ に 、 三 本 う で 木 の まつ 赤 な エボレツト を つけ た 兵隊 が あるい て ゐる こと です 。 その 軍歌 は どうも 、 ふし も 歌 も こ つ ちの 方 とち が ふ やう でし た が 、 こ つ ちの 声 が あまり 高い ため に 、 何 を うた つ て ゐる の か 聞き とる こと が でき ませ ん でし た 。 こ つ ち はあ ひか はら ず どんどん やつ て 行き ます 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
寒 さ は だ へ を つんざく も 
などて 腕木 を おろす べき 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
暑 さ 硫黄 を とかす とも 
いかで おとさ ん エボレツト 。 」 
どんどん どんどん やつ て 行き 、 恭一 は 見 て ゐる の さ へ 少し つかれ て ぼんやり なり まし た 。 
でん しん ば しら は 、 まるで 川 の 水 の やう に 、 次 から 次 と やつ て 来 ます 。 みんな 恭一 の こと を 見 て 行く の です けれども 、 恭一 は もう 頭 が 痛く な つて だま つて 下 を 見 て ゐ まし た 。 
俄 か に 遠く から 軍歌 の 声 に まじ つて 、 
「 お 一 二 、 お 一 二 、 」 と いふ し はがれ た 声 が きこえ て き まし た 。 恭一 は びつくり し て また 顔 を あげ て み ます と 、 列 の よ こ を せい の 低い 顔 の 黄いろ な ぢ いさん が まるで ぼろぼろ の 鼠 いろ の 外套 を 着 て 、 でん しん ば しら の 列 を 見 ま は し ながら 
「 お 一 二 、 お 一 二 、 」 と 号令 を かけ て やつ て くる の でし た 。 
ぢ いさん に 見 られ た 柱 は 、 まるで 木 の やう に 堅く な つて 、 足 を し や ち ほこ ばら せ て 、 わき め も ふら ず 進ん で 行き 、 その 変 な ぢ いさん は 、 もう 恭一 の すぐ 前 まで やつ て き まし た 。 そして よ こめ で しばらく 恭一 を 見 て から 、 でん しん ば しら の 方 へ 向い て 、 
「 なみ 足 い 。 おい つ 。 」 と 号令 を かけ まし た 。 
そこで でん しん ば しら は 少し 歩調 を 崩し て 、 やつ ぱり 軍歌 を 歌 つて 行き まし た 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
右 と ひだり の サアベル は 
た ぐひもあらぬ 細身 なり 。 」 
ぢ いさん は 恭一 の 前 に と まつ て 、 からだ を すこし か ゞ め まし た 。 
「 今晩 は 、 お ま へ はさ つき から 行軍 を 見 て ゐ た の かい 。 」 
「 え ゝ 、 見 て まし た 。 」 
「 さ う か 、 ぢ や 仕方 ない 。 ともだち に ならう 、 さあ 、 握手 しよ う 。 」 
ぢ いさん は ぼろぼろ の 外套 の 袖 を はら つ て 、 大きな 黄いろ な 手 を だし まし た 。 恭一 も しかた なく 手 を 出し まし た 。 ぢ いさん が 「 やつ 、 」 と 云 つて その 手 を つかみ まし た 。 
すると ぢ いさん の 眼 だま から 、 虎 の やう に 青い 火花 が ぱちぱち つと で た とお も ふと 、 恭一 は から だ が びり りつ として あぶなく うし ろ へ 倒れ さ うに なり まし た 。 
「 は はあ 、 だいぶ ひびい た ね 、 これ で ごく 弱い は う だ よ 。 わし とも 少し 強く 握手 すれ ば まあ 黒焦げ だ ね 。 」 
兵隊 は やはり ずんずん 歩い て 行き ます 。 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
タール を 塗れる な が 靴 の 
歩 は ば は 三 百 六 十 尺 。 」 
恭一 は す つ か りこ はく な つて 、 歯 が がちがち 鳴り まし た 。 ぢ いさん は しばらく 月 や 雲 の 工合 を ながめ て ゐ まし た が 、 あまり 恭一 が 青く な つ て がたがた ふるえ て ゐる の を 見 て 、 気の毒 に なつ たらしく 、 少し しづか に 斯 う 云 ひ まし た 。 
「 おれ は 電気 総長 だ よ 。 」 
恭一 も 少し 安心 し て 
「 電気 総長 といふ の は 、 やはり 電気 の 一 種 です か 。 」 とき ゝ まし た 。 すると ぢ いさん は また むつ と し て しまひ まし た 。 
「 わから ん 子供 だ な 。 ただ の 電気 で は ない さ 。 つまり 、 電気 の すべて の 長 、 長 といふ の は かしら とよむ 。 とり も な ほさ ず 電気 の 大将 といふ こと だ 。 」 
「 大将 なら ず ゐ ぶん おもしろい で せ う 。 」 恭一 が ぼんやり たづ ね ます と 、 ぢ いさん は 顔 を まるで め ちや くち や に し て よろこび まし た 。 
「 はつ はつ は 、 面白い さ 。 それ 、 その 工兵 も 、 その 竜騎兵 も 、 向 ふ の て き 弾 兵 も 、 みんな おれ の 兵隊 だ から な 。 」 
ぢ いさん は ぷつとすまして 、 片 つ 方 の 頬 を ふくらせ て そら を 仰ぎ まし た 。 それ か らち や うど 前 を 通 つて 行く 一 本 の でん しん ば しら に 、 
「 こら こら 、 なぜ わき見 を する か 。 」 と どなり まし た 。 すると その はし ら は まるで 飛 びあがるぐらゐびつくりして 、 足 が ぐにやんとまがりあわててまつすぐを 向い て ある い て 行き まし た 。 次 から 次 と どしどし は しら は やつ て 来 ます 。 
「 有名 な はなし を お ま へ は 知 つ てる だら う 。 そら 、 むすこ が 、 エン グランド 、 ロンドン に ゐ て 、 おや ぢ が スコツトランド 、 カルクシヤイヤ に ゐ た 。 むすこ が おや ぢ に 電報 を かけ た 、 おれ は ちや ん と 手帳 へ 書い て おい た が ね 、 」 
ぢ いさん は 手帳 を 出し て 、 それから 大きな めがね を 出し て もつとも らしく 掛け て から 、 また 云 ひ まし た 。 
「 お ま へ は 英語 は わかる かい 、 ね 、 センド 、 マイ ブーツ 、 インスタンテウリイ すぐ 長靴 送れ と かう だら う 、 すると カルクシヤイヤ の おや ぢ め 、 あわて くさ つて おれ の でん しん の はり が ね に 長靴 を ぶらさげ た よ 。 はつ はつ は 、 いや 迷惑 し た よ 。 それから 英国 ばかり ぢ や ない 、 十二月 ころ 兵営 へ 行 つ て みる と 、 おい 、 あかり を けし て こい と 上等 兵 殿 に 云 はれ て 新兵 が 電 燈 を ふつふつ と 吹い て 消さ う として ゐる の が 毎年 五 人 や 六 人 は ある 。 おれ の 兵隊 に は そんな もの は 一 人 も ない から な 。 お ま へ の 町 だ つて さ う だ 、 はじめて 電 燈 が つい た ころ は みんな が よく 、 電気 会社 で は 月 に 百 石 ぐらゐ 油 を つか ふ だら う か なんて 云 つ た もん だ 。 はつ はつ は 、 どう だ 、 もつとも それ は おれ の やう に 勢力 不滅 の 法則 や 熱 力学 第 二 則 が わかる と あんまり を かしく も ない が ね 、 どう だ 、 ぼく の 軍隊 は 規律 がい ゝ だら う 。 軍歌 に もち やん と さ う 云 つて ある ん だ 。 」 
でん しん ば しら は 、 みんな まつ すぐ を 向い て 、 すまし 込ん で 通り過ぎ ながら 一 き は 声 を はりあげ て 、 
「 ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
でん しん ば しら の ぐんたいの 
その 名 せ かい に と ゞ ろ けり 。 」 
と 叫び まし た 。 
その とき 、 線路 の 遠く に 、 小さな 赤い 二つ の 火 が 見え まし た 。 すると ぢ いさん は まるで あわて て しまひ まし た 。 
「 あ 、 いかん 、 汽車 が き た 。 誰 か に 見附 かつ たら 大 へん だ 。 もう 進軍 を やめ なく ちや いかん 。 」 
ぢ いさん は 片手 を 高く あげ て 、 でん しん ば しら の 列 の 方 を 向い て 叫び まし た 。 
「 全 軍 、 かたまれ い 、 おい つ 。 」 
でん しん ば しら は みんな 、 ぴつたりとまつて 、 す つかり ふだん の と ほり に なり まし た 。 軍歌 は ただ の ぐわあんぐわあんといふうなりに 変 つ て しまひ まし た 。 
汽車 が ご うと やつ て き まし た 。 汽缶 車 の 石炭 は まつ 赤 に 燃え て 、 その ま へ で 火夫 は 足 を ふん ば つて 、 まつ 黒 に 立つ て ゐ まし た 。 
ところが 客車 の 窓 が みんな まつ くら でし た 。 すると ぢ いさん が いきなり 、 
「 おや 、 電 燈 が 消え てる な 。 こいつ は しま つ た 。 けしからん 。 」 と 云 ひ ながら まるで 兎 の やう に せ 中 を まんま る に し て 走 つ て ゐる 列車 の 下 へ もぐり込み まし た 。 
「 あぶない 。 」 と 恭一 が とめよ う と し た とき 、 客車 の 窓 が ぱつと 明るく な つて 、 一 人 の 小さな 子 が 手 を あげ て 
「 あかるく な つた 、 わあ い 。 」 と 叫ん で 行き まし た 。 
でん しん ば しら は しづか に うなり 、 シグナル は が たり と あ が つて 、 月 は また うろこ 雲 の なか に は ひり まし た 。 
そして 汽車 は 、 もう 停車場 へ 着い た やう でし た 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
でん しん ば しら の ぐんたいは 
はやさ せ かい に た ぐひなし 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
でん しん ば しら の ぐんたいは 
きり つ せ かい に ならびなし 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
二 本 う で 木 の 工兵 隊 
六 本 う で 木 の 竜騎兵 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
いち れつ 一 万 五 千 人 
はり が ね かたく むすび たり 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
やり を かざれる と たん 帽 
すね は は しら の ごとく なり 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
肩 に かけ たる エボレツト 
重き つとめ を しめす なり 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
寒 さ は だ へ を つんざく も 
などて 腕木 を おろす べき 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
暑 さ 硫黄 を とかす とも 
いかで おとさ ん エボレツト 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
右 と ひだり の サアベル は 
た ぐひもあらぬ 細身 なり 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 、 
タール を 塗れる な が 靴 の 
歩 は ば は 三 百 六 十 尺 。 
ドツテテドツテテ 、 ドツテテド 
でん しん ば しら の ぐんたいの 
その 名 せ かい に と ゞ ろ けり 。 
苔 いち めん に 、 霧 が ぽし や ぽし や 降 つ て 、 蟻 の 歩哨 は 、 鉄 の 帽子 の ひさし の 下 から 、 するどい ひとみ で あたり を にらみ 、 青く 大きな 羊歯 の 森 の 前 を あちこち 行 つ たり 来 たり し て ゐ ます 。 
向 ふか ら ぷるぷるぷるぷる 一 ぴき の 蟻 の 兵隊 が 走 つ て 来 ます 。 
「 停 まれ 、 誰 か ツ 」 
「 第 百 二 十 八 聯隊 の 伝令 ！ 」 
「 どこ へ 行く か 」 
「 第 五 十 聯隊 　 聯隊 本部 」 
歩哨 は スナイドル 式 の 銃剣 を 、 向 ふ の 胸 に 斜め に つきつけ た まま 、 その 眼 の 光り やう や 顎 の かたち 、 それから 上着 の 袖 の 模様 や 靴 の 工合 、 いちいち 詳しく 調べ ます 。 
「 よし 、 通れ 」 
伝令 は いそがしく 羊歯 の 森 の なか へ 入 つて 行き まし た 。 
霧 の 粒 は だんだん 小さく 小さく な つて 、 いま は もう うすい 乳 いろ の けむり に 変り 、 草 や 木 の 水 を 吸 ひ あげる 音 は 、 あつ ち に も こ つ ち に も 忙しく 聞え 出し まし た 。 さすが の 歩哨 も た うとう 睡 さ に ふら つ と し ます 。 
二 疋 の 蟻 の 子供 ら が 、 手 を ひい て 、 何 か ひどく 笑 ひ ながら やつ て 来 まし た 。 そして 俄 か に 向 ふ の 楢 の 木の下 を 見 て びつくり し て 立ちどまり ます 。 
「 あつ あれ な ん だら う 。 あんな とこ に まつ 白 な 家 が でき た 」 
「 家 ぢ や ない 山 だ 」 
「 昨日 は なかつ た ぞ 」 
「 兵隊 さん に きい て 見よ う 」 
「 よし 」 
二 疋 の 蟻 は 走り ます 。 
「 兵隊 さん 、 あすこ に ある の なに ？ 」 
「 何だ うるさい 、 帰れ 」 
「 兵隊 さん 、 ゐ ね むりしてんだい 。 あすこ に ある の なに ？ 」 
「 うるさい なあ 、 どれ だい 、 おや ！ 」 
「 昨日 は あんな もの なかつ た よ 」 
「 おい 、 大変 だ 。 おい 。 お ま へ たち は こども だ けれども 、 かう いふ とき に は 立派 に みんな の お 役に立つ だら う なあ 。 い ゝ か 。 お ま へ はね 、 この 森 を 入 つて 行 つて アルキル 中佐 どの に お 目 に か ゝ る 。 それから お ま へ は うんと 走 つて 陸地 測量 部 まで 行く ん だ 。 そして 二 人 と も かう 云 ふん だ 。 北緯 二 十 五 度 東経 六 厘 の 処 に 、 目的 の わから ない 大きな 工事 が でき まし た と な 。 二 人 とも 云 つて ごらん 」 
「 北緯 二 十 五 度 東経 六 厘 の 処 に 目的 の わから ない 大きな 工事 が でき まし た 」 
「 さ う だ 。 で は 早く 。 そのうち 私 は 決して こ ゝ を 離れ ない から 」 
蟻 の 子供 ら は 一目散 に かけ て 行き ます 。 
歩哨 は 剣 を かま へ て 、 じ つと その まつ しろ な 太い 柱 の 、 大きな 屋根 の ある 工事 を にらみつけ て ゐ ます 。 
それ は だんだん 大きく なる やう です 。 だいいち 輪廓 の ぼんやり 白く 光 つて ぷるぷるぷるぷる 顫 へ て ゐる こと で も わかり ます 。 
俄 か に ぱつと 暗く なり 、 そこら の 苔 は ぐらぐら ゆれ 、 蟻 の 歩哨 は 夢中 で 頭 を かか へ まし た 。 眼 を ひらい て また 見 ます と 、 あの まつ 白 な 建物 は 、 柱 が 折れ て す つかり 引つ くり 返 つて ゐ ます 。 
蟻 の 子供 ら が 両方 から 帰 つ て き まし た 。 
「 兵隊 さん 。 構 は ない さ う だ よ 。 あれ は きのこ といふ もの だ つて 。 何 で も ない つて 。 アルキル 中佐 は うんと 笑 つ た よ 。 それから ぼく を ほめ た よ 」 
「 あの ね 、 すぐ なくなる つて 。 地図 に 入れ なく て も いい つて 。 あんな もの 地図 に 入れ たり 消し たり し て ゐ たら 、 陸地 測量 部 など 百 あ つて も 足り ない つて 。 おや ！ 　 引つ くり か へ つて ら あ 」 
「 たつ た いま 倒れ た ん だ 」 歩哨 は 少し きまり 悪 さ うに 云 ひ まし た 。 
「 なあんだ 。 あつ 。 あんな やつ も 出 て 来 た ぞ 」 
向 ふ に 魚 の 骨 の 形 を し た 灰 いろ の を かし な きのこ が 、 とぼけ た やう に 光り ながら 、 枝 が つい たり 手 が 出 たり だんだん 地面 から の びあがつてきます 。 二 疋 の 蟻 の 子供 ら は 、 それ を 指さし て 、 笑 つて 笑 つて 笑 ひ ます 。 
その とき 霧 の 向 ふか ら 、 大きな 赤い 日 が のぼり 、 羊歯 も す ぎごけもにはかにぱつと 青く なり 、 蟻 の 歩哨 は 、 また 厳 め しく スナイドル 式 銃剣 を 南 の 方 へ 構 へ まし た 。 
「 わたし ら の 先祖 や なんか 、 
鳥 が はじめて 、 天 から 降っ て 来 た とき は 、 
ど いつも こいつ も 、 みな いち 様 に 白 でし た 。 」 
「 黄金 の 鎌 」 が 西 の そら に か ゝ つて 、 風 も ない しづか な 晩 に 、 一 ぴき の としより の 梟 が 、 林 の 中 の 低い 松 の 枝 から 、 斯 う 私 に 話しかけ まし た 。 
ところが 私 は 梟 など を 、 あんまり 信用 し ませ ん でし た 。 ちょっと 見る と 梟 は 、 いつ でも 頬 を ふくらせ て 、 滅多 に しゃべら ず 、 たまたま 云 へ ば声 も どっしり し て ます し 、 眼 も 話す 間 は はっきり 大きく 開い て ゐ ます 、 又木 の 陰 の 青 ぐろいとこなどで 、 尤も らしく 肥っ た 首 を まげ たり なんか する とこ は 、 いかにも こ ゝ ろ も まっすぐ らしく 、 誰 も 一 ペ ん は 欺 さ れ さ う です 。 私 は けれども 仲 々 信用 し ませ ん でし た 。 しかし 又 そんな 用 の ない 晩 に 、 銀 いろ の 月光 を 吸 ひ ながら 、 そんな 大きな 梟 が 、 どんな こと を 云 ひ 出す か 、 事 に よる と いま の 話 の もやう で は 名高い とんび の 染屋 の こと を 私 に 聞か せよ う として ゐる らしい の でし た 、 そんな はなし を よく 辻 棲 の あふ やう に 、 ぼろ を 出さ ない やう に 云 へる か どう か 、 ゆっくり 聴い て みる こと も 、 決して 悪く は ない と 思ひ まし た から 、 私 は なるべく まじめ な 顔 で 云 ひ まし た 。 
「 ふん 。 鳥 が 天 から 降っ て き た の かい 。 
その とき は みんな 、 足 を ち ゞ め て 降っ て 来 たら う ね 。 そして み ない ちやう に 白かっ た の かい 。 どうして そん なら いま の やう に 、 三 毛 だの 赤 だの 煤け た の だの 、 斯 う いろいろ に なっ た ん だい 。 」 
梟 は はじめ 私 が 返事 を しだし た とき 、 こいつ は うまく 思ふ 壺 に はまっ た ぞ といふ やう に 、 眼 を すばやく ぱちっとしましたが 、 私 が 三毛 と 云 ひ まし たら 、 俄 か に 機嫌 を 悪く し まし た 。 
「 そいつ は 無理 で さ 。 三毛 といふ の は 猫 の 方 です 。 鳥 に 三 毛 なんて あり ませ ん 。 」 
私 も すっかり 向 ふ が 思ふ 壺 に はまっ た と よろこび まし た 。 
「 そん なら 鳥 の 中 に は 猫 が 居 なかっ た か ね 。 」 
すると 梟 が 、 少し きまり 悪 さ うに も ぢ も ぢ し まし た 。 この 時 だ と 私 は 思っ た の です 。 
「 どうも 私 は 鳥 の 中 に 、 猫 が は ひっ て ゐる やう に 聴い た よ 。 たしか 夜鷹 も さ う 云っ た し 、 烏 も 云っ て ゐ た やう だ よ 。 」 
梟 は にが 笑 ひ を し て ごまかさ う と し まし た 。 
「 仲 々 ご 交際 が 広う ごわす な 。 」 
私 は ごまかさ せ ませ ん でし た 。 
「 とにかく ほん た う に さ う だら う か ね 。 それとも 君 の 友達 の 、 夜鷹 が うそ を 云っ たら う か 。 」 
梟 は 、 しばらく も ぢ も ぢ し て ゐ まし た が 、 やっと 一言 、 
「 そいつ は あだ名 で さ 。 」 と ぶっ 切ら 棒 に 云っ て 横 を 向き まし た 。 
「 おや 、 あだ名 かい 。 誰 の 、 誰 の 、 え 、 おい 。 猫 って の は 誰 の あだ名 だい 。 」 
梟 は もう 足 を 一寸 枝 から は づして 、 あげ て お 月 さま に すかし て 見 たり 、 大 へん こまっ た やう でし た が 、 おし まひ 仕方 なし に あら ん 限り 変 な 顔 を し ながら 、 
「 わたし の で さ 。 」 と 白状 し まし た 。 
「 さ う か 、 君 の あだ名 か 。 君 の あだ名 を 猫 といった の かい 。 ちっとも 猫 に 似 て ない や な 。 」 
なあに まるっきり 猫 そっくり な ん だ と 思ひ ながら 、 私 は つくづく 梟 の 顔 を 見 まし た 。 
梟 は いかにも まぶし さ うに 、 眼 を ぱちぱち し て 横 を 向い て 居り まし た が 、 た うとう 泣き 出し さ うに なり まし た 。 私 も すっかり あわて まし た 。 下手 に からかっ て 、 梟 に 泣か れ た ん で は 、 全く 気の毒 でし た し 、 第 一 折角 あんなに 機嫌 よく 、 私 に はなしかけ た もの を 、 ひやかし て やめ させ て しまふ なんて 、 あんまり 私 も 心持ち が よく あり ませ ん でし た 。 
「 じっさい 鳥 は さまざま だ ねえ 。 
はじめ は 形 や 声 だけ さまざま でも 、 はね の いろは みんな 同じ で 白かっ た ん だ ねえ 。 それ が どうして 今 の やう に 、 みんな 変っ て しまっ たら う 。 尤も 鷺 や 鵠 は 、 今 でも から だ 中 まっ白 だ けれど 、 それ は 変ら なかっ た の だら う ねえ 。 」 
梟 は 私 が 斯 う 云 ふ 間 に 、 だんだん 顔 を こっち へ 直し て 、 おし まひ ごろ は もう 頭 を すこし うごかし て うなづき ながら 、 私 の 云 ふ のに 調子 を とっ て ゐ た の です 。 
「 それ は もう 立派 な 訳 が ござい ます 。 
ぜんたい みんな まっ白 で は 、 
ず ゐ ぶん 間 ち が ひ など も 多 ござい まし た 。 
たとへば よく 雉子 や 山鳥 など が 、 う しろから 
『 四十雀 さん 、 こんにちは 。 』 と やり ます と 、 変 な 顔 を し ながら だまっ て 振り向く の が ひ は だっ たり 、 小さな 鳥 ども が 木 の 上 に ゐ て 、 
『 ひ はさん 、 いらっ し やい よ 。 』 なんて 遠く から 呼び ます のに 、 それ が 頬白 で 自分 より も ひ は の こと を よく 思っ て ゐる と 考へ て 、 憤っ て ぷいっと 横 へ 外れ たり する の でし た 。 
実際 感情 を 害する こと も あれ ば 、 用事 が ひどく こんがらかっ て 、 おし まひ は いくら 禿鷲 コル ドン さま の ご 裁判 で も 、 解け ない やう に なる の だっ た と 申し ます 。 」 
「 いかにも 、 さ う だ ね 、 ず ゐ ぶん 不便 だ ね 。 で それから どう なっ た の 。 」 
（ あゝ 、 あの 楢 の 木の葉 が 光っ て ゆれ た 。 た ゞ 一 枚 だけ どうして ゆれ たら う 。 ） 私 は まるで 別 の こと を 考へ ながら 斯 うふ くろ ふ に 聴き まし た 。 ところが 梟 は よろこん で ぼつぼつ 話 を つ ゞ け まし た 。 
「 そこ でも うど の 鳥 も 、 なんとか 工夫 を し なく て は とても いけ ない 、 こんな 工合 ぢ ゃ 鳥 の 文明 は 大 ていこ ゝ ら で とまっ て しまふ と 、 口 に 出し て は 云 ひ ませ ん でし た が 、 心 の 中 で は 身 に しみる 位 さ う 思ひ つ ゞ け て ゐ た の で ござい ます 。 」 
「 うん さ うだら う 。 さうなく ちゃ なら ない よ 。 僕ら の 方 でも ね 、 少し 話 は ち が ふけれ ども 、 語 について 似 た やう な こと が ある よ 。 で 、 どう なっ たら う 。 」 
「 ところが 早く も 鳥類 の この もやう を 見 て とんび が 染屋 を 出し まし た 。 」 
私 は やっぱり とんび の 染屋 の こと だっ た と 思は ず 笑っ て しまひ まし た 。 それ が 少 うし 梟 に 意外 な やう でし た から 、 急い で その あと へ つけたし まし た 。 
「 とんび が 染屋 を 出し た か ねえ 。 あいつ は なる ほど 手 が 長く て 染 もの を つかん で 壺 に 漬ける に は 持っ て 来い だら う 。 」 
「 さ う です 。 そして いったい とんび は 大 へん 機敏 な やつ で 勿論 その 染 屋 だって 全く の そろ ばん 勘定 から はじめ まし た に ち が ひ あり ませ ん 。 いったい 鳶 は 手 が 長い ので 鳥 を 染 壺 に 入れる に は 大 へん 都合 が よう ござい まし た 。 」 
あっ 、 私 が 染 もの といった の は 鳥 の からだ だっ た 、 あぶない こと を 云っ た もん だ 、 よく それ で 梟 が 怒り 出さ なかっ た と 私 は ひやひや し まし た 。 ところが 梟 は ずんずん 話 を つ ゞ け まし た 。 それ といふ の も その 晩 は 林 の 中 に 風 が なく て 淵 の やう に ひそまり 西 の そら に は 古び た 黄金 の 鎌 が かかり 楢 の 木 や 松の木 やみ なし ん として 立っ て ゐ て それ も 睡っ て ゐ ない もの は じっと 話 を 聴い てる やう 大 へん に 梟 の 機嫌 が よかっ た から です 。 
「 いや 、 もう 鳥 ども の よろこび やう と 云っ たら ござい ませ ん 。 殊 に も 雀 やや ま がら や みそさざい 、 めじろ 、 ほ ゝ じ ろ 、 ひ たき 、 う ぐひすなんといふ 、 いつ まで たっ て も 誰 に も 見 まち が はれる て あ ひ など は 、 き ゃっきゃっ 叫ん だり 、 手 を つない だり し て は ね ま はり 、 さっそく とんび の 染屋 へ 出掛け て 行き まし た 。 」 
私 も 全く こいつ は 面白い と 思ひ まし た 。 
「 いや 、 さ う です か 。 なるほど 。 さ う か ねえ 。 鳥 は みんな 染め て 貰 ひ に 行っ た か ねえ 。 」 
「 え ゝ 、 行き まし た と も 。 鷲 や 駝鳥 など 大きな 方 も 、 みんな の し のし 出掛け まし た 。 
『 わし はね 、 ごく あっさり と やっ て 貰 ひたい ぢ ゃ 。 』 とか 、 
『 とにかく ね 、 あんまり 悪 どい 色 で なく 、 まあ せいぜい 鼠 いろ ぐらゐで 、 ごく 手 ぎはよくやって 呉れ 』 とか いろいろ 注文 が ちがっ て 居 まし た 。 鳶 は はじめ は 自分 も 油 が 乗っ て まし た から 、 頼ま れ た の は もう 片っぱし から 、 どんどん どんどん 染め まし た 。 
川岸 の 赤土 の 崖 の 下 の 粘土 を 、 五 とこ 円く ほり まし て 、 その 中 に 染料 を とかし 込み 、 たのま れ た 鳥 を しっか りく は へ て 、 大股 に 足 を ひらき 、 その 中 に とっぷり と 漬ける の でし た 。 どうも いちばん 染め にくく 、 また 見 て ゐ て も つら さうな の は 、 頭 と 顔 を 染める こと でし た 。 頭 は どうにか 逆 ま に し て 染める の でし た が 、 顔 を 染める とき は くちばし を 水 の 中 に 入れる の でし た から 、 どの 鳥 も よっぽど 苦しい やう でし た 。 
うっかり 息 を 吸 ひ 込ま う もん なら 、 胃 から 腸 から すっかり まっ黒 に なっ たり 、 まっ 赤 に なっ たり する の でし た から 、 それ は それ は 気 を つけ て 、 顔 を 入れる 前 に は 深呼吸 の とき の やう に 、 息 を いっぱい に 吸 ひ 込ん で 、 染まっ た あと で は もう とても 胸 いっぱい に たまっ た 悪い 瓦斯 を はき出す といふ あんばい だっ た さ う です 。 それでも 小さい 鳥 は 、 肺 もち ひ さく 、 永く こら へ て 居 れ ませ ん でし た から 、 あわて て 死に さうな 声 を 出し て 顔 を あげ た もん だ と 申し ます 。 こんな の は もちろん 顔 が 染まり ませ ん 。 たとへば めじろ は 眼 の ま はり が 染まら ず 、 頬 じ ろ は 両方 の 頬 が 染まっ て 居り ませ ん 。 」 
私 は こ ゝ ら で 一つ 野次っ て やら う と 思ひ まし た 。 
「 ほう 、 さ うだら う か 。 さ う だら う か 。 さ う だら う か ねえ 。 私 は めじろ や 頬 じ ろ は 、 自分 から たのん で あの 白い とこ は 染め なかっ た の だら う と 思ふ よ 。 」 
梟 は 少し あわて まし た が 、 ちょっと うし ろ の 林 の 奥 の 、 くらい ところ を すかし て 見 て から 言 ひ まし た 。 
「 い ゝ え 、 そいつ は お 考 へ ち が ひ です 。 たしかに 肺 の 小さな ため です 。 」 
こ ゝ だ と 私 は 思ひ まし た 。 
「 さ う すると どうして あんなに めじろ も 頬白 も 、 きちんと 両方 おんなじ 形 で 、 おんなじ 場所 に 白い かた が 残っ て ゐる だら う ね 。 あんまり 工合 が よ すぎる よ 。 息 が つ ゞ かない で やめ た もん なら 、 片 っ 方 は 眼 の ま はり 、 あと は ひ た ひ の 上 とかいふ 工合 に 行き さうな もん だ ねえ 。 」 
梟 は しばらく 眼 を つむり まし た 。 月光 は 鉛 の やう に 重く また 青かっ た の です 。 それから やっと 眼 を あい て 、 少し 声 を 低く し て 云 ひ まし た 。 
「 多分 両方 べつ べつ に 染め まし た で せ う 。 」 
私 は 笑 ひ まし た 。 
「 両方 別々 なら 尚更 を かしい ぢ ゃないかねえ 。 」 
梟 は もうけろ っと 澄まし て 答 へ まし た 。 
「 を かしい こと は あり ませ ん 。 肺 の 大 さ は はじめ も あと も 同じ です から 、 丁度 同じ ころ に 息 が 切れる の です 。 」 
「 ふん 、 さ うだら う 。 」 私 は 理 くつ は 尤も だ 、 うまく 畜生 遁 げ た な と 心 の うち で 思ひ まし た 。 
「 こんな 工合 で 。 」 梟 は 云 ひ かけ て ぴたっと やめ まし た 。 どうも 私 に いま やら れ た の が 、 し ゃくにさはってあともう 言 ひ たく ない やう でし た 。 すると 今度 は 又 私 が 、 梟 に すま ない やう な 気 に なり まし た 。 そこで 言 ひ まし た 。 
「 そんな 工合 で だんだん やっ て 行っ た ん だ ねえ 。 そして 鶴 だの 鷺 だ の は 、 結局 染め なかっ た ん だ ねえ 。 」 
「 い ゝ え 。 鶴 の は ちゃんと 注文 で 、 自分 の 好み の 注文 で 、 し つ ぽ の はじ だけ ぽ っ ちょ り 黒く 染め て 呉れ と 云 ふ の です 。 そして その 通り 染め まし た 。 」 
梟 は にやにや 笑 ひ まし た 。 私 は 、 さっき ひと の 云っ た こと を 、 うまく 使 ひ や がっ た な と は 思ひ まし た が 、 元来 それ は 梟 を よろこば せよ う と 思っ て 云っ た こと です から 、 私 も だまっ て うなづき まし た 。 
「 ところが とんび は だんだん い ゝ 気 に なり まし た 。 金 も でき た し 気 ぐらゐもひどく 高く なっ て 来 て 、 おれ こそ 鳥 の 仲間 で は 第 一等 の 功労 者 といふ やう な 顔 を し て 、 なかなか 仕事 も し なく なり まし た 。 尤も 自分 は 青 と 黄いろ で 、 とても 立派 な 縞 に 染め て 大 威張り でし た 。 
それでも いやいや 日 に 二つ 三つ は やっ て まし た が 、 その やり方 も ごく 大ざっぱ に なっ て 来 て 、 茶 いろ と 白 と 黒 と で 、 細い ぶち ぶち に し て 呉れ と 頼ん で も 、 黒 は 抜い て しまっ たり 、 赤 と 黒 と で 縞 に し て 呉れ と 頼ん で も 、 燕 の やう に ごく 雑作 なく 染め て しまっ たり 、 実際 なまけ 出し た の でし た 。 尤も その とき は 残っ た もの も わ づか でし た 。 烏 と 鷺 と はく て う と この 三 疋 だけ だっ た の です 。 
烏 は 毎日 で かけ て 行っ て 、 今日 こそ 染め て 貰 ひたい 今日 こそ 染め て 貰 ひたい と しきりに うるさく せつき まし た 。 
明日 に しろ よ 、 明日 に しろ よ 、 と 鳶 が いつ でも 云 ひ まし た 。 それ が いつ まで も 延びる の です 。 
烏 が 怒っ て 、 た うとう ある 日 、 本気 に 談判 を し た の です 。 
『 一体 どう 云 ふ 考 だい 。 染屋 と 看板 が かけ て ある から やって来る ん だ 。 染屋 を よす なら きちんと やめ て しまふ がい ゝ 。 何 日 たっ て も 明日 来い 明日 来い ぢ ゃもう 承知 が でき ない 。 染める ん なら もう きっと 今 すぐ やっ て 呉れ 。 どっち も いや なら おれ も 覚悟 が ある から 。 』 
鳶 は その 日 も 眼 を 据 ゑて 朝 から 油 を 呑ん で ゐ まし た が 斯 う 開き直ら れ て は 少し 考へ まし た 。 染屋 を やめ て も 、 金 に は 少し も 困ら ん が 、 た ゞ その 名前 が いたましい 。 やめ たく も ない 。 けれども いま ごろ から 稼ぎ たく も ない し と 考え ながら とにかく 斯 う 云 ひ まし た 。 
『 ふん 、 さ う だ な 。 一体 どう 云 ふ ふう に 染め て ほしい の だ 。 』 
烏 は 少し 怒り を し づめました 。 
『 黒 と 紫 で 大きな ぶち ぶち に し て お 呉れ 。 友禅 模様 の ごく いき な の に し て お 呉れ 。 』 
とんび が ぐっと しゃく に さ はり まし た 。 そして すぐ 立ちあがっ て 云 ひ まし た 。 
『 よし 、 染め て やら う 。 よく 息 を 吸 ひな 。 』 
烏 も よろこん で 立ちあがり 、 胸 を はっ て 深く 深く 息 を 吸 ひ まし た 。 
『 さ あい ゝ か 。 眼 を つぶっ て 。 』 とんび は しっかり 烏 を く は へ て 、 墨 壺 の 中 に ざぶんと 入れ まし た 。 から だ 一ぱい 入れ まし た 。 烏 は これ で は 紫 の ぶち が でき ない と 思っ て ばたばた ばたばた し まし た が とんび は 決して はなし ませ ん でし た 。 そこで 烏 は 泣き まし た 。 泣い て わめい て やっ と の こと で 壺 から あがり は し まし た が もう その とき は まっ黒 です 。 烏 は 怒っ て まっくろ の まま 染物 小屋 を とび出 し て 、 仲間 の 鳥 の ところ を かけ ま はり 、 とんび の ひどい こと を 云 ひ つけ まし た 。 ところが その ころ は 鳥 も 大 てい は とんび を し ゃくにさはってましたから 、 みな 一 ぺん に やって来 て 、 今度 は とんび を 墨 つ ぼ に 漬け まし た 。 鳶 は あんまり 永く つけ られ た の で た うとう 気絶 を し た の です 。 鳥 ども は 気絶 の とんび を 墨 の つ ぼ から 引きあげ て 、 どっと 笑っ て それ から 染物 屋 の 看板 を くしゃくしゃ に 砕い て 引き揚げ まし た 。 
とん びはあとでやっとのことで 、 息 は ふき 返し まし た が 、 もう から だ 中 まっ黒 でし た 。 
そして 鷺 と はく て う は 、 染め な いま ゝ で 残り まし た 。 」 
梟 は 話し て しまっ て 、 しんと 向 ふ の お 月 さま を ふり向き まし た 。 
「 さ うか ねえ 、 それで よく わかっ た よ 。 さ うし て 見る と 、 お ま へ なん か は まあ 割合 に 早く 染め て 貰っ て よかっ た ねえ 、 なかなか 細く 染まっ て ゐる し 。 」 
私 は 斯 う 言 ひ ながら もう 立ちあがり その 水銀 いろ の 重い 月光 と 、 黒い 木立 の かげ の 中 を 、 ふく ろ ふと わか れ て 帰り まし た 。 
林 は 夜 の 空気 の 底 の すさまじい 藻 の 群落 だ 。 みんな だまっ て 急い で ゐる 。 早く 通り抜けよ う として ゐる 。 
俄 に 空 が はっきり 開け 星 が いっぱい 耀 めき 出し た 。 た ゞ その 空 の ところどころ 中風 に でも かかっ た らしく 変 に 淀ん で 暗い の は 幾 片 か 雲 が 浮ん で ゐる の に ち が ひ ない 。 
その 静か な 微光 の 下 から 烈しく 犬 が 啼き 出し た 。 
けれども 家 の 前 を 通る とき は 犬 は 裏手 の 方 へ 逃げ て 微か に うなっ て ゐる の だ 。 
一寸 来 ない 間 に 社務 所 の 向 ひ に 立派 な 宿 が でき た 。 ラムプ が 黄いろ に と ぼっ て ゐる 。 社務 所 で は もう 戸 を 閉め た 。 
（ こん や 、 二 時 まで 泊め て 下さい 。 四 人 です 。 たいまつ が あり ます か 。 わら ぢ が あり ます か 。 それから 何 か よる の たべ もの が あり ます か 。 ほう 、 火 が よく 燃え てる な 。 そい ぢ ゃ 、 よ ござん すか 。 入り ます よ 。 ） 
（ さあ 、 二 時 まで ぐっすり やる ん だ ぜ 。 ねむら ない と あした つかれる ぞ 。 はてな 、 となり へ 誰 か 来 て ゐる な 。 さ う だ 、 土間 に 測量 の 器械 なんか が 置い て あっ た 。 ） 
青い きらびやか な ね むりのもやが 早く も ぼんやり か ゝ る のに 誰 か どしどし 梯子 を ふん で やっ て 来る 。 隣り の 室 を どんと 明ける 。 
「 やあ 旦那 さん 。 ぶん 萄酒一 杯 やり なさい 。 」 
「 葡萄 酒 ？ 　 葡萄 酒 かい 。 お前 が つくっ た 葡萄 酒 かい 。 熱 め て ある の かい 。 」 
「 まあ 一杯 お あがり なさい 。 さ う です 。 アルコール を 入れ た の です 。 」 
「 アルコール を 入れ た の か 。 あと で ？ 　 作っ て から ？ 」 
「 さ う です 。 大丈夫 です よ 。 本当 の アルコール です 。 見 坊 獣医 から 分け て 貰っ た の で あり ます 。 」 
「 どうして 拵 へ たん だい 。 野 葡萄 を 絞っ て それから ？ 」 
「 い ゝ え 、 あと で 絞る の です 。 まあ 、 お あがり なさい 。 大丈夫 で あり ます 。 」 
「 さ う か 。 そん なら 貰 は う か 。 おっ と 、 沢山 だ よ 。 ふん 、 随分 入れ た な 、 アルコール を 。 」 
「 ず ゐ ぶん 瓶 を 沢山 はじ けら せ まし た 。 」 
「 ふん 。 」 
「 砂糖 を 入れ ない で も やっぱり 醸 き ます 。 」 
「 さ うかい 。 砂糖 を 入れ たら 罰金 だら う 。 おい 、 吉田 、 吉田 。 吉田 を 呼ん で 来 て 呉れ 、 あ 、 い ゝ よ 、 来 た 来 た 。 おい 吉田 。 葡萄 酒 ださ う だ 。 飲ま ない か 。 」 
「 さ う です か 。 おや 。 熱く し て ある の か 。 どれ 、 おい 沢山 だ 。 渋い な 。 」 
ねむ け のも や が また 光る 。 
「 あした は 騎兵 が 実弾 射撃 に 来る さ う ぢ ゃないか 。 どこ へ 射つ の だら う 。 」 
「 笹森山 、 地図 を 拝見 、 これ です 。 なあに 私 等 の 方 は 危く あり ませ ん よ 。 」 
「 しかし 弾丸 が 外れ たら 困る ぜ 。 」 
「 なあに 、 旦那 さん 。 そん た に 来 ませ ん 。 そ ぃつさ 騎兵 だ ん す ぢ ゃぃ 。 」 
ふん 、 あいつ は あの 首 に 鬱金 を 巻き つけ た 旭川 の 兵隊 上り だ な 、 騎兵 だ から 射的 は ま づい 、 それ だ から 大丈夫 外れ 弾丸 は 来 ない 、 と いふ の は 変 な 理窟 だ 。 けれども しん として ゐる 。 みんな 少し 酔っ て 感心 し た ん だ な 。 
「 今日 は 君 は 楽 だっ たら う 。 」 
「 え ゝ 、 しかし 昨日 は 鞍掛 で まるで 一 面 の 篠 笹 、 とても 這 ふも よ ぢ る も でき ませ ん でし た 。 」 
「 いや 、 おれ の 方 だって さ う だ 。 さあ 寝る か な 。 あした は 天気 は 大丈夫 だ な 。 四つ まで できる か な 。 」 
「 え ゝ 。 」 
「 やっ 、 お 邪魔 し ぁんした 。 まだ 入っ て 居り ます 。 置い て 行き ます 。 」 
「 おい 、 持っ て 行け 、 持っ て 行け 、 もう 飲ま ん ぞ 。 」 
さ う だ 。 帝室 林野 局 の 人 たち だ 。 
たしかに これ は 夢 の はじめ の 方 の 青 ぐろい 空 だ 。 山 の 中腹 から 裾野 に 低く 雲 が 垂れ 、 その 星明り の 雲 の 原 の 上 で ごろごろ と 雷 が 鳴っ て ゐる 。 実に 静 に うなっ て ゐる 。 夢 の 中 の 雷 が ごろごろ ごろ ごろ うなっ て ゐる 。 雲 の 下 の 柏 の 木立 に 時々 冷たい 雨 の 灌 ぐのが 手 に 取る やう だ 。 それでも やはり 夢 らしい 。 
何時 か な 。 もう 二 時半 だ 。 少し おくれ た 。 いや 、 丁度 い ゝ 。 寒い 。 
（ おい 。 もう 二 時半 だ 。 二 時半 だ 。 行か う 行か う 。 ） 寒く て ガタガタ する 。 みんな うらうら 仕度 を し て ゐる 。 ゆ ふ べ の つ ゞ きの 灰色 ズック の 鞄 、 ラムプ の 光 は 青い 孔雀 の 羽 。 
（ い ゝ か 。 火 が つい た か 。 さあ 出よ う 。 たいまつ は まん中 だ ぞ 。 寒い な 。 ） 
空 の 鋼 は 奇麗 に 拭 はれ 気圏 の 淵 は 青 黝 ぐろと 澄みわたり 一つ の 微塵 も 置い て ない 。 
いっぱい の 星 が べつ べつ に 瞬い て ゐる 。 オリオン が もう 高く のぼっ て ゐる 。 
（ どう だ 。 たいまつ は 立派 だら う 。 松の木 に 映る と すごい だら う 。 そして 、 そう ら 、 裾野 と 山 が 開け た ぞ 。 はてな 、 山 の てっぺん が 何だか 白光 する やう だ 。 何 か 非常 に もの凄い 。 雲 かも しれ ない 。 おい 、 たいまつ を 一寸 うし ろ へ かくし て 見ろ 。 ホウ 、 雪 だ 、 雪 だ 。 雪 だ よ 。 雪 が 降っ た の だ 。 やっぱり さっき 雨 が 来 た の だ 。 夢 で 見 た の だ 。 雪 だ よ 。 ） 
空気 は いま は すき と ほり 小さな 鋭い か けら で でき て ゐる 。 その 小さな 小さ なか けら が 互に ひどく ぶっつかり 合 ひ 、 この 燐光 を つくる の だ 。 
オリオン その他 の 星座 が 送る ほ の あかり 、 中 に すっくと 雪 を い た ゞ く 山王 が 立ち 黒い 大地 を ひき ゐ ながら 今 涯 も ない 空間 を 静 に めぐり 過ぎる の だ 。 さあ みんな 、 祈る の だ ぞ 、 まっすぐ に 立て 。 
（ 無上 甚深微 妙法 　 百 千 万 劫 難 遭遇 
我 今 見聞 得 受持 　 願 解 如来 第一義 ） 
力いっぱい 声 かぎり 、 夜 風 は いのり を 運び 去り はるか に はるか に オホツク の 黒い 波間 を 越え て 行く 。 草 は もう みんな 枯れ た らしい 。 たいまつ の 火の粉 は 赤く 散り 、 大熊 星 は 見え ませ ん 。 
（ ここ の ところ で よく 間 違 ふ ぞ 。 左 を 行く と 山 みち な ん だ 。 鳥居 が ある ので 悪く する と そっち へ 行く ぜ 。 ） みち は 俄 に 細く なっ たり 何 本 に も わか れ たり 。 黒い 火山 礫 と 草 の し づく 。 
（ いつも なら 火 を 見 て 馬 が かけ て 来る ん だ が 今 は もう みんな 居 ない ん だ 。 すっかり 曇っ た な 。 ） 
みち が 消え たり 又 ひょいと 出 て 来 て 何 本 に も 岐 れ たり 。 
柏 の 枯れ葉 が ざらざら 鳴っ て ゐる 。 
なんだか 路 が 少し を かしい 。 もう 大分 来 て ゐる の だ が 。 
（ 向 ふ に ど て が ある か どう か 一 寸 見 て 来よ う 。 おい 。 つい て 来る な 。 そこ に 居ろ 。 何 だ 。 たいまつ が 消え た な 。 そこ に 居ろ よ 。 は なれる な 。 ず ゐ ぶん 丈 の 高い 草 だ 。 胸 きり ある 。 ） 
（ ど て が 無い よ 。 この 路 に 沿っ て ゐる 筈 な ん だ 。 事 に よっ たら 間違っ た ぞ 。 もう少し 行っ て 見よ う 。 けれども 駄目 だ 。 やっぱり 駄目 だ 。 こんな 変 な 坂路 が なかっ た 筈 だ 。 少し 北側 へ 廻っ た の か な 。 すっかり 曇っ た し 、 困っ た な 。 仕方 ない 夜明け 迄 に 一 ぺん 宿 へ 引っ返し 日 が 出 て から 改めて 出掛けよ う 。 ） 
（ けれども 一寸 路 を さがし て 来よ う 。 何とか 抜け られる かも 知れ ない 。 曇っ て さ へ 居 なかっ たら 見当 だけ つけ て ぐんぐん 本当 の みち の 方 へ 草 を こい で 行け ばい ゝ ん だ が 。 仕方 ない 。 ますます 変 な 所 へ 来 て しまっ た 。 やっぱり 駄目 だ 。 さあ 引っ返し だ ぞ 、 戻り だ ぞ 。 やあ 、 降っ て 来 た 降っ て 来 た 。 マント の ある の は 誰々 だ 。 さあ 馳 ける ん だ ぜ 。 い ゝ か 。 そら 。 大きな 岩 だ 。 つま づく な 。 ） 
（ ふん 、 あれ が さっき の 柳沢 の 杉 だ 。 
何だ 沼森 の 坊主 め 。 ケロリ と し て 睡っ て や がる 。 ） 
所々 雲 が 切れ て 星 が 新 らしく 瞬く 。 
（ は はあ 。 こ ゝ だ 。 こ ゝ で 間違っ た ん だ 。 仕方 ない 。 まあ 行っ て 火 を たか う 。 ） 
山 だけ まだ 雲 を かぶっ て ゐる 。 
（ おい 。 上等 の お菓子 だ ぜ 。 一つ づつ 分ける ぞ 。 もう ぢ き だ 。 もう 十 五 分 。 ） しかし 宿 でも 迷惑 だ な 。 
（ 路 を 間 違 へ て 帰っ て 来 まし た 。 火 を たき ます よ 。 みんな きもの を 乾かせ 。 辛い な 。 けむり が 。 ） 辛い 。 けむり 。 それ に きもの が 乾か ない 。 烟 が みんな そっち へ ばかり 行く 。 ぱっと 燃えろ 。 さあ 、 ぱっと 燃えろ 。 
（ ああ 、 もう 明るく なっ て 来 た 。 空 が 明るく なっ て 来 た 。 きれい だ なあ 。 おい 。 ） 
深い 鋼 青 から 柔らか な 桔梗 、 それ から うる は しい 天 の 瑠璃 、 それ から けむり に 目 を 瞑る と な 、 やはり はが ね の 空 が 眼 の 前 一 面 に こめ て その 中 に るり いろ のく の 字 が 沢山 沢山 光っ て うごい て ゐる よ 。 く の 字 が 光っ て う ご … … 。 
もう すっかり 暁 だ 。 
（ お握り を 焼か う 。 はあ 、 ゆ ふ べ は どうも 。 途中 で 迷っ て 。 雨 は 降る し 。 ） 
（ さあ 日 が 出 た やう だ 。 行か う 行か う 。 さあ 飛び出す ん だ よ 。 お ゝ 、 立派 、 この 立派 。 ふう 。 ） 
日 の 光 は 琥珀 の 波 。 新 らしく 置か れ た みね の 雪 。 赤 々 燃える 谷 の いろ 。 黄葉 を ふるは す 白 樺の木 。 苔 瑪瑙 。 
（ お ゝ い 。 あんまり 馳 ける な 。 とまれ 。 とまれ ぇ 。 お ゝ い 。 止れ っ たら 。 待 てっ たら 。 ） 
うん 。 朝 の 怒り は 新鮮 だ 。 炭酸 水 だ 。 
鈴蘭 の 葉 は 熟し て 黄色 に 枯れ その 実は 兎 の 赤め だま 。 そして これ は 今朝 あけ 方 の 菓子 の 錫 紙 。 光っ て ゐる 。 
時 　 　 一 九 二 〇 年代 
処 　 　 盛岡 市 郊外 
人物 　 爾 薩待 　 正 　 　 開業 したて の 植物 医師 
ペンキ 屋 徒弟 
農民 　 一 
農民 　 二 
農民 　 三 
農民 　 四 
農民 　 五 
農民 　 六 
幕 あく 。 
粗末 な バラック 室 、 卓子 二 、 一 は 顕微鏡 を 載せ 一 は 客 用 、 椅子 二 、 爾 薩待正 　 椅子 に 坐り 心配 そう に 新聞 を 見 て 居る 。 立っ て そわそわ そこら を 直し たり する 。 
「 今日 はあ 。 」 
「 はぁ い 。 」 （ 爾 薩待忙 しく 身 づく ろ いする ） 
（ ペンキ 屋 徒弟 登場 　 看板 を 携える ） 
爾 薩待 「 ああ 、 君 か 、 出来 た ね 。 」 
ペンキ 屋 （ 汗 を 拭き ながら 渡す ） 「 あの 、 五 円 三 十 銭 で ござい ます 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 そう か 。 ずいぶん 急がし て 済まなかっ た ね 。 何せ 今日 から 開業 で 、 新聞 に も 広告 し た もん だ から ね 。 」 
ペンキ 屋 「 はあ 、 それで よう ござい ましょ う か 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 いい とも 、 立派 に でき た 。 あの ね 、 お金 は 月末 まで 待っ て 呉れ 給え 。 」 
ペンキ 屋 「 あの う 、 実は どちら さま に も 現金 に 願っ て ござい ます ので 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 それ は そう だろ う 。 けれども ね 、 ぼく も 茲 で こう やっ て 医者 を 開業 し て みれ ば 、 別に 夜逃げ を する 訳 で も ない ん だ から 、 月末 まで 待っ て くれ た ま え 。 」 
ペンキ 屋 「 ええ 、 ですけれど 、 そう 言いつかっ て 来 た ん です から 。 」 
爾 薩待 「 まあ 、 いい さ 。 僕 だって 、 とにかく こう やっ て 病院 を はじめれ ば 、 まあ 、 院長 じゃ ない か 。 五 円 いくら ぐらい きっと 払う よ 。 そう し て くれ 給え 。 」 
ペンキ 屋 「 だって 、 病院 だって 、 人 の 病院 で も ない ん でしょ う 。 」 
爾 薩待 「 勿論 さ 。 植物 病院 さ 。 いま は もう 外国 なら どこ の 町 だって 植物 病院 は ある さ 。 ここ で は ぼく が はじめ だ けれど 。 」 
ペンキ 屋 「 だって 現金 で ない と 私 帰っ て 叱ら れ ます から 。 そん なら 代金 引替 という こと に ねがい ます 。 」 
（ すばやく 看板 を 奪う ） 
爾 薩待 「 君 、 君 、 そう 頑固 な こと 言う ん じゃ ない よ 。 実は 僕 も 困っ てる ん だ 。 先月 まで は ぼく は 県庁 の 耕地 整理 の 方 へ 出 て た ん だ 。 ところが 部長 と 喧嘩 し て ね 、 そいつ を ぶんなぐっ て やめ て しまっ た ん だ 。 商売 を やる たって 金 も ない し ね 、 やっと その 顕微鏡 を 友だち から 借り て この 商売 を はじめ た ん だ 。 同情 し て くれ 給え 。 」 
ペンキ 屋 「 だって 、 そんな 先月 まで 交通 整理 だ か やっ て い て 俄 か に 医者 なんか できる ん です か 。 」 
爾 薩待 「 交通 整理 じゃ ない よ 。 耕地 整理 だ よ 。 けれども そり ぁ 、 医者 と は ちがわ ぁね 。 しかし ね 、 百姓 の こと な ん ざ 何 と で も ごまかせる もん だ よ 。 ぼく 、 きっと うまく やる から 、 まあ 置い とけ よ 。 置い とけ よ 。 」 
（ また 取り返す ） 
ペンキ 屋 「 そう です か 。 そい じゃ 月末 に は どうか 間 ちがい なく 。 困っ ちまう なあ 。 」 
爾 薩待 「 大丈夫 さ 。 君 を 困ら し ぁしないよ 。 ありがとう 、 じゃ 、 さよなら 。 」 
ペンキ 屋 徒弟 退場 。 
「 申し 。 」 
爾 薩待 （ 居座 い を 直し 身繕い する ） 「 はあ 。 」 
農民 一 （ 登場 　 枯れ た 陸稲 を もっ て いる ） 「 稲 の 伯楽 づのぁ 、 こっち だ べ すか 。 」 
爾 薩待 「 はあ 、 そう です 。 」 
農民 一 「 陸稲 の ごと でも わ がる べ すか 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 わかり ます 。 私 は 植物 一切 の 医者 です から 。 」 
農民 一 「 はあ 、 おりゃ の 陸稲 ぁ 、 さっ ぱりおがらなぃです 。 この 位 に なっ て 、 だんだん 枯れ はじめ です 、 なじ ょにしたらいが 、 教え て く なせ 。 」 （ 出す ） 
爾 薩待 （ 手 にとって 見る ） 「 は はあ 、 あんまり 乾き 過ぎ た な 。 」 
農民 一 「 いいえ 、 おり ゃのあそごぁひでえ 谷地 で 、 なんぼ 旱 で も 土 ぽ さ ぽ さ づぐなるづごとのなぃどごだます 。 」 
爾 薩待 「 は はあ 、 あんまり 水 の はけ ない ため だ 。 」 
農民 一 （ 考える ） 「 す た 、 去年 な も 、 ずいぶん 雨降り だ た ん と も 、 ずいぶん ゆ ぐ 穫れ だます 、 ま ん つ 、 おら あ だり で ば 大谷 地中 で おれ の これ ぁとったもの 無 ぃがったます 。 」 
爾 薩待 「 は はあ 、 あんまり 厚く 蒔き すぎ た な 。 」 
農民 一 「 厚 ぐ 蒔 ぐて 全体 陸稲 づもな 、 一 反歩 さ なんぼ ご りゃ 蒔 げ ばい のす 。 」 
爾 薩待 「 さ う です な 。 品種 や 土壌 に より ます が なあ 、 さ う です なあ 、 陸稲 一 反歩 と なる と いう と 、 可 成 いろいろ です が なあ 、 その 塩水 撰 し た やつ と し ない やつ でも ちがい ます が なあ 。 」 
農民 一 「 はあ 、 その 塩水 撰 し た の です 。 」 
爾 薩待 「 は はあ 、 塩水 撰 し た 陸稲 の 種子 と 、 土壌 や 肥料 に も より ます が なあ 。 」 
農民 一 「 ま ん つ 、 あ だり 前 の ど ご で 、 あ だり 前 の 肥料 し て す 。 」 
爾 薩待 「 そう です なあ 、 それ は 、 ええ と 、 あなた の あたり で は なんぼ ぐらい 播き ます ？ 」 
農民 一 「 まず 一 反歩 四 升 だ なす 。 おら も その 位 に 播い だ ん す 。 」 
爾 薩待 「 は はあ 、 一 反歩 四 升 と 。 少し 厚い よう です なあ 、 三 升 八 合 ぐらい でしょ う な 。 然し 、 あなた の と この は 厚 蒔 の ため で も ない です なあ 。 そう する と 、 やっぱり 肥料 です な 。 肥料 が あんまり 少かっ た の でしょ う 。 」 
農民 一 「 はあ 、 ま ぁんつ 、 人並 より は 、 やっ た ます 。 百 刈り で ば 、 まず おら あ だり 一反 四 畝 な ん だ 、 その 百 刈り さ 、 馬 肥 、 十 五 駄 、 豆粕 一 俵 、 硫安 十 貫目 も やっ た ます 。 」 
爾 薩待 「 あ 、 その 硫安 だ 。 硫安 を 濃く し て 掛け た でしょ う 。 」 
農民 一 「 はあ 、 別段 濃い ど 思わ な ぃがったが 、 全体 なんぼ 位 に 薄め たら いが べ す 。 」 
爾 薩待 「 そう です な 。 硫安 の 薄め 方 と なる と ずいぶん 色々 です が なあ 、 天気 に も より ます し ね 。 」 
農民 一 「 曇っ て まず 、 土 の さっと 湿 け だ ず ぎだら 、 なんぼ こり ゃにすたらいがべす 。 」 
爾 薩待 「 そう です な 。 また あんまり 薄く て も いかん です な 。 あなた の 処 で は どれ 位 に し ます 。 」 
農民 一 「 まず 肥 桶 一 杯 の 水 さ 、 この 位 まで て 言う ます 。 」 
爾 薩待 「 ええ 、 まあ そうですね 、 けれども 、 これ 位 で は 少し 多い かも 知れ ませ ん ね 。 まあ 、 こんな ん でしょ う な 。 」 （ 掌 を 少し 小さく する ） 
農民 一 「 はあ 、 せ ど な は おれ ぁは 、 もっと 入れ だます 。 」 
爾 薩待 「 そう です か 。 そう すれ ば まあ 病気 です な 。 」 
農民 一 「 何 病 だ べ す 。 」 
爾 薩待 （ 勿体らしく 顕微鏡 に 掛ける ） 「 は はあ 、 立 枯病 です な 。 立 枯病 です 。 ちゃんと 見え て い ます 。 立 枯病 です 。 」 
農民 一 「 はで な 、 病気 より も 何 が 虫 だ な ぃがべすか 。 」 
爾 薩待 「 虫 も い ます か 。 葉 に です か 。 」 
農民 一 「 いいえ 、 根 に す 、 小 せ ぁ 虫 こ ぁ 居る よう だ ます 。 」 
爾 薩待 「 ああ なるほど 虫 だ 。 ちゃんと 根 を 食っ た あと が ある 。 これ は 病気 と 虫 と 両方 です 。 主 に 虫 の 方 です 。 」 
農民 一 「 はあ 、 私 も そう だ と 思っ て あん す た 。 」 
爾 薩待 （ 汗 を 拭い て やっ と 安心 という 風 ） 「 ええ 、 そう です とも 、 これ は もう 明らか に 虫 です 。 しかも 根切虫 だ という こと は 極めて 明白 です 。 つまり この 稲 は 根切虫 の 害 によって 枯れ た の です な 。 」 
農民 一 「 はあ 、 それで 、 その 根切虫 、 無 ぐする に なじ ょにすたらいがべす 。 」 
爾 薩待 「 さ う です なあ 、 虫 を 殺す と すれ ば やっぱり 亜砒酸 など が 一番 いい です な 。 」 
農民 一 「 はあ 、 どこ で 売っ てる べ す 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 それ は 私 の とこ が 病院 です から な 。 私 の とこ に あり ます 。 いま 上げ ます 。 」 
農民 一 「 はあ 。 」 
爾 薩待 （ 立っ て 薬 瓶 を とる ） 「 何 反 と いい まし た です か 。 」 
農民 一 「 五 畝 歩 で ご あん す 。 」 
爾 薩待 「 五 畝 歩 と する と どれ 位 で いい か なあ 。 （ しばらく 考え て なあに くそ という 風 ） これ 位 で いい な 。 」 （ 瓶 の まま 渡す ） 
農民 一 「 あの 虫 の い な ぃどごさも 掛 げ る の すか 。 」 
爾 薩待 （ あわてる ） 「 いや 、 それ は 、 い た とこ へ だけ かける の です 。 」 
農民 一 「 枯れ だ ど ご ぁ 半分 ご り ゃだんす 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 丁度 その 位 へ かける だけ です 。 」 
農民 一 「 水 さ なんぼ ご りゃ 入れる のす 。 」 
爾 薩待 「 肥 桶 一つ へ まず これ 位 です なあ 。 」 
農民 一 「 はあ 、 そう せ ば 、 よっぽど 叮 ねい に 掛 げ な ぃやなぃな 。 ま ん つ お 有難う ご あん す な 。 すぐ 行っ て 掛 げ で 見 ら す 。 なんぼ 上げ だら いが べ す 。 」 
爾 薩待 「 そう です な 。 診察 料 一 円 に 薬価 一 円 と 、 二 円 いただき ます 。 」 
農民 一 「 はあ 。 」 （ 財布 から 二 円 出す ） 
爾 薩待 （ 受取る ） 「 やあ 、 ありがとう 。 」 
農民 一 「 どうも お 有難う ご あん し た 。 これ がら も どう が よろし ぐお 願 いい だし あん す 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 さよなら 。 」 （ 農民 一 　 退場 ） 
爾 薩待 （ ほくほく し て 室 の 中 を 往来 する ） 「 ふん 。 亜砒酸 は 五 十 銭 で 一 円 五 十 銭 もうけ だ 。 これ なら 一向 訳 ない な 。 向こう から 聞い た 上 で こっち は 解決 を つけ て やる 丈 だ から 。 」 （ 硫安 を 入れる とき の 手付 を する ） 
「 もうし 。 」 
爾 薩待 「 はい 。 」 （ 農民 二 　 登場 ） 
農民 二 「 植物 医者 づのぁお 前 さん だ べ すか 。 」 
爾 薩待 「 ええ 、 そう です 。 」 
農民 二 「 陸稲 の ごと でも わ がる べ すか 。 」 
爾 薩待 「 ああ わかり ます 。 私 は 植物 一切 の 医者 です から 。 」 
農民 二 「 はあ 、 おりゃ の 陸稲 ぁ 、 さっ ぱりおがらなぃです 。 この 位 に なっ て だんだん 枯れ はじめ です 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 そう です か 。 まあ お 掛け なさい 。 え えと 、 陸稲 が 枯れる ん です か 。 」 
農民 二 「 はあ 、 斯 う 言う に ならん す 。 」 （ 出す ） 
爾 薩待 「 ああ 、 なるほど 、 これ はね 、 こいつ はね 、 あんまり 乾き 過ぎ た という 訳 で も ない 、 また 水はけ の 悪い ため で も ない 。 」 
農民 二 「 はあ 、 全 ぐその 通り だ ん す 。 」 
爾 薩待 「 そう でしょ う 。 また あんまり 厚く 蒔き 過ぎ た という の で も ない 。 まあ 一 反歩 四 升 位 蒔い た でしょ う 。 」 
農民 二 「 そう で ご あん す 、 そう で ご あん す 、 丁度 それ 位 蒔 ぎあんすた 。 」 
爾 薩待 「 そう でしょ う 。 また 肥料 が あんまり 少ない の で も ない 。 また 硫安 を 追肥 する のに 濃 過ぎ た の で も ない 。 まあ 肥 桶 一つ に これ 位 入れ た でしょ う 。 」 
農民 二 「 はあ 、 そう で ご あん す 、 そう で ご あん す 。 」 
爾 薩待 「 そう でしょ う 、 また これ は 病気 で も ない 。 ぼく 考える に 、 どう です 、 これ 位 ぐらい の こんな 虫 が 根 に つい ちゃ い ませ ん か 。 」 
農民 二 「 はあ 、 おり あん す 、 おり あん す 。 」 
爾 薩待 「 なるほど 、 そう でしょ う 。 そいつ が いか ん の です 。 」 
農民 二 「 なじ ょにすたらいがべす 。 」 
爾 薩待 「 それ はね 、 亜砒酸 という 薬 を かける ん です 。 」 
農民 二 「 ど ご で 売っ て べ す 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 勿論 私 の ところ に ある の です が ね 、 いま ちょっと 切れ て い ます から 、 証明 書 を 書い て 上げ ます 。 （ 書く ） これ を もっ て 町 の 薬屋 から 買っ て おい で なさい 。 硫安 と 同じ 位 に 薄め て 使う ん です 。 」 
農民 二 「 はあ 、 こ いづ 持っ て て 薬 買っ て 薄め で 掛ける の だ なす 。 」 
爾 薩待 「 そう です 。 」 
農民 二 「 なんぼ お礼 上げ だら いが べ す 。 」 
爾 薩待 「 診察 料 は 一 円 です 。 それから 証明 書 代 が 五 十 銭 です 。 」 
農民 二 「 一 円 五 十 銭 だ なす 。 （ 金 を 出す ） さあ 、 どうも お あり が ど ご あん す た 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 ありがとう 。 さよなら 。 」 
農民 二 　 退場 
農民 三 　 登場 
農民 三 「 今朝 新聞 さ 広告 出 は てら 植物 医者 づのぁ 、 お前 さん だ べ すか 。 」 
爾 薩待 「 ああ 、 そう です 。 何 か ご用 です か 。 」 
農民 三 「 おれ ぁの 陸稲 ぁ 、 さっ ぱりおがらなぃです 。 」 
爾 薩待 「 ええ 、 ええ 、 それ はね 、 疾 う から 私 は 気 が 付い て い まし た が 、 針金 虫 の 害 です 。 」 
農民 三 「 なじ ょにすたらいがべす 。 」 
爾 薩待 「 それ はね 、 亜砒酸 を 掛ける ん です 。 いま 私 が 証明 書 を 書い て あげ ます から 、 これ を 持っ て 薬店 へ 行っ て 亜砒酸 を 買っ て 肥 桶 一つ に これ 位 ぐらい 入れ て 稲 に かける ん です 。 」 
（ 証明 書 を 書く 、 渡す ） 
農民 三 「 はあ 、 そう です か 。 お あり が ど ご あん す 。 なんぼ 上げ 申し たら いが べ す 。 」 
爾 薩待 「 一 円 五 十 銭 です 。 」 
（ 金 を 出す ） 
農民 三 「 どうも お あり が ど ご あん す た 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 ありがとう 。 さよなら 。 」 （ 農民 三 　 退場 ） 
農民 四 、 五 　 登場 。 
爾 薩待 「 いや 、 今日 は 、 私 は 植物 医師 、 爾 薩待 です 。 あなた 方 は 陸稲 の 枯れ た こと に 就い て 相談 に おいで に なっ た の でしょ う 。 それ は 針金 虫 の 害 です 。 亜砒酸 を おかけ なさい 。 いま 証明 書 を 書い て あげ ます 。 」 （ 書く ） 
農民 四 、 五 （ 驚嘆 す ） この 人 ぁ 医者 ばかり だ な ぃ 。 八卦 も 置 ぐようだじゃ 。 」 
爾 薩待 「 ここ に 証明 書 が あり ます から ね 、 こいつ を もっ て 薬屋 へ 行っ て 亜砒酸 を 買っ て 、 水 へ とかし て 稲 に 掛ける ん です 。 え えと 、 お 二 人 で 三 円 下さい 。 」 
農民 四 、 五 「 どうも お あり が ど ご あん す た 。 」 
爾 薩待 「 ええ 、 さよなら 。 」 
農民 六 　 登場 。 
爾 薩待 「 ああ 、 （ 証明 書 を 書く ） この 証明 書 を 持っ て 薬屋 へ 行っ て 亜砒酸 を 買っ て 水 へ とかし て あなた の 陸稲 へ おかけ なさい 。 すっかり 直り ます から 。 その 代り 一 円 五 十 銭 置い て っ て 下さい 。 」 
農民 六 （ おじぎ 、 金 を 渡す 。 去る ） 
爾 薩待 （ 独語 ） 「 どう だ 。 開業 早々 から こう うまく 行く と は 思わ なかっ た なあ 。 半日 で 十 円 に なる 。 看板 代 など は なん で も ない 。 もう 七 人 目 の やつ が 来 そう な もん だ が なあ 。 」 
「 今日 は 。 」 
「 はい 。 」 （ 農民 一 　 登場 ） 
爾 薩待 「 いや 、 今日 は 。 私 は 植物 医師 の 爾 薩待 です 。 あなた の 陸稲 は すっかり 枯れ た でしょ う 。 」 
農民 一 「 はあ 。 」 
爾 薩待 「 それ はね 、 あんまり 乾き 過ぎ た ため で も ない 、 あんまり 湿り 過ぎ た ため で も ない 。 厚く 蒔き すぎ た の で も ない 。 まあ 一 反歩 四 升 ぐらい 播い た の でしょ う 。 」 
農民 一 「 はあ 。 」 
爾 薩待 「 それで いい の です 。 また 肥料 の あまり 少ない の で も ない 。 硫安 を 濃く し て かけ た の で も ない 。 肥 桶 一つ へ これ 位 入れ た でしょ う 。 」 
農民 一 「 はあ 。 」 
爾 薩待 「 そこで ね 、 それ は 針金 虫 という もの の 害 な の です 。 それ を なく する に は 亜砒酸 を 水 に とかし て かける の です 。 」 
農民 一 「 はあ 、 私 そう し あん し た 。 」 
爾 薩待 （ 顔 を 見 て 愕 く ） 「 おや 、 あなた は さっき の 方 です ね 。 こ つい は 失敬 し まし た 。 どう でし た 。 」 
農民 一 「 どうも 、 ゆ ぐなぃよだんすじゃ 。 かげ だれ ば 、 稲見 でる う ぢ に 赤 ぐなってしまたもす 。 」 
爾 薩待 （ あわてる ） 「 いや 、 そんな 筈 は あり ませ ん 。 それ は 掛けよ う が 悪い の です 。 」 
農民 一 「 掛 げ よう 悪 たて お前 さん の 言う よう に す た ます 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 そう で ない です 。 第 一 、 日 中 に 掛ける という こと が あり ます か 。 」 
農民 一 「 はで な 、 そ いづ お前 さん 言わ な ぃんだもな 。 」 
爾 薩待 「 言わ ない たって 知れ てる じゃ あり ませ ん か 。 いや に なっ ちまう な 。 」 
「 申し 。 」 （ 農民 二 　 登場 ） 
農民 二 「 陸稲 さっぱり 枯れ で しまっ た ます 。 」 
爾 薩待 「 だから ね 、 今 も 言っ てる ん だ 、 こんな 天気 の まっ 盛り に 肥料 に しろ 薬剤 に しろ かける という 筈 は ない ん だ 。 」 
農民 二 「 何 し た どす 。 お前 さん 、 今 行っ て すぐ 掛 げろ って 言っ た け ぁか 。 」 
爾 薩待 「 それ は 言っ た 。 言っ た けれども 、 君たち の やっ た よう で なく 、 噴霧 器 を 使わ ない と いけ ない ん だ 。 」 
農民 一 「 虫 も 死ぬ 位 だ から 陸稲 さ も 悪い ので ぁあるまぃが 。 」 
農民 二 「 どうも そう だ よう だ ます 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 そんな こと は ない 。 ちゃんと 処方 通り やれ ば うまく 行っ た ん だ 。 」 
「 今日 は 。 」 （ 農民 三 　 登場 ） 
農民 三 「 先生 、 あの 薬 わが な ぃ 。 さっぱり 稲 枯れる もの 。 」 
爾 薩待 「 いや 、 それ はね 、 今 も 言っ て た ん だ が 、 噴霧 器 を 使わ ず に 、 この 日 中 やっ た の が いけ なかっ た の だ 。 」 
農民 三 「 はぁ で な 、 お前 さま 、 おれ さ 叮 ねい に 柄杓 で かげろ て 言っ た だ な ぃすか 。 」 
爾 薩待 「 いやいや 、 それ はね 、 … … 」 
農民 二 「 なあに 、 この 人 、 まるで さっき た がら 、 いい こりゃ 加減 だ も さ 。 」 
農民 一 「 あんまり 出来 さ な ぃよだね 。 」 
（ 医師 しおれる ） 
農民 四 、 五 、 六 　 登場 
農民 四 「 じゃ 、 この 野郎 、 山師 た がり だ じゃ ぃ 。 まるきり 稲 枯れ でし また な 。 」 
農民 五 「 ひで や づだじゃ 。 春 から 汗水 たら すて 、 よう や ぐ 物 に す た の 、 二 百 刈り づもの 、 まるっきり 枯らし て しまっ た な 。 」 
農民 六 「 ほんとに ひで 野郎 だ 。 」 
農民 二 「 全体 、 はじめ の 話 がら 、 ひ ょんただたもな 。 じゃ 、 う な 、 医者 だ なんて 、 人がら 銭 まで 取っ て で 、 人 の 稲 枯らし て 済む もん だ が 。 」 
爾 薩待 （ うなだれる ） 
（ 農民 等 　 黙然 ） 
農民 二 （ やや あっ て ） 「 いま 、 もぐり 歯医者 で も 懲役 に なる もの 、 人 欺 し て 、 こっ たなご として それ で 通る づ 筈 な ぃがべじゃ 。 」 
爾 薩待 （ いよいよ しょげる 。 ） 
農民 二 「 六 人 さ 、 まるっきり 同じ ごと 言っ て 偽 こい で 、 そして で 威張っ て 、 診察 料 よごせ だ 、 全体 、 何 の 話 だり ゃ 。 」 
爾 薩待 （ いよいよ しおれる ） 
農民 一 （ 気の毒 に なる ） 「 じゃ 、 あんまり そう 言う な じゃ 、 人 の 医者 だ て 治る ごと も あれ ば 、 療治 後れれ ば 死ぬ ごと も ある だ 。 あんまり そう 言う な じゃ 。 」 
農民 三 「 ま ぁんつ 、 運 悪 が たと あ ぎらめなぃやなぃな 。 ひで りさ 一 年 か が た ど 思 たらい が べ 。 」 
農民 四 「 全体 、 みんな 同じ 陸稲 だっ た がら 悪 がっ た も な 。 ほ が の もの も あれ ば 、 治る 人 も あっ た ん だ と も 。 あっ はっ は 。 」 
農民 五 「 さあ 、 あ べ じゃ 。 医者 さん も あんまり 、 が おれ な ぃで 、 折角 みっしり やっ たら いが べ 。 」 
農民 六 「 ようし 、 仕方 な ぃがべ 。 さあ 、 さっ ぱりどあぎらめべ 。 じゃ 、 医者 さん 、 まだ 頼む 人 も ある だ 、 あんまり 、 が おら な ぃでおでぁれ 。 」 
農民 二 「 さあ 、 行 ぐべ 。 どうも お あり が ど ご あん す た 。 」 
一同 退場 　 医師 これ を 見送る 。 
（ 幕 ） 
楢ノ木 大 学士 は 宝石 学 の 専門 だ 。 
ある 晩 大 学士 の 小さな 家 へ 、 
「 貝 の 火 兄弟 商会 」 の 、 
赤鼻 の 支配人 が やって来 た 。 
「 先生 、 ごく 上等 の 蛋白石 の 注文 が ある の です が どう で せ う 、 お 探し を ねが へ ませ んで せ う か 。 もっとも ごくごく 上等 の やつ を ほしい の です 。 何せ 相手 が グリーンランド の 途方 も ない 成金 です から 、 ありふれ た もの ぢ ゃなかなか 承知 し ない ん です 。 」 
大 学士 は 葉巻 を 横 にく は へ 、 
雲母 紙 を 張っ た 天井 を 、 
斜め に 見上げ て 聴い て ゐ た 。 
「 たびたび ご 迷惑 で 、 まことに 恐れ入り ます が 、 いか ゞ な もん で ござい ませ う 。 」 
そこで 楢ノ木 大 学士 は 、 
に やっと 笑っ て 葉巻 を とっ た 。 
「 うん 、 探し て やら う 。 蛋白石 の い ゝ の なら 、 流 紋 玻璃 を 探せ ばい ゝ 。 探し て やら う 。 僕 は 実際 、 一 ぺん さがし に 出かけ たら 、 きっと もう 足 が 宝石 の ある 所 へ 向く ん だ よ 。 そして 宝石 の ある 山 へ 行く と 、 奇 体 に 足 が 動か ない 。 直覚 だ ねえ 。 いや 、 それ だ から 、 却って 困る こと も ある よ 。 たとへば 僕 は 一 千 九 百 十 九 年 の 七月 に 、 アメリカ の ヂャイアントアーム 会社 の 依 嘱 を 受け て 、 紅 宝玉 を 探し に ビルマ へ 行っ た が ね 、 やっぱり いつか 足 は 紅 宝玉 の 山 へ 向く 。 それから ちゃんと 見附 か って 、 帰ら う として も なかなか 足 が あがら ない 。 つまり 僕 と 宝石 に は 、 一種 の 不思議 な 引力 が 働い て ゐる 、 深く 埋まっ た 紅 宝玉 ども の 、 日光 の 中 へ 出 たい といふ その 熱心 が 、 多分 は 僕 の 足 の 神経 に 感ずる の だら う ね 。 その 時 も 実際 困っ た よ 。 山 から 下りる のに 、 十 一 時間 も かかっ た よ 。 けれども それ が いま の バララゲ の 紅 宝玉 坑 さ 。 」 
「 は はあ 、 そいつ は どうも とん だ ご 災難 で ござい まし た 。 しかし いか ゞ で ござい ませ う 。 こんど も 多分 は そんな 工合 に 参り ませ う か 。 」 
「 それ は もう きっと さ う 行く ね 。 た ゞ その 時 に 、 僕 が 何 か の 都合 の ため に 、 たとへば ひどく 疲れ て ゐる とか 、 狼 に 追 はれ て ゐる とか 、 あるいは ひどく 神経 が 興奮 し て ゐる とか 、 そんな やう な 事情 から 、 ふっと その 引力 を 感じ ない といふ やう な こと は ある かも しれ ない 。 しかし とにかく 行っ て 来よ う 。 二 週間 目 に は きっと 帰る から 。 」 
「 それでは 何分 お 願 ひ いたし ます 。 これ は まことに 軽少 です が 、 当座 の 旅費 の つもり です 。 」 
貝 の 火 兄弟 商会 の 、 
鼻 の 赤い その 支配人 は 、 
ねずみ色 の 状袋 を 、 
上着 の 内 衣 嚢 から 出し た 。 
「 さ う か ね 。 」 
大 学士 は 別段 気 に もとめ ず 、 
手 を 延ばし て 状袋 を さら ひ 、 
自分 の 衣 嚢 に 投げこん だ 。 
「 では 何 分 とも 、 よろしく お 願 ひ いたし ます 。 」 
そして 「 貝 の 火 兄弟 商会 」 の 、 
赤鼻 の 支配人 は 帰っ て 行っ た 。 
次 の 日 諸君 の うち の 誰 か は 、 
きっと 上野 の 停車場 で 、 
途方 も ない 長い 外套 を 着 、 
変 な 灰色 の 袋 の やう な 背嚢 を しょ ひ 、 
七 キログラム も あり さ う な 、 
素敵 な 大きな かなづち を 、 
持っ た 紳士 を 見 た だら う 。 
それ は 楢 の 木 大 学士 だ 。 
宝石 を 探し に 出掛け た の だ 。 
出掛け た 為 に た うとう 楢ノ木 大 学士 の 、 
野宿 といふ こと も 起っ た の だ 。 
三 晩 といふ もの 起っ た の だ 。 
野宿 第 一夜 
四月 二 十 日 の 午后 四 時 頃 、 
例 の 楢ノ木 大 学士 が 
「 ふん 、 此 の 川筋 が あやしい ぞ 。 たしかに この 川筋 が あやしい ぞ 」 
と ひとり ぶつぶつ 言 ひ ながら 、 
からだ を 深く 折り曲げ て 
眼 一 杯 に みひらい て 、 
足もと の 砂利 を ねめ ま は し ながら 、 
兎 の やう に ひょいひょい と 、 
葛 丸川 の 西岸 の 
大きな 河原 を のぼっ て 行っ た 。 
両側 はず ゐ ぶん 嶮 しい 山 だ 。 
大 学士 は どこ まで も 溯っ て 行く 。 
けれども た うとう 日 も 落ち た 。 
その 両側 の 山 ども は 、 
一生懸命 の 大 学士 など に は お 構 ひ なく 
ずんずん 黒く 暮れ て 行く 。 
その 上 に ちょっと 顔 を 出し た 
遠く の 雪 の 山脈 は 、 
さびしい 銀 いろ に 光り 、 
て の ひ ら の 形 の 黒い 雲 が 、 
その 上 を 行っ たり 来 たり する 。 
それから 川岸 の 細い 野原 に 、 
ちょろちょろ 赤い 野火 が 這 ひ 、 
鷹 に よく 似 た 白い 鳥 が 、 
鋭く 風 を 切っ て 翔け た 。 
楢ノ木 大 学士 は そんな こと に は 構 は ない 。 
まだ どこ まで も 川 を 溯っ て 行か う と する 。 
ところが た うとう 夜 に なっ た 。 
今 は もう 河原 の 石ころ も 、 
赤 やら 黒 やら わから ない 。 
「 これ は いけ ない 。 もう 夜 だ 。 寝 なく ちゃ なる まい 。 今夜 はず ゐ ぶん 久しぶり で 、 愉快 な 露天 に 寝る ん だ な 。 うまい ぞ うまい ぞ 。 ところで 草 へ 寝よ う か な 。 かれ 草 で それ は たしかに い ゝ けれども 、 寝 て ゐる うち に 、 野火 に やか れ ちゃ 一言 も ない 。 よし よし 、 この 石 へ 寝よ う 。 まるで ね 台 だ 。 ふん ふん 、 実に 柔らか だ 。 い ゝ 寝台 だ ぞ 。 」 
その 石 は 実際 柔らか で 、 
又 敷布 の やう に 白かっ た 。 
その か は り 又 大 学士 が 、 
腕 を のばし て 背嚢 を ぬぎ 、 
肱 を まげ て 外套 の ま ゝ 、 
ごろりと 横 に なっ た とき は 、 
外套 の せ なか に 白い 粉 が 、 
まるで 一 杯 に つい た の だ 。 
もちろん 学士 は それ を 知ら ない 。 
又 そんな こと 知っ た とこ で 、 
あわて て 起きあがる 性質 で も ない 。 
水 が その 広い 河原 の 、 
向 ふ 岸 近く を ご う と 流れ 、 
空 の 桔梗 の うす あかり に は 、 
山 ども が のっ き のっ き と 黒く 立つ 。 
大 学士 は 寝 た ま ゝ それ を 眺め 、 
又 ひとり ごと を 言 ひ 出し た 。 
「 は はあ 、 あいつ ら は 岩 頸 だ な 。 岩 頸 だ 、 岩 頸 だ 。 相違 ない 。 」 
そこで 大 学士 はい ゝ 気 に なっ て 、 
仰向け の ま ゝ 手 を 振っ て 、 
岩 頸 の 講義 を はじめ 出し た 。 
「 諸君 、 手っ取り早く 云 ふ なら ば 、 岩 頸 といふ の は 、 地殻 から 一 寸 頸 を 出し た 太い 岩石 の 棒 で ある 。 その 頸 が す な は ち 一つ の 山 で ある 。 え ゝ 。 一つ の 山 で ある 。 ふん 。 どうして そんな 変 な もの が でき た と いふ なら 、 そいつ は 蓋し 簡単 だ 。 え ゝ 、 こ ゝ に 一つ の 火山 が ある 。 熔岩 を 流す 。 その 熔岩 は 地殻 の 深い ところ から 太い 棒 に なっ て のぼっ て 来る 。 火山 が だんだん 衰 へ て 、 その 腹の中 まで 冷え て しまふ 。 熔岩 の 棒 も かたまっ て しまふ 。 それから 火山 は 永い 間 に 空気 や 水 の ため に 、 だんだん 崩れる 。 た うとう 削ら れ て へらさ れ て 、 し まひ に は 上 の 方 が すっかり 無くなっ て 、 前 の かたまっ た 熔岩 の 棒 だけ が 、 やっと 残る といふ あんばい だ 。 この 棒 は 大 抵頸 だけ を 出し て 、 一つ の 山 に なっ て ゐる 。 それ が 岩 頸 だ 。 は はあ 、 面白い ぞ 、 つまり その これ は 夢 の 中 のも や だ 、 も や 、 も や 、 も や 、 も や 。 そこで その つまり 、 鼠 いろ の 岩 頸 だ が な 、 その 鼠 いろ の 岩 頸 が 、 きちんと 並ん で 、 お 互に 顔 を 見合せ たり 、 ひとり で 空うそぶい たり し て ゐる の は 、 大変 おもしろい 。 ふ ふん 。 」 
それ は 実際 その 通り 、 
向 ふ の 黒い 四つ の 峯 は 、 
四 人 兄弟 の 岩 頸 で 、 
だんだん 地面 から せり 上っ て 来 た 。 
楢ノ木 大 学士 の 喜び やう は ひどい もん だ 。 
「 は はあ 、 こいつ ら は ラクシャン の 四 人 兄弟 だ な 。 よく わかっ た 。 ラクシャン の 四 人 兄弟 だ 。 よし よし 。 」 
注文 通り 岩 頸 は 
丁度 胸 まで せり出し て 
ならん で 空 に 高く そびえ た 。 
一番 右 は 
たしか ラクシャン 第 一 子 
まっ黒 な 髪 を ふり 乱し 
大きな 眼 を ぎろぎろ 空 に 向け 
しきりに 口 を ぱくぱく し て 
何 か どなっ て ゐる 様 だ が 
その 声 は 少し も 聞え なかっ た 。 
右 から 二 番目 は 
たしかに ラクシャン の 第 二 子 だ 。 
長い あご を 両手 に 載せ て 睡っ て ゐる 。 
次 は ラクシャン 第 三 子 
やさしい 眼 を せ は しくま たたき 
いちばん 左 は 
ラクシャン の 第 四 子 、 末っ子 だ 。 
夢 の やう な 黒い 瞳 を あげ て 
じっと 東 の 高原 を 見 た 。 
楢ノ木 大 学士 が もっと よく 
四 人 を 見よ う と 起き 上っ たら 
俄 か に ラクシャン 第 一 子 が 
雷 の やう に 怒鳴り 出し た 。 
「 何 を ぐづぐづしてるんだ 。 潰し て しまへ 。 灼い て しまへ 。 こなごな に 砕い て しまへ 。 早く やれ っ 。 」 
楢ノ木 大 学士 は びっくり し て 
大急ぎ で 又 横 に なり 
いびき まで し て 寝 た ふり を し 
そっと 横目 で 見 つ ゞ けた 。 
ところが 今 の どなり 声 は 
大 学士 に 云っ た の で も なかっ た やう だ 。 
なぜなら ラクシャン 第 一 子 は 
やっぱり 空 へ 向い た ま ゝ 
素敵 な どなり を 続け た の だ 。 
「 全体 何 を ぐづぐづしてるんだ 。 砕い ち ま へ 、 砕い ち ま へ 、 はね 飛ばす ん だ 。 はね 飛ばす ん だ よ 。 火 を どし ゃどしゃ 噴く ん だ 。 熔岩 の 用意 っ 。 熔岩 。 早く 。 畜生 。 いつ まで ぐづぐづしてるんだ 。 熔岩 、 用意 っ 。 もう 二 百 万 年 たっ てる ぞ 。 灰 を 降らせろ 、 灰 を 降らせろ 。 なぜ 早く 支度 を し ない か 。 」 
しづか な ラクシャン 第 三子 が 
兄 を なだめ て 斯 う 云っ た 。 
「 兄さん 。 少し おやすみなさい 。 こんな しづか な 夕方 ぢ ゃありませんか 。 」 
兄 は 構 はず 又 どなる 。 
「 地球 を 半分 ふきとばし ち ま へ 。 石 と 石 と を 空 で ぶっつけ 合せ て ぐらぐら する 紫 の い なびか り を 起せ 。 まっくろ な 灰 の 雲 から かみ なり を 鳴らせ 。 えい 、 意気地 なし ども 。 降らせろ 、 降らせろ 、 きらきら の 熔岩 で 海 を う づめろ 。 海 から 騰る 泡 で 太陽 を 消せ 、 生き残り の 象 から 虫けら の はて まで 灰 を 吸 は せろ 、 えい 、 畜生 ども 、 何 を ぐづぐづしてるんだ 。 」 
ラクシャン の 若い 第 四 子 が 
微笑 って 兄 を なだめ 出す 。 
「 大 兄さん 、 あんまり 憤ら ない で 下さい よ 。 イーハトブ さん が 向 ふ の 空 で 、 又 笑っ て ゐ ます よ 。 」 
それから こんど は 低く つぶやく 。 
「 あんな 銀 の 冠 を 僕 も ほしい なあ 。 」 
ラクシャン の 狂暴 な 第 一 子 も 
少し し づまって 弟 を 見る 。 
「 まあ い ゝ さ 、 お前 も しっかり 支度 を し て 次 の 噴火 に は あの イーハトブ の 位 に なれ 。 十 二 ヶ月 の 中 の 九 ヶ月 を あの 冠 で 飾れる の だ ぞ 。 」 
若い ラクシャン 第 四 子 は 
兄 の ことば は 聞き ながし 
遠い 東 の 
雲 を 被っ た 高原 を 
星 の あかり に 透し 見 て 
なつかし さ うに 呟 やい た 。 
「 今夜 は ヒームカ さん は 見え ない なあ 。 あの まっ黒 な 雲 の やつ は 、 ほん た うに いや な やつ だ なあ 、 今日 で 四 日 も ヒームカ さん や 、 ヒームカ さん の おっかさん を マント の 下 に かくし てる ん だ 。 僕 一つ 噴火 を やっ て あいつ を 吹き飛ばし て やら う か な 。 」 
ラクシャン の 第 三子 が 
少し 笑っ て 弟 に 云 ふ 。 
「 大 へ ん 怒っ てる ね 。 どうか し た の かい 。 え ゝ 。 あの 東 の 雲 の やつ かい 。 あいつ は 今夜 は 雨 を やっ てる ん だ 。 ヒームカ さん も 蛇紋 石 の きもの が ずぶ ぬれ だら う 。 」 
「 兄さん 。 ヒームカ さん は ほん た うに 美しい ね 。 兄さん 。 この 前 ね 、 僕 、 こ ゝ から かたく り の 花 を 投げ て あげ た ん だ よ 。 ヒームカ さん の おっかさん へ は 白い こぶし の 花 を あげ た ん だ よ 。 そしたら 西風 が ね 、 だまっ て 持っ て 行っ て 呉れ た よ 。 」 
「 さ うかい 。 ハッハ 。 まあ い ゝ よ 。 あの 雲 は あした の 朝 は もう 霽 れ てる よ 。 ヒームカ さん が まばゆい 新 らしい 碧 いき もの を 着 て お 日 さま の 出る ころ は 、 きっと 一番 さき に お前 に あいさつ する ぜ 。 そいつ は もう きっと なん だ 。 」 
「 だけど 兄さん 。 僕 、 今度 は 、 何 の 花 を あげ た らい ゝ だら う ね 。 もう 僕 の とこ に は 何 の 花 も ない ん だ よ 。 」 
「 うん 、 そいつ はね 、 おれ の 所 に ね 、 桜草 が ある よ 、 それ を お前 に やら う 。 」 
「 ありがたう 、 兄さん 。 」 
「 やかましい 、 何 を ふざけ た こと を 云っ てる ん だ 。 」 
暴 っぽい ラクシャン の 第 一 子 が 
金粉 の 怒鳴り 声 を 
夜 の 空 高く 吹き あげ た 。 
「 ヒームカ ってな ん だ 。 ヒームカ って 。 
ヒームカ って 云 ふ の は 、 あの 向 ふ の 女の子 の 山 だら う 。 よわ むし め 。 あんな もの と つき あふ の は よせ と 何 べ ん も おれ が 云っ た ぢ ゃないか 。 ぜんたい おれ たち は 火 から 生れ た ん だ ぞ 青ざめ た 水 の 中 で 生れ た やつ ら とち が ふん だ ぞ 。 」 
ラクシャン の 第 四 子 は 
しょげ て 首 を 垂れ た が 
しづか な 直 か の 兄 が 
弟 の ため に 長兄 を なだめ た 。 
「 兄さん 。 ヒームカ さん は 血統 はい ゝ の です よ 。 火 から 生れ た の です よ 。 立派 な カンラン ガン です よ 。 」 
ラクシャン の 第 一 子 は 
尚更 怒っ て 
立派 な 金粉 の どなり を 
まるで 火 の やう に あげ た 。 
「 知っ てる よ 。 ヒームカ は カンラン ガン さ 。 火 から 生れ た さ 。 それ はい ゝ よ 。 けれども そん なら 、 一体 い つ 、 おれ たち の やう に めざましい 噴火 を やっ た ん だ 。 あいつ は 地面 まで 騰っ て 来る 途中 で 、 もう 疲れ て やめ て しまっ た ん だ 。 今 こそ 地殻 の のろのろ のぼり や 風 や 空気 の おかげ で 、 おれ たち と 肩 を ならべ て ゐる が 、 元来 おれ たち と は まるで 生れ 付き がち が ふん だ 。 き さま たち に は 、 まだ おれ たち の 仕事 が よく わから ない の だ 。 おれ たち の 仕事 は な 、 地殻 の 底 の 底 で 、 とけ て とけ て 、 まるで へたへた に なっ た 岩漿 や 、 上 から 押しつけ られ て 古 綿 の やう に ちぢまっ た 蒸気 やら を 取っ て 来 て 、 いざ といふ 瞬間 に は 大きな 黒い 山 の 塊 を 、 まるで 粉々 に 引き裂い て 飛び出す 。 
煙 と 火 と を 固め て 空 に 抛 げ つける 。 石 と 石 と を ぶっつけ 合せ て い な づまを 起す 。 百 万 の 雷 を 集め て 、 地面 を ぐらぐら 云 はせ て やる 。 丁度 、 楢ノ木 大 学士 といふ もの が 、 おれ の どなり を ひょっと 聞い て 、 びっくり し て 頭 を ふらふら 、 ゆすぶっ た やう に だ 。 ハッハッハ 。 
山 も 海 も みんな 濃い 灰 に 埋まっ て しまふ 。 平ら な 運動 場 の やう に なっ て しまふ 。 その 熱い 灰 の 上 で ばかり 、 おれ たち の 魂 は 舞踏 し て い ゝ 。 い ゝ か 。 もう みんな 大 さわぎ だ 。 さて 、 その 煙 が 納まっ て 空気 が 奇麗 に 澄ん だ とき は 、 こっち は どう だ 、 いつか まるで 空 へ 届く くら ゐ 高く なっ て 、 まるで そんな こと も あっ た か といふ やう な 顔 を し て 、 銀 か 白金 か の 冠 ぐらゐをかぶって 、 きちんと すまし て ゐる の だ ぞ 。 」 
ラクシャン の 第 三子 は 
しばらく 考へ て 云 ふ 。 
「 兄さん 、 私 は どうも 、 そんな こと は きら ひ です 。 私 は そんな 、 ま はり を 熱い 灰 で う づめて 、 自分 だけ 一 人 高く なる やう な そんな こと は し たく あり ませ ん 。 水 や 空気 が いつ でも 地面 を 平ら に しよ う として ゐる で せ う 。 そして 自分 で も いつ でも 低い 方 低い 方 と 流れ て 行く で せ う 、 私 は あなた の やり方 より は 、 却って あの 方 が ほん た う だ と 思ひ ます 。 」 
暴 っぽい ラクシャン 第 一 子 が 
この とき まるで きらきら 笑っ た 。 
きらきら 光っ て 笑っ た の だ 。 
（ こんな 不思議 な 笑 ひ やう を 
いま まで おれ は 見 た こと が ない 、 
愕 くべ き だ 、 立派 な もん だ 。 ） 
楢ノ木 学士 が 考へ た 。 
暴 っぽい ラクシャン の 第 一 子 が 
ず ゐ ぶん しばらく 光っ て から 
やっと しづ まっ て 斯 う 云っ た 。 
「 水 と 空気 かい 。 あいつ ら は 朝 から 晩 まで 、 俺 ら の 耳 の そば 迄 来 て 、 世界 の 平和 の 為 に 、 お前 ら の 傲慢 を 削る とか なんとか 云 ひ ながら 、 毎日 こそ こそ 、 俺 ら を 擦っ て 耗 し て 行く が 、 まるっきり うそ さ 。 何 でも おれ の きく とこ に 依る と 、 あいつ ら は 海岸 の ふく ふくし た 黒土 や 、 美しい 緑 いろ の 野原 に 行っ て 知らん顔 を し て 溝 を 掘る やら 、 濠 を こさ へる やら 、 それ は どうも 実に ひどい もん ださ う だ 。 話 に も 何 に も なら ん といふ こっ た 。 」 
ラクシャン の 第 三子 も 
つい 大声 で 笑っ て しまふ 。 
「 兄さん 。 なんだか 、 そんな 、 こじつけ み たい な 、 あてこすり み たい な 、 芝居 の せりふ の やう な もの は 、 一向 あなた に 似合 ひ ませ ん よ 。 」 
ところが ラクシャン 第 一 子 は 
案外 に 怒り 出し も し なかっ た 。 
きらきら 光っ て 大声 で 
笑っ て 笑っ て 笑っ て しまっ た 。 
その 笑 ひ 声 の 洪水 は 
空 を 流れ て 遙 か に 遙 か に 南 へ 行っ て 
ねぼけ た 雷 の やう に と ゞ ろ い た 。 
「 うん 、 さ うだ 、 もう あまり 、 おれ たち の がら に も ない 小 理窟 は 止さ う 。 おれ たち の お父さん に すま ない 。 お父さん は 九つ の 氷河 を 持っ て い らし ゃったさうだ 。 その ころ は 、 こ ゝ ら は 、 一 面 の 雪 と 氷 で 白熊 や 雪 狐 や 、 いろいろ な け もの が 居 た さ う だ 。 お父さん は おれ が 生れる とき なくなら れ た の だ 。 」 
俄 か に ラクシャン の 末子 が 叫ぶ 。 
「 火 が 燃え て ゐる 。 火 が 燃え て ゐる 。 大 兄さん 。 大 兄さん 。 ごらん なさい 。 だんだん 拡がり ます 。 」 
ラクシャン 第 一 子 が びっくり し て 叫ぶ 。 
「 熔岩 、 用意 っ 。 灰 を ふらせろ 、 えい 、 畜生 、 何だ 、 野火 か 。 」 
その 声 に ラクシャン の 第 二 子 が 
びっくり し て 眼 を さまし 、 
その 長い 顎 を あげ て 、 
眼 を 釘 づけ に さ れ た やう に 
しばらく 野火 を みつめ て ゐる 。 
「 誰 か やっ た の か 。 誰 だ 、 誰 だ 、 今 ごろ 。 なん だ 野火 か 。 地面 の 挨 を さらさら さらっ と 掃除 する 、 て ま へ なんぞ に 用 は ない 。 」 
すると ラクシャン の 第 一 子 が 
ちょっと 意地悪 さ うに わら ひ 
手 を ばたばた と 振っ て 見せ て 
「 石 だ 、 火 だ 。 熔岩 だ 。 用意 っ 。 ふん 。 」 
と 叫ぶ 。 
ばか な ラクシャン の 第 二 子 が 
すぐ 釣り込ま れ て あわて 出し 
顔 いろ を ぽっと ほてら せ ながら 
「 おい 兄貴 、 一 吠え しよ う か 。 」 
と 斯 う 云っ た 。 
兄貴 は わら ふ 、 
「 一 吠え って もう 何 十 万 年 を 、 き さま は ぐうぐう 寝 て ゐ た の だ 。 それでも いくら か まだ 力 が 残っ て ゐる の か 」 
無精 な 弟 は 只 一言 
「 ない 」 
と 答 へ た 。 
そして 又 長い 顎 を う で に 載せ 、 
ぽっかり ぽっかり 寝 て しまふ 。 
しづか な ラクシャン 第 三子 が 
ラクシャン の 第 四 子 に 云 ふ 
「 空 が 大 へん 軽く なっ た ね 、 あした の 朝 は きっと 晴れる よ 。 」 
「 え ゝ 今夜 は 鷹 が 出 ませ ん ね 」 
兄 は 笑っ て 弟 を 試す 。 
「 さっき の 野火 で 鷹 の 子供 が 焼け た の か な 。 」 
弟 は 賢く 答 へ た 。 
「 鷹 の 子供 は 、 もう 余程 、 毛 も 剛 く なり まし た 。 それ に 仲 々 強い から 、 きっと 焼け ない で 遁 げた で せ う 」 
兄 は 心持 よく 笑 ふ 。 
「 そん なら 結構 だ 、 さあ もう 兄さん たち は よく おやすみ だ 。 楢ノ木 大 学士 と 云 ふ やつ も よく 睡っ て ゐる 。 さっき から 僕 等 の 夢 を 見 て ゐる ん だ ぜ 。 」 
すると ラクシャン 第 四 子 が 
ずる さ うに 一 寸 笑っ て かう 云っ た 。 
「 そん なら 僕 一つ おどかし て やら う 。 」 
兄 の ラクシャン 第 三子 が 
「 よせ よせ い た づら する な よ 」 
と 止め た が 
い た づら の 弟 は それ を 聞か ず に 
光る 大きな 長い 舌 を 出し て 
大 学士 の 額 を べろりと 嘗め た 。 
大 学士 は ひどく びっくり し て 
それでも 笑 ひ ながら 眼 を さまし 
寒 さ に がたっと 顫 へ た の だ 。 
いつか 空 が すっかり 晴れ て 
まるで 一 面 星 が 瞬き 
まっ黒 な 四つ の 岩 頸 が 
た ゞ しく もと の 形 に なり 
じっと なら んで 立っ て ゐ た 。 
野宿 第 二 夜 
わが 親愛 な 楢ノ木 大 学士 は 
例 の 長い 外套 を 着 て 
夕陽 を せ 中 に 一 杯 浴び て 
すっかり くたびれ た らしく 
度々 空気 に 噛みつく やう な 
大きな 欠伸 を やり ながら 
平ら な 熊出 街道 を 
すたすた 歩い て 行っ た の だ 。 
俄 か に 道 の 右側 に 
がらん と し た 大きな 石切場 が 
口 を あい て ひらけ て 来 た 。 
学士 は 咽喉 を こくっ と 鳴らし 
中 に 入っ て 行き ながら 
三角 の 石 かけ を 一つ 拾 ひ 
「 ふん 、 こ ゝ も 角 閃花崗 岩 」 と 
つぶやき ながら つくづく と 
あたり を 見れ ば 石切場 、 
石 切り たち も 帰っ た らしく 
小さな 笹 の 小屋 が 一つ 
淋しく 隅 に ある だけ だ 。 
「 こいつ は うまい 。 丁度 い ゝ 。 どうも ひと の うち の 門口 に 立っ て 、 もしもし 今晩 は 、 私 は 旅 の 者 です が 、 日 が 暮れ てひどく 困っ て ゐ ます 。 今夜 一 晩 泊め て 下さい 。 たべ 物 は 持っ て ゐ ます から 支度 は なんにも 要り ませ ん なんて 、 へっ 、 こんな こと 云 ふ の は 、 もう 考へ て も いや に なる 。 そこで 今夜 は こ ゝ へ 泊ら う 。 」 
大 学士 は 大きな 近眼 鏡 を 
ちょっと 直し て にやにや 笑 ひ 
小屋 へ 入っ て 行っ た の だ 。 
土間 に は 四つ の 石 かけ が 
炉 の 役目 を し その 横 に は 
榾 も いくらか 積ん で ある 。 
大 学士 は マッチ を すっ て 
火 を たき 、 それから ビスケット を 出し 
もそもそ 喰 べ たり 手帳 に 何 か 書きつけ たり 
しばらく の 間 し て ゐ た が 
おし まひ に 火 を どんどん 燃し て 
ごろりと 藁 に ねころん だ 。 
夜中 に なっ て 大 学士 は 
「 うう 寒い 」 
と 云 ひ ながら 
ば たり と はね 起き て 見 たら 
もう たき ゞ が 燃え尽き て 
た ゞ の おき だけ に なっ て ゐ た 。 
学士 は いそい で たき ゞ を 入れる 。 
火 は 赤く 愉快 に 燃え 出し 
大 学士 は 胸 を ひろげ て 
つくづく と よく 暖 る 。 
それから 一寸 外 へ 出 た 。 
二 十 日 の 月 は 東 に か ゝ り 
空気 は 水 より 冷たかっ た 、 
学士 は しばらく 足踏み を し 
それから たばこ を 一 本 く は へ マッチ を すっ て 
「 ふん 、 実に しづか だ 、 夜 あけ まで まだ 三 時間 半 ある な 。 」 
つぶやき ながら 小屋 に 入っ た 。 
ぼんやり たき火 を ながめ ながら 
わら の 上 に 横 に なり 
手 を 頭 の 上 で 組み 
うとうと うとうと し た 。 
突然 頭 の 下 の あたり で 
小さな 声 で 云 ひ 合っ てる の が 聞え た 。 
「 そんなに 肱 を 張ら ない で お 呉れ 。 おれ の 横 の 腹 に 病気 が 起る ぢ ゃないか 。 」 
「 おや 、 変 な こと を 云 ふ ね 、 一体 い つ 僕 が 肱 を 張っ た ね 」 
「 そんなに 張っ て ゐる ぢ ゃないか 、 ほん た うに お前 この 頃 湿気 を 吸っ た せい か ひどく のさばり 出し て 来 た ね 」 
「 おや それ は 私 の こと だら う か 。 お前 の こと ぢ ゃなからうかね 、 お前 も この 頃 は 頭 で み り み り 私 を 押しつけよ う と する よ 。 」 
大 学士 は 眼 を 大きく 開き 
起き 上っ て その 辺 を 見 ま は し た が 
誰 れ も 居ら ない 様 だっ た 。 
声 は だんだん 高く なる 。 
「 何 が ひどい ん だ よ 。 お前 こそ この 頃 は すこし ばかり 風 を 呑ん だ せい か 、 まるで 人 が 変っ た やう に 意地悪 に なっ た ね 。 」 
「 はて ね 、 少し ぐらゐ 僕 が 手足 を のばし た って それ を と やか う お前 が 云 ふ の かい 。 十 万 二 千 年 昔 の こと を 考へ て ごらん 。 」 
「 十 万 何 千 年 前 とか が どう し た の 。 もっと 前 の こと さ 、 十 万 百 万 千 万 年 、 千 五 百 の 万 年 の 前 の あの 時 を お前 は 忘れ て しまっ て ゐる の かい 。 まさか 忘れ は し ない だら う が ね 。 忘れ なかっ たら 今 に なっ て 、 僕 の 横腹 を 肱 で 押す なんて 出来 た 義理 かい 。 」 
大 学士 は この 語 を 聞い て 
すっかり 愕 ろ い て しまふ 。 
「 どうも 実に 記憶 の い ゝ やつ ら だ 。 え ゝ 、 千 五 百 の 万 年 の 前 の その 時 を お前 は 忘れ て しまっ て ゐる の かい 。 まさか 忘れ は し ない だら う が ね 、 え ゝ 。 これ は どうも 実に 恐れ入っ た ね 、 いったい 誰 だ 。 変 に 頭 の い ゝ やつ は 。 」 
大 学士 は 又 そろそろ と 起きあがり 
あたり を さがす が 何 も ない 。 
声 は いよいよ 高く なる 。 
「 それ は たしかに 、 あなた は 僕 の 先輩 さ 。 けれども それ が どう し た の 。 」 
「 どう し た の ぢ ゃないぢゃないか 。 僕 が やっと 体 骼 と 人格 を 完成 し て ほっと 息 を ついてる と お前 が すぐ 僕 の 足もと で どんな 声 を し た と 思ふ ね 。 こんな 工合 さ 。 もし 、 ホンブレン さま 、 こ ゝ の 所 で 私 も ちっと ばかり 延び たい と 思ひ まする 。 どうか あなた さま の お み あし さき に でも 一寸 取りつか せ て 下さい ませ 。 まあ かう 云 ふお 前 の ことば だっ た よ 。 」 
楢ノ木 学士 は 手 を 叩く 。 
「 は はあ 、 わかっ た 。 ホンブレン さま と 、 一 人 は ホルン ブレンド だ 。 すると 相手 は 誰 だら う 。 わから ん なあ 。 けれども 、 ふ ふん 、 こいつ は 面白い 。 いよいよ 今日 も 問答 が はじまっ た 。 しめ 、 しめ 、 これ だ から 野宿 は やめ られ ん 。 」 
大 学士 は 煙草 を 新 らしく 
一 本 出し て マッチ を する 
声 は いよいよ 高く なる 。 
もっとも いくら 高く て も 
せいぜい 蚊 の 軍歌 ぐらゐだ 。 
「 それ は たしかに その 通り さ 、 けれども それ に対して お前 は 何と 答 へ た ね 。 い ゝ え 、 そいつ は 困り ます 、 どうか ほか の お方 と ご 相談 下さい と 斯 ん なに 立派 に はねつけ たら う 。 」 
「 おや 、 とにかく さ 。 それでも お前 はかま はず 僕 の 足 さき に とりつい た ん だ よ 。 まあ 、 そんな こと 出来 た もん だら う か ね 。 もっとも 誰か さん は 出来 た やう さ 。 」 
「 あてこする ない 。 とりつい た ん ぢ ゃないよ 。 お前 の 足 が 僕 の 体 骼 の 頭 の とこ に あっ た ん だ よ 。 僕 は お前 より も もっと 前 に 生れ た ジッコ さん を 頼ん だ ん だ よ 。 今 だって 僕 は ジッコ さん は 大事 に 大事 に し て あげ てる ん だ 。 」 
大 学士 は よろこん で 笑 ひ 出す 。 
「 はっ はっ は 、 ジッコ さん といふ の は 磁鉄鉱 だ ね 、 もう わかっ た さ 、 喧嘩 の 相手 は バイオ タイト だ 。 し て 見る と なんでも この 辺 に さっき の 花崗岩 の かけ ら が ある ね 、 そいつ の 中 の 鉱物 が かや かや 物 を 云っ てる ん だ ね 。 」 
なるほど 大 学士 の 頭 の 下 に 
支那 の 六 銭 銀貨 の くら ゐ の 
み かげ の かけ ら が 落ち て ゐ た 。 
学士 は いよいよ にこにこ する 。 
「 さ うかい 。 そんな らい ゝ よ 。 お前 の やう な 恩知らず は 早く 粘土 に なっ ち ま へ 。 」 
「 おや 、 呪 ひ を かけ た ね 。 僕 も 引っ込ん ぢ ゃゐないよ 。 さあ 、 お前 の やう な 、 」 
「 一寸 お待ち なさい 。 あなた 方 は 一体 何 を さっき から 喧嘩 し てる ん です か 。 」 
新 らしい 二 人 の 声 が 
一緒 に はっきり 聞え 出す 。 
「 オーソクレ さん 。 かま は ない で 下さい 。 あんまり こいつ が わから ない もん です から ね 。 」 
「 双子 さん 。 どうか かま は ない で 下さい 。 あんまり こいつ が 恩知らず な もん です から ね 。 」 
「 は はあ 、 双 晶 の オーソクレース が 仲裁 に 入っ た 。 これ は 実に おもしろい 。 」 
大 学士 はたき びに 手 を あぶり 
顔 中口 に し て よろこん で 云 ふ 。 
二つ の 声 が 又 聞える 。 
「 まあ 、 静か に なさい 。 僕 たち は 実に 実に 長い 間 堅く 堅く 結び 合っ て あの まっ くら な まっ くら な とこ で 一緒 に ま はり から の はげしい 圧迫 や すてき な 強い 熱 に こら へ て 来 た で は あり ませ ん か 。 一時 は あまり の 熱 と 力 に みんな 一緒 に 気 違 ひ に でも なり さうな の を じっと こら へ て 来 た で は あり ませ ん か 。 」 
「 さ う です 、 それ は 全く その 通り です 。 けれども 苦しい 間 は 人 を たのん で 楽に なる と 人 を そねむ の は ぜんたい い ゝ 事 な んで せ う か 。 」 
「 何 だって 。 」 
「 ちょっと 、 ちょっと 、 ちょっと お待ち なさい 。 ね 。 そして 今や っと お 日 さま を 見 た で せ う 。 その お 日 さま も 僕 たち が 前 に 土 の 底 で コングロメレート から 聞い た と は 大 へん な ち が ひで は あり ませ ん か 。 」 
「 え ゝ 、 それ は もう ちがっ て ます 。 コングロメレート の はなし で は お 日 さま は まっか で 空 は 茶 いろ な もん だ と 云っ て ゐ まし た が 今 見る と お 日 さま は まっ白 で 空 は まっ青 です 。 あの 人 は うそ つき でし た ね 。 」 
双子 の 声 が 又 聞え た 。 
「 さあ 、 しかし あの コングロメレート といふ 方 は 前 に た ゞ の 砂利 だっ た ころ は ほん た うに 空 が 茶 いろ だっ た かも 知れ ませ ん ね 。 」 
「 さ う で せ う か 。 とにかく うそ を つく こと と ひと の 恩 を 仇 で か へす の と は どっち も 悪い こと です ね 。 」 
「 何 だ と 、 僕 の こと を 云っ てる の かい 。 よし さあ 、 僕 も 覚悟 が ある ぞ 。 決闘 を しろ 、 決闘 を 。 」 
「 まあ 、 お待ち なさい 。 ね 、 あの お 日 さま を 見 た とき の うれしかっ た こと 。 どんなに 僕ら は 叫ん だ で せ う 。 千 五 百 万 年 光 といふ もの を 知ら なかっ た ん だ もの 。 あの 時 鋼 の 槌 が ギギンギギン と 僕ら の 頭 に ひ ゞ い て 来 まし た ね 。 遠く の 方 で 誰 か が 、 あゝ お前 たち も た うとう お 日 さま の 下 へ 出る よ と 叫ん で ゐ た 、 もう 僕 たち の 誰 と 誰 と が 一緒 に なっ て 誰 と 誰 と が わか れ なけれ ば なら ない か 。 一向 判ら なかっ た ん です ね 。 さよなら さよなら って みんな 叫び まし た ねえ 。 そしたら 急 に パッ と 明るく なっ て 僕 たち は 空 へ 飛び あがり まし た ねえ 。 あの 時 僕 は お 日 さま の 外 に 何 か 赤い 光る もの を 見 た やう に 思ふ ん です よ 。 」 
「 それ は 僕 も 見 た よ 。 」 
「 僕 も 見 た ん だ よ 、 何 だっ たら う ね 、 あれ は 。 」 
大 学士 は 又 笑 ふ 。 
「 それ はね 、 明らか に たがね の さき から 出 た 火花 だ よ 。 パチッ て 云っ たら う 。 そして 熱かっ たら う 。 」 
ところが 学士 の 声 など は 
鉱物 ども に 聞え ない 。 
「 そん なら 僕 たち は これから さき どう なる で せ う 。 」 
双子 の 声 が 又 聞え た 。 
「 さあ 、 あんまり これから 愉快 な こと で も ない やう です よ 。 僕 が 前 に コングロメレート から 聞き まし た が どうも 僕ら は この ま ゝ 又 土 の 中 に う づもれるかさうでなければ 砂 か 粘土 か に わか れ て しまふ だけ な やう です よ 。 この 小屋 の 中 に 居 た って 安心 に も なり ませ ん 。 内 に 居 た って 外 に 居 た って たかが 二 千 年 も たって 見れ ば 結局 おんなじ こと で せ う 。 」 
大 学士 は すっかり おどろい て しまふ 。 
「 実に どうも 達観 し てる ね 。 この 小屋 の 中 に 居 た って 外 に 居 た って たかが 二 千 年 も 経っ て 見れ ば 粘土 か 砂 の つぶ に なる 、 実に どうも 達観 し てる 。 」 
その 時 俄 か に ピチピチ 鳴り 
それから バイオタ が 泣き 出し た 。 
「 あゝ 、 い た 、 い た 、 い た 、 い た 、 痛 ぁい 、 いたい 。 」 
「 バイオタ さん 。 どう し た の 、 どう し た の 。 」 
「 早く プラヂョ さん を よば ない と だめ だ 。 」 
「 は はあ 、 プラヂョ さん といふ の は プラヂオクレース で 青白い から 医者 な ん だ な 。 」 
大 学士 は つぶやい て 耳 を すます 。 
「 プラヂョ さん 、 プラヂョ さん 。 プラヂョ さん 。 」 
「 は あい 。 」 
「 バイオタ さん が ひどく おなか が 痛 がっ て ます 。 どうか 早く 診 て 下さい 。 」 
「 は あい 、 なあに べつだん 心配 は あり ませ ん 。 かぜ を 引い た ので せ う 。 」 
「 は はあ 、 こいつ ら は 風 を 引く と 腹 が 痛く なる 。 それ が つまり 風化 だ な 。 」 
大 学士 は 眼鏡 を は づし 
半巾 で 拭い て 呟 やく 。 
「 プラヂョ さん 。 お 早く どうか 願 ひ ます 。 只今 気絶 を いたし まし た 。 」 
「 はぁ い 。 いま だんだん そっち を 向き ます から 。 よう っと 。 はい 、 はい 。 これ は 、 なるほど 。 ふ ふん 。 一寸 脈 を お 見せ 、 はい 。 こんど は お 舌 、 は はあ 、 よろしい 。 そして 第 十 八 へきかい 予備 面 が 痛い と 。 なるほど 、 ふん ふん 、 いや わかり まし た 。 どうも この 病気 は 恐い です よ 。 それに お前 さん の からだ は 大地 の 底 に 居 た とき から 慢性 り ょくでい 病 に かかっ て 大分 軟化 し て ます から ね 、 どうも 恢復 の 見込 が あり ませ ん 。 」 
病人 は キシキシ と 泣く 。 
「 お 医者 さん 。 私 の 病気 は 何で せ う 。 いつ ごろ 私 は 死に ませ う 。 」 
「 さ やう 、 病人 が 病名 を 知ら なく て も い ゝ の です が まあ 蛭 石 病 の 初期 です ね 、 所 謂 ふう 病 の 中 の 一つ 。 俗 に かぜ は 万病 の もと と 云 ひ ます が ね 。 それから 、 え ゝ と 、 も 一つ の ご 質問 は あなた の 命 でし た か ね 。 さや う 、 まあ 長く て も 一 万 年 は 持ち ませ ん 。 お 気の毒 です が 一 万 年 は 持ち ませ ん 。 」 
「 あゝ あ 、 さっき の ホンブレン の やつ の 呪 ひ が 利い た ん だ 。 」 
「 いや 、 いや 。 そんな こと は ない 。 けだし 、 風 病 に かかっ て 土 に なる こと は けだし すべて 吾 人 に 免 かれ ない こと です から 。 けだし 。 」 
「 あゝ 、 プラヂョ さん 。 どんな 手あて を いたし たら よろし う ござい ませ う か 。 」 
「 さあ 、 さ う 云 ふ 工合 に 泣い て ゐる の は 一番 よろしく あり ませ ん 。 からだ を ね ぢ って あちこち の へきかい よび 面 に すき ま を つくる の は なほ さら 、 よろしく あり ませ ん 。 その他 風 に あたれ ば 病気 のしゃ う けつ を 来し ます 。 日 に あたれ ば 病勢 が つのり ます 。 霜 に あたれ ば 病勢 が 進み ます 。 露 に あたれ ば 病状 が かう 進 し ます 。 雪 に あたれ ば 症状 が 悪 変 し ます 。 じっと し て ゐる の は なほ さら よろしく あり ませ ん 。 それ より は 、 その 、 精神 的 に 眼 を つむっ て 観念 する の が い ゝ で せ う 、 わが この 恐 れる ところ の 死 なる もの は 、 そもそも 何 で ある か 、 その 本質 は いか ん 、 生死 巌 頭 に 立っ て 、 を かしい ぞ 、 はてな 、 を かしい 、 はて 、 これ は いか ん 、 あいた 、 い た 、 い た 、 い た 、 い た 、 」 
「 プラヂョ さん 、 プラヂョ さん 、 し つかり なさい 。 一体 どう なすっ た の です 。 」 
「 うむ 、 私 も 、 うむ 、 風 病 の うち 、 うむ 、 うむ 。 」 
「 苦しい で せ う 、 これ は ほん た うに お 気の毒 な こと に なり まし た 。 」 
「 うむ 、 うむ 、 い ゝ え 、 苦しく あり ませ ん 。 うむ 。 」 
「 何 か お 手あて いたし ませ う 。 」 
「 うむ 、 うむ 、 実は わたくし も 地面 の 底 から 、 うむ 、 うむ 、 大分 カオ リン 病 に かかっ て ゐ た 、 うむ 、 オーソクレ さん 、 オーソクレ さん 。 うむ 、 今 こそ あなた に も 明 し ます 。 あなた も 丁度 わたし 同様 の 病気 です 。 うむ 。 」 
「 あゝ 、 やっぱり さ やう で ござい まし た か 。 全く 、 全く 、 全く 、 実に 、 実に 、 あいた 、 い た 、 い た 、 い た 。 」 
そこで ホン ブレンド の 声 が し た 。 
「 ず ゐ ぶん 神経 過敏 な 人 だ 。 すると 病気 で ない もの は 僕 と クォーツ さん だけ だ 。 」 
「 うむ 、 うむ 、 その ホンブレン も バイオタ と 同病 。 」 
「 あ 、 い た 、 い た 、 い た 。 」 
「 おや 、 おや 、 どなた も ず ゐ ぶん 弱い 。 健康 な の は 僕 一 人 。 」 
「 うむ 、 うむ 、 その クォーツ さん も お 気の毒 です が クウシャウ 中 の 瓦斯 が 病因 です 。 うむ 。 」 
「 あいた 、 い た 、 い た 、 い た 。 た 。 」 
「 ず ゐ ぶん ひどい 医者 だ 。 漢方 の 藪 医 だ な 。 た うとう みんな 風化 か な 。 」 
大 学士 は 又新 らしく 
たばこ を く は へ て にやにや する 。 
耳 の 下 で は 鉱物 ども が 
声 を そろ へ て 叫ん で ゐ た 。 
「 あ 、 い た 、 い た 、 い た 、 い た 、 た 、 たた 。 」 
みんな の 声 は だんだん 低く 
た うとう しん と し て しまふ 。 
「 はてな 、 みんな 死ん だ の か 。 あるいは 僕 だけ 聞え なく なっ た の か 。 」 
大 学士 はみ かげ の かけ ら を 
手 に とりあげ て つくづく 見 て 
パチッ と 向 ふ の 隅 へ 弾く 。 
それから 榾 を 一 本 くべ た 。 
その 時 は もう あけ 方 で 
大 学士 は 背嚢 から 
巻煙草 を 二 包み 出し て 
榾 の お礼 に 藁 に 置き 
背嚢 を し ょひ 小屋 を 出 た 。 
石切場 の 壁 は すっかり 白く 
その 西側 の 面 だけ に 
月 の あかり が うつっ て ゐ た 。 
野宿 第 三 夜 
（ どうも 少し 引き受け やう が 軽率 だっ た な 。 グリーンランド の 成金 が びっくり する 程 立派 な 蛋白石 など を 、 二 週間 で さがし て やら う なんて の は 、 実際 少し 軽率 だっ た 。 
どうも 斯 う 人 の 居 ない 海岸 など へ 来 て 、 つくづく 夕方 歩い て ゐる と 東京 の まち の まん中 で 鼻 の 赤い 連中 など を 相手 に し て 、 い ゝ 加減 の 法螺 を 吹い た こと が 全く 情けなく なっ ち ま ふ 。 どう だ 、 この 頁岩 の 陰気 な こと 。 全く いや に なっ ち ま ふ な 。 おまけ に 海 も 暗く なっ た し 、 なかなか 、 流 紋 玻璃 に も 出 っ 会 は さ ない 。 それ に 今夜 も やっぱり 野宿 だ 。 野宿 も 二 晩 ぐらゐはいゝが 、 三 晩 と なっ ちゃ うんざり する な 。 けれども 、 まあ 、 仕方 も ない さ 。 ビスケット の ある うち は 、 歩い て 野宿 し て 、 面白い 夢 でも 見る 分 が 得 といふ もん だ 。 ） 
例 の 楢ノ木 大 学士 が 
衣 嚢 に 両手 を 突っ込ん で 
少し せ 中 を 高く し て 
つくづく 考 へ 込み ながら 
もう 夕方 の 鼠 いろ の 
頁岩 の 波 に 洗 は れる 
海岸 を 大股 に 歩い て ゐ た 。 
全く 海 は 暗く なり 
その ほ の じ ろ い 波 が しら だけ 
一 列 、 何 かけ もの の やう に 見え た の だ 。 
いよいよ 今日 は 歩い て も 
だめ だ と 学士 は あきらめ て 
ぴたっと 岩 に 立ちどまり 
しばらく 黒い 海面 と 
向 ふ に 浮ぶ 腐っ た 馬鈴薯 の やう な 雲 を 
眺め て ゐ た が 、 又 ポケット から 
煙草 を 出し て 火 を つけ た 。 
それから くるっ と 振り向い て 
陸 の 方 を じっと 見定め て 
急い で そっち へ 歩い て 行っ た 。 
そこ に は 低い 崖 が あり 
崖 の 脚 に は 多分 は 濤 で 
削ら れ た らしい 小さな 洞 が あっ た の だ 。 
大 学士 は にこにこ し て 
中 へ は ひっ て 背嚢 を とる 。 
それから まっ くら な とこ で 
もしゃもしゃ ビスケット を 喰 べた 。 
ず うっ と 向 ふ で 一 列 濤 が 鳴る ばかり 。 
「 は はあ 、 どう だ 、 いよいよ 宿 が きまって 腹 も できる と 野宿 も そんなに 悪く ない 。 さあ 、 もう 一服 やっ て 寝よ う 。 あした は きっと うまく 行く 。 その 夢 を 今夜 見る の も 悪く ない 。 」 
大 学士 の 吸 ふ 巻煙草 が 
ポツン と 赤く 見える だけ 、 
「 斯 う 納まっ て 見る と 、 我輩 も さながら 、 洞 熊 か 、 洞窟 住人 だ 。 ところで もう 寝よ う 。 
闇 の 向 ふ で 
濤 が ぼとぼと 鳴る ばかり 
鳥 も 啼か なきゃ 
洞 を のぞき に 人 も 来 ず 、 と 。 ふん 、 斯 ん な あんばい か 。 寝ろ 、 寝ろ 。 」 
大 学士 は すぐ とろとろ する 
疲れ て 睡れ ば 夢 も 見 ない 
いつか すっかり 夜 が 明け て 
昨夜 の 続き の 頁岩 が 
青白く ぼんやり 光っ て ゐ た 。 
大 学士 は まるで びっくり し て 
急い で 洞 を 飛び出し た 。 
あわて て 帽子 を 落し さ うに なり 
それ を 押 へ さ へ も し た 。 
「 すっかり 寝過ごし ちゃっ た 。 ところで おれ は 一体 何 の ため に 歩い て ゐる ん だっ た か な 。 え ゝ と 、 よく 思ひ 出せ ない ぞ 。 たしかに 昨日 も 一昨日 も 人 の 居 ない 処 を せっせと 歩い て ゐ た ん だ が 。 いや 、 もっと 前 から 歩い て ゐ た ぞ 。 もう 一 年 も 歩い て ゐる ぞ 。 その 目的 は と 、 はてな 、 忘れ た ぞ 。 こいつ は いけ ない 。 目的 が なく て 学者 が 旅行 を する と いふ こと は ない 、 必ず 目的 が ある の だ 。 化石 ぢ ゃなかったかな 。 え ゝ と 、 どうか 第 三紀 の 人類 に 就い て お 調べ を 願 ひ ます 、 と 、 誰 か 云っ た やう だ 。 い ゝ や 、 さ う ぢ ゃない 、 白堊 紀 の 巨 き な 爬虫類 の 骨骼 を 博物館 の 方 から 頼ま れ て ある ん です が いか ゞ で ござい ませ う 、 一つ お 探し を 願 はれ ます まい か と 、 斯 う ぢ ゃなかったかな 。 斯 う だ 、 斯 う だ 、 ち が ひ ない 。 さあ 、 ところで こ ゝ は 白堊 系 の 頁岩 だ 。 もうこ ゝ で おれ は 探し出す つもり だっ た ん だ 。 なるほど 、 はじめて はっきり し た ぞ 。 さあ 探せ 、 恐竜 の 骨骼 だ 。 恐竜 の 骨骼 だ 。 」 
学士 の 影 は 
黒く 頁岩 の 上 に 落ち 
大股 に 歩い て ゐ た から 
踊っ て ゐる やう に 見え た 。 
海 は もの凄い ほど 青く 
空 は それ より 又 青く 
幾 きれ か の ちぎれ た 雲 が 
まばゆく そこ に 浮い て ゐ た 。 
「 おや 出 た ぞ 。 」 
楢ノ木 大 学士 が 叫び 出し た 。 
その 灰 いろ の 頁岩 の 
平ら な 奇麗 な 層 面 に 
直径 が 一 米 ばかり ある 
五 本 指 の 足 あと が 
深く 喰 ひ 込ん で なら んで ゐる 。 
所々 上 の 岩 の ため に 
かくれ て ゐる が 足 裏 の 
皺 まで はっきり わかる の だ 。 
「 さあ 、 見 附け た ぞ 。 この 足跡 の 尽き た 所 に は 、 きっと こいつ が 倒れ た ま ゝ 化石 し て ゐる 。 巨 き な 骨 だ ぞ 。 ま づ 背骨 なら 二 十 米 は ある だら う 。 巨 き な もん だ ぞ 。 」 
大 学士 は まるで 雀躍 し て 
その 足 あと を つけ て 行く 。 
足跡 はず ゐ ぶん 続き 
どこ まで 行く か わから ない 。 
それに 太陽 の 光線 は 赭 く 
たいへん 足 が 疲れ た の だ 。 
どうも を かしい と 思ひ ながら 
ふと 気がつい て 立ちどまっ たら 
なんだか 足 が 柔らか な 
泥 に 吸 はれ て ゐる やう だ 。 
堅い 頁岩 の 筈 だっ た と 思っ て 
楢ノ木 大 学士 は うし ろ を 向い た 。 
そしたら 全く 愕 い た 。 
さっき から 一心に 跡 け て 来 た 
巨 き な 、 蟇 の 形 の 足 あと は 
なるほど ず うっ と 大 学士 の 
足もと まで つ ゞ い て ゐ て 
それから 先 も もっと 続く らしかっ た が 
も 一つ 、 どう だ 、 大 学士 の 
銀座 で こ さ へ た 長靴 の 
あ とも ぞ ろ っと つい て ゐ た 。 
「 こいつ は ひどい 。 我輩 の 足跡 まで こんなに 深く 入る といふ の は 実際 少し 恐れ入っ た 。 けれども それでも 探求 の 目的 を 達する こと は 達する な 。 少し 歩き にくい だけ だ 。 さあ もう 斯 うなっ たら どこ まで だって 追っ て 行く ぞ 。 」 
学士 は いよいよ 大股 に 
その 足跡 を つけ て 行っ た 。 
どかどか 鳴る もの は 心臓 
ふい ご の やう な もの は 呼吸 、 
そんなに 一生けん命 だっ た が 
又 そんなに あたり も しづか だっ た 。 
大 学士 は ふと 波打 ぎはを 見 た 。 
濤 が すっかり し づまってゐた 。 
たしかに さっき まで 
寄せ て 吠え て 砕け て ゐ た 濤 が 
いつか すっかり し づまってゐた 。 
「 こいつ は 変 だ 。 おまけ に ず ゐ ぶん 暑い ぢ ゃないか 。 」 
大 学士 は あふ むい て 空 を 見る 。 
太陽 は まるで 熟し た 苹果 の やう で 
そこら も 無 暗に 赤かっ た 。 
「 ず ゐ ぶん いや な 天気 に なっ た 。 それにしても この 太陽 は あんまり 赤い 。 きっと どこ か の 火山 が 爆発 を やっ た 。 その 細か な 火山灰 が 正しく 上層 の 気流 に 混じ て 地球 を 包囲 し て ゐる な 。 けれども それ だ から と 云っ て 我輩 の この 追跡 に は 害 に なら ない 。 もうこ の 足 あと の 終る ところ に あの 途方 も ない 爬虫 の 骨 が ころがっ てる ん だ 。 我輩 は その 地点 を 記録 する 。 もう 一足 だ ぞ 。 」 
大 学士 は いよいよ 勢 こん で 
その 足跡 を つけ て 行く 。 
ところが 間もなく 泥 浜 は 
岬 の やう に 突き出し た 。 
「 さあ 、 こ ゝ を 一つ 曲っ て 見ろ 。 すぐ 向 ふ 側 に その 骨 が ある 。 けれども 事 に よっ たら すぐ 無い かも 知れ ない 。 すぐ なかっ たら も 少し 追っ て 行け ばい ゝ 。 それだけ の こと だ 。 」 
大 学士 は にこにこ 笑 ひ 
立ちどまっ て 巻煙草 を 出し 
マッチ を 擦っ て 煙 を 吐く 。 
それから わざと 顔 を しかめ 
ごく おう やう に 大股 に 
岬 を ま はっ て 行っ た の だ 。 
ところが どう だ 名高い 楢ノ木 大 学士 が 
釘付け に さ れ た やう に 立ちどまっ た 。 
その 眼 は 空しく 大きく 開き 
その 膝 は 堅く なっ て やがて ふるへ 出し 
煙草 も いつか 泥 に 落ち た 。 
青 ぞ ら の 下 、 向 ふ の 泥 の 浜 の 上 に 
その 足跡 の 持ち主 の 
途方 も ない 途方 も ない 雷 竜 氏 が 
いやに 細長い 頸 を のばし 
汀 の 水 を 呑ん で ゐる 。 
長 さ 十 間 、 ざらざら の 
鼠 いろ の 皮 の 雷 竜 が 
短い 太い 足 を ち ゞ め 
厭 らしい 長い 頸 を の た の たさ せ 
小さな 赤い 眼 を 光らせ 
チュウチュウ 水 を 呑ん で ゐる 。 
あまり の こと に 楢ノ木 大 学士 は 
頭 が しいんと なっ て しまっ た 。 
「 一体 これ は どう し た の だ 。 中生代 に 来 て しまっ た の か 。 中生代 が こっち の 方 へ やって来 た の か 。 ああ 、 どっち でも おんなじ こと だ 。 とにかく あすこ に 雷 竜 が 居 て 、 こっち さ へ 見れ ば かけ て 来る 。 大 学士 も 魚 も 同じ こと だ 。 見る な よ 、 見る な よ 。 僕 は いま 、 ごく こっそり と 戻る から 。 どう か しばらく 、 こっち を 向い ちゃ いけ ない よ 。 」 
いまや 楢ノ木 大 学士 は 
そろ り そろりと 後退り し て 
来 た 方 へ 遁 げ て 戻る 。 
その 眼 は じっと 雷 竜 を 見 
その 手 は そっと 空気 を 押す 。 
そして 雷 竜 の 太い 尾 が 
ま づ 見え なく なり その 次に 
山 の やう な 胴 が かくれ 
おし まひ 黒い 舌 を 出し て 
びちょびちょ 水 を 呑ん で ゐる 
蛇 に 似 た その 頭 が かくれる と 
大 学士 は ま づ 助かっ た と 
いきなり 来 た 方 へ 向い た 。 
その 足跡 さ へ ずんずん たどっ て 
遁 げ て さ へ 行く なら もう 直 き に 
汀 に 濤 も 打っ て 来る し 
空 も 赤く は なく なる し 
足 あと も もう 泥 に 食 ひ 込ま ない 
堅い 頁岩 の 上 を 行く 。 
崖 に は ゆ ふ べ の 洞 も ある 
そこ まで 行け ば もう 大丈夫 
こんな あぶない 探険 など は 
今度 かぎり で やめ て しまひ 
博物館 へ も 断 はらせ て 
東京 の まち の まん中 で 
赤い 鼻 の 連中 など を 
相手 に 法螺 を 吹い てれ ば い ゝ 。 
大体 こんな 計算 だっ た 。 
それ も まるきり 電 の やう な 計算 だ 。 
ところが 楢ノ木 大 学士 は 
も 一度 ぎく っと 立ちどまっ た 。 
その 膝 は もう がたがた と 鳴り出し た 。 
見 たま へ 、 学士 の 来 た 方 の 
泥 の 岸 は まるで いち めん 
うじゃうじゃ の 雷 竜 ども な の だ 。 
まっ黒 な ほど 居っ た の だ 。 
長い 頸 を 天 に 延ばす やつ 
頸 を ゆっくり 上下 に 振る やつ 
急い で 水 に かけ込む やつ 
実に まるで うじゃうじゃ だっ た 。 
「 もう いけ ない 。 すっかり うまく やら れ ちゃっ た 。 いよいよ おれ も 食 はれる だけ だ 。 大 学士 の 号 も 一所 に なくなる 。 雷 竜 は あんまり ひどい 。 前 に も 居る し うし ろ に も 居る 。 まあ た ゞ 一つ たより に なる の は この 岬 の 上 だけ だ 。 そこ に 登っ て おれ は 助かる か 助から ない か 、 事 に よっ たら 新生代 の 沖積世 が 急い で 助け に 来る かも 知れ ない 。 さあ 、 もう たっ た この 岬 だけ だ ぞ 。 」 
学士 は そっと 岬 に のぼる 。 
まるで 蕈 と あすなろ と の 
合の子 みたい な 変 な 木 が 
崖 に もじゃもじゃ 生え て ゐ た 。 
そして 本当に 幸 な こと は 
そこ に は 雷 竜 が 居 なかっ た 。 
けれども 折角 登っ て も 
そこら の 景色 は 
あんまり い ゝ といふ でも ない 、 
岬 の 右 も 左 の 方 も 
泥 の 渚 は 、 もう 一 めん の 雷 竜 だらけ 
実に もじゃもじゃ し て ゐ た の だ 。 
水 の 中 で も 黒い 白鳥 の やう に 
頭 を もたげ て 泳い だり 
頸 を くるっ と ま は し たり 
その 厭 らしい こと 恐い こと 
大 学士 は もう 眼 を つぶっ た 。 
ところが いつか 大 学士 は 
自分 の 鼻 さき が ふっ ふっ 鳴っ て 
暖 い の に 気がつい た 。 
「 た うとう 来 た ぞ 、 喰 はれる ぞ 。 」 
大 学士 は 観念 を し て 眼 を あい た 。 
大 さ 二 尺 の 四 っ 角 な 
まっ黒 な 雷 竜 の 顔 が 
すぐ 眼 の 前 まで に ゅうと 突き出さ れ 
その 眼 は 赤く 熟し た やう 。 
その 頸 は 途方 も ない 向 ふ の 
鼠 いろ の がさ が さし た 胴 まで 
まるで 管 の やう に 続い て ゐ た 。 
大 学士 は カーン と 鳴っ た 。 
もう 喰 はれ た の だ 、 いや さめ た の だ 。 
眼 が さめ た の だ 、 洞穴 は 
まだ まっ暗 で 恐らくは 
十 二 時 に も なら ない らしかっ た 。 
そこで 楢ノ木 大 学士 は 
一つ 小さな せき ばら ひ を し 
まだ 雷電 が 居る やう な ので 
つくづく 闇 を すかし て 見る 。 
外 で は たしかに 濤 の 音 
「 なあんだ 。 馬鹿 に してや がる 。 もう 睡れ ん ぞ 。 寒い なあ 。 」 
又 たばこ を 出す 。 火 を つける 。 
楢ノ木 大 学士 は 宝石 学 の 専門 だ 。 
その 大 学士 の 小さな 家 
「 貝 の 火 兄弟 商会 」 の 
赤鼻 の 支配人 が やって来 た 。 
「 先生 お 手紙 でし た から 早速 と ん で 来 まし た 。 大 へん お 早く お 帰り でし た 。 ごく 上等 の やつ を お 見あたり で ござい まし た か 、 何せ 相手 が グリーンランド の 途方 も ない 成金 です から ありふれ た もの ぢ ゃなかなか 承知 し ない ん です 。 」 
大 学士 は 葉巻 を 横 にく は へ 
雲母 紙 を 張っ た 天井 を 
斜め に 見 ながら かう 云っ た 。 
「 うん 探し て 来 た よ 、 僕 は 一 ぺん 山 へ 出かける と もう どんな もん で も 見附 から ん と 云 ふこ と は 断じて ない 、 けだし すべて の 宝石 は みな 僕 を し た って あつまっ て 来る ん だ ね 。 いや それ だ から 、 此度 なんか も まったく ひどく 困っ た よ 。 殊に 君 注文 が 割合 に 柔らか な 蛋白石 だら う 。 僕 が その 山 へ 入っ たら 蛋白石 ども が みんな ざらざら 飛びつい て 来 て もう どうしても はなれ ない ぢ ゃないか 。 それ が 君 みんな 貴 蛋白石 の 火 の 燃える やう な やつ な ん だ 。 望み の と ほり みんな 背嚢 の 中 に 納め て やり たい こと は もちろん だっ た が 、 それでは 僕 も 身動き も でき なく なる の だ から 気の毒 だっ た が その 中 から ごく い ゝ やつ だけ 撰ん だ さ 。 」 
「 は はあ 、 そいつ は どうも 、 大 へん 結構 で ござい まし た 。 しかし 、 その お 持ち帰り に なり まし た 分 は いづれ で ござい ます か 。 一寸 拝見 を ねが ひ た う 存じ ます 。 」 
「 あゝ 、 見せる よ 。 た ゞ 僕 は あんな 立派 な やつ だ から 、 事 に よっ たら もう すっかり 曇っ た ぢ ゃないかと 思ふ ん だ 。 実際 蛋白石 ぐらゐたよりのない 宝石 は ない から ね 。 今日 虹 の やう に 光っ て ゐる 。 あした は 白い た ゞ の 石 に なっ て しまふ 。 今日 は 円く て 美しい 。 あした は 砕け て こなごな だ 。 そいつ だ ね 、 こ は い の は 。 しかし とにかく 開い て 見よ う 。 この 背嚢 さ 。 」 
「 なるほど 。 」 
貝 の 火 兄弟 商会 の 
鼻 の 赤い その 支配人 は 
こくっ と 息 を 呑み ながら 
大 学士 の 手もと を 見つめ て ゐる 。 
大 学士 は ごく 無 雑作 に 
背嚢 を あけ て 逆さ に し た 。 
下等 な 玻璃 蛋白石 が 
三 十 ばかり ころげ だす 。 
「 先生 、 困る ぢ ゃありませんか 。 先生 、 これ で は 、 何 でも 、 あんまり ぢ ゃありませんか 。 」 
楢ノ木 大 学士 は 怒り 出し た 。 
「 何 が あんまり だ 。 僕 の 知っ た こっち ゃない 。 ひどい 難儀 を し て ある ん だ 。 旅費 さ へ 返せ ば それで よから う 。 さあ 持っ て 行け 。 帰れ 、 帰れ 。 」 
大 学士 は 上着 の 衣 嚢 から 
鼠 いろ の 皺くちゃ に なっ た 状袋 を 
出し て いきなり 投げつけ た 。 
「 先生 困り ます 。 あんまり です 。 」 
貝 の 火 兄弟 商会 の 
赤鼻 の 支配人 は 云 ひ ながら 
すばやく 旅費 の 袋 を さら ひ 
上着 の 内 衣 嚢 に 投げ込ん だ 。 
「 帰れ 、 帰れ 、 もう 来る な 。 」 
「 先生 、 困り ます 。 あんまり です 。 」 
た うとう 貝 の 火 兄弟 商会 の 
赤鼻 の 支配人 は 帰っ て 行き 
大 学士 は 葉巻 を 横 にく は へ 
雲母 紙 を 張っ た 天井 を 
斜め に 見 ながら に やっと 笑 ふ 。 
四つ の つめたい 谷川 が 、 カラコン 山 の 氷河 から 出 て 、 ご う ご う 白い 泡 を はい て 、 プハラ の 国 に は いる の でし た 。 四つ の 川 は プハラ の 町 で 集っ て 一つ の 大きな しずか な 川 に なり まし た 。 その 川 は ふだん は 水 も すきとおり 、 淵 に は 雲 や 樹 の 影 も うつる の でし た が 、 一 ぺん 洪水 に なる と 、 幅 十 町 も ある 楊 の 生え た 広い 河原 が 、 恐ろしく 咆 える 水 で 、 いっぱい に なっ て しまっ た の です 。 けれども 水 が 退き ます と 、 もと の きれい な 、 白い 河原 が あらわれ まし た 。 その 河原 の ところどころ に は 、 蘆 や がま など の 岸 に 生え た 、 ほそ 長い 沼 の よう な もの が あり まし た 。 
それ は 昔 の 川 の 流れ た あと で 、 洪水 の たび に いくらか 形 も 変る の でし た が 、 すっかり 無くなる という こと も あり ませ ん でし た 。 その 中 に は 魚 が たくさん おり まし た 。 殊に どじょう と なまず が たくさん おり まし た 。 けれども プハラ の ひと たち は 、 どじょう や なまず は 、 みんな ばか に し て 食べ ませ ん でし た から 、 それ は いよいよ 増え まし た 。 
なまず の つぎ に 多い の は やっぱり 鯉 と 鮒 でし た 。 それから はや も おり まし た 。 ある 年 など は 、 そこ に 恐ろしい 大きな ちょう ざめが 、 海 から 遁 げ て 入っ て 来 た という 、 評判 など も あり まし た 。 けれども 大人 や 賢い 子供 ら は 、 みんな 本当に し ない で 、 笑っ て い まし た 。 第 一 それ を 云い だし た の は 、 剃刀 を 二 梃 しか もっ て い ない 、 下手 な 床屋 の リチキ で 、 すこしも あて に なら ない の でし た 。 けれども あんまり 小さい 子供 ら は 、 毎日 ちょう ざめを 見よ う として 、 そこ へ 出かけ て 行き まし た 。 いくら まじめ に 眺め て い て も 、 そんな 巨 き な ちょう ざめは 、 泳ぎ も 浮び も し ませ ん でし た から 、 しまいに は 、 リチキ は 大 へん 軽べつ さ れ まし た 。 
さて この 国 の 第 一 条 の 
「 火薬 を 使っ て 鳥 を とっ て は なり ませ ん 、 
毒 もみ を し て 魚 を とっ て は なり ませ ん 。 」 
という その 毒 もみ という の は 、 何 か と 云い ます と 床屋 の リチキ は こう 云う 風 に 教え ます 。 
山椒 の 皮 を 春 の 午 の 日 の 暗夜 に 剥い て 土用 を 二 回 かけ て 乾かし うす で よく つく 、 その 目方 一貫 匁 を 天気 の いい 日 に もみじ の 木 を 焼い て こしらえ た 木灰 七 百 匁 と まぜる 、 それ を 袋 に 入れ て 水 の 中 へ 手 で もみ 出す こと です 。 
そうすると 、 魚 は みんな 毒 を のん で 、 口 を あぶ あぶ やり ながら 、 白い 腹 を 上 に し て 浮びあがる の です 。 そんな ふう に し て 、 水 の 中 で 死ぬ こと は 、 この 国 の 語 で は エップカップ と 云い まし た 。 これ は ずいぶん いい 語 です 。 
とにかく この 毒 もみ を する もの を 押える という こと は 警察 の いちばん 大事 な 仕事 でし た 。 
ある 夏 、 この 町 の 警察 へ 、 新 らしい 署長 さん が 来 まし た 。 
この 人 は 、 どこ か 河 獺 に 似 て い まし た 。 赤ひげ が ぴんと はね て 、 歯 は みんな 銀 の 入歯 でし た 。 署長 さん は 立派 な 金モール の つい た 、 長い 赤い マント を 着 て 、 毎日 ていねい に 町 を みまわり まし た 。 
驢馬 が 頭 を 下げ てる と 荷物 が あんまり 重 過ぎ ない か と 驢馬 追い に たずね まし た し 家 の 中 で 赤ん坊 が あんまり 泣い て いる と 疱瘡 の 呪い を 早く し ない と いけ ない と お母さん に 教え まし た 。 
ところが その ころ どうも 規則 の 第 一 条 を 用い ない もの が でき て き まし た 。 あの 河原 の あちこち の 大きな 水たまり から いっこう 魚 が 釣れ なく なっ て 時々 は 死ん で 腐っ た もの も 浮い て い まし た 。 また 春 の 午 の 日 の 夜 の 間 に 町 の 中 に たくさん ある 山椒 の 木 が たびたび つるりと 皮 を 剥か れ て おり まし た 。 けれども 署長 さん も 巡査 も そんな こと が ある か なあ という ふう でし た 。 
ところが ある 朝 手 習 の 先生 の うち の 前 の 草原 で 二 人 の 子供 が みんな に 囲ま れ て 交 る 交 る 話し て い まし た 。 
「 署長 さん に うんと 叱ら れ た ぞ 」 
「 署長 さん に 叱ら れ た かい 。 」 少し 大きな こども が きき まし た 。 
「 叱ら れ た よ 。 署長 さん の 居る の を 知ら ない で 石 を なげ た ん だ よ 。 すると あの 沼 の 岸 に 署長 さん が 誰か 三 四 人 と かくれ て 毒 もみ を する もの を 押えよ う として いたん だ 。 」 
「 なんと 云っ て 叱ら れ た 。 」 
「 誰 だ 。 石 を 投げる もの は 。 おれ たち は 第 一 条 の 犯人 を 押えよ う と 思っ て 一 日 ここ に 居る ん だ ぞ 。 早く 黙っ て 帰れ 。 って 云っ た 。 」 
「 じゃ きっと 間もなく つかまる ねえ 。 」 
ところが それ から 半年 ばかり たち ます と また こども ら が 大 さわぎ です 。 
「 そいつ は もう たしか な ん だ よ 。 僕 の 証拠 という の はね 、 ゆうべ お 月 さま の 出る ころ 、 署長 さん が 黒い 衣 だけ 着 て 、 頭巾 を かぶっ て ね 、 変 な 人 と 話し て た ん だ よ 。 ね 、 そら 、 あの 鉄砲 打ち の 小さな 変 な 人 ね 、 そして ね 、 『 おい 、 こんど は も 少し よく 、 粉 に し て 来 なく ちゃ いか ん ぞ 。 』 なんて 云っ てる だろ う 。 それから 鉄砲 打ち が 何 か 云っ たら 、 『 なん だ 、 柏 の 木 の 皮 も まぜ て おい た 癖 に 、 一 俵 二 両 だ なんて 、 あんまり 無法 な こと を 云う な 。 』 なんて 云っ てる だろ う 。 きっと 山椒 の 皮 の 粉 の こと だ よ 。 」 
すると も 一 人 が 叫び まし た 。 
「 あっ 、 そう だ 。 あの ね 、 署長 さん が ね 、 僕 の うち から 、 灰 を 二 俵 買っ た よ 。 僕 、 持っ て 行っ た ん だ 。 ね 、 そら 、 山椒 の 粉 へ まぜる の だろ う 。 」 
「 そう だ 。 そう だ 。 きっと そう だ 。 」 みんな は 手 を 叩い たり 、 こぶし を 握っ たり し まし た 。 
床屋 の リチキ は 、 商売 が はやら ない で 、 ひま な もん です から 、 あと で この 話 を きい て 、 すぐ 勘定 し まし た 。 
毒 もみ 収支 計算 
費用 の 部 
一 、 金 　 二 両 　 山椒 皮 　 一 俵 
一 、 金 　 三 十 銭 　 灰 　 一 俵 
計 　 二 両 三 十 銭 也 
収入 の 部 
一 、 金 　 十 三 両 　 鰻 　 十 三 斤 
一 、 金 　 十 両 　 　 その他 見積り 
計 　 　 二 十 三 両 也 
差引 勘定 
二 十 両 七 十 銭 　 署長 利益 
あんまり こんな 話 が さかん に なっ て 、 とうとう 小さな 子供 ら まで が 、 巡査 を 見る と 、 わざと 遠く へ 遁 げ て 行っ て 、 
「 毒 もみ 巡査 、 
なまず は よこせ 。 」 
なんて 、 力いっぱい から だ まで 曲げ て 叫ん だり する もん です から 、 これ で は とても いか ん と いう ので 、 プハラ の 町長 さん も 仕方 なく 、 家来 を 六 人 連れ て 警察 に 行っ て 、 署長 さん に 会い まし た 。 
二 人 が 一緒 に 応接 室 の 椅子 に こしかけ た とき 、 署長 さん の 黄金 いろ の 眼 は 、 どこ か ず うっ と 遠く の 方 を 見 て い まし た 。 
「 署長 さん 、 ご存じ でしょ う か 、 近頃 、 林野 取締 法 の 第 一 条 を やぶる もの が 大変 ある そう です が 、 どう し た の でしょ う 。 」 
「 はあ 、 そんな こと が あり ます か な 。 」 
「 どうも ある そう です よ 。 わたし の 家 の 山椒 の 皮 も はがれ まし た し 、 それ に 魚 が 、 たびたび 死ん で うかびあがる と いう で は あり ませ ん か 。 」 
すると 署長 さん が なんだか 変 に わらい まし た 。 けれども それ も 気 の せい かしら と 、 町長 さん は 思い まし た 。 
「 はあ 、 そんな 評判 が あり ます か な 。 」 
「 あり ます と も 。 どうも そして その 、 子供 ら が 、 あなた の し わざ だ と 云い ます が 、 困っ た もん です な 。 」 
署長 さん は 椅子 から 飛び あがり まし た 。 
「 そいつ は 大 へん だ 。 僕 の 名誉 に も 関係 し ます 。 早速 犯人 を つかまえ ます 。 」 
「 何 かお て がかり が あり ます か 。 」 
「 さあ 、 そう そう 、 あり ます と も 。 ちゃんと 証拠 が あがっ て い ます 。 」 
「 もう お わかり です か 。 」 
「 よく わかっ て ます 。 実は 毒 もみ は 私 です が ね 。 」 
署長 さん は 町長 さん の 前 へ 顔 を つき 出し て この 顔 を 見ろ という よう に し まし た 。 
町長 さん も 愕 き まし た 。 
「 あなた ？ 　 やっぱり そう でし た か 。 」 
「 そう です 。 」 
「 そん なら もう たしか です ね 。 」 
「 たしか です と も 。 」 
署長 さん は 落ち着い て 、 卓子 の 上 の 鐘 を 一つ カーン と 叩い て 、 赤ひげ の もじゃもじゃ 生え た 、 第 一等 の 探偵 を 呼び まし た 。 
さて 署長 さん は 縛ら れ て 、 裁判 に かかり 死刑 という こと に きまり まし た 。 
いよいよ 巨 き な 曲っ た 刀 で 、 首 を 落さ れる とき 、 署長 さん は 笑っ て 云い まし た 。 
「 ああ 、 面白かっ た 。 おれ は もう 、 毒 もみ の こと と き たら 、 全く 夢中 な ん だ 。 いよいよ こんど は 、 地獄 で 毒 もみ を やる か な 。 」 
みんな は すっかり 感服 し まし た 。 
私 は 今日 の ひる すぎ 、 イーハトブ 地方 へ の 出張 から 帰っ た ばかり です 。 私 は 文部 局 の 巡回 視学 官 です から 、 どうしても 始終 出張 ばかり し て ゐ ます 。 私 が 行く と 、 どこ の 学校 で も 、 先生 も 生徒 も 、 大 へん 緊張 し ます 。 
さて 、 今度 の イーハトブ の 旅行 中 で 、 私 は 大 へん めづらし い もの を 見 まし た 。 新聞 に も 盛ん に 出 て ゐ まし た が 、 あの 毒蛾 です 、 あれ が 実に ひどく あの 地方 に 発生 し た の です 。 
殊に 烈しかっ た の は 、 イーハトブ の 首都 の マリオ です 。 私 が 折鞄 を 下げ て 、 マリオ の 停車場 に 下り た の は 、 丁度 いま ごろ 、 灯 が やっと つい た 所 でし た が 、 ホテル へ 着い て 見る と 、 この 暑い のに 、 窓 が すっかり 閉め て ある の です 。 マリオ は 、 こ ゝ から 三 百 里 も 北 です から 、 よほど 涼しい 訳 です が 、 やっぱり 仲 々 蒸し暑い です から ね 、 私 は 給仕 に 、 
「 おい どう し た ん だ 。 窓 を あけ た らい ゝ ぢ ゃないか 。 」 と 云っ た ん です 。 すると 給仕 は てかてか の 髪 を 一寸 撫で て 、 
「 はい 、 誠に お 気の毒 で ござい ます が 、 当 地方 に は 、 毒蛾 が ひどく 発生 し て 居り まし て 、 夕刻 から は 窓 を あけ られ ませ ん ので ござい ます 。 只今 、 扇風機 を 運ん で 参り ます 。 」 と 云っ た の でし た 。 
なるほど 、 さ う 云っ て 出 て 行く 給仕 を 見 ます と 、 首 に まるで 石 の 環 を はめ た やう な 厚い 繃帯 を し て 、 顔 も だいぶ はれ て ゐ まし た から きっと 、 その 毒蛾 に 噛ま れ た ん だ と 、 私 は 思ひ まし た 。 ところが 、 間もなく 隣り の 室 で 、 給仕 が 客 と 何 か 云 ひ 争っ て ゐる やう でし た 。 それ が 仲 々 長い し 烈しい の です 。 私 は 暑い やら 疲れ た やら 、 すっかり むしゃくしゃ し て しまひ まし た ので 、 今 の うち 一 寸 床屋 へ でも 行っ て 来よ う と 思っ て 室 を 出 まし た 。 そして 隣り の 室 の 前 を 通り か ゝ り まし たら 、 扉 が 開け放し て あっ て 、 さっき の 給仕 が ひどく 悄気 て 頭 を 垂れ て 立っ て ゐ まし た 。 向 ふ に は 、 髪 も ひ げ も まるで 灰 いろ の 、 肥っ た ふく ろ ふ の やう な お ぢ いさん が 、 安楽椅子 に ぐったり 腰かけ て 、 扇風機 に ぶうぶう 吹か れ ながら 、 
「 給仕 を やっ て ゐ ながら 、 一 通り の ホテル の 作法 も 知ら ん の か 。 」 と 頬 を ふくらし て 給仕 を 叱りつけ て ゐ まし た 。 私 は 、 は は あ 扇風機 の こと だ な と 思ひ ながら 、 苦笑 ひ を し て そこ を 通り過ぎよ う と し ます と 、 給仕 が ちょっと こっち を 向い て 、 いかにも 申し訳 け ない といふ やう に 眼 を つぶっ て 見せ まし た 。 私 は それ で すっかり 気分 が よく なっ た の です 。 そして 、 どしどし 階段 を 踏ん で 、 通り に 下り まし た 。 
なるほど 、 毒蛾 の こと が わかっ て 町 を あるく と 、 さっき 停車 場 から ホテル へ 来る 途中 、 いろいろ 変 に 見え た けしき も 、 すっかり もっとも と 思は れ た の です 。 第 一 、 人道 に たくさん たき火 の あと の ある こと 、 第 二 繃帯 を し たり 白 いきれ で 顔 を 擦っ たり し て 歩く 人 の 多い こと 、 第 三 並木 の や なぎ に 石油 ラムプ が ぶらさがっ て ゐる こと など です 。 私 は 一 軒 の 床屋 に 入り まし た 。 マリオ の 町 だ なんて 、 仲 々 大きな 床屋 が あり ます よ 。 向 側 の 鏡 が 、 九 枚 も 上手 に 継い で あっ て 、 店 が 丁度 二 倍 の 広 さ に 見える やう に なっ て 居り 、 糸杉 や こめ 栂 の 植木鉢 が ぞ ろ っと ならび 、 親方 は もちろん 理髪 アーティスト で 、 外 に も アーティスト が 六 人 も ゐる ん です から ね 、 殊に 技術 の 点 に なる と 、 実に 念入り な もん でし た 。 
「 お 髪 は この 通り の 型 で よろし う ござい ます か 。 」 私 が 鏡 の 前 の 白 いきれ を かけ た 上等 の 椅子 に 座っ た とき 、 一 人 の アーティスト が 私 に たづ ね まし た 。 
「 え ゝ 。 」 私 は 外 の こと を 考へ ながら ぼんやり 返事 を し まし た 。 すると その アーティスト は 向 ふ で 手 の あい て ゐる 二 人 の アーティスト を 指 で 招き ながら 云 ひ まし た 。 
「 どう だら う 。 お客 さま は この 通り の 型 で い ゝ と 仰っ し ゃるが 、 君たち の 意見 は どう だい 。 」 
二 人 は 私 の うし ろ に 来 て 、 しばらく じっと 鏡 に うつる 私 の 顔 を 見 て ゐ まし た が 、 そのうち 一 人 の アーティスト が 、 白 服 の 腕 を 胸 に 組ん で 答 へ まし た 。 
「 さあ 、 どう かね 、 お客 さま の お 顎 が 白く て 、 それ に 円く て 、 大 へん 温和 しく いらっしゃる ん だ から 、 やはり オールバック より は ネオグリーク の 方 が 調和 がい ゝ ぢ ゃないかな 。 」 
「 うん 。 僕 も さ う 思ふ ね 。 」 も 一 人 も 同意 し まし た 。 私 の 係り の アーティスト が もちろん といふ やう に 一寸 笑っ て 、 私 に 申し まし た 。 
「 いか ゞ で ござい ます 、 た ゞ いま の お 髪 の 型 より は 、 ネオグリーク の 方 が お 顔 と 調和 いたし ます やう で ござい ます が 。 」 
「 さ う です ね 、 ぢ ゃさう 願 ひ ませ う か 。 」 私 も 叮寧 に 云 ひ まし た 。 それ は この 人 たち が みんな 芸術 家 なから です 。 
さて 、 私 の 頭 は ずんずん 奇麗 に なり 、 気分 も 大 へん 直り まし た 。 これ なら 、 今夜 よく 寝 んで 、 あした は マリオ 農 学校 、 マリオ 工 学校 、 マリオ 商 学校 、 三つ だけ 視 て 歩い て も 大丈夫 だ と 思っ て 、 気もち よく 青い 植木鉢 や 、 アーティスト の 白い 指 の 動く の や 、 チャキチャキ 鳴る 鋏 の 銀 の 影 を ながめ て 居り まし た 。 
すると 俄 か に 私 の 隣り の 人 が 、 
「 あ 、 いけ ない 、 いけ ない 、 た うとう やら れ た 。 」 と ひどく 高い 声 で 叫ん だ の です 。 
びっくり し て 私 は そっち を 見 まし た 。 アーティスト たち も みな 馳せ 集っ た の です 。 その 叫ん だ 人 は 、 たしか マリオ 競馬 会 の 会長 か 、 幹事 か 技師 長 か だっ た で せ う が ひ げ を 片 っ 方 だけ 剃っ た 立派 な 紳士 でし た 。 どうして その 人 が 競馬 の 何 か だ と いふ こと が わかっ た か と 云 ひ ます と 、 実は その 人 の 胸 に 蹄鉄 の 形 の 徽章 の つい て ゐ た の を 、 さっき 私 は 椅子 に かける 前 ちゃんと 見 た の です 。 とにかく その 人 は 、 全く 怖 ろ し さ うに 顔 を ゆがめ て ゐ まし た 。 
「 どこ へ さ はり まし た の です か 。 」 たしか に 親方 の アーティスト らしい 麻 の モーニング を 着 た 人 が 、 大きな フラスコ を 手 に し て みんな を 押し分け て 立っ て ゐ まし た 。 その うち に 二 三 人 の アーティスト たち は 、 押虫網 で その 小さな 黄色 な 毒蛾 を つかま へ て しまひ まし た 。 
「 こ ゝ だ よ 、 こ ゝ だ よ 。 早く 。 」 と 云 ひ ながら 紳士 は 左 の 眼 の 下 を 指し まし た 。 親方 の アーティスト は 、 大急ぎ で 、 フラスコ の 中 の 水 を 綿 に しめし て その 眼 の 下 を こすり まし た 。 
「 何 だい この 薬 は 。 」 紳士 が 叫び まし た 。 
「 アムモニア 二 ％ 液 」 と 親方 が 落ち着い て 答 へ まし た 。 
「 アムモニア は 利か ない って 、 今朝 の 新聞 に あっ た ぢ ゃないか 。 」 紳士 は 椅子 から 立ちあがっ て 親方 に 詰め寄り まし た 。 この 紳士 は 桃色 の シャツ でし た 。 
「 どの 新聞 で ご覧 です 。 」 親方 は 一層 落ちつい て 答 へ まし た 。 
「 イーハトブ 日日 新聞 だ 。 」 
「 それ は 間 違 ひ です 。 アムモニア の 効く こと は 県 の 衛生 課長 も 声明 し て ゐ ます 。 」 
「 あて に なら ん さ 。 」 
「 さ う です か 。 とにかく 、 だいぶ 腫れ て 参っ た やう です 。 」 親方 の アーティスト は 、 少し しゃく に さ はったと 見え て 、 プイッ とうしろ を 向い て 、 フラスコ を 持っ た ま ゝ 向 ふ へ 行っ て しまひ まし た 。 紳士 は 
「 弱っ た なあ 、 あした は 僕 は 陸軍 の 獣医 たち と 大事 な 交際 が ある ん だ 。 こんな こと に なっ ちゃ 、 まるで 向 ふ の 感情 を 害する だけ だ 。 困っ た なあ 。 」 と 云 ひ ながら 、 ずんずん 赤く はれ て 行く 頬 を 鏡 で 見 て ゐ まし た 。 向 ふ で 親方 が まだ 腹 が 立っ て ゐる と 見え て 、 斯 う 云っ た の です 。 
「 なあに 毒蛾 なんか 、 市中 到る 処 に 居る ん だ 。 私 の 店 だけ に 来 た ん ぢ ゃないんだ 。 毒蛾 に つい ちゃ こっち に 何 の 責任 も ない ん だ 。 」 
紳士 は 、 渋々 、 又 椅子 に 座っ て 、 
「 おい 、 早く あと を やっ て しまっ て 呉れ 早く 。 」 と 云 ひ まし た 。 そして 、 しきりに 変 な 形 に なっ て 行く 顔 を 気 に し ながら 、 残り の 半分 の ひ げ を 剃ら せ て ゐ まし た 。 
私 の 方 の アーティスト は 、 しきりに 時計 を 見 まし た 。 そして 無 暗に 急ぎ まし た 。 
まるで 私 の 顔 など は 、 二 十 五 秒 ぐらゐで 剃っ て しまっ た の です 。 剃刀 が スキー を やる やう に 滑る の です 。 その 技術 に は 全く 感心 し まし た が 、 又 よほど 恐かっ た の です 。 
「 さあ お 洗 ひ いたし ませ う 。 」 
私 は 、 大理石 の 洗面 器 の 前 に 立ち まし た 。 
アーティスト は 、 つめたい 水 で シャアシャア と 私 の 頭 を 洗 ひ 時 々 は 指 で 顔 も 拭 ひ まし た 。 
それから 、 私 は 、 自分 で 勝手 に 顔 を 洗 ひ まし た 。 そして 、 も 一度 椅子 に こしかけ た の です 。 
その 時 親方 が 、 
「 さあ もう 一 分 だ ぞ 。 電気 の ある うち に 大事 な ところ は 済まし ち ま へ 。 それから アセチレン の 仕度 はい ゝ か 。 」 
「 すっかり 出来 て ゐ ます 。 」 小さな 白い 服 の 子供 が 云 ひ まし た 。 
「 持っ て 来い 。 持っ て 来い 。 あかり が 消え て から ぢ ゃ 遅い や 。 」 親方 が 云 ひ まし た 。 
そこで その 子供 の 助手 が 、 アセチレン 燈 を 四つ 運び出し て 、 鏡 の 前 に ならべ 、 水 を 入れ て 火 を つけ まし た 。 烈しく 鳴っ て 、 アセチレン は 燃え はじめ た の です 。 その 時 です 。 あちこち の 工場 の 笛 は 一斉 に 鳴り 、 子供 ら は 叫び 、 教会 や お寺 の 鐘 まで 鳴り出し て 、 それから 電 燈 が すっと 消え た の です 。 電 燈 の か はり の アセチレン で 、 あたり が すっかり 青く 変り まし た 。 
それから 私 は 、 鏡 に 映っ て ゐる 海 の 中 の やう な 、 青い 室 の 黒く 透明 な ガラス 戸 の 向 ふ で 、 赤い 昔 の 印度 を 偲ば せる やう な 火 が 燃さ れ て ゐる の を 見 まし た 。 一 人 の アーティスト が 、 そこで しきりに 薪 を 入れ て ゐ た の です 。 
「 は はあ 、 毒蛾 を 殺す 為 です ね 。 」 私 は アーティスト に 斯 う 言 ひ まし た 。 
「 さ やう で ござい ます 。 」 アーティスト は 、 私 の 頭 に 、 金口 の 瓶 から 香水 を かけ ながら 答 へ まし た 。 それから アーティスト は 、 私 の 顔 を も 一度 よく 拭っ て 、 それから 戸口 の 方 を ふり向い て 、 
「 さあ 、 出来 た よ 、 ちょっと みんな 見 て 呉れ 。 」 と 云 ひ まし た 。 アーティスト たち は 、 あるいは 戸口 に 立ち 、 あるいは たき火 の そば まで 行っ て 、 外 の 景色 を ながめ て ゐ まし た が 、 この 時 大急ぎ で みんな 私 の うし ろ に 集まり まし た 。 そして 鏡 の 中 の 私 の 顔 を 、 それ は それ は 真面目 な 風 で 検 べ まし た 。 
「 い ゝ やう だ ね 。 」 アーティスト たち は 口口 に 言 ひ まし た 。 私 は そこ で 椅子 から 立ち まし た 。 銀貨 を 一 枚 払 ひ まし た 。 そして その 大きな ガラス の 戸口 から 外 の 通り に 出 た の です 。 
外 へ 出 て 見 て 、 私 は 、 全く もう一度 、 変 な 気 が し て 、 胸 の 躍る の を やめる こと が でき ませ ん でし た 。 さ う で せ う 、 マリオ の 市 の やう な 大きな 西洋 造り の 並ん だ 通り に 、 電気 が 一つ も なく て 、 並木 の や なぎ に は 、 黄いろ の 大きな ラムプ が つるさ れ 、 みち に は まっ 赤 な 火 が ならび 、 その けむり は やさしい 深い 夜 の 空 に のぼっ て 、 カシオピイア も ぐらぐら ゆすれ 、 琴 座 も 朧 に また ゝ い た の です 。 どうしても これ は 遙 か の 南国 の 夏 の 夜 の 景色 の やう に 思は れ た の です 。 私 は ひとり ホクホク し ながら 通り を ゆっくり 歩い て 行き まし た 。 いろいろ な 羽虫 が 本当に その 火 の 中 に 飛ん で 行く の も 私 は 見 まし た 。 また 、 繃帯 を し たり 、 きれ を 顔 に あて たり し ながら 、 まち の 人 たち が 火 を たい て ゐる の も 見 まし た 。 
その うち に 、 私 は 向 ふ の 方 から 、 高い 鋭い 、 そして 少し 変 な 力 の ある 声 が 、 私 の 方 に やって来る の を 聞き まし た 。 だんだん 近く なり ます と 、 それ は 頑丈 さうな 変 に 小さな 腰 の 曲っ た お ぢ いさん で 、 一 枚 の 板 きれ の 上 に 四 本 の 鯨油 蝋燭 を ともし た の を 両手 に 捧げ て しきりに 斯 う 叫ん で 来る の でし た 。 
「 家 の 中 の 燈火 を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を 点け ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 」 
あかり を つけ て ゐる 家 が ある と その お ぢ いさん は いちいち その 戸口 に 立っ て 叫ぶ の でし た 。 
「 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を つけ ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 」 その 声 は ガラン と し た 通り に 何 べ ん も 反響 し て それ から 闇 に 消え まし た 。 
この 人 は よほど みんな に 敬 はれ て ゐる やう でし た 。 どの人 も どの人 も みんな 叮寧 に おじぎ を し まし た 。 お ぢ いさん は いよいよ 声 を ふりしぼっ て 叫ん で 行く の でし た 。 
「 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 電 燈 を 消し て も ほか の あかり を つけ ちゃ なん に も なら ん 。 家 の 中 の あかり を 消せ い 。 いや 、 今晩 は 。 」 叫び ながら 右左 の 人 に 挨拶 を 返し て 行く の でし た 。 
「 あの 人 は 何 です か 。 」 私 は 一 人 の 町 の 人 に たづ ね まし た 。 
「 撃剣 の 先生 です 。 」 その 人 は 答 へ まし た 。 
「 あの 床屋 の アセチレン も 消さ れる ぞ 。 今度 は 親方 も 、 とても 敵 ふ まい 。 」 私 は ひとり で 哂 ひ まし た 。 それから みち を 三 四 遍 きい て 、 ホテル に 帰り まし た 。 室 に は ほんの 小さな 蝋燭 が 一 本 点い て 、 その 下 に 扇風機 が 置い て あり まし た 。 私 は 扇風機 を かけ 、 気持 よく 休み 、 それから 給仕 が 来 て 「 お 食事 は 」 と たづ ね まし た ので 牛乳 を 持っ て 来 て 貰っ て 、 それ を 呑ん で ゐる うち に 、 電 燈 も 又 点き まし た から 、 あした の 仕度 を 少し し て 、 その 晩 は 寝 み まし た 。 
次 の 朝 、 私 は ホテル の 広場 で 、 マリオ 日日 新聞 を 読み まし た 。 三面 なんか まるで 毒蛾 の 記事 で 一 杯 です 。 
その 中 に 床屋 で 起っ た やう な こと も 書い て あり まし た 。 殊に アムモニア の 議論 の こと まで 出 て ゐ まし た から 、 私 は もう てっきり あの 紳士 の こと だ と 考へ まし た 。 きっと 新聞 記者 も あの 九つ の 椅子 の どれ か に 腰掛け て 、 じっと あの 問答 を きい て ゐ た の です 。 また 一 面 に は マリオ 高等 農 学校 の 、 ブンゼン といふ 博士 の 、 毒蛾 に関する 論文 が 載っ て ゐ まし た 。 
それ に よる と 、 毒蛾 の 鱗粉 は 顕微鏡 で 見る と 、 まるで 槍 の 穂 の やう に 鋭い といふ こと 、 その 毒性 は 或いは 有機 酸 の ため と 云 ふ が 、 それ 丈 け と も 思は れ ない といふ こと 、 予防 法 として は 鱗粉 が つい たら 、 ま づ 強く 擦っ て 拭き取る の が 一等 だ といふ やう な こと が わかる の でし た 。 
さて 私 は その 日 は 予定 の 視察 を すまし て 、 夕方 すぐ に 十 里 ばかり 南 の 方 の ハームキヤ といふ 町 へ 行き まし た 。 こ ゝ に は 有名 な コワック 大 学校 が ある の です 。 
ハームキヤ の 町 で も 毒蛾 の 噂 は 実に 大 へん な もの でし た 。 通り に は やはり たき火 の 痕 も あり まし た し 、 電気 会社 に は 、 まるで 燈台 で 使 ふ やう な 大きな ラムプ を 、 千 燭 の 電 燈 の 代り に 高く 高く 吊し て ゐる の も 私 は 見 まし た 。 また 辻 々 に は 毒蛾 の 記事 に 赤 インク で 圏点 を つけ た マリオ の 新聞 も はら れ て ゐ まし た 。 けれども 奇 体 な こと は 、 此 の 町 に 繃帯 を し て ゐる 人 も 、 きれ で 顔 を 押 へ て ゐる 人 も 、 又 実際 に 顔 や 手 が 赤く はれ て ゐる 人 も 一 人 も 見あたら ない こと でし た 。 
きっと この 町 に は えらい 医者 が 居 て 治療 の 法 が 進ん で ゐる ん だ と 私 は 思ひ まし た 。 
その 晩 、 その 町 で 電 燈 が 消え 、 たき火 が 燃さ れ た こと は すっかり 前 の 晩 と 同じ でし た 。 けれども 電 燈 の 長く 消え て ゐ た こと 、 たき火 の 盛ん な こと とても マリオ より は ひどかっ た の です 。 私 は 早く 寝 んで 、 次 の 日 朝 早く から コワック 大 学校 の 視察 に 行き まし た 。 
大 学校 は 、 やっぱり 大 学校 で 、 教授 たち も 、 巡回 視学 官 の 私 など が 行っ た から と 云っ て 、 あんまり 緊張 を する で も なし 、 少し 失敬 で は あり まし た が 、 まあ 私 は がまん を し まし た 。 
それから だんだん ま はっ て 行っ て 、 その 時 は 丁度 十 時 頃 でし た が 、 一つ の 標本 室 へ 入っ て 行き まし たら 、 三 人 の 教師 たち が 、 一つ の 顕微鏡 を 囲ん で 、 しきりに か はる が はるの ぞい たり 色素 を デック グラス に 注い だり し て ゐ まし た 。 
校長 が 、 みんな を 呼ば う と し た の を 、 私 は 手 で 止め て 、 そっと その うし ろ に 行っ て 見 まし た 。 やっぱり 毒蛾 の 話 です 。 多分 毒蛾 の 鱗粉 を 見 て ゐる の だ と 私 は 思ひ まし た 。 
「 中軸 は ある に は あり ます ね 。 」 
「 その 中軸 に 、 酸 が ある の ぢ ゃないですか 。 」 
「 中軸 が 管 に なっ て 、 そこ に 酸 が あっ て 、 その 先端 が 皮膚 に ささっ て 、 折れ た とき 酸 が 注ぎ込ま れる と いふ ん です か 。 それなら 全く 模型 的 です が ね 。 」 
「 しかし さ う で ない とも 云 へ ない で せ う 。 た ゞ 中軸 が 管 に なっ て ゐる こと と 、 その 軸 に 酸 が 入っ て ゐる こと が 、 証明 さ れ ない だけ です 。 」 
「 メチレンブリュー の 代り に 、 青い リトマス を 使っ て 見 たら どう です か 。 」 
「 さ う です ね 。 」 一 人 が 立っ て 、 リトマス 液 を 取り に 行か う として 、 私 に ぶっつかり まし た 。 
「 文部 局 の 巡回 視学 官 です 。 」 校長 が みんな に 云 ひ まし た 。 みんな は 私 に 礼 を し まし た 。 
「 どう です 。 その リトマス の 反応 を 拝見 し たい もの です が 。 」 私 は 笑っ て 申し まし た 。 
青い リトマス 液 が 新 らしい デック グラス に 注が れ まし た 。 
「 顕著 です 。 中軸 だけ 赤く 変っ て ゐ ます 。 」 その 教授 が 云 ひ まし た 。 
「 どれ 拝見 。 」 私 も それ を のぞき込み まし た 。 
全く 槍 の やう な 形 の 、 するどい 鱗粉 が 、 青色 リトマス で 一帯 に 青く 染まっ て 、 その 中 に 中軸 だけ が 暗 赤色 に 見え た の です 。 
「 いや 、 ありがたう 。 大 へん ない ゝ もの を 拝見 し まし た 。 どう です 。 学校 に も 大分 被害 者 が あっ た で せ う 。 」 私 は 云 ひ まし た 。 
「 い ゝ え 。 なあに 、 毒蛾 なんて 、 てんで この 町 に は 発生 なかっ た ん です 。 昨夜 、 こいつ 一疋 見つける のに 、 四 時間 も かかっ た の です 。 」 
一 人 の 教授 が 答 へ まし た 。 
そして 私 は 大声 に 笑っ た の です 。 
ある 死火山 の すそ野 の かし は の 木 の かげ に 、 「 ベゴ 」 といふ あだ名 の 大きな 黒い 石 が 、 永い こと じ ぃっと 座っ て ゐ まし た 。 
「 べ ゴ 」 と 云 ふ 名 は 、 その 辺 の 草 の 中 に あちこち 散らばっ た 、 稜 の ある あまり 大きく ない 黒い 石 ども が 、 つけ た の でし た 。 ほか に 、 立派 な 、 本 た う の 名前 も あっ た の でし た が 、 「 べ ゴ 」 石 も それ を 知り ませ ん でし た 。 
ベゴ 石 は 、 稜 が なく て 、 丁度 卵 の 両 はじ を 、 少し ひらたく のばし た やう な 形 でし た 。 そして 、 ななめ に 二 本 の 石 の 帯 の やう な もの が 、 からだ を 巻い て あり まし た 。 非常 に 、 たち が よく て 、 一 ぺん も 怒っ た こと が ない の でし た 。 
それ です から 、 深い 霧 が こめ て 、 空 も 山 も 向 ふ の 野原 も なんにも 見え ず 退く つ な 日 は 、 稜 の ある 石 ども は 、 みんな 、 べ ゴ 石 を からかっ て 遊び まし た 。 
「 べ ゴ さん 。 今日 は 。 おなか の 痛い の は 、 な ほっ た かい 。 」 
「 ありがたう 。 僕 は 、 おなか が 痛く なかっ た よ 。 」 と べ ゴ 石 は 、 霧 の 中 で しづか に 云 ひ まし た 。 
「 アァハハハハ 。 アァハハハハハ 。 」 稜 の ある 石 は 、 みんな 一 度 に 笑 ひ まし た 。 
「 ベゴ さん 。 こんち は 。 ゆ ふ べ は 、 ふく ろ ふ が お前 さん に 、 た う が らし を 持っ て 来 て やっ た かい 。 」 
「 い ゝ や 。 ふく ろ ふ は 、 昨夜 、 こっち へ 来 なかっ た やう だ よ 。 」 
「 アァハハハハ 。 アァハハハハハ 。 」 稜 の ある 石 は 、 もう 大 笑 ひ です 。 
「 ベゴ さん 。 今日 は 。 昨日 の 夕方 、 霧 の 中 で 、 野 馬 が お前 さん に 小便 を かけ たら う 。 気の毒 だっ た ね 。 」 
「 ありがたう 。 おかげ で 、 そんな 目 に は 、 あ は なかっ た よ 。 」 
「 アァハハハハ 。 アァハハハハハ 。 」 みんな 大 笑 ひ です 。 
「 べ ゴ さん 。 今日 は 。 今度 新 らしい 法律 が 出 て ね 、 まるい もの や 、 まるい やう な もの は 、 みんな 卵 の やう に 、 パチ ン と 割っ て しまふ さ う だ よ 。 お前 さん も 早く 逃げ たら どう だい 。 」 
「 ありがたう 。 僕 は 、 まんま る 大将 の お 日 さん と 一 しょ に 、 パチ ン と 割 られる よ 。 」 
「 アァハハハハ 。 アァハハハハハ 。 どうも 馬鹿 で 手 が つけ られ ない 。 」 
丁度 その 時 、 霧 が 晴れ て 、 お日様 の 光 が きん 色 に 射し 、 青 ぞ ら が いっぱい に あら はれ まし た ので 、 稜 の ある 石 ども は 、 みんな 雨 の お 酒 の こと や 、 雪 の 団子 の こと を 考へ はじめ まし た 。 そこで べ ゴ 石 も 、 しづか に 、 まんま る 大将 の 、 お 日 さま と 青 ぞ ら と を 見 あげ まし た 。 
その 次 の 日 、 又 、 霧 が か ゝ り まし た ので 、 稜 石 ども は 、 又 べ ゴ 石 を から か ひ はじめ まし た 。 実は 、 た ゞ からかっ た つもり だっ た だけ です 。 
「 べ ゴ さん 。 おれ たち は 、 みんな 、 稜 が しっかり し て ゐる のに 、 お前 さん ばかり 、 なぜ そんなに くるくる し てる だら う ね 。 一緒 に 噴火 の とき 、 落ち て 来 た のに ね 。 」 
「 僕 は 、 生れ て まだ まっか に 燃え て 空 を のぼる とき 、 くるくる くるくる 、 から だ が ま はっ た から ね 。 」 
「 は はあ 、 僕 たち は 、 空 へ のぼる とき も 、 のぼる 位 のぼっ て 、 一寸 とまっ た 時 も 、 それから 落ち て 来る とき も 、 いつも 、 じっと し て ゐ た のに 、 お前 さん だけ は 、 なぜ そんなに 、 くるくる ま はっ たら う ね 。 」 
その 癖 、 こいつ ら は 、 噴火 で 砕け て 、 まっくろ な 煙 と 一緒 に 、 空 へ のぼっ た 時 は 、 みんな 気絶 し て ゐ た の です 。 
「 さあ 、 僕 は 一向 ま はらう と も 思は なかっ た が 、 ひとり で から だ が ま はっ て 仕方 なかっ た よ 。 」 
「 は はあ 、 何 かこ はい こと が ある と 、 ひとり で から だ が ふる へる から ね 。 お前 さん も 、 ことに よっ たら 、 臆病 の ため かも 知れ ない よ 。 」 
「 さ う だ 。 臆病 の ため だっ た かも 知れ ない ね 。 じっさい 、 あの 時 の 、 音 や 光 は 大 へん だっ た から ね 。 」 
「 さ うだら う 。 やっぱり 、 臆病 の ため だら う 。 ハッハハハハッハ 、 ハハハハハ 。 」 
稜 の ある 石 は 、 一 しょ に 大声 で わら ひ まし た 。 その 時 、 霧 が はれ まし た ので 、 角 の ある 石 は 、 空 を 向い て 、 てんでに 勝手 な こと を 考へ はじめ まし た 。 
ベゴ 石 も 、 だまっ て 、 柏の葉 の ひらめき を ながめ まし た 。 
それから 何 べ ん も 、 雪 が ふっ たり 、 草 が 生え たり し まし た 。 かし は は 、 何 べ ん も 古い 葉 を 落し て 、 新 らしい 葉 を つけ まし た 。 
ある 日 、 かし は が 云 ひ まし た 。 
「 ベゴ さん 。 僕 と あなた が 、 お 隣り に なっ て から 、 も うず ゐ ぶん 久しい もん です ね 。 」 
「 え ゝ 。 さ う です 。 あなた は 、 ず ゐ ぶん 大きく なり まし た ね 。 」 
「 い ゝ え 。 しかし 僕 なんか 、 前 は まるで 小さく て 、 あなた の こと を 、 黒い 途方 も ない 山 だ と 思っ て ゐ た ん です 。 」 
「 はあ 、 さ う で せ う ね 。 今 は あなた は 、 もう 僕 の 五 倍 も せい が 高い で せ う 。 」 
「 さ う 云 へ ば ま あさう です ね 。 」 
かし は は 、 すっかり 、 うぬぼれ て 、 枝 を ピクピク さ せ まし た 。 
はじめ は 仲間 の 石 ども だけ でし た が あんまり ベゴ 石 が 気 がい ゝ ので だんだん みんな 馬鹿 に し 出し まし た 。 を みな へ し が 、 斯 う 云 ひ まし た 。 
「 ベゴ さん 。 僕 は 、 た うとう 、 黄金 の かん むりをかぶりましたよ 。 」 
「 おめでたう 。 を みな へ しさ ん 。 」 
「 あなた は 、 い つ 、 かぶる の です か 。 」 
「 さあ 、 まあ 私 は かぶり ませ ん ね 。 」 
「 さ う です か 。 お 気の毒 です ね 。 しかし 。 いや 。 はてな 。 あなた も 、 もうかん むりをかぶってるではありませんか 。 」 
を みな へ し は 、 ベゴ 石 の 上 に 、 このごろ 生え た 小さな 苔 を 見 て 、 云 ひ まし た 。 
べ ゴ 石 は 笑っ て 、 
「 いや これ は 苔 です よ 。 」 
「 さ う です か 。 あんまり 見ばえ が し ませ ん ね 。 」 
それから 十 日 ばかり たち まし た 。 を みな へ し は びっくり し た やう に 叫び まし た 。 
「 べ ゴ さん 。 た うとう 、 あなた も 、 かん むりをかぶりましたよ 。 つまり 、 あなた の 上 の 苔 が みな 赤 づき ん を かぶり まし た 。 おめでたう 。 」 
べ ゴ 石 は 、 にが 笑 ひ を し ながら 、 なにげなく 云 ひ まし た 。 
「 ありがたう 。 しかし その 赤 頭巾 は 、 苔 の かん むりでせう 。 私 の では あり ませ ん 。 私 の 冠 は 、 今に 野原 いち めん 、 銀色 に やって来 ます 。 」 
この ことば が 、 もう を みな へ しの き も を 、 つぶし て しまひ まし た 。 
「 それ は 雪 で せ う 。 大 へん だ 。 大 へん だ 。 」 
べ ゴ 石 も 気がつい て 、 おどろい て を みな へ し を なぐさめ まし た 。 
「 を みな へ しさ ん 。 ごめんなさい 。 雪 が 来 て 、 あなた は いや で せ う が 、 毎年 の こと で 仕方 も ない の です 。 その 代り 、 来年 雪 が 消え たら 、 きっと すぐ 又 いらっしゃい 。 」 
を みな へ し は 、 もう 、 へんじ を し ませ ん でし た 。 又 その 次 の 日 の こと でし た 。 蚊 が 一疋 くう ん くう ん と うなっ て やって来 まし た 。 
「 どうも 、 この 野原 に は 、 むだ な もの が 沢山 あっ て いか ん な 。 たとへば 、 この ベゴ 石 の やう な もの だ 。 べ ゴ 石 の ごとき は 、 何 の やく に も た ゝ ない 。 むぐらのやうにつちをほって 、 空気 を しん せん に する と いふ こと も し ない 。 草 っ ぱのやうに 露 を きらめかし て 、 われわれ の 目 の 病 を な ほす といふ こと も ない 。 くう うん 。 くう うん 。 」 と 云 ひ ながら 、 又 向 ふ へ 飛ん で 行き まし た 。 
ベゴ 石 の 上 の 苔 は 、 前 から いろいろ 悪口 を 聞い て ゐ まし た が 、 ことに 、 今 の 蚊 の 悪口 を 聞い て 、 いよいよ べ ゴ 石 を 、 馬鹿 に し はじめ まし た 。 
そして 、 赤い 小さな 頭巾 を かぶっ た ま ゝ 、 踊り はじめ まし た 。 
「 べ ゴ 黒 助 、 べ ゴ 黒 助 、 
黒 助 どんどん 、 
あめ が ふっ て も 黒 助 、 どんどん 、 
日 が 照っ て も 、 黒 助 どんどん 。 
べ ゴ 黒 助 、 べ ゴ 黒 助 、 
黒 助 どんどん 、 
千 年 たっ て も 、 黒 助 どんどん 、 
万 年 たっ て も 、 黒 助 どんどん 。 」 
べ ゴ 石 は 笑 ひ ながら 、 
「 うまい よ 。 なかなか うまい よ 。 しかし その 歌 は 、 僕 はかま は ない けれど 、 お前 たち に は 、 よく ない こと に なる かも 知れ ない よ 。 僕 が 一つ 作っ て やら う 。 これから は 、 そっち を お やり 。 ね 、 そら 、 
お 空 。 お 空 。 お 空 のち ゝ は 、 
つめたい 雨 の 　 ザァザザザ 、 
かし は のし づく トンテントン 、 
まっしろ きり の ポッシャントン 。 
お 空 。 お 空 。 お 空 の ひかり 、 
お てんと さま は 、 カンカン カン 、 
月 の あかり は 、 ツン ツン ツン 、 
ほし の ひかり の 、 ピッカリコ 。 」 
「 そんな もの だめ だ 。 面白く も なんとも ない や 。 」 
「 さ う か 。 僕 は 、 こんな こと 、 ま づい から ね 。 」 
べ ゴ 石 は 、 しづか に 口 を つぐみ まし た 。 
そこで 、 野原 中 の もの は 、 みんな 口 を そろ へ て 、 べ ゴ 石 を あざけり まし た 。 
「 なん だ 。 あんな 、 ちっぽけ な 赤 頭巾 に 、 べ ゴ 石 め 、 へこまさ れ てる ん だ 。 もう おいら は 、 あいつ と は 絶交 だ 。 みっともない 。 黒 助 め 。 黒 助 、 どんどん 。 べ ゴ どんどん 。 」 
その 時 、 向 ふか ら 、 眼 が ね を かけ た 、 せい の 高い 立派 な 四 人 の 人 たち が 、 いろいろ な ピカピカ する 器械 を もっ て 、 野原 を よこぎっ て 来 まし た 。 その 中 の 一 人 が 、 ふと べ ゴ 石 を 見 て 云 ひ まし た 。 
「 あ 、 あっ た 、 あっ た 。 すてき だ 。 実に い ゝ 標本 だ ね 。 火山 弾 の 典型 だ 。 こんな ととのっ た の は 、 はじめて 見 た ぜ 。 あの 帯 の 、 きちんと し てる こと ね 。 もう これ 丈 け でも 今度 の 旅行 は 沢山 だ よ 。 」 
「 うん 。 実に よく ととのっ てる ね 。 こんな 立派 な 火山 弾 は 、 大 英 博物館 に だって ない ぜ 。 」 
みんな は 器械 を 草 の 上 に 置い て 、 ベゴ 石 を ま はっ て さすっ たり なで たり し まし た 。 
「 どこ の 標本 で も 、 この 帯 の 完全 な の は ない よ 。 どう だい 。 空 で ぐるぐる やっ た 時 の 工合 が 、 実に よく わかる ぢ ゃないか 。 すてき 、 すてき 。 今日 すぐ 持っ て 行か う 。 」 
みんな は 、 又 、 向 ふ の 方 へ 行き まし た 。 稜 の ある 石 は 、 だまっ て ため息 ばかり つい て ゐ ます 。 そして 気 の い ゝ 火山 弾 は 、 だまっ て わらっ て 居り まし た 。 
ひる すぎ 、 野原 の 向 ふか ら 、 又 キラキラ めがね や 器械 が 光っ て 、 さっき の 四 人 の 学者 と 、 村 の 人 たち と 、 一 台 の 荷馬 車 が やっ て 参り まし た 。 
そして 、 柏 の 木の下 に とまり まし た 。 
「 さあ 、 大切 な 標本 だ から 、 こ は さ ない やう に し て 呉れ 給 へ 。 よく 包ん で 呉れ 給 へ 。 苔 なんか むしっ て しまは う 。 」 
苔 は 、 むしら れ て 泣き まし た 。 火山 弾 は からだ を 、 ていねい に 、 きれい な 藁 や 、 むしろ に 包ま れ ながら 、 云 ひ まし た 。 
「 みなさん 。 ながなが お世話 でし た 。 苔 さん 。 さよなら 。 さっき の 歌 を 、 あと で 一 ぺん でも 、 うたっ て 下さい 。 私 の 行く ところ は 、 こ ゝ の やう に 明るい 楽しい ところ で は あり ませ ん 。 けれども 、 私 共 は 、 みんな 、 自分 で できる こと を し なけれ ば なり ませ ん 。 さよなら 。 みなさん 。 」 
「 東京 帝国 大 学校 地質 学 教室 行 、 」 と 書い た 大きな 札 が つけ られ まし た 。 
そして 、 みんな は 、 「 よいしょ 。 よいしょ 。 」 と 云 ひ ながら 包み を 、 荷馬 車 へ のせ まし た 。 
「 さあ 、 よし 、 行か う 。 」 
馬 は プルルル と 鼻 を 一つ 鳴らし て 、 青い 青い 向 ふ の 野原 の 方 へ 、 歩き 出し まし た 。 
雪 婆 ん ご は 、 遠く へ 出かけ て 居り まし た 。 
猫 の やう な 耳 を もち 、 ぼやぼや し た 灰 いろ の 髪 を し た 雪 婆 ん ご は 、 西 の 山脈 の 、 ちぢれ た ぎらぎら の 雲 を 越え て 、 遠く へ でかけ て ゐ た の です 。 
ひとり の 子供 が 、 赤い 毛布 に くるま つ て 、 しきりに カリメラ の こと を 考へ ながら 、 大きな 象 の 頭 の かたち を し た 、 雪 丘 の 裾 を 、 せかせか うち の 方 へ 急い で 居り まし た 。 
（ そら 、 新聞紙 を 尖 つ た かたち に 巻い て 、 ふうふう と 吹く と 、 炭 から まるで 青 火 が 燃える 。 ぼく は カリメラ 鍋 に 赤砂糖 を 一 つまみ 入れ て 、 それから ザラメ を 一 つまみ 入れる 。 水 を たし て 、 あと は くつ くつ くつ と 煮る ん だ 。 ） ほん た うに もう 一生けん命 、 こども は カリメラ の こと を 考へ ながら うち の 方 へ 急い で ゐ まし た 。 
お 日 さま は 、 空 の ず うつ と 遠く の すき と ほ つ た つめたい とこ で 、 まばゆい 白い 火 を 、 どしどし お 焚き なさい ます 。 
その 光 は まつ すぐ に 四方 に 発射 し 、 下 の 方 に 落ち て 来 て は 、 ひつ そり し た 台地 の 雪 を 、 いち めん まばゆい 雪 花 石膏 の 板 に し まし た 。 
二 疋 の 雪 狼 が 、 べろべろ まつ 赤 な 舌 を 吐き ながら 、 象 の 頭 の かたち を し た 、 雪 丘 の 上 の 方 を あるい て ゐ まし た 。 こいつ ら は 人 の 眼 に は 見え ない の です が 、 一 ぺん 風 に 狂 ひ 出す と 、 台地 の は づれの 雪 の 上 から 、 すぐ ぼやぼや の 雪雲 を ふん で 、 空 を かけ ま はり も する の です 。 
「 し ゆ 、 あんまり 行 つ て いけ ない つ たら 。 」 雪 狼 の うし ろ から 白熊 の 毛皮 の 三角 帽子 を あみ だに かぶり 、 顔 を 苹果 の やう に かがやかし ながら 、 雪 童子 が ゆ つくり 歩い て 来 まし た 。 
雪 狼 ども は 頭 を ふつ て くるり と ま はり 、 また まつ 赤 な 舌 を 吐い て 走り まし た 。 
「 カシオピイア 、 
もう 水仙 が 咲き 出す ぞ 
お ま へ の ガラス の 水車 
きつき と ま は せ 。 」 
雪 童子 は まつ 青 な そら を 見 あげ て 見え ない 星 に 叫び まし た 。 その 空 から は 青 びかりが 波 に なつ て わくわく と 降り 、 雪 狼 ども は 、 ず うつ と 遠く で 焔 の やう に 赤い 舌 を べろべろ 吐い て ゐ ます 。 
「 し ゆ 、 戻れ つ たら 、 し ゆ 、 」 雪 童子 が はねあがる やう に し て 叱り まし たら 、 いま まで 雪 に くつ きり 落ち て ゐ た 雪 童子 の 影法師 は 、 ぎらつと 白い ひかり に 変り 、 狼 ども は 耳 を たて て 一 さん に 戻 つ て き まし た 。 
「 アンドロメダ 、 
あぜ みの 花 が もう 咲く ぞ 、 
お ま へ の ラムプ の アルコホル 、 
し ゆう し ゆ と 噴か せ 。 」 
雪 童子 は 、 風 の やう に 象 の 形 の 丘 に のぼり まし た 。 雪 に は 風 で 介 殻 の やう な かた が つき 、 その 頂 に は 、 一 本 の 大きな 栗 の 木 が 、 美しい 黄金 いろ の やどり ぎのまりをつけて 立つ て ゐ まし た 。 
「 とつ とい で 。 」 雪 童子 が 丘 を のぼり ながら 云 ひ ます と 、 一疋 の 雪 狼 は 、 主人 の 小さな 歯 の ちら つと 光る の を 見る や 、 ご むまりのやうにいきなり 木 に はね あ が つて 、 その 赤い 実 の つい た 小さな 枝 を 、 がちがち 噛 じ り まし た 。 木 の 上 で しきりに 頸 を まげ て ゐる 雪 狼 の 影法師 は 、 大きく 長く 丘 の 雪 に 落ち 、 枝 は た うとう 青い 皮 と 、 黄いろ の 心 と を ちぎら れ て 、 いま の ぼつ て き た ばかり の 雪 童子 の 足もと に 落ち まし た 。 
「 ありがたう 。 」 雪 童子 は それ を ひろ ひ ながら 、 白 と 藍 いろ の 野 は ら に たつ て ゐる 、 美しい 町 を はるか に ながめ まし た 。 川 が きらきら 光 つて 、 停車場 から は 白い 煙 も あ が つて ゐ まし た 。 雪 童子 は 眼 を 丘 の ふもと に 落し まし た 。 その 山裾 の 細い 雪 みち を 、 さつき の 赤 毛布 を 着 た 子供 が 、 一 しん に 山 の うち の 方 へ 急い で ゐる の でし た 。 
「 あいつ は 昨日 、 木炭 の そり を 押し て 行 つ た 。 砂糖 を 買 つて 、 じ ぶん だけ 帰 つて き た な 。 」 雪 童子 は わら ひ ながら 、 手 に もつ て ゐ た やどり ぎの 枝 を 、 ぷいつとこどもになげつけました 。 枝 は まるで 弾丸 の やう に まつ すぐ に 飛ん で 行 つて 、 たしかに 子供 の 目 の 前 に 落ち まし た 。 
子供 は びつくり し て 枝 を ひろ つ て 、 きよ ろ きよ ろ あちこち を 見 ま は し て ゐ ます 。 雪 童子 は わら つて 革 むちを 一つ ひ ゆう と 鳴らし まし た 。 
すると 、 雲 も なく 研き あげ られ た やう な 群青 の 空 から 、 まつ 白 な 雪 が 、 さ ぎの 毛 の やう に 、 いち めん に 落ち て き まし た 。 それ は 下 の 平原 の 雪 や 、 ビール 色 の 日光 、 茶 いろ の ひのき で でき あ が つた 、 しづか な 奇麗 な 日曜日 を 、 一 そう 美しく し た の です 。 
子ども は 、 やどり ぎの 枝 を もつ て 、 一生けん命 に あるき だし まし た 。 
けれども 、 その 立派 な 雪 が 落ち 切 つて し まつ た ころ から 、 お 日 さま は なんだか 空 の 遠く の 方 へ お移り に な つて 、 そこ の お 旅 屋 で 、 あの まばゆい 白い 火 を 、 あたらしく お 焚き なさ れ て ゐる やう でし た 。 
そして 西北 の 方 から は 、 少し 風 が 吹い て き まし た 。 
もう よほど 、 そら も 冷たく な つ て き た の です 。 東 の 遠く の 海 の 方 で は 、 空 の 仕掛け を 外し た やう な 、 ち ひ さ な カタツ といふ 音 が 聞え 、 いつか まつ しろ な 鏡 に 変 つて しま つたお 日 さま の 面 を 、 なに かち ひ さ な もの が どんどん よ こ 切 つ て 行く やう です 。 
雪 童子 は 革 むちをわきの 下 に はさみ 、 堅く 腕 を 組み 、 唇 を 結ん で 、 その 風 の 吹い て 来る 方 を じ つと 見 て ゐ まし た 。 狼 ども も 、 まつ すぐ に 首 を のばし て 、 しきりに そつ ち を 望み まし た 。 
風 は だんだん 強く なり 、 足もと の 雪 は 、 さらさら さらさら うし ろ へ 流れ 、 間もなく 向 ふ の 山脈 の 頂 に 、 ぱつと 白い けむり の やう な もの が 立つ た とお も ふと 、 もう 西 の 方 は 、 す つかり 灰 いろ に 暗く なり まし た 。 
雪 童子 の 眼 は 、 鋭く 燃える やう に 光り まし た 。 そら はす つかり 白く なり 、 風 は まるで 引き裂く やう 、 早く も 乾い た こまか な 雪 が やつ て 来 まし た 。 そこら は まるで 灰 いろ の 雪 で い つ ぱいです 。 雪 だ か 雲 だ か も わから ない の です 。 
丘 の 稜 は 、 もう あつ ち も こ つ ち も 、 みんな 一 度 に 、 軋る やう に 切る やう に 鳴り出し まし た 。 地平線 も 町 も 、 みんな 暗い 烟 の 向 ふ に なつ て しまひ 、 雪 童子 の 白い 影 ばかり 、 ぼんやり まつ すぐ に 立つ て ゐ ます 。 
その 裂く やう な 吼える やう な 風の音 の 中 から 、 
「 ひ ゆう 、 なに を ぐづぐづしてゐるの 。 さあ 降らす ん だ よ 。 降らす ん だ よ 。 ひ ゆう ひ ゆう ひ ゆう 、 ひ ゆ ひ ゆう 、 降らす ん だ よ 、 飛ばす ん だ よ 、 なに を ぐづぐづしてゐるの 。 こんなに 急がし い のに さ 。 ひ ゆう 、 ひ ゆう 、 向 ふか ら さ へ わざと 三 人 連れ て き た ぢ や ない か 。 さあ 、 降らす ん だ よ 。 ひ ゆう 。 」 あやしい 声 が きこえ て き まし た 。 
雪 童子 は まるで 電気 に か かつ た やう に 飛びたち まし た 。 雪 婆 ん ご が やつ て き た の です 。 
ぱちつ 、 雪 童子 の 革 むちが 鳴り まし た 。 狼 ども は 一 ぺん に はねあがり まし た 。 雪 わら す は 顔 いろ も 青ざめ 、 唇 も 結ば れ 、 帽子 も 飛ん で しまひ まし た 。 
「 ひ ゆう 、 ひ ゆう 、 さ あし つかり やる ん だ よ 。 なまけ ちや いけ ない よ 。 ひ ゆう 、 ひ ゆう 。 さ あし つかり やつ て お 呉れ 。 今日 は ここら は 水仙 月 の 四 日 だ よ 。 さ あし つかり さ 。 ひ ゆう 。 」 
雪 婆 ん ご の 、 ぼやぼや つめたい 白髪 は 、 雪 と 風 と の なか で 渦 に なり まし た 。 どんどん かける 黒雲 の 間 から 、 その 尖 つ た 耳 と 、 ぎらぎら 光る 黄金 の 眼 も 見え ます 。 
西 の 方 の 野原 から 連れ て 来ら れ た 三 人 の 雪 童子 も 、 みんな 顔 いろ に 血の気 も なく 、 きち つと 唇 を 噛ん で 、 お 互挨拶 さ へ も 交 は さ ず に 、 もう つづけ ざま せ は しく 革 むちを 鳴らし 行 つ たり 来 たり し まし た 。 もう どこ が 丘 だ か 雪けむり だ か 空 だ かさ へ も わから なかつ た の です 。 聞える もの は 雪 婆 ん ご の あちこち 行 つ たり 来 たり し て 叫ぶ 声 、 お 互 の 革 鞭 の 音 、 それから いま は 雪 の 中 を かけ あるく 九 疋 の 雪 狼 ども の 息 の 音 ばかり 、 その なか から 雪 童子 は ふと 、 風 に けさ れ て 泣い て ゐる さ つき の 子供 の 声 を きき まし た 。 
雪 童子 の 瞳 はちよ つと を かしく 燃え まし た 。 しばらく たちどま つて 考へ て ゐ まし た が いきなり 烈しく 鞭 を ふつ て そつ ち へ 走 つ た の です 。 
けれども それ は 方角 がち が つて ゐ た らしく 雪 童子 はず うつ と 南 の 方 の 黒い 松山 に ぶつ つかり まし た 。 雪 童子 は 革 むちをわきにはさんで 耳 を すまし まし た 。 
「 ひ ゆう 、 ひ ゆう 、 なまけ ちや 承知 し ない よ 。 降らす ん だ よ 、 降らす ん だ よ 。 さあ 、 ひ ゆう 。 今日 は 水仙 月 の 四 日 だ よ 。 ひ ゆう 、 ひ ゆう 、 ひ ゆう 、 ひ ゆう ひ ゆう 。 」 
そんな はげしい 風 や 雪 の 声 の 間 から すき と ほる やう な 泣声 が ちら つと また 聞え て き まし た 。 雪 童子 は まつ す ぐにそつちへかけて 行き まし た 。 雪 婆 ん ご の ふりみだし た 髪 が 、 その 顔 に 気 み わるく さ はり まし た 。 峠 の 雪 の 中 に 、 赤い 毛布 を か ぶつ た さつき の 子 が 、 風 に かこま れ て 、 もう 足 を 雪 から 抜け なく な つて よろよろ 倒れ 、 雪 に 手 を つい て 、 起きあがら う として 泣い て ゐ た の です 。 
「 毛布 を か ぶつ て 、 うつ 向け に な つて おいで 。 毛布 を か ぶつ て 、 うつむけ に な つて おいで 。 ひ ゆう 。 」 雪 童子 は 走り ながら 叫び まし た 。 けれども それ は 子ども に は ただ 風 の 声 と きこえ 、 その かたち は 眼 に 見え なかつ た の です 。 
「 うつむけ に 倒れ て おい で 。 ひ ゆう 。 動 いち や いけ ない 。 ぢ き やむ から けつ と を か ぶつ て 倒れ て おい で 。 」 雪 わら す は かけ 戻り ながら 又 叫び まし た 。 子ども は やつ ぱり 起きあがら う として もがい て ゐ まし た 。 
「 倒れ て おい で 、 ひ ゆう 、 だま つて うつむけ に 倒れ て おい で 、 今日 は そんなに 寒く ない ん だ から 凍 や し ない 。 」 
雪 童子 は 、 も 一 ど 走り抜け ながら 叫び まし た 。 子ども は 口 を びく びく まげて 泣き ながら また 起きあがら う と し まし た 。 
「 倒れ て ゐる ん だ よ 。 だめ だ ねえ 。 」 雪 童子 は 向 ふか ら わ ざとひどくつきあたつて 子ども を 倒し まし た 。 
「 ひ ゆう 、 もつ と し つかり や つて おくれ 、 なまけ ちや いけ ない 。 さあ 、 ひ ゆう 」 
雪 婆 ん ご が やつ て き まし た 。 その 裂け た やう に 紫 な 口 も 尖 つ た 歯 も ぼんやり 見え まし た 。 
「 おや 、 を かし な 子 が ゐる ね 、 さ うさ う 、 こ つ ち へ と つて おし まひ 。 水仙 月 の 四 日 だ もの 、 一 人 や 二 人 とつ たつ て い ゝ ん だ よ 。 」 
「 え ゝ 、 さ う です 。 さあ 、 死ん で しまへ 。 」 雪 童子 は わ ざとひどくぶつつかりながらまたそつと 云 ひ まし た 。 
「 倒れ て ゐる ん だ よ 。 動 いち や いけ ない 。 動 いち や いけ ない つ たら 。 」 
狼 ども が 気 ち が ひ の やう に かけめぐり 、 黒い 足 は 雪雲 の 間 から ちらちら し まし た 。 
「 さ うさ う 、 それ で い ゝ よ 。 さあ 、 降らし て おくれ 。 なまけ ちや 承知 し ない よ 。 ひ ゆう ひ ゆう ひ ゆう 、 ひ ゆ ひ ゆう 。 」 雪 婆 ん ご は 、 また 向 ふ へ 飛ん で 行き まし た 。 
子供 は また 起きあがら う と し まし た 。 雪 童子 は 笑 ひ ながら 、 も 一度 ひどく つきあたり まし た 。 もう その ころ は 、 ぼんやり 暗く な つて 、 まだ 三 時 に も なら ない に 、 日 が 暮れる やう に 思は れ た の です 。 こども は 力 も つき て 、 もう 起きあがら う と し ませ ん でし た 。 雪 童子 は 笑 ひ ながら 、 手 を のばし て 、 その 赤い 毛布 を 上 から す つかり かけ て やり まし た 。 
「 さ うし て 睡 つて おいで 。 布団 を たくさん かけ て あげる から 。 さ う すれ ば 凍え ない ん だ よ 。 あした の 朝 まで カリメラ の 夢 を 見 て おい で 。 」 
雪 わら す は 同じ とこ を 何 べ ん も かけ て 、 雪 を たくさん こども の 上 に かぶせ まし た 。 まもなく 赤い 毛布 も 見え なく なり 、 あたり と の 高 さ も 同じ に なつ て しまひ まし た 。 
「 あの こども は 、 ぼく の やつ た やどり ぎをもつてゐた 。 」 雪 童子 は つぶやい て 、 ちよ つと 泣く やう に し まし た 。 
「 さあ 、 し つかり 、 今日 は 夜 の 二 時 まで やすみ なし だ よ 。 ここら は 水仙 月 の 四 日 な ん だ から 、 やすん ぢ や いけ ない 。 さあ 、 降らし て おくれ 。 ひ ゆう 、 ひ ゆう ひ ゆう 、 ひ ゆ ひ ゆう 。 」 
雪 婆 ん ご は また 遠く の 風 の 中 で 叫び まし た 。 
そして 、 風 と 雪 と 、 ぼさぼさ の 灰 の やう な 雲 の なか で 、 ほん た うに 日 は 暮れ 雪 は 夜 ぢ ゆう 降 つて 降 つて 降 つ た の です 。 やつ と 夜明け に 近い ころ 、 雪 婆 ん ご はも 一 度 、 南 から 北 へ まつ すぐ に 馳せ ながら 云 ひ まし た 。 
「 さあ 、 もう そろそろ やすん で い ゝ よ 。 あたし は これから また 海 の 方 へ 行く から ね 、 だれ も つい て 来 ない で いい よ 。 ゆ つくり やす んで この 次 の 仕度 を し て 置い て おくれ 。 ああ まあ いい あんばい だ つ た 。 水仙 月 の 四 日 が うまく 済ん で 。 」 
その 眼 は 闇 の なか で を かしく 青く 光り 、 ばさばさ の 髪 を 渦巻か せ 口 を びく びく し ながら 、 東 の 方 へ かけ て 行き まし た 。 
野 はらも 丘 も ほ つ と し た やう に なつ て 、 雪 は 青じろく ひかり まし た 。 空 も いつか す つかり 霽 れ て 、 桔梗 いろ の 天球 に は 、 いち めん の 星座 が またたき まし た 。 
雪 童子 ら は 、 めいめい 自分 の 狼 を つれ て 、 はじめて お 互挨拶 し まし た 。 
「 ず ゐ ぶん ひど かつ た ね 。 」 
「 ああ 、 」 
「 こんど は いつ 会 ふ だら う 。 」 
「 いつ だら う ねえ 、 しかし 今年 中 に 、 もう 二 へん ぐらゐのもんだらう 。 」 
「 早く いつ しよ に 北 へ 帰り たい ね 。 」 
「 ああ 。 」 
「 さつき こども が ひとり 死ん だ な 。 」 
「 大丈夫 だ よ 。 眠 つ てる ん だ 。 あした あすこ へ ぼく しるし を つけ て おく から 。 」 
「 ああ 、 もう 帰ら う 。 夜明け まで に 向 ふ へ 行か なく ちや 。 」 
「 まあ い ゝ だら う 。 ぼく ね 、 どうして も わから ない 。 あいつ は カシオペーア の 三つ 星 だら う 。 みんな 青い 火 な ん だら う 。 それなのに 、 どうして 火 が よく 燃えれ ば 、 雪 を よこす ん だら う 。 」 
「 それ はね 、 電気 菓子 と おなじ だ よ 。 そら 、 ぐるぐる ぐる ま はつ て ゐる だら う 。 ザラメ が みんな 、 ふわふわ の お菓子 に なる ねえ 、 だから 火 が よく 燃えれ ば い ゝ ん だ よ 。 」 
「 ああ 。 」 
「 ぢ や 、 さよなら 。 」 
「 さよなら 。 」 
三 人 の 雪 童子 は 、 九 疋 の 雪 狼 を つれ て 、 西 の 方 へ 帰 つて 行き まし た 。 
まもなく 東 の そら が 黄 ばら の やう に 光り 、 琥珀 いろ に か ゞ やき 、 黄金 に 燃え だし まし た 。 丘 も 野原 も あたらしい 雪 で い つ ぱいです 。 
雪 狼 ども は つか れ て ぐつたり 座 つて ゐ ます 。 雪 童子 も 雪 に 座 つて わら ひ まし た 。 その 頬 は 林檎 の やう 、 その 息 は 百 合 の やう に かをり まし た 。 
ギラギラ の お 日 さま が お 登り に なり まし た 。 今朝 は 青 味 が かつて 一 そう 立派 です 。 日光 は 桃 いろ に い つ ぱいに 流れ まし た 。 雪 狼 は 起きあが つて 大きく 口 を あき 、 その 口 から は 青い 焔 が ゆらゆら と 燃え まし た 。 
「 さあ 、 お ま へ たち は ぼく について おいで 。 夜 が あけ た から 、 あの 子ども を 起さ なけ あ いけ ない 。 」 
雪 童子 は 走 つ て 、 あの 昨日 の 子供 の 埋ま つ て ゐる とこ へ 行き まし た 。 
「 さあ 、 ここら の 雪 を ちらし て おくれ 。 」 
雪 狼 ども は 、 たちまち 後足 で 、 そこら の 雪 を けたて まし た 。 風 が それ を けむり の やう に 飛ばし まし た 。 
かんじき を はき 毛皮 を 着 た 人 が 、 村 の 方 から 急い で やつ て き まし た 。 
「 も うい ゝ よ 。 」 雪 童子 は 子供 の 赤い 毛布 の はじ が 、 ちら つと 雪 から 出 た の を み て 叫び まし た 。 
「 お父さん が 来 た よ 。 もう 眼 を おさ まし 。 」 雪 わら す は うし ろ の 丘 にかけ あ が つて 一 本 の 雪けむり を たて ながら 叫び まし た 。 子ども は ちら つと うごい た やう でし た 。 そして 毛皮 の 人 は 一生けん命 走 つ て き まし た 。 
「 ええ 。 」 
雪 と 月あかり の 中 を 、 汽車 は いっしんに 走っ て ゐ まし た 。 
赤い 天鵞絨 の 頭巾 を かぶっ たち ひ さ な 子 が 、 毛布 に つつま れ て 窓 の 下 の 飴色 の 壁 に 上手 に たてかけ られ 、 まるで 寢床 に 居る やう に 、 足 を こっち に のばし て すやすや と 睡っ て ゐ ます 。 
窓 の ガラス は すき と ほり 、 外 は がらん として 青く 明るく 見え まし た 。 
「 まだ 八 時間 ある よ 。 」 
「 ええ 。 」 
若い お父さん は 、 その 青白い 時計 を チョッキ の ポケット に はさん で 靴 を かたっ と 鳴らし まし た 。 
若い お母さん は まだ こども を 見 て ゐ まし た 。 こども の 頬 は 苹果 の やう に かがやき 、 苹果 の に ほ ひ は 室 いっぱい でし た 。 その 匂 は 、 けれども 、 あちこち の 網棚 の 上 の ほん た う の 苹果 から 出 て ゐ た の です 。 實 に 苹果 の 蒸氣 が 室 いっぱい でし た 。 
「 ここ どこ で せ う 。 」 
「 もう 岩手 縣 だ よ 。 」 
「 あの 山の上 に 白く 見える の 雲 で せ う か 。 」 
「 雲 だら う な 。 しかし 凍っ て ゐる だら う よ 。 」 
「 吹雪 ぢ ゃないんでせうか 。 」 
「 さ う だ な 、 あすこ だけ 風 が 吹い てる かも 知れ ない な 。 けれども 風 が 山 の パサパサ し た 雪 を 飛ば せ た の か 、 その 風 が 水 蒸氣 を もっ て ゐ て 、 あんな 山 の 稜 の 一層 つめたい 處 で 雪 に なっ た の か わから ない ね 。 」 
「 さ う ね 。 」 
月あかり の 中 に まっすぐ に 立っ た 電信柱 が 、 次々 に 何 本 も 何 本 も 走っ て 行き 、 けむり の 影 は 黒く 雪 の 上 を 滑り まし た 。 
車 室 の 中 は スティーム で 暖かく 、 わ づか の 乘客 たち も 大 てい 睡り 、 もう 十 二 時 を 過ぎ て ゐ まし た 。 
「 今夜 は 外 は 寒い ん で せ う か 。 」 
「 そんな ぢ ゃないだらう 。 けれども 霽 れ てる から ね 。 こんな 雪 の 野原 を 歩い て ゐ て 、 今ごろ こんな 汽車 の 通る の に 出 あ ふと 、 ず ゐ ぶん 羨し い やう な なつかしい やう な 變 な 氣 が する もん だ よ 。 」 
「 あなた そんな こと あっ て 。 」 
「 ある とも さ 。 お前 睡 く ない かい 。 」 
「 睡れ ませ ん わ 。 」 
若い お父さん と お母さん と は 、 一緒 に こども を 見 まし た 。 こども は 熟し た やう に 睡っ て ゐ ます 。 その 唇 は きちっと 結ば れ て 鮭 の 色 の 谷 か 何 か の やう に 見え 、 少し 鳶色 がかっ た 髮 の 毛 は 、 ぬれ た やう に なっ て 額 に 垂れ て ゐ まし た 。 
「 おい 、 あの 子 の 口 や 齒 は お ま へ に 似 てる よ 。 」 
「 眼 は あなた そっくり です わ 。 」 
山 の 雪 が 耿々 と 光り 出し まし た 。 と 思ふ うち に いきなり 汽車 は まっ白 な 雪 の 丘 の 間 に 入り まし た 。 月あかり の 中 に 、 たしかに かし は の 木 らしい もの が 、 澤山 枯れ た 葉 を つけ て 立っ て ゐ まし た 。 
そして みんな は ねむり 、 若い お父さん と お母さん も うとうと し まし た 。 山 の 中 の 小さな 驛 を 素通り する たんび に がたっと 横 に ゆれ ながら 、 汽車 は いっしんに その 七 時 雨 の 傾斜 を のぼっ て 行き まし た 。 その まどろみ の 中 から 、 二 人 は か はる が はる 、 やっぱり 夢 の 中 の やう に 眼 を あい て 子供 を 見 て ゐ まし た 。 苹果 の 蒸氣 が いっぱい だっ た の です 。 電 燈 は 青い 環 を つけ たり 碧 孔雀 に なっ て 翅 を ひろげ 子供 の 天蓋 を つくっ たり し まし た 。 
ごと ごと ごと ごと 、 汽車 は いっしんに 走り まし た 。 
「 おや 、 變 に 寒く なっ た ぞ 。 」 
しばらく たって 若い お父さん は 室 の 中 を 見 ま は し ながら 云 ひ まし た 。 電 燈 も まるで くらく なっ て 、 タングステン が やっと 赤く 熱っ て ゐる だけ でし た 。 
「 まあ 、 スティーム が 通ら なく なっ た ん です わ 。 」 
若い お母さん も びっくり し た やう に 目 を ひらい て 急い で 子供 を 見 まし た 。 こども は すっかり さっき の 通り の 姿勢 で すやすや と 睡っ て ゐ ます 。 
「 どう し た ん だら う 。 ああ 寒い 。 風邪 を 引か せ ちゃ 大 へん だ ぜ 。 何 時 だら う 。 ほんの とろ っと し た だけ だっ た が 。 」 
時計 の 黒い 針 は 、 かっきり と 夜中 の 四 時 を 指し 、 窓 の ガラス は すっかり 氷 で 曇っ て ゐ まし た 。 
月 が 車 室 の ちゃう ど 天井 に かかっ て ゐる らしく 、 窓 の 氷 は ただ ぼんやり 青白い ばかり 、 電 燈 は 一 そう 暗く なり まし た 。 
「 寒い ねえ 、 もう 一 枚 着せよ う 。 」 
「 そん なら わたし の コート やり ます わ 。 」 
「 コート なんか ぢ ゃ 着 ない も 同じ こっ た よ 。 だまっ て 起し て お やり 。 却って 一 ぺん 起し た 方 が いい よ 。 同 ん なじ 姿勢 で ばかり 居 た ん だ から 。 」 
「 ええ 。 です けど 大丈夫 です わ 。 外套 は お 脱 ぎにならなくてもいいのよ 。 」 
若い お母さん は 、 窓 ぎはから 子供 を 抱い て 立ちあがり まし た 。 毛布 は 暖かい ぬけ がら に なっ て 殘 り まし た 。 こども は 抱か れ た まま 、 やっぱり すやすや 睡っ て ゐ ます 。 
「 まあ 着せ とけ よ 。 どうせ おれ は 着 て なく たって 寒く ない ん だ から 。 」 お父さん は 立っ て 席 の 横 に 出 て 外套 を ぬぎ ながら 云 ひ まし た 。 
「 毛布 の 中 へ 包め ば いい よ 。 そら 。 」 
汽車 は 峠 の 頂上 に かかっ た らしく 、 青い 信 號燈 や 何 か が ぼんやり と 窓 の 外 を 過ぎ 、 こども は また 窓 の ところ に 、 前 より 少し うつむい て 置か れ まし た 。 深く 息 を し ながら やっぱ りす うすう 寢 て ゐ ます 。 
たしかに そこ は 峠 の 頂上 でし た 。 に はか に 汽車 の あ へぐ やう な 歩調 が なくなり 、 速 さ は 加 はり 、 まっしぐら に 傾斜 を 下っ て 行く らしい の でし た 。 
間もなく 電 燈 は さっと 明るく なり スティーム も 通っ て 來 て 、 暖かい 空 氣 が 窓 の 下 の 隅 から 紐 の やう に なっ て のぼっ て 來 まし た 。 若い お父さん と お母さん と は 安心 し て 、 また うとうと 睡り まし た 。 外 が 冷え て 來 たらしく 窓 は 湯 氣 が 凍りつい て 白く なり まし た 。 そして また 夢 の 合間 あ ひま に 、 電 燈 は まばゆい 蒼 孔雀 に 變 って 、 紋 の つい た 尾 翅 を ぎらぎら に のばし 、 その おいし さ う な こども を たべ た さ うに し たり 、 大事 さ うに し たり し まし た 。 
ごと ごと ごと ごと 汽車 は 走っ た の です 。 
そして いつか 汽車 は とまっ て ゐ まし た 。 
「 盛岡 、 五分 停車 、 盛岡 、 五分 停車 。 」 それ から カラコロセメント の 上 を かける 下駄 の 音 、 たしかに それ は 明方 でし た 。 
（ ふう 、 今朝 ず ゐ ぶん 冷える な 。 ） 犬 の 毛皮 を 着 たり 黒い マント を かぶっ たり し て 八 九 人 の 人 たち が どやどや 車 室 に 入っ て 來 まし た 。 その 人 たち の 頭巾 や えり 卷 に は 氷 が まっ白 な 毛 の やう に なっ て 結晶 し て ゐ て 、 ちょっと 見る と 山羊 の 毛 で も 飾りつけ て ある やう でし た 。 
いつか 窓 は すっかり 白く 明るく なり まし た 。 電 燈 も 水 の やう でし た 。 
「 夜 が 明け まし た わ ね 。 」 
「 うん 。 すっかり 睡っ ちゃっ た 。 」 
「 ここ 、 どこ で せ う 。 」 
「 盛岡 だら う 。 もう ぢ き 日 が 出る よ 。 ああ すっかり 睡っ ちゃっ た 。 」 
窓 はいち めん 蘭 か 何 か の 葉 の 形 を し た 氷 の 結晶 で 飾ら れ て ゐ まし た 。 
汽車 は たち 、 あちこち に 朝 の 新 らしい 會話 が 起り まし た 。 
（ へえ 、 けれども みそさざい なら 射 てる で せ う 。 ） 
（ いいえ 、 みそさざい の やう な 小さな 鳥 は 彈丸 で 形 も 何 も なくなり ます 。 ） 
窓 の 蘭 の 葉 の 形 の 結晶 の すき ま から 、 東 の そら の 琥珀 が 微か に 透い て 見え て 來 まし た 。 
「 七 時 ころ で ござい ませ う か 。 」 
「 丁度 七 時 だ よ 。 もう 七 時間 、 なかなか 長い ねえ 。 」 
子ども が 眼 を さまし て 舌 を 出し まし た 。 
「 おお 、 いい よ 。 泣か ない わ ね 。 ず ゐ ぶん ねんね し まし た ね 。 さあ お 乳 を あげ ます よ 。 よう っと 。 」 お母さん は 子ども を 抱き まし た 。 
「 そんなに 舌 を 出し て は ばけ て は いか ん 。 」 若い お父さん は トランク から 楊子 を 出し ながら 云 ひ まし た 。 
窓 は 暗く なっ たり 又 明るく なっ たり 汽車 は ごと ごと 走り まし た 。 
お父さん が 洗面 所 から 歸 って 來 まし た 。 
俄 か に さっと 窓 が 黄金 いろ に なり まし た 。 
「 まあ 、 お 日 さま が お 登り です わ 。 氷 が 北 極光 の 形 に 見え ます わ 。 」 
「 極光 か 。 この 結晶 は ゼラチン で 型 を そっくり とれる よ 。 」 
車 室 の 中 は ほん た うに 暖 いの でし た 。 
（ ここら で は 汽車 の 中 ぐらゐ 立派 な 家 は まあ ありゃ せ ん よ 。 ） 
（ やあ 全く 。 斯 うまる で 病院 の 手術 室 の やう に 暖か に し て あり ます し ね 。 ） 
窓 の 氷 から かすか に 青 ぞ ら が 透い て 見え まし た 。 
「 まあ 、 美しい 。 ほん た うに 氷 が 飾り 羽根 の やう です わ 。 」 
「 うん 奇麗 だ ね 。 」 
向 ふ の 横 の 方 の 席 に 腰かけ て ゐ た 線路 工夫 は 、 しばらく 自分 の 前 の その 氷 を 見 て ゐ まし た 。 それから 爪 で こつこつ 削げ まし た 。 それから 息 を かけ まし た 。 その すき と ほっ た 氷 の 穴 から 黝 ん だ 松林 と 薔薇色 の 雪 と が 見え まし た 。 
「 さあ 、 又 お 座り ね 。 」 こども は 又 窓 の 前 の 玉座 に 置か れ まし た 。 小さな 有平糖 の やう な 美しい 赤 と 青 の ぶち の 苹果 を 、 お父さん は こども に 持た せ まし た 。 
「 あら 、 この 子 の 頭 の とこ で 氷 が 後光 の やう に なっ て ます わ 。 」 若い お母さん は そっと 云 ひ まし た 。 若い お父さん は ちょっと そっち を 見 て 、 それ から 少し 泣く やう に わら ひ まし た 。 
「 この 子供 が 大きく なっ て ね 、 それ から まっすぐ に 立ちあがっ て あらゆる 生物 の ため に 、 無上 菩提 を 求める なら 、 その とき は 本 當 に その 光 が この 子 に 來 る の だ よ 。 それ は 私 たち に は 何だか ちょっと かなしい やう に も 思は れる けれども 、 もちろん さ う 祈ら なけれ ば なら ない の だ 。 」 
若い お母さん は だまっ て 下 を 向い て ゐ まし た 。 
こども は 苹果 を 投げる やう に し て バア と 云 ひ まし た 。 すっかり ひるま に なっ た の です 。 
この お はなし は 、 ず ゐ ぶん 北の方 の 寒い ところ から きれ ぎれに 風 に 吹きとばさ れ て 来 た の です 。 氷 が ひとで や 海月 や さまざま の お菓子 の 形 を し て ゐる 位 寒い 北の方 から 飛ばさ れ て やつ て 来 た の です 。 
十二月 の 二 十 六 日 の 夜 八 時 ベーリング 行 の 列車 に 乗 つて イーハトヴ を 発つ た 人 たち が 、 どんな 眼 に あつ たかき つと どなた も 知り たい で せ う 。 これ は その お はなし です 。 
ぜんたい 十二月 の 二 十 六 日 は イーハトヴ は ひどい 吹雪 でし た 。 町 の 空 や 通り はまる つ きり 白 だ か 水色 だ か 変 に ば さ ／ ＼ し た 雪 の 粉 で い つ ぱい 、 風 は ひつ きりなし に 電線 や 枯れ た ポプラ を 鳴らし 、 鴉 など も 半分 凍 つたや うに な つて ふら ／ ＼ と 空 を 流さ れ て 行き まし た 。 た ゞ 、 まあ 、 その 中 から 馬 そり の 鈴 の チリンチリン 鳴る 音 が 、 やつ と 聞える ので やつ ぱり 誰か 通 つて ゐる な と いふ こと が わかる の でし た 。 
ところが そんな ひどい 吹雪 で も 夜 の 八 時 に な つて 停車 場 に 行 つて 見 ます と 暖炉 の 火 は 愉快 に 赤く 燃え あがり 、 ベーリング 行 の 最大 急行 に 乗る 人 たち は もう その 前 に まつ 黒 に 立つ て ゐ まし た 。 
何せ 北極 の ぢ き 近く まで 行く の です から みんな は す つかり 用意 し て ゐ まし た 。 着物 は まるで 厚い 壁 の くら ゐ 着込み 、 馬 油 を 塗 つた 長靴 を はき トランク に まで 寒 さ で ひび が 入ら ない やう に 馬 油 を 塗 つて みんな ほう ／ ＼ し て ゐ まし た 。 
汽罐車 は もうす つかり 支度 が でき て 暖 さうな 湯気 を 吐き 、 客車 に は みな 明るく 電 燈 が ともり 、 赤い カーテン も おろさ れ て 、 プラツトホーム に まつ すぐ に ならび まし た 。 
『 ベーリング 行 、 午後 八 時 発車 、 ベーリング 行 。 』 一 人 の 駅 夫 が 高く 叫び ながら 待合室 に 入 つて 来 まし た 。 
すぐ 改札 の ベル が 鳴り みんな は わい ／ ＼ 切符 を 切 つて 貰 つて トランク や 袋 を 車 の 中 に かつぎ込み まし た 。 
間もなく パリパリ 呼子 が 鳴り 汽罐車 は 一つ ポー と ほえ て 、 汽車 は 一目散 に 飛び出し まし た 。 何せ ベーリング 行 の 最大 急行 です から 実に はやい もん です 。 見る 間 に その おし まひ の 二つ の 赤い 火 が 灰 いろ の 夜 の ふ ゞ きの 中 に 消え て しまひ まし た 。 こ ゝ まで は たしかに 私 も 知 つて ゐ ます 。 
列車 が イーハトヴ の 停車場 を はなれ て 荷物 が 棚 や 腰掛 の 下 に 片 附き 、 席 が す つかり きまり ます と みんな は ま づつくづくと 同じ 車 の 人 たち の 顔つき を 見 ま は し まし た 。 
一つ の 車 に は 十 五 人 ばかり の 旅客 が 乗 つて ゐ まし た が その まん中 に は 顔 の 赤い 肥 つた 紳士 が ど つ しり と 腰掛け て ゐ まし た 。 その 人 は 毛皮 を 一 杯 に 着込ん で 、 二 人前 の 席 を とり 、 アラスカ 金 の 大きな 指 環 を はめ 、 十 連発 の ぴかぴか する 素敵 な 鉄砲 を 持つ て いかにも 元気 さ う 、 声 も き つ と よほど がらがら し て ゐる に ち が ひ ない と 思は れ た の です 。 
近く に は やつ ぱり 似 た やう な なり の 紳士 たち が めいめい 眼鏡 を 外し たり 時計 を 見 たり し て ゐ まし た 。 どの人 も 大 へん 立派 でし た が まん中 の 人 に くらべ て は 少し 痩 て ゐ まし た 。 向 ふ の 隅 に は 痩 た 赤ひげ の 人 が 北極 狐 の やう に きよ とんと すまし て 腰 を 掛け こちら の 斜 か ひ の 窓 の そば に は かたい 帆布 の 上着 を 着 て 愉快 さ うに 自分 に だけ 聞える やう な 微か な 口笛 を 吹い て ゐる 若い 船乗り らしい 男 が 乗 つて ゐ まし た 。 その ほか 痩 て 眉 も 深く 刻み 陰気 な 顔 を 外套 の えり に 埋 て ゐる 人 さ つ ぱり 何 で も ない といふ やう に もう 睡り はじめ た 商人 風 の 人 など 三 四 人 居り まし た 。 
汽車 は 時々 素通り する 停車場 の 踏切 で が たつ と 横 に ゆれ ながら 一生けん命 ふ ゞ きの 中 を かけ まし た 。 しかし その 吹雪 も だ ん ／ ＼ を さまつ た の か それとも 汽車 が 吹雪 の 地方 を 越し た の か 、 まもなく みんな は 外 の 方 から 空気 に 圧し つけ られる やう な 気 が し 、 もう 外 で は 雪 が 降 つ て ゐ ない といふ やう に 思ひ まし た 。 黄いろ な 帆布 の 青年 は 立つ て 自分 の 窓 の カーテン を 上げ まし た 。 その カーテン の うし ろ に は 湯気 の 凍り付い た ぎらぎら の 窓 ガラス でし た 。 たしかに その 窓 ガラス は 変 に 青く 光 つて ゐ た の です 。 船乗り の 青年 は ポケツト から 小さな ナイフ を 出し て その 窓 の 羊歯 の 葉 の 形 を し た 氷 を ガリガリ 削り 落し まし た 。 
削り取ら れ た 分 の 窓 ガラス は つめたく て 実に よく 透 と ほり 向 ふ で は 山脈 の 雪 が 耿々 と ひかり 、 その 上 の 鉄 いろ を し た つめたい 空 に は まるで たつ た いま みがき を かけ た やう な 青い 月 が すき つ とか ゝ つて ゐ まし た 。 
野原 の 雪 は 青じろく 見え 煙 の 影 は 夢 の やう に かけ た の です 。 唐 檜 や と ゞ 松 が まつ 黒 に 立つ て ちらちら 窓 を 過ぎ て 行き ます 。 じ つと 外 を 見 て ゐる 若者 の 唇 は 笑 ふ やう に 又 泣く やう に かすか に うごき まし た 。 それ は 何 か月 に 話し掛け て ゐる か と も 思は れ た の です 。 みんな も しん として 何 か 考 へ 込ん で ゐ まし た 。 まん中 の 立派 な 紳士 も また 鉄砲 を 手 に 持つ て 何 か 考へ て ゐ ます 。 けれども 俄 に 紳士 は 立ちあがり まし た 。 鉄砲 を 大切 に 棚 に 載せ まし た 。 それから 大きな 声 で 向 ふ の 役人 らしい 葉巻 を く は へ て ゐる 紳士 に 話し掛け まし た 。 
『 何せ 向 ふ は 寒い だら う ね 。 』 
向 ふ の 紳士 が 答 へ まし た 。 
『 いや 、 それ は もう 当然 です 。 いくら 寒い と 云 つて も こ つ ちの は 相対 的 です が なあ 、 あつ ち は もう 絶対 です 。 寒 さ がち が ひ ます 。 』 
『 あなた は 何 べ ん 行 つ た ね 。 』 
『 私 は 今度 二 遍 目 です が 。 』 
『 どう だら う 、 わし の 防寒 の 設備 は 大丈夫 だら う か 。 』 
『 どれ 位 ご 支度 なさい まし た 。 』 
『 さあ 、 まあ イーハトヴ の 冬 の 着物 の 上 に 、 ラツコ 裏 の 内 外套 ね 、 海狸 の 中 外套 ね 、 黒 狐 表裏 の 外 外套 ね 。 』 
『 大丈夫 で せ う 、 ず ゐ ぶん い ゝ お 支度 です 。 』 
『 さ うだら う か 、 それから 北極 兄弟 商会 パテント の 緩慢 燃焼 外套 ね … … … 。 』 
『 大丈夫 です 』 
『 それから 氷河 鼠 の 頸 の とこ の 毛皮 だけ で こ さ へ た 上着 ね 。 』 
『 大丈夫 です 。 しかし 氷河 鼠 の 頸 の とこ の 毛皮 は ぜい沢 です な 。 』 
『 四 百 五 十 疋分 だ 。 どう だら う 。 こんな こと で 大丈夫 だら う か 。 』 
『 大丈夫 です 。 』 
『 わし はね 、 主 に 黒 狐 を とつ て 来る つもり な ん だ 。 黒 狐 の 毛皮 九 百 枚 持つ て 来 て みせる といふ かけ を し た ん だ 。 』 
『 さ う です か 。 えらい です な 。 』 
『 どう だ 。 祝盃 を 一杯 やら う か 。 』 紳士 は ステーム で だんだん 暖ま つ て 来 たらしく 外套 を 脱ぎ ながら ウヱスキー の 瓶 を 出し まし た 。 
す ぢ 向 ひで は さつき の 青年 が 額 を つめたい ガラス に あてる ばかり に し て 月 と オリオン と の 空 を じ つと ながめ 、 向 ふ 隅 で は あの 痩 た 赤 髯 の 男 が 眼 を き よろ き よ ろ さ せ て みんな の 話 を 聞きすまし 、 酒 を 呑み 出し た 紳士 の ま はり の 人 たち は 少し 羨まし さ うに この 豪勢 な 北 極 近く まで 猟 に 出かける 暢気 な 大将 を 見 て ゐ まし た 。 
毛皮 外套 を あんまり 沢山 もつ た 紳士 は もう ひとり の 外套 を 沢山 もつ た 紳士 と 喧嘩 を し まし た が その あと の 方 の 人 は た うとう 負 て 寝 た ふり を し て しまひ まし た 。 
紳士 は そこ で つ ゞ け さま に ウヰスキー の 小さな コツプ を 十 二 ばかり やり まし たら す つかり 酔ひ がま は つて もう 目 を 細く し て 唇 を なめ ながら そこら 中 の 人 に 見あたり 次第 くだ を 巻き はじめ まし た 。 
『 ね 、 おい 、 氷河 鼠 の 頸 の ところ の 毛皮 だけ だ ぜ 。 え ゝ 、 氷河 鼠 の 上等 さ 。 君 、 君 、 百 十 六 疋 の 分 なん だ 。 君 、 君 斯 う 見渡す と いふ と 外套 二 枚 ぐらゐのお 方 も ず ゐ ぶん ある やう だ が 外套 二 枚 ぢ や だめ だ ねえ 、 君 は 三 枚 だ から いい ね 、 けれども 、 君 、 君 、 君 の その 外套 は 全体 それ は 毛 ぢ や ない よ 。 君 は さつき モロツコ 狐 だ とか 云 つ た ねえ 。 どうして どうして ちや ん と わかる よ 。 それ は ほんと の 毛 ぢ や ない よ 。 ほん と の 毛皮 ぢ や ない ん だ よ 』 
『 失敬 な こと を 云 ふ な 。 失敬 な 』 
『 い ゝ や 、 ほん と の こと を 云 ふ が ね 、 たしかに それ は にせもの だ 。 絹糸 で 拵 へ たん だ 』 
『 失敬 な やつ だ 。 君 は それでも 紳士 かい 』 
『 い ゝ よ 。 僕 は 紳士 で も せり 売 屋 で も 何で もい ゝ 。 君 の その 毛皮 は にせもの だ 』 
『 野 蕃 な やつ だ 。 実に 野 蕃 だ 』 
『 い ゝ よ 。 おこる な よ 向 ふ へ 行 つて 寒 かつ たら 僕 の とこ へ おいで 』 
『 頼ま ない 』 
よそ の 紳士 は す つかり ぶり ／ ＼ し て それでも きまり 悪 さ うに やはり うつ ／ ＼ 寝 た ふり を し まし た 。 
氷河 鼠 の 上着 を 有 つた 大将 は 唇 を なめ ながら ま はり を 見 ま は し た 。 
『 君 、 おい 君 、 その 窓 の ところ の お 若い の 。 失敬 だ が 君 は 船乗り か ね 』 
若者 は やつ ぱり 外 を 見 て ゐ まし た 。 月 の 下 に は まつ 白 な 蛋白石 の やう な 雲 の 塊 が 走 つ て 来る の です 。 
『 おい 、 君 、 何と 云 つて も 向 ふ は 寒い 、 その 帆布 一 枚 ぢ や とても やり 切れ た もん ぢ や ない 。 けれども 君 は なか ／ ＼ 豪儀 な とこ が ある 。 よろしい 貸 て やら う 。 僕 の を 一 枚 貸 て やら う 。 さ うし よう 』 
けれども 若者 は そんな 言 が 耳 に も 入ら ない といふ やう でし た 。 つめたく 唇 を 結ん で まるで オリオン 座 の とこ の 鋼 いろ の 空 の 向 ふ を 見透かす やう な 眼 を し て 外 を 見 て ゐ まし た 。 
『 ふん 。 バースレー か ね 。 黒 狐 だ よ 。 なかなか 寒い から ね 、 おい 、 君 若い お方 、 失敬 だ が 外套 を 一 枚 お 貸 申す と しよ う ぢ や ない か 。 黄いろ の 帆布 一 枚 ぢ や どうして どうして 零下 の 四 十 度 を 防ぐ も なに も でき やし ない 。 黒 狐 だ から 。 おい 若い お方 。 君 、 君 、 おい なぜ 返事 せ ん か 。 無礼 な やつ だ 君 は 我輩 を 知ら ん か 。 わし はね イーハトヴ の タイチ だ よ 。 イーハトヴ の タイチ を 知ら ん か 。 こんな 汽車 へ 乗る ん ぢ や なかつ た な 。 わし の 持 船 で 出かけ たら だま つて 殿さま で 通る ん だ 。 ひとり で 出掛け て 黒 狐 を 九 百 疋 と つて 見せる なんて 下らない かけ を し た もん さ 』 
こんな 馬鹿げ た 大きな 子供 の 酔 どれ を もう 誰 も 相手 に し ませ ん でし た 。 みんな 眠る か 睡る 支度 でし た 。 きちんと 起き て ゐる の は さつき の 窓 の そば の 一 人 の 青年 と 客車 の 隅 で しきりに 鉛筆 を なめ ながら きよ とき よ と 聴き 耳 を たて て 何 か 書きつけ て ゐる あの 痩 た 赤 髯 の 男 だけ でし た 。 
『 紅茶 は いか ゞ です か 。 紅茶 は いか ゞ です か 』 
白 服 の ボーイ が 大きな 銀 の 盆 に 紅茶 の コツプ を 十 ばかり 載せ て しづか に 大股 に やつ て 来 まし た 。 
『 おい 、 紅茶 を おくれ 』 イーハトヴ の タイチ が 手 を のばし まし た 。 ボーイ は からだ を か ゞ め て すばやく 一つ を 渡し 銀貨 を 一 枚 受け取り まし た 。 
その とき 電 燈 が すう つと 赤く 暗く なり まし た 。 
窓 は 月 の あかり で まるで 螺鈿 の やう に 青 びかりみんなの 顔 も 俄 に 淋しく 見え まし た 。 
『 まつ くら で ござん す な おばけ が 出さ う 』 ボーイ は 少し 屈ん で あの 若い 船乗り の のぞい て ゐる 窓 から ちよ つと 外 を 見 ながら 云 ひ まし た 。 
『 おや 、 変 な 火 が 見える ぞ 。 誰か か がり を 焚い てる な 。 を かしい 』 
この 時 電 燈 が またす つ と つき ボーイ は 又 
『 紅茶 は いかが です か 』 と 云 ひ ながら 大股 に そして 恭しく 向 ふ へ 行き まし た 。 
これ が 多分 風 の 飛ばし て よこし た 切れ切れ の 報告 の 第 五 番目 に あたる の だら う と 思ひ ます 。 
夜 が す つかり 明け て 東側 の 窓 が まばゆく まつ 白 に 光り 西側 の 窓 が 鈍い 鉛 色 に なつ た とき 汽車 が 俄 に とまり まし た 。 みんな 顔 を 見合せ まし た 。 
『 どう し た ん だら う 。 まだ ベーリング に 着く 筈 が ないし 故障 が でき た ん だら う か 。 』 
その とき 俄 に 外 が が や ／ ＼ し て それ から いきなり 扉 が が たつ と 開き 朝日 は ビール の やう に ながれ 込み まし た 。 赤ひげ が まるで 違 つた 物凄い 顔 を し て ピカ ／ ＼ する ピストル を つきつけ て は ひつ て 来 まし た 。 
その あと から 二 十 人 ばかり の すさまじい 顔つき を し た 人 が どうも それ は 人 と いふ より は 白熊 と い つ た 方 が い ゝ やう な 、 いや 、 白熊 と いふ より は 雪 狐 と 云 つた 方 が いい やう な すてき に も く ／ ＼ し た 毛皮 を 着 た 、 いや 、 着 た と いふ より は 毛皮 で 皮 が でき てる という た 方 が い ゝ やう な 、 もの が 変 な 仮面 を か ぶつ た えり 巻 を 眼 まで 上げ たり し て まつ 白 な いき を ふう ／ ＼ 吐き ながら 大きな ピストル を みんな 握 つて 車 室 の 中 に は ひつ て 来 まし た 。 
先登 の 赤ひげ は 腰かけ に うつむい て まだ 睡 つて ゐ た ゆ ふ べ の 偉 らい 紳士 を 指さし て 云 ひ まし た 。 
『 こいつ が イーハトヴ の タイチ だ 。 ふらち な やつ だ 。 イーハトヴ の 冬 の 着物 の 上 に ね ラツコ 裏 の 内 外套 と 海狸 の 中 外套 と 黒 狐 裏表 の 外 外套 を 着よ う と いふ ん だ 。 おまけ に パテント 外套 と 氷河 鼠 の 頸 の とこ の 毛皮 だけ で こ さ へ た 上着 も 着よ う といふ やつ だ 。 これから 黒 狐 の 毛皮 九 百 枚 とる と ぬかす ん だ 、 叩き起せ 。 』 
二 番目 の 黒 と 白 の 斑 の 仮面 を か ぶつ た 男 が タイチ の 首 す ぢ を つかん で 引きずり 起し まし た 。 残り の もの は 油断 なく 車 室 中 に ピストル を 向け て にらみつけ て ゐ まし た 。 
三 番目 の が 云 ひ まし た 。 
『 おい 、 立て 、 き さ ま こいつ だ な あの 電気 網 を テルマ の 岸 に 張ら せ や が つた やつ は 。 連れ て かう 』 
『 うん 、 立て 。 さあ 立て いや な つら を し てる なあ さあ 立て 』 
紳士 は 引つ たて られ て 泣き まし た 。 ドア が あけ て ある ので 室 の 中 は 俄 に 寒く あつ ち で も こ つ ち で も クシヤンクシヤン と まじめ 腐 つ たくし やみ の 声 が し まし た 。 
二 番目 が し つかり タイチ を つかま へ て 引つ ぱつて 行か う と し ます と 三 番目 の は まだ 立つ たま ゝ きよ ろ きよ ろ 車中 を 見 ま は し まし た 。 
『 外 に は ない か 。 そこ の とこ に 居る やつ も 毛皮 の 外套 を 三 枚 持つ てる ぞ 』 
『 ち が ふち が ふ 』 赤ひげ は せ は しく 手 を 振 つて 云 ひ まし た 。 『 ち が ふよ 。 あれ は ほんと の 毛皮 ぢ や ない 絹糸 で こ さ へ たん だ 』 
『 さ う か 』 
ゆ ふ べ の その 外套 を ほんと の モロツコ 狐 だ と 云 つた 人 は 変 な 顔 を し て し や ち ほこ ばつ て ゐ まし た 。 
『 よし 、 さあ では 引きあげ 、 おい 誰 でも おれ たち が この 車 を 出 ない うち に 一 寸 でも 動い た やつ は 胸 に スポン と 穴 を あける から 、 さ う 思へ 』 
その 連中 は ぢ り ぢ り と あと 退り し て 出 て 行き まし た 。 
そして 一 人 づつだんだん 出 て 行 つて おし まひ 赤ひげ が こ つ ち へ ピストル を 向け ながら せ なか で タイチ を 押す やう に し て 出 て 行か う と し まし た 。 タイチ は 髪 を ば ちや ば ちや に し て 口 を びくびく まげ ながら 前 から は ひつ ぱられうしろからは 押さ れ て もう 扉 の 外 へ 出さ う に なり まし た 。 
俄 に 窓 の とこ に 居 た 帆布 の 上着 の 青年 が まるで 天井 に ぶつ つかる 位 のろし の やう に 飛び あがり まし た 。 
ズドン 。 ピストル が 鳴り まし た 。 落ち た の はた ゞ の 黄いろ の 上着 だけ でし た 。 と 思 つ たら あの 赤ひげ が もう 足 を すく つ て 倒さ れ 青年 は 肥 つた 紳士 を 又 車 室 の 中 に 引つ ぱり 込ん で 右手 に は 赤ひげ の ピストル を 握 つて 凄い 顔 を し て 立つ て ゐ まし た 。 
赤ひげ が やつ と 立ちあがり まし たら 青年 は し つかり その えり 首 を つかみ ピストル を 胸 に つきつけ ながら 外 の 方 へ 向い て 高く 叫び まし た 。 
『 おい 、 熊 ども 。 き さま ら の し た こと は 尤も だ 。 けれども な おれ たち だ つて 仕方 ない 。 生き て ゐる に は きもの も 着 なけ あ いけ ない ん だ 。 お ま へ たち が 魚 を とる やう な もん だ ぜ 。 けれども あんまり 無法 な こと は これから 気 を 付ける やう に 云 ふか ら 今度 は ゆるし て 呉れ 。 ちよ つと 汽車 が 動い たら おれ の 捕虜 に し た この 男 は 返す から 』 
『 わかつ た よ 。 すぐ 動かす よ 』 外 で 熊 ども が 叫び まし た 。 
『 レール を 横 の 方 へ 敷い た ん だ な 』 誰 か が 云 ひ まし た 。 
氷 が がりがり 鳴 つ たり ばたばた かけ ま はる 音 が し たり し て 汽車 は 動き出し まし た 。 
『 さあ けが を し ない やう に 降りる ん だ 』 船乗り が 云 ひ まし た 。 赤ひげ は 笑 つて ちよ つと 船乗り の 手 を 握 つて 飛び降り まし た 。 
『 そら 、 ピストル 』 船乗り は ピストル を 窓 の 外 へ は ふり 出し まし た 。 
『 あの 赤ひげ は 熊 の 方 の 間諜 だ つ た ね 』 誰 か が 云 ひ まし た 。 わか もの は 又 窓 の 氷 を 削り まし た 。 
氷山 の 稜 が 桃色 や 青 や ぎらぎら 光 つて 窓 の 外 に ぞ ろ つと なら んで ゐ た の です 。 これ が 風 の とばし て よこし た お話 の おし まひ の 一 切れ です 。 
石ヶ森 の 方 は 硬く て 瘠せ て 灰色 の 骨 を 露 はし 大森 は 黒く 松 を こめ ぜいたく さ うに 肥っ て ゐる が 実は どっち も 石英 安山岩 だ 。 
丘 は うし ろ で あつまっ て 一つ の 平ら を こし ら へる 。 
もう 暮れ 近く 草 が そよぎ 防火 線 も さびしい の だ 。 地図 を たより も さびしい こと だ 。 
沼森 平 といふ もの も なかなか 広い 草 っ 原 だ 。 何 でも 早く ま はっ て 行っ て 沼森 の やつ の 脚 に か ゝ り それから ぐるっと 防火 線 沿 ひ 、 帰っ て 行っ て 麓 の 引湯 に ぐったり 今夜 は 寝 て やる ぞ 。 
何 といふ これ は しづか な こと だら う 。 
落葉松 など 植え た もん だ 。 まるで どこ か の 庭 ま へ だ 。 何 といふ 立派 な 山 の 平 だら う 。 草 は 柔らか 向 ふ の 小松 は まばら です 、 そら は ひろびろ 天 も 近く 落葉松 など 植え た もん だ 。 
はてな 、 あいつ が 沼森 か 、 沼森 だ 。 坊主 頭 め 、 山山 は 集 ひ て 青き 原 を なす さ て その 上 の 丘 の さびしさ 。 ふん 。 沼森 め 。 
これ は いか ん ぞ 。 沼 炭 だ ぞ 、 泥炭 が ある ぞ 、 さて こそ この 平 は もと 沼 だっ た な 、 道理 で むやみ に 陰気 な やう だ 。 洪 積 ごろ の 沼 の 底 だ 。 泥 炭層 を 水 が ちょろちょろ 潜っ て ゐる 。 全体 あんまり 静か すぎる 、 おまけ に 無 暗に 空 が 暗く なっ て 来 た 。 もう 夕暮 も 間近い ぞ 。 柏 の 踊り も 今時 だめ だ 、 まばら の 小松 も 緑青 を 噴く 。 
沼森 が すぐ 前 に 立っ て ゐる 。 やっぱり これ も 岩 頸 だ 。 どうせ 石英 安山岩 、 いや に 響く な こいつ め は 。 いや に カンカン 云 ひ や がる 。 とにかく これ は 石ヶ森 と は 血統 が 非常 に 近い もの な の だ 。 
それ はい ゝ が さ 沼森 め なぜ 一体 坊主 なんぞ に なっ た の だ 。 えい ぞっと する 　 気味 の 悪い やつ だ 。 この 草 は な 、 この 草 は な 、 こ ぬ かぐ さ 。 風 に 吹か れ て 穂 を 出し て 烟っ て 実に 憐れ に 見える ぢ ゃないか 。 
なぜ さ う こっち を にらむ の だ 、 う しろから 。 
何 も 悪い こと し ない ぢ ゃないか 。 まだ にらむ の か 、 勝手 に しろ 。 
柏 は ざらざら 雲 の 波 、 早く も 黄 びかりうすあかり 、 その 丘 の いかり は われ も 知り たれ ど さ あら ぬ さま に 草むしり 行く 、 もう 夕方 だ 、 はて 、 この 沼 は まさか 地図 に も ある 筈 だ 。 も し なかっ たら 大 へん ぞ 。 全く 別 の 世界 だ ぞ 、 
気 を 落ちつけ て （ 黄 の ひかり ） ある ある 、 ある に は 有る が あの 泥炭 を つくっ た やつ の 甥 か 孫 だ ぞ 、 黄 の ひかり うす あかり 鳴れ 鳴れ かし は 。 
これ が 今日 の おしまい だろ う 、 と 云い ながら 斉田 は 青じろい 薄明 の 流れ はじめ た 県道 に 立っ て 崖 に 露出 し た 石英 斑 岩 から 一 かけ の 標本 を とっ て 新聞紙 に 包ん だ 。 
富沢 は 地図 の その 点 に 橙 を 塗っ て 番号 を 書き ながら 読ん だ 。 斉田 は それ を 包み の 上 に 書きつけ て 背嚢 に 入れ た 。 
二 人 は 早く 重い 岩石 の 袋 を おろし た さ に あと は だまっ て 県道 を 北 へ 下っ た 。 
道 の 左 に は 地図 に ある 通り の 細い 沖積 地 が 青 金 の 鉱山 を 通っ て 来る 川 に 沿っ て 青く けむっ た 稲 を 載せ て 北 へ 続い て い た 。 山の上 で は 薄明 穹 の 頂 が 水色 に 光っ た 。 俄 か に 斉田 が 立ちどまっ た 。 道 の 左側 が 細い 谷 に なっ て い て その 下 で 誰 か が 屈ん で 何 か し て い た 。 見る と そこ は きれい な 泉 に なっ て い て 粘板岩 の 裂け目 から 水 が あくまで 溢れ て い た 。 
（ 一寸 お たずね いたし ます が 、 この 辺 に 宿屋 が ある そう です が どっち でしょ う か 。 ） 
浴衣 を 着 た 髪 の 白い 老人 で あっ た 。 その 着こなし も 風采 も 恩給 でも とっ て いる 古い 役人 という 風 だっ た 。 蕗 を 泉 に 浸し て い た の だ 。 
（ 宿屋 ここら に あり ませ ん 。 ） 
（ 青 金 の 鉱山 で きい て 来 た の です が 、 何 でも 鉱山 の 人 たち など も 泊める そう で 。 ） 
老人 は だまっ て しげしげと 二 人 の 疲れ た なり を 見 た 。 二 人 とも 巨 き な 背嚢 を しょっ て 地図 を 首 から かけ て 鉄槌 を 持っ て いる 。 そして まだ まるで の 子供 だ 。 
（ どっち から お出で に なり まし た 。 ） 
（ 郡 から 土 性 調査 を たのま れ て 盛岡 から 来 た の です が 。 ） 
（ 田畑 の 地味 の お 調べ です か 。 ） 
（ まあ そんな こと で 。 ） 
老人 は 眉 を 寄せ て しばらく 群 青い ろ に 染まっ た 夕 ぞ ら を 見 た 。 それから じつに 不思議 な 表情 を し て 笑っ た 。 
（ 青 金 で 誰 か 申し上げ た の は うち の こと です が 、 何分 汚 ない し 、 いろいろ 失礼 ばかり ある ので 。 ） （ いいえ 、 何 も いら ない ので 。 ） 
（ それでは その みち を おい で ください 。 ） 
老人 は わずか に 腰 を まげ て 道 と 並行 に そのまま 谷 を さ がっ た 。 五 、 六 歩 行く と そこ に すぐ 小さな 柾 屋 が あっ た 。 みち から 一間 ばかり 低く なっ て 蘆 を こっち が わに 塀 の よう に 編ん で 立て て い た ので いま まで 気がつか なかっ た の だ 。 老人 は 蘆 の 中 に つくら れ た 四角 な くぐり を 通っ て 家 の 横 に 出 た 。 二 人 は みち から 家 の 前 に おり た 。 
（ とき 、 とき 、 お湯 持っ て 来 。 ） 老人 は 叫ん だ 。 家 の なか は しん として 誰 も 返事 を し なかっ た 。 けれども 富沢 は その 夕 暗 と 沈黙 の 奥 で 誰 か が じっと 息 を こらし て 聴き 耳 を たて て いる の を 感じ た 。 
（ いま お湯 を もっ て 来 ます から 。 ） 老人 はじ ぶん で とり に 行く 風 だっ た 。 （ いいえ 。 さっき の 泉 で 洗い ます から 、 下駄 を お 借り し て 。 ） 老人 は 新 らしい 山 桐 の 下駄 とも 一つ 縄 緒 の 栗 の 木 下駄 を 気の毒 そう に 一つ もっ て 来 た 。 
（ どうも こんな 下駄 で 。 ） （ いいえ もう 結構 で 。 ） 
二 人 は わらじ を 解い て それ から ほこり で いっぱい に なっ た 巻 脚絆 を たたい て 巻き 俄 か に 痛む 膝 を まげる よう に し て 下駄 を もっ て 泉 に 行っ た 。 泉 は まるで 一つ の 灌漑 の 水路 の よう に 勢 よく 岩 の 間 から 噴き 出 て い た 。 斉田 は つくづく かがん で その 暗く なっ た 裂け目 を 見 て 云っ た 。 （ 断層 泉 だ な 。 ） （ そう か 。 ） 
富沢 は 蕗 を つけ て ある 下 の ところ に 足 を 入れ て シャツ を ぬい で 汗 を ふき ながら 云っ た 。 
頭 を 洗っ たり 口 を そそい だり し て 二 人 は さっき の くぐり を 通っ て 宿 へ 帰っ て 来 た 。 その 煤け た 天 照 大神 と 書い た 掛物 の 床の間 の 前 に は 小さな ランプ が つい て 二 枚 の 木綿 の 座布団 が さびしく 敷い て あっ た 。 向う は すぐ 台所 の 板の間 で 炉 が 切っ て あっ て 青い 煙 が あがり その間 に は わずか に 低い 二 枚 折 の 屏風 が 立っ て い た 。 
二 人 は そこ に あっ た もみ くし ゃの 単 衣 を 汗 の つい た シャツ の 上 に 着 て 今日 の 仕事 の 整理 を はじめ た 。 富沢 は 色鉛筆 で 地図 を 彩り 直し たり 、 手帳 へ 書き込ん だり し た 。 斉田 は 岩石 の 標本 番号 を あらためて 包み 直し たり レッテル を 張っ たり し た 。 そして すっかり 夜 に なっ た 。 
さっき から 台所 で こと こと やっ て い た 二 十 ばかり の 眼 の 大きな 女 が きまり 悪 そう に 夕食 を 運ん で 来 た 。 その 剥げ た 薄い 膳 に は 干し た 川 魚 を 煮 た 椀 と 幾 片 か の 酸 え た 塩漬け の 胡瓜 を 載せ て い た 。 二 人 は かわるがわる 黙っ て 茶 椀 を 替え た 。 
（ この 家 は あの おじいさん と 今 の 女 の 人 と 二 人 切り な よう だ な 。 ） 膳 が 下げ られ て 疲れ 切っ た よう に ねそべり ながら 斉田 が 低く 云っ た 。 
（ うん 。 あの 女 の 人 は 孫娘 らしい 。 亭主 は きっと 礦山 へ で も 出 て いる の だろ う 。 ） ひる の 青 金 の 黄銅 鉱 や 方解石 に 柘榴 石 の まじっ た 粗 鉱 の 堆 を 考え ながら 富沢 は 云っ た 。 女 は また 入っ て 来 た 。 そして 黙っ て 押入れ を あけ て 二 枚 の うす べり とい の 角 枕 を ならべ て 置い て また 台所 の 方 へ 行っ た 。 
二 人 は すっかり 眠る 積り で も なし に そこ へ 長く なっ た 。 そして そのまま うとうと し た 。 
ダーダーダーダーダースコダーダー 
強い 老人 らしい 声 が 剣舞 の 囃し を 叫ぶ の に びっくり し て 富沢 は 目 を さまし た 。 台所 の 方 で 誰 か 三 、 四 人 の 声 が がやがや し て いる その なか で いま の 声 が し た の だ 。 
ランプ が いつか 心 を すっかり 細め られ て 障子 に は 月 の 光 が 斜め に 青じろく 射し て いる 。 盆 の 十 六 日 の 次 の 夜 な ので 剣舞 の 太鼓 でも 叩い た じいさん ら な の か それとも さっき の この うち の 主人 な の か どっち と も わから なかっ た 。 
（ 踊り はねる も 三 十 が し まいっ て 、 さ 。 あんまり じ さま の 浮かれ だ の も 見 だ ぐなぃもんさ 。 ） むっと し た よう な 慓悍 な 三 十 台 の 男 の 声 が し た 。 そして しばらく しん と し た 。 
（ 雀 百 まで 踊り 忘れ ず で さ 。 ） さっき の 女らしい 細い 声 が 取りなし た 。 
（ 女 引 ぱりも 百 まで さ 。 ） また その 慓悍 な 声 が 刺す よう に 云っ た 。 そして また しん と し た 。 そして 心配 そう な 息 を こく り と のむ 音 が 近く に し た 。 富沢 は 蚊帳 の 外 に ここ の 主人 が 寝 ながら じっと 台所 の 方 へ 耳 を すまし て いる の を 半分 夢 の よう に 見 た 。 
（ さあ 帰っ て 寝る か な 。 もっ 切り 二 っ つ だ な 。 そい で ぁこいづと 。 ） （ 戻る すか 。 ） さっき の 女 の 声 が し た 。 こっち で は きせる を たん たん 続け て 叩い て い た 。 （ 亦 来る べ ぃさ 。 ） 何だか 哀れ に 云っ て 外 へ 出 た らしい 音 が し た 。 
あと は もう 聞え ない くらい の 低い 物言い で 隣り の 主人 から は 安心 に 似 た よう な しずか な 波動 が だんだん はっきり なっ た 月あかり の なか を 流れ て 来 た 。 そして 富沢 は また とろとろ し た 。 次々 うつる ひる の たくさん の 青い 山々 の 姿 や 、 きらきら 光る も や の 奥 を 誰 か が 高く 歌 を 歌い ながら 通っ た と 思っ たら 富沢 は また 弱く 呼び さまさ れ た 。 お もて の 扉 を 誰 か 酔っ た もの が 歌い ながら 烈しく 叩い て い て 主人 が 「 返事 する な 、 返事 する な 。 」 と 低く 娘 に 云っ て い た 。 さっき の 男 も 帰っ て 娘 も どこ か に 寝 て いる らしかっ た 。 「 寝 た の か 、 まだ 明る ぞ 。 起きろ 。 」 
外 で は また はげしく どなっ た 。 
（ ああ こんなに 眠ら なく て は 明日 の 仕事 が ひどい 。 ） 富沢 は 思い ながら 床の間 の 方 に い た 斉田 を 見 た 。 
斉田 も はっきり 目 を あい て い て 低く 鉱夫 だ な と 云っ た 。 富沢 は 手 を ふっ て 黙っ て いろ と 云っ た 。 こんな とき もの を 云う の は 老人 に どうしても 気の毒 で たまらなかっ た 。 
外 で は いよいよ 暴れ出し た 。 とうとう 娘 が 屏風 の 向う で 起き た 。 そして （ 酔っ た ぐれ 、 大 きらい だ 。 ） と どうやら こっち を 見 ながら わびる よう に 誘う よう に なまめかしく 呟い た 。 そして 足音 も なく 土間 へ おり て 戸 を あけ た 。 外 で は すぐ しずまっ た 。 女 は いろいろ 細い 声 で 訴える よう に し て い た 。 男 は 酔っ て い ない よう な 声 で みじかく 何 か 訊き かえし たり し て い た 。 それ から 二 人 は しばらく 押問答 を し て い た が 間もなく 一 人 と も つか ず 二 人 と も つか ず 家 の なか に は いっ て 来 て わずか に 着物 の うごく 音 など し た 。 そして いっぱい に 気兼ね や 恥 で 緊張 し た 老人 が 悲しく こく り と 息 を 呑む 音 が また し た 。 
二 人 の 若い 紳士 が 、 す つかり イギリス の 兵隊 の かたち を し て 、 ぴか ／ ＼ する 鉄砲 を かつい で 、 白熊 の やう な 犬 を 二 疋 つれ て 、 だいぶ 山奥 の 、 木の葉 の かさ ／ ＼ し た とこ を 、 こんな こと を 云 ひ ながら 、 あるい て を り まし た 。 
「 ぜんたい 、 こ ゝ ら の 山 は 怪しから ん ね 。 鳥 も 獣 も 一疋 も 居 や がらん 。 なん でも 構 は ない から 、 早く タンタアーン と 、 やつ て 見 たい もん だ なあ 。 」 
「 鹿 の 黄いろ な 横 つ 腹 なんぞ に 、 二 三 発 お見舞 まう し たら 、 ず ゐ ぶん 痛快 だら う ねえ 。 くる ／ ＼ ま はつ て 、 それから ど たつ と 倒れる だら う ねえ 。 」 
それ は だいぶ の 山奥 でし た 。 案内 し て き た 専門 の 鉄砲 打ち も 、 ちよ つと まごつい て 、 どこ か へ 行 つて し まつ たくら ゐ の 山奥 でし た 。 
それに 、 あんまり 山 が 物凄い ので 、 その 白熊 の やう な 犬 が 、 二 疋 いつ しよ に め まひ を 起し て 、 しばらく 吠 つて 、 それから 泡 を 吐い て 死ん で しまひ まし た 。 
「 じつに ぼく は 、 二 千 四 百 円 の 損害 だ 」 と 一 人 の 紳士 が 、 その 犬 の 眼 ぶた を 、 ちよ つと か へ し て み て 言 ひ まし た 。 
「 ぼく は 二 千 八 百 円 の 損害 だ 。 」 と 、 も ひとり が 、 くやし さ うに 、 あ たま を まげ て 言 ひ まし た 。 
はじめ の 紳士 は 、 すこし 顔 いろ を 悪く し て 、 じ つと 、 も ひとり の 紳士 の 、 顔つき を 見 ながら 云 ひ まし た 。 
「 ぼく は もう 戻ら う とお も ふ 。 」 
「 さあ 、 ぼく もち や うど 寒く はなつ たし 腹 は 空い て き た し 戻ら う とお も ふ 。 」 
「 そい ぢ や 、 これ で 切りあげ やう 。 なあに 戻り に 、 昨日 の 宿屋 で 、 山鳥 を 拾 円 も 買 つて 帰れ ば い ゝ 。 」 
「 兎 も で て ゐ た ねえ 。 さ う すれ ば 結局 おんなじ こ つ た 。 で は 帰ら う ぢ や ない か 」 
ところが どうも 困 つ た こと は 、 ど つ ち へ 行け ば 戻れる の か 、 いつか う 見当 が つか なく な つて ゐ まし た 。 
風 が どう と 吹い て き て 、 草 は ざわざわ 、 木の葉 は かさかさ 、 木 は ご とんご とんと 鳴り まし た 。 
「 どうも 腹 が 空い た 。 さつき から 横 つ 腹 が 痛く て たまらない ん だ 。 」 
「 ぼく も さ う だ 。 もう あんまり あるき たく ない な 。 」 
「 あるき たく ない よ 。 あゝ 困 つ た なあ 、 何 か たべ たい なあ 。 」 
「 喰 べ たい もん だ なあ 」 
二 人 の 紳士 は 、 ざわざわ 鳴る すゝ きの 中 で 、 こんな こと を 云 ひ まし た 。 
その 時 ふとう しろ を 見 ます と 、 立派 な 一 軒 の 西洋 造り の 家 が あり まし た 。 
そして 玄関 に は 
RESTAURANT 
西洋 料理 店 
WILDCAT   HOUSE 
山猫 軒 
といふ 札 が で て ゐ まし た 。 
「 君 、 ちやう どい ゝ 。 こ ゝ は これ で なかなか 開け てる ん だ 。 入ら う ぢ や ない か 」 
「 おや 、 こんな とこ に を かしい ね 。 しかし とにかく 何 か 食事 が できる ん だら う 」 
「 もちろん できる さ 。 看板 に さ う 書い て ある ぢ や ない か 」 
「 は いらう ぢ や ない か 。 ぼく は もう 何 か 喰 べ たく て 倒れ さ うなん だ 。 」 
二 人 は 玄関 に 立ち まし た 。 玄関 は 白い 瀬戸 の 煉瓦 で 組ん で 、 実に 立派 な もん です 。 
そして 硝子 の 開き戸 が たつ て 、 そこ に 金 文字 でかう 書い て あり まし た 。 
「 どなた も どう かお 入り ください 。 決して ご 遠慮 は あり ませ ん 」 
二 人 は そこで 、 ひどく よろこん で 言 ひ まし た 。 
「 こいつ は どう だ 、 やつ ぱり 世の中 は うまく でき てる ねえ 、 け ふ 一 日 な ん ぎし た けれど 、 こんど は こん ない ゝ こと も ある 。 この うち は 料理 店 だ けれども た ゞ で ご馳走 する ん だ ぜ 。 」 
「 どう もさ う らしい 。 決して ご 遠慮 は あり ませ ん といふ の は その 意味 だ 。 」 
二 人 は 戸 を 押し て 、 なか へ 入り まし た 。 そこ は すぐ 廊下 に な つて ゐ まし た 。 その 硝子 戸 の 裏側 に は 、 金 文字 で かう な つて ゐ まし た 。 
「 ことに 肥 つたお 方 や 若い お方 は 、 大 歓迎 いたし ます 」 
二 人 は 大 歓迎 と いふ ので 、 もう 大 よろこび です 。 
「 君 、 ぼく ら は 大 歓迎 に あ たつ て ゐる の だ 。 」 
「 ぼく ら は 両方 兼ね てる から 」 
ずんずん 廊下 を 進ん で 行き ます と 、 こんど は 水 いろ の ペンキ 塗り の 扉 が あり まし た 。 
「 どうも 変 な 家 だ 。 どうして こんなに たくさん 戸 が ある の だら う 。 」 
「 これ は ロシア 式 だ 。 寒い とこ や 山 の 中 は みんな か うさ 。 」 
そして 二 人 は その 扉 を あけよ う と し ます と 、 上 に 黄いろ な 字 でかう 書い て あり まし た 。 
「 当 軒 は 注文 の 多い 料理 店 です から どうか そこ は ご 承知 ください 」 
「 なかなか は やつ てる ん だ 。 こんな 山 の 中 で 。 」 
「 それ あさう だ 。 見 たま へ 、 東京 の 大きな 料理 屋 だ つて 大通り に は すく ない だら う 」 
二 人 は 云 ひ ながら 、 その 扉 を あけ まし た 。 すると その 裏側 に 、 
「 注文 はず ゐ ぶん 多い で せ う が どうか 一々 こらえ て 下さい 。 」 
「 これ は ぜんたい どう いふ ん だ 。 」 ひとり の 紳士 は 顔 を しかめ まし た 。 
「 うん 、 これ は き つ と 注文 が あまり 多く て 支度 が 手間取る けれども ごめん 下さい と 斯 う いふ こと だ 。 」 
「 さ うだら う 。 早く どこ か 室 の 中 に は ひり たい もん だ な 。 」 
「 そして テーブル に 座り たい もん だ な 。 」 
ところが どうも うるさい こと は 、 また 扉 が 一つ あり まし た 。 そして その わき に 鏡 が か ゝ つて 、 その 下 に は 長い 柄 の つい た ブラシ が 置い て あつ た の です 。 
扉 に は 赤い 字 で 、 
「 お客 さま が た 、 こ ゝ で 髪 を きちんと し て 、 それ から は きもの 
の 泥 を 落し て ください 。 」 
と 書い て あり まし た 。 
「 これ は どうも 尤も だ 。 僕 も さつき 玄関 で 、 山 の なか だ と お もつ て 見くび つ た ん だ よ 」 
「 作法 の 厳しい 家 だ 。 きつ と よほど 偉い 人 たち が 、 たびたび 来る ん だ 。 」 
そこで 二 人 は 、 きれい に 髪 を け づつて 、 靴 の 泥 を 落し まし た 。 
そしたら 、 どう です 。 ブラシ を 板 の 上 に 置く や 否 や 、 そいつ が ぼう つと かすん で 無く な つて 、 風 が どう つと 室 の 中 に 入 つて き まし た 。 
二 人 は びつくり し て 、 互に より そつ て 、 扉 を がたん と 開け て 、 次 の 室 へ 入 つて 行き まし た 。 早く 何 か 暖 いも の でも たべ て 、 元気 を つけ て 置か ない と 、 もう 途方 も ない こと に なつ て しまふ と 、 二 人 とも 思 つたの でし た 。 
扉 の 内側 に 、 また 変 な こと が 書い て あり まし た 。 
「 鉄砲 と 弾丸 を こ ゝ へ 置い て ください 。 」 
見る と すぐ 横 に 黒い 台 が あり まし た 。 
「 なるほど 、 鉄砲 を 持つ て もの を 食 ふと いふ 法 は ない 。 」 
「 いや 、 よほど 偉い ひと が 始終 来 て ゐる ん だ 。 」 
二 人 は 鉄砲 を は づし 、 帯皮 を 解い て 、 それ を 台 の 上 に 置き まし た 。 
また 黒い 扉 が あり まし た 。 
「 どうか 帽子 と 外套 と 靴 を おとり 下さい 。 」 
「 どう だ 、 とる か 。 」 
「 仕方 ない 、 とら う 。 たしか によ つ ぽ ど えらい ひと な ん だ 。 奥 に 来 て ゐる の は 」 
二 人 は 帽子 と オーバコート を 釘 に かけ 、 靴 を ぬい で ぺたぺた ある い て 扉 の 中 に は ひり まし た 。 
扉 の 裏側 に は 、 
「 ネクタイピン 、 カフスボタン 、 眼鏡 、 財布 、 その他 金物 類 、 
ことに 尖 つ た もの は 、 みんな こ ゝ に 置い て ください 」 
と 書い て あり まし た 。 扉 の すぐ 横 に は 黒 塗り の 立派 な 金庫 も 、 ちや ん と 口 を 開け て 置い て あり まし た 。 鍵 まで 添 へ てあつ た の です 。 
「 は ゝ あ 、 何 か の 料理 に 電気 を つか ふと 見える ね 。 金気 の もの は あぶない 。 ことに 尖 つ た もの は あぶない と 斯 う 云 ふん だら う 。 」 
「 さ うだら う 。 し て 見る と 勘定 は 帰り に こ ゝ で 払 ふ の だら う か 。 」 
「 どう もさ う らしい 。 」 
「 さ う だ 。 きつ と 。 」 
二 人 は めがね を は づしたり 、 カフスボタン を とつ たり 、 みんな 金庫 の 中 に 入れ て 、 ぱちんと 錠 を かけ まし た 。 
すこし 行き ます と また 扉 が あつ て 、 その 前 に 硝子 の 壺 が 一つ あり まし た 。 扉 に は 斯 う 書い て あり まし た 。 
「 壺 の なか の クリーム を 顔 や 手足 に す つかり 塗 つ て ください 。 」 
みる と たしかに 壺 の なか の もの は 牛乳 の クリーム でし た 。 
「 クリーム を ぬれ と いふ の は どう いふ ん だ 。 」 
「 これ はね 、 外 が ひじ やう に 寒い だら う 。 室 の なか が あんまり 暖 いと ひび が きれる から 、 その 予防 な ん だ 。 どうも 奥 に は 、 よほど えらい ひと が き て ゐる 。 こんな とこ で 、 案外 ぼく ら は 、 貴族 と ちかづき に なる かも 知れ ない よ 。 」 
二 人 は 壺 の クリーム を 、 顔 に 塗 つて 手 に 塗 つて それ から 靴下 を ぬい で 足 に 塗り まし た 。 それでも まだ 残 つて ゐ まし た から 、 それ は 二 人 とも めいめい こ つ そり 顔 へ 塗る ふり を し ながら 喰 べ まし た 。 
それから 大急ぎ で 扉 を あけ ます と 、 その 裏側 に は 、 
「 クリーム を よく 塗り まし た か 、 耳 に も よく 塗り まし た か 、 」 
と 書い て あ つて 、 ち ひ さ な クリーム の 壺 が こ ゝ に も 置い て あり まし た 。 
「 さ うさ う 、 ぼく は 耳 に は 塗ら なかつ た 。 あぶなく 耳 に ひ ゞ を 切らす とこ だ つ た 。 こ ゝ の 主人 は じつに 用意 周到 だ ね 。 」 
「 あゝ 、 細かい とこ まで よく 気 が つく よ 。 ところで ぼく は 早く 何 か 喰 べた いん だ が 、 どうも 斯 う どこ まで も 廊下 ぢ や 仕方 ない ね 。 」 
すると すぐ その 前 に 次 の 戸 が あり まし た 。 
「 料理 は もうすぐ でき ます 。 
十 五 分 と お 待た せ は いたし ませ ん 。 
すぐ たべ られ ます 。 
早く あなた の 頭 に 瓶 の 中 の 香水 を よく 振りかけ て ください 。 」 
そして 戸 の 前 に は 金ピカ の 香水 の 瓶 が 置い て あり まし た 。 
二 人 は その 香水 を 、 頭 へ ぱちやぱちや 振りかけ まし た 。 
ところが その 香水 は 、 どうも 酢 の やう な 匂 が する の でし た 。 
「 この 香水 は へん に 酢 くさい 。 どう し た ん だら う 。 」 
「 まち が へ た ん だ 。 下女 が 風邪 でも 引い て まち が へ て 入れ た ん だ 。 」 
二 人 は 扉 を あけ て 中 に は ひり まし た 。 
扉 の 裏側 に は 、 大きな 字 で 斯 う 書い て あり まし た 。 
「 いろいろ 注文 が 多く て うる さ かつ たで せ う 。 お 気の毒 でし た 。 
もう これ だけ です 。 どう か から だ 中 に 、 壺 の 中 の 塩 を たく さ 
ん よく もみ 込ん で ください 。 」 
なるほど 立派 な 青い 瀬戸 の 塩 壺 は 置い て あり まし た が 、 こんど といふ こんど は 二 人 とも ぎよつとしてお 互に クリーム を たくさん 塗 つた 顔 を 見合せ まし た 。 
「 どうも を かしい ぜ 。 」 
「 ぼく も を かしい とお も ふ 。 」 
「 沢山 の 注文 といふ の は 、 向 ふ が こ つ ち へ 注文 し てる ん だ よ 。 」 
「 だから さ 、 西洋 料理 店 といふ の は 、 ぼく の 考へる ところ で は 、 西洋 料理 を 、 来 た 人 に たべ させる の で は なく て 、 来 た 人 を 西洋 料理 に し て 、 食べ て やる 家 と かう いふ こと な ん だ 。 これ は 、 その 、 つ 、 つ 、 つ 、 つまり 、 ぼ 、 ぼ 、 ぼく ら が … … 。 」 がたがた がたがた 、 ふるへ だし て もう もの が 言 へ ませ ん でし た 。 
「 その 、 ぼ 、 ぼく ら が 、 … … うわ あ 。 」 がたがた がたがた ふるへ だし て 、 もう もの が 言 へ ませ ん でし た 。 
「 遁 げ … … 。 」 がたがた し ながら 一 人 の 紳士 は うし ろ の 戸 を 押さ う と し まし た が 、 どう です 、 戸 は もう 一 分 も 動き ませ ん でし た 。 
奥 の 方 に は まだ 一 枚 扉 が あつ て 、 大きな かぎ 穴 が 二つ つき 、 銀 いろ の ホーク と ナイフ の 形 が 切り だし てあつ て 、 
「 いや 、 わざわざ ご苦労 です 。 
大 へん 結構 に でき まし た 。 
さあ さあ おなか に お は ひり ください 。 」 
と 書い て あり まし た 。 おまけ に かぎ 穴 から はき よろ き よ ろ 二つ の 青い 眼 玉 が こ つ ち を のぞい て ゐ ます 。 
「 うわ あ 。 」 がたがた がたがた 。 
「 うわ あ 。 」 がたがた がたがた 。 
ふたり は 泣き 出し まし た 。 
すると 戸 の 中 で は 、 こそこそ こんな こと を 云 つて ゐ ます 。 
「 だめ だ よ 。 もう 気がつい た よ 。 塩 を も みこま ない やう だ よ 。 」 
「 あたり ま へ さ 。 親分 の 書き やう がま づい ん だ 。 あすこ へ 、 いろいろ 注文 が 多く て うる さ かつ たで せ う 、 お 気の毒 でし た なんて 、 間抜け た こと を 書い た もん だ 。 」 
「 ど つ ち で も い ゝ よ 。 どうせ ぼく ら に は 、 骨 も 分け て 呉れ やし ない ん だ 。 」 
「 それ は さ う だ 。 けれども も しこ ゝ へ あいつ ら が は ひつ て 来 なかつ たら 、 それ は ぼく ら の 責任 だ ぜ 。 」 
「 呼ば う か 、 呼ば う 。 おい 、 お客 さん 方 、 早く いら つ し やい 。 いら つ し やい 。 いら つ し やい 。 お 皿 も 洗 つて あり ます し 、 菜 つ 葉 も もう よく 塩 で もん で 置き まし た 。 あと は あなた が たと 、 菜 つ 葉 を うまく とり あ はせ て 、 まつ 白 なお 皿 に のせる 丈 け です 。 はやく いら つ し やい 。 」 
「 へ い 、 いら つ し やい 、 いら つ し やい 。 それとも サラド は お 嫌 ひ です か 。 そん なら これから 火 を 起し て フライ に し て あげ ませ う か 。 とにかく はやく いら つ し やい 。 」 
二 人 は あんまり 心 を 痛め た ため に 、 顔 が まるで くし や くし や の 紙屑 の やう に なり 、 お 互に その 顔 を 見合せ 、 ぶるぶる ふるへ 、 声 も なく 泣き まし た 。 
中 で は ふつふつ と わら つて また 叫ん で ゐ ます 。 
「 いら つ し やい 、 いら つ し やい 。 そんなに 泣い て は 折角 の クリーム が 流れる ぢ や あり ませ ん か 。 へ い 、 た ゞ いま 。 ぢ き もつ て ま ゐ り ます 。 さあ 、 早く いら つ し やい 。 」 
「 早く いら つ し やい 。 親方 が もう ナフキン を かけ て 、 ナイフ を もつ て 、 舌なめずり し て 、 お客 さま 方 を 待つ て ゐ られ ます 。 」 
二 人 は 泣い て 泣い て 泣い て 泣い て 泣き まし た 。 
その とき うし ろ から いきなり 、 
「 わん 、 わん 、 ぐわあ 。 」 といふ 声 が し て 、 あの 白熊 の やう な 犬 が 二 疋 、 扉 を つきやぶ つて 室 の 中 に 飛び込ん で き まし た 。 鍵穴 の 眼 玉 は たちまち なくなり 、 犬 ども は うう とう な つて しばらく 室 の 中 を くるくる 廻 つて ゐ まし た が 、 また 一声 
「 わん 。 」 と 高く 吠え て 、 いきなり 次 の 扉 に 飛びつき まし た 。 戸 は が たり と ひらき 、 犬 ども は 吸 ひ 込ま れる やう に 飛ん で 行き まし た 。 
その 扉 の 向 ふ の まつ くら やみ の なか で 、 
「 に やあ お 、 くわ あ 、 ごろごろ 。 」 といふ 声 が し て 、 それから がさがさ 鳴り まし た 。 
室 は けむり の やう に 消え 、 二 人 は 寒 さ に ぶるぶる ふるへ て 、 草 の 中 に 立つ て ゐ まし た 。 
見る と 、 上着 や 靴 や 財布 や ネクタイピン は 、 あつ ちの 枝 に ぶらさが つ たり 、 こ つ ちの 根 もと に ちら ばつ たり し て ゐ ます 。 風 が どう と 吹い て き て 、 草 は ざわざわ 、 木の葉 は かさかさ 、 木 は ご とんご とんと 鳴り まし た 。 
犬 が ふうとう な つて 戻 つ て き まし た 。 
そして うし ろ から は 、 
「 旦那 あ 、 旦那 あ 、 」 と 叫ぶ もの が あり ます 。 
二 人 は 俄 か に 元気 が つい て 
「 お ゝ い 、 お ゝ い 、 こ ゝ だ ぞ 、 早く 来い 。 」 と 叫び まし た 。 
簔帽子 を か ぶつ た 専門 の 猟師 が 、 草 を ざわざわ 分け て やつ て き まし た 。 
そこで 二 人 は やつ と 安心 し まし た 。 
そして 猟師 の もつ て き た 団子 を たべ 、 途中 で 十 円 だけ 山鳥 を 買 つて 東京 に 帰り まし た 。 
しかし 、 さつき 一 ぺん 紙 く づのやうになつた 二 人 の 顔 だけ は 、 東京 に 帰 つて も 、 お湯 に は ひつ て も 、 もう もと の と ほり に な ほり ませ ん でし た 。 
赤い 手 の 長い 蜘蛛 と 、 銀 いろ の なめく ぢ と 、 顔 を 洗っ た こと の ない 狸 が 、 いっしょ に 洞 熊 学校 に は ひり まし た 。 洞 熊 先生 の 教 へる こと は 三つ でし た 。 
一 年生 の とき は 、 うさぎ と 亀 の かけ くら の こと で 、 も 一つ は 大きい もの が いちばん 立派 だ と いふ こと でし た 。 それ から 三 人 は みんな 一番 に ならう と 一生けん命 競争 し まし た 。 一 年生 の とき は 、 なめく ぢ と 狸 が しじゅう 遅刻 し て 罰 を 食っ た ため に 蜘蛛 が 一番 に なっ た 。 なめく ぢ と 狸 と は 泣い て 口惜し がっ た 。 二 年生 の とき は 、 洞 熊 先生 が 点数 の 勘定 を 間違っ た ため に 、 なめく ぢ が 一番 に なり 蜘蛛 と 狸 と は 歯ぎしり し て くやし がっ た 。 三 年生 の 試験 の とき は 、 あんまり あたり が 明るい ため に 洞 熊 先生 が 涙 を こぼし て 眼 を つぶっ て ばかり ゐ た もの です から 、 狸 は 本 を 見 て 書き まし た 。 そして 狸 が 一番 に なり まし た 。 そこで 赤い 手長 の 蜘蛛 と 、 銀 いろ の なめく ぢ と 、 それから 顔 を 洗っ た こと の ない 狸 が 、 一 しょ に 洞 熊 学校 を 卒業 し まし た 。 三 人 は 上 べ は 大 へん 仲 よさ う に 、 洞 熊 先生 を 呼ん で 謝恩 会 といふ こと を し たり こんど はじ ぶん ら の 離別 会 といふ こと を やっ たり し まし た けれども 、 お 互に みな 腹 の なか で は 、 へん 、 あいつ ら に 何 が できる もん か 、 これから 誰 が いちばん 大きく えらく なる か 見 て ゐろ と 、 その こと ばかり 考へ て を り まし た 。 さて 会 も 済ん で 三 人 は めい めいじ ぶん の うち に 帰っ て いよいよ 習っ た こと を じ ぶん で ほん た うに やる こと に なり まし た 。 洞 熊 先生 の 方 も こんど は ど ぶ 鼠 を つかま へ て 学校 に 入れよ う と 毎日 追 ひ かけ て 居り まし た 。 
ち ゃうどそのときはかたくりの 花 の 咲く ころ で 、 たくさん の たくさん の 眼 の 碧 い 蜂 の 仲間 が 、 日光 の なか を ぶんぶん ぶんぶん 飛び 交 ひ ながら 、 一つ 一つ の 小さな 桃 いろ の 花 に 挨拶 し て 蜜 や 香料 を 貰っ たり 、 その お礼 に 黄金 いろ を し た 円い 花粉 を ほか の 花 の ところ へ 運ん で やっ たり 、 あるいは 新 らしい 木の芽 から いら なく なっ た 蝋 を 集め て 六角形 の 巣 を 築い たり もう いそがしく にぎやか な 春 の 入口 に なっ て ゐ まし た 。 
一 、 蜘蛛 は どう し た か 。 
蜘蛛 は 会 の 済ん だ 晩方 じ ぶん の うち の 森 の 入口 の 楢 の 木 に 帰っ て 来 まし た 。 
ところが 蜘蛛 は もう 洞 熊 学校 で お金 を みんな つかっ て ゐ まし た から もう なに ひとつ もっ て ゐ ませ ん でし た 。 そこ で ひもじい の を 我慢 し て 、 ぼんやり し た お 月 様 の 光 で 網 を かけ はじめ た 。 
あんまり ひもじく て から だ の 中 に は もう 糸 も ない 位 で あっ た 。 けれども 蜘蛛 は 
「 いま に 見ろ 、 いま に 見ろ 」 と 云 ひ ながら 、 一生けん命 糸 を たぐり 出し て 、 やっと 小さな 二 銭 銅貨 位 の 網 を かけ た 。 そして 枝 の かげ に かくれ て ひと ばん 眼 を ひからし て 網 を のぞい て ゐ た 。 
夜 あけ ごろ 、 遠く から 小さな こども の あぶ が くう ん と うなっ て やっ て 来 て 網 に つきあたっ た 。 けれども あんまり ひもじい とき かけ た 網 な ので 、 糸 に 少し も ねばり が なく て 、 子ども の あぶ は すぐ 糸 を 切っ て 飛ん で 行か う と し た 。 
蜘蛛 は まるで きち が ひ の やう に 、 枝 の かげ から 駆け出し て むんずと あぶ に 食 ひつ い た 。 
あぶ の 子ども は 「 ごめんなさい 。 ごめんなさい 。 ごめんなさい 。 」 と 哀れ な 声 で 泣い た けれども 、 蜘蛛 は 物 も 云 はず に 頭 から 羽 から あし まで 、 みんな 食っ て しまっ た 。 そして ほっと 息 を つい て しばらく そら を 向い て 腹 を こすっ て から 、 又 少し 糸 を はい た 。 そして 網 が 一 ま はり 大きく なっ た 。 
蜘蛛 は また 枝 の かげ に 戻っ て 、 六つ の 眼 を ギラギラ 光らせ ながら じっと 網 を みつめ て 居 た 。 
「 ここ は どこ で ご ざり まする な 。 」 と 云 ひ ながら め くら の かげろ ふ が 杖 を つい て やって来 た 。 
「 ここ は 宿屋 です よ 。 」 と 蜘蛛 が 六つ の 眼 を 別々 に パチ パチ さ せ て 云っ た 。 
かげろ ふ は やれやれ といふ やう に 、 巣 へ 腰 を かけ まし た 。 蜘蛛 は 走っ て 出 まし た 。 そして 
「 さあ 、 お茶 を お あがり なさい 。 」 と 云 ひ ながら いきなり かげろ ふ の 胴中 に 噛みつき まし た 。 
かげろ ふ は お茶 を とら う として 出し た 手 を 空 に あげ て 、 バタバタ もがき ながら 、 
「 あはれ やむ すめ 、 父親 が 、 
旅 で 果て た と 聞い た なら 」 と 哀れ な 声 で 歌 ひ 出し まし た 。 
「 えい 。 やかましい 。 じたばた する な 。 」 と 蜘蛛 が 云 ひ まし た 。 すると かげろ ふ は 手 を 合せ て 
「 お 慈悲 で ござい ます 。 遺言 の あ ひだ 、 ほんの しばらく お待ち なさ れ て 下さ れ ませ 。 」 と ね が ひ まし た 。 
蜘蛛 も すこし 哀れ に なっ て 
「 よし 早く やれ 。 」 と いっ て かげろ ふ の 足 を つかん で 待っ て ゐ まし た 。 かげろ ふ は ほん た うに あはれ な 細い 声 で はじめ から 歌 ひ 直し まし た 。 
「 あはれ やむ すめ ち ゝ おや が 、 
旅 で はて た と 聞い た なら 、 
ちさ い あの 手 に 白 手甲 、 
いとし 巡礼 の 雨 とか ぜ 。 
ま うし ご 冥加 ご 報謝 と 、 
か ど なみなみ に 立つ とても 、 
非道 の 蜘蛛 の 網 ざし き 、 
さ はる まい ぞ や 。 よる まい ぞ 。 」 
「 小しゃく な こと を 。 」 と 蜘蛛 は た ゞ 一息 に 、 かげろ ふ を 食 ひ 殺し て しまひ まし た 。 そして しばらく そら を 向い て 、 腹 を こすっ て から ちょっと 眼 を ぱちぱち さ せ て 
「 小しゃく な こと を 言 ふ まい ぞ 。 」 と ふざけ た やう に 歌 ひ ながら 又 糸 を はき まし た 。 
網 は 三 ま はり 大きく なっ て 、 もう 立派 な か うも り がさ の やう な 巣 だ 。 蜘蛛 は すっかり 安心 し て 、 又 葉 の かげ に かくれ まし た 。 その 時下 の 方 で い ゝ 声 で 歌 ふ の を きき まし た 。 
「 赤い て ながの くぅ も 、 
天 の ちかく を は ひま はり 、 
スルスル 光 の いと を はき 、 
き ぃらりきぃらり 巣 を かける 。 」 
見る と それ は きれい な 女 の 蜘蛛 でし た 。 
「 こ ゝ へ おいで 」 と 手長 の 蜘蛛 が 云っ て 糸 を 一 本 すうっ と さげ て やり まし た 。 
女 の 蜘蛛 が す ぐそれにつかまってのぼって 来 まし た 。 そして 二 人 は 夫婦 に なり まし た 。 網 に は 毎日 沢山 食べる もの が か ゝ り まし た ので おかみ さん の 蜘蛛 は 、 それ を 沢山 たべ て みんな 子供 に し て しまひ まし た 。 そこで 子供 が 沢山 生まれ まし た 。 所 が その 子供 ら は あんまり 小さく て まるで すき と ほる 位 です 。 
子供 ら は 網 の 上 で すべっ たり 、 相撲 を とっ たり 、 ぶらんこ を やっ たり 、 それ は それ は にぎやか です 。 おまけ に ある 日 とんぼ が 来 て 今度 蜘蛛 を 虫けら 会 の 副 会長 に する といふ みんな の 決議 を つた へ まし た 。 
ある 日 夫婦 の くも は 、 葉 の かげ に かくれ て お茶 を の ん で ゐ ます と 、 下 の 方 で へらへら し た 声 で 歌 ふも の が あり ます 。 
「 あぁ かい 手 ながの くぅ も 、 
でき た むすこ は 二 百 疋 、 
め くそ 、 はん かけ 、 蚊 の なみ だ 、 
大きい ところ で 稗 の つぶ 。 」 
見る と それ は いつのまにか ずっと 大きく なっ た あの 銀色 の なめく ぢ でし た 。 
蜘蛛 の お かみさん は くやし がっ て 、 まるで 火 が つい た やう に 泣き まし た 。 
けれども 手長 の 蜘蛛 は 云 ひ まし た 。 
「 ふん 、 あいつ は ちかごろ 、 おれ を ねたん でる ん だ 。 やい 、 なめく ぢ 。 おれ は 今度 は 虫けら 会 の 副 会長 に なる ん だ ぞ 。 へっ 。 くやしい か 。 へっ 。 て ま へ なんか いくら から だ ばかり ふとっ て も 、 こんな こと は でき まい 。 へっ へっ 。 」 
なめく ぢ は あんまり くやしく て 、 しばらく 熱病 に なっ て 、 
「 うう 、 くも め 、 よくも ぶ じ ょくしたな 。 うう 。 くも め 。 」 と いっ て ゐ まし た 。 
網 は 時々 風 に やぶれ たり ごろつき の かぶとむし に こ は さ れ たり し まし た けれども くも は すぐす うすう 糸 を はい て 修繕 し まし た 。 
二 百 疋 の 子供 は 百 九 十 八 疋 まで 蟻 に 連れ て 行か れ たり 、 行衛 不明 に なっ たり 、 赤痢 に かかっ たり し て 死ん で しまひ まし た 。 
けれども 子供 ら は 、 どれ も あんまり お 互 ひ に 似 て ゐ まし た ので 、 親 ぐもはすぐ 忘れ て しまひ まし た 。 
そして 今 は もう 網 は すばらしい もの です 。 虫 が どんどん ひっ か ゝ り ます 。 
ある 日 夫婦 の 蜘蛛 は 、 葉 の かげ に かくれ て また 茶 を の ん で ゐ ます と 、 一疋 の 旅 の 蚊 が こっち へ 飛ん で 来 て 、 それから 網 を 見 て あわて て 飛び 戻っ て 行っ た 。 くも は 三 あし ばかり そっち へ 出 て 行っ て あきれ た やう に そっち を 見送っ た 。 
すると 下 の 方 で 大きな 笑 ひ 声 が し て それ から 太い 声 で 歌 ふ の が 聞え まし た 。 
「 あ ぁかいてながのくぅも 、 
て ながの 赤い くも 
あんまり 網 がま づい ので 、 
八 千 二 百 里 旅 の 蚊 も 、 
くう ん と うなっ て ま はれ 右 。 」 
見る と それ は 顔 を 洗っ た こと の ない 狸 でし た 。 蜘蛛 は キリキリ キリッ と は が み を し て 云 ひ まし た 。 
「 何 を 。 狸 め 。 おれ は いま に 虫けら 会 の 会長 に なっ て きっ とき さま に おじぎ を さ せ て 見せる ぞ 。 」 
それ から は 蜘蛛 は 、 もう 一生けん命 で あちこち に 十 も 網 を かけ たり 、 夜 も 見 はり を し たり し まし た 。 ところが 諸君 困っ た こと に は 腐敗 し た の だ 。 食物 が あんまり たまっ て 、 腐敗 し た の です 。 そして 蜘蛛 の 夫婦 と 子供 に それ が うつり まし た 。 そこで 四 人 は 足 の さき から だんだん 腐れ て べとべと に なり 、 ある 日 た うとう 雨 に 流れ て しまひ まし た 。 
ち ゃうどそのときはつめくさの 花 の さく ころ で 、 あの 眼 の 碧 い 蜂 の 群 は 野原 ぢ ゅうをもうあちこちにちらばって 一つ 一つ の 小さな ぼんぼり の やう な 花 から 火 で も もら ふ やう に し て 蜜 を 集め て 居り まし た 。 
二 、 銀色 の なめく ぢ は どう し た か 。 
丁度 蜘蛛 が 林 の 入口 の 楢 の 木 に 、 二 銭 銅貨 の 位 の 網 を かけ た 頃 、 銀色 の なめく ぢ の 立派 な うち へ かたつむり が やっ て 参り まし た 。 
その 頃 なめく ぢ は 学校 も 出 た し 人 が よく て 親切 だ といふ もう 林 中 の 評判 だっ た 。 かたつむり は 
「 なめく ぢ さん 。 今度 は 私 も すっかり 困っ て しまひ まし た よ 。 まだ わたし の 食べる もの は なし 、 水 は なし 、 すこし ばかり お前 さん の うち に ため て ある ふき の つゆ を 呉れ ませ ん か 。 」 と 云 ひ まし た 。 
すると なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
「 あげ ます と も あげ ます とも 、 さあ 、 お あがり なさい 。 」 
「 あゝ ありがたう ござい ます 。 助かり ます 。 」 と 云 ひ ながら か たつ むりはふきのつゆをどくどくのみました 。 
「 もっと お あがり なさい 。 あなた と 私 と は 云 は ば 兄弟 。 ハッハハ 。 さあ 、 さあ 、 も 少し お あがり なさい 。 」 と なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
「 そん なら も 少し い た ゞ き ます 。 あゝ ありがたう ござい ます 。 」 と 云 ひ ながら かたつむり は も 少し のみ まし た 。 
「 かたつむり さん 。 気分 が よく なっ たら 一つ ひさし ぶり で 相撲 を とり ませ う か 。 ハッハハ 。 久しぶり です 。 」 と なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
「 おなか が すい て 力 が あり ませ ん 。 」 と かたつむり が 云 ひ まし た 。 
「 そん なら たべ 物 を あげ ませ う 。 さあ 、 お あがり なさい 。 」 と なめく ぢ は あざみ の 芽 や なんか 出し まし た 。 
「 ありがたう ござい ます 。 それでは い た ゞ き ます 。 」 と いひ ながら かたつむり は それ を 喰 べ まし た 。 
「 さあ 、 すま ふ を とり ませ う 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ が もう 立ちあがり まし た 。 かたつむり も 仕方 なく 、 
「 私 は どうも 弱い の です から 強く 投げ ない で 下さい 。 」 と 云 ひ ながら 立ちあがり まし た 。 
「 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ませ う 。 ハッハハ 」 
「 もう つかれ て だめ です 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ませ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ませ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう だめ です 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ませ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 、 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ませ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう だめ 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ませ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ませ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう 死に ます 。 さよなら 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ませ う よ 。 ハッハハ 。 さあ 。 お立ち なさい 。 起こし て あげ ませ う 。 よ っしょ 。 そら 。 ヘッヘッヘ 。 」 かたつむり は 死ん で しまひ まし た 。 そこで 銀色 の なめく ぢ は かたつむり を 殻 ごと みしみし 喰 べ て しまひ まし た 。 
それから 一 ヶ月 ばかり たっ て 、 とかげ が なめく ぢ の 立派 な お うち へ びっこをひいて 来 まし た 。 そして 
「 なめく ぢ さん 。 今日 は 。 お 薬 を すこし 呉れ ませ ん か 。 」 と 云 ひ まし た 。 
「 どう し た の です 。 」 と なめく ぢ は 笑っ て 聞き まし た 。 
「 へび に 噛ま れ た の です 。 」 と とかげ が 云 ひ まし た 。 
「 そん なら わけ は あり ませ ん 。 私 が 一寸 そこ を 嘗め て あげ ませ う 。 わたし が 嘗めれ ば 蛇 の 毒 は すぐ 消え ます 。 なにせ 蛇 さ へ 溶ける くら ゐ です から な 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ は 笑っ て 云 ひ まし た 。 
「 どう かお 願 ひ 申し ます 」 と とかげ は 足 を 出し まし た 。 
「 え ゝ 。 よ ご ざんす と も 。 私 と あなた と は 云 は ば 兄弟 。 あなた と 蛇 も 兄弟 です ね 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ は 云 ひ まし た 。 
そして なめく ぢ は とかげ の 傷 に 口 を あて まし た 。 
「 ありがたう 。 なめく ぢ さん 。 」 と とかげ は 云 ひ まし た 。 
「 も 少し よく 嘗め ない と あと で 大変 です よ 。 今度 又 来 て も もう 直し て あげ ませ ん よ 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ は も が も が 返事 を し ながら やはり とかげ を 嘗め つ ゞ け まし た 。 
「 なめく ぢ さん 。 何だか 足 が 溶け た やう です よ 。 」 と とかげ は おどろい て 云 ひ まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに 。 それほど ぢ ゃありません 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ は やはり も が も が 答 へ まし た 。 
「 なめく ぢ さん 。 おなか が 何だか 熱く なり まし た よ 。 」 と とかげ は 心配 し て 云 ひ まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに それほど ぢ ゃありません 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ は やはり も が も が 答 へ まし た 。 
「 なめく ぢ さん 。 から だ が 半分 とけ た やう です よ 。 もう よし て 下さい 。 」 と とかげ は 泣き声 を 出し まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに それほど ぢ ゃありません 。 ほんの も 少し です 。 ハッハハ 。 」 と なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
それ を 聞い た とき 、 とかげ は やっと 安心 し まし た 。 安心 し た わけ は その とき 丁度 心臓 が とけ た の です 。 
そこで なめく ぢ は ペロリ と とかげ を たべ まし た 。 そして 途方 も なく 大きく なり まし た 。 
あんまり 大きく なっ た ので 嬉し まぎれ に つい あの 蜘蛛 を からかっ た の でし た 。 
そして か へ って 蜘蛛 から あざけら れ て 、 熱病 を 起し て 、 毎日 毎日 、 ようし 、 おれ も 大きく なる くら ゐ 大きく なっ たら こんど は きっと 虫けら 院 の 名誉 議員 に なっ て くも が 何 か 云っ た とき ふう と 息 だけ つい て 返事 し て やら う と 云っ て ゐ た 。 ところが この ころ から なめく ぢ の 評判 は どうも よく なく なり まし た 。 
なめく ぢ は いつ でも ハッハハ と 笑っ て 、 そして ヘラヘラ し た 声 で 物 を 言 ふけれ ども 、 どうも 心 が よく なく て 蜘蛛 や なん か より は 却って 悪い やつ だ と いふ ので みんな が 軽べつ を はじめ まし た 。 殊に 狸 は なめく ぢ の 話 が 出る と いつ でも ヘン と 笑っ て 云 ひ まし た 。 
「 なめく ぢ の やり くち なんて ま づい もん さ 。 ぶま 加減 は 見 られ た もん ぢ ゃない 。 あんな やり かた で 大きく なっ て も しれ た もん だ 。 」 
なめく ぢ は これ を 聞い て いよいよ 怒っ て 早く 名誉 議員 に なら う と あせっ て ゐ た 。 その うち に 蜘蛛 が 腐敗 し て 溶け て 雨 に 流れ て しまひ まし た ので 、 なめく ぢ も 少し せいせい し ながら 誰 か 早く 来る とい ゝ と 思っ て せっかく 待っ て ゐ た 。 
すると ある 日 雨蛙 が やっ て 参り まし た 。 
そして 、 
「 なめく ぢ さん 。 こんにちは 。 少し 水 を 呑ま せ ませ ん か 。 」 と 云 ひ まし た 。 
なめく ぢ は この 雨蛙 も ペロリ と やり たかっ た ので 、 思ひ 切っ て い ゝ 声 で 申し まし た 。 
「 蛙 さん 。 これ は いらっしゃい 。 水 なんか いくら で も あげ ます よ 。 ちかごろ は ひで り です けれども なあに 云 は ば あなた と 私 は 兄弟 。 ハッハハ 。 」 そして 水がめ の 所 へ 連れ て 行き まし た 。 
蛙 は どくどく どくどく 水 を 呑ん で から とぼけ た やう な 顔 を し て しばらく なめく ぢ を 見 て から 云 ひ まし た 。 
「 なめく ぢ さん 。 ひとつ すま ふ を とり ませ う か 。 」 
なめく ぢ は うまい と 、 よろこび まし た 。 自分 が 云 は う と 思っ て ゐ た の を 蛙 の 方 が 云っ た の です 。 こんな 弱っ た やつ なら ば 五 へん 投げつけれ ば 大 てい ペロリ と やれる 。 
「 とり ませ う 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 か へる は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ませ う 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 か へる は 又 投げつけ られ まし た 。 する とか へる は 大 へん あわて て ふところ から 塩 の ふく ろ を 出し て 云 ひ まし た 。 
「 土俵 へ 塩 を まか なく ちゃ だめ だ 。 そら 。 シュウ 。 」 塩 が 白く そこら へ ちらばっ た 。 
なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
「 か へる さん 。 こんど は きっと 私 なんか まけ ます ね 。 あなた は 強い ん だ もの 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 蛙 は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
そして 手足 を ひろげ て 青じろい 腹 を 空 に 向け て 死ん だ やう に なっ て しまひ まし た 。 銀色 の なめく ぢ は 、 すぐ ペロリ と やら う と 、 そっち へ 進み まし た が どう し た の か 足 が うごき ませ ん 。 見る と もう 足 が 半分 とけ て ゐ ます 。 
「 あ 、 やら れ た 。 塩 だ 。 畜生 。 」 と なめく ぢ が 云 ひ まし た 。 
蛙 は それ を 聞く と 、 むっくり 起きあがっ て あぐら を かい て 、 かばん の やう な 大きな 口 を 一ぱい に あけ て 笑 ひ まし た 。 そして なめく ぢ に おじぎ を し て 云 ひ まし た 。 
「 いや 、 さよなら 。 なめく ぢ さん 。 とんだ こと に なり まし た ね 。 」 
なめく ぢ が 泣き さ うに なっ て 、 
「 蛙 さん 。 さよ … … 。 」 と 云っ た とき もう 舌 が とけ まし た 。 雨蛙 は ひどく 笑 ひ ながら 
「 さよなら と 云 ひ たかっ た ので せ う 。 本当に さよなら さよなら 。 わたし も うち へ 帰っ て から たくさん 泣い て あげ ます から 。 」 と 云 ひ ながら 一目散 に 帰っ て 行っ た 。 
さ うさ う この とき は 丁度 秋 に 蒔い た 蕎麦 の 花 が いち めん 白く 咲き 出し た とき で あの 眼 の 碧 い すがる の 群 は その 四 っ 角 な 畑 いっぱい うす あかい 幹 の 間 を くぐっ たり 花 の ついたち ひ さ な 枝 を ぶらんこ の やう に ゆすぶっ たり し ながら 今年 の 終り の 蜜 を せっせと 集め て 居り まし た 。 
三 、 顔 を 洗 は ない 狸 。 
狸 は わざと 顔 を 洗 は なかっ た の だ 。 丁度 蜘蛛 が 林 の 入口 の 楢 の 木 に 、 二 銭 銅貨 位 の 巣 を かけ た 時 、 じ ぶん の うち の お寺 へ 帰っ て ゐ た けれども 、 やっぱり すっかり お腹 が 空い て 一 本 の 松の木 により かかっ て 目 を つぶっ て ゐ まし た 。 すると 兎 が やっ て 参り まし た 。 
「 狸 さま 。 かう ひもじく て は 全く 仕方 ござい ませ ん 。 もう 死ぬ だけ で ござい ます 。 」 
狸 が きもの の えり を 掻き合せ て 云 ひ まし た 。 
「 さ う ぢ ゃ 。 みんな 往生 ぢ ゃ 。 山猫 大明 神さま の おぼしめし ど ほり ぢ ゃ 。 な 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
兎 も 一緒 に 念 猫 を と な へ はじめ まし た 。 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 な まねこ 、 なま ねこ 。 」 
狸 は 兎 の 手 を とっ て もっと 自分 の 方 へ 引き よせ まし た 。 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 みんな 山猫 さま の おぼしめし ど ほり に なる の ぢ ゃ 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 と 云 ひ ながら 兎 の 耳 を かじり まし た 。 兎 は びっくり し て 叫び まし た 。 
「 あ 痛 っ 。 狸 さん 。 ひどい ぢ ゃありませんか 。 」 
狸 は むにゃむにゃ 兎 の 耳 を かみ ながら 、 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 世の中 の こと は な 、 みんな 山猫 さま の おぼしめし の と ほり ぢ ゃ 。 お ま へ の 耳 が あんまり 大きい ので それ を わし に 噛 って 直せ と いふ の は 何 といふ ありがたい こと ぢ ゃ 。 な まねこ 。 」 と 云 ひ ながら 、 た うとう 兎 の 両方 の 耳 を たべ て しまひ まし た 。 
兎 も さ うき い て ゐる と 、 たいへん うれしく て ボロボロ 涙 を こぼし て 云 ひ まし た 。 
「 な まねこ 、 なま ねこ 。 あゝ ありがたい 、 山猫 さま 。 私 の やう な つまらない もの を 耳 の こと まで ご 心配 ください ます と は ありがたい こと で ござい ます 。 助かり ます なら 耳 の 二つ や そこら な ん で も ござい ませ ぬ 。 な まねこ 。 」 
狸 も そら 涙 を ボロボロ こぼし て 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 こんど は 兎 の 脚 を かじれ と は あんまり はねる ため で ござい ませ う か 。 はい はい 、 かじり ます かじり ます な まねこ な まねこ 。 」 と 云 ひ ながら 兎 の あと あし を むにゃむにゃ 食べ まし た 。 
兎 は ますます よろこん で 、 
「 あゝ ありがた や 、 山猫 さま 。 おかげ で わたくし は 脚 が なくなっ て もう 歩か なく て も よく なり まし た 。 あゝ ありがたい な まねこ な まねこ 。 」 
狸 は もう なみ だ で 身体 も ふやけ さ うに 泣い た ふり を し まし た 。 
「 な まねこ 、 なま ねこ 。 みんな おぼしめし の と ほり で ござい ます 。 わたし の やう な あさましい もの で も 、 命 を つない で お 役 に たて と 仰ら れ ます か 。 はい 、 はい 、 これ も 仕方 は ござい ませ ぬ 、 な まねこ な まねこ 。 おぼしめし の と ほり に いたし ます る 。 むにゃむにゃ 。 」 
兎 は すっかり なくなっ て しまひ まし た 。 
そして 狸 の おなか の 中 で 云 ひ まし た 。 
「 すっかり だまさ れ た 。 お前 の 腹の中 は まっくろ だ 。 あゝ くやしい 。 」 
狸 は 怒っ て 云 ひ まし た 。 
「 やかましい 。 はやく 溶け て しまへ 。 」 
兎 は また 叫び まし た 。 
「 みんな 狸 に だまさ れる な よ 。 」 
狸 は 眼 を ぎろぎろ し て 外 へ 聞え ない やう に しばらく の 間口 を しっかり 閉 ぢ て それ から 手 で 鼻 を ふさい で ゐ まし た 。 
それから 丁度 二 ヶ月 たち まし た 。 ある 日 、 狸 は 自分 の 家 で 、 例 の と ほり ありがたい ご きた う を し て ゐ ます と 、 狼 が 籾 を 三 升 さげ て 来 て 、 どうか お 説教 を ねが ひ ます と 云 ひ まし た 。 
そこで 狸 は 云 ひ まし た 。 
「 お前 は もの の 命 を とっ た こと は 、 五 百 や 千 で は 利く まい な 。 生き と し 生ける もの なら ば なにとて 死に たい もの が あらう 。 な 。 それ を お ま へ は 食っ た の ぢ ゃ 。 な 。 早く ざんげ さっ しゃれ 。 でないと あと で えらい 責苦 に あふ こと ぢ ゃぞよ 。 お ゝ 恐ろし や 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
狼 は すっかり おびえ あがっ て 、 しばらく き ょろきょろしながらたづねました 。 
「 そん なら どう し た らい ゝ で せ う 。 」 
狸 が 云 ひ まし た 。 
「 わし は 山 ねこ さま の お 身代り ぢ ゃで 、 わし の 云 ふと ほり さ っし ゃれ 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
「 どう し たら よう ござい ませ う 。 」 と 狼 が あわて て きき まし た 。 狸 が 云 ひ まし た 。 
「 それ は な 。 じっと し て ゐ さ しゃれ 。 な 。 わし は お前 の きば を ぬく ぢ ゃ 。 この きば で いかほど もの の 命 を とっ た か 。 恐ろしい こと ぢ ゃ 。 な 。 お前 の 目 を つぶす ぢ ゃ 。 な 。 この 目 で 何 ほど の もの を にらみ 殺し た か 、 恐ろしい こと ぢ ゃ 。 それから 。 な まねこ 、 な まねこ 、 なま ねこ 。 お前 のみ ゝ を 一寸 かじる ぢ ゃ 。 これ は 罰 ぢ ゃ 。 な まねこ 。 な まねこ 。 こら へ なさ れ 。 お前 の あ たま を かじる ぢ ゃ 。 むにゃ 、 むにゃ 。 な まねこ 。 この 世の中 は 堪忍 が 大事 ぢ ゃ 。 なま … … 。 むにゃむにゃ 。 お前 の あし を たべる ぢ ゃ 。 なかなか うまい 。 な まねこ 。 むにゃ 。 むにゃ 。 お ま へ のせ なか を 食 ふ ぢ ゃ 。 ここ も うまい 。 むにゃむにゃ むにゃ 。 」 
た うとう 狼 は みんな 食 はれ て しまひ まし た 。 
そして 狸 の はら の 中 で 云 ひ まし た 。 
「 こ ゝ は まっ くら だ 。 あゝ 、 こ ゝ に 兎 の 骨 が ある 。 誰 が 殺し たら う 。 殺し た やつ は あと で 狸 に 説教 さ れ ながら かじら れる だら う ぜ 。 」 
狸 は やかましい やかましい 蓋 を してやら う 。 と 云 ひ ながら 狼 の 持っ て 来 た 籾 を 三 升 風呂敷 の ま ゝ 呑み まし た 。 
ところが 狸 は 次 の 日 から どうも から だ の 工合 が わるく なっ た 。 どう いふ わけ か 非常 に 腹 が 痛く て 、 のど の ところ へ ちくちく 刺さる もの が ある 。 
はじめ は 水 を 呑ん だり し て ごまかし て ゐ た けれども 一 日 一 日 それ が 烈しく なっ て き て もう 居 て も 立っ て も ゐ られ なく なっ た 。 た うとう 狼 を たべ て から 二 十 五 日 め に 狸 は から だ が ゴム 風船 の やう に ふくらん で それから ボローン と 鳴っ て 裂け て しまっ た 。 
林 中 のけ だ もの は びっくり し て 集っ て 来 た 。 見る と 狸 の からだ の 中 は 稲 の 葉 で いっぱい でし た 。 あの 狼 の 下げ て 来 た 籾 が 芽 を 出し て だんだん 大きく なっ た の だ 。 
洞 熊 先生 も 少し 遅れ て 来 て 見 まし た 。 そして あゝ 三 人 とも 賢 いい ゝ こども ら だっ た のに じつに 残念 な こと を し た と 云 ひ ながら 大きな あくび を し まし た 。 
この とき は もう 冬 の はじまり で あの 眼 の 碧 い 蜂 の 群 は もう みんな めいめい の 蝋 で こ さ へ た 六角形 の 巣 に は ひっ て 次 の 春 の 夢 を 見 ながら しづか に 睡っ て 居り まし た 。 
つめ た いい ぢ の 悪い 雲 が 、 地べた に すれすれ に 垂れ まし た ので 、 野 は ら は 雪 の あかり だ か 、 日 の あかり だ か 判ら ない やう に なり まし た 。 
烏 の 義勇 艦隊 は 、 その 雲 に 圧し つけ られ て 、 しかた な くちよ つ と の 間 、 亜鉛 の 板 を ひろげ た やう な 雪 の 田圃 のう へ に 横 に ならん で 仮泊 といふ こと を やり まし た 。 
どの 艦 も すこしも 動き ませ ん 。 
まつ 黒く なめらか な 烏 の 大尉 、 若い 艦隊 長 も し やん と 立つ たま ゝ うごき ませ ん 。 
から す の 大 監督 は なほ さら うごき も ゆらぎ も いたし ませ ん 。 からす の 大 監督 は 、 も うず ゐ ぶん の 年 老 り です 。 眼 が 灰 いろ に な つて しま つて ゐ ます し 、 啼く と まるで 悪い 人形 の やう に ギイギイ 云 ひ ます 。 
それ です から 、 烏 の 年齢 を 見分ける 法 を 知ら ない 一 人 の 子供 が 、 いつか 斯 う 云 つたの でし た 。 
「 おい 、 この 町 に は 咽喉 の こ はれ た 烏 が 二 疋 ゐる ん だ よ 。 おい 。 」 
これ は たしかに 間 違 ひで 、 一疋 しか 居 ませ ん でし た し 、 それ も 決して のど が 壊れ た の で は なく 、 あんまり 永い 間 、 空 で 号令 し た ため に 、 す つかり 声 が 錆び た の です 。 それ です から 烏 の 義勇 艦隊 は 、 その 声 を あらゆる 音 の 中 で 一等 だ と 思 つて ゐ まし た 。 
雪 のう へ に 、 仮泊 といふ こと を やつ て ゐる 烏 の 艦隊 は 、 石ころ の やう です 。 胡麻 つぶ の やう です 。 また 望遠鏡 で よく みる と 、 大きな の や 小さな の が あつ て 馬鈴薯 の やう です 。 
しかし だんだん 夕方 に なり まし た 。 
雲 が やつ と 少し 上 の 方 に のぼり まし た ので 、 とにかく 烏 の 飛ぶ くら ゐ の すき間 が でき まし た 。 
そこで 大 監督 が 息 を 切らし て 号令 を 掛け ます 。 
「 演習 はじめ いお い つ 、 出発 」 
艦隊 長 烏 の 大尉 が 、 まつ さき に ぱつと 雪 を 叩きつけ て 飛び あがり まし た 。 烏 の 大尉 の 部下 が 十 八 隻 、 順々 に 飛び あ が つて 大尉 に 続い て きちんと 間隔 を とつ て 進み まし た 。 
それから 戦闘 艦隊 が 三 十 二 隻 、 次々 に 出発 し 、 その 次に 大 監督 の 大 艦長 が 厳か に 舞 ひあがり まし た 。 
その とき は もう まつ 先 の 烏 の 大尉 は 、 四 へん ほど 空 で 螺旋 を 巻い て しま つて 雲 の 鼻 つ 端 まで 行 つて 、 そこ から こんど は まつ 直ぐ に 向 ふ の 杜 に 進む ところ でし た 。 
二 十 九 隻 の 巡洋艦 、 二 十 五 隻 の 砲艦 が 、 だんだん だんだん 飛び あがり まし た 。 おし まひ の 二 隻 は 、 いつ しよ に 出発 し まし た 。 こ ゝ ら が どうも 烏 の 軍隊 の 不 規律 な ところ です 。 
烏 の 大尉 は 、 杜 の すぐ 近く まで 行 つて 、 左 に 曲がり まし た 。 
その とき 烏 の 大 監督 が 、 「 大砲 撃て つ 。 」 と 号令 し まし た 。 
艦隊 は 一斉 に 、 が あ が あ が あ が あ 、 大砲 を うち まし た 。 
大砲 を うつ とき 、 片 脚 を ぷんと うし ろ へ 挙げる 艦 は 、 この 前 の ニダナトラ の 戦役 で の 負傷 兵 で 、 音 が まだ 脚 の 神経 に ひびく の です 。 
さて 、 空 を 大きく 四 へん 廻 つた とき 、 大 監督 が 、 
「 分 れつ 、 解散 」 と 云 ひ ながら 、 列 を はなれ て 杉 の 木 の 大 監督 官舎 に おり まし た 。 みんな 列 を ほごし て じ ぶん の 営舎 に 帰り まし た 。 
烏 の 大尉 は 、 けれども 、 すぐ に 自分 の 営舎 に 帰ら ない で 、 ひとり 、 西 の はう の さいかち の 木 に 行き まし た 。 
雲 は うす 黒く 、 た ゞ 西 の 山 のう へ だけ 濁 つ た 水色 の 天 の 淵 が のぞい て 底光り し て ゐ ます 。 そこで 烏 仲間 で マシリイ と 呼ぶ 銀 の 一つ 星 が ひらめき はじめ まし た 。 
烏 の 大尉 は 、 矢 の やう に さいかち の 枝 に 下り まし た 。 その 枝 に 、 さつき から じ つと 停 つ て 、 もの を 案じ て ゐる 烏 が あり ます 。 それ は いちばん 声 の い ゝ 砲艦 で 、 烏 の 大尉 の 許嫁 でし た 。 
「 が あ が あ 、 遅く な つて 失敬 。 今日 の 演習 で 疲れ ない かい 。 」 
「 か あ お 、 ず ゐ ぶん お待ち し た わ 。 いつか う つか れ なく て よ 。 」 
「 さ う か 。 それ は 結構 だ 。 しかし おれ は こんど しばらく お ま へ と 別れ なけれ ば なる まい よ 。 」 
「 あら 、 どうして 、 まあ 大 へん だ わ 。 」 
「 戦闘 艦隊 長 の はなし で は 、 おれ は あした 山 烏 を 追 ひ に 行く の ださ う だ 。 」 
「 まあ 、 山 烏 は 強い ので せ う 。 」 
「 うん 、 眼 玉 が 出し や ばつ て 、 嘴 が 細く て 、 ちよ つと 見掛け は 偉 さ う だ よ 。 しかし 訳 ない よ 。 」 
「 ほん た う 。 」 
「 大丈夫 さ 。 しかし もちろん 戦争 の こと だ から 、 どう いふ 張 合 で どんな こと が ある か も わから ない 。 その とき は お ま へ はね 、 おれ と の 約束 は す つかり 消え た ん だ から 、 外 へ 嫁 つ て くれ 。 」 
「 あら 、 どう し ませ う 。 まあ 、 大 へん だ わ 。 あんまり ひどい わ 、 あんまり ひどい わ 。 それでは あたし 、 あんまり ひどい わ 、 か あ お 、 か あ お 、 か あ お 、 か あ お 」 
「 泣く な 、 みつ と も ない 。 そら 、 たれ か 来 た 。 」 
烏 の 大尉 の 部下 、 烏 の 兵曹 長 が 急い で やつ て き て 、 首 を ちよ つと 横 に かしげ て 礼 を し て 云 ひ まし た 。 
「 が あ 、 艦長 殿 、 点呼 の 時間 で ござい ます 。 一同 整列 し て 居り ます 。 」 
「 よろしい 。 本 艦 は 即刻 帰 隊 する 。 お ま へ は 先 に 帰 つて よろしい 。 」 
「 承知 いたし まし た 。 」 兵曹 長 は 飛ん で 行き ます 。 
「 さあ 、 泣く な 。 あした 、 も 一度 列 の 中 で 会 へる だら う 。 
丈夫 で ゐる ん だ ぞ 。 おい 、 お前 も もう 点呼 だら う 、 すぐ 帰ら なく て は いか ん 。 手 を 出せ 。 」 
二 疋 は し つかり 手 を 握り まし た 。 大尉 は それ から 枝 を けつ て 、 急い で じ ぶん の 隊 に 帰り まし た 。 娘 の 烏 は 、 もう 枝 に 凍り 着 い た やう に 、 じ つ として 動き ませ ん 。 
夜 に なり まし た 。 
それから 夜中 に なり まし た 。 
雲 が す つかり 消え て 、 新 らしく 灼か れ た 鋼 の 空 に 、 つめたい つめたい 光 が みなぎり 、 小さな 星 が いくつ か 聯合 し て 爆発 を やり 、 水車 の 心棒 が キイ キイ 云 ひ ます 。 
た うとう 薄い 鋼 の 空 に 、 ピチリ と 裂罅 が は ひつ て 、 まつ 二つ に 開き 、 その 裂け目 から 、 あやしい 長い 腕 が たくさん ぶら 下 つて 、 烏 を 握ん で 空 の 天井 の 向 ふ 側 へ 持つ て 行か う と し ます 。 烏 の 義勇 艦隊 は もう 総掛り です 。 みんな 急い で 黒い 股引 を はい て 一生けん命 宙 を かけめぐり ます 。 兄貴 の 烏 も 弟 を か ば ふ 暇 が なく 、 恋人 同志 も た びたびひどくぶつつかり 合 ひ ます 。 
いや 、 ち が ひ まし た 。 
さ う ぢ や あり ませ ん 。 
月 が 出 た の です 。 青い ひしげ た 二 十 日 の 月 が 、 東 の 山 から 泣い て 登 つ て き た の です 。 そこで 烏 の 軍隊 は もうす つかり 安心 し て しまひ まし た 。 
たちまち 杜 は しづか に な つて 、 た ゞ おびえ て 脚 を ふみ は づした 若い 水兵 が 、 びつくり し て 眼 を さまし て 、 が あと 一 発 、 ねぼけ 声 の 大砲 を 撃つ だけ でし た 。 
ところが 烏 の 大尉 は 、 眼 が 冴え て 眠れ ませ ん でし た 。 
「 おれ は あした 戦死 する の だ 。 」 大尉 は 呟 やき ながら 、 許嫁 の ゐる 杜 の 方 に あ たま を 曲げ まし た 。 
その 昆布 の やう な 黒い なめらか な 梢 の 中 で は 、 あの 若い 声 の い ゝ 砲艦 が 、 次 から 次 と いろいろ な 夢 を 見 て ゐる の でし た 。 
烏 の 大尉 と た ゞ 二 人 、 ばたばた 羽 を ならし 、 たびたび 顔 を 見合せ ながら 、 青黒い 夜 の 空 を 、 どこ まで も どこ まで も の ぼつ て 行き まし た 。 もう マヂエル 様 と 呼ぶ 烏 の 北斗七星 が 、 大きく 近く な つて 、 その 一つ の 星 の なか に 生え て ゐる 青じろい 苹果 の 木 さ へ 、 ありあり と 見える ころ 、 どう し た わけ か 二 人 とも 、 急 に はね が 石 の やう に こ は ばつ て 、 まつ さ か さま に 落ち か ゝ り まし た 。 マヂエル 様 と 叫び ながら 愕 ろ い て 眼 を さまし ます と 、 ほん た うに から だ が 枝 から 落ち か ゝ つて ゐ ます 。 急い で はね を ひろげ 姿勢 を 直し 、 大尉 の 居る 方 を 見 まし た が 、 また いつか うとうと し ます と 、 こんど は 山 烏 が 鼻眼鏡 など を かけ て ふたり の 前 に やつ て 来 て 、 大尉 に 握手 しよ う と し ます 。 大尉 が 、 いかん いかん 、 と 云 つて 手 を ふり ます と 、 山 烏 は ピカピカ する 拳銃 を 出し て いき なり ず どんと 大尉 を 射殺 し 、 大尉 は なめらか な 黒い 胸 を 張 つて 倒れ か ゝ り ます 。 マヂエル 様 と 叫び ながら また 愕 い て 眼 を さます といふ あんばい でし た 。 
烏 の 大尉 は こちら で 、 その 姿勢 を 直す は ね の 音 から 、 そら の マヂエル を 祈る 声 まで す つかり 聴い て 居り まし た 。 
じ ぶん も また ためいき を つい て 、 その うつくしい 七つ の マヂエル の 星 を 仰ぎ ながら 、 あゝ 、 あした の 戦 で わたくし が 勝つ こと が い ゝ の か 、 山 烏 が かつ の がい ゝ の か それ は わたくし に わかり ませ ん 、 た ゞ あなた の お 考 の と ほり です 、 わたくし は わたくし に き まつ た やう に 力 い つ ぱいたゝかひます 、 みんな みんな あなた の お 考 へ の と ほり です と しづか に 祈 つて 居り まし た 。 そして 東 の そら に は 早く も 少し の 銀 の 光 が 湧い た の です 。 
ふと 遠い 冷たい 北の方 で 、 なにか 鍵 で も 触れ あつ た やう な かすか な 声 が し まし た 。 烏 の 大尉 は 夜間 双眼鏡 を 手早く 取 つ て 、 きつ と そつ ち を 見 まし た 。 星あかり の こちら の ぼんやり 白い 峠 の 上 に 、 一 本 の 栗 の 木 が 見え まし た 。 その 梢 に と まつ て 空 を 見 あげ て ゐる もの は 、 たしかに 敵 の 山 烏 です 。 大尉 の 胸 は 勇ましく 躍り まし た 。 
「 が あ 、 非常 召集 、 が あ 、 非常 召集 」 
大尉 の 部下 は たちまち 枝 を けたて て 飛び あがり 大尉 の ま はり を かけめぐり ます 。 
「 突貫 。 」 烏 の 大尉 は 先登 に な つて まつ し ぐらに 北 へ 進み まし た 。 
もう 東 の 空 は あたらしく 研い だ 鋼 の やう な 白光 です 。 
山 烏 は あわて て 枝 を け 立て まし た 。 そして 大きく はね を ひろげ て 北の方 へ 遁 げ 出さ う と し まし た が 、 もう その とき は 駆逐 艦 たち は ま はり を す つかり 囲ん で ゐ まし た 。 
「 が あ 、 が あ 、 が あ 、 が あ 、 が あ 」 大砲 の 音 は 耳 も つん ぼ に なり さ う です 。 山 烏 は 仕方 なく 足 を ぐらぐら し ながら 上 の 方 へ 飛び あがり まし た 。 大尉 は たちまち それ に 追 ひ 付い て 、 その ま つくろ な 頭 に 鋭く 一 突き 食 ら は せ まし た 。 山 烏 は よろよろ つと な つて 地面 に 落ち か ゝ り まし た 。 そこ を 兵曹 長 が 横 から もう 一 突き やり まし た 。 山 烏 は 灰 いろ の まぶた を と ぢ 、 あけ 方 の 峠 の 雪 の 上 に つめたく 横 はり まし た 。 
「 が あ 、 兵曹 長 。 その 死骸 を 営舎 まで もつ て 帰る やう に 。 が あ 。 引き揚げ つ 。 」 
「 かしこまり まし た 。 」 強い 兵曹 長 は その 死骸 を 提げ 、 烏 の 大尉 はじ ぶん の 杜 の 方 に 飛び はじめ 十 八 隻 は し た が ひ まし た 。 
杜 に 帰 つて 烏 の 駆逐 艦 は 、 みな ほう ほう 白い 息 を はき まし た 。 
「 けが は 無い か 。 誰 か けがし た もの は 無い か 。 」 烏 の 大尉 は みんな を い た はつ て あるき まし た 。 
夜 が す つかり 明け まし た 。 
桃 の 果汁 の やう な 陽 の 光 は 、 ま づ 山 の 雪 に い つ ぱいに 注ぎ 、 それ から だんだん 下 に 流れ て 、 つ ひ に は そこら いち めん 、 雪 の なか に 白 百 合 の 花 を 咲かせ まし た 。 
ぎらぎら の 太陽 が 、 かなし いくら ゐ ひか つ て 、 東 の 雪 の 丘 の 上 に 懸り まし た 。 
「 観兵 式 、 用意 つ 、 集 れい 。 」 大 監督 が 叫び まし た 。 
「 観兵 式 、 用意 つ 、 集 れい 。 」 各 艦隊 長 が 叫び まし た 。 
みんな す つかり 雪 の たんぼ に ならび まし た 。 
烏 の 大尉 は 列 から は なれ て 、 ぴかぴか する 雪 の 上 を 、 足 を すくすく 延ばし て まつ すぐ に 走 つ て 大 監督 の 前 に 行き まし た 。 
「 報告 、 け ふ あけ がた 、 セピラ の 峠 の 上 に 敵艦 の 碇泊 を 認め まし た ので 、 本 艦隊 は 直ちに 出動 、 撃沈 いたし まし た 。 わが 軍 死者 なし 。 報告 終り つ 。 」 
駆逐 艦隊 は もう あんまり うれしく て 、 熱い 涙 を ぼろぼろ 雪 の 上 に こぼし まし た 。 
烏 の 大 監督 も 、 灰 いろ の 眼 から 泪 を ながし て 云 ひ まし た 。 
「 ギイギイ 、 ご苦労 だ つ た 。 ご苦労 だ つ た 。 よく やつ た 。 もう お ま へ は 少佐 に な つて も い ゝ だら う 。 お ま へ の 部下 の 叙勲 は お ま へ に まかせる 。 」 
烏 の 新 らしい 少佐 は 、 お腹 が 空い て 山 から 出 て 来 て 、 十 九 隻 に 囲ま れ て 殺さ れ た 、 あの 山 烏 を 思ひ 出し て 、 あたらしい 泪 を こぼし まし た 。 
「 ありがたう ござい ます 。 就 て は 敵 の 死骸 を 葬り たい とお も ひ ます が 、 お許し 下さい ませ う か 。 」 
「 よろしい 。 厚く 葬 つ て やれ 。 」 
烏 の 新 らしい 少佐 は 礼 を し て 大 監督 の 前 を さ がり 、 列 に 戻 つ て 、 いま マヂエル の 星 の 居る あたり の 青 ぞ ら を 仰ぎ まし た 。 （ あゝ 、 マヂエル 様 、 どうか 憎む こと の でき ない 敵 を 殺さ ない で い ゝ やう に 早く この 世界 が なり ます やう に 、 その ため なら ば 、 わたくし の からだ など は 、 何 べ ん 引き裂か れ て も かま ひ ませ ん 。 ） マヂエル の 星 が 、 ちやう ど 来 て ゐる あたり の 青 ぞ ら から 、 青い ひかり が うらうら と 湧き まし た 。 
美しく まつ 黒 な 砲艦 の 烏 は 、 その あ ひだ 中 、 みんな と いつ しよ に 、 不動 の 姿勢 を とつ て 列び ながら 、 始終 きらきら きらきら 涙 を こぼし まし た 。 砲艦 長 は それ を 見 ない ふり し て ゐ まし た 。 あした から 、 また 許嫁 と いつ しよ に 、 演習 が できる の です 。 あんまり うれしい ので 、 たびたび 嘴 を 大きく あけ て 、 まつ 赤 に 日光 に 透か せ まし た が 、 それ も 砲艦 長 は 横 を 向い て 見 逃がし て ゐ まし た 。 
小岩井 農場 の 北 に 、 黒い 松 の 森 が 四つ あり ます 。 いちばん 南 が 狼森 で 、 その 次 が 笊森 、 次 は 黒坂 森 、 北 の はずれ は 盗 森 です 。 
この 森 が いつ ごろ どうして でき た の か 、 どうして こんな 奇 体 な 名前 が つい た の か 、 それ を いちばん はじめ から 、 すっかり 知っ て いる もの は 、 おれ 一 人 だ と 黒坂 森 の まんなか の 巨 き な 巌 が 、 ある 日 、 威張っ て この お はなし を わたくし に 聞か せ まし た 。 
ず うっ と 昔 、 岩手山 が 、 何 べ ん も 噴火 し まし た 。 その 灰 で そこら は すっかり 埋まり まし た 。 この まっ黒 な 巨 き な 巌 も 、 やっぱり 山 から はね 飛ばさ れ て 、 今 の ところ に 落ち て 来 た の だ そう です 。 
噴火 が やっと しずまる と 、 野原 や 丘 に は 、 穂 の ある 草 や 穂 の ない 草 が 、 南 の 方 から だんだん 生え て 、 とうとう そこら いっぱい に なり 、 それから 柏 や 松 も 生え 出し 、 しまいに 、 いま の 四つ の 森 が でき まし た 。 けれども 森 に は まだ 名前 も なく 、 めいめい 勝手 に 、 おれ は おれ だ と 思っ て いる だけ でし た 。 すると ある 年 の 秋 、 水 の よう に つめ たい すきとおる 風 が 、 柏 の 枯れ葉 を さらさら 鳴らし 、 岩手山 の 銀 の 冠 に は 、 雲 の 影 が くっきり 黒く うつっ て いる 日 でし た 。 
四 人 の 、 けら を 着 た 百姓 たち が 、 山刀 や 三 本 鍬 や 唐鍬 や 、 すべて 山 と 野原 の 武器 を 堅く からだ に しばりつけ て 、 東 の 稜 ばった 燧石 の 山 を 越え て 、 のっしのっし と 、 この 森 に かこま れ た 小さな 野原 に やって来 まし た 。 よく みる と みんな 大きな 刀 も さし て い た の です 。 
先頭 の 百姓 が 、 そこら の 幻 燈 の よう な けしき を 、 みんな に あちこち 指さし て 
「 どう だ 。 いい とこ だろ う 。 畑 は すぐ 起 せる し 、 森 は 近い し 、 きれい な 水 も ながれ て いる 。 それに 日 あたり も いい 。 どう だ 、 俺 は もう 早く から 、 ここ と 決め て 置い た ん だ 。 」 と 云い ます と 、 一 人 の 百姓 は 、 
「 しかし 地味 は どう か な 。 」 と 言い ながら 、 屈ん で 一 本 の すすき を 引き抜い て 、 その 根 から 土 を 掌 に ふるい落し て 、 しばらく 指 で こね たり 、 ちょっと 嘗め て み たり し て から 云い まし た 。 
「 うん 。 地味 も ひどく よく は ない が 、 また ひどく 悪く も ない な 。 」 
「 さあ 、 それでは いよいよ ここ と きめる か 。 」 
も 一 人 が 、 なつかし そう に あたり を 見 まわし ながら 云い まし た 。 
「 よし 、 そう 決めよ う 。 」 いま まで だまっ て 立っ て い た 、 四 人 目 の 百姓 が 云い まし た 。 
四 人 は そこ で よろこん で 、 せ なか の 荷物 を どし ん と おろし て 、 それ から 来 た 方 へ 向い て 、 高く 叫び まし た 。 
「 おおい 、 おおい 。 ここ だ ぞ 。 早く 来 お 。 早く 来 お 。 」 
すると 向う の すすき の 中 から 、 荷物 を たくさん しょっ て 、 顔 を まっか に し て お かみさん たち が 三 人 出 て 来 まし た 。 見る と 、 五つ 六つ より 下 の 子供 が 九 人 、 わいわい 云い ながら 走っ て つい て 来る の でし た 。 
そこで 四 人 の 男 たち は 、 てんでに すき な 方 へ 向い て 、 声 を 揃え て 叫び まし た 。 
「 ここ へ 畑 起し て も いい か あ 。 」 
「 いい ぞ お 。 」 森 が 一斉 に こたえ まし た 。 
みんな は 又 叫び まし た 。 
「 ここ に 家 建て て も いい か あ 。 」 
「 ようし 。 」 森 は 一 ぺん に こたえ まし た 。 
みんな は また 声 を そろえ て たずね まし た 。 
「 ここ で 火 たい て も いい か あ 。 」 
「 いい ぞ お 。 」 森 は 一 ぺん に こたえ まし た 。 
みんな は また 叫び まし た 。 
「 すこし 木 貰っ て も いい か あ 。 」 
「 ようし 。 」 森 は 一斉 に こたえ まし た 。 
男 たち は よろこん で 手 を たたき 、 さっき から 顔色 を 変え て 、 しん として 居 た 女 や こども ら は 、 にわかに はしゃぎ だし て 、 子供 ら は うれし まぎれ に 喧嘩 を し たり 、 女 たち は その 子 を ぽかぽか 撲っ たり し まし た 。 
その 日 、 晩方 まで に は 、 もう 萱 を かぶせ た 小さな 丸太 の 小屋 が 出来 て い まし た 。 子供 たち は 、 よろこん で その まわり を 飛ん だり はね たり し まし た 。 次 の 日 から 、 森 は その 人 たち の きち がい の よう に なっ て 、 働 ら い て いる の を 見 まし た 。 男 は みんな 鍬 を ピカリピカリ さ せ て 、 野原 の 草 を 起し まし た 。 女 たち は 、 まだ 栗鼠 や 野鼠 に 持っ て 行か れ ない 栗 の 実 を 集め たり 、 松 を 伐っ て 薪 を つくっ たり し まし た 。 そして まもなく 、 いち めん の 雪 が 来 た の です 。 
その 人 たち の ため に 、 森 は 冬 の あいだ 、 一生懸命 、 北 から の 風 を 防い で やり まし た 。 それでも 、 小さな こども ら は 寒 がっ て 、 赤く はれ た 小さな 手 を 、 自分 の 咽喉 に あて ながら 、 「 冷たい 、 冷たい 。 」 と 云っ て よく 泣き まし た 。 
春 に なっ て 、 小屋 が 二つ に なり まし た 。 
そして 蕎麦 と 稗 と が 播か れ た よう でし た 。 そば に は 白い 花 が 咲き 、 稗 は 黒い 穂 を 出し まし た 。 その 年 の 秋 、 穀物 が とにかく みのり 、 新 らしい 畑 が ふえ 、 小屋 が 三つ に なっ た とき 、 みんな は あまり 嬉しく て 大人 まで が はね 歩き まし た 。 ところが 、 土 の 堅く 凍っ た 朝 でし た 。 九 人 の こども ら の なか の 、 小さな 四 人 が どう し た の か 夜 の 間 に 見え なく なっ て い た の です 。 
みんな は まるで 、 気違い の よう に なっ て 、 その 辺 を あちこち さがし まし た が 、 こども ら の 影 も 見え ませ ん でし た 。 
そこで みんな は 、 てんでに すき な 方 へ 向い て 、 一緒 に 叫び まし た 。 
「 たれ か 童 ゃど 知ら ない か 。 」 
「 しら ない 」 と 森 は 一斉 に こたえ まし た 。 
「 そん だら さがし に 行く ぞ お 。 」 と みんな は また 叫び まし た 。 
「 来 お 。 」 と 森 は 一斉 に こたえ まし た 。 
そこで みんな は 色々 の 農具 を もっ て 、 まず 一番 ちかい 狼森 に 行き まし た 。 森 へ 入り ます と 、 すぐ しめっ た つめたい 風 と 朽葉 の 匂 と が 、 すっと みんな を 襲い まし た 。 
みんな は どんどん 踏みこん で 行き まし た 。 
すると 森 の 奥 の 方 で 何 か パチ パチ 音 が し まし た 。 
急い で そっち へ 行っ て 見 ます と 、 すきとおっ た ばら色 の 火 が どんどん 燃え て い て 、 狼 が 九 疋 、 くるくる くるくる 、 火 の まわり を 踊っ て かけ 歩い て いる の でし た 。 
だんだん 近く へ 行っ て 見る と 居 なく なっ た 子供 ら は 四 人 共 、 その 火 に 向い て 焼い た 栗 や 初茸 など を たべ て い まし た 。 
狼 は みんな 歌 を 歌っ て 、 夏 の まわり 燈籠 の よう に 、 火 の まわり を 走っ て い まし た 。 
「 狼森 の まんなか で 、 
火 は どろどろ ぱちぱち 
火 は どろどろ ぱちぱち 、 
栗 は ころころ ぱちぱち 、 
栗 は ころころ ぱちぱち 。 」 
みんな は そこで 、 声 を そろえ て 叫び まし た 。 
「 狼 どの 狼 どの 、 童 しゃ ど 返し て 呉 ろ 。 」 
狼 は みんな びっくり し て 、 一 ぺん に 歌 を やめ て くち を まげ て 、 みんな の 方 を ふり向き まし た 。 
すると 火 が 急 に 消え て 、 そこら は にわかに 青く しいんと なっ て しまっ た ので 火 の そば の こども ら は わあ と 泣き 出し まし た 。 
狼 は 、 どう し たら いい か 困っ た という よう に しばらく きょろきょろ し て い まし た が 、 とうとう みんな いちどに 森 の もっと 奥 の 方 へ 逃げ て 行き まし た 。 
そこで みんな は 、 子供 ら の 手 を 引い て 、 森 を 出よ う と し まし た 。 すると 森 の 奥 の 方 で 狼 ども が 、 
「 悪く 思わ ない で 呉 ろ 。 栗 だの きのこ だの 、 うんと ご馳走 し た ぞ 。 」 と 叫ぶ の が きこえ まし た 。 みんな は うち に 帰っ て から 粟 餅 を こしらえ て お礼 に 狼森 へ 置い て 来 まし た 。 
春 に なり まし た 。 そして 子供 が 十 一 人 に なり まし た 。 馬 が 二 疋来 まし た 。 畠 に は 、 草 や 腐っ た 木の葉 が 、 馬 の 肥 と 一緒 に 入り まし た ので 、 粟 や 稗 は まっさお に 延び まし た 。 
そして 実 も よく とれ た の です 。 秋 の 末 の みんな の よろこび よう と いっ たら あり ませ ん でし た 。 
ところが 、 ある 霜柱 の たった つめたい 朝 でし た 。 
みんな は 、 今年 も 野原 を 起し て 、 畠 を ひろげ て い まし た ので 、 その 朝 も 仕事 に 出よ う として 農具 を さがし ます と 、 どこ の 家 に も 山刀 も 三 本 鍬 も 唐鍬 も 一つ も あり ませ ん でし た 。 
みんな は 一生懸命 そこら を さがし まし た が 、 どうしても 見附 かり ませ ん でし た 。 それで 仕方 なく 、 めいめい すき な 方 へ 向い て 、 いっしょ に たかく 叫び まし た 。 
「 おら の 道具 知ら ない か あ 。 」 
「 知ら ない ぞ お 。 」 と 森 は 一 ぺん に こたえ まし た 。 
「 さがし に 行く ぞ お 。 」 と みんな は 叫び まし た 。 
「 来 お 。 」 と 森 は 一斉 に 答え まし た 。 
みんな は 、 こんど は なんにも もた ない で 、 ぞろぞろ 森 の 方 へ 行き まし た 。 はじめ は まず 一番 近い 狼森 に 行き まし た 。 
すると 、 すぐ 狼 が 九 疋出 て 来 て 、 みんな まじめ な 顔 を し て 、 手 を せわしく ふっ て 云い まし た 。 
「 無い 、 無い 、 決して 無い 、 無い 。 外 を さがし て 無かっ たら 、 もう 一 ぺん おいで 。 」 
みんな は 、 尤も だ と 思っ て 、 それから 西 の 方 の 笊森 に 行き まし た 。 そして だんだん 森 の 奥 へ 入っ て 行き ます と 、 一 本 の 古い 柏 の 木の下 に 、 木 の 枝 で あん だ 大きな 笊 が 伏せ て あり まし た 。 
「 こいつ は どうも あやしい ぞ 。 笊森 の 笊 は もっとも だ が 、 中 に は 何 が ある か わから ない 。 一つ あけ て 見よ う 。 」 と 云い ながら それ を あけ て 見 ます と 、 中 に は 無くなっ た 農具 が 九つ とも 、 ちゃんと はいっ て い まし た 。 
それどころ で は なく 、 まんなか に は 、 黄金 色 の 目 を し た 、 顔 の まっか な 山男 が 、 あぐら を かい て 座っ て い まし た 。 そして みんな を 見る と 、 大きな 口 を あけ て バア と 云い まし た 。 
子供 ら は 叫ん で 逃げ出そ う と し まし た が 、 大人 は びく と も し ない で 、 声 を そろえ て 云い まし た 。 
「 山男 、 これから いたずら 止め て 呉 ろ よ 。 くれぐれ 頼む ぞ 、 これから いたずら 止め で 呉 ろ よ 。 」 
山男 は 、 大 へん 恐縮 し た よう に 、 頭 を かい て 立っ て 居り まし た 。 みんな は てんでに 、 自分 の 農具 を 取っ て 、 森 を 出 て 行こ う と し まし た 。 
すると 森 の 中 で 、 さっき の 山男 が 、 
「 おら さ も 粟 餅 持っ て 来 て 呉 ろ よ 。 」 と 叫ん で くるり と 向う を 向い て 、 手 で 頭 を かくして 、 森 の もっと 奥 へ 走っ て 行き まし た 。 
みんな は あっ は あっ は と 笑っ て 、 うち へ 帰り まし た 。 そして 又 粟 餅 を こしらえ て 、 狼森 と 笊森 に 持っ て 行っ て 置い て き まし た 。 
次 の 年 の 夏 に なり まし た 。 平ら な 処 は もう みんな 畑 です 。 うち に は 木 小屋 が つい たり 、 大きな 納屋 が 出来 たり し まし た 。 
それから 馬 も 三 疋 に なり まし た 。 その 秋 の とりいれ の みんな の 悦び は 、 とても 大 へん な もの でし た 。 
今年 こそ は 、 どんな 大きな 粟 餅 を こさえ て も 、 大丈夫 だ と おもっ た の です 。 
そこで 、 やっぱり 不思議 な こと が 起り まし た 。 
ある 霜 の 一 面 に 置い た 朝 納屋 の なか の 粟 が 、 みんな 無くなっ て い まし た 。 みんな は まるで 気 が 気 で なく 、 一生けん命 、 その 辺 を かけまわり まし た が 、 どこ に も 粟 は 、 一 粒 も こぼれ て い ませ ん でし た 。 
みんな は がっかり し て 、 てんでに すき な 方 へ 向い て 叫び まし た 。 
「 おら の 粟 知ら ない か あ 。 」 
「 知ら ない ぞ お 。 」 森 は 一 ぺん に こたえ まし た 。 
「 さがし に 行く ぞ 。 」 と みんな は 叫び まし た 。 
「 来 お 。 」 と 森 は 一斉 に こたえ まし た 。 
みんな は 、 てんでに すき な え 物 を 持っ て 、 まず 手近 の 狼森 に 行き まし た 。 
狼 共 は 九 疋共 もう 出 て 待っ て い まし た 。 そして みんな を 見 て 、 フッ と 笑っ て 云い まし た 。 
「 今日 も 粟 餅 だ 。 ここ に は 粟 なんか 無い 、 無い 、 決して 無い 。 ほか を さがし て も なかっ たら また ここ へ おいで 。 」 
みんな は もっとも と 思っ て 、 そこ を 引きあげ て 、 今度 は 笊森 へ 行き まし た 。 
すると 赤 つら の 山男 は 、 もう 森 の 入口 に 出 て い て 、 にやにや 笑っ て 云い まし た 。 
「 あわ もち だ 。 あわ もち だ 。 おら は なっ て も 取ら ない よ 。 粟 を さがす なら 、 もっと 北 に 行っ て 見 たら よ か べ 。 」 
そこで みんな は 、 もっとも だ と 思っ て 、 こんど は 北 の 黒 坂森 、 すなわち この はなし を 私 に 聞か せ た 森 の 、 入口 に 来 て 云い まし た 。 
「 粟 を 返し て 呉 ろ 。 粟 を 返し て 呉 ろ 。 」 
黒坂 森 は 形 を 出さ ない で 、 声 だけ で こたえ まし た 。 
「 おれ は あけ 方 、 まっ黒 な 大きな 足 が 、 空 を 北 へ とん で 行く の を 見 た 。 もう少し 北の方 へ 行っ て 見ろ 。 」 そして 粟 餅 の こと など は 、 一言 も 云わ なかっ た そう です 。 そして 全く その 通り だっ たろ う と 私 も 思い ます 。 なぜなら 、 この 森 が 私 へ この 話 を し た あと で 、 私 は 財布 から ありっきり の 銅貨 を 七 銭 出し て 、 お礼 に やっ た の でし た が 、 この 森 は 仲 々 受け取り ませ ん でし た 、 この 位 気性 が さっぱり と し て い ます から 。 
さて みんな は 黒坂 森 の 云う こと が 尤も だ と 思っ て 、 もう少し 北 へ 行き まし た 。 
それ こそ は 、 松 の まっ黒 な 盗 森 でし た 。 です から みんな も 、 
「 名 から し て ぬ す と 臭い 。 」 と 云い ながら 、 森 へ 入っ て 行っ て 、 「 さあ 粟 返せ 。 粟 返せ 。 」 と どなり まし た 。 
すると 森 の 奥 から 、 まっくろ な 手 の 長い 大きな 大きな 男 が 出 て 来 て 、 まるで さける よう な 声 で 云い まし た 。 
「 何 だ と 。 おれ を ぬ す と だ と 。 そう 云う やつ は 、 みんな たたき 潰し て やる ぞ 。 ぜんたい 何 の 証拠 が ある ん だ 。 」 
「 証人 が ある 。 証人 が ある 。 」 と みんな は こたえ まし た 。 
「 誰 だ 。 畜生 、 そんな こと 云う やつ は 誰 だ 。 」 と 盗 森 は 咆 え まし た 。 
「 黒坂 森 だ 。 」 と 、 みんな も 負け ず に 叫び まし た 。 
「 あいつ の 云う こと は てんで あて に なら ん 。 なら ん 。 なら ん 。 なら ん ぞ 。 畜生 。 」 と 盗 森 は どなり まし た 。 
みんな も もっとも だ と 思っ たり 、 恐ろしく なっ たり し て お 互に 顔 を 見合せ て 逃げ出そ う と し まし た 。 
すると 俄 に 頭 の 上 で 、 
「 いやいや 、 それ は なら ん 。 」 という はっきり し た 厳か な 声 が し まし た 。 
見る と それ は 、 銀 の 冠 を かぶっ た 岩手山 でし た 。 盗 森 の 黒い 男 は 、 頭 を かかえ て 地 に 倒れ まし た 。 
岩手山 は しずか に 云い まし た 。 
「 ぬ す と は たしかに 盗 森 に 相違 ない 。 おれ は あけ がた 、 東 の 空 の ひかり と 、 西 の 月 の あかり と で 、 たしかに それ を 見届け た 。 しかし みんな も もう 帰っ て よかろ う 。 粟 は きっと 返さ せよ う 。 だから 悪く 思わ んで 置け 。 一体 盗 森 は 、 じ ぶん で 粟 餅 を こさえ て 見 たく て たまらなかっ た の だ 。 それで 粟 も 盗ん で 来 た の だ 。 はっ はっ は 。 」 
そして 岩手山 は 、 また すまし て そら を 向き まし た 。 男 は もう その 辺 に 見え ませ ん でし た 。 
みんな は あっけ に とら れ て がやがや 家 に 帰っ て 見 まし たら 、 粟 は ちゃんと 納屋 に 戻っ て い まし た 。 そこで みんな は 、 笑っ て 粟 もち を こしらえ て 、 四つ の 森 に 持っ て 行き まし た 。 
中でも ぬ す と 森 に は 、 いちばん たくさん 持っ て 行き まし た 。 その 代り 少し 砂 が はいっ て い た そう です が 、 それ は どうも 仕方 なかっ た こと でしょ う 。 
さて それ から 森 も すっかり みんな の 友だち でし た 。 そして 毎年 、 冬 の はじめ に は きっと 粟 餅 を 貰い まし た 。 
しかし その 粟 餅 も 、 時節がら 、 ずいぶん 小さく なっ た が 、 これ も どうも 仕方 が ない と 、 黒坂 森 の まん中 の まっくろ な 巨 き な 巌 が おしまい に 云っ て い まし た 。 
（ 四月 の 夜 、 と し 老 っ た 猫 が ） 
友達 の うち の あまり 明るく ない 電 燈 の 向 ふ に その 年 老 っ た 猫 が しづか に 顔 を 出し た 。 
（ アンデルゼン の 猫 を 知っ て ゐ ます か 。 
暗闇 で 毛 を 逆立て ゝ パチ パチ 火花 を 出す アンデルゼン の 猫 を 。 ） 
実に なめらか による の 気圏 の 底 を 猫 が 滑っ て やっ て 来る 。 
（ 私 は 猫 は 大 嫌 ひ です 。 猫 の からだ の 中 を 考へる と 吐き出し さ うに なり ます 。 ） 
猫 は 停っ て すわっ て 前 あし で からだ を こする 。 見 て ゐる と つめたい そして 底 知れ ない 変 な もの が 猫 の 毛皮 を 網 に なっ て 覆 ひ 、 猫 は その 網 糸 を 延ばし て 毛皮 一 面 に 張っ て ゐる の だ 。 
（ 毛皮 といふ もの は 厭 な もん だ 。 毛皮 を 考へる と 私 は 変 に 苦笑 ひがし たく なる 。 陰電気 の ため かも 知れ ない 。 ） 
猫 は 立ちあがり から だ を うんと 延ばし かすか に かすか に ミウ と 鳴き するりと 暗 の 中 へ 流れ て 行っ た 。 
（ どう 考へ て も 私 は 猫 は 厭 です よ 。 ） 
軽便鉄道 の 停車場 の ちかく に 、 猫 の 第 六 事務所 が あり まし た 。 ここ は 主 に 、 猫 の 歴史 と 地理 を しらべる ところ でし た 。 
書記 は みな 、 短い 黒 の 繻子 の 服 を 着 て 、 それに 大 へん みんな に 尊敬 さ れ まし た から 、 何 か の 都合 で 書記 を やめる もの が ある と 、 そこら の 若い 猫 は 、 どれ も どれ も 、 みんな その あと へ 入り た が つて ばたばた し まし た 。 
けれども 、 この 事務所 の 書記 の 数 は いつも ただ 四 人 とき まつ て ゐ まし た から 、 その 沢山 の 中 で 一番 字 が うまく 詩 の 読める もの が 、 一 人 やつ と えらば れる だけ でし た 。 
事務 長 は 大きな 黒 猫 で 、 少し もうろく し て は ゐ まし た が 、 眼 など は 中 に 銅 線 が 幾重 も 張 つて ある か の やう に 、 じつに 立派 に でき て ゐ まし た 。 
さて その 部下 の 
一番 書記 は 白 猫 でし た 、 
二 番 書記 は 虎猫 でし た 、 
三 番 書記 は 三 毛 猫 でし た 、 
四 番 書記 は 竃 猫 でし た 。 
竃 猫 といふ の は 、 これ は 生れ 付き で は あり ませ ん 。 生れ 付き は 何 猫 でも いい の です が 、 夜 か ま どの 中 に は ひつ て ねむる 癖 が ある ため に 、 いつ でも から だ が 煤 で きたなく 、 殊に 鼻 と 耳 に は ま つくろ に すみ が つい て 、 何だか 狸 の やう な 猫 の こと を 云 ふ の です 。 
ですから かま 猫 は ほか の 猫 に は 嫌 はれ ます 。 
けれども この 事務所 で は 、 何せ 事務 長 が 黒 猫 な もん です から 、 この かま 猫 も 、 あたり前 なら いくら 勉強 が でき て も 、 とても 書記 なんか に なれ ない 筈 の を 、 四 十 人 の 中 から えらびださ れ た の です 。 
大きな 事務所 の まん中 に 、 事務 長 の 黒 猫 が 、 まつ 赤 な 羅紗 を かけ た 卓 を 控 へ て ど つかり 腰かけ 、 その 右側 に 一番 の 白 猫 と 三 番 の 三 毛 猫 、 左側 に 二 番 の 虎猫 と 四 番 の かま 猫 が 、 めいめい 小さな テーブル を 前 に し て 、 きちんと 椅子 にかけて ゐ まし た 。 
ところで 猫 に 、 地理 だの 歴史 だの 何 に なる か と 云 ひ ます と 、 
まあ こんな 風 です 。 
事務所 の 扉 を こつこつ 叩く もの が あり ます 。 
「 は ひれ つ 。 」 事務 長 の 黒 猫 が 、 ポケツト に 手 を 入れ て ふんぞり か へ つて どなり まし た 。 
四 人 の 書記 は 下 を 向い て いそがし さ うに 帳面 を しらべ て ゐ ます 。 
ぜいたく 猫 が は ひつ て 来 まし た 。 
「 何 の 用 だ 。 」 事務 長 が 云 ひ ます 。 
「 わし は 氷河 鼠 を 食 ひ に ベーリング 地方 へ 行き たい の だ が 、 どこら が いちばん いい だら う 。 」 
「 うん 、 一番 書記 、 氷河 鼠 の 産地 を 云 へ 。 」 
一番 書記 は 、 青い 表紙 の 大きな 帳面 を ひらい て 答 へ まし た 。 
「 ウステラゴメナ 、 ノバスカイヤ 、 フサ 河 流域 で あり ます 。 」 
事務 長 は ぜいたく 猫 に 云 ひ まし た 。 
「 ウステラゴメナ 、 ノバ … … … 何と 云 つ た か な 。 」 
「 ノバスカイヤ 。 」 一番 書記 と ぜいたく 猫 が いつ しよ に 云 ひ まし た 。 
「 さ う 、 ノバスカイヤ 、 それから 何 ！ ？ 」 
「 フサ 川 。 」 また ぜいたく 猫 が 一番 書記 と いつ しよ に 云 つ た ので 、 事務 長 は 少し きまり 悪 さ う でし た 。 
「 さ うさ う 、 フサ 川 。 まあ あそこ ら が いい だら う な 。 」 
「 で 旅行 について の 注意 は どんな もの だら う 。 」 
「 うん 、 二 番 書記 、 ベーリング 地方 旅行 の 注意 を 述べよ 。 」 
「 はつ 。 」 二 番 書記 はじ ぶん の 帳面 を 繰り まし た 。 「 夏 猫 は 全然 旅行 に 適 せ ず 」 する と どう いふ わけ か 、 この 時 みんな が かま 猫 の 方 を じ ろ つと 見 まし た 。 
「 冬 猫 も また 細心 の 注意 を 要す 。 函館 付近 、 馬肉 にて 釣ら るる 危険 あり 。 特に 黒 猫 は 充分 に 猫 なる こと を 表示 し つつ 旅行 する に 非 れ ば 、 応々黒 狐 と 誤認 せら れ 、 本気 にて 追跡 さ るる こと あり 。 」 
「 よし 、 いま の 通り だ 。 貴殿 は 我輩 の やう に 黒 猫 で は ない から 、 まあ 大した 心配 は ある まい 。 函館 で 馬肉 を 警戒 する ぐらゐのところだ 。 」 
「 さ う 、 で 、 向 ふ で の 有力 者 は どんな もの だら う 。 」 
「 三 番 書記 、 ベーリング 地方 有力 者 の 名称 を 挙げよ 。 」 
「 はい 、 え ゝ と 、 ベーリング 地方 と 、 はい 、 トバスキー 、 ゲンゾスキー 、 二 名 で あり ます 。 」 
「 トバスキー と ゲンゾスキー といふ の は 、 どう いふ やう な やつ ら か な 。 」 
「 四 番 書記 、 トバスキー と ゲンゾスキー について 大略 を 述べよ 。 」 
「 はい 。 」 四 番 書記 の かま 猫 は 、 もう 大 原簿 の トバスキー と ゲンゾスキー と の ところ に 、 みじかい 手 を 一 本 づつ 入れ て 待つ て ゐ まし た 。 そこで 事務 長 も ぜいたく 猫 も 、 大 へん 感服 し た らしい の でし た 。 
ところが ほか の 三 人 の 書記 は 、 いかにも 馬鹿 に し た やう に 横目 で 見 て 、 ヘツ と わら つて ゐ まし た 。 かま 猫 は 一生けん命 帳面 を 読み あげ まし た 。 
「 トバスキー 酋長 、 徳望 あり 。 眼光 炯々 たる も 物 を 言 ふこ と 少しく 遅し 、 ゲンゾスキー 財産 家 、 物 を 言 ふこ と 少しく 遅けれ ども 眼光 炯々 たり 。 」 
「 いや 、 それ で わかり まし た 。 ありがたう 。 」 
ぜいたく 猫 は 出 て 行き まし た 。 
こんな 工合 で 、 猫 に は まあ 便利 な もの でし た 。 ところが 今 の お はなし から ちやう ど 半年 ばかり たつ た とき 、 た うとう この 第 六 事務所 が 廃止 に なつ て しまひ まし た 。 といふ わけ は 、 もう みなさん も お気づき で せ う が 、 四 番 書記 の かま 猫 は 、 上 の 方 の 三 人 の 書記 から ひどく 憎まれ て ゐ まし た し 、 ことに 三 番 書記 の 三 毛 猫 は 、 この かま 猫 の 仕事 を じ ぶん が やつ て 見 たく て たまらなく な つたの です 。 かま 猫 は 、 何とか みんな に よく 思は れよ う と いろいろ 工夫 を し まし た が 、 どうも か へ つ て いけ ませ ん でし た 。 
たとへば 、 ある 日 と なり の 虎猫 が 、 ひる のべん た う を 、 机 の 上 に 出し て たべ はじめよ う と し た とき に 、 急 に あくび に 襲 はれ まし た 。 
そこで 虎猫 は 、 みじかい 両手 を あら ん かぎり 高く 延ばし て 、 ず ゐ ぶん 大きな あくび を やり まし た 。 これ は 猫 仲間 で は 、 目上 の 人 に も 無礼 な こと で も 何 で も なく 、 人 なら ば ま づ 鬚 でも ひねる ぐらゐのところですから 、 それ はかま ひ ませ ん けれども 、 いけ ない こと は 、 足 を ふん ばつた ため に 、 テーブル が 少し 坂 に な つて 、 べ ん た うば こ が するする つと 滑 つて 、 た うとう が たつ と 事務 長 の 前 の 床 に 落ち て し まつ た の です 。 それ は でこぼこ で は あり まし た が 、 アルミニユーム で でき て ゐ まし た から 、 大丈夫 こ はれ ませ ん でし た 。 そこで 虎猫 は 急い で あくび を 切り上げ て 、 机 の 上 から 手 を のばし て 、 それ を 取ら う と し まし た が 、 やつ と 手 が かかる か かから ない か 位 な ので 、 べ ん た うば こ は 、 あつ ち へ 行 つ たり こ つ ち へ 寄 つ たり 、 なかなか うまく つかまり ませ ん でし た 。 
「 君 、 だめ だ よ 。 とどか ない よ 。 」 と 事務 長 の 黒 猫 が 、 もしや もしや パン を 喰 べ ながら 笑 つて 云 ひ まし た 。 その 時 四 番 書記 の かま 猫 も 、 ちや うど べ ん た う の 蓋 を 開い た ところ でし た が 、 それ を 見 て すばやく 立つ て 、 弁当 を 拾 つて 虎猫 に 渡さ う と し まし た 。 ところが 虎猫 は 急 に ひどく 怒り 出し て 、 折角 かま 猫 の 出し た 弁当 も 受け取ら ず 、 手 を うし ろ に 廻し て 、 自暴 に からだ を 振り ながら どなり まし た 。 
「 何 だい 。 君 は 僕 に この 弁当 を 喰 べろ といふ の かい 。 机 から 床 の 上 へ 落ち た 弁当 を 君 は 僕 に 喰 へ といふ の かい 。 」 
「 いいえ 、 あなた が 拾 は う と なさる もん です から 、 拾 つて あげ た だけ で ござい ます 。 」 
「 い つ 僕 が 拾 は う と し た ん だ 。 うん 。 僕 は ただ それ が 事務 長 さん の 前 に 落ち て あんまり 失礼 な もん だ から 、 僕 の 机 の 下 へ 押し込ま う と 思 つ た ん だ 。 」 
「 さ う です か 。 私 は また 、 あんまり 弁当 が あつ ち こ つ ち 動く もん です から … … … … 」 
「 何 だ と 失敬 な 。 決闘 を … … … 」 
「 ジヤラジヤラジヤラジヤラン 。 」 事務 長 が 高く どなり まし た 。 これ は 決闘 を しろ と 云 つ て しまは せ ない 為 に 、 わざと 邪魔 を し た の です 。 
「 いや 、 喧嘩 する の は よし たま へ 。 かま 猫 君 も 虎猫 君 に 喰 べ さ せよ う と いふ んで 拾 つた ん ぢ や なから う 。 それから 今朝 云 ふ の を 忘れ た が 虎猫 君 は 月給 が 十 銭 あ が つ た よ 。 」 
虎猫 は 、 はじめ は 恐い 顔 を し て それでも 頭 を 下げ て 聴い て ゐ まし た が 、 た うとう 、 よろこん で 笑 ひ 出し まし た 。 
「 どうも お さわがせ いたし まし て お 申しわけ ござい ませ ん 。 」 それ から となり の かま 猫 を じ ろ つと 見 て 腰掛け まし た 。 
みなさん ぼく はかま 猫 に 同情 し ます 。 
それから 又 五 六 日 たつ て 、 丁度 これ に 似 た こと が 起こ つ た の です 。 こんな こと が たびたび 起る わけ は 、 一つ は 猫 ども の 無精 な たち と 、 も 一つ は 猫 の 前 あし 即ち 手 が 、 あんまり 短い ため です 。 今度 は 向 ふ の 三 番 書記 の 三 毛 猫 が 、 朝 仕事 を 始める 前 に 、 筆 が ポロポロ ころ が つて 、 た うとう 床 に 落ち まし た 。 三毛 猫 は すぐ 立て ば いい の を 、 骨 惜 み し て 早速 前 に 虎猫 の やつ た 通り 、 両手 を 机 越し に 延ばし て 、 それ を 拾 ひ 上げよ う と し まし た 。 今度 も やつ ぱり 届き ませ ん 。 三毛 猫 は 殊に せい が 低 かつ た ので 、 だんだん 乗り出し て 、 た うとう 足 が 腰掛け から は なれ て しまひ まし た 。 かま 猫 は 拾 つて やら う か やる まい か 、 この 前 の こと も あり ます ので 、 しばらく ため ら つて 眼 を パチ パチ さ せ て 居 まし た が 、 た うとう 見る に 見兼ね て 、 立ちあがり まし た 。 
ところが 丁度 この 時 に 、 三 毛 猫 は あんまり 乗り出し 過ぎ て ガタン と ひ つくり 返 つて ひどく 頭 を つい て 机 から 落ち まし た 。 それ が 大分 ひどい 音 でし た から 、 事務 長 の 黒 猫 も びつくり し て 立ちあが つ て 、 うし ろ の 棚 から 、 気付け の アンモニア 水 の 瓶 を 取り まし た 。 ところが 三 毛 猫 は すぐ 起き 上 つて 、 かんし や くま ぎれにいきなり 、 
「 かま 猫 、 き さま は よくも 僕 を 押し のめし た な 。 」 と どなり まし た 。 
今度 は しかし 、 事務 長 が すぐ 三 毛 猫 を なだめ まし た 。 
「 いや 、 三 毛 君 。 それ は 君 の まちがひ だ よ 。 
かま 猫 君 は 好意 で ちよ つと 立つ た だけ だ 、 君 に さ はり も 何 も し ない 。 しかし まあ 、 こんな 小さな こと は 、 なん でも あり やし ない ぢ や ない か 。 さあ 、 え ゝ と サントンタン の 転居 届け と 。 え ゝ 。 」 事務 長 は さ つ さ と 仕事 に かかり まし た 。 そこで 三 毛 猫 も 、 仕方 なく 、 仕事 に かかり はじめ まし た が やつ ぱりたびたびこはい 目 を し て かま 猫 を 見 て ゐ まし た 。 
こんな 工合 です から かま 猫 は じつに つらい の でし た 。 
かま 猫 は あたり ま へ の 猫 に ならう と 何 べ ん 窓 の 外 に ね て 見 まし た が 、 どうしても 夜中 に 寒く て くし やみ が 出 て たまらない ので 、 やつ ぱり 仕方 なく 竈 の なか に 入る の でし た 。 
なぜ そんなに 寒く なる か といふ の に 皮 が うすい ため で 、 なぜ 皮 が 薄い か と いふ のに 、 それ は 土用 に 生れ た から です 。 やつ ぱり 僕 が 悪い ん だ 、 仕方 ない なあ と 、 かま 猫 は 考へ て 、 なみ だ を ま ん 円 な 眼 一 杯 に ため まし た 。 
けれども 事務 長 さん が あんなに 親切 に し て 下さる 、 それ に かま 猫 仲間 の みんな が あんなに 僕 の 事務所 に 居る の を 名誉 に 思 つて よろこぶ の だ 、 どんなに つらく て も ぼく は やめ ない ぞ 、 きつ と こら へる ぞ と 、 かま 猫 は 泣き ながら 、 にぎり こぶし を 握り まし た 。 
ところが その 事務 長 も 、 あて に なら なくなり まし た 。 それ は 猫 なんて いふ もの は 、 賢い やう で ばか な もの です 。 ある 時 、 かま 猫 は 運 わるく 風邪 を 引い て 、 足 の つけ ね を 椀 の やう に 腫らし 、 どうしても 歩け ませ ん でし た から 、 た うとう 一 日 やすん で しまひ まし た 。 かま 猫 の もがき やう と い つ たら あり ませ ん 。 泣い て 泣い て 泣き まし た 。 納屋 の 小さな 窓 から 射し込ん で 来る 黄いろ な 光 を ながめ ながら 、 一 日 一 杯 眼 を こす つて 泣い て ゐ まし た 。 
その間 に 事務所 で は かう いふ 風 でし た 。 
「 はてな 、 今日 はかま 猫 君 が まだ 来ん ね 。 遅い ね 。 」 と 事務 長 が 、 仕事 の たえ 間 に 云 ひ まし た 。 
「 なあに 、 海岸 へ で も 遊び に 行 つ た んで せ う 。 」 白 猫 が 云 ひ まし た 。 
「 い ゝ や どこ か の 宴会 に でも 呼ば れ て 行 つ たら う 」 虎猫 が 云 ひ まし た 。 
「 今日 どこ か に 宴会 が ある か 。 」 事務 長 は びつくり し て たづ ね まし た 。 猫 の 宴会 に 自分 の 呼ば れ ない もの など ある 筈 は ない と 思 つたの です 。 
「 何 でも 北の方 で 開校 式 が ある とか 云 ひ まし た よ 。 」 
「 さ う か 。 」 黒 猫 は だま つて 考 へ 込み まし た 。 
「 どうして どうして かま 猫 は 、 」 三 毛 猫 が 云 ひ 出し まし た 。 「 この 頃 は あちこち へ 呼ば れ て ゐる よ 。 何 で も こんど は 、 おれ が 事務 長 に なる とか 云 つ てる さ う だ 。 だから 馬鹿 な やつ ら が こ は が つて あら ん かぎり ご 機嫌 を とる の だ 。 」 
「 本 た うかい 。 それ は 。 」 黒 猫 が どなり まし た 。 
「 本 た う です と も 。 お 調べ に な つて ごらん なさい 。 」 三 毛 猫 が 口 を 尖 せ て 云 ひ まし た 。 
「 けしからん 。 あいつ は おれ は よほど 目 を かけ て やつ て ある の だ 。 よし 。 おれ に も 考へ が ある 。 」 
そして 事務所 は しばらく しん と し まし た 。 
さて 次 の 日 です 。 
かま 猫 は 、 やつ と 足 の はれ が 、 ひい た ので 、 よろこん で 朝 早く 、 ご う ご う 風 の 吹く なか を 事務所 へ 来 まし た 。 する と いつも 来る と すぐ 表紙 を 撫で て 見る ほど 大切 な 自分 の 原簿 が 、 自分 の 机 の 上 から なく な つて 、 向 ふ 隣り 三つ の 机 に 分け て あり ます 。 
「 ああ 、 昨日 は 忙し かつ たん だ な 、 」 かま 猫 は 、 なぜ か 胸 を どきどき さ せ ながら 、 かすれ た 声 で 独り ごと し まし た 。 
ガタツ 。 扉 が 開い て 三 毛 猫 が は ひつ て 来 まし た 。 
「 お早う ござい ます 。 」 かま 猫 は 立つ て 挨拶 し まし た が 、 三 毛 猫 は だま つて 腰かけ て 、 あと は いかにも 忙 が し さ うに 帳面 を 繰 つて ゐ ます 。 ガタン 。 ピシヤン 。 虎猫 が は ひつ て 来 まし た 。 
「 お早う ござい ます 。 」 かま 猫 は 立つ て 挨拶 し まし た が 、 虎猫 は 見向き も し ませ ん 。 
「 お早う ござい ます 。 」 三 毛 猫 が 云 ひ まし た 。 
「 お早う 、 どうも ひどい 風 だ ね 。 」 虎猫 も すぐ 帳面 を 繰り はじめ まし た 。 
ガタツ 、 ピシヤーン 。 白 猫 が 入 つて 来 まし た 。 
「 お早う ござい ます 。 」 虎猫 と 三 毛 猫 が 一緒 に 挨拶 し まし た 。 
「 いや 、 お早う 、 ひどい 風 だ ね 。 」 白 猫 も 忙 が し さ うに 仕事 に かかり まし た 。 その 時 か ま 猫 は 力 なく 立つ て だま つて おじぎ を し まし た が 、 白 猫 は まるで 知ら ない ふり を し て ゐ ます 。 
ガタン 、 ピシヤリ 。 
「 ふう 、 ず ゐ ぶん ひどい 風 だ ね 。 」 事務 長 の 黒 猫 が 入 つて 来 まし た 。 
「 お早う ござい ます 。 」 三 人 は すばやく 立つ て おじぎ を し まし た 。 かま 猫 も ぼんやり 立つ て 、 下 を 向い た ま ゝ おじぎ を し まし た 。 
「 まるで 暴風 だ ね 、 え ゝ 。 」 黒 猫 は 、 かま 猫 を 見 ない で 斯 う 言 ひ ながら 、 もうすぐ 仕事 を はじめ まし た 。 
「 さあ 、 今日 は 昨日 の つづき の アンモニアツク の 兄弟 を 調べ て 回答 し なけれ ば なら ん 。 二 番 書記 、 アンモニアツク 兄弟 の 中 で 、 南極 へ 行 つたの は 誰 だ 。 」 仕事 が はじまり まし た 。 かま 猫 は だま つて うつむい て ゐ まし た 。 原簿 が ない の です 。 それ を 何とか 云 ひ たく つて も 、 もう 声 が 出 ませ ん でし た 。 
「 パン 、 ポラリス で あり ます 。 」 虎猫 が 答 へ まし た 。 
「 よろしい 、 パン 、 ポラリス を 詳述 せよ 。 」 と 黒 猫 が 云 ひ ます 。 ああ 、 これ は ぼく の 仕事 だ 、 原簿 、 原簿 、 と かま 猫 は まるで 泣く やう に 思ひ まし た 。 
「 パン 、 ポラリス 、 南極 探検 の 帰途 、 ヤツプ 島 沖 にて 死亡 、 遺骸 は 水葬 せら る 。 」 一番 書記 の 白 猫 が 、 かま 猫 の 原簿 で 読ん で ゐ ます 。 かま 猫 は もう かなしく て 、 かなしく て 頬 の あたり が 酸 つ ぱく なり 、 そこら が きい ん と 鳴 つ たり する の を じ つと こら へ て うつむい て 居り まし た 。 
事務所 の 中 は 、 だんだん 忙しく 湯 の 様 に なつ て 、 仕事 は ずんずん 進み まし た 。 みんな 、 ほんの 時々 、 ちら つと こ つ ち を 見る だけ で 、 た ゞ 一 こと も 云 ひ ませ ん 。 
そして お ひる に なり まし た 。 かま 猫 は 、 持つ て 来 た 弁当 も 喰 べ ず 、 じ つと 膝 に 手 を 置い て うつむい て 居り まし た 。 
た うとう ひる すぎ の 一時 から 、 かま 猫 は しくしく 泣き はじめ まし た 。 そして 晩方 まで 三 時間 ほど 泣い たり やめ たり また 泣き だし たり し た の です 。 
それでも みんな は そんな こと 、 一向 知ら ない といふ やう に 面白 さ うに 仕事 を し て ゐ まし た 。 
その 時 です 。 猫 ども は 気が付き ませ ん でし た が 、 事務 長 の うし ろ の 窓 の 向 ふ に いかめしい 獅子 の 金 いろ の 頭 が 見え まし た 。 
獅子 は 不審 さ うに 、 しばらく 中 を 見 て ゐ まし た が 、 いきなり 戸口 を 叩い て は ひつ て 来 まし た 。 猫 ども の 愕 ろ き やう と い つ たら あり ませ ん 。 うろうろ うろうろ そこら を ある きま はる だけ です 。 かま 猫 だけ が 泣く の を やめ て 、 まつ すぐ に 立ち まし た 。 
獅子 が 大き なし つかり し た 声 で 云 ひ まし た 。 
「 お前 たち は 何 を し て ゐる か 。 そんな こと で 地理 も 歴史 も 要 つた は なし で ない 。 やめ て しまへ 。 えい 。 解散 を 命ずる 」 
かう し て 事務所 は 廃止 に なり まし た 。 
ぼく は 半分 獅子 に 同感 です 。 
麻 が 刈ら れ まし た ので 、 畑 の へり に 一 列 に 植 ゑられてゐたたうもろこしは 、 大 へん 立派 に 目立っ て き まし た 。 
小さな 虻 だの べっ甲 いろ の すき と ほっ た 羽虫 だの みんな か はる が はる 来 て 挨拶 し て 行く の でし た 。 
た う もろこし に は 、 もう 頂上 に ひらひら し た 穂 が 立ち 、 大きな 縮れ た 葉 の つけ ね に は 尖っ た 青い さや が でき て ゐ まし た 。 
そして 風 に ざわざわ 鳴り まし た 。 
一疋 の 蛙 が 刈っ た 畑 の 向 ふ まで 跳ん で 来 て 、 いきなり 、 この た う もろこし の 列 を 見 て 、 びっくり し て 云 ひ まし た 。 
「 おや 、 へん な 動物 が 立っ て ゐる ぞ 。 からだ は 瘠せ て ひょろひょろ だ が 、 ちゃんと 列 を 組ん で ゐる 。 ことに よる と これ は カマ ジン 国 の 兵隊 だ ぞ 。 どれ 、 よく 見 て やら う 。 」 
そこで 蛙 は 上等 の 遠 めがね を 出し て 眼 に あて まし た 。 そして 大きく なっ たた う もろこし の かたち を ちらっと 見る や 蛙 は ぎゃあ と 叫ん で 遠 めがね も 何 も は ふり 出し て 一目散 に 遁 げ だし まし た 。 
蛙 が ちゃう ど 五 百 ばかり はね た とき もう 一 ぴき の 蛙 が びっくり し て こっち を 見 て ゐる のに 会 ひ まし た 。 
「 お ゝ い 、 どう し たい 。 いったい 誰 に にらま れ た ん だ 。 」 
「 どうして どうして 、 全く もう 大変 だ 。 カマ ジン 国 の 兵隊 がたう とう やって来 た 。 みんな 二 ひき か 三 びき ぐらゐ 幽霊 を わき に か か へ てる 。 その 幽霊 は 歯 が 七 十 枚 ある ぞ 。 あの 幽霊 に かじら れ たら 、 もう とても たまら ん ぜ 。 か あいさ う に 、 麻 は もう みんな 食 はれ て しまっ た 。 みんな まっすぐ な 、 いい 若い 者 だっ た のに なあ 。 ばりばり 骨 まで 噛 じ られ た と は 本当に 人 ごと と も 思は れ ん なあ 。 」 
「 何 かい 、 兵隊 が 幽霊 を つれ て 来 た の かい 、 そんなに こ はい 幽霊 かい 。 」 
「 どうして どうして まあ 見る がい ゝ 。 どの 幽霊 も 青白い 髪の毛 が ば し ゃばしゃで 歯 が 七 十 枚 おまけ に 足 から 頭 の 方 へ 青い マント を 六 枚 も 着 て ゐる 」 
「 いま どこ に ゐる ん だ 。 」 
「 お ま へ の めがね で 見る がい ゝ あすこ だ よ 。 麻 ば たけ の 向 ふ 側 さ 。 おれ は 眼鏡 も 何 も すて て 来 た よ 。 」 
あたらしい 蛙 は 遠 めがね を 出し て 見 まし た 。 
「 何だ あれ は 幽霊 で も 何 で も ない ぜ 。 あれ はた う もろこし といふ やつ だ 。 おれ は 去年 から 知っ てる よ 。 そんなに 人 が 悪く ない 。 わき に 居る の は 幽霊 で ない 。 みんな 立派 な 娘 さん だ よ 。 娘 さん たち は みんな 緑色 の マント を 着 てる よ 。 」 
「 緑色 の マント は 着 て ゐる さ 。 しかし あんな マント の 着 様 が 一体 ある もん か な 。 足 から 頭 の 方 へ 逆 に 着 て ゐる ん だ 。 それ に マント を 六 枚 も 重ね て 着る なんて 、 聞い た 事 も 見 た 事 も ない 贅沢 だ 。 おごり の 頂上 だ 。 」 
「 は はあ 、 しかし 世の中 は さまざま だ ぜ 。 たとへば 兎 なんと 云 ふも の は 耳 が 天 まで と ゞ い て ゐる 。 その さき は 細く なっ て 見え ない くら ゐ だ 。 豚 なんと いふ もの は 鼻 が らっぱ に なっ て ゐる 。 口 の 中 に は とんぼ の やう な すき と ほっ た 羽 が 十 枚 ある よ 。 また 人 といふ もの を 知っ て ゐる か ね 。 人 といふ もの は 頭 の 上 の 方 に 十 六 本 の 手 が つい て ゐる 。 そんな こと も ある ん だ 。 それに た う もろこし の 娘 さん たち の 長い つやつや し た 髪の毛 は 評判 な もん だ 。 」 
「 よし て 呉れ よ 。 七 十 枚 の 白い 歯 から つやつや し た 長い 髪の毛 が すぐ 生え て ゐる なんて 考へ て も 胸 が 悪く なる 。 」 
「 そんな こと は ない 。 まあ もっと そば まで 行っ て 見よ う 。 おや 。 誰 か 行っ た ぞ 。 おいおい 。 あれ が たった いま 云っ た ひと だ 。 ひと だ 。 あいつ は ほん た うに こ は いも ん だ 。 何 を する かこ ゝ へ かくれ て 見 て ゐよ う 。 そら 、 ちょっと 遠 めがね を 貸す から 。 」 
「 あゝ 、 よく 見える 。 何だ 手 が 十 六 本 ある って 。 おれ に は 五 本 ばかり しか 見え ない よ 。 あっ 。 あの 幽霊 を つかま へ てる よ 。 」 
「 どれ 貸し て ごらん 、 ああ 、 とっ てる とっ てる 。 みんな がりがり とっ てる ねえ 。 た う もろこし は 恐がっ て みんな 葉 を ざあざあうごかしてゐるよ 。 娘 さん たち は 髪の毛 を ふっ て 泣い て ゐる 。 ぼく なら ちゃんと 十 六 本 の 手 が 見える ねえ 。 」 
「 どら 、 貸し た 。 なるほど 十 六 本 か ねえ 、 四 本 は 大 へん 小さい なあ 。 あゝ あと から また 一 人 来 た 。 あれ は 女の子 だら う ねえ 。 」 
「 どう 、 ちょっと 、 さ う だ よ 。 あれ は 女の子 だ よ 。 ほう いま ねえ あの 女の子 がたう もろこし の 娘 さん の 髪 毛 を むしっ て ねえ 、 口 へ 入れ て そら へ 吹い た よ 。 すると それ が ぱっと 青白い 火 に なっ て 燃え あがっ た よ 。 」 
「 こっち へ 来る とこ は い なあ 、 」 
「 来 ない よ 。 あゝ 、 もう 行っ て しまっ た よ 。 何 か 叫ん で ゐる やう だ ねえ 。 」 
「 歌っ てる ん だ 。 けれども ぼく たち より は へた だ ねえ 。 」 
「 へた だ 、 ぼく 少し うたっ て きかし て やら う か な 。 ぼく うたっ たら きっと びっくり し て こっち を 向く ねえ 。 」 
「 うたっ て ごらん 。 こっち へ 来 たら その 葉 の かげ に かくれよ う 。 」 
「 い ゝ かい 、 うた ふよ 。 ぎゅっくぎゅっく 。 」 
「 向か ない よ 。 も 少し 高く うたっ て ごらん 。 」 
「 どうも つかれ て 声 が 出 ない よ 。 ぎゅっく 。 もう よさ う 。 」 
「 よす か ねえ 。 行っ て しまっ た 残念 だ なあ 。 」 
「 ぽく は 遠 めがね を とっ て くる 。 ぢ ゃさよなら 。 」 
「 さよなら 。 」 
二 ひき の 蛙 は 別れ まし た 。 
た う もろこし は さや を なくし て 大変 さびしく なり まし た が やっぱり 穂 を ひらひら 空 に うごかし て ゐ まし た 。 
とにかく 向 ふ は 検事 の 立場 、 
今 の 会釈 は 悪く ない 。 勲 績 の ある 上長 として 、 盛名 の ある 君子 として 、 礼 を 尽し た 態度 で あっ た 。 
わたし の 方 も 声音 から 、 動作 一般 自然 で あっ た 。 或 ひ は かう いふ 調子 で もっ て 、 政治 の 実 といふ もの を 、 容易 に 了解 する かも 知れ ん 。 それなら わたし は 、 畢竟 党 から 撰ば れ て 、 若手 検事 の 腕利き といふ 　 この 青年 を 対 告 に 、 社会 一般 教育 の ため 、 こ ゝ へ 来 た と も 云 ひ 得 やう 。 
いかなる 明文 制裁 と 雖 ど 、 それ が 布 かる ゝ 社会 に 於 て 、 遵守 し 得 ざる に 至っ た とき は 、 その 法 既に 悪法 で ある 、 それ が 判ら ん 筈 も ない 。 だ が 何 の ため 、 向 ふ は 壇 を のぼる の だ 。 整然 として 椅子 を 引い て 、 眼 平ら に こっち を 見る 。 
卓 に 両手 を 副 へ て ゐる 。 正に 上司 の 儀容 で ある が 、 勿論 職権 止む を 得 まい 。 た ゞ もう 明るく 話し て 来れ ば い ゝ の で ある 。 しかし … … 物 言 ふけ は ひ で ない 。 厳しく 口 を 結ん で ゐる 。 頬 は 烈しい 決意 を 示す 。 
わし は 冷然 無視 し た もの か 、 気 を 盛り 眼 を 明 に し て 、 これ に 備 へ を し た もの か 。 あゝ 失策 だ ！ 　 出発 点 で ！ 　 何たる 拙い この 狼 ！ 　 すっかり 羂 に 陥 まっ た の だ 。 向 ふ は 平然 この 動揺 を 看取 する 。 早く 自然 を 取り戻さ う 。 一 秒 遅れ ゝ ば 一 秒 の 敗 、 山 を 想 は う 。 建仁寺 、 いや 、 徳 玄 寺 、 いけ ない 、 さ うだ 　 清源寺 ！ 　 清源寺 裏山 の 栗林 ！ 　 以 て 木 突 と なす こと 勿 れ 、 汝 喚ん で 何とか なす ！ 　 に い 　 もう 平 心 だ 。 よろしい とも 、 やって来い 。 生き た 世間 といふ もの は 、 た ゞ もう 濁っ た 大きな 川 だ 。 わたし は それ を 阻 せ ん の だ 。 悠揚 として これ に 準じ て 流れる の だ 。 時には 清 波 も 来 つ て 涵 す 。 それ を 歓び 楽しむ こと で 、 わし は 人 后 に 落ち は せ ん 。 しかし 畢竟 大江 で ある 。 徒 し て 渡れる 小 渓 で ない 。 その 実際 に 立脚 せ んで 、 人 の 裁き は でき ん の だ 。 咄 ！ 　 何たる 非礼 の その 直視 ！ 
断じて わし も 譲歩 せ ん 。 森々 と 青い この 対立 、 
森々 と … 森々 と … … 森森 と 青い … … … 
… … … … 
… … いつか 向 ふ が 人 の 分子 を 喪 くし て ゐる 。 皮 を 一 枚 脱い だ の だ 。 小さな 天狗 の やう で も ある 。 それから 豺 の トーテム だ 。 頬 が 黄いろ に 光っ て ゐる 。 白い 後光 も 出し て 来 た 。 こ ゝ で 折れ て は 何 に も なら ん 。 断じて その 眼 を 克服 せよ 、 たか ゞ 二つ の 節穴 だ 。 もっとも た ゞ 節穴 り は 、 むしろ 二つ の 覗き 窓 だ 。 何だか わたし が 、 たった 一 人 、 居 ず ま ゐ 正し てこ ゝ に 座り 、 やつ ら の 仲間 が か はる が はる 、 その 二 っ つ の 小 窓 から 、 わたし を 覗い て ゐる やう だ 。 … … あゝ 何 の こと だ 　 縁起 で も ない 。 人 の 眼 など といふ もの は 、 それ を 剔出 し て 見れ ば 、 たか ゞ 小さな 暗 函 だ 。 奥行 二 寸 も ある ん で ない 。 さ う か と 云っ て あ いふ 眼 付き 、 厭 な 眼 付 は 打ち消し 得 ない 。 こんな 眼 を 遺伝 し た 、 父祖 は いったい 何 物 だら う 。 かう いふ 意志 や 眼 といふ もの が 、 一代 二 代 で でき は し ない 。 代々 糺 罪 の 吏 で で も ある か 、 或は 逆 に 苛政 の 下 、 い だ 民 の 末 で も ある か 。 今 は 対等 、 正しく 今 は 対等 だ 。 まだ 見る か 。 まだ 見る か 。 尚 且つ 見る か 。 対等 だ 。 瞬 だけ は 仕方 ない 。 
尤も 向 ふ は それ を し ない 。 年齢 の 相違 が 争 は れん 。 あゝ 今朝 いつも の 肉汁 を 、 呑む ひま も なく 来 て しまっ た 。 前 総裁 は 必ず 飲ん だ 。 出 て 来る とき に わし も 何 か を 忘れ た 感じ 、 妻 も いろいろ ある べき こと を 、 思ひ 出せ ない 風 だっ た の は 、 かう 種類 の 何 か に だっ た 。 新 らしい 袴 を 出し 、 新 らしい 足袋 と 白扇 を 進め て 、 それ が 威容 の 料 と は なら ず 、 罪 問 ふ 敵 へ の 礼儀 と あら ば 、 何たる 切ない こと で あらう 。 うなじ が 熱っ て 来 た 様 だ 。 万一 わし が 卒倒 し たら 、 天下 は 何と 視る だら う 、 わし は 単なる 破 のみ か 卑懦 の 称 さ へ 受け ね ば なら ぬ 新聞 雑誌 は どう 書く だら う 。 浅内 或は 長沼 輩 、 党 の 内部 の 敵 で さ へ 、 眉 を ひそめ て 煙 を 吐き 、 わし の 修養 を 嗤 ふ だら う 。 わし は 眼 を 外らさ う か 。 下方 へ か 。 それ は 伏 罪 だ 。 側 方 へ か 。 罪 を 覆 ふと 看 やう 。 上方 へ か 。 自ら 欺く 相 だ 。 た ゞ もうこ の ま ゝ 、 ぼう と 視力 を 休め やう 。 年齢 の 相違 気力 の 差 、 た ゞ もうこ の ま ゝ … … 窓 の 向 ふ は 内庭 らしい 。 梅 が 青々 繁っ て ゐる 。 
こ ゝ で 一 詩 を 賦 し 得る なら ば 、 たしかに わし に 得点 が ある 。 それ が でき ない こと で も ない 。 題 は やっぱり 述懐 だ 。 仮に 想 だけ 立て ゝ 見る 。 中原 鹿 三 十 年 、 恩 怨無別 星 花 転 、 転 と 来 て 転 句 だ … … お ゝ 何 といふ 向 ふ の 眼 、 燃え立つ やう な 憎悪 で ある 。 わし が これ を も 外らし たら 、 結局 恐れ て ゐる こと だ 。 断じて 、 断じて 戦ふ べし 。 大 恩 の ある 簡先生 の 名誉 の ため 、 名望 高い 一門 の ため 、 郷党 の ため 児 孫 の ため 、 わし は 断じて 折れ て は いか ん 。 勝つ もの は 正 、 敗者 は 悪 だ 。 けれども 　 気力 ！ 　 気力 で なし に 境地 で 勝た う 。 
わし は 不 識 を 観 じ やう 。 梁 の 武 帝 因みに 僧 問 ふ 、 あゝ いかん 、 
梁 の 武 帝 達磨 に 問 ふ 　 磨 の 曰く 無 功徳 　 帝 の 曰く 
朕 に対する 者 は 誰 ぞ 　 磨 の 曰く 無 功徳 　 いかん 
朕 に対する 者 は 誰 ぞ 　 磨 の 曰く 不 識 ！ 　 あゝ 乱れ た 
洞 源 和尚 に 辞 も ない 。 
（ 東京 府 平民 　 高田 小 助 ） 
嗟夫 ！ 
病床 
たけ に ぐさに 
風 が 吹い て ゐる と いふ こと で ある 
たけ に ぐさの 群落 に も 
風 が 吹い て ゐる と いふ こと で ある 
眼 にて 云 ふ 
だめ で せ う 
とまり ませ ん な 
がぶがぶ 湧い て ゐる です から な 
ゆ ふ べから ねむら ず 血 も 出 つづけ な もん です から 
そこら は 青く しんしん と し て 
どうも 間もなく 死に さ う です 
けれども なんと い ゝ 風 で せ う 
もう 清明 が 近い ので 
あんなに 青 ぞ ら から もりあがっ て 湧く やう に 
きれい な 風 が 来る です な 
もみ ぢ の 嫩芽 と 毛 の やう な 花 に 
秋草 の やう な 波 を たて 
焼 痕 の ある 藺草 の むしろ も 青い です 
あなた は 医学 会 の お 帰り か 何 か は 知り ませ ん が 
黒い フロック コート を 召し て 
こんなに 本気 に いろいろ 手あて も し て い た ゞ け ば 
これ で 死ん で も ま づは 文句 も あり ませ ん 
血 が で て ゐる に か ゝ はら ず 
こんなに のんき で 苦しく ない の は 
魂魄 なかば から だ を はなれ た の です か な 
た ゞ どうも 血 の ため に 
それ を 云 へ ない が ひどい です 
あなた の 方 からみ たら ず ゐ ぶん さん た ん たる けしき で せ う が 
わたくし から 見える の は 
やっぱり きれい な 青 ぞ ら と 
すき と ほっ た 風 ばかり です 。 
ひる すぎ の 三 時 と なれ ば 
わが 疾 め る 左 の 胸 に 
濁り たる 赤き 火 ぞ つき 
やがて 雨 はげしく しきる 
はじめ は 熱く 暗く し て 
やがて まばゆき その 雨 の 
杉 と 榊 を 洗 ひつ ゝ 
降り て 夜明け に 至る なれ 
熱 たち 胸 も くら けれど 
白き 石粉 を うち あ ふぎ 
にがき 草根 を うち 噛み て 
などて ふた ゝ び 起た で やむ べき 
わが 胸 いま は 青じろき 
板 ひと ひらに 過ぎ ぬ らし 
と は 云 へ かなた すこ やけ き 
億 の 呼吸 の なべて こそ 
うらら け きわ が 春 の いぶき なら ず や 
熱 また あり 
水銀 は 青く ひかり て 
今宵 また 熱 は 高め り 
散乱 の 諸 心 を 集め 
そのかみ の 菩薩 を お も ひ 
息 し づにうちやすらはん 
たゆ た へる 光 の 澱 や 
野 と 町 と 官省 の なか 
ひと びとのおもかげや 声 
あり とある しじま と うごき 
なべて より いざ 立ち か へ り 
散乱 の わが 心 相 よ 
あつまり て し づにやすらへ 
あした こそ 燃 ゆ べき もの を 
その うす 青き 玻璃 の 器 に 
しづ に ひかり て 澱め る は 
ま こと や 菩薩 わが ため に 
血 も てつ ぐなひあがなひし 
水 と よ ばる ゝ それ に こそ 
名声 
なべて の まこと いつ はり を 
た ゞ その ま ゝ に しろしめす 
正 知 を ぞ 恐る べく 
人 に 知ら る ゝ こと な 求め そ 
また 名 を 得ん に 十 万 の 
諸仏 の くに に 充ち み てる 
天 と 菩薩 を おも ふ べく 
黒き 活字 を うち ね が は ざれ 
春 来る とも なほ われ の 
え こそ は 起た ぬ け は ひ なり 
さ れ ばかし この 崖 下 の 
高井 水車 の 前 あたり 
矢 ばね の さま に 鳥 とび て 
くるみ の 列 の 足 なみ を 
雪 融 の 水 の 来る ところ 
乾田 の 盤 の ま なか より 
青き すゞ め の てっ ぱうと 
稲 の 根 赤く 錆び に たる 
湯気 たつ 土 の 一 かけ を 
とり 来 て われ に 示さ ず や 
今宵 南 の 風 吹け ば 
みぞ れ と なり て 窓 うてる 
その 黒 暗 の かなた より 
あやしき 鐘 の 声 す なり 
雪 を のせ たる 屋根 屋根 や 
黒き 林 の かなた より 
かつて は 聞か ぬ その 鐘 の 
いと あ ざけくもひゞきくる 
そ はか の 松 の 並木 なる 
円通寺 より 鳴る らん か 
はた 飯豊 の 丘 かげ の 
東光寺 より ひ ゞ ける や 
と むら ふ ごとく ある とき は 
醒ます が ごとく その 鐘 の 
汗 と なやみ に 硬 ばり し 
わが うつ そみ を うち 過 ぐる 
熱 と あ へ ぎをうつゝなみ 
死の さ か ひ を まどろみ し 
この よもすがら ひねもす を 
さ こそ は まもり 給 ひし か 
瓔珞 も なく 沓 も なく 
た ゞ 灰 いろ の あら ぬ のに 
庶民 が さま を なし まし て 
みこ ゝ ろ しづ に 居り た ま ふ 
み 名 を 知ら ん に おそれ あり 
さ は 云 へ ま こと か の 文 に 
三 たび ぞ 記し 置か れ ける 
おん め が みと ぞ 思は る ゝ 
され ば なやみ と 熱 ゆ ゑに 
みだれ ごころ の さなか に も 
み 神 のみ 名 に よら ず し て 
法 の 名 に こそ き まし けれ 
瓔珞 も なく 沓 も なく 
はて なき 業 の 児 ら ゆ ゑに 
み まゆ に 雲 の うれ ひし て 
さ こそ は しづ に 居り た ま ふ 
一 九 二 八 ヽ 一二 ヽ 
わが 胸 は いまや 蝕み 
わが のん ど 熱く 燃え たり 
おと づれてきみはあれども 
あゝ きみ も さかな の 歯 し て 
青々 と うち も わら へる 
その 群 の ひとり なり けり 
Ｓ 博士 に 
博士 よ きみ の 声 顫 ひ 
暗き に 面 を そむ くる は 
熱 と あ へぎ に 耐 へ ずし て 
今宵 わが身 の 果て ん とか 
あゝ 勇猛 と 精進 の 
ね が ひ は つねに あり しか ど 
あした あした を 望み つ ゝ 
早く いのち は 過ぎ に けり 
しかれ ば きみ が 求む らん 
奇蹟 は われ が 分 なら ず 
た ゞ 知り たま へ ち ゝ は ゝ に 
そむける は かく さびしく 死する 
美しき 夕陽 の 色 なし て 
一つ の 呼気 は 一 年 を 
わが 上方 に 展 く なり 
まどろみ 過 ぐる 百 年 は 
醒め て の 時 と いづ かた ぞ 
いま われ や み て わが いのち 
い つ と も しら ぬ 今日 なれ ば 
疾 いま 革まり 来 て 
わが 額 に 死 の 気配 あり 
いざ さらば わが 業 の ま ゝ 
いづ くに も ふた ゝ び 生れ ん 
た ゞ ひ た に うち ね が へる は 
すこ やけ き 身 を こそ 受け て 
もろもろ の 恩 を も 報じ 
もろ びとの 苦 を も 負 ひ 得ん 
さては また なやみ の なか と 
数 しら ぬ な げき の なか に 
す なほ なる こ ゝ ろ を もち て 
よろこば ん その 性 を 得 ん 
さらば いざ 死 よ とり 行け 
この世 にて わが 経 ざり ける 
数々 の 快楽 の 列 は 
われ より も 美 しけ き ひと の 
すこやか に うち も 得 な なん 
その こと ぞ いと ゞ たのしき 
手 は 熱く 足 は な ゆれ ど 
われ は これ 塔 建 つる も の 
滑り 来し 時間 の 軸 の 
を ち こ ち に 美 ゆく も 成り て 
燦々 と 暗 を てらせる 
その 塔 の す がた かしこし 
あゝ 今日 ここ に 果てん と や 
燃 ゆる ね が ひ は あり ながら 
外 の わ ざにのみまぎらひて 
十 年 はつ ひ に 過ぎ に けり 
懺悔 の 汗 に 身 を ば 燃し 
もだえ の 血 を ば 吐き ながら 
た ゞ ね が ふら く 蝕み し 
この 身 捧げん 壇 あれ と 
その 恐ろしい 黒雲 が 
また わたくし を とら う と 来れ ば 
わたくし は 切なく 熱く ひとり もだえる 
北上 の 河谷 を 覆 ふ 
あの 雨雲 と 婚 する と 云 ひ 
森 と 野原 を こもごも 載せ た 
その 洪 積 の 大地 を 恋 ふと 
なかば は 戯れ に 人 に も 寄せ 
なかば は 気 を 負っ て ほん た うに さ う も 思ひ 
青い 山河 を さながら に 
じ ぶん じ しんと 考へ た 
あゝ その こと は 私 を 責める 
病 の 痛み や 汗 の なか 
それら のう づまく 黒雲 や 
紺青 の 地平線 が 
また まのあたり 近づけ ば 
わたくし は 切なく 熱く もだえる 
あゝ 父母 よ 弟 よ 
あらゆる 恩顧 や 好意 の 後 に 
どうして わたくし は 
その 恐ろしい 黒雲 に 
からだ を 投げる こと が できよ う 
あゝ 友 たち よ はるか な 友 よ 
きみ は か ゞ やく 穹窿 や 
透明 な 風 　 野原 や 森 の 
この 恐るべき 他 の 面 を 知る か 
丁 丁丁 丁丁 
丁 丁丁 丁丁 
叩きつけ られ て ゐる 　 丁 
叩きつけ られ て ゐる 　 丁 
藻 で まっ くら な 　 丁 丁丁 
塩 の 海 　 　 丁 丁丁 丁丁 
熱 　 　 丁 丁丁 丁丁 
熱 　 熱 　 　 　 丁 丁丁 
（ 尊 々 殺 々 殺 
殺 々 尊 々 々 
尊 々 殺 々 殺 
殺 々 尊 々 尊 ） 
ゲニイ め た うとう 本音 を 出し た 
やっ て みろ 　 　 　 丁 丁丁 
き さま なんか に まける か よ 
何 か 巨 き な 鳥 の 影 
ふう 　 　 　 　 丁 丁丁 
海 は 青じろく 明け 　 　 　 丁 
もう もう あがる 蒸気 の なか に 
香ばしく 息づい て 泛 ぶ 
巨 き な 花 の 蕾 が ある 
高田 
藤沢 　 　 … … な の を 
太田 　 　 … … し て くれ ない 
高崎 
菊池 　 　 … … 松 並木 　 暗い つ ゝ みの ある ところ 
ひがん だ 訓導 准 訓導 が 
もう 二 時間 も がやがや がやがや 云っ て ゐる 
その 青黒い 方 室 は 
絶対 おれ の 胸 で は ない し 
咽喉 は のど だけ 勝手 に ぶつぶつ ごろ ごろ 云 ふ 
足 は 全然 あり かも 何 も わから ない 
ポムプ は がたがた 叩い て ゐる 
ぼんやり 青い あかり が 見える 
そん なら かう いふ 考へ てる の が おれ か と 云っ て 
それ は それだけ た ゞ ありふれ た 反応 で 
おれ だ か なんだか わから ない 
眠ら う 眠ら う と あせり ながら 
つめたい 汗 と 熱 の ま ゝ 
時計 は 四 時 を さして ゐる 
わたくし は ひとごと の やう に 
きのふ の 四 時 の わたくし を 羨む 
あゝ あの ころ は 
わたくし は 汗 も 痛み も 忘れ 
二 十 の 軽い 心 躯 に か へ り 
セピヤ いろ し た 木立 を 縫っ て 
きれい な 初冬 の 空気 の なか を 
石切 たち の 一 むれ と 
大沢坂峠 を のぼっ て ゐ た 
風 が お もて で 呼ん で ゐる 
「 さあ 起き て 
赤い シャッツ と 
いつも の ぼろぼろ の 外套 を 着 て 
早く お もて へ 出 て 来る ん だ 」 と 
風 が 交々叫 んで ゐる 
「 おれ たち は みな 
お ま へ の 出る の を 迎 へる ため に 
お ま へ の すき な みぞ れ の 粒 を 
横 ぞ っ ぱうに 飛ばし て ゐる 
お ま へ も 早く 飛びだし て 来 て 
あすこ の 稜 ある 巌 の 上 
葉 の ない 黒い 林 の なか で 
うつくしい ソプラノ を もっ た 
おれ たち の なか の ひとり と 
約束 通り 結婚 しろ 」 と 
繰り返し 繰り返し 
風 が お もて で 叫ん で ゐる 
胸 は いま 
熱く かなしい 鹹湖 で あっ て 
岸 に は じつに 二 百 里 の 
まっ黒 な 鱗 木 類 の 林 が つ ゞ く 
そして いったい わたくし は 
爬虫 が どれ か 鳥 の 形 に か はる まで 
じっと うごか ず 
寝 て ゐ なけれ ば なら ない の か 
こんなにも 切なく 
青じろく 燃える から だ を 
巨 き な 槌 で こもごも 叩き 
まだまだ 練 へ なけれ ば なら ない と 
さ う 云っ て ゐる 誰か が ある 
たしかに 二 人 巨 き な やつ ら で 
かたち は どうも 見え ない けれども 
声 はつ ゞ け て 聞こえ て くる 
（ モシャ さん あなた の で ない ？ ） 
返事 が なく て 
ぽ ろ ん と 一 音 ハープ が 鳴る 
まなこ を ひらけ ば 四月 の 風 が 
瑠璃 の そら から 崩れ て 来る し 
もみ ぢ は 嫩 いう す あかい 芽 を 
窓 いっぱい に ひろげ て ゐる 
ゆ ふ べから の 血 は まだ とまら ず 
みんな は わたくし を みつめ て ゐる 
また なまぬるく 湧く もの を 
吐く ひと の 誰 と も しら ず 
あ を あ を と わたくし は ねむる 
いま また ひ た ひ を 過ぎ行く もの は 
あの 死火山 の い た ゞ きの 
清 麗 な 一 列 の 風 だ 
一 九 二 九 ヽ 四 ヽ 二八 ヽ 
これ で 二 時間 
咽喉 から の 血 は とまら ない 
おも て は もう 人 も あるか ず 
樹 など しづか に 息 し て めぐむ 春 の 夜 
こ ゝ こそ 春 の 道場 で 
菩薩 は 億 の 身 を も 棄て 
諸仏 は こ ゝ に 涅槃 し 住 し 給 ふ 故 
こん や もうこ ゝ で 誰 に も 見 られ ず 
ひとり 死ん で も い ゝ の だ と 
いくた びさうも 考 を きめ 
自分 で 自分 に 教 へ ながら 
また なまぬるく 
あたらしい 血 が 湧く たび 
な ほほ の じ ろ く わたくし は おびえる 
病 中 
これ は いったい どう いふ わけ だ 
息 が だんだん 短く なっ て 
いま 完全 に とまっ て ゐる 
とまっ て ゐる と 苦しく なる 
わざわざ 息 を 吸 ひ 込む の か ね 
… … 室 いっぱい の 雪あかり … … 
折角 息 を 吸 ひ 込ん だ のに 
こんど も だんだん 短く なる 
立派 な 等比 級数 だ 
公 比 は たしかに 四 分の 三 
睡 たい 
睡 たい 
睡 たい 
睡 たい から って 睡っ て しまへ ば 死ぬ の だら う 
まさに 発奮 努力 し て 
断じて 眼 を ！ 　 眼 を 　 眼 を 　 ひらき 
さや う 
も いちど 極めて 大きな 息 す べし 
今度 も 等比 級数 か 
こいつ は だめ だ 
誰 に 別れる ひま も ない 
もう 睡れ 
睡っ て しまへ 
いや 死ぬ とき で なし 
発奮 す べし 
眼 を ひらき 
手 を 胸 に 副 へ 息 を 吸 へ 
… … 母 はくり や で 水 の 音 … … 
そして わたくし は まもなく 死ぬ の だら う 
わたくし といふ の は いったい 何だ 
何 べ ん 考へ なおし 読みあさり 
さ うとも き ゝ かう も 教 へ られ て も 
結局 まだ はっきり し て ゐ ない 
わたくし といふ の は 
（ 一 九 二 九 年 二月 ） 
われ やがて 死な ん 
今日 又は 明日 
あたらしく また われ と は 何 か を 考へる 
われ と は 畢竟 法則 の 外 の 何 で も ない 
から だ は 骨 や 血 や 肉 や 
それら は 結局 さまざま の 分子 で 
幾 十 種 か の 原子 の 結合 
原子 は 結局 真空 の 一体 
外界 も また しかり 
われ わが身 と 外界 と を しかく 感じ 
これら の 物質 諸種 に 働く 
その 法則 を われと 云 ふ 
われ 死 し て 真空 に 帰 する や 
ふた ゝ びわ れ と 感ずる や 
ともに そこ に ある の は 一 の 法則 のみ 
その 本原 の 法 の 名 を 妙法 蓮華 経 と 名 づく とい へ り 
その こと 人 に 菩提 の 心 ある を以て 菩薩 を 信ず 
菩薩 を 信ずる 事 を以て 仏 を 信ず 
諸仏 無数 数 億 而 も 仏 も また 法 なり 
諸仏 の 本原 の 法 これ 妙法 蓮華 経 なり 
帰命 妙法 蓮華 経 
生 も これ 妙法 の 生 
死 も これ 妙法 の 死 
今 身 より 仏身 に 至る まで よく 持ち 奉る 
罪 は いま 疾 に か はり 
たより なく われ は 騰り て 
野 の そら に ひとり まどろむ 
太虚 ひかり て はて し なく 
身 は 水素 より 軽けれ ば 
また 耕 さん すべ も なし 
せめて は かしこ 黒 と 白 
立ち並び たる 積雲 を 
雨 と 崩し て 堕ち なん を 
百 合 掘る と 　 　 唐鍬 を かたぎ つ 
ひと 恋 ひ て 　 　 林 に 行け ば 
濁り 田 に 　 　 　 白き 日輪 
くる ほしく 　 　 うつり ゆれ たる 
友 ら みな 　 　 　 大 都 の なか に 
入学 の 　 　 　 　 試験 する らん 
われ は しも 　 　 身 は うち 疾 み て 
こ ゝ ろ は も 　 　 恋 に 疲れ ぬ 
森 の はて 　 　 　 いづ くに か あれ 
子 ら 云 へる 　 　 声 ほのか にて 
はるか なる 　 　 地平 の あたり 
汽車 の 音 　 　 　 行き わ ぶ ごとし 
この まひる 　 　 鳩 の まね し て 
松森 の 　 　 　 　 うす 日 の なか に 
いと ちさ き 　 　 百 合 の うろこ を 
索 め たる 　 　 　 われ ぞ さびしき 
鳥居 の 下 の 県道 を 
砂塵 おぼろ に あと ひき て 
青竹 いろ の トラック 過 ぐる 
枝 垂 の 栗 の 下 影 に 
鳥獣 戯画 の かたち し て 
相撲 を とれる 子 ら も あり 
山の神 の 秋 の 祭り の 晩 でし た 。 
亮二 は あたらしい 水色 の しごき を しめ て 、 それに 十 五 銭 もらっ て 、 お 旅 屋 に でかけ まし た 。 「 空気 獣 」 という 見世物 が 大 繁盛 でし た 。 
それ は 、 髪 を 長く し て 、 だぶだぶ の ず ぼん を はい た あばた な 男 が 、 小屋 の 幕 の 前 に 立っ て 、 「 さあ 、 みんな 、 入れ 入れ 」 と 大 威 張り で どなっ て いる の でし た 。 亮二 が 思わず 看板 の 近く まで 行き まし たら 、 いきなり その 男 が 、 
「 おい 、 あんこ 、 早 ぐ 入れ 。 銭 は 戻り で いい から 」 と 亮二 に 叫び まし た 。 亮二 は 思わ ず 、 つっと 木戸口 を 入っ て しまい まし た 。 すると 小屋 の 中 に は 、 高木 の 甲 助 だの 、 だいぶ 知っ て いる 人 たち が 、 みんな おかしい よう な まじめ な よう な 顔 を し て 、 まん中 の 台 の 上 を 見 て いる の でし た 。 台 の 上 に 空気 獣 が ねばり つい て い た の です 。 それ は 大きな 平 べ っ たい ふらふら し た 白い もの で 、 どこ が 頭 だ か 口 だ か わから ず 、 口上 言い が こっち 側 から 棒 で つっつく と 、 そこ は 引っ こん で 向う が ふくれ 、 向う を つつく と こっち が ふくれ 、 まん中 を 突く と まわり が 一 たい ふくれ まし た 。 亮二 は 見 っと も ない ので 、 急い で 外 へ 出よ う と し まし たら 、 土間 の 窪み に 下駄 が はいっ て あぶなく 倒れ そう に なり 、 隣り の 頑丈 そう な 大きな 男 に ひどく ぶっつかり まし た 。 びっくり し て 見上げ まし たら 、 それ は 古い 白 縞 の 単物 に 、 へん な 簑 の よう な もの を 着 た 、 顔 の 骨ばっ て 赤い 男 で 、 向う も 愕 い た よう に 亮二 を 見おろし て い まし た 。 その 眼 はまん 円 で 煤け た よう な 黄金 いろ でし た 。 亮二 が 不思議 がっ て しげしげ 見 て い まし たら 、 にわかに その 男 が 、 眼 を ぱちぱち っと し て 、 それ から 急い で 向う を 向い て 木戸口 の 方 に 出 まし た 。 亮二 も ついて行き まし た 。 その 男 は 木戸口 で 、 堅く 握っ て い た 大きな 右手 を ひらい て 、 十 銭 の 銀貨 を 出し まし た 。 亮二 も 同じ よう な 銀貨 を 木戸 番 に わたし て 外 へ 出 まし たら 、 従兄 の 達二 に 会い まし た 。 その 男 の 広い 肩 は みんな の 中 に 見え なく なっ て しまい まし た 。 
達二 は その 見世物 の 看板 を 指さし ながら 、 声 を ひそめ て 言い まし た 。 
「 お前 は この 見世物 に はいっ た の かい 。 こいつ はね 、 空気 獣 だ なんて いっ てる が 、 実は ね 、 牛 の 胃袋 に 空気 を つめ た もの だ そう だ よ 。 こんな もの に は いる なんて 、 おまえ は ばか だ な 」 
亮二 が ぼんやり その おかしな 形 の 空気 獣 の 看板 を 見 て いる うち に 、 達二 が 又 言い まし た 。 
「 おいら は 、 まだ おみこし さん を 拝ん で い ない ん だ 。 あした 又 会う ぜ 」 そして 片 脚 で 、 ぴょんぴょん 跳ね て 、 人ごみ の 中 に は いっ て しまい まし た 。 
亮二 も 急い で そこ を はなれ まし た 。 その 辺 一ぱい に ならん だ 屋台 の 青い 苹果 や 葡萄 が 、 アセチレン の あかり で きらきら 光っ て い まし た 。 
亮二 は 、 アセチレン の 火 は 青く て きれい だ けれども どうも 大蛇 の よう な 悪い 臭 が ある 、 など と 思い ながら 、 そこ を 通り抜け まし た 。 
向う の 神楽 殿 に は 、 ぼんやり 五つ ばかり の 提灯 が つい て 、 これから お かぐら が はじまる ところ らしく 、 て びら が ね だけ しずか に 鳴っ て おり まし た 。 （ 昌一 も あの かぐら に 出る ） と 亮二 は 思い ながら 、 しばらく ぼんやり そこ に 立っ て い まし た 。 
そしたら 向う の ひのき の 陰 の 暗い 掛茶屋 の 方 で 、 なにか 大きな 声 が し て 、 みんな が そっち へ 走っ て 行き まし た 。 亮二 も 急い で かけ て 行っ て 、 みんな の 横 から のぞき込み まし た 。 すると さっき の 大きな 男 が 、 髪 を もじゃもじゃ し て 、 しきりに 村 の 若い 者 に いじめ られ て いる の でし た 。 額 から 汗 を 流し て なん べ ん も 頭 を 下げ て い まし た 。 
何 か 言お う と する の でし た が 、 どうも ひどく どもっ て しまっ て 語 が 出 ない よう す でし た 。 
てかてか 髪 を わけ た 村 の 若者 が 、 みんな が 見 て いる ので 、 いよいよ 勢い よく どなっ て い まし た 。 
「 貴様 みたい な 、 よそ から 来 た もの に 馬鹿 に さ れ て 堪っ か 。 早く 銭 を 払え 、 銭 を 。 ない の か 、 この 野郎 。 ない なら 何 し て 物 食っ た 。 こら 」 
男 は ひどく あわて て 、 どもり ながら やっと 言い まし た 。 
「 た 、 た 、 た 、 薪 百 把 持っ て 来 て やる がら 」 
掛茶屋 の 主人 は 、 耳 が 少し 悪い と みえ て 、 それ を よく 聞き とり かね て 、 かえって 大声 で 言い まし た 。 
「 何 だ と 。 たった 二 串 だ と 。 あたりまえ さ 。 団子 の 二 串 や そこら 、 くれ て やっ て も いい の だ が 、 おれ は どうも き さま の 物言い が 気 に 食わ ない ので な 。 やい 。 何 つう つら だ 。 こら 、 貴 さん 」 
男 は 汗 を 拭き ながら 、 やっと 又 言い まし た 。 
「 薪 を あと で 百 把 持っ て 来 て やっ から 、 許し て くれろ 」 
すると 若者 が 怒っ て しまい まし た 。 
「 うそ を つけ 、 この 野郎 。 どこ の 国 に 、 団子 二 串 に 薪 百 把 払う や づがあっか 。 全体 き さ ん どこ の やつ だ 」 
「 そ 、 そ 、 そ 、 そ 、 そいつ は とても 言わ れ ない 。 許し て くれろ 」 男 は 黄金 色 の 眼 を ぱちぱち さ せ て 、 汗 を ふき ふき 言い まし た 。 一緒 に 涙 も ふい た よう でし た 。 
「 ぶん 撲れ 、 ぶん 撲れ 」 誰 か が 叫び まし た 。 
亮二 は すっかり わかり まし た 。 
（ は はあ 、 あんまり 腹 が すい て 、 それ に さっき 空気 獣 で 十 銭 払っ た ので 、 あと もう 銭 の ない の も 忘れ て 、 団子 を 食っ て しまっ た の だ な 。 泣い て いる 。 悪い 人 で ない 。 かえって 正直 な 人 な ん だ 。 よし 、 僕 が 助け て やろ う ） 
亮二 は こっそり がま口 から 、 ただ 一 枚 残っ た 白銅 を 出し て 、 それ を 堅く 握っ て 、 知ら ない ふり を し て みんな を 押しわけ て 、 その 男 の そば まで 行き まし た 。 男 は 首 を 垂れ 、 手 を きちんと 膝 まで 下げ て 、 一生けん命 口 の 中 で 何 かも に ゃもにゃ 言っ て い まし た 。 
亮二 は しゃがん で 、 その 男 の 草履 を はい た 大きな 足 の 上 に 、 だまっ て 白銅 を 置き まし た 。 すると 男 は びっくり し た 様子 で 、 じっと 亮二 の 顔 を 見下し て い まし た が 、 やがて いきなり 屈ん で それ を 取る やいなや 、 主人 の 前 の 台 に ぱちっと 置い て 、 大きな 声 で 叫び まし た 。 
「 そら 、 銭 を 出す ぞ 。 これ で 許し て くれろ 。 薪 を 百 把 あと で 返す ぞ 。 栗 を 八 斗 あと で 返す ぞ 」 言う が 早い か 、 いきなり 若者 や みんな を つき 退け て 、 風 の よう に 外 へ 遁 げ 出し て しまい まし た 。 
「 山男 だ 、 山男 だ 」 みんな は 叫ん で 、 がやがや あと を 追お う と し まし た が 、 もう どこ へ 行っ た か 、 影 も かたち も 見え ませ ん でし た 。 
風 が ご う ご うっ と 吹き出し 、 まっくろ な ひのき が ゆれ 、 掛茶屋 の す だれ は 飛び 、 あちこち の あかり は 消え まし た 。 
かぐら の 笛 が その とき はじまり まし た 。 けれども 亮二 は もう そっち へ は 行か ない で 、 ひとり 田圃 の 中 の ほ の 白い 路 を 、 急い で 家 の 方 へ 帰り まし た 。 早く お爺さん に 山男 の 話 を 聞か せ たかっ た の です 。 ぼんやり し た すばる の 星 が もう よほど 高く のぼっ て い まし た 。 
家 に 帰っ て 、 厩 の 前 から 入っ て 行き ます と 、 お爺さん は たった 一 人 、 いろり に 火 を 焚い て 枝豆 を ゆで て い まし た ので 、 亮二 は 急い で その 向う側 に 座っ て 、 さっき の こと を みんな 話し まし た 。 お爺さん は はじめ は だまっ て 亮二 の 顔 を 見 ながら 聞い て い まし た が 、 おしまい とうとう 笑い 出し て しまい まし た 。 
「 は はあ 、 そいつ は 山男 だ 。 山男 という もの は 、 ごく 正直 な もん だ 。 おれ も 霧 の ふかい 時 、 度々 山 で 遭っ た こと が ある 。 しかし 山男 が 祭 を 見 に 来 た こと は 今度 はじめて だろ う 。 はっ はっ は 。 いや 、 いま まで も 来 て い て も 見附 から なかっ た の か な 」 
「 おじいさん 、 山男 は 山 で 何 を し て いる の だろ う 」 
「 そう さ 、 木 の 枝 で 狐 わな を こさえ たり し てる そう だ 。 こういう 太い 木 を 一 本 、 ず うっ と 曲げ て 、 それ を もう 一 本 の 枝 で やっと 押え て おい て 、 その 先 へ 魚 など ぶら下げ て 、 狐 だの 熊 だの 取り に 来る と 、 枝 にあたって ば ちん と はねかえっ て 殺す よう に しかけ たり し て いる そう だ 」 
その 時 、 表 の 方 で 、 どし ん がらがら がらっと いう 大きな 音 が し て 、 家 は 地震 の 時 の よう に ゆれ まし た 。 亮二 は 思わず お爺さん に すがりつき まし た 。 お爺さん も 少し 顔色 を 変え て 、 急い で ランプ を 持っ て 外 に 出 まし た 。 
亮二 も ついて行き まし た 。 ランプ は 風 の ため に すぐ に 消え て しまい まし た 。 
その 代り 、 東 の 黒い 山 から 大きな 十 八 日 の 月 が 静か に 登っ て 来 た の です 。 
見る と 家 の 前 の 広場 に は 、 太い 薪 が 山 の よう に 投げ出さ れ て あり まし た 。 太い 根 や 枝 まで つい た 、 ぼり ぼり に 折ら れ た 太い 薪 でし た 。 お爺さん は しばらく 呆れ た よう に 、 それ を ながめ て い まし た が 、 俄 か に 手 を 叩い て 笑い まし た 。 
「 はっ はっ は 、 山男 が 薪 を お前 に 持っ て 来 て くれ た の だ 。 俺 は また さっき の 団子 屋 に やる という こと だろ う と 思っ て い た 。 山男 も ずいぶん 賢い もん だ な 」 
亮二 は 薪 を よく 見よ う として 、 一足 そっち へ 進み まし た が 、 忽ち 何 か に 滑っ て ころび まし た 。 見る と そこら いち めん 、 きらきら きらきら する 栗 の 実 でし た 。 亮二 は 起きあがっ て 叫び まし た 。 
「 おじいさん 、 山男 は 栗 も 持っ て 来 た よ 」 
お爺さん も びっくり し て 言い まし た 。 
「 栗 まで 持っ て 来 た の か 。 こんなに 貰う わけ に は いか ない 。 今度 何 か 山 へ 持っ て 行っ て 置い て 来よ う 。 一番 着物 が よかろ う な 」 
亮二 は なんだか 、 山男 が か あい そう で 泣き たい よう な へん な 気もち に なり まし た 。 
「 おじいさん 、 山男 は あんまり 正直 で か あい そう だ 。 僕 何 か いい もの を やり たい な 」 
「 うん 、 今度 夜具 を 一 枚 持っ て 行っ て やろ う 。 山男 は 夜具 を 綿 入 の 代り に 着る かも 知れ ない 。 それから 団子 も 持っ て 行こ う 」 
亮二 は 叫び まし た 。 
「 着物 と 団子 だけ じゃ つまらない 。 もっと もっと いい もの を やり たい な 。 山男 が 嬉し がっ て 泣い て ぐるぐる はね まわっ て 、 それから から だ が 天 に 飛ん で しまう くらい いい もの を やり たい なあ 」 
おじいさん は 消え た ランプ を 取りあげ て 、 
「 うん 、 そういう いい もの あれ ば なあ 。 さあ 、 うち へ 入っ て 豆 を たべろ 。 その うち に 、 おとうさん も 隣り から 帰る から 」 と 言い ながら 、 家 の 中 に はいり まし た 。 
亮二 は だまっ て 青い 斜め な お 月 さま を ながめ まし た 。 
風 が 山 の 方 で 、 ご うっ と 鳴っ て おり ます 。 
どれ も みんな 肥料 や 薪炭 を やりとり する さびしい 家 だ 。 街道 の ところどころ に ちらばっ て 黒い 小さい さびしい 家 だ 。 それ も もう みな 戸 を 閉め た 。 
おれ は かなしく 来 た 方 を ふり か へる 。 盛岡 の 電 燈 は 微か に ゆらい で ね むさう に ならび 只 公園 の アーク 燈 だけ 高い 処 で そらぞらしい 気焔 の 波 を 上げ て ゐる 。 どうせ 今頃 は 無鉄砲 な 羽虫 が 沢山 集っ て ぶっつかっ たり よろけ たり し て ゐる の だ 。 
私 は ふと 空 いっぱい の 灰色 は が ね に 大きな 床屋 の だ ん だら 棒 、 あの オランダ 伝来 の 葱 の 蕾 の 形 を し た 店 飾り を 見る 。 これ も 随分 たより ない こと だ 。 
道 が 小さな 橋 に か ゝ る 。 螢 が プイ と 飛ん で 行く 。 誰か が うし ろ で 手 を あげ て 大きく ためいき を つい た 。 それ も 間 違 ひか わから ない 。 とにかく そら が 少し 明るく なっ た 。 夜明け に は まだ 途方 も ない し きっと 雲 が 薄く なっ て 月 の 光 が 透っ て 来る の だ 。 
向 ふ の 方 は 小岩井 農場 だ 。 
四 っ 角山 に みんな ぺたぺた 一緒 に 座る 。 
月見草 が 幻 より は 少し 明るく その 辺 一 面 浮ん で 咲い て ゐる 。 マッチ が パッ と すら れ 莨 の 青い け むりがほのかにながれる 。 
右手 に 山 が まっくろ に うかび出 し た 。 その 山 に 何 の 鳥 だ か 沢山 とまっ て 睡っ て ゐる らしい 。 
並木 は 松 に なり みんな は 何 か を 云 ひ 争 ふ 。 そん なら お前 さん は こ ゝ ら で いきなり 頭 を 撲りつけ られ て 殺さ れ て も い ゝ な 。 誰か が 云 ふ 。 それ はい ゝ 。 い ゝ と 思ふ 。 睡 さ うに 誰か が 答 へる 。 
道 が 悪い ので 野原 を 歩く 。 野原 の 中 の 黒い 水 潦 に 何 べ ん も みんな 踏み込ん だ 。 けれども やがて 月 が 頭 の 上 に 出 て 月見草 の 花 が ほのか な 夢 を た ゞ よ はし フィーマス の 土 の 水たまり に も 象牙 細工 の 紫 がかっ た 月 が うつり どこ か で 小さな 羽虫 が ふるふ 。 
けれども 今 は 崇高 な 月光 の なか に 何 か よそよそしい もの が 漂 ひ はじめ た 。 その 成分 こそ は たしかに よ あけ の 白光 らしい 。 
東 が まばゆく 白く なっ た 。 月 は 少しく 興 さめ て 緑 の 松 の 梢 に 高く かかる 。 
みんな は 七つ 森 の 機嫌 の 悪い 暁 の 脚 まで 来 た 。 道 が 俄 か に 青々 と 曲る 。 その 曲り角 に おれ は また 空 に うかぶ 巨 き な 草 穂 を 見る の だ 。 カアキイ 色 の 一 人 の 兵隊 が いきなり 向 ふ に あら はれ て 青い 茂み の 中 に こ ゞ む 。 さ う だ 。 あそこ に 湧 水 が ある の だ 。 
雲 が 光っ て 山山 に 垂れ 冷たい 奇麗 な 朝 に なっ た 。 長い 長い 雫石 の 宿 に 来 た 。 犬 が 沢山 吠え 出し た 。 けれども みんな お 互に 争っ て ゐる の らしい 。 
葛根田川 の 河原 に おり て 行く 。 すぎ なに 露 が 一ぱい に 置き 美しく ひらめい て ゐる 。 新鮮 な 朝 の すぎ なに 。 
いつか みんな 睡っ て ゐ た の だ 。 河本 さん だけ 起き て ゐる 。 冷たい 水 を 渉 って ゐる 。 変 に 青く 堅 さうなから だ を は だ か に なっ て 体操 を やっ て ゐる 。 
睡っ て ゐる 人 の 枕 もと に 大きな 石 を どしり どしり と 投げつける 。 安山岩 の 柱状 節理 、 安山岩 の 板 状 節理 。 水 に 落ち て は つめたい 波 を 立て うつろ な 音 を あげ 、 目 を 覚まし た 、 目 を 覚まし た 。 低い 銀 の 雲 の 下 で 愕 い て よろよろ し て ゐる 。 それ から 怒っ て ゐる 。 今度 は に がわら ひ を し て ゐる 。 銀色 の 雲 の 下 。 
帰り みち 、 ひで り 雨 が 降り また か ゞ や かに 霽 れる 。 その か ゞ やく 雲 の 原 
今日 こそ 飛ん で あの 雲 を 踏め 。 
けれども いつか 私 は 道 に 置き すて られ た 荷馬 車 の 上 に 洋傘 を 開い て 立っ て ゐる の だ 。 
ひどい 怒鳴り 声 が する 。 たしかに 荷馬 車 の 持ち主 だ 。 怒り たけっ て 走っ て 来る 。 その ほっ ペ た が 腐っ て 黒い すもも の やう 、 いまにも 穴 が 明き さ う だ 。 癩病 に ち が ひ ない 。 さびしい こと だ 。 
虹 が たっ て ゐる 。 虹 の 脚 に も 月見草 が 咲き 又 こ ゝ ら に も その バタ の 花 。 一 つぶ 二 つぶ ひで り あめ が きらめき 、 去年 の 堅い 褐色 の すがれ に 落ちる 。 
すっかり 晴れ て 暑く なっ た 。 雫石川 の 石垣 は 烈しい 草 の いきれ の 中 に ぐらり ぐらり と ゆらい で ゐる 。 その 中 で うとうと する 。 
遠く の 楊 の 中 の 白雲 でく わく こう が 啼い た 。 
「 あの 鳥 は ゆ ふ べ 一 晩 なき 通し だ な 。 」 
「 うん うん 鳴い て ゐ た 。 」 誰 か が 云っ て ゐる 。 
漢 子 称し て 秘 処 といふ 
その 崖 上 に たどり し に 
樺 柏 に 囲ま れ て 
は うき だけ こそ うち群れ ぬ 
漢 子 首 巾 を き と 結 ひ て 
黄ばめ る もの は 熟し たり 
な は そ を 集 へ われ はた ゞ 
白き を 得ん と 気 お ひ 云 ふ 
漢 子 が 黒き 双 の 脚 
大 コム パス の さま なし て 
草地 の 黄金 を み だ るれ ば 
峯 の 火口 に 風 鳴り ぬ 
漢 子 は 蕈 を 山 と 負 ひ 
首 巾 を や ゝ に めぐらし つ 
東 に 青き 野 を のぞみ 
に と 笑み に つ ゝ 先立ち ぬ 
一 、 濁 密 防止 講演 会 
イギリス の 大学 の 試験 で は 牛 で さ へ 酒 を 呑ま せる と 目方 が 増す と 云 ひ ます 。 又 これ は 実に 人間 エネルギー の 根元 です 。 酒 は 圧縮 せる 液体 の パン と 云 ふ の は 実に 名言 です 。 堀部 安兵衛 が 高田 の 馬場 で 三 十 人 の 仇討 ちさ へ 出来 た の も 実に 酒 の 為 に エネルギー が 沢山 あっ た から です 。 みなさん 、 国家 の ため 世界 の ため 大 に 酒 を 呑ん で 下さい 。 」 （ 小学 校長 が 青く なっ て ゐる 。 役場 から 云 はれ て 仕方 なく 学校 を 貸し た の だ が 何 が 何 でも これ で は あんまり だ と 思っ て すっかり 青く なっ た な ） と 税務署 長 は 思ひ まし た 。 けれども それ は 大 ち が ひで 小学 校長 の 青く 見え た の は あんまり ほめ られ て 一 そう 酒 が 呑み たく なっ た の でし た 。 なぜ なら この 校長 さん は 樽 こ 先生 といふ あだ名 で 一 ぺん に 一 升 ぐらゐは 何 で も なかっ た の です 。 みんな は もちろん 大 賛成 で うまい ぞ 、 えらい ぞ 、 と 手 を た ゝ い て ほめ た の でし た 。 税務署 長 が また 見掛け の 太っ た ざっくばらん らしい 男 で いかにも 正直 らしく みんな が 怒る かも 知れ ない なんと いふ こと は 気 に もとめ ず どんどん 云 ひ たい こと を 云 ひ まし た 。 実際 それ は ひどい 悪口 も あっ て どうしても みんな ひどく 怒ら なけれ ば なら ない 筈 な のに も 係 はら ず みんな は ほん た うに 面白 さ うに 何 べ ん も 何 べ ん も 手 を 叩い たり 笑っ たり し て 聞い て ゐ まし た 。 
その はじめ の 方 を ち ゞ め て 見 ます と こんな 工合 です 。 
「 濁 密 を やる に し て も さ 、 あんまり 下手 な こと は やっ て もら ひ たく ない な 。 なぁ ん だ 、 味噌 桶 の 中 に 、 醪 を 仕込ん で 上 に 板 を のせ て 味噌 を 塗っ て 置く 、 ステッキ で つっつい て 見る と すぐ 板 が 出る ぢ ゃないか 。 廐 の 枯草 の 中 に かくして 置く 、 い ゝ 馬 だ なあ 、 乳 も しぼれる かい と 云 ふと 顔 いろ を 変 へ て ゐる 。 
新 らしい 肥 樽 の 中 に 仕込ん で 林 の 萱 の 中 に 置く 。 誰 か に こっそり 持っ て 行か れ て も 大声 で 怒ら れ ない 。 煤 だらけ の 天井 裏 に こ さ へ て 置い て 取っ て 帰っ て 来る とき は 眼 を まっ 赤 に し て ゐる 。 
できあがっ た 酒 だって 見 られ た ざま ぢ ゃない 。 どうせ にごり酒 だ から 濁っ て ゐる の はい ゝ として 酸っぱい の も ある 、 甘い の も ある 、 アイヌ や 生蕃 に やっ て も まあ ご免 蒙り ませ う といふ やう な の だ 。 そんな もの は この 電 燈時代 の 進歩 し た 人類 が 呑む べき もん ぢ ゃない 。 どうせ やる なら なぜ もう少し 大 仕掛け に 設備 を 整 へ て 共同 で で も やら ない か 。 すべからく 米 も 電気 で 研ぐ べし 、 しぼる とき に は 水圧 機 を 使 ふ べし 、 乳酸菌 を 利用 し 、 ピペット 、 ビーカー 、 ビュウレット 立派 な 化学 の 試験 器械 を 使っ て 清潔 に 上等 の 酒 を つくら ない か 。 もっとも その 時 は 税金 は 出し て 貰 ひたい 。 さ う 云 ふ ふう に やる なら ば われわれ は 実に 歓迎 する 。 技師 や なんか の 世話 まで し て 上げ て も い ゝ 。 こそこそ 半分 か うじ の ま ゝ の 酒 を 三 升 つくっ て 罰金 を 百 円 とら れる より は 大 びら で い ゝ 酒 を 七 斗 呑め よ 。 」 
まだまだ ず ゐ ぶん ひどく 悪 まれ 口 も き ゝ 耳 の 痛い 筈 な やう な こと も 云 ひ まし た が 誰 も 気持ち 悪く する 人 は なく 話 が 進め ば 進む ほど 、 いよいよ みんな 愉快 さ うに 顔 を 熱ら し て 笑っ たり 手 を 叩い たり し まし た 。 
どうも を かしい どうも を かしい 、 どうも を かしい と みんな の 顔つき を きょろきょろ 見 ながら その 割合 ざっくばらん の 少し ずるい 税務署 長 が 思ひ まし た 。 税務署 長 の 考 で は うんと 悪口 を 云っ て どれ 位 赤く なっ て 怒る 人 が ある か を 見 て 大体 その 村 の 濁 密 の 数 を 勘定 しよ う と 云 ふ の でし た 。 それ が いけ ない やう でし た から 今度 は だんだん おどし に か ゝ って 青く なる 人 を 見 て やら う と 思ひ まし た 。 
ところが やっぱり 面白 さ うに 笑 ひ ます 。 
税務署 長 は 気 が 気 で なく 卒倒 し さ うに なっ て 頭 に 手 を あげ まし た 。 
全体 こんなに おれ の 悪口 を よろこん で 笑 ふ の は みんな が 一 人 も 密造 を し て ゐ ない の か 、 それとも おれ の 心底 が わかっ て ゐる の か 、 どうも 気味が悪い 、 よし もう 一つ だけ 山 を かけ て 見よ う と 思っ て 最後 に コップ の 水 を 一口 の ん で できる 丈 け 落ち着い て 斯 う 云 ひ まし た 。 
「 正直 を 云 ふと みんな が どんなに こっそり 濁 密 を やっ た 所 で おれ の 方 で は ちゃんと わかっ て ゐる 。 この 会衆 の 中 に も 七 人 の おれ の 方 へ の 密告 者 が まじっ て ゐる の だ 。 」 
みんな は しいんと なり まし た 。 それから ザアッ と 鳴り まし た 。 さあ 、 こ ゝ だ おれ を 撲り に か ゝ る やつ が ある ぞ 、 遁 みち は ちゃんと きまって ゐる 、 あした の 午 ころ みんな 仕事 に 出 た ころ 係 二 十 人 一斉 に 自転車 で やって来 て そいつ を 押 へ て しまふ 、 斯 う 考へ て 税務署 長 は シラトリキキチ に 眼 くば せ し て 次 を 云 ひ まし た 。 
「 おれ の 方 で は 誰 の 家 の 納屋 の 中 に 何 斗 ある か 誰 の 家 の 床下 に 何 升 ある か ちゃんと 表 に なっ て ある の だ 。 」 する と どう です 、 いま あれ ほど 気 が 立っ た みんな が 一斉 に 面白 さ うに どっと 吹き出し た の です 。 もう だめ だ 、 おし まひ だ 、 しくじっ た と 署長 は 思ひ まし た 。 そして もう すっかり ぐるぐる し て 壇 を 下り て しまひ まし た 。 
二 、 税務署 長 歓迎 会 
税務署 長 が 壇 を 下り まし たら すぐ 名誉 村長 が 笑 ひ ながら 少し か ゞ んで 署長 の 前 に やって来 まし た 。 そして 礼 を 云 ひ まし た 。 
「 た ゞ 今 は 実に 有益 な ご 講演 を 寔 に 感謝 いたし ます 。 何 も ご ざいませんがいさゝか 歓迎 の しるし まで 一献 さしあげ たい と 存じ ます 。 ご 迷惑 は 重々 で ご ざいませうがどうかぢきそこまで 御 光来 を 願 ひ た う 存じ ます 。 」 
税務署 長 は いよいよ 卒倒 し さ うに なっ て 
「 いや 、 それ は よろしい 。 」 と かすれ た 声 で 返事 し まし た 。 「 では 、 」 村長 は みんな の 方 に 向い て 
「 今晩 の 講演 会 は これ で 閉会 と いたし ます 。 」 と 云っ て から 又 署長 たち の 方 に 向き直っ て 「 さあ 、 では どうぞ 。 」 と 右手 で 玄関 の 方 を 指し まし た 。 署長 は なんとも 変 な 気 が し まし た が 仕方 なく シラトリ 属 と 一緒 に 村長 たち に 案内 さ れ て 小学校 の 玄関 を 出 すぐ 一 町 ばかり さき の 村会 議員 の 家 に 行き まし た 。 村会 議員 の 家 は 立派 な もの で 五 十 畳 の 広間 に は あかり が ぞ ろ っと ともり 正面 に は 銀 屏風 が 立っ て そこ に 二 人 は 座ら さ れ まし た 。 すぐ 村 の 有志 たち が 三 十 人 ばかり きちんと 座り まし た 。 たちまち 立派 な 膳 が ならび た しか に 税金 を 納め て ある 透明 な 黄いろ ない ゝ 酒 が 座 を ま はり はじめ まし た 。 
みんな が 交 る 交 る 税務署 長 の ところ へ 盃 を 持っ て やって来 まし た 。 
「 いや 、 本日 は お 疲れ で ござい ませ う 。 失礼 ながら 献盃 致し ます る 。 」 
「 や 、 ありがたう 、 どうも 悪口 を 云っ て 済まなかっ た 。 どうも 悪 まれ 商売 で ね 、 いやに なる よ 。 」 
「 どう 致し まし て 。 閣下 の やう な 献身 的 の お方 ばかり でし たら 実に 国家 も 大 発展 です 。 さあ どうぞ 。 」 
「 はっ はっ は 、 いや 、 ありがたう 。 」 なんて 云 ふ 工合 で シラトリキキチ 氏 の 云っ た やう に だんだん みんな の 心 は 融け て 来 た やう に 見え まし た が 実は 税務署 長 は 決して 油断 を し ない で 絶えず 左右 に 眼 を 配っ て ゐ まし た 。 その うち に いよいよ みんな は 酔っ て しまっ て だんだん 本音 を 吹い て 来 まし た 。 
「 や 、 署長 さん 。 一杯 いか ゞ 、 どう です 。 ワッハッハ 。 濁り 酒 、 味噌 桶 に 作る といふ の は あんまり 旧式 だ な 。 もっと 最新 法 の 方 はい ゝ な 。 おい 、 署長 さん 。 さあ 、 一杯 いか ゞ 、 私 の 盃 を あなた 取り ませ ん か 。 閣下 ぁ 、 ハッハッハ 。 さあ 一 杯 、 」 
「 いや 、 わかっ た 、 わかっ た 。 いや 、 今晩 は 実に 酩 ていし た 。 辱 け ない 。 」 
「 ワッハッハ 。 やあ 、 今度 は シラトリ さん 、 さあ 、 お やり なさい 。 男子 は すべからく 決然 たる ところ が なく て は だめ です よ 。 さあ 、 高田 の 馬場 で 堀部 安兵衛 金丸 が 三 十 人 を 切っ た の は 実際 酒 の 力 だ 、 面白い 、 牛 も 酒 を 呑む と 酔 ふと いふ の は 面白い 。 さあ 一 杯 。 なかなか あなた は 酒 が 強い 。 さあ 一 杯 。 」 
一 人 が 行っ た と 思ふ と 又 一 人 が 来る の でし た 。 
「 署長 さん 。 はじめて お 目通り を 致し ます 。 」 
「 いや はじめて 。 」 
「 はじめて 、 はてな さっき も 来 まし た か な 、 二 度目 だ 、 ハッハッハ 。 署長 さん 、 いや 献杯 、 つ ゝ しん で 献杯 仕り ます 。 ハッハッハ この 村 の 濁り 酒 は もう 手 に 取る やう に わかっ て ゐる 、 本当に か 、 さあ 、 本当 なら いつ でも やって来い 。 来る か 、 畜生 、 来 て 見や がれ 。 アッハッハ 、 失礼 、 署長 さん 署長 さん 、 もう 斯 うなっ たら いっそ の こと 無礼講 に し ませ う 。 無礼講 。 お ゝ い 、 みんな 無礼講 だ ぞ 、 そもそも だ 、 濁 密 の 害悪 は 国家 も 保証 する 、 税務署 も 保証 する と 、 うう ぃ 。 献杯 、 いや 献杯 、 」 
「 もう 沢山 、 」 
「 遁 げ る の か 、 遁 げ る 気 か 。 ようし 、 ようし 、 その 気 なら 許さ ん ぞ 。 献杯 、 さあ 献杯 だ 、 お ゝ い 貴様 ぁ 。 」 
税務署 長 は もう すっかり 酔っ て ゐ まし た 。 シラトリ 属 も 酔っ て は ゐ まし た 。 けれども 二 人 と も 決して 職業 も 忘れ ず 又 油断 も し なかっ た の です 。 
それでも もう ぐたぐた に なっ て 何 も か も わから ない といふ ふり を し て ゐ まし た 。 それ に くらべ たら 村 の 方 の 人 たち こそ 却って 本当に 酔っ て しまっ た の でし た 。 その うち に 税務署 長 は 少し 酒 の 匂 が 変っ て 来 た のに 気 が つき まし た 。 たしかに 今 まで の 酒 と は ちがっ た 酒 が 座 を ま はり はじめて ゐ まし た 。 署長 は 見 ない ふり を し ながら よく 気 を つけ て 盃 を 見 まし た が 少し も 濁っ て は ゐ ませ ん でし た 。 どうも を かしい 。 これ は 決して こ ゝ ら の どの 酒屋 で できる 酒 で も ない 、 他 県 から 来る の だって もう 大 てい は きまって ゐる 。 どうも を かしい と 斯 う 署長 は ひとり で 考へ まし た 。 そのうち さっき の 村会 議員 が 又 やって来 て きちんと 座っ て 云 ひ まし た 。 
「 いや 、 もう 閣下 、 ひどく ご 無礼 を いたし まし た 。 こんな 乱雑 な 席 に ご 光来 を ねが ひ まし て 面目次第 も ござい ませ ん 。 た ゞ もう ほんの 村民 の 志 だけ を お 汲み 下さ れ まし て 至ら ぬ ところ 又 すぎ まし た 処 は 平に ご 容赦 を ねが ひ ます 。 」 
署長 は すっかり 酔っ た 風 を し ながら 笑っ て 答 へ まし た 。 
「 いや 、 君 、 こんな 愉快 な うち とけ た 宴会 は はじめて だ よ 。 こんな こと なら たびたび やって来 たい もん だ ね 。 斯 う 出 られ たら 困る だら う 。 」 
村会 議員 は ちらっと 署長 を 見 あげ まし た 。 本当は まだ 酔っ て ゐ ない な と 気がつい た の です 。 署長 が 又 云 ひ まし た 。 
「 どうも 斯 う 高い 税金 の かかっ た 酒 を 斯 う 多分 に 貰っ ちゃ お 気の毒 だ 。 一つ 内密 で この 村 だけ 無税 に しよ う か な 。 」 
「 いや 、 ハッハッハ 。 ご 冗談 。 」 村会 議員 は 少し あわて て 台所 の 方 へ 引っ込ん で 行き まし た 。 
「 もう 失礼 しよ う 、 おい 君 。 」 署長 は 立ちあがり まし た 。 
「 もう お 帰り です か 。 まあ まあ 。 」 村長 や みんな が 立っ て 留めよ う と し た とき そこ は もう 商売 で 署長 と 白鳥 属 と は まるで 忍術 の やう に 座敷 から 姿 を 消し 台所 に あっ た 靴 を つまん だ と 思ふ と もう 二 人 の 自転車 は 暗い 田圃 みち を ときどき 懐中 電 燈 を ぱっぱっとさせて 一目散 に ハーナムキヤ の 町 の 方 へ 走っ て ゐ た の です 。 
三 、 署長 室 の 策戦 
次 の 日 税務署 長 は 役所 へ 出 て 自分 の 室 に 入り 出勤 簿 を 検査 し ます と チリンチリン と 卓上 ベル を 鳴らし て 給仕 を 呼び 「 デンドウイ を 呼べ 。 」 と あご で 云 ひ つけ まし た 。 
すぐ 白 服 の デンドウイ 属 が いかにも 敬虔 に 入っ て 来 まし た 。 
「 まあ 掛け 給 へ 。 」 署長 は やさしく 云っ て 話 の 口 を きり まし た 。 
「 ユグチュユモト の 村 へ 出張 し て 呉れ 給 へ 。 」 
「 は 、 」 
「 変装 し て 行っ て 貰 ひ たい な 。 一寸 売薬 商人 がい ゝ だら う 。 あの 千金 丹 の 洋傘 が あっ た 筈 だ ね 。 」 
「 は 、 ござい ます 。 」 
「 ぢ ゃ 、 ライオン 堂 へ 行っ て これ で ウスキー を 一 本 買っ て ね それから 広告 を くばっ て やる から と 云っ て 何 か の ちらし を 二 百 枚 も 貰 ひ たま へ 。 そいつ を 持っ て 入っ て 行く ん だ 。 君 の 顔 は 誰 も 知っ て や し ない 。 どうも あの 村 は わから ない とこ が ある 。 どうも 誰 か が どこ か で 一 斗 や 二 斗 で なし に つくっ て ゐる 。 一つ 豪胆 に うまく やっ て 呉れ 給 へ 。 」 
「 は 、 畏まり まし た 。 」 
デンドウイ 属 は もう 胸 が わくわく し まし た 。 うまく 見付け て 帰っ て 来よ う 。 そしたら 月給 だって もう きっと 三 円 は あがる 、 ひとつ まるっきり 探偵 風 に やっ て やら う 。 
「 概算 旅費 を 受け取っ て 行き たま へ 。 」 署長 は また 云 ひ まし た 。 
「 ありがたう ござい ます 。 」 デンドウイ 属 は 礼 を し て 自分 の 席 へ 帰っ て それ から 会計 へ 行っ て 七 日間 の 概算 旅費 を 受け取っ て 自分 の 下宿 へ 帰っ て 行き まし た 。 
さて 八 日 目 の 朝 署長 が 役所 へ 出 て 出勤 簿 を 検査 し て それ から 机 の 上 へ 両手 を 重ね て ふう と 一つ 息 を し た とき 扉 が かたっ と 開い て デンドウイ 属 が あの 八 日 前 の 白 服 の ま ゝ で また 入っ て 来 まし た 。 どうも その 顔 が ひどく やつれ て 見え まし た 。 署長 は 思は ず 椅子 を かたっ と 云 は せ まし た 。 
「 どう だっ た ね 、 少し は わかり まし た か 。 」 心配 さ う に それ に また にこにこ し ながら 訊い た の です 。 
「 どうも いけ ませ ん でし た 。 あの 村 に は 濁 密 は ない やう で あり ます 。 」 
「 さ う です か 。 どう 云 ふ やう に し て しらべ まし た 。 」 署長 は 少し こ はい 顔 を し まし た 。 
「 ニタナイ の とこ に 丁度 老人 で なく なっ た 人 が あっ た の です 。 人 が 集っ たら いづれ 酒 を 呑ま ない で ゐ ない から と 存じ まし て すぐ その 前 の うち へ 無理 に 一 晩 泊め て 貰 ひ まし た 。 すると その うち から みんな 手 伝 ひ に 参り まし て 道具 や なん か も 貸し た の で ござい ます 。 私 は 二 階 から じっと 隣り の 人 たち の 云 ふ こと を 一 晩 寝 ない で 聞い て 居り まし た 。 すると 夜中 すぎ に 酒 が 出 まし た 。 もう 一 語 でも き ゝ もらす まい と 思っ て ゐ まし たら 、 そのうち 一 人 が すう と 口 を まげ て 歯 へ 風 を 入れ た やう な 音 が し まし た 。 これ は もう どうしても 濁り 酒 で ない と 思っ て ゐ まし たら 、 」 
「 ふん ふん 、 なかなか 君 の 観察 は 鋭い 。 それから 。 」 
「 そしたら 一 人 が 斯 う 云 ひ まし た 。 い ゝ 、 ほんとに い ゝ 、 これ で は もう イーハトヴ の 友 も なに も 及ば ない な 。 と 云 ひ まし た 。 イーハトヴ の 友 も 及ば ない と し ます と とても 密造 酒 で は ない と 存じ まし た 。 」 
「 その 酒 の 名前 を 聞き まし た か 。 」 
「 私 は 北 の 輝 だら う と 思ひ ます 。 」 
署長 は 俄 に こ はい 顔 を し まし た 。 
「 い ゝ や 、 北 の 輝 ぢ ゃない 。 断じて さ う で ない 。 その い ゝ 酒 が どこ から 出来 て ゐる か どの 県 から 入っ てる か それ を よく しらべ に 君 を たのん だ の だ 。 けれども そして それ から あと 七 日 君 は いったい 何 を し て 居 た の だ 。 」 
「 それから あと は 毎日 林 の 中 や 谷 を あるい て 山地 密造 酒 を 探し て 居り まし た 。 」 
「 あっ た か 。 」 
「 あり ませ ん でし た 。 」 
「 見 給 へ 。 そんな 藪 の 中 に こっそり 作る やう な そんな の ぢ ゃない 。 どこ か 床下 を ほる か なんか し て も 少し 大きく やっ て ゐる だら う と はじめ から 僕 が 注意 し て 置い た ぢ ゃないか 。 」 
デンドウイ 属 は もう 頭 を 垂れ て しまひ まし た 。 その やつれ た 青い 顔 を 見る と 署長 も また 少し 気の毒 に なっ て 来 まし た 。 
「 いや 、 よろしい 。 帰っ て やすみ 給 へ 。 ご苦労 でし た 。 シラトリ 君 に 一寸 来い と 云っ て 呉れ 給 へ 。 」 
デンドウイ 属 は し ほし ほ 出 て 行き まし た 。 間もなく 、 例 の シラトリ 属 が すまし 込ん で 入っ て 来 まし た 。 
「 君 、 ユグチュユモト へ 行っ て くれ 給 へ 。 却って その ま ゝ の 方 が い ゝ 。 あの ね 、 この 前 の 村会 議員 の とこ へ 行っ て ね 、 僕 から と 云 ふ 口上 で ね 、 先 ころ は ごちそう を い た ゞ い て 実に ありがたう 、 と 、 ね 、 その 節 席上 で 戯談半 分 酒造 会社 設立 の こと を お はなし し た ところ 何だか 大分 本気 らしい ご 挨拶 が あっ た と ね 、 で 一つ この 際 こちら から 技術 員 も 出す から 模範 的 な その 造酒 工場 を その 村 で はじめて は どう だら う 、 原料 も 丁度 そちら の は 醸造 に 適し て ゐる と 思ふ と 斯 う 吹っかけ て 見 て じっと 顔 いろ を 見 て 呉れ 給 へ 。 きっと 向 ふ が 資本 が あり ませ ん で と 斯 う 云 ふか ら ね 、 そしたら どう で せ う 、 半官半民 風 に やら う ぢ ゃありませんかと 斯 う やっ て 呉れ 給 へ 。 そして その 返事 を もう せき 一つ まで よく 覚え込ん で 帰っ て 呉れ 給 へ 。 いま すぐ です 。 今日 中 に 帰れる だら う 、 あした は 休ん で も い ゝ から 。 」 
「 帰れ ます 。 」 シラトリキキチ 氏 は しゃんと 礼 を し て 出 て 行き まし た 。 署長 は もう 一生けん命 何 か を 考 へ 込ん で 昼飯 さ へ 忘れる 風 でし た 。 ひる す ぎはそはそは 窓 に 立っ て シラトリ 属 の 帰る の を いま か いま か と 待っ て ゐ まし た 。 
ところが シラトリ 属 は 夕方 に なっ て も 帰り ませ ん でし た 。 
署長 は もう みんな も 帰る 時分 だ し と 思っ て 自分 も 一 ぺん 家 へ 帰る ふり を し て 町 を ぐるっと ま はり みんな が 戻っ た ころ また 役所 へ 来 て 小使 に 自分 の 室 へ 電 燈 を つけ させ て 待っ て ゐ まし た 。 すると 八 時 過ぎ て 玄関 で がたっと 自転車 を 置い た 音 が し て それ から シラトリ 属 が まるで 息 を 切らし て 帰っ て 来 た の です 。 
「 どう だっ た 。 」 署長 は 待ち兼ね て さ う 訊ね まし た 。 
「 だめ です 。 」 
「 いけ なかっ た か 。 」 署長 は がっかり し まし た 。 
「 仰っ た と ほり 云っ て だまっ て 向 ふ の 顔 いろ を 見 て ゐ た の です けれども まるで 反応 が あり ませ ん な 、 さあ 、 まあ そんな こと も 仰っ し ゃっておいででしたがどうもお 役人 方 の 仰っ し ゃることはご 無理 も あれ ば むづかしいことも 多く て なんて てんで とり 合 は ない の です 。 」 
「 顔色 を 変 へ なかっ た か 。 」 
「 少し も 変り ませ ん でし た 。 」 
「 それから どう し た 。 」 
「 仕方 あり ませ ん から そこ を 出 て 村 の 居酒屋 へ いきなり 乗り込ん で あっ た 位 の 酒 を 瓶詰 の も はかり 売 の も 全部 片っぱし から 検査 し まし た 。 」 
「 うん うん 。 そしたら 。 」 
「 そしたら 瓶詰 は みんな イーハトヴ の 友 でし た し はかり 売 の は たしかに 北 の 輝 です 。 」 
「 北 の 輝 の 方 が いくらか 廉 いん だ な 。 」 
「 さ う です 。 」 
「 たしかに 北 の 輝 か ね 。 」 
「 さ う です 。 それから 酒屋 の 主人 に 帳簿 を 出 さし て しらべ て 見 まし た が 酒 の 売れ高 が このごろ 毎年 減っ て 行く やう で あり ます 。 」 
「 を かしい な 。 前 に は あの 村 は みんな 濁り 酒 ばかり 呑ん で ゐ た のに このごろ 検挙 が 厳しく て だんだん 密造 が 減る なら ば 清酒 の 売れ高 は いくら か づつ 増さ なけれ ば いけ ない 。 」 
「 けれども どうも 前 ぐらゐは 誰 も 酒 を 呑ま ない やう で あり ます 。 」 
「 さ う か ね 。 」 
「 それに 酒屋 の 主人 の はなし で は 近頃 は 道路 も よく なっ た し 荷馬 車 も 通る ので どこ の 家 で も みんな 町 から 直 かに 買 ふか ら こっち は だんだん 商売 が すたれる と 云 ひ まし た 。 」 
「 を かしい ぞ 。 そんなに 町 から どしどし 買っ て 行く くら ゐ の 現金 が あの 村 に ある 筈 は ない 。 どうも を かしい 。 よろしい 。 こんど は 私 が 行っ て 見よ う 。 どうも を かしい 。 明日 から 三 四 日 留守 する から ね 。 あと を よく 気 を つけ て 呉れ 給 へ 。 さあ 帰っ て やすみ 給 へ 。 」 
税務署 長 は 唇 に 指 を あて 、 眼 を 変 に 光らせ て 考 へ 込み ながら そろそろ 帰り支度 を し まし た 。 
四 、 署長 の 探偵 
税務署 長 の その 晩 の 下宿 で の 仕度 とき たら 実際 科学 的 な もん だっ た 。 
ま づ 第 一 に ひ げ を はさみ で ぢ ゃきぢゃき 刈りとっ て 次に 揮発 油 へ 木 タール を 少し まぜ て 茶 いろ な 液体 を つくっ て 顔 から 首 す ぢ いっぱい に 手 に も 塗っ た 。 鼻 の 横 や 耳 の 下 に は 殊に 濃く 塗っ た の だ 。 それから アスファルト の 屋根 材 の 継目 に 塗りつける 黒い ペイント を 顎 の とこ へ 大きな 点 に つけ て しばらく の 間 じっと そんな 油 や 何 か の 乾く の を 待っ て た が 、 それ が きれい に 乾く と こんど は 鏡台 の 引出し を あけ て にせもの の 金歯 を 二 枚 出し て 犬歯 へ はめ まし た 。 すると 税務署 長 が すっかり 変っ て しまっ て 請負 師 か 何 か の 大将 の やう に 見え て 来 た 。 それから 署長 は 押し入れ から ふだん 魚釣り に 行く とき に つか ふ 古い きゅう くつ な 上着 を 出し て 着 て おまけ に 乗馬 ズボン と 長靴 を はい た 。 そして 葉書 入れ を 逆 ま に し て しばらく 古い 名刺 を しらべ て ゐ た が その 中 から トケウ 乾物 商 サヘタコキチ と 書い た やつ を えらん で うち か くし へ 入れ た 。 独りもの の 署長 の こと だ から 実際 こんな こと が でき た の だ 。 それから 帽子 を かぶり 洋傘 を 持っ て 外 へ 出 た けれども 何 と 思っ た か もう 一 ぺん 長靴 を ぬい で それ を 持っ て 座敷 へ あがっ た 。 古い 新聞紙 を 鏡 の 前 の 畳 へ 敷い て 又 長靴 を はい て ちゃんと 立っ て 鏡 を のぞい て さあ も うに か に かに か に かし 出し た 。 
それから 俄 か に まじめ に なっ て しばらく 顔 を くし ゃくしゃにしてゐたがいよいよ 勇気 に 充ち て 来 たらしく 一 ぺん に 畳 を はね 越え て お もて に 飛び出し 大股 に 通り を まがっ た 。 実に その 晩 の 夜 の 十 時 すぎ に 勇敢 な 献身 的 な この 署長 は 町 の 安宿 へ 行っ て 一 晩 とめ て 呉れ と 云っ た 。 そしたら まじめ に お湯 は どう か とか 夕飯 は いら ない か とか 宿屋 で は 聞い た 。 署長 は もう すっかり 占め た と 思っ た の だ 。 そして 次 の 朝 早く 署長 は ユグチュユモト の 村 へ 向っ た 。 
村 の 入口 に 来 て さっそく 署長 は あの 小売 酒屋 へ 行っ た 。 
「 え ゝ 伺ひ ます が 、 この 村 の 椎 蕈山 は どちら で せ う か 。 」 
「 椎 蕈山 か ね 。 お ま へ さん は 買付け に 来 た の かい 。 」 
「 へえ 、 さ う です 。 」 
「 そん なら 組合 へ 行っ たらい ゝ だら う 。 」 
「 組合 は どちら で ござい ませ う 。 」 
「 こっ から 十 町 ばかり この みち を まっすぐ に 行く と ね 学校 が ある 、 」 
知っ てる とも 、 そこで おれ が 講演 まで し て ひどい 目 に あっ てる ぢ ゃないか 、 署長 は 腹 の 底 で 思っ た 。 
「 その 学校 の 向 ひ に 産業 組合 事務所 って 看板 が かけ て ある から そこ へ 行っ て 談 し た らい ゝ だら う 。 」 
「 さ う です か 。 どうも ありがたう ござい まし た 。 お蔭さま で ござい ます 。 」 署長 は まるで 飛ぶ やう に お もて に 出 て また 戻っ て 来 た 。 
「 どうも せい が きれ て いけ ない 。 一杯 くれ ませ ん か 。 え ゝ 瓶 で ない 方 。 う うい 。 い ゝ 酒 です ね 。 何 て 云 ひ ます 。 」 
「 北 の 輝 です 。 」 
「 これ はい ゝ 酒 だ 。 こ ゝ へ 来 て こんな 酒 を 呑ま う と 思は なかっ た 。 どこ で 売り ます 。 」 
「 私 の とこ で おろし も し ます よ 。 」 
「 はあ 、 しかし 町 で 買っ た 方 が 安い で せ う 。 」 
「 さ う でも あり ませ ん 。 」 
「 だめ だ 。 持っ て 行く に ひどい から 。 」 
署長 は 金 を 十 銭 おい て 又 飛び出し た 。 それから 組合 の 事務所 へ 行っ た 。 さあ もう つかま へる ぞ 今日 中 に つかま へる ぞ 、 署長 は ひとり で 思っ た 。 ところが 事務所 に は たった 一 人 髪 を てかてか 分け て 白い しごき を だらり と し た 若者 が 椅子 に 座っ て 何 か 書い て ゐ た 。 こいつ は うまい と 署長 は 思っ た 。 
「 今日 は 、 い ゝ お 天気 で ござい ます 。 ごめん 下さい 。 私 は トケイ から 参り まし た 斯 う 云 ふも の で ござい ます が どうか お 取次 を ねが ひ ます 。 」 署長 は あの 古い 名刺 を だいぶ 黄いろ に なっ てる ぞ と 思ひ ながら 出し た 。 若者 は 率直 に 立っ て 「 あゝ さ うす か 。 」 と 云っ て 名刺 を 受けとっ た が あと は 何 も 云 は ない でも ぢ も ぢ し て ゐ た 。 
「 今朝 は まだ どなた も お 見え に なら ない ん です か 。 」 
「 はあ 、 見え ない で 。 」 若者 は 当惑 し た やう に 答 へ た 。 
「 え ゝ 、 では お待ち いたし ます 、 どうか お 構 ひ なく 。 いか ゞ で ござい ませ う 。 本年 は 椎 蕈 の 方 は 。 この 雨 で だいぶ 豊作 で ござい ませ う ね 。 」 
「 あんまり よく ない さ う だ よ 。 」 
「 はあ いや 匂 や なに か は 悪い で せ う が 生える こと は 沢山 生え まし て ござい ませ う ね 。 」 
「 でき たら う 。 」 若者 は だんだん 言 も 粗末 に なっ て 来 た 。 
「 どう で せ う ね 。 わたし あ 東京 の 乾物 屋 な ん だ が 貸し の 代り に 酒 を たくさん とっ た の が ある ん だ が どう で せ う 。 椎 蕈 と とり 代 へる の を 承知 下さら ない で せ う か ね 。 安く し ます が 。 」 
「 さあ だめ だら う 。 酒 は こっち に も ある ん だ から 。 」 
「 町 から 買 ふん で せ う 。 」 
「 い ゝ や 」 
「 どこ か に 酒屋 が ある ん です か 。 」 
「 酒屋 って わけ ぢ ゃない 。 」 
さあ 署長 は どき っと し まし た 。 
「 どこ です か 。 」 
「 どこ って 、 組合 と は また 別 だ から ね 。 」 若者 は ぴたっと 口 を つぐん で しまひ まし た 。 さあ 税務署 長 は まるで 踊り あがる やう な 気 が し た 。 も うた ゞ 一息 だ 。 少く とも 月 一 石 づつつくってあちこちへ 四 五 升 づつ 売っ て ゐる やつ が ある 。 今日 中 に は きっと つかま へ て しまふ ぞ 。 
「 椎 蕈山 は 遠い ん です か 。 」 
「 一 里 ある よ 。 」 
「 この みち を 行っ て い ゝ ん です か 。 」 
「 行ける よ 。 」 
「 それでは 私 山 の 方 へ 行っ て 見 ます から ね 、 向 ふ に も 係り の 方 が おいで で せ う 。 」 
「 居る よ 。 」 
「 では さ うし ませ う 。 こっち で いつ まで も 待っ てる より は どうせ 行か な け ぁいけないんだから 。 では お 邪魔 さま でし た 、 いま に また 伺ひ ます 。 」 
署長 は 小さな 組合 の 小屋 を 出 た 。 少し 行っ たら みち が 二つ に わかれ た 。 署長 は ちょっと 迷っ た けれども 向 ふか ら 十 五 ばかり に なる 子供 が 草 を しょっ て 来る の を 見 て 待っ て ゐ て 訊い た 。 
「 おい 、 椎 蕈山 へ は どう 行く ね 。 」 
すると 子供 は よく 聞え ない らしく 顔 を かしげ て 眼 を 片 っ 方 つぶっ て 云っ た 。 
「 どこ ね 、 会社 へ かね 。 」 会社 、 さあ 大変 だ と 署長 は 思っ た 。 
「 あゝ 会社 だ よ 。 会社 は 椎 蕈山 と は 近い ん だら う 。 」 
「 ち が ふよ 。 椎 蕈山 こっち だ し 会社 なら こっち だ 。 」 
「 会社 まで 何 里 ある ね 。 」 
「 一 里 だ よ 。 」 
「 どう だら う 。 会社 から 毎日 荷馬 車 の 便り が ある だら う か 。 」 
「 三 日 に 一 度 ぐらゐだよ 。 」 
ふん 、 その 会社 は 木材 の 会社 で も なけ ぁ 醋酸 の 会社 で も ない 、 途方 も ない こと を し て や がる 、 行っ て つかま へ て しまふ と 署長 は も うど ぎどぎして 眼 が くらむ やう に さ へ 思っ た 。 そして 子供 は また 重い 荷 を しょっ て 行っ て しまっ た 。 署長 は まるで はじめて 汽車 に 乗る 小学校 の 子供 の やう に 勇ん で みち を 進ん で 行っ た 。 それから 丁度 半 里 ばかり 行っ たら もう 山 に なっ た 。 みち は 谷 に 沿っ た 細い きれい な 台地 を 進ん で 行っ た が まだ 荷馬 車 の わ だ ち は はっきり 切り込ん で ゐ た 。 向 ふ に 枯草 の 三角 な 丘 が 見え て そこ を 雲 の 影 が ゆっくり はせ た 。 
「 おい 、 どこ へ 行く ん だい 。 」 ホーク を 持ち 首 に 黒い ハンケチ を 結び付け た 一 人 の 立派 な 男 が 道 の 左手 の 小さな 家 の 前 に 立っ て 署長 に 叫ん だ 。 
「 椎 蕈山 へ 行き ます よ 。 」 署長 は 落ちつい て 答 へ た 。 
「 椎 蕈山 こっち ぢ ゃない 。 すっかり みち を まちがっ た な 。 」 青年 が 怒っ た やう に 含み声 で 云っ た 。 
「 さ う です か 。 こ ゝ から そっち の 方 へ 出る みち は ない で せ う か 。 」 
「 ない ね 、 戻る より 仕方 ない よ 。 」 
「 さ う です か 。 で は 戻り ませ う 。 」 もう 喧嘩 を し たら とても 勝て ない 。 一 たまり も ない と 思っ た から 署長 は 大急ぎ で 一つ おじぎ を し て 戻り 出し た 。 もう 大 て いい ゝ だら う と 思っ て うし ろ を ちょっと 振り返っ て 見 たら その 若者 は みち の まん中 に 傲然 と 立っ て まるで にらみ 殺す やう に こっち を 見 て ゐ た 。 その そば に は 心配 さうな 身ぶり を し た 若い 女 が より 添っ て ゐ た の だ 。 署長 は まるで 足 が 地 に つか ない やう な 気 が し た 。 もう いま の 家 の もう少し 川上 に ちゃんと 小さな 密造 所 が たっ て ゐる ん だ 。 毎月 三 四 石 づつ 出し て ゐる 。 大した 脱税 だ 。 よし 山 を ま はっ て 行っ て も 見 て やら う と 考へ た 。 そして ずっと 下っ て まがり角 を 三つ 四つ まがっ て から 、 非常 に 警戒 し ながら ふり向い て 見る と もう 向 ふ は 一 本 の 松の木 が 崖 の 上 に つき 出 て ゐる ばかり すっかり あの 男 も 家 も 見え なく なっ て ゐ た 。 さあ いまだ と 税務署 長 は 考へ て 一 と びにみちから 横 の 草 の 崖 に 飛び あがっ た 。 それから めちゃくちゃ に その 丘 を のぼっ た 。 丘 の 頂上 に は 小さな 三角 標 が あっ て そこ から 頂 が ず うっ と 向 ふ の あの 三角 な 丘 まで つ ゞ い て ゐ た 。 税務署 長 は 汗 を 拭く ひま も なく 息 を やすめる ひま も なく その きらきら する 枯草 を こい で そっち の 方 へ 進ん だ 。 どこ か で 蜂 か 何 か ぶうぶう 鳴り 風 は かれ 草 や 松やに の い ゝ 匂 を 運ん で 来 た 。 
ちょっと ふり か へ って 見る と ユグチュユモト の 村 は 平和 に きれい に 横 た はり その ず うっ と 向 ふ に は 河 が 銀 の 帯 に なっ て 流れ その 岸 に は ハーナムキヤ の 町 の 赤い 煙突 も 見え た 。 
署長 は ちょっと の 間 濁 密 を さがす なんて こと を いや に なっ て しまっ た 、 けれども また 気 を 取り直し て あの 三角山 の 方 へ つ ゝ じ に 足 を とら れ たり し ながら 急い だ 。 実に あの ペイント を 塗っ た 顔 から 黒い 汗 が ぼとぼと に 落ち て シャツ を 黄いろ に 染め た の だ 。 ところが 三角山 の 上 まで 来る と 思は ず 署長 は 息 を 殺し た 。 すぐ 下 の 谷間 に ちょっと 見る と 椎 蕈乾燥 場 の やう な 形 の 可 成 大きな 小屋 が たって 煙突 も あっ た の だ 。 そして 殊に あやしい こと は 小屋 が きっぱり うし ろ の 崖 に くっつい て 建て て あっ て おまけ に その 崖 が 柔らか な 岩 を わざと 切り崩し た もの らしかっ た 。 たしかに その 小屋 の 奥手 から 岩 を 切っ て こ さ へた 室 が あっ て 大 てい の 仕事 は そこ で やっ て ゐる らしく 思は れ た 。 これ は もう 余程 の 大き さ だ 。 小さな 酒屋 ぐらゐのことはある 、 たしかに さっき の 語 の と ほり 会社 に ち が ひ ない 、 いったい 誰々 の 仕事 だら う 、 どうも あの 村会 議員 は あやしい 、 巡査 を 借り て やっ て 来 て 村 の 方 と こっち と 一 ぺん に 手 を 入れ ない と 証拠 が あがら ない 、 誰 か 来る かも 知れ ない 今日 一 日 見 て ゐよ う と 税務署 長 は 頬杖 を つい て 見 て ゐ た 。 する と まるで 注文 通り 小屋 の 中 から さっき の 若い 男 が ぽ ろ っと 出 て 来 た 。 それから 手 を 大きく 振っ た やう に 見え た 、 と 思ふ と 、 お ゝ い 、 サキチ 、 と 叫ぶ 声 が 聞え て 来 た 。 見る と 荷馬 車 が 一 台 おい て ある 。 その 横 から 膝 の 曲っ た 男 が 出 て 来 て 二 人 一緒 に 小屋 へ 入っ た 。 さあ 大変 だ と 署長 が 思っ て ゐ たら 間もなく 二 人 は 大きな 二 斗 樽 を 両方 から 持っ て 出 て 来 た 。 そして どっこい といふ 風 に 荷馬 車 に のっけ て あたり を じっと 見 ま は し た 。 馬 が 黒く てかてか 光っ て ゐ た し 谷 はご う と 流れ て しづか な もん だっ た 、 署長 は もう 興奮 し て 頭 を やけに 振っ た 。 二 人 は また 小屋 へ 入っ た 。 そして 又 腰 を か ゞ め て 樽 を 持っ て 来 た 。 と 思っ たら すぐ あと から また 一 人 出 て 来 た 。 そして 荷馬 車 の 上 に 立っ て 川下 の 方 を 見 て ゐる 。 二 人 は また 中 へ 入っ た 、 そして また 樽 を 持っ て 出 て 来 た もん だ 、 （ さあ 、 これ で もう 六 斗 に なる まさか これ っきり だら う 、 これ っきり に し て も 月 六 石 に なる 大した 脱税 だ ） と 署長 は 考へ た 。 ところが また 出 て 来 た 。 そして また 入っ て また 出 て 来 た 。 もう 一 石 だ 月 十 石 だ と 署長 は ぐるぐる し て しまっ た 。 ところが 又 入っ た の だ 。 こんど は 月 十 二 石 だ 、 それから こんど は 十 四 石 十 六 石 十 八 石 、 二 十 石 と そこ まで 署長 が 夢 の やう に 計算 し た とき は 荷馬 車 の 上 は もう 樽 で ぎっしり だっ た 。 すると 三 人 が それ へ 小屋 の 横 から 松 の 生枝 を のせ たり かぶせ たり し 出し た 。 
見る 間 に すっかり 縛ら れ て 車 が 青く なり 樽 が 見え なく なっ て もう 誰 が 見 て も 山 から 松枝 を テレピン 工場 へ で も 運ぶ と しか 見え なく なっ た 。 荷馬 車 が うごき 出し た 。 馬 が じっさい 蹄 を ける やう に し 、 よほど 重 さ うに 見え た 。 すると さっき の 若い 男 は 荷馬 車 の あと へ つい た 。 それ から 十 間 ばかり 行く 間 一 番 おし まひ に 小屋 から 出 た 男 は 腕 を 組ん で 立っ て 待っ て ゐ た が 俄 か に 歩き 出し て やっぱり ついて行っ た 。 （ 実に 巧妙 だ 。 一体 こんな こと を い つ から やっ て ゐ たら う 。 さあ もう あの 小屋 に 誰 も 居 ない 、 今 の うち に すっかり しらべ て しまは う 、 証拠 書類 も きっと ある 。 ） 税務署 長 は 風 の やう に 三角山 の てっぺん から 小屋 を めがけ て かけ おり た 。 ところが 小屋 の 入口 は ちゃんと 洋風 の 錠 が 下り て ゐ た の だ 。 （ さあ も うい よい よ 誰 も 居 ない 。 あいつ が 村 まで 行っ て 帰る まで どうしても 二 時間 はか ゝ る 。 どこ から か 入ら な け ぁならない 。 ） 税務署 長 は 狐 の やう に うろうろ 小屋 の ま はり を めぐっ た 。 すると 一 とこ 窓 が 一 分 ばかり あい て ゐ た 。 署長 は そこ へ 爪 を 入れ て 押し上げ て 見 たら カラッ と 硝子 は 上 に のぼっ た 。 もう 有頂天 に なっ て 中 へ 飛び込ん で 見る と くらく て 急 に は 何 も 見え なかっ た が がらん と し た 何 も ない 室 だっ た 。 煙突 の 出 てる の は 次 の 室 らしかっ た 。 急い で そっち へ かけ て 行っ て 見 たら あっ た あっ た もう 径二米 ほど の 大きな 鉄 釜 が ちゃんと 煉瓦 で 組ん で 据 ゑつ けら れ て ゐる 。 署長 は 眼 を こすっ て よく 室 の 中 を 見 ま は し た 。 隅 の 棚 の とこ に アセチレン 燈 が 一つ あっ た 。 マッチ も 添 へ て あっ た 。 すばやく それ を おろし て み たら たった いま 使っ た らしく まだ あつかっ た 。 栓 を ね ぢ って 瓦斯 を 吹き出さ せ 火 を つけ たら 室 の 中 は 俄 か に 明るく なっ た 。 署長 は まるで 突貫 する 兵隊 の やう な 勢 で その 奥 の 室 へ 入っ た 。 そこ は 白い 凝灰岩 を きり 開い た 室 で たしか 四 十 坪 は ある と 署長 は 見 て とっ た 。 奥 の 方 に は 二 十 石 入 の 酒樽 が 十 五 本 ばかり ずら っと ならび 横 に は 麹 室 らしい 別 の 室 さ へ あっ た の だ 。 おまけ に ビューレット も 純粋 培養 の 乳酸菌 も ピペット も 何 から 何 まで 実に 整然と そろっ て ゐ た の だ 。 （ あゝ もう だめ だ 、 おれ の 講演 を 手 を 叩い て 笑っ た やつ は みんな 同類 な の だ 。 あの 村 半分 以上 引っ括ら なけれ ば なら ない 。 もう とても 大変 だ ） 署長 は あぶなく 倒れ さ うに なっ た 。 その 時 だ 、 何 か 黄いろ な やう な もの が さっとう しろ の 方 で 光っ た 。 
見る と 小屋 の 入口 の 扉 が あい て 二 人 の 黒い 人 かげ が こっち へ 入っ て 来 て ゐる で は ない か 。 税務署 長 は ちょっと 鹿 踊り の やう な 足つき を し た が とっさ に ふっと アセチレン の 火 を 消し た 。 そして そろそろ と あの 十 五 本 の 暗い 酒だる の かげ の 方 へ 走っ た 。 足音 と 語 が がんがん 反響 し て やって来 た 。 「 いぬ だ いぬ だ 。 」 「 かくれ てる ぞ かくれ てる ぞ 。 」 「 ふん じ ばっち ま へ 。 」 「 おい 、 気 を 付けろ 、 ピストル ぐらゐ 持っ てる ぞ 。 」 ズドン と 一 発 やり たい な と 署長 は 思っ た 。 とたん 、 アセチレン の 火 が 向 ふ で とまっ た 。 青じろい いや な 焔 を あげ ながら その 火 は 注意深く こっち の 方 へ やって来 た 。 「 酒だる の うし ろ だ ぞ 」 二 人 は 這 ふ やう に そろそろ と やって来 た 。 
署長 は くるくる と 樽 の 間 を すり ま はっ た 。 
そしたら た うとう 桶 と 桶 の 間 の あんまり せまい 処 へ はさまっ て の くも 引く も でき なく なっ て しまっ た 。 
アセチレン の 火 は すぐ 横 から 足もと へ やって来 た 。 と 思ふ と 黒い 太い 手 が やって来 て いきなり 署長 のく びをつかまへた 。 ガアン と 頭 が 鳴っ た 。 署長 は 自分 が 酒 桶 の 前 の 広場 へ 蟹 の やう に なっ て 倒れ て ゐる の を 見 た 。 まるで 力も なに も なかっ た 。 アセチレン 燈 も まだ 持っ て ゐる 。 
「 立て 、 こん 畜生 太い やつ だ 。 炭焼 がま の 中 へ 入れ ち ま ふか ら 、 さ う 思へ 。 」 
（ 炭焼 がま の 中 に 入れ られ たら おれ の 煙 は 木 の けむり と いっしょ に 山 に 立つ 。 あんまり 情ない 。 ） 署長 は 青ざめ ながら 考へ た 。 
「 誰 だ 、 き さ ん 、 収税 だら う 。 」 
「 い ゝ や 。 」 署長 は 気の毒 な やう な 返事 を し た 。 
「 とにかく 引っ括れ 。 」 一 人 が 顎 で さし 図 し た 。 一 人 は アセチレン を そこ へ 置い て まるで 風 の やう に うごい て 綱 を 持っ て 来 た 。 署長 は くるくる に しばら れ て しまっ た 。 
「 おい 、 おれ が 番 し てる から 早く 社長 と 鑑査 役 に 知らせ て 来い 。 」 
「 お ゝ 。 」 一 人 は 又 すばやく かけ て 出 て 行っ た 。 
「 おい 、 云 は な ぃかこん 畜生 、 貴 さん 収税 だら う 。 」 
「 さ う で ない 。 」 
「 収税 で なく て 何 し に 入る ん だ 。 」 署長 は やう やく 気 を 取り直し た 。 
「 おいら トケイ の 乾物 商 だ よ 。 」 
「 トケイ の 乾物 商 が 何 し に こんな とこ へ 来る ん だ 。 」 
「 椎 蕈買 ひ に 来 た よ 。 」 
「 椎 蕈 。 」 
「 あゝ こ ゝ で 椎 蕈 つくっ てる と 思っ た から 見 て ゐ た ん だ 。 名刺 も ちゃんと 組合 の 方 へ 置い て ある 。 」 
「 正直 な 椎 蕈商 が 何 し に 錠前 の かかっ た 家 の 窓 から くぐり 込む ん だ 。 」 
「 椎 蕈小屋 の 中 へ は ひっ たっ て い ゝ と 思っ た ん だ 。 外 で 待っ て ゐ て も 厭き た から つい は ひっ て 見 た ん だ よ 。 」 
「 うん 。 さ う 云 やさう だ なあ 。 」 こ ゝ だ と 署長 は 思っ た 。 みんな の 来 ない うち に 早く 遁 げ ない と もう ほん た うに 殺さ れ て しまふ 。 もう 一生けん命 だ と 考へ た 。 
「 おい 、 い ゝ 加減 に し て 繩 を とい て 呉れ よ 。 椎 蕈 は いくらでも 高く 買 ふか ら さ 。 おれ だって トケイ に ぁ 妻 も 子供 も ある ん だ 。 こ ゝ ら へ 来 て 、 こんな 目 に あっ ちゃ 叶 は ねえ 。 どうか 繩 を とい て 呉れ よ 。 」 
「 うん 、 まあ いま みんな 来る から 少し 待て よ 。 よく 聞い て から 社長 や 重役 の 方 へ 申しあげ れ ぁよかったなあ 。 」 
「 だから さ 、 遁 が し て 呉れ よ 。 おれ お前 に あと で トケイ へ 帰っ たら 百 円 送る から さ 。 」 
「 まあ 少し 待て よ 。 」 あゝ もう少し 待っ たら 、 どんな こと に なる か わから ない 。 署長 は ぐるぐる し て また 倒れ さ うに なっ た 。 
ところが もう いけ なかっ た の だ 。 入口 の 方 が どやどや し て 実に 六 人 ばかり の 黒い 影 が 走り込ん で 来 た 。 （ もう 地獄 だ 、 これ っきり だ 。 ） 署長 は 思っ た 。 今 まで 番 を し て ゐ た 男 は 立っ て それ を 迎 へ た 。 ぐるっと みんな が 署長 を 囲ん だ 。 
「 こいつ は トケイ の 椎 蕈商人 ださ う です 。 椎 蕈 を 買 は う と 思っ て 来 た ん ださ う です 。 」 
「 うん 。 さっき 組合 へ うさん な やつ が 名刺 を 置い て 行っ たさ う だ が こいつ だら う 。 」 りん と し た 声 が 云っ た 。 署長 は 聞き おぼえ の ある 声 だ と 思っ て 顔 を あげ たら じっさい ぎくりと し て しまっ た 。 それ は 名誉 村長 だっ た 。 しばらく しん と し た 。 
「 どう だ 。 放し て やる か 。 」 また 一 人 が 云っ た 。 署長 は 横目 で そっち を 見上げ た 。 あの 村会 議員 な の だ 。 
「 いや 、 よく 調べ ない と いけ ませ ん 。 念 に 念 を 入れ ない と あと で とん だ こと に なり ます 。 」 
署長 は また ちらっと そっち を 見 た 。 それ は あの 講演 の 時 青く なっ た 小学 校長 だっ た 。 す な は ち われ ら の 樽 コ 先生 で は ない か 。 
「 い ゝ え 、 こいつ は さっき 一 ぺん 私 が 番所 から 追 ひ 帰し た の です 。 どうも あやしい と 思ひ まし た から とがめ まし たら 椎 蕈山 は こっち か と 云 ふん です 。 こっち ぢ ゃない 帰れ 帰れ って 云 ひ まし たらさ う です か ここら から ま はる みち は ない か と また 云 ひ や がる ん です 。 ない ない 。 帰れ と 云 ひ まし たら 仕方 なく 戻っ て 行き まし た 。 そいつ を いつの間に どこ を ま はっ てこ ゝ へ 入っ た か もう こいつ は きっと 税務署 の ま はし もの です 」 
「 うん 。 さ う 云 へ ば どうも おれ に もつ ら に 見 おぼえ が ある 。 表 へ 引っぱり 出し て みろ 。 て め へ は 行っ て 番所 に 居ろ 。 」 社長 の 名誉 村長 が 云っ た 。 
「 立て この 野郎 」 署長 は えり 首 を つかま へら れ て 猫 の やう に 引っぱり 出さ れ た 。 お もて へ 出 て 見る と 日光 は 実に 暖かく ぽかぽか 飴色 に 照っ て ゐ た 。 （ おれ が 炭焼 がま に 入れ られ て 炭化 さ れ て も お 日 さま は やっぱり こんなに きれい に 照っ て ゐる ん だ なあ 。 ） 署長 は ぽっと 夢 の やう に 考へ た 。 
「 何だ こいつ は 税務署 長 ぢ ゃないか 。 」 名誉 村長 は びっくり し た やう に 叫ん だ 。 それから みんな は に ゅうと 遁 げ る やう な かたち に なっ た 。 署長 は もう すっかり 決心 し て すっくと 立ちあがっ た 。 
「 いかにも おれ は 税務署 長 だ 。 き さま ら は よくも 国家 の 法律 を 犯し て こんな 大 それ た こと を し た な 。 おれ は 早くから にらん で ゐ た の だ 。 もう すっかり 証拠 が あがっ て ゐる 。 おれ の こと など は 潰す なり 灼く なり 勝手 に しろ 。 もう 準備 は ちゃんと でき て ゐる 。 き さま たち は 密造 罪 と 職務 執行 妨害 罪 と 殺人 罪 で 一 人 残ら ず 検挙 さ れる からさ う 思へ 。 」 
社長 も 鑑査 役 も 実に 青く なっ て しまっ た 。 しばらく みんな しいんと し た 。 
こ ゝ だ と 署長 が 考へ た 。 
「 さあ 、 おれ を 殺す なら 殺せ 、 官吏 が 公務 の ため に 倒れる こと は もう 当然 だ 。 」 署長 は 大 へんい ゝ 気持 が し た 。 と いきなり うし ろ から 一つ が ぁんとやられた 。 又 か と 思ひ ながら 署長 が 倒れ たら みんな 一 ぺん に 殺気立っ た 。 
「 木 へ 吊るせ 吊るせ 。 なあに 証拠 だ なんて まだ 挙がっ てる 筈 は ない 。 こいつ 一 人 片付けれ ば もう 大丈夫 だ 。 樺 花 の 炭釜 に 入れ ち ま へ 。 」 たちまち 署長 は 松の木 へ つるしあげ られ て しまっ た 。 村会 議員 が 出 て 云っ た 。 
「 この 野郎 、 ひと の 家 で ご馳走 に なっ た の も 忘れ て づうづうしい 野郎 だ 。 ゆ ぶし を かける か 。 」 
「 野蛮 な こと を する な 。 」 署長 が 吊ら れ て 苦し がっ て ばたばた し ながら 云っ た 。 
「 とにかく 善後 策 を 講じよ う ぢ ゃないか 。 まあ 中 で 相談 する と しよ う 。 」 村長 が 云っ た 。 
みんな は 中 へ は ひっ た 。 署長 は 木 の 上 で 気 が 遠く なっ て しまっ た 。 
五 、 署長 の かん 禁 
しばらく たっ て 署長 は 自分 が あの 奥 の 室 の 中 に 入れ られ て ゐる の を 気がつい た 。 頭 に は 冷たい 巾 が のせ て あっ た し 毛布 も かけ て あっ た 。 いちばん あと から 小屋 を 出 た 男 が 虔 しく 番 を し ながら 看病 し て ゐ た 。 お もて で は がやがや みんな が 談 し て ゐ た 。 何 でも 善後 策 を 協議 し て ゐる か 酒盛り を やっ て ゐる らしかっ た 。 署長 が からだ を うごかし たら すぐ その 若者 が 近く へ 寄っ て 模様 を 見 た 。 それから 戸 を あけ て そして も 一つ 戸 を あけ て 外 の 大きな 室 に 出 て 行っ た 。 と 思ふ と 名誉 村長 が 入っ て 来 た 。 茶 いろ の 洋服 を 着 て ゐ た 。 （ そして 見る と おれ は 二 日 か 三 日 寝 て ゐ た ん だ な 。 ） 署長 は 考へ た 。 名誉 村長 は 座っ て 恭しく 礼 を し て 云っ た 。 
「 署長 さん 。 先日 は どうも 飛ん だ 乱暴 を いたし まし た 。 
実は 前後 の 見境 ひも なく あんな こと を いたし まし て お 申し訳 け ござい ませ ん 。 実は 私 ども の 方 で も あなた の 方 の お 手 入 が あんまり 厳しい ため つい 会社 組織 に し て こんな こと まで いたし まし た やう な 訳 で 誠に 面目次第 も ござい ませ ん 。 就き まし て いか ゞ で ござい ませ う 。 私 ども の 会社 も もう かっきり 今日 ぎり 解散 いたし まし て 酒 は 全部 私 の 名義 で つくっ た として 税金 も 納め ます 。 あなた は お 宅 まで 自 働車 で お送り いたし ます が この度 限り 特に ご 内密 に ねが ひま せ んで せ う か 。 」 
署長 は もう 勝っ た と 思っ た 。 
「 いや お 語 で 痛み入り ます 。 私 も 職務 上 いろいろ いたし まし た が お 立場 は よく わかっ て 居り ます 。 しかし どうも 事 こ ゝ に 至れ ば 到底 内密 といふ こと は でき 兼ねる 次第 です 。 もう 談 が すっかり ひろがっ て 居り ます から どうしても 二 三 人 の 犠牲 者 は いたし方 あり ます まい 。 尤も 私 に関する さまざま の こと は これ は 決して 公 に いたし ませ ん 。 まあ 罰金 だけ 納め て 下さっ て それ で い ゝ やう な 訳 です 。 」 
「 それ が その どうも 私 ども はじめ 名前 を 出し たく ない ので 。 」 
この 時 だ 、 表 が 俄 に やかましく なっ て 烈しい 叫声 や 組討 ちの 音 が 起っ た 。 まるで もう 嵐 の やう だっ た 。 
「 署長 署長 」 誰 か が 叫ん だ 。 署長 は ばっ と 立ちあがっ た 。 
「 お ゝ 、 こ ゝ に 居る ぞ よく やっ た よく やっ た 。 シラトリ 、 こ ゝ に 居る ぞ 。 」 
すぐ 二 三 人 が 室 の 戸 を けやぶっ て 入っ て 来 た 。 
「 署長 、 ご 健勝 で 。 もう みんな 捕縛 し まし た 。 」 と シラトリ 属 が 泣い て かけ て 来 た 。 
「 よく わかっ た なあ 、 警察 の 方 も たのん だ か 。 」 
「 え ゝ 総動員 です 。 二 十 人 捕縛 し て あり ます 。 この 方 は 。 」 
「 名誉 村長 だ 。 けれども 仕方 ない 繩 を かけ 申せ 。 」 署長 は わくわく し て 云っ た 。 
「 署長 ご 健勝 で 。 」 署員 たち が 向 ふ 鉢巻 を し たり 棍棒 を もっ たり し て かけ 寄っ た 。 署長 は 痛い からだ を 室 から 出 た 。 
「 樽 に みんな 封印 しろ 。 証拠 品 は 小さな 器具 だけ 、 集めろ 。 その 乳酸菌 の 培養 も 。 うん 。 よろしい 。 いや どうも ご苦労 を ねが ひ まし た 。 」 署長 は 巡査 部長 に 挨拶 し た 。 
「 お変り なく て 結構 です 。 いや 本署 で も 大 へん 心配 いたし まし た 。 おい 。 みんな 外 へ 引っぱれ 。 」 
そして もう ぞろぞろ みんな は イーハトヴ 密造 会社 の 工場 を 出 た の だ 。 五分 の のち この 変 な 行列 が あの 番所 の 少し 向 ふ を 通っ て ゐ た 。 
署長 は 名誉 村長 と ならん で 歩い て ゐ た 。 
「 今日 は 何 日 だ 。 」 署長 は ふっ とうしろ を 向い て シラトリ 属 に きい た 。 
「 五 日 です 。 」 
「 あゝ もう あの 日 から 四 日 たっ て ゐる なあ 。 ちょっと の 間 に 木の芽 が 大きく なっ た 。 」 
署長 は そら を 見 あげ た 。 春 らしい しめっ た 白い 雲 が 丘 の 山 から ぼ おっ と 出 て く ろ も じ のに ほ ひ が 風 に ふう っと 漂っ て 来 た 。 
「 あゝ い ゝ 匂 だ な 。 」 署長 が 云っ た 。 
「 い ゝ 匂 です な 。 」 名誉 村長 が 云っ た 。 
種山 ヶ 原 という の は 北上 山地 の まん中 の 高原 で 、 青黒い つるつる の 蛇紋 岩 や 、 硬い 橄欖 岩 から でき て い ます 。 
高原 の へり から 、 四方 に 出 た いくつ か の 谷 の 底 に は 、 ほんの 五 、 六 軒 ずつ の 部落 が あり ます 。 
春 に なる と 、 北上 の 河谷 の あちこち から 、 沢山 の 馬 が 連れ て 来ら れ て 、 此 の 部落 の 人 たち に 預け られ ます 。 そして 、 上 の 野原 に 放さ れ ます 。 それ も 八月 の 末 に は 、 みんな めいめい の 持主 に 戻っ て しまう の です 。 なぜなら 、 九月 に は 、 もう 原 の 草 が 枯れ はじめ 水霜 が 下りる の です 。 
放牧 さ れる 四月 の 間 も 、 半分 ぐらい まで は 原 は 霧 や 雲 に 鎖さ れ ます 。 実に この 高原 の 続き こそ は 、 東 の 海 の 側 から と 、 西 の 方 から と の 風 や 湿気 の お 定まり の ぶっつかり 場所 でし た から 、 雲 や 雨 や 雷 や 霧 は 、 いつ でも もうすぐ 起っ て くる の でし た 。 それ です から 、 北上川 の 岸 から この 高原 の 方 へ 行く 旅人 は 、 高原 に 近づく に従って 、 だんだん あちこち に 雷神 の 碑 を 見る よう に なり ます 。 その 旅人 と 云っ て も 、 馬 を 扱う 人 の 外 は 、 薬屋 か 林 務 官 、 化石 を 探す 学生 、 測量 師 など 、 ほんの 僅か な もの でし た 。 
今年 も 、 もう 空 に 、 透き 徹っ た 秋 の 粉 が 一 面 散り 渡る よう に なり まし た 。 
雲 が ちぎれ 、 風 が 吹き 、 夏 の 休み も もう 明日 だけ です 。 
達二 は 、 明後日 から 、 また 自分 で 作っ た 小さな 草鞋 を はい て 、 二つ の 谷 を 越え て 、 学校 へ 行く の です 。 
宿題 も みんな 済まし た し 、 蟹 を 捕る こと も 木炭 を 焼く 遊び も 、 もう みんな 厭き て い まし た 。 達二 は 、 家 の 前 の 檜 に よりかかっ て 、 考え まし た 。 
（ ああ 。 此 の 夏休み 中 で 、 一番 面白かっ た の は 、 おじいさん と 一緒 に 上の原 へ 仔馬 を 連れ に 行っ た の と 、 もう 一つ は どうしても 剣舞 だ 。 鶏 の 黒い 尾 を 飾っ た 頭巾 を かぶり 、 あの 昔 から の 赤い 陣羽織 を 着 た 。 それ から 硬い 板 を 入れ た 袴 を はき 、 脚絆 や 草鞋 を きりっと むすん で 、 種山 剣舞 連 と 大きく 書い た 沢山 の 提灯 に 囲ま れ て 、 みんな と 町 へ 踊り に 行っ た の だ 。 ダー 、 ダー 、 ダースコ 、 ダー 、 ダー 。 踊っ た ぞ 、 踊っ た ぞ 。 町 の まっ 赤 な 門火 の 中 で 、 刀 を ぎらぎら やらかし た ん だ 。 楢 夫 さん と 一緒 に なっ た 時 など は 、 刀 が ほんとう に カチカチ ぶっつかっ た ぐらい だ 。 
ホウ 、 そら 、 やれ 、 
むかし 　 達 谷 の 　 悪 路 王 、 
まっ くら ぁくらの 二 里 の 洞 、 
渡る は 　 夢 と 　 黒 夜 神 、 
首 は 刻ま れ 　 朱 桶 に 埋もれ 。 
やっ た ぞ 。 やっ た ぞ 。 ダー 、 ダー 、 ダースコ 、 ダーダ 、 
青い 　 仮面 この 　 こけ おどし 、 
太刀 を 　 浴び て は 　 いっ ぷかぷ 、 
夜 風 の 　 底 の 　 蜘蛛 おどり 、 
胃袋 ぅ 　 はい て 　 ぎったりぎたり 。 
ほう 。 まるで 、 … … 。 ） 
「 達二 。 居る が 。 達二 。 」 達 二 の お母さん が 家 の 中 で 呼び まし た 。 
「 あん 、 居る 。 」 達二 は 走っ て 行き まし た 。 
「 善い 童 だ はん て な 、 おじ ぃさんど 、 兄 ど 、 上の原 の すぐ 上り 口 で 、 草 刈っ てる がら 、 弁当 持っ て 行っ て 来 。 な 。 それ がら 牛 も 連れ て っ て 、 草食 ぁせで 来 。 な 。 兄 がら 離れ な よ 。 」 
「 あん 、 行 て 来る 。 行 て 来る 。 今 草鞋 穿 ぐがら 。 」 達二 は はねあがり まし た 。 
お母さん は 、 曲げ物 の 二つ の 櫃 と 、 達二 の 小さな 弁当 と を 紙 に くるん で 、 それ を みんな 一緒 に 大きな 布 の 風呂敷 に 包み込み まし た 。 そして 、 達二 が 支度 を し て 包み を 背負っ て いる 間 に 、 おっかさん は 牛 を うま や から 追い出し まし た 。 
「 そ だら 行っ て 来ら 。 」 と 達二 は 牛 を 受け取っ て 云い まし た 。 
「 気 ぃ 付け で 行 げ 。 上 で 兄 がら 離れ な よ 。 」 
「 あん 。 」 達二 は 、 垣根 の そば から 、 楊 の 枝 を 一 本 折り 、 青い 皮 を くるくる 剥い で 鞭 を 拵え 、 静 に 牛 を 追い ながら 、 上の原 へ の 路 を だんだん のぼっ て 行き まし た 。 
「 ダーダー 、 スコ 、 ダーダー 。 
夜 の 頭巾 は 　 鶏 の 黒尾 、 
月 の あかり は … … … 、 
しっ 、 歩け 、 しっ 。 」 
日 が カンカン 照っ て い まし た 。 それでも どこ か その 光 に 青い 油 の 疲れ た よう な もの が あり まし た し 、 また 、 時々 、 冷たい 風 が 紐 の よう に どこ から か 流れ て は 来 まし た が 、 まだ 仲 々 暑い の でし た 。 牛 が 度々 立ち止まる ので 、 達二 は 少し 苛々 し まし た 。 
「 上 さ 行っ て 好い 草食 え 。 早 ぐ 歩 げっ 。 しっ 。 馬鹿 だ な 。 しっ 。 」 
けれども 牛 は 、 美しい 草 を 見る 度 に 、 頭 を 下げ て 、 舌 を べら り と 廻し て 喰 べ まし た 。 （ 牛 の 肉 の 中 で 一番 上等 が 此 の 舌 だ という の は 可笑しい 。 涎 れ で 粘 々 し てる 。 おまけ に 黒い 斑 々 が ある 。 歩け 。 こら 。 ） 
「 歩 げ 。 しっ 。 歩 げ 。 」 
空 に 少し ばかり の 、 白い 雲 が 出 まし た 。 そして 、 もう 大分 のぼっ て い まし た 。 谷 の 部落 が ずっと 下 に 見え 、 達二 の 家 の 木 小屋 の 屋根 が 白く 光っ て い ます 。 
路 が 林 の 中 に 入り 、 達二 は あの 奇麗 な 泉 まで 来 まし た 。 まっ白 の 石灰岩 は 、 ご ぼ ご ぼ 冷たい 水 を 噴き出す あの 泉 です 。 達二 は 汗 を 拭い て 、 しゃがん で 何 べ ん も 水 を 掬っ て のみ まし た 。 
牛 は 泉 を 飲ま ない で 、 却って 苔 の 中 の たまり 水 を 、 ピチャピチャ 嘗め まし た 。 
達二 が 牛 と 、 また あるきはじめ た とき 、 泉 が 何 か を 知らせる 様 に 、 ぐうっと 鳴り 、 牛 も 低く うなり まし た 。 
「 雨 に なる が も 知れ な ぃな 。 」 と 達二 は 空 を 見 て 呟き まし た 。 
林 の 裾 の 灌木 の 間 を 行っ たり 、 岩片 の 小さく 崩れる 所 を 何 べ ん も 通っ たり し て 、 達二 は もう 原 の 入口 に 近く なり まし た 。 
光っ たり 陰っ たり 、 幾重にも 畳む 丘 々 の 向う に 、 北上 の 野原 が 夢 の よう に 碧 く まばゆく 湛え て い ます 。 河 が 、 春日 大明神 の 帯 の よう に 、 きらきら 銀色 に 輝い て 流れ まし た 。 
そして 達二 は 、 牛 と 、 原 の 入口 に 着き まし た 。 大きな 楢 の 木の下 に 、 兄さん の 縄 で 編ん だ 袋 が 投げ出さ れ 、 沢山 の 草 た ば が あちこち に ころがっ て い まし た 。 
二 匹 の 馬 は 、 達二 を 見 て 、 鼻 を ぷるぷる 鳴らし まし た 。 
「 兄 。 居る が 。 兄 。 来 た ぞ 。 」 達二 は 汗 を 拭い ながら 叫び まし た 。 
「 おおい 。 あ あい 。 其処 に 居ろ 。 今行 ぐぞ 。 」 
ず うっ と 向う の 窪み で 、 達二 の 兄さん の 声 が し まし た 。 牛 は 沢山 の 草 を 見 て も 、 格別 嬉し そう に もし ませ ん でし た 。 
陽 が ぱっと 明るく なり 、 兄さん が そっち の 草 の 中 から 笑っ て 出 て 来 まし た 。 
「 善 ぐ 来 た な 。 牛 も 連れ で 来 た の が 。 弁当 持っ て が 。 善 ぐ 来 た 。 今日 ぁ 午 まがら きっと 曇る 。 俺 もう少し 草 集め て 仕舞 がら な 、 此処 ら に 居ろ 。 おじいさん 、 今 来る 。 」 
兄さん は 向う へ 行こ う として 、 振り向い て また 云い まし た 。 
「 腹 減っ たら 、 弁当 、 先 に 喰 べ てろ 。 風呂敷 ば 、 あの 馬 さ 結 付け で お げ 。 午 ま に なっ たら また 来る がら 。 」 
「 うん 。 此処 に 居る 。 」 
そして 達二 の 兄さん は 、 行っ て しまい まし た 。 空 に は うすい 雲 が すっかり かかり 、 太陽 は 白い 鏡 の よう に なっ て 、 雲 と 反対 に 馳せ まし た 。 風 が 出 て 来 て 刈ら れ ない 草 は 一 面 に 波 を 立て ます 。 
どう し た の か 、 牛 が 俄 か に 北の方 へ 馳せ 出し まし た 。 達二 は びっくり し て 、 一生懸命 追いかけ ながら 、 兄 の 方 に 振り向い て 叫び まし た 。 
「 牛 ぁ 逃げる 。 牛 ぁ 逃げる 。 兄 。 牛 ぁ 逃げる 。 」 
せい の 高い 草 を 分け て 、 どんどん 牛 が 走り まし た 。 達二 は どこ まで も 夢中 で 追いかけ まし た 。 その うち に 、 足 が 何だか 硬 張っ て き て 、 自分 で 走っ て いる の か どう か 判ら なく なっ て しまい まし た 。 それから まわり が まっ 蒼 に なっ て 、 ぐるぐる 廻り 、 とうとう 達二 は 、 深い 草 の 中 に 倒れ て しまい まし た 。 牛 の 白い 斑 が 終り に ちらっと 見え まし た 。 
達二 は 、 仰向け に なっ て 空 を 見 まし た 。 空 が まっ白 に 光っ て 、 ぐるぐる 廻り 、 その こちら を 薄い 鼠色 の 雲 が 、 速く 速く 走っ て い ます 。 そして カンカン 鳴っ て い ます 。 
達二 は やっと 起き 上っ て 、 せかせか 息 し ながら 、 牛 の 行っ た 方 に 歩き 出し まし た 。 草 の 中 に は 、 牛 が 通っ た 痕 らしく 、 かすか な 路 の よう な もの が あり まし た 。 達二 は 笑い まし た 。 そして 、 （ ふん 。 なあに 、 何処 か で のっ こり 立っ てる さ 。 ） と 思い まし た 。 
そこで 達二 は 、 一生懸命 それ を 跡 け て 行き まし た 。 ところが その 路 の よう な もの は 、 まだ 百 歩 も 行か ない うち に 、 おと こえ し や 、 すてき に 背 高 の 薊 の 中 で 、 二つ に も 三つ に も 分れ て しまっ て 、 どれ が どれ やら 一向 わから なく なっ て しまい まし た 。 達二 は 思い切っ て 、 その まん中 の を 進み まし た 。 けれども それ も 、 時々 断れ たり 、 牛 の 歩か ない よう な 急 な 所 を 横様 に 過ぎ たり する の でし た 。 それでも 達二 は 、 
（ なあに 、 向う の 方 の 草 の 中 で 、 牛 は こっち 向い て 、 だまっ て 立っ てる さ 。 ） と 思い ながら 、 ずんずん 進ん で 行き まし た 。 
空 は たいへん 暗く 重く なり 、 まわり が ぼうっと 霞ん で き まし た 。 冷たい 風 が 、 草 を 渡り はじめ 、 もう 雲 や 霧 が 、 切れ切れ に なっ て 眼 の 前 を ぐんぐん 通り過ぎ て 行き まし た 。 
（ ああ 、 こいつ は 悪く なっ て き た 。 みんな 悪い こと は これから 集っ て やっ て 来る の だ 。 ） と 達二 は 思い まし た 。 全く その 通り 、 俄 に 牛 の 通っ た 痕 は 、 草 の 中 で 無くなっ て しまい まし た 。 
（ ああ 、 悪く なっ た 、 悪く なっ た 。 ） 達二 は 胸 を どきどき さ せ まし た 。 
草 が からだ を 曲げ て 、 パチ パチ 云っ たり 、 さらさら 鳴っ たり し まし た 。 霧 が 殊に 滋 く なっ て 、 着物 は すっかり しめっ て しまい まし た 。 
達二 は 咽喉 一 杯 叫び まし た 。 
「 兄 。 兄 。 牛 ぁ 逃げ だ 。 兄 。 兄 。 」 
何 の 返事 も 聞え ませ ん 。 黒板 から 降る 白墨 の 粉 の よう な 、 暗い 冷たい 霧 の 粒 が 、 そこら 一 面 踊り まわり 、 あたり が 俄 に シイ ン として 、 陰気 に 陰気 に なり まし た 。 草 から は 、 もう 雫 の 音 が ポタリポタリ と 聞え て き ます 。 
達二 は 早く 、 おじいさん の 所 へ 戻ろ う として 急い で 引っ返し まし た 。 けれども どうも 、 それ は 前 に 来 た 所 と は 違っ て い た よう でし た 。 第 一 、 薊 が あんまり 沢山 あり まし た し 、 それ に 草 の 底 に さっき 無かっ た 岩 かけ が 、 度々 ころがっ て い まし た 。 そして とうとう 聞い た こと も ない 大きな 谷 が 、 いきなり 眼 の 前 に 現われ まし た 。 すすき が 、 ざわざわ ざわっと 鳴り 、 向う の 方 は 底 知れ ず の 谷 の よう に 、 霧 の 中 に 消え て いる で は あり ませ ん か 。 
風 が 来る と 、 芒 の 穂 は 細い 沢山 の 手 を 一ぱい のばし て 、 忙しく 振っ て 、 
「 あ 、 西 さん 、 あ 、 東 さん 、 あ 西 さん 。 あ 南 さん 。 あ 、 西 さん 。 」 なんて 云っ て いる 様 でし た 。 
達二 は あんまり 見 っと も なかっ た ので 、 目 を 瞑っ て 横 を 向き まし た 。 そして 急い で 引っ返し まし た 。 小さな 黒い 道 が 、 いきなり 草 の 中 に 出 て 来 まし た 。 それ は 沢山 の 馬 の 蹄 の 痕 で 出来 上っ て い た の です 。 達二 は 、 夢中 で 、 短い 笑い声 を あげ て 、 その道 を ぐんぐん 歩き まし た 。 
けれども 、 たより の ない こと は 、 みち の は ば が 五 寸 ぐらい に なっ たり 、 また 三 尺 ぐらい に 変っ たり 、 おまけ に 何だか ぐるっと 廻っ て いる よう に 思わ れ まし た 。 そして 、 とうとう 、 大きな てっぺん の 焼け た 栗 の 木 の 前 まで 来 た 時 、 ぼんやり 幾つ に も 岐 れ て しまい まし た 。 
其処 は 多分 は 、 野 馬 の 集まり 場所 で あっ た でしょ う 、 霧 の 中 に 円い 広場 の よう に 見え た の です 。 
達二 は がっかり し て 、 黒い 道 を また 戻り はじめ まし た 。 知ら ない 草 穂 が 静か に ゆらぎ 、 少し 強い 風 が 来る 時 は 、 どこ か で 何 か が 合図 を し て でも いる よう に 、 一 面 の 草 が 、 それ 来 た っと みな から だ を 伏せ て 避け まし た 。 
空 が 光っ て キインキイン と 鳴っ て い ます 。 それ から すぐ 眼 の 前 の 霧 の 中 に 、 家 の 形 の 大きな 黒い もの が あらわれ まし た 。 達二 は しばらく 自分 の 眼 を 疑っ て 立ちどまっ て い まし た が 、 やはり どうしても 家 らしかっ た ので 、 こわごわ もっと 近寄っ て 見 ます と 、 それ は 冷たい 大きな 黒い 岩 でし た 。 
空 が くるくる くるっ と 白く 揺らぎ 、 草 が バラッ と 一 度 に 雫 を 払い まし た 。 
（ 間違っ て 原 を 向う側 へ 下りれ ば 、 もう おら は 死ぬ ばかり だ 。 ） と 達二 は 、 半分 思う 様 に 半分 つぶやく よう に し まし た 。 それ から 叫び まし た 。 
「 兄 、 兄 、 居る が 。 兄 。 」 
また 明るく なり まし た 。 草 が みな 一斉 に 悦び の 息 を し ます 。 
「 伊佐 戸 の 町 の 、 電気 工夫 の 童 ぁ 、 山男 に 手足 ぃ 縛ら え て た ふう だ 。 」 と いつか 誰 か の 話し た 語 が 、 はっきり 耳 に 聞え て 来 ます 。 
そして 、 黒い 路 が 、 俄 に 消え て しまい まし た 。 あたり が ほんの しばらく しいんと なり まし た 。 それから 非常 に 強い 風 が 吹い て 来 まし た 。 
空 が 旗 の よう に ぱたぱた 光っ て 翻 えり 、 火花 が パチパチパチッ と 燃え まし た 。 
達二 は いつか 、 草 に 倒れ て い まし た 。 
そんな こと は みんな ぼんやり し た も や の 中 の 出来事 の よう でし た 。 牛 が 逃げ た なんて 、 やはり 夢 だ か なんだか わかり ませ ん でし た 。 風 だって 一体 吹い て い た の でしょ う か 。 
達二 は みんな と 一緒 に 、 たそがれ の 県道 を 歩い て い た の です 。 
橙色 の 月 が 、 来 た 方 の 山 から しずか に 登り まし た 。 伊佐 戸 の 町 で 燃す 火 が 、 赤く ゆらい で い ます 。 
「 さあ 、 みんな 支度 は いい が 。 」 誰 か が 叫び まし た 。 
達二 は すっかり 太い 白い たすき を 掛け て しまっ て 、 地面 を どんどん 踏み まし た 。 楢 夫 さん が 空 に 向っ て 叫ん だ の でし た 。 
「 ダー 、 ダー 、 ダー 、 ダー 、 ダースコダーダー 。 」 それ から 、 大人 が 太鼓 を 撃ち まし た 。 
達二 は 刀 を 抜い て はね 上り まし た 。 
「 ダー 、 ダー 、 ダー 、 ダー 。 ダー 、 スコ 、 ダーダー 。 」 
「 危な ぃ 。 誰 だ 、 刀 抜い だ の は 。 まだ 町 さ も 来 な ぃに 早 ぁじゃ 。 」 怪物 の 青 仮面 を かぶっ た 清介 が 威張っ て 叫ん で い ます 。 赤い 提灯 が 沢山 点さ れ 、 達二 の 兄さん が 提灯 を 持っ て 来 て 達二 と 並ん で 歩き まし た 。 兄さん の 足 が 、 寒天 の よう で 、 夢 の よう な 色 で 、 無 暗に 長い の でし た 。 
「 ダー 、 ダー 、 ダー 、 ダー 。 ダー 、 スコ 、 ダーダー 。 」 
町はずれ の 町長 の うち で は 、 まだ 門火 を 燃し て い ませ ん でし た 。 その 水松 樹 の 垣 に 囲ま れ た 、 暗い 庭 さき に みんな 這入っ て 行き まし た 。 
そして 達二 は また うとうと し まし た 。 そこで 霧 が 生温い 湯 の よう に なっ た の です 。 可愛らしい 女の子 が 達二 を 呼び まし た 。 
「 おいで なさい 。 いい もの を あげ ましょ う 。 そら 。 干し た 苹果 です よ 。 」 
「 あり が ど 、 あなた は どなた 。 」 
「 わたし 誰 で も ない わ 。 一緒 に 向う へ 行っ て 遊び ましょ う 。 あなた 驢馬 を 有っ て い て 。 」 
「 驢馬 は 持っ て ませ ん 。 只 の 仔馬 なら あり ます 。 」 
「 只 の 仔馬 は 大きく て 駄目 だ わ 。 」 
「 そん なら 、 あなた は 小鳥 は 嫌い です か 。 」 
「 小鳥 。 わたし 大好き よ 。 」 
「 あげ ましょ う 。 私 は ひ わ を 有っ て い ます 。 ひ わ を 一疋 あげ ましょ う か 。 」 
「 ええ 。 欲しい わ 。 」 
「 あげ ましょ う 。 私 今 持っ て 来 ます 。 」 
「 ええ 、 早く よ 。 」 
達二 は 、 一生懸命 、 うち へ 走り まし た 。 美しい 緑色 の 野原 や 、 小さな 流れ を 、 一心に 走り まし た 。 野原 は 何だか もくもく し て 、 ゴム の よう でし た 。 
達二 の うち は 、 いつか 野原 の まん中 に 建っ て い ます 。 急い で 籠 を 開け て 、 小鳥 を 、 そっと つかみ まし た 。 そして 引っ返そ う と し まし たら 、 
「 達二 、 どこ さ 行く 。 」 と 達二 の おっかさん が 云い まし た 。 
「 すぐ 来る がら 。 」 と 云い ながら 達二 は 鳥 を 見 まし たら 、 鳥 は いつか 、 萌黄 色 の 生菓子 に 変っ て い まし た 。 やっぱり 夢 でし た 。 
風 が 吹き 、 空 が 暗く て 銀色 です 。 
「 伊佐 戸 の 町 の 電気 工夫 の むすこ ぁ 、 ふら 、 ふら 、 ふら 、 ふら 、 ふら 、 」 と どこ か で 云っ て い ます 。 
それから しばらく 空 が ミインミイン と 鳴り まし た 。 達二 は また うとうと し まし た 。 
山男 が 楢 の 木 の うし ろ から まっ 赤 な 顔 を 一寸 出し まし た 。 
（ なに 怖い こと が ある もん か 。 ） 
「 こりゃ 、 山男 。 出 はっ て 来 。 切っ て しまう ぞ 。 」 達二 は 脇差し を 抜い て 身構え し まし た 。 
山男 が すっかり 怖がっ て 、 草 の 上 を 四つん這い に なっ て やって来 ます 。 髪 が 風 に さらさら 鳴り ます 。 
「 どうか 御免 御免 。 何 じ ょなことでも 為ん す 。 」 
「 うん 。 そん だら 許し て やる 。 蟹 を 百 疋捕 って 来 。 」 
「 ふう 。 蟹 を 百 疋 。 それ 丈 け でよ う が す か な 。 」 
「 それ がら 兎 を 百 疋捕 って 来 。 」 
「 ふう 。 殺し て き て も よう が すか 。 」 
「 うん にゃ 。 わが な ぃ 。 生 ぎだのだ 。 」 
「 ふうふう 。 かしこ また 。 」 
油断 を し て いる うち に 、 達二 は いきなり 山男 に 足 を 捉 まい て 倒さ れ まし た 。 山男 は 達二 を 組み敷い て 、 刀 を 取り上げ て しまい まし た 。 
「 小僧 。 さあ 、 来 。 これから 、 俺 れ の 家来 だ 。 来 う 。 この 刀 は いい 刀 だ な 。 実に 焼き を よ ぐかげである 。 」 
「 ば が 。 奴 の 家来 に など 、 なら な ぃ 。 殺さ ば 殺せ 。 」 
「 仲 々 ず 太 ぃやづだ 。 来っ たら 来 ぅ 。 」 
「 行 が ない 。 」 
「 ようし 、 そん だら さら って 行 ぐ 。 」 
山男 は 達二 を 小脇 に かかえ まし た 。 達二 は 、 素早く 刀 を 取り返し て 、 山男 の 横腹 を ズブリ と 刺し まし た 。 山男 は ばたばた 跳ね 廻っ て 、 白い 泡 を 沢山 吐い て 、 死ん で しまい まし た 。 
急 に まっ暗 に なっ て 、 雷 が 烈しく 鳴り出し まし た 。 
そして 達二 は また 眼 を 開き まし た 。 
灰色 の 霧 が 速く 速く 飛ん で い ます 。 そして 、 牛 が 、 すぐ 眼 の 前 に 、 のっそり と 立っ て い た の です 。 その 眼 は 達二 を 怖 れ て 、 横 の 方 を 向い て い まし た 。 達二 は 叫び まし た 。 
「 あ 、 居 だ が 。 馬鹿 だ な 。 奴 は 。 さ 、 歩 べ 。 」 
雷 と 風の音 と の 中 から 、 微か に 兄さん の 声 が 聞え まし た 。 
「 おおい 、 達二 。 居る が 。 達二 。 達二 。 」 
達二 は よろこん で とびあがり まし た 。 
「 おおい 。 居る 、 居る 。 兄 なぁ 。 おおい 。 」 
達二 は 、 牛 の 手綱 を その 首 から 解い て 、 引き はじめ まし た 。 
黒い 路 が また ひょっくり 草 の 中 に あらわれ まし た 。 そして 達二 の 兄さん が 、 とつぜん 、 眼 の 前 に 立ち まし た 。 達 二 はし が み 付き まし た 。 
「 探し た ぞ 。 こん た な 処 まで 来 て 。 何 し て 黙っ て 彼処 に 居 な ぃがった 。 おじいさん うんと 心配 し てる ぞ 。 さ 、 早く 歩 べ 。 」 
「 牛 ぁ 逃げ だ だ も 。 」 
「 牛 ぁ 逃げ だ 。 はあ 、 そう が 。 何 に びっくり し た た が な 。 すっかり ぬれ だ な 。 さあ 、 俺 の けら 着ろ 。 」 
「 一 向寒 ぐなぃ 。 兄 の な は 大きく て 引き 擦る がら わが な ぃ 。 」 
「 そう が 。 よし よし 。 まず 歩 べ 。 おじいさん 、 火 たい て 待っ てる がら な 。 」 
緩い 傾斜 を 、 二つ 程 昇り 降り し まし た 。 それから 、 黒い 大きな 路 について 、 暫 らく 歩き まし た 。 
稲光 が 二 度 ばかり 、 かすか に 白く ひらめき まし た 。 草 を 焼く 匂 が し て 、 霧 の 中 を 煙 が ほっと 流れ て い ます 。 
達二 の 兄さん が 叫び まし た 。 
「 おじいさん 、 居 だ 、 居 だ 。 達 二 ぁ 居 だ 。 」 
おじいさん は 霧 の 中 に 立っ て い て 、 
「 ああ そう が 。 心配 し た 、 心配 し た 。 ああ 好 がっ た 。 おお 達二 。 寒 が べ ぁ 、 さあ 入れ 。 」 と 云い まし た 。 
半分 に 焼け た 大きな 栗 の 木の根 もと に 、 草 で 作っ た 小さな 囲い が あっ て 、 チョロチョロ 赤い 火 が 燃え て い まし た 。 
兄さん は 牛 を 楢 の 木 に つなぎ まし た 。 
馬 も ひ ひん と 鳴い て い ます 。 
「 おお むぞやな 。 な 。 何 ぼ が 泣い だ が な 。 さあ さあ 団子 た べろ 。 食べろ 。 な 。 今 こっち を 焼 ぐがらな 。 全体 何処 まで 行っ て だっ た 。 」 
「 笹 長根 の 下り 口 だ 。 」 と 兄 が 答え まし た 。 
「 危 ぃがった 。 危 ぃがった 。 向う さ 降り だら それ っ 切り だっ た ぞ 。 さあ 達二 。 団子 喰 べろ 。 ふん 。 まるっきり 馬 こみ だ ぃに 食っ てる 。 さあ さあ 、 こ いづ も 食べろ 。 」 
「 おじいさん 。 今 のう ぢ に 草 片 附 げ で 来る べ が 。 」 と 達二 の 兄さん が 云い まし た 。 
「 うん にゃ 。 も 少し 待 で 。 また すぐ 晴れる 。 おら も 弁当 食う べ 。 ああ 心配 し た 。 俺 も 虎 こ 山の下 まで 行っ て 見 で 来 た 。 はあ 、 ま ん つ 好 がっ た 。 雨 も 晴れる 。 」 
「 今朝 ほんとに 天気 好 がっ た のに な 。 」 
「 うん 。 また 好 ぐなるさ 。 あ 、 雨 漏っ て き た 。 草 少し 屋根 さ かぶせろ 。 」 
兄さん が 出 て 行き まし た 。 天井 が ガサガサガサガサ 云い ます 。 おじいさん が 、 笑い ながら それ を 見上げ まし た 。 
兄さん が また はいっ て 来 まし た 。 
「 おじいさん 。 明る ぐなった 。 雨 あ 霽 れ だ 。 」 
「 うん うん 。 そう が 。 さあ 弁当 食っ て で 草 片 附 げ べ 。 達二 。 弁当 食べろ 。 」 
霧 が ふっと 切れ まし た 。 陽 の 光 が さっと 流れ て 入り まし た 。 その 太陽 は 、 少し 西 の 方 に 寄っ て かかり 、 幾 片 か の 蝋 の よう な 霧 が 、 逃げ おくれ て 仕方 なし に 光り まし た 。 
草 から は 雫 が きらきら 落ち 、 総て の 葉 も 茎 も 花 も 、 今年 の 終り の 陽 の 光 を 吸っ て い ます 。 
はるか の 北上 の 碧 い 野原 は 、 今 泣き やん だ よう に まぶしく 笑い 、 向う の 栗 の 木 は 、 青い 後光 を 放ち まし た 。 
盛岡 の 産物 の なか に 、 紫紺 染 という もの が あり ます 。 
これ は 、 紫紺 という 桔梗 に よく 似 た 草の根 を 、 灰 で 煮出し て 染める の です 。 
南部 の 紫紺 染 は 、 昔 は 大 へん 名高い もの だっ た そう です が 、 明治 に なっ て から は 、 西洋 から やすい アニリン 色素 が どんどん はいっ て 来 まし た ので 、 一向 はやら なく なっ て しまい まし た 。 それ が 、 ごく ちかごろ 、 また さわぎ 出さ れ まし た 。 けれども なにぶん 、 しばらく すたれ て い た もの です から 、 製法 も 染 方 も 一向 わかり ませ ん でし た 。 そこで 県 工業 会 の 役員 たち や 、 工芸 学校 の 先生 は 、 それ について いろいろ しらべ まし た 。 そして とうとう 、 すっかり 昔 の よう な いい もの が 出来る よう に なっ て 、 東京 大 博覧 会 へ も 出 まし た し 、 二 等 賞 も 取り まし た 。 ここ まで は 、 大 てい 誰 でも 知っ て い ます 。 新聞 に も 毎日 出 て い まし た 。 
ところが 仲 々 、 お 役人 方 の 苦心 は 、 新聞 に 出 て いる くらい の もの で は あり ませ ん でし た 。 その 研究 中 の 一つ の はなし です 。 
工芸 学校 の 先生 は 、 まず 昔 の 古い 記録 に 眼 を つけ た の でし た 。 そして 図書館 の 二 階 で 、 毎日 黄いろ に 古び た 写本 を しらべ て いる うち に 、 遂に こういう いい こと を 見 附け まし た 。 
「 一 、 山男 紫紺 を 売り て 酒 を 買い 候 事 、 
山男 、 西根 山 にて 紫紺 の 根 を 掘り 取り 、 夕景 に 至り て 、 ひそか に 御 城下 （ 盛岡 ） へ 立ち 出 で 候 上 、 材木 町 生薬 商人 近江 屋 源 八 に 一 俵 二 十 五 文 にて 売り 候 。 それ より 山男 、 酒屋 半 之 助 方 へ 参り 、 五 合 入 程 の 瓢箪 を 差出し 、 この 中 に 清酒 一 斗 お 入れ なされ たく と 申し 候 。 半 之 助 方 小僧 、 身 ぶる え し つつ 、 酒 一 斗 は とても 入り 兼ね 候 と 返答 致し 候 処 、 山男 、 まずは 入れ なさる べく 候 と 押して 申し 候 。 半 之 助 も 顔色 青ざめ 委細 承知 と 早口 に 申し 候 。 扨 、 小僧 ます を とり て 酒 を 入れ 候 に 、 酒 は 事 も なく 入り 、 遂に 正味 一 斗 と 相成り 候 。 山男 大 に 笑い て 二 十 五 文 を 置き 、 瓢箪 を さげ て 立ち去り 候 趣 、 材木 町 総代 より 御 届け 有 之 候 。 」 
これ を 読ん だ とき 、 工芸 学校 の 先生 は 、 机 を 叩い て 斯 う ひとり ごと を 言い まし た 。 
「 なるほど 、 紫紺 の 職人 は みな 死ん で しまっ た 。 生薬 屋 の おやじ も 死ん だ と 。 そう し て みる と さしあたり 、 紫紺 について の 先輩 は 、 今 で は 山男 だけ という わけ だ 。 よし よし 、 一つ 山男 を 呼び出し て 、 聞い て みよ う 。 」 
そこで 工芸 学校 の 先生 は 、 町 の 紫紺 染 研究 会 の 人達 と 相談 し て 、 九月 六 日 の 午后 六 時 から 、 内丸 西洋 軒 で 山男 の 招待 会 を する こと に きめ まし た 。 そこで 工芸 学校 の 先生 は 、 山男 へ 宛て て 上手 な 手紙 を 書き まし た 。 山男 が その 手紙 さえ 見れ ば 、 きっと もう 出掛け て 来る よう に うまく 書い た の です 。 そして 桃 いろ の 封筒 へ 入れ て 、 岩手 郡 西根 山 、 山男 殿 と 上書き を し て 、 三 銭 の 切手 を はっ て 、 スポン と 郵便 函 へ 投げ込み まし た 。 
「 ふん 。 こう さえ し て しまえ ば 、 あと は むこ う へ 届こ う が 届く まい が 、 郵便 屋 の 責任 だ 。 」 と 先生 は つぶやき まし た 。 
あっ はっ は 。 みなさん 。 とうとう 九月 六 日 に なり まし た 。 夕方 、 紫紺 染 に 熱心 な 人 たち が 、 みんな で 二 十 四 人 、 内丸 西洋 軒 に 集まり まし た 。 
もう 食堂 の し たく は すっかり 出来 て 、 扇風機 は ぶうぶう まわり 、 白い テーブル 掛け は 波 を たて ます 。 テーブル の 上 に は 、 緑 や 黒 の 植木 の 鉢 が 立派 に ならび 、 極 上等 の パン や バター も もう 置か れ まし た 。 台所 の 方 から は 、 いい 匂 が ぷんぷん し ます 。 みんな は 、 蚕種 取締 所 設置 の 運動 の こと や なに か 、 いろいろ 話し合い まし た が 、 こころ の 中 で は 誰 も みんな 、 山男 が ほんとう に やって来る か どう か を 、 大 へん 心配 し て い まし た 。 もし 山男 が 来 なかっ たら 、 仕方 ない から みんな の 懇親 会 という こと に しよ う と 、 めいめい 考え て い まし た 。 
ところが 山男 が 、 とうとう やって来 まし た 。 丁度 、 六 時 十 五 分 前 に 一 台 の 人力車 が すうっ と 西洋 軒 の 玄関 に とまり まし た 。 みんな は それ 来 た っと 玄関 に ならん で むかえ まし た 。 俥屋 は まるで まっか に なっ て 汗 を たらし ゆ げ を ほう ほう あげ ながら 膝 かけ を 取り まし た 。 すると ゆっくり と 俥 から 降り て 来 た の は 黄金 色目 玉 あ かつら の 西根 山 の 山男 でし た 。 せ なか に 大きな 桔梗 の 紋 の つい た 夜具 を の っし り と 着込ん で 鼠色 の 袋 の よう な 袴 を ど ふっと は い て おり まし た 。 そして 大きな 青い 縞 の 財布 を 出し て 、 
「 くるま ちん は いくら 。 」 と きき まし た 。 
俥屋 は もう 疲れ て よろよろ 倒れ そう に なっ て い まし た が やっと の こと で 斯 う 云い まし た 。 
「 旦那 さん 。 百 八 十 両 やっ て 下さい 。 俥 は もう みしみし 云っ て い ます し 私 は これから 病院 へ はいり ます 。 」 
すると 山男 は 、 
「 うん もっとも だ 。 さあ これ だけ やろ う 。 つり は 酒代 だ 。 」 と 云い ながら いくら だ か わけ の わから ない 大きな 札 を 一 枚 出し て すたすた 玄関 に のぼり まし た 。 みんな は は あっと おじぎ を し まし た 。 山男 も しずか に おじぎ を 返し ながら 、 
「 いや こんにちは 。 お 招き に あずかり まし て 大 へん 恐縮 です 。 」 と 云い まし た 。 みんな は 山男 が あんまり 紳士 風 で 立派 な ので すっかり 愕 ろ い て しまい まし た 。 ただ ひとり その 中 に 町はずれ の 本屋 の 主人 が 居 まし た が 山男 の 無 暗に しか 爪 らしい の を 見 て 思わず にやりと し まし た 。 それ は 昨日 の 夕方 顔 の まっか な 蓑 を 着 た 大きな 男 が 来 て 「 知っ て 置く べき 日常 の 作法 。 」 という 本 を 買っ て 行っ た の でし た が 山男 が その 男 に そっくり だっ た の です 。 
とにかく みんな は 山男 を すぐ 食堂 に 案内 し まし た 。 そして 一緒 に こしかけ まし た 。 山男 が 腰かけ た 時 椅子 は がりがり っと 鳴り まし た 。 山男 は 腰かける と こんど は 黄金 色 の 目玉 を 据え て じっと パン や 塩 や バター を 見つめ 
どうして か と 云う と もし 山男 が 洋行 し た と する と やっぱり 船 に 乗ら なけれ ば なら ない 、 山男 が 船 に 乗っ て 上海 に 寄っ たり する の は あんまり おかしい と 会長 さん は 考え た の でし た 。 
さて だんだん 食事 が 進ん で はなし も はずみ まし た 。 
「 いや じっさい あの 辺 は ひどい 処 だ よ 。 どうも 六 百 から の 棄権 です から な 。 」 
なんて 云っ て いる 人 も あり 一方 で は そろそろ 大切 な 用談 が はじまり かけ まし た 。 
「 え えと 、 失礼 です が 山男 さん 、 あなた は お いくつ で いらっしゃい ます か 。 」 
「 二 十 九 です 。 」 
「 お 若い です な 。 やはり 一 年 は 三 百 六 十 五 日 です か 。 」 
「 一 年 は 三 百 六 十 五 日 の とき も 三 百 六 十 六 日 の とき も あり ます 。 」 
「 あなた は ふだん どんな もの を お あがり に なり ます か 。 」 
「 さよう 。 栗 の 実 や わらび や 野菜 です 。 」 
「 野菜 は あなた が お つくり に なる の です か 。 」 
「 お 日 さま が お つくり に なる の です 。 」 
「 どんな もの です か 。 」 
「 さよう 。 み ず 、 ほう な 、 し どけ 、 うど 、 その ほか 、 しめじ 、 きん たけ など です 。 」 
「 今年 は うど の 出来 が どう です か 。 」 
「 なかなか いい よう です が 、 少し かおり が 不足 です な 。 」 
「 雨 の 関係 でしょ う か な 。 」 
「 そう です 。 しかし どうしても アスパラガス に は 叶い ませ ん な 。 」 
「 へえ 」 
「 アスパラガス や ちしゃ の よう な もの が 山野 に 自生 する よう に なら ない と 産業 も ほんとう で は あり ませ ん な 。 」 
「 へえ 。 ずいぶん な ご 卓見 です 。 しかし あなた は 紫紺 の こと は よく ご ぞんじ でしょ う な 。 」 
みんな は しいんと なり まし た 。 これ が 今夜 の 眼目 だっ た の です 。 山男 は お 酒 を かぶり と 呑ん で 云い まし た 。 
「 しこん 、 しこん と 。 はてな 聞い た よう な こと だ が どうも よく わかり ませ ん 。 やはり 知ら ない の です な 。 」 みんな は がっかり し て しまい まし た 。 なん だ 、 紫紺 の こと も 知ら ない 山男 など 一向 用 は ない こんな やつ に 酒 を 呑ま せ たり し て つまらない こと を し た 。 もう あと は おれ たち の 懇親 会 だ 、 と 云う つもり で めいめい 勝手 に のん で 勝手 に たべ まし た 。 ところが 山男 に は それ が 大 へん うれしかっ た よう でし た 。 しきりに かぶり か ぶり と お 酒 を のみ まし た 。 お 魚 が 出る と 丸ごと けろりと たべ まし た 。 野菜 が 出る と 手 を ふところ に 入れ た まま 舌 だけ 出し て べろりと なめ て しまい ます 。 
そして 眼 を まっか に し て 「 へろ れ って 、 へろ れ って 、 けろ れ って 、 へろ れ って 。 」 なんて 途方 も ない 声 で 咆 え はじめ まし た 。 さあ みんな は だんだん 気味悪く なり まし た 。 おまけ に 給仕 が テーブル の はじ の 方 で 新 らしい お 酒 の 瓶 を 抜い た とき など は 山男 は 手 を 長く ながく のばし て 横 から 取っ て しまっ て ラッパ 呑み を はじめ まし た ので ぶるぶる ふるえ 出し た 人 も あり まし た 。 そこで 研究 会 の 会長 さん は 元来 お さむ らい でし た から 考え まし た 。 （ これ は どうも いか ん 。 けしからん 。 こう みだれ て しまっ て は 仕方 が ない 。 一つ ひきしめ て やろ う 。 ） くだもの の 出 た の を 合図 に 会長 さん は 立ちあがり まし た 。 けれども 会長 さん も もう へろへろ 酔っ て い た の です 。 
「 ええ 一寸 一言 ご 挨拶 申しあげ ます 。 今晩 は お客様 に は よく おいで 下さい まし た 。 どう かお ゆるり と お くつろぎ 下さい 。 さて 現今 世界 の 大勢 を 見る に 実に どうも こん らん し て いる 。 ひと の もの を 横 合 から とる よう な こと が 多い 。 実に ふん がい に たえ ない 。 まだ 世界 は 野蛮 から ぬけ ない 。 けしからん 。 く そっ 。 ちょ っ 。 」 
会長 さん は まっか に なっ て どなり まし た 。 みんな は びっくり し て ぱくぱく 会長 さん の 袖 を 引っぱっ て 無理 に 座ら せ まし た 。 
すると 山男 は 面倒臭 そう に ふところ から 手 を 出し て 立ちあがり まし た 。 「 ええ 一寸 一言 ご 挨拶 を 申し上げ ます 。 今晩 は あつい おもてなし に あずかり まし て 千万 かたじけなく 思い ます 。 どういう わけ で こんな おもてなし に あずかる の か 先刻 から しきりに 考え て いる の です 。 やはり どうも その 先頃 お たずね に あずかっ た 紫紺 について の よう で あり ます 。 そう し て みる と 私 も 本気 で 考え出さ なけれ ば なり ませ ん 。 そう 思っ て 一生懸命 思い出し まし た 。 ところが 私 は 子供 の とき 母 が 乳 が なく て 濁り 酒 で 育て て もらっ た ため に ひどい アルコール 中毒 な の で あり ます 。 お 酒 を 呑ま ない と 物 を 忘れる ので 丁度 みなさま の 反対 で あり ます 。 その ため に つい ビール も 一 本 失礼 いたし まし た 。 そして その お蔭 で やっと おもいだし まし た 。 あれ は 現今 西根 山 に は たくさん ござい ます 。 私 の おやじ など は しじゅう あれ を 掘っ て 町 へ 来 て 売っ て お 酒 に かえ た という は なし で あり ます 。 おやじ が どうも ちかごろ 紫紺 も 買う 人 は なし 困っ た と 云っ て こぼし て いる の も 聞い た こと が あり ます 。 それから あれ を 染める に は 何 でも 黒い しめっ た 土 を つか う という はなし も ぼんやり おぼえ て い ます 。 紫紺 について わたくし の 知っ て いる の は これ だけ で あり ます 。 それで 何 か の ご 参考 に なれ ば まことに しあわせ です 。 さて 考え て み ます と ありがたい は なし で ござい ます 。 私 の おやじ は 紫紺 の 根 を 掘っ て 来 て お 酒 と とりかえ まし た が 私 は 紫紺 の はなし を 一寸 すれ ば こんなに 酔う くらい まで お 酒 が 呑める の です 。 
そら こんなに 酔う くらい です 。 」 
山男 は 赤く なっ た 顔 を 一つ 右手 で しごい て 席 へ 座り まし た 。 
みんな は ざわざわ し まし た 。 工芸 学校 の 先生 は 「 黒い しめっ た 土 を 使う こと 」 と 手帳 へ 書い て ポケット に しまい まし た 。 
そこで みんな は 青い りんご の 皮 を むき はじめ まし た 。 山男 も むい て たべ まし た 。 そして 実 を すっかり たべ て から こんど はかま ど を ぱくりと たべ まし た 。 それ から ちょっと そば を たべる よう な 風 に し て 皮 も たべ まし た 。 工芸 学校 の 先生 は ちらっと それ を 見 まし た が 知ら ない ふり を し て おり まし た 。 
さて だんだん 夜 も 更け まし た ので 会長 さん が 立っ て 、 
「 やあ これ で 解散 だ 。 諸君 めでたし めでたし 。 ワッハッハ 。 」 と やっ て 会 は 終り まし た 。 
そこで 山男 は 顔 を まっか に し て 肩 を ゆすっ て 一 度 に はしご だ ん を 四つ くらい ずつ 飛ん で 玄関 へ 降り て 行き まし た 。 
みんな が 見送ろ う と あと を つい て 玄関 まで 行っ た とき は 山男 は もう 居 ませ ん でし た 。 
丁度 七つ の 森 の 一番 はじめ の 森 に 片 脚 を かけ た ところ だっ た の です 。 
さて 紫紺 染 が 東京 大 博覧 会 で 二 等 賞 を とる まで に は こんな 苦心 も あっ た と いう だけ の お はなし で あり ます 。 
一 　 午前 八 時 五 分 
農場 の 耕耘 部 の 農夫 室 は 、 雪 から の 反射 で 白 びかりがいっぱいでした 。 
まん中 の 大きな 釜 から は 湯気 が 盛ん に たち 、 農夫 たち は もう 食事 も すん で 、 脚絆 を 巻い たり 藁沓 を はい たり 、 はたらき に 出る 支度 を し て い まし た 。 
俄 か に 戸 が あい て 、 赤い 毛布 で こさえ た シャツ を 着 た 若い 血色 の いい 男 が はいっ て 来 まし た 。 
みんな は 一 ぺん に そっち を 見 まし た 。 
その 男 は 、 黄いろ な ゴム の 長靴 を はい て 、 脚 を きちんと そろえ て 、 まっすぐ に 立っ て 云い まし た 。 
「 農夫 長 の 宮野 目 さん は どなた です か 。 」 
「 おれ だ 。 」 
かがん で 炉 に 靴下 を 乾かし て い た せい の 低い 犬 の 毛皮 を 着 た 農夫 が 、 腰 を のばし て 立ちあがり まし た 。 
「 何 か 用 かい 。 」 
「 私 は 、 今 事務所 から 、 こちら で 働 ら け と 云わ れ て やっ て 参り まし た 。 」 
農夫 長 は うなずき まし た 。 
「 そう か 。 丁度 いい ところ だっ た 。 昨夜 は どこ へ 泊っ た 。 」 
「 事務所 へ 泊り まし た 。 」 
「 そう か 。 丁度 よかっ た 。 この 人 に ついて行っ て くれ 。 玉蜀黍 の 脱穀 を し てる ん だ 。 機械 は 八 時半 から 動く から な 。 今 から すぐ 行く ん だ 。 」 農夫 長 は 隣り で 脚絆 を 巻い て いる 顔 の まっ 赤 な 農夫 を 指し まし た 。 
「 承知 し まし た 。 」 
みんな は それ っきり 黙っ て 仕度 し まし た 。 赤 シャツ は みんな の 仕度 する 間 、 入口 に まっすぐ に 立っ て 、 室 の 中 を 見 まわし て い まし た が 、 ふと 室 の 正面 にかけて ある 円い 柱時計 を 見 あげ まし た 。 
その 盤面 は 青じろく て 、 ツルツル 光っ て 、 いかにも 舶来 の 上等 らしく 、 どこ でも 見 た こと の ない よう な もの でし た 。 
赤 シャツ は 右腕 を あげ て 自分 の 腕時計 を 見 て 何気なく 低く つぶやき まし た 。 
「 あいつ は 十 五 分 進ん で いる な 。 」 それ から 腕時計 の 竜頭 を 引っぱっ て 針 を 直そ う と し まし た 。 そしたら さっき から 仕度 が でき て めずらし そう に この 新 らしい 農夫 の 近く に 立っ て その よう す を 見 て い た 子供 の 百姓 が 俄 か に くすり と 笑い まし た 。 
すると どう 云う わけ か みんな も どっと 笑っ た の です 。 一斉 に その 青じろい 美しい 時計 の 盤面 を 見 あげ ながら 。 
赤 シャツ は すっかり どぎまぎ し て しまい まし た 。 そして きまり の 悪い の を 軽く 足ぶみ など を し て ごまかし ながら みんな の 仕度 の できる の を 待っ て い まし た 。 
二 　 午前 十 二 時 
る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 。 
脱穀 器 は 小屋 や そこら 中 の 雪 、 それ から すきとおっ た つめたい 空気 を ふるわせ て まわり つづけ まし た 。 
小屋 の 天井 に のぼっ た 人 たち は 、 器械 の 上 の 方 から どんどん 乾い た 玉蜀黍 を ほうり込み まし た 。 
それ は たちまち 器械 の 中 で 、 きれい な 黄色 の 穀 粒 と 白い 細長い 芯 と に わか れ て 、 器械 の 両側 に 落ち て 来る の でし た 。 今朝 来 た ばかり の 赤 シャツ の 農夫 は 、 シャベル で 落ち て 来る 穀 粒 を しゃくっ て 向う に 投げ出し て い まし た 。 それ は もう 黄いろ の 小山 を 作っ て い た の です 。 二 人 の 農夫 は 次 から 次 と せわしく 落ち て 来る 芯 を 集め て 、 小屋 の うし ろ の 汽缶 室 に 運び まし た 。 
ほこり は いっぱい に 立ち 、 午 ちかく の 日光 は 四つ の 窓 から 四 本 の 青い 棒 に なっ て 小屋 の 中 に 落ち まし た 。 赤 シャツ の 農夫 は すっかり 塵 に まみれ 、 しきりに 汗 を ふき まし た 。 
俄 か に ピタッ と とうもろこし の 粒 の 落ち て 来る の が とまり まし た 。 それから もう 四 粒 ばかり ぽろぽろ っと ころがっ て 来 た と 思う と あと は 器械 ばかり まるで 今 まで と ちがっ た 楽 な よう な 音 を たて ながら まわり つづけ まし た 。 
「 無くなっ た な 。 」 赤 シャツ の 農夫 は つぶやい て 、 も 一度 シャツ の 袖 で ひたい を ぬぐい 、 胸 を はだけ て 脱穀 小屋 の 戸口 に 立ち まし た 。 
「 これ で 午 だ 。 」 天井 でも 叫ん で い ます 。 
る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 、 る 。 
器械 は やっぱり 凍っ た は たけ や 牧草 地 の 雪 を ふるわせ て まわっ て い ます 。 
脱穀 小屋 の 庇 の 下 に 、 貯蔵庫 から 玉蜀黍 の そり を 牽い て 来 た 二 疋 の 馬 が 、 首 を 垂れ て だまっ て 立っ て 居 まし た 。 
赤 シャツ の 農夫 は 馬 に 近 よって 頸 を 平手 で 叩こ う と し まし た 。 
その 時 、 向う の 農夫 室 の うし ろ の 雪 の 高み の 上 に 立て られ た 高い 柱 の 上 の 小さな 鐘 が 、 前 后 に ゆれ 出し 音 は カランカランカランカラン と うつくしく 雪 を 渡っ て 来 まし た 。 今 まで じっと 立っ て い た 馬 は 、 この 時 一緒 に 頸 を あげ 、 いかにも きれい に 歩調 を 踏ん で 、 厩 の 方 へ 歩き 出し 、 空 の そり は ひとりでに 馬 について 雪 を 滑っ て 行き まし た 。 赤 シャツ の 農夫 は すこし わらっ て それ を 見送っ て い まし た が 、 ふと 思い出し た よう に 右手 を あげ て 自分 の 腕時計 を 見 まし た 。 そして 不思議 そう に 、 
「 今度 は 合っ て いる な 。 」 と つぶやき まし た 。 
三 　 午后 零 時 五 十 分 
午 の 食事 が 済ん で から 、 みんな は 農夫 室 の 火 を 囲ん で しばらく やすん で い まし た 。 炭火 は チラチラ 青い 焔 を 出し 、 窓 ガラス から は うるん だ 白い 雲 が 、 額 も かっと 痛い よう な まっ青 な そら を あて なく 流れ て いく の が 見え まし た 。 
「 お前 、 郷里 は どこ だ 。 」 農夫 長 は 石炭 凾 に こしかけ て 両手 を 火 に あぶり ながら 今朝 来 た 赤 シャツ に たずね まし た 。 
「 福島 です 。 」 
「 前 は どこ に 居 た ね 。 」 
「 六原 に 居り まし た 。 」 
「 どうして 向う を やめ た ん だい 。 」 
「 一 ぺん 郷国 へ 帰り まし て ね 、 あすこ も 陰気 で いや だ から 今度 は こっち へ 来 た ん です 。 」 
「 そう かい 。 六原 に 居 た ん じゃ 馬 は 使える だろ う な 。 」 
「 使え ます 。 」 
「 いつ まで こっち に 居る つもり だい 。 」 
「 ずっと 居 ます よ 。 」 
「 そう か 。 」 農夫 長 は だまっ て しまい まし た 。 
一 人 の 農夫 が 兵隊 の 古 外套 を ぬぎ ながら 入っ て 来 まし た 。 
「 場 長 は 帰っ て いる かい 。 」 
「 まだ 帰ら ない よ 。 」 
「 そう か 。 」 時計 が が ちっと 鳴り まし た 。 あの 蒼白い つるつる の 瀬戸 で でき て いる らしい 立派 な 盤面 の 時計 です 。 
「 さあ じき 一 時 だ 、 みんな 仕事 に 行っ て くれ 。 」 農夫 長 が 云い まし た 。 
赤 シャツ の 農夫 は また こっそり と 自分 の 腕時計 を 見 まし た 。 
たしかに 腕時計 は 一時 五 分 前 な のに その 大きな 時計 は 一時 二 十 分 前 でし た 。 農夫 長 は じき 一 時 だ と 云い 、 時計 も たしかに が ちっと 鳴り 、 それ に 針 は 二 十 分 前 、 今朝 は 進ん で さっき は 合い 、 今度 は 十 五 分 おくれ て いる 、 赤 シャツ は ぼんやり ダイアル を 見 て い まし た 。 
俄 か に 誰か が クス クス 笑い まし た 。 みんな は 続い て どっと 笑い まし た 。 すっかり 今朝 の 通り です 。 赤 シャツ の 農夫 は きまり 悪 そう に 、 急い で 戸 を あけ て 脱穀 小屋 の 方 へ 行き まし た 。 あと で は まだ みんな の 気 の よ さ そう な 笑い声 に まじっ て 、 
「 あいつ は 仲 々 気取っ てる な 。 」 
「 時計 ばかり 苦 に し てる よ 。 」 という よう な 声 が 聞え まし た 。 
日暮れ から すっかり 雪 に なり まし た 。 
外 で は ちらちら ちらちら 雪 が 降っ て い ます 。 
農夫 室 に は 電 燈 が 明るく 点き 、 火 は まっ 赤 に 熾り まし た 。 
赤 シャツ の 農夫 は 炉 の そば の 土間 に 燕麦 の 稈 を 一 束 敷い て 、 その 上 に 足 を 投げ出し て 座り 、 小さな 手帳 に 何 か 書き込ん で い まし た 。 
みんな は 本部 へ 行っ たり 、 停車場 まで 酒 を 呑み に 行っ たり し て 、 室 に は ただ 四 人 だけ でし た 。 （ 一月 十 日 、 玉蜀黍 脱穀 ） と 赤 シャツ は 手帳 に 書き まし た 。 
「 今夜 積 る ぞ 。 」 
「 一 尺 は 積 る な 。 」 
「 帝釈 の 湯 で 、 熊 また 捕れ た ってな 。 」 
「 そう か 。 今年 は 二 疋目 だ な 。 」 
その 時 です 。 あの 蒼白い 美しい 柱時計 が ガンガンガンガン 六 時 を 打ち まし た 。 
藁 の 上 の 若い 農夫 は ぎょっと し まし た 。 そして 急い で 自分 の 腕時計 を 調べ て 、 それから まるで 食い込む よう に 向う の 怪しい 時計 を 見つめ まし た 。 腕時計 も 六 時 、 柱時計 の 音 も 六 時 な のに その 針 は 五 時 四 十 五 分 です 。 今度 は おくれ た の です 。 さっき 仕事 を 終っ て 帰っ た とき は 十分 進ん で い まし た 。 さあ 、 今 だ 。 赤 シャツ の 農夫 は だまっ て 針 を にらみつけ まし た 。 二 人 の 炉 ば た の 百姓 たち は 、 それ を 見 て また 面白 そう に 笑っ た の です 。 
さあ 、 その 時 です 。 いま まで 五 時 五 十 分 を 指し て い た 長い 針 が 俄 かに 電 の よう に 飛ん で 、 一 ぺん に 六 時 十 五 分の 所 まで 来 て ぴたっと とまり まし た 。 
「 何だ 、 この 時計 、 針 の ねじ が 緩ん でる ん だ 。 」 
赤 シャツ の 農夫 は 大声 で 叫ん で 立ちあがり まし た 。 みんな も も 一度 わらい まし た 。 
赤 シャツ の 農夫 は 、 窓 ぶち に のぼっ て 、 時計 の 蓋 を ひらき 、 針 を がたがた 動かし て み て から 、 盤 に 書い て ある 小さな 字 を 読み まし た 。 
「 この 時計 、 上等 だ な 。 巴里 製 だ 。 針 が ゆるん だ ん だ 。 」 
農夫 は 針 の 上 の ねじ を まわし まし た 。 
「 修繕 し た の か 。 汝 、 時計 屋 に 居 た な 。 」 炉 の そば の 年 老 っ た 農夫 が 云い まし た 。 若い 農夫 は 、 も 一度 自分 の 腕時計 に 柱時計 の 針 を 合せ て 、 安心 し た よう に 蓋 を しめ 、 ぴょんと 土間 に はね 降り まし た 。 
外 で は 雪 が こんこん こんこん 降り 、 酒 を 呑み に 出掛け た 人 たち も 、 停車場 まで 行く の は やめ たろ う と 思わ れ た の です 。 
おれ は 設計 図 なぞ 持っ て 行か なかっ た 。 
それ は 書く の が 面倒 な の と 、 も ひとつ は 現場 で すぐ 工作 を する 誰 か の 式 を 気取っ た の と 、 さ う 二 っ つ が おれ を 仕事 着 の ま ゝ 支那 の 将軍 の やう に その 病院 の 二つ の 棟 に はさま れ た 緑 いろ し た 中庭 に テープ を 持っ て 立た せ た の だ 。 草取り に 来 て ゐ た 人 も 院長 の 車夫 も レントゲン の 助手 も みな 面白 がっ て 手 伝 ひ に 来 た 。 そこで たちまち 箱 を 割っ て 拵え た 小さな 白い 杭 も でき 　 ほうたい を とっ た 残り の 晒し の 縁 の まっ白 な 毬 も 出 て 来 た 。 そこで おれ は 美しい 正方形 の つめ く さ の 絨氈 の 上 で 夕方 まで いろいろ 踊る といふ の は どう だ 　 あんな 単調 で 暑苦しい 蔬菜 畑 の 仕事 に くらべ て いくら 楽しい か しれ ない と 考へ た 。 それ に こ ゝ に は 観る 人 が ゐ た 。 北 の 二 階 建 の 方 で は 見知り の 町 の 人 たち や 富沢 先生 だ 富沢 先生 だ とか 云っ て 囁き 合っ て ゐる 村 の 人 たち 、 南 の 診察 室 や 手術 室 の ある 棟 に は 十 三 才 の 聖女 テレジア といった 風 の 見習 ひ の 看護 婦 たち が 行っ たり 来 たり し て ゐ た し 、 それに おれ は おれ の 創造 力 に 充分 な 自信 が あっ た 。 けだし 音楽 を 図形 に 直す こと は 自由 で ある し 、 おれ は そこ へ 花 で   Beethoven   の   Fantasy   を 描く こと も できる 。 さ う 考へ た 。 
そこで おれ は すっかり 舞台 に 居る やう な すっきり し た 気持ち で 四月 の 初め に 南 の 建物 の 影 が 落ち て 呉れ 限界 を 屋根 を 見上げ て 考へ たり 朝日 や 夕日 で 窓 から 花 が 逆光線 に 見える か どう か 目測 し たり やっ て から 例 の 白い ほうたい の はじ で 庭 に 二 本 の 対角線 を 引か せ て その 方 庭 の 中心 を 求め そこ に 一 本 杭 を 立て た 。 
その とき 窓 に 院長 が 立っ て ゐ た 。 云っ た 。 
（ どんな 花 を 植える の です か 。 ） 
（ 来春 は ムスカリ と チュウリップ です 。 ） 
（ 夏 は ） 
（ さ う です な 。 まんなか を カンナ と コキア 、 観葉 種 です 、 それから 花 甘藍 と 、 あと は キャンデタフト の ライラック と 白 で 模様 を とっ たり いろいろ し ます 。 ） 
院長 はた うたう こら え 兼ね て 靴 を はい て 下り て 来 た 。 
（ どう いふ 形 に する の です ？ ） 
（ いま 考へ て ゐ ます ので 。 ） 
（ 正方形 に やり ます か 。 ） どう いふ 訳 か 大 へん にわかに その 博士 を 三 人 も 使っ て ゐる 偉い 医学 士 が 興奮 し て 早口 に 云っ た 。 
おれ は びっくり し て その 顔 を 見 た 。 それから まわり の 窓 を 見 た 。 そこ の 窓 に は たくさん の 顔 が みな 一様 な 表情 を 浮べ て ゐ た 。 愚か な 愚か な 表情 を 、 院長 さん と その 園芸 家 と どっち が 頭 が うごく だら う といった 風 の ―― えい 糞 考へ て も 胸 が 悪く なる 。 
（ え ゝ もう 　 どうせ ま はり が かう いふ ぐあいですから 対称 形 より 仕方 あり ます まい 。 ） 
おれ も 感応 し た 帯電 体 の やう に ごく 早口 に 返事 し た 。 院長 が すぐ 出 て 行っ て 農夫 に 云っ た 。 
（ その 中心 に きれ を 結びつけ て こ ゝ の とこ まで 持っ て 来 て 、 さ うさ う 　 それから 円 を 描き たま へ 。 関口 、 そこ へ 杭 を ぐるっと ま は すん だ 。 ） 院長 は 白い きれ を 杭 の 外 へま は し た 。 
あゝ だめ だ 正方形 の なか の 退屈 な 円か と おれ は 思っ た 。 
（ 向 ふ の 建物 から 丁度 三 間 距離 を 置い て 正方形 を つくり たま へ 。 ） 
だめ だ だめ だ 。 これ で は どこ に も 音楽 が ない 。 おれ の 考へ て ゐる の は 対称 は とり ながら ごく 不規則 な モザイク に し て その 境 を 一 尺 の みち に 練 瓦 を ジグザグ に 埋め て そこ へ まっ白 な 石灰 を つめこむ 。 日 がま はる たび に 練 瓦 の ジグザグ な 影 も 青く 移る 。 あと は 石炭 から と 鋸屑 で 花 が なく て も ひとつ の 模様 を こさえ こむ 。 それ な の だ 。 もう 今日 は だめ だ 。 設計 図 を 拵え て 来 て 院長 室 で 二 人 きり で 相談 し なけれ ば だめ だ と 考へ た 。 
おれ は この 愉快 な 創造 の 数 時間 を めちゃめちゃ に 壊し た 窓 の たくさん の 顔 を できるだけ 強い 表情 で にらみ ま は し た 。 ところが 誰 も おれ を 見 て ゐ なかっ た 。 次に おれ は その 憐れむ べき 弱い 精神 の 学士 を 見 た 。 それ から あんまり 過 鋭 な 感応 体 おれ を 撲っ て やり たい と 思っ た 。 
（ 一 ） 日 ハ 君臨 シ 　 カガヤキハ 
白金 ノ アメ 　 ソソギタリ 
ワレラハ 黒 キ 　 ツチニ 俯 シ 
マコトノクサノ 　 タネマケリ 
（ 二 ） 日 ハ 君臨 シ 　 穹窿 ニ 
ミナギリワタス 　 青 ビカリ 
ヒカリノアセヲ 　 感 ズレバ 
気圏 ノキハミ 　 隈 モナシ 
（ 三 ） 日 ハ 君臨 シ 　 玻璃 ノマド 
清澄 ニシテ 　 寂 カナリ 
サアレマコトヲ 　 索 メテハ 
白亜 ノ 霧 モ 　 アビヌベシ 
（ 四 ） 日 ハ 君臨 シ 　 カガヤキノ 
太陽系 ハ 　 マヒルナリ 
ケハシキタビノ 　 ナカニシテ 
ワレラヒカリノ 　 ミチヲフム 
うすい 鼠 がかっ た 光 が そこら いち めん ほのか に こめ て ゐ た 。 
そこ は カムチャッカ の 横 の 方 の 地図 で 見る と 山脈 の 褐色 の ケバ が 明るく つらなっ て ゐる あたり らしかっ た が 実際 は そんな 山 も 見え ず 却って でこぼこ の 野原 の やう に 思は れ た 。 
とにかく 私 は 粗末 な 白木 の 小屋 の 入口 に 座っ て ゐ た 。 
その 小屋 といふ の も 南 の 方 は 明けっぱなし で 壁 も なく 窓 も なく た ゞ 二 尺 ばかり の 腰板 が ぎしぎし 張っ て ある ばかり だっ た 。 
一 人 の 髪 の も ぢ ゃもぢゃした 女 と 私 は 何 か 談 し て ゐ た 。 その 女 は 日本 から 渡っ た 百姓 の お かみさん らしかっ た 。 たしかに 肩 に 四角 な きれ を かけ て ゐ た 。 
私 は 談 し ながら 自分 の 役目 な ので しきりに 横目 で そっと 外 を 見 た 。 
外 は まっくろ な 腐植 土 の 畑 で 向 ふ に は 暗い 色 の 針葉樹 が ぞろりと なら んで ゐ た 。 
小屋 の うし ろ に も たしかに その 黒い 木 が いっ ぱいにしげってゐるらしかった 。 畑 に は 灰 いろ の 花椰菜 が 光っ て 百 本 ばかり それから 蕃 茄 の 緑 や 黄金 の 葉 が くしゃくしゃ に からみ 合っ て ゐ た 。 馬鈴薯 も あっ た 。 馬鈴薯 は 大抵 倒れ たり ガサガサ に 枯れ たり し て ゐ た 。 ロシア 人 や だっ た ん 人 が ふらふら と 行っ たり 来 たり し て ゐ た 。 全体 祈っ て ゐる の だら う か 畑 を 作っ て ゐる の だら う か と 私 は 何 べ ん も 考へ た 。 
実に ふらふら と 踊る やう に 泳ぐ やう に 往来 し て ゐ た 。 そして 横目 で ちらちら 私 を 見 た の だ 。 黒い 繻子 の みじかい 三角 マント を 着 て ゐ た もの も あっ た 。 むやみ に せい が 高く て 頑丈 さうな 曲っ た 脚 に 脚絆 を ぐるぐる 捲い て ゐる 人 も あっ た 。 
右手 の 方 に きれい な 藤 いろ の 寛 衣 を つけ た 若い 男 が 立っ て だまっ て 私 を さぐる やう に 見 て ゐ た 。 私 と 瞳 が 合 ふ や 俄 に 顔色 を ゆるがし 眉 を きっと あげ た 。 そして 腰 に つけ て ゐ た 刀 の 模型 の やう な もの を 今にも 抜く やう な そ ぶり を し て 見せ た 。 私 は つまらない と 思っ た 。 それ から チラッ と 愛 を 感じ た 。 すべて 敵 に 遭っ て 却って それ を なつかしむ 、 これ が おれ の この 頃 の 病気 だ と 私 は ひとり で つぶやい た 。 そして 哂 っ た 。 考へ て 又 哂 っ た 。 
その 男 は もう 見え なかっ た 。 
その 時 百姓 の お かみさん が 小屋 の 隅 の 幅 二 尺 ばかり の 白木 の 扉 を 指さし て 
「 どうか 婆 に も 一寸 遭っ て おく なさい 。 」 と 云っ た 。 私 は さっき から その 扉 は 外 へ 出る 為 の だ と 思っ て ゐ た の だ 。 もっとも 時々 頭 の 底 で は は あ 騒動 の とき の かくれ 場所 だ な など と 考へ て は ゐ た 。 けれども 戸 が あい た 。 そして 黒い ゴリ ゴリ の マント らしい もの を 着 て まっ白 に 光っ た 髪 の ひどく 陰気 な ばあさん が 黙っ て 出 て 来 て 黙っ て 座っ た 。 そして 不思議 さ うに しげしげ 私 の 顔 を 見つめ た 。 
私 は ふっと 自分 の 服装 を 見 た 。 たしかに 茶 いろ の ポケット の 沢山 つい た 上着 を 着 て 長靴 を はい て ゐる 。 そこで 私 は 又 私 の 役目 を 思ひ 出し た 。 そして 又 横目 で そっと 作物 の 発育 の 工合 を 眺め た 。 一 エーカー 五 百 キログラム 、 いや もっと ある 、 など と 考へ た 。 人 が うろうろ し て ゐ た 。 せい の 高い 顔 の 滑らか に 黄いろ な 男 が ゐ た 。 あれ は 支那人 に ち が ひ ない と 思っ た 。 
よく 見る と たしかに 髪 を 捲い て ゐ た 。 その 男 は 大股 に 右手 に 入っ た 。 それから 小さな 親切 さうな 青い きもの の 男 が どう し た わけ か 片 あし に リボン の やう に はん けち を 結ん で ゐ た 。 そして 両 あし を きちんと 集め て 少し か ゞ むや うに し て しばらく じっと し て ゐ た 。 私 は たしかに 祈り だ と 思っ た 。 
私 は もう いつか 小屋 を 出 て ゐ た 。 全く 小屋 は いつか なく なっ て ゐ た 。 うす あかり が 青く けむり 東 の そら に は 日本 の 春 の 夕方 の やう に 鼠色 の 重い 雲 が 一 杯 に 重なっ て ゐ た 。 そこ に 紫苑 の 花びら が 羽虫 の やう に むらがり 飛び かすか に 光っ て 渦 を 巻い た 。 
みんな は だれ も パッ と 顔 を ほてら せ て あ つまり 手 を 斜 に 東 の 空 へ のばし て 
「 ホッ ホッ ホッ ホッ 。 」 と 叫ん で 飛び あがっ た 。 私 は 花椰菜 の 中 で すっ ぱだかになってゐた 。 私 の からだ は 貝殻 より も 白く 光っ て ゐ た 。 私 は 感激 し て みんな の ところ へ 走っ て 行っ た 。 
そして はねあがっ て 手 を のばし て みんな と 一緒 に 
「 ホッ ホッ ホッ ホッ 」 と 叫ん だ 。 
たしかに 紫苑 の はな びら は 生き て ゐ た 。 
みんな は だんだん 東 の 方 へ うつっ て 行っ た 。 
それから 私 は 黒い 針葉樹 の 列 を くぐっ て 外 に 出 た 。 
白崎 特務 曹長 が そこ に 待っ て ゐ た 。 そして 二 人 は でこぼこ の 丘 の 斜面 の やう な ところ を あるい て ゐ た 。 柳 の 花 が きんきん と 光っ て 飛ん だ 。 
「 一体 何 を しらべ て 来い と 云 ふん だっ たら う 。 」 私 は ふと たより ない こ ゝ ろ もち に なっ て かう 云っ た 。 
「 種子 を まち が へ た んで せ う 。 それ を しらべ て 来い と 云 ふん で せ う 。 」 
「 いや 収量 が どれ だけ だっ た か といふ の らしかっ た ぜ 。 」 私 は 又 云っ た 。 
向 ふ に ベ つ の 畑 が 光っ て 見え た 。 そこ に も 花椰菜 が ならん で ゐ た 。 これから 本国 へ た づねてやるのも 返事 の 来る まで 容易 で ない 、 それ に まだ 二 百 里 だ 、 と 私 は 考へ て 又 たより ない やう な 気 が し た 。 
白崎 特務 曹長 は 先 に 立っ て ぐんぐん 歩い た 。 
「 ふん 。 こいつ ら が ざわざわ ざわざわ 云っ て い た の は 、 ほんの 昨日 の よう だっ た が なあ 。 大抵 雪 に 潰さ れ て しまっ た ん だ な 。 」 
それから 若い 木霊 は 、 明るい 枯草 の 丘 の 間 を 歩い て 行き まし た 。 
丘 の 窪み や 皺 に 、 一 きれ 二 きれ の 消え残り の 雪 が 、 まっしろ に かがやい て 居り ます 。 
木霊 は そら を 見 まし た 。 その すきとおる まっさお の 空 で 、 かすか に かすか に ふるえ て いる もの が あり まし た 。 
「 ふん 。 日 の 光 が ぷるぷるやってやがる 。 いや 、 日 の 光 だけ で も ない ぞ 。 風 だ 。 いや 、 風 だけ で も ない な 。 何 か こう 小さな すきとおる 蜂 の よう な やつ か な 。 ひばり の 声 の よう な もん か な 。 いや 、 そう で も ない ぞ 。 おかしい な 。 おれ の 胸 まで どきどき 云 いやがる 。 ふん 。 」 
若い 木霊 は ずんずん 草 を わたっ て 行き まし た 。 
丘 の かげ に 六 本 の 柏 の 木 が 立っ て い まし た 。 風 が 来 まし た ので その 去年 の 枯れ葉 は ザラザラ 鳴り まし た 。 
若い 木霊 は そっち へ 行っ て 高く 叫び まし た 。 
「 おおい 。 まだ ね てる の かい 。 もう 春 だ ぞ 、 出 て 来い よ 。 おい 。 ね ぼう だ なあ 、 おおい 。 」 
風 が やみ まし た ので 柏 の 木 は すっかり 静まっ て カサッ とも 云い ませ ん でし た 。 若い 木霊 は その 幹 に 一 本 ずつ すきとおる 大きな 耳 を つけ て 木 の 中 の 音 を 聞き まし た が どの 樹 も しん として 居り まし た 。 そこで 
「 え いね ぼう 。 おれ が 来 た しるし だけ つけ て 置こ う 。 」 と 云い ながら 柏 の 木の下 の 枯れ た 草 穂 を つかん で 四つ だけ 結び 合い まし た 。 
そして 又 ふらふら と 歩き 出し まし た 。 丘 は だんだん 下っ て 行っ て 小さな 窪地 に なり まし た 。 そこ は まっ黒 な 土 が あたたか に しめり 湯気 は ふく ふく 春 の よろこび を 吐い て い まし た 。 
一疋 の 蟇 が そこ を のそのそ 這っ て 居り まし た 。 若い 木霊 は ギクッ として 立ち止まり まし た 。 
それ は 早く も その 蟇 の 語 を 聞い た から です 。 
「 鴾 の 火 だ 。 鴾 の 火 だ 。 もう 空 だって 碧 く は ない ん だ 。 
桃色 の ペラペラ の 寒天 で でき て いる ん だ 。 いい 天気 だ 。 
ぽかぽか する なあ 。 」 
若い 木霊 の 胸 は どきどき し て 息 は その 底 で 火 で も 燃え て いる よう に 熱く はあ はあ する の でし た 。 木霊 は そっと 窪地 を はなれ まし た 。 次 の 丘 に は 栗 の 木 が あちこち か が やく やどり木 の まり を つけ て 立っ て い まし た 。 
その まり は とんぼ の はね の よう な 小さな 黄色 の 葉 から 出来 て い まし た 。 その 葉 は みんな 遠く の 青い そら に 飛ん で 行き たそ う でし た 。 
若い 木霊 は そっち に 寄っ て 叫び まし た 。 
「 おいおい 、 栗 の 木 、 まだ 睡っ てる の か 。 もう 春 だ ぞ 。 おい 、 起き ない か 。 」 
栗 の 木 は 黙っ て つめたく 立っ て い まし た 。 若い 木霊 は その 幹 に すきとおる 大きな 耳 を あて て み まし た が 中 は しんと 何 の 音 も 聞こえ ませ ん でし た 。 
若い 木霊 は そこ で 一寸 意地 悪く 笑っ て 青 ぞ ら の 下 の 栗 の 木 の 梢 を 仰い で 黄金 色 の やどり木 に 云い まし た 。 
「 おい 。 この 栗 の 木 は 貴様 ら の おかげ で もう 死ん で しまっ た よう だ よ 。 」 
やどり木 は きれい に かがやい て 笑っ て 云い まし た 。 
「 そんな こと 云っ て おどそ う たって 駄目 です よ 。 睡っ てる ん です よ 。 僕 下り て 行っ て あなた と 一緒 に 歩き ましょ う か 。 」 
「 ふん 。 お前 の よう な 小さな やつ が おれ について 歩ける と 思う の かい 。 ふん 。 さよなら っ 。 」 
やどり木 は 黄金 色 の べそ を かい て 青い そら を まぶし そう に 見 ながら 「 さよなら 。 」 と 答え まし た 。 
若い 木霊 は 思わず 「 アハアハハハ 」 と わらい まし た 。 その 声 は あ おぞ ら の 滑らか な 石 まで ひびい て 行き まし た が 又 それ が 波 に なっ て 戻っ て 来 た とき 木霊 は ドキッと し て いきなり 堅く 胸 を 押え まし た 。 
そして ふらふら 次 の 窪地 に やっ て 参り まし た 。 
その 窪地 は ふく ふくし た 苔 に 覆わ れ 、 所々 やさしい かた くり の 花 が 咲い て い まし た 。 若い 木 だま に は その うす むら さき の 立派 な 花 は ふらふら うすぐろく ひらめく だけ で はっきり 見え ませ ん でし た 。 却って その つやつや し た 緑色 の 葉 の 上 に 次々 せわしく あらわれ て は 又 消え て 行く 紫色 の あやしい 文字 を 読み まし た 。 
「 はる だ 、 はる だ 、 はる の 日 が き た 、 」 字 は 一つ ずつ 生き て 息 を つい て 、 消え て は あらわれ 、 あらわれ て は 又 消え まし た 。 
「 そら でも 、 つ ち で も 、 く さ の うえ でも いち めん いち めん 、 もも いろ の 火 が もえ て いる 。 」 
若い 木霊 は はげしく 鳴る 胸 を 弾け させ まい と 堅く 堅く 押え ながら 急い で 又 歩き 出し まし た 。 
右 の 方 の 象 の 頭 の かたち を し た 灌木 の 丘 から だらだら 下り に なっ た 低い ところ を 一寸 越し ます と 、 又 窪地 が あり まし た 。 
木霊 は まっすぐ に 降り て 行き まし た 。 太陽 は 今 越え て 来 た 丘 の きらきら の 枯草 の 向う に かかり その ななめ な ひかり を 受け て 早く も 一 本 の 桜草 が 咲い て い まし た 。 若い 木霊 は からだ を かがめ て よく 見 まし た 。 まことに それ は 蛙 の ことば の 鴾 の 火 の よう に ひかっ て ゆらい で 見え た から です 。 桜草 は その 靭 や かな 緑色 の 軸 を しずか に ゆすり ながら ひと の 聞い て いる の も 知ら ない で 斯 う ひとり ごと を 云っ て い まし た 。 
「 お 日 さん は 丘 の 髪 毛 の 向う の 方 へ 沈ん で 行っ て また のぼる 。 
そして 沈ん で また のぼる 。 空 は もう すっかり 鴾 の 火 に なっ た 。 
さあ 、 鴾 の 火 に なっ て しまっ た 。 」 
若い 木霊 は 胸 が まるで 裂ける ばかり に 高く 鳴り出し まし た ので びっくり し て 誰 か に 聞か れ まい か と あたり を 見 まわし まし た 。 その 息 は 鍛冶 場 の ふい ご の よう 、 そして あんまり 熱く て 吐い て も 吐い て も 吐き 切れ ない の でし た 。 
その 時 向う の 丘 の 上 を 一疋 の とり が お 日 さま の 光 を さえぎっ て 飛ん で 行き まし た 。 そして 一寸 から だ を ひるがえし まし た ので はね う ら が 桃色 に ひらめい て 或いは ほんとう の 火 が そこ に 燃え て いる の か と 思わ れ まし た 。 若い 木霊 の 胸 は 酒精 で 一ぱい の よう に なり まし た 。 そして 高く 叫び まし た 。 
「 お前 は 鴾 という 鳥 かい 。 」 
鳥 は 
「 そう さ 、 おれ は 鴾 だ よ 。 」 と いい ながら 丘 の 向う へ かくれ て 見え なく なり まし た 。 若い 木霊 は まっしぐら に 丘 を かけ のぼっ て 鳥 の あと を 追い まし た 。 丘 の 頂上 に 立っ て 見る と お 日 さま は 山 に は いる まで まだまだ 間 が あり まし た 。 鳥 は 丘 の はざま の 蘆 の 中 に 落ち て 行き まし た 。 若い 木霊 は 風 より も 速く 丘 を かけ おり て 蘆 むら の まわり を ぐるぐる まわっ て 叫び まし た 。 
「 おおい 。 鴾 。 お前 、 鴾 の 火 という もの を 持っ てる かい 。 持っ てる なら 少し おら に 分け て 呉れ ない か 。 」 
「 ああ 、 やろ う 。 しかし 今 、 ここ に は 持っ て い ない よ 。 つい て お出で 。 」 
鳥 は 蘆 の 中 から 飛び出し て 南 の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 若い 木霊 は それ を 追い まし た 。 あちこち 桜草 の 花 が ちらばっ て い まし た 。 そして 鳥 は 向う の 碧 いそ ら を めがけ て まるで 矢 の よう に 飛び それ から 急 に 石ころ の よう に 落ち まし た 。 そこ に は 桜草 が いち めん 咲い て その 中 から 桃色 の かげろう の よう な 火 が ゆらゆら ゆらゆら 燃え て のぼっ て 居り まし た 。 その ほ の お は すきとおっ て あかるく ほんとう に 呑み たい くらい でし た 。 
若い 木霊 は しばらく その まわり を ぐるぐる 走っ て い まし た が とうとう 
「 ホウ 、 行く ぞ 。 」 と 叫ん で その ほ の おの 中 に 飛び込み まし た 。 
そして 思わず 眼 を こすり まし た 。 そこ は 全く さっき 蟇 が つぶやい た よう な 景色 でし た 。 ペラペラ の 桃色 の 寒天 で 空 が 張ら れ まっ青 な 柔らか な 草 が いち めん で その 処々 に あやしい 赤 や 白 の ぶち ぶち の 大きな 花 が 咲い て い まし た 。 その 向う は 暗い 木立 で 怒鳴り や 叫び が がやがや 聞え て 参り ます 。 その 黒い 木 を この 若い 木霊 は 見 た こと も 聞い た こと も あり ませ ん でし た 。 木霊 は どきどき する 胸 を 押え て そこら を 見 まわし まし た が 鳥 は もう どこ へ 行っ た か 見え ませ ん でし た 。 
「 鴾 、 鴾 、 どこ に 居る ん だい 。 火 を 少し お 呉れ 。 」 
「 すき な 位 持っ て おい で 。 」 と 向う の 暗い 木立 の 怒鳴り の 中 から 鴾 の 声 が し まし た 。 
「 だって どこ に 火 が ある ん だ よ 。 」 木霊 は あたり を 見 まわし ながら 叫び まし た 。 
「 そこら に ある じゃ ない か 。 持っ とい で 。 」 鴾 が 又 答え まし た 。 
木霊 は また 桃色 の そら や 草 の 上 を 見 まし た が なんにも 火 など は 見え ませ ん でし た 。 
「 鴾 、 鴾 、 おら もう 帰る よ 。 」 
「 そう かい 。 さよなら 。 えい 畜生 。 スペイド の 十 を 見 損 っ ちゃっ た 。 」 と 鴾 が 黒い 森 の さまざま の どなり の 中 から 云い まし た 。 
若い 木霊 は 帰ろ う と し まし た 。 その 時 森 の 中 から まっ青 な 顔 の 大きな 木霊 が 赤い 瑪瑙 の よう な 眼 玉 を きょろきょろ さ せ て だんだん こっち へ やっ て 参り まし た 。 若い 木 魂 は 逃げ て 逃げ て 逃げ まし た 。 
風 の よう に 光 の よう に 逃げ まし た 。 そして 丁度 前 の 栗 の 木の下 に 来 まし た 。 お 日 さま は まだまだ 明るく かれ 草 は 光り まし た 。 
栗 の 木 の 梢 から やどり木 が 鋭く 笑っ て 叫び まし た 。 
「 ウワーイ 。 鴾 に だまさ れ た 。 ウワーイ 。 鴾 に だまさ れ た 。 」 
「 何 云っ てる ん だい 。 小 っ こ 。 ふん 。 おい 、 栗 の 木 。 起きろ い 。 もう 春 だ ぞ 。 」 
若い 木霊 は 顔 の ほてる の を ごまかし て 栗 の 木 の 幹 に その すきとおる 大きな 耳 を あて まし た 。 
栗 の 木 の 幹 は しいんと し て 何 の 音 も あり ませ ん 。 
「 ふん 、 まだ 、 少し 早い ん だ 。 やっぱり 草 が 青く なら ない と な 。 おい 。 小 こ 、 さよなら 。 」 若い 木霊 は 大分 西 に 行っ た 太陽 に ひらり と 一 ぺん ひらめい て それ から まっすぐ に 自分 の 木 の 方 にかけ 戻り まし た 。 
「 さよなら 。 」 と ず うっとうし ろ で 黄金 色 の やどり木 の まり が 云っ て い まし た 。 
私 が 茨 海 の 野原 に 行っ た の は 、 火山 弾 の 手頃 な 標本 を 採る ため と 、 それから 、 あそこ に 野生 の 浜 茄 が 生え て いる という 噂 を 、 確 め る ため と でし た 。 浜 茄 は ご 承知 の とおり 、 海岸 に 生える 植物 です 。 それ が 、 あんな 、 海 から 三 十 里 も ある 山脈 を 隔て た 野原 など に 生える の は 、 おかしい と みんな 云う の です 。 ある 人 は 、 新聞 に 三つ の 理由 を あげ て 、 あの 茨 海 の 野原 は 、 すぐ 先頃 まで 海 だっ た という こと を 論じ まし た 。 それ は 第 一 に 、 その 茨 海 という 名前 、 第 二 に 浜 茄 の 生え て いる こと 、 第 三 に あすこ の 土 を 嘗め て みる と 、 たしかに 少し 鹹 い よう な 気 が する こと 、 とこう 云う の です けれども 、 私 は そんな こと は どれ も 証拠 に なら ない と 思い ます 。 
ところが 私 は 、 浜 茄 を とうとう 見 附け ませ ん でし た 。 尤も 私 が 見 附け なかっ た から と 云っ て 、 浜 茄 が あすこ に ない という わけ に は 行き ませ ん 。 もし 反対 に 一 本 でも 私 に 見当っ たら 、 それ は ある という こと の 証拠 に は なり ましょ う 。 です から やっぱり わから ない の です 。 
火山 弾 の 方 は 、 はじ が 少し 潰れ て は い まし た が 、 半日 かかっ て とにかく 一つ 見 附け まし た 。 
見 附け た の でし た が 、 それ は つい 寄附 さ せ られ て しまい まし た 。 誰 に 寄附 さ せ られ た の か って いう ん です か 。 誰 に って 校長 に です よ 。 どこ の 学校 ？ 　 ええ 、 どこ の 学校 って 正直 に 云っ ちまい ます と ね 、 茨 海 狐 小学校 です 。 愕 い て は いけ ませ ん 。 実は 茨 海 狐 小学校 を その ひる すぎ すっかり 参観 し て 来 た の です 。 そんなに 変 な 顔 を し なく て も いい の です 。 狐 に だまさ れ た の と は ちがい ます 。 狐 に だまさ れ た の なら 狐 が 狐 に 見え ない で 女 とか 坊さん とか に 見える の でしょ う 。 ところが 私 の は ちゃんと 狐 を 狐 に 見 た の です 。 狐 を 狐 に 見 た の が 若し だまさ れ た もの なら ば 人 を 人 に 見る の も 人 に だまさ れ た という 訳 です 。 
ただ 少し おかしい こと は 人 なら 小学校 も いい けれど 狐 は どう だろ う という こと です が それ だって あんまり さしつかえ あり ませ ん 。 まあ も 少し あと を 聞い て ごらん なさい 。 大丈夫 狐 小学校 が ある という こと が わかり ます から 。 ただ 呉れ 呉れ も 云っ て 置き ます が 狐 小学校 が ある と いっ て も それ は みんな 私 の 頭 の 中 に あっ た と 云う ので 決して 偽 で は ない の です 。 偽 で ない 証拠 に は ちゃんと 私 が それ を 云っ て いる の です 。 もし みなさん が これ を 聞い て その 通り 考えれ ば 狐 小学校 は また あなた に も ある の です 。 私 は 時々 斯 う 云う 勝手 な 野原 を ひとり で 勝手 に あるき ます 。 けれども 斯 う 云う 旅行 を する と あと で 大 へん つかれ ます 。 殊 に も 算術 など が 大 へん 下手 に なる の です 。 です から 斯 う 云う 旅行 の はなし を 聞く こと は みなさん に も 決して 差支え あり ませ ん が あんまり 度々 うっかり 出かける こと は いけ ませ ん 。 
まあ お話 を つづけ ましょ う 。 なあに ほんとう は あの 茨 や すすき の 一 杯 生え た 野原 の 中 で 浜 茄 など を さがす より は 、 初め から 狐 小学校 を 参観 し た 方 が ず うっ と よかっ た の です 。 朝 の 一 時間 目 から み て い た 方 が 参考 に も なり 、 又 面白かっ た の です 。 私 の み た の は 今 も 云い まし た 通り 、 午后 の 授業 です 。 一時 から 二 時 まで の 間 の 第 五 時間 目 です 。 なかなか 狐 の 小学生 に は 、 しっかり し た 所 が あり ます よ 。 五 時間 目 だって 、 一 人 も 厭き てる もの が ない ん です 。 参観 の も よう を 、 詳しく お話 し ましょ う か 。 きっと あなた に も 、 大 へん 参考 に なり ます 。 
浜 茄 は 見附 から ず 、 小さな 火山 弾 を 一つ 採っ て 、 私 は 草 に 座り まし た 。 空 が きらきら の 白い うろこ 雲 で 一 杯 でし た 。 茨 に は 青い 実 が たくさん つき 、 萱 は もう そろそろ 穂 を 出し かけ て い まし た 。 太陽 が 丁度 空 の 高い 処 に かかっ て い まし た から 、 もう お ひる だ という こと が わかり まし た 。 又 じっさい お腹 も 空い て い まし た 。 そこで 私 は 持っ て 行っ た パン の 袋 を 背嚢 から 出し て 、 すぐ 喰 べ よう と し まし た が 、 急 に 水 が ほしく なり まし た 。 今 まで 歩い た ところ に は 、 一 とこ だって 流れ も 泉 も あり ませ ん でし た が 、 もしか も 少し 向う へ 行っ たら 、 とにかく 小さな 流れ に でも ぶっつかる かも 知れ ない と 考え て 、 私 は 背嚢 の 中 に 火山 弾 を 入れ て 、 面倒くさい ので かけ 金 も かけ ず 、 締 革 を ぶらさげ た まま せ なか に しょい 、 パン の 袋 だけ 手 に もっ て 、 又 ぶらぶら と 向う へ 歩い て 行き まし た 。 
何 べ ん も ばら が かき ね の よう に なっ た 所 を 抜け たり 、 すすき が 栽 え 込み の よう に 見える 間 を 通っ たり し て 、 私 は 歩き つづけ まし た が 、 野原 は やっぱり 今 まで 通り 、 小 流れ など は なかっ た の です 。 もう 仕方 ない 、 この 辺 で パン を たべ て しまお う と 立ちどまっ た とき 、 私 はず うっ と 向う の 方 で 、 ベル の 鳴る 音 を 聞き まし た 。 それ は どこ の 学校 でも 鳴らす ベル の 音 の よう で 、 空 の あの 白い うろこ 雲 まで 響い て い た の です 。 この 野原 に は 、 学校 なんか ある わけ は なし 、 これ は きっと 俄 に 立ちどまっ た 為 に 、 私 の 頭 が しいんと 鳴っ た の だ と 考え て も 見 まし た が 、 どうしても 心から さっき の 音 を 疑う わけ に は 行き ませ ん でし た 。 それどころ じゃ ない 、 こんど は 私 は 、 子供 ら の がやがや 云う 声 を 聞き まし た 。 それ は 少し の 風 の ため に 、 ふっと はっきり し て 来 たり 、 又 俄 か に 遠く なっ たり し まし た 。 けれども いかにも 無邪気 な 子供 らしい 声 が 、 呼ん だり 答え たり 、 勝手 に ひとり 叫ん だり 、 わあ と 笑っ たり 、 その間 に は 太い 底力 の ある 大人 の 声 も まじっ て 聞え て 来 た の です 。 いかにも 何 か 面白 そう な の です 。 たまらなく なっ て 、 私 は そっち へ 走り まし た 。 さる とり いばら に ひっかけ られ たり 、 窪み に どんと 足 を 踏みこん だり し ながら も 、 一生けん命 そっち へ 走っ て 行き まし た 。 
すると 野原 は 、 だんだん 茨 が 少く なっ て 、 あの すずめ の かたびら という 、 一 尺 ぐらい の けむり の よう な 穂 を 出す 草 が ある でしょ う 、 あれ が たいへん 多く なっ た の です 。 私 は どしどし その 上 を かけ まし た 。 そしたら どう 云う わけ か 俄 か に 私 は 棒 か 何 か で 足 を すくわ れ た らしく ど たっ と 草 に 倒れ まし た 。 急い で 起きあがっ て 見 ます と 、 私 の 足 は その 草 の くしゃくしゃ もつれ た 穂 に からまっ て いる の です 。 私 は に が 笑い を し ながら 起きあがっ て 又 走り まし た 。 又 ばったり と 倒れ まし た 。 おかしい と 思っ て よく 見 まし たら 、 その すずめ の かたびら の 穂 は 、 ただ くしゃくしゃ に もつれ て いる の じゃ なく て 、 ちゃんと 両方 から 門 の よう に 結ん で ある の です 。 一種 の わな です 。 その 辺 を 見 ます と 実に そいつ が 沢山 つくっ て ある の です 。 私 は そこ で よほど 注意 し て 又 歩き 出し まし た 。 なるべく 足 を 横 に 引きずら ず 抜き さ しする よう な 工合 に し て そっと 歩き まし た けれども まだ 二 十 歩 も 行か ない うち に 、 又 ばったり と 倒さ れ て しまい まし た 。 それ と 一緒 に 、 向う の 方 で 、 どっと 笑い声 が 起り 、 それから わあわあ はやす の です 。 白 や 茶 いろ や 、 狐 の 子ども ら が チョッキ だけ を 着 たり 半 ズボン だけ は い たり 、 たくさん たくさん こっち を 見 て はやし て いる の です 。 首 を 横 に まげ て 笑っ て いる 子 、 口 を 尖ら せ て だまっ て いる 子 、 口 を あけ て そら を 向い て はあ はあ はあ はあ 云う 子 、 はねあがっ て はねあがっ て 叫ん で いる 子 、 白 や 茶 いろ や たくさん い ます 。 ああ これ は とうとう 狐 小学校 に 来 て しまっ た 、 いつか どこ か で 誰 か に 聴い た 茨 海 狐 小学校 へ 来 て しまっ た と 、 私 は まっ 赤 に なっ て 起きあがっ て 、 からだ を さすり ながら 考え まし た 。 その 時 いきなり 、 狐 の 生徒 ら は しいんと なり まし た 。 黒 の フロック を 着 た 先生 が 尖っ た 茶 いろ の 口 を 閉じる で も なし 開く で も なし 、 眼 を じっと 据え て 、 しずか に やって来る の です 。 先生 と いっ たって 、 勿論 狐 の 先生 です 。 耳 の 尖っ て い た こと が 今 でも はっきり 私 の 目 に 残っ て い ます 。 俄 か に 先生 は ぴたり と 立ちどまり まし た 。 
「 お前 たち は 、 又 わな を こしらえ た な 。 そんな こと を し て 、 折角 おいで に なっ た お客 さま に 、 もしも の こと が あっ たら どう する 。 学校 の 名誉 に関する よ 。 今日 は もう お前 たち みんな 罰し なけれ ば なら ない 。 」 
狐 の 生徒 ら は みんな 耳 を 伏せ たり 両手 を 頭 に あげ たり しょんぼり うなだれ まし た 。 先生 は 私 の 方 へ やって来 まし た 。 
「 ご 参観 で いらっしゃい ます か 。 」 
私 は どうせ 序 だ 、 どう なる もの か 参観 し たい と 云っ て やろ う 、 今日 は 日曜 な ん だ けれども 、 さっき ベル も 鳴っ た し 、 どうせ 狐 の こと だ から また いい加減 の 規則 も あっ て 、 休み だ という わけ で も ない だろ う と 、 ひとり で 勝手 に 考え まし た 。 
「 ええ 、 ぜひ そう 願い たい の です 。 」 
「 ご 紹介 は あり ます か 。 」 
私 は ふと 、 いつか 幼年 画 報 に 出 て い た たけし という 人 の 狐 小学校 の スケッチ を 思い出し まし た 。 
「 画家 の たけし さん です 。 」 
「 紹介 状 は お 持ち です か 。 」 
「 紹介 状 は あり ませ ん が たけし さん は 今 は ずいぶん 偉い です よ 。 美術 学院 の 会員 です よ 。 」 
狐 の 先生 は いけ ませ ん という よう に 手 を ふり まし た 。 
「 とにかく 、 紹介 状 は お 持ち に なら ない です ね 。 」 
「 持ち ませ ん 。 」 
「 よろしゅう ござい ます 。 こちら へ お出で 下さい 。 ただ今 丁度 ひる の や すみ で ござい ます が 、 午后 の 課業 を ご 案内 いたし ます 。 」 
私 は 先生 の 狐 に ついて行き まし た 。 生徒 ら は 小さく なっ て 、 私 を 見送り まし た 。 みんな で 五 十 人 は 居 た でしょ う 。 私 たち が 過ぎ て から 、 みんな そろそろ 立ちあがり まし た 。 
先生 は ふっ とうしろ を 振り かえり まし た 。 そして 強く 命令 し まし た 。 
「 わな を みんな 解け 。 こんな こと を し て 学校 の 名誉 に関する じゃ ない か 。 今 に 主謀 者 は 処罰 する ぞ 。 」 
生徒 たち は くるくる はね まわっ て その 草 わな を みんな ほど い て 居り まし た 。 
私 は 向う に 、 七 尺 ばかり の 高 さ の きれい な 野ばら の 垣根 を 見 まし た 。 垣根 の 長 さ は 十 二 間 は たしかに あっ た でしょ う 。 その まん中 に 入り口 が あっ て 、 中 は 一段 高く なっ て い まし た 。 私 は 全く それ を 垣根 だ と 思っ て い た の です 。 ところが 先生 が 
「 さあ 、 どう かお 入り 下さい 。 」 と 叮寧 に 云う もの です から 、 その 通り 一 足 中 へ はいり まし たら 、 全く 愕 い て しまい まし た 。 そこ は 玄関 だっ た の です 。 中 は きれい に 刈り込ん だ みじかい 芝生 に なっ て い て の ばら で いろいろ し きり が こさえ て あり まし た 。 それ に 靴 ぬぎ も あれ ば 革 の スリッパ も そろえ て あり 馬 の 尾 を 集め て こさえ た 払子 も ちゃんと ぶらさがっ て い まし た 。 すぐ 上り 口 に 校長 室 と 白い 字 で 書い た 黒 札 の さ がっ た ばら で 仕切ら れ た 室 が あり それ から 廊下 も あり ます 。 教員 室 や 教室 や みんな ばら の 木 で きれい に しきら れ て い まし た 。 みんな 私 たち の 小学校 と 同じ です 。 ただ ちがう ところ は 教室 に も 廊下 に も 窓 の ない こと それから 屋根 の ない こと です が 、 これ は 元来 屋根 が なけれ ば 窓 は いら ない 筈 です から おまけ に 室 の 上 を 白い 雲 が 光っ て 行っ たり し ます から 、 実に 便利 だろ う と 思い まし た 。 校長 室 の 中 で は 、 白 服 の 人 の 動い て いる の が ちらちら 見え ます 。 エヘンエヘン と 云っ て いる の も 聞え ます 。 私 は きょろきょろ あちこち 見 まわし て い まし たら 、 先生 が 少し 笑っ て 云い まし た 。 
「 どうぞ スリッパ を お召 しなす って 。 只今 校長 に 申し ます から 。 」 
私 は そこで 、 長靴 を ぬい で 、 スリッパ を はき 、 背嚢 を おろし て 手 に もち まし た 。 その間 に 先生 は 校長 室 へ 入っ て 行き まし た が 、 間もなく 校長 と 二 人 で 出 て 来 まし た 。 校長 は 瘠せ た 白い 狐 で 涼し そう な 麻 の つめ えり でし た 。 もちろん 狐 の 洋服 です から ず ぼん に は 尻尾 を 入れる 袋 も つい て あり ます 。 仕立 賃 も 廉 く は ない と 私 は 思い まし た 。 そして 大きな 近眼 鏡 を かけ その 向う の 眼 は まるで 黄金 いろ でし た 。 じっと 私 を 見つめ まし た 。 それ から 急い で 云い まし た 。 
「 よう こそ いらっしゃい まし た 。 さあ さあ 、 どうぞ お 入り 下さい 。 運動 場 で 生徒 が 大 へん 失礼 な こと を し まし た そう で 。 さあ さあ 、 どうぞ お 入り 下さい 。 どうぞ お 入り 。 」 
私 は 校長 について 、 校長 室 へ 入り まし た 。 その 立派 な こと 。 卓 の 上 に は 地球儀 が おい て あり まし た し うし ろ の ガラス 戸棚 に は 鶏 の 骨格 や それ から いろいろ の わな の 標本 、 剥製 の 狼 や 、 さまざま の 鉄砲 の 上手 に 泥 で こしらえ た 模型 、 猟師 の かぶる みの 帽子 、 鳥打帽 から 何 から 何 まで すべて 狐 の 初等 教育 に 必要 な くらい の もの は みんな 備えつけ られ て い まし た 。 私 は 眼 を 円く し て 、 ここ でも きょろきょろ する より 仕方 あり ませ ん でし た 。 そのうち 校長 は お茶 を 注い で 私 に 出し まし た 。 見る と 紅茶 です 。 ミルク も 入れ て ある らしい の です 。 私 は すっかり 度胆 を ぬか れ まし た 。 
「 さあ どう か 、 お 掛け 下さい 。 」 
私 は こしかけ まし た 。 
「 え えと 、 失礼 です が お 職業 は やはり 学事 の 方 です か 。 」 校長 が たずね まし た 。 
「 ええ 、 農 学校 の 教師 です 。 」 
「 本日 は おやすみ で いらっしゃい ます か 。 」 
「 はあ 、 日曜 です 。 」 
「 なるほど あなた の 方 で は 太陽暦 を お 使い に なる 関係 上 、 日曜日 が お 休み です な 。 」 
私 は 一寸 変 な 気 が し まし た 。 
「 そうすると お うち の 方 で は どう なる の です か 。 」 
狐 の 校長 さん は 青く 光る そら の 一 ところ を 見 あげ て しずか に 鬚 を ひねり ながら 答え まし た 。 
「 左様 、 左様 、 至極 ご 尤 な ご 質問 です 。 私 の 方 は 太陰暦 を 使う 関係 上 、 月曜日 が 休み です 。 」 
私 は すっかり 感心 し まし た 、 この 調子 で は この 学校 は 、 よほど 程度 が 高い に ちがい ない 、 事 に よる と 狐 の 方 で は 、 学校 は 小学校 と 大 学校 の 二つ きり で 、 或は この 茨 海 小学校 は 、 中学 五 年 程度 まで 教える ん じゃ ない か と 気がつき まし た ので 、 急い で たずね まし た 。 
「 いかが です か 。 こちら の 方 で は 大 学校 へ 進む 生徒 は 、 ずいぶん 沢山 ござい ます か 。 」 
校長 さん が 得意 そう に まるで 見当 違い の 上 の 方 を 見 ながら 答え まし た 。 
「 へい 。 実は 本年 は 不思議 に 実業 志望 が 多 ござい まし て 、 十 三 人 の 卒業生 中 、 十 二 人 まで 郷里 に 帰っ て 勤労 に 従事 いたし て 居り ます 。 ただ 一 人 だけ 大谷地 大 学校 の 入学 試験 を 受け まし て 、 それ が いかにも うまく 通り まし た ので 、 へい 。 」 
全く 私 の 予想 通り でし た 。 
そこ へ 隣り の 教員 室 から 、 黒い チョッキ だけ 着 た 、 がさがさ し た 茶 いろ の 狐 の 先生 が 入っ て 来 て 私 に 一礼 し て 云い まし た 。 
「 武田 金一郎 を どう 処罰 いたし ましょ う 。 」 
校長 は 徐 ろ に そちら へ を 向い て それ から 私 を 見 まし た 。 
「 こちら は 第 三 学年 の 担任 です 。 この お方 は 麻生 農 学校 の 先生 です 。 」 
私 は ちょっと 礼 を し まし た 。 
「 で 武田 金一郎 を どう 処罰 し たら いい か という の だ ね 。 お客 さま の 前 だ けれども 一寸 呼ん で おいで 。 」 
三 学年 担任 の 茶 いろ の 狐 の 先生 は 、 恭しく 礼 を し て 出 て 行き まし た 。 間もなく 青い 格子縞 の 短い 上着 を 着 た 狐 の 生徒 が 、 今 の 先生 の うし ろ について すごすご と 入っ て 参り まし た 。 
校長 は 鷹揚 に めがね を 外し まし た 。 そして その 武田 金一郎 という 狐 の 生徒 を じっと しばらく の 間 見 て から 云い まし た 。 
「 お前 が あの 草 わな を 運動 場 に かける よう に みんな に 云い つけ た ん だ ね 。 」 
武田 金一郎 は しゃんと し て 返事 し まし た 。 
「 そう です 。 」 
「 あんな こ として 悪い と 思わ ない か 。 」 
「 今 は 悪い と 思い ます 。 けれども かける 時 は 悪い と 思い ませ ん でし た 。 」 
「 どうして 悪い と 思わ なかっ た 。 」 
「 お客 さん を 倒そ う と 思っ た の じゃ なかっ た から です 。 」 
「 どういう 考 で かけ た の だ 。 」 
「 みんな で 障碍 物 競争 を やろ う と 思っ た ん です 。 」 
「 あの わな を かける こと を 、 学校 で は 禁じ て いる の だ が 、 お前 は それ を 忘れ て い た の か 。 」 
「 覚え て い まし た 。 」 
「 そん なら どうして そんな こと を し た の だ 。 こう 云う 工合 に お客 さま が 度々 おいで に なる 。 それ に 運動 場 の 入口 に 、 あんな もの を こしらえ て 置い て 、 もし お客 さま に 万一 の こと が あっ たら どう する の だ 。 お前 は 学校 で 禁じ て いる の を 覚え て い ながら 、 それ を する という の は どう 云う わけ だ 。 」 
「 わかり ませ ん 。 」 
「 わから ない だろ う 。 ほんとう は わから ない もん だ 。 それ は まあ それ で よろしい 。 お前 たち は この お方 が その わな に つまずい て 、 お 倒れ なさっ た とき は やし た そう だ が 、 又 私 も ここ で 聞い て い た が 、 どうして そんな こと を し た か 。 」 
「 わかり ませ ん 。 」 
「 わから ない だろ う 。 全く わから ない もん だ 。 わかっ たら まさか お前 たち は そんな こと し ない だろ う な 。 では 今日 の 所 は 、 私 から よく お客 さま に お 詫 を 申しあげ て 置く から 、 これから よく 気 を つけ なく ちゃ いけ ない よ 。 いい か 。 もう 決して 学校 で 禁じ て ある こと を し て は なら ん ぞ 。 」 
「 はい 、 わかり まし た 。 」 
「 では 帰っ て 遊ん で よろしい 。 」 校長 さん は 今度 は 私 に 向き まし た 。 担任 の 先生 は きちんと まだ 立っ て い ます 。 
「 只今 の よう な わけ で 、 至って 無邪気 な ので 、 決して 悪気 が あっ て 笑っ たり し た の で は ない よう で ござい ます から 、 どう かお ゆるし を ねがい とう 存じ ます 。 」 
私 は もちろん すぐ 云い まし た 。 
「 どう 致し まし て 。 私 こそ いきなり お うち の 運動 場 へ 飛び込ん で 来 て 、 いろいろ 失礼 を 致し まし た 。 生徒 さん 方 に 笑わ れる の なら 却って 私 は 嬉しい 位 です 。 」 
校長 さん は 眼鏡 を 拭い て かけ まし た 。 
「 いや 、 ありがとう ござい ます 。 おい 武村 君 。 君 から も お礼 を 申しあげ て くれ 。 」 
三 年 担任 の 武村 先生 も 一寸 私 に 頭 を 下げ て 、 それから 校長 に 会釈 し て 教員 室 の 方 へ 出 て 行き まし た 。 
校長 さん の 狐 は 下 を 向い て 二 三 度 くん くん 云っ て から 、 新 らしく 紅茶 を 私 に 注い で くれ まし た 。 その とき ベル が 鳴り まし た 。 午后 の 課業 の はじまる 十分 前 だっ た の でしょ う 。 校長 さん が 向う の 黒 塗り の 時間 表 を 見 ながら 云い まし た 。 
「 午后 は 第 一 学年 は 修身 と 護身 、 第 二 学年 は 狩猟 術 、 第 三 学年 は 食品 化学 と 、 こう なっ て い ます が いずれ も ご 参観 に なり ます か 。 」 
「 さあ みんな 拝見 いたし たい です 。 たいへん 面白 そう です 。 今朝 から あがら なかっ た の が 本当に 残念 です 。 」 
「 いや 、 いずれ 又 おいで を 願い ましょ う 。 」 
「 護身 という の は 修身 と いっしょ に なっ て いる の です か 。 」 
「 え え 昨年 まで は 別々 で やり まし た が 、 却って 結果 が よく ない よう です 。 」 
「 なるほど それ に 狩猟 だ なんて 、 ずいぶん 高尚 な 学科 も お やり です な 。 私 の 方 で は まあ 高等 専門 学校 や 大学 の 林 科 に それ が ある だけ です 。 」 
「 は はん 、 なるほど 。 けれども あなた の 方 の 狩猟 と 、 私 の 方 の 狩猟 と は 、 内容 は まるで ちがっ て い ます から な 、 は はん 。 あなた の 方 の 狩猟 は 私 の 方 の 護身 に はいり 、 私 の 方 の 狩猟 は 、 さあ 、 狩猟 前 業 は あなた の 方 の 畜産 に でも 入り ます か な 、 まあ とにかく その 時々 で ゆっくり ご 説明 いたし ましょ う 。 」 
この 時 ベル が 又 鳴り まし た 。 
がやがや 物 を 言う 声 、 それから 「 気 を つけ 」 や 「 番号 」 や 「 右 向け 右 」 や 「 前 へ 進め 」 で 狐 の 生徒 は 一 学級 ずつ だんだん 教室 に 入っ た らしい の です 。 
それから しばらく たっ て 、 どの 教室 も しいんと なり まし た 。 先生 たち の 太い 声 が 聞え て 来 まし た 。 
「 さあ では ご 案内 を 致し ましょ う 。 」 狐 の 校長 さん は 賢 そう に 口 を 尖らし て 笑い ながら 椅子 から 立ちあがり まし た 。 私 は それ について 室 を 出 まし た 。 
「 はじめ に 第 一 学年 を ご 案内 いたし ます 。 」 
校長 さん は 「 第 一 教室 、 第 一 学年 、 担任 者 、 武井 甲 吉 」 と 黒い 塗 札 の 下っ た 、 ばら の 壁 で 囲ま れ た 室 に 入り まし た 。 私 も つい て 入り まし た 。 そこ の 先生 は 私 の まだ あわ ない 方 で 実に しゃれ た なり を し て 頭 の 銀 毛 など も ごく 高尚 な ドイツ 刈り に 白 の モオニング を 着 て 教壇 に 立っ て い まし た 。 もちろん 教壇 の うし ろ の 茨 の 壁 に は 黒板 も かかり 、 先生 の 前 に は テーブル が あり 、 生徒 は みな で 十 五 人 ばかり 、 きちんと 白い 机 に こしかけ て 、 講義 を きい て 居り まし た 。 私 が すっかり 入っ て 立っ た とき 、 先生 は 教壇 を 下り て 私 たち に 礼 を し まし た 。 それから 教壇 に のぼっ て 云い まし た 。 
「 麻生 農 学校 の 先生 です 。 さあ みんな 立っ て 。 」 
生徒 の 狐 たち は みんな ぱっと 立ちあがり まし た 。 
「 ご 挨拶 に 麻生 農 学校 の 校歌 を 歌う の です 。 そら 、 一 、 二 、 三 、 」 先生 は 手 を 振り はじめ まし た 。 生徒 たち は 高く 高く 私 の 学校 の 校歌 を 歌い はじめ まし た 。 私 は 全く よろよろ し て 泣き 出 そう と し まし た 。 誰 だって いきなり 茨 海 狐 小学校 へ 来 て 自分 の 学校 の 校歌 を 狐 の 生徒 に うたわ れ て 泣き 出さ ない で い られる もん です か 。 それでも 私 は こらえ て こらえ て 顔 を しかめ て 泣く の を 押え まし た 。 嬉しかっ た より は ほんとう に 辛かっ た の です 。 校歌 が すみ 、 先生 は 一寸 挨拶 し て 生徒 を 手まね で 座ら せ 、 鞭 を とり まし た 。 
黒板 に は 「 最高 の 偽 は 正直 なり 。 」 と 書い て あり 、 先生 は 説明 を つづけ まし た 。 
「 そこで 、 元来 偽 という の は 、 いけ ない もの です 。 いくら 上手 に 偽 を つい て も だめ な の です 。 賢い 人 が きき ます と 、 ちゃんと 見 わけ が つく の です 。 それ は 賢い 人 たち は 、 その 語 の つりあい で 、 ほんとう か うそ か すぐ わかり 、 また その 音 で すぐ わかり 、 それから それ を 云う もの の 顔 や かたち で すぐ わかり ます 。 です から うそ という もの は 、 ほんの 一時 は うまい よう に 思わ れる こと が あっ て も 、 必ず まもなく だめ に なる もの です 。 
そこで この 格言 の 意味 は 、 もしも 誰 か が 一つ こんな 工合 の うそ を つい て 、 こう 云う 工合 に うまく やろ う と 考える と し ます 。 その とき もし よく その 云う こと を 自分 で 繰り返し 繰り返し し て 見 ます と 、 いつの間にか 、 どうも これ で は 向う に わかる よう だ 、 も 少し こう 云わ なく て は いけ ない という よう な 気 が する の です 、 そこ で 云い よう を すっかり 改めて 、 又 それ を 心 の 中 で 繰り返し 繰り返し し て 見 ます 、 やっぱり それでも いけ ない よう だ 、 こう しよ う 、 と 考え ます 。 それ も やっぱり だめ な よう だ 、 こう しよ う と 思い ます 。 こんな 工合 に し て 一生けん命 考え て 行き ます と 、 とうとう しまい は ほんとう の こと に なっ て しまう の です 。 そん なら その ほんとう の こと を 云っ たら 、 実際 どう なる か と 云う と 、 実は かえって うまく 偽 を つい た より は 、 いい こと に なる 、 たとえ すぐ に は いけ ない こと に なっ た よう で も 、 結局 は 、 結局 は 、 いい こと に なる 。 だから この 格言 は 又 
『 正直 は 最良 の 方便 なり 』 と も 云わ れ ます 。 」 
先生 は 黒板 へ 向い て 、 前 の に ならべ て 今 の 格言 を 書き まし た 。 
生徒 は みんな きちんと 手 を 膝 において 耳 を 尖ら せ て 聞い て い まし た が 、 この 時 一斉 に ペン を とっ て 黒板 の 字 を 書きとり まし た 。 
校長 は 一寸 私 の 顔 を 見 まし た 。 私 が どんな 風 に 、 今 の 講義 を 感じ た か 、 それ を 知り たい という 様子 でし た から 、 私 は 五 六 秒 眼 を 瞑っ て いかにも 感銘 に たえ ない という こと を 示し まし た 。 
先生 は みんな の 書い て しまう 間 、 両手 を せ なか に し ょってじっとしていましたがみんながばたばた 鉛筆 を 置い て 先生 の 方 を 見 始め ます と 、 又 講義 を つづけ まし た 。 
「 そこで 今 の 『 正直 は 最良 の 方便 』 という 格言 は 、 ただ 私 たち が うそ を つか ない の が いい と いう だけ で は なく 、 又 丁度 反対 の 応用 も ある の です 。 それ は 人間 が 私 たち に 偽 を つか ない の も 又 最良 の 方便 です 。 その 一 例 を 挙げ ます と わな です 。 わな に は いろいろ あり ます けれども 、 一番 こわい の は 、 いかにも わな の よう な 形 を し た わな です 。 それ も ごく 仕掛け の 下手 な わな です 。 これ を 人間 の 方 から 云い ます と 、 わな に も いろいろ ある けれども 、 一番 狐 の よく 捕れる わな は 、 昔 から の 狐 わな だ 、 いかにも 狐 を 捕る の だ ぞ という よう な 格好 を し た 、 昔 から の 狐 わな だ と 、 斯 う 云う わけ です 。 正直 は 最良 の 方便 、 全く この 通り です 。 」 
私 は 何だか 修身 に し て も 変 だ し 頭 が ぐらぐら し て 来 た の でし た が 、 この 時 さっき 校長 が 修身 と 護身 と が 今 学年 から 一 科目 に なっ て 、 多分 その 方 が 結果 が いい だろ う と 云っ た こと を 思い出し て 、 は はあ 、 なる ほど と 、 うなずき まし た 。 
先生 は 
「 武 巣 さん 、 立っ て 校長 室 へ 行っ て わな の 標本 を 運ん で 来 て 下さい 。 」 と 云い まし たら 、 一番 前 の 私 の 近く に 居 た 赤い チョッキ を 着 た か あいらしい 狐 の 生徒 が 、 
「 はいっ 。 」 と 云っ て 、 立っ て 、 私 たち に 一寸 挨拶 し 、 それから す 早く 茨 の 壁 の 出口 から 出 て 行き まし た 。 
先生 は その間 黙っ て 待っ て い まし た 。 生徒 も 黙っ て い まし た 。 空 は その 時 白い 雲 で 一 杯 に なり 、 太陽 は その 向う を 銀 の 円 鏡 の よう に なっ て 走り 、 風 は 吹い て 来 て 、 その 緑 いろ の 壁 は ところどころ ゆれ まし た 。 
武 巣 という 子 が まるで 息 を は あ はあ し て 入っ て 来 まし た 。 さっき 校長 室 の ガラス 戸棚 の 中 に 入っ て い た 、 わな の 標本 を 五つ とも 持っ て 来 た の です 。 それ を 先生 の 机 の 上 に 置い て しまう と 、 その 子 は 席 に 戻り 、 先生 は その 一つ を 手 に とりあげ まし た 。 
「 これ は アメリカ 製 で ホックスキャッチャー と 云い ます 。 ニッケル 鍍金 で こんなに ぴかぴか 光っ て い ます 。 ここ の 環 の 所 へ 足 を 入れる と ピチン と 環 が しまっ て 、 もう とれ なく なる の です 。 もちろん この 器械 は 鎖 か 何 か で 太い 木 に しばり 付け て あり ます から 、 実際 一遍 足 を とら れ たら もう それ きり です 。 けれども 誰 だって こんな ピカピカ し た 変 な もの に わざと 足 を 入れ て は 見 ない の です 。 」 
狐 の 生徒 たち は どっと 笑い まし た 。 狐 の 校長 さん も 笑い まし た 。 狐 の 先生 も 笑い まし た 。 私 も 思わず 笑い まし た 。 この わな の 絵 は 外国 で も 日本 で も 種苗 目録 の おしまい あたり に は きっと つい て い て 、 然 も 効力 も ある という の に どう 云う わけ か 一寸 不思議 に も 思い まし た 。 
この 時 校長 さん は 、 かくし から 時計 を 出し て 一寸 見 まし た 。 そこで 私 は 、 これ は もう だんだん 時間 が たつ から 、 次 の 教室 を 案内 しよ う か と 云う の だろ う と 思っ て 、 ちょっと から だ を 動かし て 見せ まし た 。 校長 さん は そこ で すっと 室 を 出 まし た 。 私 も つい て 出 まし た 。 
「 第 二 教室 、 第 二 年 級 、 担任 、 武 池 清 二郎 」 と し た 黒 塗り の 板 の 下がっ た 教室 に 入り まし た 。 先生 は さっき 運動 場 で あっ た 人 でし た 。 生徒 も 立っ て 一 ぺん に 礼 を し まし た 。 
先生 は すぐ 前 から の 続き を 講義 し まし た 。 
「 そこで 、 澱粉 と 脂肪 と 蛋白 質 と 、 この 成分 の 大事 な こと は よく お わかり に なっ た でしょ う 。 
こんど は どんな たべ もの に 、 この 三つ の 成分 が どんな 工合 に 入っ て いる か 、 それ を 云い ます 。 凡そ 、 食物 の 中 で 、 滋養 に 富み そして おいしく 、 また 見掛け も 大 へん 立派 な もの は 鶏 です 。 鶏 は 実際 食物 中 の 王 と 呼ば れる 通り です 。 今 鶏 の 肉 の 成分 の 分析 表 を あげ ましょ う 。 みなさん 帳面 へ 書い て 下さい 。 
蛋白 質 は 十 八 ポイント 五 パアセント 、 脂肪 は 九 ポイント 三 パーセント 、 含水炭素 は 一 ポイント 二 パーセント も ある の です 。 鶏 の 肉 は ただ この よう に 滋養 に 富む ばかり で なく 消化 も たいへん いい の です 。 殊に 若い 鶏 の 肉 なら ば 、 もう ほんとう に 軟か で おいしい こと と 云っ たら 、 」 先生 は 一寸 唾 を のみ まし た 、 「 とても お話 で は わかり ませ ん 。 食べ た こと の ある 方 は お わかり でしょ う 。 」 
生徒 は しばらく しん と し まし た 。 校長 さん も じっと 床 を 見つめ て 考え て い ます 。 先生 は はん けち を 出し て 奇麗 に 口 の まわり を 拭い て から 又 云い まし た 。 
「 で 一般 に 、 この 鶏 の 肉 に 限ら ず 、 鳥 の 肉 に は 私 たち の 脳神経 を 養う に 一番 大事 な 燐 が たくさん ある の です 。 」 
こんな こと は 女学校 の 家事 の 本 に 書い て ある こと だ 、 やっぱり 仲 々 程度 が 高い 、 ばか に でき ない と 私 は 思い まし た 。 先生 は 又 つづけ ます 。 
「 その 鶏 の 卵 も 大 へん いい の です 。 成分 は 鶏 の 肉 より 蛋白 質 は 少し 少く 、 脂肪 は 少し 多い の です 。 これ は 病人 も よく 使い ます 。 それから 次 は 油揚 です 。 油揚 は 昔 は 大 へん 供給 が 充分 だっ た の です けれども 、 今 は どうも そんな じゃ あり ませ ん 。 それで 、 実は これ は 廃れ た 食物 で あり ます 。 成分 は 蛋白 質 が 二 二 パアセント 、 脂肪 が 十 八 ポイント 七 パアセント 、 含水炭素 が 零 ポイント 九 パアセント です が 、 これ は 只今 で は あんまり 重要 じゃ あり ませ ん 。 油揚 の 代り に 近頃 盛ん に なっ た の は 玉蜀黍 です 。 これ は けれども 消化 は あんまり よく あり ませ ん 。 」 
「 時間 が も 少し です から 、 次 の 教室 を ご 案内 いたし ましょ う 。 」 校長 が そっと 私 に ささやき まし た 。 そこで 私 は うなずき 校長 は 先 に 立っ て 室 を 出 まし た 。 
「 第 三 教室 は 向う の 端 に なっ て 居り ます 。 」 校長 は 云い ながら 廊下 を どんどん 戻り まし た 。 さっき の 第 一 教室 の 横 を 通り 玄関 を 越え 校長 室 と 教員 室 の 横 を 通っ た そこ が 第 三 教室 で 、 「 第 三 学年 　 担任 者 武 原 久助 」 と 書い て あり まし た 。 さっき の 茶 いろ の 毛 の ガサガサ し た 先生 の 教室 な の です 。 狩猟 の 時間 です 。 
私 たち が 入っ て 行っ た とき 、 先生 も 生徒 も 立っ て 挨拶 し まし た 。 それから 講義 が 続き まし た 。 
「 それで 狩猟 に 、 前 業 と 本業 と 後 業 と ある こと は よく わかっ たろ う 。 前 業 は 養鶏 を 奨励 する こと 、 本業 は それ を 捕る こと 、 後 業 は それ を 喰 べ る こと と 斯 う で ある 。 
前 業 の 養鶏 奨励 の 方法 は 、 だんだん 詳しく 述べる つもり で ある が 、 まあ その 模範 として 一 例 を 示そ う 。 先頃 私 が 茨 窪 の 松林 を 散歩 し て いる と 、 向う から 一 人 の 黒い 小倉 服 を 着 た 人間 の 生徒 が 、 何 か 大 へん 考え ながら やって来 た 。 私 は すぐ に その 生徒 の 考え て いる こと が わかっ た ので 、 いきなり 前 に 飛び出し た 。 
すると 向う で は 少し びっくり し た らしかっ た ので 私 は まず 斯 う 云っ た 。 
『 おい 、 お前 は 私 が 何だか 知っ てる か 。 』 
すると その 生徒 が 云っ た 。 
『 お前 は 狐 だろ う 。 』 
『 そう だ 。 しかし お前 は 大 へん 何 か 考え て 困っ て いる だろ う 。 』 
『 いい や 、 なんにも 考え て い ない 。 』 その 生徒 が 云っ た 。 その 返事 が 実は 大 へん 私 に 気に入っ た の だ 。 
『 そん なら 私 は お前 の 考え て いる こと を あて て 見よ う か 。 』 
『 いい や 、 いら ない 。 』 その 生徒 が 云っ た 。 それ が 又 大 へん 私 の 気に入っ た 。 
『 お前 は 明後日 の 学芸 会 で 、 何 を 云っ たら いい か 考え て いる だろ う 。 』 
『 うん 、 実は そう だ 。 』 
『 そう か 、 そん なら 教え て やろ う 。 あさっ て お前 は 養鶏 の 必要 を 云う が いい 。 百姓 の 家 に は 、 こぼれ て 砂 の 入っ た 麦 や 粟 や 、 いら ない 菜っ葉 や 何 か 、 たくさん ある ん だ 。 又 甘藍 や 何 か に は 、 青 むし も たかる 。 それ を みんな 鶏 に 食べ させる 。 鶏 は 大 悦び で それ を たべる 。 卵 も うむ 。 大 へん 得 だ と 斯 う 云う が いい 。 』 
私 が 云っ たら 、 その 生徒 は 大 へ ん 悦ん で 、 厚く 礼 を 述べ て 行っ た 。 きっと あの 生徒 は 学芸 会 で それ を 云っ た ん だ 。 すると みんな は 勿論 と 思っ て 早速 養鶏 を はじめる 。 大きな 鶏 や ひよっこ や 沢山 できる 。 そこで 我々 は 早速 本業 に とりかかる と 斯 う 云う の だ 。 」 
私 は 実は この 話 を 聞い た とき 、 どうしても おかしく て おかしく て たまり ませ ん でし た 。 その 生徒 という の は 私 の 学校 の 二 年生 な の です 。 先頃 学芸 会 が あっ た の でし た が 、 その 時 ちゃんと 、 狐 に 遭っ た こと から 何 から 、 みんな 話し て い た の です 。 ただ おしまい が 少し 違っ て 居り まし た 。 それ は その 生徒 の 話 で は 
「 なん だ お前 は 僕 に 養鶏 を すすめ て 置い て 自分 が それ を 捕ろ う という の か 。 」 と 云っ たら 狐 は 頭 を かかえ て 一目散 に 遁 げた という の でし た 。 けれども それ を 私 は 口 に 出し て は 云い ませ ん でし た 。 この 時 丁度 、 向う で 終業 の ベル が 鳴り まし た ので 、 先生 は 、 
「 今日 は ここ まで に し て 置き ます 。 」 と 云っ て 礼 を し まし た 。 私 は 校長 について 校長 室 に 戻り まし た 。 校長 は 又 私 の 茶 椀 に 紅茶 を ついで 云い まし た 。 
「 ご 感想 は いかが です か 。 」 
私 は 答え まし た 。 
「 正直 を 云い ます と 、 実は 何だか 頭 が もち ゃもちゃしましたのです 。 」 
校長 は 高く 笑い まし た 。 
「 アッハッハ 。 それ は どなた も そう 仰い ます 。 時に 今日 は 野原 で 何 か いい もの を お 見付け です か 。 」 
「 ええ 、 火山 弾 を 見 附け まし た 。 ごく 不完全 です 。 」 
「 一寸 拝見 。 」 
私 は 仕方 なく 背嚢 から それ を 出し まし た 。 校長 は 手 にとって しばらく 見 て から 
「 実に いい 標本 です 。 いかが です 。 一つ 学校 へ ご 寄附 を 願え ませ ん でしょ う か 。 」 と 云う の です 。 私 は 仕方 なく 、 
「 ええ 、 よろしゅう ござい ます 。 」 と 答え まし た 。 
校長 は だまっ て それ を ガラス 戸棚 に しまい まし た 。 
私 は もう 頭 が ぐらぐら し て 居たたまらなく なり まし た 。 
すると 校長 が いきなり 、 
「 では さよなら 。 」 という の です 。 そこで 私 も 
「 これ で 失礼 致し ます 。 」 と 云い ながら 急い で 玄関 を 出 まし た 。 それから 走り出し まし た 。 
狐 の 生徒 たち が 、 わあわあ 叫び 、 先生 たち の それ を とめる 太い 声 が はっきり 後ろ で 聞え まし た 。 私 は 走っ て 走っ て 、 茨 海 の 野原 の いつも 行く あたり まで 出 まし た 。 それから やっと 落ち着い て 、 ゆっくり 歩い て うち へ 帰っ た の です 。 
で 結局 の ところ 、 茨 海 狐 小学校 で は 、 一体 どういう 教育 方針 だ か 、 一向 さっぱり わかり ませ ん 。 
正直 の ところ わから ない の です 。 
（ 一 ） 
耕平 は 髪 も 角刈り で 、 おとな の くせ に 、 今日 は 朝 から 口笛 など を 吹い て ゐ ます 。 
畑 の 方 の 手 が あい て 、 こ ゝ 二 三 日 は 、 西 の 野原 へ 、 葡萄 を とり に 出 られる やう に なっ た から です 。 
そこで 耕平 は 、 うし ろ の まっ黒 戸棚 の 中 から 、 兵隊 の 上着 を 引っぱり 出し ます 。 
一等 卒 の 上着 です 。 
いつ でも 野原 へ 出る とき は 、 きっと こいつ を 着る の です 。 
空 が 光っ て 青い とき 、 黄いろ な す ぢ の 入っ た 兵隊 服 を 着 て 、 大手 を ふっ て 野原 を 行く の は 、 誰 だって い ゝ 気持ち です 。 
耕平 だって 、 もちろん です 。 大き げん で のっしのっし と 、 野原 を 歩い て 参り ます 。 
野原 の 草 も いま で は よほど 硬く なっ て 、 茶 いろ や けむり の 穂 を 出し たり 、 赤い 実 を むすん だり 、 中 に は いそがし さ うに 今年 の おし まひ の 小さな 花 を 開い て ゐる の も あり ます 。 
耕平 は 二 へん も 三 べ ん も 、 大きく 息 を つき まし た 。 
野原 の 上の空 など は 、 あんまり 青く て 、 光っ て うるん で 、 却って 気の毒 な くら ゐ です 。 
その 気の毒 な そら か 、 すき と ほる 風 か 、 それとも うし ろ の 畑 の へり に 立っ て 、 玉蜀黍 の やう な 赤 髪 を 、 ぱちゃぱちゃした 小さな はだし の 子ども か 誰 か 、 とにかく 斯 う 歌っ て ゐ ます 。 
「 馬 こ は 、 みんな 、 居 なぐ な た 。 
仔 っ こ 馬 も みんな 随 いで 行 た 。 
いま で ぁ 野原 も さ ぁみしんぢゃ 、 
草 ぱどひでりあめばがり 。 」 
実は 耕平 も この 歌 を きき まし た 。 きき まし た から 却って 手 を 大きく 振っ て 、 
「 ふん 、 一向 さっぱり さみし ぐなぃんぢゃ 。 」 と 云っ た の です 。 
野原 は さ びしくてもさびしくなくても 、 とにかく 日光 は 明るく て 、 野 葡萄 は よく 熟し て ゐ ます 。 その さまざま な 草 の 中 を 這っ て 、 真っ黒 に 光っ て 熟し て ゐ ます 。 
そこで 耕平 は 、 葡萄 を とり はじめ まし た 。 そして 誰 でも 、 野原 で 一 ぺん 何 か を とり はじめ たら 、 仲 々 やめ は し ない もの です 。 ですから 耕平 も かま は ない で 置い て 、 もう 大丈夫 です 。 今 に 晩方 また 来 て 見 ませ う 。 みなさん も なかなか 忙 が しい で せ う から 。 
（ 二 ） 
夕方 です 。 向 ふ の 山 は 群 青い ろ の ごく おとなしい 海鼠 の やう に よ こ に なり 、 耕平 は せ なか いっぱい 荷物 を しょっ て 、 遠く の 遠く の あくび の あたり の 野原 から 、 だんだん 帰っ て 参り ます 。 し ょってゐるのはみな 野 葡萄 の 実に ち が ひ あり ませ ん 。 参り ます 、 参り ます 。 日暮れ の 草 を どし ゃどしゃふんで 、 もうすぐ そこ に 来 て ゐ ます 。 やって来 まし た 。 お早う 、 お早う 。 そら 、 
耕平 は 、 一等 卒 の 服 を 着 て 、 
野原 に 行っ て 、 
葡萄 を いっぱい とっ て 来 た 、 い ゝ だら う 。 
「 ふん 。 あ だり ま ぃさ 。 あ だり ま ぃのごとだんぢゃ 。 」 耕平 が 云っ て ゐ ます 。 
さ う です とも 、 けだし あたり ま へ の こと です 。 一 日 いっぱい 葡萄 ばかり 見 て 、 葡萄 ばかり とっ て 、 葡萄 ばかり 袋 へ つめこみ ながら 、 それで 葡萄 が めづらし いと 云 ふ の なら 、 却って 耕平 が いけ ない の です 。 
（ 三 ） 
すっかり 夜 に なり まし た 。 耕平 の うち に は 黄いろ の ラムプ が ぼんやり つい て 、 馬屋 で は 馬 も ふん ふん 云っ て ゐ ます 。 
耕平 は 、 さっき 頬 っ ぺたの 光る くら ゐ ご飯 を 沢山 喰 べ まし た ので 、 まったく 嬉し がっ て 赤く なっ て 、 ふうふう 息 を つき ながら 、 大きな 木鉢 へ 葡萄 の つぶ を パチャパチャ むしっ て ゐ ます 。 
耕平 の お かみさん は 、 ポツン ポツン と むしっ て ゐ ます 。 
耕平 の 子 は 、 葡萄 の 房 を 振り ま は し たり 、 パ チャン と 投げ たり する だけ です 。 何 べ ん 叱ら れ て も また やり ます 。 
「 お ゝ 、 青い 青い 、 見る 見る 。 」 なんて 云っ て ゐ ます 。 その 黒光り の 房 の 中 に 、 ほんの 一つ か 二つ 、 小さな 青い つぶ が まじっ て ゐる の です 。 
それ が 半分 すき と ほり 、 青く て 堅く て 、 藍 晶 石 より 奇麗 です 。 あっ と 、 これ は 失礼 、 青 ぶ だ うさん 、 ごめんなさい 。 コンネテクカット 大 学校 を 、 最 優等 で 卒業 し ながら 、 まだ こんな こと 私 は 云っ て ゐる の です よ 。 みなさん 、 私 が いけ なかっ た の です 。 宝石 は 宝石 です 。 青い 葡萄 は 青い 葡萄 です 。 それ を くらべ たり なんか し て 全く 私 が いけ ない の です 。 実際 コンネテクカット 大 学校 で 、 私 の 習っ て き た こと は 、 「 お前 は きょろきょろ 、 自分 と 人 と を ばかり くらべ て ばかり ゐ て は なら ん 。 」 と いふ こと だけ です 。 それで 私 は 卒業 し た の です 。 全く どうも 私 が いけ なかっ た の です 。 
いや 、 耕平 さん 。 早く 葡萄 の 粒 を 、 みんな 桶 に 入れ て 、 軽く 蓋 を し て おやすみなさい 。 さよなら 。 
（ 四 ） 
あれ から 丁度 、 今夜 で 三 日 に なる の です 。 
おとなしい 耕平 の お かみさん が 、 葡萄 の は ひっ た あの 桶 を 、 てかてか の 板の間 の まん中 に ひっぱり 出し まし た 。 
子供 は ま はり を ぴょんぴょん とび ます 。 
耕平 は 今夜 も 赤く 光っ て 、 熱っ て フウフウ 息 を つき ながら 、 だまっ て 立っ て 見 て ゐ ます 。 
お かみさん は 赤 漆 塗り の 鉢 の 上 に 笊 を 置い て 、 桶 の 中 から 半分 潰れ た 葡萄 の 粒 を 、 両手 に 掬っ て 、 お握り を 作る やう な 工合 に しぼり はじめ まし た 。 
まっ黒 な 果汁 は 、 見る 見る 鉢 に たまり ます 。 
耕平 は じっと しばらく 見 て ゐ まし た が 、 いきなり 高く 叫び まし た 。 
「 ぢ ゃ 、 今年 ぁ 、 こいつ さ 砂糖 入れる べ な 。 」 
「 罰金 取ら へら ん す ぢ ゃ 。 」 
「 うん にゃ 。 税務署 に 見 っ けら へれ ば 、 罰金 取ら へる 。 見 っけ ら へ な ぃば 、 すっ こすっ こ ど 葡 ん 萄酒呑 む 。 」 
「 な じょし て 蔵 し て 置 ぐあんす 。 」 
「 うん 。 砂糖 入れ で 、 すぐ に 今夜 、 瓶 さ 詰め でし むべ ぢ ゃ 。 そして 落し の 中 さ 置 ぐべすさ 。 瓶 、 去年 な の な 、 あっ た た ぢ ゃな 。 」 
「 瓶 は あら ん す 。 」 
「 そ だら 砂糖 持っ て こ 。 喜助 ぁ 先 ど な 持っ て 来 た け ぁぢゃ 。 」 
「 あん 、 あら ん す 。 」 
砂糖 が 来 まし た 。 耕平 は それ を 鉢 の 汁 の 中 に 投げ込ん で 掻き ま はし 、 その 汁 を 今度 は 布 の 袋 に あけ まし た 。 袋 は ぴんと はり 切っ て まっ 赤 な ので 、 
「 ほう 、 こい づはまるで 牛 の 胆 の よ だ な 。 」 と 耕平 が 云 ひ まし た 。 その うち に お かみさん は 流し で こちこち 瓶 を 洗っ て 持っ て 来 まし た 。 
それから 二 人 は せっせと 汁 を 瓶 に つめ て 栓 を し まし た 。 麦酒 瓶 二 十 本 ばかり 出来 あがり まし た 。 「 特製 御 葡萄 水 」 といふ 、 去年 の はり 紙 の ある の も あり ます 。 この はり 紙 は この 辺 で 共同 で こし ら へ た の です 。 
これ を はっ て 売る の です 。 さや う 、 去年 は みんな で 四 十 本 ばかり こし ら へ まし た 。 もちろん 砂糖 は 入れ ませ ん でし た 。 砂糖 を 入れる と 酒 に なる ので 、 罰金 です 。 その 四 十 本 の うち 、 十 本 ばかり は ほか の うち の やう に 、 一 本 三 十 銭 づつで 町 の 者 に 売っ て やり まし た が 、 残り は 毎晩 耕 平が 、 
「 うう 、 渋 、 うう 、 酸 っ かい 。 湧 ぃでるぢゃい 。 」 なんて 云 ひ ながら 、 一 本 づつだんだんのんでしまったのでした 。 
さて 瓶 が ずらりと 板の間 に ならん で 、 まるで キラキラ し ます 。 おかみ さん は 足もと の 板 を は づして 床下 の 落し に 入っ て 、 そこ から こっち に 顔 を 出し まし た 。 
耕平 は 、 
「 さあ 、 い ゝ が 。 落す な 。 瓶 の 脚 揃 ぇでげ 。 」 なんて 云 ひ ながら 、 それ を 一 本 づつ 渡し ます 。 
耕平 は 、 潰し 葡萄 を 絞りあげ 、 
砂糖 を 加 へ 、 
瓶 に たくさん つめこん だ 。 
と 斯 う 云 ふ わけ です 。 
（ 五 ） 
あれ から 六 日 たち まし た 。 
向 ふ の 山 は 雪 で まっ白 です 。 
草 は 黄いろ に 、 を と と ひ など は みぞ れ さ へ ちょっと 降り まし た 。 耕平 と おかみ さん と は 家 の 前 で 豆 を 叩い て 居り まし た 。 
その ひる すぎ の 三 時 頃 、 西 の 方 に は 縮れ た 白い 雲 が ひどく 光っ て 、 どうも 何かしら あぶない こと が 起り さ う でし た 。 そこで 
「 ボッ 」 といふ 爆発 の やう な 音 が 、 どこ から と なく 聞え て 来 まし た 。 耕平 は 豆 を 叩く 手 を やめ まし た 。 
「 ぢ ゃ 、 今 の 音 聴 だ が 。 」 
「 何 だ べ ぁんす 。 」 
「 きっと どの 山 が 噴火 ン し た な 。 秋田 の 鳥海山 だ べ が 。 よっぽど 遠 ぐの 方 だ よ だ ぢ ゃい 。 」 
「 ボッ 。 」 音 が また 聞え ます 。 
「 はぁ で な 、 又 やっ た 。 き たい だ な 。 」 
「 ボッ 。 」 
「 を ぉがしな 。 」 
「 ど ご だ べ ぁんす 。 」 
「 ど ご でも いが べ 。 此処 まで 来 な ぃがべ 。 」 
それから ず うっ と しばらく たっ て 、 又 音 が し ます 。 
それから しばらく しばらく たって から 、 又 聞え ます 。 
その 西 の 空 の 眼 の 痛い ほど 光る 雲 か 、 すき と ほる 風 か 、 それとも 向 ふ の 柏 林 の 中 に は ひっ た 小さな 黒い 影法師 か 、 とにかく 誰 か が 斯 う 歌 ひ まし た 。 
「 一昨日 、 み ぃぞれ 降っ たれ ば 
すゞ らん の 実 ぃ 、 みんな 赤 ぐなて 、 
雪 の 支度 の しろう さ ぎぁ 、 
きい ら りき いら ど 歯 ぁみがぐ 。 」 
ところが 
「 ボッ 。 」 
音 は まだ やみ ませ ん 。 
耕平 は しばらく 馬 の やう に 耳 を 立て て 、 じっと その 方角 を 聴い て ゐ まし た が 、 俄 か に 飛び あがり まし た 。 
「 あっ 葡萄 酒 だ 、 葡萄 酒 だ 。 葡 ん 萄酒 はじけ でる ぢ ゃ 。 」 
家 の 中 へ 飛び込ん で 落し の 蓋 を とっ て 見 ます と 、 たしかに 二 十 本 の 葡萄 の 瓶 は 、 大抵 はじけ て 黒い 立派 な 葡萄 酒 は 、 落し の 底 に ながれ て ゐ ます 。 
耕平 は すっかり 怒っ て 、 かる わざ の 股引 の やう に 、 半分 赤く 染まっ た 大根 を 引っぱり 出し て 、 いきなり 板の間 に 投げつけ ます 。 
さあ 、 そこで こんど こそ は 、 
耕 平が 、 そっと しまっ た 葡萄 酒 は 
順序 た ゞ しく 
みんな はじけ て なくなっ た 。 
と 斯 う 云 ふ わけ です 。 
どう です 、 今度 も 耕平 は この 前 の とき の やう に 
「 ふん 、 一向 さっぱり 当り前 ぁだんぢゃ 。 」 と 云 ひ ます か 。 云 ひ は し ませ ん 。 参っ た の です 。 
虔 十 は いつも 繩 の 帯 を しめ て わらっ て 杜 の 中 や 畑 の 間 を ゆっくり ある い て ゐる の でし た 。 
雨 の 中 の 青い 藪 を 見 て は よろこん で 目 を パチ パチ さ せ 青 ぞ ら を どこ まで も 翔け て 行く 鷹 を 見付け て は はねあがっ て 手 を た ゝ い て みんな に 知らせ まし た 。 
けれども あんまり 子供 ら が 虔 十 を ばか に し て 笑 ふも の です から 虔 十 は だんだん 笑 は ない ふり を する やう に なり まし た 。 
風 が どう と 吹い て ぶ な の 葉 が チラチラ 光る とき など は 虔 十 は もう うれしく て うれしく て ひとりでに 笑 へ て 仕方 ない の を 、 無理やり 大きく 口 を あき 、 はあ はあ 息 だけ つい て ごまかし ながら いつ まで も い つ まで も その ぶ な の 木 を 見上げ て 立っ て ゐる の でし た 。 
時に は その 大きく あいた 口 の 横 わき を さも 痒い やう な ふり を し て 指 で こすり ながら はあ はあ 息 だけ で 笑 ひ まし た 。 
なるほど 遠く から 見る と 虔 十 は 口 の 横 わき を 掻い て ゐる か 或いは 欠伸 で も し て ゐる か の やう に 見え まし た が 近く で は もちろん 笑っ て ゐる 息 の 音 も 聞え まし た し 唇 が ピクピク 動い て ゐる の も わかり まし た から 子供 ら は やっぱり それ も ばか に し て 笑 ひ まし た 。 
おっかさん に 云 ひ つけ られる と 虔 十 は 水 を 五 百 杯 でも 汲み まし た 。 一 日 一 杯 畑 の 草 も とり まし た 。 けれども 虔 十 の おっかさん も おとうさん も 仲 々 そんな こと を 虔 十 に 云 ひ つけよ う と は し ませ ん でし た 。 
さて 、 虔 十 の 家 の うし ろ に 丁度 大きな 運動 場 ぐらゐの 野原 が まだ 畑 に なら ない で 残っ て ゐ まし た 。 
ある 年 、 山 が まだ 雪 で まっ 白く 野原 に は 新 らしい 草 も 芽 を 出さ ない 時 、 虔 十 は いきなり 田 打ち を し て ゐ た 家 の 人達 の 前 に 走っ て 来 て 云 ひ まし た 。 
「 お 母 、 おら さ 杉 苗 七 百 本 、 買っ て 呉 ろ 。 」 
虔 十 の おっかさん は きらきら の 三 本 鍬 を 動かす の を やめ て じっと 虔 十 の 顔 を 見 て 云 ひ まし た 。 
「 杉 苗 七 百 ど 、 ど ご さ 植 ら ぃ 。 」 
「 家 の うし ろ の 野原 さ 。 」 
その とき 虔 十 の 兄さん が 云 ひ まし た 。 
「 虔 十 、 あ そご は 杉 植 でも 成長 ら な ぃ 処 だ 。 それ より 少し 田 でも 打っ て 助けろ 。 」 
虔 十 は きまり 悪 さ うに も ぢ も ぢ し て 下 を 向い て しまひ まし た 。 
すると 虔 十 の お父さん が 向 ふ で 汗 を 拭き ながら からだ を 延ばし て 
「 買っ て やれ 、 買っ て やれ 。 虔 十 ぁ 今 まで 何 一つ だ て 頼ん だ ごと ぁ 無 ぃがったもの 。 買っ て やれ 。 」 と 云 ひ まし た ので 虔 十 の お母さん も 安心 し た やう に 笑 ひ まし た 。 
虔 十 は まるで よろこん で すぐ に まっすぐ に 家 の 方 へ 走り まし た 。 
そして 納屋 から 唐鍬 を 持ち出し て ぽく り ぽ くり と 芝 を 起し て 杉 苗 を 植 ゑる 穴 を 掘り はじめ まし た 。 
虔 十 の 兄さん が あと を 追っ て 来 て それ を 見 て 云 ひ まし た 。 
「 虔 十 、 杉 ぁ 植 る 時 、 掘ら な ぃばわがなぃんだぢゃ 。 明日 まで 待て 。 おれ 、 苗 買っ て 来 て やる がら 。 」 
虔 十 は きまり 悪 さ うに 鍬 を 置き まし た 。 
次 の 日 、 空 は よく 晴れ て 山 の 雪 は まっ白 に 光り ひばり は 高く 高く のぼっ て チーチクチーチク やり まし た 。 そして 虔 十 は まるで こら へ 切れ ない やう に にこにこ 笑っ て 兄さん に 教 へ られ た やう に 今度 は 北の方 の 堺 から 杉 苗 の 穴 を 掘り はじめ まし た 。 実に まっすぐ に 実に 間隔 正しく それ を 掘っ た の でし た 。 虔 十 の 兄さん が そこ へ 一 本 づつ 苗 を 植 ゑて 行き まし た 。 
その 時 野原 の 北側 に 畑 を 有っ て ゐる 平二 が きせる を く は へ て ふところ 手 を し て 寒 さ うに 肩 を すぼめ て やって来 まし た 。 平二 は 百姓 も 少し は し て ゐ まし た が 実は もっと 別 の 、 人 に いやがら れる やう な こと も 仕事 に し て ゐ まし た 。 平二 は 虔 十 に 云 ひ まし た 。 
「 や ぃ 。 虔 十 、 此処 さ 杉 植 る な て やっぱり 馬鹿 だ な 。 第 一 おら の 畑 ぁ 日影 に なら な 。 」 
虔 十 は 顔 を 赤く し て 何 か 云 ひたさ う に し まし た が 云 へ ない でも ぢ も ぢ し まし た 。 
すると 虔 十 の 兄さん が 、 
「 平二 さん 、 お早う が す 。 」 と 云っ て 向 ふ に 立ちあがり まし た ので 平二 は ぶつぶつ 云 ひ ながら 又 のっそり と 向 ふ へ 行っ て しまひ まし た 。 
その 芝原 へ 杉 を 植 ゑることを 嘲笑っ た もの は 決して 平二 だけ で は あり ませ ん でし た 。 あんな 処 に 杉 など 育つ もの で も ない 、 底 は 硬い 粘土 な ん だ 、 やっぱり 馬鹿 は 馬鹿 だ と みんな が 云っ て 居り まし た 。 
それ は 全く その 通り でし た 。 杉 は 五 年 まで は 緑 いろ の 心 が まっすぐ に 空 の 方 へ 延び て 行き まし た が もう それ から は だんだん 頭 が 円く 変っ て 七 年 目 も 八 年 目 も やっぱり 丈 が 九 尺 ぐらゐでした 。 
ある 朝 虔 十 が 林 の 前 に 立っ て ゐ ます と ひとり の 百姓 が 冗談 に 云 ひ まし た 。 
「 お ゝ い 、 虔 十 。 あの 杉 ぁ 枝 打 ぢ さ な ぃのか 。 」 
「 枝 打 ぢ て いふ の は 何 だ ぃ 。 」 
「 枝 打 ぢ つ の は 下 の 方 の 枝山 刀 で 落す の さ 。 」 
「 おら も 枝 打 ぢ する べ が な 。 」 
虔 十 は 走っ て 行っ て 山刀 を 持っ て 来 まし た 。 
そして 片っぱし から ぱちぱち 杉 の 下枝 を 払 ひ はじめ まし た 。 ところが た ゞ 九 尺 の 杉 です から 虔 十 は 少し から だ を まげ て 杉 の 木の下 に くぐら なけれ ば なり ませ ん でし た 。 
夕方 に なっ た とき は どの 木 も 上 の 方 の 枝 を た ゞ 三 四 本 ぐらゐづつ 残し て あと は すっかり 払 ひ 落さ れ て ゐ まし た 。 
濃い 緑 いろ の 枝 はいち めん に 下草 を 埋め その 小さな 林 は あかるく がらんと なっ て しまひ まし た 。 
虔 十 は 一 ぺん に あんまり がらんと なっ た ので なんだか 気持ち が 悪く て 胸 が 痛い やう に 思ひ まし た 。 
そこ へ 丁度 虔 十 の 兄さん が 畑 から 帰っ て やって来 まし た が 林 を 見 て 思は ず 笑 ひ まし た 。 そして ぼんやり 立っ て ゐる 虔 十 に き げん よく 云 ひ まし た 。 
「 おう 、 枝 集め べ 、 い ゝ 焚 ぎものうんと 出来 だ 。 林 も 立派 に なっ た な 。 」 
そこで 虔 十 も やっと 安心 し て 兄さん と 一緒 に 杉 の 木の下 に くぐっ て 落し た 枝 を すっかり 集め まし た 。 
下草 は みじかく て 奇麗 で まるで 仙人 たち が 碁 でも うつ 処 の やう に 見え まし た 。 
ところが 次 の 日 虔 十 は 納屋 で 虫 喰 ひ 大豆 を 拾っ て ゐ まし たら 林 の 方 で それ は それ は 大 さわぎ が 聞え まし た 。 
あっち でも こっち でも 号令 を かける 声 ラッパ の まね 、 足ぶみ の 音 それ から まるで そこら 中 の 鳥 も 飛び あがる やう な どっと 起る わら ひ 声 、 虔 十 は びっくり し て そっち へ 行っ て 見 まし た 。 
すると 愕 ろ い た こと は 学校 帰り の 子供 ら が 五 十 人 も 集っ て 一 列 に なっ て 歩調 を そろ へ て その 杉 の 木の間 を 行進 し て ゐる の でし た 。 
全く 杉 の 列 は どこ を 通っ て も 並木道 の やう でし た 。 それ に 青い 服 を 着 た やう な 杉 の 木 の 方 も 列 を 組ん で ある い て ゐる やう に 見える の です から 子供 ら の よろこび 加減 と 云っ たら とても あり ませ ん 、 みんな 顔 を まっ 赤 に し て も ず の やう に 叫ん で 杉 の 列 の 間 を 歩い て ゐる の でし た 。 
その 杉 の 列 に は 、 東京 街道 ロシヤ 街道 それ から 西洋 街道 といふ やう に ずんずん 名前 が ついて行き まし た 。 
虔 十 も よろこん で 杉 の こっち に かくれ ながら 口 を 大きく あい て はあ はあ 笑 ひ まし た 。 
それ から は もう 毎日 毎日 子供 ら が 集まり まし た 。 
た ゞ 子供 ら の 来 ない の は 雨 の 日 でし た 。 
その 日 は まっ白 な や はら か な 空 から あめ の さら さら と 降る 中 で 虔 十 がた ゞ 一 人 から だ 中 ずぶ ぬれ に なっ て 林 の 外 に 立っ て ゐ まし た 。 
「 虔 十 さん 。 今日 も 林 の 立番 だ なす 。 」 
簑 を 着 て 通り か ゝ る 人 が 笑っ て 云 ひ まし た 。 その 杉 に は 鳶色 の 実 が なり 立派 な 緑 の 枝 さき から は すき と ほっ た つめたい 雨 の し づく が ポタリポタリ と 垂れ まし た 。 虔 十 は 口 を 大きく あけ て はあ はあ 息 を つき から だ から は 雨 の 中 に 湯気 を 立て ながら いつ まで も い つ まで も そこ に 立っ て ゐる の でし た 。 
ところが ある 霧 の ふかい 朝 でし た 。 
虔 十 は 萱場 で 平 二 と いきなり 行き 会 ひ まし た 。 
平 二 はま はり を よく 見 ま は し て から まるで 狼 の やう な いや な 顔 を し て どなり まし た 。 
「 虔 十 、 貴 さん ど ご の 杉 伐れ 。 」 
「 何 し て な 。 」 
「 おら の 畑 ぁ 日 かげ に なら な 。 」 
虔 十 は だまっ て 下 を 向き まし た 。 平二 の 畑 が 日 かげ に なる と 云っ たって 杉 の 影 が たか で 五 寸 も は ひっ て は ゐ なかっ た の です 。 おまけ に 杉 は とにかく 南 から 来る 強い 風 を 防い で ゐる の でし た 。 
「 伐れ 、 伐れ 。 伐ら な ぃが 。 」 
「 伐ら な ぃ 。 」 虔 十 が 顔 を あげ て 少し 怖 さ うに 云 ひ まし た 。 その 唇 は いま に も 泣き 出し さ うに ひきつっ て ゐ まし た 。 実に これ が 虔 十 の 一生 の 間 の たった 一つ の 人 に対する 逆 ら ひ の 言 だっ た の です 。 
ところが 平二 は 人 の い ゝ 虔 十 など に ばか に さ れ た と 思っ た ので 急 に 怒り 出し て 肩 を 張っ た と 思ふ と いきなり 虔 十 の 頬 を なぐりつけ まし た 。 どしり どしり と なぐりつけ まし た 。 
虔 十 は 手 を 頬 に あて ながら 黙っ て な ぐられてゐましたがたうとうまはりがみんなまっ 青 に 見え て よろよろ し て しまひ まし た 。 すると 平二 も 少し 気味が悪く なっ た と 見え て 急い で 腕 を 組ん で の しり の しり と 霧 の 中 へ 歩い て 行っ て しまひ まし た 。 
さて 虔 十 は その 秋 チブス に かかっ て 死に まし た 。 平二 も 丁度 その 十 日 ばかり 前 に やっぱり その 病気 で 死ん で ゐ まし た 。 
ところが そんな こと に は 一向 構 はず 林 に は やはり 毎日 毎日 子供 ら が 集まり まし た 。 
お話 は ずんずん 急ぎ ます 。 
次 の 年 その 村 に 鉄道 が 通り 虔 十 の 家 から 三 町 ばかり 東 の 方 に 停車場 が でき まし た 。 あちこち に 大きな 瀬戸物 の 工場 や 製糸 場 が でき まし た 。 そこら の 畑 や 田 は ずんずん 潰れ て 家 が たち まし た 。 いつか すっかり 町 に なっ て しまっ た の です 。 その 中 に 虔 十 の 林 だけ は どう 云 ふ わけ か その ま ゝ 残っ て 居り まし た 。 その 杉 も やっと 一 丈 ぐらゐ 、 子供 ら は 毎日 毎日 集まり まし た 。 学校 が すぐ 近く に 建っ て ゐ まし た から 子供 ら は その 林 と 林 の 南 の 芝原 と を いよいよ 自分 ら の 運動 場 の 続き と 思っ て しまひ まし た 。 
虔 十 の お父さん も もう かみ が まっ白 でし た 。 まっ白 な 筈 です 。 虔 十 が 死ん で から 二 十 年 近く なる で は あり ませ ん か 。 
ある 日昔 の その 村 から 出 て 今 アメリカ の ある 大学 の 教授 に なっ て ゐる 若い 博士 が 十 五 年 ぶり で 故郷 へ 帰っ て 来 まし た 。 
どこ に 昔 の 畑 や 森 の おも かげ が あっ た で せ う 。 町 の 人 たち も 大 てい は 新 らしく 外 から 来 た 人 たち でし た 。 
それでも ある 日 博士 は 小学校 から 頼ま れ て その 講堂 で みんな に 向 ふ の 国 の 話 を し まし た 。 
お話 が すんで から 博士 は 校長 さん たち と 運動 場 に 出 て それ から あの 虔 十 の 林 の 方 へ 行き まし た 。 
すると 若い 紳士 は 愕 ろ い て 何 べ ん も 眼鏡 を 直し て ゐ まし た がた うとう 半分 ひとり ごと の やう に 云 ひ まし た 。 
「 あゝ 、 こ ゝ は すっかり もと の 通り だ 。 木 まで すっかり もと の 通り だ 。 木 は 却って 小さく なっ た やう だ 。 みんな も 遊ん で ゐる 。 あゝ 、 あの 中 に 私 や 私 の 昔 の 友達 が 居 ない だら う か 。 」 
博士 は 俄 か に 気がつい た やう に 笑 ひ 顔 に なっ て 校長 さん に 云 ひ まし た 。 
「 こ ゝ は 今 は 学校 の 運動 場 です か 。 」 
「 い ゝ え 。 こ ゝ は この 向 ふ の 家 の 地面 な の です が 家 の 人 たち が 一向 かま は ない で 子供 ら の 集まる ま ゝ に し て 置く もの です から 、 まるで 学校 の 附属 の 運動 場 の やう に なっ て しまひ まし た が 実は さ う で は あり ませ ん 。 」 
「 それ は 不思議 な 方 です ね 、 一体 どう 云 ふ わけ で せ う 。 」 
「 こ ゝ が 町 に なっ て から みんな で 売れ 売れ と 申し たさ う です が 年 より の 方 が こ ゝ は 虔 十 の た ゞ 一つ の かた み だ から いくら 困っ て も 、 これ を なく する こと は どうしても でき ない と 答 へる さ う です 。 」 
「 あ あさう さ う 、 あり まし た 、 あり まし た 。 その 虔 十 といふ 人 は 少し 足り ない と 私 ら は 思っ て ゐ た の です 。 いつ でも は あ はあ 笑っ て ゐる 人 でし た 。 毎日 丁度 この 辺 に 立っ て 私 ら の 遊ぶ の を 見 て ゐ た の です 。 この 杉 も みんな その 人 が 植 ゑたのださうです 。 あゝ 全く たれ が かしこく たれ が 賢く ない か は わかり ませ ん 。 た ゞ どこ まで も 十 力 の 作用 は 不思議 です 。 こ ゝ は もう いつ まで も 子供 たち の 美しい 公園 地 です 。 どう で せ う 。 こ ゝ に 虔 十 公園 林 と 名 を つけ て いつ まで も この 通り 保存 する やう に し て は 。 」 
「 これ は 全く お 考 へ つき です 。 さ うなれ ば 子供 ら も どんなに し あ は せか 知れ ませ ん 。 」 
さて みんな その 通り に なり まし た 。 
芝生 の まん中 、 子供 ら の 林 の 前 に 
「 虔 十 公園 林 」 と 彫っ た 青い 橄欖 岩 の 碑 が 建ち まし た 。 
昔 の その 学校 の 生徒 、 今 は もう 立派 な 検事 に なっ たり 将校 に なっ たり 海 の 向 ふ に 小さい ながら 農園 を 有っ たり し て ゐる 人 たち から 沢山 の 手紙 や お金 が 学校 に 集まっ て 来 まし た 。 
虔 十 の うちの人 たち は ほん た う に よろこん で 泣き まし た 。 
全く 全く この 公園 林 の 杉 の 黒い 立派 な 緑 、 さ は や か な 匂 、 夏 の すゞ しい 陰 、 月光 色 の 芝生 が これから 何 千 人 の 人 たち に 本当 の さい は ひ が 何だか を 教 へる か 数 へ られ ませ ん でし た 。 
そして 林 は 虔 十 の 居 た 時 の 通り雨 が 降っ て は すき 徹る 冷たい 雫 を みじかい 草 に ポタリポタリ と 落し お 日 さま が 輝い て は 新 らしい 奇麗 な 空気 を さ は や か に はき出す の でし た 。 
むかし 、 ある 霧 の ふかい 朝 でし た 。 
王子 は みんな が ちょっと い なく なっ た ひま に 、 玻璃 で たたん だ 自分 の お 室 から 、 ひ ょいっと 芝生 へ 飛び おり まし た 。 
そして 蜂 雀 の つい た 青い 大きな 帽子 を 急い で かぶっ て 、 どんどん 向こう へ かけ 出し まし た 。 
「 王子 さま 。 王子 さま 。 どちら に いらっしゃい ます か 。 はて 、 王子 さま 」 
と 、 年 より の けら いが 、 室 の 中 で あっち を 向い たり こっち を 向い たり し て 叫ん で いる よう す でし た 。 
王子 は 霧 の 中 で 、 はあ はあ 笑っ て 立ちどまり 、 ちょっと そっち を 向き まし た が 、 また すぐ 向き直っ て 音 を たて ない よう に 剣 の さや を にぎり ながら 、 どんどん どんどん 大臣 の 家 の 方 へ かけ まし た 。 
芝生 の 草 は みな 朝 の 霧 を いっぱい に 吸っ て 、 青く 、 つめたく 見え まし た 。 
大臣 の 家 の くるみ の 木 が 、 霧 の 中 から 不意 に 黒く 大きく あらわれ まし た 。 
その 木の下 で 、 一 人 の 子供 の 影 が 、 霧 の 向こう の お日様 を じっと ながめ て 立っ て い まし た 。 
王子 は 声 を かけ まし た 。 
「 おおい 。 お早う 。 遊び に 来 た よ 」 
その 小さな 影 は びっくり し た よう に 動い て 、 王子 の 方 へ 走っ て 来 まし た 。 それ は 王子 と 同じ 年 の 大臣 の 子 でし た 。 
大臣 の 子 は よろこん で 顔 を まっか に し て 、 
「 王子 さま 、 お早う ござい ます 」 と 申し まし た 。 
王子 が 口早 に きき まし た 。 
「 お前 さっき から ここ に い た の かい 。 何 し て た の 」 
大臣 の 子 が 答え まし た 。 
「 お 日 さま を 見 て おり まし た 。 お 日 さま は 霧 が かから ない と 、 まぶしく て 見 られ ませ ん 」 
「 うん 。 お日様 は 霧 が かかる と 、 銀 の 鏡 の よう だ ね 」 
「 はい 、 また 、 大きな 蛋白石 の 盤 の よう で ござい ます 」 
「 うん 。 そう だ ね 。 僕 は あんな 大きな 蛋白石 が ある よ 。 けれども あんなに 光り は し ない よ 。 僕 は こんど 、 もっと いい の を さがし に 行く ん だ 。 お前 も いっしょ に 行か ない か 」 
大臣 の 子 は すこし もじもじ し まし た 。 
王子 は また すぐ 大臣 の 子 に たずね まし た 。 
「 ね 、 おい 。 僕 の もっ てる ルビー の 壺 や なんか より 、 もっと いい 宝石 は 、 どっち へ 行っ たら ある だろ う ね 」 
大臣 の 子 が 申し まし た 。 
「 虹 の 脚 もと に ルビー の 絵の具 皿 が ある そう です 」 
王子 が 口早 に 言い まし た 。 
「 おい 、 取り に 行こ う か 。 行こ う 」 
「 今 すぐ で ござい ます か 」 
「 うん 。 しかし 、 ルビー より は 金剛石 の 方 が いい よ 。 僕 黄色 な 金剛石 の いい の を 持っ てる よ 。 そして 今度 は もっと いい の を 取っ て 来る ん だ よ 。 ね 、 金剛石 は どこ に ある だろ う ね 」 
大臣 の 子 が 首 を まげ て 少し 考え て から 申し まし た 。 
「 金剛石 は 山 の 頂上 に ある でしょ う 」 
王子 は うなずき まし た 。 
「 うん 。 そう だろ う ね 。 さがし に 行こ う か 。 ね 。 行こ う か 」 
「 王さま に 申し上げ なく て も よう ござい ます か 」 と 大臣 の 子 が 目 を パチ パチ さ せ て 心配 そう に 申し まし た 。 
その 時 うし ろ の 霧 の 中 から 、 
「 王子 さま 、 王子 さま 、 どこ に いらっしゃい ます か 。 王子 さま 」 
と 、 年 とっ た け らい の 声 が 聞こえ て 参り まし た 。 
王子 は 大臣 の 子 の 手 を ぐいぐい ひっぱり ながら 、 小声 で 急い で 言い まし た 。 
「 さ 、 行こ う 。 さ 、 おいで 、 早く 。 追いつか れる から 」 
大臣 の 子 は 決心 し た よう に 剣 を つるし た 帯革 を 堅く しめ 直し ながら うなずき まし た 。 
そして 二 人 は 霧 の 中 を 風 より も 早く 森 の 方 へ 走っ て 行き まし た 。 
二 人 は どんどん 野原 の 霧 の 中 を 走っ て 行き まし た 。 ず うっとうし ろ の 方 で 、 けら い たち の 声 が また かすか に 聞こえ まし た 。 
王子 は はあ はあ 笑い ながら 、 
「 さあ 、 も 少し 走っ て こ う 。 もう 誰 も 追いつき やし ない よ 」 
大臣 の 子 は 小さな 樺 の 木の下 を 通る とき 、 その 大きな 青い 帽子 を 落とし まし た 。 そして 、 あわて て ひろっ て また 一生けん命 に 走り まし た 。 
みんな の 声 も もう 聞こえ ませ ん でし た 。 そして 野原 は だんだん のぼり に なっ て き まし た 。 
二 人 は やっと 馳 ける の を やめ て 、 いき を せかせか し ながら 、 草 を ば たり ば たり と 踏ん で 行き まし た 。 
いつか 霧 が すうっ と うすく なっ て 、 お 日 さま の 光 が 黄金 色 に 透っ て き まし た 。 やがて 風 が 霧 を ふっと 払い まし た ので 、 露 は きらきら 光り 、 きつね の しっぽ の よう な 茶色 の 草 穂 は 一 面 波 を 立て まし た 。 
ふと 気 が つき ます と 遠く の 白 樺の木 の こちら から 、 目 も さめる よう な 虹 が 空 高く 光っ て たっ て い まし た 。 白樺 の みき は 燃える ばかり に まっか です 。 
「 そら 虹 だ 。 早く 行っ て ルビー の 皿 を 取ろ う 。 早く おいで よ 」 
二 人 は また 走り出し まし た 。 けれども その 樺の木 に 近づけ ば 近づく ほど 美しい 虹 は だんだん 向こう へ 逃げる の でし た 。 そして 二 人 が 白 樺の木 の 前 まで 来 た とき は 、 虹 は もう どこ へ 行っ た か 見え ませ ん でし た 。 
「 ここ から 虹 は 立っ た ん だ ね 。 ルビー の お 皿 が 落ち て ない か 知ら ん 」 
二 人 は 足 で けむり の よう な 茶色 の 草 穂 を かきわけ て 見 まし た が 、 ルビー の 絵の具 皿 は そこ に 落ち て い ませ ん でし た 。 
「 ね 、 虹 は 向こう へ 逃げる とき ルビー の 皿 も ひきずっ て 行っ た ん だ ね 」 
「 そう だろ う と 思い ます 」 
「 虹 は いったい どこ へ 行っ たろ う ね 」 
「 さあ 」 
「 あ 、 あすこ に いる 。 あすこ に いる 。 あんな 遠く に いる ん だ よ 」 
大臣 の 子 は そっち を 見 まし た 。 まっ黒 な 森 の 向こう 側 から 、 虹 は 空 高く 大きく 夢 の 橋 を かけ て い た の でし た 。 
「 森 の 向こう な ん だ ね 。 行っ て みよ う 」 
「 また 逃げる でしょ う 」 
「 行っ て みよ う よ 。 ね 。 行こ う 」 
二 人 は また 歩き 出し まし た 。 そして もう 柏の森 まで 来 まし た 。 
森 の 中 は まっ くら で 気味が悪い よう でし た 。 それでも 王子 は 、 ずんずん はいっ て 行き まし た 。 小藪 の そば を 通る とき 、 さる とり いばら が 緑色 の たくさん の かぎ を 出し て 、 王子 の 着物 を つかん で 引き留めよ う と し まし た 。 はなそ う として も なかなか は なれ ませ ん でし た 。 
王子 は めんどうくさく なっ た ので 剣 を ぬい て いきなり 小藪 を ばら ん と 切っ て しまい まし た 。 
そして 二 人 は どこ まで も どこ まで も 、 むくむく の 苔 や ひ かげ のか ず ら を ふん で 森 の 奥 の 方 へ はいっ て 行き まし た 。 
森 の 木 は 重なり合っ て うす 暗い の でし た が 、 その ほか に どうも 空 まで 暗く なる らしい の でし た 。 
それ は 、 森 の 中 に 青く さし 込ん で い た 一 本 の 日光 の 棒 が 、 ふっと 消え て そこら が ぼんやり かすん で き た の で も わかり まし た 。 
また 霧 が 出 た の です 。 林 の 中 は まもなく ぼんやり 白く なっ て しまい まし た 。 もう 来 た 方 が どっち か も わから なく なっ て しまっ た の です 。 
王子 は ためいき を つき まし た 。 
大臣 の 子 も しきりに あたり を 見 まし た が 、 霧 が そこら いっぱい に 流れ 、 すぐ 眼 の 前 の 木 だけ が ぼんやり かすん で 見える だけ です 。 二 人 は 困っ て しまっ て 腕 を 組ん で 立ち まし た 。 
すると 小さな きれい な 声 で 、 誰 か 歌い だし た もの が あり ます 。 
「 ポッシャリ 、 ポッシャリ 、 ツイ ツイ 、 トン 。 
はやし の なか に ふる 霧 は 、 
蟻 の お手玉 、 三角 帽子 の 、 一寸法師 の ちいさな けまり 」 
霧 が トントン はね 踊り まし た 。 
「 ポッシャリ 、 ポッシャリ 、 ツイ ツイ 、 トン 。 
はやし の なか に ふる 霧 は 、 
く ぬぎ の くろい 実 、 柏 の 、 かたい 実 の つめたい おち ち 」 
霧 が ポシャポシャ 降っ て き まし た 。 そして しばらく しん と し まし た 。 
「 誰 だろ う 。 ね 。 誰 だろ う 。 あんな こと うたっ てる の は 。 二 、 三 人 の よう だ よ 」 
二 人 は まわり を きょろきょろ 見 まし た が 、 どこ に も 誰 も い ませ ん でし た 。 
声 は だんだん 高く なり まし た 。 それ は じょうず な 芝 笛 の よう に 聞こえる の でし た 。 
「 ポッシャリ 、 ポッシャリ 、 ツイ 、 ツイ 、 ツイ 。 
はやし の なか に ふる きり の 、 
つぶ は だんだん 大きく なり 、 
いま は しずく が ポタリ 」 
霧 が ツイツイツイツイ 降っ て き て 、 あちこち の 木 から ポタリッポタリッ と 雫 の 音 が きこえ て き まし た 。 
「 ポッシャン 、 ポッシャン 、 ツイ 、 ツイ 、 ツイ 。 
はやし の なか に ふる きり は 、 
いま に こ あめ に かぁ わる ぞ 、 
木 はぁ みんな 　 青 外套 。 
ポッシャン 、 ポッシャン 、 ポッシャン 、 シャン 」 
きり は こ あめ に かわり 、 ポッシャンポッシャン 降っ て き まし た 。 大臣 の 子 は 途方 に 暮れ た よう に 目 を まんま る に し て い まし た 。 
「 誰 だろ う 。 今 の は 。 雨 を 降らせ た ん だ ね 」 
大臣 の 子 は ぼんやり 答え まし た 。 
「 ええ 、 王子 さま 。 あなた の きもの は 草 の 実 で いっぱい です よ 」 そして 王子 の 黒い びろう どの 上着 から 、 緑色 の ぬ す びとはぎの 実 を 一 ひ ら ずつ とり まし た 。 
王子 が にわかに 叫び まし た 。 
「 誰 だ 、 今 歌っ た もの は 、 ここ へ 出ろ 」 
すると おどろい た こと は 、 王子 たち の 青い 大きな 帽子 に 飾っ て あっ た 二 羽 の 青 びかりの 蜂 雀 が 、 ブルルルブルッ と 飛ん で 、 二 人 の 前 に 降り まし た 。 そして 声 を そろえ て 言い まし た 。 
「 はい 。 何 か ご用 で ござい ます か 」 
「 今 の 歌 は お前 たち か 。 なぜ こんなに 雨 を ふらせ た の だ 」 
蜂 雀 は じょうず な 芝 笛 の よう に 叫び まし た 。 
「 それ は 王子 さま 。 私 ども の 大事 の ご 主人 さま 。 私 ども は 空 を ながめ て 歌っ た だけ で ござい ます 。 そら を ながめ て おり ます と 、 きり が あめ に かわる か どう か よく わかっ た の で ござい ます 」 
「 そして お前 ら は どうして 歌っ たり 飛ん だり し た の だ 」 
「 はい 。 ここ から は 私 ども の 歌っ たり 飛ん だり できる 所 に なっ て いる の で ござい ます 。 ご 案内 いたし ましょ う 」 
雨 は ポッシャンポッシャン 降っ て い ます 。 蜂 雀 は そう 言い ながら 、 向こう の 方 へ 飛び出し まし た 。 せ なか や 胸 に 鋼鉄 の はり 金 が はいっ て いる せい か 飛び よう が なんだか 少し 変 でし た 。 
王子 たち は その あと を ついて行き まし た 。 
にわかに あたり が あかるく なり まし た 。 
今 まで ポシャポシャ やっ て い た 雨 が 急 に 大粒 に なっ て ざあざあと 降っ て き た の です 。 
は ち すずめ が 水 の 中 の 青い 魚 の よう に 、 なめらか に ぬれ て 光り ながら 、 二 人 の 頭 の 上 を せわしく 飛び めぐっ て 、 
ザッ 、 ザ 、 ザ 、 ザザァザ 、 ザザァザ 、 ザザァ 、 
ふら ば ふれ ふれ 、 ひで り あめ 、 
トパァス 、 サファイア 、 ダイアモンド 。 
と 歌い まし た 。 すると あたり の 調子 が なんだか 急 に 変 な ぐあいになりました 。 雨 が あら れ に 変わっ て パラパラ パラパラ やってき た の です 。 
そして 二 人 は まわり を 森 に かこま れ た きれい な 草 の 丘 の 頂上 に 立っ て い まし た 。 
ところが 二 人 は 全く おどろい て しまい まし た 。 あら れ と 思っ た の は みんな ダイアモンド や トパァス や サファイア だっ た の です 。 おお 、 その 雨 が どんなに きらびやか な まぶしい もの だっ た でしょ う 。 
雨 の 向こう に は お 日 さま が 、 うすい 緑色 の くま を 取っ て 、 まっ白 に 光っ て い まし た が 、 その こちら で 宝石 の 雨 は あらゆる 小さな 虹 を あげ まし た 。 金剛石 が はげしく ぶっつかり 合っ て は 青い 燐光 を 起し まし た 。 
その 宝石 の 雨 は 、 草 に 落ち て カチンカチン と 鳴り まし た 。 それ は 鳴る はず だっ た の です 。 りんどう の 花 は 刻ま れ た 天 河 石 と 、 打ち 劈か れ た 天 河 石 で 組み 上がり 、 その 葉 は なめらか な 硅孔雀 石 で でき て い まし た 。 黄色 な 草 穂 は かがやく 猫 睛石 、 いち めん のう めばち そう の 花びら は かすか な 虹 を 含む 乳 色 の 蛋白石 、 とう やく の 葉 は 碧玉 、 その つぼみ は 紫 水晶 の 美しい さき を 持っ て い まし た 。 そして それら の 中 で いちばん 立派 な の は 小さな 野ばら の 木 でし た 。 野ばら の 枝 は 茶色 の 琥珀 や 紫 がかっ た 霰石 で みがき あげ られ 、 その 実は まっか な ルビー でし た 。 
もし その 丘 を つくる 黒土 を たずねる なら ば 、 それ は 緑青 か 瑠璃 で あっ た に ちがい あり ませ ん 。 二 人 は あきれ て ぼんやり と 光 の 雨 に 打た れ て 立ち まし た 。 
は ち すずめ が たびたび 宝石 に 打た れ て 落ち そう に なり ながら 、 やはり せわしく せわしく 飛び めぐっ て 、 
ザッザザ 、 ザザァザ 、 ザザァザザザァ 、 
降ら ば ふれ ふれ ひで り あめ 
ひかり の 雲 の たえ ぬ まま 。 
と 歌い まし た ので 雨 の 音 は ひとしお 高く なり 、 そこら は また ひとしきり かがやき わたり まし た 。 
それから 、 は ち すずめ は 、 だんだん ゆるやか に 飛ん で 、 
ザッザザ 、 ザザァザ 、 ザザァザザザァ 、 
やま ば やめ やめ 、 ひで り あめ 
そら は 　 みがい た 　 土 耳 古玉 。 
と 歌い ます と 、 雨 が ぴたり と やみ まし た 。 おしまい の 二 つぶ ばかり の ダイアモンド が その みがか れ た 土 耳 古玉 の そら から きらきら っと 光っ て 落ち まし た 。 
「 ね 、 この りんどう の 花 は お父さん の 所 の 一等 の コップ より も 美しい ん だ ね 。 トパァス が いっぱい に 盛っ て ある よ 」 
「 ええ 立派 です 」 
「 うん 。 僕 、 この トパァス を はん けち へ いっぱい 持っ て こう か 。 けれど 、 トパァス より は ダイアモンド の 方 が いい か なあ 」 
王子 は はん けち を 出し て ひろげ まし た が 、 あまり いち めん きらきら し て いる ので 、 もう なんだか 拾う の が ばかげ て いる よう な 気 が し まし た 。 
その 時 、 風 が 来 て 、 りんどう の 花 は ツァリン と からだ を 曲げ て 、 その 天 河 石 の 花 の 盃 を 下 の 方 に 向け まし た ので 、 トパァス は ツァラツァラン と こぼれ て 下 の すずらん の 葉 に 落ち 、 それから きらきら ころがっ て 草 の 底 の 方 へ もぐっ て 行き まし た 。 
りんどう の 花 は それ から ギギン と 鳴っ て 起きあがり 、 ほっと ため息 を し て 歌い まし た 。 
「 トパァス の つゆ は ツァランツァリルリン 、 
こぼれ て きらめく 　 サング 、 サンガ リン 、 
ひかり の 丘 に 　 すみ ながら 
な ぁにがこんなにかなしかろ 」 
まっ 碧 な 空 で は 、 は ち すずめ が ツァリル 、 ツァリル 、 ツァリルリン 、 ツァリル 、 ツァリル 、 ツァリルリン と 鳴い て 二 人 と りんどう の 花 と の 上 を とび めぐっ て おり まし た 。 
「 ほんとう に りんどう の 花 は 何 が かなしい ん だろ う ね 」 王子 は トパァス を 包も う として 、 一 ぺん ひろげ た はん けち で 顔 の 汗 を ふき ながら 言い まし た 。 
「 さあ 私 に は わかり ませ ん 」 
「 わから ない ね い 。 こんなに きれい な ん だ もの 。 ね 、 ごらん 、 こっち のう めばち そう など は まるで 虹 の よう だ よ 。 むくむく 虹 が 湧い てる よう だ よ 。 ああ そう だ 、 ダイアモンド の 露 が 一 つぶ は いっ てる ん だ よ 」 
ほんとう に その う めばち そう は 、 ぷりりぷりりふるえていましたので 、 その 花 の 中 の 一 つぶ の ダイアモンド は 、 まるで 叫び 出す くらい に 橙 や 緑 に 美しく かがやき 、 う めばち そう の 花びら に チカチカ 映っ て 言いよう も なく 立派 でし た 。 
その 時 ちょうど 風 が 来 まし た ので 、 う めばち そう は からだ を 少し 曲げ て パラリ と ダイアモンド の 露 を こぼし まし た 。 露 は ちくちく っと おしまい の 青 光 を あげ 碧玉 の 葉 の 底 に 沈ん で 行き まし た 。 
う めばち そう は ブリリン と 起きあがっ て もう 一 ぺん サッサッ と 光り まし た 。 金剛石 の 強い 光 の 粉 が まだ はな びら に 残っ て でも い た の でしょ う か 。 そして 空 の は ち すずめ の めぐり も 叫び も 、 にわかに はげしく はげしく なり まし た 。 う めばち そう は まるで 花びら も 萼 も はねとばす ばかり 高く 鋭く 叫び まし た 。 
「 きらめき の ゆき き 
ひかり の めぐみ 
に じ は ゆらぎ 
陽 は 織れ ど 
かなし 。 
青 ぞ ら は ふるい 
ひかり はく だけ 
風 の きしり 
陽 は 織れ ど 
かなし 」 
野ばら の 木 が 赤い 実 から 水晶 の 雫 を ポトポト こぼし ながら しずか に 歌い まし た 。 
「 にじ は なみだち 
きらめき は 織る 
ひかり の お か の 
この さびし さ 。 
こおり の そこ の 
め くら の さかな 
ひかり の お か の 
この さびし さ 。 
たそがれ ぐもの 
さすらい の 鳥 
ひかり の お か の 
この さびし さ 」 
この 時 光 の 丘 は サラサラサラッ と 一 めん け はい が し て 草 も 花 も みんな から だ を ゆすっ たり かがめ たり きらきら 宝石 の 露 を はらい ギギンザン 、 リン 、 ギギン と 起きあがり まし た 。 そして 声 を そろえ て 空 高く 叫び まし た 。 
「 十 力 の 金剛石 は きょう も 来 ず 
めぐみ の 宝石 は きょう も 降ら ず 
十 力 の 宝石 の 落ち ざれ ば 、 
光の丘 も 　 まっくろ の よる 
二 人 は 腕 を 組ん で 棒 の よう に 立っ て い まし た が 王子 は やっと 気がつい た よう に 少し から だ を かがめ て 、 
「 ね 、 お前 たち は 何 が そんなに かなしい の 」 と 野ばら の 木 に たずね まし た 。 
野ばら は 赤い 光 の 点々 を 王子 の 顔 に 反射 さ せ ながら 、 
「 今 言っ た 通り です 。 十 力 の 金剛石 が まだ 来 ない の です 」 
王子 は 向こう の 鈴蘭 の 根 もと から チクチク 射し て 来る 黄金 色 の 光 を まぶし そう に 手 で さえぎり ながら 、 
「 十 力 の 金剛石 って どんな もの だ 」 と たずね まし た 。 
野ばら が よろこん で からだ を ゆすり まし た 。 
「 十 力 の 金剛石 は ただ の 金剛石 の よう に チカチカ うるさく 光り は し ませ ん 」 
碧玉 の すずらん が 百 の 月 が 集まっ た 晩 の よう に 光り ながら 向こう から 言い まし た 。 
「 十 力 の 金剛石 は きらめく とき も あり ます 。 かすか に にごる こと も あり ます 。 ほのか に うす びかりする 日 も あり ます 。 ある とき は 洞穴 の よう に まっ くら です 」 
ひかり しずか な 天 河 石 の りんどう も 、 もう とても 踊り ださ ず に い られ ない という よう に サァン 、 ツァン 、 サァン 、 ツァン 、 からだ を うごかし て 調子 を とり ながら 言い まし た 。 
「 その 十 力 の 金剛石 は 春 の 風 より やわらかく 、 ある 時 は まるく ある とき は 卵 がた です 。 霧 より 小さな つぶ に も なれ ば 、 そら とつ ちと を うずめ も し ます 」 
まひる の 笑い の 虹 を あげ て う めばち そう が 言い まし た 。 
「 それ は たちまち 百千 の つぶ に も わか れ 、 また 集まっ て 一つ に も なり ます 」 
は ち すずめ の めぐり は あまり 速く て ただ ルルルルルル と 鳴る ぼんやり し た 青い 光 の 輪 に しか 見え ませ ん でし た 。 
野ばら が あまり 気 が 立ち 過ぎ て カチカチ し ながら 叫び まし た 。 
「 十 力 の 大 宝珠 は ある 時 黒い 厩肥 の しめり の 中 に 埋もれ ます 。 それから 木 や 草 の からだ の 中 で 月光 いろ に ふるい 、 青白い かすか な 脈 を うち ます 。 それから 人 の 子供 の 苹果 の 頬 を かがやかし ます 」 
そして みんな が いっしょ に 叫び まし た 。 
「 十 力 の 金剛石 は 今日 も 来 ない 。 
その 十 力 の 金剛石 は まだ 降ら ない 。 
おお 、 あめ つ ち を 充てる 十 力 の めぐみ 
われ ら に 下れ 」 
にわかに は ち すずめ が キイーン と せ なか の 鋼鉄 の 骨 も はじけ た か と 思う ばかり するどい さけび を あげ まし た 。 びっくり し て そちら を 見 ます と 空 が 生き返っ た よう に 新しく かがやき 、 は ち すずめ は まっすぐ に 二 人 の 帽子 に おり て 来 まし た 。 は ち すずめ の あと を 追って 二 つぶ の 宝石 が スッ と 光っ て 二 人 の 青い 帽子 に おち 、 それから 花 の 間 に 落ち まし た 。 
「 来 た 来 た 。 ああ 、 とうとう 来 た 。 十 力 の 金剛石 が とうとう 下っ た 」 と 花 は まるで とびたつ ばかり かがやい て 叫び まし た 。 
木 も 草 も 花 も 青 ぞ ら も 一 度 に 高く 歌い まし た 。 
「 ほろ びのほのお 　 湧き い で て 
つ ちと ひと と を 　 つつめ ども 
こ は や すら け き 　 くに に し て 
ひかり の ひと ら 　 みち み て り 
ひかり に み てる 　 あめ つ ち は 
… … … … … … … 」 
急 に 声 が どこ か 別 の 世界 に 行っ たらしく 聞こえ なく なっ て しまい まし た 。 そして いつか 十 力 の 金剛石 は 丘 いっぱい に 下っ て おり まし た 。 その すべて の 花 も 葉 も 茎 も 今 は みな めざめる ばかり 立派 に 変わっ て い まし た 。 青 いそ ら から かすか な かすか な 楽 の ひびき 、 光 の 波 、 かんばしく 清い か おり 、 すきとおっ た 風 の ほめ ことば が 丘 いち めん に ふりそそぎ まし た 。 
なぜ なら ば すずらん の 葉 は 今 は ほんとう の 柔らか な うす びかりする 緑色 の 草 だっ た の です 。 
う めばち そう はす なお な 、 ほんとう の はな びら を もっ て い た の です 。 そして 十 力 の 金剛石 は 野ばら の 赤い 実 の 中 の いみ じい 細胞 の 一つ 一つ に みち わたり まし た 。 
その 十 力 の 金剛石 こそ は 露 でし た 。 
ああ 、 そして そして 十 力 の 金剛石 は 露 ばかり で は あり ませ ん でし た 。 碧 いそ ら 、 かがやく 太陽 、 丘 を かけ て 行く 風 、 花 の その かんばしい は な びら や 、 し べ 、 草 の しなやか な から だ 、 すべて これ を のせ になう 丘 や 野原 、 王子 たち の びろう どの 上着 や 涙 に かがやく 瞳 、 すべて すべて 十 力 の 金剛石 でし た 。 あの 十 力 の 大 宝珠 でし た 。 あの 十 力 の 尊い 舎利 でし た 。 あの 十 力 と は 誰 でしょ う か 。 私 は やっと その 名 を 聞い た だけ です 。 二 人 も また その 名 を やっと 聞い た だけ でし た 。 けれども この 蒼 鷹 の よう に 若い 二 人 が つつましく 草 の 上 に ひざまずき 指 を 膝 に 組ん で い た こと は なぜ でしょ う か 。 
さて この 光 の 底 の しずか な 林 の 向こう から 二 人 を たずねる け らい たち の 声 が 聞こえ て 参り まし た 。 
「 王子 様 王子 様 。 こちら に おいで で ござい ます か 。 こちら に おいで で ござい ます か 。 王子 様 」 
二 人 は 立ちあがり まし た 。 
「 おおい 。 ここ だ よ 」 と 王子 は 叫ぼ う と し まし た が 、 その 声 は かすれ て い まし た 。 二 人 は かがやく 黒い 瞳 を 、 蒼 ぞ ら から 林 の 方 に 向け しずか に 丘 を 下っ て 行き まし た 。 
林 の 中 から けら い たち が 出 て 来 て よろこん で 笑っ て こっち へ 走っ て 参り まし た 。 
王子 も 叫ん で 走ろ う と し まし た が 、 一 本 の さる とり いばら が にわかに すこし の 青い 鉤 を 出し て 王子 の 足 に 引っかけ まし た 。 王子 は かがん で しずか に それ を はずし まし た 。 
松の木 や 楢 の 木 の 林 の 下 を 、 深い 堰 が 流れ て 居り まし た 。 岸 に は 茨 や つゆ草 や たで が 一 杯 に しげり 、 その つゆ く さ の 十 本 ばかり 集っ た 下 の あたり に 、 カン 蛙 の うち が あり まし た 。 
それから 、 林 の 中 の 楢 の 木の下 に ブン 蛙 の うち が あり まし た 。 
林 の 向う の すすきの かげ に は 、 ベン 蛙 の うち が あり まし た 。 
三 疋 は 年 も 同じ なら 大き さ も 大 てい 同じ 、 どれ も 負け ず 劣ら ず 生意気 で 、 いたずら もの でし た 。 
ある 夏 の 暮れ 方 、 カン 蛙 ブン 蛙 ベン 蛙 の 三 疋 は 、 カン 蛙 の 家 の 前 の つめ く さ の 広場 に 座っ て 、 雲見 という こと を やっ て 居り まし た 。 一体 蛙 ども は 、 みんな 、 夏 の 雲 の 峯 を 見る こと が 大 すき です 。 じっさい あの まっしろ な プクプク し た 、 玉髄 の よう な 、 玉 あら れ の よう な 、 又 蛋白石 を 刻ん で こさえ た 葡萄 の 置物 の よう な 雲 の 峯 は 、 誰 の 目 に も 立派 に 見え ます が 、 蛙 ども に は 殊に それ が 見事 な の です 。 眺め て も 眺め て も 厭き ない の です 。 その わけ は 、 雲 のみ ね という もの は 、 どこ か 蛙 の 頭 の 形 に 肖 て い ます し 、 それから 春 の 蛙 の 卵 に 似 て い ます 。 それで 日本人 なら ば 、 ちょうど 花見 とか 月見 とか 言う 処 を 、 蛙 ども は 雲見 を やり ます 。 
「 どうも 実に 立派 だ ね 。 だんだん ペ ネタ 形 に なる ね 。 」 
「 うん 。 うすい 金色 だ ね 。 永遠 の 生命 を 思わ せる ね 。 」 
「 実に 僕 たち の 理想 だ ね 。 」 
雲 のみ ね は だんだん ペ ネタ 形 に なっ て 参り まし た 。 ペ ネタ 形 という の は 、 蛙 ども で は 大 へん 高尚 な もの に なっ て い ます 。 平たい こと な の です 。 雲 の 峰 は だんだん 崩れ て あたり は よほど うすく らく なり まし た 。 
「 この 頃 、 ヘロン の 方 で は ゴム 靴 が はやる ね 。 」 ヘロン という の は 蛙 語 です 。 人間 という こと です 。 
「 うん 。 よく みんな は いてる よう だ ね 。 」 
「 僕たち も ほしい もん だ な 。 」 
「 全く ほしい よ 。 あいつ を はい て なら 栗 の いが で も 何 でも こわく ない ぜ 。 」 
「 ほしい もん だ なあ 。 」 
「 手 に 入れる 工夫 は ない だろ う か 。 」 
「 ない わけ で も ない だろ う 。 ただ 僕 たち の は ヘロン の と は 大き さ も 型 も 大分 ちがう から 拵え 直さ ない と 駄目 だ な 。 」 
「 うん 。 それ は そう さ 。 」 
さて 雲 のみ ね は 全く くずれ 、 あたり は 藍色 に なり まし た 。 そこで ベン 蛙 と ブン 蛙 と は 、 
「 さよなら ね 。 」 と 云っ て カン 蛙 と わか れ 、 林 の 下 の 堰 を 勇ましく 泳い で 自分 の うち に 帰っ て 行き まし た 。 
あと で カン 蛙 は 腕 を 組ん で 考え まし た 。 桔梗 色 の 夕 暗 の 中 です 。 
しばらく しばらく たって から やっと 「 ギッギッ 」 と 二 声 ばかり 鳴き まし た 。 そして 草原 を ぺたぺた 歩い て 畑 に やっ て 参り まし た 、 
それから 声 を うんと 細く し て 、 
「 野鼠 さん 、 野鼠 さん 。 もうし 、 もうし 。 」 と 呼び まし た 。 
「 ツン 。 」 と 野鼠 は 返事 を し て 、 ひ ょこりと 蛙 の 前 に 出 て 来 まし た 。 その うすぐろい 顔 も 、 もう 見え ない くらい 暗い の です 。 
「 野鼠 さん 。 今晩 は 。 一つ お前 さん に 頼み が ある ん だ が 、 きい て 呉れ ない か ね 。 」 
「 いや 、 それ は きい て あげよ う 。 去年 の 秋 、 僕 が 蕎麦 団子 を 食べ て 、 チブス に なっ て 、 ひどい わずらい を し た とき に 、 あれ ほど 親身 の 介抱 を 受け ながら 、 その 恩 を 何で わすれ て しまう もん か ね 。 」 
「 そう か 。 そん なら 一つ お前 さん 、 ゴム 靴 を 一足 工夫 し て 呉れ ない か 。 形 は どう でも いい ん だ よ 。 僕 が こしらえ 直す から 。 」 
「 ああ 、 いい と も 。 明日 の 晩 まで に は きっと 持っ て 来 て あげよ う 。 」 
「 そう か 。 それ は どうも ありがとう 。 では お願い する よ 。 さよなら ね 。 」 
カン 蛙 は 大 よろこび で 自分 の お うち へ 帰っ て 寝 て しまい まし た 。 
次 の 晩方 です 。 
カン 蛙 は 又 畑 に 来 て 、 
「 野鼠 さん 。 野鼠 さん 。 も うし 。 も うし 。 」 と やさしい 声 で 呼び まし た 。 
野鼠 は いかにも 疲れ た らしく 、 目 を とろ ん として 、 はぁ あと ため息 を つい て 、 それに 何だか 大 へん 憤っ て 出 て 来 まし た が 、 いきなり 小さな ゴム 靴 を カン 蛙 の 前 に 投げ出し まし た 。 
「 そら 、 カン 蛙 さん 。 取っ て お 呉れ 。 ひどい 難儀 を し た よ 。 大 へん な 手数 を し た よ 。 命がけ で 心配 し た よ 。 僕 は お前 の ご 恩 は これ で 払っ た よ 。 少し 払い 過ぎ た 位 か しら ん 。 」 と 云い ながら 、 野鼠 は ぷいっと 行っ て しまっ た の でし た 。 
カン 蛙 は 、 野鼠 の 激昂 の あんまり ひどい のに 、 しばらく は 呆れ て い まし た が 、 なるほど 考え て 見る と 、 それ も 無理 は あり ませ ん でし た 。 まず 野鼠 は 、 ただ の 鼠 に ゴム 靴 を たのむ 、 ただ の 鼠 は 猫 に たのむ 、 猫 は 犬 に たのむ 、 犬 は 馬 に たのむ 、 馬 は 自分 の 金 沓 を 貰う とき 、 なんと かかん とか ごまかし て 、 ゴム 靴 を もう 一足 受け取る 、 それから 、 馬 が それ を 犬 に 渡す 、 犬 が 猫 に 渡す 、 猫 が ただ の 鼠 に 渡す 、 ただ の 鼠 が 野鼠 に 渡す 、 その 渡し よう も いずれ あと で お礼 を よこせ とか 何とか 、 気味 の 悪い 語 が つい て い た の でしょ う 、 その ほか 馬 は あと で ゴム 靴 を ごまかし た こと が わかっ たら 、 人間 から よっぽど ひどい 目 に あわさ れる の でしょ う 。 それ 全体 を 野鼠 が 心配 し て 考える の です から 、 とても 命 に さわる ほど つらい 訳 です 。 けれども カン 蛙 は 、 その 立派 な ゴム 靴 を 見 て は 、 もう 嬉しく て 嬉しく て 、 口 が むずむず 云う の でし た 。 
早速 それ を 叩い たり 引っぱっ たり し て 、 丁度 自分 の 足 に 合う よう に こしらえ 直し 、 にたにた 笑い ながら 足 に はめ 、 その 晩 一 ばん 中 歩き まわり 、 暁 方 に なっ て から 、 ぐったり 疲れ て 自分 の 家 に 帰り まし た 。 そして 睡り まし た 。 
「 カン 君 、 カン 君 、 もう 雲見 の 時間 だ よ 。 おいおい 。 カン 君 。 」 カン 蛙 は 眼 を あけ まし た 。 見る と ブン 蛙 と ベン 蛙 と が しきりに 自分 の からだ を ゆすぶっ て い ます 。 なるほど 、 東 に は うすい 黄金 色 の 雲 の 峯 が 美しく 聳え て い ます 。 
「 や 、 君 は もう ゴム 靴 を はい てる ね 。 どこ から 出し た ん だ 。 」 
「 いや 、 これ は ひどい 難儀 を し て 大 へん な 手数 を し て それ から 命がけ ほど 頭 を 痛く し て 取っ て 来 た ん だ 。 君たち に は とても 持て まい よ 。 歩い て 見せよ う か 。 そら 、 いい 工合 だろ う 。 僕 が こいつ を はい て すっ すっと 歩い たら まるで 芝居 の よう だろ う 。 まるで カーイ の よう だろ う 、 イー の よう だろ う 。 」 
「 うん 、 実に いい ね 。 僕たち も ほしい よ 。 けれど 仕方 ない なあ 。 」 
「 仕方 ない よ 。 」 
雪 の 峯 は 銀色 で 、 今 が 一番 高い 所 です 。 けれども ベン 蛙 と ブン 蛙 と は 、 雲 なんか は 見 ない で ゴム 靴 ばかり 見 て いる の でし た 。 
その とき 向う の 方 から 、 一疋 の 美しい かえる の 娘 が はね て 来 て つゆ く さ の 向う から はずかし そう に 顔 を 出し まし た 。 
「 ルラ さん 、 今晩 は 。 何 の ご用 です か 。 」 
「 お父さん が 、 お むこ さん を 探し て 来い って 。 」 娘 の 蛙 は 顔 を 少し 平 っ たくし まし た 。 
「 僕 なんか は どう か なあ 。 」 ベン 蛙 が 云い まし た 。 
「 あるいは 僕 なんか も いい かも しれ ない な 。 」 ブン 蛙 が 云い まし た 。 
ところが カン 蛙 は 一言 も 物 を 云わ ず に 、 すっ すっと そこら を 歩い て い た ばかり です 。 
「 あら 、 あたし もう きめ た わ 。 」 
「 誰 に さ ？ 」 二 疋 は 眼 を ぱちぱち さ せ まし た 。 
カン 蛙 は まだ すっ すっと 歩い て い ます 。 
「 あの 方 だ わ 。 」 娘 の 蛙 は 左手 で 顔 を かくして 右手 の 指 を ひろげ て カン 蛙 を 指し まし た 。 
「 おい カン 君 、 お嬢さん が きみ に きめ た と さ 。 」 
「 何 を さ ？ 」 
カン 蛙 は けろ ん と し た 顔つき を し て こっち を 向き まし た 。 
「 お嬢さん が おまえ さん を 連れ て 行く と さ 。 」 
カン 蛙 は 急い で こっち へ 来 まし た 。 
「 お嬢さん 今晩 は 、 僕 に 何 か 用 が ある ん です か 。 なるほど 、 そう です か 。 よろしい 。 承知 し まし た 。 それで 日 は いつ に し ましょ う 。 式 の 日 は 。 」 
「 八月 二 日 が いい わ 。 」 
「 それ が いい です 。 」 カン 蛙 は すまし て 空 を 向き まし た 。 
そこ で は 雲 の 峯 が いま また ペ ネタ 形 に なっ て 流れ て い ます 。 
「 そん なら あたし うち へ 帰っ て みんな に そう 云う わ 。 」 
「 ええ 、 」 
「 さよなら 」 
「 さよなら ね 。 」 
ベン 蛙 と ブン 蛙 は ぶりぶり 怒っ て 、 いきなり くるり とうしろ を 向い て 帰っ て しまい まし た 。 し ゃくにさわったまぎれに 、 あの 林 の 下 の 堰 を 、 ただ 二 足 に ち ぇっちぇっと 泳い だ の でし た 。 その あと で カン 蛙 の よろこび よう と 云っ たら もう とても あり ませ ん 。 あちこち あるい て ある い て 、 東 から 二 十 日 の 月 が 登る ころ やっと うち に 帰っ て 寝 まし た 。 
さて ルラ 蛙 の 方 で も 、 いろいろ 仕度 を し たり カン 蛙 と 談判 を し たり 、 だんだん 事 が まとまり まし た 。 いよいよ あさって が 結婚式 という 日 の 明方 、 カン 蛙 は 夢 の 中 で 、 
「 今日 は 僕 は どうしても みんな の 所 を 歩い て 明後日 の 式 に 招待 し て 来 ない と いけ ない な 。 」 と 云い まし た 。 ところが その 夜 明方 から 朝 にかけて 、 いよいよ 雨 が 降り はじめ まし た 。 林 は ガアガア と 鳴り 、 カン 蛙 の うち の 前 の つめ く さ は 、 うす 濁っ た 水 を かぶっ て ぼんやり とかす ん で 見え まし た 。 それでも カン 蛙 は 勇ん で 家 を 出 まし た 。 せき の 水 は 濁っ て 大 へん に 増し 、 幾 本 も の 蓼 や つゆ く さ は 、 すっかり 水 の 中 に なり まし た 。 飛び込む の は 一寸 こわい くらい です 。 カン 蛙 は 、 けれども 一 本 の たで から 、 ピチャン と 水 に 飛び込ん で 、 ツイツイツイツイ 泳ぎ まし た 。 泳ぎ ながら どんどん 流さ れ まし た 。 それでも とにかく 向う の 岸 に のぼり まし た 。 
それから 苔 の 上 を ずんずん 通り 、 幾 本 も の 虫 の あるく 道 を 横切っ て 、 大粒 の 雨 に うた れ ゴム 靴 を ピチャピチャ 云わ せ ながら 、 楢 の 木の下 の ブン 蛙 の お うち に 来 て 高く 叫び まし た 。 
「 今日 は 、 今日 は 。 」 
「 どなた です か 。 ああ 君 か 。 はいり 給え 。 」 
「 うん 、 どうも ひどい 雨 だ ね 。 パッ セン 大 街道 も 今日 は いき もの の 影 さえ ない ぞ 。 」 
「 そう か 。 ずいぶん ひどい 雨 だ 。 」 
「 ところで 君 も 知っ てる 通り 、 明後日 は 僕 の 結婚式 な ん だ 。 どうか 来 て 呉れ 給え 。 」 
「 うん 。 そう そう 。 そう 云え ば あの 時 あの ちっぽけ な 赤い 虫 が 何 か そんな こと 云っ て た よう だっ た ね 。 行こ う 。 」 
「 ありがとう 。 どうか 頼む よ 。 それでは さよなら ね 。 」 
「 さよなら ね 。 」 
カン 蛙 は 又 ピチャピチャ 林 の 中 を 通っ て すすき の 中 の ベン 蛙 の うち に やっ て 参り まし た 。 
「 今日 は 、 今日 は 。 」 
「 どなた です か 。 ああ 君 か 。 はいれ 。 」 
「 ありがとう 。 どうも ひどい 雨 だ 。 パッ セン 大 街道 も 今日 は しん と し てる よ 。 」 
「 そう か 。 ずいぶん ひどい ね 。 」 
「 ところで 君 も 知っ てる だろ う が 明後日 僕 の 結婚式 な ん だ 。 どうか 来 て 呉れ 給え 。 」 
「 ああ 、 そんな こと どこ か で 聞い た っけ ねい 。 行こ う 。 」 
「 どう か 。 では さよなら ね 。 」 
「 さよなら ね 。 」 そして カン 蛙 は 又 ピチャピチャ 林 の 中 を 歩き 、 プイプイ 堰 を 泳い で 、 お うち に 帰っ て やっ と 安心 し まし た 。 
丁度 その ころ ブン 蛙 は ベン 蛙 の ところ へ やって来 た の でし た 。 
「 今日 は 、 今日 は 。 」 
「 はい 。 やあ 、 君 か 。 はいれ 。 」 
「 カン が 来 たろ う 。 」 
「 うん 。 いまいましい ね 。 」 
「 全く だ 。 畜生 。 何とか ひどい 目 に あわし て やり たい ね 。 」 
「 僕 が うまい こと 考え た よ 。 明日 の 朝 ね 、 雨 が はれ たら 結婚式 の 前 に 一寸 散歩 しよ う と 云っ て あいつ を 引っぱり 出し て 、 あそこ の 萱 の 刈 跡 を あるく ん だ よ 。 僕ら も 少し は 痛い だろ う が まあ 我慢 し て さ 。 すると あいつ の ゴム 靴 が めちゃめちゃ に なる だろ う 。 」 
「 うん 。 それ は いい ね 。 しかし 僕 は まだ それ 位 じゃ 腹 が 癒え ない よ 。 結婚式 が すん だら あいつ ら を 引っぱり 出し て 、 あの 畑 の 麦 を ほし た 杭 の 穴 に 落し て やり たい ね 。 上 に 何 か 木の葉 で も かぶせ て 置こ う 。 それ は 僕 が やっ て 置く よ 。 面白い よ 。 」 
「 それ も いい ね 。 じゃ 、 雨 が はれ たら ね 。 」 
「 うん 。 」 
「 では さよなら ね 。 」 
蛙 の 挨拶 の 「 さよなら ね 」 も もう 鼻 について 厭き て 参り まし た 。 もう少し です 。 我慢 し て 下さい 。 ほんの もう少し です から 。 
次 の 日 の ひる すぎ 、 雨 が はれ て 陽 が 射し まし た 。 ベン 蛙 と ブン 蛙 と が 一緒 に カン 蛙 の うち へ やって来 まし た 。 
「 やあ 、 今日 は おめでとう 。 お 招き 通り やって来 た よ 。 」 
「 うん 、 ありがとう 。 」 
「 ところで 式 まで 大分 時間 が ある だろ う 。 少し 歩こ う か 。 散歩 する と 血色 が よく なる ぜ 。 」 
「 そう だ 。 で は 行こ う 。 」 
「 三 人 で 手 を つない で こう ね 。 」 ブン 蛙 と ベン 蛙 と が 両方 から カン 蛙 の 手 を 取り まし た 。 
「 どうも 雨 あがり の 空気 は 、 実に うまい ね 。 」 
「 うん 。 さっぱり し て 気持ち が いい ね 。 」 三 疋 は 萱 の 刈 跡 に やっ て 参り まし た 。 
「 ああ いい 景色 だ 。 ここ を 通っ て 行こ う 。 」 
「 おい 。 ここ は よそ う よ 。 もう 帰ろ う よ 。 」 
「 いい や 折角 来 た ん だ もの 。 も 少し 行こ う 。 そら 歩き たまえ 。 」 二 疋 は 両方 から ぐいぐい カン 蛙 の 手 を ひっぱっ て 、 自分 たち も 足 の 痛い の を 我慢 し ながら ぐんぐん 萱 の 刈 跡 を あるき まし た 。 
「 おい 。 よそ う よ 。 よし て 呉れ よ 。 ここ は 歩け ない よ 。 あぶない よ 。 帰ろ う よ 。 
「 実に いい 景色 だ ねえ 。 も 少し 急い で 行こ う か 。 と 二 疋 が 両方 から 、 まだ 破け ない カン 蛙 の ゴム 靴 を 見 ながら 、 一緒 に 云い まし た 。 
「 おい 。 よそ う よ 。 冗談 じゃ ない 。 よそ う 。 あ 痛 っ 。 あぁ あ 、 とうとう 穴 が あい ちゃっ た 。 」 
「 どう だ 。 この 空気 の うまい こと 。 」 
「 おい 。 帰ろ う よ 。 ひっぱら ない で 呉れ よ 。 」 
「 実に いい 景色 だ ねえ 。 」 
「 放し て 呉れ 。 放し て 呉れ 。 放せ っ たら 。 畜生 。 」 
「 おや 、 君 は 何 か に 足 を かじら れ た ん だ ね 。 そんなに もがか なく て も いい よ 。 しっかり 押え て やる から 。 」 
「 放せ 、 放せ 、 放せ っ たら 、 畜生 。 」 
「 まだ かじっ てる かい 。 そいつ は 大変 だ 。 早く 逃げ 給え 。 走ろ う 。 さあ 。 そら 。 」 
「 痛い よ 。 放せ っ たら 放せ 。 えい 畜生 。 」 
「 早く 、 早く 。 そら 、 もう 大丈夫 だ 。 おや 。 君 の 靴 が ぼろぼろ だ ね 。 どう し た ん だろ う 。 」 
実際 ゴム 靴 は もう ボロボロ に なっ て 、 カン 蛙 の 足 から あちこち に ちらばっ て 、 無くなり まし た 。 
カン 蛙 は なんとも 言え ない うらめし そう な 顔 を し て 、 口 を むにゃむにゃ やり まし た 。 実は これ は 歯 を 食いしばる ところ な の です が 、 歯 が ない の です から むにゃむにゃ やる より 仕方 ない の です 。 二 疋 は やっと 手 を はなし て 、 しきりに 両方 から お 世辞 を 云い まし た 。 
「 君 、 あんまり 力 を 落さ ない 方 が いい よ 。 靴 なんか もう あっ た ってな いっ たって 、 お 嫁さん は 来る ん だ から 。 」 
「 もう 時間 だろ う 。 帰ろ う 。 帰っ て 待っ てよ う か 。 ね 。 君 。 」 
カン 蛙 は ふさぎこみ ながら しぶしぶ あるき 出し まし た 。 
三 疋 が カン 蛙 の お うち に 着い て から 、 しばらく たっ て 、 ず うっ と 向う から 、 蕗 の 葉 を かざし たり がま の 穂 を 立て たり し て お 嫁さん の 行列 が やっ て 参り まし た 。 
だんだん 近く に なり ます と 、 お父さん にあたる がん 郎 が える が 、 
「 こりゃ 、 むす め 、 むこ どの は あの 三 人 の 中 の どれ じゃ 。 」 と ルラ 蛙 を ふりかえっ て たずね まし た 。 
ルラ 蛙 は 、 小さな 目 を パチ パチ さ せ まし た 。 という わけ は 、 はじめ カン 蛙 を 見 た とき は 、 実は ゴム 靴 の ほか に は なんにも 気 を 付け ませ ん でし た ので 、 三 疋 とも はだし で ぞろりと ならん で いる の で は 実際 どうも 困っ て しまい まし た 。 そこで 仕方 なく 、 
「 もっと 向う へ 行か ない と 、 よく わから ない わ 。 」 と 云い まし た 。 
「 そう です と も 。 間違っ て は 大 へん です 。 よく おちつい て 。 」 と 仲人 の かえる も うし ろ で 云い まし た 。 
ところが もっと 近く に より ます と 、 尚更 わから なく なり まし た 。 三 疋 とも 口 が 大きく て 、 うすぐろく て 、 眼 の 出 た 工合 も 実に よく 似 て いる の です 。 これ は いよいよ どうも 困っ て しまい まし た 。 ところが 、 その うち に 、 一番 右 はじ に 居 た カン 蛙 が パクッ と 口 を あけ て 、 一足 前 に 出 て おじぎ を し まし た 。 そこで ルラ 蛙 も やっと 安心 し て 、 
「 あの 方 よ 。 」 と 云い まし た 。 さて それ から 式 が はじまり まし た 。 その 式 の 盛大 な こと 酒 も り の 立派 な こと とても 書く の も 大 へん です 。 
とにかく 式 が すん で 、 向う の 方 は みな 引きあげ て 行き まし た 。 その とき 丁度 雲 の みね が 一番 かがやい て 居り まし た 。 
「 さあ 新婚 旅行 だ 。 」 と ベン 蛙 が いい まし た 。 
「 僕 たち は じき そこ まで 見送ろ う 。 」 ブン 蛙 が 云い まし た 。 
カン 蛙 も 仕方 なく 、 ルラ 蛙 もつれ て 、 新婚 旅行 に 出かけ まし た 。 そして たちまち あの 木の葉 を かぶせ た 杭 あと に 来 た の です 。 ブン 蛙 と ベン 蛙 が 、 
「 ああ 、 ここ は みち が 悪い 。 お むこ さん 。 手 を 引い て あげよ う 。 」 と 云い ながら 、 カン 蛙 が 急い で ちぢめる 間もなく 、 両方 から 手 を とっ て 、 自分 たち は 穴 の 両側 を 歩き ながら 無理 に カン 蛙 を 穴 の 上 に ひっぱり 出し まし た 。 すると カン 蛙 の 載っ た 木の葉 が ガサリ と 鳴り 、 カン 蛙 は ふらふら っと 一 寸 ばかり の めり込み まし た 。 ブン 蛙 と ベン 蛙 が くるり と 外 の 方 を 向い て 逃げよ う と し まし た が 、 カン 蛙 が ピタリ と 両方 共 とりつい て しまい まし た ので 二 疋 の ふんばっ た 足 が ぷるぷるっとけいれんし 、 その つぎ に は とうとう 「 ポトン 、 バチャン 。 」 
三 疋 とも 、 杭 穴 の 底 の 泥水 の 中 に 陥 ち て しまい まし た 。 上 を 見る と 、 まるで 小さな 円い 空 が 見える だけ 、 かがやく 雲 の 峯 は 一寸 のぞい て 居り ます が 、 蛙 たち は もう いくら もがい て も とりつく もの も あり ませ ん でし た 。 
そこで ルラ 蛙 は もう 昔 習っ た 六 百 米 の 奥の手 を 出し て 一目散 に お父さん の ところ へ 走っ て 行き まし た 。 すると お父さん たち は お 酒 に 酔っ て い て みんな ぐうぐう 睡っ て い て いくら 起し て も 起き ませ ん でし た 。 そこで ルラ 蛙 は また もと の ところ へ 走っ て き て まわり を ぐるぐる ぐるぐる まわっ て 泣き まし た 。 
そのうち だんだん 夜 に なり まし た 。 
パチャパチャパチャパチャ 。 
ルラ 蛙 は また お父さん の ところ へ 行き まし た 。 
いくら 起し て も 起き ませ ん でし た 。 
夜 が あけ まし た 。 
パチャパチャパチャパチャ 。 
ルラ 蛙 は また お父さん の ところ へ 行き まし た 。 
いくら 起し て も 起き ませ ん でし た 。 
日 が 暮れ まし た 。 雲 のみ ね の 頭 。 
パチャパチャパチャパチャ 。 
ルラ 蛙 は また お父さん の ところ へ 行き まし た 。 
いくら 起し て も 起き ませ ん でし た 。 
夜 が 明け まし た 。 
パチャパチャパチャパチャ 。 
雲 のみ ね 。 ペ ネタ 形 。 
ちょうど この とき お父さん の 蛙 は やっと 眼 が さめ て ルラ 蛙 が どう なっ た か 見よ う と 思っ て 出掛け て 来 まし た 。 
すると そこ に は ルラ 蛙 が つかれ て まっ青 に なっ て 腕 を 胸 に 組ん で 座っ た まま 睡っ て い まし た 。 
「 おい どう し た の か 。 おい 。 」 
「 あら お父さん 、 三 人 この 中 へ おっ こっ て いる わ 。 もう 死ん だ かも しれ ない わ 」 
お父さん の 蛙 は 落ち ない よう に 気 を つけ ながら 耳 を 穴 の 口 へ つけ て 音 を きき まし たら 、 かすか に ぴちゃという 音 が し まし た 。 
「 占め た 」 と 叫ん で お父さん は 急い で 帰っ て 仲間 の 蛙 を みんな つれ て 来 まし た 。 そして 林 の 中 から ひ かげ の かつら を とっ て 来 て それ を 穴 の 中 に つるし て 、 とうとう 一 ぴき ずつ 穴 から ひきあげ まし た 。 
三 疋 とも もう 白い 腹 を 上 へ 向け て 眼 は つぶっ て 口 も 堅く しめ て 半分 死ん で い まし た 。 
みんな で ごま ざいの 毛 を とっ て 来 て こすっ て やっ たり いろいろ し て やっ と 助け まし た 。 
そこで カン 蛙 は はじめて ルラ 蛙 と いっしょ に なり ほか の 蛙 も 大 へん それ から は 心 を 改めて みんな よく 働く よう に なり まし た 。 
蜘蛛 と 、 銀色 の なめくじ と それ から 顔 を 洗っ た こと の ない 狸 と は みんな 立派 な 選手 でし た 。 
けれども 一体 何 の 選手 だっ た の か 私 は よく 知り ませ ん 。 
山猫 が 申し まし た が 三 人 は それ は それ は 実に 本気 の 競争 を し て い た の だ そう です 。 
一体 何 の 競争 を し て い た の か 、 私 は 三 人 が ならん で かける 所 も 見 ませ ん し 学校 の 試験 で 一番 二 番 三 番 と きめ られ た こと も 聞き ませ ん 。 
一体 何 の 競争 を し て い た の でしょ う 、 蜘蛛 は 手 も 足 も 赤く て 長く 、 胸 に は 「 ナン ペ 」 と 書い た 蜘蛛 文字 の マーク を つけ て い まし た し なめくじ は いつも 銀 いろ の ゴム の 靴 を はい て い まし た 。 又 狸 は 少し こわれ て は い まし た が 運動 シャッポ を かぶっ て い まし た 。 
けれども とにかく 三 人 とも 死に まし た 。 
蜘蛛 は 蜘蛛 暦 三 千 八 百 年 の 五月 に 没 く なり 銀色 の なめくじ が その 次 の 年 、 狸 が 又 その 次 の 年 死に まし た 。 三 人 の 伝記 を すこし よく 調べ て 見 ましょ う 。 
一 、 赤い 手長 の 蜘蛛 
蜘蛛 の 伝記 の わかっ て いる の は 、 おしまい の 一 ヶ年 間 だけ です 。 
蜘蛛 は 森 の 入口 の 楢 の 木 に 、 どこ から か ある 晩 、 ふっと 風 に 飛ばさ れ て 来 て ひっかかり まし た 。 蜘蛛 は ひもじい の を 我慢 し て 、 早速 お 月 様 の 光 を さいわい に 、 網 を かけ はじめ まし た 。 
あんまり ひもじく て おなか の 中 に は もう 糸 が ない 位 でし た 。 けれども 蜘蛛 は 
「 うんと こせ うんと こせ 」 と 云い ながら 、 一生けん命 糸 を たぐり 出し て 、 それ は それ は 小さな 二 銭 銅貨 位 の 網 を かけ まし た 。 
夜 あけ ごろ 、 遠く から 蚊 が くう ん と うなっ て やっ て 来 て 網 に つきあたり まし た 。 けれども あんまり ひもじい とき かけ た 網 な ので 、 糸 に 少し も ねばり が なく て 、 蚊 は すぐ 糸 を 切っ て 飛ん で 行こ う と し まし た 。 
蜘蛛 は まるで きち がい の よう に 、 葉 の かげ から 飛び出し て むんずと 蚊 に 食いつき まし た 。 
蚊 は 「 ごめんなさい 。 ごめんなさい 。 ごめんなさい 。 」 と 哀れ な 声 で 泣き まし た が 、 蜘蛛 は 物 も 云わ ず に 頭 から 羽 から あし まで 、 みんな 食っ て しまい まし た 。 そして ホッ と 息 を つい て しばらく そら を 向い て 腹 を こすっ て から 、 又 少し 糸 を はき まし た 。 そして 網 が 一 まわり 大きく なり まし た 。 
蜘蛛 は そして 葉 の かげ に 戻っ て 、 六つ の 眼 を ギラギラ 光らせ て じっと 網 を みつめ て 居り まし た 。 
「 ここ は どこ で ご ざり まする な 。 」 と 云い ながら め くら の かげろう が 杖 を つい て やっ て 参り まし た 。 
「 ここ は 宿屋 です よ 。 」 と 蜘蛛 が 六つ の 眼 を 別々 に パチ パチ さ せ て 云い まし た 。 
かげろう は やれやれ という よう に 、 巣 へ 腰 を かけ まし た 。 蜘蛛 は 走っ て 出 まし た 。 そして 
「 さあ 、 お茶 を お あがり なさい 。 」 と 云い ながら かげろう の 胴中 に むんずと 噛みつき まし た 。 
かげろう は お茶 を とろ う として 出し た 手 を 空 に あげ て 、 バタバタ もがき ながら 、 
「 あわ れ や むす め 、 父親 が 、 
旅 で 果て た と 聞い た なら 」 
と 哀れ な 声 で 歌い 出し まし た 。 
「 えい 。 やかましい 。 じたばた する な 。 」 と 蜘蛛 が 云い まし た 。 すると かげろう は 手 を 合せ て 
「 お 慈悲 で ござい ます 。 遺言 の あいだ 、 ほんの しばらく お待ち なさ れ て 下さ れ ませ 。 」 と ねがい まし た 。 
蜘蛛 も すこし 哀れ に なっ て 
「 よし 早く やれ 。 」 と いっ て かげろう の 足 を つかん で 待っ て い まし た 。 かげろう は ほんとう に あわ れ な 細い 声 で はじめ から 歌い 直し まし た 。 
「 あわ れ や むす め ち ち おや が 、 
旅 で はて た と 聞い た なら 、 
ちさ い あの 手 に 白 手甲 、 
いとし 巡礼 の 雨 とか ぜ 。 
もうし ご 冥加 ご 報謝 と 、 
か ど なみなみ に 立つ とても 、 
非道 の 蜘蛛 の 網 ざし き 、 
さわる まい ぞ や 。 よる まい ぞ 。 」 
「 小しゃく な こと を 。 」 と 蜘蛛 は ただ 一息 に 、 かげろう を 食い 殺し て しまい まし た 。 そして しばらく そら を 向い て 、 腹 を こすっ て から ちょっと 眼 を ぱちぱち さ せ て 
「 小しゃく な こと を 言う まい ぞ 。 」 と ふざけ た よう に 歌い ながら 又 糸 を はき まし た 。 
網 は 三 まわり 大きく なっ て 、 もう 立派 な 蜘蛛 の 巣 です 。 蜘蛛 は すっかり 安心 し て 、 又 葉 の かげ に かくれ まし た 。 その 時下 の 方 で いい 声 で 歌う の を きき まし た 。 
「 赤い て ながの くぅ も 、 
天 の ちかく を はい まわり 、 
スルスル 光 の いと を はき 、 
き ぃらりきぃらり 巣 を かける 。 」 
見る と それ は きれい な 女 の 蜘蛛 でし た 。 
「 ここ へ おいで 。 」 と 手長 の 蜘蛛 が 云っ て 糸 を 一 本 すうっ と さげ て やり まし た 。 
女 の 蜘蛛 が す ぐそれにつかまってのぼって 来 まし た 。 そして 二 人 は 夫婦 に なり まし た 。 網 に は 毎日 沢山 食べる もの が かかり まし た ので おかみ さん の 蜘蛛 は 、 それ を 沢山 たべ て みんな 子供 に し て しまい まし た 。 そこで 子供 が 沢山 生まれ まし た 。 ところが その 子供 ら は あんまり 小さく て まるで すきとおる 位 です 。 
子供 ら は 網 の 上 で すべっ たり 、 相撲 を とっ たり 、 ぶらんこ を やっ たり 、 それ は それ は にぎやか です 。 おまけ に ある 日 とんぼ が 来 て 今度 蜘蛛 を 虫けら 会 の 相談役 に する という みんな の 決議 を つたえ まし た 。 
ある 日 夫婦 の くも は 、 葉 の かげ に かくれ て お茶 を のん で い ます と 、 下 の 方 で へらへら し た 声 で 歌う もの が あり ます 。 
「 あぁ かい 手 ながの くぅ も 、 
でき た むすこ は 二 百 疋 、 
め くそ 、 はん かけ 、 蚊 の なみ だ 、 
大きい ところ で 稗 の つぶ 。 」 
見る と それ は 大きな 銀色 の なめくじ でし た 。 
蜘蛛 の お かみさん は くやし がっ て 、 まるで 火 が つい た よう に 泣き まし た 。 
けれども 手長 の 蜘蛛 は 云い まし た 。 
「 ふん 。 あいつ は ちかごろ 、 おれ を ねたん でる ん だ 。 やい 、 なめくじ 。 おれ は 今度 は 虫けら 会 の 相談役 に なる ん だ ぞ 。 へっ 。 くやしい か 。 へっ 。 て ま え なんか いくら から だ ばかり ふとっ て も 、 こんな こと は でき まい 。 へっ へっ 。 」 
なめくじ は あんまり くやしく て 、 しばらく 熱病 に なっ て 、 
「 うう 、 くも め 、 よくも ぶ じ ょくしたな 。 うう 。 くも め 。 」 と いっ て い まし た 。 
網 は 時々 風 に やぶれ たり ごろつき の かぶとむし に こわさ れ たり し まし た けれども くも は すぐす うすう 糸 を はい て 修繕 し まし た 。 
二 百 疋 の 子供 は 百 九 十 八 疋 まで 蟻 に 連れ て 行か れ たり 、 行衛 不明 に なっ たり 、 赤痢 に かかっ たり し て 死ん で しまい まし た 。 
けれども 子供 ら は 、 どれ も あんまり お互い に 似 て い まし た ので 、 親 ぐもはすぐ 忘れ て しまい まし た 。 
そして 今 は もう 網 は すばらしい もの です 。 虫 が どんどん ひっかかり ます 。 
ある 日 夫婦 の 蜘蛛 は 、 葉 の かげ に かくれ て お茶 を のん で い ます と 、 一疋 の 旅 の 蚊 が こっち へ 飛ん で 来 て 、 それから 網 を 見 て あわて て 飛び 戻っ て 行き まし た 。 
すると 下 の 方 で 
「 ワッハッハ 。 」 と 笑う 声 が し て それ から 太い 声 で 歌う の が 聞え まし た 。 
「 あ ぁかいてながのくぅも 、 
あんまり 網 が まずい ので 、 
八 千 二 百 里 旅 の 蚊 も 、 
くう ん と うなっ て まわれ 右 。 」 
見る と それ は 顔 を 洗っ た こと の ない 狸 でし た 。 蜘蛛 は キリキリ キリッ と は が み を し て 云い まし た 。 
「 何 を 。 狸 め 。 一生 の うち に は きっと おれ に おじぎ を さ せ て 見せる ぞ 。 」 
それ から は 蜘蛛 は 、 もう 一生けん命 で あちこち に 十 も 網 を かけ たり 、 夜 も 見 はり を し たり し まし た 。 ところ が 困っ た こと は 腐敗 し た の です 。 食物 が ずんずん たまっ て 、 腐敗 し た の です 。 そして 蜘蛛 の 夫婦 と 子供 に それ が うつり まし た 。 そこで 四 人 は 足 の さき から だんだん 腐れ て べとべと に なり 、 ある 日 とうとう 雨 に 流れ て しまい まし た 。 
それ は 蜘蛛 暦 三 千 八 百 年 の 五月 の 事 です 。 
二 、 銀色 の なめくじ 
丁度 蜘蛛 が 林 の 入口 の 楢 の 木 に 、 二 銭 銅貨 の 位 の 網 を かけ た 頃 、 銀色 の なめくじ の 立派 な お うち へ かたつむり が やっ て 参り まし た 。 
その 頃 なめくじ は 林 の 中 で は 一番 親切 だ という 評判 でし た 。 かたつむり は 
「 なめくじ さん 。 今度 は 私 も すっかり 困っ て しまい まし た よ 。 まるで 食べる もの は なし 、 水 は なし 、 すこし ばかり お前 さん の ため て ある ふき の つゆ を 呉れ ませ ん か 。 」 と 云い まし た 。 
すると なめくじ が 云い まし た 。 
「 あげ ます と も あげ ます と も 。 さあ 、 お あがり なさい 。 」 
「 ああ ありがとう ござい ます 。 助かり ます 。 」 と 云い ながら か たつ むりはふきのつゆをどくどくのみました 。 
「 もっと お あがり なさい 。 あなた と 私 と は 云わ ば 兄弟 。 ハッハハ 。 さあ 、 さあ 、 も 少し お あがり なさい 。 」 と なめくじ が 云い まし た 。 
「 そん なら も 少し いただき ます 。 ああ ありがとう ござい ます 。 」 と 云い ながら かたつむり は も 少し のみ まし た 。 
「 かたつむり さん 。 気分 が よく なっ たら 一つ 相撲 を とり ましょ う か 。 ハッハハ 。 久しぶり です 。 」 と なめくじ が 云い まし た 。 
「 おなか が すい て 力 が あり ませ ん 。 」 と かたつむり が 云い まし た 。 
「 そん なら たべ 物 を あげ ましょ う 。 さあ 、 お あがり なさい 。 」 と なめくじ は あざみ の 芽 や なんか 出し まし た 。 
「 ありがとう ござい ます 。 それでは いただき ます 。 」 と いい ながら かたつむり は それ を 喰 べ まし た 。 
「 さあ 、 すもう を とり ましょ う 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ が もう 立ちあがり まし た 。 かたつむり も 仕方 なく 、 
「 私 は どうも 弱い の です から 強く 投げ ない で 下さい 。 」 と 云い ながら 立ちあがり まし た 。 
「 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ましょ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう つかれ て だめ です 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ましょ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ましょ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう だめ です 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ましょ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 、 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ましょ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう だめ 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ましょ う よ 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かたつむり は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ましょ う 。 ハッハハ 。 」 
「 もう 死に ます 。 さよなら 。 」 
「 まあ もう 一 ぺん やり ましょ う よ 。 ハッハハ 。 さあ 。 お立ち なさい 。 起こし て あげ ましょ う 。 よ っしょ 。 そら 。 ヘッヘッヘ 。 」 かたつむり は 死ん で しまい まし た 。 そこで 銀色 の なめくじ は かたつむり を ペロリ と 喰 べ て しまい まし た 。 
それから 一 ヶ月 ばかり たっ て 、 とかげ が なめくじ の 立派 な お うち へ びっこをひいて 来 まし た 。 そして 
「 なめくじ さん 。 今日 は 。 お 薬 を 少し 呉れ ませ ん か 。 」 と 云い まし た 。 
「 どう し た の です 。 」 と なめくじ は 笑っ て 聞き まし た 。 
「 へび に 噛ま れ た の です 。 」 と とかげ が 云い まし た 。 
「 そん なら わけ は あり ませ ん 。 私 が 一寸 そこ を 嘗め て あげ ましょ う 。 なあに すぐ なおり ます よ 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ は 笑っ て 云い まし た 。 
「 どう か お願い 申し ます 。 」 と とかげ は 足 を 出し まし た 。 
「 ええ 。 よ ご ざんす と も 。 私 と あなた と は 云わ ば 兄弟 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ は 云い まし た 。 
そして なめくじ は とかげ の 傷 に 口 を あて まし た 。 
「 ありがとう 。 なめくじ さん 。 」 と とかげ は 云い まし た 。 
「 も 少し よく 嘗め ない と あと で 大変 です よ 。 今度 又 来 て も もう 直し て あげ ませ ん よ 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ は も が も が 返事 を し ながら やはり とかげ を 嘗め つづけ まし た 。 
「 なめくじ さん 。 何だか 足 が 溶け た よう です よ 。 」 と とかげ は おどろい て 云い まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに 。 それほど じゃ あり ませ ん 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ は やはり も が も が 答え まし た 。 
「 なめくじ さん 。 おなか が 何だか 熱く なり まし た よ 。 」 と とかげ は 心配 し て 云い まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに それほど じゃ あり ませ ん 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ は やはり も が も が 答え まし た 。 
「 なめくじ さん 。 から だ が 半分 とけ た よう です よ 。 もう よし て 下さい 。 」 と とかげ は 泣き声 を 出し まし た 。 
「 ハッハハ 。 なあに それほど じゃ あり ませ ん 。 ほんの も 少し です 。 も 一 分 五 厘 です よ 。 ハッハハ 。 」 と なめくじ が 云い まし た 。 
それ を 聞い た とき 、 とかげ は やっと 安心 し まし た 。 丁度 心臓 が とけ た の です 。 
そこで なめくじ は ペロリ と とかげ を たべ まし た 。 そして 途方 も なく 大きく なり まし た 。 
あんまり 大きく なっ た ので 嬉し まぎれ に つい あの 蜘蛛 を からかっ た の でし た 。 
そして かえって 蜘蛛 から あざけら れ て 、 熱病 を 起し た の です 。 それ ばかり で は なく 、 なめくじ の 評判 は どうも よく なく なり まし た 。 
なめくじ は いつ でも ハッハハ と 笑っ て 、 そして ヘラヘラ し た 声 で 物 を 言う けれども 、 どうも 心 が よく なく て 蜘蛛 や なん か より は 却って 悪い やつ だ と いう ので みんな が 軽べつ を はじめ まし た 。 殊に 狸 は なめくじ の 話 が 出る と いつ でも ヘン と 笑っ て 云い まし た 。 
「 なめくじ なんて まずい もん さ 。 ぶま 加減 は 見 られ た もん じゃ ない 。 」 
なめくじ は これ を 聞い て 怒っ て 又 病気 に なり まし た 。 その うち に 蜘蛛 は 腐敗 し て 雨 で 流れ て しまい まし た ので 、 なめくじ も 少し せいせい し まし た 。 
次 の 年 ある 日 雨蛙 が なめくじ の 立派 な お うち へ やっ て 参り まし た 。 
そして 、 
「 なめくじ さん 。 こんにちは 。 少し 水 を 呑ま せ ませ ん か 。 」 と 云い まし た 。 
なめくじ は この 雨蛙 も ペロリ と やり たかっ た ので 、 思い切っ て いい 声 で 申し まし た 。 
「 蛙 さん 。 これ は いらっしゃい 。 水 なんか いくら で も あげ ます よ 。 ちかごろ は ひで り です けれども なあに 云わ ば あなた と 私 は 兄弟 。 ハッハハ 。 」 そして 水がめ の 所 へ 連れ て 行き まし た 。 
蛙 は どくどく どくどく 水 を 呑ん で から とぼけ た よう な 顔 を し て しばらく なめくじ を 見 て から 云い まし た 。 
「 なめくじ さん 。 ひとつ すもう を とり ましょ う か 。 」 
なめくじ は うまい と 、 よろこび まし た 。 自分 が 云お う と 思っ て い た の を 蛙 の 方 が 云っ た の です 。 こんな 弱っ た やつ なら ば 五 へん 投げつけれ ば 大 てい ペロリ と やれる 。 
「 とり ましょ う 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かえる は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
「 もう 一 ぺん やり ましょ う 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 かえる は 又 投げつけ られ まし た 。 する と かえる は 大 へん あわて て ふところ から 塩 の ふく ろ を 出し て 云い まし た 。 
「 土俵 へ 塩 を まか なく ちゃ だめ だ 。 そら 。 シュウ 。 」 塩 が まか れ まし た 。 
なめくじ が 云い まし た 。 
「 かえる さん 。 こんど は きっと 私 なんか まけ ます ね 。 あなた は 強い ん だ もの 。 ハッハハ 。 よ っしょ 。 そら 。 ハッハハ 。 」 蛙 は ひどく 投げつけ られ まし た 。 
そして 手足 を ひろげ て 青じろい 腹 を 空 に 向け て 死ん だ よう に なっ て しまい まし た 。 銀色 の なめくじ は 、 すぐ ペロリ と やろ う と 、 そっち へ 進み まし た が どう し た の か 足 が うごき ませ ん 。 見る と もう 足 が 半分 とけ て い ます 。 
「 あ 、 やら れ た 。 塩 だ 。 畜生 。 」 と なめくじ が 云い まし た 。 
蛙 は それ を 聞く と 、 むっくり 起きあがっ て あぐら を かい て 、 かばん の よう な 大きな 口 を 一ぱい に あけ て 笑い まし た 。 そして なめくじ に おじぎ を し て 云い まし た 。 
「 いや 、 さよなら 。 なめくじ さん 。 とんだ こと に なり まし た ね 。 」 
なめくじ が 泣き そう に なっ て 、 
「 蛙 さん 。 さよ … … 。 」 と 云っ た とき もう 舌 が とけ まし た 。 雨蛙 は ひどく 笑い ながら 
「 さよなら と 云い たかっ た の でしょ う 。 本当に さよなら さよなら 。 暗い 細 路 を 通っ て 向う へ 行っ たら 私 の 胃袋 に どうか よろしく 云っ て 下さい な 。 」 と 云い ながら 銀色 の なめくじ を ペロリ と やり まし た 。 
三 、 顔 を 洗わ ない 狸 
狸 は 顔 を 洗い ませ ん でし た 。 
それ も わざと 洗わ なかっ た の です 。 
狸 は 丁度 蜘蛛 が 林 の 入口 の 楢 の 木 に 、 二 銭 銅貨 位 の 巣 を かけ た 時 、 すっかり お腹 が 空い て 一 本 の 松の木 により かかっ て 目 を つぶっ て い まし た 。 すると 兎 が やっ て 参り まし た 。 
「 狸 さま 。 こう ひもじく て は 全く 仕方 ござい ませ ん 。 もう 死ぬ だけ で ござい ます 。 」 
狸 が きもの の えり を 掻き合せ て 云い まし た 。 
「 そう じゃ 。 みんな 往生 じゃ 。 山猫 大明 神さま の おぼしめし どおり じゃ 。 な 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
兎 も 一緒 に 念 猫 を となえ はじめ まし た 。 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 な まねこ 、 なま ねこ 。 」 
狸 は 兎 の 手 を とっ て もっと 自分 の 方 へ 引き よせ まし た 。 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 みんな 山猫 さま の おぼしめし どおり 、 なま ねこ 。 な まねこ 。 」 と 云い ながら 兎 の 耳 を かじり まし た 。 兎 は びっくり し て 叫び まし た 。 
「 あ 痛 っ 。 狸 さん 。 ひどい じゃ あり ませ ん か 。 」 
狸 は むにゃむにゃ 兎 の 耳 を かみ ながら 、 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 みんな 山猫 さま の おぼしめし どおり 。 な まねこ 。 」 と 云い ながら 、 とうとう 兎 の 両方 の 耳 を たべ て しまい まし た 。 
兎 も そう きい て いる と 、 たいへん うれしく て ボロボロ 涙 を こぼし て 云い まし た 。 
「 な まねこ 、 なま ねこ 。 ああ ありがたい 、 山猫 さま 。 私 の よう な 悪い もの で も 助かり ます なら 耳 の 二つ や そこら な ん で も ござい ませ ぬ 。 な まねこ 。 」 
狸 も そら 涙 を ボロボロ こぼし て 
「 な まねこ 、 な まねこ 、 私 の よう な あさましい もの で も 助かり ます なら 手 で も 足 で も さしあげ まする 。 ああ ありがたい 山猫 さま 。 みんな おぼしめし の まま 。 」 と 云い ながら 兎 の 手 を むにゃむにゃ 食べ まし た 。 
兎 は ますます よろこん で 、 
「 ああ ありがた や 、 山猫 さま 。 私 の よう な いくじ ない もの で も 助かり ます なら 手 の 二 本 や そこら は いとい ませ ぬ 。 な まねこ 、 なま ねこ 。 」 
狸 は もう なみ だ で 身体 も ふやけ そう に 泣い た ふり を し まし た 。 
「 な まねこ 、 なま ねこ 。 私 の よう な とても かなわ ぬ あさましい もの で も 、 お 役 に たて て 下さ れ ます か 。 ああ ありがた や 。 な まねこ な まねこ 。 おぼしめし の とおり 。 むにゃむにゃ 。 」 
兎 は すっかり なくなっ て しまい まし た 。 
そこで 狸 の おなか の 中 で 云い まし た 。 
「 すっかり だまさ れ た 。 お前 の 腹の中 は まっくろ だ 。 ああ くやしい 。 」 
狸 は 怒っ て 云い まし た 。 
「 やかましい 。 はやく 消化 しろ 。 」 
そして 狸 は ポンポコポンポン と はら つ づみをうちました 。 
それから 丁度 二 ヶ月 たち まし た 。 ある 日 、 狸 は 自分 の 家 で 、 例 の とおり ありがたい ご きとう を し て い ます と 、 狼 が お 米 を 三 升 さげ て 来 て 、 どうか お 説教 を ねがい ます と 云い まし た 。 
そこで 狸 は 云い まし た 。 
「 みんな 山 ねこ さま の おぼしめし じゃ 。 お前 が お 米 を 三 升 もっ て 来 た の も 、 わし が お前 に 説教 する の も じゃ 。 山 ねこ さま は ありがたい お方 じゃ 。 兎 は お そば に 参っ て 、 大臣 に なら れ たげ な 。 お前 も もの の 命 を とっ た こと は 、 五 百 や 千 で は 利く まい に 、 早う ざんげ さっ しゃれ 。 でないと 山 ねこ さま に えらい 責苦 に あわさ れ ます ぞい 。 おお 恐ろし や 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
狼 は おびえ あがっ て 、 きょろきょろ し ながら たずね まし た 。 
「 そん なら どう し たら 助かり ます か な 。 」 
狸 が 云い まし た 。 
「 わし は 山 ねこ さま の お 身代り じゃ で 、 わし の 云う と おり さ っし ゃれ 。 な まねこ 。 な まねこ 。 」 
「 どう し たら よう ござい ましょ う 。 」 と 狼 が あわて て きき まし た 。 狸 が 云い まし た 。 
「 それ は な 。 じっと し て いさ しゃれ 。 な 。 わし は お前 の きば を ぬく じゃ 。 な 。 お前 の 目 を つぶす じゃ 。 な 。 それから 。 な まねこ 、 な まねこ 、 なま ねこ 。 お前 のみ み を 一寸 かじる じゃ 。 な まねこ 。 な まねこ 。 こらえ なされ 。 お前 の あ たま を かじる じゃ 。 むにゃ 、 むにゃ 。 な まねこ 。 堪忍 が 大事 じゃ ぞ え 。 なま … … 。 むにゃむにゃ 。 お前 の あし を たべる じゃ 。 うまい 。 な まねこ 。 むにゃ 。 むにゃ 。 おまえ の せ なか を 食う じゃ 。 うまい 。 むにゃむにゃ むにゃ 。 」 
狼 は 狸 の はら の 中 で 云い まし た 。 
「 ここ は まっ くら だ 。 ああ 、 ここ に 兎 の 骨 が ある 。 誰 が 殺し たろ う 。 殺し た やつ は 狸 さま に あと で かじら れる だろ う に 。 」 
狸 は 無理 に 「 ヘン 。 」 と 笑っ て い まし た 。 
さて 蜘蛛 は とけ て 流れ 、 なめくじ は ペロリ と やら れ 、 そして 狸 は 病気 に かかり まし た 。 
それ は からだ の 中 に 泥 や 水 が たまっ て 、 無 暗に ふくれる 病気 で 、 しまいに は 中 に 野原 や 山 が でき て 狸 の からだ は 地球儀 の よう に まんま る に なり まし た 。 
そして まっくろ に なっ て 、 熱 に うかされ て 、 
「 うう 、 こわい こわい 。 おれ は 地獄 行き の マラソン を やっ た の だ 。 うう 、 切ない 。 」 と いい ながら とうとう 焦げ て 死ん で しまい まし た 。 
なるほど そう し て みる と 三 人 とも 地獄 行き の マラソン 競争 を し て い た の です 。 
もろ の 崖 より 　 たゆみ なく 
朽ち 石 まろ ぶ 　 黒 夜 谷 
鳴き どよもせ ば 　 慈悲心鳥 の 
われ に は つらき 　 睡り か な 
榾 組み直し 　 も の お も ひ 
も の うち お も ひ 　 榾 組み て 
はやく も 東 　 谷 の はて 
雲 に も 朱 の 　 色 立ち ぬ 
七 四 四 　 　 病院 
一 九 二 六 、 一一 、 四 、 
途中 の 空気 は つめたく 明るい 水 でし た 
熱 が ある と 魚 の やう に 活溌 で 
そして 大 へん 新鮮 です な 
終り の 一つ の カクタス が まばゆく 燃え て 居り まし た 
市街 も 橋 も じつに 光っ て 明瞭 で 
逢 ふ 人 は みな アイスランド へ 移住 し た 
蜂 雀 といふ 風 の 衣裳 を つけ て 居り まし た 
あんな 正確 な 輪廓 は 顕微鏡 分析 の 晶 形 に も 
恐らく なから う か と 思ふ の で あり ます 
七 四 五 
一 九 二 六 、 一一 、 一 五 、 
霜 と 聖 さ で 畑 の 砂 は いっぱい だ 
影 を 落す 影 を 落す 
エンタシス ある 氷 の 柱 
そして その 向 ふ の 滑らか な 水 は 
おれ の 病気 の 間 の 幾つ も の 夜 と 昼 と を 
よくも あんなに 光っ て ながれ つ ゞ け て ゐ た もの だ 
砂 つ ちと 光 の 雨 
けれども おれ は まだ この 畑地 に 到着 し て から 
一つ の 音 を も 聞い て ゐ ない 
一 〇 〇 一 　 　 汽車 
一 九 二 七 、 二 、 一二 、 
プラットフォーム は 眩 ゆく さむく 
緑 いろ した 電 燈 の 笠 
きらら か に 飛ぶ 氷 華 の 列 を 
ひと は 偏狭 に 老いよ う し 
汽車 近づけ ば 
その 窓 が   Ice - fern   で 飾ら れ も しよ う 
車 の なか は ち ひ さ な 塵 の 懸垂 と 
その うつくしい ティンダル 現象 
日照 は いま しづか な 冬 で 
でん しん ば しら や 建物 や 鳩 
か ゞ やい て 立つ 氷 の 樹 
青々 けぶる 山 と 雲 
髪 を みだし 
黒い ネクタイ を つけ て 
朝 の 汽車 に ねむる 写真 師 
… … これ が 小さく て よき 梨 を 産す る あの 町 で ある か … … 
… … はい 閣下 　 今日 は 多量 の 氷 華 を 産し て 居り まする … … 
… … それら の 樹 群 は みな よき 梨 の 母体 で ある か … … 
… … はい 閣下 　 あれ は 夏 に は ニッケル 鋼 の 鏡 を つるす 
はん の 木立 で ござい ます … … 
… … この 町 の 訓練 の 成績 は どう ぢ ゃ … … 
… … はい 閣下 　 寒冷 ながら 
水 は 風 より 　 より 濃い もの と 存じ ます … … 
けむり は 凍え て いくつ に も ちぎれ て 
松 の 林 に 落ちこむ し 
アカシヤ の 木 の 乱立 と 
女 の その うつくしい プロファイル 
もう 幾 百 　 目 も あや に 
風 や 磁気 に 交叉 する 電線 と 
一 〇 〇 二 
一 九 二 七 、 二 、 一八 、 
氷 の かけ ら が 
海 の プランクトン の やう に 
ぴちぴち はねる 朝日 の なか を 
黒い ペンキ の まだ 乾か ない 
電車 が 一つ しづか に 過ぎる 
兵隊 みたい な 赤 す ぢ いり の 帽子 を かぶっ た 電気 工夫 や 
また つ ゝ まし く か ゞ やい て ゐる 朝 の 唇 
… … ハムマア を 忘れ て 来 た な … … 
… … 向 ふ に は 電気 炉 が ない … … 
江釣子 森 が 暗く 濁っ た そら の こっち を 
白く ひかっ て 展開 する 
その ぶち ぶち の 杉 の 木 が 
虫めがね で でも 見 た やう に 
今日 は 大 へん 大きく 見える 
… … 雪 の 野原 と 
ぼそぼそ 燃える 山 の 雲 … … 
東 は 茶 いろ な 松森 の 向 ふ に 
巨 き な 白い 虹 が たつ 
凍っ た その 小さな 川 に 沿っ て 
幾つ も の 暗い 小さな 段丘 が 
日 の 裏側 を 
木 の ない と がっ た 岩 頸 まで 
寒 さ うに 寒 さ うに つ ゞ い て ゐ た 
一 〇 〇 三 
一 九 二 七 、 二 、 
ソックス レット 
光る 加里 球 
並ん で か ゝ る リービッヒ 管 
みんな は どこ へ 行っ た の だら う 
暖炉 が 燃え て 
黄いろ な 時計 は つま づき ながら うごい て ゐる 
塩酸 比重 一 ・ 一 九 （ セリン を 持っ て 来 て ください ） 
タンニン 定量 用 
Conc .　 アルコール 　 　 （ 今日 は その エーテル を 全部 回収 し て しまっ て ください ） 
この レッテル は わたくし の 字 だ 
十 年 前 の ごく おぼつかない わたくし の 字 だ 
けれども こんなに 紙 が 白く て 
蝋 も 塗ら れ て ゐ ない の は 
やっぱり 誰 か 相似 形 の 一つ が 
つめたい 風 に は あ はあ 息 を つき ながら 
一生けん命 ねらっ て 書い た に 相違 ない 
… … 雪 の 反射 と ポプラ の 梢 … … 
よく まあ こんな うすい ろ の 陰 暗 だ の 
がさつ な 藪 に かこま れ ながら 
感量 〇 ・ 〇 〇 〇 二 といふ 風 な 
こまか な 仕事 を し て ゐる もん だ 
… … そら を かけ て ゐる もの は 
オー パル の 雲 か 
それとも 近い 氷 の かけ ら の 系列 か … … 
風 が ふけ ば 
また ひと が あるけ ば 
目盛 フラスコ の 
その いちいち の 色 異 っ た 溶液 が 
めいめい きれい に ひかっ て ゆれる 
… … 色 の つい た 硝酸 が ご用 です か … … 
… … い ゝ え 　 わたくし の 精神 が いま 索 ね て 居 ます の は 
水 に 落ち た 木 の 陰影 の 濃度 を 測定 する 
青い 試薬 が ほしい ん で あり ます … … 
ぎらぎら 砕ける ポプラ の 枝 と 雲 の 影 
一 〇 〇 四 
一 九 二 七 、 三 、 四 、 
今日 は 一 日 あかるく にぎやか な 雪 降り です 
ひる すぎ て から 
わたくし の うち の ま はり を 
巨 き な 重い あし おと が 
幾度 と も なく 行き すぎ まし た 
わたくし は その たび ごと に 
もう 一 年 も 返事 を 書か ない あなた が たづ ね て 来 た の だ と 
じ ぶん で じ ぶん に 教 へ た の です 
そして まったく 
それ は あなた の 　 また われわれ の 足音 でし た 
なぜなら それ は 
いっぱい 積ん だ 梢 の 雪 が 
地面 の 雪 に 落ちる の でし た から 
雪 ふれ ば 昨日 の ひる の わる ひのき 
菩薩 す がた に すく と 立つ か な 
一 〇 〇 五 
一 九 二 七 、 三 、 一 五 、 
暗い 月あかり の 雪 の なか に 
向 ふ に 黒く 見える の は 
松 の 影 が 落ち て ゐる の だら う か 
ひる なら 碧 く いま も 螺鈿 の モザイク 風 の 松 の 影 だら う か 
やっぱり 雪 が 溶け た の だ 
あすこ ら 辺 だけ あんなに 早く 溶ける と すれ ば 
もう 彼岸 に も 畑 の 土 を まか ない で い ゝ 
やっぱり 砂地 で 早い の だ 
毎年 斯 う なら 毎年 こ ゝ を 苗床 と 
球根 類 の 場所 に しよ う 
その 球根 の 畦 も きれい に 見え て ゐる 
みち を ふさい で 巨 き な 松 の 枝 が ある 
このごろ の あの 雨 雪 に 落ち た の だ 
玉葱 と ペントステモン 行っ て 見よ う 
あゝ ちゃう ど あの 十 六 の ころ の 
岩手山 の 麓 の 野原 の 風 の き もち だ 
雪 菜 は 枯れ た が もう 大丈夫 生き て ゐる 
なにか ふし ぎなからくさもやうは 
この 月あかり の 網 な の か 
苗床 いち めん やっぱり 銀 の アラベスク 
ヒアシンス を 埋め た 畦 が 割れ て ゐる 
やっぱり 底 は 暖 い ので 
廐肥 が 減っ て 落ち込ん だ の だ 
ヒアシンス の 根 は けれども 太い し 短い から 
折れ たり 切れ たり し て ない だら う 
さ うさ うこ ゝ も いち めん 暗い からく さ もやう 
うし ろ は 町 の 透明 な 灯 と 楊 や 森 
ま だら な 草地 が ねむ さ を 噴く 
巨 き な 松 の 枝 だ 
この 枝 が さっき 見 た の だっ たら う か 
昆布 と アルコール 
川 が 鼠 いろ の そら と 同じ で 
南東 は 泣き たい やう な 甘ったるい 雲 だ 
音 なく ながれる その 川 の 水 
五輪 峠 や ち ゞ れ た 風 や 
ず うっ と みな か みの 
すき と ほっ て くらい 風 の なか を 
川千鳥 が 啼い て のぼっ て ゐる 
「 いちばん い ゝ 透明 な 青い 絵具 を もう 呉れ て しまは う 」 
どこ か 右手 の 偏 光 の 方 で は 
ぼ と し ぎの 風 を 切る 音 も する 
早 池峰 は 雲 の 向 ふ に ねむり 
風 の つめた さ 
「 水晶 の 笛 と ガラス の 笛 と の 音色 の 差異 について 」 
町 は 犬 の 声 と 
ここ は 巨 き な 松 の 間 の がらん 洞 
風 が こんど は アイアンビック 
一 〇 〇 六 
一 九 二 七 、 三 、 一 五 、 
こん や は 暖か な ので 
この 坂 みち の 
淡い 月光 に ひかる 石ころ の 間 を 
夜 ど ほし 
雪どけ の 水 が ながれる の だ 
… … 氷 の 雲 と ひ ば の 列 … … 
その 振作 の 大きな 木 小屋 は 
北側 の 屋根 が なくなっ た の か 
そら の うつろ が 映っ て ゐる の だ 
（ ばら を 十 五 本 植 ゑた 
その ばら が 芽 を 出さ ない ） 
一 〇 〇 七 
一 九 二 七 、 三 、 一六 、 
たんぼ の 中 の 稲 かぶ が 八 列 ばかり 
雪 から とけ て 東 の 方 へ ならぶ の は 
せ ん ころ みんな が あすこ の 盛り を 
崩し て 土 を 運ん だ あと に なっ て ゐる 
赤い 毛布 を 足 に も 巻け ば 
藍 いろ の 影 も おとし た 
そこ に 一 本 仕 とげ た 仕事 の 紀 念 の やう に 
新 らしい 杭 が 立っ て ゐる 
ま はり は ぐみ と 楊 の 木 
なあに 金 出す 人 ぁ 困ら な ぃ 人 だ が ら と 
たくましく そして ほのか に わら ひ ながら 
あいつ が 夜 に 云っ て ゐ た 
風 が 吹い て 松 並木 に 雪 も ふれ ば 
稀薄 な 山 と 新道 の 松 の 間 を 
くっきり 白い けむり を 吐い て 汽車 も 行く 
一 〇 〇 八 
一 九 二 七 、 三 、 一六 、 
赤い 尾 を し た レオポルド め が 
また 鶏 を とら う として 
田圃 の 雪 を はしっ て 行く 
山 は 吹雪 の うす あかり 
松 の 林 の 足 なみ に 
麻酔 を かけ て レオポルド め が 
せ は しく ひとり くぐっ て 行く 
林 は うすい 冠 毛 を かぶる 
ち ゞ れ て 酸 え た 北 の 雲 
一 九 二 七 、 三 、 一六 、 
いろいろ な 反感 と ふ ゞ き の 中 で 
いま 東 の 雲 は うるん で 甘く 
クレオソート を 塗ら れ た 電 しん ば しら も 鳴り 
町 の 上 で は 
赤 れん 瓦 の 農業 倉庫 も 
黒い 陸橋 も 
はげしい 風 の 火 も 燃える 
一 〇 〇 九 　 　 運転 手 
一 九 二 七 、 三 、 一九 、 
電信 ば しら の 乱立 と 
… … ベンベロ 取り さ 行 が な ぃが … … 
… … あした やすみ だ べ … … 
Type     a   form     on   off … … … 洋 電機 株式会社 
おれ は いま 巨 き な 演奏 家 たち が 
ピアノ を 弾き出す 前 の やう に 
平ら に だ 輪 に 掌 を 置く 
ファースト スロープ 
こ ゝ を 過ぎれ ば もう 一 キロ ほど 
見 と ほし の 利く 直線 な ん だ 
藍 いろ の 山 の こっち の 
蕈 の かたち の 松 ばやし 
防火 線 白く めぐり 
Up 　 一 　 二 　 五 
… … 子供 ら そば で 電車 を 見よ う と かける かける 
その 雪 ば かま の 短い 脚 し た こども ら よ 
黝 ず む 松 の むら ばやし … … 
第 二 スロープ 　 ダウン 　 一 　 三 　 二 
Ｍ ―― 　 　 　 ← 　 三 　 三 
はん 、 材料 置場第 二 号 
もう はん の き とか はや なぎ 
瀬川 の 岸 に もう やってき た 
寒 さ で 線路 は よれ て 
平 夷 な 岡 と 三角山 
注意 鳴 笛 
それ やっ た 
橋 だ 橋 だ ぞ 
濁っ た 川 だ 
誰 か 泥棒 の やう に 
黒い 脚 で 横 へ それ た 
ひ ば の かき ね 
一 〇 一 〇 
一 九 二 七 、 三 、 一九 、 
火 が か ゞ やい て 
けむり も 青く すき と ほっ て あがる 
よく みがか れ た 板の間 と 
ぼそぼそ 煤け た 火 棚 の 鍵 
この 家 は 
お かっぱ の 
頬 の 赤い こども ら で いっぱい だ 
雪 は しづか に 外 で とけ 
また その 雪 の ほ の 白い 反射 
その 一 人 の こども が 
紺 の 雪 ば かま を はき 羽織 を 着 て 
板の間 に 別々 影 と 影法師 を 落し て 
だまっ て 立っ て おれ を 見 て ゐる 
おれ を 見 て ゐる 
見 て ゐる 
おれ も だまっ て 見 て ゐる と 
むす め の 頬 は ゆがむ ゆがむ 
どうして 
おれ は ぼろぼろ の 服 を 着 て 
銀 の 鉛筆 を さげ た えらい 先生 な の だ 
向 ふ へ 行く の に 
肩 を そびやかし て 
そんなに くるっ と ま はるの は 
まるで ほんと の 剣舞 の 風 だ 
… … 曇っ た ガラス 障子 の 向 ふ は 、 
何 か を かし な 廊下 に なっ て ゐ て 
その 黄 な 粗壁 の 土蔵 の 前 に は 
もう たくさん の こども ら が あつまっ て ゐる … … 
さっき の お かっぱ の あの むす め が 
膳 を わざわざ みんな の 前 へ 持っ て き て 
板の間 へ ちゃんと 座っ て 食べ はじめる 
白い 粥 を 盛っ た 二つ の 椀 を 前 に 置い て 
だまっ て 箸 を なめ て ゐる 
影 は 二 っ つ 
横目 で そっと こっち を 見 ながら たべ はじめる 
たべ て ゐる 
榾 火 は いま おき に か は って 
あっち も こっち も 影法師 
さあ 　 さあ 　 向 ふ へ いか ゞ です か 
一 〇 一 一 
一 九 二 七 、 三 、 一九 、 
ひる すぎ に なっ て から 
東 の そら は うす 甘く 赤く なり 
そこ に たくさん の 黒い 実 を つけ た はん の 梢 や 
古風 な 松 の 森 が 盛りあがっ た の です 
… … ひ は うつくしい 
孔雀石 いろ に 着飾っ て 
あ え か な 雪 を 横切っ た … … 
み みづく の 頭 の 形 し た 鳥ヶ森 も ひかり 
テーブル ランド 　 テーブル ランド 
凍っ た その 小さな 川 に 沿っ て 
いくつ ものさびしい 雪 の テレース が 
日 の 裏側 を 
木 の ない と がっ た 岩 頸 まで つ ゞ け ば 
天 の 焦点 は 雪ぐ もの 向 ふ の 白い 日輪 
つらなる 黒い 林 の はて に 
また 亜鉛 いろ の 雪 の はて に 
ノスタルヂヤ 農 学校 の 
ほそ 長く 白い 屋根 が 見える 
一 〇 一 二 
一 九 二 七 、 三 、 二一 、 
… … 野原 は わくわく 白い 偏 光 
菫 外線 を た ゞ よ へり … … 
その 服 は 
おれ の 組合 から 買っ て くれ た の かい 
いや ありがたう 
すてき な なり だ 
まるで これから アフガニスタン へ 馬 を 盗み に 行く やう だ 
そこで そろそろ 
お 嫁さん を もらっ たら どう だ 
もう 貰っ た 
気に入っ た かい 
… … あっ いけ ない 
江釣子 森 だ 
窓 ガラス 越し 
氷 醋 弾 を なげつけ や がっ た ん だ … … 
アムモホス の 使 ひ 方 だって 
うん 
一 〇 一 三 
一 九 二 七 、 三 、 二一 、 
洪積世 が 了 って 
北上川 が いま の 場所 に 固定 し だし た ころ に は 
こ ゝ ら は ひ ば や 
はん や くるみ の 森林 で 
その ところどころ に は 
その いそがしく 悠久 な 世紀 の うち に 
山地 から 運ば れ た 漂礫 が 
あちこち ごちゃごちゃ 置か れ て あっ た 
それ は その後 八 万 年 の 間 に 
あるいは そこら の 著名 な 山岳 の 名 や 
古い 鬼神 の 名前 を 記さ れ たり し て 
いま 秩序 よく 分散 する 
一 〇 一 四 
一 九 二 七 、 三 、 二三 、 
山 の 向 ふ は 濁っ て くらく 
もう 恐慌 が 春 と いっしょ に やっ て ゐる 
野 は ら はま だら な 磁製 の 雪 と 
黝 ぶり 滑べる 　 夜見 来 川 
みんな に 明るく 希望 に 充ち 
わたくし に 暗く 重い 仕事 が 
そこで まもなく 起ら う と する 
鳥 は 雷 気 や 
巨 き な 雲 の 尾 を 恐れ ない 
一 〇 一 五 
一 九 二 七 、 三 、 二三 、 
わたくし の 汲みあげる バケツ が 
井戸 の 中 の 扁菱形 の 影 の 中 から 
たくさん の 気泡 と 
うらら か な 波 を た ゝ へ て 
いま アムバア の 光 の なか に で て くる と 
そこ に ひと ひ ら の 
―― なまめかしい 貝 ―― 
―― ヘリクリサム の 花冠 ―― 
一 ぴき の 蛾 が 落ち て ゐる 
なめらか に 強い 水 の 表面張力 から 
蛾 は いま 溺れよ う と する 
わたくし は この 早い 春 へ の 突進 者 を 
温ん で ひかる 気 海 の なか へ 掬 ひだ してやら う 
ほう 早く も 小さな 水 けむり 
イリデセンス 
春 の 蛾 は 水 を 叩きつけ て 
飛び立つ 
飛び立つ 
飛び立つ 
Zigzag   steerer ,   desert   cheerer . 
いま その 林 の 茶褐色 の 房 と 
不 定形 な 雲 の 間 を 航行 する 
一 〇 一 六 
一 九 二 七 、 三 、 二六 、 
黒 つ ち から たつ 
あたたか な 春 の 湯気 が 
うす 陽 と 雨 と を 縫っ て のぼる 
… … 西 に は ひかる 
白い 天 の ひと きれ も あれ ば 
たくましい 雪 の 斜面 も あら はれる … … 
きみ たち が みんな 労農 党 に なっ て から 
それから ほん と の おれ の 仕事 が はじまる の だ 
… … ところどころ 
みどり いろ の 氈 を つくる の は 
春 の すゞ め の てっ ぱうだ … … 
地 雪 と 黒く ながれる 雲 
一 〇 一 七 
一 九 二 七 、 三 、 二 七 、 
日 が 照っ て ゐ て 
そら は がらんと 暗かっ た 
わたくし は 笹 の なか に 陥 ち 込ん で ねむっ た 
埋もれ て 
鷺 の 群 が いっぱい に 北 へ 渡っ た 
一 〇 一 七 
水 は 黄いろ に ひろがっ て 
いま はも う 
ほん もの の 土佐絵 の 波 も たて て ゐる 
かたつむり の 歩い た あと の やう に ひかり ながら 
島 に 残っ た 松 の 草地 と 
わたくし の 白菜 ば たけ を 浸さ う と する 
いつの間に どうして 行っ た の か 
その 新 らしい 恐ろしい 磯 に 
黒く うかん で 誰 か 四 五 人 立っ て ゐる 
忠一 が いま 吠える やう に 叫ん で 
その 巨 き な 黄いろ な 水 に 石 を なげる 
一 〇 一 八 
一 九 二 七 、 三 、 二八 、 
黒 と 白 と の 細胞 の あらゆる 順列 を つくり 
それ を ば その 細胞 が その 細胞 自身 として 感じ て ゐ て 
それ が 意識 の 流れ で あり 
その 細胞 が また 多く の 電子 系 順列 から でき て ゐる ので 
畢竟 わたくし と は わたくし 自身 が 
わたくし と し て 感ずる 電子 系 の ある 系統 を 云 ふも の で ある 
一 〇 一 九 
一 九 二 七 、 三 、 二八 、 
遠く な だれる 灰 いろ の そら と 
歪ん だ 町 の 広場 の なか に 
わたくし は こみあげる かなし さ を 
青い 神話 として まきちらし た けれども 
小鳥 ら は それ を 啄ま なかっ た 
一 〇 二 〇 
一 九 二 七 、 三 、 二八 、 
労働 を 嫌忌 する この 人 たち が 
また そ 人 たち の 系統 が 
精神病 として さげすま れ 
ライ 病 の やう に 恐れ られる その 時代 が 
崩れる 光 の 塵 と いっ し ょにたうとう 来 た の だ 
一 〇 二 一 
一 九 二 七 、 三 、 二八 、 
あそこ に レオノレ 星座 が 出 てる 
… … そんな 馬鹿 な こと 相手 に なっ て ゐ られる か … … 
ぼう と し た 市街 の コロイダーレ な 照明 の 上 に です 
北 は 銀河 の 盛りあがり 
… … 社会 主義 者 が 行き すぎる … … 
一 九 二 七 、 三 、 三一 、 
いくつ の 
天 末 の 白 びかりする 環 を 
わたくし は いま まで に 数 へ た こと か 
その 雪 融 の 風 の なか から 
胸 うつ 雲 の 下 底 はくらく 
氷 凍 さ れ た 雪 の 岩 頸 
一 〇 二 二 
一 九 二 七 、 四 、 一 、 
根 を 截 り 
芽 を 截 り 
朝日 と 風 と 
春耕 節 の 鳥 の 声 
土 の 塊 り は いちいち に 影 
三 れつ 青 ら む クリスマスツリー と 
青 ぞ ら ひかれ ば 
聖 重 挽馬 が 
いつか こっそり う しろ の は たけ に 立っ て ゐる 
その まっ白 な 脚 毛 
一 〇 二 三 
一 九 二 七 、 四 、 二 、 
南 から 
また 東 から 
ぬるん だ 風 が 吹い て き て 
くる ほしく 春 を 妊 ん だ 黒雲 が 
いくつ も の 野ばら の 藪 を 渉 って 行く 
ひばり と 川 と 
台地 の 上 に は 
いっぱい に 種苗 を 積ん だ 汽車 の 音 
一 〇 二 四 　 　 ローマンス 
一 九 二 七 、 四 、 二 、 
そら が まるっきり ばら いろ で 
そこ に 一 本 若い りんご の 木 が 立っ て ゐる 
KeolgKol .　 おや ふく ろ ふ が ない てる ぞ 
山の上 の 電 燈 から 
市街 の 寒天 質 な 照明 まで 
KeolgKol .　 わるい ので せ う か 
黒い マント の 中 に 二 人 は 
青い 暈 環 を 感じ 
少年 の 唇 は セルリー の 香 
少女 の 頬 は つめ く さ の 花 
KeolgKohl .　 ぼく 永久 に あなた へ 忠節 を ちか ひ ます 
一 〇 二 五 
一 九 二 七 、 四 、 四 、 
… … 古い 聖歌 と 
亜麻 布 を 装 ふ 童子 像 … … 
砂 土 は いま 
四 分の 一 を 耕さ れ 
退役 の 海軍 中佐 は 
数学 の 教師 を やめ て 
つつましく 東京 に 帰っ た 
うるん で 黒い 雲 いっぱい に 
春 　 翔ける 鳥 の 交響 
一 〇 二 六 
一 九 二 七 、 四 、 四 、 
けさ ホー と 縄 と を に な ひ 
新 らしく つくっ た 泥 よ け を 穿い て 
十字軍 の 騎士 の やう に 
白い 頁 に 接吻 し て 別れ 
壁 の 上 に 影 も 残し て 
さ はや かな 風 と いっしょ に 出 て 来 た の だ が 
いま は 耕土 も 暗く て 熱く 
まなこ を あげれ ば 
燃えつき て 痛む 瞳 に 
水 増す 川 と 
尾 を 曳く 雲 に ま ぶれる けむり 
綾 だ ち 酸 え た この ひる すぎ の 
世界 は みんな 
青 いい ろ し た 脂肪酸 で は なから う か 
一 〇 二 七 　 　 雑草 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
うごか なけれ ば なら なく て 
ホー は ひとり で うごい てる の だ 
何 といふ りっぱ な ぢ しばり だ 
羽衣 甘藍 の やう に 紫 銅 色 で 
その 葉 も みんな 尖っ て ゐる 
ブリキ いろ し た 牛蒡 や ちさ で 
も 一つ ちがっ た 図案 を こ ゝ に こ さ へる ため に 
わたくし は いま この 夢 の やう に 縁辺 を まばら に 消 やす 
豪華 な アラベスク を 削っ て ゐる 
この こと に 就 て わたくし は 
あらゆる 聖 物 毀損 の 罪 に 当ら う 
その 償 ひ に こんど こいつ を 
どこ か の ローマン テック な ローン に 使 は う 
その 黄金 の 針金 で できる 皿 がた の 花 を 
そこ いち めん に 展 げ さ せよ う 
雲 の くら さ と 
砂 の 明る さ 
いま 鷺 が どこ か の 洲 に 降り て ゐる 
一 〇 二 八 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
じつに 古くさい 南京袋 で 帆 を はっ て 
おまけ に 風 に 逆 って 
山 の 鉛 が 溶け て 来 た 重い いっぱい の 流れ を 溯っ て 
この 船 は どこ へ 行か う と いふ の だら う 
男 が 三 人 乗っ て ゐる 
じつに うまく ない その つら の 風 
じ ぶん だけ せいぜい は うたう を し て 
それでも 不足 で 不平 だ といふ つら つき だ 
今夜 も みんな 集っ て 
百 五 十 円 ほど 黄いろ な 水 を 呑ま う と いふ の か 
その ばけ そこ な ひ の 酵母 の 糞 を 
町 まで 買 ひ に 行か う と 云 ふ の か 
あんまり 云 ふ こと を きか ない と 
今夜 この 雨 が みんな みぞ れ や 針 に か は って 
芽 を 出し た もの を みんな 潰す ぞ 
一 〇 二 九 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
あんまり 黒 緑 な うろこ 松 の 梢 な ので 
その いちいち の 枝 も 針 も とがり と がり 
そこ に つめたい 風 の 狗 が 吠え 
あめ は つぶつぶ 降っ て くる 
いま いったい 何 時 な の だら う 
今日 は 日 が 出 て ゐ ない ので わから ない 
けれども 鉛筆 を 掌 に たて て 
薄い 影 ぐらゐはできるだらう 
いや かう 立て て は いけ ない 
もっと 臥せ て 掌 に 近く し なけれ ば だめ だ 
あんまり 西 だ 
もう 午 ちかい つか れ や 胸 の 熱し やう な のに 
鉛筆 を 臥せ て は いけ ない の だ 
それ は 投影 に なる ため だ 
向 ふ の 橋 の 東 袂 へ 影 が 落ちれ ば 
大 てい ひるま に きまって ゐる 
こんど 磁石 を もっ て き て 
北 を 何 か に 固定 しよ う 
けれども それ は 畑 の なか で の 位置 によって もち が ひ が ある 
いやさ う で ない 
なるべく 遠い 
山 の 青 びかりする 尖端 とか 
氷河 の 稜 とか を とり さ へ すれ ば 
わ づか な 誤差 で 済む 
風 が 東 に か はれ ば 
その 重く なつかしい 春 の 雲 の 縞 が 
ゆるやか に ゆるやか に 北 へ ながれる 
一 〇 三 〇 
一 九 二 七 、 四 、 五 、 
（ あの 雲 が アットラクテヴ だ と いふ の か ね ） 
その 黒い 雲 が 胸 を うつ と いふ の か 
それ は 可 成 な 群集心理 だ よ 、 
なぜなら きみ と 同じ やう な 
この 野原 の 幾 千 の わか もの たち の 
うらがなしく も なつかしい おも ひ が 
すべて あの 雲 に かかっ て ゐる の だ 
あたたかく くらく おもい もの 
ぬるん だ 水 空気 懸垂 体 
それ こそ ほとんど 恋愛 自身 な の で ある 
なぜなら 恋 の 八 十 パーセント は 
H 2 O で なりたっ て 
のこり は 酸素 と 炭酸 瓦斯 と の 交流 な の だ 
一 〇 三 一 
一 九 二 七 、 四 、 七 、 
いま 撥ね か へる つ ちく れ の 蔭 
古び て 緑 な 陶器 の 蛙 
その 蛙 または ね か へ り 
次 の 土 くれ はね か へ り 
まだ ねむっ て ゐる 春 の 蛙 だ 
うごか ない の は 陶製 の ため 
つ ぎのつちくれいまかゝり 
蛙 よ 
こんど は 　 四 五 日 たっ て 
唐 檜 を こ ゝ に 植 ゑるのだ 
その とき まで に 
眼 を さまし て 外 へ 出 てろ よ 
一 〇 三 二 
一 九 二 七 、 四 、 七 、 
扉 を 推す 
森 と 
西 に 傾く 日 
となり の 巨 き な ヨークシャイヤ 豚 が 
金 毛 に なり 
独楽 の やう に 傾き ながら 
まっしぐら に 西日 にかけて ゐる 　 かけ て ゐる 
追って ゐる の は その 日本 の 酋長 の 娘 
棒 を もっ て 髪 も みだれ か ゞ やき ながら 豚 を 追 ふ 
一 〇 三 三 　 　 悪意 
一 九 二 七 、 四 、 八 、 
夜 の 間 に 吹き 寄せ られ た 黒雲 の へり が 
潜ん だ 太陽 に 焼け て 凄まじい 朝 に なっ た 
今日 の 設計 に は 
あの 悪魔 風 の 鼠 と 赤 と を 使っ て やら う 
口 を ひらい た 魚 の かたち の アンテリナム で こ さ へ て やら う 
いま に あすこ は みんな 魔窟 に か はる の だ から 
その 斜面 に 居 て 仕事 を し たら 
風 が さむく 
陽 も いち に ち 薄い だら う けれども 
ゆ ふ べ みぞ れ が 降ら なかっ た だけ 得 を し た の だ 
一 〇 三 四 
一 九 二 七 、 四 、 八 、 
ち ゞ れ て すがすがしい 雲 の 朝 
烏 二 羽 
谷 に よどむ 氷河 の 風 の 雲 に とぶ 
いま 
スノードン の 峯 の い た ゞ きが 
その 二 きれ の 巨 き な 雲 の 間 から あら はれる 
下 で は 権現堂山 が 
北斎 筆 支那 の 絵図 を 
パノラマ に し て 展 げ て ゐる 
北 は ぼんやり 蛋白 彩 の また 寒天 の 雲 
遊園 地 の 上 の 朝 の 電 燈 
こ ゝ ら の 野原 は ひどい 酸性 で 
灰 いろ の 蘚苔 類 しか 生え ない の です 
権現堂山 は こんど は 酸っぱい 
修羅 の 地形 を 刻み だす 
萱野 の なか に マント 着 て 立つ 三 人 の 子 
聡明 さ と 影 と 
また 擦過 する 鳥 の 影 
東根山 の その コロナ 光り 
姫 神 から 盛岡 の 背後 にわたる 花崗岩 地 が 
いま 寒冷 な 北西 風 と 
湿 ぽい 南 の 風 と で 
大 混乱 の 最中 で ある 
氷霧 や 雨 や 
東 に は あたらしい 雲 の 白髪 
… … 罪 ある もの は 
また のぞみ ある もの は 
その 胸 を ひ ぢ かけ に 投げ て ねむれ … … 
はたらく べき 子 ら 
ま なぶと て 町 に あり し に 
その 歯 なみ うつくしく か ゞ やき に けり 
毛布 着 て 
また 赤き 綿ネル の かつ ぎし て 
八 時 始め の 学校 に 行く 子 ら 
遊園 地 ちかく に 立ち し に 
村 の むす め ら みな 遊び女 の す がた とか はり ぬ 
その ある もの は 
なかば なれる ポーズ を なし 
ある もの は ほとんど 完 き かたち を な せり 
ひと 炭 を に な ひ て 
大股 に 線路 を よこぎり し に 
学校 通 ひ の 子 ら あまた 走り し た が へり 
ひがし の 雲 い よい よ 
その 白 金属 の 処女 性 を 増せ り 
… … 権現堂 や ま はい ま 
須弥山 全 図 を 彩り しめす … … 
けむり と 防火 線 
… … 権現堂 や ま の うし ろ の 雲 
かぎり ない 意慾 の 海 を あら は す … … 
浄 居 の 諸 天 
高らか に うた ふ 
その 白い 朝 の 雲 
一 〇 三 五 
一 九 二 七 、 四 、 一一 、 
えい 木偶 の ば う 
かげろ ふ に 足 を さら は れ 
桑 の 枝 に ひっ からま られ ながら 
しゃちほこばっ て 
おれ の 仕事 を 見 て や がる 
黒 股引 の 泥 人形 め 
川 も 青い し 
タキス の そら も ひかっ てる ん だ 
はやく みんな か げろ ふ に 持っ て かれ て しまへ 
一 〇 三 六 
一 九 二 七 、 四 、 一一 、 
いま は 燃えつき た 瞳 も 痛み 
眼路 も 綾 だ ち 酸 える 
ともだち よ 
世界 は みんな 
青 いい ろ し た 脂肪 で は ない だら う か 
一 〇 三 七 
一 九 二 七 、 四 、 一三 、 
日 が 蔭 って 
豚 が 出 て ある き 
石灰 窒素 の 播か れ た 古い たま な ば たけ を 嗅ぎ ある き 
家 の なか に ひとり 残さ れ た 赤 ん ば う は 
みんな を 索 め て 
いっし ゃうけんめい 　 あらゆる しかた で 発信 する 
一 〇 三 八 　 　 疑 ふ 午 
一 九 二 七 、 四 、 一三 、 
きみ は はっきり 
あの 白い 円い 像 を 
あの 正南 の そら に 見 た の か 
あすこ ら の 雲 が ひどく ひかっ て ゐ た ぐらゐでは 
午 といふ 証拠 に 不足 だら う 
一 〇 三 九 
一 九 二 七 、 四 、 一八 、 
午前 の 仕事 の なかば を 充たし 
わたくし は 旅程 を 了 へ た ヂプシー の やう に 
かつ ぎを 風 に なぶら せ ながら 
ベムベロ も ゆれ 
浅 黄いろ し た 春の 川 べ に ねころば う 
かれ 草 と 影 と 
スノードン の 峯 は 
春 に なっ て から 二 度 雪 が 消え て 
二 度 雪 が 降り 
いま あ はあ はと 土 耳 古玉 の そら に かすん で ゐる 
あすこ の 谷 で 
アスティルベダビデ の 樹液 が 
もう 融け だし て ゐる だら う 
東 へ 翔ける うるん だ 雲 の かた まり を 見れ ば 
ショー の 階級 に 属する 
その うつくしい 女 の 考 が 
夢 の やう に ぼんやり 伝 はっ て くる 
顫 へ て 鳴る の は 
枯草 だら う か 、 
響 尾 蛇 で なく て も 
蛇 は よく その 尾 を 鳴らし 得る 
一 〇 四 〇 
一 九 二 七 、 四 、 一九 、 
光 環 が でき 
軟風 は つめたい 西 に か はっ た 
プラウ を 返せ 
そんなに 睡 い なら 
あの 森 の へり の 
ヒアシンス の 花 の 形 し た 
巨 き な 黄いろ な 芽 を たべ て こい 
一 〇 四 一 　 　 清潔 法 施行 
一 九 二 七 、 四 、 一九 、 
清潔 法 と いっ たって 
階下 に は 青い 藺草 の 敷物 一 枚 だけ だ し 
あと は 
ま はり の 
笹 や ち が や に 火 を つけれ ば 
しばらく たっ て 
路 と 
家 と が きれい に 残る 筈 な の だ 
一 〇 四 二 
一 九 二 七 、 四 、 二一 、 
町 を こめ た 浅 黄いろ のも や の なか に 
咲き の こり の 電 燈 の 一 列 
わたくし の ヒアシンス を 
造花 と 見る 人 が たいへん 多い 
日 が そら で ぼんやり 黄 ばら を け ぶす とき 
この 屋台 は 伯 林 青 で 塗り あげ て ある 
一 〇 四 三 
一 九 二 七 、 四 、 二一 、 
水仙 を かつぎ 
白 と 黄 と の 
やあ お早う 
… … わら ひ に か ゞ やく 村 農 ヤコブ … … 
ぼく も いま ヒアシンス を 売っ て 来 た の です 
ふう 
あゝ 玉菜 苗 
千 川べり へ 植 ゑ 付け ます が 
洪水 を かぶれ ば それ っきり です 
やあ お早う 
い ゝ お 天気 です 
松 の 並木 の 影 
犬 　 黄いろ な むく 犬 め 
鳥 の 声 　 鳥 の 声 
朝日 の なか から 
学校 行き の こども ら が 
も ず の やう に 叫ん で 飛び出し て くる 
一 〇 四 四 
一 九 二 七 、 四 、 二 二 、 
青 ぞ ら は 
ひと の 白い 咽喉 を 射る 
山鳩 ね むげにつぶやくひるま 
風 の 軋り と   wind   gap   の 上 の 巨 き な 石窟 
一 〇 四 五 
一 九 二 七 、 四 、 二 四 、 
桃 いろ の 
アガーチナス な 春 より 少し おくれ て 
ぼんやり し た 黄いろ の 巨 き な 鳥 が やってき た 
それ は そこら の まだ つめたい 空間 に 
光る ペッパー の 点々 を ふりまき 
また ひと びとの 粗暴 な ちか ら を 盗み あつめ て 
ちゃう ど 太陽 に 熟し た 黄金 の 棘 が できる ころ 
東 の 方 へ 飛ん で 行っ た の だ 
さ うし て 
この 歳 は もう みんな に は 
仕事 の なか に 芸術 を 感じ 得る 
その 力強 さ が 喪 はれ て ゐ た 
一 〇 四 六 
一 九 二 七 、 四 、 二 四 、 
萱草 芽 を だす ど て と 坂 
肥 つけ 馬 が はねる は ねる 
青 びいどろの 天 の なか へ 
竜 に なっ て のぼら う として ゐる の だら う 
その 肥 一つ 日 に こぼれ 
木綿 角 縞 の 袍 を 着 た 
歴 山忠 一 押 へる 押 へる 押 へる 
マグノリア の 花 と 陽 の 淡彩 
一 〇 四 七 
一 九 二 七 、 四 、 二 五 、 
川 が 南 の 風 に 逆 って 流れ て ゐる ので 
その いろ も 紋 も あやしく 踊っ て ゐる 
… … 塩 を 食べ 水 を のみ 
塩 を 食べ 水 を のみ … … 
わ づか な 積雲 が 崩れ て 赭 く なり 
山地 で 少し の 雨 を 降らせれ ば 
その 中 で ぼんやり かすむ 早 池峰 の 雪 の 稜 
… … その とき に もしも 
トラクター の 
一つ の 螺旋 が 落ち た なら 
清教徒 たち が みんな いっしょ に 祈る で あら う … … 
楊 みな めぐみ 
野ばら の 蔓 一斉 に ゆす れる なか を 
ぼろぼろ の 暗い カーテン が 
次 から 次 と その 南 から 飛ん で くる 
一 〇 四 八 
一 九 二 七 、 四 、 二六 、 
いま 青い 雪 菜 に 
うすい 春 の 霜 が おり た の で ある か 
それとも 残り の つき し ろ の やさしい 銀 の モナド で ある か 
ひがし は 黄 ばら の わら ひ を けぶし 
川 から は 
あたたか な 梵天 の 呼吸 が 襲っ て くる 
一 〇 四 九 　 　 基督 再臨 
一 九 二 七 、 四 、 二六 、 
風 が 吹い て 
日 が 暮れ か ゝ り 
麦 のう ね が みな 
うるん で 見える こと 
石河 原 の 大小 の 鍬 
まっしろ に 発火 し だし た 
また 労 れ て 死ぬ る 支那 の 苦力 や 
働い た ため に 子 を 生み 悩む 農 婦 たち 
また 、 、 、 、 　 　 の 人 たち が 
みな うつ ゝ とも 夢 と も わか ぬ なか に 云 ふ 
お ま へ ら は 
わたくし の 名 を 知ら ぬ の か 
わたし は エス 
お ま へ ら に 
ふた ゝ び 
あら はれる こと を ば 約し たる 
神 の ひとり 子 エス で ある 
一 〇 五 〇 
一 九 二 七 、 四 、 二八 、 
何もかも みんな しくじっ た の は 
どれ も こっち の て ぬかり から だ 
電 燈 が 霧 の なか につき のこり 
川 で 顔 を 洗 ふ 子 と 
橋 の 方 で は 太く たつ 町 の 黒 けむり 
一 〇 五 一 
一 九 二 七 、 四 、 二八 、 
あっち も こっち も こぶし の はな ざかり 
角 を も 蹄 を も け ぶす 日 なか です 
名誉 村長 わらっ て うなづき 
や な ぎもはやくめぐりだす 
はん の 毬 果 の 日 に 黒けれ ば 
正確 なる 時計 は 蓋し 巨 きく 
憎悪 も て 鍛 へ られ たる その 瞳 は 強し 
小さな 三角 の 田 を 
三 本 鍬 で 日 なか に 起す こと が 
いったい いつ まで 続く で あら う か 
氷 片 と 光 を 含む 風 の なか に 立ち 
老い し 耕 者 も わら ひし なれ 
一 〇 五 二 　 　 ドラビダ 風 
一 九 二 七 、 五 、 一 、 
生温い 風 が 川下 から 吹い て 
砂 土 が 乾き 草 も 乾く 
ドラビダ 風 の かつ ぎし て 
紺 紙 の 雲 に 踊る やう に 耕し 
また 吐息 し て 牛糞 を 盛り 往来 する 
業 は 旋 り 
日 は 熟す 
楊 の 芽 みな 黄いろ に ぼう け 
川 は 空 諦 と 銀 と を 流し 
生温い 風 が 南 から 吹い て 吹い て 
植 ゑた キャベヂ が 萎れ て 白く ひる が へる 
梵 の 教 衆 の 哂 ひ は 遠く 
チーゼル 
ダイアデム 
緑 いろ し た 地 し ばり の 蔓 
風 は 白い 砂 を 吹く 吹く 
もう いくつ の 小さな 砂丘 が 
畑 の なか に でき た こと か 
汗 と 戦慄 
牛糞 に 集る もの は 
迦須弥 から 来 た 緑 青い ろ の 蠅 で ある 
ヴェッサンタラ 王 婆羅門 に 王子 を 施し た とき 
紺 いろ を し た 山 の 稜 さ へ ふるへ た の だ 
右 へ ま はれ 
左 へ ま はれ 
汗 も 酸 え て 風 が 吹く 吹く 
もし 摩 尼 の 珠 を 得 たら ば 
ま づすべての 耕 者 と 工作 者 から 
日 に 二 時間 の 負 ひ 目 を 買 は う 
一 〇 五 三 　 　 政治 家 
一 九 二 七 、 五 、 三 、 
あっち も こっち も 
ひと さわぎ おこし て 
いっぱい 呑み たい やつ ら ばかり だ 
羊歯 の 葉 と 雲 
世界 は そんなに つめたく 暗い 
けれども まもなく 
さ う いふ やつ ら は 
ひとり で 腐っ て 
ひとり で 雨 に 流さ れる 
あと は しん と し た 青い 羊歯 ばかり 
そして それ が 人間 の 石炭 紀 で あっ た と 
どこ か の 透明 な 地質 学者 が 記録 する で あら う 
一 〇 五 四 
一 九 二 七 、 五 、 三 、 
何と 云 はれ て も 
わたくし は ひかる 水玉 
つめたい 雫 
すき と ほっ た 雨 つぶ を 
枝 いっぱい に み て た 
若い 山 ぐみの木 な の で ある 
一 〇 五 五 
一 九 二 七 、 五 、 三 、 
こぶし の 咲き 
きれ ぎれに 雲 の とぶ 
この 巨 き な なまこ 山 の はて に 
紅い 一つ の 擦り傷 が ある 
それ が わたくし も 花壇 を つくっ て ゐる 
花巻温泉 の 遊園 地 な の だ 
一 〇 五 六 
サキノハカ といふ 黒い 花 と いっしょ に 
革命 が やがて やってくる 
ブルジョアジー で も プロレタリアート で も 
お ほ よそ 卑怯 な 下等 な やつ ら は 
みんな ひとり で 日向 へ 出 た 蕈 の やう に 
潰れ て 流れる その 日 が 来る 
やっ て しま へ やっ て しまへ 
酒 を 呑み たい ため に 尤 らしい 波瀾 を 起す やつ も 
じ ぶん だけ で 面白い こと を しつくし て 
人生 が 砂 っ 原 だ なんて いふ に せ 教師 も 
いつ でも きょろきょろ ひと と 自分 と くらべる やつ ら も 
そいつ ら みんな を びしゃびしゃに 叩きつけ て 
その 中 から 卑怯 な 鬼 ども を 追 ひ 払 へ 
それら を みんな 魚 や 豚 に つか せ て しまへ 
はが ね を 鍛 へる やう に 新 らしい 時代 は 新 らしい 人間 を 鍛 へる 
紺 いろ し た 山地 の 稜 を も 砕け 
銀河 を つかっ て 発電 所 も つくれ 
一 〇 五 七 
一 九 二 七 、 五 、 七 、 
古び た 水 いろ の 薄明 穹 の なか に 
巨 き な 鼠 いろ の 葉牡丹 の の びたつころに 
パラス も きらきら ひかり 
町 は 二 層 の 水 の なか 
そこ に 二つ の ナスタンシヤ 焔 
また アーク ライト の 下 を 行く 犬 
さ う で ござい ます 
この お 児 さん は 
植物 界 に 於 る 魔術 師 に なら れる で あり ませ う 
月 が 出れ ば 
たちまち 木 の 枝 の 影 と 網 
そこ に 白い 建物 の ゴシック 風 の 幽霊 
肥料 を 商 ふ さびしい 部落 を 通る とき 
その 片 屋根 が みな 貝殻 に 変装 さ れ て 
海 りんご の に ほ ひ が いっぱい で あっ た 
むかし わたくし は この 学校 の なかっ た とき 
その 森 の 下 の 神主 の 子 で 
大学 を 終 へ たばかり の 友だち と 
春 の いま ごろ こ ゝ を あるい て 居り まし た 
その とき 青い 燐光 の 菓子 で こし ら へ た 雁 は 
西 に かかっ て 居り まし た し 
みち はく さぼ と いっしょ に けむり 
友だち の たばこ の けむり も ながれ まし た 
わたくし は 遠い 停車場 の 一 れつ の あかり を のぞみ 
それ が 一つ の 巨 き な 建物 の やう に 見え ます こと から 
その 建物 の 舎監 に ならう と 云 ひ まし た 
そして まもなく この 学校 が たち 
わたくし は その がらん と し た 巨 き な 寄宿舎 の 
舎監 に 任命 さ れ まし た 
恋人 が 雪 の 夜 何 べ ん も 
黒い マント を かつい で 男 の ふう を し て 
わたくし を た づねてまゐりました 
そして もう 何 も かも すぎ て しまっ た の です 
ごらん なさい 
遊園 地 の 電 燈 が 
天 に のぼっ て 行く の です 
のぼれ ない 灯 が 
あすこ で かなしく 漂 ふ の です 
一 〇 五 八 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
銀 の モナド の ちらばる 虚空 
すべて 青 ら む 禁欲 の 天 に 立つ 
聖 く 清浄 な 春 の 樹 の 列 
み みづく の 頭 の かたち し た 鳥ヶ森 の 雪 なかば と け 
小 く やさしい 貴女 たち の ゆ ゑに 
雪 や な ぎひかれば 
すもも の 花 の し た で 
黒衣 の 童子 に まかれる 燐酸 も ひかる 
雪 と 青い 天 と つらなる 尾根 が 
胆 礬 で もっ て 染め られ た の だ 
こっち は 田 を 鋤く 馬 と 白い シャツ 
芽 を ださ ぬ 栗 の 木 の 天蓋 に 
無数 に おりる ガラス の 小鳥 
尾根 いよよ 青く 惑 む 
一 〇 五 九 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
芽 を だし た ため に 
大 へん 白っぽく 甘酸っぱく なっ た 山 で ある 
この わ づか な 休息 の 時間 に 
上層 の 風 と 交通 する ため の 第 一 の 条件 は 
そんな 肥っ た 空気 の ふぐ や 
あはれ な レ デー を 
煙幕 で もっ て 退却 さ せる こと で ある 
… … 川 なめらか に くすん で なが れ … … 
実に 見 給 へ 　 傾斜地 に でき た 
すばらしい 杉 の 方陣 で ある 
諸君 よ 五月 に なる と 
林 の なか の あらゆる 木 
あらゆる その 藪 の なか の いちいち の 枝 
みな ことごとく や はら か な 芽 を ひろげる の で ある 
川 にぶく ひかっ て なが れ 
退職 の 警察 署長 の むす め が 
水 いろ の 上着 を 着 て 
電車 に のっ て 小学校 に 出勤 し ながら 
まち の 古い ブルジョア 出身 の 技術 者 を 
少し の 厭 悪 で 見 て ゐ た の で ある 
こ ゝ は ひどい 日蔭 だ 
ぎざぎざ の 松倉山 の 下 の その 日蔭 で ある 
あんまり 永く とまっ て ゐ たく ない 
けれども いったい 
これ を 岩 頸 だ なんて 誰 が 云 ふ の か 
一 〇 六 〇 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
苹果 の え だ を 兎 に 食 はれ まし た 
桜 ん ぼ の 方 は 食 ひ ませ ん で 
桃 も やっぱり 食 はれ まし た 
そらそら 
その 食 はれ た 苹果 の 樹 の 幽霊 が 
その 谷 に たっ て いっぱい 花 を つけ て ゐる で ない か 
一 〇 六 一 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
ひ はい ろ の 笹 で 埋め た 嶺 線 に 
ぼ し ゃぼしゃならんだ 青 ぞ ら の 小松 で ある 
その 谷 が みな 蔭 に なり 
その 六方 石谷 みな 蔭 に なり 
お 辰 の うち の すもも の 花 が いっ ぱいにそこにうかんでゐる 
一 尺 角 の 木 の 格子 で 組みあげ た 
実に 頑丈 な 木 小屋 で ある 
下 の 温泉 宿 の 看板娘 は 嫁 に 行き 
おとな も こども も あかん ぼ も 
みんな いっぱい 灼い た りんご を 食っ た の で ある 
その とき お 辰 は 
黒い 絹 に 赤い 縞 の は ひっ た 
エヂプト 風 の 雪 ば かま を はい て 
お 嫁さん に 随 い て 行っ た の で ある 
一 〇 六 二 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
墓地 を すっかり   square   に し て 
古く から の 馬頭観音 は とり のけ た し 
枝垂れ の 巨 き な 桜 は きれい に 伐っ て しまっ た 
その 崖 下 を 昔 から のけ は しい 山川 が 
春 は 春 らしく ながれ て ゐる 
小林 区 が 行っ て しまっ て から 
苗圃 は 荒れ た 粟 畑 に なり 
腐植 も 減っ て あちこち 茶 いろ に ぶち て しまっ た 
針金 製 の インクライン が 
鼠 いろ の 凝灰岩 を 吊し て 
つぎつぎ 川 から のぼっ て くる 
日 あたり の 荒い 岩 か ど を 
巡礼 の こ ゝ ろ もち で 
つ ゝ ま しく 
西 の 温泉 から 帰っ て くる 
百姓 の 家族 たち 
一 〇 六 三 
一 九 二 七 、 五 、 九 、 
これら は 素樸 な アイヌ 風 の 木柵 で あり ます 
え ゝ 
家 の 前 の 桑 の 木 を 
Ｙ の 字 に 仕立て て 見 た の で あり ます が 
それでも 家計 は 立た なかっ た の です 
四月 は 
苗代 の 水 が 黒く て 
くらい 空気 の 小さな 渦 が 
毎日 つぶつぶ そら から 降っ て 
そこ を 烏 が 
が あ が あ 啼い て 通っ た の で あり ます 
どう いふ もの で ござい ませ う か 
斯 う いふ 角 だっ た 石ころ だらけ の 
いっ ぱいにすぎなやよもぎの 生え て しまっ た 畑 を 
子供 を 生み ながら また 前 の 子供 の ぼろ 着物 を 綴り合せ ながら 
また 炊爨 と 村 の 義理 首尾 と を し ながら 
一家 の あらゆる 不満 や 慾望 を 負 ひ ながら 
わ づか に 粗 渋 な 食 と 年中 六 時間 の 睡り を とり ながら 
これら の 黒い かつ ぎし た 女 の 人 たち が 耕す の で あり ます 
この 人 たち は また 
ちゃう ど 二 円 代 の 肥料 の か はり に 
あんな 笹山 を 一 反歩 ほど 切り ひらく の で あり ます 
そして 
ここ で は 蕎麦 が 二 斗 まい て 四 斗 とれ ます 
この 人 たち は いったい 
牢獄 に つなが れ た たくさん の 革命 家 や 
不遇 に 了 へ た 多く の 芸術 家 
これら 近代 的 な 英雄 たち に 
果して 比肩 し 得 ぬ もの で ござい ませ う か 
一 〇 六 四 
一 九 二 七 、 五 、 一二 、 
失せ た と 思っ た アンテリナム が 
みんな 立派 に 育っ て ゐ た 
キンキン 光る 青 繻子 の そら 
あすこ の 花壇 を 
それで ぎらぎら さ せ られる の だ 
風 の 向 ふ の 崖 の 方 で 
わ づか な 蝉 の 声 が する 
いったい わたくし は 
いつ 蜂 雀 に 夏 を 約束 し た の か 
一 〇 六 五 
一 九 二 七 、 五 、 一二 、 
さっき は 陽 が 
草地 から 来 た のに 
こんど は ひかる 雲 の 裂け目 から 来よ う と する 
今年 も すっかり 
手 が ひ ゞ 入っ て しまっ た 
みだれ た 雲 と 
たくさん の 羽虫 
風 は 吹く けれども 山鳩 は なく の で ある 
一 〇 六 六 
一 九 二 七 、 五 、 一二 、 
今日 こそ わたくし は 
どんなに し て あの 光る 青い あぶ ども が 風 の なか から 迷っ て 
わたくし の ガラス の 室 の 中 に は ひっ て 
わたくし の 留守 中 室 の 中 を はね あるく か 
すっかり 見届け た つもり で ある 
一 〇 六 七 　 　 鬼 語 四 
一 九 二 七 、 五 、 一三 、 
そんなに 無事 が 苦しい なら 
あの 死刑 の 残り の 一族 を 
お ま へ の うち へ 乗り込ま せよ う 
一 〇 六 八 
一 九 二 七 、 五 、 一 四 、 
エレキ の 雲 が ば し ゃばしゃ 飛ん で 
一 本 の 杉 の 枯れ た 心 が 
避雷針 と で も いふ やう に 
二 露 里 に 亙る 林 の なか に 立っ て ゐる 
こんもり と 新芽 を ふい た 白樺 の 下 に 
一つ の 古い そり が 置き すて られる 
… … 岩手 山麓 地方 の 
ブッシュ タイプ に 就 て 研究 せよ … … 
Nymph ,   Nymphaus ,   Nymphaea 
羊歯 の 花 を 借り て き て 
いっぱい につけ た 古い 楢 の 木 で で も ある か 
雲 は 黒い 尾 を 曳い て 
しづか に ま はり を か けち が ふ 
一 〇 六 九 
一 九 二 七 、 五 、 一 五 、 
すがれ のち 萱 を 
ぎらぎら に 
青 ぞ ら に 射る 日 
川 は 銀 の 
川 は 銀 の 
恋人 の ところ から ひと りつ ゝ まし く 村 の 学校 に 帰っ て 
彼女 は 食品 化学 を 勉強 し て ゐる の で ある 
一 点 つめたく わたくし の 額 を うつ もの は 
青 ぞ ら から 来 た アルコール 製 の 雨 で ある か 
竜 が 持っ て き た 薄荷油 の 滴 で ある か 
青い 蠅 が 一疋 
思想 の 隅 角 部 を 過ぎる 
一 〇 七 〇 　 　 科学 に関する 流言 
一 九 二 七 、 五 、 一九 、 
今日 ちゃう ど 二 時半 ころ だ 
高木 から 更木 へ 通る 郡 道 の 
まっ青 な 麦 の 間 を 
馬 が ま づ 円筒 形 に 氷 凍 さ れ た 
直径 四 十 糎 の 水銀 を 
二 っ つつ け て 南 へ 行っ た 
それから 八 分 半 ほど 経っ て 
同じ もの を 六 本 車 に つけ て 
人 が 二 人 で 運ん で 行っ た 
いや あの 古い 西 岩手 火山 の 
いちばん 小さな 弟 にあたる やつ が 
次 の 噴火 を 弗素 で やら う と 
いろいろ 仕度 を し て ゐる さ う だ 
一 〇 七 一 
一 九 二 七 、 六 、 一 、 
わたくし ども は 
ちゃう ど 一 年 いっしょ に 暮し まし た 
その 女 は やさしく 蒼白く 
その 眼 は いつ でも 何 か わたくし の わから ない 夢 を 見 て ゐる やう でし た 
いっしょ に なっ た その 夏 の ある 朝 
わたくし は 町 は づれの 橋 で 
村 の 娘 が 持っ て 来 た 花 が あまり 美しかっ た ので 
二 十 銭 だけ 買っ て うち に 帰り まし たら 
妻 は 空い て ゐ た 金魚 の 壺 に さし て 
店 へ 並べて 居り まし た 
夕方 帰っ て 来 まし たら 
妻 は わたくし の 顔 を 見 て ふしぎ な 笑 ひ やう を し まし た 
見る と 食卓 に は いろいろ な 果物 や 
白い 洋 皿 など まで 並べ て あり ます ので 
どう し た の か と たづ ね まし たら 
あの 花 が 今日 ひる の 間 に ちゃう ど 二 円 に 売れ た といふ の です 
… … その 青い 夜 の 風 や 星 、 
す だれ や 魂 を 送る 火 や … … 
そして その 冬 
妻 は 何 の 苦しみ といふ の で も なく 
萎れる やう に 崩れる やう に 一 日 病ん で 没 く なり まし た 
一 〇 七 二 　 　 峠 の 上 で 雨雲 に 云 ふ 
一 九 二 七 、 六 、 一 、 
黒く 淫ら な 雨雲 よ 
… … もし 翻訳 者 兼 バリトン 歌手 
清水 金太郎 氏 の 口吻 を かり て 云 は ば … … 
わたくし は この 峠 の 上 の うす びかりする 気 から 
また こ ゝ を 通る かをり ある つめたい 風 から 
また 山谷 の 凄まじい 青い 刻 鏤 から 
わたくし の 暗い 情炎 を 洗 はう として 
今日 の 旅程 の わ づか な 絶間 を 
分水嶺 の この 頂点 に 登っ て 来 た の で ある が 
全体 　 黒い ニムブス よ 
… … 翻訳 家 兼 バリトン 歌手 
清水 金太郎 氏 の 口吻 を かり て 云 は ば だ … … 
お ま へ は 却って わたくし を 
地球 の 青い もりあがり に対して 
一層 強い 慾 情 を 約束 し 
風 の 城 に 誘惑 しよ う と する 
けだし その まがりくねっ た 白樺 の 枝 に 
つぐみ が 黒い 木の実 を く は へ て 飛ん で き て 
わたくし を 見 て あわて て 遁 げ て 行っ た こと 
平たく 黒い 気 層 の なまこ 
五葉山 の 鞍部 に 於 て 
お ま へ が いろいろ の みだら な ひかり と かたち と で 
あらゆる 変幻 と 出没 と を 示す こと 
お ま へ の 影 が 巨 き な 網 を つくっ て 
一様 に ひ はいろ なる べき 山地 を 覆 ひ 
わたくし の 眼路 から 
ほとんど それら の 彫刻 を 迷 はせる こと 
これら を 綜合 し て 見る に 
あやしく や はら か な ニムブス よ 
… … い ゝ か な 
翻訳 家 兼 バリトン 歌手 の 
清水 金太郎 氏 に 従 へ ば だ ぞ … … 
最後 に それら の 凄まじい 明暗 で 
もう 全 天 を 被 ふ べく 
且つ は そこ から セロ の 音 する 液体 を そ ゝ ぐべく 
… … 白 極 海 の ラルゴ に 手 を のばす … … 
みだら な 触手 を わたくし に のばし 
の ばら と つか ず 胸 ときめかす あやしい 香気 を 風 に 送っ て 
湖 とも 雲 と も わか ぬ しろ びかりの 平原 を 東 に 湛 へ 
た うとう まっくろ な 尾 を ひる が へし 
… … 一 点 なまめく その 下 の 日 かげ … … 
わたくし を とら う と 迫る の で ある か 
一 〇 七 三 　 　 鉱山 駅 
一 九 二 七 、 六 、 一 、 
鉱石 も ぬれ シグナル も ぬれ 
工 の 字 つい た 帽子 も ぬれれ ば 
山 の 青葉 も 坑夫 の こども の 
黒い か うも り 傘 も ぬれる 
五葉山 雲 の 往き か ひ 
また なか ぞ ら に 雲 の 往き か ひ 
あわ た ゞ しく 仕舞 はれる 古い 宿屋 の 鯉のぼり 
峠 の 上 の でん しん ば しら も け は しい 雲 に ひとり立ち 
その 雲 と 桐 ば たけ の 雨 の なか から 
ぬれ た 二 疋 の 裸 の サラーブレッド が あら はれる 
その 耳 も たち その 尾 も ゆらげ ば 
銅像 に も なる 立派 な サラーブレッド で ある 
雨 を うち また 空気 を うっ て 
一 人 の こども が こぶし を かため 
馬 を おどし て はしら せる 
馬 は 互に た は むれ て 
雲 の 尾 行き 交 ふ 山 の 尾根 
シグナル も ぬれ 家 も ぬれ 
一 〇 七 四 
一 九 二 七 、 六 、 一二 、 
青 ぞ ら の はて の はて 
水素 さ へ あまりに 稀薄 な 気圏 の 上 に 
「 わたくし は 世界 一切 で ある 
世界 は 移ろ ふ 青い 夢 の 影 で ある 」 
な どこ の やう な こと すら も 
あまりに 重く て 考へ られ ぬ 
永久 で 透明 な 生物 の 群 が 棲む 
一 〇 七 五 
一 九 二 七 、 六 、 一三 、 
わたくし は 今日 死ぬ の で ある か 
東 に うかん だ 黒 と 白 と の 積雲 製 の 冠 を 
わたくし は とっ て い ゝ の で ある か 
一 〇 七 六 　 　 囈語 
一 九 二 七 、 六 、 一三 、 
罪 は いま 疾 に か はり 
わたくし は たより なく 
河谷 の そら に ねむっ て ゐる 
せめて も せめて も 
この 身 熱 に 
今年 の 青い 槍 の 葉 よ 活着 け 
この 湿気 から 
雨 よ うまれ て 
ひで り の つ ち を うる お ほせ 
一 〇 七 七 
一 九 二 七 、 六 、 三 〇 、 
その 青じろい そら の した を 
金 の ある やつ ら は みんな そ な へ が 厳しい し 
どこ に 工面 に 行か う に も みち が ない 
… … ぬるん だ 風 とも ひとつ なにか 音 の 渦巻 … … 
この ゑん 樹 の 木 だ 
甘い かをり と いっぱい の 蜂 
その コロイダーレ な 影 の なか を 
月光 いろ の 花 が しづか に 降る 
遠く で は 規則正しく 鼻 を 鳴らす 馬 
一 〇 七 八 
一 九 二 七 、 六 、 三 〇 、 
金策 も 尽き はて た いま ごろ 
まばゆい 巻層雲 に 
銀 いろ に 立ち 消え て 行く まち の けむり 
一 〇 七 九 
一 九 二 七 、 七 、 一 、 
わたくし が 
ちゃう ど あなた の いま の 椅子 に 居 て 
あなた が わたくし を 訪ね て 来ら れ まし た とき 
… … アカシヤ の 枝 ゆらゆら ゆれる … … 
わたくし の 云 ひ まし た こと 表情 し まし た こと が 
もしか あなた を 傷つけ は し ませ ん でし た で せ う か 
… … 崩れ て 光る 夏 の 雲 … … 
それ は 今日 わたくし が 疲れ やつれ て 
あなた を たづ ね て 来 た の で あり ます が 
ああ あなた の ことば や お も もち は 
いま 数 倍 の 強 さ に なっ て 
… … 風 も 燃え … … 
わたくし の 胸 を 刺す の で あり ます 
… … 風 も 燃え 
禾草 も 燃える … … 
一 〇 八 〇 
一 九 二 七 、 七 、 七 、 
栗 の 木花 さき 
稲田 いち めん 青く 平ら な 
イーハトーヴ の 七月 で ある 
洞 の やう な 眼 し て 
風 を 見つめる もの … … 
はん の き と 萱 の 群落 
さ はや かに よし は 刈ら れ て 
今年 も 燃える アイリス の 花 
また わ づか に ひかる 　 あざみ の 花 
幾重 の 山 なみ に 雲 た ゝ なびき 
月見草 の 花弁 萎む 
その ひとみ の いろ 灰 いろ に し てつ ゝ ま しく 
短く 刈ら れ て 赤 いひ げ と 
風 に やつれ た おも もち は 
更に 二 聯 の 
精神 作用 を 伴 へ ば 
聖者 の 像 と も なる 顔 で ある 
飯岡山 の 肩 ひらけ 
そこ から 青じろい 西 の 天 うかび 立つ 
一 〇 八 一 
一 九 二 七 、 七 、 一 〇 、 
沼 の しづか な 日照り雨 の なか で 
青い 蘆 が お ま へ を 傷つけ 
かきつばた の 火 が ゆらゆら 燃える 
雨 が 、 雲 が 、 水 が 、 林 が 
お ま へ たち で また わたくし な の で ある から 
われわれ は いったい どう すれ ば い ゝ の で あらう 
けり が 滑れ ば 
黄金 の 芒 
一 〇 八 二 
一 九 二 七 、 七 、 一 〇 、 
あすこ の 田 は ねえ 
あの 品種 で は 少し 窒素 が 多 過ぎる から 
もう きっぱり と 水 を 切っ て ね 
三 番 除草 は やめる ん だ 
… … 車 を おし ながら 
遠く から わたくし を 見 て 
走っ て 汗 を ふい て ゐる … … 
それから もしも この 天候 が 
これから 五 日 続い たら 、 
あの 枝垂れ 葉 を ねえ 、 
斯 う いふ ふう な 枝垂れ 葉 を ねえ 
むしっ て とっ て しまふ ん だ 
… … 汗 を 拭く 
青田 の なか で せ は しく 額 の 汗 を 拭く その こども … … 
それから 　 い ゝ かい 
今月 末 に あの 稲 が 君 の 胸 より 延び たら ねえ 
ちゃう ど シャッツ の 上 の ボタン を 定規 に し て ねえ 
葉 尖 を 刈っ て しまふ ん だ 
… … 泣い て ゐる の か 
泪 を 拭い て ゐる の だ な … … 
… … 冬 わたくし の 講習 に 来 た とき は 
一 年 はたらい た あと と は 云 へ 
まだ か ゞ や かな 頬 　 苹果 の わら ひ を もっ て ゐ た 
今日 は もう 悼ま しく 汗 と 日 に 焼け 
幾日 の 養蚕 の 夜 に やつれ て ゐる … … 
君 が 自分 で 設計 し た 
あの 田 も すっかり 見 て 来 た よ 
陸 羽 一 三 二 号 の はう ね 
あれ はず ゐ ぶん 上手 に 行っ た 
肥え も 少し も むら が ない し 
植 ゑかたも 育ち 工合 も ほん た うに い ゝ 
硫安 だって きみ が じ ぶん で 播い たら う 
みんな が いろいろ 云 ふ だら う が 
あっち は 少し も 心配 が ない 
反 当 二 石 五 斗 なら もう きまっ た やう な もの な ん だ 
しっかり やる ん だ よ 
これから の 本当 の 勉強 は ねえ 
テニス を し ながら 　 商売 の 先生 から 
きまっ た 時間 で 習 ふ こと で は ない ん だ よ 
きみ の やう に さ 
吹雪 や わ づか な 仕事 の ひま で 
泣き ながら 
からだ に 刻ん で 行く 勉強 が 
あたらしい 芽 を ぐんぐん 噴い て 
どこ まで 延びる か わから ない 
それ が あたらしい 時代 の 百姓 全体 の 学問 な ん だ 
ぢ ゃ 　 さ やう なら 
雲 から も 風 から も 
透明 な エネルギー が 
その こども に そ ゝ ぎく だれ 
一 〇 八 三 
一 九 二 七 、 七 、 一 四 、 
南 から また 西南 から 
和風 は 河谷 いっぱい に 吹く 
七 日 に 亙る 強い 雨 から 
徒長 に 過ぎ た 稲 を 波立て 
葉 ごと の 暗い 露 を 落し て 
和風 は 河谷 いっぱい に 吹く 
この 七月 の なかば の うち に 
十 二 の 赤い 朝焼け と 
湿度 九 〇 の 六 日 を 数 へ 
異常 な 気温 の 高 さ と 霧 と 
多く の 稲 は 秋 近い まで 伸び 過ぎ た 
その 茎 は みな 弱く 軟らかく 
小暑 の なか に 枝垂れ 葉 を 出し 
明け ぞ ら の 赤い 破片 は 雨 に 運ば れ 
あちこち に 稲 熱 の 斑点 も つくり 
ず ゐ 虫 は 葉 を 黄いろ に 伸ばし た 
今朝 黄金 の ばら 東 も ひらけ 
雲 は 騰っ て 青 ぞ ら も でき 
澱ん だ 霧 も はるか に 翔ける 
森 で 埋め た 地平線 から 
たくさん の 古い 火山 の は いき ょから 
風 はいち めん 稲田 を ゆすり 
汗 に まみれ た シャツ も 乾け ば 
こども の 百姓 の 熱し た 額 や まぶた を 冷やす 
あゝ さ は や か な 蒸散 と 
透明 な 汁 液 の 転移 
燐酸 と 硅酸 の 吸収 に 
細胞 膜 の 堅い 結束 
乾かさ れ 堅め られ た 葉 と 茎 は 
冷 で の 強い 風 に ならさ れ 
oryza   sativa   よ 稲 と も 見え ぬ まで 
こ ゝ を キルギス 曠原 と 見せる まで 
和風 は 河谷 いっぱい に 吹く 
一 〇 八 四 
一 九 二 七 、 七 、 二 四 、 
ひと は すでに 二 千 年 から 
地面 を 平ら に する こと と 
そこ を 一様 夏 に は 青く 
秋 に は 黄いろ に する こと を 
努力 し つ ゞ け て 来 た の で ある が 
何故 いまだに われ ら の 土 が 
おの づか ら なる 紺 の 地平 と 
華 果 と を もたらさ ぬ ので あら う 
向 ふ に 青 緑 こと に 沈ん で 暗い の は 
染 汚 の 象形 雲 影 で あり 
高下 の しるし 窒素 の 量 の 過大 で ある 
一 〇 八 五 
一 九 二 七 、 七 、 二 四 、 
午 は つか れ て 塚 に ねむれ ば 
積乱雲 一つ ひかっ て 翔ける ころ 
七 庚申 の 碑 は つめたく て 
（ 田 の 草取 に 何故 唄 はれ ぬ の か 
草刈 に なぜ うた は ぬ か 
また あの 崖 の 灰 いろ の 小屋 
籾 磨 に なぜ うた は ない の か ） 
北 の 和風 は 松 に 鳴り 
稲 の 青い 鎗 ほのか に 旋 り 
き むぽうげみな 
青 緑 或は 
ヘンルーダ カーミン の 金米糖 を 示す 
（ 峡 流 の 水 の やう に 
十一月 の 風 の やう に 
絶えず 爽 か に 疲れ ぬ 巨身 を 得る ため に ） 
一 〇 八 六 　 　 ダリヤ 品評 会 席上 
一 九 二 七 、 八 、 一六 、 
西暦 一 千 九 百 二 十 七 年 に 於 る 
当 イーハトーボ 地方 の 夏 は 
この 世紀 に 入っ て から 曾 つて 見 ない ほど の 
恐ろしい 石竹 いろ と 湿潤 さ と を 示し まし た 
為 に 当 地方 で の 主 作物   oryza   sativa 
稲 、 あの 青い 槍 の 穂 は 
常 年 に 比し 既に 四 割 も 徒長 を 来し 
その ある もの は 既に 倒れ て また 起き ず 
ある もの は 花 なく 白き 空穂 を 得 まし た 
また か の 六 角 シェバリエー 、 
芒 うつくしい   Horadium   大麦 の 類 の 穂 は 
畑地 の なか で 或は 脱落 或は 穂 の ま ゝ 発芽 を 来し 
その とりいれ はげ に も 心せ は しく あわ た ゞ し い かぎり で あり まし た 
これら の すき間 を 埋める ため に 
諸氏 は 同じく 湿潤 に し て 高温 な 
気 層 の なか から 、 
四 百 の 異 る ラムプ の 種類 、 
Dahlia   variaviris   の 花 を 集め て 
この 色 淡い 凝灰岩 の 建物 の 
石英 燈 の 照明 と 浸 液 アルコール の かをり の 中 
窓 より は 遥か に 熱帯 風 の 赤い 門火 の 列 を のぞみ 
白い リネン で 覆 はれ た 卓 に つらね て 
その 花 の 品位 を 
われ ら 公衆 の 投票 に 問 はれ まし た 
すでに 得点 は 数 へ られ 
その 品等 は 定め られ た の で あり ます 故に 
いま わたくし の 嗜好 を は なれ 
これら の 花 が 何故 然 く 大 なる 点 を 得 た の で ある か 
その 原因 を 考へ ます る 
第 百 一 号 これ は まことに 一 位 を 得 た の で あり ます が 
かつ その 形 は ありふれ た デコラチーブ で あり ます が 
更に 子細 に その 色 を 看よ 
そ は 何 色 と 名づける べき か 
赤 、 黄 、 白 、 黒 、 紫 、 褐 の あらゆる もの を とかし つつ 
ひとり 黎明 の ごとく ゆるやか に かなしく 思索 する 
この 花 に も しそ が 望む 大 なる 爆発 を 許す と すれ ば 
或いは 新た な 巨 き な 科学 の しばらく 許す 水銀 いろ か 
或いは 新た な 巨大 な 信仰 の その 未知 な 情熱 の 色 か 
容易 に 予期 を 許さ ぬ の で あり ます 
まことに この 花 に対する 投票 者 を 検 し まし て も 
真摯 なる 労農 党 の 委員 諸氏 
法科 並びに 宗教 大学 の 学生 諸君 から 
クリスチャン Ｔ 氏 農学 校長 Ｎ 氏 を 連ね て 
云 は ば 一 千 九 百 二 十 年代 の 
新た に 来る べき 世界 に対する 
希望 の 象徴 として この 花 を 見 た の で あり ます 
これ に 次 で は 第 百 四 十 
これ は 何たる つ ゝ ま しく 
やさしい 支那 の 歌 妓 で あらう 
それ は 焦る ゝ 葡萄 紅 なる 情熱 を 
各 カクタス の 弁 の 基部 に ひそめ て 
よ ぢ れ た 花 の 尖端 は 
伝統 による 奇怪 な 歌詞 を 叙 べ る の で あり ます 
更に その 雪白 に し て 尖端 に 至っ て 寧ろ 見え ざる 水色 を 示す もの は 
その 情熱 の 清い 昇華 を 示す もの で あり ます 
もし この 町 が 
未だに 近代 文明 によって 而 く 混乱 せ られ ざる 
遠野 或いは ヤルカンド で あら ば 
恐らく この 花 が 一 位 の 投票 を 得 た で あり ませ う 
更に 深 赤 第 三 百 五 、 
この 花 こそ はか の 窓 の 外 
今宵 門並 に 燃す 熱帯 インダス 地方 
たえず 動ける 赤い 火 輪 を 示し ます 
最後 に 一言 重ね ますれ ば 
今日 の 投票 を 得 たる 花 に は 
一 も 完成 さ れ たる もの が ない の で あり ます 
完成 さ れ ざる がま ゝ に そ は 次次 に 分解 し 
すでに 今夕 は 花 も その 弁 の 尖端 を 酸素 に 冒さ れ 
茲数日 の うち に は 消える と 思は れ ます が 
すでに 今日 まで 第 四 次 限 の なか に 
可 成 な 軌跡 を 刻み 来っ た もの で あり ます 
一 〇 八 七 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
… … ぢ し ばり の 蔓 … … 
もう 働く な 
働く こと が 却って 卑怯 な とき も ある 
夜明け の 雷雨 が 
おれ の 教 へ た 稲 を あちこち 倒し た ため に 
こんなに めちゃくちゃ はたらい て 
不安 を まぎらさ う として ゐる の だ 
… … あゝ けれども 　 また あたらしく 
西 に は 黒い 死 の 群像 が 浮き あがる 
春 に は 春 に は 
それ は 明るい 恋愛 自身 だっ た で ない か … … 
さあ 
帰っ て すっかり ぬれる 支度 を し 
切 で きちっと 頭 を 縛っ て 出 て 
青ざめ て 
こ は ばっ た たくさん の 顔 に 
一 人 づつぶっつかって 
火 の つい た やう に はげ まし て ある け 
穫れ ない 分 は 弁償 する と 答 へ て ある け 
死ん で とれる 保険 金 を その 人 たち に ぶっつけ て ある け 
一 〇 八 八 　 　 祈り 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
倒れ た 稲 を 追 ひ かけ て 
これから も まだ 降る といふ の か 
一 冬 鉄道 工夫 に 出 たり 
身 を 切る やう な 利 金 を 借り て 
やう やく 肥料 も し た 稲 を 
まだ くしゃくしゃ に 潰さ なけれ ば なら ぬ の か 
電気 会社 が 
ひな かも 点す この そら の いろ 
田 ごと に しめ も 張り 亙 し 
かな がら の 幣 さ へ たて て 
稔り ある 秋 を 待つ のに 
無心 に 暗い 雨 ぐもよ 
一 〇 八 九 　 　 路 を 問 ふ 
一 九 二 七 、 八 、 二 〇 、 
二 時 が こんなに くらい の は 
時計 の 中 まで ぬれ た の か 
本 街道 を はなれ て から は 
みち は 倒れ た 稲 の 中 だ の 
陰気 な ひ ば や 杉 の 影 だ の 
まがっ て まがっ て ここ まで 来 た が 
里程 に し て は まだ そんなに も ある い て ゐ ない 
そして いったい おれ の 訪ね て 行く さき は 
地べた に つい た 北 のけ は しい 雨雲 だ 
また い なびか り 
まるで ぎらっとそこらを 嘗め て 行き や がる 
本物 が まだ 鳴り出さ ない で 
あっち も こっち も 
気 ち が ひ みたい に ごろごろ ま はるか ら 水車 、 
… … 東 は 楊 … … 
た うとう ぶちまけ や がる 雷 め 
路 が 野原 や 田圃 の なか へ 
幾 本 に も 斯 う 岐 れ て しまっ た 上 は 
もう どうしても この 家 で 訊く より 仕方 ない 
何 といふ 陰気 な 細い 入口 だら う 
ひ ば だの 桑 だの 倒れ かかっ た すゝ きだ の 
おまけ に それ が どし ゃどしゃぬれて 
まるで あらゆる 人 を 恐れ て 棲ん でる やう だ 
雨 の しろ びかりのなかの 
小さな 萱 の 家 の なか に 
小さな 萱 家 の 座敷 の なか に 
子供 を だい て 女 が ひとり ねそべっ て ゐる 
その だらし ない 乳房 や うち は 
蠅 と 暗 さ と 、 
女 は 何 か 面倒 さ うに 向 ふ を 向く 
病院 の レントゲン に 出 て ゐ た 高橋 君 の … … 
おれ は ほとんど 上の空 で 訊い て ゐる 
一 〇 九 〇 
何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
世界 ぜんたい 間 に 合 は ない 
その 親愛 な 仲間 の ひとり 
また 稲 びかり 
雑誌 を 読ん で 兎 を 飼っ て 
その 兎 の 眼 が 赤く うるん で 
草 も たべれ ば 小鳥 みたい に 啼き も する 
何 といふ 北 の 暗 さ だ 
また 一 ぺん に 叩く の だら う 
さ うし て それ も 間 に 合 は ない 
貧しい 小屋 の 軒下 に 
自分 で 作っ た 巣箱 に 入れ て 
兎 が 十 も なら ん で ゐ た 
外套 の かたち し た 
オリーブ いろ の 縮 の シャツ に 
長靴 を はき 
頬 の あかるい その 青年 が 
裏 の 方 から 走っ て 来 て 
はげしい 雨 に ぬれ ながら 
わたくし の 訪ねる 家 を 教 へ た 
わたくし が 訪ねる その 人 と 
縮れ た 髪 も 眼 も 物 云 ひも そっくり な 
その 人 が 
わたくし を 知っ てる やう に わら ひ ながら 
詳しく みち を 教 へ て くれ た 
ああ 家 の 中 は 暗く て 藁 を 打つ 気持 に も なれ ず 
雨 の なか を 表 に 出れ ば 兎 は なか ず 
所在 ない 所在 ない その ひと よ 
きっと わたくし の 訪ねる 者 が 
笑っ て いふ に ち が ひ ない 
「 あゝ 　 従兄 すか 。 
さっぱり 仕事 稼が な ぃで 
のらくら もの で 。 」 
世界 ぜんたい 何 を やっ て も 間 に 合 は ない 
その 親愛 な 近代 文明 と 新 な 文化 の 過渡 期 の ひと よ 
一 〇 九 二 　 　 藤根 禁酒 会 へ 贈る 
一 九 二 七 、 九 、 一六 、 
わたくし は 今日 隣村 の 岩崎 へ 
杉山 式 の 稲作 法 の 秋 の 結果 を 見 に 行く ため に 
ここ を 通っ た もの です が 
今日 の 小さな この 旅 が 
何 といふ 明る さ を わたくし に 与 へ た こと で あらう 
雲 が 蛇籠 の かたち に なっ て け は しく ひかっ て 
いま に も 降り出し さうな 朝 のけ は ひで は あり まし た が 
平和 街道 の はん の 並木 は 
みんな きれい な 青い つた で 飾ら れ 
ぼんやり 白い 霧 の 中 から 立っ て ゐ た 
しかも 鉄道 が 通っ た ため か 
みち は 両側 草 と 露 と で 埋め られ 
残っ た 分 は 野 みち の やう に もう 美しく うねっ て ゐる 
この 会 が どこ から どう いふ 動機 で うまれ 
それら の びら が 誰 から 書か れ 
誰 に あちこち 張ら れ た か 
それ は わたくし に は わかり ませ ん が 
もう われわれ は われ ら の 世界 の 
一つ の ひ ゞ を 食 ひ とめ た の だ 
この 三 年 にわたる 烈しい 旱害 で 
われわれ の つ ゝ み は みんな 水 が 涸れ 
ど て やく ろ に は みんな 巨 き な 裂罅 が は ひっ た 
われわれ は 冬 に 粘土 で それ を 埋め た 
時に は ほとんど から だ を 没する くら ゐ まで 
くろ ね を 掘っ て そこ に 粘土 を 叩い て つめ た 
それら の 田 に は 水 も たまっ て 田植 も 早く 
俄 か に 変っ た この 影 多く 雨 多い 七月 以後 に も 
稲 は 稲 熱 に 冒さ れ なかっ た 
諸君 よ 古くさい 比喩 を し た の を しばらく 許せ 
酒 は 一つ の ひび で ある 
どんなに 新 らしい 技術 や 政策 が 
豊か な 雨 や 灌漑水 を 持ち 来さ う と 
ひび ある 田 に は つめたい 水 を 
毎日 せ は しく かけ ね ば なら ぬ 
諸君 は 東 の 軽便鉄道 沿線 や 
西 の 電車 の 通っ た 地方 で は 
これら の 運輸 の 便宜 によって 
殆 ん ど 無 価値 の 林 や 森 が 
俄 か に 多く の 収入 を 挙げ た ので 
そこ に は 南 から まで 多く の 酒 が は ひっ て 
いま で は 却って 前 より 乏しく 
多く の 借金 が でき てる こと を 知る だら う 
しかも 諸君 よ もう 新 らしい 時代 は 
酒 を 呑ま なけれ ば 人中 で もの を 云 へ ない やう な 
そんな 卑怯 な 人間 など は 
もう 一 ぴき も 用 は ない 
酒 を 呑ま なけれ ば 相談 が まとまら ない やう な 
そんな 愚劣 な 相談 なら ば 
もう はじめ から し ない がい ゝ 
われわれ は 生き て ぴんぴん し た 魂 と 魂 
その か ゞ やい た 眼 と 眼 を 見合せ 
た が ひ に 争 ひま た 笑 ふ の だ 
じつに いま われわれ の 前 に は 
新 らしい 世界 が ひらけ て ゐる 
一つ が できれ ば それ が 土台 で 次 が できる 
「 詩 ノート 」 付録 
生徒 諸君 に 寄せる 
この 四 ヶ年 が 
わたくし に どんなに 楽しかっ た か 
わたくし は 毎日 を 
鳥 の やう に 教室 で うたっ て くらし た 
誓っ て 云 ふ が 
わたくし は この 仕事 で 
疲れ を おぼえ た こと は ない 
（ 彼等 は みんな われ ら を 去っ た 。 
彼等 に は よい 遺伝 と 育ち 
あらゆる 設備 と 休養 と 
茲 に は 汗 と 吹雪 の ひま の 
歪ん だ 時間 と 粗野 な 手引 が ある だけ だ 
彼等 は 百 の 速力 を もち 
われ ら は 十 の 力 を 有 た ぬ 
何 が われ ら を この 暗み から 救 ふ の か 
あらゆる 労 れ と 悩み を 燃やせ 
すべて の ね が ひ の 形 を 変 へ よ ） 
新 らしい 風 の やう に 爽やか な 星雲 の やう に 
透明 に 愉快 な 明日 は 来る 
諸君 よ 紺 いろ し た 北上 山地 の ある 稜 は 
速 か に その 形 を 変じよ う 
野原 の 草 は 俄 か に 丈 を 倍加 しよ う 
あらた な 樹木 や 花 の 群落 が 
諸君 よ 　 紺 いろ の 地平線 が 膨らみ 高まる とき に 
諸君 は その 中 に 没する こと を 欲する か 
じつに 諸君 は その 地平線 に 於 る 
あらゆる 形 の 山岳 で なけれ ば なら ぬ 
サキノハカ 、 、 、 
来る 
それ は 一つ の 送ら れ た 光線 で あり 
決せ られ た 南 の 風 で ある 、 
諸君 は この 時代 に 強 ひら れ 率 ゐ られ て 
奴隷 の やう に 忍従 する こと を 欲する か 
むしろ 諸君 よ 　 更に あらた な 正しい 時代 を つくれ 
宙 宇 は 絶えず われ ら に 依っ て 変化 する 
潮汐 や 風 、 
あらゆる 自然 の 力 を 用 ゐ 尽す こと から 一足 進ん で 
諸君 は 新た な 自然 を 形成 する の に 努め ね ば なら ぬ 
新 らしい 時代 の コペルニクス よ 
余りに 重苦しい 重力 の 法則 から 
この 銀河 系統 を 解き放て 
新 らしい 時代 の ダーウン よ 
更に 東洋 風 静観 の キャレンヂャー に 載っ て 
銀河系 空間 の 外 に も 至っ て 
更に も 透明 に 深く 正しい 地 史 と 
増 訂 さ れ た 生物 学 を われ ら に 示せ 
衝動 の やう に さ へ 行 は れる 
すべて の 農業 労働 を 
冷 く 透明 な 解析 によって 
その 藍 いろ の 影 と いっしょ に 
舞踊 の 範囲 に 高め よ 
素質 ある 諸君 は た ゞ に これら を 刻み 出す べき で ある 
お ほ よそ 統計 に 従 は ば 
諸君 の なか に は 少く とも 百 人 の 天才 が なけれ ば なら ぬ 
新た な 詩人 よ 
嵐 から 雲 から 光 から 
新た な 透明 な エネルギー を 得 て 
人 と 地球 に とる べき 形 を 暗示 せよ 
新た な 時代 の マルクス よ 
これら の 盲目 な 衝動 から 動く 世界 を 
素 晴 しく 美しい 構成 に 変 へ よ 
諸君 は この 颯爽 たる 
諸君 の 未来 圏 から 吹い て 来る 
透明 な 清潔 な 風 を 感じ ない の か 
今日 の 歴史 や 地 史 の 資料 から のみ 論ずる なら ば 
われ ら の 祖先 乃至 は われ ら に 至る まで 
すべて の 信仰 や 徳性 は た ゞ 誤解 から 生じ た と さ へ 見え 
しかも 科学 は いまだ に 暗く 
われ ら に 自殺 と 自棄 のみ を しか 保証 せ ぬ 、 
誰 が 誰 より どう だ と か 
誰 の 仕事 が どう し た とか 
そんな こと を 云っ て ゐる ひま が ある の か 
さあ われわれ は 一つ に なっ て 
楢 渡 の とこ の 崖 は まっ 赤 でし た 。 
それに ひどく 深く て 急 でし た から のぞい て 見る と 全く くるくる する の でし た 。 
谷 底 に は 水 も なんにも なく て ただ 青い 梢 と 白樺 など の 幹 が 短く 見える だけ でし た 。 
向う側 も やっぱり こっち 側 と 同じ よう で その 毒々しく 赤い 崖 に は 横 に 五 本 の 灰 いろ の 太い 線 が 入っ て い まし た 。 ぎざぎざ に なっ て 赤い 土 から 喰 み 出し て い た の です 。 それ は 昔 山 の 方 から 流れ て 走っ て 来 て 又 火山灰 に 埋もれ た 五 層 の 古い 熔岩 流 だっ た の です 。 
崖 の こっち 側 と 向う側 と 昔 は 続い て い た の でしょ う が いつか の 時代 に 裂ける か 罅 れる かし た の でしょ う 。 霧 の ある とき は 谷 の 底 は まっ白 で なんにも 見え ませ ん でし た 。 
私 が はじめて そこ へ 行っ た の は たしか 尋常 三 年生 か 四 年生 の ころ です 。 ず うっ と 下 の 方 の 野原 で たった 一 人 野 葡萄 を 喰 べ て い まし たら 馬番 の 理助 が 欝 金 の 切れ を 首 に 巻い て 木炭 の 空 俵 を しょっ て 大股 に 通り かかっ た の でし た 。 そして 私 を 見 て ずいぶん な 高 声 で 言っ た の です 。 
「 おいおい 、 どこ から こぼれ て 此処 ら へ 落ち た ？ 　 さらわ れる ぞ 。 蕈 の うんと 出来る 処 へ 連れ て っ て やろ う か 。 お前 なんか に は 持て ない 位 蕈 の ある 処 へ 連れ て っ て やろ う か 。 」 
私 は 「 うん 。 」 と 云い まし た 。 すると 理助 は 歩き ながら 又 言い まし た 。 
「 そん なら つい て 来い 。 葡萄 など もう 棄て ちまえ 。 すっかり 唇 も 歯 も 紫 に なっ てる 。 早く つい て 来い 、 来い 。 後れ たら 棄て て 行く ぞ 。 」 
私 は すぐ 手 に もっ た 野 葡萄 の 房 を 棄て いっしんに 理助 に ついて行き まし た 。 ところが 理助 は 連れ て っ て やろ う か と 云っ て も 一向 私 など は 構わ なかっ た の です 。 自分 だけ 勝手 に あるい て 途方 も ない 声 で 空 に 噛 ぶり つく よう に 歌っ て 行き まし た 。 私 は もう ほんとう に 一生 けんめい ついて行っ た の です 。 
私 ども は 柏 の 林 の 中 に 入り まし た 。 
影 が ちらちら ちらちら し て 葉 は うつくしく 光り まし た 。 曲っ た 黒い 幹 の 間 を 私 ども は だんだん 潜っ て 行き まし た 。 林 の 中 に 入っ たら 理助 も あんまり 急が ない よう に なり まし た 。 又 じっさい 急げ ない よう でし た 。 傾斜 も よほど 出 て き た の でし た 。 
十 五 分 も 柏 の 中 を 潜っ た とき 理助 は 少し 横 の 方 へ まがっ て から だ を かがめ て そこら を しらべ て い まし た が 間もなく 立ちどまり まし た 。 そして まるで 低い 声 で 、 
「 さあ 来 た ぞ 。 すき な 位 とれ 。 左 の 方 へ は 行く な よ 。 崖 だ から 。 」 
そこ は 柏 や 楢 の 林 の 中 の 小さな 空地 でし た 。 私 は まるで ぞくぞく し まし た 。 は ぎぼだしがそこにもここにも 盛り に なっ て 生え て いる の です 。 理助 は 炭 俵 を おろし て 尤 らしく 口 を ふくらせ て ふう と 息 を つい て から 又 言い まし た 。 
「 いい か 。 は ぎぼだしには 茶 いろ の と 白い の と ある けれど 白い の は 硬く て 筋 が 多く て だめ だ よ 。 茶 いろ の を とれ 。 」 
「 もう とっ て も いい か 。 」 私 は きき まし た 。 
「 うん 。 何 へ 入れ て く 。 そう だ 。 羽織 へ 包ん で 行け 。 」 
「 うん 。 」 私 は 羽織 を ぬい で 草 に 敷き まし た 。 
理助 は もう 片っぱし から とっ て 炭 俵 の 中 へ 入れ まし た 。 私 も とり まし た 。 ところが 理助 の とる の は みんな 白い の です 。 白い の ばかり えらん で どしどし 炭 俵 の 中 へ 投げ込ん で いる の です 。 私 は そこ で しばらく 呆れ て 見 て い まし た 。 
「 何 を ぼんやり し てる ん だ 。 早く とれ とれ 。 」 理助 が 云い まし た 。 
「 うん 。 けれど お前 は なぜ 白い の ばかり とる の 。 」 私 が きき まし た 。 
「 おれ の は 漬物 だ よ 。 お前 の うち じゃ 蕈 の 漬物 なんか 喰 べ ない だろ う から 茶 いろ の を 持っ て 行っ た 方 が いい や な 。 煮 て 食う ん だろ う から 。 」 
私 は なる ほど と 思い まし た ので 少し 理助 を 気の毒 な よう な 気 も し ながら 茶 いろ の を たくさん とり まし た 。 羽織 に 包ま れ ない よう に なっ て も まだ とり まし た 。 
日 が てっ て 秋 で も なかなか 暑い の でし た 。 
間もなく 蕈 も 大 てい なくなり 理助 は 炭 俵 一ぱい に 詰め た の を ゆるく 両手 で 押す よう に し て それ から 羊歯 の 葉 を 五 六 枚 のせ て 縄 で 上 を からげ まし た 。 
「 さあ 戻る ぞ 。 谷 を 見 て 来る か な 。 」 理助 は 汗 を ふき ながら 右 の 方 へ 行き まし た 。 私 も ついて行き まし た 。 しばらく する と 理助 は ぴたっと とまり まし た 。 それから 私 を ふり向い て 私 の 腕 を 押え て しまい まし た 。 
「 さあ 、 見ろ 、 どう だ 。 」 
私 は 向う を 見 まし た 。 あの まっ 赤 な 火 の よう な 崖 だっ た の です 。 私 は まるで 頭 が しいんと なる よう に 思い まし た 。 そんなに その 崖 が 恐ろしく 見え た の です 。 
「 下 の 方 も のぞか してやろ う か 。 」 理助 は 云い ながら そろそろ と 私 を 崖 の はじ に つき 出し まし た 。 私 は ちらっと 下 を 見 まし た が もう くるくる し て しまい まし た 。 
「 どう だ 。 こわい だろ う 。 ひとり で 来 ちゃ きっと ここ へ 落ちる から 来年 でも いつ でも ひとり で 来 ちゃ いけ ない ぞ 。 ひとり で 来 たら 承知 し ない ぞ 。 第 一 みち が わかる まい 。 」 
理助 は 私 の 腕 を はなし て 大 へん 意地 の 悪い 顔つき に なっ て 斯 う 云い まし た 。 
「 うん 、 わから ない 。 」 私 は ぼんやり 答え まし た 。 
すると 理助 は 笑っ て 戻り まし た 。 
それから 青 ぞ ら を 向い て 高く 歌 を どなり まし た 。 
さっき の 蕈 を 置い た 処 へ 来る と 理助 は どっかり 足 を 投げ出し て 座っ て 炭 俵 を しょい まし た 。 それから 胸 で 両方 から 縄 を 結ん で 言い まし た 。 
「 おい 、 起し て 呉れ 。 」 
私 は もう ふところ へ 一 杯 に きのこ を つめ 羽織 を 風呂敷 包み の よう に し て 持っ て 待っ て い まし た が 斯 う 言わ れ た ので 仕方 なく 包み を 置い て うし ろ から 理助 の 俵 を 押し て やり まし た 。 理助 は 起きあがっ て 嬉し そう に 笑っ て 野原 の 方 へ 下り はじめ まし た 。 私 も 包み を 持っ て うれしく て 何 べ ん も 「 ホウ 。 」 と 叫び まし た 。 
そして 私 たち は 野原 で わかれ て 私 は 大 威 張り で 家 に 帰っ た の です 。 すると 兄さん が 豆 を 叩い て い まし た が 笑っ て 言い まし た 。 
「 どうして こんな 古い きのこ ばかり 取っ て 来 た ん だ 。 」 
「 理助 が だって 茶 いろ の が いい って 云っ た もの 。 」 
「 理助 かい 。 あいつ は ずる さ 。 もう は ぎぼだしも 過ぎる な 。 おれ も あした で かける か な 。 」 
私 は 又 ついて行き たい と 思っ た の でし た が 次 の 日 は 月曜 です から 仕方 なかっ た の です 。 
そして その 年 は 冬 に なり まし た 。 
次 の 春 理助 は 北海道 の 牧場 へ 行っ て しまい まし た 。 そして 見る と あすこ の きのこ は ほか に 誰 か に 理助 が 教え て 行っ た かも 知れ ませ ん が まあ 私 の もの だっ た の です 。 私 は それ を 兄 に も はなし ませ ん でし た 。 今年 こそ 白い の を うんと とっ て 来 て 手柄 を 立て て やろ う と 思っ た の です 。 
そのうち 九月 に なり まし た 。 私 は はじめ たった 一 人 で 行こ う と 思っ た の でし た が どうも 野原 から 大分 奥 で こわかっ た の です し 第 一 どの 辺 だっ た か あまり はっきり し ませ ん でし た から 誰 か 友だち を 誘お う と きめ まし た 。 
そこで 土曜日 に 私 は 藤原 慶 次郎 に その 話 を し まし た 。 そして 誰 に も その 場所 を はなさ ない なら 一緒 に 行こ う と 相談 し まし た 。 すると 慶 次 郎 は まるで よろこん で 言い まし た 。 
「 楢 渡 なら 方向 は ちゃんと わかっ て いる よ 。 あすこ で しばらく 木炭 を 焼い て い た の だ から 方角 は ちゃんと わかっ て いる 。 行こ う 。 」 
私 は もう 占め た と 思い まし た 。 
次 の 朝 早く 私 ども は 今度 は 大きな 籠 を 持っ て でかけ た の です 。 実際 それ を 一ぱい とる こと を 考える と 胸 が どかどか する の でし た 。 
ところが その 日 は 朝 も 東 が まっ 赤 で どうも 雨 に なり そう でし た が 私 たち が 柏 の 林 に 入っ た ころ は ずいぶん 雲 が ひくく て それ に ぎらぎら 光っ て 柏 の 葉 も 暗く 見え 風 も カサカサ 云っ て 大 へん 気味 が 悪く なり まし た 。 
それでも 私 たち は ずんずん 登っ て 行き まし た 。 慶 次 郎 は 時々 向う を すかす よう に 見 て 
「 大丈夫 だ よ 。 もうすぐ だ よ 。 」 と 云う の でし た 。 実際 山 を 歩く こと など は 私 より も 慶 次 郎 の 方 が ず うっ と なれ て い て 上手 でし た 。 
ところが うまい こと は いきなり 私 ども は は ぎぼだしに 出 っ 会わし まし た 。 そこ は たしかに 去年 の 処 で は なかっ た の です 。 です から 私 は 
「 おい 、 ここ は 新 らしい ところ だ よ 。 もう 僕ら は きのこ 山 を 二つ 持っ た よ 。 」 と 言っ た の です 。 すると 慶 次 郎 も 顔 を 赤く し て よろこん で 眼 や 鼻 や 一緒 に なっ て どうしても それ が 直ら ない という 風 でし た 。 
「 さあ 、 取っ て こ う 。 」 私 は 云い まし た 。 そして 白い の ばかり えらん で 二 人 と も せっせと 集め まし た 。 昨年 の こと など は すっかり 途中 で 話し て 来 た の です 。 
間もなく 籠 が 一ぱい に なり まし た 。 丁度 その とき さっき から どうしても 降り そう に 見え た 空 から 雨 つぶ が ポツリ ポツリ と やって来 まし た 。 
「 さあ ぬれる よ 。 」 私 は 言い まし た 。 
「 どうせ ずぶ ぬれ だ 。 」 慶 次 郎 も 云い まし た 。 
雨 つぶ は だんだん 数 が 増し て 来 て まもなく ザアッ と やって来 まし た 。 楢 の 葉 は パチ パチ 鳴り 雫 の 音 も ポタッポタッ と 聞え て 来 た の です 。 私 と 慶 次 郎 と は だまっ て 立っ て ぬれ まし た 。 それでも うれしかっ た の です 。 
ところが 雨 は まもなく ぱたっと やみ まし た 。 五 六 つぶ を 名残り に 落し て すばやく 引きあげ て 行っ た という 風 でし た 。 そして 陽 が さっと 落ち て 来 まし た 。 見上げ ます と 白い 雲 の きれ 間 から 大きな 光る 太陽 が 走っ て 出 て い た の です 。 私 ども は 思わず 歓呼 の 声 を あげ まし た 。 楢 や 柏 の 葉 も きらきら 光っ た の です 。 
「 おい 、 ここ は どの 辺 だ か 見 て 置か ない と 今度 来る とき わから ない よ 。 」 慶 次 郎 が 言い まし た 。 
「 うん 。 それから 去年 の もさ が し て 置か ない と 。 兄さん に でも 来 て 貰お う か 。 あした は 来れ ない し 。 」 
「 あした 学校 を 下っ て から でも いい じゃ ない か 。 」 慶 次 郎 は 私 の 兄さん に は 知ら せ たく ない 風 でし た 。 
「 帰り に 暗く なる よ 。 」 
「 大丈夫 さ 。 とにかく さがし て 置こ う 。 崖 は じき だろ う か 。 」 
私 たち は 籠 は そこ へ 置い た まま 崖 の 方 へ 歩い て 行き まし た 。 そしたら まだまだ と 思っ て い た 崖 が もうすぐ 眼 の 前 に 出 まし た ので 私 は ぎく っと し て 手 を ひろげ て 慶 次 郎 の 来る の を とめ まし た 。 
「 もう 崖 だ よ 。 あぶない 。 」 
慶 次 郎 は はじめて 崖 を 見 た らしく いかに もどき っと し た らしく しばらく なんにも 云い ませ ん でし た 。 
「 おい 、 やっぱり 、 する と 、 あすこ は 去年 の ところ だ よ 。 」 私 は 言い まし た 。 
「 うん 。 」 慶 次 郎 は 少し つまらない という よう に うなずき まし た 。 
「 もう 帰ろ う か 。 」 私 は 云い まし た 。 
「 帰ろ う 。 あ ば よ 。 」 と 慶 次 郎 は 高く 向う の まっ 赤 な 崖 に 叫び まし た 。 
「 あ ば よ 。 」 崖 から こだま が 返っ て 来 まし た 。 
私 は にわかに 面白く なっ て 力 一ぱい 叫び まし た 。 
「 ホウ 、 居 た かぁ 。 」 
「 居 た かぁ 。 」 崖 が こだま を 返し まし た 。 
「 また 来る よ 。 」 慶 次 郎 が 叫び まし た 。 
「 来る よ 。 」 崖 が 答え まし た 。 
「 馬鹿 。 」 私 が 少し 大胆 に なっ て 悪口 を し まし た 。 
「 馬鹿 。 」 崖 も 悪口 を 返し まし た 。 
「 馬鹿 野郎 。 」 慶 次 郎 が 少し 低く 叫び まし た 。 
ところが その 返事 は ただ ごそごそ ごそっと つぶやく よう に 聞え まし た 。 どうも 手 が つけ られ ない と 云っ た よう に も 又 そんな やつ ら に い つ まで も 返事 し て い られ ない な と 自分 ら 同志 で 相談 し た よう に も 聞え まし た 。 
私 ども は 顔 を 見合せ まし た 。 それから 俄 か に 恐く なっ て 一緒 に 崖 を はなれ まし た 。 
それから 籠 を 持っ て どんどん 下り まし た 。 二 人 と も だまっ て どんどん 下り まし た 。 雫 で すっかり ぬれ ばら や 何 か に 引っかか れ ながら なんにも 云わ ず に 私 ども は どんどん どんどん 遁 げ まし た 。 遁 げ れ ば 遁 げ る ほど いよいよ 恐く なっ た の です 。 うし ろ で ハッハッハ と 笑う よう な 声 も し た の です 。 
ですから 次 の 年 は とうとう 私 たち は 兄さん に も 話し て 一緒 に でかけ た の です 。 
今 は 兎 たち は 、 みんな みじかい 茶色 の 着物 です 。 
野原 の 草 は きらきら 光り 、 あちこち の 樺の木 は 白い 花 を つけ まし た 。 
実に 野原 は いい におい で いっぱい です 。 
子 兎 の ホモイ は 、 悦ん で ぴんぴん 踊り ながら 申し まし た 。 
「 ふん 、 いい におい だ なあ 。 うまい ぞ 、 うまい ぞ 、 鈴蘭 なんか まるで パリパリ だ 」 
風 が 来 た ので 鈴蘭 は 、 葉 や 花 を 互いに ぶっつけ て 、 し ゃりんしゃりんと 鳴り まし た 。 
ホモイ は もう うれしく て 、 息 も つか ず に ぴょんぴょん 草 の 上 を かけ 出し まし た 。 
それから ホモイ は ちょっと 立ちどまっ て 、 腕 を 組ん で ほくほく し ながら 、 
「 まるで 僕 は 川 の 波 の 上 で 芸当 を し て いる よう だ ぞ 」 と 言い まし た 。 
本当に ホモイ は 、 いつか 小さな 流れ の 岸 まで 来 て おり まし た 。 
そこ に は 冷たい 水 が こ ぼん こ ぼん と 音 を たて 、 底 の 砂 が ピカピカ 光っ て い ます 。 
ホモイ は ちょっと 頭 を 曲げ て 、 
「 この 川 を 向こう へ 跳び 越え て やろ う か な 。 なあに 訳 ない さ 。 けれども 川 の 向こう 側 は 、 どうも 草 が 悪い から ね 」 と ひとり ごと を 言い まし た 。 
すると 不意 に 流れ の 上 の 方 から 、 
「 ブル ルル 、 ピイ 、 ピイ 、 ピイ 、 ピイ 、 ブル ルル 、 ピイ 、 ピイ 、 ピイ 、 ピイ 」 と けたたましい 声 が し て 、 うす 黒い もじゃもじゃ し た 鳥 の よう な 形 の もの が 、 ばたばた ばたばた もがき ながら 、 流れ て 参り まし た 。 
ホモイ は 急い で 岸 に かけよっ て 、 じっと 待ちかまえ まし た 。 
流さ れる の は 、 たしかに やせ た ひばり の 子供 です 。 ホモイ は いきなり 水 の 中 に 飛び込ん で 、 前 あし で しっかり それ を つかまえ まし た 。 
すると その ひばり の 子供 は 、 いよいよ びっくり し て 、 黄色 な くちばし を 大きく あけ て 、 まるで ホモイ の お 耳 も つん ぼ に なる くらい 鳴く の です 。 
ホモイ は あわて て 一生けん命 、 あと あし で 水 を けり まし た 。 そして 、 
「 大丈夫 さ 、 　 大丈夫 さ 」 と 言い ながら 、 その 子 の 顔 を 見 ます と 、 ホモイ は ぎょっと し て あぶなく 手 を はなし そう に なり まし た 。 それ は 顔 じゅう しわ だらけ で 、 くちばし が 大きく て 、 おまけ に どこ か とかげ に 似 て いる の です 。 
けれども この 強い 兎 の 子 は 、 決して その 手 を はなし ませ ん でし た 。 怖 ろ し さ に 口 を へ の 字 に し ながら も 、 それ を しっかり おさえ て 、 高く 水 の 上 に さしあげ た の です 。 
そして 二 人 は 、 どんどん 流さ れ まし た 。 ホモイ は 二 度 ほど 波 を かぶっ た ので 、 水 を よほど のみ まし た 。 それでも その 鳥の子 は はなし ませ ん でし た 。 
すると ちょうど 、 小 流れ の 曲がり か ど に 、 一 本 の 小さな 楊 の 枝 が 出 て 、 水 を ピチャピチャ たたい て おり まし た 。 
ホモイ は いきなり その 枝 に 、 青い 皮 の 見える くらい 深く かみつき まし た 。 そして 力いっぱい に ひばり の 子 を 岸 の 柔らか な 草 の 上 に 投げ あげ て 、 自分 も 一 とび に はね上がり まし た 。 
ひばり の 子 は 草 の 上 に 倒れ て 、 目 を 白く し て ガタガタ 顫 え て い ます 。 
ホモイ も 疲れ で よろよろ し まし た が 、 無理 に こらえ て 、 楊 の 白い 花 を むしっ て 来 て 、 ひばり の 子 に かぶせ て やり まし た 。 ひばり の 子 は 、 ありがとう と 言う よう に その 鼠色 の 顔 を あげ まし た 。 
ホモイ は それ を 見る と ぞっと し て 、 いきなり 跳び 退き まし た 。 そして 声 を たて て 逃げ まし た 。 
その 時 、 空 から ヒュウ と 矢 の よう に 降り て 来 た もの が あり ます 。 ホモイ は 立ちどまっ て 、 ふりかえっ て 見る と 、 それ は 母親 の ひばり でし た 。 母親 の ひばり は 、 物 も 言え ず に ぶるぶる 顫 え ながら 、 子供 の ひばり を 強く 強く 抱い て やり まし た 。 
ホモイ は もう 大丈夫 と 思っ た ので 、 いち も くさん に おとうさん の お家 へ 走っ て 帰り まし た 。 
兎 の お母さん は 、 ちょうど 、 お家 で 白い 草 の 束 を そろえ て おり まし た が 、 ホモイ を 見 て びっくり し まし た 。 そして 、 
「 おや 、 どうか し た の かい 。 たいへん 顔色 が 悪い よ 」 と 言い ながら 棚 から 薬 の 箱 を おろし まし た 。 
「 おっかさん 、 僕 ね 、 もじゃもじゃ の 鳥の子 の おぼれる の を 助け た ん です 」 と ホモイ が 言い まし た 。 
兎 の お母さん は 箱 から 万能 散 を 一服 出し て ホモイ に 渡し て 、 
「 もじゃもじゃ の 鳥の子 って 、 ひばり かい 」 と 尋ね まし た 。 
ホモイ は 薬 を 受けとっ て 、 
「 たぶん ひばり でしょ う 。 ああ 頭 が ぐるぐる する 。 おっかさん 、 まわり が 変 に 見える よ 」 と 言い ながら 、 そのまま バッタリ 倒れ て しまい まし た 。 ひどい 熱病 に かかっ た の です 。 
ホモイ が 、 おとうさん や おっかさん や 、 兎 の お 医者 さん の おかげ で 、 すっかり よく なっ た の は 、 鈴蘭 に みんな 青い 実 が でき た ころ でし た 。 
ホモイ は 、 ある 雲 の ない 静か な 晩 、 はじめて うち から ちょっと 出 て み まし た 。 
南 の 空 を 、 赤い 星 が しきりに ななめ に 走り まし た 。 ホモイ は うっとり それ を 見とれ まし た 。 すると 不意 に 、 空 で ブルルッ と はね の 音 が し て 、 二 疋 の 小鳥 が 降り て 参り まし た 。 
大きい 方 は 、 まるい 赤い 光る もの を 大事 そう に 草 に おろし て 、 うやうやしく 手 を つい て 申し まし た 。 
「 ホモイ さま 。 あなた さま は 私 ども 親子 の 大 恩人 で ござい ます 」 
ホモイ は 、 その 赤い もの の 光 で 、 よく その 顔 を 見 て 言い まし た 。 
「 あなた 方 は 先頃 の ひばり さん です か 」 
母親 の ひばり は 、 
「 さよう で ござい ます 。 先日 は まことに ありがとう ござい まし た 。 せがれ の 命 を お 助け ください まし て まことに ありがとう 存じ ます 。 あなた 様 は その ため に 、 ご 病気 に さえ おなり に なっ た と の 事 で ござい まし た が 、 もう お よろしゅう ござい ます か 」 
親子 の ひばり は 、 たくさん おじぎ を し て また 申し まし た 。 
「 私 ども は 毎日 この 辺 を 飛び めぐり まし て 、 あなた さま の 外 へ お 出 なさい ます の を お待ち いたし て おり まし た 。 これ は 私 ども の 王 から の 贈物 で ござい ます 」 と 言 ながら 、 ひばり は さっき の 赤い 光る もの を ホモイ の 前 に 出し て 、 薄い うすい け むりのようなはんけちを 解き まし た 。 それ は と ちの 実 ぐらい ある まんま る の 玉 で 、 中 で は 赤い 火 が ちらちら 燃え て いる の です 。 
ひばり の 母親 が また 申し まし た 。 
「 これ は 貝 の 火 という 宝珠 で ござい ます 。 王さま の お 言伝 で は あなた 様 の お 手入れ しだい で 、 この 珠 は どんなに でも 立派 に なる と 申し ます 。 どう か お納め を ねがい ます 」 
ホモイ は 笑っ て 言い まし た 。 
「 ひばり さん 、 僕 は こんな もの いり ませ ん よ 。 持っ て 行っ て ください 。 たいへん きれい な もん です から 、 見る だけ で たくさん です 。 見 たく なっ たら 、 また あなた の 所 へ 行き ましょ う 」 
ひばり が 申し まし た 。 
「 いいえ 。 それ は どう か お納め を ねがい ます 。 私 ども の 王 から の 贈物 で ござい ます から 。 お納め くださら ない と 、 また 私 は せがれ と 二 人 で 切腹 を し ない と なり ませ ん 。 さ 、 せがれ 。 お 暇 を し て 。 さ 。 おじぎ 。 ご免 ください ませ 」 
そして ひばり の 親子 は 二 、 三 遍 お辞儀 を し て 、 あわて て 飛ん で 行っ て しまい まし た 。 
ホモイ は 玉 を 取りあげ て 見 まし た 。 玉 は 赤 や 黄 の 焔 を あげ て 、 せわしく せわしく 燃え て いる よう に 見え ます が 、 実は やはり 冷たく 美しく 澄ん で いる の です 。 目 に あて て 空 に すかし て 見る と 、 もう 焔 は なく 、 天の川 が 奇麗 に すきとおっ て い ます 。 目 から はなす と 、 また ちらり ちらり 美しい 火 が 燃え だし ます 。 
ホモイ は そっと 玉 を ささげ て 、 お うち へ はいり まし た 。 そして すぐ お父さん に 見せ まし た 。 すると 兎 の お父さん が 玉 を 手 にとって 、 めがね を はずし て よく 調べ て から 申し まし た 。 
「 これ は 有名 な 貝 の 火 という 宝物 だ 。 これ は 大変 な 玉 だ ぞ 。 これ を この まま 一生 満足 に 持っ て いる 事 の でき た もの は 今 まで に 鳥 に 二 人 魚 に 一 人 あっ た だけ だ という 話 だ 。 お前 は よく 気 を つけ て 光 を なくさ ない よう に する ん だ ぞ 」 
ホモイ が 申し まし た 。 
「 それ は 大丈夫 です よ 。 僕 は 決して なくし ませ ん よ 。 そんな よう な こと は 、 ひばり も 言っ て い まし た 。 僕 は 毎日 百 遍 ずつ 息 を ふきかけ て 百 遍 ずつ 紅雀 の 毛 で みがい て やり ましょ う 」 
兎 の おっかさん も 、 玉 を 手 にとって よく よく ながめ まし た 。 そして 言い まし た 。 
「 この 玉 は たいへん 損じ やすい という 事 です 。 けれども 、 また 亡くなっ た 鷲 の 大臣 が 持っ て い た 時 は 、 大 噴火 が あっ て 大臣 が 鳥 の 避難 の ため に 、 あちこち さ し ず を し て 歩い て いる 間 に 、 この 玉 が 山 ほど ある 石 に 打た れ たり 、 まっか な 熔岩 に 流さ れ たり し て も 、 いっこう き ず も 曇り も つか ない で かえって 前 より も 美しく なっ た という 話 です よ 」 
兎 の おとうさん が 申し まし た 。 
「 そう だ 。 それ は 名高い はなし だ 。 お前 も きっと 鷲 の 大臣 の よう な 名高い 人 に なる だろ う 。 よく いじわる なんか し ない よう に 気 を つけ ない と いけ ない ぞ 」 
ホモイ は つか れ て ねむく なり まし た 。 そして 自分 の お 床 に コロリ と 横 に なっ て 言い まし た 。 
「 大丈夫 だ よ 。 僕 なんか きっと 立派 に やる よ 。 玉 は 僕 持っ て 寝る ん だ から ください 」 
兎 の おっかさん は 玉 を 渡し まし た 。 ホモイ は それ を 胸 に あて て すぐ ねむっ て しまい まし た 。 
その 晩 の 夢 の 奇麗 な こと は 、 黄 や 緑 の 火 が 空 で 燃え たり 、 野原 が 一 面 黄金 の 草 に 変っ たり 、 たくさん の 小さな 風車 が 蜂 の よう に かすか に うなっ て 空中 を 飛ん で ある い たり 、 仁義 を そなえ た 鷲 の 大臣 が 、 銀色 の マント を きらきら 波 立て て 野原 を 見 まわっ たり 、 ホモイ は うれし さ に 何 遍 も 、 
「 ホウ 。 やっ てる ぞ 、 やっ てる ぞ 」 と 声 を あげ た くらい です 。 
あくる 朝 、 ホモイ は 七 時 ごろ 目 を さまし て 、 まず 第 一 に 玉 を 見 まし た 。 玉 の 美しい こと は 、 昨夜 より もっと です 。 ホモイ は 玉 を のぞい て 、 ひとり ごと を 言い まし た 。 
「 見える 、 見える 。 あそこ が 噴火口 だ 。 そら 火 を ふい た 。 ふい た ぞ 。 おもしろい な 。 まるで 花火 だ 。 おや 、 おや 、 おや 、 火 が もくもく 湧い て いる 。 二つ に わかれ た 。 奇麗 だ な 。 火花 だ 。 火花 だ 。 まるで いな ず まだ 。 そら 流れ出し た ぞ 。 すっかり 黄金 色 に なっ て しまっ た 。 うまい ぞ 、 うまい ぞ 。 そら また 火 を ふい た 」 
おとうさん は もう 外 へ 出 て い まし た 。 おっかさん が にこにこ し て 、 おいしい 白い 草の根 や 青い ばら の 実 を 持っ て 来 て 言い まし た 。 
「 さあ 早く お かお を 洗っ て 、 今日 は 少し 運動 を する ん です よ 。 どれ ちょっと お 見せ 。 まあ 本当に 奇麗 だ ね 。 お前 が お かお を 洗っ て いる 間 おっかさん が 見 て い て も いい かい 」 
ホモイ が 言い まし た 。 
「 いい と も 。 これ は うち の 宝物 な ん だ から 、 おっかさん の だ よ 」 そして ホモイ は 立っ て 家 の 入り口 の 鈴蘭 の 葉 さき から 、 大粒 の 露 を 六つ ほど 取っ て すっかり お 顔 を 洗い まし た 。 
ホモイ は ごはん が すんで から 、 玉 へ 百 遍 息 を ふきかけ 、 それ から 百 遍 紅雀 の 毛 で みがき まし た 。 そして たい せつに 紅雀 の むな 毛 に つつん で 、 今 まで 兎 の 遠 めがね を 入れ て おい た 瑪瑙 の 箱 に しまっ て お母さん に あずけ まし た 。 そして 外 に 出 まし た 。 
風 が 吹い て 草 の 露 が バラバラ と こぼれ ます 。 つり が ね そう が 朝 の 鐘 を 、 
「 カン 、 カン 、 カンカエコ 、 カンコカンコカン 」 と 鳴らし て い ます 。 
ホモイ は ぴょんぴょん 跳ん で 樺 の 木の下 に 行き まし た 。 
すると 向こう から 、 年 を とっ た 野 馬 が やっ て 参り まし た 。 ホモイ は 少し 怖く なっ て 戻ろ う と し ます と 、 馬 は ていねい に おじぎ を し て 言い まし た 。 
「 あなた は ホモイ さ まで ご ざり ます か 。 こんど 貝 の 火 が お前 さま に 参ら れ まし た そう で 実に 祝着 に 存じ まする 。 あの 玉 が この 前 獣 の 方 に 参り まし て から もう 千 二 百 年 たっ て いる と 申し ます る 。 いや 、 実に 私 め も 今朝 その お はなし を 承 わり まし て 、 涙 を 流し て ご ざり ます 」 馬 は ボロボロ 泣き だし まし た 。 
ホモイ は あきれ て い まし た が 、 馬 が あんまり 泣く もの です から 、 つい つりこま れ て ちょっと 鼻 が せら せ らし まし た 。 馬 は 風呂敷 ぐらい ある 浅黄 の はん けち を 出し て 涙 を ふい て 申し まし た 。 
「 あなた 様 は 私 ども の 恩人 で ござい ます 。 どうか くれぐれも お からだ を 大事 に なさ れ て くださ れ ませ 」 そして 馬 は ていねい に おじぎ を し て 向こう へ 歩い て 行き まし た 。 
ホモイ は なんだか うれしい よう な おかしい よう な 気 が し て ぼんやり 考え ながら 、 にわとこ の 木 の 影 に 行き まし た 。 すると そこ に 若い 二 疋 の 栗鼠 が 、 仲よく 白い お 餠 を たべ て おり まし た が ホモイ の 来 た の を 見る と 、 びっくり し て 立ちあがっ て 急い で き ものの えり を 直し 、 目 を 白 黒く し て 餠 を のみ込も う と し たり し まし た 。 
ホモイ は いつも の よう に 、 
「 りす さん 。 お早う 」 と あいさつ を し まし た が 、 りす は 二 疋 とも 堅く なっ て しまっ て 、 いっこう ことば も 出 ませ ん でし た 。 ホモイ は あわて て 、 
「 りす さん 。 今日 も いっしょ に どこ か 遊び に 行き ませ ん か 」 と 言い ます と 、 りす は とんでも ない と 言う よう に 目 を ま ん 円 に し て 顔 を 見合わせ て 、 それ から いきなり 向こう を 向い て 一生けん命 逃げ て 行っ て しまい まし た 。 
ホモイ は あきれ て しまい まし た 。 そして 顔色 を 変え て うち へ 戻っ て 来 て 、 
「 おっかさん 。 なんだか みんな 変 な ぐあいですよ 。 りす さん なんか 、 もう 僕 を 仲間はずれ に し まし た よ 」 と 言い ます と 兎 の おっかさん が 笑っ て 答え まし た 。 
「 それ は そう です よ 。 お前 は もう 立派 な 人 に なっ た ん だ から 、 りす なんか 恥ずかしい の です 。 です から よく 気 を つけ て あと で 笑わ れ ない よう に する ん です よ 」 
ホモイ が 言い まし た 。 
「 おっかさん 。 それ は 大丈夫 です よ 。 それなら 僕 は もう 大将 に なっ た ん です か 」 
おっかさん も うれし そう に 、 
「 まあ そう です 」 と 申し まし た 。 
ホモイ が 悦ん で 踊り あがり まし た 。 
「 うまい ぞ 。 うまい ぞ 。 もう みんな 僕 の て し た なん だ 。 狐 なんか もうこ わく も なんとも ない や 。 おっかさん 。 僕 ね 、 りす さん を 少将 に する よ 。 馬 はね 、 馬 は 大佐 に してやろ う と 思う ん です 」 
おっかさん が 笑い ながら 、 
「 そう だ ね 、 けれども あんまり いばる ん じゃ あり ませ ん よ 」 と 申し まし た 。 
ホモイ は 、 
「 大丈夫 です よ 。 おっかさん 、 僕 ちょっと 外 へ 行っ て 来 ます 」 と 言っ た まま ぴょんと 野原 へ 飛び出し まし た 。 すると すぐ 目 の 前 を いじわる の 狐 が 風 の よう に 走っ て 行き ます 。 
ホモイ は ぶるぶる 顫 え ながら 思い切っ て 叫ん で み まし た 。 
「 待て 。 狐 。 僕 は 大将 だ ぞ 」 
狐 が びっくり し て ふり向い て 顔色 を 変え て 申し まし た 。 
「 へい 。 存じ て おり ます 。 へ い 、 へい 。 何 か ご用 で ござい ます か 」 
ホモイ が できる くらい 威勢 よく 言い まし た 。 
「 お前 は ずいぶん 僕 を いじめ た な 。 今度 は 僕 の けら い だ ぞ 」 
狐 は 卒倒 し そう に なっ て 、 頭 に 手 を あげ て 答え まし た 。 
「 へ い 、 お 申し訳 も ござい ませ ん 。 どう かお 赦し を ねがい ます 」 
ホモイ は うれし さ に わくわく し まし た 。 
「 特別 に 許し て やろ う 。 お前 を 少尉 に する 。 よく 働い て くれ 」 
狐 が 悦ん で 四 遍 ばかり 廻り まし た 。 
「 へいへい 。 ありがとう 存じ ます 。 どんな 事 で も いたし ます 。 少し とうもろこし を 盗ん で 参り ましょ う か 」 
ホモイ が 申し まし た 。 
「 いや 、 それ は 悪い こと だ 。 そんな こと を し て は なら ん 」 
狐 は 頭 を 掻い て 申し まし た 。 
「 へいへい 。 これから は 決して いたし ませ ん 。 なん でも おい い つけ を 待っ て いたし ます 」 
ホモイ は 言い まし た 。 
「 そう だ 。 用 が あっ たら 呼ぶ から あっち へ 行っ て おい で 」 狐 は くるくる まわっ て おじぎ を し て 向こう へ 行っ て しまい まし た 。 
ホモイ は うれしく て たまり ませ ん 。 野原 を 行っ たり 来 たり ひとり ごと を 言っ たり 、 笑っ たり さまざま の 楽しい こと を 考え て いる うち に 、 もう お日様 が 砕け た 鏡 の よう に 樺の木 の 向こう に 落ち まし た ので 、 ホモイ も 急い で お うち に 帰り まし た 。 
兎 の お とう さま も もう 帰っ て い て 、 その 晩 は 様々 の ご馳走 が あり まし た 。 ホモイ は その 晩 も 美しい 夢 を 見 まし た 。 
次 の 日 ホモイ は 、 お母さん に 言いつけ られ て 笊 を 持っ て 野原 に 出 て 、 鈴蘭 の 実 を 集め ながら ひとり ごと を 言い まし た 。 
「 ふん 、 大将 が 鈴蘭 の 実 を 集める なんて おかしい や 。 誰 か に 見つけ られ たら きっと 笑わ れる ばかり だ 。 狐 が 来る と いい が なあ 」 
すると 足 の 下 が なんだか もくもく し まし た 。 見る と むぐらが 土 を くぐっ て だんだん 向こう へ 行こ う と し ます 。 ホモイ は 叫び まし た 。 
「 むぐら 、 むぐら 、 むぐらもち 、 お前 は 僕 の 偉く なっ た こと を 知っ てる かい 」 
むぐらが 土 の 中 で 言い まし た 。 
「 ホモイ さん で いらっしゃい ます か 。 よく 存じ て おり ます 」 
ホモイ は 大 い ばり で 言い まし た 。 
「 そう か 。 そん なら いい が ね 。 僕 、 お前 を 軍曹 に する よ 。 その かわり 少し 働い て くれ ない かい 」 
むぐらはびくびくして 尋ね まし た 。 
「 へいどん な こと で ござい ます か 」 
ホモイ が いきなり 、 
「 鈴蘭 の 実 を 集め て おくれ 」 と 言い まし た 。 
むぐらは 土 の 中 で 冷汗 を たらし て 頭 を かき ながら 、 
「 さあ まことに 恐れ入り ます が 私 は 明るい 所 の 仕事 は いっこう 無調法 で ござい ます 」 と 言い まし た 。 
ホモイ は おこっ て しまっ て 、 
「 そう かい 。 そん なら いい よ 。 頼ま ない から 。 あと で 見 て おい で 。 ひどい よ 」 と 叫び まし た 。 
むぐらは 、 
「 どうか ご免 を ねがい ます 。 私 は 長く お日様 を 見 ます と 死ん で しまい ます ので 」 と しきりに おわび を し ます 。 
ホモイ は 足 を ばたばた し て 、 
「 いい よ 。 もう いい よ 。 だまっ て おい で 」 と 言い まし た 。 
その 時 向こう の にわとこ の 陰 から りす が 五 疋 ちょろちょろ 出 て 参り まし た 。 そして ホモイ の 前 に ぴょこぴょこ 頭 を 下げ て 申し まし た 。 
「 ホモイ さま 、 どうか 私 ども に 鈴蘭 の 実 を お 採ら せ ください ませ 」 
ホモイ が 、 
「 いい と も 。 さあ やっ て くれ 。 お前 たち は みんな 僕 の 少将 だ よ 」 
りす が き ゃっきゃっ 悦ん で 仕事 に かかり まし た 。 
この 時 向こう から 仔馬 が 六 疋走 って 来 て ホモイ の 前 に とまり まし た 。 その 中 の いちばん 大きな の が 、 
「 ホモイ 様 。 私 ども に も 何 か お いい つけ を ねがい ます 」 と 申し まし た 。 ホモイ は すっかり 悦ん で 、 
「 いい と も 。 お前 たち は みんな 僕 の 大佐 に する 。 僕 が 呼ん だら 、 きっと かけ て 来 て おくれ 」 と いい まし た 。 仔馬 も 悦ん で はねあがり まし た 。 
むぐらが 土 の 中 で 泣き ながら 申し まし た 。 
「 ホモイ さま 、 どうか 私 に も できる よう な こと を お いいつけ ください 。 きっと 立派 に いたし ます から 」 
ホモイ は まだ おこっ て い まし た ので 、 
「 お前 なんか いら ない よ 。 今 に 狐 が 来 たら お前 たち の 仲間 を みんな ひどい 目 に あわし て やる よ 。 見 て おい で 」 と 足ぶみ を し て 言い まし た 。 
土 の 中 で は ひっそり と し て 声 も なくなり まし た 。 
それから りす は 、 夕方 まで に 鈴蘭 の 実 を たくさん 集め て 、 大騒ぎ を し て ホモイ の うち へ 運び まし た 。 
おっかさん が 、 その 騒ぎ に びっくり し て 出 て 見 て 言い まし た 。 
「 おや 、 どう し た の 、 りす さん 」 
ホモイ が 横 から 口 を 出し て 、 
「 おっかさん 。 僕 の 腕 まえ を ごらん 。 まだまだ 僕 は どんな 事 でも できる ん です よ 」 と 言い まし た 。 兎 の お母さん は 返事 も なく 黙っ て 考え て おり まし た 。 
すると ちょうど 兎 の お父さん が 戻っ て 来 て 、 その 景色 を じっと 見 て から 申し まし た 。 
「 ホモイ 、 お前 は 少し 熱 が あり は し ない か 。 むぐらをたいへんおどしたそうだな 。 むぐらの 家 で は 、 もう みんな きち がい の よう に なっ て 泣い てる よ 。 それ に こんなに たくさん の 実 を 全体 誰 が たべる の だ 」 
ホモイ は 泣き だし まし た 。 りす は しばらく き の どくそう に 立っ て 見 て おり まし た が 、 とうとう こそこそ みんな 逃げ て しまい まし た 。 
兎 の お父さん が また 申し まし た 。 
「 お前 は もう だめ だ 。 貝 の 火 を 見 て ごらん 。 きっと 曇っ て しまっ て いる から 」 
兎 の おっかさん まで が 泣い て 、 前かけ で 涙 を そっと ぬぐい ながら 、 あの 美しい 玉 の はいっ た 瑪瑙 の 函 を 戸棚 から 取り出し まし た 。 
兎 の おとうさん は 函 を 受けとっ て 蓋 を ひらい て 驚き まし た 。 
珠 は 一昨日 の 晩 より も 、 もっと もっと 赤く 、 もっと もっと 速く 燃え て いる の です 。 
みんな は うっとり みとれ て しまい まし た 。 兎 の おとうさん は だまっ て 玉 を ホモイ に 渡し て ご飯 を 食べ はじめ まし た 。 ホモイ も いつか 涙 が かわき みんな は また 気持ちよく 笑い 出し いっしょ に ご飯 を たべ て やすみ まし た 。 
次 の 朝 早く ホモイ は また 野原 に 出 まし た 。 
今日 も よい お 天気 です 。 けれども 実 を とら れ た 鈴蘭 は 、 もう 前 の よう に し ゃりんしゃりんと 葉 を 鳴らし ませ ん でし た 。 
向こう の 向こう の 青い 野原 の はずれ から 、 狐 が 一生けん命 に 走っ て 来 て 、 ホモイ の 前 に とまっ て 、 
「 ホモイ さん 。 昨日 りす に 鈴蘭 の 実 を 集め させ た そう です ね 。 どう です 。 今日 は 私 が いい もの を 見つけ て 来 て あげ ましょ う 。 それ は 黄色 で ね 、 もくもく し て ね 、 失敬 です が 、 ホモイ さん 、 あなた なんか まだ 見 た こと も ない やつ です ぜ 。 それから 、 昨日 むぐらに 罰 を かける と おっしゃっ た そう です ね 。 あいつ は 元来 横着 だ から 、 川 の 中 へ で も 追いこん で やり ましょ う 」 と 言い まし た 。 
ホモイ は 、 
「 むぐらは 許し て おや り よ 。 僕 もう 今朝 許し た よ 。 けれど その おいしい た べ もの は 少し ばかり 持っ て 来 て ごらん 」 と 言い まし た 。 
「 合点 、 合点 。 十 分間 だけ お待ち なさい 。 十 分間 です ぜ 」 と 言っ て 狐 は まるで 風 の よう に 走っ て 行き まし た 。 
ホモイ は そこ で 高く 叫び まし た 。 
「 むぐら 、 むぐら 、 むぐらもち 。 もう お前 は 許し て あげる よ 。 泣か なく て も いい よ 」 
土 の 中 は しん と し て おり まし た 。 
狐 が また 向こう から 走っ て 来 まし た 。 そして 、 
「 さあ お あがり なさい 。 これ は 天国 の 天ぷら という もん です ぜ 。 最上 等 の ところ です 」 と 言い ながら 盗ん で 来 た 角 パン を 出し まし た 。 
ホモイ は ちょっと たべ て み たら 、 実に どうも うまい の です 。 そこで 狐 に 、 
「 こんな もの どの 木 に できる の だい 」 と たずね ます と 狐 が 横 を 向い て 一つ 「 ヘン 」 と 笑っ て から 申し まし た 。 
「 台所 という 木 です よ 。 ダアイドコロ という 木 ね 。 おいしかっ たら 毎日 持っ て 来 て あげ ましょ う 」 
ホモイ が 申し まし た 。 
「 それでは 毎日 きっと 三つ ずつ 持っ て 来 て おくれ 。 ね 」 
狐 が いかにも よく のみこん だ という よう に 目 を パチ パチ さ せ て 言い まし た 。 
「 へい 。 よろしゅう ござい ます 。 その かわり 私 の 鶏 を とる の を 、 あなた が とめ て は いけ ませ ん よ 」 
「 いい とも 」 と ホモイ が 申し まし た 。 
すると 狐 が 、 
「 それでは 今日 の 分 、 もう 二つ 持っ て 来 ましょ う 」 と 言い ながら また 風 の よう に 走っ て 行き まし た 。 
ホモイ は それ を お うち に 持っ て 行っ て お父さん や お母さん に あげる 時 の 事 を 考え て い まし た 。 
お父さん だって 、 こんな おいしい もの は 知ら ない だろ う 。 僕 は ほんとう に 孝行 だ なあ 。 
狐 が 角 パン を 二つ くわえ て 来 て ホモイ の 前 に 置い て 、 急い で 「 さよなら 」 と 言い ながら もう 走っ て いっ て しまい まし た 。 ホモイ は 、 
「 狐 は いったい 毎日 何 を し て いる ん だろ う 」 と つぶやき ながら お うち に 帰り まし た 。 
今日 は お父さん と お母さん と が 、 お家 の 前 で 鈴蘭 の 実 を 天日 に ほし て おり まし た 。 
ホモイ が 、 
「 お父さん 。 いい もの を 持っ た 来 まし た よ 。 あげ ましょ う か 。 まあ ちょっと たべ て ごらん なさい 」 と 言い ながら 角 パン を 出し まし た 。 
兎 の お父さん は それ を 受けとっ て 眼鏡 を はずし て 、 よく よく 調べ て から 言い まし た 。 
「 お前 は こんな もの を 狐 に もらっ た な 。 これ は 盗ん で 来 た もん だ 。 こんな もの を おれ は 食べ ない 」 そして おとうさん は 、 も 一つ ホモイ の お母さん に あげよ う と 持っ て い た 分 も 、 いきなり 取りかえ し て 自分 の と いっしょ に 土 に 投げつけ て むちゃくちゃ に ふみにじっ て しまい まし た 。 
ホモイ は わっ と 泣き だし まし た 。 兎 の お母さん も いっしょ に 泣き まし た 。 
お父さん が あちこち 歩き ながら 、 
「 ホモイ 、 お前 は もう 駄目 だ 。 玉 を 見 て ごらん 。 もう きっと 砕け て いる から 」 と 言い まし た 。 
お母さん が 泣き ながら 函 を 出し まし た 。 玉 は お 日 さま の 光 を 受け て 、 まるで 天上 に 昇っ て 行き そう に 美しく 燃え まし た 。 
お父さん は 玉 を ホモイ に 渡し て だまっ て しまい まし た 。 ホモイ も 玉 を 見 て いつか 涙 を 忘れ て しまい まし た 。 
次 の 日 ホモイ は また 野原 に 出 まし た 。 
狐 が 走っ て 来 て すぐ 角 パン を 三つ 渡し まし た 。 ホモイ は それ を 急い で 台所 の 棚 の 上 に 載せ て また 野原 に 来 ます と 狐 が まだ 待っ て い て 言い まし た 。 
「 ホモイ さん 。 何 か おもしろい こと を しよ う じゃ あり ませ ん か 」 ホモイ が 、 
「 どんな こと ？ 」 と きき ます と 狐 が 言い まし た 。 
「 むぐらを 罰 に する の は どう です 。 あいつ は 実に この 野原 の 毒 むし です ぜ 。 そして なまけもの です ぜ 。 あなた が 一遍 許す って 言っ た の なら 、 今日 は 私 だけ で ひとつ むぐらをいじめますから 、 あなた は だまっ て 見 て おい で なさい 。 いい でしょ う 」 
ホモイ は 、 
「 うん 、 毒 むし なら 少し いじめ て も よかろ う 」 と 言い まし た 。 
狐 は 、 しばらく あちこち 地面 を 嗅い だり 、 とんとん ふん で み たり し て い まし た が 、 とうとう 一つ の 大きな 石 を 起こし まし た 。 すると その 下 に むぐらの 親子 が 八 疋 かたまっ て ぶるぶる ふるえ て おり まし た 。 狐 が 、 
「 さあ 、 走れ 、 走ら ない と 、 噛み殺す ぞ 」 と いっ て 足 を どんどん し まし た 。 むぐらの 親子 は 、 
「 ごめんください 。 ごめんください 」 と 言い ながら 逃げよ う と する の です が 、 みんな 目 が 見え ない 上 に 足 が きか ない もの です から ただ 草 を 掻く だけ です 。 
いちばん 小さな 子 は もう あおむけ に なっ て 気絶 し た よう です 。 狐 は は が み を し まし た 。 ホモイ も 思わ ず 、 
「 シッシッ 」 と 言っ て 足 を 鳴らし まし た 。 その 時 、 
「 こら っ 、 何 を する 」 と 言う 大きな 声 が し て 、 狐 が くるくる と 四 遍 ばかり まわっ て 、 やがて いち も くさん に 逃げ まし た 。 
見る と ホモイ の お父さん が 来 て いる の です 。 
お父さん は 、 急い で むぐらをみんな 穴 に 入れ て やっ て 、 上 へ もと の よう に 石 を のせ て 、 それから ホモイ の 首すじ を つかん で 、 ぐんぐん お うち へ 引い て 行き まし た 。 
おっかさん が 出 て 来 て 泣い て おとうさん に すがり まし た 。 お父さん が 言い まし た 。 
「 ホモイ 。 お前 は もう 駄目 だ ぞ 。 今日 こそ 貝 の 火 は 砕け た ぞ 。 出し て 見ろ 」 
お母さん が 涙 を ふき ながら 函 を 出し て 来 まし た 。 お父さん は 函 の 蓋 を 開い て 見 まし た 。 
すると お父さん は びっくり し て しまい まし た 。 貝 の 火 が 今日 ぐらい 美しい こと は まだ あり ませ ん でし た 。 それ は まるで 赤 や 緑 や 青 や 様々 の 火 が はげしく 戦争 を し て 、 地雷 火 を かけ たり 、 のろし を 上げ たり 、 また いな ず ま が ひらめい たり 、 光 の 血 が 流れ たり 、 そう か と 思う と 水色 の 焔 が 玉 の 全体 を パッ と 占領 し て 、 今度 は ひ なげし の 花 や 、 黄色 の チュウリップ 、 薔薇 や ほた る か ずら など が 、 一 面 風 に ゆらい だり し て いる よう に 見える の です 。 
兎 の お父さん は 黙っ て 玉 を ホモイ に 渡し まし た 。 ホモイ は まもなく 涙 も 忘れ て 貝 の 火 を ながめ て よろこび まし た 。 
おっかさん も やっと 安心 し て 、 お ひる の し たく を し まし た 。 
みんな は すわっ て 角 パン を たべ まし た 。 
お父さん が 言い まし た 。 
「 ホモイ 。 狐 に は 気 を つけ ない と いけ ない ぞ 」 
ホモイ が 申し まし た 。 
「 お父さん 、 大丈夫 です よ 。 狐 なんか なん でも あり ませ ん よ 。 僕 に は 貝 の 火 が ある の です もの 。 あの 玉 が 砕け たり 曇っ たり する もん です か 」 
お母さん が 申し まし た 。 
「 本当に ね 、 いい 宝石 だ ね 」 
ホモイ は 得意 に なっ て 言い まし た 。 
「 お母さん 。 僕 はね 、 うまれつき あの 貝 の 火 と 離れ ない よう に なっ てる ん です よ 。 たとえ 僕 が どんな 事 を し た って 、 あの 貝 の 火 が どこ か へ 飛ん で 行く なんて 、 そんな 事 が ある もん です か 。 それに 僕 毎日 百 ずつ 息 を かけ て みがく ん です もの 」 
「 実際 そう だ と いい が な 」 と お父さん が 申し まし た 。 
その 晩 ホモイ は 夢 を 見 まし た 。 高い 高い 錐 の よう な 山 の 頂上 に 片 脚 で 立っ て いる の です 。 
ホモイ は びっくり し て 泣い て 目 を さまし まし た 。 
次 の 朝 ホモイ は また 野 に 出 まし た 。 
今日 は 陰気 な 霧 が ジメジメ 降っ て い ます 。 木 も 草 も じっと 黙り込み まし た 。 ぶ な の 木 さえ 葉 を ちらっと も 動かし ませ ん 。 
ただ あの つり が ね そう の 朝 の 鐘 だけ は 高く 高く 空 に ひびき まし た 。 
「 カン 、 カン 、 カンカエコ 、 カンコカンコカン 」 おしまい の 音 が カアン と 向こう から 戻っ て 来 まし た 。 
そして 狐 が 角 パン を 三つ 持っ て 半 ズボン を はい て やって来 まし た 。 
「 狐 。 お早う 」 と ホモイ が 言い まし た 。 
狐 は いや な 笑い よう を し ながら 、 
「 いや 昨日 は びっくり し まし た ぜ 。 ホモイ さん の お父さん も ずいぶん がん こ です な 。 しかし どう です 。 すぐ ご 機嫌 が 直っ た でしょ う 。 今日 は 一つ うんと おもしろい こと を やり ましょ う 。 動物 園 を あなた は きらい です か 」 と 言い まし た 。 
ホモイ が 、 
「 うん 。 きらい で は ない 」 と 申し まし た 。 
狐 が 懐 から 小さな 網 を 出し まし た 。 そして 、 
「 そら 、 こいつ を かけ て おく と 、 とんぼ で も 蜂 で も 雀 で も 、 かけす で も 、 もっと 大きな やつ でも ひっかかり ます ぜ 。 それ を 集め て 一つ 動物 園 を やろ う じゃ あり ませ ん か 」 と 言い まし た 。 
ホモイ は ちょっと その 動物 園 の 景色 を 考え て み て 、 たまらなく おもしろく なり まし た 。 そこで 、 
「 やろ う 。 けれども 、 大丈夫 その 網 で とれる かい 」 と 言い まし た 。 
狐 が いかにも おかし そう に し て 、 
「 大丈夫 です と も 。 あなた は 早く パン を 置い て おい で なさい 。 その うち に 私 は もう 百 ぐらい は 集め て おき ます から 」 と 言い まし た 。 
ホモイ は 、 急い で 角 パン を 取っ て お家 に 帰っ て 、 台所 の 棚 の 上 に 載せ て 、 また 急い で 帰っ て 来 まし た 。 
見る と もう 狐 は 霧 の 中 の 樺の木 に 、 すっかり 網 を かけ て 、 口 を 大きく あけ て 笑っ て い まし た 。 
「 は は は は 、 ご覧 なさい 。 もう 四 疋 つかまり まし た よ 」 
狐 は どこ から 持っ て 来 た か 大きな 硝子 箱 を 指さし て 言い まし た 。 
本当に その 中 に は 、 かけす と 鶯 と 紅雀 と 、 ひ わ と 、 四 疋 は いっ て ばたばた し て おり まし た 。 
けれども ホモイ の 顔 を 見る と 、 みんな 急 に 安心 し た よう に 静まり まし た 。 
鶯 が 硝子 越し に 申し まし た 。 
「 ホモイ さん 。 どうか あなた の お力 で 助け て やっ て ください 。 私 ら は 狐 に つかまっ た の です 。 あした は きっと 食わ れ ます 。 お願い で ござい ます 。 ホモイ さん 」 
ホモイ は すぐ 箱 を 開こ う と し まし た 。 
すると 、 狐 が 額 に 黒い 皺 を よせ て 、 眼 を 釣りあげ て どなり まし た 。 
「 ホモイ 。 気 を つけろ 。 その 箱 に 手 で も かけ て みろ 。 食い 殺す ぞ 。 泥棒 め 」 
まるで 口 が 横 に 裂け そう です 。 
ホモイ は こわく なっ て しまっ て 、 いち も くさん に お うち へ 帰り まし た 。 今日 は おっかさん も 野原 に 出 て 、 うち に い ませ ん でし た 。 
ホモイ は あまり 胸 が どきどき する ので 、 あの 貝 の 火 を 見よ う と 函 を 出し て 蓋 を 開き まし た 。 
それ は やはり 火 の よう に 燃え て おり まし た 。 けれども 気 の せい か 、 一所 小さな 小さな 針 で つい た くらい の 白い 曇り が 見える の です 。 
ホモイ は どうも それ が 気 に なっ て しかた あり ませ ん でし た 。 そこで いつも の よう に 、 フッ フッ と 息 を かけ て 、 紅雀 の 胸毛 で 上 を 軽く こすり まし た 。 
けれども 、 どうも それ が とれ ない の です 。 その 時 、 お父さん が 帰っ て 来 まし た 。 そして ホモイ の 顔色 が 変わっ て いる の を 見 て 言い まし た 。 
「 ホモイ 。 貝 の 火 が 曇っ た の か 。 たいへん お前 の 顔色 が 悪い よ 。 どれ お 見せ 」 そして 玉 を すかし て 見 て 笑っ て 言い まし た 。 
「 なあに 、 すぐ 除 れる よ 。 黄色 の 火 なんか 、 かえって 今 まで より よけい 燃え て いる くらい だ 。 どれ 、 紅雀 の 毛 を 少し おくれ 」 そして お父さん は 熱心 に みがき はじめ まし た 。 けれども どうも 曇り が とれる どころか だんだん 大きく なる らしい の です 。 
お母さん が 帰っ て 参り まし た 。 そして 黙っ て お父さん から 貝 の 火 を 受け取っ て 、 すかし て 見 て ため息 を つい て 今度 は 自分 で 息 を かけ て みがき まし た 。 
実に みんな 、 だまっ て ため息 ばかり つき ながら 、 かわるがわる 一生けん命 みがい た の です 。 
もう 夕方 に なり まし た 。 お父さん は 、 にわかに 気がつい た よう に 立ちあがっ て 、 
「 まあ ご飯 を 食べよ う 。 今夜 一 晩 油 に 漬け て おい て みろ 。 それ が いちばん いい という 話 だ 」 と いい まし た 。 お母さん は びっくり し て 、 
「 まあ 、 ご飯 の し たく を 忘れ て い た 。 なんにも こさえ て ない 。 一昨日 の すずらん の 実 と 今朝 の 角 パン だけ を たべ ましょ う か 」 と 言い まし た 。 
「 うん それ で いい さ 」 と お父さん が いい まし た 。 ホモイ は ため息 を つい て 玉 を 函 に 入れ て じっと それ を 見つめ まし た 。 
みんな は 、 だまっ て ご飯 を すまし まし た 。 
お父さん は 、 
「 どれ 油 を 出し て やる かな 」 と 言い ながら 棚 から かや の 実 の 油 の 瓶 を おろし まし た 。 
ホモイ は それ を 受けとっ て 貝 の 火 を 入れ た 函 に 注ぎ まし た 。 そして あかり を けし て みんな 早くから ね て しまい まし た 。 
夜中 に ホモイ は 眼 を さまし まし た 。 
そして こわごわ 起きあがっ て 、 そっと 枕 もと の 貝 の 火 を 見 まし た 。 貝 の 火 は 、 油 の 中 で 魚 の 眼 玉 の よう に 銀色 に 光っ て い ます 。 もう 赤い 火 は 燃え て い ませ ん でし た 。 
ホモイ は 大声 で 泣き 出し まし た 。 
兎 の お父さん や お母さん が びっくり し て 起き て あかり を つけ まし た 。 
貝 の 火 は まるで 鉛 の 玉 の よう に なっ て い ます 。 ホモイ は 泣き ながら 狐 の 網 の はなし を お父さん に し まし た 。 
お父さん は たいへん あわて て 急い で 着物 を きか え ながら 言い まし た 。 
「 ホモイ 。 お前 は 馬鹿 だ ぞ 。 俺 も 馬鹿 だっ た 。 お前 は ひばり の 子供 の 命 を 助け て あの 玉 を もらっ た の じゃ ない か 。 それ を お前 は 一昨日 なんか 生まれつき だ なんて 言っ て い た 。 さあ 、 野原 へ 行こ う 。 狐 が まだ 網 を 張っ て いる かも しれ ない 。 お前 は いのち がけ で 狐 と たたかう ん だ ぞ 。 もちろん おれ も 手伝う 」 
ホモイ は 泣い て 立ちあがり まし た 。 兎 の お母さん も 泣い て 二 人 の あと を 追い まし た 。 
霧 が ポシャポシャ 降っ て 、 もう 夜 が あけ かかっ て い ます 。 
狐 は まだ 網 を かけ て 、 樺 の 木の下 に い まし た 。 そして 三 人 を 見 て 口 を 曲げ て 大声 で わらい まし た 。 ホモイ の お父さん が 叫び まし た 。 
「 狐 。 お前 は よくも ホモイ を だまし た な 。 さあ 決闘 を しろ 」 
狐 が 実に 悪党 らしい 顔 を し て 言い まし た 。 
「 へん 。 貴様 ら 三 疋 ばかり 食い 殺し て やっ て も いい が 、 俺 も けが でも する と つまらない や 。 おれ は もっと いい 食べもの が ある ん だ 」 
そして 函 を かつい で 逃げ出そ う と し まし た 。 
「 待て こら 」 と ホモイ の お父さん が ガラス の 箱 を 押え た ので 、 狐 は よろよろ し て 、 とうとう 函 を 置い た まま 逃げ て 行っ て しまい まし た 。 
見る と 箱 の 中 に 鳥 が 百 疋 ばかり 、 みんな 泣い て い まし た 。 雀 や 、 かけす や 、 うぐいす は もちろん 、 大きな 大きな 梟 や 、 それ に 、 ひばり の 親子 まで が はいっ て いる の です 。 
ホモイ の お父さん は 蓋 を あけ まし た 。 
鳥 が みんな 飛び出し て 地面 に 手 を つい て 声 を そろえ て 言い まし た 。 
「 ありがとう ござい ます 。 ほんとう に たびたび おかげ 様 で ござい ます 」 
すると ホモイ の お父さん が 申し まし た 。 
「 どういたしまして 、 私 ども は 面目次第 も ござい ませ ん 。 あなた 方 の 王さま から いただい た 玉 を とうとう 曇らし て しまっ た の です 」 
鳥 が 一遍 に 言い まし た 。 
「 まあ どう し た の でしょ う 。 どう か ちょっと 拝見 いたし たい もの です 」 
「 さあ どうぞ 」 と 言い ながら ホモイ の お父さん は 、 みんな を お うち の 方 へ 案内 し まし た 。 鳥 は ぞろぞろ ついて行き まし た 。 ホモイ は みんな の あと を 泣き ながら しょんぼり ついて行き まし た 。 梟 が 大股 に のっ その っ そ と 歩き ながら 時々 こわい 眼 を し て ホモイ を ふりかえっ て 見 まし た 。 
みんな は お うち に はいり まし た 。 
鳥 は 、 ゆか や 棚 や 机 や 、 うち じゅう の あらゆる 場所 を ふさぎ まし た 。 梟 が 目玉 を 途方 も ない 方 に 向け ながら 、 しきりに 「 オホン 、 オホン 」 と せ き ば らい を し ます 。 
ホモイ の お父さん が ただ の 白い 石 に なっ て しまっ た 貝 の 火 を 取りあげ て 、 
「 もう こんな ぐあいです 。 どうか たくさん 笑っ て やっ て ください 」 と 言う とたん 、 貝 の 火 は 鋭く カチッ と 鳴っ て 二つ に 割れ まし た 。 
と 思う と 、 パチパチパチッ と はげしい 音 が し て 見る 見る まるで 煙 の よう に 砕け まし た 。 
ホモイ が 入口 で アッ と 言っ て 倒れ まし た 。 目 に その 粉 が はいっ た の です 。 みんな は 驚い て そっち へ 行こ う と し ます と 、 今度 は そこら に ピチピチピチ と 音 が し て 煙 が だんだん 集まり 、 やがて 立派 な いくつ か の かけ ら に なり 、 おしまい に カタッ と 二つ か けら が 組み合っ て 、 すっかり 昔 の 貝 の 火 に なり まし た 。 玉 は まるで 噴火 の よう に 燃え 、 夕日 の よう に かがやき 、 ヒュー と 音 を 立て て 窓 から 外 の 方 へ 飛ん で 行き まし た 。 
鳥 は みんな 興 を さまし て 、 一 人 去り 二 人 去り 今 は ふくろう だけ に なり まし た 。 ふくろう は じろじろ 室 の 中 を 見 まわし ながら 、 
「 たった 六 日 だっ た な 。 ホッホ 
たった 六 日 だっ た な 。 ホッホ 」 
と あざ笑っ て 、 肩 を ゆすぶっ て 大股 に 出 て 行き まし た 。 
それに ホモイ の 目 は 、 もう さっき の 玉 の よう に 白く 濁っ て しまっ て 、 まったく 物 が 見え なく なっ た の です 。 
はじめ から おしまい まで お母さん は 泣い て ばかり おり まし た 。 お父さん が 腕 を 組ん で じっと 考え て い まし た が 、 やがて ホモイ の せ なか を 静か に たたい て 言い まし た 。 
「 泣く な 。 こんな こと は どこ に も ある の だ 。 それ を よく わかっ た お前 は 、 いちばん さいわい な の だ 。 目 は きっと また よく なる 。 お父さん が よく してやる から 。 な 。 泣く な 」 
窓 の 外 で は 霧 が 晴れ て 鈴蘭 の 葉 が きらきら 光り 、 つり が ね そう は 、 
「 カン 、 カン 、 カンカエコ 、 カンコカンコカン 」 と 朝 の 鐘 を 高く 鳴らし まし た 。 
ハーシュ は 籠 を 頭 に 載っけ て 午前 中町 か ど に 立っ て ゐ まし た が どう 云 ふ わけ か 一つ も 仕事 が あり ませ ん でし た 。 呆れ て 籠 を おろし て 腰 を かけ 弁当 を たべ はじめ まし たら 一 人 の 赤 髯 の 男 がせ は しさ う に やって来 まし た 。 
「 おい 、 大急ぎ だ 。 兵営 の 普請 に 足り なく なっ た から テレピン 油 を 工場 から 買っ て 来 て 呉れ 。 そら 、 あすこ に ある 車 を ひい て ね 、 四 罐 だけ 、 この 名刺 を 持っ て 行く ん だ 。 」 
「 どこ へ 行く の です 。 」 ハーシュ は 弁当 を しまっ て 立ちあがり ながら 訊き まし た 。 
「 そいつ を 今 云 ふよ 。 い ゝ か 。 その 橋 を 渡っ て 楊 の 並木 に 出る だら う 。 十 町 ばかり 行く と 白い 杭 が 右側 に 立っ て ゐる 。 そこ から 右 に 入る ん だ 。 すると 蕈 の 形 を し た 松林 が ある から ね 、 そいつ に 入っ て 行け ばい ゝ ん だ 。 いや 、 路 が ひとり で そこ へ 行く よ 。 林 の 裏側 に 工場 が ある 。 さあ 、 早く 。 」 
ハーシュ は 大きな 名刺 を 受け取り まし た 。 赤 髯 の 男 は ぐいぐい ハーシュ の 手 を 引っぱっ て 一 台 の よぼよぼ の 車 の とこ まで 連れ て 行き まし た 。 
「 さあ 、 早く 。 今日 中 に 塗っ ち ま は なけ ぁいけないんだから 。 」 
ハーシュ は 車 を 引っぱり まし た 。 
間もなく ハーシュ は 楊並木 の 白い 杭 の 立っ て ゐる 所 まで 来 まし た 。 
「 おや 、 蕈 の 形 の 林 だ なんて 。 こんな 蕈 が ある もん か 。 あの 男 は 来 た こと が ない ん だ な 。 」 ハーシュ は そっち の 方 へ 路 を まがり ながら 貰っ て 来 た 大きな 名刺 を 見 まし た 。 
「 土木 建築 設計 工作 等 請負 　 ニジニ・ハラウ 、 ふん 、 テレ ピン 油 の 工場 だ なんて 見る の は はじめて だ ぞ 。 」 
ハーシュ は 車 を ひい て 青い 松林 の すぐ そば まで 来 まし た 。 すがすがしい 松脂 の に ほ ひがし て 鳥 も ツン ツン 啼き まし た 。 みち は やっと 車 が 通る ぐらゐ 、 お ほ ば こ が 二 列 に みち の 中 に 生え 、 何 べ ん も 日 が 照っ たり 蔭 っ たり し て その 黄いろ の みち の 土 は 明るく なっ たり 暗く なっ たり し まし た 。 ふと ハーシュ は 縮れ毛 の 可愛らしい 子供 が 水色 の 水兵 服 を 着 て 空気 銃 を 持っ て ばら の 藪 の こっち 側 に 立っ て しげしげと ハーシュ の 車 を ひい て 来る の を 見 て ゐる の に 気が付き まし た 。 あんまり こっち を 見 て ゐる ので ハーシュ は わら ひ まし た 。 
すると 子供 は 少し 機嫌 の 悪い 顔 を し て ゐ まし た が ハーシュ が すぐ その そば まで 行き まし たら 俄 か に 子供 が 叫び まし た 。 
「 僕 、 車 へ のせ て っ て お 呉れ 。 」 
ハーシュ は とまり まし た 。 
「 この 車 がたがた し ます よ 。 よ ござん すか 。 坊ちゃん 。 」 
「 がたがた したっ て 僕 ちっとも こ はく ない 。 」 こども が 大 威 張り で 云 ひ まし た 。 
「 そん なら お 乗り なさい 。 よお っと 。 そら 。 しっかり つかまっ て おい で なさい 。 鉄砲 は 前 へ 置い て 。 そら 、 動き ます よ 。 」 ハーシュ は うし ろ を 見 ながら 車 を そろそろ 引っぱり はじめ まし た 。 子供 は 思っ た より も 車 が がたがた する ので 唇 を まげ て やっぱり 少し 怖い やう でし た 。 それでも 一生けん命 つかまっ て ゐ まし た 。 ハーシュ は ずんずん 車 を 引っぱり まし た 。 みち が だんだん せまく なっ て 車 の 輪 は たびたび 道 の ふち の 草 の 上 を 通り まし た 。 その たび に 車 は がたっと ゆれ まし た 。 子供 は 一生けん命 車 に しがみつい て ゐ まし た 。 みち は だんだん せまく なっ て まん中 だけ が 凹ん で 来 まし た 。 ハーシュ は 車 を とめ て こども を ふり か へ って 見 まし た 。 
「 雀 とっ て お 呉れ 。 」 こども が 云 ひ まし た 。 
「 今に 向 ふ へ つい たら とっ て あげ ます よ 。 それとも 坊ちゃん もう 下り ます か 。 」 ハーシュ は 松林 の 向 ふ の 水 いろ に 光る 空 を 見 ながら 云 ひ まし た 。 
「 下り ない 。 」 子供 が しっかり つかまり ながら 答 へ まし た 。 ハーシュ は また 車 を 引っぱり まし た 。 
ところが その うち に ハーシュ は あんまり 車 が がたがた する やう に 思ひ まし た ので ふり 返っ て 見 まし たら 車 の 輪 は 両方 下 の 方 で 集まっ て くさび 形 に なっ て ゐ まし た 。 
「 みち の まん中 が 凹ん で ゐる ため だ 。 それに どこ か こ はれ た な 。 」 ハーシュ は 思ひ ながら とまっ て しづか に か ぢ を おろし だまっ て 車 を しらべ て 見 まし たら 車輪 の くさび が 一 本 ぬけ て ゐ まし た 。 
「 坊ちゃん 、 もう おり て 下さい 。 車 が こ はれ た ん です よ 。 あぶない です から 。 」 
「 いや だ よう 。 」 
「 仕方 ない な 。 」 ハーシュ は つぶやき ながら あたり を 見 ま は し まし た 。 たしかに 構 は ない で 置け ば 車輪 は すっかり 抜け て しまふ の でし た 。 
「 坊ちゃん 、 では 少し 待っ て ゐ て 下さい ね 。 いま 繩 を さがし ます から 。 」 ハーシュ は すぐ 前 の 左 の 方 に 入っ て 行 くち ひ さ な 路 を 見付け て 云 ひ まし た 。 そして その みち は 向 ふ の 林 の かげ の 一 軒 の 百姓 家 へ 入る らしい の でし た 。 ハーシュ は その みち を 急い で 行き まし た 。 麦 の はぜ が ず うっ と かかっ て その 向 ふ に 小さな 赤い 屋根 の 家 と 井戸 と 柳 の 木 と が 明るく 日光 に 照っ て ゐる の を 見 まし た 。 
ハーシュ は その 麦 は ぜ の 下 に 一 本 の 繩 が 落ち て ゐる の を 見 まし た 。 ハーシュ は 屈ん で 拾 は う と し まし たら 、 いきなり う しろから 高い 女 の 声 が し まし た 。 
「 何 する 、 持っ て 行く な 、 ひと の もの 。 」 ハーシュ は びっくり し て ふり 返っ て 見 まし たら 顔 の 赤い せい の 高い 百姓 の お かみさん でし た 。 ハーシュ は どぎまぎ し て 云 ひ まし た 。 
「 車 が こ はれ まし て ね 。 あと で 何 か お礼 を し ます から どう かゆ づってやって 下さい 。 」 
「 いけ ない 。 ひと が 一生けん命 綯っ た もの を だまっ て 持っ て 行く 。 町 の 者 みんな 斯 う だ 。 」 
ハーシュ は しょげ て 繩 を そこ に 置い て 車 の 方 に 戻り まし た 。 百姓 の お かみさん は あと で まだ ぶつぶつ 云っ て ゐ まし た 。 
「 あの 繩綯 ふ に 一 時間 かかっ た ん だ 。 仕方 ない 。 怒る の は もっとも だ 。 」 ハーシュ は 眼 を つぶっ て さ う 思ひ まし た 。 
「 あゝ 、 くさび 何処 か に 落ち てる な 。 さがせ ばい ゝ ん だ 。 」 
ハーシュ は 車 の とこ に 戻っ て それ から 又 来 た 方 を 戻っ て くさ びをたづねました 。 
「 早く おいで よ 。 」 子供 が 足 を 長く し て 車 の 上 に 座り ながら 云 ひ まし た 。 
くさ びはすぐおほばこの 中 に 落ち て ゐ まし た 。 
「 あ 、 あっ た 。 何 で も ない 。 」 ハーシュ は くさび を 車輪 に はめよ う と し まし た 。 
「 まだ はめ ない 方 が い ゝ よ 。 すぐ 川 が ある から 。 」 子供 が 云 ひ まし た 。 
ハーシュ は 笑 ひ ながら くさび を はめ て 油 で 黒く なっ た 手 を 草 に なすり まし た 。 
「 さあ 行き ます よ 。 」 
車 が また 動き まし た 。 ところが 子供 の 云っ た やう に すぐ 小さな 川 が あっ た の です 。 二 本 の 松木 が 橋 に なっ て ゐ まし た 。 
は はあ 、 この 子供 が くさび を はめ ない 方 が い ゝ と 云っ た の は 車輪 が 下 で 寄 さ って この 橋 を 通れる と いふ の だ な 、 ハーシュ は ひとり で 考へ て 笑 ひ まし た 。 
水 は 二 寸 ぐらゐしかありませんでしたから ハーシュ は 車 を 引い て 川 を わたり まし た 。 砂利 が がりがり 云 ひ 子供 は いよいよ 一生けん命 に し が み 附い て ゐ まし た 。 
そして 松林 の は づれに 小さな テレピン 油 の 工場 が 見え て 来 まし た 。 松やに の 匂 が し ぃんとして 青い 煙 は あがり 日光 は さん さん と 降っ て ゐ まし た 。 その 戸口 に ハーシュ は 車 を とめ て 叫び まし た 。 
「 兵営 から テレピン 油 を 取り に 来 まし た 。 」 
技師 長 兼 職工 が 笑っ て 顔 を 出し まし た 。 
「 済み ませ ん 。 いま お 届け しよ う と 思っ て ゐ まし た が 手 が あき ませ ん で ね 。 」 
「 い ゝ え 、 私 はた ゞ 頼ま れ て 来 た ん です 。 」 
「 さ う です か 。 すぐ あげ ます 。 おい 、 どこ へ 行っ た ん だ 。 」 
技師 長 は 子供 に 云 ひ まし た 。 
「 どうも 車 が 遅く て ね 。 」 
「 それ は いか ん な 。 」 技師 長 が わら ひ まし た 。 ハーシュ も わら ひ まし た 、 ほん た うに 面白かっ た 、 こんなに 遊び ながら 仕事 に なる ん なら 今日 午前 中 仕事 が なく て いや な 気 が し た の の うめ 合せ に は たくさん だ と ハーシュ は 思ひ まし た 。 
… … 何故 われ ら の 芸術 が いま 起ら ね ば なら ない か … … 
曾 って われ ら の 師父 たち は 乏しい ながら 可 成 楽しく 生き て ゐ た 　 そこ に は 芸術 も 宗教 も あっ た 
明治維新 以前 　 家屋 　 衣服 　 食物 　 労働 　 宗教 　 音楽 　 舞踊 　 芝居 　 遊楽 　 創造 
経済 の 変動 に 伴 ふ 所有 衝動 の 発達 
科学 による 急激 な 技術 の 進歩 による 機械 的 の 設計 　 田植 踊 　 節句 　 祈願 　 植物 医師 の 例 
労働 は 古 に 遡る に従って 漸く 非 労働 と なる 　 如何 に し て 労働 が 発展 し 来れる や 　 解し 難き もの あり 
蓋し 原始 人 の 労働 は その 形式 及内容 に 於 て 全然 遊戯 と 異 ら ず 　 アフリカ 土人 
いま われ ら に は ただ 労働 が 　 生存 が ある ばかり で ある 
四月 より は 毎日 十 二 時間 　 二 十 五 日 の サセ 取り 　 諸君 は 尚 可 なり 
Daniel   Defoe 　 食物 と 労働 と の 循環 
Oscar   Wilde 　 生活 と は 稀有 なる こと で ある 　 多く は ただ 生存 が ある ばかり で ある 
Wim .   Morris 　 労働 は それ 自身 に 於 て 善 なり と の 信条 　 苦楽 　 苦行 外道 　 狐 　 トルストイ 
然 も 尚 ここ に 埋もれ 知ら るる こと なく 行く 人 あら ば われ ら は これ に 合掌 せ ん 
宗教 は 疲れ て 科学 によって 置換 さ れ 　 然 も 科学 は 冷 く 暗い 
宗教 中 の 天地 創造 論 　 須弥山 説 　 神道 は 拝 天 の 余 俗 で ある 歴史 的 誤謬 
見え ざる 影 に 嚇さ れ た 宗教 家 　 真宗 
科学 は 如何 　 短 かき 過去 の 記録 によって 悠久 の 未来 を 外部 から 証明 し 得 ぬ 
科学 の 証拠 も われ ら が ただ 而 く 感ずる ばかり で ある 
そして 明日 に関して 何等 の 希望 を 与 へ ぬ 　 いま 宗教 は 気休め と 宣伝 　 地獄 
芸術 は いま われ ら を 離れ 多く は わびしく 堕落 し た 
Tolstoi 　 ブル 　 内的 衝動 　 遊戯 　 人口 の 一 割 が それ を 買 ひ 鑑賞 し 享楽 し 九 割 は 世々 に 疲れ て 死する 
シペングラア 　 都会 の 脳髄 　 人 の 遊戯 　 生活 　 名誉 　 智 的 労働 　 霊 的 所産 に あら ず 
ここ に 芸術 は 無力 と 虚偽 で ある 　 ワグナア 以後 の 音楽 　 マネイ 　 セザンヌ 以後 の 絵画 
エマーソン 　 近代 の 創意 と 美 の 源 は 涸れ 　 才気 　 避難 所 
ロマン ローラン 　 非 生産 的 享楽 
いま 宗教 家 芸術 家 と は 真 善 若く は 美 を 独占 し 販 る もの で ある 
（ 科学 も もとより 販売 さ れる ） 
室伏 　 人間 の 自然 征服 戦 ―― 人物 　 商品 機械 　 人 　 霊魂 　 大地 　 自然 　 自由 が 失は れ て 
… … これら の 表現 が ある か 　 即ち 文化 が ある か 　 芸術 が ある か 　 それ は 失は れ た 文化 の 模倣 で ある 　 家 の 意義 
よく その 人 の 声 を 聞け 　 偽 の 語 を かぎつけよ 　 大谷 光瑞 云 ふ 　 自ら 称し て 思想家 なり といふ 　 人 たれ か 思想 を 有 せ ざる もの あら ん や 
われ ら に 購 ふ べき 暇 も なく また さる もの を 必要 と せ ぬ 
いまや われ ら は 新 に 正しき 道 を 行き 　 われ ら の 美 を ば 創ら ね ば なら ぬ 
♂ カーペンター 　 少年 機械 工 の 例 
♂ 当 地方 大工 の 例 
多く の 経典 ま こと の 詩歌 （ 第 一 作 ） 　♂　 3000 ／ 5500 万 
民話 民謡 農民 芸術 は そ 
農民 よ 奮 ひ 立て そして われ ら の ―― の 表現 を 持て 
われ ら は 今日 まで 睡っ て ゐ た 
日本 の 芸術 は その 土 を 踏ん で 通っ て 来 た 　 尚 それ を 侮辱 し 罵倒 し て 当然 と する 
その 芸術 は 何 で ある か 
芸術 を もて あの 灰 いろ の 労働 を 燃せ 
♂ 芸術 の 回復 は 労働 に 於け る 悦び の 回復 で なけれ ば なら ぬ 　 Morris “ Art   is   man ' s   expression   of   his   joy   in   labour .” 
労働 は 本能 で ある 　 労働 は 常に 苦痛 で は ない 　 労働 は 常に 創造 で ある 
創造 は 常に 享楽 で ある 　 人間 を 犠牲 に し て 生産 に 仕 ふる とき 苦痛 と なる 
トロツキー 
… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 
Morris 　 　 ◎ 
明 か に 有用 な 目的 
休息 自ら の 創造 
生産 ／ 
時間 の 交易 物 は 自ら 造れ 
変化 
能力 の 発展 
環境 の 楽しい こと 
好め る 伴侶 ある こと 
ここ に は われ ら 不断 の 浄 い 創造 が ある 
彼 の 音楽 は 市井 の 雑音 　 ここ に 求め ん と する もの は 自ら 鳴る 天 の 楽 
♂ エマーソン 　 斯 ノ 如 キ 人 ハ 
都 人 よ 来っ て われ ら に 交 れ 　 世界 よ 他意 なき われ ら を 容れよ 
序論 
… … われ ら は いっしょ に これから 何 を 論ずる か … … 
農民 芸術 の 興隆 
… … 何故 われ ら の 芸術 が いま 起ら ね ば なら ない か … … 
農民 芸術 の 本質 
… … 何 が われ ら の 芸術 の 心臓 を なす もの で ある か … … 
農民 芸術 の 分野 
… … どんな 工合 に それ が 分類 さ れ 得る か … … 
農民 芸術 の 諸 主義 
… … それら の なか に どんな 主張 が 可能 で ある か … … 
農民 芸術 の 製作 
… … いかに 着手 し いかに 進ん で 行っ たら いい か … … 
農民 芸術 の 産 者 
… … われ ら の なか で 芸術 家 と は どう いふ こと を 意味 する か … … 
農民 芸術 の 批評 
… … 正しい 評価 や 鑑賞 は ま づい か に し て なさ れる か … … 
農民 芸術 の 綜合 
… … おお 朋 だ ちよ 　 いっしょ に 正しい 力 を 併せ 　 われ ら の すべて の 田園 と われ ら の すべて の 生活 を 一つ の 巨 き な 第 四 次元 の 芸術 に 創り あげよ う で ない か … … 
結論 
われ ら に 要る もの は 銀河 を 包む 透明 な 意志 巨 き な 力 と 熱 で ある 
序論 
… … われ ら は いっしょ に これから 何 を 論ずる か … … 
おれ たち は みな 農民 で ある 　 ず ゐ ぶん 忙 が しく 仕事 も つらい 
もっと 明るく 生き生き と 生活 を する 道 を 見付け たい 
われ ら の 古い 師父 たち の 中 に は さ う いふ 人 も 応々 あっ た 
近代 科学 の 実証 と 求道 者 たち の 実験 と われ ら の 直観 の 一致 に 於 て 論じ たい 
世界 が ぜんたい 幸福 に なら ない うち は 個人 の 幸福 は あり 得 ない 
自我 の 意識 は 個人 から 集団 社会 宇宙 と 次第に 進化 する 
この 方向 は 古い 聖者 の 踏み また 教 へた 道 で は ない か 
新た な 時代 は 世界 が 一 の 意識 に なり 生物 と なる 方向 に ある 
正しく 強く 生きる と は 銀河系 を 自ら の 中 に 意識 し て これ に 応じ て 行く こと で ある 
われ ら は 世界 の まこと の 幸福 を 索 ねよ う 　 求道 すでに 道 で ある 
農民 芸術 の 興隆 
… … 何故 われ ら の 芸術 が いま 起ら ね ば なら ない か … … 
曾 つて われ ら の 師父 たち は 乏しい ながら 可 成 楽しく 生き て ゐ た 
そこ に は 芸術 も 宗教 も あっ た 
いま われ ら に は ただ 労働 が 　 生存 が ある ばかり で ある 
宗教 は 疲れ て 近代 科学 に 置換 さ れ 然 も 科学 は 冷 く 暗い 
芸術 は いま われ ら を 離れ 然 も わびしく 堕落 し た 
いま 宗教 家 芸術 家 と は 真 善 若く は 美 を 独占 し 販 る もの で ある 
われ ら に 購 ふ べき 力 も なく 　 又 さる もの を 必要 と せ ぬ 
いまや われ ら は 新た に 正しき 道 を 行き 　 われ ら の 美 を ば 創ら ね ば なら ぬ 
芸術 を もて あの 灰色 の 労働 を 燃せ 
ここ に は われ ら 不断 の 潔く 楽しい 創造 が ある 
都 人 よ 　 来っ て われ ら に 交 れ 　 世界 よ 　 他意 なき われ ら を 容れよ 
農民 芸術 の 本質 
… … 何 が われ ら の 芸術 の 心臓 を なす もの で ある か … … 
もとより 農民 芸術 も 美 を 本質 と する で あら う 
われ ら は 新た な 美 を 創る 　 美学 は 絶えず 移動 する 
「 美 」 の 語 さ へ 滅する まで に 　 それ は 果 なく 拡がる で あら う 
岐路 と 邪 路 と を われ ら は 警め ね ば なら ぬ 
農民 芸術 と は 宇宙 感情 の 　 地 　 人 　 個性 と 通ずる 具体 的 なる 表現 で ある 
そ は 直観 と 情緒 と の 内 経験 を 素材 と し たる 無意識 或は 有意 の 創造 で ある 
そ は 常に 実生活 を 肯定 し これ を 一層 深化 し 高く せ ん と する 
そ は 人生 と 自然 と を 不断 の 芸術 写真 と し 尽く る こと なき 詩歌 と し 
巨大 な 演劇 舞踊 として 観照 享受 する こと を 教 へる 
そ は 人々 の 精神 を 交通 せしめ 　 その 感情 を 社会 化 し 遂に 一切 を 究竟 地 に まで 導か ん と する 
かく て われ ら の 芸術 は 新興 文化 の 基礎 で ある 
農民 芸術 の 分野 
… … どんな 工合 に それ が 分類 さ れ 得る か … … 
声 に 曲調 節奏 あれ ば 声楽 を なし 　 音 が 然 れ ば 器楽 を なす 
語 ま こと の 表現 あれ ば 散文 を なし 　 節奏 あれ ば 詩歌 と なる 
行動 ま こと の 表情 あれ ば 演劇 を なし 　 節奏 あれ ば 舞踊 と なる 
光 象 写 機 に 表現 すれ ば 静 と 動 と の 　 芸術 写真 を つくる 
光 象 手 描 を 成 ずれ ば 絵画 を 作り 　 塑材 に よれ ば 彫刻 と なる 
複合 により 劇 と 歌劇 と 　 有 声 活動 写真 を つくる 
準 志 は 多く 香味 と 触 を 伴 へ り 
声 語 準 志 に 基け ば 　 演説 　 論文 　 教 説 を なす 
光 象 生活 準 志 に より て 　 建築 及衣服 を なす 
光 象 各 異 の 準 志 に より て 　 諸多 の 工芸 美術 を つくる 
光 象 生産 準 志 に 合し 　 園芸 営林 土地 設計 を 産む 
香味 光 触 生活 準 志 に 表現 あれ ば 　 料理 と 生産 と を 生ず 
行動 準 志 と 結合 すれ ば 　 労働 競技 体操 と なる 
農民 芸術 の （ 諸 ） 主義 
… … それら の なか に どんな 主張 が 可能 で ある か … … 
芸術 の ため の 芸術 は 少年 期 に 現 はれ 青年 期 後 に 潜在 する 
人生 の ため の 芸術 は 青年 期 に あり 　 成年 以後 に 潜在 する 
芸術 として の 人生 は 老年 期 中 に 完成 する 
その 遷移 に は その 深 さ と 個性 が 関係 する 
リアリズム と ロマンティシズム は 個性 に関して 併存 する 
形式 主義 は 正 態 により 標題 主義 は 続 感度 による 
四 次 感覚 は 静 芸術 に 流動 を 容 る 
神秘 主義 は 絶えず 新た に 起る で あら う 
表現 法 の いかなる 主張 も 個性 の 限り 可能 で ある 
農民 芸術 の 製作 
… … いかに 着手 し いかに 進ん で 行っ たら いい か … … 
世界 に対する 大 なる 希 願 を ま づ 起せ 
強く 正しく 生活 せよ 　 苦難 を 避け ず 直進 せよ 
感受 の 後 に 模倣 理想 化 冷 く 鋭き 解析 と 熱 あり 力 ある 綜合 と 
諸 作 無意識 中 に 潜入 する ほど 美的 の 深 と 創造 力 は か はる 
機 により 興 会し 胚胎 すれ ば 製作 心象 中 に あり 
練 意 了 って 表現 し 　 定 案 成れ ば 完成 せら る 
無意識 即 から 溢れる もの で なけれ ば 多く 無力 か 詐偽 で ある 
髪 を 長く し コーヒー を 呑み 空虚 に 待てる 顔つき を 見よ 
なべて の 悩み を た きぎ と 燃やし 　 なべて の 心 を 心 と せよ 
風 と ゆき きし 　 雲 から エネルギー を とれ 
農民 芸術 の 産 者 
… … われ ら の なか で 芸術 家 と は どう いふ こと を 意味 する か … … 
職業 芸術 家 は 一度 亡び ね ば なら ぬ 
誰 人 も みな 芸術 家 たる 感受 を なせ 
個性 の 優れる 方面 に 於 て 各々 止む なき 表現 を なせ 
然 も めいめい その ときどき の 芸術 家 で ある 
創作 自ら 湧き 起り 止む なき とき は 行為 は 自 づと 集中 さ れる 
その とき 恐らく 人々 は その 生活 を 保証 する だら う 
創作 止め ば 彼 は ふたたび 土 に 起つ 
ここ に は 多く の 解放 さ れ た 天才 が ある 
個性 の 異 る 幾 億 の 天才 も 併 び 立つ べく 斯 て 地面 も 天 と なる 
農民 芸術 の 批評 
… … 正しい 評価 や 鑑賞 は ま づい か に し て なさ れる か … … 
批評 は 当然 社会 意識 以上 に 於 て なさ ね ば なら ぬ 
誤 ま れる 批評 は 自ら の 内 芸術 で 他 の 外 芸術 を 律する に 因る 
産 者 は 不断 に 内的 批評 を 有 た ね ば なら ぬ 
批評 の 立場 に 破壊 的 創造 的 及観照 的 の 三 が ある 
破壊 的 批評 は 産 者 を 奮 ひ 起た しめる 
創造 的 批評 は 産 者 を 暗示 し 指導 する 
創造 的 批評 家 に は 産 者 に 均しい 資格 が 要る 
観照 的 批評 は 完成 さ れ た 芸術 に対して 行 は れる 
批評 に対する 産 者 は 同じく 社会 意識 以上 を以て 応 へ ね ば なら ぬ 
斯 て も 生ずる 争論 なら ば そ は 新 なる 建設 に 至る 
農民 芸術 の 綜合 
… … おお 朋 だ ちよ 　 いっしょ に 正しい 力 を 併せ 　 われ ら の すべて の 田園 と われ ら の すべて の 生活 を 一つ の 巨 き な 第 四 次元 の 芸術 に 創り あげよ う で ない か … … 
ま づもろともにかがやく 宇宙 の 微塵 と なり て 無 方 の 空 に ちらばら う 
しかも われ ら は 各々 感じ 　 各 別 各 異 に 生き て ゐる 
ここ は 銀河 の 空間 の 太陽 日本 　 陸 中国 の 野原 で ある 
青い 松並 　 萱 の 花 　 古い みちのく の 断片 を 保て 
『 つめ くさ 灯 ともす 宵 の ひろば 　 た が ひ の ラルゴ を うた ひか はし 
雲 を も どよもし 夜 風 に わすれ て 　 とりいれ まぢか に 歳 よ 熟れ ぬ 』 
詞 は 詩 で あり 　 動作 は 舞踊 　 音 は 天 楽 　 四方 は かがやく 風景 画 
われ ら に 理解 ある 観衆 が あり 　 われ ら に ひとり の 恋人 が ある 
巨 き な 人生 劇場 は 時間 の 軸 を 移動 し て 不滅 の 四 次 の 芸術 を なす 
おお 朋 だ ちよ 　 君 は 行く べく 　 やがて は すべて 行く で あら う 
結論 
… … われ ら に 要る もの は 銀河 を 包む 透明 な 意志 　 巨 き な 力 と 熱 で ある … … 
われ ら の 前途 は 輝き ながら 嶮峻 で ある 
嶮峻 の その 度 ごと に 四 次 芸術 は 巨大 と 深 さ と を 加 へ る 
詩人 は 苦痛 を も 享楽 する 
永久 の 未 完成 これ 完成 で ある 
理解 を 了 へ ば われ ら は 斯 る 論 を も 棄 つる 
畢竟 ここ に は 宮沢 賢治 一 九 二 六 年 の その 考 が ある のみ で ある 
一 　 午後 の 授業 
「 では みなさん 、 さ う いふ ふう に 川 だ と 云 はれ たり 、 乳 の 流れ た あと だ と 云 はれ たり し て ゐ た 、 この ぼんやり と 白い もの が 何 か ご 承知 です か 。 」 
先生 は 、 黒板 に 吊し た 大きな 黒い 星座 の 圖 の 、 上 から 下 へ 白く けぶ つた 銀河 帶 の やう な ところ を 指し ながら 、 みんな に 問 ひ を かけ まし た 。 
カムパネルラ が 手 を あげ まし た 。 それ から 四 五 人 手 を あげ まし た 。 ジヨバンニ も 手 を あげよ う として 、 急い で そのまま やめ まし た 。 
たしかに あれ が みんな 星 だ と 、 いつか 雜誌 で 讀ん だ の でし た が 、 このごろ は ジヨバンニ は まるで 毎日 教室 で も ねむく 、 本 を 讀む ひま も 讀む 本 も ない ので 、 なんだか どんな こと も よく わから ない といふ 氣持 が する の でし た 。 
ところが 先生 は 早く も それ を 見 附け た の でし た 。 
「 ジヨバンニ さん 。 あなた は わかつ て ゐる ので せ う 。 」 
ジヨバンニ は 勢 よく 立ちあがり まし た が 、 立つ て 見る と もう はつ きり と それ を 答 へる こと が でき ない の でし た 。 ザネリ が 前 の 席 から 、 ふり か へ つて 、 ジヨバンニ を 見 て くす つと わら ひ まし た 。 ジヨバンニ は もう どぎまぎ し て まつ 赤 に なつ て しまひ まし た 。 
先生 が また 云 ひ まし た 。 
「 大きな 望遠鏡 で 銀河 を よ つく 調べる と 銀河 は 大 體何 で せ う 。 」 
やつ ぱり 星 だ と ジヨバンニ は 思ひ まし た が 、 こんど も すぐ に 答 へる こと が でき ませ ん でし た 。 
先生 は しばらく 困 つ た やう す でし た が 、 眼 を カムパネルラ の 方 へ 向け て 、 
「 では カムパネルラ さん 。 」 と 名指し まし た 。 
すると あんなに 元 氣 に 手 を あげ た カムパネルラ が 、 も ぢ も ぢ 立ち上 つ た まま やはり 答 へ が でき ませ ん でし た 。 
先生 は 意外 の やう に しばらく ぢ つと カムパネルラ を 見 て ゐ まし た が 、 急い で 、 
「 では 。 よし 。 」 と 云 ひ ながら 、 自分 で 星 圖 を 指し まし た 。 
「 この ぼんやり と 白い 銀河 を 大きな いい 望遠鏡 で 見 ます と 、 もう たくさん の 小さな 星 に 見える の です 。 ジヨバンニ さん さ う で せ う 。 」 
ジヨバンニ は まつ 赤 に な つて うなづき まし た 。 けれども いつか ジヨバンニ の 眼 の なか に は 涙 が い つ ぱいになりました 。 さ う だ 僕 は 知 つて ゐ た の だ 、 勿論 カムパネルラ も 知 つて ゐる 、 それ は いつか カムパネルラ の お父さん の 博士 の うち で カムパネルラ と いつ しよ に 讀ん だ 雜誌 の なか に あつ た の だ 。 それ どこ で なく カムパネルラ は 、 その 雜誌 を 讀む と 、 すぐ お父さん の 書 齋 から 巨 き な 本 を もつ て き て 、 ぎん が といふ ところ を ひろげ 、 まつ 黒 な 頁 い つ ぱいに 白い 點々 の ある 美しい 寫眞 を 二 人 で いつ まで も 見 た の でし た 。 
それ を カムパネルラ が 忘れる 筈 も なかつ た のに 、 すぐ 返事 を し なかつ た の は 、 このごろ ぼく が 、 朝 に も 午後 に も 仕事 が つらく 、 學 校 に 出 て も もう みんな と も はきはき 遊ば ず 、 カムパネルラ とも あんまり 物 を 云 は ない やう に なつ た ので 、 カムパネルラ が それ を 知 つて 氣 の 毒 が つて わざと 返事 を し なかつ た の だ 。 
さ う 考へる と たまらない ほど 、 じ ぶん も カムパネルラ も あはれ な やう な 氣 が する の でし た 。 
先生 は また 云 ひ まし た 。 
「 ですから もしも この 天の川 が ほん た うに 川 だ と 考へる なら 、 その 一つ 一つ の 小さな 星 は みんな その 川 の そこ の 砂 や 砂利 の 粒 に も あたる わけ です 。 また これ を 巨 き な 乳 の 流れ と 考へる なら 、 もつ と 天の川 と よく 似 て ゐ ます 。 つまり その 星 は みな 、 乳 の なか に まるで 細か に うかん で ゐる 脂 油 の 球 に も あたる の です 。 そん なら 何 が その 川 の 水 に あたる か と 云 ひ ます と 、 それ は 眞 空 といふ 光 を ある 速 さ で 傳 へる もの で 、 太陽 や 地球 も やつ ぱりそのなかに 浮ん で ゐる の です 。 
つまり は 私 ども も 天の川 の 水 の なか に 棲ん で ゐる わけ です 。 そして その 天の川 の 水 の なか から 四方 を 見る と 、 ちやう ど 水 が 深い ほど 青く 見える やう に 、 天の川 の 底 の 深く 遠い ところ ほど 星 が たくさん 集 つて 見え 、 し た が つて 白く ぼんやり 見える の です 。 この 模型 を ごらん なさい 。 」 
先生 は 中 に たくさん 光る 砂 の つぶ の 入 つた 大きな 兩面 の 凸レンズ を 指し まし た 。 
「 天の川 の 形 は ちやう ど こんな な の です 。 この いちいち の 光る つぶ が みんな 私 ども の 太陽 と 同じ やう に じ ぶん で 光 つて ゐる 星 だ と 考へ ます 。 私 ども の 太陽 が この ほぼ 中ごろ に あ つて 地球 が その すぐ 近く に ある と し ます 。 みなさん は 夜 に この まん中 に 立つ て この レンズ の 中 を 見 ま はす として ごらん なさい 。 こ つ ちの 方 は レンズ が 薄い ので わずか の 光る 粒 即ち 星 しか 見え ない ので せ う 。 こ つ ちやこ つ ちの 方 は ガラス が 厚い ので 、 光る 粒 即ち 星 が たくさん 見え 、 その 遠い の は ぼう つと 白く 見える といふ 、 これ が つまり 今日 の 銀河 の 説 な の です 。 そん なら この レンズ の 大き さ が どれ 位 ある か 、 また その 中 の さまざま の 星 について は もう 時間 です から 、 この 次 の 理科 の 時間 に お話 し ます 。 では 今日 は その 銀河 の お祭 な の です から 、 みなさん は 外 へ で て よく そら を ごらん なさい 。 では ここ まで です 。 本 や ノート を おし まひ なさい 。 」 
そして 教室 中 は しばらく 机 の 蓋 を あけ たり しめ たり 本 を 重ね たり する 音 が い つ ぱいでしたが 、 まもなく みんな は きちんと 立つ て 禮 を する と 教室 を 出 まし た 。 
二 　 活版 所 
ジヨバンニ が 學 校 の 門 を 出る とき 、 同じ 組 の 七 八 人 は 家 へ 歸 ら ず カムパネルラ を まん中 に し て 校庭 の 隅 の 櫻 の 木 の ところ に 集ま つて ゐ まし た 。 それ は こん や の 星祭 に 青い あかり を こし ら へ て 、 川 へ 流す 烏瓜 を 取り に 行く 相談 らし かつ た の です 。 
けれども ジヨバンニ は 手 を 大きく 振 つ て どしどし 學 校 の 門 を 出 て 來 まし た 。 すると 町 の 家々 で はこん や の 銀河 の 祭り に いち ゐ の 葉 の 玉 を つるし たり 、 ひのき の 枝 に あかり を つけ たり 、 いろいろ 仕度 を し て ゐる の でし た 。 
家 へ は 歸 ら ず ジヨバンニ が 町 角 を 三つ 曲 つて ある 大きな 活版 所 に は い つ て 、 靴 を ぬい で 上り ます と 、 突き 當 り の 大きな 扉 を あけ まし た 。 中 に は まだ 晝 な のに 電 燈 が つい て 、 たくさん の 輪 轉器 が ば たり 、 ば たり とま はり 、 きれ で 頭 を し ばつ たり 、 ラムプシエード を かけ たり し た 人 たち が 、 何 か 歌 ふ よう に 讀ん だり 數 へ たり し ながら たくさん 働い て 居り まし た 。 
ジヨバンニ は すぐ 入口 から 三 番目 の 高い 椅子 に 坐 つた 人 の 所 へ 行 つて おじぎ を し まし た 。 その 人 は しばらく 棚 を さがし て から 、 
「 これ だけ 拾 つて 行ける か ね 。 」 と 云 ひ ながら 、 一 枚 の 紙切れ を 渡し まし た 。 ジヨバンニ は その 人 の 椅子 の 足もと から 一つ の 小さな 平たい 箱 を とりだし て 、 向 うの 電 燈 の たくさん つい た たてかけ て ある 壁 の 隅 の 所 へ し や が み 込む と 、 小さな ピンセツト で まるで 粟粒 ぐらゐの 活字 を 次 から 次 と 拾 ひ はじめ まし た 。 
青い 胸 あて を し た 人 が ジヨバンニ の うし ろ を 通り ながら 、 
「 よう 、 蟲 めがね 君 、 お早う 。 」 と 云 ひ ます と 、 近く の 四 五 人 の 人 たち が 聲 も たて ず こ つ ち も 向か ず に 冷め たく わら ひ まし た 。 
ジヨバンニ は 何 べ ん も 眼 を 拭 ひ ながら 活字 を だんだん ひろ ひ まし た 。 
六 時 が うつ て しばらく たつ た ころ 、 ジヨバンニ は 拾 つた 活字 を い つ ぱいに 入れ た 平たい 箱 を もう いちど 手 に もつ た 紙きれ と 引き合せ て から 、 さつき の 椅子 の 人 へ 持つ て 來 まし た 。 その 人 は 默 つて それ を 受け取 つ て 微か に うなづき まし た 。 
ジヨバンニ は おじぎ を する と 扉 を あけ て 計算 臺 の ところ に 來 まし た 。 すると 白 服 を 着 た 人 が やつ ぱりだまつて 小さな 銀貨 を 一つ ジヨバンニ に 渡し まし た 。 ジヨバンニ は 俄 か に 顏 いろ が よく な つて 威勢 よく おじぎ を する と 、 臺 の 下 に 置い た 鞄 を もつ ておも て へ 飛びだし まし た 。 それから 元 氣 よく 口笛 を 吹き ながら パン 屋 へ 寄 つて パン の 塊 を 一つ と 角砂糖 を 一 袋 買 ひ ます と 一目散 に 走り だし まし た 。 
三 　 家 
ジヨバンニ が 勢 よく 歸 つて 來 た の は 、 ある 裏町 の 小さな 家 でし た 。 その 三つ ならん だ 入口 の 一番 左側 に は 空 箱 に 紫いろ の ケール や アスパラガス が 植 ゑてあつて 、 小さな 二つ の 窓 に は 日覆 ひ が 下り た まま に な つて ゐ まし た 。 
「 お母さん 、 いま 歸 つ た よ 。 工合 惡 く なかつ た の 。 」 ジヨバンニ は 靴 を ぬぎ ながら 云 ひ まし た 。 
「 ああ 、 ジヨバンニ 、 お 仕事 が ひど かつ たら う 。 今日 は 涼しく て ね 。 わたし はず うつ と 工合 が いい よ 。 」 
ジヨバンニ は 玄 關 を 上 つて 行き ます と ジヨバンニ の お母さん が すぐ 入口 の 室 に 白い 布 を 被 つて やすん で ゐ た の でし た 。 
ジヨバンニ は 窓 を あけ まし た 。 
「 お母さん 、 今日 は 角砂糖 を 買 つ て き た よ 。 牛乳 に 入れ て あげよ う と 思 つて 。 」 
「 ああ 、 お前 さき に お あがり 。 あたし は まだ ほしく ない ん だ から 。 」 
「 お母さん 。 姉さん は い つ 歸 つたの 。 」 
「 ああ 、 三 時 ごろ 歸 つ た よ 。 みんな そこら を し て くれ て ね 。 」 
「 お母さん の 牛乳 は 來 て ゐ ない ん だら う か 。 」 
「 來 なかつ たら う か ねえ 。 」 
「 ぼく 行 つて と つて 來 よう 。 」 
「 ああ あたし は ゆ つくり で いい ん だ から お前 さき に お あがり 。 姉さん が ね 、 トマト で 何 か こし ら へ て そこ へ 置い て 行 つ た よ 。 」 
「 では ぼく たべよ う 。 」 
ジヨバンニ は 窓 の ところ から トマト の 皿 を とつ て パン と いつ しよ に しばらく むし や むし や たべ まし た 。 
「 ねえ お母さん 。 ぼく お父さん は き つ と 間もなく 歸 つて くる と 思ふ よ 。 」 
「 ああ あたし も さ う 思ふ 。 けれども お ま へ は どうして さ う 思ふ の 。 」 
「 だ つて 今朝 の 新聞 に 今年 は 北の方 の 漁 は 大 へん よ かつ た と 書い て あつ た よ 。 」 
「 あつ た けど ねえ 、 お父さん は 漁 へ 出 て ゐ ない かも しれ ない 。 」 
「 きつ と 出 て ゐる よ 。 お父さん が 監獄 へ 入る やう な そんな 惡 い こと を し た 筈 が ない ん だ 。 この 前 お父さん が 持つ て き て 學 校 に 寄贈 し た 巨 き な 蟹 の 甲 ら だの 馴鹿 の 角 だの 、 今 だ つ て みんな 標本 室 に ある ん だ 。 六 年生 なんか 、 授業 の とき 先生 が か はる が はる 教室 へ 持つ て 行く よ 。 」 
「 お父さん は この 次 は お ま へ に ラツコ の 上着 を もつ て くる と い つ た ねえ 。 」 
「 みんな が ぼく に あ ふと それ を 云 ふよ 。 ひやかす よう に 云 ふん だ 。 」 
「 お ま へ に 惡口 を 云う の ？ 」 
「 うん 、 けれども カムパネルラ なんか 決して 云 は ない 。 カムパネルラ は みんな が そんな こと を 云 ふとき は 氣 の 毒 さ うに し て ゐる よ 。 」 
「 カムパネルラ の お父さん と うち の お父さん と は ちやう ど お ま へ たち の やう に 、 小さい とき から お 友達 だ つ たさ う だ よ 。 」 
「 ああ だから お父さん は ぼく を つれ て カムパネルラ の うち へ もつれ て 行 つ た よ 。 あの ころ は よ かつ た なあ 。 ぼく は 學 校 から 歸 る 途中 たびたび カムパネルラ の うち に 寄 つた 。 カムパネルラ の うち に は アルコールラムプ で 走る 汽車 が あつ た ん だ 。 レール を 七つ 組み合せる と 圓 く なつ て それ に 電柱 や 信 號標 も つい て ゐ て 、 信 號標 の あかり は 汽車 が 通る とき だけ 青く なる やう に なつ て ゐ た ん だ 。 いつか アルコール が なく な つ た とき 石油 を つか つ たら 、 罐 が す つかり 煤け た よ 。 」 
「 さ う か ねえ 。 」 
「 いま も 毎朝 新聞 を ま はし に 行く よ 。 けれども いつ で も 家中 まだ し いん として ゐる から な 。 」 
「 早い から ねえ 。 」 
「 ザウエル といふ 犬 が ゐる よ 。 し つ ぽ が まるで 箒 の やう だ 。 ぼく が 行く と 鼻 を 鳴らし て つい て くる よ 。 ず うつ と 町 の 角 まで つい て くる 。 もつ と つい て くる こと も ある よ 。 今夜 は みんな で 烏瓜 の あかり を 川 へ ながし に 行く ん だ つて 。 きつ と 犬 も ついて行く よ 。 」 
「 さ う だ 。 今晩 は 銀河 の お祭 だ ねえ 。 」 
「 うん 。 ぼく 牛乳 を とり ながら 見 て くる よ 。 」 
「 ああ 行 つて おいで 。 川 へ は はいら ない で ね 。 」 
「 ああ ぼく 、 岸 から 見る だけ な ん だ 。 一 時間 で 行 つ て くる よ 。 」 
「 もつ と 遊ん で おいで 。 カムパネルラ さん と 一緒 なら 心配 は ない から 。 」 
「 ああ きつ と 一緒 だ よ 。 お母さん 、 窓 を しめ て 置か う か 。 」 
「 ああ 、 どう か 。 もう 涼しい から ね 。 」 
ジヨバンニ は 立つ て 窓 を しめ 、 お 皿 や パン の 袋 を 片 附ける と 勢 よく 靴 を はい て 、 
「 では 一 時間 半 で 歸 つ て くる よ 。 」 と 云 ひ ながら 暗い 戸口 を 出 まし た 。 
四 　 ケンタウル 祭 の 夜 
ジヨバンニ は 、 口笛 を 吹い て ゐる やう な さびしい 口 付き で 、 檜 の まつ 黒 に ならん だ 町 の 坂 を 下り て 來 た の でし た 。 
坂の下 に 大きな 一つ の 街 燈 が 、 青白く 立派 に 光 つて 立つ て ゐ まし た 。 ジヨバンニ が どんどん 電 燈 の 方 へ 下り て 行き ます と 、 いま まで ばけ もの の やう に 、 長く ぼんやり 、 うし ろ へ 引い て ゐ た ジヨバンニ の 影 ぼ ふし は 、 だんだん 濃く 黒く はつ きり な つて 、 足 を あげ たり 手 を 振 つ たり 、 ジヨバンニ の 横 の 方 へま は つて 來 る の でし た 。 
（ ぼく は 立派 な 機 關車 だ 。 ここ は 勾配 だ から 速い ぞ 。 ぼく は いま その 電 燈 を 通り越す 。 そう ら 、 こんど は ぼく の 影法師 は コム パス だ 。 あんなに くる つとま は つて 、 前 の 方 へ 來 た 。 ） 
と ジヨバンニ は 思ひ ながら 、 大股 に その 街 燈 の 下 を 通り過ぎ た とき 、 いきなり ひるま の ザネリ が 、 新しい えり の 尖 つ た シヤツ を 着 て 、 電 燈 の 向う側 の 暗い 小路 から 出 て 來 て 、 ひら つ と ジヨバンニ と すれ ち が ひ まし た 。 
「 ザネリ 、 烏瓜 ながし に 行く の 。 」 ジヨバンニ が まだ さ う 云 つ て しまは ない うち に 、 その 子 が 投げつける やう に うし ろ から 、 さけび まし た 。 
「 ジヨバンニ 、 お父さん から 、 ラツコ の 上着 が 來 る よ 。 」 
ジヨバンニ は 、 はつ と 胸 が つめたく なり 、 そこら 中 きい ん と 鳴る やう に 思ひ まし た 。 
「 何 ん だ 、 ザネリ 。 」 と ジヨバンニ は 高く 叫び 返し まし た が 、 もう ザネリ は 向う の ひ ば の 植 つた 家 の 中 へ は い つ て ゐ まし た 。 
（ ザネリ は どうして ぼく が なんにも し ない のに あんな こと を 云 ふ の だら う 。 走る とき は まるで 鼠 の やう な くせ に 。 ぼく が なんにも し ない のに あんな こと を 云 ふ の は ザネリ が ばか だ から だ 。 ） 
ジヨバンニ は 、 せ は しく いろいろ の こと を 考へ ながら 、 さまざま の 灯 や 木 の 枝 で 、 す つかり きれい に 飾ら れ た 街 を 通 つて 行き まし た 。 時計 屋 の 店 に は 明るく ネオン 燈 が つい て 、 一 秒 ごと に 石 で こ さ へ た ふく ろ ふ の 赤い 眼 が 、 くる つくる つ と うごい たり 、 いろいろ な 寶石 が 海 の やう な 色 を し た 厚い 硝子 の 盤 に 載 つ て 、 星 の やう に ゆ つくり めぐ つ たり 、 また 向う側 から 、 銅 の 人馬 が ゆ つくり こ つ ち へま は つて 來 たり する の でし た 。 その まん中 に 圓 い 黒い 星座 早見 が 青い アスパラガス の 葉 で 飾 つて あり まし た 。 
ジヨバンニ は われ を 忘れ て その 星座 の 圖 に 見入り まし た 。 
それ は ひる 學 校 で 見 た あの 圖 より はず うつ と 小さ かつ た の です が 、 その 日 の 時間 に 合せ て 盤 を ま はす と 、 その とき 出 て ゐる そ ら が そのまま 楕圓形 の なか に め ぐつてあらはれるやうになつて 居り 、 やはり その まん中 に は 上 から 下 へ かけ て 銀河 が ぼう と けむ つ た やう な 帶 に な つて 、 その 下 の 方 で は かすか に 爆發 し て 湯 氣 で も あげ て ゐる やう に 見える の でし た 。 また その うし ろ に は 三 本 の 脚 の つい た 小さな 望遠鏡 が 黄いろ に 光 つて 立つ て ゐ まし た し 、 いちばん うし ろ の 壁 に は 空 ぢ ゆう の 星座 を ふしぎ な 獸 や 蛇 や 魚 など の 形 に 書い た 大きな 圖 が か かつて ゐ まし た 。 ほん た うに こんな やう な 蝎 だの 勇士 だの そら に ぎつしり 居る だら う か 、 ああ ぼく は その 中 を どこ まで も 歩い て 見 たい と 思 つ たり し て しばらく ぼんやり 立つ て 居 まし た 。 
それから 俄 か に お母さん の 牛乳 の こと を 思ひ だし て ジヨバンニ は その 店 を はなれ まし た 。 
そして き ゆう くつ な 上着 の 肩 を 氣 に し ながら 、 それでも わざと 胸 を 張り 、 大きく 手 を 振 つて 町 を 通 つて 行き まし た 。 
空 氣 は 澄み き つて 、 まるで 水 の やう に 通り や 店 の 中 を 流れ まし た し 、 街 燈 は みな まつ 青 な もみ や 楢 の 枝 で 包ま れ 、 電 氣會社 の 前 の 六 本 の プラタナス の 木 など は 、 中 に 澤山 の 豆 電 燈 が つい て 、 ほん た うに そこら は 人魚 の 都 の やう に 見える の でし た 。 子ども ら は 、 みんな 新 らしい 折 の つい た 着物 を 着 て 、 星 めぐり の 口笛 を 吹い たり 、 「 ケンタウルス 、 露 を ふらせ 。 」 と 叫ん で 走 つ たり 、 青い マグネシヤ の 花火 を 燃し たり し て 、 たのし さ う に 遊ん で ゐる の でし た 。 けれども ジヨバンニ は 、 いつか また 深く 首 を 垂れ て 、 そこら のに ぎやかさとはまるでちがつたことを 考へ ながら 牛乳 屋 の 方 へ 急ぐ の でし た 。 
ジヨバンニ は 、 いつか 町 は づれの ポプラ の 木 が 幾 本 も 幾 本 も 、 高く 星 ぞ ら に 浮かん で ゐる ところ に 來 て ゐ まし た 。 その 牛乳 屋 の 黒い 門 を 入り 、 牛 の 匂 の する うすぐらい 臺所 の 前 に 立つ て 、 ジヨバンニ は 帽子 を ぬい で 「 今晩 は 」 と 云 ひ まし たら 、 家 の 中 は しいんと し て 誰 も 居 た やう で は あり ませ ん でし た 。 
「 今晩 は 、 ごめんなさい 。 」 ジヨバンニ は まつ すぐ に 立つ て また 叫び まし た 。 すると しばらく たつ て から 、 年 老 つた 女 の 人 が 、 どこ か 工合 が 惡 い やう に そろそろ と 出 て 來 て 何 か 口 の 中 で 云 ひ まし た 。 
「 あの 、 今日 、 牛乳 が 僕 ん とこ へ 來 なかつ た ので 、 貰 ひ にあが つ た ん です 。 」 ジヨバンニ が 一生けん命 勢 ひよく 云 ひ まし た 。 
「 いま 誰 も ゐ ない で わかり ませ ん 。 あした に し て 下さい 。 」 その 人 は 赤い 眼 の 下 の ところ を 擦り ながら 、 ジヨバンニ を 見おろし て 云 ひ まし た 。 
「 お つかさ ん が 病 氣 な ん です から 今晩 で ない と 困る ん です 。 」 
「 では もう少し たつ て から 來 て ください 。 」 その 人 は もう 行 つ て しまひ さ う でし た 。 
「 さ う です か 。 では ありがたう 。 」 ジヨバンニ は 、 お 辭儀 を し て 臺所 から 出 まし た 。 けれども なぜ か 泪 が い つ ぱいに 湧き まし た 。 
（ ぼく は 早く 歸 つて お つかさ ん に あの 時計 屋 の ふく ろ ふ の 飾り の こと や 星座 早見 の こと を お話 しよ う 。 ） ジヨバンニ は せ は しく こんな こと を 考へ ながら 、 十字 に な つた 町 の か ど を まがら う と し まし たら 、 向う の 橋 へ 行く 方 の 雜貨店 の 前 で 、 黒い 影 や ぼんやり し た 白い シヤツ が 入り 亂 れ て 、 六 七 人 の 生徒 ら が 口笛 を 吹い たり 笑 つ たり し て 、 めいめい 烏瓜 の 燈火 を 持つ て やつ て 來 る の を 見 まし た 。 その 笑 ひ 聲 も 口笛 も みんな 聞き おぼえ の ある もの でし た 。 ジヨバンニ の 同級 の 子供 ら だ つたの です 。 ジヨバンニ は 思は ず どき つ として 戻ら う と し まし た が 、 思ひ 直し て 一 そう 勢 ひよく そつ ち へ 歩い て 行き まし た 。 
「 川 へ 行く の 。 」 ジヨバンニ が 云 はう として 、 少し のど が つま つ た やう に 思 つ た とき 、 
「 ジヨバンニ 、 ラツコ の 上着 が 來 る よ 。 」 さつき の ザネリ が また 叫び まし た 。 
「 ジヨバンニ 、 ラツコ の 上着 が 來 る よ 。 」 すぐ みんな が 、 續 い て 叫び まし た 。 ジヨバンニ は まつ 赤 に な つて 、 もう 歩い て ゐる の かも よく わから ず 、 急い で 行き すぎよ う と し まし たら 、 その なか に カムパネルラ が 居 た の です 。 カムパネルラ は 氣 の 毒 さ うに 、 だま つて 少し わら つて 、 怒ら ない だら う か といふ やう に ジヨバンニ の 方 を 見 て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は 、 遁 げ る やう に その 眼 を 避け 、 そして カムパネルラ の せい の 高い かたち が 過ぎ て 行 つて 間 も なく 、 みんな は てんでに 口笛 を 吹き まし た 。 町 か ど を 曲る とき 、 ふり か へ つて 見 まし たら 、 ザネリ が やはり ふり か へ つて 見 て ゐ まし た 。 そして カムパネルラ も また 、 高く 口笛 を 吹い て 、 向う に ぼんやり 見え て ゐる 橋 の 方 へ 歩い て 行 つて しま つたの でし た 。 ジヨバンニ は なんとも 云 へ ず さ びしくなつて 、 いきなり 走り出し まし た 。 すると 耳 に 手 を あて て 、 わあ あと 云 ひ ながら 片足 で ぴよんぴよん 跳ん で ゐ た 小さな 子供 ら は 、 ジヨバンニ が 面白く て かける の だ と 思 つて 、 わあ いと 叫び まし た 。 
どんどん ジヨバンニ は 走り まし た 。 
けれども ジヨバンニ は 、 まつ すぐ に 坂 を の ぼつ て 、 お つかさ ん の 家 へ は 歸 ら ない で 、 ちやう ど その 北の方 の 町 は づれへ 走 つて 行 つたの です 。 そこ に は 、 河原 の ぼう つと 白く 見える 小さな 川 が あつ て 、 細い 鐵 の 欄干 の つい た 橋 が か かつて ゐ まし た 。 
（ ぼく は どこ へ も あそび に 行く とこ が ない 。 ぼく は みんな から 、 まるで 狐 の やう に 見える ん だ 。 ） 
ジヨバンニ は 橋 の 上 で と まつ て 、 ちよ つと の 間 、 せ は しい 息 でき れ ぎれに 口笛 を 吹き ながら 泣き 出し たい の を ごまかし て 立つ て ゐ まし た が 、 に はか に ま たち から い つ ぱい 走り だし て 、 黒い 丘 の 方 へ いそぎ まし た 。 
五 　 天 氣輪 の 柱 
牧場 の うし ろ は ゆるい 丘 に な つて 、 その 黒い 平ら な 頂上 は 、 北 の 大熊 星 の 下 に 、 ぼんやり ふだん より も 低く 連 つて 見え まし た 。 
ジヨバンニ は 、 もう 露 の 降り か かつ た 小さな 林 の こ みち を どんどん の ぼつ て 行き まし た 。 ま つくら な 草 や 、 いろいろ な 形 に 見える やぶ の しげみ の 間 を 、 その 小さな みち が 、 一すじ 白く 星あかり に 照らし ださ れ て あつ た の です 。 草 の 中 に は 、 ぴかぴか 青 びかりを 出す 小さな 蟲 も ゐ て 、 ある 葉 は 青く すかし 出さ れ 、 ジヨバンニ は 、 さつき みんな の 持つ て 行 つた 烏瓜 の あかり の やう だ と も 思ひ まし た 。 
その まつ 黒 な 、 松 や 楢 の 林 を 越える と 、 俄 か に がらんと 空 が ひらけ て 、 天の川 が しらじら と 南 から 北 へ 亙 つ て ゐる の が 見え 、 また 頂 の 、 天 氣輪 の 柱 も 見 わけ られ た の でし た 。 つり が ね さ う か 野 ぎく か の 花 が 、 そこら いち めん に 、 夢 の 中 から で も 薫り だし た といふ やう に 咲き 、 鳥 が 一疋 、 丘 の 上 を 鳴き 續 け ながら 通 つて 行き まし た 。 
ジヨバンニ は 、 頂 の 天 氣輪 の 柱 の 下 に 來 て 、 どかどか する から だ を 、 つめたい 草 に 投げ まし た 。 
町 の 灯 は 、 暗 の 中 を まるで 海 の 底 の お宮 の けしき の やう に ともり 、 子供 ら の 歌 ふ 聲 や 口笛 、 きれ ぎれの 叫び 聲 も かすか に 聞え て 來 る の でし た 。 風 が 遠く で 鳴り 、 丘 の 草 も しづか に そよぎ 、 ジヨバンニ の 汗 で ぬれ た シヤツ も つめたく 冷やさ れ まし た 。 
ジヨバンニ は ぢ つと 天の川 を 見 ながら 考へ まし た 。 
（ ぼく は もう 、 遠く へ 行 つ て しまひ たい 。 みんな から は なれ て 、 どこ まで も どこ まで も 行 つ て しまひ たい 。 それでも もしも カムパネルラ が 、 ぼく と いつ しよ に 來 て くれ たら 、 そして 二 人 で 、 野原 や さまざま の 家 を スケツチ し ながら 、 どこ まで も どこ まで も 行く の なら 、 どんなに いい だら う 。 カムパネルラ は 決して ぼく を 怒 つ て ゐ ない の だ 。 そして ぼく は 、 どんなに 友だち が ほしい だら う 。 ぼく は もう 、 カムパネルラ が 、 ほん た うに ぼく の 友だち に な つて 、 決して うそ を つか ない なら 、 ぼく は 命 でも や つて も いい 。 けれども さ う 云 はう と 思 つて も 、 いま は ぼく は それ を カムパネルラ に 云 へ なく な つて し まつ た 。 一緒 に 遊ぶ ひま だ つて ない ん だ 。 ぼく は もう 、 空 の 遠く の 遠く の 方 へ 、 たつ た 一 人 で 飛ん で 行 つ て しまひ たい 。 ） 
ジヨバンニ は 町 の は づれから 遠く 黒く ひろ が つた 野原 を 見 わたし まし た 。 そこ から 汽車 の 音 が 聞え て き まし た 。 その 小さな 列車 の 窓 は 一 列 小さく 赤く 見え 、 その 中 に は たくさん の 旅人 が 、 苹果 を 剥い たり 、 わら つ たり 、 いろいろ な 風 に し て ゐる と 考へ ます と 、 ジヨバンニ は 、 もう 何とも 云 へ ず かなしく な つて 、 また 眼 を そら に あげ まし た 。 … … （ 次 の 原稿 幾 枚 か なし ） … … 
ジヨバンニ は 眼 を ひらき まし た 。 もと の 丘 の 草 の 中 に つかれ て ねむ つて ゐ た の でし た 。 胸 は 何だか を かしく 熱り 、 頬 に は つめたい 涙 が ながれ て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は 、 ばね の やう に はね 起き まし た 。 町 は す つかり さ つき の 通り に 下 で たくさん の 灯 を 綴 つて は ゐ まし た が 、 その 光 は なんだか さつき より は 熱し た という 風 でし た 。 
そして たつ た いま 夢 で あるい た 天の川 も やつ ぱりさつきの 通り に 白く ぼんやり かかり 、 まつ 黒 な 南 の 地平線 の 上 で は 殊に けむ つたや うに な つて 、 その 右 に は 蝎座 の 赤い 星 が うつくしく きらめき 、 そこら ぜんたい の 位置 は そんなに 變 つて も ゐ ない やう でし た 。 
ジヨバンニ は 一 さん に 丘 を 走 つて 下り まし た 。 まだ 夕ごはん を たべ ない で 待つ て ゐる お母さん の こと が 、 胸 い つ ぱいに 思ひ ださ れ た の です 。 どんどん 黒い 松 の 林 の 中 を 通 つて 、 それから ほ の 白い 牧場 の 柵 を ま はつ て 、 さつき の 入口 から 暗い 牛 舍 の 前 へ また 來 まし た 。 
そこ に は 誰 か が いま 歸 つ たらしく 、 さ つき なかつ た 一つ の 車 が 、 何 か の 樽 を 二つ 乘 つけ て 置い て あり まし た 。 
「 今晩 は 。 」 ジヨバンニ は 叫び まし た 。 
「 はい 。 」 白い 太い ず ぼん を はい た 人 が すぐ 出 て 來 て 立ち まし た 。 
「 何 の ご用 です か 。 」 
「 今日 牛乳 が ぼく の ところ へ 來 なかつ た の です が 。 」 
「 あ 、 濟 み ませ ん でし た 。 」 その 人 は すぐ 奧 へ 行 つて 、 一 本 の 牛乳 瓶 を もつ て 來 て 、 ジヨバンニ に 渡し ながら 、 また 云 ひ まし た 。 
「 ほん た うに 濟 み ませ ん でし た 。 今日 は ひる すぎ 、 うつ かり し てこ うし の 柵 を あけ て 置い た もん です から 、 大 將早速 親 牛 の ところ へ 行 つて 半分 ばかり 呑ん で しまひ まし て ね … … 。 」 その 人 は わら ひ まし た 。 
「 さ う です か 。 で は いただい て 行き ます 。 」 
「 ええ 、 どうも 濟 み ませ ん でし た 。 」 
「 いいえ 。 」 ジヨバンニ は まだ 熱い 乳 の 瓶 を 兩方 の て の ひ ら で 包む やう に もつ て 牧場 の 柵 を 出 まし た 。 
そして しばらく 木 の ある 町 を 通 つて 、 大通り へ 出 て また しばらく 行き ます と みち は 十文字 に な つて 、 右手 の 方 に 、 さつき カムパネルラ たち の あかり を 流し に 行 つた 川 通り の は づれに 大きな 橋 の や ぐらが 夜 の そら に ぼんやり 立つ て ゐ まし た 。 
ところが その 十文字 に な つた 町 か ど や 店 の 前 に 女 たち が 七 八 人 位 づつあつまつて 橋 の 方 を 見 ながら 何 か ひそひそ 話し て ゐる の です 。 それから 橋 の 上 に も いろいろ な あかり が い つ ぱいなのでした 。 
ジヨバンニ は なぜ か さ あ つと 胸 が 冷たく な つ た やう に 思ひ まし た 。 そして いきなり 近く の 人 たち へ 、 
「 何 か あつ た ん です か 。 」 と 叫ぶ やう に きき まし た 。 
「 こども が 水 へ 落ち た ん です よ 。 」 一 人 が 云 ひ ます と 、 その 人 たち は 一 齊 に ジヨバンニ の 方 を 見 まし た 。 
ジヨバンニ は まるで 夢中 で 橋 の 方 へ 走り まし た 。 
橋 の 上 は 人 で い つ ぱいで 河 が 見え ませ ん でし た 。 
白い 服 を 着 た 巡査 も 出 て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は 橋 の 袂 から 飛ぶ やう に 下 の 廣 い 河原 へ おり まし た 。 
その 河原 の 水際 に 沿 つて たくさん の あかり がせ は しく の ぼつ たり 下 つ たり し て ゐ まし た 。 向う岸 の 暗い ど て に も 灯 が 七つ 八つ うごい て ゐ まし た 。 その まん中 を 、 もう 烏瓜 の あかり も ない 川 が 、 わ づか に 音 を 立て て 灰 いろ に 、 しづか に 流れ て ゐ た の でし た 。 
河原 の いちばん 下流 の 方 へ 、 洲 の やう に なつ て 出 た ところ に 人 の 集り が くつ きり 、 まつ 黒 に 立つ て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は どんどん そつ ち へ 走り まし た 。 すると ジヨバンニ は いきなり さつき カムパネルラ と いつ しよ だ つた マルソ に 會 ひ まし た 。 マルソ が ジヨバンニ に 走り 寄 つて 云 ひ まし た 。 
「 ジヨバンニ 、 カムパネルラ が 川 へ は い つ た よ 。 」 
「 どうして 、 い つ 。 」 
「 ザネリ が ね 。 舟 の 上 から 烏瓜 の あかり を 水 の 流れる 方 へ 押し て やら う と し た ん だ 。 その とき 舟 が ゆれ た もん だ から 水 へ 落つ こちた 。 すると カムパネルラ が すぐ 飛びこん だ ん だ 。 そして ザネリ を 舟 の 方 へ 押し て よこし た 。 ザネリ は カトウ に つかま つ た 。 けれども あと カムパネルラ が 見え ない ん だ 。 」 
「 みんな 探し てる ん だら う 。 」 
「 ああ 、 すぐ みんな 來 た 。 カムパネルラ の お父さん も 來 た 。 けれども 見つから ない ん だ 。 ザネリ は うち へ 連れ られ て つ た 。 」 
ジヨバンニ は みんな の 居る そつ ちの 方 へ 行き まし た 。 學 生 たち や 町 の 人 たち に 圍 まれ て 、 青じろい 尖 つ た あご を し た カムパネルラ の お父さん が 、 黒い 服 を 着 て まつ すぐ に 立つ て 、 右手 に 時計 を 持つ て 、 ぢ つと 見つめ て ゐ た の です 。 
みんな も ぢ つと 河 を 見 て ゐ まし た 。 誰 も 一言 も 物 を 云 ふ 人 も あり ませ ん でし た 。 ジヨバンニ は わくわく わくわく 足 が ふるへ まし た 。 魚 を とる とき の アセチレン ランプ が たくさん せ は しく 行 つ たり 來 たり し て 、 黒い 川 の 水 は ちらちら 小さな 波 を たて て 流れ て ゐる の が 見える の でし た 。 
下流 の 方 の 川 は ば 一ぱい 銀河 が 巨 きく 寫 つて 、 まるで 水 の ない そのまま の そら の やう に 見え まし た 。 
ジヨバンニ は 、 その カムパネルラ は もう あの 銀河 の は づれにしかゐないといふやうな 氣 が し て しかた なかつ た の です 。 
けれども みんな は まだ どこ か の 波 の 間 から 、 
「 ぼく ず ゐ ぶん 泳い だ ぞ 。 」 と 云 ひ ながら カムパネルラ が 出 て 來 る か 、 或 ひ は カムパネルラ が どこ か の 人 の 知ら ない 洲 に でも 着い て 立つ て ゐ て 、 誰 か の 來 る の を 待つ て ゐる か といふ やう な 氣 が し て 仕方 ない らしい の でし た 。 
けれども 俄 か に カムパネルラ の お父さん が きつ ぱり 云 ひ まし た 。 
「 もう 駄目 です 。 墜ち て から 四 十 五 分 たち まし た から 。 」 
ジヨバンニ は 思は ず かけよ つ て 、 博士 の 前 に 立つ て 、 ぼく は カムパネルラ の 行 つた 方 を 知 つて ゐ ます 。 ぼく は カムパネルラ と いつ しよ に 歩い て ゐ た の です 。 と 云 は う と し まし た が 、 もう のど が つま つ て 何とも 云 へ ませ ん でし た 。 
すると 博士 は ジヨバンニ が 挨拶 に 來 た と でも 思 つ た もの です か 、 しばらく しげしげと ジヨバンニ を 見 て ゐ まし た が 、 
「 あなた は ジヨバンニ さん でし た ね 。 どうも 今晩 は ありがたう 。 」 と 叮 ねい に 云 ひ まし た 。 
ジヨバンニ は 何 も 云 へ ず に ただ おじぎ を し まし た 。 
「 あなた の お父さん は もう 歸 つて ゐ ます か 。 」 博士 は 堅く 時計 を 握 つ た まま 、 また 聞き まし た 。 
「 いいえ 。 」 ジヨバンニ は かすか に 頭 を ふり まし た 。 
「 どう し た の か なあ 、 ぼく に は 一昨日 大 へん 元 氣 な 便り が あつ た ん だ が 。 今日 あたり もう 着く ころ な ん だ が 船 が 遲 れ た ん だ な 。 ジヨバンニ さん 。 あした 放課後 みなさん と うち へ 遊び に 來 て ください ね 。 」 さ う 云 ひ ながら 博士 は また 、 川下 の 銀河 の いつ ぱいにうつつた 方 へ 、 ぢ つと 眼 を 送り まし た 。 
ジヨバンニ は もう いろいろ な こと で 胸 が い つ ぱいで 、 なんにも 云 へ ず に 、 博士 の 前 を はなれ まし た が 、 早く お母さん に お父さん の 歸 る こと を 知らせよ う と 思ふ と 、 牛乳 を 持つ た まま 、 もう 一目散 に 河原 を 街 の 方 へ 走り まし た 。 
けれども また その 中 に ジヨバンニ の 目 に は 涙 が 一 杯 に な つて 來 まし た 。 
街 燈 や 飾り窓 や 色々 の あかり が ぼんやり と 夢 の やう に 見える だけ に な つて 、 い つ たいじ ぶん が どこ を 走 つ て ゐる の か 、 どこ へ 行く の か すら わから なく な つて 走り 續 け まし た 。 
そして いつか ひとりでに さつき の 牧場 の うし ろ を 通 つて 、 また 丘 の 頂 に 來 て 天 氣輪 の 柱 や 天の川 を うるん だ 目 で ぼんやり 見つめ ながら 坐 つ て しまひ まし た 。 
汽車 の 音 が 遠く から きこえ て 來 て 、 だんだん 高く なり また 低く な つて 行き まし た 。 
その 音 を きい て ゐる うち に 、 汽車 と 同じ 調子 の セロ の やう な 聲 で たれ か が 歌 つて ゐる やう な 氣持 ち が し て き まし た 。 
それ は なつかしい 星 めぐり の 歌 を 、 くり か へ し くり か へ し 歌 つて ゐる に ち が ひ あり ませ ん でし た 。 
ジヨバンニ は それ に うつ とり きき 入 つて を り まし た 。 
六 　 銀河 ステーシヨン 
そして ジヨバンニ は すぐ うし ろ の 天 氣輪 の 柱 が いつか ぼんやり し た 三角 標 の 形 に な つて 、 しばらく 螢 の やう に 、 ぺかぺか 消え たり と もつ たり し て ゐる の を 見 まし た 。 それ は だんだん はつ きり し て 、 とうとう りん と うごか ない やう に なり 、 濃い 鋼 青 の そら に たち まし た 。 いま 新 らしく 灼い た ばかり の 青い 鋼 の 板 の やう な 、 そら の 野原 に 、 まつ すぐ に すき つ と 立つ た の です 。 
すると どこ か で ふしぎ な 聲 が 、 銀河 ステーシヨン 、 銀河 ステーシヨン と 云 つ た か と 思ふ と 、 いきなり 眼 の 前 が 、 ぱつと 明るく な つて 億 萬 の 螢 烏賊 の 火 を 一 ぺん に 化石 さ せ て 、 そら 中 に 沈め た といふ 工合 。 また ダイアモンド 會社 で 、 ねだん が やすく なら ない ため に 、 わざと 穫 れ ない ふり を し て かくし て おい た 金剛石 を 、 誰か が いきなり ひつ くり か へ し て ばら 撒い た といふ 風 に 、 眼 の 前 が さあ つと 明るく な つて 、 ジヨバンニ は 思は ず 何 べ ん も 眼 を 擦 つ て しまひ まし た 。 
氣 が つい て みる と 、 さつき から 、 ごと ごと ごと ごと 、 ジヨバンニ の 乘 つて ゐる 小さな 列車 が 走り つづけ て ゐ た の でし た 。 ほん た うに ジヨバンニ は 、 夜 の 輕便鐵 道 の 、 小さな 黄いろ の 電 燈 の ならん だ 車 室 に 、 窓 から 外 を 見 ながら 坐 つて ゐ た の です 。 車 室 の 中 は 、 青い 天鵞絨 を 張 つた 腰掛け が 、 まるで がら あき で 、 向う の 鼠 いろ の ワニス を 塗 つた 壁 に は 、 眞 鍮 の 大きな ぼ たん が 二つ 光 つて ゐる の でし た 。 
すぐ 前 の 席 に 、 ぬれ た やう に まつ 黒 な 上着 を 着 た せい の 高い 子供 が 、 窓 から 頭 を 出し て 外 を 見 て ゐる のに 氣 が 付き まし た 。 そして その こども の 肩 の あたり が 、 どうも 見 た こと の ある やう な 氣 が し て 、 さ う 思ふ と 、 もう どうしても 誰 だ か わかり たく つて たまらなく なり まし た 。 
いきなり こ つ ち も 窓 から 顏 を 出さ う と し た とき 、 俄 か に その 子供 が 頭 を 引つ 込め て 、 こ つ ち を 見 まし た 。 
それ は カムパネルラ だ つたの です 。 ジヨバンニ が 、 
「 カムパネルラ 、 きみ は 前 から ここ に 居 た の 。 」 と 云 はう と 思 つ た とき 、 カムパネルラ が 、 
「 みんな はね 、 ず ゐ ぶん 走 つ た けれども 遲 れ て し まつ た よ 。 ザネリ も ね 、 ず ゐ ぶん 走 つ た けれども 追 ひつ か なかつ た 。 」 と 云 ひ まし た 。 
ジヨバンニ は （ さ うだ 、 ぼく たち は いま 、 いつ しよ に さそ つ て 出掛け た の だ 。 ） とお も ひ ながら 、 
「 どこ か で 待つ て ゐよ う か 。 」 と 云 ひ まし た 。 
すると カムパネルラ は 
「 ザネリ は もう 歸 つ た よ 。 お父さん が 迎 ひ に き た ん だ 。 」 
カムパネルラ は 、 なぜ かさ う 云 ひ ながら 、 少し 顏 いろ が 青ざめ て 、 どこ か 苦しい といふ ふう でし た 。 すると ジヨバンニ も 、 なんだか どこ か に 、 何 か 忘れ た もの が ある といふ やう な 、 を かし な 氣持 ち が し て だ まつ て しまひ まし た 。 
ところが カムパネルラ は 、 窓 から 外 を のぞき ながら 、 もうす つかり 元 氣 が 直 つて 、 勢 よく 云 ひ まし た 。 
「 ああ し まつ た 。 ぼく 、 水筒 を 忘れ て き た 。 スケツチ 帳 も 忘れ て き た 。 けれど 構 は ない 。 もう ぢ き 白鳥 の 停車場 だ から 。 ぼく 白鳥 を 見る なら 、 ほん た うに すき だ 。 川 の 遠く を 飛ん で ゐ たつ て 、 ぼく は き つ と 見える 。 」 
そして 、 カムパネルラ は 、 圓 い 板 の やう に な つた 地 圖 を 、 しきりに ぐるぐる ま は し て 見 て ゐ まし た 。 
まつ たく 、 その 中 に 、 白く あら は さ れ た 天の川 の 左 の 岸 に 沿 つて 一條 の 鐵 道 線路 が 、 南 へ 南 へ と た ど つて 行く の でし た 。 
そして その 地 圖 の 立派 な こと は 、 夜 の やう に まつ 黒 な 盤 の 上 に 、 一々 の 停車場 の 三角 標 、 泉水 や 森 が 、 青 や 橙 や 緑 や 、 うつくしい 光 で ちりばめ られ て あり まし た 。 
ジヨバンニ は なんだか その 地 圖 を どこ か で 見 た やう に お も ひ まし た 。 
「 この 地 圖 は どこ で 買 つたの 。 黒曜石 で でき てる ねえ 。 」 ジヨバンニ が 云 ひ まし た 。 
「 銀河 ステーシヨン で 、 もら つ た ん だ 。 君 も ら は なかつ た の 。 」 
「 ああ 、 ぼく 銀河 ステーシヨン を 通 つ たら う か 。 いま ぼく たち の 居る とこ 、 ここ だら う 。 」 
ジヨバンニ は 、 白鳥 と 書い て ある 停車場 の しるし の 、 すぐ 北 を 指し まし た 。 
「 さ う だ 。 おや 、 あの 河原 は 月夜 だら う か 。 」 
そつ ち を 見 ます と 、 青白く 光る 銀河 の 岸 に 、 銀 いろ の 空 の すすき が 、 もう まるで いち めん 、 風 に さらさら さらさら 、 ゆら れ て うごい て 、 波 を 立て て いる の でし た 。 
「 月夜 で ない よ 。 銀河 だ から 光る ん だ よ 。 」 ジヨバンニ は 云 ひ ながら 、 まるで はね 上り た いくら ゐ 愉快 に なつ て 、 足 を こつこつ 鳴らし 、 窓 から 顏 を 出し て 、 高く 高く 星 めぐり の 口笛 を 吹き ながら 、 一生けん命 延 びあがつて 、 その 天の川 の 水 を 、 見 き はめよ う と し まし た が 、 はじめ は どうしても それ が はつ きり し ませ ん でし た 。 
けれども だんだん 氣 を つけ て 見る と 、 その きれい な 水 は 、 ガラス より も 水素 より も すき と ほ つ て 、 ときどき 眼 の 加減 か 、 ちらちら 紫いろ の こまか な 波 を たて たり 、 虹 の やう に ぎらつと 光 つ たり し ながら 、 聲 も なく どんどん 流れ て 行き 、 野原 に は あつ ち に も こ つ ち に も 、 燐光 の 三角 標 が 、 うつくしく 立つ て ゐ た の です 。 遠い もの は 小さく 、 近い もの は 大きく 、 遠い もの は 橙 や 黄いろ で は つき り し 、 近い もの は 青白く 少し かすん で 、 或 ひ は 三角形 、 或 ひ は 四 邊形 、 ある ひ は 雷 や 鎖 の 形 、 さまざま に ならん で 、 野原 い つ ぱい 光 つて ゐる の でし た 。 ジヨバンニ は 、 まるで どきどき し て 、 頭 を やけに 振り まし た 。 すると ほん た うに 、 その きれい な 野原 中 の 青 や 橙 や 、 いろいろ かがやく 三角 標 も 、 てんでに 息 を つく よう に ちらちら ゆれ たり 顫 へ たり し まし た 。 
「 ぼく は もう 、 す つかり 天 の 野原 に 來 た 。 」 
ジヨバンニ は 云 ひ まし た 。 
「 それに 、 この 汽車 石炭 を たい て ゐ ない ねえ 。 」 
ジヨバンニ が 左手 を つき 出し て 窓 から 前 の 方 を 見 ながら 云 ひ まし た 。 
「 アルコール か 電 氣 だら う 。 」 カムパネルラ が 云 ひ まし た 。 
すると ちやう ど 、 それ に 返事 を する やう に 、 どこ か 遠く の 遠く のも や の 中 から 、 セロ の やう なご う ごうし た 聲 が きこえ て 來 まし た 。 
「 ここ の 汽車 は 、 ステイーム や 電 氣 で うごい て ゐ ない 。 ただ うごく やう に き まつ て ゐる から うごい て ゐる の だ 。 ごと ごと 音 を たて て ゐる と 、 さ う お ま へ たち は 思 つて ゐる けれども 、 それ は いま まで 音 を たてる 汽車 に ばかり なれ て ゐる ため な の だ 。 」 
「 あの 聲 、 ぼく な ん べ ん も どこ か で きい た 。 」 
「 ぼく だ つて 、 林 の 中 や 川 で 、 何 べ ん も 聞い た 。 」 
ごと ごと ごと ごと 、 その 小さな きれい な 汽車 は 、 そら の すすき の 風 に ひる が へる 中 を 、 天の川 の 水 や 、 三角 標 の 青じろい 微光 の 中 を 、 どこ まで も どこ まで も 走 つて 行く の でし た 。 
「 ああ りん だ うの花 が 咲い て ゐる 。 もうす つかり 秋 だ ねえ 。 」 カムパネルラ が 窓 の 外 を 指さし て 云 ひ まし た 。 
線路 の へり に なつ た みじかい 芝草 の 中 に 、 月 長石 で でも 刻ま れ た やう な 、 すばらしい 紫 の りん だ うの花 が 咲い て ゐ まし た 。 
「 ぼく 、 飛び下り て 、 あいつ を とつ て 、 また 飛び 乘 つ て みせよ う か 。 」 ジヨバンニ は 胸 を 躍ら せ て 云 ひ まし た 。 
「 もう だめ だ 。 あんなに うし ろ へ 行 つて し まつ た から 。 」 
カムパネルラ が 、 さ う 云 つ て しまふ か しまは ない うち に 次 の りん だ うの花 が い つ ぱいに 光 つて 過ぎ て 行き まし た 。 
と 思 つ たら 、 もう 次 から 次 から 、 たくさん の きいろ な 底 を もつ たり ん だ うの花 の コツプ が 、 湧く やう に 、 雨 の やう に 、 眼 の 前 を 通り 、 三角 標 の 列 は 、 けむる やう に 燃える やう に 、 いよいよ 光 つて 立つ た の です 。 
七 　 北 十字 と プリオシン 海岸 
「 お つかさ ん は 、 ぼく を ゆるし て 下さる だら う か 。 」 
いきなり 、 カムパネルラ が 、 思ひ 切 つ た といふ やう に 、 少し どもり ながら 、 急 きこん で 云 ひ まし た 。 
ジヨバンニ は 、 
（ ああ 、 そう だ 、 ぼく の お つかさ ん は 、 あの 遠い 、 一つ の ちり の やう に 見える 橙 いろ の 三角 標 の あたり に いら つ し やつ て 、 いま ぼく の こと を 考へ て ゐる ん だ つ た 。 ） と 思ひ ながら ぼんやり し て 、 だま つて ゐ まし た 。 
「 ぼく は お つかさ ん が 、 ほん た うに 幸 ひ に なる なら 、 どんな こと でも する 。 けれども い つ たい どんな こと が 、 お つかさ ん の いちばん の 幸 ひな ん だら う 。 」 
カムパネルラ は 、 なんだか 泣き だし たい の を 、 一生けん命 こら へ て ゐる やう でし た 。 
「 きみ の お つかさ ん は 、 なんにも ひどい こと ない ぢ や ない の 。 」 ジヨバンニ は びつくり し て 叫び まし た 。 
「 ぼく わから ない 。 けれども 、 誰 だ つて 、 ほん た うに いい こと を し たら 、 いちばん 幸 ひな ん だ ね 。 だから 、 お つかさ ん は 、 ぼく を ゆるし て 下さる と 思ふ 。 」 
カムパネルラ は 、 なにか ほん た うに 決心 し て ゐる やう に 見え まし た 。 
俄 か に 、 車 の なか が 、 ぱつと 白く 明るく なり まし た 。 見る と 、 もう じつに 、 金剛石 や 草 の 露 や あらゆる 立派 さ を あつめ た やう な 、 きらびやか な 銀河 の 河床 の 上 を 、 水 は 聲 も なく かたち も なく 流れ 、 その 流れ の まん中 に 、 ぼう つと 青白く 後光 の 射し た 一つ の 島 が 見える の でし た 。 その 島 の 平ら な いただき に 、 立派 な 眼 も さめる やう な 、 白い 十字架 が たつ て 、 それ は もう 、 凍 つた 北極 の 雲 で 鑄 た と い つ たら いい か 、 すき つ と し た 金 いろ の 圓 光 を いただい て 、 しづか に 永久 に 立つ て ゐる の でし た 。 
「 ハルレヤ 、 ハルレヤ 。 」 前 から もう しろから も 聲 が 起り まし た 。 ふり か へ つて 見る と 、 車 室 の 中 の 旅人 たち は 、 みな まつ すぐ に きもの の ひだ を 垂れ 、 黒い バイブル を 胸 に あて たり 、 水晶 の 數珠 を かけ たり 、 どの人 も つつましく 指 を 組み合せ て 、 そつ ち に 祈 つ て ゐる の でし た 。 
思は ず 二 人 も まつ すぐ に 立ちあがり まし た 。 
カムパネルラ の 頬 は 、 まるで 熟し た 苹果 の あかし の やう に うつくしく かがやい て 見え まし た 。 
そして 島 と 十字架 と は 、 だんだん うし ろ の 方 へ うつつ て 行き まし た 。 
向う岸 も 、 青じろく ぽう つと 光 つて けむり 、 時々 、 やつ ぱりすすきが 風 に ひる が へる らしく 、 さ つと その 銀 いろ が けむ つて 、 息 で も かけ た やう に 見え 、 また 、 たくさん の りん だ うの花 が 、 草 を かくれ たり 出 たり する の は 、 やさしい 狐火 の やう に 思は れ まし た 。 
それ も ほんの ちよ つと の 間 、 川 と 汽車 と の 間 は 、 すすき の 列 で さ へぎ られ 、 白鳥 の 島 は 、 二 度 ばかり うし ろ の 方 に 見え まし た が 、 ぢ き も うず うつ と 遠く 小さく 繪 の やう に なつ て しまひ 、 また すすき が ざわざわ 鳴 つ て 、 とうとう す つかり 見え なく なつ て しまひ まし た 。 ジヨバンニ の うし ろ に は 、 いつ から 乘 つて ゐ た の か 、 せい の 高い 、 黒い か つぎ を し た カトリツク 風 の 尼 さん が 、 ま ん 圓 な 緑 の 瞳 を 、 ぢ つと まつ すぐ に 落し て 、 まだ 何 か ことば か 聲 か が 、 そつ ちか ら 傳 は つて 來 る の を 愼 しん で 聞い て ゐる といふ やう に 見え まし た 。 旅人 たち は しづか に 席 に 戻り 、 二 人 も 胸 い つ ぱいのかなしみに 似 た 新 らしい 氣持 ち を 、 何 氣 な くち が つた 言葉 で 、 そつ と 話し 合 つたの です 。 
「 もう ぢ き 白鳥 の 停車場 だ ねえ 。 」 
「 ああ 、 十 一 時 かつ きり に は 着く ん だ よ 。 」 
早く も 、 シグナル の 緑 の 燈 と 、 ぼんやり 白い 柱 と が 、 ちら つと 窓 の そ と を 過ぎ 、 それから 硫黄 の ほ の ほ の やう な くらい ぼんやり し た 轉轍機 の 前 の あかり が 窓 の 下 を 通り 、 汽車 は だんだん ゆるやか に なつ て 、 間もなく プラツトホーム の 一 列 の 電 燈 が 、 うつくしく 規則正しく あら はれ 、 それ が だんだん 大きく な つて ひろ が つて 、 二 人 は 丁度 白鳥 停車 場 の 、 大きな 時計 の 前 に 來 て とまり まし た 。 
さわやか な 秋 の 時計 の 盤面 に は 、 青く 灼か れ た は が ね の 二 本 の 針 が 、 くつ きり 十 一 時 を 指し まし た 。 みんな は 、 一 ぺん に 下り て 、 車 室 の 中 は がらんと なつ て しまひ まし た 。 
と 時計 の 下 に 書い て あり まし た 。 
「 ぼく たち も 降り て 見よ う か 。 」 ジヨバンニ が 云 ひ まし た 。 
「 降りよ う 。 」 二 人 は 一 度 に はね あ が つて ドア を 飛び出し て 改札 口 へ かけ て 行き まし た 。 ところが 改札 口 に は 、 明るい 紫 が かつ た 電 燈 が 一つ 點 い て ゐる ばかり 、 誰 も 居 ませ ん でし た 。 そこら 中 を 見 て も 、 驛長 や 赤帽 らしい 人 の 影 も なかつ た の です 。 
二 人 は 、 停車場 の 前 の 、 水晶 細工 の やう に 見える 銀杏 の 木 に 圍 まれ た 小さな 廣 場 に 出 まし た 。 そこ から 幅 の 廣 い みち が 、 まつ すぐ に 銀河 の 青 光 の 中 へ 通 つて ゐ まし た 。 
さき に 降り た 人 たち は 、 もう どこ へ 行 つ た か 一 人 も 見え ませ ん でし た 。 二 人 が その 白い 道 を 、 肩 を ならべ て 行き ます と 、 二 人 の 影 は 、 ちやう ど 四方 に 窓 の ある 室 の 中 の 、 二 本 の 柱 の 影 の やう に 、 また 二つ の 車輪 の 幅 の やう に 幾 本 も 幾 本 も 四方 へ 出る の でし た 。 そして 間もなく 、 あの 汽車 から 見え た きれい な 河原 に 來 まし た 。 
カムパネルラ は 、 その きれい な 砂 を 一 つまみ 、 掌 に ひろげ 、 指 できし きし さ せ ながら 、 夢 の やう に 云 つて ゐる の でし た 。 
「 この 砂 は みんな 水晶 だ 。 中 で 小さな 火 が 燃え て ゐる 。 」 
「 さ う だ 。 」 どこ で ぼく は 、 そんな こと 習 つ たら う と 思ひ ながら 、 ジヨバンニ も ぼんやり 答 へ て ゐ まし た 。 
河原 の 礫 は 、 みんな すき と ほ つ て 、 たしかに 水晶 や 黄玉 や 、 また くし や くし や の 皺 曲 を あら は し た の や 、 また 稜 から 霧 の やう な 青白い 光 を 出す 鋼玉 やら でし た 。 ジヨバンニ は 、 走 つて その 渚 に 行 つて 、 水 に 手 を ひたし まし た 。 けれども あやしい その 銀河 の 水 は 、 水素 より も もつ と すき と ほ つて ゐ た の です 。 それでも たしかに 流れ て ゐ た こと は 、 二 人 の 手首 の 、 水 に ひたし た ところが 、 少し 水銀 いろ に 浮い た やう に 見え 、 その 手首 に ぶつ つ かつて でき た 波 は 、 うつくしい 燐光 を あげ て 、 ちらちら と 燃える やう に 見え た の で も わかり まし た 。 
川上 の 方 を 見る と 、 すすき の いつ ぱいに 生え て いる 崖 の 下 に 、 白い 岩 が 、 まるで 運動 場 の やう に 平ら に 川 に 沿 つて 出 て ゐる の でし た 。 そこ に 小さな 五 六 人 の 人 かげ が 、 何 か 掘り出す か 埋める か し て ゐる らしく 、 立つ たり 屈ん だり 、 時々 なに か の 道具 が 、 ピカツ と 光 つ たり し まし た 。 
「 行 つ て みよ う 。 」 二 人 は 、 まるで 一 度 に 叫ん で 、 そつ ちの 方 へ 走り まし た 。 その 白い 岩 に なつ た 處 の 入口 に といふ 、 瀬戸物 の つるつる し た 標札 が 立つ て 、 向う の 渚 に は 、 ところどころ 細い 鐵 の 欄干 も 植 ゑられ 、 木製 の きれい な ベンチ も 置い て あり まし た 。 
「 おや 、 變 な もの が ある よ 。 」 カムパネルラ が 、 不思議 さ うに 立ちどま つ て 、 岩 から 黒い 細長い さき の 尖 つ た くるみ の 實 の やう な もの を ひろ ひま し た 。 
「 くるみ の 實 だ よ 。 そら 、 澤山 ある 。 流れ て 來 たん ぢ や ない 。 岩 の 中 に 入 つて る ん だ 。 」 
「 大きい ね 、 この くるみ 、 倍 ある ね 。 こいつ は すこし もい た ん で ない 。 」 
「 早く あすこ へ 行 つて 見よ う 。 きつ と 何 か 掘 つ てる から 。 」 
二 人 は 、 ぎざぎざ の 黒い くるみ の 實 を 持ち ながら 、 また さつき の 方 へ 近 よ つて 行き まし た 。 左手 の 渚 に は 、 波 が やさしい 稻妻 の やう に 燃え て 寄せ 、 右手 の 崖 に は 、 いち めん 銀 や 貝 殼 で こ さ へ た やう な すすき の 穗 が ゆれ た の です 。 
だんだん 近付い て 見る と 、 一 人 の せい の 高い 、 ひどい 近眼 鏡 を かけ て 長靴 を はい た 學 者 らしい 人 が 、 手帳 に 何 かせ は しさ う に 書きつけ ながら 、 つるはし を ふり あげ たり 、 スコツプ を つか つ たり し て ゐる 、 三 人 の 助手 らしい 人 たち に 夢中 で いろいろ 指 圖 を し て ゐ まし た 。 
「 そこ の その 突起 を 壞 さ ない やう に 、 スコツプ を 使 ひ たま へ 。 スコツプ を 。 お つと 、 も 少し 遠く から 掘 つて 。 いけ ない 、 いけ ない 。 なぜ そんな 亂暴 を する ん だ 。 」 
見る と 、 その 白い 柔らか な 岩 の 中 から 、 大きな 大きな 青じろい 獸 の 骨 が 、 横 に 倒れ て 潰れ た といふ 風 に な つて 、 半分 以上 掘り出さ れ て ゐ まし た 。 そして 氣 を つけ て 見る と 、 そこら に は 、 蹄 の 二つ ある 足跡 の つい た 岩 が 、 四角 に 十 ばかり 、 きれい に 切り取ら れ て 番 號 が つけ られ て あり まし た 。 
「 君たち は 參觀 か ね 。 」 その 大 學 士 らしい 人 が 、 眼鏡 を きら つ と さ せ て 、 こ つ ち を 見 て 話しかけ まし た 。 
「 くるみ が 澤山 あつ たら う 。 それ は まあ 、 ざつと 百 二 十 萬 年 ぐらゐ 前 の くるみ だ よ 。 ごく 新 らしい 方 さ 。 ここ は 百 二 十 萬 年 前 、 第 三紀 の あと の ころ は 海岸 で ね 、 この 下 から は 貝がら も 出る 。 いま 川 の 流れ て ゐる とこ に 、 そつ くり 鹽水 が 寄せ たり 引い たり も し て ゐ た の だ 。 この け もの か ね 、 これ は ボス と い つ て ね 、 おいおい 、 そこ 、 つるはし は よし たま へ 。 ていねい に 鑿 で やつ て くれ たま へ 。 ボス と い つ て ね 、 いま の 牛 の 先祖 で 、 昔 は たくさん 居 た の さ 。 」 
「 標本 に する ん です か 。 」 
「 いや 、 證明 する に 要る ん だ 。 ぼく ら から みる と 、 ここ は 厚い 立派 な 地層 で 、 百 二 十 萬 年 ぐらゐ 前 に でき た といふ 證據 も いろいろ あがる けれども 、 ぼく ら とち が つたや つ から み て も やつ ぱりこんな 地層 に 見える か どう か 、 ある ひ は 風 か 水 か 、 がらん と し た 空 か に 見え やし ない か といふ こと な の だ 。 わかつ たかい 。 けれども 、 おいおい 、 そこ も スコツプ で は いけ ない 。 その すぐ 下 に 肋骨 が 埋もれ てる 筈 ぢ や ない か 。 」 
大 學 士 は あわて て 走 つ て 行き まし た 。 
「 もう 時間 だ よ 。 行か う 。 」 カムパネルラ が 地 圖 と 腕時計 と を くらべ ながら 云 ひ まし た 。 
「 ああ 、 では わたくし ども は 失 禮 いたし ます 。 」 ジヨバンニ は 、 ていねい に 大 學 士 に おじぎ し まし た 。 
「 さ う です か 。 いや 、 さよなら 。 」 大 學 士 は 、 また 忙 が し さ うに 、 あちこち 歩き ま は つて 監督 を はじめ まし た 。 
二 人 は 、 その 白い 岩 の 上 を 、 一生けん命 汽車 に おくれ ない やう に 走り まし た 。 そして ほん た うに 、 風 の やう に 走れ た の です 。 息も 切れ ず 膝 も あつく なり ませ ん でし た 。 
こんなに し て かける なら 、 もう 世界中 だ つて かけ れる と 、 ジヨバンニ は 思ひ まし た 。 
そして 二 人 は 、 前 の あの 河原 を 通り 、 改札 口 の 電 燈 が だんだん 大きく な つて 、 間もなく 二 人 は 、 もと の 車 室 の 席 に 座 つて いま 行 つて 來 た 方 を 窓 から 見 て ゐ まし た 。 
八 　 鳥 を 捕る 人 
「 ここ へ かけ て も よう ござい ます か 。 」 
がさがさ し た 、 けれども 親切 さうな 大人 の 聲 が 、 二 人 の うし ろ で 聞え まし た 。 
それ は 、 茶 いろ の 少し ぼろぼろ の 外套 を 着 て 、 白い 布 で つつん だ 荷物 を 、 二つ に 分け て 肩 に かけ た 赤 髯 の せ なか の かがん だ 人 でし た 。 
「 ええ 、 いい ん です 。 」 ジヨバンニ は 、 少し 肩 を すぼめ て 挨拶 し まし た 。 その 人 は 、 ひ げ の 中 で かすか に 微笑 ひ ながら 荷物 を ゆ つくり 網棚 に のせ まし た 。 ジヨバンニ は 、 なにか 大 へん さびしい やう な かなしい やう な 氣 が し て 、 だま つて 正面 の 時計 を 見 て ゐ まし たら 、 ず うつ と 前 の 方 で 硝子 の 笛 の やう な もの が 鳴り まし た 。 汽車 は もう 、 しづか に うごい て ゐ た の です 。 カムパネルラ は 、 車 室 の 天井 を 、 あちこち 見 て ゐ まし た 。 その 一つ の あかり に 黒い 甲 蟲 が と まつ て 、 その 影 が 大きく 天井 に うつ つて ゐ た の です 。 
赤ひげ の 人 は 、 なにか なつかし さ うに わら ひ ながら 、 ジヨバンニ や カムパネルラ の やう す を 見 て ゐ まし た 。 汽車 は もう だんだん 早く な つて 、 すすき と 川 と 、 か はる が はる 窓 の 外 から 光り まし た 。 
赤ひげ の 人 が 、 少し お づおづしながら 、 二 人 に 訊き まし た 。 
「 あなた 方 は 、 どちら へ いら つ し やる ん です か 。 」 
「 どこ まで も 行く ん です 。 」 ジヨバンニ は 、 少し きまり 惡 さ うに 答 へ まし た 。 
「 それ は いい ね 。 この 汽車 は 、 じ つ さい 、 どこ まで でも 行き ます ぜ 。 」 
「 あなた は どこ へ 行く ん です 。 」 カムパネルラ が 、 いきなり 、 喧嘩 の やう に たづ ね まし た ので 、 ジヨバンニ は 思は ず わら ひ まし た 。 する と 、 向う の 席 に 居 た 、 尖 つ た 帽子 を かぶり 、 大きな 鍵 を 腰 に 下げ た 人 も 、 ちら つと こ つ ち を 見 て わら ひ まし た ので 、 カムパネルラ も 、 つい 顏 を 赤く し て 笑 ひだ し て しまひ まし た 。 ところが その 人 は 別に 怒 つた で も なく 、 頬 を ぴくぴく し ながら 返事 し まし た 。 
「 わ つ し は すぐ そこ で 降り ます 。 わ つ し は 、 鳥 を つかま へる 商 賣 で ね 。 」 
「 何 鳥 です か 。 」 
「 鶴 や 雁 です 。 さ ぎも 白鳥 も です 。 」 
「 鶴 は たくさん ゐ ます か 。 」 
「 居 ます とも 、 さつき から 鳴い て ま さあ 。 聞か なかつ た の です か 。 」 
「 いいえ 。 」 
「 いま でも 聞える ぢ や あり ませ ん か 。 そら 、 耳 を すまし て 聽 い て ごらん なさい 。 」 
二 人 は 眼 を 擧げ 、 耳 を すまし まし た 。 ごと ごと 鳴る 汽車 の ひびき と 、 すすきの 風 と の 間 から 、 ころん ころん と 水 の 湧く やう な 音 が 聞え て 來 る の でし た 。 
「 鶴 、 どうして とる ん です か 。 」 
「 鶴 です か 、 それとも 鷺 です か 。 」 
「 鷺 です 。 」 ジヨバンニ は 、 ど つ ち で も いい と 思ひ ながら 答 へ まし た 。 
「 そいつ は な 、 雜作 ない 。 さ ぎといふものは 、 みんな 天の川 の 砂 が 凝 つ て 、 ぼう つと できる もん です から ね 、 そして 始終 川 へ 歸 り ます から ね 。 川原 で 待つ て ゐ て 、 鷺 が みんな 、 脚 を かう いふ 風 に し て 降り て くる とこ を 、 そいつ が 地べた へ つく か つか ない うち に 、 ぴたつと 押 へちま ふん です 。 する と もう 鷺 は 、 かたま つて 安心 し て 死ん ぢ まひ ます 。 あと は もう 、 わかり 切 つ て ま さあ 、 押し葉 に する だけ です 。 」 
「 鷺 を 押し葉 に する ん です か 。 標本 です か 。 」 
「 標本 ぢ や あり ませ ん 。 みんな たべる ぢ や あり ませ ん か 。 」 
「 を かしい ねえ 。 」 カムパネルラ が 首 を かしげ まし た 。 
「 おかしい も 不審 も あり ませ ん や 。 そら 。 」 その 男 は 立つ て 、 網棚 から 包み を おろし て 、 手ばやく くるくる と 解き まし た 。 
「 さあ 、 ごらん なさい 。 いま と つて 來 た ばかり です 。 」 
「 ほん た うに 鷺 だ ねえ 。 」 二 人 は 思は ず 叫び まし た 。 まつ 白 な 、 あの さつき の 北 の 十字架 の やう に 光る 鷺 の から だ が 十 ばかり 、 少し ひら べつ たく な つて 、 黒い 脚 を ちぢめ て 、 浮彫 の やう に ならん で ゐ た の です 。 
「 眼 を つぶ つ てる ね 。 」 カムパネルラ は 、 指 で そつ と 、 鷺 の 三日月 がた の 白い 瞑 つ た 眼 に さ はり まし た 。 頭 の 上 の 槍 の やう な 白い 毛 もち やん と つい て ゐ まし た 。 
「 ね 、 さ う で せ う 。 」 鳥 捕り は 風呂敷 を 重ね て 、 また くるくる と 包ん で 紐 で くくり まし た 。 誰 が い つ たい ここら で 鷺 なんぞ 喰 べ る だら う と ジヨバンニ は 思ひ ながら 訊き まし た 。 
「 鷺 は おいしい ん です か 。 」 
「 ええ 、 毎日 註文 が あり ます 。 しかし 雁 の 方 が 、 もつ と 賣れ ます 。 雁 の 方 が ずつ と 柄 が いい し 、 第 一 手 數 が あり ませ ん から な 。 そら 。 」 鳥 捕り は 、 また 別 の 方 の 包み を 解き まし た 。 すると 黄 と 青じろ と まだ ら に な つて 、 なにか の あかり の やう に ひかる 雁 が 、 ちやう ど さつき の 鷺 の やう に 、 くちばし を 揃 へ て 、 少し 扁 べつ たく な つて なら んで ゐ まし た 。 
「 こ つ ち は すぐ 喰 べ られ ます 。 どう です 、 少し お あがり なさい 。 」 鳥 捕り は 、 黄いろ な 雁 の 足 を 、 輕 く ひつ ぱりました 。 すると それ は 、 チヨコ レート で でも でき て ゐる やう に 、 す つ と きれい に はなれ まし た 。 
「 どう です 。 すこし たべ て ごらん なさい 。 」 鳥 捕り は 、 それ を 二つ に ちぎ つ てわたし まし た 。 ジヨバンニ は 、 ちよ つと 喰 べ て み て 、 
（ なん だ 、 やつ ぱりこいつはお 菓子 だ 。 チヨコ レート より も 、 もつ と おいしい けれども 、 こんな 雁 が 飛ん で ゐる もん か 。 この 男 は 、 どこ か そこら の 野原 の 菓子 屋 だ 。 けれども ぼく は 、 この ひと を ばか に し ながら 、 この 人 の お菓子 を たべ て ゐる の は 、 大 へん 氣 の 毒 だ 。 ） 
と 思ひ ながら 、 やつ ぱりぽくぽくそれをたべてゐました 。 
「 も 少し お あがり なさい 。 」 鳥 捕り が また 包み を 出し まし た 。 ジヨバンニ は 、 もつ と たべ たかつ た の です けれども 、 
「 ええ 、 ありがたう 。 」 と 云 つて 遠慮 し まし たら 、 鳥 捕り は 、 こんど は 向う の 席 の 、 鍵 を もつ た 人 に 出し まし た 。 
「 いや 、 商 賣 もの を 貰 つ ちや すみません な 。 」 その 人 は 、 帽子 を とり まし た 。 
「 いいえ 、 どういたしまして 、 どう です 。 今年 の 渡り鳥 の 景 氣 は 。 」 
「 いや 、 すてき な もん です よ 。 一昨日 の 第 二 限 ころ なんか 、 なぜ 燈臺 の 燈 を 、 規則 以外 に 暗く さ せる かつて 、 あつ ちか ら も こ つ ちか ら も 、 電話 で 故障 が 來 まし た が 、 なあに 、 こ つ ち が やる ん ぢ や なく て 、 渡り鳥 ども が 、 まつ 黒 に かた まつ て 、 あかし の 前 を 通る の です から 仕方 あり ませ ん や 、 わたし あ 、 べらぼう め 、 そんな 苦情 は 、 おれ の とこ へ 持つ て 來 たつ て 仕方 が ねえや 、 ばさばさ の マント を 着 て 脚 と 口 と の 途方 も なく 細い 大 將 へ やれ つ て 、 斯 う 云 つ て やり まし た が ね 、 はつ は 。 」 
すすき が なく な つ た ため に 、 向う の 野原 から 、 ぱつとあかりが 射し て 來 まし た 。 
「 鷺 の 方 は なぜ 手 數 な ん です か 。 」 カムパネルラ は 、 さつき から 、 訊か う と 思 つて ゐ た の です 。 
「 それ はね 、 鷺 を 喰 べ る に は 、 」 鳥 捕り は 、 こ つ ち に 向き直り まし た 。 
「 天の川 の 水 あかり に 、 十 日 も つるし て 置く かね 、 さ う で なけ あ 、 砂 に 三 四 日 う づめなけあいけないんだ 。 さ う すると 、 水銀 が みんな 蒸發 し て 、 喰 べ られる やう に なる よ 。 」 
「 こいつ は 鳥 ぢ や ない 。 ただ の お菓子 で せ う 。 」 やつ ぱりおなじことを 考へ て ゐ た と みえ て 、 カムパネルラ が 、 思ひ 切 つ た といふ やう に 尋ね まし た 。 鳥 捕り は 、 何 か 大 へん あわて た 風 で 、 
「 さ うさ う 、 ここ で 降り なけ あ 。 」 と 云 ひ ながら 、 立つ て 荷物 を とつ た と 思ふ と 、 もう 見え なく な つて ゐ まし た 。 
「 どこ へ 行 つ た ん だら う 。 」 二 人 は 顏 を 見合せ まし たら 、 燈臺守 は にやにや 笑 つて 、 少し 伸び あがる やう に し ながら 、 二 人 の 横 の 窓 の 外 を のぞき まし た 。 二 人 も そつ ち を 見 まし たら 、 たつ た いま の 鳥 捕り が 、 黄いろ と 青じろ の 、 うつくしい 燐光 を 出す 、 いち めん の か は ら は は こぐ さ の 上 に 立つ て 、 まじめ な 顏 を し て 兩手 を ひろげ て 、 ぢ つと そら を 見 て ゐ た の です 。 
「 あすこ へ 行 つ てる 。 ず ゐ ぶん 奇 體 だ ねえ 。 きつ と また 鳥 を つかま へる とこ だ ねえ 。 汽車 が 走 つ て 行か ない うち に 、 早く 鳥 が おりる と いい な 。 」 と 云 つ た 途端 、 がらん と し た 桔梗 いろ の 空 から 、 さ つき 見 た やう な 鷺 が 、 まるで 雪 の 降る やう に ぎやあぎやあ 叫び ながら 、 い つ ぱいに 舞 ひ おり て 來 まし た 。 すると あの 鳥 捕り は 、 す つかり 註文 通り だ といふ やう に ほくほく し て 、 兩足 を かつ きり 六 十 度 に 開い て 立つ て 、 鷺 の ちぢめ て 降り て 來 る 黒い 脚 を 兩手 で 片 つ 端 から 押 へ て 、 布 の 袋 の 中 に 入れる の でし た 。 すると 鷺 は 螢 の やう に 、 袋 の 中 で しばらく 、 青く ぺかぺか 光 つ たり 消え たり し て ゐ まし た が 、 おし まひ に は とうとう 、 みんな ぼんやり 白く な つて 、 眼 を つぶる の でし た 。 ところが 、 つかま へ られる 鳥 より は 、 つかま へ られ ない で 無事 に 天の川 の 砂 の 上 に 降りる もの の 方 が 多 かつ た の です 。 それ は 見 て ゐる と 、 足 が 砂 へ つく や 否 や 、 まるで 雪 の 融ける やう に 、 縮ま つ て 扁 べつ たく な つて 、 間もなく 熔鑛爐 から 出 た 銅 の 汁 の やう に 、 砂 や 砂利 の 上 に ひろがり 、 しばらく は 鳥 の 形 が 、 砂 について ゐる の でし た が 、 それ も 二 三 度 明るく なつ たり 暗く なつ たり し て ゐる うち に 、 もうす つかり ま はり と 同じ いろ に なつ て しまふ の でし た 。 
鳥 捕り は 二 十 疋 ばかり 、 袋 に 入れ て しまふ と 、 急 に 兩手 を あげ て 、 兵隊 が 鐵 砲 彈 に あ たつ て 、 死ぬ とき の やう な 形 を し まし た 。 と 思 つ たら 、 もう そこ に 鳥 捕り の 形 は なく な つて 、 却 つて 、 
「 ああ せいせい し た 。 どうも から だ に 丁 度合 ふ ほど 稼い で ゐる くら ゐ 、 いい こと は あり ませ ん な 。 」 といふ きき おぼえ の ある 聲 が 、 ジヨバンニ の 隣り に し まし た 。 見る と 鳥 捕り は 、 もう そこ で と つて 來 た 鷺 を 、 きちんと そろ へ て 、 一つ づつ 重ね 直し て ゐる の でし た 。 
「 どうして あすこ から 、 いつ ぺん に ここ へ 來 た ん です か 。 」 ジヨバンニ が なんだか あたり ま へ の やう な 、 あたり ま へ で ない やう な 、 を かし な 氣 が し て 問 ひ まし た 。 
「 どうして つて 、 來 よう と し た から 來 た ん です 。 ぜんたい あなた 方 は 、 どちら から おいで です か 。 」 
ジヨバンニ は 、 すぐ 返事 しよ う と 思ひ まし た けれども 、 さあ 、 ぜんたい どこ から 來 た の か 、 もう どうしても 考 へ つき ませ ん でし た 。 カムパネルラ も 、 顏 を まつ 赤 に し て 何 か 思ひ 出さ う として ゐる の でし た 。 
「 ああ 、 遠く から です ね 。 」 
鳥 捕り は 、 わかつ た という やう に 雜作 なく うなづき まし た 。 
九 　 ジヨバンニ の 切符 
「 もう ここら は 白鳥 區 の おし まひ です 。 ごらん なさい 。 あれ が 名高い アルビレオ の 觀測所 です 。 」 
窓 の 外 の 、 まるで 花火 で い つ ぱいのやうな 、 あま の 川 の まん中 に 、 黒い 大きな 建物 が 四 棟 ばかり 立つ て 、 その 一つ の 平 屋根 の 上 に 、 眼 も さめる やう な 、 青 寶玉 と 黄玉 の 大きな 二つ の すき と ほ つた 球 が 、 輪 に なつ て しづか に くるくる とま は つて ゐ まし た 。 黄いろ の が だんだん 向う へま は つて 行 つて 、 青い 小さい の が こ つ ち へ 進ん で 來 、 間もなく 二つ の はじ は 、 重なり 合 つて 、 きれい な 緑 いろ の 兩面凸 レンズ の かたち を つくり 、 それ も だんだん 、 まん中 が ふくらみ 出し て 、 とうとう 青い の は 、 す つかり トパース の 正面 に 來 まし た ので 、 緑 の 中心 と 黄いろ な 明るい 環 と が でき まし た 。 それ が また だんだん 横 へ 外れ て 、 前 の レンズ の 形 を 逆 に 繰り返し 、 とうとう す つ と は なれ て 、 サフアイア は 向う へ めぐり 、 黄いろ の はこ つ ち へ 進み 、 また 恰度 さつき の やう な 風 に なり まし た 。 銀河 の かたち も なく 、 音 も ない 水 に かこま れ て 、 ほん た うに その 黒い 測候所 が 、 睡 つ て ゐる やう に 、 しづか に よ こ た はつ た の です 。 
「 あれ は 、 水 の 速 さ を はかる 器械 です 。 水 も … … 。 」 鳥 捕り が 云 ひ かけ た とき 、 
「 切符 を 拜見 いたし ます 。 」 赤い 帽子 を か ぶつ た せい の 高い 車掌 が 、 いつか 三 人 の 席 の 横 に 、 まつ すぐ に 立つ て ゐ て 云 ひ まし た 。 鳥 捕り は だま つて か くし から 、 小さな 紙きれ を 出し まし た 。 車掌 はちよ つと 見 て 、 すぐ 眼 を そらし て （ あなた 方 の は ？ ） といふ やう に 、 指 を うごかし ながら 、 手 を ジヨバンニ たち の 方 へ 出し まし た 。 
「 さあ 。 」 ジヨバンニ は 困 つ て 、 も ぢ も ぢ し て ゐ まし たら 、 カムパネルラ は わけ も ない といふ 風 で 、 小さな 鼠 いろ の 切符 を 出し まし た 。 ジヨバンニ は 、 す つかり あわて て し まつ て 、 もしか 上着 の ポケツト に でも 、 入 つて ゐ た か とお も ひ ながら 、 手 を 入れ て 見 まし たら 、 何 か 大きな 疊 ん だ 紙きれ に あたり まし た 。 こんな もの 入 つて ゐ たら うかと 思 つて 、 急い で 出し て み まし たら 、 それ は 四つ に 折 つた はがき ぐらゐの 大き さ の 緑 いろ の 紙 でし た 。 車掌 が 手 を 出し て ゐる もん です から 何 でも 構 は ない 、 やつ ち ま へ と 思 つて 渡し まし たら 、 車掌 は まつ すぐ に 立ち 直 つて 叮嚀 に それ を 開い て 見 て ゐ まし た 。 そして 讀み ながら 上着 のぼ たん や なんか しきりに 直し たり し て ゐ まし た し 、 燈臺看 守 も 下 から それ を 熱心 に のぞい て ゐ まし た から 、 ジヨバンニ は たしかに あれ は 證明書 か 何 か だ つた と 考へ て 、 少し 胸 が 熱く なる やう な 氣 が し まし た 。 
「 これ は 三 次 空間 の 方 から お 持ち に なつ た の です か 。 」 車掌 が たづ ね まし た 。 
「 何だか わかり ませ ん 。 」 もう 大丈夫 だ と 安心 し ながら ジヨバンニ は 、 そつ ち を 見 あげ て くつ くつ 笑 ひ まし た 。 
「 よろし う ござい ます 。 南 十 字 へ 着き ます の は 、 次 の 第 三 時 ころ に なり ます 。 」 車掌 は 紙 を ジヨバンニ に 渡し て 向う へ 行き まし た 。 
カムパネルラ は 、 その 紙切れ が 何 だ つ た か 待ち兼ね た といふ やう に 急い で のぞきこみ まし た 。 ジヨバンニ も 全く 早く 見 たかつ た の です 。 ところが それ はいち めん 黒い 唐草 の やう な 模 樣 の 中 に 、 を かし な 十 ばかり の 字 を 印刷 し た もの で 、 だま つて 見 て ゐる と 、 何だか その 中 へ 吸 ひ 込ま れ て しまふ やう な 氣 が する の でし た 。 すると 鳥 捕り が 横 から ちら つと それ を 見 て あわて た やう に 云 ひ まし た 。 
「 おや 、 こいつ は 大した もん です ぜ 。 こいつ は もう 、 ほん た う の 天上 へ さ へ 行ける 切符 だ 。 天上 どこ ぢ や ない 、 どこ でも 勝手 に あるける 通行 券 です 。 こいつ を お 持ち に なれ あ 、 なるほど 、 こんな 不完全 な 幻想 第 四 次 の 銀河 鐵 道 なんか 、 どこ まで でも 行ける 筈 で さあ 。 あなた 方 大した もん です ね 。 」 
「 何だか わかり ませ ん 。 」 ジヨバンニ が 赤く な つて 答 へ ながら 、 それ を 又 疊 ん でかく し に 入れ まし た 。 
そして きまり が 惡 い ので カムパネルラ と 二 人 、 また 窓 の 外 を ながめ て ゐ まし た が 、 その 鳥 捕り の 時 々 大した もん だ といふ やう に 、 ちらちら こ つ ち を 見 て ゐる の が ぼんやり わかり まし た 。 
「 もう ぢ き 鷲 の 停車場 だ よ 。 」 カムパネルラ が 向う岸 の 、 三つ なら ん だ 小さな 青じろい 三角 標 と 地 圖 と を 見 較べ て 云 ひ まし た 。 
ジヨバンニ は なんだか わけ も わから ず に 、 となり の 鳥 捕り が 氣 の 毒 で たまらなく なり まし た 。 
鷺 を つかま へ て 、 せいせい し た と よろこん だり 、 白 いきれ で それ を くるくる 包ん だり 、 ひと の 切符 を びつくり し た やう に 横目 で 見 て 、 あわて て ほめ だし たり 、 そんな こと を 一々 考へ て ゐる と 、 もう その 見ず知らず の 鳥 捕り の ため に 、 ジヨバンニ の 持つ て ゐる もの でも 食べる もの で も なん でも やつ て しまひ たい 、 もうこ の 人 の ほん た う の 幸 に なる なら 、 自分 が あの 光る 天の川 の 河原 に 立つ て 、 百 年 つづけ て 立つ て 鳥 を と つて や つて も いい といふ やう な 氣 が し て 、 どうしても もう 默 つて ゐ られ なく なり まし た 。 ほん た うに あなた の ほしい もの は 一 體 な ん です か 、 と 訊か う として 、 それでは あんまり 出し 拔 け だから 、 どうせ うかと 考へ て 振り返 つて 見 まし たら 、 そこ に は もう あの 鳥 捕り が 居 ませ ん でし た 。 
網棚 の 上 に は 白い 荷物 も 見え なかつ た の です 。 また 窓 の 外 で 足 を ふん ば つて そら を 見上げ て 鷺 を 捕る 支度 を し て ゐる の か と 思 つて 、 急い で そつ ち を 見 まし た が 、 外 はいち めん の うつくしい 砂子 と 白い すすき の 波 ばかり 、 あの 鳥 捕り の 廣 い せ なか も 尖 つ た 帽子 も 見え ませ ん でし た 。 
「 あの 人 どこ へ 行 つ たら う 。 」 カムパネルラ も ぼんやり さ う 云 つて ゐ まし た 。 
「 どこ へ 行 つ たら う 。 一 體 どこ で また あふ の だら う 。 僕 は どうしても 少し あの 人 に 物 を 言 は なかつ たら う 。 」 
「 ああ 、 僕 も さ う 思 つて ゐる よ 。 」 
「 僕 は あの 人 が 邪魔 な やう な 氣 が し た ん だ 。 だから 僕 は 大 へん つらい 。 」 
ジヨバンニ は こんな 變 てこ な 氣 もち は 、 ほん た うに はじめて だ し 、 こんな こと 今 まで 云 つ た こと も ない と 思ひ まし た 。 
「 何だか 苹果 の 匂 が する 。 僕 いま 苹果 の こと を 考へ た ため だら う か 。 」 カムパネルラ が 不思議 さ うに あたり を 見 ま は し まし た 。 
「 ほん た うに 苹果 の 匂 ひだ よ 。 それから 野茨 の 匂 も する 。 」 
ジヨバンニ も そこら を 見 まし た が やつ ぱりそれは 窓 から でも 入 つて 來 る らしい の でし た 。 いま 秋 だ から 野茨 の 花 の 匂 の する 筈 は ない と ジヨバンニ は 思ひ まし た 。 
そしたら 俄 か に そこ に 、 つやつや し た 黒い 髮 の 六つ ばかり の 男の子 が 赤い ジヤケツ のぼ たん も かけ ず 、 ひどく びつくり し た やう な 顏 を し て 、 がたがた ふるへ て はだし で 立つ て ゐ まし た 。 隣り に は 黒い 洋服 を きちんと 着 た 、 せい の 高い 青年 が 一ぱい に 風 に 吹か れ て ゐる け やき の 木 の やう な 姿勢 で 、 男の子 の 手 を し つかり ひい て 立つ て ゐ まし た 。 
「 あら 、 ここ どこ で せ う 。 まあ 、 きれい だ わ 。 」 青年 の うし ろ に も ひとり 、 十 二 ばかり の 眼 の 茶 いろ な 、 可愛らしい 女の子 が 黒い 外套 を 着 て 、 青年 の 腕 に す が つて 、 不思議 さ うに 窓 の 外 を 見 て ゐる の でし た 。 
「 ああ 、 ここ は ランカシヤイヤ だ 。 いや 、 コンネクチカツト 州 だ 。 いや 、 ああ ぼく たち は そら へ 來 た の だ 。 わたし たち は 天 へ 行く の です 。 ごらん なさい 、 あの しるし は 天上 の しるし です 。 もう なんにも こ はい こと は あり ませ ん 。 わたくし たち は 神さま に 召さ れ て ゐる の です 。 」 
黒 服 の 青年 は よろこび に かがやい て その 女の子 に 云 ひ まし た 。 けれども なぜ か また 、 額 に 深く 皺 を 刻ん で 、 それに 大 へん つかれ て ゐる らしく 、 無理 に 笑 ひ ながら 男の子 を ジヨバンニ の となり に 坐ら せ まし た 。 
それから 女の子 に やさしく カムパネルラ の となり の 席 を 指さし まし た 。 女の子 は す なほ に そこ へ 坐 つ て きちんと 兩手 を 組み合せ まし た 。 
「 ぼく 、 お ほ ねえさん 。 お父さん の とこ へ 行く ん だ よう 。 」 腰掛け た ばかり の 男の子 は 顏 を 變 に し て 、 燈臺看 守 の 向う の 席 に 坐 つ た ばかり の 青年 に 云 ひ まし た 。 青年 は 何とも 云 へ ず 悲し さ う な 顏 を し て 、 ぢ つと その 子 の 、 ちぢれ て ぬれ た 頭 を 見 まし た 。 
女の子 は 、 いきなり 兩手 を 顏 に あて て しくしく 泣い て しまひ まし た 。 
「 お父さん や きくよ ねえさん は まだ いろいろ お 仕事 が ある の です 。 けれども もうす ぐあとからいらつしやいます 。 それ より も 、 お つかさ ん は どんなに 永く 待つ て いら つ し やつ たで せ う 。 
わたし の 大事 な タダ シ は いま どんな 歌 を うた つ て ゐる だら う 、 雪 の 降る 朝 に みんな と 手 を つない で 、 ぐるぐる に は と この やぶ を ま はつ て あそん で ゐる だら う か と 考へ たり 、 ほん た うに 待つ て 、 心配 し て いら つ し やる ん です から 、 早く 行 つて 、 お つかさ ん に お目にかかり ませ う ね 。 」 
「 うん 、 だけど 僕 、 船 に 乘 ら なけ あ よ かつ た なあ 。 」 
「 ええ 、 けれど 、 ごらん なさい 。 そら 、 どう です 。 あの 立派 な 川 、 ね 、 あすこ は あの 夏 中 、 ツヰンクル 、 ツヰンクル 、 リトル 、 スター を うた つて やすむ とき 、 いつも 窓 から ぼんやり 白く 見え て ゐ た で せ う 、 あすこ です よ 。 ね 、 きれい で せ う 、 あんなに 光 つて ゐ ます 。 」 
泣い て ゐ た 姉 も ハンケチ で 眼 を ふい て 外 を 見 まし た 。 青年 は 教 へる やう に そつ と 姉 弟 に また 云 ひ まし た 。 
「 わたし たち は もう 、 なんにも かなしい こと は ない の です 。 わたくし たち は こんな いい とこ を 旅 し て 、 ぢ き 神さま の とこ へ 行き ます 。 そこ なら もう 、 ほん た うに 明るく て 匂 が よく て 立派 な 人 たち で い つ ぱいです 。 そして わたし たち の 代り に 、 ボート へ 乘 れ た 人 たち は 、 きつ と みんな 助け られ て 、 心配 し て 待つ て ゐる めいめい の お父さん や お母さん や 自分 の お家 やら へ 行く の です 。 さあ 、 もう ぢ き です から 元 氣 を 出し て おもしろく う たつ て 行き ませ う 。 」 
青年 は 男の子 の ぬれ た やう な 黒い 髮 を なで 、 みんな を 慰め ながら 、 自分 も だんだん 顏 いろ が かがやい て 來 まし た 。 
「 あなた 方 は どちら から いら つ し やつ た の です か 。 どう なす つたの です か 。 」 
さつき の 燈臺看 守 が やつ と 少し わかつ た やう に 、 青年 に たづ ね まし た 。 
青年 は かすか に わら ひ まし た 。 
「 いえ 、 氷山 に ぶつ つ かつて 船 が 沈み まし て ね 。 わたし たち は こちら の お父さん が 急 な 用 で 二 ヶ月 前 、 一足 さき に 本 國 へ お 歸 り に なつ た ので 、 あと から 發 つたの です 。 私 は 大 學 へ は い つ て ゐ て 、 家庭 教師 に や と はれ て ゐ た の です 。 ところが ちや うど 十 二 日 目 、 今日 か 昨日 の あたり です 。 船 が 氷山 に ぶつ つ かつて 一 ぺん に 傾き 、 もう 沈み かけ まし た 。 月 の あかり は どこ か ぼんやり あり まし た が 、 霧 が 非常 に 深 かつ た の です 。 ところが ボート は 左舷 の 方 半分 は もう だめ に なつ て ゐ まし た から 、 とても みんな は 乘 り 切れ ない の です 。 もう その うち に も 船 は 沈み ます し 、 私 は 必死 と なつ て 、 どうか 小さな 人 たち を 乘 せ て 下さい と 叫び まし た 。 近く の 人 たち は すぐ みち を 開い て 、 そして 子供 たち の ため に 祈 つて 呉れ まし た 。 けれども そこ から ボート まで の ところ に は 、 まだまだ 小さな 子ども たち や 親 たち や なんか 居 て 、 とても 押しのける 勇 氣 が なかつ た の です 。 
それでも わたくし は どうしても この方 たち を お 助け する の が 私 の 義務 だ と 思ひ まし た から 、 前 に ゐる 子供 ら を 押しのけよ う と し まし た 。 けれども また 、 そんなに し て 助け て あげる より は この まま 神 の お前 に みんな で 行く 方 が 、 ほん た うに この方 たち の 幸福 だ と も 思ひ まし た 。 
それから 、 また その 神 に そむく 罪 は わたくし ひとり で しよ つ て ぜひとも 助け て あげよ う と 思ひ まし た 。 
けれども 、 どうしても 見 て ゐる と それ が でき ない の でし た 。 
子ども ら ばかり ボート の 中 へ はなし て やつ て 、 お母さん が 狂 氣 の やう に キス を 送り 、 お父さん が かなしい の を ぢ つと こら へ て まつ すぐ に 立つ て ゐる など 、 とても もう 腸 も ちぎれる やう でし た 。 そのうち 船 は もう ずんずん 沈み ます から 、 私 たち は かたま つ て 、 もうす つかり 覺 悟 し て 、 この 人 たち 二 人 を 抱い て 、 浮べる だけ は 浮ば う と 船 の 沈む の を 待つ て ゐ まし た 。 
誰 が 投げ た か ライフヴイ が 一つ 飛ん で 來 まし た 。 けれども 滑 つて ず うつ と 向う へ 行 つ て しまひ まし た 。 
私 は 一生けん命 で 甲板 の 格子 に なつ た ところ を はなし て 、 三 人 それ に し つかり とりつき まし た 。 どこ から とも なく 讚美歌 の 聲 が あがり まし た 。 たちまち みんな は いろいろ な 國 語 で 一 ぺん に それ を 歌 ひ まし た 。 
その とき 俄 か に 大きな 音 が し て 私 たち は 水 に 落ち 、 もう 渦 に 入 つた と 思ひ ながら し つかり この 人 たち を だい て それ から ぼう つ と し た と 思 つ たら もう ここ へ 來 て ゐ た の です 。 
この方 たち の お母さん は 一昨年 歿 く なら れ まし た 。 ええ 、 ボート は き つ と 助 か つた に ち が ひ あり ませ ん 。 何せ よほど 熟練 な 水夫 たち が 漕い で 、 すばやく 船 から は なれ て ゐ まし た から 。 」 
そこ から 小さな 嘆息 や いのり の 聲 が 聞え 、 ジヨバンニ も カムパネルラ も いま まで 忘れ て ゐ た いろいろ の こと を ぼんやり 思ひ 出し て 眼 が 熱く なり まし た 。 
（ ああ 、 その 大きな 海 は パシフイツク といふ の で は なかつ たら う か 。 
その 氷山 の 流れる 北 の はて の 海 で 、 小さな 船 に 乘 つて 、 風 や 凍りつく 潮水 や 、 烈しい 寒 さ と たた かつて 、 たれ か が 一生 けんめい はたらい て ゐる 。 ぼく は その ひと に ほん た うに 氣 の 毒 で 、 そして すま ない やう な 氣 が する 。 ぼく は その ひと の さい は ひ の ため に い つたい どう し たら いい の だら う 。 ） 
ジヨバンニ は 首 を 垂れ て 、 す つかり ふさぎ込ん で しまひ まし た 。 
「 なに が し あ は せか わから ない です 。 ほん た うに どんな つらい こと で も それ が ただしい みち を 進む 中 で の でき ごと なら 、 峠 の 上り も 下り も みんな ほん た う の 幸福 に 近づく 一 あし づつですから 。 」 
燈臺守 が なぐさめ て ゐ まし た 。 
「 あ あさう です 。 ただ いちばん の さい は ひ に 至る ため に いろいろ の かなしみ も みんな 、 おぼしめし です 。 」 
青年 が 祈る やう に さ う 答 へ まし た 。 
そして あの 姉 弟 は もう つかれ て めいめい に ぐつたり 席 により か かつて 睡 つて ゐ まし た 。 さつき の あの はだし だ つた 足 に は いつか 白い 柔らか な 靴 を はい て ゐ た の です 。 
ごと ごと ごと ごと 汽車 は きらびやか な 燐光 の 川 の 岸 を 進み まし た 。 向う の 方 の 窓 を 見る と 、 野原 は まるで 幻 燈 の やう でし た 。 百 も 千 も の 大小 さまざま の 三角 標 、 その 大きな もの の 上 に は 赤い 點々 を うつ た 測量 旗 も 見え 、 野原 の はて は それ が いち めん 、 たくさん たくさん 集 つて ぼう つと 青白い 霧 の やう 、 そこ から か 、 または もつ と 向う から か 、 ときどき さまざま の 形 の ぼんやり し た 狼煙 の やう な もの が 、 か はる が はる きれい な 桔梗 いろ の そら に うちあげ られる の でし た 。 じつに その すき と ほ つ た 綺麗 な 風 は 、 ばら の 匂 で い つ ぱいでした 。 
「 いかが です か 。 かう いふ 苹果 は お はじめて で せ う 。 」 
向う の 席 の 燈臺看 守 が 、 いつか 黄金 と 紅 で うつくしく いろどら れ た 大きな 苹果 を 落さ ない やう に 、 兩手 で 膝 の 上 に かかえ て ゐ まし た 。 
「 おや 、 ど つ から 來 た の です か 。 立派 です ね 。 ここら で は こんな 苹果 が できる の です か 。 」 青年 は ほん た うに びつくり し た らしく 、 燈臺看 守 の 兩手 に かかえ られ た 一 もり の 苹果 を 、 眼 を 細く し たり 首 を まげ たり し ながら 、 われ を 忘れ て ながめ て ゐ まし た 。 
「 いや 、 まあ おとり 下さい 。 どう か 、 まあ おとり 下さい 。 」 
青年 は 一つ と つて ジヨバンニ たち の 方 を ちよ つと 見 まし た 。 
「 さあ 、 向う の 坊 ちや ん が た 。 いかが です か 。 おとり 下さい 。 」 
ジヨバンニ は 坊 ちや ん と 云 はれ た ので 、 すこし し や くに さ は つて だ まつ て ゐ まし た が 、 カムパネルラ は 「 ありがたう 。 」 と 云 ひ まし た 。 
すると 青年 は 自分 で と つて 一つ づつ 二 人 に 送 つ て よこし まし た ので 、 ジヨバンニ も 立つ て ありがたう と 云 ひ まし た 。 
燈臺看 守 は やつ と 兩腕 が あい た ので 、 こんど は 自分 で 一つ づつ 睡 つ て ゐる 姉 弟 の 膝 に そつ と 置き まし た 。 
「 どうも ありがたう 。 どこ で できる の です か 、 こんな 立派 な 苹果 は 。 」 青年 は つくづく 見 ながら 云 ひ まし た 。 
「 この 邊 で は もちろん 農業 は いたし ます けれども 、 大 てい ひとりでに いい もの が できる やう な 約束 に な つて 居り ます 。 
農業 だ つ て そんなに 骨 は 折れ は し ませ ん 。 たいてい 自分 の 望む 種子 さ へ 播け ば ひとりでに どんどん でき ます 。 米 だ つて パシフイツク 邊 の やう に 殼 も ない し 、 十 倍 も 大きく て 匂 も いい の です 。 
けれども あなた がた の これから いら つ し やる 方 なら 、 農業 は もう あり ませ ん 。 苹果 だ つて お菓子 だ つて かす が 少し も あり ませ ん から 、 みんな その ひと その ひと に よ つて ち が つた 、 わ づか の いい かをり に なつ て 毛 あな から ちら け て しまふ の です 。 」 
に はか に 男の子 が ぱつちり 眼 を あい て 云 ひ まし た 。 
「 ああ ぼく 、 いま お母さん の 夢 を み て ゐ た よ 。 お母さん が ね 、 立派 な 戸棚 や 本 の ある とこ に 居 て ね 、 ぼく の 方 を 見 て 手 を だし て にこにこ にこにこ わら つ た よ 。 ぼく 、 お つかさ ん 、 りんご を ひろ つ て き て あげ ませ う か 。 と 云 つ たら 眼 が さめ ちや つた 。 ああ ここ 、 さつき の 汽車 の なか だ ねえ 。 」 
「 その 苹果 が そこ に あり ます 。 この を ぢ さん に いただい た の です よ 。 」 青年 が 云 ひ まし た 。 
「 ありがたう を ぢ さん 。 おや 、 かほる ねえさん まだ ね てる ねえ 、 ぼく おこし て やら う 。 ねえさん 。 ごらん 、 りんご を もら つ た よ 。 おき て ごらん 。 」 
姉 は わら つて 眼 を さまし 、 まぶし さ うに 兩手 を 眼 に あて て 、 それから 苹果 を 見 まし た 。 
男の子 は まるで パイ を 喰 べ る やう に 、 もう それ を 喰 べ て ゐ まし た 。 また 折角 剥い た その きれい な 皮 も 、 くるくる コルク 拔 き の やう な 形 に な つて 床 へ 落ちる まで の 間 に は 、 す うつ と 灰 いろ に 光 つて 蒸發 し て しまふ の でし た 。 
二 人 は りんご を 大切 に ポケツト に しまひ まし た 。 
「 いま どの 邊 ある いてる の 。 」 ジヨバンニ が きき まし た 。 
「 ここ だ よ 。 」 カムパネルラ は 鷲 の 停車場 の 少し 南 を 指さし まし た 。 
川下 の 向う岸 に 青く 茂 つ た 大きな 林 が 見え 、 その 枝 に は 熟し て まつ 赤 に 光る 圓 い 實 が い つ ぱい 、 その 林 の まん中 に 高い 高い 三角 標 が 立つ て 、 森 の 中 から は オーケストラ ベル や ジロフオン に まじ つ て 何とも 云 へ ず きれい な 音 いろ が 、 とける やう に 浸 みる やう に 風 に つれ て 流れ て 來 る の でし た 。 
青年 は ぞ くつ として からだ を ふるふ やう に し まし た 。 
だま つて その 譜 を 聞い て ゐる と 、 そこら に いち めん 黄いろ や 、 うすい 緑 の 明るい 野原 か 敷物 か が ひろがり 、 また まつ 白 な 臘 の やう な 霧 が 太陽 の 面 を 擦 め て 行く やう に 思は れ まし た 。 
「 まあ 、 あの 烏 。 」 カムパネルラ の となり の 、 かほる と 呼ば れ た 女の子 が 叫び まし た 。 
「 からす で ない 。 みんな か さ さ ぎだ 。 」 カムパネルラ が また 何 氣 なく 叱る やう に 叫び まし た ので 、 ジヨバンニ は また 思は ず 笑 ひ 、 女の子 は きまり 惡 さ うに し まし た 。 まつ たく 河原 の 青じろい あかり の 上 に 、 黒い 鳥 が たくさん たくさん い つ ぱいに 列 に な つて と まつ て ぢ つと 川 の 微光 を 受け て ゐる の でし た 。 
「 かさ さ ぎですねえ 、 頭 の うし ろ の ところ に 毛 が ぴんと 延び て ます から 。 」 青年 は とりなす やう に 云 ひ まし た 。 
向う の 青い 森 の 中 の 三角 標 は す つかり 汽車 の 正面 に 來 まし た 。 その とき 汽車 の ず うつ とうしろ の 方 から 、 あの 聞き なれ た 三 〇 六 番 の 讚美歌 の ふし が 聞え て き まし た 。 よほど の 人 數 で 合唱 し て ゐる らしい の でし た 。 
青年 は さ つと 顏 いろ が 青ざめ 、 たつ て 一 ぺん そつ ち へ 行き さ うに し まし た が 思ひ か へ し て また 坐り まし た 。 
かほる は ハンケチ を 顏 に あて て しまひ まし た 。 
ジヨバンニ まで 何だか 鼻 が 變 に なり まし た 。 けれども い つ と も なく 誰 と も なく その 歌 は 歌 ひ 出さ れ 、 だんだん はつ きり 強く なり まし た 。 思は ず ジヨバンニ も カムパネルラ も 一緒 に うた ひ 出し た の です 。 
そして 青い 橄欖 の 森 が 、 見え ない 天の川 の 向う に さめざめ と 光り ながら だんだん うし ろ の 方 へ 行 つ て しまひ 、 そこ から 流れ て 來 る あやしい 樂器 の 音 も 、 もう 汽車 の ひびき や 風の音 に すり 耗 ら さ れ て ず うつ とか すか に なり まし た 。 
「 あ 、 孔雀 が 居る よ 。 あ 、 孔雀 が 居る よ 。 」 
「 あの 森 琴 の 宿 で せ う 。 あたし き つと あの 森 の 中 に は 、 むかし の 大きな オーケストラ の 人 たち が 集ま つて いら つ し やる と 思ふ わ 。 ま はり に は 青い 孔雀 や なんか たくさん ゐる と 思ふ わ 。 」 女の子 が 答 へ まし た 。 
ジヨバンニ は 、 その 小さく 小さく な つて いま は もう 一つ の 緑 いろ の 貝 ぼ たん の やう に 見える 森 の 上 に 、 さ つと 青じろく 時々 光 つて 、 その 孔雀 が はね を ひろげ たり と ぢ たり する の を 見 まし た 。 
「 さ うだ 、 孔雀 の 聲 だ つて さつき 聞え た 。 」 カムパネルラ が 女の子 に 云 ひ まし た 。 
「 ええ 、 三 十 疋 ぐらゐはたしかに 居 た わ 。 」 女の子 が 答 へ まし た 。 
ジヨバンニ は 俄 か に 何とも 云 へ ず かなしい 氣 が し て 、 思は ず 、 
「 カムパネルラ 、 ここ から はね おり て 遊ん で 行か う よ 。 」 とこ はい 顏 を し て 云 は う と し た くら ゐ でし た 。 
ところが その とき ジヨバンニ は 川下 の 遠く の 方 に 不思議 な もの を 見 まし た 。 
それ は たしかに なに か 黒い つるつる し た 細長い もの で 、 あの 見え ない 天の川 の 水の上 に 飛び出し て ちよ つと 弓 の やう な かたち に 進ん で 、 また 水 の 中 に かくれ た やう でし た 。 を かしい と 思 つて また よく 氣 を 付け て ゐ まし たら こんど は ずつ と 近く で また そんな こと が あつ た らしい の でし た 。 そのうち もう あつ ち で も こ つ ち で も 、 その 黒い つるつる し た 變 な もの が 水 から 飛び出し て 、 圓 く 飛ん で また 頭 から 水 へ くぐる の が たくさん 見え て 來 まし た 。 みんな 魚 の やう に 川上 へ のぼる らしい の でし た 。 
「 まあ 、 何で せ う 。 た あ ちや ん 、 ごらん なさい 。 まあ 澤山 だ わ ね 。 何で せ う あれ 。 」 
睡 むさう に 眼 を こす つて ゐ た 男の子 は びつくり し た やう に 立ちあがり まし た 。 
「 何 だら う 。 」 青年 も 立ちあがり まし た 。 
「 まあ 、 を かし な 魚 だ わ 、 何で せ う あれ 。 」 
「 海豚 です 。 」 カムパネルラ が そつ ち を 見 ながら 答 へ まし た 。 
「 海豚 だ なんて あたし はじめて だ わ 。 けど ここ 海 ぢ や ない んで せ う 。 」 
「 いるか は 海 に 居る とき まつ て ゐ ない 。 」 あの 不思議 な 低い 聲 が また どこ から かし まし た 。 
ほん た うに その いるか の かたち の を かしい こと は 、 二つ の ひれ を 丁度 兩手 を さげ て 不動 の 姿勢 を とつ た やう な 風 に し て 水 の 中 から 飛び出し て 來 て 、 うやうやしく 頭 を 下 に し て 不動 の 姿勢 の まま また 水 の 中 へ くぐつ て 行く の でし た 。 見え ない 天の川 の 水 も その とき は ゆらゆら と 青い 焔 の やう に 波 を あげる の でし た 。 
「 いる かお 魚 で せ う か 。 」 女の子 が カムパネルラ に はなしかけ まし た 。 男の子 は ぐつたりつかれたやうに 席 に も たれ て 睡 つて ゐ まし た 。 
「 いるか 、 魚 ぢ や あり ませ ん 。 く ぢ ら と 同じ やう な け だ もの です 。 」 カムパネルラ が 答 へ まし た 。 
「 あな たく ぢ ら 見 た こと あ つて 。 」 
「 僕 あり ます 。 く ぢ ら 、 頭 と 黒い し つ ぽ だけ 見え ます 。 潮 を 吹く と 丁度 本 に ある やう に なり ます 。 」 
「 く ぢ ら なら 大きい わ ねえ 。 」 
「 く ぢ ら 大きい です 。 子供 だ つ て いる か ぐらゐあります 。 」 
「 さ う よ 、 あたし アラビアンナイト で 見 た わ 。 」 姉 は 細い 銀 いろ の 指輪 を い ぢ り ながら おもしろ さ うに は なし し て ゐ まし た 。 
（ カムパネルラ 、 僕 もう 行 つ ち ま ふ ぞ 。 僕 なんか 鯨 だ つて 見 た こと ない や 。 ） 
ジヨバンニ は まるで たまらない ほど いらいら し ながら 、 それでも 堅く 唇 を 噛ん で こら へ て 窓 の 外 を 見 て ゐ まし た 。 
その 窓 の 外 に は 海豚 の かたち も もう 見え なく な つて 川 は 二つ に わか れ まし た 。 その まつ くら な 島 の まん中 に 、 高い 高い や ぐらが 一つ 組ま れ て その 上 に 、 一 人 の 寛 い服 を 着 て 赤い 帽子 を か ぶつ た 男 が 立つ て ゐ まし た 。 そして 兩手 に 赤 と 青 の 旗 を もつ て そら を 見上げ て 信 號 し て ゐる の でし た 。 
ジヨバンニ が 見 て ゐる 間 、 その 人 は しきりに 赤い 旗 を ふつ て ゐ まし た が 、 俄 か に 赤旗 を おろし て うし ろ に かくす やう に し 、 青い 旗 を 高く 高く あげ て まるで オーケストラ の 指揮 者 の やう に 烈しく 振り まし た 。 すると 空中 に ざあつと 雨 の やう な 音 が し て 、 何 か ま つくろ な もの が いく かた まり も いく かた まり も 、 鐵 砲 彈 の やう に 川 の 向う の 方 へ 飛ん で 行く の でし た 。 ジヨバンニ は 思は ず 窓 から からだ を 半分 出し て 、 そつ ち を 見 あげ まし た 。 
美しい 美しい 桔梗 いろ の がらん と し た 空 の 下 を 、 實 に 何 萬 といふ 小さな 鳥 ども が 幾 組 も 幾 組 も 、 めいめい せ はし くせ は しく 鳴い て 通 つて 行く の でし た 。 
「 鳥 が 飛ん で 行く な 。 」 ジヨバンニ が 窓 の 外 で 云 ひ まし た 。 
「 どら 。 」 カムパネルラ も そら を 見 まし た 。 
その とき あの や ぐらの 上 の ゆるい 服 の 男 は 、 俄 か に 赤い 旗 を あげ て 狂 氣 の やう に ふり うごかし まし た 。 すると ぴたつと 鳥 の 群 は 通ら なく なり 、 それ と 同時に ぴしやあんといふ 潰れ た やう な 音 が 川下 の 方 で 起つ て 、 それ から しばらく しいんと し まし た 。 と 思 つ たら あの 赤帽 の 信 號手 が また 青い 旗 を ふつ て 叫ん で ゐ た の です 。 
「 いま こそ わたれ わ たり 鳥 、 いま こそ わたれ わ たり 鳥 。 」 その 聲 も はつ きり 聞え まし た 。 それ と い つ し よに また 幾 萬 といふ 鳥 の 群 が そら を まつ すぐ に かけ た の です 。 
二 人 の 顏 を 出し て ゐる まん中 の 窓 から あの 女の子 が 顏 を 出し て 、 美しい 頬 を かがやか せ ながら 大 ぞ ら を 仰ぎ まし た 。 
「 まあ 、 この 鳥 、 たくさん です わ ねえ 。 あら まあ そら の きれい な こと 。 」 女の子 は ジヨバンニ に はなしかけ まし た 。 けれども ジヨバンニ は 生 意 氣 な 、 いや だ いと 思ひ ながら 、 だま つて 口 を むすん で そら を 見 あげ て ゐ まし た 。 
女の子 は 小さく ほ つと 息 を し て 、 だま つて 席 へ 戻り まし た 。 カムパネルラ が 氣 の 毒 さ うに 窓 から 顏 を 引つ 込め て 地 圖 を 見 て ゐ まし た 。 
「 あの 人 鳥 へ 教 へ てる んで せ う か 。 」 女の子 が そつ と カムパネルラ に たづ ね まし た 。 
「 わたり 鳥 へ 信 號 し てる ん です 。 きつ と どこ から か のろし が あがる ため で せ う 。 」 
カムパネルラ が 少し おぼつかな さ さ うに 答 へ まし た 。 そして 車 の 中 は しいんと なり まし た 。 
ジヨバンニ は もう 頭 を 引つ 込め たかつ た の です けれども 、 明るい とこ へ 顏 を 出す の が つら かつ た ので 、 だま つて こら へ て そのまま 立つ て 口笛 を 吹い て ゐ まし た 。 
（ どうして 僕 は こんなに かなしい の だら う 。 僕 は もつ と こころ もち を きれい に 大きく もた なけれ ば いけ ない 。 あすこ の 岸 の ず うつ と 向う に まるで けむり の やう な 小さな 青い 火 が 見える 。 あれ は ほん た うに しづか で つめたい 。 僕 は あれ を よく 見 て こころ もち を し づめるんだ 。 ） 
ジヨバンニ は 熱 つて 痛い あ たま を 兩手 で 押 へる やう に し て 、 そつ ちの 方 を 見 まし た 。 
（ ああ ほん た うに どこ まで も どこ まで も 僕 と いつ しよ に 行く ひと は ない だら う か 。 カムパネルラ だ つて あんな 女の子 と おもしろ さ うに 話し て ゐる し 、 僕 は ほん た うに つらい なあ 。 ） 
ジヨバンニ の 眼 は また 泪 で い つ ぱいになり 、 天の川 も まるで 遠く へ 行 つ た やう に ぼんやり 白く 見える だけ でし た 。 
その とき 汽車 は だんだん 川 から は なれ て 崖 の 上 を 通る やう に なり まし た 。 向う岸 も また 黒 いい ろ の 崖 が 川 の 岸 を 下流 に 下る に し た が つて 、 だんだん 高く な つて 行く の でし た 。 そして ちら つと 大きな た う もろこし の 木 を 見 まし た 。 その 葉 は ぐるぐる に 縮れ 、 葉 の 下 に は もう 美しい 緑 いろ の 大きな 苞 が 赤い 毛 を 吐い て 、 眞 珠 の やう な 實 も ちら つ と 見え た の でし た 。 
それ は だんだん 數 を 増し て 來 て 、 もう いま は 列 の やう に 崖 と 線路 と の 間 に ならび 、 思は ず ジヨバンニ が 窓 から 顏 を 引つ 込め て 向う側 の 窓 を 見 まし た とき は 、 美しい そら の 野原 、 地平線 の はて まで 、 その 大きな た う もろこし の 木 が ほとんど いち めん に 植 ゑられてさやさや 風 に ゆらぎ 、 その 立派 な ちぢれ た 葉 の さき から は 、 まるで ひる の 間 に い つ ぱい 日光 を 吸 つた 金剛石 の やう に 、 露 が い つ ぱいについて 赤 や 緑 や きらきら 燃え て 光 つて ゐる の でし た 。 
カムパネルラ が 、 
「 あれ た う もろこし だ ねえ 。 」 と ジヨバンニ に 云 ひ まし た けれども 、 ジヨバンニ は どうしても 氣持 が な ほり ませ ん でし た から 、 た だぶつき ら 棒 に 野原 を 見 た まま 、 
「 さ うだら う 。 」 と 答 へ まし た 。 
その とき 汽車 は だんだん しづか に な つて 、 いくつ か の シグナル と てんてつ 器 の 灯 を 過ぎ 、 小さな 停車 場 に とまり まし た 。 
その 正面 の 青じろい 時計 は かつ きり 第 二 時 を 示し 、 その 振子 は 、 風 も なくなり 汽車 も うごか ず しづか な しづか な 野原 の なか に 、 カチツカチツ と 正しく 時 を 刻ん で 行く の でし た 。 
そして まつ たく その 振子 の 音 の 間 から 遠く の 遠く の 野原 の はて から 、 かすか な かすか な 旋律 が 糸 の やう に 流れ て 來 る の でし た 。 「 新 世界 交響 樂 だ わ 。 」 向う の 席 の 姉 が ひとり ごと の やう に こ つ ち を 見 ながら そつ と 言 ひ まし た 。 全く もう 車 の 中 で は あの 黒 服 の 丈 高い 青年 も 誰 れ も みんな やさしい 夢 を 見 て ゐる の でし た 。 
（ こんな しづか な いい ところ で 僕 は どうして もつ と 愉快 に なれ ない だら う 。 どうして こんなに ひとり さびしい の だら う 。 けれども カムパネルラ なんか あんまり ひどい 。 僕 と いつ しよ に 汽車 に 乘 つて ゐ ながら 、 まるで あんな 女の子 と ばかり 話し て ゐる ん だ もの 。 僕 は ほん た うに つらい 。 ） 
ジヨバンニ は また 兩手 で 顏 を 半分 かくす やう に し て 、 向う の 窓 の そ と を 見つめ て ゐ まし た 。 
すき と ほ つ た 硝子 の やう な 笛 が 鳴 つ て 、 汽車 は しづか に 動き出し 、 カムパネルラ も さびしさ うに 星 めぐり の 口笛 を 吹き まし た 。 
「 ええ 、 ええ 、 もうこ の 邊 は ひどい 高原 です から 。 」 
うし ろ の 方 で 誰 か と しよ り らしい 人 の 、 いま 眼 が さめ た といふ 風 で はきはき 話し て ゐる 聲 が し まし た 。 
「 た う もろこし だ つて 棒 で 二 尺 も 孔 を あけ て おい て 、 そこ へ 播か ない と 生え ない ん です 。 」 
「 さ う です か 、 川 まで は よほど あり ませ う か ねえ 。 」 
「 ええ 、 ええ 、 河 まで は 二 千 尺 から 六 千 尺 あり ます 。 もう まるで ひどい 峽谷 に なつ て ゐる ん です 。 」 
さ うさ う 、 ここ は コロラド の 高原 ぢ や なかつ たら う か 、 ジヨバンニ は 思は ず さ う 思ひ まし た 。 
姉 は 弟 を 自分 の 胸 により かから せ て 睡ら せ ながら 、 黒い 瞳 を うつ とり と 遠く へ 投げ て 何 を 見る で も なし に 考 へ 込ん で 居る の でし た し 、 カムパネルラ は また さ びしさうにひとり 口笛 を 吹き 、 男の子 は まるで 絹 で 包ん だ 苹果 の やう な 顏 いろ を し て ねむ つて 居り まし た 。 
突然 た う もろこし が なく な つて 、 巨 き な 黒い 野原 が い つ ぱいにひらけました 。 
新 世界 交響 樂 は はつ きり 地平線 の はて から 湧き 、 その まつ 黒 な 野原 の なか を 一 人 の インデアン が 白い 鳥 の 羽根 を 頭 に つけ 、 たくさん の 石 を 腕 と 胸 に かざり 、 小さな 弓 に 矢 を 番 へ て 一目散 に 汽車 を 追 つて 來 る の でし た 。 
「 あら 、 インデアン です よ 。 インデアン です よ 。 ごらん なさい 。 」 
黒 服 の 青年 も 眼 を さまし まし た 。 
ジヨバンニ も カムパネルラ も 立ちあがり まし た 。 
「 走 つて 來 る わ 。 あら 、 走 つて 來 る わ 。 追 ひ かけ て ゐる んで せ う 。 」 
「 いいえ 、 汽車 を 追 つて る ん ぢ や ない ん です よ 、 獵 を する か 踊る か し てる ん です よ 。 」 
青年 は いま どこ に 居る か 忘れ た といふ 風 に 、 ポケツト に 手 を 入れ て 立ち ながら 云 ひ まし た 。 
まつ たく インデアン は 半分 は 踊 つて ゐる やう でし た 。 第 一 かける に し て も 足 の ふみ やう が もつ と 經濟 も とれ 、 本 氣 に も なれ さ う でし た 。 に はか に くつ きり 白い その 羽根 は 前 の 方 へ 倒れる やう に なり 、 インデアン は ぴたつと 立ちどま つて すばやく 弓 を 空 に ひき まし た 。 そこ から 一 羽 の 鶴 が ふらふら と 落ち て 來 て 、 また 走り出し た インデアン の 大きく ひろげ た 兩手 に 落ちこみ まし た 。 
インデアン は うれし さ うに 立つ て わら ひ まし た 。 そして その 鶴 を もつ て こ つ ち を 見 て ゐる 影 も 、 もう どんどん 小さく 遠く なり 、 電 しん ば しら の 碍子 が き ら つき ら つと 續 い て 二つ ばかり 光 つて 、 また た う もろこし の 林 に なつ て しまひ まし た 。 
こ つ ち 側 の 窓 を 見 ます と 、 汽車 は ほん た うに 高い 高い 崖 の 上 を 走 つて ゐ て 、 その 谷 の 底 に は 川 が やつ ぱり 幅 ひろく 明るく 流れ て ゐ た の です 。 
「 ええ 、 もうこ の 邊 から 下り です 。 何せ こんど は 一 ぺん に あの 水面 まで おり て 行く ん です から 容易 ぢ や あり ませ ん 。 この 傾斜 が ある もん です から 、 汽車 は 決して 向う から こ つ ち へ は 來 ない ん です 。 そら 、 もう だんだん 早く な つた で せ う 。 」 さつき の 老人 らしい 聲 が 云 ひ まし た 。 
どんどん どんどん 汽車 は 降り て 行き まし た 。 崖 の はし に 鐵 道 が かかる とき は 、 川 が 明るく 下 に のぞけ た の です 。 
ジヨバンニ は だんだん こころ もち が 明るく な つて 來 まし た 。 
汽車 が 小さな 小屋 の 前 を 通 つて 、 その 前 に しよ ん ぼり ひとり の 子供 が 立つ て こ つ ち を 見 て ゐる とき など は 思は ず 、 ほう 、 と 叫び まし た 。 
どんどん どんどん 汽車 は 走 つ て 行き まし た 。 室 中 の ひと たち は 、 半分 うし ろ の 方 へ 倒れる やう に なり ながら 、 腰掛 に し つかり しがみつい て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は 思は ず カムパネルラ と わら ひ まし た 。 もう そして 天の川 は 汽車 の すぐ 横手 を 、 いま また よほど 激しく 流れ て 來 たらしく 、 ときどき ちらちら 光 つて ながれ て ゐる の でし た 。 うす あかい 河原 なでしこ の 花 が あちこち 咲い て ゐ まし た 。 汽車 は やう やく 落ちつい た やう に ゆ つくり と 走 つて ゐ まし た 。 
向う とこ つ ちの 岸 に 、 星 の かたち と つるはし を 書い た 旗 が たつ て ゐ まし た 。 
「 あれ 、 何 の 旗 だら う ね 。 」 ジヨバンニ が やつ と もの を 云 ひ まし た 。 
「 さあ 、 わから ない ねえ 。 地 圖 に も ない ん だ もの 。 鐵 の 舟 が おい て ある ねえ 。 」 
「 ああ 。 」 
「 橋 を 架ける とこ ぢ や ない んで せ う か 。 」 女の子 が 云 ひ まし た 。 
「 ああ 、 あれ 工兵 の 旗 だ ねえ 。 架橋 演習 を し てる ん だ 。 けれど 兵隊 の かたち が 見え ない ねえ 。 」 
その 時 向う岸 ちかく 、 少し 下流 の 方 で 、 見え ない 天の川 の 水 が ぎらつと 光 つて 、 柱 の やう に 高く はねあがり 、 ど おと 烈しい 音 が し まし た 。 
「 發破 だ よ 。 發破 だ よ 。 」 カムパネルラ は こ を どり し まし た 。 
その 柱 の やう に なつ た 水 は 見え なく なり 、 大きな 鮭 や 鱒 が き ら つき ら つと 白く 腹 を 光らせ て 空中 に 抛り出さ れ て 、 圓 い 輪 を 描い て また 水 に 落ち まし た 。 
ジヨバンニ は もう はねあがり た いくら ゐ 氣持 が 輕 く な つて 云 ひ まし た 。 
「 空 の 工兵 大隊 だ 。 どう だ 、 鱒 や なんか が まるで こんなに な つて はねあげ られ た ねえ 。 僕 こんな 愉快 な 旅 は し た こと ない 。 いい ねえ 。 」 
「 あの 鱒 なら 近く で 見 たら これ くら ゐ ある ねえ 、 たくさん さかな 居る ん だ な 、 この 水 の 中 に 。 」 
「 小さな お 魚 も ゐる んで せ う か 。 」 女の子 が 話 に つり 込ま れ て 云 ひ まし た 。 
「 居る んで せ う 。 大きな の が 居る ん だ から 小さい の も ゐる んで せ う 。 けれど 遠く だ から 、 いま 小さい の 見え なかつ た ねえ 。 」 ジヨバンニ は もうす つかり 機嫌 が 直 つて 、 面白 さ うに わら つて 女の子 に 答 へ まし た 。 
「 あれ き つと 雙子 の お 星 さま の お宮 だ よ 。 」 男の子 が 、 いきなり 窓 の 外 を さして 叫び まし た 。 
右手 の 低い 丘 の 上 に 小さな 水晶 で でも こさえ た やう な 二つ の お宮 が ならん で 立つ て ゐ まし た 。 
「 雙子 の お 星 さま の お宮 つて 何 だい 。 」 
「 あたし 前 に なん べ ん も お母さん から 聞い た わ 、 ちや ん と 小さな 水晶 の お宮 で 二つ なら んで ゐる から き つ と さ う だ わ 。 」 
「 はなし て ごらん 。 雙子 の お 星 さま が 何 し た つて の 。 」 
「 ぼく も 知 つて らい 。 雙子 の お 星 さま が 野原 へ 遊び に で て 、 からす と 喧嘩 し た ん だら う 。 」 
「 さ う ぢ や ない わ よ 。 あの ね 、 天の川 の 岸 に ね 、 お つかさ ん お話 なす つ た わ 。 … … 」 
「 それから 彗星 が 、 ギーギーフーギーギーフー て 云 つて 來 た ねえ 。 」 
「 いや だ わ た あ ちや ん 、 さ う ぢ や ない わ よ 。 それ は べつ の 方 だ わ 。 」 
「 すると あすこ に いま 笛 を 吹い て 居る ん だら う か 。 」 
「 いま 海 へ 行 つて ら あ 。 」 
「 いけ ない わ よ 。 もう 海 から あ が つて いら つ し やつ た の よ 。 」 
「 さ うさ う 、 ぼく 知 つて ら あ 、 ぼく お はなし しよ う 。 」 
＊ 　 　 　 　 　 ＊ 
川 の 向う岸 が 俄 に 赤く なり まし た 。 
楊 の 木 や 何 かも まつ 黒 に すかし 出さ れ 、 見え ない 天の川 の 波 も ときどき ちらちら 針 の やう に 赤く 光り まし た 。 
まつ たく 向う岸 の 野原 に 大きな まつ 赤 な 火 が 燃さ れ 、 その 黒い けむり は 高く 桔梗 いろ の つめた さ う な 天 を も 焦がし さ う でし た 。 ルビー より も 赤く すき と ほり 、 リチウム より も 、 うつくしく 醉 つたや うに な つて その 火 は 燃え て ゐる の でし た 。 
「 あれ は 何 の 火 だら う 。 あんな 赤く 光る 火 は 何 を 燃せ ば できる ん だら う 。 」 ジヨバンニ が 云 ひ まし た 。 
「 蝎 の 火 だ な 。 」 カムパネルラ が 又 地 圖 と 首 つ 引き し て 答 へ まし た 。 
「 あら 、 蝎 の 火 の こと なら あたし 知 つて る わ 。 」 
「 蝎 の 火 つて 何 だい 。 」 ジヨバンニ が きき まし た 。 
「 蝎 が やけ て 死ん だ の よ 。 その 火 が いま でも 燃え てる つて 、 あたし 何 べ ん も お父さん から 聽 い た わ 。 」 
「 蝎 つて 、 蟲 だら う 。 」 
「 ええ 、 蝎 は 蟲 よ 。 だ けど いい 蟲 だ わ 。 」 
「 蝎 いい 蟲 ぢ や ない よ 。 僕 博物館 で アルコール に つけ て ある の 見 た 。 尾 に こんな かぎ が あつ て 、 それ で 刺さ れる と 死ぬ つて 先生 が 云 つ た よ 。 」 
「 さ う よ 。 だ けど いい 蟲 だ わ 、 お父さん 斯 う 云 つたの よ 。 むかし バルドラ の 野原 に 一 ぴき の 蝎 が ゐ て 、 小さな 蟲 や なんか 殺し て たべ て 生き て ゐ た ん です つて 。 すると ある 日 、 い たち に 見附 かつて 食べ られ さ うに なつ たん です つて 。 さそり は 一生けん命 遁 げ て 遁 げ た けど 、 とうとう い たち に 押 へ られ さ うに なつ た わ 。 その とき 、 いきなり 前 に 井戸 が あつ て その 中 に 落ち て し まつ た わ 。 
もう どうして も あがら れ ない で 、 さそり は 溺れ はじめ た の よ 。 その とき さそり は 斯 う 云 つて お祈り し た といふ の 。 
ああ 、 わたし は いま まで いくつ の もの の 命 を とつ た か わから ない 、 そして その 私 が こんど い たち に とら れよ う と し た とき は あんなに 一生懸命 にげ た 。 それでも とうとう こんなに な つて し まつ た 。 ああ なんにも あて に なら ない 。 どうして わたし は わたし の からだ を 、 だま つて い たち に 呉れ て やら なかつ たら う 。 そしたら い たち も 一 日 生きのび たら うに 。 どうか 神さま 。 私 の 心 を ごらん 下さい 。 こんなに むなしく 命 を すて ず 、 どうか この 償 に は 、 まこと の みんな の 幸 の ため に 私 の からだ を お つか ひ 下さい 。 つて 云 つた といふ の 。 そしたら いつか 蝎 はじ ぶん の から だ が 、 まつ 赤 な うつくしい 火 に な つて 燃え て 、 よる の やみ を 照らし て ゐる の を 見 た つて 。 
いつ まで も 燃え てる つて お父さん 、 仰 つ し やつ た わ 。 ほん た うに あの 火 、 それ だ わ 。 」 
「 さ う だ 。 見 たま へ 。 そこら の 三角 標 は ちやう ど さそり の 形 に ならん で ゐる よ 。 」 
ジヨバンニ は まつ たく その 大きな 火 の 向う に 、 三つ の 三角 標 が 、 さそり の 腕 の やう に 、 こ つ ち に 五つ の 三角 標 が さそり の 尾 や かぎ の やう に ならん で ゐる の を 見 まし た 。 そして ほん た うに その まつ 赤 な うつくしい さそり の 火 は 音 なく あかるく あかるく 燃え た の です 。 
その 火 が だんだん うし ろ の 方 に なる につれて 、 みんな は 何とも 云 へ ず に ぎやかなさまざまの 樂 の 音 や 草花 の 匂 の やう な もの 、 口笛 や 人々 の ざわざわ 云 ふ 聲 やら を 聞き まし た 。 
それ は もう ぢ きち かく に 町 か 何 か が あつ て 、 そこ に お祭 で も ある といふ やう な 氣 が する の でし た 。 
「 ケンタウルス 、 露 を ふらせ 。 」 いきなり いま まで 睡 つ て い た ジヨバンニ の となり の 男の子 が 、 向う の 窓 を 見 ながら 叫ん で ゐ まし た 。 
あ あそこ に は クリスマス トリイ の やう に まつ 青 な 唐 檜 か もみ の 木 が たつ て 、 その 中 に は たくさん の たくさん の 豆 電 燈 が まるで 千 の 螢 で も 集 つ た やう について ゐ まし た 。 
「 ああ 、 さ う だ 。 今夜 ケンタウル 祭 だ ねえ 。 」 
「 ああ 、 ここ は ケンタウル の 村 だ よ 。 」 カムパネルラ が すぐ 云 ひ まし た 。 
… … （ 次 の 原稿 一 枚 位 なし ） … … 
「 ボール 投げ なら 僕 決して は づさない 。 」 
男の子 が 大 威 張 で 云 ひ 出し まし た 。 
「 もう ぢ き サウザンクロス です 。 おりる 支度 を し て 下さい 。 」 青年 が みんな に 云 ひ まし た 。 
「 僕 、 も 少し 汽車 へ 乘 つ てる ん だ よ 。 」 男の子 が 云 ひ まし た 。 
カムパネルラ の となり の 女の子 は そ は そ は 立つ て 支度 を はじめ まし た 。 けれども やつ ぱり ジヨバンニ たち と わか れ たく ない やう な やう す でし た 。 
「 ここ で おり なけ あ いけ ない の です 。 」 青年 は きち つと 口 を 結ん で 男の子 を 見おろし ながら 云 ひ まし た 。 
「 厭 だい 。 僕 、 もう少し 汽車 へ 乘 つて から 行く ん だい 。 」 
ジヨバンニ が こら へ 兼ね て 云 ひ まし た 。 
「 僕 たち と 一緒 に 乘 つて 行か う 。 僕 たち どこ まで だ つて 行ける 切符 持つ てる ん だ 。 」 
「 だけど あたし たち 、 もう ここ で 降り なけ あ いけ ない の よ 、 ここ 天上 へ 行く とこ な ん だ から 。 」 女の子 が さびしさ うに 云 ひ まし た 。 
「 天上 へ なんか 行か なく たつ て いい ぢ や ない か 。 ぼく たち ここ で 天上 より も もつ と いい とこ を こ さ へ なけ あ いけ ない つて 僕 の 先生 が 云 つ た よ 。 」 
「 だ つて お母さん も 行 つて ら つ し やる し 、 それ に 神さま も 仰 つ し やる ん だ わ 。 」 
「 そんな 神さま うそ の 神さま だい 。 」 
「 あなた の 神さま うそ の 神さま よ 。 」 
「 さ う ぢ や ない よ 。 」 
「 あなた の 神さま つて どんな 神さま です か 。 」 
青年 は 笑 ひ ながら 云 ひ まし た 。 
「 ぼく ほん た う は よく 知り ませ ん 。 けれども そんな ん で なし に 、 ほん た うの たつ た 一 人 の 神さま です 。 」 
「 ほん た う の 神さま は もちろん たつ た 一 人 です 。 」 
「 ああ 、 そんな ん で なし に たつ た ひとり の ほん た う の ほん た う の 神さま です 。 」 
「 だから さ う ぢ や あり ませ ん か 。 わたくし は あなた 方 が いま に その ほん た う の 神さま の 前 に 、 わたくし たち と お 會 ひ に なる こと を 祈り ます 。 」 青年 は つつましく 兩手 を 組み まし た 。 
女の子 もち や うど その 通り に し まし た 。 みんな ほん た うに 別れ が 惜し さ う で 、 その 顏 いろ も 少し 青ざめ て 見え まし た 。 ジヨバンニ は あぶなく 聲 を あげ て 泣き 出さ う と し まし た 。 
「 さあ もう 支度 は いい ん です か 。 ぢ き サウザンクロス です から 。 」 
ああ その とき でし た 。 見え ない 天の川 の ず うつ と 川下 に 青 や 橙 や 、 もう あらゆる 光 で ちりばめ られ た 十字架 が 、 まるで 一 本 の 木 といふ 風 に 川 の 中 から 立つ て かがやき 、 その 上 に は 青じろい 雲 が まるい 環 に な つて 後光 の やう に か かつて ゐる の でし た 。 
汽車 の 中 が まるで ざわざわ し まし た 。 みんな あの 北 の 十字 の とき の やう に まつ すぐ に 立つ て お祈り を はじめ まし た 。 
あつ ち に も こ つ ち に も 子供 が 瓜 に 飛 びついたときのやうなよろこびの 聲 や 、 何とも 云 ひ やう の ない 深い つつましい ためいき の 音 ばかり きこえ まし た 。 そして だんだん 十字架 は 窓 の 正面 に なり 、 あの 苹果 の 肉 の やう な 青じろい 銀 の 雲 も 、 ゆるやか に ゆるやか に 繞 つて ゐる の が 見え まし た 。 
「 ハルレヤ 、 ハルレヤ 。 」 明るく たのしく みんな の 聲 は ひびき 、 みんな は その そら の 遠く から 、 つめたい そら の 遠く から 、 すき と ほ つた 何とも 云 へ ず さわやか な ラツパ の 聲 を きき まし た 。 そして たくさん の シグナル や 電 燈 の 灯 の なか を 汽車 は だんだん ゆるやか に なり 、 とうとう 十字架 の ちやう ど ま 向 ひ に 行 つて す つかり とまり まし た 。 
「 さあ 、 降りる ん です よ 。 」 青年 は 男の子 の 手 を ひき 、 姉 はじ ぶん の えり や 肩 を な ほし ながら だんだん 向う の 出口 の 方 へ 歩き 出し まし た 。 
「 ぢ や さよなら 。 」 女の子 が ふり か へ つて 二 人 に 云 ひ まし た 。 
「 さや なら 。 」 ジヨバンニ は まるで 泣き 出し たい の を こら へ て 、 怒 つ た やう に ぶつ きら 棒 に 云 ひ まし た 。 
女の子 は いかにも つら さ うに 眼 を 大きく し て 、 も 一度 こ つ ち を ふり か へ つて それ から あと は もう だま つて 出 て 行 つ て しまひ まし た 。 汽車 の 中 は もう 半分 以上 も 空い て しまひ 、 俄 か に がらん として さびしく なり 、 風 が い つ ぱいに 吹き込み まし た 。 
そして 見 て ゐる と みんな は つつましく 列 を 組ん で 、 あの 十字架 の 前 の 天の川 の なぎさ に ひざ ま づい て ゐ まし た 。 そして その 見え ない 天の川 の 水 を わ たつ て 、 ひとり の 神々しい 白い きもの の 人 が 手 を のばし て こ つ ち へ 來 る の を 二 人 は 見 まし た 。 けれども その とき は もう 硝子 の 呼子 は 鳴らさ れ 汽車 は うごき だし 、 と 思ふ うち に 銀 いろ の 霧 が 川下 の 方 から 、 すう つと 流れ て 來 て 、 もうそ つ ち は 何 も 見え なく なり まし た 。 ただ たくさん の くるみ の 木 が 葉 を さん さん と 光らし て その 霧 の 中 に 立ち 、 黄金 の 圓 光 を もつ た 電 氣栗鼠 が 、 可愛い 顏 を その 中 から ちらちら のぞか し て ゐる だけ でし た 。 
その とき 、 す うつ と 霧 が はれ かかり まし た 。 どこ か へ 行く 街道 らしい 小さな 電 燈 の 一 列 に つい た 通り が あり まし た 。 それ は しばらく 線路 に 沿 つて 進ん で ゐ まし た 。 
そして 二 人 が その あかし の 前 を 通 つ て 行く とき は 、 その 小さな 豆 いろ の 火 は ちやう ど 挨拶 でも する やう に ぽか つと 消え 、 二 人 が 過ぎ て 行く とき また 點 く の でし た 。 
ふり か へ つて 見る と 、 さつき の 十字架 は す つかり 小さく な つ て しまひ 、 ほん た うに もう 、 そのまま 胸 に も 吊さ れ さ うに なり 、 さつき の 女の子 や 青年 たち が その 前 の 白い 渚 に まだ ひざ ま づい て ゐる の か 、 それとも どこ か 方角 も わから ない その 天上 へ 行 つたの か 、 ぼんやり し て 見分け られ ませ ん でし た 。 
ジヨバンニ は 、 ああ 、 と 深く 息 し まし た 。 
「 カムパネルラ 、 また 僕 たち 二 人 きり に なつ た ねえ 、 どこ まで も どこ まで も 一緒 に 行か う 。 僕 は もう 、 あの さそり の やう に ほん た うに みんな の 幸 の ため なら ば 僕 の からだ なんか 、 百 ぺん 灼い て も かま は ない 。 」 
「 うん 。 僕 だ つて さ う だ 。 」 カムパネルラ の 眼 に は きれい な 涙 が うかん で ゐ まし た 。 
「 けれども ほん た う の さい は ひ は 一 體何 だら う 。 」 
ジヨバンニ が 云 ひ まし た 。 
「 僕 わから ない 。 」 カムパネルラ が ぼんやり 云 ひ まし た 。 
「 僕 たち し つかり やら う ねえ 。 」 ジヨバンニ が 胸 い つ ぱい 新 らしい 力 が 湧く やう に ふう と 息 を し ながら 云 ひ まし た 。 
「 あ 、 あすこ 石炭 袋 だ よ 。 そら の 孔 だ よ 。 」 カムパネルラ が 、 少し そつ ち を 避ける やう に し ながら 天の川 の ひと とこ を 指さし まし た 。 
ジヨバンニ は そつ ち を 見 て 、 まるで ぎく つ と し て しまひ まし た 。 天の川 の 一 と とこ に 大きな まつ くら な 孔 が 、 ど ほん と あい て ゐる の です 。 その 底 が どれほど 深い か 、 その 奧 に 何 が ある か 、 いくら 眼 を こす つて のぞい て も なんにも 見え ず 、 ただ 眼 が しんしん と 痛む の でし た 。 ジヨバンニ が 云 ひ まし た 。 
「 僕 、 もう あんな 大きな 闇 の 中 だ つ てこ はく ない 、 きつ と みんな の ほん た う の さい は ひ を さがし に 行く 、 どこ まで も どこ まで も 僕 たち 一緒 に 進ん で 行か う 。 」 
「 ああ きつ と 行く よ 。 」 
カムパネルラ は 俄 か に 窓 の 遠く に 見える きれい な 野原 を 指さし て 叫び まし た 。 
「 ああ 、 あすこ の 野原 は なんて きれい だら う 。 みんな 集 つ てる ねえ 。 あすこ が ほん た う の 天上 な ん だ 。 あつ 、 あすこ に ゐる の は ぼく の お母さん だ よ 。 」 
ジヨバンニ も そつ ち を 見 まし た けれども 、 そこ は ぼんやり 白く けむ つて ゐる ばかり 、 どうしても カムパネルラ が 云 つ た やう に 思は れ ませ ん でし た 。 
何とも 云 へ ず さびしい 氣 が し て 、 ぼんやり そつ ち を 見 て ゐ まし たら 、 向う の 河岸 に 二 本 の 電信 ば しら が 丁度 兩方 から 腕 を 組ん だ やう に 赤い 腕木 を つらね て 立つ て ゐ まし た 。 
「 カムパネルラ 、 僕 たち 一緒 に 行か う ねえ 。 」 ジヨバンニ が 斯 う 云 ひ ながら ふり か へ つて 見 まし たら 、 その いま まで カムパネルラ の 坐 つて ゐ た 席 に 、 もう カムパネルラ の 形 は 見え ず 黒い びろう ど ばかり ひか つ て ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は まるで 鐵 砲 彈 の やう に 立ちあがり まし た 。 そして 窓 の 外 へ からだ を 乘 り 出し て 、 力 い つ ぱいはげしく 胸 を うつ て 叫び 、 それから もう 咽喉 い つ ぱい 泣き だし まし た 。 
もう そこら が 一 ぺん に まつ くら に なつ た やう に 思ひ まし た 。 その とき 、 
「 お ま へ はい つたい 何 を 泣い て ゐる の 。 ちよ つと こ つ ち を ごらん 。 」 いま まで たびたび 聞え た 、 あの やさしい セロ の やう な 聲 が ジヨバンニ の うし ろ から 聞え まし た 。 
ジヨバンニ は 、 はつ と 思 つて 涙 を はら つ て そつ ち を ふり向き まし た 。 
さつき まで カムパネルラ の 坐 つて ゐ た 席 に 黒い 大きな 帽子 を か ぶつ た 青白い 顏 の 痩せ た 大人 が 、 やさしく わら つて 大きな 一 册 の 本 を もつ て ゐ まし た 。 
「 お ま へ の ともだち が どこ か へ 行 つたの だら う 。 あの ひと はね 、 ほん た う にこん や 遠く へ 行 つたの だ 。 お ま へ は もう カムパネルラ を さがし て も むだ だ 。 」 
「 ああ 、 どうして な ん です か 。 ぼく は カムパネルラ と いつ しよ に まつ すぐ に 行か う と 云 つ た ん です 。 」 
「 ああ 、 さ う だ 。 みんな が さ う 考へる 。 けれども いつ しよ に 行け ない 。 そして みんな が カムパネルラ だ 。 
お ま へ が あふ どんな ひと で も 、 みんな 何 べ ん も お ま へ と いつ しよ に 苹果 を たべ たり 汽車 に 乘 つ たり し た の だ 。 
だから やつ ぱりおまへはさつき 考へ た やう に 、 あらゆる ひと の いちばん の 幸福 を さがし 、 みんな と 一 しよ に 早く そこ に 行く が いい 。 そこで ばかり お ま へ は ほん た うに カムパネルラ と いつ まで も い つ しよ に 行ける の だ 。 」 
「 ああ ぼく は き つ と さ う し ます 。 ぼく は どうして それ を もとめ たら いい で せ う 。 」 
「 ああ わたくし も それ を もとめ て ゐる 。 お ま へ は お ま へ の 切符 を し つかり もつ て おい で 。 そして 一 しん に 勉強 し なけ あ いけ ない 。 お ま へ は 化 學 を なら つ たら う 。 水 は 酸素 と 水素 から でき て ゐる と いふ こと を 知 つて ゐる 。 いま は だれ だ つ て それ を 疑 や し ない 。 實 驗 し て 見る と ほん た うに さうな ん だ から 。 
けれども 昔 は それ を 水銀 と 鹽 で でき て ゐる と 云 つ たり 、 水銀 と 硫黄 で でき て ゐる と 云 つ たり いろいろ 議論 し た の だ 。 みんな が めい めいじ ぶん の 神さま が ほん た う の 神さま だ と いふ だら う 。 けれども お 互 ほか の 神さま を 信ずる 人 たち の し た こと で も 涙 が こぼれる だら う 。 それから ぼく たち の 心 が いい とか わるい とか 議論 する だら う 。 そして 勝負 が つか ない だら う 。 けれども もし 、 お ま へ が ほん た うに 勉強 し て 、 實 驗 で ちや ん と ほん た う の 考 へ と 、 うそ の 考 へ と を 分け て しまへ ば 、 その 實 驗 の 方法 さ へ きまれ ば 、 もう 信仰 も 化 學 と 同じ やう に なる 。 けれども 、 ね 、 ちよ つと この 本 を ごらん 。 いい かい 。 これ は 地理 と 歴史 の 辭典 だ よ 。 この 本 の この 頁 はね 、 紀元前 二 千 二 百 年 の 地理 と 歴史 が 書い て ある 。 よく ごらん 、 紀元前 二 千 二 百 年 の こと で ない よ 。 紀元前 二 千 二 百 年 の ころ に みんな が 考へ て ゐ た 地理 と 歴史 といふ もの が 書い て ある 。 
だから この 頁 一つ が 一 册 の 地 歴 の 本 に あたる ん だ 。 いい かい 、 そして この 中 に 書い て ある こと は 紀元前 二 千 二 百 年 ころ に は たいてい 本 當 だ 。 さがす と 證據 も ぞくぞく と 出 て ゐる 。 けれども それ が 少し どう か な と 斯 う 考へ だし て ごらん 、 そら 、 それ は 次 の 頁 だ よ 。 
紀元前 一 千 年 。 だいぶ 地理 も 歴史 も 變 つ てる だら う 。 この とき に は 斯 う な の だ 。 變 な 顏 し て は いけ ない 。 ぼく たち は ぼく たち の からだ だ つて 考へ だ つて 、 天の川 だ つて 汽車 だ つて 歴史 だ つて 、 たださ う 感じ て ゐる だけ な ん だ から 、 そら ごらん 、 ぼく と いつ しよ に すこし こころ もち を しづか に し て ごらん 。 いい か 。 」 
その ひと は 指 を 一 本 あげ て しづか に それ を おろし まし た 。 
すると いきなり ジヨバンニ は 自分 といふ もの が じ ぶん の 考 へ と いふ もの が 、 汽車 や その 學 者 や 天の川 や みんな いつ しよ に ぽか つと 光 つて 、 しいんと なく な つて ぽか つと と もつ て また なく な つて 、 そして その 一つ が ぽか つと ともる と あらゆる 廣 い 世界 が がらんと ひらけ 、 あらゆる 歴史 が そ な はり 、 す つ と 消える と もう がらん と し た ただ も うそ れつ きり に なつ て しまふ の を 見 まし た 。 
だんだん それ が 早く な つて 、 まもなく す つかり もと の と ほり に なり まし た 。 
「 さあ いい か 。 だから お ま へ の 實 驗 は この きれ ぎれの 考 へ の はじめ から 終り すべて にわたる やう で なけれ ば いけ ない 。 それ が むづかしいことなのだ 。 けれども 、 もちろん その とき だけ の でも いい の だ 。 ああ ごらん 、 あすこ に プレアデス が 見える 。 お ま へ は あの プレアデス の 鎖 を 解か なけれ ば なら ない 。 」 
その とき まつ くら な 地平線 の 向う から 青じろい のろし が まるで ひるま の やう に うちあげ られ 、 汽車 の 中 は す つかり 明るく なり まし た 。 
そして のろし は 高く そら に か かつて 光り つづけ まし た 。 
「 ああ マジエラン の 星雲 だ 。 さあ も うき つ と 僕 は 僕 の ため に 、 僕 の お母さん の ため に 、 カムパネルラ の ため に 、 みんな の ため に 、 ほん た う の ほん た う の 幸福 を さがす ぞ 。 」 
ジヨバンニ は 唇 を 噛ん で 、 その いちばん 幸福 な その ひと の ため に 、 その マジエラン の 星雲 を のぞん で 立ち まし た 。 
「 さあ 、 切符 を し つかり 持つ て おい で 。 お前 は もう 夢 の 鐵 道 の 中 で なし に 本 當 の 世界 の 火 や はげしい 波 の 中 を 大股 に まつ すぐ に 歩い て 行か なけれ ば いけ ない 。 天の川 の なか で たつ た 一つ の ほん た うの その 切符 を 決して お ま へ は なくし て は いけ ない 。 」 
あの セロ の やう な 聲 が し た と 思ふ と ジヨバンニ は 、 あの 天の川 が も うまる で 遠く 遠く な つて 風 が 吹き 、 自分 は まつ すぐ に 草 の 丘 に 立つ て ゐる の を 見 、 また 遠く から あの ブルカニロ 博士 の 足 おと の しづか に 近づい て 來 る の を きき まし た 。 
「 ありがたう 。 私 は 大 へん いい 實 驗 を し た 。 私 は こんな しづか な 場所 で 、 遠く から 私 の 考 へ を 人 に 傳 へる 實 驗 を し たい と さ つき 考へ て ゐ た 。 お前 の 云 つた 言葉 は みんな 私 の 手帖 に とつ て ある 。 さあ 歸 つて おやすみ 。 お前 は 夢 の 中 で 決心 し た と ほり まつ すぐ に 進ん で 行く が いい 。 そして これから 何 でも いつ でも 私 の ところ へ 相談 に おい で なさい 。 」 
「 僕 き つと まつ すぐ に 進み ます 。 きつ と ほん た う の 幸福 を 求め ます 。 」 
ジヨバンニ は 力強く 云 ひ まし た 。 
「 ああ では さよなら 。 これ は さつき の 切符 です 。 」 
博士 は 小さく 折 つた 緑 いろ の 紙 を 、 ジヨバンニ の ポケツト に 入れ まし た 。 
そして もう その かたち は 天 氣輪 の 柱 の 向う に 見え なく な つて ゐ まし た 。 
ジヨバンニ は まつ すぐ に 走 つて 丘 を おり まし た 。 
そして ポケツト が 大 へん 重く カチカチ 鳴る のに 氣 が つき まし た 。 林 の 中 で と まつ て それ を しらべ て 見 まし たら 、 あの 緑 いろ の さつき 夢 の 中 で み た あやしい 天 の 切符 の 中 に 、 大きな 二 枚 の 金貨 が 包ん で あり まし た 。 
「 博士 ありがたう 、 お つかさ ん 。 すぐ 乳 を もつ て 行き ます よ 。 」 
ジヨバンニ は 叫ん で また 走り はじめ まし た 。 何 か いろいろ の もの が 一 ぺん に ジヨバンニ の 胸 に 集 つて 何とも 云 へ ず かなしい やう な 親しい やう な 氣 が する の でし た 。 
琴 の 星 が ず うつ と 西 の 方 へ 移 つて そして また 夢 の やう に 足 を のばし て ゐ まし た 。 
水 は よどみ て 　 　 日 はけ ぶり 
桜 は 青き 　 　 　 　 夢 の 列 
汝 は 酔ひ 痴れ て 　 うち を どる 
泥 洲 の 上 に 　 　 　 うち を どる 
母 を はる け き 　 　 な が 弟子 は 
酔 はず さびしく 　 そら を 見る 
その 蘆 生え の 　 　 蘆 に 立ち 
ま しろき そら を 　 ひとり 見る 
流 沙 の 南 の 、 楊 で 囲ま れ た 小さな 泉 で 、 私 は 、 いっ た 麦粉 を 水 に とい て 、 昼 の 食事 を し て おり まし た 。 
その とき 、 一 人 の 巡礼 の おじいさん が 、 やっぱり 食事 の ため に 、 そこ へ やって来 まし た 。 私 たち は だまっ て 軽く 礼 を し まし た 。 
けれども 、 半日 まるっきり 人 に も 出会わ ない そんな 旅 でし た から 、 私 は 食事 が すん で も 、 すぐ に 泉 と その 年 老 っ た 巡礼 と から 、 別れ て しまい たく は あり ませ ん でし た 。 
私 は しばらく その 老人 の 、 高い 咽 喉仏 の ぎく ぎく 動く の を 、 見る と も なし に 見 て い まし た 。 何 か 話し掛け たい と 思い まし た が 、 どうも あんまり 向う が 寂 か な ので 、 私 は 少し きゅう くつ に も 思い まし た 。 
けれども 、 ふと 私 は 泉 の うし ろ に 、 小さな 祠 の ある の を 見付け まし た 。 それ は 大 へん 小さく て 、 地理 学者 や 探険 家 なら ば ちょっと 標本 に 持っ て 行け そう な もの で は あり まし た が まだ 全く あたらしく 黄いろ と 赤 の ペンキ さえ 塗ら れ て いかにも 異様 に 思わ れ 、 その 前 に は 、 粗末 ながら 一 本 の 幡 も 立っ て い まし た 。 
私 は 老人 が 、 もう 食事 も 終り そう な の を 見 て たずね まし た 。 
「 失礼 です が あの お 堂 は どなた を お まつり し た の です か 。 」 
その 老人 も 、 たしかに 何 か 、 私 に 話しかけ たく て い た の です 。 だまっ て 二 、 三 度 うなずき ながら 、 その たべ もの を のみ 下し て 、 低く 言い まし た 。 
「 … … 童子 の です 。 」 
「 童子 って どう 云う 方 です か 。 」 
「 雁 の 童子 と 仰っ し ゃるのは 。 」 老人 は 食器 を しまい 、 屈ん で 泉 の 水 を すくい 、 きれい に 口 を そそい で から また 云い まし た 。 
「 雁 の 童子 と 仰っ し ゃるのは 、 まるで この 頃 あっ た 昔ばなし の よう な の です 。 この 地方 に このごろ 降り られ まし た 天 童子 だ という の です 。 この お 堂 は このごろ 流 沙 の 向う側 に も 、 あちこち 建っ て おり ます 。 」 
「 天 の こども が 、 降り た の です か 。 罪 が あっ て 天 から 流さ れ た の です か 。 」 
「 さあ 、 よく わかり ませ ん が 、 よく この 辺 で そう 申し ます 。 多分 そう で ござい ましょ う 。 」 
「 いかが でしょ う 、 聞か せ て 下さい ませ ん か 。 お 急ぎ で さえ なかっ たら 。 」 
「 いいえ 、 急ぎ は いたし ませ ん 。 私 の 聴い た だけ お話 いたし ましょ う 。 
沙 車 に 、 須利耶 圭 という 人 が ござい まし た 。 名門 で は ござい まし た そう です が 、 おちぶれ て 奥さま と 二 人 、 ご 自分 は 昔 から の 写経 を なさ り 、 奥さま は 機 を 織っ て 、 しずか に くらし て い られ まし た 。 
ある 明方 、 須利耶 さま が 鉄砲 を もっ た ご 自分 の 従弟 の かた と ご 一緒 に 、 野原 を 歩い て い られ まし た 。 地面 は ごく 麗 わし い 青い 石 で 、 空 が ぼうっと 白く 見え 、 雪 も ま 近 で ござい まし た 。 
須利耶 さま が お 従弟 さま に 仰っ し ゃるには 、 お前 も さ よう な 慰み の 殺生 を 、 もう いい加減 やめ たら どう だ と 、 斯 う で ござい まし た 。 
ところが 従弟 の 方 が 、 まるで すげ なく 、 やめ られ ない と 、 ご 返事 です 。 
（ お前 は ずいぶん むごい やつ だ 、 お前 の 傷め たり 殺し たり する もの が 、 一体 どんな もの だ か わかっ て いる か 、 どんな もの で も いのち は 悲しい もの な の だ ぞ 。 ） と 、 須利耶 さま は 重ね て お さとし に なり まし た 。 
（ そう かも しれ ない よ 。 けれども そう で ない かも しれ ない 。 そう だ と すれ ば おれ は 一層 おもしろい の だ 、 まあ そんな 下らない 話 は やめろ 、 そんな こと は 昔 の 坊主 ども の 言う こっ た 、 見ろ 、 向う を 雁 が 行く だろ う 、 おれ は 仕 止め て 見せる 。 ） と 従弟 の かたは 鉄砲 を 構え て 、 走っ て 見え なく なり まし た 。 
須利耶 さま は 、 その 大きな 黒い 雁 の 列 を 、 じっと 眺め て 立た れ まし た 。 
その とき 俄 か に 向う から 、 黒い 尖っ た 弾丸 が 昇っ て 、 まっ 先 き の 雁 の 胸 を 射 まし た 。 
雁 は 二 、 三 べ ん 揺らぎ まし た 。 見る 見る から だに 火 が 燃え 出し 、 世にも 悲しく 叫び ながら 、 落ち て 参っ た の で ござい ます 。 
弾丸 が また 昇っ て 次 の 雁 の 胸 を つらぬき まし た 。 それでも どの 雁 も 、 遁 げ は いたし ませ ん でし た 。 
却って 泣き叫び ながら も 、 落ち て 来る 雁 に 随 い まし た 。 
第 三 の 弾丸 が 昇り 、 
第 四 の 弾丸 が また 昇り まし た 。 
六 発 の 弾丸 が 六 疋 の 雁 を 傷つけ まし て 、 一 ばん し まい の 小さな 一疋 だけ が 、 傷つか ず に 残っ て い た の で ござい ます 。 燃え 叫ぶ 六 疋 は 、 悶え ながら 空 を 沈み 、 し まい の 一疋 は 泣い て 随 い 、 それでも 雁 の 正しい 列 は 、 決して 乱れ は いたし ませ ん 。 
その とき 須利耶 さま の 愕 ろ き に は 、 いつか 雁 が みな 空 を 飛ぶ 人 の 形 に 変っ て おり まし た 。 
赤い 焔 に 包ま れ て 、 歎 き 叫ん で 手足 を もだえ 、 落ち て 参る 五 人 、 それ から しまいに 只 一 人 、 完 いも の は 可愛らしい 天 の 子供 で ござい まし た 。 
そして 須利耶 さま は 、 たしかに その 子供 に 見覚え が ござい まし た 。 最初 の もの は 、 もはや 地面 に 達し ます る 。 それ は 白い 鬚 の 老人 で 、 倒れ て 燃え ながら 、 骨 立っ た 両手 を 合せ 、 須利耶 さま を 拝む よう に し て 、 切なく 叫び ます の に は 、 
（ 須利耶 さま 、 須利耶 さま 、 おねがい で ござい ます 。 どうか 私 の 孫 を お 連れ 下さい ませ 。 ） 
もちろん 須利耶 さま は 、 馳せ 寄っ て 申さ れ まし た 。 （ いい とも 、 いい とも 、 確か に おれ が 引き取っ て やろ う 。 しかし 一体 お前 ら は 、 どう し た の だ 。 ） その とき 次々 に 雁 が 地面 に 落ち て 来 て 燃え まし た 。 大人 も あれ ば 美しい 瓔珞 を かけ た 女子 も ござい まし た 。 その 女子 は まっか な 焔 に 燃え ながら 、 手 を あの おしまい の 子 に のばし 、 子供 は 泣い て その まわり を はせ めぐっ た と 申し ます る 。 雁 の 老人 が 重ね て 申し ます に は 、 
（ 私 共 は 天 の 眷属 で ござい ます 。 罪 が あっ て ただ いま まで 雁 の 形 を 受け て おり まし た 。 只今 報い を 果し まし た 。 私 共 は 天 に 帰り ます 。 ただ 私 の 一 人 の 孫 は まだ 帰れ ませ ん 。 これ は あなた と は 縁 の ある もの で ござい ます 。 どうぞ あなた の 子 に し て お 育て を 願い ます 。 おねがい で ござい ます 。 ） と 斯 う で ござい ます 。 
須利耶 さま が 申さ れ まし た 。 
（ いい と も 。 すっかり 判っ た 。 引き受け た 。 安心 し て くれ 。 ） 
すると 老人 は 手 を 擦っ て 地面 に 頭 を 垂れ た と 思う と 、 もう 燃えつき て 、 影 も かたち も ござい ませ ん でし た 。 須利耶 さま も 従弟 さま も 鉄砲 を もっ た まま ぼんやり と 立っ て い られ まし た そう で いったい 二 人 いっしょ に 夢 を 見 た の か と も 思わ れ まし た そう です が あと で 従弟 さま の 申さ れ ます に は その 鉄砲 は まだ 熱く 弾丸 は 減っ て おり その みんな の ひざまずい た 所 の 草 は たしかに 倒れ て おっ た そう で ござい ます 。 
そして もちろん そこ に は その 童子 が 立っ て い られ まし た の です 。 須利耶 さま は われ に かえって 童子 に 向っ て 云わ れ まし た 。 
（ お前 は 今日 から おれ の 子供 だ 。 もう 泣か ない で いい 。 お前 の 前 の お母さん や 兄さん たち は 、 立派 な 国 に 昇っ て 行か れ た 。 さあ おいで 。 ） 
須利耶 さま はご じ ぶん の うち へ 戻ら れ まし た 。 途中 の 野原 は 青い 石 で しん として 子供 は 泣き ながら 随 い て 参り まし た 。 
須利耶 さま は 奥さま と ご 相談 で 、 何と 名前 を つけよ う か 、 三 、 四 日 お 考え で ござい まし た が 、 そのうち 、 話 は もう 沙 車 全体 に ひろがり 、 みんな は 子供 を 雁 の 童子 と 呼び まし た ので 、 須利耶 さま も 仕方 なく そう 呼ん で おいで で ござい まし た 。 」 
老人 は ちょっと 息 を 切り まし た 。 私 は 足もと の 小さな 苔 を 見 ながら 、 この 怪しい 空 から 落ち て 赤い 焔 に つつま れ 、 かなしく 燃え て 行く 人 たち の 姿 を 、 はっきり と 思い 浮べ まし た 。 老人 は しばらく 私 を 見 て い まし た が 、 また 語り つづけ まし た 。 
「 沙 車 の 春 の 終り に は 、 野原 いち めん 楊 の 花 が 光っ て 飛び ます 。 遠く の 氷 の 山 から は 、 白い 何 と も 云え ず 瞳 を 痛く する よう な 光 が 、 日光 の 中 を 這っ て まいり ます 。 それから 果樹 が ちらちら ゆすれ 、 ひばり は そら で すきとおっ た 波 を たて まする 。 童子 は 早く も 六つ に なら れ まし た 。 春 の ある 夕方 の こと 、 須利耶 さま は 雁 から 来 た お子さま を つれ て 、 町 を 通っ て 参ら れ まし た 。 葡萄 いろ の 重い 雲 の 下 を 、 影法師 の 蝙蝠 が ひらひら と 飛ん で 過ぎ まし た 。 
子供 ら が 長い 棒 に 紐 を つけ て 、 それ を 追い まし た 。 
（ 雁 の 童子 だ 。 雁 の 童子 だ 。 ） 
子供 ら は 棒 を 棄て 手 を つなぎ 合っ て 大きな 環 に なり 須利耶 さま 親子 を 囲み まし た 。 
須利耶 さま は 笑っ て おいで で ござい まし た 。 
子供 ら は 声 を 揃え て いつも の よう に はやし ます る 。 
（ 雁 の 子 、 雁 の 子 雁 童子 、 
空 から 須利耶 に おり て 来 た 。 ） と 斯 う で ござい ます 。 けれども 一 人 の 子供 が 冗談 に 申し ます る に は 、 
（ 雁 の すて ご 、 雁 の すて ご 、 
春 に なっ て も まだ 居る か 。 ） 
みんな は どっと 笑い まし て それ から どう 云う わけ か 小さな 石 が 一つ 飛ん で 来 て 童子 の 頬 を 打ち まし た 。 須利耶 さま は 童子 を かばっ て みんな に 申さ れ ます の に は 、 
おまえ たち は 何 を する ん だ 、 この 子供 は 何 か 悪い こと を し た か 、 冗談 に も 石 を 投げる なんて いけ ない ぞ 。 
子供 ら が 叫ん で ばらばら 走っ て 来 て 童子 に 詫び たり 慰め たり いたし まし た 。 或 る 子 は 前掛け の 衣 嚢 から 干し た 無花果 を 出し て 遣ろ う と いたし まし た 。 
童子 は 初め から お 了 いま で にこにこ 笑っ て おら れ まし た 。 須利耶 さま も お笑い に なり みんな を 赦し て 童子 を 連れ て 其処 を はなれ なさい まし た 。 
そして 浅黄 の 瑪瑙 の 、 しずか な 夕 も や の 中 で いわ れ まし た 。 
（ よく お前 は さっき 泣か なかっ た な 。 ） その 時 童子 は お 父 さま に すがり ながら 、 
（ お父さん わたし の 前 の おじいさん はね 、 からだ に 弾丸 を からだ に 七つ 持っ て い た よ 。 ） と 斯 う 申さ れ た と 伝え ます 。 」 
巡礼 の 老人 は 私 の 顔 を 見 まし た 。 
私 も じっと 老人 の うるん だ 眼 を 見 あげ て おり まし た 。 老人 は また 語り つづけ まし た 。 
「 また 或 る 晩 の こと 童子 は 寝付け ない で いつ まで も 床 の 上 で もがき なさい まし た 。 （ おっかさん ねむら れ ない よう 。 ） と 仰っ し ゃりまする 、 須利耶 の 奥さま は 立っ て 行っ て 静か に 頭 を 撫で て お やり なさい まし た 。 童子 さま の 脳 は もう すっかり 疲れ て 、 白い 網 の よう に なっ て 、 ぶるぶる ゆれ 、 その 中 に 赤い 大きな 三日月 が 浮かん だり 、 その へん 一 杯 に ぜんまい の 芽 の よう な もの が 見え たり 、 また 四角 な 変 に 柔らか な 白い もの が 、 だんだん 拡がっ て 恐ろしい 大きな 箱 に なっ たり する の で ござい まし た 。 母 さま は その 額 が 余り 熱い と いっ て 心配 なさい まし た 。 須利耶 さま は 写し かけ の 経文 に 、 掌 を 合せ て 立ちあがら れ 、 それから 童子 さま を 立た せ て 、 紅 革 の 帯 を 結ん で やり 表 へ 連れ て お 出 に なり まし た 。 駅 の どの 家 も もう 戸 を 閉め て しまっ て 、 一 面 の 星 の 下 に 、 棟 々 が 黒く 列び まし た 。 その 時 童子 は ふと 水 の 流れる 音 を 聞か れ まし た 。 そして しばらく 考え て から 、 
（ お父さん 、 水 は 夜 でも 流れる の です か 。 ） と お尋ね です 。 須利耶 さま は 沙漠 の 向う から 昇っ て 来 た 大きな 青い 星 を 眺め ながら お答え なさ れ ます 。 
（ 水 は 夜 でも 流れる よ 。 水 は 夜 でも 昼 でも 、 平ら な 所 で さえ なかっ たら 、 いつ まで も い つ まで も 流れる の だ 。 ） 
童子 の 脳 は 急 に すっかり 静まっ て 、 そして 今度 は 早く 母 さま の 処 に お 帰り なり とう なり まする 。 
（ お父さん 。 もう 帰ろ う よ 。 ） と 申さ れ ながら 須利耶 さま の 袂 を 引っ張り なさい ます 。 お 二 人 は 家 に 入り 、 母 さま が 迎え なされ て 戸 の 環 を 嵌め て おら れ ます うち に 、 童子 は いつか ご 自分 の 床 に 登っ て 、 着 換え も せ ず に ぐっすり 眠っ て しまわ れ まし た 。 
また 次 の よう な こと も 申し ます 。 
ある 日 須利耶 さま は 童子 と 食卓 に お 座り なさい まし た 。 食品 の 中 に 、 蜜 で 煮 た 二つ の 鮒 が ござい まし た 。 須利耶 の 奥さま は 、 一つ を 須利耶 さま の 前 に 置か れ 、 一つ を 童子 に お 与え なさ れ まし た 。 
（ 喰 べ たく ない よ おっかさん 。 ） 童子 が 申さ れ まし た 。 （ おいしい の だ よ 。 どれ 、 箸 を お 貸し 。 ） 
須利耶 の 奥さま は 童子 の 箸 を とっ て 、 魚 を 小さく 砕き ながら 、 （ さあ お あがり 、 おいしい よ 。 ） と 勧め られ ます 。 童子 は 母 さま の 魚 を 砕く 間 、 じっと その 横顔 を 見 て い られ まし た が 、 俄 か に 胸 が 変 な 工合 に 迫っ て き て 気の毒 な よう な 悲しい よう な 何 と も 堪ら なく なり まし た 。 くるっ と 立っ て 鉄砲玉 の よう に 外 へ 走っ て 出 られ まし た 。 そして まっ白 な 雲 の 一 杯 に 充ち た 空 に 向っ て 、 大きな 声 で 泣き 出し まし た 。 まあ どう し た の でしょ う 、 と 須利耶 の 奥さま が 愕 ろ かれ ます 。 どう し た の だろ う 行っ て みろ 、 と 須利耶 さま も 気づかわ れ ます 。 そこで 須利耶 の 奥さま は 戸口 に お立ち に なり まし たら 童子 は もう 泣き やん で 笑っ て い られ まし た と そんな こと も 申し伝え ます 。 
また ある 時 、 須利耶 さま は 童子 を つれ て 、 馬市 の 中 を 通ら れ まし たら 、 一疋 の 仔馬 が 乳 を 呑ん で おっ た と 申し ます 。 黒い 粗布 を 着 た 馬 商人 が 来 て 、 仔馬 を 引き は なし もう 一疋 の 仔馬 に 結びつけ 、 そして 黙っ て それ を 引い て 行こ う と 致し ます る 。 母親 の 馬 は びっくり し て 高く 鳴き まし た 。 なれ ども 仔馬 は ぐんぐん 連れ て 行か れ まする 。 向う の 角 を 曲ろ う として 、 仔馬 は 急い で 後肢 を 一方 あげ て 、 腹 の 蠅 を 叩き まし た 。 
童子 は 母 馬 の 茶 いろ な 瞳 を 、 ちらっと 横 眼 で 見 られ まし た が 、 俄 か に 須利耶 さま に すがりつい て 泣き 出さ れ まし た 。 けれども 須利耶 さま は お 叱り なさい ませ ん でし た 。 ご 自分 の 袖 で 童子 の 頭 を つつむ よう に し て 、 馬市 を 通り すぎ て から 河岸 の 青い 草 の 上 に 童子 を 座ら せ て 杏 の 実 を 出し て お やり に なり ながら 、 しずか に お たずね なさい まし た 。 
（ お前 は さっき どうして 泣い た の 。 ） 
（ だって お父さん 。 みんな が 仔馬 を むりに 連れ て 行く ん だ もの 。 ） 
（ 馬 は 仕方 ない 。 もう 大きく なっ た から これから 独り で 働 ら くん だ 。 ） 
（ あの 馬 は まだ 乳 を 呑ん で い た よ 。 ） 
（ それ は そば に 置い て は いつ まで も 甘える から 仕方 ない 。 ） 
（ だって お父さん 。 みんな が あの お母さん の 馬 に も 子供 の 馬 に も あと で 荷物 を 一杯 つけ て ひどい 山 を 連れ て 行く ん だ 。 それから 食べ物 が なくなる と 殺し て 食べ て しまう ん だろ う 。 ） 
須利耶 さま は 何気ない ふう で 、 そんな 成人 の よう な こと を 云う もん じゃ ない と は 仰っ しゃ い まし た が 、 本 統 は 少し その 天 の 子供 が 恐ろしく も お 思い でし た と 、 まあ そう 申し伝え ます 。 
須利耶 さま は 童子 を 十 二 の とき 、 少し 離れ た 首都 の ある 外道 の 塾 に お 入れ なさい まし た 。 
童子 の 母 さま は 、 一生けん命 機 を 織っ て 、 塾 料 や 小遣い やら を 拵 ら えて お送り なさい まし た 。 
冬 が 近く て 、 天山 は もう まっ白 に なり 、 桑 の 葉 が 黄いろ に 枯れ て カサカサ 落ち まし た 頃 、 ある 日 の こと 、 童子 が 俄 か に 帰っ て おい で です 。 母 さま が 窓 から 目敏く 見付け て 出 て 行か れ まし た 。 
須利耶 さま は 知ら ない ふり で 写経 を 続け て おい で です 。 
（ まあ お前 は 今 ごろ どう し た の です 。 ） 
（ 私 、 もう お母さん と 一緒 に 働 ら こう と 思い ます 。 勉強 し て いる 暇 は ない ん です 。 ） 
母 さま は 、 須利耶 さま の ほう に 気兼ね し ながら 申さ れ まし た 。 
（ お前 は また そんな おとな の よう な こと を 云っ て 、 仕方 ない で は あり ませ ん か 。 早く 帰っ て 勉強 し て 、 立派 に なっ て 、 みんな の 為 に なら ない と なり ませ ん 。 ） 
（ だって おっかさん 。 おっかさん の 手 は そんなに ガサガサ し て いる の でしょ う 。 それ だ のに 私 の 手 は こんな な ん でしょ う 。 ） 
（ そんな こと を お前 が 云わ なく て も いい の です 。 誰 でも 年 を 老 れ ば 手 は 荒れ ます 。 そんな こと より 、 早く 帰っ て 勉強 を なさい 。 お前 の 立派 に なる こと ばかり 私 に は 楽 みな ん だ から 。 お父さん が お 聞き に なる と 叱ら れ ます よ 。 ね 。 さあ 、 おいで 。 ） と 斯 う 申さ れ ます 。 
童子 は しょんぼり 庭 から 出 られ まし た 。 それでも 、 また 立ち 停っ て しまわ れ まし た ので 、 母 さま も 出 て 行か れ て もっと 向う まで お 連れ に なり まし た 。 そこ は 沼地 で ござい まし た 。 母 さま は 戻ろ う として また （ さあ 、 おいで 早く 。 ） と 仰っ し ゃったのでしたが 童子 は やっぱり 停 まっ た まま 、 家 の 方 を ぼんやり 見 て おら れ ます ので 、 母 さま も 仕方 なく また 振り返っ て 、 蘆 を 一 本 抜い て 小さな 笛 を つくり 、 それ を お持たせ に なり まし た 。 
童子 は やっと 歩き 出さ れ まし た 。 そして 、 遥かに 冷たい 縞 を つくる 雲 の こちら に 、 蘆 が そよい で 、 やがて 童子 の 姿 が 、 小さく 小さく なっ て しまわ れ まし た 。 俄 か に 空 を 羽音 が し て 、 雁 の 一 列 が 通り まし た 時 、 須利耶 さま は 窓 から それ を 見 て 、 思わず ど きっと なさ れ まし た 。 
そうして 冬 に 入り まし た の で ござい ます 。 その 厳しい 冬 が 過ぎ ます と 、 まず 楊 の 芽 が 温和 しく 光り 、 沙漠 に は 砂糖 水 の よう な 陽炎 が 徘徊 いたし ます る 。 杏 や すもも の 白い 花 が 咲き 、 次 で は 木立 も 草地 も まっ青 に なり 、 もはや 玉髄 の 雲 の 峯 が 、 四方 の 空 を 繞 る 頃 と なり まし た 。 
ちょうど その ころ 沙 車 の 町はずれ の 砂 の 中 から 、 古い 沙 車 大寺 の あと が 掘り出さ れ た と の こと で ござい まし た 。 一つ の 壁 が まだ そのまま で 見 附け られ 、 そこ に は 三 人 の 天 童子 が 描か れ 、 ことに その 一 人 は まるで 生き た よう だ と みんな が 評判 し まし た そう です 。 或 る よく 晴れ た 日 、 須利耶 さま は 都 に 出 られ 、 童子 の 師匠 を 訪ね て 色々 礼 を 述べ 、 また 三 巻 の 粗布 を 贈り 、 それから 半日 、 童子 を 連れ て 歩き たい と 申さ れ まし た 。 
お 二 人 は 雑沓 の 通り を 過ぎ て 行か れ まし た 。 
須利耶 さま が 歩き ながら 、 何気なく 云わ れ ます に は 、 
（ どう だ 、 今日 の 空 の 碧 いこ と は 、 お前 がた の 年 は 、 丁度 今 あの そら へ 飛び あがろ う として 羽 を ばたばた 云わ せ て いる よう な もの だ 。 ） 
童子 が 大 へん に 沈ん で 答え られ まし た 。 
（ お父さん 。 私 は お父さん と は なれ て どこ へ も 行き たく あり ませ ん 。 ） 
須利耶 さま は お笑い に なり まし た 。 
（ 勿論 だ 。 この 人 の 大きな 旅 で は 、 自分 だけ ひとり 遠い 光 の 空 へ 飛び 去る こと は いけ ない の だ 。 ） 
（ いいえ 、 お父さん 。 私 は どこ へ も 行き たく あり ませ ん 。 そして 誰 も どこ へ も 行か ない で いい の でしょ う か 。 ） と こう 云う 不思議 な お尋ね で ござい ます 。 
（ 誰 も どこ へ も 行か ない で いい か って どう 云う こと だ 。 ） 
（ 誰 も ね 、 ひとり で 離れ て どこ へ も 行か ない で いい の でしょ う か 。 ） 
（ うん 。 それ は 行か ない で いい だろ う 。 ） と 須利耶 さま は 何 の 気 も なく ぼんやり と 斯 う お 答え でし た 。 
そして お 二 人 は 町 の 広場 を 通り抜け て 、 だんだん 郊外 に 来ら れ まし た 。 沙 が ず うっ と ひろがっ て おり まし た 。 その 砂 が 一 ところ 深く 掘ら れ て 、 沢山 の 人 が その 中 に 立っ て ござい まし た 。 お 二 人 も 下り て 行か れ た の です 。 そこ に 古い 一つ の 壁 が あり まし た 。 色 は あせ て は い まし た が 、 三 人 の 天 の 童子 たち が かい て ござい まし た 。 須利耶 さま は 思わ ず ど きっと なり まし た 。 何 か 大きい 重い もの が 、 遠く の 空 から ばったり かぶさっ た よう に 思わ れ まし た の です 。 それでも 何気なく 申さ れ ます に は 、 
（ なるほど 立派 な もん だ 。 あまり よく 出来 て なんだか 恐い よう だ 。 この 天童 は どこ か お前 に 肖 て いる よ 。 ） 
須利耶 さま は 童子 を ふりかえり まし た 。 そしたら 童子 は なんだか わらっ た まま 、 倒れ かかっ て い られ まし た 。 須利耶 さま は 愕 ろ い て 急い で 抱き留め られ まし た 。 童子 は お父さん の 腕 の 中 で 夢 の よう に つぶやか れ まし た 。 
（ おじいさん が お 迎い を よこし た の です 。 ） 
須利耶 さま は 急い で 叫ば れ まし た 。 
（ お前 どう し た の だ 。 どこ へ も 行っ て は いけ ない よ 。 ） 
童子 が 微か に 云わ れ まし た 。 
（ お父さん 。 お許し 下さい 。 私 は あなた の 子 です 。 この 壁 は 前 に お父さん が 書い た の です 。 その とき 私 は 王 の … … だっ た の です が この 絵 が でき て から 王さま は 殺さ れ わたくし ども は いっしょ に 出家 し た の でし た が 敵 王 が き て 寺 を 焼く とき 二 日 ほど 俗 服 を 着 て かくれ て いる うち わたくし は 恋人 が あっ て この まま 出家 に かえる の を やめよ う か と 思っ た の です 。 ） 
人々 が 集っ て 口々 に 叫び まし た 。 
（ 雁 の 童子 だ 。 雁 の 童子 だ 。 ） 
童子 は も 一 度 、 少し 唇 を うごかし て 、 何 か つぶやい た よう で ござい まし た が 、 須利耶 さま は もう それ を お 聞き とり なさら なかっ た と 申し ます 。 
私 の 知っ て おり ます の は ただ これ だけ で ござい ます 。 」 
老人 は もう 行か なけれ ば なら ない よう でし た 。 私 は ほんとう に 名残り 惜しく 思い 、 まっすぐ に 立っ て 合掌 し て 申し まし た 。 
「 尊い お 物語 を ありがとう ござい まし た 。 まことに お互い 、 ちょっと 沙漠 の へり の 泉 で 、 お 眼 に かかっ て 、 ただ 一時 を 、 一緒 に 過ごし た だけ で は ござい ます が 、 これ も かり そ め の こと で は ない と 存じ ます 。 ほんの 通りかかり の 二 人 の 旅人 と は 見え ます が 、 実は お 互 が どんな もの かも よく わから ない の で ござい ます 。 いずれ は もろ とも に 、 善 逝 の 示さ れ た 光 の 道 を 進み 、 かの 無上 菩提 に 至る こと で ござい ます 。 それでは お 別れ いたし ます 。 さようなら 。 」 
老人 は 、 黙っ て 礼 を 返し まし た 。 何 か 云い たい よう でし た が 黙っ て 俄 か に 向う を 向き 、 今 まで 私 の 来 た 方 の 荒地 に とぼとぼ 歩き 出し まし た 。 私 も また 、 丁度 その 反対 の 方 の 、 さびしい 石原 を 合掌 し た まま 進み まし た 。 
雪 渡り 　 その 一 （ 小 狐 の 紺 三郎 ） 
雪 が すっかり 凍っ て 大理石 より も 堅く なり 、 空 も 冷たい 滑らか な 青い 石 の 板 で 出来 て ゐる らしい の です 。 
「 堅 雪 かん こ 、 しみ 雪 しんこ 。 」 
お日様 が まっ白 に 燃え て 百 合 の 匂 を 撒き ちらし 又 雪 を ぎらぎら 照らし まし た 。 
木 なんか みんな ザラメ を 掛け た やう に 霜 で ぴかぴか し て ゐ ます 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 。 」 
四 郎 と かん子 と は 小さな 雪 沓 を はい て キックキックキック 、 野原 に 出 まし た 。 
こんな 面白い 日 が 、 また と ある で せ う か 。 いつも は 歩け ない 黍 の 畑 の 中 でも 、 すすき で 一 杯 だっ た 野原 の 上 でも 、 すき な 方 へ どこ 迄 でも 行ける の です 。 平ら な こと は まるで 一 枚 の 板 です 。 そして それ が 沢山 の 小さな 小さな 鏡 の やう に キラキラ キラキラ 光る の です 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 。 」 
二 人 は 森 の 近く まで 来 まし た 。 大きな 柏 の 木 は 枝 も 埋まる くら ゐ 立派 な 透き と ほっ た 氷柱 を 下げ て 重 さ うに 身体 を 曲げ て 居り まし た 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 。 狐 の 子 ぁ 、 嫁 ぃほしい 、 ほしい 。 」 と 二 人 は 森 へ 向い て 高く 叫び まし た 。 
しばらく しいんと し まし た ので 二 人 は も 一度 叫ば う として 息 を のみこん だ とき 森 の 中 から 
「 凍み 雪 しんしん 、 堅 雪 かんかん 。 」 と 云 ひ ながら 、 キシリキシリ 雪 を ふん で 白い 狐 の 子 が 出 て 来 まし た 。 
四 郎 は 少し ぎょっと し て かん子 を うし ろ に かばっ て 、 しっかり 足 を ふんばっ て 叫び まし た 。 
「 狐 こんこん 白狐 、 お 嫁 ほしけりゃ 、 とっ て やろ よ 。 」 
すると 狐 が まだ まるで 小さい くせ に 銀 の 針 の やう な お ひ げ を ピン と 一つ ひねっ て 云 ひ まし た 。 
「 四郎 は しんこ 、 かん子 は かん こ 、 おら は お 嫁 は いら ない よ 。 」 
四 郎 が 笑っ て 云 ひ まし た 。 
「 狐 こんこん 、 狐 の 子 、 お 嫁 が いら なきゃ 餅 やろ か 。 」 
すると 狐 の 子 も 頭 を 二つ 三つ 振っ て 面白 さ うに 云 ひ まし た 。 
「 四郎 は しんこ 、 かん子 は かん こ 、 黍 の 団子 を おれ やろ か 。 」 
かん子 も あんまり 面白い ので 四 郎 の うし ろ に かくれ た ま ゝ そっと 歌 ひ まし た 。 
「 狐 こんこん 狐 の 子 、 狐 の 団子 は 兎 の くそ 。 」 
すると 小 狐 紺 三郎 が 笑っ て 云 ひ まし た 。 
「 い ゝ え 、 決して そんな こと は あり ませ ん 。 あなた 方 の やう な 立派 な お方 が 兎 の 茶色 の 団子 なんか 召しあがる もん です か 。 私 ら は 全体 いま まで 人 を だます なんて あんまり むじつの 罪 を きせ られ て ゐ た の です 。 」 
四 郎 が おどろい て 尋ね まし た 。 
「 そい ぢ ゃきつねが 人 を だます なんて 偽 かしら 。 」 
紺 三郎 が 熱心 に 云 ひ まし た 。 
「 偽 です と も 。 けだし 最も ひどい 偽 です 。 だまさ れ た といふ 人 は 大抵 お 酒 に 酔っ たり 、 臆病 で くるくる し たり し た 人 です 。 面白い です よ 。 甚兵衛 さん が この 前 、 月夜 の 晩 私 たち の お家 の 前 に 坐っ て 一 晩 じゃう るり を やり まし た よ 。 私 ら は みんな 出 て 見 た の です 。 」 
四 郎 が 叫び まし た 。 
「 甚兵衛 さん なら じ ゃうるりぢゃないや 。 きっと 浪花 ぶし だ ぜ 。 」 
子 狐 紺 三郎 は なる ほど といふ 顔 を し て 、 
「 え ゝ 、 さ う かも しれ ませ ん 。 とにかく お 団子 を お あがり なさい 。 私 の さしあげる の は 、 ちゃんと 私 が 畑 を 作っ て 播い て 草 を とっ て 刈っ て 叩い て 粉 に し て 練っ て むし て お 砂糖 を かけ た の です 。 いか ゞ です か 。 一 皿 さしあげ ませ う 。 」 
と 云 ひ まし た 。 
と 四 郎 が 笑っ て 、 
「 紺 三郎 さん 、 僕ら は 丁度 いま ね 、 お 餅 を たべ て 来 た ん だ から おなか が 減ら ない ん だ よ 。 この 次 に およば れ しよ う か 。 」 
子 狐 の 紺 三郎 が 嬉し がっ て みじかい 腕 を ばたばた し て 云 ひ まし た 。 
「 さ う です か 。 そん なら 今度 幻 燈会 の とき さしあげ ませ う 。 幻 燈会 に は きっと いらっしゃい 。 この 次 の 雪 の 凍っ た 月夜 の 晩 です 。 八 時 から はじめ ます から 、 入場 券 を あげ て 置き ませ う 。 何 枚 あげ ませ う か 。 」 
「 そん なら 五 枚 お 呉れ 。 」 と 四 郎 が 云 ひ まし た 。 
「 五 枚 です か 。 あなた 方 が 二 枚 に あと の 三 枚 は どなた です か 。 」 と 紺 三郎 が 云 ひ まし た 。 
「 兄さん たち だ 。 」 と 四 郎 が 答 へ ます と 、 
「 兄さん たち は 十 一 歳 以下 です か 。 」 と 紺 三郎 が 又 尋ね まし た 。 
「 いや 小 兄さん は 四 年生 だ から ね 、 八つ の 四つ で 十 二 歳 。 」 と 四 郎 が 云 ひ まし た 。 
すると 紺 三郎 は 尤も らしく 又 お ひ げ を 一つ ひねっ て 云 ひ まし た 。 
「 それでは 残念 です が 兄さん たち は お 断わり です 。 あなた 方 だけ いらっしゃい 。 特別 席 を とっ て 置き ます から 、 面白い ん です よ 。 幻 燈 は 第 一 が 『 お 酒 を のむ べから ず 。 』 これ は あなた の 村 の 太 右 衛門 さん と 、 清作 さん が お 酒 を の ん で た うとう 目 が くらん で 野原 に ある へんてこ なお ま ん ぢ ゅうや 、 お そば を 喰 べ よう と し た 所 です 。 私 も 写真 の 中 に うつっ て ゐ ます 。 第 二 が 『 わな に 注意 せよ 。 』 これ は 私 共 の こん 兵衛 が 野原 で わな に かかっ た の を 画い た の です 。 絵 です 。 写真 で は あり ませ ん 。 第 三 が 『 火 を 軽べつ す べから ず 。 』 これ は 私 共 の こん 助 が あなた の お家 へ 行っ て 尻尾 を 焼い た 景色 です 。 ぜひ おい で 下さい 。 」 
二 人 は 悦ん で うなづき まし た 。 
狐 は 可笑し さ うに 口 を 曲げ て 、 キックキックトントンキックキックトントン と 足ぶみ を はじめて しっぽ と 頭 を 振っ て しばらく 考へ て ゐ まし た が やっと 思ひ つい た らしく 、 両手 を 振っ て 調子 を とり ながら 歌 ひ はじめ まし た 。 
「 凍み 雪 しんこ 、 堅 雪 かん こ 、 
野原 のま ん ぢ ゅうは ポッポッポ 。 
酔っ て ひょろひょろ 太 右 衛門 が 、 
去年 、 三 十 八 、 たべ た 。 
凍み 雪 しんこ 、 堅 雪 かん こ 、 
野原 の お そば は ホッ ホッホ 。 
酔っ て ひょろひょろ 清作 が 、 
去年 十 三 ばい たべ た 。 」 
四郎 も かん子 も すっかり 釣り込ま れ て もう 狐 と 一緒 に 踊っ て ゐ ます 。 
キック 、 キック 、 トントン 。 キック 、 キック 、 トントン 。 キック 、 キック 、 キック 、 キック 、 トントントン 。 
四 郎 が 歌 ひ まし た 。 
「 狐 こんこん 狐 の 子 、 去年 狐 の こん 兵衛 が 、 ひだり の 足 を わな に 入れ 、 こんこん ばたばた こんこん こ ん 。 」 
かん子 が 歌 ひ まし た 。 
「 狐 こんこん 狐 の 子 、 去年 狐 の こん 助 が 、 焼い た 魚 を 取ろ として おしり に 火 が つき き ゃんきゃんきゃん 。 」 
キック 、 キック 、 トントン 。 キック 、 キック 、 トントン 。 キック 、 キック 、 キック 、 キックトントントン 。 
そして 三 人 は 踊り ながら だんだん 林 の 中 に は ひっ て 行き まし た 。 赤い 封蝋 細工 の ほほ の 木の芽 が 、 風 に 吹か れ て ピッカリピッカリ と 光り 、 林 の 中 の 雪 に は 藍色 の 木 の 影 が いち めん 網 に なっ て 落ち て 日光 の あたる 所 に は 銀 の 百 合 が 咲い た やう に 見え まし た 。 
すると 子 狐 紺 三郎 が 云 ひ まし た 。 
「 鹿の子 も よび ませ う か 。 鹿の子 は そりゃ 笛 が うまい ん です よ 。 」 
四 郎 と かん子 と は 手 を 叩い て よろこび まし た 。 そこで 三 人 は 一緒 に 叫び まし た 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 、 鹿の子 ぁ 嫁 ぃほしいほしい 。 」 
すると 向 ふ で 、 
「 北風 ぴいぴい 風 三郎 、 西風 どうどう 又 三郎 」 と 細い い ゝ 声 が し まし た 。 
狐 の 子 の 紺 三郎 が いかにも ばか に し た やう に 、 口 を 尖らし て 云 ひ まし た 。 
「 あれ は 鹿の子 です 。 あいつ は 臆病 です から とても こっち へ 来さ う に あり ませ ん 。 けれど もう 一 遍 叫ん で み ませ う か 。 」 
そこで 三 人 は 又 叫び まし た 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 、 し かの子 ぁ 嫁 ほしい 、 ほしい 。 」 
すると 今度 はず うっ と 遠く で 風の音 か 笛 の 声 か 、 又は 鹿の子 の 歌 か こんな やう に 聞え まし た 。 
「 北風 ぴいぴい 、 かん こか ん こ 
西風 どうどう 、 どっ こ どっ こ 。 」 
狐 が 又 ひ げ を ひねっ て 云 ひ まし た 。 
「 雪 が 柔らか に なる と いけ ませ ん から もう お 帰り なさい 。 今度 月夜 に 雪 が 凍っ たら きっと おい で 下さい 。 さっき の 幻 燈 を やり ます から 。 」 
そこで 四 郎 と かん子 と は 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 。 」 と 歌 ひ ながら 銀 の 雪 を 渡っ て お うち へ 帰り まし た 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 。 」 
雪 渡り 　 その 二 （ 狐 小学校 の 幻 燈会 ） 
青白い 大きな 十五夜 の お 月 様 が しづか に 氷 の 上山 から 登り まし た 。 
雪 は チカチカ 青く 光り 、 そして 今日 も 寒水 石 の やう に 堅く 凍り まし た 。 
四 郎 は 狐 の 紺 三郎 と の 約束 を 思ひ 出し て 妹 の かん子 に そっと 云 ひ まし た 。 
「 今夜 狐 の 幻 燈会 な ん だ ね 。 行か う か 。 」 
すると かん子 は 、 
「 行き ませ う 。 行き ませ う 。 狐 こんこん 狐 の 子 、 こんこん 狐 の 紺 三郎 。 」 と はねあがっ て 高く 叫ん で しまひ まし た 。 
すると 二 番目 の 兄さん の 二郎 が 
「 お前 たち は 狐 の とこ へ 遊び に 行く の かい 。 僕 も 行き たい な 。 」 と 云 ひ まし た 。 
四 郎 は 困っ て しまっ て 肩 を すくめ て 云 ひ まし た 。 
「 大 兄さん 。 だって 、 狐 の 幻 燈会 は 十 一 歳 まで です よ 、 入場 券 に 書い て ある ん だ もの 。 」 
二郎 が 云 ひ まし た 。 
「 どれ 、 ちょっと お 見せ 、 は はあ 、 学校 生徒 の 父兄 に あら ず し て 十 二 歳 以上 の 来賓 は 入場 を お 断わり 申し 候 、 狐 なんて 仲 々 うまく やっ てる ね 。 僕 は いけ ない ん だ ね 。 仕方 ない や 。 お前 たち 行く ん なら お 餅 を 持っ て 行っ て おや り よ 。 そら 、 この 鏡餅 がい ゝ だら う 。 」 
四 郎 と かん子 は そこ で 小さな 雪 沓 を はい て お 餅 を かつい で 外 に 出 まし た 。 
兄弟 の 一 郎 二 郎 三 郎 は 戸口 に 並ん で 立っ て 、 
「 行っ て おい で 。 大人 の 狐 に あっ たら 急い で 目 を つぶる ん だ よ 。 そら 僕ら 囃し て やら う か 。 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 、 狐 の 子 ぁ 嫁 ぃほしいほしい 。 」 と 叫び まし た 。 
お 月 様 は 空 に 高く 登り 森 は 青白い けむり に 包ま れ て ゐ ます 。 二 人 は もう その 森 の 入口 に 来 まし た 。 
すると 胸 に どん ぐりのきしゃうをつけた 白い 小さな 狐 の 子 が 立っ て 居 て 云 ひ まし た 。 
「 今晩 は 。 お早う ござい ます 。 入場 券 は お 持ち です か 。 」 
「 持っ て ゐ ます 。 」 二 人 は それ を 出し まし た 。 
「 さあ 、 どうぞ あちら へ 。 」 狐 の 子 が 尤も らしく からだ を 曲げ て 眼 を パチ パチ し ながら 林 の 奥 を 手 で 教 へ まし た 。 
林 の 中 に は 月 の 光 が 青い 棒 を 何 本 も 斜め に 投げ込ん だ やう に 射し て 居り まし た 。 その 中 の あき 地 に 二 人 は 来 まし た 。 
見る と もう 狐 の 学校 生徒 が 沢山 集っ て 栗 の 皮 を ぶっつけ 合っ たり すま ふ を とっ たり 殊に を かしい の は 小さな 小さな 鼠 位 の 狐 の 子 が 大きな 子供 の 狐 の 肩車 に 乗っ て お 星 様 を 取ら う として ゐる の です 。 
みんな の 前 の 木 の 枝 に 白い 一 枚 の 敷布 が さがっ て ゐ まし た 。 
不意 に うし ろ で 
「 今晩 は 、 よく おいで でし た 。 先日 は 失礼 いたし まし た 。 」 といふ 声 が し ます ので 四 郎 と かん子 と は びっくり し て 振り向い て 見る と 紺 三郎 です 。 
紺 三郎 なんか まるで 立派 な 燕尾服 を 着 て 水仙 の 花 を 胸 に つけ て まっ白 な はん けち で しきりに その 尖っ た お 口 を 拭い て ゐる の です 。 
四 郎 は 一寸 お辞儀 を し て 云 ひ まし た 。 
「 この間 は 失敬 。 それから 今晩 は ありがたう 。 この お 餅 を みなさん で あがっ て 下さい 。 」 
狐 の 学校 生徒 は みんな こっち を 見 て ゐ ます 。 
紺 三郎 は 胸 を 一 杯 に 張っ て すまし て 餅 を 受けとり まし た 。 
「 これ は どうも おみやげ を 戴い て 済み ませ ん 。 どう かご ゆるり と なすっ て 下さい 。 もうすぐ 幻 燈 も はじまり ます 。 私 は 一寸 失礼 いたし ます 。 」 
紺 三郎 は お 餅 を 持っ て 向 ふ へ 行き まし た 。 
狐 の 学校 生徒 は 声 を そろ へ て 叫び まし た 。 
「 堅 雪 かん こ 、 凍み 雪 しんこ 、 硬い お 餅 はかっ たら こ 、 白い お 餅 はべっ たら こ 。 」 
幕 の 横 に 、 
「 寄贈 、 お 餅 沢山 、 人 の 四郎 氏 、 人 の かん子 氏 」 と 大きな 札 が 出 まし た 。 狐 の 生徒 は 悦ん で 手 を パチ パチ 叩き まし た 。 
その 時 ピー と 笛 が 鳴り まし た 。 
紺 三郎 が エヘンエヘン と せき ばら ひ を し ながら 幕 の 横 から 出 て 来 て 丁寧 に お辞儀 を し まし た 。 みんな は しんと なり まし た 。 
「 今夜 は 美しい 天気 です 。 お 月 様 は まるで 真珠 の お 皿 です 。 お 星 さま は 野原 の 露 が キラキラ 固まっ た やう です 。 さて 只今 から 幻 燈会 を やり ます 。 みなさん は 瞬 や くしゃみ を し ない で 目 を まんま ろ に 開い て 見 て ゐ て 下さい 。 
それから 今夜 は 大切 な 二 人 の お客 さま が あり ます から どなた も 静か に し ない と いけ ませ ん 。 決して そっち の 方 へ 栗 の 皮 を 投げ たり し て は なり ませ ん 。 開会 の 辞 です 。 」 
みんな 悦ん で パチ パチ 手 を 叩き まし た 。 そして 四 郎 が かん子 に そっと 云 ひ まし た 。 
「 紺 三郎 さん は うまい ん だ ね 。 」 
笛 が ピー と 鳴り まし た 。 
『 お 酒 を のむ べから ず 』 大きな 字 が 幕 に うつり まし た 。 そして それ が 消え て 写真 が うつり まし た 。 一 人 の お 酒 に 酔っ た 人間 の お ぢ いさん が 何 か を かし な 円い もの を つかん で ゐる 景色 です 。 
みんな は 足ぶみ を し て 歌 ひ まし た 。 
キックキックトントンキックキックトントン 
凍み 雪 しんこ 、 堅 雪 かん こ 、 
野原 のま ん ぢ ゅうはぽっぽっぽ 
酔っ て ひょろひょろ 太 右 衛門 が 
去年 、 三 十 八 たべ た 。 
キックキックキックキックトントントン 
写真 が 消え まし た 。 四郎 は そっと かん子 に 云 ひ まし た 。 
「 あの 歌 は 紺 三郎 さん の だ よ 。 」 
別に 写真 が うつり まし た 。 一 人 の お 酒 に 酔っ た 若い 者 が ほほ の 木の葉 で こし ら へ た お 椀 の やう な もの に 顔 を つっ込ん で 何 か 喰 べ て ゐ ます 。 紺 三郎 が 白い 袴 を はい て 向 ふ で 見 て ゐる けしき です 。 
みんな は 足踏み を し て 歌 ひ まし た 。 
キックキックトントン 、 キック キック 、 トントン 、 
凍み 雪 しんこ 、 堅 雪 かん こ 、 
野原 の お そば は ぽっぽ っぽ 、 
酔っ て ひょろひょろ 清作 が 
去年 十 三 ばい 喰 べた 。 
キック 、 キック 、 キック 、 キック 、 トン 、 トン 、 トン 。 
写真 が 消え て 一寸 やすみ に なり まし た 。 
可愛らしい 狐 の 女の子 が 黍 団子 を のせ た お 皿 を 二つ 持っ て 来 まし た 。 
四 郎 は すっかり 弱っ て しまひ まし た 。 なぜ って たった今 太 右 衛門 と 清作 と の 悪い もの を 知ら ない で 喰 べた の を 見 て ゐる の です から 。 
それに 狐 の 学校 生徒 が みんな こっち を 向い て 「 食 ふ だら う か 。 ね 。 食 ふ だら う か 。 」 なんて ひそひそ 話し合っ て ゐる の です 。 かん子 は は づか しく て お 皿 を 手 に 持っ た ま ゝ まっ 赤 に なっ て しまひ まし た 。 すると 四 郎 が 決心 し て 云 ひ まし た 。 
「 ね 、 喰 べ よう 。 お 喰 べ よ 。 僕 は 紺 三郎 さん が 僕ら を 欺 す なんて 思は ない よ 。 」 そして 二 人 は 黍 団子 を みんな 喰 べ まし た 。 その おいしい こと は 頬 っ ぺたも 落ち さ う です 。 狐 の 学校 生徒 は もう あんまり 悦ん で みんな 踊り あがっ て しまひ まし た 。 
キックキックトントン 、 キックキックトントン 。 
「 ひる は カンカン 日 の ひかり 
よる は ツン ツン 月あかり 、 
たと へ からだ を 、 さか れ て も 
狐 の 生徒 は うそ 云 ふ な 。 」 
キック 、 キックトントン 、 キックキックトントン 。 
「 ひる は カンカン 日 の ひかり 
よる は ツン ツン 月あかり 
たと へ こ ゞ えて 倒れ て も 
狐 の 生徒 は ぬすま ない 。 」 
キックキックトントン 、 キックキックトントン 。 
「 ひる は カンカン 日 の ひかり 
よる は ツン ツン 月あかり 
たと へ から だ が ちぎれ て も 
狐 の 生徒 は そねま ない 。 」 
キックキックトントン 、 キックキックトントン 。 
四郎 も かん子 も あんまり 嬉しく て 涙 が こぼれ まし た 。 
笛 が ピー と なり まし た 。 
『 わな を 軽べつ す べから ず 』 と 大きな 字 が うつり それ が 消え て 絵 が うつり まし た 。 狐 の こん 兵衛 が わな に 左足 を とら れ た 景色 です 。 
「 狐 こんこん 狐 の 子 、 去年 狐 の こん 兵衛 が 
左 の 足 を わな に 入れ 、 こんこん ばたばた 
こんこん こ ん 。 」 
と みんな が 歌 ひ まし た 。 
四 郎 が そっと かん子 に 云 ひ まし た 。 
「 僕 の 作っ た 歌 だ ね い 。 」 
絵 が 消え て 『 火 を 軽べつ す べから ず 』 といふ 字 が あら はれ まし た 。 それ も 消え て 絵 が うつり まし た 。 狐 の こん 助 が 焼い た お 魚 を 取ら う として しっぽ に 火 が つい た 所 です 。 
狐 の 生徒 が みな 叫び まし た 。 
「 狐 こんこん 狐 の 子 。 去年 狐 の こん 助 が 
焼い た 魚 を 取ろ として おしり に 火 が つき 
き ゃんきゃんきゃん 。 」 
笛 が ピー と 鳴り 幕 は 明るく なっ て 紺 三郎 が 又 出 て 来 て 云 ひ まし た 。 
「 みなさん 。 今晩 の 幻 燈 は これ で おし まひ です 。 今夜 みなさん は 深く 心 に 留め なけれ ば なら ない こと が あり ます 。 それ は 狐 の こし ら へ た もの を 賢い すこしも 酔 は ない 人間 の お子さん が 喰 べ て 下 すっ た といふ 事 です 。 そこで みなさん は これから も 、 大人 に なっ て も うそ を つか ず 人 を そねま ず 私 共 狐 の 今 迄 の 悪い 評判 を すっかり 無くし て しまふ だら う と 思ひ ます 。 閉会 の 辞 です 。 」 
狐 の 生徒 は みんな 感動 し て 両手 を あげ たり ワーッ と 立ちあがり まし た 。 そして キラキラ 涙 を こぼし た の です 。 
紺 三郎 が 二 人 の 前 に 来 て 、 丁寧 に おじぎ を し て 云 ひ まし た 。 
「 それでは 。 さ やう なら 。 今夜 の ご 恩 は 決して 忘れ ませ ん 。 」 
二 人 も おじぎ を し て うち の 方 へ 帰り まし た 。 狐 の 生徒 たち が 追 ひ かけ て 来 て 二 人 の ふところ や かくし に どんぐり だの 栗 だの 青 びかりの 石 だ の を 入れ て 、 
「 そら 、 あげ ます よ 。 」 「 そら 、 取っ て 下さい 。 」 なんて 云っ て 風 の 様 に 逃げ帰っ て 行き ます 。 
紺 三郎 は 笑っ て 見 て ゐ まし た 。 
二 人 は 森 を 出 て 野原 を 行き まし た 。 
その 青白い 雪 の 野原 の まん中 で 三 人 の 黒い 影 が 向 ふか ら 来る の を 見 まし た 。 それ は 迎 ひ に 来 た 兄さん 達 でし た 。 
第 一双 の 眼 の 所有 者 
（ むしゃくしゃ し た 若い 古物商 。 紋付 と 黄 の 風呂敷 ） 
第 二 双 の 眼 の 所有 者 
（ 大学生 。 制服 制帽 。 大きな めがね 。 灰色 ヅック の 提 鞄 ） 
第 一双 の 眼 （ いや 、 いらっしゃい 、 今日 は 。 よい お 天気 で ござい ます 。 ） 
第 二 双 の 眼 （ 何 を 哂 って や がる ん だ 。 ） 
（ 失礼 いたし まし た 。 へいへい 。 え ゝ と 、 あなた さま は メフィスト さん の ご 子息 さん 。 今日 は どちら へ 。 ） 
（ 何だ 失敬 な 。 ） 
（ あ 、 左様 で 。 あ 、 左様 で ござい まし た か 。 
これ は どうも まことに 失礼 いたし まし た 。 たいへん 飛び乗り が お 上手 で いらっしゃい ます 。 ） 
（ まだ 何 か 云っ てる の かい 。 失敬 ぢ ゃないか 。 ） 
（ さ うさ う 。 あなた は メフィスト さん と は アウエルバッハ 以来 お 仲 が よろしく ない の です な 。 つい おなり が そっくり な もん です から 、 まあ ちょっと 相似 形 、 さ やう 、 ごく 複雑 な 立体 の 相似 形 といふ やう に お 見受け いたし た もん です から 。 いや 、 どうも まことに 失礼 いたし まし た 。 ） 
（ 気 を 付けろ 。 間抜け め 。 何だ その にやけ やう は 。 ） 
（ へいへい 。 なあに どうせ 私 など は へいへい 云 ふ やう に でき てる ん です から 。 いや 。 それにしても た ゞ 今 は 又もや とんだ 無礼 を はたらき まし た 。 ひらに ひらに ご 容赦 と 。 ところで お 若い のに その ま ん 円 な 赤い 硝子 の べっ甲 めがね は いかが で せ う か 。 いか ゞ な もん で ござい ませ う 。 な 。 ） 
（ 気持ち の 悪い やつ だ な 。 この 眼鏡 かい 。 この 眼鏡 かい 。 おれ は 乱視 だ から 仕方 ない さ 。 ） 
（ あっ 、 ああ 、 なる 程 乱視 。 乱視 でし た か 。 いや 、 それ なら ば 仕方 ござん せ ん 。 なるほど 、 なるほど 。 とにかく しかし それにしても と 、 あんまり お 帽子 の 菱 がた が 神経質 に まあ 一寸 詩人 の やう に 鋭く 尖っ て いささか ご 人体 に か ゝ はり ます が 、 ） 
（ えい 、 畜生 まだ 何 か 云っ て や がる 。 何だ 、 き さま の 眼 玉 は 黄いろ で きょろきょろ まるで 支那 の 犬 の やう だ 。 は は あ おれ は ドイツ でき さま の 悪口 を 云っ て やる 。 判る かい 。 
“ ” おや 。 ） 
（ 何 だ と 。 “ ” 
そっち の 方 で 判る かい 。 お ま へ の やう な 人道 主義 者 は 斯 う 云 ふも ん だ 。 hast   では 落第 だ よ 。 ） 
（ ふん 。 支那人 と 思っ たら ドイツ と の あ ひ の 子 かい 。 ） 
（ い ゝ え 。 どう 致し まし て 。 お前 こそ 気 を つけろ よ 。 自慢 らしく ドイツ など を もち 出し た から こんな もん さ 。 へん 。 お前 なんか 気の毒 な 鼠 の 天ぷら だ 。 ） 
（ まだ 見 てる の かい 。 よく よく 執念深い やつ だ 。 夫婦 喧嘩 の 飛 ばっち り は よし て 呉れ 。 ） 
（ へい 。 ちと お 遊び に 。 ） 
（ 又 にやけ て や がる 。 どう せき さま は 周旋 屋 か 骨董 屋 だら う ぜ 。 そこで な 、 おれ が 判事 に なっ た とき 丁度 めぐり 合 ふと しよ う か 。 ああ もう 降りる かい 。 え ゝ と 落ちぶれ た 成金 さん に よろしく 。 ） 
（ さよなら 。 ひよっこ さん 。 大きな まち の 挨 の 中 だ 。 くるくる 廻っ て へたばら ない やう 御 用心 。 ） 
（ えい 。 勝手 に しろ 。 お 別れ に た ゞ 一言 ご 忠告 いたし ます 。 電車 が とまっ て から お 降り なさい だ 。 ） 
（ プイ 。 ） 
斉藤 平太 は 、 その 春 、 楢 岡 の 町 に 出 て 、 中学校 と 農 学校 、 工 学校 の 入学 試験 を 受け まし た 。 三つ とも 駄目 だ と 思っ て ゐ まし たら 、 どう し た わけ か 、 まぐれ あたり の やう に 工 学校 だけ 及第 し まし た 。 一 年 と 二 年 と は どうやら 無事 で 、 算盤 の 下手 な 担任 教師 が 斉藤 平 大 の 通信 簿 の 点数 の 勘定 を 間違っ た 為 に 首尾 よく 卒業 いたし まし た 。 
（ こんな こと は 実に まれ です 。 ） 
卒業 する と すぐ 家 へ 戻さ れ まし た 。 家 は 農業 で お父さん は 村長 でし た が 平太 は お父さん の 賛成 によって 、 家 の 門 の 処 に 建築 図案 設計 工事 請負 といふ 看板 を かけ まし た 。 
すぐ に 二つ の 仕事 が 来 まし た 。 一つ は 村 の 消防 小屋 と 相談 所 と を 兼ね た 二 階 建 、 も 一つ は 村 の 分教場 です 。 
（ こんな こと は 実に 稀 れ です 。 ） 
斉藤 平太 は 四 日 かかっ て 両方 の 設計 図 を 引い て しまひ まし た 。 
それから あちこち の 村 の 大工 たち を たのん で いよいよ 仕事 に か ゝ り まし た 。 
斉藤 平太 は 茶 いろ の 乗馬 ズボン を 穿き 赤 ネクタイ を 首 に 結ん で あっち へ 行っ たり こっち へ 来 たり 忙しく 両方 を 監督 し まし た 。 
工作 小屋 の まん中 に あの 設計 図 が 懸け て あり ます 。 
ところが どうも を かしい こと は どう 云 ふ わけ か 平太 が 行く と どの 大工 さん も 変 な 顔 を し て 下 ばかり 向い て 働い て なるべく 物 を 言 は ない やう に し た の です 。 
大工 さん たち は みんな 平太 を 好き でし た し 賃銭 だって たくさん 払っ て ゐ まし た のに どう し た 訳 か を かし な 顔 を する の です 。 
（ こんな こと は 実に 稀 れ です 。 ） 
平太 が 分教場 の 方 へ 行っ て 大工 さん たち の 働き ぶり を 見 て 居り ます と 大工 さん たち は くるくる 廻っ たり 立っ たり 屈ん だり し て 働く の は 大 へん 愉快 さ う でし た が どう 云 ふ 訳 か 横 に 歩く の が いやさ う でし た 。 
（ こんな こと は 実に 稀 です 。 ） 
平太 が 消防 小屋 の 方 へ 行っ て 大工 さん たち の 働く の を 見 て ゐ ます と 大工 さん たち は くるくる 廻っ たり 立っ たり 屈ん だり 横 に 歩い たり する の は 大 へん 愉快 さ う でし た が どう 云 ふ 訳 か 上下 に 交通 する の が いやさ う でし た 。 
（ こんな こと は 実に 稀 です 。 ） 
だんだん 工事 が 進み まし た 。 
斉藤 平太 は 人数 を 巧 く 組み合せ て 両方 の 終る 日 が 丁度 同じ に なる やう に やっ て 置き まし た から 両方 丁度 同じ 日 に それ が 終り まし た 。 
（ こんな こと は 実に 稀 れ です 。 ） 
終り まし たら 大工 さん たち は いよいよ 変 な 顔 を し て ため息 を つい て 黙っ て 下 ばかり 見 て 居り まし た 。 
斉藤 平太 は 分教場 の 玄関 から 教員 室 へ 入ら う と し まし た が どうしても 行け ませ ん でし た 。 それ は 廊下 が なかっ た から です 。 
（ こんな こと は 実に 稀 です 。 ） 
斉藤 平太 は ひどく がっかり し て 今度 は 急い で 消防 小屋 に 行き まし た 。 そして 下 の 方 を すっかり 検分 し 今度 は 二 階 の 相談 所 を 見よ う と し まし た が どうしても 二 階 に 昇れ ませ ん でし た 。 それ は 梯子 が なかっ た から です 。 
（ こんな こと は 実に 稀 です 。 ） 
そこで 斉藤 平太 は すっかり 気分 を 悪く し て そっと 財布 を 開い て 見 まし た 。 
そしたら 三 円 入っ て ゐ まし た ので すぐ その 乗馬 ズボン の ま ゝ 渡し を 越え て 町 へ 行き まし た 。 
それから 汽車 に 乗り まし た 。 
そして 東京 へ 遁 げ まし た 。 
東京 へ 来 たら お金 が 六 銭 残り まし た 。 斉藤 平太 は その 六 銭 で 二 度 ほど 豆腐 を 食べ まし た 。 
それから 仕事 を さがし まし た 。 けれども 語 が はっきり し ない ので どこ の 家 で も 工場 でも 頭ごなし に 追 ひ まし た 。 
斉藤 平太 は すっかり 困っ て 口 の 中 も カサカサ し ながら 三 日 仕事 を さがし まし た 。 
それでも どこ で も 断わら れ た うとう 楢 岡 工 学校 の 卒業生 の 斉藤 平太 は 卒倒 し まし た 。 
巡査 が それ に 水 を かけ まし た 。 
区役所 が それ を 引き とり まし た 。 それから ご飯 を やり まし た 。 する と すっかり 元気 に なり まし た 。 そこで 区役所 で は 撒水 夫 に 雇 ひ まし た 。 
斉藤 平太 は うち へ 葉書 を 出し まし た 。 
「 エレベータ と エスカレータ の 研究 の 為 急 に 東京 に 参り 候 、 御 不便 ながら 研究 すむ うち あの 請負 の 建物 は その ま ゝ お 使 ひ 願 ひ 候 」 
お父さん の 村長 さん は 返事 も 出さ せ ませ ん でし た 。 
平太 は 夏 は 脚気 に か ゝ り 冬 は 流行 感冒 です 。 そして 二 年 は 経ち まし た 。 
それでも だんだん 東京 の 事 に も なれ て 来 まし た の で つ ひ に は 昔 の 専門 の 建築 の 方 の 仕事 に 入り まし た 。 則 ち 平沢 組 の 監督 です 。 
大工 たち に 憎まれ て 見廻り 中 に 高い 処 から 木片 を 投げつけ られ たり 天井 に 上っ て ゐる の を 知ら ない ふり し て 板 を 打ちつけ られ たり し まし た が それでも 仲 々 愉快 でし た 。 
ですから 斉藤 平太 は うち へ 斯 う 葉書 を 書い た の です 。 
「 近頃 立身 致し 候 。 紙幣 は 障子 を 張る 程 有 之 諸君 も 尊敬 仕 候 。 研究 も 今 一足 故 暫時 不便 を 御 辛抱 願 候 。 」 
お父さん の 村長 さん は 返事 も 何 も さ せ ませ ん でし た 。 
ところが 平太 の お母さん が 少し 病気 に なり まし た 。 毎日 平太 の こと ばかり 云 ひ ます 。 
そこで 仕方 なく 村長 さん も 電報 を 打ち まし た 。 
「 ハハビャウキ 、 スグカヘレ 。 」 
平太 は この 時 月給 を とっ た ばかり でし た から 三 十 円 ほど 余っ て ゐ まし た 。 
平太 は いろいろ 考へ た 末 二 十 円 の 大きな 大きな 革 の トランク を 買 ひ まし た 。 けれども もちろん 平太 に は 一張羅 の 着 て ゐる 麻 服 が ある ばかり 他 に 入れる やう な もの は 何 も あり ませ ん でし た から 親方 に 頼ん で 板 の 上 に 引い た 要ら ない 絵図 を 三 十 枚 ばかり 貰っ て ぎっしり それ に 詰め まし た 。 
（ こんな こと は ごく 稀 れ です 。 ） 
斉藤 平太 は 故郷 の 停車場 に 着き まし た 。 
それから トランク と 一緒 に 俥 に 乗っ て 町 を 通り 国道 の 松 並木 まで 来 まし た が 平太 の 村 へ 行く みち は そこ から 岐 れ て 急 に でこぼこ に なる の を 見 て 俥夫 は あと は 行け ない と 断っ て 賃銭 を とっ て 帰っ て 行っ て しまひ まし た 。 
斉藤 平太 は そこ で 仕方 なく 自分 で その 大 トランク を 担い で 歩き まし た 。 ひのき の 垣根 の 横 を 行き 麻 ば たけ の 間 を 通り 桑 の 畑 の へり を 通り そして 船場 まで やって来 まし た 。 
渡し場 は 針金 の 綱 を 張っ て あっ て 滑車 の 仕掛け で 舟 が 半分 以上 ひとり で 動く やう に なっ て ゐ まし た 。 
もう 夕方 でし た が 雲 が 縞 を つくっ て しづか に 東 の 方 へ 流れ 、 白 と 黒 と の ぶち に なっ た せき れい が 水銀 の やう な 水 と すれすれ に 飛び まし た 。 その はり が ね の 綱 は 大きく 水 に 垂れ 舟 は いま 六 七 人 の 村人 を 乗せ て やっと 向 ふ へ 着く 処 でし た 。 向 ふ の 岸 に は 月見草 も 咲い て ゐ まし た 。 舟 が 又 こっち へ 戻る まで 斉藤 平太 は 大 トランク を 草 に おろし 自分 も どっかり 腰かけ て 汗 を ふき まし た 。 白 の 麻 服 の せ なか も 汗 で ぐちゃぐちゃ 、 草 に は けむり の やう な 穂 が 出 て ゐ まし た 。 
いつの間にか 子供 ら が 麻 ば たけ の 中 や 岸 の 砂原 や あちこち から 七 八 人 集っ て 来 まし た 。 全く 平太 の 大 トランク が めづら しかっ た の です 。 みんな は だんだん 近づき まし た 。 
「 おお 、 みんな 革 だ ぞ 。 」 
「 牛 の 革 だ ん ぞ 。 」 
「 あ そご の 曲っ た 処 ぁ 牛 の 膝 かぶ の 皮 だ な 。 」 
なるほど 平太 の 大 トランク の 締金 の 処 に は 少し まがっ た 膝 の 形 の 革 きれ も つい て ゐ まし た 。 平太 は 子供 ら の 云 ふ の を 聞い て 何とも 云 へ ず 悲しい 寂しい 気 が し て あぶなく 泣か う と し まし た 。 
舟 が だんだん 近 より まし た 。 
船頭 が 平太 の うし ろ の 入日 の 雲 の 白 びかりを 手 で さける やう に し ながら じっと 平太 を 見 て ゐ まし た が だんだん 近く に なっ て いよいよ その 白い 洋服 を 着 た 紳士 が 平太 だ と わかる と 高く 叫び まし た 。 
「 お ゝ 平太 さん 。 待 ぢ で だ あす 。 」 
平太 は あぶなく 泣か う と し まし た 。 そして トランク を 運ん で 舟 に のり まし た 。 舟 は たちまち 岸 を はなれ 岸 の 子供 ら は まだ トランク の こと ばかり 云 ひ 船頭 も しきりに その トランク を 見 ながら 船 を 滑ら せ まし た 。 波 が ぴたぴた 云 ひ 針金 の 綱 は しんしん と 鳴り まし た 。 それから 西 の 雲 の 向 ふ に 日 が 落ち た らしく 波 が 俄 か に 暗く なり まし た 。 向 ふ の 岸 に 二 人 の 人 が 待っ て ゐ まし た 。 
舟 は 岸 に 着き まし た 。 
二 人 の 中 の 一 人 が 飛ん で 来 まし た 。 
「 お 待 ぢ 申し て 居り あした 。 お 荷物 は 。 」 
それ は 平太 の 家 の 下男 でし た 。 平太 は だまっ て 眼 を パチ パチ さ せ ながら トランク を 渡し まし た 。 下男 は まるで ひどく 気 が 立っ て その 大きな 革 トランク を しょ ひ まし た 。 
それから 二 人 は うち の 方 へ 蚊 の くん くん 鳴く 桑畑 の 中 を 歩き まし た 。 
二 人 が 大きな 路 に 出 て 少し 行っ た とき 、 村長 さん も 丁度 役場 から 帰っ た 処 で うし ろ の 方 から 来 まし た が その 大 トランク を 見 て に が 笑 ひ を し まし た 。 
どっ どど 　 どど うど 　 どど うど 　 どど う 
青い くるみ も 吹きとばせ 
すっぱい か りん も 吹きとばせ 
どっ どど 　 どど うど 　 どど うど 　 どど う 
谷川 の 岸 に 小さな 学校 が あり まし た 。 
教室 は たった 一つ でし た が 生徒 は 三 年生 が ない だけ で 、 あと は 一 年 から 六 年 まで みんな あり まし た 。 運動 場 も テニス コート の くらい でし た が 、 すぐ うし ろ は 栗 の 木 の ある きれい な 草 の 山 でし た し 、 運動 場 の すみ に は ご ぼ ご ぼつ め たい 水 を 噴く 岩穴 も あっ た の です 。 
さわやか な 九月 一 日 の 朝 でし た 。 青 ぞ ら で 風 が どう と 鳴り 、 日光 は 運動 場 いっぱい でし た 。 黒い 雪袴 を はい た 二 人 の 一 年生 の 子 が ど て を まわっ て 運動 場 に は いっ て 来 て 、 まだ ほか に だれ も 来 て い ない の を 見 て 、 「 ほう 、 おら 一等 だ ぞ 。 一等 だ ぞ 。 」 と かわるがわる 叫び ながら 大 よろこび で 門 を はいっ て 来 た の でし た が 、 ちょっと 教室 の 中 を 見 ます と 、 二 人 と も まるで びっくり し て 棒立ち に なり 、 それから 顔 を 見合わせ て ぶるぶる ふるえ まし た が 、 ひとり は とうとう 泣き 出し て しまい まし た 。 という わけ は 、 その しん と し た 朝 の 教室 の なか に どこ から 来 た の か 、 まるで 顔 も 知ら ない おかしな 赤い 髪 の 子供 が ひとり 、 いちばん 前 の 机 に ちゃんと すわっ て い た の です 。 そして その 机 と いっ たら まったく この 泣い た 子 の 自分 の 机 だっ た の です 。 
も ひとり の 子 も もう 半分 泣き かけ て い まし た が 、 それでも むりやり 目 を りん と 張っ て 、 そっち の ほう を にらめ て い まし たら 、 ちょうど その とき 、 川上 から 、 
「 ちょう は あ 　 かぐ り 　 ちょう は あ 　 かぐ り 。 」 と 高く 叫ぶ 声 が し て 、 それから まるで 大きな から す の よう に 、 嘉助 が かばん を かかえ て わらっ て 運動 場 へ かけ て 来 まし た 。 と 思っ たら すぐ その あと から 佐太郎 だの 耕 助 だの どやどや やってき まし た 。 
「 なし て 泣い で ら 、 う なか も た の が 。 」 嘉助 が 泣か ない こども の 肩 を つかまえ て 言い まし た 。 すると その 子 も わあ と 泣い て しまい まし た 。 おかしい と おもっ て みんな が あたり を 見る と 、 教室 の 中 に あの 赤毛 の おかしな 子 が すまし て 、 しゃんと すわっ て いる の が 目 に つき まし た 。 
みんな は しんと なっ て しまい まし た 。 だんだん みんな 女の子 たち も 集まっ て 来 まし た が 、 だれ も なんとも 言え ませ ん でし た 。 
赤毛 の 子ども は いっこう こわがる ふう も なく やっぱり ちゃんと すわっ て 、 じっと 黒板 を 見 て い ます 。 すると 六 年生 の 一 郎 が 来 まし た 。 一郎 は まるで おとな の よう に ゆっくり 大 また に やってき て 、 みんな を 見 て 、 
「 何 し た 。 」 と きき まし た 。 
みんな は はじめて がやがや 声 を たて て その 教室 の 中 の 変 な 子 を 指さし まし た 。 一郎 は しばらく そっち を 見 て い まし た が 、 やがて 鞄 を しっかり かかえ て 、 さっさと 窓 の 下 へ 行き まし た 。 
みんな も すっかり 元気 に なっ て ついて行き まし た 。 
「 だれ だ 、 時間 に なら ない に 教室 へ は いっ てる の は 。 」 一郎 は 窓 へ はい のぼっ て 教室 の 中 へ 顔 を つき 出し て 言い まし た 。 
「 お天気 の いい 時 教室 さ は いっ てる づど 先生 に うんと し から える ぞ 。 」 窓 の 下 の 耕 助 が 言い まし た 。 
「 し から え でも おら 知ら ない よ 。 」 嘉助 が 言い まし た 。 
「 早 ぐ 出 はっ て 来 、 出 はっ て 来 。 」 一郎 が 言い まし た 。 けれども その こども は きょろきょろ 室 の 中 や みんな の ほう を 見る ばかり で 、 やっぱり ちゃんと ひざ に 手 を おい て 腰掛け に すわっ て い まし た 。 
ぜんたい その 形 から が 実に おかしい の でし た 。 変 てこ な ねずみ いろ の だぶだぶ の 上着 を 着 て 、 白い 半 ず ぼん を はい て 、 それ に 赤い 革 の 半 靴 を はい て い た の です 。 
それに 顔 と いっ たら まるで 熟し た りんご の よう 、 ことに 目 は まん丸 で まっくろ な の でし た 。 いっこう 言葉 が 通じ ない よう な ので 一 郎 も 全く 困っ て しまい まし た 。 
「 あ いづ は 外国 人 だ な 。 」 
「 学校 さ は いる の だ な 。 」 みんな は がやがや がやがや 言い まし た 。 ところが 五 年生 の 嘉助 が いきなり 、 
「 ああ 三 年生 さ は いる の だ 。 」 と 叫び まし た ので 、 
「 ああ そう だ 。 」 と 小さい こども ら は 思い まし た が 、 一郎 は だまっ て く びをまげました 。 
変 な こども は やはり きょろきょろ こっち を 見る だけ 、 きちんと 腰掛け て い ます 。 
その とき 風 が どう と 吹い て 来 て 教室 の ガラス 戸 は みんな がたがた 鳴り 、 学校 の うし ろ の 山 の 萱 や 栗 の 木 は みんな 変 に 青じろく なっ て ゆれ 、 教室 の なか の こども は なんだか に やっと わらっ て すこし うごい た よう でし た 。 
すると 嘉助 が すぐ 叫び まし た 。 
「 ああ わかっ た 。 あいつ は 風 の 又 三 郎 だ ぞ 。 」 
そう だ っと みんな も おもっ た とき 、 にわかに うし ろ の ほう で 五 郎 が 、 
「 わあ 、 痛い ぢ ゃあ 。 」 と 叫び まし た 。 
みんな そっち へ 振り向き ます と 、 五郎 が 耕 助 に 足 の ゆ びをふまれて 、 まるで おこっ て 耕 助 を なぐりつけ て い た の です 。 すると 耕 助 も おこっ て 、 
「 わあ 、 われ 悪く て で ひと 撲 い だ なあ 。 」 と 言っ て また 五 郎 を なぐろ う と し まし た 。 
五郎 は まるで 顔 じゅう 涙 だらけ に し て 耕 助 に 組み付こ う と し まし た 。 そこで 一郎 が 間 へ はいっ て 嘉助 が 耕 助 を 押え て しまい まし た 。 
「 わあ い 、 けんか する なっ たら 、 先生 あ ちゃんと 職員 室 に 来 て ら ぞ 。 」 と 一郎 が 言い ながら また 教室 の ほう を 見 まし たら 、 一郎 は にわかに まるで ぽかんと し て しまい まし た 。 
たった いま まで 教室 に い た あの 変 な 子 が 影 も かたち も ない の です 。 みんな も まるで せっかく 友だち に なっ た 子 うま が 遠く へ やら れ た よう 、 せっかく 捕っ た 山雀 に 逃げ られ た よう に 思い まし た 。 
風 が また どう と 吹い て 来 て 窓 ガラス を がたがた 言わ せ 、 うし ろ の 山 の 萱 を だんだん 上流 の ほう へ 青じろく 波だて て 行き まし た 。 
「 わあ 、 うな だ けんか し た ん だ がら 又 三郎 い なぐ なっ た な 。 」 嘉助 が おこっ て 言い まし た 。 
みんな も ほんとう に そう 思い まし た 。 五郎 は じつに 申しわけ ない と 思っ て 、 足 の 痛い の も 忘れ て しょんぼり 肩 を すぼめ て 立っ た の です 。 
「 やっぱり あいつ は 風 の 又 三 郎 だっ た な 。 」 
「 二 百 十 日 で 来 た の だ な 。 」 
「 靴 は いで だ た ぞ 。 」 
「 服 も 着 で だ た ぞ 。 」 
「 髪 赤く て おかし や づだったな 。 」 
「 ありゃ ありゃ 、 又 三郎 おれ の 机 の 上 さ 石 かけ 乗せ でっ た ぞ 。 」 二 年生 の 子 が 言い まし た 。 見る と その 子 の 机 の 上 に は きたない 石 かけ が 乗っ て い た の です 。 
「 そう だ 、 ありゃ 。 あ そご の ガラス も ぶっ かし た ぞ 。 」 
「 そ だ ない で あ 。 あい づあ 休み 前 に 嘉助 石 ぶっつけ だ の だ な 。 」 
「 わあ い 。 そ だ ない で あ 。 」 と 言っ て い た とき 、 これ は また なんと いう わけ でしょ う 。 先生 が 玄関 から 出 て 来 た の です 。 先生 は ぴかぴか 光る 呼び子 を 右手 に もっ て 、 もう 集まれ の し たく を し て いる の でし た が 、 その すぐ うし ろ から 、 さっき の 赤い 髪 の 子 が 、 まるで 権現 さま の 尾 っ ぱ 持ち の よう に すまし 込ん で 、 白い シャッポ を かぶっ て 、 先生 について すぱすぱ とある い て 来 た の です 。 
みんな は しいんと なっ て しまい まし た 。 やっと 一郎 が 「 先生 お早う ござい ます 。 」 と 言い まし た ので みんな も つい て 、 
「 先生 お早う ござい ます 。 」 と 言っ た だけ でし た 。 
「 みなさん 。 お早う 。 どなた も 元気 です ね 。 で は 並ん で 。 」 先生 は 呼び子 を ビルル と 吹き まし た 。 それ は すぐ 谷 の 向こう の 山 へ ひびい て また ビルルル と 低く 戻っ て き まし た 。 
すっかり やすみ の 前 の とおり だ と みんな が 思い ながら 六 年生 は 一 人 、 五 年生 は 七 人 、 四 年生 は 六 人 、 一 二 年生 は 十 二 人 、 組 ごと に 一 列 に 縦 に ならび まし た 。 
二 年 は 八 人 、 一 年生 は 四 人前 へ ならえ を し て ならん だ の です 。 
すると その間 あの おかしな 子 は 、 何 か おかしい の か おもしろい の か 奥歯 で 横っちょ に 舌 を かむ よう に し て 、 じろじろ みんな を 見 ながら 先生 の うし ろ に 立っ て い た の です 。 すると 先生 は 、 高田 さん こっち へ お はいり なさい と 言い ながら 五 年生 の 列 の ところ へ 連れ て 行っ て 、 丈 を 嘉助 と くらべ て から 嘉助 と その うし ろ の きよの 間 へ 立た せ まし た 。 
みんな は ふりかえっ て じっと それ を 見 て い まし た 。 
先生 は また 玄関 の 前 に 戻っ て 、 
「 前 へ ならえ 。 」 と 号令 を かけ まし た 。 
みんな は もう 一 ぺん 前 へ ならえ を し て すっかり 列 を つくり まし た が 、 じつは あの 変 な 子 が どういう ふう に し て いる の か 見 たく て 、 かわるがわる そっち を ふりむい たり 横目 で にらん だり し た の でし た 。 すると その 子 は ちゃんと 前 へ なら え でも なん でも 知っ てる らしく 平気 で 両 腕 を 前 へ 出し て 、 指 さき を 嘉助 のせ なか へ やっと 届く くらい に し て い た もの です から 、 嘉助 は なんだか せ なか が かゆく 、 くすぐったい という ふう に もじもじ し て い まし た 。 
「 直れ 。 」 先生 が また 号令 を かけ まし た 。 
「 一 年 から 順に 前 へ おい 。 」 そこ で 一 年生 は あるき 出し 、 まもなく 二 年生 も あるき 出し て みんな の 前 を ぐるっと 通っ て 、 右手 の 下駄 箱 の ある 入り口 に は いっ て 行き まし た 。 四 年生 が あるき 出す と さっき の 子 も 嘉助 の あと へ つい て 大 威張り で ある い て 行き まし た 。 前 へ 行っ た 子 も ときどき ふりかえっ て 見 、 あと の 者 も じっと 見 て い た の です 。 
まもなく みんな は は きもの を 下駄 箱 に 入れ て 教室 へ はいっ て 、 ちょうど 外 へ ならん だ とき の よう に 組 ごと に 一 列 に 机 に すわり まし た 。 さっき の 子 も すまし 込ん で 嘉助 の うし ろ に すわり まし た 。 ところが もう 大 さわぎ です 。 
「 わあ 、 おら の 机 さ 石 かけ は いっ てる ぞ 。 」 
「 わあ 、 おら の 机 代わっ てる ぞ 。 」 
「 キッコ 、 キッコ 、 う な 通信 簿 持っ て 来 た が 。 おら 忘れ で 来 た ぢ ゃあ 。 」 
「 わあ い 、 さ の 、 木 ペン 借 せ 、 木 ペン 借 せっ たら 。 」 
「 わあ が ない 。 ひと の 雑記 帳 とっ て って 。 」 
その とき 先生 が はいっ て 来 まし た ので みんな も さわぎ ながら とにかく 立ちあがり 、 一郎 が いちばん うし ろ で 、 
「 礼 。 」 と 言い まし た 。 
みんな は おじぎ を する 間 は ちょっと しんと なり まし た が 、 それから また がやがや がやがや 言い まし た 。 
「 しずか に 、 みなさん 。 しずか に する の です 。 」 先生 が 言い まし た 。 
「 しっ 、 悦治 、 や がま しっ たら 、 嘉助 え 、 喜 っ こう 。 わあ い 。 」 と 一郎 が いちばん うし ろ から あまり さわぐ もの を 一 人 ずつ しかり まし た 。 
みんな は しんと なり まし た 。 
先生 が 言い まし た 。 
「 みなさん 、 長い 夏 の お 休み は おもしろかっ た です ね 。 みなさん は 朝 から 水 泳ぎ も でき た し 、 林 の 中 で 鷹 に も 負け ない くらい 高く 叫ん だり 、 また にいさん の 草刈り について 上 の 野原 へ 行っ たり し た でしょ う 。 けれども もう きのう で 休み は 終わり まし た 。 これから は 第 二 学期 で 秋 です 。 むかし から 秋 は いちばん から だ も こころ も ひきしまっ て 、 勉強 の できる 時 だ と いっ て ある の です 。 です から 、 みなさん も きょう から また いっしょ に しっかり 勉強 し ましょ う 。 それから この お 休み の 間 に みなさん の お 友だち が 一 人 ふえ まし た 。 それ は そこ に いる 高田 さん です 。 その かた の おとうさん は こんど 会社 の ご用 で 上 の 野原 の 入り口 へ おいで に なっ て い られる の です 。 高田 さん は いま まで は 北海道 の 学校 に おら れ た の です が 、 きょう から みなさん の お 友だち に なる の です から 、 みなさん は 学校 で 勉強 の とき も 、 また 栗 拾い や 魚 とり に 行く とき も 、 高田 さん を さそう よう に し なけれ ば なり ませ ん 。 わかり まし た か 。 わかっ た 人 は 手 を あげ て ごらん なさい 。 」 
すぐ みんな は 手 を あげ まし た 。 その 高田 と よば れ た 子 も 勢い よく 手 を あげ まし た ので 、 ちょっと 先生 は わらい まし た が 、 すぐ 、 
「 わかり まし た ね 、 では よし 。 」 と 言い まし た ので 、 みんな は 火 の 消え た よう に 一 ぺん に 手 を おろし まし た 。 
ところが 嘉助 が すぐ 、 
「 先生 。 」 と いっ て また 手 を あげ まし た 。 
「 はい 。 」 先生 は 嘉助 を 指さし まし た 。 
「 高田 さん 名 は なんて 言う べ な 。 」 
「 高田 三郎 さん です 。 」 
「 わあ 、 うまい 、 そりゃ 、 やっぱり 又 三 郎 だ な 。 」 嘉助 は まるで 手 を たたい て 机 の 中 で 踊る よう に し まし た ので 、 大きな ほう の 子ども ら は どっと 笑い まし た が 、 下 の 子ども ら は 何 か こわい という ふう に し いん として 三郎 の ほう を 見 て い た の です 。 
先生 は また 言い まし た 。 
「 きょう は みなさん は 通信 簿 と 宿題 を もっ て くる の でし た ね 。 持っ て 来 た 人 は 机 の 上 へ 出し て ください 。 私 が いま 集め に 行き ます から 。 」 
みんな は ばたばた 鞄 を あけ たり ふろしき を とい たり し て 、 通信 簿 と 宿題 を 机 の 上 に 出し まし た 。 そして 先生 が 一 年生 の ほう から 順に それ を 集め はじめ まし た 。 その とき みんな は ぎょっと し まし た 。 という わけ は みんな の うし ろ の ところ に いつか 一 人 の 大人 が 立っ て い た の です 。 その 人 は 白い だぶだぶ の 麻 服 を 着 て 黒い てかてか し た はん けち を ネクタイ の 代わり に 首 に 巻い て 、 手 に は 白い 扇 を もっ て 軽 くじ ぶん の 顔 を 扇ぎ ながら 少し 笑っ て みんな を 見おろし て い た の です 。 さあ みんな は だんだん しいんと なっ て 、 まるで 堅く なっ て しまい まし た 。 
ところが 先生 は 別に その 人 を 気 に かける ふう も なく 、 順々 に 通信 簿 を 集め て 三 郎 の 席 まで 行き ます と 、 三郎 は 通信 簿 も 宿題 帳 も ない かわり に 両手 を にぎり こぶし に し て 二つ 机 の 上 に のせ て い た の です 。 先生 は だまっ て そこ を 通り すぎ 、 みんな の を 集め て しまう と それ を 両手 で そろえ ながら また 教壇 に 戻り まし た 。 
「 では 宿題 帳 は この 次 の 土曜日 に 直し て 渡し ます から 、 きょう 持っ て 来 なかっ た 人 は 、 あした きっと 忘れ ない で 持っ て 来 て ください 。 それ は 悦治 さん と 勇 治 さん と 良作 さん と です ね 。 では きょう は ここ まで です 。 あした か らち ゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい 。 それ から 四 年生 と 六 年生 の 人 は 、 先生 と いっしょ に 教室 の お 掃除 を し ましょ う 。 では ここ まで 。 」 
一郎 が 気 を つけ 、 と 言い みんな は 一 ぺん に 立ち まし た 。 うし ろ の 大人 も 扇 を 下 に さげ て 立ち まし た 。 
「 礼 。 」 先生 も みんな も 礼 を し まし た 。 うし ろ の 大人 も 軽く 頭 を 下げ まし た 。 それ から ず うっ と 下 の 組 の 子ども ら は 一目散 に 教室 を 飛び出し まし た が 、 四 年生 の 子ども ら は まだ もじもじ し て い まし た 。 
すると 三郎 は さっき の だぶだぶ の 白い 服 の 人 の ところ へ 行き まし た 。 先生 も 教壇 を おり て その 人 の ところ へ 行き まし た 。 
「 いや どうも ご苦労 さま で ござい ます 。 」 その 大人 は ていねい に 先生 に 礼 を し まし た 。 
「 じき みんな と お 友だち に なり ます から 。 」 先生 も 礼 を 返し ながら 言い まし た 。 
「 何 ぶん どうか よろしく おねがい いたし ます 。 それでは 。 」 その 人 は また ていねい に 礼 を し て 目 で 三 郎 に 合図 する と 、 自分 は 玄関 の ほう へ まわっ て 外 へ 出 て 待っ て い ます と 、 三郎 は みんな の 見 て いる 中 を 目 を りん と はっ て だまっ て 昇降 口 から 出 て 行っ て 追いつき 、 二 人 は 運動 場 を 通っ て 川下 の ほう へ 歩い て 行き まし た 。 
運動 場 を 出る とき その 子 は こっち を ふりむい て 、 じっと 学校 や みんな の ほう を にらむ よう に する と 、 また すたすた 白 服 の 大人 について 歩い て 行き まし た 。 
「 先生 、 あの 人 は 高田 さん の とうさん です か 。 」 一郎 が 箒 を もち ながら 先生 に きき まし た 。 
「 そう です 。 」 
「 なんの 用 で 来 た べ 。 」 
「 上 の 野原 の 入り口 に モリブデン という 鉱石 が できる ので 、 それ を だんだん 掘る よう に する ため だ そう です 。 」 
「 どこら あ だり だ べ な 。 」 
「 私 も まだ よく わかり ませ ん が 、 いつも みなさん が 馬 を つれ て 行く みち から 、 少し 川下 へ 寄っ た ほう な よう です 。 」 
「 モリブデン 何 に する べ な 。 」 
「 それ は 鉄 と まぜ たり 、 薬 を つくっ たり する の だ そう です 。 」 
「 そ だら 又 三郎 も 掘る べ が 。 」 嘉助 が 言い まし た 。 
「 又 三 郎 だ ない 。 高田 三郎 だ ぢ ゃ 。 」 佐太郎 が 言い まし た 。 
「 又 三 郎 だ 又 三郎 だ 。 」 嘉助 が 顔 を まっ 赤 に し て がん 張り まし た 。 
「 嘉助 、 うな も 残っ て ら ば 掃除 し て すけろ 。 」 一郎 が 言い まし た 。 
「 わあ い 。 やん た ぢ ゃ 。 きょう 四 年生 ど 六 年生 だ な 。 」 
嘉助 は 大急ぎ で 教室 を はねだし て 逃げ て しまい まし た 。 
風 が また 吹い て 来 て 窓 ガラス は また がたがた 鳴り 、 ぞう きん を 入れ た バケツ に も 小さな 黒い 波 を たて まし た 。 
次 の 日 一 郎 は あの おかしな 子供 が 、 きょう から ほんとう に 学校 へ 来 て 本 を 読ん だり する か どう か 早く 見 たい よう な 気 が し て 、 いつも より 早く 嘉助 を さそい まし た 。 ところが 嘉助 の ほう は 一 郎 より もっと そう 考え て い た と 見え て 、 とうに ごはん も たべ 、 ふろしき に 包ん だ 本 も もっ て 家 の 前 へ 出 て 一 郎 を 待っ て い た の でし た 。 二 人 は 途中 も いろいろ その 子 の こと を 話し ながら 学校 へ 来 まし た 。 すると 運動 場 に は 小さな 子供 ら が もう 七 八 人 集まっ て い て 、 棒 か くし を し て い まし た が 、 その 子 は まだ 来 て い ませ ん でし た 。 また きのう の よう に 教室 の 中 に いる の か と 思っ て 中 を のぞい て 見 まし た が 、 教室 の 中 は しいんと し て だれ も い ず 、 黒板 の 上 に は きのう 掃除 の とき ぞ うき ん で ふい た 跡 が かわい て ぼんやり 白い 縞 に なっ て い まし た 。 
「 きのう の やつ まだ 来 て ない な 。 」 一郎 が 言い まし た 。 
「 うん 。 」 嘉助 も 言っ て そこら を 見 まわし まし た 。 
一郎 は そこ で 鉄棒 の 下 へ 行っ て 、 じゃみ 上がり という やり方 で 、 無理やり に 鉄棒 の 上 に のぼり 両 腕 を だんだん 寄せ て 右 の 腕木 に 行く と 、 そこ へ 腰掛け て きのう 三 郎 の 行っ た ほう を じっと 見おろし て 待っ て い まし た 。 谷川 は そっち の ほう へ きらきら 光っ て ながれ て 行き 、 その 下 の 山の上 の ほう で は 風 も 吹い て いる らしく 、 ときどき 萱 が 白く 波立っ て い まし た 。 
嘉助 も やっぱり その 柱 の 下 で じっと そっち を 見 て 待っ て い まし た 。 ところが 二 人 は そんなに 長く 待つ こと も あり ませ ん でし た 。 それ は 突然 三郎 が その 下手 の みち から 灰 いろ の 鞄 を 右手 に かかえ て 走る よう に し て 出 て 来 た の です 。 
「 来 た ぞ 。 」 と 一郎 が 思わず 下 に いる 嘉助 へ 叫ぼ う と し て い ます と 、 早く も 三 郎 は ど て を ぐるっと まわっ て 、 どんどん 正門 を はいっ て 来る と 、 
「 お早う 。 」 と はっきり 言い まし た 。 みんな は いっしょ に そっち を ふり向き まし た が 、 一 人 も 返事 を し た もの が あり ませ ん でし た 。 
それ は 返事 を し ない の で は なく て 、 みんな は 先生 に は いつ でも 「 お早う ござい ます 。 」 という よう に 習っ て い た の です が 、 お互い に 「 お早う 。 」 なんて 言っ た こと が なかっ た のに 三郎 に そう 言わ れ て も 、 一郎 や 嘉助 は あんまり にわか で 、 また 勢い が いい ので とうとう 臆 し て しまっ て 一 郎 も 嘉助 も 口 の 中 で お早う という かわり に 、 も に ゃもにゃっと 言っ て しまっ た の でし た 。 
ところが 三郎 の ほう は べつだん それ を 苦 に する ふう も なく 、 二 三 歩 また 前 へ 進む と じっと 立っ て 、 その まっ黒 な 目 で ぐるっと 運動 場 じゅう を 見 まわし まし た 。 そして しばらく だれ か 遊ぶ 相手 が ない かさ が し て いる よう でし た 。 けれども みんな きょろきょろ 三郎 の ほう は み て い て も 、 やはり 忙し そう に 棒 か くし を し たり 三郎 の ほう へ 行く もの が あり ませ ん でし た 。 三郎 は ちょっと 具合 が 悪い よう に そこ に つっ 立っ て い まし た が 、 また 運動 場 を もう一度 見 まわし まし た 。 
それから ぜんたい この 運動 場 は 何 間 ある か という よう に 、 正門 から 玄関 まで 大 また に 歩数 を 数え ながら 歩き はじめ まし た 。 一郎 は 急い で 鉄棒 を はね おり て 嘉助 と ならん で 、 息 を こらし て それ を 見 て い まし た 。 
そのうち 三郎 は 向こう の 玄関 の 前 まで 行っ て しまう と 、 こっち へ 向い て しばらく 暗算 を する よう に 少し 首 を まげ て 立っ て い まし た 。 
みんな はや はりきろ きろ そっち を 見 て い ます 。 三郎 は 少し 困っ た よう に 両手 を うし ろ へ 組む と 向こう 側 の 土手 の ほう へ 職員 室 の 前 を 通っ て 歩き だし まし た 。 
その 時 風 が ざあっと 吹い て 来 て 土手 の 草 は ざわざわ 波 に なり 、 運動 場 の まん中 で さ あっ と 塵 が あがり 、 それ が 玄関 の 前 まで 行く と 、 きりきり と まわっ て 小さな つむじ風 に なっ て 、 黄いろ な 塵 は 瓶 を さ か さま に し た よう な 形 に なっ て 屋根 より 高く のぼり まし た 。 
すると 嘉助 が 突然 高く 言い まし た 。 
「 そう だ 。 やっぱり あ いづ 又 三郎 だ ぞ 。 あ いづ 何 か する と きっと 風 吹い て くる ぞ 。 」 
「 うん 。 」 一郎 は どう だ か わから ない と 思い ながら も だまっ て そっち を 見 て い まし た 。 三郎 は そんな こと に は かまわ ず 土手 の ほう へ やはり すたすた 歩い て 行き ます 。 
その とき 先生 が いつも の よう に 呼び子 を もっ て 玄関 を 出 て 来 た の です 。 
「 お早う ござい ます 。 」 小さな 子ども ら は みんな 集まり まし た 。 
「 お早う 。 」 先生 は ちらっと 運動 場 を 見 まわし て から 、 「 では なら んで 。 」 と 言い ながら ビルルッ と 笛 を 吹き まし た 。 
みんな は 集まっ て き て きのう の とおり きちんと ならび まし た 。 三郎 も きのう 言わ れ た 所 へ ちゃんと 立っ て い ます 。 
先生 は お 日 さま が まっ 正面 な ので すこし まぶし そう に し ながら 号令 を だんだん かけ て 、 とうとう みんな は 昇降 口 から 教室 へ はいり まし た 。 そして 礼 が すむ と 先生 は 、 
「 では みなさん きょう から 勉強 を はじめ ましょ う 。 みなさん は ちゃんと お 道具 を もっ て き まし た ね 。 では 一 年生 （ と 二 年生 ） の 人 は お 習字 の お手本 と 硯 と 紙 を 出し て 、 二 年生 と 四 年生 の 人 は 算術 帳 と 雑記 帳 と 鉛筆 を 出し て 、 五 年生 と 六 年生 の 人 は 国語 の 本 を 出し て ください 。 」 
さあ すると あっち でも こっち でも 大 さわぎ が はじまり まし た 。 中 に も 三郎 の すぐ 横 の 四 年生 の 机 の 佐太郎 が 、 いきなり 手 を のばし て 二 年生 の かよ の 鉛筆 を ひらり と とっ て しまっ た の です 。 かよ は 佐太郎 の 妹 でし た 。 すると かよ は 、 
「 うわ あ 、 兄 な 、 木 ペン 取 て わかん ない な 。 」 と 言い ながら 取り返そ う と し ます と 佐太郎 が 、 
「 わあ 、 こいつ おれ の だ なあ 。 」 と 言い ながら 鉛筆 を ふところ の 中 へ 入れ て 、 あと は シナ 人 が おじぎ する とき の よう に 両手 を 袖 へ 入れ て 、 机 へ ぴったり 胸 を くっつけ まし た 。 すると かよ は 立っ て 来 て 、 
「 兄 な 、 兄 な の 木 ペン は きのう 小屋 で なくし て しまっ た け なあ 。 よこせ っ たら 。 」 と 言い ながら 一生けん命 とり 返そ う と し まし た が 、 どうしても もう 佐太郎 は 机 に くっつい た 大きな 蟹 の 化石 みたい に なっ て いる ので 、 とうとう かよ は 立っ た まま 口 を 大きく まげ て 泣き だし そう に なり まし た 。 
すると 三郎 は 国語 の 本 を ちゃんと 机 に のせ て 困っ た よう に し て これ を 見 て い まし た が 、 かよ が とうとう ぼろぼろ 涙 を こぼし た の を 見る と 、 だまっ て 右手 に 持っ て い た 半分 ばかり に なっ た 鉛筆 を 佐太郎 の 目 の 前 の 机 に 置き まし た 。 
すると 佐太郎 は にわかに 元気 に なっ て 、 むっくり 起き上がり まし た 。 そして 、 
「 くれる ？ 」 と 三郎 に きき まし た 。 三郎 は ちょっと まごつい た よう でし た が 覚悟 し た よう に 、 「 うん 。 」 と 言い まし た 。 すると 佐太郎 は いきなり わらい 出し て ふところ の 鉛筆 を かよ の 小さな 赤い 手 に 持た せ まし た 。 
先生 は 向こう で 一 年生 の 子 の 硯 に 水 を ついで やっ たり し て い まし た し 、 嘉助 は 三郎 の 前 です から 知り ませ ん でし た が 、 一郎 は これ を いちばん うし ろ で ちゃんと 見 て い まし た 。 そして まるで なんと 言っ たら いい か わから ない 、 変 な 気持ち が し て 歯 を きりきり 言わ せ まし た 。 
「 では 二 年生 の ひと は お 休み の 前 に ならっ た 引き算 を もう 一 ぺん 習っ て み ましょ う 。 これ を 勘定 し て ごらん なさい 。 」 先生 は 黒板 に 25 − 12 ＝ と 書き まし た 。 二 年生 の こども ら は みんな 一生けん命 に それ を 雑記 帳 に うつし まし た 。 かよ も 頭 を 雑記 帳 へ くっつける よう に し て い ます 。 「 四 年生 の 人 は これ を 置い て 。 」 17 × 4 ＝ と 書き まし た 。 
四 年生 は 佐太郎 を はじめ 喜蔵 も 甲 助 も みんな それ を うつし まし た 。 
「 五 年生 の 人 は 読本 の （ 二 字 空白 ） ページ の （ 二 字 空白 ） 課 を ひらい て 声 を たて ない で 読める だけ 読ん で ごらん なさい 。 わから ない 字 は 雑記 帳 へ 拾っ て おく の です 。 」 五 年生 も みんな 言わ れ た とおり し はじめ まし た 。 
「 一郎 さん は 読本 の （ 二 字 空白 ） ページ を しらべ て やはり 知ら ない 字 を 書き抜い て ください 。 」 
それ が すむ と 先生 は また 教壇 を おり て 、 一 年生 の 習字 を 一 人 一 人 見 て あるき まし た 。 
三郎 は 両手 で 本 を ちゃんと 机 の 上 へ もっ て 、 言わ れ た ところ を 息 も つか ず じっと 読ん で い まし た 。 けれども 雑記 帳 へ は 字 を 一つ も 書き抜い て い ませ ん でし た 。 それ は ほんとう に 知ら ない 字 が 一つ も ない の か 、 たった 一 本 の 鉛筆 を 佐太郎 に やっ て しまっ た ため か 、 どっち と も わかり ませ ん でし た 。 
そのうち 先生 は 教壇 へ 戻っ て 二 年生 と 四 年生 の 算術 の 計算 を し て 見せ て また 新しい 問題 を 出す と 、 今度 は 五 年生 の 生徒 の 雑記 帳 へ 書い た 知ら ない 字 を 黒板 へ 書い て 、 それに か な と わけ を つけ まし た 。 そして 、 
「 では 嘉助 さん 、 ここ を 読ん で 。 」 と 言い まし た 。 
嘉助 は 二 三 度 ひっかかり ながら 先生 に 教え られ て 読み まし た 。 
三郎 も だまっ て 聞い て い まし た 。 
先生 も 本 を とっ て 、 じっと 聞い て い まし た が 、 十 行 ばかり 読む と 、 
「 そこ まで 。 」 と 言っ て こんど は 先生 が 読み まし た 。 
そうして 一 まわり 済む と 、 先生 は だんだん みんな の 道具 を しまわ せ まし た 。 
それから 「 では ここ まで 。 」 と 言っ て 教壇 に 立ち ます と 一 郎 が うし ろ で 、 
「 気 を つけ い 。 」 と 言い まし た 。 そして 礼 が すむ と 、 みんな 順 に 外 へ 出 て こんど は 外 へ ならば ず に みんな 別れ別れ に なっ て 遊び まし た 。 
二 時間 目 は 一 年生 から 六 年生 まで みんな 唱歌 でし た 。 そして 先生 が マンドリン を 持っ て 出 て 来 て 、 みんな は いま まで に 習っ た の を 先生 の マンドリン について 五つ も うたい まし た 。 
三郎 も みんな 知っ て い て 、 みんな どんどん 歌い まし た 。 そして この 時間 は たいへん 早く たっ て しまい まし た 。 
三 時間 目 に なる と こんど は 二 年生 と 四 年生 が 国語 で 、 五 年生 と 六 年生 が 数学 でし た 。 先生 は また 黒板 に 問題 を 書い て 五 年生 と 六 年生 に 計算 さ せ まし た 。 しばらく たっ て 一 郎 が 答え を 書い て しまう と 、 三郎 の ほう を ちょっと 見 まし た 。 
すると 三郎 は 、 どこ から 出し た か 小さな 消し炭 で 雑記 帳 の 上 へ がりがり と 大きく 運算 し て い た の です 。 
次 の 朝 、 空 は よく 晴れ て 谷川 は さらさら 鳴り まし た 。 一郎 は 途中 で 嘉助 と 佐太郎 と 悦治 を さそっ て いっしょ に 三郎 の うち の ほう へ 行き まし た 。 
学校 の 少し 下流 で 谷川 を わたっ て 、 それから 岸 で 楊 の 枝 を みんな で 一 本 ずつ 折っ て 、 青い 皮 を くるくる はい で 鞭 を こしらえ て 手 で ひ ゅうひゅう 振り ながら 、 上 の 野原 へ の 道 を だんだん のぼっ て 行き まし た 。 みんな は 早く も 登り ながら 息 を は あ はあ し まし た 。 
「 又 三郎 ほんとに あ そご の わき水 まで 来 て 待 ぢ でる べ が 。 」 
「 待 ぢ でる ん だ 。 又 三郎 う そこ が ない も な 。 」 
「 ああ 暑う 、 風吹 げ ば いい な 。 」 
「 ど ご がら だ が 風 吹い でる ぞ 。 」 
「 又 三郎 吹 が せ で ら べ も 。 」 
「 なん だ が お 日 さん ぼやっと し て 来 た な 。 」 
空 に 少し ばかり の 白い 雲 が 出 まし た 。 そして もう だいぶ のぼっ て い まし た 。 谷 の みんな の 家 が ず うっ と 下 に 見え 、 一郎 の うち の 木 小屋 の 屋根 が 白く 光っ て い ます 。 
道 が 林 の 中 に 入り 、 しばらく 道 は じめじめ し て 、 あたり は 見え なく なり まし た 。 そして まもなく みんな は 約束 の わき水 の 近く に 来 まし た 。 すると そこ から 、 
「 お うい 。 みんな 来 た かい 。 」 と 三郎 の 高く 叫ぶ 声 が し まし た 。 
みんな は まるで せかせか と 走っ て のぼり まし た 。 向こう の 曲がり角 の 所 に 三 郎 が 小さな くちびる を きっと 結ん だ まま 、 三 人 の かけ 上っ て 来る の を 見 て い まし た 。 
三 人 は やっと 三郎 の 前 まで 来 まし た 。 けれども あんまり 息 が はあ はあ し て すぐ に は 何 も 言え ませ ん でし た 。 嘉助 など は あんまり もどかしい もん です から 、 空 へ 向い て 「 ホッホウ 。 」 と 叫ん で 早く 息 を 吐い て しまお う と し まし た 。 すると 三郎 は 大きな 声 で 笑い まし た 。 
「 ずいぶん 待っ た ぞ 。 それ に きょう は 雨 が 降る かも しれ ない そう だ よ 。 」 
「 そ だら 早 ぐ 行 ぐべすさ 。 おら ま ん つ 水 飲ん で ぐ 。 」 三 人 は 汗 を ふい て しゃがん で 、 まっ白 な 岩 から ご ぼ ご ぼ 噴き だす 冷たい 水 を 何 べ ん も すくっ て のみ まし た 。 
「 ぼく の うち は ここ から すぐ な ん だ 。 ちょうど あの 谷 の 上 あたり な ん だ 。 みんな で 帰り に 寄ろ う ねえ 。 」 
「 うん 。 ま ん つ 野原 さ 行 ぐべすさ 。 」 
みんな が また あるきはじめ た とき わき水 は 何 か を 知らせる よう に ぐうっと 鳴り 、 そこら の 木 も なんだか ざあっと 鳴っ た よう でし た 。 
五 人 は 林 の すそ の 藪 の 間 を 行っ たり 岩 かけ の 小さく くずれる 所 を 何 べ ん も 通っ たり し て 、 もう 上 の 野原 の 入り口 に 近く なり まし た 。 
みんな は そこ まで 来る と 来 た ほう から また 西 の ほう を ながめ まし た 。 
光っ たり かげっ たり 幾 通り に も 重なっ た たくさん の 丘 の 向こう に 、 川 に 沿っ た ほんとう の 野原 が ぼんやり 碧 く ひろがっ て いる の でし た 。 
「 ありゃ 、 あ いづ 川 だ ぞ 。 」 
「 春日 明神 さん の 帯 の よう だ な 。 」 三郎 が 言い まし た 。 
「 何 の よう だ ど 。 」 一郎 が きき まし た 。 
「 春日 明神 さん の 帯 の よう だ 。 」 
「 う な 神 さん の 帯 見 だ ごと ある が 。 」 
「 ぼく 北海道 で 見 た よ 。 」 
みんな は なん の こと だ か わから ず だまっ て しまい まし た 。 
ほんとう に そこ は もう 上 の 野原 の 入り口 で 、 きれい に 刈ら れ た 草 の 中 に 一 本 の 大きな 栗 の 木 が 立っ て 、 その 幹 は 根 もと の 所 が まっ黒 に 焦げ て 大きな 洞 の よう に なり 、 その 枝 に は 古い 繩 や 、 切れ た わらじ など が つるし て あり まし た 。 
「 もう少し 行 ぐづどみんなして 草 刈っ てる ぞ 。 それから 馬 の いる ど ご も ある ぞ 。 」 一郎 は 言い ながら 先 に 立っ て 刈っ た 草 の なか の 一 ぽん みち を ぐんぐん 歩き まし た 。 
三郎 は その 次に 立っ て 、 
「 ここ に は 熊 い ない から 馬 を はなし て おい て も いい なあ 。 」 と 言っ て 歩き まし た 。 
しばらく 行く と みち ば た の 大きな 楢 の 木の下 に 、 繩 で 編ん だ 袋 が 投げ出し て あっ て 、 たくさん の 草 た ば が あっち に も こっち に も ころがっ て い まし た 。 
せ なか に 草 束 を しょっ た 二 匹 の 馬 が 、 一郎 を 見 て 鼻 を ぷるぷる 鳴らし まし た 。 
「 兄 な 、 いる が 。 兄 な 、 来 た ぞ 。 」 一郎 は 汗 を ぬぐい ながら 叫び まし た 。 
「 おおい 。 あ あい 。 そこ に いろ 。 今行 ぐぞ 。 」 ず うっ と 向こう の くぼみ で 、 一郎 の にいさん の 声 が し まし た 。 
日 は ぱっと 明るく なり 、 にいさん が そっち の 草 の 中 から 笑っ て 出 て 来 まし た 。 
「 善 ぐ 来 た な 。 みんな も 連れ で 来 た の が 。 善 ぐ 来 た 。 戻り に 馬 こ 連れ で て けろ な 。 きょう あ 午 まがら きっと 曇る 。 おら もう少し 草 集め て 仕舞 がら な 、 うな だ 遊ば ば あの 土手 の 中 さ は いっ てろ 。 まだ 牧 馬 の 馬 二 十 匹 ばかり は いる がら な 。 」 
にいさん は 向こう へ 行こ う として 、 振り向い て また 言い まし た 。 
「 土手 がら 外さ 出 はる な よ 。 迷っ て しまう づどあぶないがらな 。 午 ま に なっ たら また 来る がら 。 」 
「 うん 。 土手 の 中 に いる がら 。 」 
そして 一郎 の にいさん は 行っ て しまい まし た 。 
空 に は うすい 雲 が すっかり かかり 、 太陽 は 白い 鏡 の よう に なっ て 、 雲 と 反対 に 馳せ まし た 。 風 が 出 て 来 て まだ 刈っ て い ない 草 は 一 面 に 波 を 立て ます 。 一郎 は さき に たっ て 小さな みち を まっすぐ に 行く と 、 まもなく ど て に なり まし た 。 その 土手 の 一 とこ ちぎれ た ところ に 二 本 の 丸太 の 棒 を 横 に わたし て あり まし た 。 悦治 が それ を くぐろ う と し ます と 、 嘉助 が 、 
「 おら こっ た な も の はず せ だ ぞ 。 」 と 言い ながら 片 っぽう の はじ を ぬい て 下 に おろし まし た ので みんな は それ を はね 越え て 中 に はいり まし た 。 
向こう の 少し 小高い ところ に てかてか 光る 茶 いろ の 馬 が 七 匹 ばかり 集まっ て 、 しっぽ を ゆるやか に ば し ゃばしゃふっているのです 。 
「 この 馬 みんな 千 円 以上 する づもな 。 来年 がら みんな 競馬 さ も 出 はる の だ づぢゃい 。 」 一郎 は そば へ 行き ながら 言い まし た 。 
馬 は みんな いま まで さ びしくってしようなかったというように 一 郎 たち の ほう へ 寄っ て き まし た 。 そして 鼻 づら を ず うっ と のばし て 何 か ほし そう に する の です 。 
「 は はあ 、 塩 を けろ づのだな 。 」 みんな は 言い ながら 手 を 出し て 馬 に なめさ せ たり し まし た が 、 三郎 だけ は 馬 に なれ て い ない らしく 気味 わる そう に 手 を ポケット へ 入れ て しまい まし た 。 
「 わあ 、 又 三郎 馬 おっかな がる ぢ ゃい 。 」 と 悦治 が 言い まし た 。 すると 三郎 は 、 
「 こわく なんか ない やい 。 」 と 言い ながら すぐ ポケット の 手 を 馬 の 鼻 づら へ のばし まし た が 、 馬 が 首 を のばし て 舌 を べろりと 出す と 、 さっと 顔 いろ を 変え て すばやく また 手 を ポケット へ 入れ て しまい まし た 。 
「 わあ い 、 又 三郎 馬 おっかな がる ぢ ゃい 。 」 悦治 が また 言い まし た 。 すると 三郎 は すっかり 顔 を 赤く し て しばらく もじもじ し て い まし た が 、 
「 そん なら 、 みんな で 競馬 やる か 。 」 と 言い まし た 。 
競馬 って どう する の か と みんな 思い まし た 。 
すると 三郎 は 、 
「 ぼく 競馬 何 べ ん も 見 た ぞ 。 けれども この 馬 みんな 鞍 が ない から 乗れ ない や 。 みんな で 一 匹 ずつ 馬 を 追って 、 はじめ に 向こう の 、 そら 、 あの 大きな 木 の ところ に 着い た もの を 一等 に しよ う 。 」 
「 そい づおもしろいな 。 」 嘉助 が 言い まし た 。 
「 し から える ぞ 。 牧夫 に 見つけ ら え で がら 。 」 
「 大丈夫 だ よ 。 競馬 に 出る 馬 なんか 練習 を し て い ない と いけ ない ん だい 。 」 三郎 が 言い まし た 。 
「 よし おら この 馬 だ ぞ 。 」 
「 おら この 馬 だ 。 」 
「 そん なら ぼく は この 馬 でも いい や 。 」 みんな は 楊 の 枝 や 萱 の 穂 で しゅう と 言い ながら 馬 を 軽く 打ち まし た 。 
ところが 馬 は ちっとも びく ともし ませ ん でし た 。 やはり 下 へ 首 を たれ て 草 を かい だり 、 首 を のばし て そこら の けしき を もっと よく 見る という よう に し て いる の です 。 
一郎 が そこ で 両手 を ぴしゃんと 打ち合わせ て 、 だ あ 、 と 言い まし た 。 
すると にわかに 七 匹 と も まるで たてがみ を そろえ て かけ 出し た の です 。 
「 うま あい 。 」 嘉助 は はね上がっ て 走り まし た 。 けれども それ は どうも 競馬 に は なら ない の でし た 。 
第 一 、 馬 は どこ まで も 顔 を ならべ て 走る の でし た し 、 それに そんなに 競馬 する くらい 早く 走る の で も なかっ た の です 。 それでも みんな は おもしろ がっ て 、 だ あ だ と 言い ながら 一生けん命 その あと を 追い まし た 。 
馬 は すこし 行く と 立ちどまり そう に なり まし た 。 みんな も すこし はあ はあ し まし た が 、 こらえ て また 馬 を 追い まし た 。 すると いつか 馬 は ぐるっと さっき の 小高い ところ を まわっ て 、 さっき 五 人 で は いっ て 来 た ど て の 切れ た 所 へ 来 た の です 。 
「 あ 、 馬出 はる 、 馬出 はる 。 押えろ 　 押えろ 。 」 一郎 は まっ青 に なっ て 叫び まし た 。 じっさい 馬 は ど て の 外 へ 出 た の らしい の でし た 。 どんどん 走っ て 、 もう さっき の 丸太 の 棒 を 越え そう に なり まし た 。 
一郎 は まるで あわて て 、 
「 どう 、 どう 、 どうどう 。 」 と 言い ながら 一生けん命 走っ て 行っ て 、 やっと そこ へ 着い て まるで ころぶ よう に し ながら 手 を ひろげ た とき は 、 その とき は もう 二 匹 は 柵 の 外 へ 出 て い た の です 。 
「 早 ぐ 来 て 押えろ 。 早 ぐ 来 て 。 」 一郎 は 息 も 切れる よう に 叫び ながら 丸太 棒 を もと の よう に し まし た 。 
四 人 は 走っ て 行っ て 急い で 丸太 を くぐっ て 外 へ 出 ます と 、 二 匹 の 馬 は もう 走る で も なく 、 ど て の 外 に 立っ て 草 を 口 で 引っぱっ て 抜く よう に し て い ます 。 
「 そろそろ ど 押えろ よ 。 そろそろ ど 。 」 と 言い ながら 一 郎 は 一 ぴき の くつ わ に つい た 札 の ところ を しっかり 押え まし た 。 嘉助 と 三郎 が もう 一 匹 を 押えよ う と そば へ 寄り ます と 、 馬 は まるで おどろい た よう に ど て へ 沿っ て 一目散 に 南 の ほう へ 走っ て しまい まし た 。 
「 兄 な 、 馬 あ 逃げる 、 馬 あ 逃げる 。 兄 な 、 馬 逃げる 。 」 とうしろ で 一 郎 が 一生けん命 叫ん で い ます 。 三郎 と 嘉助 は 一生けん命 馬 を 追い まし た 。 
ところが 馬 は もう 今度 こそ ほんとう に 逃げる つもり らしかっ た の です 。 まるで 丈 ぐらい ある 草 を わけ て 高み に なっ たり 低く なっ たり 、 どこ まで も 走り まし た 。 
嘉助 は もう 足 が しびれ て しまっ て 、 どこ を どう 走っ て いる の か わから なく なり まし た 。 
それから まわり が まっ 蒼 に なっ て 、 ぐるぐる 回り 、 とうとう 深い 草 の 中 に 倒れ て しまい まし た 。 馬 の 赤い たてがみ と 、 あと を 追っ て 行く 三 郎 の 白い シャッポ が 終わり に ちらっと 見え まし た 。 
嘉助 は 、 仰向け に なっ て 空 を 見 まし た 。 空 が まっ白 に 光っ て 、 ぐるぐる 回り 、 その こちら を 薄い ねずみ色 の 雲 が 、 速く 速く 走っ て い ます 。 そして カンカン 鳴っ て い ます 。 
嘉助 は やっと 起き上がっ て 、 せかせか 息 し ながら 馬 の 行っ た ほう に 歩き 出し まし た 。 草 の 中 に は 、 今 馬 と 三郎 が 通っ た 跡 らしく 、 かすか な 道 の よう な もの が あり まし た 。 嘉助 は 笑い まし た 。 そして 、 （ ふん 、 なあに 馬 どこ か で こわく なっ て のっ こり 立っ てる さ 、 ） と 思い まし た 。 
そこで 嘉助 は 、 一生懸命 それ を つけ て 行き まし た 。 
ところが その 跡 の よう な もの は 、 まだ 百 歩 も 行か ない うち に 、 おと こえ し や 、 すてき に 背 の 高い あざみ の 中 で 、 二つ に も 三つ に も 分かれ て しまっ て 、 どれ が どれ やら いっこう わから なく なっ て しまい まし た 。 
嘉助 は 「 お うい 。 」 と 叫び まし た 。 
「 おう 。 」 と どこ か で 三 郎 が 叫ん で いる よう です 。 思い切っ て 、 その まん中 の を 進み まし た 。 
けれども それ も 、 時々 切れ たり 、 馬 の 歩か ない よう な 急 な 所 を 横ざま に 過ぎ たり する の でし た 。 
空 は たいへん 暗く 重く なり 、 まわり が ぼうっと かすん で 来 まし た 。 冷たい 風 が 、 草 を 渡り はじめ 、 もう 雲 や 霧 が 切れ切れ に なっ て 目 の 前 を ぐんぐん 通り過ぎ て 行き まし た 。 
（ ああ 、 こいつ は 悪く なっ て 来 た 。 みんな 悪い こと は これから 集っ て やっ て 来る の だ 。 ） と 嘉助 は 思い まし た 。 全く その とおり 、 にわかに 馬 の 通っ た 跡 は 草 の 中 で なく なっ て しまい まし た 。 
（ ああ 、 悪く なっ た 、 悪く なっ た 。 ） 嘉助 は 胸 を どきどき さ せ まし た 。 
草 が からだ を 曲げ て 、 パチ パチ 言っ たり 、 さらさら 鳴っ たり し まし た 。 霧 が ことに 滋 く なっ て 、 着物 は すっかり しめっ て しまい まし た 。 
嘉助 は 咽喉 いっぱい 叫び まし た 。 
「 一郎 、 一郎 、 こっち さ 来 う 。 」 ところが なん の 返事 も 聞こえ ませ ん 。 黒板 から 降る 白墨 の 粉 の よう な 、 暗い 冷たい 霧 の 粒 が 、 そこら 一 面 踊り まわり 、 あたり が にわかに シイ ン として 、 陰気 に 陰気 に なり まし た 。 草 から は 、 もう しずく の 音 が ポタリポタリ と 聞こえ て 来 ます 。 
嘉助 は 、 もう 早く 一郎 たち の 所 へ 戻ろ う として 急い で 引っ返し まし た 。 けれども どうも 、 それ は 前 に 来 た 所 と は 違っ て い た よう でし た 。 第 一 、 あざみ が あんまり たくさん あり まし た し 、 それ に 草 の 底 に さっき なかっ た 岩 かけ が 、 たびたび ころがっ て い まし た 。 そして とうとう 聞い た こと も ない 大きな 谷 が 、 いきなり 目 の 前 に 現われ まし た 。 すすき が ざわざわ ざわっと 鳴り 、 向こう の ほう は 底 知れ ず の 谷 の よう に 、 霧 の 中 に 消え て いる で は あり ませ ん か 。 
風 が 来る と 、 すすき の 穂 は 細い たくさん の 手 を いっぱい のばし て 、 忙しく 振っ て 、 
「 あ 、 西 さん 、 あ 、 東 さん 、 あ 、 西 さん 、 あ 、 南 さん 、 あ 、 西 さん 。 」 なんて 言っ て いる よう でし た 。 
嘉助 は あんまり 見 っと も なかっ た ので 、 目 を つむっ て 横 を 向き まし た 。 そして 急い で 引っ返し まし た 。 小さな 黒い 道 が いきなり 草 の 中 に 出 て 来 まし た 。 それ は たくさん の 馬 の ひ づめの 跡 で できあがっ て い た の です 。 嘉助 は 夢中 で 短い 笑い声 を あげ て 、 その道 を ぐんぐん 歩き まし た 。 
けれども 、 たより の ない こと は 、 みち の は ば が 五 寸 ぐらい に なっ たり 、 また 三 尺 ぐらい に 変わっ たり 、 おまけ に なんだか ぐるっと 回っ て いる よう に 思わ れ まし た 。 そして 、 とうとう 大きな てっぺん の 焼け た 栗 の 木 の 前 まで 来 た 時 、 ぼんやり 幾つ に も 別れ て しまい まし た 。 
そこ は たぶん は 、 野 馬 の 集まり 場所 で あっ た でしょ う 。 霧 の 中 に 丸い 広場 の よう に 見え た の です 。 
嘉助 は がっかり し て 、 黒い 道 を また 戻り はじめ まし た 。 知ら ない 草 穂 が 静か に ゆらぎ 、 少し 強い 風 が 来る 時 は 、 どこ か で 何 か が 合図 を し て でも いる よう に 、 一 面 の 草 が 、 それ 来 た っと みな から だ を 伏せ て 避け まし た 。 
空 が 光っ て キインキイン と 鳴っ て い ます 。 
それから すぐ 目 の 前 の 霧 の 中 に 、 家 の 形 の 大きな 黒い もの が あらわれ まし た 。 嘉助 は しばらく 自分 の 目 を 疑っ て 立ちどまっ て い まし た が 、 やはり どうしても 家 らしかっ た ので 、 こわごわ もっと 近寄っ て 見 ます と 、 それ は 冷たい 大きな 黒い 岩 でし た 。 
空 が くるくる くるっ と 白く 揺らぎ 、 草 が バラッ と 一 度 に しずく を 払い まし た 。 
（ 間違っ て 原 の 向こう 側 へ おりれ ば 、 又 三郎 も おれ も 、 もう 死ぬ ばかり だ 。 ） と 嘉助 は 半分 思う よう に 半分 つぶやく よう に し まし た 。 それ から 叫び まし た 。 
「 一郎 、 一郎 、 いる が 。 一郎 。 」 
また 明るく なり まし た 。 草 が みな いっせいに よろこび の 息 を し ます 。 
「 伊佐 戸 の 町 の 、 電気 工夫 の 童 あ 、 山男 に 手足 いし ばら え て た ふ だ 。 」 と いつか だれ か の 話し た 言葉 が 、 はっきり 耳 に 聞こえ て 来 ます 。 
そして 、 黒い 道 が にわかに 消え て しまい まし た 。 あたり が ほんの しばらく しいんと なり まし た 。 それから 非常 に 強い 風 が 吹い て 来 まし た 。 
空 が 旗 の よう に ぱたぱた 光っ て 飜 り 、 火花 が パチパチパチッ と 燃え まし た 。 嘉助 は とうとう 草 の 中 に 倒れ て ねむっ て しまい まし た 。 
そんな こと は みんな どこ か の 遠い でき ごと の よう でし た 。 
もう 又 三郎 が すぐ 目 の 前 に 足 を 投げだし て だまっ て 空 を 見 あげ て いる の です 。 いつか いつも の ねずみ いろ の 上着 の 上 に ガラス の マント を 着 て いる の です 。 それ から 光る ガラス の 靴 を はい て いる の です 。 
又 三郎 の 肩 に は 栗 の 木 の 影 が 青く 落ち て い ます 。 又 三郎 の 影 は 、 また 青く 草 に 落ち て い ます 。 そして 風 が どんどん どんどん 吹い て いる の です 。 
又 三郎 は 笑い も し なけれ ば 物 も 言い ませ ん 。 ただ 小さな くちびる を 強 そう に きっと 結ん だ まま 黙っ て そら を 見 て い ます 。 いきなり 又 三郎 は ひら っと そら へ 飛び あがり まし た 。 ガラス の マント が ギラギラ 光り まし た 。 
ふと 嘉助 は 目 を ひらき まし た 。 灰 いろ の 霧 が 速く 速く 飛ん で い ます 。 
そして 馬 が すぐ 目 の 前 に のっそり と 立っ て い た の です 。 その 目 は 嘉助 を 恐れ て 横 の ほう を 向い て い まし た 。 
嘉助 は はね上がっ て 馬 の 名札 を 押え まし た 。 その うし ろ から 三 郎 が まるで 色 の なくなっ た くちびる を きっと 結ん で こっち へ 出 て き まし た 。 
嘉助 は ぶるぶる ふるえ まし た 。 
「 お うい 。 」 霧 の 中 から 一 郎 の にいさん の 声 が し まし た 。 雷 も ごろごろ 鳴っ て い ます 。 
「 おおい 、 嘉助 。 いる が 。 嘉助 。 」 一郎 の 声 も し まし た 。 嘉助 は よろこん で とびあがり まし た 。 
「 おおい 。 いる 、 いる 。 一郎 。 おおい 。 」 
一郎 の にいさん と 一郎 が 、 とつぜん 目 の 前 に 立ち まし た 。 嘉助 は にわかに 泣き 出し まし た 。 
「 捜し た ぞ 。 あぶな がっ た ぞ 。 すっかり ぬれ だ な 。 どう 。 」 一郎 の にいさん は なれ た 手つき で 馬 の 首 を 抱い て 、 もっ て き た くつ わ を すばやく 馬 の くち に はめ まし た 。 
「 さあ 、 あ べ さ 。 」 
「 又 三郎 びっくり し た べ あ 。 」 一郎 が 三 郎 に 言い まし た 。 三郎 は だまっ て 、 やっぱり きっと 口 を 結ん で うなずき まし た 。 
みんな は 一 郎 の にいさん について 、 ゆるい 傾斜 を 二つ ほど のぼり 降り し まし た 。 それから 、 黒い 大きな 道 について 、 しばらく 歩き まし た 。 
稲 光り が 二 度 ばかり 、 かすか に 白く ひらめき まし た 。 草 を 焼く におい が し て 、 霧 の 中 を 煙 が ぼうっと 流れ て い ます 。 
一郎 の にいさん が 叫び まし た 。 
「 おじいさん 。 い だ 、 い だ 。 みんな い だ 。 」 
おじいさん は 霧 の 中 に 立っ て い て 、 
「 ああ 心配 し た 、 心配 し た 。 ああ よがっ た 。 おお 嘉助 。 寒 が べ あ 、 さあ はいれ 。 」 と 言い まし た 。 嘉助 は 一郎 と 同じ よう に やはり この おじいさん の 孫 な よう でし た 。 
半分 に 焼け た 大きな 栗 の 木の根 もと に 、 草 で 作っ た 小さな 囲い が あっ て 、 チョロチョロ 赤い 火 が 燃え て い まし た 。 
一郎 の にいさん は 馬 を 楢 の 木 に つなぎ まし た 。 
馬 も ひ ひん と 鳴い て い ます 。 
「 おお むぞやな 。 な 。 なんぼ が 泣い だ が な 。 その わろ は 金山 掘り の わろ だ な 。 さあ さあ みんな 団子 た べろ 。 食べろ 。 な 、 今 こっち を 焼 ぐがらな 。 全体 どこ まで 行っ て だっ た 。 」 
「 笹 長根 の おり 口 だ 。 」 と 一郎 の にいさん が 答え まし た 。 
「 あぶない がっ た 。 あぶない がっ た 。 向こう さ 降り だら 馬 も 人 も それ っ 切り だっ た ぞ 。 さあ 嘉助 、 団子 食べろ 。 この わろ も たべろ 。 さあ さあ 、 こ いづ も 食べろ 。 」 
「 おじいさん 。 馬 置い で くる が 。 」 と 一郎 の にいさん が 言い まし た 。 
「 うん うん 。 牧夫 来る ど まだ や が まし がら な 、 し た ども 、 も 少し 待 で 。 また すぐ 晴れる 。 ああ 心配 し た 。 おれ も 虎 こ 山の下 まで 行っ て 見 で 来 た 。 はあ 、 ま ん つよ がっ た 。 雨 も 晴れる 。 」 
「 けさ ほんとに 天気 よがっ た のに な 。 」 
「 うん 。 また よ ぐなるさ 、 あ 、 雨 漏っ て 来 た な 。 」 
一郎 の にいさん が 出 て 行き まし た 。 天井 が ガサガサガサガサ 言い ます 。 おじいさん が 笑い ながら それ を 見上げ まし た 。 
にいさん が また はいっ て 来 まし た 。 
「 おじいさん 。 明る ぐなった 。 雨 あ 霽 れ だ 。 」 
「 うん うん 、 そう が 。 さあ みんな よっ く 火 に あ だれ 、 おら また 草 刈る がら な 。 」 
霧 が ふっと 切れ まし た 。 日 の 光 が さっと 流れ て はいり まし た 。 その 太陽 は 、 少し 西 の ほう に 寄っ て かかり 、 幾 片 か の 蝋 の よう な 霧 が 、 逃げ おくれ て しかた なし に 光り まし た 。 
草 から は しずく が きらきら 落ち 、 すべて の 葉 も 茎 も 花 も 、 ことし の 終わり の 日 の 光 を 吸っ て い ます 。 
はるか な 西 の 碧 い 野原 は 、 今 泣き やん だ よう に まぶしく 笑い 、 向こう の 栗 の 木 は 青い 後光 を 放ち まし た 。 
みんな は もう 疲れ て 一 郎 を さき に 野原 を おり まし た 。 わき水 の ところ で 三 郎 は やっぱり だまっ て 、 きっと 口 を 結ん だ まま みんな に 別れ て 、 じ ぶん だけ おとうさん の 小屋 の ほう へ 帰っ て 行き まし た 。 
帰り ながら 嘉助 が 言い まし た 。 
「 あい づやっぱり 風の神 だ ぞ 。 風の神 の 子 っ子 だ ぞ 。 あ そご さ 二 人 し て 巣食っ てる ん だ ぞ 。 」 
「 そ だ ない よ 。 」 一郎 が 高く 言い まし た 。 
次 の 日 は 朝 の うち は 雨 でし た が 、 二 時間 目 から だんだん 明るく なっ て 三 時間 目 の 終わり の 十分 休み に は とうとう すっかり やみ 、 あちこち に 削っ た よう な 青 ぞ ら も でき て 、 その 下 を まっ白 な うろこ 雲 が どんどん 東 へ 走り 、 山 の 萱 から も 栗 の 木 から も 残り の 雲 が 湯 げ の よう に 立ち まし た 。 
「 下がっ たら 葡萄 蔓 とり に 行 が ない が 。 」 耕 助 が 嘉助 に そっと 言い まし た 。 
「 行 ぐ 行 ぐ 。 三郎 も 行 が ない が 。 」 嘉助 が さそい まし た 。 耕 助 は 、 
「 わあ い 、 あ そご 三 郎 さ 教える や ない ぢ ゃ 。 」 と 言い まし た が 三 郎 は 知ら ない で 、 
「 行く よ 。 ぼく は 北海道 で も とっ た ぞ 。 ぼく の おかあさん は 樽 へ 二 っ つ 漬け た よ 。 」 と 言い まし た 。 
「 葡萄 とり に おら も 連れ で が ない が 。 」 二 年生 の 承 吉 も 言い まし た 。 
「 わが ない ぢ ゃ 。 う など さ 教える や ない ぢ ゃ 。 おら 去年 な 新しい ど ご 見つけ だ ぢ ゃ 。 」 
みんな は 学校 の 済む の が 待ち遠しかっ た の でし た 。 五 時間 目 が 終わる と 、 一郎 と 嘉助 と 佐太郎 と 耕 助 と 悦治 と 三郎 と 六 人 で 学校 から 上流 の ほう へ 登っ て 行き まし た 。 少し 行く と 一 けん の 藁 や ね の 家 が あっ て 、 その 前 に 小さな たばこ 畑 が あり まし た 。 たばこ の 木 は もう 下 の ほう の 葉 を つん で ある ので 、 その 青い 茎 が 林 の よう に きれい に ならん で いかにも おもしろ そう でし た 。 
すると 三郎 は いきなり 、 
「 なん だい 、 この 葉 は 。 」 と 言い ながら 葉 を 一 枚 むしっ て 一 郎 に 見せ まし た 。 すると 一郎 は びっくり し て 、 
「 わあ 、 又 三郎 、 たば ご の 葉 とる づど 専売 局 に うんと しから れる ぞ 。 わあ 、 又 三郎 何 し て とっ た 。 」 と 少し 顔 いろ を 悪く し て 言い まし た 。 みんな も 口々 に 言い まし た 。 
「 わあ い 。 専売 局 で あ 、 この 葉 一 枚 ずつ 数え で 帳面 さ つけ でる だ 。 おら 知ら ない ぞ 。 」 
「 おら も 知ら ない ぞ 。 」 
「 おら も 知ら ない ぞ 。 」 みんな 口 を そろえ て はやし まし た 。 
すると 三郎 は 顔 を まっ 赤 に し て 、 しばらく それ を 振り回し て 何 か 言お う と 考え て い まし た が 、 
「 おら 知ら ない で とっ た ん だい 。 」 と おこっ た よう に 言い まし た 。 
みんな は こわ そう に 、 だれ か 見 て い ない か という よう に 向こう の 家 を 見 まし た 。 たばこ ば たけ から もうもうと あがる 湯 げ の 向こう で 、 その 家 は しいんと し て だれ も い た よう で は あり ませ ん でし た 。 
「 あの 家 一 年生 の 小 助 の 家 だ ぢ ゃい 。 」 嘉助 が 少し なだめる よう に 言い まし た 。 ところが 耕 助 は はじめ から じ ぶん の 見つけ た 葡萄 藪 へ 、 三郎 だの みんな あんまり 来 て おもしろく なかっ た もん です から 、 意地 悪く も いちど 三 郎 に 言い まし た 。 
「 わあ 、 三郎 なんぼ 知ら ない たって わが ない ん だ ぢ ゃ 。 わあ い 、 三郎 も どの とおり に し て まゆ ん だ で あ 。 」 
三郎 は 困っ た よう に し て また しばらく だまっ て い まし た が 、 
「 そん なら 、 おいら ここ へ 置い て く から いい や 。 」 と 言い ながら さっき の 木の根 もと へ そっと その 葉 を 置き まし た 。 すると 一郎 は 、 
「 早く あ べ 。 」 と 言っ て 先 に たっ て あるき だし まし た ので みんな も ついて行き まし た が 、 耕 助 だけ は まだ 残っ て 「 ほう 、 おら 知ら ない ぞ 。 ありゃ 、 又 三 郎 の 置い た 葉 、 あ すご に ある ぢ ゃい 。 」 なんて 言っ て いる の でし た が 、 みんな が どんどん 歩き だし た ので 耕 助 も やっと つい て 来 まし た 。 
みんな は 萱 の 間 の 小さな みち を 山 の ほう へ 少し のぼり ます と 、 その 南側 に 向い た くぼみ に 栗 の 木 が あちこち 立っ て 、 下 に は 葡萄 が もくもく し た 大きな 藪 に なっ て い まし た 。 
「 こご おれ 見 っ つけ だ の だ が ら みんな あんまり とる や ない ぞ 。 」 耕 助 が 言い まし た 。 
すると 三郎 は 、 
「 おいら 栗 の ほう を とる ん だい 。 」 と いっ て 石 を 拾っ て 一つ の 枝 へ 投げ まし た 。 青い いが が 一つ 落ち まし た 。 
三郎 は それ を 棒 きれ でむい て 、 まだ 白い 栗 を 二つ とり まし た 。 みんな は 葡萄 の ほう へ 一生けん命 でし た 。 
そのうち 耕 助 が も 一つ の 藪 へ 行こ う と 一 本 の 栗 の 木の下 を 通り ます と 、 いきなり 上 から しずく が 一 ぺん に ざっと 落ち て き まし た ので 、 耕 助 は 肩 から せ なか から 水 へ はいっ た よう に なり まし た 。 耕 助 は おどろい て 口 を あい て 上 を 見 まし たら 、 いつか 木 の 上 に 三 郎 が のぼっ て い て 、 なんだか 少し わらい ながら じ ぶん も 袖 ぐち で 顔 を ふい て い た の です 。 
「 わあ い 、 又 三郎 何 する 。 」 耕 助 は うらめし そう に 木 を 見 あげ まし た 。 
「 風 が 吹い た ん だい 。 」 三郎 は 上 で くつ くつ わらい ながら 言い まし た 。 
耕 助 は 木の下 を はなれ て また 別 の 藪 で 葡萄 を とり はじめ まし た 。 もう 耕 助 はじ ぶん でも 持て ない くらい あちこち へ ため て い て 、 口 も 紫いろ に なっ て まるで 大きく 見え まし た 。 
「 さあ 、 この くらい 持っ て 戻ら ない が 。 」 一郎 が 言い まし た 。 
「 おら 、 もっと 取っ て ぐぢゃ 。 」 耕 助 が 言い まし た 。 
その とき 耕 助 は また 頭 から つめたい しずく を ざあっとかぶりました 。 耕 助 は また びっくり し た よう に 木 を 見上げ まし た が 今度 は 三 郎 は 木 の 上 に は い ませ ん でし た 。 
けれども 木 の 向こう 側 に 三郎 の ねずみ いろ の ひじ も 見え て い まし た し 、 くつ くつ 笑う 声 も し まし た から 、 耕 助 は もう すっかり おこっ て しまい まし た 。 
「 わあ い 又 三郎 、 まだ ひと さ 水掛 げ だ な 。 」 
「 風 が 吹い た ん だい 。 」 
みんな は どっと 笑い まし た 。 
「 わあ い 又 三郎 、 う な そご で 木 ゆすっ た け あ なあ 。 」 
みんな は どっと また 笑い まし た 。 
すると 耕 助 は うらめし そう に しばらく だまっ て 三 郎 の 顔 を 見 ながら 、 
「 う あい 又 三郎 、 汝 など あ 世界 に なく て も いい なあ 。 」 
すると 三郎 は ずる そう に 笑い まし た 。 
「 やあ 耕 助 君 、 失敬 し た ねえ 。 」 
耕 助 は 何 か もっと 別 の こと を 言お う と 思い まし た が 、 あんまり おこっ て しまっ て 考え出す こと が でき ませ ん でし た ので また 同じ よう に 叫び まし た 。 
「 う あい 、 う あいだ 、 又 三郎 、 う なみ だい な 風 など 世界じゅう に なく て も いい なあ 、 うわ あい 。 」 
「 失敬 し た よ 、 だって あんまり きみ も ぼく へ 意地悪 を する もん だ から 。 」 三郎 は 少し 目 を パチ パチ さ せ て 気の毒 そう に 言い まし た 。 けれども 耕 助 の いかり は なかなか 解け ませ ん でし た 。 そして 三 度 同じ こと を くりかえし た の です 。 
「 う わい 又 三郎 、 風 など あ 世界じゅう に なく て も いい な 、 う わい 。 」 
すると 三郎 は 少し おもしろく なっ た よう で また くつ くつ 笑い だし て たずね まし た 。 
「 風 が 世界 じ ゅうになくってもいいってどういうんだい 。 いい と 箇条 を たて て いっ て ごらん 。 そら 。 」 三郎 は 先生 みたい な 顔つき を し て 指 を 一 本 だし まし た 。 
耕 助 は 試験 の よう だ し 、 つまらない こと に なっ た と 思っ て たいへん くやしかっ た の です が 、 しかた なく しばらく 考え て から 言い まし た 。 
「 汝 など 悪戯 ばり さ な 、 傘 ぶっ こわし たり 。 」 
「 それから それ から 。 」 三郎 は おもしろ そう に 一足 進ん で 言い まし た 。 
「 それ がら 木 折っ たり 転覆 し たり さ な 。 」 
「 それから 、 それ から どう だい 。 」 
「 家 も ぶっ こわ さ な 。 」 
「 それから 。 それから 、 あと は どう だい 。 」 
「 あかし も 消さ な 。 」 
「 それから あと は ？ 　 それから あと は ？ 　 どう だい 。 」 
「 シャップ も とばさ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから あと は ？ 　 あと は どう だい 。 」 
「 笠 も とばさ な 。 」 
「 それから それ から 。 」 
「 それ がら 、 ラ 、 ラ 、 電信 ば しら も 倒さ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 それから ？ 」 
「 それ がら 屋根 も とばさ な 。 」 
「 アアハハハ 、 屋根 は 家 の うち だい 。 どう だ いまだ ある かい 。 それから 、 それから ？ 」 
「 それ だ が ら 、 ララ 、 それ だ から ランプ も 消さ な 。 」 
「 アアハハハハ 、 ランプ は あかし の うち だい 。 けれど それだけ かい 。 え 、 おい 。 それから ？ 　 それから それ から 。 」 
耕 助 は つまっ て しまい まし た 。 たいてい もう 言っ て しまっ た の です から 、 いくら 考え て も もう でき ませ ん でし た 。 
三郎 は いよいよ おもしろ そう に 指 を 一 本 立て ながら 、 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 ええ ？ 　 それから ？ 」 と 言う の でし た 。 
耕 助 は 顔 を 赤く し て しばらく 考え て から やっと 答え まし た 。 
「 風車 も ぶっ こわ さ な 。 」 
すると 三郎 は こんど こそ は まるで 飛び上がっ て 笑っ て しまい まし た 。 みんな も 笑い まし た 。 笑っ て 笑っ て 笑い まし た 。 
三郎 は やっと 笑う の を やめ て 言い まし た 。 
「 そら ごらん 、 とうとう 風車 など を 言っ ちゃっ たろ う 。 風車 なら 風 を 悪く 思っ ちゃ い ない ん だ よ 。 もちろん 時々 こわす こと も ある けれども 回し て やる 時 の ほう が ずっと 多い ん だ 。 風車 なら ちっとも 風 を 悪く 思っ て い ない ん だ 。 それ に 第 一 お前 の さっき から の 数え よう は あんまり おかしい や 。 ララ 、 ララ 、 ばかり 言っ た ん だろ う 。 おしまい に とうとう 風車 なんか 数え ちゃっ た 。 ああ おかしい 。 」 
三郎 は また 涙 の 出る ほど 笑い まし た 。 
耕 助 も さっき から あんまり 困っ た ため に おこっ て い た の も だんだん 忘れ て 来 まし た 。 そして つい 三郎 と いっしょ に 笑い 出し て しまっ た の です 。 すると 三郎 も すっかり き げん を 直し て 、 
「 耕 助 君 、 いたずら を し て 済まなかっ た よ 。 」 と 言い まし た 。 
「 さあ それで あ 行 ぐべな 。 」 と 一郎 は 言い ながら 三 郎 に ぶどう を 五 ふさ ばかり くれ まし た 。 
三郎 は 白い 栗 を みんな に 二つ ずつ 分け まし た 。 そして みんな は 下 の みち まで いっしょ に おり て 、 あと は めいめい の うち へ 帰っ た の です 。 
次 の 朝 は 霧 が じめじめ 降っ て 学校 の うし ろ の 山 も ぼんやり しか 見え ませ ん でし た 。 ところが きょう も 二 時間 目 ころ から だんだん 晴れ て まもなく 空 は まっ青 に なり 、 日 は かんかん 照っ て 、 お 午 に なっ て 一 、 二 年 が 下がっ て しまう と まるで 夏 の よう に 暑く なっ て しまい まし た 。 
ひる すぎ は 先生 も たびたび 教壇 で 汗 を ふき 、 四 年生 の 習字 も 五 年生 六 年生 の 図画 も まるで むし暑く て 、 書き ながら うとうと する の でし た 。 
授業 が 済む と みんな は すぐ 川下 の ほう へ そろっ て 出かけ まし た 。 嘉助 が 、 
「 又 三郎 、 水 泳ぎ に 行 が ない が 。 小さい や づど 今 ころ みんな 行っ てる ぞ 。 」 と 言い まし た ので 三 郎 も ついて行き まし た 。 
そこ は この 前 上 の 野原 へ 行っ た ところ より も 、 も 少し 下流 で 右 の ほう から も 一つ の 谷川 が はいっ て 来 て 、 少し 広い 河原 に なり 、 すぐ 下流 は 大きな さいかち の 木 の はえ た 崖 に なっ て いる の でし た 。 
「 おおい 。 」 と さき に 来 て いる こども ら が は だ か で 両手 を あげ て 叫び まし た 。 一郎 や みんな は 、 河原 の ねむの木 の 間 を まるで 徒競走 の よう に 走っ て 、 いきなり きもの を ぬ ぐとすぐどぶんどぶんと 水 に 飛び込ん で 両足 を かわるがわる 曲げ て 、 だ あん だ あん と 水 を たたく よう に し ながら 斜め に ならん で 向こう岸 へ 泳ぎ はじめ まし た 。 前 に い た こども ら も あと から 追い付い て 泳ぎ はじめ まし た 。 三郎 も きもの を ぬい で みんな の あと から 泳ぎ はじめ まし た が 、 途中 で 声 を あげ て わらい まし た 。 すると 向こう岸 に つい た 一郎 が 、 髪 を あざらし の よう に し て くちびる を 紫 に し て わくわく ふるえ ながら 、 
「 わあ 又 三郎 、 何 し て わらっ た 。 」 と 言い まし た 。 
三郎 は やっぱり ふるえ ながら 水 から あがっ て 、 
「 この 川 冷たい なあ 。 」 と 言い まし た 。 
「 又 三郎 何 し て わらっ た ？ 」 一郎 は また きき まし た 。 
三郎 は 、 
「 おまえ たち の 泳ぎ方 は おかしい や 。 なぜ 足 を だぶだぶ 鳴らす ん だい 。 」 と 言い ながら また 笑い まし た 。 
「 うわ あい 。 」 と 一郎 は 言い まし た が 、 なんだか きまり が 悪く なっ た よう に 、 
「 石 取り さ ない が 。 」 と 言い ながら 白い 丸い 石 を ひろい まし た 。 
「 するする 。 」 こども ら が みんな 叫び まし た 。 
「 おれ それで あ 、 あの 木 の 上がら 落とす がら な 。 」 と 一郎 は 言い ながら 崖 の 中ごろ から 出 て いる さいかち の 木 へ するする のぼっ て 行き まし た 。 そして 、 
「 さあ 落とす ぞ 。 一 二 三 。 」 と 言い ながら その 白い 石 を ど ぶん 、 と 淵 へ 落とし まし た 。 
みんな は われ 勝ち に 岸 から まっ さ か さま に 水 に とび 込ん で 、 青白 いらっ この よう な 形 を し て 底 へ もぐっ て 、 その 石 を とろ う と し まし た 。 
けれども みんな 底 まで 行か ない に 息 が つまっ て 浮かび だし て 来 て 、 かわるがわる ふう と そこら へ 霧 を ふき まし た 。 
三郎 は じっと みんな の する の を 見 て い まし た が 、 みんな が 浮かん で き て から じ ぶん も ど ぶん と はいっ て 行き まし た 。 けれども やっぱり 底 まで 届か ず に 浮い て き た ので みんな は どっと 笑い まし た 。 その とき 向こう の 河原 の ねむの木 の ところ を 大人 が 四 人 、 肌 ぬぎ に なっ たり 、 網 を もっ たり し て こっち へ 来る の でし た 。 
すると 一郎 は 木 の 上 で まるで 声 を ひくく し て みんな に 叫び まし た 。 
「 おお 、 発破 だ ぞ 。 知ら ない ふり し てろ 。 石 とりやめ で 早 ぐみ ん な 下流 ささ がれ 。 」 そこ で みんな は 、 なるべく そっち を 見 ない ふり を し ながら 、 いっしょ に 砥石 を ひろっ たり 、 鶺鴒 を 追っ たり し て 、 発破 の こと なぞ 、 すこし も 気がつか ない ふり を し て い まし た 。 
すると 向こう の 淵 の 岸 で は 、 下流 の 坑夫 を し て い た 庄助 が 、 しばらく あちこち 見 まわし て から 、 いきなり あぐら を かい て 砂利 の 上 へ すわっ て しまい まし た 。 それ から ゆっくり 腰 から たばこ 入れ を とっ て 、 きせる を くわえ て ぱくぱく 煙 を ふきだし まし た 。 奇 体 だ と 思っ て い まし たら 、 また 腹 かけ から 何 か 出し まし た 。 
「 発破 だ ぞ 、 発破 だ ぞ 。 」 と みんな 叫び まし た 。 
一郎 は 手 を ふっ て それ を とめ まし た 。 庄助 は 、 きせる の 火 を しずか に それ へ うつし まし た 。 うし ろ に い た 一 人 は すぐ 水 に は いっ て 網 を かまえ まし た 。 庄助 は まるで 落ちつい て 、 立っ て 一 あし 水 に は いる と すぐ その 持っ た もの を 、 さいかち の 木の下 の ところ へ 投げこみ まし た 。 すると まもなく 、 ぼ お という よう な ひどい 音 が し て 水 は むくっ と 盛りあがり 、 それ から しばらく そこら あたり が きい ん と 鳴り まし た 。 
向こう の 大人 たち は みんな 水 へ はいり まし た 。 
「 さあ 、 流れ て 来る ぞ 。 みんな とれ 。 」 と 一郎 が 言い まし た 。 まもなく 耕 助 は 小指 ぐらい の 茶 いろ な かじ か が 横向き に なっ て 流れ て 来 た の を つかみ まし た し 、 その うし ろ で は 嘉助 が 、 まるで 瓜 を すする とき の よう な 声 を 出し まし た 。 それ は 六 寸 ぐらい ある 鮒 を とっ て 、 顔 を まっ 赤 に し て よろこん で い た の です 。 それから みんな とっ て 、 わあわあ よろこび まし た 。 
「 だまっ てろ 、 だまっ てろ 。 」 一郎 が 言い まし た 。 
その とき 向こう の 白い 河原 を 肌 ぬぎ に なっ たり 、 シャツ だけ 着 たり し た 大人 が 五 六 人 かけ て 来 まし た 。 その うし ろ から は ちょうど 活動 写真 の よう に 、 一 人 の 網 シャツ を 着 た 人 が 、 は だ か 馬 に 乗っ て まっしぐら に 走っ て 来 まし た 。 みんな 発破 の 音 を 聞い て 見 に 来 た の です 。 
庄助 は しばらく 腕 を 組ん で みんな の とる の を 見 て い まし た が 、 
「 さっぱり い ない な 。 」 と 言い まし た 。 すると 三郎 が いつのまにか 庄助 の そば へ 行っ て い まし た 。 そして 中 くらい の 鮒 を 二 匹 、 
「 魚 返す よ 。 」 と いっ て 河原 へ 投げる よう に 置き まし た 。 すると 庄助 が 、 
「 なん だ この 童 あ 、 き たい な や づだな 。 」 と 言い ながら じろじろ 三郎 を 見 まし た 。 
三郎 は だまっ て こっち へ 帰っ て き まし た 。 
庄助 は 変 な 顔 を し て み て い ます 。 みんな は どっと わらい まし た 。 
庄助 は だまっ て また 上流 へ 歩き だし まし た 。 ほか の おとな たち も つい て 行き 、 網 シャツ の 人 は 馬 に 乗っ て 、 また かけ て 行き まし た 。 耕 助 が 泳い で 行っ て 三 郎 の 置い て 来 た 魚 を 持っ て き まし た 。 みんな は そこ で また わらい まし た 。 
「 発破 かけ だら 、 雑魚 撒か せ 。 」 嘉助 が 河原 の 砂 っ ぱの 上 で 、 ぴょんぴょん はね ながら 高く 叫び まし た 。 
みんな は とっ た 魚 を 石 で 囲ん で 、 小さな 生け 州 を こしらえ て 、 生きかえっ て も もう 逃げ て 行か ない よう に し て 、 また 上流 の さいかち の 木 へ のぼり はじめ まし た 。 
ほんとう に 暑く なっ て 、 ねむの木 も まるで 夏 の よう に ぐったり 見え まし た し 、 空 も まるで 底なし の 淵 の よう に なり まし た 。 
その ころ だれ か が 、 
「 あ 、 生け 州 ぶっ こわす とこ だ ぞ 。 」 と 叫び まし た 。 見る と 一 人 の 変 に 鼻 の とがっ た 、 洋服 を 着 て わらじ を はい た 人 が 、 手 に は ステッキ みたい な もの を もっ て 、 みんな の 魚 を ぐちゃぐちゃ かきまわし て いる の でし た 。 
その 男 は こっち へ びちゃびちゃ 岸 を あるい て 来 まし た 。 
「 あ 、 あ いづ 専売 局 だ ぞ 。 専売 局 だ ぞ 。 」 佐太郎 が 言い まし た 。 
「 又 三郎 、 う な の とっ た 煙草 の 葉 め っけ たん だ で 、 う な 、 連れ で ぐさ 来 た ぞ 。 」 嘉助 が 言い まし た 。 
「 なん だい 。 こわく ない や 。 」 三郎 は きっと 口 を かん で 言い まし た 。 
「 みんな 又 三郎 の ごと 囲ん で ろ 、 囲ん で ろ 。 」 と 一郎 が 言い まし た 。 
そこで みんな は 三 郎 を さいかち の 木 の いちばん 中 の 枝 に 置い て 、 まわり の 枝 に すっかり 腰かけ まし た 。 
「 来 た 来 た 、 来 た 来 た 。 来 たっ 。 」 と みんな は 息 を こらし まし た 。 
ところが その 男 は 別に 三郎 を つかまえる ふう で も なく 、 みんな の 前 を 通り こし て 、 それから 淵 の すぐ 上流 の 浅瀬 を 渡ろ う と し まし た 。 それ も すぐ に 川 を わたる で も なく 、 いかにも わらじ や 脚絆 の きたなく なっ た の を そのまま 洗う という ふう に 、 もう 何 べ ん も 行っ たり 来 たり する もん です から 、 みんな は だんだん こわく なく なり まし た が 、 その かわり 気持ち が 悪く なっ て き まし た 。 
そこで とうとう 一郎 が 言い まし た 。 
「 お 、 おれ 先 に 叫ぶ から 、 みんな あと から 、 一 二 三 で 叫ぶ こ だ 。 いい か 。 
あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 言う で ない か 。 一 、 二 い 、 三 。 」 
「 あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 言う で ない か 。 」 
その 人 は びっくり し て こっち を 見 まし た けれども 、 何 を 言っ た の か よく わから ない という よう す でし た 。 そこで みんな は また 言い まし た 。 
「 あんまり 川 を 濁す な よ 、 
いつ でも 先生 、 言う で ない か 。 」 
鼻 の とがっ た 人 は すぱすぱ と 、 煙草 を 吸う とき の よう な 口つき で 言い まし た 。 
「 この 水 飲む の か 、 ここら で は 。 」 
「 あんまり 川 を にごす な よ 、 
いつ でも 先生 言う で ない か 。 」 
鼻 の とがっ た 人 は 少し 困っ た よう に し て 、 また 言い まし た 。 
「 川 を あるい て わるい の か 。 」 
「 あんまり 川 を にごす な よ 、 
いつ でも 先生 言う で ない か 。 」 
その 人 は あわて た の を ごまかす よう に 、 わざと ゆっくり 川 を わたっ て 、 それから アルプス の 探検 みたい な 姿勢 を とり ながら 、 青い 粘土 と 赤 砂利 の 崖 を ななめ に のぼっ て 、 崖 の 上 の たばこ 畑 へ はいっ て しまい まし た 。 
すると 三郎 は 、 
「 なん だい 、 ぼく を 連れ に き た ん じゃ ない や 。 」 と 言い ながら まっさきに ど ぶん と 淵 へ とび 込み まし た 。 
みんな も なんだか 、 その 男 も 三郎 も 気の毒 な よう な おかしな がらん と し た 気持ち に なり ながら 、 一 人 ずつ 木 から はね おり て 、 河原 に 泳ぎ つい て 、 魚 を 手ぬぐい に つつん だり 、 手 に もっ たり し て 家 に 帰り まし た 。 
次 の 朝 、 授業 の 前 みんな が 運動 場 で 鉄棒 に ぶらさがっ たり 、 棒 か くし を し たり し て い ます と 、 少し 遅れ て 佐太郎 が 何 か を 入れ た 笊 を そっと かかえ て やって来 まし た 。 
「 なん だ 、 なん だ 。 なん だ 。 」 と すぐ みんな 走っ て 行っ て のぞき込み まし た 。 
すると 佐太郎 は 袖 で それ を かくす よう に し て 、 急い で 学校 の 裏 の 岩穴 の ところ へ 行き まし た 。 そして みんな は いよいよ あと を 追って 行き まし た 。 
一郎 が それ を のぞく と 、 思わず 顔 いろ を 変え まし た 。 
それ は 魚 の 毒 もみ に つかう 山椒 の 粉 で 、 それ を 使う と 発破 と 同じ よう に 巡査 に 押え られる の でし た 。 ところが 佐太郎 は それ を 岩穴 の 横 の 萱 の 中 へ かくし て 、 知ら ない 顔 を し て 運動 場 へ 帰り まし た 。 
そこで みんな は ひそひそ と 、 時間 に なる まで い つ まで も その 話 ばかり し て い まし た 。 
その 日 も 十 時 ごろ から やっぱり きのう の よう に 暑く なり まし た 。 みんな は もう 授業 の 済む の ばかり 待っ て い まし た 。 
二 時 に なっ て 五 時間 目 が 終わる と 、 もう みんな 一目散 に 飛びだし まし た 。 佐太郎 も また 笊 を そっと 袖 で かくして 、 耕 助 だの みんな に 囲ま れ て 河原 へ 行き まし た 。 三郎 は 嘉助 と 行き まし た 。 みんな は 町 の 祭り の とき の ガス の よう な におい の 、 むっと する ねむ の 河原 を 急い で 抜け て 、 いつも の さいかち 淵 に 着き まし た 。 すっかり 夏 の よう な 立派 な 雲 の 峰 が 東 で むくむく 盛りあがり 、 さいかち の 木 は 青く 光っ て 見え まし た 。 
みんな 急い で 着物 を ぬい で 淵 の 岸 に 立つ と 、 佐太郎 が 一 郎 の 顔 を 見 ながら 言い まし た 。 
「 ちゃんと 一 列 に なら べ 。 いい か 、 魚 浮い て 来 たら 泳い で 行っ て とれ 。 とっ た くらい 与る ぞ 。 いい か 。 」 
小さな こども ら は よろこん で 、 顔 を 赤く し て 押し あっ たり し ながら ぞ ろ っと 淵 を 囲み まし た 。 
ぺ 吉 だの 三 四 人 は もう 泳い で 、 さいかち の 木の下 まで 行っ て 待っ て い まし た 。 
佐太郎 が 大 威張り で 、 上流 の 瀬 に 行っ て 笊 を じゃぶじゃぶ 水 で 洗い まし た 。 
みんな し いん として 、 水 を みつめ て 立っ て い まし た 。 
三郎 は 水 を 見 ない で 向こう の 雲 の 峰 の 上 を 通る 黒い 鳥 を 見 て い まし た 。 一郎 も 河原 に すわっ て 石 を こちこち たたい て い まし た 。 
ところが 、 それから よほど たっ て も 魚 は 浮い て 来 ませ ん でし た 。 
佐太郎 は たいへん まじめ な 顔 で 、 きちんと 立っ て 水 を 見 て い まし た 。 きのう 発破 を かけ た とき なら 、 もう 十 匹 も とっ て い た ん だ と みんな は 思い まし た 。 また ずいぶん しばらく みんな しいんと し て 待ち まし た 。 けれども やっぱり 魚 は 一 ぴき も 浮い て 来 ませ ん でし た 。 
「 さっぱり 魚 、 浮かば ない な 。 」 耕 助 が 叫び まし た 。 佐太郎 は びく っと し まし た けれども 、 まだ 一心に 水 を 見 て い まし た 。 
「 魚 さっぱり 浮かば ない な 。 」 ぺ 吉 が また 向こう の 木の下 で 言い まし た 。 する と もう 、 みんな は がやがや と 言い 出し て 、 みんな 水 に 飛び込ん で しまい まし た 。 
佐太郎 は しばらく きまり 悪 そう に 、 しゃがん で 水 を 見 て い まし た けれど 、 とうとう 立っ て 、 
「 鬼 っ こし ない か 。 」 と 言い まし た 。 
「 する 、 する 。 」 みんな は 叫ん で 、 じゃん け ん を する ため に 、 水 の 中 から 手 を 出し まし た 。 泳い で い た もの は 急い で せい の 立つ ところ まで 行っ て 手 を 出し まし た 。 
一郎 も 河原 から 来 て 手 を 出し まし た 。 そして 一郎 は はじめ に 、 きのう あの 変 な 鼻 の とがっ た 人 の 上っ て 行っ た 崖 の 下 の 、 青い ぬるぬる し た 粘土 の ところ を 根っこ に きめ まし た 。 そこ に 取りつい て いれ ば 、 鬼 は 押える こと が でき ない という の でし た 。 それから 、 はさみ 無し の 一 人 まけ かち で じゃん け ん を し まし た 。 
ところが 悦治 は ひとり はさみ を 出し た ので 、 みんな に うんと はやさ れ た ほか に 鬼 に なり まし た 。 悦治 は 、 くちびる を 紫いろ に し て 河原 を 走っ て 、 喜作 を 押え た ので 鬼 は 二 人 に なり まし た 。 それから みんな は 、 砂 っ ぱの 上 や 淵 を 、 あっち へ 行っ たり こっち へ 来 たり 、 押え たり 押え られ たり 、 何 べ ん も 鬼 っ こ を し まし た 。 
しまいに とうとう 三 郎 一 人 が 鬼 に なり まし た 。 三郎 は まもなく 吉郎 を つかまえ まし た 。 みんな は さいかち の 木の下 に い て それ を 見 て い まし た 。 すると 三郎 が 、 
「 吉郎 君 、 きみ は 上流 から 追っ て 来る ん だ よ 。 いい か 。 」 と 言い ながら 、 じ ぶん は だまっ て 立っ て 見 て い まし た 。 
吉郎 は 口 を あい て 手 を ひろげ て 、 上流 から 粘土 の 上 を 追って 来 まし た 。 
みんな は 淵 へ 飛び込む し たく を し まし た 。 一郎 は 楊 の 木 に のぼり まし た 。 その とき 吉郎 が 、 あの 上流 の 粘土 が 足 に つい て い た ため に 、 みんな の 前 で すべっ て ころん で しまい まし た 。 
みんな は 、 わあわあ 叫ん で 、 吉郎 を はね こえ たり 、 水 に は いっ たり し て 、 上流 の 青い 粘土 の 根 に 上がっ て しまい まし た 。 
「 又 三郎 、 来 。 」 嘉助 は 立っ て 口 を 大きく あい て 、 手 を ひろげ て 三 郎 を ばか に し まし た 。 すると 三郎 は さっき から よっぽど おこっ て い た と 見え て 、 
「 ようし 、 見 て いろ よ 。 」 と 言い ながら 本気 に なっ て 、 ざぶんと 水 に 飛び込ん で 、 一生けん命 、 そっち の ほう へ 泳い で 行き まし た 。 
三郎 の 髪の毛 が 赤く て ば し ゃばしゃしているのに 、 あんまり 長く 水 に つかっ て くちびる も すこし 紫いろ な ので 、 子ども ら は すっかり こわがっ て しまい まし た 。 
第 一 、 その 粘土 の ところ は せまく て 、 みんな が はいれ なかっ た のに 、 それ に たいへん つるつる すべる 坂 に なっ て い まし た から 、 下 の ほう の 四 五 人 など は 上 の 人 に つかまる よう に し て 、 やっと 川 へ すべり 落ちる の を ふせい で い た の でし た 。 一郎 だけ が 、 いちばん 上 で 落ちつい て 、 さあ みんな 、 とか なんとか 相談 らしい こと を はじめ まし た 。 みんな も そこで 頭 を あつめ て 聞い て い ます 。 三郎 は ぼ ちゃぼ ちゃ 、 もう 近く まで 行き まし た 。 
みんな は ひそひそ はなし て い ます 。 すると 三郎 は 、 いきなり 両手 で みんな へ 水 を かけ 出し まし た 。 みんな が 、 ばたばた 防い で い まし たら 、 だんだん 粘土 が すべっ て 来 て 、 なんだか すこ う し 下 へ ずれ た よう に なり まし た 。 
三郎 は よろこん で 、 いよいよ 水 を はねとばし まし た 。 
すると 、 みんな は ぼ ち ゃんぼちゃんと 一 度 に すべっ て 落ち まし た 。 三郎 は それ を 片っぱし から つかまえ まし た 。 一郎 も つかまり まし た 。 嘉助 が ひとり 、 上 を まわっ て 泳い で 逃げ まし たら 、 三郎 は すぐ に 追い付い て 押え た ほか に 、 腕 を つかん で 四 五 へん ぐるぐる 引っぱり まわし まし た 。 嘉助 は 水 を 飲ん だ と 見え て 、 霧 を ふい て ご ぼ ご ぼ むせ て 、 
「 おいら もう やめ た 。 こんな 鬼 っ こも う し ない 。 」 と 言い まし た 。 小さな 子ども ら は みんな 砂利 に 上がっ て しまい まし た 。 
三郎 は ひとり さいかち の 木の下 に 立ち まし た 。 
ところが 、 その とき は も うそ ら が いっぱい の 黒い 雲 で 、 楊 も 変 に 白っぽく なり 、 山 の 草 は しんしん と くらく なり 、 そこら は なんと も 言わ れ ない 恐ろしい 景色 に かわっ て い まし た 。 
その うち に 、 いきなり 上 の 野原 の あたり で 、 ごろごろ ごろ と 雷 が 鳴り出し まし た 。 と 思う と 、 まるで 山 つ なみ の よう な 音 が し て 、 一 ぺん に 夕立 が やって来 まし た 。 風 まで ひ ゅうひゅう 吹きだし まし た 。 
淵 の 水 に は 、 大きな ぶち ぶち が たくさん でき て 、 水 だ か 石 だ か わから なく なっ て しまい まし た 。 
みんな は 河原 から 着物 を かかえ て 、 ねむの木 の 下 へ 逃げ こみ まし た 。 すると 三郎 も なんだか はじめて こわく なっ た と 見え て 、 さいかち の 木の下 から ど ぼん と 水 へ はいっ て みんな の ほう へ 泳ぎ だし まし た 。 
すると 、 だれ と も なく 、 
「 雨 は ざっこざっこ 雨 三郎 、 
風 は どっ こ どっ こ 又 三郎 。 」 と 叫ん だ もの が あり まし た 。 
みんな も すぐ 声 を そろえ て 叫び まし た 。 
「 雨 は ざっこざっこ 雨 三郎 、 
風 は どっ こ どっ こ 又 三郎 。 」 
三郎 は まるで あわて て 、 何 か に 足 を ひっぱら れる よう に し て 淵 から とびあがっ て 、 一目散 に みんな の ところ に 走っ て 来 て 、 がたがた ふるえ ながら 、 
「 いま 叫ん だ の は おまえ ら だ ちかい 。 」 と きき まし た 。 
「 そ で ない 、 そ で ない 。 」 みんな いっしょ に 叫び まし た 。 
ぺ 吉 が また 一 人 出 て 来 て 、 
「 そ で ない 。 」 と 言い まし た 。 
三郎 は 気味悪 そう に 川 の ほう を 見 て い まし た が 、 色 の あせ た くちびる を 、 いつも の よう に きっと かん で 、 「 なん だい 。 」 と 言い まし た が 、 からだ は やはり がくがく ふるえ て い まし た 。 
そして みんな は 、 雨 の はれ 間 を 待っ て 、 めいめい の うち へ 帰っ た の です 。 
どっ どど 　 どど うど 　 どど うど 　 どど う 
青い くるみ も 吹きとばせ 
すっぱい か りん も 吹きとばせ 
どっ どど 　 どど うど 　 どど うど 　 どど う 
どっ どど 　 どど うど 　 どど うど 　 どど う 
先ごろ 、 三郎 から 聞い た ばかり の あの 歌 を 一 郎 は 夢 の 中 で また きい た の です 。 
びっくり し て はね 起き て 見る と 、 外 で は ほんとう に ひどく 風 が 吹い て 、 林 は まるで ほえる よう 、 あけ がた 近く の 青 ぐろいうすあかりが 、 障子 や 棚 の 上 の ちょう ちん 箱 や 、 家 じゅう いっぱい でし た 。 一郎 は すばやく 帯 を し て 、 そして 下駄 を はい て 土間 を おり 、 馬屋 の 前 を 通っ て くぐり を あけ まし たら 、 風 が つめたい 雨 の 粒 と いっ し ょにどっとはいって 来 まし た 。 
馬屋 の うし ろ の ほう で 何 か 戸 が ば たっ と 倒れ 、 馬 は ぶる っと 鼻 を 鳴らし まし た 。 
一郎 は 風 が 胸 の 底 まで しみ込ん だ よう に 思っ て 、 はあ と 息 を 強く 吐き まし た 。 そして 外 へ かけだし まし た 。 
外 は もう よほど 明るく 、 土 は ぬれ て おり まし た 。 家 の 前 の 栗 の 木 の 列 は 変 に 青く 白く 見え て 、 それ が まるで 風 と 雨 と で 今 洗濯 を する と でも いう よう に 激しく もま れ て い まし た 。 
青い 葉 も 幾 枚 も 吹き飛ばさ れ 、 ちぎら れ た 青い 栗 の いが は 黒い 地面 に たくさん 落ち て い まし た 。 空 で は 雲 が けわしい 灰色 に 光り 、 どんどん どんどん 北 の ほう へ 吹きとばさ れ て い まし た 。 
遠く の ほう の 林 は まるで 海 が 荒れ て いる よう に 、 ご とんご とんと 鳴っ たり ざっと 聞こえ たり する の でし た 。 一郎 は 顔 いっぱい に 冷たい 雨 の 粒 を 投げつけ られ 、 風 に 着物 を もっ て 行か れ そう に なり ながら 、 だまっ て その 音 を ききすまし 、 じっと 空 を 見上げ まし た 。 
すると 胸 が さらさら と 波 を たてる よう に 思い まし た 。 けれども また じっと その 鳴っ て ほえ て うなっ て 、 かけ て 行く 風 を み て い ます と 、 今度 は 胸 が どかどか と なっ て くる の でし た 。 
きのう まで 丘 や 野原 の 空 の 底 に 澄みきっ て しん と し て い た 風 が 、 けさ 夜 あけ 方 にわかに いっせいに こう 動き出し て 、 どんどん どんどん タスカロラ 海溝 の 北 の はじ を めがけ て 行く こと を 考え ます と 、 もう 一郎 は 顔 が ほてり 、 息も はあ はあ と なっ て 、 自分 まで が いっしょ に 空 を 翔け て 行く よう な 気持ち に なっ て 、 大急ぎ で うち の 中 へ はいる と 胸 を 一ぱい は って 、 息 を ふっと 吹き まし た 。 
「 ああ ひで 風 だ 。 きょう は 煙草 も 栗 も すっかり やら える 。 」 と 一郎 の おじいさん が くぐり の ところ に 立っ て 、 ぐっと 空 を 見 て い ます 。 一郎 は 急い で 井戸 から バケツ に 水 を 一ぱい くん で 台所 を ぐんぐん ふき まし た 。 
それから 金 だ らい を 出し て 顔 を ぶるぶる 洗う と 、 戸棚 から 冷たい ごはん と 味噌 を だし て 、 まるで 夢中 で ざくざく 食べ まし た 。 
「 一郎 、 いま お 汁 できる から 少し 待っ て だら よ 。 何 し て け さそっ た に 早く 学校 へ 行 が ない や ない が べ 。 」 おかあさん は 馬 に やる （ 不詳 ） を 煮る かま ど に 木 を 入れ ながら きき まし た 。 
「 うん 。 又 三郎 は 飛ん で っ た が も しれ ない も や 。 」 
「 又 三郎 って 何 だ て や 。 鳥 こ だて が 。 」 
「 うん 。 又 三郎 っていう や づよ 。 」 一郎 は 急い で ごはん を しまう と 、 椀 を こちこち 洗っ て 、 それから 台所 の 釘 に かけ て ある 油 合羽 を 着 て 、 下駄 は もっ て はだし で 嘉助 を さそい に 行き まし た 。 
嘉助 は まだ 起き た ばかり で 、 
「 いま ごはん を たべ て 行 ぐがら 。 」 と 言い まし た ので 、 一郎 は しばらく うま や の 前 で 待っ て い まし た 。 
まもなく 嘉助 は 小さい 簑 を 着 て 出 て 来 まし た 。 
はげしい 風 と 雨 に ぐしょぬれ に なり ながら 二 人 は やっと 学校 へ 来 まし た 。 昇降 口 から はいっ て 行き ます と 教室 は まだ しいんと し て い まし た が 、 ところどころ の 窓 の すき ま から 雨 が はいっ て 板 は まるで ざぶざぶしていました 。 一郎 は しばらく 教室 を 見 まわし て から 、 
「 嘉助 、 二 人 し て 水 掃 ぐべな 。 」 と 言っ て し ゅろ 箒 を もっ て 来 て 水 を 窓 の 下 の 穴 へ はき 寄せ て い まし た 。 
すると もう だれ か 来 た の か という よう に 奥 から 先生 が 出 て き まし た が 、 ふしぎ な こと は 先生 が あたりまえ の 単 衣 を き て 赤い うちわ を もっ て いる の です 。 
「 たいへん 早い です ね 。 あなた がた 二 人 で 教室 の 掃除 を し て いる の です か 。 」 先生 が きき まし た 。 
「 先生 お早う ござい ます 。 」 一郎 が 言い まし た 。 
「 先生 お早う ござい ます 。 」 と 嘉助 も 言い まし た が 、 すぐ 、 
「 先生 、 又 三 郎 きょう 来る の すか 。 」 と きき まし た 。 
先生 は ちょっと 考え て 、 
「 又 三郎 って 高田 さん です か 。 ええ 、 高田 さん は きのう おとうさん と いっしょ に もう ほか へ 行き まし た 。 日曜 な ので みなさん に ご 挨拶 する ひま が なかっ た の です 。 」 
「 先生 飛ん で 行っ た の です か 。 」 嘉助 が きき まし た 。 
「 いいえ 、 おとうさん が 会社 から 電報 で 呼ば れ た の です 。 おとうさん は も いちど ちょっと こっち へ 戻ら れる そう です が 、 高田 さん は やっぱり 向こう の 学校 に は いる の だ そう です 。 向こう に は おかあさん も おら れる の です から 。 」 
「 何 し て 会社 で 呼 ばっ た べ す 。 」 と 一郎 が きき まし た 。 
「 ここ の モリブデン の 鉱脈 は 当分 手 を つけ ない こと に なっ た ため な そう です 。 」 
「 そう だ ない な 。 やっ ぱりあいづは 風 の 又 三 郎 だっ た な 。 」 嘉助 が 高く 叫び まし た 。 
宿直 室 の ほう で 何 か ごと ごと 鳴る 音 が し まし た 。 先生 は 赤い うちわ を もっ て 急い で そっち へ 行き まし た 。 
二 人 は しばらく だまっ た まま 、 相手 が ほんとう に どう 思っ て いる か 探る よう に 顔 を 見合わせ た まま 立ち まし た 。 
風 は まだ やま ず 、 窓 ガラス は 雨 つぶ の ため に 曇り ながら 、 また がたがた 鳴り まし た 。 
九月 一 日 
どっ どど どど うど 　 どど うど 　 どど う 、 
あ あまい ざくろ も 吹きとばせ 
すっぱい ざくろ も ふきとば せ 
どっ どど どど うど 　 どど うど 　 どど う 
谷川 の 岸 に 小さな 四角 な 学校 が あり まし た 。 
学校 と いっ て も 入口 と あと は ガラス 窓 の 三 つつい た 教室 が ひとつ ある きり で ほか に は 溜り も 教員 室 も なく 運動 場 は テニス コート の くらい でし た 。 
先生 は たった 一 人 で 、 五つ の 級 を 教える の でし た 。 それ は みんな で ちょうど 二 十 人 に なる の です 。 三 年生 は ひとり も あり ませ ん 。 
さわやか な 九月 一 日 の 朝 でし た 。 青 ぞ ら で 風 が どう と 鳴り 、 日光 は 運動 場 いっぱい でし た 。 黒い 雪袴 を はい た 二 人 の 一 年生 の 子 が ど て を まわっ て 運動 場 に は いっ て 来 て 、 まだ ほか に 誰 も 来 て い ない の を 見 て 
「 ほう 、 おら 一等 だ ぞ 。 一等 だ ぞ 。 」 と かわるがわる 叫び ながら 大 悦び で 門 を はいっ て 来 た の でし た が 、 ちょっと 教室 の 中 を 見 ます と 、 二 人 と も まるで びっくり し て 棒立ち に なり 、 それから 顔 を 見合せ て ぶるぶる ふるえ まし た 。 が ひとり は とうとう 泣き 出し て しまい まし た 。 という わけ は その しん と し た 朝 の 教室 の なか に どこ から 来 た の か 、 まるで 顔 も 知ら ない おかしな 赤い 髪 の 子供 が ひとり 一 番 前 の 机 に ちゃんと 座っ て い た の です 。 そして その 机 と いっ たら まったく この 泣い た 子 の 自分 の 机 だっ た の です 。 も ひとり の 子 も もう 半分 泣き かけ て い まし た が 、 それでも むりやり 眼 を りん と 張っ て そっち の 方 を にらめ て い まし たら 、 ちょうど その とき 川上 から 
「 ち ゃうはあぶどり 、 ち ゃうはあぶどり 」 と 高く 叫ぶ 声 が し て それ から いな ず ま の よう に 嘉助 が 、 かばん を かかえ て わらっ て 運動 場 へ かけ て 来 まし た 。 と 思っ たら すぐ その あと から 佐太郎 だの 耕 助 だの どやどや やってき まし た 。 
「 なし て 泣い で ら 、 う なか も た の が 。 」 嘉助 が 泣か ない こども の 肩 を つかまえ て 云い まし た 。 すると その 子 も わあ と 泣い て しまい まし た 。 おかしい と おもっ て みんな が あたり を 見る と 、 教室 の 中 に あの 赤毛 の おかしな 子 が すまし て しゃんと すわっ て いる の が 目 に つき まし た 。 みんな は しんと なっ て しまい まし た 。 だんだん みんな 女の子 たち も 集っ て 来 まし た が 誰 も 何とも 云え ませ ん でし た 。 赤毛 の 子ども は 一向 こわがる 風 も なく やっぱり じっと 座っ て い ます 。 すると 六 年生 の 一 郎 が 来 まし た 。 一郎 は まるで 坑夫 の よう に ゆっくり 大股 に やってき て 、 みんな を 見 て 「 何 し た 」 と きき まし た 。 みんな は はじめて がやがや 声 を たて て その 教室 の 中 の 変 な 子 を 指し まし た 。 一郎 は しばらく そっち を 見 て い まし た が やがて 鞄 を しっかり かかえ て さっさと 窓 の 下 へ 行き まし た 。 みんな も すっかり 元気 に なっ て ついて行き まし た 。 
「 誰 だ 、 時間 に なら な ぃに 教室 へ は いっ てる の は 。 」 一郎 は 窓 へ はい のぼっ て 教室 の 中 へ 顔 を つき 出し て 云い まし た 。 
「 先生 に うんと 叱ら える ぞ 。 」 窓 の 下 の 耕 助 が 云い まし た 。 
「 叱ら え でも おら 知ら な ぃよ 。 」 嘉助 が 云い まし た 。 
「 早 ぐ 出 はっ て 来 、 出 はっ て 来 。 」 一郎 が 云い まし た 。 けれども その こども は きょろきょろ 室 の 中 や みんな の 方 を 見る ばかり で やっぱり ちゃんと ひざ に 手 を おい て 腰掛 に 座っ て い まし た 。 
ぜんたい その 形 から が 実に おかしい の でし た 。 変 てこ な 鼠 いろ の マント を 着 て 水晶 か ガラス か 、 とにかく きれい な すきとおっ た 沓 を はい て い まし た 。 それ に 顔 と 云っ たら 、 まるで 熟し た 苹果 の よう 殊に 眼 はまん 円 で まっくろ な の でし た 。 一向 語 が 通じ ない よう な ので 一 郎 も 全く 困っ て しまい まし た 。 
「 外国 人 だ な 。 」 「 学校 さ 入る の だ な 。 」 みんな は がやがや がやがや 云い まし た 。 ところが 五 年生 の 嘉助 が いきなり 
「 ああ 、 三 年生 さ 入る の だ 。 」 と 叫び まし た ので 
「 ああ 、 そう だ 。 」 と 小さい こども ら は 思い まし た が 一 郎 は だまっ て く びをまげました 。 
変 な こども は やはり きょろきょろ こっち を 見る だけ きちんと 腰掛け て い ます 。 ところ が おかしい こと は 、 先生 が いつも の キラキラ 光る 呼子 笛 を 持っ て いきなり 出入口 から 出 て 来ら れ た の です 。 そして わらっ て 
「 みなさん お早う 。 どなた も 元気 です ね 。 」 と 云い ながら 笛 を 口 に あて て ピル と 吹き まし た 。 そこで みんな は きちんと 運動 場 に 整列 し まし た 。 
「 気 を 付け っ 」 
みんな 気 を 付け を し まし た 。 けれども 誰 の 眼 も みんな 教室 の 中 の 変 な 子 に 向い て い まし た 。 先生 も 何 が ある の か と 思っ た らしく 、 ちょっと うし ろ を 振り向い て 見 まし た が 、 なあに な ん で も ない という 風 で また こっち を 向い て 
「 右 ぃおいっ 」 と 号令 を かけ まし た 。 ところが おかしな 子ども は やっ ぱりちゃんとこしかけたままきろきろこっちを 見 て い ます 。 みんな は それ から 番号 を かけ て 右 向け を し て 順に 入口 から はいり まし た が 、 その 間中 も 変 な 子供 は 少し 額 に 皺 を 寄せ て 
と 一 郎 が 一番 うし ろ から あまり さわぐ もの を 一 人 ずつ 叱り まし た 。 みんな は しんと なり まし た 。 
「 みなさん 休み は 面白かっ た ね 。 朝 から 水泳 ぎもできたし 林 の 中 で 鷹 に も 負け ない くらい 高く 叫ん だり また 兄さん の 草刈り に ついて行っ たり し た 。 それ は ほんとう に いい こと です 。 けれども もう 休み は 終り まし た 。 これから は 秋 です 。 むかし から 秋 は 一番 勉強 の できる 時 だ と いっ て ある の です 。 です から 、 みなさん も 今日 から 又 しっかり 勉強 し ましょ う 。 みなさん は 休み 中 で いちばん 面白かっ た こと は 何 です か 。 」 
「 先生 。 」 と 四 年生 の 悦治 が 手 を あげ まし た 。 
「 はい 。 」 
「 先生 さっき た の 人 あ 何 だっ た べ す 。 」 
先生 は しばらく おかしな 顔 を し て 
「 さっき の 人 … … 」 
「 さっき た の 髪 の 赤い わら す だ ん す 。 」 みんな も どっと 叫び まし た 。 
「 先生 髪 の まっ 赤 な おかしな や づだったんす 。 」 
「 マント 着 て た で 。 」 
「 笛 鳴ら な ぃに 教室 さ は いっ て た ぞ 。 」 
先生 は 困っ て 
「 一 人 ずつ 云う の です 。 髪 の 赤い 人 が ここ に 居 た の です か 。 」 
「 そう です 、 先生 。 」 
の 山 に のぼっ て よく そこら を 見 て おい で なさい 。 それから あした は 道具 を もっ て くる の です 。 それでは ここ まで 。 」 と 先生 は 云い まし た 。 みんな も う あの 山の上 ばかり 見 て い た の です 。 
「 気 を 付け っ 。 」 一郎 が 叫び まし た 。 「 礼 っ 。 」 みんな おじぎ を する や 否や まるで 風 の よう に 教室 を 出 まし た 。 それから がやがや その 草山 へ 走っ た の です 。 女の子 たち も こっそり ついて行き まし た 。 けれども みんな は 山 に のぼる と がっかり し て しまい まし た 。 みんな が やっと その 栗 の 木の下 まで 行っ た とき は その 変 な 子 は もう 見え ませ ん でし た 。 そこ に は 十 本 ばかり の たけ に ぐさが 先生 の 云っ た とおり 風 に ひるがえっ て いる だけ だっ た の です 。 けれども 小さい 方 の こども ら は もう あんまり その 変 な 子 の こと ばかり 考え て い た もん です から もう そろそろ 厭き て い まし た 。 
そして みんな は わか れ て うち へ 帰り まし た が 一 郎 や 嘉助 は 仲 々 それ を 忘れ て しまう こと は でき ませ ん でし た 。 
九月 二 日 
次 の 日 も よく 晴れ て 谷川 の 波 は ちらちら ひかり まし た 。 
一郎 と 五 年生 の 耕 一 と は 、 丁度 午后 二 時 に 授業 が すみ まし た ので 、 いつも の よう に 教室 の 掃除 を し て 、 それ から 二 人 一緒 に 学校 の 門 を 出 まし た が 、 その 時 二 人 の 頭 の 中 は 、 昨日 の 変 な 子供 で 一 杯 に なっ て い まし た 。 そこで 二 人 は もう一度 、 あの 青山 の 栗 の 木 まで 行っ て 見よ う と 相談 し まし た 。 二 人 は 鞄 を きちんと 背負い 、 川 を 渡っ て 丘 を ぐんぐん 登っ て 行き まし た 。 
ところが どう です 。 丘 の 途中 の 小さな 段 を 一つ 越え て 、 ひょっと 上 の 栗 の 木 を 見 ます と 、 たしかに あの 赤 髪 の 鼠色 の マント を 着 た 変 な 子 が 草 に 足 を 投げ出し て 、 だまっ て 空 を 見上げ て いる の です 。 今日 こそ 全く 間違い あり ませ ん 。 たけ に ぐさは 栗 の 木 の 左 の 方 で かすか に ゆれ 、 栗 の 木 の かげ は 黒く 草 の 上 に 落ち て い ます 。 
その 黒い 影 は 変 な 子 の マント の 上 に も かかっ て いる の でし た 。 二 人 は そこ で 胸 を どきどき さ せ て 、 まるで 風 の よう に かけ 上り まし た 。 その 子 は 大きな 目 を し て 、 じっと 二 人 を 見 て い まし た が 、 逃げよ う と も し なけれ ば 笑い も し ませ ん でし た 。 小さな 唇 を 強 そう に きっと 結ん だ まま 、 黙っ て 二 人 の かけ 上っ て 来る の を 見 て い まし た 。 
二 人 は やっと その 子 の 前 まで 来 まし た 。 けれども あんまり 息 が はあ はあ し て すぐ に は 何 も 云え ませ ん でし た 。 耕 一 など は あんまり もどかしい もん です から 空 へ 向い て 、 
「 ホッホウ 。 」 と 叫ん で 早く 息 を 吐い て しまお う と し まし た 。 すると その 子 が 口 を 曲げ て 一寸 笑い まし た 。 
一郎 が まだ はあ はあ 云い ながら 、 切れ切れ に 叫び まし た 。 
「 汝 ぁ 誰 だ 。 何だ 汝 ぁ 。 」 
すると その 子 は 落ちつい て 、 まるで 大人 の よう に しっかり 答え まし た 。 
「 風 野 又 三郎 。 」 
「 どこ の 人 だ 、 ロシヤ 人 か 。 」 
すると その 子 は 空 を 向い て 、 はあ はあ はあ はあ 笑い 出し まし た 。 その 声 は まるで 鹿 の 笛 の よう でし た 。 それから やっと まじめ に なっ て 、 
「 又 三郎 だい 。 」 と ぶっ きら 棒 に 返事 し まし た 。 
「 ああ 風 の 又 三 郎 だ 。 」 一郎 と 耕 一 と は 思わず 叫ん で 顔 を 見合せ まし た 。 
「 だから そう 云っ た じゃ ない か 。 」 又 三郎 は 少し 怒っ た よう に マント から とがっ た 小さな 手 を 出し て 、 草 を 一 本 むしっ て ぷいっと 投げつけ ながら 云い まし た 。 
「 そん だら あっち こっち 飛ん で 歩く な 。 」 一郎 が たずね まし た 。 
「 うん 。 」 
「 面白い か 。 」 と 耕一 が 言い まし た 。 すると 風 の 又 三郎 は 又 笑い 出し て 空 を 見 まし た 。 
「 うん 面白い 。 」 
「 昨日 何 し て 逃げ た 。 」 
「 逃げ た ん じゃ ない や 。 昨日 は 二 百 十 日 だい 。 本当 なら 兄さん たち と 一緒 に ず うっ と 北の方 へ 行っ てる ん だ 。 」 
「 何 し て 行か なかっ た 。 」 
「 兄さん が 呼び に 来 なかっ た から さ 。 」 
「 何 て 云う 、 汝 の 兄 は 。 」 
「 風 野 又 三郎 。 きまっ てる じゃ ない か 。 」 又 三郎 は 又 機嫌 を 悪く し まし た 。 
「 あ 、 判っ た 。 う な の 兄 も 風 野 又 三郎 、 う な ぃのお 父さん も 風 野 又 三郎 、 う な ぃの 叔父さん も 風 野 又 三 郎 だ な 。 」 と 耕一 が 言い まし た 。 
「 そう そう 。 そう だ よ 。 僕 は どこ へ でも 行く ん だ よ 。 」 
「 支那 へ も 行っ た か 。 」 
「 うん 。 」 
「 岩手山 へ も 行っ た が 。 」 
「 岩手山 から 今来 たん じゃ ない か 。 ゆうべ は 岩手山 の 谷 へ 泊っ た ん だ よ 。 」 
「 いい なぁ 、 おら も 風 に なる た ぃなぁ 。 」 
すると 風 の 又 三郎 は よろこん だ の 何 の って 、 顔 を まるで りんご の よう に かがやく ばかり 赤く し ながら 、 いきなり 立っ て きりきり きりっと 二 三 べ ん かかと で 廻り まし た 。 鼠色 の マント が まるで ギラギラ する 白 光り に 見え まし た 。 それから 又 三郎 は 座っ て 話し出し まし た 。 
「 面白かっ た ぞ 。 今朝 の はなし 聞か せよ う か 、 そら 、 僕 は 昨日 の 朝 ここ に 居 たろ う 。 」 
「 あれ から 岩手山 へ 行っ た な 。 」 耕一 が たずね まし た 。 
「 あったりまえ さ 、 あったりまえ 。 」 又 三郎 は 口 を 曲げ て 耕一 を 馬鹿 に し た よう な 顔 を し まし た 。 
「 そう 僕 の はなし へ 口 を 入れ ない で 黙っ て おい で 。 ね 、 そら 、 昨日 の 朝 、 僕 は ここ から 北の方 へ 行っ た ん だ 。 途中 で 六 十 五 回 も いね むりをしたんだ 。 」 
「 何 し て そんなに ひる ね し た ？ 」 
「 仕方 ない さ 。 僕 たち が 起き て はね 廻っ て いよ う たって 、 行く ところ が なくなれ ば あるけ ない じゃ ない か 。 あるけ なく なりゃ 、 いね むりだい 。 きまって ら ぁ 。 」 
「 歩け ない たって 立つ が 座る か し て 目 を さまし て いれ ば いい 。 」 
「 うるさい ねえ 、 い ねむり たっ て 僕 が ねむる ん じゃ ない ん だ よ 。 お前 たち が そう 云う ん じゃ ない か 。 お前 たち は 僕ら の じっと 立っ たり 座っ たり し て いる の を 、 風 が ねむる と 云う ん じゃ ない か 。 僕 は わざと お前 たち に わかる よう に 云っ てる ん だ よ 。 うるさい ねえ 。 もう 僕 、 行っ ちまう ぞ 。 黙っ て 聞く ん だ 。 ね 、 そら 、 僕 は 途中 で 六 十 五 回 いね むりをして 、 その間 考え たり 笑っ たり し て 、 夜中 の 一時 に 岩手山 の 丁度 三 合 目 に つい たろ う 。 あすこ の 小屋 に は もう 人 が 居 ない ねえ 。 僕 は 小屋 の まわり を 一 ぺん ぐるっと まわっ た ん だ よ 。 そして まっくろ な 地面 を じっと 見おろし て い たら 何だか 足もと が ふらふら する ん だ 。 見る と 谷 の 底 が だいぶ 空い てる ん だ 。 僕ら は 、 もう 、 少し でも 、 空い て いる ところ を 見 たら すぐ 走っ て 行か ない と いけ ない ん だ から ね 、 僕 は どんどん 下り て 行っ た ん だ 。 谷 底 は いい ねえ 。 僕 は 三 本 の 白 樺の木 の かげ へ はいっ て じっと しずか に し て い た ん だ 。 朝 まで お 星 さま を 数え たり いろいろ これから の 面白い こと を 考え たり し て い た ん だ 。 あすこ の 谷 底 は いい ねえ 。 そんなに しずか じゃ ない ん だ けれど 。 それ は 僕 の 前 に まっ黒 な 崖 が あっ て ねえ 、 そこ から 一 晩 中 ころころ かさかさ 石 かけ や 火山灰 の かたまっ た の や が 崩れ て 落ち て 来る ん だ 。 けれども じっと その 音 を 聞い てる と ね 、 なかなか 面白い ん だ よ 。 そして 今朝 少し 明るく なる と その 崖 が まるで 火 が 燃え て いる よう に まっ 赤 な ん だろ う 。 そう そう 、 まだ 明るく なら ない うち に ね 、 谷 の 上 の 方 を まっ 赤 な 火 が ちらちら ちらちら 通っ て 行く ん だ 。 楢 の 木 や 樺の木 が 火 に すかし 出さ れ て まるで 烏瓜 の 燈籠 の よう に 見え た ぜ 。 」 
「 そう だ 。 おら 去年 烏瓜 の 燈火拵 え た 。 そして 縁側 へ 吊し て 置い たら 風 吹い て 落ち た 。 」 と 耕一 が 言い まし た 。 
すると 又 三郎 は 噴き出し て しまい まし た 。 
「 僕 お前 の 烏瓜 の 燈籠 を 見 た よ 。 あいつ は 奇麗 だっ た ね い 、 だから 僕 が いきなり 衝き 当っ て 落し て やっ た ん だ 。 」 
「 うわ ぁい 。 」 
耕一 は ただ 一言 云っ て それ から 何とも いえ ない 変 な 顔 を し まし た 。 
又 三郎 は おかしく て おかしく て まるで 咽喉 を 波 の よう に し て 一生けん命 空 の 方 に 向い て 笑っ て い まし た が やっと こらえ て 泪 を 拭き ながら 申し まし た 。 
「 僕 失敬 し た よ 。 僕 その かわり 今度 いい もの を 持っ て 来 て あげる よ 。 お前 とこ へ ね 、 きれい な は こ や なぎ の 木 を 五 本 持っ て 行っ て あげる よ 。 いい だろ う 。 」 
耕一 は やっと 怒る の を やめ まし た 。 そこで 又 三郎 は 又 お話 を つづけ まし た 。 
「 ね 、 その 谷 の 上 を 行く 人 たち はね 、 みんな 白い きもの を 着 て 一番 はじめ の 人 は たいまつ を 待っ て い た だろ う 。 僕 すぐ もう 行っ て 見 たく て 行っ て 見 たく て 仕方 なかっ た ん だ 。 けれど どうしても まだ 歩け ない ん だろ う 、 そしたら ね 、 その うち に 東 が 少し 白く なっ て 鳥 が なき 出し たろ う 。 ね 、 あすこ に は やぶ うぐいす や 岩燕 や いろいろ 居る ん だ 。 鳥 が チッチクチッチク なき 出し たろ う 。 もう 僕 は 早く 谷 から 飛び出し たく て 飛び出し たく て 仕方 なかっ た ん だ よ 。 する と 丁度 いい こと に はね 、 いつの間にか 上 の 方 が 大 へん 空い てる ん だ 。 さあ 僕 は ひら っと 飛び あがっ た 。 そして ピゥ 、 ただ 一足 で さっき の 白い きもの の 人 たち の とこ まで 行っ た 。 その 人 たち はね 一 列 に なっ て つつじ や なんか の 生え た 石 から を のぼっ て いる だろ う 。 その たいまつ は もう みじかく なっ て 消え そう な ん だ 。 僕 が マント を フゥ と やっ て 通っ たら 火 が ぽっぽ っと 青く うごい て ね 、 とうとう 消え て しまっ た よ 。 ほんとう は もう 消え て も よかっ た ん だ 。 東 が 琥珀 の よう に なっ て 大きな とかげ の 形 の 雲 が 沢山 浮ん で い た 。 
『 あ 、 とうとう 消 だ 。 』 と 誰 か が 叫ん で い た 。 おかしい の は ねえ 、 列 の まん中 ごろ に 一 人 の 少し 年 老 っ た 人 が 居 た ん だ 。 その 人 が ね 、 年 を 老 って 大儀 な もん だ から 前 を のぼっ て 行く 若い 人 の シャツ の はじ に ね 、 一寸 とりつい た ん だ よ 。 すると その 若い 人 が 怒っ て ね 、 
『 引っ張る なっ たら 、 先刻 た が らい で 処さ 来る づどいっつも 引っ張ら が 。 』 と 叫ん だ 。 みんな どっと 笑っ た ね 。 僕 も 笑っ た ねえ 。 そして 又 一 あし で もう 頂上 に 来 て い た ん だ 。 それから あの 昔 の 火口 の あと に は いっ て 僕 は 二 時間 ねむっ た 。 ほんとう に ねむっ た の さ 。 すると ね 、 ガヤガヤ 云う だろ う 、 見る と さっき の 人 たち が やっと 登っ て 来 た ん だ 。 みんな で 火口 の ふち の 三 十 三 の 石 ぼ とけ に ね 、 バラリバラリ と お 米 を 投げつけ て ね 、 もう みんな 早く 頂上 へ 行こ う と 競争 な ん だ 。 向う の 方 で は まるで 泣い た ばかり の よう な 群青 の 山脈 や 杉 ご け の 丘 の よう な きれい な 山 に まっ白 な 雲 が 所々 かかっ て いる だろ う 。 すぐ 下 に は お 苗代 や 御 釜 火口湖 が まっ 蒼 に 光っ て 白樺 の 林 の 中 に 見える ん だ 。 面白かっ た ね い 。 みんな ぐんぐん ぐんぐん 走っ て いる ん だ 。 すると 頂上 まで の 処 に も 一つ 坂 が ある だろ う 。 あすこ を のぼる とき 又 さっき の 年 老 り が ね 、 前 の 若い 人 の シャツ を 引っぱっ た ん だ 。 怒っ て い た ねえ 。 それでも 頂上 に 着い て しまう と その と し 老 り が ガラス の 瓶 を 出し て ちいさな ちいさな コップ に ついで それ を その ぷんぷん 怒っ て いる 若い 人 に 持っ て 行っ て 笑っ て 拝む まね を し て 出し た ん だ よ 。 すると 若い 人 も ね 、 急 に 笑い 出し て しまっ て コップ を 押し戻し て い た よ 。 そして おしまい とうとう の ん だろ う か ねえ 。 僕 は もう 丁度 こっち へ 来 ない と いけ なかっ た もん だ から ホウ と 一つ 叫ん で 岩手山 の 頂上 から は なれ て しまっ た ん だ 。 どう だ 面白い だろ う 。 」 
「 面白い な 。 ホウ 。 」 と 耕一 が 答え まし た 。 
「 又 三郎 さん 。 お前 は まだ ここら に 居る の か 。 」 一郎 が たずね まし た 。 
又 三郎 は じっと 空 を 見 て い まし た が 
「 そう だ ねえ 。 もう 五 六 日 は 居る だろ う 。 歩い た って あんまり 遠く へ は 行か ない だろ う 。 それでも もう 九 日 たつ と 二 百 二 十 日 だ から ね 。 その 日 は 、 事 に よる と 僕 は タスカロラ 海 床 の すっかり 北 の はじ まで 行っ ちまう かも 知れ ない ぜ 。 今日 も これから 一寸 向う まで 行く ん だ 。 僕 たち お 友達 に なろ う か ねえ 。 」 
「 はじめ から 友だち だ 。 」 一郎 が 少し 顔 を 赤く し ながら 云い まし た 。 
「 あした 僕 は 又 どっか で あう よ 。 学校 から 帰る 時 もし 僕 が ここ に 居 た よう なら すぐ おいで 。 ね 。 みんな も 連れ て 来 て いい ん だ よ 。 僕 は いくら でも いい こと 知っ て ん だ よ 。 えらい だろ う 。 あ 、 もう 行く ん だ 。 さよなら 。 」 
又 三郎 は 立ちあがっ て マント を ひろげ た と 思う と フィウ と 音 が し て もう 形 が 見え ませ ん でし た 。 
一郎 と 耕 一 と は 、 あした 又 あう の を 楽しみ に 、 丘 を 下っ て お うち に 帰り まし た 。 
九月 三 日 
その 次 の 日 は 九月 三 日 でし た 。 昼 すぎ に なっ て から 一 郎 は 大きな 声 で 云い まし た 。 
「 おう 、 又 三郎 は 昨日 又 来 た ぞ 。 今日 も 来る かも 知れ ない ぞ 。 又 三郎 の 話 聞き たい もの は 一緒 に あ べ 。 」 
残っ て い た 十 人 の 子供 ら が よろこん で 、 
「 わぁ っ 」 と 叫び まし た 。 
そして もう 早く も みんな が 丘 に かけ 上っ た の でし た 。 ところが 又 三郎 は 来 て い ない の です 。 みんな は 声 を そろえ て 叫び まし た 。 
「 又 三郎 、 又 三郎 、 どう どっと 吹い で 来 。 」 
それでも 、 又 三郎 は 一向 来 ませ ん でし た 。 
「 風 どう と 吹い て 来 、 豆 呉 ら 風 どう と 吹い で 来 。 」 
空 に は 今日 も 青 光り が 一 杯 に 漲 ぎり 、 白い まばゆい 雲 が 大きな 環 に なっ て 、 しずか に めぐる ばかり です 。 みんな は 又 叫び まし た 。 
「 又 三郎 、 又 三郎 、 どう と 吹い て 降り で 来 。 」 
又 三郎 は 来 ない で 、 却って みんな 見上げ た 青空 に 、 小さな 小さな すき通っ た 渦巻 が 、 み ず すまし の 様 に 、 ツイ ツイ と 、 上っ たり 下っ たり する ばかり です 。 みんな は 又 叫び まし た 。 
「 又 三郎 、 又 三郎 、 汝 、 何 し て 早 ぐ 来 ない 。 」 
それでも 又 三郎 は やっぱり 来 ませ ん でし た 。 
ただ 一疋 の 鷹 が 銀色 の 羽 を ひるがえし て 、 空 の 青 光 を 咽喉 一 杯 に 呑み ながら 、 東 の 方 へ 飛ん で 行く ばかり です 。 みんな は 又 叫び まし た 。 
「 又 三郎 、 又 三郎 、 早 ぐ 此 さ 飛ん で 来 。 」 
その 時 です 。 あの すきとおる 沓 と マント が ギラッ と 白く 光っ て 、 風 の 又 三郎 は 顔 を まっ 赤 に 熱ら せ て 、 はあ はあ し ながら みんな の 前 の 草 の 中 に 立ち まし た 。 
「 ほう 、 又 三郎 、 待っ て い た ぞ 。 」 
みんな は てんでに 叫び まし た 。 又 三郎 は マント の かくし から 、 うすい 黄色 の はん けち を 出し て 、 額 の 汗 を 拭き ながら 申し まし た 。 
「 僕 ね 、 もっと 早く 来る つもり だっ た ん だ よ 。 ところが あんまり さっき 高い ところ へ 行き すぎ た もん だ から 、 お前 達 の 来 た の が わかっ て い て も 、 すぐ 来 られ なかっ た ん だ よ 。 それ は 僕 は 高い ところ まで 行っ て 、 そら 、 あすこ に 白い 雲 が 環 に なっ て 光っ て いる ん だろ う 。 僕 は あの まん中 を つきぬけ て もっと 上 に 行っ た ん だ 。 そして 叔父さん に 挨拶 し て 来 た ん だ 。 僕 の 叔父さん なんか 偉い ぜ 。 今日 だって もう 三 十 里 から 歩い て いる ん だ 。 僕 に も 一緒 に 行こ う って 云っ た けれども ね 、 僕 なんか まだ 行か なく て も いい ん だ よ 。 」 
「 汝 ぃの 叔父さん ど ごま で 行く 。 」 
「 僕 の 叔父さん かい 。 叔父さん はね 、 今度 ず うっ と 高い ところ を まっすぐ に 北 へ すすん で いる ん だ 。 
叔父さん の マント なんか 、 まるで 冷え て しまっ て いる よ 。 小さな 小さな 氷 の かけ ら が さらさら ぶっ かかる ん だ もの 、 その かけ ら は ここ から 見え や し ない よ 」 
「 又 三郎 さん は 去年 な も 今頃 ここ へ 来 た か 。 」 
「 去年 は 今 より もう少し 早かっ たろ う 。 面白かっ た ねえ 。 九州 から まるで 一飛び に 馳 け て 馳 け て まっすぐ に 東京 へ 来 たろ う 。 そしたら 丁度 僕 は 保久 大将 の 家 を 通り かかっ た ん だ 。 僕 はね 、 あの 人 を 前 に も 知っ て いる ん だ よ 。 だから 面白く て 家 の 中 を のぞきこん だ ん だ 。 障子 が 二 枚 はずれ て ね 『 すっかり 嵐 に なっ た 』 と つぶやき ながら 障子 を 立て た ん だ 。 僕 は そこ から 走っ て 庭 へ で た 。 あすこ に は ざくろ の 木 が たくさん ある ねえ 。 若い 大工 が かなづち を 腰 に はさん で 、 尤も らしい 顔 を し て 庭 の 塀 や 屋根 を 見廻っ て い た が ね 、 本当は やっこ さん 、 僕 たち の 馳 け まわる の が 大変 面白かっ た よう だ よ 。 唇 が ぴくぴく し て 、 いかにも うれしい の を 、 無理 に まじめ に なっ て 歩き まわっ て い たら しかっ た ん だ 。 
そして 落ち た ざくろ を 一つ 拾っ て 噛 っ たろ う 、 さあ 僕 は おかしく て 笑っ た ね 、 そこで 僕 は 、 屋敷 の 塀 に 沿っ て 一寸 戻っ た ん だ 。 それから 俄 か に 叫ん で 大工 の 頭 の 上 を かけ 抜け た ねえ 。 
ドッドド 　 ドドウド 　 ドドウド 　 ドドウ 、 
甘い ざくろ も 吹き飛ば せ 
酸っぱい ざくろ も 吹き飛ば せ 
ホラ ね 、 ざくろ の 実 が ばたばた 落ち た 。 大工 は あわて た よう な 変 な かたち を し てる ん だ 。 僕 は もう 笑っ て 笑っ て 走っ た 。 
電信 ば しら の 針金 を 一 本 切っ た ぜ 、 それから その 晩 、 夜どおし 馳 け て ここ まで 来 た ん だ 。 
ここ を 通っ た の は 丁度 あけ がた だっ た 。 その 時 僕 は 、 あの 高洞山 の まっ黒 な 蛇紋 岩 に 、 一 つかみ の 雲 を 叩きつけ て 行っ た ん だ 。 そして その 日 の 晩方 に は もう 僕 は 海 の 上 に いたん だ 。 海 と 云っ たって 見え は し ない 。 もう 僕 は ゆっくり 歩い て い た から ね 。 霧 が 一 杯 に かかっ て その 中 で 波 が ドンブラゴッコ 、 ドンブラゴッコ 、 と 云っ てる よう な 気 が する だけ さ 。 今年 だって 二 百 二 十 日 に なっ たら 僕 は 又 馳 け て 行く ん だ 。 面白い なあ 。 」 
「 ほう 、 いい なあ 、 又 三郎 さん だ ち は いい なあ 。 」 
小さな 子供 たち は 一緒 に 云い まし た 。 
すると 又 三郎 は こんど は 少し 怒り まし た 。 
「 お前 たち は だめ だ ねえ 。 なぜ 人 の こと を うらやまし がる ん だい 。 僕 だって つらい こと は いくら も ある ん だい 。 お前 たち に も いい こと は たくさん ある ん だい 。 僕 は 自分 の こと を 一向 考え も し ない で 人 の こと ばかり うらやん だり 馬鹿 に し て いる やつ ら を 一番 いや な ん だ ぜ 。 僕 たち の 方 で はね 、 自分 を 外 の もの と くらべる こと が 一番 はずかしい こと に なっ て いる ん だ 。 僕 たち は みんな 一 人 一 人 な ん だ よ 。 さっき も 云っ た よう な 僕 たち の 一 年 に 一 ぺん か 二 へん の 大 演習 の 時 に ね 、 いくら 早く ばかり 行っ たって 、 うし ろ を ふりむい たり 並ん で 行く もの の 足 なみ を 見 たり する もの が ある と 、 もう 誰 も 相手 に し ない ん だ ぜ 。 やっぱり お前 たち は だめ だ ねえ 。 外 の 人 と くらべる こと ばかり 考え て いる ん じゃ ない か 。 僕 は そこ へ 行く と さっき 空 で 遭っ た 鷹 が すき だ ねえ 。 あいつ は 天気 の 悪い 日 なんか 、 ずいぶん 意地 の 悪い こと も ある けれども 空 を まっすぐ に 馳 け て ゆく から 、 僕 は すき な ん だ 。 銀色 の 羽 を ひらり ひらり と さ せ ながら 、 空 の 青 光 の 中 や 空 の 影 の 中 を 、 まっすぐ に まっすぐ に 、 まるで どこ まで 行く か わから ない 不思議 な 矢 の よう に 馳 け て 行く ん だ 。 だから あいつ は 意地悪 で 、 あまり いい 気持 は し ない けれども 、 さっき も 、 よう 、 あんまり 空 の 青い 石 を 突っつか ない で くれ っ 、 て 挨拶 し た ん だ 。 すると あいつ が 云っ た ねえ 、 ふん 、 青い 石 に 穴 が あい たら 、 お前 に も 向う 世界 を 見物 さ せ て やろ う って 云う ん だ 。 云う こと は ずいぶん 生意気 だ けれども 僕 は 悪い 気 が し なかっ た ねえ 。 」 
一郎 が そこ で 云い まし た 。 
「 又 三郎 さん 。 おら は お前 を うらやまし がっ た ん で ない よ 、 お前 を ほめ た ん だ 。 おら は いつ でも 先生 から 習っ て いる ん だ 。 本当に 男らしい もの は 、 自分 の 仕事 を 立派 に 仕上げる こと を よろこぶ 。 決して 自分 が 出来 ない から って 人 を ねたん だり 、 出来 た から って 出来 ない 人 を 見くびっ たり さ ない 。 お前 も そう 怒ら なく て も いい 。 」 
又 三郎 も よろこん で 笑い まし た 。 それから 一寸 立ち上っ て きりきり っと かかと で 一 ぺん まわり まし た 。 そこで マント が ギラギラ 光り 、 ガラス の 沓 が カチッ 、 カチッ と ぶっつかっ て 鳴っ た よう でし た 。 又 三郎 は それ から 又 座っ て 云い まし た 。 
「 そう だろ う 。 だから 僕 は 君たち も すき な ん だ よ 。 君 たち ばかり で ない 。 子供 は みんな すき な ん だ 。 僕 が いつ で も あら ん かぎり 叫ん で 馳 ける 時 、 よろこん で き ゃっきゃっ 云う の は 子供 ばかり だ よ 。 一昨日 だって そう さ 。 ひる すぎ から 俄 か に 僕 たち が やり 出し た ん だ 。 そして 僕 は ある 峠 を 通っ た ね 。 栗 の 木 の 青い いが を 落し たり 、 青葉 まで がりがり むしっ て やっ た ね 。 その 時 峠 の 頂上 を 、 雨 の 支度 も し ない で 二 人 の 兄弟 が 通る ん だ 、 兄さん の 方 は 丁度 おまえ くらい だっ たろ う か ね 。 」 
又 三郎 は 一 郎 を 尖っ た 指 で 指し ながら 又 言葉 を 続け まし た 。 
「 弟 の 方 は まるで 小さい ん だ 。 その 顔 の 赤い 子 より もっと 小さい ん だ 。 その 小さな 子 が ね 、 まるで まっ青 に なっ て ぶるぶる ふるえ て いる だろ う 。 それ は 僕 たち は いつ でも 人間 の 眼 から 火花 を 出せる ん だ 。 僕 の 前 に 行っ た やつ が いたずら し て 、 その 兄弟 の 眼 を 横 の 方 から ひどく 圧し つけ て 、 とうとう パチ パチ 火花 が 発っ た よう に 思わ せ た ん だ 。 そう 見える だけ さ 、 本当は 火花 なんか ない さ 。 それでも その 小さな 子 は 空 が 紫色 がかっ た 白光 を し て パリパリ パリパリ と 燃え て 行く よう に 思っ た ん だ 。 そして もう 天地 が いま ひっくりかえっ て 焼け て 、 自分 も 兄さん も お母さん も みんな ちり ぢ り に 死ん で しまう と 思っ た ん だい 。 か あい そう に 。 そして 兄さん に まるで 石 の よう に 堅く なっ て 抱きつい て い た ね 。 ところが その 大きな 方 の 子 は どう だい 。 小さな 子 を 風 の かげ に なる よう に いたわっ て やり ながら 、 自分 は さも 気持 が いい という よう に 、 僕 の 方 を 向い て 高く 叫ん だ ん だ 。 そこで 僕 も 少し しゃくにさわっ た から 、 一つ 大 あばれ に あばれ た ん だ 。 豆 つぶ ぐらい ある 石ころ を ばらばら 吹き あげ て 、 たたきつけ て やっ た ん だ 。 小さな 子 は もう 本当に 大声 で 泣い た ねえ 。 それでも 大きな 子 は やっぱり 笑う の を やめ なかっ た よ 。 けれど とうとう あんまり 弟 が 泣く もん だ から 、 自分 も 怖く なっ た と 見え て 口 が ピクッ と 横 の 方 へ まがっ た 、 そこで 僕 は 急 に 気の毒 に なっ て 、 丁度 その 時 行く 道 が ふさがっ た の を 幸 に 、 ぴたっと まるで しずか な 湖 の よう に 静まっ て やっ た 。 それから 兄弟 と 一緒 に 峠 を 下り ながら 横 の 方 の 草原 から 百 合 の 匂 を 二 人 の 方 へ もっ て 行っ て やっ たり し た 。 
どう し た ん だろ う 、 急 に 向う が 空い ちまっ た 。 僕 は 向う へ 行く ん だ 。 さよなら 。 あした も 又 来 て ごらん 。 又 遭え る かも 知れ ない から 。 」 
風 の 又 三 郎 の すきとおる マント は ひるがえり 、 たちまち その 姿 は 見え なく なり まし た 。 みんな は いろいろ 今 の こと を 話し合い ながら 丘 を 下り 、 わか れ て めいめい の 家 に 帰り まし た 。 
九月 四 日 
「 サイクル ホール の 話 聞か せ て やろ う か 。 」 
又 三郎 は みんな が 丘 の 栗 の 木の下 に 着く やいなや 、 斯 う 云っ て いき なり形 を あらわし まし た 。 けれども みんな は 、 サイクル ホール なんて 何だか 知り ませ ん でし た から 、 だまっ て い まし たら 、 又 三郎 は もどかし そう に 又 言い まし た 。 
「 サイクル ホール の 話 、 お前 たち は 聴き たく ない かい 。 聴き たく ない なら 早く はっきり そう 云っ たら いい じゃ ない か 。 僕 行っ ちまう から 。 」 
「 聴き たい 。 」 一郎 は あわて て 云い まし た 。 又 三郎 は 少し 機嫌 を 悪く し ながら ぼつ り ぼつ り 話し はじめ まし た 。 
「 サイクル ホール は 面白い 。 人間 だって やる だろ う 。 見 た こと は ない かい 。 秋 の お祭 なんか に は よく そんな 看板 を 見る ん だ が なあ 、 自転車 で すりばち の 形 に なっ た 格子 の 中 を 馳 ける ん だ よ 。 だんだん 上 に のぼっ て 行っ て 、 とうとう その すりばち の ふち まで 行っ た 時 、 片手 で ハンドル を 持っ て ハンケチ など を 振る ん だ 。 なかなか あれ で ひどい ん だろ う 。 ところが 僕 等 が やる サイクル ホール は 、 あんな 小さな もん じゃ ない 。 尤も 小さい 時 も ある に は ある よ 。 お前 たち の かまい たち っていう の は 、 サイクル ホール の 小さい の だ よ 。 」 
「 ほ 、 おら 、 かまい た ぢ に 足 切ら れ た ぞ 。 」 
嘉助 が 叫び まし た 。 
「 何 だって 足 を 切ら れ た ？ 　 本当 かい 。 どれ 足 を 出し て ごらん 。 」 
又 三郎 は ずいぶん いや な 顔 を し ながら 斯 う 言い まし た 。 嘉助 は まっ 赤 に なり ながら 足 を 出し まし た 。 又 三郎 は しばらく それ を 見 て から 、 
「 ふうん 。 」 
と 医者 の よう な 物 の 言い方 を し て それ から 、 
「 一寸 脈 を お 見せ 。 」 
と 言う の でし た 。 嘉助 は 右手 を 出し まし た が 、 その 時 の 又 三 郎 の まじめくさっ た 顔 と いっ たら 、 とうとう 一郎 は 噴き出し まし た 。 けれども 又 三郎 は 知らん振り を し て 、 だまっ て 嘉助 の 脈 を 見 て それ から 云い まし た 。 
「 なるほど ね 、 お前 なら こと に よっ たら 足 を 切ら れる かも 知れ ない 。 この 子 はね 、 大 へん から だ の 皮 が 薄い ん だ よ 。 それに 無 暗に 心臓 が 強い ん だ 。 腕 を 少し 吸っ て も 血 が 出る くらい なん だ 。 殊に その 時 足 を すりむき でも し て い た ん だろ う 。 かまい たち で 切れる さ 。 」 
「 何 し て 切れる 。 」 一郎 は たずね まし た 。 
「 それ はね 、 すりむい た とこ から 、 もう 血 が でる ばかり に でも なっ て いる だろ う 。 それ を 空気 が 押して 押さえ て ある ん だ 。 ところが かまい たち の まん中 で は 、 わり 合 空気 が 押さ ない だろ う 。 いきなり そんな 足 を かまい たち の まん中 に 入れる と 、 すぐ 血 が 出る さ 。 」 
「 切る の だ ない の か 。 」 一郎 が たずね まし た 。 
「 切る の じゃ ない さ 、 血 が 出る だけ さ 。 痛く なかっ たろ う 。 」 又 三郎 は 嘉助 に 聴き まし た 。 
「 痛く なかっ た 。 」 嘉助 は まだ 顔 を 赤く し ながら 笑い まし た 。 
「 ふん 、 そう だろ う 。 痛い はず は ない ん だ 。 切れ た ん じゃ ない から ね 。 そんな 小さな サイクル ホール なら 僕 たち たった 一 人 でも 出来る 。 くるくる まわっ て 走れ ぁいいからね 。 そう すれ ば 木の葉 や 何 か マント に からまっ て 、 丁度 うまい 工合 かまい たち に なる ん だ 。 ところが 大きな サイクル ホール は とても 一 人 じゃ 出来 あ し ない 。 小さい の なら 十 人 ぐらい 。 大きな やつ なら 大人 も はいっ て 千 人 だって ある ん だ よ 。 やる 時 は 大抵 ふた いろ ある よ 。 日 が かんかん どこ か 一 とこ に 照る 時 か 、 また 僕 たち が 上と下 と 反対 に かける 時 ぶっつかっ て しまう こと が ある ん だ 。 そんな 時 と まあ ふた いろ に きまっ て いる ねえ 。 あんまり 大きな やつ は 、 僕 よく 知ら ない ん だ 。 南 の 方 の 海 から 起っ て 、 だんだん こっち に やってくる 時 、 一寸 僕 等 が はいる だけ な ん だ 。 ふう と 馳 け て 行っ て 十 ぺん ばかり まわっ た と 思う と 、 もう ずっと 上 の 方 へ のぼっ て 行っ て 、 みんな ゆっくり 歩き ながら 笑っ て いる ん だ 。 そんな 大きな やつ へ うまく は いる と 、 九州 から こっち の 方 まで 一 ぺん に 来る こと も 出来る ん だ 。 けれども まあ 、 大抵 は 途中 で 高 いとこ へ 行っ ちまう ね 。 だから 大きな の は あんまり 面白 か あ ない ん だ 。 十 人 ぐらい で やる 時 は 一番 愉快 だ よ 。 甲州 で はじめ た 時 なんか ね 。 はじめ 僕 が 八ヶ岳 の 麓 の 野原 で やすん で たろ う 。 曇っ た 日 で ねえ 、 すると 向う の 低い 野原 だけ 不思議 に 一 日 、 日 が 照っ て ね 、 ちらちら かげろう が 上っ て い た ん だ 。 それでも 僕 は まあ やすん で い た 。 そして 夕方 に なっ た ん だ 。 すると あちこち から 
『 おい サイクル ホール を やろ う じゃ ない か 。 どうも やら なけ ぁ 、 いけ ない 様 だ よ 。 』 って みんな の 云う の が 聞え た ん だ 。 
『 やろ う 』 僕 は たち 上っ て 叫ん だ ねえ 、 
『 やろ う 』 『 やろ う 』 声 が あっち こっち から 聞え た ね 。 
『 いい かい 、 じゃ 行く よ 。 』 僕 は その 平地 を めがけ て ピーッ と 飛ん で 行っ た 。 すると いつ でも そう な ん だ が 、 まっすぐ に 平地 に 行か さら ない ん だ 。 急げ ば 急ぐ ほど 右 へ まがる よ 、 尤も それ で サイクル ホール に なる ん だ よ 。 さあ 、 みんな が つづい た らしい ん だ 。 僕 は も うまる で 、 汽車 より も 早く なっ て い た 。 下 に 富士川 の 白い 帯 を 見 て かけ て 行っ た 。 けれども 間もなく 、 僕 は ずっと 高い ところ に のぼっ て 、 しずか に 歩い て い た ねえ 。 サイクル ホール は だんだん 向う へ 移っ て 行っ て 、 だんだん みんな も はいっ て 行っ て 、 ずいぶん 大きな 音 を たて ながら 、 東京 の 方 へ 行っ た ん だ 。 きっと 東京 で も いろいろ 面白い こと を やっ た ねえ 。 それから 海 へ 行っ たろ う 。 海 へ 行っ て こんど は 竜巻 を やっ た に ちがい ない ん だ 。 竜巻 は ねえ 、 ずいぶん 凄い よ 。 海 の に は 僕 は いっ た こと は ない ん だ けれど 、 小さい の を 沼 で やっ た こと が ある よ 。 丁度 お前 達 の 方 の ご 維新 前 ね 、 日詰 の 近く に 源 五 沼 という 沼 が あっ た ん だ 。 その すぐ 隣り の 草 は ら で 、 僕 等 は 五 人 で サイクル ホール を やっ た 。 ぐるぐる ひどく まわっ て い たら 、 まるで 木 も 折れる くらい 烈しく なっ て しまっ た 。 丁度 雨 も 降る ばかり の ところ だっ た 。 一 人 の 僕 の 友だち が ね 、 沼 を 通る 時 、 とうとう 機 み で 水 を 掬っ ちゃっ た ん だ 。 さあ 僕 等 は もう 黒雲 の 中 に 突き 入っ て まわっ て 馳 けた ねえ 、 水 が 丁度 漏斗 の 尻 の よう に なっ て 来る ん だ 。 下 から 見 たら 本当に こわかっ たろ う 。 
『 ああ 竜 だ 、 竜 だ 。 』 みんな は 叫ん だ よ 。 実際 下 から 見 たら 、 さっき の 水 は ぎらぎら 白く 光っ て 黒雲 の 中 に は いっ て 、 竜 の しっぽ の よう に 見え た かも 知れ ない 。 その 時 友だち が まわる の を やめ た もん だ から 、 水 は ざあっと 一 ぺん に 日詰 の 町 に 落ち かかっ た ん だ 。 その 時 は 僕 は もう まわる の を やめ て 、 少し 下 に 降り て 見 て い た が ね 、 さっき の 水 の 中 に い た 鮒 や なまず が 、 ばらばら と 往来 や 屋根 に 降っ て い た ん だ 。 みんな は 外 へ 出 て 恭 恭しく 僕 等 の 方 を 拝ん だり 、 降っ て 来 た 魚 を 押し 戴い て い た よ 。 僕 等 は 竜 じゃ ない ん だ けれども 拝ま れる と やっぱり うれしい から ね 、 友だち 同志 にこにこ し ながら ゆっくり ゆっくり 北の方 へ 走っ て 行っ た ん だ 。 まったく サイクル ホール は 面白い よ 。 
それから 逆 サイクル ホール という の も ある よ 。 これ は 高い ところ から 、 さっき の 逆 に まわっ て 下り て くる こと な ん だ 。 この 時 なら ば 、 そんなに 急 な こと は ない 。 冬 は 僕 等 は 大抵 シベリヤ に 行っ て それ を やっ たり 、 そっち から こっち に 走っ て 来 たり する ん だ 。 僕 たち が これ を やっ てる 間 は よく 晴れる ん だ 。 冬 なら ば 咽喉 を 痛く する もの が たくさん 出来る 。 けれども それ は 僕 等 の 知っ た こと じゃ ない 。 それから 五月 か 六月 に は 、 南 の 方 で は 、 大 抵支那 の 揚子江 の 野原 で 大きな サイクル ホール が ある ん だ よ 。 その 時 丁度 北 の タスカロラ 海 床 の 上 で は 、 別に 大きな 逆 サイクル ホール が ある 。 両方 だんだん ぶっつかる と そこ が 梅雨 に なる ん だ 。 日本 が 丁度 それ に あたる ん だ から ね 、 仕方 が ない や 。 けれども お前 達 の ところ は 割合 北 から 西 へ 外れ てる から 、 梅雨 らしい こと は あんまり ない だろ う 。 あんまり サイクル ホール の 話 を し た から 何だか 頭 が ぐるぐる し ちゃっ た 。 もう さよなら 。 僕 は どこ へ も 行か ない ん だ けれど 少し 睡り たい ん だ 。 さよなら 。 」 
又 三郎 の マント が ぎらっと 光っ た と 思う と 、 もう その 姿 は 消え て 、 みんな は 、 はじめて ほう と 息 を つき まし た 。 それ から いろいろ いま の こと を 話し ながら 、 丘 を 下っ て 銘銘 わかれ て お うち へ 帰っ て 行っ た の です 。 
九月 五 日 
「 僕 は 上海 だって 何 べ ん も 知っ てる よ 。 」 みんな が 丘 へ のぼっ た とき 又 三郎 が いきなり マント を ぎらっとさせてそこらの 草 へ 橙 や 青 の 光 を 落し ながら 出 て 来 て それ から 指 を ひろげ て みんな の 前 に 突き出し て 云い まし た 。 
「 上海 と 東京 は 僕 たち の 仲間 なら 誰 でも みんな 通り た がる ん だ 。 どうして か 知っ てる かい 。 」 
又 三郎 は まっ黒 な 眼 を 少し 意地 わる そう に くりくり さ せ ながら みんな を 見 まわし まし た 。 けれども 上海 と 東京 という こと は 一郎 も 誰 も 何 の こと か わかり ませ ん でし た から お 互 しばらく 顔 を 見合せ て だまっ て い まし たら 又 三郎 が もう 大 得意 で にやにや 笑い ながら 言っ た の です 。 
「 僕 たち の 仲間 は みんな 上海 と 東京 を 通り た がる よ 。 どうして って 東京 に は 日本 の 中央 気象台 が ある し 上海 に は 支那 の 中華 大 気象台 が ある だろ う 。 どっち だって 偉い 人 が たくさん 居る ん だ 。 本当は 気象台 の 上 を かける とき は 僕 たち は みんな 急ぎ た がる ん だ 。 どうして って 風力 計 が くるくる くるくる 廻っ て い て 僕 たち の レコード は ちゃんと 下 の 機械 に 出 て 新聞 に も 載る ん だろ う 。 誰 だって いい レコード を 作り たい から それ は どうしても 急ぐ ん だ よ 。 けれども 僕 たち の 方 の きめ で は 気象台 や 測候所 の 近く へ 来 た から って 俄 に 急い だり する こと は 大 へん 卑怯 な こと に さ れ て ある ん だ 。 お前 たち だって きっと そう だろ う 、 試験 の 時 ばかり むやみ に 勉強 し たり する の は いけ ない こと に なっ てる だろ う 。 だから 僕たち も 急ぎ たく たっ て わざと 急が ない ん だ 。 その かわり ほんとう に 一生けん命 かけ てる 最中 に 気象台 へ 通りかかる とき は うれしい ねえ 、 風力 計 を まるで のぼせる くらい に まわし て ピーッ と かけぬける だろ う 、 胸 も すっと なる ん だ 。 面白かっ た ねえ 、 一昨年 だっ た けれど 六月 ころ 僕 丁度 上海 に 居 た ん だ 。 昼 の 間 に は 海 から 陸 へ 移っ て 行き 夜 に は 陸 から 海 へ 行っ て た ねえ 、 大抵 朝 は 十 時 頃 海 から 陸 の 方 へ かけぬける よう に なっ て い た ん だ が その とき は いつ でも 、 うまい 工合 に 気象台 を 通る よう に なる ん だ 。 すると 気象台 の 風力 計 や 風 信 器 や 置い て ある 屋根 の 上 の や ぐらにいつでも 一 人 の 支那人 の 理学 博士 と 子供 の 助手 と が 立っ て いる ん だ 。 
博士 は だまっ て い た が 子供 の 助手 は いつ でも 何 か 言っ て いる ん だ 。 そいつ は 頭 を くりくり の 芥子坊主 に し て ね 、 着物 だって 袖 の 広い 支那服 だろ う 、 沓 も はい てる ねえ 、 大 へん か あいらしい ん だ よ 、 一番 はじめ の 日 僕 が そこ を 通っ たら 斯 う 言っ て い た 。 
『 これ は きっと 颶風 です ね 。 ずぶ ん ひどい 風 です ね 。 』 
すると 支那人 の 博士 が 葉巻 を くわえ た まま ふん ふん 笑っ て 
『 家 が 飛ば ない じゃ ない か 。 』 
と 云う と 子供 の 助手 は まるで 口 を 尖ら せ て 、 
『 だって 向う の 三角 旗 や 何 か ぱたぱた 云っ て ます 。 』 という ん だ 。 博士 は 笑っ て 相手 に し ない で 壇 を 下り て 行く ねえ 、 子供 の 助手 は 少し 悄気 ながら 手 を 拱い て あと から 恭 々 しく ついて行く 。 
僕 は その とき 二 ・ 五 米 という レコード を 風力 計 に のこし て 笑っ て 行っ て しまっ た ん だ 。 
次 の 日 も 九 時 頃 僕 は 海 の 霧 の 中 で 眼 が さめ て それ から 霧 が だんだん 融け て 空 が 青く なり お 日 さま が 黄金 の ばら の よう に かがやき 出し た ころ そろそろ 陸 の 方 へ 向っ た ん だ 。 これ は 仕方 ない ん だ よ 、 お 日 さん さえ 出 たら きっと もう 僕 たち は 陸 の 方 へ 行か な け ぁならないようになるんだ 、 僕 は だんだん 岸 へ よって 鴎 が 白い 蓮華 の 花 の よう に 波 に 浮ん で いる の も 見 た し 、 また 沢山 の ジャンク の 黄いろ の 帆 や 白く 塗ら れ た 蒸気 船 の 舷 を 通っ たり なんか し て 昨日 の 気象台 に 通りかかる と 僕 は もう 遠く から あの 風力 計 の くるくる くるくる 廻る の を 見 て 胸 が 踊る ん だ 。 すっと かけぬけ た だろ う 。 レコード が 一 秒 五 米 と 出 た ねえ 、 その とき 下 を 見る と 昨日 の 博士 と 子供 の 助手 と が 今日 も 出 て 居 て 子供 の 助手 が やっぱり 云っ て いる ん だ 。 
『 この 風 は たしかに 颶風 です ね 。 』 
支那人 の 博士 は やっぱり わらっ て 気 が ない よう に 、 
『 瓦 も 石 も 舞い 上ら ん じゃ ない か 。 』 と 答え ながら もう 壇 を 下り かかる ん だ 。 子供 の 助手 は まるで 一生けん命 に なっ て 
『 だって 木 の 枝 が 動い て ます よ 。 』 と 云う ん だ 。 それでも 博士 は まるで 相手 に し ない ねえ 、 僕 も その 時 は もう 気象台 を ず うっ と は なれ て しまっ て あと どう なっ た か 知ら ない 。 
そして その 日 はず うっ と 西 の 方 の 瀬戸物 の 塔 の ある あたり まで 行っ て ぶらぶら し 、 その 晩 十 七 夜 の お 月 さま の 出る ころ 海 へ 戻っ て 睡っ た ん だ 。 
ところが その 次 の 日 も なん だ 。 その 次 の 日 僕 が また 海 から やって来 て ほくほく し ながら もう 大分 の 早足 で 気象台 を 通りかかっ たら やっぱり 博士 と 助手 が 二 人 出 て い た 。 
『 こいつ は もう 本 とう の 暴風 です ね 、 』 又 あの 子供 の 助手 が 尤 らしい 顔つき で 腕 を 拱い て そう 云っ て いる だろ う 。 博士 は やっぱり 鼻 で あしらう といった 風 で 
『 だって 木 が 根こぎ に なら ん じゃ ない か 。 』 と 云う ん だ 。 子供 は まるで 顔 を まっ 赤 に し て 
『 それでも どの 木 も みんな ぐらぐら し て ます よ 。 』 と 云う ん だ 。 その 時 僕 は もう あと を 見 なかっ た 。 なぜ って その 日 の レコード は 八 米 だ から ね 、 そんなに 気象台 の 所 に ばかり 永く とまっ て いる わけ に は 行か なかっ た ん だ 。 そして その 次 の 日 だ よ 、 やっぱり 僕 は 海 へ 帰っ て い た ん だ 。 そして 丁度 八 時 ころ から 雲 も 一ぱい に やって来 て 波 も 高かっ た 。 僕 は この 時 は もう 両手 を ひろげ 叫び声 を あげ て 気象台 を 通っ た 。 やっぱり 二 人 と も 出 て い た ねえ 、 子供 は 高い 処 な もん だ から もう ぶるぶる 顫 えて 手すり に とりつい て いる ん だ 。 雨 も 幾 つぶ か 落ち た よ 。 そんなに こわ そう に し ながら また 斯 う 云っ て いる ん だ 。 
『 これ は 本当 の 暴風 です ね 、 林 が が あ が あ 云っ て ます よ 、 枝 も 折れ て ます よ 。 』 
ところが 博士 は 落ちつい て から だ を 少し まげ ながら 海 の 方 へ 手 を かざし て 云っ た ねえ 
『 うん 、 けれども まだ 暴風 という わけ じゃ ない な 。 もう 降りよ う 。 』 僕 は その 語 を きれ ぎれに 聴き ながら そこ を はなれ た ん だ それ から もう かけ て かけ て 林 を 通る とき は 木 を みんな 狂人 の よう に ゆすぶら せ 丘 を 通る とき は 草 も 花 も めっちゃ め ちゃ に たたきつけ た ん だ 、 そして その 夕方 まで に 上海 から 八 十 里 も 南西 の 方 の 山 の 中 に 行っ た ん だ 。 そして 少し 疲れ た ので みんな と わかれ て やすん で い たら その 晩 また 僕 たち は 上海 から 北の方 の 海 へ 抜け て 今度 は もう まっすぐ に こっち の 方 まで やって来る という こと に なっ た ん だ 。 そいつ は 低 気圧 だ よ 、 あいつ に 従い て 行く こと に なっ た ん だ 。 さあ 僕 は その 晩 中 あした もう 一 ぺん 上海 の 気象台 を 通り たい と いくら 考え た か 知れ やし ない 。 ところが うまい こと 通っ た ん だ 。 そして 僕 は 遠く から 風力 計 の 椀 が まるで 眼 に も 見え ない 位 速く まわっ て いる の を 見 、 又 あの 支那人 の 博士 が 黄いろ な レーンコート を 着 子供 の 助手 が 黒い 合羽 を 着 て や ぐらの 上 に 立っ て 一生けん命 空 を 見 あげ て いる の を 見 た 。 さあ 僕 は もう 笛 の よう に 鳴り い なずま の よう に 飛ん で 
『 今日 は 暴風 です よ 、 そら 、 暴風 です よ 。 今日 は 。 さよなら 。 』 と 叫び ながら 通っ た ん だ 。 もう 子供 の 助手 が 何 を 云っ た か ただ その 小さな 口 が ぴくっとまがったのを 見 た だけ 少しも 僕 に は わから なかっ た 。 
そう だ 、 その とき は 僕 は 海 を ぐんぐん わたっ て こっち へ 来 た けれども 来る 途中 で だんだん かける の を やめ て それ から 丁度 五 日 目 に ここ も 通っ た よ 。 その 前 の 日 は あの 水沢 の 臨時 緯度 観測 所 も 通っ た 。 あすこ は 僕 たち の 日本 で は 東京 の 次 に 通り た がる 所 な ん だ よ 。 なぜ って あすこ を 通る と レコード で も 何で もみ な 外国 の 方 まで 知れる よう に なる こと が ある から なん だ 。 あすこ を 通っ た 日 は 丁度 お 天気 だっ た けれど 、 そう そう 、 その 時 は 丁度 日本 で は 入梅 だっ た ん だ 、 僕 は 観測 所 へ 来 て しばらく ある 建物 の 屋根 の 上 に やすん で い た ねえ 、 やすん で 居 た って 本当は 少し とろとろ 睡っ た ん だ 。 すると 俄 か に 下 で 
『 大丈夫 です 、 すっかり 乾き まし た から 。 』 と 云う 声 が する ん だろ う 。 見る と 木村 博士 と 気象 の 方 の 技手 と が ラケット を さげ て 出 て 来 て い た ん だ 。 木村 博士 は 瘠せ て 眼 の キョロキョロ し た 人 だ けれども 僕 は まあ 好き だ ねえ 、 それ に 非常 に テニス が うまい ん だ よ 。 僕 は しばらく 見 て た ねえ 、 どうしても その 技手 の 人 は かなわ ない 、 まるっきり 汗 だらけ に なっ て よろよろ し て いる ん だ 。 あんまり 僕 も 気の毒 に なっ た から 屋根 の 上 から じっと ボール の 往来 を にらめ て すき を 見 て 置い て ねえ 、 丁度 博士 が サーヴ を つかっ た とき ふう っと 飛び出し て 行っ て 球 を 横 の 方 へ 外らし て しまっ た ん だ 。 博士 は すぐ もう 一つ の 球 を 打ちこん だ ねえ 。 そいつ は 僕 は 途中 に 居 て 途方 も なく 遠く へ けとばし て やっ た 。 
『 こんな 筈 は ない ぞ 。 』 と 博士 は 云っ た ねえ 、 僕 は もう 博士 に これ 位 云わ せれ ば 沢山 だ と 思っ て 観測 所 を はなれ て 次 の 日 丁度 ここ へ 来 た ん だ よ 。 ところで ね 、 僕 は 少し 向う へ 行か なく ちゃ いけ ない から 今日 は これ で お 別れ しよ う 。 さよなら 。 」 
又 三郎 は すっと 見え なく なっ て しまい まし た 。 
みんな は 今日 は 又 三 郎 ばかり あんまり 勝手 な こと を 云っ て あんまり 勝手 に 行っ て しまっ たり する もん です から 少し 変 な 気 も し まし た が 一所 に 丘 を 降り て 帰り まし た 。 
九月 六 日 
一昨日 から だんだん 曇っ て 来 た そら は とうとう その 朝 は 低い 雨雲 を 下し て まるで 冬 に でも 降る よう な まっすぐ な しずか な 雨 が やっと 穂 を 出し た 草 や 青い 木の葉 に そそぎ まし た 。 
みんな は 傘 を さし たり 小さな 簑 から すきとおる つめたい 雫 を ぽたぽた 落し たり し て 学校 に 来 まし た 。 
雨 は たびたび 霽 れ て 雲 も 白く 光り まし た けれども 今日 は 誰 も あんまり 教室 の 窓 から あの 丘 の 栗 の 木 の 処 を 見 ませ ん でし た 。 又 三郎 など も はじめ こそ は ほんとう に めずらしく 奇 体 だっ た の です が だんだん なれ て 見る と 割合 ありふれ た こと に なっ て しまっ て まるで 東京 から ふい に 田舎 の 学校 へ 移っ て 来 た 友だち ぐらい に しか 思わ れ なく なっ て 来 た の です 。 
お ひる すぎ 授業 が 済ん で から は もう 雨 は すっかり 晴れ て 小さな 蝉 など も カンカン 鳴き はじめ たり し まし た けれども 誰 も 今日 は あの 栗 の 木 の 処 へ 行こ う と も 云わ ず 一郎 も 耕 一 も 学校 の 門 の 処 で 「 あ ば え 。 」 と 言っ た きり 別れ て しまい まし た 。 
耕 一 の 家 は 学校 から 川添 いに 十 五 町 ばかり 溯っ た 処 に あり まし た 。 耕 一 の 方 から 来 て いる 子供 で は 一 年生 の 生徒 が 二 人 あり まし た けれども それ は もう 午前 中 に 帰っ て しまっ て い まし た し 耕一 は かばん と 傘 を 持っ て ひとり みち を 川上 の 方 へ 帰っ て 行き まし た 。 みち は 岩 の 崖 に なっ た 処 の 中ごろ を 通る ので ずいぶん 度々 山 の 窪み や 谷 に 添っ て まわら なけれ ば なり ませ ん でし た 。 ところどころ に は 湧 水 も あり 、 又 みち の 砂 だって まっ 白 で 平ら でし た から 耕一 は 今日 も 足駄 を ぬい で 傘 と 一緒 に もっ て 歩い て 行き まし た 。 
まがり角 を 二つ まわっ て もう 学校 も 見え なく なり 前 に もうし ろ に も 人 は 一 人 も 居 ず 谷 の 水 だけ 崖 の 下 で 少し 濁っ て ご う ご う 鳴る だけ 大 へん さびしく なり まし た ので 耕一 は 口笛 を 吹き ながら 少し 早足 に 歩き まし た 。 
ところが 路 の 一 とこ に 崖 から からだ を つき 出す よう に し た 楢 や 樺の木 が 路 に 被さっ た とこ が あり まし た 。 耕一 が 何気なく その 下 を 通り まし たら 俄 か に 木 が ぐらっとゆれてつめたい 雫 が 一 ぺん に ざっと 落ち て 来 まし た 。 耕一 は 肩 から せ なか から 水 へ 入っ た よう に なり まし た 。 それほど ひどく 落ち て 来 た の です 。 
耕一 は その 梢 を ちょっと 見 あげ て 少し 顔 を 赤く し て 笑い ながら 行き過ぎ まし た 。 
ところが 次 の 木 の トンネル を 通る とき 又 ざっと その 雫 が 落ち て 来 た の です 。 今度 は もう すっかり から だ まで 水 が しみる 位 に ぬれ まし た 。 耕一 は ぎょっと し まし た けれども やっぱり 口笛 を 吹い て 歩い て 行き まし た 。 
ところが 間もなく 又木 の かぶさっ た 処 を 通る よう に なり まし た 。 それ は 大 へん に 今 まで と は ちがっ て 長かっ た の です 。 耕一 は 通る 前 に 一 ぺん その 青い 枝 を 見 あげ まし た 。 雫 は 一ぱい に たまっ て 全く 今にも 落ち そう に は 見え まし た し おまけ に 二 度 ある こと は 三 度 ある と も 云う の でし た から 少し 立ちどまっ て 考え て 見 まし た けれども まさか 三 度 が 三 度 とも 丁度 下 を 通る とき それ が 落ち て 来る という こと は ない と 思っ て 少し びく びく し ながら その 下 を 急い で 通っ て 行き まし た 。 そしたら やっぱり 、 今度 も ざあっと 雫 が 落ち て 来 た の です 。 耕一 は もう少し 口 が まがっ て 泣く よう に なっ て 上 を 見 あげ まし た 。 けれども 何とも 仕方 あり ませ ん でし た から 冷た さ に 一 ぺん ぶる っと し ながら もう少し 行き まし た 。 する と 、 又 ざあと 来 た の です 。 
「 誰 だ 。 誰 だ 。 」 耕一 は もう きっと 誰 か の いたずら だ と 思っ て しばらく 上 を にらん で い まし た が しん として 何 の 返事 も なく ただ 下 の 方 で 川 が ご う ご う 鳴る ばかり でし た 。 そこで 耕一 は 今度 は 傘 を さして 行こ う と 思っ て 足駄 を 下 に おろし て 傘 を 開き まし た 。 そしたら 俄 に どう っと 風 が やって来 て 傘 は ぱっと 開き あぶなく 吹き飛ばさ れ そう に なり まし た 、 耕一 は よろよろ し ながら しっかり 柄 を つかまえ て い まし たら とうとう 傘 は がりがり 風 に こわさ れ て 開い た 蕈 の よう な 形 に なり まし た 。 
耕一 は とうとう 泣き 出し て しまい まし た 。 
すると 丁度 それ と 一緒 に 向う で は あ はあ 笑う 声 が し た の です 。 びっくり し て そちら を 見 まし たら そいつ は 、 そいつ は 風 の 又 三郎 でし た 。 ガラス の マント も 雫 で いっぱい 髪の毛 も ぬれ て 束 に なり 赤い 顔 から は 湯気 さえ 立て ながら はあ はあ はあ はあ ふい ご の よう に 笑っ て い まし た 。 
耕一 は あたり が き ぃんと 鳴る よう に 思っ た くらい 怒っ て しまい まし た 。 
「 何 為 ぁ 、 ひと の 傘 ぶっ かし て 。 」 
又 三郎 は いよいよ ひどく 笑っ て まるで そこら 中 ころげる よう に し まし た 。 
耕一 は もう こらえ 切れ なく なっ て 持っ て い た 傘 を いきなり 又 三郎 に 投げつけ て それ から 泣き ながら 組み付い て 行き まし た 。 
すると 又 三郎 は すばやく ガラス マント を ひろげ て 飛び あがっ て しまい まし た 。 もう どこ へ 行っ た か 見え ない の です 。 
耕一 は まだ 泣い て そら を 見上げ まし た 。 そして しばらく 口惜し さ に しくしく 泣い て い まし た が やっと あきらめ て その 壊れ た 傘 も 持た ず うち へ 帰っ て しまい まし た 。 そして 縁側 から 入ろう として ふと 見 まし たら さっき の 傘 が ひろげ て 干し て ある の です 。 照井 耕一 という 名 も ちゃんと 書い て あり まし た し 、 さっき は なれ た 処 も すっかり くっつき きれ た 糸 も 外 の 糸 で つない で あり まし た 。 耕一 は 縁側 に 座り ながら とうとう 笑い 出し て しまっ た の です 。 
九月 七 日 
次 の 日 は 雨 も すっかり 霽 れ まし た 。 日曜日 でし た から 誰 も 学校 に 出 ませ ん でし た 。 ただ 耕一 は 昨日 又 三郎 に あんな ひどい 悪戯 を さ れ まし た ので どうしても 今日 は 遭っ て うんと ひどく いじめ て やら なけれ ば と 思っ て 自分 一 人 で も こわかっ た もん です から 一 郎 を さそっ て 朝 の 八 時 頃 から あの 草山 の 栗 の 木の下 に 行っ て 待っ て い まし た 。 
すると 又 三郎 の 方 で も どう 云う つもり か 大 へん に 早く 丁度 九 時 ころ 、 丘 の 横 の 方 から 何 か 非常 に 考え込ん だ よう な 風 を し て 鼠 いろ の マント を うし ろ へ はね て 腕組み を し て 二 人 の 方 へ やって来 た の でし た 。 さあ 、 しっかり 談判 し なく ちゃ いけ ない と 考え て 耕一 は どき っと し まし た 。 又 三郎 は たしかに 二 人 の 居 た の も 知っ て い た よう でし た が 、 わざと いかにも 考え込ん で いる という 風 で 二 人 の 前 を 知ら ない ふり し て 通っ て 行こ う と し まし た 。 
「 又 三郎 、 うわ ぁい 。 」 耕一 は いきなり どなり まし た 。 又 三郎 は ぎょっと し た よう に ふり向い て 、 
「 おや 、 お早う 。 もう 来 て い た の かい 。 どうして 今日 は こんなに 早い ん だい 。 」 と たずね まし た 。 
「 日曜 で さ 。 」 一郎 が 云い まし た 。 
「 ああ 、 今日 は 日曜 だっ た ん だ ね 、 僕 すっかり 忘れ て い た 。 そう だ 八月 三 十 一 日 が 日曜 だっ た から ね 、 七 日 目 で 今日 が 又 日曜 な ん だ ね 。 」 
「 うん 。 」 一郎 は こたえ まし た が 耕一 は ぷりぷり 怒っ て い まし た 。 又 三郎 が 昨日 の こと など 一言 も 云わ ず あんまり そらぞらしい もん です から それ に 耕 一 に 何 も 云わ れ ない よう に 又 日曜 の こと など ばかり 云う もん です から じっさい しゃくにさわっ た の です 。 そこで とうとう いきなり 叫び まし た 。 
「 う わぁ い 、 又 三郎 、 汝 など ぁ 、 世界 に 無く て も いい な 。 うわ ぁぃ 。 」 
すると 又 三郎 は ずる そう に 笑い まし た 。 
「 やあ 、 耕一 君 、 お早う 。 昨日 は ずいぶん 失敬 し た ね 。 」 
耕一 は 何 か もっと 別 の こと を 言お う と 思い まし た が あんまり 怒っ て しまっ て 考え出す こと が でき ませ ん でし た ので 又 同じ よう に 叫び まし た 。 
「 う わぁ い 、 うわ ぁいだが 、 又 三郎 、 うな など ぁ 世界中 に 無く て も いい な 、 うわ ぁい 。 」 
「 昨日 は 実際 失敬 し た よ 。 僕 雨 が 降っ て あんまり 気持ち が 悪かっ た もん だ から ね 。 」 
又 三郎 は 少し 眼 を パチ パチ さ せ て 気の毒 そう に 云い まし た けれども 耕 一 の 怒り は 仲 々 解け ませ ん でし た 。 そして 三 度 同じ こと を 繰り返し た の です 。 
「 う わぁ い 、 うな など ぁ 、 無く て も いい な 。 うわ ぁい 。 」 
すると 又 三郎 は 少し 面白く なっ た よう でし た 。 いつも の 通り ずる そう に 笑っ て 斯 う 訊ね まし た 。 
「 僕 たち が 世界中 に なく て も いい って どう 云う ん だい 。 箇条 を 立て て 云っ て ごらん 。 そら 。 」 
耕一 は 試験 の よう だ し つまらない こと に なっ た と 思っ て 大 へん 口惜しかっ た の です が 仕方 なく しばらく 考え て から 答え まし た 。 
「 汝 など ぁ 悪戯 ばり さ な 。 傘 ぶっ 壊し たり 。 」 
「 それから ？ 　 それから ？ 」 又 三郎 は 面白 そう に 一足 進ん で 云い まし た 。 
「 それ がら 、 樹 折っ たり 転覆 し たり さ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから 、 どう だい 。 」 
「 それ がら 、 稲 も 倒さ な 。 」 
「 それから ？ 　 あと は どう だい 。 」 
「 家 も ぶっ 壊さ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 あと は どう だい 。 」 
「 砂 も 飛ばさ な 。 」 
「 それから ？ 　 あと は ？ 　 それから ？ 　 あと は どう だい 。 」 
「 シャッポ も 飛ばさ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 あと は ？ 　 あと は どう だい 。 」 
「 それ がら 、 うう 、 電信 ば しら も 倒さ な 。 」 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 それから ？ 」 
「 それ がら 、 塔 も 倒さ な 。 」 
「 アアハハハ 、 塔 は 家 の うち だい 、 どう だ いまだ ある かい 。 それから ？ 　 それから ？ 」 
「 それ がら 、 うう 、 それ がら 、 」 耕一 は つまっ て しまい まし た 。 大抵 もう 云っ て しまっ た の です から いくら 考え て も もう 出 ませ ん でし た 。 
又 三郎 は いよいよ 面白 そう に 指 を 一 本 立て ながら 
「 それから ？ 　 それから ？ 　 ええ ？ 　 それから 。 」 と 云う の でし た 。 耕一 は 顔 を 赤く し て しばらく 考え て から やっと 答え まし た 。 
「 それ がら 、 風車 も ぶっ 壊さ な 。 」 
すると 又 三郎 は 今度 こそ は まるで 飛び あがっ て 笑っ て しまい まし た 。 笑っ て 笑っ て 笑い まし た 。 マント も 一緒 に ひらひら 波 を 立て まし た 。 
「 そう ら ごらん 、 とうとう 風車 など を 云っ ちゃっ た 。 風車 なら 僕 を 悪く 思っ ちゃ い ない ん だ よ 。 勿論 時々 壊す こと も ある けれども 廻し て やる とき の 方 が ず うっ と 多い ん だ 。 風車 なら ちっとも 僕 を 悪く 思っ ちゃ い ない ん だ 。 うそ と 思っ たら 聴い て ごらん 。 お前 たち は まるで 勝手 だ ねえ 、 僕 たち が ちっと ばっか し いたずら する こと は 大業 に 悪口 を 云っ て いい とこ は ちっとも 見 ない ん だ 。 それ に 第 一 お前 の さっき から の 数え よう が あんまり おかしい や 。 うう 、 うう て ばかり い た ん だろ う 。 おしまい は とうとう 風車 なんか 数え ちゃっ た 。 ああ おかしい 。 」 
又 三郎 は 又 泪 の 出る ほど 笑い まし た 。 
耕一 も さっき から あんまり 困っ た ため に 怒っ て い た の も だんだん 忘れ て 来 まし た 。 そして つい 又 三郎 と 一所 に わらい だし て しまっ た の です 。 さあ 又 三 郎 の よろこん だ こと 俄 か に しゃべり はじめ まし た 。 
「 ね 、 そら 、 僕 たち の やる いたずら で 一番 ひどい こと は 日本 なら ば 稲 を 倒す こと だ よ 、 二 百 十 日 から 二 百 二 十 日 ころ まで 、 昔 は その 頃 ほんとう に 僕 たち は こわがら れ た よ 。 なぜ って その頃 は 丁度 稲 に 花 の かかる とき だろ う 。 その 時 僕 たち に かけ られ たら 花 が みんな 散っ て しまっ て まるで 実に なら ない だろ う 、 だから 前 は 本当に こわがっ た ん だ 、 僕 たち だって わざ と する ん じゃ ない 、 どうしても その頃 かけ なく ちゃ いか ない から かける ん だ 、 もう 三 四 日 たて ば きっと 又 そう なる よ 。 けれども いま は もう 農業 が 進ん で お前 たち の 家 の 近く など で は 二 百 十 日 の ころ に など 花 の 咲い て いる 稲 なんか 一 本 も ない だろ う 、 大抵 もう 柔らか な 実に なっ てる ん だ 。 早い 稲 は もう よほど 硬く さえ なっ てる よ 、 僕ら が かけ ある い て 少し 位 倒れ た って そんなに ひどく とりいれ が 減り は し ない ん だ 。 だから 結局 何 で も ない さ 。 それ から も 一つ は 木 を 倒す こと だ よ 。 家 を 倒す なんて そんな こと は ほんの 少し だ から ね 、 木 を 倒す こと だ よ 、 これ だって 悪戯 じゃ ない ん だ よ 。 倒れ ない よう に し て 置け ぁいいんだ 。 葉 の 濶 い 樹 なら 丈夫 だ よ 。 僕 たち が 少し ぐらい ひどく ぶっつかっ て も 仲 々 倒れ やし ない 。 それ に 林 の 樹 が 倒れる なんか それ は 林 の 持主 が 悪い ん だ よ 。 林 を 伐る とき はね 、 よく 一 年 中 の 強い 風向 を 考え て その 風下 の 方 から だんだん 伐っ て 行く ん だ よ 。 林 の 外側 の 木 は 強い けれども 中 の 方 の 木 は せい ばかり 高く て 弱い から よく そんな こと も 気 を つけ なけ ぁいけないんだ 。 だから まず 僕 たち の こと 悪く 云う 前 に よく 自分 の 方 に 気 を つけりゃ いい ん だ よ 。 海岸 で はね 、 僕 たち が 波 の しぶき を 運ん で 行く と すぐ 枯れる やつ も 枯れ ない やつ も ある よ 。 苹果 や 梨 や まるめろ や 胡瓜 は だめ だ 、 すぐ 枯れる 、 稲 や 薄荷 や だいこん など は なかなか 強い 、 牧草 など も 強い ねえ 。 」 
又 三郎 は ちょっと 話 を やめ まし た 。 耕一 も すっかり 機嫌 を 直し て 云い まし た 。 
「 又 三郎 、 おれ ぁあんまり 怒 で 悪 がた 。 許せ な 。 」 
すると 又 三郎 は すっかり 悦び まし た 。 
「 ああ ありがとう 、 お前 は ほんとう に さっぱり し て いい 子供 だ ねえ 、 だから 僕 は おまえ は すき だ よ 、 すき だ から 昨日 も いたずら し た ん だ 、 僕 だって いたずら は する けれど 、 いい こと は もっと 沢山 する ん だ よ 、 そら 数え て ごらん 、 僕 は 松 の 花 で も 楊 の 花 で も 草 棉 の 毛 でも 運ん で 行く だろ う 。 稲 の 花粉 だって やっぱり 僕ら が 運ぶ ん だ よ 。 それから 僕 が 通る と 草木 は みんな 丈夫 に なる よ 。 悪い 空気 も 持っ て 行っ て いい 空気 も 運ん で 来る 。 東京 の 浅草 の まるで 濁っ た 寒天 の よう な 空気 を うまく 太平洋 の 方 へ さらっ て 行っ て 日本 アルプス の いい 空気 だって 代り に 持っ て 行っ て やる ん だ 。 もし 僕 が い なかっ たら 病気 も 湿気 も いくら ふえる か 知れ ない ん だ 。 ところで 今日 は お前 たち は 僕 に あう ため に ばかり ここ へ 来 た の かい 。 けれども 僕 は 今日 は 十 時半 から 演習 へ 出 なけ ぁいけないからもう 別れ なけ ぁならないんだ 。 あした 又 来 て おくれ 。 ね 。 じゃ 、 さよなら 。 」 
又 三郎 は もう 見え なく なっ て い まし た 。 一郎 と 耕一 も 「 さよなら 」 と 云い ながら 丘 を 下り て 学校 の 誰 も い ない 運動 場 で 鉄棒 に とりつい たり いろいろ 遊ん で ひる ころ うち へ 帰り まし た 。 
九月 八 日 
その 次 の 日 は 大 へん いい 天気 でし た 。 そら に は 霜 の 織物 の よう な 又 白い 孔雀 の はね の よう な 雲 が うすく かかっ て その 下 を 鳶 が 黄金 いろ に 光っ て ゆるく 環 を かい て 飛び まし た 。 
みんな は 、 
「 とんび とんび 、 とっ とび 。 」 と かわるがわる そっち へ 叫び ながら 丘 を のぼり まし た 。 そして いつも の 栗 の 木の下 へ かけ 上る か あがら ない うち に もう 又 三郎 の ガラス の 沓 が キラッ と 光っ て 又 三郎 は 一昨日 の 通り まじめくさっ た 顔 を し て 草 に 立っ て い まし た 。 
「 今日 は 退屈 だっ た よ 。 朝 から どこ へ も 行きゃ し ない 。 お前 たち の 学校 の 上 を 二三 べ ん ある いたし 谷 底 へ 二 三 べ ん 下り た だけ だ 。 ここら は ずいぶん いい 処 だ けれども やっぱり 僕 は もう あき た ねえ 。 」 又 三郎 は 草 に 足 を 投げ出し ながら 斯 う 云い まし た 。 
「 又 三郎 さん 北極 だの 南極 だの お べ だ な 。 」 
一郎 は 又 三郎 に 話さ せる こと に なれ て しまっ て 斯 う 云っ て 話 を 釣り出そ う と し まし た 。 
すると 又 三郎 は 少し 馬鹿 に し た よう に 笑っ て 答え まし た 。 
「 ふん 、 北極 かい 。 北極 は 寒い よ 。 」 
ところが 耕一 は 昨日 から まだ 怒っ て い まし た し それ に いま の 返事 が 大 へん しゃくにさわり まし た ので 
「 北極 は 寒い か ね 。 」 と ふざけ た よう に 云っ た の です 。 さあ すると 今度 は 又 三郎 が すっかり 怒っ て しまい まし た 。 
「 何だ い 、 お前 は 僕 を ばか に しよ う と 思っ てる の かい 。 僕 は お前 たち に ばか に さ れ ぁしないよ 。 悪口 を 云う なら も 少し 上手 に やる ん だ よ 。 何だ い 、 北極 は 寒い か ね って の は 、 北極 は 寒い か ね 、 ほんとう に 田舎 くさい ねえ 。 」 
耕一 も 怒り まし た 。 
「 何 し た 、 汝 など そ だら 東京 だ が 。 一年中 うろうろ ど 歩 って ば がり 居 で い だ ずら ば がり さ な 。 」 
ところが 奇 体 な こと は 、 斯 う 云っ た とき 、 又 三郎 が 又 俄 か に よろこん で 笑い 出し た の です 。 
「 もちろん 僕 は 東京 なんか じゃ ない さ 。 一年中 旅行 さ 。 旅行 の 方 が 東京 より は 偉い ん だ よ 。 旅行 たっ て 僕 の は うろうろ じゃ ない や 。 かける とき は き ぃっとかけるんだ 。 赤道 から 北極 まで 大 循環 さえ やる ん だ 。 東京 なんか より いくら いい か 知れ ない 。 」 
耕一 は まだ 怒っ て に ぎりこぶしをにぎっていましたけれども 又 三郎 は 大 機嫌 でし た 。 
「 北極 の 話 聞か せ な ぃが 。 」 一郎 が 又 云い まし た 。 する と 又 三郎 は もっと ひどく にこにこ し まし た 。 
「 大 循環 の 話 なら 面白い けれど むずかしい よ 。 あんまり 小さな 子 は わから ない よ 。 」 
「 わが る 。 」 一 年生 の 子 が 顔 を 赤く し て 叫び まし た 。 
「 わかる か ね 。 僕 は 大 循環 の こと を 話す の は ほんとう は すき な ん だ 。 僕 は 大 循環 は 二 遍 やっ た よ 。 尤も 一 遍 は 途中 から やめ て 下り た けれど 、 僕 たち は 五 遍 大 循環 を やって来る と 、 もう それ ぁ 幅 が 利く ん だ から ね 、 だから みんな で かける ん だ よ 、 けれども 仲 々 うまく 行か ない から ねえ 、 ギルバート 群島 から のぼっ て 発っ た とき は うまく いっ た けれど ねえ 、 ボルネオ から 発っ た とき は すっかり しくじっ ちゃっ た ん だ 。 それでも 面白かっ た ねえ 、 ギルバート 群島 の 中 の 何 と 云う 島 かしら 小さい けれども 白壁 の 教会 も あっ た 、 その 島 の 近く に 僕 は 行っ た ねえ 、 行く たって 仲 々 容易 じゃ ない や 、 あすこ ら は 赤道 無風帯 って お前 たち が 云う ん だろ う 。 僕 たち は めったに 歩け やし ない 。 それでも 無風帯 の はじ の 方 から 舞い 上っ た ん じゃ 中 々 高 いとこ へ 行か ない し 高い とこ へ 行か なきゃ 北極 だ なんて 遠い 処 へ も 行け ない から 誰 でも みんな なるべく 無風帯 の まん中 へ 行こ う 行こ う と する ん だ 。 僕 は 一生けん命 すき を ねらっ て は ひる の うち に 海 から 向う の 島 へ 行く よう に し 夜 の うち に 島 から 又 向う の 海 へ 出る よう に し て 何 べ ん も 何 べ ん も 戻っ たり し ながら やっと すっかり 赤道 まで 行っ た ん だ 。 赤道 に は 僕 たち が 見る と ちゃんと 白い 指導 標 が 立っ て いる よ 。 お前 たち が 見 た ん じゃ わかりゃ し ない 。 大 循環 志願 者 出発 線 、 これ より 北極 に 至る 八 千 九 百 ベェスター 南極 に 至る 八 千 七 百 ベェスター と 書い て ある ん だ 。 その スタート に 立っ て 僕 は 待っ て い た ねえ 、 向う の 島 の 椰子 の 木 は 黒い くらい 青く 、 教会 の 白壁 は 眼 へ しみる 位 白く 光っ て いる だろ う 。 だんだん ひる に なっ て 暑く なる 、 海 は 油 の よう に とろ っと なっ て それでも ほんの 申しわけ に 白い 波 が しら を 振っ て いる 。 
ひる すぎ の 二 時 頃 に なっ たろ う 。 島 で 銅鑼 が だる そう に ぼんぼん と 鳴り 椰子 の 木 も パンの木 も 一 ぱいにからだをひろげてだらしなくねむっているよう 、 赤い 魚 も 水 の 中 で もう ふらふら 泳い だり じっと とまっ たり し て 夢 を 見 て いる ん だ 。 その 夢 の 中 で 魚 ども は みんな 青 ぞ ら を 泳い で いる ん だ 。 青 ぞ ら を ぷかぷか 泳い で いる と 思っ て いる ん だ 。 魚 という もの は 生意気 な もん だ ねえ 、 ところが ほんとう は 、 その 時 、 空 を 騰っ て 行く の は 僕 たち な ん だ 、 魚 じゃ ない ん だ 。 もう きっと その 辺 に さえ 居れ や 、 空 へ 騰っ て 行か なく ちゃ いけ ない よう な 気 が する ん だ 。 けれども のぼっ て 行く たって それ は それ は そお っと のぼっ て 行く ん だ よ 。 椰子 の 樹 の 葉 に も さわら ず 魚 の 夢 も さまさ ない よう に まるで まるで そお っと のぼっ て 行く ん だ 。 はじめ は それでも 割合 早い けれども だんだん のぼっ て 行っ て 海 が まるで 青い 板 の よう に 見え 、 その 中 の 白い なみ が しら も まるで 玩具 の よう に 小さく ちらちら する よう に なり 、 さっき の 島 など は まるで 一 粒 の 緑 柱石 の よう に 見え て 来る ころ は 、 僕 たち は もう 上 の 方 の ず うっ と 冷たい 所 に 居 て ふう と 大きく 息 を つく 、 ガラス の マント が ぱっと 曇っ たり 又 さっと 消え たり 何 べ ん も 何 べ ん も する ん だ よ 。 けれども とうとう すっかり 冷 く なっ て 僕 たち は がたがた ふるえ ちまう ん だ 。 そうすると 僕 たち の 仲間 は みんな 集っ て 手 を つなぐ 。 そして まだまだ 騰っ て 行く ねえ 、 そのうち とうとう もう 騰 れ ない 処 まで 来 ちまう ん だ よ 。 その 辺 の 寒 さ なら 北極 と くらべ た って そんなに 違 や し ない 。 その 時 僕 たち は どうしても 北の方 に 行か なきゃ いけ ない よう に なる ん だ 。 うし ろ の 方 で は 
『 ああ 今度 は いよいよ 、 かける ん だ な 。 南極 は ここ から 八 千 七 百 ベェスター だ ねえ 、 ずいぶん 遠い ねえ 』 なんて 云っ て いる 、 僕たち も ふり向い て 、 ああ そうですね 、 もう お 別れ です 、 僕 たち は これから 北極 へ 行く ん です 、 ほんの 一寸 の 間 でし た ね 、 ご 一緒 し た の も 、 じゃ さよなら って 云う ん だ よ 。 もう そう 云っ て しまう か しまわ ない うち 僕 たち 北極 行き の 方 は どんどん どんどん 走り出し て いる ん だ 。 咽喉 も かわき 息 も つか ず まるで 矢 の よう に どんどん どんどん かける 。 それでも 少し も 疲れ ぁしない 、 ただ 北極 へ 北極 へ と みんな 一生けん命 な ん だ 。 下 の 方 は まっ白 な 雲 に なっ て いる こと も あれ ば 海 か 陸 か ただ 蒼 黝 く 見える こと も ある 、 昼 は お 日 さま の 下 を 夜 は お 星 さま たち の 下 を どんどん どんどん かけ て 行く ん だ 。 ほんとう に もう 休み なし で かける ん だ 。 
ところが だんだん 進ん で 行く うち に 僕 たち は 何だか お 互 の 間 が 狭く なっ た よう な 気 が し て 前 は ひとり で 広い 場所 を とっ て 手 だけ つなぎ 合っ て かけ て 居 た の が 今度 は 何だか となり の 人 の マント と ぶっつかっ たり 、 手 だって 前 の よう に のばし て 居 られ なく なっ て 縮まる ん だろ う 。 それ が ひどく 疲れる ん だ よ 。 もう 疲れ て 疲れ て 手 を はなし そう に なる ん だ 。 それでも みんな 早く 北極 へ 行こ う と 思う から 仲 々 手 を はなさ ない 、 それでも とうとう たまらなく なっ て 一 人 二 人 ずつ 手 を はなす ん だ 。 そして 
『 もう 僕 だめ だ 。 おりる よ 。 さよなら 。 』 
と ず うっ と 下 の 方 で 聞え たり する 。 
二 日 ばかり の 間 に 半分 ぐらい に なっ て しまっ た 。 僕 たち は 新 らしい 仲間 と 又 手 を つない で お 互顔 を 見合せ ながら どこ まで も どこ まで も 北 を 指し て 進む ん だ 。 先頃 僕 行っ て 挨拶 し て 来 た おじさん は もう 十 六 回 目 の 大 循環 な ん だ 。 飛 びようだってそれぁ 落ち着い て いる から ね 、 僕 が 下 から 、 おじさん 、 大丈夫 です か って 云っ たら おじさん は 大きな 大きな まるで 僕 なんか 四 人 も 入る よう な マント のぼ たん を ゆっくり と かけ ながら 、 うん 、 お前 は 今度 は タスカロラ の はじ に 行く こと に なっ てる の だ な 、 おれ は タスカロラ に は あさって の 朝 着く だろ う 。 戻り に どこ か で 又 あう よ 。 あんまり 乱暴 する ん じゃ ない よ って ん だ 。 僕 が ええ 、 あばれ ませ ん から と 云っ た とき は おじさん は も うず うっ と 向う へ 行っ て い て その マント の ひろい せ なか が 見え て い た 、 僕 が そう 云っ て も ただ 大きく うなずい た だけ な ん だ 。 えらい だろ う 。 ところが 僕 たち の かけ て 行っ た とき は そんなに ゆっくり し て は い なかっ た 。 みんな 若い もの ばかり だ から どうしても 急ぐ ん だ 。 
『 ここ の 下 は ハワイ に なっ て いる よ 。 』 なんて 誰 か 叫ぶ もの も ある ねえ 、 どんどん どんどん 僕 たち は 急ぐ だろ う 。 にわかに ポーッ と 霧 の 出る こと が ある だろ う 。 お前 たち は それ が みんな 水玉 だ と 考える だろ う 。 そう じゃ ない 、 みんな 小さな 小さな 氷 の かけ ら な ん だ よ 、 顕微鏡 で 見 たら もう いくら すきとおっ て 尖っ て いる か 知れ やし ない 。 
そんな 旅 を 何 日 も 何 日 も つづける ん だ 。 
ずいぶん 美しい こと も ある し 淋しい こと も ある 。 雲 なんか ほんとう に 奇麗 な こと が ある よ 。 」 
「 赤く て が 。 」 耕一 が たずね まし た 。 
「 いい や 、 赤く は ない よ 。 雲 の 赤く なる の は 戻り さ 。 南極 か 北極 へ 向い て 上 の 方 を どんどん 行く とき は 雲 なんか 赤 かぁ ない ん だ よ 。 赤 かぁ ない ん だ けれど 、 それ あ 美しい よ 。 ごく 淡 いい ろ の 虹 の よう に 見える とき も ある し ねえ 、 いろいろ な ん だ 。 
だんだん 行く だろ う 。 その うち に 僕 たち は 大分 低く 下っ て いる こと に 気がつく よ 。 
夜 が ぼんやり うす あかるく て そして 大 へん みじかく なる 。 ふっと 気がつい て 見る と もう 北極圏 に 入っ て いる ん だ 。 海 は 蒼 黝 く て 見る から 冷た そう だ 。 船 も 居 ない 。 その うち に とうとう 僕 たち は 氷山 を 見る 。 朝 なら その 稜 が 日 に 光っ て いる 。 下 の 方 に 大きな 白い 陸地 が 見え て 来る 。 それ は みんな がちがち の 氷 な ん だ 。 向う の 方 は 灰 の よう な けむり の よう な 白い もの が ぼんやり かかっ て よく わから ない 。 それ は 氷 の 霧 な ん だ 。 ただ その 霧 の ところどころ から 尖っ た まっ黒 な 岩 が あちこち 朝 の 海 の 船 の よう に 顔 を 出し て いる ねえ 。 
『 あすこ は グリーンランド だ よ 。 』 僕 たち は 話し合う ん だ 。 いま まで どこ を とん で い た の か もう 今度 で 三 度目 だ なん ていう 少し 大きい 方 の 人 など が 大 威 張 で やって来 て いろいろ その 辺 の こと など 云う ん だ 。 
『 そら 、 あすこ の とこ が ゲーキイ 湾 だ よ 。 知っ てる だろ う 。 英国 の サア 、 アーキバルド 、 ゲーキー の 名 を つけ た 湾 な ん だ 。 ごらん そら 、 氷河 ね 、 氷河 が 海 に は いる ねえ 、 あれ で 少し ずつ 押さ れ て だんだん 喰 み 出し てる ん だ よ 、 そして とうとう 氷河 から 断れ て 氷山 に なら あ ね 。 あっち は ？ 　 あっち が 英国 さ 、 ここ は もう 地球 の 頂上 だ から どっち へ 行く たって 近い や ね 、 少し 間違え ば 途方 も ない 方 へ 降り ちまう よ 。 あっち ？ 　 あっち が 英国 さ 。 』 なんて ほんとう に 威張っ てる ん だ 。 僕 たち は もう 殆 ん ど 東 の 方 へ 東 の 方 へ と 北極 を 一 まわり する よう に なる ん だ 。 この 時 だ よ 、 僕ら の こわい の は 。 大 循環 で いちばん こわい の は この 時 な ん だ よ 、 この 僕 たち の まわる もっと 中 の 方 に 極 渦 と いっ て 大きな 環 が ある ん だ 。 その 環 に はいっ たら もう 仲 々 出 られ ない 。 卑怯 な もの は それでも みんな 入っ ちまう よ 。 環 の まん中 に 名高い 、 ヘル マン 大佐 が いる ん だ 。 人間 じゃ ない よ 。 僕 たち の 方 の だ よ 。 ヘル マン 大佐 は まっすぐ に 立っ て 腕 を 組ん で じろじろ あたり をめぐって いる もの を 見 て いる ねえ 、 そして 僕 たち の 眼 の 色 で 卑怯 だっ た もの を すぐ 見 わける ん だ 。 そして 
『 こら 、 その 赤毛 、 入れ 。 』 と 斯 う 云う ん だ 。 そう 云わ れ たら もう おしまい だ 極 渦 の 中 へ はいっ て ぐるぐる ぐるぐる まわる 、 仲 々 出 て いい と は 云わ ない ん だ 。 だから 僕 たち その とき は 本当に 緊張 する よ 。 けれども なんにも 卑怯 を し ない もの は 割合 平気 だ ねえ 、 大 循環 の 途中 で わざと つかれ た 隣り の 人 の 手 を はなし た もの だ の 早く みんな やめる と いい と 考え て きろ きろ みんな の 足 なみ を 見 たり し た もの は どれ も すっかり 入れ られ ちまう ん だ 。 
そのうち だんだん 僕ら は めぐる だろ う 。 そして 下 の 方 に おりる ん だ 。 おしまい は まるで 海 と すれすれ に なる 。 その とき あちこち の 氷山 に 、 大 循環 到着 者 は この 附近 に 於 て 数 日間 休養 す べし 、 帰路 は 各人 の 任意 なる も 障碍 は 来 路 に 倍する を以て 充分 の 覚悟 を 要す 。 海洋 は 摩擦 少き も 却って 速度 は 大 なら ず 。 最も 愚鈍 なる もの 最も 賢き もの なり 、 という 白い 杭 が 立っ て いる 。 これ より 赤道 に 至る 八 千 六 百 ベスター という よう な 標 も あちこち に ある 。 だから 僕 たち は その 辺 で まあ 五 六 日 は やすむ ねえ 、 そして まったく あの 辺 は 面白い ん だ よ 。 白熊 は 居る し ね 、 テッデーベーヤ さ 。 あいつ は ふざけ た やつ だ ねえ 、 氷 の はじ に 立っ て とぼけ た 顔 を し て じっと 海 の 水 を 見 て いる か と 思う と 俄 か に 前肢 で 頭 を かかえる よう に し て ね 、 ざぶんと 水 の 中 へ 飛び込む ん だ 。 すると から だ 中 の 毛 が みんな まるで 銀 の 針 の よう に 見える よ 。 あっぷあっぷ 溺れる まね を し たり なん かも する ねえ 、 そんな こと を し て ふざけ ながら ちゃんと 魚 を つかまえる ん だ から えらい や 、 魚 を つかまえ て こんど は 大 威張り で 又 氷 に あがる ん だ 。 魚 という もの は 本当に ばか な もん だ 、 ふざけ て さえ 居れ ば 大丈夫 こわく ない と 思っ てる ん だ 。 白熊 は なかなか 賢い よ 。 それから その 次に 面白い の は 北 極光 だ よ 。 ぱちぱち 鳴る ん だ 、 ほんとう に 鳴る ん だ よ 。 紫 だの 緑 だの ずいぶん 奇麗 な 見世物 だ よ 、 僕ら は その 下 で 手 を つなぎ 合っ て ぐるぐる まわっ たり 歌っ たり する 。 
そのうち とうとう 又 帰る よう に なる ん だ 。 今度 は 海 の 上 を 渡っ て 来る 。 あ 、 もう 演習 の 時間 だ 。 あした 又 話す から ね 。 じゃ さよなら 。 」 又 三郎 は 一 ぺん に 見え なく なっ て しまい まし た 。 みんな も 丘 を おり た の です 。 
九月 九 日 
「 北極 は 面白い けれども そんなに 永く とまっ て いる 処 じゃ ない 。 うっかり はせまわっ て ふらふら し て いる とこ など を 、 ヘル マン 大佐 に など 見 られよ う もん なら さっそく 、 おい その 赤毛 、 入れ 、 なんて 来る から ねえ 、 いくら 面白い たって 少し 疲れ さえ なおっ たら 出発 を はじめる ん だ よ 。 帰り は もう 自由 だ から みんな で 手 を つなが なく て も いい ん だ 。 気 の 合っ た 友達 と 二 人 三 人 ずつ 向う の 隙 き 次第 出掛ける だろ う 。 僕 の 通っ て 来 た の は ベーリング海 峡 から 太平洋 を 渡っ て 北海道 へ かかっ た ん だ 。 どうして どうして 途中 の ひどい こと 前 に 高 いとこ を ぐんぐん かけ た どこ じゃ ない 、 南 の 方 から 来 て ぶっつかる やつ は ある し 、 ぶっつかっ た とき は 霧 が でき たり 雨 を ちらし たり 負けれ ば あと 戻り を し な け ぁいけないし 丁度 力 が 同じ だ と しばらく と まったり この 前 の サイクル ホール に なっ たり する し 勝っ たって よっぽど 手間取る ん だ から そら ぁ 実際 気 が いらいら する ん だ よ 。 喧嘩 だって ずいぶん する よ 。 けれども 決して 卑怯 は し ない 。 そら 僕ら が 三 人 ぐらい 北の方 から 少し 西 へ 寄っ て 南 の 方 へ 進ん で 行く だろ う 、 向う から 丁度 反対 に やって来る ねえ 、 こっち が 三 人 で 向う が 十 人 の こと も ある 、 向う が 一 人 の こと も ある 、 けれども 勝 まけ は 人数 じゃ ない 力 な ん だ よ 、 人数 へ 速 さ を かけ た もの な ん だ よ 、 
君たち は どこ まで 行こ う って の 、 こっち が 遠く から きく ねえ 、 アラスカ だ よ 。 向う が 答える だろ う 。 冗談 じゃ ない や 、 アラスカ なんか 行く とこ は ありゃ し ない 。 僕 たち が そっち から 来 た ん じゃ ない か 。 いい や 、 行く よう に 云わ れ て 来 た ん だ 、 さあ 通し て お 呉れ 、 いい や 僕 たち こそ 大 循環 な ん だ 、 よく マーク を 見 て ごらん 、 大 循環 と 云わ れる と 大抵 誰 でも 一寸 顔 いろ を 和らげ て マーク を よく 見る ねえ 、 はじめ から 、 ああ 大 循環 だ 通し て やれ なんて 云う もの も それ ぁあるよ 。 けれども 仲 々 大人 なんか に はたち の 悪い の も ある から ね 、 なん だ 、 大 循環 だ 、 かっぱ め 、 ばか に し や がる な 。 どけ 。 なんて わざと 空っぽ な 大きな 声 を 出す もの も ある ん だ 。 いいえ どか れ ませ ん 、 じゃ 法令 の 通り ボックシング を やり ましょ う と なる だろ う 、 勝つ こと も 負ける こと も ある 、 けれども 僕 は 卑怯 は 嫌い だ から ねえ 、 もし すき を ねらっ て 遁 げ たり する もの が あっ て も そんな やつ を 追いかけ やし ない 、 あと で ヘル マン 大佐 に つかまる よっ て だけ 云う ん だ 。 しずか な 日 きまっ た 速 さ で 海面 を 南西 へ かけ て 行く とき は ほんとう に うれしい ねえ 、 そんな 日 だって 十 日 に 三 日 は ある よ 、 そう 云う ふう に し て 丁度 北極 から 一 ヶ月 目 に 僕 は 津軽海峡 を 通っ た よ 、 あけ がた で ね 、 函館 の 砲台 の ある 山 に は 低く 雲 が かかっ て いる 、 僕 は それ を 少し 押し ながら 進ん だ 、 海 すずめ が 何 重 も の 環 に なっ て 白い 水 に すれすれ に めぐっ て いる 、 かもめ も 居る 、 船 も 通る 、 えと ろ ふ 丸 なんて 云う 荷物 を 一 杯 に 積ん だ 大きな 船 も あれ ば 白く 塗ら れ た 連絡 船 も ある 。 そう そう 、 その とき 僕 は 北海道 の 大学 の 伊藤 さん に も 会っ た 。 あの 人 も 気象 を やっ てる から 僕 は 知っ て いる 。 
それから 僕 は 少し 南 へ まっすぐ に 朝鮮 へ かかっ た よ 。 あの 途中 の さびしかっ た こと ね 、 僕 は たった 一 人 に なっ て い た もん だ から 、 雲 は 大 へん きれい だっ た し 邪魔 も あんまり なかっ た けれども ほんとう に さびしかっ た ねえ 、 朝鮮 から 僕 は 又 東 の 方 へ 西風 に 送ら れ て 行っ た ん だ 。 海 の 中 ばかり あるい た よ 。 商船 の 甲板 で シガア の 紫 の 煙 を あげる チーフメート の 耳 の 処 で 、 もしもし お子さん は もう 歩い て おい で です よ 、 なんて 云っ て 行く ん だ 。 船 の 上 の 人 たち へ の 僕 たち の 挨拶 は 大 抵斯 ん な 工合 な ん だ よ 、 
上 の 方 を 見る と あの 冷たい 氷 の 雲 が しずか に 流れ て いる 。 そう だ あすこ を 新 らしい 大 循環 の 志願 者 たち が 走っ て 行く 。 い つ 又 僕 は 大 循環 へ 入る だろ う 、 ああ もう 二 十 日 か そこら で こん どの は 卒業 する ん だ 、 と 考える と ほんとう に 何とも 云え ず うれしい 気 が する ねえ 。 」 
「 おら の 方 の 試験 ど 同じ だ な 。 」 耕一 が 云い まし た 。 
「 うん 、 だけど おまえ たち の 試験 より は むずかしい よ 。 お前 たち の 試験 の よう な もん なら ただ 毎日 学校 へ さえ 来 て いれ ば 遊ん で い て も 卒業 する だろ う 。 」 又 三郎 は きっと 誰 か 怒る だろ う と 思っ て 少し 口 を まげ て 笑い ながら 斯 う 云い まし た 。 
「 おら の 方 だ て 毎日 学校 さ 来る の ひで じゃ ぃ 。 」 耕一 が 大して 怒っ た でも なし に 斯 う 云い まし た 。 
「 ふん 、 そう かい 、 誰 だって 同じ こと だ な 。 さあ 僕 は 今日 も いそがしい 。 もう さよなら 。 」 
又 三郎 の かたち は もう みんな の 前 に あり ませ ん でし た 。 みんな は ばらばら 丘 を おり まし た 。 
九月 十 日 
「 ドッドド 、 ドドウド 、 ドドウド 、 ドドウ 、 
あ あまい ざくろ も 吹き飛ば せ 、 
すっぱい ざくろ も 吹き飛ば せ 、 
ドッドド 、 ドドウド 、 ドドウド 、 ドドウ 
ドッドド 、 ドドウド 、 ドドウド 、 ドドウ 。 」 
先頃 又 三郎 から 聴い た ばかり の その 歌 を 一 郎 は 夢 の 中 で 又 きい た の です 。 
びっくり し て 跳ね 起き て 見 まし たら 外 で は ほんとう に ひどく 風 が 吹い て うし ろ の 林 は まるで 咆 える よう 、 あけ がた 近く の 青 ぐろいうすあかりが 障子 や 棚 の 上 の 提灯 箱 や 家中 いっぱい でし た 。 
一郎 は すばやく 帯 を し て それ から 下駄 を はい て 土間 に 下り 馬屋 の 前 を 通っ て 潜り を あけ まし たら 風 が つめたい 雨 の つぶ と 一緒 に どう っと 入っ て 来 まし た 。 馬屋 の うし ろ の 方 で 何 か の 戸 が ば たっ と 倒れ 馬 はぶ るる っと 鼻 を 鳴らし まし た 。 
一郎 は 風 が 胸 の 底 まで 滲み 込ん だ よう に 思っ て は あと 強く 息 を 吐き まし た 。 そして 外 へ かけ 出し まし た 。 
外 は もう よほど 明るく 土 は ぬれ て 居り まし た 。 家 の 前 の 栗 の 木 の 列 は 変 に 青く 白く 見え て それ が まるで 風 と 雨 と で 今 洗濯 を する と でも 云う よう に 烈しく もま れ て い まし た 。 青い 葉 も 二 三 枚 飛び 吹き ちぎら れ た 栗 の いが は 黒い 地面 に たくさん 落ち て 居り まし た 。 
空 で は 雲 が けわしい 銀 いろ に 光り どんどん どんどん 北の方 へ 吹きとばさ れ て い まし た 。 
遠く の 方 の 林 は まるで 海 が 荒れ て いる よう に ご とんご とんと 鳴っ たり ざあと 聞え たり する の でし た 。 一郎 は 顔 や 手 に つめたい 雨 の 粒 を 投げつけ られ 風 に きもの も 取っ て 行か れ そう に なり ながら だまっ て その 音 を 聴き すまし じっと 空 を 見 あげ まし た 。 もう 又 三郎 が 行っ て しまっ た の だろ う か それとも 先頃 約束 し た よう に 誰 か の 目 を さます うち 少し 待っ て 居 て 呉れ た の か と 考え て 一 郎 は 大 へん さびしく 胸 が さらさら 波 を たてる よう に 思い まし た 。 けれども 又 じっと その 鳴っ て 吠え て うなっ て かけ て 行く 風 を み て い ます と 今度 は 胸 が どかどか なっ て くる の でし た 。 昨日 まで 丘 や 野原 の 空 の 底 に 澄みきっ て しん と し て い た 風 ども が 今朝 夜 あけ 方 俄 か に 一斉 に 斯 う 動き出し て どんどん どんどん タスカロラ 海 床 の 北 の はじ を めがけ て 行く こと を 考え ます と もう 一郎 は 顔 が ほてり 息も はあ 、 はあ 、 なっ て 自分 まで が 一緒 に 空 を 翔け て 行く よう に 胸 を 一 杯 に はり 手 を ひろげ て 叫び まし た 。 
「 ドッドドドドウドドドウドドドウ 、 あまい ざくろ も 吹きとばせ 、 すっぱい ざくろ も 吹きとばせ 、 ドッドドドドウドドドウドドドウ 、 ドッドドドドウドドドードドドウ 。 」 
その 声 は まるで きれ ぎれに 風 に ひきさか れ て 持っ て 行か れ まし た が それ と 一緒 に うし ろ の 遠く の 風 の 中 から 、 斯 うい う 声 が きれ ぎれに 聞え た の です 。 
「 ドッドドドドウドドドウドドドウ 、 
楢 の 木の葉 も 引っ ちぎれ 
とち も くるみ も ふき おとせ 
ドッドドドドウドドドウドドドウ 。 」 
一郎 は 声 の 来 た 栗 の 木 の 方 を 見 まし た 。 俄 か に 頭 の 上 で 
「 さよなら 、 一郎 さん 、 」 と 云っ た か と 思う と その 声 は もう 向う の ひのき の かき ね の 方 へ 行っ て い まし た 。 一郎 は 高く 叫び まし た 。 
「 又 三郎 さん 。 さよなら 。 」 
かき ね の ず うっ と 向う で 又 三郎 の ガラス マント が ぎらっと 光り それ から あの 赤い 頬 と みだれ た 赤毛 と が ちらっと 見え た と 思う と 、 もう すうっ と 見え なく なっ て ただ 雲 が どんどん 飛ぶ ばかり 一 郎 は せ なか 一 杯 風 を 受け ながら 手 を そっち へ のばし て 立っ て い た の です 。 
「 ああ 烈 で 風 だ 。 今度 は すっかり やら へる 。 一郎 。 ぬれる 、 入れ 。 」 いつか 一 郎 の おじいさん が 潜り の 処 で そら を 見上げ て 立っ て い まし た 。 一郎 は 早く 仕度 を し て 学校 へ 行っ て みんな に 又 三郎 の さようなら を 伝え たい と 思っ て 少し もどかしく 思い ながら いそい で 家 の 中 へ 入り まし た 。 
人物 　 バナナン 大将 。 
特務 曹長 、 
曹長 、 
兵士 、 一 、 二 、 三 、 四 、 五 、 六 、 七 、 八 、 九 、 十 。 
場 処 　 不明 なる も 劇 中 マルトン 原 と 呼ば れ たり 。 
時 　 　 不明 。 
幕 あく 。 
砲弾 にて 破損 せる 古き 穀倉 の 内部 、 辛くも 全滅 を 免 かれ し バナナン 軍団 、 マルトン 原 の 臨時 幕営 。 
右手 より 曹長 先頭 にて 兵士 一 、 二 、 三 、 四 、 五 、 登場 、 一 列 四壁 に 沿い て 行進 。 
曹長 「 一 時半 な のに どう し た の だろ う 。 
バナナン 大将 は まだ やってこ ない 
胃 時計 は もう 十 時 な のに 
バナナン 大将 は 帰ら ない 。 」 
正 面壁 に 沿い 左向き 足踏み 。 
（ 銅鑼 の 音 ） 
左手 より 、 特務 曹長 並 に 兵士 六 、 七 、 八 、 九 、 十 　 五 人 登場 、 一 列 、 壁 に 沿い て 行進 、 右 隊 足踏み つつ 挙手 の 礼 　 左 隊 答礼 。 
特務 曹長 「 もう 二 時 な のに どう し た の だろ う 、 
バナナン 大将 は まだ 来 て い ない 
ストマクウオッチ は もう 十 時 な のに 
バナナン 大将 は 帰ら ない 。 」 
左 隊 右 壁 に 沿い 足踏み （ 銅鑼 ） 
曹長 特務 曹長 （ 互に 進み 寄り 足踏み つつ 唱う ） 
「 糧食 は なし 　 四月 の 寒 さ 
ストマクウオッチ も もう めちゃめちゃ だ 。 」 
合唱 「 どう し た の だろ う 、 バナナン 大将 
もう 一 遍 だけ 　 見 て 来よ う 。 」 別々 に 退場 
（ 銅鑼 ） 
右 隊 登場 、 総て 始め の ごとし 。 可 成 疲れ たり 。 
曹長 「 もう 四 時 な のに どう し た の だろ う 、 
バナナン 大将 は まだ 来 て い ない 
もう 四 時 な のに どう し た の だろ う 。 
バナナン 大将 は 帰ら ない 。 」 
左 隊 登場 
「 もう 四 時半 な のに どう し た の だろ う 、 
バナナン 大将 は まだ 来 て い ない 
もう 五 時 な のに どう し た の だろ う 
バナナン 大将 は 　 帰ら ない 。 」 
（ 銅鑼 ） 
曹長 特務 曹長 
「 大将 ひとり で どこ か の 並木 の 
苹果 を 叩い て いる かも しれ ない 
大将 いまごろ どこ か の はたけ で 
人 蔘 ガリガリ 　 噛ん でる ぞ 。 」 
（ 銅鑼 ） 
右 隊 入場 、 著しく 疲れ 辛うじて 歩行 す 。 
曹長 「 七 時半 な のに どう し た の だろ う 
バナナン 大将 は まだ 来 て い ない 
七 時半 な のに どう し た の だろ う 
バナナン 大将 は 　 帰ら ない 。 」 
左 隊 登場 　 最 労 れ たり 。 
曹長 特務 曹長 
「 もう 八 時 な のに どう し た の だろ う 
バナナン 大将 は 　 まだ 来 て い ない 。 
もう 八 時 な のに どう し た の だろ う 
バナナン 大将 は 　 帰ら ない 。 」 
（ 銅鑼 ） 
立てる もの 合唱 （ きれ ぎれに ） 
「 いくさ で 死ぬ なら あきらめ も する が 
いまごろ 餓え て 死に たく は ない 
ああ ただ ひと きれ この世 の なごり に 
バナナ か なに か を 　 食い たい な 。 」 
（ 共に 倒 る ） （ 銅鑼 ） 
バナナン 大将 登場 。 バナナ の エボレット を 飾り 菓子 の 勲章 を 胸 に 満 せり 。 
バナナン 大将 
「 つかれ た つか れ た すっかり つかれ た 
脚 は まるっきり 　 二 本 の ステッキ 
いったい す こぅ し 飲み 過ぎ た の だ し 
馬肉 も あんまり 食い すぎ た 。 」 
（ 叫ぶ 。 ） 「 何 だ 。 まっ くら じゃ ない か 。 今 ごろ に なっ て まだ あかり も 点け ん の か 。 」 
兵士 等 辛うじて 立ちあがり 挙手 の 礼 。 
大将 「 灯 を つけろ 、 間抜け め 。 」 
曹長 点 燈 す 。 兵士 等 大将 の エボレット 勲章 等 を 見 て 食せ ん と する の 衝動 甚 し 。 
大将 「 間抜け め 、 どれ も みんな まるで 泥 人形 だ 。 」 
脚 を 重ね て 椅子 に 座す 。 ポケット より 新聞 と 老眼鏡 と を 取り出し 殊更 に 顔 を しかめ つつ これ を 読む 。 しきりに ゲップ す 。 やがて 睡る 。 
曹長 （ 低く 。 ） 「 大将 の 勲章 は 実に 甘 そう だ なあ 。 」 
特務 曹長 「 それ は 甘 そう だ 。 」 
曹長 「 食べる という わけ に は 行か ない もの で あり ます か 。 」 
特務 曹長 「 それ は 蓋し いか ない 。 軍人 が 名誉 ある 勲章 を 食っ て しまう という 前例 は ない 。 」 
曹長 「 食っ たら どう なる の で あり ます か 。 」 
特務 曹長 「 軍法 会議 だ 。 それから 銃殺 に きまっ て いる 。 」 間 、 兵卒 一同 再び 倒 る 。 
曹長 （ 面 を あ ぐ 。 ） 「 上官 。 私 は 決心 いたし まし た 。 この 饑餓 陣営 の 中 に 於き まし て は 最早 私 共 の 運命 は 定まっ て あり ます 。 戦争 の 為 に で なく 飢餓 の 為 に 全滅 する ばかり で あり ます 。 かの 巨大 なる バナナン 軍団 の ただ 十 六 人 の 生存 者 われわれ も また 死ぬ ばかり で あり ます 。 この 際 私 が 将軍 の 勲章 と エボレット と を 盗み これ を 食し ますれ ば 私 共 は 死な なく て も 済み ます 。 そして 私 は その 責任 を 負っ て 軍法 会議 に かかり また 銃殺 さ れよ う と 思い ます 。 」 
特務 曹長 「 曹長 、 よく 云っ て 呉れ た 。 貴様 だけ は 殺さ ない 。 おれ も きっと 一緒 に 行く ぞ 。 十 の 生命 の 代り に 二 人 の 命 を 投げ出そ う 。 よし 。 さあ やろ う 。 集まれ っ 。 気 を 付け っ 。 右 ぃおい 。 直れ っ 。 番号 。 」 
兵士 「 一 、 二 、 三 、 四 、 五 、 六 、 七 、 八 、 九 、 十 、 十 一 、 」 
特務 曹長 「 よし 。 閣下 は まだ おやすみ だ 。 いい か 。 われわれ は 軍律 上 少しく 変則 で は ある が これから 食事 を 始める 。 」 兵士 悦ぶ 。 
曹長 （ 一足 進む 。 ） 
特務 曹長 「 いや 、 盗む という の は いか ん 。 もっと 正々堂々 と やら なく ちゃ いけ ない 。 いい か 。 おれ が やろ う 。 」 
特務 曹長 バナナン 大将 の 前 に 進み 直立 す 。 曹長 以下 これ に従い 一 列 に 並ぶ 。 
特務 曹長 （ 挙手 、 叫ぶ 。 ） 「 閣下 ！ 」 
バナナン 大将 （ 徐に 眼 を 開く 。 ） 「 何 じゃ 、 そうぞうしい 。 」 
特務 曹長 「 閣下 の 御 勲功 は 実に 四海 を 照 す の で あり ます 。 」 
大将 「 ふん 、 それ は よろしい 。 」 
特務 曹長 「 閣下 の 御 名誉 は 則 ち 私 共 の 名誉 で あり ます 。 」 
大将 「 うん 。 それ は よろしい 。 」 
特務 曹長 「 閣下 の 勲章 は 皆 実に 立派 で あり ます 。 私 共 は 閣下 の 勲章 を 仰ぎ ます ごと に 実に 感激 し て なみ だ が で たり のど が 鳴っ たり する の で あり ます 。 」 
大将 「 ふん 、 それ は そう じゃろ う 。 」 
特務 曹長 「 然るに 私 共 は 未だ 不幸 に し て その 機会 を 得 ず 充分 適格 に 閣下 の 勲章 を 拝見 する の 光栄 を 所有 し なかっ た の で あり ます 。 」 
大将 「 それ は そう じゃ 、 今 まで は 忙 が しかっ た じゃ から な 。 」 
特務 曹長 「 閣下 。 この 機会 をもちまして 私 共 一同 に とくと お 示し を 得 たい もの で あり ます 。 」 
大将 「 それ は よろしい 。 どの 勲章 を 見 たい の だ 。 」 
特務 曹長 「 一番 大きな やつ から 。 」 
大将 「 これ が 一番 大きい じゃ 。 ロンテンプナルール 勲章 じゃ 。 」 胸 より 最大 なる 勲章 を 外し 特務 曹長 に 渡す 。 
特務 曹長 「 これ は どの 戦役 で ご 受領 なさ れ た の で あり ます か 。 」 
大将 「 印度 戦争 だ 。 」 
特務 曹長 「 この まん中 の 青い 所 は ほん もの の ザラメ で あり ます か 。 」 
大将 「 ほんとう の ザラメ とも 。 」 
特務 曹長 「 実に 立派 で あり ます 。 」 （ 曹長 に 渡す 。 曹長 兵卒 一 に 渡す 。 兵卒 一 直ちに これ を 嚥下 す 。 ） 
特務 曹長 「 次 の は 何 で あり ます か 。 」 
大将 「 ファンテプラーク 章 じゃ 。 」 外す 。 
特務 曹長 「 あまり 光っ て 眼 が くらむ よう で あり ます 。 」 
大将 「 そう じゃ 。 それ は 支那戦 の ニコチン 戦役 に もらっ た の じゃ 。 」 
特務 曹長 「 立派 で あり ます 。 」 
大将 「 それ は そう じゃろ う 」 （ 兵卒 二 これ を 嚥下 す 。 ） 
大将 「 どう じゃ 、 これ は チベット 戦争 じゃ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 西蔵 馬 の しるし が つい て 居り ます 。 」 （ 兵卒 三 これ を 嚥下 す 。 ） 
大将 「 これ は 普 仏 戦争 じゃ 、 」 
特務 曹長 「 なるほど ナポレオンポナパルド の 首 の しるし が つい て 居り ます 。 然し 閣下 は 普 仏 戦争 に 御 参加 に なり まし た の で あり ます か 。 」 
大将 「 いい や 、 六 十 銭 で 買っ た よ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 、 実に 立派 で あり ます 。 六 十 銭 で は 安 すぎ ます 。 」 
大将 「 うん 、 」 （ 兵卒 四 これ を 嚥下 す 。 ） 
特務 曹長 「 その 次 の 勲章 は どれ で あり ます か 。 」 
大将 「 これ じゃ 、 」 
特務 曹長 「 これ は どちら から 贈ら れ た の で あり ます か 。 」 
大将 「 それ は アメリカ だ 。 ニュウヨウク の メリケン粉 株式会社 から 贈ら れ た の だ 。 」 
特務 曹長 「 そう で あり ます か 。 愕 く べき で あり ます 。 」 
（ 兵卒 五 これ を 嚥下 す 。 ） 
特務 曹長 「 次 は どれ で あり ます か 。 」 
大将 「 これ じゃ 、 」 
特務 曹長 「 実に めずらしく あり ます 。 やはり 支那戦 争 で あり ます か 。 」 
大将 「 いい や 。 支那 の 大将 と 豚 を 五 匹 で とりかえ た の じゃ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 、 ハムサンドウィッチ です な 。 」 （ 兵卒 六 これ を 嚥下 す 。 ） 
大将 「 これ は どう じゃ 。 」 
特務 曹長 「 立派 で あり ます 。 何 勲章 で あり ます か 。 」 
大将 「 むすこ から とりかえし た の じゃ 。 」 （ 兵卒 七 嚥下 。 ） 
特務 曹長 「 その 次 は 、 」 
大将 「 これ は モナコ 王国 に 於 て ばく ちの 番 を し た とき 貰っ た の じゃ 。 」 
特務 曹長 「 はあ 実に 恐れ入り ます 。 」 （ 兵卒 八 嚥下 。 ） 
大将 「 これ は どう じゃ 。 」 
特務 曹長 「 どこ の 勲章 で あり ます か 。 」 
大将 「 手製 じゃ 手製 じゃ 。 わし が こさえ た の じゃ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 、 立派 な お 作 で あり ます 。 次 の を 拝見 ねがい ます 。 」 （ 兵卒 九 嚥下 。 ） 
大将 「 これ は な アフガニスタン で マラソン 競争 を やっ て とっ た の じゃ 。 」 （ 兵卒 十 嚥下 。 ） 
特務 曹長 「 なるほど 次 は どれ で あり ます か 。 」 
大将 「 もう 二つ しか ない ぞ 。 」 
特務 曹長 （ 兵卒 を 検 し て ） 「 もう 二つ で 丁度 いい よう で あり ます 。 」 
大将 「 何 が 。 」 
特務 曹長 （ 烈しく ごまかす 。 ） 「 そう で あり ます 。 」 
大将 「 勲章 か 。 よろしい 。 」 （ 外す 。 ） 
特務 曹長 「 これ は どちら から 贈ら れ まし た の で あり ます か 。 」 
大将 「 イタリヤ ごろつき 組合 だ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 、 ジゴマ と 書い て あり ます 。 」 （ 曹長 に ） 「 おい 、 やれ 。 」 （ 曹長 嚥下 す 。 ） 
特務 曹長 「 実に 立派 で あり ます 。 」 
大将 「 これ は もっと 立派 だ ぞ 。 」 
特務 曹長 「 これ は どちら から お 受け に なり まし た の で あり ます か 。 」 
大将 「 ベルギ 戦役 マイナス 十 五 里 進軍 の 際 スレンジングトン の 街道 で 拾っ た よ 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 。 」 （ 嚥 下す 。 ） 「 少し 馬 の 糞 は つい て 居り ます が 結構 で あり ます 。 」 
大将 「 どう じゃ 、 どれ も みんな 立派 じゃろ う 。 」 
一同 「 実に 結構 で あり まし た 。 」 
大将 「 結構 で あり まし た ？ 　 いか ん な 。 物 の 云い よう も わから ない 。 結構 で あり ます と 云う もん じゃ 。 あり まし た と 云え ば 過去 に なる じゃ 。 」 
一同 「 結構 で あり ます 。 」 
特務 曹長 「 ええ 、 只今 の は 実は 現在 完了 の つもり で あり ます 。 ところで 閣下 、 この 好機 会 をもちまして 更に 閣下 の 燦爛 たる エボレット を 拝見 いたし たい もの で あり ます 。 」 
大将 「 ふん 、 よかろ う 。 」 
（ エボレット を 渡す 。 ） 
特務 曹長 「 実に 甚 しく あり ます 。 」 
大将 「 うん 。 金無垢 だ から な 。 溶かし ちゃ いか ん ぞ 。 」 
特務 曹長 「 はい 大丈夫 で あり ます 。 後列 の 方 の 六 人 で よく 拝見 しろ 。 」 （ 渡す 。 最後 の 六 人 これ を 受けとり 直ちに 一 箇 ずつ ちぎる 。 ） 
大将 「 いかん 、 いかん 、 エボレット を 壊し ちゃ いか ん 。 」 
特務 曹長 「 いいえ 、 すぐ 組み立 て ます 。 もう 片 っ 方 拝見 いたし たい もの で あり ます 。 」 
大将 「 ふん 、 あと で すっかり 組み立てる なら まあ よかろ う 。 」 
特務 曹長 「 なるほど 金無垢 で あり ます 。 すぐ 組み立 て ます 。 」 （ 一 箇 を ちぎり 曹長 に 渡す 。 以下 これ に 倣う 。 各 皮 を 剥く 。 ） 
大将 （ 愕 く 。 ） 「 あっ いかん いか ん 。 皮 を 剥い て は いか ん じゃ 。 」 
特務 曹長 「 急ぎ 呑み 下せ い お いっ 。 」 （ 一同 嚥下 。 ） 
大将 （ 泣く 。 ） 「 ああ 情けない 。 犬 め 、 畜生 ども 。 泥 人形 ども 、 勲章 を みんな 食い 居っ た な 。 どう する か 見ろ 。 情けない 。 うわ あ 。 」 
（ 泣く 。 ） （ 兵卒 悄然 たり 。 ） 
（ 兵卒 ら この 時 漸く 饑餓 を 回復 し 良心 の 苛責 に 勝 え ず 。 ） 
兵卒 三 「 おれ たち は 恐ろしい こと を し て しまっ た なあ 。 」 
兵卒 十 「 全く 夢中 で やっ て しまっ た なあ 。 」 
兵卒 一 「 勲章 と 胃袋 に ゴム 糸 が つい て い た よう だっ た なあ 」 
兵卒 九 「 将軍 と 国家 と に どう おわび を し たら いい か なあ 。 」 
兵卒 七 「 おわび の 方法 が 無い 。 」 
兵卒 五 「 死ぬ より 仕方 ない 。 」 
兵卒 三 「 みんな 死の う 、 自殺 しよ う 。 」 
曹長 「 いい や 、 みんな おれ が 悪い ん だ 。 おれ が こんな こと を 発案 し た の だ 。 」 
特務 曹長 「 いい や 、 おれ が 責任 者 だ 。 おれ は 死な なけれ ば なら ない 。 」 
曹長 「 上官 、 私 共 二 人 はじめ の 約束 の 通り に 死に ましょ う 。 」 
特務 曹長 「 そう だ 。 おい みんな 。 おまえ たち は この 事件 について は 何 も 知ら なかっ た 。 悪い の は おれ 達 二 人 だ 。 おれ 達 は この 責任 を 負っ て 死ぬ から な 、 お前 たち は 決して 短気 な こと を し て 呉れる な 。 これから あと も よく 軍律 を 守っ て 国家 の ため に つくし て くれ 」 
兵卒 一同 「 いいえ 、 だめ で あり ます 。 だめ で あり ます 。 」 
特務 曹長 「 いかん 。 貴様 たち に 命令 する 。 将軍 の お 詞 の ある うち 動い て は なら ん 。 気 を 付け っ 。 」 兵卒 等 直立 。 
特務 曹長 「 曹長 、 さあ 支度 しよ う 。 」 （ ピストル を 出す 。 ） 「 祈ろ う 。 一所 に 。 」 
特務 曹長 「 饑餓 陣営 の たそがれ の 中 
犯せる 罪 は いとも 深し 
ああ 夜 の そら の 青き 火 も て 
われ ら が つみ を きよめ た ま え 。 」 
曹長 「 マルトン 原 の かなしみ の なか 
ひかり はつ ち に うずもれ ぬ 
ああ み めぐみ の あめ を 下し 
われ ら が つみ を ゆるし た ま え 。 」 
合唱 「 ああ 、 み めぐみ の 雨 を くだし 
われ ら が つみ を ゆるし た ま え 。 」 
（ 特務 曹長 ピストル を 擬し 将 に 自殺 せ ん と す 。 ） 
（ バナナン 大将 この 時 まで 瞑目 し たる も 忽ちに し て 立ちあがり 叫ぶ 。 ） 
大将 「 止まれ 、 やめ ぃ 。 」 
（ 特務 曹長 ピストル を 擬し たる まま 呆然 として 佇立 す 。 大将 ピストル を 奪う 。 ） 
バナナン 大将 「 もう わかっ た 。 お前 たち の 心底 は 見届け た 。 お前 たち の 誠心 に 較べ て は おれ の 勲章 など は 実に 何 でも ない じゃ 。 
おお 神 は ほめ られ よ 。 実に おん 眼 から みそ な わす なら ば 勲章 や エボレット など は 瓦礫 に も 均しい じゃ 。 」 
特務 曹長 「 将軍 、 お 申し訳 け の ない こと を 致し まし た 。 」 
曹長 「 将軍 、 私 に 死 を 下さ れ ませ 。 」 
バナナン 大将 「 いい や 、 なら ん 。 」 
特務 曹長 「 けれども これから 私 共 は 毎日 将軍 の 軍装 拝 し ます ごと に 烈しく 良心 に 責め られ なけれ ば なり ませ ん 。 」 
大将 「 いい や 、 今 わし は 神 のみ 力 を 受け て 新 らしい 体操 を 発明 し た じゃ 。 それ は 名づけ て 生産 体操 と なす べき じゃ 。 従来 の 不 生産 式 体操 と 自ら 撰 を 異に する じゃ 。 」 
特務 曹長 「 閣下 、 何とぞ その 訓練 を いただき たく あり ます 。 」 
大将 「 ふん 。 それ は もちろん よろしい 。 いい か 。 
では 、 集れ っ 。 （ 総て 号令 の ごとく 行わ る 。 ） ション 。 右 ぃ 習え 。 直れ っ 。 番号 。 」 
兵士 「 一 、 二 、 三 、 四 、 五 、 六 、 七 、 八 、 九 、 十 、 十 一 、 十 二 、 」 
兵士 伍 を 組む 。 
大将 「 前列 二 歩 前 へ お いっ 。 偶数 一 歩 前 へ お いっ 。 」 
大将 「 よろしい か 。 これから 生産 体操 を はじめる 。 第 一 果樹 整 枝 法 、 わかっ た か 。 三 番 。 」 
兵卒 三 「 わかり まし た 。 果樹 整 枝 法 で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 、 その 一 、 ピラミッド 、 一 の 号令 で この 形 を つくる 。 二 で 直る いい か 」 
大将 両 腕 を 上げ 整 枝 法 の ピラミッド 形 を つくる 。 
大将 「 いい か 。 果樹 整 枝 法 、 その 一 、 ピラミッド 。 一 、 よろし 。 二 、 よろし 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 やめ い 。 」 
大将 「 いい か 次 は ベース 。 ベース 、 一 、 の 号令 で この 形 を つくる 。 二 で 直る 。 いい か 。 わかっ た か 。 五 番 。 」 
兵卒 五 「 はいっ わかり まし た 。 ベース 。 盃 状 仕立 で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 その 二 、 ベース 一 。 」 
兵卒 「 一 、 」 
大将 「 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 やめ い 。 」 
大将 「 次 は 果樹 整 枝 法 その 三 、 カンデラーブル 。 ここ で は 二 枝 カンデラーブル 、 Ｕ 字形 を つくる 。 この 時 に は 両 肩 と 両 腕 と で Ｕ の 字 に なる こと が 要領 じゃ 、 徒に ここ が 直角 に なる こと は 血液 循環 の 上 から も 又 樹液 運行 の 上 から も 必要 と し ない 。 この 形 に なる こと が 要領 じゃ 。 わかっ た か 。 六 番 」 
兵卒 六 「 わかり まし た 。 カンデラーブル 、 Ｕ 字形 で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 その 三 、 カンデラーブル 、 はじめ っ 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 やめ い 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 その 四 、 又 その 一 、 水平 コル ドン 。 はじめ っ 。 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 やめ い 。 」 
大将 「 次 は その 又 二 、 直立 コル ドン 。 これ は この まま で よろしい 。 ただ 呼称 だけ を 用 うる 。 一 、 二 、 一 、 二 、 よろしい か 。 八 番 。 」 
兵卒 八 「 直立 コル ドン で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 、 その 四 、 又 その 二 、 直立 コル ドン 、 はじめ っ 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 やめ い 。 」 
大将 「 次 は 、 エーベンタール 、 扇状 仕立 、 この 形 を つくる 。 この エーベンタール の ベース と ちがう 所 は 手 と から だ と が 一 平面 内 に ある こと に ある 。 よろしい か 。 九 番 。 」 
兵士 九 「 はいっ 。 果樹 整 枝 法 その 五 、 エーベンタール で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 、 その 五 、 エーベンタール 、 はじめ っ 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 二 、 一 、 やめ い 。 」 
大将 「 次 は 果樹 整 枝 法 、 その 六 、 棚 仕立 、 これ は 日本 に 於 て 梨 葡萄 等 の 栽培 に際して 行わ れる じゃ 。 棚 を つくる 。 棚 を 。 わかっ た か 。 十 番 。 」 
兵士 十 「 果樹 整 枝 法 第 六 、 棚 仕立 で あり ます 。 」 
大将 「 よろしい 。 果樹 整 枝 法 第 六 棚 仕立 、 はじめ っ 。 一 」 
（ 兵士 ら 腕 を 組み 棚 を つくる 。 バナナン 大将 手 籠 を 持ち て その 下 を 潜り し きり に 果実 を 収 む 。 ） 
バナナン 大将 「 実に 立派 じゃ 、 この 実は みな 琥珀 で つくっ て ある 。 それでいて 琥珀 の よう に おかしな 匂 で も ない 。 甘い つめたい 汁 で いっぱい じゃ 。 新鮮 な エステル に みち て いる 。 しかも この 宝石 は 数 も 多く 人 を も なやまさ ない じゃ 。 来年 も また みのる じゃ 。 ありがたい 。 又 この 葉 の 美しい こと は まさに 黄金 じゃ 。 日光 来り て 葉 緑 を 照 徹 すれ ば 葉 緑 黄金 を 生ずる じゃ 。 讃 う べき かな 神 よ 。 」 
（ 将軍 籠 に くだもの を 盛り て 出 で 来る 。 手帳 を 出し すばやく 何 か 書 きつく 、 特務 曹長 に 渡す 、 順次 列 中 に 渡る 、 唱い つつ 行進 す 。 兵士 これ に 続く 。 ） 
バナナン 大将 の 行進 歌 
合唱 「 いさお かがやく 　 バナナン 軍 
マルトン 原 に 　 　 たむろ せ ど 
荒 さびし 山河 の 　 すべ も なく 
饑餓 の 　 陣営 　 　 日 にわたり 
夜 を も こむ れ ば 　 つ わ ものの 
ダムダム弾 や 　 　 葡萄 弾 
毒 瓦斯 タンク は 　 恐れ ね ど 
う えと つか れ を 　 いかに せ ん 。 
やむなく 食み し 　 将軍 の 
かがやき わたる 　 勲章 と 
ひかり まばゆき 　 エボレット 
その ま が つみ は 　 録 さ れ ぬ 。 
あわ れ 二 人 の 　 　 つ わ もの は 
責 に 死な ん と 　 　 し たり し に 
この とき 雲 の 　 　 かなた より 
神 は はるか に 　 　 みそ な わし 
くだし た まえる 　 み めぐみ は 
新式 生産 体操 ぞ 。 
ベース ピラミッド 　 カンデラ ブル 
また パルメット 　 エーベンタール 
ことに も 二つ の 　 コル ドン と 
棚 の 仕立 に 　 　 　 い たり し に 
ひかり の ごとく 　 降り 来し 
天 の 果実 を 　 　 　 いかに せ ん 。 
み さかえ は あれ 　 かがやき の 
あめ と しめり の 　 くろ つ ち に 
み さかえ は あれ 　 かがやき の 
あめ と しめり の 　 くろ つ ち に 。 」 
幕 。 
ひと びと 酸き 胡瓜 を 噛み 
や ゝ に 濁 れる 黄 の 酒 の 
陶 の 小 盃 に 往復 せり 
そ は 今日 賦役 に 出 で ざり し 家々 より 
権 左 エ 門 が 集め 来し なれ 
まこと 権 左 エ 門 の 眼 双 に 赤き は 
尚 褐玻璃 の 老眼鏡 を かけ たる ごとく 
立つ て 宰領 する この 家 の ある じ 
熊 氏 の 面 は ひ げ に 充て り 
榾 の けむり は 稲 いち めん に ひろがり 
雨 は 々 青き 穂並 に うち 注げ り 
われ は さながら われ に も あら ず 
稲 の 品種 を も の 云 へ ば 
或いは ペルシャ に ある こ ゝ ち なり 
この 感じ 多く 耐 へ ざる 
背 椎 の 労作 の 後 に 来り 
しばしば 数 日 の 病 を 約す 
げに かしこ に は いく たび 
赤き 砂利 を に な ひける 
面 むくみ し つ 弱き 子 の 
人人 の 背後 なる 板の間 に 座り て 
素麺 を こそ 食め る なる 
その 赤 砂利 を 盛れる 土橋 は 
楢 また 檜 の 暗き 林 を 負 ひ て 
ひとしく 雨 に 打た れ たれ ど 
ほ だの け むりははやもそこに 這 へる なり 
「 煙山 に エレッキ の や なぎ の 木 が ある よ 。 」 
藤原 慶 次郎 が だしぬけ に 私 に 云い まし た 。 私 たち が みんな 教室 に 入っ て 、 机 に 座り 、 先生 は まだ 教員 室 に 寄っ て いる 間 でし た 。 尋常 四 年 の 二 学期 の はじめ 頃 だっ た と 思い ます 。 
「 エレキ の 楊 の 木 ？ 」 と 私 が 尋ね 返そ う と し まし た とき 、 慶 次 郎 は あんまり 短く て 書け なく なっ た 鉛筆 を 、 一番 前 の 源吉 に 投げつけ まし た 。 源吉 は うし ろ を 向い て 、 みんな の 顔 を くらべ て い まし た が 、 すばやく 机 に 顔 を 伏せ て 、 両手 で 頭 を かかえ て かくれ て い た 慶 次 郎 を 見つける と 、 まるで 怒り 出し て 
「 何 する ん だい 。 慶 次 郎 。 何 する ん だい 。 」 なんて 高く 叫び まし た 。 みんな も こっち を 見 た ので 私 も 大 へん きまり が 悪かっ た の です 。 その 時 先生 が 、 鞭 や 白墨 や 地図 を 持っ て 入っ て 来ら れ た もん です から 、 みんな は 俄 か に しずか に なっ て 立ち 、 源吉 も もう 一遍 こっち を ふりむい て から 、 席 の そば に 立ち まし た 。 慶 次 郎 も 顔 を まっ 赤 に し て くつ くつ 笑い ながら 立ち まし た 。 そして 礼 が すん で 授業 が はじまり まし た 。 私 は 授業 中 も その や なぎ の こと を 早く 慶 次 郎 に 尋ね たかっ た の です けれども どう 云う わけ か あんまり 聞き たかっ た ため に 云い 出し 兼ね て い まし た 。 それ に 慶 次 郎 が もう 忘れ た よう な 顔 を し て い た の です 。 
けれども その 時間 が 終り 、 礼 も 済ん で みんな 並ん で 廊下 へ 出る 途中 、 私 は 慶 次 郎 に たずね まし た 。 
「 さっき の 楊 の 木 ね 、 煙山 の 楊 の 木 ね 、 どう し た って 云う の 。 」 
慶 次 郎 は いつも の よう に 、 白い 歯 を 出し て 笑い ながら 答え まし た 。 
「 今朝 権兵衛 茶屋 の とこ で 、 馬 を ひい た 人 が そう 云っ て い た よ 。 煙山 の 野原 に 鳥 を 吸い込む 楊 の 木 が ある って 。 エレキ らしい って 云っ た よ 。 」 
「 行こ う じゃ ない か 。 見 に 行こ う じゃ ない か 。 どんな だろ う 。 きっと 古い 木 だ ね 。 」 私 は 冬 に よく やる 木片 を 焼い て 髪 毛 に 擦る と ごみ を 吸い取る こと を 考え ながら 云い まし た 。 
「 行こ う 。 今日 僕 うち へ 一 遍 帰っ て から 、 さそい に 行く から 。 」 
「 待っ てる から 。 」 私 たち は 約束 し まし た 。 そして その 通り その 日 の ひる すぎ 、 私 たち は いっしょ に 出かけ た の でし た 。 
権兵衛 茶屋 の わき から 蕎麦 ば たけ や 松林 を 通っ て 、 煙山 の 野原 に 出 まし たら 、 向う に は 毒ヶ森 や 南 晶 山 が 、 たいへん 暗く そびえ 、 その 上 を 雲 が ぎらぎら 光っ て 、 処々 に は 竜 の 形 の 黒雲 も あっ て 、 どんどん 北の方 へ 飛び 、 野原 は ひっそり と し て 人 も 馬 も 居 ず 、 草 に は 穂 が 一 杯 に 出 て い まし た 。 
「 どっち へ 行こ う 。 」 
「 さき に 川原 へ 行っ て 見よ う よ 。 あそこ に は 古い 木 が たくさん ある から 。 」 
私 たち は だんだん 河 の 方 へ 行き まし た 。 
けむり の よう な 草 の 穂 を ふん で 、 一生けん命 急い だ の です 。 
向う に 毒ヶ森 から 出 て 来る 小さな 川 の 白い 石原 が 見え て 来 まし た 。 その 川 は 、 ふだん は 水 も 大 へん に 少く て 、 大抵 の 処 なら 着物 を 脱が なく て も 渉 れる 位 だっ た の です が 、 一 ぺん 水 が 出る と 、 まるで 川幅 が 二 十 間 位 に も なっ て 恐ろしく 濁り 、 ご う ご う 流れる の でし た 。 です から 川原 は 割合 に 広く 、 まっ白 な 砂利 で でき て い て 、 処々 に は ひめ は はこ ぐさやすぎなやねむなどが 生え て い た の でし た が 、 少し 上流 の 方 に は 、 川 に 添っ て 大きな 楊 の 木 が 、 何 本 も 何 本 も ならん で 立っ て い た の です 。 私 たち は その 上流 の 方 の 青い 楊 の 木立 を 見 まし た 。 
「 どの 木 だろ う ね 。 」 
「 さあ 、 どの 木 だ か 知ら ない よ 。 まあ 行っ て 見よ う や 。 鳥 が 吸い込ま れる って 云う ん だ から 、 見 たら わかる だろ う 。 」 
私 たち は そっち へ 歩い て 行き まし た 。 
そこら の 草 は 、 みじかかっ た の です が 粗く て 剛 く て 度々 足 を 切り そう でし た ので 、 私 たち は 河原 に 下り て 石 を わたっ て 行き まし た 。 
それから 川 が まがっ て いる ので 水 に 入り まし た 。 空 が 曇っ て い まし た ので 水 は 灰 いろ に 見え それ に 大 へん つめたかっ た ので 、 私 たち は あま の じゃ く の よう な 何とも 云え ない 寂しい 心持 が し まし た 。 
だんだん 溯っ て 、 とうとう さっき 青い くしゃくしゃ の 球 の よう に 見え た いちばん はずれ の 楊 の 木 の 前 まで 来 まし た が やっぱり 野原 は ひっそり し て 音 も なかっ た の です 。 
「 この 木 だろ う か 。 さっぱり 鳥 が 居 ない から わから ない ねえ 。 」 
私 が 云い まし たら 慶 次 郎 も 心配 そう に 向う の 方 から ず うっ と ならん で いる 木 を 一 本 ずつ 見 て い まし た 。 
野原 に は 風 が なかっ た の です が 空 に は 吹い て い た と 見え て ぎらぎら 光る 灰 いろ の 雲 が 、 所々 鼠 いろ の 縞 に なっ て どんどん 北の方 へ 流れ て い まし た 。 
「 鳥 が 来 なく ちゃ わから ない ねえ 。 」 慶 次 郎 が 又 云い まし た 。 
「 うん 、 鷹 か 何 か 来る と いい ねえ 。 木 の 上 を 飛ん で い て 、 きっと よろよろ し て しまう と 僕 は おもう よ 。 」 
「 きまって ら あ 、 殺生 石 だって そう だ そう だ よ 。 」 
「 きっと 鳥 は くちばし を 引か れる ん だ ね 。 」 
「 そう さ 。 くちばし なら きっと 磁石 に かかる よ 。 」 
「 楊 の 木 に 磁石 が ある の だろ う か 。 」 
「 磁石 だ 。 」 
風 が どう っと やって来 まし た 。 すると いま まで 青かっ た 楊 の 木 が 、 俄 か に さっと 灰 いろ に なり 、 その 葉 は みんな ブリキ で でき て いる よう に 変っ て しまい まし た 。 そして ちらちら ちらちら ゆれ た の です 。 
私 たち は 思わず 一緒 に 叫ん だ の でし た 。 
「 ああ 磁石 だ 。 やっぱり 磁石 だ 。 」 
ところが どう し た わけ か 、 鳥 は 一向 来 ませ ん でし た 。 
慶 次 郎 は 、 いかにも その 鷹 や なに か が 楊 の 木 に 嘴 を 引っぱら れ て 、 逆 に なっ て 木 の 中 に 吸い込ま れる の を 見 たい らしく 、 上 の 方 ばかり 向い て 歩き まし た し 、 私 も やはり その 通り でし た から 、 二 人 は たびたび 石 に つま づい て 、 倒れ そう に なっ たり 又 いきなり バチャン と 川原 の 中 の たまり 水 に ふみ 込ん だり も し まし た 。 
「 どうして 今日 は 斯 う 鳥 が い ない だろ う 。 」 
慶 次 郎 は 、 少し 恨めしい よう に 空 を 見 まわし まし た 。 
「 みんな その 楊 の 木 に 吸わ れ て しまっ た の だろ う か 。 」 私 は まさか そう で も ない と は 思い ながら 斯 う 言い まし た 。 
「 だって 野原 中 の 鳥 が 、 みんな 吸いこま れる って そんな こと は ない だろ う 。 」 慶 次 郎 が まじめ に 云い まし た ので 私 は 笑い まし た 。 
その 時 、 こっち 岸 の 河原 は 尽き て しまっ て 、 もっと 川 を 溯る に は 、 どうしても また 水 を 渉 ら なけれ ば なら ない よう に なり まし た 。 
そして 水 に 足 を 入れ た とき 、 私 たち は 思わ ず ば あっ と 棒立ち に なっ て しまい まし た 。 向う の 楊 の 木 から 、 まるで まるで 百 疋 ばかり の 百舌 が 、 一 ぺん に 飛び立っ て 、 一 かたまり に なっ て 北の方 へ かけ て 行く の です 。 その 塊 は 波 の よう に ゆれ て 、 ぎらぎら する 雲 の 下 を 行き まし た が 、 俄 か に 向う の 五 本 目 の 大きな 楊 の 上 まで 行く と 、 本当に 磁石 に 吸い込ま れ た よう に 、 一 ぺん に その 中 に 落ち込み まし た 。 みんな その 梢 の 中 に 入っ て しばらく が あ が あ が あ が あ 鳴い て い まし た が 、 まもなく しいんと なっ て しまい まし た 。 
私 は 実際 変 な 気 が し て しまい まし た 。 なぜ なら も ず が かたまっ て 飛ん で 行っ て 、 木 に おりる こと は 、 決して めずらしい こと で は なかっ た の です が 、 今日 の は あんまり 俄 か に 落ち た し 事 に よる と 、 あの 馬 を 引い た 人 の はなし の 通り 木 に 吸い込ま れ た の かも 知れ ない という の です から 、 まったく なんだか 本当 の よう な 偽 の よう な 変 な 気 が し て 仕方 なかっ た の です 。 
慶 次 郎 も そう な よう でし た 。 水 の 中 に 立っ た まま 、 しばらく 考え て い まし た が 、 気がつい た よう に 云い まし た 。 
「 今 の は 吸い込ま れ た の だろ う か 。 」 
「 そう かも 知れ ない よ 。 」 どう だ か と 思い ながら 私 は 生返事 を し まし た 。 
「 吸い込ま れ た の だ ねえ 、 だって あんまり 急 に 落ち た 。 」 慶 次 郎 も 無理 に そう きめ たい と 云う 風 でし た 。 
「 もう 死ん だ の かも 知れ ない よ 。 」 私 は 又 どうも そう で も ない と 思い ながら 云い まし た 。 
「 死ん だ の だ ねえ 、 死ぬ 前 苦し がっ て 泣い た 。 」 慶 次 郎 が 又 斯 う は 云い まし た が 、 やっぱり 変 な 顔 を し て い まし た 。 
「 石 を 投げ て 見よ う か 。 石 を 投げ て も 遁 げ なかっ たら 死ん だ ん だ 。 」 
「 投げよ う 。 」 慶 次 郎 は もう 水 の 中 から 円い 平たい 石 を 一つ 拾っ て い まし た 。 そして 力 一ぱい さっき の 楊 の 木 に 投げつけ まし た 。 石 は その 半分 も 行き ませ ん でし た が 、 百舌 は にわかに が あっと 鳴っ て 、 まるで 音譜 を ばらまき に し た よう に 飛び あがり まし た 。 
そして すぐ と なり の 少し 低い 楊 の 木 の 中 に はいり まし た 。 すっかり さっき の 通り だっ た の です 。 
「 生き て い た ねえ 、 だまっ て みんな 僕 たち の こと 見 て た ん だ よ 。 」 慶 次 郎 は がっかり し た よう でし た 。 
「 そう だ よ 。 石 が 届か ない うち に 、 みんな 飛ん だ も ねえ 。 」 私 も 答え ながら たいへん 寂しい 気 が し て 向う の 河原 に 向っ て 又 水 を 渉 り はじめ まし た 。 
私 たち は 河原 に のぼっ て 、 砥石 に なる よう な 柔らか な 白い 円い 石 を 見 まし た 。 ほんとう は それ は あんまり 柔らか で 砥石 に は なら なかっ た かも 知れ ませ ん が 、 とにかく 私 たち は そう 云う 石 を よく 砥石 と 云っ て 外 の 硬い 大きな 石 に 水 で 擦っ て 四角 に し た もの です 。 慶 次 郎 は それ を 両手 で 起し て 、 川 へ バチャン と 投げ まし た 。 石 は すぐ 沈ん で 水 の 底 へ 行き 、 ことに まっ白 に 少し 青白く 見え まし た 。 私 は それ が 又 何とも 云え ず 悲しい よう に 思っ た の です 。 
その 時 でし た 。 俄 か に そら が やかましく なり 、 見上げ まし たら 一 むれ の 百舌 が 私 たち の 頭 の 上 を 過ぎ て い まし た 。 百舌 は たしかに 私 たち を 恐れ た らしく 、 一段 高く 飛び あがっ て 、 それから 楊 を 二 本 越え て 、 向う の 三 本 目 の 楊 を 通る とき 、 又 何 か に 引っぱら れ た よう に 、 いきなり その 中 に 入っ て しまい まし た 。 
けれども もう 、 私 も 慶 次 郎 も 、 その 木 の 中 でも ず が 死ぬ と は 思い ませ ん でし た 。 慶 次 郎 は 本気 に 石 を 投げ た の でし た が 、 百舌 は 一 ぺん に とびあがり まし た 。 向う の 低い 楊 の 木 から も 、 やかましく 鳴い て さっき の 鳥 が とび 立ち まし た 。 私 は ほんとう に さびしく なっ て もう 帰ろ う と 思い まし た 。 
「 どこ か に 、 けれど 、 ほんとう の 木 は ある よ 。 」 
慶 次 郎 は 云い まし た 。 私 も どこ か に ある と は 思い まし た が 、 この 川 に は 決して ない と 思っ た の です 。 
「 外 へ 行っ て 見よ う 。 野原 の うち 、 どこ か 外 の 処 だ よ 。 外 へ 行っ て 見よ う 。 」 私 は 云い まし た 。 慶 次 郎 も だまっ て ある き 出し 、 私 たち は 河原 から 岸 の 草 は ら の 方 へ 出 まし た 。 
それから 毒ヶ森 の 麓 の 黒い 松林 の 方 へ 向い て 、 きつね の しっぽ の よう な 茶 いろ の 草 の 穂 を ふん で 歩い て 行き まし た 。 
そしたら 慶 次 郎 が 、 ちょっと うし ろ を 振り向い て 叫び まし た 。 
「 あ 、 ごらん 、 あんなに 居 た よ 。 」 
私 も ふり向き まし た 。 も ず が 、 まるで 千疋 ばかり も 飛び た って 、 野原 を ず うっ と 向う へ かけ て 行く よう に 見え まし た が 、 今度 も 又 、 俄 か に 一 本 の 楊 の 木 に 落ち て しまい まし た 。 けれども 私 たち は もう 何 も 云い ませ ん でし た 。 鳥 を 吸い込む 楊 の 木 が ある と も 思え ず 、 又 鳥 の 落ち込み よう が あんまり ひどい ので 、 そんな こと が 全く ない とも 思え ず 、 ほんとう に 気持ち が 悪く なっ た の でし た 。 
「 もう だめ だ よ 。 帰ろ う 。 」 私 は 云い まし た 。 そして 慶 次 郎 も だまっ て くる っと 戻っ た の でし た 。 
けれども いま でも まだ 私 に は 、 楊 の 木 に 鳥 を 吸い込む 力 が ある と 思え て 仕方 ない の です 。 
ある うち に 一つ の 鳥かご が あり まし た 。 
鳥かご と 云 ふ より は 、 鳥 箱 といふ 方 が 、 よく わかる かも しれ ませ ん 。 それ は 、 天井 と 、 底 と 、 三 方 の 壁 と が 、 無 暗に 厚い 板 で でき て ゐ て 、 正面 丈 けが 、 針 が ね の 網 で こ さ へ た 戸 に なっ て ゐ まし た 。 
そして 小さな ガラス の 窓 が 横 の 方 について ゐ まし た 。 ある 日 一疋 の 子供 の ひよ どり が その 中 に 入れ られ まし た 。 ひよ どり は 、 そんな せまい 、 くらい ところ へ 入れ られ た ので 、 いやがっ て バタバタバタ バタ し まし た 。 
鳥かご は 、 早速 、 
「 バタバタ 云っ ちゃ いか ん 。 」 と 云 ひ まし た 。 ひよ どり は 、 それでも 、 まだ 、 バタバタ し て ゐ まし た が 、 つかれ て うごけ なく なる と 、 こんど は 、 おっかさん の 名 を 呼ん で 、 泣き まし た 。 鳥かご は 、 早速 、 「 泣い ちゃ いか ん 。 」 と 云 ひ まし た 。 この 時 、 とり かご は 、 急 に 、 は は あ おれ は 先生 な ん だ な と 気がつき まし た 。 なるほど 、 さ う 気 が つい て 見る と 、 小さな ガラス の 窓 は 、 鳥かご の 顔 、 正面 の 網戸 が 、 立派 な チョッキ と 云 ふ わけ でし た 。 いよいよ さ う きまって 見る と 、 鳥かご は 、 もう 、 一 分 もじっ として ゐ られ ませ ん でし た 。 そこで 
「 おれ は 先生 な ん だ ぞ 。 鳥 箱 先生 といふ ん だ ぞ 。 お前 を 教育 する ん だ ぞ 。 」 と 云 ひ まし た 。 ひよ どり も 仕方 なく 、 それ から は 、 鳥 箱 先生 と 呼ん で ゐ まし た 。 
けれども 、 ひよ どり は 、 先生 を 大 嫌 ひ でし た 。 毎日 、 じっと 先生 の 腹の中 に 居る の でし た が 、 もう 、 それ を 見る の も いや でし た から 、 いつも 目 を つぶっ て ゐ まし た 。 目 を つぶっ て も 、 もしか 、 ひょっと 、 先生 の こと を 考へ たら 、 もう むね が 悪く なる の でし た 。 ところが 、 その ひよ どり は 、 ある 時 、 七 日 といふ もの 、 一 つぶ の 粟 も 貰 ひ ませ ん でし た 。 みんな 忘れ て ゐ た の です 。 そこで 、 もう ひもじくっ て 、 ひもじくっ て 、 た うとう 、 くちばし を パクパク さ せ ながら 、 死ん で しまひ まし た 。 
鳥 箱 先生 も 
「 あゝ 哀れ な こと だ 」 と 云 ひ まし た 。 その 次に 来 た ひよ どり の 子供 も 、 丁度 その 通り でし た 。 た ゞ 、 その 死に 方 が 、 すこし 変っ て ゐ た だけ です 。 それ は 腐っ た 水 を 貰っ た 為 に 、 赤痢 に なっ た の でし た 。 
その 次に 来 た ひよ どり の 子供 は 、 あんまり 空 や 林 が 恋しく て 、 た うとう 、 胸 が つまっ て 死ん で しまひ まし た 。 
四 番目 の は 、 先生 が ある 夏 、 一寸 油断 を し て 網 の チョッキ を 大きく 開け た ま ゝ 、 睡っ て ゐる あ ひだ に 、 乱暴 な 猫 大将 が 来 て 、 いきなり つかん で 行っ て しまっ た の です 。 鳥 箱 先生 も 目 を さまし て 、 
「 あっ 、 いかん 。 生徒 を か へ し なさい 。 」 と 云 ひ まし た が 、 猫 大将 は ニヤニヤ 笑っ て 、 向 ふ へ 走っ て 行っ て しまひ まし た 。 鳥 箱 先生 も 
「 あゝ 哀れ な こと だ 。 」 と 云 ひ まし た 。 しかし 鳥 箱 先生 は 、 それ から は すっかり 信用 を なくし まし た 。 そして いきなり 物置 の 棚 へ 連れ て 来ら れ まし た 。 
「 は はあ 、 こ ゝ は 、 大 へん 、 空気 の 流通 が 悪い な 。 」 と 鳥 箱 先生 は 云 ひ ながら 、 あたり を 見 ま は し まし た 。 棚 の 上 に は 、 こ はれ か ゝ っ た 植木鉢 や 、 古い 朱 塗り の 手桶 や 、 そんな がらくた が 一 杯 でし た 。 そして 鳥 箱 先生 の すぐ うし ろ に 、 まっ くら な 小さな 穴 が あり まし た 。 
「 はてな 。 あの 穴 は 何 だら う 。 獅子 の ほら あな かも 知れ ない 。 少く とも 竜 の いは や だ ね 。 」 と 先生 は ひとり ごと を 言 ひ まし た 。 
それから 、 夜 に なり まし た 。 鼠 が 、 その 穴 から 出 て 来 て 、 先生 を 一寸 かじり まし た 。 先生 は 大 へん びっくり し まし た が 、 無理 に 心 を し づめてかう 云 ひ まし た 。 
「 おいおい 。 みだりに 他人 を かじる べから ず といふ 、 カマ ジン 国 の 王様 の 格言 を 知ら ない か 。 」 
鼠 は びっくり し て 、 三 歩 ばかり あと へ さ がっ て 、 ていねい に おじぎ を し て から 申し まし た 。 
「 これ は 、 まことに ありがたい お 教 へ で ござい ます 。 実に 私 の 肝臓 まで しみ と ほり ます 。 みだりに 他人 を かじる といふ こと は 、 ほん た うに 悪い こと で ござい ます 。 私 は 、 去年 、 みだりに 金づち さま を かじり まし た ので 、 前歯 を 二 本 欠き まし た 。 又 、 今年 の 春 は 、 みだりに 人間 の 耳 を 噛 じ り まし た ので 、 あぶなく 殺さ れよ う と し まし た 。 実に かたじけない お さとし で ござい ます 。 ついては 、 私 の せがれ 、 フウ と 申す もの は 、 誠に おろか もの で ござい ます が 、 どうか 毎日 、 お 教 へ を 戴く やう に 願 はれ ませ ん で ござい ませ う か 。 」 
「 うん 。 とにかく 、 その 子 を よこし て ごらん 。 きっと 、 立派 に し て あげる から 。 わし は ね 。 今 こそ こんな 処 へ 来 て ゐる が 、 前 は 、 それ は もう 、 硝子 で こ さ へ た 立派 な 家 の 中 に 居 た ん だ 。 ひよ どり を 、 四 人 も 育て て 教 へ て やっ た ん だ 。 どれ も みんな 、 はじめ は バタバタ 云っ て 、 手 も つけ られ ない 子供 ら ばかり だっ た が ね 、 みんな 、 間もなく 、 わし の 感化 で 、 おとなしく 立派 に なっ た 。 そして 、 それ は それ は 、 安楽 に 一生 を 送っ た の だ 。 栄耀栄華 を き はめ た もん だ 。 」 
親 ねずみ は 、 あんまり うれしく て 、 声 も 出 ませ ん でし た 。 そして 、 ペコペコ 頭 を さげ て 、 急い で 自分 の 穴 へ もぐり込ん で 、 子供 の フウ ねずみ を 連れ出し て 、 鳥 箱 先生 の 処 へ やっ て 参り まし た 。 
「 この 子供 で ござい ます 。 どう か 、 よろしく お ね が ひ 致し ます 。 どうか よろしく お ね が ひ 致し ます 。 」 二 人 は 頭 を ぺこぺこ さげ まし た 。 
すると 、 先生 は 、 
「 は はあ 、 仲 々 賢 こさ う な お子さん です な 。 頭 の かたち が 大 へん よろしい 。 いかにも 承知 し まし た 。 きっと 教 へ て あげ ます から 。 」 
ある 日 、 フウ ねずみ が 先生 の そば を 急い で 通っ て 行か う と し ます と 、 鳥 箱 先生 が あわて て 呼び とめ まし た 。 
「 おい 。 フウ 。 ちょっと 待ち なさい 。 なぜ 、 お ま へ は 、 さ う 、 ちょろちょろ 、 つまだて し て ある くん だ 。 男 といふ もの は 、 もっと ゆっくり 、 もっと 大股 に あるく もの だ 。 」 
「 だって 先生 。 僕 の 友だち は 、 誰 だって ちょろちょろ 歩か ない 者 は あり ませ ん 。 僕 は その 中 で 、 一番 威張っ て 歩い て ゐる ん です 。 」 
「 お前 の 友だち といふ の は 、 どんな 人 だ 。 」 
「 しらみ に 、 くも に 、 だに です 。 」 
「 そんな もの と 、 お前 は つきあっ て ゐる の か 。 なぜ もう少し 、 りっぱ な もの と つき あ はん 。 なぜ もっと 立派 な もの と くらべ ない か 。 」 
「 だって 、 僕 は 、 猫 や 、 犬 や 、 獅子 や 、 虎 は 、 大 嫌 ひな ん です 。 」 
「 さ う か 。 それなら 仕方 ない 。 が 、 もう少し りっぱ に やっ て 貰 ひたい 。 」 
「 もう わかり まし た 。 先生 。 」 フウ ねずみ は 一目散 に 逃げ て 行っ て しまひ まし た 。 
それから 又 五 六 日 たっ て 、 フウ ねずみ が 、 いそい で 鳥 箱 先生 の そば を かけ 抜けよ う と し ます と 、 先生 が 叫び まし た 。 
「 おい 。 フウ 。 一寸 待ち なさい 。 なぜ お前 は 、 そんなに きょろきょろ あたり を 見 て あるく の です 。 男 は まっすぐ に 行く 方 を 向い て 歩く もん だ 。 それに 決して 、 よ こめ なんか は つか ふも の で は ない 。 」 
「 だって 先生 。 私 の 友達 は みんな もっと きょろきょろ し て ゐ ます 。 」 
「 お前 の 友だち といふ の は 誰 だ 。 」 
「 たとへば くも や 、 しらみ や 、 むかで など です 。 」 
「 お前 は 、 また 、 そんな つまらない もの と 自分 を くらべ て ゐる が 、 それ は よろしく ない 。 お前 は りっぱ な 鼠 に なる 人 な ん だ から そんな 考 は よさ なけれ ば いけ ない 。 」 
「 だって 私 の 友達 は 、 みんな さ う です 。 私 は その 中 で は 一番 ちゃん として ゐる ん です 。 」 
そして フウ ねずみ は 一目散 に 逃げ て 穴 の 中 へ は ひっ て しまひ まし た 。 
それから 又 五 六 日 たっ て 、 フウ ねずみ が 、 いつも の と ほり 、 大 いそぎ で 鳥 箱 先生 の そば を 通り すぎよ う と し ます と 、 先生 が 網 の チョッキ を がたっと さ せ ながら 、 呼び とめ まし た 。 
「 おい 。 フウ 、 ちょっと 待ち なさい 。 お ま へ は いつ でも わし が 何 か 云 は う と する と 、 早く 逃げ て しまは う と する が 、 今日 は 、 まあ 、 すこし おちつい て 、 こ ゝ へ すわり なさい 。 お前 は なぜ そんなに いつ でも 首 を ち ゞ め て 、 せ なか を 円く する の です 。 」 
「 だって 、 先生 。 私 の 友達 は 、 みんな 、 もっと せ なか を 円く し て 、 もっと 首 を ち ゞ め て ゐ ます よ 。 」 
「 お前 の 友達 と いっ て も 、 むかで など は せ なか を すっ くり と のばし て ある い て ゐる で は ない か 。 」 
「 い ゝ え 。 むかで は さ う です けれども 、 ほか の 友だち は さ う で は あり ませ ん 。 」 
「 ほか の 友だち といふ の は 、 どんな 人 だ 。 」 
「 けし つぶ や 、 ひえ つぶ や 、 お ほ ば この 実 など です 。 」 
「 なぜ いつ でも 、 そんな つまらない もの と だけ 、 くらべる の だ 。 え ゝ 。 おい 。 」 
フウ ねずみ は 面倒臭く なっ た ので 一目散 に 穴 の 中 へ 逃げ込み まし た 。 
鳥 箱 先生 も 、 今度 といふ 今度 は 、 すっかり 怒っ て しまっ て 、 ガタガタ ガタガタ ふるへ て 叫び まし た 。 
「 フウ の 母親 、 こら 、 フウ の 母親 。 出 て 来い 。 お ま へ の むすこ は 、 もう どうしても 退校 だ 。 引き渡す から 早速 出 て 来い 。 」 
フウ の おっかさん ねずみ は 、 ブルブル ふるへ て ゐる フウ ねずみ の えり 首 を つかん で 、 鳥 箱 先生 の 前 に 連れ て 来 まし た 。 
鳥 箱 先生 は 怒っ て 、 ほてっ て 、 チョッキ を ばたばた さ せ ながら 云 ひ まし た 。 
「 おれ は 四 人 も ひよ どり を 教育 し た が 、 今日 まで こんな ひど いぶ じ ょくを 受け た こと は ない 。 実に この 生徒 は だめ な やつ だ 。 」 
その 時 、 まるで 、 嵐 の やう に 黄色 な もの が 出 て 来 て 、 フウ を つかん で 地べた へた ゝ きつけ 、 ひ げ を ヒクヒク 動かし まし た 。 それ は 猫 大将 でし た 。 
猫 大将 は 、 
「 ハッハッハ 、 先生 も だめ だ し 、 生徒 も 悪い 。 先生 は いつ でも 、 もっとも らしい うそ ばかり 云っ て ゐる 。 生徒 は 志 が どうも けし つぶ より 小さい 。 これ で は もう とても 国家 の 前途 が 思ひ やら れる 。 」 と 云 ひ まし た 。 
その とき 西 の ぎらぎら の ちぢれ た 雲 の あいだ から 、 夕陽 は 赤く ななめ に 苔 の 野原 に 注ぎ 、 すすき は みんな 白い 火 の よう に ゆれ て 光り まし た 。 わたくし が 疲れ て そこ に 睡り ます と 、 ざあざあ 吹い て い た 風 が 、 だんだん 人 の ことば に きこえ 、 やがて それ は 、 いま 北上 の 山 の 方 や 、 野原 に 行わ れ て い た 鹿 踊り の 、 ほんとう の 精神 を 語り まし た 。 
そこら が まだ まるっきり 、 丈 高い 草 や 黒い 林 の まま だっ た とき 、 嘉 十 は おじいさん たち と 北上川 の 東 から 移っ て き て 、 小さな 畑 を 開い て 、 粟 や 稗 を つくっ て い まし た 。 
ある とき 嘉 十 は 、 栗 の 木 から 落ち て 、 少し 左 の 膝 を 悪く し まし た 。 そんな とき みんな は いつ でも 、 西 の 山 の 中 の 湯 の 湧く とこ へ 行っ て 、 小屋 を かけ て 泊っ て 療 す の でし た 。 
天気 の いい 日 に 、 嘉 十 も 出かけ て 行き まし た 。 糧 と 味噌 と 鍋 と を しょっ て 、 もう 銀 いろ の 穂 を 出し た すすき の 野原 を すこし びっこをひきながら 、 ゆっくり ゆっくり 歩い て 行っ た の です 。 
いくつ も の 小 流れ や 石原 を 越え て 、 山脈 の かたち も 大きく はっきり なり 、 山 の 木 も 一 本 一 本 、 す ぎごけのように 見 わけ られる ところ まで 来 た とき は 、 太陽 は もう よほど 西 に 外れ て 、 十 本 ばかり の 青い はん の きの 木立 の 上 に 、 少し 青ざめ て ぎらぎら 光っ て かかり まし た 。 
嘉 十 は 芝草 の 上 に 、 せ なか の 荷物 を どっかり おろし て 、 栃 と 粟 と の だ ん ご を 出し て 喰 べ はじめ まし た 。 すすき は 幾 むら も 幾 むら も 、 はては 野原 いっぱい の よう に 、 まっ白 に 光っ て 波 を たて まし た 。 嘉 十 は だ ん ご を たべ ながら 、 すすき の 中 から 黒く まっすぐ に 立っ て いる 、 はん の きの 幹 を じつに りっぱ だ と おもい まし た 。 
ところが あんまり 一生けん命 あるい た あと は 、 どうも なんだか お腹 が いっぱい の よう な 気 が する の です 。 そこで 嘉 十 も 、 おしまい に 栃 の 団子 を と ちの 実 の くらい 残し まし た 。 
「 こ いづ ば 鹿 さ 呉 で や べ か 。 それ 、 鹿 、 来 て 喰 」 と 嘉 十 は ひとり ごと の よう に 言っ て 、 それ を う めばち そう の 白い 花 の 下 に 置き まし た 。 それから 荷物 を また しょっ て 、 ゆっくり ゆっくり 歩き だし まし た 。 
ところが 少し 行っ た とき 、 嘉 十 は さっき の やすん だ ところ に 、 手拭 を 忘れ て 来 た のに 気 が つき まし た ので 、 急い で また 引っ返し まし た 。 あの はん の きの 黒い 木立 が じき 近く に 見え て い て 、 そこ まで 戻る ぐらい 、 なん の 事 で も ない よう でし た 。 
けれども 嘉 十 は ぴたり と たちどまっ て しまい まし た 。 
それ は たしかに 鹿 のけ はい が し た の です 。 
鹿 が 少く て も 五 六 疋 、 湿っぽい は な づら を ず うっ と 延ばし て 、 しずか に 歩い て いる らしい の でし た 。 
嘉 十 は すすき に 触れ ない よう に 気 を 付け ながら 、 爪 立て を し て 、 そっと 苔 を 踏ん で そっち の 方 へ 行き まし た 。 
たしかに 鹿 は さっき の 栃 の 団子 に やってき た の でし た 。 
「 はあ 、 鹿 等 あ 、 すぐ に 来 た も な 。 」 と 嘉 十 は 咽喉 の 中 で 、 笑い ながら つぶやき まし た 。 そして からだ を かがめ て 、 そろ り そろりと 、 そっち に 近 よって 行き まし た 。 
一 むら の すすき の 陰 から 、 嘉 十 は ちょっと 顔 を だし て 、 びっくり し て また ひっ込め まし た 。 六 疋 ばかり の 鹿 が 、 さっき の 芝原 を 、 ぐるぐる ぐるぐる 環 に なっ て 廻っ て いる の でし た 。 嘉 十 は すすき の 隙間 から 、 息 を こらし て のぞき まし た 。 
太陽 が 、 ちょうど 一 本 の はん の きの 頂 に かかっ て い まし た ので 、 その 梢 は あやしく 青く ひかり 、 まるで 鹿 の 群 を 見おろし て じっと 立っ て いる 青 いい きもの の よう に おもわ れ まし た 。 すすき の 穂 も 、 一 本 ずつ 銀 いろ に かがやき 、 鹿 の 毛並 が ことに その 日 は りっぱ でし た 。 
嘉 十 は よろこん で 、 そっと 片 膝 を つい て それ に 見とれ まし た 。 
鹿 は 大きな 環 を つくっ て 、 ぐる くる ぐる くる 廻っ て い まし た が 、 よく 見る と どの 鹿 も 環 の まんなか の 方 に 気 が とら れ て いる よう でし た 。 その 証拠 に は 、 頭 も 耳 も 眼 も みんな そっち へ 向い て 、 おまけ に たびたび 、 いかに も 引っぱら れる よう に 、 よろよろ と 二 足 三 足 、 環 から は なれ て そっち へ 寄っ て 行き そう に する の でし た 。 
もちろん 、 その 環 の まんなか に は 、 さっき の 嘉 十 の 栃 の 団子 が ひと かけ 置い て あっ た の でし た が 、 鹿 ども の しきりに 気 に かけ て いる の は 決して 団子 で は なく て 、 その となり の 草 の 上 に く の 字 に なっ て 落ち て いる 、 嘉 十 の 白い 手拭 らしい の でし た 。 嘉 十 は 痛い 足 を そっと 手 で 曲げ て 、 苔 の 上 に きちんと 座り まし た 。 
鹿 の め ぐりはだんだんゆるやかになり 、 みんな は 交 る 交 る 、 前肢 を 一 本 環 の 中 の 方 へ 出し て 、 今にも かけ 出し て 行き そう に し て は 、 びっくり し た よう に また 引っ込め て 、 とっ とっ とっ とっ しずか に 走る の でし た 。 その 足音 は 気もち よく 野原 の 黒土 の 底 の 方 まで ひびき まし た 。 それから 鹿 ども は まわる の を やめ て みんな 手拭 の こちら の 方 に 来 て 立ち まし た 。 
嘉 十 は にわかに 耳 が きい ん と 鳴り まし た 。 そして がたがた ふるえ まし た 。 鹿 ども の 風 に ゆれる 草 穂 の よう な 気もち が 、 波 に なっ て 伝わっ て 来 た の でし た 。 
嘉 十 は ほんとう に じ ぶん の 耳 を 疑い まし た 。 それ は 鹿 の ことば が きこえ て き た から です 。 
「 じゃ 、 おれ 行っ て 見 で 来 べ が 。 」 
「 うん にゃ 、 危ない じゃ 。 も 少し 見 で べ 。 」 
こんな ことば も きこえ まし た 。 
「 何 時 だ が の 狐 み だい に 口 発破 など さ 罹っ て あ 、 つまらない も な 、 高 で 栃 の 団子 など で よ 。 」 
「 そ だ そ だ 、 全 ぐだ 。 」 
こんな ことば も 聞き まし た 。 
「 生 ぎものだがも 知れ ない じゃ い 。 」 
「 うん 。 生 ぎものらしどごもあるな 。 」 
こんな ことば も 聞え まし た 。 その うち に とうとう 一疋 が 、 いかにも 決心 し た らしく 、 せ なか を まっすぐ に し て 環 から は なれ て 、 まんなか の 方 に 進み出 まし た 。 
みんな は 停っ て それ を 見 て い ます 。 
進ん で 行っ た 鹿 は 、 首 を あら ん かぎり 延ばし 、 四 本 の 脚 を 引きしめ 引きしめ そろ り そろりと 手拭 に 近づい て 行き まし た が 、 俄 か に ひどく 飛び あがっ て 、 一目散 に 遁 げ 戻っ て き まし た 。 廻り の 五 疋 も 一 ぺん に ぱっと 四方 へ ちら け よう と し まし た が 、 はじめ の 鹿 が 、 ぴたり と とまり まし た ので やっと 安心 し て 、 のそのそ 戻っ て その 鹿 の 前 に 集まり まし た 。 
「 なじ ょだた 。 なに だ た 、 あの 白い 長い や づあ 。 」 
「 縦 に 皺 の 寄っ た もん だけ あ な 。 」 
「 そ だら 生 ぎものだないがべ 、 やっぱり 蕈 など だ べ が 。 毒 蕈 だ べ 。 」 
「 うん にゃ 。 きの ご だ ない 。 やっぱり 生 ぎものらし 。 」 
「 そう が 。 生きもの で 皺 うんと 寄っ て ら ば 、 年 老 り だ な 。 」 
「 うん 年 老 り の 番兵 だ 。 うう は は は は 。 」 
「 ふふふ 青 白 の 番兵 だ 。 」 
「 うう は は は 、 青じろ 番兵 だ 。 」 
「 こんど おれ 行っ て 見 べ が 。 」 
「 行っ て みろ 、 大丈夫 だ 。 」 
「 喰っ つが ない が 。 」 
「 うん にゃ 、 大丈夫 だ 。 」 
そこで また 一疋 が 、 そろ り そろりと 進ん で 行き まし た 。 五 疋 は こちら で 、 こ とりこ とり と あ たま を 振っ て それ を 見 て い まし た 。 
進ん で 行っ た 一疋 は 、 たびたび もう こわく て 、 たまらない という よう に 、 四 本 の 脚 を 集め て せ なか を 円く し たり そっと また のばし たり し て 、 そろ り そろりと 進み まし た 。 
そして とうとう 手拭 の ひと足 こっち まで 行っ て 、 あら ん かぎり 首 を 延ばし て ふん ふん 嗅い で い まし た が 、 俄 か に はねあがっ て 遁 げ て き まし た 。 みんな も びく っと し て 一 ぺん に 遁 げ だ そう と し まし た が 、 その 一 ぴき が ぴたり と 停 まり まし た ので やっと 安心 し て 五つ の 頭 を その 一つ の 頭 に 集め まし た 。 
「 なじ ょだた 、 なし て 逃げ で 来 た 。 」 
「 噛 じ る べ と し た よう だ た もさ 。 」 
「 ぜんたい なに だけ あ 。 」 
「 わが ら ない な 。 と に かぐ 白 ど それ がら 青 ど 、 両方 のぶ ぢ だ 。 」 
「 匂 あな じ ょだ 、 匂 あ 。 」 
「 柳 の 葉 み だい な 匂 だ な 。 」 
「 はで な 、 息 吐 でる が 、 息 。 」 
「 さあ 、 そ で ば 、 気付け ない が た 。 」 
「 こんど あ 、 おれ あ 行っ て 見 べ が 。 」 
「 行っ て みろ 」 
三 番目 の 鹿 が また そろ り そろりと 進み まし た 。 その とき ちょっと 風 が 吹い て 手拭 が ちらっと 動き まし た ので 、 その 進ん で 行っ た 鹿 は びっくり し て 立ちどまっ て しまい 、 こっち の みんな も びく っと し まし た 。 けれども 鹿 は やっと また 気 を 落ちつけ た らしく 、 また そろ り そろりと 進ん で 、 とうとう 手拭 まで 鼻 さき を 延ばし た 。 
こっち で は 五 疋 が みんな こと りこ とり と お 互に うなずき 合っ て 居り まし た 。 その とき 俄 か に 進ん で 行っ た 鹿 が 竿 立ち に なっ て 躍り あがっ て 遁 げ て き まし た 。 
「 何 し て 遁 げ でき た 。 」 
「 気味悪 ぐなてよ 。 」 
「 息 吐 でる が 。 」 
「 さあ 、 息 の 音 あ 為 ない がけ あな 。 口 も 無い よう だけ あ な 。 」 
「 あ だま ある が 。 」 
「 あ だま も ゆ ぐわがらないがったな 。 」 
「 そ だら こん だ おれ 行っ て 見 べ が 。 」 
四 番目 の 鹿 が 出 て 行き まし た 。 これ も やっぱり びく びく もの です 。 それでも すっかり 手拭 の 前 まで 行っ て 、 いかにも 思い切っ た らしく 、 ちょっと 鼻 を 手拭 に 押しつけ て 、 それ から 急い で 引っ込め て 、 一目 さん に 帰っ て き まし た 。 
「 おう 、 柔 っけ もん だ ぞ 。 」 
「 泥 の よう に が 。 」 
「 うん にゃ 。 」 
「 草 の よう に が 。 」 
「 うん にゃ 。 」 
「 ごま ざいの 毛 の よう に が 。 」 
「 うん 、 あれ より あ 、 も 少し 硬 ぱしな 。 」 
「 なに だ べ 。 」 
「 と に かぐ 生 ぎもんだ 。 」 
「 やっぱり そう だ が 。 」 
「 うん 、 汗 臭い も 。 」 
「 おれ も 一 遍 行っ て み べ が 。 」 
五 番目 の 鹿 が また そろ り そろりと 進ん で 行き まし た 。 この 鹿 は よほど おどけ もの の よう でし た 。 手拭 の 上 に すっかり 頭 を さげ て 、 それから いかにも 不審 だ という よう に 、 頭 を かく っと 動かし まし た ので 、 こっち の 五 疋 が はねあがっ て 笑い まし た 。 
向う の 一疋 は そこ で 得意 に なっ て 、 舌 を 出し て 手拭 を 一つ べろりと 嘗め まし た が 、 にわかに 怖く なっ た と みえ て 、 大きく 口 を あけ て 舌 を ぶらさげ て 、 まるで 風 の よう に 飛ん で 帰っ て き まし た 。 みんな も ひどく 愕 ろ き まし た 。 
「 じゃ 、 じゃ 、 噛 じ ら え だが 、 痛 ぐし た が 。 」 
「 プルルルルルル 。 」 
「 舌 抜 がれ だ が 。 」 
「 プルルルルルル 。 」 
「 なに し た 、 なに し た 。 なに し た 。 じゃ 。 」 
「 ふう 、 ああ 、 舌 縮まっ て しまっ た た よ 。 」 
「 なじ ょな 味 だ た 。 」 
「 味 無い が た な 。 」 
「 生 ぎもんだべが 。 」 
「 なじ ょだが 判ら ない 。 こんど あ 汝 あ 行っ て みろ 。 」 
「 お 。 」 
おしまい の 一疋 が また そろそろ 出 て 行き まし た 。 みんな が おもしろ そう に 、 こと こと 頭 を 振っ て 見 て い ます と 、 進ん で 行っ た 一疋 は 、 しばらく 首 を さげ て 手拭 を 嗅い で い まし た が 、 もう 心配 も なに も ない という 風 で 、 いきなり それ を くわえ て 戻っ て き まし た 。 そこで 鹿 は みな ぴょんぴょん 跳び あがり まし た 。 
「 おう 、 うまい 、 うまい 、 そい づさい 取っ て しめ ば 、 あど は 何 って も 怖 っ か なぐ ない 。 」 
「 きっと もて 、 こい づあ 大きな 蝸牛 の 旱 から びだのだな 。 」 
「 さあ 、 いい が 、 おれ 歌う だ う はん て みんな 廻れ 。 」 
その 鹿 は みんな の なか に は いっ て うたい だし 、 みんな は ぐるぐる ぐるぐる 手拭 を まわり はじめ まし た 。 
「 の は ら の まん中 の 　 め つけもの 
すっこん すっ この 　 栃 だ ん ご 
栃 の だ ん ご は 　 　 　 結構 だ が 
となり に い から だ 　 ふん ながす 
青じろ 番兵 は 　 　 　 気 に かがる 。 
青じろ 番兵 は 　 　 　 ふん に ゃふにゃ 
吠える もさ ない ば 　 泣 ぐもさない 
瘠せ で 長く て 　 　 　 ぶ ぢ ぶ ぢ で 
ど ご が 口 だ が 　 　 　 あ だま だ が 
ひで り あ がり の 　 　 なめ ぐじら 。 」 
走り ながら 廻り ながら 踊り ながら 、 鹿 は たびたび 風 の よう に 進ん で 、 手拭 を 角 で つい たり 足 で ふん だり し まし た 。 嘉 十 の 手拭 は か あい そう に 泥 が つい て ところどころ 穴 さえ あき まし た 。 
そこで 鹿 の めぐり は だんだん ゆるやか に なり まし た 。 
「 おう 、 こん だ 団子 お 食 ば がり だ じ ょ 。 」 
「 おう 、 煮 だ 団子 だ じ ょ 。 」 
「 おう 、 ま ん 円 け じ ょ 。 」 
「 おう 、 はん ぐはぐ 。 」 
「 おう 、 すっこん すっ こ 。 」 
「 おう 、 けっ こ 。 」 
鹿 は それ から みんな ばらばら に なっ て 、 四方 から 栃 の だ ん ご を 囲ん で 集まり まし た 。 
そして いちばん はじめ に 手拭 に 進ん だ 鹿 から 、 一 口 ずつ 団子 を たべ まし た 。 六 疋 め の 鹿 は 、 やっと 豆粒 の くらい を たべ た だけ です 。 
鹿 は それから また 環 に なっ て 、 ぐるぐる ぐるぐる めぐり あるき まし た 。 
嘉 十 は もう あんまり よく 鹿 を 見 まし た ので 、 じ ぶん まで が 鹿 の よう な 気 が し て 、 いま に も とび出 そう と し まし た が 、 じ ぶん の 大きな 手 が すぐ 眼 に はいり まし た ので 、 やっぱり だめ だ と おもい ながら また 息 を こらし まし た 。 
太陽 は この とき 、 ちょうど はん の きの 梢 の 中 ほど に かかっ て 、 少し 黄いろ に かがやい て 居り まし た 。 鹿 の めぐり は また だんだん ゆるやか に なっ て 、 たがい に せわしく うなずき 合い 、 やがて 一 列 に 太陽 に 向い て 、 それ を 拝む よう に し て まっすぐ に 立っ た の でし た 。 嘉 十 は もう ほんとう に 夢 の よう に それ に 見とれ て い た の です 。 
一 ばん 右 はじ に たった 鹿 が 細い 声 で うたい まし た 。 
「 はん の 木 の 
みどり みじん の 葉 の 向 さ 
じ ゃらんじゃららんの 
お 日 さん 懸 がる 。 」 
その 水晶 の 笛 の よう な 声 に 、 嘉 十 は 目 を つぶっ て ふるえあがり まし た 。 右 から 二 ばん 目 の 鹿 が 、 俄 か に とびあがっ て 、 それから からだ を 波 の よう に うねら せ ながら 、 みんな の 間 を 縫っ て はせまわり 、 たびたび 太陽 の 方 に あ たま を さげ まし た 。 それから じ ぶん の ところ に 戻る や ぴたり と とまっ て うたい まし た 。 
「 お 日 さん を 
せ な が さ しょえ ば 　 はん の 木 も 
くだ げ で 光る 
鉄 の かんがみ 。 」 
はあ と 嘉 十 も こっち で その 立派 な 太陽 と はん の き を 拝み まし た 。 右 から 三 ばん 目 の 鹿 は 首 を せわしく あげ たり 下げ たり し て うたい まし た 。 
「 お 日 さん は 
はん の 木 の 向 さ 、 降り で て も 
すすぎ 、 ぎん が ぎが 
まぶし ま ん ぶし 。 」 
ほんとう に すすき は みんな 、 まっ白 な 火 の よう に 燃え た の です 。 
「 ぎん が ぎがの 
すすぎ の 中 さ 立 ぢ あがる 
はん の 木 の すね の 
長 ん が い 、 かげ ぼうし 。 」 
五 番目 の 鹿 が ひくく 首 を 垂れ て 、 もう つぶやく よう に うたい だし て い まし た 。 
「 ぎん が ぎがの 
すすぎ の 底 の 日暮れ か だ 
苔 の 野 は ら を 
蟻 こ も 行 が ず 。 」 
この とき 鹿 は みな 首 を 垂れ て い まし た が 、 六 番目 が にわかに 首 を りん と あげ て うたい まし た 。 
「 ぎん が ぎがの 
すすぎ の 底 で そっ こり と 
咲 ぐうめばぢの 
愛 どし おえ どし 。 」 
鹿 は それ から みんな 、 みじかく 笛 の よう に 鳴い て はねあがり 、 はげしく はげしく まわり まし た 。 
北 から 冷たい 風 が 来 て 、 ひ ゅうと 鳴り 、 はん の 木 は ほんとう に 砕け た 鉄 の 鏡 の よう に かがやき 、 かちん かちん と 葉 と 葉 が すれあっ て 音 を たて た よう に さえ おもわ れ 、 すすき の 穂 まで が 鹿 に まじっ て 一 しょ に ぐるぐる めぐっ て いる よう に 見え まし た 。 
嘉 十 は も うまっ た くじ ぶん と 鹿 と の ちがい を 忘れ て 、 
「 ホウ 、 やれ 、 やれ い 。 」 と 叫び ながら すすきの かげ から 飛び出し まし た 。 
鹿 は おどろい て 一 度 に 竿 の よう に 立ちあがり 、 それから はや て に 吹か れ た 木の葉 の よう に 、 からだ を 斜め に し て 逃げ出し まし た 。 銀 の すすき の 波 を わけ 、 かがやく 夕陽 の 流れ を みだし て はるか に はるか に 遁 げ て 行き 、 その とおっ た あと の すすき は 静か な 湖 の 水脈 の よう に いつ まで も ぎらぎら 光っ て 居り まし た 。 
そこで 嘉 十 は ちょっと に が 笑い を し ながら 、 泥 の つい て 穴 の あい た 手拭 を ひろっ て じ ぶん も また 西 の 方 へ 歩き はじめ た の です 。 
それから 、 そう そう 、 苔 の 野原 の 夕陽 の 中 で 、 わたくし は この はなし を すきとおっ た 秋 の 風 から 聞い た の です 。 
博物 局 十 六 等 官 
キュステ 誌 
私 の 町 の 博物館 の 、 大きな ガラス の 戸棚 に は 、 剥製 です が 、 四 疋 の 蜂 雀 が い ます 。 
生き て た とき は ミィミィ と なき 蝶 の よう に 花 の 蜜 を たべる あの 小さ なか あいらしい 蜂 雀 です 。 わたくし は その 四 疋 の 中 で いちばん 上 の 枝 に とまっ て 、 羽 を 両方 ひろげ かけ 、 まっ青 な そら に いま に も とび 立ち そう な の を 、 ことに すき でし た 。 それ は 眼 が 赤く て つるつる し た 緑 青い ろ の 胸 を もち 、 その りん と 張っ た 胸 に は 波形 の うつくしい 紋 も あり まし た 。 
小さい とき の こと です が 、 ある 朝 早く 、 私 は 学校 に 行く 前 に こっそり 一寸 ガラス の 前 に 立ち まし たら 、 その 蜂 雀 が 、 銀 の 針 の 様 な ほそい きれい な 声 で 、 にわかに 私 に 言い まし た 。 
「 お早う 。 ペムペル という 子 は ほんとう に いい 子 だっ た のに か あい そう な こと を し た 。 」 
その 時 窓 に は まだ 厚い 茶 いろ の カーテン が 引い て あり まし た ので 室 の 中 は ちょうど ビール瓶 の かけ ら を のぞい た よう でし た 。 です から 私 も 挨拶 し まし た 。 
「 お早う 。 蜂 雀 。 ペムペル という 人 が どう し た って の 。 」 
蜂 雀 が ガラス の 向う で 又 云い まし た 。 
「 ええ お早う よ 。 妹 の ネリ という 子 も ほんとう に か あいらしい いい 子 だっ た のに か あい そう だ なあ 。 」 
「 どう し た ていう の 話し て おくれ 。 」 
すると 蜂 雀 は ちょっと 口 あい て わらう よう に し て また 云い まし た 。 
「 話し て あげる から おまえ は 鞄 を 床 に おろし て その 上 に お 座り 。 」 
私 は 本 の 入っ た かばん の 上 に 座る の は 一寸 困り まし た けれども どうしても その お話 を 聞き たかっ た ので とうとう その 通り し まし た 。 
すると 蜂 雀 は 話し まし た 。 
「 ペムペル と ネリ は 毎日 お父さん や お母さん たち の 働く そば で 遊ん で い た よ 
その 時 僕 も 
『 さようなら 。 さようなら 。 』 と 云っ て ペムペル の うち の きれい な 木 や 花 の 間 から まっすぐ に お うち に かえっ た 。 
それから 勿論 小麦 も 搗い た 。 
二 人 で 小麦 を 粉 に する とき は 僕 は いつ でも 見 に 行っ た 。 小麦 を 粉 に する 日 なら ペムペル は ちぢれ た 髪 から みじかい 浅黄 の チョッキ から 木綿 の だぶだぶ ず ぼん まで 粉 で すっかり 白く なり ながら 赤い ガラス の 水車 場 で こと こと やっ て いる だろ う 。 ネリ は その 粉 を 四 百 グレン ぐらい ずつ 木綿 の 袋 に つめ 込ん だり つかれ て ぼんやり 戸口 に よりかかり は たけ を ながめ て い たり する 。 
その とき ぼく は ネリ ちゃん 。 あなた は むぐらはすきですかとからかったりして 飛ん だ の だ 。 それから もちろん キャベジ も 植え た 。 
二 人 が キャベジ を 穫る とき は 僕 は いつ でも 見 に 行っ た 。 
ペムペル が キャベジ の 太い 根 を 截っ て それ を はたけ に ころがす と 、 ネリ は 両手 で それ を もっ て 水 いろ に 塗ら れ た 一輪車 に 入れる の だ 。 そして 二 人 は 車 を 押し て 黄色 の ガラス の 納屋 に キャベジ を 運ん だ の だ 。 青い キャベジ が ころがっ てる の は それ は ずいぶん 立派 だ よ 。 
そして 二 人 は たった 二 人 だけ ずいぶん たのしく くらし て い た 。 」 
「 おとな は そこら に 居 なかっ た の 。 」 わたし は ふと 思い付い て そう たずね まし た 。 
「 おとな は すこしも そこら あたり に 居 なかっ た 。 なぜ なら ペムペル と ネリ の 兄妹 の 二 人 は たった 二 人 だけ ずいぶん 愉快 に くらし て た から 。 
けれど ほんとう に か あい そう だ 。 
ペムペル という 子 は 全く いい 子 だっ た のに か あい そう な こと を し た 。 
ネリ という 子 は 全く か あいらしい 女の子 だっ た のに か あい そう な こと を し た 。 」 
蜂 雀 は 俄 か に だまっ て しまい まし た 。 
私 は もう 全く 気 が 気 で あり ませ ん でし た 。 
蜂 雀 は いよいよ だまっ て ガラス の 向う でし ん と し て い ます 。 
私 も しばらく は 耐え て 膝 を 両手 で 抱え て じっと し て い まし た けれども あんまり 蜂 雀 が いつ まで も だまっ て いる もん です から それに その だまり よう と 云っ たら たとえ 一 ぺん 死ん だ 人 が 二度と お 墓 から 出 て 来よ う たって 口 なんか 聞く もん か と 云う よう に 見え まし た ので とうとう 私 は 居たたまらなく なり まし た 。 私 は 立っ て ガラス の 前 に 歩い て 行っ て 両手 を ガラス にかけて 中 の 蜂 雀 に 云い まし た 。 
「 ね 、 蜂 雀 、 その ペムペル と ネリ ちゃんと が それ から 一体 どう なっ た の 、 どう し た って 云う の 、 ね 、 蜂 雀 、 話し て お 呉れ 。 」 
けれども 蜂 雀 は やっぱり じっと その 細い くちばし を 尖らし た まま 向う の 四十雀 の 方 を 見 た っきり 二度と 私 に 答えよ う と も し ませ ん でし た 。 
「 ね 、 蜂 雀 、 談 し て お 呉れ 。 だめ だい 半分 ぐらい 云っ て おい て いけ な いっ たら 蜂 雀 
ね 。 談 し て お 呉れ 。 そら 、 さっき の 続き を さ 。 どうして 話し て 呉れ ない の 。 」 
ガラス は 私 の 息 で すっかり 曇り まし た 。 
四 羽 の 美しい 蜂 雀 さえ まるで ぼんやり 見え た の です 。 私 は とうとう 泣き だし まし た 。 
なぜ って 第 一 あの 美しい 蜂 雀 が たった今 まで きれい な 銀 の 糸 の よう な 声 で 私 と 話 を し て い た のに 俄 か に 硬く 死ん だ よう に なっ て その 眼 も すっかり 黒い 硝子 玉 か 何 か に なっ て しまい いつ まで たっ て も 四十雀 ばかり 見 て いる の です 。 おまけ に 一体 それ さえ ほんとう に 見 て いる の か ただ 眼 が そっち へ 向い てる よう に 見える の か 少し も わから ない の でしょ う 。 それ に また あん なか あいらしい 日 に 焼け た ペムペル と ネリ の 兄妹 が 何 か 大 へん か あい そう な 目 に なっ た という の です もの どうして 泣か ない で い られ ましょ う 。 もう 私 は その 為 なら ば 一 週間 でも 泣け た の です 。 
すると 俄 か に 私 の 右 の 肩 が 重く なり まし た 。 そして 何だか 暖 いの です 。 びっくり し て 振り かえって 見 まし たら あの 番人 の おじいさん が 心配 そう に 白い 眉 を 寄せ て 私 の 肩 に 手 を 置い て 立っ て いる の です 。 その 番人 の おじいさん が 云い まし た 。 
「 どうして そんなに 泣い て 居る の 。 おなか で も 痛い の かい 。 朝 早くから 鳥 の ガラス の 前 に 来 て そんなに ひどく 泣く もん で ない 。 」 
けれども 私 は どうしても まだ 泣き やむ こと が でき ませ ん でし た 。 おじいさん は 又 云い まし た 。 
「 そんなに 高く 泣い ちゃ いけ ない 。 
まだ 入口 を 開ける に 一 時間 半 も 間 が ある のに おまえ だけ そっと 入れ て やっ た の だ 。 
それに そんなに 高く 泣い て 表 の 方 へ 聞え たら みんな 私 に 故障 を 云っ て 来る ん で ない か 。 そんなに 泣い て いけ ない よ 。 どうして そんなに 泣い て ん だ 。 」 
私 は やっ と 云い まし た 。 
「 だって 蜂 雀 が もう 私 に 話さ ない ん だ もの 。 」 
すると じいさん は 高く 笑い まし た 。 
「 ああ 、 蜂 雀 が 又 おまえ に 何 か 話し た ね 。 そして 俄 か に 黙り込ん だ ね 。 そいつ は いけ ない 。 この 蜂 雀 は よく その 術 を やっ て 人 を からかう ん だ 。 よろしい 。 私 が 叱っ て やろ う 。 」 
番人 の おじいさん は ガラス の 前 に 進み まし た 。 
「 おい 。 蜂 雀 。 今日 で 何 度目 だ と 思う 。 手帳 へ つける よ 。 つける よ 。 あんまり いけ な け あ 仕方 ない から 館長 様 へ 申し上げ て アイスランド へ 送っ ちまう よ 。 
ええ おい 。 さあ 坊ちゃん 。 きっと こいつ は 談 し ます 。 早く 涙 を お ふき なさい 。 まるで 顔 中 ぐじゃぐじゃ だ 。 そら ええ ああ すっかり さっぱり し た 。 
お話 が すん だら 早く 学校 へ 入 らっしゃい 。 
あんまり 長く なっ て 厭 きっ ちまう と こいつ は 又 いろいろ いや な こと を 云い ます から 。 では よう が すか 。 」 
番人 の おじいさん は 私 の 涙 を 拭い て 呉れ て それ から 両手 を せ なか で 組ん で こ とりこ とり 向う へ 見 まわっ て 行き まし た 。 
おじいさん の あし 音 が その うす くらい 茶色 の 室 の 中 から 隣り の 室 へ 消え た とき 蜂 雀 は また 私 の 方 を 向き まし た 。 
私 は どき っと し た の です 。 
蜂 雀 は 細い 細い ハアモニカ の 様 な 声 で そっと 私 に はなしかけ まし た 。 
「 さっき は ごめんなさい 。 僕 すっかり 疲れ ちまっ た もん です から ね 。 」 
私 も やさしく 言い まし た 。 
「 蜂 雀 。 僕 ちっとも 怒っ ちゃ い ない ん だ よ 。 さっき の 続き を 話し て お 呉れ 。 」 
蜂 雀 は 語り はじめ まし た 。 
「 ペムペル と ネリ と は それ は ほんとう に か あ いい ん だ 。 二 人 が 青 ガラス の うち の 中 に 居 て 窓 を すっかり しめ てる と 二 人 は 海 の 底 に 居る よう に 見え た 。 そして 二 人 の 声 は 僕 に は 聞え やし ない ね 。 
それ は 非常 に 厚い ガラス な ん だ から 。 
けれども 二 人 が 一つ の 大きな 帳面 を のぞきこん で 一所 に 同じ よう に 口 を あい たり 少し 閉じ たり し て いる の を 見る と あれ は 一緒 に 唱歌 を うたっ て いる の だ という こと は 誰 だって すぐ わかる だろ う 。 僕 は その いろいろ に うごく 二 人 の 小さな 口つき を じっと 見 て いる の を 大 へん すき で いつ でも 庭 の さるすべり の 木 に 居 た よ 。 ペムペル は ほんとう に いい 子 な ん だ けれど か あい そう な こと を し た 。 
ネリ も 全く か あいらしい 女の子 だっ た のに か あい そう な こと を し た 。 」 
「 だから どう し た って 云う の 。 」 
「 だから ね 、 二 人 は ほんとう に おもしろく くらし て い た の だ から 、 それだけ なら ば よかっ た ん だ 。 ところが 二 人 は 、 はたけ に トマト を 十 本 植え て い た 。 その うち 五 本 が ポンデローザ で ね 、 五 本 が レッドチェリイ だ よ 。 ポンデローザ に は まっ 赤 な 大きな 実 が つく し 、 レッド チェリー に は さくらんぼ ほど の 赤い 実 が まるで たくさん できる 。 ぼく は トマト は 食べ ない けれど 、 ポンデローザ を 見る こと なら もう ほんとう に すき な ん だ 。 ある 年 やっぱり 苗 が 二 いろ あっ た から 、 植え た あと で も 二 いろ あっ た 。 だんだん それ が 大きく なっ て 、 葉 から は トマト の 青い におい が し 、 茎 から は こまか な 黄金 の 粒 の よう な もの も 噴き出し た 。 
そして まもなく 実 が つい た 。 
ところが 五 本 の チェリー の 中 で 、 一 本 だけ は 奇 体 に 黄いろ な ん だろ う 。 そして 大 へん 光る の だ 。 ギザ ギザ の 青黒い 葉 の 間 から 、 まばゆい くらい 黄いろ な トマト が のぞい て いる の は 立派 だっ た 。 だから ネリ が 云っ た 。 
『 に いさま 、 あの トマト どうして あんなに 光る ん でしょ う ね 。 』 
ペムペル は 唇 に 指 を あて て しばらく 考え て から 答え て い た 。 
『 黄金 だ よ 。 黄金 だ から あんなに 光る ん だ 。 』 
『 まあ 、 あれ 黄金 な の 。 』 ネリ が すこし びっくり し た よう に 云っ た 。 
『 立派 だ ねえ 。 』 
『 ええ 立派 だ わ 。 』 
そして 二 人 は もちろん 、 その 黄いろ な トマト を とり も し な け ぁ 、 一寸 さわり も し なかっ た 。 
そしたら ほんとう に か あい そう な こと を し た ねえ 。 」 
「 だから どう し た って 云う の 。 」 
「 だから ね 、 二 人 は こんなに 楽しく くらし て い た ん だ から それ だけ なら ば よかっ た ん だ よ 。 ところが ある 夕方 二 人 が 羊歯 の 葉 に 水 を かけ て たら 、 遠く の 遠く の 野 は ら の 方 から 何とも 云え ない 奇 体 な いい 音 が 風 に 吹き飛ばさ れ て 聞え て 来る ん だ 。 まるで まるで いい 音 な ん だ 。 切れ切れ に なっ て 飛ん で は 来る けれど 、 まるで すずらん や ヘリオトロープ の いい かおり さえ する ん だろ う 、 その 音 が だ よ 。 二 人 は 如露 の 手 を やめ て 、 しばらく だまっ て 顔 を 見合せ た ねえ 、 それから ペムペル が 云っ た 。 
『 ね 、 行っ て 見よ う よ 、 あんなに いい 音 が する ん だ もの 。 』 
ネリ は 勿論 、 もっと 行き たくっ て たまらない ん だ 。 
『 行き ましょ う 、 兄 さま 、 すぐ 行き ましょ う 。 』 
『 うん 、 すぐ 行こ う 。 大丈夫 あぶない こと ない ね 。 』 
そこで 二 人 は 手 を つない で 果樹 園 を 出 て どんどん そっち へ 走っ て 行っ た 。 
音 は よっぽど 遠かっ た 。 樺の木 の 生え た 小山 を 二つ 越え て も まだ それほど に 近く も なら ず 、 楊 の 生え た 小 流れ を 三つ 越え て も なかなか そんなに 近く は なら なかっ た 。 
それでも いくらか 近く は なっ た 。 
二 人 が 二 本 の 榧の木 の アーチ に なっ た 下 を 潜っ たら 不思議 な 音 は もう 切れ切れ じゃ なく なっ た 。 
そこで 二 人 は 元気 を 出し て 上着 の 袖 で 汗 を ふき ふきかけ て 行っ た 。 
そのうち 音 は もっと はっきり し て 来 た の だ 。 ひょろひょろ し た 笛 の 音 も 入っ て い た し 、 大 喇叭 の どなり 声 も きこえ た 。 ぼく に は みんな わかっ て 来 た の だ よ 。 
『 ネリ 、 もう少し だ よ 、 しっかり 僕 に つかまっ て おい で 。 』 
ネリ は だまっ て きれ で 包ん だ 小さな 卵 形 の 頭 を 振っ て 、 唇 を 噛ん で 走っ た 。 
二 人 が も 一 度 、 樺の木 の 生え た 丘 を まわっ た とき 、 いきなり 眼 の 前 に 白い ほこり の ぼやぼや 立っ た 大きな 道 が 、 横 に なっ て いる の を 見 た 。 その 右 の 方 から 、 さっき の 音 が はっきり 聞え 、 左 の 方 から もう 一団 り 、 白い ほこり が こっち の 方 へ やって来る 。 ほこり の 中 から 、 チラチラ 馬の足 が 光っ た 。 
間もなく それ は 近づい た の だ 。 ペムペル と ネリ と は 、 手 を にぎり 合っ て 、 息 を こらし て それ を 見 た 。 
もちろん 僕 も それ を 見 た 。 
やって来 た の は 七 人 ばかり の 馬乗り な の だ 。 
馬 は 汗 を かい て 黒く 光り 、 鼻 から ふうふう 息 を つき 、 しずか に だく を やっ て い た 。 乗っ てる もの は みな 赤 シャツ で 、 てかてか 光る 赤 革 の 長靴 を はき 、 帽子 に は 鷺 の 毛 や なに か 、 白い ひらひら する もの を つけ て い た 。 鬚 を はやし た おとな も 居れ ば 、 いちばん しまいに は ペムペル 位 の 頬 の まっか な 眼 の まっ黒 な か あ いい 子 も 居 た 。 ほこり の 為 に お 日 さま は ぼんやり 赤く なっ た 。 
おとな は みんな ペムペル と ネリ など は 見 ない 風 し て 行っ た けれど 、 いちばん し まい の あの か あ いい 子 は 、 ペムペル を 見 て 一寸 唇 に 指 を あて て キス を 送っ た ん だ 。 
そして みんな は 通り過ぎ た の だ 。 みんな の 行っ た 方 から 、 あの いい 音 が いよいよ はっきり 聞え て 来 た 。 まもなく みんな は 向う の 丘 を まわっ て 見え なく なっ た が 、 左 の 方 から 又 誰 か ゆっくり やって来る の だ 。 
それ は 小さな 家 ぐらい ある 白い 四角 の 箱 の よう な もの で 、 人 が 四 五 人 つい て 来 た 。 だんだん 近く に なっ て 見る と 、 つい て 居る の は みんな 黒ん坊 で 、 眼 ばかり ぎらぎら 光らし て 、 ふん どし だ けし て 裸足 だろ う 。 白い 四角 な もの を 囲ん で 来 た の だ けれど 、 その 白い の は 箱 じゃ なかっ た 。 実は 白 いきれ を 四方 に さげ た 、 日本 の 蚊帳 の よう な もん で 、 その 下 から は 大きな 灰 いろ の 四 本 の 脚 が 、 ゆっくり ゆっくり 上っ たり 下っ たり し て い た の だ 。 
ペムペル と ネリ と は 、 黒人 は ほんとう に 恐かっ た けれど 又 面白かっ た 。 四角 な もの も 恐かっ た けれど 、 めずらしかっ た 。 そこで みんな が 過ぎ て から 、 二 人 は 顔 を 見合せ た 。 そして 
『 ついて行こ う か 。 』 
『 ええ 、 行き ましょ う 。 』 と 、 まるで かすれ た 声 で 云っ た の だ 。 そして 二 人 は よほど 遠く から ついて行っ た 。 
黒人 たち は 、 時々 何 か わから ない こと を 叫ん だり 、 空 を 見 ながら 跳ね たり し た 。 四 本 の 脚 は ゆっくり ゆっくり 、 上っ たり 下っ たり し て い た し 、 時々 ふう 、 ふう という 呼吸 の 音 も 聞え た 。 
二 人 は いよいよ 堅く 手 を 握っ て ついて行っ た 。 
そのうち お 日 さま は 、 変 に 赤く どんより なっ て 、 西 の 方 の 山 に 入っ て しまい 、 残り の 空 は 黄いろ に 光り 、 草 は だんだん 青 から 黒く 見え て 来 た 。 
さっき から の 音 が いよいよ 近く なり 、 すぐ 向う の 丘 の かげ で は 、 さっき の らしい 馬 の ひん ひん 啼く の も 鼻 を ぶる る っと 鳴らす の も 聞え た ん だ 。 
四角 な 家 の 生物 が 、 脚 を 百 ぺん 上げ たり 下げ たり し たら 、 ペムペル と ネリ と は びっくり し て 眼 を 擦っ た 。 向う は 大きな 町 な ん だ 。 灯 が 一 杯 に つい て いる 。 それ から すぐ 眼 の 前 は 平ら な 草地 に なっ て い て 、 大きな 天幕 が かけ て ある 。 天幕 は 丸太 で 組ん で ある 。 まだ 少し あかるい のに 、 青い アセチレン や 、 油煙 を 長く 引く カンテラ が たくさん とも って 、 その 二 階 に は 奇麗 な 絵 看板 が たくさん かけ て あっ た の だ 。 その 看板 の うし ろ から 、 さっき から の いい 音 が 起っ て い た の だ 。 看板 の 中 に は 、 さっき キス を 投げ た 子 が 、 二 疋 の 馬 に 片 っ 方 ずつ 手 を つい て 、 逆立ち し てる 処 も ある 。 さっき の 馬 は みな その 前 に つなが れ て 、 その他 に だって 十 五 六 疋 なら んで い た 。 みんな オート を 食べ て い た 。 
おとな や 女 や 子供 ら が 、 その 草 は ら に たくさん 集っ て 看板 を 見上げ て い た 。 
看板 の うし ろ から は 、 さっき の 音 が 盛ん に 起っ た 。 
けれども あんまり 近く で 聞く と 、 そんなに すてき な 音 じゃ ない 。 
ただ の 楽隊 だっ た ん だい 。 
ただ その 音 が 、 野原 を 通っ て 行く 途中 、 だんだん 音 が かすれる ほど 、 花 の におい が ついて行っ た ん だ 。 
白い 四角 な 家 も 、 ゆっくり ゆっくり 中 へ はいっ て 行っ て しまっ た 。 
中 で は 何 か が 細い 高い 声 で ない た 。 
人 は だんだん 増え て 来 た 。 
楽隊 は まるで 馬鹿 の よう に 盛ん に やっ た 。 
みんな は 吸いこま れる よう に 、 三 人 五 人 ずつ 中 へ はいっ て 行っ た の だ 。 
ペムペル と ネリ と は 息 を こらし て 、 じっと それ を 見 た 。 
『 僕たち も 入っ て こう か 。 』 ペムペル が 胸 を どきどき さ せ ながら 云っ た 。 
『 入り ましょ う 』 と ネリ も 答え た 。 
けれども 何だか 二 人 とも 、 安心 に なら なかっ た の だ 。 どうも みんな が 入口 で 何 か 番人 に 渡す らしい の だ 。 
ペムペル は 少し 近く へ 寄っ て 、 じっと それ を 見 た 。 食い 付く よう に 見 て い た よ 。 
そしたら それ は たしかに 銀 か 黄金 か の かけ ら な の だ 。 
黄金 を だせ ば 銀 の かけ ら を 返し て よこす 。 
そして その 人 は 入っ て 行く 。 
だから ペムペル も 黄金 を ポケット に さがし た の だ 。 
『 ネリ 、 お前 は ここ に 待っ とい で 。 僕 一 寸 うち まで 行っ て 来る から ね 。 』 
『 わたし も 行く わ 。 』 ネリ は 云っ た けれども 、 ペムペル は もう かけ 出し た ので 、 ネリ は 心配 そう に 半分 泣く よう に し て 、 又 看板 を 見 て い た よ 。 
それから 僕 は 心配 だ から 、 ネリ の 処 に 番 しよ う か 、 ペムペル に ついて行こ う か 、 ずいぶん しばらく 考え た けれども 、 いくら そこら を 飛ん で 見 て も 、 みんな 看板 ばかり 見 て い て 、 ネリ を さらっ て 行き そう な 悪漢 は 一 人 も 居 ない ん だ 。 
そこで 安心 し て 、 ペムペル について 飛ん で 行っ た 。 
ペムペル は それ は ひどく 走っ た よ 。 四 日 の お 月 さん が 、 西 の そら に しずか に かかっ て い た けれど 、 その ぼんやり し た 青じろい 光 で 、 どんどん どんどん ペムペル は かけ た 。 僕 は 追いつく の が ほんとう に 辛かっ た 。 眼 が ぐるぐる し て 、 風 が ぶうぶう 鳴っ た ん だ 。 樺の木 も 楊 の 木 も 、 みんな まっ黒 、 草 も まっ黒 、 その 中 を どんどん どんどん ペムペル は かけ た 。 
それから とうとう あの 果樹 園 に はいっ た の だ 。 
ガラス の お家 が 月 の あかり で 大 へん なつかしく 光っ て い た 。 ペムペル は 一寸 立ちどまっ て それ を 見 た けれども 、 又 走っ て もう まっ黒 に 見え て いる トマト の 木 から 、 あの 黄いろ の 実 の なる トマト の 木 から 、 黄いろ の トマト の 実 を 四つ とっ た 。 それから まるで 風 の よう 、 あらし の よう に 汗 と 動悸 で 燃え ながら 、 さっき の 草場 にとって 返し た 。 僕 も 全く 疲れ て い た 。 
ネリ は ちらちら こっち の 方 を 見 て ばかり い た 。 
けれども ペムペル は 、 
『 さあ 、 いい よ 。 入ろう 。 』 
と ネリ に 云っ た 。 
ネリ は 悦ん で 飛び あがり 、 二 人 は 手 を つない で 木戸口 に 来 た ん だ 。 ペムペル は だまっ て 二つ の トマト を 出し た ん だ 。 
番人 は 『 ええ 、 いらっしゃい 。 』 と 言い ながら 、 トマト を 受けとり 、 それから 変 な 顔 を し た 。 
しばらく それ を 見つめ て い た 。 
それから 俄 か に 顔 が 歪ん で どなり 出し た 。 
『 何 だ 。 この 餓鬼 め 。 人 を ばか に し や がる な 。 トマト 二つ で 、 この 大入 の 中 へ 汝 たち を 押し込ん で やっ て たまる か 。 失せ や がれ 、 畜生 。 』 
そして トマト を 投げつけ た 。 あの 黄 の トマト を なげつけ た ん だ 。 その 一つ は ひどく ネリ の 耳 にあたり 、 ネリ は わっ と 泣き 出し 、 みんな は どっと 笑っ た ん だ 。 ペムペル は すばやく ネリ を さらう よう に 抱い て 、 そこ を 遁 げ 出し た 。 
みんな の 笑い声 が 波 の よう に 聞え た 。 
まっ くら な 丘 の 間 まで 遁 げ て 来 た とき 、 ペムペル も 俄 か に 高く 泣き 出し た 。 ああ いう かなしい こと を 、 お前 は きっと 知ら ない よ 。 
それから 二 人 は だまっ て だまっ て ときどき し くりあげ ながら 、 ひる の 象 について 来 た みち を 戻っ た 。 
それから ペムペル は 、 にぎり こぶし を 握り ながら 、 ネリ は 時々 唾 を のみ ながら 、 樺の木 の 生え た まっ黒 な 小山 を 越え て 、 二 人 は お うち に 帰っ た ん だ 。 ああ か あい そう だ よ 。 ほんとう に か あい そう だ 。 わかっ た かい 。 じゃ さよなら 、 私 は もう はなせ ない 。 じいさん を 呼ん で 来 ちゃ いけ ない よ 。 さよなら 。 」 
斯 う 云っ て しまう と 蜂 雀 の 細い 嘴 は 、 また 尖っ て じっと 閉じ て しまい 、 その 眼 は 向う の 四十雀 を だまっ て 見 て い た の です 。 
私 も 大 へん かなしく なっ て 
「 じゃ 蜂 雀 。 さようなら 。 僕 又 来る よ 。 けれど お前 が 何 か 云い たかっ たら 云っ て お 呉れ 。 さよなら 、 ありがとう よ 。 蜂 雀 、 ありがとう よ 。 」 
と 云い ながら 、 鞄 を そっと 取りあげ て 、 その 茶 いろ ガラス の かけ ら の 中 の よう な 室 を 、 しずか に 廊下 へ 出 た の です 。 そして 俄 か に あんまり の 明る さ と 、 あの 兄妹 の か あい そう な の と に 、 眼 が チクチクッ と 痛み 、 涙 が ぼろぼろ こぼれ た の です 。 
私 の まだ まるで 小さかっ た とき の こと です 。 
仔牛 が 厭き て 頭 を ぶらぶら 振っ て ゐ まし たら 向 ふ の 丘 の 上 を 通り かかっ た 赤 狐 が 風 の やう に 走っ て 来 まし た 。 
「 おい 、 散歩 に 出よ う ぢ ゃないか 。 僕 が この 柵 を 持ち あげ て ゐる から 早く くぐっ て おし まひ 。 」 
仔牛 は 云 はれ た 通り ま づ 前肢 を 折っ て 生え 出し た ばかり の 角 を 大事 に くぐ し それ から 後肢 を ち ゞ め て 首尾 よく 柵 を 抜け まし た 。 二 人 は 林 の 方 へ 行き まし た 。 
狐 が 青 ぞ ら を 見 て は 何 べ ん も タン と 舌 を 鳴らし まし た 。 
そして 二 人 は 樺 林 の 中 の ベチュラ 公爵 の 別荘 の 前 を 通り まし た 。 
ところが 別荘 の 中 は しい ん として 煙突 から は いつも の コルク 抜き の やう な 煙 も 出 ず 鉄 の 垣 が 行儀 よく みち に 影法師 を 落し て ゐる だけ で 中 に は 誰 も 居 ない やう でし た 。 
そこで 狐 が タン 、 タン と 二つ 舌 を 鳴らし て しばらく 立ちどまっ て から 云 ひ まし た 。 
「 おい 、 ちょっと は ひっ て 見よ う ぢ ゃないか 。 大丈夫 な やう だ から 。 」 
犢 は こ は さ うに 建物 を 見 ながら 云 ひ まし た 。 
「 あすこ の 窓 に 誰 か ゐる ぢ ゃないの 。 」 
「 どれ 、 何だ い 、 びく びく する ない 。 あれ は 公爵 の セロ だ よ 。 だまっ て つい て おい で 。 」 
「 こ は い なあ 、 僕 は 。 」 
「 い ゝ っ たら 、 お ま へ は ぐづだねえ 。 」 
赤 狐 は さっさと 中 へ 入り まし た 。 仔牛 も 仕方 なく ついて行き まし た 。 ひひ ら ぎの 植込み の 処 を 通る とき 狐 の 子 は 又 青 ぞ ら を 見上げ て タン と 一つ 舌 を 鳴らし まし た 。 仔牛 は どき っと し まし た 。 
赤 狐 は わき 玄関 の 扉 の とこ で ちょっと マット に 足 を ふい て それ から さっさと 段 を あがっ て 家 の 中 に 入り まし た 。 仔牛 も びく びく し ながら その 通り し まし た 。 
「 おい 、 お前 の 足 は どうして さ う がたがた 鳴る ん だい 。 」 赤 狐 は 振り返っ て 顔 を しかめ て 仔牛 を おどし まし た 。 仔牛 は はっ として 頸 を ち ゞ め ながら 、 なあに 僕 は 一向 家 の 中 へ なんど 入り たく ない ん だ が 、 と 思ひ まし た 。 
「 この 室 へ は ひっ て 見よ う 。 おい 。 誰か 居 たら 遁 げ 出す ん だ よ 。 」 赤 狐 は 身 構 へ し ながら 扉 を あけ まし た 。 
「 何 だい 。 こ ゝ は 書物 ばかり だい 。 面白く ない や 。 」 狐 は 扉 を しめ ながら 云 ひ まし た 。 支那 の 地理 の こと を 書い た 本 なら 見 たい なあ と 仔牛 は 思ひ まし た が もう 狐 が さっさと 廊下 を 行く もん です から 仕方 なく 又 ついて行き まし た 。 
「 どうして お ま へ の 足 は さ う がたがた 鳴る ん だい 。 第 一 やかましい や 。 僕 の やう に そっと あるけ ない の かい 。 」 
狐 が 又次 の 室 を あけよ う として ふり向い て 云 ひ まし た 。 
仔牛 は どうも うまく 行か ない といふ やう に 頭 を ふり ながら また どこ か 、 なあに 僕 は 人 の 家 の 中 なんぞ 入り たく ない ん だ 、 と 思ひ まし た 。 
「 何だ い 、 この 室 は きもの ばかり だい 。 見 っと も ない や 。 」 
赤 狐 は 扉 を しめて 云 ひ まし た 。 僕 は あの いつか 公爵 の 子供 が 着 て 居 た 赤い 上着 なら 見 たい なあ と 仔牛 は 思ひ まし た けれども もう 狐 が ぐんぐん 向 ふ へ 行く もん です から 仕方 なく ついて行き まし た 。 
狐 は だまっ て 今度 は 真鍮 の て すり の つい た 立派 な はしご を のぼり はじめ まし た 。 どうして 狐 さん は あゝ うまく のぼる ん だら う と 仔牛 は 思ひ まし た 。 
「 やかましい ねえ 、 お前 の 足っ たら 、 何 て 無器用 な ん だら う 。 」 狐 は こ はい 眼 を し て 指 で 仔牛 を おどし まし た 。 
はしご段 を のぼり まし たら 一つ の 室 が あけはなし て あり まし た 。 日 が 一ぱい に 射し て 絨緞 の 花 の もやう が 燃える やう に 見え まし た 。 てかてか し た 円卓 の 上 に まっ白 な 皿 が あっ て その 上 に 立派 な 二 房 の 黒 ぶ だ う が 置い て あり まし た 。 冷た さ う な 影法師 まで ちゃんと 添 へ て あっ た の です 。 
「 さあ 、 喰 べ よう 。 」 狐 は それ を 取っ て ちょっと 嚊 いで 検査 する やう に し ながら 云 ひ まし た 。 
「 おい 、 君 も やり 給 へ 。 蜂蜜 の 匂 も する から 。 」 狐 は 一 つぶ べろりと なめ て つゆ ばかり 吸っ て 皮 と 肉 と さ ね は 一 しょ に 絨鍛 の 上 に はきだし まし た 。 
「 そば の 花 の 匂 も する よ 。 お 食べ 。 」 狐 は 二 つぶ 目 の きょろきょろ し た 青い 肉 を 吐き出し て 云 ひ まし た 。 
「 い ゝ だら う か 。 」 僕 は たべる 筈 が ない ん だ が と 仔牛 は 思ひ ながら 一 つぶ 口 で とり まし た 。 
「 い ゝ とも さ 。 」 狐 は プッ と 五 つぶ め の 肉 を 吐き出し ながら 云 ひ まし た 。 
仔牛 は コツコツ コツコツ と 葡萄 の たね を かみ 砕い て ゐ まし た 。 
「 うまい だら う 。 」 狐 は もう 半 ぶん ばかり 食っ て ゐ まし た 。 
「 うん 、 大 へん 、 おいしい よ 。 」 仔牛 が コツコツ 鳴らし ながら 答 へ まし た 。 
その とき 下 の 方 で 
「 では あれ は やっぱり あの まんま に し て 置き ませ う 。 」 といふ 声 と ステッキ の カチッ と 鳴る 音 が し て 誰 か 二 三 人 はしご段 を のぼっ て 来る やう でし た 。 
狐 は ちょっと 眼 を 円く し て つっ 立っ て 音 を 聞い て ゐ まし た が いきなり 残り の 葡萄 の 房 を 一 ぺん に べろりと なめ て それ から 一つ くるっ と ま は って バルコン へ 飛び出し ひら っと 外 へ 下り て しまひ まし た 。 仔牛 は あわて て 室 の 出口 の 方 へ 来 まし た 。 
「 おや 、 牛 の 子 が 来 てる よ 。 迷っ て 来 た ん だ ね 。 」 せい の 高い 鼻眼鏡 の 公爵 が 段 を あがっ て 来 て 云 ひ まし た 。 
「 おや 、 誰 か 葡萄 なぞ 食っ て 床 へ 種子 を ちらし た ぞ 。 」 泊り に 来 て 居 た 友だち の ヘルバ 伯爵 が 上着 の かくし に 手 を つっこん で 云 ひ まし た 。 
「 この 牛 の 仔 に リボン 結ん で やる わ 。 」 伯爵 の 二 番目 の 女の子 が かくし から 黄いろ の リボン を 出し ながら 云 ひ まし た 。 
龍 の チャーナタ は 洞 の なか へ さして 來 る 上げ潮 から からだ を うねり 出し た 。 
洞 の 隙間 から 朝日 が きらきら 射し て 來 て 水底 の 岩 の 凹凸 を はっきり 陰影 で 浮き出さ せ 、 また その 岩 に つく たくさん の 赤 や 白 の 動物 を 寫し 出し た 。 
チャーナタ は うっとり その 青く すこし 朧 ろ な 水 を 見 た 。 それから 洞 の すき ま を通して 火 の やう に きらきら 光る 海 の 水 を 淺黄 いろ の 天 末 に かかる 火 球 日 天子 の 座 を 見 た 。 
（ おれ は その 幾 千 由旬 の 海 を 自由 に 漕ぎ 、 その 清い そら を 絶え絶え 息 し て 黒雲 を 卷き ながら 翔け れる の だ 。 それ だ のに おれ は ここ を 出 て 行け ない 。 この 洞 の 外 の 海 に 通ずる 隙間 は 辛くも 外 を のぞく こと が できる に 過ぎ ぬ 。 ） 
（ 聖 龍王 、 聖 龍王 。 わたし の 罪 を 許し わたくし の 呪 を お 解き ください 。 ） 
チャーナタ は かなしく また 洞 の なか を ふり か へり 見 た 。 その とき 日光 の 柱 は 水 の なか の 尾鰭 に 射し て 青く また 白く ぎらぎら 反射 し た 。 その とき 龍 は 洞 の 外 で 人 の 若々しい 聲 が 呼ぶ の を 聽 い た 。 龍 は 外 を のぞい た 。 
（ 敬 ふ べき 老い た 龍 チャーナタ よ 。 朝日 の 力 を かり て わたし は お ま へ に 許し を 乞 ひ に 來 た 。 ） 
瓔珞 を かざり 黄金 の 太刀 を はい た 一 人 の 立派 な 青年 が 外 の 疊石 の 青い 苔 に すわっ て ゐ た 。 
（ 何 を 許せ と いふ の か 。 ） 
（ 龍 よ 。 昨日 の 詩賦 の 競 ひ の 會 に 、 わたし も 出 て 歌っ た 。 そして みんな は 大 へん わたし を ほめ た 。 いちばん 偉い 詩人 の アルタ は 座 を 下り て 來 て 、 わたし を 禮 し て じ ぶん の 高い 座 に のぼせ （ 三 字 不明 ） の 草 蔓 を わたし に 被せ て 、 わたし を 賞 め る 四 句 の 偈 を うた ひ 、 じ ぶん は 遠く 東 の 方 の 雪 ある 山 の 麓 に 去っ た 。 わたし は 車 に のせ られ て 、 わたし の うたっ た 歌 の うつくし さ に 酒 の やう に 醉 ひ 、 みんな の ほめる ことば や 、 わたし を 埋める 花 の 雨 に われ を 忘れ て 胸 を 鳴らし て ゐ た が 、 夜 更け て わたし は 長者 の ルダス の 家 を 辭 し て 、 きらきら し た 草 の 露 を 踏み ながら 、 わたし の 貧しい 母親 の もと に 戻っ て ゐ たら 、 俄 か に 月 天子 の 座 に 瑪瑙 の 雲 が かかり くらく なっ た ので 、 わたくし が それ を ふり 仰い で ゐ たら 、 誰か が ミルダ の 森 で 斯 う ひそひそ 語っ て ゐる の を 聞い た 。 
（ わか もの の スールダッタ は 、 洞 に 封ぜ られ て ゐる チャーナタ 老 龍 の 歌 を ぬすみ 聞い て 、 それ を 今日 歌 の 競べ に うた ひ 、 古い 詩人 の アルタ を 東 の 國 に 去ら せ た 。 ） 
わたし は どう いふ わけ か 足 が ふるへ て 思ふ やう に 歩け なかっ た 。 そして 昨夜 一 ばん そこら の 草 は ら に 座っ て 悶え た 。 考へ て 見る と わたし は 、 ここ に お ま へ の 居る の を 知ら ない で 、 この 洞穴 の ま 上 の 岬 に 毎日 座り 考 へ 歌 ひつ かれ て は 眠っ た 。 そして あの うた は 、 ある 雲 くらい 風 の 日 の ひるま の まどろみ の なか で 聞い た やう な 氣 が する 。 そこで 老い たる 龍 の チャーナタ よ 。 わたくし は あした から 灰 を かぶっ て 街 の 廣 場 に 座り 、 お ま へ と みんな に わびよ う と 思ふ 。 あの うつくしい 歌 を 歌っ た 尊ぶ べき わが 師 の 龍 よ 。 お ま へ は わたし を 許す だら う か 。 ） 
（ 東 へ 去っ た 詩人 の アルタ は 、 どう いふ 偈 で お ま へ を ほめ たら う 。 ） 
（ わたし は あまり の こと に 心 が 亂 れ て 、 あの 氣高 い 韻 を 覺 え なかっ た 。 けれども 多分 は 、 
風 が うた ひ 
雲 が 應 じ 
波 が 鳴らす その うた を 
ただちに うた ふ スールダッタ 
星 が さ うなら う と 思ひ 
陸地 が さ う いふ 形 を とら う と 覺 悟 する 
あした の 世界 に 叶 ふ べき 
ま こと と 美 と の 模型 を つくり 
やがて は 世界 を これ に かな は しむ る 豫言者 、 
設計 者 スールダッタ 
とか う いふ こと で あっ た と 思ふ 。 ） 
（ 尊敬 す べき 詩人 アルタ に 幸 あれ 、 
スールダッタ よ 、 あの うた こそ は わたし の うた で ひとしく お ま へ の うた で ある 。 いったい わたし は この 洞 に 居 て うたっ た の で ある か 考へ た の で ある か 。 お ま へ は この 洞 の 上 に ゐ て それ を 聞い た の で ある か 考へ た の で ある か 。 おお スールダッタ 。 
その とき わたし は 雲 で あり 風 で あっ た 。 そして お ま へ も 雲 で あり 風 で あっ た 。 
詩人 アルタ が もし その とき に 冥 想 すれ ば 恐らく 同じ いう た を うたっ た で あらう 。 けれども スールダッタ よ 。 
アルタ の 語 と お ま へ の 語 は ひとしく なく 、 お ま へ の 語 と わたし の 語 は ひとしく ない 、 韻 も 恐らく さ う で ある 。 この 故 に こそ あの 歌 こそ は お ま へ の うた で また われわれ の 雲 と 風 と を 御する 分 の その 精神 の うた で ある 。 ） 
（ おお 龍 よ 。 そん なら わたし は 許さ れ た の か 。 ） 
（ 誰 が 許し て 誰 が 許さ れる ので あらう 。 われ ら が ひとしく 風 で また 雲 で 水 で ある と いふ のに 。 スールダッタ よ 。 もし わたくし が 外 に 出る こと が でき 、 お ま へ が 恐れ ぬ なら ば わたし は お ま へ を 抱き また 撫し たい の で ある が 、 いま は それ が でき ない ので 、 わたし は わたし の 小さな 贈物 を だけ しよ う 。 ここ に 手 を のばせ 。 ） 龍 は 一つ の 小さな 赤い 珠 を 吐い た 。 その なか で 幾 億 の 火 を 燃し た 。 
（ その 珠 は 埋もれ た 諸 經 を た づねに 海 に は いる とき 捧げる の で ある 。 ） 
スールダッタ は ひざ ま づい て それ を 受け て 龍 に 云っ た 。 
（ おお 龍 よ 、 それ を どんなに わたし は 久しく ねがっ て ゐ た か 、 わたし は 何 と 謝 し て いい か を 知ら ぬ 。 力 ある 龍 よ 。 なに 故 窟 を 出 で ぬ の で ある か 。 ） 
（ スールダッタ よ 。 わたし は 千 年 の 昔 はじめて 風 と 雲 と を 得 た とき 己 の 力 を 試みる ため に 人々 の 不幸 を 來 し た ため に 龍王 の （ 數字分 空白 ） から 十 萬 年 この 窟 に 封ぜ られ て 陸 と 水 と の 境 を 見張ら せ られ た の だ 。 わたし は 日々 ここ に 居 て 罪 を 悔い 王 に 謝する 。 ） 
（ おお 龍 よ 。 わたし は わたし の 母 に 侍し 、 母 が 首尾 よく 天 に 生れ た なら ば 、 すぐ 海 に 入っ て 大 經 を 探ら う と 思ふ 。 お ま へ は その 日 まで この 窟 に 待つ で あら う か 。 ） 
（ おお 、 人 の 千 年 は 龍 に は わ づか に 十 日 に 過ぎ ぬ 。 ） 
（ さらば その 日 まで 龍 よ 珠 を 藏 せ 。 わたし は 來 れる 日 ごと に ここ に 來 て そら を 見 、 水 を 見 、 雲 を ながめ 、 新 らしい 世界 の 造 營 の 方針 を お ま へ と 語り 合 は う と 思ふ 。 ） 
（ おお 、 老い たる 龍 の 何たる 悦び で あらう 。 ） 
（ さらば よ 。 ） 
（ さらば 。 ） 
スールダッタ は 心 あかるく 岩 を ふん で 去っ た 。 
龍 の チャーナタ は 洞 の 奧 の 深い 水 に からだ を 潛 め て しづか に 懺悔 の 偈 を と な へ はじめ た 。 
目次 
『 春 と 修羅 』 
春 と 修羅 
屈折 率 
くら かけ の 雪 
日輪 と 太 市 
丘 の 眩惑 
カー バイト 倉庫 
コバルト 山地 
ぬ す びと 
恋 と 病 熱 
春 と 修羅 
春光 呪 咀 
有明 
陽ざし と かれ くさ 
雲 の 信号 
風景 
習作 
休息 
おき なぐ さ 
か は ば た 
真空 溶媒 
真空 溶媒 
蠕虫舞 手 
小岩井 農場 
小岩井 農場 
グランド 電柱 
林 と 思想 
霧 と マツチ 
芝生 
青い 槍 の 葉 
報告 
風景 観察 官 
岩手山 
高原 
印象 
高級 の 霧 
電車 
天然 誘接 
原 体 剣舞 連 
グランド 電柱 
山 巡査 
電線 工夫 
たび 人 
竹 と 楢 
銅 線 
滝 沢野 
東 岩手 火山 
東 岩手 火山 
マサニエロ 
栗鼠 と 色鉛筆 
無声 慟哭 
永訣 の 朝 
松 の 針 
無声 慟哭 
風 林 
白い 鳥 
オホーツク 挽歌 
青森 挽歌 
オホーツク 挽歌 
樺太 鉄道 
鈴谷 平原 
噴火 湾 （ ノクターン ） 
風景 と オルゴール 
不 貪慾 戒 
雲 と はん の き 
宗教 風 の 恋 
風景 と オルゴール 
風 の 偏倚 
第 四 梯形 
火薬 と 紙幣 
過去 情炎 
一 本 木野 
鎔岩流 
イーハトヴ の 氷霧 
冬 と 銀河 ステーシヨン 
心象 スケツチ 
春 と 修羅 
大正 十一 、 二 年 
わたくし といふ 現象 は 
仮定 さ れ た 有機 交流 電 燈 の 
ひとつ の 青い 照明 です 
（ あらゆる 透明 な 幽霊 の 複合 体 ） 
風景 や みんな と いつ しよ に 
せ はし くせ は しく 明滅 し ながら 
いかにも たしかに ともり つづける 
因果 交流 電 燈 の 
ひとつ の 青い 照明 です 
（ ひかり は たもち 　 その 電 燈 は 失は れ ） 
これら は 二 十 二 箇月 の 
過去 と かんずる 方角 から 
紙 と 鉱 質 インク を つらね 
（ すべて わたくし と 明滅 し 
みんな が 同時に 感ずる もの ） 
ここ まで たもち つ ゞ けら れ た 
かげ と ひかり の ひと くさり づつ 
その と ほり の 心象 スケツチ です 
これら について 人 や 銀河 や 修羅 や 海胆 は 
宇宙塵 を たべ 　 または 空気 や 塩水 を 呼吸 し ながら 
それぞれ 新鮮 な 本体 論 も かん が へ ませ う が 
それら も 畢竟 こ ゝ ろ の ひとつ の 風物 です 
た ゞ たしかに 記録 さ れ た これら の けしき は 
記録 さ れ た その と ほり の この けしき で 
それ が 虚無 なら ば 虚無 自身 が この と ほり で 
ある程度 まで は みんな に 共通 いたし ます 
（ すべて が わたくし の 中 の みんな で ある やう に 
みんな の おのおの の なか の すべて です から ） 
けれども これら 新生代 沖積世 の 
巨大 に 明るい 時間 の 集積 の なか で 
正しく うつさ れ た 筈 の これら の ことば が 
わ づか その 一 点 に も 均しい 明暗 の うち に 
（ あるいは 修羅 の 十 億 年 ） 
すでに はやく も その 組立 や 質 を 変じ 
しかも わたくし も 印刷 者 も 
それ を 変ら ない として 感ずる こと は 
傾向 として は あり 得 ます 
けだし われわれ が われわれ の 感官 や 
風景 や 人物 を かんずる やう に 
そして た ゞ 共通 に 感ずる だけ で ある やう に 
記録 や 歴史 　 あるいは 地 史 といふ もの も 
それ の いろいろ の 論 料 と いつ しよ に 
（ 因果 の 時空 的 制約 の もと に ） 
われわれ が かんじ て ゐる の に 過ぎ ませ ん 
おそらく これから 二 千 年 も たつ た ころ は 
それ 相当 のち が つた 地質 学 が 流用 さ れ 
相当 し た 証拠 も また 次次 過去 から 現出 し 
みんな は 二 千 年 ぐらゐ 前 に は 
青 ぞ らい つ ぱいの 無色 な 孔雀 が 居 た とお も ひ 
新進 の 大 学士 たち は 気圏 の いちばん の 上層 
きらびやか な 氷 窒素 の あたり から 
すてき な 化石 を 発掘 し たり 
あるいは 白堊 紀 砂岩 の 層 面 に 
透明 な 人類 の 巨大 な 足跡 を 
発見 する か も しれ ませ ん 
すべて これら の 命題 は 
心象 や 時間 それ 自身 の 性質 として 
第 四 次 延長 の なか で 主張 さ れ ます 
大正 十 三 年 一月 廿 日 宮沢 賢治 
春 と 修羅 
屈折 率 
七つ 森 の こ つ ちの ひとつ が 
水 の 中 より も つと 明るく 
そして たいへん 巨 きい のに 
わたくし は でこぼこ 凍 つた みち を ふみ 
この でこぼこ の 雪 を ふみ 
向 ふ の 縮れ た 亜鉛 の 雲 へ 
陰気 な 郵便 脚 夫 の やう に 
（ また アラツデイン 　 洋 燈 とり ） 
急が なけれ ば なら ない の か 
（ 一 九 二 二 、 一 、 六 ） 
くら かけ の 雪 
たより に なる の は 
くら かけ つづき の 雪 ばかり 
野 はら もはや しも 
ぽし や ぽし や し たり 黝 ん だり し て 
すこしも あて に なら ない ので 
ほん た うに そんな 酵母 の ふう の 
朧 ろ な ふぶき です けれども 
ほのか な のぞみ を 送る の は 
くら かけ 山 の 雪 ばかり 
（ ひとつ の 古風 な 信仰 です ） 
（ 一 九 二 二 、 一 、 六 ） 
日輪 と 太 市 
日 は 今日 は 小さな 天 の 銀盤 で 
雲 が その 面 を 
どんどん 侵し て かけ て ゐる 
吹雪 も 光り だし た ので 
太 市 は 毛布 の 赤い ズボン を はい た 
（ 一 九 二 二 、 一 、 九 ） 
丘 の 眩惑 
ひと かけ づつきれいにひかりながら 
そら から 雪 は し づんでくる 
電 しん ば しら の 影 の 藍 や 
ぎらぎら の 丘 の 照り か へ し 
あすこ の 農夫 の 合羽 の はじ が 
どこ か の 風 に 鋭く 截 り とら れ て 来 た こと は 
一 千 八 百 十 年代 の 
佐野 喜 の 木版 に 相当 する 
野 は ら の はて は シベリヤ の 天 末 
土 耳 古玉 製 玲瓏 の つぎ 目 も 光り 
（ お 日 さま は 
そら の 遠く で 白い 火 を 
どしどし お 焚き なさい ます ） 
笹 の 雪 が 
燃え 落ちる 　 燃え 落ちる 
（ 一 九 二 二 、 一 、 一 二 ） 
カー バイト 倉庫 
まち なみ の なつかしい 灯 と お もつ て 
いそい で わたくし は 雪 と 蛇紋 岩 と の 
山峡 を で て き まし た のに 
これ は カー バイト 倉庫 の 軒 
すき と ほ つて つめたい 電 燈 です 
（ 薄明 どき のみ ぞ れ に ぬれ た の だ から 
巻 烟草 に 一 本 火 を つける が いい ） 
これら なつかし さ の 擦過 は 
寒 さ から だけ 来 た の で なく 
また さびしい ため から だけ で も ない 
（ 一 九 二 二 、 一 、 一 二 ） 
コバルト 山地 
コバルト 山地 の 氷霧 の なか で 
あやしい 朝 の 火 が 燃え て ゐ ます 
毛無森 の きり 跡 あたり の 見当 です 
たしかに せいし ん て き の 白い 火 が 
水 より 強く どしどし どしどし 燃え て ゐ ます 
（ 一 九 二 二 、 一 、 二 二 ） 
ぬ す びと 
青じろい 骸骨 星座 の よ あけ がた 
凍え た 泥 の 乱反射 を わたり 
店 さき に ひとつ 置か れ た 
提 婆 の かめ を ぬすん だ もの 
に は かに も その 長く 黒い 脚 を やめ 
二つ の 耳 に 二つ の 手 を あて 
電線 の オルゴール を 聴く 
（ 一 九 二 二 、 三 、 二 ） 
恋 と 病 熱 
け ふ は ぼく の たま し ひ は 疾 み 
烏 さ へ 正視 が でき ない 
あいつ は ちやう ど いま ごろ から 
つめたい 青銅 の 病室 で 
透明 薔薇 の 火 に 燃さ れる 
ほん た うに 　 けれども 妹 よ 
け ふ は ぼく も あんまり ひどい から 
や なぎ の 花 も とら ない 
（ 一 九 二 二 、 三 、 二 〇 ） 
春 と 修羅 
（ mental   sketch   modified ） 
心象 の は ひ いろは が ねから 
あけ びのつるはくもにからまり 
の ばら の やぶ や 腐植 の 湿地 
いち めん の いち めん の 諂曲模 様 
（ 正午 の 管 楽 より も しげく 
琥珀 の かけ ら が そそぐ とき ） 
いかり の にが さ また 青 さ 
四月 の 気 層 の ひかり の 底 を 
唾 し 　 はぎ しり ゆき きする 
おれ は ひとり の 修羅 な の だ 
（ 風景 はなみ だに ゆすれ ） 
砕ける 雲 の 眼路 を かぎり 
れい ろう の 天 の 海 に は 
聖 玻璃 の 風 が 行き 交 ひ 
ZYPRESSEN   春 の いち れつ 
くろぐろ と 光 素 を 吸 ひ 
その 暗い 脚 並 から は 
天山 の 雪 の 稜 さ へ ひかる のに 
（ かげろ ふ の 波 と 白い 偏 光 ） 
ま こと の ことば は うし な はれ 
雲 は ちぎれ て そら を とぶ 
ああ かがやき の 四月 の 底 を 
はぎ しり 燃え て ゆき きする 
おれ は ひとり の 修羅 な の だ 
（ 玉髄 の 雲 が ながれ て 
どこ で 啼く その 春 の 鳥 ） 
日輪 青く かげろ へ ば 
修羅 は 樹林 に 交響 し 
陥り くらむ 天 の 椀 から 
黒い 木 の 群落 が 延び 
その 枝 は かなしく しげり 
すべて 二 重 の 風景 を 
喪神 の 森 の 梢 から 
ひらめい て と びたつからす 
（ 気 層 いよいよ すみわたり 
ひのき も しんと 天 に 立つ ころ ） 
草地 の 黄金 を すぎ て くる もの 
こと なく ひと の かたち の もの 
けら を まと ひ おれ を 見る その 農夫 
ほん た うに おれ が 見える の か 
まばゆい 気圏 の 海 の そこ に 
（ かなしみ は 青々 ふかく ） 
ZYPRESSEN   しづか に ゆすれ 
鳥 は また 青 ぞ ら を 截 る 
（ まこと の ことば は ここ に なく 
修羅 の なみ だ はつ ち に ふる ） 
あたらしく そら に 息 つけ ば 
ほ の 白く 肺 は ちぢまり 
（ この から だ そら のみ ぢ ん に ちらばれ ） 
い て ふ の こずゑ また ひかり 
ZYPRESSEN   いよいよ 黒く 
雲 の 火 ば な は 降りそそぐ 
一 九 二 二 、 四 、 八 
春光 呪 咀 
い つ たい そいつ は なん の ざま だ 
どう いふ こと か わ かつて ゐる か 
髪 が くろく て ながく 
しんと くち を つぐむ 
ただ それ つ きり の こと だ 
春 は 草 穂 に 呆け 
うつくし さ は 消える ぞ 
（ ここ は 蒼 ぐろくてがらんとしたもんだ ） 
頬 が うす あかく 瞳 の 茶 いろ 
ただ それ つ きり の こと だ 
（ おお この にが さ 青 さ つめ た さ ） 
（ 一 九 二 二 、 四 、 一 〇 ） 
有明 
起伏 の 雪 は 
あかるい 桃 の 漿 を そそが れ 
青 ぞ ら に とけ のこる 月 は 
やさしく 天 に 咽喉 を 鳴らし 
も いちど 散乱 の ひかり を 呑む 
（ 波 羅 僧 羯諦 　 菩提 　 薩婆訶 ） 
（ 一 九 二 二 、 四 、 一 三 ） 
ひかり の 澱 
三角 ば たけ の うし ろ 
かれ 草 層 の 上 で 
わたくし の 見 まし た の は 
顔 い つ ぱいに 赤い 点 うち 
硝子 様 鋼 青 の ことば を つか つ て 
しきりに 歪み 合 ひ ながら 
何 か 相談 を やつ て ゐ た 
三 人 の 妖女 たち です 
（ 一 九 二 二 、 四 、 二 〇 ） 
陽ざし と かれ くさ 
どこ から か チーゼル が 刺し 
光 パラフヰン の 　 蒼い も や 
わ を かく 　 わ を 描く 　 からす 
烏 の 軋り … … からす 器械 … … 
（ これ は か はり ます か ） 
（ か はり ます ） 
（ これ は か はり ます か ） 
（ か はり ます ） 
（ これ は どう です か ） 
（ か はり ませ ん ） 
（ そん なら 　 おい 　 ここ に 
雲 の 棘 を もつ て 来い 　 はやく ） 
（ い ゝ え 　 か はり ます 　 か はり ます ） 
… … … … … … … … … 刺し 
光 パラフヰン の 蒼い も や 
わ を かく 　 わ を 描く 　 からす 
からす の 軋り … … からす 機関 
（ 一 九 二 二 、 四 、 二 三 ） 
雲 の 信号 
あゝ い ゝ な 　 せいせい する な 
風 が 吹く し 
農具 は ぴかぴか 光 つて ゐる し 
山 は ぼんやり 
岩 頸 だ つて 岩 鐘 だ つて 
みんな 時間 の ない ころ の ゆめ を み て ゐる の だ 
その とき 雲 の 信号 は 
もう 青白い 春 の 
禁 慾 の そら 高く 掲げ られ て ゐ た 
山 は ぼんやり 
きつ と 四 本 杉 に は 
今夜 は 雁 も おり て くる 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 〇 ） 
風景 
雲 は たより ない カルボン 酸 
さくら は 咲い て 日 に ひかり 
また 風 が 来 て く さ を 吹け ば 
截 られ た たらの木 も ふるふ 
さつき は す なつ ち に 廐肥 を まぶし 
（ いま 青 ガラス の 模型 の 底 に なつ て ゐる ） 
ひばり の ダムダム弾 が いきなり そら に 飛びだせ ば 
風 は 青い 喪神 を ふき 
黄金 の 草 　 ゆする ゆする 
雲 は たより ない カルボン 酸 
さくら が 日 に 光る の は ゐ なか 風 だ 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 二 ） 
習作 
キンキン 光る 
西 班 尼 製 です 
（ つめ く さ 　 つめ く さ ） 
こんな 舶来 の 草地 で なら 
黒砂糖 の やう な 甘 つた るい 声 で 唄 つて も いい 
と   ┃   また 鞭 を もち 赤い 上着 を 着 て も いい 
ら   ┃   ふく ふくし て あたたか だ 
よ   ┃   野ばら が 咲い て ゐる 　 白い 花 
と   ┃   秋 に は 熟し た いちご に も なり 
す   ┃   硝子 の やう な 実に も なる 野ばら の 花 だ 
れ   ┃   　 立ちどまり たい が 立ちどまら ない 
ば   ┃   とにかく 花 が 白く て 足 な が 蜂 の かたち な の だ 
そ   ┃   みき は 黒く て 黒檀 ま が ひ 
の   ┃   　 （ あ たま の 奥 の キンキン 光 つて 痛い も や ） 
手   ┃   この やぶ はず ゐ ぶん よく 据 ゑつ けら れ て ゐる と 
か   ┃   かん が へ た の は すぐ この 上 だ 
ら   ┃   じ つ さい 岩 の やう に 
こ   ┃   船 の やう に 
と   ┃   据 ゑつ けら れ て ゐ た の だ から 
り   ┃   … … 仕方 ない 
は   ┃   ほう この 麦 の 間 に 何 を 播い た ん だ 
そ   ┃   すぎ な だ 
ら   ┃   すぎ な を 麦 の 間作 です か 
へ   ┃   柘植 さん が 
と   ┃   ひやかし に 云 つて ゐる やう な 
ん   ┃   そんな 口調 がち やん と ひとり 
で   ┃   私 の 中 に 棲ん で ゐる 
行   ┃   和賀 の 混ん だ 松 並木 の とき だ つて 
く   ┃   さ うだ 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 四 ） 
休息 
その きらびやか な 空間 の 
上部 に は きん ぽう げ が 咲き 
（ 上等 の   butter - cup   です が 
牛酪 より は 硫黄 と 蜜 と です ） 
下 に は つめ くさや 芹 が ある 
ぶり き 細工 の とんぼ が 飛び 
雨 は ぱちぱち 鳴 つ て ゐる 
（ よし きり は なく 　 なく 
それに ぐみの木 だ つ て ある の だ ） 
からだ を 草 に 投げだせ ば 
雲 に は 白い とこ も 黒い とこ も あ つて 
みんな ぎらぎら 湧い て ゐる 
帽子 を とつ て 投げつけれ ば 黒い きのこ し やつ ぽ 
ふんぞり か へれ ば あ たま は ど て の 向 ふ に 行く 
あくび を すれ ば 
そら に も 悪魔 が で て 来 て ひかる 
この かれ くさ はや はら か だ 
もう 極上 の クツシヨン だ 
雲 は みんな むしら れ て 
青 ぞ ら は 巨 き な 網 の 目 に なつ た 
それ が 底 びかりする 鉱物 板 だ 
よし きり は ひつ きりなし に やり 
ひで り は パチ パチ 降 つ て くる 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 四 ） 
おき なぐ さ 
風 は そら を 吹き 
その なごり は 草 を ふく 
おき なぐ さ 冠 毛 の 質 直 
松 と くるみ は 宙 に 立ち 
（ どこ の くるみ の 木 に も 
いま みな 金 の あ かご が ぶらさがる ） 
ああ 黒 の し やつ ぽ の か なし さ 
おき な ぐさのはなをのせれば 
幾 きれ うかぶ 光 酸 の 雲 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 七 ） 
か は ば た 
か は ば たで 鳥 も ゐ ない し 
（ われわれ の しよ ふ 燕麦 の 種子 は ） 
風 の 中 から せき ばら ひ 
おき なぐ さ は 伴奏 を つ ゞ け 
光 の なか の 二 人 の 子 
（ 一 九 二 二 、 五 、 一 七 ） 
真空 溶媒 
真空 溶媒 
（ Eine   Phantasie   im   Morgen ） 
融 銅 は まだ 眩 めか ず 
白い ハロウ も 燃えたた ず 
地平線 ばかり 明るく なつ たり 陰 つ たり 
はん ぶん 溶け たり 澱ん だり 
しきりに さつき から ゆれ て ゐる 
おれ は 新 らしく て パリ パリ の 
銀杏 な みき を くぐつ て ゆく 
その 一 本 の 水平 な え だに 
りつ ぱな 硝子 の わか もの が 
もう たいてい 三角 に か は つて 
そら を すき と ほし て ぶらさが つ て ゐる 
けれども これ は もちろん 
そんなに ふしぎ な こと で も ない 
おれ は やつ ぱり 口笛 を ふい て 
大 また に あるい て ゆく だけ だ 
い て ふ の 葉 なら みんな 青い 
冴え か へ つて ふるへ て ゐる 
いまや そこら は   alcohol   瓶 の なか の けしき 
白い 輝 雲 の あちこち が 切れ て 
あの 永久 の 海 蒼 が のぞき で て ゐる 
それから 新鮮 な そら の 海鼠 の 匂 
ところが おれ は あんまり ステ ツキ を ふり すぎ た 
こんなに に はか に 木 が なく な つて 
眩 ゆい 芝生 が い つ ぱいいつぱいにひらけるのは 
さ う とも 　 銀杏 並 樹 なら 
もう 二 哩 もうし ろ に なり 
野 の 緑青 の 縞 の なか で 
あ さ の 練兵 を やつ て ゐる 
うらうら 湧き あがる 昧爽 の よろこび 
氷 ひばり も 啼い て ゐる 
その すき と ほ つ た きれい な なみ は 
そら の ぜんたい に さ へ 
かなり の 影 き やう を あた へる の だ 
す な は ち 雲 が だんだん あ を い 虚空 に 融け て 
た うとう いま は 
ころころ まるめ られ た パラフヰン の 団子 に なつ て 
ぽ つかり ぽ つかり しづか に うかぶ 
地平線 は しきりに ゆすれ 
むか ふ を 鼻 の あかい 灰 いろ の 紳士 が 
うま ぐらゐあるまつ 白 な 犬 を つれ て 
ある い て ゐる こと は じつに 明らか だ 
（ やあ 　 こんにちは ） 
（ いや 　 い ゝ お てんき です な ） 
（ どちら へ 　 ご さんぽ です か 
なるほど 　 ふん ふん 　 とき に さく じ つ 
ゾンネンタール が 没 く なつ たさ う です が 
おき き でし た か ） 
（ い ゝ え 　 ち つ とも 
ゾンネンタール と 　 はてな ） 
（ りんご が 中 つたの ださ う です ） 
（ りんご 　 ああ 　 なるほど 
それ は あすこ に みえる りんご で せ う ） 
はるか に 湛 へる 花 紺青 の 地面 から 
その 金 いろ の 苹果 の 樹 が 
も くり も くり と 延び だし て ゐる 
（ 金 皮 の ま ゝ たべ た の です ） 
（ そいつ は おき の どく でし た 
はやく 王水 を のま せ たら よ かつ たで せ う ） 
（ 王水 　 口 を わ つて です か 
ふん ふん 　 なるほど ） 
（ いや 王水 は いけ ませ ん 
やつ ぱりいけません 
死ぬ より しかた なかつ た で せ う 
うん めい です な 
せ つり です な 
あなた と は ご 親類 で で も いら つ し やい ます か ） 
（ え ゝ え ゝ 　 もう ごくごく 遠い しん る ゐ で ） 
い つ たい なに を ふざけ て ゐる の だ 
みろ 　 その 馬 ぐらゐあつた 白 犬 が 
はるか の はるか のむ か ふ へ 遁 げ て しま つて 
いま で は やつ と 南京鼠 の くら ゐ に しか 見え ない 
（ あ 　 わたくし の 犬 が にげ まし た ） 
（ 追 ひ かけ て も だめ で せ う ） 
（ いや 　 あれ は 高価 い の です 
お さ へ なく て は なり ませ ん 
さよなら ） 
苹果 の 樹 が むやみ に ふえ た 
おまけ に のび た 
おれ など は 石炭 紀 の 鱗 木 の し た の 
ただ いつ ぴき の 蟻 で しか ない 
犬 も 紳士 も よく は し つ た もん だ 
東 の そら が 苹果 林 の あし なみ に 
いつ ぱい 琥珀 を はつ て ゐる 
そこ から かすか な 苦 扁桃 の 匂 が くる 
す つかり 荒さ ん だ ひるま に なつ た 
どう だ この 天頂 の 遠い こと 
この ものすごい そら の ふち 
愉快 な 雲雀 も とうに 吸 ひ こま れ て し まつ た 
か あいさ う に その 無窮 遠 の 
つめたい 板の間 に へ た ば つて 
瘠せ た 肩 を ぷるぷるしてるにちがひない 
もう 冗談 で は なく な つた 
画か き ど ものすさまじい 幽霊 が 
すばやく そこら を はせ ぬける し 
雲 は みんな リチウム の 紅い 焔 を あげる 
それから け は しい ひかり の ゆき き 
く さ は みな 褐藻 類 に か はら れ た 
ここ こそ わびしい 雲 の 焼け野原 
風 の ヂグザグ や 黄いろ の 渦 
そら がせ は しく ひる が へる 
なんと いふ とげとげし た さびしさ だ 
（ どう なさい まし た 　 牧師 さん ） 
あんまり せい が 高 すぎる よ 
（ ご 病気 です か 
たいへん お 顔 いろ が わるい やう です ） 
（ いや ありがたう 
べつだん どうも あり ませ ん 
あなた は どなた です か ） 
（ わたくし は 保安 掛り です ） 
いや に 四 かく な 背嚢 だ 
その なか に 苦味 丁幾 や 硼酸 や 
いろいろ は ひつ て ゐる ん だ な 
（ さ う です か 
今日 なんか お つとめ も 大 へん で せ う ） 
（ ありがたう 
いま 途中 で 行き倒れ が あり まし て な ） 
（ どんな ひと です か ） 
（ りつ ぱな 紳士 です ） 
（ はな の あかい ひと で せ う ） 
（ さ う です ） 
（ 犬 は つかま つ て ゐ まし た か ） 
（ 臨終 に さ うい つて ゐ まし た が ね 
犬 は もう 十 五 哩 も むか ふ で せ う 
じつに い ゝ 犬 でし た ） 
（ では あの ひと は もう 死に まし た か ） 
（ い ゝ え 露 が おりれ ば な ほり ます 
まあ ちよ つと 黄いろ な 時間 だけ の 仮死 です な 
うう ひどい 風 だ 　 ま ゐ つ ち ま ふ ） 
まつ たく ひどい かぜ だ 
た ふれ て しまひ さ う だ 
沙漠 で くされ た 駝鳥 の 卵 
たしかに 硫化 水素 は は ひつ て ゐる し 
ほか に 無水 亜硫酸 
つまり これ は そら から の 瓦斯 の 気流 に 二つ ある 
しよう とつ し て 渦 に な つて 硫黄 華 が できる 
気流 に 二つ あ つて 硫黄 華 が できる 
気流 に 二つ あ つて 硫黄 華 が できる 
（ し つかり なさい 　 し つかり 
もしもし 　 し つかり なさい 
た うとう 参 つて し まつ た な 
たしかに ま ゐ つ た 
そん なら ひとつ お 時計 を ちやう だい し ます か な ） 
おれ の かくし に 手 を 入れる の は 
なに が い つ たい 保安 掛り だ 
必要 が ない 　 ど なつ て やら う か 
どな つ て やら う か 
どな つ て やら う か 
ど なつ … … 
水 が 落ち て ゐる 
ありがたい 有難い 神 は ほめ られよ 　 雨 だ 
悪い 瓦斯 は みんな 溶けろ 
（ し つかり なさい 　 し つかり 
もう 大丈夫 です ） 
何 が 大丈夫 だ 　 おれ は はね 起きる 
（ だまれ 　 き さ ま 
黄いろ な 時間 の 追剥 め 
飄然 たる テナルデイ 軍曹 だ 
き さ ま 
あんまり ひと を ばか に する な 
保安 掛り と は なん だ 　 き さま ） 
い ゝ 気味 だ 　 ひどく しよ げ て しま つた 
ち ゞ まつ て し まつ たち ひ さく な つて し まつ た 
ひからび て し まつ た 
四角 な 背嚢 ばかり のこり 
た ゞ 一 かけ の 泥炭 に なつ た 
ざま を 見ろ じつに 醜い 泥炭 な の だ ぞ 
背嚢 なんか なに を 入れ て ある の だ 
保安 掛り 　 じつに か あいさ う です 
カムチヤツカ の 蟹 の 缶詰 と 
陸稲 の 種子 が ひと ふく ろ 
ぬれ た 大きな 靴 が 片 つ 方 
それと 赤鼻 紳士 の 金 鎖 
どう でも い ゝ 　 実に い ゝ 空気 だ 
ほん た うに 液体 の やう な 空気 だ 
（ ウーイ 　 神 は ほめ られよ 
みち から の たた ふ べき か な 
ウーイ 　 い ゝ 空気 だ ） 
そら の 澄明 　 すべて の ごみ は みな 洗 はれ て 
ひかり は すこし も とまら ない 
だから あんなに まつ くら だ 
太陽 が くらくら ま はつ て ゐる に も か ゝ はら ず 
おれ は 数 しれ ぬ ほし の また たき を 見る 
ことに も しろい マヂエラン 星雲 
草 は みな 葉緑素 を 恢復 し 
葡萄糖 を 含む 月光 液 は 
もう よろこび の 脈 さ へ うつ 
泥炭 が なにか ぶつぶつ 言 つて ゐる 
（ もしも し 　 牧師 さん 
あの 馳せ 出し た 雲 を ごらん なさい 
まるで 天 の 競馬 の サラアブレツド です ） 
（ うん 　 きれい だ な 
雲 だ 　 競馬 だ 
天 の サラアブレツド だ 　 雲 だ ） 
あらゆる 変幻 の 色彩 を 示し 
… … もう おそい 　 ほめる ひま など ない 
虹彩 は あ はく 変化 は ゆるやか 
いま は 一 むら の 軽い 湯気 に なり 
零下 二 千 度 の 真空 溶媒 の なか に 
す つ と とら れ て 消え て しまふ 
それ どこ で ない 　 おれ の ステ ツキ は 
い つ たい どこ へ 行 つたの だ 
上着 も いつか なく な つて ゐる 
チヨ ツキ は たつ た いま 消え て 行 つた 
恐る べく かなしむ べき 真空 溶媒 は 
こんど は おれ に 働き だし た 
まるで 熊 の 胃袋 の なか だ 
それでも どうせ 質量 不変 の 定律 だ から 
べつに どうにも な つて ゐ ない 
とい つ た ところ で おれ といふ 
この 明らか な 牧師 の 意識 から 
ぐんぐん もの が 消え て 行く と は 情ない 
（ いやあ 　 奇遇 です な ） 
（ おお 　 赤鼻 紳士 
た うとう 犬 が お つかまり でし た な ） 
（ ありがたう 　 しかるに 
あなた は 一体 どう なす つたの です ） 
（ 上着 を なくし て 大 へん 寒い の です ） 
（ なるほど 　 はてな 
あなた の 上着 は それ で せ う ） 
（ どれ です か ） 
（ あなた が 着 て おいで に なる その 上着 ） 
（ なるほど 　 は はあ 
真空 の ちよ つと し た 奇術 です な ） 
（ え ゝ 　 さ う です とも 
ところが どうも を かしい 
それ は わたし の 金 鎖 です が ね ） 
（ え ゝ どうせ その 泥炭 の 保安 掛り の 作用 です ） 
（ は はあ 　 泥炭 の ちよ つと し た 奇術 です な ） 
（ さ う です とも 
犬 が あんまり くし やみ を し ます が 大丈夫 です か ） 
（ なあに いつも の こと です ） 
（ 大きな もん です な ） 
（ これ は 北極 犬 です ） 
（ 馬 の 代り に は 使 へ ない ん です か ） 
（ 使 へ ます とも 　 どう です 
お召 し なさい ませ ん か ） 
（ どうも ありがたう 
そん なら 拝借 し ます か な ） 
（ さあ どうぞ ） 
おれ は たしかに 
その 北極 犬 の せ なか に またがり 
犬 神 の やう に 東 へ 歩き 出す 
まばゆい 緑 の しば く さ だ 
おれ たち の 影 は 青い 沙漠 旅行 
そして そこ は さつき の 銀杏 の 並 樹 
こんな 華奢 な 水平 な 枝 に 
硝子 の りつ ぱなわかものが 
す つかり 三 角 に な つて ぶらさがる 
一 九 二 二 、 五 、 一 八 
蠕虫舞 手 
（ え ゝ 　 水 ゾル です よ 
おぼろ な 寒天 の 液 です よ ） 
日 は 黄金 の 薔薇 
赤 いち ひ さ な 蠕虫 が 
水 と ひかり を からだ に ま と ひ 
ひとり で を どり を やつ て ゐる 
（ え ゝ 　 ８ 　 γ 　 ｅ 　 ６ 　 α 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 ） 
羽 むし の 死骸 
いち ゐ のか れ 葉 
真珠 の 泡 に 
ちぎれ た こけ の 花軸 など 
（ ナチラナトラ の ひい さま は 
いま み づ 底 のみ かげ のう へ に 
黄いろ な かげ と お ふたり で 
せつ かく を ど つて ゐ られ ます 
い ゝ え 　 けれども 　 すぐ で せ う 
まもなく 浮い て おいで で せ う ） 
赤い 蠕虫舞 手 は 
と が つた 二つ の 耳 を もち 
燐光 珊瑚 の 環節 に 
正しく 飾る 真珠 のぼ たん 
くるり くるり と 廻 つて ゐ ます 
（ え ゝ 　 ８ 　 γ 　 ｅ 　 ６ 　 α 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 ） 
背中 きらきら 燦 い て 
ち から い つ ぱいまはりはするが 
真珠 も じつは ま が ひも の 
ガラス どころか 空気 だ ま 
（ い ゝ え 　 それでも 
エイト 　 ガムマア 　 イー 　 スイツクス 　 アルフア 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 ） 
水晶 体 や 鞏膜 の 
オペラグラス に のぞか れ て 
を ど つて ゐる と いは れ て も 
真珠 の 泡 を 苦 に する の なら 
お ま へ もさ つ ぱりらくぢやない 
それに 日 が 雲 に 入 つた し 
わたし は 石 に 座 つて しびれ が 切れ た し 
水底 の 黒い 木片 は 毛虫 か 海鼠 の やう だ し さ 
それに 第 一 お ま へ の かたち は 見え ない し 
ほんとに 溶け て し まつ た の やら 
それとも みんな はじめ から 
おぼろ に 青い 夢 だ やら 
（ い ゝ え 　 あすこ に おいで です 　 おいで です 
ひい さま 　 いら つ し やい ます 
８ 　 γ 　 ｅ 　 ６ 　 α 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 ） 
ふん 　 水 は おぼろ で 
ひかり は 惑 ひ 
虫 は 　 エイト 　 ガムマア 　 イー 　 スイツクス 　 アルフア 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 かい 
ハツハツハ 
（ はい 　 まつ たく それ に ち が ひ ませ ん 
エイト 　 ガムマア 　 イー 　 スイツクス 　 アルフア 
ことに も アラベスク の 飾り 文字 ） 
（ 一 九 二 二 、 五 、 二 〇 ） 
小岩井 農場 
小岩井 農場 
パート 一 
わたくし はず ゐ ぶん すばやく 汽車 から おり た 
その ため に 雲 が ぎらつとひかつたくらゐだ 
けれども もつ と はやい ひと は ある 
化学 の 並川 さん に よく 肖 た ひと だ 
あの オリーブ の せびろ など は 
そつ くり おとなしい 農学 士 だ 
さつき 盛岡 の ていし や ば で も 
たしかに わたくし は さ う お もつ て ゐ た 
この ひと が 砂糖 水 の なか の 
つめたく あかるい 待合室 から 
ひと あし でる とき … … わたくし も でる 
馬車 が い ちだい たつ て ゐる 
馭者 が ひとこと なにか いふ 
黒 塗り の すてき な 馬車 だ 
光沢 消し だ 
馬 も 上等 の ハツクニー 
この ひと は かすか に うなづき 
それから じ ぶん といふ 小さな 荷物 を 
載 つける といふ 気軽 な ふう で 
馬車 に の ぼつ て こしかける 
（ わ づか の 光 の 交錯 だ ） 
その 陽 の あ たつ たせ なか が 
すこし 屈ん で しん として ゐる 
わたくし は あるい て 馬 と 並ぶ 
これ は あるいは 客 馬車 だ 
どうも 農場 の らしく ない 
わたくし に も 乗れ と いへ ば いい 
馭者 が よ こから 呼べ ば いい 
乗ら なく たつ て い ゝ の だ が 
これから 五 里 も あるく の だ し 
くら かけ 山の下 あたり で 
ゆ つくり 時間 も ほしい の だ 
あすこ なら 空気 も ひどく 明瞭 で 
樹 で も 艸 で も みんな 幻 燈 だ 
もちろん おき なぐ さ も 咲い て ゐる し 
野 は ら は 黒 ぶ だ う 酒 の コツプ も ならべ て 
わたくし を 款待 する だら う 
そこで ゆ つくり とどまる ため に 
本部 まで で も 乗 つ た 方 が いい 
今日 なら わたくし だ つて 
馬車 に 乗れ ない わけ で は ない 
（ あいまい な 思惟 の 蛍光 
きつ と いつ でも かう な の だ ） 
もう 馬車 が うごい て ゐる 
（ これ が じつに い ゝ こと だ 
どう しよ う か 考へ て ゐる ひま に 
それ が 過ぎ て 滅 く なる といふ こと ） 
ひら つ と わたくし を 通り越す 
みち は まつ 黒 の 腐植 土 で 
雨 あがり だし 弾力 も ある 
馬 は ピン と 耳 を 立て 
その 端 は 向 ふ の 青い 光 に 尖り 
いかにも きさく に 馳 け て 行く 
う しろから は もう たれ も 来 ない の か 
つつましく 肩 を すぼめ た 停車場 と 
新開地 風 の 飲食 店 
ガラス 障子 は ありふれ て でこぼこ 
わら ぢ や   sun - maid   の から 函 や 
夏みかん の あかるい に ほ ひ 
汽車 から おり た ひと たち は 
さつき たくさん あつ た の だ が 
みんな 丘 かげ の 茶 褐部落 や 
繋 あたり へ 往く らしい 
西 に ま が つて 見え なく な つた 
いま わたくし は 歩測 の とき の やう 
しんかい 地 ふう の たて もの は 
みんな うし ろ に 片 附け た 
そして ここ こそ 畑 に なつ て ゐる 
黒 馬 が 二 ひき 汗 で ぬれ 
犁 を ひい て 往 つ たり き たり する 
ひ は いろ の や はら か な 山 の こ つ ち が は だ 
山 で は ふしぎ に 風 が ふい て ゐる 
嫩葉 が さまざま に ひる が へる 
ず うつ と 遠く の くらい ところ で は 
鶯 も ごろごろ 啼い て ゐる 
その 透明 な 群青 のう ぐひすが 
（ ほん た う の 鶯 の 方 は ドイツ 読本 の 
ハンス が う ぐひすでないよと 云 つた ） 
馬車 は ずんずん 遠く なる 
大きく ゆれる し はねあがる 
紳士 も かろ く はねあがる 
この ひと は もう よほど 世間 を わたり 
いま は 青 ぐろいふちのやうなとこへ 
すまし て こしかけ て ゐる ひと な の だ 
そして ずんずん 遠く なる 
はたけ の 馬 は 二 ひき 
ひと は ふたり で 赤い 
雲 に 濾さ れ た 日光 の ため に 
いよいよ あかく 灼け て ゐる 
冬 に き た とき と は まるで べつ だ 
みんな す つかり 変 つて ゐる 
変 つ た と は い へ それ は 雪 が 往き 
雲 が 展 け てつ ち が 呼吸 し 
幹 や 芽 の なか に 燐光 や 樹液 が ながれ 
あ を じ ろ い 春 に なつ た だけ だ 
それ より も こんな せ は しい 心象 の 明滅 を つらね 
すみやか な すみやか な 万 法 流転 の なか に 
小岩井 の きれい な 野 は ら や 牧場 の 標本 が 
いかにも 確か に 継起 する と いふ こと が 
どんなに 新鮮 な 奇蹟 だら う 
ほん た うに この みち を この 前 行く とき は 
空気 が ひどく 稠密 で 
つめたく そして あかる 過ぎ た 
今日 は 七つ 森 はいち めん の 枯草 
松木 が を かし な 緑 褐 に 
丘 の うし ろ と ふもと に 生え て 
大 へん 陰 欝 に ふるび て 見える 
パート 二 
た むぼりんも 遠く の そら で 鳴 つ てる し 
雨 はけ ふ は だい ぢ や うぶ ふら ない 
しかし 馬車 も はやい と 云 つた ところで 
そんなに すてき な わけ で は ない 
いま まで たつ て やつ と あすこ まで 
ここ から あすこ まで の この まつ すぐ な 
火山灰 のみ ちの 分 だけ 行 つたの だ 
あすこ は ちや うど まがり 目 で 
すがれ の 草 穂 も ゆれ て ゐる 
（ 山 は 青い 雲 で い つ ぱい 　 光 つて ゐる し 
かけ て 行く 馬車 は くろく て りつ ぱだ ） 
ひばり 　 ひばり 
銀 の 微塵 の ちらばる そら へ 
たつ た いま の ぼつ た ひばり な の だ 
くろく て すばやく きん いろ だ 
そら で やる   Brownian   movement 
おまけ に あいつ の 翅 とき たら 
甲虫 の やう に 四 まい ある 
飴 いろ の やつ と 硬い 漆 ぬり の 方 と 
たしかに 二 重 に もつ て ゐる 
よほど 上手 に 鳴い て ゐる 
そら の ひかり を 呑みこん で ゐる 
光波 の ため に 溺れ て ゐる 
もちろん ずつ と 遠く では 
もつ と たくさん ない て ゐる 
そいつ の はう は は いけい だ 
向 ふか ら は こ つ ちの やつ が ひどく 勇敢 に 見える 
う しろから 五月 の いま ごろ 
黒い ながい オーヴア を 着 た 
医者 らしい もの が やつ て くる 
た びたびこつちをみてゐるやうだ 
それ は 一 本 みち を 行く とき に 
ごく ありふれ た こと な の だ 
冬 に も やつ ぱりこんなあんばいに 
くろい イムバネス が やつ て き て 
本部 へ は これ で いい ん です か と 
遠く から ことば の 浮標 を なげつけ た 
でこぼこ の ゆき みち を 
辛うじて 咀嚼 する といふ 風 に ある き ながら 
本部 へ は これ で い ゝ ん です か と 
心細 さ うに きい た の だ 
おれ はぶ つき ら 棒 に ああ と 言 つた だけ な ので 
ちやう ど それだけ 大 へん か あいさ う な 気 が し た 
け ふ の は もつ と 遠く から くる 
パート 三 
もう 入口 だ 
（ いつも の と ほり だ ） 
混ん だ 野ばら や あけび の やぶ 
（ いつも の と ほり だ 　 ぢ き 医院 も ある ） 
ふん 　 いつも の と ほり だ 
小さな 沢 と 青い 木 だ ち 
沢 で は 水 が 暗く そして 鈍 つて ゐる 
また 鉄 ゼル の   fluorescence 
向 ふ の 畑 に は 白樺 も ある 
白樺 は 好 摩 から むか ふ です と 
いつか おれ は 羽田 県 属 に 言 つて ゐ た 
ここ は よ つ ぽ ど 高い から 
柳沢 つづき の 一帯 だ 
やつ ぱり 好摩 に あたる の だ 
どう し た の だ この 鳥 の 声 は 
なんと いふ たくさん の 鳥 だ 
鳥 の 小学校 に き た やう だ 
雨 の やう だ し 湧い てる やう だ 
居る 居る 鳥 が い つ ぱいにゐる 
なんと いふ 数 だ 　 鳴く 鳴く 鳴く 
Rondo   Capriccioso 
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく 
あの 木 の しん に も 一 ぴき ゐる 
禁猟 区 の ため だ 　 飛び あがる 
（ 禁猟 区 の ため で ない 　 ぎゆつくぎゆつく ） 
一 ぴき で ない 　 ひと むれ だ 
十 疋以上 だ 　 弧 を つくる 
（ ぎゆつく 　 ぎゆつく ） 
三 また の 槍 の 穂 　 弧 を つくる 
青 びかり 青 びかり 赤 楊 の 木立 
のぼせる くら ゐ だ この 鳥 の 声 
（ その 音 が ぼつ と ひくく なる 
うし ろ に な つて し まつ た の だ 
あるいは ち ゆう いのり ず むのため 
両方 とも だ 　 とり の こ ゑ ） 
木立 が いつか 並 樹 に なつ た 
この 設計 は 飾 絵 式 だ 
けれども 偶然 だ から しかた ない 
荷馬 車 が たしか 三 台 と まつ て ゐる 
生 な 松 の 丸太 が い つ ぱいにつまれ 
陽 が い つ かこつ そり おり て き て 
あたらしい テレピン 油 の 蒸気 圧 
一 台 だけ が あるい て ゐる 
けれども これ は 樹 や 枝 の かげ で なく て 
しめ つ た 黒い 腐植 質 と 
石竹 いろ の 花 の かけ ら 
さくら の 並 樹 に なつ た の だ 
こんな しづか な めまぐるし さ 
この 荷馬 車 に は ひと が つい て ゐ ない 
馬 は 払 ひ 下げ の 立派 な ハツクニー 
脚 の ゆれる の は 年 老 つた ため 
（ おい 　 ヘングスト 　 し つかり しろ よ 
三日月 みたい な 眼 つき を し て 
おまけ に なみ だ が い つ ぱいで 
陰気 に あ たま を 下げ て ゐ られる と 
おれ は まつ たく たまら ない の だ 
威勢 よく 桃 いろ の 舌 を かみ ふつ と 鼻 を 鳴らせ ） 
ぜんたい 馬 の 眼 の なか に は 複雑 な レンズ が あつ て 
けしき や みんな へん に うるん で いびつ に みえる … … 
… … 馬車 挽き は みんな と いつ しよ に 
向 ふ のど て のか れ 草 に 
腰 を おろし て やす んで ゐる 
三 人 赤く わら つ て こ つ ち を み 
また 一 人 は 大股 に ど て の なか を ある き 
なにか 忘れもの でも もつ て くる といふ 風 … … （ 蜂 函 の 白 ペンキ ） 
桜 の 木 に は 天狗 巣 病 が たくさん ある 
天狗 巣 は はやく も 青い 葉 を だし 
馬車 の ラツパ が きこえ て くれ ば 
ここ が 一 ぺん に スヰツツル に なる 
遠く で は 鷹 が そら を 截つ て ゐる し 
から まつ の 芽 は ネクタイピン に ほし いくら ゐ だし 
いま 向 ふ の 並 樹 を くら つと 青く 走 つて 行 つたの は 
（ 騎手 は わら ひ ） 赤銅 の 人馬 の 徽章 だ 
パート 四 
本部 の 気取 つ た 建物 が 
桜 や ポプラ の こ つ ち に 立ち 
その さびしい 観測 台 のう へ に 
ロビンソン 風力 計 の 小さな 椀 や 
ぐらぐら ゆれる 風 信 器 を 
わたくし は もう 見出さ ない 
さつき の 光沢 消し の 立派 な 馬車 は 
いまごろ どこ か で 忘れ た やう に と まつ て ようし 
五月 の 黒い オーヴアコート も 
どの 建物 か に ま が つて 行 つた 
冬 に は こ ゝ の 凍 つた 池 で 
こども ら が ひどく わら つた 
（ から 松 は と びいろのすてきな 脚 です 
向 ふ に ひかる の は 雲 で せ う か 粉雪 で せ う か 
それとも 野 は ら の 雪 に 日 が 照 つて ゐる ので せ う か 
氷 滑り を やり ながら なに が そんなに を かしい の です 
お ま へ さん たち の 頬 つ ぺたはまつ 赤 です よ ） 
葱 いろ の 春 の 水 に 
楊 の 花芽 も もう ぼやける … … 
はたけ は 茶 いろ に 掘りおこさ れ 
廐肥 も 四角 に つみあげ て ある 
並 樹 ざく ら の 天狗 巣 に は 
い ぢ らしい 小さな 緑 の 旗 を 出す の も あり 
遠く の 縮れ た 雲 に かかる の で は 
み づみづした 鶯 いろ の 弱い の も ある … … 
あんまり ひばり が 啼き すぎる 
（ 育 馬 部 と 本部 と の あ ひだ で さ へ 
ひばり や なんか 一 ダース で きか ない ） 
その キルギス 式 の 逞 まし い 耕地 の 線 が 
ぐらぐら の 雲 に うかぶ こちら 
みじかい 素朴 な 電話 ば しらが 
右 に まがり 左 へ 傾き ひどく 乱れ て 
まがり か ど に は 一 本 の 青木 
（ 白樺 だら う 　 楊 で は ない ） 
耕耘 部 へ は ここ から 行く の が ちかい 
ふゆの あ ひだ だ つて 雪 が かたまり 
馬橇 も 通 つて い つ た ほど だ 
（ ゆき が かたく は なかつ た やう だ 
なぜなら そり は ゆき を あげ た 
たしかに 酵母 の ちんでん を 
冴え た 気流 に 吹き あげ た ） 
あの とき は きらきら する 雪 の 移動 の なか を 
ひと は あぶ なつかしい セレナーデ を 口笛 に 吹き 
往 つ たり き たり なん べんし た か わから ない 
（ 四 列 の 茶 いろ な 落葉松 ） 
けれども あの 調子 は づれの セレナーデ が 
風 や ときどき ぱつとたつ 雪 と 
どんなに よく つり あ つて ゐ た こと か 
それ は 雪 の 日 の アイスクリーム と おなじ 
（ もつとも それなら 暖炉 も まつ 赤 だら う し 
muscovite   も 少し そつ ぽ に 灼け る だら う し 
おれ たち に は 見 られ ない ぜい沢 だ ） 
春 の ヴアンダイクブラウン 
きれい に は たけ は 耕耘 さ れ た 
雲 はけ ふも 白金 と 白金 黒 
その まばゆい 明暗 の なか で 
ひばり は しきりに 啼い て ゐる 
（ 雲 の 讃歌 と 日 の 軋り ） 
それから 眼 を また あげる なら 
灰 いろ な もの 走る もの 蛇 に 似 た もの 　 雉子 だ 
亜鉛 鍍金 の 雉子 な の だ 
あんまり 長い 尾 を ひい て うらら か に 過ぎれ ば 
もう 一疋 が 飛び おりる 
山鳥 で は ない 
（ 山鳥 です か ？ 　 山 で ？ 　 夏 に ？ ） 
あるく の は はやい 　 流れ て ゐる 
オレンヂ いろ の 日光 の なか を 
雉子 は するする ながれ て ゐる 
啼い て ゐる 
それ が 雉子 の 声 だ 
いま 見 はら かす 耕地 の は づれ 
向 ふ の 青草 の 高み に 四 五 本 乱れ て 
なんと いふ 気まぐれ な さくら だら う 
みんな さくら の 幽霊 だ 
内面 は しだれ や なぎ で 
鴾 いろ の 花 を つけ て ゐる 
（ 空 で ひと むら の 海綿 白金 が ちぎれる ） 
それら か ゞ やく 氷 片 の 懸 吊 を ふみ 
青 ら む 天 の うつろ の なか へ 
かた な の やう に つきすすみ 
すべて 水 いろ の 哀愁 を 焚き 
さびしい 反照 の 偏 光 を 截 れ 
いま 日 を 横 ぎる 黒雲 は 
侏羅 や 白堊 の まつ くら な 森林 の なか 
爬虫 がけ は しく 歯 を 鳴らし て 飛ぶ 
その 氾濫 の 水け むりからのぼつたのだ 
たれ も 見 て ゐ ない その 地質 時代 の 林 の 底 を 
水 は 濁 つ て どんどん ながれ た 
いま こそ おれ は さびしく ない 
たつ た ひとり で 生き て 行く 
こんな きまま な たま し ひと 
たれ が いつ しよ に 行けよ う か 
大 びら に まつ すぐ に 進ん で 
それで いけ ない といふ の なら 
田舎 ふう の ダブル カラ など 引き裂い て しまへ 
それから さき が あんまり 青黒く な つ て き たら … … 
そんな さき まで かん が へ ない で いい 
ち から い つ ぱい 口笛 を 吹け 
口笛 を ふけ 　 陽 の 錯綜 
たより も ない 光波 の ふるひ 
すき と ほる もの が 一 列 わたくし の あと から くる 
ひかり 　 かすれ 　 また うた ふ やう に 小さな 胸 を 張り 
また ほのぼの とか ゞ やい て わら ふ 
みんな す あし の こども ら だ 
ちらちら 瓔珞 も ゆれ て ゐる し 
めいめい 遠く の うた の ひと くさり づつ 
緑 金 寂静 の ほ の ほ を たもち 
これら は あるいは 天 の 鼓手 　 緊那羅 の こども ら 
（ 五 本 の 透明 な さくら の 木 は 
青々 と かげろ ふ を あげる ） 
わたくし は 白い 雑嚢 を ぶらぶら さげ て 
きまま な 林 務 官 の やう に 
五月 の きん いろ の 外 光 の なか で 
口笛 を ふき 歩調 を ふん で わるい だら う か 
たのしい 太陽系 の 春 だ 
みんな は し つ たり うた つ たり 
はねあが つ たり する が いい 
（ コロナ は 八 十 三 万 二 百 … … ） 
あの 四月 の 実習 の はじめ の 日 
液肥 を はこぶ いち に ちい つ ぱい 
光 炎 菩薩 太陽 マヂツク の 歌 が 鳴 つた 
（ コロナ は 八 十 三 万 四 百 … … ） 
ああ 陽光 の マヂツク よ 
ひとつ の せき を こえる とき 
ひとり が かつぎ 棒 を わたせ ば 
それ は 太陽 の マヂツク により 
磁石 の やう に も ひとり の 手 に 吸 ひつ い た 
（ コロナ は 七 十 七 万 五 千 … … ） 
どの こども か が 笛 を 吹い て ゐる 
それ は わたくし に きこえ ない 
けれども たしかに ふい て ゐる 
（ ぜんたい 笛 といふ もの は 
きまぐれ な ひよ ろ ひよ ろ の 酋長 だ ） 
みち が ぐんぐん うし ろ から 湧き 
過ぎ て 来 た 方 へ たたん で 行く 
むら気 な 四 本 の 桜 も 
記憶 の やう に と ほざか る 
たのしい 地球 の 気圏 の 春 だ 
みんな う たつ たり は し つ たり 
はねあが つ たり する が いい 
パート 五 　 　 パート 六 
パート 七 
と びいろのはたけがゆるやかに 傾斜 し て 
すき と ほる 雨 の つぶ に 洗 はれ て ゐる 
その ふもと に 白い 笠 の 農夫 が 立ち 
つくづく とそ ら の くも を 見 あげ 
こんど は ゆ つくり あるき だす 
（ まるで 行きつか れ た たび 人 だ ） 
汽車 の 時間 を た づねてみよう 
こ ゝ は ぐち や ぐち や し た 青い 湿地 で 
もう せ ん ご け も 生え て ゐる 
（ その うす あかい 毛 もち ゞ れ て ゐる し 
どこ か の がま の 生え た 沼地 を 
ネー 将軍 麾下 の 騎兵 の 馬 が 
泥 に 一 尺 ぐらゐ 踏みこん で 
すぱすぱ 渉 つて 進軍 も し た ） 
雲 は 白い し 農夫 は わたし を まつ て ゐる 
また あるき だす （ 縮れ て ぎらぎら の 雲 ） 
トツパース の 雨 の 高み から 
けら を 着 た 女の子 が ふたり くる 
シベリヤ 風 に 赤 いきれ を かぶり 
まつ す ぐにいそいでやつてくる 
（ Miss   Robin ） 働き に き て ゐる の だ 
農夫 は 富士見 の 飛脚 の やう に 
笠 を かしげ て 立つ て 待ち 
白い 手甲 さ へ はめ て ゐる 　 もう 二 十 米 だ から 
しばらく あるき ださ ない で くれ 
じ ぶん だけ せ つ かく 待つ て ゐ て も 
用 が なく て は こまる と お もつ て 
あんなに ぐらぐら ゆれる の だ 
（ 青い 草 穂 は 去年 の だ ） 
あんなに ぐらぐら ゆれる の だ 
さ は や か だし 顔 も 見える から 
ここ から はなしかけ て い ゝ 
シヤツポ を とれ （ 黒い 羅紗 も ぬれ ） 
この ひと は もう 五 十 ぐらゐだ 
（ ちよ つと お 訊 ぎ 申し あん す 
盛岡 行 ぎ 汽車 なん 時 だ べ す ） 
（ 三 時 だ た べ が ） 
ず ゐ ぶん 悲しい 顔 の ひと だ 
博物館 の 能面 に も 出 て ゐる し 
どこ か に 鷹 の き もち も ある 
うし ろ の つめたく 白い 空 で は 
ほん た う の 鷹 が ぶうぶう 風 を 截 る 
雨 を おとす その 雲母 摺り の 雲 の 下 
はたけ に 置か れ た 二 台 の くるま 
この ひと は もう 行か う と する 
白い 種子 は 燕麦 な の だ 
（ 燕麦 播 ぎす か ） 
（ あん いま 向 で や つて ら ） 
この 爺さん は なにか 向 ふ を 畏れ て ゐる 
ひじ やう に 恐ろしく ひどい こと が 
そつ ち に ある と お もつ て ゐる 
そこ に は 馬 の つか ない 廐肥車 と 
け は しく 翔ける 鼠 いろ の 雲 ばかり 
こ は が つて ゐる の は 
やつ ぱりあの 蒼鉛 の 労働 な の か 
（ こやし 入れ だの すか 
堆肥 ど 過 燐酸 どす か ） 
（ あん さ うす ） 
（ ず ゐ ぶん 気持 の い ゝ 処 だ も な ） 
（ ふう ） 
この 人 は わたくし と は なす の を 
なにか 大 へん は ばか つて ゐる 
それ は ふたつ の くるま の よ こ 
はたけ の を はり の 天 末 線 
ぐらぐら の 空 の こ つ ち 側 を 
すこし 猫背 で せい の 高い 
くろい 外套 の 男 が 
雨雲 に 銃 を 構 へ て 立つ て ゐる 
あの 男 が どこ か 気 が へん で 
急 に 鉄砲 を こ つ ち へ 向ける の か 
あるいは   Miss   Robin   たち の こと か 
それとも 両方 いつ しよ な の か 
ど つ ち も 心配 し ない で くれ 
わたし は ど つ ち も こ はく ない 
やつ てる やつ てる そ ら で 鳥 が 
（ あの 鳥 何 て 云 ふす 　 此処 ら で ） 
（ ぶ どし ぎ ） 
（ ぶ どし ぎて 云 ふ の か ） 
（ あん 　 曇る づどよぐ 出 はら ） 
から 松 の 芽 の 緑玉 髄 
かけ て 行く 雲 の こ つ ちの 射手 は 
また もつ たい らしく 銃 を 構 へる 
（ 三 時 の 次 あ 何 時 だ べ す ） 
（ 五 時 だ べ が 　 ゆ ぐ 知ら ない ） 
過 燐酸 石灰 の ヅツク 袋 
水溶 十 九 と 書い て ある 
学校 の は 十 五 ％ だ 
雨 は ふるし わたくし の 黄いろ な 仕事 着 も ぬれる 
遠く の そら では その ぼ と し ぎどもが 
大きく 口 を あい て ビール瓶 の やう に 鳴り 
灰 いろ の 咽喉 の 粘膜 に 風 を あて 
めざましく 雨 を 飛ん で ゐる 
少し ばかり 青い つめ く さ の 交 つた 
かれ く さ と 雨 の 雫 と の 上 に 
菩薩 樹皮 の 厚い けら を か ぶつ て 
さつき の 娘 たち が ねむ つ て ゐる 
爺さん は もう 向 ふ へ 行き 
射手 は 肩 を 怒らし て 銃 を 構 へる 
（ ぼ と し ぎのつめたい 発動 機 は … … ） 
ぼ と し ぎはぶうぶう 鳴り 
い つ たい なに を 射た う と いふ の だ 
爺さん の 行 つた 方 から 
わかい 農夫 が やつ て くる 
か ほ が 赤く て 新鮮 に ふとり 
セシルローズ 型 の 円い 肩 を か ゞ め 
燐酸 の あき 袋 を あつめ て くる 
二つ は ちや ん と 肩 に 着 て ゐる 
（ 降 つて げ だ ごと な さ ） 
（ なあに すぐ 霽 れ らん す ） 
火 を たい て ゐる 
赤い 焔 も ちらちら みえる 
農夫 も 戻る し わたくし も ついて行か う 
これら の から まつ の 小さな 芽 を あつめ 
わたくし の 童話 を かざり たい 
ひとり の むす め が きれい に わら つて 起きあがる 
みんな は あかるい 雨 の 中 です うすう ねむる 
（ う な 　 いい を なご だ も な ） 
に はか に そんなに 大声 に どなり 
まつ 赤 に な つて 石臼 の やう に 笑 ふ の は 
この ひと は 案外 に わかい の だ 
すき と ほ つて 火 が 燃え て ゐる 
青い 炭素 の けむり も 立つ 
わたくし も すこし あたり たい 
（ おら も 中 つ でも いが べ が ） 
（ い て す 　 さあ お あ だり やん せ ） 
（ 汽車 三 時 すか ） 
（ 三 時 四 十 分 
まだ 一時 に も なら ない も ） 
火 は 雨 で か へ つて 燃える 
自由 射手 は 銀 の そら 
ぼ と し ぎどもは 鳴らす 鳴らす 
す つかり ぬれ た 　 寒い 　 がたがた する 
パート 九 
すき と ほ つて ゆれ て ゐる の は 
さつき の 剽悍 な 四 本 の さくら 
わたくし は それ を 知 つて ゐる けれども 
眼 に は はつ きり 見 て ゐ ない 
たしかに わたくし の 感官 の 外 で 
つめたい 雨 が そそい で ゐる 
（ 天 の 微光 に さだめ なく 
うかべる 石 を わが ふめ ば 
お ゝ ユリア 　 し づく は いとど 降り まさり 
カシオペーア は めぐり 行く ） 
ユリア が わたくし の 左 を 行く 
大きな 紺 いろ の 瞳 を りん と 張 つて 
ユリア が わたくし の 左 を 行く 
ペムペル が わたくし の 右 に ゐる 
… … … … … はさ つき 横 へ 外れ た 
あの から 松 の 列 の とこ から 横 へ 外れ た 
幻想 が 向 ふか ら 迫 つて くる とき は 
もう にん げん の 壊れる とき だ 
わたくし は はつ きり 眼 を あい て ある い て ゐる の だ 
ユリア 　 ペムペル 　 わたくし の 遠い ともだち よ 
わたくし はず ゐ ぶん しばらく ぶり で 
きみ たち の 巨 き な まつ 白 なす あし を 見 た 
どんなに わたくし は きみ たち の 昔 の 足 あと を 
白堊 系 の 頁岩 の 古い 海岸 に もとめ た だら う 
あんまり ひどい 幻想 だ 
わたくし は なに を びく びく し て ゐる の だ 
どうしても どうしても さびしく て たまらない とき は 
ひと は みんな きつ と 斯 う いふ こと に なる 
きみ たち とけ ふ あふ こと が でき た ので 
わたくし は この 巨 き な 旅 の なか の 一 つづり から 
血みどろ に なつ て 遁 げ なく て も いい の です 
（ ひばり が 居る やう な 居 ない やう な 
腐植 質 から 麦 が 生え 
雨 は しきりに 降 つ て ゐる ） 
さ う です 　 農場 の この へん は 
まつ たく 不思議 に お も はれ ます 
どうして か わたくし は ここら を 
der   heilige   Punkt   と 
呼び たい やう な 気 が し ます 
この 冬 だ つて 耕耘 部 まで 用事 で 来 て 
こ ゝ い ら の 匂 の い ゝ ふぶき の なか で 
なに と は なし に 聖 いこ ころ もち が し て 
凍え さ うに なり ながら いつ まで も い つ まで も 
いつ たり 来 たり し て ゐ まし た 
さ つき もさ う です 
どこ の 子ども ら です か あの 瓔珞 を つけ た 子 は 
そんな こと で だまさ れ て は いけ ない 
ち が つた 空間 に は いろいろ ち が つた もの が ゐる 
それに だいいち さつき から の 考 へ やう が 
まるで 銅版 の やう な のに 気 が つか ない か 
雨 の なか で ひばり が 鳴い て ゐる の です 
あなた がた は 赤い 瑪瑙 の 棘 で い つ ぱいな 野 はらも 
その 貝殻 の やう に 白く ひかり 
底 の 平ら な 巨 き なす あし に ふむ ので せ う 
もう 決定 し た 　 そつ ち へ 行く な 
これら は みんな ただしく ない 
いま 疲れ て かたち を 更 へ たお ま へ の 信仰 から 
発散 し て 酸 え た ひかり の 澱 だ 
ち ひ さ な 自分 を 劃 る こと の でき ない 
この 不可思議 な 大きな 心象 宙 宇 の なか で 
もしも 正し いね が ひ に 燃え て 
じ ぶん と ひと と 万象 と いつ しよ に 
至上 福祉 に いたら う と する 
それ を ある 宗教 情操 と する なら ば 
その ね が ひ から 砕け または 疲れ 
じ ぶん と それ から たつ た も ひとつ の たま し ひと 
完全 そして 永久 に どこ まで も い つ し よ に 行か う と する 
この 変態 を 恋愛 といふ 
そして どこ まで も その 方向 で は 
決して 求め 得 られ ない その 恋愛 の 本質 的 な 部分 を 
むりにもごまかし 求め 得よ う と する 
この 傾向 を 性慾 といふ 
すべて これら 漸 移 の なか の さまざま な 過程 に 従 つて 
さまざま な 眼 に 見え また 見え ない 生物 の 種類 が ある 
この 命題 は 可逆 的 に も また 正しく 
わたくし に は あんまり 恐ろしい こと だ 
けれども いくら 恐ろしい とい つて も 
それ が ほん た う なら しかた ない 
さあ はつ きり 眼 を あい て たれ に も 見え 
明確 に 物理 学 の 法則 に し た が ふ 
これら 実在 の 現象 の なか から 
あたらしく まつ すぐ に 起て 
明るい 雨 が こんなに たのしく そそぐ のに 
馬車 が 行く 　 馬 は ぬれ て 黒い 
ひと は くるま に 立つ て 行く 
もうけ つ し て さびしく は ない 
なん べ ん さびしく ない と 云 つた とこ で 
また さ びしくなるのはきまつてゐる 
けれども ここ は これ で いい の だ 
すべて さびし さ と 悲傷 と を 焚い て 
ひと は 透明 な 軌道 を すすむ 
ラリツクス 　 ラリツクス 　 いよいよ 青く 
雲 は ますます 縮れ て ひかり 
わたくし は かつ きり みち を まがる 
（ 一 九 二 二 、 五 、 二 一 ） 
グランド 電柱 
林 と 思想 
そら 　 ね 　 ごらん 
むか ふ に 霧 に ぬれ て ゐる 
蕈 の かたち のち ひ さ な 林 が ある だら う 
あすこ の とこ へ 
わたし の かん が へ が 
ず ゐ ぶん はやく 流れ て 行 つて 
みんな 
溶け込ん で ゐる の だ よ 
こ ゝ い ら は ふき の 花 で い つ ぱいだ 
（ 一 九 二 二 、 六 、 四 ） 
霧 と マツチ 
（ まち は づれのひのきと 青い ポプラ ） 
霧 の なか から に は かに あかく 燃え た の は 
し ゆ つと 擦ら れ た マツチ だ けれども 
ず ゐ ぶん 拡大 さ れ て ゐる 
スヰヂツシ 安全 マツチ だ けれども 
よほど 酸素 が 多い の だ 
（ 明方 の 霧 の なか の 電 燈 は 
ま めいろ で 匂 も い ゝ し 
小学 校長 を たかぶ つて 散歩 する こと は 
まことに つつましく 見える ） 
（ 一 九 二 二 、 六 、 四 ） 
芝生 
風 と ひのき の ひる すぎ に 
小田中 は のびあがり 
あら ん かぎり 手 を のばし 
灰 いろ の ゴム の まり 　 光 の 標本 を 
受け かね て ぽ ろ つと おとす 
（ 一 九 二 二 、 六 、 七 ） 
青い 槍 の 葉 
（ mental   sketch   modified ） 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
雲 は 来る くる 南 の 地平 
そら の エレキ を 寄せ て くる 
鳥 は なく 啼く 青木 の ほ ず ゑ 
くも に や な ぎのくわくこどり 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
雲 が ちぎれ て 日 ざし が 降れ ば 
黄金 の 幻 燈 　 草 の 青 
気圏 日本 の ひるま の 底 の 
泥 に ならべる く さ の 列 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
雲 は くるくる 日 は 銀 の 盤 
エレキ づくり の か はや なぎ 
風 が 通れ ば さえ 冴え 鳴らし 
馬 も はねれ ば 黒 びかり 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
雲 が きれ た かまた 日 が そそぐ 
土 の スープ と 草 の 列 
黒く を どり は ひるま の 燈籠 
泥 の コロイド その 底 に 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
りん と 立て 立て 青い 槍 の 葉 
たれ を 刺さ う の 槍 ぢ や なし 
ひかり の 底 で いち に ち 日 が な 
泥 に ならべる く さ の 列 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
雲 が ちぎれ て また 夜 が あけ て 
そら は 黄 水晶 ひで り あめ 
風 に 霧 ふく ぶり きの や なぎ 
くも に しらし ら その や なぎ 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
りん と 立て 立て 青い 槍 の 葉 
そら は エレキ の しろい 網 
かげ と ひかり の 六月 の 底 
気圏 日本 の 青野原 
（ ゆれる ゆれる や なぎ は ゆれる ） 
一 九 二 二 、 六 、 一二 
報告 
さつき 火事 だ と さわぎ まし た の は 虹 で ござい まし た 
もう 一 時間 も つづい て りん と 張 つて 居り ます 
（ 一 九 二 二 、 六 、 一 五 ） 
風景 観察 官 
あの 林 は 
あんまり 緑青 を 盛り 過ぎ た の だ 
それでも 自然 なら しかた ない が 
また 多少 プウルキイン の 現象 に も よる やう だ が 
も 少し そら から 橙 黄 線 を 送 つて もら ふ やう に し たら 
どう だら う 
ああ 何 といふ いい 精神 だ 
株式 取引 所 や 議事堂 で ばかり 
フロツクコート は 着 られる もの で ない 
むしろ こんな 黄 水晶 の 夕方 に 
まつ 青 な 稲 の 槍 の 間 で 
ホルスタイン の 群 を 指導 する とき 
よく 適合 し 効果 も ある 
何 といふ いい 精神 だら う 
たと へ それ が 羊羹 いろ で ぼろぼろ で 
あるいは すこし 暑く も あら う が 
あんな まじめ な 直立 や 
風景 の なか の 敬虔 な 人間 を 
わたくし は いま まで 見 た こと が ない 
（ 一 九 二 二 、 六 、 二 五 ） 
岩手山 
そら の 散乱 反射 の なか に 
古ぼけ て 黒く ゑぐるもの 
ひかり の 微塵 系列 の 底 に 
きたなく しろく 澱む もの 
（ 一 九 二 二 、 六 、 二 七 ） 
高原 
海 だ べ が ど 　 おら 　 おも たれ ば 
やつ ぱり 光る 山 だ た ぢ や い 
ホウ 
髪 毛 　 風 吹け ば 
鹿 踊り だ ぢ や い 
（ 一 九 二 二 、 六 、 二 七 ） 
印象 
ラリツクス の 青い の は 
木 の 新鮮 と 神経 の 性質 と 両方 から くる 
その とき 展望 車 の 藍 いろ の 紳士 は 
Ｘ 型 の かけ が ね の つい た 帯革 を しめ 
すき と ほ つて まつ すぐ に たち 
病気 の やう な 顔 を し て 
ひかり の 山 を 見 て ゐ た の だ 
（ 一 九 二 二 、 六 、 二 七 ） 
高級 の 霧 
こいつ は もう 
あんまり 明るい 高級 の 霧 です 
白樺 も 芽 を ふき 
からす むぎ も 
農舎 の 屋根 も 
馬 も なにもかも 
光り すぎ て まぶしく て 
（ よく お わかり の こと で せ う が 
日射し の なか の 青 と 金 
落葉松 は 
たしか とど まつ に 似 て 居り ます ） 
まぶし 過ぎ て 
空気 さ へ すこし 痛い くら ゐ です 
（ 一 九 二 二 、 六 、 二 七 ） 
電車 
トンネル へ は ひる ので つけ た 電 燈 ぢ や ない の です 
車掌 が ほんの おもしろ まぎれ に つけ た の です 
こんな 豆 ば たけ の 風 の なか で 
なあに 　 山 火事 で ござん せ う 
なあに 　 山 火事 で ござん せ う 
あんまり 大き ござん すから 
はてな 　 向 ふ の 光る あれ は 雲 です な 
木 きつ て ゐ ます な 
い ゝ え 　 やつ ぱり 山 火事 で ござん せ う 
おい 　 き さ ま 
日本 の 萱 の 野原 を ゆく ビクトルカランザ の 配下 
帽子 が 風 に とら れる ぞ 
こんど は 青い 稗 を 行く 貧弱 カランザ の 末輩 
き さま の 馬 は もう 汗 で ぬれ て ゐる 
（ 一 九 二 二 、 八 、 一 七 ） 
天然 誘接 
北斎 の はん の きの 下 で 
黄 の 風車 ま はる ま はる 
いつ ぽん すぎ は 天然 誘接 で は あり ませ ん 
槻 と 杉 と が いつ しよ に 生え て いつ しよ に 育ち 
た うとう 幹 が くつ つい て 
険しい 天 光 に 立つ と いふ だけ です 
鳥 も 棲ん で は ゐ ます けれど 
（ 一 九 二 二 、 八 、 一 七 ） 
原 体 剣舞 連 
（ mental   sketch   modified ） 
dah - dah - dah - dah - dah - sko - dah - dah 
こん や 異 装 の げん 月 の し た 
鶏 の 黒尾 を 頭巾 に かざり 
片刃 の 太刀 を ひらめかす 
原 体 村 の 舞 手 たち よ 
鴾 いろ の はる の 樹液 を 
アルペン 農 の 辛酸 に 投げ 
生 しののめ の 草 いろ の 火 を 
高原 の 風 と ひかり に さ ゝ げ 
菩提 樹皮 と 縄 と を まと ふ 
気圏 の 戦士 わが 朋 たち よ 
青 ら みわ たる 気 を ふか み 
楢 と 椈 と の うれ ひ を あつめ 
蛇紋 山地 に 篝 を かかげ 
ひのき の 髪 を うち ゆすり 
まるめろ の 匂 の そら に 
あたらしい 星雲 を 燃せ 
dah - dah - sko - dah - dah 
肌 膚 を 腐植 と 土 に け づら せ 
筋骨 は つめたい 炭酸 に 粗 び 
月 月 に 日光 と 風 と を 焦慮 し 
敬虔 に 年 を 累 ねた 師父 たち よ 
こん や 銀河 と 森 と の まつり 
准 平原 の 天 末 線 に 
さらに も 強く 鼓 を 鳴らし 
うす 月 の 雲 を どよま せ 
Ho !　 Ho !　 Ho ! 
むかし 達 谷 の 悪 路 王 
まつ くらくら の 二 里 の 洞 
わたる は 夢 と 黒 夜 神 
首 は 刻ま れ 漬け られ 
アンドロメダ も か ゞ り に ゆすれ 
青い 仮面 この こけ おどし 
太刀 を 浴 びてはいつぷかぷ 
夜 風 の 底 の 蜘蛛 を どり 
胃袋 は い て ぎつたぎた 
dah - dah - dah - dah - dah - sko - dah - dah 
さらに ただしく 刃 を 合 は せ 
霹靂 の 青 火 を くだし 
四方 の 夜 の 鬼神 を まねき 
樹液 も ふるふ この 夜 さ ひと よ 
赤 ひ た たれ を 地 に ひる が へし 
雹雲 と 風 と を まつれ 
dah - dah - dah - dahh 
夜 風 とどろき ひのき は みだれ 
月 は 射 そそぐ 銀 の 矢並 
打つ も 果てる も 火花 の いのち 
太刀 の 軋り の 消え ぬ ひま 
dah - dah - dah - dah - dah - sko - dah - dah 
太刀 は 稲妻 萱 穂 の さ やぎ 
獅子 の 星座 に 散る 火 の 雨 の 
消え て あと ない 天 の が はら 
打つ も 果てる も ひとつ の いのち 
dah - dah - dah - dah - dah - sko - dah - dah 
一 九 二 二 、 八 、 三一 
グランド 電柱 
あめ と 雲 と が 地面 に 垂れ 
すすき の 赤い 穂 も 洗 は れ 
野原 は すがすがしく な つ た ので 
花巻 グランド 電柱 の 
百 の 碍子 に あつまる 雀 
掠奪 の ため に 田 に は ひり 
うるうる うるうる と 飛び 
雲 と 雨 と の ひかり の なか を 
すばやく 花巻 大 三叉路 の 
百 の 碍子 に もどる 雀 
（ 一 九 二 二 、 九 、 七 ） 
山 巡査 
おお 
何 といふ 立派 な 楢 だ 
緑 の 勲爵 士 だ 
雨 に ぬれ て まつ すぐ に 立つ 緑 の 勲爵 士 だ 
栗 の 木 ばやし の 青 いくら がり に 
しぶき や 雨 に びしやびしや 洗 はれ て ゐる 
その 長い もの は 一体 舟 か 
それとも そり か 
あんまり ロシヤ ふう だ よ 
沼 に 生える もの はや なぎ や サラド 
きれい な 蘆 の サラド だ 
（ 一 九 二 二 、 九 、 七 ） 
電線 工夫 
でん しん ば しら の 気まぐれ 碍子 の 修繕 者 
雲 と あめ と の 下 の あなた に 忠告 いたし ます 
それでは あんまり アラビアンナイト 型 です 
からだ を そんなに 黒く かつ きり 鍵 に まげ 
外套 の 裾 も ぬれ て あやしく 垂れ 
ひどく 手先 を 動かす で も ない その 修繕 は 
あんまり アラビアンナイト 型 です 
あいつ は 悪魔 の ため に あの 上 に 
つけ られ た の だ と 云 はれ た とき 
どう あなた は 弁解 を する つもり です 
（ 一 九 二 二 、 九 、 七 ） 
たび 人 
あめ の 稲田 の 中 を 行く もの 
海坊主 林 の はう へ 急ぐ もの 
雲 と 山 と の 陰気 の なか へ 歩く もの 
もつ と 合羽 を し つかり しめろ 
（ 一 九 二 二 、 九 、 七 ） 
竹 と 楢 
煩悶 です か 
煩悶 なら ば 
雨 の 降る とき 
竹 と 楢 と の 林 の 中 が いい の です 
（ お ま へ こそ 髪 を 刈れ ） 
竹 と 楢 と の 青い 林 の 中 が いい の です 
（ お ま へ こそ 髪 を 刈れ 
そんな 髪 を し て ゐる から 
そんな こと も 考へる の だ ） 
（ 一 九 二 二 、 九 、 七 ） 
銅 線 
おい 　 銅 線 を つか つ た な 
とんぼ の からだ の 銅 線 を つか ひ 出し た な 
はん のき 　 はん の き 
交錯 光 乱 転 
気圏 日本 で は 
た うとう 電線 に 銅 を つか ひ 出し た 
（ 光る もの は 碍子 
過ぎ て 行く もの は 赤い 萱 の 穂 ） 
（ 一 九 二 二 、 九 、 一 七 ） 
滝 沢野 
光波 測定 の 誤差 から 
から 松 の しん は 徒長 し 
柏 の 木 の 烏瓜 ランタン 
（ ひる の 鳥 は 曠野 に 啼き 
あざみ は 青い 棘 に 遷 る ） 
太陽 が 梢 に 発射 する とき 
暗い 林 の 入口 に ひとり たたずむ もの は 
四角 な 若い 樺の木 で 
Green   Dwarf   といふ 品種 
日光 の ため に 燃え尽き さ うに なり ながら 
燃え きら ず 青く けむる その 木 
羽虫 は 一疋 づつ 光り 
鞍掛 や 銀 の 錯乱 
（ 寛政 十 一 年 は 百 二 十 年 前 です ） 
そら の 魚 の 涎 れ は ふりかかり 
天 末 線 の 恐ろし さ 
（ 一 九 二 二 、 九 、 一 七 ） 
東 岩手 火山 
東 岩手 火山 
月 は 水銀 　 後夜 の 喪主 
火山 礫 は 夜 の 沈澱 
火口 の 巨 き な ゑぐりを 見 て は 
たれ も みんな 愕 く はず だ 
（ 風 と し づけ さ ） 
いま 漂着 する 薬師 外輪山 
頂上 の 石 標 も ある 
（ 月光 は 水銀 　 月光 は 水銀 ） 
こんな こと は じつに まれ です 
向 ふ の 黒い 山 … … つて 　 それ です か 
それ は ここ の つづき です 
ここ の つづき の 外輪山 です 
あすこ の てつ ぺん が 絶頂 です 
向 ふ の ？ 
向 ふ の は 御室 火口 です 
これから 外輪山 を めぐる の です けれども 
いま は まだ なんにも 見え ませ ん から 
も すこし 明るく な つて から に し ませ う 
え ゝ 　 太陽 が 出 なく て も 
あかるく な つて 
西 岩手 火山 の はう の 火口湖 や なに か 
見える やう に さ へ なれ ば いい ん です 
お 日 さま は あすこ ら へ んで 拝み ます 
黒い 絶頂 の 右肩 と 
その とき の まつ 赤 な 太陽 
わたくし は 見 て ゐる 
あんまり 真赤 な 幻想 の 太陽 だ 
いま なん 時 です 
三 時 四 十 分 ？ 
ちや うど 一 時間 
いや 四 十 分 あり ます から 
寒い ひと は 提灯 でも 持つ て 
この 岩 の かげ に 居 て ください 
ああ 　 暗い 雲 の 海 だ 
向 ふ の 黒い の は たしかに 早 池峰 です 
線 に な つて 浮き あ が つ てる の は 北上 山地 です 
う しろ ？ 
あれ です か 
あれ は 雲 です 　 柔らか さ う です ね 
雲 が 駒ヶ岳 に 被さ つ た の です 
水蒸気 を 含ん だ 風 が 
駒ヶ岳 に ぶつ つ かつて 
上 に あがり 
あんなに 雲 に なつ た の です 
鳥海山 は 見え ない やう です 
けれども 
夜 が 明け たら 見える かも しれ ませ ん よ 
（ 柔 か な 雲 の 波 だ 
あんな 大きな うねり なら 
月光 会社 の 五 千 噸 の 汽船 も 
動揺 を 感じ は し ない だら う 
その 質 は 
蛋白石 　 glass - wool 
あるいは 水酸化 礬土 の 沈澱 ） 
じ つ さいこん な こと は 稀 な の です 
わたくし は もう 十 何 べ ん も 来 て ゐ ます が 
こんなに しづか で 
そして 暖か な こと は なかつ た の です 
麓 の 谷 の 底 より も 
さつき の 九 合 の 小屋 より も 
却 つて 暖か な くら ゐ です 
今夜 の やう な しづか な 晩 は 
つめたい 空気 は 下 へ 沈ん で 
霜 さ へ 降ら せ 
暖 い 空気 は 
上 に 浮ん で 来る の です 
これ が 気温 の 逆転 です 
御室 火口 の 盛りあがり は 
月 の あかり に 照らさ れ て ゐる の か 
それとも おれ たち の 提灯 の あかり か 
提灯 だ と いふ の は 勿体ない 
ひ はいろ で 暗い 
それでは もう 四 十 分 ばかり 
寄り 合 つて 待つ て おい で なさい 
さ うさ う 　 北 は こ つ ち です 
北斗七星 は 
いま 山の下 の 方 に 落ち て ゐ ます が 
北斗星 は あれ です 
それ は 小熊 座 といふ 
あの 七つ の 中 な の です 
それから 向 ふ に 
縦 に 三つ ならん だ 星 が 見え ませ う 
下 に は 斜め に 房 が 下 つたや うに なり 
右 と 左 と に は 
赤 と 青 と 大きな 星 が あり ませ う 
あれ は オリオン です 　 オライオン です 
あの 房 の 下 の あたり に 
星雲 が ある といふ の です 
いま 見え ませ ん 
その 下 の は 大 犬 の アルフア 
冬 の 晩 いちばん 光 つて 目立つ やつ です 
夏 の 蝎 と うら 表 です 
さあ みなさん 　 ご 勝手 に お あるき なさい 
向 ふ の 白い の です か 
雪 ぢ や あり ませ ん 
けれども 行 つて ごらん なさい 
まだ 一 時間 も あり ます から 
私 も スケツチ を とり ます 
はてな 　 わたくし の 帳面 の 
書い た 分 が たつ た 三 枚 に なつ て ゐる 
事 に よる と 月光 の い た づら だ 
藤原 が 提灯 を 見せ て ゐる 
ああ 頁 が 折れ込ん だ の だ 
さあ では 私 は ひとり 行か う 
外輪山 の 自然 な 美しい 歩道 の 上 を 
月 の 半分 は 赤銅 　 地球 照 
お 月 さま に は 黒い 処 も ある 
後藤 又兵衛 い つつ も 拝ん だ づなす 
私 の ひとり ごと の 反響 に 
小田島 治 衛 が 云 つて ゐる 
山中 鹿之助 だら う 
もう かま は ない 　 歩い て い ゝ 
ど つ ち に し て も それ は 善い こと だ 
二 十 五 日 の 月 の あかり に 照らさ れ て 
薬師 火口 の 外輪山 を あるく とき 
わたくし は 地球 の 華族 で ある 
蛋白石 の 雲 は 遥 に た ゝ へ 
オリオン 　 金 牛 　 もろもろ の 星座 
澄み切り 澄みわた つて 
瞬き さ へ も すく なく 
わたくし の 額 の 上 に かがやき 
さ う だ 　 オリオン の 右肩 から 
ほん た うに 鋼 青 の 壮麗 が 
ふるへ て 私 に やつ て 来る 
三つ の 提灯 は 夢 の 火口 原 の 
白い とこ まで 降り て ゐる 
雪 です か 　 雪 ぢ や ない で せ う 
困 つ た やう に 返事 し て ゐる の は 
雪 で なく 　 仙人 草 の くさ むら な の だ 
さ う でなければ 高陵 土 
残り の 一つ の 提灯 は 
一 升 の ところ に 停 つ て ゐる 
それ は き つ と 河村 慶 助 が 
外套 の 袖 に ぼんやり 手 を 引つ 込め て ゐる 
御室 の 方 の 火口 へ で も お 入り なさい 
噴火口 へ で も 入 つて ごらん なさい 
硫黄 の つぶ は 拾 へ ない で せ う が 
斯 ん なに よく 声 が と ゞ く の は 
メガ ホーン も しかけ て ある の だ 
しばらく 躊躇 し て ゐる やう だ 
先生 　 中 さ 入 つて も いが べ すか 
え ゝ 　 お は ひり なさい 　 大丈夫 です 
提灯 が 三つ 沈ん で しまふ 
その でこぼこ の まつ 黒 の 線 
すこし の かなし さ 
けれども これ はい つたい なんと いふ い ゝ こと だ 
大きな 帽子 を かぶり 
ちぎれ た 繻子 の マント を 着 て 
薬師 火口 の 外輪山 の 
しづか な 月明 を 行く と いふ の は 
この 石 標 は 
下向 の 道 と 書い て ある に さ う ゐ ない 
火口 の なか から 提灯 が 出 て 来 た 
宮沢 の 声 も きこえる 
雲 の 海 の はて は だんだん 平ら に なる 
それ は 一つ の 雲 平 線 を つくる の だ 
雲 平 線 を つくる の だ と いふ の は 
月 の ひかり の ひだり から 
みぎ へ すばやく 擦過 し た 
一つ の 夜 の 幻覚 だ 
いま 火口 原 の 中 に 
一 点 しろく 光る もの 
わたくし を 呼ん で ゐる 呼ん で ゐる の か 
私 は 気圏 オペラ の 役者 です 
鉛筆 の さや は 光り 
速 か に 指 の 黒い 影 は うごき 
唇 を 円く し て 立つ て ゐる 私 は 
たしかに 気圏 オペラ の 役者 です 
また 月光 と 火山 塊 の かげ 
向 ふ の 黒い 巨 き な 壁 は 
熔岩 か 集 塊 岩 　 力強い 肩 だ 
とにかく 夜 が あけ て お鉢 廻り の とき は 
あすこ から こ つ ち へ 出 て 来る の だ 
なまぬるい 風 だ 
これ が 気温 の 逆転 だ 
（ つかれ て ゐる な 
わたし は やつ ぱり 睡 い の だ ） 
火山 弾 に は 黒い 影 
その 妙 好 の 火口丘 に は 
幾 条 か の 軌道 の あと 
鳥 の 声 ！ 
鳥 の 声 ！ 
海抜 六 千 八 百 尺 の 
月明 を かける 鳥 の 声 
鳥 は い よい よし つかり と なき 
私 は ゆ つくり と 踏み 
月 は いま 二つ に 見える 
やつ ぱり 疲れ から の 乱視 な の だ 
かすか に 光る 火山 塊 の 一つ の 面 
オリオン は 幻怪 
月 の ま はり は 熟し た 瑪瑙 と 葡萄 
あくび と 月光 の 動転 
（ あんまり はね ある ぐなぢやい 
汝 ひとり だら いが べ あ 
子供 等 も 連れ で て 目 に あ へ ば 
汝 ひとり で あ すま ない ん だ ぢ や い ） 
火口丘 の 上 に は 天の川 の 小さな 爆発 
みんな の デカンシヨ の 声 も 聞える 
月 の その 銀 の 角 の はじ が 
潰れ て すこし 円く なる 
天 の 海 と オーパル の 雲 
あたたかい 空気 は 
ふつ と 撚 に なつ て 飛ばさ れ て 来る 
きつ と 屈折 率 も 低く 
濃い 蔗糖 溶液 に 
また 水 を 加 へ た やう な の だら う 
東 は 淀み 
提灯 は もと の 火口 の 上 に 立つ 
また 口笛 を 吹い て ゐる 
わたくし も 戻る 
わたくし の 影 を 見 た の か 提灯 も 戻る 
（ その 影 は 鉄 いろ の 背景 の 
ひとり の 修羅 に 見える 筈 だ ） 
さ う 考へ た の は 間 違 ひ らしい 
とにかく あくび と 影 ぼ ふし 
空 の あの 辺 の 星 は 微か な 散点 
す な は ち 空 の 模様 がち が つて ゐる 
そして 今度 は 月 が 蹇 まる 
（ 一 九 二 二 、 九 、 一 八 ） 
（ 犬 、 マサニエロ 等 ） 
なぜ 吠える の だ 　 二 疋 とも 
吠え て こ つ ち へ かけ て くる 
（ 夜明け の ひのき は 心象 の そら ） 
頭 を 下げる こと は 犬 の 常套 だ 
尾 を ふる こと は こ はく ない 
それ だ のに 
なぜ さ う 本気 に 吠える の だ 
その 薄明 の 二 疋 の 犬 
一 ぴき は 灰色 錫 
一 ぴき の 尾 は 茶 の 草 穂 
う しろ へま は つて う な つて ゐる 
わたくし の 歩き かた は 不正 で ない 
それ は 犬 の 中 の 狼 の キメラ が こ はい の と 
も ひとつ は さし つ か へ ない ため 
犬 は 薄明 に 溶解 する 
うなり の 尖端 に は エレキ も ある 
いつも あるく の に なぜ 吠える の だ 
ちや ん と 顔 を 見せ て やれ 
ちや ん と 顔 を 見せ て やれ と 
誰 か と なら ん で ある き ながら 
犬 が 吠え た とき に 云 ひたい 
帽子 が あんまり 大きく て 
おまけ に 下 を 向い て ある い て き た ので 
吠え 出し た の だ 
（ 一 九 二 二 、 九 、 二 七 ） 
マサニエロ 
城 の すすき の 波 の 上 に は 
伊太利 亜 製 の 空間 が ある 
そこで 烏 の 群 が 踊る 
白 雲母 の くも の 幾 きれ 
（ 濠 と 橄欖 天鵞絨 　 杉 ） 
ぐみの木 か そんなに ひ かつて ゆする もの 
七つ の 銀 の すすき の 穂 
（ お 城 の 下 の 桐畑 で も 　 ゆれ て ゐる ゆれ て ゐる 　 桐 が ） 
赤い 蓼 の 花 も うごく 
すゞ め 　 すゞ め 
ゆ つくり 杉 に 飛ん で 稲 に は ひる 
そこ は ど て の 陰 で 気流 も ない ので 
そんなに ゆ つくり 飛べる の だ 
（ なんだか 風 と 悲し さ の ため に 胸 が つまる ） 
ひと の 名前 を なん べ ん も 
風 の なか で 繰り返し て さし つ か へ ない か 
（ もう みんな 鍬 や 縄 を もち 
崖 を おり て き て い ゝ ころ だ ） 
いま は 鳥 の ない しづ か な そら に 
また からす が 横 から は ひる 
屋根 は 矩形 で 傾斜 白く ひかり 
こども が ふたり かけ て 行く 
羽織 を かざし て かける 日本 の 子供 ら 
こんど は 茶 いろ の 雀 ども の 抛物線 
金属 製 の 桑 の こ つ ち を 
も ひとり こども が ゆ つくり 行く 
蘆 の 穂 は 赤い 赤い 
（ ロシヤ だ よ 　 チエホフ だ よ ） 
はこ や なぎ 　 し つかり ゆれろ ゆれろ 
（ ロシヤ だ よ 　 ロシヤ だ よ ） 
烏 が も いちど 飛び あがる 
稀 硫酸 の 中 の 亜鉛 屑 は 烏 の むれ 
お 城 の 上 の そら は こんど は 支那 の そら 
烏 三 疋杉 を すべり 
四 疋 に な つて 旋転 する 
（ 一 九 二 二 、 一 〇 、 一 〇 ） 
栗鼠 と 色鉛筆 
樺 の 向 ふ で 日 は けむる 
つめたい 露 で レール は すべる 
靴 革 の 料理 の ため に レール は すべる 
朝 の レール を 栗鼠 は 横切る 
横切る として たちどまる 
尾 は   der   Herbst 
日 は まつ しろ に けむり だし 
栗鼠 は 走り だす 
水 そば の 苹果 緑 と 石竹 
たれ か 三角 や ま の 草 を 刈 つた 
ず ゐ ぶん うまく きれい に 刈 つた 
緑 いろ の サラアブレツド 
日 は 白金 を くす ぼら し 
一 れつ 黒い 杉 の 槍 
その 早 池峰 と 薬師 岳 と の 雲 環 は 
古い 壁画 の きらら から 
再生 し て き て 浮き だし た の だ 
色鉛筆 が ほしい つて 
ステツドラア の みじかい ペン か 
ステツドラア の ならい い ん だ が 
来月 に し て もら ひ たい な 
まあ あの 山 と 上 の 雲 と の 模様 を 見ろ 
よく 熟し て ゐ て うまい から 
（ 一 九 二 二 、 一 〇 、 一 五 ） 
無声 慟哭 
永訣 の 朝 
け ふ の うち に 
と ほ く へ い つ て しまふ わたくし の いも う と よ 
みぞ れ が ふつ ておも て は へん に あかるい の だ 
（ あめ ゆ じ ゆ と て ち て けんじ や ） ＊ 
うす あかく い つ そう 陰惨 な 雲 から 
みぞ れ は びちよびちよふつてくる 
（ あめ ゆ じ ゆ と て ち て けんじ や ） 
青い 蓴菜 の もやう の つい た 
これら ふたつ の かけ た 陶 椀 に 
お ま へ が たべる あめ ゆき を とら う として 
わたくし はま が つた てつ ぱうだまのやうに 
この くらい みぞ れ の なか に 飛びだし た 
（ あめ ゆ じ ゆ と て ち て けんじ や ） 
蒼鉛 いろ の 暗い 雲 から 
みぞ れ は びちよびちよ 沈ん で くる 
ああ とし子 
死ぬ といふ いま ごろ に なつ て 
わたくし を い つ し やう あかるく する ため に 
こんな さ つ ぱりした 雪 の ひと わん を 
お ま へ は わたくし に たのん だ の だ 
ありがたう わたくし の けなげ な いも う と よ 
わたくし も まつ すぐ に すすん で いく から 
（ あめ ゆ じ ゆ と て ち て けんじ や ） 
はげしい はげしい 熱 やあ へ ぎのあひだから 
お ま へ は わたくし に たのん だ の だ 
銀河 や 太陽 　 気圏 など と よば れ た せか い の 
そら から おち た 雪 の さい ご の ひと わん を … … 
… … ふた きれ のみ かげ せ きざ いに 
みぞ れ はさ びしくたまつてゐる 
わたくし は その う へ に あぶなく たち 
雪 と 水 と の まつ しろ な 二 相 系 を たもち 
すき と ほる つめたい 雫 に みち た 
この つややか な 松 の え だから 
わたくし の やさしい いも う と の 
さい ご の たべ もの を もら つ て いか う 
わたし たち が いつ しよ に そだつ て き た あ ひだ 
みなれ たち や わん の この 藍 の もやう に も 
もうけ ふお ま へ は わか れ て しまふ 
（ Ora   Orade   Shitori   egumo ） ＊ 
ほん た うに け ふお ま へ は わか れ て しまふ 
ああ あの とざさ れ た 病室 の 
くらい びやうぶやかやのなかに 
やさしく あ を じ ろ く 燃え て ゐる 
わたくし の けなげ な いも う と よ 
この 雪 は どこ を えらば う に も 
あんまり どこ も まつ しろ な の だ 
あんな おそろしい みだれ た そら から 
この うつくしい 雪 が き た の だ 
（ うまれで くる た て ＊ 
こんど はこ た に わり や の ごと ばかり で 
くるしま なあ よ に うまれ て くる ） 
お ま へ が たべる この ふた わん の ゆき に 
わたくし は いま こころから いのる 
どうか これ が 天上 の アイスクリーム に なつ て 
お ま へ と みんな と に 聖 い 資 糧 を もたらす やう に 
わたくし の すべて の さい は ひ を かけ て ねが ふ 
一 九 二 二 、 一一 、 二 七 
松 の 針 
さつき の みぞ れ を とつ て き た 
あの きれい な 松 の え だ だ よ 
おお 　 お ま へ は まるで とびつく やう に 
その みどり の 葉 に あつい 頬 を あてる 
そんな 植物 性 の 青い 針 の なか に 
はげしく 頬 を 刺さ せる こと は 
むさぼる やう に さ へ する こと は 
どんなに わたくし たち を おどろかす こと か 
そんなに まで も お ま へ は 林 へ 行き たかつ た の だ 
お ま へ が あんなに ねつ に 燃さ れ 
あせ や いたみ で もだえ て ゐる とき 
わたくし は 日 の てる とこ で たのしく はたらい たり 
ほか の ひと の こと を かん が へ ながら 森 を あるい て ゐ た 
ああ いい 　 さ つ ぱりした ＊ 
まるで 林 の なが さ 来 た よ だ 
鳥 の やう に 栗鼠 の やう に 
お ま へ は 林 を し た つて ゐ た 
どんなに わたくし が うらやまし かつ たら う 
ああ け ふ の うち に と ほ く へ さらう と する いも う と よ 
ほん た うに お ま へ は ひとり で いか う と する か 
わたくし に い つ しよ に 行け と たのん で くれ 
泣い て わたくし に さ う 言 つ て くれ 
お ま へ の 頬 の 　 けれども 
なんと いふ け ふ の うつくし さ よ 
わたくし は 緑 の かや のう へ に も 
この 新鮮 な 松 の え だ を おか う 
いま に 雫 も おちる だら う し 
そら 
さ は や か な 
terpentine   の 匂 も する だら う 
一 九 二 二 、 一一 、 二 七 
無声 慟哭 
こんなに みんな に みまもら れ ながら 
お ま へ は まだ ここ で くるしま なけれ ば なら ない か 
ああ 巨 き な 信 のち から から ことさら に は なれ 
また 純粋 や ち ひ さ な 徳性 のか ず を うし な ひ 
わたくし が 青 ぐらい 修羅 を あるい て ゐる とき 
お ま へ はじ ぶん に さだめ られ た みち を 
ひとり さびしく 往か う と する か 
信仰 を 一つ に する た つた ひとり の みち づれのわたくしが 
あかるく つめたい 精進 の みち から かなしく つかれ て ゐ て 
毒草 や 蛍光 菌 の くらい 野原 を ただ よ ふとき 
お ま へ は ひとり どこ へ 行か う と する の だ 
（ おら 　 おか ない ふうし てら べ ） ＊ 
何 といふ あきらめ た やう な 悲痛 な わら ひ やう を し ながら 
また わたくし の どんな ち ひ さ な 表情 も 
けつ し て 見 遁 さ ない やう に し ながら 
お ま へ は けなげ に 母 に 訊く の だ 
（ うん に や 　 ず ゐ ぶん 立派 だ ぢ や い 
け ふ は ほんとに 立派 だ ぢ や い ） 
ほん た う に さ う だ 
髪 だ つ て い つ そう くろい し 
まるで こども の 苹果 の 頬 だ 
どうか きれい な 頬 を し て 
あたらしく 天 に うまれ て くれ 
それでも から だ くさ え が べ ？ ＊ 
うん に や 　 いつか う 
ほん た うに そんな こと は ない 
か へ つて ここ はなつ の の はら の 
ち ひ さ な 白い 花 の 匂 で い つ ぱいだから 
ただ わたくし は それ を いま 言 へ ない の だ 
（ わたくし は 修羅 を あるい て ゐる の だ から ） 
わたくし の かなし さ う な 眼 を し て ゐる の は 
わたくし の ふたつ の こころ を みつめ て ゐる ため だ 
ああ そんなに 
かなしく 眼 を そらし て は いけ ない 
一 九 二 二 、 一一 、 二 七 
＊ あめ ゆき とつ て き て ください 
＊ あたし は あたし で ひとり いき ます 
＊ また ひと に うまれ て くる とき は 
こんなに じ ぶん の こと ばかり で 
くるしま ない やう に うまれ て き ます 
＊ ああ いい 　 さ つ ぱりした 
まるで はやし の なか に き た やう だ 
＊ あたし こ は い ふう を し てる で せ う 
＊ それでも わるい に ほ ひで せ う 
風 林 
（ かし は の なか に は 鳥 の 巣 が ない 
あんまり がさがさ 鳴る ため だ ） 
ここ は 艸 が あんまり 粗く 
と ほ いそ ら から 空気 を す ひ 
お も ひ きり 倒れる に てきし ない 
そこ に 水 いろ に よ こ た はり 
一 列 生徒 ら が やすん で ゐる 
（ かげ は よる と 亜鉛 と から 合成 さ れる ） 
それ を うし ろ に 
わたくし は この 草 に からだ を 投げる 
月 は いま しだい に 銀 の アトム を うし な ひ 
かし は は せ なか を くろく かがめる 
柳沢 の 杉 は コロイド より も なつかしく 
ば うず の 沼森 の むか ふ に は 
騎兵 聯隊 の 灯 も 澱ん で ゐる 
ああ おら は あど 死ん で も い 
おら も 死ん で も い 
（ それ は しよ ん ぼり たつ て ゐる 宮沢 か 
さ う で なけれ ば 小田島 国友 
向 ふ の 柏 木立 の うし ろ の 闇 が 
きらきら つと いま 顫 へ た の は 
Egmont   Overture   に ち が ひ ない 
たれ が そんな こと を 云 つ た か は 
わたくし は むしろ かん が へ ない で いい ） 
伝 さん 　 し や つつ 何 枚 　 三 枚 着 た の 
せい の 高く ひと の いい 佐藤 伝四郎 は 
月光 の 反照 の にぶい たそがれ の なか に 
し やつ のぼ たん を はめ ながら 
きつ と 口 を まげ て わら つて ゐる 
降 つ て くる もの は よる の 微塵 や 風 の かけ ら 
よ こ に 鉛 の 針 に なつ て ながれる もの は 月光 の にぶ 
ほお 　 おら … … 
言 ひ かけ て なぜ 堀田 は やめる の か 
おし まひ の 声 も さびしく 反響 し て ゐる し 
さ う いふ こと は いへ ば いい 
（ 言 は ない なら 手帳 へ 書く の だ ） 
とし子 とし子 
野原 へ 来れ ば 
また 風 の 中 に 立て ば 
きつ とお ま へ を お も ひ だす 
お ま へ は その 巨 き な 木星 のう へ に 居る の か 
鋼 青 壮麗 の そら のむ か ふ 
（ ああ けれども その どこ かも 知れ ない 空間 で 
光 の 紐 や オーケストラ が ほん た うに ある の か 
… … … … 此処 あ 日 あ 永 あがく て 
一 日 の うち の 何 時 だ が も わ がら ない で … … 
ただ ひと きれ の お ま へ から の 通信 が 
いつか 汽車 の なか で わたくし に とどい た だけ だ ） 
とし子 　 わたくし は 高く 呼ん で みよ う か 
手 凍え だ 
手 凍え だ ？ 
俊夫 ゆ ぐ 凍える な 
こ な ひだ も ボダン おれ さ 掛 げ ら せ だ ぢ や い 
俊夫 といふ の は ど つ ち だら う 　 川村 だら う か 
あの 青ざめ た 喜劇 の 天才 「 植物 医師 」 の 一役 者 
わたくし は はね 起き なけれ ば なら ない 
お ゝ 　 俊夫 て ど つ ちの 俊夫 
川村 
やつ ぱりさうだ 
月光 は 柏 の むれ を うきたた せ 
かし は はいち めん さらさら と 鳴る 
（ 一 九 二 三 、 六 、 三 ） 
白い 鳥 
みんな サラーブレツド だ 
あゝ いふ 馬 　 誰 行 つて も 押 へる に いが べ が 
よ つ ぽ ど なれ た ひと で ない と 
古風 な くら かけ や ま の し た 
おき なぐ さ の 冠 毛 が そよぎ 
鮮 か な 青い 樺の木 の し た に 
何 匹 か あつまる 茶 いろ の 馬 
じつに すてき に 光 つて ゐる 
（ 日本 絵巻 の そら の 群青 や 
天 末 の   turquois   はめ づら しく ない が 
あんな 大きな 心 相 の 
光 の 環 は 風景 の 中 に すく ない ） 
二 疋 の 大きな 白い 鳥 が 
鋭く かなしく 啼き か は し ながら 
しめ つ た 朝 の 日光 を 飛ん で ゐる 
それ は わたくし の いも う と だ 
死ん だ わたくし の いも う と だ 
兄 が 来 た ので あんなに かなしく 啼い て ゐる 
（ それ は 一応 は まちがひ だ けれども 
まつ たく まち が ひと は 言 はれ ない ） 
あんなに かなしく 啼き ながら 
朝 の ひかり を とん で ゐる 
（ あさの 日光 で は なく て 
熟し て つか れ た ひる すぎ らしい ） 
けれども それ も 夜 ど ほし あるい て き た ため の 
vague   な 銀 の 錯覚 な ので 
（ ちや ん と 今朝 あの ひしげ て 融け た 金 の 液体 が 
青い 夢 の 北上 山地 から の ぼつ た の を わたくし は 見 た ） 
どうして それら の 鳥 は 二 羽 
そんなに かなしく きこえる か 
それ はじ ぶん に すく ふち から を うし なつ た とき 
わたくし の いも う と を もうし な つた 
その かなしみ による の だ が 
（ ゆ ふ べ は 柏 ばやし の 月あかり の なか 
けさ は すずらん の 花 の むらがり の なか で 
なん べ ん わたくし は その 名 を 呼び 
また たれ と も わから ない 声 が 
人 の ない 野原 の はて から こ た へ て き て 
わたくし を 嘲笑 し た こと か ） 
その かなしみ による の だ が 
また ほん た うに あの 声 も かなしい の だ 
いま 鳥 は 二 羽 　 か ゞ やい て 白く ひる が へり 
むか ふ の 湿地 　 青い 蘆 の なか に 降りる 
降りよ う として また のぼる 
（ 日本 武 尊 の 新 らしい 御陵 の 前 に 
おき さき たち が うち ふし て 嘆き 
そこ から たまたま 千鳥 が 飛べ ば 
それ を 尊 のみ たま とお も ひ 
蘆 に 足 を も 傷つけ ながら 
海 べ を し たつ て 行か れ た の だ ） 
清原 が わら つて 立つ て ゐる 
（ 日 に 灼け て 光 つて ゐる ほん た う の 農村 の こども 
その 菩薩 ふう の あ たま の 容 は ガンダーラ から 来 た ） 
水 が 光る 　 きれい な 銀 の 水 だ 
さあ あすこ に 水 が ある よ 
口 を すゝ いで さ つ ぱりして 往か う 
こんな きれい な 野 はら だ から 
（ 一 九 二 三 、 六 、 四 ） 
オホーツク 挽歌 
青森 挽歌 
こんな やみ よ の の は ら の なか を ゆく とき は 
客車 の ま ど は みんな 水族館 の 窓 に なる 
（ 乾い た でん しん ば しら の 列 が 
せ は しく 遷 つて ゐる らしい 
きし や は 銀河系 の 玲瓏 レンズ 
巨 き な 水素 の りんご の なか を かけ て ゐる ） 
りんご の なか を は し つ て ゐる 
けれども ここ はい つたい どこ の 停車場 だ 
枕木 を 焼い て こ さ へた 柵 が 立ち 
（ 八月 の 　 よる の しじま の 　 寒天 凝 膠 ） 
支手 の ある いち れつ の 柱 は 
なつかしい 陰影 だけ で でき て ゐる 
黄いろ な ラムプ が ふたつ 点き 
せい たかく あ を じ ろ い 駅長 の 
真鍮 棒 も みえ なけれ ば 
じつは 駅長 の かげ も ない の だ 
（ その 大学 の 昆虫 学 の 助手 は 
こんな 車 室 い つ ぱいの 液体 の なか で 
油 の ない 赤 髪 を もじ やも じ やし て 
かばん に も たれ て 睡 つ て ゐる ） 
わたくし の 汽車 は 北 へ 走 つ て ゐる はず な のに 
ここ で は みなみ へ かけ て ゐる 
焼 杭 の 柵 は あちこち 倒れ 
はるか に 黄いろ の 地平線 
それ は ビーア の 澱 を よどま せ 
あやしい よる の 　 陽炎 と 
さびしい 心意 の 明滅 に まぎれ 
水 いろ 川 の 水 いろ 駅 
（ おそろしい あの 水 いろ の 空虚 な の だ ） 
汽車 の 逆行 は 希求 の 同時 な 相反 性 
こんな さびしい 幻想 から 
わたくし は はやく 浮びあがら なけれ ば なら ない 
そこら は 青い 孔雀 の はね で い つ ぱい 
真鍮 の 睡 さうな 脂肪酸 に みち 
車 室 の 五つ の 電 燈 は 
いよいよ つめたく 液化 さ れ 
（ 考 へ ださ なけれ ば なら ない こと を 
わたくし は いたみ や つか れ から 
なるべく お も ひ ださ う と し ない ） 
今日 の ひる すぎ なら 
け は しく 光る 雲 の し た で 
まつ たく おれ たち は あの 重い 赤い ポムプ を 
ばか の やう に 引つ ぱつたりついたりした 
おれ は その 黄いろ な 服 を 着 た 隊長 だ 
だから 睡 い の は しかた ない 
（ お ゝ お ま へ 　 せ は しい みち づれよ 
どうか ここ から 急い で 去ら ない で くれ 
尋常 一 年生 　 ドイツ の 尋常 一 年生 
いきなり そんな 悪い 叫び を 
投げつける の は い つたい たれ だ 
けれども 尋常 一 年生 だ 
夜中 を 過ぎ た いま ごろ に 
こんなに ぱつちり 眼 を あく の は 
ドイツ の 尋常 一 年生 だ ） 
あいつ は こんな さびしい 停車場 を 
たつ た ひとり で 通 つて い つ たら う か 
どこ へ 行く と も わから ない その 方向 を 
どの 種類 の 世界 へ は ひる と も しれ ない その みち を 
たつ た ひとり で さびしく あるい て 行 つ たら う か 
（ 草 や 沼 や です 
一 本 の 木 も です ） 
ギル ちや ん まつ さ を に な つて すわ つ て ゐ た よ 
こ おんな に し て 眼 は 大きく あい て た けど 
ぼく たち の こと は まるで みえ ない や うだつ た よ 
ナーガラ が ね 　 眼 を じ つと こんなに 赤く し て 
だんだん 環 を ち ひさ くし た よ 　 こんなに 
し 　 環 を お 切り 　 そら 　 手 を 出し て 
ギル ちや ん 青く て すき と ほる やう だ つ た よ 
鳥 が ね 　 たくさん た ね まき の とき の やう に 
ば あ つと 空 を 通 つたの 
でも ギル ちや ん だ まつ て ゐ た よ 
お 日 さま あんまり 変 に 飴 いろ だ つたわ ねえ 
ギル ちや ん ち つ とも ぼく たち の こと み ない ん だ もの 
ぼく ほん た うに つら かつ た 
さつき おもだか の とこ で あんまり はし や いで た ねえ 
どうして ギル ちや ん ぼく たち の こと み なかつ たら う 
忘れ たら う か あんなに いつ しよ に あそん だ のに 
かん が へ ださ なけれ ば なら ない こと は 
どうしても かん が へ ださ なけれ ば なら ない 
とし子 は みんな が 死ぬ と なづける 
その やり かた を 通 つて 行き 
それから さき どこ へ 行 つ た か わから ない 
それ は おれ たち の 空間 の 方向 で は かられ ない 
感ぜ られ ない 方向 を 感じよ う と する とき は 
たれ だ つて みんな ぐるぐる する 
耳 ご うど 鳴 つて さ つ ぱり 聞け な ぐなつたんちやい 
さ う 甘える やう に 言 つて から 
たしかに あいつ はじ ぶん の ま はり の 
眼 に は はつ きり みえ て ゐる 
なつかしい ひと たち の 声 を きか なかつ た 
に は かに 呼吸 が とまり 脈 が うた なくなり 
それから わたくし が はし つて 行 つ た とき 
あの きれい な 眼 が 
なに か を 索 め る やう に 空しく うごい て ゐ た 
それ は もう わたくし たち の 空間 を 二度と 見 なかつ た 
それから あと で あいつ は なに を 感じ たら う 
それ は まだ おれ たち の 世界 の 幻視 を み 
おれ たち の せ かい の 幻聴 を きい たら う 
わたくし が その 耳 もと で 
遠い ところ から 声 を とつ て き て 
そら や 愛 や りんご や 風 　 すべて の 勢力 の たのしい 根源 
万象 同 帰 の その いみ じい 生物 の 名 を 
ち から い つ ぱいちからいつぱい 叫ん だ とき 
あいつ は 二 へん うなづく やう に 息 を し た 
白い 尖 つ た あご や 頬 が ゆすれ て 
ち ひさい とき よく おどけ た とき に し た やう な 
あんな 偶然 な 顔つき に みえ た 
けれども たしかに うなづい た 
ヘツケル 博士 ！ 
わたくし が その ありがたい 証明 の 
任 に あ たつ て も よろし う ござい ます 
仮睡 硅酸 の 雲 の なか から 
凍ら す やう な あんな 卑怯 な 叫び声 は … … 
（ 宗谷海峡 を 越える 晩 は 
わたくし は 夜 ど ほし 甲板 に 立ち 
あ たま は 具 へ なく 陰湿 の 霧 を かぶり 
から だ は けがれ た ね が ひ に みたし 
そして わたくし は ほん た うに 挑戦 しよ う ） 
たしかに あの とき は うなづい た の だ 
そして あんなに つぎ の あさ まで 
胸 が ほ と つて ゐ た くら ゐ だ から 
わたくし たち が 死ん だ と い つ て 泣い た あと 
とし子 は まだまだ この世 かい の からだ を 感じ 
ねつ や いたみ を はなれ た ほのか な ねむり の なか で 
ここ で みる やう な ゆめ を み て ゐ た かも しれ ない 
そして わたくし は それら の しづか な 夢幻 が 
つ ぎのせかいへつゞくため 
明るい い ゝ 匂 の する もの だ つ た こと を 
どんなに ね が ふか わから ない 
ほん た うに その 夢 の 中 の ひと くさり は 
かん 護 と かなしみ と に つかれ て 睡 つて ゐ た 
お しげ子 たち の あけ がた の なか に 
ぼんやり として は ひつ て き た 
黄いろ な 花 こ 　 おら も とる べ が な 
たしかに とし子 は あの あけ がた は 
まだ この世 かい の ゆめ の なか に ゐ て 
落葉 の 風 に つみかさね られ た 
野 は ら を ひとり ある き ながら 
ほか の ひと の こと の やう に つぶやい て ゐ た の だ 
そして そのまま さびしい 林 の なか の 
いつ ぴき の 鳥 に な つた だら う か 
I ' estudiantina   を 風 に きき ながら 
水 の ながれる 暗い はやし の なか を 
かなしく う たつ て 飛ん で 行 つ たら う か 
やがて は そこ に 小さな プロペラ の やう に 
音 を たて て 飛ん で き た あたらしい ともだち と 
無心 の とり の うた を うた ひ ながら 
たより なく さま よ つて 行 つ たら う か 
わたくし は どうして もさ う 思は ない 
なぜ 通信 が 許さ れ ない の か 
許さ れ て ゐる 　 そして 私 の うけ と つた 通信 は 
母 が 夏 の かん 病 の よる に ゆめみ た と おなじ だ 
どうして わたくし は さうな の を さ う と 思は ない の だら う 
それら ひと の せ かい の ゆめ は うすれ 
あかつき の 薔薇 いろ を そら に かんじ 
あたらしく さ は や か な 感官 を かんじ 
日光 の なか の けむり の やう な 羅 を かんじ 
かがやい て ほのか に わら ひ ながら 
はなやか な 雲 や つめたい に ほ ひ の あ ひだ を 
交錯 する ひかり の 棒 を 過ぎり 
われ ら が 上方 と よぶ その 不可思議 な 方角 へ 
それ が その やう で ある こと に おどろき ながら 
大 循環 の 風 より も さ はや かに の ぼつ て 行 つた 
わたくし は その 跡 を さ へた づねることができる 
そこ に 碧 い 寂 か な 湖水 の 面 を のぞみ 
あまりに も その た ひらか さ と かがやき と 
未知 な 全 反射 の 方法 と 
さめ ざめとひかりゆすれる 樹 の 列 を 
ただしく うつす こと を あやしみ 
やがて は それ が おの づか ら 研か れ た 
天 の 瑠璃 の 地面 と 知 つ てこ ゝ ろ わななき 
紐 に なつ て ながれる そ ら の 楽音 
また 瓔珞 や あやしい うす もの を つけ 
移ら ず しかも しづか に ゆき きする 
巨 き なす あし の 生物 たち 
遠い ほのか な 記憶 の なか の 花 の かをり 
それら の なか に しづか に 立つ たら う か 
それとも おれ たち の 声 を 聴か ない のち 
暗紅 色 の 深く も わるい がらん 洞 と 
意識 ある 蛋白 質 の 砕ける とき に あげる 声 
亜硫酸 や 笑気 の に ほ ひ 
これら を そこ に 見る なら ば 
あいつ は その 中 に まつ 青 に な つて 立ち 
立つ て ゐる と も よろめい て ゐる と も わから ず 
頬 に 手 を あて て ゆめ そのもの の やう に 立ち 
（ わたくし が いま ごろ こんな もの を 感ずる こと が 
い つ たい ほん た う の こと だら う か 
わたくし といふ もの が こんな もの を みる こと が 
い つたい あり うる こと だら う か 
そして ほん た うに み て ゐる の だ ） と 
斯 うい つて ひとり なげく かも しれ ない … … 
わたくし の こんな さびしい 考 は 
みんな よる の ため に できる の だ 
夜 が あけ て 海岸 へ かかる なら 
そして 波 が きらきら 光る なら 
なにもかも みんな いい かも しれ ない 
けれども とし子 の 死ん だ こと なら ば 
いま わたくし が それ を 夢 で ない と 考へ て 
あたらし くぎ くつ と し なけれ ば なら ない ほど の 
あんまり ひどい げん じつな の だ 
感ずる こと の あまり 新鮮 に すぎる とき 
それ を が いね ん 化 する こと は 
きち が ひ に なら ない ため の 
生物 体 の 一つ の 自衛 作用 だ けれども 
いつ でも ま もつ て ばかり ゐ て は いけ ない 
ほん た うに あいつ は ここ の 感官 を うし なつ た のち 
あらた に どんな からだ を 得 
どんな 感官 を かんじ た だら う 
なん べ ん これ を かん が へ た こと か 
むかし から の 多数 の 実験 から 
倶舎 が さつき の やう に 云 ふ の だ 
二度と これ を くり返し て は いけ ない 
おも て は 軟玉 と 銀 の モナド 
半月 の 噴い た 瓦斯 で い つ ぱいだ 
巻積雲 の はらわ た まで 
月 の あかり は しみわたり 
それ は あやしい 蛍光板 に なつ て 
いよいよ あやしい 苹果 の 匂 を 発散 し 
なめらか に つめたい 窓 硝子 さ へ 越え て くる 
青森 だ から と いふ の で は なく 
大 てい 月 が こんな やう な 暁 ちかく 
巻積雲 に は ひる とき … … 
おいおい 　 あの 顔 いろは 少し 青 かつ た よ 
だま つて ゐろ 
おれ の いも う と の 死 顔 が 
まつ 青 だら う が 黒から う が 
き さま に どう 斯 う 云 はれる か 
あいつ は どこ へ 堕ちよ う と 
もう 無上 道 に 属し て ゐる 
力 に みち て そこ を 進む もの は 
どの 空間 に でも 勇ん で とびこん で 行く の だ 
ぢ き もう 東 の 鋼 も ひかる 
ほん た うに け ふ の … … きのふ の ひるま なら 
おれ たち は あの 重い 赤い ポムプ を … … 
も ひとつ きかせ て あげよ う 
ね 　 じ つ さ いね 
あの とき の 眼 は 白 かつ た よ 
すぐ 瞑り かね て ゐ た よ 
まだ い つ て ゐる の か 
もう ぢ きよ る は あける のに 
すべて ある が ごとく に あり 
か ゞ やく ごとく に かがやく もの 
お ま へ の 武器 や あらゆる もの は 
お ま へ に くらく おそろしく 
ま こと は たのしく あかるい の だ 
みんな むかし から のき やう だい な の だ から 
けつ し て ひとり を い の つて は いけ ない 
ああ 　 わたくし は けつ し て さ うし ませ ん でし た 
あいつ が なく な つて から あと の よる ひる 
わたくし は ただ の 一 ど たり と 
あいつ だけ が いい とこ に 行け ば いい と 
さ うい のり は し なかつ た とお も ひ ます 
（ 一 九 二 三 、 八 、 一 ） 
オホーツク 挽歌 
海面 は 朝 の 炭酸 の ため に す つかり 銹 びた 
緑青 の とこ も あれ ば 藍 銅鉱 の とこ も ある 
むか ふ の 波 のち ゞ れ た あたり はず ゐ ぶん ひどい 瑠璃 液 だ 
チモシイ の 穂 が こんなに みじかく な つて 
か はる が はる かぜ に ふか れ て ゐる 
（ それ は 青 いい ろ の ピアノ の 鍵 で 
か はる が はる 風 に 押さ れ て ゐる ） 
あるいは みじかい 変種 だら う 
し づく の なか に 朝顔 が 咲い て ゐる 
モーニンググローリ の その グローリ 
いま さ つき の 曠原風 の 荷馬 車 が くる 
年 老 つた 白い 重 挽馬 は 首 を 垂れ 
また この 男 の ひと の よ さ は 
わたくし がさつき あの がらん と し た 町 か ど で 
浜 の いちばん 賑やか な とこ は どこ です か と きい た 時 
そつ ち だら う 　 向 ふ に は 行 つ た こと が ない から と 
さ う 云 つ た こと で も よく わかる 
いま わたくし を 親切 な よ こ 目 で み て 
（ その 小さな レンズ に は 
たしか 樺太 の 白い 雲 も うつつ て ゐる ） 
朝顔 より は むしろ 牡丹 の やう に みえる 
お ほ き な は まばら の 花 だ 
まつ 赤 な 朝 の はまなす の 花 です 
ああ これら の するどい 花 の に ほ ひ は 
もう どうしても 　 妖精 の し わざ だ 
無数 の 藍 いろ の 蝶 を もたらし 
ま たち ひ さ な 黄金 の 槍 の 穂 
軟玉 の 花瓶 や 青い 簾 
それに あんまり 雲 が ひかる ので 
たのしく 激しい めまぐるし さ 
馬 の ひ づめの 痕 が 二 つづ つ 
ぬれ て 寂 まつ た 褐砂 の 上 について ゐる 
もちろん 馬 だけ 行 つたの で は ない 
広い 荷馬 車 の わ だ ち は 
こんなに 淡い ひと つづり 
波 の 来 た あと の 白い 細い 線 に 
小さな 蚊 が 三 疋 さま よ ひ 
また ほのぼの と 吹きとばさ れ 
貝殻 の い ぢ らしく も 白い か けら 
萱草 の 青い 花軸 が 半分 砂 に 埋もれ 
波 は よせる し 砂 を 巻く し 
白い 片岩 類 の 小 砂利 に 倒れ 
波 で きれい に みがか れ た 
ひと きれ の 貝殻 を 口 に 含み 
わたくし は しばらく ねむら う とお も ふ 
なぜなら さつき あの 熟 し た 黒い 実 の つい た 
まつ 青 な こけ もも の 上等 の 敷物 と 
お ほ き な 赤い は まばら の 花 と 
不思議 な 釣鐘草 と の なか で 
サガレン の 朝 の 妖精 に やつ た 
透明 な わたくし の エネルギー を 
いま これら の 濤 の おと や 
しめ つた に ほ ひ の いい 風 や 
雲 の ひかり から 恢復 し なけれ ば なら ない から 
それに だいいち いま わたくし の 心象 は 
つかれ の ため に す つかり 青ざめ て 
眩 ゆい 緑 金 に さ へ な つて ゐる の だ 
日射し や 幾重 の 暗い そら から は 
あやしい 鑵鼓 の 蕩音 さ へ する 
わびしい 草 穂 や ひかり の も や 
緑青 は 水平 線 まで うらら か に 延び 
雲 の 累 帯 構造 の つぎ 目 から 
一 きれ のぞく 天 の 青 
強く も わたくし の 胸 は 刺さ れ て ゐる 
それら の 二つ の 青い いろは 
どちら も とし子 の もつ て ゐ た 特性 だ 
わたくし が 樺太 の ひと の ない 海岸 を 
ひとり 歩い たり 疲れ て 睡 つ たり し て ゐる とき 
とし子 は あの 青い ところ の はて に ゐ て 
なに を し て ゐる の か わから ない 
と ゞ 松 やえ ぞ 松 の 荒 さん だ 幹 や 枝 が 
ご ちや ご ちや 漂 ひ 置か れ た その 向 ふ で 
波 は なん べ ん も 巻い て ゐる 
その 巻く ため に 砂 が 湧き 
潮水 は さびしく 濁 つ て ゐる 
（ 十 一 時 十 五 分 　 その 蒼 じ ろ く 光る 盤面 ） 
鳥 は 雲 の こ つ ち を 上下 する 
ここ から 今朝 舟 が 滑 つて 行 つたの だ 
砂 に 刻ま れ た その 船底 の 痕 と 
巨 き な 横 の 台木 の くぼみ 
それ は ひとつ の 曲 つた 十字架 だ 
幾 本 か の 小さな 木片 で 
HELL   と 書き それ を   LOVE   と な ほし 
ひとつ の 十字架 を たてる こと は 
よく たれ でも が やる 技術 な ので 
とし子 が それ を ならべ た とき 
わたくし は つめたく わら つた 
（ 貝 が ひと きれ 砂 に う づもれ 
白い その ふち ばかり 出 て ゐる ） 
やう やく 乾い た ばかり の こまか な 砂 が 
この 十字架 の 刻み の なか を なが れ 
いま は もう どんどん 流れ て ゐる 
海 が こんなに 青い のに 
わたくし が まだ とし子 の こと を 考へ て ゐる と 
なぜ お ま へ は そんなに ひとり ばかり の 妹 を 
悼ん で ゐる か と 遠い ひと びとの 表情 が 言 ひ 
また わたくし の なか で いふ 
（ Casual   observer   !   Superficial   traveler   !） 
空 が あんまり 光れ ばか へ つて がらんと 暗く みえ 
いま するどい 羽 を し た 三 羽 の 鳥 が 飛ん で くる 
あんなに かなしく 啼き だし た 
なにか しらせ を もつ て き た の か 
わたくし の 片 つ 方 の あ たま は 痛く 
遠く な つた 栄浜 の 屋根 は ひらめき 
鳥 は ただ 一 羽 硝子 笛 を 吹い て 
玉髄 の 雲 に 漂 つ て いく 
町 や はとば の きらら か さ 
その 背 の なだらか な 丘陵 の 鴾 いろは 
いち めん の や な ぎらんの 花 だ 
爽やか な 苹果 青 の 草地 と 
黒 緑 とど まつ の 列 
（ ナモサダルマプフンダリカサスートラ ） 
五 匹 のち ひさ ない そ し ぎが 
海 の 巻い て くる とき は 
よちよち と はせ て 遁 げ 
（ ナモサダルマプフンダリカサスートラ ） 
浪 がた ひらに ひく とき は 
砂 の 鏡 のう へ を 
よちよち と はせ て でる 
（ 一 九 二 三 、 八 、 四 ） 
樺太 鉄道 
や な ぎらんやあかつめくさの 群落 
松脂 岩 薄片 のけ むりがただよひ 
鈴谷 山脈 は 光 霧 か 雲 か わから ない 
（ 灼か れ た 馴鹿 の 黒い 頭骨 は 
線路 の よ この 赤 砂利 に 
ごく 敬虔 に 置か れ て ゐる ） 
そつ と 見 て ごらん なさい 
や なぎ が 青く し げ つて ふるへ て ゐ ます 
きつ と ポラリス や なぎ です よ 
おお 満艦飾 の この え ぞ に ふ の 花 
月光 いろ の かん ざし は 
す な ほな コロボツクル の です 
（ ナモサダルマプフンダリカサスートラ ） 
Van ' t   Hoff   の 雲 の 白髪 の 崇高 さ 
崖 に ならぶ もの は 聖 白樺 
青 びかり 野 は ら を よぎる 細流 
それ は ツンドラ を 截 り 
（ 光る の は 電 しん ば しら の 碍子 ） 
夕陽 に すかし 出さ れる と 
その 緑 金 の 草 の 葉 に 
ごく 精巧 な いちいち の 葉脈 
（ 樺 の 微動 の うつくし さ ） 
黒い 木柵 も 設け られ て 
や な ぎらんの 光 の 点綴 
（ こ ゝ い ら の 樺の木 は 
焼け た 野原 から 生え た ので 
みんな 大乗 風 の 考 を もつ て ゐる ） 
にせもの の 大乗 居士 ども を みんな 灼け 
太陽 も すこし 青ざめ て 
山脈 の 縮れ た 白い 雲の上 に かかり 
列車 の 窓 の 稜 の ひと とこ が 
プリズム に な つて 日光 を 反射 し 
草地 に 投げ られ た スペクトル 
（ 雲 は さつき から ゆ つくり 流れ て ゐる ） 
日 さ へ まもなく かくさ れる 
かくさ れる 前 に は 感応 により 
かくさ れ た 後 に は 威 神力 により 
まばゆい 白 金環 が できる の だ 
（ ナモサダルマプフンダリカサスートラ ） 
たしかに 日 は いま 羊毛 の 雲 に は ひら う として 
サガレン の 八月 の すき と ほ つ た 空気 を 
やう やく 葡萄 の 果汁 の やう に 
また フレツプス の やう に 甘く は つかう させる の だ 
その ため に え ぞ に ふ の 花 が 一 そう 明るく 見え 
松 毛虫 に 食 はれ て 枯れ た その 大きな 山 に 
桃 いろ な 日光 も そそぎ 
すべて 天上 技師   Nature   氏 の 
ごく 斬新 な 設計 だ 
山 の 襞 の ひとつ の かげ は 
緑青 の ゴーシユ 四 辺 形 
その いみ じい 玲瓏 の なか に 
からす が 飛ぶ と 見える の は 
一 本 の ごく せい の 高 いとど まつ の 
風 に 削り 残さ れ た 黒い 梢 だ 
（ ナモサダルマプフンダリカサスートラ ） 
結晶 片岩 山地 で は 
燃え あがる 雲 の 銅 粉 
（ 向 ふ が 燃えれ ば もえる ほど 
ここら の 樺 やや なぎ は 暗く なる ） 
こんな すてき な 瑪瑙 の 天蓋 
その 下 で は ぼろぼろ の 火 雲 が 燃え て 
一 きれ は もう 錬 金 の 過程 を 了 へ 
いま に も 結婚 し さ うに みえる 
（ 濁 つて しづ まる 天 の 青 ら む 一 かけ ら ） 
いち めん いち めん 海 蒼 の チモシイ 
めぐる もの は 神経質 の 色丹 松 
また え ぞ に ふと 桃 花 心木 の 柵 
こんなに 青い 白樺 の 間 に 
鉋 を かけ た 立派 な うち を たて た ので 
これ は おれ の うち だ ぞ と 
その 顔 の 赤い 愉快 な 百姓 が 
井上 と 少し びつこに 大きく 壁 に 書い た の だ 
（ 一 九 二 三 、 八 、 四 ） 
鈴谷 平原 
蜂 が 一 ぴき 飛ん で 行く 
琥珀 細工 の 春 の 器械 
蒼い 眼 を し た すがる です 
（ 私 の とこ へ あら はれ た その 蜂 は 
ちや ん と 抛物線 の 図式 に し た が ひ 
さびしい 未知 へ とん で い つた ） 
チモシイ の 穂 が 青く たのしく ゆれ て ゐる 
それ は たのしく ゆれ て ゐる と い つ た ところ で 
荘厳 ミサ や 雲 環 と おなじ やう に 
うれ ひ や 悲しみ に 対立 する もの で は ない 
だから 新 らしい 蜂 が また 一疋 飛ん で き て 
ぼく の ま はり を とび めぐり 
また 茨 や 灌木 に ひつ かかれ た 
わたし の す あし を 刺す の です 
こんな うるん で 秋 の 雲 の とぶ 日 
鈴谷 平野 の 荒 さん だ 山際 の 焼け跡 に 
わたくし は こんなに たのしく すわ つ て ゐる 
ほん た うに それら の 焼け た と ゞ まつ が 
まつ すぐ に 天 に 立つ て 加 奈太式 に 風 に ゆれ 
また 夢 より も たかく のび た 白樺 が 
青 ぞ ら に わ づか の 新 葉 を つけ 
三 稜 玻璃 に もま れ 
（ うし ろ の 方 は まつ 青 です よ 
クリスマスツリー に 使 ひたい やう な 
あ を い まつ 青い とど まつ が 
いつ ぱいに 生え て ゐる の です ） 
いち めん の や な ぎらんの 群落 が 
光 とも や の 紫いろ の 花 を つけ 
遠く から 近く から けむ つて ゐる 
（ さ は し ぎも 啼い て ゐる 
たしか さ は し ぎの 発動 機 だ ） 
こん や は もう 標本 を い つ ぱいもつて 
わたくし は 宗谷海峡 を わたる 
だから 風の音 が 汽車 の やう だ 
流れる もの は 二 条 の 茶 
蛇 で は なく て 一 ぴき の 栗鼠 
いぶかし さ う に こ つ ち を みる 
（ こんど は 風 が 
みんな の がやがや し た はなし 声 に きこえ 
うし ろ の 遠い 山の下 から は 
好 摩 の 冬 の 青 ぞ ら から 落ち て き た やう な 
すき と ほ つ た 大きな せき ばら ひ が する 
これ は サガレン の 古く から の 誰か だ ） 
（ 一 九 二 三 、 八 、 七 ） 
噴火 湾 （ ノクターン ） 
稚い ゑん どう の 澱粉 や 緑 金 が 
どこ から 来 て こんなに 照らす の か 
（ 車 室 は 軋み わたくし は つか れ て 睡 つ て ゐる ） 
とし子 は 大きく 眼 を あい て 
烈しい 薔薇 いろ の 火 に 燃さ れ ながら 
（ あの 七月 の 高い 熱 … … ） 
鳥 が 棲み 空気 の 水 の やう な 林 の こと を 考へ て ゐ た 
（ かん が へ て ゐ た の か 
いま かん が へ て ゐる の か ） 
車 室 の 軋り は 二 疋 の 栗鼠 
ことし は 勤め に そ と へ 出 て ゐ ない ひと は 
みんな か はる が はる 林 へ 行か う 
赤銅 の 半月 刀 を 腰 に さげ て 
どこ か の 生意気 な アラビヤ 酋長 が 言 ふ 
七月 末 の その ころ に 
思ひ 余 つ た やう に とし子 が 言 つた 
おら あど 死ん で も い ゝ はん て 
あの 林 の 中 さ 行 ぐだい 
うごい で 熱 は 高 ぐなつても 
あの 林 の 中 で だら ほんとに 死ん で も いいはん て 
鳥 の やう に 栗鼠 の やう に 
そんなに さ は や か な 林 を 恋 ひ 
（ 栗鼠 の 軋り は 水車 の 夜明け 
大きな くるみ の 木 の し た だ ） 
一 千 九 百 二 十 三 年 の 
とし子 は やさしく 眼 を みひらい て 
透明 薔薇 の 身 熱 から 
青い 林 を かん が へ て ゐる 
フアゴツト の 声 が 前方 に し 
Funeral   march   が あやしく いま また はじまり 出す 
（ 車 室 の 軋り は かなしみ の 二 疋 の 栗鼠 ） 
栗鼠 お 魚 たべ あん す の すか 
（ 二 等 室 の ガラス は 霜 の もやう ） 
もう 明けがた に 遠く ない 
崖 の 木 や 草 も 明らか に 見え 
車 室 の 軋り も いつか かすれ 
一 ぴき のち ひさ な ち ひ さ な 白い 蛾 が 
天井 の あかし の あたり を 這 つて ゐる 
（ 車 室 の 軋り は 天 の 楽音 ） 
噴火 湾 の この 黎明 の 水 明り 
室蘭 通 ひ の 汽船 に は 
二つ の 赤い 灯 が ともり 
東 の 天 末 は 濁 つ た 孔雀石 の 縞 
黒く 立つ もの は 樺の木 と 楊 の 木 
駒ヶ岳 駒ヶ岳 
暗い 金属 の 雲 を か ぶつ て 立つ て ゐる 
その まつ くら な 雲 の なか に 
とし子 が かくさ れ て ゐる かも しれ ない 
ああ 何 べ ん 理智 が 教 へ て も 
私 の さ びしさはなほらない 
わたくし の 感じ な いち が つた 空間 に 
いま まで ここ に あつ た 現象 が うつる 
それ は あんまり さびしい こと だ 
（ その さびしい もの を 死 といふ の だ ） 
たと へそ のち が つた きらびやか な 空間 で 
とし子 が しづか に わら はう と 
わたくし の かなしみ に い ぢ けた 感情 は 
どうしても どこ か に かくさ れ た とし子 を おも ふ 
（ 一 九 二 三 、 八 、 一 一 ） 
風景 と オルゴール 
不 貪慾 戒 
油紙 を 着 て ぬれ た 馬 に 乗り 
つめたい 風景 の なか 　 暗い 森 の かげ や 
ゆるやか な 環状 削剥 の 丘 　 赤い 萱 の 穂 の あ ひだ を 
ゆ つくり あるく と いふ こと も い ゝ し 
黒い 多面 角 の 洋傘 を ひろげ 
砂 砂糖 を 買 ひ に 町 へ 出る こと も 
ごく 新鮮 な 企画 で ある 
（ ちら けろ ちら けろ 　 四十雀 ） 
粗 剛 な オリザサチバ といふ 植物 の 人工 群落 が 
タアナア さ へ も ほし がり さ う な 
上等 の さら どの 色 に なつ て ゐる こと は 
慈雲 尊者 に し た が へ ば 
不 貪慾 戒 の す がた です 
（ ちら けろ ちら けろ 　 四十雀 
その とき の 高等 遊民 は 
い まし つかり し た 執政 官 だ ） 
こと こと と 寂し さ を 噴く 暗い 山 に 
防火 線 の ひらめく 灰 いろ など も 
慈雲 尊者 に し た が へ ば 
不 貪慾 戒 の す がた です 
（ 一 九 二 三 、 八 、 二 八 ） 
雲 と はん の き 
雲 は 羊毛 と ちぢれ 
黒 緑 赤 楊 の モザイツク 
また なか ぞ ら に は 氷 片 の 雲 が うかび 
すすき は きら つ と 光 つ て 過ぎる 
北 ぞ ら の ちぢれ 羊 から 
おれ の 崇敬 は 照り返さ れ 
天 の 海 と 窓 の 日 お ほ ひ 
おれ の 崇敬 は 照り返さ れ 
沼 は きれい に 鉋 を かけ られ 
朧 ろ な 秋 の 水 ゾル と 
つめたく ぬるぬる し た 蓴菜 と から 組成 さ れ 
ゆ ふ べ 一 晩 の 雨 で でき た 
陶 庵 だ か 東庵 だ か の 蒔絵 の 
精製 さ れ た 水銀 の 川 です 
アマルガム に さ へ なら なかつ たら 
銀 の 水車 で も ま は し て いい 
無 細工 な 銀 の 水車 で も ま は し て いい 
（ 赤紙 を はら れ た 火薬 車 だ 
あ たま の 奥 で は もう まつ 白 に 爆発 し て ゐる ） 
無 細工 の 銀 の 水車 で も ま は す が いい 
カフカズ 風 に 帽子 を 折 つて かぶる もの 
感官 の さびしい 盈虚 の なか で 
貨物 車輪 の 裏 の 秋 の 明る さ 
（ ひのき の ひらめく 六月 に 
お ま へ が 刻ん だ その 線 は 
やがて どんな 重荷 に なつ て 
お ま へ に 男らしい 償 ひ を 強 ひる か わから ない ） 
手宮 文字 です 　 手宮 文字 です 
こんなに そら がく もつ て 来 て 
山 も 大 へん 尖 つて 青く くらく なり 
豆 畑 だ つて ほん た うに かなしい のに 
わ づか に その 山稜 と 雲 と の 間 に は 
あやしい 光 の 微塵 に みち た 
幻惑 の 天 が のぞき 
また その なか に は かがやき まばゆい 積雲 の 一 列 が 
こころ も 遠く なら んで ゐる 
これら 葬送 行進曲 の 層雲 の 底 
鳥 も わたら ない 清澄 な 空間 を 
わたくし は たつ た ひとり 
つぎ から つぎ と 冷たい あやしい 幻想 を 抱き ながら 
一 梃 の かなづち を 持つ て 
南 の 方 へ 石灰岩 の いい 層 を 
さがし に 行か なけれ ば なり ませ ん 
（ 一 九 二 三 、 八 、 三 一 ） 
宗教 風 の 恋 
がさがさ し た 稲 も やさしい 油 緑 に 熟し 
西 なら あんな 暗い 立派 な 霧 で い つ ぱい 
草 穂 はいち めん 風 で 波立つ て ゐる のに 
可 哀 さ う なお ま へ の 弱い あ たま は 
くらくら する まで 青く 乱れ 
いま に 太田 武 か 誰 か の やう に 
眼 の ふち も ぐち や ぐち や に なつ て しまふ 
ほん た うに そんな 偏 つて 尖 つた 心 の 動き かた の くせ 
なぜ こんなに すき と ほ つ て きれい な 気 層 の なか から 
燃え て 暗い なやましい もの を つかま へる か 
信仰 で しか 得 られ ない もの を 
なぜ 人間 の 中 でし つかり 捕 へよ う と する か 
風 は どうどう 空 で 鳴 つ てる し 
東京 の 避難 者 たち は 半分 脳膜炎 に なつ て 
いま でも まい に ち 遁 げ て 来る のに 
どうして お ま へ は そんな 医 さ れる 筈 の ない かなしみ を 
わ ざとあかるいそらからとるか 
いま は もうさ う し て ゐる とき で ない 
けれども 悪い と かい ゝ とか 云 ふ の で は ない 
あんまり お ま へ が ひどから う とお も ふ ので 
みかね て わたし は い つ て ゐる の だ 
さあ なみ だ を ふい て きちんと たて 
もう そんな 宗教 風 の 恋 を し て は いけ ない 
そこ は ちやう ど 両方 の 空間 が 二 重 に なつ て ゐる とこ で 
おれ たち の やう な 初心 の もの に 
居ら れる 場 処 で は 決して ない 
（ 一 九 二 三 、 九 、 一 六 ） 
風景 と オルゴール 
爽 か なく だ ものの に ほ ひ に 充ち 
つめたく さ れ た 銀製 の 薄明 穹 を 
雲 が どんどん かけ て ゐる 
黒 曜 ひのき や サイプレス の 中 を 
一疋 の 馬 が ゆ つくり やつ て くる 
ひとり の 農夫 が 乗 つ て ゐる 
もちろん 農夫 は から だ 半分 ぐらゐ 
木 だ ちや そこら の 銀 の アトム に 溶け 
また じ ぶん で も 溶け て も いい とお も ひ ながら 
あ たま の 大きな 曖昧 な 馬 と いつ しよ に ゆ つくり くる 
首 を 垂れ て おとなしく がさがさ し た 南部 馬 
黒く 巨 き な 松倉山 のこ つ ち に 
一 点 の ダアリア 複合 体 
その 電 燈 の 企画 なら 
じつに 九月 の 宝石 で ある 
その 電 燈 の 献策 者 に 
わたくし は 青い 蕃 茄 を 贈る 
どんなに これら の ぬれ た みち や 
クレオソート を 塗 つた ばかり の らん かん や 
電線 も 二 本 にせもの の 虚無 の なか から 光 つて ゐる し 
風景 が 深く 透明 に さ れ た か わから ない 
下 で は 水 が ご う ご う 流れ て 行き 
薄明 穹 の 爽 か な 銀 と 苹果 と を 
黒白 鳥 の むな 毛 の 塊 が 奔 り 
ああ 　 お 月 さま が 出 て ゐ ます 
ほん た うに 鋭い 秋 の 粉 や 
玻璃 末 の 雲 の 稜 に 磨か れ て 
紫 磨 銀 彩 に 尖 つて 光る 六 日 の 月 
橋 の らん かん に は 雨粒 が まだ い つ ぱいついてゐる 
なんと いふ この なつかし さ の 湧き あがり 
水 は おとなしい 膠 朧 体 だ し 
わたくし は こんな 過 透明 な 景色 の なか に 
松倉山 や 五 間 森 荒 つ ぽい 石英 安山岩 の 岩 頸 から 
放た れ た 剽悍 な 刺客 に 
暗殺 さ れ て も いい の です 
（ たしかに わたくし が その 木 を きつ た の だ から ） 
（ 杉 の いただき は 黒く そら の 椀 を 刺し ） 
風 が 口笛 を はん ぶん ちぎ つて 持つ て くれ ば 
（ 気の毒 な 二 重 感覚 の 機関 ） 
わたくし は 古い 印度 の 青草 を みる 
崖 に ぶつ つかる その へん の 水 は 
葱 の やう に 横 に 外れ て ゐる 
そんなに 風 は うまく 吹き 
半月 の 表面 は きれい に 吹き はら はれ た 
だから わたくし の 洋傘 は 
しばらく ぱたぱた 言 つて から 
ぬれ た 橋板 に 倒れ た の だ 
松倉山 松倉山 尖 つて まつ 暗 な 悪魔 蒼鉛 の 空 に 立ち 
電 燈 は よほど 熟し て ゐる 
風 が もう これ つ きり 吹け ば 
まさしく 吹い て 来る 劫 の はじめ の 風 
ひと きれ そ ら に うかぶ 暁 の モテイーフ 
電線 と 恐ろしい 玉髄 の 雲 の きれ 
そこ から 見当 の つか ない 大きな 青い 星 が うかぶ 
（ 何 べ ん の 恋 の 償 ひだ ） 
そんな 恐ろしい が まいろ の 雲 と 
わたくし の 上着 は ひる が へり 
（ オルゴール を かけろ かけろ ） 
月 は いきなり 二つ に なり 
盲 ひ た 黒い 暈 を つく つて 光 面 を 過ぎる 雲 の 一群 
（ し づまれしづまれ 五 間 森 
木 を きら れ て もし づまるのだ ） 
（ 一 九 二 三 、 九 、 一 六 ） 
風 の 偏倚 
風 が 偏倚 し て 過ぎ た あと で は 
クレオソート を 塗 つた ばかり の 電柱 や 
逞しく も 起伏 する 暗黒 山稜 や 
（ 虚空 は 古めかしい 月 汞 に みち ） 
研ぎ澄まさ れ た 天 河 石 天 盤 の 半月 
すべて こんなに 錯綜 し た 雲 や そら の 景観 が 
すき と ほ つ て 巨大 な 過去 に なる 
五 日 の 月 は さらに 小さく 副 生し 
意識 の やう に 移 つて 行く ちぎれ た 蛋白 彩 の 雲 
月 の 尖端 を かすめ て 過ぎれ ば 
その まん中 の 厚い ところ は 黒い の です 
（ 風 と 嘆息 と の 中 に あらゆる 世界 の 因子 が ある ） 
きらら か に きらびやか に みだれ て 飛ぶ 断雲 と 
星雲 の やう に うごか ない 天 盤 附属 の 氷 片 の 雲 
（ それ は つめたい 虹 を あげ ） 
いま 硅酸 の 雲 の 大部 が 行き過ぎよ う と する ため に 
みち は なん べ ん も くらく なり 
（ 月あかり が こんなに みち に ふる と 
ま へ に は よく 硫黄 の に ほ ひ が の ぼつ た の だ が 
いま は その 小さな 硫黄 の 粒 も 
風 や 酸素 に 溶かさ れ て しま つた ） 
じつに 空 は 底 の しれ ない 洗 ひ がけ の 虚空 で 
月 は 水銀 を 塗ら れ た でこぼこ の 噴火口 から でき て ゐる 
（ 山 もはや しも け ふ は ひじ やう に 峻 儼 だ ） 
どんどん 雲 は 月 の お もて を 研い で 飛ん で ゆく 
ひるま の はげしく すさまじい 雨 が 
微塵 から なに からす つかり と つて し まつ た の だ 
月 の 彎曲 の 内側 から 
白い あやしい 気体 が 噴か れ 
その ため に 却 つて 一 きれ の 雲 が とかさ れ て 
（ 杉 の 列 は みんな 黒 真珠 の 保護 色 ） 
そらそら 　 Ｂ 氏 の やつ た あの 虹 の 交錯 や 顫 ひと 
苹果 の 未熟 な ハロウ と が 
あやしく 天 を 覆 ひ だす 
杉 の 列 に は 山 烏 が い つ ぱいに 潜み 
ペガスス の あたり に 立つ て ゐ た 
いま 雲 は 一 せい に 散 兵 を し き 
極めて 堅実 に すすん で 行く 
お ゝ 私 の うし ろ の 松倉山 に は 
用意 さ れ た 一 万 の 硅化流 紋 凝灰岩 の 弾 塊 が あり 
川尻 断層 の とき から 息 を 殺し て しま つて ゐ て 
私 が 腕時計 を 光らし 過ぎれ ば 落ち て くる 
空気 の 透明 度 は 水 より も 強く 
松倉山 から 生え た 木 は 
敬虔 に 天 に 祈 つ て ゐる 
辛うじて 赤い すすき の 穂 が ゆらぎ 
（ どうして どうして 松倉山 の 木 は 
ひどく ひどく 風 に あら びてゐるのだ 
あの ごと ごと いふ の が みんな それ だ ） 
呼吸 の やう に 月光 は また 明るく なり 
雲 の 遷色 と ダム を 超える 水 の 音 
わたし の 帽子 の 静寂 と 風 の 塊 
いま くらく なり 電車 の 単線 ばかり まつ すぐ に のび 
レール と みち の 粘土 の 可塑 性 
月 は この 変 厄 の あ ひだ 不思議 な 黄いろ に なつ て ゐる 
（ 一 九 二 三 、 九 、 一 六 ） 
沈ん だ 月夜 の 楊 の 木 の 梢 に 
二つ の 星 が 逆さま に かかる 
（ 昴 が そら で さ う 云 つて ゐる ） 
オリオン の 幻怪 と 青い 電 燈 
また 農 婦 の よろこび の 
たくましく も 赤い 頬 
風 は 吹く 吹く 　 松 は 一本立ち 
山 を 下る 電車 の 奔 り 
もし 車 の 外 に 立つ たら はねとばさ れる 
山 へ 行 つて 木 を きつ た もの は 
どうしても 帰る とき は 肩身 が せ まい 
（ ああ もろもろ の 徳 は 善 逝か ら 来 て 
そして スガタ に いたる の です ） 
腕 を 組み 暗い 貨物 電車 の 壁 による 少年 よ 
この 籠 で 今朝 鶏 を 持つ て 行 つたの に 
それ が 売れ て こんど は 持つ て 戻ら ない の か 
その まつ 青 な 夜 の そば 畑 の うつくし さ 
電 燈 に 照らさ れ た そば の 畑 を 見 た こと が あり ます か 
市民 諸君 よ 
おおき やう だい 　 これ は お ま へ の 感情 だ な 
市民 諸君 よ なんて ふざけ た ものの 云 ひ やう を する な 
東京 は いま 生きる か 死ぬ か の 堺 な の だ 
見 たま へ この 電車 だ つて 
軌道 から 青い 火花 を あげ 
もう 蝎 か ドラゴ か も わから ず 
一心に 走 つ て ゐる の だ 
（ 豆 ば たけ の その 喪神 の あざやか さ ） 
どうしても この 貨物 車 の 壁 は あぶない 
わたくし が 壁 と いつ しよ に ここら あたり で 
投げださ れ て 死ぬ こと は あり 得 過ぎる 
金 を もつ て ゐる ひと は 金 が あて に なら ない 
から だ の 丈夫 な ひと は ごろ つと やら れる 
あ たま の いい もの は あ たま が 弱い 
あて に する もの は みんな あて に なら ない 
た ゞ もろもろ の 徳 ばかり この 巨 き な 旅 の 資 糧 で 
そして それら もろもろ の 徳性 は 
善 逝か ら 来 て 善 逝 に 至る 
（ 一 九 二 三 、 九 、 一 六 ） 
第 四 梯形 
青い 抱擁 衝動 や 
明るい 雨 の 中 のみ たさ れ ない 唇 が 
きれい に そら に 溶け て ゆく 
日本 の 九月 の 気圏 です 
そら は 霜 の 織物 を つくり 
萱 の 穂 の 満潮 
（ 三角山 は ひかり に かすれ ） 
あやしい そら の バリカン は 
白い 雲 から おり て 来 て 
早く も 七つ 森 第 一 梯形 の 
松 と 雑木 を 刈り おとし 
野原 が うめ ば ちさ う や 山羊 の 乳 や 
沃度 の 匂 で 荒れ て 大 へん かなしい とき 
汽車 の 進行 は はやく なり 
ぬれ た 赤い 崖 や 何かと いつ しよ に 
七つ 森 第 二 梯形 の 
新鮮 な 地 被 が 刈り 払 は れ 
手帳 の やう に 青い 卓 状 台地 は 
まひる の 夢 を くす ぼら し 
ラテライト の ひどい 崖 から 
梯形 第 三 の すさまじい 羊歯 や 
こ なら や さる とり いばら が 滑り 
（ おお 第 一 の 紺青 の 寂寥 ） 
縮れ て 雲 は ぎらぎら 光り 
とんぼ は 萱 の 花 の やう に 飛ん で ゐる 
（ 萱 の 穂 は 満潮 
萱 の 穂 は 満潮 ） 
一 本 さびしく 赤く 燃える 栗 の 木 から 
七つ 森 の 第 四 伯 林 青 スロープ は 
やま なし の 匂 の 雲 に 起伏し 
すこし 日射し の くらむ ひま に 
そら の バリカン が それ を 刈る 
（ 腐植 土 の みち と 天 の 石墨 ） 
夜 風 太郎 の 配下 と 子孫 と は 
大きな 帽子 を 風 に うねら せ 
落葉松 のせ は しい 足 なみ を 
しきりに 馬 を 急が せる うち に 
早く も 第 六 梯形 の 暗い リパライト は 
ハツクニー の やう に 刈ら れ て しまひ 
ななめ に 琥珀 の 陽 も 射し て 
た うとう ぼく は 一つ 勘定 を まち が へ た 
第 四 か 第 五 か を うまく そら から ごまかさ れ た 
どうして 決して 　 そんな こと は ない 
いま きらめき だす その 真鍮 の 畑 の 一片 から 
明暗 交錯 の むか ふ に ひそむ もの は 
まさしく 第 七 梯形 の 
雲 に 浮ん だ その 最後 の もの だ 
緑青 を 吐く 松 の むさくるし さ と 
ちぢれ て 悼む 　 雲 の 羊毛 
（ 三角 や ま は ひかり に かすれ ） 
（ 一 九 二 三 、 九 、 三 〇 ） 
火薬 と 紙幣 
萱 の 穂 は 赤く ならび 
雲 は カシユガル 産 の 苹果 の 果肉 より も つめたい 
鳥 は 一 ぺん に 飛び あ が つて 
ラツグ の 音譜 を ばら 撒き だ 
古 枕木 を 灼い て こ さ へ た 
黒い 保線 小屋 の 秋 の 中 で は 
四 面体 聚形 の 一 人 の 工夫 が 
米国 風 の ブリキ の 缶 で 
たしか メリケン粉 を 捏ね て ゐる 
鳥 は また 一 つまみ 　 空 から ばら 撒か れ 
一 ぺん つめたい 雲 の 下 で 展開 し 
こんど は 巧 に 引力 の 法則 を つか つ て 
遠い ギリヤーク の 電線 に あつまる 
赤い 碍子 のう へ に ゐる 
その きの どく なす ゞ めど も 
口笛 を 吹き また 新 らしい 濃い 空気 を 吸 へ ば 
たれ でも みんな き の どく に なる 
森 は どれ も 群青 に 泣い て ゐる し 
松林 なら 地 被 も ところどころ 剥げ て 
酸性 土壌 も もう 十月 に なつ た の だ 
私 の 着物 も す つかり   thread - bare 
その 陰影 の なか から 
逞 まし い 向 ふ の 土方 が くし やみ を する 
氷河 が 海 に は ひる やう に 
白い 雲 の たくさん の 流れ は 
枯れ た 野原 に 注い で ゐる 
だから わたくし の ふだん 決して 見 ない 
小さな 三角 の 前山 など も 
はつ きり 白く 浮い て でる 
栗 の 梢 の モザイツク と 
鉄 葉 細工 の や なぎ の 葉 
水 の そば で は 堅い 黄いろ な まるめろ が 
枝 も 裂ける まで 実 つて ゐる 
（ こんど ばら 撒い て し まつ たら … … 
ふん 　 ちやう ど 四十雀 の やう に ） 
雲 が 縮れ て ぎらぎら 光る とき 
大きな 帽子 を か ぶつ て 
野原 を お ほ びら に あるけ たら 
おれ は その ほか に もう なん に も いら ない 
火薬 も 燐も 大きな 紙幣 も ほしく ない 
（ 一 九 二 三 、 一 〇 、 一 〇 ） 
過去 情炎 
截 られ た 根から 青じろい 樹液 が にじみ 
あたらしい 腐植 の に ほ ひ を 嗅ぎ ながら 
きらびやか な 雨 あがり の 中 に はたらけ ば 
わたくし は 移住 の 清教徒 です 
雲 は ぐらぐら ゆれ て 馳 ける し 
梨 の 葉 に は いちいち 精巧 な 葉脈 が あつ て 
短 果 枝 に は 雫 が レンズ に なり 
そら や 木 や すべて の 景 象 を を さめ て ゐる 
わたくし が ここ を 環 に 掘 つ て しまふ あ ひだ 
その 雫 が 落ち ない こと を ねが ふ 
なぜなら いま こ のち ひ さ な アカシヤ を とつ た あと で 
わたくし は 鄭重 に かがん で それに 唇 を あてる 
えり を り の シヤツ や ぼろぼろ の 上着 を き て 
企 ら むや うに 肩 を はり ながら 
そつ ち を ぬすみ み て ゐれ ば 
ひじ やう な 悪漢 に も みえよ う が 
わたくし は ゆるさ れる と おも ふ 
なにもかも みんな たより なく 
なにもかも みんな あて に なら ない 
これら げん し やう のせ かい の なか で 
その たより ない 性質 が 
こんな きれい な 露 に なつ たり 
い ぢ け たち ひさ な まゆみ の 木 を 
紅 から やさしい 月光 いろ まで 
豪奢 な 織物 に 染め たり する 
そん なら もう アカシヤ の 木 も ほり とら れ た し 
いま は まんぞく し て た う ぐはをおき 
わたくし は 待つ て ゐ た こ ひ びとにあふやうに 
鷹揚 に わら つて その 木 の した へ ゆく の だ けれども 
それ は ひとつ の 情炎 だ 
もう 水 いろ の 過去 に なつ て ゐる 
（ 一 九 二 三 、 一 〇 、 一 五 ） 
一 本 木野 
松 が いきなり 明るく な つて 
の は ら が ぱつとひらければ 
か ぎりなくかぎりなくかれくさは 日 に 燃え 
電信 ば しら は やさしく 白い 碍子 を つらね 
ベーリング 市 まで つづく とお も はれる 
すみわたる 海 蒼 の 天 と 
きよめ られる ひと の ね が ひ 
から まつ は ふたたび わかやい で 萌え 
幻聴 の 透明 な ひばり 
七 時 雨 の 青い 起伏 は 
また 心象 の なか に も 起伏し 
ひと むら の や なぎ 木立 は 
ボルガ の きし の その や なぎ 
天 椀 の 孔雀石 に ひそまり 
薬師 岱赭 の き びしくするどいもりあがり 
火口 の 雪 は 皺 ごと 刻み 
くら かけ の びん かんな 稜 は 
青 ぞ ら に 星雲 を あげる 
（ おい 　 かし は 
て めい の あだな を 
やま の たばこ の 木 つて いふ つて の は ほん た う か ） 
こんな あかるい 穹窿 と 草 を 
はん に ち ゆ つくり あるく こと は 
い つ たい なんと いふ おん けい だら う 
わたくし は それ を はりつけ と で も とり か へる 
こ ひ びととひとめみることでさへさうでないか 
（ おい 　 やま の たばこ の 木 
あんまり へん な を どり を やる と 
未来 派 だ つて いは れる ぜ ） 
わたくし は 森 や の は ら の こ ひび と 
蘆 の あ ひだ を がさがさ 行け ば 
つつましく 折ら れ た みどり いろ の 通信 は 
いつか ぽ けつ と に は ひつ て ゐる し 
はやし の くらい とこ を あるい て ゐる と 
三日月 がた の くちびる の あと で 
肱 や ず ぼん が い つ ぱいになる 
（ 一 九 二 三 、 一 〇 、 二 八 ） 
鎔岩流 
喪神 の しろい かがみ が 
薬師 火口 の いただき に かかり 
日 かげ に なつ た 火山 礫 堆 の 中腹 から 
畏 る べく かなしむ べき 砕塊熔 岩 の 黒 
わたくし は さつき の 柏 や 松 の 野原 を よぎる とき から 
なにか あかるい 曠原風 の 情調 を 
ばらばら に する やう な ひどい けしき が 
展 かれる と は お もつ て ゐ た 
けれども ここ は 空気 も 深い 淵 に な つて ゐ て 
ごく 強力 な 鬼神 たち の 棲み か だ 
一 ぴき の 鳥 さ へ も 見え ない 
わたくし が あぶなく その 一 一 の 岩 塊 を ふみ 
すこし の 小高い ところ に のぼり 
さらに つくづく と この 焼石 の ひろがり を みわたせ ば 
雪 を 越え て き た つめたい 風 は みね から 吹き 
雲 は あら はれ て つぎ から つぎ と 消え 
いちいち の 火山 塊 の 黒い かげ 
貞享 四 年 のち ひ さ な 噴火 から 
およそ 二 百 三 十 五 年 の あ ひだ に 
空気 の なか の 酸素 や 炭酸 瓦斯 
これら 清 洌 な 試薬 に よ つて 
どれ くら ゐ の 風化 が 行 は れ 
どんな 植物 が 生え た か を 
見よ う として 私 の 来 た の に対し 
それ は 恐ろしい 二 種 の 苔 で 答 へ た 
その 白 つ ぽい 厚い す ぎごけの 
表面 が かさかさ に 乾い て ゐる ので 
わたくし は また 麺 麭 とも かん が へ 
ちやう ど ひる の 食事 を もた ない とこ から 
ひじ やう な 饗応 と も かんずる の だ が 
（ なぜ なら たべ もの といふ もの は 
それ を み て よろこぶ もの で 
それから あと は たべる もの だ から ） 
ここら で そんな かん が へ は 
あんまり 僭越 かも しれ ない 
とにかく わたくし は 荷物 を おろし 
灰 いろ の 苔 に 靴 や からだ を 埋め 
一つ の 赤い 苹果 を たべる 
うるうる し ながら 苹果 に 噛みつけ ば 
雪 を 越え て き た つめたい 風 は みね から 吹き 
野 は ら の 白樺 の 葉 は 紅 や 金 やせ は しく ゆすれ 
北上 山地 は ほのか な 幾 層 の 青い 縞 を つくる 
（ あれ が ぼく の し やつ だ 
青い リンネル の 農民 シヤツ だ ） 
（ 一 九 二 三 、 一 〇 、 二 八 ） 
イーハトヴ の 氷霧 
けさ は じつに はじめて の 凜々 しい 氷霧 だ つた から 
みんな は まるめろ や なにか まで 出し て 歓迎 し た 
（ 一 九 二 三 、 一一 、 二 二 ） 
冬 と 銀河 ステーシヨン 
そら に は ちり の やう に 小鳥 が とび 
かげろ ふ や 青い ギリシヤ 文字 は 
せ は しく 野 は ら の 雪 に 燃え ます 
パツセン 大街道 の ひのき から は 
凍 つ た し づく が 燦々 と 降り 
銀河 ステーシヨン の 遠方 シグナル も 
けさ は まつ 赤 に 澱ん で ゐ ます 
川 は どんどん 氷 を 流し て ゐる のに 
みんな は 生ゴム の 長靴 を はき 
狐 や 犬 の 毛皮 を 着 て 
陶器 の 露店 を ひやかし たり 
ぶらさが つ た 章魚 を 品 さだめ し たり する 
あの にぎやか な 土沢 の 冬 の 市 日 です 
（ はん の 木 と まばゆい 雲 の アルコホル 
あすこ に やどり ぎの 黄金 の ゴール が 
さめ ざめとしてひかつてもいい ） 
あゝ 　 Josef   Pasternack   の 指揮 する 
この 冬 の 銀河 軽便鉄道 は 
幾重 の あ え か な 氷 を くぐり 
（ でん しん ば しら の 赤い 碍子 と 松 の 森 ） 
にせもの の 金 の メタル を ぶらさげ て 
茶 いろ の 瞳 を りん と 張り 
つめたく 青 ら む 天 椀 の 下 
うらら か な 雪 の 台地 を 急ぐ もの 
（ 窓 の ガラス の 氷 の 羊歯 は 
だんだん 白い 湯気 に か はる ） 
パツセン 大街道 の ひのき から 
し づく は 燃え て いち めん に 降り 
はねあがる 青い 枝 や 
紅玉 や トパース また いろいろ の スペクトル や 
もう まるで 市場 の やう な 盛ん な 取引 です 
（ 一 九 二 三 、 一二 、 一 〇 ） 
目次 
『 春 と 修羅 』 補遺 
手簡 
厨川 停車場 
青森 挽歌 　 三 
津軽海峡 
駒ヶ岳 
旭川 
宗谷 挽歌 
自由 画 検定 委員 
手簡 
雨 が ぽし ゃぽしゃ 降っ て ゐ ます 。 
心象 の 明滅 を きれ ぎれに 降る 透明 な 雨 です 。 
ぬれる の は すぎ な やすい ば 、 
ひのき の 髪 は 延び 過ぎ まし た 。 
私 の 胸腔 は 暗く て 熱く 
もう 醗酵 を はじめ たん ぢ ゃないかと 思ひ ます 。 
雨 に ぬれ た 緑 のど て の こっち を 
ゴム 引き の 青 泥 いろ の マント が 
ゆっくり ゆっくり 行く と いふ の は 
実に これ は つらい こと な の です 。 
あなた は 今 どこ に 居ら れ ます か 。 
早く も 私 の 右 の この 黄ばん だ 陰 の 空間 に 
まっすぐ に 立っ て ゐ られ ます か 。 
雨 も 一層 すき と ほっ て 強く なり まし た し 。 
誰 か 子供 が 噛ん で ゐる の で は あり ませ ん か 。 
向 ふ で は あの 男 が 咽喉 を ぶつぶつ 鳴らし ます 。 
いま 私 は 廊下 へ 出よ う と 思ひ ます 。 
どうか 十 ぺん だけ 一緒 に 往来 し て 下さい 。 
その 白 びかりの 巨 き なす あし で 
あすこ の つめたい 板 を 
私 と 一緒 に ふん で 下さい 。 
（ 一 九 二 二 ヽ 五 ヽ 一二 ヽ ） 
堅い 瓔珞 は まっすぐ に 下 に 垂れ ます 。 
実に ひらめ き か ゞ やい て その 生物 は 堕ち て 来 ます 。 
まことに これら の 天人 たち の 
水素 より もっと 透明 な 
悲しみ の 叫び を いつか どこ か で 
あなた は 聞き は し ませ ん でし た か 。 
まっすぐ に 天 を 刺す 氷 の 鎗 の 
その 叫び を あなた は きっと 聞い た で せ う 。 
けれども 堕ちる ひと の こと や 
又 溺れ ながら その 苦い 鹹水 を 
一心に 呑み ほさ う と する ひと たち の 
はなし を 聞い て も 今 の あなた に は 
た ゞ ある 愚か な 人 たち の あはれ な は なし 
或は 少し めづらし い こと に だけ 聞く で せ う 。 
けれども た ゞ さ う 考へ た の と 
ほん た うに その 水 を 噛む とき と は 
まるっきり まるっきり ち が ひ ます 。 
それ は 全く 熱い くら ゐ まで 冷たく 
味 の ない くら ゐ まで 苦く 
青黒 さ が すき と ほる まで かなしい の です 。 
そこ に 堕ち た 人 たち は みな 叫び ます 
わたくし が この 湖 に 堕ち た の だら う か 
堕ち た といふ こと が ある の か と 。 
全 くさう です 、 誰 が はじめ から 信じ ませ う 。 
それでも た うとう 信ずる の です 。 
そして 一 そう かなしく なる の です 。 
こんな こと を 今 あなた に 云っ た の は 
あなた が 堕ち ない ため に で なく 
堕ちる ため に 又 泳ぎ 切る ため に です 。 
誰 でも みんな 見る の です し 　 また 
いちばん 強い 人 たち は 願 ひ によって 堕ち 
次いで 人人 と 一緒 に 飛 騰 し ます から 。 
（ 一 九 二 二 ヽ 五 ヽ 二一 ヽ ） 
厨川 停車場 
（ もう すっかり 夕方 です ね 。 ） 
けむり は ビール瓶 の かけ ら な のに 、 
それら は 苹果 酒 で いっぱい だ 。 
（ ぢ ゃ 、 さよなら 。 ） 
砂利 は 北上 山地 製 、 
（ あ 、 僕 、 車 の 中 へ マント 忘れ た 。 
すっかり はなしこん で ゐ て 。 ） 
（ あれ は 有名 な 社会 主義 者 だ よ 。 
何 回 か 東京 で 引っぱら れ た 。 ） 
髪 は きれい に 分け 、 
まだ はたち 前 な のに 、 
三 十 に も 見える あの 老け やう と ネクタイ の 鼠 縞 。 
（ え ゝ と 、 済み ませ ん が ね 、 
ぼろぼろ の 繻子 の マント 、 
あの 汽車 へ 忘れ た ん です が 。 ） 
（ 何 ばん 目 の 車 です 。 ） … … … 
（ 二 等 の 前 の 車 だけ ぁな 。 ） 
Larix ,   Larix ,   Larix , 
青い 短い 針 を 噴き 、 
夕陽 は いま は 空 いっぱい の ビール 、 
く わく こう は 　 あっち でも こっち でも 、 
ぼろぼろ に なり 　 紐 に なっ て 啼い て ゐる 。 
（ 一 九 二 二 ヽ 六 ヽ 二 ヽ ） 
青森 挽歌 　 三 
仮睡 硅酸 の 溶け 残っ た も や の 中 に 
つめたい 窓 の 硝子 から 
あけ がた 近く の 苹果 の 匂 が 
透明 な 紐 に なっ て 流れ て 来る 。 
それ は お もて が 軟玉 と 銀 の モナド 
半月 の 噴い た 瓦斯 で いっぱい だから 
巻積雲 の はらわ た まで 
月 の あかり は 浸 みわ たり 
それ は あやしい 蛍光板 に なっ て 
いよいよ あやしい 匂 か 光 か を 発散 し 
なめらか に 硬い 硝子 さ へ 越え て 来る 。 
青森 だ から と いふ の で は なく 
大 てい 月 が こんな やう な 暁 ちかく 
巻積雲 に は ひる とき 
或いは 青 ぞ ら で 溶け 残る とき 
必ず 起る 現象 です 。 
私 が 夜 の 車 室 に 立ちあがれ ば 
みんな は 大 てい ねむっ て ゐる 。 
その 右側 の 中ごろ の 席 
青ざめ た あけ 方 の 孔雀 の はね 
や はら か な 草 いろ の 夢 を く わら す の は 
とし子 、 お ま へ の やう に 見える 。 
「 まるっきり 肖 た もの も ある もん だ 、 
法隆寺 の 停車場 で 
すれ ち が ふ 汽車 の 中 に 
まるっきり 同じ わら すさ 。 」 
父 が いつか の 朝 さ う 云っ て ゐ た 。 
そして 私 だって さ う だ 
あいつ が 死ん だ 次 の 十二月 に 
酵母 の やう な こまか な 雪 
はげしい はげしい 吹雪 の 中 を 
私 は 学校 から 坂 を 走っ て 降り て 来 た 。 
まっ白 に なっ た 柳沢 洋服 店 の ガラス の 前 
その 藍 いろ の 夕方 の 雪 の けむり の 中 で 
黒い マント の 女 の 人 に 遭っ た 。 
帽 巾 に 目 は かくれ 
白い 顎 と きれい な 歯 
私 の 方 に ちょっと わらっ た やう に さ へ 見え た 。 
（ それ は もちろん 風 と 雪 と の 屈折 率 の 関係 だ 。 ） 
私 は 危なく 叫ん だ の だ 。 
（ 何だ 、 う な 、 死ん だ なんて 
い ゝ 位 の ごと 云っ て 
今ごろ 此処 ら 歩 てる な 。 ） 
又 たしかに 私 は さ う 叫ん だ に ち が ひ ない 。 
た ゞ あんな 烈しい 吹雪 の 中 だ から 
その 声 は 風 に とら れ 
私 は 風 の 中 に 分散 し て かけ た 。 
「 太 洋 を 見 はらす 巨 き な 家 の 中 で 
仰向け に なっ て 寝 て ゐ たら 
もしもし もしも しっ て 云っ て 
しきりに 巡査 が 起し て ゐる ん だ 。 」 
その 皺くちゃ な 寛い 白 服 
ゆ ふ べ 一 晩 そんな あなた の 電 燈 の 下 で 
こしかけ て やって来 た 高等 学校 の 先生 
青森 へ 着い たら 
苹果 を たべる と 云 ふん です か 。 
海 が 藍 に 光っ て ゐる 
いまごろ まっ 赤 な 苹果 は あり ませ ん 。 
爽やか な 苹果 青 の その 苹果 なら 
それ は もう きっと でき てる で せ う 。 
（ 一 九 二 三 ヽ 八 ヽ 一 ヽ ） 
津軽海峡 
夏 の 稀薄 から 却って 玉髄 の 雲 が 凍える 
亜鉛 張り の 浪 は 白光 の 水平 線 から 続き 
新 らしく 潮 で 洗っ た チーク の 甲板 の 上 を 
みんな は ぞろぞろ 行っ たり 来 たり する 。 
中学校 の 四 年生 の あの とき の 旅 なら ば 
けむり は 砒素 鏡 の 影 を 波 に つくり 
うし ろ へ まっすぐ に 流れ て 行っ た 。 
今日 は かもめ が 一疋 も 見え ない 。 
（ 天候 の ため で なけれ ば 食物 の ため 、 
じっさい ベーリング海 峡 の 氷 は 
今年 は まだ みんな 融け 切ら ず 
寒流 は ぢ き その 辺 まで 来 て ゐる の だ 。 ） 
向 ふ の 山 が 鼠 いろ に 大 へん 沈ん で 暗い のに 
水 は あんまり まっ白 に 湛 へ 
小さな 黒い 漁船 さ へ 動い て ゐる 。 
（ あんまり 視野 が 明る 過ぎる 
その 中 の 一つ の ブラウン 氏 運動 だ 。 ） 
いま まで は お ま へ たち 尖っ た パナマ帽 や 
硬い 麦稈 の ぞろぞろ デック を 歩く 仲間 と 
苹果 を 食っ たり 遺伝 の はなし を し たり し た が 
いつ まで も そんな お 付き 合 ひ は し て ゐ られ ない 。 
さあ いま 帆綱 は ぴんと 張り 
波 は 深い 伯 林 青 に 変り 
岬 の 白い 燈台 に は 
うすれ 日 や 微か な 虹 と いっしょ に 
ほか の 方処 系統 から の 信号 も 下り て ゐる 。 
どこ で 鳴る 呼子 の 声 だ 、 
私 は いま 心象 の 気圏 の 底 、 
津軽海峡 を 渡っ て 行く 。 
船 は かすか に 左右 に ゆれ 
鉛筆 の 影 は すみやか に 動き 
日光 は 音 なく 注い で ゐる 。 
それら の 三 羽 の うみ がら す 
その なき声 は 波 に まぎれ 
その は ゞ たき は ひかり に 消さ れ 
（ 燈台 は もう 空 の 網 で めちゃめちゃ だ 。 ） 
向 ふ に 黒く 尖っ た 尾 と 
滑らか に 新 らしい せ なか の 
波 から 弧 を つくっ て あら はれる の は 
水 の 中 で もの を 考へる さかな だ 
そんな 錫 いろ の 陰影 の 中 
向 ふ の 二 等 甲板 に 
浅黄 服 を 着 た 船員 は 
たしかに 少し わらっ て ゐる 
私 の 問 を 待っ て ゐる の だ 。 
いるか は 黒く て ぬるぬる し て ゐる 。 
かもめ が かなしく 鳴き ながら つい て 来る 。 
いるか は 水 から はねあがる 
その ふざけ た 黒 の 円錐 形 
ひれ は 静止 し た 手 の やう に 見える 。 
弧 を つくっ て 又 潮水 に 落ちる 
（ きれい な 上等 の 潮水 だ 。 ） 
水 に は ひれ ば 水 を すべる 
信号 だの 何 だの みんな うそ だ 。 
こんな たのし さうな 船 の 旅 も し た こと なく 
た ゞ 岩手 県 の 花巻 と 
小石川 の 責 善 寮 と 
二つ だけ しか 知ら ない で 
どこ か ちがっ た 処 へ 行っ た お ま へ が 
どんなに 私 に かなしい か 。 
「 あれ は 鯨 と 同じ です 。 け だ もの です 。 」 
くるみ 色 に 塗ら れ た 排気 筒 の 
下 に 座っ て 日 に 当っ て ゐる と 
私 は 印度 の 移民 です 。 
船 酔ひ に 青ざめ た 中学生 は 
も 少し 大きな 学校 に 居る 兄 や 
いとこ に 連れ られ て ふらふら 通り 
私 が 眼 を と ぢ る とき は 
にせもの の ピンク の 通信 が 新 らしく 空 から 来る 。 
二 等 甲板 の 船艙 の 
つるつる 光る 白い 壁 に 
黒い か つぎ の カトリック の 尼 さん が 
緑 の 円い 瞳 を そら に 投げ て 
竹 の 編棒 を つかっ て ゐる 。 
それから 水兵 服 の 船員 が 
ブラス の て すり を 拭い て 来る 。 
（ 一 九 二 三 ヽ 八 ヽ 一 ヽ ） 
駒ヶ岳 
弱々しく 白い そら に のびあがり 
その 無遠慮 な 火山 礫 の 盛りあがり 
黒く 削ら れ た の は 溶け た ものの 古い もの 
（ 喬木 帯 灌木帯 、 苔 蘇 帯 といふ やう な こと は 
まるっきり 偶然 の こと な ん だ 。 三 千 六 百 五 十 尺 ） 
いま その 赭 い 岩 巓 に 
一抹 の 傘 雲 が かかる 。 
（ In   the   good   summer   time ,   In   the   good   summer   time ;） 
ごらん なさい 。 
その 赭 い やつ の 裾野 は 
うつくしい 木立 に なっ て 傾斜 も やさしく 
黄いろ な 林道 も 通っ て ゐ ます 。 
「 全体 その 海 の 色 は どう し た んで せ う 。 
青く も ない し あんまり 変 な 色 な やう です 。 」 
「 え ゝ 、 それ は 雲 の 関係 です 。 」 
何 が 雲 の 関係 だ 。 気圧 が こんなに 高い のに 。 
旭川 
植民 地 風 の こんな 小 馬車 に 
朝 はやく ひとり 乗る こと の たのし さ 
「 農事 試験場 まで 行っ て 下さい 。 」 
「 六 条 の 十 三 丁目 だ 。 」 
馬 の 鈴 は 鳴り 馭者 は 口 を 鳴らす 。 
黒 布 は ゆれる し まるで 十月 の 風 だ 。 
一 列 馬 を ひく 騎馬 従卒 の むれ 、 
この 偶然 の 馬 は ハックニー 
たてがみ は 火 の やう に ゆれる 。 
馬車 の 震動 の こころよ さ 
この 黒 布 は すべり 過ぎ た 。 
もっと 引か ない と いけ ない 
こんな 小さな 敏捷 な 馬 を 
朝 早くから 私 は 町 を かけ さす 
それ は 必ず 無上 菩提 に いたる 
六 条 に いま 曲れ ば 
お ゝ 落葉松 　 落葉松 　 それ から 青く 顫 へる ポ プルス 
この 辺 に 来 て 大 へん 立派 に やっ て ゐる 
殖民 地 風 の 官舎 の 一 ならび や 旭川 中学校 
馬車 の 屋根 は 黄 と 赤 の 縞 で 
もう ほん た うに ジプシイ らしく 
こんな 小 馬車 を 
誰 が ほしく ない と 云 は う か 。 
乗馬 の 人 が 二 人 来る 
そら が 冷たく 白い のに 
この 人 は 白い 歯 を むい て 笑っ て ゐる 。 
バビロン 柳 、 お ほ ば こと つめ く さ 。 
みんな つめたい 朝 の 露 に みち て ゐる 。 
宗谷 挽歌 
こんな 誰 も 居 ない 夜 の 甲板 で 
（ 雨 さ へ 少し 降っ て ゐる し 、 ） 
海峡 を 越え て 行か う と し たら 、 （ 漆黒 の 闇 の うつくし さ 。 ） 
私 が 波 に 落ち 或いは 空 に 擲 げ られる こと が ない だら う か 。 
それ は ない やう な 因果 連鎖 に なっ て ゐる 。 
けれども もし とし子 が 夜 過ぎ て 
どこ から か 私 を 呼ん だ なら 
私 は もちろん 落ち て 行く 。 
とし子 が 私 を 呼ぶ といふ こと は ない 
呼ぶ 必要 の ない とこ に 居る 。 
もし それ が さ う で なかっ たら 
（ あんな ひかる 立派 な ひだ の ある 
紫いろ の うす もの を 着 て 
まっすぐ に のぼっ て 行っ た のに 。 ） 
もし それ が さ う で なかっ たら 
どうして 私 が 一緒 に 行っ て やら ない だら う 。 
船員 たち の 黒い 影 は 
水 と 小さな 船 燈 と の 
微光 の 中 を 往来 し て 
現に 誰 か は 上 甲板 に のぼっ て 行っ た 。 
船 は 間もなく 出る だら う 。 
稚内 の 電 燈 は 一 列 とまり 
その 灯 の 影 は 水 に うつら ない 。 
潮風 と 霧 に しめっ た 舷 に 
その 影 は 年 老 っ た しっかり し た 船員 だ 。 
私 を あやしん で 立っ て ゐる 。 
霧 が ば し ゃばしゃ 降っ て 来る 。 
帆綱 の 小さな 電 燈 が いま 移転 し 
怪しく も 点ぜ られ た その 首 燈 、 
実に いち めん 霧 が ぼ し ゃぼしゃ 降っ て ゐる 。 
降っ て ゐる より は 湧い て 昇っ て ゐる 。 
あかし が つくる 青い 光 の 棒 を 
超絶 顕微鏡 の 下 の 微粒子 の やう に 
どんどん どんどん 流れ て ゐる 。 
（ 根室 の 海 温 と 金華山 沖 の 海 温 
大正 二 年 の 曲線 と 大 へん よく 似 て ゐ ます 。 ） 
帆綱 の 影 は ぬれ た デック に 落ち 
津軽海峡 の とき と 同じ どら が いま 鳴り出す 。 
下 の 船室 の 前 の 廊下 を 通り 
上手 に 銅鑼 は 擦ら れ て ゐる 。 
鉛筆 が ず ゐ ぶん す 早く 
小刀 を あて ない 前 に 削げ た 。 
頑丈 さうな 赤 髯 の 男 が やって来 て 
私 の 横 に 立ち その 影 の ため に 
私 の 鉛筆 の 心 は うまく 折れ た 。 
こんな 鉛筆 は やめ て しまへ 
海 へ 投げる こと だけ は 遠慮 し て 
黄いろ の ポケット に しまっ て しまへ 。 
霧 が いっそう しげく なり 
私 の 首 す ぢ は ぬれる 。 
浅黄 服 の 若い 船員 が たのし さ うに 走っ て 来る 。 
「 雨 が 降っ て 来 た な 。 」 
「 イヽス 。 」 
「 イヽス て 何 だ 。 」 
「 雨ふり だ 、 雨 が 降っ て 来 た よ 。 」 
「 瓦斯 だ よ 、 霧 だ よ 、 これ は 。 」 
とし子 、 ほん た うに 私 の 考へ て ゐる 通り 
お ま へ が いま 自分 の こと を 苦 に し ない で 行ける やう な 
そん なし あ はせ が なく て 
従って 私 たち の 行か う と する みち が 
ほん た う の もの で ない なら ば 
あら ん かぎり 大きな 勇気 を 出し 
私 の 見え ない ちがっ た 空間 で 
お ま へ を 包む さまざま な 障害 を 
衝き やぶっ て 来 て 私 に 知らせ て くれ 。 
われわれ が 信じ われわれ の 行か う と する みち が 
もし まちがひ で あっ た なら 
究竟 の 幸福 に い たら ない なら 
いま まっすぐ に やって来 て 
私 に それ を 知らせ て 呉れ 。 
みんな の ほん た う の 幸福 を 求め て なら 
私 たち は この ま ゝ この まっ くら な 
海 に 封ぜ られ て も 悔い て は いけ ない 。 
（ お ま へ が こ ゝ へ 来 ない の は 
タンタジール の 扉 の ため か 、 
それ は 私 と お ま へ を 嘲笑 する だら う 。 ） 
呼子 が 船底 の 方 で 鳴り 
上 甲板 で それ に 応 へる 。 
それ は 汽船 の 礼儀 だら う か 。 
或いは 連絡 船 だ と いふ こと から 
汽車 の 作法 を とる の だら う か 。 
霧 は いま いよいよ しげく 
舷 燈 の 青い 光 の 中 を 
どんなに きれい に 降る こと か 。 
稚内 の まち の 灯 は 移動 を はじめ 
たしかに 船 は 進み出す 。 
この 空 は 広重 の ぼかし の うす 墨 の そら 
波 は ゆらぎ 汽笛 は 深く も 深く も 吼える 。 
この 男 は 船長 で は ない の だら う か 。 
（ 私 を 自殺 者 と 思っ て ゐる の か 。 
私 が 自殺 者 で ない こと は 
次 の 点 から すぐ わかる 。 
第 一 自殺 を する もの が 
霧 の 降る の を いやがっ て 
青い 巾 など を 被っ て ゐる か 。 
第 二 に 自殺 を する もの が 
二 本 も 注意深く 鉛筆 を 削り 
そんな あやしん で 近寄る もの を 
霧 の 中 で しらし ら 笑っ て ゐる か 。 ） 
ホイッスラア の 夜 の 空 の 中 に 
正しく 張り 渡さ れる この 麻 の 綱 は 
美しくも また 高尚 です 。 
あちこち 電 燈 は だんだん 消さ れ 
船員 たち は こ ゝ ろ もち よく 帰っ て 来る 。 
稚内 の まち の 北 の は づれ 
私 の まっ 正面 で 海 から 一つ の 光 が 湧き 
また すぐ 消える 、 鳴れ 汽笛 鳴れ 。 
火 は また 燃える 。 
「 あすこ に 見える の は 燈台 です か 。 」 
「 さ う です ね 。 」 
また さっき の 男 が やって来 た 。 
私 は 却って この 人 に 物 を 云っ て 置い た 方 が い ゝ 。 
「 あすこ に 見え ます の は 燈台 です か 。 」 
「 い ゝ え 、 あれ は 発火 信号 です 。 」 
「 さ う です か 。 」 
「 うし ろ の 方 に は 軍艦 も 居 ます が ね 、 
あちこち 挨拶 し て 出る とこ です 。 」 
「 あんなに 始終 つけ て 置か ない の は 、 
永久 に お ま へ たち は 地 を 這 ふ が いい 。 
さあ 、 海 と 陰湿 の 夜 の そら と の 鬼神 たち 
私 は 試み を 受けよ う 。 
（ 一 九 二 三 ヽ 八 ヽ 二 ヽ ） 
自由 画 検定 委員 
どう だ ここ は カムチャッカ だ な 
家 の 柱 も のき も みんな ピンク に 染め て ある 
渡り鳥 は ごみ の やう に そら に 舞 ひあがる し 
電線 は ごく 大 たん に と ほっ て ゐる 
ひ はい ろ の 山 を かけ あるく 子ども ら よ 
緑青 の 松 も 丘 に はせる 
こいつ は もう ほん もの の グランド 電柱 で 
碍子 も ごろごろ 鳴っ てる し 
赤い ぼやけ た 駒鳥 も とまっ て ゐる 
月 に は 地球 照 が あり 
く ゎくこうが 飛び 過ぎる と 
家 の えん とつ は 黒い け むりをあげる 
おいおい おいおい 
とても すてき な トンネル だ ぜ 
けむっ て 平和 な 群青 の 山 から 
いきなり ガアッ と 線路 が で て き て 
まるで 眼 の ま へ まで 一 ぺん に ひろがっ て くる 
鳥 も たくさん 飛ん で ゐる し 
野 は ら に は たんぽぽ や れんげ さ う や 
じゅうたん を しい た やう です 
お 月 さま から アニリン 色素 が ながれ て 
そら は へん に あかく なっ て ゐる 
黒い 三つ の 岩 頸 は 
もう 日 も 暮れ た ので さびしく めいめい の 銹 を はく 
田圃 の 中 に は 小松 が いっぱい に 生え て 
黄いろ な 丁字 の 大 街道 を 
黒い ひと は 髪 を ぱちゃぱちゃして 大手 を ふっ て あるく 
鳥 が が あ が あと んで ゐる とき 
また まっしろ に 雪 が ふっ て ゐる とき 
みんな は お もて の 氷 の 上 に で て 
遊戯 を する の は だい すき です 
鳥 が が あ が あと んで ゐる とき 
また まっしろ に 雪 が ふっ て ゐる とき 
青ざめ た そら の 夕 がた は 
みんな はいち れつ 青 ざめたうさぎうまにのり 
きらきら 金 の ばら の ひかる の は ら を 
犬 と いっしょ に よこぎっ て 行く 
青ざめ た そら の 夕 がた は 
みんな はいち れつ 青 ざめたうさぎうまにのり 
イーハトヴ は 一つ の 地名 で ある 。 強 て 、 その 地点 を 求 むるならばそれは 、 大小 クラウス たち の 耕し て ゐ た 、 野原 や 、 少女 アリ スガ 辿 つた 鏡 の 国 と 同じ 世界 の 中 、 テパーンタール 砂漠 の 遥か な 北東 、 イヴン 王国 の 遠い 東 と 考へ られる 。 
実に これ は 著者 の 心象 中 に この 様 な 状 景 を もつ て 実在 し た 
ドリーム ランド として の 日本 岩手 県 で ある 。 
そこ で は 、 あらゆる 事 が 可能 で ある 。 人 は 一瞬 に し て 氷 雲の上 に 飛躍 し 大 循環 の 風 を 従 へ て 北 に 旅 する 事 も あれ ば 、 赤い 花 杯 の 下 を 行く 蟻 と 語る こと も できる 。 
罪 や 、 かなしみ で さ へ そこ で は 聖 くき れい に か ゞ やい て ゐる 。 
深い 掬 の 森 や 、 風 や 影 、 肉 之 草 や 、 不思議 な 都会 、 ベーリング 市 迄 続々 電柱 の 列 、 それ は まことに あやしく も 楽しい 国土 で ある 。 この 童話 集 の 一 列 は 実に 作者 の 心象 スケツチ の 一部 で ある 。 それ は 少年 少女 期 の 終り 頃 から 、 アドレツセンス 中葉 に対する 一つ の 文学 として の 形式 を とつ て ゐる 。 
この 見地 から その 特色 を 数 へる なら ば 次 の 諸点 に 帰 する 。 
一 これ は 正しい もの ゝ 種子 を 有し 、 その 美しい 発芽 を 待つ もの で ある 。 而 も 決して 既成 の 疲れ た 宗教 や 、 道徳 の 残 澤 を 色あせ た 仮面 に よ つて 純真 な 心意 の 所有 者 たち に 欺き 与 へん と する もの で は ない 。 
二 これら は 新しい 、 より よい 世界 の 構成 材料 を 提供 し やう と は する 。 けれども それ は 全く 、 作者 に 未知 な 絶え ざる 警異 に 値する 世界 自身 の 発展 で あつ て 決して 畸形 に 涅 ね あげ られ た 煤色 の ユートピア で は ない 。 
三 これら は 決して 偽 で も 仮 空 で も 窃盗 で も ない 。 
多少 の 再度 の 内省 と 分 折 と は あ つて も 、 たしかに この 通り その 時 心象 の 中 に 現 はれ た もの で ある 。 故に それ は 、 どんなに 馬鹿げ て ゐ て も 、 難解 でも 必ず 心 の 深部 に 於 て 万 人 の 共通 で ある 。 卑怯 な 成人 たち に 畢竟 不可解 な 丈 で ある 。 
四 これ は 田園 の 新鮮 な 産物 で ある 。 われ ら は 田園 の 風 と 光 の 中 から つや ゝ かな 果実 や 、 青い 蔬菜 を 一緒 に これら の 心象 スケツチ を 世間 に 提供 する もの で ある 。 
注文 の 多い 料理 店 は その 十 二 巻 の セリーズ の 中 の 第 一 冊 で 先 づその 古風 な 童話 として の 形式 と 地方 色 と を以て 類 集 し た もの で あ つて 次 の 九 編 から なる 。 
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目次 と 　 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … その 説明 
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１ 　 どんぐり と 山猫 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
山猫 拝 と 書い た おかしな 葉書 が 来 た ので 、 こども が 山 の 風 の 中 へ 出かけ て 行く は なし 。 必ず 比較 を さ れ なけれ は なら ない いま の 学童 たち の 内奥 から の 反響 です 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
２ 　 狼森 と 笊森 と 盗 森 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
人 と 森 と の 原始 的 な 交渉 で ､ 自然 の 順 違二面 が 農民 と 与 へた 永い 間 の 印象 です 。 森 に 子供 ら が 農具 を かくす たび に みんな は 「 探し に 行く ぞ お 」 と 叫び 森 は 「 来 お 」 と 答 へ まし た 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
３ 　 烏 の 北斗七星 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
戦ふ もの ゝ 内的 感情 です 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
４ 　 注文 の 多い 料理 店 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
二 人 の 青年 神 士 が 猟 に 出 て 路 を 迷 ひ 「 注文 の 多い 料理 店 」 に 入り その 途方 も ない 経営 者 から 却 つて 注文 さ れ て ゐ た は なし 。 糧 に 乏しい 村 の こども ら が 都会 文明 と 放恣 な 階級 と に対する 止む に 止まれ ない 反感 です 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
５ 　 水仙 月 の 四 日 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
赤い 毛布 を 被 ぎ 「 カリメラ 」 の 銅 鍋 や 青い 焔 を 考へ ながら 雪 の 高原 を 歩い て ゐ た こども と 「 雪 婆 ンゴ 」 や 雪 狼 、 雪 童子 と の もの が たり 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
６ 　 山男 の 四月 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
四月 の かれ 草 の 中 に ねころん だ 山男 の 夢 です 。 
烏 の 北斗七星 と いつ しよ に 、 一つ の 小さな こ ゝ ろ の 種子 を 有 ち ます 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
７ 　 かし は ばやし の 夜 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
桃色 の 大きな 月 は だ ん ／ ＼ 小さく 青じろく なり 、 かし は は みんな ざわざわ 言 ひ 、 画 描き は 自分 の 靴 の 中 に 鉛筆 を 削 つ て 変 な メタル の 歌 を うた ふ 、 たのしい 「 夏 の 踊り の 第 三 夜 」 です 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
８ 　 月夜 の でん しん ば しら 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
うろ こぐ もと 鉛 色 の 月光 、 九月 の イーハトヴ の 鉄道 線路 の 内 想 です 。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
９ 　 鹿 踊り の はじまり 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
まだ 剖 れ ない 巨 き な 愛 の 感情 です 。 すゝ きの 花 の 向 ひ 火 や 、 きらめく 赤 褐 の 樹立 の なか に 、 鹿 が 無心 に 遊ん で ゐ ます 。 ひと は 自分 と 鹿 と の 区別 を 忘れ 、 いつ しよ に 踊ら うと さ へ し ます 。 
わたし たち は 、 氷砂糖 を ほしい くらい もた ない でも 、 きれい に すきとおっ た 風 を たべ 、 桃 いろ の うつくしい 朝 の 日光 を のむ こと が でき ます 。 
また わたくし は 、 はたけ や 森 の 中 で 、 ひどい ぼろぼろ の きもの が 、 いちばん すばらしい びろう ど や 羅紗 や 、 宝石 いり の きもの に 、 かわっ て いる の を たびたび 見 まし た 。 
わたくし は 、 そういう きれい な たべ もの や きもの を すき です 。 
これら の わたくし の お はなし は 、 みんな 林 や 野 は ら や 鉄道 線路 やら で 、 虹 や 月あかり から もらっ て き た の です 。 
ほんとう に 、 かしわ ばやし の 青い 夕方 を 、 ひとり で 通りかかっ たり 、 十一月 の 山 の 風 の なか に 、 ふるえ ながら 立っ たり し ます と 、 もう どうしても こんな 気 が し て しかた ない の です 。 ほんとう に もう 、 どうしても こんな こと が ある よう で しかた ない という こと を 、 わたくし は その とおり 書い た まで です 。 
ですから 、 これら の なか に は 、 あなた の ため に なる ところ も ある でしょ う し 、 ただ それ っきり の ところ も ある でしょ う が 、 わたくし に は 、 その みわけ が よく つき ませ ん 。 なん の こと だ か 、 わけ の わから ない ところ も ある でしょ う が 、 そんな ところ は 、 わたくし に も また 、 わけ が わから ない の です 。 
けれども 、 わたくし は 、 これら の ちいさな ものがたり の 幾 きれ か が 、 おしまい 、 あなた の すきとおっ た ほんとう の たべ もの に なる こと を 、 どんなに ねがう か わかり ませ ん 。 
大正 十 二 年 十二月 二 十 日 宮沢 賢治 
イーハトヴ は 一つ の 地名 で ある 。 しい て 、 その 地点 を 求む る なら ば 、 それ は 、 大小 クラウス たち の 耕し て い た 、 野原 や 、 少女 アリス が たどっ た 鏡 の 国 と 同じ 世界 の 中 、 テパーンタール 砂漠 の はるか な 北東 、 イヴン 王国 の 遠い 東 と 考え られる 。 
じつに これ は 著者 の 心象 中 に 、 この よう な 状 景 を もっ て 実在 し た ドリーム ランド として の 日本 岩手 県 で ある 。 
そこ で は 、 あらゆる こと が 可能 で ある 。 人 は 一瞬 に し て 氷 雲の上 に 飛躍 し 大 循環 の 風 を 従え て 北 に 旅 する こと も あれ ば 、 赤い 花 杯 の 下 を 行く 蟻 と 語る こと も できる 。 
罪 や 、 かなしみ で さえ そこ で は 聖 くき れい に かがやい て いる 。 
深い 椈 の 森 や 、 風 や 影 、 肉 之 草 や 、 不思議 な 都会 、 ベーリング 市 まで 続く 電柱 の 列 、 それ は まことに あやしく も 楽しい 国土 で ある 。 この 童話 集 の 一 列 は 実に 作者 の 心象 スケッチ の 一部 で ある 。 それ は 少年 少女 期 の 終り ごろ から 、 アドレッセンス 中葉 に対する 一つ の 文学 として の 形式 を とっ て いる 。 
この 見地 から その 特色 を 数える なら ば 次 の 諸点 に 帰 する 。 
一 　 これ は 正しい もの の 種子 を 有し 、 その 美しい 発芽 を 待つ もの で ある 。 しかも けっして 既成 の 疲れ た 宗教 や 、 道徳 の 残滓 を 、 色あせ た 仮面 によって 純真 な 心意 の 所有 者 たち に 欺き 与え ん と する もの で は ない 。 
二 　 これら は 新しい 、 より よい 世界 の 構成 材料 を 提供 しよ う と は する 。 けれども それ は 全く 、 作者 に 未知 な 絶え ざる 驚異 に 値する 世界 自身 の 発展 で あっ て 、 けっして 畸形 に 捏ね あげ られ た 煤色 の ユートピア で は ない 。 
三 　 これら は けっして 偽 で も 仮 空 で も 窃盗 で も ない 。 
多少 の 再度 の 内省 と 分析 と は あっ て も 、 たしかに この とおり その 時 心象 の 中 に 現われ た もの で ある 。 ゆえに それ は 、 どんなに 馬鹿げ て い て も 、 難解 でも 必ず 心 の 深部 において 万 人 の 共通 で ある 。 卑怯 な 成人 たち に 畢竟 不可解 な だけ で ある 。 
四 　 これ は 田園 の 新鮮 な 産物 で ある 。 われ ら は 田園 の 風 と 光 の 中 から つややか な 果実 や 、 青い 蔬菜 と いっしょ に これら の 心象 スケッチ を 世間 に 提供 する もの で ある 。 
注文 の 多い 料理 店 は その 十 二 巻 の セリーズ の 中 の 第 一 冊 で まず その 古風 な 童話 として の 形式 と 地方 色 と を もっ て 類 集 し た もの で あっ て 次 の 九 編 から なる 。 
目次 と … … … … その 説明 
（ 中略 、 ここ に 「 注文 の 多い 料理 店 」 の 中 扉 の カット を 挿入 し て ある ） 
１ 　 どんぐり と 山猫 
山猫 拝 と 書い た おかしな 葉書 が 来 た ので 、 こども が 山 の 風 の 中 へ 出かけ て 行く は なし 。 必ず 比較 を さ れ なけれ ば なら ない いま の 学童 たち の 内奥 から の 反響 です 。 
２ 　 狼森 と 笊森 、 盗 森 
人 と 森 と の 原始 的 な 交渉 で ､ 自然 の 順 違二面 が 農民 に 与え た 永い 間 の 印象 です 。 森 が 子供 ら や 農具 を かくす たび に 、 みんな は 「 探し に 行く ぞ お 」 と 叫び 、 森 は 「 来 お 」 と 答え まし た 。 
３ 　 烏 の 北斗七星 
戦う もの の 内的 感情 です 。 
４ 　 注文 の 多い 料理 店 
二 人 の 青年 紳士 が 猟 に 出 て 路 を 迷い 、 「 注文 の 多い 料理 店 」 に はいり 、 その 途方 も ない 経営 者 から かえって 注文 さ れ て い た は なし 。 糧 に 乏しい 村 の こども ら が 、 都会 文明 と 放恣 な 階級 と に対する やむ に やま れ ない 反感 です 。 
５ 　 水仙 月 の 四 日 
赤い 毛布 を 被 ぎ 、 「 カリメラ 」 の 銅 鍋 や 青い 焔 を 考え ながら 雪 の 高原 を 歩い て い た こども と 、 「 雪 婆 ンゴ 」 や 雪 狼 、 雪 童子 と の もの が たり 。 
６ 　 山男 の 四月 
四月 の かれ 草 の 中 に ねころん だ 山男 の 夢 です 。 烏 の 北斗七星 と いっしょ に 、 一つ の 小さな こころ の 種子 を 有 ち ます 。 
７ 　 かしわ ばやし の 夜 
桃色 の 大きな 月 は だんだん 小さく 青じろく なり 、 かしわ は みんな ざわざわ 言い 、 画 描き は 自分 の 靴 の 中 に 鉛筆 を 削っ て 変 な メタル の 歌 を うたう 、 たのしい 「 夏 の 踊り の 第 三 夜 」 です 。 
８ 　 月夜 の でん しん ば しら 
うろ こぐ もと 鉛 色 の 月光 、 九月 の イーハトヴ の 鉄道 線路 の 内 想 です 。 
９ 　 鹿 踊り の はじまり 
まだ 剖 れ ない 巨 き な 愛 の 感情 です 。 すすき の 花 の 向い火 や 、 きらめく 赤 褐 の 樹立 の なか に 、 鹿 が 無心 に 遊ん で い ます 。 ひと は 自分 と 鹿 と の 区別 を 忘れ 、 いっしょ に 踊ろ う と さえ し ます 。 
々 として ひか れる は 
硫黄 ヶ 岳 の 尾根 の 雪 
雲 灰 白 に 亙 せる は 
鳥ヶ森 また 駒頭山 
焼き 枕木 を 負 ひ 行き て 
水路 に 橋 を なさ ん と や 
雪 の 荒野 の た ゞ なか を 
小刻み に 行く 人 の あり 
せ な うち 痛み 息 熱く 
待合室 を わ が 得る や 
白き 羽 せ し 淫 れ め の 
おごり て まなこ うち つむり 
かなた めぐれる ベンチ に は 
かつて 獅子 とも 虎 と も 呼ば れ 
いま 歯 を 謝 せ し 村長 の 
頬 明き 孫 の 学生 を 
侍童 の さま に 従 へ て 
手袋 の 手 を かさね つ ゝ 
いと つ ゝ まし く 汽車 待てる 
外の面 俥 の 往来 し て 
雪 も さびしく よごれ たる 
二月 の 末 の くれ ちか み 
十 貫 二 十 五 銭 にて 
いかん ぞ 工場 立た ん など 
そのかみ の シャツ そのかみ の 
外套 を 着 て 物 思ふ は 
こ ゝ ろ 形 を おしなべて 
今日 落魄 の はて なれ や 
と は 云 へ なんぞ 人人 の 
なか より 来り 炉 に 立て ば 
遠き 海 見る さま なし て 
ひとみ やさしく うるめ る や 
ロイドめがね に はし 折り て 
丈 なす せ な の 荷 を おろし 
しばし さ びしくつぶやける 
その 人 なに の 商人 ぞ 
はた 軍服 に 剣 欠き て 
み ふゆ は やや に うら 寒き 
黄 なる りんご の 一 籠 と 
布 の かばん を たづ さ へ し 
この 人 なに の 司 ぞ や 
見よ かの 美しき 淫 れ め の 
いま は かな げ に め ひらける 
その 瞳 くらく よどみ つ ゝ 
かすか に 肩 のも だ ゆる は 
あはれ たまゆら ひらめき て 
朽ち なん いのち かしこ に も 
われと ひとしく うち な やみ 
さびしく 汽車 を 待つ なる を 
ながれ たり 
夜 は あやしく 陥り て 
ゆらぎ 出 でし は 一 むら の 
陰極線 の 盲 あかり 
また 螢 光 の 青 ら むと 
かなしく 白き 偏 光 の 類 
ましろ に 寒き 川 の さま 
地平 わ づか に 赤らむ は 
あかつき と こそ 覚 ゆ なれ 
（ そも これ は いづ ちの 川 の けしき ぞ も ） 
げに ながれ たり 水 の いろ 
ながれ たり げに 水 の いろ 
この あかつき の 水 の さま 
はて さ へ しら に ながれ たり 
（ そも これ は いづ ちの 川 の けしき ぞ も ） 
明るく かろ き 水 の さま 
寒く あかるき 水 の さま 
（ 水 いろ な せる 川 の 水 
水 いろ 川 の 川 水 を 
何 か はしら ね みづい ろ の 
かたち ある もの ながれ 行く ） 
青ざめ し 人 と 屍 　 数 も しら 
水 に もま れ て くだり 行く 
水 いろ の 水 と 屍 　 数 も しら 
（ 流れ たり げに 流れ たり ） 
また 下り くる 大 筏 
ま なじり 深く 鼻 高く 
腕 うち くみ て み めぐらし 
一 人 の 男 うち 座する 
見 ず や 筏 は 水 いろ の 
屍 より ぞ 組み 成さ る 
髪 みだれ たる わか ものの 
筏 の はじ に とりつけ ば 
筏 の あるじ 瞳 赤く 
頬 に ひらめく いかり し て 
わか もの の 手 を 解き 去り ぬ 
げに ながれ たり 水 の いろ 
ながれ たり げに 水 の いろ 
この あかつき の 水 の さま 
はて さ へ しら に ながれ たり 
共に あ を ざめ 救 はん と 
流れ の 中 に 相 寄れる 
今 は 却 り て 争 へ ば 
その 髪 みだれ 行ける あり 
（ 対岸 の 空 うち 爛れ 
赤き は 何 の けしき ぞ も ） 
流れ たり げに 流れ たり 
はて さ へ しら に なが るれ ば 
わが 眼 は つか れ いま は さて 
もの おしなべて うち かすみ 
た ゞ ほ の じ ろ の 川 水 と 
う すら あかるき そら の さま 
お ゝ 頭 ばかり 頭 ばかり 
きりきり きり と はぎ しり し 
流れ を 切り て くる も あり 
死人 の 肩 を 噛める もの 
さらに 死人 のせ を 噛め ば 
さめ て 怒れる もの も あり 
ながれ たり げに ながれ たり 
川 水 軽く か ゞ やき て 
た ゞ 速 か に ながれ たり 
（ そも これ は いづ ちの 川 の けしき ぞ も 
人 と 屍 と 群れ ながれ たり ） 
あゝ 流れ たり 流れ たり 
水 いろ な せる 屍 と 
人 と を のせ て 水 いろ の 
水 は はて なく 流れ たり 
りんご のみ き の は ひ の ひかり 
腐植 の しめり の つ ち に 立て り 
根 ぎはの 朽ち の 褐 なれ ば 
どう 枯病 を うた が へり 
天 の つかれ の 一方 に 
その 果 朱 金 を くす ぼら す 
われ は ダルケ を 名乗 れる もの と 
つめたく 最後 の わかれ を 交 は し 
閲覧 室 の 三 階 より 
白き 砂 を はるか に たどる こ ゝ ち にて 
その 地下 室 に 下り 来り 
かたみに 湯 と 水 と を 呑め り 
その とき 瓦斯 の マントル は やぶれ 
焔 は 葱 の 華 なせ ば 
網膜 半ば 奪 はれ て 
その 洞 黒く 錯乱 せり し 
かく て ぞ われ は その 文 に 
ダルケ と 名乗る 哲人 と 
永久 の わかれ を な せる なり 
われ ら が 書 に 順 ひ て 
その 三 稜 の 壇 に 立ち 
クラリネット と オボー も て 
七 たび 青く ひらめ ける 
四 連 音符 を つ ゞ け 奏し 
あたり 雨 降る けしき にて 
ひたすら 吹ける その とき に 
いつか われ ら の 前 に 立ち 
かなしき 川 を うち 流し 
渦まく 風 を あげ あり し 
かの 逞 まし き 肩 も てる 
黒き 上着 は そも 誰 なり し 
（ 二川 こ ゝ にて 会し たり ） 
（ い な 、 和賀 の 川 水 雪 代 ふ 
夏 油 の それ の 十 なれ ば 
その 川 ここ に 入る と 云 へ ） 
藍 と 雪 と の うす けぶり 
つらなる 尾根 の かなた より 
夏 油 の 川 は 巌 截 り て 
ま しろき 波 を ながし きぬ 
弓 の ごとく 
鳥 の ごとく 
昧爽 の 風 の 中 より 
家 に 帰り 来れ り 
棕梠 の 葉 や ゝ に 痙攣 し 
陽光 横目 に 過 ぐる ころ 
湯屋 に は 声 の ほのか にて 
溝 水 ほ と と 落ち たる に 
放蕩 無頼 の 息子 の 大工 
この とき 古き スコットランド の 
貴族 風 し て 戻り 来れ り 
たい エゴイスト だ 。 た ゞ 神 のみ 名 による エゴイスト だ と 、 君 は もう 一遍 、 云っ て 呉れ 。 さ う で なく て さ へ 、 俺 の 胸 は 裂け やう と する 。 
純 黒 　 俺 の 胸 も 裂け やう と する 。 お ゝ 。 町 は づれのたそがれの 家 で 、 顔 の まっ 赤 な 女 が 、 一 人 で 、 せわしく 飯 を かき込ん だ 。 それから 、 水色 の 汽車 の 窓 の 所 で 、 瘠せ た 旅人 が 、 青白い 苹果 に パク と 噛みつい た 。 俺 は 一 人 に なる 。 君 は 此処 から 行か ない で 呉れ 。 
蒼 冷 　 ありがたう 。 判っ た 。 判っ て ゐる よ 。 けれども 俺 は 快楽 主義 者 だ 。 冷たい 朝 の 空気 製 の ビール を 考へ て ゐる 。 枯草 を 詰め た 木 沓 の ダンス を 懐かしく 思ふ の だ 。 
純 黒 　 俺 だって 、 それ は 、 君 に 劣ら ない 。 あの 融け 残っ た 、 霧 の 中 の 青い 後光 を 有っ た 栗 の 木 や 、 明方 の 雲 に 冷たく 熟れ た 木 莓 や 。 それでも 　 それでも 。 俺 は 豚 の 脂 を 食べ やう と 思ふ 。 俺 の 胸 よ 。 強く なれ 。 お里 の 知れ た 少し の 涙 で しめさ れる な 。 強く なれ 。 
蒼 冷 　 俺 は 強く ならう と も し ない 。 弱く ならう と も し ない 。 すべて は 神 の なる が 如く に なれ 。 
蒼 冷 　 いや 岩手 県 だ 。 外山 と 云 ふ 高原 だ 。 北上 山地 の うち だ 。 俺 は 只 一 人 で 其処 に 畑 を 開か う と 思ふ 。 
純 黒 　 彼処 は 俺 は 知っ てる よ 。 目 に 見える やう だ 。 そん なら もう 明日 から 君 は あの 湿っ た 腐植 土 や 、 み ゝ づや 、 鷹 やら が 友達 だ 。 白樺 の 薄皮 が 、 隣り の 牧夫 によって 戯 むれ に 剥がれ た 時 、 君 は その 緑色 の 冷たい 靱皮 の 上 に 、 繃帯 を してやる だら う 。 あゝ 俺 は 行き たい ん だ ぞ 。 君 と 一 諸に 行き たい ん だ ぞ 。 
蒼 冷 　 俺 等 の 心 は 、 一 諸に 出会 はう 　 俺 は 畑 を 耕し 終 へ た とき 、 疲れ た 眼 を 挙げ て 、 遠い 南 の 土 耳 古玉 の 天 末 を 望ま う 。 その 時 は 、 君 の 心 は あの 蒼 びかりの 空間 を 、 まっしぐら に 飛ん で 来 て 呉れ 。 
純 黒 　 行く と も 。 晴れ た 日 ばかり で は ない 。 重い ニッル の 雲 が 、 あの 高原 を 、 氷河 の 様 に 削っ て 進む 日 、 俺 の 心 は 、 早く も 雲 や 沢山 の 峯 やら を 越え て 、 馬鈴薯 を 撰 り 分ける 、 君 の 処 へ 飛ん で 行く 。 けれども 俺 は 辛い ん だ 。 若し 、 僕 が 、 君 と 同 ん じ 神 を 戴く なら ば 、 同 ん じ 見え な 
雨 ニモマケズ 
風 ニモマケズ 
雪 ニモ 夏 ノ 暑 サニモマケヌ 
丈夫 ナカラダヲモチ 
慾 ハナク 
決 シテ 瞋 ラズ 
イツモシヅカニワラッテヰル 
一 日 ニ 玄米 四 合 ト 
味噌 ト 少 シノ 野菜 ヲタベ 
アラユルコトヲ 
ジブンヲカンジョウニ 入 レズニ 
ヨクミキキシワカリ 
ソシテワスレズ 
野原 ノ 松 ノ 林 ノ ノ 
小 サナ 萓 ブキノ 小屋 ニヰテ 
東 ニ 病気 ノコドモアレバ 
行 ッテ 看病 シテヤリ 
西 ニツカレタ 母 アレバ 
行 ッテソノ 稲 ノ 朿 ヲ 負 ヒ 
南 ニ 死 ニサウナ 人 アレバ 
行 ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 
北 ニケンクヮヤソショウガアレバ 
ツマラナイカラヤメロトイヒ 
ヒドリノトキハナミダヲナガシ 
サムサノナツハオロオロアルキ 
ミンナニデクノボートヨバレ 
ホメラレモセズ 
クニモサレズ 
サウイフモノニ 
ワタシハナリタイ 
南無 無辺 行 菩薩 
南無 上 行 菩薩 
南無 多 宝 如来 
南無妙法蓮華経 
南無 釈迦牟尼 仏 
南無 浄 行 菩薩 
南無 安立 行 菩薩 
霧 降る 萱 の 細 みち に 
われ を いぶかり 腕 組める 
な は たくましき 漢 子 か な 
白き 上着 は よそ へ ども 
ひそ に 醸せる な が 酒 を 
うち 索 め たる われ なら ず 
はが ね の 槌 は 手 に あれ ど 
ながし づか なる 山畑 に 
銅 を 探ら ん われ なら ず 
検 土 の 杖 は に な へ ども 
四方 に す だける むら どり の 
一 羽 も ため に 落ち ざら ん 
土 を けみし て 培 の 
企画 を なさ ん つとめ のみ 
さ あれ ば なれよ 高 萱 の 
群 うち 縫 へる この みち を 
わが ため に こそ ひらけ かし 
権現山 の い た ゞ きの 
黒き 巌 は 何 やら ん 
霧 の 中 より 光り 出 づるを 
おれ は その 時 その 青黒く 淀ん だ 室 の 中 の 堅い 灰色 の 自分 の 席 に そわそわ 立っ たり 座っ たり し て ゐ た 。 
二 人 の 男 が その 室 の 中 に 居 た 。 一 人 は たしかに 獣医 の 有本 で も 一 人 は さまざま の やつ ら の もやもや し た 区分 キメラ で あっ た 。 
おれ は どこ か へ 出 て 行か う と 考へ て ゐる らしかっ た 。 飛ぶ ん だ ぞ 霧 の 中 を きい っと ふっとん で やる ん だ など と 頭 の 奥 で 叫ん で ゐ た 。 ところが その 二 人 が しきりに 着物 の はなし を し た 。 
おれ は ひどく むしゃくしゃ し た 。 そして 卓 を ガタガタ ゆすっ て ゐ た 。 
いきなり 霧 積 が 入っ て 来 た 。 霧 積 は 変 に 白く ぴかぴか する 金襴 の 羽織 を 着 て ゐ た 。 そして ひどく 嬉し さ うに 見え た 。 今朝 は 支那版 画 展覧 会 が あっ て 自分 は その 幹事 に なっ て ゐる から そっち へ 行く ん だ と 云っ て かなり 大声 で 笑っ た 。 おれ は それ が しゃくにさわっ た 。 第 一 霧 積 は 今日 は おれ と 北の方 の 野原 へ 出かける 約束 だっ た の だ 、 それ を 白っぽい 金襴 の 羽織 など を 着込ん で わけ も わから ない 処 へ 行っ て けら けら 笑っ たり し やう といふ の は あんまり 失敬 だ と 　 おれ は 考へ た 。 
ところが 霧 積 は どう 云 ふ わけ か 急 に おれ の 着物 を 笑 ひ 出し た 。 有本 も 笑っ た 。 区分 キメラ も つめたく あざ笑っ た 。 なん だ 着物 の こと など か 　 き さま ら は 男 だら う 　 それに 本気 で 着 もの の こと を 云 ふ の か 、 など と おれ は そっと 考へ て 見 た が どうも 気持 が 悪かっ た 。 それから 今度 は 有本 が 何 かも に やも に や 云っ て おれ を 慰める やう に し た 。 
おれ に は どう いふ わけ で 自分 に 着物 が 斯 う 足り ない の か どう 考へ て も 判ら なく てひどく 悲しかっ た 。 そこで おれ は 立ちあがっ て 云 た 。 
「 あたり ま へ さ 。 おれ なんぞ まだ 着物 など 三つ も 四つ も ため られる 訳 は ない ん だ 。 おれ は これ で 沢山 だ 。 」 有本 や 霧 積 は 何 か 眩しく 光る 絵巻 か 角帯 らしい もの を ひろげ て 引っぱっ て しゃべっ て ゐ た 。 おれ は ぷいと 外 へ 出 た 。 そして いきなり 川 ば た の 白い 四角 な 家 に 入っ た 。 知ら ない 赤い 女 が 髪 も よく 削ら ず に 立っ て ゐ た 。 そして いきなり 
「 お 履物 は こちら へま は し まし た から 。 」 と 云っ て おれ の 革 スリッパ を 変 な 裏口 の やう な 土間 に 投げ出し た 。 おれ は 「 ふん 」 と 云 ひ ながら そっち へ 行っ た 。 それでも 気分 は よかっ た 。 
片 っ 方 の スリッパ が 裏返し に なっ て ゐ た 。 その 女 が 手 を 延ばし て 直す 風 を し た 。 おれ は こんな 赤い すれ っ から し が 本 統 に それ を 直す か どう か と 考へ ながら 黙っ て それ を 見 て ゐ た 。 
女 は 本 統 に スリッパ を 直し た 。 おれ は 外 へ 出 た 。 
川 が 烈しく 鳴っ て ゐる 。 一月 十 五 日 の 村 の 踊り の 太鼓 が 向 岸 から 強く ひ ゞ い て 来る 。 強い 透明 な 太鼓 の 音 だ 。 
川 は あんまり 冷たく 物凄かっ た 。 おれ は 少し 上流 に のぼっ て 行っ た 。 そこ の 所 で 川 は まるで 白 と 水色 と ぼろぼろ に なっ て 崩れ落ち て ゐ た 。 そして 殊更 空 の 光 が 白く 冷たかっ た 。 
（ おれ は 全体 川 を き ら ひだ 。 ） おれ は かなり 高い 声 で 云っ た 。 
ひどい 洪水 の 後 らしかっ た 。 もう 水 は 澄ん で ゐ た 。 それでも 非常 な 水勢 な の だ 。 波 と 波 と が 激しく 拍 って 青く ぎらぎら し た 。 
支流 が 北 から 落ち て ゐ た 。 おれ は だまっ て その 岸 について 溯っ た 。 
空 が ツン ツン と 光っ て ゐる 。 水 は ごうごうと 鳴っ て ゐ た 。 おれ は かなしかっ た 。 それから 口笛 を 吹い た 。 口笛 は 向 ふ の 方 に 行っ て だんだん 広く 大きく なっ て しまひ に は 手 も つけ られ ない やう に ひろがっ た 。 
そして 向 ふ に 大きな 島 が 見え た 。 それ は いつか の 洪水 で でき て から もう 余程 の 年 を 経た らしく 高 さ も 百 尺 は あっ た 。 栗 や 雑木 が 一 杯 に しげっ て ゐ た 。 
おれ は そっち へ 行か う と 思っ た 。 
そして いつか もう 島 の 上 に 立っ て ゐ た 。 どうして 川 を 渡っ たら う 、 私 は 考へ ながら さびしく ふり 返っ た 。 
たしかに それ は 水 が 切れ て 小さな ぴちゃぴちゃ の 瀬 に なっ て ゐ た の だ 。 
おれ は 青白く 光る 空 を 見 た 。 洪水 が い つ また 黒い 壁 の やう に なっ て 襲っ て 来る か わから ない と 考へ た 。 小さな 子供 の いきなり ながさ れる 模様 を 想像 し た 。 それから 西 の 山脈 を 見 た 。 それ は 碧 く なめらか に 光っ て ゐ た 。 あんな 明るい ところ で 今 雨 の 降っ て ゐる わけ は ない 、 おれ は 考へ た 。 
そら に ひろがる 高い 雑木 の 梢 を 見 た 、 あすこ まで 昇れ ば ま づ 大 低 の 洪水 なら 大丈夫 だ 、 その うち に きっと 弟 が 助け に 来る 、 けれども どうして 助ける の か な と おれ は 考へ た 。 
いつか 島 が 又 もと の 岸 と くっつい て ゐ た 。 その 手前 は うらら か な 孔雀石 の 馬蹄 形 の 淵 に なっ て ゐ た 。 おれ は 立ちどまっ た 。 そして 又 口笛 を 吹い た 。 そして 雑木 の 幹 に 白い きのこ を 見 た 。 まっしろ な さる の こしかけ を 見 た 。 
それから 志木 、 大高 と 彫ら れ た 白い 二 列 の 文字 を 見 た 。 
瘠せ て オーバアコート を 着 て わらじ を 穿い た 男 が 青 光り の さる とり いばら の 中 に まっすぐ に 立っ て ゐ た 。 
「 私 は 志木 です 。 こ ゝ の 測量 に 着手 し た の は 私 で あり ます 。 」 帽子 を とっ て いや に 堅苦しく その 男 が 云っ た 。 志木 、 志木 と はてな 、 どこ か で 聞い た ぞ と おれ は 思っ た 。 
苔 いち めん に 、 霧 が ぽし ゃぽしゃ 降っ て 、 蟻 の 歩哨 は 鉄 の 帽子 の ひさし の 下 から 、 するどい ひとみ で あたり を にらみ 、 青く 大きな 羊歯 の 森 の 前 を あちこち 行っ たり 来 たり し て い ます 。 
向こう から ぷるぷるぷるぷる 一 ぴき の 蟻 の 兵隊 が 走っ て 来 ます 。 
「 停 まれ 、 誰 か ッ 」 
「 第 百 二 十 八 聯隊 の 伝令 ！ 」 
「 どこ へ 行く か 」 
「 第 五 十 聯隊 　 聯隊 本部 」 
歩哨 は スナイドル 式 の 銃剣 を 、 向こう の 胸 に 斜め に つきつけ た まま 、 その 眼 の 光り よう や 顎 の かたち 、 それから 上着 の 袖 の 模様 や 靴 の ぐあい 、 いちいち 詳しく 調べ ます 。 
「 よし 、 通れ 」 
伝令 は いそがしく 羊歯 の 森 の なか へ はいっ て 行き まし た 。 
霧 の 粒 は だんだん 小さく 小さく なっ て 、 いま は もう 、 うすい 乳 いろ の けむり に 変わり 、 草 や 木 の 水 を 吸い あげる 音 は 、 あっち に も こっち に も 忙しく 聞こえ だし まし た 。 さすが の 歩哨 も とうとう ねむ さ に ふらっと し ます 。 
二 疋 の 蟻 の 子供 ら が 、 手 を ひい て 、 何 か ひどく 笑い ながら やって来 まし た 。 そして にわかに 向こう の 楢 の 木の下 を 見 て びっくり し て 立ちどまり ます 。 
「 あっ 、 あれ な ん だろ う 。 あんな ところ に まっ白 な 家 が でき た 」 
「 家 じゃ ない 山 だ 」 
「 昨日 は なかっ た ぞ 」 
「 兵隊 さん に きい て みよ う 」 
「 よし 」 
二 疋 の 蟻 は 走り ます 。 
「 兵隊 さん 、 あすこ に ある の なに ？ 」 
「 なん だ うるさい 、 帰れ 」 
「 兵隊 さん 、 いね むりしてんだい 。 あすこ に ある の なに ？ 」 
「 うるさい なあ 、 どれ だい 、 おや ！ 」 
「 昨日 は あんな もの なかっ た よ 」 
「 おい 、 大変 だ 。 おい 。 おまえ たち は こども だ けれども 、 こういう とき に は 立派 に みんな の お 役 に たつ だろ う なあ 。 いい か 。 おまえ はね 、 この 森 を はいっ て 行っ て アルキル 中佐 どの に お目にかかる 。 それから おまえ は うんと 走っ て 陸地 測量 部 まで 行く ん だ 。 そして 二 人 とも こう 言う ん だ 。 北緯 二 十 五 度 東経 六 厘 の 処 に 、 目的 の わから ない 大きな 工事 が でき まし た と な 。 二 人 とも 言っ て ごらん 」 
「 北緯 二 十 五 度 東経 六 厘 の 処 に 目的 の わから ない 大きな 工事 が でき まし た 」 
「 そう だ 。 で は 早く 。 そのうち 私 は 決して ここ を 離れ ない から 」 
蟻 の 子供 ら はいち も くさん にかけて 行き ます 。 
歩哨 は 剣 を かまえ て 、 じっと その まっしろ な 太い 柱 の 、 大きな 屋根 の ある 工事 を にらみつけ て い ます 。 
それ は だんだん 大きく なる よう です 。 だいいち 輪廓 の ぼんやり 白く 光っ て ぶるぶる ぶるぶる ふるえ て いる こと で も わかり ます 。 
にわかに ぱっと 暗く なり 、 そこら の 苔 は ぐらぐら ゆれ 、 蟻 の 歩哨 は 夢中 で 頭 を かかえ まし た 。 眼 を ひらい て また 見 ます と 、 あの まっ白 な 建物 は 、 柱 が 折れ て すっかり 引っ くり 返っ て い ます 。 
蟻 の 子供 ら が 両方 から 帰っ て き まし た 。 
「 兵隊 さん 。 かまわ ない そう だ よ 。 あれ は きのこ という もの だ って 。 なん で も ない って 。 アルキル 中佐 は うんと 笑っ た よ 。 それから ぼく を ほめ た よ 」 
「 あの ね 、 すぐ なくなる って 。 地図 に 入れ なく て も いい って 。 あんな もの 地図 に 入れ たり 消し たり し て い たら 、 陸地 測量 部 など 百 あっ て も 足り ない って 。 おや ！ 　 引っ くり かえって ら あ 」 
「 たった いま 倒れ た ん だ 」 歩哨 は 少し きまり 悪 そう に 言い まし た 。 
「 なあんだ 。 あっ 。 あんな やつ も 出 て 来 た ぞ 」 
向こう に 魚 の 骨 の 形 を し た 灰 いろ の おかしな きのこ が 、 とぼけ た よう に 光り ながら 、 枝 が つい たり 手 が 出 たり だんだん 地面 から のびあがっ て き ます 。 二 疋 の 蟻 の 子供 ら は 、 それ を 指さし て 、 笑っ て 笑っ て 笑い ます 。 
その とき 霧 の 向こう から 、 大きな 赤い 日 が のぼり 、 羊歯 も す ぎごけもにわかにぱっと 青く なり 、 蟻 の 歩哨 は 、 また いかめしく スナイドル 式 銃剣 を 南 の 方 へ 構え まし た 。 
そら の てっぺん なんか つめたく て つめたく て まるで カチカチ の やき を かけ た 鋼 です 。 
そして 星 が いっぱい です 。 けれども 東 の 空 は もう やさし いき きょう の 花びら の よう に あやしい 底光り を はじめ まし た 。 

