新・学問のすゝめー東大教授たちの近代(学術俯瞰講義)
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第1回 新・学問のすゝめー大学は、何処から来て何処へ行くのか
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒【なぜ私たちは大学で学ぶのか】世界と日本の大学の歴史から考える(だいふくちゃん通信)
第2回 "Beat the whites"と"by Jap anyway"の間―物理学者の屈辱と栄光
幕末・明治維新期に科学が日本に導入されたのは、富国強兵を実現するためのいわば「道具」としての役割が期待されたためであったと説明されることが多い。しかし、日本の科学は、素粒子理論など実用から離れた分野でも高い国際競争力をもっている。このような「純粋科学」を尊重する態度は、帝国大学の中で起こった、山川健次郎(1854年生)世代から長岡半太郎(1865年生)世代への学問の主導者の交代とともに生まれ、確立されて…
第3回 内田祥三・丹下健三と建築学の戦中・戦後
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒【東大の建物はなぜゴシック様式?】東大を作った建築家・内田祥三に迫る(だいふくちゃん通信)
第4回 平賀譲における造船学と粛学のあいだ
戦前戦中期の東京帝大で、軍事技術と学問はむしろ密接な関係にあった。その象徴的な人物が総長平賀譲である。この講義では、平賀譲の造船学と、彼が総長として行なった東京帝大の整備や「粛学」までを視野に入れ、工学における「軍事」と「大学」の関係や戦中と戦後の工学のありようについて考えていく。
第5回 日本における近代ドイツ医学の受容と 東京大学(東京医学校、大学東校)における展開
日本の近代医学はドイツ医学を基に発展した。ドイツ医学の導入には多くの転換点があった。歴史的背景と、我が国の医学・医療に与えた影響について紹介する。
第8回 白鳥庫吉と日本における東洋学の形成
日本の人文学の形成過程においては、東洋学と総称される様々な学問が現れた。そのなかには、実は日本とアジアの関係をどのようにみるのかという強い問題意識が込められていた。江戸時代の漢学の伝統とは一線を画する近代的学知として誕生したのが、東洋史学である。しかし、それは日本の大陸侵略と深い関係を持った営みでもあった。東洋史学の確立者として大きな役割を果たした白鳥庫吉に焦点をあて、彼の学問の特徴、そして戦後…
第9回 高野岩三郎と日本の経済学
「西洋」の知を導入し、同時に「東洋」を発見していくことに邁進した明治の学問に対し、大正期以降の日本の学問は、自らの社会の内側に「問題」や「価値」を発見していく。高野岩三郎は法学部から経済学部が分離していく過程をリードし、東京帝国大学の知の中に、いわば「国家」の学とはことなる「社会」の学を形成しようとしたとは言えないか。その際、統計学や社会政策学が当時の新しい知の先端の役割を担った。
第10回 ヘンリー・ダイアーと日本の工学
Overview: The foundation of modern engineering in Japan was heavily influenced by Scottish engineering. Lord Kelvin of the University of Glasgow sent his disciple Henry Dyer to Japan, where he led a group of young Scottish engineers who were very active at the Imperial College of Engineering. In the background of these activities were the developments in railways, civil engineering and heavy indu…
第10回 ヘンリー・ダイアーと日本の工学2
近代日本の工学は、スコットランドの工学の影響を強く受けて基礎が築かれた。グラスゴー大学のケルヴィン卿が弟子のヘンリー・ダイアーを日本に派遣し、ダイアーを中心とするスコットランド若手工学者たちが工部大学校で大活躍していく。その背景には、19世紀英国における鉄道や土木技術、重工業の発展があり、いわば産業革命のエッセンスが明治日本に直輸入されたのである。講義では、このことの意味を考える。また最後に、その…
第11回 戸田貞三と日本の社会学
高野岩三郎が統計学・経済学で担ったのと似た役割を、日本の社会学で担ったのは戸田貞三であった。コントらの実証主義の明治期における輸入と方法としての観察の重視は、1920年代前後には、社会政策や家族研究の領域での社会調査の実践につながっていく。社会学は新しい研究対象として「階級」や「家族」を発見していった。日本の社会学が、いかなる形で新たな観察のフィールドを発見し、その方法論を整備していったかを論じたい。
第12回 藤澤利喜太郎と日本の数学
研究・教育の両面において近代日本の数学の基礎を築いたのは、藤澤利喜太郎である。藤澤は初めて本格的な数学の論文を執筆し、また近代的なセミナーという形で後進の育成に当たったという。その中から高木貞治をはじめとする世界に通用する数学者が育っていった。日本独特の数学である和算から近代西洋数学への急激な舵の切り替えを含めて、近代科学への発展の努力を見ていく。
第13回 鼎談―大学紛争と学問の未来
今日、転換期にある東京大学の教育や学びの歴史的な位置を考える際、どうしても参照しなければならないのは、占領期に南原繁が主導した改革と、1960年代末の大学紛争の中での改革の失敗である。紛争からすでに半世紀近くを経て、私たちはそろそろ60年代末に本学で起きたことや論じられたことの歴史的な意味を考え直してみることができる位置にいる。この最終回では、文系と理系の両方からの講師とコーディネータの3人で、半世紀…