死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)
コンテンツ一覧
哲学と臨床現場をつなぐ言葉を育てる
第3回 死に直面しつつ生きる
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒死の直前にどう生きるべきか、一緒に考えてみませんか?【「進行形」の生を生きる】(だいふくちゃん通信)
第4回 死を超える希望の思想史
古来人は、「私たちは皆、いずれは死ぬ。」という事実の前に佇み、どう対処しようかと考えてきた。死という事実を前にして、私たちはなお希望を持ち続けることができるだろうか。この問いに答えようとした様々な試みの中から、キリスト教の思想伝統を取り上げてみる。
ギリシア叙事詩・悲劇研究の泰斗
第5回 死すべき人間・不死なる神々(その1)
mortal / immortal という対立軸はギリシャ以来ずっと西洋の考え方の根本にある。人間が死ぬものと決まっているならば、では「死なない・不滅の・不朽の存在」とは何なのか?
第6回 死すべき人間・不死なる神々(その2)
人間が死ぬことは必然である(運命)。しかるにひとは偶然に左右される(運)。とはいえ運は実力と共存する。ところがそれまで(悪)運にすぎないと思えていたことが実は運命かもしれないと思うのは、いったいどういう場合なのか。『イーリアス』やギリシャ悲劇に即して考える。
宗教学の革新、死生学の創生をリードする/イタリア中世から芭蕉・賢治のイタリア語訳まで
第1回 現代人と死生観――死生学とは何か?
死生学は1970年頃から世界各地でその必要性が認識されてきたものだ。死を問うこと、死生を問うことが学問の課題と考えられるようになったのは、なぜだろうか。現代人は死を遠ざける傾向があると言われるが、それはどのような意味においてか。現代人は、どのようにして死とともに生きる姿勢をとりもどすことができるのだろうか。
第2回 生と死の思想――その多様性と相互理解
生と死は表裏一体のものだ。死を適切に受け止めることができてこそ、充実した生を送ることができるだろう。だからこそ、諸文化において「生と死の思想」は豊かに展開されてきた。西洋の死生観の伝統を学ぶに先立ち、死生観をめぐり文化間の相違がどのように意識されるのか、また異文化の死生観に学ぶとはどのようなことなのかについて考える。
現代科学を思想史から問い直す
第11回 生権力と死の思想
フーコーの生権力論の90年代以降の展開のなかで、アガンベンなど、主要なものを回顧する。その上で、生権力論と死の政治学とがしばしば表裏一体な発現をするという逆説的な事実を提示する。ナチスの人体実験などにも触れる予定。
第12回 安楽死の思想史
終末期医療の諸問題の中で、特に安楽死問題に注目する。題材としては、アメリカの20世紀後半に安楽死、またはその周辺の問題群についてなされたいろいろな議論を紹介する。また、それらの議論の契機となった臨床例、社会活動などにも言及する。安楽死問題もまた、現代的な生権力論の具体例の一つだという位置付けが可能だろう。
第13回 死生の問いと現代の学術
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒【「死」について考えてみませんか?】宗教学者と哲学者による案内(だいふくちゃん通信)
ロシア・東欧文学研究から現代文芸批評まで
第7回 ロシア文学における生と死(その1) ドストエフスキー
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒ロシア文学研究者による『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』解説(だいふくちゃん通信)
第8回 ロシア文学における生と死(その2) トルストイ、チェーホフ
第2回目は、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』、中編『イワン・イリッチの死』を取り上げる。またトルストイの後に続く世代のチェーホフにおいて、死がどのように19世紀末の時代に変質したかもあわせて考える。
哲学・倫理学研究の王道を行く
第9回 有限的な生の意味
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒20世紀最大の哲学者、ハイデガーについて知りたい方へ【「存在」とは何か】(だいふくちゃん通信)
第10回 他者と共に在る生
ハイデガーに対しては、さまざまな批判が提起されてきた。生と死の問題をめぐっては、その独我論的な傾向や「雄々しい」生への性向などが問題とされてきたといってよい。今回は、和辻哲郎、九鬼周造、レヴィナスの批判をとり上げながら、生の意味をめぐって、ハイデガーとはべつの視角から考える可能性を探ってみたい。