古典は語りかける (学術俯瞰講義)
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日本の文学と哲学:『徒然草』の <貧> と <閑> の思想
第10回 「ある大福長者」の蓄銭の心得をめぐる兼好の洞察 (第217段)
エーリッヒ・フロムのTo Have or to Be? (佐野哲郎訳『生きるということ』) は、私たちの社会が持続可能であるためには、私たちの生き方が、ひたすら所有を求めるhaving modeから、あること (生きること) 自体の充実を求めるbeing modeに変わらなければならないと説いています。このフロムの思想を参考にして、『徒然草』の <貧> と <閑> を重んずる思想の現代的意義を再考してみたいと思います。
第11回 貧しく閑暇に生きること (第10、12、13、18、19、75、93、108、235、241段等)
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒『徒然草』に学ぶ単純な暮らし:現代社会で所有欲から自由になるためのヒント(だいふくちゃん通信)
日本の文学と哲学:漢文と和文の世界観
第12回 近世から近代への変化:四書五経と古事記
『古典』の形成は、根底的な言葉による世界観の構築になっている場合が多いです。日本では、その言葉が、漢語と和語と両方が結び付いており、時代や社会によって、両者の関係や位置を変化させる、という歴史があります。その世界観の大きな構築は、とくに近世といわれる江戸時代に形づくられ、それがまた近代といわれる明治維新以後に、国内的に位置付き、使用される歴史をもちました。しかしまた20世紀末になると、グローバル化…
第13回 グローバル化による変化:国を超えた古典
『古典』の形成は、根底的な言葉による世界観の構築になっている場合が多いです。日本では、その言葉が、漢語と和語と両方が結び付いており、時代や社会によって、両者の関係や位置を変化させる、という歴史があります。その世界観の大きな構築は、とくに近世といわれる江戸時代に形づくられ、それがまた近代といわれる明治維新以後に、国内的に位置付き、使用される歴史をもちました。しかしまた20世紀末になると、グローバル化…
ギリシャの文学と哲学:ソクラテスという「哲学者」の誕生
第4回 ソクラテスは何故死刑を受けたのか? (「古くからの告発への弁明」を中心に)
ギリシャの哲学者ソクラテスは、アテナイの法廷で「不敬神」の死刑判決を受け、前399年に処刑されます。プラトンや他の弟子たちは、その生き様と言論を著作で描きました。その代表作『ソクラテスの弁明』は西洋の古典として広く知られていますが、その真意はまだ十分に理解されていません。ソクラテスが法廷で語ったとされる「真実」とは何か、それはどのように「哲学」を生み出したのか。現代における意味を、一緒に考えてみたい…
第5回 ソクラテスの生は何を生んだのか? (「哲学者の生の弁明」を中心に)
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒ソクラテスの生と死について考える【私たちはどのようにより善く生きることができるのか】(だいふくちゃん通信)
中国の文学と哲学:「屈原」とは何者か
第6回 激情と悲劇のヒーロー:「離騒」とその伝統
秦の覇権を前に、楚国の衰運を背負って入水した屈原の悲劇は、その作とされる『楚辞』の高い調べとともに、人々の胸を激しく打ち、のちの文学にも大きな影響を及ぼしました。しかし近代には、屈原は愛国の英雄と賛美されたかと思うと、『楚辞』とのかかわりを疑われるなど、その位置づけは大きく揺れ動きます。古典を読むことと古代を研究することの関係にもふれつつ、現代において屈原をどうとらえるかを考えます。
第7回 革命的愛国者か文学的虚像か:「離騒」は近代においてどう読まれたか
秦の覇権を前に、楚国の衰運を背負って入水した屈原の悲劇は、その作とされる『楚辞』の高い調べとともに、人々の胸を激しく打ち、のちの文学にも大きな影響を及ぼしました。しかし近代には、屈原は愛国の英雄と賛美されたかと思うと、『楚辞』とのかかわりを疑われるなど、その位置づけは大きく揺れ動きます。古典を読むことと古代を研究することの関係にもふれつつ、現代において屈原をどうとらえるかを考えます。
中国の文学と哲学:論語を学ぶ、論語に学ぶ
第8回 学について (「学びて時に」の章、「徳は孤ならず」の章、「一を聞いて十を知る」の章)
『論語』は今もなお多くの読者を惹き付ける古典です。その内容については、歴代の注釈者たちによるそれぞれの読みがなされてきました。儒教の展開は、テクストの「正しい読み」を求める歴史であったともいえます。授業では、珠玉の数章を味わいながら多様な解釈を具体的に紹介します。それにより、『論語』の読まれ方について学んだうえで、いまの私たちが『論語』から学ぶことができる智慧について考えていきます。
第9回 礼について (「免れて恥無し」の章、「事ごとに問う」の章、厩 (うまや) 火事の章)
『論語』は今もなお多くの読者を惹き付ける古典です。その内容については、歴代の注釈者たちによるそれぞれの読みがなされてきました。儒教の展開は、テクストの「正しい読み」を求める歴史であったともいえます。授業では、珠玉の数章を味わいながら多様な解釈を具体的に紹介します。それにより、『論語』の読まれ方について学んだうえで、いまの私たちが『論語』から学ぶことができる智慧について考えていきます。
ギリシャの文学と哲学: 『オデュッセイア』を読む-「ヒュブリス! どっちが?」
第2回 『オデュッセイア』の世界: 物語前半 (1-12巻)
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒【オデュッセウスは英雄か? それとも罪人か!?】ギリシア古典を読み直す(だいふくちゃん通信)
第3回 法廷弁論としての『オデュッセイア』: 物語後半 (13-24巻)
こちらの講義の概要をだいふくちゃん通信でもご紹介しています。 ⇒【オデュッセウスは英雄か? それとも罪人か!?】ギリシア古典を読み直す(だいふくちゃん通信)